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「太平洋戦争」では断じてない! −事改めて<大東亜戦争>と呼ぶべき理由
http://www.asyura2.com/11/senkyo118/msg/149.html
投稿者 影の闇 日時 2011 年 8 月 16 日 14:04:04: HiXvZf/FmwPNU
 

日本命名の大東亜戦争からアメリカ命名の太平洋戦争へ何故変わったのか?ーまた、何故、日本はそれを受け入れ、それどころか定着することになったのか?

−それはそれなりの理由が在る、と考えるべきです。
如何なる理由か?

大東亜戦争とは、少なくとも主観的には「大東亜共栄圏」、即ち自力生存圏(アウタルキー)を巡る戦いと認識されていたということ、そしてこれは、ドイツもそうであったように、陸(ソ連)と海(米国)からの普遍主義のプレゼンスの増大ーグローバリズムの脅威!−に対する自己主張(自己保存)であったということです。 

他方、アメリカからはあくまで海洋覇権ー即ち太平洋の支配者は誰か!ということ。
そして隠蔽されたのは、その後の二つの戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争)でも見え隠れする、中国への野望です。ー真実は中国の取り合いだったのに! 「共産中国」の誕生によって一旦頓挫した形になったアメリカ、そして日本においても、明治以来の大陸への夢が最終的に潰えることによって、アジアを埒外に措く脱亜論が却って力を得、定着させることになって仕舞った。
言うならば中国をタブー視することで日米は通じ合ったわけで、アメリカによる命名は日本の戦後体制にとっても都合が良かったのです。 昨日までの大陸への夢を「悲しい夢よさようなら」(青い山脈)と忘れ去るばかりか、敗戦を対米戦に事実上限定することで、「物量に負けた」という総括は物へのコンプレックスを生み、それが戦後の大量生産=大量消費の物質主義万能へと繋がっていくことになるのですから。 

しかしながらその一方、何故戦ったのか?何の為に戦ったのか?等、大東亜戦争の意味を自ら問わぬことー勝者の側に委ねて仕舞うことーが現在まで繋がる主体性喪失(=対米依存)を決定的にして仕舞ったとは言えないか?

曲がりなりにも戦時中の日本においては、大東亜戦争の意味(意義)を問うておりました。
言うまでもなく<近代の超克>ー<世界史の哲学>です。
歴史と現在(世界)を架橋させようとするこの野心的な試みー従来のヨーロッパ中心主義とその変相に過ぎない米ソの普遍主義に対抗して、別の普遍性を措定すること−は、日本史上初めての、世界(史)の中での昂然とした名乗り(我々は何者で、何をやろうとするのか?)であり、自らのポジション取り(位置付け)であったわけです。
また他方それは、私見によれば、米ソのプレゼンスの増大が幕末の攘夷思想を新たなる相貌で蘇えらせ、しかもそれは幕末の攘夷論と明治の脱亜論※を揚棄したものでもありました。

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/260.html

然るに戦後の日本は、それら一切を封印=タブー視することで、自らとその歴史を放擲したのです。

歴史の喪失は自らの喪失でもあるー自分が何をやっ(てき)たか?を問わぬことは、これから何をやる(べき)か?を問わぬことでもあります。
そしてその時、必然的に、「これから何をやる(べき)か?」は外側から、というより上から、要するにアメリカから下りてくる。 つまり「これから何をやる(べき)か?」を問わぬことー従って「自分が何をやっ(てき)たか?」を問わぬことーと「対米依存」は密接不可分に結び付いてるのです。 

となれば、現在の状況を変えるには、やはり、あの戦争は何であったのか?を改めて問い直すことは避けて通れないように思えます。
もとよりそれは<近代の超克>ー<世界史の哲学>の単なる復唱では有り得ないでしょう。
<近代の超克>ー<世界史の哲学>の論者が押並べて対中国戦の意味を(陸軍を慮って?)正面から問わず、事実上、避けて通っているのですから。
大まかに分けて陸軍ー対中国戦、海軍ー対米戦であり、最近の研究でも明らかにされてる通り、<近代の超克>ー<世界史の哲学>が海軍のプロパガンダの側面を持っていたことは否めない事実でありましょう。
結論から言うなら、戦争の大方の部分であり、その中心に在る対中国戦の意味を問わぬ(問えぬ)ことの中にこの試みの蹉跌は含まれていたのであり、出発点から間違っていたというしかない。 

もし我々が<近代の超克>ー<世界史の哲学>を改めて書き直すとしたら、対中国戦と対米戦を同一の地平に捉える視点であり、同時にそれは大戦後の現在までを対象化したものでなければならない、と考えます。
何故なら、戦前のみならず、戦争と戦後を連続した一連のプロセスと捉えて初めて、我々が何をやっ(てき)たか?を問えるのであり、又そのようにして初めて、これから何をやる(べき)か?の問いが正当性を持てると思うからです。
 
更に又、そのように問うて初めて、今日の原発問題にも鮮明に顕れてる様に、官僚主導が何故駄目なのか?何故覆えさせられなければならないのか?が判ると思います。
その辺のところは、部分的ではありますが、下記※にも述べておりますので、興味の有る方は覘いてみて下さい。
日本の<権力>が終にアメリカの出先機関に成り下がる、その理由がよく分かるでしょう。


http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/103.html
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/104.html


敗戦迄の天皇、戦後のアメリカと、(官僚による)<権力>(の行使)には、常に(超越的な)<権威>が必要なのであり、同時に、国民多数がそれに平伏し、仰ぎ見、或いは憧れていなければならない! −かくして、官僚批判は、ブーメランの様に、我々の方に跳ね返って来るのです。 官僚批判しながら、それをアメリカンイデオロギー(自由、民主主義)に頼るのではどうしようもない。 単に、どちらがアメリカにより近いか?を競ってるに過ぎないからです。
ーそんなレベルでは官僚は痛くも痒くもない。
端折って言うなら、官僚のチョー強気の背景には<アメリカの意思>が在るからであり、又同時に、日本国民のアメリカへの信仰が強い間は自らの<権力>が揺らぐことは無いと確信しているからです。

逆に言うなら、我々が官僚支配を覆そうとするのであれば、それは何より、アメリカ批判でなければならない。
つまり、アメリカを批判するついでに、(その代官である)官僚を批判するーという構図でなければならないのです。
アメリカを批判する思想ー新たなる歴史観と世界観による<近代の超克>ー<世界史の哲学>が描かれなければならない所以です。

日本と同様、自力生存圏(アウタルキー)を力づくで追求し、此れ又日本と同様、一敗地にまみれたドイツは、戦後、エネルギー問題や経済問題を手始めに、納得と合意によって諸関係を作り上げて来ました。 そうして、ドイツが中核になった今日のEUを観れば解る通り、大半が「第三帝国」の範図と重なっております。 言うならば、かってのナチスドイツの様に、力づくで、若しくは独力(自己中心)でやるのを止め、納得と合意で創り上げたのが欧州共同体ーEUということです。
そうして、その底流、或る場合には強力な接着剤になっているのが環境思想であることを考える時、西欧における思想の一貫性ということに深く思いを巡らせざるを得ない。 何故なら、米ソの普遍主義に対抗する形で出て来た自力生存圏(アウタルキー)或いは生存圏(レーベンスラウム)の思想の根底に流れるのは環境思想ー但し自己中心的な!ーだからです。 そうして、そのような自己中心乃至手前勝手を克服し、普遍主義的な装いに改めたのが今日の環境思想に他ならない(但し、鯨の問題に見られる様に、欧州以外に対する時、英米アングロ勢力を中心に、相も変わらずの身勝手な側面は生き延びておりますが)。
詰まり、自力生存圏(アウタルキー)或いは生存圏(レーベンスラウム)の思想は、「自力」という点を除けば、今日のヨーロッパにおいて実現していると言えるのです。
例のローマクラブから今日の緑の党まで、その真のターゲットになってるのがアメリカであり、アメリカとその普遍主義(グローバリズム)を思想として克服しつつあるのが今日のヨーロッパである、ということです。

とすると、同じ様な論理及び思想がアジアにおいても言えないか?


本来であれば、かっての「大東亜共栄圏」と異なり、「東アジア共同体」はそのような視点を内包していたはずです。
しかしながら、かって同様、単なるスローガンやキャッチフレーズに堕して仕舞ったのは政治家諸公の能力の問題も有りますが、やはり、戦後の長い間、思想として深めることを我々が怠って来たことが一番の原因であろう、と思います。

様々な手練手管を使って鳩山政権を潰した官僚どもが、「東アジア共同体」の替わりに打ち出して来たのが”TPP”である処に現れてるように、「原発」同様※、国民を道連れにして、滅亡への途に踏み入れようしていることが明らかな今、この問題は存亡の危機として受け留められなければならない。


TPPの担当者が保安院のスポークスマンとして横すべりして来るのは象徴的なのであり、必然とすら見做すべきです。

以上、思想を我々の手に取り戻す為にも、「太平洋戦争」なる命名を拒否し、改めて<大東亜戦争>と呼ぶべき理由を挙げました。

追記)
現在、「辛亥革命百周年」を記念して、「孫文と梅屋庄吉」展が東京国立博物館で開催されておりますが、その孫文が日本に向けて問うた言葉は今日なお有効です。

「西洋覇道の”番犬”となるか、或は東洋王道の”干城”となるか」

ー現在においてそれは、グローバリズムの走狗か?地域連携の繋ぎ手か?ということで、TPPか?東アジア共同体か?は次の様に言い直されなければならない。

アメリカの手先か?アジアの仲間か?  

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コメント
 
01. 2011年8月16日 14:16:22: Dw3Lcst19E
 要するに、この文章の趣旨は最後の一文
「(日本は)アメリカの手先か?アジアの仲間か? 」でしょうか。

 基本的には同意しますが、ことはそう単純ではないと思います。


02. 2011年8月16日 14:27:06: FidpHjEKMg

論板にも載せております。
ジックリ議論したい向きはそちらの方へどうぞ。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/484.html

01.さん
>要するに、この文章の趣旨は最後の一文

これは追記の部分ですね。
そう単純に言ってる積りはないけどなあ。(笑)

(影)


03. 2011年8月16日 14:44:59: lqOPOFnyLE
戦争の名前にこだわることに、なにか旧世代の指向や郷愁を見る気がする。そもそも明治国家が幾多の戦争によって経済的な利益を得たこと、それを目的として領域を拡大していったことは明白だ。市場支配力を巡って争いになったことが、地域の人々にとってどんなものであったか ということに、結論は出るだろう。
このような事柄と官僚論とは全く別のことだ。もちろん、帝国における官僚性の残りかすが、どこでも自らの権益を求めて蠢き、権威を構築していくという行動は変わらないが。

04. 2011年8月16日 15:12:39: FidpHjEKMg
03.さん
何だかタイトルにのみ反応してるって気がしますね、論旨を把握もしていないようだし。

>旧世代の指向

当方は「旧世代」でもなければ、「郷愁」も持っておりませんが。
それにね、これは世代の問題ではなく、あくまで思想の<構え>の問題です。

>このような事柄と官僚論とは全く別のことだ。

そうではないことは下記を読んでもらえば解るとは思いますが、まぁ期待しません。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/103.html
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/104.html

(影)


05. 2011年8月16日 15:25:59: 8OdkTHR6ek
今は「太平洋戦争」じゃなくて「アジア太平洋戦争」とよぶんだよ。
 「我々が<近代の超克>ー<世界史の哲学>を改めて書き直すとしたら、対中国戦と対米戦を同一の地平に捉える視点であり」 こんな考えなんてナチと一緒だろう。
そもそもEUの設立の目的はドイツの軍事力の抑制にあったが、
今現在EUを事実上経済面で支配しているのはドイツだ、しかしこれはEU諸国に対してドイツが過去の戦争への心らの謝罪、援助、フランスをEUの表の顔に持ち上げたからだ。
いまでもドイツに対する警戒感は周辺諸国にはあるだろうがドイツ人自体には
軍事大国になろうなんて気はないのではないか。
日本とドイツを一緒にするんじゃない。
なにが「大東亜共栄圏」「東アジア共同体」だ、お前過去の亡霊か。

06. 2011年8月16日 15:41:34: FidpHjEKMg
>05. さん
他の方と同じく、論旨を把握しておりません。
単に、タイトルと言葉に反応しているのみ。

精々教科書で習った程度、歴史や世界を構造的に把握しておらないから、そんな低レベルの反応に止まっておるのです。

何とかの犬レベルのw

(影)


07. 2011年8月16日 16:12:32: mr0VvGGkVY
日本だけじゃなくて
アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、 オーストリア、
ハンガリー、イタリア、スペイン、ロシア、ベルギーも中国に駐留していた。
1927年(昭和2年)には、蒋介石が国民政府を南京につくり
政府が国民党と共産党と2つあってお互い戦争状態。
政治家はアヘンにまみれて汚職まみれで、米英の軍艦が南京市を砲撃する。


>「西洋覇道の”番犬”となるか、或は東洋王道の”干城”となるか」

その後、長年内戦状態だった中国の2つの政府、国民党と共産党は、
1937年(昭和12年)蒋介石が、共産党と協力し抗日を宣言し
日本と対決することを決めた。
日本が満州国建設して、銀行も郵便局もダムも鉄道も作っちゃったから、
日本と戦って万が一勝ったら、それ全部もらえるわけよ。
多数の国の中から、中国に選ばれちゃった日本。


>日本命名の大東亜戦争からアメリカ命名の太平洋戦争へ何故変わったのか?

