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ポーランドと言へば、サバタイ派=フランキストの教祖「ヤコブ・フランク」
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/454.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 13 日 22:53:01: xsXux3woMgsl6
 

(回答先: 直前の體調不良に據り搭乘を見合はせてゐた一人の大統領補佐官とは一體誰か 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 13 日 22:46:40)

 
 
 
 
ポーランドと言へば、
サバタイ派=フランキストの教祖「ヤコブ・フランク」
世界各國に散らばつた猶太教の一派、
サバタイ派=フランキストと、
イスラム教の一派、ドンメー派が、
世界を破滅に導く。
 
 
イルミナテイと云ふ存在は、
一七七三年、ロスチヤイルドが、
フランクフルトで自身を含めて十三人の有力猶太人指導者を集めて開催したと云ふ極祕會議、
其れ以前と以降とでは、
イルミナテイと云ふ祕密結社の中身が全く變はつて仕舞ひ、
全く異なつた祕密結社と成つたのだらう。
畢竟、サバタイ派=フランキストに乘つ取られたと。
 
 
  「イルミナティはアダム・ヴァイスハウプトが創めた組織ではない。
   正しくは、古くから存在したイルミナティをヴァイスハウプトが刷新し、改良したものである。
   知られる限りにおいて初めてのイルミナティ組織は、上述したとおり、
   一四九二年にスペインのユダヤ人(マラーノと呼ばれた隠れユダヤ人)によって設立された
   アルンブラドスである。」
 
 
「ヘブライの館 2」 5F/秘密結社研究室
イルミナティ
http://inri.client.jp/hexagon/floorA5F/_floorA5F_hIL.html

現在、イルミナティには少なくとも2つのグループが存在していると思われる。
すなわち、「ホワイト・イルミナティ」と「ブラック・イルミナティ」である。
1830年、臨終の枕に集まった弟子たちに、
バヴァリア・イルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトはため息まじりにこう語っていた。

  「我々の理想を歪め、世間に悪評をばらまき、
   世のあらゆる陰謀をイルミナティになすりつけようとする黒魔術団がある。
   注意するのだ……闇のイルミナティに!」
 
 
 
 
 
 
   「彼は「ルリア神学」を自分なりに解釈し直して、
    「悪の世界」を充実させることによって破局を招来し、
    「終末」を早めようというメシア運動「フランキズム」を展開したのであった。」 

   「ヤコブ・フランクの教義は著しく虚無主義的であった。
    この倒錯的なメシア運動は、もちろん成功することはなかった。」
  
   「ヤコブ・フランクとその一派(フランク派ユダヤ人またはフランキスト)は、
    1756年に正統派ユダヤ教ラビから除名された。
    その後、フランク派ユダヤ人たちのグループは、
    ユダヤ主義の世俗化を目指す「改革派ユダヤ教」に姿を変えたといわれている。」
 
   「あの有名な初代ロスチャイルドは、フランク派ユダヤ教に深く関与していたとの説もある。
    19世紀を通じて、ロスチャイルド家はフランク派ユダヤ教を全面的に支持し、育成したらしい。
    フランク派によって、「改革派ユダヤ教」の代表選手として選抜されたのは、
    ドイツの「正義者同盟(ブント)」のメンバーだったアブラハム・ガイガーで、
    彼は1868年11月、フランクフルトで行なわれた初代ロスチャイルドの五男の葬儀で、
    ユダヤ教ラビとして説教していたという。」

   「このアブラハム・ガイガーの活躍によって、ドイツのユダヤ人の間では、
    1850年までに、アブラハム・ガイガーの作った
    「改革派ユダヤ教」が圧倒的な勢力を得るに至ったそうだ。」
 
 
 
   ○一八四三年、米国、ニューヨークに、ユダヤ人のみのフリーメーソン、
    「ブナイブリス」が結成された、と言う事実は、日本でも少々、知られて
    は居る。
   ○しかし、実はこの「ブナイブリス」は、フランキストユダヤの組織がある
    と言う。
   ○一八五〇年代以降、このフランキスト・ユダヤ教は、「改革派ユダヤ教」
    と言う名前で呼ばれることに成る。
   ○つまり、フランス革命、十九世紀のヨーロッパの革命運動、ロシア革命、
    などなどを推進したユダヤ人、伝統的な、オーソドックスなユダヤ教徒
    ではなかった。
    彼らは、フランキストユダヤであり、そしてこのフランキストユダヤは、
    一八世紀後半の欧米のイルミナティの中核体の一部を形成した、とされる。
    (「淫婦と野獣」、第一巻、百八十九頁以下)
   ○この件は、きわめて重要な意味を持つが、日本では殆んど全く知られて
    居ない。
 
 
   ○リナは、モーゼス・ヘス(ユダヤ人)こそが、マルクスとエンゲルス
    の師であり、指導者であった、と言う。
   ○ヘス(一八一二 − 一八七五年)は、日本では、殆んど知られて
    居ない。
   ○名前を、かすかでも記憶して居るのはましな方であろう。
   ○事情に精通して居ると自負して居る人でも、
    ヘスは、マルクス、エンゲルスの先駆者、として、チラと知って居る
    程度。
   ○しかし、リナによればそれは全く違う。
   ○ヘスは、フランキズム派のユダヤ人、そして、共産主義者。
   ○カール・マルクスの父(ユダヤ人)もまた、フランキズムの影響を
    受けて居り、自分の子供たち(マルクスを含む)にも、この思想を
    教え込んで居た、とジューリ・リナは述べる。
   ○モーゼス・ヘスは、イルミナティーと結び付いて居た、とリナは言う。
   ○W・G・カーの「将棋の駒」によれば、
    実は一七七三年、ロスチャイルド(初代)が、フランクフルトに、
    彼を含めて十三人の有力ユダヤ人指導者を集めて、極秘の会議
    を開いた。
    イルミナティは、そこで設立された。
    そして、このイルミナティの奥の院は、若きイエズス会士、
    ヴァイスハウプト教授を選抜して、彼を表面に立てて、イルミナティ
    を組織させた、とされて居る。
   ○つまり、イルミナティの本当の創立者にして、奥の院の指導者は、
    ロスチャイルド(初代)だと言う。
   ○ヴァイスハウプトが死去すると、イタリー人のマッチーニが、次の
    イルミナティ指導者として選抜される。
   ○一八四七年、マルクスとエンゲルスは、義人同盟に加入した、とは、
    歴史に出てくるが、この義人同盟は、イルミナティの地下組織の一つ
    であった(ジューリ・リナ)。
   ○つまり、日本人のこれまでのマルクスとエンゲルスについての
    知識は、少なくとも、三つの点で致命的に欠陥がある。即ち、
    一つは、フランキストについて何も知らない。
    二つは、モーゼス・ヘスを通じて、マルクスとエンゲルスが、ロス
    チャイルド(初代)に由来するイルミナティに結び付いて居ること
    を何も知らない。
    三つ目。マルクスとエンゲルスは、イルミナティの下部機関としての
    フリーメーソンの会員(第三十二階級)であったことを知らない。
 
 
   ○本書(第二巻)の序論によると、
    一九七四年以降、ラビ、M・S・アンテルマンは、SRCA
    (シュープリーム・ラビニック・コート・オブ・アメリカ、アメリカ
    最高ラビ法廷)の裁判長を勧めて居る。
   ○そして、この法廷は、一九七六年、ヘンリー・キッシンジャーを
    破門した、とある。
   ○今の日本人の思想水準では、
    この件は、
    まるで、耳に入らないであろう。
   ○アメリカのユダヤ教のラビの最高法廷が、あのキッシンジャーを
    破門した、とは。
   ○本書(第二巻)の巻頭に、
    イルミナティの謀略の主要な人物についての表が示されて居る。
    その一部を引用して置く。

    セシル・ローズ ローズ秘密結社
    ヤコブ・シフ  ユダヤ教神学校
    レーニン    ボルシェビキ党
    A・ミルナー  円卓会議
    E・M・ハウス CFR(米国外交関係評議会)
    S・シェクター アメリカシナゴーク連合
 
 
 
   1657年 ユダヤ人はオランダ、スペイン、ポルトガルから英国に移住して、シナゴーグを開いた。
         このようにして、英国に新設されることになったユダヤ人の会衆は、
         ほとんど排他的にセファルディム・ユダヤから構成されていった。
         英国において初めて高貴な爵位を与えられたユダヤ人は、
         セファルディム・ユダヤのソロモン・デ・メディナ(1650~1730)と、
         一八三七年にナイトに叙せられ、
         一八四六年に准男爵となったモーゼス・モンテフィオーレ(1784~1885)であった。

         マナセ・ベン・イズラエル死亡。サバタイ・ツヴィは三一歳だった。

         サバタイ派の伝統によると、サバタイ・ツヴィはイスラエルの罪を償う。
         世界を修復するために、新しい法律と新しい戒律を授かったという。

   1659年 サバタイ・ツヴィはイスタンブールを出発し、スマーナ(イズミル)に戻った。

   1662年 サバタイ・ツヴィはイズミルからエルサレムへと向かった。

   1664年 セファルディムの小さな会衆は、スチュアート家の王政復古の後、
         チャールズ二世王によって公式的に認可された。
         マナセ・ベン・イズラエルの、メシア降臨のために基礎を置くカバラ主義活動の成就であった。

         チャールズ二世は保護を形式的書面にした約定書を発表した。
         一六七四年と八五年の王の宣言は、その約定を重ねて確証するかのように出された。
         一六九八年に施行された、神への冒涜行為を抑制するための法は、
         英国で活動しているユダヤ教の合法性を正当に認めるものとなった。

