NO.5 証拠の捏造・隠滅

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投稿者 ロバート・オッペンハイマー(無記名改) 日時 2000 年 11 月 12 日 04:05:26:

回答先: NO.4 免田事件について 投稿者 無記名 日時 2000 年 11 月 12 日 03:56:10:

 今まで見てきたのは警察による、「秘密の暴露」の偽装であった。今度は「秘密の
暴露」の偽装よりもっと悪質な、証拠の捏造・隠滅について述べねばならない。

 松山事件を例に取ろう。1955年10月18日午前3時半頃、宮城県志田郡松山
町で貧しい日雇い農家が1件全焼。焼跡からいずれも頭部に傷を負った夫婦・子供4
人の遺体が発見され、片田舎の住民たちを驚かせた。
 宮城県警と古川警察署の捜査本部は怨恨・痴情・無理心中・強盗の線から捜査を進
めるが難航、11月には捜査本部を解散する。ところが同年12月2日、斉藤幸夫さ
ん(24)を別件逮捕。県警捜査1課の警部・佐藤好一の「ごりおし捜査」だった。
 12月6日から自白調書を取られるが、斉藤さんは同20日以降は一貫して否認。
しかし同30日、強盗殺人・放火で起訴。1960年11月1日、最高裁上告棄却・
死刑確定。
 1983年1月21日、再審開始確定。翌1984年7月11日、無罪判決確定。
獄窓29年間、死刑確定囚として24年間、即時釈放された斉藤さんは母と雨に濡れ
ながら抱き合った。わずか1年の間に免田栄、谷口繁義に次いで3人目が絞首台から
解放されることにより、我が国の司法の低劣さがあらわにされた。

 さて問題となるのは、唯一の物証とされた掛布団の襟当に付着した血痕である。自
白によると、犯行後帰宅した斉藤さんは、布団に入って寝た。検察側は、その時に斉
藤さんの頭髪に付いていた被害者の返り血が掛布団の襟当に付着したと主張し、三木
東北大学医学部助教授の鑑定書を提出した。「自白を決定的に裏付けた」(控訴審判
決)はずの三木とその恩師・古畑種基(血液型研究の最高権威、当時東京大学を定年
退官し東京医科歯科大学に移る)の各鑑定に対し、長崎大教授・須山弘文と木村康は
1978年8月、9月と、学問的に「妥当でない」と再鑑定している。
 疑問なのは鑑定結果だけではない。血痕が付着していた掛布団は斉藤さんのもので
はなかったかも知れないのだ。斉藤さんの弟・彰さんは、差押さえられた掛布団は自
分のもので、兄の布団は別にあった、と証言している。
 さらに驚くべきことに、掛布団襟当に本当に多数の血痕が付着していたのかについ
ても疑わしいのだ。差押えの際に捜査当局が撮影した掛布団襟当の写真には、わずか
一か所しか血痕のようなものが写っていなかったからである。これは襟当の多数の血
痕群は警察によって捏造されたことを示している。このことは、1975年秋に仙台
地検が開示した公判不提出捜査記録のなかから「襟当てには人血付着せず」の県警鑑
識課の鑑定書を発見して動かぬものとなった。こういうのを証拠の捏造と呼ぶのであ
る。

 物証捏造の疑惑は他の事件にもある。弘前事件がその一例である。
 1949年8月6日夜、弘前大学医学部教授夫人が就寝中にのどを刺され殺害され
た。同年8月22日、弘前市警察署は近隣の那須隆さん(25)を殺人容疑で逮捕。
新刑事訴訟法を悪用し、勾留延長・鑑定留置・別件逮捕・本件再逮捕を繰り返した。
 同年10月24日、否認のまま起訴。1951年1月12日、青森地裁弘前支部の
豊川博雅は「証拠不十分」をもって無罪判決。1952年5月31日、仙台高裁は那
須さんが着ていたとされる白シャツの血痕は「98.5%の確率で被害者のもの」と
いう古畑種基の鑑定を全面的に採用、逆転懲役15年の判決を下した。

 問題となるシャツの血痕は、押収直後の検査や鑑定の際には「帯灰暗色」であった
のに、三木・古畑両鑑定の際には「赤褐色」に変わっていた。これが同一の血痕なら
ば、時間の経過とともに赤褐色→褐色→灰色と変化していくはずで、その逆というこ
とはあり得ない。
 だとすれば、三木・古畑両鑑定のときに付着していた「赤褐色」の血痕は、押収時
に付着していた「帯灰暗色」のそれと同一のものではないことになり、押収後に捜査
当局によって捏造された疑いが生ずる。第1審で弁護人はこの点を指摘し、那須さん
は無罪となった。しかし第2審は、古畑鑑定を採用して有罪とした。

 弘前事件からも分かるように、警察は犯人をでっち上げるためには証拠の捏造など
平気で行うのだ。逆に言えば、犯人の有罪立証に不利だと思えば証拠の抹殺も平然と
行うということになる。免田事件のアリバイつぶしはその好例である。証言つぶしは
他の事件でも行われている。そんな例を、オウム真理教関連事件と幼女連続誘拐殺人
事件から拾いあげてみよう。