太平洋のハワイ真珠湾を攻撃しており、アジア太平洋戦争です。


08. 2011年8月16日 16:31:13: FidpHjEKMg
>07. さん

アナタも同じ、論旨を全く把握しておりません。


(影)


09. 2011年8月16日 16:36:55: trpnwK1166
>>05さんの言っていることに同意。

投稿者の「単に、タイトルと言葉に反応しているのみ」は、反論になっていない。
「アメリカを批判する思想ー新たなる歴史観と世界観による<近代の超克>ー<世界史の哲学>が描かれなければならない所以です。」は、論理的帰結ではなく、
あなたの思い込み。

そもそも、先の大戦が、官僚、軍部と財閥、大資本の侵略戦争であり、
「大東亜戦争」って呼ぼうが、官僚たちの暴走した戦争である。

この大戦といまの官僚の問題をごちゃごちゃにして論じているだけ。

ECにあこがれるのは、いいけど、「東アジア共同体」ってなに?

TPPは、アメリカが日本に押し付けようとしている、あたらな経済支配。
それに菅、民主の一部、自民の多くが、賛成している。


10. 2011年8月16日 17:13:48: FZ5Us6ScQQ
結局のところ、「アメリカやソ連によるグローバリズムの脅威に対する自己主張(自己保存)」を肯定するかのような論理に立脚していると理解される。投稿の趣旨は別のところにあるようだが、ドイツと日本の戦争の総括の仕方の決定的差異についての認識の甘さが、すべての論理展開を無駄なものにしてしまっている。

11. 2011年8月16日 17:30:18: MWlAI8z46A
>もし我々が「近代の超克」〜「世界史の哲学」を改めて書き直すとしたら、対中国戦と対米戦を同一の地平に捉える視点(が必要)であり、同時にそれは大戦後の現在までを対象化したものでなければならないと考えます。
(答え)
大日本帝国は支那に対し、宣戦布告をしていなかったため、支那との長期戦闘状態を「支那事変」と呼び、戦争とはみなしていなかった。したがって、対中国戦と対米戦を同一軸で捉えるのは不適切である。
---
>又、そのように問うて初めて、今日の原発問題にも鮮明に顕れてる様に、官僚主導が何故駄目なのか。何故覆えさせられなければならないのかが判ると思います。
(答え)
論理の飛躍があるね。
---
>アナタも同じく、論旨を全く把握しておりません。

論旨の前提が間違っていたり、論理が飛躍の上、脱線したりしているのだから、もしそのような指摘をするとしたら、無意味であり、無効である。


12. 2011年8月16日 17:34:35: FidpHjEKMg
>09. さん

>反論になっていない。

反論???w

>そもそもEUの設立の目的はドイツの軍事力の抑制にあったが

NATOとの混同、エネルギー、経済同盟として始まったEUの歴史さえ把握していないお粗末な05さんへの反論って!?

>論理的帰結

??文脈的帰納ですが。w


>先の大戦が、官僚、軍部と財閥、大資本の侵略戦争であり

加藤陽子著「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」程度は押さえておくべきですな。


>」ナ」テにあこがれるのは、いいけど、

あこがれ?w
これも論旨を把握していないからです。
「第三帝国」との絡みで言っておるのに。

>。ヨ東アジア共同体」ってなに?

何故鳩山政権発足時に合わせて、EUのトップが来日したの? また、鳩山の”友愛”は彼等への連帯のメッセージでもあったのだが(EUの生みの親、クーデンホフ伯の思想であることをご存知ない?w)

>」ヤ」ミ」ミは、アメリカが日本に押し付けようとしている、あたらな経済支配。
>それに菅、民主の一部、自民の多くが、賛成している。

政界のみ観ているからそのような反応になる。
政・官・財の主流がそれを支持している。「菅、民主の一部、自民の多く」は政治の部分に過ぎない。
問題は何故「日本に押し付けようとしている、あたらな経済支配」を受け入れようとするか?だ。
単に「売国奴だから」では答になってない。
しかも、TPPが単なる「経済支配」に止まらないものであるのは多くの論者が指摘しているだろう。


13. 2011年8月16日 17:39:57: FidpHjEKMg
>10.さん

>肯定するかのような論理に立脚していると理解される

論旨を掴めば、肯定にみえて否定ーというか批判であることは分かるはずですが。

>ドイツと日本の戦争の総括の仕方の決定的差異についての認識の甘さが

大東亜戦争を止めて太平洋戦争にした処に現れてるーそれが何故か?が我が眼目でしたが。


14. 2011年8月16日 18:00:29: FidpHjEKMg
>11. さん

>対支那との長期戦闘状態を「支那事変」と呼び、戦争とはみなしていなかった。したがって、中国戦と対米戦を同一軸で捉えるのは不適切である。

形式論理ですなw
だとしたら、ベトナム戦争だって戦争ではないはず。

>論理の飛躍があるね。

答の答
少なくとも、当方が記す下記スレッドを読んだ上で、言ってねw

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/103.html
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/104.html

その上で、もし議論したいのであれば「議論板」に来てね。
待ってるゼw


15. 2011年8月16日 18:08:59: tTrD7tBRQs

それは天皇制ヒエラルキーに入っている上流階級がね、天皇制がなくなったら自分たちの権益をすべて失っちゃうわけだからね、位から財産からすべて。、、上流階級としては国体護持が第一だということで終戦を延ばしに延ばしていたんですけど、・・・・・・・・・・・・・・・
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/mondai/gyakusatu.html
アジアの家族を虐殺した侵略強盗殺人の犯罪者とその共犯者が、千代田区九段に行けば英霊として祀られている。
祀られたくらいで家族を殺されたアジアの怒りから逃げられるわけでもないのに。

「大東亜共栄圏」って、強盗が苦し紛れにでっち上げたキャッチフレーズだよね。

天皇一族や軍上層部は「金(カネ)」のために戦線を拡大して行った、
自分たちの財産を増やすために、国民と国民資産を動員して犠牲にして行ったのだ。
今どきこんなことも知らないとは驚きである、というか情けない。

参謀本部の各トップは皆、どの財閥かと繋がって作戦を立てていた、
例えば関東軍は三井財閥の大豆利権を守るため張作霖を吹き飛ばした。
結果、、どれだけ戦線が拡大し、双方で命が失われたか?
天皇一族と横浜正金銀行の「強盗同志金銭愛」的な関係は、終戦時の
赤十字寄付のドタバタで世界に証明されている。
「大東亜共栄圏」とは
一部上層部の金儲けのキャッチフレーズだった。

国家予算と国民を利用して社会を破壊しながらカネを稼いで行くというのは
原発利権とクリソツなんだよね。

「列強と呼ばれた盗人帝国同士の殺戮が殺戮を呼ぶ文字通りのKITEGAI戦であった。」
http://esashib.web.infoseek.co.jp/poor01.htm

「、、国体護持のためにアメリカとは何も交渉せず、、結果、敗戦となるまでの間に特攻隊とか空襲、原爆で日本人は相当死んでいる。それは全部、国体護持ーつまり裕仁を天皇の座に置くということのためのみ、、それは天皇制ヒエラルキーに入っている上流階級がね、天皇制がなくなったら自分たちの権益をすべて失っちゃうわけだからね、位から財産からすべて。、、上流階級としては国体護持が第一だということで終戦を延ばしに延ばしていたんですけど、結局、そのために何十万という人間が死んで行ったわけですよ。、、第一級の戦犯です、それは誰が見たってそうであってね。、、絶対に許しがたいんですね。」(『昭和の劇』P486笠原和夫・荒井晴彦対談。)

ある高級司令部では政治経済の監督の責任を有する特務班の幹部全員が相語らって、巨額の公金を遊興の費に充てた。ある守備隊長は、富裕にして親日家たる華僑を惨殺して巨額の黄白(=金銀)を奪い、これを土中に陰蔽して他日の用に備えた。ある憲兵隊長は、愛する女に収賄せる多額の金額を与えて料亭を経営せしめ、その利益を貯えた。ある特務機関長は、関係せる女の父親に炭鉱採掘の権利を与えた。ある中隊長は戦地における部下の兵の携行する写真により、その妻が美貌の持主であることを知り、陸大受験のために内地に帰還するや、東京の宿にその兵よりの伝言ありと称してこの妻を誘い寄せ、忌わしき病気さえも感染させた。
海軍もまた、概ねこれと同工異曲であった。
否、陸軍よりもさらに腐敗していた。
呉の工廠では数年にわたって工廠長以下が出入り商人と結托し、多額の収賄を行った事件があった。ある地方では、海軍の兵が婦女子を強姦した。父兄が抗議すると、隊長は昂然として言った。「戦に負けて青目玉の子供を産むよりよいだろう」と。
さらに奇怪千万なるは食糧である。国民が一日二合三勺の主食の配給に、日に日に痩せ衰えつつあるとき、軍隊は戦時給養と称して一日六合の米麦を貪り食った。肉も魚も野菜も国民の配給量の数倍であった。国民が雀の涙ほどの配給に舌を鳴らしつつあるとき、ある師団の移転の際には、携行し得ざる二百石の清酒が残った。大都市の民が、椀の底が早えるような雑炊を主食の代りとして吸い込みつつあるとき、高級官衛に勤務しある軍人及び軍属は、外食券を用いずして二十五銭の弁当にその腹を膨らました。


16. 2011年8月16日 19:32:21: MWlAI8z46A
>>14

>形式論理ですなwww

 (貴方)対中戦と対米戦を同一地平で捉える視点。
⇒(当方)対中戦は「事変」の範疇。
⇒(貴方)だったらベトナム戦争はどうなんだ。
(答え)
「同一地平」の定義が曖昧だから、(結果として貴方の)論旨が逸れるのでは?

>少なくとも、当方が記す下記スレッドを読んだ上で、言ってねwww

「参照レス」は投稿内容のごく一部としか重複しておらず、投稿論旨への補完足り得ない。(読めばわかるという思い込みは貴殿の〼掻きに過ぎない。)

結論
----
「近代の超克」「試みの蹉跌」等昭和の流行用語を乱用することから、貴殿は70年代初頭、助教になりそこねて齢だけ食ったような爺様ではないかと推測する。
議論するだけ時間の無駄なので「議論板」への参加は固辞申し上げたい。


17. 2011年8月16日 19:53:17: vnVHrNYr8w

グーバリズムは自然の流れだ。

だから投稿者がほめ奉るヨーロッパでも、グーバリズムにうまく対応したドイツの一人勝ちになっている。

FTAもTPPもそのグローバル化の手段の一つに過ぎない。
グローバル化に対応できない国は、ギリシャのようにとことん落ちるだけ。

投稿者はその世界の流れがまったくわかっていないのだろう。
時代遅れの取り残された人間。

哀れだ。


18. フシギ空間 2011年8月16日 20:04:48: OmtZW.QhVGmO2 : r2tVGVhvoM
>⇒(当方)対中戦は「事変」の範疇。
今は日中戦争とも言うでしょ。

対中戦が「事変」とされているのは、当時の日本、中国地域ともに戦争と呼称すると
お互い都合が悪かったからという説があったと思うけど?


太平洋戦争、大東亜戦争がお互い不満なら
第二次世界大戦、アジア太平洋戦域で十分。
どっちにしても国内向呼称なんだから。

そもそもハワイやインドまで行っておいて太平洋のみや東亜のみはないのでは?


