★阿修羅♪ > cWdxMGhCU2h1NEU= > 100000
 
g検索 cWdxMGhCU2h1NEU=  
 
cWdxMGhCU2h1NEU= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/c/cw/cwd/cWdxMGhCU2h1NEU=/100000.html
[近代史02] アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説 sagakara
76. 2022年3月19日 15:41:35 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[1]
『東京大空襲の戦後史』 著・栗原俊雄
書評・テレビ評2022年3月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/22985

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E8%B5%A4%E7%89%88-1916-%E6%A0%97%E5%8E%9F/dp/4004319161

 米軍が戦時中に日本に対しておこなった無差別爆撃は、戦時下でも民間人を狙わないとした国際法に違反する蛮行だった。なかでも1945年3月10日未明の東京大空襲は、たった数時間で10万人以上の無抵抗の非戦闘員を虐殺した。本書は、東京大空襲の被災者たちの戦後70年以上にわたる苦しみや、国に補償を求めるたたかいを取材してきたジャーナリストが、その事実を具体的に伝えることで新しい戦争の最大の抑止力にしようと執筆したものだ。

 1944年夏、米軍がサイパンなどマリアナ諸島を占領したとき、すでに日本の敗戦は決定的だった。米軍は同諸島を拠点に大型爆撃機B29によって日本本土の空襲を始めた。

 それでも日本の支配層は戦争をやめなかった。天皇は1945年2月、重臣の意見聴取をおこなったが、吉田茂が作成した近衛文麿の上奏文では「敗戦は必至。国体(天皇制)護持のために憂うべきは共産革命」とし、天皇は「米軍を叩き、その戦果を持って講和に持ち込む」と戦争継続を主張した。

 米軍の日本本土空襲を、民間人も区別しない無差別爆撃に変えたのは、米陸軍航空部隊将軍のカーチス・ルメイだった。ルメイは「われわれの計算しつくしたうえでの賭けは、近代航空戦史上で画期的なできごとになった」「(民間人大量殺傷が)私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」とのべている。

 そして米ユタ州の砂漠に日本家屋を模した木造住宅の街をつくり、焼夷弾の効果を実験した。焼夷弾は親爆弾の中に40個近い小爆弾を入れ、空中で親爆弾が破裂すると、ガソリンが詰めてある小爆弾が着弾して燃える。東京大空襲では300機以上のB29が、東京の住宅街にこの焼夷弾を雨あられと降り注いだ。

 著者は当時の米陸軍第五航空軍のリポートに、「すべての男、女、子どもを含む日本国の全人口が軍隊を援護する武装予備軍となった。日本国の全人口は正式な軍事目標となった。日本に民間人はいない」と書いてあることを紹介し、それがいかに非人道的な判断かとのべている。

犠牲になったのは一般庶民  被害調査未だなく

 アメリカと日本の支配層の思惑のもとで、犠牲になったのは日本の庶民である。著者は取材の過程で知り合った東京大空襲の体験者から体験を聞きとり、何人もの事例を記している。

 これはその一例にすぎないが、江東区に住む1931年生まれの男性は、1942年の企業整備令(軍需産業以外の中小商工業を整理・統合する法律)で家業の蕎麦屋ができなくなり、同時に兄が徴兵されて中国戦線に行くことに。見送りに行った父が部隊の装備の貧弱さに驚き、「あれじゃあダメだ」といっていたと回顧している。

 そして3月10日。東からB29が数珠つなぎで飛んできて、低空で巨大な翼がはっきりと見えた。すぐに焼夷弾がザーッという音とともに雨あられと降ってきた。北西風が激しく、火の粉が横なぐりで舞い、はしごが空を飛んでいた。避難する人たちで身動きがとれなくなり、工場脇の空き地に多くの人と一緒にうずくまったが、夜が明けて周囲を見るとマネキン人形のような人間の遺体があちこちに横たわっていた。別の場所では真っ黒な遺体が小山のように積み上がっていた。川を見ると水死体が折り重なっていた。

 別の男性は工業高校の生徒だったときに東京大空襲にあい、鎮火後は遺体の始末を手伝った。現在の東京スカイツリーを見上げる川から女性の遺体を引き揚げると、2歳ぐらいの子どもが髪の毛にしがみついていた。親子だったのだろう。拾ったトタンに遺体を乗せ、仮埋葬地の公園まで運んだ。焼けた遺体から首や足が落ちたが、すべては拾えなかった。「なんの罪もない人たちが戦争でたくさん亡くなった」と訴えている。

 ところが天皇が同年3月18日、都内の被災地を視察するというので、昼夜兼行で巡幸路付近の死体の片付けに追われることになった。その後遺体は、遺族の元に帰されることはほとんどなく、公園や学校、寺、空き地に埋められた。当時は国民の命よりも天皇を頂点とした「国体」が大事だったのだ。

 敗戦後、日本がアメリカに単独占領されると、今度はGHQの命令で、空襲で親を失った何十万人という戦災孤児が「まるで野良犬のような扱いで」東京品川沖の第四台場の檻の中に収容された。1952年に講和条約と安保条約が同時に結ばれると、日本政府はアメリカに対する戦争の補償請求権を放棄した。敗戦後は国の社会福祉がほとんど機能せず、孤児たちは義務教育も十分受けられないまま、親戚を転々としていたというのに。そればかりか1964年、日本政府は虐殺を指揮したルメイに、「航空自衛隊の育成に尽力した」という理由で勲一等旭日大綬章を贈った。戦後は天皇の上にアメリカが君臨している。

 本書を読みながら、東京大空襲をめぐる事実は、それが過去のことではなく、今現在の日本が抱えている矛盾を浮き彫りにしていると思った。ある体験者の女性が2020年3月、衆院第二議員会館で開かれた空襲議連の総会で発言した次の言葉が印象深い。「東京大空襲の死者の多くが遺体の確認ができず、どこの誰かもわからずに、生ゴミのように処理されました。残された遺族の多くは、墓をつくることもかなわず、今でも心の拠り所がないと感じています。空襲被害について、国として統一的網羅的に調査されたことがありません。空襲で亡くなった人の名前も、数さえも不明です。この2、3年に仲間が次々と他界し、残った私たちも先が長くありません。いつ、どこで、どんな被害があったか、全国空襲実態調査を実施してください。空襲被害をなかったことにしないでください」

 いまだに空襲被害の統一的調査も、東京大空襲の公的な慰霊施設や記念館もない日本。対米従属下でふたたび戦争の道に進まないためにも、被爆体験や空襲体験を語り継ぎ、世界に発信するとりくみを一層大きな運動にしなければと思う。

https://www.chosyu-journal.jp/review/22985
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html#c76