         一六六五年:五月三一日(ユダヤ暦では九月一七日)、
         サバタイ・ツヴィは三九歳で、ガザのメシアであると自称した。
         そうして彼はこう宣言した――
         私はサンバティオン川を進むのだ。
         失われた支族を呼び戻すために
         (訳者注――サンバティオン川とは、ラビ文学によると、
          失われたイスラエル十支族がアッシリア王シャルマネセル五世によって追放された川である)。

         サバタイ・ツヴィと預言者ナータンはキリストとの共鳴を感じた。
         サバタイ派の考えによると、
         メシアの魂は、イエスを含めてアダムから恐らく十八回生まれ変わったという。
         伝えられるところによると、サバタイ・ツヴィはかつて声高に言った――
         何がイエスにこのようなひどい仕打ちを与えたのだ?
         私はイエスが預言者の一人として数えられるよう取り計らうつもりだ
         (やがてサバタイ派は、バチカンの支配権を手中に収めた)。
         同年一二月三十日、サバタイ・ツヴィは、彼の支持者とともに、
         スマーナからイスタンブールへと発った。

         サバタイ・ツヴィはトルコ帝国に逮捕された。
         拘禁され、毒矢で脅され、自身の神性を立証するように強要された。
         サバタイ・ツヴィには、イスラム教に改宗するか、あるいは死ぬかの選択が与えられた。
         彼はイスラム教に改宗し、生き永らえることを選んだ。
         彼はユダヤ人であることをやめずにイスラム教徒となった。
         サバタイ・ツヴィはユダヤ人ともイスラム教徒とも分類できなかった。
         サバタイがトルコ帝国に譲歩したことが、ユダヤ人世界に衝撃を与えた。
         そうしてサバタイ・ツヴィは着手した――
         普遍主義に基づいた、また病痾を根絶し、
         文明の進歩を促成することに専心する彼の忠実なエリートによって
         人類が支配される世界の構築を。
         サバタイ・ツヴィは、一六七三年まで、
         トルコ帝国(スルタン)の宮殿で役職を与えられていた。

   1673年 サバタイ・ツヴィはアルバニアに追放された。

   1674年 第三次英蘭戦争の後のウエストミンスター条約により、
         ニューヨークとニュージャージーは英国に還された。

   1676年 サバタイ・ツヴィは死亡し、ドンメー派が組織された。
 
 
 
   1726年 ヤコブ・フランク、(現ウクライナ)ポーランドのガリシアで誕生。

   1730年 世界的同胞関係を促進していたメーソンのロッジは、ヨーロッパ大陸で出現しはじめた。
         非ユダヤ人の社会基準に適応できる行動様式を習得したり、
         彼らの社会に十分な参画ができるよう、何らかの西洋の教育を受けた、
         新しいタイプのユダヤ人が当時現れていた。
         こうした新しいユダヤ人が最初に現れたのは、
         イングランド、オランダ、そしてフランスのセファルディム・ユダヤの間であり、
         その後に、すべての西欧諸国のアシュケナジーが続いた。
         一七八〇年代ののち、フリーメーソンに入会したユダヤ人の数から分かるように、
         彼らはヨーロッパの社会生活様式の不変の特徴となった。

   1732年 一方で、エドワード・ローズは、ダニエル・デルバイエによってロッジの主宰者として任じられた
         (デルバイエは一七三二年九月二二日のデイリーポストの報道で、
         「ユダヤ人の凄腕嗅ぎタバコ売り」と称された。
         疑いなく、彼は数年ローズよりも先行していて、ロッジマスターの高い地位に着いていた)。
         さらには、マシアス・レヴィが一八九八年にユダヤ人の新聞で
         「フリーメーソンとしてのユダヤ人」という表題が付けられた記事において主張したことには、
         新規入会者の儀式が、ユダヤ人と非ユダヤ人両方の前で執り行われたということだった。
         出席していた他のユダヤ人は、彼ら自身メーソンであったに違いない。

   1734年 六千人のユダヤ人が英国に住んでいた。
         ユダヤ人の上流階級は依然として、
         ブローカーと外国のトレーダーから構成されていたが、
         ユダヤ人は徐々にあらゆる社会階層に進入していった。
         その最初のユダヤ人はセファルディムだった。

   1744年 2月23日、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、
         ドイツのフランクフルト・アム・マインにて誕生した。
         彼は、歴史上もっとも成功したビジネス・ファミリーの一つである、
         ロスチャイルド金融帝国の始祖である。
         彼は姓をバウアーからロート・シルト(英語で読むとロスチャイルド)に改めた。
         彼の父であるモーゼス・バウアーが従事していた家業である、
         銀行と売春宿のロゴとして、赤い楯が使用されていたからである。
         アムシェル・ロスチャイルドの有名な言葉がある――

         国家の通貨支配権を手に入れてしまえば、
         その後で誰が法律を作ろうと知ったことではない。

   1751年 ヤコブ・フランクは、自身をメシアであると宣言した。

   1752年 ヤコブ・フランクは結婚した。

   1753年 ユダヤ人の帰化法案は、外国で生まれたユダヤ人に対して、
         現地で生まれたユダヤ人並みの特権を与えるためのものだったが、
         反ユダヤの扇動によって取り消された。

   1755年 ヤコブ・フランクはポーランドで、
         特定の選ばれた人々が道徳律から免れるという思潮を持った派閥を作り出した。
         この勢力は、ユダヤ神秘主義思潮であるカバラにおいて
         もっとも重要な活動であるゾハールに基づいた、
         「より崇高なるトーラー(法)」のためにユダヤ教を捨てた。
         それゆえ彼らは自身をゾハリスト(ゾハール主義者)と称した。
         彼らの儀式は、酒池肉林、性的狂宴(オルギア)を含んだ淫乱で出鱈目なものだった。
         オーストリアの皇帝であったヨーゼフ二世は、
         ヤコブ・フランクの娘であるエヴァと儀式の間じゅう性交した。
         (ラビ・M・S・アンテルマン『阿片を根絶するために』一巻、一〇四頁)

         一七五六年:ユダヤ人コミュニティは、異教徒であるとして、
         ヤコブ・フランクと彼の支持者を禁止した。

   1759年 ヤコブ・フランクがキリスト教に改宗。

   1760年 カソリックへの偽装改宗と、悪質な異教を流布することの嫌疑によって、
         ヤコブ・フランクはワルシャワで逮捕された。
         彼は異教徒の司祭であるとして有罪判決を下され、
         チェンストホヴァに投獄されたので、彼の支持者と交信を取ることが出来なかった。

         バール・シェム・トフは死亡した。(訳者注――本名、イスロエル・ベン・エリエツェル。ラビ)

   1769年 8月15日、ナポレオン誕生。

   1770年 ヤコブ・フランクは自身のサバタイ派勢力を、
         ユダヤ人イエズス会士であったアダム・ヴァイスハウプトが設立したイルミナティに参入できるよう
         要請するために協定を結んだ
         (注記…イルミナティはアダム・ヴァイスハウプトが創めた組織ではない。
         正しくは、古くから存在したイルミナティをヴァイスハウプトが刷新し、改良したものである。
         知られる限りにおいて初めてのイルミナティ組織は、
         上述したとおり、一四九二年にスペインのユダヤ人
         (マラーノと呼ばれた隠れユダヤ人)によって設立されたアルンブラドスである。
         一四九一年、イグナチオ・デ・ロヨラはスペインのギプスコアで生まれた。
         彼の両親はマラーノで、家庭はとても裕福だった。
         若かりし彼は、スペインのイルミナティの一員となった。
         隠れユダヤ人としての活動を偽装するため、
         彼は非常に敬虔なカソリック教徒となり、身を偽った。
         一五三九年、彼はイエズス会を設立することになるローマへと移ったのである)。

   1772年 8月、チェンストホヴァがロシアに征服されたことで、ヤコブ・フランクは解放された。

   1772〜1786年 ヤコブ・フランクはブルノのモラビア人街に移った。
         十三年間をそこで過ごした。
         彼は王国とカソリックを破壊する一般的な革命について大いに語った。

   1776年 フリーメーソンによるアメリカの革命が勃発。

   1780年 ヨーロッパにおけるアジア同胞団は、
         ドブルシュカと名を変えたヤコブ・フランクによって、ブルノで設立された。
         その目的は、旧来のメーソンの上にさらなる上位組織を設立するためであった。
         同胞団の神智学的な教義と儀礼上の規範の基礎としていたのは、
         ヤコブ・フランクの軍国主義的サバタイ派カバラ思想であった。

   1784年 セファルディム・ユダヤにしてメーソンである、モーゼス・モンテフィオーレ、
         イタリアのリヴォルノで誕生。

   1786年 ヤコブ・フランクは、一時的な財政難に悩まされ、
         フランクフルトの近く、オッフェンバックへと移り住んだ。
         そこで彼の金銭問題は後援者たちによって解決された。
         中でも彼を特に助けたのは、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドであった。

   1789年 フランス(・メーソンによる)革命。

   1791年 ヤコブ・フランク、オッフェンバックで死亡。
 
 
 
   「ケマルはトルコ人(トルコ人は勿論全部ムスリム)ではないよ、ユダヤ人だよー。」
   「そう、ケマルはムスリムではないし、従ってトルコ人ではありません。証拠もあります。
   オスマン王朝時代の彼を写した写真では、彼は異教徒部隊の軍服を着ています。
   彼の侍医の日記でも彼がユダヤ人であることがわかります。
   また、今トルコの教科書で彼の父と教えられている人は三十年前は祖父ということになっていました。
   彼の系図も残っていないし、当然出自はよくわからない。
   オスマン王朝時代の将軍で系図が残っていない人など他におりません。
   しかも、こういったことを調べようとすると政府によって逮捕されます。」
   「そう、トルコは西欧化、近代化したのではなく、スターリニズム化、ファシズム化したに過ぎません。」
   このお話を伺った後、調べたのでありますが、
   ウスマーン王朝領内には隠れユダヤ人(ドンメー)が多くいたようです。
   ケマルの出生地テサロニケの三分の一は隠れユダヤ人だったそうな。
 