19. 2011年8月16日 20:08:22: TrnaioRW3S
FidpHjEKMg 投稿者 影の闇
この者理屈をこねるだけ、相手しても時間の無駄。

20. 2011年8月16日 20:46:12: nWChBTgBxg
>>12
[NATOとの混同、エネルギー、経済同盟として始まったEUの歴史さえ把握していない」
NATO設立の一番の目的は対ソ連。エネルギー経済同盟はあくまでEU設立の手段。
しっかり歴史把握してね。



21. 2011年8月16日 21:15:18: kFGC7xohUs
>今現在EUを事実上経済面で支配しているのはドイツだ、しかしこれはEU諸国に対
>してドイツが過去の戦争への心らの謝罪、援助、フランスをEUの表の顔に持ち
>上げたからだ。

http://www.47news.jp/CN/200707/CN2007072701000090.html
ドイツ人の請求権阻止を 追放者財産でポーランド

2007年の時点でドイツ・ポーランド関係は過去の戦争の件で「戦後最悪」とまで
言われていますね。

http://www.dw-world.de/popups/popup_printcontent/0,,1324630,00.html
2004年にポーランドがドイツに対して「戦争被害賠償請求決議」を行った時の試算によるとドイツが払うべき賠償金は6400億ドルと評価されていますな。

そのほか2008年10月22日イタリア最高裁(破棄院)は、1944年6月にナチスドイツ軍がイタリアのトスカーナ地方で行った虐殺に対する賠償請求訴訟で、ドイツ政府に対しイタリア人遺族に80万ユーロの支払いを命じる判決を下したけど、賠償支払いを踏み倒したり、2010年2月にギリシャのパンガロス副首相がやはり第二次大戦の賠償をドイツに求める発言をして、トラブったり第二次大戦の戦後処理を巡ってドイツと周辺国はしょっちゅう揉めてますよ。


22. 2011年8月16日 21:21:26: MWlAI8z46A
>>18 脳内フシギ空間 2011年8月16日 20:04:48: OmtZW.QhVGmO2 : r2tVGVhvoM

>太平洋戦争、大東亜戦争がお互い不満なら・・。

呼称についての神学論争をしているわけではない。
本質的問題とかかわりのない、くだらない横槍は慎まれたい。


23. 2011年8月16日 22:11:33: s5TiK3rC4o
>16.さん

>。ヨ同一地平」の定義が曖昧

論旨を把握しておれば、直ぐに、「同一地平」とは、対中戦も対米戦も、何れも自力生存圏(アウタルキー)を巡っての戦いであったということが分かるはずだ。
所謂「15年戦争」の全過程を見れば、自力生存圏の確立を求めた戦いの延長線上に対米戦が在ったのは自明。

>。ヨ近代の超克」「試みの蹉跌」等昭和の流行用語を乱用することから

www つまらんなあ、昭和を対象としているのだから、当たり前。


>貴殿は70年代初頭、助教になりそこねて齢だけ食ったような爺様ではないかと推測する

アフォくさ、邪推も含めて、貴殿の「結論」は、
心理的には、議論したくない為の言い訳、いわゆる<合理化>ってやつ。


24. 2011年8月16日 22:43:03: s5TiK3rC4o
>17. さん

>グーバリズムは自然の流れ

まぁ、自前で考えることをせず、メディアの表層の流れを何のギモンも無く過ごしているなら、そう感じるのは当然だろうな。 普通、それを刷り込みというのだが。w

>グーバリズムにうまく対応したドイツの一人勝ちになっている。

これは対応ではなく対処、「グーバリズム」に迎合せず、製造業を中核とする自国の体制を守ったことが「ドイツの一人勝ち」のジョーシキなんだが。

>グローバル化に対応できない国

で、グローバル化に上手く対応出来てる国って、キミの脳内以外に、一体何処に在るんだい?w


25. 2011年8月16日 22:55:10: s5TiK3rC4o
>20. さん

>NATO設立の一番の目的は対ソ連

無知だなあw それは表向きの理由。
本当の目的はドイツの制御ーそれを通したヨーロッパの管理。
西欧近代に通じておれば、それ位分かるはずだがw

冷戦とは、ソ連をジュニア・パートナーとする、ヨーロッパの管理がその真の目的だった、とぴうことも。


26. 2011年8月16日 23:06:09: s5TiK3rC4o
>18. フシギ空間さん

>そもそもハワイやインドまで行っておいて太平洋のみや東亜のみはないのでは?

だから、東亜じゃなく、大東亜と思いますが。

因みに、日本軍が進出した範囲は日本人のDNAの痕跡の範囲、と言った文学者が居ましたな。

>太平洋戦争、大東亜戦争がお互い不満なら

「お互い不満」とか、そういう問題ではありません。
官僚にせよ、異常な対米従属にせよ、根っこに在るのは何か?ということです。


27. 2011年8月16日 23:10:03: czgmpEBZRQ
 むかしの阿修羅(いまでも論議板ではそうなのか?)のようで、おもしろいです。
 いや、ただ面白がっているだけ(わけ)ではありません。

 たしかに少々「政治板」のテーマから、はずれるのだと思いますが、さきの戦争についての、総括や国民的議論がなされな過ぎて、国民も自国の歴史を知らなさ過ぎると思います。こういう国、国民もめずらしいと思います。
 よほど、「不都合な真実」でもあるのでしょうか。(15番さんの話には驚かされました)
 戦争って、皆そうなるのでしょうか?
 日本の歴史上特異な体質(天皇を中心とした神の国、元総理発言にもありました)からでしょうか。

 たしかに、「一系万世や五族協和」などと進出するほうが言っても、来られるほうは迷惑千万・御免こうむると思うであろう事は、いまの時代においては想像するのは容易です。
 そんな今では容易なことが、その当時、喧伝された。ほとんどの国民(日本人)が騙されていたということなのでしょう。(現在も続いているよ、という見方もできます)
 たしかに「国民の熱狂とマスメディアの扇動」もあったことは事実のようです。
 しかし、実際に戦場(戦争)で行われていた事(15番さんの書かれた)、そういう個々の事実や事件、神(日本のではないですよ)でもない限り、全て知りうることは不可能なのも実際のはなし。

 3人寄れば文殊の知恵、戦争の実態、動機やごまかし、大中小の権力者の横暴ぶり、自身や家族の体験や証言、こういう場で公開して猛省することができたらと思います。(私の父も(初年兵から)、満州に7年位行っておりましたが、戦争の話はほとんどしませんでした)

 いまどきの歴史教育(授業)でも、避けていますね。
 本当に、これでいいのでしょうか?


28. 2011年8月16日 23:23:36: s5TiK3rC4o
>21.さん

だからね、ドイツの姿勢は、かって仕出かした「自分勝手」「エゴイステック」のつけを払うことで、現在及び今後の姿勢を示してるわけでしょう。

そこには、お互い、打算を含め、色々な要素がある、ということ。

ゴチャゴチャ一方で揉めながら、他方当てにもされても、頼られてもいるわけでね。


29. 2011年8月16日 23:45:17: s5TiK3rC4o
>27.さん

>いまどきの歴史教育(授業)でも、避けていますね。
 

その理由を「大東亜戦争」→「太平洋戦争」の定着にみたわけです。
付け加えるなら、庶民レベルまでの「アメリカ信仰」とも深く繋がっております。


30. 2011年8月17日 00:06:14: MWlAI8z46A
>>23

>「同一地平」⇒ 論旨さえ把握していれば「同一地平」とは対中戦と対米戦の両者における自力生存圏(アウタルキー)を巡っての戦いを意味することが分かるはず。

Same horizonでは、いかなる国の人であっても意味が通じない。
「What daya mean?」とね。
注を要する個所はこれに限らず、また、論点も東アジア共同体、政治家の能力、官僚支配と多岐にわたり盛り過ぎ、田母神論文の如く逆に主旨がぼやけたものとなった。
主題を「太平洋戦争と自力生存圏」に絞り「議論板」で初手から書き直したら如何。
(読まないけど。)

>試みの蹉跌

「失敗」といえば済むことを、わざわざ「試みの蹉跌」とヒネルところが70年代風の似非インテリらしさ。対象が「昭和」だから云々という「かわし」は自覚症状のなさによるもの。
言わば、「アメカジ」とか称して、格好つけてるジジイのようなもので、わからないでもないが、古臭くて気色悪い。


31. 一隅より 2011年8月17日 00:22:19: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
投稿者 影の闇さんに質問です。

投稿の論の半分に賛同、半分は、私が論旨を理解できていないのか、うーん、どうかな?という感じです。

たとえば、>>23 のコメントの、
>「同一地平」とは、対中戦も対米戦も、何れも自力生存圏(アウタルキー)を巡っての戦いであった・・・
の部分。

対米戦がそのような戦いであった、とは、その通りであると思います。

しかし、おっしゃるように、「対中戦もアウタルキーを巡っての戦いであった」、とすると、
当時の日本の考える「自力生存圏」は、中国を(地理的空間としての中国ではなく、その地の人々の生活や産業なども含んだ中国を)含んだものなのですか。それともそのような意味での中国を含まないものなのですか。

かりに、含んだものであるとすると、なぜそのような中国と戦争になったのでしょうか。そのようなアウタルキーを確保すべく、中国とともにたたかうことができたはずではないでしょうか。

排除する(地理的空間としての中国という地域に暮らす人々の生活を抑圧し、その生産を搾取する)という意味での、「日本の自力生存圏」であるならば、対中戦争が行われたことは理解できますが。
(もちろん、抑圧し搾取しつつもその地域の近代化・発展に貢献するということはある、ということは承知です。)

フィリピン、インドシナ、ビルマ、インドネシアには、(その評価は二面的ではあれ)日本とともにたたかう人々がいた。
中国にはそのような、日本・中国を含んだアジアの自力生存圏のため、日本とともにたたかう人々はいたのでしょうか。

なぜ中国は対日戦争をたたかったのか。
以上が質問です。

いずれにせよ、投稿者の論のような議論が不足している、もっと深めることが必要だ、という、>>27さんの立場に賛成です。


32. 2011年8月17日 01:05:08: 8cnrmpj7rE
>大東亜戦争とは、少なくとも主観的には「大東亜共栄圏」、即ち自力生存圏(アウタルキー)を巡る戦いと認識されていたということ

この一文読んで早くも萎えたなあ。「主観」って誰の主観だよ?そんな形而上の綺麗事で一括りにできるとはね。
>>15氏の議論に全面賛同でもないが、まあ似たようなイメージ。ことに「原発利権とクリソツ」に全面賛同。歴史は繰り返す。
「大東亜共栄圏」なんて、戦略なき覇権主義で四面楚歌に陥った無責任な為政者どもの苦し紛れのでっち上げ。こんな連中の自己憐憫に60ン年経っても真面目に付き合おうとする方の多いこと多いこと。その健気さ(奴隷根性)に涙が出ます。こんな議論したら日本が東亜の盟主に復帰できるとでも思ってるんですかね?馬鹿馬鹿しい!


33. 2011年8月17日 01:17:53: 6Jixoih2tI
現在、日本人の8割が親米で、日本人の9割が嫌中だと言われております。嫌な世の中になってしまいましたね。日本人の価値観は、むしろアジアに近いと思うのですが。

興味深い文章が有ったので貼っておきます。

アジアと米国の価値観競争
http://blogs.yahoo.co.jp/wdbkwy/64057232.html


34. 2011年8月17日 11:06:30: tQ7svgzaAI
影の闇の粘着気質は相変わらず。
自分だけが正しい。コメントは必ず論破せずにはいられない。
実社会で遭遇したら、厄介な人物だろうね。

35. 2011年8月17日 12:17:42: MWlAI8z46A
「影の闇」はマンションのエレベータ出口に張り付いた蝉の如し。
真夜中、ジージーとうるさい場合には、かんたんマイペットを噴きつけて追い払う。



36. 2011年8月17日 16:46:54: XDP6Dpl9aA
>30. 2011年8月17日 00:06:14: MWlAI8z46A

>Same horizonでは、いかなる国の人であっても意味が通じない。

英語に直せば、それで何か言ったことになるんかい?ww

オマエさん、哲学の類いの本読んだことはないだろ?
労を厭わず読んでみなとまでは言わぬが(能力の問題もあるからね)、せめて「同一地平」でググッてみなよ。 哲学書でなくとも、こういった使い方は頻繁になされてるのが分かるだろう。

>多岐にわたり盛り過ぎ、

笑) ところがね、<軸>は一貫しているのー或いは、<視座>は同じなのね(同一地平)。

だから、これは現在の政局にも適用出来るわけさ。
現在の自民党の源流は吉田派と岸派、そのルーツは薩長(維新主体勢力)=<統治>。
対する民主党の小沢・鳩山派のルーツは明治の自由民権運動の流れを汲む在野勢力=<代表>。
従って、小鳩を排する「大連立」とはかっての「大政翼賛会」の再現ー政党が官僚に屈服した姿だ、とね。


>。ヨ失敗」といえば済むことを

笑) 失敗でも挫折でも、文章としての据わりが悪いからさ。
こんな処に引っ掛ってるのを見ると、オマエさん、文学的な素養にも欠けてるな。w

哲学的素養も無い、文学的素養も無い、教養というものが空っぽということになると、、、

結論の前

アンタ、ひっとして、”ゆとり”なのかい?w


37. 2011年8月17日 16:48:59: XDP6Dpl9aA
>31. 一隅よりさん

>中国にはそのような、日本・中国を含んだアジアの自力生存圏のため、日本とともにたたかう人々はいたのでしょうか。

汪兆銘政権がそうです。


また、その中国(南京国民政府)も含めて他のアジア諸国を集めて開いた「大東亜会議」やその「大東亜共同宣言」に見られる通り、形式的には一応整えていました。 形式的にはね。

>なぜ中国は対日戦争をたたかったのか。

加藤陽子著「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読んでみることです。
目から鱗ですよ。
その中で、「日本と中国が競いあう物語」として、アメリカの歴史学者キンボールの論考を紹介しております。

「日本人と中国人にとって、戦争や戦いは、give and takeの一つの形態にすぎないのだった。日本と中国にとって、二国間の均衡をどちらがリードするか、それをめぐる長い競争は、文化的にも社会的にも経済的にも、また「知の領域」においても争われたのだった。」