[近代史3] 空襲と疎開 疎開は有料で金持ち優先だった 中川隆
1. 中川隆[-13486] koaQ7Jey 2022年3月19日 15:43:40 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[3]
『東京大空襲の戦後史』 著・栗原俊雄
書評・テレビ評2022年3月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/22985

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E8%B5%A4%E7%89%88-1916-%E6%A0%97%E5%8E%9F/dp/4004319161

 米軍が戦時中に日本に対しておこなった無差別爆撃は、戦時下でも民間人を狙わないとした国際法に違反する蛮行だった。なかでも1945年3月10日未明の東京大空襲は、たった数時間で10万人以上の無抵抗の非戦闘員を虐殺した。本書は、東京大空襲の被災者たちの戦後70年以上にわたる苦しみや、国に補償を求めるたたかいを取材してきたジャーナリストが、その事実を具体的に伝えることで新しい戦争の最大の抑止力にしようと執筆したものだ。

 1944年夏、米軍がサイパンなどマリアナ諸島を占領したとき、すでに日本の敗戦は決定的だった。米軍は同諸島を拠点に大型爆撃機B29によって日本本土の空襲を始めた。

 それでも日本の支配層は戦争をやめなかった。天皇は1945年2月、重臣の意見聴取をおこなったが、吉田茂が作成した近衛文麿の上奏文では「敗戦は必至。国体(天皇制)護持のために憂うべきは共産革命」とし、天皇は「米軍を叩き、その戦果を持って講和に持ち込む」と戦争継続を主張した。

 米軍の日本本土空襲を、民間人も区別しない無差別爆撃に変えたのは、米陸軍航空部隊将軍のカーチス・ルメイだった。ルメイは「われわれの計算しつくしたうえでの賭けは、近代航空戦史上で画期的なできごとになった」「(民間人大量殺傷が)私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」とのべている。

 そして米ユタ州の砂漠に日本家屋を模した木造住宅の街をつくり、焼夷弾の効果を実験した。焼夷弾は親爆弾の中に40個近い小爆弾を入れ、空中で親爆弾が破裂すると、ガソリンが詰めてある小爆弾が着弾して燃える。東京大空襲では300機以上のB29が、東京の住宅街にこの焼夷弾を雨あられと降り注いだ。

 著者は当時の米陸軍第五航空軍のリポートに、「すべての男、女、子どもを含む日本国の全人口が軍隊を援護する武装予備軍となった。日本国の全人口は正式な軍事目標となった。日本に民間人はいない」と書いてあることを紹介し、それがいかに非人道的な判断かとのべている。

犠牲になったのは一般庶民  被害調査未だなく

 アメリカと日本の支配層の思惑のもとで、犠牲になったのは日本の庶民である。著者は取材の過程で知り合った東京大空襲の体験者から体験を聞きとり、何人もの事例を記している。

 これはその一例にすぎないが、江東区に住む1931年生まれの男性は、1942年の企業整備令(軍需産業以外の中小商工業を整理・統合する法律)で家業の蕎麦屋ができなくなり、同時に兄が徴兵されて中国戦線に行くことに。見送りに行った父が部隊の装備の貧弱さに驚き、「あれじゃあダメだ」といっていたと回顧している。

 そして3月10日。東からB29が数珠つなぎで飛んできて、低空で巨大な翼がはっきりと見えた。すぐに焼夷弾がザーッという音とともに雨あられと降ってきた。北西風が激しく、火の粉が横なぐりで舞い、はしごが空を飛んでいた。避難する人たちで身動きがとれなくなり、工場脇の空き地に多くの人と一緒にうずくまったが、夜が明けて周囲を見るとマネキン人形のような人間の遺体があちこちに横たわっていた。別の場所では真っ黒な遺体が小山のように積み上がっていた。川を見ると水死体が折り重なっていた。

 別の男性は工業高校の生徒だったときに東京大空襲にあい、鎮火後は遺体の始末を手伝った。現在の東京スカイツリーを見上げる川から女性の遺体を引き揚げると、2歳ぐらいの子どもが髪の毛にしがみついていた。親子だったのだろう。拾ったトタンに遺体を乗せ、仮埋葬地の公園まで運んだ。焼けた遺体から首や足が落ちたが、すべては拾えなかった。「なんの罪もない人たちが戦争でたくさん亡くなった」と訴えている。

 ところが天皇が同年3月18日、都内の被災地を視察するというので、昼夜兼行で巡幸路付近の死体の片付けに追われることになった。その後遺体は、遺族の元に帰されることはほとんどなく、公園や学校、寺、空き地に埋められた。当時は国民の命よりも天皇を頂点とした「国体」が大事だったのだ。

 敗戦後、日本がアメリカに単独占領されると、今度はGHQの命令で、空襲で親を失った何十万人という戦災孤児が「まるで野良犬のような扱いで」東京品川沖の第四台場の檻の中に収容された。1952年に講和条約と安保条約が同時に結ばれると、日本政府はアメリカに対する戦争の補償請求権を放棄した。敗戦後は国の社会福祉がほとんど機能せず、孤児たちは義務教育も十分受けられないまま、親戚を転々としていたというのに。そればかりか1964年、日本政府は虐殺を指揮したルメイに、「航空自衛隊の育成に尽力した」という理由で勲一等旭日大綬章を贈った。戦後は天皇の上にアメリカが君臨している。

 本書を読みながら、東京大空襲をめぐる事実は、それが過去のことではなく、今現在の日本が抱えている矛盾を浮き彫りにしていると思った。ある体験者の女性が2020年3月、衆院第二議員会館で開かれた空襲議連の総会で発言した次の言葉が印象深い。「東京大空襲の死者の多くが遺体の確認ができず、どこの誰かもわからずに、生ゴミのように処理されました。残された遺族の多くは、墓をつくることもかなわず、今でも心の拠り所がないと感じています。空襲被害について、国として統一的網羅的に調査されたことがありません。空襲で亡くなった人の名前も、数さえも不明です。この2、3年に仲間が次々と他界し、残った私たちも先が長くありません。いつ、どこで、どんな被害があったか、全国空襲実態調査を実施してください。空襲被害をなかったことにしないでください」

 いまだに空襲被害の統一的調査も、東京大空襲の公的な慰霊施設や記念館もない日本。対米従属下でふたたび戦争の道に進まないためにも、被爆体験や空襲体験を語り継ぎ、世界に発信するとりくみを一層大きな運動にしなければと思う。

https://www.chosyu-journal.jp/review/22985
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1016.html#c1

[近代史4] 「効率よく焼き尽くせ」 空襲成功のため、日本家屋まで再現した米軍の「用意周到」 中川隆
1. 中川隆[-13485] koaQ7Jey 2022年3月19日 15:44:14 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[4]
『東京大空襲の戦後史』 著・栗原俊雄
書評・テレビ評2022年3月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/22985

