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2015年2月 自分達が遭難したと認識できなかった学習院大アホ学生の八ヶ岳遭難
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/722.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 6 月 07 日 22:34:10: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 「吹雪で動けない」 爺ケ岳の女性 投稿者 中川隆 日時 2015 年 2 月 16 日 18:41:18)

2015年2月 自分達が遭難したと認識できなかった学習院大アホ学生の八ヶ岳遭難


八ヶ岳 阿弥陀岳 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%B2%B3


八ヶ岳で学習院大パーティー遭難か りんどう山の会 2015年02月10日

 大学山岳部の男女各一名が、八ヶ岳の阿弥陀岳からの下山中に、行方不明となっている模様。

 信越放送などによると、

 行方不明となっているのは、学習院大学に在学する22歳の男子学生と、19歳の女子学生とのこと。

 同大学パーティーは五人で、一昨日、阿弥陀岳登頂し、下山中に道に迷いビバークし、その後、三人は近くの山小屋に到着したが、二人は到着せず消息不明となったようだ。
 
 二人は装備は持っているらしいので、冷静に行動していることを願いたい。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/804630

学習院大の二人は雪の中から発見 りんどう山の会 2015年02月11日

 一昨日(2/9)から消息不明となっていた学習院大学山岳部の二人は、阿弥陀岳南側の斜面の雪の中に埋まった状態で発見された。

 二人共死亡が確認されている。

 報道などによると、

 二人は八ヶ岳連峰の阿弥陀岳の南側の急斜面の約200m下部で、1.5mの雪に埋まった状態で発見されたが、現場で死亡が確認された。

 二人の体はロープで結ばれていて、複雑に絡まった状態だったという。

 無事下山した山岳部員の話しでは、遅れた19歳の女性部員をリーダーで主将の22歳の男性が、ロープで結び引っ張りながら歩いていたと証言している。

 現場の状況などから、滑落した可能性が高いとみられている。付近に落ちていた赤い手袋が目印となり、ビーコンの電波に反応した場所を掘ったところ、1.5mの雪の中から二人を発見したようだ。

 今日は、学習院大学山岳部OBも捜索に加わり、捜索に期待がもたれたが、視界が回復した午後、ヘリコプターで現場に投入された救助隊により残念な状態で発見された。

 今年も、信州の山で、若い命が奪われてしまった。装備も揃っていた上、リーダーの男子学生は海外登山の隊長を務めるなど経験があったようだが、冬の八ヶ岳には勝てなかったのか、本当に残念です。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/805966


学習院大しっかり遭難事故を検証すると りんどう山の会 2015年02月13日

阿弥陀岳ルート
 ※写真は、硫黄岳付近から昨年9月に撮影したもの。
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/a97db268f4a2cf8358284fbe59c84607/4896547


前途ある二人の学生が亡くなった遭難事故を受けて、学習院大学は検証し、原因究明も行う考えを示した。

 警察によると、二人の死因はリーダ―の男子学生が多発外傷、女子学生が低体温症だったことから、二人はロープで体をつなぎ稜線を歩いていて滑落し、その後、雪崩に遭った可能性があるとみている。

 学習院大山岳部パーティーは、登山計画もしっかりして、装備にも不備はなかったと思われているのに事故は起きてしまった。

 2月の八ヶ岳で天候が悪化した場合の対策が、やはり甘かったのか。視界がきかない中で、方向を間違え道に迷ってしまったのが、最初のミスであった考えていいだろう。

 道に迷ってビバークするまでは冷静な行動ができていたのに、翌日は体力差から、パーティーが同一行動をとれなくなったことが事故につながってしまったのだろうか。

 二人の尊い命を無駄にしないためにも、しっかり検証し原因究明をしてほしい。
 しかし、あまりにも大きな代償となってしまった。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/806841


検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故@ りんどう山の会 2015年11月14日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1101892

今年2月、学習院大学山岳部の学生二人が、八ヶ岳連峰の阿弥陀岳で遭難し亡くなった。

 学習院輔仁会大学支部山岳部及び学習院山桜会(山岳部OBOG会)では、この事故の検証と原因究明を行い一冊の報告書にまとめている。この報告書は、我々のこれからの山行においても教訓になるので、要約し当方の考察を加え数回に分けてお伝えしたい。

【登山予定】

 学習院大学山岳部の5人パーティー(4年男子主将、2年男子2人、1年男女各1人)は、行者小屋から阿弥陀岳北稜を上り、日帰りで行者小屋に戻る。

 ※今後は、主将をCL、2年生のサブリーダーをSL、もう一人をA、1年の男子をB、女子をCと表記する。

地図
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/e49a4e71937eb389d04d467a1c779caf/5144904

【行動】平成27年2月8日(第1日目)

 5:00 行者小屋のテントを出発。出発時は視界も良かった。

 6:00 雪が降っていたが風が弱く阿弥陀岳はよく見えた。ハーネス、アイゼンを装着。

 7:00 北稜の岸壁に到着。2パーティーに分かれ登攀開始。
降雪は強まり天候は悪化してきたが、阿弥陀岳頂上は確認できた。
 岩稜を抜けたあたりから既に視界は悪くなり、5〜10mの範囲しか見えない。
吹雪ではないが風は強かった。
 岩場を2ピッチ、スタカット。雪稜を1ピッチ、コンテニュアス。
 頂上手前でロープをしまいゴーグル着用。CLが指示。

 8:00 阿弥陀岳山頂に到着。風強く積雪あり視界5〜10m。山頂標は膝より下にある。
 赤岳への標識を確認。天候悪化のため早々に下山を始める。

 稜線上を下降中急斜面に出る。急斜面を時計回りに巻いて下降。前方に尾根が続いていた。
 
 文三郎尾根を下山する予定であったが、風が強いので中岳沢を下ることにする。CL指示。

 実際には、中岳方向へ下山せず、南東方向へ下降してしまう。コンパスで確認することはなかった。
 沢を降りている時、SLは違和感を覚える。


 下降し続けると斜面が平らになり川沿いに出た。Aが方向に違和感を感じたが確認はせず。

学習院大遭難ルート
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/ed8cb8c006301710c4798fc8170f81de/5144905


しばらくして、行者小屋への時間がかかりすぎるため、疑問に思ったSLがCLに声をかけ相談した結果、ルートが間違っていることに気付く。

 立場川の中にいて舟山十字路方向に進んでいることを確認。

 南稜に続く尾根が近いので、ひとまず南稜の尾根を目指す。

 南稜の尾根を目指し何度も迂回しているうちに沢沿いに大きく落ち込んだ崖に出たので、ロープで10m懸垂下降。

 舟山十字路より南稜を経由した方が行者小屋は近いことから南稜を目指すこと、今夜のビバークの必要性について話し合う。

 SLは手袋が濡れBから予備を借りる。
 CLとCは(遭難で亡くなった2人)は、雪を踏み抜き沢の水に浸かり靴下まで濡らす。Cは靴下の予備がなくBから借り交換する。

 この時点でCには疲労が見られたためSLが後ろからサポートした。
 Bも疲れていた。

 16:30CLとAは、南稜の尾根に取り付く上り口を探し、比較的上りやすい場所を見つけた。立場岳へ続く尾根の樹林帯、推定2100m付近をビバーク地とする。

 18:00 CLとAは半雪洞を掘りツエルト二張りを張る。残りの三人は30分遅れて到着。

 Cは靴下を交換したが靴が濡れていたため、また靴下が濡れた。CLは濡れたまま交換していない。

 雪洞の中で、枝、マット、ザック、シュラフカバーを敷き、全員サバイバルシートを羽織る。Cはシュラフカバーに入った。

 20:00 雪は降っていたが樹林帯で風はほぼなかった。
 ガスストーブで暖をとる。その後、一晩中燃やし続ける。
 Cは震えていたが、他に着るものを持っていなかった。

 非常食や行動食を食べ、テルモスのお茶を温めみんなで飲む。

 このとき、CLとSLのドコモの携帯電話は通信可能であったが、本部への連絡はしなかった。なお、Aのソフトバンクは不感だった。


【考察】

 この遭難事故が発生した際、ネット上では、

「なぜ、明瞭な中岳のコルでルートを間違うのか」、
「コンパスを確認しなかったのか」、
「なぜ南稜を登り返したのか」

など、様々な疑問が投げかけられていた。

 この報告書により、その辺の疑問も少しは判明してきた。

 登頂後のルートは、中岳のコルへ下り、中岳沢を行者小屋まで戻ることを想定していたことは、多くの人が予想していたルートだ。

 ただ、視界が悪くなってもコンパスで方向を確認することなく、斜面を時計回りに下降してしまい。かなり下ってから初めてコンパスで確認をしている。
 この辺が遭難への助長だったことになる。

 こうなるとは想定はしていなかっただろうが、手袋や靴下の予備を持っていないことは反省点だろう。

 ビバーク地点で遭難を自覚していれば、携帯電話が通じたことから救助要請はできた。
 ここで最初の通報の機会を逃してしまった。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1101892

検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故A 2015年11月21日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1107655

 山行2日目、彼らはどのように考え、どう行動したのか?

