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[近代史7] テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年) 中川隆
4. 2022年1月05日 10:11:29 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[1]
星の金貨 完結編スペシャル

監督 吉野洋 

脚本 山崎淳也 

出演
酒井法子  大沢たかお  竹野内豊  広末涼子 

“せつなくもどかしい”ラブ・ストーリーとして日本中の涙を誘った感動のシリーズの完結編!
ヒロイン彩を側で支えるさおり役で広末涼子が登場する

酒井法子、大沢たかお、竹野内豊共演で大ヒットした純愛ラブストーリーの完結編。愛する秀一(大沢たかお)の死によって、せつない別れをした彩(酒井法子)がいよいよ秀一の子供を出産──。母になった彩と子供との心温まる関係をタテ軸にして、回想形式で「星の金貨」「続・星の金貨」の愛の物語が甦る。

北海道の美幌別にある小さな診療所──。出産を2か月後に控えた彩(酒井法子)は、この思い出の診療所で老医師・浜野寿男(村上冬樹)を手伝い、看護助手として頑張っている。赤ちゃんの靴下を編む彩の薬指には、あのサファイアの指輪。寿男と孫娘のさおり(広末涼子)は、身内の初産を待つかのように、こまごまと心遣いをみせる。彩の唯一の心配は、生まれてくる子供の身体。だが、さおりは、“もし、自分と同じような障害があったら…”と思い悩む彩を、優しく諭した。そんなある日、突然、彩の陣痛が始まった。早産で、このままでは母体も危ない、と知り涙を浮かべるさおり。寿男は懸命に治療を行う。苦悶する彩は、助けを求めるかのように、あの焼け焦げた「星の金貨」の本を握りしめた。秀一、拓巳(竹野内豊)らのことが、走馬灯のように彩の脳裏を駆け巡った・・・。(単発)

https://www.homedrama-ch.com/series/S75919
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html#c4

[近代史7] テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年) 中川隆
5. 2022年1月05日 10:14:16 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[2]
星の金貨 ロケ地ガイド
http://loca.ash.jp/show/1995/d199504_hosikin.htm


作品名 ドラマ「星の金貨」
制作年 1995年04月〜1995年07月 水曜 22:00 NTV

キャスト
倉本彩(酒井法子) 永井秀一(大沢たかお) 永井拓巳(竹野内豊) 遠藤園子(西村知美) 結城祥子(細川直美) 小泉美和(田中美奈子) 永井誠一郎(竜雷太)


◎倉本彩の住んでいた、北海道の美幌別診療所(1,2)
 北海道日高郡新ひだか町三石歌笛:民家
[写真]
0002

◎倉本彩が訪れた長い階段のある神社(1)
 北海道日高郡新ひだか町三石歌笛:歌笛神社
[写真] [写真]
0003

◎倉本彩が訪れた墓地(1)
 北海道日高郡新ひだか町三石本桐:本桐霊園
[写真]
0004

◎永井秀一が倉本彩に手話でプロポーズをした空港(1)
 北海道標津郡中標津町字中標津:中標津空港
[写真] [写真] [写真] [写真] [写真]
 ※倉本彩が永井秀一を見送った空港(1)
 ※倉本彩がベンチに座って永井秀一が帰ってくるのを待っていた空港(1)
0005

×永井秀一が落ちたエスカレータ(1)
0006

◎永井家(1)
 東京都八王子市暁町2丁目:一軒家
[写真]
0007

◎永世会病院(1)
 東京都東大和市桜が丘3丁目:東京都立東大和療育センター
[写真] [写真]
 ※屋上のシーンは新宿
0008

○永世会病院の中庭(1)
 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷3丁目:生田スタジオ
[写真]
 ※スタジオ内は立入禁止
0009

☆永世会病院の屋上(3)
 東京都新宿区西新宿6丁目:西新宿KBビル
[写真]
 ※地域再開発により2011年に解体
0010

○倉本彩と永井秀一が行ったプラネタリウム(3)
 神奈川県横浜市磯子区洋光台5丁目:横浜こども科学館

http://loca.ash.jp/show/1995/d199504_hosikin.htm
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html#c5

[近代史7] テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年) 中川隆
6. 2022年1月05日 10:25:12 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[3]
【ゆっくり解説】語り継がれる涙腺崩壊ドラマ『星の金貨』をゆっくり解説
2021/12/11


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html#c6
[近代史7] 酒井法子 名唱集 中川隆
5. 2022年1月05日 10:39:03 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[4]
酒井法子、「碧いうさぎ2021」を初披露!情熱的な新バージョンの振り付けも
2021/10/25


http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/836.html#c5
[近代史5] 何故日本円は暴落しないのか? 中川隆
1. 中川隆[-14313] koaQ7Jey 2022年1月05日 13:37:05 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[5]
ダリオ氏とサマーズ氏のドル下落に関する論争
2021年6月23日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/14160


前回の記事ではBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏のインタビューについてお伝えしたが、このインタビューにはもう1人優れた頭脳が参加している。経済学者のラリー・サマーズ氏である。

過熱するアメリカ経済

世界最大の運用資金を抱えるダリオ氏がヘッジファンド業界のトップなら、サマーズ氏は経済学者のトップであると言えるだろう。

この2人はコロナ相場における緩和バブルが何らかの危険な帰結をもたらすということでは同意している。サマーズ氏はアメリカ経済の状況を次のように表現している。

今、経済は時速100マイル(時速150キロ程度)で走っている。道は今は空いているが、常に空いているとは限らない。

事故がどのような形になるかは分からないが、時速100マイルで走ることは必ずしも目的地に辿り着く最速の方法とは限らない。そういう走り方では何らかの問題が生じるからだ。

サマーズ氏は事故がどういう形になるかは分からないと言う。

一方でダリオ氏の主張は幾分明快のように思える。ダリオ氏は前回の記事で、中央銀行が金利上昇を抑えるために緩和を拡大せざるを得ず、ドルが下落するというシナリオを明確にしている。

世界最大のヘッジファンド: 市場下落なしに緩和縮小はできない
ダリオ氏はドルの代わりに金利の高い人民元建ての資産に資金が集まると主張している。

ドルは下落するのか?

サマーズ氏の方は明確な予想をすることに慎重である。

問題が生産性や労働市場に起こるのか、金利高騰として起こるのか、ドルの価値が下落することで起こるのか、予想しようとは思わない。しかし経済は問題のあるコースを走っており、あらゆることが起こり得る。

金融市場を正確に予想することは誰にも出来ない。だが過剰な資金が市場に注ぎ込まれており、それを前提としたリスクテイクが過熱していることは確かなように見える。

特に興味深いのは、サマーズ氏が必ずしもドルが下落するとは思っていない部分である。彼はこう補足している。

1980年代には巨額の財政赤字が経済成長を促し、資本市場に流れ込んで強いドルに繋がった。

だから短期的な動きについては分からないが、わたしはレイほどは中国や諸外国の資本市場が長期的にドルよりも魅力的になるかどうかについては確信できない。

1980年代は1970年代に始まる物価高騰と引き締めのサイクルの後に大幅な利下げと財政出動が行われた時代である。

この期間にドルはどうなったか? 以下はドルマルク(ドイツの通貨ドイツマルク)のチャートにアメリカの政策金利を並べたものである。ドルマルクは上方向がドル高マルク安となる。


財政出動と利下げはともに1981年頃から行われているのだが、この期間においてドルは大幅に上昇している。1985年からは下落に転じているのだが、緩和とドル安の時期は一致しておらず、ドル安に向かったのは緩和開始から4年が経過した後である。

サマーズ氏は次のように続ける。

ドルの下落リスクは確かに高い。人々の言うことの中で一番奇妙なのは、今はグローバル化の時代で、インフレトレンドは急激には動かない、グローバル化のお陰で急激なインフレにはならないというものだ。

わたしは正反対だと思う。グローバル化のお陰でアメリカは以前よりいわば小国のようになっており、ドルはより困難に陥りやすく、ドル安の影響は数十年前よりも急激にインフレ上昇に反映されるだろう。

だからレイの言うような懸念も分かる。だがタイミングについては不確実性が存在するだろう。

市場で何らかの方向に賭けなければならないダリオ氏と、学者として様々なリスクを考えなければならないサマーズ氏の違いだと言うことも出来るだろう。

しかしサマーズ氏の指摘する1980年代において、緩和にもかかわらずドルは何故下落しなかったのだろうか? この辺りの事情については別に記事を書いて説明する必要があるだろう。

袋小路に陥るアメリカ経済

経済回復を祝うかのような中央銀行に対して、サマーズ氏の見通しは暗い。彼は次のように述べる。

金融政策が本当に難しいのは、リーマンショックの後や去年の春のように大幅な資金不足があり市場が暴落していて、資金を供給すべきだという風に金融政策の行われるべき方向性が完全に明らかな状況ではない。

