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JPLAW SlBMQVc 全コメント
[テスト31] 日本の支配層は、負けるために、日本大衆を徹底的に疲弊させるために日米戦争に突き進んだ
本年は日米開戦75周年です。
なぜ勝てる見込みのない戦争に突入したかが問題とされ、戦後しばらくは「愚かな」軍人たちが精神論だけで突っ走った結果だったとよく説明されました。
この説は一定の説得力を持ち得ましたし、一応日本国内だけではあっても「平和」であるうちは深く考えられることは、一般人にはありませんでした。
現在、安倍自民・公明党内閣により、戦前復帰型の全体主義体制、絶対主義体制への再構築が急ピッチで進行しています。
この流れこそ日米開戦の日本支配層の真意に完全に連動したものだと言ったら、あなたは眉に唾をつけますか?

日本の支配層は、負けると思いながら日米戦争に突き進んだ
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/nihonnnosihaisouhamakerutowakaltuetita.htm
より

(1937年から戦争をしている)「中国に負けて撤退となると、“勝った、勝った” という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、“中国からの全面撤退” は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。」(大分県 宇都宮六男)

この説には、客観的物証はありません。
昭和天皇の胸の内にだけあったかもしれません。
そんなことより、これだけ見事にあの無謀な日米戦争の開戦理由を説明した言説が他にあるでしょうか?
誰が見ても負けるに決まっている戦争に突入した理由、不思議でしようがなかったこと。
そう「勝算がなければ戦争などするはずがない」という常識を根底から覆すある意味、天才的な発想。
戦前の支配層はバカではありませんでした。

第二次世界大戦により、日本人には約300〜350万人の犠牲者が出ました。
これについてももっと早期に戦争終結していれば、犠牲者はもっと少なくてすんだとよく言われます。
この点でも、「愚かな軍部」キャンペーンが奏功しています。

この日本大衆への白色テロは、革命を阻止するために初めから計画されたものだったと当方は《合理的》に推論します。
つまり、米国に「めでたく」敗戦したあと、日本大衆が元気でいれば、敗戦に怒った大衆による革命が起きて天皇制そのものが廃止されてしまい、何のために敗戦の屈辱を選択したのか意味がなくなってしまいます。
そのためには、敗戦までに日本大衆を徹底的に疲弊させておくこと、特に元気の良い青年・壮年男子は「片付けて」おくことにしたのだと推測します。
だから、米国による都市への無差別爆撃も大歓迎だったのでしょう。
東京大空襲、広島・長崎への原爆投下、この3つとも空襲警報解除後に行われたそうです。
日本人への無差別爆撃は、日米支配層の合作だったんですね、ヤレヤレ。

以上、推測です。でも、多分これが「支配層」の真意でしょう。

デイビッド・バーガミニ著「天皇の陰謀」
http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm
によると、対米敗戦から100年かけて、「神聖」な日本を再構築する計画をはじめから持っているということです。
現在の「保守」政治家は徹底的な従米で、お笑い草ですが、実は本当の保守はそこまで計算済みである可能性が高そうです、「面従腹背」ですね。
彼らの悲願が達成したとき、本気の従米派(安倍晋三など)は「売国奴」として見せしめとして粛清される可能性があると推測します。

http://www.asyura2.com/14/test31/msg/449.html

[戦争b17] 日本の支配層は、負けるために、日本大衆を徹底的に疲弊させるために日米戦争に突き進んだ
本年は日米開戦75周年です。
なぜ勝てる見込みのない戦争に突入したかが問題とされ、戦後しばらくは「愚かな」軍人たちが精神論だけで突っ走った結果だったとよく説明されました。
この説は一定の説得力を持ち得ましたし、一応日本国内だけではあっても「平和」であるうちは深く考えられることは、一般人にはありませんでした。
現在、安倍自民・公明党内閣により、戦前復帰型の全体主義体制、絶対主義体制への再構築が急ピッチで進行しています。
この流れこそ日米開戦の日本支配層の真意に完全に連動したものだと言ったら、あなたは眉に唾をつけますか?

日本の支配層は、負けると思いながら日米戦争に突き進んだ
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/nihonnnosihaisouhamakerutowakaltuetita.htm
より

(1937年から戦争をしている)「中国に負けて撤退となると、“勝った、勝った” という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、“中国からの全面撤退” は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。」(大分県 宇都宮六男)

この説には、客観的物証はありません。
昭和天皇の胸の内にだけあったかもしれません。
そんなことより、これだけ見事にあの無謀な日米戦争の開戦理由を説明した言説が他にあるでしょうか?
誰が見ても負けるに決まっている戦争に突入した理由、不思議でしようがなかったこと。
そう「勝算がなければ戦争などするはずがない」という常識を根底から覆すある意味、天才的な発想。
戦前の支配層はバカではありませんでした。

第二次世界大戦により、日本人には約300〜350万人の犠牲者が出ました。
これについてももっと早期に戦争終結していれば、犠牲者はもっと少なくてすんだとよく言われます。
この点でも、「愚かな軍部」キャンペーンが奏功しています。

この日本大衆への白色テロは、革命を阻止するために初めから計画されたものだったと当方は《合理的》に推論します。
つまり、米国に「めでたく」敗戦したあと、日本大衆が元気でいれば、敗戦に怒った大衆による革命が起きて天皇制そのものが廃止されてしまい、何のために敗戦の屈辱を選択したのか意味がなくなってしまいます。
そのためには、敗戦までに日本大衆を徹底的に疲弊させておくこと、特に元気の良い青年・壮年男子は「片付けて」おくことにしたのだと推測します。
だから、米国による都市への無差別爆撃も大歓迎だったのでしょう。
東京大空襲、広島・長崎への原爆投下、この3つとも空襲警報解除後に行われたそうです。
日本人への無差別爆撃は、日米支配層の合作だったんですね、ヤレヤレ。

