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アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 7 月 06 日 10:19:43: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 投稿者 中川隆 日時 2017 年 5 月 07 日 04:13:51)

大杉栄もバクーニンやクロポトキンの影響を受けたそうだが、彼のものなら、もう25年ほど前に目を通していた。そのときは左よりの人間という印象しか持たなかったように記憶しているが、今改めて読み返してみると、まったくの自由主義者の意見としか思えない。当時は、多分今でも多少はそうであると思うが、時代の雰囲気に呑まれていたのかもしれない。

マルクスに近いというよりは、極端な言い方をすると、夏目漱石などの自由思想家に近いような印象さえ受ける。

1820年の『新秩序の創造』
https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E3%81%AE%E5%89%B5%E9%80%A0-%E5%A4%A7%E6%9D%89-%E6%A0%84-ebook/dp/B0105P9Y24

の中で、

「僕らは今の音頭とりだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけがいやなのじゃない。音頭とりそのもの、犬そのものが嫌なんだ。そして一切そんなものはなしにみんなが勝手に躍って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ」

と、彼はアナーキズムの本質を語っている。この言葉だけ聞くと、太宰治とか有島武郎とかもろもろの詩人などもそういうことはいいそうだ。詩人の金子光晴という人に『反対』という詩があったが、アナーキストの権力への反抗思想など、せいぜいそのくらいのものであったのかもしれない。

どうも政府やメディアが勝手に騒いでいたのを、国民のほうで鵜呑みにしていたという感じがする。


さて、

世界の名著42 プルードン/バクーニン/クロポトキン
バクーニン「神と国家」(勝田吉太郎訳)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%90%8D%E8%91%97-53-%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4124006632/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1499303321&sr=1-1

でバクーニンが展開している聖書解釈というものは非常にユニークなものであって、

アダムとイブはサタンのお陰で神の専制支配から逃れることが出来た。

神は『知恵の木の実を食うべからず』と命じただけなのであるが、自由とは分割不可能なものなのであるゆえ、これは恐るべき専制政治の始まりに他ならない。もしもアダムとイブの両人がこの神の命令に従うのみであったならば、人類は最も屈辱的な奴隷状態に陥っていたことであろう。

しかしサタンの知恵によって勇気を振り絞ったアダムの行動によって、われわれは自由を得たのである。――バクーニンはこのように述べている。

彼は神の存在を認めているが、それでもサタンの知恵にくみしているが故に、無神論なのである。神を信じるものは、霊魂の不死を信じるが故に、反社会的であって、他者の存在を認める必要もなければしなければ、愛情を注ぐ必要もない。それ自身で完成された存在に、他者という不純な要素はいらないであろう。そうであるから、少なくとも、霊魂が不死ではないことは確かだという。

バクーニンは、無神論ではあるが、マルクスやエンゲルスとは異なって、自身では「霊魂の存在も自由意志も信じない唯物論者ないし現実主義者」などと語ってはいるが、実際にはプルードンのような観念論の立場であったといえる。彼は「神学は不条理」というが、逆にバクーニンの解説によって、サタンがなぜ天使でなければならなかったのかということがおぼろげながらに理解できて、この1872年の春に5日ばかりの間の暇の間に走り書きされたという手紙のような草稿を見ながら、古来数千年の昔に神学の体系を作り上げたヘブライの神官に賛歌を贈ることが出来た。

まあ、バクーニンのこの書物に関して言えば、興味を引かれるのは聖書解釈のほうで、残りの部分についてはあまり共感は持たなかった。ソクラテスとかプラトン、それともピタゴラスと言った人であれば、人間には宇宙との共鳴による「光の道」のような生き方が最高なのだと説くであろうが、そういった野のはこの種の本には載っていないのが残念だ。それはバクーニン自身も言っている。

「無知な大衆だけでなく、特権的な上流階級においても同様に、圧倒的な数の人間は、彼らの回りのすべての人が望み、考えることしか、望み、考えようとはしないのだ」。

「諸個人のこうした盲従、旧套墨守、いつ果てるとも知れない陳腐さ、反逆的な意思力の欠如、自発的な思考の欠如、これら一切合財が、人類史の発展に見られる嘆かわしい緩慢さを生み出す主要な原因なのだ」。

――と、そういうことであるから、宇宙との共鳴により、人は個人であるときにこそ他者と一体になれるなどとこのような場で説いても、誰にも通用しなかったのであろう。それとも時代のサイクルの問題で、この19世紀後半という時期は、宇宙との共鳴を感じ取ることの出来る人間が極端に少なかったのであろうか。

上のバクーニンの言葉は、ずっと昔、禅宗か何かの坊さんが引用していたものを読んで以来、ずっと頭に引っかかっていたが、原点はこんなところにあった。孤独を求める宗教人の必然的な隠遁生活というのは、バクーニンがいうような単純な動機から起こるものではないとか何とか、そういう内容であったように思う。

魂が不死なものである故に、宗教人は必然的に社会とは遠ざかるというバクーニンの論拠は、もちろん誤りである。しかし、現代では自発的な人間というのは、バクーニンの時代に比べてはるかに少ないであろう等ともいっていたように記憶している。

こういった大衆の無気力な態度を批判する人物は、何もヒトラーに限ったことではなく、古今ずいぶん多くの学者に指摘され続けてきた。しかし、バクーニンも、こんなにはっきりいうから落選したのではないかとも考えられる。しかし、これについては、獄中で

「そんなに大衆をあしざまに語っても選挙に悪影響は出ないのですか?」

と聞いた筆記者に、

「いや、あいつらは能無しだから問題はない」

とヒトラーが語ったもので、事実問題はなかった。

残念ながら、大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいるようだ。

その方が決定的に楽だからのようである。
勘違いでもなんでもなく、本当に楽なのであるから、そちらを選ぶ。
将来どうなるかなどということは、たいてい考慮しない。

それで朝三暮四といったことが人間にもおこるということが観察される。

なるほど、一日のことであれば、人はサルを軽蔑することが出来るが、一年後のことになると、サルと同じだというのである。

利息ということを考えると、先にたくさんもらったほうが、確かに得ではあるが、社会全体の活力が落ちるほうを選ぶというのは、懸命だとはいえない行為だ。


バクーニンは、プルーストとは異なり、大変な行動派であったが、いつも行動はドン・キホーテ型であって、たいていは失敗に終わったらしい。

第一インターナショナルでも、19世紀の労働運動における一方の代表的指導者として、散々マルクスと対抗したが、ついに敗退した。民主主義的暴政について散々に説き、「いかなる独裁も、自己の永続化以外になんらの目的も持ちえない」といったが、ついに無駄であった。

アナーキストというものは、元来が個人主義で自由を重んじる人間であるからして、グループを作ったところで、結束力というものは、マルクス側にかなうはずもない。

どういう考えを持とうと自由であると主張するものにとって、他人の考えを否定することは非常に難しく、せいぜい批判段階で終わってしまったものと思う。
http://s.webry.info/sp/30932531.at.webry.info/201012/article_7.html  

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コメント
 
1. 中川隆[-7295] koaQ7Jey 2017年7月06日 10:53:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

カラマゾフの兄弟  ドストエーフスキイ / 中山省三郎訳 (角川文庫・上巻)
第五編 Pro et contra

大審問官
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/pro/pro3.html
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/pro/pro4.html


 「ところで、これには、前置きを省くわけにはいかないんだよ、つまり、文学的序文というやつをな、ふん」とイワンは笑った、「それにしても、たいした作者になったものだ! さて、舞台は十六世紀に起こったことになっているんだが。

それはちょうどあの、――もっともこんなことはおまえも学校で習って、ちゃんと知ってる話だが、――詩の中で、天上界の力を地上に引きおろすことが流行した時代なんだ。

ダンテのことは言わずもがな。フランスでは裁判所の書記や修院の坊さんが、マドンナや、聖徒や、キリストや、神様御自身までも舞台へ引っぱり出して、いろんな芝居をやらせたものだ。当時はそれがすべて至極単純に取り扱われていたものだ。

ユゴオの Notre-Dame de Paris (ノトル・ダム ド パリ)のなかには、ルイ十一世の時代に王子誕生祝賀のため、パリの市会議事堂で Le bon jugement de la très saint et gracieuse Vierge Marie (いとも神聖にして優しき、処女マリヤのねんごろなる裁判)という外題(げだい)の教化的な演劇が、人民のために無料で公開されたことが書いてある。

この劇では、聖母がみずから舞台に現れて、そのいわゆる bon jugement を宣告することになっているのだ。ロシアでもピョートル大帝以前の昔には主として旧約聖書から題材を取った同じような劇が、やはりときどき演ぜられていたんだが、こうした演劇のほかにも、作中に聖徒や、天使や、あらゆる天国の力を必要に応じて活躍させた、いろんな小説や『詩』が世上に現われたものだよ。ロシアの修院でもやはりそうした物語の翻訳をやったり、写本をとったり、中には創作にまで手を出す者があったけれど、しかも、それがダッタン侵入時代のことなんだからな、その一例として、ある修院でできた(と言っても、むろん、ギリシア語からの翻訳だが、)小劇詩に、『聖母の苦難の道』というのがあるが、それはダンテにも劣らぬ大胆な場面の描写に満ちている。

聖母が大天使ミハイルに導かれて、地獄の中の苦難の道を遍歴する。そして聖母が罪人やその苦難を目撃するのだ。その中に、火の湖に落とされている、実にすさまじい罪人の一群れがある。その連中のなかには、火の湖の底深く沈んで、もはや浮かび上がることができず、ついに『神様にも忘れられる』罪人もあるのだ、――実に深刻な力強い表現じゃないかよ。そこで聖母はそれを見て驚き悲しみながら、神の御座の前に身を伏せて、地獄に落ちたすべての人――彼女の目撃したすべての罪人に対していっさい平等に憐憫(れんびん)をたれたまえと哀願する。

この聖母と神との対話が非常に興味があるんだ。聖母は一心に哀願して、かたわらを離れようとしない、神はその子キリストの釘づけにされた手足を指して尋ねる、『彼を苦しめた者どもを、どうして許すことができようぞ?』聖母はすべての聖者、すべての殉教者(じゅんきょうしゃ)、すべての天使、すべての大天使に向かって、自分と共に神の御前にひれ伏して、あらゆる罪人の平等なる赦免を哀願してくれと頼むのだ。そこで、結局、聖母は神から毎年神聖金曜日から三位一体祭までの間の五十日間は、すべての苦患(くげん)を中止するという許しを得る。

すると、罪人たちは地獄の底から主に感謝して、『主よ、かく裁(さば)きたるなんじは正し』と叫ぶのだ。ところで、僕の劇詩としても、そのころに現われたとしたら、これと同じ部類に属したことだったろうよ。

僕の劇詩でも、キリストが舞台へ出て来るが、なんにも言わずに、ただ現われるだけで、通り過ぎてしまうのだ。彼が『われすみやかに来たらん』と言って、みずからの王国へ再び出現すると約束してから、もう十五世紀もたっている。

『われその日と時を知らず、神の子みずからも知らざるなり、ただ天にましますその父のみ知りたもう』と予言者もしるし、キリスト自身もまだ地上に生きているころこう言った時からだ。

だが、しかし、人類は以前と同じ不変の信仰と不変の感激をもって彼の出現を待っている。おお、さらに大きな信仰をもって待っているのだ。なにしろ人間が天国からの証(あか)しを見なくなってから、もう十五世紀もたっているんだよ。


  信ぜよ胸のささやきを
  天よりの証(あか)し今はなければ、

 胸のささやきを信ずるよりほかないわけだよ! もっともその当時にも、多くの奇跡があったのは事実だ。奇跡的な治療を行なった聖者もあったし、その伝記によれば、聖母の訪れを受けたような人々もあった。しかし、悪魔も居眠りをしてはいなかったから、これらの奇跡の真実さを疑う者が、人類の中に現われだしたのだ。

ちょうどそのころ、北方ゲルマニヤに恐ろしい邪教が現われた。『燃火(ともしび)のごとき』(つまり教会のごときだ)大いなる星が『水の源泉(みなもと)に落ちて水は苦くなりぬ』だ。これらの邪気が不敵にも奇跡を否定し始めたのだ。

しかし、信仰に残った人々は、さらに熱烈に信じ続けていった。人類の涙が天国のキリストのもとまで昇って行って、依然として彼を待ち彼を愛(いつく)しみ、相も変わらず彼に望みをつないで、神のためには苦しみかつ死ぬべくあこがれていたのだ、……こうして幾世紀も、幾世紀も人類が信仰と熱情をもって、『おお、主なる神よ、とくわれらに現われたまえ』と祈念したため、広大無辺の慈悲をもたれたキリストは、ついに祈れる人々のところへ天降(あまくだ)ってやろう、という御心になったのだ。

その前にも彼は天国へ降(くだ)って、まだこの地上に生きている義人や、殉教者や、気高い隠者たちを訪れたということは、それらの人たちの伝記にも見えている。わが国でも、自分の言いぐさの真実を深く信じきっていたチュッチェフがこんな風に歌っている。

  十字架の重荷に脳まされ、
  奴隷(しもべ)のすがたに身をやつし、ああ、生みの地よ、
  主キリストは、汝が土のいやはてまでも、
  祝福(みめぐみ)をたれたまいつつ、ゆかせたまいぬ

 それは実際そのとおりだったに違いない、全くだ。そこで、キリストはほんのちょっとでも、人類のところへ降ってやろうという御心を起こしたんだよ、暗い罪に陥って、苦しみ悩みながらも幼児のように彼を愛慕している人類のところへさ。僕の作はスペインのセヴィリヤを舞台にとって、神の栄光のために日ごとに国内に炬火(たいまつ)が燃えて、

  華麗なる火刑の庭に
  おぞましき異教の者が焼かれたる

恐ろしい宗教裁判のときのことを扱ったものなんだ。もちろん、このキリスト降臨は、彼がかつて約束したように天国の栄光につつまれて、最後に出現したのとは全然、違っている。けっして、東から西へと輝きわたる、稲妻のような出現ではないんだ、キリストはほんの一瞬間でもいいから、わが子らを訪れてみようと思ったのだ。そして、いたずらに異教の輩(やから)を焼く炬火の爆音のすさまじい土地を選んだわけなのだ。

きわまりない慈愛をもったキリストは、十五世紀前に三十三年のあいだ、人類のあいだを歩き回ったときと同じ人間の姿をかりて、もう一度、民衆の中へ現われたのだ。彼は南方の市の『熱き巷(ちまた)』へ降臨したが、それはちょうど、『華麗なる火刑の庭』で、ほとんど百人に近い異教徒が、 ad majoriam Dei (神の栄光を大ならしめんがため)国王をはじめ、朝臣や、騎士や、僧正や、艶麗な女官や、その他セヴィリヤの全市民の眼の前で、大審問官の僧正の指揮のもとに、一挙に焼き殺されたあくる日であった、キリストはこっそりと、人知れず姿を現わしたのだ

が、人々は――不思議なことに、――キリストだとすぐに感づいてしまう、ここが僕の劇詩の中ですぐれた部分の一つなんだ、――つまり、どうして人々がそれを感づくかというところがさ。

民衆は不可抗力に引きずられて、彼の方へどっと押し寄せたかと思うと、たちまちにしてそのまわりを取り囲み、しだいに厚い人垣を築きながら、その後ろについて行くのだ。彼は限りない憐憫のほほえみを静かにたたえながら、黙々として群集の中を進んで行く、愛の太陽はその胸に燃え、光明と力とはその眼からほとばしり、その輝きが人々の上に照り渡り、彼らの心はそれにこたえるような愛におののく。

キリストは人々の方へ手をさし伸べて祝福を与えたが、その体どころか、着物の端に触れただけで、すべてのものを癒(い)やす力が生ずるのだった。と、その時、幼少からの盲目であった一人の老人が群集の中から、『主よ、わたくしをおなおしくださりませ、さすれば、あなた様を拝むことができまする』と叫んだのだ。と、たちまち眼から鱗(うろこ)でも落ちたように、盲人には主の顔が見えるようになった。

民衆は泣きながら、彼の踏んで行く土を接吻する。子供たちは彼の前に花を投げて、歌をうたいながら、『ホザナ!』と叫ぶ。『これはキリスト様だ、キリスト御自身だ』とみんながくり返す。『これはキリスト様に違いない、キリスト様でなくて誰だろう?』

彼はふと、セヴィリヤ寺院の入口に立ち止まった。ちょうどその時、蓋(ふた)をしない小さな白い棺(かん)が泣き声に送られて寺院へかつぎこまれるところだった。その棺には、ある有名な市民の一人娘で、七つになる女の子が眠っていた。その幼い死骸は花に埋まっている。

『あのおかたが、あなたの子供さんを生き返らせてくださいますぞ』と、悲嘆にくれた母に向かって、群集の中から叫ぶ声が聞こえた。棺を迎えに出た寺僧は、けげんな顔をして眉をひそめながら、それを眺めている。すると、その時、死んだ子供の母のけたたましい叫び声が聞こえる。彼女は、主の足もとへ身を投げて、

『もし主キリストでいらっしゃいますならば、この子を生き返らせてくださいませ』

と彼の方へ両手を差し伸べながら、叫ぶのだ。葬列は立ち止まって、棺は寺の入口へ――彼の足もとへおろされた。

彼は憐憫の眼でそれを見守っていたが、その口は静かに、あの『タリタ・クミ』(少女よ、われなんじに言う、起きよ)をいま一度くり返した。すると、娘は棺の中で起き上がって坐ると、びっくりしたような眼を大きく見開いて、にこにことあたりを見回す。その手には白ばらの花束が握られていたが、それは彼女と共に棺の中へ入れてあったものだ。

群集のあいだには動揺と叫喚と嗚咽(おえつ)が起こる。

この瞬間、寺院の横の広場を、大審問官である僧正が通りかかる。
それはほとんど九十に近い老人で、背の高い腰のしゃんとした人で、顔は痩せこけ眼は落ちくぼんでいるが、その中にはまだ火花のような光がひらめいている。

彼の着物は、昨日ローマ教の敵を焼いたときに、人民の前で着ていたような、きらびやかな大僧正の袍衣(ほうい)ではなく、古い粗末な法衣であった。その後ろからは陰気な顔をした補祭や、奴隷や、『神聖な』警護の士などが、かなりの距離をおいて続いていた。僧正は群集の前に立ち止まると、遠くから様子を眺めていた。

彼は何もかも見てしまったのだ、キリストの足もとへおろされて女の子がよみがえったのを見たのだ、そして、彼の顔は暗くなった。その白い濃い眉はひそめられ、眼は不吉な火花を散らし始めた。彼はその指を伸ばして、警護の士に向かい、かの者を召し捕れと命令した。

彼はそれほどの権力を持ち、群集はあくまでも従順にしつけられ、戦々恐々として彼の命に服することに慣らされていたので、さっと警護の者に通路をあけた。そして、急にしいんと墓場のように静まり返った沈黙の中で警護の者はキリストに手をかけて引き立てて行く。

群集はまるでただ一人の人間のように、いっせいに土下座せぬばかりに老審問官の前にひれ伏す。彼は無言のまま一同を祝福しつつ通り過ぎて行く。警護の者は囚人(めしうど)を神聖裁判所の古い建物内にある、陰気で狭苦しい丸天井の牢屋へ引きたてて来ると、その中へ監禁してしまった。

その日も暮れて、暗くて暑い、『死せるがごとき』セヴィリヤの夜が訪れた。空気は『月桂樹とレモンの香に匂(にお)って』いる。暗い闇の中で、不意に牢獄の鉄扉があいて、老大審問官が手に明かりを持って、そろそろと牢屋の中へはいって来た。彼はたった一人きりで、扉はすぐに閉ざされた。

彼は入口に立ち止まると、しばらくのあいだ、一分か二分、じっとキリストの顔に見入っていた。とうとう静かにそばへ近寄って、明かりをテーブルの上に載せると、口をきった。

『そこに御座るのはキリストかな? キリストかな?』

しかしなんの答えもないので、すぐにまたつけ足した、

『返事はしないがいい。黙っておるがいい。それにおまえは何を言うことができよう? わたしにはおまえの言うことがわかりすぎるくらいわかっているのだ。それにおまえは、もう昔、言ってしまったことよりほかには何一つ言い足す権利も持っていないのだ。

それにしても、なぜおまえはわしらの邪魔をしに来たのだ? 
おまえはわしらの邪魔をしに来たのだ。

それはおまえにもわかっておるはずだ。しかし、おまえが明日どんなことが起こるか知っておるかな? 

わしにはおまえが何者かは知らぬ、また知りたくもない。おまえは本当のキリストか、それとも贋者(にせもの)か、そんなことはどうでもよい、とにかく、明日はおまえを裁判して、邪教徒の極悪人として火烙(ひあぶ)りにしてしまうのだ。

すると今日おまえの足を接吻した民衆が、明日は、わしがちょっと合い図をしさえすれば、おまえを焼く火の中へ、われ勝ちに炭を掻(か)きこむことだろう、おまえはそれを知っておるのか? おそらく知っていられるであろうな』と彼は片時も囚人(めしうど)から眼を離そうとしないで、考えこむような風に、こう言い足したのだ」

 「僕にはなんのことだかよくわかりませんよ、兄さん、いったいそれは何のことです?」ずっと黙って聞いていたアリョーシャは、ほほえみながら、こう尋ねた、「それはただでたらめな妄想(もうそう)なんですか、それとも何か老人の考え違いなんですか。なんだか本当にはなさそうな、 qui pro quo (矛盾)じゃありませんか」

 「じゃ、そうしておくさ」とイワンは笑いだした、「もしも、おまえが現代のリアリズムに心酔していて、幻想的なことには全然我慢することができないで、それを qui pro quo と考えたいというんなら、まあ、そんなことにしといてもいいよ、ほんとに」

と彼はまた笑った、

「その老人はもう九十という年なんだから、いいかげんにもう気ちがいじみた観念になっているかもしれない。それに囚人の風貌だって老人の心を打ったはずだからな。いや、ことによったら、それは九十になる老人の臨終(いまわ)のきわのうわごとかもしれない。幻想かもしれない。

おまけに昨日火刑場で百人からの異教徒を焼き殺したため、まだ気が立ってるのかもしれないよ、しかし、僕にとっても、おまえにとっても、 qui pro quo だろうが、でたらめな妄想だろうが、それはどうせ同じことじゃないかな、要するに、老人は自分の腹の中を、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話だ。九十年のあいだ、だまって腹の中にしまっていたことを、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話さ」

 「で、囚人はやっぱり黙っているんですか? 相手の顔を見つめながら、一言も口をきかないのですか?」

 「そりゃあ、そうなくっちゃならないよ、どんな場合でもね」と、イワンはまた笑いだした、

「老人は自分から、キリストは昔言ってしまったこと以外には、何一つ言い足す権利を持っていないと断言しているじゃないか。なんなら、その中にローマン・カトリックの最も根本的な本質が含まれているといってもいいくらいだ、少なくとも僕の意見ではね。

『もうおまえはいっさいのことを法王に任せてしまったのじゃないか、今はいっさいが法王の手に握られているのだ、だから、今ごろになって、のこのこ出て来ることだって、よしてもらいたいものだ、少なくとも、ある時期までは邪魔をしてもらいたくはない』

と、こう言うのさ。こんな意味のことを少なくともエズイタ派の連中は、口で言うばかりではなく、本にまで書いているのだよ。僕は自分でもこの派の神学者の書いたものを読んだことがある。

『いったいおまえは、自分が出て来たあの世の秘密を、たとい一つでもわれわれに伝える権利をもっておるのか?』

と大審問官はキリストに尋ねておいて、すぐ自分で彼に代わって答えたのだ、

『いや、少しも、もっていない。それはおまえが前に言ったことばに、何一つつけ足すことができないためだ。それは、おまえがまだこの地上におったころ、あれほど主張した自由を、人民から奪わないためだ。おまえが、今新しく伝えようとしていることは、すべて人民の信仰の自由を犯すものだ。なぜならば、それは奇跡として現われるから。

しかも、人民の自由は、まだあのころから、千五百年も前から、おまえにとっては何より大切なものだったではないか、あの当時、《われなんじらを自由にせん》と、よく言っていたのはおまえではなかったか、ところが今、おまえは彼らの《自由な》姿を見たのではないのか』

と、物思わしげな薄ら笑いを浮かべながら、老人は急にこう言い足したのだ、

『ああ、この事業はわれわれにとって高価なものについた』

いかめしい眼眸(まなざし)で相手を見つめながら、彼はことばを続けて、

『だが、今われわれはおまえの名によって、この事業を完成した。十五世紀のあいだ、われわれはこの自由のために苦しんできたが、やっと今は完成した。立派に完成した、おまえは立派に完成したといっても本当にはしないだろうな? 

おまえはつつましやかにわしを見つめたまま、憤慨するのもおとなげないというような顔をしておる、しかし、人民は今、いつにもまして、現に今、自分たちが完全に自分になったと信じておるのだ。

しかも、その自由を、彼らはみずから進んでわれわれに捧げてくれた。そして、ねんごろにわれわれの足もとへそれを置いてくれたのだ。けれど、それを成し遂げたのはわれわれなのだ。そしておまえが望んだのはこんなことではなかったのかい、こんな自分ではなかったのか』

と言ったのだ」

 「僕は、またわからなくなりましたよ」とアリョーシャがさえぎった、「老人は皮肉を言ってるんですか、あざけっているんですか?」

 「けっしてそうじゃないんだ、彼はついに自由を征服して、人民を幸福にしてやったのを、自分や仲間の者の手柄だと思っているのさ。『なぜなら、今(もちろん、彼は審問のことを言ってるんだよ)、はじめて人間の幸福を考えることができるようになったからだ。

人間はもともと反逆者にできあがっておるのだが、反逆者が幸福になると思うか?

 おまえはよく警告を受けた――と彼はキリストに向かって言ったのだよ――おまえは注意や警告を飽くほど聞かされながら、それに耳をかさないで、人間を幸福にすることのできる唯一の方法をしりぞけてしまったではないか。

しかし、仕合わせにも、おまえがこの世を去るときに、自分の事業をわれわれに引き渡して行った。おまえはその口から誓って、人間を結びつけたり解いたりする権利をわれわれに授けてくれた。だから、もちろん、今となっては、その権利はわれわれから取りあげるというわけにはいかぬ。なんのためにおまえはわれわれの邪魔をしに来たのだ?』」

 「注意や警告を飽くほど受けた、というのはいったい何のことでしょう?」と、アリョーシャは聞いた。

 「そこが老人の言おうとした肝心な点なんだよ。」

 「『恐ろしくて、しかも賢明なる精霊が』と老人は語り続けるのだ、

『自滅と虚無の精霊――偉大なるあの精霊が、荒野でおまえと問答をしたことがあるだろう、書物に書いてあるところでは、それがおまえを《試みた》ことになるのだそうだ。それは本当のことかな? 

しかし、その精霊が三つの問いの中でおまえに告げて、おまえに否定されたあの、書物の中で《試み》と呼ばれていることば以上に、より真実なことが何か言い得られるだろう? 

もしいつかこの地上で、本当に偉大な奇跡が行なわれる時があるとすれば、それこそあの三つの試みの中に奇跡が含まれているのだ。もし仮りにこの恐ろしき精霊の三つの問いが、書物の中から跡かたもなく消失してしまったとして、再びこれを元どおり書物の中へ書き入れたるため新たに考案して書き上げねばならなくなったとする。

そのために世界の賢人――政治家、長老、学者、哲人、詩人などを呼び集めて、さあ三つの問いをくふうして作り出してくれ、しかし、それは事件の偉大さに適合しているのみならず、ただ三つのことばでもって、三つの人間のことばでもって、世界と人類の未来史をことごとく表現していなくてはならぬ、という問題を提出したとする。そうしたら世界中の知恵を一束にしてみたところで、力と深みにおいて、かの強くて賢い精霊が荒野でおまえに発した、三つの問いに匹敵するようなものを考え出すことがはたしてできるかどうか、それはおまえにだってわかりそうなものではないか? 

この三つの問いだけから判断しても、その実現の奇跡だけから判断しても、移りゆく人間の知恵でなくて、絶対不滅の英知を向こうに回している、ということがわかるではないか。なぜなら、この三つの問いの中に人間の未来の全歴史が、完全なる一個のものとなって凝縮しているうえに、地上における人間性の歴史的矛盾をことごとく包含した、三つの形態が現われているからである。

もちろん、未来を測り知ることはできないから、その当時こそ、それはよくわからなかったのだけれど、それから十五世紀を経た今日になってみれば、もはや抜き差しならぬほど安全に、この三つの問いの中にいっさいのことが想像されて、予言されて、しかもその予言がことごとく的中していることが、よくわかるではないか。

 『いったいどちらが正しいか、自分で考えてみるがよい――おまえ自身か、それともあの時おまえに質問をしたものか? 第一の問いはどうだろう、ことばは違うかもしれぬが、こういう意味だった。

《おまえは世の中へ行こうとしている、しかも自由の約束とやらを持ったきりで、空手で出かけようとしている。しかし生来単純で粗野な人間は、その約束の意味を悟ることができないで、かえって恐れている。なぜなら、人間や人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものは他にはないからである! 

このむき出しになって焼け果てた荒野の石を見よ。もしおまえがこの石をパンに変えることができたら、人間は上品で従順な羊の群れのように、おまえの後を追うだろう、そうしておまえが手を引いて、パンをくれなくなりはせぬか、とそのことばかりを気づかって、絶えず戦々恐恐としておるに違いないぞ》といった。

ところが、おまえは人民の自由を奪うことを欲しないで、その申し出をしりぞけてしまった。おまえは、もし服従がパンで購(あがな)われたものならば、どうして自由が存在し得るか、という考えだったのだ。

そのときおまえは人はパンのみにて生くるものにあらずと答えたが、しかし、この地上のパンの名をもって、地の精霊がおまえに反旗を翻し、おまえと戦って勝利を博するのだ。そしてすべてのものは、

《この獣に似たるものこそ、天より火を盗みてわれらに与えたるものなり》

と絶叫しながら、その後に従って行くのをおまえは知らないのか。長い年月の後に、人類はおのれの知恵と科学の口をかりて、犯罪もなければ、罪障もない、ただ飢えたる者があるばかりだ、と公言するだろうことをおまえは知らないのか。

《食を与えよ、しかる後われらに善行を求めよ!》

と書いた旗を押し立てて、人々はおまえに向かって暴動を起こす。そしてその旗がおまえの寺を崩壊するのだ。おまえの寺の跡には、やがて新しい建築ができる。そしてさらに恐ろしいバビロンの塔が築かれるのだ。

もっとも、この塔も以前の塔と同じように落成することはあるまいが、それにしても、おまえはこの新しい塔の建築を差し止めて、人類の苦痛を千年だけ短縮することができるはずなのだ。なぜならば、彼らは千年のあいだ、自分の塔のために苦しみ通したあげく、われわれの所へ帰って来るに違いないからだ! 

そのとき彼らは再び地下の墓穴の中に隠れているわれわれを捜し出すだろう(われわれは再び迫害を受け、苦しめられるからだ)。彼らは捜し出したらわれわれに向かって、

《わたくしどもに食物をください、わたくしどもに天国の火を取って来てやると約束した者が、嘘をついたのです》

と絶叫するだろう。その時、はじめてわれわれが彼らの塔を落成さしてやるのだ。なぜなら、それを落成さすことのできるのは、彼らに食を与える者のみで、われわれはおまえの名をもって、彼らに食を与えてやるからだ。しかしおまえの名をもってと言うのは、ほんの出まかせにすぎないのだ。

そうとも、われわれがいなかったら、彼らは永久に食を得ることができないのだ!

 彼らが自由であるあいだは、いかなる科学でも彼らにパンを与えることはできない。結局、彼らは自分の自由をわれわれの足もとに投げ出して、

《わたくしどもを奴隷になすってもかまいませんから、どうか食べ物をください》

というようになるだろう。つまり、自由とパンはいかなる人間にとっても、両立しがたいことを、彼らはみずから悟るだろう。

実際どんなことがあっても、けっして彼らは自分たちのあいだで、うまく分配するということができないに決まっているから、また彼らは無力で、不徳で、無価値な暴徒にすぎないのだから、けっして自由になり得ないことも悟るだろう。

おまえは彼らに天上のパンを約束したが、何度もくり返すようだが、はたしてあの無力で、永久に不徳な、永久にげすばった人間の眼から見て、天上のパンが地上のパンと比べものになるだろうか?

 よし幾千万の人間が、天上のパンが欲しさに、おまえの後からついて行くにしても、天上のパンのために地上のパンを捨てることのできない幾百、幾千万の人間は、いったいどうなるというのだ? 

それともおまえに大切なのは、立派な、力強い幾万かの人間だけで、その他の弱い、けれどもおまえを愛している幾百万の人間、いや、浜の真砂(まさご)のように数えきれない人間は、すぐれた力強い人間の材料とならなければならぬというのか? 

いや、われわれには弱い人間も大切なのだ、彼らは不徳感で反逆者ではあっても、最後にはかえってこういう人間が従順になるのだ。彼らはわれわれに感嘆して、神とまで崇(あが)めるに至るだろう。なぜならば、われわれは彼らの先頭に立って、彼らの恐れている自由に甘んじて耐えて、彼らの上に君臨することを諾(うべな)うからだ。かくして、結局、彼らは、自由になることを恐ろしいと感じだすに違いない! 

しかしわれわれは彼らに向かって、自分たちもやはりキリストに従順なものだから、おまえたちの上に君臨するのはキリストの御名によるのだ、と言って聞かせる。こうしてわれわれはまた彼らを欺くが、もはや断じておまえを自分たちのそばへ近づけはしないのだ。この偽りのなかにわれわれの苦悩がある。しかもわれわれは偽らざるを得ないのだ。

荒野における第一の問いはこういう意味を持っているのだ。おまえは自分が何にも増して尊重した自由のために、これだけの物を拒否したのだ。さらに、この問題のうちには、この世界の大きな謎(なぞ)が潜んでいるのだ。おまえがもし『地上のパン』を受け入れたなら、個人および全人類に共通な永遠の悩み、――《何人を崇拝すべきか?》という疑問に対して、回答を与えることになったのだ。

自由になった人間にとって、最も苦しい、しかも絶え間なき問題は、一刻も早く自分の崇むべき者を捜し出すことである。しかし、人間という者は議論の余地なく崇拝に値する者を求めている、万人ことごとく打ちそろって、一時にその前にひざまずき拝し得るような、絶対的に崇むるに足る対象を求めているのだ。これらの哀れな被造物の心労は、めいめい勝手な崇拝の対象を求めるだけではなく、万人が信服してその前にひざまずくことのできるような者を捜し出すことにあるのだ。どうしても、《すべての人といっしょ》でなければ承知しないのだ。

この共通な崇拝の要求が、この世の初まりから、各個人および全人類のおもなる苦悩となっている。崇拝の共通ということのために、彼らは互いに剣をもって殺戮(さつりく)し合った。彼らはおのおのの神を創り出して互いに招き合っている。つまり、

《おまえたちの神を崇めないか、そうしなければ、おまえたちもおまえたちの神も死あるのみだぞ!》

というのだ。これは世界の終わるまでこのとおりだ。神というものが地上から消え失せてしまった時でも、やはり同じことだ。彼らは偶像の前にでも、ひざまずくだろうから。おまえはこの人間性の根本の秘密を知っていたろう、いや知らないはずはない。ところが、おまえはすべての人間を無条件で自分の前にひざまずかせるため、精霊がおまえにすすめた唯一絶対の旗幟――つまり地上のパンという旗幟――を拒否したのだ、しかも天上のパンの名をもって拒否したではないか。

それからさきにおまえはどんなことをしたか、考えてみるがよい。何事によらず、例によって、自由の名をもって行なったではないか! 

わしがおまえに言っておるとおり、人間という哀れな生き物は、生まれ落ちるとより授けられている自由の賜物を、いちはやく誰かに譲り渡そうとして、その相手を捜し出すことにきゅうきゅうとしていて、この苦しみほど人間にとって切実なものはないのだ。それにしても、人間の自由を支配し得るのは、彼の良心を安んずることのできる者に限ることだ。ところで、おまえにはパンという絶対的な旗幟が与えられたのだから、パンさえ与えれば、人間はおまえの足もとにひざまずくに決まっている。なぜといって、パンほど確実なものはないからだ。

が、もしその時おまえのほかに、人間の良心を支配する者が出現した暁には、――おお、その時こそは、おまえのパンを捨てても、人間は自分の良心を籠絡(ろうらく)する者について行くに違いない。この場合においてはおまえも正しかったのだ。なぜなら、人間生活の神秘はただ生きるということに存するから。何のために生きるかという確固たる観念がなかったら、人間はたとえ周囲にパンの山を積まれても、生くることを楽しとせずに、こんな地上にとどまるよりは、むしろ自殺の道を選んだに相違ない。これは確かにそのとおりだったろう。

ところが、実際はどうであったか。おまえは人間の自由を支配するどころか、かえっていっそう彼らに自由を増してやったではないか! 

それとも、おまえは人間にとって、安らいのほうが時としては死でさえも、善悪の認識界における自由の選択よりは、はるかに高価なものであることを忘れたのか? それは、むろん人間としては、良心の自由ほど愉快なものはないのだけれど、これはどまた悩ましいものもないのだ。しかるに、おまえは人間の良心を永久に慰める確固たる根拠を与えないで、あるとあらゆる異常な謎のような、しかも取り留めもない、人間の力にはそぐわぬ代物を取って与えた。それゆえ、おまえの行為は全然人類を愛することなくして、行なったと同じ結果になってしまった、しかも、それが誰かといえば、人類のために一命を投げ出した人なのだ! 

おまえは人間の自由を支配しようとして、かえってその自由を多くして、その苦悩によって永久に、人間の心の王国の負担を多くしてやったではないか。おまえは自分でそそのかして俘(とりこ)にした人間が、自由意志でおまえについて来るために、人間に自由の愛を求めたのだ。人間はこれからさき、確固たる古代の掟(おきて)を捨てて、自分の自由意志によって何が善で何が悪であるかを、一人で決めなければならなくなった。しかも、その指導者としては、おまえの姿が彼らの前にあるだけなのだ。

だがおまえはこんなことを考えはしなかったか、――もしも、選択の自由というような、恐ろしい重荷が人間を圧迫するとすれば、ついにはおまえの姿やおまえの真理を排斥するに至る。そして《真理はキリストの中にはない》と叫ぶようになる。というのは、おまえがあまりに多くの心労と、とても解決できない問題を課したため、人間は困惑と苦痛の中にとり残されたからだ。実際、これ以上に残酷なことはとてもできるものではない。こうしておまえは自分で自分の王国の崩壊する根本を作ったのだから、誰も他人をとがめることはできない。

とはいえ、おまえがすすめられたのは、はたしてこんなことであったろうか?

 ここに三つの力がある。つまり、これらのいくじない反逆者の良心を、彼らの幸福のために永久に征服して、俘(とりこ)にすることのできる力は、この地上にたった三つよりないのだ。その力というのは、奇跡と神秘と政権である。

おまえは第一も第二も第三も拒否して、みずからその先例を作った。あの恐ろしくも、おぞましい精霊が、おまえを宮殿の頂きに立たせて、

《もしも、おまえが神の子か否かを知りたいなら、試みに下へ飛んでみよ。なぜなら、下へ落ちて身を粉砕しないように、中途で天使に受け止めてもらう人の話が本にも書いてあるから、その時おまえは自分が神の子かどうかを知ることができるし、天なる父に対するおまえの信仰のほども知れるわけだ》

しかし、おまえはそれを聞くと、そのすすめをしりぞけ、かかる術策に引っかかって下へ身を投げるようなことをしなかった。それはもちろん、おまえは神としての誇りを保って、立派にふるまったに違いない。しかし人間は――あのいくじのない反逆者の種族はけっして神ではないからな。おお、もちろんあの時、あまえがたった一足でも前へ進み出て、下へ身を投ずる構えだけでもしたのなら、神を試みたことになって、たちまちすべても信仰を失い、おまえが救うためにやって来た土に当たって粉砕し、おまえを誘惑したさかしい精霊を喜ばしたに違いない、わしはそれを知っていたのだ。が、くり返して言うが、いったいおまえのような人間がたくさんいるだろうか? 

このような誘惑を持ち耐える力がほかの人間にもあるなどと、おまえは本当にただの一分間でも考えることができたか? 

人間の本性というものは、奇跡を否定するようにはできていないのだ。いわんや、そのような生死に関する恐ろしい瞬間に、――最も恐ろしい、根本的な、苦しい精神的疑問の湧き起こった瞬間に、自由な心の決定にのみ頼っていくようにはできていないのだ。

おまえは自分の言行が書物に記録されて、時の窮み、地の果てまで伝えられることを知っていたので、すべての人間も自分の例にならって、奇跡を必要としないで神と共に暮らすだろう、そんなことを当てにしていたのだ。けれども、人間は奇跡を否定すると同時に、ただちに神をも否定する。なぜならば、人間は神よりもむしろ奇跡を求めているのだから、――この理(ことわり)をおまえは知らなかったのだ。人間というものは奇跡なくして生きることができないから、自分で勝手に新しい奇跡を作り出して、果ては祈禱 師(きとうし)の奇跡や、巫女(みこ)の妖術(ようじゅつ)まで信ずるようになる。そして相手が百倍もひどい悪党で、邪教徒で、不信心者であっても意としないのだ。おまえは多くの者が、

《十字架からおりてみろ、そうしたらおまえが神であることを信じてやる》

と、ひやかし半分にからかった時、おまえは十字架からおりて来なかった。つまり、またしても人間を奇跡の奴隷にすることを潔しとせず、自由な信仰を渇望したから、おりなかったのだ。おまえは自由な愛を渇望したが、恐ろしい偉力によって、凡人の心に奴隷的な歓喜を呼び起こしたくなかったのだ。しかしおまえは人間をあまりに高く見積りすぎたのだ。

それは天性彼らは暴徒にできあがっていても、やはり奴隷に違いないからだ。まあよく観察して判断するがよい。もう十五世紀も過ぎたのだから、よく人間を観察するがよい。あんなやつらをおまえは自分と同じ高さまで引き上げたのだ。わしは誓って言うが、人間はおまえの考えたより、はるかに弱くて卑劣なものなのだ! 