【行動】(第2日目)平成27年2月9日

5:45 ストーブのガスが尽きたので、固形燃料で出発前最後の暖をとる。朝食はなし。

6:00 出発準備。天気予報が聴けなかったが、7日時点の予報では、晴れるが風が強いと確認していた。

7:00 出発。南稜へ向け登り返しを始める。
天気は晴れ、樹林帯のためか風はほとんどなかった。

CL及びSLの足の感覚は無くなっていた。
CL「手は調子が悪く、足は感覚がない」と発言。CLとSLは、Aから毛手袋を片方ずつ借りる。

SLは、隊員がここまでそれなりに元気に登っていたので、南稜を進み阿弥陀岳を越えられると考えていた。

9:30 南稜正規ルートに合流。立場岳付近と思われる。
トップAは、南稜のトレースに従いひたすら行動。SLは、トレースと合流地点でかなり高度を稼いだ感覚があり、頂上が近いと実感。

青ナギの下りの途中で、BがCLに「このまま下るのですか」と尋ね、CLは「阿弥陀岳まで登り返すよ」と答える。

11:00 青ナギ付近で休憩。各隊員のレーションはほとんどなく、各自の判断で食べていた。

SLはCLからカロリーメイト1/4とハチミツ一口をもらう。
飲み物は冷たかったのであまり飲まなかった。
Cは頂上までどれくらいか尋ね、SLは「まだまだ」と答える。

トレースを辿り、赤旗を確認しながら進むが、Cのペースが一気に落ちる。

13:00 無名峰の先に到着。SLとCは30分遅れる。

Cは遅れていたが疲れたとの発言はしなかった。
風は強まり曇り始める。太陽は見えなくなり体感温度が下がる。

CLの指示で、アイゼンとハーネス装着するが、CLとCのハーネスのバックルが凍結して使用できず、ロングスリングと安全環付カラビナでハーネスをつくる。

CLとCはコンテニュアス開始。他はアイザイレンはせず。

生還した三人の時計は、SLはザックの中、Aは故障、Bはテントに忘れたため、以下は推測の時間となる。

15:30頃 SL、A、BがP3に到着。CL、Cは30分遅れ。
C「ここを登ったら頂上ですか」、SL「ここじゃないよ」

CLとCがコンテニュアスでP3へ取り付き、P3のルートを確認し、CLが「このまま行こう」と判断。
あとの三人は、ロープ無しで取り付く。

ルンゼに回り込むところは岩場が狭く、Cは少し疲労していた。
ルンゼの中に入ったとき、Cの靴が脱げかけていた。Cは靴を履こうとしていたが、コンテニュアス状態のため、C自身がロープに体重をかけて靴を履ける状況でなかった。


夏道北稜
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/d31d26b37bfd05f9f222cf395409ee96/5148607

CLは、急なルンゼで全員が止まった状況は危険と感じ、SL、A、Bに、先にルンゼを抜けるよう指示。A、Bの順にCLらを抜き、SLも続いた。

「このままでは危険すぎる。お前たちは先に行き、頂上に出たら、中岳沢の夏道を使って行者小屋に降りろ」とCLが指示。

ルンゼを抜ける際、Aが振り返ったときはCは既に靴を履き直し登り出していた。
その後、先行した三人は二人を見ることはなかった。

16:30頃 先行する三人が阿弥陀岳頂上に着。8日より視界は良く、8日に登った北稜の最後の雪稜が確認できた。

行者小屋までの下降ルートを検討。8日、中岳沢と立場川本谷を間違えた不安と、自分たちのトレースが北稜に残っている可能性から北稜を選択。

岩場を右から迂回。岸壁の少し下で 25m懸垂下降。樹林帯に入り30分くらいヘッドランプを点ける。コンパスを行者小屋に合わせ下るとすぐに行者小屋の水場を目視できた。

18:00 テントに到着。隣の東京農大山岳部に現在の時刻を聞く。

暖を取り凍傷箇所を確認。SL、Bの状態が特に悪いと感じぬるま湯で温める。

19:45 二人の安否が心配で監督に連絡も繋がらなかったため登山本部に連絡し詳細を報告。
 後方の二人との差が1時間から1時間半程度と考えていたためこの時間になったようだ。

21:40 監督と連絡が取れ状況説明。監督「2回目のビバークになるため、OB会の会長らと相談し、長野県警へ救助要請。家族への説明

OB、部員6名が深夜に八ヶ岳へ向かう。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1107655

検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故B 2015年11月28日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1113359


中阿弥陀
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/d3f1296fecd1dac1b2e1439e071883b3/5153636

 山行3日目、いよいよ行方不明の学生二人の捜索が始まる。二人はどうなったのか?

 5人パーティーの主将で4年の男子学生をCL、2年の男子学生のサブリーダーをSL、もう一人の2年の男子学生をA、1年の男子学生をB、1年で唯一の女子学生をC。
 今回の山行に参加していない山岳部の副将をS、三年の男子学生をUとGとする。


【行動】平成27年2月10日(第3日目)
19:45 SLから連絡を受けた登山本部のGは,山岳部監督に連絡したがつながらず、ヘッドコーチにこの件を連絡する。

21:30 ヘッドコーチは、副将のSに、U及びGと出発の準備をして新宿に行くよう指示。

21:40 監督からGに連絡が入る。監督が状況を把握する。続いて、行者小屋のテント場にいるSLに連絡し詳細をしることに。

22:00 監督は、贄田山桜会(学習院大学山岳部の卒業生組織)会長と長野県警への救助隊出動要請について協議。

23:06 長野県警茅野警察署へ捜索依頼をする。
続いて、今回の山行に参加した5名の部員の家族に現地の状況を説明「翌朝から長野県警と捜索活動に入る」と。


行動軌跡
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/e49a4e71937eb389d04d467a1c779caf/5144904

【捜索開始】平成27年2月10(第3日目)

0:30 OBのN、副将S、部員U、部員GがOBのHの車に合流し、OBのT宅(山梨)へ向かう。

2:30 H、N、S、U、Gが中央道長坂インター近くで、監督及びOBのTと合流しミーティング。

4:00 T宅で装備の確認。

6:00 OBを含む6人が八ヶ岳山荘に到着。
部員のUは八ヶ岳山荘で待機し、5人は出発の準備をする。

この頃、行者小屋テント場の三人が起床。
携帯電話を見ると、長野県警から着信履歴があったので、電話をかけて詳細を伝える。
 朝食をとり、凍傷箇所を確認する。
 長野県警山岳遭難救助隊、山岳部OBからなる捜索隊が到着するまで待つ。

6:15 救助隊と学習院隊が八ヶ岳山荘を車で出発。

6:40 救助隊と学習院隊が赤岳山荘に到着。車はここに駐車。

7:00 山荘を出発


行者小屋
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/bc42df2485e3dc6c4cc5bcc9922f58f0/5153626

8:55 行者小屋(左写真)に捜索隊到着

テントにいる三人と合流。
救助隊が三人の凍傷の患部を確認し、ミーティング。
三人はヘリコプターを使わず、自力で下山できると判断。

副将SとGは三人に付き添って下山することになる。
下山した三人は、美濃戸口から救急車で病院へ搬送される。


OBのHはテント場で待機(無線所持)。
OBのTとNは県警救助隊と共に捜索を行うことになる。

9:45 捜索隊(県警救助隊4名、OBのTとN)は、行者小屋を出発。
中岳沢経由で阿弥陀岳山頂へ向かう。

午前中は、風が強く視界不良のため、ヘリコプターは山頂付近から帰還しヘリポートで待機。

12:00 救助隊が阿弥陀岳山頂に到着し、南稜を下降しながら捜索を開始。

14:00 P3付近を救助隊が通過

15:00 青ナギで待機
天気が回復したため、ヘリによる捜索を始める。
ヘリから、立場川に伸びるトレースを確認する。
沢筋(広河原沢本谷第2ルンゼ)に、赤い点を確認し写真撮影。

16:00 立場岳山頂付近で立場川からのトレースを発見

17:00 舟山十字路に下山し、この日の捜索を終了する。
ヘリも捜索を終了

18:00 八ヶ岳山荘に戻る
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1113359

検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故C 2015年12月05日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1123108

 前日に見つかった赤い点は何だったのか、行方不明の二人の学生は二日目をむかえる。
そして、捜索活動はどのように行われたのか?


【行動】平成27年2月11日(第4日目)※遭難から二日目

5:00 捜索隊の長野県警山岳救助隊2名、学習院大OBの2名が、車で八ヶ岳山荘を出発し、赤岳山荘へ向かう。

5:30 赤岳山荘に到着後車を停め、徒歩で入山する。

7:30 行者小屋に捜索隊が到着。ここで、県警機動隊5名、救助隊員1名、OBのHと合流し、捜索方針を決める。

 捜索隊を二班に分け、より詳しく捜索することを確認。

 第一班は、機動隊員5名とOBのTで構成し、阿弥陀岳山頂から南稜を下降しながら捜索する。

 第二班は、山岳救助隊員2名とOBのMで構成し、山頂付近を捜索する。
 残る、OBのHと山岳救助隊員1名は美濃戸口へ下山することになるが、その理由は不明。

8:00 救助隊は、中岳沢より阿弥陀岳へ出発する。
長野県警のヘリコプターは、阿弥陀岳山頂周辺を上空より捜索したが、ガスが出てきて視界が利かなくなったため一旦帰還する。


※写真は、報告書より引用。第2ルンゼ下の赤い丸が、二人が発見された場所。
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/e3182649726ee491e4f7b582df568251/5159245


10:07 捜索隊地上部隊が、阿弥陀岳山頂に到着。
山頂班は、学生2名の手がかりを求め山頂周辺で捜索を始める。
南稜班は、下降しながら捜索を開始する。

12:00 ヘリコプターによる捜索を再開する。

13:00 地上部隊の南稜班は、青ナギまで下降し待機する。

13:30 広河原沢右俣上部に、へりから隊員3名が降下し血痕を確認する。
ビーコンの反応があったが、その後消える。

14:00 落ちていた登山計画書を見つける。

14:22 降下地点より100mほど下るとビーコンの反応がある。

14:24 雪面の下80cmに、二名の反応があり掘り出しを始める。

14:26 一名を発見。

14:29 二人目を発見。

14:35 体の三分の一を掘り出す。体の上には、1〜1.5mの雪が積もっていた。

14:40 体の三分の二を掘り出す。
二人は、ロープで絡み合った状態で、ともに心肺停止状態であった。
雲行きが怪しいため、収容を急ぐ。

15:07 二名を掘り出す。

15:40 収容を開始する。

15:50 ヘリへの収容が完了し、ヘリポートへ向かう。

18:00 南稜班は、ヘリコプターによる二人の収容を見届け、舟山十字路に下山した。

二人の学生は、冷たい雪の中から見つかった。残念な結果となってしまった。

捜索活動は、二次遭難もなく任務遂行し終了となった。

しかし、失った二人の若い命の代償は大きい。

この後、本格的な原因究明が行われることになる。

遭難の原因はどこにあったのか。
亡くなった二人の学生は、どのように行動したのか。それは少しずつ明らかなる。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1123108

検証 学習院大阿弥陀岳遭難事故 まとめ 2015年12月06日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1124162