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E8%B5%A4%E7%89%88-1916-%E6%A0%97%E5%8E%9F/dp/4004319161

 米軍が戦時中に日本に対しておこなった無差別爆撃は、戦時下でも民間人を狙わないとした国際法に違反する蛮行だった。なかでも1945年3月10日未明の東京大空襲は、たった数時間で10万人以上の無抵抗の非戦闘員を虐殺した。本書は、東京大空襲の被災者たちの戦後70年以上にわたる苦しみや、国に補償を求めるたたかいを取材してきたジャーナリストが、その事実を具体的に伝えることで新しい戦争の最大の抑止力にしようと執筆したものだ。

 1944年夏、米軍がサイパンなどマリアナ諸島を占領したとき、すでに日本の敗戦は決定的だった。米軍は同諸島を拠点に大型爆撃機B29によって日本本土の空襲を始めた。

 それでも日本の支配層は戦争をやめなかった。天皇は1945年2月、重臣の意見聴取をおこなったが、吉田茂が作成した近衛文麿の上奏文では「敗戦は必至。国体(天皇制)護持のために憂うべきは共産革命」とし、天皇は「米軍を叩き、その戦果を持って講和に持ち込む」と戦争継続を主張した。

 米軍の日本本土空襲を、民間人も区別しない無差別爆撃に変えたのは、米陸軍航空部隊将軍のカーチス・ルメイだった。ルメイは「われわれの計算しつくしたうえでの賭けは、近代航空戦史上で画期的なできごとになった」「(民間人大量殺傷が)私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」とのべている。

 そして米ユタ州の砂漠に日本家屋を模した木造住宅の街をつくり、焼夷弾の効果を実験した。焼夷弾は親爆弾の中に40個近い小爆弾を入れ、空中で親爆弾が破裂すると、ガソリンが詰めてある小爆弾が着弾して燃える。東京大空襲では300機以上のB29が、東京の住宅街にこの焼夷弾を雨あられと降り注いだ。

 著者は当時の米陸軍第五航空軍のリポートに、「すべての男、女、子どもを含む日本国の全人口が軍隊を援護する武装予備軍となった。日本国の全人口は正式な軍事目標となった。日本に民間人はいない」と書いてあることを紹介し、それがいかに非人道的な判断かとのべている。

犠牲になったのは一般庶民  被害調査未だなく

 アメリカと日本の支配層の思惑のもとで、犠牲になったのは日本の庶民である。著者は取材の過程で知り合った東京大空襲の体験者から体験を聞きとり、何人もの事例を記している。

 これはその一例にすぎないが、江東区に住む1931年生まれの男性は、1942年の企業整備令(軍需産業以外の中小商工業を整理・統合する法律)で家業の蕎麦屋ができなくなり、同時に兄が徴兵されて中国戦線に行くことに。見送りに行った父が部隊の装備の貧弱さに驚き、「あれじゃあダメだ」といっていたと回顧している。

 そして3月10日。東からB29が数珠つなぎで飛んできて、低空で巨大な翼がはっきりと見えた。すぐに焼夷弾がザーッという音とともに雨あられと降ってきた。北西風が激しく、火の粉が横なぐりで舞い、はしごが空を飛んでいた。避難する人たちで身動きがとれなくなり、工場脇の空き地に多くの人と一緒にうずくまったが、夜が明けて周囲を見るとマネキン人形のような人間の遺体があちこちに横たわっていた。別の場所では真っ黒な遺体が小山のように積み上がっていた。川を見ると水死体が折り重なっていた。

 別の男性は工業高校の生徒だったときに東京大空襲にあい、鎮火後は遺体の始末を手伝った。現在の東京スカイツリーを見上げる川から女性の遺体を引き揚げると、2歳ぐらいの子どもが髪の毛にしがみついていた。親子だったのだろう。拾ったトタンに遺体を乗せ、仮埋葬地の公園まで運んだ。焼けた遺体から首や足が落ちたが、すべては拾えなかった。「なんの罪もない人たちが戦争でたくさん亡くなった」と訴えている。

 ところが天皇が同年3月18日、都内の被災地を視察するというので、昼夜兼行で巡幸路付近の死体の片付けに追われることになった。その後遺体は、遺族の元に帰されることはほとんどなく、公園や学校、寺、空き地に埋められた。当時は国民の命よりも天皇を頂点とした「国体」が大事だったのだ。

 敗戦後、日本がアメリカに単独占領されると、今度はGHQの命令で、空襲で親を失った何十万人という戦災孤児が「まるで野良犬のような扱いで」東京品川沖の第四台場の檻の中に収容された。1952年に講和条約と安保条約が同時に結ばれると、日本政府はアメリカに対する戦争の補償請求権を放棄した。敗戦後は国の社会福祉がほとんど機能せず、孤児たちは義務教育も十分受けられないまま、親戚を転々としていたというのに。そればかりか1964年、日本政府は虐殺を指揮したルメイに、「航空自衛隊の育成に尽力した」という理由で勲一等旭日大綬章を贈った。戦後は天皇の上にアメリカが君臨している。

 本書を読みながら、東京大空襲をめぐる事実は、それが過去のことではなく、今現在の日本が抱えている矛盾を浮き彫りにしていると思った。ある体験者の女性が2020年3月、衆院第二議員会館で開かれた空襲議連の総会で発言した次の言葉が印象深い。「東京大空襲の死者の多くが遺体の確認ができず、どこの誰かもわからずに、生ゴミのように処理されました。残された遺族の多くは、墓をつくることもかなわず、今でも心の拠り所がないと感じています。空襲被害について、国として統一的網羅的に調査されたことがありません。空襲で亡くなった人の名前も、数さえも不明です。この2、3年に仲間が次々と他界し、残った私たちも先が長くありません。いつ、どこで、どんな被害があったか、全国空襲実態調査を実施してください。空襲被害をなかったことにしないでください」

 いまだに空襲被害の統一的調査も、東京大空襲の公的な慰霊施設や記念館もない日本。対米従属下でふたたび戦争の道に進まないためにも、被爆体験や空襲体験を語り継ぎ、世界に発信するとりくみを一層大きな運動にしなければと思う。

https://www.chosyu-journal.jp/review/22985
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/572.html#c1

[近代史4] 東京大空襲や原爆を投下したのはアメリカ国防省の官僚が出世するためだった 中川隆
1. 中川隆[-13484] koaQ7Jey 2022年3月19日 15:44:42 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[5]
『東京大空襲の戦後史』 著・栗原俊雄
書評・テレビ評2022年3月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/22985

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E8%B5%A4%E7%89%88-1916-%E6%A0%97%E5%8E%9F/dp/4004319161

