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釣魚島の一草一木たりとも取引は許さない[人民網日本語版]
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/302.html
投稿者 あっしら 日時 2012 年 10 月 29 日 18:40:07: Mo7ApAlflbQ6s
 


釣魚島の一草一木たりとも取引は許さない[人民網日本語版]

 張志軍外交部副部長(外務次官)は26日、国内外プレス向けブリーフィングを開き、釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題と中日関係について、中国の立場と主張を次の通り明らかにした。

 釣魚島は本来問題ではなく、何の領有権争いも存在しなかった。1895年に日本が釣魚島を不法に盗み取り、占拠したことで初めて問題が出現し、争いがつくられたのだ。歴史的観点からも法理上の観点からも、釣魚島は中国固有の領土だ。

 1972年の中日国交回復時、双方は「釣魚島問題はひとまず棚上げし、後の解決にまかせる」との了解と共通認識にいたった。今回日本政府は中国の断固たる反対を顧みず、釣魚島の「購入」を宣言して、中国の領土主権に対する重大な侵害を行い、国交正常化後の40年間で最も深刻な打撃を中日関係に与えた。

 日本には中国の領土についていかなる形式の売買を行う権利もない。釣魚島の寸土、滴水、一草一木たりとも取引は許さない。それがどんな形であろうと日本側による「島購入」は、中国の領土主権に対する重大な侵害である。今回の「島購入」の茶番は日本右翼勢力が下心をもって引き起こしたものであり、日本政府は中国の領土主権を侵害して中日関係を破壊するこの勢力の行為を制止しなかったばかりか、自ら表に出て来て「島を購入」した。右翼がしたかったこと、達成したかった目的は、最終的に日本政府が一手に行った。

 日本の不法な「島購入」行動に対して、中国は当初から断固たる反対の姿勢を表明した。だが日本政府は中国の警告に耳を貸さず、独断専行を続け、中国の領土主権を侵害する深刻なエスカレートのステップを踏みだし、中国両岸四地と国内外の10数億中国人の強烈な義憤をかきたてた。中国政府は一連の断固たる、力強い措置を講じて、国家の領土主権を守った。日本は情勢判断を誤り、国家の領土主権を守る中国の政府および人民の意志と決意を過小評価した。いかなる外来の威嚇や圧力も、国家の領土主権を守る中国の政府および人民の意志をいささかたりとも揺るがすことはできない。

 日本右翼勢力の危険な政治傾向はかつてアジアを甚大な災禍に引き込んだ。これを制止しなければ、一段と気焔を助長し、日本はどんどん危険な道を歩んでいくことになる。そうしていった場合、歴史の悲劇の再演は可能性のないことではなく、アジアさらには世界を災禍に引き込み、最終的には日本自身も害するだけだ。

日本国内では、いまだにあの侵略戦争の性格に対する認識は常に隠蔽を図るもので、一部の政治人物は意気揚々と、罪や恥の意識を少しも抱かずに靖国神社へ参拝に行き、アジア被害国人民の感情に少しの気兼ねもしない。これでどうやって日本がアジア人民の寛恕を得られるのか?どうやって隣国が日本に対して安心できるのか?歴史に真っ直ぐ向き合い、深く反省し、徹底的に前非を改めることができないのなら、たとえ経済的にどんなに発展しても、道義上、精神上、日本は永遠に立ち上がれない。

 中日は釣魚島問題について様々なチャンネルと形式で接触と協議を保っている。双方は9月25日に北京で釣魚島問題に関する外務次官協議を開始した。中国は日本側との各レベルの接触や協議で、釣魚島問題における中国政府の厳正な立場と国家の領土主権を守る断固たる意志を厳粛に表明するとともに、日本側に対して、情勢を見極め、幻想を放棄し、現実を正視し、実際の行動によって過ちを正して初めて両国関係を正しい軌道へ戻すことができると促した。

 中国はかねてより国際紛争について、対話と交渉による平和的解決を主張している。中国は自らは事を引き起こさないが、事を恐れもしない。われわれは日本を含む全ての国との友好的つきあいを望んでいるが、われわれには原則と譲れぬ一線があり、国家の領土主権に関わる問題で譲歩することは断じてない。平和共存五原則の第1条は「主権と領土保全の相互尊重」だ。釣魚島問題において、われわれは交渉と対話による適切な処理を望み、情勢が制御不能になることは望まない。だがこれは中国側にかかっているのではない。日本は中国の厳正な立場と重大な懸念を真剣に受け止め、中国の領土主権を損なう全ての行為を停止しなければならない。

 中国は一貫して独立自主の平和外交政策を遂行し、隣国と親しくし、隣国をパートナーとする善隣友好政策を堅持し、平和発展路線を揺るがず歩み、地域の平和・安定・発展に多大な貢献をしてきたし、アジアと世界の平和と発展に一層の積極的な役割を果たす。だが領土主権問題で中国の譲れぬ一線に挑戦する者がいれば、われわれに退路はなく、必ずや強力な対応をし、安定して平和的発展の道を歩むために妨害と障害を排除しなければならない。(編集NA)

 「人民網日本語版」2012年10月28日


http://j.people.com.cn/94474/7993903.html

 

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コメント
 
01. 中川隆 2012年10月29日 21:06:50 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

西表や石垣島も10世紀までは台湾原住民が住んでいた。

沖縄-尖閣間は波が荒くて明治時代以前の小さな漁船では尖閣に行けない。

沖縄の人間も尖閣の事は殆んど知らなかった。

尖閣は台湾原住民が石器時代からずっと漁場としていた海域だから台湾の領土に決まってる。

中国人はそういう事を知らなかったから何も言わなかっただけ。


02. 2012年10月29日 23:51:23 : F1WpqWrqtY

中国が釣魚島の領有権紛争をすぐに解決したくても、米国の「許可」なしには全く不可能だ。「人民網日本語版」2012年10月16日
http://j.people.com.cn/94474/7977043.html
だから、張志軍外務次官は涙目で訴えているわけねw
.

03. 2012年10月30日 00:31:49 : Vc8ROHMAY2
資源があるとわかってからうちのーって言ってきたくせに。それにつきる。

04. 2012年10月30日 07:08:36 : KJP85jCdjE
>西表や石垣島も10世紀までは台湾原住民が住んでいた。
台湾原住民のものなら、台湾を台湾原住民に返すべきですね。

大陸に住んでいた中国人のものではありません。


05. 2012年10月30日 19:23:09 : HNPlrBDYLM
台湾原住民は首狩り族だから漢民族から人間だと思われていない。

06. 2012年11月01日 18:17:40 : Op2sM8LHZQ
 中国の主張は完全な「後出しじゃん拳」である。
小狡く卑しいので、今後、アジア諸国はどこの国もも相手にしなくなる。

07. 2012年11月01日 19:18:55 : LK9fHP9Vwl
人民網日本語版は,後だしじゃん拳で故田中元主張の言葉尻を捕えているだけ.
全く,中国人というのは恥知らずな連中だ.

08. 恵也 2012年11月02日 19:10:17 : cdRlA.6W79UEw : smbJT0rKkw
>>07 中国人というのは恥知らずな連中だ.

恥知らずは今の日本政府だろ。
確かに後出しジャンケンといえるけど、中国政府が尖閣に1970年ころ
まで気がつかなかったミスはあるが約束的には、中国のものだよ。

日清戦争のドサクサで講和条約の前に無人島の尖閣だけを沖縄県領に
したために、第二次大戦後に台湾と一緒に返還されていたものと担当
者が勘違いしたんだよ。

ところが1970年ころに石油が発見されて、中国当局に気がつかれて
問題化されてしまった。

ポツダム宣言を受託した日本は、清国からかっぱらった領土を中華
民国に戻すという約束にサインして連合国から終戦を認められました。
日本は戦争に連合国に負けてしまったのだから。

だから恥を知ってる国家なら、清国からかっぱらった尖閣諸島は中国
に時間が遅れても返すのが当たり前と思うけど・・・・

時効として1945年〜1970年まで成立したという論理ならわかるけど
領土問題で「25年が時効」というのは世界に認められてるものかね。

世界との貿易立国で日本がこれからもやって行くつもりなら、たとえ
時間が遅れたけどポツダム宣言の約束通りに返すべきでしょう。


09. 中川隆 2012年11月03日 18:10:10 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM
台湾は中国じゃないから、尖閣も中国の領土じゃないよ。

中国人は知恵遅れの詐欺師だと思った方がいい。


10. 恵也 2012年11月04日 18:16:56 : cdRlA.6W79UEw : 2rlkZhh21M
>>09 台湾は中国じゃないから、尖閣も中国の領土じゃないよ。

言葉の定義がおかしい。
ここでいう台湾、中国とは、その国の政治権力者だろう。

台湾も中国も政治権力者は「中国はひとつ」という意思統一がある。
あなたみたいな日本の何の力もない人が「台湾は中国じゃない」なんて
言っても負け犬の遠吠えに過ぎない。
もともと中国とは多民族国家なんだよ。

台湾内部には台湾独立派の連中がいるというけど、今の台湾の野党で
さえ台湾独立を主張してないでしょう。
今の台湾で権力者が独立しようとしたら、台湾経済は大混乱するぞ。

日本が受諾したカイロ宣言では、清国から取った領土は台湾政権の中華
民国に戻すという表現になってます。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を
中華民国に返還することに在り日本国は又暴力及貪欲に依り日本国の略
取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし
http://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19431127.html


11. 2012年11月04日 20:52:38 : HNPlrBDYLM
正確には尖閣は台湾原住民の土地だ。

台湾本省人や漢人の土地ではない。

従って、日本が統治して台湾原住民の漁業権だけ保護すればいいのさ。

中国には尖閣に対する何らの権利も無い。


12. 恵也 2012年11月05日 13:46:25 : cdRlA.6W79UEw : 1oOcRaMsMw
>>11 正確には尖閣は台湾原住民の土地だ。

それは正確な言葉じゃありません。
むしろ300年くらい昔から中国人の領土になったというべき。
あなたはほとんど台湾の歴史さえご存知じゃないようだ。

日本の歴史をまったく知らないで、関東以北はアイヌ原住民の土地だと
又聞きで信じ込んでる外国人と同じ脳ミソだよ。

現在の台湾には2000万人くらいの人口だが、国共内戦で中国から逃げ出して
きた国民党政府関係者だけでも200万人がいます。

その前の過去の歴史を知ってれば「台湾原住民の土地」なんて机上の空論に
取り込まれることもなかろうに・・・・
今の台湾に純粋な台湾原住民って何万人残っているのだろう。

近代史では台湾原住民と中国人との衝突より、同じ中国人である福建省泉州系
と福建省漳州系の経済利権や宗教対立のほうが200年位前には重大問題でした。
アンタには時代認識がまったく出来てないようだ。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
漳泉の両地はともに福建の地であり、言語習慣も共通点があったが、唐宋以来
両地には経済利権と宗教を原因とする衝突が繰り返され、台湾に移住した後も
双方は激しく対立した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E5%8C%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2


13. 2012年11月05日 14:51:50 : HNPlrBDYLM
おまい中国の歴史を何も知らないだろ。

300年には中国という国は存在しない。

清は満州人の国で、漢民族(本当は何千もの民族の総称)は植民地で支配されていた奴隷階級だ。

清や明の版図は漢民族の領土ではない。


14. 恵也 2012年11月05日 17:11:30 : cdRlA.6W79UEw : 4UUFC4TVOQ
>>13 清や明の版図は漢民族の領土ではない

清も明も中国民族というの。
日本軍が殺した張作霖の息子も国民党の指導者になり、中国人として
国共合作という偉業を起こした。
満州国の皇帝も、死ぬときは中国人として死んでるだろ。
アンタの話は机上の空論で、脳内妄想に過ぎんよ。


15. 2012年11月05日 17:25:30 : HNPlrBDYLM
唐の皇族はトルコ人、秦の始皇帝はペルシャ人

おまいの論理だとトルコもロシアも中国の領土だという事になるな。

だから中国人は嘘つきの詐欺師だと言われるんだ。


16. 2012年11月05日 17:54:08 : HNPlrBDYLM
とりあえず台湾は台湾原住民の領土だから、外省人はすべて中国に追い出して、台湾を台湾原住民に返還させないといけないな。

尖閣問題はその後で日本と台湾原住民のが交渉するのが筋だ。

中国人は尖閣とは何の関係もない奴隷上がりのアホ民族だから相手にしても仕方ない。


17. 恵也 2012年11月06日 10:35:21 : cdRlA.6W79UEw : fzQqxOPbPU
>>15 唐の皇族はトルコ人、秦の始皇帝はペルシャ人

何でこんな断定が出来るのか不思議で仕方ない。
皇族であれば種を中国人全体にばら撒いてるから、完全に今の中国人の
ご先祖であって、今のトルコ人やペルシャ人とはまったく違うでしょう。

ユダヤ人を大量虐殺したヒットラーでさえ16分の1は、ユダヤ人だったと
いうけど、あなたの人種分類は狂ってるよ。
諸行無常ですべてが変化していくものだってこと理解できないのかね。

>>16 台湾は台湾原住民の領土だから

台湾の純粋な原住民である高砂族はたったの2%くらいのもの。
混血状態の98%の人をどうやって追い出すんだ?
だからアンタは空理空論というのだよ。

アンタの理論だと東京都だって元々アイヌのものだから、1300万人の日本人
を追い出して、北海道にわずかに住んでる純粋なアイヌに返せってことかね。
東京にいる日本人にもアイヌの血はたくさん入ってるはずなんだが・・・

>> 尖閣問題はその後で日本と台湾原住民のが交渉

尖閣は日清戦争のドサクサに沖縄県領にした領土なんだから、ポツダム宣言を
受諾して戦争に負けた日本は連合国の一員である「中華民国」に清国から取った
領土を返すという約束をしたことになります。

貿易立国として信用を何よりも大切にすべき国家は、約束したことは守らなけ
れば世界に相手にしてもらえないよ。
日本という国家の信用をあなたは無くしてもいいと思ってるのかな???

ーーーーー引用開始ーーーーーー
カイロ宣言
 日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還すること
ポツダム宣言
 「カイロ」宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、
  九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限
降伏文書(戦艦ミズリーで重光外務大臣がサイン)
 「ポツダム」に於て発し後に「ソヴィエト」社会主義共和国連邦が参加
  したる宣言の条項を日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営の命に
  依り且之に代り受諾す
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/koufukubunnsyo.htm


18. 2012年11月06日 10:44:32 : HNPlrBDYLM
>皇族であれば種を中国人全体にばら撒いてるから、完全に今の中国人の
ご先祖であって、今のトルコ人やペルシャ人とはまったく違うでしょう。

唐の時代の中国人は唐末期に殆んど殺されて、現代の中国人とは血が繋がっていないよ。

>台湾の純粋な原住民である高砂族はたったの2%くらいのもの。
混血状態の98%の人をどうやって追い出すんだ?


60年前に中国から侵略してきた外省人を中国に追い返せばいいのさ。
いずれにしろ漢民族は尖閣とは全く関係ないから尖閣は中国の領土ではない。


>尖閣は日清戦争のドサクサに沖縄県領にした領土なんだから、ポツダム宣言を
受諾して戦争に負けた日本は連合国の一員である「中華民国」に清国から取った
領土を返すという約束をしたことになります。


日本人は1800年代から尖閣に住んでる。台湾に60年前に侵略してきた外省人を台湾人と考えているなら、

尖閣に150年前から日本人が住んでいた以上は尖閣も日本の領土だ。
台湾原住民は尖閣には住んでいなかったから漁業権以外は持たない。

従って尖閣は日本の領土だ。


19. 2012年11月06日 11:05:15 : HNPlrBDYLM

因みに台湾の本省人はポリネシア人で漢民族ではない。単に税金が優遇されたから漢人の文化を受け入れただけで台湾原住民と遺伝子はあまり変わらない。
従って、たとえ尖閣が台湾人と関係が深くても、漢民族の領土では有り得ない。


>東京都だって元々アイヌのものだから、1300万人の日本人
を追い出して、北海道にわずかに住んでる純粋なアイヌに返せってことかね。
東京にいる日本人にもアイヌの血はたくさん入ってるはずなんだが・・・


おまい、日本の歴史を何も知らないな。

アイヌはニブヒと縄文人の混血
日本人は長江の稲作民と縄文人の混血

アイヌは元々北海道・樺太・千島と東北の一部にしか居なかった。

アイヌは日本の先住民じゃない。


20. 2012年11月06日 11:30:25 : HNPlrBDYLM

今の中国の自称漢民族の先祖は500年前はアムール川沿岸や満州にいた原始人だろうな。

前王朝の人間を皆殺しにして、農民が居なくなったので、原始人を中国に強制連行して働かせていたのが今の中国人だ。

もちろん漢や唐の時代の賢い中国人の血は殆んど入っていない。
だから何時までたっても文章も書けないし、まともな工業製品も作れないんだ。


21. 2012年11月06日 11:40:07 : HNPlrBDYLM
詳細は

中国大好き _ 中国人のY-DNA
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html

中国人も日本人が大好き
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/291.html

中国人がみんな日本に来たがる理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/292.html

台湾は中国ではないんだけど
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html

これが中国 _ 漢民族は無数の民族の総称で川筋が違えば敵同士 _ これでは愛国心も道徳心も育たない
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/480.html

中国語は奥深い _ レイプは腕立て伏せ、暴行死事件は鬼ごっこ
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/482.html

中国人はクルクルパー _ 近海漁業、小魚までとる乱獲と環境汚染で資源枯渇
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/432.html

一刻も早く中国・韓国と縁を切ろう
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/437.html

宮脇淳子 _ 中国は何故かくもずうずうしいのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/439.html


22. 2012年11月06日 14:03:38 : HNPlrBDYLM

【討論!】中国の「日本直接・間接侵略」の実態[桜H24/11/3]
http://www.youtube.com/watch?v=af_ZgYgJv2s
http://www.youtube.com/watch?v=0yiaQYs6n3Q&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=N2ewXZGdTlw


23. 恵也 2012年11月07日 12:57:03 : cdRlA.6W79UEw : wHronNYbbs
>>18 唐の時代の中国人は唐末期に殆んど殺されて

1000年以上前の中国人が「殆んど殺されて」なんて誰が調べらの。
アンタは戦争の現実をほとんど知ってないでしょう。

南京虐殺で日本軍は30万人の中国人を殺したといわれるが、それも
「殺さない振りして敵兵や一般人を集め、突然に集団虐殺」することで
日本軍の被害をないようにして出来ることなの。

最初から殺されるのがわかってたら、死に物狂いで抵抗するし逃げ出す。
そんな状態で殺してたら莫大な被害を日本軍も受けざるを得ない。
唐末期には大混乱になって、各地で王が現れたがそれらの人も中国人だろ。

才能のある人間が大混乱の中で人を統率し、資金を集め王になるのであって
中国人全部を殺すような殺人鬼には王にはなれない。

南京虐殺も2度と同じ手が使えるわけじゃなく、弱かった中国軍も降伏し
なくなって、徹底抗戦し、無理やりにでも逃げ出すようになったの。
日本軍の綱紀が、日本軍の憲兵の証言でも非常に悪かったことがわかります。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が
無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵
を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであ
るから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える
程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の
者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さし
て進んだのである。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html

>> 漢民族は尖閣とは全く関係ないから尖閣は中国の領土ではない。

日本語になってないよ。
漢民族が関係ないのなら、漢民族の領土でないとなるのじゃないの。
中国とは多民族国家で漢民族はその一部。
アンタは人種と民族と国家を混同して区別がついてないのじゃないかな。

人種とは遺伝子の問題。
民族は同じ習慣や言語、文化をもったもの。
国家とは民族が集まってひとつの政治力、軍事力を持った組織。

江戸時代の仙台藩士(林子平)が残した地図でも、尖閣諸島は中国(清)
の領土になってますが、台湾は違ってて中国領になってません。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
福建省の福州から沖縄本島の那覇に至る航路を、北コースと南コース二本
えがき、その南コースに、 東から西へ花瓶嶼、彭隹(佳)山、釣魚台、黄
尾山、赤尾山をつらねているが、これらの島は、すべて中国本土と同 じ桜
色にぬられているのである。
http://akebonokikaku.hp.infoseek.co.jp/page015.html

>> 日本人は1800年代から尖閣に住んでる。

日本人が住みだしたのは日清戦争が終わって1900年代だろ。
100年もサバ読むなんてやりすぎだよ。
日清戦争後にアホウドリやカツオの缶詰工場を作ったが、第二次大戦の激変
で商売にならなくなり撤退してますから、実質40年くらい日本人が住んでた。