 この遭難事故の問題点は何だったのか。どうして二人は亡くなったのか。今明らかになる。

 5人パーティーの主将で4年の男子学生をCL、2年の男子学生のサブリーダーをSL、もう一人の2年の男子学生をA、1年の男子学生をB、1年で唯一の女子学生をC。

 この遭難事故を受けて、学習院大学山桜会(学習院の大学、高等科、短大の山岳部の卒業生の会)は、阿弥陀岳遭難事故対策本部を立ち上げる。

 そしてOBを中心としたチームを結成し、計三回の現場検証などを行っている。

 一回目が2月20日、二回目が3月27日、三回目は9月5日だが、ザック等の捜索が中心である。

 この現場検証では、立場川本谷に下降を始めた地点については、特定できなかったようだが、考えられるルートは二通り。


考えられるルート
https://rindow33kai.grupo.jp/photo/cfdbbface95ad454685e5a9d8cfa8d9a/5160908

 一つは、山頂から下山後すぐに正規のルートから外れ、立場川本谷方面へそれたとするもの。

 もう一つは、正規のルートは10〜20m下ってから、立場川本谷方面へそれたとするもの。

 前者のルートが有力だというが、断定はできなかったようだ。

 滑落発生状況は、阿弥陀岳南稜でCが靴が脱げかけたことで、CLが隊を分けた。
 このとき、山頂付近は気温氷点下20℃、風速9〜14mの風が吹いていて、天気は晴れ時々曇りだった。

 雪質はよく、アイゼンは蹴り込めばよく効く状態だった。

 隊が分かれた後、Aが振り返ったとき、靴が脱げかけていたCが靴を履き直していたことから、CLは何かを支えにして、Cを確保し、Cに靴を履かせたと推測できる。

 その後、二人は登り続け頂上に立ったのだろう。それは、Cのザックに、ヘッドランプが入った状態だったことから、二人は明るいうちに頂上に到着したと推測できる。

 CLのザックは9月に発見されたが、ヘッドランプがあったかどうかは不明。雨蓋のファスナーと本体の口が開いていた状態だったという。

 二人の落下地点は広河原沢本谷第2ルンゼであることから、登頂後、方向を誤り摩利支天方向へ進み滑落したと推定したようだ。


【事故原因】

 この報告書では、現役部員が主体となり、事故原因を分析。直接の原因以外にも様々な問題があったことを明らかにしている。

 以下、その問題点を記載する。
 なお、本書には対策も併記されているが省略する。


《登山計画立案段階》

◇山行計画が妥当かどうかを十分に考慮しなかった

@過去に同じ内容の山行計画を実施したという理由だけで、計画を遂行できると考えた。
A緊急事態が起こることまで想定して山行計画が妥当かどうかを十分に考慮しなかった。


◇計画書に記載された装備表の軽視

@計画書に載っているアタック装備を全て持っていかなかった。
 行動をより早くするために、装備表の中から必要なものとそうでないものを自分たちで選び、予備の手袋や個人マットなどを持っていかなかった。


《山行中》

◇北稜を引き返さなかった

@天気の変化に対して、停滞、撤退、同ルート下降等の適切な行動をとらなかった。
A撤退の判断が遅かった。

 先行したA、Bが岩稜に取り付いた時にはまだ視界が良好だった。その後2ピッチ目にとりかかった時点では視界は悪くなり始めていたが、引き返す判断をしなかった。

◇視界が悪い中、地形図とコンパスを使わずに下降した

@視界が悪い中で、地形図とコンパスで現在地や方角を確認しなかった。


◇中岳沢の概念が頭に入っていなかった

@中岳沢に関する知識が不足していた。
Aどの程度、事前学習をすればよいか把握していなかった。
B事前学習を疎かにしていた。


 冬に中岳沢を通って下山する際には、雪崩の危険を考慮してまず中岳のコルまで降りる必要があるが、頂上付近から中岳沢に向かおうとしていた。
 また、夏道では雪崩の危険性が非常に高く通るべきでない。この辺の知識がなかった。

◇地形図ではなく概念図で現在地を確認した

@(立場川本谷に迷い込んだ際、)地形図ではなく概念図で現在地を確認した。


◇遭難しているという意識が欠如していた

@ビバーク時、装備、食料の状況、翌日の天気について、最新の情報を確認せず、翌日の行動について検討しなかった。

A緊急事態であるにも関わらず、遭難の意識がなく、計画書にないルートを選択しながら、監督と登山本部へ連絡をしなかった。

 山行する3名が帰幕した際も、すぐに登山本部への連絡をせず、1時間半以上経過してから連絡した。

◇ビバーク時に適切な行動がとれなった

@ピンチ食を食べる際は、リーダーに許可を取るべきであるというルールを知らなかった。

Aビバーク時、水を作らなかった。

B残量が十分でないガスカートリッジを持っていった。
 ビバーク中、隊員は個人の判断でピンチ食を食べていた。また、軽量化のためガスが満タンのカートリッジを持っていかなかった。

◇南稜を登った

@凍傷への認識が甘く、凍傷になった状態でそのまま行動を続けた。
A装備、食料、水が不足している中で行動した。
B極度に疲労している状態で南稜を登った。
Cルートの難易度だけで南稜を登ることを判断した。
D計画書に記載されていないルートを登った。

 立場川本谷に迷い込んだ際、CLとCは足を濡らしていたことから、凍傷になる危険性を考慮して直ちに下山することや救助を要請すべきであった。

 CLとCのハーネスが凍り装着できない中で南稜を登った。

 天気や雪の状態、または登山する者の状態によって、ルートの危険性や難易度は変わることを考慮すべき。


◇危険地帯を適切な確保がない状態で登った

@(P3ルンゼは滑落すれば止まらない斜面であるので、スタカットで登るべきであったが、コンテニュアスで登った)

◇隊を分けた

@隊を分けることを危険地帯に入ってから判断した
 山行中に隊を分けることは、状況にもよるが基本的には良い事とは言えない。CLが隊を分けた考えは不明であるが、危険地帯に入る前に、確保の方法や通過の仕方について検討すべきであった。

◇行動記録をとっていない

@メンバーが記録を付けていなかった。
 山行中、計画と実績の差異を確認することは、活動の変更等を考慮する重要な情報となる。


 この報告書には、今回の遭難事故に要した経費についても掲載されている。
 経費は約140万円だったという。

 内訳は以下のとおり。

■事故処理費      1,228,882円
 ◇捜索費用       491,140円
  (内訳)救助隊員謝礼 203,100
      宿泊費    143,800
      消耗品装備代  63,000
      山岳保険料   47,100
      交通費     34,080
  ◇入院治療費(3名分)465,438円
  ◇教職員交通費等   169,573円
  ◇遺族交通宿泊費    97,160円
  ◇雑費         5,571円  

■事故後の経費      171,136円
 ◇検証登山費       85,500円
 ◇交通費         36,760円
 ◇教職員交通費等     48,876円


 今回の学習院大学の阿弥陀岳遭難事故は、前途ある若い二人の学生が亡くなるという非常に痛ましいものでした。それだけに社会に与えた影響も大きく、いろいろな意見がネット上でもありました。

 学習院大学、同山岳部及び山桜会は、この事故と向き合い、三度にわたる現場検証を重ね事故の報告書をまとめられました。

 この報告書は、事実の確認、検証、問題点とその対策を細かくまとめている。
 同大学に限らず、山に登る者はこれを教訓とし、今後の安全登山に役立てるべきである。
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1124162


 

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1. 中川隆[-7602] koaQ7Jey 2017年6月07日 22:40:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2015年02月19日 阿弥陀岳遭難を考える
https://www.yamareco.com/modules/diary/21844-detail-90583


去る2/8日に八ヶ岳の阿弥陀岳で発生した遭難事故。

阿弥陀岳と中岳の間の「中岳のコル」で道に迷ったのがきっかけだとか。

私も目に浮かぶ場所であり、信じられない思いで「生還」の報道を待っていたが11日に二人の遺体が発見されるという最悪の結果になってしまった。

「死者にむち打つな。」とは言うけれど、遭難事故についてはやはり真実を明らかにして、またそれを再検討してこそ浮かばれると思うので、ヒンシュク覚悟で私が考えたことを書いてみたい。

以下は報道の要約。()内部分は私の推測。


■ 5人は大学山岳部の部員で主将4年、女子学生1年の他男子学生3人。

2/7(土)〜11(水・祝)の4泊5日の予定で入山。

行者小屋を起点として周辺の岩場を登る計画で、阿弥陀岳は最終11日に登って美濃戸に下山する予定だった。

(この時期、行者小屋は土日のみ営業していたが 5人はテント泊だったと思われる)

■7日(土)夜から風が強まり、8日(日)午前は標高 3000mで風速 25〜30mという強風が予報されており、実際に朝から降雪とともに強風だった。

このためか5人は予定を変更して、この日に阿弥陀岳に向かった。
(登攀ルートは不明だが、目的からして北稜だろう)

登頂後、中岳のコルまで下山し、中岳沢を行者小屋方面に下りるべき所を誤り、反対側の立場沢に下ってしまい、この夜はビバークした。

(5人がツェルト持参だったのか、雪洞を掘ったかは不明。この夜はすでに風は収まっていただろう)


■翌9日(月)、南稜に取り付き登り返したが、女性が遅れ始めたため、主将の指示で男性 3人が先行して18時頃行者小屋に戻った。
(といっても月曜であり、小屋前のテントに戻ったのだろう)

その後2人が戻ってこないため 21時頃山岳部監督に連絡した。


■翌10日(火)より捜索が行われ、11日(水)に2人の遺体がロープで結ばれたまま立場沢とは反対側の広河原沢2ルンゼで発見された。

死因は主将は多発外傷、女性は低体温症。


■主将、女性とも大学入学後に登山を始めたとのこと。

主将は欧州アルプス、ヒマラヤ登山の経験もある日本山岳会学生部委員長。
(だが登山経験は4年ということ。女性は初冬山だ)