いったいおまえのしたと同じことが人間にできると思うのか? あんなに人間を尊敬したために、かえっておまえの行為は彼らに対して同情のないものになってしまったのだ。それはおまえがあまりにも多くのものを彼らに要求したからである。これおが人間を自分の身より以上に、愛した、おまえのなすべきことといえるだろうか? 

もしもおまえがあれほど彼らを尊敬さえしなかったら、あれほど多くのものを要求もしなかったろう。そしてこのほうがはるかに愛に近かったに違いない。
つまり人間の負担も軽くて済んだわけだ。

人間というものは弱くて卑しいものだ。今彼らはいたるところで、われわれの教権に反抗して、それを誇りとしているがそんなことはなんでもない。それは赤ん坊か小学生の自慢だ。それは教室で騒動を起こして、教師を追い出すちっぽけな子供なのだ。しかし今にそんな子供らしい喜びは終わりを告げて、それに対して彼らは高い支払いをしなければならない。彼らは寺院を破壊して地上に血を流すことだろう。

しかし、結局はこの愚かな子供たちも、自分らは暴徒とはいっても、最後まで反抗を持続することのできない、いくじない暴徒にすぎないことを悟るだろう。やがては、愚かな涙を流しながら、自分たちを暴徒として創った者は、疑いもなく自分たちを冷笑するためだと自覚するだろう。彼らがこんなことを言いだすのは絶望に陥った時、そのことばは神を冒瀆(ぼうとく)するものとなり、それによって彼らはいっそう不幸に陥るだろう。それは、人間の本性がとうてい、冒瀆 を耐え忍ぶことのできないもので、結局、自分で自分にその復讐(ふくしゅう)をするに決まっているからだ。

かかるがゆえに、不安と惑乱と不幸と――これがおまえが彼らの自由のためにあれだけの苦しみを忍んだ後で彼らに与えられた、今の人間の運命なのだ! おまえの偉大なる予言者はその幻想と譬喩(ひゆ)の中で、最初の復活に参与したすべての人を見たが、その数はあらゆる種族を通じて一万二千人ずつあったといっておる。

しかし、それほど多くの者がいたとしても、それは人間ではなくて神であったといってもいいくらいだ。彼らはおまえの十字架を耐え忍び、荒れ果てた不毛の広野の幾十年を、蝗(いなご)と草の根によって露命をつないできたのだから、もちろん、自由の子、自由な愛の子、おまえの名のために自由と偉大なる犠牲となった子として、大威張りでこれらの人々を指すことができるだろう。

しかし、考えてもみるがいい。それはわずか数千人の、しかも神ともいうべき人間だけである。あとの人間はどうなるのだ? 

そうした偉大な人々の耐え忍んだことを、他の弱い人間が同じように耐え忍ぶことができなかったからとて、彼らになんの罪があろう? 

そのような恐ろしい賜物を、受け入れることができなかったとて、弱い魂を責めるわけにはいくまい。それともおまえは、ただ選ばれたる者のために、選ばれたる者のもとへ来たのにすぎなかったのか? 

仮にそうだとすれば、それこそ神秘で、もはや、われわれにはわからないことだ。しかし本当に神秘だとすれば、われわれは神秘を伝道して、彼らに向かって、いちばん肝要なものは良心の自由なる判断でもなければ、愛でもなく、ただ一つの神秘あるのみだ、すべての人間は自分の良心にそむいてまでも、この神秘に盲従しなければならないと教える権利を持っているわけだ。

実際われわれはそのとおりにしてきた。われわれは、おまえの事業を訂正して、それを奇跡と神秘と教権の上にすえつけたのだ。すると民衆は、再び自分たちを羊の群れのように導いてくれる者ができ、それほど彼らに苦痛をもたらしたあの恐ろしい贈り物を。ついに取りのけてもらえる時が来たのを喜んだのだ。われわれがこんな風に教えたのは間違っているかどうか、ひとつ聞かせてもらいたい。われわれが優しく人間の無力を察して、情をもって彼らの重荷を減らしてやり、弱い彼らの本性を、たといそれが悪いことであっても大目に見て許してやったのが、はたして人類を愛したことにならぬのだろうか? 

いったいおまえは、今ごろになってなんのためにわれわれの邪魔をしにやって来たのだ? どうしておまえはそのやさしい眼でじっと見抜くように、黙ってわしを見つめておるのだ? 

怒るのなら勝手に怒るがよい、わしはおまえの愛なんか欲しくはない、わしのほうでもおまえを愛してはいないのだから。それにわしは、何もおまえに隠しだてをする必要もない。それともわしが今、誰と話をしているか、知らないとでも思うのか? 

わしが今言おうと思っていることは、何もかもおまえにわかっているはずだ。それはおまえの目つきでちゃんと読める。しかし、わしはおまえにわれわれの秘密を隠そうとは思わぬ。ことによると、おまえはぜひわしの口からそれが聞きたいのかも知れぬ。

それなら、聞かせてあげよう。われわれの仕事仲間はおまえでなくてやつ(悪魔)なのだ。これがわれわれの秘密だ! 

われわれはすでにずっと前から、もう八世紀のあいだもおまえを捨てて、やつといっしょになっているのだ。ちょうど八世紀以前、われわれは彼の手からおまえが憤然としてしりぞけたところのものを取ったのだ。それは地上の王国を示しながら、やつがおまえにすすめた最後の賜物だったのだ。

われわれは彼の手からローマとシーザーの剣を取って、われわれこ地上の唯一の王者だと宣言したのだ。もっとも、いまだこの事業を十分に完成することはできなかったが、それはわれわれの罪ではない。この事業は今日に至るまで、ほんの初期の状態にあるけれど、とにかく緒についてはいるのだ。その完成はまだまだ長く待たねばならぬし、まだまだこの地球も多くの苦しみをなめなければならないが、しかし結局、その目的を貫徹してわれわれは皇帝となり、やがては人類の世界の世界的幸福を企てることができるのだ。ところが、おまえはまだあの時にシーザーの剣を取ることができたのだ。どうしておまえはこの最後の贈り物をしりぞけたのだ?

 おまえがこの偉大なる精霊の第三の勧告を受け入れていらなら、人類が地上で捜し求めているいっさいのものを満たすことができたはずだ。言い換えれば、崇(あが)むべき人と良心を託すべき人と、すべての人が世界的に一致して、蟻塚(ありづか)のように結合する方法である。なぜというに、世界的結合の要求は、人間の第三にしてかつ最後の苦悩だからである。

全体としての人類は常に世界的に結合しようと努力している。偉大な歴史を持った偉大なる国民が多くあったにはあったけれど、これらの国民は高い地歩を占めれば占めるほど、いっそう不幸になってゆくのだった。というのは人にすぐれて強い者ほど、人類の世界的結合の要求をより激しく感じるからである。チムールやジンギスカンというような偉大な征服者は、さながら疾風のように地上を席捲(せつけん)して、宇宙を併合しようと努力した。そして、これらの人々も無意識にではあるが、やはり、人類の世界的結合の要求を表現したのだ。全世界とシーザーの紫色の袍(ほう)をとってこそ、はじめて、世界的王国を建設して、宇宙的平和を設定することができるのだ。

なぜというのに、人類の良心を支配し、かつ、人類のパンをその手に把握している者でなくしては、人類を支配することができないからだ。われわれはもちろん、おまえを捨ててやつの後について行った。おお、人類の自由な知恵と、科学と、人肉啖食(じんにくたんしょく)の放肆(ほうし)きわまりなき時代が、まだこのうえに幾世紀も続くだろう。まさしく人肉啖食だ。なぜなら、彼らは、われわれの力をかりずして、バビロンの塔を建て始めたのだから、彼らはついに人肉啖食で終わるのは当然なのだ。しかし、最後にはこの獣が、われわれのもとへはい寄って、われわれの足をなめまわしながら、血の涙を注ぐことだろう。

そこで、われわれはその獣にまたがって杯を挙げる。そして、その杯には《神秘》と書かれているだろう。しかし、その時になって、はじめて平和と幸福の王国が人類を訪れるのだ。おまえは自分の選ばれた者ども以外にはないのだ。ところが、われわれは、すべての者をいこわせることができる。まだまだそれくらいのことではない、これらの選ばれた者どもや、選ばれたる者になり得る強者の多くは、もはやおまえの出現を待ちくたびれて、自分の精神力や情熱をまるで見当違いの畑へ移してしまっている。まだこれからも移してゆくだろう。

そしてついには、おまえにそむいて自由の反旗を翻すに違いない。しかし、おまえ自身もこの反旗を翻したではないか。ところが、われわれのほうでは万人が幸福になって、もはや反逆を企てる者も、互いに殺傷し合う者もなくなるのだ。これに反して、おまえの自由な世界では、それが随所に行なわれている。おお、われわれは、彼らがわれわれのために自分の自由を捨てて、われわれに服従したとき、はじめて彼らは幸福になれるのだとよく皆のものに聞かしてやろう。

ところで、どうだろう、われわれの言うことは正しいだろうか、正しくないだろうか? いや彼ら自身でわれわれの言うことが正しいことを悟るに違いない。それは、おまえの自由のおかげで、どれほど恐ろしい奴隷状態と混乱に落とされていたかを思い出しさえすれば十分だからな。自由だとか、自由な知恵だとか、科学だとかは、彼らをものすごい渓谷に連れこんで、恐ろしい奇跡や、解きがたい神秘の前に立たせるため、彼らのうち頑強(がんきょう)で獰猛(どうもう)な者は自殺してしまうし、頑固であっても弱い者は互いに滅ぼし合うだろう、その他のいくじのない不仕合わせな者たちは、われわれの足もとへはい寄って、こう叫ぶのだ、

《あなたがたは正しゅうございました。あなたがたのみがキリストの神秘を持っていらっしゃいます。でありまするから、わたくしどもはあなたがたのところへ帰ります。どうか、わたくしどもを自分自身から救ってくださいまし》

そこで、われわれは彼ら自身の得たパンをその手から取り上げると、石をパンに変えるというような奇跡などは何も行なわないで、再び彼らにそれを、分配してやる、彼らはパンを受け取る時に、このことをはっきり承知しているけれど、彼らが喜ぶのはパンそのものよりも、むしろ、それをわれわれの手から受け取るということなのだ! 

なぜならば、以前われわれのいなかったころには、彼らの得たパンがその手の中で石ころになってしまったが、われわれのところへ帰って来てからは、その石がまた彼らの手の中でパンになったことを、悟りすぎるくらい悟っているからである。永久に服従するということがどんな意味を持っているかも、彼らは理解し過ぎるほど理解するに違いない! 

この理に合点のゆかぬあいだは、彼らはいつまでも不幸なのだ。だが、これを彼らに知らさないようにしたのは第一誰なのか、それが聞きたい。羊の群れを散り散りにして、不案内な道へ追いやったのはのは誰だ? 

でも、羊の群れもまた再び呼び集められて、今度こそ永久に服従することだろう。その時になって、われわれは彼らに穏やかなつつましい幸福を授けてやる。彼らの本来の性質たるいくじのない動物としての幸福を授けてやるのだ。おお、われわれは最後に彼らを説き伏せて、けっして誇りをいだかないようにしてやる。つまり、おまえが彼らの位置を高めるために、彼らに誇りを教えこんだからだ。

そこでわれわれは彼らに向かって、おまえたちはいくじなしでほんの哀れな子供のようなものだ、そして子供の幸福ほど甘いものはないと言い聞かせてやる。すると、彼らは臆病になって、まるで巣についた牝鶏(めんどり)が雛(ひな)に寄り添うように、恐ろしさに震えながら、われわれのほうへ身をすり寄せて、われわれを振り仰ぐに違いない。彼らはわれわれのほうへ詰め寄りながらも、同時にわれわれを崇(あが)め恐れて、荒れさわぐ数億の羊の群れを鎮撫(ちんぶ)することのできる偉大な力と知恵とをもったわれわれを、誇りとするに至るだろう。

彼らはわれわれの怒りを見て、哀れにも震えおののいて、その心は臆(おく)し、その眼は女や子供のように涙もろくなるだろう。しかし、われわれがちょっと合い図さえすれば、たちまち身も軽々と、歓楽や、笑いや、幸福の子供らしい歌へ移るのだ。むろん、われわれは彼らに労働を強いるけれど、暇なときには彼らのために子供らしい歌と合唱と、罪のない踊りの生活を授けてやる。ちょうど子供のために遊戯を催してやるようなものだ。

もちろん、われわれは彼らに罪悪をも許してやる。彼らは弱々しい力ない者だから、罪を犯すことを許してやると、子供のようにわれわれを愛するようになる。どんな罪でもわれわれの許しさえ得て行なえばあがなえる、とこう彼らに言い聞かせてやる。罪悪を許してやるのは、われわれが彼らを愛するからだ。その罪悪に対する応報は、当然われわれ自身で引き受けてやるのだ。そうしてやると、彼らは神様に対して自分たちの罪を引き受けてくれた恩人として、われわれをますます崇めるようになる。したがってわれわれに何一つ隠しだてをしないようになる。

彼らが妻の他に情婦と同棲(どうせい)することも、子供を持つことも、持たぬことも、すべては彼らの従順であるか従順でないか、したがって、許しもすれば、とがめもする。こうして彼らは楽しく喜ばしくわれわれに服従してくるのである。最も悩ましい良心の秘密も、それから――いや、何もかも、本当に何もかも、彼らはわれわれのところへ持って来る。するとわれわれはいっさいのことを解決してやる。この解決を彼らは喜んで信用するに違いない。というのは、それによって大きな心配を免れることもできるし、今のように自分で勝手に解決するという恐ろしい苦痛を免れることができるからだ。

かくてすべての者は、幾百万というすべての人類は幸福になるだろう。しかし、彼らを統率する十数万の者は除外されるのだ。すなわち、秘密をほじしているわれわれのみは、不幸に陥らねばならぬのだ。何億かの幸福な幼児と、何万人かの善悪の知識ののろいを背負うた受難者ができるわけだ。

彼らはおまえの名のために静かに死んでゆく、静かに消えてゆく。そうして、棺(かん)のかなたにはただ死以外の何ものをも見いださないだろう。しかも、われわれは秘密を守って、彼ら自身の幸福のために、永遠の天国の報いを餌(えさ)に彼らを釣っていくのだ。なぜといって、もしあの世に何かがあるにしても、とうてい彼らのごとき人間に与えられるはずはないからだ。

人の話や予言によると、おまえは再びこの世へやって来るそうだ。再びすべてを征服して、選ばれたる人や、誇りと力を持った者たちを連れてやって来るそうだ、けれどわれわれはこう言ってやる――彼らはただ自分を救ったばかりだが、われわれはすべての者を救ってやった、とな。またこんな話もある。やがてそのうちにいくじのない連中がまたもや蜂起(ほうき)して、獣の上にまたがって、《秘密》を手にした姦婦(かんぷ)の面皮を引っ剥(ぱ)がし、その紫色のマントを引き裂いて、《醜い体》を裸にするということだ。もっとも、その時はわしが立ち上がって、罪を知らぬ何億という幸福な幼児を、おまえに指して見せてやる。彼らの幸福のために彼らの罪を一身に引き受けたわれわれは、おまえの行く手にたちふさがって、

《さあできるものならわれわれをさばいてみろ》

と言ってやる。いいかえ、わしはおまえなんぞを恐れはしないぞ。いいかえ、わしもやはり荒野へ行って、いなごと草の根で命をつないだことがあるのだぞ。おまえは自由をもって人間を祝福したが、わたしもその自由を祝福したことがあるのだ。

わしも《数の埋め合わせ》をしたいという渇望のために、おまえの選ばれたる人々の仲間へ――偉大なる強者の仲間へはいろうと思ったこともある。しかしあとで眼がさめたから、気ちがいに仕えることが嫌になったのだ。それでまた引き返して、《おまえの仕事を訂正した》人々の群れに投じたのだ。つまり、わしは傲慢(ごうまん)な人々のかたわらを去って、謙遜(けんそん)な人々の幸福のために、謙遜な人々のところへ帰って来たのだ。今わしの言ったことは実現されて、われわれの王国は建設されるだろう。

くり返して言うが、明日はおまえもその従順な羊の群れを見るだろう。彼らは、わしがちょっと手で合い図をすれば、われがちにおまえを焼く炬火へ炭を掻(か)きこむことだろうよ。

それはつまり、おまえがわれわれの邪魔をしに来たからだ。実際、もし誰が、最もわれわれの炬火に焼かれるにふさわしい者があるとすれば、それはまさしくおまえだ。明日はおまえを焼き殺してくれるぞ。Dixi(これでおしまいだ)』」


 イワンは口をつぐんだ。彼は話しているうちにすっかり熱して、酔ったようになって話を続けたが、語り終わった時、不意ににやりとした。

 黙々としてずっと聞き入っていたアリョーシャは、しまいには異常な興奮を覚えて幾度も躍起に兄のことばをさえぎろうとする衝動をかろうじて押えていたのであるが、突然、その場から飛び上がりざまに口をきった。

 「しかし……それはばかばかしい話ですよ!」と彼はまっかになって叫んだ、

「兄さんの劇詩はイエスの賛美です、けっして非難じゃありません……、兄さんが期待した結果にはなっていません、それに誰が兄さんの自由観なんか信じるものですか! そんな、そんな風に自由というものを解釈してもいいものでしょうか! 

それがはたして正教の解釈でしょうか……それはローマです、いやローマ全体を尽くしたものではありません、それは嘘(うそ)です、それはカトリック教の中でもいちばん良くないものです、審問官や、エズイタ思想です!……それに兄さんのおっしゃる審問官のような奇怪な人間はとうていあり得るものではありません。自分の一身に引き受けた人類の罪とは、いったい何のことですか? 

人類の幸福のために何かのろいを背負った、秘密の保持者とはいったいどんなものです? いつそんな人がありましたか? 

僕らはエズイタ派のことは知っていますが、彼らはずいぶんひどいことを言われてますけれど、兄さんの考えてるようなものではありません! 

まるで違いますよ、全然そんなものじゃありません……、彼らはただ頭に皇帝を――ローマ法王をいただいた、未来の世界的王国の建設に向かって邁進(まいしん)するローマの軍隊にすぎません。それが彼らの理想で、そこにはなんの神秘もなければ、高遠な憂愁もありません……、権力と、卑しい地上の幸福と、隷属に対する最も単純な希望があるにすぎないのです……、いわば、未来の農奴制度というべきものですが、それには彼ら自身が地主になろうとしているのです……これっくらいが彼らのもっているすべての考えですよ、おそらく彼らは神だって信じてはいないでしょう。兄さんの言う苦しめる審問官はただの幻想ですね……」

 「まあ、待てよ、待てっ」とイワンは笑って、「いやに逆(のぼ)せ上がるじゃないか、おまえが幻想というんなら、それでもいいよ! 

むろん、幻想さ、だがな、おまえは本当に、近世のカトリック教の運動の全部が、けがれた幸福のみを目的とする権力の希望にすぎないと思ってるのかい? 
そいつはパイーシイ神父にでも教わったことじゃないかな?」

 「いいえ、いいえ、反対に。パイーシイ神父はいつだったか、兄さんと同じようなことを言われたことさえありますよ……しかし、むろん違います、まるで違いますよ」

と、アリョーシャはあわてて言いなおした。

 「いや、そいつは、おまえが『まるで違う』と言ったところで、なかなか貴重な報告だぜ。そこで一つおまえに聞きたいのはね、どういうわけでおまえのいうエズイタや審問官たちは、ただ物質的な卑しい幸福のためのみに団結したというんだい? 

なぜ彼らのなかには、偉大なる憂鬱に悩みながら、人類を愛する受難者が一人もいないというのだい? ね、けがれた物質的幸福のみ渇仰(かつごう)している、こういう連中のなかにも、せめて一人ぐらい、僕の老審問官のような人があったと想像してもいいじゃないか、彼は荒野で草の根を食いながら、みずから自由な完全なものになるために、自分の肉体を征服しようとして狂奔したのだが、人類を愛する念には生涯変わりがなかったのさ。ところが、一朝、忽然として意志の完成に到達するという精神的な幸福はそれほど偉大なものではない、ということを大悟したのだ。それは、意志の完成に到達した時には、自分以外の数億の神の子が、ただ嘲笑の対象物となってしまう、ということを認めざるを得ないからだ。

全く彼らは自分の自由をどう処理していいかもわからないのだ、こういう哀れな暴徒の中から、バビロンの塔を完成する巨人が出て来ようはずはない、『偉大なる理想家』が、かの調和を夢みたのは、こんな鵞鳥(がちょう)のような連中のためではない、こういうことを悟ったので、彼は引っ返して……賢明なる人々の仲に加わったわけだが、そんなことはあり得ないというのかぇ?」

 「誰の仲間へ加わるのです、賢明なる人とは誰のことですか?」アリョーシャはほとんど激情にかられながら、こう叫んだ、

「彼らにはけっしてそんな知恵もなければ、そんな神秘だの秘密だのというものもありません……あるのはただ、無神論だけです、それが彼らの秘密の全部です、兄さんの老審問官は神を信じていやしません、それが老人の秘密の全部です!」


 「そうだとしても、かまわんよ! やっとおまえも気がついたってわけだね、いや、本当にそのとおりなんだ、本当に彼の秘密はただその中にのみ含まれているのだよ、しかし、それは彼のような人間にとっても苦しみではないだろうか。彼は荒野における苦行のために自分の一生を棒に振ってしまいながら、それでも人類に対する愛という病を、癒(い)やすことができなかったのだよ。

やっと自分の生涯の日没ごろになって、あの恐ろしい精霊の勧告だけが、いくじのない反逆者どもを――『嘲笑(ちょうしょう)のために作られた、未完成な試験的生物』を、幾らかしのぎよい境遇におくことができる、ということをはっきりと確信したのだ。それを確信すると同時に、賢明なる精霊、恐ろしい死と破壊の精霊のさしずに従って進まねばならぬということを悟ったのだ。このために虚偽と詐欺とを取り入れて、人間をば故意に死と破壊へ導き、しかも彼らがどうかしたはずみで、自分らの行く手に感づかないようにする必要がある、つまり、せめてそのあいだだけなりと、この哀れな盲人どもに、自分を幸福なものと思わせておくためなんだ。だが、注意して欲しいことは、この虚偽もキリストの名のためだという点だよ。老人は生涯、熱烈にキリストの理想を信じていたのさ! 

これでも不幸ではなかろうか? もしもあの『けがれた幸福のためのみの権力に渇している』軍隊の頭に、ほんの一人でも、こんな人物が現われたら――その一人だけでも悲劇を生むに十分じゃないか? そればかりか、こんな人がたった一人でも頭に立っていたら、ローマの事業(その軍隊もエズイタ派もみんな引っくるめて)ローマの事業に対する本当の指導的な理想を生むに十分じゃないか、僕はこう断言する――こうした『唯一人者』は、あらゆる運動の指導者のあいだに、今までけっして絶えたことがない。ことによったら、ローマ僧正のあいだにも、この種の唯一人者がなかったとも限らないからなあ。

それどころか、こうして執拗(しつよう)に、非常に自己流に人類を愛しているこの呪うべき老人は、同じような『唯一人者的』老人の大群集の形をとって、今も現に存在しているかもしれないのだ、そかもそれはけっして偶然ではなく、ずっと前から秘密を守るために組織された同盟、もしくは秘密結社として存在しているかもしれない、この秘密を不幸ないくじのない人間どもから隠すのは、つまり彼らを幸福にするためなんだ。つまり、彼らを幸福にするためなんだ、これは必ず存在する、また存在しなければならないはずだよ、僕はなんだかメーソンの基礎にも、何かこんな秘密に類したものがあるんじゃないか、というような気がする、カトリック教徒がメーソン組合員を憎むわけは、彼らを自分の競争者、つまり、自分の理想の分割者と見るからだ、羊の群れも一つでなくちゃならないし、牧者も一人でなくちゃならないからな……それはそうと、こんな風に僕が自分の思想を弁護していると、どうやらおまえの批評をたたきつけたれてしまった作者のようだね、さあ、こんなことはもうたくさんだよ」

 「兄さんは、もしかしたら自分がメーソンかもしれませんね!」と、不意にアリョーシャは口をすべらせた、「兄さんは神を信じていないのですよ」と彼は言い足したが、その声はもう非常に強い悲しみを帯びていた。そのうえ彼には、兄が冷笑的に自分を眺めているように感じられた。

「それで、兄さんの劇詩はどんな風に完結するんです?」と、不意に彼は地面を見つめながら尋ねた。「それとも、もう完結してるんですか?」

 「僕はこんな風に完結させたいと思ったのさ、審問官は口をつぐんでから、しばらくのあいだ囚人がなんと答えるかを待ち設けていた。彼には相手の沈黙が苦しかったのだ。見ると囚人は始終しみ入るように、静かにこちらの顔を見つめたまま、何一つことばを返そうとも思わぬらしく、ただじっと聞いているばかりだ。

老人は、どんな苦しい恐ろしいことでもかまわないから、何か言ってもらいたくてたまらないのだ。が、不意に囚人は無言のまま老人に近づいて、九十年の星霜を経た血の気のない唇をそっと接吻したのさ。それが回答の全部なのだ、老人はぎくりとした。なんだか唇の両端がぴくりと動いたようであった。と、彼は扉(とびら)のそばへ近づいて、それをさっとあけ放しながら、囚人に向かって、

『さあ、出て行け、そしてもう来るな……二度と来るな……どんなことがあっても!』

と言って、『暗い巷(ちまた)』へ放してやる。すると囚人はしずしずと歩み去るのだ」

 「で、老人は?」

 「例の接吻が胸に燃えさかっていたのだけれど、やはり、元の理想に踏みとどまったんだ」

 「そして兄さんも老人といっしょなんでしょう、兄さんも?」とアリョーシャは憂わしげに叫んだ。イワンは笑いだした。

 「だって、アリョーシャ、こんなものはほんのでたらめじゃないか、これまで二行の詩も書いたことのない、無分別な学生のとりとめもない劇詩にすぎないんだよ、なんだってそうおまえはきまじめにとるんだい? 

ほんとにおまえは僕がエズイタ派の仲間へ走って、キリストの事業を訂正しようとしている連中の群れへ投じるだろうなんて、思ってるのかい? 

とんでもないこったよ! 僕はおまえに言ったとおり、三十まではこうしてだらだらと生きのびるんだ、そして三十が来たら杯を床へたたきつけるまでさ!」

 「じゃ、粘っこい若葉や、立派な墓や、青空や、愛する女はどうなんです! それじゃ兄さんは何をあてに生きてゆくのです、どうしてそういうものを愛してゆくつもりなんです?」

アリョーシャは痛ましげに叫んだ、

「胸や頭にそんな地獄を持ちながら、兄さんはどうしてやってゆくのです? いいえ、兄さんはきっとああいう仲間にはいるために出かけて行きます……でなかったら自殺しますよ、とてもしんぼうしきれたものはありません!」

 「なんでもしんぼうすることのできる力があるさ!」と、もうひややかな嘲笑を帯びた声でイワンが言った。

 「どんな力が?」

 「カラマゾフの力さ……カラマゾフ式の下劣な力なのさ」

 「それは淫蕩(いんとう)に溺(おぼ)れて、堕落の中に魂を押しつぶすことですね、ね、ね?」

 「まあ、そうかもしれんな……、しかし、ただ三十までだ。ひょっとしたら、逃げ出せるかもしれんが、しかしそのときは……」

 「どんな風に逃げ出すんです? どうして逃げ出すんです? 兄さんのような考えを持っていたんでは、とてもだめです」

 「こいつもやっぱりカラマゾフ式にやるさ」

 「それはあの『すべてが許されている』というやつですか? 本当にすべてのことが許されているというのですか、そうなんですか、そうなんですか?」

 イワンは眉をひそめたが、急に不思議なほどまっさおな顔になった。

 「あ、おまえは、昨日ミウーソフが腹を立てた、例の文句をもちだしたんだな……、あのとき、ドミトリイが不細工に飛び出して、あの文句をくり返したっけな」と彼はゆがんだような薄笑いを漏らした、

「ああ、ことによったら、『すべてが許されてる』かもしれないよ。綸言(りんげん)汗のごとしさ、それにミーチカのこじつけもなかなかうまいぞ」

 アリョーシャは黙って兄を見つめた。

 「僕はね、アリョーシャ、ここを去るに当たって、世界じゅうでおまえだけは親友だと思っていたんだが」と、突然思いがけない真情をこめてイワンが言った、「今となってはおまえの胸にも、僕をいれる場所がないことに気がついたよ、可愛(かわい)い隠者さん。だがね、『いっさいのことが許されている』という定義は否定しないよ、ところで、どうだい、おまえはこの定義のためには僕を否定するだろうね、え、え、そうだろう?」

 アリョーシャは立ち上がってそばに近寄ると、無言のまま静かにその唇に接吻した。

 「文学的剽竊(ひょうせつ)だぞ!」と、イワンは急に一種の歓喜に浸りながら、叫んだ、「おまえはその接吻を僕の劇詩から盗み出したな! でも、まあ、ありがとう、さあお立ち、アリョーシャ、出かけようよ、僕にもおまえにももう時間だから」

 二人は外へ出たが、居酒屋の戸口のところで立ち止まった。

 「なあ、おい、アリョーシャ」とイワンはしっかりした語調で言いだした。「もしも、本当に粘っこい小さい葉を愛するだけの気力が僕にあるとしたら、それはおまえを思い起こしたためにそれを愛するということになるんだ。おまえがこの世界のどこかにいると思っただけで、もう僕にはたくさんだ。そしたら僕は人生に全く愛想をつかさないでいられる。しかし、おまえはこんなこと飽き飽きしたろうな?

 なんなら、これは恋の打ち明け話と思ってくれてもいい、でも、もうこれで、おまえは右へ、僕は左へだ、――それでたくさん、ねえ、もうたくさんだよ。つまり、もし僕が明日立たないで(しかし、きっと立ちそうなんだが)、まだどうかしておまえに会うことがあっても、この問題については、もうなんにも言わないようにしてくれ。くれぐれも頼んだぞ。

それから、ドミトリイのことについても、特に頼んでおくが、どうか二度と僕に口をきかないでくれ」と、急に彼はいらいらした調子でこういい足した、「もう話すこともなくなったよ、言うべきことは言ってしまったんだ、そうだろう? ところで、僕のほうからも一つおまえに約束をしておこう。三十近くなって、『杯を床へたたきつけ』たくなった時には、僕はどこにおまえが住んでいようと、もう一度おまえのとことへ話しに来るよ……たとえアメリカからでもやって来る。

覚えておいてくれ、わざわざやって来るんだから。それにおまえが、その時分に、どんなになっているかを、ちょっと見に来るだけでも、ほんとに愉快だろうからな。いや、ずいぶん大げさな約束だ。しかし、実際に七年か、十年も別れることになるかもしれない。さあ、もうおまえの Pater Seraphicus (ペーター・セラフィカス)のところへ行ったほうがよかろうぜ、もう今は死にかかってるんだからね、おまえの帰らないうちに死んだら、僕が引きとめてたからだといって、腹を立てるかもしれないよ、さようなら、もう一度接吻してくれ、そうだ、そうだ、じゃ行けよ……」

 イワンは不意に身をかわすと、もうふり返ろうともせずに、思う方をさしてずんずん歩き出した。それはちょうど昨日兄ドミトリイが、アリョーシャのそばを離れて行った時の様子に似てはいたが、その性質においては全く趣を異にしていた。この奇妙な印象は、ちょうどそのとき、憂いに閉ざされたアリョーシャの顔を、矢のようにかすめ過ぎたのであった。彼は兄の後ろ姿を見送りながら、しばしのあいだ、ただずんでいた。

ふっと、イワンが妙にふらふらしながら歩いて行くのに気がついた。それに、後ろから見ると右肩が左肩より少し下がっている。こんなことは、これまでについぞ見たことのないことである。が、彼もくるりと身を転ずると、ほとんど駆け出さんばかりにして、修道院を指して急いで行った。

すでにあたりは、急にたそがれて、無気味に思われるくらいであった。自分にもはっきりと説明することのできない、何かしら新しいあるものが、彼の心のうちにわきあがっていた。彼が庵室の森へはいった時、また昨日のように風が吹き起こって、松の老い木がものすごく、彼の身のまわりに、ざわめきだした。彼はほとんどはしらないばかりであった。

 『Pater Seraphicus――兄さんはこんな名まえをどこから、……』こんな考えがアリョーシャの頭に浮かんできた、『イワン、イワン兄さん、可哀(かわい)そうに、今度はいつ会えることだろう?……ああ、もう庵室だ! そうだ、そうだ、ここに Pater Seraphicus がいらっしゃるのだ、この人が僕を……悪魔から永久に救ってくださるのだ!』

 その後、彼は生涯のあいだにいくたびか、この時のことを思い出して、イワンに別れを告げたとき、どうして急に、――午前中、ほんの数時間前にはどんなことがあっても探し出さなければならぬ、それを果たさぬうちは、たとい今夜じゅう修道院へ帰れなくとも、断じて中途で引き返したりなどはしないとまで決心していた兄のドミトリイのことを忘れはててしまったのかと、少なからぬ疑惑に包まれるのであった。


2. 中川隆[-7290] koaQ7Jey 2017年7月06日 15:05:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

バクーニンは、こう述べています。

そこへ登場したのはサタン、あの永遠の反逆者であり、最初の自由思想家であり、世界の解放者である、あのサタンである。

彼は、人間に対して、その無知であること、獣のように従順であることの恥ずかしさを教えた。

彼は、人間に従順を捨てさせ、知恵の木の実を取って食べさせた。

そうすることによって、サタンは人間を解放し、その額に自由と人間性という刻印を押したのである。

___


上条さんは、今日も静かに本を読んでいた。僕は、本を読んでいる彼女に話しかけた。

智樹「上条さん。こんにちは。」

一葉「・・・・・・こんにちは。」

 彼女は本から目を離し、僕を見た。

智樹「上条さん。この前、サクヤ姫とイワナガ姫の話をしたじゃないですか。そのことについて、社会思想を専門としている教授と話をしてみたんですよ。」

とも樹「教授・・・。誰でしょうか?」

一葉「知ってるでしょうか? 三宮教授って人なんですけど・・・。」

智樹「三宮教授・・・。それで、どのような話をされたのですか?」

 彼女が三宮教授を知っているかは分からなかったが、僕が教授と話した内容には興味を示してもらえたみたいだ。僕は、彼女の隣に座る。

智樹「サクヤ姫とイワナガ姫の話は、バナナ型神話と呼ばれているのはご存じですか?」

一葉「はい。知っています。」

 そう言って、彼女はにっこりと笑った。なんだ、知っていたのか。ちぇっ。

智樹「それで、バナナ型神話つながりで、『旧約聖書』の話とかもしたんですよ。」

一葉「エデンの園の話でしょうか?」

 僕は、かなり驚いた。

智樹「すごいですね。正解です。」

一葉「正解ですか。生命の樹と知恵の樹の話ですよね?」

智樹「・・・そうです。」

 僕は彼女の知性を侮っているつまりはなかったのだけれど、改めて感心した。彼女の知識の範囲は、かなり幅広いのかもしれない。
 ここは、彼女に三宮教授の意見を紹介してみることにしよう。

智樹「三宮教授と話して、面白いことを教えてもらったんですよ。」

一葉「アダムとイブの話ですか?」

智樹「そうです。アダムとイブは、ヘビにそそのかされて禁断の果実に手をつけるじゃないですか? でも、実はヘビは、嘘を吐いているわけではないんですよ。」

 彼女は、僕の目を見つめて黙ってしまった。僕は、彼女の反応をうかがった。しばらく反応がないので、続きを話すことにした。

智樹「えっと、神様は、知恵の樹の果実について、食べると死んでしまうとアダムとイブに言っているわけです。それに対してヘビは、食べても死なないこと、それに、食べると神のように善悪を知るようになることをイブに語るんです。それでイブは、その果実がおいしそうに思えてきて、アダムと一緒に食べてしまうんです。」

 彼女は静かに僕を見た。

一葉「つまり、嘘を吐いているのは神様で、ヘビは真実を述べているだけだと。」

 彼女は、この話の本質をずばりと言い当てた。

智樹「・・・そうです。なかなかに、面白いでしょう。」

一葉「はい。そうですね。」

 彼女は、うなずいた。

智樹「ヘビは、何を考えていたんでしょうね?」

 この質問を、僕は彼女にたずねてみたかったのだ。

一葉「ヘビは、実はサタンだったという解釈がありますね。」

智樹「サタン・・・。悪魔の王様でしたっけ?」

一葉「そうです。キリスト教では、神の敵対者です。」

 そう言うと、彼女は分厚い革製の手帳を取り出した。以前も、彼女は手帳に書かれている言葉を使って話していた。色々とメモっているんだっけか。彼女は、手帳をパラパラとめくって言った。

一葉「佳山くんは、アナーキストのバクーニンを知っていますか?」

智樹「・・・知りません…。アナーキスト…。上条さんは…。」

 僕が質問するより速く、彼女は答えた。

一葉「私自身は、アナーキズムはあまり好きではありません。」

 そう言って、にっこりと笑った。僕は、少しゾクっとした。彼女の笑顔の裏に、何かしらの強い意志が感じられた。

智樹「では、なぜ突然、バクーニン?」

 何か、変な返しになってしまった。

一葉「バクーニンの思想はあまり好きではないのですが、『神と国家』という著作に面白い意見があるのですよ。」

智樹「どのような意見でしょうか?」

 彼女は、手帳に眼を落とした。

一葉「バクーニンは、こう述べています。〈そこへ登場したのはサタン、あの永遠の反逆者であり、最初の自由思想家であり、世界の解放者である、あのサタンである。彼は、人間に対して、その無知であること、獣のように従順であることの恥ずかしさを教えた。彼は、人間に従順を捨てさせ、知恵の木の実を取って食べさせた。そうすることによって、サタンは人間を解放し、その額に自由と人間性という刻印を押したのである〉と。」

 僕は、彼女が何を言いたいのか分かった気がした。

智樹「なるほど。つまり、神様の言いつけを守っている間は、人間は神様の奴隷だったと。その奴隷の地位から人間を解放したのが、ヘビ。つまり、サタンだった、と。」

一葉「たいへん良くできました。」

 彼女は薄く微笑んだ。僕は嬉しくなる。

智樹「上条さんは、ヘビの役割をそう解釈しているのですね?」

一葉「物語を聴く者の思考によって、物語は異なった姿を見せます。神の加護を失ったと見るか、神の呪縛から解き放たれたと見るか。どちらも魅力的な考え方ですが、私は後者の方に、より共感を覚えます。」

 そう言う彼女は、僕には不思議な魅力をもって映る。
 話が一段落したと思って別れを告げようとしたとき、彼女の方から話題を振ってくれた。

一葉「ところで、生命の樹と知恵の樹の話をバナナ型神話と見なすのは、私には違和感があるのです。」

智樹「どういうことですか?」

一葉「聞きたいですか?」

智樹「是非。」

 彼女は薄く微笑んで、嬉しそうに語り出した。

一葉「アダムとイブの話をバナナ型神話として見たとき、生命の樹による永遠の命と、知恵の樹による善悪の知識の選択が問題となります。人間が、生命の樹の果実ではなく、知恵の樹の果実を選んだことにより、永遠の命を失い、その代わりに善悪の知識を得た・・・。」

智樹「そういう話ではないんですか?」

一葉「私は、違うことを考えています。」

智樹「どういうことでしょうか?」

一葉「神は最初、知恵の樹の果実を取ることを禁止しており、生命の樹の果実の方は、明確に禁止していなかったのです。ですから、生命の樹と知恵の樹の二者択一ではなかった可能性があるのです。」
 
 僕は驚いた。僕は、彼女と話をするため、その部分を読んで来たんだ。彼女は、当然ながら、突然振られた話のはずだ。それなのに、僕よりも深く話すことができている。僕は、彼女と僕の間にある隔たりの大きさをあらためて思い知った。

 彼女は、彼女の説を続ける。

一葉「原文の通りに読むなら、神は最初、知恵の樹の果実を取ることを禁止しており、生命の樹の果実を取ることは禁止していませんでした。そして、神は、アダムとイブが知恵の樹の果実を食べ、善悪を知る者となった後に、生命の樹の果実を食べることを恐れたのです。」

 僕は、彼女の言うことがまだ分からない。彼女は、何かを意図している。それが、まだ分からない。でも、彼女は何か重要なことを言おうとしていることは分かった。

 彼女は、静かに語り続ける。

一葉「最初、生命の樹の果実を食べることは、禁止されていませんでした。ということは、アダムとイブは、実は、生命の樹の果実を食べていたのではないでしょうか? 神は、善悪を知る前のアダムとイブを必要としていたのです。そのために、アダムとイブは生命の樹の果実を食べ、神のために永遠に生きるようになっていたのです。」

 僕は、彼女が恐ろしく感じられた。彼女は、僕の恐怖を知ってか知らずか、僕を見つめたまま話を続ける。

一葉「神は、知恵を付ける前のアダムとイブを愛していたのです。知恵をつけない限りで、神はアダムとイブを愛していたのです。しかし、アダムとイブが知恵をつけてしまったら、神はアダムとイブを今まで通りに愛することはできなくなってしまう。神は、知恵をつけたアダムとイブが、生命の樹の果実を食べ続けて、永遠の命で居続けることを許さなかったのです。

神は、アダムとイブをエデンの園から追い出しました。アダムとイブは、すなわち人間は、エデンの園を追放されて、必ず死ぬようになったのです。」

 僕は、おそるおそる話した。

智樹「でも、それはおかしいじゃないですか。それなら、神は、生命の樹は作っても、知恵の樹は作らなければよかったんじゃないですか?」

 彼女は、薄く微笑んだ。

一葉「神は、アダムとイブを愛していました。目の前に知恵を得る方法があるのに、それに手を出さずいる二人を。」

 彼女の声は、透き通っていた。

智樹「それなら、ヘビは・・・。」

一葉「ヘビがサタンであるかどうかは、私には分かりません。でも、もし私がヘビなら、同じ言葉を吐いたことでしょう。」

智樹「上条さんが、ヘビだったら・・・。」

一葉「神は、人間が善悪の知識と永遠の命を得ることを許しません。なぜなら、それは、人間が神になることだからです。神は、人間が愚かであることを楽しみ、神と同じ知性を持つことを憎むのです。生命の樹と知恵の樹が、互いに相反する性質を持つのなら、それは神の意図に由来します。」

智樹「それは・・・。」

一葉「自分と同じ知性を嫌う神、これは、人間性の顕著な特徴の一つです。」

 そう言って、彼女は微笑むのだ。
 僕は、ふと思ったことを口にした。

智樹「そういえば、ヘビ自身は、知恵の樹の実を食べていたのでしょうか?」

 そういった僕を、彼女は不思議そうに見詰めた。

一葉「それは、・・・・・・面白い視点ですね。」

 そう言って、彼女は静かに微笑んだ。
http://asread.info/archives/3101/6


3. 中川隆[-7289] koaQ7Jey 2017年7月06日 16:59:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

神が存在するなら、人間は奴隷だ。人間は自由でありえるし、またそうでなければならない。結論として、神は存在していない。 - ミハイル・バクーニン

"Wenn Gott existiert, ist der Mensch ein Sklave; der Mensch kann und soll aber frei sein: folglich existiert Gott nicht." - Michail Bakunin

神がもし存在するなら、神を廃止しなければならない。- ミハイル・バクーニン

"If God would have existed, it would be necessary to abolish Him" --Mikhail Bakunin (On God and the State)
https://ja.wikiquote.org/wiki/%E7%A5%9E


4. 中川隆[-7288] koaQ7Jey 2017年7月06日 17:33:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

何故、大部分のアナキストは無神論者なのか?