 まずは地下鉄日比谷線で不審物を目撃したY・Mさんの証言つぶし。

 私はその水たまりをじっと見ていました。「これはなんなんだろうな」と思いなが
ら。水たまりの上に、ペットボトルの頭のようなものが見えました。あとで刑事さん
にそう言うと、そんなものはなかったはずだと言われました。でも筒状のものがちゃ
んと見えたんです。あるいはサリンを密閉していたビニ−ルがあとに残っていたのか
もしれないですが。とにかくそれが、液体の上にこういう風に盛り上がっていました。
ガラス瓶が割れたのかなとも思いました。(村上春樹『アンダ−グラウンド』講談社)

 警察は存在していた不審物はなかったと言い張る。次ぎに「宮沢湖霊園」で幼女の
変死体を発見した墓参客の証言つぶしについて見てみよう。

 発見時の遺体の様子には、さらに付け加えておくことがある。発見者の墓参客は、
「その時は警察から止められてたんで、どなたにもお話ししなかったけど」と前置き
した上で、こう語ってくれた。
 「死体にセロテ−プを巻いたような、きれいな膜をはっているんです・・死体自体
に膜をはっているような状態で、マネキン人形、ああいう形に見えた・・警察も、珍
しい現象だなあ と言っていました」(『M君裁判を考える会』会報・第2号)

 死体に膜、実に不気味である。これが何かの魔術の儀式と関係があると直観した人
は、実に鋭い。

 さて次ぎは、物証の隠滅について触れよう。まずは、サリンを製造したとされるオ
ウム真理教の施設について。

 和多田−もうひとつ疑問を言えば、上九一色村にあったオウムの施設ですが、あん
なに
    早々とぜんぶなくしてしまっていいんだろうかということです。あれはでき
るだ
    け長く保存しておかないと、いろいろ不都合があるんじゃないだろうかと思
うん
    です。裁判をやっていくなかで重要な証拠、重要な現場があの上九一色村の
施設
    じゃないかと思うんですが・・。弁護団に不都合はないですか。

 渡辺−まったくその通りでして、支障は当然ありますよ。謀議の現場という点では、

   そこは犯行現場になるわけですからね。証拠物として考えていけば、あれは残
って
   いないとまずいんです。できるだけ早く換金処分をして被害を受けた人たちに
戻す
   とか、上九一色村の人たちの住民感情から言えば、見たくもないものは一刻も
早く
   つぶせというような気持ちもあったとは思うけれども、刑事裁判の立場から言
えば
   、証拠物として現場が保存される必要があったということは痛切に感じますよ。

   から、あれがつぶされる前に裁判所も現場を見ておくべきだったと思いますけ
どね
   。第6サティアンとか、いろいろ言葉に出てきたり、図面を書かせたりなどし
てい
   るけれども、いまの裁判所は現場を見ていないんです。その重要な証拠が永久
に失
   われちゃったということですよ。

 和多田−こんなに早く処理していいのかな−と素人考えでも思いましたからね。言
い方
    は悪いかもしれませんが、何か早々と証拠隠滅にかかったようにさえ思いま
した
    よ。こんなに早くこういうものがなくなって本当に裁判が維持できるものな
のか
    な−ということも思いました。(『麻原裁判の法廷から』晩聲社より)

 最後に、究極の物証隠滅である鑑定人殺害について触れたい。
 「宮沢湖霊園」で発見された綾子ちゃんの遺体は、発見日の翌日の6月12日、防
衛医科大学校教授・井出十三氏の執刀により司法解剖に付された。しかし、この井出
氏が急死してしまったのだ。したがって遺体の正式な鑑定書も法廷に提出されていな
い。死亡当時、井出氏は学生を札幌駐屯地へ引率するため出張中であった。7月16
日朝、朝食の時間になっても出てこない井出氏を、学生が迎えに行くと苦しそうにし
ている。そのまま近くの病院に運ばれたが、一向に快方に向かわない。そのため今度
は、自衛隊札幌病院に運ばれた。しかしそこでの処置も空しく、同日午後10時43
分、息を引き取った。自衛隊札幌病院の診断は「心筋梗塞」であった。
 井出氏は、1988年12月15日に名栗少年自然の家で発見された絵里香ちゃん
の遺体の鑑定書も作成しないまま死亡してしまった。

 鑑定人の急死、これまた実に不気味である。名前が悪かったのか(十三=13)、
あるいはこれも黒ミサの儀式の一環なのか。この一件は警察による証拠隠滅ではない
が、ここにあえて取り上げたのは謀略のネットワ−クがいかに広大であるかを示した
かったからである。

 さて、終わりに当たって少し整理しておきたい。本論の主題は、何故無実の人間が
罪を認めてしまうのか、であった。それを演繹すれば、何故全く身に覚えのない罪を
自白し、理不尽な判決を受け入れて刑に服するのか、ということになる。
 その答えは、被疑者たちは自分の無実を証明できなかったからである、というもの
であった。つまり我々誰もが殺人犯にされてしまう可能性があるということだ。まさ
に不条理な結論である。そして筆者と同じく、この不条理な結論を導き出した作家が
いる。彼の作品からその一部を引用しよう。