 
 
   「ロスチャイルドと言う名は、
    ドイツ語の ロート・シルド「赤い楯」が英語読みになったものだと一般的には信じられていますが、
    本当の意味は、“Roth s child”または“Son of Wrath”すなわち“憤怒の子”が正しいようですね。
    “怒りの子”とは何と適切な名であろうか。
    聖書には悪魔に従う者を「生まれながらの怒りの子であった」(エペソ二・・三)とあります。」
 
 
  
   コンスタンテイン:汝に命ずる 姿を現せ
   ガブリエル:とんだうぬぼれ屋ですね
   コンスタンテイン:ガブリエルお前だつたんだな
   コンスタンテイン:惡魔に此の世を呉れて遣る氣か?
   ガブリエル:私を裁くと?
   コンスタンテイン:裏切り 大量殺害・・・ とんだ惡黨だな
   ガブリエル:人間の思ひ通りにさせてるだけです
   コンスタンテイン:マモンに讓り渡す事がか?
   コンスタンテイン:どうかしてるぞ
   ガブリエル:人間は此の上ない恩惠を受けてます
   ガブリエル:一人一人がbから赦しを得たのです
   ガブリエル:殺人者も暴行犯も悔い改めさへすればbの御胸に抱かれる
   ガブリエル:宇宙中を探してもそんな惠まれたものは居ない
   ガブリエル:公平ではない
   ガブリエル:bが其れ程人間を愛するなら其の愛に見合はなければ
   ガブリエル:づつと見て來ましたが恐怖に直面しないと人間の氣高さは現れない
   ガブリエル:御前達は氣高い筈
   ガブリエル:だから試煉を與へます 恐怖をね
   ガブリエル:乘り越えられる筈
   ガブリエル:惡魔の支配に耐へ拔いた人間だけがbに愛される資格がある
   コンスタンテイン:ガブリエル 御前はイカれてる
   ガブリエル:救濟の道が始まります たつた今から
 
 
 
 
 
 
 
 
「ヘブライの館 2」 6F/WAR研究室
イスラエル建国の謎 十字軍の亡霊と「第2のヒトラー」
ユダヤ教徒の「カバラ」と「メシア運動」の歴史
第4章:ユダヤ教最大のメシア運動「サバタイ・ツヴィ運動」http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd600.html#04
 
 
■■第4章:ユダヤ教最大のメシア運動「サバタイ・ツヴィ運動」

●1626年、トルコのスミルナにサバタイ・ツヴィというユダヤ人が生まれた。奇しくも彼が生まれた日付はエルサレム神殿が破壊された日であり、将来、メシア(救世主)が生まれると信じられていた日であった。

サバタイ・ツヴィの時代、ユダヤ社会の支配的思潮となっていたのはラビ・ルリアのカバラ、すなわち「ルリア神学」で、彼もこの時代の風潮を受けて「ルリア神学」を熱心に勉強した。ストイックな修行に明け暮れていた彼は、その堂々たる体躯から、周囲の人々を魅了するようなカリスマ的なオーラを徐々に放っていたという。

●1648年、サバタイ・ツヴィ22歳の年に、ウクライナでユダヤ人の大量虐殺事件、「フメリニツキーの乱」が起こった。この事件は、もともとポーランド領主に対するウクライナのコサックの反乱だったが、ひとたび暴動が起こると、コサックたちの矛先は、日ごろから嫌悪していたユダヤ人へと向かった。そのさまを、ある歴史家はこう描いている。

「あらゆる物を奪い去る凶暴で大規模な殺戮が起こった。各地で残忍な虐殺が行なわれ、ポーランド人たちは多くの場台、自分だけでも助かりたいという愚かな考えで、ユダヤ人の隣人を裏切った。」

●この事件で虐殺されたユダヤ人の数は、50万人を超えたという。悲報はサバタイ・ツヴィの耳にも届いた。彼は「この事件こそ、メシア出現の生みの苦しみである」と宣言し、地上の悪が絶頂に達したという信念をいっそう強めたのであった。

更に彼は、個人的に訪れた神秘体験を通じて、「自分はメシアだ」という観念を育むようになっていった。

●のちにサバタイ・ツヴィが、彗星のごとく現れたメシアとして、各地のユダヤ人社会から絶大な支持を得るようになった背景には、ひとりの若き預言者の存在がある。カバラ学者のナタンである。

ナタンは早熟の天才として才能を発揮していたが、同時に神秘的な資質も備わっていた。彼はある日の神秘体験によって、ガザにメシアが現れるという神の啓示を受けたと確信した。そして、その啓示に従って、ガザでサバタイ・ツヴィと出会ったのであった。サバタイ・ツヴィに出会ったナタンは、彼こそ預言されていたメシアだと、ただちに直感した。と同時に、自分はメシアの到来を告げる“先駆けの預言者”エリアの再来だと確信した。

ナタンとサバタイ・ツヴィ、いずれかが欠けてもユダヤ史上空前のメシア運動は起こり得なかったという意味で、この出会いは、まさに運命的な出会いだった。1665年のことであった。

●ユダヤ教の口伝伝承では、預言者はパレスチナ以外の地には現れないとされていた。それゆえ、イスラエル以外の地に現れた預言者は、すべて「ニセ預言者」と見なされてきた。ところがナタンは、まさにパレスチナのガザで預言した。これは多数の預言者が活躍した紀元前の「聖書」時代以来、かつてない衝撃的な事件だった。

しかもナタンは、その資質からいっても、学識からいっても、また、預言者に欠かせない神秘体験のレベルの深さからいっても、真正の預言者と見なしていいだけの資格を備えてると信じられた。

そこで人々は、ナタンを預言者として、またエリヤの再来として受け入れた。ということは、彼が「この人こそメシアだ」と唱えたサバタイ・ツヴィこそ、待ちに待った本物のメシアということである。

ナタンに導かれて、サバタイ・ツヴィは「自分こそメシアである」と、聖地エルサレムで公に宣言した。また、2人の兄弟をユダヤとイスラエルの王に任命し、自分は「地の王の中の王」を名乗った。

●メシアが現れたというニュースは、手紙によってすぐさまヨーロッパ、アジア、アフリカのユダヤ人コミューンに伝えられた。人々は熱狂をもってサバタイ・ツヴィを迎え入れ、それらコミューンのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)では、「我らの主、王、師にして、イスラエルの神の油注ぎたまいし聖にして義なるサバタイ・ツヴィ」への祈りが捧げられた。世界各地のユダヤ人社会から救世主ツヴィのいるトルコに使節団が送られた。

1665年のメシア宣言から1年とたたないうちに、ユダヤ教はサバタイ・ツヴィを中心とした強固な統一を達成した。サバタイ・ツヴィは古い律法を廃したり、全世界を26人の高弟に分割して分け与えるなど、「ユダヤの王」として振舞い、エルサレムからトルコのスミルナ、そしてコンスタンティノープルと、巡幸して歩いた。

●サバタイ・ツヴィをメシアと信奉する信徒(サバタイ派ユダヤ人)は、貧富、教養の別なく、あらゆる階層に及んだ。トルコ国内だけで何十万人にも達した。

これはトルコ政府にとって、まことに危険な状態であった。そこでトルコ政府は、政情を揺るがす危険人物としてサバタイ・ツヴィを捕縛し、投獄したが、サバタイ・ツヴィは牢獄内でも有り余る貢ぎ物に囲まれながら、「ユダヤの王」として振舞い、ますますユダヤ教徒を熱狂させた。人々はサバタイ・ツヴィに会うために使節団を組んでトルコに殺到した。

サバタイ・ツヴィは彼らの前で、救済はその年、つまり1666年のうちに起こると宣言した。そのため多数のユダヤ人が、自分たちの居住国を離れ、サバタイ・ツヴィとともにパレスチナの地に戻る準備をしたのであった。

●けれども、サバタイ・ツヴィをメシアとする「サバタイ・ツヴィ運動」は、すぐに予想外の方向に進むことになる。

ユダヤ人のあまりの熱狂ぶりを見過ごすことができなくなったトルコ政府は、サバタイ・ツヴィをスルタン(君主)の前に引きだし、「ユダヤ教を捨てて改宗するか、死を選ぶか」と強く迫った。

サバタイ・ツヴィはあっさりと棄教を選んだ。それまでかぶっていたユダヤ式の帽子を捨て、イスラム教信者であることを示す白いターバンをかぶって退席したのである!

●サバタイ・ツヴィはイスラム教に改宗してしまった……。

普通に考えれば、これは堕地獄に値する神と民族への最大の裏切り行為である。ところがまことに奇異なことに、サバタイ・ツヴィの改宗はそのようには受け取られなかった。むしろこの改宗によって、サバタイ・ツヴィはより神秘的なメシアヘと昇格したのである。

なぜそんな奇妙なことが起こり得たのか?

