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[近代史4] 地球温暖化はデマだった? 中川隆
4. 2023年7月23日 09:20:14 : 5GXP7Dmk5k : TzJnV0hQLjdJL1U=[1]
<■72行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
世界で熱波、豪雨が猛威=地球温暖化が影響―異常気象「新たな日常」に
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E7%86%B1%E6%B3%A2-%E8%B1%AA%E9%9B%A8%E3%81%8C%E7%8C%9B%E5%A8%81-%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E3%81%8C%E5%BD%B1%E9%9F%BF-%E7%95%B0%E5%B8%B8%E6%B0%97%E8%B1%A1-%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E6%97%A5%E5%B8%B8-%E3%81%AB/ar-AA1edBYu?cvid=daea03e6445b4c23ae53f60dc2d12cd2&ei=14


 北米、欧州、アジアなど世界が熱波や豪雨の猛威にさらされている。命に危険が及ぶ高温が続き、山火事や記録的な水害も発生。世界気象機関(WMO)のターラス事務局長は「地球温暖化の影響で異常気象の頻度は増しており、残念ながら『新たな日常』になりつつある」と警鐘を鳴らす。

 ◇米西部で連日43度超

 米メディアによると、西部アリゾナ州フェニックスで18日、43.3度(華氏110度)を超えた日が19日連続となり、1974年の「18日連続」の最長記録を破った。
 米国では6月下旬以降、西部から南部にかけての広い地域で、熱が同じ場所にこもり続ける「ヒートドーム」と呼ばれる現象が発生。フェニックスなど各地で熱中症とみられる症状での死亡例が報じられている。

 山火事の被害も甚大だ。カナダ政府の関連団体によると、全国で現在、約900件の森林火災が起きており、うち6割は「制御不能」。煙は国境を越えてたびたび米シカゴやニューヨークに流れ込み、大気汚染を引き起こしている。


 一方、米東部では、バーモント州で今月9、10両日だけで2カ月分に相当する降雨を記録。ニューヨーク、ペンシルベニア両州などでも今月、洪水による死者が相次いだ。

 ◇欧州、過去最高更新か

 欧州では、スペインやイタリア、ギリシャなどが猛暑に見舞われている。2021年8月にイタリアのシチリア島で観測された欧州の最高気温48.8度が、近く更新される可能性もある。

 英BBC放送によると、シチリア島では18日、60代の男女が家の中で死亡しているのが見つかった。イタリアの他都市やスペイン各地でも、熱中症関連とみられる死亡例が相次いでいる。

 欧州は昨年も熱波が襲来し、医学誌に最近発表された研究によると、5月末から9月初旬にかけて6万人以上が高温の影響で亡くなった。比較的冷涼だった欧州でエアコンが普及していないことも、被害に拍車を掛けたとみられる。

海水浴客であふれるイタリア・シチリア島の海岸=16日、メッシーナ近郊(AFP時事)
海水浴客であふれるイタリア・シチリア島の海岸=16日、メッシーナ近郊(AFP時事)
© 時事通信 提供
 ギリシャではアテネ近郊などで山火事が収まらず、火の手は住宅地にも。スイス南部でも森林火災が続き、住民が避難を余儀なくされた。

 ◇中国「巨大サウナ」に

 アジアも猛烈な暑さに見舞われている。中国では北西部の新疆ウイグル自治区トルファン市で16日に52.2度を観測。気象当局によると、7月中旬としては国内最高記録となった。地表温度は80度に達し、ネット上では「巨大なサウナのようだ」といった書き込みが見られた。

 首都北京でも猛暑が続く。6月下旬には3日連続で40度を超え、屋外活動の自粛や熱中症への注意が呼び掛けられた。中国メディアによれば、北京で1951〜2022年の72年間に40度を超えたのは計6日だけだが、今年だけで既に4日に達した。


 韓国では、今月の豪雨で死者が40人を超えた。日本も今月、九州北部で記録的な大雨となり、9人が亡くなった。

 温暖化の影響を研究している英インペリアル・カレッジ・ロンドンのフリーデリケ・オットー上級講師は「温暖化により熱波の発生確率は高まり、より深刻化する。豪雨の確率も上昇する」と説明している。 
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E7%86%B1%E6%B3%A2-%E8%B1%AA%E9%9B%A8%E3%81%8C%E7%8C%9B%E5%A8%81-%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96%E3%81%8C%E5%BD%B1%E9%9F%BF-%E7%95%B0%E5%B8%B8%E6%B0%97%E8%B1%A1-%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E6%97%A5%E5%B8%B8-%E3%81%AB/ar-AA1edBYu?cvid=daea03e6445b4c23ae53f60dc2d12cd2&ei=14