 米軍が戦時中に日本に対しておこなった無差別爆撃は、戦時下でも民間人を狙わないとした国際法に違反する蛮行だった。なかでも1945年3月10日未明の東京大空襲は、たった数時間で10万人以上の無抵抗の非戦闘員を虐殺した。本書は、東京大空襲の被災者たちの戦後70年以上にわたる苦しみや、国に補償を求めるたたかいを取材してきたジャーナリストが、その事実を具体的に伝えることで新しい戦争の最大の抑止力にしようと執筆したものだ。

 1944年夏、米軍がサイパンなどマリアナ諸島を占領したとき、すでに日本の敗戦は決定的だった。米軍は同諸島を拠点に大型爆撃機B29によって日本本土の空襲を始めた。

 それでも日本の支配層は戦争をやめなかった。天皇は1945年2月、重臣の意見聴取をおこなったが、吉田茂が作成した近衛文麿の上奏文では「敗戦は必至。国体(天皇制)護持のために憂うべきは共産革命」とし、天皇は「米軍を叩き、その戦果を持って講和に持ち込む」と戦争継続を主張した。

 米軍の日本本土空襲を、民間人も区別しない無差別爆撃に変えたのは、米陸軍航空部隊将軍のカーチス・ルメイだった。ルメイは「われわれの計算しつくしたうえでの賭けは、近代航空戦史上で画期的なできごとになった」「(民間人大量殺傷が)私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」とのべている。

 そして米ユタ州の砂漠に日本家屋を模した木造住宅の街をつくり、焼夷弾の効果を実験した。焼夷弾は親爆弾の中に40個近い小爆弾を入れ、空中で親爆弾が破裂すると、ガソリンが詰めてある小爆弾が着弾して燃える。東京大空襲では300機以上のB29が、東京の住宅街にこの焼夷弾を雨あられと降り注いだ。

 著者は当時の米陸軍第五航空軍のリポートに、「すべての男、女、子どもを含む日本国の全人口が軍隊を援護する武装予備軍となった。日本国の全人口は正式な軍事目標となった。日本に民間人はいない」と書いてあることを紹介し、それがいかに非人道的な判断かとのべている。

犠牲になったのは一般庶民  被害調査未だなく

 アメリカと日本の支配層の思惑のもとで、犠牲になったのは日本の庶民である。著者は取材の過程で知り合った東京大空襲の体験者から体験を聞きとり、何人もの事例を記している。

 これはその一例にすぎないが、江東区に住む1931年生まれの男性は、1942年の企業整備令(軍需産業以外の中小商工業を整理・統合する法律)で家業の蕎麦屋ができなくなり、同時に兄が徴兵されて中国戦線に行くことに。見送りに行った父が部隊の装備の貧弱さに驚き、「あれじゃあダメだ」といっていたと回顧している。

 そして3月10日。東からB29が数珠つなぎで飛んできて、低空で巨大な翼がはっきりと見えた。すぐに焼夷弾がザーッという音とともに雨あられと降ってきた。北西風が激しく、火の粉が横なぐりで舞い、はしごが空を飛んでいた。避難する人たちで身動きがとれなくなり、工場脇の空き地に多くの人と一緒にうずくまったが、夜が明けて周囲を見るとマネキン人形のような人間の遺体があちこちに横たわっていた。別の場所では真っ黒な遺体が小山のように積み上がっていた。川を見ると水死体が折り重なっていた。

 別の男性は工業高校の生徒だったときに東京大空襲にあい、鎮火後は遺体の始末を手伝った。現在の東京スカイツリーを見上げる川から女性の遺体を引き揚げると、2歳ぐらいの子どもが髪の毛にしがみついていた。親子だったのだろう。拾ったトタンに遺体を乗せ、仮埋葬地の公園まで運んだ。焼けた遺体から首や足が落ちたが、すべては拾えなかった。「なんの罪もない人たちが戦争でたくさん亡くなった」と訴えている。

 ところが天皇が同年3月18日、都内の被災地を視察するというので、昼夜兼行で巡幸路付近の死体の片付けに追われることになった。その後遺体は、遺族の元に帰されることはほとんどなく、公園や学校、寺、空き地に埋められた。当時は国民の命よりも天皇を頂点とした「国体」が大事だったのだ。

 敗戦後、日本がアメリカに単独占領されると、今度はGHQの命令で、空襲で親を失った何十万人という戦災孤児が「まるで野良犬のような扱いで」東京品川沖の第四台場の檻の中に収容された。1952年に講和条約と安保条約が同時に結ばれると、日本政府はアメリカに対する戦争の補償請求権を放棄した。敗戦後は国の社会福祉がほとんど機能せず、孤児たちは義務教育も十分受けられないまま、親戚を転々としていたというのに。そればかりか1964年、日本政府は虐殺を指揮したルメイに、「航空自衛隊の育成に尽力した」という理由で勲一等旭日大綬章を贈った。戦後は天皇の上にアメリカが君臨している。

 本書を読みながら、東京大空襲をめぐる事実は、それが過去のことではなく、今現在の日本が抱えている矛盾を浮き彫りにしていると思った。ある体験者の女性が2020年3月、衆院第二議員会館で開かれた空襲議連の総会で発言した次の言葉が印象深い。「東京大空襲の死者の多くが遺体の確認ができず、どこの誰かもわからずに、生ゴミのように処理されました。残された遺族の多くは、墓をつくることもかなわず、今でも心の拠り所がないと感じています。空襲被害について、国として統一的網羅的に調査されたことがありません。空襲で亡くなった人の名前も、数さえも不明です。この2、3年に仲間が次々と他界し、残った私たちも先が長くありません。いつ、どこで、どんな被害があったか、全国空襲実態調査を実施してください。空襲被害をなかったことにしないでください」

 いまだに空襲被害の統一的調査も、東京大空襲の公的な慰霊施設や記念館もない日本。対米従属下でふたたび戦争の道に進まないためにも、被爆体験や空襲体験を語り継ぎ、世界に発信するとりくみを一層大きな運動にしなければと思う。

https://www.chosyu-journal.jp/review/22985
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/682.html#c1

[近代史4] プーチン大統領 中川隆
32. 2022年3月19日 16:07:04 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[6]
「プーチン失脚」は時間の問題か…ロシア国内「3つの支持基盤」が反逆する異常事態に
3/19
https://news.yahoo.co.jp/articles/161242c45501a462699552acd5397c4c8c7f9654


 ロシアによるウクライナ侵攻がつづいている。しかし、短期間でゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を樹立、ロシアの要求を受け入れさせるという当初の計画は挫折した。