>> 台湾原住民は尖閣には住んでいなかったから漁業権以外は持たない。

日本は清からかっぱらった領土を、中華民国に戻す約束したから尖閣の領土
権は中華民国にあります。

>> 因みに台湾の本省人はポリネシア人で漢民族ではない。

本省人は人種的には福建省の人と台湾原住民の混血で文化的には漢民族だよ。
ろくにネットで調べてないようだね。
文化的にも原住民である高砂族は、高山に住んでるが台湾の2%くらいのもの。
平地に住んでた原住民は福建省の人に吸収されて人種的には混血化してます。

>>19 アイヌは元々北海道・樺太・千島と東北の一部にしか居なかった。

関東地方や東北地方に天皇家が力を伸ばしたのは、神話時代からでしょう。
ろくに神話を読んでないようだね。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
昔は関東(本州東方)あたりに蝦夷(エミシ、エビス、エゾ)≒アイヌが住ん
でいた。その後、関東(神話の時代〜古代)>東北(平安〜鎌倉)>北海道
(室町〜江戸)へとアイヌは追いやられた。

関東にはアイヌ語が語源になったのではないかといわれている地名がいくつ
かある。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E9%96%A2%E6%9D%B1


24. 2012年11月07日 15:59:56 : HNPlrBDYLM
>南京虐殺で日本軍は30万人の中国人を殺したといわれるが、それも
「殺さない振りして敵兵や一般人を集め、突然に集団虐殺」することで
日本軍の被害をないようにして出来ることなの。

中国人はアホだからな。捕虜も一般民も食べ物をやると言えば屠殺場へ喜んでついて来るのさ。


>本省人は人種的には福建省の人と台湾原住民の混血で文化的には漢民族だよ。

DNA分析ではポリネシア人で漢人の遺伝子は入っていない。

>蝦夷(エミシ、エビス、エゾ)≒アイヌ

蝦夷はアイヌじゃなくて、東北の住民だ。

>関東にはアイヌ語が語源になったのではないかといわれている地名がいくつ
かある。

アイヌ語は縄文時代の言葉に近いから、縄文人の子孫の東北の住民の言葉がアイヌと近いだけさ、


25. 2012年11月07日 16:02:20 : HNPlrBDYLM
いずれにしろ漢人と台湾本省人は全く遺伝子が違う民族だ。

従って、尖閣は中国人とは全く無関係な土地さ。


26. 2012年11月07日 16:12:31 : HNPlrBDYLM
>>> 日本人は1800年代から尖閣に住んでる。

日本人が住みだしたのは日清戦争が終わって1900年代だろ。
100年もサバ読むなんてやりすぎだよ。

日本人は1800年代から尖閣に住んでる。が正しい:

1859年以降に大城永保が調査し、1885年に沖縄県庁の石澤兵吾に無人島であることを報告した。
1884年 福岡県出身の実業家・古賀辰四郎が永康丸で魚釣島等を探検後、開拓に着手

1885年 古賀辰四郎が尖閣諸島での事業展開のため沖縄県に借地契約を請求。古賀の請求を受けて沖縄県庁は内務省に相談。内務省は沖縄県庁にこの島の調査を内々に命令する。
9月22日:沖縄県令・西村捨三は、「久場島、魚釣島は、古来より本県において称する島名ではあり、しかも本県所轄の久米・宮古・八重山等の群島に接近している無人の島であるので沖繩県下に属しているのであるが、『中山伝信録』(中国の古文書)に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一のものではないと言いきれないので、慎重に調査する必要がある」と、内務省に報告。 雲出丸による現地調査の結果を追って伝えると連絡。
雲出丸により尖閣列島および大東島の調査
10月9日:内務卿山縣有朋は実地調査の結果を受け「清国所属の証拠は少しも見えない」と外務卿井上馨に報告。
10月21日:外務卿井上馨は、「清の新聞が自国の領土である花瓶嶼や彭隹山を日本が占領するかもしれないなどという風説を流していて、清の政府や民衆が日本に対して猜疑心を抱いている。此んな時に、久場島、魚釣島などに国標を建てるのは徒に不安を煽るだけで好ましくない」として「国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲り候方然るべしと存じ候」と山縣に回答。
11月5日:沖縄県令は、「出雲丸報告書で熟考すると、最初は何方に属するかは甚だ決断しないで上申したが、今回の復命及び報告書によれば、本県の所轄と決定した。」として本県所轄の標札建設を上申した。
11月24日:沖縄県令は国標建設について、「清国との関係がないともいえず、万一不都合が生じては申し訳ないので、どうするべきか早く指揮してほしい」との上申書を内務卿へ提出。

1886年:長崎事件
1887年 軍艦「金剛」が宮古、八重山、尖閣列島を調査
1890年1月13日:沖縄県知事・丸岡莞爾が国標を建てる事を国に要請。
1891年:熊本県の伊沢矢喜太が魚釣、久場島に沖縄漁民ととともに渡航し、海産物とアホウ鳥を採集する
1892年:軍艦「海門」が尖閣列島を調査
1893年:花本外三名が久場島に赴く
1893年:伊沢矢喜太が再び赴き海産物とアホウ鳥を採集する
1893年11月2日:沖縄県知事・奈良原繁が国標を建てる事を国に要請。 ※時期は確定できないが、このころ、古賀辰四郎による開拓が本格化。船着場や鰹節工場を建設。

1894年 7月:朝鮮を巡る対立から日清戦争が勃発。
12月15日:標識建設について、「島は別に従来何れの領土とも決まっていない。地形上沖繩群島中の一部と認めるべきは当然の義」として、閣議提出が上伸された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C

台湾に漢民族が住んだのは60年前からだ。

尖閣から日本人を追い出したいなら、まず台湾から外省人を追い出すのが先だ。

清の版図はあくまで満州人の支配していた土地であって、漢民族は満州人の奴隷にだったに過ぎない。 ただの奴隷階級だった漢民族に土地の所有権はない。


27. 2012年11月07日 21:17:51 : HNPlrBDYLM

チャンコロの嘘はとっくにばれてるよ:


台湾本省人の血統は88%が漢族とは異なり、南方系人種に属している。


歴史統計学者の沈建徳氏の研究によれば、現在、台湾人の種族的構成は高山族(高砂族)や平埔族といった台湾原住民は、総人口の77.4%、漢人との混血16.8%、大陸からの移民5.8%。

沈建徳氏の統計方法は、オランダ時代以降の自然人口増加率を0.7%、1ヘクタールの耕地で3.3人を養えるという数字を基調として設定、歴代の台湾古典に記録されている戸数、人頭数、税収、政令の変化、清朝政府の賜姓、耕地の開拓拡大の歴史などから綿密な統計数字を算出したものだ。

高雄医学院精神内科の「台湾と西太平洋島嶼南島諸族の健康問題」という論文によれば、人種学的、血統的研究からも、台湾人の血統は88%が漢族とは異なり、南方系人種に属しているという。

つい最近、馬偕病院輸血医学研究室の林媽利医師や日本赤十字会、東京大学などでHLAの共同研究が行われ、その成果が発表された。国際医学朝刊に掲載された研究論文「組織抗原体(HLA)」と、第11回国際HLAフォーラムで発表された「台湾各エスニックグループのHLA分析とその比較研究」によれば、台湾のびん南系と客家系種族は、支那の漢人とは全く異なる種族であることが分かったということである。
遺伝子から見れば、台湾人はタイやベトナムのブイ族と同系である。血統的には、越族に属し、苗族(ミヤオ族)と同系である。


28. 恵也 2012年11月09日 00:06:16 : cdRlA.6W79UEw : lA8Oaf2OsA
>>19 アイヌは日本の先住民じゃない。

アイヌは関東以北の先住民で、今の日本人の多くの人に血が混じってるよ。
天皇陛下でさえ50代くらいさかのぼれば韓国の百済族だったという。

あなただったら10代もさかのぼったら韓国人やアイヌや部落民の方の血が
たくさん混じってるのじゃないかね。

10代もさかのぼったら両親が1000人、20代で100万人いるが1人
くらいは日本の皇族の血だって入ってるでしょう。
20才で赤ん坊を産むと仮定しても、たったの200年前だから江戸時代末期。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に
記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係
が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。

また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h13.html

>> 中国の自称漢民族の先祖は500年前はアムール川沿岸

自称漢民族って、人種じゃなく中国の習俗、言語、文化などを持つ人間の
集団で漢民族と自称してる人は中国に10億人以上いるでしょう。
その大集団がアムール川沿岸だけに居る筈がない。

1人の先祖を10代さかのぼって、1000人の両親がどこかの川沿岸に
集まって住んでいたというのなら判らんわけじゃないが10億人だぜ。
調べるのだってオオゴトだ!!!

>>24 中国人はアホだからな。捕虜も一般民も食べ物をやると言えば

違うよ。
それまでの日本軍に信用があったから、従う人が多かったの。

日露戦争の頃の神兵といわれた綱紀が厳しく、捕虜を紳士的に扱ってた頃の
日本軍じゃなく、捕虜にしてから殺し、食料を農民から強奪して凶暴化した
兵隊に変身してたのに中国人が気がつくのが遅かったの。

日露戦争の頃の日本軍は捕虜を中国から暖かい四国の松山などに送って捕虜
を厚遇したから、ロシア兵は捕虜になるときに厳しい戦場から「マツヤマに
行ける」と喜んだ人も居たという。
諸行無常というが日本軍も激変したものだ。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
私は華中、華北の戦場で、日本兵が昔日の神兵ではなく、掠奪、強姦、放火等
の非行が少くないことを知り痛嘆した。
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html

日露戦争(1904)において、日本はこの条約をおおむね守ったようでした。
ロシア軍の数万にのぼる捕虜は、松山などの収容所にて人道的な扱いを受けた
といわれています。
  また、第一次世界大戦で捕虜になったドイツ兵のうち千名は、徳島県の板
東収容所に収容されましたが、そこで彼らがベートーベンの第9交響曲を演奏
した話はつとによく知られています。これなども捕虜が人道的に扱われたこと
を示しているのではないかと思います。

  ところが南京事件の場合はすこしばかり事情が違っていたようでした。あ
る部隊では、捕虜をとるなという奇妙な命令が出されていました。1938年
1月14日、歩兵第30旅団の佐々木支隊長は「(各隊は担当区域を)掃討し
支那兵を撃滅すべし。各隊は師団の指示あるまで俘虜を受けつくるを許さず」
という命令を発しました。
http://www1.jca.apc.org/aml/9801/7241.html

>> DNA分析ではポリネシア人で漢人の遺伝子は入っていない。

アンタが分析したわけじゃあるまい。
ここで言ってるのは、本省人に福建省の人と台湾平地の原住民の血が入ってる
ということでアンタなんか誤解してるようだ。

それにそんな適当な分析を信じるんじゃない。
遺伝子が入っていないという断言は無理で、そんな断言は悪魔の証明の部類。
何千人のどんな分析をしたのか、中身が怪しいよ。

分析というのは内容を精査してこそ信じれるもの。
あなたに精査するだけの力があるようには感じれないけど・・・・

自然放射線がガンに無関係だというデマも、あなたみたいに精査が
出来ない連中が流したもの。
科学的な装いに誤魔化されないように!

ーーーーー引用開始ーーーーーー
京大の医学部で上野さんという人が神奈川県と大阪府だけに集中して、
都市単位までおとして、都市の平均と市町村までもおろして、平均と
そこでの発生率ということで、10いくつかのガンについて調べたんです。

そこでは、神奈川県も大阪府もきれいな影響が出た、放射線レベルと。
郡単位とか大きくしてしまうと、ほとんどないし、その前に科学技術庁の
時代に昔出して否定結論では、県単位でやってるんですよ。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/kuroha/ichikawa_report8.htm

>> 釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一のものではないと言いきれないので、
>> 慎重に調査する必要がある

この表現は日本人が住んでいるという意味とは違います。
アホウドリやカツオを取りたいので尖閣を借地契約したいと申請して、外務
大臣に清国領の可能性があるとして握り潰されてるわけだ。

おまけに日清戦争の大勢が決まり講和条約の4ヶ月前のドサクサに閣議に提出
し、清国に無断で沖縄県領にしたものでこれを日本語では火事場泥棒という。

台湾は正式に清国と交渉して手に入れたもので、これは正々堂々としたもの。
尖閣を手に入れたようなドサクサの中の火事場泥棒に道理はない!

ーーーーー引用開始ーーーーーー
その年十二月初めには、すでに日本の圧倒的勝利は確実となり、政府は講和
条件の一項として、清国から台湾を奪い取ることまで予定している。

これこそが、釣魚諸島を取ることに関連する『事情』の、以前といまとの決定
的な『相異』である。
http://www.geocities.jp/ktakai22/murata.html


29. 2012年11月09日 00:14:13 : HNPlrBDYLM
>アイヌは関東以北の先住民で、今の日本人の多くの人に血が混じってるよ。

少しぐらい調べてから書けよ。

アイヌは10世紀以降に縄文人の後裔の擦文人とオホーツク人(ニブヒ)が混血してできた民族

それ10世紀以前にはアイヌ人は存在しない。


30. 2012年11月09日 00:18:13 : HNPlrBDYLM
>私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に
記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。


百済王家と大和朝廷は朝鮮にいた漢民族の血統で、最初から同族なんだよ。

>>> DNA分析ではポリネシア人で漢人の遺伝子は入っていない。
アンタが分析したわけじゃあるまい。


台湾人は漢民族に滅ぼされた長江流域の越人の子孫だというのが遺伝子分析の結果だ。

漢民族の血が入ったのは60年前。


31. 2012年11月09日 00:20:31 : HNPlrBDYLM
<清国に無断で沖縄県領にしたものでこれを日本語では火事場泥棒という。

アメリカがハワイを領土にしたのと同じ。

住んでしまえば占有権ができるから日本の領土なのさ。

そもそも中国人は尖閣に住んでいなかったから権利はない。


32. 2012年11月09日 09:30:02 : HNPlrBDYLM

尖閣・千島 お隣の国 占領されると領土が拡がる中国

 支那という地域を理解するのに、まだまだその歴史を勉強しなければならない。それはまず、この地図だ。



 この地図は歴史家・宮崎淳子先生が画かれたもので、中華民国ができた時の支那地域の支配図である。もともと中華民国ができる前の国が「清」だったが、清は満州族の国家で、モンゴル、新疆、チベットとの「連邦国家」だった。


 清の前の王朝である明が周辺諸国に嫌われ、清は良い状態を保ったのは、清が連邦国家だったからで、「清の領土」というけれど、モンゴル、新疆、チベットは広い自治権が認められていたし、満洲はもともと宗主だから、別格だった。


 このような経過があったので、清の終わりの袁世凱や、孫文が中華民国を作った時には、その支配は「昔の秦」の領域だった。ここで少し歴史的な地域分配を見てみよう.



 まず最初に「統一国家」を作った秦であるが、揚子江を中心として北は黄河、南は南シナ海、西は山で囲まれた地域に支配圏があったことがわかる。秦という国がチャイナという国名の元であり、それが漢字で支那と書かれることはすでに書いた。


 それから後、新しい王朝は支配する地域が少し違うけれど、おおよそ秦の領土に近い。たとえば、秦からかなり年代がたった明は結構、領土が広かったが、それでも次のような図になる.


 秦に比べて少し山岳の方に入っているけれど、そのほかは同じだ。東と南ははともに海だからあまり検討する必要はないが、問題は「北」である。秦の時代も明の時代も北からの異民族の侵入が特に怖かったので、その防御のために万里の長城をつくった。


 万里の長城を作ったのが、秦と明だったのはそれほど偶然ではない。秦は漢民族が「統一国家」を作った時にフト気がつくと「北」だけが危ないことがわかり、秦の始皇帝が「万里の長城」を作った。


 明の時には国家を作った人にも北方民族の血がかなり流れていたが、それでも当面、元が北に帰った後の土地をもらったと言うこともあって、やはり北が怖かった。そこで北京のすぐ北に万里の長城を作ったのである.


 「万里の長城」というのは「国境」だから、支那地域の北の領土は万里の長城という事は確定している.


 その北にはモンゴルと満州がある。中国の歴史で今のところ大失敗しているのが、満州民族だ。中国というところは普通の常識では考えられないことをする。


 たとえば、「漢人は漢人を平気で殺す」ということで、たとえば前漢の末には国民に4人に3人が殺された。


 中国人は何でも食べるというけれど、時によっては人間も食べた.約束を破る、裏切るなども普通に行われるが、それを日本人の倫理観で考えてはダメで、人間は動物だから、動物のように「その時の自分に得になるように動く」のが摂理でもある。


 「尖閣諸島はもともと日本の領土だ」などと言ってもムダで、「尖閣諸島が何も無ければ日本のもの、資源があれば中国のもの」というのが中国流の倫理観なのである.


 そんな倫理観の支那に満州人が侵入した。それが「清」で、大いに繁栄して、モンゴル、新疆、チベットとも連邦を組んで、大帝国をつくった。モンゴルの時代を除けば、中国で歴史的な「最大版図」になったのである.


 ところが、不思議なことが起こった。


 清朝はもともと満州族が作ったのだから、支那は満州に占領されていたのが清朝だ。その清朝が衰えて、満州に帰った。そして、もともと漢の時代に「中国」の領土だった「支那(秦、china)」の地域に中華民国ができた。


 その次に驚くべき事が起こったのだ。


 それは「中華民国」が「満洲は俺の領土だ」と言ったことだった。中華民国は支那の国だから、武力があれば支那を統一するだろう。それは秦や明が万里の長城から南を領土にしたのと同じだから、「支那は中国人の固有の領土」と言っても不思議ではない。


 ところが、満洲はずっと満洲人の領土だから、満洲人が支那地域を占領していたのを引き上げて、満洲に戻ったのだから、満洲は支那ではない。満洲が支那を占領していたのだから、満洲が支那を「領土」と宣言することはあるが、占領されていた支那が満洲を領土にするというのは「世界の常識」から言えば「逆」である。


 たとえば、次のような話をすればさらに理解が深まる.


 豊臣秀吉が朝鮮に出兵して北京まで進軍しようとした。日本では「そんなことはできなかった」と思う人が多いだろうが、さすが豊臣秀吉だ。支那の地域は漢から三国時代が終わると、支那には人がいなくなり、次々と北方民族が占領していたのだ。だから、「支那の北方民族の一つの日本が北京を占領する」というのはごく普通のことである.


 そして日本軍が朝鮮を占領し、さらに駒を進めて北京から揚子江ぐらいを占領したとする。しばらくは秀吉も生きていて、大陸の占領が成功したので、首都も中間の平壌に移したが、100年ぐらいして大陸にも興味が無くなり、日本軍は日本に引き揚げたとする.


 占領された支那は新しい王朝ができる。そうすると、奇妙な論理が登場するだろう.それは、「日本は中国だ」ということである。


 支那を満洲が占領した。しばらくして満洲が支那を放棄して故郷に戻ると、支那は「満洲は中国だ」と言った。


 もし、日本が支那を占領し、しばらくして支那を放棄して日本に帰ると、支那は「日本は中国だ」と言っただろう.


 つまり、武力にも工業にも頼ることができない支那の人はそれなりに生きるすべを身につけていた。それは


「自分のものは自分のもの、他人のものは自分のもの、自分の土地を占領した人の土地は自分のもの」


という「なんでも自分のもの」という主義である。


 これを中華思想という。
http://takedanet.com/2010/12/post_4823.html


33. 2012年11月09日 09:33:49 : HNPlrBDYLM

尖閣・千島 お隣の国 中華思想

 昨年、中華思想とは「自分が中心で周りは属国」ということで、周囲の国を尊敬するどころか、鮮卑とか、凶奴とかいうようにひどい名前をつけて「呼び名でさげすむ」というのが特長で、そして、やがてその「さげすんでいた人」が力をつけて「自分の主人」になると、さすがに主人をさげすむ訳にはいかないので、「同列」にする。つまり、さげすんでいた人の領土を自分の領土と同格に格上げして、その土地を自分の土地にするという思想であることを述べた。

(ややこしいので、一度、読んでも分からないぐらいだが・・・)

 つまり中華思想での「格上げ」というのは「満洲の人に占領されたから、満洲は支那の領土になる」ということになる.現在の満洲が支那の領土になっているのは、「支那が満洲を占領したから」ではなく、逆に「満洲が支那を占領したから」である。

 でも、このような巧妙な事を実施するには作戦がいる。タダで人の土地を手に入れるのだから戦略はかなり高度でなければならない。

 普通は戦争で土地を手に入れるのだから、それと比べれば、平和主義といえば平和主義だ.

 まず、第一に文化程度を高めておくことだ。常に田舎者が東京に来て恐れおののくようにしておくということと同じである.