金融政策における本当に難しいジレンマは、どちらに行くべきか明確ではない時だ。国債が大量に発行されており通貨が下落している一方で、経済は弱体化していて貧富の差が拡大し、景気後退の懸念がある時には、利下げをして後者に対応すべきなのか、引き締めをして前者に対応すべきなのか分からない。

そのように方向性が明確にならない時こそが金融政策にとって難しい時なのだ。そして今経済はそういう状況に向かっているのではないかということを恐れている。

利上げをしても利下げをしても問題が生じる。利上げをすればドルは救えるが経済は暗転し、利下げをすれば経済は救えるかもしれないがドルは暴落してゆく。

ダリオ氏の言い分もサマーズ氏の言い分も両方理にかなっているだろう。しかも興味深いのは、短期的な値動きについてサマーズ氏に分がありそうな点である。ダリオ氏は過去の基軸通貨の運命にドルも従うと主張しているが、それはもっと長期のトレンドだろう。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
世界最大のヘッジファンド: 大英帝国の基軸通貨ポンドはいかに暴落したか
サマーズ氏の主張は本当に興味深く、時にはヘッジファンドよりもヘッジファンド的である。

アメリカ経済がどちらに行っても袋小路という懸念は債券投資家のジェフリー・ガンドラック氏も詳しく説明しているので、そちらも参考にしてもらいたい。

ガンドラック氏: 追加緩和が来る恐怖、追加緩和が来ない恐怖

1980年代のドル下落のタイミングについてはまた別に記事を書くことになるだろう。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/14160

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1419.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
31. 中川隆[-14312] koaQ7Jey 2022年1月05日 18:06:22 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[7]
テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 江口洋介 福山雅治 酒井法子『ひとつ屋根の下』 (フジテレビ 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1065.html

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 江口洋介 福山雅治 酒井法子『ひとつ屋根の下』 (フジテレビ 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1065.html

テレビドラマ 仲村トオル, 八千草薫, 玉山鉄二『母。わが子へ MBS 2013年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/760.html

テレビドラマ 松嶋菜々子 山口祐一郎 原田龍二『百年の物語 TBS 2000年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/758.html

テレビドラマ 森光子 志田未来 野際陽子『ハルとナツ 届かなかった手紙 NHK 2005年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/749.html

テレビドラマ 三上博史 田中好子『NASA〜未来から落ちてきた男〜 フジテレビ 1991年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/582.html

テレビドラマ 明石家さんま 黒木瞳『さとうきび畑の唄 TBS 2003年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/536.html

テレビドラマ 中山美穂・木村拓哉『眠れる森 A Sleeping Forest』フジテレビ 1998年
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/498.html

清水崇 輪廻(東宝 2005年) - youtube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/360.html

鶴田法男 予言(東宝 2004
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/359.html

長崎俊一 『坂東眞砂子原作 死国 東宝 1999年』- YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/358.html

コワイ女ーカタカタ - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/361.html

世にも奇妙な物語 時の女神 - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/362.html

世にも奇妙な物語 恐竜はどこへ行ったのか? - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/829.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c31

[近代史5] テレビドラマ関係投稿集 中川隆
16. 中川隆[-14311] koaQ7Jey 2022年1月05日 18:07:14 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[8]
テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 江口洋介 福山雅治 酒井法子『ひとつ屋根の下』 (フジテレビ 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1065.html

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 江口洋介 福山雅治 酒井法子『ひとつ屋根の下』 (フジテレビ 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1065.html

テレビドラマ 仲村トオル, 八千草薫, 玉山鉄二『母。わが子へ MBS 2013年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/760.html

テレビドラマ 松嶋菜々子 山口祐一郎 原田龍二『百年の物語 TBS 2000年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/758.html

テレビドラマ 森光子 志田未来 野際陽子『ハルとナツ 届かなかった手紙 NHK 2005年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/749.html

テレビドラマ 三上博史 田中好子『NASA〜未来から落ちてきた男〜 フジテレビ 1991年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/582.html

テレビドラマ 明石家さんま 黒木瞳『さとうきび畑の唄 TBS 2003年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/536.html

テレビドラマ 中山美穂・木村拓哉『眠れる森 A Sleeping Forest』フジテレビ 1998年
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/498.html

清水崇 輪廻(東宝 2005年) - youtube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/360.html

鶴田法男 予言(東宝 2004
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/359.html

長崎俊一 『坂東眞砂子原作 死国 東宝 1999年』- YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/358.html

コワイ女ーカタカタ - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/361.html

世にも奇妙な物語 時の女神 - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/362.html

世にも奇妙な物語 恐竜はどこへ行ったのか? - YouTube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/829.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/407.html#c16

[近代史7] テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年) 中川隆
7. 2022年1月05日 18:36:54 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[9]
酒井法子研究ノート---「野島伸司」の罪と罰
2018-08-04
https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html


「野島伸司」といえば「星の金貨」を覚えている人は多いと思われる。

酒井法子は、その演技を絶賛された。

彼女の出世作ともいえる作品だ。

報知新聞記事 2001/2/26より。
今回の新バージョン(※新・星の金貨)ではキャスティングを一新。「101回目のプロポーズ」「高校教師」など多数のヒット作品を手がけた野島氏がシリーズ第1作以来の監修を手がけることまではスムーズに決定。だが、主演だけは思いのほか難航した。

何故だったのか。それは、出演オファーを受けた酒井法子が拒否したせいだった。

当時、公私ともに彼女のマネジメントは、サンミュージックの溝口伸郎取締役製作部長が見ていた。

溝口伸郎マネージャーは、デビュー以来酒井法子の担当であった。それは、彼女の将来性に賭けていた

サンミュージック相澤前会長の悲願でもあったらしい。

溝口伸郎氏は、「岡田有希子」を衝撃的な自殺で失っていた。

彼は、マネージャーとして同様の失敗はしたくなかった。だから、「野島伸司」が、酒井法子にぞっこんだったことに危機感を募らせていた。一般に報道されなかったが、ふたりは半同棲だったという。

酒井法子は、松田聖子と同じ福岡県出身だ。デビュー時の彼女と聖子ちゃんとは雰囲気がよく似ていた。

明るくてお茶目で天真爛漫、(それが彼女の演技であったにせよ)愛らしい姿に多くのファンが夢中になった。

その公私ともに酒井法子をサポートしていたのが、溝口伸郎氏であった。

溝口伸郎マネージャーは、岡田有希子と同じ轍を踏みたくなかった。

だが、その彼の前にに突如として現れた"悪魔"が、「野島伸司」という当代一のドラマ原作者なのである。

彼は、溝口取締役に「酒井法子」を番組に出せ、と激しく迫ったという。

サンミュージックの製作部長としては、彼の申し出を蹴るわけにはいかなかった。

だが、酒井法子は、そのときには、高相祐一の子供を妊娠していた。

だが、この時「野島伸司」は、溝口伸郎氏に、酒井法子との復縁を迫ったという。

溝口伸郎製作部長が、事務所で自殺するのはその翌日である。

https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html#c7

[近代史7] 野島伸司の名作「ひとつ屋根の下」をゆっくり解説 - YouTube動画 中川隆
2. 中川隆[-14310] koaQ7Jey 2022年1月05日 18:37:31 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[10]
酒井法子研究ノート---「野島伸司」の罪と罰
2018-08-04
https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html


「野島伸司」といえば「星の金貨」を覚えている人は多いと思われる。

酒井法子は、その演技を絶賛された。

彼女の出世作ともいえる作品だ。

報知新聞記事 2001/2/26より。
今回の新バージョン(※新・星の金貨)ではキャスティングを一新。「101回目のプロポーズ」「高校教師」など多数のヒット作品を手がけた野島氏がシリーズ第1作以来の監修を手がけることまではスムーズに決定。だが、主演だけは思いのほか難航した。

何故だったのか。それは、出演オファーを受けた酒井法子が拒否したせいだった。

当時、公私ともに彼女のマネジメントは、サンミュージックの溝口伸郎取締役製作部長が見ていた。

溝口伸郎マネージャーは、デビュー以来酒井法子の担当であった。それは、彼女の将来性に賭けていた

サンミュージック相澤前会長の悲願でもあったらしい。

溝口伸郎氏は、「岡田有希子」を衝撃的な自殺で失っていた。

彼は、マネージャーとして同様の失敗はしたくなかった。だから、「野島伸司」が、酒井法子にぞっこんだったことに危機感を募らせていた。一般に報道されなかったが、ふたりは半同棲だったという。