以上、推測です。でも、多分これが「支配層」の真意でしょう。

デイビッド・バーガミニ著「天皇の陰謀」
http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm
によると、対米敗戦から100年かけて、「神聖」な日本を再構築する計画をはじめから持っているということです。
現在の「保守」政治家は徹底的な従米で、お笑い草ですが、実は本当の保守はそこまで計算済みである可能性が高そうです、「面従腹背」ですね。
彼らの悲願が達成したとき、本気の従米派(安倍晋三など)は「売国奴」として見せしめとして粛清される可能性があると推測します。

http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/305.html

[テスト31] 「重力波」検出装置の原理はとんだお笑いぐさ
重力波を2回も検出できたと騒いでいるので、重力波検出装置の原理を調べてみたら、腰を抜かしましたね。

重力波とは? « KAGRA 大型低温重力波望遠鏡
http://gwcenter.icrr.u-tokyo.ac.jp/plan/aboutu-gw

空間が伸び縮みしたことをその空間の光の到達時間の遅い・早いで計測するのだそうだ。
(*⌒▽⌒*)  (?_?;  (◎-◎;)

まあ簡単に言うと、学者さんはこう言っています。
1000mの距離が、1m伸びると、全体で 0.1% の伸び。
だから、光の到達時間も 0.1% 余分にかかる。
これを光干渉計で観測するんだそうだ。

お前、アタマ大丈夫か!?

歪んだ空間に沿って、光もグニャグニャ曲がって進むと言っておきながら、
空間の伸張には従わず、光の到達時間は変化してしまうんだって・・・
(*⌒▽⌒*)  (?_?;  (◎-◎;)

神のみぞ知る絶対空間から見て、1000m が 1001m になったって、我々凡人には、1000m は 1000m のままに決まっている。
光が神のものか凡人のものか知らないが、えらい学者さんが「光はグニャグニャ曲がって進む」と言っている以上、えらい学者さんは、光は我々凡人に近いと思っているんでしょう?
なら、神から見て我々の空間が伸張したって、光にとっては1000m のままで変化がなく、光の到達時間が変わる(0.1%余計に時間がかかる)はずがない!!

この意見に対して強く反論したくなるあなたは「アインシュタイン教」の信者です、おめでとう。
信教の自由です、ご自由に。

さて、この重力波検出装置には他にもツッコミどころがあります。

質量があるものが運動すると、重力波ができるんだそうです。
これもイマイチしっくりしないが、これを否定すると、この議論自体、無意味になるので、おいといて・・・。
で、この重力波、距離に応じて弱くなるそうです。書いてないけど、多分距離の二乗に反比例するんでしょう。
なら、どうして何千光年、何億光年と離れたところの天文現象を観測するの????

すぐそばの太陽は? 月は?
もっと言えば、観測装置を東海道新幹線の270km/h運転区間の線路際に置いたら?距離の問題は一挙に解決ですね。
ここは定量的に検討していない(というか、上のページではネタなし)ので、無理な理由(屁理屈? (^_^;))があるのかも知れませんが。

まあ、政治家・役人を難しい言葉で煙に巻いて、自分の食い扶持(予算)を確保する事が、学者さんの狙いでしょう。

しかし、重力波検出装置って、光干渉計を使っているんですねえ。
アインシュタインの相対性理論のきっかけは間違いなく、光干渉計でのエーテル否定の実験の影響を受けており、時代の皮肉を感じます。
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/498.html

[環境・自然・天文板6] 「重力波」検出装置の原理はとんだお笑いぐさ
重力波を2回も検出できたと騒いでいるので、重力波検出装置の原理を調べてみたら、腰を抜かしましたね。

重力波とは? « KAGRA 大型低温重力波望遠鏡
http://gwcenter.icrr.u-tokyo.ac.jp/plan/aboutu-gw

空間が伸び縮みしたことをその空間の光の到達時間の遅い・早いで計測するのだそうだ。
(*⌒▽⌒*)  (?_?;  (◎-◎;)

まあ簡単に言うと、学者さんはこう言っています。
1000mの距離が、1m伸びると、全体で 0.1% の伸び。
だから、光の到達時間も 0.1% 余分にかかる。
これを光干渉計で観測するんだそうだ。

お前、アタマ大丈夫か!?

歪んだ空間に沿って、光もグニャグニャ曲がって進むと言っておきながら、
空間の伸張には従わず、光の到達時間は変化してしまうんだって・・・
(*⌒▽⌒*)  (?_?;  (◎-◎;)

神のみぞ知る絶対空間から見て、1000m が 1001m になったって、我々凡人には、1000m は 1000m のままに決まっている。
光が神のものか凡人のものか知らないが、えらい学者さんが「光はグニャグニャ曲がって進む」と言っている以上、えらい学者さんは、光は我々凡人に近いと思っているんでしょう?
なら、神から見て我々の空間が伸張したって、光にとっては1000m のままで変化がなく、光の到達時間が変わる(0.1%余計に時間がかかる)はずがない!!

この意見に対して強く反論したくなるあなたは「アインシュタイン教」の信者です、おめでとう。
信教の自由です、ご自由に。

さて、この重力波検出装置には他にもツッコミどころがあります。

質量があるものが運動すると、重力波ができるんだそうです。
これもイマイチしっくりしないが、これを否定すると、この議論自体、無意味になるので、おいといて・・・。
で、この重力波、距離に応じて弱くなるそうです。書いてないけど、多分距離の二乗に反比例するんでしょう。
なら、どうして何千光年、何億光年と離れたところの天文現象を観測するの????