 なぜかれは(李珍宇−小松川高校女生徒殺しの犯人−筆者注)無実を証明しなかっ
たのか。これは何回問うてみても愚問だと想える。自明の理が、その答えである。証
明できなかったからしなかったのだ。この答えを笑う者は、権力犯罪の怖ろしさを知
らぬ者だ。怖ろしい闇を想像しえない者はこの自明の理を鼻で笑うに違いない。視点
を変えて、形式論理の命題をもてあそんでみてもよい。ある無実の人間にとってある
事件について無実であることを証明する方法はあるか?大方の人間にとってこんな命
題はばからしいものだろう。だれもが、自分がその事件と無関係でありさえすれば、
無実は証明されるも同然、と想うに違いない。しかし「無関係」は主観的な事実とし
てではなく、客観的に証明されねばならないとしたら、事柄は俄然として奇妙な具合
になってくる。果して、アリバイがないとしたら、どんな詭弁によってでも、無関係
な人間は事件の当事者に加えられてしまうのだ。その段階になると、無実の証明は、
迷路の様相を呈してくるし、すでに手遅れになっているのかもしれない。そうした回
路の怖ろしさを知らない者が、李珍宇の謎をいいたててみても、それは全く空論にし
かならないのだ。(野崎六助『李珍宇ノオト』三一書房)


 これ以上付け加えることは、全くない。我々が現在直面しているのは、不条理な精
神による不条理な犯罪ではなく、不条理なシステムによる不条理な裁きであったのだ。
こんな不条理な時代の到来を予告した文学作品がある。カフカの『審判』である。
 平凡な銀行員ヨ−ゼフ・Kは何も悪いことをしないのに、ある朝突然逮捕される。
その理由をつきとめようと懸命に努力するが、不明のまま犬のように殺されてしまう。
この作品はナチス登場に象徴される時代の精神状況を予見したといわれるが、現代日
本にもそっくりそのまま当てはまることは、もはや説明する必要はないだろう。
 古都プラハに少数民族のドイツ語系ユダヤ人として生まれたカフカは、孤立した環
境の中で、不安につきまとわれながら成長する。生前、彼は「私の境遇は、私にとっ
て耐えがたいものです」と書いている。
 1924年6月3日、不条理の作家・カフカはオ−ストリアのウィ−ン郊外にある
結核療養所で、40歳の短い生涯を閉じた。カフカの没した1924年にはベルリン
にラインダンス旋風が吹きまくり、その年の12月20日には「ミュンヘン一揆」の
首謀者として入獄していたヒトラ−がランツベルク刑務所から釈放されている。世界
は不条理な戦争へと着実にその一歩を踏み出して行くことになるのだ。

真・犯・人・に・つ・い・て・

 無実の人たちが自白に至る過程と、そのことを可能にしている「システム」(警察
での取り調べ)について見てきた。筆者の直観によると殺人事件の98%は冤罪であ
る。ということは、現在刑務所に収監されている殺人犯の98%は無実ということに
なる。逆に言えば、殺人事件の真犯人の98%以上は捕まっていない、野放しである、
大手を振って世間を歩いている、ということだ。ではお前は真犯人は一体誰だと言う
のか、とお尋ねになるに違いない。
 これは筆者にとっても非常に答えにくい質問である。下手なことを言うと濡れ衣で
あると逆襲される恐れがあるし、新たな冤罪を生み出してしまう危険性もある。例え
真犯人を突き止めてみても、人の恨みこそ買えまず感謝されることはないだろう。い
いことなんか一つもない 。しかし誰かが言わねばならぬ以上、また他人に期待できな
いからには、筆者が憎まれ役を買うしかないだろう。

 今筆者の手元に、一冊の奇書と一つの怪文書がある。有賀裕二著『悪魔が日本を嘲
笑っている』(第一企画出版)と岩永天佑著「告発の書」である。この二つを頼りに、
オウム真理教関連事件、幼女連続誘拐殺人事件等を含めた日本の凶悪事件の犯人像に
迫りたいと思う。
 有賀氏は地下鉄サリン事件と松本サリン事件と坂本弁護士一家殺害事件の実行犯は、
自衛隊最深部に潜む謀略機関である、と前述の著書に書いている。その根拠として有
賀氏は、松本サリン事件が起きた長野県松本市に自衛隊の駐屯地があることをあげて
いる。同氏の著書から少し詳しく引用してみよう。

 化学兵器の専門家集団の化学科部隊は群馬県榛東村にあり、陸上自衛隊第12師団
に属している。その第12師団は長野県松本市に駐屯地を持ち、その松本市で松本サ
リン事件が発生し、その近くの大町市に龍彦ちゃんの遺体が埋められていた。

 その後、陸上自衛隊の詳細な組織図が手に入ったので、ここに掲載する。注目して
欲しいのは長野県松本市にある第12師団第13普通科連隊と、新潟県上越市にある
第12師団第2普通科連隊である。松本市の近郊、大町市に坂本龍彦ちゃんの遺体が
埋められ、上越市の目と鼻の先、名立町に坂本弁護士の遺体が埋められていた。はた
して偶然だろうか。(『悪魔が日本を嘲笑っている』より)

 こうして有賀氏は前著に陸上自衛隊の組織図を掲げている(図3)。さらに同氏に
よると、假谷清志さんは拉致されてから八王子の創価学会へ、坂本弁護士一家は「キ
ャンプ座間」(在日米陸軍基地)へと連れ込まれたそうだ。「キャンプ座間」で処理
された坂本弁護士一家の遺体は陸上自衛隊東部方面隊第12師団第2普通科連隊があ
る新潟県上越市や、第13普通科連隊がある長野県松本市に運ばれ、そこからさらに
近郊の山中に運ばれて埋められたのであろうというのだ。
 また同氏によると、新宿駅青酸ガス事件の犯人は陸上自衛隊古河駐屯地に潜んでい
て、オウム真理教が使ったVXガスの残りは陸上自衛隊小平駐屯地の近くに隠されて
いたという。
 有賀氏によると、幼女連続誘拐殺人事件の犯人ももちろん自衛隊である。再び前著
から引用する。

