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Re: @test
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投稿者 上葉 日時 2010 年 4 月 03 日 06:12:33: CclMy.VRtIjPk
 

(回答先: Re: @test 投稿者 上葉 日時 2010 年 4 月 01 日 10:32:17)

なぜ言えない? 報酬公開できぬ経営者たちの“ヒ・ミ・ツ”|河合薫
なぜ言えない? 報酬公開できぬ経営者たちの“ヒ・ミ・ツ”:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100330/213745/


なぜ言えない? 報酬公開できぬ経営者たちの“ヒ・ミ・ツ”
秘密が生み出す疑惑と不信の連鎖

河合 薫 【プロフィール

 前回のコラムで、「ひょっとすると、賃金をたくさんもらいすぎて、お金のためだけに働くようになってしまったトップの存在が、いちばんの問題なのかも」と書いたが、どうやら経営者たちの中には、「もらいすぎているかもしれない」とひそかに思い、世間に非難されるのを恐れている人たちがいるようである。

 すでに報道されている話ではあるが、金融庁は「2010年3月期から、1億円以上の報酬を得ている役員の氏名と金額を個別に開示するよう上場企業に義務付ける」と発表した。金融危機を境に株主による経営監視が厳しくなっていることを受け、財務状況にそぐわない「お手盛り支給」を一掃するのが狙いだそうだ。

 ところがこれに経済界が強く反発している。
 日本経団連の御手洗冨士夫会長は、「費用総額や内部統制の仕組みもすでに開示しており、必要にして十分だ。プライバシーや個人情報まで開示する必要はない」と語り、反対の立場を強調。全国銀行協会の永易克典会長(三菱東京UFJ銀行頭取)も、「役員報酬の総額は既に開示してあることから株主・投資家の経営上のチェックも受けている」とし、個別報酬の開示に慎重な認識を示した。


「本当のことは言えない」が本心なのか

 また、東京証券取引所グループの斉藤惇社長も、「冷静になって相当慎重に議論してからでないと、取り返しがつかなくなるようなことも起こるかもしれない」と発言し、
・ 役員報酬を開示する目的をはっきりさせる必要がある。
・ 単に金額を見て、社会的な批判や後向きのアクションが起こるとすれば、それはあまり好ましいことではない。
・ 投資家向けに行ったアンケート調査でも、この情報の有用性について必ずしも明確なコンセンサスがあるようには思えなかった。
・ 日本の経営者の報酬水準は高くない。
・ 個人情報の保護が強調される中、個別の報酬まで開示させるのは矛盾がある。

 などの“反対する理由”を記者会見で挙げた(資料)。

 確かに、目的ははっきりしたほうがいいだろう。だが、それ以外の反対する理由がちっとも理解できない。少なくとも私の感覚と理解度では無理だ。

 社会的な批判って、どんな批判なのか。公開すると、「え〜、そんなにもらっているのか!」と世間に批判されるほど、要するに世の中の人が想像している以上に、たくさんもらっている、ということなのだろうか。

 後ろ向きなアクションって、いったい何だろう。「高すぎるからもっと下げろ!」ということだろうか。あるいは、米国で公表を義務付けた結果、「あそこの会社の役員はうちの会社よりも報酬が高い」と賃上げを要求する役員が増えたケースもあったそうだが、そのようなことを危惧しているのか。

 明確なコンセンサスがない? 政府ではなく株主から要求されれば、反対することなく素直に従うということだろうか。

 日本の経営者の報酬は高くない? だったら何ら隠し立てすることなく、「僕たちは、これだけしかもらってないんです」と開示すればいいではないか。

 個人情報保護って? ん? 窃盗集団に狙われちゃうとか、そういうこと? もっと具体的に言ってくれないとよくわからない。

 どうにも釈然としない理由ばかりで、経営者たちが反対すればするほど、秘密にしようとすればするだけ疑心暗鬼になってしまう。

 「何か、やましいことがあるんじゃないか」と疑いの目でみてしまうのだ。


 経済界の大反対を受けた亀井静香金融担当大臣は、「(役員報酬を)公表されちゃ困ると言うアホな経営者もいるけど、さらされるのが格好悪いなら、ちゃんと仕事をしろ」と言い切っていたが、アホかどうかはわからないにしても、「なんらやましいことがなければ、公表すればいい」と私も思う。