すぐそばの太陽は? 月は?
もっと言えば、観測装置を東海道新幹線の270km/h運転区間の線路際に置いたら?
距離の問題は一挙に解決ですね。
検出実験も1日に百回以上できます。
ここは定量的に検討していない(というか、上のページではネタなし)ので、無理な理由(屁理屈? (^_^;))があるのかも知れませんが。

まあ、政治家・役人を難しい言葉で煙に巻いて、自分の食い扶持(予算)を確保する事が、学者さんの狙いでしょう。

しかし、重力波検出装置って、光干渉計を使っているんですねえ。
アインシュタインの相対性理論のきっかけは間違いなく、光干渉計でのエーテル否定の実験の影響を受けており、時代の皮肉を感じます。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/355.html

[テスト31] 都知事選出口調査精査からわかる大手マスコミ世論調査なるもののインチキさ
マスコミ各社の都知事選投票所出口調査の比較グラフを作ってみました。
事実
(1) 産経と東京は公表された値がすべて同じ。
(2) 調査投票所の数が東京60、朝日180、読売240であり、奇妙に60の倍数になっている

推測できること
(時事を除いて?、)実際に調査した会社(パソナ?)は1社であり、240か所を調査した。読売は全データ購入し、朝日は3/4を購入し、東京と産経は1/4を購入した。

1投票所当たりの平均調査人数は約50人であり、一人10分かかるとして、約8時間を要することになる大調査。ということは、1投票所一人が必要であり、我々が想像するような各社の正規社員(記者)が片手間でできるような作業ではない。請負はある意味当然。

選挙システム一括請負という一般人の感覚からは遠く離れた商売をするムサシ。
そして、今回の出口調査からうかがい知れる世論調査の闇。
営利を目的とする企業では、ばれなければ違法なことでも、利益のためにやってしまうことがあります。
(あなたは身に覚えがあるでしょ?私もサラリーマン時代に経験があります。)
不正選挙の根っこは案外こんなことかも。

上記各社に出口調査の方法を問い合わせましたが、返事があったのは東京新聞だけでした。
さすが、東京新聞です、他社とは誠実さが違います(あくまで比較論ですが)。

「××××様

聞き取り調査は、複数の報道機関が合同で
業務を委託した調査会社のスタッフです。
申し訳ありませんが、会社名はお答えできません。

東京新聞読者応答室」

やはり、上記推測は、事実を指摘している可能性が高くなりました。
この調査会社がインチキ・ねつ造をすれば世論調査・出口調査などデタラメということです。
しかも、重要なことは委託した新聞社は自分のところの社員が、インチキをしたわけではないという最後の逃げ道を確保していることです。
誰も責任を取らない、取らなくても良い仕組みを営々と築き上げてきたこの日本社会はやはり破滅しかないのかと、諦念の心境にならざるを得ません。
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/541.html

[テスト31] Re: 都知事選出口調査精査からわかる大手マスコミ世論調査なるもののインチキさ
マスコミ各社の都知事選投票所出口調査の比較グラフを作ってみました。
事実
(1) 産経と東京は公表された値がすべて同じ。
(2) 調査投票所の数が東京60、朝日180、読売240であり、奇妙に60の倍数になっている

推測できること
(時事を除いて?、)実際に調査した会社(パソナ?)は1社であり、240か所を調査した。読売は全データ購入し、朝日は3/4を購入し、東京と産経は1/4を購入した。

1投票所当たりの平均調査人数は約50人であり、一人10分かかるとして、約8時間を要することになる大調査。ということは、1投票所一人が必要であり、我々が想像するような各社の正規社員(記者)が片手間でできるような作業ではない。請負はある意味当然。

選挙システム一括請負という一般人の感覚からは遠く離れた商売をするムサシ。
そして、今回の出口調査からうかがい知れる世論調査の闇。
営利を目的とする企業では、ばれなければ違法なことでも、利益のためにやってしまうことがあります。
(あなたは身に覚えがあるでしょ?私もサラリーマン時代に経験があります。)
不正選挙の根っこは案外こんなことかも。

上記各社に出口調査の方法を問い合わせましたが、返事があったのは東京新聞だけでした。
さすが、東京新聞です、他社とは誠実さが違います(あくまで比較論ですが)。

「××××様

聞き取り調査は、複数の報道機関が合同で
業務を委託した調査会社のスタッフです。
申し訳ありませんが、会社名はお答えできません。

東京新聞読者応答室」

やはり、上記推測は、事実を指摘している可能性が高くなりました。
この調査会社がインチキ・ねつ造をすれば世論調査・出口調査などデタラメということです。
しかも、重要なことは委託した新聞社は自分のところの社員が、インチキをしたわけではないという最後の逃げ道を確保していることです。
誰も責任を取らない、取らなくても良い仕組みを営々と築き上げてきたこの日本社会はやはり破滅しかないのかと、諦念の心境にならざるを得ません。  
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/542.html

[政治・選挙・NHK210] 都知事選出口調査精査からわかる大手マスコミ世論調査なるもののインチキさ
マスコミ各社の都知事選投票所出口調査の比較グラフを作ってみました。
事実
(1) 産経と東京は公表された値がすべて同じ。
(2) 調査投票所の数が東京60、朝日180、読売240であり、奇妙に60の倍数になっている

推測できること
(時事を除いて?、)実際に調査した会社(パソナ?)は1社であり、240か所を調査した。読売は全データ購入し、朝日は3/4を購入し、東京と産経は1/4を購入した。

1投票所当たりの平均調査人数は約50人であり、一人10分かかるとして、約8時間を要することになる大調査。ということは、1投票所一人が必要であり、我々が想像するような各社の正規社員(記者)が片手間でできるような作業ではない。請負はある意味当然。

選挙システム一括請負という一般人の感覚からは遠く離れた商売をするムサシ。
そして、今回の出口調査からうかがい知れる世論調査の闇。
営利を目的とする企業では、ばれなければ違法なことでも、利益のためにやってしまうことがあります。
(あなたも身に覚えがあるでしょ?私もサラリーマン時代に経験があります。)
不正選挙の根っこは案外こんなことかも。

上記各社に出口調査の方法を問い合わせましたが、返事があったのは東京新聞だけでした。
さすが、東京新聞です、他社とは誠実さが違います(あくまで比較論ですが)。

「××××様

聞き取り調査は、複数の報道機関が合同で
業務を委託した調査会社のスタッフです。
申し訳ありませんが、会社名はお答えできません。

東京新聞読者応答室」

やはり、上記推測は、事実を指摘している可能性が高くなりました。
この調査会社がインチキ・ねつ造をすれば世論調査・出口調査などデタラメということです。
しかも、重要なことは万が一不正がばれても、委託したマスコミは自分のところの社員が、インチキをしたわけではないという最後の逃げ道を確保していることです。
誰も責任を取らない、取らなくても良い仕組みを営々と築き上げてきたこの日本社会はやはり破滅しかないのかと、諦念の心境にならざるを得ません。  
http://www.asyura2.com/16/senkyo210/msg/650.html