これを次の様な視点で見て下さい。
日本が支援する南京国民政府(汪兆銘政権)、米英が支援する重慶国民政府(蒋介石政権)、そうしてソ連が支援する延安共産党勢力(毛沢東)。
中国のそれ以前の国内状況は、日米(英)ソの代理戦争の面を持ちながら、他方では、当事者中国においては、(世界を巻き込んだ)<三国志>的な駆け引き=政治であり、あくまでも軍事はその手段でした。
(だから、蒋介石と毛沢東の同盟は、言うならば、北から攻めて来る強大な曹操軍(日本軍)に対して、劣勢に立った呉(蒋介石)と蜀(毛沢東)が共同戦線を張って立ち向かった、ということ)

しかしながら、その危うい均衡を一挙に崩し、軍事的に圧倒して、日本有利な状況を作り出そうとしたのが関東軍。 彼らの念頭にあったのが満州での成功、その立役者である石原莞爾に対して、対中国強攻策の中心人物である武藤章が言い放った言葉”貴方が満州でやったことをやったのだ!”。

つまり、満州国の拡大版を中国に夢見たわけです。 私がナチスドイツ同様、「力づく、手前勝手、エゴイスティック」と見るのはそれ故です。
表向きは、満州国と同じく独立国家、しかしながら内実は日本の軍事的制圧下にある傀儡国家。
これは上の「大東亜会議」に集まったアジア諸国と同じ様になったでしょうが、但しこれは何も日本の専売特許ではなく、ドイツは勿論、米ソもその点(軍事制圧下にある傀儡政権)では本質は変わりないのです。
現在の日本も韓国もね。

ただ、彼我の違いを言うなら、日本が民族主義の枠組みを越えることが出来なかった、普遍的な理念を打ち出せなかったということ。
米(ソ)が打ち出した、民族を超える<普遍主義>に<民族主義>が敗れたーそれが第二次大戦の本質です。
そうして、このことが戦後の<普遍的理念>=イデオロギーの時代の登場を告知したのです。


38. Orwell 2011年8月17日 18:57:44: bfo9K1lAhau4I : xX022S5enE
TPPを礼賛していた経産省の局長が、原発事故でスポークスマンとなり、そして不倫でテレビ画面から姿を消した。悪夢を見ているようだ。
北海道の原発が再開されるとの報道。しかも知事がOKを出すとのこと、地方の問題ではない。日本の国難をどうするかだ。原発は,当分の間やめるべきだ。鎮魂にならない。外国支配が続くだけだ。暴走した原発は,外国製ではないのか。寿命を延長したからではないのか。カネに狂ったからではないのか。

39. 2011年8月17日 19:32:23: MWlAI8z46A
>>36

>同一地平

「異なる地平」など初めから存在しないのだから、汎用性のない和製哲学用語を阿修羅で振り回しても、痛いだけ。
だから、オタクは助教になりそこねの似非インテリだというのだ。
上滑りな和製哲学書を読むくらいなら、漢籍を読んだほうがマシだろ。

>オタクの軸と視座

万華鏡か花電車のようなもんだ。(本人だけが納得)

>蹉跌

例えば、青春の蹉跌などの言い回しは「ソープ」をわざわざ「トルコ風呂」と言い直すような違和感がある。古臭いと言われただけでムキになり「文学的素養」を持ち出すオタクの素養は腐食しているね。

>31さんの質問に対する回答

>>31さんの質問は「なぜ中国は対日戦争をたたかったのか。」ということだ。

>>37で縷縷述べているオタクの視点とやらは、如何にもトウシロらしく「同一地平
的」で、下記の重要ポイントが抜け落ちているね。

・第1次〜5次の「围剿」
・西安事件〜国共合作に至るまで
・中国共産党が目論んだ「漁夫の利」と抗日宣伝工作
・対日不戦は蒋介石の「政治的死」を意味するものだった。

結論:

@ 和製近代史書籍と上滑りな新書類のコピペをもとに投稿するものだから、中国近代史に係わる質問をされても、Fランク大の学生のような回答しかできてないわけね。

A まずは毛沢東選集1〜5巻でも読んだら・・。(訳本があるかどうかは知らないが。)



40. 仁王像 2011年8月17日 20:14:06: jdZgmZ21Prm8E : zqw7Lv8Ckk
 この陰間屋なるグシャグシャとは、19番さんご指摘の通り議論しても無駄。論客としての当事者能力がない↓。
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/681.html#c5

 また、34番さんご指摘の通り「超難物」(+ナルシスト)である。
 この陰間屋、8月になると化(でて)くる。  

 (15番さんの識見に感服)


41. フシギ空間 2011年8月17日 20:44:30: OmtZW.QhVGmO2 : hO9iHXj6uc
22氏 いきなり罵倒から始めて慎まれたいとは片腹痛い。

26氏
>>そもそもハワイやインドまで行っておいて太平洋のみや東亜のみはないのでは?
>だから、東亜じゃなく、大東亜と思いますが。
全く理解できないのですが。

>官僚にせよ、異常な対米従属にせよ、根っこに在るのは何か?ということです。
太平洋戦争と言えば異常な対米従属だとか、逆に劣等感の塊のような気がしますよ。


42. 一隅より 2011年8月17日 22:01:51: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
>>37 「影」さん

>日本が支援する南京国民政府(汪兆銘政権)、米英が支援する重慶国民政府(蒋介石政権)、そうしてソ連が支援する延安共産党勢力(毛沢東)

この見方には、完全に同意です。
(ただ、こう見ると、米英仏蘭の完全植民地だったフィリピン・東南アジアとの違いも出てきますが。)


ただそうすると、>「対中戦も対米戦も、何れも自力生存圏(アウタルキー)を巡っての戦い」といえるかは、相変わらず疑問です。

そうではなく、次のようになりませんか。

ここには、(日本の)「対中戦」というたたかいは無かった。
中国大陸(=そこに暮らす人々、そこにある生産)を舞台としてあったのは、上の3つ(日本、米英、ソ連・中国共産党)の各・自力生存圏を巡っての戦いだった。
それが、各々中国の人々を巻き込んでたたかわれた。
つまり、日本にとってあったのは、対米英戦、(と、それとは異質の)対ソ共・中共戦であった。

もしこのようにとらえられるのであれば、巨大で複層的だったあのたたかいのそれぞれの方面戦(あるいはその全体)をどのような名称で呼ぶかは、まさに歴史の見方の問題であり、いまあらためて適切な呼称が与えられなければならない、とは思います。
このうち一面のみをとらえ、一貫して「太平洋戦争」と呼ぶことを押し付けられてきた戦後日本のありかたの問題性も、おっしゃる通りでしょう。


しかしそうだとすると、これを「大東亜戦争」と呼ぶことによっても、とくに問題を考えるうえで役立つとも思えません。

なぜなら、「大東亜戦争」というとらえかたでは、この(百年来の)日本対米英戦(単純化のため、対ソ、対仏蘭=東南アジア、潜在的な米ソ戦などの要素を除く)の、ある立場からのとらえ直しにしかならない、と考えるからです。

この立場からは、(百年来の)日本対米英の相克の歴史的由来、その目指すところ、思想的基盤は適切にとらえ返されるかもしれません。

しかしこの立場からでは、アジア(たとえばそのうち中国)で行われた、上の3つ(日本、米英、ソ連・中共)の各・自力生存圏を巡っての戦いを決したのが(あるいはいま決しつつある/将来決するのが)、何であるかは決してとらえられないからです。

問題を考えるうえで必要なのは、アジアたとえばそのうち中国で生きる人々が何を選び、そこにある生産が何を目指してされた/されるのか、を考えに入れることです。
たとえば1930年代、40年代、中国の人々は何を考え何を選んだか。その結果、上の3つ(日本、米英、ソ連・中共)の各・自力生存圏を巡る戦いはどう決したか。

「大東亜戦争」というとらえかたでは、これを考えることはできないのではないでしょうか。


>「米(ソ)が打ち出した、民族を超える<普遍主義>に<民族主義>が敗れた」

この見方にも賛成です。

つまり、米英の「デモクラシー」、共産主義「インターナショナリズム」、最近なら、イスラム(原理)主義。
これらが(それが偽物か本物か、評価はともあれ、一応は)、普遍性をかかげ目指したのに比べて、たしかに(大)アジア主義はそのような普遍性に達することがなかった。
「アジア(民族)主義」は、ついに日本民族主義(と中華思想との相克)を超えることはなかった。

これがその、(デモクラシー等々のもしかするとインチキ思想に比べての)、決定的な弱点であり、すなわち、「大東亜」の思想を今さら問うても、何ら益するところのないしるしなのではないでしょうか。


43. 2011年8月17日 23:41:34: GRuxBcb1gE
>39. 2011年8月17日 19:32:23: MWlAI8z46A

>ムキになり

ムキになったのはどちら?w
チョーハツにのって、案外単純というか、ナイーブなんだな。

>汎用性のない

「汎用性のない」かどうか、ググッてみれば分かること。

>和製哲学

日本語で表現、伝達しているのだから、意味の無い返しだ。

しかし、結局、論旨及び論点に即して批判するのではなく、単に、言葉にケチ付けてるだけじゃん。
以下の部分を除いてね。


>下記の重要ポイントが抜け落ちているね。

おう、これはしまった。 説明不足であり、落ち度は認める。
日本軍の中国侵攻が決定的なポイントだったとして、その先を言っていなかった。
日本軍言う「現地調達」ー蒋介石の言う「三光」、つまり兵站(Logistics)を無視した無茶な作戦が中国民衆の反発を生み、抗日意識とナショナリズムを高めた。 それを巧く組織化し、総力戦(Total War)の時代に相応しい陣形を作り上げたのが毛沢東の「人民戦争」だ。
結局、中国人のナショナリズム(の高まり)を読み間違ったのが日本であり、遅れを取ったのが蒋介石だったということ。
だから、C・ジョンソンが指摘しているように、共産党政権を作ったのは日本軍だった、ということ。
そうして、「抗日意識」でナショナリズムを創ったことは現在にまで尾を引いてる。


44. 2011年8月18日 00:57:30: MWlAI8z46A
>>43

>@ 哎呀!糟糕!(ありゃ! しまった!)説明不足だった。落ち度は認める。

⇒ 指摘した4項目の遺漏ポイントが、>>43でほとんど反映されていないね。
ググッてから手際よく繋げていたのでは、無知がバレるもんな。

>A 日本軍の中国侵攻が決定的なポイントだったとしてその先を言っていなかった。

⇒ その先の講釈などどうでも良いが、決定的なポイントは「盧溝橋」で演習していた皇軍に対して、劉少奇の手下がチャチャを入れて発砲したことだね。

>B 皇軍が「現地調達」と云い、蒋介石が言うところの「三光」、つまり兵站を無視した無茶な作戦が中国民衆の反発を生み、抗日意識とナショナリズムを高めた。

⇒そんな単純なものではないね。蒋介石だって逃げる前に村を焼き払ったり、逃げた後に橋を爆破させたりしてたんだから。また、抗日意識だけなら、五四運動を起点としてとっくに目覚めていたよ。
(問い)
●大規律●項注意って、なんのことだか知ってる? (知らないだろうな・・。)

>C それを巧く組織化し、総力戦(Total War)の時代に相応しい陣形を作り上げたのが毛沢東の「人民戦争」だ。

⇒ 毛沢東が生きてたら「そんな洒落たもんじゃないね。皇軍に対しては<持久戦>をやっただけだよ。ヒヒヒ。」と言うだろう。

結論:

毛沢東選集(三一書房)を全編読破してから、@〜Cを読み返したら「俺って、かなりこっぱずかしいことホザイていたな。」と、反省しきりとなるだろうよ。
また、支那事変に至る骨子があやふやならば、大東亜戦争を大いに語ってみても、基礎工事が手ヌキの木造家屋のようなもんで、危なっかしくて見てらんないね。
それこそが、オタクのいう「同一地平」ということじゃないの?