酒井法子は、松田聖子と同じ福岡県出身だ。デビュー時の彼女と聖子ちゃんとは雰囲気がよく似ていた。

明るくてお茶目で天真爛漫、(それが彼女の演技であったにせよ)愛らしい姿に多くのファンが夢中になった。

その公私ともに酒井法子をサポートしていたのが、溝口伸郎氏であった。

溝口伸郎マネージャーは、岡田有希子と同じ轍を踏みたくなかった。

だが、その彼の前にに突如として現れた"悪魔"が、「野島伸司」という当代一のドラマ原作者なのである。

彼は、溝口取締役に「酒井法子」を番組に出せ、と激しく迫ったという。

サンミュージックの製作部長としては、彼の申し出を蹴るわけにはいかなかった。

だが、酒井法子は、そのときには、高相祐一の子供を妊娠していた。

だが、この時「野島伸司」は、溝口伸郎氏に、酒井法子との復縁を迫ったという。

溝口伸郎製作部長が、事務所で自殺するのはその翌日である。

https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/830.html#c2

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 江口洋介 福山雅治 酒井法子『ひとつ屋根の下』 (フジテレビ 1993年) 中川隆
5. 中川隆[-14309] koaQ7Jey 2022年1月05日 18:37:53 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[11]
酒井法子研究ノート---「野島伸司」の罪と罰
2018-08-04
https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html


「野島伸司」といえば「星の金貨」を覚えている人は多いと思われる。

酒井法子は、その演技を絶賛された。

彼女の出世作ともいえる作品だ。

報知新聞記事 2001/2/26より。
今回の新バージョン(※新・星の金貨)ではキャスティングを一新。「101回目のプロポーズ」「高校教師」など多数のヒット作品を手がけた野島氏がシリーズ第1作以来の監修を手がけることまではスムーズに決定。だが、主演だけは思いのほか難航した。

何故だったのか。それは、出演オファーを受けた酒井法子が拒否したせいだった。

当時、公私ともに彼女のマネジメントは、サンミュージックの溝口伸郎取締役製作部長が見ていた。

溝口伸郎マネージャーは、デビュー以来酒井法子の担当であった。それは、彼女の将来性に賭けていた

サンミュージック相澤前会長の悲願でもあったらしい。

溝口伸郎氏は、「岡田有希子」を衝撃的な自殺で失っていた。

彼は、マネージャーとして同様の失敗はしたくなかった。だから、「野島伸司」が、酒井法子にぞっこんだったことに危機感を募らせていた。一般に報道されなかったが、ふたりは半同棲だったという。

酒井法子は、松田聖子と同じ福岡県出身だ。デビュー時の彼女と聖子ちゃんとは雰囲気がよく似ていた。

明るくてお茶目で天真爛漫、(それが彼女の演技であったにせよ)愛らしい姿に多くのファンが夢中になった。

その公私ともに酒井法子をサポートしていたのが、溝口伸郎氏であった。

溝口伸郎マネージャーは、岡田有希子と同じ轍を踏みたくなかった。

だが、その彼の前にに突如として現れた"悪魔"が、「野島伸司」という当代一のドラマ原作者なのである。

彼は、溝口取締役に「酒井法子」を番組に出せ、と激しく迫ったという。

サンミュージックの製作部長としては、彼の申し出を蹴るわけにはいかなかった。

だが、酒井法子は、そのときには、高相祐一の子供を妊娠していた。

だが、この時「野島伸司」は、溝口伸郎氏に、酒井法子との復縁を迫ったという。

溝口伸郎製作部長が、事務所で自殺するのはその翌日である。

https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1065.html#c5

[近代史7] 酒井法子 名唱集 中川隆
6. 中川隆[-14308] koaQ7Jey 2022年1月05日 18:38:46 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[12]
酒井法子研究ノート---「野島伸司」の罪と罰
2018-08-04
https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html


「野島伸司」といえば「星の金貨」を覚えている人は多いと思われる。

酒井法子は、その演技を絶賛された。

彼女の出世作ともいえる作品だ。

報知新聞記事 2001/2/26より。
今回の新バージョン(※新・星の金貨)ではキャスティングを一新。「101回目のプロポーズ」「高校教師」など多数のヒット作品を手がけた野島氏がシリーズ第1作以来の監修を手がけることまではスムーズに決定。だが、主演だけは思いのほか難航した。

何故だったのか。それは、出演オファーを受けた酒井法子が拒否したせいだった。

当時、公私ともに彼女のマネジメントは、サンミュージックの溝口伸郎取締役製作部長が見ていた。

溝口伸郎マネージャーは、デビュー以来酒井法子の担当であった。それは、彼女の将来性に賭けていた

サンミュージック相澤前会長の悲願でもあったらしい。

溝口伸郎氏は、「岡田有希子」を衝撃的な自殺で失っていた。

彼は、マネージャーとして同様の失敗はしたくなかった。だから、「野島伸司」が、酒井法子にぞっこんだったことに危機感を募らせていた。一般に報道されなかったが、ふたりは半同棲だったという。

酒井法子は、松田聖子と同じ福岡県出身だ。デビュー時の彼女と聖子ちゃんとは雰囲気がよく似ていた。

明るくてお茶目で天真爛漫、(それが彼女の演技であったにせよ)愛らしい姿に多くのファンが夢中になった。

その公私ともに酒井法子をサポートしていたのが、溝口伸郎氏であった。

溝口伸郎マネージャーは、岡田有希子と同じ轍を踏みたくなかった。

だが、その彼の前にに突如として現れた"悪魔"が、「野島伸司」という当代一のドラマ原作者なのである。

彼は、溝口取締役に「酒井法子」を番組に出せ、と激しく迫ったという。

サンミュージックの製作部長としては、彼の申し出を蹴るわけにはいかなかった。

だが、酒井法子は、そのときには、高相祐一の子供を妊娠していた。

だが、この時「野島伸司」は、溝口伸郎氏に、酒井法子との復縁を迫ったという。

溝口伸郎製作部長が、事務所で自殺するのはその翌日である。

https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/836.html#c6

[近代史4] 神田沙也加さん妊娠していた!?悲しい真相。 中川隆
1. 2022年1月05日 19:25:47 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[13]
神田沙也加 急逝直前に恋人から罵倒されていた《音声が存在》
週刊文春 2022年1月13日号
https://bunshun.jp/articles/-/51247

 昨年12月18日に急逝した女優の神田沙也加(享年35)。亡くなる直前に、交際相手の俳優と激しく口論する音声が存在していることが、「週刊文春」の取材でわかった。中には、「死ね」などと罵倒を受ける場面もあった。

最初から結婚を前提とした交際だった
 沙也加が交際していたのは、主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」でも共演していた俳優・前山剛久(30)。前山も沙也加の急逝を受け、「真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました」とするコメントを発表した。

前山宛ての遺書も残していた(東宝演劇部のツイッターより)


 2人は、昨年8月から上演されたミュージカル「王家の紋章」で初共演。交際をスタートさせたのは、9月下旬の千秋楽から間もない10月初旬のことだった。


「沙也加さんが告白する形で交際が始まりました。最初から結婚を前提とした交際だった。精神的に不安定な面がある沙也加さんを、前山は支えていました」(前山の友人)

更なる活躍が期待されていた

 当初は順調だった2人の交際。ところが、次第に前山と元カノの関係、将来の結婚などを巡って、口論が絶えなくなる。

前山からの繰り返される厳しい言葉に…
 問題の音声は、同棲生活を始めることを決めていたにもかかわらず、前山が沙也加に無断で契約した別のマンションを巡って、2人が口論する様子を収めたものだ。

 音声には、「死ね」という表現も複数回出てくる。前山からの繰り返される厳しい言葉に、沙也加は涙声で応じていた。

火葬を終えた松田聖子と神田正輝

 前山の所属事務所に事実関係の確認を求めたところ、期日までに回答はなかった。


 なぜ前山は、恋人だったはずの沙也加に罵るような言葉を浴びせるようになったのか。沙也加はそれをどう受け止めたのか――。

恋人で共演者の前山剛久と(前山のツイッターより)

 追記:前山が所属する所属するワタナベエンターテインメントは、1月5日、公式サイトで前山について「昨年末より心身に不調をきたし」、「治療に専念するため、当面は活動を休止させていただく」と発表した。

 1月5日(水)16時配信の「週刊文春 電子版」及び1月6日(木)発売の「週刊文春」では、沙也加と前山が口論する音声データ、沙也加と前山が口論に至った経緯のほか、沙也加と母・松田聖子との紆余曲折、聖子と距離を置いた沙也加が最も信頼する男性の存在、前山の妹が明かす兄が育った環境、沙也加の恩人が語る彼女の素顔などについて報じている。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1740.html#c1

[近代史7] テレビドラマ 酒井法子 大沢たかお 竹野内豊『星の金貨』(日本テレビ 1995年) 中川隆
8. 2022年1月05日 20:13:59 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[14]

“主演女優キラー”野島伸司と酒井法子の交際 結婚目前だった過去
バーグマン田形バーグマン田形
2016年6月10日
https://www.excite.co.jp/news/article/E1465374004375/

一世を風靡した野島伸司脚本ドラマも、時代の流れには逆らえないのだろうか?
フジテレビ系『OUR HOUSE』の視聴率が伸び悩んでいる。裏のTBS系『99.9 ー刑事専門弁護士ー』が強すぎるとはいえ、6月5日放送の第8話の視聴率が3.9%。平均でも4.7%と低空飛行状態だ。

思えば、90年代の野島伸司ドラマは凄かった。どれもが社会現象となるほどにヒットを飛ばしていたのだから。しかも、主演女優を次々射止めるモテ男ぶり。
中でも酒井法子と交際していたことが印象深い。1993年11月には交際の様子が写真週刊誌にすっぱ抜かれ、それに対して酒井法子が記者会見を開いたこともあった。

のりピーファンの野島伸司が自身脚本のドラマを通じて接近!?