理由は、サバタイ・ツヴィの最大のブレーンであるカバラ学者ナタンの巧みな肯定的合理化にあった。ナタンは、サバタイ・ツヴィの揺れ動く精神状態をカバラ的に再解釈し、サバタイ・ツヴィの改宗は、実は悪魔の息の根を止めるための作戦なのだと論を進めたのであった。

この世を覆いつくしている闇の勢力はあまりに強大であり、外部から攻撃をしかけても容易には崩れない。そこでメシア・サバタイ・ツヴィは、“あえて”悪の王国の内部深くに侵入した。そうして、時が至るまでは、あたかも悪の一部になりきった者のように振舞いつつ、着々と救済の準備を進めているのだと説いて、サバタイ派ユダヤ人を鼓舞したのである。

●このように、ナタンは「ルリア神学」を改良させる形で、独自のカバラ神学=「ナタン神学」を形成した。

彼によれば、サバタイ・ツヴィの戦いは、かつての対ローマ戦争のバル・コフバのときのような、単純な地上界での戦闘を意味しているのではなく、メシアの戦闘領域は霊界(セフィロト界)に広がり、現界と霊界にわたって展開され、互いにシンクロしあって進められる「霊的戦い」へと変質したというわけである。

●イスラムに改宗したあとも、サバタイ・ツヴィを信奉する者はあとをたたなかった。また、サバタイ・ツヴィ自身も、ひそかにユダヤ教との関係を続け、シナゴーグに姿を現したり、一部の信者を集めては深遠なカバラを伝えた。

そのため、業を煮やしたトルコ政府は、サバタイ・ツヴィをアルバニアに追放し、1676年9月、サバタイ・ツヴィはその地で亡くなった。

●けれども、「サバタイ・ツヴィ運動」がそれで消滅したわけではなかった。

世界を覆うサタンの勢力がいかに強大なものかは、歴史を通じて常に迫害の標的にされてきたユダヤ人には、骨身に染みてわかっていた。それゆえ、「悪魔」を打ち倒すためには、自ら「悪魔」のただ中に入り、その内側から、ちょうど木を腐らせるような形で倒すしかないのだという、サバタイ・ツヴィおよびナタンの教えが説得力をもった。

その結果、「サバタイ・ツヴィ運動」は表向きの改宗者を数多くつくりだした。ある者はイスラムに改宗し、またある者はカトリックに改宗していった。
 
 
 
 
「ヘブライの館 2」 6F/WAR研究室
イスラエル建国の謎 十字軍の亡霊と「第2のヒトラー」
ユダヤ教徒の「カバラ」と「メシア運動」の歴史
第6章:フランク派ユダヤ人の倒錯的なメシア運動
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd600.html#06
 
 
■■第6章:フランク派ユダヤ人の倒錯的なメシア運動

●サバタイ・ツヴィに影響されて、倒錯的なメシア運動を起こす者がいた。

1726年にポーランドで生まれたヤコブ・フランクという過激なユダヤ教指導者である。
 
●彼は、サバタイ・ツヴィのひそみに倣って、キリスト教に「偽装改宗」した。偽装改宗は聖なる神秘だと考えたためである。

そして彼は「ルリア神学」を自分なりに解釈し直して、「悪の世界」を充実させることによって破局を招来し、「終末」を早めようというメシア運動「フランキズム」を展開したのであった。

ヤコブ・フランクの教義は著しく虚無主義的であった。この倒錯的なメシア運動は、もちろん成功することはなかった。

ユダヤ人ヤコブ・フランクは、「悪の世界」を
充実させることによって破局を招来し、「終末」を
早めようというメシア運動「フランキズム」を展開した
  
●ヤコブ・フランクとその一派(フランク派ユダヤ人またはフランキスト)は、1756年に正統派ユダヤ教ラビから除名された。その後、フランク派ユダヤ人たちのグループは、ユダヤ主義の世俗化を目指す「改革派ユダヤ教」に姿を変えたといわれている。
 
●あの有名な初代ロスチャイルドは、フランク派ユダヤ教に深く関与していたとの説もある。19世紀を通じて、ロスチャイルド家はフランク派ユダヤ教を全面的に支持し、育成したらしい。フランク派によって、「改革派ユダヤ教」の代表選手として選抜されたのは、ドイツの「正義者同盟(ブント)」のメンバーだったアブラハム・ガイガーで、彼は1868年11月、フランクフルトで行なわれた初代ロスチャイルドの五男の葬儀で、ユダヤ教ラビとして説教していたという。

このアブラハム・ガイガーの活躍によって、ドイツのユダヤ人の間では、1850年までに、アブラハム・ガイガーの作った「改革派ユダヤ教」が圧倒的な勢力を得るに至ったそうだ。
 
 
 
 
フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドと云ふバンド
http://www.asyura2.com/07/idletalk24/msg/113.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2007 年 6 月 06 日 23:09:32: Gsx84HOp6wiqQ

フランキズムとは何か 映畫「コンスタンテイン」
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/423.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 11 月 09 日 14:20:33: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
コンスタンテイン:汝に命ずる 姿を現せ
ガブリエル:とんだうぬぼれ屋ですね
コンスタンテイン:ガブリエルお前だつたんだな
コンスタンテイン:惡魔に此の世を呉れて遣る氣か?
ガブリエル:私を裁くと?
コンスタンテイン:裏切り 大量殺害・・・ とんだ惡黨だな
ガブリエル:人間の思ひ通りにさせてるだけです
コンスタンテイン:マモンに讓り渡す事がか?
コンスタンテイン:どうかしてるぞ
ガブリエル:人間は此の上ない恩惠を受けてます
ガブリエル:一人一人がbから赦しを得たのです
ガブリエル:殺人者も暴行犯も悔い改めさへすればbの御胸に抱かれる
ガブリエル:宇宙中を探してもそんな惠まれたものは居ない
ガブリエル:公平ではない
ガブリエル:bが其れ程人間を愛するなら其の愛に見合はなければ
ガブリエル:づつと見て來ましたが恐怖に直面しないと人間の氣高さは現れない
ガブリエル:御前達は氣高い筈
ガブリエル:だから試煉を與へます 恐怖をね
ガブリエル:乘り越えられる筈
ガブリエル:惡魔の支配に耐へ拔いた人間だけがbに愛される資格がある
コンスタンテイン:ガブリエル 御前はイカれてる
ガブリエル:救濟の道が始まります たつた今から
 
 
コンスタンテイン:全てはbの配劑だ
コンスタンテイン:さうと分かる迄俺は二度死に掛けた
コンスタンテイン:聖書にかうある
コンスタンテイン:”bの御業は謎めいてる”
コンスタンテイン:其れが好きな者もゐれば嫌ひな者もゐる
 
 
 
 
マルクスについて知らなければならない最低限の常識 ジューリ・リナ著「カール・マルクス − 悪のアイドル」 【イルミナティの創立者はロスチャイルドらしいです】
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/639.html
投稿者 エンセン 日時 2003 年 9 月 05 日 00:31:17:ieVyGVASbNhvI
 
 
マルクスについて知らなければならない最低限の常識 ジューリ・リナ著「カール・マルクス − 悪のアイドル」


平成15年09月05日(金) 00時21分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)九月四日(木)
(第六百九十回)

○エストニアからスエーデンに亡命したジャーナリスト、著述家、
 ジューリ・リナの「カール・マルクス − 悪のアイドル」
 (「さそり座の星の下」より)。

○これは、日本民族有志の西洋理解の水準を、劇的に上昇させる文章
 である。

○リナは、モーゼス・ヘス(ユダヤ人)こそが、マルクスとエンゲルス
 の師であり、指導者であった、と言う。

○ヘス(一八一二 − 一八七五年)は、日本では、殆んど知られて
 居ない。

○名前を、かすかでも記憶して居るのはましな方であろう。

○事情に精通して居ると自負して居る人でも、
 ヘスは、マルクス、エンゲルスの先駆者、として、チラと知って居る
 程度。

○しかし、リナによればそれは全く違う。

○ヘスは、フランキズム派のユダヤ人、そして、共産主義者。

○しかし、ここで、「フランキズム」、と言うところで、日本人は
 分らなくなる。

○フランキズムの開祖は、一八世紀のユダヤ人、ヤコブ・フランク。

○この「フランク」については、ここでは省略するが、一八世紀以降の
 人類史、世界史で、決定的に重要な役割を果たしたユダヤ人である。

○カール・マルクスの父(ユダヤ人)もまた、フランキズムの影響を
 受けて居り、自分の子供たち(マルクスを含む)にも、この思想を
 教え込んで居た、とジューリ・リナは述べる。

○モーゼス・ヘスは、イルミナティーと結び付いて居た、とリナは言う。

○ここで、「イルミナティー」とは、一七七六年五月一日、南ドイツの
 ババリアで、ヴァイスハウプトによって設立された、有名な秘密
 結社である。

○この事実は、近年、日本でも、一部の消息通には知られるように
 成った。

○しかし、実は、それは表面の説明に過ぎない。

○W・G・カーの「将棋の駒」によれば、
 実は一七七三年、ロスチャイルド(初代)が、フランクフルトに、
 彼を含めて十三人の有力ユダヤ人指導者を集めて、極秘の会議
 を開いた。
 イルミナティは、そこで設立された。
 そして、このイルミナティの奥の院は、若きイエズス会士、
 ヴァイスハウプト教授を選抜して、彼を表面に立てて、イルミナティ
 を組織させた、とされて居る。

○つまり、イルミナティの本当の創立者にして、奥の院の指導者は、
 ロスチャイルド(初代)だと言う。

○ヴァイスハウプトが死去すると、イタリー人のマッチーニが、次の
 イルミナティ指導者として選抜される。

○モーゼス・ヘスは、マッチーニより少し下の世代であろう。

○一八四七年、マルクスとエンゲルスは、義人同盟に加入した、とは、
 歴史に出てくるが、この義人同盟は、イルミナティの地下組織の一つ
 であった(ジューリ・リナ)。

○つまり、日本人のこれまでのマルクスとエンゲルスについての
 知識は、少なくとも、三つの点で致命的に欠陥がある。即ち、
 一つは、フランキストについて何も知らない。
 二つは、モーゼス・ヘスを通じて、マルクスとエンゲルスが、ロス
 チャイルド(初代)に由来するイルミナティに結び付いて居ること
 を何も知らない。
 三つ目。マルクスとエンゲルスは、イルミナティの下部機関としての
 フリーメーソンの会員(第三十二階級)であったことを知らない。

マルクスこの初歩的大前提について何も知らずにマルクス、マルクス主義、
 共産主義について、おしゃべりすることを話してはならないのである。

 (了)

●[注]