大部分のアナキストが無神論者、これは事実である。
アナキストは神という考えを拒絶し、あらゆる形態の宗教、特に組織宗教に敵対する。

今日、非宗教化された西欧諸国では、宗教は、社会の中でそれ以前に持っていた支配的立場を失っている。このために、多くの場合、アナキズムの戦闘的無神論は奇妙なものに思われてしまっている。しかし、宗教が持つネガティブな役割を理解すれば、リバータリアン無神論の重要性はハッキリとする。

アナキストが宗教という考えに異議を唱え、宗教反対論を宣伝することに時間を費やしているのは、宗教と宗教諸機関が持つ役割のためなのだ。

 何故、それ程までに多くのアナキストは無神論を受け入れているのだろうか?
最も単純な答えは次のようなものだ。

無神論はアナキズム思想の論理を拡大したものであるが故に、大部分のアナキストは無神論者なのである。

アナキズムが不当な権威の拒絶だとすれば、それはいわゆる最高権威・神の拒絶だということになる。

アナキズムが根差しているのは、理性・論理・科学的思考であって、宗教的思考ではない。

アナキストは、信奉者ではなく、懐疑者になることが多い。

大部分のアナキストは、教会は偽善まみれであり、聖書は矛盾・不合理・恐怖が充満した作り話だ、と見なしている。

聖書が女性の品位を貶めていることは周知の事実であり、その性差別主義は悪名高い。
しかし、男性にしてもほんの少しましに扱われているに過ぎない。

聖書の何処にも、人間が生・自由・幸福・尊厳・公平・自治の権利を生まれながらに持っていることを認めた箇所などない。

聖書では、人間は罪人・虫けら・奴隷である(比喩的にも文字通りにも、奴隷制を認めている)。神が全ての権利を持ち、人間は無価値なのだ。


 宗教の性質を考えれば、これは驚くべきことではない。
バクーニンは次のように上手く述べている。


 神という観念は、人間理性と正義の放棄を意味する。
それは、人間的自由を最も決定的に否定し、最終的に、理論的にも実践的にも人間の奴隷化を必ずやもたらすことになる。

 そこで、人間の奴隷化と堕落とを望まないのであれば、我々は、神学の神や形而上学の神のいずれにも、ほんの僅かな譲歩もできないし、すべきでもない。

この神秘的文字体系では、Aで始める者は、必ずやZで終わる。神を崇拝しようとする者は、その内容ついて子供じみた幻想を抱くことなく、自分の自由と人間性を大胆にも放棄しなければならないのである。


 神が存在するならば、人間は奴隷である。
さて、人間は自由になり得るし、ならねばならない。従って、神は存在しない。[God and the State, p. 25]


 大部分のアナキストにとって無神論が必要なのは、宗教の性質のためである。

バクーニンは次のように論じている。

『人間性が持つ雄大で、公正で、高潔で、美しいもの全てを神的だと公言することは、人間性それ自体ではそれを生み出すことができない−−つまり、人間に委ねられているから、人間の性質は悲惨で不正で低劣で醜悪なのだ−−とそれとなく認めることである。

このようにして、我々は、あらゆる宗教の本質−−言い換えれば、神性の偉大なる栄光のために人間性を非難すること−−に立ち戻るのである。』


従って、人間性と人間が持つ潜在的可能性のために正義を行うべく、アナキストは、神という有害な神話や神に付随する全てのことなどなくても物事を行うことができ、そして『人間の自由・尊厳・繁栄』のために、『強奪された能力を天国から救いだし、地上に戻すことこそ我々の義務だと信じているのだ。』[前掲書, p. 37 and p. 36]


 宗教は、人間性と人間の自由を理論的に堕落させるだけでなく、アナキストの観点からすればもっと実際的な諸問題を持っている。

まず第一に、宗教は不平等と抑圧の源泉であった。

例えば、キリスト信仰(イスラム教同様に)は、政治的・社会的支配力を持っているときには、常に抑圧勢力であった(神への直接的繋がりを自分が持っていると信じることこそ、権威主義社会を創造する確実な道なのである)。

教会は、ほぼ二千年にわたり、社会的抑圧を行い、大量殺戮をし、あらゆる圧制者を正当化する勢力であった。機会が与えられれば、教会は君主や独裁者と同じぐらい残酷に支配したのである。このことは驚くべきことではない。


神が全てであれば、現実世界と人間とは無である。

神が真実・正義・善・美・力・生であれば、人間は虚偽・不正・悪・醜・無能・死なのだ。

神が主人ならば、人間は奴隷である。

人間は、自分の努力で正義・真実・永遠の命を見つけることができず、神の黙示を通じてのみそれらを獲得できる。だが、黙示を述べる者は皆、告知者であろうと救世主であろうと予言者であろうと司祭であろうと立法者であろうと、神自身によって霊感を与えられたと言うのだ。

こうした人々は、人間性の聖なる指導者として救済の道を示すべく神自身に選ばれたということで、必ずや絶対的権力を行使する。万人はそうした人々に無制限の受動的服従をする義務を負う。なぜなら、聖なる理性に対抗する人間理性などなく、神の正義に対して地上の正義など適用されないからだ。[Bakunin, 前掲書, p. 24]

 キリスト教が寛容ある平和愛好のものに変わるのは、それが権力を持たないときのみであった。しかし、そうしたときであっても、権力者を擁護する役割を続けていた。アナキストが教会に敵対する第二の理由がこれである。

抑圧の源泉になっていないときも、教会は抑圧を正当化し、その継続を確かなものにしていたのだ。地上の権威が支配することを是認し、労働者にこの権威と闘うことは間違っていると教えることで、労働者階級を数世代に渡り奴隷にし続けていたのだ。

政治的(支配者たちは神の意志によって権力の座にいると主張する)にであれ、経済的(金持ちは神に褒美を与えられたのだ)にであれ、地上の支配者たちは天上の神から正統なものと見なされた。

聖書は服従を賞賛し、最大の美徳だと持ち上げている。
プロテスタント労働倫理のような最近の発明も、労働者の従属に寄与しているのだ。

 宗教が権力者の利権を助長するために利用されているということ、これは、歴史の大部分ですぐに見ることができる。

宗教は、抑圧される側を従順にし、天国でのご褒美を待つように説得することで、人生における自分の立場を謙虚に受け入れるように条件付ける。

エマ=ゴールドマンは次のように主張していた。

キリスト教(宗教一般もそうであるが)は『権威と富の体制にとって何ら危険なものを含んでいない。

自己否定と自己犠牲、懺悔と後悔を支持し、人類に押しつけられたあらゆる侮辱・あらゆる暴挙の面前では絶対的に何も行わないのだ。』[Red Emma Speaks, p. 234]


 第三に、宗教は常に社会の中の保守勢力だ、ということである。

これは驚くに値しない。宗教は現実世界の調査と分析にではなく、上から手渡された真実・幾つかの聖なる書物に含まれている真実を繰り返すことにその根拠を置いているからだ。

有神論は『思弁理論』であり、無神論は『実証科学』である。

『一方は理解を超えたものという極めて抽象的な雲に垂れ下がり、他方は大地にしっかりと根を下ろしている。人間が真に救済されようと望むのなら、人間が救わねばならないのは地上であって、天上ではない。』

従って、無神論は『人間精神の拡充と成長を表現しており』、一方有神論は『静的で固定している。』

『無神論が全力を尽くして闘っているのは、有神論の絶対主義・人間に対するその有害な影響・思想と行動を混乱させるその効果なのだ。』[Emma Goldman, 前掲書, p. 243, p. 245 and pp. 246-7]


 聖書は次のように述べている。

『その果によりて彼等を知るべし。』

私たちアナキストもこれに同意するが、教会とは異なり、この真実を宗教にも適用する。だからこそ、アナキストは概して無神論者なのだ。私たちは教会が果たしている破壊的役割を認識し、組織的一神教、特にキリスト教が人々に及ぼす有害な効果について認識している。エマ=ゴールドマンは次のように要約している。

宗教は『理性に対する無知の謀議、光に対する影の謀議、自立と自由に対する服従と隷属の謀議、強さと美しさを否定する謀議、生の享受と栄光を肯定することに対する謀議である。』(前掲書、240ページ)


 さて、教会の果実について考えたとき、アナキストは次のように論じる。

それを根絶し、新しい樹木を植えよう、理性と自由の樹木を植えよう、と。


 とは言うものの、アナキストは、宗教が重要な倫理思想や真実を含んでいることを否定しない。それどころか、宗教は、強力で愛情に満ちたコミュニティやグループの基盤になり得る。日常生活の疎外と抑圧から逃れる場所を提供し、万物が売り物になっている世界の中で行動を起こす指針を提供できる。

例えば、イエスやブッダの人生や教えの多くの側面は、私たちを鼓舞し、従うに値するものである。このことが真でなければ、宗教が単なる権力者の道具だったとすれば、宗教はとうの昔に拒絶されていたであろう。むしろ、宗教は二重の性質を持っているのであり、豊かな生活をおくるために必要な思想と権力護教論の双方を含んでいるのである。二重の性質を持っていない場合、抑圧された側は宗教を信奉せず、権力を持つ側は危険な異端だとしてその宗教を弾圧するであろう。

 実際、弾圧は、急進的メッセージを伝導していたあらゆるグループの運命であった。中世時代、数多くの革命的キリスト教運動と教派が、主流派の教会の確固たる支援を受けた地上の当局によって破壊された。

スペイン市民戦争中、カトリック教会はフランコのファシストを支持し、共和国支持者がフランコ賛同牧師を殺害したと非難していたが、その一方では、民主的に選ばれた政府を支持したバスクの牧師をフランコ軍が殺害したことには沈黙を保っていた(法王ヨハネ=パウロ二世は、死亡したフランコ賛同牧師を聖者に祭り上げようとしたが、共和国賛同の牧師については口を閉ざし続けていた)。

エル=サルバドルの大司教、オスカル=アルヌルフォ=ロメロは当初保守的だったが、政治的・経済的権力が民衆を搾取しているやり方を目にして、歯に衣着せぬ民衆擁護者になった。このために、彼は、1980年に右翼民兵組織によって暗殺された。これは、解放神学(社会主義思想とキリスト教的社会見解を融和させようとして福音書を急進的に解釈した)の支持者の多くに襲いかかった運命であった。

 また、アナキストが宗教に反対だからといって、宗教人が社会を改良すべく社会闘争に参画しないということを意味しているわけではない。全く違う。

宗教人は、教会ヒエラルキーのメンバーを含めて、1960年代の米国市民権運動で重要な役割を演じた。メキシコ革命中のサパティスタ農民軍内部には宗教的信念があったが、だからといって、アナキストが参加しないわけではなかった(事実、農民軍はアナキスト闘士リカルド=フロレス=マゴンの思想に強く影響されていたのだった)。

宗教の二重性質こそが、多くの民衆運動と民衆蜂起(特に農民の)とが宗教のレトリックを使っていた理由を説明してくれる。自分達の信念の良い側面を守り続けようとすることが、地上の不公正と闘うことを決意させたのである。

アナキストにとって大切なことは、不公正と闘おうとしているかどうかであって、人が神を信じているかどうかではない。私たちは、ただ、宗教の社会的役割は叛乱を挫くことであって、勇気づけることではない、と考えているだけなのである。

主流の司祭たちや右翼の司祭たちに比べて、急進的司祭はほんの一握りしかいない。このことが私たちの分析の妥当性を示しているのである。


 アナキストは、教会と従来の宗教が持つ考えに対し徹底的に敵意を抱く一方、民衆が、自分だけで、もしくはグループで、宗教的信念を実践することに異議を唱えはしない。ただし、その実践は他者の自由を侵害しない限りにおいてである。

例えば、人間を生け贄にしたり奴隷にしたりしなければならないカルト宗教は、アナキズム思想とは正反対のものであり、アナキストはそれに反対する。

しかし、平和的な信念システムは、アナキスト社会内部でも調和して存在することができる。

アナキズムの観点は、宗教は何にもまして私的な事柄だ、というものである−−

人々が何かを信じているとすれば、それはその人の事柄であり、他者にその考えを押しつけない限り、他人には関係ない。

私たちにできることは、その考えを議論し、その誤りを説得しようとすることだけである。


 終わりに記しておかねばならないが、私たちは、アナキストであるためには無神論でなければならない、などと述べているのではない。全く逆だ。

A.3.7 宗教的アナキストはいるのか?
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa3.html#seca37

で論じたように、神や何らかの宗教をしっかりと信奉しているアナキストもいる。

例えば、トルストイはリバータリアン思想を献身的なキリスト教信念と組み合わせていた。彼の思想は、プルードンの思想と共に、アナキストのドロシー=デイとピーター=モーリンが1933年に設立し、現在も活動しているカトリック労働者組織に影響を与えた。現代の反グローバリゼーション運動で活発に活動しているスターホークは、アナキスト活動家であると同時に主導的ペーガン(多神教徒)であるが、何の問題もない。

しかし、エマ=ゴールドマンが次のように述べているように、大部分のアナキストにとって、アナキズム思想は論理的に無神論を導く。

『神を否定することは、同時に人間を最も強く肯定することである。
人間を通じて、生・意図・美に永遠の賛同をするのである。』[Red Emma Speaks, p. 248]
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa25.html


5. 中川隆[-7287] koaQ7Jey 2017年7月06日 17:37:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。


「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。


いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。

あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。

             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。

おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、
「排尿をガマンできない人間」、
「性器を持たない人間」、
「よろよろして立ち上がることができない人間」

など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967

『アルコーンの本質』 『ナグ・ハマディ文書』より


■3.「不滅性」の自己啓示とアダムの創造


 「不滅性」は下なる領域を眺め降ろした。両性具有のアルコーンたちは、水面に映ったその像を見て欲情するが、弱さのゆえにそれをつかむことができない。アルコーンたちは協議して、土の塵から人間を造り、「不滅性」がそれに近づいてくるようにと策略を立てる。彼らは、彼らの身体に似せて、また、水の中に現れた神の像に従って、一人の人間を造った。

サマエールは人間に息を吹き込み、それによって人間は心魂的なものとなるが、彼はいまだ立ち上がることができない。アルコーンたちは上なる神を欺こうとしてこれらのことを行ったが、これらすべてのことは実は、「万物の父」の意志によって生じたものであった。父からの「霊」が「アダマンティネーの地」(堅固な地、の意)から到来し、それによって人間は生ける者となり、アダムと名づけられた。
アルコーンたちは地のあらゆる獣と天の鳥を集め、アダムに名前をつけさせた。

■4.アダムの楽園への拘禁とエバの創造、「霊的な女」の到来


 アルコーンたちはアダムを拘束して楽園に閉じこめ、

「善と悪の知識の樹から食べてはならない。食べる日に必ず死ぬだろうから」

と告げた。次にアルコーンたちは、アダムの上に忘却をもたらし、アダムの脇腹を開いて、その肋骨を生ける女に変えた。そしてアダムの脇腹に、代わりの肉を詰めた。これによってアダムは心魂的なものとなってしまい、起き上がることができないが、「霊的な女」が到来し、アダムを立ち上がらせる。アダムは彼女を賛美した。


■6.「霊的な女」が蛇になって行なう啓示と楽園追放


 霊的な女は、蛇の、とはすなわち教示者の姿で、アダムとエバのところにやってきた。そして、知識の木から取って食べても

「決して死ぬことはない。なぜなら、彼がそうお前たちに命じたのも、妬んでいるからなのだ。むしろお前たちの目が開くことになるであろう。そして、お前たちは善と悪とを知る神々のようになるだろう」

と啓示する。これを聞いて二人は、知識の木の実を取って食べ、自分たちが「霊的なもの」を剥がれて裸であることに気づいた。アルコーンたちは二人が知識の木の実を食べたのを知り、蛇を呪って、アダムとエバを楽園から追放した。それは、彼らが生活の労苦に追われて、聖霊に心を配る時間の余裕がないようにするためであった。
http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth005.html


人類最初の女性 リリス( Lilith )


旧約聖書では、神によってアダムが土から生まれ、その次にイヴがアダムの肋骨から生まれたとされていますが、実はアダムと同様にリリスという土から生まれた女性がいて、アダムと結婚していました。

リリスは、アダムと同様に土から生まれたので、アダムとは対等な存在であるため、アダムとの性行為において、正常位によるアダムの支配的地位を拒否し、彼女は空を飛び、エデンの園を去り、紅海沿岸に住みつきます。


神はリリスを説得しますが、彼女は聞く耳を持たなかったので、罰としてリリスは下半身を蛇に変えられ、毎日おびただしい数の子供(リリン)を産み、そのうち100人を殺される運命を負うことになります。

彼女はこれに大変ショックを受け、海に身を投げて死んでしまいました。 


旧約聖書で、アダムとイヴが禁断の果実を食べるシーンがありますが、この2人をそそのかした蛇こそがリリスの化身なのであります。 これは、パリのノートルダム大聖堂にある彫刻にも、リリスが蛇として描かれていることからも分かるでしょう。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1033.html


人間は大地母神によって泥から造られて、神々のために「これ(エデンの園)を耕させ、これを守らせ」るようにエデンに置かれた(『創世記』第2章 15節)。


なぜならば神々はたいそう怠惰で農耕をしようとせず、植え、穫り入れ、自分たちに捧げ物をする奴隷が欲しかったからである 。神々は奴隷たちが自分たちより偉くなって働こうとしなくなるのを恐れて、神々の持つ不死の秘密を決して彼らに知らせてはならないことを申し合わせた。エデンの神は、同僚の神々に向かって言った。


「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知る者となった」。

したがって彼は「命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」ので、ただちにエデンの園から追い出さなければならない
(『創世記』第3章 22節)。


蛇の教えは、人間を、生を征服し神のような存在にしたであろうに、これは神々elohimの意志に反することであった。

 『支配者たちの本質』Hypostasis of the Archonsは、蛇は女神のトーテムとしての姿であることを示している。蛇は明らかに、女神の創造した死ぬ運命を持った生物を憐れんで、永遠の生命に到達する方法を教示しようとした。

「女性の霊的原理が『教示者―蛇』の中に入り、蛇は彼らに教示して言う。


『あなたがたは死ぬことはないであろう。神がそう告げたのは、あなたがたを嫉妬したからである。それどころか、あなたの眼を大きく開きなさい。そうすれば、あなたは善悪を識別して神のようになるであろう』」。


そこで「傲岸な支配者(神)」は、蛇と女性を呪ったのである 。

 聖書の物語の現在の型は、太女神と蛇の本来の話を明らかに大幅に改定したものである。バビロニアの図像は、蛇にかしずかれ、人間に不死の食物を捧げている女神の姿を描いている。ピラミッド・テキストは、永遠なる生命の食物を提供したのは蛇であると述べている
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/serpent.html


 ユダヤ・キリスト教において、「この世の天国」とまで謳われたはずのエデンの園は、グノーシスにおいては造物主の牢獄として扱われる。そしてこの《善悪を知る木》の実を食すことを禁じたヤハウェは、先述したように造物主に割り当てられ、人間を無知のままにとどめおく、知識による救済の可能性を閉ざす存在となる。

逆にそれを食すことをそそのかした蛇は、ユダヤ・キリスト教においては人間に原罪を負わせたものとして、忌むべき存在とされていたが、グノーシスではそうではなく、至高神からの人間へ知識を授け、救済への道を開示する啓示的役割を担った聖なる存在へと変貌するのだ。

 忌むべき悪魔のような役割から、救済者として、あるいは啓示的存在としての役割へと一変した《蛇》は、人間が救済への道を切り開くための秘密の鍵を握る存在として、グノーシス主義において神聖視された。尻尾を銜えた円環状の蛇《ウロボロス》は、《完全なるもの》としての意味を含んでいる。

この救世主としての《蛇》は原初においてはソフィアとされた。
http://homepage3.nifty.com/kiraboshi2/Abraxas/Gnosis_intro4.html


6. 中川隆[-7286] koaQ7Jey 2017年7月06日 17:41:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アナキズム FAQ
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/contents.html


このページは

「An Anarchist FAQ Webpage」
http://anarchism.pageabode.com/afaq/index.html

の一部を翻訳したものです。


セクション A - アナキズムとは何か?

イントロダクション

A.1 アナキズムとは何か?


A.1. 1 「アナーキー」は何を意味するのか?
A.1. 2 「アナキズム」は何を意味するのか?
A.1. 3 アナキズムは何故「リバータリアン社会主義」とも呼ばれるのか?
A.1. 4 アナキストは社会主義者なのか?
A.1. 5 アナキズムはどこから生まれて来たのか?

A.2 アナキズムは何を主張しているのか?


A.2. 1 アナキズムのエッセンスは何か?
A.2. 2 何故、アナキストは自由を強調するのか?
A.2. 3 アナキストは組織を容認するのか?
A.2. 4 アナキストは「無制限の」自由を認めるのか?
A.2. 5 何故、アナキストは平等を支持するのか?
A.2. 6 何故、アナキストにとって連帯が重要なのか?
A.2. 7 何故、アナキストは自己解放を主張するのか?
A.2. 8 ヒエラルキーに反対しなくてもアナキストになれるのか?
A.2. 9 アナキストはどのような社会を望んでいるのか?
A.2.10 ヒエラルキーの廃絶は何を意味し、何を成し遂げるのか?
A.2.11 何故、大部分のアナキストが直接民主主義を支持するのか?
A.2.12 コンセンサスは、直接民主主義に代わりうるのか?
A.2.13 アナキストは個人主義なのか、それとも集団主義なのか?
A.2.14 何故、任意主義は不充分なのか?
A.2.15 「人間の本性」についてはどうなのか?
A.2.16 アナキズムには「完全な」人間が必要なのか?
A.2.17 大部分の民衆はバカなため、自由社会を作れないのではないのか?
A.2.18 アナキストはテロを支持するのか?
A.2.19 アナキストの倫理観はどのようなものか?
A.2.20 何故、大部分のアナキストは無神論者なのか?

A.3 アナキズムにはどの様な種類があるのか?


A.3. 1 個人主義的アナキズムと社会的アナキズムの間にはどんな違いがあるのか?
A.3. 2 社会的アナキズムにも種類があるか?
A.3. 3 グリーン=アナキズムにはどの様な種類があるか?
A.3. 4 アナキズムは平和主義なのか?
A.3. 5 アナルカフェミニズムとは何か?
A.3. 6 文化的アナキズムとは何か?
A.3. 7 宗教的アナキストはいるのか?
A.3. 8 「形容詞のないアナキズム」とは何か?
A.3. 9 アナルコプリミティビズムとは何か?


A.4 アナキズムの主な思想家は誰か?


A.4. 1 アナキズムに近い思想家はいるのか?
A.4. 2 アナキズムに近い自由主義思想家はいるのか?
A.4. 3 アナキズムに近い社会主義思想家はいるのか?
A.4. 4 アナキズムに近いマルクス主義思想家はいるのか?


A.5 「アナーキーの実践」の実例は?


A.5. 1 パリ=コミューン
A.5. 2 ヘイマーケットの犠牲者
A.5. 3 サンジカリスト組合の構築
A.5. 4 ロシア革命のアナキストたち
A.5. 5 イタリア工場占拠運動におけるアナキズム
A.5. 6 アナキズムとスペイン革命
A.5. 7 1968年フランス5月〜6月叛乱

セクション B - 何故アナキストは今日の社会システムに異議を唱えるのか?


イントロダクション


B.1 何故アナキストは権威及びヒエラルキーに反対するのか?


B.1.1 権威主義的な社会関係の影響とは何か?

D.6 アナキストはナショナリズムに反対なのか?

D.7 アナキストは民族解放闘争に反対しているのか?

セクション E - アナキストは生態系諸問題の原因をどのように考えているのか?

イントロダクション

E.1 生態系諸問題の根本原因は何か?


E.1.1 工業は環境諸問題の原因なのか?
E.1.2 環境保護主義と生態学の違いは何か?

E.2 エコアナキストは資本主義の代わりに何を提案しているのか?

E.3 私有財産権は環境を保護できるのか?

E.3.1 自然の私有化は自然を守るのだろうか? NEW

G.6 マックス・シュティルナーの思想とは何か?

セクション I - アナキズム社会はどのようなものになるのか?

イントロダクション

I. 1 リバータリアン社会主義という言葉は矛盾ではないのか?


I.1. 1 ルードヴィッヒ=フォン=ミーゼスの「経済計算論」は、社会主義が機能し得ないことを証明したのではないか?
I.1. 2 ミーゼスの主張は、リバータリアン共産主義が不可能だという意味なのだろうか?
I.1. 3 市場の何が悪いのだろうか?
I.1. 4 資本主義が搾取的だと言うのならば、社会主義だってそうなのではないのか?

I.2 これはアナキスト社会の青写真なのか?


I.2. 1 何故、アナキスト社会がどのようなものになるのかを論じるのか?
I.2. 2 資本主義から一足飛びにアナキスト社会へ進むことはあり得るのか?
I.2. 3 アナキスト社会が創り出される枠組みはどのようなものなのか?

I.3 アナーキーの経済構想はどのようなものになるのか?


I.3. 1 「シンジケート」とは何か?
I.3. 2 労働者自主管理とは何か?
I.3. 3 「経済」においてシンジケートはどのような役割を果たすのか?
I.3. 4 個々のシンジケートの間にはどのような関係が存在するのか?
I.3. 5 シンジケートの諸連邦は何を行うのだろうか?
I.3. 6 シンジケート間の競争についてはどうなのか?
I.3. 7 シンジケートに参加したくない人たちはどうなるのか?
I.3. 8 アナキストは「小規模生産に専念する小規模自律型地域社会」を求めているのか?

I.4 アナキズム経済はどのように機能することになるのか?


I.4. 1 アナーキーにおける経済的活動の意義は何か?
I.4. 2 何故、アナキストは労働を廃絶したいと思っているのか?
I.4. 3 アナキストはどのようにして労働を廃絶しようとしているのか?
I.4. 4 アナーキーではいかなる経済的意志決定基準を使うことができるのだろうか?
I.4. 5 「需要と供給」についてはどうなのか?
I.4. 6 無政府共産主義では本当に需要が供給を凌ぐことになりはしないのだろうか?
I.4. 7 生産者が消費者を無視しないようにするためにはどうすればよいのだろうか?
I.4. 8 投資決定についてはどうなのか?
I.4. 9 テクノロジーの進歩は反アナキズムだと見なすべきなのか?
I.4.10 剰余分配を幅広く行うことの利点は何か?
I.4.11 リバータリアン社会主義が利益追求動機を取り除いた場合、創造性と業務遂行に悪影響があるのではないか?
I.4.12 いかなる社会主義社会でも、資本主義事業が再出現する傾向はないのだろうか?
I.4.13 「汚い仕事」や不愉快な仕事は誰が行うことになるのか?
I.4.14 仕事をするつもりがない人についてはどうなのか?
I.4.15 未来の仕事場はどのようなものになるのだろうか?
I.4.16 リバータリアン共産主義社会は効率が悪くならないのだろうか?

I.5 アナーキーの社会構造はどのようなものになり得るのか?


I.5. 1 参加型コミュニティとはどのようなものか?
I.5. 2 何故、参加型コミュニティの連邦は必要なのか?
I.5. 3 連邦の規模とレベルはどの程度のものになるのか?
I.5. 4 こうした会議全てで、本当に何かが決定されるのだろうか?
I.5. 5 参加型コミュニティと連邦は、単に新しい国家に過ぎないのではないか?
I.5. 6 リバータリアン社会主義の下では「多数派の暴政」の危険はないのだろうか?
I.5. 7 コミューンに参加したくない場合はどうなのか?
I.5. 8 犯罪についてはどうなのか?
I.5. 9 アナキズム下での言論の自由はどうなのか?
I.5.10 政党についてはどうなのか?
I.5.11 利益団体などの団体についてはどうなのか?
I.5.12 アナキズム社会は保健医療などの公共サービスを提供するのか?
I.5.13 アナキズム社会は権力の亡者に対して脆弱にならないのだろうか?
I.5.14 アナキズム社会はどのようにして自衛するのだろうか?

I.6 「コモンズの悲劇」についてはどうなのか?共有は本当に乱用と環境破壊をまねくのだろうか?


I.6. 1 「世界中の全ての人が所有する」財産の使い方をどのようにして決定するのか、アナキストはどう説明するのか?
I.6. 2 いかなる共有形態であっても個人の自由を制限することはないのだろうか?

I.7 リバータリアン社会主義は個性を破壊しないのだろうか?


I.7. 1 部族文化は、コミュナリズムが個性を保護することを示しているのだろうか?
I.7. 2 これは過去や「高潔な野蛮人」を崇拝しているのではないか?
I.7. 3 個人の権利を保護するために法律が必要なのだろうか?
I.7. 4 資本主義は個性を保護しているのか?


I.8 革命中のスペインはリバータリアン社会主義が実行可能だと示しているのだろうか?


I.8. 1 スペイン革命は主として田舎の事件であり、産業化された現代社会のモデルとしては当てはまらないのではないか?
I.8. 2 アナキストはどのようにしてスペイン一般大衆の支持を獲得できたのか?
I.8. 3 スペインの産業集産体はどのように組織されていたのか?
I.8. 4 スペインの産業集産体はどのように調整されていたのか?
I.8. 5 スペインの農業協同組合はどのように組織され、調整されていたのか?
I.8. 6 農業集産体は何を成し遂げたのか?
I.8. 7 田舎の集産体は力ずくで創られたと聞いたことがあるが、本当なのか?
I.8. 8 だが、スペインの集産体は新しい技術を導入したのか?
I.8. 9 それほどまでに良いものだったなら、何故存続しなかったのか?
I.8.10 何故、CNTは国家に協力したのか?
I.8.11 協調路線の決定がアナキズム理論の産物だとすれば、アナキズムは間違っていると示されているのではないか?
I.8.12 協調路線の決定はCNT組合員に強制されたのか?
I.8.13 革命からどのような政治的教訓を学んだのか?
I.8.14 革命からどのような経済的教訓を学んだのか?

セクション J - アナキストは何を行うのか?

イントロダクション

J.1 アナキストは社会闘争に参画するのか?


J.1. 1 何故、社会闘争は重要なのか?
J.1. 2 アナキストは改良に反対するのか?
J.1. 3 アナキストは何故改良主義に反対するのか?
J.1. 4 アナキストは「単一争点」キャンペーンにどの様な態度を取っているのか?
J.1. 5 アナキストは何故社会闘争を一般化しようとするのか?


J.2 直接行動とは何か?


J.2. 1 なぜアナキストは、物事を変えるために直接行動を使うのが望ましいとしているのか?
J.2. 2 なぜアナキストは変革手段として投票を拒絶しているのか?
J.2. 3 投票はどのような政治的意味を持っているのか?
J.2. 4 革新政党に対する投票は本当に効果的なのか?
J.2. 5 何故アナキストは投票拒否を支持しているのか、そしてその意味は何か?
J.2. 6 急進主義者が選挙を使う効果はどのようなものか?
J.2. 7 改良主義政党の実態を示すために、改良主義政党に投票すべきだというのは正しいのか?
J.2. 8 投票拒否は右翼政党が勝利する選挙をもたらすだろうか?
J.2. 9 投票の代わりに、アナキストは何を行うのか?
J.2.10 選挙を拒否するということは、アナキストは政治に無関心なのか?

J.3 アナキストはいかなる組織を構築するのか?


J.3. 1 親和グループとは何か?
J.3. 2 「統合」連盟とは何か?
J.3. 3 「綱領主義」とは何か?
J.3. 4 何故、多くのアナキストは「綱領」に反対なのか
J.3. 5 他種のアナキスト連盟はあるのか?
J.3. 6 アナキズム理論では、こうしたグループはどのような役割を果たしているのか?
J.3. 7 バクーニンの「不可視の独裁」は、アナキストが隠れ権威主義者だという証拠ではないのか?
J.3. 8 アナルコサンジカリズムとは何か?
J.3. 9 何故多くのアナキストはアナルコサンジカリストではないのか?

J.4 社会におけるいかなる傾向が、アナキスト活動の手助けをするのか?


J.4. 1 何故、社会闘争は良い兆候なのか?
J.4. 2 社会闘争は益となるよりも害となることの方が多いのではないか?
J.4. 3 新しい社会運動は、アナキストにとってポジティブな発展なのか?
J.4. 4 「経済構造危機」とは何か?
J.4. 5 何故この「経済構造危機」は、社会闘争にとって重要なのか?
J.4. 6 反政府・反大企業感情は何を暗示しているのか?
J.4. 7 コミュニケーション革命についてはどうなのか?
J.4. 8 変革の加速と情報爆発の意義は何なのか?
J.4. 9 ネット戦争とは何か?

J.5 アナキストはどのような代替社会組織を創り出すのか?


J.5. 1 地域組合主義とは何か?
J.5. 2 何故アナキストは産業別労働組合を支持するのか?
J.5. 3 既存労組に対してアナキストはどのような態度をとっているのか?
J.5. 4 産業別ネットワークとは何か?
J.5. 5 アナキストはいかなる形態の共同金融を支持しているのか?
J.5. 6 相互クレジット構想の鍵となる特徴は何か?
J.5. 7 大部分のアナキストは、相互クレジットだけで資本主義を廃絶するのに充分だと考えているのか?
J.5. 8 近代的な相互銀行システムはどのようなものになるのか?
J.5. 9 相互クレジットはどのように機能するのか?
J.5.10 何故アナキストは協同組合を支援するのか?
J.5.11 労働者が本当に自主管理をしたいと思っているのなら、何故生産者協同組合がもっと増えていないのだろうか?
J.5.12 自主管理が効率的ならば、資本主義企業は市場によって強制的にそれを導入させられるのだろうか?
J.5.13 「近代学校」とは何か?
J.5.14 リバータリアン自治体連合論とは何か?
J.5.15 社会保障制度に対してアナキストはどのような態度を取っているのか?
J.5.16 集団的自助には歴史的前例があるのか?


J.6 アナキストが主唱する子育ての方法は何か?


J.6. 1 自由な子供達を育てる主要原理とその原理を実行するときの主要な障害物は何か?
J.6. 2 新生児の養育に適用されたリバータリアン子育て法にはどのような実例があるのか?
J.6. 3 幼児の養育に適用されたリバータリアン子育て法にはどのような実例があるのか?
J.6. 4 子供が何も恐れないのなら、どのようにして子供たちは善良になることが出来るのか?
J.6. 5 だが、罰・禁制・宗教的教育がないのに、子供たちはどのようにして倫理を学習できるというのだろうか?
J.6. 6 だが、そもそも自由な子供はどのようにして利他性を学ぶのだろうか?
J.6. 7 「リバータリアン子育て」と呼んでいるものは、単に、子供を甘やかす方法の別名なのではないか?
J.6. 8 十代の性の解放についてアナキストはどのような立場をとっているのか?
J.6. 9 だが、十代の性の解放に関するこうした懸念は、経済の再構築のようなアナキストがもっと懸念すべき諸問題から関心をそらしてしまうのではないか?


J.7 アナキストは、「社会革命」ということで何を意味しているのか?


J.7. 1 アナキストは皆、革命家なのか?
J.7. 2 社会革命は可能なのか?
J.7. 3 革命は暴力を意味しているのではないか?
J.7. 4 社会革命はどのようなものになるのか?
J.7. 5 社会革命においてアナキストはどのような役割を果たすのか?
J.7. 6 アナキスト革命はどのようにして防衛されるのか?