当時の野島伸司は『101回目のプロポーズ』『愛という名のもとに』『高校教師』と、手掛けたドラマが軒並み大ヒット。“業界一数字が取れる男”として、超売れっ子脚本家の階段を駆け上がっていた時期に当たる。

一方の酒井法子はアイドル活動が伸び悩み、台湾や香港などアジア圏での活動に力を入れていたが、野島脚本の『ひとつ屋根の下』出演により再ブレイクを果たしていた時期となる。野島伸司との出会いで、運命が大きく好転したのだ。
そもそも、野島伸司は酒井法子のファンで、『ひとつ屋根の下』は執筆当初から彼女をイメージして書いたといわれている。撮影現場にも足繁く通っていたようで、ドラマの打ち上げから交際が始まっていたそうだ。

野島伸司と酒井法子、結婚目前と報じられながらも破局

交際発覚の記者会見では、酒井法子は「尊敬できる人。胸を張ってお付き合いするにふさわしい方です」と、笑顔で断言。
これを受け、「結婚目前」「婚前旅行」などの見出しがスポーツ紙や週刊誌を何度も飾り続ける。当時はこのままゴールインするのではという見方が多かったのだが……。
結局、それから4年後の1997年秋には同棲解消が報じられる形で、関係に終止符が打たれている。

“主演女優キラー”が射止めたのは佐々木希似の美女!?

酒井法子が結婚したのは翌98年末。果たして「胸を張ってお付き合いするにふさわしい方」だったのだろうか……?

一方、野島伸司は自身が脚本を務めた『高校教師』『人間・失格』『未成年』に出演した桜井幸子や、企画を担当した『仔犬のワルツ』の安倍なつみらと浮名を流し、“主演女優キラー”と呼ばれながらも、2012年4月に結婚をしている。
ちなみに、2007年のTBS系ドラマ『ラブシャッフル』の公式インタビューで、野島伸司は自身の恋愛感をこう答えている。
「最近、僕自身が歳をとったせいかもしれないけど“愛より相性が大事”と感じるようになったんです。若いときはアドレナリンが強くて“好きだから相性なんて関係ない”と思っていたんですけど(中略) 昔だったら好きになったかもしれないビジュアルの人がいたとしても、今は好きにならない」

そんな野島伸司のお相手は23歳年下の一般女性。当時のスポーツ紙では、女性の知人がお相手をこう評している。

「佐々木希ちゃんをもっと小顔にして細くした、160cmくらいのスラッとしたかわいい子ですよ」
圧倒的スペックのビジュアルを誇る美人のようだが、本当に相性重視なのだろうか……?

2人の破局の原因は「結婚観の相違」「野島の女癖の悪さ」などがささやかれているが、筆者的には後者のような気がしてならない。
「野島伸司の人生」というドラマでは、のりピーとの交際もほんの1話の出来事に過ぎなかったのかも知れない。不幸を煮詰めたような脚本で、バッドエンドを得意とする野島伸司。自身の人生はハッピーエンドを描くようである。
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/835.html#c8

[近代史7] 野島伸司の名作「ひとつ屋根の下」をゆっくり解説 - YouTube動画 中川隆
3. 中川隆[-14307] koaQ7Jey 2022年1月05日 20:14:23 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[15]

“主演女優キラー”野島伸司と酒井法子の交際 結婚目前だった過去
バーグマン田形バーグマン田形
2016年6月10日
https://www.excite.co.jp/news/article/E1465374004375/

一世を風靡した野島伸司脚本ドラマも、時代の流れには逆らえないのだろうか?
フジテレビ系『OUR HOUSE』の視聴率が伸び悩んでいる。裏のTBS系『99.9 ー刑事専門弁護士ー』が強すぎるとはいえ、6月5日放送の第8話の視聴率が3.9%。平均でも4.7%と低空飛行状態だ。

思えば、90年代の野島伸司ドラマは凄かった。どれもが社会現象となるほどにヒットを飛ばしていたのだから。しかも、主演女優を次々射止めるモテ男ぶり。
中でも酒井法子と交際していたことが印象深い。1993年11月には交際の様子が写真週刊誌にすっぱ抜かれ、それに対して酒井法子が記者会見を開いたこともあった。

のりピーファンの野島伸司が自身脚本のドラマを通じて接近!?

当時の野島伸司は『101回目のプロポーズ』『愛という名のもとに』『高校教師』と、手掛けたドラマが軒並み大ヒット。“業界一数字が取れる男”として、超売れっ子脚本家の階段を駆け上がっていた時期に当たる。

一方の酒井法子はアイドル活動が伸び悩み、台湾や香港などアジア圏での活動に力を入れていたが、野島脚本の『ひとつ屋根の下』出演により再ブレイクを果たしていた時期となる。野島伸司との出会いで、運命が大きく好転したのだ。
そもそも、野島伸司は酒井法子のファンで、『ひとつ屋根の下』は執筆当初から彼女をイメージして書いたといわれている。撮影現場にも足繁く通っていたようで、ドラマの打ち上げから交際が始まっていたそうだ。

野島伸司と酒井法子、結婚目前と報じられながらも破局

交際発覚の記者会見では、酒井法子は「尊敬できる人。胸を張ってお付き合いするにふさわしい方です」と、笑顔で断言。
これを受け、「結婚目前」「婚前旅行」などの見出しがスポーツ紙や週刊誌を何度も飾り続ける。当時はこのままゴールインするのではという見方が多かったのだが……。
結局、それから4年後の1997年秋には同棲解消が報じられる形で、関係に終止符が打たれている。

“主演女優キラー”が射止めたのは佐々木希似の美女!?

酒井法子が結婚したのは翌98年末。果たして「胸を張ってお付き合いするにふさわしい方」だったのだろうか……?

一方、野島伸司は自身が脚本を務めた『高校教師』『人間・失格』『未成年』に出演した桜井幸子や、企画を担当した『仔犬のワルツ』の安倍なつみらと浮名を流し、“主演女優キラー”と呼ばれながらも、2012年4月に結婚をしている。
ちなみに、2007年のTBS系ドラマ『ラブシャッフル』の公式インタビューで、野島伸司は自身の恋愛感をこう答えている。
「最近、僕自身が歳をとったせいかもしれないけど“愛より相性が大事”と感じるようになったんです。若いときはアドレナリンが強くて“好きだから相性なんて関係ない”と思っていたんですけど(中略) 昔だったら好きになったかもしれないビジュアルの人がいたとしても、今は好きにならない」

そんな野島伸司のお相手は23歳年下の一般女性。当時のスポーツ紙では、女性の知人がお相手をこう評している。

「佐々木希ちゃんをもっと小顔にして細くした、160cmくらいのスラッとしたかわいい子ですよ」
圧倒的スペックのビジュアルを誇る美人のようだが、本当に相性重視なのだろうか……?

2人の破局の原因は「結婚観の相違」「野島の女癖の悪さ」などがささやかれているが、筆者的には後者のような気がしてならない。
「野島伸司の人生」というドラマでは、のりピーとの交際もほんの1話の出来事に過ぎなかったのかも知れない。不幸を煮詰めたような脚本で、バッドエンドを得意とする野島伸司。自身の人生はハッピーエンドを描くようである。
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/830.html#c3

[近代史7] 酒井法子 名唱集 中川隆
7. 中川隆[-14306] koaQ7Jey 2022年1月05日 20:14:55 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[16]

“主演女優キラー”野島伸司と酒井法子の交際 結婚目前だった過去
バーグマン田形バーグマン田形
2016年6月10日
https://www.excite.co.jp/news/article/E1465374004375/

一世を風靡した野島伸司脚本ドラマも、時代の流れには逆らえないのだろうか?
フジテレビ系『OUR HOUSE』の視聴率が伸び悩んでいる。裏のTBS系『99.9 ー刑事専門弁護士ー』が強すぎるとはいえ、6月5日放送の第8話の視聴率が3.9%。平均でも4.7%と低空飛行状態だ。

思えば、90年代の野島伸司ドラマは凄かった。どれもが社会現象となるほどにヒットを飛ばしていたのだから。しかも、主演女優を次々射止めるモテ男ぶり。
中でも酒井法子と交際していたことが印象深い。1993年11月には交際の様子が写真週刊誌にすっぱ抜かれ、それに対して酒井法子が記者会見を開いたこともあった。

のりピーファンの野島伸司が自身脚本のドラマを通じて接近!?

