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輸出&国内優良企業を先陣とした雁行構造が崩れているのが不況深刻化の要因
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/205.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 23 日 19:26:35:Mo7ApAlflbQ6s


houさん転載:『CSR、重要戦略に――オランダ各社、取り組み進む(グローバル経営) 2003/06/16【日本経済新聞】』( http://www.asyura2.com/0311/hasan31/msg/258.html

あっしら:『↑の政策を採れば、現在の失業問題は大きく解消され、デフレもけっこう緩和される』( http://www.asyura2.com/0311/hasan31/msg/261.html

houさん:『Re: ↑の政策を採れば、現在の失業問題は大きく解消され、デフレもけっこう緩和される』( http://www.asyura2.com/0311/hasan31/msg/263.html


あっしら:『「日本の人件費が相対的に高いこと」は何ら問題ではない』( http://www.asyura2.com/0311/hasan31/msg/276.html

houさん:『Re: 詳しく言うと「日本の国内需要に頼る企業群の正社員の人件費が相対的に高いこと」が問題なのです。』( http://www.asyura2.com/0311/hasan31/msg/282.html

に続くものです。
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「どうも、意見が食い違っているようです」というより、世界経済内国民経済の論理に対する理解が違っています。
とりわけ、日本経済が抱えている問題点とその解決方法において根底的な違いがあります。

経済論理を把握し理論的に体系化する任を負っていると自負している経済学(者)が、需要=供給という根源的な論理を見逃し、需要が足りない、いや、供給が過多だと分裂症的発言を繰り返しているありさまですからやむをえないとは思っています。

新古典派的サプライサイド経済学と新ケインズ派的デマンド経済学は、ともに経済の基礎論理さえ理解していないのです。(利潤論や利子論もまともではありません)

時系列性及び健全性に照らせば、サプライサイド経済学のほうがまだ理に適った理論です。
(供給サイドから考えるという視点を評価しているのであって、それが主張する経済政策は別問題です)

まず、財や用役の生産(供給)ないし供給力がなければ、財や用役に対する需要は顕在化しません。

さらに重要なのは、財や用役の供給活動に雇用される人たちがいなければ、需要の近代的裏付けである貨幣所得が発生しないので、欲望は満ちていても需要にはなりません。
(家族で生産活動にいそしんでできたものを家族で消費するかご近所に贈与することになります。家族を企業に置き換えてみれば近代に似たイメージになります)

次に、近代経済システムの大きな特性である社会的分業から言って、他の様々な財や用役を供給する経済主体やその活動に従事して所得を得る人たちがいなければ、自分が必要としたり欲しいと思う財や用役が手に入らないだけでなく、自分が供給する財や用役も売れないことになります。

「近代」の歩みとともに、経済主体(企業)ではなくなり経済主体に雇用されることで生活を維持する人が増加し、今では90%以上の家計が勤労所得で賄われているのですから、この論理は絶対的なものです。

これだけの説明でも、供給=需要という基本論理はご理解いただけると思います。


供給=需要という基本論理を打破する手立ては、貯蓄や資産の取り崩しによる需要を除けば、輸出(国外需要)と赤字財政支出だけです。

この二つが、供給<需要という利潤の現実化を可能にするのです。
(国民経済レベルの利潤とは供給<需要によって獲得できるものであり、供給=需要のなかである企業が利潤を獲得しそれを供給活動に再投資しなければ、国民経済全体は縮小していくことになります。これを防ぐために「信用創造」が有効に働く場合もありますが、それは省略します)

ご存知のように、赤字財政支出は、将来の歳入で返済しかも利息付きで返済しなければならないものです。これは、将来の所得を先取りしただけで、さらに利息というおまけまで負担しなければならないことを意味します。
国際的要因で一時的に変調をきたした経済活動をカバーするために赤字財政支出を行うことには理があるとしても、恒常的ないし拡大的赤字財政支出は、後先を考えない破滅の政策です。(もちろん、政府債務をチャラにしても国民経済の健全性は維持できるので、そういう政策を採るというのであればかまいません)

こうして考えていけば、供給<需要という利潤を“健全”に維持するためには、輸出(貿易収支黒字)が不可欠であることがわかります。

貿易収支黒字による供給<需要ということを簡単に説明します。

たとえば、年間10万台の自動車を供給するために1000億円(設備の償却費や販促費などを含む)を投じたとします。
輸入を度外視すると、この1000億円が国内の自動車需要になります。(食糧などは各家計が自給自足していると考えてください)
生産した自動車を国内で全部販売しようとすると、1台当たり100万円で売ることになります。(それ以上の価格では需要が足りないので、販売台数が減ることになります)
これでも、損をすることはなく、回収した1000億円で再び10万台の自動車を生産することができます。

しかし、自分のところで生産している自動車の性能・デザインに匹敵する自動車が外国で90万円で売れていることがわかったので、85万円(輸送費関税などを含む)で1万台輸出しました。これで、1万台×85万円=85億円の回収ができました。
そして、国内では1000億円の需要があるので、9万台を1台当たり111万円で販売し、1000億円を回収しました。
これで、合計1085億円を回収したことになります。

利潤である85億円はどう使おうと単純再生産には支障がありません。
自動車会社のオーナーが85億円で奢侈品を輸入したり海外で散財しても、これまで通りのことが続くだけです。

しかし、このオーナーは、、従業員たちがもっと楽に生活するため家事サービスを受けられるようになりたいと言っていたのを思いだし、専業農家がそのようなサービスを提供してお金が稼げるよう10億円を給与アップに使うことにしました。
10万台の自動車を1010億円で生産し、前年と同じように1085億円を回収しました。
利潤は減りましたが、家事サービスを提供している人たちから自分たちもお金を手に入れたから自動車を買いたいという声が上がってきました。