 ここで真犯人捜しのヒントになるのは、事件の起こった場所である。今野真理ちゃ
んは入間市で、吉沢正美ちゃんは飯能市で、難波絵里香ちゃんは川越市で、それぞれ
誘拐されている。飯能市、入間市、川越市は国道299号、国道16号で結ばれてい
るが、その中間に当たる狭山市には、航空自衛隊入間基地が存在している。そして「今
田勇子」名の「犯行声明」は東京都青梅市内で投函され、「告白文」は東京都武蔵村
山市、西多摩郡瑞穂町の多摩地区で投函された。青梅市の南東、東京都福生市から西
多摩郡瑞穂町にかけて、700ヘクタ−ル(東京ド−ムの約150倍)もの敷地を占
めて、米軍のアジア太平洋戦略を支える中枢基地である米空軍「横田基地」が存在し
ている。だが、東京都江東区で起きた野本綾子ちゃん誘拐の件はどうなのか。この一
件だけ埼玉県ではなく、東京都で起きている。

 有賀氏によると、江東区越中島には昔、防衛庁の庁舎が置かれていたという。そし
て、綾子ちゃんが行方不明になった江東区東雲からは高速湾岸線が千葉県船橋市へと
伸びていて、船橋市には陸上自衛隊習志野駐屯地が存在しているという。
 こうして有賀氏の頭の中で、オウム真理教関連事件と幼女連続誘拐殺人事件と自衛
隊が結びつくのである。その推論過程は、事件の起こった場所の近くに自衛隊の基地
がある、だから両者の間に因果関係があるに違いない、だとすると自衛隊内部に新犯
人がいると思われるというものであった。
 さて読者の皆さんはこの推論をどう思うだろうか。飛躍しすぎだと思うか、一理あ
ると思うか、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うか。筆者の考えは、一部は正しくて一部は誤っ
ているというものである。では何処が正しくて何処が誤っていると言うのだろうか。
 正しい部分、それは事件と自衛隊の間に何らかの因果関係がある、という点である。
間違っている部分、それは自衛隊内部に犯人がいるという点だ。まず最初の正しい部
分の説明から入ろう。事件現場の近くに自衛隊の駐屯地がある、だから事件と自衛隊
は何か関係があるに違いない、というのは単なるこじつけではないかという反論もあ
ろう。だが筆者の研究からも、様々な殺人現場の近くに自衛隊の駐屯地が存在してい
る場合が多いということが分かっている。これを単なる偶然だろうと言って見過ごす
人は、よい科学者にはなれない。偶然ではないから偏ったデ−タ−の分布が存在する
のだ。偏ったデ−タ−の分布が存在するということは何らかの因果関係があるという
ことだ。その因果関係を突き止めるのが、科学者の仕事なのである。
 では間違っている部分、自衛隊内部に犯人がいるという点についてはどうか。これ
は少し勇み足ではなかったかと筆者は思っている。有賀氏はもう少し深く自衛隊と犯
人の因果関係を調べてみるべきであった。つまり犯人は自衛官ならずとも、何らかの
理由で自衛隊の駐屯地の近くに住むようになった人たちではないか、ということだ。
ここまで書けばもう筆者がどのような方法で真犯人を割り出そうとしているか、お分
かりになった方もいるに違いない。
 実際に犯罪の歴史を研究してみると、繰り返し同じ地点で犯罪が多発していること
が分かる。そしてそれは自衛隊駐屯地周辺だけに限られない。そしてそれらの犯罪多
発地点に共通しているもの、それは在日X人の存在である。こんなことを書くと、お
前も有賀氏も同じ過ちを犯している、ただそこに多く住んでいるからといって彼らの
中に犯人がいるとは限らないじゃないか、直接的な証拠を見せろ!とお叱りを受けそ
うである。ごもっともである。だから筆者の意見もあくまで仮説として聞いてもらえ
ればよい。有賀氏の意見が正しく、筆者の意見が間違っている場合もあろう。しかし
筆者の意見は有賀氏の意見を包摂する概念なのである。勿体ぶらず話を先に進めよう。
 まず、手掛かりとしてオウム真理教関連事件について見てみよう。有賀氏によると
松本サリン事件の起こった長野県松本市には陸上自衛隊の駐屯地があった。だから松
本サリン事件の犯人は自衛官だ、ということになる。筆者の考えは、長野県松本市に
は陸上自衛隊の駐屯地があった。だから松本サリン事件の犯人は陸上自衛隊の駐屯地
の近くに住んでいる人たちである、というものである。
 陸上自衛隊の駐 屯地は戦争中は旧軍隊の基地として使われていたケ−スが多い。そ
してその基地の建設等に在日X人が従事していたのである。では松本市には他に何か
在日X人と関連するものがあるのか。それが大いにあるのだ。以下は戦前・戦中の、
松本市における在日X人関連企業である。ここで関連企業というのは、必ずしも強制
連行の事実を示しているわけではない。就労の事実が確認されたということだ。