当時の野島伸司は『101回目のプロポーズ』『愛という名のもとに』『高校教師』と、手掛けたドラマが軒並み大ヒット。“業界一数字が取れる男”として、超売れっ子脚本家の階段を駆け上がっていた時期に当たる。

一方の酒井法子はアイドル活動が伸び悩み、台湾や香港などアジア圏での活動に力を入れていたが、野島脚本の『ひとつ屋根の下』出演により再ブレイクを果たしていた時期となる。野島伸司との出会いで、運命が大きく好転したのだ。
そもそも、野島伸司は酒井法子のファンで、『ひとつ屋根の下』は執筆当初から彼女をイメージして書いたといわれている。撮影現場にも足繁く通っていたようで、ドラマの打ち上げから交際が始まっていたそうだ。

野島伸司と酒井法子、結婚目前と報じられながらも破局

交際発覚の記者会見では、酒井法子は「尊敬できる人。胸を張ってお付き合いするにふさわしい方です」と、笑顔で断言。
これを受け、「結婚目前」「婚前旅行」などの見出しがスポーツ紙や週刊誌を何度も飾り続ける。当時はこのままゴールインするのではという見方が多かったのだが……。
結局、それから4年後の1997年秋には同棲解消が報じられる形で、関係に終止符が打たれている。

“主演女優キラー”が射止めたのは佐々木希似の美女!?

酒井法子が結婚したのは翌98年末。果たして「胸を張ってお付き合いするにふさわしい方」だったのだろうか……?

一方、野島伸司は自身が脚本を務めた『高校教師』『人間・失格』『未成年』に出演した桜井幸子や、企画を担当した『仔犬のワルツ』の安倍なつみらと浮名を流し、“主演女優キラー”と呼ばれながらも、2012年4月に結婚をしている。
ちなみに、2007年のTBS系ドラマ『ラブシャッフル』の公式インタビューで、野島伸司は自身の恋愛感をこう答えている。
「最近、僕自身が歳をとったせいかもしれないけど“愛より相性が大事”と感じるようになったんです。若いときはアドレナリンが強くて“好きだから相性なんて関係ない”と思っていたんですけど(中略) 昔だったら好きになったかもしれないビジュアルの人がいたとしても、今は好きにならない」

そんな野島伸司のお相手は23歳年下の一般女性。当時のスポーツ紙では、女性の知人がお相手をこう評している。

「佐々木希ちゃんをもっと小顔にして細くした、160cmくらいのスラッとしたかわいい子ですよ」
圧倒的スペックのビジュアルを誇る美人のようだが、本当に相性重視なのだろうか……?

2人の破局の原因は「結婚観の相違」「野島の女癖の悪さ」などがささやかれているが、筆者的には後者のような気がしてならない。
「野島伸司の人生」というドラマでは、のりピーとの交際もほんの1話の出来事に過ぎなかったのかも知れない。不幸を煮詰めたような脚本で、バッドエンドを得意とする野島伸司。自身の人生はハッピーエンドを描くようである。
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/836.html#c7

[近代史4] 野島 伸司(1963年3月4日 - ) 中川隆
14. 中川隆[-14305] koaQ7Jey 2022年1月05日 20:18:58 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[17]
酒井法子研究ノート---「野島伸司」の罪と罰
2018-08-04
https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html

「野島伸司」といえば「星の金貨」を覚えている人は多いと思われる。

酒井法子は、その演技を絶賛された。

彼女の出世作ともいえる作品だ。

報知新聞記事 2001/2/26より。
今回の新バージョン(※新・星の金貨)ではキャスティングを一新。「101回目のプロポーズ」「高校教師」など多数のヒット作品を手がけた野島氏がシリーズ第1作以来の監修を手がけることまではスムーズに決定。だが、主演だけは思いのほか難航した。

何故だったのか。それは、出演オファーを受けた酒井法子が拒否したせいだった。

当時、公私ともに彼女のマネジメントは、サンミュージックの溝口伸郎取締役製作部長が見ていた。

溝口伸郎マネージャーは、デビュー以来酒井法子の担当であった。それは、彼女の将来性に賭けていた

サンミュージック相澤前会長の悲願でもあったらしい。

溝口伸郎氏は、「岡田有希子」を衝撃的な自殺で失っていた。

彼は、マネージャーとして同様の失敗はしたくなかった。だから、「野島伸司」が、酒井法子にぞっこんだったことに危機感を募らせていた。一般に報道されなかったが、ふたりは半同棲だったという。

酒井法子は、松田聖子と同じ福岡県出身だ。デビュー時の彼女と聖子ちゃんとは雰囲気がよく似ていた。

明るくてお茶目で天真爛漫、(それが彼女の演技であったにせよ)愛らしい姿に多くのファンが夢中になった。

その公私ともに酒井法子をサポートしていたのが、溝口伸郎氏であった。

溝口伸郎マネージャーは、岡田有希子と同じ轍を踏みたくなかった。

だが、その彼の前にに突如として現れた"悪魔"が、「野島伸司」という当代一のドラマ原作者なのである。

彼は、溝口取締役に「酒井法子」を番組に出せ、と激しく迫ったという。

サンミュージックの製作部長としては、彼の申し出を蹴るわけにはいかなかった。

だが、酒井法子は、そのときには、高相祐一の子供を妊娠していた。

だが、この時「野島伸司」は、溝口伸郎氏に、酒井法子との復縁を迫ったという。

溝口伸郎製作部長が、事務所で自殺するのはその翌日である。

https://ameblo.jp/earlybird908-blog/entry-12395612784.html


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“主演女優キラー”野島伸司と酒井法子の交際 結婚目前だった過去
バーグマン田形バーグマン田形
2016年6月10日
https://www.excite.co.jp/news/article/E1465374004375/

一世を風靡した野島伸司脚本ドラマも、時代の流れには逆らえないのだろうか?
フジテレビ系『OUR HOUSE』の視聴率が伸び悩んでいる。裏のTBS系『99.9 ー刑事専門弁護士ー』が強すぎるとはいえ、6月5日放送の第8話の視聴率が3.9%。平均でも4.7%と低空飛行状態だ。

思えば、90年代の野島伸司ドラマは凄かった。どれもが社会現象となるほどにヒットを飛ばしていたのだから。しかも、主演女優を次々射止めるモテ男ぶり。
中でも酒井法子と交際していたことが印象深い。1993年11月には交際の様子が写真週刊誌にすっぱ抜かれ、それに対して酒井法子が記者会見を開いたこともあった。

のりピーファンの野島伸司が自身脚本のドラマを通じて接近!?

当時の野島伸司は『101回目のプロポーズ』『愛という名のもとに』『高校教師』と、手掛けたドラマが軒並み大ヒット。“業界一数字が取れる男”として、超売れっ子脚本家の階段を駆け上がっていた時期に当たる。

一方の酒井法子はアイドル活動が伸び悩み、台湾や香港などアジア圏での活動に力を入れていたが、野島脚本の『ひとつ屋根の下』出演により再ブレイクを果たしていた時期となる。野島伸司との出会いで、運命が大きく好転したのだ。
そもそも、野島伸司は酒井法子のファンで、『ひとつ屋根の下』は執筆当初から彼女をイメージして書いたといわれている。撮影現場にも足繁く通っていたようで、ドラマの打ち上げから交際が始まっていたそうだ。

野島伸司と酒井法子、結婚目前と報じられながらも破局

交際発覚の記者会見では、酒井法子は「尊敬できる人。胸を張ってお付き合いするにふさわしい方です」と、笑顔で断言。
これを受け、「結婚目前」「婚前旅行」などの見出しがスポーツ紙や週刊誌を何度も飾り続ける。当時はこのままゴールインするのではという見方が多かったのだが……。
結局、それから4年後の1997年秋には同棲解消が報じられる形で、関係に終止符が打たれている。

“主演女優キラー”が射止めたのは佐々木希似の美女!?

酒井法子が結婚したのは翌98年末。果たして「胸を張ってお付き合いするにふさわしい方」だったのだろうか……?

一方、野島伸司は自身が脚本を務めた『高校教師』『人間・失格』『未成年』に出演した桜井幸子や、企画を担当した『仔犬のワルツ』の安倍なつみらと浮名を流し、“主演女優キラー”と呼ばれながらも、2012年4月に結婚をしている。
ちなみに、2007年のTBS系ドラマ『ラブシャッフル』の公式インタビューで、野島伸司は自身の恋愛感をこう答えている。
「最近、僕自身が歳をとったせいかもしれないけど“愛より相性が大事”と感じるようになったんです。若いときはアドレナリンが強くて“好きだから相性なんて関係ない”と思っていたんですけど(中略) 昔だったら好きになったかもしれないビジュアルの人がいたとしても、今は好きにならない」

そんな野島伸司のお相手は23歳年下の一般女性。当時のスポーツ紙では、女性の知人がお相手をこう評している。

「佐々木希ちゃんをもっと小顔にして細くした、160cmくらいのスラッとしたかわいい子ですよ」
圧倒的スペックのビジュアルを誇る美人のようだが、本当に相性重視なのだろうか……?

