5. ナチスカトリック十字[4] g2mDYINYg0qDZ4OKg2KDTo9cjpo 2026年1月02日 12:09:03 : pY9Btw4sDo : MjhNVUZrM0FYOVk=[1]
南アメリカに逃げたナチス戦争犯罪被疑者
ナチス残党の地下組織網 「オデッサ」
ナチス残党は、戦後ほどなく、戦争犯罪被疑者とされたナチス親衛隊員の逃亡を助ける地下組織網 「オデッサ」 を作った。 その他「帝国」 「地下救助」 「岩の門」 などが次々に誕生した。 これらの逃亡支援組織はいずれもナチス戦争犯罪被疑者の為の相互援助組織とでも言うべきもので、世界中にナチス残党の入植地を設け、また、ナチス親衛隊の推定20万人に及ぶ外国人メンバーをも使っての末端組織作りを目指すものだった。 スイス国内だけでもナチス戦争犯罪被疑者の為の隠れ家が2万戸もあったと伝えられている。
ユダヤ人サイモン・ヴィーゼンタールも、この 「オデッサ」 の全貌を暴くことは出来なかったが、「オデッサ」 がドイツからの逃亡者をスイスやオーストリアに送り込み イタリアに逃がしていること、そして、スペインや南アメリカとのつながりを持っていること までは暴いた。
「『オデッサ』は十分に能率的なネットワークとして組織されている。 『オデッサ』がオーストリア・イタリア間の所謂『修道院ルート』を開発していた。 ローマ教会の僧とりわけフランシスコ派の修道僧たちは、逃亡者が長くて安全な『修道院ルート』を使って逃げるのを助けた。
『オデッサ』は、国境地帯で暗躍するあらゆる密輸業者と結託している。 また、ヨーロッパ各国の首都にあるエジプト・スペイン・シリアの大使館、それに南アメリカの幾つかの大使館と密接なつながりを持っている。 更に、彼らはスペインのファランヘ党の社会救済組織のドイツ課とも連携している。 この組織は“旅行者”をスペインに運んだり、南アメリカに送り込んだ。
サイモン・ヴィーゼンタールは、「オデッサ」 の責任者はシリア政府発行のパスポートを所持するハダド・セイドと名乗る男で、この男の正体はナチス親衛隊のフランツ・ロステロであることを突き止めた。
ナチス逃亡者を助けたカトリック教会
ナチス残党の地下組織網 「オデッサ」 は、オーストリアとイタリア北部に点在するフランシスコ派の修道院と連携していた。 これらの修道院のナチス逃亡者に対する援助活動はアロイス・フーダル大司教によって積極的に承認されていた。 戦後はカトリック教会をナチス逃亡者の隠れ家として提供した。
アロイス・フーダル大司教の援助活動の対象はナチス逃亡者だけではなかった。 スターリンの容赦なき弾圧にあえぐクロアチア地方の民族主義者たちにもアロイス・フーダル大司教は支援を差し伸べた。 ナチス逃亡者やクロアチアの逃亡者はカトリック教会を頼ってイタリアへ落ちのびた。 ローマ教皇庁は彼らに偽名の難民パスポートを発行して南アメリカへの逃亡を支援した。
「オデッサ」 と肩を並べる 「蜘蛛」 アドルフ・アイヒマンは1946年1月5日にワイデンの連合軍捕虜収容所を脱走して、親類や知人の間を転々としながら、逃亡生活を続けていたが、アイヒマンの部下で 「蜘蛛」 のメンバーであったアントン・ブルガーに連絡をつけて「蜘蛛」 やナチスの秘密組織 「7つの星」 の支援を受けるようになった。 その後、アントン・ブルガーは、アイヒマンを国外へ逃亡させる為に、アロイス・フーダル大司教の援助機関に連絡した。
アイヒマンはリカルド・クレメントという名前の身分証明書とアルゼンチンヘの亡命パスポートを与えられた。 その3週間後、ジェノバ港にアルゼンチン行きの客船 が入港した。 アイヒマンはジョバンナ号に乗り、悠々とヨーロッパを後にした。
ナチス逃亡者の受け入れに極めて寛容だったフランコ政権とペロン政権
現在も、世界各地にナチス残党の避難所が数多く存在していると言われている。 スペインの独裁者フランコ将軍は第二次世界大戦後すぐにナチス逃亡者のスペインへの避難を認めた。
フランコは第二次世界大戦中にはヒトラーの再三に渡る参戦要請を退けて 「中立」 を守り、多くのユダヤ人を匿い、戦後は多くのナチ党員を匿い、唯一のファシズム国家の終身主席として天寿を全うした。
サイモン・ヴィーゼンタールは語る。
「スペインには驚かされる。 戦争中には2万5000人のユダヤ人を匿い、引き渡し請求には頑として応じなかった。 ところが戦後になると、今度は何千人ものナチ党員を匿い、彼らの身柄引き渡しを拒んだのだ」
戦後4万人から5万人のナチス残党が南アメリカに逃亡したという。 第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて、計80億ドルの財宝と15万人のナチ党員がドイツから南アメリカへ移動したという。
ナチス逃亡者の多くが南米を逃亡先に選んだ理由は、親ナチスのファン・ペロン独裁政権がアルゼンチンに誕生しており、庇護を受けられることが約束されていたから。
第二次世界大戦末期のドイツはUボートを使って、ナチスの財宝を密かに南アメリカへ搬出し始めていたが、アルゼンチンでは、ペロン副大統領がその受け入れに大きく関与。 そして、戦後のペロン政権は、ローマ教皇庁を通じて次々に送られてくるナチス逃亡者の亡命嘆願を積極的に受け入れた。
ヒトラーが早い時期から南米に並々ならぬ関心を寄せていたこと、南米には元々ドイツ系移民が多かったこと、ドイツ系移民の中から強力なナチス運動が展開していたためナチス逃亡者の多くが南アメリカを逃亡先に選んだ。
題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。