[テスト31] 介護保険料、現役世代の驚くべき《逆》累進課金 〜 あまりにもの不平等に怒りが抑えられない
介護保険料、現役世代の驚くべき《逆》累進課金
浜松市の場合
年所得125万円の人:78000÷125万≒6.2%
年所得1000万円の人:140400÷1000万≒1.4%
年所得1億円の人:140400÷1億≒0.14%

最近、母親宛てに届いた役所からのハガキに掲載してありました。
他市町村ではここまでひどくないかもしれませんが、多分似たようなものでしょう。
貧乏人からは絞り取れるだけ絞る取るという地獄のような世界。
長年の不正選挙で過半数国会議員を確保した自公政権の政策がこれだ!

介護保険は、40才以上は強制加入であり、事実上の税金と同じです。
民間の保険なら、収入に関係なく保険料が決定されても、ある意味当然ですが、事実上の税金なら「応能負担」原則が適用されるのが当然ではないでしょうか。
少なくとも所得に対する料率は、「3%なら3%一定」が最低基準のはずだ!
ここまで金持ち優遇になっているとは今まで知りませんでした。

この例証からもわかるように、おそらく自公政権はわざと、貧乏人をより貧乏にして痛めつけ、景気もより悪くする政策を取っている。
奴らの狙いは何なのか?!
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/544.html

[医療崩壊5] 介護保険料、現役世代の驚くべき《逆》累進課金 〜 あまりにもの不平等に怒りが抑えられない
介護保険料、現役世代の驚くべき《逆》累進課金
浜松市の場合
年所得125万円の人:78000÷125万≒6.2%
年所得1000万円の人:140400÷1000万≒1.4%
年所得1億円の人:140400÷1億≒0.14%

最近、母親宛てに届いた役所からのハガキに掲載してありました。
他市町村ではここまでひどくないかもしれませんが、多分似たようなものでしょう。
貧乏人からは絞り取れるだけ絞る取るという地獄のような世界。
長年の不正選挙で過半数国会議員を確保した自公政権の政策がこれだ!

介護保険は、40才以上は強制加入であり、事実上の税金と同じです。
民間の保険なら、収入に関係なく保険料が決定されても、ある意味当然ですが、事実上の税金なら「応能負担」原則が適用されるのが当然ではないでしょうか。
少なくとも所得に対する料率は、「3%なら3%一定」が最低基準のはずだ!
ここまで金持ち優遇になっているとは今まで知りませんでした。

この例証からもわかるように、おそらく自公政権はわざと、貧乏人をより貧乏にして痛めつけ、景気もより悪くする政策を取っている。
奴らの狙いは何なのか?!
http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/257.html

[テスト31] 誘拐まで事業化していた満州憲兵隊
極悪非道、やりたい放題、軍人天国、…、1931年満州事変以降、満州を事実上占領した日本軍部、「ひどいことをしていた」との認識は一般日本人にもあるでしょうが、完全にギャング化して、誘拐まで事業としたとの記事を見つけました。以下、引用冒頭の菱刈とは、1933年8月に新しく、満州国大使および関東軍司令官に就任した菱刈隆大将のことです。
なお、引用元の一貫した主張は、1945年までのこういう軍部のやりたい放題は天皇の命令、承認、黙認の下で実行されたものであり、天皇に反逆する意志を持つ軍人など一人もいなかったということです。