 訳・編集
 週刊日本新聞編集部
 
 ジューリ・リナ著
 「カール・マルクス − 悪のアイドル」
 平成十五年八月十二日発行
  (改訂第二版)
 週刊日本新聞連載
  (第二六四号 − 第二七六号)

http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/ryu.cgi
 
 
 
 
フランキスト(マルクスの先駆者、M・ヘス等はその一例)について、必読の参考書、ラビ、マービン・S・アンテルマンの著作。[週刊日本新聞]
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/706.html
投稿者 乃依 日時 2003 年 9 月 10 日 00:42:06:YTmYN2QYOSlOI
 
 
フランキストについて、必読の参考書、ラビ、マービン・S・アンテルマンの著作。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/

平成15年09月09日(火) 23時06分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)九月九日(火)
(第六百九十五回)

○ラビ、マービン・S・アンテルマン。

○このユダヤ人について、名前を聞いたことのある日本人は、筆者の、
 この人物についての論評の読者を例外として、今のところ、ゼロで
 あろう。

○ラビ、M・S・アンテルマンは、二十五年前に、

 To Eliminate The Opiate(Vol.1)
 
 と言う本(奇書、又は、珍書の名に値いする)を出版した。

○筆者は、それを、七、八年前に入手して、色々な機会に紹介論評した。

○この筆者は、二十四年ぶりに、

 To Eliminate The Opiate(Vol.2)(二〇〇二年)

 を出版した。

○このほど、それを入手した。

○M・S・アンテルマンの著作(第一巻、第二巻)は、特A級の価値の
 ある文献だが、あいにく、今の日本人のレベルでは、内容がきわめて
 高級過ぎて、これを読みこなす読者は少ないであろう。

○従って、日本語版が出る見込みは、まず、存在しない。

○なんとかしなければならないが、どうしたものか。

○ラビ、M・S・アンテルマンは、フランキスト(ヤコブ・フランクに始まる)
 を問題とする。

○このヤコブ・フランクと言うユダヤ人、及びフランキスト、フラン
 キズムについては、当「時事寸評」690回(15.9.4)、
 ジューリ・リナ著「カール・マルクス − 悪のアイドル」の中で、
 少々述べた。

○本書(第二巻)の序論によると、
 一九七四年以降、ラビ、M・S・アンテルマンは、SRCA
 (シュープリーム・ラビニック・コート・オブ・アメリカ、アメリカ
 最高ラビ法廷)の裁判長を勧めて居る。

○そして、この法廷は、一九七六年、ヘンリー・キッシンジャーを
 破門した、とある。

○今の日本人の思想水準では、
 この件は、
 まるで、耳に入らないであろう。

○アメリカのユダヤ教のラビの最高法廷が、あのキッシンジャーを
 破門した、とは。

○本書(第二巻)の巻頭に、

 イルミナティの謀略の主要な人物についての表が示されて居る。

 その一部を引用して置く。

 セシル・ローズ ローズ秘密結社
 ヤコブ・シフ  ユダヤ教神学校
 レーニン    ボルシェビキ党
 A・ミルナー  円卓会議
 E・M・ハウス CFR(米国外交関係評議会)
 S・シェクター アメリカシナゴーク連合

○ラビ、M・S・アンテルマン。
 このユダヤ人についても、なんとかしなければならないが、どうするか。

○フランキスト・ユダヤの中の大物として、ヤコブ・シフの名前が出て
 来る。

○もちろん、このヤコブ・シフは、日本とも、深い因縁あり。

 (了)
 
 
 
 
フランキスト・ユダヤ主義の超重大性に気付かなければならない。[週刊日本新聞]
http://www.asyura2.com/biz0310/war40/msg/438.html
投稿者 乃依 日時 2003 年 10 月 10 日 01:09:05:YTmYN2QYOSlOI
 
 
フランキスト・ユダヤ主義の超重大性に気付かなければならない。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/ryu.cgi

投稿 平成15年10月10日00時14分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)十月九日(木)
(第七百二十五回)

○ジョン・ダニエル著「淫婦と野獣」。
 SCARLET AND THE BEAST
 By John Daniel

○この大著は、一九九五年出版。
 全三巻、合計千三百四十三頁。

○淫婦と野獣。
 これは、有名な、新約聖書ヨハネの黙示録に出て来る。

○「美女と野獣」と訳されることもあるが、これは違うだろう。

○著者のジョン・ダニエルは、米国のキリスト教徒。

○悪魔(サタン)の謀略に二系統あり。
 つまり、両建て、双頭戦略と言うこと。

○フリーメーソンは悪魔の工作隊だが
 ここにも、二系統あり。
 即ち、
 英国フリーメーソンと
 フランスフリーメーソン。

○ここでは、十八世紀のフランク派ユダヤ、フランキストユダヤについて、
 簡単に述べて置く。

○ヤコブ・フランク(一七二六〜一七九一年)は、近代西洋史上、決定的
 に重大な役割を果たしたユダヤ人である。
 その系列は、フランキストユダヤ、と呼ばれる。

○フランクはしかしながら、十七世紀に出現した、シャバタイ・ツヴィ
 (一六二六〜一六七二年)の後継者であると言う。

○シャバタイ・ツヴィ、ヤコブ・フランク。
 この二人は、改革派ユダヤ教徒。
 ユダヤ教を近代化し、近代的なものに改革した、などと、通俗的には、
 言われる。

○しかし、ジョン・ダニエルが引用する、現在する米国の正統派(オーソドックス)
 ユダヤ教ラビの、マービン・S・アンテルマンによれば、シャバタイ・ツヴィ、
 ヤコブ・フランクらは、正統(オーソドックス)ユダヤ教の破壊を目標と
 した、と言う。

○ラビ、M・S・アンテルマンによれば、ヤコブ・フランクの主張は、宗教
 的ニヒリズムの神話である、と。

○ロスチャイルド一家はユダヤ人であり、ユダヤ教徒である、と言うことに
 成って居る。

○しかし、実は、ロスチャイルドのユダヤ教は、シャバタイ・ツヴィ、
 ヤコブ・フランク派系のユダヤ教である。

○一七七六年に、秘密結社イルミナティを結成したと言うヴァイスハウプト
 も、当然、このフランキストユダヤの系統である。

○カール・マルクスも右に同じ。

○一八四三年、米国、ニューヨークに、ユダヤ人のみのフリーメーソン、
 「ブナイブリス」が結成された、と言う事実は、日本でも少々、知られて
 は居る。

○しかし、実はこの「ブナイブリス」は、フランキストユダヤの組織がある
 と言う。

○一八五〇年代以降、このフランキスト・ユダヤ教は、「改革派ユダヤ教」
 と言う名前で呼ばれることに成る。

○つまり、フランス革命、十九世紀のヨーロッパの革命運動、ロシア革命、
 などなどを推進したユダヤ人、伝統的な、オーソドックスなユダヤ教徒
 ではなかった。
 彼らは、フランキストユダヤであり、そしてこのフランキストユダヤは、
 一八世紀後半の欧米のイルミナティの中核体の一部を形成した、とされる。
 (「淫婦と野獣」、第一巻、百八十九頁以下)

○この件は、きわめて重要な意味を持つが、日本では殆んど全く知られて
 居ない。

○以下続報する。

 (了)
 
 
 
 
サバティアニズムはヤコブ・フランクの後にロスチャイルドに引き継がれたとする資料
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/171.html
投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 6 月 01 日 00:32:28: WgkZZjZT3HifU

「オカルト抜きでロスチャイルド、イルミナティを研究すべし」などと公言する、白痴的「インテリ」(太田龍の時事寸評 9/16
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/580.html
投稿者 XL 日時 2007 年 9 月 16 日 22:23:50: 5Sn8OMNzpaIBE

「生まれながらの怒りの子であった」 ロスチャイルドと言う名は“憤怒の子”が正しいとの事
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/690.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 1 月 15 日 22:29:39: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 
 
 
 
反ロスチャイルド同盟
資料室(ロスチャイルドとサバタイ・ツヴィ) <Anti-Rothschild Alliance>
http://www.anti-rothschild.net/material/26.html
 
 
ロスチャイルドとサバタイ・ツヴィ

17世紀のユダヤ教の救世主、Shabbetai Tzviは、歴史が私たちにそう信じさせようとするように、本当の詐欺師だったのか?


彼は、過去2500年の中でただ一人の正統な認められたユダヤの予言者であるガザのナタンによりメシアたるべき運命にあると承認され宣言された。


彼は世界のユダヤ民族の大多数によってメシアであると受け入れられた。少なくとも、オスマントルコ帝国のサルタンに死をもって脅迫されイスラムに改宗することに同意するまでは。


Shabbatai Tzviはその改宗を神からの啓示だと理解した。彼の使命を地下で行う必要があるとの。


彼は兄に宛てた手紙の中で記している。「神は私をトルコ人にした」と。


人々はメシアを拒絶する力を持っているのか?


Shabbatai Tzviのイスラムへの改宗が彼を救世主的な詐欺師にしたのか、あるいはShabbatai Tzviを拒絶した者たちが彼らの拒絶によって不信仰者の称号を与えたのか?


Shabbetai Tzviには子孫はありますか?


はい。


今は彼らはどこにいるのですか?


この救世主の王朝はどこにあるんですか?


彼は消えて名もない人として忘れ去られたのか?


歴史は我々に何の手がかりも残していない。


あるいは残している?


たぶん、Shabbetaiは、救世主としての惑星の乗っ取りに成功した。


たぶん彼の子孫は彼らの予言者とされたメシアの父の使命を満たすべく、実際うまくやり遂げた。


私は、ロスチャイルド家がメシアであるShabbatai Tzviの直接の子孫だと示唆している。


Shabbetai Tzviは、いつかイスラエルを再建すると語った。


ロスチャイルド家がそうした。


彼は言った。世界中に離散した失われた種族を再統合するであろうと。


このことは国連によって達成されてきましたか?