*********************************************************

1)雪が降り、かつ強風の中で阿弥陀岳に向かったのは無謀ではなかったか。

2)視界不良であれば中岳のコルではコンパスで方向確認すべきではなかったか。あそこに立つ道標を確認できなかったか。

3)ビバークの翌日9日(月)は朝から好天だった。
なぜ同じルートを登り返さず、支尾根を乗り越えた先の南稜に向かったのだろう。

4)立場沢でビバークしたのは相当下りてから気付いたからだろう。
であれば南稜に取り付いた位置は P3、P4というような上部ではなく、せいぜいP2 周辺かそれ以下の地点ではないか。

そこで南稜を登り返すという判断は正しかったか。
普通であれば南稜を舟山十字路方面に下山する(上写真中の緑ラインで)のが正解と思うが。

5)南稜上で女性が遅れ始めた時点で救助依頼すべきだったのではないか。
女性にとって初冬山での南稜登攀は難しかっただろう。
(先行させた3人に救助要請するような指示もなかったようだ)

6)先行帰着した男子学生は遭難連絡を「登山部監督」にしている。
いち早く警察や消防に連絡すべきではなかったか。

遭難(道迷い)が起こったことはさておいても、一番解せないのは主将が救助要請をしようとは思わなかったのか、ということだ。

動きが鈍くなった後輩と自分が残った時点でも連絡しなかった。
南稜を登り返した 9日は好天でヘリも飛べる状況だった。

明るいうちに救助要請するか、または南稜を下れば自力でも助かった可能性があったんじゃないか。

ヒマラヤ経験の自信とか学生部委員長というプライドが判断を誤らせたなら実に残念な話だが・・・。


上図左)報道から私が推測した5人の足取り。

※この図の「発見位置」は「2ルンゼ」ではないとaoiyamaさんのご指摘があった。
本当の「2ルンゼ」はもう一つ北の谷。しかしそれでは山頂付近から滑落したことになり非常に不自然だ。

上図中)実際の写真に推測したルートを入れてみた。南稜の険しさがわかる。

上図右)2/8、9日の天気図。8日は「二つ玉低気圧」だった。


コメント

RE: 阿弥陀岳遭難を考える

非常に悔いの残る山岳事故でしたね

これは、コルからの南下がすべての始まりですね

コンパスと地図の基本・・

ともあれ南下したとして・・太陽は西方向へと沈むのだから曇天とはいえ進行方向に気づくのは15時すぎでしょうか・・
___________

行者小屋標高 2350m・・

これ・・考えられないことだけど・・地図・コンパス装備なし!?では・・

かろうじて高度計(腕時計など)にて2400m時点でまさかの間違いを気づいたのでは・・

多くの方の反論覚悟のありえない話ですが、基礎訓練を終えているはずの山岳部の南下を思うと そうとしか思えないですよね

学習院大学山岳部の事故原因の発表が待たれるところですね・・

ひるがえってわたしの迷走を考えてみました。

例の黒戸尾根出会いまでの件です。

登山口から通行禁止の分岐・・不審に思いながら写真に・・

そこからGPSが大きく外れだして夜中に赤テープ頼りに迷走開始・・地図コンパス高度計で確認するも明らかに違うルート・・

30分後にGPSルートを目指すも岩場に出て回り込むさいに5m滑落。

そこで地図高度計ガーミン再確認で岩場の上がガーミン。地図記載ルートであることを確信し岩場を登攀しルート復帰・・でした

夜中と言う悪条件だけに現在地確認を頻繁に行うクセがついているのですが・・ブリザード、ホワイトアウトに近い気象条件なら同じような地図確認作業を行って進むのが山の常識・・

さてさて・・訓練と言う名の無謀な装備はずしがなかったのでしょうか・・

パーティをばらけずに全員で舟山に帰還の選択肢などなかったのでしょうか・・

ミステリアスな山岳事故ですね

uedaさん/RE: 阿弥陀岳遭難を考える

私が考えて、やはり中岳のコルでの道間違いが不思議でなりませんでした。
阿弥陀岳からの斜面は急でこの時期だとクライムダウンだかロープダウンだかでの下降。そして降りるともうそこがコルみたいなものです。

そこはかなり痩せ尾根でど真ん中に道標が「行者小屋→」も示しています。目をつむっていてもこの道標にぶつかりそうなものです。

ホワイトアウトといってもさほど猛吹雪な天候ではなかったはずだし、コンパスも GPS も確認せず(持たず?)、5人が誰一人気付かない??

私のいつも程度の速度だとだいたい一時間下れば300mどころではなく400mくらいは下りますね。

私は2400あたりでビバーク?と書きましたが、彼らがもしコル(2650)下降開始から一時間後に気付いたとしても標高2300くらいまで降りる。そうすればもう青ナギと同等です。そこから南稜を登るとは??これも不思議すぎる。


救助要請しなかったことといい、あまり切迫感は無かったようですね。

「事故報告」といっても当人達はなくなってしまい、3人の男性にしても自分達がビバークした地点や南稜に取り付いた地点など明確に記憶無いでしょうから、不明なことがたくさん残ったまま終わってしまいそうな気がするのでした。


RE: 阿弥陀岳遭難を考える

今回の遭難 ホントに不思議な内容です
そして私も顰蹙覚悟で書きますが、「なぜ?」と思う事が多すぎます

まず、最初に書きたいのは冬山初めての新人を冬の(それも厳冬期の)登攀に連れて行ったかです

今年、私が所属する会でも1月に八ヶ岳に行きました
主稜と阿弥陀北陵、あとは硫黄の縦走です

計画段階で体力のない者、経験が少ない者は本人の希望があっても縦走にまわしました

ちなみに私は経験こそあれ今は体力的にみんなとは釣り合いませんから、縦走班のCLで参加しました

八つの登攀はスピードがいります

過去、体力があったころはよかったですが、今は若手の男子とは無理です(昔は行ってましたけどね)

冬山初心者は何より登攀させるよりまずは「雪山」に慣れさすのが基本です

この計画段階でだれもそれを感じなかったのか?
本当に不思議です

いくら体力があって登攀能力が高くても(あくまでもジムや無雪期の岩)雪山が初めてとなると別物です


そして、現在地の確認作業の不思議

雪山はバリエーションです
つねに地形をみながらコンパス等で確認するのが常です

もちろん天候が荒れれば確認作業もしにくくなるとは思います
しかし、やらないと致命的です

そして、無理やりに南陵を降りるという事も不思議
ご指摘のように「なぜ来た尾根をのぼりかえさなかったのか?」

それから、救助の事もそうです
無線はもっていってなかったんでしょうか?

自分たちで自力下山できないと判断するのが出来なかったんですよね、きっと・・・


昔の山岳会では遭難しかかっても自力下山するのが当然という風潮がありました
救助要請は恥ずかしい事という感じで

しかし、今や自力下山できるのに要請する多くの社会人山岳会があるなか、歴史のある大学山岳部ということで出来なかったのかもしれません

今回の件はっきりいって、やはり軽くみていたのでは?というのが私の結論です
すべてにこのことを感じます

CLが日本山岳会の若手でもキャリアは4年です
冬の山を4年しか経験していません

ヒマラヤにいってもどんな凄い岩場を登れても こういう不慮の事態の経験を積んでいないと思います

なので、経験豊かなOBなどがついていってほしかったです

RE: 阿弥陀岳遭難を考える

私はこの事故について新聞やテレビの報道から知っただけですが、この記事について、いくつかの私の考えを書かせてもらいます。

まずこのパーティーは下山時に中岳のコルに達してからの道迷いではないと思います。報道はこのあたりがあいまいですが、コルに下りようとして立場川に下りてしまったと私は推測しています。

この尾根は冬は視界がきかないとルートが解かりにくく、地形から尾根を立場川側にはずれやすいです。過去にも大学パーティーが立場川に下りてしまった遭難事例があります。

次に立場川から南稜に登り返さずに、舟山十字路に下りたらよかったかもと書いていますが、立場川はコルから二股までは悪場はありませんが、これより下は通過が容易ではない箇所があります。私は冬の立場川で敗退した経験があります。二股あたりで登り返すと南稜の P2 あたりに出ると思います。

最後に添付地図では南稜 P3 付近から沢に下りたあたりに発見場所のマーキングがしてありますが、ここは 3ルンゼで、報道では発見場所は2ルンゼ2560メートルあたりとされています。

南稜から滑落しても2ルンゼには落ちません。
南稜を登り切って山頂に達しないと 2ルンゼには落ちません。

この事故の一番不可解なことが遺体が2ルンゼで発見されたことです。
2ルンゼという報道は間違いなんでしょうか。

山頂の南西方向という報道なので正しい感じを受けています。
一つの記事ではなく多くのメディアが 2ルンゼと書いています。

私の思い違いも、あるいは報道の間違いもあると思います。生還者もいることから事故の経緯は何らかの方法で明らかになると思っています。


RE:karankurunさん/ 阿弥陀岳遭難を考える

この事故のパーティーも行者小屋起点で 4泊と言うことで、阿弥陀・赤岳・硫黄岳などを予定していたようです。

ただ「岩場を登る計画」であれば縦走などではなく、阿弥陀北稜や南稜、赤岳主稜などを考えていたのでしょう。

だとすると登山経験一年未満?という人を連れて行ったことからすでに間違いが始まっているのかもしれませんね。

ひょっとするとビバーク後には「ついでに・・・」という気持ちで南稜に挑んだのかもしれません。それならなぜ南稜を登り返したのか?にも答えられます。

そう考えると、そもそも中岳のコルでは道迷いではなくて、判った上で反対側に降りたのかもしれませんね。

しかし、連れの女性が到底登れない(女性が遅れ始めたのは疲労とかではなく絶壁の恐怖ではなかったでしょうか)のは計算外だったかもしれません。

私も思ったのですが、「救助要請は恥ずかしい事」と考えて、しなかったんではないでしょうか。

大した怪我や病気でもないのに気軽に救助を要請するのも恥ずかしいには違いありませんが、女性が登れなくなってきた時点で要請すべきだったと思います。

登山経験も外国での成功例ばかりでなく国内でもっと失敗例も含めて経験すべきだったでしょうね。

二人の犠牲を無駄にしないためにもこの遭難事故の検討結果を広く公開して頂きたいものです。


RE:aoiyamaさん/ 阿弥陀岳遭難を考える

私がリンクしたように報道では「中岳との鞍部から逆方向の南側に下った。」とされていますので、その前提で想像しましたが、やはりどう考えてもあんなところで間違えるはずがない、ですね。