http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_50_17_3.htm#kaspe
より
(引用開始)
 菱刈は満州に新趣向のたくらみを持ち込んだ。誘拐である。多くの裕福な中国商人は、その死亡か倒産が確認される前に、二度も三度も誘拐された。西洋人たちも、その他の形の身の危険を領事館に訴えたが、誘拐の頻発には対抗のしようがなかった。誘拐に実施にあたっては、憲兵は常に盗賊と見なされれる一味――中国人の誘拐には中国人のをれを、白系ロシア人には白人のそれを――を利用した。誘拐犯たちは、日本の憲兵による保護扱いを受け、身代金が支払われた場合、その1パーセントに当たる報酬すら得ていた。いくつものケースで身代金が支払われ、被害者が自宅に帰された。それでも、彼らは、日本人からの報復を恐れて、その体験談をマスコミに明かすのはまれだった。
 菱刈大将の任命からひと月も経ていない1933年8月24日、ハルピンのスパイ機関の工作員は、満州で最も金を脅し取れそうな、ヨセフ・カスペという裕福なロシア系ユダヤ人の息子を襲った。ヨセフの父は、日露戦争の後の1907年に、ハルピンにやってきていた。その宝石商は、時計修理と質屋から身を起こし、今では、東洋でもっとも富裕な宝石と銀の商人となっていた。そうした家業とともに、彼はハルピンの主なカフェとモデルヌ・ホテル、そして、北満州の映画館のほとんどを所有していた。彼の商売敵たちは、彼のその富は、ロシア革命の際、白系ロシア人貴族から押収された宝石や美術品の買取商売のゆえ、ソビエト連邦に感謝すべきだと影口をたたいた。このソビエトの盗品の密売の容疑のため、カスパは、彼のまわりに暮らす白系ロシア人からは徹底して嫌われていた。それは、ハルピンのユダヤ人社会でも同じだった。かくして反ユダヤ主義が白系ロシア文化に染み込まされ、近年、多くの白系ロシア人がアドルフ・ヒットラーの賞賛者となっていた。
 その頃、日本人もまた、フリーメースンやボルシェビイキと同じように、ユダヤ人を宣伝材料に使い始めていた。だがそれは、多くの西洋人にとって奇妙なことだった。というのは、日本人にユダヤ人と非ユダヤ人を見分けられる者はほとんどおらず、ユダヤ教徒に自ら進んで転じた者も日本中で一ダースにも満たなかったからだった。しかし、日本人の潔癖好き精神にとって、それが悪魔であるなら、馴染みの有る無しに拘わらず、大した違いはなかった。ハルピンのユダヤ人は、事実上、地位も自分を守る術を持たない人々で、神道による迫害は、キリスト教徒に負けず劣らず容赦のないものであることをやがて知ることとなった。1932年に関東軍がハルピンに侵入すると直ちに、地元のロシア・ナチ指導者の工作員で協力者を、 『ナシュ・プト』 という宣伝新聞の編集をするロジャエフスキーとの名のやくざまがいの知識人に仕立てた。
 大金持ちのカスペは、日本の政治状況の動向を察知して、自分のすべての財産を、フランス国籍の二人の息子の名義に移した。日本人の眼から見れば、それは日本人を無視する行為であり、1932年末に満州自活方針が実行に移された後、日本の統治当局は、カスペの財産を何とでも搾り取ろうと躍起になった。だが、カスペも、それに気付かない人物ではなく、彼がモデルヌ・ホテルの自室を後にする時は、必ず頑強な護衛を付けていた。
 しかし、カスペの息子の一人は、そういう用心が不足していた。1933年の夏、彼は、フランス国立高等音楽院を卒業し、コンサート経験を積むことを望む前途あるピアニストとして、ハルピンに帰国した。父親が彼のために、その機会を準備しようと東京や上海に行っている間、彼は、毎日のようにハルピンの夜を楽しみ、川端のゲイ地区や、タトスあるいはイベリア・クラブの中国人歌手、日本人ママさん、あるいは、ロシア人キャバレー女を求めて出かけて行き、その際は父親が用意した武装運転手を同行した。
 1933年8月24日、息子のセムヨン・カスペが、L. シャピロ嬢を自宅に連れて帰ろうとした時、日本の憲兵に雇われた二人の白系ロシア人ファシストがその車に乗り込み、車を町外れへと運転させて行った。そこで彼らは運転手を追払い、その女に手紙の秘密受渡し場所や電話番号を教えた後、彼女を身代金交渉の仲立ちにするために解放した。その後の彼女の陰に日向にの献身的な働きは、彼女は若いカスペを深く愛していたか、憲兵から金で操られていたかのどちらかを物語っていた。誘拐犯はセムヨンをハルピンの西、約 「55ロシアマイル」〔約60km〕 の森の隠れ家に連れて行き、そこから毎日、電話や身代金通告や最後通牒を発した。
 セムヨンの父は、要求された10万ドル〔現在価値で約5億円〕を憤然と拒絶し、本人と引き換えに1万2千ドル〔同6千万円〕を支払うと返答した。一ヶ月の交渉の後、彼には血にまみれた息子の片耳の半分が送られてきた。それでも彼は、徹底した倹約心と、脅迫に対する頑固な勇敢さから、その支払いを拒否し続けた。彼はフランスの副領事シャンボン氏とは非公式で関わりがあり、同氏の部下が手掛かりを探し始めた。さらに日本の憲兵の司令官自身は、その件に部下のすべてを配置していると言っていた。その部下たちは、誘拐犯からの身代金要求の電話を探知するため、ハルピン中央電話交換所に陣取っていたが、日本人の説明によれば、その巧妙な誘拐犯は、傍受している四つの回線全部にいつも同時に電話をかけてくるので、技術的理由から、その探知を行うのは不可能であるとしていた。
 10月、熱心なシャンボン副領事の部下は、コミサレンコという十代のごろつきを誘拐犯の一人として捕らえた。彼は共犯者の白ロシア人の名を白状した。日本の憲兵はコミサレンコを逮捕し、町から連れ出した。憲兵は、彼を南満州鉄道の敷設権内――憲兵を見下す日本の鉄道公安官の管轄下にあった――に彼を隠すという失敗をした。鉄道公安官の責任者、大井深大佐は、いかにも、日本の武士の典型のような人物だった。彼は自分の権限を駆使して、コミサレンコの憲兵を解任し、その若い暴漢を自分の下に拘留した。憲兵は、シャンボン副領事の部下の全員をでっち上げの罪で逮捕し、ファシストのロジャエフスキーに、シャンボン副領事はユダヤ人ボルシェビイキであったと彼の新聞 『ナシュ・プト』 に書き立てるようそそのかした。大井大佐はコミサレンコをハルピンに連れ戻し、地元の満州警察に公式の自白を行わせた。やがて外国の新聞がこの事件に注目し始め、当惑させられることとなった。
 誘拐されたピアニスト、カスペはその間、しだいに弱っていっていた。誘拐犯たちは彼を飢えさせ、時に殴打し、そして、そのピアニストの柔らかい指から、爪を剥ぎ取っていた。少なくとも一度は、憲兵は彼と誘拐犯たちを別の隠れ家に移すために車を用意した。彼の最後に詰め込まれていた場所は、凍土の中に掘られた穴で、それが蓋で覆われていた。1933年11月28日、遂に、大井大佐が二人の誘拐犯を逮捕すると、その一味たちは混乱に陥った。その内の一人は、セムヨンを3千ドル〔同約1200万円〕で返すと父親と話をつけた。その日の夜、 「勝利の手入れ」 と穏便に表現されながらも、憲兵がその隠れ家を急襲し、その最後の犯人を射殺し、護衛についていた者たちを逃亡させ、その不具者にされ壊疽に冒されていたピアニストを殺すか、あるいはそのまま埋めてしまった。
 数ヶ月の捜査と起訴手続きの後、彼らの裁判が満州の法廷で始まった。そしてその公判は、東京で行われた5・15事件や三件の脅迫事件の英雄たちのために行われた公判のミニチュアのごとく、外交的茶番への中国人の憤激をもって実行された。被告には弁護のための政治談義の展開が許された。彼らは、カスペの懐はボルシェビイキの黄金で満たされており、それは、ソ満国境に展開する白系ロ  [引用先脱文]
 中国人判事たちは、二年間にわたって、丁寧かつ忍耐強くそれを聞いた。そして1936年、一味の6人に、 「三日以内」 の絞首刑、他の者には長期投獄の判決を言い渡した。だがそれに驚かされたのか、満州国の操り人形舞台の背後にいる日本人支配者は、不可解でとっぴな行動に走った。その判決の二日後、彼らは、その判事と検察官を連行し、 「汚職」 の嫌疑で取り調べた。それと同時に、その誘拐犯の一人の妻の上告について、関東軍参謀総長の板垣は、刑法の無法行為条項ではなく、――日本人判事によって公判が進められるべきという――政治的理由でもって、新たな裁判を開始することを命じた。
 その再審において、検察は情状酌量の困難と被告席の 「清く若き愛国者」 の純粋な動機を力説し、10ないし15年以内の寛大な判決を求めた。法廷はそれに応じ、投獄は軽減された。しかし、日本国内では、他に役立つかもしれない者を監獄に遊ばせておくことをよしとはしなかった。受刑者たちは、その一週間後、再び法廷に呼び立てられ、自身でも驚かされたことに、恩赦が申し渡された。そして10日後、彼らは、判決と誓約に免じて釈放され、満州の他の都市においての特務機関の仕事が与えられた。
  『ハルピン・ヘラルド』 や 『ハルピン・オブザーバー』 の各紙は、その司法処置を茶番であると非難した。長い弾圧をなめてきた両新聞社は閉鎖され、編集者は国外追放された。大井大佐は日本に呼び戻され、シャンボン副領事は、好ましくない人物と宣告され、本国フランスに召還された# 5。父親のカスペについては、彼が身代金に応じなかった息子の遺体が掘り出された時、とうとう気がふれたと言われた。彼は自分の金融帝国への興味を失い、その後、フランス人妻と共に身を引き、忘れ去られた。彼の映画館は満州映画協会によって買収された。この団体は、甘粕正彦の率いる独占組織で、彼は、1931年にヘンリー・溥儀を満州に招いたいわくつき憲兵であり、かつ、1923年の関東大震災の際には、社会主義者大杉栄、その妻、そしてその甥を絞殺した人物だった。
 # 5 その当時、日本との間にいかなる紛争も起こさないというのがフランスの政策だった。1920年代に日英同盟が破棄されて以来、日仏同盟の可能性が多くのフランス政治家の魅力となっていたようだ。クローデル将軍は、リットン報告を無力化させようと努力し、1933年10月17日、国際連盟のボイコットを最初に破り、満州国に6千万ドル〔現在価値で約3千億円〕を融資したのは、政府の後押しを受けたフランスの融資団であった。そこで南満州鉄道は主にその資金を用いて朝鮮に港と海軍基地を建設した。最終的に日本が欧州の同盟国に選んだのは、衆知のように、フランスでなくドイツであった。
(引用終了)
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/556.html