付録:アナーキーのシンボル
付録:ロシア革命
訳者ノート 04/06更新
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/contents.html


7. 中川隆[-7282] koaQ7Jey 2017年7月06日 21:45:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


ダニエル・ゲラン編 神もなく主人もなく
Daniel Guerin Ni Dieu Ni Maitre 1970

河出書房新社 1973 [訳]江口幹
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F%E4%B8%BB%E4%BA%BA%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%882%E3%80%89%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC-1973%E5%B9%B4-%E6%B1%9F%E5%8F%A3-%E5%B9%B9/dp/B000J9O8NM


941夜『神もなく主人もなく』ダニエル・ゲラン編松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0941.html


 1921年2月8日の早朝、モスクワ郊外の寒村でクロポトキンが死んだ。翌日、特赦された数名のアナキストを先頭に、ノヴォジェヴィチの修道院にいたる5マイルの道に、チャイコフスキーの第1と第5が流れた。その葬列には黒旗が林立した。

 葬列がトルストイ博物館にさしかかったときは、ショパンの葬送曲が流れ出した。修道院での出棺には200人の合唱団がふたたびチャイコフスキーの『永遠の追憶』を歌った。そして、アアロン・バロンの燃えるような怒りに満ちた告別の辞が、時の空気を黒く切り裂いたのだ。

 「神もなく主人もなく、クロポトキンはこう言った、さあ、命なんぞは君が持っていきたまえ!」。

 ルイ・ルーヴェの『世界アナキズム史』には15世紀ドイツの格言が扉に印刷されていた。それが「神もなく主人もなく」である。

 1870年、オーギュスト・ブランキの最も若い弟子のシュシュは、皇帝の人民投票にあたって「神はもうたくさんだ、主人はもうたくさんだ」というリーフレットを配った。それを受けてかどうか、晩年のブランキも新たな雑誌を創刊したとき、それに「神もなく主人もなく」というタイトルをつけた。これをクロポトキンが一人の反逆者のために使って広めた。

 1893年、オーギュスト・ヴァイヤンはフランス下院に爆弾を投じて逮捕された。逮捕されただけでなく、議会はこれをきっかけに暴力行為準備集会取締り法を強引に可決した。この審議のときにアレクサンドル・フランダンは下院の高い演壇から叫んだものだ、「アナキストたちは神もなく主人もないのです」。

 その後もこの壮絶で感動的な標語は、あたかも間歇泉のごとくにアナキストたちの唇を震わせた。第一次世界大戦終了後のパリでは、アナーキーな青年たちが自分たちのことを“Ni Dieu Ni Maitre”と自称した。

 そろそろ950冊に達する「千夜千冊」のなかで、この書名『神もなく主人もなく』はおそらく最も美しい。

 本書はダニエル・ゲランによる珠玉のアナキズム・アンソロジーである。こういう本はほかにない。

 第1巻ではシュティルナー、プルードン、バクーニン、ド・バーブ、ギョーム、クロポトキンのテキストについての解説を進め、第2巻ではマラテスタ、エミール・アンリ、デ・サンティリャン、ヴォーリン、ネストル・マフノからクロンシュタットやスパニッシュ・アナキズムまでを扱って、その貴重な文献をことごとく組み上げた。こういうことはゲランにしかできない。

 ゲランには『ファシズムと大資本』『植民地の人々のために』『模索するアルジェリア』(未訳)、『現代のアナキズム』『現代アナキズムの論理』(三一新書)、『人民戦線』(現代思潮社)、『エロスの革命』(太平出版社)などの旺盛な著作活動があって、どの本を開いても、数ケ国語におよぶ語学能力と卓抜なジャーナリスト精神と、そのリバータリアニズムやアナキズムに寄せる熱くて真摯な思いが特徴になっている。

 本書のほかにもゲランを訳してきた江口幹は、ダニエル・ゲランのような決定的な生き方の著作者と出会えたことに、感動に近い崇敬を抱いたと書いていた。これにはぼくも共感する。アナキズムを知ることは、ゲランの勇敢で旺盛な執筆意識を感じることでもあろうということを――。

 アナキズムの起源については、いくら溯ってもかまわない。ぼくの『遊学』(中公文庫)では、ジャイナ教のマハーヴィラ、アタラクシア哲学のエピクロス、鉱物仙人の葛洪にさえアナキズムを感じると書いた。

 フランソワ・ラブレーやトマス・モア、あるいはディドロやサドにアナキズムの萌芽を見る者もいる。ハーバート・リードや大沢正道などはその一人であろう。

 このような見方によれば、その時代ごとに絶対自由や相対自由を果敢に表明した者に先駆的アナキストの称号が与えられてきたということなのである。リードの『アナキズムの哲学』(法政大学出版局)では、ヴィーコ(第874夜)やフンボルトにもアナキズムの種が植えられていると書いていた。

 こういう見方に、むろんぼくは反対しない。それどころかスウィフト(第324夜)やブレイク(第742夜)にもアナキズムの光の条痕はついていると叫びたい。

 が、ふつうの見方では、近代アナキズムの創始者はせいぜい溯っても、ゴドウィン、シュティルナー、プルードン、ウォーレン、そしてバクーニンなのである。ここから何が始まったのか、本書をたどって少し案内してみたい。

 1848年の革命。この革命の前後でいっさいが起動した。フランス二月革命である。

 ルイ・ブランが工場労働者を産業軍の内側に逆編成する計画を発表し、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』を刊行し、そしてアナキズムが狼煙を上げようとしていた。

 それまでにすでにアナーキーな「時の機」は熟しつつあった。シュティルナーの『唯一者とその所有』が既存社会の打破のための結社の自由を謳い、偶像の思想を破壊することを奨め、国家の生存を真っ向から否定した。またプルードンが『貧困の哲学』を書いて、「アナルシ」(an-archie 権力の不在)という言葉を“anarchie”と綴り字をつなげ、貴族主義にも君主主義にも、共和主義にも民主主義にも、連合主義にも組合主義にも属さない立場がありうることを暗示した。これがアナキズムという言葉の生誕だった。

 そこへロシアにいたバクーニンが、急ぎ足で燃えるパリに戻ってきた。これで準備が整った。

 バクーニンはそれまでは、汎スラブ主義的な民族主義活動の中にいた。社会主義の前哨戦からはまったく孤立した存在である。それが1848年をさかいに極度にラディカルになっていく。

 バクーニンはプルードンのような協同的アナキズムには満足していなかった。むしろ革命家の前衛組織による破壊活動が先行し、この破壊によって生まれた突破口から民衆の建設活動が溢れ出てくるようなプランをもっていた。協同アナキズムではなくて、一握りのアナーキーな革命家の出現こそが必要だと考えていた。

 だからこう言うのも憚らない、「革命家は前もって死を宣告された人間である」。この瞬間、「命を持っていきたまえ」という革命家を先頭に立てるアナキズムが発芽した。

 マルクスについてはここでは何も書かないが(第789夜)、ごくごく象徴的にいうなら、プルードンからマルクスとバクーニンという二人の反抗児が出てきたということなのだ。

 問題はしかし、そのマルクスとバクーニンが対立したことである。1848年に同じように革命を計画した二人が対立したことは、いままさに生まれつつあるコミュニズムを真っ二つに分断していった。

 ロシアの貴族に生まれたバクーニンは、すでにプラーグやドレスデンで革命のための叛乱を組織し、サクソニアで捕らわれて死刑の宣告をうけ、ロシア送還ののちは6年にわたって幽閉されていたという経歴がある。また、その後にシベリア流刑となってはここをドラマテイックに脱出して、日本・アメリカをへて12年目にヨーロッパに戻ってきたという世界遊民的な経歴がある。

 一方のマルクスはバクーニンのようには行動をおこしてはいない。あくまでイデオロギーを見極め、社会を分析して、そこに革命の計画がありうることを展望した。バクーニンが遊民なら、マルクスは常民だった。世界をぐるりと駆けめぐったスラブ派のバクーニンには、こういうマルクスのようなあり方には承服しがたいものがある。

 加えてとくにバクーニンが嫌ったのが、中心を手放さない「鞭のゲルマン帝国」である。

 マルクスはそのドイツに育ち、その厄災(つまりドイツ・イデオロギー)を切り払うために立ち上がったのであるけれど、そこには、バクーニンから見れば、いくらでもゲルマン的な権威主義が残響していたのであろう。

 それでも1864年、ロンドンで第1インターナショナルが結成されたときは、マルクスとバクーニンは「革命」の可能性と労働者の連帯組織の萌芽を前にして、まだ互いに相手の出方を窺っていた。

 ところが1869年、第1インターのバーゼル会議ではバクーニンは財産相続の廃止を訴えて、これを拒否された。ついにバクーニンは「私は共産主義が大嫌いだ。それは自由の否定だ。共産主義は社会のすべての勢力を国家に吸収させようとしている」と言い出した。

 こうしてバクーニンの組織する社会民主主義同盟は第1インター加盟を許可されず、マルクスの構想は一歩も踏み出せないままに、あの1871年のパリ・コミューンを迎えることになる。

 パリ・コミューンは、労働者と小役人と思想傾向のタチが悪いジャーナリストと阿呆なアーティストたちが、パリの崩壊を食い止めようとしてつくりあげた継ぎ接ぎだらけの都市戦場である。

 そこにジャコバン党、ブランキ主義者、プルードン派、第1インター加盟者たちがあっちこっちから乗りこんできた。ランボオも駆けつけた(第690夜)。しかし、パリは急激に燃え、パリは急速に沈んだ。

 労働者の自由な活動によってもパリを救えなかった事態に対して、さっそくマルクスは各国にプロレタリアートの党をつくって、これらが国家権力を掌握できるように全運動を組み替えることを計画した。それなら第1インターこそはその国際本部となるべきだった。

 しかしこんな提案はアナキストには承服しかねるもので、1872年のハーグ大会でマルクスは多数派をとれなくなった。アナキストたちはサン・ティミエに集まって、バクーニンの指導のもとにいわゆる“黒色インターナショナル”をおこす。この時点では、マルクスよりもバクーニンの追随者のほうが多かったのである。

 1876年にバクーニンが死に、アナキズムの活動を支えていたジャム・ギョームが引退すると、天秤はぐらりと逆に動いた。

 いや、マルクスのほうにすぐ動いたのではない。インターナショナルな活動から締め出されたアナーキーな粒子が、バクーニンの原郷ロシアに飛び火してナロードニキの動きとなり、さらにテロリズムの様相を呈していったのである。これは意外な転換だった。

 1881年のアレクサンドル2世の暗殺はこうしておこる。この先鋭化したテロは、フランスではティエールの像の爆破となり、炭鉱都市モンソーの教会焼打ちに、さらに各地の教会爆破に連鎖した。モンソーの焼打ち事件では65人のアナキストが逮捕されるのだが、そこには次の時代の指導者の一人クロポトキンが入っていた。

 2年後、マルクスが死ぬ。コミュニズムはアナーキーな混乱のなかで、なんらの稔りもないままに19世紀を終えた。

 アナキズムのほうは1897年の第2インターナショナルのロンドン大会に、クロポトキン、マラテスタ、ルイズ・ミッシェル、エリゼ・ルクリュ、グラーヴが揃って乗りこんでいったのたが、たちまち除名され、やはり前途を断たれたかのようである。

 こうしてコミュニズムもアナキズムも、20世紀を前にして頓挫してしまったのだ。

 ところで、ぼくがアナキズムに最初に関心をもったのはバクーニンの『神と国家』を古本屋で見つけたときからである。春秋社版の世界思想全集の一冊になっていた『神と国家』(昭和6年・麻生義訳)は、ぼくの生っちょろい体に闇夜の電撃を走らせた。

 すでに大学でマルクスの読者会に毎週出ていたにもかかわらず、どうみてもバクーニンのほうが決然としているように思えたのだ。

 とりわけ「私は、私の周囲のすべての人間が男女を問わず同じように自由なときだけ、自由である。他の人間の自由こそ私の自由にとっての必要な条件である」というような絶対自由の表明と、「社会主義のない自由は特権と不正義をあらわし、自由のない社会主義は奴隷と野蛮をあらわしている」というような激越なアジテーションには、心がぐらぐらとした。

 バクーニンについては『遊学』にも書いたように、「破壊なき創造はありえない」というスローガンに痺(しび)れたまま、ぼくの中の基本像を変更してこなかった。ぼくが長らく反議会主義のはしくれにいたことも、元をただせばバクーニンの影響である。

 またバクーニンの友人でもあったネチャーエフの言動にも、ずっと考えさせられてきた。ネチャーエフの異様な呻吟こそ、ドストエフスキーの『悪霊』と、そして埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』や『死霊』の核心につながっていたからだ(第932夜)。

 20世紀のアナキズムの最初の国際大会は、1907年にアムステルダムで開かれる。この報告は日本にも届いた。報告者は「平民新聞」の幸徳秋水である。

 しかし、この大会ですでにその後のアナキズムを分かつ方針が並び立っていた。第1にはピエール・モナットの組合型の労働者によるゼネスト敢行路線、第2にはエッリコ・マラテスタがその見解を代表したのだが、アナキズムの真情を高らかにもったままに自分の仕事を続けなさいという方針だ(これは倫理を重視したクロポトキン思想の表明でもあった)。そして第3にはマルクス主義との共同戦線をはるというものである。

 このあとアナキズムは、直接行動的なアナルコ・サンジカリズム、アナキズムを人類の倫理志向の高みに赴かせようという思想行動的インディヴィジアリズム、絶対自由をこそ探求すべきだという戦闘的リバータリアニズムという流れになっていく。

 本書は第U巻において、インディヴィジアリズムとリバータリアニズムを中心に展開される。ここからが圧巻なのである。

 当初、20世紀のアナキズムは、フランスでは主としてアナルコ・サンジカリズムの様相を強くした。たとえば1904年の労働総同盟アミアン大会は賃金制度の廃絶を決議し、サボタージュ、ボイコット、ストライキの戦術の展開を打ち出した。ここにはブランキズムが混入されていた。

 革命的労働組合の運動はパリ・コミューンの記憶を打ち払うようにしてふたたびフランスで動き出すのだが、ここに予想もつかない新たな革命組織の形態が登場する。1905年の第一次ロシア革命が生み出した「ソヴィエト」(労働評議会)である。

 アナルコ・サンジカリズムからすれば、ゼネストがおこなわれることが革命のための最大の目標だった。それが、サンクト・ペテルブルクの工場ではゼネスト状態は自然発生的につくられたのだ。あれほど待ち望んでいたゼネストはおこなわれたのである。しかもそれはロシア革命では出発点のひとつにすぎず、それを動かしたソヴィエトという新たなエンジンこそが重要だった。

 ソヴィエトとは何なのか。数カ月後、複数にふえたソヴィエトの議長となったトロツキーはいみじくも書いている、「ソヴィエトの活動は無政府状態の組織を意味していた。その存在とその活動は無政府状態の強化を意味していた」。

 ロシア革命はソヴィエトというアナキズムの鬼っ子から始まったのである。少なくともトロツキーはそのように判断し、最初のソヴィエトの誕生にかかわったヴォーリンも、ここに新たなアナキズムの凱歌がおこったと確信した。

 しかしながら、第二次ロシア革命がおこった1917年に向かっては、ソヴィエトはアナキズムの特色をしだいに失って、ボルシェヴィキの党派活動の中に吸収されていく。

 「すべての権力をソヴィエトに」やそれを拡張した「すべての権力をボルシェヴィキに」というスローガンは、いっさいの権力を認めないアナキズムの理想からはあきらかに遠のくものだった。

 レーニンはトロツキー同様に、革命の初期を彩ったアナキズムを理解していた(と、思いたい)。しかしレーニンには、巨大なロシアを動かしていくという使命がのしかかっていた。ドイツ国家社会主義を分析し、クリークスヴィルトシャフト(戦争経済体制)を組み替え、近代工場制に学び、さらにはPTT(郵便・電信・電話)の集中管理などを計画する。レーニンはこれらを研究しつくして、これをプロレタリア独裁国家に移行するための最大の関心事とする作業に没入せざるをえなかった(第104夜)。

 しかし、ソヴィエトこそがアナキズムの拠点であるとするアナキストからすれば、これらのレーニンの計画はことごとく権力中枢を強化するものとしか映らない。

 このような事情のなか、革命は進行し、ソヴィエトの権力集中がはかられる一方で、アナキストたちは民衆の中に入りこみ、ついにボルシェヴィキ政府に対する過激な要望をつきつけるにいたっていた。

 これで、ボルシェヴィキがアナキストを粛正しなければならい理由がすっかり揃ってしまったのである。1918年にはモスクワで25軒のアナキストの家が赤軍に襲われ、以降もアナキストは害虫のごとく駆除されていく。が、赤軍の粛正もいつも順調とはかぎらない。そして、ここに、ロシア革命史上最も難解な事態が、そして20世紀アナキズムの歴史において最も重篤な抵抗が勃発したのである。

 ウクライナにおけるネストル・マフノによる“もうひとつの革命”の運動が動き出してのだ。

 ネストル・マフノがおこしたことは、ウクライナの農民を指揮して雄渾であって、壮絶であって、独得のものである。これをマフノ運動という。

 第一次ロシア革命(十月革命)では、マフノ運動は700万の住民を擁する地域に農民自治組織の拠点をつくりあげることだった。その後、この地域に第一次世界大戦時のドイツ・オーストリア軍が軍事的に及んだときは、マフノ運動はグリャーイ・ポーレを逆占拠して、独墺軍を撤退させた。マフノ運動は大量の武器と資材と貯蔵庫を得た。

 こうして第二次ロシア革命(二月革命)の時点では、史上初めての自由共産主義の原理が解放ウクライナに出現し、自治管理が進み、地主と争った土地はコミューンあるいは自由労働ソヴィエトとして、共同耕作されていった。

 このすべてを指揮したのがアナキズムのロビン・フッドともいうべきネストル・マフノだったのである。

 貧農の子であった。青年期にアナキズムに傾倒し、革命運動に参加したときはケレンスキー内閣から死刑を宣告されもした。しかし、つねに不屈の闘争心が彼をかきたててきた。とくに自治組織と自衛軍の組織化と軍事化には、天才的な才能を発揮した。いまなら、その戦術がゲリラ組織の本質を備えていたとも判定できる。しかし、それはモスクワには厄介なものになりつつあったのだ。

 案の定、マフノはウクライナに成立しつつあった自治管理機構が、モスクワのソヴィエト政府と拮抗するものであり、かつ各地のソヴィエト機構と連動的に結ばれるものだと認識し、その可能性をモスクワに打診した。ソヴィエト政府がそんなことを認めるわけはなかった。それどころかゲリラ的なウクライナ軍は中央の赤軍の管轄下におかれるべきだと申し渡した。

 マフノはこの要請を拒絶する。中央政府はマフノ運動の弾圧に踏み切った。赤軍の最高司令官は、そのときトロツキーになっていた。


ウクライナ・アナキストの旗

 マフノ運動は、ぼくが大学時代に出会った最大の難関だった。当時はトロツキーに憧れていたぼくは、マフノ運動こそが真の革命運動であるとする親友の湯川洋と議論しつづけた。

 学生運動の活動家たちは、マフノ運動などとんでもないと言下に否定した。その言い切りがあまりに単純なので、これに逆らおうとすると、活動家たちは何の説明もなく、おまえのマルクス主義の理解が乏しいだけだよと、冷酷に切り捨てた。そのとたん、マフノ運動の本来がぼくにもキラリと見えてきた。大杉栄が伊藤野枝とのあいだに生んだ子にネストルと名付けた「希望」が、瞬時に放電した。

 それからである。ぼくがアナキズムの文献を片っ端から読みはじめたのは――。

 今夜はすでにバクーニンやリードやゲランの書物を紹介しておいたけれど、マフノ運動を知ってからの、ぼくのアナキズム渉猟は格段に果敢になった。

 まず、プルードンやブランキやクロポトキンが加わり、そこへマックス・ノーマッドの『反逆の思想史』(太平出版社)が、大沢正道の『アナキズム思想史』(現代思潮社)や『虚無思想研究』(蝸牛社)や『反国家と自由の思想』(川島書店)が加わった。そして日本のアナキズム運動の全貌を伝える秋山清の『日本の反逆思想』(現代思潮社)を突破口に、大杉栄その人の著作が、辻潤の著作が、石川三四郎や山鹿泰治の著作が広がっていった。

 これらの読書において実感したことは、もし政治や革命にダンディズムがあるのなら、アナキストこそがダンディズムの極みではなかったかということだった。『遊学』にも書いたことだが、こうしてぼくは、ウィリアム・ブレイクからジョン・ケージまでを、オスカー・ワイルドからナムジュン・パイクまでを、心のアナキストとよぶようになったのだ。

 ワイルドがこんなことを書いていたのも気にいった。「私の体験のなかで出会った二人の完璧な人物はヴェルレーヌとクロポトキン公爵だ。両人とも獄中生活を送ったことがある。ひとりはダンテ以来唯一のキリスト教的詩人であり、ひとりはロシア出身であの美しく清浄なキリストの魂をそなえた人である」。うーん、泣けてくる。

 さて、無政府将軍ネストル・マフノは、1年に及ぶ赤軍の攻撃に敗退して、そのパルチザン的なマフノ軍事運動に終止符を打つ。それとともに祖国ウクライナの自治組織は解体した。

 すでに多くの評者たちから指摘されていることであるが、実はマフノ運動にはひとつ大きく欠けていたものがあった。それは農民の中から知識人や文人を輩出させられなかったことである。それゆえマフノ運動は、内部の知が語る雄弁で大胆な文章を欠いてきた。

 ネストル・マフノが手を打たなかったわけではなかった。ヴォーリンをはじめとする外からの知識人の導入をはかり、その活動を「ナパート」と名付けて運動を知的にも補強しようとしたのだが、間に合わなかった。強烈な知の持ち主でもあったトロツキーとはそこが違っていた。もっとも、そのトロツキーも、結局は“裏切られた革命”の陰の主役にまわされたのだ(第130夜)。

 マフノは1921年ルーマニアに亡命、その後はパリに誰に知られることもなく住んで、1935年に赤貧に戻って死んだ。しかしその活動のモデルは、その後は毛沢東に、アルジェリアに、ゲバラに、ベトナムに蘇生した。

 二次にわたったロシア革命の血を駆け抜けたアナキズムは、クロンシュタットの叛乱などさらにいくつかの激越な事態をつくりながら、消えていく。あとはスターリンの圧政が待っているだけになる。

 その不幸な切り返し点こそ、1921年2月8日のクロポトキンの葬列にあった。

 ではアナキズムがその後どこへ行ったかといえば、イタリアに、スペインに、日本に飛び火した。またクロポトキン主義としてトルストイに、ガンジーに、オロビンド・ゴーシュに散華した。本書はそのすべてまでは追っていないけれど、その意伝子はおそらく多くの黒人運動のなかにも結晶をもたらした。第519夜の『マルコムX自伝』にもその共鳴は響いている。

 しかしその一方、ゲランがこのアンソロジーを編んだときすでに、アナキズムには謂れのない中傷と曲解が下されていたのでもあった。その謂れなき判定が下ったのは1960年代後半でのことだった。

 中傷者はアナキズムは死滅したという判定をくだした。その理由のひとつは、アナキズムはロシア革命とスペイン革命に耐えられなかったというものだ。少し同情気味のヴィクトル・セルジュすら「アナキズムは革命的マルクス主義と一緒くたになるだろう」と予想した。

 けれども、こんな中傷は当たらない。これは考えてみればごくごく当たり前のことで、そもそもバクーニンがマルクスと袂を分かったときにアナキズムは政治的な狼煙をあげたのだから、アナキズムの半分以上はつねにマルクス主義と交じってきたわけである。言うまでもない。

 だから、そのマルクス主義にスターリン主義やスペイン革命によって翳りが見えてきたからといって、それでたしかに半分くらいはアナキズムの思想と行動が変質したろうが、もう半分は“異生”して、新たなリゾームをつくっていったとみるべきなのである。

 とくに戦闘的リバータリアニズムはヨーロッパと日本のアナキズムを浄化させ、新たな絶対自由思想を説く一群をつくっていった。その一人がハーバート・リードであり、ダニエル・ゲランであり、そしておそらくはシモーヌ・ヴェイユであって(第258夜)、マルティン・ブーバーだったのである(第588夜)。

 日本にもこの意伝子は深々と突き刺さっている。大杉栄(第736夜)や辻潤や石川三四郎や萩原恭次郎や武林夢想庵はすぐに見当がつくだろうが、それとともにここには、野口雨情(第700夜)が、野川隆が、金子光晴(第165夜)が、稲垣足穂(第879夜)が、また埴谷雄高(第932夜)が、そしていままた町田康(第725夜)が、戸川純が、椎名林檎が連なっている。

 いやいや、もう一度、われわれは遡及もするべきであろう。アナキズムは魂の起源の歴史そのものに宿っているはずなのだ。

 そうなのである、アナキズムはマハーヴィラや葛洪にも芽生えていたが、実は一茶(第767夜)にも、一休(第927夜)にも、ずっと遠くの墨子(第817夜)にも、早々に突き刺さっていたはずなのだ。そうでなければ、われわれがこれほどにアナキズムの日々を懐かしくも熱く、激しくも清明に、思い出せるはずがない。

 以上、今宵のささやかな黒色振動を、宝生能楽堂の五番五流能の夜に初めて出会ってロビーの片隅でアナキズムの断片を交わし、その後はつねに断固たるメッセージをぼくにもたらしてくれているISIS編集学校「懐来さらさら教室」の相京範昭君に、贈りたい。
http://1000ya.isis.ne.jp/0941.html


8. 中川隆[-7281] koaQ7Jey 2017年7月06日 22:03:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


NAMs出版プロジェクト: バクーニン:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_25.html


276~7
(バクーニンは)極端なツリー型の秘密結社(前衛党)を作ろうとしたのである。
バクーニンは「革命家の教理間答」にこう書いている。

《一人一人の同志の手元には、数人の第二、第三の革命家がいるベきである。
これらの革命家は完全には革命に身を委ねていない人たちである。

革命家はこれらの人々を自分の管理下にある共通の革命的資本のー部と見なすベきである。彼は自らの資本の分け前をつねにそこから最大の利益を引き出すことができるよう、経済的に使わなければならぬ》。

486~7

(40)ネチャーエフはバクーニンが「革命家の教理問答」に書いた組織論を実行した。
それがバクーニンの意に反したことであれ、彼の組織論から生じたことは否定できない。一八四〇年代のロシアの社会主義運動は、バクーニンもふくめて、フォイエルバッハの影響から始まっている。

若いドストエフスキーもそこにコミットし、シベリア流刑に処せられたのである。彼がのちにネチャーエフ事件に触発されて『悪霊』を書いたことはいうまでもないが、革命政治ヘの彼の洞察は、マルクス主義者ではなく、アナーキストの運動から来ることに注意べきである。

もしそれが二〇世紀のマルクス主義者の運動に妥当するのだとすれば、それがマルクス主義だけでなく、アナーキズムにも共通する問題であったということを意味する。

アナーキストは「理性」の支配を否定する。しかし、「理性」によってしか「理性」の批判をなしえないというパラドックスを忘れてはならない。たとえば、ベルグソンの「知性」批判も、理性による理性の批判のー形態である。そのことが忘れられると、直観や生命の優位が端的に主張されるようになる。しかし、それは実は、別のかたちをとった「理性の越権」にほかならないのである。

たとえば、ソレルは、ベルグソンにもとづいて、国家権力をーつの force 労働者ゼネストを violence と呼んだ。前者が抑圧的な知性で、後者は生の躍動である、という。しかし、彼の理論が実を結んだのがむしろムッソリーニのファシズムにおいてであったということは、偶然ではない。

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ネチャーエフ「カテキズム」が読める本は? - 文学 | 【OKWAVE】
http://okwave.jp/qa/q7397770.html

『革命家の教理問答集』あるいは『革命家の教理問答書』のタイトルでバクーニン著作集5(白水社ほか)で邦訳は読めるようです。

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38.社民党批判6.(アナーキズムとは何か?) ( 政党、団体 ) - 安岡明夫HP(yasuoka.akio@gmail.com) - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/15341856.html?__ysp=44OQ44Kv44O844OL44OzIOS6lOS6uue1hA%3D%3D

 では、問題のネチャーエフ作成の文書「革命家の教理問答書」(同p.399-408)を見てみよう。
 
 「革命家は死すべく運命づけられた人間である。彼には・・感情も愛着も・・ない。・・すべての法律、・・道徳とのあらゆるきずなを絶っている。

彼にとってこの世界は容赦なき敵であり、もし彼がその中で生き続けるならば、それはこの世界をより確実に破壊せんがためにほかならない」(同p.401)。

 「彼は世論を無視する。彼は現在の社会道徳を・・軽蔑し、憎悪する」(同p.402)。

 「自らに厳しい革命家は、他に対してもきびしくあらねばならぬ。肉親の情、友情、恋愛、感謝・・は、革命の事業の唯一の冷たい感情によって、自らの中に抑圧せねばならぬ」(同p.402)。

 「仮借なき破壊の目的のために、革命家は社会の中で偽りを装って生活する・・」(同p.404)。

 「第一のカテゴリーは、猶予せずに死刑を宣告される。・・死刑を宣せられた者のリストを作成すべきである。・・リストの先に出てくる者から片付けるのである(同p.405)。

 「第二のカテゴリーは、一時的に生かしておく人々である。彼らの残忍な行為が人民に不可避的に反乱を引き起こすようにする為である」(同p.405)。

 「第三のカテゴリーは・・なるべく彼らの汚い秘密をつかんで自分たちの奴隷にしたりする・・」(同p.405)。

 「女性は・・三つの種類にわけらる・・その一は・・利用することが出来る」(同p.406)。

 「結社は全ての力と手段を尽くして、ついには人民をして忍耐の極、一人残らず蜂起に立ち上がらせるような諸悪を発達させ、これを断ち切るべくつとめるであろう」(同p.407)。

 「ロシアにおいて、真の、唯一の革命家である大胆な強盗の社会と結びつこうではないか」(同p.408)。

 色々此処には問題があるが、最重要な事は、アナーキストは人々の生活の悪化を狙っているということだ。どん底まで導き、そこで革命を狙うということだ。この事はバクーニン等の正統派アナーキストも例外ではない。また、盗賊と結びつけと言うのも共通で、バクーニンは言う。

「人民の堕落は・・権利・・」
「私は人民による盗奪行為を擁護する・・」(同p.355)。

「盗賊団を人民革命の武器として用い」るべきと(同p.356)。

 1869年11月26日、ロシア国内でネチャーエフによって頭部を撃ち抜かれた他殺体が発見された。最後は130名が逮捕され、ネチャーエフも捕まり、35歳で獄死した。之をモデルにしたのが、ドストエフスキーの有名な小説『悪霊』である。

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参考:

勝田バクーニン論
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/4937/1/KJ00000113130.pdf


9. 中川隆[-7280] koaQ7Jey 2017年7月06日 22:14:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

セルゲイ・ゲンナジエヴィチ・ネチャーエフ
(ロシア語: Сергей Геннадиевич Нечаев、ラテン文字表記の例:Sergei Gennadiievich Nechaev、1847年10月2日 - 1882年11月21日

は、ロシアの革命家。ロシアのニヒリズム運動のオルガナイザー。

モスクワ郊外のイワノヴォ村に生まれる。父は貧しい労働者、母は解放農奴の娘。6歳で母を失う。1865年モスクワに移り、一年後の1866年サンクトペテルブルクに移る。独学で教師の試験に合格し、教区立学校で教え始めた。その傍らでネチャーエフは、サンクトペテルブルク大学の聴講生となり、ピョートル・トカチョフと共に学内少数派だった急進派に属し、1868年から1869年の学生運動に参加した。

ネチャーエフは、学生運動の革命化を図り、革命運動のプログラムを立案したが、それは、最終目標として1870年に社会革命を実現するというものであった。

1869年1月に自身が逮捕されたとの偽情報を流して、スイスに亡命する。

ジュネーヴでは、ペトロパヴロフスク要塞から脱獄した革命委員会の代表と僭称してバクーニンやニコライ・オガリョフに接近して信頼を得た。

さらにゲルツェンの強い反対にも関わらず、両者から資金を得ることに成功し、革命を煽動する文書を作成する。その中で一番著名なものは、1869年夏に著した『革命家のカテキズム(革命家の教理問答)』である[1]。

「革命家とは予め死刑を宣告された存在である」という言葉ではじまる『革命家のカテキズム』は革命のためのプログラムであり、秘密組織を作り、破壊活動を行なうための方法を示唆する内容を有していた[2]。

その主張は、革命という「目的は手段を正当化する」という原理で貫かれ、後に「革命のマキャベリズム」、「革命のイエズス主義」と称された。

1869年9月にモスクワに戻ったネチャーエフは、

「世界革命同盟(Vsemirnyi Revolyutsionnyi Soyus、Worldwide Revolutionary Union)」

という架空の団体のロシア代表部代表を名乗り、

「人民の裁き(Народная расправа、Narodnaya Rasprava、People's Reprisal)」

と呼ばれる秘密結社を作る。

しかし、組織内部には、相互不信による対立が渦巻くようになり、内ゲバが生じた。ネチャーエフは、構成員の一人でペトロフスキー農業大学(現在の名称はチミリャーゼフ農業大学)の学生であったイワン・イワノフを裏切り者と批判し、1869年11月21日にペトロフスキー農業大学で彼を殺害した。

11月末にネチャーエフは組織を作るためにサンクトペテルブルクに移る。

1869年12月中旬に警察当局は、イワノフ殺害事件の関係者の逮捕と秘密結社の一斉摘発を開始した。ネチャーエフは12月15日逮捕を免れ、再度スイスへ亡命したが、約300名が逮捕され、内87名が裁判の対象になった。

後にドストエフスキーは、この事件を契機に小説『悪霊』を執筆した。


亡命後ネチャーエフは再びバクーニンから資金援助を受けて、オガリョフと共に『コロコル(Kolokol)』誌、『人民の裁き』誌などを出版する。

『人民の裁き』2号に掲載されたネチャーエフの記事「将来の社会制度の基本(Главныеосновыбудущегообщественногостроя)」では彼自身の共産主義体制のビジョンを発表したが、後にマルクスとエンゲルスによって「バラック共産主義」と呼ばれた。

次第にネチャーエフは同志の間から信用を失うようになり、彼の第一インターナショナルにおける名前の乱用は、総会で公式に関係を断絶することを決議するに至った。

1870年夏には、理論の破廉恥さ、それまでの行動の原則のなさ、挑発的、策謀家的な点が批判され、バクーニンらの不信を買うに至った。

1870年9月ロンドンで雑誌の編集に当たるが、ロシアの官憲を逃れてパリ、次いでチューリヒに潜伏する。さらにカスパル・トゥルスキー(Caspar Turski)らポーランドのブランキ派に接触するが孤立し、1872年8月14日チューリヒで逮捕され、ロシア警察に身柄を引き渡された。1873年1月8日にイワノフ殺害の罪で懲役20年の判決を下された。

ペトロパヴロフスク要塞に収監されたネチャーエフは看守を説得し、1880年12月に「人民の意志」派との接触に成功した。さらに脱獄が計画されたが、1881年同派によるアレクサンドル2世暗殺事件により、革命運動に対する弾圧は強化され、さらに同じ囚人からの密告によりネチャーエフの脱獄計画も放棄された。

1882年11月21日に壊血病と水腫のため獄死した。35歳。

ネチャーエフはその勇気と革命運動における狂信的なまでの献身にもかかわらず、同志と組織を危険にさらすことによりロシアの革命運動に巨大な害毒をもたらしたとみなされている。

しかし、後にレーニンはネチャーエフの「目的は手段を正当化」する「革命のマキャベリズム」を評価し、結果としてレーニン及びボリシェヴィキの冷酷性に大きな悪影響をもたらしたと言える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95


ネチャーエフ 伝記 2013-07-15
https://ameblo.jp/machidamachilda/entry-11573157120.html
https://ameblo.jp/machidamachilda/entry-11585544387.html


 セルゲイ・ゲンナジエヴィッチ・ネチャーエフ。ロシアの革命家。オルガナイザーとある。

オルガナイザーとは上部組織から末端組織に派遣され、組合の加入や結成を働きかけ、弱体組織にあっては、その活動を援助する役割を持った人物を指す。

当時世間を席巻していたニヒリズムを究極の形で体現し、自己の理想とする革命の実現を追い求めたこのセルゲイ・ネチャーエフと言う名の革命家を知り、彼の生涯を調べようと思った動機として、ドフトエフスキーの小説「悪霊」を改めて読み返したこと、作中に登場するピョートル・ヴェルホヴェンスキーのモデルがネチャーエフであることを挙げておく。

 

 冷めた鉄のように鈍く光り、多くの人間を自らの魅力の虜にしたセルゲイ・ネチャーエフは神秘的であり、狂乱を湛えた井戸の底にある暗い王国の国王である。彼は1847年10月2日に生まれた。父は貧しい労働者、母は農奴解放令によって解放された元農奴の娘である。彼の人生はほの暗い秘密と陰謀に彩られている。その魂に触れた者は夢中になって彼を信奉する。が、彼は自分の信者に対し、冷酷で無慈悲である。人を惹きつける魅力と,

革命実現の為に人命を軽んずる彼の思想は、<革命家のカテキズム>において顕著に表れている。それはおいおい記す。


 まず当時のロシアの状況を知る必要がある。ナポレオンの軍隊を打ち破り、しばしフランスに駐屯したロシア陸軍の若い士官たちは帰国に際し、西洋の自由思想を故国に持ち帰った。自由主義は若者の胸に何を植え付けたのか。それは希望だったのか、自由への憧れだったのか。とにもかくにも彼らは帰国してすぐに「スラヴ連盟」と言う名の組織を結成する。これがロシアにおける初の革命秘密団体であると言われている。

スラヴ連盟は農奴解放を要求の一つにし、表向き慈善事業団体のような体裁を取りながら、ロアシのツァーリズム(帝政)打倒のための陰謀を着々と練っていたらしい。1825年12月に起こり、挫折した「デカブリストの反乱」は彼らの指導によって行われた。


 革命と陰謀の時代、ツルゲーネフは小説「父と子」の中で初めてニヒリストと言う言葉を使う。

極端な否定を伴うこの思想はやがて絶望の行動主義を誕生させ、数多の若者をアナーキズムとテロリズムへと駆り立て、方程式の答えとして虚無を糧とした破壊衝動を導き出したのである。

1862年にはチェルヌイシュフスキーが中心となり「土地と自由}が組織され、1865年にはヨーロッパのあらゆる国王暗殺を自らの使命と任じた「オルガニザチャ」が学生たちによって設立された。「オルガザニチャ」の組織員の一人、カラコゾフは皇帝アレクサンドル2世暗殺未遂事件を引き起こした。これはロシアにおける最初の皇帝個人を標的としたテロ事件である。


 こうした暗い時代、陰謀と暗殺が渦巻く革命のうねりの中でネチャーエフは育った。彼は貧しい家庭で育ち、独学で教師資格を取得する傍ら、ペテルブルク大学の聴講生になっていた。1868年大学紛争に加わり、学生運動の革命化を目指した。

その後、自らが投獄されたとの流言を流しスイスへと亡命する。この時、バクーニン、オガーリョフに接近し、革命運動のための資金を獲得するとともに前者と共同で革命を訴えるための宣伝文書をいくつか作成した。

その中でもとりわけ有名なものが「革命のマキアベリズム、革命のイエズス主義」と後世評された「革命のカテキズム」である。


「昼となく夜となく、革命家は一つの思想、一つの目的、すなわち容赦ない破壊のみを念頭に置かなければならない。・・・・革命家にとっては革命の決定的勝利に役立つものと言えばそれは革命道徳の完全なる遵守がすべてであり、革命成功を阻むものと言えばそれは、革命道徳背反及び、革命秩序に対するありとあらゆる犯罪である。」


「人民の利益となる革命形態は国家のあらゆるものを根絶し、国家の伝統、制度、階級を絶ち、後世に伝わることなきようにすること。これのみである。」


 徹底した破壊の思想を己の魂に刻み、人間を蔑視し冷酷な革命指導者となるべく定めた規律の文書である。「革命家とはすでに刑を宣告された人物である。」ネチャーエフは友情も恋愛も独特も革命のためにすべて犠牲にした。いや、利用した。そして本来革命家とはそうあるべきであると説いた。この恐るべき「革命のカテキズム」についてはさらい言を費やしたいと思う。


黒光りする鉄の魂は、激動の時代に飲まれるままに人間味を失い、熱を奪われるままに冷たく輝こうとする。


《革命家とはすでに刑を宣告された人間である。》


 刑の執行を待つ死刑囚のように、限られた人生を革命の実現の為に費やすネチャーエフはあらゆる人間味を犠牲にしながらニヒリズムを体現し、社会の価値を否定する。破壊のための破壊を遂行する者であった。

彼はあえて偽り、あえて裏切る。彼を批判する者は彼をして精神病者、あるいは詐欺師の類であると揶揄するが、彼が何を考え、何を理想として行動していたのかは、考えるに値する題目である。

ネチャーエフにとっての友情とは何か。革命の為に散れと命ずる人間の絆なのか。恋愛とは何か。飄々とした暗色の空に浮かぶ偽りのロマンチズムなのか。そして、道徳とは。それは恐らく安易な惰眠を貪る人間のために用意された固く冷たい寝具だったのかも知れない。


 彼の生き方を考える上で、当時世間を席巻していたニヒリズムについて考える事は詩的で神秘的な趣を持つ。ここでニヒリズムと言う言葉が持つに至った哲学的、社会的な意義について書き記したい。


 ニヒリズムはラテン語《ニヒルnihil(虚無)》の造語である。

既存のありとあらゆる価値あるモノ。宗教的、道徳的、社会的権威、社会的秩序とそのイデオロギーの前に冷然と立ちはだかる一つ目の巨人であり、絶対的な否定である。

価値を持つモノがあるからそれを否定する。それは無条件的であり、否定の先になにもありはしない。だからこそ虚無である。

この語が哲学的意義を持って記録に登場する一つの例は1799年F.H.ヤコビがフィヒテに宛てて送った公開書簡である。

この中でヤコビはフィヒテを観念論を指してニヒリズムであるとして非難している。

ヤコビが影響を受けた物の一つとして12世紀の神学者たちニヒリアズムが挙げられる。この一派の主張によるとキリストの人間性は偶有的なものにすぎず、《キリストは人間としてニヒルである》としている。

時代を下ってB.F.X vonバーダーの場合になるとニヒリズムはすでに哲学的な範囲を越え、教会権威による秩序を覆さんとする19世紀ヨーロッパ最大の危険思想として社会的な問題として認知されるに至っている。バーダーによればニヒリズムは近代的科学の無節操かつ際限のない発達が巻き起こした知と信の分裂ところにその根源があるとされている。


 しかしニヒリズムという言葉が社会の中で一般的に認知されるに至った契機はツルゲーネフの小説『父と子』であるとされる。

この作品に登場する急進的インテリゲンチャ、バザーロフが彼の級友であるアルカージーによってニヒリストと呼ばれている。ここで言われているニヒリズムはロシアで発達した社会主義運動における反体制的立場として1855年のアレクサンドル2世の即位から70年ごろにかけて盛んであった。


 現代思想においてもっとも重要かつ最も知られているニヒリズムに関するニーチェの思想であろう。ロシアのニヒリストが皇帝アレクサンドル2世を殺害し処刑された1881年、ニーチェは彼らをニヒリストと言う言葉で表現している。後の能動的ニヒリズムとなるものである。

またニーチェはドストエフスキーの『主婦』『虐げられた人々』『死の家の記録』『悪霊』などのフランス語訳を読み地下的かつ流刑者的生活者の力強い生命力や旺盛な行動力、そしてキリスト者の病的で陰鬱な心理について触れていたのである。

晩年のニーチェが考えたニヒリズムとはプラトンのイデア論以来、形而上学的な精神史を通じて人々が信じ込みあたかも真実であると仮定してきた最高の諸価値、特にキリスト的な道徳的諸価値が今やその有効性を失い、虚無的な存在と化してきている。これらは元々無価値であったものだが、人々はそれが真の実在であると信じ、そうした考えを基に自らの生活の営みを構築してきた。

今、その諸価値は根本から価値を有していなかったと暴露されつつあるが、人々はそれにも拘わらず新しい生活様式を考え出そうとせず、共同生活を構築してきた。ニーチェはその西洋の歴史が持つ倫理そのものこそニヒリズムであると考えた。