 支那の国に行くと「祖先はこんなに偉かった、墳墓の大きさに驚いたか!。こんなに綺麗な飾り物がある、この絹は素晴らしいだろう。美味しい中華料理も、女性も綺麗でエレガントだ・・・」と続く。

それには大きな宮殿もいるし、宮殿までの道路も広くて両側には虎の彫り物も欲しい・・・ということで「支那の文化」ができた。

 今でも、日本から支那に行く陽気で単純で偉い人は、これにすっかり引っかかる。みんな笑顔で迎えてくれるし、美味しいご飯は食べられる.万里の長城も宮殿の素晴らしく「さすが、中国4000年!」と感激して、日本の技術をソックリ差し上げてくる人もいる。

だが、もともと支那の歴史は2000年、それも中抜け、虐殺、属国の歴史だが、それらは全て、隠されている.

 なかなか、素晴らしい作戦だ。

 つまり、支那の文化は「負ける文化」であり、「負けても繁栄する」という戦略をもっている。だから、「勝つ文化」、つまりヨーロッパの文化が清の時代にやってくると支那はこと軍事力ではひとたまりもなく破れた。

そこで、清王朝はそれまでの支那文明とはまったく違う文明を受け入れた.

 日清戦争で支那が日本に負けて「支那文化」を捨てたということが岡田英弘先生の本に書かれているが、それはそうだろう。小さな属国と思っていたところにいとも簡単に負けてしまったからだ。

でも、その時に捨てたのは政治、軍事、社会、技術などであり、中華思想は捨てていない。だから、「勝つ国」が、「負けても勝つ中華思想」と一緒だからややこしくなっている。

 もう一つの中華思想の戦略は、「ウソを記録する」という方法である.

 「過去に起こったこと」を記録するときに、「できるだけ事実に忠実に記録する」という方法と、「自分に有利になるように記録する」というのがある。

 事実だから事実をそのまま記録すれば良いじゃないかというけれど、人間の社会というのはそれほど単純ではない.たとえば2010年に日本と中国の間で起こった尖閣諸島問題でも、少し前から日本の図書館から古い地図が抜き取られているという事件がある。

 日本と中国の間には古くからいろいろな歴史がある。それがそのまま残っていると中国には不利な記録もあるが、それを早く消してしまえば、新しく「作り上げた歴史」を書くことができるからだ。

 だから、日本と中国、朝鮮の古地図に関係するところが無くなっている.だれが破ったり盗んだりしているのか分からない。普通に考えると、関係する中国か韓国の人が自国に有利になるように歴史を消しているとも採れるし、逆に日本人が中国や朝鮮に対して圧力をかけようとして謀略をしているのかも知れない。

 事実はかくのごとく複雑であり、なかなか明確には分からないのである.だから、その間隙をついて、「歴史を自分の有利なように書き換える」というのはきわめて単純な「だまし」の方法になる.

 言ったことはそのうちに消えるし、事実そのものも分からなくなる。でも、書いた物はそのまま残るので、書いた方が勝ちであることを支那は知っていた.

「王朝を開いた皇帝はこのように英雄であり、人格が高かった」、「周囲の野蛮な国を平定して国に平和をもたらした」、「中興の祖の**帝の時に最大版図になった」というような事であり、そして地図にはその王朝の「最大版図」を記録して、後は捨てる.

 そうすると、あたかもその王朝の領土は「最大版図」であるような錯覚に陥る.

 たとえば、前漢や後漢の領土として知られている地図は、「平均的な領土」でもなければ「固有の領土」でもない。もともと「国境」がハッキリしていないのだから、「固有の領土」なるものはない。「書いたが勝ち」で最大版図がその王朝の領土であったことになる.

 先に豊臣秀吉の大陸攻撃と、もし秀吉が北京に首都をおいたら日本は中国に編入されているということを書いたが、日本と中国の常識がいかに違うかを、今度も領土について示してみたい。


 この地図は「大日本帝国」の「最大版図」である。今の日本は自虐的で、かつ世界の孤児だから、このような地図を示すと「侵略を正当化するのか!」と叱られる.でも、中国は常に「最大版図」しか示さないことに注意すべきである.

 支那の王朝の「領土」をもし日本の教科書に書いてあるように示せばこのようになるということで、それを叱っても意味がない.日本の思想で日本国を示せば、南は千島から北は沖縄になるが、中華思想で示せば、大日本帝国の時の最大版図になるということだ。

 中国人が日本人なら、この地図の「色分け」はしない。もともと日本領土だったところ、朝鮮と満洲、フィリピンなどを色わけすると、そこは日本とは違うように見える.

ところが、全部を同じ色で塗って、「日本」と書けば、何回か見ている内に「ほんとうの日本はこんなに大きかった」と錯覚する.

 それが今の中国と言っている領土の範囲なのだ。

 それではなぜ歴史学者が、支那の王朝の領土を「事実」に基づかずに「公的に示された最大版図」を示すのだろうか? それは中華思想そのものにある。つまり、人間は自己の責任を問われるのを恐れるから、「お墨付き」のあるものを使いがちであり、それが間違ったものでも使っていると本当になるという深い考えが含まれているからである.

 筆者は自然科学者としてよく経験しているが、科学の専門家でも、専門が細かく分かれているので、自分の研究対象以外のところは「当たり障りなく、公的なデータ」を使いたがる傾向がある。

 最近見られるその典型例が「地球温暖化が起こっていて、原因は人為的に排出されるCO2」という「社会現象」である。もちろん温暖化もCO2も自然科学なのだが、現実にデータを持ち、研究をしているのは一部の気象学者と地球物理学者、それに温暖化に興味のある学者だけである。

そのほかの人は自然科学者も含めて「大勢の人が言っている」とか、中華思想的な場合は「公的な方が正しい」と判断している。

 つまり、「ウソでも公的に記録されれば現実になる」という中華思想はけっこう人の認識の弱点を巧みに突いている.

 まとめると、

1.  自分と同じになれば他人のものは自分のもの。だから占領される毎に領土が増える.

(普通なら「取られた」と思うがその反対)

2.  人は「事実」より「公的に記録されたもの」を真実と錯覚する。だから事実が何かを調べる必要は無く、公的に記録すればそれが事実になる.

 なかなか巧妙な思想である.

 ここに書いたことは、中国を批判しようとか、日本の占領を正当化しようということではまったくない。中国を理解するためには、日本の考えを離れて、中国人の見方を取り入れなければならないということである。
http://takedanet.com/2011/01/post_5a02.html


34. 2012年11月09日 09:40:21 : HNPlrBDYLM

尖閣列島事件


日本と中国の間にある尖閣列島は歴史的にも、支那地方の政府が支配したことがなく、日本の明治政府が歴史的に初めて領土宣言をしているから、領土問題は存在しない。


「領土」というのもが、「どの政府も領土していない」ところを、どこかの政府が領土宣言して、それが10年もどこからも異論が出なければ確定する.


その後、100年ぐらいして文句をつけたら、戦争の火種を作るだけで意味がない.もしそれができれば、日本は「今の中国は全部、日本の領土だ」と言っても良い.


そんなことを認めたら、国際的に決められている領土は、またかつての帝国主義時代のように「力のある国がかってに人の領土をとる」ということになって問題がある。


だから、今度の尖閣列島の事件の解決方法はただ一つしかないと私は思う.


1) できるだけ早く、日本が中国を上回る軍事力を持ち、もちろん「自衛隊」ではなく、「日本軍」を尖閣列島周辺に派遣すること、


2) 同時に、船長を釈放すること、


3) その上で、国際社会に向かって「日本は自らの力と国際協力によって尖閣列島を守ることができるが、それだからといって一人の犯罪人(日本の領海を侵して勝手に操業した船長)ために戦争を構えることはしない。たとえ、中国が国際法を無視しても、日本は誠実な国だから、国際的な慣行や国際法を守り、小さいことにはこだわらない」と強く宣言する.


4) 変な妥協はできないが、妥協しないためには「軍事力」と「国際政治力(ハッキリしたアピール)がいる。


今回の船長の釈放を「地方検察庁が独自にやった」などという声明を出すのは政府が判断を避けた結果だろう.この事件が重大事件であることは確かだから政府が逃げてはいけない。


国際社会で意味があるのは、


1) 行動を裏付けるだけの軍事力、


2) その軍事力を発揮しないこと、


3) ハッキリと立場を貫くこと、


4) 事の大小を区別できること、


である。軍事力は直接使うのではなく、このようなことを事前に抑止するためにある。
http://takedanet.com/2010/09/post_6962.html


35. 2012年11月09日 09:42:32 : HNPlrBDYLM

中国が尖閣諸島を取りに来た原因


中国が尖閣諸島を取りに来た原因は、20年ほど前から日本人が希望してきたこと、つまり「節約によって国を衰退させる」ということです。だから、テレビや新聞が「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と叫んでいるのは実に滑稽なことで、自ら原因を作り、それが実現すると異議を唱えるのですから困ったものです。

現代の人間社会で「世界の国は固有の領土があり、他国の領土は他国のもの」という概念を持っているのは日本人ぐらいなもので、日本がたまたま四面を海に囲まれ、ほぼ単一民族で、さらに万世一系の天皇をいただいているという特殊な国だからです。

アメリカに固有の領土を求めてもムダです。アメリカはもともと1776年まで領土はゼロで、それ以後に獲得したところもすべて「他人のもの」だったところだからです。ロシアもモスコー付近は固有の領土と言えないこともありませんが、ウラル山脈より東は力で獲得した土地です。そして中国も「領土というものはない。中華の力が及ぶところは中国の領土だ」という概念ですから、これも同じです。

これが事実ですから、「固有の領土」等と言うのは外交交渉上のことであって、決して解決策にはならないのです。日本のようにアメリカ、ロシア、中国という3大強国に囲まれた国もまた日本以外にないのですが、この場合、日本を防衛するには3つの方法があります。

一つは「ハリネズミ方式」、つまり鎖国です。外から外人が全く入れないようにして、仮に上陸してくると「問答無用!」と日本刀で切り捨てるのです。日本の武士が日本刀を持った姿はなかなか迫力があります。なんと言っても恥をかくとそれだけで自分の腹を切るだけの度胸のある武士ですから、外人は怖くて仕方が無いので、日本に入っては来ません。江戸時代の鎖国が成功した理由でもあります。

二番目が「戦争」です。日本が開国すると、すぐ中国とのいざこざがあり日清戦争をし、ロシアが延々モスコーからやってきて、朝鮮と日本を取りに来たので日露戦争。そしてアメリカが事もあろうに太平洋を渡って東アジアを脅かしてきたので太平洋戦争と3度の戦争をしました。そして2勝1敗でしたが、まあまあ白人から独立もしたし、かなりの成功と言えるでしょう。

三番目が”Japan as No.1” と言われた日本の技術力です。世界一の技術力は防衛になります.中国は日本の技術で発展してきましたし、アメリカも日本が製品を供給して繁栄しました。おいそれと日本を衰退させられなかったのです。たとえばオーストラリアの炭鉱では日本のトラック、掘削機、詰め替え機などが使われていて、日本が技術を提供しなければオーストラリアの炭鉱が繁栄することはできません。

それでは、これからの日本はどのような戦略で日本をまわりの3大強国から守ろうとしているのでしょうか? 迫ってきた総選挙のもっとも大きな争点になるはずです。日本が今、取り得る政策は、次の中の選択でしょう。

1) これまでの自民党、民主党の政策を引き継ぎ、エネルギーの削減(節電とCO2削減)、軍備の段階的縮小、短期的利権への税金の投入を続け、文科省が主導する教育を続け、これまでの日本の富を少しずつ減らして言って、日本を衰退させる政策。現在の日本政府と中国政府の長期政策をそのまま整理すると、2050年には日本は中国の10分の1の国になる(エネルギー消費が活動量に比例するとして)。企業が海外に移動し、日本は空洞化する。

2) 日本を発展させるために、技術立国、土木工事投資、教育投資と教育現場の権限強化、法人税の軽減、環境制約撤廃(京都議定書脱離)、自衛隊の充実、金融緩和のインフレターゲット政策、諸規制の撤廃と官への報告義務の減少、電気代を2分の1(発送電分離、自由化)、火力発電所の増設など、産業振興、教育、軍備など国が本来力を入れるべきところにお金を集中する。中小企業が日本で収益が上げられる構造を作り、若者が仕事に就くことができるようにする。

3) 軍事力を強化、核武装。中央集権化。東京が権限を強化。全体主義、共産主義的国家を建設し、アメリカとの同盟を強化して国防に当たる。国家のために働く国民の教育。滅私奉公。

すでに最左翼が滅亡したので、1)が左翼(自民党、民主党、公明党、維新の会、社民党、共産党がこれに当たる)、2)が中道(普通の政権の政策で、日本の富を増やす方法)、3)が右翼、ということになるでしょう。

ところが、現在の政党やこれから出てくる政党も、マスコミの報道もあるでしょうが、どうも政策がハッキリしません。明確なのは減税党ぐらいで後は、みんな上の分類では左翼の政権と言えるでしょう。特に日本の企業が日本で活動する条件を悪くし、国民に節エネルギー(活動量を減らす)ことを目的とする政権では私は衰退が目に見えているように考えられます。

つまり、尖閣諸島の問題は、中国が取りに来たとか、固有の領土かという問題ではなく、日本が中国と対等の力を維持していくべきかどうか、維持して行くにはどのようにしなければならないのかがもっとも大きな分岐点で、それが選挙の争点にならなければ、国政は要らないようなものです。

私は、国がエネルギーの供給を安く豊富にして、国民が楽しく活発に行動し、その結果、教育も産業も好転するようにすることが日本の将来にとってもっとも大切と思いますが、私には当たり前のように感じられる政党が見当たりません。原発についても危険なものを動かすのは国民の安全と言う意味でも、また日本経済のためにも、国防にも良いはずはありません。

また国民が1人も「節約」をしていないのに、あたかも節約するふりをすることが「よい子」のような錯覚にとらわれ、無用な政策を採り続けている(温暖化対策がその典型)のも日本の将来を危うくします。

(平成24年11月2日)
http://takedanet.com/2012/11/post_ad18.html


36. 2012年11月09日 09:43:49 : HNPlrBDYLM

尖閣、竹島、四島・・・領土と国(1) 台湾

尖閣列島、竹島、そして根室四島(北方四島という呼び名はいかにも「日本ではない」という感じがするので、ここでは根室四島と呼ぶ)が注目を集めています。そこで、この問題を整理することにしました。

「領土」と言うからには、その前提として「国」がなければならないのは当然です。そして、日本に住んでいると歴史が長いことと、四方が海なので国というのは「大昔からあるもの」と考えがちですが、世界では「国」や「国境」がハッキリしている方が珍しいということをまずは頭に入れなければなりません。その意味で「固有の国土」などというものはほとんど無いのです。

たとえば、台湾ですが、明治初期の台湾は「清」という中国の国が軍隊を派遣していましたが、「清の国土」なのか「清の勢力範囲」なのかはハッキリしていませんでした。

明治4年に琉球王国のご用船が難破して台湾に漂着した時、乗員69人の内、54名が斬首されるという事件がありました。今の常識では考えられませんが、「今の常識」はまさに「今の常識」であり、これを歴史的なことにそのまま適応するのは不適切です。

ともかく、琉球王国も「国かどうかハッキリしない」という時期だったので、琉球政府に代わって日本政府がこの事件について清に賠償を求めます。難破して漂着した人を殺害するのですから、もし「国」であればその国の政府が賠償しなければなりません。

ところが清は「台湾の中国人がやったのなら別だが、現地人がやったのだから俺には責任がない」と回答しました。この回答でわかることは台湾は清のものではなく清の一部が台湾に駐留していたということです。私たちは現代人ですから、どうしても「どこの国か?」と聞きたくなりますが、昔(たった150年ほど前)でも、「地域」があっても「国」ではないところは多かったのです。

かくして紆余曲折はあったのですが、日本軍が台湾に上陸して報復します。ところが、中国の守備隊は台湾を守るのではなく、台湾の人を殺戮し、台北を放棄して逃げてしまいます。このことも、台湾は「清の領土」ではなく「清の軍隊が駐留していた」と言うことを示します。後に整理しますが、「中国」というのは「地域」の名称であって、「中国」という「国」ができたのは共産党が中国を統一したごく最近の事です。

建国は1949年ですからまだ60年ほどしか経っていません。これは政治的な意味合いではなく学問的な解釈で、詳しくは歴史学者宮脇先生とシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」で詳しく解説をしています。

結局、台湾は歴史的に「国」であったことはなく、日本と清の間の戦争(日清戦争)のあとの下関条約で「清の統治下」から「日本の統治下」に入り、まもなく1915年に「内地延長主義」、つまりそれまでの「植民地統治」から「日本国の延長」ということにかわり、歴史的にははじめて台湾は「日本国」という国の一部になったのです。

私が「日本国は千島列島(占守島)から台湾まで」と言っているのは、政治的とか、良い悪いではなく、単純に歴史的には有史以来、台湾が国になったのは日本国の一部になってからという意味です。

たとえば、アメリカ合衆国というのは最初は北アメリカの一部に13州を作って独立したのですが、その後、西に進み、インディアンやメキシコなどと戦って、州を増やして今のアメリカ大陸の「国」ができたのです。カリフォルニアがアメリカ合衆国の一部であるということと同じく、台湾は日本であるということになります。

その後、日本が戦争に負けて台湾を放棄し、そのすぐ後(日本が降伏した1945年8月の2ヶ月後)、中華民国という国(中国ではない)が台湾に進駐して「実効支配」している状態です。

200年前の状態という意味では台湾は台湾人(中国は台湾を植民地にしていたので、インドとイギリスの関係と同じ)のもの、100年前というと日本国、そして50年前というと誰のものでもないということになります。もし、台湾をもともとの人に返すということなら台湾人(1945年に移ってきた中華民国人ではなく、もともとの台湾人)という事になります。

もちろん、領土は政治的、感情的なものですから、このようなことを言うと日本を支持してくれている今の台湾の人からも文句を言われますが、歴史的にはこのような事だったということです。

そうなると、台湾と琉球の間で台湾に近い尖閣諸島は誰のものなのでしょうか?少し長くなりましたので、また書きます。

(平成24年8月28日)
http://takedanet.com/2012/08/post_29f2.html


37. 2012年11月09日 09:49:56 : HNPlrBDYLM

尖閣・竹島・四島・・・領土と国(2) 中国


第一回で「台湾は国?」という質問が非常に難しいこと、歴史的に見て最初に国になったときという意味では「日本国」だということを書きました。これは国際的慣行で先占権といい、国でないところに始めて国を作った国がそこを自分の国とできるということです。

このように、尖閣諸島がどの「国」に属するのかということ一つをとっても、なかなか難しいことが分かります。第2回目は「中国という国はあるのか?」ということを簡単に解説します。詳しくはシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」をご覧ください。

私たちが今、中国と呼んでいる地域は、1)昔からの支那(チャイナ)、2)台湾、3)満州、4)蒙古、5)ウィグル、6)チベット、で、それぞれ別の国です。

満州は女真族という民族の国で、支那の国とはまったく別の国です。多くの人が万里の長城というのを知っていて、北京に行ったことがあれば北京からすぐのところに万里の長城があることを経験しているでしょう。

「万里の長城」とはまさに城で、「異民族の侵入を防ぐ、中国(支那)の北の防衛線」です。ということは万里の長城より北は支那ではないことを示しています。

満州は万里の長城の東北ですから、当然、中国ではなく「満州」という国(もしくは地域)です。満州が国のような体裁をとったのはかなり前ですが、強くなった時からでも「遼」、「金」などの北方民族の国であり、さらに蒙古の「元」を経て女真族が力をつけてきます。でも国境線が画定していた訳ではありません。

・・・・・・・・・

今の中国だけが頭にある人は、ここが錯覚しやすいところですが、支那の地域を支配した「明」という国を攻めて作った「清」は「占領王国」です。つまり普通は「国」があるので、「ドイツが北の方からフランスに攻め入ってフランスを占領して合併して、首都をベルリンからパリに移した」と言うことと同じです。

ドイツ人がフランスを占領したのですから、首都をパリに移しても政府の中枢部はドイツ人、権限はドイツ人が握っていたという状態です(現実の歴史ではナチスの時に短い間、このような事が起こりました。

もう一度、くり返しますと「清」という「支那の王朝」は「満州」の女真族が支那を占領して北京に首都を移したということですから、「清」は支那(中国)の国ではなく、満州の国なのです。

ここが支那人の「国」の考え方が世界と違うところで、普通なら「我が国土を取り戻せ!」という事になるのですが、もともと支那には「我が国」がないので、外国(満州)に占領されると、逆に満州も「我が国土」になるという逆転現象が生まれるのです。日本がアメリカに占領されると、日本人が「アメリカは日本だ」というようなものですが、「中華思想」というのは「世界中が中国だ」というのにほぼ同じですから、特に論理が破綻している訳ではありません。

もっとも中国にも「支那の国が支那で他国に占領された国は支那ではない」として日本に移住した朱舜水のような人物も居ます。彼は「日本こそが中華だ」と言っていますが、つまり日本人のような「国」という概念はないのです。