『立場川から南稜に登り返さずに、舟山十字路に下りたらよかった。』というのはちょっと誤解されたようです。

私は P2 あたりで南稜に取り付いたなら上に向かわず下った方がよかっただろう、と言いたかったのです。また、こちらに進むべきではなかったかというつもりで写真に緑線を書いたのでした。

道迷いしたら尾根に上がれ!は鉄則でしょうから、南稜に取り付いたことまでは正解と思いますが。いかがでしょうか。

最後に「第2ルンゼ」のことですが、これも報道のままですので、現時点では信用せざるを得ないですね。私も調べたのですが、実は「第2ルンゼ」の位置が判らず書き込んでしまいました。もう一つ北のルンゼのようですね。

しかし一方「山頂に達しないと 2ルンゼには落ちません。」なら山頂で滑落するはずはないでしょうから、まったく不可解です。

報道の「第2」が「第3」であれば辻褄が合いますが、後日報道訂正があるかもしれませんね。

いずれにせよ、生還者には正しい事実を述べてもらい、報告を公開して頂きたいものです。


RE: 阿弥陀岳遭難を考える

 私は、最初にこの遭難を聞いた時、「切ない遭難だなぁ」と言ふ事でした。

 STAP 細胞事件を連想しました。少し違いますが、笹井さんと小保方さんの関係に似ていると思いました。

 この遭難の第一の原因は、一年生の女子部員を連れて行った事でしょう。
しかも、一人だけ。

この点に関しては、私は、部長の教授がどんなアドバイスをしたのか、疑問に思っています。

 そして、行くことになった5人で、どんな作戦会議を持ったのか、どんな話し合いをしたのか?

 単に、日本山岳会の学生委員長(らしい)だから、ヒマラヤの経験者だからと言ふ事で、誰も口を挟めなかったと言ふ事がなかったか?

 第二番目は天候を甘く見たか、見損なった事だと、思います。

 遭難者には酷な言い方ですが、私はリーダーも一緒に無くなった事で、救われた気持ちになりました。

 その他沢山の疑問があるようですが、事故は通常一つか、二つのミスではなく、三つ・四つと重なって起きるもので、大学の報告書が出れば、3人は生きて帰ったものが居ますから、分ると思います。

 また、それが分る様な報告書が出て来る事を切に望みます。中高校の教育委員会の報告書の様な、責任逃れの報告書では許されません。


RE:mesnerさん/ 阿弥陀岳遭難を考える

やはり登山初心者の女性を連れて行ったことが根本の原因とお考えなのですね。
その方が本当に高校生まで一切ハイキングさえしたことがないのか、個人的に多少の心得があったのか詳しくはわかりません。その辺の事情は主将本人も同様ですね。

大学に入ってから登山を始めたとのことですが、3年で欧州アルプスに遠征。
4年でヒマラヤの未踏峰に隊長として登ったとか。

たかだか登山経験 4年でそこまでできる(それをさせる)のが驚きです。

その主将当人がヒマラヤはともかく八ヶ岳をどの程度熟知していたのかもわかりません。ちょっと知っていれば中岳のコルで反対側に降りるなど考えられませんね。

また冬の八ヶ岳の天候のことも深刻には考えていなかったのでしょう。
当人にとってはそれでよくとも同行者にとってどうだったのか。

スポーツや芸術の世界でよくあることですが、当人が才能を持っていることと、それを他の人に伝える、また指導できることは別物ですね。

事故は単一の原因ではなく複数の原因が「運悪く」重なると起こる。
これは些細な道迷いでも経験することですね。

そう考えると、その中の一つでも原因を潰していれば最悪の結果にはならずに済んだということでしょう。

その分岐点がどこにあったのか。後に続いて行く我々にとって教訓になるような報告書を出していただけることを願うばかりです。


RE: 阿弥陀岳遭難を考える

視界が悪いとはいえ、中岳のコルから南に降りた、というありえないところが1つのなぞかと思います。

ここについては、anbyさんがご自身の日記にて、もともと、

1日目:阿弥陀の北稜、2日目:阿弥陀の南稜、

と南北稜を走破する計画だったのでは?と考えると、行者小屋についた3人が夜2人が帰ってこなくなるまで切迫感がなかったのも、計画通りだったからでは?との推測をされています。これはありかな、と思いました。

あとルンゼの場所は私も調べました。
P3の下は第3ルンゼというようです。

第2ルンゼを滑落するにはP4以降に滑落したと思われます。

低体温症になると、足が動かなくなり、動いても酔っ払いの千鳥足程度しか動きません。(昔、11月の編笠山でそうなりました)。

一度低体温症になると、森林限界以下に戻らないと回復は難しいです。
南稜のこの付近を歩いたことないのですが、千鳥足状況ではなんでもないところでも滑落はありえると思いました。

それから、今年の八つの雪の量かな?今年の八つのラッセルは例年より1ランク上と感じます。私の想像では、多少の悪天候でも、阿弥陀の北南稜の踏破は、計画どおりできるつもりでいた。しかし、例年以上の雪に苦しめられ、それをきっかけにもっとも弱い女子学生が低体温症になり動けなくなり、このような事態となった。

最重要な判断ミスは、中岳のコルを南下してビバークして南稜を上れると考えたところ。

あと、この主将は自分では低体温症になったことがないので、低体温症になってもがんばれば登れる、救助要請は不要、と思ったところが、死ぬか生きるかの最後の判断ミスでは?

実は計画通りだった、という仮説に基づいて考えてみました。


RE:totoroさん/ 阿弥陀岳遭難を考える

aoiyama さんがおっしゃていますが、中岳のコルには降りずに直接立場沢に下りてしまった、という可能性もありそうです。

ただ報道の文章ではどう読んでも中岳のコルから間違えた、と読めますね。
でも自分の体験からもそれはあり得ない気がします。

このパーティーは 4泊5日の日程。私は入山日の7日と下山日の11日は除いて、中3日であちらこちらと考えましたが、報道では11日に阿弥陀岳の予定だったとのこと。すると4回山行できる計算です。「岩場登り」が目的であれば、石尊稜とかの横岳西壁も考えていたかもしれません。

ビバークのアクシデントがなければ、行者小屋から南稜を登る行程は取りにくいですから、当初の計画に南稜が入っていた可能性は低いと思いますが・・・。

故意か過失でかわかりませんが、立場沢に下りてしまって「これ幸い」と南稜に取り付いたのでしょうか?

ルンゼの場所については不思議なことです。私が調べたり aoiyama さんがおっしゃるのは「P3〜山頂」が 3ルンゼですね。P3下は「クリスマスルンゼ」と呼ぶとか。

八ヶ岳・広河原沢、3ルンゼ
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/kayak/010106.htm

2 ルンゼに落ちるには「山頂〜摩利支天」あたりで滑落しないとおかしいようです。

女性の「低体温症」についても不思議です。

二人が 9日のうちに滑落したとすれば、夕方以降になりますが、それまでは比較的に好天で風も弱かったはずで、日中の歩行ですから、その間に低体温症になったとは考えにくい。

女性は滑落後、雪に埋もれてしばらく生存されていて、最後に低体温症でなくなったんじゃないかと推測しますがいかがでしょうか。

結局、どこでいつころ滑落したのか?

滑落した可能性は9日〜11日までありますし。

それがはっきりすればもう少し全貌が明らかになるとおもうのですが。
生還された3人には本当のところの話をしてほしいですね。なにか不自然な気がしてなりません。
https://www.yamareco.com/modules/diary/21844-detail-90583


2. 中川隆[-7601] koaQ7Jey 2017年6月07日 22:43:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

山へ行かない日 2015年 02月 14日 八ヶ岳での遭難についての疑問
http://ryokuho.exblog.jp/21556785/


 学習院大学山岳部の八ヶ岳での遭難について私なりに書いてみたい。

ネットをちょこと見ての感想なので根本的な事実誤認があるかもしれない。
この遭難のあらましは下記のようだ。

 学習院大学山岳部5名は4泊5日の日程で八ヶ岳行者小屋をベースとする合宿を行った。2月8日に5名は阿弥陀岳に登頂(ルートは不明)後下山途中でルートをロスとしビバークした。

翌日の9日に阿弥陀岳南稜を登り返したが、1年生の女性が遅れ始めたためにリーダーである4年生が女性に付き添い、他の男子学生3名は二人と別れて行者小屋へ戻った。

その日の午後9時になっても二人は戻らなかったので山岳部の監督に連絡した。
11日午後3時ごろ男女2人を、山頂の南西にある沢筋「第2ルンゼ」の標高約2560メートル地点で発見した。

二人はロープで結ばれていた。
付近には雪崩の跡があり、雪に約1.5メートル埋まった状態で見つかったという。

 私は彼らの行動内容、すなわちどのルートを登り、どこでルートをロスし、5人がビバークしたのはどこか。そして生還者は死亡した2名とどこで別れたのかが私が見た報道からはまったく解からない。生還者がいるので私の疑問は今後第三者にも知られることとなると思うが、現時点での疑問や想像を書いてみたい。

 以前私は新聞者から登山について取材を受けたことがある。その時に記者が言ったことをよく憶えている。

「読者は山の専門家ではない。正確に書くことを心がけると解かりにくくなり、解かりやすくするために多少のうそが入るかもしれません」と。私の疑問は一般の山を知らない読者には興味のないことで、詳しく書いても意味がないだろう。ただ記事の文章で気になった箇所がある。「悪天候で中岳との鞍部(あんぶ)から誤って南側に下った」という箇所だ。

 科学論文や新聞記事の文章を書く時に一番気をつけるのは二つの解釈ができる文章にしないことだ。そのために形容詞を形容される単語の直前に置くのがよいとされている。(本多勝一氏が「日本語の作文技術」にそのように書いている)これからすると「5人は鞍部に達してから行者小屋のある北側ではなく南側に下ってしまった」と文を読むだろう。

 しかしこの付近の登山経験のある読者は別の解釈も成り立つ。すなわち
「誤って、鞍部から南側にあたる方向に下ってしまった」と読むことも可能だ。
文章からは前者の解釈が普通だが、経験者はこんなミスはありえないので後者の解釈をするだろう。