 ただし政府が義務付ける必要があるかどうかには疑問が残るし、1億円という基準の根拠もよくわからない。だが、上場企業の役員であればそれなりの社会的責任がある。

 そもそも自分の会社の“お偉いさん”たちの給料がいくらか、世の中のいかほどの人たちが知っているのだろうか。今回の役員報酬の開示に反対している経営者たちは、従業員にはオープンにしているのだろうか。反対しているのは、社外に公にすることだけなのだろうか。

 私は客室乗務員時代とその後の民間気象会社と、企業に2度勤めているが、どちらの時代もトップや役員がいくらもらっているかを知らなかった。ただ、ウワサをしたことは何度もある。

 「?千万らしいよ」といった類のウワサだ。

 車が外車であるとか、家がどこそこの高級住宅街にあるとか、子供が有名私立校に通っているとか、たいていの場合は自分たちが見聞きした話をつなぎ合わせて、「相当もらっているらしい」という結論にたどり着く。誰も正確な金額を知らない。だから、らしいという憶測情報に終始する。

 昇進して上にいけばいくほど、報酬が秘密にされるようになっていくのは、あまりにもたくさんもらっているから、下々の社員たちが想像している以上にもらっているから、「本当のことは言えないな」という、“上の人たち”のやましい気持ちの表れなのか。

 入社時の給料は公にされているのに、なぜか役員の給料は公にならない。知らされていないから余計に知りたくなるのが人間だ。そして、秘密にされればされるほど、色々なことを勘ぐってしまうのも、これまた人間の性である。


上から下にしっかりと風を送る

 ナレッジマネジメントの第一人者コーエンは、「昇進基準・報酬に関する明確さと一貫性は、従業員の組織への信頼を高めるうえで最も重要であり、トップはそれを公にし、社内の透明性を高めるべきだ」と語り、「それらを明確にすることは、昇進した同僚への信頼にもつながる」としている。

 「なんであの人が」などと昇進に関して疑念を抱くことは、多々あることだ。曖昧な選考基準による人事、昇進への疑念も、明確な昇進基準を示すことができれば、完全とは言わなくとも、そこそこ晴らすことができる。その基準に合わない昇進をした人がいれば、「あの人もそれを昇進させた幹部も信頼できない」と、昇進させたほうにも注意が集まるようになる。人事を透明化すれば、必然的に人事の透明性もより増すようになっていくのだ。

 報酬だって同じだろう。
 単なる年功序列なのか、成果主義ならばどういう基準なのか。従業員の賃金体系だけでなく役員報酬についても開示されれば、不当なほど高額な報酬を手にするトップはいなくなる。トップたちだって本当は大してもらっていないのに「もらいすぎだ」と勝手な憶測で非難されたり、「自分たちだけを守るのか」などと、従業員の不信を買いたくないはずだ。だったら余計に、誰もが気になる“お金のこと”だからこそ、明確にすべきなのだ。

 よく「うちの会社は、部下が何でもものが言える、風通しのいい会社なんです」などと自慢する経営者がいるが、風は下から上だけに吹くものではない。上から下にしっかりと風を送ることのほうが、むしろ大切ではないだろうか。上からどちらの方向に、どんな風が吹いているかが伝えられない限り、会社を真っ当な方向に動かす意見など言えるわけがない。ただでさえ私たちは、大切な情報を経営側から意外と知らされていないのだから、せめて報酬くらい教えてくれたっていい、と思う。