【写真】全ロシア将校協会が「プーチン辞任」を要求…! キエフ制圧でも長期的に敗北

 戦いは長期化し、国際社会はウクライナ支持で一体化している。ロシアは完全に孤立し、プーチンは「現代のヒトラー」(プトラー)と呼ばれている。

 そんな中、これまでプーチンを支えてきた支持基盤も、いよいよボロボロになってきたーー。

プーチンが抱える三つの支持基盤
Gettyimages

 プーチンには、大きく三つの支持基盤がある。

 一つ目の基盤は、「シロビキ」と呼ばれる軍、諜報、警察などだ。

 軍は、戦争を遂行し、勝利することで、プーチン人気を支えてきた。実際プーチンは、「チェチェン戦争」「ロシア‐ジョージア戦争」「シリア内戦への介入」「クリミア併合」「ウクライナ内戦への介入」「IS攻撃」「カザフスタンの大規模デモ鎮圧」などで、ことごとく勝利してきた。

 日本人にはなかなかわからない感覚だが、プーチンは、戦争をすることで、高い支持率を維持してきたのだ。

 諜報は、わかりやすいだろう。プーチンは、元々KGBの諜報員だった。ソ連崩壊後は、KGBの後継機関FSBの長官までのぼりつめた男だ。諜報機関は、プーチンの手足となって働き、反プーチン派を容赦なくつぶしてきた。

 警察は、ロシアで時々起こる大規模デモ(たとえば今なら反戦デモ)を、力で鎮圧している。

 二つ目の基盤は、新興財閥だ。日本でも「新興財閥=オリガルヒ」という言葉が知られている。

 そしてその新興財閥には、筆者が「譜代新興財閥」と「外様新興財閥」と呼ぶ二つの層がある。

 「譜代」とは、プーチンが大統領になる前から、彼に従っている新興財閥のことだ。彼らは、東ドイツでプーチンがスパイ活動をしていた時期、あるいはサンクトペテルブルグの副市長だった時代に彼と知り合った。代表的な人物は、国営石油会社のCEOセーチンと国営ガス会社ガスプロムのCEOミレルだ。

 では、「外様新興財閥」とは、なんだろうか? これは、「プーチンが大統領になった後に忠誠を誓った新興財閥」のことだ。

 プーチンが大統領になる前の90年代、ロシアの政治経済は新興財閥に支配されていた。当時の代表的新興財閥は、「クレムリン・ゴッドファーザー」と呼ばれたベレゾフスキー、「ロシアのメディア王」グシンスキー、「ロシアの石油王」ホドルコフスキーなどだ。3人とも「ユダヤ系」という共通点がある。

 この3人は、2000年から03年にかけて、プーチンに挑戦し、敗北した。そしてベレゾフスキーは英国に、グシンスキーはイスラエルに逃げ、石油最大手ユコスのCEOだったホドルコフスキーは2003年、脱税などの容疑で逮捕され、シベリア送りにされた(彼は2013年に釈放された後、英国に逃れ、今も熱心に反プーチン活動を行っている)。

 新興財閥の超大物3人が敗れ、他の新興財閥はプーチンに勝てないことを悟った。それで、彼らはプーチンに恭順を誓ったのだ。

 三つ目の支持基盤は、「メディア」と「洗脳された国民」。プーチンは2000年代、テレビを完全支配することに成功している。

 ロシアの3大テレビ局は「ロシア1」「1カナル」「NTV」だ。どの局でも、プーチン批判はまったく聞かれない。それは、他のテレビ局でも同じだ。

 プーチンは、テレビを通して、国民を自由自在に洗脳しつづけている。だから、プーチン政権は盤石に見えたのだが……。

シロビキの忠誠が揺らいでいる
Gettyimages

 先述の通り、「シロビキ」といえば軍、諜報、警察などのことだ。

 軍については、以前「全ロシア将校協会」が1月31日、「ウクライナ侵攻計画中止」と「プーチン辞任」を求める「公開書簡」を発表したことを書いた。

 参考)2022年2月16日付『全ロシア将校協会が「プーチン辞任」を要求…!  キエフ制圧でも戦略的敗北は避けられない』

 つまり、プーチンの支持基盤であるはずの軍将校たちが、この戦争に反対しているのだ。

 これについて「フェイクだ」と主張する人もいるようだが、「フェイクではない」ことを強調しておきたい。公開書簡をまとめたイヴァショフ退役上級大将自身が、YouTubeでその意図を語っているからだ。

 参考)Леонид Ивашов и Общероссийское офицерское собрание “Путин должен уйти в отставку”

 そういえば、ロシア軍の士気の低さがたびたび報じられている。イヴァショフの公開書簡を読めば、前線の兵士たちの士気が下がるのも理解できる。

 彼は書簡の中で、ウクライナ侵攻の結果、「ロシアは間違いなく平和と国際安全保障を脅かす国のカテゴリーに分類され、最も厳しい制裁の対象となり、国際社会で孤立し、おそらく独立国家の地位を奪われるだろう」と書いていた。

 「独立国家の地位を奪われる」以外は、すべて現実のものとなっている。しかも、これが、ウクライナ侵攻の25日前に公開されていたという事実に注目する必要があるだろう。

 さて、「シロビキ」の構成要素である「諜報機関」にも、大きなできごとがあった。3月14日付の時事を見てみよう。

 〈 ウクライナ侵攻後、ロシアのプーチン大統領が在籍した旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後継機関、連邦保安局(FSB)内部で異変が生じているもようだ。〉

 〈 プーチン氏にウクライナ情勢を報告する立場にあったFSB幹部が自宅軟禁されたとの見方が浮上。事実なら、戦況が思うように進まない「誤算」の責任を取らされた可能性が高い。「侵攻から2週間。プーチン氏は第5局に対する弾圧を始めた」。ロシア独立系メディアは12日、FSBに情報筋を持つ著名記者2人の話を基に伝えた。〉

 〈 独立系メディアは「第5局は侵攻に先立ち、プーチン氏にウクライナの政治状況を報告する任務にあった。第5局はリーダー(プーチン氏)を怒らせることを恐れ、聞き心地のいいことだけを報告したもようだ」と分析している。〉

 「自宅軟禁された」といわれているのは、FSB第5局セルゲイ・ビセーダ局長だ。彼は、「全ウクライナが、解放者としてのプーチンを待ち望んでいる」などと報告していた。

 プーチンは、2〜3日でゼレンスキー政権を打倒できると確信し、ウクライナ侵攻を決断したといわれる。この判断は、第5局の間違った情報を基に下されたのだろう。

 しかし、記事内にある「第5局はリーダー(プーチン氏)を怒らせることを恐れ、聞き心地のいいことだけを報告したもようだ」という部分が重要だ。「プーチンが恐ろしすぎて本当のことをいえない」というのは、プーチン政権の致命的欠陥に思える。

