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[番外地12] チャイコフスキー 中川隆
3. 中川隆[-6443] koaQ7Jey 2025年6月07日 05:38:24 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[1]
<■77行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>



Fritz Kreisler - Andante Cantabile (Tchaikovsky) -1938


Piano acc. by Franz Rupp
transferred from Jpn Victor 78s / RL-41 B(2EA-6095)
recorded Feb. 14 1938




Heifetz - Tchaikowsky : Canzonetta, Serenade Merancolique (1920) 電気再生


00:03 1. Tchaikowsky : Canzonetta (from Violin Concerto op.35)
04:34 2. Tchaikowsky : Serenade Merancolique op.26
recorded 17 & 18 September 1920 (acoustic recording)
transferred from U.S.Victor 78s / 74678, 74711





Huberman - Tchaikowsky : Melodie Op.42-3 (1929)




Piano acc. / Siegfried Schultze
78rpm / Jpn Columbia, JW-285(WAX-4671)
on HMV-163 gramophone


Bronislaw Huberman - Tchaikovsky : Melodie (1929)




Piano ; Siegfried Schultze
recorded in 1929
transfer from Parlophone 78s / E-17053(21552)



http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/556.html#c3
[番外地12] チャイコフスキー 中川隆
4. 中川隆[-6442] koaQ7Jey 2025年6月07日 05:53:29 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[2]
<■108行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>




Mischa Elman - Tchaikowsky : Serenade Merancolique Op.26 (1930) 電気再生


Victor Symphony Orch. cond. by Nathaniel Shilkret
recorded 25 August 1930
transferred from Jpn Victor 78s / 7744(CVE-62395/6)


Mischa Elman_ "Serenade Merancolique"(Tchaikovsky) on HMV-163 Gramophone


チャイコフスキー;「憂鬱なるセレナーデ」 op.26
Victor Symphony Orch. cond. by N. Shilkret
78rpm / Victor -7744




Elman String Quartet_"Andante Cantabile" (Tchaikovsky) - 1927


recorded in 1/5, 1927
78rpm / Victor, JD-1192(6634-A)
on gramophone - HMV-163


Elman String Quartet - Tchaikovsky : Andante Cantabile (1918)


78rpm / U.S.Victor - 6103 B
recorded 3/11, 1918
on HMV-163 gramophone



Elman String Quartet - Tchaikovsky : Andante Cantabile (1927) 電気再生


recorded 1/5, 1927
transfer from Jpn Victor 78s / JD-1192(6634-A)


Elman String Quartet - Tchaikovsky : Andante Cantabile - 1918 & 1927


00:03 1. U.S.Victor 78s - 6103 B, recorded 11 March 1918 (acoustic recording)
04:15 2. Jpn Victor 78s / JD-1192(6634-A), recorded 5 January 1927





Mischa Elman - Nur wer die Sehnsucht kennt (Tchaikovsky) -1919


"Ye Who Have Yearned Alone"「ただ憧れを知る者のみが」
Piano acc. by Josef Bonime
78rpm / U.S.Victrola-74178, recorded April 11, 1919
on Gramophone / HMV-163


http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/556.html#c4
[番外地12] ブルッフ 中川隆
1. 中川隆[-6441] koaQ7Jey 2025年6月07日 07:06:47 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[3]
<■85行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26 ムター, カラヤン 1980


アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団






★ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26 ハイフェッツ/サージェント Bruch: Violin Concerto No. 1 In G Minor


Vn: ヤッシャ・ハイフェッツ(リトアニア) Jascha Heifetzas 1901-1987
cond: サー・マルコム・サージェント(英) Sir Malcolm Sargent 1895-1967
ロンドン新交響楽団 New Symphony Orchestra of London
1961REC



Max Bruch Violin Concerto No.1 in G minor Op.6, Christian FERRAS


Philharmonia Orchestra
Walter Susskind Conductor
Rec.: 25.VII.1958


ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26 Bruch Violin Concerto No.1 G-minor


Vn:アルテュール・グリュミオー(ベルギー) Arthur Grumiaux 1921–1986
cond:ベルナルト・ハイティンク(蘭) Bernard Haitink 1929 - 2021
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 Amsterdam Concertgebouw Orchestra
1962 REC



ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26 オイストラフ マタチッチ Bruch Violin Concerto No.1 G-minor Op.26


Vn:ダヴィド・オイストラフ(露) David Oistrakh 1908–1974 
指:ロヴロ・フォン・マタチッチ(ユーゴ) Lovro von Matačić 1899 – 1985
ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
1954REC モノラル

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/558.html#c1
[番外地12] ブルッフ 中川隆
2. 中川隆[-6440] koaQ7Jey 2025年6月07日 07:35:33 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[4]
<■71行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Bruch Violin Concerto No.1 In G Minor, Op. 26: Decca ‎– SXL 6573 VINYL RIP


Kyung-Wha Chung
Royal Philharmonic Orchestra
Rudolf Kempe ‎


Bruch Violin Concerto Kyung Wha Chung Royal Philharmonic Orchestra Rudolf Kempe


May 15 & 20, 1972 Kingsway Hall, London



Kyung Wha Chung plays Bruch violin concerto No.1 (1974)


Kyung Wha Chung
Bournemouth Symphony
Paavo Berglund.
Recorded in 1974


( Kyung Wha Chung / Previn) Bruch Violin Concerto No. 1


Kyung Wha Chung
Andre Previn
London Symphony Orchestra 1976


(ReUp) Kyung Wha Chung plays Bruch violin concerto No.1 (2002)


On July 22nd, 2002, Kyung-Wha Chung made her 9th appearance on BBC Prom concert stage, with her conductor brother Myung-Whun and Philharmonique de Radio France, and played Bruch violin concerto No.1.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/558.html#c2
[番外地12] ブルッフ 中川隆
3. 中川隆[-6439] koaQ7Jey 2025年6月07日 07:46:47 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[5]
<▽43行くらい>



Bronislaw Huberman - Bruch : Kol Nidrei Op.47(電気再生) - 1931


Piano acc. / Siegfried Schultze
recorded January, 1931


Huberman_Bruch ; KOL NIDREI(1931) on HMV-163


Recording / Jan. 1931
78rpm / Jpn Columbia : J-7901(WAX-5949)
Gramophone / HMV-163, Soundbox=No.5a
electric transferred from Jpn Columbia 78s / J-7901(AX-5949)


Bronislaw Huberman - Bruch : Kol Nidrei Op.47 (1931) 再復刻


Piano acc. by Siegfried Schultze
recorded January, 1931
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7901(AX-5949)

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/558.html#c3
[番外地12] 今の日本の料理は戦後できた新しい料理ばかりで、戦前の日本料理とは全く違うよ。 中川隆
2. 中川隆[-6438] koaQ7Jey 2025年6月07日 08:36:46 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[6]
<△20行くらい>
今の日本の料理は戦後できた新しい料理ばかりで、戦前の日本料理とは全く違うよ。
戦前は小麦粉も油も乳製品も砂糖も一切使わなかった。野菜炒め、生野菜とか焼肉、トンカツ、コロッケ、唐揚げ、かつ丼とかカレーライス、ラーメン、餃子、うどん、天婦羅、すき焼き、お好み焼き、タコ焼きなんか戦前の日本人は食べたことも無いものばかりなんだよ。
昔の日本人が食べていたのは
白米のご飯、お味噌汁、野菜と貝の煮物、貝(あさり、しじみ、ハマグリ)、海苔、わかめ、コンブ、豆腐、納豆、目刺し・干物の焼き魚、煮魚、ぬか味噌漬けの野菜、梅干し、沢庵、佃煮
の様なものばかりだよ。塩辛い おかずを少しだけで白米を3合から5合も食べていたんだ。欧米人では我慢できない質素な食生活が本来の日本食だよ。

しかし、昔の質素な日本料理は健康には良かった。昔の日本人は病気にならなかったんだ。
日本人が戦後、料理を変えてから、癌、糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞、アトピー、花粉症、認知症、リウマチ、うつ病等の慢性病が戦前の何十倍にも増えて、健康な日本人が一人もいなくなった。