45. 2011年8月18日 20:46:23: yOzT60vxPI
>42. 一隅より 2011年8月17日 22:01:51: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ


>ただ、こう見ると、米英仏蘭の完全植民地だったフィリピン・東南アジアとの違い


いや、日本からすれば、南京国民政府(汪兆銘政権)以外は白人勢力の傀儡(政権)としか見てないわけで、その意味では他のアジア諸国とも本質は変わらない、ということでしょう。
だから、「白人勢力からの解放」を謳う「大東亜宣言」も出て来るわけで。

>「対中戦も対米戦も、何れも自力生存圏(アウタルキー)を巡っての戦い」といえるかは、相変わらず疑問です

いや、対中戦とは言っても、常にその背後に米英の影を意識していたわけで、<本当の敵>米英の手先(蒋介石)程度の認識でしょう。
米英による対蒋支援ルートを切断すれば蒋介石政権は直ぐ潰れると見ていましたからね。
中国人は<国家意識>も持てなければ、<民族意識>も持つことは無い、と見做しておりましたから。
言わば有象無象の集まりで、烏合の衆に過ぎない、と。

だから、貴方の仰る通り、
>つまり、日本にとってあったのは、対米英戦、(と、それとは異質の)対ソ共・中共戦であった。

但し、共産党だって”八路共匪”、盗賊の類なんですから、国家としての<敵>ではない。
やはり<敵>は白人国家(列強)だということになる。


>しかしこの立場からでは、 ー略ー各・自力生存圏を巡っての戦いを決したのが(あるいはいま決しつつある/将来決するのが)、何であるかは決してとらえられないからです。

石原莞爾は、戦争の結果、大きな塊が4or5個出来ると思ってたようですね。
戦後のソ連圏とはその一つ、文字通り自力生存圏(アウタルキー)だったわけです。
それが壊れて、いよいよ塊は無くなるのか?と思ったらEUが出て来た。
そうして、それを契機に、各地域で様々な繋がりや集合が出来てきている。

従って、一つのモデルケースとして、EUをどのように見るのか?が問われるだろうと思うのです。
無論、それは自力生存圏(アウタルキー)とは言えぬ、しかしながら<環境>とか様々な規制を通して、ヨーロッパという「生存圏」を墨守しようとする姿勢が目に付く。 しかもその「圏」はと言えば、その多くが「第三帝国」の範図と重なるとすれば、やはり、生存圏(レーベンスラウム)の思想は生き続けている、と思わざるを得ない。

一方でグロ−バリズムに棹差しながら、他方では自らの生存圏は守るという、ヨーロッパの知恵は参考になるだろうと思うわけです。

つまり、かっての排他的なものとは異なり、様々な諸関係(そこにはグローバルなものも有るでしょう)を受け入れつつ、基本は環境乃至生態系に根差している在り方は我々にとってもヒントに成り得る。

鳩山政権が掲げた「東アジア共同体」に替わって、菅政権(というより、アメリカの意図を受けた霞ヶ関)が掲げた「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」、これは私には「大東亜戦争」を止めて「太平洋戦争」に呼称を変えたことにダブり、同じ政治的力学働いているように思えます。

やはり、自前で「生存圏」の思想を鍛えてこなかったことが響いてると思わざるを得ないのです。

>。ヨ大東亜」の思想を今さら問うても、何ら益するところのないしるしなのではないでしょうか。

これはね、これまでとは全く異なる、新しい世界観や歴史観に立つ思想(その意味で新世界史の哲学と言えばいいでしょうか)で問うてみようと思います。

「大東亜戦争」とは本当は何だったのか?

歴史観や世界観の一新で、見ている物事がガラッと変わるーそのようなものを構想しております。
(披露するのはこちらではありませんが)


46. 2011年8月18日 20:54:02: yOzT60vxPI
>44. 2011年8月18日 00:57:30: MWlAI8z46A

>指摘した4項目の遺漏ポイントが、>>43でほとんど反映されていない

?? それはアンタのポイント、当方はそのようには見ていない。
で、当方はどのように見ているかを示しただけ。

>ググッてから手際よく繋げて

ww コメント欄だし、これは相手次第だね。 やる気の無い相手にはそれなりの対応をしている、ということ。


>決定的なポイントは「盧溝橋」で演習していた皇軍に対して、劉少奇の手下がチャチャを入れて発砲したことだね。

何だ、陰謀論者かよ。 大したクロートだな、おいw
お里が知れる、程度がバレるぜw


>抗日意識だけなら、五四運動を起点としてとっくに目覚めていたよ。

そう、だから、問題は、やはり、ナショナリズムなのさ。 ナショナリズムの創出、「国民」の創出。
蒋介石のそのような態度も、国民意識の形成を怠り、ナショナリズムを疎かにしていたことの現われ、と見て取れるのだからね。


>毛沢東が生きてたら「そんな洒落たもんじゃないね。皇軍に対しては<持久戦>をやっただけだよ。ヒヒヒ。」と言うだろう

ところがね、この「人民戦争論」はボーグェン・ザップに引き継がれ、ベトナム戦争で最大限の威力を発揮するんだから、重要なポイントなのさ、ナショナリズム絡みでね。
”アメリカはベトナムのナショナリズムに負けた”と言ったのは宮沢喜一元首相ー但し、当時、世界的に高揚したベトナム反戦運動という「反世界システム運動」(ウォーラースティン)と連動したことによって、と付け加えておくが。

日本が中国で見誤り、アメリカがベトナムで見誤ったのがこのナショナリズムということ。
人民戦争とナショナリズムの関係を注視するのは、ゲルナーの理論に疑問があるからで、産業化が必ずしもナショナリズムの契機ではない、必要条件ではない、と思っているのでね。


>●大規律●項注意って、なんのことだか知ってる? 


そういやあ、以前、それを捩ってるのかパロってるのか分からない、”五つの大切、十の反省”なんてこと言って、失笑を買った政治家が居たような、、、(笑)

>支那事変に至る骨子があやふやならば、大東亜戦争を大いに語ってみても

一体どちらにポイントを置いて言ってるわけ? 日本?中国?
アンタの論点からだと、中共の陰謀なり謀略に嵌って、、、ということになるのだが、もしそうであれば最早意味はない、クダラナイというしかないね。

何故なら、何時の時代でもどの国でも陰謀や謀略は在るのであり、「謀略に負けた」とするなら「その程度の国家だった、それだけ無能だった」と言ってるに過ぎないのだから。
ちょうど対米戦を”ルーズベルトの陰謀”の所為にする(それさえ、最近ではコミュンテルンの陰謀に乗せられた、となってるが)のと同断であってね。
こういった態度は裏返しの自虐論なんだな。
被害者意識だけ誇大化して、常に誰かから不当な扱いをされている(それだけ惨めな存在!)ということだから。 ーネットウヨのメンタリティだな。

そういやあ、当方を”団塊”と思い込んだのか、つまらんケチ付けに終始しておったが、何かあの世代に含む所があるのかな?
もしかして、”オーバードクター”か何かは知らぬが、アブレて、一番上の奴らめ早く退け、との日頃の鬱憤が溜まって、、、なのか???w


>>支那事変に至る骨子があやふやならば、大東亜戦争を大いに語ってみても

裏返しにすると、同じことがアンタにも言えるわけさ。
H・ミアーズじゃないけど、中国は日本の鏡みたいな面もあるし、日本近代史の骨子があやふやならば、(アンタが専門家であるとしても)アンタの(支那事変に止まらず)中国近代論も「基礎工事が手ヌキの木造家屋のようなもんで、危なっかしくて見てらんない」とね。


47. 一隅より 2011年8月18日 23:51:22: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
影の闇さんの論とは、考えていることが少しずつ離れて(ズレて)きているかも知れません。

論考は、こう始まっていました。
 ↓
>日本命名の大東亜戦争からアメリカ命名の太平洋戦争へ何故変わったのか?
>何故、日本はそれを受け入れ、それどころか定着することになったのか?

戦後日本人の戦争認識・歴史意識の対象が、なぜか狭く「太平洋戦争」に限定されてきたことの問題性は感じます。
もちろん米日支配層の目論む「戦後教育」のなせるわざです。

「太平洋戦争」という認識は、アメリカの民主主義(正義)に日本の軍国主義ファシズム(邪道)が敗れた、というインチキ結論につながります。

これを中国・アジアでの戦争から太平洋地域でのアメリカとの戦争も含めて、「大東亜戦争」と呼べば、アジア太平洋をめぐる諸勢力対等な「覇権」争いとなる。

これを右翼的にいえば、「だから日本には、欧米に対抗するアジア解放の大義があった」となる。

これを戦後左翼的にいえば、「だから、日本の(対中)15年戦争・アジア侵略は、やがてアメリカと衝突し太平洋戦争になった。そして結局日本のアジア・中国侵略には大義がないからアメリカに敗れた」という史観になる。

そして、このように単純右翼的あるいは左翼的でなく、より客観的な歴史認識を目指し、そこから出発しようとする志向もあろう。


ところで、その客観的・科学的歴史認識とは、「歴史の実相を諸勢力の覇権争いとして」とらえる立場である、と考える向きがある。

影の闇さんの論考にもその傾向があるようだ。
そこで、南京政府・重慶政府・延安を根拠地とする勢力を各々自らのカイライとした日本・米英・ソ共勢力の覇権争い、という構図で考えてみた。
影の闇さんいうとおり、形式的には一応かたちは整っていたからだ。

影の闇さんももちろんこれは「形式的」なことと承知で、むしろ(それをダシに)そこから、日本・アジアのために、民族主義的なアウタルキーを超えた、より普遍性をもったアウタルキーを(戦後ドイツやEU、鳩山・東アジア共同体を例に)構想しようとしているようだ(推測です。違っていたら失礼)。

しかし私は、そのような見方(=諸勢力の覇権争い)からは、中国・アジア近現代史の何も見えてこないことを示そうとした。
繰り返し、「その時、中国に生き暮らす人々が何を考え、望み、選んだか、を視野に入れなければだめだ」、と書いた。
>>39、44さんが、繰り返し、毛沢東を読め、と言及しているのも同じ趣旨かも知れない。これも推測で、違っていたら失礼。)


ところで(話は変わるが)、最近人気の加藤陽子氏にもこの傾向(=歴史は諸勢力の覇権争い)がありませんか。

だから私は、(氏は)ある種のトンデモ学者じゃないかと思っています。
見当ハズレの、何ら切り込むところのない方法を道具として振り回す、という意味で。

それに氏は、「それでも日本人は」なぜ戦争を選んだか=戦争とは本来避けられるものならば誰もが避けたいものなのに、という前提でいるようです。

ある種の戦争は、望んでするもの、商売になるもの、必要なら口実をでっち上げてでもある種の人々にとっては「したくてたまらないもの」だ、という視点がないようです。

だから私には、単に戦争ごっこ・政治ごっこ大好き「学者」に見えます。
(戦争好きという意味ではない。戦争や権力争いを通してしか歴史を見られない、という意味で。)

昔から(歴史研究と称した)この手の論が多すぎます。


影の闇さんの >>45 「大東亜戦争」とは本当は何だったのか? は必要な問題提起です。
アメリカとの関係を客観視し、新しいアジア世界を志向しようとすることにも賛成です(これも推測で失礼)。

しかしもし出発点に、「歴史は諸勢力の覇権争い」とする見方があるとすれば、賛成できません。


48. 2011年8月19日 00:51:49: MWlAI8z46A
>>46

@ 4つの重要ポイント

・第1次〜5次「包囲討伐」
・西安事件〜国共合作に至るまで
・中国共産党が目論んだ「漁夫の利」と抗日宣伝工作
・対日不戦は蒋介石の「政治的死」を意味するものだった。

>当方は上のような見方をしていない。

意見@
上の見方をしないのはオタクの勝手だが、抗日戦争にかかわる記述で「西安事件〜国共合作」を除外したら共産中国の15歳からも失笑をかうだけだね。


A 七・七事変

意見A
事変の起因について、説明がないね。オタクは>>43にて記述の通り、日本軍が勝手になだれ込んで侵略をおっぱじめたとでも云いたいわけ? 
共産軍による関与・挑発は共産党の公式見解だが、それも知らないオタクは、かなり無知のようだね。

B ナショナリズム

意見B
オタクは、抗日戦争の主たる原動力が「ナショナリズム」にあるようなことを言っているが、
ナショナリズムはその構成要素の一部に過ぎない。
むしろ、共産党の抗日宣伝工作と共産軍の「discipline」が広範な大衆の支持を獲得する上で重要な原動力となったのだ。
それらについてよく知らないオタクは、敵側の事情をナショナリズムという柱一本で支え、屁理屈の上に別途「ベトナムの反米ナショナリズム論」で糊塗しているからこそ、論述の骨子がやわく、安普請だと批判しているのだ。
また、「三大規律八項注意」くらい、共産中国の小学生でさえ知っているゾ。
(ググれないよう伏字にしたら、案の定支離滅裂な回答だった。)

そして、オタクは哲学関連で「同一地平」「蹉跌」などの和風概念がお好みのようだが、抗日戦争にかかわる文献としてはZap、Gerner、Stine等、第二級資料に傾斜しているため、説得力がイマイチだ。
(歴史上の当事者が記述したものを第一級資料と呼ぶ。すなわち毛沢東選集が第一級資料にあたる。)

C ベトナム戦争論

>ところがね、この「人民戦争論」はボーグェン・ザップに引き継がれ、ベトナム戦争で最大限の威力を発揮するんだから、重要なポイントなのさ、ナショナリズム絡みでね。
”アメリカはベトナムのナショナリズムに負けた”と言ったのは宮沢喜一元首相ー但し、当時、世界的に高揚したベトナム反戦運動という「反世界システム運動」(ウォーラースティン)と連動したことによって、と付け加えておくが・・・・・。

>アメリカがベトナムで見誤ったのがこのナショナリズムということ。
人民戦争とナショナリズムの関係を注視するのは、ゲルナーの理論に疑問があるからで、産業化が必ずしもナショナリズムの契機ではない、必要条件ではない、と思っているのでね。

意見C
全部余分。投稿内容と関わりがない。

D 日本近代史の骨子

意見D 恰も「無的放矢」の如し。オタク大丈夫?