これまで目に見えない潜在的部分に潜んでいたニヒリズムの問題は今や表層的な問題となって人々の前に現れた。これがニーチェが見た現代の危機的状況である。

人々の共同生活はその根拠を失世界は権力を志向する意思が互いに相争う闘争の場であることが暴露された。ニーチェはこれを《神の死》と名付けた。

この危機的状況から逃げ出さず、これを徹底することで危機を超越しようと試みる《極端なニヒリズム》に彼の思想の核心があるとされている。


 話をネチャーエフ自身に戻そう。彼の人間味を失った革命への衝動がどんなものか考えるために、彼の民衆への意見、理解の仕方を見てみよう。


《民衆が反抗の勇気を露わにする瞬間とは、彼らが受ける苦痛が限度を越えた瞬間である。だからこそ革命家は革命の遂行のために民衆が受けている苦痛をいささかも和らげてはならない。それよりはむしろこの苦痛を際限なく増加させ、ますます耐えがたいものになるよう力を尽くすべきである。》なんと恐ろしい人間蔑視の思想だろうか。命の尊厳性への配慮など微塵も感じられない。



10. 中川隆[-7279] koaQ7Jey 2017年7月06日 22:37:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

悪霊 (小説) - アンサイクロペディア


『悪霊』(あくりょう)はロシアの文豪ドストエフスキーの小説。

主人公の「悪魔的超人」であるはずのスタヴローギンがニートであり、作品の前半ではほとんど登場しない(本の裏の能書きは詐欺である)。

そのためサブキャラのステパン先生が事実上の主人公になっている(ピョートル)を加えて三人主人公の物語が絡み合っているという見方ができる)。

とりあえず虚無的な作品。「悪霊」とは聖書の悪霊に憑かれたブタの群れが溺死する話に由来しており、「世の中のためにならない連中がガンガン破滅する」「それによって郷土が浄化される」という実もふたもない話である。

ステパン先生の物語

元大学教授だが今はワルワーラ夫人(スタヴローギンの母)の居候にして無職。

情けない人。博打基地外。廃人。
幼き日のスタヴローギンに計り知れない悪影響を与えた。最後は家出して死亡。

「自分が滅んでいくべき悪魔の大将かもしれない」と自嘲していた。

ピョートルの物語

ステパン先生の実子で策略家。でも無職。革命グループを立ち上げる。

リンチ殺人を指揮したり、自殺志願者を励まして自殺させたりする。

スタヴローギンを仲間にして協力させようとする。で、町を混乱に陥れる。

知事(趣味:ペーパークラフト)は発狂する。

最後は無事に逃亡(一番悪い奴が逃げちゃったよ、こいつが死ななきゃ意味無いじゃん)。

スタヴローギン(真の主人公)の物語

やっぱり無職。暴力沙汰を起こして軍隊を追われる。

要するに燃え尽き症候群の廃人だが昔はカリスマ性があったわけで、今でもその名残がある(そのためピョートルに目をつけられる)。

決闘で死のうとしたりする。
ふざけて結婚したどう見ても精神病の女が廃人になり、さらにその兄にたかられる。

幼女を陵辱して自殺させたりした暗い過去がある。

最後は石鹸を塗ったタオルで首吊り。
解剖の結果、最期まで正気だったことが確認される。

その他

ヒステリー卒倒なんでもござれの女、思想的な理由で自殺したい青年など逝っちゃってる人達多数。狂人大行進。

考察

この作品の背景にはロシアの終末思想が前提としてある可能性がある。

ロシアのキリスト教では歴史の終末が近くなるとアンチキリストが現れるという伝承がある。

アンチキリストは救世主を装って人々を騙し、烙印を押す。烙印を押された人々は最後の審判で地獄へ投げ込まれると伝えられる(記憶が正しければソースは「鳩の書」だったはず)。

そういった観点からするとこの作品はスタヴローギンをアンチキリスト、偽りの救世主に見立てているという見方もできる。

さらにうがった見方をすれば、スタヴローギンは無意識的な厳しい倫理感ゆえに無気力に陥ったという風にも見える(軽薄な人間ならば深くは悩まない)。

ドストエフスキーの作品はそういった背景まで知っていないと本当には理解できないのかもしれない。とりあえず調子に乗って色々言っているインテリ連中がどこまで理解しているのかははなはだ疑問である。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%82%AA%E9%9C%8A_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)


フョードル・ドストエフスキー - アンサイクロペディア


フョードル・ドストエフスキーとはロシアを代表するギャンブラーであり、ギャンブルによる借金を返済するためだけに自らの体験に基づいて「賭博者」や「罪と罰」などの小説を執筆したといった数々の伝説を残したことで世界的に知られている。

彼は金があれば全てギャンブルに注ぎ込んでは負け続けて一文無しになり、そして質草までもが無くなってからも一発逆転を信じ込み、妻へ手紙を書けば決まって最後には「愛する妻よ、送金を急いでしてくれ」と金の無心をしていたという程のギャンブラーであった。

また彼は社会主義者であったことでも知られているが、当時はソビエト社会主義共和国連邦が建国される以前の時代であったため警察に逮捕され、死刑とはならなかったもののシベリア送りとなったという経歴まで持つ。

ヨーロッパ旅行をした時には行く先々でルーレットをしては全く勝てずに負け続け、全財産を失ってロシアへ帰国することさえ出来なくなってしまう程であった。この時に出版社と「小説を書く代わりに金を前借する」というギャンブルそのものの契約をして執筆したのが「賭博者」という小説である。

他にもギャンブルでの借金返済のために小説などを多数執筆したが、彼の作品や日記等を読むことは素人にはおすすめできない。それは、ドストエフスキーの小説を読むことはエクストリームスポーツであり、今世紀に至るまで多数の人々が、彼の作品を読むことに挑戦しては挫折してきたからである。

彼の作品の中身の多くは、たいした中身ではない割に登場人物の無駄なトークでかさ増しされている。すなわちかさだけが多いのである。

また登場人物が突然予告も無くキリスト教の教えについて猛烈に語り始めたりすることもよくあるので宗教や哲学が苦手な人や拒否反応がある人にもやはりおすすめできない。

更に彼の作品の特徴として、「改行が少ない」ということが挙げられる。つまり見開き2ページ改行がなく、ぎっしり文字で埋め尽くされているということがざらにあるわけで、いわゆる活字アレルギーの人にもやっぱりおすすめできない。

作品

『貧しき人々』

ドストエフスキーが24歳の時に書き上げた処女作。
なお、周囲からは大絶賛だったが、内容は中年の役人がいたいけな少女と手紙をやりとりするだけの話である。
しかもNTRされる。ようはロリコン断罪である。
これが後にナボコフの『ロリータ』になったりならなかったり。

『虐げられた人びと』

『貧しき人々』を書き上げた頃のドストエフスキー自身が主人公に投影されており、小説中にも『貧しき人々』が登場するメタフィクション的作品。
主人公が様々な事件に奔走するのでラノベっぽくて面白い。
ネリーかわいいよネリー。

『死の家の記録』

流行りの社会主義に手を出してしまったがばかりにシベリア送りにされたドストエフスキーの獄中記。毎日同じような生活を繰り返す監獄が舞台なので、長さの割にはかなり退屈。枕としては便利。

『地下室の手記』

元祖・ロシア式引篭もりの物語。
自意識過剰から公務員を辞めてまで地下室へ引篭もる。

引篭もり文化が実はロシア起源だったかどうかは議論が続いている。
前半は「引篭もり哲学」で後半は「痛すぎる回顧録」である。

日本の漫画『N・H・Kへようこそ』のモデルになった作品と言われている。

『鰐』

ドイツ人見世物師のワニを見に行ったら丸呑みされてしまったが、ワニの中の方が暖かくて快適だからここに住むぜ!という引篭もりと不法占拠の間のような話。

ワニ内居留費をキッチリ払えというドイツ人と、中に人が居るワニなんて珍しいんだからそれで稼げよとゴネる主人公のやりとりのドタバタ喜劇調がドストエフスキーにしてはちょっと珍しい。

『罪と罰』

ロジオン・ロマーヌヴィチ・ラスコーリニコフ(愛称ロージャ)という恐ろしいほど長い名前の主人公で世界的に有名。有名なわりにあんまり読まれていないことでも有名。

信じられないかもしれないが、これでもドストエフスキー作品の中では一番読みやすい部類なのである。

この主人公は、物語の中で、「ロジオン・ロマーヌヴィチ・ラスコーリニコフ」「ラスコーリニコフ」「ロージャ」と、怪人三面相として登場する。

『賭博者』

ロシア式賭博中毒者の生成過程。最後にせっかくゲットした彼女を激怒させてしまう。

『白痴』

5大長編の一つ。他と比べ悪人や狂人率が比較的低く、ドスト作品には珍しくメロドラマ小説に見えない事も無いかもしれない。

イッポリートの、自分はどうして死なずに生きていられようかというスピーチを長々としたあげく失笑を買い、あげく自殺に失敗するシーンは文学史上に残る中二病として有名。多くの読者が自分の中二病経験を思い起こし死にたくなったことだろう。

『悪霊』

ロシア人がなにかと理由をつけてたくさん自殺する。みんな無職なのに偉そう。

主人公は悪魔的超人だとか色々言われているが、つまるところ無職。

『未成年』

ドストエフスキー長編を語る上で、必ずと言っていい程無視される存在。
また長編の中で唯一映画化されていない。

5大長編の一つだが、近年これを抜いて4大長編にしようという動きが高まっていた。 だが新潮文庫版まさかの増刷によりこの考えは杞憂に終わった。
ちなみに新潮文庫の新装丁は白地にピンクで非常にかわいらしく、タイトルと相まってなんかそっち系の本に見える。

時系列無視して話が進む上に、22年前に25歳の父が9年前に45歳であるというSF推理モノである。

『カラマーゾフの兄弟』

ドストエフスキーの最高傑作にして、登場人物の多さ、主題の難解さ、構成の複雑さ、キャラクターの話の長さなどから、トルストイの『戦争と平和』、プルーストの『失われた時を求めて』、ジョイスの『ユリシーズ』と並ぶ文学界屈指の中途挫折者の多い小説である。

特に「大審問官」やゾシマの回想のくだりは初見殺しで有名。
読まなくてもストーリーに問題ない。

性格や信仰が全く異なる肉食系無職の3兄弟が女を取り合ったり酒を飲んだり殺し合ったり酔っぱらったりギターを弾いたりするが、最終的に親父と下男は死ぬは長男は逮捕されるは次男は発狂するは散々である。

ウィトゲンシュタインは第一次世界大戦従軍時、数少ない私物の一つが『カラマーゾフの兄弟』だったため50回は精読したと言うが、そんな大変なときに、なにもこんなぶ厚い本を持ち運ばなくてもいいと思う。

こんなに分厚いのに未完、というか長大な物語の前振りのつもりだったらしい。
書きかけで死んでくれて良かった。

総括

全体的に暗く冷笑的な作風の作品が多いが、登場人物達はどこか抜けていたり、しょうもないことに拘泥する、有態に言えば「マヌケ」が多い。

北方の寒冷地ロシアの陰鬱な風土と、ウォッカの事しか考えていないロシア人のバカっぷり単純明快な性格が如実に反映されていると言えよう。

ロシア文学の代表、白眉と言われるのも肯ける。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%95%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


11. 中川隆[-7278] koaQ7Jey 2017年7月06日 22:52:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

梅原猛 悪霊 _ ドストエフスキーは今日の道徳的頽廃を予見していた
http://www.augustaholidaygiftguide.com/

12. 2017年7月07日 14:01:14 : JmDlyYVDCQ : _pmaL7jGCzk[4]

「自由」「民主」とは^^

「自己責任」と「=」だから^^

日本国民の中には^^

「責任からの回避」として「共産=官僚主権」を容認してしまう^^

官僚主権=「政府>国民」という意味なので^^

自動的に「conservative保守」と成る^^

自由民主党が、保守というのは誤りで、自由民主党安倍政権は^^

liberal自由主義な政権だ^^

ただし^^

民主democracy平民主義かと言えば、そうではない^^

エリート優先socialism社会主義←この傾向が残っている^^

まだまだ「新保守主義neo-conservative転向保守」であって^^

「新自由主義neo-liberalism」への道は半ばだ^^

しかし^^

日本国民の多くは^^

まだまだ責任を負う事を拒否し^^

democracy平民主権(民主体制)を望んでいない^^

もう暫く^^

共産化を防ぎながら、neocon体制を取らねばならない我が国である^^

[32初期非表示理由]:担当:毎回IDが変わってしまう方が、ペンネームを使わずにコメントし、管理人がネット工作員判定した場合には苦情を受け付けません。http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/415.html

13. 中川隆[-7242] koaQ7Jey 2017年7月08日 11:33:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

早稲田大学 教育学部 川崎浹研究室『ヨーロッパ文化』講義録
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/index-1.htm


「ヨーロッパ文化」講義録 注釈2
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/word102.htm#Anchor332910

第10講『ネチャーエフ』

 ルネ・カナック『ネチャーエフ』
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8D%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95%E2%80%95%E3%83%8B%E3%83%92%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%B8-1964%E5%B9%B4-%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%AF/dp/B000JAED1I

より。([]括弧内は該当ページ番号)

 ゲルツェンとチェルヌィシェフスキイの見解の相違:自由主義と急進的思想15頁。

16頁「ニヒリスト」の理想主義的唯物論者=雑階級人(川崎註『赤と黒』ジュリアン・ソレルも雑階級人)。科学を信仰。


[18] 1861年保守的な人物が文部大臣に就任して、偏狭な文部政策を敷いたため(聴講生に入会金制度)貧乏な青年の間で不満が生じ、全国で抗議運動。

1861年に農奴解放令が発布された。しかし農村における改革の不徹底。

青年たちはさらに社会改革のための大きな動きを求めて前進。


[19] ゲルツェンとチェルヌィシェフスキイは『偉大なロシア人』という非合法雑誌をロンドンで印刷し、ロシアに持ち帰って配布させた。

土地の無償分配、民衆議会の召集、国民投票による憲法作成など。

一部に攻撃的で過激なパンフがあり多くの急進派からすら非難された。
さらに当時の民衆すなわち農民が皇帝を信じていて、急進派を理解していなかった。


[21] チェルヌィシェフスキイと数人の仲間は秘密結社をつくった。
「土地と自由」300人。パンフ「若きロシアに」が流布されると首都の間に動揺がおこり、同じ頃ペテルブルグや地方都市の行政庁の建物をふくむ大火が起こった。


[23] チェルヌィシェフスキイは獄中で『何をなすべきか』を書いて出版してのち、14年の強制労働とシベリアへの終身流刑。いやましに青年層の熱烈な指示をうける。


[24] 1866年カラコーゾフのアレクサンドル二世暗殺未遂事件。反動化


[25〜] 政治権力の倒壊だけを考え、「後は民衆が決定する」。
偉大なるアナキスト、バクーニンのドイツ、イタリア、スイス遍歴。


[28] カラコーゾフ事件66年でバクーニンはロシアの青年を「若い新鮮な力」として讃えた。ヒロイズムや犠牲的精神を。68年のベルヌで開かれた会議でロシアの革命青年を4万ー8万とひどく楽天的に計算していた。


[35] ペテルブルグでのネチャーエフとベーラ・ザスーリチのひじょうに興味ある関係。ペテルブルグであたかも警察に逮捕され殺害されたかのようなメモをザスーリチに残し、噂をひろめ、1868年3月スイスのバクーニンを訪れる。
[バクーニンの無神論、暴力革命、破壊後は民衆に任せる]


[31] 68年10月ネチャーエフ、ペテルブルグのあるサークルに初めて顔を出す。ペンキ屋で働いていた。

[32] ネチャーエフは70年2月19日を革命の日ときめていた。

[33〜34] 学生を信用せず、学生を社会からもぎとる必要がるという持論。
陰険。嫌われ、詐欺師ではないかと疑われたが、自分自身の小グループでは完全な支配力をにぎっていた。
 


『悪霊』執筆に至るまでのロシア社会状勢

 ルネ・カナック『ネチャーエフ』より。([]括弧内は該当ページ番号)


 スイスのジュネーブで、忠告する者たちがいたにもかかわらず、バクーニンはネチャーエフの意志の強さと実行力をみこんで、偏愛し、二人で「革命カテキズム(教理)」[自分だけを信用し、目的のためには手段を選ばず、警官を含む支配階級は死刑]を作成し、バクーニンはネチャーエフに「ヨーロッパ革命家同盟ロシア支部の公認代表者」という証明書をわたした。

1869年ネチャーエフはパブロフという偽名でモスクワに帰国し、バクーニンの証明書を水戸黄門の印籠のようにふりまわし、たちまち30人ほどの農業大学の学生を中心とする5人細胞組織「斧の会」をつくった。

ネチャーエフはこうした秘密組織が各地に存在するかのように、またヨーロッパの中央委員会と結びついているかのようにふるまった。

ネチャーエフの精力は同志を盲目的に自分に服従させることに費やされた。


[76] 1869年10月モスクワ大学の騒動。
ネチャーエフ行動にでるが、やり方が過激なのでこれまでもいざこざのあった農業大学生のイワーノフが反対し、脱党した。


[80] イワーノフ殺害を決意。69年11月21日決行。


[89] 11月25日警察の家宅捜索(ネチャーエフが寄宿していたウスペンスキイの書店)。
カテキズムを初め一切の書類押収される。
26日イワーノフの死体発見。


[91] 直前にペテルブルグに発ったネチャーエフは、以前のペテルブルグでの言動(要塞監獄脱走など)が原因で、彼自身にとって不利な噂と冷遇しか見いだせなかった。

また新グループが「農民は革命を望んでいない」という調査結果を得ていて、ネチャーエフの暴力革命論は的はずれであることになった。威信失墜。

イワーノフ殺害の真相があばかれ、ネチャーエフに関係した者は敵も味方も全員逮捕され、2年前?の集会でネチャーエフに唆されて、単にある文書に署名した者たちも逮捕された。

「若きニヒリスト」たちが首都と住民をひとまとめにして爆弾で吹っ飛ばすつもりだとの噂が流れた。

この事件はヨーロッパでも報道され、当時つまり1869年12月ドレスデンではドストエフスキイが新聞でこの記事を熱心に読んでいた。

すでに『悪霊』の構想が湧いていた。

その間にネチャーエフは変装してドイツへ逃れた。

ネチャーエフ事件の裁判は1871年(ナポレオン三世が退位して、ビクトル・ユゴーが帰国した頃)7月にペテルブルグで行われた。


[93] 87人の被告は政府にたいする厳しい不敵な態度をとり、青年層に深い影響をあたえた。
ネチャーエヴィズムという言葉さえ生まれた。非人間的な革命の原理の誕生。


ジュネーブ、ロカルノでのバクーニンとネチャーエフと詩人オガリョフとの関係。

ネチャーエフの嘘を第三者にばらされて、両者の決別。

ネチャーエフと連れの青年は、バクーニンとオガリョフの書簡を盗んでフランスとロンドンへ。

 しかし、まもなく1870年ルイ・ナポレオンによる普仏戦争が始まり、第三共和政が始まり、プロシア軍に包囲されたパリにネチャーエフ観察におもむく。

コンミューンの時機、セルビアの学生として下宿住まい。


 他方、帝政ロシアの警察のスパイがネチャーエフを逮捕するためにバクーニンに接近し、バクーニンに相当額の金をせびられ、しかもすっかり個人的に親しくなる。

1872年8月14日、チューリヒ、インターナショナルのポーランド革命家の裏切りで、ネチャーエフ逮捕される。

しかし、スイス政府は世論の反撃を恐れて、ロシア当局にネチャーエフの身柄を渡すことを延ばしていた。10月下旬に引き渡す。

1873年1月8日、モスクワでネチャーエフ裁判。


[143] 20年の強制労働とシベリアでの終身流刑。


[147] アレクサンドル二世はこれを要塞監獄(政治犯のみ)の終身刑にきりかえた。
スイス政府の「普通法犯人扱い」刑事犯扱い要求をも裏切ったことになる。

 

半科学

 日本の首相が発言した「わが国は神の国である」という発言を、シャートフの民族思想や日本の戦争中の「神」を念頭において考察すると、その意味が明らかになる。

「百姓の労働によって神を手にいれるのです」[11-253]

(では農業人口が少ない現代ではどうしたらいいのか、シャートフに聞きたい所だ)

 グローバルな現代政治社会の状況を「宗教と民族思想」の視点でみごとに解明したのが、一読の価値ある

ハンチントン『文明の衝突』鈴木主税訳/集英社(新書版ではなく、500頁の単行本)
https://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%AE%E8%A1%9D%E7%AA%81-%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BBP-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4087732924


である。
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/word102.htm#Anchor332910 


〜 ドストエフスキイ『悪霊』 〜
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/kougi110.htm

(1)『悪霊』題辞1

豚と悪霊

「ところで、その辺りの山で、たくさんの豚がえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった」
[ルカによる福音書8章32節]

 

(2)『悪霊』題辞2

「悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群は崖をくだって湖になだれこみ、おぼれ死んだ」
[ルカによる福音書8章33節]

右:『悪霊』の作者の戯画
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/kougi110.htm


(3) 事件の真相

マルクスと無政府主義者バクーニン

ネチャーエフの陰謀、殺害

スイスでバクーニンに会う

革命カテキズムの作成


 1869年11月27日、モスクワで、町はずれの森の中の凍った池の下から青年の死体が浮かび上がった。

農業大学学生イワーノフの遺体であることが判明。

犯人逮捕に至るまでに主犯のネチャーエフは国外へ逃亡。

ネチャーエフの指揮下で殺害に荷担した5人組が裁判にかけられた。
その経緯は

ルネ・カナック『ネチャーエフ』
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/word102.htm#Anchor332910

に詳しい。

 主犯のネチャーエフは1868年3月、スイスのジュネーブにバクーニンを訪れ、バクーニンから委任状を受け取り、これを水戸黄門の印籠代わりに使って、国内で革命秘密グループの結成にのりだした。

ところが、ネチャーエフの言動に不信感をつのらせた農業大学学生イワーノフが離脱を決めたので、ネチャーエフが彼を殺害するよう同志を脅し、すかして実行に移した。

彼は革命という目的のためには手段を選ばない男だった。

 ドストエフスキイは国外にいて新聞でこの事件を追い、これを題材にして『悪霊』を書くことを即座にきめた。

『地下室の手記』や『罪と罰』を執筆してから『悪霊』執筆に至るまでのロシア社会状勢については、

こちら
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/word102.htm#Anchor396978

を参照。
 

(4) 悪霊たち

ピョートル・ヴェルホヴェンスキイ:

 ピョートル・ヴェルホベンスキイのモデルはネチャーエフ。

ステパン氏のモデルはリベラリストの教授、西欧派グラスノフスキイ。

「追放」や「流刑」を気取る自由主義者への逆説的な皮肉。
語り手は「ステパン氏を尊敬している」と言っているのだから。

ドストエフスキイは潔白なリベラリストが嫌いだったらしい。
なぜならレーニンみたいな「潔白な」革命家が登場して、潔白に革命と粛清を行うからである。

左:バクーニンの肖像
右:ネチャーエフの肖像
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/kougi110.htm


 『悪霊』の出だしは、したがってピョートルの父親(小説ではステパン氏は扇動者ピョートルの父親)についての伝記的コメントというより、1840年代の理想主義世代に対するドストエフスキイの文明批評であることが、今回理解できた。


 スタヴローギンのモデルは、国際的に有名な無政府主義者バクーニンや、20年前にドストエフスキイが関係した「ペトラシェフスキイの会」の謎をはらんだ人物スペシネフというのが通説となっている。


 『悪霊』(1870)では西欧からきた無神論、唯物論、ニヒリズムが悪霊にたとえられ、これにとりつかれた青年がリンチ殺人事件をひき起こしたという設定。

ピョートルがスタヴローギンを偶像に仕立てて陰謀団を組織し、国家の転覆を計画。

人間感情を全く無視して、政府転覆の陰謀にのみ集中し、その一点からしか人間関係を築けない。人間を信用していない。

ピョートルは単純な直情型のしかも冷笑的(シニズム)な青年だが、彼の言葉にならぬ思想の代弁者がシガリョフである。後者については後述する。

シャートフの思想:

 シャートフはスタヴローギン家(つまりスタヴローギンの母親)に仕える農奴の息子で、幼いときにニコライ・スタヴローギンらと共に家庭教師である元大学教授のステパンに学んだ。

シャートフは、えせ理想主義者ステパンの影響をうけて育った。

大学にも進み、そこで社会主義を知りピョートルの秘密結社に加わっていたが、その後は転向して

「ロシア国民こそは人類を救済するために神によって選ばれた民である」
「神の体得者である」

というロシア・メシアニズムの信奉者となった。

これは以前スタヴローギンによって吹き込まれた思想である。

「神とは国民の総括的人格である」

「宗教、即ち善悪の観念をもなない国民はいまだ存在したことがない」

「いかなる時もすべての民族は自分の神をもっていた」

「理性は一度も善悪の定義をくだすことができなかった」


などの説をとうとうと語り、最後には

「自分の神をもって世界を征服し、その他の神をこの世から追放する。
これを信じてこそ、本当の国民である」

と説く。

 ドストエフスキイはシャートフをして

「もっとも悪いのは半科学であり、自分自身が半科学なのだ」

と言わせている。「半科学」という言葉は意味深長である。

 シャートフはピョートルと常に意見を異にし、離党を宣言。
「五人組はロシア全国に存在する」というピョートルの虚偽を見破っていた。

それでピョートルはシャートフを殺害し、メンバーをこの犯罪で結びつける。

虚としてのスタヴローギン:

 その外貌と過去。スキャンダル、決闘2件(殺人と傷害)裁判、兵士に降下、流刑。

パーティで、ある人物の鼻を掴んで引きずりまわす。知事の耳を噛む。

外国に3年、革命の研究に出かけていたともいう。

精神異常か否かは不明。

キリーロフとの対話で反道徳的な視点を示す。

月で醜悪な行為をしても、地球に来てしまえば、気にはならない。


 

(5) 神人思想から人神思想へ

『罪と罰』のラスコリニコフの論理→キリーロフの思想

ラスコリニコフの他者殺害

キリーロフの自己殺害


キリーロフの遺書にシャートフ殺害を告白させる

 キリーロフの人神思想:

神が存在しなとなれば、人間が神になるべきであり、自分が神であることを証明するために、自分の生命を神の摂理ではなく自分の意志で無にする、その最初の実験者たらんとする。

死ぬことへの恐怖を殺すために自殺する者だけが初めて神になる。


「生きても生きなくても同じになった人が、新人なのです。
苦痛と恐怖を征服した人は自ら神となる」

 しかも、その瞬間には「永遠の生」を獲得する。


「そういう瞬間がある。その瞬間まで行きつくと、突然時間が停止して、永遠になるのです」


黙示録の「時はもはやなかるべし」解釈。

 幸福な時間の停止と永遠。ここでは、幸福の概念がひじょうに高められて使用されている。

「ぼくの神の属性は <我意>だよ」

「我意」своевольеは『地下室の手記』から。
また、「時の停止」は『白痴』から引きつがれている。

キリーロフとの関係:

 シャートフ殺害の罪を自殺志願者のキリーロフに押しつけ、彼にシャートフを殺した旨の遺書を自殺間際に書かせる。

 

(6) キリーロフの人神思想

神の属性としての我意。自殺は不服従と新しい自由を示すため。

ビデオ『悪霊』スタヴローギン放映せぬ理由

ポーランドのアンジェ・ワイダ監督作品。

映画のスタヴローギンはマフィアの若頭のような安っぽい印象をあたえる。

映像は読者の想像力を裏切る。媒体としては一番貧弱な活字が逆に、最も強く人びとの想像力の働きを促す。


 

(7) スタヴローギン

 スタヴローギンいわばピョートル、シャートフ、キリーロフという3人の使徒がいて、かつてのスタヴローギンの思想や観念を体現して行動する。

ところがスタヴローギン自身は自分の人格・キャラクターとして統一したものを持たず、彼にに巣くっているのはニヒリズムである。

それの表出が小説の最後に挿入されているチーホン僧正を前にしての「スタヴローギンの告白」の章である。


「スタヴローギンの告白」:

「善悪、すべての偏見から自由になりうるのだが、その自由を手にいれた瞬間、私は破滅する」

自由を手に入れた彼は、孤独な少女を誘惑して犯すというおぞましい行為にでる。

ドストエフスキイはここで人間の可能性の下限を提示し、スタヴローギンには自殺させている。

 

(8) 総括1

ドストエフスキイと文明批評

「時代」誌と「世紀」誌の執筆を通して時事評論:フェリエトン、文明批評を展開。

半世紀後のソ連共産主義への予見

ピョートルとシガリョフ主義

全体主義の監視体制と密告制度


 ピョートル・ヴェルホーヴェンスキイ=シガリョフは、彼の代弁者

1/10 のエリートと 9/10 の奴隷。

人格を失って何代かの改造のはてに家畜の群になる。

地上の楽園を構築。

密告制度。個性・能力(天才)の追放と平等主義。

理解のための断片:

 ピョートルはスタヴローギンを偶像化し、かつ愛している。
→「スタヴローギン、君は美男子ですよ」

ピョートルはスタヴローギンを事件に巻き込むために彼の尻尾をにぎる。

つまり、スタヴローギンをしてスタヴローギンにうるさくつきまとうレビャートキン兄妹殺害に関与させる。

脱獄囚フェージカにスタヴローギンの指示を暗示としてうけさせる。

 


(9) 総括2

小説作品における観念と性格の結合:

 スタヴローギンが訪れたとき、キリーロフ「全く新しい考えを感じたのです」と言う。

ドストエフスキイの作中人物たちは思想や観念を充電されている。

観念に動かされ、或いは観念を感じ、いずれにしろ観念と結びついて行動する人物たちである。

キャラクターの創造:

 作家は実際に起こった事件を借りて、その枠組みに自分の視点を基礎的データーとして打ち込み、つまり自分の観念をインストールし、拡大されたヴァーチャル空間で観念を充電された人物を生き生きと行動させる。そこに思想的な文脈が生じるる。
http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/kougi110.htm



14. 中川隆[-7241] koaQ7Jey 2017年7月08日 11:38:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

大正改訳聖書 - ルカ傳福音書


第8章

8:1
この後イエス教を宣べ、神の國の福音を傳へつつ、町々村々を廻り給ひしに、十二弟子も伴ふ。

8:2
また前に惡しき靈を逐ひ出され、病を醫されなどせし女たち、即ち七つの惡鬼のいでしマグラダと呼ばるるマリヤ、

8:3
ヘロデの家司クーザの妻ヨハンナ及びスザンナ、此の他にも多くの女ともなひゐて、其の財産をもて彼らに事へたり。

8:4
大なる群衆むらがり、町々の人みもとに寄り集ひたれば、譬をもて言ひたまふ、

8:5
『種播く者その種を播かんとて出づ。播くとき路の傍らに落ちし種あり、踏みつけられ、また空の鳥これを啄む。

8:6
岩の上に落ちし種あり、生え出でたれど潤澤なきによりて枯る。

8:7
茨の中に落ちし種あり、茨も共に生え出でて之を塞ぐ。

8:8
良き地に落ちし種あり、生え出でて百倍の實を結べり』これらの事を言ひて呼はり給ふ『きく耳ある者は聽くべし』

8:9
弟子たち此の譬の如何なる意なるかを問ひたるに、

8:10
イエス言ひ給ふ『なんぢらは神の國の奧義を知ることを許されたれど、他の者は譬にてせらる。彼らの見て見ず、聞きて悟らぬ爲なり。

8:11
譬の意は是なり。種は神の言なり。

8:12
路の傍らなるは、聽きたるのち、惡魔きたり、信じて救はるる事のなからんために、御言をその心より奪ふ所の人なり。

8:13
岩の上なるは、聽きて御言を喜び受くれども、根なければ、暫く信じて嘗試のときに退く所の人なり。

8:14
茨の中に落ちしは、聽きてのち過ぐるほどに、世の心勞と財貨と快樂とに塞がれて實らぬ所の人なり。

8:15
良き地なるは、御言を聽き、正しく善き心にて之を守り、忍びて實を結ぶ所の人なり。

8:16
誰も燈火をともし器にて覆ひ、または寢臺の下におく者なし、入り來る者のその光を見んために、之を燈臺の上に置くなり。

8:17
それ隱れたるものの顯れぬはなく、秘めたるものの知られぬはなく、明かにならぬはなし。

8:18
されば汝ら聽くこと如何にと心せよ、誰にても有てる人はなほ與へられ、有たぬ人はその有てりと思ふ物をも取らるべし』

8:19
さてイエスの母と兄弟と來りたれど、群衆によりて近づくこと能はず。

8:20
或人イエスに『なんぢの母と兄弟と、汝に逢はんとて外に立つ』と告げたれば、

8:21
答へて言ひたまふ『わが母わが兄弟は、神の言を聽き、かつ行ふ此らの者なり』

8:22
或日イエス弟子たちと共に舟に乘りて『みづうみの彼方にゆかん』と言ひ給へば、乃ち船出す。

8:23
渡るほどにイエス眠りたまふ。颶風みづうみに吹き下し、舟に水滿ちんとして危かりしかば、

8:24
弟子たち御側により、呼び起して言ふ『君よ、君よ、我らは亡ぶ』イエス起きて風と浪とを禁め給へば、ともに鎭りて凪となりぬ。

8:25
かくて弟子たちに言ひ給ふ『なんぢらの信仰いづこに在るか』かれら懼れ怪しみて互に言ふ『こは誰ぞ、風と水とに命じ給へば順ふとは』

8:26
遂にガリラヤに對へるゲラセネ人の地に著く。

8:27
陸に上りたまふ時、その町の人にて惡鬼に憑かれたる者きたり遇ふ。この人は久しきあひだ衣を著ず、また家に住まずして墓の中にゐたり。

8:28
イエスを見てさけび、御前に平伏して大聲にいふ『至高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、願はくは我を苦しめ給ふな』

8:29
これはイエス穢れし靈に、この人より出で往かんことを命じ給ひしに因る。この人けがれし靈にしばしば拘へられ、鏈と足械とにて繋ぎ守られたれど、その繋をやぶり、惡鬼に逐はれて荒野に往けり。

8:30
イエス之に『なんぢの名は何か』と問ひ給へば『レギオン』と答ふ、多くの惡鬼その中に入りたる故なり。

8:31
彼らイエスに、底なき所に往くを命じ給はざらんことを請ふ。

8:32
彼處の山に、多くの豚の一群、食し居たりしが、惡鬼ども其の豚に入るを許し給はんことを請ひたれば、イエス許し給ふ。

8:33
惡鬼、人を出でて豚に入りたれば、その群、崖より湖水に駈け下りて溺れたり。

8:34
飼ふ者ども此の起りし事を見て、逃げ往きて、町にも里にも告げたれば、

8:35
人々ありし事を見んとて出で、イエスに來りて、惡鬼の出でたる人の、衣服をつけ慥なる心にて、イエスの足下に坐しをるを見て懼れあへり。

8:36
かの惡鬼に憑かれたる人の救はれし事柄を見し者ども、之を彼らに告げたれば、

8:37
ゲラセネ地方の民衆、みなイエスに出で去り給はんことを請ふ。これ大に懼れたるなり。ここにイエス舟に乘りて歸り給ふ。

8:38
時に惡鬼の出でたる人、ともに在らんことを願ひたれど、之を去らしめんとて、

8:39
言ひ給ふ『なんぢの家に歸りて、神が如何に大なる事を汝になし給ひしかを具に告げよ』彼ゆきて、イエスの如何に大なる事を己になし給ひしかを、徧くその町に言ひ弘めたり。

8:40
かくてイエスの歸り給ひしとき、群衆これを迎ふ、みな待ちゐたるなり。

8:41
視よ、會堂司にてヤイロといふ者あり、來りてイエスの足下に伏し、その家にきたり給はんことを願ふ。

8:42
おほよそ十二歳ほどの一人娘ありて、死ぬばかりなる故なり。イエスの往き給ふとき、群衆かこみ塞がる。

8:43
ここに十二年このかた血漏を患ひて、醫者の爲に己が身代をことごとく費したれども、誰にも癒され得ざりし女あり。

8:44
イエスの後に來りて、御衣の總にさはりたれば、血の出づること立刻に止みたり。

8:45
イエス言ひ給ふ『我に觸りしは誰ぞ』人みな否みたれば、ペテロ及び共にをる者ども言ふ『君よ、群衆なんぢを圍みて押迫るなり』

8:46
イエス言ひ給ふ『われに觸りし者あり、能力の我より出でたるを知る』

8:47
女おのれが隱れ得ぬことを知り、戰き來りて御前に平伏し、觸りし故と立刻に癒えたる事を、人々の前にて告ぐ。

8:48
イエス言ひ給ふ『むすめよ、汝の信仰なんぢを救へり、安らかに往け』

8:49
かく語り給ふほどに、會堂司の家より人きたりて言ふ『なんぢの娘は早や死にたり、師を煩はすな』

8:50
イエス之を聞きて會堂司に答へたまふ『懼るな、ただ信ぜよ。さらば娘は救はれん』

8:51
イエス家に到りて、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ及び子の父母の他は、ともに入ることを誰にも許し給はず。

8:52
人みな泣き、かつ子のために歎き居たりしが、イエス言ひたまふ『泣くな、死にたるにあらず、寢ねたるなり』

8:53
人々その死にたるを知れば、イエスを嘲笑ふ。

8:54
然るにイエス子の手をとり、呼びて『子よ、起きよ』と言ひ給へば、

8:55
その靈かへりて立刻に起く。イエス食物を之に與ふることを命じ給ふ。

8:56
その兩親おどろきたり。イエス此の有りし事を誰にも語らぬやうに命じ給ふ。
http://bible.salterrae.net/taisho/html/luke.html


15. 中川隆[-7239] koaQ7Jey 2017年7月08日 13:14:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『悪霊』 ドストエフスキーの長篇でも別してユニークな作品である。

本篇は当時の有名なニヒリスト(虚無主義者)ネチャーエフが仲間の学生イワーノフ某を殺害した、いわゆる「ネチャーエフ事件」をモデルにしたといわれている。

ドストエフスキーにとってネチャーエフ主義すなわちニヒリズムは単なる偶然事ではなく、暴力革命の必然的所産であるがゆえに、彼はこの事件をとらえて、革命の道徳的本質にせまり、直接その核心に打撃を加えようとしたのだ。

「社会が風刺の対象になるのは、それが、悪魔にとりつかれたように、革命思想という病に冒されるされているからだ」

とドストエフスキーは考える。この作品の描写はことさら痛烈だ。

青年層などに少しも遠慮せず、逆に毒のある痛罵と嘲笑で青年の目を開く意図で書かれている。だから一部の批評家は、本篇を特定の陣営に対する悪意のあるカリカチュアとしてしか見ようとしなかった。


  本篇においては、

ネチャーエフ(ピョートル・ヴェルホヴェンスキー)をはじめ、

グラノフスキー(ステパン・ヴェルホヴェンスキー)、

ツルゲーネフ(カルマジーノフ)

ほか、ベリンスキー 、オガリョフ 、チェルヌイシェフスキー など、社会、文壇の知名人が戯画化されている。

(上に挙げた人々はすべて、西欧派でナロードニキ思想の持ち主)


作者自身にとってこの作品は自信作だったが、読書界の進歩分子からはかなり痛烈な攻撃を受けた。彼らは本篇から、作者の反動的な憎しみ、政治的な保守主義以外の何ものも見ることはできなかったのである。

 この小説は途中から別の作中人物スタヴローギンを取り入れている。

無政府主義者バクーニンをモデルにしたといわれるこの人物は、あたかも別世界から現われたように、『悪霊』の基本テーマとはなんら有機的関連を持たない複数の新しい人物を小説に引き入れつつ、これらの同伴者とともに小説の第二層を形成している。

第一層ではピョートル・ヴェルホヴェンスキー(ネチャーノフ)を中心とする悲喜劇であったが、第二の物語はスタヴローギン(バクーニン)を主人公とする悲劇である。

 スタヴローギンは口数の少ない25歳の青年であるが、同時に大胆かつ自信家である。

彼は思想において極端から極端にはしり、信仰から無信論に転じ、社会的なニヒリズムから宇宙大のニヒリズムにまであわせ持っている。

作者はかねて『無神論者』もしくは『大罪人の一生』と題する大作を計画していたが、スタヴローギンはつまりこの大作の主人公になるべき人物であり、要するに信仰と無信仰とのはざまを去来する人物、すなわち懐疑に苦しんだ、かつての作者自身を体現した人物である。


 その他の人物中、実在のキリスト者イワーノフ某をモデルにしたシャートフは、作者が自分のスラブ主義と正教理念を代表させた人物であり、別して独創的な人物キリーロフは超人思想を代表する人物で、実存哲学の始祖の一人ニーチェの先駆的形象である。

ドストエフスキーは、さきに『作家の日記』において、

「いったんキリストを否定したら、人智は驚くべき結果に到達する」

と書いたが、『悪霊』はこの「驚くべき結果」を人類に示す意図をもって書かれたものである。

彼は本篇で、

「革命の名において手段をえらばず、神の掟(おきて)を破る権利を主張する者は、悪霊にとりつかれた者として、断罪される」

と書いている。

一言にして、『悪霊』は大いなる怒りの書であり、ロシア文学における『黙示録』ともいうべき作品である。
http://blog.goo.ne.jp/sakai-kazuyuki/e/f151e335fdb61fdd59887d6af0f6858c


16. 中川隆[-7236] koaQ7Jey 2017年7月08日 15:03:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『悪霊』 ドストエフスキー

1869年11月、モスクワで農業大学の学生イワン・イワノフが殺害された。

イワノフはセルゲイ・ネチャーエフが結成した社会主義革命を目指す秘密結社のメンバーであり、この殺人が密告を恐れた内ゲバによるものであることが判明して、300名が逮捕されるという大事件に発展したが、首謀者ネチャーエフは逮捕を逃れてスイスに亡命した。