・・・・・・・・・

国がない人から見て、尖閣諸島や台湾、さらには朝鮮、南沙諸島などを見るとどのように見えるでしょうか? 国境というのがもともとないのですから、世界中、どこでも自分の力の及ぶところが国であり、さらに外国が自分のところを占領したら、その外国も自分の国になるということです。

従って、「どこでも自分の国」という考えの今の中国が、「尖閣諸島はこれまで中国であったことはないが、欲しいから自分のものだ」というのも彼らなりの理屈が通っています。このように、普通の国と全く違う論理を持った地域、支那。その地域が日本の隣にあるということを日本人はよくよく考えなければならないでしょう。

(平成24年9月5日)
http://takedanet.com/2012/09/post_f116.html

尖閣・竹島・四島・・・領土と国(3) 尖閣だめ押し


尖閣列島の帰属について、二回にわけて整理をしてきました。台湾は歴史上、まだ「国」になったことがなく、強いてどの国という答えをしなければならないとしたら「日本」と答えざるを得ないことを書きました(日本は台湾を取り返そうなどと言う心は一切、ありません)。


また「中国」というのは国ではなく、支那人の定義によると「世界中はすべて中国だが、当面は自分の力の及ぶ限り」という事であることも明確に示しました。「中国」というのは国の名前ではなく、「概念」なのです。中国人からいえば「世界はすべて中国のもの」ということですが、他の国の人から見ると自分勝手に見えます。

尖閣列島は沖縄と台湾の近くなので、「近く」という点では沖縄(日本)か台湾(日本)のどちらかになりますので、どちらでも日本ということになります。


まず、ここまでで基礎的なことが分かった時点で、だめ押しをして起きたいと思います。1930年、日本陸軍が尖閣諸島の詳細な測量を行っています。この測量が尖閣列島の最初の測量ですが、もともと「他人の国を測量できない」というのは当たり前なので、尖閣諸島は日本の領土だったことがハッキリします。


この地図が陸軍の測量図で、無人島の一つ一つを詳細に測量しています。さすが軍隊ですね。歴史的にそれまでまったくどの国にも所属せず、かつ無人島だったのですから、最初に測量をした国の所属であることは言うまでもありません。

次に、台湾はサンフランシスコ条約で日本が放棄して当面、アメリカをはじめとした連合国の信託統治になり、その後、中華民国の人が移動してきて実効支配しています。その意味では、台湾の最終的な帰属は今の中華人民共和国(大陸)が決めることはできず、中華民国(台湾)、アメリカ、そして日本が参加して平和の内に最終決定することが必要でしょう。

くり返しますが、中華人民共和国は台湾の帰属について口を出すことはできません。その中華民国が自分の国土を示した切手をだしていますが、その切手の中には尖閣諸島は含まれていません。つまり、台湾の実質的な占拠者である中華民国ですら、尖閣諸島は自分たちと関係がないとしているのです。

ところで、中国大陸では「尖閣問題で日本人をバッシング」という事件が続いています。確かに支那人からみると「世界はどこでも中国」と思っているのでしょうが、人の領土を勝手に自分たちのものとして、それを守らないから乱暴狼藉をするというのは感心したことでありません。

中国大陸の人も国際常識がある人や人格者もおられると思いますので、「全世界は中国ではない」と言うことぐらいは国民に説明する必要があるでしょう。日本はきわめてハッキリした態度で臨むべきです。日本人は誰もが地主の許可さえあれば尖閣諸島に上陸できますし、付近の海域は日本の領海です。このところを日本がハッキリできなければ、中国と正反対で「日本人は日本の国土を世界共通のものと思っている」と言うことになります。

(平成24年9月14日)
http://takedanet.com/2012/09/post_e7dd.html

尖閣・竹島・四島・・・領土と国(4) 朝鮮


竹島の問題は尖閣諸島とは趣が異なります。それは、「歴史的に見て、日本は中国に比べて、朝鮮にそれほど悪いことはしていないのに、なぜ、朝鮮人は中国人を嫌わずに、日本を嫌うのか? それは本当の姿か?」ということが鍵と思います。

というのは、日本との関係ができるまで、朝鮮は中国の属国の歴史が長かったですし、元の時などはそれこそ大変でした。そして19世紀の終わりには帝国主義時代で、「清、ロシア、日本」のいずれかに併合されるという状態でした。

1910年に日本が韓国を併合してから朝鮮は発展し、多くの朝鮮人が幸福になりました。だから普通には正しい道筋でもあったのですが、でも日本に併合されたのだから、朝鮮の人にとっては不本意だったでしょう。

このことを考えるには、朝鮮の難しい社会構造があります。朝鮮の支配層は「日本より中国に支配されるなら良い。ロシアでも良い」としていましたが、それはやや精錬潔癖を望む日本では貴族の地位が危うくなることでもあったからです。

1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました。ヤンパンと呼ばれる上流階級が一般国民を農奴ように支配するという社会で、上流階級は清朝に隷属していました。

その様子は女流旅行家:イザベラ・バードの手記に良くまとめられています。
「朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、 全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。

政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。

日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。
—イザベラ・バード, 『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f

ところで、当時は帝国主義時代ですから、国力が弱いので中国、ロシア、日本のいずれかの属国になるしか選択肢はなかったのですが、日本はイヤだったのです。

日本の歴史書には「日本が入ってくると、階級制がなくなりヤンパンの特権が奪われるから」とありますが、それならヤンパン以外の朝鮮人はどうなのでしょうか? 私の回りの朝鮮の人はみんなシッカリした魂を持った人なのに、なぜこれほど日本を憎く思うのか、竹島の問題は「国際法」など以前に、私たちが「韓国人」という場合、それは支配層なのか、支配層の影響を受けている人か、それとも一般の人なのか、それを考えなければならないのです。

くれぐれも注意がいるのは、「朝鮮人の支配層」が自分たちの利権を守るために日本人が来るのをいやがっていたという事実です。いまでも、もしかすると日本を憎んでいる人は韓国の一部でそれを誇大にマスコミが報道している可能性もあります。

日本でも「選挙をすれば負ける」と言う民主党が政権をとっているぐらいですから、外から見たその国と内から見るのとは違うかも知れません。

(平成24年9月16日)
http://takedanet.com/2012/09/post_3122.html

尖閣・竹島・四島・・・領土と国(5) 国際的に見た竹島の帰属と日本の覚悟


竹島の問題に本格的に取り組む前に、国際的に見た竹島の帰属(日本の領土か、朝鮮のものか)について整理をして起きますが、これもハッキリしていて、あまり議論の対象ではありません。

現在の日本の周辺の国土は、大東亜戦争で日本が敗北して、それまで日本の領土だったところ、特に戦争が始まる前も保有したり、支配をしていた地域について、国際的に放棄しました(サンフランシスコ平和条約)。

それは、次の島々です。ずいぶん、多くの島や土地を放棄したものですね。
1) 千島列島
2) 樺太(サハリン)、
3) 満州、
4) 朝鮮、
5) 沖縄、
6) 台湾

このうち、沖縄はアメリカの信託統治となり、現在は日本に復帰しています。より小さな小笠原諸島、南沙諸島など細かい範囲の設定がありました。その中で、今、問題になっている、四島、竹島、尖閣はいずれも「何らかの事情でハッキリしなかった」ものです。

ハッキリしない事情はそれぞれで違うのですが、いずれもサンフランシスコ平和条約でハッキリとは書かれていなかったということです。
1)四島は「国後、択捉、歯舞、色丹が千島列島に所属するのか、しないのか」という問題。日本はこの四島は千島列島の一部ではないという見解。
2)竹島はサンフランシスコ平和条約の時に、日本と朝鮮の間にある四つの島(済州島,巨文島、欝陵島および竹島)のうち、最初の3つは明記されたのですが、竹島が明記されず、そのためにサンフランシスコ条約の時に朝鮮がアメリカに苦情を申し出、アメリカが「竹島は歴史的にも日本の領土」としたもの。
3)尖閣列島は昔から琉球諸島と一緒のくくりで、サンフランシスコ平和条約の時には特に明記されていなかったもの。

陸地の領土でも同じ事ですが、「場所」は複雑なので、もめ事がないという状態はなかなかできません。たとえば千島列島とは「どこからどこまで」と書くのもあまりに煩雑になるのでやっかいです。またその時に双方に思惑があってわざと書かないなどということもあり、書くと全体の条約の調印まで行かない可能性もある場合も考えられます。

また、尖閣は多くの人が「当然、琉球諸島の一部」と思っていたので書かなかったということもありますし、台湾に移動した中華民国がなにも言わなかったので、そのままアメリカが所有し、沖縄返還とともに日本に帰ってきたということです。

竹島はやや複雑ですが、韓国にとって都合が悪いのは、条約を調印するかなり前には竹島は他の3島とともに朝鮮の所属になっていましたが、調査が進むと「どうもこの島は日本らしい」となり、調印間近には朝鮮に返還されるのは四島から三島に変わりました。このことで韓国がアメリカに異議を申し立てたので、「寝た子を起こす」ことになり、結局、日本の領土になりました。

またやっかいなことに、ソ連と中国はサンフランシスコ平和条約に調印せず、韓国は日本と戦っていないので、戦勝国ではなく、従って講和会議にも出席出来ないという立場にあったのです。

・・・・・・・・・

竹島が尖閣諸島よりややこしいのは、朝鮮が李承晩ラインというのを引き、竹島を朝鮮の領土にしたことです。つまり「国際条約で決めたことを韓国が当事者になれなかったので、独自に決めたということになったのです。

韓国は武力で竹島に上陸、そこを占拠しました。当時の日本は戦争に負けて平和憲法ができたばかりでしたから、「国際紛争には武力は使わない」ということでしたが、「相手が武力で来たときにどうするのか?」は決まっていなかったのです。

強いて言えば、アメリカが武力を背景に相手側と交渉してくれるぐらいのところだったのでしょう。事実、竹島では「日本の領海なのに大量の漁船が拿捕され、漁民が韓国に連行された」ということが発生しましたが、日本は泣き寝入りをせざるを得なかったのです。

1910年に日本が韓国を併合したとき、日本は直接的な武力を使ったわけではなく、武力を背景に韓国を併合したのですが、「武力と関係なく話し合いで併合した」わけでもありませんでした。このことが「不当」であると韓国人が思うなら、韓国が竹島を話し合いをしないで占有するのも同じです。

つまり日本が軍事力を使わないとみると、力で押さえつけるというのは日本を非難していることを自分が行うということでもありますから、余り関心できません。国際的にはこのようなことが多いのですが、日本と韓国の間では過去の歴史を反省して、このようなことがないように韓国政府と韓国人を説得するのが良いと思います。

その一つの例として韓国がどんな言動をとろうとも、日本は「お互いが話し合って竹島問題を解決する」ということで行くべきと思います。その意味では国際裁判所に提訴するのではなく、まずは両国で話をするべきです。

(平成24年9月22日)
http://takedanet.com/2012/09/post_a70a.html

尖閣・竹島・四島・・領土と国(6) 中国の「国」

尖閣諸島の問題で、日本と中国の考え方が調和していません。これは当然で、両国の人が「国」と考えるもの、それそもそもが違うからです。

日本人は、「もともと「日本国」という国があり、その外は外国」と考えますが、中国人は「もともと「中国」という国はなく、力で取ったところが中国」ということだからです。

その結果、日本は大東亜戦争の前に朝鮮やフィリピンを併合したり、占領したりしましたので、「外国の領土を占領してすまなかった」と反省しています。ところが中国は「もともと外国の領土というものはないのだから、占領したところは中国だ」と思うので、反省はしません。

中国人のこのような国に対する考え方をもっともよく示すのが、この写真に示した「万里の長城」と「満州」です。中国の北京のすぐ北に万里の長城があることは多くの人が知っています。今から2000年ほど前にまず秦の始皇帝が最初の万里の長城を築き、それから近代になって日本ではちょうど江戸時代ころの中国の王朝「明」が大規模な長城を築いて「これから北は外国だ」と宣言しました。

ところが、その後、満州にできた「外国」の軍隊が万里の長城を超えて攻めてきて、中国が占領されました。つまり、中国が自ら外国と宣言した満州を占領したのではなく、外国の満州が中国を占領したのです。

中国というのは外国であれ、どこであれ、自分たちと一緒になったら中国という考え方ですから、奇妙なことに満州に占領されたら、満州を「中国」と呼ぶようになったのです。

自分たちでこれほど立派な長城を作って「外は外国だ」と宣言したのに、状況が変わればすぐ固有の領土にしてしまうというのが中国の考え方です。つまり同じ漢字で「国」としてきましたが、その内容が違うとも言えます。

たとえば、日本が中国を攻めて占領すると、中国は「日本は中国のものである」と言うと思います。今では、中国は満州を「中国」としていますが、自分で万里の長城より北は外国と宣言したのですから、普通の常識や道徳では考えられないことです。

この地図は宮脇先生がお作りになったもので、時々、使うのですがもともと今の中国自体が、満州を取り込んだ形になっています。これは歴史的に中国とは言えないものであることがわかります。

これと同じのが、これも万里の長城より北の内モンゴル、西の新疆ウィグル、そしてチベットです。これらの国に独立運動があるのは、「もともとは、ここは中国ではない」という感覚があるからです。

尖閣諸島については、このブログでも証明したように、歴史的にも完全に日本の領土です。日本では「日本流(国際的にも一般的)に日本の領土だ」と言っていますが、中国は「もともとどの国の領土などということはない。武力で占領したり、強く言って取ってしまえば、中国だ」と言っています。

このような中国の考え方では、日本流の根拠がなくても「中国固有の領土」と言うことになります。この「固有」とは「もともと全世界が中国のものだ」という考え方から来ています。

この思想は日本の将来に取ってきわめて危険なので、絶対に妥協してはいけません。一つ譲れば、次は日本人が住んでいるところを「固有の国土」と言ってくるでしょう。

日本人が中国人の「国」という考え方を理解したり、それに基づいて中国との折衝を行うのはかなり難しいと思います。繰り返し中国の「国」を理解し、「中国も日本の領土だ」ぐらいに思わないと、中国の主張を理解する事ができないと思います。

特に現在ではマスコミの解説者が「日本流の国土論」で「中国の主張に反撃」をしているので、「少し妥協したらどうだ」という意見もでてきましたが、日本が妥協しても、もともと世界中の土地が中国のものですから、中国は妥協とは思わないでしょう。

(平成24年10月1日)
http://takedanet.com/2012/10/post_bc0a.html

尖閣・竹島・四島・・領土と国(7) アメリカの「領土」


先回まで「中国は世界中が中国の領土で、力で取ったところはすべて中国だ」という考えだから、「日本の領土」という意識があって、他国を占領すると心が痛むという日本人とは感覚が違うことを書きました。

でも、それは中国だけのことではなく、中国は特にそれが激しいと言うぐらいです。アメリカは18世紀に建国して以来、ワシントンの近く、つまりアメリカ東海岸からアメリカ中央部、テキサス、カリフォルニア、そして太平洋を渡ってアラスカ、ハワイ、グアム、フィリピン、日本、朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラクとほぼ地球を一周する勢いで軍隊を出してきました。

なぜ、アメリカはそんなことをしたのか、アメリカ人が考える「領土」はどこなのか、それを地図とともに考えてみたいと思います。また日本人は時に中国人を憎みますが、アメリカ人には好意を持つことが多いのですが、これはアメリカ人が白人だからなのでしょうか?

・・・ここからは音声と地図です・・・・・・

(平成24年10月10日)

音声でアラモの砦の戦いをインディアンと言ったような気がしますが、メキシコ戦です。
http://takedanet.com/2012/10/post_c665.html


38. 恵也 2012年11月09日 20:01:37 : cdRlA.6W79UEw : aGh1gkDDis
>>37 もともと支那には「我が国」がないので、外国(満州)に占領されると、>>  逆に満州も「我が国土」になるという逆転現象

面白い考え方だが、根源的な欠点がある。
中国が中華民国として統一国家になったときに日本が占領した満州も中華民国に
返すことで日本の降伏が認められた事実だ。

国境線とは古来から戦争で確定してしまうもの。
その戦争で日本が負け、中華民国の国境線を清から日本が取った地域を返すと
いう条約にサインをしたわけでこの事実は日本にとって重い。

中国にとっては1945年〜1970年まで25年間中国が尖閣の帰属に気がついてない事。
正式に台湾、満州などは日本が清から取ったけど、尖閣は日清戦争での火事場泥棒。
その為に沖縄県に編入していたために、中国が25年間気がつかなかったもの。

しかし日本が貿易立国としてこれから世界に羽ばたく為には、最低限サインした
約束:条約は守るということが必要でしょう。
中華民国を初めとする10カ国相手に降伏文書にサインしてますから反論できない。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
カイロ宣言
 日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還すること
ポツダム宣言
 「カイロ」宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、
  九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限
降伏文書(戦艦ミズリーで重光外務大臣がサイン)
 「ポツダム」に於て発し後に「ソヴィエト」社会主義共和国連邦が参加
  したる宣言の条項を日本国天皇、日本国政府及日本帝国大本営の命に
  依り且之に代り受諾す

連合国最高司令官              ダグラス・マツクァーサー

 合衆国代表者                シー・ダブリュー・ニミッツ
 中華民国代表者               徐永昌
 連合王国代表者               ブルース・フレーザー
「ソヴィエト」社会主義共和国連邦代表者   カー・デレヴヤンコ
「オーストラリア」連邦代表者        ティー・エー・ブレーミー
「カナダ」代表者              エル・ムーア・コスグレーヴ
「フランス」国代表者            ル・クレール
「オランダ」国代表者            セイ・エイ・ヘルフリッチ
「ニュー・ジーランド」代表者        エル・エム・イシット
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/koufukubunnsyo.htm

>> 1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました

これは武田先生歴史的事実を勘違いしておられる。
1895年に日清戦争で日本が勝ってからは、中国の支配権はなくなり日本と
ロシアの支配権が拮抗してました。

朝鮮の皇后は独立を維持するためにロシア寄りになったために王宮を日本軍に
占領され日清戦争の直後に暗殺までされてます。
1905年の日露戦争に日本が勝ってからは、朝鮮は日本の支配下にあります。

竹島はロシア艦隊の見張り台基地として日本軍が必要とした島で、日露戦争の
ドサクサに日本領土にし、日露戦争後に見張り台基地と海底電線を作って日本
本土との連絡網を完成しましたます。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
「皇居が軍隊に取り囲まれ、外国の軍人や外国人が皇居内に入り込んで皇后様
 を殺害。そのうえ 建物から引きずり出して林の中で焼き捨てた・・・。」
このような場面を想像してみる。到底ありえなさそうだし、もしもこのような
事が日本で起きたとしたら 我々はどうするだろうか?

想像すらしかねるかもしれないが、日清戦争の興奮もさめやらぬ1895年
(明治28年) 日本人による閔妃事件が発生していた。
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj030806.html

>> アメリカが「竹島は歴史的にも日本の領土」としたもの。

これはアメリカが日本の周りに領土問題を作り、日本と近隣諸国が仲良く出来
ないように意識的に残したものでしょう。

領土問題は国粋主義を盛り上げるし、仲が悪くなるための時限爆弾になる。
いつでも爆発させて仲良くさせないわけだ。

鳩山一郎が北方領土を2島返還で解決しようとしたときもイチャモン付けたし
日中友好条約を田中角栄が結んだら、金脈問題を暴き立てたのもアメリカと
その使い走りの東京地検特捜部とマスコミだったでしょう。

>> 竹島では「日本の領海なのに大量の漁船が拿捕され、漁民が韓国に連行された」

李承晩ラインで大量の日本漁船が拿捕されましたがその前のマッカーサーライン
でも日本漁船は竹島に行けませんでしたし、上陸も出来ませんでした。

サンフランシスコ条約が成立すると、マッカーサーラインが消滅するために拡大
して李承晩ラインを作ったもので、終戦直後から竹島が日本領土に成ったわけじゃない。
国際的には一度も竹島は日本領土にはなってませんし、近づく事も禁止されてる。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
竹島(独島)の場合、そうした取り決めなどは、その後まったくありませんでした。
それどころか、上の SCAPIN 677 を補強するGHQの指令すら発せられま
した。つまり SCAPIN 1033です(1946.6.22)。これは李承晩ラインのもととな
ったいわゆるマッカーサーラインを設定するもので、日本の船舶および国民は
竹島(独島)周辺12マイル以内に接近することが禁止されました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm077.html


39. 2012年11月09日 20:31:56 : HNPlrBDYLM
我が国は尖閣諸島を中華民国からも清朝からも、尖閣諸島を奪ったものではありませんが、奪った奪わないの議論以前に中華人民共和国が成立後にその国が一旦領土とした部分から何も取っていないのは時間軸から見ても明らかです。

後から出来たアメリカ合衆国が、元はインディアンがこの辺にも住んでいたからと言ってカナダや中米地域までの領有を主張するのはおかしなことです。

尖閣諸島を我が国が領土化したときには中華人民共和国はなかったのですから、何故中華人民共和国の領土から盗めるのか、論理矛盾も甚だしい主張となります。
中華人民共和国による尖閣諸島領有の主張は、仮に日本が実力で奪ったというのが正しいとしても、中華人民共和国がの国が出来る前のことですから、今のイタリアが古代ローマ帝国の版図を基準に今のフランスやギリシャやエジプト、トルコ等に侵略されていると主張しているようなことになります。

領土を返すべきかどうかは第二次世界大戦後秩序以降に限るとしても、そもそも中華人民共和国建国前に遡るならば、彼ら中華人民共和国自身が、今の領土を戦後の1949年に武力で中華民国から奪ったものですから(チベット侵攻=併呑も建国後のことです)中華民国やチベットに返すべきでしょう。
http://www.inagakilaw.com/asof/wordpress/2012/10/19/


40. 2012年11月10日 06:23:26 : rNySZo7Fw6

 中国はオリンピックにいくつのグループを出場させてるの?