 たとえば2月21日、ルガンスク人民共和国、ドネツク人民共和国の独立承認に先立ち、プーチンは安全保障会議のメンバー一人ひとりに、自分の意見をいわせた。

 しかし、メンバーたちは、プーチンの反応が恐ろしく、「プーチンが聞きたいことをいう」ことだけに神経を使っていた。

 その中で、対外情報局(SVR)のナルイシキン長官は、独立を承認する前に、西側に最後のチャンスを与えようと提案した。

 すると、プーチンが、「対話プロセスをはじめようと提案しているのか?」と問う。その一言で、ナルイシキンはおびえてしまい、前言を撤回。

 「はっきりいえ」というプーチンに押され、「私は、ドネツク、ルガンスク人民共和国がロシア連邦の一部になることを支持する」と発言した。

 プーチンは、「私たちはそんな話はしていない。彼らの独立を認める否かの話をしているのだ」と笑った。

 このエピソードからわかることは、ナルイシキンのようなシロビキの超大物でも、プーチンには本音を語ることができないということだ。

 そして、ナルイシキンは、ドネツク、ルガンスクの独立承認すら本音では反対していた。そうなると、ウクライナの首都キエフや第2の都市ハリコフへの侵攻は、「プーチンが独断で決めたのではないか」という疑念がでてくる。

 その判断の基になっている情報は、FSB第5局から出ている。その5局は、「プーチンを怒らせると怖い」ので、「彼が聞きたい情報」を出していた。

 つまり、プーチンは、その「怖すぎるキャラ」によって、「本当の情報」を得ることができなくなっているのだ。


外様新興財閥がプーチンに反旗
Gettyimages

 プーチン政権第2の支持基盤である新興財閥も揺れている。

 新興財閥は、ウクライナ侵攻で甚大な被害をこうむっている。欧米では、新興財閥の銀行口座、豪邸、高級マンション、プライベートジェット、スーパーヨットなどを差し押さえる動きが広がっている。

 そんな中でも、譜代新興財閥のプーチン支持は揺るいでいない。しかし、外様新興財閥は、公然と反旗を翻すようになっている。

 ウクライナ侵攻に反対している新興財閥は、たとえば、ルサルの元CEOデリパスカ。彼は2008年時点で世界10位、ロシア1位の大富豪だった(2020年時点で、ロシアで41位まで資産を減らしている)。

 ロシア石油2位ルコイルのアレクペロフ社長。彼は2020年時点で、ロシア5位の富豪だ。

 ロシア4位の銀行アルファバンクなどを傘下におさめるアルファグループの創業者フリードマン。彼は2020年、ロシアで8位の富豪だった。

 さらに、2020年ロシア1位の富豪だったポターニン(インターロスグループ会長)も、ロシア政府の政策を厳しく批判している。

 具体的には、政府が、「ロシアからの撤退を決めた外国企業の資産を没収すると決めたこと」に反対したのだ。

 3月12日付CNN.co.jpを見てみよう。

 〈 ロシアで最も裕福な実業家ウラジーミル・ポターニン氏は10日、大統領府がウクライナ侵攻を受けロシア事業撤退を表明した企業の資産差し押さえを示唆したことに触れ、国を100年あまり逆戻りさせる措置だと警鐘を鳴らした。〉

 〈 ポターニン氏は金属大手ノリリスク・ニッケルの社長で、同社の筆頭株主を務める。欧米企業や投資家に対して門戸を閉ざせば、1917年の革命以前の混乱した時代に逆戻りする恐れがあるとして、資産接収に関しては極めて慎重に対応するようロシア政府に促した。

 ポターニン氏はテレグラムに投稿したメッセージで、資産接収に動けば「今後数十年にわたって世界の投資家からロシアに不信感が向けられる結果になる」と指摘した。〉

 これまで、新興財閥にとってプーチンは、「自分の富を守ってくれる存在」だった。ところが、ウクライナ侵攻後のプーチンは、「資産を没収される原因を作った迷惑な存在」になっている。

 彼らは、すでにウクライナ侵攻やロシア政府の政策に反対することで、「反逆者」になってしまった。果たして外様新興財閥は、プーチンに黙ってつぶされるのだろうか? 彼らの立場に立ってみれば、プーチン打倒を目指してもおかしくはない。


内部崩壊するロシアメディア
写真:現代ビジネス

 3番目の支持基盤は、メディアだ。ここでも、大騒ぎが起きている。

 3月14日、国営テレビ「1カナル」のニュース番組中、同局の女性スタッフ が「反戦プラカード」をもって現れた。そこには、「戦争反対」「プロパガンダを信じないで」「あなたは騙されている」と書かれていた。

 女性の名は、マリーナ・オヴシャンニコヴァ。彼女は、YouTubeに投稿した動画の中で、「今ウクライナで起こっていることは犯罪だ。ロシアは侵略国だ。責任はプーチン一人だけにある」「1カナルで働き、クレムリンのプロパガンダを行ってきたことは、とても恥ずかしい」「テレビでウソをつくことを許してきたことが恥ずかしい」「ロシア人をゾンビ化することを許してきたことが恥ずかしい」などと語っている。

 同じように考えているメディア関係者は、少なくないようだ。日本では報じられていないが、ウクライナ侵攻後、キャスターや記者が続々とテレビ局を去っている。

 たとえばロシアの民放最大手NTVで、ニュース番組「シヴォードニャ」のキャスターだったリリヤ・ギリデェーヴァは、辞職し、即座にロシアから脱出した。国営1カナルでは、在ニューヨーク、在パリ駐在員を務めたジャンナ・アガラーコヴァが辞職した。

 日本で知られていない名前を列挙しても意味がないので、この辺でやめておくが、とにかく「良心の呵責」に耐えられなくなり辞めるメディア関係者が続出しているのだ。

 というように、ロシア国内で今、プーチンを支える三つの支持基盤「シロビキ」「新興財閥」「メディア」が、同時に全て揺らいでいる。

 それでも、仮にロシアがウクライナ戦争に勝利すれば、しばらくはプーチン政権がつづくだろう。だが、世界中からの「地獄の制裁」は解除されず、ロシア経済は沈みつづけていくのだから、先は見えている。

 ロシアがウクライナ戦争に敗北すれば、当然、プーチン失脚の時期は早まるだろう。プーチンは、ウクライナ侵攻という「歴史的愚行」によって、自ら「墓穴」を掘ってしまったのだ。

北野 幸伯(国際関係アナリスト)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html#c32

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
197. 中川隆[-13483] koaQ7Jey 2022年3月19日 16:07:35 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[7]
「プーチン失脚」は時間の問題か…ロシア国内「3つの支持基盤」が反逆する異常事態に
3/19
https://news.yahoo.co.jp/articles/161242c45501a462699552acd5397c4c8c7f9654


 ロシアによるウクライナ侵攻がつづいている。しかし、短期間でゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を樹立、ロシアの要求を受け入れさせるという当初の計画は挫折した。