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/137.html#c4

[番外地11] アイヌは縄文人の直系の子孫だから先住民で間違いないです。 琉球人の遺伝子の半分は和人なので、先住民とは言えません。 現代… 中川隆
1. 中川隆[-12430] koaQ7Jey 2023年7月23日 13:27:21 : 5GXP7Dmk5k : TzJnV0hQLjdJL1U=[2]
<■99行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アイヌは縄文人の直系の子孫だから先住民で間違いないです。
琉球人の遺伝子の半分は和人なので、先住民とは言えません。
現代日本人の遺伝子の9割は渡来系で、縄文人の遺伝子は1割しか含まないので縄文人の子孫ではありません。 現代日本人の遺伝子の1割は縄文系ですが、それは被差別同和 buraku の人が持っている遺伝子です。 つまり、日本はカースト制国家で、社会の底辺だけが縄文系です。

日本の被差別同和buraku民は縄文人の子孫、日本人はchousen無土器文化人、天皇一族は漢民族系chousen人
chousenからの渡来人が先住の縄文人をエタ地域に隔離した
同和buraku民は日本に先住していた縄文人の末裔
chousenから渡来した漢民族の天皇一族が畿内を完全に乗っ取って、被支配者の縄文人を迫害してエタ地域に隔離したのが同和burakuの起源

▲△▽▼

畿内の被差別buraku民は日本先住の縄文人の子孫
2013年12月17日 形質人類学のデータ

第1章で説明したように、エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七burakuを含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

buraku民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまったburakuは、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にあるburakuは、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸chousen型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非chousen的な形質をもつ東北・裏日本型のburakuが孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、buraku民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシがburaku民の先祖であることを明確に裏づけているのである。

▲△▽▼

日本の被差別同和buraku民は縄文人の子孫、日本人はchousen無土器文化人、天皇一族は漢民族系chousen人

小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、chousenにつらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。

このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団がchousen半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放buraku

われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放burakuもふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七burakuにわたつている。

(中略)

身長は一般に低身であるが、burakuの生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつたburakuは、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にあるburakuは、一般集団と近似し、差異は少ない。

畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、burakuはまつたく東北・裏日本型に類似している。

大陸chousen型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非chousen的な形質を持
つ東北・裏日本型のburakuが孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このようなburakuの成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)

▲△▽▼

網野善彦 『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』 岩波現代文庫

私がこの『東日本と西日本』を読んで、とくに衝撃をうけた記憶がはっきりとあるのは、小浜基次さんの論文でした。

小浜さんは大阪大学の名誉教授で、形質人類学・解剖学の専門家、1904年に生まれ、1970年に亡くなっておられます。

この文章は短いものですが、小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、
東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘しておられます。

その中で私がもっともショックを受けたのは、chousen半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びとがきわめてよく似ており、
形質上は同じであると指摘されている点です。

そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、chousen半島人と近畿人の違いに比べて、
はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。

これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、
さらに衝撃だったのは小浜さんの、被差別burakuに踏み込んだ発言でした。


▲△▽▼

日本の被差別同和buraku民は縄文人の子孫、日本人はchousen無土器文化人、天皇一族は漢民族系chousen人

埴原和郎 東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授
私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、特に畿内人は目立ってchousenの集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。

その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと
想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。

時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、
畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは
代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。

この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、
近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および
日本歴史を考えるうえできわめて重要である。
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/215.html#c1

[番外地11] アイヌは縄文人の直系の子孫だから先住民で間違いないです。 琉球人の遺伝子の半分は和人なので、先住民とは言えません。 現代… 中川隆
2. 中川隆[-12429] koaQ7Jey 2023年7月23日 13:35:15 : 5GXP7Dmk5k : TzJnV0hQLjdJL1U=[3]
<■100行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アイヌは縄文人の直系の子孫だから先住民で間違いないです。(オホーツク人の遺伝子は1割程度しか含まれない)
琉球人の遺伝子の半分は和人なので、先住民とは言えません。
現代日本人の遺伝子の9割は渡来系で、縄文人の遺伝子は1割しか含まないので縄文人の子孫ではありません。 現代日本人の遺伝子の1割は縄文系ですが、それは被差別同和 buraku の人が持っている遺伝子です。 つまり、日本はカースト制国家で、社会の底辺だけが縄文系です。