それで、自動車を101000万台生産するために、雇用する人数を増やしました。
そのために、内部留保していたお金を足して1020億円を投じました。

輸出で1台当たり85万円×1万台で85億円、国内で91000台×112万円(1万円値上げ)で1020億円の合計1105億円を回収しました。

海外からも、低価格で性能が劣らない自動車への需要が増加しています。
さらに、9000台増産するために1111億円を投じました。
輸出で1台当たり85万円×18000台で153億円、国内で92000台×113万円(1万円値上げ)で1040億円の合計1193億円を回収しました。
自動車がそれほど値上げされなかったので国内に70億円の余裕需要が生まれ、あらたにレストラン業や旅行業などが生まれてきました。そして、それに従事する人たちが自動車を求めるようになりました。

このような流れが、「輸出&国内優良企業を先陣とした雁行構造」によるGDPの成長であり、戦後日本の経済成長をごく単純化した軌跡です。

輸出で利潤を獲得する経済主体が、同一量の供給活動に投じる金額を増加し、それを全額回収するための値上げをしないようにしない限り、GDP=国民経済の実質的成長は実現できないのです。(輸出の急拡大が実現できているときは、この論理が緩和されます)

日本経済は、現在なお6兆円を越える貿易収支の黒字を計上し、経常収支ベースだと13兆円の黒字です。
それを利潤として獲得している輸出企業が同一数量の供給活動に投じる金額を増加すれば、すなわち給与所得をアップすれば、国民経済的連関を通じた波及活動でGDPの拡大が実現できるのです。
そして、それは、総需要の拡大となり、既に普及段階が終わっている自動車の場合は、より高価格の車種の販売増加や買い替えサイクルの短縮に結びつき、自動車メーカーの売上・利益の増加に貢献することになります。

(貿易収支が黒字ではない場合も、生産性の上昇が達成される限り、労働時間の短縮を含む生活条件の向上は実現できますが、ここではその説明を省略します)


このような論理に基づきhouさんのレスを考えてみます。


houさん:「人件費が高いということは、物価が高すぎるということでもあり、それは国内の企業が国際企業群とは比べ物にならないぐらい生産性が低く、いくらパートと正社員を同じように扱うよう法律で定めても、それを実行できる資本がないというのが実態でしょう。
とくに小売や銀行は、まだ供給が過剰でありこの分野での、【パートと下っ端正社員】の違いをなくして、スキルによるキャリア・ノンキャリの区別を行う常識を植え付けそして・テストでの所得配分というコンセンサスという常識をなくしていくことが国内経済改革の重要なポイントだと考えています。」
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まず、レスの対象となった書き込みで書いているように、「国際競争力に優れた生産性の高い企業が相対的に高い給与を支払うことで、そのお金が国民経済の連関性のなかで流れ、他の企業の高い給与をも支えているのです。そして、他の企業の高い給与が、国際競争力に優れた生産性の高い企業の国内需要を支えているのです」という流れであり、国内専業企業に同時的賃上げを求めているわけではありません。

そして、国内専業企業には、上述したような“自立して”利潤を得る機会はないのです。

「人件費が高いということは、物価が高すぎるということ」と「国内の企業が国際企業群とは比べ物にならないぐらい生産性が低く」というのはトートロジーで論理的な説明になっていません。
物価が高いから給与を高くせざるを得なくなりそれが生産性の低さとして現れるのです。

では、生産性を上げる為に給与を切り下げたらどうなるでしょう。

まず、物価を構成するもののなかには輸出優良企業の製品も含まれています。

ある水準の生活レベルがナショナルミニマムであるならば、大企業現場従業員ほどの豊かな生活はできなくともその2、3割減の所得は国家社会的に要請されるという社会政策的な側面は無視するとしても、国内専業企業の生産性を上げるために従業員の給与を下げれば、輸出優良企業の製品に対する需要も減少します。

輸出優良企業の製品は必需品というより利便品という性格が強いものですから、給与の減少率以上にその需要が減少するはずです。

輸出優良企業がこれに対抗して売上・利益を確保しようと思ったら、輸出を増加させるしかありません。
それが可能な世界経済であるかどうかは、米国・欧州の経済状況やここ10年の貿易収支推移を考えていただけばご理解いただけるはずです。

輸出の増加が実現できないならば、国内専業企業の人件費減少=生産性上昇は、現状のデフレをさらに悪化させることになります。


もちろん、誤った政策による国内物価の割高要因はあります。
それは、不動産とりわけ土地という天賦のものが極めて高くなっているということです。
土地は天賦のものですから、その供給活動にお金が投じられてそれが他の財や用役の需要につながるというものではなく、所有権者にお金が移転するだけです。(彼らが土地売却で得た利益で散財すれば問題は解消されますが、ほとんどは金融資産に転換されてしまうはずです)

これは、フローの勤労所得が、住宅や商業施設の土地所有者に食われてしまうことを意味します。
住宅購入者であれば、フロー勤労所得の相当部分(15%ほど)を30年間土地と利息のために支払い続けることになるので、その分、財や用役に向けることができる需要を減らすことになります。
流通企業であれば、賃貸であっても土地取得価格が反映しているわけですから、利益を出すためには土地所有者に食われる分を上乗せして価格を設定しなければなりません。

異常に高い地価を欧米並み(フロー所得の倍率で)に下げるだけで、経済論理にそれほど悪影響を与えないかたちで物価の引下げはできます。
(もちろん、過去の継承性がありますから、長期間でそれを行うか、いったんどこかで清算する必要があります。清算は、銀行の過剰債務=不良債権問題が大きく絡む問題ですから、戦後最大の「改革」になります。)

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