10. プロレタリア[1] g3aDjYOMg16DioNB 2023年12月16日 09:03:33 : I5lgXglAkc : T0YwajB3MlhNNWM=[213]
我々にとっては、安倍派が弱体化して、現政権の(自民・公明与党の)権力バランスが崩壊することは望ましい。それだけ、極悪な法改正が推進されることを食い止めるチャンスが増えるからだ。
国家というものは共同利害(幻想とまでは言わないが)に過ぎないし、それは常に変転しているものだ。「国家反逆」という言葉は独裁者にこそふさわしい。
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国家というものは共同利害(幻想とまでは言わないが)に過ぎないし、それは常に変転しているものだ。「国家反逆」という言葉は独裁者にこそふさわしい。
マルクスがエンゲルスとともに1848年革命の予感の下にかの宣言を書き下してから、176年が経過した。よく知られていることだが、彼らの宣言とともにこの「妖怪」が現れたのではない。当時、既にヴァイトリングの共産主義が一世を風靡していた。マルクスは、これを私有財産に囚われたもの、「粗野な共産主義」と呼んで批判したものだった(エンゲルスは多少同情的だったようだが)。
問題はこういうことだ。私有財産を共有にしたところで、それは真の人間の自由をもたらさない。それは単に国家の自由をもたらすだけなのだ、と。そうではなく、私有財産という物的なものから、協働という人間的なものに根差さなければならない、と。それを社会主義と呼ぼうが、共産主義(あるいはコミューン主義)と呼ぼうが、同じことなのだ。
他方で、社会主義は、そこから少し遅れアメリカ東海岸で、あるいはロンドンで流行を見た。フェビアン協会派がその主流だったが、彼らほど危険なものはない。それは素朴な労働組合主義を源流として、最後はファシズムに結びつく。その証拠に彼らはムッソリーニに対してかなり同情的だった。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/151.html#c2
マルクスは常に現実から出発した。問題なのは、市民社会の現実であって、原始共産制なるものではない。市民社会の現実を支配階級たるブルジョアジーが理解していないこと、彼らは簡単に市民社会の反対物に寝返ってしまうことが、問題なのだ。
人間の強欲さは、人間が自分の私有財産の奴隷になっていることだ。株価を押し上げることは彼の幸福にはつながらないが、彼は自分が不安であるが故に自分の富の奴隷となり、自分の主人を強大にしようと努力している。哀れなるかな、ブルジョアジーよ。それは彼が財産を持っているが故に、彼に降りかかる弱さだ。
プロレタリアートの強さは、彼が何も持っていないこと、失うものがないことから生じている。彼は自分の労働しか、社会に与えるものを持っていないのだ。そして、原始共産制とは、今の彼の境遇の別名に他ならない。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/151.html#c5
バスに乗り遅れるな、とばかり、派閥を解消して見せた。戦前は「党」、今は「派閥」。これで「挙党一致」を演出しようというのだろう。「政治刷新会議」なるものが「翼賛会」の役回りだろう。
軍部はいないが、そして自衛隊は混乱の極みであるが、警察権力は力を温存している。皆の者、警戒せよ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/149.html#c27
もっと言おう。マルクスの発見で偉大なものは「使用価値」の発見であり、「使用価値」が「価値」の表現となること、つまり価値形態の発見であり、貨幣が一般的等価形態であると、発見したことだ。これはそれ以前と以後のどのような人間も言わなかったことだ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/151.html#c9
3000万円によって岸田を嚇し、派閥解散させた。岸田はもはや麻生にではなく、菅にすがりつくしかなくなった。神奈川人脈が脇を固める。政治刷新本部とやらがその司令部になるか。そう思えば、その人選も読めるであろう。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/164.html#c14
議長の発言が真実なのかどうかが問題でもなければ、トランスジェンダー市議の主張が真実かどうかなのではない。思いやりのない人物が「社会主義者」を名乗って恥ずかしくない、というところまで我々の社会が壊れている、ということが問題なのだ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/249.html#c9
もしそうだとするならば、一連の闘争(イラク・シリア―アフガニスタン―ウクライナ―パレスチナ)から第三次世界大戦につながる導火線に火が付いたのではないか。その火を自分で消す能力をアメリカはもはや持っていないのではないか。
http://www.asyura2.com/23/warb25/msg/320.html#c8
彼らは単にアメリカに踏み絵を踏まされているだけだ。我らに着くか、「敵」に着くか、と。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/261.html#c10
だが、市民国家が金と関係が無かったことなどあるはずがなかろう。アダム・スミスも言っているように、たんに個々人の私有財産は、一般的な国富の一部でしかなく、また、国富を大きくする目的で私腹を肥やすという手段も容認されているのだから。