ネチャーエフは当時22才、無政府主義者の大物ミハイル・バクーニンらに信頼され、ロシアに革命の細胞を作るために奔走していた。

彼は天才的な組織能力を持つ革命第一主義のマキャベリストで、根っからの扇動家であり、嘘つきの名人でもあったようだ。

ドストエフスキーはドレスデン滞在中にネチャーエフ事件を知って強い衝撃を受けた(彼の新妻アンナを伴っての外国滞在は4年の長きにわたっていた)。

1849年にペトラシェフスキー会のメンバーとして逮捕され死刑の宣告を受けた経験を持つ彼は、この事件を機にロシアの社会主義運動を題材とした小説の構想に取り組み、1871年1月「ロシア報知」に『悪霊』と題して連載を開始した。

物語は1840年代の自由主義者で元大学教授ステパン・ヴェルホヴェンスキーと、その庇護者であるワルワーラ夫人の微笑ましい恋愛(?)関係からハナシが始まる。

ドストエフスキーにしては明るい書き出しだが、この町にステパンの息子ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーとワルワーラ夫人の息子ニコライ・スタヴローギンが現れてから物語の調子は一変する。

ピョートルはこの町に5人組と称する秘密組織を結成し、工場労働者を扇動して町に争乱を起こすべく画策する。知事夫人主催の慈善パーティが行われた夜に放火と殺人事件が同時に発生して町は大混乱となり、それに続いて5人組による裏切り者の粛正殺人が行われ・・・。

『悪霊』の連載に先立ってドストエフスキーは編集者への手紙で以下のように書いている。

「小生はネチャーエフも、イワノフも、あの事件の事情も、新聞で読んだ以外はぜんぜん知らなかったし、今でも何一つ知りません。またよしんば知っていたにせよ、模写などはしなかったでしょう。小生はただ実際に生じた事実を取り上げただけです。

小生の空想は、実際の事実と極度に相違するかも知れませんし、小生の描いたピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、いささかもネチャーエフに似ないかもわかりません。・・・

小生の作品ではその人物(ピョートル)が、半ば喜劇的な人物になってきました。

そういうわけで、この事件は長篇の一つは占めはしますが、それにもかかわらず、本当にあの長篇の主人公と呼ばれるもう一人の人物の行動の附属物であり、道具立てとなるに過ぎません。

そのもう一人の人物ニコライ・スタヴローギンは、同様に陰鬱な人物であって、同様に悪人です。しかし、小生の感ずるところでは、これは悲劇的人物です。もっとも、多くの人は、読後、これはいったいなんのことだ?と言うに相違ありませんが。

小生はこの人物に関する叙事詩に着手したのは、あまりに久しい以前から、この人物を描きたかったからです。小生の考えによると、それはロシア的な、典型的な人物です・・・」。


ドストエフスキーは、当時西欧社会を席巻していた無神論革命思想には極めて懐疑的であった。

『悪霊』に登場するピョートルをはじめとする“革命家”たちは、エピグラフにあるルカ福音書の「悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺」れた豚になぞらえられていて、口八丁手八丁で知事夫人に取り入るピョートルの姿や5人組の右往左往ぶりなどは、たしかに戯画的に描かれている。

そのため『悪霊』の連載が始まると、西欧派の批評家や学生たちから激しい批判が起き、ドストエフスキーに反動的作家の烙印を押すむきもあったようだ。

しかし『悪霊』がたんに“革命運動への誹謗書”であったなら、このような複雑で難解な物語にはならなかったであろうし、おそらくスタヴローギンも登場する必要はなかっただろう。

ではドストエフスキーのいう本当の主人公スタヴローギンという男は一体何者なのであろうか。

“非常に美しい青年であり、背はかなり高く、優雅な紳士で、物腰も垢抜けしていて、たいそうな教養の持ち主で、いたって思慮深く口数は少ないが、だれよりも大胆で自信に溢れ、町の貴婦人連が皆夢中になる絵に描いたような男なのだが、それでいて何か嫌悪を感じさせ、彼の顔は仮面のようだと人は言い・・・”

という風貌。さらに

“並外れた腕力をもち、決闘で何人か殺していて、軍務を辞めてからは貧民街で放蕩生活を送ったかと思うと、町では社交界の重鎮の鼻面をつかんで引き回したり耳に噛みついたりと醜悪な事件をいくつか起こし、その後出奔して3年あまり外国暮らし・・・”

という破天荒な人生を生きている。

徹底したニヒリストであると同時に類い希なカリスマであり、この物語の重要な登場人物、キリーロフ(人神思想の持ち主、拳銃自殺する)とシャートフ(汎スラブ主義者、5人組に殺される)に決定的な思想的影響を与えている。

ピョートルは彼のカリスマ性に目をつけて、“革命のイワン王子”に祭り上げようとスタヴローギンにつきまとっている。

女性遍歴もモテ方も尋常ではなく、謎めいていると同時に背徳性に満ちていて、白痴でびっこのマリア(パーティの夜に兄とともに殺される)と結婚し、シャートフの元妻マリイを孕ませ、シャートフの妹ダーシャとも関係を持ち、他の男と婚約中のリザヴェータ(パーティの翌日群衆に撲殺される)とも一夜を過ごし、あまつさえ過去にはマトリョーシャという12才の少女を陵辱し自殺に追い込んでいる。

スタヴローギンの行くところ、手のふれるところ、累々たる死体の山なのである。

スタヴローギンのモデルはバクーニンやニコライ・スペシネフ(ペトラシェフスキー会のメンバーで極左の革命家)とも言われているが、小説の中のスタヴローギンは革命運動とは一定の距離を置いていて、イメージ的に二人とはほど遠い感じがする。

彼は無論“革命のイワン王子”たりえず、江川卓さんによれば、その“僭称者・贋物”にすぎなかったし、“無為と退屈”の刑を運命づけられた男であった。

また埴谷雄高さんは

「美も醜も善も悪もスタヴローギンにとって基準にならない、こういうふうにドストエフスキーは彼の作品の主人公を設定しましたが、さて、私達が20世紀の周辺を眺めてみると、私達の内心でもすでに美醜善悪の基準が大きく崩れていることに驚かされます。

20世紀は『悪霊』のなかの“組織の力学”が示す政治に憑かれた時代でありますけれど、と同時にあらゆる基準が崩壊して、私達の周辺に多くのスタヴローギンが現れても少しも不思議でない時代になりました」

と書いていて、スタヴローギンの人物像に近未来の予言を感じ取っている。

農奴解放、資本主義の発展、社会主義思想の蔓延は旧来の秩序や価値観の崩壊をもたらし、当時のロシアは(西欧も)大変な混迷の時代であった。

そういう意味では、美醜善悪の基準を喪失したスタヴローギンは、一人の人物の人格というよりも、小説全体を覆う暗雲のような存在である。

スタヴローギンという暗雲は、さらにいえば、西欧社会の近未来、

デカダンス〜第一次大戦〜ダダイスム〜ナチズムの勃興

までも暗示しているとさえ言えそうである。

ナチズムといえば、ゲッペルスはドストエフスキーの著書の中でこの『悪霊』をとくに愛読したとのこと(もっともゲッペルスの読んだ『悪霊』には、「スタヴローギンの告白」の章は含まれていなかったのだが)。

またルキノ・ヴィスコンティがナチズムの時代の鉄鋼王一族を描いた映画「地獄に墜ちた勇者ども」に、スタヴローギンが少女マトリョーシャを陵辱するエピソードを導入されているのは有名なハナシだが、スタヴローギンとナチズムに相通じるものを感じるのは、飛躍に過ぎるだろうか。

『悪霊』は、人間に本質的に潜む“悪”についての警告書であり、集団的な“悪”に対する予言書でもあったようである。 
http://momokey11.blog.fc2.com/blog-entry-1260.html


17. 中川隆[-7234] koaQ7Jey 2017年7月08日 16:16:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ドストエフスキーの『悪霊』―病みながら生きる治療者

高橋正雄(筑波大学障害科学系)


1870年から1872年にかけて書かれたドストエフスキーの『悪霊』1)は、当時のロシア社会を震撼させたネチャーエフ事件という、革命組織を名乗る学生グループの中で起きた殺人事件を素材にした小説であるため2)、革命思想との関係で論じられることが多いが、主人公の青年スタヴローギンには幻覚患者としての側面も見られるため、ドストエフスキーの精神障害観を考える上でも興味深い作品である。

1 幻覚患者としてのスタヴローギン

将軍の息子として生まれたスタヴローギンは、父親と別居後の母親の寵愛を一身に受けて育った一人息子である。スタヴローギンは極めて優秀な美青年で物腰も洗練されていたが、しかし彼には「何となく嫌悪を感じさせるようなところ」があった。彼は、客観的には恵まれた状況にありながら、毎日を物憂げに気難しそうな様子で暮らしていただけでなく、競走馬に乗って人を踏み倒すとか、衆人環視の前で貴婦人を侮辱するといった不可解で傍若無人な言動が目立つようになったのである。そんな彼に、周囲の人々は、得体の知れない不気味さを感じるようになるのだが、実際、彼の内面には深刻な悩みがあった。

ある日、修道院にチーホン僧正を訪ねたスタヴローギンは、それまで誰にも話すことのなかった悩みを打ち明けるのである。

スタヴローギンによれば、彼は「一種の幻覚症にかかって、ことに夜になると、よく自分のそばに何かしら意地の悪い、皮肉な、しかも『理性のしっかりした』生き物を感じるばかりか、時によると目に見えることさえある」という。この幻覚は、「いろんな変った顔をして、いろいろさまざまな性格に化けて来るけれど、その正体はいつも同じ」で、それを見ると彼はいつも苛立つのである。

スタヴローギンは幻覚のことを、「それはいろんな姿をした僕自身に過ぎない」と語るなど、幻覚が自分自身の内面を外界に投影したものにほかならないと認識していたが、最初に出現した幻覚は熱病患者のような目つきをしたマトリョーシャという少女だった。スタヴローギンには、かつてマトリョーシャを凌辱して自殺に追いやるという忌わしい過去があったのだが、この少女が自殺する直前に彼を威嚇した時の姿が幻覚として現れるようになったのである。

その後、スタヴローギンには少女の幻覚が毎日のように出現するが、それについても彼は、こんなことをしていると生きていくのが困難になると分かっていても、自分の方から呼び出さずにはいられないと言うのである。

その上でスタヴローギンは、自分が犯した罪をチーホン僧正に告白しながら、次のように語る。「僕は自分で自分をゆるしたいのです。それが僕のおもな目的なのです」「そうした時に初めて映像が消えるのです」。

このように見てくると、幻覚患者たるスタヴローギンは幻覚に対して優れた認識の持ち主であることが分かる。すなわち、幻覚が自己由来性のものであることや、幻覚に苛立つ一方で幻覚を求めるなど幻覚に対してアンビヴァレント(両価的)な感情があること、幻覚は心理的な問題(この場合はマトリョーシャへの罪悪感)と深い関係を有していて、心理的な問題が解決されれば消失しうることや、心理的な問題の解決のためには告白が有効であることなど、スタヴローギンは幻覚の本質に関わる鋭い洞察を示している。

特に、幻覚の自己由来性については、『悪霊』のおよそ10年後に書かれる『カラマーゾフの兄弟』のイワンも悪魔との対話の中で述べていることを考えると3)、ドストエフスキーは19世紀末の段階で幻覚の自己由来性に気づいていた精神病理学の先駆者ということになる。

そう言えば、『カラマーゾフの兄弟』のイワンは、優れた知性を持つ虚無的な無神論者という点でもスタヴローギンの後身のごとき存在だが、そのイワンが弟のアリョーシャに癒しを求めているように、スタヴローギンもまた幻覚に伴う苦悩からの救いを求めてチーホン僧正のもとを訪れるのである。


2 治療者としてのチーホン僧正

それでは、傲岸不遜で悪魔的な印象すら与えるスタヴローギンが唯一心を開いて自らの過去を語り、魂の救いを求めたチーホン僧正とはいかなる人物であろうか?

チーホン僧正は、さまざまな階層の人々から尊敬されている人物で、彼を訪ねて来る人々にはごく下層の民衆もいれば、極めて地位の高い人も混じっていた。そればかりか、はるかペテルブルグにも熱心な崇拝者がいるなど、チーホン僧正には優れた精神療法家としての側面がうかがえるのだが、彼のスタヴローギンへの対応を見ると、「はっきり明瞭に一語一語を発しながら、柔らかみのある声で、ごくゆっくりと、なだらかに言った」とか、「しいて主張しようとせず、用心ぶかい調子で、チーホンは注意を促した」とあるなど、非言語的なレベルでのコミュニケーションにも配慮した控えめな態度を持している。

チーホン僧正は、時に苛立ったり挑戦的になったりするスタヴローギンの態度にも動じることなく落ち着いて対応するばかりか、マトリョーシャへの凌辱という恐るべき罪業を打ち明けられても、それを一方的に糾弾するのではなく、「同じような罪を犯したものは大勢あるけれど、みんな若気のあやまちぐらいに考えて、安らかな良心をいだいて、平穏無事に暮らしておる。(中略)

世の中はこうした恐ろしいことで、いっぱいになっておるくらいです。ところが、あなたはその罪の深さを底の底まで感じなさった。それまでに達するのは、ざらにないことですて」と、スタヴローギンの苦悩と告白を評価するような態度すら示している。またチーホン僧正は、「もしもあなたがゆるして下すったら、僕はずっと楽になるでしょう」と語るスタヴローギンの言葉にも、「あなたも同様、私をゆるして下さるという条件で」と応じるなど、彼の態度には苦悩する者への畏敬のようなものをうかがうことができる。

チーホン僧正は、極悪非道の怪物のごとく見えるスタヴローギンがマトリョーシャの幻覚に悩まされたという事実から彼の中に残されている人間性に気づいたものと思われるが、ここで注目されるのは、かくも優れた治療者であるチーホン僧正が自ら病める人物でもあったことである。

チーホン僧正は、持病のリウマチで足を病んでいるのみならず、時々「神経性の痙攣」を起こす「病身」者として描かれている。スタヴローギンも、チーホン僧正と面会した際に神経性の痙攣が彼の顔をかすめるのに気づいているが、それはチーホン僧正の「久しい神経衰弱」の兆候にほかならなかった。

そんなチーホン僧正の様子を見たスタヴローギンが「あなたはきょう気分がすぐれないようですね」「お暇した方がいいんじゃないでしょうか?」と気を使うと、チーホン僧正は「昨日から今日へかけて、足がひどく痛みましてな、ゆうべもよく眠れなかったようなわけで」と答えながらも、自らの病をおしてスタヴローギンの訴えに真摯に耳を傾けるのである。

チーホン僧正は正に病みながら生きる治療者だったのであり、これは『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの治療者アリョーシャがやはり自ら病める治療者だったことと対応している。アリョーシャもまた「癲狂病み」4)の母親そっくりの発作を起こす病的な人物として描かれており5)、ここには優れた病者は優れた治療者足りうるという認識を見ることができる。

そこには、自ら病める者こそが真に患者の心を理解し、その苦悩に共感しうるという事情とともに、病によってもたらされる人間的な成長といった要因も働いているのであろうが、そうした観点からすれば、てんかんという当時としては不治の病を抱えながら、その作品で今なお多くの人々を癒し続けているドストエフスキーこそは、偉大な病める治療者だったことになる。

【参考文献】

1)ドストエフスキー(米山正夫訳);『悪霊』、岩波書店、1959

2)ドストエフスキー(江川卓訳);『悪霊』、新潮社、1971

3)高橋正雄;精神医学的にみた『カラマーゾフの兄弟』、病跡誌47;13〜22、1994

4)ドストエフスキー(原卓也訳)『カラマーゾフの兄弟』新潮社、1978

5)高橋正雄;『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ、総合リハビリテーション投稿中
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n315/n315020.html


18. 中川隆[-7233] koaQ7Jey 2017年7月08日 16:18:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

悪霊の看護婦、あるいは最も淫らな強迫観念
http://yokato41.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html


先日妻の郷里への小旅行に『悪霊』の文庫本を携え何年かぶりで読み返した。ドストエフスキーの作品のなかでは好みのもののひとつでたぶん四五度目くらいの再読だ。メコン河岸で椰子の林のあいだに吊られたハンモックに揺れながら、あるいは高床式の家の板の間でテト祝いの酒と馴れ鮨に舌鼓をうちながら思いのほか熱中して読む時間をもった。


ところで『悪霊』のダーリヤという女はドストエフスキーの妻がモデルではないだろうか。伝記的事実には疎いながら、そしてインターネット上ですこし調べてみてもそんな見解は見当たらないのだが、帰宅して朧な記憶を探るようにして小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』を繙いてみると、二番目の妻アンナ・グリゴリエヴナ・スニトキナはドストエフスキーの速記者としての仕事を与えられて知り合っているのだが、結婚後ドストエフスキーの一文無しになるまでやめられない賭博癖による生活の窮迫、あるいは先妻や逝去した兄の残された家族への過剰ともいえる心配り、たとえば兄の妻の外套を受け出すために外套を質に入れるなどということまでして驚くほどの「献身さ」である。結婚披露宴での癲癇の発作の騒動のあと、旅先から友人宛の手紙にはこうある。


僕の性格は元来病的なのだから、彼女も僕の様な男と一緒になつたら、いろいろ苦労するだらうとも思つてゐた。実際彼女は僕が考へてゐたよりずつと強い女だ、深い心を持つた女だといふ事が解つて来た。随分いろいろな事に出会つて僕の守護神となつてくれた。が、同時に彼女のなかには、何しろ廿歳の女なのだから、子供らしいところが沢山ある。成る程美しいものだし、必要なものだが、僕としてはどう応対したらいいか見当がつき兼ねる。とまあさういふ様な事は出発の際考へとゐた事だ。くどい様だが、彼女は考へてゐたより遥かにしつかりした善良な女だ。併し未だ安心はならない」(1867年、8月16日、ジュネエヴよりマイコフ宛)


もちろんドストエフスキーの創造した人物は、それぞれになんらかのモデルがあるのだろうし、アンナがそのままダーリヤだということはありえない。重婚策略者、幼児強姦者のスタヴローギンの看護婦志願をするダーリヤだけでなく、ステパン氏を「献身的に」世話するワルワーラ夫人のなかにもアンナがいるのだろう。


文学者はひとたび書けば、その作中の諸人物の、身ぶり、独特のくせ、語調の、どれ一つとして、彼の記憶から彼の霊感をもたらさなかったものはないのである。つくりだされた人物の名のどれ一つとして、実地に見てきた人物の六十の名がその下敷きにされていないものはなく、実物の一人は顔をしかめるくせのモデルになり、他の一人は片めがねのモデルになり、某は発作的な憤り、某はいばった腕の動かしかた、等々のモデルになった。(プルースト「見出された時」)

以下は雑然と引用を中心にメモしたものだが、あまりにも長くなったのでひとつのまとまりのようなもの、小節ごとにのちほど節題をつけた。節題と内容があまり合致していないかもしれないが、気にしないでおこう。

【理論を通して読むことの不毛】

《人間の心理について教えてくれた最大の心理学者》とドストエスフキーを呼ぶニーチェの言葉や《ドストエフスキイは、精神分析学が発見した真理を半世紀前に語っている》(ノイフェルト)などの言葉が粗雑に濫用されて、一時期、とくに前世紀中葉前後、ドストエフスキーを心理分析の極致のテキストとして、あるいは精神分析学的観点から論ずる批評が流行したのは周知のことだが、その反動として−−これはなにもドストエフスキーに対してだけでないがーー、偉大な文学者のテクストを精神分析理論によって読み解くなどという「厚顔無恥」の跳梁跋扈にうんざりしてみせるのが「文学通」の証しだった時期がある。

小説のなかでさえ、たとえばマンディアルグの『海の百合』Le Lis de mer(1956年)はとても繊細な詩的なテキストであるにもかかわらず、その小説の最後に、主人公の性癖が、精神分析理論によって説かれたりすれば、その図式的な物語的落とし込みに興醒め感を覚えてしまう(いやそのようなふりをして見るだけでもいい)。そんな類の小説には、たいした小説読みではないわたくしも何度も廻り合っている。そしてここぞとばかりに書斎でひとり顔を顰めてみせたり、仲間内で仄めかして気取ってみせるのが、小説読みとしての「イキ」な振舞いだと夜郎自大な錯覚に閉じこもりえた「幸福」な時代をわたくしはもったことがある。

理論、とくに精神分析理論を通して文学を読むことを忌避する反動期には、あれらの「はしたなさ」をひとはつとめて避けるようになっていたはずだ。むしろ理論は文学によって読まれるべきだーー《批評は小説の解読装置ではない、小説こそが装置である》(蓮實重彦『闘争のエチカ』「あとがき」)――という態度がすぐれた小説への「誠実な」接し方であるとするのが二十世紀後半の「よき」読み手の、すなわちいささか聡明なふりをしたいスノッブたちの姿勢であっただろう。


【ドストエフスキー嫌いのナボコフ】

かつてとてもよく読まれたドストエフスキーだが、その神話的讃仰はいつのまにか消え失せている(もっともそれは古典文学全般にいえることかもしれない)。小林秀雄が批評家であった時代、あるいはその名残りが覚めやらない頃、すなわち大学入試の試験問題にしばしば小林秀雄のテキストが使用された時代には、小林秀雄がもっとも力を入れて批評した対象のひとりであるドストエフスキーにたいして、文学に関心のないものまでが素朴な崇拝、あるいはその心理描写の見事さに讃嘆してみせるなどということがあった。

ここですこし寄り道して、ドストエフスキーを二流の作家とするナボコフの主張を取り上げてみよう。

私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。……ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。(ナボコフ『ロシア文学講義』)

ドストエフスキーに関する私の立場は、奇妙であり、また厄介である。この講義のすべてにおいて、 私は文学に興味のある唯一の観点から──すなわち永続する芸術と個人の才能という観点から文学を 見るのだが、そのような観点からすれば、ドストエフスキーは偉大な作家ではなくてむしろ凡庸な 作家であり、時たま絶妙なユーモアの閃きがあるとしても、悲しいかな、閃き以外の場所は大部分が文学的決り文句の荒野である。(同上)


《ナボコフはチェーホフを高く評価し、彼が他のロシア作家に与えた評価としてはトルストイのAプラスに次ぐAをプーシキンとチェーホフに与えている。他の作家の評価は、ツルゲーネフがAマイナス、ゴーゴリがB、ドストエフスキイはCマイナス(かDプラス)で、「チェーホフよりもドストエフスキイが好きな者にはロシアの生活の本質は決して理解できないだろう」とウェレズリー大学の女子学生たちに話していた》(Hannah Green, "Mister Nabokov)。

ナボコフのドストエフスキイ嫌いは、作家の繊細な詩的表現を小説の要とする彼の評論や小説からも窺われないではない。チェーホフの『犬を連れた奥さん』における恋の発端としての柄付眼鏡(ローネット)の描写を慈しんだり、アンナ・カレーニナ講義のナボコフのなんという細やかな指摘よ(参照:PDF 霜の針、蝋燭のしみ―― 『アンナ・カレーニナ』を読み直す―― 若島正 )。たしかにドストエフスキーにはこういった描写は稀にしかない。

たとえば、ナボコフの初期の作品『恩恵』の次の叙述は、ピアニッシモの音楽に耳をすますようにして読むことを促す。

電車が停まるたびに、上のほうで風にもがれたマロニエの実が屋根にあたって音を立てるのが聞こえた。コトン−−そしてもう一つ、弾むように、やさしく、コトン……コトン……。路面電車は鐘を鳴らして動き出し、濡れた窓ガラスの上で街灯の光が砕け散り、ぼくは胸を刺し貫く幸福感とともに、その穏やかな高い音が繰り返されるのを待った。ブレーキの響き、停留所−−そしてまた一つ、丸いマロニエの実が落ちた−−つづいて二つめが落ち、屋根にぶつかり転がっていった。コトン……コトン……。(ナボコフ『恩恵』)

これらはドストエフスキーの作家の資質とは異なり、ーーすべての作品を念入りに読んだわけではないわたくしにとって、という保留はしつつもーー、まったくめぐり合ったことのない詩的描写のように感じられる。そもそもナボコフはドストエフスキーには「描写」がすくないという主張さえしている。
ここでの「描写」という語の扱いには注意を要するが(たとえばドストエフスキーには心理描写はふんだんにあるではないかという問いはすぐさま生じるだろう)、ナボコフが愛でる多くの描写は、予感や余韻の感覚であるように思う。もっともたとえばカフカの『変身』の昆虫学的叙述に偏執するナボコフは徴候感覚を愛でるのとはまったく別の「描写」を愛する側面をもっている(参照:ナボコフによるカフカ『変身』の昆虫学的分析──「それはゴキブリではありえない!」)。

そもそもわたくしはプルーストのいうようなドストエフスキーの住まいの創造の「描写」をいまだ十分に読みとっている自信はない。


ドストエフスキーがこの世界にもたらした新しい美に立ちもどっていえば、フェルメールの絵で、布地の配合や物の所在する場所について、ある独特の魂の創造、ある独特の色彩の創造があるように、ドストエフスキーでは、人物の創造があるばかりではなく、また住まいの創造があるということです。たとえば『カラマーゾフの兄弟』に出てくる殺人の家、つまり門番のいるその家は、ラゴージンがナスターシャ・フィリッポヴナを殺す、あの暗くて、長くて、天井が高くて、とらえどころがない家、ドストエフスキーに出てくる殺人の家の傑作ともいうべきあの家とおなじようにすばらしくはないですか? ある家がもつ、このぞっとするような新しい美、女のある顔がもつ、この混成された新しい美、それこそドストエフスキーがこの世界にもたらしたユニークなものなのであって……(プルースト『囚われの女』)

ナボコフはすぐれたプルースト読みだが、この指摘をどう受け止めているのだろう。予感や余韻の徴候感覚ばかりが、小説の醍醐味ではないはずだ。


予感というものは、……まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である。むつかしいことではない。夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。(……)

余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。(中井久夫「世界における索引と徴候」)


またナボコフはフロイト嫌いとしても知られている。ドストエフスキーに精神分析的真理が発見されたとして、それが小説となんの関係があるだろう、とナボコフなら言うだろう。

ふたたびプルーストを引用すれば、ドストエフスキーにはプリミティヴ派のもつさきがけの美があるとしている。

ぼくはドストエフスキーのなかに、人間の魂の、度はずれに深い、だがあちこちの地点に孤立している、いくつかの井戸を見出します……あの道化役者たちも、『夜警』の人間とおなじように、照明と服装の効果でしか幻想的ではなく、ほんとうはどこにでもいる普通の人間なのかもしれません。……ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。あなたは彼の諸人物の内面で演じている自尊心と誇の役割に注意したことがある? 彼にとっては、愛と過度のにくしみも、善意とうらぎりも、内気と傲岸不遜も、いわば自尊心が強くて誇が高いという一つの性質をあらわす二つの状態にすぎないのです。そんな自尊心と誇が、アグラーヤや、ナスターシャや、ミーチャが顎ひげをひっぱる大尉や、アリョーシャの敵=味方のクラソートキンに、現実のままの自分の《正体》を人に見せることを禁じているというわけなのです……ドストエフスキーといえばね、さっきはぼくはあなたが思うほど彼から一転してトルストイのことを話しているわけではなく、トルストイはじつは大いにドストエフスキーをまねているのですよ。ドストエフスキーのなかには、やがてトルストイのなかで満面のほころびを見せるものが、まだしかめっ面をした、不平そうな顔で、たくさん詰まっているのです。ドストエフスキーのなかには、やがて弟子たちによって晴れやかにされる、プリミティヴ派のもつさきがけの不機嫌さがあるのでしょうね。」(プルースト『囚われの女』井上究一郎訳)


そう、《.ただぼくをうんざりさせるのはね、人がドストエフスキーについて語ったり書いたりしているあの肩肘をいからせたいかめしさですよ。》ーーこの批評は、わたくしの敬愛する作家ではありながら、森有正の仏公費留学直前に上梓された若書き『ドストエフスキー覚書』(1950)にも当て嵌まる、−−と言い得るにはその書が手元にないのであり、浅墓との謗りを免れぬだろう。


本書は、文字どおり、ドストエーフスキーの作品についての貧しい『覚書』である。専門も異なり、また原文をも解さない私が、このような『覚書』を公けにすることは、はなはだしい借越ではないかということをおそれている。もちろん、体系的なドストエーフスキー研究ではない。そこには多くの誤謬や思い違いもあるであろう。しかし、私の心はまったくかれに把えられた。神について、人間について、社会について、さらに自然についてさえも、ドストエーフスキーは、私に、まったく新しい精神的次元を開いてくれた。それは驚嘆すべき眺めであつた。私にとって、かれを批判することなぞ、まったく思いも及ばない。ただ、かれの、驚くべく巨大なる、また限りなく繊細なる、魂の深さ、に引かれて、一歩一歩貧しい歩みを辿るのみである。(森有正『ドストエフスキー覚書』「あとがき」)


今のリンク先には、森有正の読解と比した専門家である亀山郁夫氏の読解批判がある。後者の読みをどう判断するのかは〈あなたがた〉にまかせる。

【心理学的読みの復活?】


ところで、ドストエフスキー熱愛者は旧世代にはもちろん生き残っており、最近では、ドストエフスキーの長大な『悪霊論』(ニコライ・スタヴローギンの帰郷ーー清水正の「悪霊論」三部作)などというものが書かれているらしく、そこではスタヴローギンの言動を「母親からの自立」などとする「心理学的な」指摘があるらしい(清水正氏は1949年生まれであり、わたくしの十年ほど上の世代の文芸評論家)。


たとえば、清水氏は、「ニコライ・スタブローギン」の数々の乱暴狼藉、つまり 「悪」について、「漫画チック」「大げさな」と書いている。「ニコライを神話化するような見え透いた作者の意図 が伺える」「わざとらしい」と言う。(……)

 そこで、清水氏は、ニコライ・スタブローギンの「悪」は、母親への犯行=反抗と読み解いている。つまり 、ニコライ・スタブローギンは母親の溺愛の元で育ち、まだその母親の呪縛 を脱しきっておらず、それ故に母親の願いを聞き入れて、故郷スクヴァレーニシキへと帰郷するわけであり、それと同時に「母親からの自立」の試みとしての数々の乱暴狼藉、反抗(悪)が繰り返すというわけだ。


最近のドストエフスキー論については無知なので、はて、たとえば山城むつみ氏の評判の高い論はなにを語っているのか(これについてはインターネット上ではたいしたものは見つからなかった)、あるいは毀誉褒貶のある亀山郁夫氏の『悪霊』解釈はどんなぐあいなのか、などとすこし調べているうちに行き当たった論評なのだが、「母親からの自立」の試みというのは別にスタヴローギンでなくてもほとんど誰にでもあるのであって、わたくしには児戯に類する指摘としてしか受け止められない、−−とするのはかつてのスノッブの無残な残照としての短絡的な気取りであるには相違ない。そもそも清水正氏の書を読んだわけではないので、当然ほかの重要な示唆と絡んでの見解であるはずであり、ここでは「母親からの自立」についてだけの印象である。

もちろん「母親からの自立」は、たとえば次のような『悪霊』の冒頭近くにある叙述から、誰でもその気配は読みとることができる。


少年は、母親が自分を溺愛していることを知っていたが、彼自身はそれほど母親を好いてはいなかった。夫人はあまり息子とは口をきかなかったし、めったに自由をしばることもなかったが、それでも少年は、たえず自分をじっと見守っている母親の視線を、病的なくらい、いつも肌に感じていた。(『悪霊』江川卓訳 新潮文庫 上 P59)


この冒頭近くの叙述以外にも、スタヴローギンの母へのアンビバレントな感情の揺れはいくらでも指摘できるだろう。だがそれだけでスタヴローギンという人物の奇怪さを説明されたら堪らない(重ねて書くが、清水正氏の論への短い書評を読んだだけの違和である)。


【文学とは無縁の資質】


ここは松浦寿輝の次のような文章を挿入して、スタヴローギンの一貫した性格を『悪霊』のテキストから読みとる仕草は、「文学とは無縁の資質」であるとしておこう。


たとえば漱石の小説をめぐって書かれた或る種の凡庸な論文などには、或る登場人物がこの箇所ではこんなふうに描写され、あの箇所ではあんなふうに描写されているがその間の食い違いをどう考えたらよいのかなどと、あれこれ真剣に思い悩んでいるものがあり、「文学研究」の学徒とは何と馬鹿馬鹿しいまでに律儀な人々かとわれわれを呆れさせずにおかない。もとより虚構のイメージでしかない物語の登場人物について、これは本当はいったいどういう人なんだろうと考え詰めようとする官僚的な生真面目さなど、もろん文学とはまったく無縁の資質である。(……)

『こころ』も『明暗』も要するにただの絵空事であり、その道具立てとして導入された「先生」だの「K」だの「津田」だの「小林」だのは、言語記号の組合せによって表象される想像的な人物イメージの戯れの積分的な総体に与えられた、仮の名前にすぎない。なるほど、一人一人の登場人物に一貫した自己同一性とリアルな存在感を賦与しようという意図を作家が抱いていたことは間違いなかろうが、しかしたとえそうであっても、創造の「今」において漱石は、そのつど確率論的な揺らぎの中で、むしろ“適当に”書いていたはずである。漱石の筆が運動しつつある、その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえたのであり、またそうした人間的“いい加減さ”に大胆に身を委ねることで、彼の「作品」における運動はいよいよ豊かな、また生気に満ちたものになっていったはずなのだ。漱石の文体における「当て字」の問題なども、むしろ「作品」を決定論的凝固から解き放ちたいという彼の骨がらみの欲動の表現として読み解かれるべきではないのか。(松浦寿輝「表象と確率」『官能の哲学』所収 文庫P190)


そもそも『悪霊』は、しっかりした構想の経たあとに書かれた作品ではない(おそらくドストエフスキーの多くの作品と同様に)。執筆当時、既に「無神論」、すなわち『カラマーゾフの兄弟』の構想が頭から離れなかったようだ。


彼自身「惡靈」には大した望みを掛けてゐなかつた。ただカトコフへの借財を支拂ふ爲の餘儀ない仕事と考えてゐた。當時の彼の野心はこの作には關係のない大小説にあつた。(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』「8 ネチャエフ事件」)


すなわち、おそらく他の作品にもましていっそうのこと創造の「今」においてむしろ“適当に”書かれた小説なのであり、《その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえた》のだろう。


もちろんドストエフスキーのテクストの断片から、精神分析理論的な断片を拾うことはできるのを否定するわけではない。たとえばフロイトの破壊欲動やら享楽と似たような叙述があるな、との「発見」を楽しむことはできる。だがこれはなにもドストエフスキーに限った話ではない。それはフロイトの論文のシェイクスピアからの引用の豊富さを想い起こすだけでよい。


夜の大火は人をいらだたすと同時に、心を浮き立たせるような効果を常に生むものである。花火はこの効果を応用したものだ。しかし花火の場合は、火が優美な、規則正しい形にひろがり、しかも自分の身はまったく安全なので、ちょうどシャンパン・グラスを傾けたあとのように、遊び半分の軽やかな印象しか残さない。ほんものの火事となると、話は別である。この場合は、夜の火の心浮き立たせる効果もさることながら、恐怖心と、やはりわが身に迫るなにがしかの危機感とが、見物人との間に(もちろん、家を焼かれている当人たちの間にではない)ある種の脳震盪めいた作用を惹き起こし、彼らの内なる破壊本能を刺激するような結果になる。しかも、この破壊本能は、悲しいかな! どんな人間の心の底にも、謹厳実直そのもののような家族持ちの九等官の心の底にさえひそんでいるものなのだ……この隠微な感覚は、ほとんどの場合、人を陶酔させる傾きがある。「火事というものを多少の満足感なしに眺められるものかどうか、ぼくはあやしいと思うね」とは、かつてステパン氏が、たまたま出くわした夜の火災からの帰り道、まだその引用がなまなましかったおりに、私に語った言葉そのままの引用である。(ドストエフスキー『悪霊』 江川卓訳 新潮文庫 下 P272)

【厚顔無恥に居直り精神分析的に読むこと】

さてここでは「文学とは無縁の資質」のものの一人と敢えて居直って、フロイトのドストエフスキー論を引用してみよう。


内容豊かな人格を持ったドストエフスキーを前にして、われわれは四つのものを区別して考えたいと思う。すなわち詩人としての彼、神経症者としての彼、道徳家としての彼、および罪人としての彼である。われわれの頭を混乱させるかくも複雑な人格を統一的に把握するには、いったいどうしたらいいのであろうか。(フロイト『ドストエスフキーと父親殺し』)

この小論は1928年に書かれており、後期フロイトと呼ばれる時代、すなわち『快原則の彼岸』1920以降に書かれている。


「四つのものを区別」しているフロイトの、その最初の「詩人としての」資質をめぐって、フロイトは『カラマーゾフの兄弟』は、シェイクスピアに比較してもさして劣っていないとして、とくに「大審問官」の個所は世界文学における最高傑作のひとつとしている。《ただ残念なことに、詩人という問題を前にしては、精神分析は拱手傍観するよりほかはない》と。


これが詩人、芸術家としての作家を前にしたときの、われわれ凡人の素直な態度であろう。

ひとはそれでもなにかを言いたくなるのがわれわれの常であるのだから、神経症者、道徳家、罪人としてのドストエフスキーをめぐって書き綴らざるを得ない批評の言葉を全否定するわけではない。この機会に小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』を読み返してみたが、小林秀雄のこの渾身の批評文でさえその類の「批評」であるといえるのかもしれない(すくなくともナボコフ的観点からは)。


さてフロイトに戻って、二番目の区分け、「道徳家」としてのドストエフスキーについてなんと書いているか。


もっとも深い罪の領域を通ったことのある者のみが、もっとも高い倫理の段階に到達するということを論拠として、彼を倫理的に高く評価しようとする態度は、重大な疑点を看過しているといわざるをえない。すなわち、倫理的な人間とは、誘惑というものに、それが心の中で感じられたとたんに直ちに反応し、しかもしれに屈服することのない人間を指していうのである。さまざまな罪を犯し、しかるのち後悔して、高い倫理的要求を掲げるにいったというような人間は、イージーな道を歩んだという非難を免れることはできない。そういう人間は、倫理性の本質的部分、すなわち断念というものを遂行することができなかったわけである。(『ドストエフスキーと父親殺し』)


「罪人として」のドストエフスキーについては、次のように書かれるーー、《彼は、あれほどまでに強く人々の愛を求めたではないか。また、たとえば最初の妻およびその情人にたいする関係においてのように、憎みかつ復讐する権利が自分にあった場合ですら、彼は愛したり援助の手を差し伸べたり、お人好しすぎる態度をする示して、人を愛する能力の大きさを証明している》のに、どうして《犯罪者の本質的特色をなす、あくことを知らぬ我欲や、強烈な破壊的傾向、――冷酷さ、つまり対象(ことに相手が人間である場合)を評価するにあたって感情の要素を交える能力の欠乏》をドストエフスキーに指摘することができるのか、とまずは予測される反論が書かれる。だがこの架空の反論への応答が引き続く。


この疑問にたいする答は、この詩人の素材選択の仕方である。すなわちドストエフスキーはその作品の素材として、乱暴者、殺人犯、我利我利亡者などを、とくに好んで取り上げており、これが、同様な傾向が彼自身の内部にも潜んでいたことを察知させるのである。それからまた、彼の生涯中の若干の事実、たとえば彼の賭博癖があげられるし、あるいはまた、未成年の少女を強姦したというあの事実(この事件については彼自身の告白がある)も、おそらくこの疑問にたいする答となるであろう。この矛盾は、彼自身をたやすく犯罪者にしかねなかったきわめて強い破壊欲動も、ドストエフスキーの現実の生活においては、主として彼自身の人格にたいして(すなわち外に向けられるかわりに内にたいして)向けられ、その結果マゾヒズムおよび罪の意識となって発現したことを見ればおのずと解消する。いずれにせよ、彼の性格の中には、サディスト的な要素も多分にあって、それは彼が愛している人々にたいしてさえ示した短気、意地悪、不寛容などに現れており、あるいはまた、作家としての彼が読者を取り扱うそのやり口にも現れている。したがって彼は、小さな事柄においては外にたいするサディストであったが、大きな事柄においては、内にたいするサディスト、すなわちマゾヒストであり、もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間だったのである。(同フロイト)


このフロイトの叙述は、《もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間》という個所以外は、『悪霊』の主人公スタヴローギンの性格や言動をほとんど彷彿させるものであり、スタヴローギンの言動を「母親からの自立」として読みとるのは児戯に類するというのは、松浦寿輝の「文学研究者」への嘲笑以外にもそういうことを含意する。フロイトはすでにそれ以上のことを書いている。


さてドストエフスキーの第四番目の区分、「神経症的」な面は、ここでは割愛する。罪人の個所で「マゾヒスト」という語が出てきているのだから。


【イントラ・フェストゥム(祭りの最中)をめぐって】


「癲癇持ち」のドストエフスキーについては木村敏によるイントラ・フェストゥムの資質の指摘を想起することもできる。木村敏は、人間の心理的時間感覚を「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」の三つに分類している。祭りの前が分裂病的時間感覚、祭りの後が躁鬱病的時間感覚ということだったが、前者が未知なる未来における自己の可能性の追求、後者が既知の慣習や経験への保守的な埋没とされ、両者とも時間の水平性(未来、あるいは過去)にかかわる病理だとすれば、イントラ・フェストゥムは時間の垂直方向での日常性の瓦解(非日常性の顕現)とされる。