阿弥陀岳山頂から中岳方面へのルートは尾根の形態をなしていないような地形で、視界がなくクサリが雪で埋まってしまうと夏道通りにはトレースすることが難しい。過去にも誤って南側の立場川に下ってしまって救助要請をした事例があった。

 報道によれば、誤りに気づいた5人は下ったルートを戻ったのではなく、登り返して阿弥陀南稜に出たらしい。

二人が発見される前に地上からの捜索隊は阿弥陀山頂から南稜を少なくともP1まで下って捜索したと、捜索時に南稜を登った登山者のネット記事から知った。たぶん生還者の報告を基にしての捜索活動だったのだろう。

 しかし結果は思いがけない事実で終わる。

二人はなんと「山頂の南西にある沢筋「第2ルンゼ」の標高約2560メートル地点で発見した」との報道である。ただ「第2ルンゼ」では場所が不明だが、山頂の南西とあるので広河原沢の2ルンゼで間違いないだろう。

二人は阿弥陀南稜から転落と想像していたが、この結果からそうではないことが確実だ。なぜなら南稜は広河原沢右俣および3ルンゼと立場川に挟まれた尾根で、ここからどのように落ちても絶対に2ルンゼには落ちない。また3ルンゼに落ちて2ルンゼ経由で行者小屋に戻るなどという選択肢はありえない。
(注:3ルンゼと2ルンゼは標高2400mあたりで合流、発見地点は標高約2560m地点)

報道が正しいとすれば、二人は南稜を登り切り、中岳のコル方面ではなく御小屋尾根方面に歩き出して2ルンゼに転落したとしか考えられない。
そして転落は雪崩を誘発して雪に埋まったと推測できる。

2ルンゼは非常に流域の狭い沢で、稜線に接しているのは阿弥陀山頂から魔利支天と呼ばれる岩との短い間だ。南稜には接していない。阿弥陀山頂からの下り始めはなだらかな斜面で魔利支天はクサリのあるちょっとした岩場となっている。

もし私の推論が正しければリーダーは2度も致命的なルートミスをしてしまったことになる。距離の長い御小屋尾根を脱出路とする選択肢はないだろうから。

Commented by ichigomilkkk at 2015-02-18 09:59

昔は山域の概念を知る山行をして、目指す山の特徴を把握していました。
最近はこのような手順がはぶかれているのを危惧しています。
この遭難に関しては、2ルンゼの位置を知らないと思われるコメントがネットに流れているのでこの記事を書きました。


Commented by yosemite1985 at 2015-02-25 02:38

今月起きた学習院大学山岳部の遭難のことが気になり、ネットの新聞報道等を検索したところ、貴殿のご指摘のように、亡くなられた2人の足跡は謎めいていることが分かりました。

立場側左股に誤って降りて南稜を登り返したのに、2 ルンゼで発見となると、頂上から魔利支天あたりで転落したのかということになります。

私は、冬の 3ルンゼと北稜を登ったことがあるので、位置関係はわかります。

リーダーは22歳と若いですが、マッターホルンに登頂し、さらにインドヒマラヤの 6000m峰にも初登頂した優秀なアルピニストなので、悪天候とはいえ、何度もミスを連発するでしょうか?

生還された3名の「証言」によって遭難の真実が明らかになり、亡くなられた 2名が安らかになることをお祈りします。

Commented by ichigomilkkk at 2015-02-25 20:28

私も報道からの知見だけですが、このパーティーの行動には納得いかない点が多すぎると思いました。

多くの人は中岳のコルでのルートミスが不思議としていますが、私はこれは有り得ることと考えています。不思議なのはこの後の行動です。
阿弥陀山頂からの下山は解かりにくいですね。

以前北稜の終了点近くで中岳方面に下りたいという登山者に会ったことがありました。南稜方面に下ろうとした人も見たことあります。
http://ryokuho.exblog.jp/21556785/

山へ行かない日 2015年 02月 18日 阿弥陀岳周辺概念図
http://ryokuho.exblog.jp/21567341/

阿弥陀岳での遭難に関する記事で、記事にでてくる地名の位置関係を明確にするために立場川と広河原沢の概念図、および2ルンゼ源頭の写真をアップします。

出展は「八ヶ岳研究下」です。写真は2010年2月撮影です。
なお立場川左俣は中岳のコルから右俣との合流点まで悪場はありません。このあたりで南稜に向かえばP2あたりに出ます。


http://ryokuho.exblog.jp/iv/detail/?s=21567341&i=201502%2F18%2F60%2Fd0170360_114693.jpg
http://ryokuho.exblog.jp/iv/detail/?s=21567341&i=201502%2F18%2F60%2Fd0170360_1142344.jpg
http://ryokuho.exblog.jp/iv/detail/?s=21567341&i=201502%2F18%2F60%2Fd0170360_1335420.jpg

下の写真は赤岳から見た阿弥陀岳です。

http://ryokuho.exblog.jp/iv/detail/?s=21567341&i=201502%2F18%2F60%2Fd0170360_1675253.jpg

遭難者は手前に向かい、左側の立場川に下ってしまったと報道されています。
南北を間違えるのは・・・との意見もありますが、この写真を見ると視界がきかなければ間違いもありうると感じます。

Commented by マルタケ at 2015-02-19 09:57
概念図を見て、だいぶ様子が分かりました。前回記事の画像で、右下から対角線上に延びている谷が第二ルンゼなんですね。それにしても、「中岳との鞍部から・・・」という新聞記事の表現は、不可解ですね。
http://ryokuho.exblog.jp/21567341/


山へ行かない日 4月17日の追記

 その後、学習院輔仁会山岳部による「学習院大学山岳部、阿弥陀岳遭難事故の概要」が公開されました。

学習院大学山岳部、阿弥陀岳遭難事故の概要(詳述版)
http://www.yamakei.co.jp/yamakei-editors/2015/post_46.html

これを読んでの感想をこのブログに書きました:


山へ行かない日 2015年 04月 17日 学習院大学山岳部・阿弥陀岳遭難事故の概要を読んで

 山と渓谷5月号に以前このブログで記事にした今年2月の八ヶ岳・阿弥陀岳における学習院大学山岳部の遭難の概要が掲載されていた。

記事は学習院輔仁会山岳部の資料から作られているらしいが、一部省略があるとかで、ネット(山と渓谷ブログ)で詳細版が掲載されている。パーティーの足取りは報道からの情報から私の推測と大差なかった。以下、私の感想を付け加えてみたい。


1.計画の概要

 山岳部では3月に中崎尾根からの槍ヶ岳合宿があり、八ヶ岳山行はこれに向けてのステップアップを目的とした個人山行と位置づけている。

4泊5日で行者小屋をベースとして、赤岳主稜、石尊稜、阿弥陀喜多稜を登攀する計画である。

ステップアップとは具体的にどのようなことを意味しているかは不明である。
単に様々な経験を合宿前に積むことを目的にしたのか、装備・技術等を確認するためか、あるいは足らない技術を向上させるのか、具体的な目的は私のような外部のものには解からない。山行の目的などは遭難とは関係ないと思う人もいるかもしれないが、何かあった時のリーダー判断に深く関係することなので明確にしておく必要がある。目的が明確でないとリーダーは毅然とした判断ができない。


2.阿弥陀岳からの下山

 午後からの天気悪化を予想して短時間で抜けられる阿弥陀北稜を登るが、下山時には視界不良となってしまう。中岳沢を下るつもりで下降するが中岳のコル手前で立場川左俣に入ってしまう。

すぐに地形から間違いの可能性に気づくが、疑心暗鬼のまま下降を続けた。

どうやら雪崩を警戒して短時間で危険地帯を通過したい心理が慎重にルートを見極めることがなされなかったらしい。

生還した3人もリーダーもそれぞれ間違いに気づいていたらしいが、ルートに対するパーティーとしての深い検討はなされていない。はっきりと間違いと断定した時間は不明だ。

間違いと断定して、立場川を戻るより南稜から戻るルートを選ぶ。
雪崩の危険を避けるための選択という。

メンバーには南稜の経験者がいることも決定に作用しているかもしれない。(経験者は誰かは不明)立場川を1950mあたりまで下り、立場山から南東に延びる尾根を少し登った地点でツエルトビバークする。

私はもっと上で南稜に向かったのではと推測していたが、ここまで下ったのは安全に登れるルートが見つからなかったのかもしれない。


3.南稜の登攀

 ビバークの後、9時半に立場山付近で南稜ルートに合流する。ここから南稜の登山口である舟山十字路には状態がよければ2時間程で下れる場所である。

このパーティーは最後まで自分たちの状態が遭難であるという認識はなかったようだ。

もし生命の危機にあるとの認識ならば、もっとも生還の可能性の高い判断をするだろう。すなわち舟山十字路への下山という判断である。

しかし南稜を登るという判断をしたということは自分たちが遭難しているとは思っていなかったということだ。樹林帯ということもあり天気は穏やかだったという状況も南稜を登るという判断につながったと思う。

 立場山からは11時に青ナギ、15時半に核心部のP3ガリー。ガリーの途中で死亡した 2人と、生還した 3人が別れ、3人は16時半に阿弥陀山頂に達し、ルートの解かり易い北稜経由で行者小屋に戻る。

遅れた2人は阿弥陀山頂付近から広河原沢2ルンゼに滑落。
ヘッドライトがザックにあったことから、明るい時間に山頂に達したと推定している。

 ここで気づくのは行動の遅さである。時間がかかり過ぎている。
ラッセルがどの程度あったかは書かれていないが、私の経験からして明らかに遅い。

還暦を過ぎた私のような体力のないものでも多少のラッセルがあっても半分の時間で歩ける行程だ。報告では死亡した1年生が足を引っ張ったということはないと強調されている。1年生の資質はそうかもしれないが、この行動の遅さにリーダーは危機感を抱かねばならなかったと思う。

最後まで遭難とは思わなかったということは別の問題として、このまま進んだ時の状況は予測しないといけない。

私はつい最近まで冬の南稜を毎年登っていたが、11時にP3の下まで行けない時は敗退することにしていた。15時半に核心部のP3ガリーは問題で、もっと手前で別の判断があったのではないだろうか。

『遭難していない』という過信が惜しまれる。


Commented by マルタケ at 2015-04-17 22:33

私は当該地域(阿弥陀岳南稜、立場川、広川原沢)に足を踏み入れたことが無いので、推測でしか言えませんが、あのまま立場川を下っていれば、悲惨な結果は避けられたと思います。何故、阿弥陀岳を登り返そうと思ったのでしょうか?