国連は世界の平和をもたらすべくデザインされた隠されたロスチャイルドの影響力下のひとつのプロジェクトか?


ロスチャイルド−Shabbetai Tzviコネクションはまた、ロスチャイルドと、イルミナティの共同設立者でShabbetai Tzviの生まれ変わりであるとされている神秘的なヤコブ・フランクとの関係を説明するだろう。


それはまた、ロスチャイルドの彼らの血統に対する奇妙な執着と彼ら自身の間での血族結婚の習慣を説明するだろう。


このしきたりは救世主の王の血筋を、同化作用から保護するために決定されているのか?


ロスチャイルド家の人間と救世主との関係はまた、彼らの贅沢で華麗な生活様式を説明するだろう。


メシアの直接の子孫達が、地球上で最高級の宮殿で暮らすべきでない理由があろうや?


このように、Shabbatai Tzviとロスチャイルド家との間にある強い家族的類似性があるとしても驚くに値しないということになる。


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【引用元】さてはてメモ帳「メシアについてのお話」
http://satehate.exblog.jp/7832636/


原文
http://www.geocities.com/cliff_shack/shabbetai_rothschild.html
 
 
 
 
 
 
 
 
反ロスチャイルド同盟
資料室(サバタイ派フランキストの歴史年表) <Anti-Rothschild Alliance>
http://www.anti-rothschild.net/material/28.html
 
 
サバタイ派フランキストの歴史年表

十七世紀、不可思議なるユダヤ人のメシア、サバタイ・ツヴィが確約したのは、イスラエルの失われた十支族を一体化させ、イスラエルを復元するということであった。サバタイ・ツヴィがオスマン・トルコ帝国に赴いたときに考えたのは、彼の偉大さ、謙譲を知るため、皇帝は彼に謙虚に接するであろうということだった。皇帝は自身よりも明らかに偉大なる人物に見(まみ)えた。サバタイ・ツヴィは帝国での地位を与えられ、世界を支配しようとした。彼は当初、公然とこの目的を達成するつもりであったものの、皇帝は自身の支配権を手放すくらいならば彼を殺すと脅迫したので、サバタイ・ツヴィは彼のメシアとしての活動を地下で行わなければならないと判断した。彼の目的は、秘匿と擬装によって達成しなければならず、その行動は「背教的メシア信仰」とされた。このことによって、彼はほとんどのラビとユダヤ教主流の支持を失ったが、誠実な支持者たちは任務の継続を託された。

サバタイ・ツヴィの死から四十一年、彼の密かなる支持者たちは英国でフリーメーソンを設立した。フリーメーソンは世界支配を成し遂げるという彼の宿願を継続した。イルミニズムと結びついていたフリーメーソンは、事実として、革命と戦争を通じて、世界の君主制を転覆させた。フリーメーソン(イルミニズム)はユダヤ教、カソリック(バチカン)、イスラム世界を支配した。EUを設立することにより、残存していた失われた支族を結びつけた。そしてイスラエルを「復元」した。サバタイ派から脱し、異教徒のラビに属するヨーロッパのユダヤ人の多くは、第二次世界大戦のフリーメーソンのホロコーストによって殺戮された。フリーメーソンたるイスラエルは、フリーメーソンたる国連によって独立が承認された。
1492年 スペインにおけるユダヤ人追放。
知られている限りにおいて最初のイルミナティ組織である、アルンブラドス派(光明派)が、(訳者注――スペインにおいて)マラーノと呼ばれた隠れユダヤ人によって設立された。
1494年 ユダヤ人追放後のイングランド=チューダー王朝におけるユダヤ人残存の最初の証拠。
1527年 イグナチオ・デ・ロヨラはサラマンカで修学している時期に、アルンブラドス派に対する賛同の嫌疑で教会の委員会へと連行されたが、警告だけで処罰は免れた。
1588年 改宗ユダヤ人である、へクター・ヌーンズ博士は、スペインの無敵艦隊の出航を警告した最初の人物として賞賛された。(訳者注――無敵とされていたスペインの艦隊が英国軍に大敗した、アルマダの海戦のことである。英国の海賊がスペインの輸送船を襲撃していたことに対して、スペインは英国に抗議したが、その海賊行為にはエリザベス女王が加担していたとされる)
1589年 クリストファー・マーロウの反ユダヤ的戯曲「マルタ島のユダヤ人」初演。
1594年 エリザベス一世女王の医者で、改宗ユダヤ人であったロデリゴ・ロペス博士は、女王暗殺の策略に関わっていると目された。彼は拷問を受け、裁判にかけられて、冤罪とおぼしき国家反逆罪によって絞首刑にされた。このことで英国系(アングロ)ユダヤ人は低地へ逃がれ、しばしばスペインやポルトガルのカトリック教徒であると身を偽った。
1597年 シェークスピアの有名な戯曲「ヴェニスの商人」初演。
1604年 マナセ・ベン・イズラエル誕生。
1609年 ポルトガル商人はユダヤ人であるとの嫌疑により、ロンドンから追放される。
1620年 英国の清教徒、アメリカに渡る。
1626年 トルコのスマーナ(現イズミル)で、サバタイ・ツヴィ誕生。彼は、英国の商人と緊密な関係を持っていた父、モルデカイ・ツヴィの子として生まれた。
1639年 サバタイ・ツヴィは一三歳になり、バル・ミツヴァー(訳者注――ユダヤ教の法を守る成人男性、および、成人男性となるための成人式のことを指す)を受ける。
1640年 :マナセ・ベン・イズラエルは、銀行家のペレイラによって、タルムード学院(イェシーヴァ)の学長に任命され、著作活動に集中した。マナセが深く関心を抱いたのは、メシアの問題についてであった。彼はカバラ主義的な見解にすっかり傾倒していた。マナセはスウェーデン女王であるクリスティーナに、表面上はヘブライ語の勉強であると称して文を交わした。実際の目的は、スウェーデン国内へのユダヤ人移入に関して女王の支持を得る算段であった。だが彼の主たる注目は、英国国内へのユダヤ人再入を確保することに向けられた。

アントニオ・デ・モンテツィノ(旧姓アーロン・レヴィ。ポルトガルで異端宗教裁判を避けた後にユダヤの家系を取り戻した、一七世紀の改宗ユダヤ人)は、アマゾン・インディアンの間で生きていると噂されていた「神聖なる人々」を捜して、ペルーへと赴いた。エクアドルの国境近くの奥深いジャングルの川で、モンテツィノは白い肌のインディアンの一団によって歓迎された。モンテツィノが海を渡ってきた古代イスラエル人であることを知ると、白い原住民たちは、「シェマ・イスラエル」を暗唱して、彼らが(訳者注――失われた支族の一つである)ルベン族の子孫であると語った。アムステルダムへと戻ったモンテツィノは、自身の発見を有名な改宗ユダヤ人のラビであったマナセ・ベン・イズラエルと共有し、マナセは自身の発行する新聞紙上で、聖書の予言は成就したと発信した。彼が予測したのは、ソロモンの神殿を再建し、メシアの時代の到来を告げるため、散逸しているイスラエルの支族はまもなくエルサレムで再結合するということだった。
1647年 オリヴァー・クロムウェルは英国のチャールズ一世王を処刑するため、マナセ・ベン・イズラエルの代理人(エージェント)と謀議した。その年の六月六日(訳者注――六月十六日の説もある)、オリヴァー・クロムウェルからエベゼネル・プラット宛ての手紙にはこう書かれている。

「経済支援の見返りに、ユダヤ人の英国への入国を提唱しよう。しかしながら、チャールズが生きている限り、その実行は不可能だ。チャールズの処刑は裁判にかけない限りできないし、今のところ裁判にかける十分な根拠も存在しない。したがって、暗殺されうるとチャールズに忠告しよう。もっとも、暗殺者の手配に関わるつもりは全くない。チャールズの逃亡を手助けするだけだ。」

エベネゼル・プラットからの返事は、同年七月一二日にあった。

「チャールズが除去され、ユダヤ人の入国が認められ次第、経済支援を行う。暗殺は危険すぎる。チャールズに逃亡の機会を与えるだけでよいだろう。その後に捕まえてしまえば、裁判にかけることも、処刑することも可能だ。協力は惜しまないが、裁判が始まらないうちから、金額についての議論をしても意味はない。」

アムステルダムの後援者たちとクロムウェルとの契約はチャールズが処刑されるということであったので、(訳者注――プライドの追放後に構成された、クロムウェルの勢力で構成されていた高等法院による)裁判はクロムウェルによって命じられた。チャールズに対する告発は、アムステルダムからクロムウェル革命を首謀していた一人、マナセ・ベン・イズラエルの代理人である、アイザック・ドリスラウスによって書かれた。
1642年 サバタイ・ツヴィは、「セフィロトの梯子を登る」という、カバラ主義を熟慮する訓戒を開始した。
1707年 ラビ・モーゼス・ヒャイム・ルツァット誕生。ルツァットは、サバタイ・ツヴィの預言者である、ガザのナータンの著書に影響を受けたことを認めた。彼が主張したのは、サバタイ・ツヴィの教えの積極的な要素が、異端的な要素から切り離されうるということだったが、サバタイ派がユダヤ人コミュニティを席巻するほどの強い勢力を有していたときから、ほとんどのラビはこの意見に同意しなかった。ルツァットの活動と主張の真実性と正当性の是非が、大きな物議を醸した。ルツァットの家宅を捜索した結果、彼が魔術的儀式に参加していたとする証拠は発見されたので、カバラ思想を教えることをやめざるを得なくなった。
1648年 ボフダン・フメリニツキーは何千ものユダヤ人を虐殺した。