 日本ステンレス松本工場
 南松本駅
 野口組・松本
 島藤組・松本
 大林組松本出張所
 松本笹部飛行場
 三菱重工名古屋航空機里山辺地下工場(熊谷組)
 日通松本支店

 何かぞろぞろ出てきたなという感じだ。これだけではあまりピンとこないかも知れ
ないので、先に進もう。次に掲げるのは、龍彦ちゃんの遺体が埋められていた長野県
大町市における在日X人関連企業である。

 昭和電工大町工場
 昭和電工大町工場(相模組)
 島崎組・大町
 坂井興業大町

 これで少しはピンときただろうか。自分で調べてもらえば分かると思うが、在日X
人関連企業というのはどこにもあるというわけではない。では坂本弁護士の遺体が埋
められていた新潟県上越市についてはどうか。

 桑沢組飯場
 信越化学工業(株)直江津工場
 直江津港湾運送(株)
 上越通運(株)
 帝国特殊製鋼(株)直江津工場

 直江津は上越に隣接している。これらの関連企業以外にも軍関係の連行が考えられ
る。上越の自衛隊駐屯地の前身は軍の基地であったと思われるからだ。では都子さん
の遺体の埋められていた富山県魚津市には何があったのか。

 日本カ−バイト魚津工場

 があったのである。ほらほら、そろそろ何か見えてきたに違いない。ではオウム真
理教の使った青酸ソ−ダ−(シアン化ナトリウム)が発見された栃木県栗山村には何
があった?

 大倉土木黒部出張所(黒部ダム)

 があった。VXの見つかった小平市にはオウム真理教の林泰男被告の実家があった。
だから林泰男が犯人であると言うのではない。林も在日X人であった。ちなみに林姓
には在日X人が多いと聞く。林の実家が小平市にあることが示しているように、この
近辺には在日X人が多いのである。その証拠に大学校まである。

 さてオウム真理教関連事件についてはこれぐらいにして、幼女連続誘拐殺人事件へ
と話を移そう。まず有賀氏の指摘する埼玉県の入間市、飯能市、川越市といった隣接
した地域について調べてみよう。この地域の在日X人関連事業は狭山陸軍飛行場建設
である。では綾子ちゃんが行方不明になった東京都江東区には何があるのか。ここに
は枝川のX人タウンがある。枝川には東京の数少ない在日X人集住地があることで知
られている。この江東区を舞台に、確かに奇妙な犯罪が頻発している。

 ここまで一気に書いてきて、やはり自分なりに困惑を感じる。それは在日X人の殆
どの方は犯罪などとは無縁であるからだ。在日X人が悪いのではなくて、在日X人の
中に悪人が潜んでいるのである。これは有賀氏が自衛隊の内部に謀略機関が存在して
いると言っているのと同じことである。一般の自衛隊員に非があるのではない。自衛
隊の内部に裏切り者がいるということだ。
 そもそも在日X人の方だって、何も好きこのんで日本にやって来たわけではない。
長く続いた中国式封建体制が崩壊したかと思うと日本の植民地にされ、やむなく仕事
を求めて日本にやって来たのだ。日米戦争が差し迫って来るとこれに強制連行が加わ
る。力ずくで、あるいは騙されて日本に連れて来られたX人は、日本国内で少数民族
コミュニティ−を作るようになる。差別と偏見は甚だしく、搾取は過酷だった。戦後
も根強く残る差別感情の中で日本社会に同化して生きねばならず、教育、就職、結婚
等において様々な不利益を被ってきた。
 これまでも十分に酷い仕打ちを受けてきた上に、おまけに猟奇犯罪の犯人にされて
しまっては大迷惑である。在日X人批判はタブ−なのである。そんなことは筆者も重々
承知している。だから常識(良識ではない)ある人はこんなことは決して書かない。
例えうすうす感付いていてもである。筆者は常識は少ないが良識はふんだんに持ち合
わせがあるので、こうして真実をどうどうと書けるのである。
 ある意味で、犯人は日本人のこのタブ−感情につけ込んで暗躍していると言える。
その意味で、日本社会の側にも落ち度があったと言わざるを得ない。日本社会が偏見
を捨てて在日X人を受け入れ、地域社会に取り込むならば特殊な在日X人コミュニテ
ィ−が形成されることもなかっただろうし、そうなったら犯人も自由自在に在日X人
社会を渡り歩くというわけにもいかなくなる。
 ただここで勘違いしてはならないのは、在日X人の側に犯罪の全ての責任があると
いうわけではないということだ。そもそも日本の警察が犯人をちゃんと捕まえておけ
ば、殺人犯が野放しになるというようなこんな不条理なことにはならなかった。マス
コミが嘘ばかり報道せず真実を追求していれば、無実の人間が罪を被ることにもなら
ずに済んだ。責任の大半は、一部外国勢力に国を売り渡した日本人側にあるのだ。
 そもそも日本が半島からX人を連れてきたのも、日米戦争遂行のための労働力確保
のためなどではなかった。日本は開戦当初から、いや戦争を始める前から戦争に勝つ
つもりなどなかったのだ。あの戦争は最初から日本が負けるように筋書きができてい
たのである。誰と誰の間に筋書きができていたのかって?アメリカを実質的に動かし
ている秘密結社のマスタ−(親方)たちと、その手下となって日本をコントロ−ルし
ている秘密結社のクラフト(職人)たちとの間で予めシナリオが組まれていたのだ。
 やらせは太平洋戦争だけではない。第2次世界大戦全体がそうだったのだ。ヒトラ
−も秘密結社の指令通りに動いて、見事にドイツを崩壊へと導いた。日本では真珠湾
攻撃を提唱した山本五十六が高位のフリーメーソンであったと言われている。ちょっ
と話はずれるが、旧日本海軍が秘密結社の巣窟だった動かぬ証拠がここにある。図4
を見て頂きたい。これは昭和16年の東京・芝の地図である。現在東京タワ−が建っ
ている地区に隣接して、紅葉館、水交社とあるのが分かるだろう。
 紅葉館とは明治の代表的社交場としての料亭であり、ここの客は、諸外国の貴顕紳
士淑女、我が国においても上流階級に属することが必要な条件という、特殊人士の出
入に限られていた。一般的には、明治時代の社交場としては、明治16年に創立され
た西洋風の鹿鳴館が有名だ。毎夜紳士 淑女西洋人の舞踏が行われ、所謂、鹿鳴館時代
と言われたが、この館は僅か7年にして消滅してしまったのだ。
 ところがこれより先、明治14年に設立された純日本風の料亭芝・紅葉館の重要性
が、次第に高くなっていく。政財界人の集まり、また条約改正問題等にての外国人の
接待、後には文壇、軍人の利用されるところとなった。ここの接待がまたすごい。