 中国、台湾、香港、モンゴルだったっけ…

 中国って、一つの国?


 的外れなコメでゴメンナサイだけど…


41. 恵也 2012年11月11日 00:00:51 : cdRlA.6W79UEw : K9fyc6P8Sg
>>39 尖閣諸島を中華民国からも清朝からも、尖閣諸島を奪ったものではありませんが

あなたには日本語が通じないのかね。
尖閣諸島は清国から日清戦争のドサクサに日本が奪ったもの。

それも正式に話し合って奪ったわけではなく、火事場泥棒のように講和条約
成立の4ヶ月前にコッソリ沖縄県に編入して奪ったもの。
そのために中華民国の担当者も日本敗戦後25年間も気がつかなかったの。

竹島も日露戦争のドサクサに、コッソリ島根県に編入しロシア艦隊の見張り台
として日本軍が占領してた韓国から奪い、いまだに未練がある。

尖閣も竹島も北方領土もすべて、強国が戦争のドサクサに弱国より奪ったもの。
領土化した時期を見れば、あきらかに強者の無理が通り、弱者の道理が引込んでます。
アンタ時系列を自分で調べてみたらどうだね。

>> 中華人民共和国がの国が出来る前のことですから

中華民国も中華人民共和国も「中国はひとつ」という主張であり清国の皇帝も
中華人民共和国人として死んだし、分裂国家を皇帝は主張してません。
イタリア人とフランス人が「ローマはひとつ」として羅馬全土の再統一を主張
してるわけじゃない。

だからカイロ宣言で清国から奪った領土を、中華民国に返すと約束した日本
が尖閣を中華民国に返すのは国家としての最低限の品格だろう。
今の日本政府じゃ、火事場泥棒のガリガリ亡者と言われても仕方ないよ。


42. 2012年11月11日 01:22:48 : HNPlrBDYLM
もう一度読め:


尖閣諸島は中華人民共和国の領土では有り得ない


現在中国の支配地域・場所には、古くは夏〜殷、周王朝以来いろんな民族がやってきて興亡した場所であると言うだけで、中国という国家自体に何千年も歴史がある訳ではありません。

中国(中華人民共和国)自体は1949年10月1日に建国したばかりで、まだ建国60年を漸く越えたばかりの世界でも最も歴史の浅い新しい国の1つです。
(私の生まれたときどころか小学校入学時にさえ、まだなかった国です)
それまでの約300年間は異民族である女真族→後金→満州族(と順次呼称が変わります)が清朝として支配していた場所です。

ここでのテーマではありませんがついでに一言書いておきますと、中国と我が国の領土問題となるのは、中華人民共和国成立後の支配地域だけのことであって、中国自身が滅ぼした異民族(満州族)が持っていた領土に関して、征服?した中華人民共和国がとやかく言う権利はありません。

満州族に奪われていた領土の回復かと言うと、その前の明朝では今の東北地方・満州の地を支配したことがないのですから、現東北地方に関しては領土回復ではなく新たな征服者に過ぎません。

チベットにいたっては清朝さえも支配さえしていなかったのに、中華人民共和国成立後侵略支配を始めたものです。

清朝に支配地域に関して中華人民共和国が何らかの権利を持っているでしょうか?
中華人民共和国は清朝から禅譲を受けた国ではなく、中華民国が清朝を滅ぼした後に中華民国を追い出して樹立した国ですから、中華民国に滅ぼされた清朝の旧領域について何らの主張する権限もありません。

モンゴル帝国・元が明朝成立後北辺の故地に撤退した後、モンゴル諸族の領域だった(明朝の領域ではありません・・この諸族の中から後金・女進続が興って明を滅ぼして清朝を樹立するのです)女真族以外の諸族はなおモンゴルの故地に割拠(と言っても遊牧生活で移動しているので確たる領域意識がなかったでしょう)したままでした。

その辺に今のモンゴル人民共和国が成立しているのですが、これも中華人民共和国の論理(一旦中国地域を征服した異民族の本国もみんな自分のもの・・)を使えば、モンゴル族が明朝から追い出されたときにその本国も独立国ではなく明朝の支配下に入るべきだったことになる・・だから今のモンゴルも中華人民共和国領土として併呑しても良いことになります。

秀吉が、もしも明朝を倒して支配していた場合、その後明の支配を諦めて日本に引き上げても中国の領土と言われてしまいかねませんでした。(秀吉が明まで行かないで良かった!良かった!)

我が国は尖閣諸島を中華民国からも清朝からも、尖閣諸島を奪ったものではありませんが、奪った奪わないの議論以前に中華人民共和国が成立後にその国が一旦領土とした部分から何も取っていないのは時間軸から見ても明らかです。

後から出来たアメリカ合衆国が、元はインディアンがこの辺にも住んでいたからと言ってカナダや中米地域までの領有を主張するのはおかしなことです。

尖閣諸島を我が国が領土化したときには中華人民共和国はなかったのですから、何故中華人民共和国の領土から盗めるのか、論理矛盾も甚だしい主張となります。

中華人民共和国による尖閣諸島領有の主張は、仮に日本が実力で奪ったというのが正しいとしても、中華人民共和国がの国が出来る前のことですから、今のイタリアが古代ローマ帝国の版図を基準に今のフランスやギリシャやエジプト、トルコ等に侵略されていると主張しているようなことになります。

領土を返すべきかどうかは第二次世界大戦後秩序以降に限るとしても、そもそも中華人民共和国建国前に遡るならば、彼ら中華人民共和国自身が、今の領土を戦後の1949年に武力で中華民国から奪ったものですから(チベット侵攻=併呑も建国後のことです)中華民国やチベットに返すべきでしょう。

一般には、中国の歴史と言うと、黄河及び長江流域に興亡したいろいろな民族による王朝史をいうのですが、(私も正確で端的な表現が難しい・・上記のようにまどろっこしい表現になりますので、そのように便宜表現してきました)現在のイタリアにはなお法王庁が現存しているにも拘らず古代ローマ帝国と全く別ものである・・イタリアの歴史とは言わないのが世界の常識だと言えば分りよいでしょう。

その地域の歴史とそこにある国の歴史と同一視出来るならば、アメリカ合衆国も何千年も前からインディアンがいたので世界でも古い国の1つになります。

アンデスやアステカの古い歴史を持つ地域の国々は、すべて何千年の歴史があると言えることになります。

ここまで言い出したら、その国の歴史、民族の歴史などという概念自体が無意味になります。

客観的なその地域の歴史・・南アメリカ大陸の歴史、北アメリカ大陸の歴史としては意味がありますが・・・。

北アメリカ大陸の氷河期あるいは500年前からの歴史を知って、今のアメリカ人気質を推測する手がかりが得られるでしょうか?

むしろ今のアメリカ人のルーツ・・人口構成(黒人が何万人、ヒスパニック系、ドイツ系何人、フランス系何万人アジア系等々)を知って、それぞれの気質を研究した方が意味があります。
http://www.inagakilaw.com/asof/wordpress/2012/10/19/

1945年以降の中華民国は蒋介石が勝手に台湾を占領して作った国ですから、中華民国の版図も台湾原住民の活動圏とは関係有りません。
尖閣は確かに台湾原住民の活動圏だったのですが、中華民国の領土であるとは言えないのですね。

それはサハリンが歴史上ずっとアイヌ民族の活動圏であっても日本の領土ではないとされたのと全く同じ事情です。


43. 2012年11月11日 01:28:18 : HNPlrBDYLM
そもそも中国人とか漢民族という民族は存在しない。

ひとつの中国も二つの中国もない。

漢民族は川筋毎に遺伝子が全然違う何千という民族の集まりだ。

漢民族にエスキモーが入っていたらアラスカも中国になるのか?

漢民族の領土という概念自体が無意味なのさ。


44. 恵也 2012年11月11日 08:52:23 : cdRlA.6W79UEw : K9fyc6P8Sg
>>27 台湾本省人の血統は88%が漢族とは異なり、南方系人種に属している。

台湾本省人に漢族の血統はたくさん入ってます。
平地に住んでいた平捕族(南方系人種)と福建省出身者の混血がいまの台湾本省人。

平捕族の純血な人は、いまの台湾にはほとんど居ないよ。
高砂族でさえ今の台湾の人口の2%程度だ。
アンタはロクに歴史的事実さえ知らないようだね。


45. 2012年11月11日 10:37:21 : HNPlrBDYLM

>台湾本省人に漢族の血統はたくさん入ってます。
平地に住んでいた平捕族(南方系人種)と福建省出身者の混血がいまの台湾本省人。


これはとうに否定されてるよ。 混血があったのは長江文明が漢民族に滅ぼされた2500年前の事だ。上の漢族というのは2500年前の漢族で今の中国人の自称漢族とは遺伝子が違う。


正解は

台湾人は漢民族ではなかった―DNA調査がもたらす新民族形成の夢


中国政府は「台湾人も同じ中国人だから中国統一は当然だ」と訴えているが、じつは台湾人は漢民族ではない。台湾でも日本でも、台湾の住民は、原住民である高砂族や、戦後蒋介石とともに中国から移ってきた所謂外省人を除いては、みな清国統治時代(十七世紀後半〜十九世紀末)に渡ってきた漢人移民の子孫だと言うのが定説だが、その定説は正しくない。

そもそも清国時代、漢人の台湾への移民は基本的には禁じられており、移民の多くは密航だった。しかも台湾海峡を越えることは難しく、多くは海の藻屑と消え、たとえ台湾にたどり着いても、そのまた多くは風土病で死んだ。そしてかりに生き残っても、その多くは国へ戻った。そしてかりに台湾にとどまっても、渡航は男だけに限られており、しかも原住民との通婚も禁じられていたため、子孫を残す者は稀だった。

以上のように見れば、台湾人が漢民族の血統であるとは考えにくくなる。

一方、現在の台湾の原住民は中央山脈や東海岸に居住しているが、もちろんかつては西側の平地にもあまねく居住していた(平埔族)。ところが今日、その末裔はほとんど見当たらなくなっている。それではいったい彼らはどこへ行ったのだろうか。

これに関しては近年、漢民族の男と原住民の女の通婚で、みな漢民族になったと説明されているが、上記のような人口状況では、それはごく一部の人間の話とならざるを得ない。

これは清国時代の記録を見れば明らかなことだが、つまり平埔族は当時、漢化(漢民族への同化)させられたのである。これは中華世界の伝統的な異民族統治の手法だ。清国は原住民支配を全うするため、税金、労役の軽減を条件に、彼らに中国の言語を使わせ、かくして漢化した者には漢人名と漢人の家系図(もちろん捏造品)を「下賜」し、漢民族意識を植え付けたのだ。

戦後、国民党は学校教育で、十八世紀の乾隆帝時代、数十万人規模の漢人移民が台湾へ押し寄せたと教えてきたが、それは台湾人の中国人化政策のなせる歴史捏造だった。記録を正しく読めば、数十万人規模の原住民が当時漢化させられたのである。

ちなみに台湾人にはホーロー語を話すホーロー人と客家語を話す客家人に分けられるが、これは中国のホーロー語と客家語を押し付けられた原住民の子孫と言うことになる。

以上のような歴史の真実は、台湾の人口統計学の専門家である沈建徳氏の『台湾常識』や『台湾血統』などの著述に詳しい。

さてこのような真実を医学的に裏づけつつあるのが、馬偕医院輸血医学研究室主任の林媽利氏だ。

台湾の人口のうち、ホーロー人は七三・五%、客家人は一七・五%、外省人は七・五%、原住民は一・五%だが、十一月十八日付の自由時報の報道によると、林氏が最近発表したDNA調査の結果では、ホーロー人と客家人を合わせた「非原住民の台灣人」の八五%は原住民の血統であると言う。

林氏によると、ホーロー人と客家人の遺伝子構造は複雑で、彼らの八五%は原住民の血統(インドネシア人やフィリピン人などにきわめて近い)を持つが、さらに九〇%以上は中国東南沿海(福建)の越人のDNAを受け継いでいるそうだ。越人は北方の漢人とは違い、むしろ東南アジアや台湾の人に近いことがわかっている。

越人の血統と言うことは、やはり十七世紀以降の漢人(福建の越人の末裔)移民の子孫と言うことになりそうだが、実際にはそれよりはるか昔に越人が台湾へ渡って住み着いたと言うことが、すでに数々の研究で判明している。

ところであまり根拠を持たない私の見方だが、台湾人が中国人と明らかに違い、親切で正直で明るい性格なのは、やはり南方系原住民のDNAのためではないだろうか。台湾の伝統習俗などを見ても、そう感じないではいられない。

前出の沈氏の話によると、同氏が聞き取り調査を行う過程で気がついたのは、多くの台湾人は自分が平埔族の子孫であることを知りながら、中国人優越思想の影響でそのことを恥じ、それを語ろうとしないことだった。私自身、原住民の子孫と認めるのを嫌う台湾人と大勢会っているが、私から見れば馬鹿げたことだ。漢民族、中華民族でいるよりも、正直な性格を持つ台湾民族であった方が、世界からは必ず好かれることになる。

もちろん「あなたは原住民だ。中国人ではない」と言われて喜ぶ人も少なくない。この手の人々は、戦後教育でもたらされた「中国人=最優秀民族」説から脱却しているのだろう。

民族とは主観的なもので、「俺は漢民族だ」などと思い込んでいるうちは、いつまでも漢民族のままだ。だから一刻も早く「台湾民族」の意識を持つべきなのだが、このような主張は、なぜか台湾独立派の人々の間でも決して多くはない。

それは漢民族である外省人との摩擦を恐れているのだろうか。それとも漢民族意識が抜けないからだろうか。

台湾国民には台湾民族意識の確立を強く訴えたい。私はよく台湾人には、かの高砂義勇隊に見られた高貴なる原住民精神こそ、台湾民族精神であり台湾魂だと言っている。そしてこれがなければ中国統一の攻勢には対処しきれないとも。

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-232.html


46. 恵也 2012年11月12日 17:55:27 : cdRlA.6W79UEw : 6Ry57y0zsM
>>40 中国、台湾、香港、モンゴルだったっけ…

中国と台湾は軍事も政治も独立組織ではあるが、建前上ひとつの中国として
中華人民共和国と中華台北という合同組織でオリンピックに出てます。
まあ中国では、内戦状態が続いてるということだろう。

モンゴルはモンゴル国として、完全に独立国家です。
香港は中華人民共和国の一都市だが、政治組織がまったく別ということだろう。
オリンピックでは中華台北は、テコンドーで2個だけ金を2004年に取ってます。

>>42 中国という国家自体に何千年も歴史がある訳ではありません。

中国には数千年の歴史があるよ。
権力者が変わっただけで、国家自体は紀元前1600年頃に黄河流域で湯王という
人が殷国という国家組織をつくり甲骨文字の殷遺跡として残ってます。

揚子江上流の四川省でも殷遺跡と同時期の遺跡が発見されてますが、こちらは
文字記録には残ってません。

>> 中華人民共和国成立後の支配地域だけのことであって

間違い!
中華人民共和国は中国の支配権力だった中華民国を武力で台湾に追い出した
中国の支配権力であり、中国の財産の相続権力。

中華民国はアメリカの内政干渉のおかげで中国に残ってるだけであり、完全
な独立国とは言えなし国家として「中国はひとつ」という主張をしてる。

>> 中国自身が滅ぼした異民族(満州族)が持っていた領土

満州族は滅ぼされた異民族ではありません。
中国は満州族、チベット族、ウィグル族、漢族などからつくられた多民族国家です。
満州族だった清皇帝でさえも天寿を全うして中国人として死んでる。
滅ぼされたのは民族ではなく清国や満州帝国という国家組織。
大日本帝国という国家組織は滅ぼされたが、大和民族は滅ぼされてません。

>> 中華民国に滅ぼされた清朝の旧領域について何らの主張する権限もありません。

中華民国は清朝に中国政権を禅譲され、中華人民共和国は中華民国の内戦で勝っ
たのだから中国全体のの権利を主張できるよ。

>> モンゴル族が明朝から追い出されたときにその本国も独立国ではなく

言葉の使い方があまりにもいい加減すぎて、相手にアンタの意思は伝わらんよ。
元はモンゴル族が支配した中国ではあるが明は、中国を独立させた国家組織。
モンゴル族がモンゴル国に逃げて帰っただけだろ。

その点、満州族が中国を支配した清だが、満州族は張学良をはじめとして中華
民国の有力な一員。
また中華人民共和国の有力な一員でもあるからモンゴル族のときとは問題は別。

>> 尖閣諸島を中華民国からも清朝からも、尖閣諸島を奪ったものではありません

間違い!
尖閣諸島は清から日清戦争のドサクサにコッソリ奪ったもので、カイロ宣言で
日本が約束したように中華民国に返すべき無人島でした。
沖縄県に入れてたから、中華民国担当者が気がつかなかっただけの話。

>> アンデスやアステカの古い歴史を持つ地域の国々は、すべて何千年の歴史がある

アンデス国もアステカ国も過去の国家組織で滅びた国でしょう。
遺跡は持ってるけど国も民族もなくなってるよ。
国家の歴史としては、ずっと前になくなって遺跡だけが残ってる。

インカ遺跡はペルーという国にあるけど、ケチュア語を使ってたインカ帝国は
関が原の戦いの頃スペインに滅ぼされてなくなり、いまのペルーは多民族国家
でスペイン語、ケチュア語などが公用語になってます。
大統領でさえ日系人がなるくらいだ。

>> その国の歴史、民族の歴史などという概念自体が無意味になります。

アンタが国と民族を混同してるから、そのイメージが無意味になるの。
国とはひとつの権力組織のことで、民族とは言語などひとつの文化のこと。
もう少し正確に言葉を使いなさい!

>> そもそも中国人とか漢民族という民族は存在しない。

存在するよ。
アンタが正確な定義をしないから、アンタにはそのイメージが出来ないだけの話だ。
最低限、自分で正確な言葉の定義をして、他人の適当な定義に振り回されないように。

>>43 漢民族は川筋毎に遺伝子が全然違う何千という民族の集まりだ。

まったく定義にさえなってない。
漢民族とは遺伝子に関係なく、漢王朝が生まれて以降に漢字を使い中国語を話し
中国文化を謳歌してるひとつの民族のこと。

「何千という民族の集まり」というのは国家組織のことであり、それを民族と
は表現しません。中華人民共和国人口の90%を占める主要民族が漢民族。
エスキモーが中国文化を謳歌してるか!