小麦粉、植物油、乳製品、砂糖を摂ると何故病気になるのかは次の動画を見ればわかるよ:

吉野敏明チャンネル〜日本の病を治す〜
https://www.youtube.com/@yoshinodo/streams
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/555.html#c2

[番外地12] マイスキー 中川隆
7. 中川隆[-6437] koaQ7Jey 2025年6月07日 08:49:07 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[7]
<▽41行くらい>


Massenet: Elégie


Mischa Maisky
Daria Hovora
℗ 1999 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


Albert Sammons - Massenet : Elegie (1928) 電気再生


Piano acc. by Gerald Moore
recorded in 1928
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7346(AX-3338)




Mischa Elman with Enrico Caruso - Massenet Elegie






http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/546.html#c7
[番外地12] Kyung Wha Chung plays Beethoven violin concerto (1972) 中川隆
1. 中川隆[-6436] koaQ7Jey 2025年6月07日 09:44:11 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[8]



Lalo Symphonie espagnole op.21


Kyung-Wha Chung
Charles Dutoit
Orchestre Symphonique de Montréal

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/544.html#c1
[番外地12] Kyung Wha Chung plays Beethoven violin concerto (1972) 中川隆
2. 中川隆[-6435] koaQ7Jey 2025年6月07日 09:48:21 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[9]
★ラ ロ ≪スペイン交響曲≫ 作品21 グリュミオー/ロザンタール Lalo Symphonie espagnole


Vn:アルテュール・グリュミオー(ベルギー) Arthur Grumiaux 1921–1986
Cond:マニュエル・ロザンタール(仏) Manuel Rosenthal, 1904-2003
ラムルー管弦楽団 Lamoureux Orchestra
1963 REC

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/544.html#c2
[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
252. 中川隆[-6434] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:33:43 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[10]
<■72行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c252

[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
105. 中川隆[-6433] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:34:05 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[11]
<■72行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c105

[近代史02] 原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝 中川隆
73. 中川隆[-6432] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:34:23 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[12]
<■72行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c73

[近代史7] 日本のゴールド「天皇の金塊」をジェームズ斉藤が徹底解説! 知られざる日本の財宝、驚愕の金額…米デフォルトと関連 中川隆
3. 中川隆[-6431] koaQ7Jey 2025年6月07日 10:35:57 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[13]
<■72行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
1945年 日本とアメリカの内部抗争 終戦を望まなかった人たち
2025.06.07
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html

原爆を投下した理由は官僚が出世したかったからだが誰もその事は言わない

Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940x1500
引用:http://www.teaparty.org/wp-content/uploads/2015/03/Atomic_cloud_over_Nagasaki_from_Koyagi-jima-1940×1500.jpeg
1945年の戦い