2人の破局の原因は「結婚観の相違」「野島の女癖の悪さ」などがささやかれているが、筆者的には後者のような気がしてならない。
「野島伸司の人生」というドラマでは、のりピーとの交際もほんの1話の出来事に過ぎなかったのかも知れない。不幸を煮詰めたような脚本で、バッドエンドを得意とする野島伸司。自身の人生はハッピーエンドを描くようである。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/998.html#c14

[近代史5] アメリカの食料戦略 中川隆
10. 2022年1月05日 21:32:45 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[18]
「占領政策」「コメ危機」「学校給食」の連鎖 東京大学大学院教授・鈴木宣弘
2022年1月5日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/22449


戦後の占領政策から始まったコメ攻撃

 そもそも、コメへの攻撃は戦後の米国による占領政策から始まっていた。「食料自給率はなぜ下がったか」についてよく言われる「誤解」がある。「日本の農地と農業生産力は限られているのに、食生活の変化に伴う食料需要が増大したため、対応しきれなくなった。原因は食生活の変化だから仕方ない」というもの。これは一面の事実だが、鎖国の江戸時代が当然ながら自給率100%だったことを想起すれば、大きな要因は政策だとわかる。

 米国の要請で貿易自由化を進め、輸入に頼り、日本農業を弱体化させてしまう政策を採ったからである。しかも米国は日本人の食生活を米国農産物「依存症」に誘導・改変した。日本の戦後の食料難と米国の余剰穀物処理への対処として、早い段階で実質的に関税撤廃された大豆、とうもろこし(飼料用)、輸入数量割当制は形式的に残しつつも大量の輸入を受け入れた小麦などの品目では、輸入急増と国内生産の減少が加速し、自給率の低下が進んだ。小麦、大豆、とうもろこし生産の激減と輸入依存度が85%、94%、100%に達する事態となった。

 故宇沢弘文教授は友人から聞いた話として、米国の日本占領政策の二本柱は、@米国車を買わせる、A日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる、ことだったと述懐している。

日本の子供たちの食生活「改変」計画

 このためには、コメの代わりに小麦を食べ、肉消費も増やして、飼料穀物需要を増やす必要があった。これを牽引した米国の戦略の一つが学校給食を「突破口」にした日本人の食生活「改善」だった。

 学者も動員された。「コメ食低脳論」を説いた某大医学部教授の超ベストセラー『頭脳』には「せめて子供の主食だけはパンにした方がよい。大人はもう運命とあきらめよう。しかし、子供たちの将来だけは、私どもと違って、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのが本当である」(一部要約)と書かれていた。

 これほど短期間で伝統的食生活が一変した民族は世界史上でもほとんど例がないそうである。我が国の農業・農政の凋落、食料自給率の低落が始まるのも、この時期と一致していると独立行政法人農業環境技術研究所『農業と環境』106(2009年2月1日)は述懐している。
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/106/mgzn10605.html

放置される未曾有のコメ危機

 その延長線上に2021年のコメ危機もある。需要減がコロナ禍で増幅され、コメ在庫が膨れ上がり、1万円を下回る低米価が現実になってしまった。どんなに頑張ってもコメの生産コストは1万円以上かかる。このままでは、中小の家族経営どころか、専業的な大規模稲作経営も潰れる。

 コメは余っているのでなく実は足りていない。潜在需要はあるのに買えないという「コロナ困窮」で20万d以上の在庫が積み増された。コメや食料を「一日一食」しか食べられない人が増えているからだ。今必要なのは、食べられなくなった人達に政府が農家からコメを買って届ける人道支援だ。苦しむ国民を救えば、在庫が減り、価格も戻り、苦しむ農家も救われるが放置されている。

 政府は「コメを備蓄用以上買わないと決めたのだから断固できない」と意固地に拒否して、フードバンクや子ども食堂などを通じた人道支援のための政府買入れさえしない。「総理が15万dの人道支援を表明」との報道があったが、15万dのコメを全農などが長期保管した場合の保管料の支援で、子ども食堂などに提供されるのは2年後とかの古古米になる。誰が見ても現状に対する人道支援ではない。コロナで失われたコメ需要の回復による米価安定化措置でもない。

 これが現行法解釈でできる限界と財務省は言うが、血の通った人間には理解しがたい。本来、国民を救うためにあるはずの法や制度が、法や制度の狭い解釈に縛られて、本来の目的に即した解釈ができず、いざというときに国民を救うどころか苦しめる冷酷な政治・行政の姿が日本では目に余る。


稲刈り後の脱穀作業 (2021年、 下関市)

 そもそもコロナ禍の前から、コメや食料は足りていない。年間所得127万円未満の世帯の割合(相対的貧困率)が15・4%で米国に次いで先進国最悪水準だ。年間所得300万円未満の世帯は約5割である。先進国で唯一、20年以上も実質賃金が下がり続けているから、食料需要も減退しているのだ。世界には飢餓人口が10億人規模だ。国産飼料もまったく足りていない。

 日本がコメや生乳を減産している場合ではない。日本にはコメも酪農も生産力がある。縮小均衡でなく増産して国内外への人道支援も含めた需要創出で消費者も農家も共にハッピーな前向きな解決策が必要である。減産・生産抑制は農家の意欲を削いでしまう。消費者を守れば生産者が守られる。生産者を守れば消費者が守られる。世界を守れば日本が守られる。

対米従属が日本の選択肢を制約する

 しかし、ここにも、占領政策の呪縛がある。日本政府関係者は「援助」という言葉を口にするのを怖がっている。「米国の市場を奪う」と逆鱗に触れると自分が葬られるからである。

 一方、他国なら輸入量を調整できるのに、毎年77万dの枠を必ず消化する義務があるとして輸入は続けている。酪農も、なぜ乳製品輸入を減らさないのか。コメの77万d、乳製品の13・7万d(生乳換算)の輸入も他国なら調整できるのに米国との密約でできない。

 1993年ガットのウルグアイ・ラウンド(UR)合意の「関税化」と併せて、輸入量が消費量の3%に達していない国(カナダも米国もEUも乳製品)は、消費量の3%をミニマム・アクセスとして設定して、それを5%まで増やす約束をしたが、実際には、せいぜい2%程度しか輸入されていない。

 ミニマム・アクセスは日本が言うような「最低輸入義務」でなく、アクセス機会を開いておくことであり、需要がなければ入れなくてもよいのである。欧米諸国にとって、乳製品は外国に依存してはいけないのだから、無理して、それを満たす国はない。かたや、日本は、すでに消費量の3%をはるかに超える輸入があったので、その輸入量を13・7万d(生乳換算)のカレント・アクセスとして設定して、毎年、忠実に満たし続けている、唯一の「超優等生」である。

 コメについても同じで、日本が、本来、義務ではないのに、毎年77万dの枠を必ず消化して輸入しているのは、米国との密約で「日本は必ず枠を満たすこと、かつ、その約半分の36万は米国から買うこと」を命令されているからである。文書に残すと国際法違反になるので文書はないが関係者の間では常識である。

 これは「陰謀論」ではなく、陰謀そのものである。物事を表面的に言われていることで理解してはならず、その裏には陰謀が蠢いて動かされている。その陰謀こそが真実であり、それを知ることが物事の本質を知ることにつながる。

またしても子供たちがターゲットに

 そして、パン食を学校給食でねじ込もうとしたあのときから60年以上を経た今、こんどは、ゲノム編集トマトについても子供たちをターゲットにした「啓蒙普及」が開始されている。予期せぬ遺伝子損傷(染色体破砕)が学会誌で報告され、少なくとも従来の遺伝子組み換えと同等の審査と表示を課す方針の国もある中、我が国では「届出のみ、表示もなし」で流通され始めた。このトマトは某大学が税金も使用して開発して、その成果が企業に「払下げ」られたものである。

 しかも、消費者の不安を和らげ、スムーズに受け入れてもらう (public acceptance)のため、販売企業はそのトマト苗をまず家庭菜園に4000件配布したのち、2022年から障がい児福祉施設、2023年から小学校に無償配布して育ててもらい、普及させるという。この子供たちを突破口とする食戦略を“Business Model”として国際セミナーで発表している。ゲノムトマトが普及した暁には特許料が米国のグローバル種子・農薬企業に入る(印鑰智哉氏)。

 我々の税金も投入されて開発されたゲノム編集作物が子供たちから浸透され、その利益は最終的に米国企業に還元される。「占領政策」は少し形を変えてはいるが、同じように続いている。