【写真】全ロシア将校協会が「プーチン辞任」を要求…! キエフ制圧でも長期的に敗北

 戦いは長期化し、国際社会はウクライナ支持で一体化している。ロシアは完全に孤立し、プーチンは「現代のヒトラー」(プトラー)と呼ばれている。

 そんな中、これまでプーチンを支えてきた支持基盤も、いよいよボロボロになってきたーー。

プーチンが抱える三つの支持基盤
Gettyimages

 プーチンには、大きく三つの支持基盤がある。

 一つ目の基盤は、「シロビキ」と呼ばれる軍、諜報、警察などだ。

 軍は、戦争を遂行し、勝利することで、プーチン人気を支えてきた。実際プーチンは、「チェチェン戦争」「ロシア‐ジョージア戦争」「シリア内戦への介入」「クリミア併合」「ウクライナ内戦への介入」「IS攻撃」「カザフスタンの大規模デモ鎮圧」などで、ことごとく勝利してきた。

 日本人にはなかなかわからない感覚だが、プーチンは、戦争をすることで、高い支持率を維持してきたのだ。

 諜報は、わかりやすいだろう。プーチンは、元々KGBの諜報員だった。ソ連崩壊後は、KGBの後継機関FSBの長官までのぼりつめた男だ。諜報機関は、プーチンの手足となって働き、反プーチン派を容赦なくつぶしてきた。

 警察は、ロシアで時々起こる大規模デモ(たとえば今なら反戦デモ)を、力で鎮圧している。

 二つ目の基盤は、新興財閥だ。日本でも「新興財閥=オリガルヒ」という言葉が知られている。

 そしてその新興財閥には、筆者が「譜代新興財閥」と「外様新興財閥」と呼ぶ二つの層がある。

 「譜代」とは、プーチンが大統領になる前から、彼に従っている新興財閥のことだ。彼らは、東ドイツでプーチンがスパイ活動をしていた時期、あるいはサンクトペテルブルグの副市長だった時代に彼と知り合った。代表的な人物は、国営石油会社のCEOセーチンと国営ガス会社ガスプロムのCEOミレルだ。

 では、「外様新興財閥」とは、なんだろうか? これは、「プーチンが大統領になった後に忠誠を誓った新興財閥」のことだ。

 プーチンが大統領になる前の90年代、ロシアの政治経済は新興財閥に支配されていた。当時の代表的新興財閥は、「クレムリン・ゴッドファーザー」と呼ばれたベレゾフスキー、「ロシアのメディア王」グシンスキー、「ロシアの石油王」ホドルコフスキーなどだ。3人とも「ユダヤ系」という共通点がある。

 この3人は、2000年から03年にかけて、プーチンに挑戦し、敗北した。そしてベレゾフスキーは英国に、グシンスキーはイスラエルに逃げ、石油最大手ユコスのCEOだったホドルコフスキーは2003年、脱税などの容疑で逮捕され、シベリア送りにされた(彼は2013年に釈放された後、英国に逃れ、今も熱心に反プーチン活動を行っている)。

 新興財閥の超大物3人が敗れ、他の新興財閥はプーチンに勝てないことを悟った。それで、彼らはプーチンに恭順を誓ったのだ。

 三つ目の支持基盤は、「メディア」と「洗脳された国民」。プーチンは2000年代、テレビを完全支配することに成功している。

 ロシアの3大テレビ局は「ロシア1」「1カナル」「NTV」だ。どの局でも、プーチン批判はまったく聞かれない。それは、他のテレビ局でも同じだ。

 プーチンは、テレビを通して、国民を自由自在に洗脳しつづけている。だから、プーチン政権は盤石に見えたのだが……。

シロビキの忠誠が揺らいでいる
Gettyimages

 先述の通り、「シロビキ」といえば軍、諜報、警察などのことだ。

 軍については、以前「全ロシア将校協会」が1月31日、「ウクライナ侵攻計画中止」と「プーチン辞任」を求める「公開書簡」を発表したことを書いた。

 参考)2022年2月16日付『全ロシア将校協会が「プーチン辞任」を要求…!  キエフ制圧でも戦略的敗北は避けられない』

 つまり、プーチンの支持基盤であるはずの軍将校たちが、この戦争に反対しているのだ。

 これについて「フェイクだ」と主張する人もいるようだが、「フェイクではない」ことを強調しておきたい。公開書簡をまとめたイヴァショフ退役上級大将自身が、YouTubeでその意図を語っているからだ。

 参考)Леонид Ивашов и Общероссийское офицерское собрание “Путин должен уйти в отставку”

 そういえば、ロシア軍の士気の低さがたびたび報じられている。イヴァショフの公開書簡を読めば、前線の兵士たちの士気が下がるのも理解できる。

 彼は書簡の中で、ウクライナ侵攻の結果、「ロシアは間違いなく平和と国際安全保障を脅かす国のカテゴリーに分類され、最も厳しい制裁の対象となり、国際社会で孤立し、おそらく独立国家の地位を奪われるだろう」と書いていた。

 「独立国家の地位を奪われる」以外は、すべて現実のものとなっている。しかも、これが、ウクライナ侵攻の25日前に公開されていたという事実に注目する必要があるだろう。

 さて、「シロビキ」の構成要素である「諜報機関」にも、大きなできごとがあった。3月14日付の時事を見てみよう。

 〈 ウクライナ侵攻後、ロシアのプーチン大統領が在籍した旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後継機関、連邦保安局(FSB)内部で異変が生じているもようだ。〉

 〈 プーチン氏にウクライナ情勢を報告する立場にあったFSB幹部が自宅軟禁されたとの見方が浮上。事実なら、戦況が思うように進まない「誤算」の責任を取らされた可能性が高い。「侵攻から2週間。プーチン氏は第5局に対する弾圧を始めた」。ロシア独立系メディアは12日、FSBに情報筋を持つ著名記者2人の話を基に伝えた。〉

 〈 独立系メディアは「第5局は侵攻に先立ち、プーチン氏にウクライナの政治状況を報告する任務にあった。第5局はリーダー(プーチン氏)を怒らせることを恐れ、聞き心地のいいことだけを報告したもようだ」と分析している。〉

 「自宅軟禁された」といわれているのは、FSB第5局セルゲイ・ビセーダ局長だ。彼は、「全ウクライナが、解放者としてのプーチンを待ち望んでいる」などと報告していた。

 プーチンは、2〜3日でゼレンスキー政権を打倒できると確信し、ウクライナ侵攻を決断したといわれる。この判断は、第5局の間違った情報を基に下されたのだろう。

 しかし、記事内にある「第5局はリーダー(プーチン氏)を怒らせることを恐れ、聞き心地のいいことだけを報告したもようだ」という部分が重要だ。「プーチンが恐ろしすぎて本当のことをいえない」というのは、プーチン政権の致命的欠陥に思える。