>> 混血があったのは長江文明が漢民族に滅ぼされた2500年前の事だ。

台湾での混血は400年位前からはじまり、福建省人と平捕族との混血が生じてる。
日清戦争で日本領土にはなったが、1895年〜1945年のたった50年間だけだ。
蒋介石が逃げ込んだ60年くらい以前までの人を本省人、以降の移民を外省人と呼ぶ。
もう少し正確に知識を蓄えて書きなさい。

>> 移民の多くは密航だった。しかも台湾海峡を越えることは難しく、多くは海の藻屑と消え

ここにも不正確な知識のオンパレードだ。
本土から移民を禁止されたこともあるが、それは平捕族との摩擦が大きくなり
禁止したもので、移民の多くは合法的だし台湾海峡は激流じゃないよ。

むしろ台湾と与那国島の間を黒潮が流れ、沖縄北方で対馬海流が分離してます。
小型の漁船が危険なのはこの激流である黒潮の横断なんだよ。
俺がマグロ船に乗ってたときにも、黒潮の付近がいつも一番荒れる海でした。

>> DNA調査の結果では、ホーロー人と客家人を合わせた「非原住民の台灣
>> 人」の八五%は原住民の血統

ここにもいい加減な言葉を使ってる。
遺伝子とはいろんなものが無数にあり、%でしか現せないもの。
ホーロー人とは俺にはよく理解できないけど、どの遺伝子が多い割合の人を
指す言葉なのかまったく意味がわからん。

「マモレタイワン」http://mamoretaiwan.という日本語で表したUHLなんて
俺にはまったく信用性がないよ。
中国のことや遺伝子をどれだけ知って書いてるのだろうね。


47. 2012年11月12日 18:01:25 : HNPlrBDYLM
おまい、知恵遅れで学問が理解できないだけだろ。

そもそも黄河文明を作ったのは白色人種だよ。

昔の中国人と今の中国人は全然違うの。

学問が理解できない知恵遅れに説明しても仕方ないけどね。


48. 2012年11月12日 18:29:56 : HNPlrBDYLM
>漢民族とは遺伝子に関係なく、漢王朝が生まれて以降に漢字を使い中国語を話し
中国文化を謳歌してるひとつの民族のこと。

前から何度も中国語という言葉は無いと言ってるのに理解できないんだね。

中国人の言葉は川筋が違えば全く系統が異なる別言語だというのが定説だ。
漢文はそういう無数の異民族の共通語として作られたもの。
従って漢民族という民族は存在しないのさ。


49. 2012年11月12日 18:47:09 : HNPlrBDYLM
>尖閣諸島は清から日清戦争のドサクサにコッソリ奪ったもので、カイロ宣言で
日本が約束したように中華民国に返すべき無人島でした。
沖縄県に入れてたから、中華民国担当者が気がつかなかっただけの話。


台湾を併合した段階で日本人が住んでいて、それから50年間抗議もしていないから
日本の領土に決まってるな。

ハワイやガム島がアメリカの領土であるのと全く同じ事情だな。

それより台湾は蒋介石が勝手に武力で乗っ取ったものだから、台湾人に返還しないといけないだろ。

満州とチベットとウイグルと内モンゴルも中共が武力で乗っ取ったものだから返還しろよ。


50. 2012年11月12日 19:42:41 : RKrKqSsZD2
様々な見解があるようですが
どのみちいずれの国も
現在の縄張りを確保するためには
先住民を追い出したり虐殺して成立したもので
人類発祥の時から住んでいた訳ではないでしょう。

どうしてもそのような面でこだわるのであれば
人類発祥の地だと言われている
 アフリカの大地溝帯
に戻って初めからやり直したら如何でしょう。
進化論を受け入れればの話しですが。


51. 恵也 2012年11月12日 23:49:26 : cdRlA.6W79UEw : BUtfKffNMo
>>47 黄河文明を作ったのは白色人種だよ。

この言葉にもアンタの単純さと知識のなさが出てる。
黄河文明を作った殷は2600年くらい昔のもので、殷の遺跡から人間の
DNAが出てきたのかね。

たとえ出てきていたとしても何体の遺骨が出てきたのか、俺には数体と思える。
2600年の歳月は遺体を保存できなくて、条件が運良く合った場合だけだ。

日本の縄文時代から遺体が出てきてるが、ごく少数でありDNAなんてものでは
全体像を断言するには調査面積の割りに数が少なくて、ほとんど分からんもの。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
縄文前期人1人、北海道高砂遺跡出土の縄文後期人の古人骨データや、篠田謙一
らによって調べられた、茨城県取手市中妻遺跡の、集中人骨埋葬土壙の101体の
一部を加えた表である。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_03_1mt_dna.html

>>48 何度も中国語という言葉は無いと言ってるのに理解できないんだね。

本当にアンタは言葉の扱いがひど過ぎる。
アンタやアンタに影響を与えたネット作者が「中国語という言葉は無い」と
言っても中国や台湾の議会で使われてる言葉が中国語としてあるの。

ロクに中国語も知らず、読めもしないアンタがないといっても13億人の
中国人が中国の議会やテレビで使われてる言葉を「中国語です」として
使っていたらそれが常識になる。

それともそこで使われてる言語は中国語じゃないと言うのかね。
意思の伝達手段として現実に使われてるのに・・・・・

俺が持ってる100円ショップで買った世界地図にも、中華人民共和国の主要
言語には漢語(中国語)という表現で使われてました。
漢文とは中国語の文字表現で、異民族の共通語なんてデマだよ。

俺は中学校頃に教えてもらったが、アンタは教えてもらってないのかね。
魏志倭人伝もむかしの漢文で書かれてるから、だいたい分かるよ。
今の漢字は省略語になってて分からん。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する者もいたが、今は使者や通訳など
通ってくるのは、30カ国である。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm


52. 2012年11月13日 00:03:05 : HNPlrBDYLM
>それともそこで使われてる言語は中国語じゃないと言うのかね。
意思の伝達手段として現実に使われてるのに・・・・・


アホの相手したくないけど、

今の中国人が中国語と言ってるのは満州人の使っていた言葉

英語を共通語として使うのと同じさ。


>漢文とは中国語の文字表現で、異民族の共通語なんてデマだよ。

漢文には文法がない。 発音も決まっていない。

発音も文法もない言語なんて存在しないのさ。
漢文は純粋な人工語で、漢文を話していた民族は存在しない。

>黄河文明を作った殷は2600年くらい昔のもので、殷の遺跡から人間の
DNAが出てきたのかね。


殷はかなり後にチベットから黄河に来た民族だ。それ以前に黄河で見つかる遺骨はコーカソイドなのさ。あの辺りは砂漠に近いからトルコ系かペルシャ系の遊牧民しか住んでいなかったんだ。


53. 恵也 2012年11月13日 08:59:44 : cdRlA.6W79UEw : MzqrExNW2M
>>49 台湾は蒋介石が勝手に武力で乗っ取ったものだから

この言葉は人に誤解を与える。
あなた自身、台湾の歴史を良く知らないのじゃないの。

俺の理解してる範囲では、日清戦争の前までは清国の領土と日本も認めていた
ので沖縄の人が漂着して台湾原住民と紛争になり、9割くらいの人が殺された
事件で日本政府は清国政府に抗議をし賠償をさせてます。

その後の日清戦争で台湾などを日本は戦争で勝ち取ってます。
清国政府が瓦解して中華民国に政権を譲ってから、日本と中華民国が戦争に
なりましたが中華民国、米国、英国のカイロ宣言により、日本が清国から取
った領土を全部返すことが求められ、戦争に負けた日本は実行しました。

だから台湾や満州は日本が中華民国に戻した領土で、ほとんどの日本人は
撤退してる。「勝手に武力で乗っ取った」といったら嘘になります。
中華民国に戻した後で、革命で中華人民共和国に政権が交代した。

でも尖閣諸島は日清戦争のドサクサに沖縄県に編入していたために、見過ご
された特殊な事情がある。
尖閣を戻すのであれば、カイロ宣言からいえば中華民国に戻すべきだが実質
状からは中国は中華人民共和国に政権交代したのだから、中華民国には戻せん。

>>50 先住民を追い出したり虐殺して成立したもので

追い出したり虐殺したのは事実ですが、大多数の先住民は吸収されてます。
征服した政権は、大多数の先住民を財産として受け継ぎ税金などを徴収する
ことで財産を増やし、兵隊を増やし、軍事力を強化してます。

追い出したりしては、財産どころか荒地ばかりになって国土が荒廃するだけ。
逆に腐敗した前政権よりも、住民を大切にする支配者として振舞ってます。
だからこそ少数民族出身のジンギスカンがヨーロッパまで征服できたもの。

日本に来た元寇でも、司令官クラスはモンゴル系だが軍隊のほとんどは朝鮮
や中国の被征服地の人間でしたし、軍艦も被征服地の技術者が作ったもの。

ジンギスカンも征服都市の住民全部を殺したこともありますが、それは例外
であり知り合いの無抵抗な商人を殺した復讐だったといわれてます。

俺のご先祖もたぶん、天皇家に征服されたほうの家系なんだろう。
征服したほうならご先祖は支配階級の貴族になってたはずだからね。


54. 2012年11月13日 09:50:30 : HNPlrBDYLM

おまいはチベットや台湾やウイグルで何が行われたか知らないんだろ.

中国と中国人は直ちに抹殺しないといけないな:

チベット人絶滅作戦

* 1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、

殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。

* 15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。

僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした
5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。

* 一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術に

よって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等
の民族浄化に力を入れた。

* 生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍は

それを笑いながら銃殺した。


「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。」
特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。

拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、 「仏陀に腕を返してもらえ」 と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、
馬や車で引きずり殺されていった。
アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに
小便をかけるように命じられた。


さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」 と中共兵に嘲られ、
挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、
大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。

貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。
僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。

リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。
何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。

僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、 「仏陀はどうしたんだ?」 と中共兵に嘲られた。


* 「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると

「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に
殺されたのである。彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、
生きながら焼かれた。ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたりして殺された。
こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。 -- (東亜から転載) 2008-03-19 10:46:18

『中国はいかにチベットを侵略したか』 マイケル ダナム著

妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。
尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。
大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、
熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。
さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と嘲られ、挙句に全員射殺された。
おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれた。 -- (名無しさん) 2008-03-19 21:09:31
鉄砲でやられてる犠牲者の写真
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080318c.html

_________


台湾


昭和二十年の八月十五日、日本が第二次世界大戦、つまり大東亜戦争に敗れた年、私たちが住んでいる台湾は、今まで祖国と言ってきた日本国から切り離され、選択の余地無しに中国人にさせられてしまいました。
君たちの祖国はこっちだよと言葉に蜜つけて侵入してきた外来政府は、実に天使の面を被った悪魔でした。国籍を失った台湾人は、それから中国人となり、そして中国籍になったその時から、悲惨を極める奈落の底に落とされ、イバラの道に追い込まれてしまいました。 

外来政府は、謀反を起こしたという烙印を押し、四十年もの長い年月にわたり″戒厳令″という名目で殺戮を繰り返したのです。台湾全土の人民を震撼させたあの忌まわしい二・二八事件で殺された人の数は、当時の政府の圧力により報道されていません。学生、若者、医者、学識ある者、特に財産を有する者など、死者は三万人にも上ると言われていますが、確実な数字は今でも分からないそうです。因みに当時の台湾の人口は、六百万人でした・・・
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795276897/aoiumi-22/ref=nosim/


一九四七年二月二七日、台北市で闇タバコを販売していた女性を、支那人である国民党政府の官憲が摘発した。この女性が土下座して許しをえようとしたにもかかわらず、支那人官憲は銃剣の柄で殴打しただけけでなく、商品、所持金を没収した。この時、タバコ売りの女性に同情して、集まった台湾人民衆に向かってこの支那人官憲が発砲したさいに、無関係な台湾人を射殺し逃亡。

 この事件によって台湾人の人々が、二八日に市庁舎に押しかけたが、そのデモ隊に向かって支那人憲兵隊は市庁舎の屋上から機関銃にて、無差別に発砲し、多くの台湾人が殺害される。

 その後、蒋介石の命令により支那本土から派遣された支那兵による第二一師団と憲兵隊が、台湾一般市民に対しての無差別的な発砲や、裁判官・医師・役人など日本統治下で高等教育を受けたエリート層が目標とされ投獄・拷問などにより虐殺される。

基隆では針金を台湾人の手に刺し込んで縛って束ね、チマキと称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込むという醜い虐殺もおこなわれた。この手に針金を通すというやり方は、支那人そして、それに事大して生きてきた朝鮮人など特有の残虐さを感じる。

 この支那人による台湾人への虐殺事件によって、約二八〇〇〇人が殺害・処刑されました。

 一九八七年まで継続していたこの時に発令された戒厳令下、支那人による白色テロと呼ばれる恐怖政治が永らく続く。そんな台湾において、「民主化」が実現するのは、当時の李登輝総統が一九九二年に刑法を改正し、言論の自由が認められるまで待たなければならなかった。
http://www.tamanegiya.com/syoukaiseki20.2.28.html


台湾人の無差別な殺戮は高雄・基隆から始まり、約2週間で全島を鎮圧した。殺戮には機関銃が使用されたが、手のひらに針金を刺し、数人1組に繋いだり、麻袋に詰めて海や河に投げ捨てたり、また、処刑前に市中引き回しを行い、処刑後は数日間放置されたり、と今世紀に生きる近代文明の人間がなしえる業とは思えぬ野蛮きわまりない手口だった。

3月14日、警備総司令部により「粛奸工作」が開始される。「粛奸工作」の対象は、事件に直接関与していない者も多く含まれ、社会的指導者はもとより、危険人物と見られた民意代表、教授、弁護士、医者、作家、教師など、多くの知識人が逮捕された。意図的に日本教育を受けた知識人を根こそぎ粛清するかのようである。このため、台湾の知識人の存在は一時期の間空白となってしまう。

「二・二八事件」の関係者の逮捕は1949年になって緩和されるが、「要注意人物」の逮捕はまだ暫く続くのであった。国民党の発表によると、事件後1ヶ月に殺された台湾人は28,000に上る。これは50年の日本統治において日本軍によって殺戮された台湾人の数に匹敵する。また、有罪判決を受けて有期・無期の投獄に処せられた人数は計り知れないという。

国民党の台湾における「二・二八事件」に対する過剰な殺戮と鎮圧は国際社会の痛烈な批判を浴びた。国共内戦で劣勢にあり米国の援助が必要だった国民党は、米国の駐中国大使の抗議を受けると、蒋介石は米国の意向を無視できず、4月22日、陳儀を免職、5月1日に南京に召還した。余談になるが、陳儀は1950年に、中国共産党と通じたして反逆罪で逮捕、やがて処刑された。

日本統治下では「法の支配」、「法治国家」の精神を植え付けられ、国民党にもそれを期待していた。日本統治下では、いくら政府を批判しても、悪法とは言えども、治安警察法などの法によって裁判と処罰を受けていた。しかし、国民党は抵抗するものを手当たり次第に「鉄砲」で裁く事しかしなかったのだ。

http://tokyo.cool.ne.jp/masakim/Taiwan/History/history9.html


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ウイグル人絶滅作戦1

米国で最も人気の高い科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」最新号が、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で中国当局が
実施した40数回の核爆発実験の放射能により、数十万ものウイグル住民が死亡した可能性があるとする記事を掲載した。

 記事は、ウイグル人医師のアニワル・トヒティ氏と札幌医科大教授で物理学者の高田純氏の合同調査結果を基礎に書かれたもの。
高田教授は同自治区のシルクロード紀行番組を長年、放映したNHKの核実験無視の姿勢を非難している。

 「サイエンティフィック・アメリカン」7月号は、「中国の核実験は多数の人を殺し、次世代を運命づけたのか」「中国が40年にわたり
核爆弾を爆発させたことで、放射能の雲は住民の上を覆った」という見出しの記事を掲載した。

 同記事はまず、トヒティ医師が新疆ウイグル自治区で1973年の子供時代、3日間、空が黒くなり、土砂のような雨が降ったのを
目撃し、後年、それが核爆発の結果だったことを認識したと指摘。その上で「シルクロード上のロプノル実験場における、1964年から
96年までの40数回の核爆発による放射能の結果、数十万の住民が死んだ可能性がある」と報じた。

 記事はさらに、現在、英国やトルコを拠点にウイグル人の放射能被害を研究するトヒティ医師が、高田教授と「ロプノル・プロジェクト」
という共同研究を進めているとし、高田教授の「新疆ウイグル地区で放射能汚染のために19万4千人が死亡し、120万人が白血病
などを病んだ」という算定を伝えた。

 「サイエンティフィック・アメリカン」は米国だけでなく国際的評価が高く、同誌が今回、事実として正面から伝えた「シルクロードの
核汚染」は、それを否定してきた中国政府にも厳しい詰問となる。

 また、高田教授はNHKが長年、シルクロードの番組を放映し、多数の日本人観光客に核汚染が明白な地域を訪問させながら、
核爆発については一切、沈黙してきたとして今年4月、公開質問状の形で抗議した。

 NHK側は、「(放射能汚染についての)認識は放送当時も現在も持っていない」と回答したというが、今回の米国の科学雑誌の記事は、
高田教授側の研究の成果や意見に国際的認知を与えたこととなる。


ウイグル人絶滅作戦2

中国が、ウイグルで民族浄化作戦を展開している。

民族浄化には、一定の民族を「絶滅させる」ために直接、市民を大量虐殺する方法と、その民族独自の宗教・習慣・文化・言語を「取り上げ」、一定の文化そのものを破壊し、存在させなくさせる方法がある。

後者は日本人に対し、日本語の使用を全面的に禁止し、寿司・刺身・和食を食べる事を違法行為・犯罪とし、コメの生産を犯罪行為として禁止する等の事態に該当する。

 現在、中国政府は7歳〜14歳までのウイグル人の子供をウイグル地域から「強制連行」し、漢民族の居住地域で生活させ、教育を受けさせている。つまり中国語を使う教育を強制し、ウイグル語を地球上から消滅させようとしている。そして中国文化の中で育て、ウイグル文化に「一切触れさせない」ようにし、ウイグルの文化の継承者が居ない状況を作り、その文化を破壊している。

これは民族虐殺に等しく、文字通り、民族浄化である。

中国政府の政策は、ナチスの行ったユダヤ人虐殺と同等であり、本来、多様な文化・言語が地球上に多数、存在する事によって、相互に影響を与え合い、新しい別の文化・文明が次々と作り出されてきた人類の歴史に対する「虐殺行為」である。中国政府の政策は全人類への「冒涜」「犯罪」である。

 また中国政府は、若いウイグル人女性を40万人、漢民族の済む天津、青島へ「強制移住」させ、ウイグル人同士の結婚を「事実上」禁止し、ウイグル人と漢民族の結婚・混血を強制している。これはウイグル人を「地球上から絶滅させる」ウイグル人絶滅政策であり、ナチスのユダヤ人虐殺と同一の政策である。

これは仮に、日本政府が、日本人同士の結婚を禁止するため、若い日本人女性を全員アメリカへ強制移住させ、事実上、日本人女性にアメリカ人との結婚しか「認めない」政策を取る事と同じである。

 しかも、強制移住させられたウイグル人女性は、安い賃金で一日12時間も労働を強制され、宿泊施設は衛生環境の悪い汚れきった部屋に閉じ込められ、刑務所での生活のような人生で「若い時代を浪費」させられている。

これは中国人によるウイグル人の事実上の奴隷化である。

 またウイグルの宗教はイスラムであるが、中国政府は18歳以下のウイグルの若者達にイスラムのモスク(寺院)への出入りを法律で禁止している。そして、イスラムの習慣である「ラマダン=断食」の時期に、ウイグルで食糧の配布を意図的に行っている。これ等は明らかなウイグルの宗教・文化に対する破壊工作であり、極めて悪質な「民族浄化・虐殺」である。

これが中国を「表に立てて行う、ロスチャイルドの世界帝国の支配原理」である。

ウイグルは、明日の日本の姿である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/123821982.html


55. 2012年11月13日 10:02:19 : HNPlrBDYLM
中国では王朝が代わる度に、前王朝の人間は全員殺されているのは有名な話


それを現代でも同じ様に繰り返したのが上のチベットや台湾やウイグルの虐殺さ。

満州でも先住の満州人はもう殆んど殺されて残っていないと聞いた。


56. 恵也 2012年11月13日 14:56:30 : cdRlA.6W79UEw : oqQC6dkzcw
>>52 今の中国人が中国語と言ってるのは満州人の使っていた言葉

それは又聞きして信じてしまった「アンタの個人的見解」でしょう。
中国語とは、いまの中国や台湾の議会やテレビで使われてる言葉をいいアンタ
がその語源を調べて、満州人が使ってたと断定した言葉じゃないだろう。

あんたのその行為を、知りもしないで知ったかぶりする虎の衣を借る狐という。
こんなことを書くのなら昔の満州の言葉くらい、自分で調べて書きな!