[近代史02] 誘拐まで事業化していた満州憲兵隊
極悪非道、やりたい放題、軍人天国、…、1931年満州事変以降、満州を事実上占領した日本軍部、「ひどいことをしていた」との認識は一般日本人にもあるでしょうが、完全にギャング化して、誘拐まで事業としたとの記事を見つけました。以下、引用冒頭の菱刈とは、1933年8月に新しく、満州国大使および関東軍司令官に就任した菱刈隆大将のことです。
なお、引用元の一貫した主張は、1945年までのこういう軍部のやりたい放題は天皇の命令、承認、黙認の下で実行されたものであり、天皇に反逆する意志を持つ軍人など一人もいなかったということです。

http://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_50_17_3.htm#kaspe
より
(引用開始)
 菱刈は満州に新趣向のたくらみを持ち込んだ。誘拐である。多くの裕福な中国商人は、その死亡か倒産が確認される前に、二度も三度も誘拐された。西洋人たちも、その他の形の身の危険を領事館に訴えたが、誘拐の頻発には対抗のしようがなかった。誘拐に実施にあたっては、憲兵は常に盗賊と見なされれる一味――中国人の誘拐には中国人のをれを、白系ロシア人には白人のそれを――を利用した。誘拐犯たちは、日本の憲兵による保護扱いを受け、身代金が支払われた場合、その1パーセントに当たる報酬すら得ていた。いくつものケースで身代金が支払われ、被害者が自宅に帰された。それでも、彼らは、日本人からの報復を恐れて、その体験談をマスコミに明かすのはまれだった。
 菱刈大将の任命からひと月も経ていない1933年8月24日、ハルピンのスパイ機関の工作員は、満州で最も金を脅し取れそうな、ヨセフ・カスペという裕福なロシア系ユダヤ人の息子を襲った。ヨセフの父は、日露戦争の後の1907年に、ハルピンにやってきていた。その宝石商は、時計修理と質屋から身を起こし、今では、東洋でもっとも富裕な宝石と銀の商人となっていた。そうした家業とともに、彼はハルピンの主なカフェとモデルヌ・ホテル、そして、北満州の映画館のほとんどを所有していた。彼の商売敵たちは、彼のその富は、ロシア革命の際、白系ロシア人貴族から押収された宝石や美術品の買取商売のゆえ、ソビエト連邦に感謝すべきだと影口をたたいた。このソビエトの盗品の密売の容疑のため、カスパは、彼のまわりに暮らす白系ロシア人からは徹底して嫌われていた。それは、ハルピンのユダヤ人社会でも同じだった。かくして反ユダヤ主義が白系ロシア文化に染み込まされ、近年、多くの白系ロシア人がアドルフ・ヒットラーの賞賛者となっていた。
 その頃、日本人もまた、フリーメースンやボルシェビイキと同じように、ユダヤ人を宣伝材料に使い始めていた。だがそれは、多くの西洋人にとって奇妙なことだった。というのは、日本人にユダヤ人と非ユダヤ人を見分けられる者はほとんどおらず、ユダヤ教徒に自ら進んで転じた者も日本中で一ダースにも満たなかったからだった。しかし、日本人の潔癖好き精神にとって、それが悪魔であるなら、馴染みの有る無しに拘わらず、大した違いはなかった。ハルピンのユダヤ人は、事実上、地位も自分を守る術を持たない人々で、神道による迫害は、キリスト教徒に負けず劣らず容赦のないものであることをやがて知ることとなった。1932年に関東軍がハルピンに侵入すると直ちに、地元のロシア・ナチ指導者の工作員で協力者を、 『ナシュ・プト』 という宣伝新聞の編集をするロジャエフスキーとの名のやくざまがいの知識人に仕立てた。
 大金持ちのカスペは、日本の政治状況の動向を察知して、自分のすべての財産を、フランス国籍の二人の息子の名義に移した。日本人の眼から見れば、それは日本人を無視する行為であり、1932年末に満州自活方針が実行に移された後、日本の統治当局は、カスペの財産を何とでも搾り取ろうと躍起になった。だが、カスペも、それに気付かない人物ではなく、彼がモデルヌ・ホテルの自室を後にする時は、必ず頑強な護衛を付けていた。
 しかし、カスペの息子の一人は、そういう用心が不足していた。1933年の夏、彼は、フランス国立高等音楽院を卒業し、コンサート経験を積むことを望む前途あるピアニストとして、ハルピンに帰国した。父親が彼のために、その機会を準備しようと東京や上海に行っている間、彼は、毎日のようにハルピンの夜を楽しみ、川端のゲイ地区や、タトスあるいはイベリア・クラブの中国人歌手、日本人ママさん、あるいは、ロシア人キャバレー女を求めて出かけて行き、その際は父親が用意した武装運転手を同行した。
 1933年8月24日、息子のセムヨン・カスペが、L. シャピロ嬢を自宅に連れて帰ろうとした時、日本の憲兵に雇われた二人の白系ロシア人ファシストがその車に乗り込み、車を町外れへと運転させて行った。そこで彼らは運転手を追払い、その女に手紙の秘密受渡し場所や電話番号を教えた後、彼女を身代金交渉の仲立ちにするために解放した。その後の彼女の陰に日向にの献身的な働きは、彼女は若いカスペを深く愛していたか、憲兵から金で操られていたかのどちらかを物語っていた。誘拐犯はセムヨンをハルピンの西、約 「55ロシアマイル」〔約60km〕 の森の隠れ家に連れて行き、そこから毎日、電話や身代金通告や最後通牒を発した。