そしてこの指摘において肝要なのは、イントラ・フェストゥムは、癲癇症者だけではなく、健康人の誰にでも訪れる非理性の瞬間(もちろん分裂病者や鬱病者においても)として、《愛の恍惚、死との直面、自然との一体感、宗教や芸術の世界における超越性の体験、災害や旅における日常的秩序からの離脱、呪術的な感応などの形で出現しうるもの》とされていることだ。

たとえば鬱病親和気質と推測される大江健三郎の「一瞬よりはいくらか長く続く間」はそのイントラ・フェストゥムと似たような刻限をいう表現に相違ないし、分裂病親和資質と想定されるニーチェの「正午」も同様。


まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」にかんして、すぐれたグールドシューマンや、プルースト論などの著者、ミシェル・シュネデール(彼は仏高級官僚でもあり、また小説家でもあり精神分析医でもある人物)の次の文を抜き出しておこう。


… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル千葉文夫訳)

しかし、ここでミケランジェリが鬱病親和型、リヒテルが分裂病親和型、グールドが癲癇親和型などというつもりは毛頭ない。それぞれの演奏家は、それぞれの仕方でイントラ・フェストゥムの垂直に立つ時間の感覚を与えてくれるだろう。だがそれにしてもグールドの「現在性」の恍惚のなんと際立つことよ。


だがイントラ・フェストゥムの輝かしい面ばかりを強調してはならない。《祝祭はつねに死の原理によって支配されてもいる。死は、それ自体としてみれば美わしい永久調和を意味するのであろうけれども、個別的生命に執着する日常性の意識にとっては恐怖の対象以外のなにものでもないだろう。殺人や犯罪、革命や戦争はそれなりに人類の祝祭なのである。》(木村敏 P161)

この見解にはいろいろな変奏があるだろう。


戦争の論理は単純明快である。人間の奥深い生命感覚に訴える。誇りであり、万能感であり、覚悟である。戦争は躁的祝祭的な高揚観をもたらす。(中井久夫「戦争と平和についての考察」『樹をみつめて』所収)

われわれの疑問は、たとえば「生の肯定」、「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシズムに転化するのはなぜかということだ。ニーチェやベルグソンはファシストではないといってもはじまらない。もはや純粋なカーニバルなどありえないように、純粋な「生の哲学」もありえない。それはいったん歴史的な文脈に存在するやいなや、思いもよらぬ反転や置換を強いられるのだ。本当は、「暴力的なもの」は《近代》に出現するのだといってもよい。(柄谷行人『歴史と反復』)

さて、ドストエフスキーののイントラ・フェストゥム性については、次のような叙述がある。

われわれはドストエフスキーから多くのことを学ぶことができる。彼の作品に登場する多数の人物は、ムイシュキンやキリーロフのような癲癇患者だけでなく、全員がこの「現在の優位性」とでもいうべき特徴をそなえている。作中の人物がすべて作家の分身であってみれば、これはちっとも不思議なことではない。一例だけをあげれば、『悪霊』に登場する美貌の令嬢リザヴェータ……彼女にとって、過去・現在・未来の一貫した流れとしての一つの人生などというものは「見たくもない」ものなのである。彼女はスタヴローギンと駆け落ちして一夜の情事を経験した翌朝、「ぼくはいま、きのうよりもきみを愛している」というスタヴローギンに向って、「なんて奇妙な愛情告白かしら!きのううだのきょうだのと、なんでそんな比較が必要なの?」(下 P281)という。彼女は「自分がほんの一瞬間しか持続できない女だとわかっているので、」思いきって決心して「全人生をあの一時間きっかり〔の情事〕に賭けてしまった」(下 P286-287)のである。

一般に、ドストエフスキーの描く人物はいずれも他人に対して、ときには自分の生命を脅かすような危険な相手に対してすら不思議に無警戒で、分裂病親和者にみられるような他者の未知性に対する恐怖感は稀薄である。また、メランコリー親和者に特徴的な、既成の型の中での役割的対人関係も、彼の作品のどこを探しても見当たらない。彼の描く対人関係は、すべて現在眼の前にいる人との現在の瞬間における直接的な深い連帯感によって支えられている。

ドストエフスキーの意識における現在のこの豊かさは、彼がアウラ体験において死の側から生を眺めたときの壮麗な光景と、どこかで深くつながっているのではあるまいか。死は、生の側から未知の可能性として眺められたときには、身を縮まる恐怖の源となるだろう。しかしもし死を現在直接に生きることができるなら、それはこの上なく輝かしいものであるに違いない。(木村敏『時間と自己』P150)


この1982年に書かれた木村敏の解釈には今でも瞠目せざるを得ないのであって、フロイトのドストエフスキーのマゾヒスト説に比べても遜色はまったくない。、−−−もっとも、これも木村敏の論を読み返さなかったら、フロイトの天才は、ドストエフスキーの名を挙げないままで、あたかもドストエフスキーやスタヴローギンの資質をめぐって書いているかのようだ、としてすますところだったのだが。


マゾヒストは小さな、頼りない、依存した、ひとりでは生きてゆくことのできない子供、しかもとくにいたいけな子供として取り扱われることを欲している。フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』(フロイト著作集6 P302)

マゾヒストは、運命という両親代理者による罰を挑発するために、無益なことを仕出かし、自分自身の利益に反して行動し、現実の世界の中にうちひらかれている幸福になる可能性をぶち壊し、時によれば自分自身の生命を絶つこともしかねない。(同上P308)


こうやって精神分析理論を通して読んでしまうわたくしは文学的な資質から遠く離れている。もっともそれがドストエフスキーのいう作家の精神の動きをすこしでも読む機縁になれば幸いである。


作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。(柄谷行人)−−「行間にはなにも書かれていません」(蓮實重彦)より

【看護婦志願者としてのダーリヤ】

ところで、『悪霊』の結末は、ダーリヤ・パヴァロヴナ、ーーかつてワルワーラ夫人に連れられた訪れたスイスでの滞在中、スタブローギンの看護婦になると希望したーーその彼女をスイスの山荘での寂しい生活に同行を求める手紙の示されたあとの首吊り自殺の叙述で終っている、《ニコライ・スタヴローギンが首を吊った丈夫な絹紐は、明らかにあらかじめ吟味して用意されていたものらしく、一面にべっとりと石鹸が塗られていた。すべてが覚悟の自殺であること、最後の瞬間まで意識が明晰に保たれていたことを物語っていた。》

ダーリヤは、ニコライ・スタヴローギンの母親ワルワーラ夫人の養い子であり、夫人の侍僕だった父親をもち農奴として生まれたのだが、彼女のお気に入りの娘であり、スタブローギンのスイスでのリザヴェータ・ニコファエヴナとの恋愛事件の折の「相談役」としての役割を担っている。


……リーザがいけないことしたんですの。つまり、ニコライさんにやきもちを焼かせようとして、わざとその方となれなれしくしたんです。わたくし、それをどうこう言うつもりはありませんのよ。若い娘にはありがちの、ほほえましいようなことですもの。ところがニコライさんは、やきもちを焼くどころか、かえってその青年と親密になって、何も気がついていないような、というより、そんなことなどどうでもいいような態度をお見せになったんですよ。リーザにはこれがひどくこたえましたのね。その方がじきに発っていかれると(……)、リーザは何かといえばニコライさんに突っかかっていくようになりましたの。それで、ニコライさんがときどきダーシャと話していらっしゃるのに気がついたものですから、さあ、かっとなってしまって、わたくしも、母親として、生きた空もなくなってしまいましたの。(『悪霊』 上P98)


スイスでの自らの息子とダーリヤとの親密さを危ぶんだのだろうワルワーラ夫人の疑いは「表面的には」すぐさま解消されたかにみえる。


翌朝、夫人の胸に、ダーシャに対する疑いだけは跡形もなくなっていた(……)。というより、そんな疑念はもともときざすはずもなかった、ダーシャに対する夫人の信頼はそれほどに厚かったのである。それに、わがニコラスが、こともあろうに……うちの《ダーシャ》風情に熱をあげるなどとは、夫人には考えも及ばないことであった。(……)

「ダーシャ」とワルワーラ夫人はふいに話をさえぎった。「おまえ、何かこう特別にわたしに話したいと思うようなことはないかい?」
「いいえ、なんにも」ダーシャはちょっと考えたから、その明るい目でワルワーラ夫人を見上げた。(『悪霊』上 P100-101)


だがワルワーラ夫人は、己れが二十年来、「看護婦」の役をしていると自ら任じている、『悪霊』のもう一人の主人公ステパン・トロフィーモビッチの再婚の相手としてダーリヤを片付けようとする。


「わたしは、奥様、どうでもかまいません、どうしてもお嫁に行かなきゃならないということでしたら」ダーシャはきっぱりと言った。

「どうしてもだって? おまえ、それはなんの謎だい?」ワルワーラ夫人はきびしい目でじっと相手を見つめた。

夫人がダーシャに恥をかかすような真似をするわけがないのは、ほんとうのことだった。それどころか、いまこそ夫人は自分がこの娘の恩人なのだと考えていた。ショールを羽織りながあら、彼女の当惑げな、うさんげな眼差しが自分に注がれているのを感じたとき、彼女の心に燃えあがったのは、だれにうしろ指をさされることもない高潔な憤りの情であった。夫人はほんの子供の時分から心底ダーシャを愛してきた。(……)彼女はもの静かな、おとなしい娘で、辛抱づよく自分を犠牲にできるし、忠実で、並はずれて謙遜で、めったにないほど分別があり、そして何よりも、恩を忘れない子だと決めこんでいた。(『悪霊』上 P107)

ステパン氏はこの結婚の策略をめぐって、スイスでの「他人の不始末」とつぶやくことになるが、ワルワーラ夫人の申し出を断わるわけではない。もっともその結婚は別の理由で不首尾に終る。


この結婚話とは別に、小説の結末近く、ステパン氏は、ワルワーラ夫人とのあいだに一悶着あったあと、夫人のもとから「家出」して放浪して消耗し、それが原因での死の間際に、枕元のワルワーラ夫人にむかって次のようにつぶやくことになる。


「ボクハ・アナタヲ・アイシテイマシタ、イッショウガイ……二十ネンカン!」
彼女はやはり黙っていたーー二分、三分。
「じゃ、どうしてダーシャと結婚する気になったんです、香水なんかふりかけて……」ふいに夫人は無気味なささやき声で言った。ステパン氏は茫然となった。
「新しいネクタイまで締めて……」
ふたたび二分の沈黙。
「あの葉巻を覚えていますか?」
「友よ」恐怖にかられて彼は口を動かした。
「あの晩の、葉巻、窓のそばの……月が照っていた晩……四阿でお会いしたあと……スクヴォレーシニキの……覚えているの、覚えているの?」彼女はまたはげしく席を立ち、彼の枕の両端をつかんで、枕ごとはげしく彼の頭を揺すった。「覚えているの、からっぽな、実のない、恥さらしな、意気地なしさん、永遠に、永遠にからっぽな人!」夫人は大声に叫びたいのをやっとこらえながら、すさまじいささやき声で言った。それから、ようやく彼をはなすと、両手で顔を覆って椅子の上に突っ伏した。「二十年は過ぎてしたったのよ。もう取り戻せないわ。わたしもばかなのよ」(『悪霊』下 P499-500)


ほとんど同じ叙述が、より突き放す調子だが、この書物の前半にもある。ステパン氏に生涯多額の年金を与えるので、――神聖な義務としてーー、別の場所で暮らしてほしいとワルワーラ夫人が要請する個所である。


「ついこの間、まったく同じあなたの口から、やはり同じように執拗で性急な調子で、まったく別の要求が伝えられたものでした」ステパン氏はゆっくりと、悲しげな、しかしはっきりした言葉づかいで言った。「ぼくはおとなしくおっしゃるとおりにして……あなたのお望みどおりコサック踊りを踊ってみせました。ソウ、コンナ・ヒカクガ・カノウデスネ。ボクハ・ジブンノ・ハカノウエデ・こさっくオドリヲ・オドル・どんノこさっくダッタ。ところが今度は……」

「お待ちになって、ステパン・トロフィーモヴィッチ。ひどく口数が多いじゃありませんか。あなたは踊りを踊ったのじゃなくて、新しいネクタイを締め、新調のシャツに手袋といういでたちで、ポマードをつけ、香水をふった、わたしのところにいらっしゃったんですよ。はっきり申しますけど、あなた自身、結婚したくてうずうずしていらしった。あなたに顔にちゃんとそう書いてありましたし、断言しますけど、それはまあ品のない表情でしたよ。」(『悪霊』上P525-526)


ここに「義務」という言葉、「神聖な義務」という語が出てくることに注目しておこう。もっともワルワーラ夫人のステパン氏への義務は、愛されたいという願い、自己愛やエゴイズムが綯い交ぜになったものであり、それは決して「神聖な義務」といえるものではない。

愛されたい欲望、それは、愛する対象objet aimant がそれとして捉えられる、対象としての自分自身の絶対的個別性のうちに鳥もちづけられ、隷属させられる欲望です。愛されることを熱望する人は、自分の美点son bien のため愛されることにはほとんど満足しません。これはよく知られています。彼の希求は、主体が個別性への完全なsubversion に行くほど愛されること、この個別性がもちうる最も不透明で最もimpensable なものにsubversion されることです。人はすべてが愛されたいのです。On veut être aimé pour tout.彼の自我のためだけではありません。デカル卜はこう言います。彼の髪の色、奇癖、弱さ、すべてのために愛されたいのです。

しかし逆に、私としては相関的にと言いますが、まさしくこのために、愛することはそう見えるものの彼岸で存在を愛することです。愛の能動的贈与は他者を、その特殊性ではなく、その存在において他者を狙います。(ラカン『フロイトの技法論』)

だが安易には言うまい。ここでラカンが語る愛の能動的贈与の側面を忘れてはならない。この発話はセミネール一巻からだが、さらには最晩年のラカンはリルケの『ドゥイノの悲歌』的愛をも語っているのだから。《愛の応答〔いらえ〕を求めての叫びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく/おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。おまえは鳥のように無垢にさけびもしよう、/……》(リルケ『ドゥイノの悲歌』)


【解読装置としての小説】

ラカンのそれぞれの時期における愛をめぐる発話は驚くほど揺れ動く。われわれはラカンなどの「精神分析理論」によって小説を解読する必要など毛頭ない。むしろラカンの言葉さえ小説を読むように読むべきだ、ラカンがフロイトのテキストをそのように読んだように、すなわち言い直しやいつも戻って来るところ、唐突の沈黙、躊躇いなどを問い直すことによって、フロイトの概念に新たな光を照射したように。


……精神科医は、眼前でたえず生成するテクストのようなものの中に身をおいているといってもよいであろう。

そのテクストは必ずしも言葉ではない、言葉であっても内容以上に音調である。それはフラットであるか、抑揚に富んでいるか? はずみがあるか? 繰り返しは? いつも戻ってくるところは? そして言いよどみや、にわかに雄弁になるところは? (……)

些細な形容詞の変更、時称の選択、何よりも捨てられた草稿、置き換えられた表現、思い切った削除――これらによってテクストが一変する。その前の痕跡をそれとわからぬほどにみせながらーー。これはほとんど私たちの推論そのものだ。(……)

精神科医は精読家Liseurではないが、ためらい、選び、捨て、退き、新たな局面を発見し、吟味して、そして時に棄却し、時に換骨奪胎する精神の営み、そういうテクスト生成研究の過程を身近なものに感じる。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)

ここで、《批評は小説の解読装置ではない、小説こそが装置である》と繰り返しておこう。もっともそんな小説には稀にしか廻り合えない。


伝統的な小説が前衛的な小説にくらべてものわかりのよさそうな表情を浮かべているというのではありません。筒井康隆だって、安部公房だって、薄気味の悪いほどものわかりがよく、その点では村上春樹と変わりません。こうした一連の闘争放棄は、小説がみずから装置であることを止め、読まれるべき言葉としてあっさり解読装置に身をゆだねてしまうことからくるものです。批評家の手にしているものが解読装置であって、小説がその装置によって解読される対象でしかないようにすべてが進行してしまい、そのことに、小説家も、批評家も疑いの目を向けようとすらしていないという現状が納得しがたいものに思われたのです。

しかし、この関係は不健康に転倒している。装置であるのは、むしろ小説の方なのです。装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが、小説を擁護するということの意味なのです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』「あとがき」)


フロイトやラカンの理論のすぐれた解読装置としてドストエフスキーやリルケがある。ところでフロイトの小説への態度は次のようなものであった。


われわれの仲間の一人が『グラディーヴァ』に出てくる夢とその解釈可能性に関心をもった(……)。その人が当の作家に直接会って、あなたの考えに非常によく似た学問上の理論があることをご存知だったのかと尋ねれみた、はじめから予想できたことだが、これにたいして作者は知らないと返答した、しかもそこには多少不快げな調子がこもっていた。そして、自分自身の空想が『グラディーヴァ』のヒントをあたえてくれたのだ、(……)これが気に入らない人はどうかかまわないでいただきたい、と言った。(フロイト『W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢』)


《作者はこのような法則や意図を知っている必要などまったくないし、だから彼がそれを否定したとしてもそこに微塵の嘘もないのである》、フロイトは続けてこのように書く。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(同上)

【滑空足らずのラカン】

精神分析理論、フロイトやラカンを読むとき、ニーチェの次の言葉を想起してともに読むことが必要なときがある。

《悪く考えることは、悪くすることを意味する。 ――情熱は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる。 》(ニーチェ『曙光』76番)

それは決してニーチェを「通して」読むのではない、「ともに」読むのだ。


愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮かぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テキストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持ちになればいいのだ。私は必ずしも快楽のテキストに捉えられているわけではない。それは移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落ち着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(バルト『テクストの快楽』)


あるいは《他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること》


「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…彼が自分の後で根本的動揺をいだく者がもうひとりもいないことを望んでいたのを思えば、享楽の没収、享楽は結局何にもならないということの証明…だが、それが「うまくいく」ようにできていると言った者がかつていたのだろうか? 面白いのは、そいつが時どき期待を裏切ることができるってことだ…吹っ飛んでしまう前に…もっとも、それがひと度ほんとうに期待を裏切ったとしたら、そいつはとにかく少しはうまくいっている…憎しみのこもった固着に至り着くのでなければ…でもそれだって避けることはできる…ぼくの意見では、ファルスは十分に滑空しなかったんだな…かれはそのことでまいっていたのだと思う…どんな女も彼の解剖学にしびれなかったのだろうか? そうかもしれない…実際にはちがう…気違いじみてもいなかった…後になって「うまくいっている」か、いってないかってことが彼にとってどうでもよくなるには十分じゃなかった…そこから他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること…ファルスがぼくたちの家でぐずぐずしていたそのやり方のことをぼくはもう一度考えてみる…眼鏡越しにデボラに注がれる彼の長い眼差し…見下げ果てた野郎だ…それは痛ましかった、それだけだ…(ソレルス『女たち』p183)

ーーソレルスの小説のなかの「ファルス」なる人物は、ラカンがモデルであるのはよく知られている。


【ふたたびダーシャ】


もちろん別にワルワーラ夫人のステパン氏とダーシャとの婚姻のすすめは、リーザと似たような振る舞いとしても読めもする、《リーザがいけないことしたんですの。つまり、ニコライさんにやきもちを焼かせようとして、わざとその方となれなれしくしたんです》――いや「やきもち」ではなく、ステパン氏の愛情をたしかめるための振舞いとして。

ここでリーザが自ら進んでニコライに身をまかせた一夜のあとの嫌悪と軽蔑の入りまじった発話を抜き出しておこう。これがワルワーラ夫人の心情とも通ずる「熱烈な愛」、すなわちナルシシズム的愛の典型的な言動だと解釈することもできる(繰り返せば、そうとも見ることができるだけで、これも「安易な」一面的な見方である)。ーー《なにせ女心というやつは、今日においてさえいまだに究めつくされる深淵にほかならないのだから!》(『悪霊』上 P25)

「ぼくを苦しめてくれ、ぼくを罰してくれ、ぼくに憎悪をぶつけてくれ」彼は絶望にかきくれて叫んだ。「きみには十分にその権利がある! きみを愛していないくせに、きみを破滅させたことを、ぼくは知っているんだ。そうだよ、『ぼくは瞬間を自分の手に残しておいた』んだ。ぼくは希望をもっていた……ずっと以前から……最後の希望をもっていた……きみがきのう自分から、一人で、進んでぼくの部屋にはいってきたとき、ぼくは、自分の心を照らし出した光明にさからうことができなかった。ぼくはふいに信じてしまった……ことによると、いまでも信じているのかもしれない」

「そんなふうに潔く打明けてくださるのなら、わたしもお返しをしなければならないわね、ーーわたしはあなたの看護婦になるのはごめんです。もしかして、きょううまい具合に死ねなかったら、ほんとうに看護婦になるかもしれないけど、たとえそうなっても、あなたの看護婦にはなりません。あなたにしたって、むろん、そこらの手なしや足なしと同じようなものですけどね。わたしはいつもこんな気がしていたんです、きっとあなたはわたしを、人間の背丈ほどもある巨大な毒蜘蛛のすんでいるようなところへ連れていくのにちがいない、そこでわたしたちは、生涯、その蜘蛛を眺めながら、びくびくして暮らすことになるんだろうって。そんななかでわたしたちの愛情も消えてしまうんです。ダーシェンカにお話しなさいな、あの人なら、どこへでもあなたにういていってくれるでしょうよ」

「こんなときにも、きみはあれのことを思い出さずにいられないの?」

「かわいそうな小犬さん! あの人によろしく。あなたがもうスイスであの人を老後のお守役に決めてしまったのを、あの人は知っているのかしら? ずいぶん用意周到な方ね! 先の先まで見通していらっしゃる! ……」(『悪霊』下 P288-289)

「義務としての愛」という言葉を使うなら、ダーシャ、ニコライ・スタヴローギンの看護婦になることに決めてしまったダーシャの愛こそその「神聖な愛」として読むことができるかもしれない。


ニコライの決闘、すなわちここでもまた「はしたなく」精神分析概念を適用するならば、彼のマゾヒズム的衝動ともいえるその場面の後、次のようなダーシャとの面会がある。


「ぼくは前からきみと会うのをやめようと思っていてね、ダーシャ……ここのところ……当分は。きみから手紙をもらったけれど、ゆうべはきみに来てもらえなかった。ぼくのほうからも手紙をしたかったんあが、手紙は苦手なのでね」彼はいまいましげに、というよりむしろいまわしげにこうつけ加えた。

「わたしも、お会いするのはやめなければと思っていました。ワルワーラさまが、わたくしたちの仲をひどく疑っていらっしゃいます」
「なあに、疑るのは勝手さ」
「ご心配をかけるのはいけません。では、今度は最後のときまでですのね?」
「まだその最後のときを当てにしなくちゃいられないのかい?」
「ええ、わたしは信じているのです」
「この世の中には終りのあるものなんてないさ」
「これには終りがあります。その最後のときに声をかえてくだされば、わたし、参ります。いまはお別れです」
(……)
「あなたはもう一人の……気の違った方を破滅させはなさらないでしょうね?」
「気違い娘は破滅させないさ、あれも、もう一人もね。しかし正気な娘は、破滅させるかもしれない。ぼくはね、ダーシャ、おそろしく卑劣で醜悪だから、ひょっとしたら、きみが言うように、『最後のおしまいのときに』、ほんとにきみを呼ぶかもしれない。そしてきみも、そんなに賢いくせに、やってくるだろうね。どうしてきみは自分で自分を滅ぼすんだい?」

「最後にはわたし一人があなたのおそばに残ることになるのがわかっていますから……それを待っているんです」(『悪霊』上 P458-460)

【マゾヒストあるいは癲癇症者のドストエフスキー】

すこし前に戻って、スタヴローギンの決闘が、マゾヒズムの顕現とするのはいささか性急すぎるかもしれない。そしてここでふたたび木村敏のドストエフスキーのイントラ・フェストゥム性の指摘をも想起しておこおう。

『悪霊』のなかでももっとも有名なスタヴローギンの告白の章にはつぎのように書かれている。


これまでの生涯にすでに何度かあったことであるが、私は、極度に不名誉な、並はずれて屈辱的で、卑劣で、とくに、滑稽な立場に立たされるたびに、きまっていつも、度はずれな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたれらててきた。これは犯罪の瞬間にも、また生命の危険の迫ったときにもそうなのである。かりに私が何か盗みを働くとしたら、私はその盗みの瞬間、自分の卑劣さの底深さを意識することによって、陶酔を感じることだろう。私は卑劣さを愛するのではない(この点、私の理性は完全に全きものとしてあった)、ではなくて、その下劣さを苦しいほど意識する陶酔感が私にはたまらなかったのである。同様に、決闘の場に立って、相手の発射を待ち受ける瞬間にも、私はいつもそれと同じ恥辱的な、矢も盾もたまらぬ感覚を味わっていた。とくに一度はそれがことのほか強烈であった。白状すると、私はしばしば自分から進んでこの感覚を追い求めたこともある、というのは、それが私にとってはその種のもののなかでももっとも強烈に感じられたからである。(『悪霊』下 P550-551)


こういった文は、ドストエフスキーが同様の衝動(=享楽)を抱いていなかったならば、書けるはずはないと凡庸な「わたくし」は呟いてみる。そもそもペトラシェフスキイ事件による芝居としての死刑の判決、直前まで死刑判決がニコライ皇帝によって却下されていたことを知らされていなかった有名な出来事の折にも、ドストエフスキイは平静な様子だったらしい。


ペトラシェフスキイ、モンペリ、グリゴリエフの三人が、先ず柱に縛され、一二人の兵士が銃を上げた時、赦免のハンカチが翻つた。縛を解かれた時、グリゴリエフは発狂してゐた。或る目撃者の言ふところによれば、ドストエフスキイはまことに平静な様子だつた。断頭台を登る足どりも乱れてゐなかつたし、顔色も蒼ざめてゐなかつたさうである。(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』)


もっとも小林秀雄はこのあと、《だがそんな事が一体何を意味するのだらう。発狂の一歩手前にゐる人間が平静に見えないとも限らない》としている。


不思議なことにこの、まさに最後の瞬間に気絶することはめったにないのです! それどころか、頭はひどく生き生きして、機械が動くように力強く、力強く、力強く働いているにちがいありま せん。僕の想像では、その時さまざまな考えがぶつかっているのです、みんな完結しない、そしてもしか したら、ばかげた、無関係なこんな考えです。『ほら、あそこで見ている。あの額にはいぼがあるし、 ほら、処刑人の下のほうのボタンが一つさびている・・・』で、その間もすべてを認識し、すべてを記憶し ています。決して忘れることのできないある一点があって、気絶することもできず、すべてがその近 くを、この点の近くを動き、回転しているのです。そして考えると、それは最後の四分の一秒までそのま まで、その時にはもう頭を断頭台にのせて、そして待っている、そして・・・知っているのです、 と、突然上に聞こえる、鉄が滑ってきた!これは間違いなく聞こえます!僕なら、もしもそうなったら、僕 はわざわざ耳を澄まして聞くでしょう!それは、もしかしたらほんの一瞬間の十分の一かもしれません が、間違いなく聞こえます!(ドストエフスキイ『白痴』)


いずれにせよ、この芝居としての死刑執行の瞬間の心的外傷性記憶がドストエフスキイの小説のなかで繰り返されることになる。木村敏のいうドストエフスキーのアウラ体験とはこのことである。


【義務としての愛】

さていささか寄り道ををしてしまったが、「義務としての愛」に戻ろう。


ダーシャのニコライへの「義務」、ワルワーラ夫人のステパン氏への「義務」、――『悪霊』はこれが繰り返されるテキストでもある。そしてニコライ・スタブローギンもステパン・ヴェルホーヴェンスキーもそれを望むとともにうとましくも思う二律背反した感情に囚われている。

ところで、ドストエフスキーの二番目の妻が夫の破廉恥な振舞いにおどろくほど耐える女性だったことが知られている。

アンナは、賭博生活の一喜一憂を仔細に日記に認めてゐる。賭博を呪ひ、自ら悪漢と罵りつつ、一日もかゝさず火事のに通つてゐる日記に描かれた彼の姿は、確かに正気ではないが、彼女の忍従にも何か異様なものが感じられる。(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』「7 結婚・賭博」)


ひとはこういった愛の対象となった場合、ときにそれをひどい重荷とするのではないか。ーーと書いてしまったら、清水正氏の「母親からの自立」とどう違うというのだろう。上に児戯に類すると批判したが、わたくしの読みもやはり児戯に類する。


逆にどんな孤独者でもひとりの愛する人が必要だ、とする中井久夫の言葉をドストエフスキーやらスタブローギンに適用するのなら、繰り返される「義務としての愛」は、ダーシャのスタヴローギンへの無私の愛の叙述を借りた妻への感謝の「意図せざる表現」としても読むことができないではない。


創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)

『悪霊』の第二部第八章の『イワン皇子』のすぐあとにつづく章として書かれた「スタブローギンの告白ーーチホンものとにて」、−−結局『ロシア報知』の編集長カトコフが雑誌掲載を断わったために陽の目を見ず、後年(1921年)ドストエフスキーの死後、公表されるのだが、ドストエフスキー自身の校正版とアンナの手による筆写版がある。その二つを見比べてみると、妻アンナがいかに校正版の核心部分を「改竄」し、夫の幼児強姦をめぐる「破廉恥な」テクストを隠蔽しようと試みたのかがわかる。だが、これについては研究者の新しい見解もあまたあるのだろうし、それを知らない者がなんらかの感想めいた書くのはやめにしておこう。

ただダーシャにかかわる部分だけを抜き出しておく。


二ヵ月後、スイスで、私は、かつて初期のころにのみ見られたのと同じような狂暴な衝動の一つにともなわれた、はげしい情欲の発作を感じた。私は新しい犯罪に対する恐ろしい誘惑を、すなわち、重婚を行おうという誘惑を感じたのである(私はすでに妻帯者であるから)。しかし私は、もう一人の若い娘の忠告をいれて逃げだした。そしてその若い娘にほとんどすべてを告白し、それほどまで私が自分のものにしたいと望んでいる女性を、実はまったく愛していないこと、今後もうだれを愛することもできないだろうことまで打ち明けた。それにこの新しい犯罪も、なんら私をマトリョーシャから救ってくれることにはならなかっただろう。(『罪と罰』下 P574)

フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』(1924)や『ドストエフスキーと父親殺し』(1928)は、このスタブローギンの告白を読んだ後ーーあるいはひょっとしてその衝撃によりーー書かれたものだと推測する。


【宙吊りを楽しむこと】


ドストエフスキーのテキストはいろんな個所に注目することができる。わたくしが今回の再読で、ことさら注目したのは、ときおり閃くダーシャの名を借りて書かれるテキストの断片だった。

そして上に書かれたようにダーシャの看護婦としての義務を受け入れる態度は、至高の愛のひとつなのか、それとも愛される人にひどい重みとなるかもしれない「淫らな愛」なのか、あるいはそれらとはまた別のものなのかは、「宙吊り」のままである。いまはその「小説の知恵」を楽しんでこのような文を書いている、としておく。


アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのか、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、…どちらが正しくてどちらが間違っているか。エンマ・ボヴァリーは我慢のならない女なのか、あるいは勇敢で人の心をうつ女なのか。ウェルテルはどうか。彼は多感で気高いのか。あるいは、のぼせ上がった攻撃的な感情家なのか。小説を注意ぶかく読めば読むほど答えることはできなくなる。(……)小説の<真実>は隠されており、表ざたにされず、また表ざたにされ得ないものなのである。(クンデラ『小説の精神』)

人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望んでいます。といいますのも、人間には理解する前に判断したいという欲望 ――生得的で御しがたい欲望があるからです。さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望であります。宗教やイデオロギーは、相対的で両義的な小説の言語を、その必然的で独断的な言説のなかに移しかえることがないかぎり、小説と両立することはできません。宗教やイデオロギーは、だれかが正しいことを要求します。たとえば、アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのかいずれかでなければならず、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、いずれかでなければならないのです。

この<あれかこれか>のなかには、人間的事象の本質的相対性に耐えることのできない無能性が、至高の「審判者」の不在を直視することのできない無能性が含まれています。小説の知恵(不確実性の知恵)を受け入れ、そしてそれを理解することが困難なのは、この無能性のゆえなのです。(クンデラ『小説の精神』 P7-9)


あるいは、プルーストを読むロラン・バルトならこう書く、《コタールは《偉大》でも《卑小》でもない。仮に真実があるとすれば、その真実は「他者」の言葉が彼に与える動揺全体にいきわたる言述の真実である。》

バルベック行きの軽便鉄道の中で、連れのなり婦人が『両世界評論』を読んでいる。彼女は美人でなく、俗悪である。「話者」は彼女を娼家の女将だろうと考える。ところが、次の旅行の際、列車に乗り込んできた一群の客が「話者」に、あの婦人はシェルバトフ大公妃だ、高貴な生まれで、ヴェルヂュラン家のサロンの花だ、と教えてくれる。

まったく対立する二つの状態を同一の対象の中で結びつけ、外見を根底からくつがえし、その反対物へと変える、こうしたスケッチは『失われた時をもとめて』の中によく出てくる。最初のいく巻かから、読む順序に沿って、いくつかの例を挙げると、

一、ゲルマント家の二人のいとこのうち、陽気な方が、実は、横柄(公爵)で、冷淡な方が謙虚な人(大公)である。

二、オデット・スワンは周囲の人の判断ではすぐれた女性であるが、ヴェルデュラン家ではばか者扱いにされている。

三、ノルポワは「話者」の家族を怖気づかせ、彼らの息子には才能がないと説得するほど偉そうにしているが、ベルゴットには、一言でこきおろされる(《あれは間抜け爺いだ》)。

四、同じノルポワは、貴族で、王党派なのに、急進党内閣の特派外交使節を引き受けるが、《ただの反動的なブルジョワでもそんな内閣に仕えるのは拒否したであろうし、ノルポワ氏の過去や係累や考えを知ったら、内閣の方でも心配になったにちがいない。》

五、スワンとオデットは「話者」に対して細かく気を使っているが、ある時、「話者」が書いた、《あれほど説得的で、完璧な》手紙に返事を書こうとさえしないことがあった。(……)

六、ヴェルデュラン氏はコタールについて二通りのいい方をする。コタール教授のことを相手があまり知らないと見てとると、コタールのことを褒めそやす。しかし、相手が知っている時は、逆の方法を取り、コタールの医学上の才能について、ごく素気ない態度を示す。

七、発汗は腎臓に害があるということをある立派な学者の本で読んだばかりの時、「話者」はE博士に会う。すると、彼は、《汗が大量に出るこの暑い季節の利点は、それだけ腎臓の負担が軽減されるという点である》と断言する。以下、同様。(ロラン・バルト「研究の構想」『テクストの出口』所収)

ここでロラン・バルトは第一巻「スワン家のほうに」にあるわたくしにはもっとも印象的なルグランダンの例を挙げていない。スノビズムに火のような毒舌を吐く、憂愁を知った青い眼をもつ、物思わしげな、高尚で繊細なルグランダンが、貴族との挨拶に「異常なまでの活気と熱烈をあらわす」ひどい俗物であることを。だがこのような例はプルーストの小説には枚挙のいとまがない。

【最も淫らな強迫観念】

最後に「厚顔無恥「を恐れず、重ねて精神分析理論から「最も淫らな強迫観念」、義務としての愛を語る比較的若い時に書かれたジジェクの文を引用しておこう。


……無条件の義務の哲学者であるカントが知らなかったものを、通俗的でセンチメンタルな文学、今日のキッチュはよく知っている。このことは別に驚くにあたらない。というのも、〈意中の婦人〉への愛を至高の義務と見なす「宮廷恋愛(騎士道恋愛)」の伝統が今なお生きているのは、まさしくそうした文学の世界なのである。コリーン・マッカロウの『淫らな強迫観念』には、宮廷恋愛ジャンルの典型的な例が見られる。この小説はまったく読むに耐えないもので、そのためにフランスでは叢書「ジェ・リュ(私はもう読んでしまった)」の一冊として出版された。この小説の時代は第二次世界大戦の末期、主人公は、太平洋岸にある小さな病院で精神病者の世話をしている看護婦である。彼女は職業上の義務と、ひとりの患者への愛との葛藤に引き裂かれている。小説の結末で、彼女は自分の欲望を理解し、愛を断念して、義務へと戻る。一見すると、なんの面白みもまにモラリズムのように見える。義務が恋愛感情に打ち勝ち、義務のために「病的な」恋愛が断念されるのだから。しかしながら、この断念にいたる動機の描写はもう少し複雑で微妙である。小説の結びは次のようになっているーー

彼女にはそこに義務があった。(……)それはたんなる仕事ではなかった。そこには彼女の心がこもっていた。しかも奥深く。それが彼女が本当に願っていたことだった。(……)看護婦ラングトリーはふたたび歩きはじめた。颯爽と、恐れることなく、彼女はついに自分自身を理解した。そして、義務こそ、最も淫らな強迫観念であり、愛の別名であることを理解した。

このように、ここにあるのは真に弁証法的・ヘーゲル的反転である。義務そのものを「愛の別名にすぎない」と感じたとき、愛と義務の対立が「止揚される」。このどんでん返しーー「否定の否定」――によって、最初は愛の否定であった義務が、世俗的な対象に対する他のすべての「病的な」愛を廃棄する至高の愛と合致し、ラカンの用語を使えば、他のすべての「ふつうの」愛の〈クッションの綴じ目 point de caption〉として機能する。義務そのものが根源的に猥褻なのだということを経験した瞬間、義務と愛との拮抗、すなわち義務の純粋性と恋愛感情の病的な猥褻性あるいは淫乱性との拮抗は解消する。

小説の最初のほうでは、義務は純粋で普遍的であり、恋愛感情は病的で、個別的で、淫らである。ところが最後のほうになると、義務こそが「最も淫らな強迫観念」であることが明らかになる。ラカンのテーゼ、すなわち、〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈物自体 das Ding〉、つまり残虐で猥褻な〈物自体〉による「淫らな強迫観念」の仮面にすぎない、というテーゼは、そのように理解しなければならないのである。〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である。〈悪〉は特定の「病的な」位置をもたないのである。〈物自体 das Ding〉、が淫らな形でわれわれに取り巻き、事物の通常の進行を乱す外傷的な異物として機能しているおかげで、われわれは自身を統一し、特定の現世的対象への「病的な」愛着から逃れることができるのである。「善」は、この邪悪な〈物自体〉に対して一定の距離を保つための唯一の方法であり、その距離のおかげでわれわれは〈物自体〉に耐えられるのである。(ジジェク『斜めから見る』P299-300)


《いや、きみ(ダーシャ)の望みが何か、ついぞ察しがつかなかったよ。きみがぼく(スタヴローギン)に関心をもつのは、ちょうど年とった看護婦が、なぜかある一人の患者に、ほかの患者よりもよけいに関心をもつことがあるだろう、いや、もっとうまく言えば、あちこちの葬式に立ち会ってきた巡礼の婆さんが、遺体はいろいろあるのに、どれか一つの遺体を妙に好くような、そんなものだと思っていたよ。なぜそんな目でぼくを見るんだい?》(『悪霊』 上 P461)

…………


※附記


【小林秀雄『ドストエフスキーの生活』】

《ある人は他のある人に対する特定の人間関係において、善人となり、また悪人となる。》(森有正『ドストエフスキー覚書』)

「この潔癖な哲学者(ストラアホフ)は、ドストエフスキイの性格の「奇妙な分裂」には、余程手を焼いたらしい。彼はトルストイに宛てて次の様に書いている。

「拙著『ドストエフスキイ伝』、お受け取り下さったと思います。お暇の折、御一読、御意見をお洩しくだされば幸甚に存じますが、これについて一言私から申し上げて置きたい事があります。私はこの伝記を執筆しながら、胸中に湧き上がる嫌悪の情と戦いました、どうかしてこの嫌な感情に打ち勝ちたいと努めました。(中略)ドストエフスキイは、意地の悪い、嫉妬深い、癖の悪い男でした。苛立たしい興奮のうちに一生を過ごしてしまったと思えば、滑稽でもあり憐れでもあるが、あの意地の悪さと利口さを思えば、その気にもなれません。(中略)スイスにいた時、私は、彼が、下男を虐待する様を、眼のあたりに見ましたが、下男は堪えかねて、『私だって人間だ』と大声を出しました。(中略)これと似た様な場面は、絶えず繰返されました。それというのも、彼には、自分の意地の悪さを抑えつける力がなかったからです。・・・・ある日、ヴィスコヴァトフが来て話した事ですが、或る女の家庭教師の手引きで、或る少女に浴室で暴行を加えた話を、彼に自慢そうに語ったそうです。動物の様な肉欲を持ちながら、女の美に関して、彼が何も趣味も感情も持っていなかった事に注意願いたい。・・・・長い間付き合っているうちには、一切を許してしまえる様な人柄を、相手に見つけ出す事も出来るのです。心からの善意の動きとか、悔悟の一瞬とかいうものは、凡てを水に流すものです。フョオドル・ミハエイロヴィッチについて、そういう或る思い出でもあったら、私は彼を許したでしょうし、彼に対して私は愉快な男にもなれたでしょう。頭で作り上げた愛、文章の上の愛しか持たぬ人間を、偉人だと人に信じさせる事は、一体何という嫌なことでしょうか。」(1883年12月)