 そういえば、昔こんなことがあった。
 1997年のとある日、私は赤坂の足裏マッサージ店の待合室にいた。雑誌を読みながら順番を待っていると、「つぶれたんだよ」という男性の悲痛な声が突然、耳に入ってきた。





 顔を上げるとそこには40歳前後の男性がいて、「そう、何も聞いていないよ。部長からさっき電話があったんだ。ニュース速報で流れてるって。信じられない。うん、部長も知らされていなかったようだから、経営幹部しか知らなかったんだろう。まいった……」と狼狽しながら携帯電話で話していたのだ。その男性は電話を切ると、マッサージをキャンセルして店を出て行った。

 その晩、家に帰ってテレビをつけると、「山一證券の破綻」のニュースが報道されていた。マッサージ店にいた男性は、関係会社の社員だったと考えられなくもないのだが、慌てぶりから推察すると、きっと山一の社員だったのだろう。

 あの“山一”事件以来、会社がつぶれる、という一大事や、大規模な人員削減計画について、社員が新聞やテレビの報道で初めて知ることが珍しくなくなったように思う。

 「そんなこと、起こるわけがない」という事実が起こるようになり、会社は「起こるわけがなかった」出来事を最後まで隠し続ける。誰もが、「まさかうちの会社は」と思いながらも、「いや、うちの会社だって何か隠しているかもしれない」などと疑惑の目を向けるようになってしまう。“秘密”がもたらした疑惑の連鎖。社員たちの会社への信頼は、「まだ言えない、言わないほうがいい」と言う経営者の勝手な都合で崩れ去ってしまったのだ。

 こんな不安定な世の中で、誰もが何を信じていいのかわからない時代だからこそ、勝手な都合は封印して、会社は透明性を高め、少しでも社員の会社への信頼を高める努力をする必要があるのではないだろうか。


「社員には、僕の知識と技術をどんどん盗んでもらいたい」

 以前、お会いしたことがある経営者の会社では、すべての情報を従業員が見たいときに見られるように社内ファイルがあった。1日の行動予定はすべてパソコンで閲覧可能で、誰が何をやっているかがすぐわかる。また、社長室のドアは常に開放されていて、そこには社員がいつでもくつろげるソファーとコーヒーメーカー(夜になるとアルコール類が足されるそうだ)、そして棚があり、本棚には会社の業績や会議記録、さらにはトップの資産および報酬すべてがファイルされていて、誰もがいつでも見られるようになっていた。

 「社員には、僕の知識と技術をどんどん盗んでもらい、うちの会社から旅立ってくれてもいいと思っています。旅立って大きくなり、また帰ってきてくれたり、一緒に何らかの仕事ができるかもしれない。違う船に乗ったとしても、同じ方角を目指して進んでいけたら、それでいいんじゃないか、と。だから、僕が知っていること、教えられることはすべて伝えたいと思っています」と語っていた。

 その会社はこの不況下にあるにもかかわらず、世界市場でシェアを広げ、躍進を続けている。しかも離職率が極めて低い。他の船ではなく、トップのもとで一緒の船で荒波でも乗り切っていきたいと思う社員たちが育っているのだろう。

 当人にそのつもりがあろうがなかろうが、企業の空気を作り出すのは必然的にリーダーだ。ハーバード大学のデビッド・パーキンズとダニエル・ウィルソンの組織研究によれば、リーダーが率直に相手を信頼し、一貫性のある行動をとり、公平で合理的な信頼に足る行動をとれば、組織にも、そこで働く従業員たちの間にも、そうした資質が広がっていた、ことが示されている。





 講演会に呼ばれたり取材で企業を訪れると、社屋に入った途端に感じる空気と、経営者に感じるものが似通っていることに気づかされる。なんとなく偉ぶっているトップがいる会社にはお役所的な空気があるし、大らかで人なつっこいトップがいる会社には、穏やかな空気が感じられる。講演会をしていて雰囲気のいい会社だなと感じる会社は、講演後、役員やトップがご挨拶に来てくださったときに、「あ〜、やっぱりね」と納得するのだ。当然ながら、逆もある。陰気くさい会社のトップは、なんとなく陰気くさい。まあ、そういう会社のトップは、社員のメンタルヘルスなど気にしていないので、もっとも呼ばれることが少ないのだけれど。