日本の被差別同和buraku民は縄文人の子孫、日本人はchousen無土器文化人、天皇一族は漢民族系chousen人
chousenからの渡来人が先住の縄文人をエタ地域に隔離した
同和buraku民は日本に先住していた縄文人の末裔
chousenから渡来した漢民族の天皇一族が畿内を完全に乗っ取って、被支配者の縄文人を迫害してエタ地域に隔離したのが同和burakuの起源

▲△▽▼

畿内の被差別buraku民は日本先住の縄文人の子孫
2013年12月17日 形質人類学のデータ

第1章で説明したように、エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七burakuを含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

buraku民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまったburakuは、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にあるburakuは、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸chousen型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非chousen的な形質をもつ東北・裏日本型のburakuが孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、buraku民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシがburaku民の先祖であることを明確に裏づけているのである。

▲△▽▼

日本の被差別同和buraku民は縄文人の子孫、日本人はchousen無土器文化人、天皇一族は漢民族系chousen人

小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、chousenにつらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。

このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団がchousen半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放buraku

われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放burakuもふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七burakuにわたつている。

(中略)

身長は一般に低身であるが、burakuの生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつたburakuは、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にあるburakuは、一般集団と近似し、差異は少ない。

畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、burakuはまつたく東北・裏日本型に類似している。

大陸chousen型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非chousen的な形質を持
つ東北・裏日本型のburakuが孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このようなburakuの成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)

▲△▽▼

網野善彦 『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』 岩波現代文庫

私がこの『東日本と西日本』を読んで、とくに衝撃をうけた記憶がはっきりとあるのは、小浜基次さんの論文でした。

小浜さんは大阪大学の名誉教授で、形質人類学・解剖学の専門家、1904年に生まれ、1970年に亡くなっておられます。

この文章は短いものですが、小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、
東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘しておられます。

その中で私がもっともショックを受けたのは、chousen半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びとがきわめてよく似ており、
形質上は同じであると指摘されている点です。

そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、chousen半島人と近畿人の違いに比べて、
はるかに大きく、東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。

これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、
さらに衝撃だったのは小浜さんの、被差別burakuに踏み込んだ発言でした。


▲△▽▼

日本の被差別同和buraku民は縄文人の子孫、日本人はchousen無土器文化人、天皇一族は漢民族系chousen人

埴原和郎 東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授
私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、特に畿内人は目立ってchousenの集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。

その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと
想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。

時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、
畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは
代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。

この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、
近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および
日本歴史を考えるうえできわめて重要である。
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/215.html#c2

[リバイバル3] 絶対に買ってはいけない アルテック VOICE OF THE THEATER A5・A7 中川隆
33. 2023年7月23日 19:09:15 : 5GXP7Dmk5k : TzJnV0hQLjdJL1U=[4]
<△23行くらい>
Date: 7月 23rd, 2023
SOUTH PACIFIC(その5)

瀬川先生の「たのしい」は、アルテックのA5のところでも登場する。
     *
瀬川 根本的に同意見なんですけれども、A4で非常にいいなと大づかみに感じた部分が、そっくりそのまま、ぜんたいに、ちょっとスケールが小さくなるのは当然で、みなさん、おそらくこの写真をごらんになると、A4をバックにしたA5がいかに小さく見えるか、逆に言えばA4というのが、いかに大きなスピーカーかということにお気づきにあると思う。
 A4でも感じた音の魅力、声がすばらしく明瞭、新鮮、なめらか、声帯がとてもなめらかという感じで、聴きなれた歌手の声でさえ、いっそう上手になったように、たのしく聴けます──このたのしい≠チていうのは、ぼくはなん度も使っちゃってるみたいだけれども、たのしさ≠ニいうのが、ここの信条でしょうね。
 なんと言うんだろう──、音を無理におさえつけない、とにかく、音のほうが鳴りたがっている、鳴りたがっている音をそっくり、きれいに出してくれるという感じですね。
     *
ステレオサウンド 60号の特集は、何度も読み返している。
アルテックのスピーカーの音も、その後、何度か聴く機会があった。

瀬川先生のいわれるたのしい≠焉Aそれなりに理解していたつもりだった。
けれど、“SOUTH PACIFIC”をMQAで聴いて、
まるで理解が足りなかったことに気づいた。
http://audiosharing.com/blog/?p=39977
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1071.html#c33

   

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