 セムヨンの父は、要求された10万ドル〔現在価値で約5億円〕を憤然と拒絶し、本人と引き換えに1万2千ドル〔同6千万円〕を支払うと返答した。一ヶ月の交渉の後、彼には血にまみれた息子の片耳の半分が送られてきた。それでも彼は、徹底した倹約心と、脅迫に対する頑固な勇敢さから、その支払いを拒否し続けた。彼はフランスの副領事シャンボン氏とは非公式で関わりがあり、同氏の部下が手掛かりを探し始めた。さらに日本の憲兵の司令官自身は、その件に部下のすべてを配置していると言っていた。その部下たちは、誘拐犯からの身代金要求の電話を探知するため、ハルピン中央電話交換所に陣取っていたが、日本人の説明によれば、その巧妙な誘拐犯は、傍受している四つの回線全部にいつも同時に電話をかけてくるので、技術的理由から、その探知を行うのは不可能であるとしていた。
 10月、熱心なシャンボン副領事の部下は、コミサレンコという十代のごろつきを誘拐犯の一人として捕らえた。彼は共犯者の白ロシア人の名を白状した。日本の憲兵はコミサレンコを逮捕し、町から連れ出した。憲兵は、彼を南満州鉄道の敷設権内――憲兵を見下す日本の鉄道公安官の管轄下にあった――に彼を隠すという失敗をした。鉄道公安官の責任者、大井深大佐は、いかにも、日本の武士の典型のような人物だった。彼は自分の権限を駆使して、コミサレンコの憲兵を解任し、その若い暴漢を自分の下に拘留した。憲兵は、シャンボン副領事の部下の全員をでっち上げの罪で逮捕し、ファシストのロジャエフスキーに、シャンボン副領事はユダヤ人ボルシェビイキであったと彼の新聞 『ナシュ・プト』 に書き立てるようそそのかした。大井大佐はコミサレンコをハルピンに連れ戻し、地元の満州警察に公式の自白を行わせた。やがて外国の新聞がこの事件に注目し始め、当惑させられることとなった。
 誘拐されたピアニスト、カスペはその間、しだいに弱っていっていた。誘拐犯たちは彼を飢えさせ、時に殴打し、そして、そのピアニストの柔らかい指から、爪を剥ぎ取っていた。少なくとも一度は、憲兵は彼と誘拐犯たちを別の隠れ家に移すために車を用意した。彼の最後に詰め込まれていた場所は、凍土の中に掘られた穴で、それが蓋で覆われていた。1933年11月28日、遂に、大井大佐が二人の誘拐犯を逮捕すると、その一味たちは混乱に陥った。その内の一人は、セムヨンを3千ドル〔同約1200万円〕で返すと父親と話をつけた。その日の夜、 「勝利の手入れ」 と穏便に表現されながらも、憲兵がその隠れ家を急襲し、その最後の犯人を射殺し、護衛についていた者たちを逃亡させ、その不具者にされ壊疽に冒されていたピアニストを殺すか、あるいはそのまま埋めてしまった。
 数ヶ月の捜査と起訴手続きの後、彼らの裁判が満州の法廷で始まった。そしてその公判は、東京で行われた5・15事件や三件の脅迫事件の英雄たちのために行われた公判のミニチュアのごとく、外交的茶番への中国人の憤激をもって実行された。被告には弁護のための政治談義の展開が許された。彼らは、カスペの懐はボルシェビイキの黄金で満たされており、それは、ソ満国境に展開する白系ロ  [引用元脱文]
 中国人判事たちは、二年間にわたって、丁寧かつ忍耐強くそれを聞いた。そして1936年、一味の6人に、 「三日以内」 の絞首刑、他の者には長期投獄の判決を言い渡した。だがそれに驚かされたのか、満州国の操り人形舞台の背後にいる日本人支配者は、不可解でとっぴな行動に走った。その判決の二日後、彼らは、その判事と検察官を連行し、 「汚職」 の嫌疑で取り調べた。それと同時に、その誘拐犯の一人の妻の上告について、関東軍参謀総長の板垣は、刑法の無法行為条項ではなく、――日本人判事によって公判が進められるべきという――政治的理由でもって、新たな裁判を開始することを命じた。
 その再審において、検察は情状酌量の困難と被告席の 「清く若き愛国者」 の純粋な動機を力説し、10ないし15年以内の寛大な判決を求めた。法廷はそれに応じ、投獄は軽減された。しかし、日本国内では、他に役立つかもしれない者を監獄に遊ばせておくことをよしとはしなかった。受刑者たちは、その一週間後、再び法廷に呼び立てられ、自身でも驚かされたことに、恩赦が申し渡された。そして10日後、彼らは、判決と誓約に免じて釈放され、満州の他の都市においての特務機関の仕事が与えられた。
  『ハルピン・ヘラルド』 や 『ハルピン・オブザーバー』 の各紙は、その司法処置を茶番であると非難した。長い弾圧をなめてきた両新聞社は閉鎖され、編集者は国外追放された。大井大佐は日本に呼び戻され、シャンボン副領事は、好ましくない人物と宣告され、本国フランスに召還された# 5。父親のカスペについては、彼が身代金に応じなかった息子の遺体が掘り出された時、とうとう気がふれたと言われた。彼は自分の金融帝国への興味を失い、その後、フランス人妻と共に身を引き、忘れ去られた。彼の映画館は満州映画協会によって買収された。この団体は、甘粕正彦の率いる独占組織で、彼は、1931年にヘンリー・溥儀を満州に招いたいわくつき憲兵であり、かつ、1923年の関東大震災の際には、社会主義者大杉栄、その妻、そしてその甥を絞殺した人物だった。
 # 5 その当時、日本との間にいかなる紛争も起こさないというのがフランスの政策だった。1920年代に日英同盟が破棄されて以来、日仏同盟の可能性が多くのフランス政治家の魅力となっていたようだ。クローデル将軍は、リットン報告を無力化させようと努力し、1933年10月17日、国際連盟のボイコットを最初に破り、満州国に6千万ドル〔現在価値で約3千億円〕を融資したのは、政府の後押しを受けたフランスの融資団であった。そこで南満州鉄道は主にその資金を用いて朝鮮に港と海軍基地を建設した。最終的に日本が欧州の同盟国に選んだのは、衆知のように、フランスでなくドイツであった。
(引用終了)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/888.html