 美姫 酌人 給士、舞妓として50余人の美姫を抱置き、客来とあらば花の如く衣
飾らせて坐敷に列べ、其服装もわざと御守殿粧にして、縮緬の小袖に紅葉の裾模様、
帯の織出しは白茶地に色紙短冊を乱して、紅葉の秀歌名句を書きたり、絹足袋の摺足、
目八分の通い、給仕は三指にて厳かなるこというべからす。

 う−ん、現在で言うと赤坂の料亭、あるいは銀座の高級クラブといったところか。
とにかくこの紅葉館が明治、大正、昭和の3代にわたり政界、財界、文壇、軍部等の
裏舞台として活用されてきたことは間違いがない。次に水交社について見てみる。
 水交社は旧日本海軍の士官クラブである。明治9年創設、当初築地に置かれていた
が、関東大震災後の昭和3年、久松伯爵家の用地だった、東京タワ−真下の現在の土
地に移った。そして、ライトによる帝国ホテルを頭に浮かべて設計した、といわれる
現在の本館が建設されたのが昭和9年。戦後は米軍に接収されている。昭和24年暮
れ、接収が解除されると、今度は「財団法人東京メソニック協会」に、国から土地、
建物とも八千万円で払い下げられた。この接収をめぐって、10年越しの民事裁判が
続けられ、結局「水交社」側の実質敗訴の形で和解となった。
 でました、「財団法人東京メソニック協会」すなわち「フリーメーソン日本支部」
といったところか。そこで今度は図5を見て欲しい。図4とじっくり見比べてみよう。
紅葉館と水交社のあったあたりに、現在「メソニック38森ビル」が建っているのが
分かるだろう。これが動かぬ証拠というものである。紅葉館と水交社は隠れフリーメー
ソンの基地だったのである。旧日本海軍や紅葉館という日本の権力中枢の象徴的存在
を、戦後になって秘密結社フリーメーソンが乗っ取ったのではないか、という人もい
よう。だがそうではないのだ。戦前戦中フリーメーソンは紅葉館や水交社の名に隠れ
て活動し、戦後堂々と自前の看板を同じ場所に掲げたのである。何故なら芝のこの地
点こそ、自分たちの日本侵略の原点であったからである。記念碑的な意味合いがあっ
たのだ。

 話を元に戻す。フリーメーソン・山本五十六元帥は秘密結社の手先となって日本滅
亡戦争へと軍部を誘導して行った。山本五十六の偽国葬の列も、水交社から出発して
いる。山本は本当は生きている、死んだのは替え玉、という説は繰り返し耳にする。
だが一体秘密結社は何のために日本を敗戦へと誘導して行ったというのか、聡明な人
はここで疑問を感じるかも知れない。秘密結社は既に日本を実質的に支配しているの
だから、今更日本を敗戦で打ちのめす必要はない。日清戦争でも、日露戦争でも、第
1次世界大戦でも、日本は秘密結社に忠実に尽くしてきたではないか。確かにその通
りである。だがさらなる日本支配のためには、日米戦争緒戦での日本軍の大勝利、そ
の後の苦戦、そして惨めな敗北という過程はどうしても必要だったのだ。
 戦争に向かって日本は西洋的価値観を否定し、国粋主義に突っ走った。良くも悪し
くも日本人全体が勝利の希望に燃えた。日の丸の旗に目を輝かせ、君が代の響きに体
を震わせ、教育勅語に心奪われていた。それが全てあの愚かしい敗戦でパアになって
しまったのだ。戦後占領軍の進駐とともに、悪い部分も良い部分もひっくるめて国粋
主義的価値観は全て否定されていく。理想を失い、希望を打ち砕かれた日本人はもは
や二度と同じ道を辿ろうとはしなくなった。大家族制は崩壊し、大地主は解体され、
宗教は何かいかがわしいものと見なされるようになった。核家族化が進行し、農業は
見放され、宗教はビジネスとなった。
 性道徳は崩壊し、肉体は商品化され、自由恋愛=フリ−セックスが流行し、女性は
男性のしっこくから解放されて大胆になり、いつしか服を来た単なる雌犬と化してし
まった。兄弟姉妹の数が減り生活が豊かになると、子供たちは大事に育てられあまや
かされるようになった。親の言うことを聞かなくなり大人の言うことを聞かなくなり
先生の言うことを聞かなくなった。礼儀作法を忘れ言葉づかいは乱暴になり態度がで
かくなった。授業中、口を閉じておくことができず、じっとしていることができず、
遂にハムスタ−のように教室を駆け回る始末。子供らしさがなくなった、つまり可愛
くなくなったのだ。
 学生も元気がない。学生運動の敗北以来、その怒りのやり場がないのだ。サラリ−
マンも悲惨だ。バブルはじけて財布は空っぽ、溜まるのはストレスばかり。そして街
を行く人々の顔から笑顔が消えた。時々見かけるのは不気味な薄ら笑いだけ。街には
希望の灯火が絶え、オフィスビルに灯された無機的な蛍光色がガラスに反映している
・・
 これが我々の暮らす時代である。虚無的な時代、希望のない時代、欲望だけが肥大
化した時代・・。悪しき時代を変えよう、新しい社会を作ろう、という気力も我々に
はもう残されていない。こんな私に誰がした、秘密結社がしたのである。こうなるよ
うに戦争まで起こして日本社会を誘導したのだ。日本人の精神的大改造が日米決戦の
真の理由だったのである。