1945年の太平洋では日米で数多くの戦いが展開されていました

戦闘機や軍艦同士が戦うのではなく、政治的な思惑が対立して戦争終結を巡って争っていた

山本五十六を失った日本海軍は一刻も早く戦争を辞めたがっていて、外務省と天皇は同調していた

日本陸軍は敗北を認めず、徹底抗戦によって既得権益を確保しようとした

早期に負けを認めることで国力を温存しようとする終戦派と、本土決戦で米国を退けようとする抗戦派は互いに譲らなかった

アメリカでは早期に戦争を終結させて、米ソ冷戦に備えようとする国務省と、戦果を誇示したい国防省が戦っていた

国務省は日本の外務省と図って、独自の停戦交渉をまとめようとしたが、国防省の妨害などで原爆投下に間に合わなかった

国防省はもし、国務省の交渉で終戦に至ったら、最大功労者が国務省になり、軍隊の役割りが正当に評価されないと考えていた

軍隊のおかげで戦争に勝ったのだと証明するためには、日本を焦土にして完全に屈服させなければならないと考えていた

1945年7月にはもはや戦争そのものは目的ではなくなり、誰が手柄を上げるか、日本では誰に責任を取らせるかの話になった

日本海軍は沖縄が米軍に占領された6月には降伏を決めていて外務省も同調していた

結局責任を押し付けられたのが日本陸軍で、手柄を手にしたのは原爆使用に成功した米国防省だった

降伏を拒否したアメリカ軍
海軍内でも徹底抗戦派は存在したが、意図的に軍艦を全滅させる特攻作戦で、反対派を封じ込めたとも言われている

軍艦が無くなれば海軍は戦争を継続出来ないので、米国との講和条約へ向けて動き出す事ができる

昭和天皇は東京大空襲があった3月から5月に、降伏を決めていたと言われている

4月に大本営上層部は沖縄戦が絶望的な状況と判断し、米国との停戦交渉に向けて動き出しました

このとき日本が期待したのは、対日参戦していないソ連が、米国との仲介役になってくれるのではないかという事だった

同時に大本営はソ連の対日参戦を8月か9月と予想し、それまでの短期間に交渉をまとめる必要があると判断した

だがソ連は日本と米国の仲介役を拒否し8月8日に参戦し、日本の領土を分捕りにきました

計画ではソ連は日本の東半分、つまり名古屋から東を占領する事になっていました

もう一つの米国との交渉ルートは中立国のスイスやバチカンの大使館を通すものだったが、絶縁状態だったので期待されていなかった

大使館ルートの交渉は意外にも手応えがあったが、米国内では国務省と国防省が対立していた

国務省は既にソ連との対決を予想し、日本との早期停戦を望んだが、国防省は徹底抗戦を主張していた

停戦交渉にも妨害が入り8月6日と8月9日に、戦争が終わる前に駆け込みで原爆を使用した

戦後の始まり
原爆が投下される前の7月には、ドイツ・イタリア軍との交渉も行ったアレン・ダレスを通じて降伏の意思は伝えられていた

日本側は8月の第一週から第二週に停戦したい旨を提案し、実際には8月15日に天皇が停戦命令を出した

アレン・ダレスは後のCIA長官になった大物で、アメリカ側が本気だったのは分かる

米国防省はこれを察知し、日本の降伏前に、可能な限りの爆弾と原爆を投下しようと考えた

国務省は戦争が終わっても活躍できるが、軍人は戦争が終わったら「ごくつぶし」でしか在りません

国務省への嫌がらせのように日本全土に絨毯爆撃を実施し、あと1週間で日本が降伏するのを知りながら2発の原爆を使用した

それだけではなく米軍は日本が降伏した後も絨毯爆撃を続け、10発の原子爆弾を使用するつもりでした

これらの目的は戦争に勝つためではなく、国防省の官僚が出世するために行われました

そしてダグラス・マッカーサーは1945年8月30日に解放者のような振りをして降り立ち、GHQという軍事政権を樹立しました

その軍事政権がおしつけたのが日本国憲法で、日本人が日本という国を憎むように、NHKや朝日新聞などのメディアを通じて、日本の戦争犯罪を流布しました

これが戦後の始まりで、国防省や米軍人の「正しさ」や「手柄」を強調するために、多くの戦争犯罪が捏造され、無実の日本軍人が処刑されました

このように日本国や日本国憲法とは軍事政権の独裁者が殺戮と暴力によって作り出したもので、それ自体が憲法違反です
https://www.thutmosev.com/archives/65832220.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/392.html#c3

[番外地12] マイスキー 中川隆
8. 中川隆[-6430] koaQ7Jey 2025年6月07日 13:17:22 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[14]
ああ

Maisky, Elgar Cello concerto in E minor Op.85


Mischa Maisky
Philharmonia Orchestra
Giuseppe Sinopoli
℗ 1991 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/546.html#c8
[番外地12] クライスラー 中川隆
4. 中川隆[-6429] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:26:38 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[15]
<△25行くらい>

Kreisler & Rachmaninov - Grieg : Violin Sonata No.3 op.45 (1928) 再復刻




Fritz Kreisler (Vn), Sergei Rachmaninov (Piano)
recorded 14-15 September 1928, The Electrola Studio, Berlin
transferred from Jpn Victor - 8112





http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/540.html#c4
[番外地12] Heifetz 中川隆
1. 中川隆[-6428] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:32:14 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[16]
Heifetz - Debussy : La Fille Aux Cheveux de Lin, Grieg : Scherzo - Impromptu (1926) 電気再生