 これを書いた人間は、この小説家の臨終を看取るまで、二十年間のドストエフスキーの友であった事を思う時、誰の心のうちにも、冷たい風が通るであろう。ここにあるのは、凡庸な一思想家と天才との間にある埋める事の出来ない単なる隔りか。ストラアホフの眺めたものは、ドストエフスキーの或る反面だろうか。例えば、トルストイに、良人の性格を質問された時に、ドストエフスキーの妻が答えた様に、「良人は人間の理想というものの体現者でした。凡そ人間の飾りとなる様な、精神上、思想上の美質を、彼は最高度に備えていました。個人としても、気の好い、寛大な、慈悲深い、正しい、無欲な、細かい思いやりを持った人でした」(1885年)という言葉も嘘ではないのだろうか。人は好んで或る人の反面という言葉を使いたがる。妙な言葉だ。ドストエフスキーも親友と妻とに、巧く反面づつ見せたものである。ヴィスコヴァトフが、ストラアホフに語った話は、この事件をドストエフスキー自身、ツルゲネフの許で懺悔したという同形の逸話が伝えられているほど有名なもので、事の真偽を調べ上げようと、いろいろ努めている評家もあるが、無論わからない。わかったところで何になろう。単なる事実が逸話より真実だとは限らない。・・・・・・それにしても、この文学創造の魔神に憑かれたこの作家にとって、実生活の上での自分の性格の真相なぞというものが、一体何を意味したろう。彼の伝記を読むものは、その生活の余りの乱脈に眼を見張るのではあるが、乱脈を平然と生きて、何等これを統制しようとも試みなかった様に見えるのも、恐らく文学創造の上での秩序が信じられたが為である。若し彼が秩序だった欠点のない実生活者であったなら、彼の文学は、あれほど力強いものとはならなかったろう。芸術の創造には、悪魔の協力を必要とするとは、恐らく彼には自明の理であった。若しそうなら、ストラアホフは自分の仕事を嫌悪すべき仕事と言っているが、ドストエフスキイは、遥かに嫌悪すべき仕事を仕遂げて死んだとも言えよう。」(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』「6恋愛」)

この小林秀雄の文章は、驚くほど多くのことを語ってしまっている。もちろんここにフロイトの言葉、ドストエフスキーは《小さな事柄においては外にたいするサディストであったが、大きな事柄においては、内にたいするサディスト、すなわちマゾヒストであり、もっともお人好しな、もっとも慈悲心に富んだ人間だったのである》の巧みな翻訳を読むこともできよう。あるいはニーチェの言葉の翻訳を。


わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

小林秀雄は『ドストエフスキイの生活」を書くために十年近くかかっている。わたくしの如き何年かぶりの再読をしただけの散漫な読者が数日後になにやら書けば、感想文のようなことしかいえないのに決っている。スタヴローギンの一貫した性格を『悪霊』から読みとるのは「文学とは無縁の資質」としたが、わたくしもダーシャの一貫した性格を読みとろうとする同じはしたない真似をしているのは十分に自覚している。


…………

断片的に引用したスタヴローギンの決闘のあとのダーシャとの会話をもう少し長く付記しておく。

「ぼくは前からきみと会うのをやめようと思っていてね、ダーシャ……ここのところ……当分は。きみから手紙をもらったけれど、ゆうべはきみに来てもらえなかった。ぼくのほうからも手紙をしたかったんあが、手紙は苦手なのでね」彼はいまいましげに、というよりむしろいまわしげにこうつけ加えた。

「わたしも、お会いするのはやめなければと思っていました。ワルワーラさまが、わたくしたちの仲をひどく疑っていらっしゃいます」

「なあに、疑るのは勝手さ」

「ご心配をかけるのはいけません。では、今度は最後のときまでですのね?」

「まだその最後のときを当てにしなくちゃいられないのかい?」

「ええ、わたしは信じているのです」

「この世の中には終りのあるものなんてないさ」

「これには終りがあります。その最後のときに声をかえてくだされば、わたし、参ります。いまはお別れです」

(……)

「あなたはもう一人の……気の違った方を破滅させはなさらないでしょうね?」

「気違い娘は破滅させないさ、あれも、もう一人もね。しかし正気な娘は、破滅させるかもしれない。ぼくはね、ダーシャ、おそろしく卑劣で醜悪だから、ひょっとしたら、きみが言うように、『最後のおしまいのときに』、ほんとにきみを呼ぶかもしれない。そしてきみも、そんなに賢いくせに、やってくるだろうね。どうしてきみは自分で自分を滅ぼすんだい?」

「最後にはわたし一人があなたのおそばに残ることになるのがわかっていますから……それを待っているんです」

「でも、もし結局ぼくがきみを呼ばないで、きみから逃げてしまったら?」

「そんなことはありません、呼んでくださいます」

「ずいぶんぼくを軽蔑した言い方だな」

「軽蔑だけでないことをご存じのくせに」

「してみると、軽蔑もやはりあるわけか?」

「わたしはそんなつもりでは言いませんでした。神さまがご存じです。あなたがけっしてわたしなど必要に感じられないよう、心から願っています」

「言葉には言葉のお返しをしなくちゃな。ぼくも、きみを破滅させることのないように願っているよ」

「あなたがわたしを破滅させるなんて、どうしたってできるはずはありません、それはあなたご自身がだれよりもよくご存じのはずです」ダーリヤは早口に、きっぱりと言った。「もしあなたのところへ参れなければ、わたしは看護婦に、付添い看護婦になって、病人の世話をするか、本売りになって、福音書を売って歩くかします。わたしはそう決めたんです。わたしはだれの妻になることもできませんし、こういう家に住むこともできません。わたしの望みはちがうんです……あなたは何もかもご存じのくせに……」

「いや、きみの望みが何か、ついぞ察しがつかなかったよ。きみがぼくに関心をもつのは、ちょうど年とった看護婦が、なぜかある一人の患者に、ほかの患者よりもよけいに関心をもつことがあるだろう、いや、もっとうまく言えば、あちこちの葬式に立ち会ってきた巡礼の婆さんが、遺体はいろいろあるのに、どれか一つの遺体を妙に好くような、そんなものだと思っていたよ。なぜそんな目でぼくを見るんだい?」

「ひどくお加減が悪いんですのね?」なぜかまじまじと彼の顔をのぞきこみながら、同情をこめて彼女はたずねた。「ああ! それだのにこの人は、わたしがいなくてもいいだなんて!」

「いいかい、ダーシャ、ぼくはこのごろよく幻覚をも見るんだよ。きのうも小さな悪魔めが、橋の上で、レビャートキンとマリヤを殺して、正式の結婚になんぞけりをつけてしまえ、後ぐされのないようにしろ、とぼくに勧めるのさ。その手つけとして銀三ルーブリ請求されたがね、この荒療治はすくなくとも千五百にはつくと、あからさまに匂わしたよ。えらく勘定高い悪魔でね! 帳簿係さ! は、は!」

「でも、それが幻覚だったと、はっきり信じていらっしゃいますの?」

「いやいや、幻覚でもなんでもありゃしない! そいつは懲役人フェージカなのさ、徒刑から逃げだした強盗だよ。しかし、そんなことが問題なのじゃない。そこでぼくがどうしたと思うね? ぼくは紙入れにあっただけの金をやつにくれてやったのさ、だからやつは、ぼくから手つけをもらったものと思いこんでいるだろうさ!……」

「あなたは夜中にその男とお会いになって、そんなことを勧められたんですね? あなたにはおわかりにならないんですか、あの人たちの張った網にあなたがすっかり取りこまれているのが?」

「なに、好きなようなさせておくさ。ところで、きみの舌の先は何かぼくに聞きたいことがあって、むずむずしているようじゃないか、目を見ればわかるよ」いらだたしげな毒々しい笑いを浮かべて、彼はこうつけ加えた。

ダーシャはぎくりとなった。

「聞きたいことなんてありません、疑問に思うこともなんにもありません、それより黙っていてください!」彼女は、その聞きたいことを払いのけようとでもするように、不安げな声で叫んだ。

「というと、ぼくがフェージカに会いに居酒屋へなんぞ行かないと信じているんだね?」

「ああ、なんてことを!」彼女は両手を拍ち鳴らした。「なんでわたしをそんなにお苦しめになるんです?」

「いや、たちの悪い冗談を言って悪かった、きっと、あの連中から悪い癖がうつったんだね。実は、ゆうべからやたらと笑いたくてね、休みなしで長いこと大笑いをしてみたいんだ。まるで笑いを体に仕掛けられたみたいさ……ちょっ! おふくろが帰ってきたな、おふくろの馬車が玄関に止ると、音だけでもうわかるんだ」

ダーシャは彼の手をつかんだ。

「神さまがあなたを悪魔からお救いくださいますように、そして呼んでください、すこしも早くわたしを呼んでください!」

「ふん、ぼくの悪魔がなんだ! ほんのちっぽけな、きたならしい、瘰癧やみの小悪魔で、おまけに鼻風邪までひいたできそこないさ。だけど、ダーシャ、きみはまた何か言いだしかねているね?」

彼女は苦痛と非難をこめて彼を見つめ、戸口のほうを向いた。

「待てよ!」毒々しい笑いに顔をゆがめて、そのうしろから彼が叫んだ。「もしも……いや、要するにもしもさ……わかるだろう、つまり、もしもぼくが居酒屋へ出かけて、そのあとできみを呼んだとしたら、きみは居酒屋のそのあとでも来てくれるかい?」

彼女は振返りもせず、答えようともせず、顔を両手で覆って出ていった。

「居酒屋のあとでも来るな!」ちょっと思案してこうつぶやいた彼の顔に、いとわしげな軽蔑の表情が浮んだ。「付添い看護婦か! ふむ!……もっとも、おれに必要なのはそれなのかもしれん」(『悪霊』上 P458-463)
http://yokato41.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html


19. 中川隆[-7149] koaQ7Jey 2017年7月17日 07:14:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

一般大衆が独裁者を好きな理由


Theo Angelopoulos 旅芸人の記録 1975

The Travelling Players (O Thiasos) - Film by Theo Angelopoulos - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Emuh92ooukA
https://www.youtube.com/watch?v=aeS3MtLm3Aw
https://www.youtube.com/results?search_query=Theo+Angelopoulos++O+Thiasos+

監督 テオ・アンゲロプロス
音楽 ルキアノス・キライドニス
出演 エヴァ・コタマニドゥ

ダメダメ人間の現代ギリシャ人が熱中するのは政治だけ


ギリシャの芸術家の名前って、皆様は、どれくらいご存知ですか?

「まあ、彫刻家や音楽家は名前が伝わっていないけど、文学関係なら、有名なホメロス、それに3大悲劇詩人のエウリピデス,ソフォクレス,アイスキュロス、喜劇のアリストファネス。別の方面?でも有名なレスボス島の女流詩人のサッフォーとか・・・」

まあ、出て来る名前って、こんなところでしょ?
これらの名前は全員古代の人ですよね?それ以降のギリシャの芸術家の名前は?

こうなると途端に出てきませんよね?
アレキサンダー大王以降のギリシャの芸術界は一体何やっていたの?
2千年以上もサボっていたの?

ギリシャ人も、かつては、すばらしい芸術家を輩出したのに・・・遺伝子的にレヴェルが低いわけではないでしょう?
だって、かつては立派だったんだし・・・

それに、16世紀のスペインの画家に、その名も「ギリシャ人」という名前のエル・グレコというギリシャ系の人もいます。ギリシャ人もギリシャ以外の国では活躍しているわけ。

どうして、ギリシャ国内では芸術家を生み出さなくなってしまったのでしょうか?

このように芸術家を産まない国や地域ってありますよね?
日本のお隣の朝鮮半島の芸術家の名前って、ご存知ですか?
中国の芸術家の名前なら、世界史でいやというほど覚えさせられましたよね?
詩人だけでも李白、杜甫、白楽天、孟浩然・・・ああ!!思い出したくも無い、勉強ばかりのあの日々!?

しかし、朝鮮半島の芸術家の名前って、出てきませんでしたよね?

あるいは、イスラム圏の芸術家の名前って、出てきますか?
イスラムでは歌舞音曲を禁じているはず。絵画もダメなの?文学だって禁じているのかな?

「テメエらは、コーラン読んでりゃ、ええんや!」なの?

しかし、ペルシャにはイスラムとは異質なキャラクターの詩人のオマル・ハイヤームという人もいました。別に遺伝子的に芸術とは無縁の人というわけではないんですね。どうしてイスラムの下では、芸術家が出なくなってしまったのでしょうか?

これらの国や地域の経済的な問題なの?
しかし、どのみち、創造的な芸術家がその作品でお金儲けをできるわけもないことは歴史的な現実。芸術家というものは死んでから認められるものでしょ?
芸術作品を制作すると言っても、文章を書くのは費用がかかるわけでもないので、「その気」になりさえすれば、できることでしょ?

芸術家の絶対数が少なく、多くの人が芸術家との接触することが少なかったから、芸術作品を作る意欲や発想が起こらなかったの?
しかし、例えばギリシャなどは様々な芸術家が訪れていますよね?
それにギリシャ人も外国に出てみればいいじゃないの?
韓国人だってそう。中国に行けばいいだけ。その気になれば、様々な芸術家との接触は可能なんですね。

では、これらの国や地域が何故に、芸術家を生み出さなかったのでしょうか?

それはそれらの人々がダメダメだからですね。

「悪いのは全部アイツのせいだ!」

そのような発想なので、自分自身を厳しく見つめることをしないわけ。自分自身から目をそらしているような人間が、芸術家になれるわけがありませんよ。

職業としての音楽家や物書きや絵描きにはなれるかもしれません。しかし、そんな自分自身から目をそらすような人間は、永遠に届くような作品を生みだす「芸術家」になれないわけです。

別の言い方をすると、自分から逃避してしまっているので、仕事にはなっても、使命にはなっていないわけ。

今回の文章で取り上げる映画はギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロス監督の75年の作品である「旅芸人の記録」という映画です。テオ・アンゲロプロス監督は現在における最も厳しい精神の「芸術作品」を作る監督です。まあ、映画の分野において、芸術性では3本指には確実に入るような大芸術家。

しかし、ギリシャという芸術不毛の地で、どうしてアンゲロプロスのような芸術的な映画監督が出現したの?

また、彼は、どのようにして、芸術家不毛の地から芸術作品を生み出すような芸術家になったの?

アンゲロプロスは自分自身の「内なるギリシャ」、つまり自分の中の「内なるダメダメ」を厳しく見つめ、それを克服していったわけです。今回取り上げる「旅芸人の記録」という作品は、ダメダメなギリシャ人の一員であるアンゲロプロスの心の中に巣食う「ダメダメな部分」を白日なところにさらしているわけ。その過程があったがゆえに、近年のアンゲロプロス監督作品の「人間と人間のコミュニケーション」「人間の再生への希望」を語る豊穣な作品群が生み出されることになったわけです。

では、彼の作品「旅芸人の記録」の導きに従って、ギリシャ人のダメダメな面・・・これは呆れるほど韓国やイスラムにおけるダメダメな面と共通しています・・・を見てみることにいたしましょう。

ちなみに、この「旅芸人の記録」という作品は1939年から1952年のギリシャを舞台に、「羊飼いの少女ゴルフォ」というお芝居を上演している旅芸人の一座を描いた映画です。事件を時系列的に追った映画ではありません。

一座がそのお芝居を上演しようとすると、当時のギリシャの様々な情勢によって、途中で上演がストップしてしまう・・・そんな映画です。

つまり「羊飼いの少女ゴルフォ」の上演という「まがりなりにも」芸術活動と言える活動がジャマされていくことについての映画といえるわけです。
「ギリシャにおいて何故に芸術が育たないのか?」そのような問題意識が反映しているわけですね。

この映画について、日本の3文映画ライターが「激動のギリシャ現代史を語る映画」などと解説したりしていますが、現代史ではないんですね。もし、現代史を語るつもりなら、登場人物の名前をもっと現代的にするでしょう。

この「旅芸人の記録」という作品での登場人物の名前はエレクトラとかアガメムノンなど、昔のギリシャ人の名前です。そして起こっている事件も、昔から何回も繰り返されているような事件。つまりそれだけアンゲロプロス監督は「いつまで経っても変わらない」ギリシャを描きたいわけです。

それに現代史を描くつもりなら、事件の配置を時系列的にしますよ。歴史を描くつもりが無いから、事件の時系列を無視しているわけです。まあ、それがわからないからこそ、「映画ライター」なんでしょうが・・・

さて、この映画に従って、ギリシャのダメダメやダメダメ家庭の問題というより、もっと一般的な意味でのダメダメ精神の事例を以下に列挙いたします。


1. 働かない・・・ギリシャ人は働かない。この4時間の映画で、働いている人はレストランのウェイターくらい。労働者が「資本家打倒!」と言うのはいいとして工場で働いているシーンはない。「労動者ならまずは労働しろよ!」と言いたいところ。

また、資本家も工場を経営したり、外国と貿易を行うというそぶりもない。とにかく働かない連中なんですね。さすがに韓国では働いているシーンは出てきますが、イスラム圏でも働いているシーンって出てこないでしょ?商店で働いている人は多少出てきますが・・・イスラム圏の工場って見たことありませんよね?やっぱり働かない連中なんですね。


2. 政治好き・・・経済的な面では意欲がない連中ですが、政治には熱心です。「悪いのは全部政治が悪いせいだ!」などと思っていたりするので、やたら政治には熱心なんですね。この映画でもデモ行進のシーンが多い。あるいは政治議論も活発です。

個々の人間が政治について確かな見解を持つことは必要でしょう。しかし、問題の全部を政治のせいにしてもねぇ・・・しかし、デモのシーンはイスラムでも韓国でもおなじみですよね?そして、この手の人は、政治論議が好きでも、実際に政治に携わって、現状を改善しようとはしないもの。ただ、「ダメな政治のせいで、うまく行かない。」という理屈がほしいだけ。


3. 会話がない・・・登場人物の皆さんは、とにかく人の話を聞かない。4時間にもわたる映画なのに、会話のシーンがない。どちらかが一方的に言っているだけ。人の話を聞くという習慣がなさそう。


4. 被害者意識・・・何かと被害者意識が出て来る。『イギリスには裏切られた!』『国王には裏切られた!』とか・・・「ああ、オレ達って、何てかわいそうなんだ?!」そして相手を恨むわけ。


5. 当事者意識がない・・・被害者意識があるのに、当事者意識がない。「じゃあ、アンタはギリシャという国をどうしたいの?」と言われても答えられない状態。ただ、相手を恨んでいるだけなんですね。イスラムや韓国でもこんな感じですよね?


6. 内部分裂・・・ギリシャ人の内輪もめは、それこそ紀元前のアテネとスパルタの戦争など、いつもやっているようです。「イギリス人はギリシャから出て行け!」と本気で思っているのなら、ギリシャ人が結集して、イギリス人を追い出せばいいじゃないの?

ところがこの映画では内輪もめのシーンばかり。ギリシャ正規軍とイギリス軍が戦うシーンなどは全然なくて、いつもギリシャ人同士で戦っているんですね。同じようにイスラムだと宗派対立などが出てきますよね?
韓国だと地域対立とか・・・彼らがまとまるのは「○○大嫌い!」それだけなんですね。


7. こびへつらい・・・この映画で出て来るギリシャ人は、強きにこびへつらい、弱い人には威張っている。そのような権威主義なのもダメダメの特色の一つですね。落ちたイヌだけを叩こうとするのがギリシャ人の特色のようです。まあ、これはイスラムや韓国も同じですが・・・


8. ユーモアがない・・・4時間にわたる映画なのに、笑えるシーンがない。まあ、それは監督のアンゲロプロスの個人的キャラクターの面も大きいでしょう。しかし、ダメダメな人間は「自分自身を笑う」心のゆとりって無いものなんですね。「オレってバカだなぁ・・・」なんて自分を笑わないのに、自分以外の人のことは高笑いするわけ。

ユーモアって、いつもとは別の見方で物事を見たりすると、出てきたりするものでしょ?
ユーモアがないってことは、それだけ、ものの見方が画一的ということなんですね。


9. ホスピタリティーがない・・・この面は、むしろアンゲロプロス監督の別の作品で強調されています。どうもギリシャ人は外の世界から来た人を歓迎するという発想がない様子。外来者を、ヘタをすれば政治的な人質として利用したりするくらいの扱い。外の世界から来た人と会話して自分の知識を広め、相手に自分のことを知ってもらおうなんてこれっぽちも考えていない。

自分自身が被害者意識に凝り固まっているので、人をもてなす心の余裕がないわけ。このような面は韓国もイスラムの全く同じですよね。スポーツ大会などヒドイものでしょ?これでは味方ができませんよね?


10. 歴史自慢・・・この「旅芸人の記録」という作品では強調されていませんが、ギリシャは偉大な歴史がありますね。それはそれで結構なこと。しかし、ちょっと考えて見てください。「オレは小学校の時は優秀で、学級委員をやっていたんだ!」・・・そんなことを言う人間ってショボイオヤジでしょ?
ちゃんとした人間はそんな昔の自慢話などはしないものでしょ?

歴史自慢しかするものがない連中って、それだけ今現在がダメダメということですよね?
しかし、ダメダメな人間は歴史しか自慢するものがないので、歴史自慢をしたがる。
そして「こんなに偉大な歴史を持つ我々なのに、今うまく行かないのはアイツのせいだ・・・」と被害者意識をますます膨らませるわけ。


このように、「悪いのは全部アイツのせいだ!」と思っていると、自分の気持ちとしてはラクですよね?だって、自分自身では何もしなくてもいいんですからね。ただ相手を恨んでいるだけでいい。
まあ、一般の人はそれでいいのかもしれませんが、そんな貧しい精神では芸術家は育たないでしょ?

真の芸術家になるためには、自分の内面にあるそのようなダメダメな面を自覚していく必要があるわけです。
ギリシャ人のアンゲロプロスは、このような自分に厳しい映画作品を作ることによって、自分自身を一歩前に進めたわけです。

ちなみに、この「旅芸人の記録」という映画はギリシャ映画ですので、セリフはギリシャ語です。ということで字幕担当の人も「とある芥川賞受賞作家さん」がやっています。その作家さんはギリシャ語が出来るので、アンゲロプロス監督作品の字幕だといつもこの人です。この作家さんは、ギリシャに住んだり、最近ではイラクに行って「フセイン政権下ではイラク人はすべて幸せだった!アメリカ人は出て行け!」とかおっしゃっておられます。メールマガジンも発行されていて、私も読む時がありますが、実に「お・も・し・ろ・い」わけ。

自分自身の問題から目をそらし、グチばかり言う人間は、やっぱりそんな類の人間が多いところに行きたがるものなんですね。そうして、グチで盛り上がることになる。
「アンタたちは全然悪くないのよ!悪いのは全部アメリカなんだ!」
そう言われれば言われた方もラクでしょ?
確かに同情してもらったイラクの人も幸福かもしれません。だって「自分自身は全然悪くない!」と思っていられるわけですからね。「悪くはない」んだから、自分自身では何もしなくてもいいわけ。

そのような精神的に怠惰な状況に、外国からのダメダメ人間が、まるで腐臭にハエやゴキブリが吸い寄せられるように喜んで出かけ、集まり、そしてグチで盛り上がる。

職業としての物書きや絵描きや音楽家は、そこそこのスキルがあればなれるものです。しかし、芸術家になって未来に残る作品を生み出すには「自分自身を厳しく見つめる」ことが必要不可欠なんですね。

ダメダメなギリシャの映画監督のアンゲロプロスが「旅芸人の記録」という、何より自分に厳しい作品を作って、自分自身を見つめ大芸術家になっていったのに対し、グチばかり言っていて、世界中のグチ人間を求めて自分から逃げ回っている人間が、芥川賞という新人賞止まりなのは、芸術的にみて必然なんですね。

この映画で描かれたギリシャの人々は、誰かを犯人認定して、対抗心ばかりを膨らませ、自分では何もする気もなく、しょーもない議論ばかりという、典型的なダメダメ人間の姿といえるでしょう。これは何もギリシャの問題だけでなく、たとえば、インターネットの掲示板が、まさに絵に描いたようにこんな様相でしょ?

作り手のアンゲロプロスとしては、「激動のギリシャの歴史」を描いているのではなく、バカばかりやっているダメダメ人間の姿を描いているわけ。彼は歴史学者ではなく、芸術家なんだから、普遍的な人間心理を描きますよ。

ダメダメというのは、時とか場所とかのテンポラリーな問題ではなく、人間の普遍的な心理の問題なんですね。だから、ちょっと見方を変えると、21世紀の日本での様相を理解するのにも役に立つわけ。

ちなみに、ギリシャもイスラム圏も韓国も、独裁政権が多い。民主的政体は育たない。

それは民主主義というものは、個々の責任という面が要求されるからですね。自分自身が主体的に政治に参加する。そしてみんなの選択に共同責任を持つわけ。しかし、責任を取りたくないダメダメ人間は、独裁政治の方がラクなんです。だって独裁だったら上手くいかなかったら、その原因の全部を独裁者のせいにできるでしょ?そして「オレたちは独裁政治の被害者だ!」と言うだけ。

だから、これらの国の政権担当者は、政権を降りた後は大変な目にあいますよね?
それは「うまく行かない原因」を一手に引き受けされられるからです。「自分たちは被害者だ!」と思いたいダメダメ人間は、とにもかくにも加害者というレッテルを何かに貼りたがるわけ。民主的政体だと、自分自身にも責任を取らないといけないので、精神的にラクができない。だから、このようなダメダメな連中は無意識的に独裁政治を望んでいるわけです。

ダメダメというのは、経済的な問題というより、まずもって心が貧しいわけなんです。
http://space.geocities.jp/kinoufuzennkazoku/04-11/04-11-12.htm


20. 中川隆[-7148] koaQ7Jey 2017年7月17日 07:17:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アレクサンダー大王 O Megalexandros (Alexander the Great)

https://www.youtube.com/results?search_query=Theo+Angelopoulos++O+Megalexandros

監督 テオ・アンゲロプロス
音楽 クリストドゥロス・ハラリス
配給 フランス映画社 1980年

キャスト

Alexander オメロ・アントヌッティ
The Stepdaughter エヴァ・コタマニドゥ
The Schoolteacher グリゴリス・エヴァンゲラトス
The Guide ミハリス・ヤナトゥス
Mr. Zelepis クリストフォロス・ネゼル
Mrs. Zelepis Miranda Kounelaki
Man of the Commune Thanos Grammenos
Man of the Commune Photis Paparamprou
Woman of the Commune Toula Stathopouluo
Italian Anarchist Francesco Carnelutti
Italian Anarchist ブリツィオ・モンティナーロ
Italian Anarchist ラウラ・デ・マルキ
Italian Anarchist Claudio Betan
Italian Anarchist Norman Mozzato
Alexander as a Boy イリアス・ザフィロプロス
Shepherd ストラトス・パキス


日々の雑感 アンゲロプロス「アレクサンダー大王」


ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスというと、「旅芸人の記録」や「永遠と一日」といった作品でその名を知られ れた映画監督です。私もその作品を何本か見たことがありますが、ロングショットを多用し、時系列が頻繁に入れ替わる 事が多いように感じる作品がかなりあると思います。今回の「アレクサンダー大王」は時系列が頻繁に入れ替わることは ないものの、主人公は多くを語らず(ほとんど台詞はない)、映像で語らせるという感じの映画になっています。

物語は20世紀初頭、脱獄した政治犯がアレクサンダー大王を名乗り、仲間と共に外国人を誘拐し、自分たちの故郷にかえっ てそこに籠城する、という話です。まず、脱獄のシーンからして、いつの間にこうなったのかとおもわされるところが ありますし、脱獄した後に武装するシーンなどはまさに寓話めいています。馬と武器のあるところだけ月明かりがさして いるという場面やアレクサンダー大王のが昇る太陽を背に白馬に乗って登場する所などは、それを見ただけでもしびれて しまいます。

スニオン岬で外国人達を人質にしたアレクサンダー大王とその仲間は自分たちの特赦と村の農民達の土地所有を認める ことを要求しますがそれは認められず、彼らは故郷にはいって、そこで人質とともに立てこもることになります。村に入る 前に人質にした外国人のなかで女性は解放したものの、男性はそのまま連れて行き、故郷の村へと入ります。このあたり では、人質に対する扱いでトラブルを起こした部下を処刑するなど、かなり統制の取れた集団にしようとしていることが うかがえます。そして村に入った後、その後は村における様々な出来事が書かれていきます。歓迎の宴の場面では、村の 歌や踊り、イタリア人たちの歌など、さまざまな歌や踊りが登場しますが、こういうところは何となく「旅芸人の記録」 の歌合戦のシーンのようでした。しかしこの歓迎の宴の時点ですでにこの後の破滅が何となく予見できる作りになって います。思想的に相容れない人々が一緒にやっていくことが果たして出来るのかという不安を残しつつ、村での生活がスタート します。

故郷の村では、彼らがとらえられ獄につながれている間に原始的な共産社会がつくられ、そこでは「先生」という人が 指導的立場に立っています。また大王一行と途中で出会って村に着いてきたイタリア人無政府主義者達もいます。

これら 2つの政治勢力と、大王一行の3つの立場が村の中に存在するようになりますが、やがて解放者のようであり、盗賊であり ながら村人の支持を得ていたアレクサンダー大王が共有財産である羊を殺したり、いままで止められていた時計を動かしたり、 何の理由もなく人を殺したりする中で村の社会が崩れ、やがて彼も破滅に至ることになります。

共産社会を営んでいる村でも、 地主が土地は村民のものであることを認めると、その後村民間で今後も土地を共有にするべきか、伝統的な私有制にするべき かをめぐって対立するようになり、徐々にきしみが出てきています。結局イタリア人無政府主義者たちはうまくいかずに 村を出ようとして殺されることになります。それでも問題はまだまだ続き、アレクサンダーが共産社会のルールを破る行動 を繰り返し、独裁者として村を力で抑えていくことになります。そして最終的に政府軍との戦いに敗れ、彼は群衆の中にその 姿を消していくことになります。

村には盗賊の首領のアレクサンダーのほか、少年アレクサンダーもいます。かれは村において「先生」の指導する原始共産 社会の経験をしつつ、村にやってきた無政府主義者の思想にもふれ、さらにアレクサンダー大王というカリスマによる支配 も見ています。最後、傷を額に負った彼は、馬にのせられ、20世紀初頭のギリシャの寒村を飛び出し、現代のアテネの町へ と消えていきます。このあたりは、よく言われているところではありますが、子供に希望を託したといったところでしょうか。

大まかに内容をまとめてみましたが、まずこの映画の場合は時系列をいじると言うことは見られません。時間の流れは出来事が 起きた順番に流れていきます。そのため、いきなり過去のシーンに飛んだりすると言うことはなく、その分流れには乗りやすい とおもいます。

映像自体はどんよりと曇ったギリシャの空のもと、雪のシーンなどもあり、色彩鮮やかとか明るい映像という ものはみられません。しかし、ロングショットを多用し、カメラを軸に一周して町の様子を移すといった映像表現は他の作品 でもよく見られる特徴でしょう。また、内容については、やはり近現代ギリシャの歴史に目を向けつつ、古代ギリシアの神話的 な世界の要素や、中世のビザンツ・キリスト教的な要素を映像表現の中にも加えつつまとめたという感じです。

映画のタイトルは「アレクサンダー大王」となっていますが、そこに書かれているのは歴史上のアレクサンドロスではなく、 紀元後3世紀頃に起こり、オスマン帝国の支配を受けるようになってから民衆の間に広まった「アレクサンダー伝説」の アレクサンドロスです。古代以来、様々な伝承が積み重なって作られる過程で、歴史上のアレクサンドロス像から大きく離れ、 民衆の心の中ではアレクサンドロスは解放者としてのイメージが強く広がっていきます。そしてその伝説とイメージの存在が、 20世紀初頭の義賊の首領にアレクサンダーの名が与えられる理由になるわけです。このような解放者としてのアレクサンダー というイメージは、古代のアレクサンドロスに関する伝記にも見ることが出来ます。東征初期、小アジア沿岸部のギリシア人 諸ポリスを「解放」していることがそう言った伝記にも書かれていますが、そういったことが時を経るにつれて伝説の中で 解放者としてのイメージを民衆に広める一員となったのでしょう。

一方、村の支配者となったアレクサンダーは当初は解放者として村民の支持を得ていたようですが、時が経つにつれて 徐々に独裁者となっていきます。この展開も古代のアレクサンドロスに関する史料にすでに見られます。ペルシア帝国を 滅ぼした後のアレクサンドロスは征服地支配の必要上、ペルシアの仕組みを採用したり宮廷儀礼を導入していますが、その ようなアレクサンドロスの姿をオリエントの風習に毒されて独裁者と化したように書くという叙述も古くからあります。 インタビューなどを見ると古代のアレクサンドロスと関係ない、民衆の伝承の中に存在するアレクサンダー大王を書いた ということを述べているので、映画の方とは関係ないとは思いますが。ただ、見る側としては古代の時点でそんな書き方も あるということが頭の片隅にあったため、アレクサンダーが独裁者となり村が崩壊するという過程はすんなりと受け入れて しまいました。

古代ギリシアと現代ということに関して、映画の中で、イギリス人貴族が古典の一節を引用して現代ギリシア人がそれを 分からない様をみてバカにするような所があったり、アレクサンダー大王の裁判の場面でもイギリス人貴族が古典の一節 を朗詠して一人悦にいる中でギリシャ人達には何をやっているのかさっぱり理解されないという場面が見られます。古代 ギリシアと現代ギリシャの関係というものは常に問題になるところだと思います。ルネサンス期の「古代の発見」以降、 古代ギリシアの文献や美術に対する興味が高まり、その結果近現代の西欧人にとり、現代ギリシャは古代ギリシアとは別 のものであり、自分たちこそ古代ギリシアの文明を継承しているという意識が強かったと聞きます。映画の中でのイギリス 人の振る舞いもそう言ったところが有る程度反映されているのでしょう。

____

昔は先生と大王は利害が一致してともに列強の支配に対して戦っていたんでしょう。
しかしいざ向き合ってみれば先生は社会主義、大王は民族主義。対立は必至だ。
コミューンも政府から勝ち取った土地をめぐって個人所有の意識を押さえることができない。

かくて始まる大王による恐怖政治。

植民地支配、社会主義の興亡、恐怖政治、大量虐殺、民族主義の台頭、ほんとに20世紀はこんな時代でした。まさに20世紀の縮図。


21. 中川隆[-7131] koaQ7Jey 2017年7月19日 07:20:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Emanuela 1974 - Opening & closing theme - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cKGnw4LkZFE
http://www.xnxx.com/video-bzzf905/emanuela_1974

Francis Lai - Emmanuelle II - Emmanuelle 2. Theme Long - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LROvjt6_RYU

Francis Lai - Emmanuelle 2 Soundtrack - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Bb1kamfVLUQ


鈴木傾城(Keisei Suzuki) ダークネス・ブラックアジア
https://plus.google.com/+KeiseiSuzuki

1970年にエマニエル夫人という映画が公開されて、そこから女性たちの性的概念の「パラダイムシフト」が起きた。

原作者は「タイ・バンコク生まれ」の女性エマニュエル・アルサンだった。

ジュスト・ジャカン監督シルビア・クリステルの映画は大ヒットして1970年代は、その亜流で映画が埋め尽くされた(この亜流のひとつである「ブラック・エマニエル」の主演女優はインドネシア人だった)。

私がエマニエル夫人を見たのはずっとあとの話だが、あの映画を見てもエマニエルの「哲学」がよく分からず、しかたがないから原作を買って読んでやっと何が言いたいのか理解した。

フランス文学はどれもそうだが、自己客観視と哲学に溢れている。この小説もまたそうだった。

もうこの小説を顧みる人もいないが、その根底を貫く哲学が「反処女(アンチ・バージン)」の概念だったのだ。

これはもちろん、キリスト教の強烈なアンチテーゼである。

私は今でもこのアンチテーゼを持ち出したエマニュエル・アルサンという女性に惚れている(シルビア・クリステルに惚れているわけではない)。

このエマニュエル・アルサンもまたフランス人だった。

フランス人であるサドもエマニュエル・アルサンも、その強烈な性的反逆を提示したのだが、この両者に共通するのが「反キリスト」の概念だ。

反キリストとは何か。表面を見ると、キリストや聖書に反対する立場のことを指す。

しかし、堅苦しい社会をぶち壊したいという「自由への欲求」でもあったのである。

宗教の堅苦しい枠から抜け出して、規定された常識に縛られず、自分の感覚のままに生きていきたいという欲求だ。

貞操や、常識や、文化に縛られたくない。自由に人を好きになり、自由にセックスを楽しみ、自由に振る舞いたい。

それは宗教に反しているのであれば、自分は自由のために「反キリスト」になりたい。そういう感覚が、「タブーを破りたい」というエネルギーにつながっていく。

映画「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル。この映画が全世界の女性を性道徳から解放した。

____

シルビア・クリステル死去。エマニエル夫人で一世風靡した女優 2012-10-18


シルビア・クリステルが死んだ。2012年10月18日、60歳だった。癌を患い、2012年7月には脳卒中を起こして寝たきりになっていた。それから3ヶ月で亡くなっているので、最期は意識もなかったのかもしれない。全世界の女性の性意識を転換させた女性の静かな死だった。

シルビア・クリステルという女優は、多くの映画で人々に感銘を与えた女優ではなかった。50本近くの映画に出ていたが、ただひとつ「エマニエル夫人」の3部作のみで人々の記憶に残った。最初から最後までエマニエルの呪縛から逃れることができなかったという言い方もできる。しかし、いろいろなインタビューを読むと、彼女はむしろそれを誇りにしていたようだ。

「エマニエル夫人」が、彼女の人生の使命だったのだ。

女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ

「エマニエル夫人」は特異な映画だ。原作も駄作、映画自体もそれほどよくできた映画でもない。映画史から見ると、「エマニエル夫人」はキワモノであり、賞を与えるほどの名作でもなく、大金をかけた大作でもない。

しかし、シルビア・クリステルが映画の中で見せた瑞々しい肉体は、そのすべてを吹き飛ばし、全世界の女性にアピールした。時代が求めているものを、彼女は表現していたのだ。

1970年代はヒッピー・ムーブメントの時代であり、これは時代を縛っていた様々な既成概念を壊す動きだった。この打ち壊すべく既成概念のひとつに「女性の貞操観念」があった。

「女性はもっと権利を主張すべきだ」
「女性は自らを解放すべきだ」
「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」


ウーマンリブの概念が生まれたのもこの頃だし、女性の社会進出が求められたのもこの頃だし、フェミニズムという思想が生まれたのもこの1970年代だった。この中で、「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」という部分の起爆剤になったのが、シルビア・クリステルの「エマニエル夫人」だったのである。

1970年代の女性たちはこの映画で、シルビア・クリステルに導かれるように「性を謳歌する」道を歩み始めた。だから、この映画は「映画」として重要なのではない。「社会史」として重要なものだったのだ。

最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか

エマニエル夫人は、ただの映画でも、ただのポルノでもなかった。時代が求めているものを表現したものだった。巧みな宣伝と、シルビア・クリステルの美しさと、映画全編に流れる美しい音楽すべてが相乗効果を発揮していたとも言える。

彼女のあとにも様々な女性がエマニエルを演じたし、エマニエルの亜流もまたたくさん作られた。しかし、そのどれもが興行的に失敗しているし、歴史の風雪を乗り越えることもできなかった。 実は、エマニエル夫人も「エマニエル夫人」「続エマニエル夫人」「さよならエマニエル夫人」と立て続けに作られたが、強い影響力を持って覚えられたのは、最初の「エマニエル夫人」だけだった。

なぜなのか。

実は、原作をなぞって作られた最初の映画には、美しさの裏に大きな「毒」が仕掛けられていたからだ。その「毒」は、原作を読んだ人間だけが知っているものだ。その「毒」を表現していたのが、まさに最初の一本だったのである。「続エマニエル夫人」と「さよならエマニエル夫人」は、ただヒットに釣られて作られた映画であり、原作の持つ「毒」はそこに表現されていない。


いったい、この最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか。それは、実はブラックアジアで答えを書いた。ブラックアジアの会員の方は、その「毒」をもう一度確認してみて欲しい。

伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?

エマニエル夫人。汚れて「いない」と感じるのは恐ろしいわ


本当のエマニエル夫人の裏にあるものを知らなければ、何があったのか、何も分かっていないのと同じだ。答えはこの図が示しているものだ。

女性の肉体は世の中を変える力がある

多くの人たちは映画「エマニエル夫人」の奇妙な物語の裏側に何が隠されているのか、その意図を知ることもないし、見ることもない。ただ、シルビア・クリステル演じるエマニエル夫人が、性的に解放されていくという部分のみに目を奪われてしまっている。

しかし、エマニエル夫人を取り巻く男たちの言動はとても奇妙で、異様な哲学を持っている。その哲学は、現代になってもまだ実現していない先進性を持ったものである。そして、その一見、奇妙に見える哲学の裏側にあるのが、「毒」だったのだ。

「伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?」で示したフランス版の奇妙なイラストは、ひとつのサブリミナルになっていた。

しかし、そういった毒を毒と感じさせなかったのが、シルビア・クリステルという美しい女性の肉体だった。

毒のあるリンゴであっても、とても美しければ食べてみたくなる。時代は毒リンゴを求めていて、だからエマニエル夫人はその象徴となった。

女性の肉体は世の中を変える力がある。

これは、常にブラックアジアのひとつのテーマでもある。今、インドで「女性の肉体が世の中を変える」動きが加速していることも書いた。


エジプトでも起きている。(アリア・マフディ。あっさりと裸をさらしてイスラムに反抗 )

1970年代に、シルビア・クリステルが示したのがまさに、これだった。

「女性の肉体は世の中を変える力がある」



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