言葉とは短期間でも激変してしまうもので、今の俺じゃ明治憲法を読もうと
するだけでも、すごい苦労をしないと意味さえ分からない。
清が中国の政治権力を握って300年もたつのに、明治憲法はタッタ120年前の文章。

満州人の言葉の専門家の振りをするのなら、日本の言葉である明治憲法くらい
目を通してから中国語に挑戦しなさい。

今の中国語は新漢字になっているし、標準語自身も激変してるはずだよ。
だから「中国語を満州人が使っていた言葉」というのはデタラメ。
せいぜい清の時代は、中国語に満州人が大きな影響を与えたというべき。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
国家統治の大権は朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり朕及朕か
子孫は将来此の憲法の条章に循ひ之を行ふことを愆らさるへし

朕は我か臣民の権利及財産の安全を貴重し及之を保護し此の憲法及法律の
範囲内に於て其の享有を完全ならしむへきことを宣言す
(大 日 本 帝 国 憲 法 より)

>> 漢文には文法がない。 発音も決まっていない。

アンタは漢文の勉強さえしてないようだ。
漢文は英語に似た主語や動詞、目的語の使い方をします。
発音は前後の文章で決まってしまうもので、日本語と同じ。

師曰く・・・
My teacher speak・・・・

日本語だと
先生は・・・・・と言われました
という文法でしょう。

>> 黄河で見つかる遺骨はコーカソイドなのさ

怪しげな文章だ。
白人系の人も中国にはたくさん入ってるけど、圧倒的に多いのは黄色人種。
アメリカのフロリダで7000年前のミイラが見つかりましたが、このミイラは
現代のインディアンより現代日本人とDNAレベルで共通基盤があります。

5900年前の埼玉県浦和で見つかった遺骨では、マレーシア人やインドネシア
人と同じDNA塩基配列が見つかってますので、共通基盤があったのでしょう。

茨城県中妻遺骨からは、現在の日本人や漢族、モンゴル人と共通基盤がある。
日本で見つかる縄文遺跡から言うと、5000年くらいむかしから白人系より黄色
人種のほうがたくさん住んでいたと言えます。
(日本人の起源 より)

>> あの辺りは砂漠に近いからトルコ系かペルシャ系の遊牧民

知識が浅すぎる。
現在は砂漠でも2000年くらいさかのぼったら、肥沃な大地だった可能性は大きい。

敦煌の遺跡なども仏教遺跡がたくさんあるけど、これだけの遺跡が残ったのは
仏教が盛んな頃、肥沃な大地で多くの人が住んでいた証拠なんだよ。
ゴビ砂漠で恐竜の化石が出るのも、食べ物がたくさんあった気象変化の証拠。


57. 2012年11月13日 15:59:30 : HNPlrBDYLM
おまいアホだ

黄河周辺で見つかる古人骨はコーカソイドが断然多い。

小麦栽培はメソポタミアから伝わったもの。

漢字もメソポタミアの楔形文字の系統

孔子が白人だというのは定説

秦の始皇帝はペルシャ人

唐の王族はトルコ人

黄河文明はメソポタミア系の文化でモンゴロイドは奴隷労働させられていただけさ。


58. 2012年11月13日 18:55:34 : HNPlrBDYLM

・古代民族のDNA鑑定によって、匈奴は2000年前の時点でヨーロッパ人と北東アジア人の混血部族であることが明らかにされている。モンゴルやバイカル湖周辺で確認される最も古いヨーロッパ人のミトコンドリアDNAは6000年前のものである。
http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174456.html

59. 恵也 2012年11月13日 19:24:12 : cdRlA.6W79UEw : edG5LMbg8s
>>55 前王朝の人間は全員殺されているのは有名な話

お話をすんなり信用する人だ。
長々と書かれた話も、半分以上は小説でしょう。

日本では平家に滅ぼされた源氏の後継者、源頼朝、源義経を残した
ために逆に復讐されて平家自身が完全に滅ぼされてます。

四国や九州の山の中まで平家の落人部落があるのは、前王朝の人間が
全員殺されるから一族郎党で無理して山の中に隠れたもの。
日本も同じように残酷なものでしょう。

中国でも魏王朝から晋王朝へは平和革命であり、親族は生き残ったの
じゃないかな。魏志倭人伝の著者(陳寿)は官僚で、魏の官僚からそ
のまま晋の官僚に横滑りしてます。

だからこそ非常に正確な魏の正史を、魏が滅びた直後に書けたもの。
これが武力革命だと官僚も代って、重要書類も戦火で燃えて書けるもの
じゃない。

清王朝から中華民国になるときにも、平和革命だったから清皇帝も殺さ
れず生かされて民間人になり、満州帝国皇帝になり、中華人民共和国に
なっても生き残って天寿を全うしてます。

漢王朝が新王朝になり、18年後に後漢王朝になったときも全員が殺されて
ないから漢王朝の再興ができたのでしょう。

後漢王朝から三国時代になったときも、蜀王朝の劉備は漢の末裔といって
た筈なんだけど、全員殺されてたら劉備は生まれてないしこんなことは言
えないぞ。

元王朝から明王朝になるときも、蒙古族が中国から撤退しただけだから
全員殺されるということはなかったでしょう。
アンタは歴史も知らずに適当に「有名な話」とデマを書きなぐってる方だ。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
元ははじめは各地で起こる反乱を鎮圧しているのですが、そのうち面倒く
さくなる。中国人から搾り取るために支配しているのに、反乱鎮圧に明け
暮れていたのでは、中国支配のうまみがない。

1368年、モンゴル人たちは中国を放棄してモンゴル高原へ退去しました。
元は滅んだのではなく、去っていった。
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-42.html


60. 2012年11月13日 20:42:18 : HNPlrBDYLM
どちらにしろ王朝が代わる度に戸籍上の人口が1/5以下になったのは事実。

唐の時代の漢人の生き残りは今はベトナムやタイの山の中に100位残ってるだけだろ。

昔の満州人はもう全員地上から消滅してるよ。チベットも漢人に殆んど乗っ取られた。

世界中の人が知ってる事だ。


61. 2012年11月13日 21:38:41 : HNPlrBDYLM
中国人の国家乗っ取りの手口


いまでも支那共産党が、チベット、東トルキスタン、南モンゴルなどで異民族を統治するに至る方程式は、まるで同じです。

1 まず漢人が入植する。はじめは少数で。次第に大人数になる。
2 漢民族との混血化を進めようとする。はじめは現地の人との婚姻で。次第に大胆になり、果ては異民族の若い女性を数万人規模で拉致し、妊娠を強要する。
3 現地の文化財を破壊する。
4 天然資源を盗掘し、収奪する。
5 漢人だけの自治の要求し、国家を乗っ取る。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1161.html


62. 2012年11月13日 21:42:50 : HNPlrBDYLM

満州人は元々満州語を話していた。けれど現在では、支那によって土地を奪わ
れ、ほとんどが蒙古、ウイグル、チベットに大量に移住させられた。満州人は
消えてしまい、満州語を話す者もいなくなった・・・・

ひとつの民族を消すには、民族の歴史を消せばよいという言葉は本当だ。

支那人のインターネットの書込みを日本語に訳してくれているサイトがあるが
現在の支那人が「中国にも朝鮮人がいるんだね」などと書いている。「中国に
朝鮮人がいる」のではない! 支那が清の土地を奪って満州人を消しただけな
のだ!

同じような感覚で、支那人はモンゴルを奪い、ウイグルやチベットを奪い、そ
こに住む人々を支那化すると共に、漢民族を大量に送り込んでその地域の人口
比率を覆し、支那の意志が、あたかもその地域の住民の意志であるかのように
してしまう。

今では、チベット人もチベット語を話すことができないのだそうだ。

支那は、自分たちの侵略の歴史には何食わぬ顔をしながら、日本を侵略者とし
て今でもうるさく騒ぎ立てている。同じような感覚で、台湾や琉球(今の沖縄)
も支那のものだと騒ぎだしている。
http://aizax.fc2-rentalserver.com/repo4/047058.html

中国人は人間じゃないな。


63. 2012年11月13日 23:07:09 : HNPlrBDYLM
日本も核兵器を作って中国人を地上から抹殺するのが正しい。

64. 恵也 2012年11月13日 23:12:08 : cdRlA.6W79UEw : gbZ1z59gHI
>60 どちらにしろ王朝が代わる度に戸籍上の人口が1/5以下になったのは事実。

戸籍が正しいとでも信じてるのかね?
王朝が変わるって事は、世の中が大混乱し少しでも安全なところに逃げ出し
税金や賦役、徴兵で兵隊に取られるような戸籍なんて国民の多くが無視する
のが当たり前だろ。

今回のフクシマ事故でも、住民票も戸籍も動かさないで逃げ出してる人は
たくさんいるよ。
広島原爆や東京大空襲で焼け出された人たちも、戸籍なんて二の次三の次
安全な場所と食料、衣類の確保が何よりも優先するの。

>>62 満州人は元々満州語を話していた。
   満州人は消えてしまい、満州語を話す者もいなくなった・・・・

確かアンタ、>>52で満州語が中国語だなんて言ってなかったっけ。
あんたの頭の中は大混乱だね。
結局アンタの知識には満州語も中国語もまったく存在してないわけだ。

ーーーーー引用開始ーーーーーー 
>>52 今の中国人が中国語と言ってるのは満州人の使っていた言葉
   英語を共通語として使うのと同じさ。


65. 2012年11月13日 23:19:06 : HNPlrBDYLM
>満州語が中国語だなんて言ってなかったっけ。

満州語と清で満州人が使っていた言葉と二つあるんだよ。後者が今に中国語北京方言


>戸籍が正しいとでも信じてるのかね?

戸籍に乗らないというのは流民になって国外か山奥に行ったという事だ。
いずれ野垂れ死にするのさ。


66. 2012年11月13日 23:24:31 : HNPlrBDYLM
今、雲南省にいる少数民族は昔中国で大きな領土を持っていた国の流民さ。

500万人の民族が今は1000人位に減っている。 それが中国の前王朝の人間の運命なのさ。

今のチベット人やウイグル人も後50年すればそうなる。


67. 2012年11月13日 23:26:05 : HNPlrBDYLM
中国人をこの世から抹殺するのが日本人に託された使命だな。

68. 2012年11月13日 23:28:33 : HNPlrBDYLM
中国人は悪い。

69. 2012年11月14日 02:45:04 : HNPlrBDYLM

嘘吐き中国人


人民日報、50年代「尖閣諸島は日本領」と報じる 市民ら「政府に騙された」


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当時の人民日報(ネット写真)

【大紀元日本9月7日】尖閣諸島(中国名、釣魚島)の領有権をめぐる係争が勃発している中、中国共産党の機関紙・人民日報の1950年代の報道が話題になっている。報道の中で、尖閣諸島を含む琉球諸島および小笠原諸島などの島々は日本の領土であると伝えていた。

中国国内では、当時の記事のスキャン写真がネット上に貼り出され、ユーザーらの間で、反日行動は政府に騙され踊らされているものではないかとの見方が広がっている。

http://www.epochtimes.jp/jp/2012/09/html/d97871.html


70. 恵也 2012年11月14日 08:43:30 : cdRlA.6W79UEw : 9HOcRSVlig
>>42 中国という国家自体に何千年も歴史がある訳ではありません。

日本の歴史は1800年くらいのようだ。
魏志倭人伝の記述年代が分かっているので、日本の邪馬台国は魏へ
反物を送り、奴隷(留学生?)10人を派遣してます。

魏から邪馬台国へは金印、銀印、反物、刀、銅鏡、真珠、鉛丹など
大量に贈り物をあたえて卑弥呼を親魏倭王と任命してます。

金印と銀印が日本のどこかで出てくる可能性は残ってるが他のもの
は1800年の時間には耐えられないから無理でしょう。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
私は汝に好意をもった。そこで、汝を親魏倭王となし、金印紫綬を与える。
包装してから帯方太守に託し、授けるとしよう。汝は、国民を教えさとし
中国の皇帝に忠誠をちかうよう、努めるがよい。
  
汝の使者の難升米と都市牛利は遠きを渡り良く努めた。そこで、難升米には
率善中郎将を牛利率善校尉という位を与え、銀印綬(青い組みひも)も与
えるとしよう。二人を引見し、慰労してから、記念品を与え帰国させる。

そこで、赤いつむぎの布、二頭の竜を配した絹織物を五匹、赤いちぢみ毛の
織物を十張、茜色のつむぎを五十匹、紺青の織物を五十匹などを与えて、汝
がもたらした貢ぎ物に報いるとしよう。
   
また、汝は特に、紺地の模様のついた綿を三匹、斑模様の毛織物五張、白絹
五十匹、金八両、五尺刀を二口、銅鏡を百枚、真珠と鉛丹それぞれ五十斤を
与えるとしよう。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm


71. 2012年11月14日 09:07:52 : HNPlrBDYLM
おまいはわかっていない。

>日本の歴史は1800年くらいのようだ。

これは中国長江に居た稲作漁労民が漢族(当時は白色人種)に追われて日本に渡ってきてからの歴史だ。

弥生人は10000年前に世界で始めて農業を始めた民族の唯一の生き残りだ。今のアホ中国人とは由緒が違う。

日本の縄文人は14000年前に世界最初の土器を作り、焼畑農耕をやっていた由緒ある民族だ。今のアホ中国人とは歴史が違う。


72. 恵也 2012年11月14日 11:36:50 : cdRlA.6W79UEw : nnKMeN5FbA
>>54 彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり

こんな話はどうも信頼性がない。
中華人民共和国がチベットで行ったというのなら、中華人民共和国が崩壊して
勝利者がその犯罪者を裁判にかけてこそ分かるもの。

チベットから逃げ出した人が、恐怖の中で噂話を聞き100倍くらいに話しが
拡大して伝わった可能性が大きい。

アフガンでタリバンとしてつかまった外人部隊も、勝者のCIAによって
射殺命令が出され、全員殺されたという話もあるが真実はまだ分かりません。

南京虐殺でも日本軍が戦争に負けて、勝利者が犯罪者を裁判にかけ処罰した
から事実だったんだと分かったもので、日本軍が健在な限りは闇に葬られた
でしょう。事実と噂話の境が分からんからね。

裁判の中で分かったのは、日本軍が上海を占領しその勢いで司令官だった
松井石根大将が暴走、食料もなしに300kmも先の首都南京を占領したため。

10万以上の軍隊がバッタのように食料を強奪しながら、寒い中で進軍し
兵隊が凶暴化して、捕虜もドンドン殺して南京を占領。

南京で捕まえた捕虜も計画的に殺し、中国軍が降伏してくるはずと信じて
待ってるのに来ないので南京市民の兵隊になりそうな若者まで殺しだして
30万人くらいまで南京で人を殺す羽目になった。

松井石根大将は東京裁判で、戦犯として死刑になりました。
南京軍事法廷でも部下の谷壽夫中将らが死刑になってます。
日本軍が負けなければ、彼らは英雄として天寿を全うしてたでしょう。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、
証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。

このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。
被害者総数は三〇万人以上に達する。
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

>>65 満州語と清で満州人が使っていた言葉と二つあるんだよ。

紛らわしい言葉は使わないように言い換えなさい。
人に誤解を与えて、間違って理解されるよ。

>> 戸籍に乗らないというのは流民になって国外か山奥に行ったという事だ。

避難民として生きてるということ。
シリアでも隣のトルコやヨルダンに逃げ込んでるでしょう。
政権交代が戦争になったら、いの一番で逃げ出すというのが昔からの鉄則。
そんなときの戸籍なんて信頼性はゼロ。

今の中国でも一人っ子政策で戸籍に載らない人が多数いるという。
日本の戸籍制度を世界に拡大して判断しないように!

>>67 中国人をこの世から抹殺するのが日本人に託された使命だな。

そんな使命を感じて実行したら、日本人の抹殺につながってしまう。
日本人抹殺の危険を冒してまでその使命を実行する値打ちがあるのかい?

>>69 中国共産党の機関紙・人民日報の1950年代の報道が話題

これは当たり前のこと。
1945年の終戦のときに、日清戦争で清から日本が取った領土は全部返還
されたと人民日報記者も誤解してたの。

専門家でも無人島の尖閣が沖縄県に編入されてるということには気が付
かないでしょうし、どこでも話題にさえなってない。
ここで石油が出たから話題になり、調べたら盗られた島だと分かったの。
1945年〜1970年までは中国も気が付かなかったのだから日本領土ではある。

むしろ政府に騙されたというのは、日本国民じゃないの。
返すべき島を返さないで「古来日本の領土」なんて騙し以外の何物でもない。


73. 2012年11月14日 11:53:11 : HNPlrBDYLM
おまい、その程度で焼身自殺すると思うか?:

本当のチベットの姿を考えてみてください なぜ抗議の焼身自殺が後を絶たないのか
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/333.html
投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 14 日 07:55:30: cT5Wxjlo3Xe3.

本当のチベットの姿を考えてみてください

なぜ抗議の焼身自殺が後を絶たないのか

2012年11月14日(水)  福島 香織

 1カ月以上前の話なのだが、大型書店の雑誌フロアで、ひときわ美しい写真装丁のチベット特集ムック本がかなりの棚を占めて飾られているのを見かけた。「美しいチベットの未来」とサブタイトルがついた旅行誌だ。

 この特集は一見、何の罪もないチベット旅行本に見えるのだが、実は一部のチベット研究者や在日チベット人、あるいはチャイナウォッチャーからたいそう評判が悪い。というのも「まるで中国共産党の機関誌」と陰口がたたかれるほど、言う必要のないフリーチベット運動の批判が至るところにちりばめられているからだ。いわく「フリーチベットと叫ぶ演歌にも似た哀愁は絵空事のよう」「チベット支援団体はCIAの支援を受けている」…。

 チベット圏で外国メディアが写真を撮ったり取材したりするのは、中国共産党当局の許可と監視、指導を受けなければならず、どうしてもチベット特集番組や特集記事は中国共産党側の立場で情報を発信せざるを得ない。それでも多少の良心があれば、政治的な話題をはずして、美しい風景や興味深い文化、グルメのみの紹介にとどめておいたり、微妙な表現で現実の迫害状況をなんとなくにおわせたりする努力ぐらいはするものだ。

 だが、この雑誌は明らかに中国側の政治的立場に偏りすぎている。もちろん、著名なチベット仏教研究者の石濱裕美子氏のインタビューもあり、バランスを取ろうとしているところも見られるのだが、編集が下手なせいか、プロパガンダ臭が強烈すぎて、他の興味深い企画や寄稿、インタビュー記事などの良さも消し飛んでしまっている。その石濱氏が自身のブログで、よほど腹立たしかったのだろう、この雑誌に描かれている美しいチベットは「本当のチベットではない」と批判している。

相次ぐチベットの悲惨なニュース

 この雑誌のことを今改めて思い出したのは、ダライ・ラマ14世がちょうど訪日中で、13日には国会議員会館にお迎えして特別講演を行ってもらったからだ。140人近い国会議員が出席し、「チベット問題を考える議連」が「チベット支援議連」と名を新たにして立ち上げられた。中国側が強い圧力をかけてくる中、これだけの国会議員が集まったのは、それだけ今、チベットで起きている弾圧状況を見過ごせないと思う人が増えたということだろう。

 チベット地域で僧侶や尼僧、信者らの中国共産の宗教弾圧、人権弾圧への抗議の焼身自殺が続いていることは、この連載コラムを読んでくれている人はすでにご存じだろう。2009年以降、すでに累計70人以上が焼身自殺を図り、60人近くが犠牲になっている。

 中国共産党の次期中央指導者が選出される第18回党大会開幕日の8日をはさむ4日の間に7人が焼身自殺を図った。このうち15歳の少年を含め4人が死亡した模様だ。9日には青海省のレプゴン(黄南チベット族自治州同仁県)で学生を中心に1万人規模のデモが発生し、学生らは学校で掲揚されている中国国旗が引きずりおろし、政府市庁舎前で「フリーチベット」「ダライ・ラマ14世の帰還」を訴えたという。自由アジア放送などが伝えた。

 とりあえず治安部隊との衝突は避けられたようだが、焼身抗議があるたびに、その犠牲者の故郷で抗議デモが起きる状況が繰り返されており、いつそれが暴発するか、再び2008年3.14事件(ラサのチベット僧侶らのデモ弾圧から始まった騒乱および全チベット地域に広がった抗議運動とその鎮圧事件)のような悲惨な事態が起きるか、その緊迫状況は想像を超えるものがあるようだ。

 また、ダラムサラからチベット関連ニュースを日本語で発信しているブログ「チベットNOW@ルンタ」によれば、青海省のゴロクチベット族自治州のマチェン県の村で、「軍事訓練」と称して村の住民全員を無差別に殴ったり、髪を強制的に剃ったりの暴力が行われ、チベット語擁護者は見せしめのように公衆の面前で暴行され入院者まで出ているとも(チベット語紙・チベット・タイムス10日付け)。文革時代さながらの暴力と緊張がチベット地域の村々で起きているもようだ。

 いずれも「のようだ」としか言えないが、日本にいて漏れ聞くチベットは「美しいチベット」に程遠い。少なくとも焼身抗議が70人以上という事実を傍らにおいて、美しいチベット賛美だけの旅行本というのも不謹慎と感じる。その上にフリーチベットと叫ぶことが演歌に似た哀愁であるなどと批判してしまうと、これはもはや無知や情報不足ではなくて、悪意ではないかと疑ってしまう。

チベット女流作家オーセルさんが伝えるチベット

 もちろん、フリーチベット運動を批判する立場があってもいい。私の中でも、チベット独立のためなら流血も辞さないという独立派の人たちの言葉を聞くと、外国人から見えないチベット域内に住んでいる普通の人々との考えや思いとどれほどの落差があるか、あるいはないのか、想像がつかない。