子どもたちを守る〜世界一洗脳され易い国民からの脱却

 戦後の米国の「占領政策」は子供たちをターゲットに進められ、今も、ゲノム編集の浸透という新たな形で、「総仕上げ」とも言える段階に来ている。世界一洗脳されやすい国民ではいけない。ここから逆に示唆されることは、私たちも、学校給食から日本の本来の姿を取り戻し、それを守ることである。

 すなわち、地元の安全・安心な農産物を学校給食などを通じてしっかり提供する活動・政策を強化することで、まず子供たちの健康を守ることが不可欠だということである。

 そして、国家戦略としても、欧米と同等に、もっとまとまった食料安全保障予算を確立しなくてはならない。まず、小中学校の給食を無償化するには、筆者の試算では、日本全体で約5000億円の財源が必要である。また、かりに、コメ一俵1・2万円と9000円との差額を主食米700万dに補填するとしたら3500億円かかる。米国からのF35戦闘機だけで6・6兆円(147機)の武器購入に比べれば、安い安全保障費ではないか。食料にこそ、もっと安全保障予算を配分すべきである。

 財務省によりガチガチに枠をはめられ、毎年わずかしか文科省や農水省予算を変更できない日本の予算システムの欠陥を抜本的に改め、食料を含めた大枠の安全保障予算を再編し、防衛予算から農業予算へのシフトを含めて、食料安全保障確立助成金を創設すべきではなかろうか。いざというときに子供たちを守る安全な食料がなくなってオスプレイやF35をかじることはできない。米国に対して独立国たる姿勢を示しつつ、政策を転換する正念場である。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/22449
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/433.html#c10

[近代史5] アメリカの食料戦略 中川隆
11. 2022年1月05日 21:33:50 : gLuUc59d7w : QmNPWm0wd2JUZEU=[19]
「ゲノム編集食品」に壊される日本の未来 ―多国籍企業の支配から食と農を守るたたかい 民間稲作研究所理事・印鑰智哉
2022年1月5日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/22458


 1996年に始まった遺伝子組み換え作物の拡大が壁にぶつかった。その原因は複数にわたるが、市民が遺伝子組み換え食品を拒絶したことが大きい。遺伝子組み換え企業は再編を余儀なくされ、世界の6大遺伝子組み換え企業は4社に再編成された。そして、この行き詰まりを打開する技術として彼らが希望を託すのが、ゲノム編集食品である。

ゲノム編集食品は新たな遺伝子組み換え

 このゲノム編集食品とは細菌由来の遺伝子CRISPR-Cas9(クリスパーキャスナイン)などを使って、生物が持つ特定の遺伝子を破壊することでその本来の性質を変えたものだ。たとえば成長のブレーキをかける遺伝子を破壊することで収穫量の多い小麦やGABA成分の生成に抑制をかける遺伝子を破壊することでGABA成分の多いトマトが作れる、という。

 ただ、従来の遺伝子組み換え食品と異なるのは、従来の遺伝子組み換えの場合は挿入した遺伝子をずっと生かすことを前提にするのに対して、ゲノム編集では遺伝子を破壊した後は挿入した遺伝子が不要になるということだ。遺伝子を破壊した後に、ゲノム編集をしていないものと戻し交配することで作られた新たな世代から挿入した遺伝子が含まれないものを選ぶことで、外来の遺伝子を入れていない状態になるというのだが、遺伝子操作していることに変わりはない。実際に挿入した外来遺伝子がゲノム編集食品に含まれていないという保証はない。

 しかし、このゲノム編集は外来の遺伝子を入れていないから遺伝子組み換えではないとして、これまで遺伝子組み換え食品に課してきた申請→審査→承認というプロセスを外し、食品表示すら不要で流通させることを米国政府に認めさせることに遺伝子組み換え企業は成功した。そしてこの政策はそのまま日本政府が呑み込むことになる。

従来の遺伝子組み換え食品にはないリスク

 問題はそれに留まらない。ゲノム編集食品には従来の遺伝子組み換え食品には存在していなかったリスクがあることがわかってきている。

 ゲノム編集では特定の遺伝子を破壊しようとするわけだが、狙った遺伝子と似た配列の遺伝子も破壊してしまうオフターゲットの問題が以前から指摘されてきた。もっとも、現在焦点となっているのはこのオフターゲットの問題ではない。狙い通りの遺伝子を破壊できた場合、つまりオンターゲットのケースなのだ。

 想定通りの遺伝子が破壊できたにも関わらず、その後、破壊したところに想定されていない遺伝子が入り込んだり、想定通りに破壊されたにも関わらず、想定していなかったタンパク質が生成されるケースや、さらに大規模な遺伝子損傷が起きるケースがすでに報告されていたが、今年の七月には遺伝子を包み込む染色体が破砕されてしまったとする論文が科学雑誌Natureに掲載され、米国政府機関のサイトにも掲載された。これはゲノム編集固有の問題であり、現在の技術では解決が困難であると考えられる。この発表を受けて、ゲノム編集セラピー企業の株価は暴落した。ゲノム編集が医療や食などに応用する上で大きな欠陥を持っていることがはっきりしてきたのだ。

低迷するゲノム編集食品市場、突出する日本

 実際に鳴り物入りで米国で始まったゲノム編集大豆を作り出したカリックス社の株価は栽培開始前の一桁低い額に低迷しており、ゲノム編集食品は歓迎されていない。2021年9月には英国首相がゲノム編集解禁を宣言したが、スコットランドなどは追従せず、また英国市民も圧倒的にゲノム編集食品への反対を表明したため、農民組合も慎重姿勢に転換した。ゲノム編集食品の解禁に市場は厳しい判断をしている。


日本政府が届出を受理したゲノム編集食品のトマト、マダイ、トラフグ

 にも関わらず、日本政府はゲノム編集を日本の今後の新品種開発の主軸に据えている。昨年、サナテックシード株式会社が提出したゲノム編集トマトの届け出の受理を皮切りに今年はマダイ、トラフグの届け出も受理した。戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、さらにはみどりの食料システム戦略でゲノム編集による新品種開発を今後の日本の知財戦略の中軸に位置づけ、予算を投入して推進している。現在、世界で流通可能とされたゲノム編集生物の四つのうち、三つが日本という事実からも日本の突出ぶりがわかるだろう。ゲノム編集の魚を認めているのは世界で日本だけである(英国はゲノム編集畜産物は規制緩和していない)。

 この3品種だけでなく、すでにゲノム編集ジャガイモは9月に2回目の野外栽培実験が始まっており、11月には茨城県と岡山県でゲノム編集小麦の栽培実験も始まっている。日本では次から次へとゲノム編集食品が出てくる可能性がある。

狙われるのは子どもたち

 遺伝子組み換え企業は食品表示義務化によって消費者に選択の権利を与えてしまったことが第一世代の遺伝子組み換え作物の普及を妨げた原因と総括しており、第二世代の遺伝子操作生物のゲノム編集食品では一切表示させない政策のために強いロビー活動を行い、米国や日本などでその政策を勝ち取ったが、ゲノム編集食品に対しては日本でも市民の中に拒否感は少なからずある。この拒否感を彼らはどうやって克服しようとしているのであろうか? そこで狙われるのは子どもたちである。

 ゲノム編集トマトを開発したサナテックシード株式会社とその販売を手掛けるパイオニアエコサイエンス株式会社は今年、家庭菜園を営む市民4000人にゲノム編集されたトマトの苗を無償で配布した。まずは家庭菜園をやっている人たちを取り込み、ゲノム編集作物への抵抗感をなくさせることが目的だろう。これを2022年からはデイケア福祉施設に拡げ、さらには2023年からは全国の小学校に無償で配布するとしている。

 子どもたちはトマトの苗を喜んで育て、実を付ければそれを食べるだろう。子どもたちはゲノム編集に対する抵抗がなくなっていく、子どもが変われば親も変わる、親が変われば市場も変えていける、ということだろう。

 同時に日本政府の予算で、民間企業がゲノム編集の教材を作り、中学校などに提供している。あたかもゲノム編集こそ未来の技術であると思った子どもたちはそれを自分の生涯の仕事として選んでしまうかもしれない。かつて原発は未来の明るいエネルギーという標語の下、原発技術に人生を賭けた人たちもいただろう。でも、その人たちの人生がどうなったか。同じ過ちが繰り返されようとしている。

新たな「原発村」

 今後、さらに警戒すべきなのが、新たな原発村ならぬゲノム編集村が作られようとしていることだ。福島県は南相馬市にゲノム編集生物工場や研究施設を作る計画を国からの支援を受けて進めようとしている。遺伝子操作によってバイオハザードが起こされる危険は存在している。そのような危険も考慮なしに福島県知事はゴーサインを出している。原発事故の後にゲノム編集生物工場というシナリオにはあまりに理不尽なものを感じざるをえない。

 今、福島県以外でも日本各地の地方自治体でゲノム編集推進に関わる動きが活発化している。新潟県はゲノム編集によるユリの品種改良をすでに進めており、福岡県は福岡県バイオイノベーションセンターを作り、バイオテクノロジー企業の誘致を進めている。