いったん誤った判断で陥った状況を、また誤った方法で挽回しようとして、最悪の事態に至ったように感じます。

いったん下界に避難するという、不本意でみっともない手段でも、パーティーの安全のために敢えて実行するという決断を、して頂きたかったと思います。
http://ryokuho.exblog.jp/21717032/


3. 中川隆[-5727] koaQ7Jey 2018年1月02日 19:09:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

幼稚な学習院山岳部学生をおだてるのは、いい加減にしないかね 2015-02-12 | ブツブツ日記

11日午後3時ごろ、長野県の八ケ岳連峰の阿弥陀岳(2805メートル)で、9日から行方不明になっていた学習院大山岳部主将で4年の吉田周平さん(22)=東京都杉並区=と1年の土山莉里香さん(19)=千葉県松戸市=の遺体を県警が発見した。

 吉田さんは日本山岳会の学生部委員長を務める。昨年8月、インド・ヒマラヤの未踏峰ギャルモ・カンリ(6070メートル)に挑む同大山岳部隊の隊長を務め、メンバー3人と初登頂に成功した実績を持つ。日本山岳会の古野淳副会長は「吉田さんは現役学生の中でも実力はトップレベル。何か、突発的な事故があったのではないか」と話した。

 22歳でも大学4年だから、山岳部の主将やるのはいいけれど、インドにハイキング経験があるからって「日本の学生トップなのに」とは、ちょっとおだて過ぎ。

 マイカー保険だって、そうだよ。24才くらいまでは、あまりに小僧で暴走事故ばっかり起こすから、異常に保険料が高くてね。二十歳で免許取ったくそ息子どもが、親のクルマに乗りたいといっても、ほとんど無視していたよ。

 まあ高卒のガキグループが深夜にワゴンRに4人乗りして、どんな運転するのか、電信柱に激突して、全員死亡なんて、まともな大人の運転なら、居眠りしてもあり得ないことガキどもは起こすからねと、保険会社がいうわけだ。

 ああ、山岳部の22歳でも程度は同じで、

「視界の悪い日に登って道に迷った」って、そうですかで済む話じゃないでしょ。下で酒でも飲んで寝ていてください。

「だから泊った」って、いまどき真夜中でもLEDがあれば、昼間以上に明るい時代ですから。泊りません。

「歩けなくなったから付き添った」。

歩けるうちに戻るのが当然のことで、そのまま、ザイル結びながら、雪崩れか転落かで、死亡。

山の知識どうこうのまえに、ワゴンR組と同じで、世間常識がないでしょ、いまどきの22歳。決めつけても間違いないです。


 日本山岳会の爺さん連中というのは、小作人しかいない時代の華族の末裔みたいなもので、当時の22歳も同程度のガキだったのに、他は大人の無学な小作人しかいない時代だから、高尚な登山という趣味して、何いってもすべてがOKだっただけのことだね。

幕末の松田松陰も、百姓しかいない時代に、学生もどきが黒船に不法侵入して逮捕され、その繰り返し。

後藤と同じだとは言わんが、よくいっても全共闘以下、ただのデタラメ学生の戯言だったが、他に比較の対象が百姓しかいなければ、これが松下塾になり、松陰神社になっただけ。

22歳をおだてたのは、せめて昭和の初期までで、今の時代にポンカスやって、こき下ろされた当然。せめて22歳の自業自得はいいとしても、19歳の女子学生も巻き込まれたとは、山ガールにも育つ以前の話だから。
http://blog.goo.ne.jp/sptakagammon/e/85bb90b9f88189e0d375ec8ea824fa5d?fm=entry_awp


4. 中川隆[-12517] koaQ7Jey 2018年5月26日 05:51:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

学習院大学山岳部、阿弥陀岳遭難事故の概要
http://www.yamakei.co.jp/yamakei-editors/2015/04/15/yama-to-keikoku201505_amidasounan.pdf


今冬の2月9日、八ヶ岳に入山していた学習院大学山岳部の5人 は阿弥陀岳で遭難し、チーフリーダーの吉田くん(男・4年) 、 土山さん(女・1年)の2人が死亡する悲しい結果となった。関 係者による検証作業が続けられているが、現在までに判明した 事実関係について取材することができたのでお伝えする。

学習院輔仁会山岳部=協力 野村 仁=取材・文 (文中敬称略)


学習院大学山岳部では、今回の事故後、原因究明のため検証作業を続けてきた。当事者からの 聞き取り内容がまとまり、遭難事故のアウトラインが明らかになってきた。  

資料として参照できた計画書がある。最近、これだけの完全な登山計画書はなかなか見られな い。計画書作成の手本にしたいようなすばらしいものである。  

日程は2月7日から11日までの4泊5日。行者小屋にベースキャンプ(以下BC)を設けて、赤岳西壁主稜、横岳西壁石尊稜、阿弥陀岳北稜を各1日で登る計画だった。

装備リストを見ると、 フィックス用を想定しているのか、メインロープ、スリング類の量が多い。パーティでツエルト 2張、個人でビーコン、ゾンデ(プローブ)、スコップ、携帯電話、サバイバルシートを携行し ている。安全対策面も万全といえる。  

3月には春合宿として中崎尾根から槍ヶ岳を予定しており、本山行はそのためのステップアッ プとして行なう個人山行と位置づけられていた。  

直前の2月5〜6日、吉田とサブリーダーのA(男・2年)は日本山岳会学生部のアイスクライ ミング集会に参加し、7日はジョウゴ沢付近で登攀システムの確認などを行なった。一方、後発 隊のB(男・2年)・C(男・1年)・土山は、柳川南沢道から行者小屋に入山し、16時過ぎに5人 がBCで合流した。その夜、天気予報を検討した吉田は、「明日は天気が崩れていくから、最も 早く終えられる阿弥陀岳北稜に登り、午前中にはテントに戻ろう」と提案した。

ホワイトアウトの中、誤って立場川へ下る  8日3時30分起床。昨夜の提案どおり、阿弥陀岳北稜を登ることに決定。

5時、テントを出発した。 晴れていて視界良好、周囲の山々が確認できた。日の出時刻の約1.5時間前、非常に早い出発だが、 北稜の岩場でヘッドランプがいらなくなるように計算されていたのだろう。

6時、ハーネス、アイゼンを装着。雪が降り出したが風は弱く、阿弥陀岳がよく見えた。  

7時、北稜の岩場に到着し、2組に分かれて登攀開始。降雪が強まったが、まだ周囲の状況が 確認できた。岩場をスタカットで登り、雪稜をコンティニュアスで登った。

スタカットは難しい 岩場で行なう本格的な確保方法、コンティニュアス(略称「コンテ」)は容易な箇所で行なわれる、 より簡易的な確保方法である。

北稜には2カ所の岩稜があり、第1の岩稜はやさしいので確保不要のことが多い。

第2の岩稜は北稜の核心部で、両方をスタカットで登り、続くやさしい雪稜は コンテで登った。アプローチも含めて第2岩稜取付まで約2時間、岩稜を約1時間で通過し、7時 に阿弥陀岳に到着した。午前中に下山するには充分な時刻である。

しかし、天候はさらに悪化し、 風雪が強く、視界5〜10mでホワイトアウトの状況になっていた。  

頂上で標識を見て、下山する赤岳方面がどちらかは確認できた。すぐに下降を開始した。

オーダーは先頭がB・C・Aの3人、後続が吉田・土山でコンテだった。

文三郎道を下る予定だったが、 視界が悪く風が強かったので、吉田は中岳沢を下るように指示した。資料には、雪崩を意識して どんどん下ったと書かれている。

中岳沢は雪崩の危険な場所として知られており、できるだけ早く通過する必要があった。風雪でホワイトアウトのなか、急斜面を下っている間は、かなり危険 な状況であることを感じていただろう。  

ひとしきり下ってきつい斜面が平らになり、沢沿いとなった。この時点で5人は立場川本谷左俣の最上流部に入っていた。しかし、ホワイトアウトのため、現在地がどこかという意識はもてなかった。

中岳のコルを通過した記憶がないまま、中岳沢にいると思っていたのではないか。そうだとすれば、まだ雪崩の危険を逃れるために、急いで下り続けることが最優先事項であっただろう。


月日 時刻 事項
2月5〜6日 吉田・Aは日本山岳会学生部のアイスクライミング集会に参加

2月7日 吉田・A はジョウゴ沢付近にて登攀システムの確認などを行なう。
16:00 過ぎ、行者小屋BCで後発隊(B・C・土山)と合流


2月8日

3: 30 起床 5: 00 テント出発。天気は晴れ、視界良好、風もほとんどなし

7: 00 阿弥陀北稜の登攀開始。天候悪化し風雪強まる

8: 00 阿弥陀岳山頂着、すぐに下降開始。風雪強くホワイトアウト状態(視界5〜10m)。 雪崩を意識してどんどん下り、沢沿いに出る 時刻不明 現在地を把握し、立場川に下りて舟山十字路方向へ進んでいることを確認 時刻不明 南稜に続く尾根を確認し、その尾根をめざすことにする

16: 30 尾根に取り付き、南稜へ登り返す。途中、標高2100m付近でビバークを決断

18: 00 半雪洞を掘り、ツエルト2枚を使用しビバーク


2月9日

6: 00 出発準備

7: 00 南稜に向かって登り返す。天気は晴れ

9: 30 南稜正規ルートに合流。赤旗とトレースを確認

11: 00 青ナギで休憩

13: 00 無名峰とP1の中間地点でハーネス、アイゼン装着。吉田・土山はコンティニュアス、 ほか3人はロープを使用せずフリー

15: 30ごろ P3 に到着。約 30 分遅れて吉田・土山も到着。吉田・土山、ほか 3 人の順番で P3 のルンゼに入る。途中で吉田の指示により3人が追い越してそのまま先行(ここか らパーティが分かれる)