サバタイ・ツヴィの救世主的使命は、サバタイ派の伝統にのっとり、彼の救世主的展望によって始められた。
1649年 サバタイ・ツヴィは二九歳だった。チャールズ一世は処刑された。クロムウェルは、英国の権力を掌握した。彼は、非ユダヤ人に関するユダヤ人の大使としての役割を果たしていたアムステルダムのラビ、マナセ・ベン・イズラエルの影響を受けていた。
1650年 ユダ・ハカッシドはポーランドで生を受けた。彼はサバタイ・ツヴィの強い影響を受け、実際のところ、サバタイ・ツヴィのことをメシアであると信じ込んでいた。彼はサバタイ・ツヴィの1706年の再来を予想した。
17世紀中頃 新しい改宗ユダヤ人の植民地(コロニー)はロンドンで増大した。その植民地を構成したのは、ルーアンとカナリア諸島からの一部の難民であった。
1651年〜1654年 サバタイ・ツヴィは徹底的に打ちのめされ、イズミルから追い払われた。しかしそれは、秘密裏に殺される代わりに、イズミルから立ち去るべきだという助言による行動だった。
1655年 九月、マナセ・ベン・イズラエルはロンドンに赴いた。そうして十月三一日に、ユダヤ人の英国再入を要求している議会に、全七項目の嘆願書を提出した。クロムウェルは一二月四から十八日のホワイトホール(訳者注――英国政府)会議を招集した。そこでユダヤ人再入の議論を行った。多くの商人はクロムウェルの考えに疑問を抱いたが、クロムウェルはそれに怒り、議会を無視した。かくして英国にユダヤ人の非公式の再入を認可することは決定された。
1656年 議会におけるクロムウェルの口約束と承認が許したのは、イングランドの改宗ユダヤ人が公然と彼らの信仰を行うことだった。
1657年 ユダヤ人はオランダ、スペイン、ポルトガルから英国に移住して、シナゴーグを開いた。このようにして、英国に新設されることになったユダヤ人の会衆は、ほとんど排他的にセファルディム・ユダヤから構成されていった。英国において初めて高貴な爵位を与えられたユダヤ人は、セファルディム・ユダヤのソロモン・デ・メディナ(1650~1730)と、一八三七年にナイトに叙せられ、一八四六年に准男爵となったモーゼス・モンテフィオーレ卿(1784~1885)であった。

マナセ・ベン・イズラエル死亡。サバタイ・ツヴィは三一歳だった。

サバタイ派の伝統によると、サバタイ・ツヴィはイスラエルの罪を償う。世界を修復するために、新しい法律と新しい戒律を授かったという。
1659年 サバタイ・ツヴィはイスタンブールを出発し、スマーナ(イズミル)に戻った。
1662年 サバタイ・ツヴィはイズミルからエルサレムへと向かった。
1664年 セファルディムの小さな会衆は、スチュアート家の王政復古の後、チャールズ二世王によって公式的に認可された。マナセ・ベン・イズラエルの、メシア降臨のために基礎を置くカバラ主義活動の成就であった。

チャールズ二世は保護を形式的書面にした約定書を発表した。一六七四年と八五年の王の宣言は、その約定を重ねて確証するかのように出された。一六九八年に施行された、神への冒涜行為を抑制するための法は、英国で活動しているユダヤ教の合法性を正当に認めるものとなった。

一六六五年:五月三一日(ユダヤ暦では九月一七日)、サバタイ・ツヴィは三九歳で、ガザのメシアであると自称した。そうして彼はこう宣言した――私はサンバティオン川を進むのだ。失われた支族を呼び戻すために(訳者注――サンバティオン川とは、ラビ文学によると、失われたイスラエル十支族がアッシリア王シャルマネセル五世によって追放された川である)。

サバタイ・ツヴィと預言者ナータンはキリストとの共鳴を感じた。サバタイ派の考えによると、メシアの魂は、イエスを含めてアダムから恐らく十八回生まれ変わったという。伝えられるところによると、サバタイ・ツヴィはかつて声高に言った――何がイエスにこのようなひどい仕打ちを与えたのだ? 私はイエスが預言者の一人として数えられるよう取り計らうつもりだ(やがてサバタイ派は、バチカンの支配権を手中に収めた)。同年一二月三十日、サバタイ・ツヴィは、彼の支持者とともに、スマーナからイスタンブールへと発った。

サバタイ・ツヴィはトルコ帝国に逮捕された。拘禁され、毒矢で脅され、自身の神性を立証するように強要された。サバタイ・ツヴィには、イスラム教に改宗するか、あるいは死ぬかの選択が与えられた。彼はイスラム教に改宗し、生き永らえることを選んだ。彼はユダヤ人であることをやめずにイスラム教徒となった。サバタイ・ツヴィはユダヤ人ともイスラム教徒とも分類できなかった。サバタイがトルコ帝国に譲歩したことが、ユダヤ人世界に衝撃を与えた。そうしてサバタイ・ツヴィは着手した――普遍主義に基づいた、また病痾を根絶し、文明の進歩を促成することに専心する彼の忠実なエリートによって人類が支配される世界の構築を。サバタイ・ツヴィは、一六七三年まで、トルコ帝国(スルタン)の宮殿で役職を与えられていた。
1673年 サバタイ・ツヴィはアルバニアに追放された。
1674年 第三次英蘭戦争の後のウエストミンスター条約により、ニューヨークとニュージャージーは英国に還された。
1676年 サバタイ・ツヴィは死亡し、ドンメー派が組織された。
1690年 英国に移住したドイツ系ユダヤ人は、シナゴーグを開いた。この最初のアシュケナジー・ユダヤのコミュニティはロンドンに設けられた。そうしてまもなく、アシュケナジーは英国中に集会所を設立した。一六九〇年までに、およそ四百人のユダヤ人がイングランドで暮らしていた。
1697年 ユダ・ハシドはメシアの天啓を待ち受けるため、三一の学者の家族とともにエルサレムへと出発した。
1700年 ユダ・ハシドはエルサレムに到着したが、殺害された。
ウィルアム三世は、ソロモン・デ・メディナを(セファルディム)ユダヤ人としては初めて、ナイトに叙した。
1701年 6月23日、ベーヴィス・マークス(ロンドン)にて、セファルディム・ユダヤのシナゴーグが開かれる。
1705年 ヘブライ語の活字印刷がロンドンで開始される。
1706年 ユダ・ハカッシドは信じていた。亡きサバタイ・ツヴィは、事実としてメシアであり、彼の再来はこの年にあると。
1716年 バルーカ・ルッソが主張したのは、自分はサバタイ・ツヴィの生まれ変わりであるメシアにして、神の化身であるということだった。

初のグランド・ロッジが創設される前年、知られている限りでは最初のユダヤ人メーソンとなったのは、英国系セファルディムで、ジャコバイト(訳者注――亡命したジェームズ二世の支持者の意)ユダヤ人としても知られていた、フランシス・フランシアだった。彼は国家反逆罪の罪で裁判にかけられたが、後に釈放された。一八七七年の新聞でこの事件が詳述され、フランシアはメーソンと呼ばれた。
1717年 フリーメーソンは、タルムードで叙述されていた「ノアの七法」にのっとり英国で、ソロモンの神殿を再建して設立された。
1726年 ヤコブ・フランク、(現ウクライナ)ポーランドのガリシアで誕生。
1730年 世界的同胞関係を促進していたメーソンのロッジは、ヨーロッパ大陸で出現しはじめた。非ユダヤ人の社会基準に適応できる行動様式を習得したり、彼らの社会に十分な参画ができるよう、何らかの西洋の教育を受けた、新しいタイプのユダヤ人が当時現れていた。こうした新しいユダヤ人が最初に現れたのは、イングランド、オランダ、そしてフランスのセファルディム・ユダヤの間であり、その後に、すべての西欧諸国のアシュケナジーが続いた。一七八〇年代ののち、フリーメーソンに入会したユダヤ人の数から分かるように、彼らはヨーロッパの社会生活様式の不変の特徴となった。
1732年 一方で、エドワード・ローズは、ダニエル・デルバイエによってロッジの主宰者として任じられた(デルバイエは一七三二年九月二二日のデイリーポストの報道で、「ユダヤ人の凄腕嗅ぎタバコ売り」と称された。疑いなく、彼は数年ローズよりも先行していて、ロッジマスターの高い地位に着いていた)。さらには、マシアス・レヴィが一八九八年にユダヤ人の新聞で「フリーメーソンとしてのユダヤ人」という表題が付けられた記事において主張したことには、新規入会者の儀式が、ユダヤ人と非ユダヤ人両方の前で執り行われたということだった。出席していた他のユダヤ人は、彼ら自身メーソンであったに違いない。
1734年 六千人のユダヤ人が英国に住んでいた。ユダヤ人の上流階級は依然として、ブローカーと外国のトレーダーから構成されていたが、ユダヤ人は徐々にあらゆる社会階層に進入していった。その最初のユダヤ人はセファルディムだった。
1744年 2月23日、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、ドイツのフランクフルト・アム・マインにて誕生した。彼は、歴史上もっとも成功したビジネス・ファミリーの一つである、ロスチャイルド金融帝国の始祖である。彼は姓をバウアーからロート・シルト(英語で読むとロスチャイルド)に改めた。彼の父であるモーゼス・バウアーが従事していた家業である、銀行と売春宿のロゴとして、赤い楯が使用されていたからである。アムシェル・ロスチャイルドの有名な言葉がある――国家の通貨支配権を手に入れてしまえば、その後で誰が法律を作ろうと知ったことではない。
1751年 ヤコブ・フランクは、自身をメシアであると宣言した。
1752年 ヤコブ・フランクは結婚した。
1753年 ユダヤ人の帰化法案は、外国で生まれたユダヤ人に対して、現地で生まれたユダヤ人並みの特権を与えるためのものだったが、反ユダヤの扇動によって取り消された。
1755年 ヤコブ・フランクはポーランドで、特定の選ばれた人々が道徳律から免れるという思潮を持った派閥を作り出した。この勢力は、ユダヤ神秘主義思潮であるカバラにおいてもっとも重要な活動であるゾハールに基づいた、「より崇高なるトーラー(法)」のためにユダヤ教を捨てた。それゆえ彼らは自身をゾハリスト(ゾハール主義者)と称した。彼らの儀式は、酒池肉林、性的狂宴(オルギア)を含んだ淫乱で出鱈目なものだった。オーストリアの皇帝であったヨーゼフ二世は、ヤコブ・フランクの娘であるエヴァと儀式の間じゅう性交した。(ラビ・M・S・アンテルマン『阿片を根絶するために』一巻、一〇四頁)