遺伝子操作では未来は作れない

 ゲノムの中に遺伝子の占める割合は2%にも満たないと言われる。生物は限られた遺伝子だけでなく、エピジェネティクスとして知られる遺伝子によらない微細で複雑な調整機構をも通じて、環境への対応を行っていることがわかってきている。わずかの数の遺伝子を操作することで望む結果を得ようというのはあまりに無謀な短絡した考えである。

 実際、これまで成功してきた遺伝子操作とは農薬に耐性のある遺伝子組み換え作物と殺虫成分を作り出す遺伝子組み換え作物という単純な性質を作り出すものに限られている(どちらも耐性雑草、耐性害虫の出現によってほぼ意味がなくなっている)。

 バイオテクノロジー推進論者は遺伝子操作技術によって気候変動に強い品種も作れると主張しているが、その成果は惨憺たるものに終わっている。従来の品種改良技術で作られた品種にはるかに劣るものしかできず、生産は広がっていない。残念ながら、遺伝子の一つや二つを操作しても、本当に私たちが必要とする品種を作り出すことはできない。遺伝の精緻な機構は単純な遺伝子操作では改良などできず、むしろ遺伝子操作によって貴重な機構が破壊されてしまう。遺伝子操作技術では未来は作れない。

多国籍企業による支配と失われる地域の種苗

 遺伝子操作技術はさらなる独占をもたらす。ゲノム編集は安くて誰もが使えるという宣伝がなされているが、それは研究レベルに留まり、実際に商品化する際には莫大な特許料の負担が必要となる(億の単位の特許料が必要となるとする指摘もある)。多額の特許料を払える種苗企業は世界中で種苗を売る多国籍企業に限られる。つまり、ゲノム編集種苗を作ったとしても、それを商業流通させるためには多国籍企業の力なしに実現できない。

 日本でのゲノム編集トマトの流通の背景には米国遺伝子組み換え企業であるコルテバとの関係が想定される。そして莫大な特許料が遺伝子組み換え企業に吸い込まれていくことだろう。現在、流通可能にされたゲノム編集食品(トマト、マダイ、トラフグ)はみな国の戦略的イノベーション創造プログラムの下で税金をつぎ込んで開発された。その販売を担うのはスタートアップ企業が行うが、それを支えている勢力はまだ解明されていない。

 今後、農研機構が作っているゲノム編集小麦が出される時には各都道府県の農業試験場がその種子を作って、それを民間企業の手を通じて販売されることになるだろう。農業競争力強化支援法の下で、各都道府県の知見は民間企業のために使われることが求められている。このままでは公的種苗事業の究極の民営化が実現してしまう。

 今、日本の種苗は空前の危機の中にある。地域農業を工業的発展の犠牲とする政策が続いた結果、農業従事者は急激に減少している。そのような中で、日本の中で種苗を作れない国になりつつある。野菜の種苗はすでに九割が海外生産。米は国内生産だが、作られる新品種の数は劇的に減りつつある。かつて、日本は世界第2位を占める新品種開発国だった。しかし、ここ10年その地位は下がり続けている【グラフ1】。上位の国は毎年、新品種を作る能力を上げているにも関わらず、日本だけ急減させており、ここ10年で半減している。中でも危機的な状況にあるのが地方自治体による公的種苗事業であり、2007年から2020年までの13年間の間に36%へと激減している【グラフ2】。

 これまで世界に誇る品種改良を行ってきたのが地方自治体による公的種苗事業であった。コシヒカリもササニシキも地方自治体の農業試験場が作り上げたものだ。しかし、この間、予算は削られ、新規の人材は登用されず、新品種を作り出すことができない地方自治体が増えている。この状況の上に、政府が進めるゲノム編集を使った種苗開発が推進されるとしたら何が引き起こされるであろうか? 世界に誇る日本の育種技術がこのゲノム編集技術という金食い虫に食い破られてしまうことが危惧される。

最初から破綻したシナリオ

 日本は役に立たない原発技術に国力を傾けた。世界のトップを誇っていた再生可能エネルギー技術はこの政策によって世界の周回遅れになってしまった。そして私たちは原発技術がもたらした汚染と債務に苦しめられる。そして、またゲノム編集という名の新たな高価で役に立たない錬金術が推進されようとしている。もし、この政策推進をそのまま許したら、50年後の日本はどうなっているだろうか? 生存に必要な種苗を自ら作ることができない、グローバル企業が作る種苗に依存する植民地に変わってしまっているかもしれない。

 原発村以上にこのゲノム編集村には地域への恩恵は少なくなりそうだ。作られる生物は高額な特許料の支払いを考えると、グローバルな流通を実現しない限り、元が取れない。この技術は郷土の特産品に活用できる技術ではないのだ。そのような産物で儲けられるのはごく少数の多国籍企業だけであり、地域にはほとんど還元されない。

危機への解決策としての有機農業

 現在、世界が直面する気候危機、生物絶滅危機、そして人びとの健康危機、さらに地域社会の衰退に対して、そのすべてに解決策となるものこそ小農を基盤とする有機農業・アグロエコロジーである。グローバルな食のシステムに従属した農業に対して、アグロエコロジーに基づく農業は生産に携わる農家自身が得られる利益が増えるだけでなく、地域経済に還元される割合も最も大きくなる。これは農家が激減し、地域が疲弊する中、農家と地域を守る上でも不可欠な力を得られる方法でもある。

 すでにこの二〇年間で世界の有機農家の数は15倍以上に拡大している。そしてその中心はアジア、アフリカであり、この2つの地域で世界の八割近くを占めている。この急激な動きは世界レベルで進んでいるが、日本は長くその蚊帳の外であった。日本は有機農業のパイオニアの国の一つであるにも関わらず。

 しかし、ここ近年、日本でも有機農業への取り組みが始まっている。そのエンジンとして期待されるのが学校給食の有機化である。先駆となったのは愛媛県今治市であり、これに千葉県いすみ市、木更津市が続いている。有機農法の技術研修、地方自治体による経済的支援があれば、日本全国各地で取り組みが可能である。この動きに呼応して、佐渡市長や小山市長も取り組みを公言し、日本各地で急速に学校給食の有機化の動きが進もうとしている。

 一方、この有機農業の発展を脅かすのがこのゲノム編集種苗である。日本政府はゲノム編集種苗にも表示義務を課していない。そのため、知らないうちにゲノム編集種苗を育ててしまう可能性がある。当然、遺伝子操作種苗を使ったらそれは有機食品とはみなされなくなる。ゲノム編集食品はこの有機農業を危機に陥れてしまう可能性があるのだ。

OKシードプロジェクト

 ゲノム編集などの遺伝子操作されていない食をどう守れるか、そのために立ち上げられたのがOKシードプロジェクトである。日本政府はゲノム編集種苗・食品に表示義務を課していないが、一方で、ゲノム編集されていない根拠があれば種苗・食品に「ゲノム編集していない」と表示することは法的にも可能である。ゲノム編集していないタネから表示をすることで、そのタネから作られた収穫物にも、その収穫物から作られた加工食品にも、そしてレストランにも表示することが可能になることになる。

 ゲノム編集していない種苗や食品に貼るマークとしてOKシードマークが作られた。このマークを普及させることで、ゲノム編集されたものを避けることが可能になり、有機農業も守ることができる。このマークは事前申請して、登録が必要だが、無償で利用できる(マークの印刷は使用者が行う)。

 このマークを運営するプロジェクトは農家や遺伝子組み換え問題に取り組んできた団体や生協、個人の協力で立ち上がり、2021年7月20日に活動を開始した。半年未満のうちに、すでにマークの申請は100を超え、OKシードマークは北海道から沖縄まで利用が広がっている。プロジェクトは市民からの寄付で運営されるが、すでに500万円近くが寄せられ、サポーターに登録した人の数も1500人を超そうとしている。

ローカルな食のシステムを守る条例制定を!

 このOKシードマークの普及だけで地域の食が守れるわけではない。地方自治体がゲノム編集村になってしまい、地域での栽培が進んでいけば、花粉などの交雑も心配になるからだ。

 地方自治体で条例を作り、ゲノム編集生物を規制することで、種苗から消費まで地域の食のシステムを守ることも可能になる。すでにスイス、ドイツのバーデン・ビュルテンベルク州や米国カリフォルニア州メンドシーノ郡ではゲノム編集作物の栽培は禁止されている。すでに今治市や北海道などは遺伝子組み換え作物の栽培を規制する条例を持っており、そうした自治体では、遺伝子組み換え作物の定義にゲノム編集を含めることだけで、それは達成可能となる。消費者が求めていないゲノム編集作物と比べて、今、有機食品を求める声はかつてないほど高まっており、取り組みは確実な成果をもたらしていくだろう。
 それは小さな動きに見えるかもしれない。しかし、この動きは今後、急速に成長し、大きな力を発揮していくことになるだろう。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/22458
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