49. 2011年8月19日 21:14:16: ZFFQyC2MFU
>47. 一隅より 2011年8月18日 23:51:22: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ

>もちろん米日支配層の目論む「戦後教育」のなせるわざです。

私は、それは重要ではあるが、やはり、一面的と考えます。
何故なら、それでは教育を受ける側、国民一般の側からの問題(視点)が欠けているからです。
積極的であれ消極的であれ、何故それが国民の側に受容されたのか?ーという問題。


文学理論で、H・R・ヤウスの「読者の期待の地平」というものがあります。
つまり、従来の作家や作品中心に偏っていた文学研究に替わり、<読者>という「第三階級」を入れ、この「第三階級」を中心に作家論や作品論を構成していくやり方で、作者と読者が共有する<期待の地平>で作品は書かれ、或いは読まれていく、という考え方です。

私はT・クーンの「科学革命の構造」でいう<パラダイム>(認識の枠組み)とも発想を同じくするこういった視点を有効と考えますし、そういった立場に立てば、上記の問題も、単に「米日支配層の目論み」だけではなく、国民の側にもそれを受け入れる要因なり要素が在ったー従って、双方が一致した<期待の地平>とは何か?−という問題になるのです。

そして、そこからいけば、「アメリカの民主主義(正義)に日本の軍国主義ファシズム(邪道)が敗れた」という結論は、双方にとって都合が良かったからーとなる。
ーそういったスタンスの延長線上に、今日の異様な対米信仰がある、と見るべきです。

そうじゃないとすると、一隅よりさんの観点からだと、国民大衆は、<エリート>からの一方的な働き掛けを受容し、唯諾々と従うだけのー自ら考え、選択する能力なんて持ち合わせないーただ騙されるだけの無知蒙昧の存在となる。
 −これは、形を変えた大衆蔑視というものではないでしょうか?

何故こんなことを言うかというと、原発事故で一躍脚光を浴びた一冊の書物に接して、改めて、深くこの問題を考えさせられたからです。
「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか(開沼 博)

「原子力ムラ」(ここでいうムラは原発所在地の地域)の人々は何故積極的に選択し、能動的に原発を「抱擁」(受容)して来たのか?ーそこに幸福感さえ感じたのか?−を問うて、受け入れた大衆の側の問題を提出しているからです。
しかもそれは、ここで用いてる「抱擁」(受容)という言葉が対米敗戦後の日本を論じた「敗北を抱きしめて」(J.ダワー)から着想を得ている通り、上記と同一の問題を内包したものだからです。

<エリート>(加害者、騙す側)と<大衆>(被害者、騙される側)という二分法ではなく、両者が共有する<期待の地平>こそが対象化されなければならない、と思う次第です。

そういった問題意識を持って、敗戦前までの日本を眺めてみたらどう映るのか?
少なくとも、加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選択した」はそういった視点を内包したものですし、一隅よりさんが危惧するような要素はあまり感じられませんでした。

第二次大戦までは「歴史は諸勢力の覇権争い」という見方(その震源地は西欧で、普通に言えば、帝国主義というのですが)が幅を利かしていましたし、それまでの戦争を論じる以上、そういった要素は常に付き纏うものでしょう。

帝国主義の時代から帝国の時代へーアメリカ一極支配が謳われた時、この「覇権争い」がアメリカの勝利とされて、アメリカ=<帝国>のイメージが浸透した時期もありましたが、中国等の台頭もあり、いまではむしろ、19世紀の帝国主義の時代に戻るかのような言説が罷り通ってますが、私はこのような立場(歴史は諸勢力の覇権争い)を取りません。


>しかしもし出発点に、「歴史は諸勢力の覇権争い」とする見方があるとすれば、賛成できません。

むしろ、イメージ的に言えば、”覇道”ではなく、”王道”に近いのですが。


>その時、中国に生き暮らす人々が何を考え、望み、選んだか、を視野に入れなければだめだ

もう一つ、この<期待の地平>という観点を取り入れれば、貴方の言う「中国に生き暮らす人々が何を考え、望み、選んだか」も視野に入って来るはずです。

即ち、その当時の中国人の<期待の地平>に最もよく応えたのが共産党だった、ということです。


50. 2011年8月19日 21:22:38: ZFFQyC2MFU
>48. 2011年8月19日 00:51:49: MWlAI8z46A

オタク大丈夫?ww


>共産軍による関与・挑発は共産党の公式見解だが、

オヒオヒ、「公式見解」が客観的な事実かよw
普通、「共産党の公式見解」とは党の宣伝プロパガンダの類じゃないのかね?ww
従って、下記の件も、如何に「教育」等で子供に刷り込まれてるのかを示してるんじゃないの?w

>共産中国の15歳からも失笑をかうだけだね。

そんな視点も持ち合わせていないクロウトなんて、これからは括弧つきの専門家、「自称専門家」と呼ばせてもらうぜ!
少数の例外を除いて、元々「中国の専門家」というのを当方信用しておらないし、「専門的知見」も眉に唾を付けてみているのだが、それさえ必要ないみたいだなw


>。ヨ三大規律八項注意」くらい、共産中国の小学生でさえ知っているゾ。
>。ハググれないよう伏字にしたら、案の定支離滅裂な回答だった。

マサカと思ったが、マジに言っていたとは!!!
思わず吹いて仕舞ったではないか!
「質問」が余りに初歩的過ぎて、馬鹿馬鹿しく、マトモに受け取れなかったので、「日中国交回復」時の中国ブームの頃、「三大規律八項注意」にインスピレーションを得た田中角栄氏が選挙で使ったスローガンを挙げて、その応えとしたのに。

>歴史上の当事者が記述したものを第一級資料と呼ぶ。すなわち毛沢東選集が第一級資料にあたる

愚かだねえ、「第一級資料」にしても、どのように読むのか?即ち資料批判が出来るのかが問われるのであって、「第一級資料」だから、という即事実とは限らんだろ? それに、当事者しか知らない<事実>と並んで、第三者しか分からない(見えない)<真実>を探るのが歴史を観る者の要諦であり、醍醐味と思うぜ。 しかも、これまでの対応を見たら、アンタにそういった「第一級資料」を扱う能力が備わってるようには思えないのだが。


>全部余分。投稿内容と関わりがない。

当方、相手の力量とかセンスの瀬踏みを兼ねて、イロイロ布石を打ったのだが、手応えが感じられないし、これでアンタとのやり取りは終了ね。



51. 2011年8月19日 21:40:40: DprNjXc3KE
>>15
まともなモラルを持っているのは、この人だけ。
それに比べたら、他は形式論に過ぎず見るに値しない。
そして、この闇は、これだけには全く答えていない。まさに闇そのもの。

52. 2011年8月19日 23:45:38: MWlAI8z46A
>>50 ★助教にすら成り損ねの素浪人・月影闇市★

同一地平上安普請専門請負の近代史・似非講釈師は、相も変わらず言い逃れと中身のないことしか言えないんだな、全面的に。
箸にも棒にもペケだね。
「助教素浪人・月影闇市」提唱の「ナショナリズムがすべての局面を主導する」なる愚論に、いつまでもかかわりあっていてもほぼ意味がない。
あとはヘタレ月影闇市が、「議論板」かなにかで一人シコシコと勝手にやるんだな。

>>47 一隅氏へ 

一隅氏が>>47で提起した下記の2点は、中国革命のキーポイントに触れる問題なので、当事者毛沢東がどのように対処したかを(底抜け説・脱線論>>49の改正版
として)参考までに列挙します。

一隅氏の提起その1
------------------
>(一部の学者に言わせると)客観的・科学的な歴史認識とは「歴史の実相を諸勢力の覇権争いとして」とらえる立場だと考える向きがある。

☆ 毛沢東の分析:(中国的红色政权为什麽能够存在?1928年10月5日)

1)農業経済が支配的な、経済的に立ち遅れた中国においては、常に新旧の軍閥が出現し、さらに帝国主義とそれら軍閥との結合が、かならず白色政権相互間の闘争をもたらす。そして、この長期にわたる分裂と闘争こそが赤色政権の出現と存在への主要な基盤となる。

2)現在の中国の革命情勢は、国内の買弁・豪紳階級及び国際ブルジョアジーの絶え間ない分裂と闘争にともない、引き続き発展している。
したがって、小さな赤色政権の存在は疑う余地がないばかりでなく、更に、そして次第に全国的な政権の獲得へと近づいていく。

一隅氏の提起その2
------------------
>(歴史を語るうえで)その時、中国に生き暮らす人々が何を考え、望み、選んだかを視野に入れなければだめだ。

☆ 野村浩一の分析: (中国革命の思想、1971年岩波書店)

毛沢東は党外プチブル大衆とプチブル出身党員に対し、全く異なる2つの態度を取った。前者に対しては、寛大に扱い、自由主義的思想、作風を許容したが、後者に対しては厳格な階級闘争を命じた。だが、こうした態度は、単に思想上における問題に限定されるものではなかった。

むしろそれはある意味で、およそ新民主主義の時代における党のあらゆる政策を貫通する二元論であったと云って良い。抗日という大目的を前提として、それに反しない限り、ほとんどすべての私的利益は保護され、寛大な政策と態度を党員に要求した。
農民の生活の改善がはかられるとともに地主の土地は保証され、ブルジョアジーの商工業も奨励された。その一方で、共産党員に対しては、何ものにもまして厳格な規律と忠誠及び大衆に対する服務と献身を命じたのである。

中国共産党のこのような政策は、すでに歴史的事実が明らかにしているように、その適切な指導と献身的な行動によって比類ない有効性を獲得した。
それは、民衆の私的利益を保証し、とりわけ圧倒的多数の農民に土地耕作を保証することによって、その巨大なエネルギーを解放した。
まさにそのことによって、抗日戦争における勝利への道を歩み、また戦後の国共内戦において決定的勝利を収めるに至るのである。


53. 一隅より 2011年8月20日 00:06:47: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
>>51さん

15さんのモラル(と感受性)はきわめて正当と思います。
でも、そこから出発してどうしたらよいか、ひとことお願いします。

--------------------
>>49

>「双方が一致した<期待の地平>」・・・、
それはたしかに、各時代時代に形成されます。

ただ、そのような一致点は、どうしてもその時代にもっとも喧伝されひとびとの頭を支配している考えかた感じかたを中心に形成される。
そうするとそれは、「両者が共有する」とはいっても、結局は「騙す側」の考えかた・感じかたにもとづいたものになる。

だから私は、残念ながら「騙す側」と「騙される側」の分割は、「共有」というところに解消されるのではなく、背後には相変わらずあり続けているのだと考えます。

もっともだからといって、大衆が「唯諾々と従うだけ」の、「無知蒙昧の存在」とは限らない。
騙す=ウソはさまざまな契機に必ずそのボロ(=真実)を見せ、大衆に気づかれるものだからだ。

だから、この「二分法」も決して「大衆蔑視」ではない。
ただ、連中の嘘=ボロを、繰り返し指摘しあばいていくことが必要だ。


(すみません、またちょっと外れますが、)
だから私は、そういった視点(二分法でなく「両者が共有するものがある」という立場)に立ったらしい、加藤陽子氏の『それでも日本人は・・・』には、ちょっと違うんじゃないかと違和感を覚えるのです。


>「この<期待の地平>という観点を取り入れれば・・・「中国に生き暮らす人々が何を考え、望み、選んだか」も視野に入って来るはず」
>即ち、その当時の中国人の<期待の地平>に最もよく応えたのが共産党だった、ということです。

私もそう思います。
だからこそ、その「期待の地平」の生まれてくる道が問題なのです。

つまり、「騙す側」と「騙される側」の「共通の地平」は、「騙す側」の嘘を中心に形成されるのか。
(この場合にはそれは、騙されて生まれた「共通の地平」です。)

それとも大衆の「期待の地平」は、繰り返し騙され裏切られ、しかしなおどうしてもあらわれるボロ=真実をもとに形成されるのか。
この場合には、それはもはや「騙す側」と共有すべきものをもちません。大衆の「期待」は、従来の「支配的考えかた=騙され共有したもの」とは別の方向を目指します。
それは人々が「生き暮らす」中でしだいにあらわれてくる、別の方向です。

だから大衆の現実に生きる struggle を見なければならない、と言いたいのです。
>>03さんが、>「市場支配力を巡って争いになったことが、地域の人々にとってどんなものであったか ということに、結論は出るだろう」というのも、この趣旨かも知れません。)


>「即ち、その当時の中国人の<期待の地平>に最もよく応えたのが共産党だった、ということです。」

私も、蒋介石政権・米英・日本などなどに騙され脅かされつつ中国の人々がstruggleする中で、選ばれた「期待」の方向が中国共産党であったと思います。
(根拠は、ただただ、それが最終的に軍事的に勝利した、ということです。)

その「期待」が外れていなかったか、その後裏切られなかったか、はまた別問題です。


本題に戻ります。

南京政府・重慶政府・延安を根拠地とする勢力を各々カイライとした日本・米英・ソ共勢力の覇権争いという見方からでは、中国の人々の生き暮らすstruggleを十分に見ることはできないのではないでしょうか。

人々が中国共産党を選んだとき、それは「騙す側と騙される側の共通の地平」としてあったのではなく、繰り返し騙され裏切られてきた人々があえて選んだ「別の期待」の方向だったのではないでしょうか。
(根拠は、再びまた、それが最終的に軍事的に勝利した、ということです。)


「太平洋戦争」なら、日本は物量に負けたとか、デモクラシーに負けたとかいえるかも知れません。
しかし、では「大東亜戦争」という概念で考えるとき、次の疑問の答えはどうなりますか。

日本はなぜこれに勝利することができなかったのか。
中国共産党はなぜ軍事的に勝利したのか。

(アメリカはなぜベトナム戦争に勝てなかった?)