 日本が負けるための戦争を始めたとなると、秘密結社は何故半島からX人を日本に
連れてきたのであろうか。その答えは日本を分断支配するためである。日本は単一民
族国家(アイヌ、琉球民族という少数民族はいるが)であり、単一民族は団結しやす
く外部支配が難しい。そのために秘密結社はX人を日本に移植して日本に民族問題の
火種を持ち込んだのだ。両民族の対立を上手く煽り、両民族を上手くコントロ−ルし
て漁夫の利を得る、そんな悪いことを考えているのが秘密結社なのだ。
 筆者が何故こんな秘密に気づいたかというと、アメリカの黒人差別の問題について
勉強したことがあるからである。公民権運動の際にユダヤが黒人側のスポンサ−にな
っていたという事実があるのだ。ユダヤの狙いは単純、白人社会と黒人社会の対立を
煽り漁夫の利を得ることにあった。この戦いが黒人側に有利なのは明らかである。白
人による黒人に対する理不尽な暴力行為が過去に存在していたことは事実であるから
だ。白人による黒人の奴隷貿易、奴隷労働である。したがって、ここが重要な点なの
だが、勝利を得るためには犠牲 が必要なのである。勝利を得るためには迫害がなけれ
ばならないのである。そしてこのことを黒人側のエリ−ト階級も良く知っている。だ
から黒人エリ−トは、黒人側の犠牲を大歓迎するのである。残酷なようだが、これが
リアル・ポリティックスなのである。
 ここまで書けば、ナチスが何故ユダヤ人を迫害したか良く分かるだろう。ユダヤの
エリ−ト階級にとっては、ユダヤ人大衆が何百万人とガス室の灰と煙と化そうが(も
ちろんこれは歴史の捏造だが)おかまいなしなのだ。ホロコ−ストのお蔭で国際社会
におけるユダヤ人の地位も向上したし、ユダヤ人国家イスラエルも建国できた。ドイ
ツからはたっぷりと賠償金をせしめることもできた。万々歳である。ちなみにナチス
もシオニストも影で秘密結社にコントロ−ルされていたことは言うまでもない。
 これはそっくりそのまま今の日本に当てはまる。在日X人の地位向上要求は、一重
に日本人のX人に対する過去の誤った行為に依存している。植民地支配、関東大震災
での虐殺等。そのことを在日X人エリ−トも熟知している。在日X人エリ−トが日本
社会で重要なポストを占めることができたのも、過去の同胞の犠牲のお蔭なのだ。そ
してこの目に見えない在日X人のネットワ−クが日本社会に張りめぐらされている。
件の在日X人犯罪組織もこのネットワ−クの中で機能している。その目的は旧来の日
本的秩序の破壊、その再編成にある。

 この犯罪組織の活動を暴露した怪文書がある。岩永天佑著「告発の書」である。「告
発の書」は、オウム真理教が起こしたとされる一連の事件はフリーメーソンの謀略で
あったことを論証した文書である。この中に、1992年に大阪府泉南郡熊取町で起
きた「若者7人連続怪死事件」が取り上げられている。

 5月までの少年2人の変死(いずれも当時17才、警察発表はシンナ−吸引を伴う
事故死)の後、6月の1カ月だけで何と4人が熊取町内で連続首つり自殺(バイク仲
間の少年3人と22歳の地方公務員、特にバイク仲間の少年3人に関しては6月4日、
6月10日、6月17=7・7・7と妙に7を意識した奇妙な死に方をしている。公
務員は6月25日)、最後が7月2日、女子体育大学の魔に果物ナイフが刺さって路
上で失血死した(警察発表はまたもや「自殺」である)というものである(バイク仲
間の3人と合わせれば、ほぼ1週間おきの5週連続自殺となる)。6月10日、17
日の2人の少年と体育大生に関しては、かねてから「不審な車に跡をつけられている」
と身内や友人に打ち明けているにもかかわらずにである。(「告発の書」より)