愛国心ビジネスの仕組みは単純なものだ。彼らは市民国家と古代国家の同一性を利用する。だから万世一系はどうしても譲れない論点なのだ。彼らの擁護する現代国家は、万世一系があるので古代国家と同一だ。そして古代国家はビジネスと関係ないのだから、現代国家もビジネスとは関係ない、と心の底から信じているのだ。
彼らの詐術の化けの皮をはがすのは簡単だが、しかし多くの国民が彼らの国家の神聖性を信じていたいので、彼らのビジネスが行き詰まることはない。だから、繰り返し化けの皮をはがすことは必要だ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/333.html#c19
「武装した人間」が議会によるシビリアン・コントロールに服さず、おのれの「私人」としての感情に素直に赴いて、靖国参拝したわけだ。もしそれが許されるならば、総ての国民が、「私人」として「武装」し始める、ということであろう。
いや、そうではない、彼らは司令官の指示の下で靖国に参拝したのであって、私人としてではない、というつもりなのであれば、それは「英霊」が「司令官」となった、ということに他ならない。そういうことが、もはや日常なのだ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/438.html#c7
もし「居座りの危険」が無ければ、速やかに「国家が緊急事態に対処できない危険」が回避されるであろう。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/535.html#c4
まったく同意だ。非戦、反戦、これに勝る方針なし。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/550.html#c4
この文面のアナライズとクリティークが問題となっている。やってみよう。
第二文から。
「慎んで祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします。」当時の大日本帝国とアメリカ合衆国は互いに宣戦布告をして、互いに殺し合いを行ってきた。そこでお互いに殺し合った兵士を、自分たちで殺しておきながら、互いに「英霊」と呼んでいる。それは「祖国のために尊い命を捧げた」という意味だ。つまり、人身御供に捧げられた、という意味だ。ではどのような神に捧げられたというのであろうか。それは言うまでも無く戦争機械に、目的もなく、道義もなく、意味もない、抽象的な「祖国」としての戦争機械に捧げられたのである。
「ご冥福をお祈りします」というのは、もはや君たちが身をもって示した教訓は忘れ去られた、戦争機械は再び蘇った、ということだ。その戦争機械の誕生を日米権力者たちが共同で寿いでいるわけだ。これほど間抜けで、強欲なことはあるまい。
第一文にくだんの文言がある。
「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」。つまりアメリカは、日本が「大東亜戦争」という用語を使うことを許そう、というのだ。それはアメリカ人が「大東亜共栄圏」という戦前のイデオロギーの意味を知らないか、あるいはあえて目をつむっているか、あるいは単に「太平洋戦争」の同義語と思っているか、を意味する。彼らはそれを自分達への侮辱とは捉えない。それほどまでに、米軍の再編、は背に腹を変えられない状況になっている。彼らは自分たちの戦争機械をこのままでは維持できなくなっているのだ。
ここには官僚主義しかない。
http://www.asyura2.com/24/senkyo293/msg/837.html#c24
強いて言えば、要は6月解散だろう。6月解散は、岸田が菅およびその他党内を恫喝するための武器だ。菅はそれを阻止する力も無ければ、強制する力もない。菅の力は維新と神奈川勢を基盤にしたもので、まったく広がりがない。なので、6月解散は絵にかいた餅だ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/196.html#c19
このような植田の考えは、彼が東大にいた頃からの、あるいは日銀審議員になったころからの考えからあまり変わっていないだろう。当時の経済環境は現在とは真逆であるが、あのときも為替が問題になっていた。そして彼は当時の円高は、日本の非競争的な経済障壁のなせるわざ、と論じていたはずだ。同じように、賃金上昇に結び付かない現在の情勢を「なんらかの障壁」の責任しており、自分たちがその原因になっているとは思っていないのだ。
http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/190.html#c5
連立政権なるもの、統一行動の倫理をもたないでそれに飛びついた者は、野合と言われてしかるべきであり、実際には共産党と立憲民主党との間で問題となっていることがこのことなのだ。それは、連合会長からわざわざ言われなくとも、やはりそうである。正面から言ってやるべきなのだ、連立政権には、暫定的な政策協定が必要である、と。しかも、それは「反自民」というだけでは済まないのだ、と。
http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/387.html#c25
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