16: 30ごろ 先行の3人は阿弥陀岳山頂着。相談の上、北稜を下ることにする

18: 00 3人は行者小屋BC着

19:45 吉田・土山が下りてこないため心配になり、登山本部に連絡

21:40 監督と連絡がとれ、状況を説明

23: 00 (監督が)長野県警へ救助要請し、家族へ事情を説明。OB・部員6人が深夜、現地 へ向かう


2月10日

6: 00 起床。警察と連絡をとり詳細を伝える

9: 00 警察・OB・部員と合流。美濃戸まで歩いて下山


2月11日

14: 30ごろ 長野県警山岳遭難救助隊により広河原沢本谷第ニルンゼで吉田・土山の遺体発見


遭難に至る経過

遭難の意識はなく、そのまま南稜へ継続  しばらくの間、彼らは沢沿いを下っていった。青ナギの下付近で地図を確認したが、A以下3人は途中からルートを間違えたらしいことに気づいていたと言う。吉田はもっと早くから気づい ていたかもしれない。現在地が中岳沢でないなら、反対側の立場川側に下ったと考えるしかない。

 道迷いの場合、現在地が不明であれば、一般的には引き返すことが最良の対処法である。しかし、本事例では現在地が把握できていたので、彼らは雪崩の危険地帯に向かって引き返すことはせず、南稜に登り返すことを決めたのだろう。

かなり下流まで下降して南稜に続く支尾根を視認し、そこをめざした。
それは立場川の標高1950m地点から立場岳に至る尾根だった。  

16時30分、尾根に取り付き、登り返しを始めた。

途中2100m付近(推定)の樹林帯でビバークを決めた。

18時、斜面に半雪洞を掘り、ツエルト2枚を張った。雪洞の底に木の枝、個人マット、 ザックなどを敷き、各自、非常用装備のサバイバルシートを羽織った。

20時、雪が降っていたが、樹林帯中で風はほぼなかった。レーション(行動食)を食べ、お湯も飲み、落ち着いていた。寝るときは山側に下級生から並び、土山はシュラフカバーに入って 横になり睡眠はとれているようだった。男性4人は体育座り(両膝を立て両腕で抱えて座る)で、 寝たり起きたりしていた。吉田は除雪のため、一晩中ツエルトの雪を払っていた。

↓↓↓

阿弥陀岳東面の迷った地点。山頂から中岳のコルへの稜線 は意外に不明瞭で、視界が悪いときには立場川側へ引き込 まれやすい。誤ったルートのラインは筆者による推定で、 より厳密な検証作業が継続中である(写真=西田省三)


http://www.yamakei.co.jp/yamakei-editors/2015/04/15/yama-to-keikoku201505_amidasounan.pdf


南稜P3でパーティが分かれる  

翌朝7時、南稜に向けて登り返す。天気は晴れ。樹林帯のためか風はほとんど感じなかった。  

9時30分、南稜の立場岳付近に合流。この間はラッセルで、標高差270mの登りに2時間30分かかった。南稜には赤旗・トレースが確認できて、青ナギ、無名峰、阿弥陀岳頂上も見えていた。

前の年に主要メンバーは南稜をトレースしており、このときに、危険な状況はほぼ脱出できたと思ったのではないだろうか。  

11時、青ナギで休憩。

13時、無名峰とP1の中間地点でハーネスとアイゼンを装着。吉田・土 山はアンザイレン(ロープを結び合う)してコンテを開始、ほか3人はアンザイレンしなかった。

このころ風が強まり、曇り始めて太陽が見えなくなると、急に寒くなったという。雪山では午後 になるとこのような天気変化になることが多い。  

15時30分ごろ、A・B・CがP3到着、約30分遅れて吉田・土山が到着した。

P3は左側に巻いてルンゼ(第三ルンゼ右俣上部)をつめ上げるルートをとり、ここが南稜の核心部である。吉田はルンゼの状態を確認し「このまま行こう」と指示。

吉田・土山がコンテでルンゼへ、続いてA・ C・Bのオーダーで、ノーザイルでルンゼに取り付いた。ここは資料のまま引用する。

「ルンゼに入ると、先行する土山の登山靴が脱げかけ、履き直そうとしていた

吉田は急なルンゼで全員が止まったままの状況に危険を感じ、A・C・Bに先にルンゼを抜けるように指示を出す。

Aが追い抜く際に、吉田から

『このまま登っていては危険すぎるから、お前たちは 先に行き頂上に出たあと、中岳沢を使って行者小屋に先に降りろ』

と指示がある。

 3人がルンゼを抜ける手前で、Bが後ろを振り返ったときには、吉田パーティはルンゼの3分の1を登った状況だった。

土山の位置が上がっているので靴は履けたようだった。」  


その後、 Aを中心に1年のCをサポートしながら3人は登るのに必死で、吉田・土山を見ていない。  

16時30分ごろ、阿弥陀岳頂上着。視界は比較的よく、北稜の最後の雪稜が確認できた。

下降ルートを相談し、迷う心配がない北稜を下ることに決めた。岩場は右から迂回し、25mほど懸垂下降 した。樹林帯に入ってヘッドランプをつけ、コンパスを行者小屋に合わせて進み、すぐ小屋が見 つかった。  

18時、BC到着。近くにテントを張っていた農大山岳部に時刻を聞く。
暖をとり、凍傷箇所を ぬるま湯で温めた。凍傷は軽傷だった。


遭難発生、そして戻らなかった2人  

ところが、それから1時間半ほど過ぎても吉田・土山は下りてこなかった。
心配になり、19時 45分、登山本部へ連絡した。

2時間後の21時40分、監督と連絡がついたので事情を説明。

ビバー ク2晩目になることから監督は緊急事態と判断し、23時、長野県警へ救助要請を行ない、家族に 事情を説明した。また、深夜にOB・部員6人が八ヶ岳に向かった。  この時点で遭難発生となった。

翌10日は早朝から、長野県警茅野署員とOB・部員ら計17人が 阿弥陀岳山頂から南稜付近を捜索したが、この日は発見できなかった。

一方、行者小屋にいた3 人は、凍傷が軽度だったため、部員2人に付き添われて美濃戸まで歩いて下山し、救急車で病院へ向かった。  

11日も上空と地上から、約20人態勢で捜索が行なわれた。
県警ヘリが第二ルンゼの急斜面で 赤い手袋を見つけ、県警山岳遭難救助隊員らが付近を捜索した結果、そこから約200m下の滝で学習院大学パーティのたどった径路と遺体発見場所

一部のメンバーは前年に阿弥陀南稜をトレースしており、立場川側から安全に南稜へ登り返すことができるルートを選んだものと推測される。

また、遺体発見場所が第二ルンゼであったことから、阿弥陀岳山頂を越えた地点から滑落したと推測される


ビーコンに反応があり、2人は発見された。

時刻は14時30分ごろ、場所は広河原沢本谷第二ルンゼの標高2560m地点。2人はアンザイレンした状態で雪に埋まっていた。

死因は、吉田は多発外傷、 土山は特定できず、低体温症と推定された。


遭難の事実と報道などの相違点  

今回の遭難事例については概要が判明しただけであり、これからも検証作業が続く予定である。 推定による論評などは避けるべきだが、筆者の文責としたうえで、いくつかの点を指摘しておき たい。  

第1に、コースミスをして立場川本谷へ下ったものの、彼らはそれを道迷い遭難とはとらえていなかった。

引き返すことは雪崩の危険地帯へ長時間とどまることになる。それよりも安全性の 高いルートから南稜へ登り返し、阿弥陀岳北稜から南稜へ継続するルートを再設定した。彼らの 実力でこなしきれる確信あっての行動だっただろう。

したがって、南稜から阿弥陀岳を越えて BCへ下るまでの過程は、遭難ということはできない。  

第2に、吉田・土山はアンザイレンしたまま、日没前に阿弥陀岳に登頂した。

土山のヘッドランプがザックの中にあったこと、滑落した場所が第二ルンゼであったことから、このことが推定できる(南稜から滑落すると第二ルンゼにはならない)。

そして、阿弥陀岳登頂後に何か突発的な原因から滑落事故が起こったと推定される。

つまり、本事例は道迷い遭難ではなく滑落事故であった。  

第3に、パーティの中で弱いメンバーが土山であり、リーダーの吉田が土山をカバーする行動 をとっていたのは事実だが、それはパーティにとって当然の前提であった。一部の報道に見られ たように、土山が「遅れてパーティの足を引っ張っていた」という見方は正しくない。

土山は入部以来、トレーニング山行に積極的に参加し、技術向上に熱心に取り組む部員だった。それまで に習得できていた登攀技術、雪山技術を前提とし、さらに向上させるために今回の八ヶ岳山行は 計画された。

女性である土山は、ほかの上級生や男性部員と比較して体力的に弱い面はあるが、 しっかりとパーティについて歩き、南稜から阿弥陀岳に登頂している。  

今回の遭難報道では、道迷い遭難と断定されていた点と、正規コースへ戻ろうとした際に疲労した土山が遅れ、それをカバーしようとした吉田も犠牲になった、という内容のものが多く見られた。

事実はそうではなく、吉田・土山ともに阿弥陀岳まではしっかりと自力で行動できており、 このときまで異変はなかった。

そして、その後何らかの原因により、滑落事故が起こったと推定される。

あと1時間少々の下りを残すだけだったことを思えば、何としても悔やまれる点である。  

現在、学習院大学山岳部は無期限活動停止で、遭難事故の検証作業に取り組んでいる。一定の段階で中間報告を行ない、夏ごろまでに最終報告をまとめたいということだった。     

*  最後に、亡くなった2人のご冥福を、心よりお祈りいたします。 (2015年3月31日)

©山と溪谷社  『山と溪谷』2015年5月号に抜粋版を掲載
http://www.yamakei.co.jp/yamakei-editors/2015/04/15/yama-to-keikoku201505_amidasounan.pdf


5. 中川隆[-13358] koaQ7Jey 2018年12月29日 08:31:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210] 報告

冷やす女 (世にも奇妙な物語) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TMKgLH1Yi6U

2000年春
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