一七五六年:ユダヤ人コミュニティは、異教徒であるとして、ヤコブ・フランクと彼の支持者を禁止した。
1759年 ヤコブ・フランクがキリスト教に改宗。
1760年 カソリックへの偽装改宗と、悪質な異教を流布することの嫌疑によって、ヤコブ・フランクはワルシャワで逮捕された。彼は異教徒の司祭であるとして有罪判決を下され、チェンストホヴァに投獄されたので、彼の支持者と交信を取ることが出来なかった。

バール・シェム・トフは死亡した。(訳者注――本名、イスロエル・ベン・エリエツェル。ラビ)
1769年 8月15日、ナポレオン誕生。
1770年 ヤコブ・フランクは自身のサバタイ派勢力を、ユダヤ人イエズス会士であったアダム・ヴァイスハウプトが設立したイルミナティに参入できるよう要請するために協定を結んだ(注記…イルミナティはアダム・ヴァイスハウプトが創めた組織ではない。正しくは、古くから存在したイルミナティをヴァイスハウプトが刷新し、改良したものである。知られる限りにおいて初めてのイルミナティ組織は、上述したとおり、一四九二年にスペインのユダヤ人(マラーノと呼ばれた隠れユダヤ人)によって設立されたアルンブラドスである。一四九一年、イグナチオ・デ・ロヨラはスペインのギプスコアで生まれた。彼の両親はマラーノで、家庭はとても裕福だった。若かりし彼は、スペインのイルミナティの一員となった。隠れユダヤ人としての活動を偽装するため、彼は非常に敬虔なカソリック教徒となり、身を偽った。一五三九年、彼はイエズス会を設立することになるローマへと移ったのである)。
1772年 8月、チェンストホヴァがロシアに征服されたことで、ヤコブ・フランクは解放された。
1772〜1786年 ヤコブ・フランクはブルノのモラビア人街に移った。十三年間をそこで過ごした。彼は王国とカソリックを破壊する一般的な革命について大いに語った。
1776年 フリーメーソンによるアメリカの革命が勃発。
1780年 ヨーロッパにおけるアジア同胞団は、ドブルシュカと名を変えたヤコブ・フランクによって、ブルノで設立された。その目的は、旧来のメーソンの上にさらなる上位組織を設立するためであった。同胞団の神智学的な教義と儀礼上の規範の基礎としていたのは、ヤコブ・フランクの軍国主義的サバタイ派カバラ思想であった。
1784年 セファルディム・ユダヤにしてメーソンである、モーゼス・モンテフィオーレ、イタリアのリヴォルノで誕生。
1786年 ヤコブ・フランクは、一時的な財政難に悩まされ、フランクフルトの近く、オッフェンバックへと移り住んだ。そこで彼の金銭問題は後援者たちによって解決された。中でも彼を特に助けたのは、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドであった。
1789年 フランス(・メーソンによる)革命。
1791年 ヤコブ・フランク、オッフェンバックで死亡。

フリーメーソンであったナポレオンは、フランスのユダヤ人を解放した。ナポレオンから百年後、同じくメーソンである、エドモンド・ド・ロスチャイルド男爵は、イスラエル建国を支持した。
1796〜1797年 ナポレオンによるイタリアへの軍事行動。
1799年 メーソンの同胞たるナポレオン、フランス共和国の最初の執政となる。
1804年 ナポレオン、フランス皇帝になる。
1806年 ナポレオンの「サンヘドリン」が開催される。

神聖ローマ帝国はナポレオンの支配下に入る。(ナポレオンの入会していたメーソンは恐らく、スペインのマラーノが起源となっているものと思われる)
1807年 フランクフルトのユダヤ人メーソンのロッジは、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドによって設立された。アドラー家、スペイヤー家、ライッゼ家、ズィーヒェル家といった、フランクフルトの旧家はそのロッジを代表する面々だった。フランクフルトにおいてもっとも力のあった、エリソン家、ハナウ家、ゴルドシュミット家も(無論ロスチャイルド家も)含まれていた。後にウィーンに移ることになる、初代ロスチャイルドの次男、サロモン・マイヤーは、このロッジのメンバーになった。
1812年 9月19日、マイヤー・アムシュル死亡。
1815年 ナポレオンのワーテルローでの敗北による、ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドのロンドン証券取引所での大儲け。
1816年 エヴァ・フランク死亡。
1829年 英国のユダヤ人、公的な平等を得るために声を挙げる。
1833年 下院を通過したユダヤ人開放法案は、上院で否決された。この年、ユダヤ人としては初めての法廷弁護士が誕生する。
1835年 初のユダヤ人州長官が任命される。
1837年 ヴィクトリア女王は、モーゼス・モンテフィオーレをナイトに叙した。
1841年 アイザック・ライアン・ゴールドシュミッドは、ユダヤ人としては初めて、世襲制の爵位である、准男爵となった。同年、英国系ユダヤ人の定期刊行新聞が創刊され、今日まで続いている。
1855年 デヴィッド・ソロモンは、ユダヤ人としては初めて、ロンドン市長となった。同年、ユダヤ大学(カレッジ)が開校、それは現在、ラビの教養と成人教育を提供するロンドン大学の支部となっている。
1858年 全てのユダヤ人の解放と、キリスト教の誓いの変更が、議会の全ての議員に要求された(訳者注――一八五八年まで、ユダヤ人は英国において国会議員になることができなかった。また議員は、キリスト教の誓いを立てなければならなかった)。同年七月二十六日、ユダヤ人の男爵であった、ライオネル・ロスチャイルドは、十一年の議論の末、ユダヤ人国会議員を認めさせ、下院の席に座った。翌年、ユダヤ人貧困者のための福祉団体であるユダヤ保護委員会(現在のユダヤ福祉委員会)が設立された。
1863年 ロスチャイルドとアイザック・ゴルドシュミットのアシュケナジー・ユダヤのコミュニティに、モーゼス・モンテフィオーレ卿が、下院ユダヤ人の結束のために参加した。ラビ・ネイサン・マーカス・アドラーはロンドン近辺に存在したアシュケナジーの会衆を結びつけて、連繋したシナゴーグにし、英国のラビの統領職を創設した。
1874年 ベンジャミン・ディズレーリは、初めてのユダヤ人首相となった。
1882年 4万6千人のユダヤ人が英国で暮らしていた。
1885年 モーゼス・モンテフィオーレ卿死亡。
1888年 サバタイ・ツヴィの誕生日である7月20日に、ウィーンで、アドルフ・ヒトラーの母クラーラは、アドルフを身篭った。九ヵ月後の4月20日、彼は誕生した。


原文 Sabbatean Frankist-Freemasonic Chronology
http://www.geocities.com/cliff_shack/frankist-freemason-chrono.html
 
 
 
 
 
 
 
  
moikomi's Wiki - ゴミ箱2007-02
http://wiki.fdiary.net/moikomi/?%A5%B4%A5%DF%C8%A22007-02
 
 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=156178517&owner_id=3632122

1.  1.「ケマルはトルコ人(トルコ人は勿論全部ムスリム)ではないよ、ユダヤ人だよー。」
   2.・・
   3.「そう、ケマルはムスリムではないし、従ってトルコ人ではありません。証拠もあります。
    オスマン王朝時代の彼を写した写真では、彼は異教徒部隊の軍服を着ています。
    彼の侍医の日記でも彼がユダヤ人であることがわかります。
    また、今トルコの教科書で彼の父と教えられている人は三十年前は祖父ということになっていました。
    彼の系図も残っていないし、当然出自はよくわからない。
    オスマン王朝時代の将軍で系図が残っていない人など他におりません。
    しかも、こういったことを調べようとすると政府によって逮捕されます。」
   4.「それはトルコ人の間では知られているのですか?」
   5.「知っている人は知っています。トルコ人なら皆彼を尊敬しているというわけでは、決してありません。
    しかし、話題にできないのです。
    表向きケマルを敬っている振りをしないと、トルコでは就職などで不利益を被ります。」
   6.「なんとまあ・・・。私は今始めて、ムスリム諸国で近代化に成功した国が一つも無いことを知りました。」
   7.「そう、トルコは西欧化、近代化したのではなく、スターリニズム化、ファシズム化したに過ぎません。」
   8.・・
   9.このお話を伺った後、調べたのでありますが、
    ウスマーン王朝領内には隠れユダヤ人(ドンメー)が多くいたようです。
    ケマルの出生地テサロニケの三分の一は隠れユダヤ人だったそうな。
  10.訂正 三分の一→三分の二
  11.・・
  12.ケマル=ユダヤ人なんてトルコ人の方から話を振ってくるまで話してはいけません。
    地雷を踏むかも。
2.   ぎょえ。
 
 
 
 
反ロスチャイルド同盟 掲示板
檢索 [アルメニア人 虐殺]
クリストファ−・ジョン・ピエルクネスの「ユダヤ人によるアルメニアキリスト教徒の大量虐殺」
http://www.anti-rothschild.net/bbs/srch.cgi?no=0&word=%83A%83%8B%83%81%83j%83A%90l%81%40%8Bs%8EE&andor=and&logs=all&PAGE=20
 
 
 
 
 

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