--------------------
>>52さん

これを書いているうちに先に答えを出されてしまったようなところがありますね。
一応このコメントも投稿してみます。


54. 2011年8月20日 21:15:47: qrk5hIVZOU
>53. 一隅より 2011年8月20日 00:06:47: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ >>15さんのモラル(と感受性)はきわめて正当と思います。

私はそうは思いません。
こういった場合に私がよく引用するのは”群盲象を評す”です。
15さんが引用している事も、当事者が触れ得た限りの事実であり、実感でしょう。
しかし、それを以って全体を論断出来るのか?と言ったら、そうはいかないということです。
例えば、現在の中国において伝えられる共産党高級官僚の腐敗・堕落は、かっての日本軍や現在の東電・霞ヶ関に勝るとも劣らないものでしょう。
15さんが挙げてる事例は、中国においても、至る所で見られるに違いない。
しかし、だからと言って、30年代から40年代に掛けて、中国共産党が挙げた「業績」まで否定出来るのか?

一隅よりさんが、現在(党幹部の腐敗・堕落)を以って過去(中国革命とそれに果たした共産党の役割)を否定なさるのなら話は別ですが。

15さんが言ってるのはある種の<本質顕現論>であって、或る局面に現れた現象(腐敗・堕落)を本質の顕れとして、それでもって全体を断罪してるに過ぎない。
スターリンお得意の”粛清”の文法であったこのやり口は、実はマスゴミお得意の文法でもあって、否定すべき対象の「腐敗・堕落を暴く」ことで対象を断罪するこのパターンは、小沢氏から東電まで、毎度お馴染みではあります。
日頃その文法に慣れ親しんでいれば(懐疑的でなかったなら)、15さんの書いたものも「モラル」の顕現と見えるのでしょうね。

>。ヨ両者が共有する」とはいっても、結局は「騙す側」の考えかた・感じかたにもとづいたものになる。

これは次の様に置き換えると分かり易くなるかと思います。

「騙す側」を作家(表現者)とし、「騙される側」を読者(観衆)とする。
作家(表現者)によって表現されたもの=作品を読み、それによって楽しんだり影響を受ける読者。
しかしながら、その関係は一方通行で、固着したものか?と言えば、そんなことはない。
書かれたもの(作者の意図)を誤解したり曲解したり、読書行為そのものが想像的、創造的な行為だからです。 だから、読者側の反響や共振によって、今度は作家の方に影響を与えることがよくある。
このような相互浸透性が起こり、作者ー読者があたかも協働しているかのように呈する場、両者の幻想が成立する位相を<期待の地平>というのです。

そしてこの作家=表現者と表現行為を政治の場に置き換えれば、政治家(革命者)と政治行動(革命活動)になることが分かるでしょう。 つまり、政治行動や革命運動が大きな影響力を持って来るということは、そこに大衆の側からの創造的(想像的)介入が起こってる、ということです。


でも、やはり、基本は「「騙す側」の考えかた・感じかたにもとづいたもの」ではないのか?という問いには、次の様な問いに置き換えましょう。

大衆はそれ自身として<主人(=主体)>足り得るのか? 
或いは、人はどのような回路を通って<主人(=主体)>となるのか?

英語のsubjectには、主人の他に臣従という相反する意味が有ります。
これは無論、矛盾ではなく、次の様な意味において捉えられるでしょう。

キリスト教徒は神の僕であることによって、キリスト教文明の<主人(=主体)>となる。
これを真似たのが戦前の日本です。
天皇の僕であることによって、大日本帝国の<主人(=主体)>となる。
また、これを戦後の日本に応用すれば、アメリカに臣従することで、アメリカ主導の世界(自由世界)で<主人(=主体)>となる!
ーこの意識が人一倍強いのが官僚なのです。


いや、自分(だけ)はその罠(論理)に嵌ってないと言われるでしょうか?
また、<権力>(騙す者)の無い社会で暮らすことは可能だと。
下記の発言を聞くと、ひょっとしたら、一隅よりさんは「帝力何有於我哉(帝力なんぞ我にあらんや)」の世界をイメージされているのかも知れないと思われるけど、果たしてそれにどのような意味が有るのか?考えたことがあるでしょうか?


>それは人々が「生き暮らす」中でしだいにあらわれてくる、別の方向です。

<権力>(騙す者)が無い社会とは殆どアナーキズムを思わせる、その点でアメリカのリバタリアンの主張に近付きますが、私はリバタリアンとグローバリズムは両立すると思っております。
丁度「鼓腹撃壌」の世界が又理想的な君主統治の時代であったように。

そんな社会が有り得ると夢想するのは構いませんが、現実の議論としては意味が無いと考えます。


>日本はなぜこれに勝利することができなかったのか。
>中国共産党はなぜ軍事的に勝利したのか。
>アメリカはなぜベトナム戦争に勝てなかった?


日本もアメリカも<人民戦争>に敗れたというより、正確に言えば、勝てなかった。
<人民戦争>の海に溺れていった、ということです。
正規軍戦同士では圧倒的な強みを発揮しても、個々の(小規模の)ゲリラ戦には勝利することなく、消耗を重ねたーその当時流行った歌を捩れば「どこまで続くヌカルミよ」というやつです。
日中戦争全体の戦闘回数10万回で、日本側の死傷者30万人、一回の戦闘につき3人の死傷者、小規模の戦闘が間断無く続くというイメージで、勝ったか負けたか見当が付かない間に、消耗を重ねて行ったということです。
だから、中国からの帰還軍人に聞いても、中国に戦争で負けたという感覚はあまり無いようです。
軍事的に消耗を重ねたあげく、政治的に敗北したということでしょう。
全く同じパターンを踏んだのが、ベトナム戦争でのアメリカです。


55. 2011年8月20日 21:27:45: qrk5hIVZOU
>52. 2011年8月19日 23:45:38: MWlAI8z46A

もう貴殿に言うことは無い。
もしアンタが研究者であるのなら、49.で挙げた開沼博君の爪の垢でも煎じて飲まれるがいい。


56. 2011年8月21日 02:25:04: MWlAI8z46A
>>54

歇後語(中華風ギャグ、しゃれ言葉)
---------------------------------

毛沢東が山奥で抗日戦争を展開していた頃。。。諸外国では、この男が一体何者なのか全くわからない。一部のジャーナリストが紅軍と行動を共にし、突撃インタビューを試みた。

ある記者の質問に、(たぶん、Who are you? ⇒ 你是谁?と聞いたのだろう。)
毛沢東はニヤニヤしながら「和尚打傘」(和尚が傘をさす)と答えたそうだ。
その心は・・、「私はならず者だよ。」とでもいうことになるだろうか。
解説:
無髪無天(毛髪がないくせして雨が気になるのか?)⇒無法無天(無法者)
(法と髪は漢語で同じヨミ。)

それを聞いた記者は「和尚打傘」という歇後語を知らなかったために「毛沢東は自分を『孤独な修行僧』に喩えた。」というもっともらしい誤訳が世界中を駆け巡ったとか。。。

>>45 >>46 >>49 >>54への歇後語

老大娘的裹脚 (老女の纏足)
その心は; 
又長又臭  (長くて臭い)


57. 2011年8月21日 22:33:57: 5SfNZ1s1DI
さて、もうそろそろ、こちらは店仕舞いしようかと思います。
もしこれまでの所論乃至論点に疑問なり質問があれば、別店舗(議論板)の方にて受け付けますので、お越し下さい。

店を閉じるに当って、「大東亜戦争」、その中心に在る日中戦争に、何故日本は突入したのか? また、何故敗北したのかー何に敗北したのか?−また、その敗北の在り様がベトナム戦争におけるアメリカと重なるのは偶然か?
ー早回りして、ここでその結論を一応書いておきます。

これらを解くカギは「脱亜入欧」に在ります。
即ち、道を誤らせた元凶は、明治に選択した総路線としての、「脱亜入欧」に在ります。

明治維新を定義し直した「脱亜入欧論」 
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/260.html

最後に、49.で挙げた「フクシマ論」(開沼博)について、記しておきましょう。
勿論、このスレとも関係があるからです。
この本が成功したのは、ポストコロニアル的な方法で、言わば「国内植民地」的な視点でフクシマを捉えた処にありますが、−それは、恐らくは著者の意図を超えて、国内問題に止まらず、極めて重大な問題を示唆するものです。
中国がGDP世界第2位に登場して来ましたが、かって収奪の対象だった「旧植民地」が世界の主役として躍り出てくる時に、如何なる問題がそこに内包されているのか?


58. 2011年8月21日 23:57:53: MWlAI8z46A
>>57

投稿の本来の主題:「太平洋戦争」では断じてない、正しくは「大東亜戦争」だ!

理由@ 「日中戦争」と「大東亜戦争」は同一地平。
理由A 中共の勝利は「期待の地平」によるもの。
理由B これらを解くカギは「脱亜入欧」。

留意点@ 「フクシマ論」のポストコロニアル手法に留意せよ。
留意点A かつて収奪の対象だった「旧植民地中国」が如何なる問題を内包するか。
-------

歇後語による投稿への評価:

「客房里挂狗皮」(客間に犬皮の絵)
その心は・・。
「像什麽画=像什麽話」(何の絵なのか⇒何の話をしてるのかサッパリ??)

結論:

月影闇市は店じまいをしたまま、今後投稿しなくて良い。


59. 2011年8月22日 22:37:44: n45zkpADnI
自称研究者に言い忘れたことがあった。


貴殿には超越(論)的視点も思考も無い。
そういうレベルでは歴史研究は無理だろう。

もう一つ、日本については何も言わない貴殿は、自国のことについては何も知らないのだろう。
日本の近代史と中国の近代史は車の両輪みたいなものだから、どちらかでも貧弱だったら使い物にならない。
日本の「中国専門家」の大半を十把一絡に当方が馬鹿にするのも、日本の近代についての理解がデタラメだからだ。


>何の絵なのか⇒何の話をしてるのかサッパリ?

蟹は己の甲羅に似せて穴を掘る。w
所詮、能力の問題だてw


60. 一隅より 2011年8月22日 22:53:14: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
(日本から見て)
1927 上海陸戦隊駐留開始
1931 「満州事変」
1932 上海事変(第一次)
1937 「支那事変」、南京・武漢陥落
1940 北部仏印進駐
1941 南部仏印進駐(7月)
    対米英蘭豪開戦。「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」(12月)
1945 対ソ開戦(8月)、敗戦

(中国国民党右派=蒋介石派から見て)
1925 広東国民政府、国民革命軍建軍
1928 南京国民政府(蒋介石主席)
1930 反共囲剿戦(掃共戦 1934年まで第1〜5次)
1934 第5次囲剿。紅軍に対して投入された国民革命軍兵力は135万。
1937 第2次国共合作。南京・武漢放棄、重慶政府。
1945 国共内戦再開
1949 臨時政府を台北に移転

(中国共産党から見て)
1921 中国共産党結党大会(上海)
1924 第1次国共合作
1927 上海クーデター・国共分裂
1931 中華ソビエト共和国臨時政府(瑞金)
1934 長征開始(1935 延安根拠地)
1937 第2次国共合作。八路軍・新四軍編成。
1945 国共内戦
1947 八路軍・新四軍を人民解放軍に編入。
1949 中華人民共和国建国(北京)


以上の、誰でも承知の年表を眺めて、
中国・アジアの地で、
誰が誰にたいして、何のために(何を求め、何を得ようと)戦争をしたのか、
その中で中国・アジアの人々が、その時々に何を選び、何に依拠してたたかったのか、
けっきょく誰が、なぜ(何の力によって)、勝利したのか、
を見られたい。

そしてこれを、「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称」することにいかなる意味があるか、考えられたい。