Piao accomp. by Isidor Achron
recorded Dec. 29, 1926
transferred from Jpn Victor 78s / 6622-B,

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c1
[番外地12] Heifetz 中川隆
2. 中川隆[-6427] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:36:22 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[17]
ああ

Grieg: Violin Sonata No 3 (1928) Kreisler/Rachmaninoff


Fritz Kreisler, violin
Sergei Rachmaninoff, pianist

Recorded on September 14-15, 1928
at Electrola Studio, Berlin

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c2
[番外地12] Heifetz 中川隆
3. 中川隆[-6426] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:38:20 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[18]


HEIFETZ UNPUBLISHED Violin Sonata No.3 (GRIEG)


Emanuel Bay, piano
Recorded February 3. 1936
Label: RCA

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/559.html#c3
[番外地12] オーギュスタン・デュメイ 中川隆
1. 中川隆[-6425] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:48:42 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[19]


Grieg, Violin Sonata 3 - Video Score - Dumay, Pires


Augustin Dumay, violin
Maria Joao Pires, piano

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/566.html#c1
[番外地12] マイスキー 中川隆
9. 中川隆[-6424] koaQ7Jey 2025年6月07日 20:52:42 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[20]

グリーグ:チェロ・ソナタ|ミッシャ・マイスキー&マルタ・アルゲリッチ(全曲)


Mischa Maisky (cello) and Martha Argerich (piano) deliver a deeply expressive performance of Edvard Grieg's Cello Sonata in A minor, Op. 36, blending passion and nuance. This stirring rendition was captured at the 2008 Verbier Festival.

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/546.html#c9
[番外地12] Bronislaw Huberman 中川隆
1. 中川隆[-6423] koaQ7Jey 2025年6月08日 00:13:06 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[21]
<■245行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Bronisław Huberman - Bach : Partita No.1 - Saraband & Double (1934) 再復刻


recorded 26 June, 1934
transferred from Jpn Columbia 78s / S-1001(WHAX-45)



Bronisław Huberman - Bach : Solo Violin Partita No.1 - Saraband & Double (play with HMV-203 )


recorded 26 June, 1934
78rpm / U.K.Columbia - LX.513(WHAX 45)
play with U.K.HMV-203 gramophone




Bronislaw Huberman - Bach : Solo Violin Sonate Nr.2 a-moll - Andante (1934)


transferred from Jpn Columbia 78s / J-8495(WHAX-46)


Bronislaw Huberman - Bach : Solo Violin Sonate Nr.2 a-moll - Andante (1934)


transferred from Jpn Columbia 78s / J-8495(WHAX-46)



Bronislaw Huberman - Bach : Solo Violin Sonata No.2 - Andante (1934) 再復刻


transferred from Jpn Columbia 78s / J-8495(WHAX-46)


Huberman フーベルマン_BACH_Solo Vn Partita No.1〜,Sonata No.2〜.


J.S.BACH_1.Partita No.1-Sarabande & Double, 2.Sonata No.2-Andante
78rpm record / 1.日本Columbia / S-1001(WHAX-45),
2.日本Columbia / J-8495(WHAX-46) 
Recording / Columbia, 26 June, 1934






Bronisław Huberman - Bach : Air for G String G線上のアリア (1930) 再復刻


Piano acc. by Giegfried Schultze
recorded 16 Sep. 1930
transferred from Jpn Columbia 78s /J-7779 (AX-5007)


Bronislaw Huberman - Bach : Air for G String G線上のアリア (1930) - 電気再生


Piano ; Sigfried Schultze
recorded 16 Sep. 1930
transfer from Jpn Columbia 78s / J-7779(AX-5007)


Huberman_Bach;G線上のアリア Air for G String on HMV-163


Bronislaw Huberman (1882-1947)
recording, 16 Sep. 1930
78rpm / jpn Columbia ; J-7779 (AX-5007)
Gramophone / HMV-163





Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.1 a-moll (1934) 再復刻


Vienna Philharmonic Orch. cond. by Issay Dobrowen
recorded June, 1934
transferred from Jpn Columbia 78s / J-8346/7(WHAX-20/23)


Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.1 a-moll - 1st Mvt (1934)
限定公開


Issay Dobrowen / Vienna Philharmonic Orch.
recorded June, 1934
transfer from Jpn Columbia 78s / J-8346(WHAX-20)


Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.1 a-moll - 2nd & 3rd Mvt (1934)
限定公開


Issay Dobrowen / Vienna Philharmonic Orch.
recorded June, 1934
transfer from Jpn Columbia 78s / J-8346/7(WHAX-21/23)





Bronislaw Huberman - Bach : Violin Concerto No.2 E-Dur (1934) 再復刻


Vienna Philharmonic Orch. cond. by Issay Dobrowen
recorded June, 1934
transferred from Jpn Columbia 78s / JW-129-131(WHAX 15-19)


Huberman_Bach ; Violin Concerto No.2 - 1st mov.


Issay Dobrowen / Vienna Pnilharmonic
Recording / June, 1934
78rpm / Jpn Columbia : JW-129-131(WHAX 15-19)
electric reproduction


Huberman_Bach ; Violin Concerto No.2 -2nd & 3rd mov.


Issay Dobrowen / Vienna Pnilharmonic
Recording / June, 1934
78rpm / Jpn Columbia : JW-129-131(WHAX 15-19)
electric reproduction




Bronisław Huberman - Bach : Nun komm, der Heiden Heiland いざ来ませ、異邦人の救い主よ


Piano acc. by Giegfried Schultze
transferred from Jpn Columbia 78s /JW-131 (CAX-7428)






http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/564.html#c1
[番外地12] Pablo Casals 中川隆
1. 中川隆[-6422] koaQ7Jey 2025年6月08日 00:43:44 : 6t42E6Vd4w : emxNeVJ4a2djZ0U=[22]
<■140行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


Pablo Casals - Bach : Komm susser Tod 甘き死よ来たれ BWV.478 (1929)


arr. / Siloti, Piano acc. by Blas-Net
recorded 16 June 1929, Barcelona
transfer from Jpn Victor 78s / ND-460(7501)


Pablo Casals - Bach : Air アリア(from Suite #3 in D) - 1930


piano acc. by Otto Schulhof
recorded 5 March 1930, London
transfer from Jpn Victor 78s / 7638-A
再復刻



Pablo Casals - Bach : Andante (from Solo Violin Sonata #2 a-moll) - 1929


arr, Siloti, piano acc. by Blas-Net
recorded 19 June 1929, Barcelona
transfer from Jpn Victor 78s / 7638-B
再復刻


Pablo Casals_Bach ; Andante from Solo Violin Sonata No.2


Blas-Net (piano)
78rpm record / Victor-7368
electric reproduction(SP盤起し)



Pablo Casals_Bach ; Solo Cello Suite No.3 - Prelude in C, BWV.1009


78rpm record / Victor-RL-212
electric reproduction(SP盤起し)





Pablo Casals : Bach : Adagio (from Toccata in C BWV.564) - 1927


arr, Siloti, piano acc. by Nicolai Mednikoff
recorded 26 Feb. 1927, Victor Studios, Camden, New Jersey
transfer from Jpn Victor 78s / 6635-B
再復刻



Pablo Casals - Bach : Musette (1928)


Piano acc./ Nicolai Mednikoff
recorded 1/31, 1928
transfer from Jpn Victor 78s - NF-4007(1349 B)




Pablo Casals - Song of the Birds, Bach : Aria in F (1953)


Prades Festival Orchestra, Perpignon Festival Orchestra
00:00 - Song of the Birdd (Traditional)
03:09 - Bach : Aria from Organ Pastorale in F
recorded in 1953, Prade
LP 33 1/3, CBS SONY - SOCU 11


Pablo Casals - 3 Cello Pieces (Bach, Haydn, Falla)


Piano acc. by Eugene Istomin
00:00 - Bach : Recitative from Organ Concerto No.3
04:23 - Haydn : Adagio from Piano Sonata No.9 in D
10:36 - Falla : Nana from Seven Spanish Popular Songs
LP 33 1/3, CBS SONY - SOCU 11

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