 たとえば2月21日、ルガンスク人民共和国、ドネツク人民共和国の独立承認に先立ち、プーチンは安全保障会議のメンバー一人ひとりに、自分の意見をいわせた。

 しかし、メンバーたちは、プーチンの反応が恐ろしく、「プーチンが聞きたいことをいう」ことだけに神経を使っていた。

 その中で、対外情報局(SVR)のナルイシキン長官は、独立を承認する前に、西側に最後のチャンスを与えようと提案した。

 すると、プーチンが、「対話プロセスをはじめようと提案しているのか?」と問う。その一言で、ナルイシキンはおびえてしまい、前言を撤回。

 「はっきりいえ」というプーチンに押され、「私は、ドネツク、ルガンスク人民共和国がロシア連邦の一部になることを支持する」と発言した。

 プーチンは、「私たちはそんな話はしていない。彼らの独立を認める否かの話をしているのだ」と笑った。

 このエピソードからわかることは、ナルイシキンのようなシロビキの超大物でも、プーチンには本音を語ることができないということだ。

 そして、ナルイシキンは、ドネツク、ルガンスクの独立承認すら本音では反対していた。そうなると、ウクライナの首都キエフや第2の都市ハリコフへの侵攻は、「プーチンが独断で決めたのではないか」という疑念がでてくる。

 その判断の基になっている情報は、FSB第5局から出ている。その5局は、「プーチンを怒らせると怖い」ので、「彼が聞きたい情報」を出していた。

 つまり、プーチンは、その「怖すぎるキャラ」によって、「本当の情報」を得ることができなくなっているのだ。


外様新興財閥がプーチンに反旗
Gettyimages

 プーチン政権第2の支持基盤である新興財閥も揺れている。

 新興財閥は、ウクライナ侵攻で甚大な被害をこうむっている。欧米では、新興財閥の銀行口座、豪邸、高級マンション、プライベートジェット、スーパーヨットなどを差し押さえる動きが広がっている。

 そんな中でも、譜代新興財閥のプーチン支持は揺るいでいない。しかし、外様新興財閥は、公然と反旗を翻すようになっている。

 ウクライナ侵攻に反対している新興財閥は、たとえば、ルサルの元CEOデリパスカ。彼は2008年時点で世界10位、ロシア1位の大富豪だった(2020年時点で、ロシアで41位まで資産を減らしている)。

 ロシア石油2位ルコイルのアレクペロフ社長。彼は2020年時点で、ロシア5位の富豪だ。

 ロシア4位の銀行アルファバンクなどを傘下におさめるアルファグループの創業者フリードマン。彼は2020年、ロシアで8位の富豪だった。

 さらに、2020年ロシア1位の富豪だったポターニン(インターロスグループ会長)も、ロシア政府の政策を厳しく批判している。

 具体的には、政府が、「ロシアからの撤退を決めた外国企業の資産を没収すると決めたこと」に反対したのだ。

 3月12日付CNN.co.jpを見てみよう。

 〈 ロシアで最も裕福な実業家ウラジーミル・ポターニン氏は10日、大統領府がウクライナ侵攻を受けロシア事業撤退を表明した企業の資産差し押さえを示唆したことに触れ、国を100年あまり逆戻りさせる措置だと警鐘を鳴らした。〉

 〈 ポターニン氏は金属大手ノリリスク・ニッケルの社長で、同社の筆頭株主を務める。欧米企業や投資家に対して門戸を閉ざせば、1917年の革命以前の混乱した時代に逆戻りする恐れがあるとして、資産接収に関しては極めて慎重に対応するようロシア政府に促した。

 ポターニン氏はテレグラムに投稿したメッセージで、資産接収に動けば「今後数十年にわたって世界の投資家からロシアに不信感が向けられる結果になる」と指摘した。〉

 これまで、新興財閥にとってプーチンは、「自分の富を守ってくれる存在」だった。ところが、ウクライナ侵攻後のプーチンは、「資産を没収される原因を作った迷惑な存在」になっている。

 彼らは、すでにウクライナ侵攻やロシア政府の政策に反対することで、「反逆者」になってしまった。果たして外様新興財閥は、プーチンに黙ってつぶされるのだろうか? 彼らの立場に立ってみれば、プーチン打倒を目指してもおかしくはない。


内部崩壊するロシアメディア
写真:現代ビジネス

 3番目の支持基盤は、メディアだ。ここでも、大騒ぎが起きている。

 3月14日、国営テレビ「1カナル」のニュース番組中、同局の女性スタッフ が「反戦プラカード」をもって現れた。そこには、「戦争反対」「プロパガンダを信じないで」「あなたは騙されている」と書かれていた。

 女性の名は、マリーナ・オヴシャンニコヴァ。彼女は、YouTubeに投稿した動画の中で、「今ウクライナで起こっていることは犯罪だ。ロシアは侵略国だ。責任はプーチン一人だけにある」「1カナルで働き、クレムリンのプロパガンダを行ってきたことは、とても恥ずかしい」「テレビでウソをつくことを許してきたことが恥ずかしい」「ロシア人をゾンビ化することを許してきたことが恥ずかしい」などと語っている。

 同じように考えているメディア関係者は、少なくないようだ。日本では報じられていないが、ウクライナ侵攻後、キャスターや記者が続々とテレビ局を去っている。

 たとえばロシアの民放最大手NTVで、ニュース番組「シヴォードニャ」のキャスターだったリリヤ・ギリデェーヴァは、辞職し、即座にロシアから脱出した。国営1カナルでは、在ニューヨーク、在パリ駐在員を務めたジャンナ・アガラーコヴァが辞職した。

 日本で知られていない名前を列挙しても意味がないので、この辺でやめておくが、とにかく「良心の呵責」に耐えられなくなり辞めるメディア関係者が続出しているのだ。

 というように、ロシア国内で今、プーチンを支える三つの支持基盤「シロビキ」「新興財閥」「メディア」が、同時に全て揺らいでいる。

 それでも、仮にロシアがウクライナ戦争に勝利すれば、しばらくはプーチン政権がつづくだろう。だが、世界中からの「地獄の制裁」は解除されず、ロシア経済は沈みつづけていくのだから、先は見えている。

 ロシアがウクライナ戦争に敗北すれば、当然、プーチン失脚の時期は早まるだろう。プーチンは、ウクライナ侵攻という「歴史的愚行」によって、自ら「墓穴」を掘ってしまったのだ。

北野 幸伯(国際関係アナリスト)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c197

[近代史5] 北の美女軍団「喜び組」のヤバすぎる実態 中川隆
3. 2022年3月19日 16:19:55 : AnixODhVqM : cWdxMGhCU2h1NEU=[8]
【ゆっくり解説】喜び組の衝撃的な実態をゆっくり解説
2022/03/18


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/998.html#c3

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > cWdxMGhCU2h1NEU= > 100000  g検索 cWdxMGhCU2h1NEU=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。