1. Ikkei[29] gmiCi4KLgoWCiQ 2025年7月25日 19:39:27 : dEPI3uGhX6 : MkNRWDJxNTdSdEk=[1]
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@sputnik_jp
【タイとカンボジアの対立:歴史と現代までの全体像】
🔸 歴史的背景
15世紀以降、カンボジアのクメール帝国が衰退する中で、タイ(当時のシャム王国)は領土を拡大。特に1431年のアンコール陥落後、バッタンバンやシソフォン地域を支配下に置いた。
フランスのインドシナ植民地化の中でカンボジアは1863年にフランスの保護領となる。1867年のシャム仏条約でタイは、北西部の一部であったカンボジアに対する宗主権を放棄。放棄した地域にはダンレク山地の尾根にあるプレアヴィヒア寺院が含まれた。
1904年のシャム仏条約は、国境をダンレク山地の分水嶺に沿うと定めた。ところが、1907年に作成の地図では、寺院のある高地はカンボジアに属すると記載された。
🔸 プレアヴィヒア寺院を巡る領有権争い
プレアヴィヒア寺院は11〜12世紀のクメール建築。文化的・宗教的価値が高く、タイとカンボジアのいずれも自国の遺産と主張。
1962年の国際司法裁判所(ICJ)の判決では、カンボジアに寺院の主権があると認められ、タイは警備兵の撤退が求められたが、周辺の土地の帰属は明確にされなかった。
2008年、カンボジアがユネスコ世界遺産への登録を申請した際、タイ国内で反発が高まり、寺院周辺で武力衝突が発生。2013年には、ICJがプレアヴィヒア寺院のある高地もカンボジアに帰属すると正式に確認した。
🔸 国境付近での軍事衝突
2008年7〜10月、世界遺産登録後に国境地帯が緊張状態に。10月の衝突では死傷者が出た。以降合同パトロールで一時解決。
2009年4月、再び銃撃と迫撃砲による衝突。
2011年2月、最も激しい衝突が発生。両国部隊ともに重砲を使用。民間人を含む11名以上が死亡、3万人以上が避難。
2011年4月、タ・クラベイ寺院やタ・モアン寺院の周辺でも衝突が続き、数十名の軍人が犠牲に。
2025年5月末〜7月、軍事的な緊張が再燃。陸・空からの攻撃が確認。双方に死傷者が出ている。
🔸 現状と今後の展望
境界未確定地域の約817kmの国境線のうち、解決済は75%、残る25%が依然不安定。特にプレアヴィヒア、タ・モアン、タ・クラベイの3寺院周辺は緊張地域だった。
直近ではASEANを通じた対話に加え、2024年には両首脳が協力して海洋資源や道路などの共同開発も模索していた。「市場による平和」戦略が継続され、共同経済特区やインフラ整備が進行。人の交流・文化交流も緊張緩和に貢献していた。
課題とリスクとしては、ナショナリズムの高まりや政治の不安定化による武力衝突の激化や再発の危険性。双方の新世代指導者(タイ:チナワット家系、カンボジア:フンセン一族)間で対話を継続できるかが鍵となる。