(付録・その後)
1946 第1次インドシナ戦争(〜1954)
1950 米、軍事援助顧問団をサイゴンに設置

1950 朝鮮戦争(〜1953年7月休戦)
1951 日米安全保障条約
1953 米韓相互防衛条約
1954 米華相互防衛条約

1962 米、南ベトナム援助軍司令部設置
1964 トンキン湾事件
1965 北爆開始
1975 サイゴン陥落


61. 2011年8月22日 23:36:02: n45zkpADnI
60. 一隅より さん

貴方は完全に勘違いしておられる。

私は(自力生存圏創りの為の)「大東亜戦争」であったことを「認識」せよ、と言ってるのであって、「大東亜戦争を肯定せよ」と言ってるのではないのですよ。

「認識」と「肯定」とは千里の径庭があるはずです。

「大東亜戦争」という言葉だけで拒否感やアレルギーを起こすなんて、それこそマインド・コントロールされてる、というしかないのです。


62. 2011年8月23日 13:03:01: 4L1nwn1e2I
東亜か太平洋かは、日本の地政学的な特殊性に依るという面もあると思います。

以下の文章の引用元を出すと、カルト板の特定のスレの人たちが妄想で粘着するようなのでURLを控えますが、語句や文章から検索してください。

<「フォーリン・アフェアーズ」の何かの記事で読んだことがあるのだが(おそらくサミュエル・ハンチントン Samuel Huntingtonだったと思う)、これら地域覇権国は、それぞれの地域のナンバー1だが、常にナンバー2とのライバル関係にあるという。

その論文では、アメリカは世界覇権国なので、世界のナンバー1として除外している。南米のナンバー2はアルゼンチン。ユーラシア中央のナンバー2はウクライナ。亜大陸のナンバー2はパキスタン。ヨーロッパの場合、ドイツとフランスを一つと考えてナンバー1。ナンバー2はイギリス。

 面白いのは東アジアで、ナンバー1の中国に対して、ナンバー2は韓国だという。そんな馬鹿な、日本だろうと思うのも無理は無い。その論文の著者は、日本を1.5と数えていた。なるほど。しかし実際は、日本が2番目の地位を持っていて、片足を太平洋に突っ込んでいるから、アメリカと中国の間で揺れ動くという宿命を背負うであろう。つまり、環太平洋でも東アジアでもナンバー2という地政学的にも独特の位置を占めているのである。

 同じように、アメリカとヨーロッパの両方に対する独特の地位を持っているのが、イギリスである。フォーリン・アフェアーズの論文の中では、BRICsにとどまらず、中東とオセアニア、アフリカに関する地域覇権に関しても述べている。

 それによると中東は一位がサウジアラビアで二位がイランであるという。オセアニアは一位がオーストラリアで、二位がニュージーランド。トンガやフィジー、西サモアなど物の数に入らない。(以下 略)>


63. 2011年8月23日 19:38:10: MWlAI8z46A
>>59
月影闇一はイヌはイヌでも、狂犬病に罹患した犬か? 
まあよかろう、イヌの咆哮は無視して、補足説明をすすめるものとする。

>>47 一隅氏からの引用
(引用部)
中国・アジアでの戦争から太平洋地域でのアメリカとの戦争も含めて「大東亜戦争」と呼べば、アジア太平洋をめぐる諸勢力が対抗する「覇権」争いとなる。
これを右翼的にいえば、「だから日本には、欧米に対抗するアジア解放の大義があった」となり、これを戦後左翼的にいえば、「だから日本の(対中)15年戦争・アジア侵略は、やがてアメリカと衝突し、太平洋戦争になった。そして結局日本のアジア・中国侵略には大義がないからアメリカに敗れた」という史観になる。

そして、このような単なる右翼/左翼的論ではなく、より客観的な歴史認識を目指して、そこから出発しようとする志向があっても良いのではないか。
(引用終わり)

>>52からの引用 (毛沢東史観)
(引用部)
農業経済が支配的な、経済的に立ち遅れた中国においては、常に新旧の軍閥が出現し、さらに帝国主義とそれら軍閥との結合及び国内の買弁・豪紳階級及び国際ブルジョアジーとの結合が、かならず白色政権相互間の闘争をもたらす。そして、この長期にわたる分裂と闘争こそが赤色政権の出現と存在への主要な基盤となる。
(引用部終わり)

「太平洋戦争」に限定した総括であれば「あの戦争は何だったのか」(保坂正康)
「日本はなぜ敗れるのか」(山本七平)らの力作もある。

だが、上記の毛沢東史観を用いるならば、「日本帝国主義、皇軍、日本のブルジョアジー及び日本の買弁・豪紳階級が大陸で結合し、白色政権相互間及び国際ブルジョアジーとの間で長期にわたり分裂と闘争を繰り返した。」との見方に立ち、日本側から自省の意味を込めて支那事変への総括をすることも可能である。

だが、既出の主たる研究書は一隅氏が指摘したように、右翼による正当化、もしくは左翼的非大義史観に堕しているか、或いは新書「満洲事変から日中戦争へ」の如く、史実の羅列に甘んじるなどの傾向がある。

また、国民に人気の司馬遼太郎でさえ、自身ノモンハンで幻滅を体験していて、
多くを語らなかった。

その点、>>15氏の記述は、日本軍国主義・皇軍が皇室及びブルジョアジーと結託し、白色政権との間で分裂と闘争を繰り広げたという試論の展開となっており、阿修羅住人から高評価を受けている通り秀逸であると思う。
その一方、月影闇市は読解力が稚拙で>>15氏試論の骨子を把握できないため、>>54の如く批判のための批判を弄し、悦に入っている。

したがって、月影闇一本人が自負する超越論的「孫悟空流」視点、実質的には越前クラゲにも比すべき浮遊論から引伸されたところの「支那事変」-「太平洋戦争」同一地平論、中共へ期待の地平、「ナショナリズム万有論」「ポストコロニアル手法」などは、いずれも本人の〼掻による空洞論に過ぎず、純然たる愚論である。

結論

通称「太平洋戦争」を旧称の「大東亜戦争」に改めるべき理由はどこにも見当たらない。
一部の極右等に於いて「太平洋戦争」との呼称が占領軍に押し付けられたものだと見る向きもあるようだが、「大東亜共栄圏」なるものが、日本帝国主義、皇軍、日本のブルジョアジー及び日本の買弁・豪紳階級等の複合体により称揚されたものに過ぎす、その極右的思想の災禍として日本国民と広域アジア圏の居民に多大な犠牲を払わせ、「共栄圏」そのものも瓦解したのである。

かかる視点を欠き、孫悟空的超越観点から自力生存圏の確保を理由とし、先の大戦を「大東亜戦争」として正当に認識すべきとするバカ者が、毎年終戦記念日の前後になると、炎暑の水たまりに湧き出るボウフラの如く、出現するものと思われる。


64. 2011年8月25日 08:01:24: 5nPePzbV5g
>>63様に全面的に同意致します。

月影闇一さんの様な輩の目的は、日本人を大室帝国のプロ奴隷にする目的で

一見難解に見える詭弁を弄しているだけですね。



65. 2011年8月25日 09:04:56: MWlAI8z46A
>>58への追記:

客房里挂狗屁 像什麽話
----------------------

<狗の皮>という表現など、それがどうしたと思われる向きもあるかも知れないが、中国語を母国語とする人々に向かって「狗皮」という語句を投げつけることは禁物である。

「皮」と「屁」とは中国音で同一である。例えば、「放屁」は「馬鹿臭い」という意味であるし、「我没有时间听你的放屁。」とは、「オマエの話など馬鹿臭くて、聞いてられない。」という意味になる。

この歇後語の後半は「像什麽話」(一体、何の話なのだ?)となり、「太不像話」(話しにならん)とほぼ同じ意味になる。そこで、前半と後半を繋げると、「狗」の「屁話」など話にならんとなり、全体として、「客房里挂狗皮」⇒「像什麽话」とは「オマエの話など犬の屁のように馬鹿臭くて、話にならん。」ということを意味するのである。

結論A:

斯くなる「狗の屁」が講義したのでは学生が迷惑するし、もし助教として採用されたのであれば、教授陣にとって責任問題となるだろう。現に、一隅氏が>>42で提起した質問に対し、月影の言辞は「同一地平」を延々と循環するだけであり、垂直方向への帰納論理が何一つ展開できない。
したがって、月影闇一は、本人が期待する「知性」の地平とは何ら関わりなく、
とこしえに助教未満の似非インテリであり続けるのである。


66. 一隅より 2011年8月25日 22:35:31: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
>>61、影の闇さんが、>「大東亜戦争」を・・・「肯定せよ」と言っているのではない、ことはわかっていたつもりでしたが。

ただ、>(自力生存圏創りの為の)「大東亜戦争」であったとして、そのことを「認識」しても、そこからどんな意味が引き出せるか疑問だと思うのです。


まず、そもそもその認識が合っているか。
つまり事実としても、日本側の主観から見て、「(自力生存圏創りの為の)大東亜戦争」なるものが、あったか。
そのような主観的認識を(政府、軍部、国民が共有のものとして)もちえたか、は問題です。

その場合に認識された「自力生存圏」とは、中国の人々の生存を排除した「日本のためだけの自力生存圏」か。
しかし、そんなものは日本支配層および日本国民の共有の認識として成り立つはずもない(その点、第一次大戦敗戦国のドイツとは異なろう)。

では、そうではなく、中国の人々とともにかちとるべき「生存圏」か。
その場合には、日本および中国の人々がともにたたかうべき、その相手は何者か。
米英およびその傀儡たる蒋・国民党軍か。
それとも、一方で米英および蒋・国民党軍と、また他方でソビエト共産主義勢力の手先たる「赤匪」か。

いずれの見方でも、蒋・国民革命軍も「赤匪」も中国の人々の生存を脅かす外敵の手先であると(=中国の人々自身がそう考えていると)、日本支配層、政府・軍部・国民の共有の認識としてみなされていなければならない。
しかし、そのような共有の認識が事実としてあったのか。
影の闇さんの、「大東亜戦争であったことを認識せよ」には、この点の事実の検証が十分されているといえるでしょうか。

日本は(日本側の共有の認識としては)、中国大陸で何を求めて誰とたたかったのか、と繰り返し問うておきます。

--------------------


つぎに、かりに日本側の主観から見て「(自力生存圏創りの為の)大東亜戦争」なるものがあったにせよ、あるいは(政府、軍部、国民の事実認識としても)そんなものは無く、ただスローガン(=プロパガンダ)として又一部イデオローグの観念としてのみあったにせよ、そのような歴史観は、そもそも役にも立たないのではないかということです。
だから今の時点で、「当時そのような時代認識があったこと」(かりにあったとして。私は疑問だが)、を事あらためて再認識しようとすることにも、あまり意味は見出せないのです。

歴史を、まるで諸勢力の覇権争い(覇道だろうが王道だろうが)や、「国」の生存圏の確保・伸張として把握しようとする態度が、(一時すたれていたのに)最近また流行っているようです。
文書資料(=政府文書や政治家・インテリ・その他個々人の「書かれることのできた」日記・手紙など)とやらを事細かに揃え、あたかもそれが客観的歴史研究、「科学」であるかのようにして。

しかしそれは、歴史をあたかも将棋盤上の勢力争いとしてしか認識できない立場です。
将棋盤上の各「勢力」をいかに右に左に動かしてみても、将棋盤そのもの(=踏みつけられ踏み荒らされる人々)の大きな歴史的動向は認識しえないのです。

中国の人々はなぜ日本に対してたたかったのか、と繰り返して問うておきます。


67. 一隅より 2011年8月26日 21:50:40: PnbUj1IYwR18o : EiSSVWAiZQ
影の闇さん

貴殿が、
 ↓
Re: その議論の立て方に異論有り
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/487.html
投稿者 影の闇 日時 2011年8月22日

においてされた論立てには、(私の理解の届かないところをのぞき、ほぼ)賛成です。


68. パルタ 2011年9月01日 15:05:19: BeExvDE2jO5d2 : KWEa32Be12
東アジア共同体なるものは今の所、欧州共同体に比べて極めて成立が難しいだろう。
欧州共同体が成立する為には英独仏の覇権争いが収束されねばならない。
今の東アジアは日中韓がそれぞれ全く異なる思惑で動いている。
中国も韓国も日本も自国中心で東アジア共同体を運営したいはずだ。
東アジアの各国が欧州と同じ関係になるという事は、
こういう自国中心の衝動ではもはや国家永続は不可能で東アジア全体でまとまらねばやっていけないと思う状況だなければならない。
しかし、今の東アジア人は決して現存する主権国家を超える枠組みでしか
生き残りを図れないとは思っていない。
未だに東アジアは主権国家が帰属の対象であって東アジアではない。
今あるネトウヨ的な国民国家への帰属認識をぶっ壊す危機でもない限り、東アジア共同体成立は極めて難しい。
欧州共同体は二度の世界大戦で成ったし、三度目の大戦でも起こらぬ限り東アジアは一つにならぬ。

69. 2011年9月02日 23:22:52: mU2CBwRdic
一応店仕舞いはしたと宣言しておるので、ここでは告知ということにします。

66. 一隅よりさんと68. パルタさんへのレスは議論板の下記に認めております。


http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/484.html?c2#c2


70. 2016年3月22日 17:59:21 : JWcUQeL3KY : 8Fo7DWBPqlE[5]
日本は大東亜戦争で大勝利した。負けたのは米英仏蘭である。
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/1000.html
投稿者 TORA 日時 2003 年 8 月 20 日 09:23:01:CP1Vgnax47n1s

 ーーー

日本人の覚醒

大東亜戦争(太平洋戦争)とは何だったのか?
http://重複コメントリンク認定/24554821/


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