[テスト31] 話が通じない・・・。世も末
電話での女性担当者とのやりとり
その1
店までの道順を尋ねていると、
「左に」、「右に」を多用して教えてくれる。
で、こちらが「北へ向かうのですか?」、「(南北方向に走っている)道路の東側ということですか?」
と、念のために聞き直しても、それには答えず、また「左」、「右」で説明してくる。
意味ないだろっ!
その後、こちらが「正確に会話したい」と言ったら、あんたが正確でないということを言い出して逆ギレされた(苦笑)。

その2
別の店というか、ある病院への行き方問い合わせで、そこの事務職の若い女性。
なんと、上とまったく同じで「右」、「左」オンリーで、東西南北拒否の受け答え。

その3
ある粉状の物体が、その店にある容器に入りきるかどうかの問い合わせで。
その粉状の物体全体の「体積が1.3リットルある」とこちらが言ったら、その物体を入れるための容器は、
「30cm×30cmです」
と女性担当者は答えた。
こちらが「高さは?」と聞いたら、何を質問しているのかわからないらしく返事がない。
結局、答はなく、なんとなく大丈夫でしょう、ということになった(笑)。

その1,2の場合、彼女らは「新宿駅東口、西口」は間違っていて、「新宿駅右口、左口」が正しいんでしょうね、ヤレヤレ。
その3の場合、「体積」とか「リットル」とか《難しい》ことを言ってくる客の対応は「したくね〜」ということなんでしょう、きっと。
世も末です、ヤレヤレ。
http://www.asyura2.com/14/test31/msg/563.html

[社会問題9] 話が通じない・・・。世も末
電話での女性担当者とのやりとり
その1
店までの道順を尋ねていると、
「左に」、「右に」を多用して教えてくれる。
で、こちらが「北へ向かうのですか?」、「(南北方向に走っている)道路の東側ということですか?」
と、念のために聞き直しても、それには答えず、また「左」、「右」で説明してくる。
意味ないだろっ!
その後、こちらが「正確に会話したい」と言ったら、あんたが正確でないということを言い出して逆ギレされた(苦笑)。

その2
別の店というか、ある病院への行き方問い合わせで、そこの事務職の若い女性。
なんと、上とまったく同じで「右」、「左」オンリーで、東西南北拒否の受け答え。

その3
ある粉状の物体が、その店にある容器に入りきるかどうかの問い合わせで。
その粉状の物体全体の「体積が1.3リットルある」とこちらが言ったら、その物体を入れるための容器は、
「30cm×30cmです」
と女性担当者は答えた。
こちらが「高さは?」と聞いたら、何を質問しているのかわからないらしく返事がない。
結局、答はなく、なんとなく大丈夫でしょう、ということになった(笑)。

その1,2の場合、彼女らは「新宿駅東口、西口」は間違っていて、「新宿駅右口、左口」が正しいんでしょうね、ヤレヤレ。
その3の場合、「体積」とか「リットル」とか《難しい》ことを言ってくる客の対応は「したくね〜」ということなんでしょう、きっと。
世も末です、ヤレヤレ。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/720.html

   

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