 「告発の書」には、熊取町の事件とともに、仙台の中学同窓の「3高校生連続自殺
事件」と和歌山の貴志川で起きた「園児4人変死事件」が取り上げられている。仙台
の高校生3人はすべて仙台市立“7郷”中学の同窓生であった。
 7郷・7郷・7郷=7・7・7
 貴志川の園児は7里保育園児であった。
 7里・7里・7里・7里
 熊取町には7山が存在していた。
 7山・7山・7山・7山・7山・7山・7山
 一体この宗教殺人者は7山に何を象徴させているのだろうか。

 『ヨハネの黙示録』に次の一節がある。
 ここに知恵の心があります。7つの頭とは、この女がすわっている“7つの山”で、
7人の王たちのことです。(17章9節)
 ここでいう7つの頭、7つの山、7人の王とは、終わりの日、神の裁きにあって滅
ぼされる大バビロンの象徴である。この滅びの象徴である“7山=大バビロン”を“
熊取”や“海南(貴志川−筆者注)”に象徴させつつ関連する路線バス等で日本全土
に連鎖させる。しかも“日本人の死”の鎖によって。果してこのような悪魔的な発想
が、地球食物連鎖体系の一種族である人間に思い浮かぶものであろうか。これは悪魔
的発想ではなく、まさしく悪魔そのものに由来するものであると断言できるのではな
いか。サタンは間違いなく実在するのだ。(「告発の書」)

 一見突飛なようだが、筆者はこのサタンと在日X人が関連していると考えている。
大阪府泉南郡熊取町の目と鼻の先、大阪府泉佐野市には戦争中に佐野飛行場が作られ
た。その労働力として多数の在日X人が動員されていた。和歌山県の海南市にも在日
X人コミュニティ−がある。これは紡績関係である。「告発の書」は続ける。

 昭和63年12月4日、福岡県飯塚市明星団地に住んでいたひとりの少女が行方不
明になった。潤野小学校1年、松野愛子である。日曜の午前7時半頃、町内の廃品回
収を手伝った後、団地内の公園で友達と遊び、さらに同10時頃、一人の男の自宅で
弟と遊んでいるのを近所の人に目撃されるが、これを最後にこの女児は失踪した。こ
の男こそ、久間三千年であった。・・
 平成4年2月21日夕、福岡県甘木市野島の国道322号道路わきの林で、20日
朝から行方不明になっていた潤野小学校1年、中川藍と同、梅野裕莉の二人の女児が
死体となって発見された。二人の顔には殴打の跡があり血が流れていたという。二人
は20日朝、別の友人と三人で登校したが、登校途中、この友人と別れ、飯塚市内の
繁華街で目撃されたとの情報を最後に消息を断っていた。(「告発の書」)

 この殺人事件のオカルト的意味合いは、殺害された中川藍の父親、中川雅彦氏の発
案、いやほとんど霊感と言える「7年7月7日しか生きれなかった我が娘」と呼ばれ
る名文句にある。7年7月7日=7・7・7。
 事件の舞台となった飯塚市は有名な炭鉱町である。炭鉱と言えば、在日X人労働と
来よう。どうやら、宗教殺人、在日X人、警察組織、この3つは密接に関連している
ようだ。警察が関係していると言うのは、久間三千年逮捕に象徴されるように警察は
真犯人は決して捕まえないからである。逮捕されるのは常に人間生贄(ヒュ−マン・
スケ−プ・ゴ−ト)である。

 お前の言うことは全て間接的な証拠、事件の起きた町には在日X人が多いというだ
けじゃないか、とお叱りを受けそうなので、この辺で直接的証拠もあげておきたい。
まずオウム真理教事件に関して。オウム真理教の科学者・村井秀夫を刺殺した徐裕行
は在日X人であった。グリコ・森永事件でも背後にX国・コネクションが指摘されて
いる。グリコ・森永事件の犯人、怪人21面相が脅迫状や挑戦状を打ったタイプライ
タ−は日本タイプライタ−社のパンライタ−だが、このパンライタ−は昭和49年に、
「東アジア反日武装戦線“狼”」の名でアングラ出版された爆弾製造法解説書「腹腹
時計」でも使われている。
 また朝日新聞阪神支局襲撃事件の犯人グル−プ「赤報隊」 の前身組織と見られてい
る「日本民族独立義勇軍司令部」が、昭和58年8月の朝日新聞東京・名古屋本社放
火未遂事件直後に出した犯行声明文も、同じ型のパンライタ−が使われていた。東ア
ジア反日武装戦線で思い出すのは彼らがX国産業経済研究所を爆破していることであ
る。X国産業経済研究所の郵便受けに投げ込まれていた脅迫状の封書の宛て名は、X
文字のタイプ活字が使われていた。赤報隊は愛知X人会館玄関で、灯油入りのプラス
チック容器と発炎筒を燃やし、窓ガラスを割っている。
 筆者は永い間、どうして秘密結社はX国をタ−ゲットにしているのか理解できなか
った。しかし良く考えてみると、X国産業経済研究所にしろ愛知X人会館にしろ実質
的な被害はゼロである。つまり犯人は自作自演の付け足しの意味で両者を攻撃したと
いう風に考えられるのだ。極左過激派集団である「東アジア反日武装戦線」にしろ、
ウルトラ右翼である「赤報隊」にしろ、背後に在日X人の影がちらついているのであ
る。





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