 いずれにしても、トップが何を言うか、ではなく、何をするか、で組織は決まる。どんなに「キミたちのことを信頼しています」と言ったところで、信頼を得るに足る行動をとっていなければ、社員がトップに信頼されていると感じることも、トップを信頼することも、組織を信頼することもない。

 しかも面白いことに、人間は相手から「コイツは信頼できない」と思われると、“期待通り”に信頼できない人間として振る舞うようになってしまうのだ。

 信頼の欠如がもたらす問題としてよく引用される事例で有名なものに、1930年代に米国のゼネラル・エレクトリック社が実施した、“工具持ち出し禁止令”がある(参考資料:『The HP Way(HPウェイ)。

 会社がセキュリティーに熱心になり、社員たちが工場の工具を持ち出さないように厳重な警備体制をとった結果、逆に工具を盗み出す社員が増えてしまったというケースである。

 社員たちは、「プライベートな時間にも会社の仕事を片付けるために、会社の工具を使いたがっていた」。ところがその事実を理解しなかったトップは、セキュリティーを強化した。その結果、トップから不信感を突きつけられた社員たちは、「そんなに俺らのことが信じられないなら、そういうヤツらになってやるよ」とばかりにその“期待通り”の行動をとった。


「透明性」から信頼関係が生まれるのに…

 警備体制をしくまでは、工具を持ち帰ることがあっても、必ず翌日には会社に戻していた社員たちが、すきあらば工具を盗み出すようになってしまったのだ。信じてもらえなければもらえないだけ、どんどん信じてもらえない人になっていく。もちろんすべての人がそうなるわけではないけれど、“相手の期待通り”に動こうとする深層心理を私たちは少なからず秘めているということだろう。

 チームであれ、会社であれ、なんであれ、協働(collaboration)が伴うメンバーの間では、透明性は互いの信頼関係を生む大切な要因となる。都合のいいことしか言わない相手とは、信頼関係を築くことも、その組織を信頼することもできないだろう。信頼は、透明性(=情報開示)によって育まれ、信頼関係が高まればその透明性も増していく。

 上場企業であろうとなかろうと、経営者が従業員に秘密をつくることは、従業員との協働を放棄したことにほかならない。従業員たちと協働するつもりがあれば、率直に情報を開示し、信頼を育む努力をすべきである。

 経営者が従業員を自分たちのメンバーであると自負するならば、「下には伝えないほうがいいだろう」などという情報はどこにもない、のである。

 もしも経営者たちに、率直に従業員を信頼し、一貫性のある行動をとっている自信があり、公平で合理的な信頼に足る行動をとっている確信があるのであれば、公開することに何ら抵抗する理由などないはずだ。

 公開に対して反対している人たちは、いったい何を恐れているんだろうか。世間の目?それとも社内の目? もし、本当に公開することによって生じる問題があるとするならば、その理由をもっと明確にして、その問題が生じない対策を講じたうえで公開すればいいと思う。“信頼”はお金で買えないけれど、お金に透明性をもたせることで信頼が得られることはある、のではないだろうか。

●以前の連載「ストレスで成長する!〜“元気力”のある“健康職場”を目指して〜」のバックナンバーは、こちらでご覧ください。

 著者の近刊をご紹介します。
上司から「手放したくない」と言われる部下になれ!』(学研)。
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 上司と良好な関係を築く近道は、「えこひいきされる部下になる」ということ。その関係は、上司に信頼されているからこそ成立する。ストレス学を応用したビジネス成功術を学べる一冊です。





著者プロフィール

河合 薫(かわい・かおる)

保健学博士・東京大学客員研究員・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『<他人力>を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)




 

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