http://www.asyura2.com/acat/u/uz/uzu/UzU2M3V5Vi5WbUE=/100000.html
3. 舞岡関谷[351] lZGJqorWkko 2025年9月30日 06:56:50 : mgvhWQ5Pbc : UzU2M3V5Vi5WbUE=[1]
↑失礼。
北京の軍事パレードの記事でした。
http://www.asyura2.com/24/kokusai35/msg/772.html#c3
1. 舞岡関谷[352] lZGJqorWkko 2025年9月30日 07:26:33 : mgvhWQ5Pbc : UzU2M3V5Vi5WbUE=[2]
2025年06月01日 12時15分 共同通信
https://www.47news.jp/12628417.html
ノルウェーの博物館が返還 歴史に先住民の語りを
青い海に続く道を、小型トラックがゆっくり進む。島の伝統的な衣装をまとった人たちがウクレレやギターに合わせて歌いながら一緒に歩く。荷台にはシートに覆われたケースが置かれ、笑顔の子どもたちが囲む。
南米チリ沖の南太平洋に浮かぶイースター島。空港に到着した荷物が数キロの道のりを経て町の外れにある「ラパヌイ博物館」に到着した。ケースの一つが開けられると、緩衝材に守られた頭蓋骨が姿を見せた。
約70年前に冒険家で民族誌学者の故トール・ヘイエルダールらが発掘し、ノルウェーに持ち出した先住民ラパヌイの人骨だ。「帰ってきてくれてありがとう」。島の人々が先祖の帰還を祝う。
▽壮絶な過去
ラパヌイがたどった過去は壮絶だ。石像モアイが点在する島にオランダ人が来たのは18世紀初め。当時は3千人ほどが住んでいたとされるが、すでに起きていた部族間の争いや外国船の寄港などで社会が混乱した。
19世紀後半に島民の多くが奴隷としてペルーに連れ去られ、疫病に見舞われて一時は絶滅寸前の約110人にまで減った。チリの領土となった後、島全体が英企業に貸し出されて羊の放牧場となり、島民は小さな村に押し込まれた。現在の人口は約9千人、うち約4千人がラパヌイとされる。
一方で西欧人はユニークな文化に魅せられた。モアイなどの遺物が島から持ち出され、エキゾチックな展示品として人気になった。大英博物館や米スミソニアン自然史博物館には今もモアイがある。消えゆくラパヌイの人骨も研究のための収集対象となった。
ただ「先住民の権利を尊重する世界的な動きとともに、先祖の骨を返してほしいという要求が高まった」と話すのは、ラパヌイ博物館の学芸員ガブリエラ・アタラ・レイバ(36)。人骨や遺物を取り戻す「リパトリエーション」と呼ばれる取り組みの担当者だ。
米国やオーストラリアには返還を進める法律や政策があるが、チリにはそうした仕組みがない。「返還に応じてくれる場合もあるけど、多くは所有権を主張して返してくれない」と明かす。
▽風変わりな学者
ヘイエルダールは風変わりな学者だった。ポリネシアの人々が南米から渡ってきたとの説を信じ、「コンティキ号」と名付けたいかだでペルー沖から漂流して有名になった。実際には人々はアジアから島伝いに広がったとみられている。
その後1955年から1956年にイースター島で発掘調査した。遺物や人骨をノルウェーに持ち帰ったが、「彼は島の文化に尊敬と愛情を抱いていた。最初から返還するつもりだった」とソニア・ハオア(71)は語る。
ソニアはラパヌイ出身の考古学者の草分け。欧米で学び、ヘイエルダールの発掘に参加した。「彼の著作でラパヌイの文化が世界に広く知られた。自分と意見が合わない人も調査に招いて議論する広い心の持ち主だった」と振り返る。
今回返還されたのは頭蓋骨17個と、歯や手足の骨など数百個。オスロにある「コンティキ号博物館」が所蔵していた。ラパヌイ代表の求めで交渉を重ね、チリとノルウェー政府が合意した。2024年11月の返還式に向けて、ノルウェーから「外交貨物」と書かれた11個のケースが送られた。
ラパヌイ博物館で行われた返還式には、コンティキ号博物館の館長で孫のリブ・ヘイエルダール(56)も出席した。「とても長い時間がかかってしまった。私はこれから何度もこの島を訪れます」と語った。
みんなが見守る中、ケースの一つが開封された。標本番号が書かれた2個の頭蓋骨の周りに、ラパヌイの代表らが集まり、祖先がたどった道に思いをはせる。島の伝統に基づく儀式を行い、全てのケースが博物館の収蔵庫に運び込まれた。
「遺骨をどう埋葬するかはラパヌイの代表が話し合って決める」とガブリエラ。「世界にはたくさんの遺骨や遺物が散らばっている。いつか必ず島に迎えたい」と話す。
▽新たな窓
ラパヌイの歴史には謎が多い。先祖が島に渡ってきたのは800年以上前とみられるが、外界から隔絶され、資源が限られた小さな島で人々はどう生き延びてきたのか。
現代人への教訓じみたこんな説が有名だ。かつては1万5千人ほどが暮らしていたが、木材の過剰伐採など環境資源の浪費で人口が3千人以下に激減した―。だが最近は「そんな激しい人口減少はなかった」とする研究が相次いでいる。
一方で土地利用や構造物の痕跡などから3千人では少なすぎると考える人もいる。ソニアはデンマークの研究者と共同で、土の中の動植物のゲノム断片から、かつての生活環境を探る試みを始めた。島から若い世代の研究者を育てる取り組みも続けている。「新たな探索の窓が開かれた。ラパヌイの手で自分たちの歴史を語り直したい」
【取材メモ/人間の顔をした科学】
環境破壊でイースター島の文明が崩壊したとする説は、米科学者・作家ジャレド・ダイアモンドの著作で有名になった。これを否定する研究を英科学誌ネイチャーに発表したのがコペンハーゲン大のチーム。パリの博物館にあるラパヌイ人骨のゲノムを解析し、人口激減の痕跡がみられないことを示した。この人骨もいずれ返還される見通しという。チームは地元代表との話し合いを重ね、論文の著書にはラパヌイの研究者も名を連ねた。西欧中心に発達してきた科学に人間の顔≠取り戻す試みだとも言える。
(敬称略、文と写真は共同通信編集委員・吉村敬介、写真は共同通信契約カメラマン・セバスチャン・ヤンコビッチ・パカラティ=年齢や肩書は2025年1月8日に新聞用に出稿した当時のものです)
http://www.asyura2.com/25/holocaust8/msg/140.html#c1
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