 チベットの焼身抗議の連鎖をどう受け止めるか、についても、チベットの人々のどれくらいが、この抗議方法を致し方なし、と肯定しているのか、考え始めると、わからなくなってくる。少なくとも母親は「君死にたまうなかれ」というのが本心ではないか。15歳の少年僧が自らに火をつける激しさに、どうして、そこをこらえて、チベット文化をできるだけ長く守り伝えるために、その寿命をまっとうしないのか、その方がチベットの未来のためにならないか、という気持ちがぬぐえない。

 そういう自問自答をしている時に、チベット女流作家のツェリン・オーセルさんとその夫の王力雄さんによるエッセイ集「チベットの秘密」(劉燕子編訳・集広舎刊)を版元から戴いた。翻訳を手掛けた大阪在住の翻訳家・劉燕子さんは私と同世代の友人である。

 オーセルさんの詩とエッセイ、そして王さんの「チベット独立へのロードマップ」と題した論文、劉さんのオーセル論「雪の花蕊」を一冊にまとめた変わった構成の本だが、これは私のように、「本当のチベットの姿はどこにある」と迷路のように考えている人に、良い手引きとなるだろう。

 エッセイは2008年の3.14事件以降、オーセルさんが見聞きしたこと、感じたことを綴っている。最近の域内の様子をここまで伝えた本をほかにしらない。

 彼女は結構過激な民族主義者なので、その視点は当然考慮しなければならないが、それでも彼女の眼を通して知るラサやその他チベット地域の様子、そこからの考察は、中国共産党当局が用意したガイドや通訳を通して外国人の雑誌編集者が見たチベットよりは本当の姿に近いだろう。

生命を軽んじて焼身自殺をするのではない

 3.14事件がどんなふうに起こったかを証言するチベット青年との会話ににじむ憤怒と恐怖。チベット仏教の伝統から言えば侵してはならない神聖な土地とされるギャマ(チベット自治区メルド・グンカル県)が、漢族資本により鉱山資源開発で掘りつくされ、廃液で重大な環境汚染を引き起こされ、さらに、掘削のために村に送りこまれた一万以上の漢族労働者と数千人のチベット村民が飲み水をめぐって流血事件が起きたこと。ダム開発に伴う強制移住が与える後遺症の深刻さ。中国語の書類を読めないチベット庶民に、「生活保護」に関する書類だと嘘をついて、ダライ・ラマ帰還拒否文書に署名させる地元当局幹部の悪辣さ。開発や建設といった言葉を借りて行われる搾取と環境破壊は、もちろん漢族社会でも大きな問題だが、チベット地域ではこれは植民地主義的行為、民族のジェノサイドという側面が加わるということ。とどまることを知らない焼身抗議の裏に、数えきれない焼身以外の自殺者が存在すること。

 こういう今チベットで起きていることを伝えたうえで、オーセルさんは、チベットに同情する口ぶりで「焼身抗議という極端な方法に国際社会は賛同しない。生命を大切にすべきだ」という人に対して、「これほどの偽善的な言葉はありません!チベット人はあまりに愚かで、理性がなく、生命を軽んじているので、焼身自殺を用いて脅迫するゲームをしていると言うのでしょうか!」「“賢明”なお方の高踏的な発言は暴政とお相通じていて、まさに火に油を注いでいるようなもの」と激しく反論している。

 さらに「他に方法がないのです。是非とも国際社会は中国政府に圧力をかけて、チベット人への圧政を止めさせてください。…21世紀になってもチベットがこのように残酷に扱われているという悲劇的状況に対して、緊急の行動が取られてもいいのではないでしょうか?」と訴えている。

文化が侵され、断末魔を上げている

 読んでいるうちに涙が止まらなくなってきた。これが今の本当のチベットの姿ならば、痛ましすぎる。一つの完成された文化が侵され、断末魔を上げているのだ。彼女の過激な言葉にも納得がいく。

 社会の近代化とともに宗教や伝統というのはすたれていくものだよ、チベットはそのプロセスにあるだけだ、ともっともらしくいう人もいるかもしれない。だが望ましい近代化というのはチベット人の手で推し進め、伝統や文化の呼吸を止めずに変容させることであり、仮に他者の手で行われるならば、その文化に対するよほどの敬意と憧れがないと不可能だろう。中国共産党が進めているのは、チベット社会の近代化ではなく、チベット文化の息の根をとめて、その遺骸を使って美しい剥製をつくろうとしているだけではないか。

 今の日本人は、旅行に行って、そういう剥製を見て喜ぶレベルの文化程度ではないと思いたい。私はチベット独立派ではないが、過去、優れた民族文化が植民地的行為でつぶされてきた歴史を思うと、今再びその繰り返しを見過ごすことは罪だと思っている。

 断末魔を上げている文化を救う最初の一歩は、その文化の本当の姿、現状を知ろうとする努力だろう。チベットは外国人が自由に旅行できる場所ではなく、平和な日本の出版物でさえ暗黙の制約やプロパガンダが混じるなかで、何が本当の姿かわかりにくく、私自身、迷いつつ手探りで考える始末だ。だからなお、縁あってオーセルさんと出会い、チベットの文化というものに惹かれた私は言いたいのだ。「本当のチベットについて、考えてみてください」と。
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/333.html

中国人はチベットでもウイグルでも満州でも先住民絶滅作戦を実施してるんだ。

中国人がやってきたら必ず皆殺しにされる。

それが中国の伝統だ。



74. 2012年11月14日 12:30:35 : HNPlrBDYLM
中国人を一刻も早く絶滅しないと地球は滅茶苦茶になるな。

75. 恵也 2012年11月14日 18:55:02 : cdRlA.6W79UEw : ESJCk9uAP2
>>71 漢族(当時は白色人種)に追われて日本に渡ってきてからの歴史だ。

アンタね適当な注釈をつけて、反論するんじゃないよ。
1800年前とは邪馬台国が魏と国交を結んだ頃で、日本の弥生時代末期。
その頃の漢族が白人だなんて、アンタはまったく歴史をご存知じゃない。

>> 弥生人は10000年前に世界で始めて農業を始めた民族

日本語さえ真面目に勉強してないようだ。
弥生人とは日本で紀元前4世紀〜紀元後3世紀ころの弥生時代に生きてた
人のことで1万年前では日本の縄文時代初期。

少なくとも弥生時代がいつ頃で、何を弥生時代としたのかくらい知った
上で書き込みなさい。
水稲の後や銅剣、鉄剣などの武器が出て弥生土器が発見されたから、以前の
縄文土器とはまったく違ってたので縄文時代と区別したもの。

日本の縄文時代の古代人骨には、ほとんど戦闘の跡がなく弥生時代の人骨に
は戦闘の跡が非常に多い。

これは水稲を作ることで人間の生産力が飛躍的に上がったため、戦争で人を
奴隷として捕まえる値打ちが出てきたため。
縄文時代の生産力では、奴隷を作っても金持ちにはなれん。

>>73 なぜ抗議の焼身自殺が後を絶たないのか

ベトナム戦争でも多くの焼身自殺をした人がいるけど、政治権力者への
抗議でしょう。

>> チベット支援団体はCIAの支援を受けている

これは当たり前でしょう。
戦争以外であれば内政干渉でも何でも行うのがアメリカのCIA。

アメリカは世界の警察官になってるから、日本の内政にも介入してるよ。
イランでは政権転覆に成功したが、その反作用で完全に宗教国家にイランが変質した。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
ウィリアム・クワンド 国家安全保障会議 首席委員(中東地域 1977〜79年)
「イランを手放すわけにはいかない。しかし朝鮮戦争のように戦うことはでき
ない。それだけの準備は無い。そこでCIAを使った秘密工作が考えられたのです。

ダレス長官は戦争をせずに、成果をあげる最善の方法は、CIAを利用して政権を
転覆させることだとし、それが大成功を収めました。だからグアテマラにも他
の国にもこの方法を使ったのです。卑劣だけれども一番簡単だからです。」
(「CIA」 秘められた真実 より)

>> 中国人はチベットでもウイグルでも満州でも先住民絶滅作戦を実施してるんだ。

俺にはそう思えん。
中国が狙ってるのはチベット人の漢民族化。
日本が沖縄や台湾で行った皇民化と同じ現象でしょう。

国家の統一のためには、少数民族の漢民族化は必要悪だよ。
日本のアイヌや在日に対する大和民族化も当然当たり前。

ダライラマが政治権力を握っていた頃は、政教一致で非常に自由がなかったから
政教一致に返そうとするのでは自由が逆になくなりそうだけど・・・


76. 2012年11月14日 20:14:42 : HNPlrBDYLM
>少なくとも弥生時代がいつ頃で、何を弥生時代としたのかくらい知った
上で書き込みなさい。


おまいアホだろ。

長江で稲作が始まったのが10000年以上前

すぐに米は縄文人も取り入れて焼畑農耕に使った(陸稲)

黄河文明はメソポタミア人が3500年前に中国に移住して来て始めたもの。

気候寒冷化で2500年前に黄河文明人が長江まで南下してきて長江稲作民を滅ぼした。

長江人の生き残りは2300年前から日本・台湾・雲南省に逃げた。

弥生人はその時に長江から来た難民さ。


77. 2012年11月14日 20:16:43 : HNPlrBDYLM
唐以前の中国人は白人の遺伝子がかなり残っていた。

78. 2012年11月14日 20:22:28 : HNPlrBDYLM
それからアイヌ語や琉球語は今でも完全に残っている。

一方、満州語は消滅 チベット語と台湾語も使用禁止


日本と中国では異民族に対する扱いが180度違うのは有名さ。

アイヌが中国にいたら30年で絶滅してる。

中国人は悪いからな。 一刻も早く滅びて欲しい。


79. 恵也 2012年11月15日 10:09:01 : cdRlA.6W79UEw : fzQqxOPbPU
>>76 気候寒冷化で2500年前に黄河文明人が長江まで南下してきて長江稲作民を滅ぼした

見てきたような嘘をいいという奴だ。
弥生人とは水稲の技術を持つ連中で、滅ぼすことは富を作る財産をなくすこと。
征服者は現地支配者を滅ぼしても、労働力をなくすような滅ぼし方はしません。

労働力、技術があってこそ土地が財産になるのであって、土地だけじゃ荒地になるだけ。
今の日本で田舎が爺婆ばかりになって、荒地になっているのさえご存知じゃないようだ。

>>77 唐以前の中国人は白人の遺伝子がかなり残っていた。

俺の別れた嫁さんも、白人の遺伝子がかなり残ってたんじゃないかな。
色は白いし目鼻立ちがはっきりしてたな。

青森の戸来村にはキリストの墓があるというけど、大昔から白人も日本に
来てた人は多いと思うよ。
鼻が高い天狗や鬼の伝説などもその名残でしょう。

>>78 満州語は消滅 チベット語と台湾語も使用禁止

そんな話は聞かないね。
あなた自身、満州語とかチベット語、台湾語なんて知らないのじゃないの。
チベット語はともかく満州語や台湾語なんてあるのかね。

台湾の言葉で平捕族や高砂族の使っていた言葉はあると思うけど、これを
台湾語といってるのかい?

国会でこんな言葉を使っても通じないけど、禁止なんて必要があるのだろうか。
高砂族の言葉をつかって、台湾国会で質問するのを禁止してるのかい?

日本の国会でアイヌ語を使って質問なんてするだろうかな。
どうもあなたの言葉には真実味が少ない。


80. 2012年11月15日 12:02:07 : HNPlrBDYLM

>満州語や台湾語なんてあるのかね。


おまいは小学生の知識しかないんだ:


満州語

1.満州族の言語。ツングース諸語の一つ。
2.旧「満州国」で使用された中国語。単に国内多数語である中国語を自国名で呼んだ形。1を「固有満洲語」として区別した。

満州語(満洲語、まんしゅうご)は、満州族が話す言語。


満州族は中国の統計で、1千万人を超える人口を誇る。しかし、一方で清の時代、長年に渡り、人口の上では圧倒的な少数派でありながら支配者として漢族を含む中国全体に君臨した結果、満州族の文化は中国文化と融合・同化していった。そして、清が滅び、漢族が主体の時代に入ると、その同化速度は加速していくこととなり、多くの固有の文化が失われていった。

満州語も、そのようにして失われていった文化の一つであり、満州語の話者は満州族の間でも現在では極めて少なく、消滅の危機に瀕する言語の1つである[1]。

満州語は、言語学的にはツングース諸語に分類される膠着語である。アルタイ語族があるとすればツングース語派に分類されることになる。満州語の表記は、モンゴル文字を改良して作られた満州文字を使う。


81. 2012年11月15日 12:10:47 : HNPlrBDYLM

>見てきたような嘘をいいという奴だ。
弥生人とは水稲の技術を持つ連中で、滅ぼすことは富を作る財産をなくすこと。
征服者は現地支配者を滅ぼしても、労働力をなくすような滅ぼし方はしません。


長江文明人は中国では殆んど殺されたよ:

極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」


  長江文明の楚系と思われるY-DNA「O1a」、
         越系と思われるY-DNA「O2a」、
         呉系と思われるY-DNA「O2b」、「O2b1」及び

  黄河系の「O3」の頻度も併せてまとめました。ただし
   黄河系直系のY-DNA「O3a1」と
   黄河系と長江系の交配で分化した「O3a2」はデータが不十分なので見送りました。

  日本はGlobalで発表された12論文から試算した頻度と、県別のデータがあった5論文から県別の人口比率を頻度試算に盛り込んだ人口比率補正した頻度を合わせてリスト化しました。

  Y-DNA「R1b」と世界の覇権を争っているのが黄河系漢系遺伝子Y-DNA「O3」です。
http://galapagojp.exblog.jp/16668161/


●長江文明系の楚系と思われるY-DNA「O1a」の出現する民族はそれほど多くはありません。台湾の先住民が最も頻度が高く、楚が滅んだ際に長江河口から台湾に逃げ込み、島の中で各部族に別れ先住民族化したようです。他に南下した集団もいたようです。

●長江文明系の越系と思われるY-DNA「O2a」は越が滅んだ際に江南に留まり少数民族化した集団もあれば、更に南下しインドにまで逃げた集団も相当多くいます。ドラヴィダ民族の中のタミール系Asur地域民はなんと64%が越系「O2a」遺伝子になっています。この「O2a」がタミール人に水田稲作農耕系の文化と語彙を持ち込んだため、弥生系日本語彙と出自を同じくする長江農耕民系の単語がタミール語に多く残り、大野教授が日本語の祖先はタミール語と誤解する原因になりました。遺伝子調査による民族の逃避・移動がわかった現在では、残念ながらタミール語祖先説は成り立ちません、同様に東北アジア系騎馬民族(Y-DNA「C3c」)も日本列島には入ってきてはいません。

●長江文明系の呉系と思われるY-DNA「O2b」は呉が滅んだあと楚や越の遺民や奴隷を交えて、南下した越とは反対の北方に逃げ満州辺りで「O2a」から「O2b」に分化し、稲作適地を求めて南下し韓半島南部で水田稲作農耕をおこない遺伝子は現在に至っています。韓民族の30%を占めるほど韓半島の農民層として定住・定着したようです。「O2b」は更に水田稲作適地を求めてあるいは中華王朝の韓半島出先機関の圧政から逃れるためか南下しボートピープルとして日本列島に逃げ込みここで弥生文化を花咲かせたわけです。この間縄文遺伝子のY-DNA「D2」と密に交配し「O2b1」に分化し、未分化の「O2b」と併せ日本列島でも韓半島とおなじく30%の呉系遺伝子頻度を現在持っています。「O2b」は基本的に満州族、韓(朝鮮)族と日本人(琉球民族も含む)のみに高頻度で現れる特殊な遺伝子子亜型なのです。

  この両民族の30%を占める呉系度が両国の近さの証明であり、縄文遺伝子を持たない韓国が一方で遠い国の証明なのです。しかしどちらも支配層は見事に黄河系「O3」で同じなのです。ここも近さの証明となります。つまり日本人の50%強は韓族と同じ出自を持つ同根なのです。そして漢民族とも同根なのです。残念ながら! なんでこんなに文化が違うのだろう?約50%弱を占める基層の縄文文化のあることが日本を中韓両国とは全く異なる風土を育んでいるのです。3.11でも称賛された日本人の国民性はY-DNA「D2」「C1」「C3a」(及びmtDNA「M」)縄文人が持つどちらかと言うと古代的な民族性なのです。

http://galapagojp.exblog.jp/16672971/


82. 2012年11月15日 12:15:53 : HNPlrBDYLM
中華大陸最初の住民であるY-DNA「D1」は中国神話では「羌族」として描かれています。「共工」を祖先神とし、長江文明や黄河文明と対峙していたようです。しかし我ら縄文人とは本来最も近い兄弟遺伝子だったのですが、その後の長江文明との交配や特に黄河文明人との深い交配で独自の文化はまだ多少維持しているようですが遺伝子的にはY-DNA「D1」は18%に過ぎず、長江文明系Y-DNA「O1」が15%、「O2」も15%」に対し「O3」は36%もありもはや「O3」民族と言っても差し支えありません。

ではなぜそれだけの「O3」民族であるにも関わらず漢民族化しなかったのでしょうか?それは漢民族王朝に征服されてきたわけではなく、長い歴史の中で勢力争いに負けた「O3」が逃げ込んできた土地柄だったため落人達が隠れるため羌族化したためなのです。しかし漢民族は出自を重んじるため、羌族化した元漢族たちも自家の出自はひっそりと伝えられているかもしれません。

  中華大陸で最もY-DNA「D」を残しているのは黄河文明系「O3」が嫌っていた高度地域のチベット高原に逃げ込み独自性を保ってきたチベット族です。早くに漢族の目の届かない高原に逃げ込んだため中国の古代神話にも情報は今のところ全くありません。恐らく元々は羌族だったと考えられます。チベット族は吐蕃などの古代国家を興してきましたが、漢族王朝とは異質の存在として扱われてきたためたため、唐などの支配下に入っても独自分化を保ってきたようです。

  部族によっては氐族のように周辺民族との交配でY-DNA「D3」に分化してますが、「D1」、「D3」合計でおおむね50%以上の頻度を維持しています。しかし長年の漢民族との抗争で交配も進み「O3」もかなり高く31%にもなっています。しかし長江文明系のY-DNA「O1」や「O2」は1%もなく、羌族の中でも長江文明時代に交配を嫌いチベット高原に逃げ込んだようですが、結局王朝時代に入り大唐帝国など漢族大王朝の支配下に入り「O3」との交配はかなり進んだようです。勿論漢族間抗争で負けた集団が逃げ込んできた可能性も高いのです。またモンゴル帝国時代にモンゴル族も交配し、その後のモンゴル族のチベット密教化での交流でY-DNA「C3c」も5%強あり、またインドの遺伝子「F」も5%、「K」も7%と日本と同様多遺伝子集団化しています。このため純粋な「D」チベット族はもはや存在しませんが、チベット高原中心部に住む部族は今でも小柄なネグリート性を維持しているとのチベット民俗学者からの報告があります。

  ではY-DNA「D」の古代文化は何も残っていないのか?という疑問がありますが、最近の中国古代遺跡の調査が進むにつれて中国4大古代文明の一つの四川文明(他に長江文明、黄河文明と遼河文明)が、長江や黄河流域を追われたY-DNA「D」の逃げ込んだ先きでひっそりと立ち上げた文明ではないかと言われつつあります。そうです四川文明の代表が日本でも展示公開され話題を呼んだ三星堆遺跡の驚くべき呪術性はまさに古代遺伝子Y-DNA「D」の文化にぴったりです。火焔土器のような呪術性の高い独特の縄文土器文化を持つ日本人の琴線に触れるのは当然のことではないかと思います。
http://galapagojp.exblog.jp/i33/


極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」

  長江文明の楚系と思われるY-DNA「O1a」、
         越系と思われるY-DNA「O2a」、
         呉系と思われるY-DNA「O2b」、「O2b1」
http://galapagojp.exblog.jp/16668161/


「O3」は黄河文化直系のプロト漢族、
「O3a1」は華北の周辺民族との交配で生まれた黄河系(華北系)漢族、
「O3a2」は黄河系漢族と長江文化華南系との交配漢族

になります。漢族は単独遺伝子ではなく、約50%強の「O3XX」亜型群をコアに現在少数民族となっている「O1」「O2」「F」「P」「NO」N」「C3c」など50以上の民族との交配の結果生まれた複雑な遺伝子構成の集団ですが、支配階級はO3XX」なので「O3」で代表されます(面白いことに他の遺伝子との交配を嫌った純粋「O3」の少数民族もいるのです)。
http://galapagojp.exblog.jp/15687326/

漢族の歴史を見ると同じ民族でありながら、「O3」に同化した他遺伝子群は今は完全に漢族の一員で、同化しなかった群は53近くの少数民族として認定され辺境民扱いされています。土地が繋がっていても孤立化を選ぶ集団は必ずいます。
http://galapagojp.exblog.jp/15281541/  

研究が進み「O3」集団も黄河文明系遺伝子だけではないことがわかってきました。長江文明系の血統が小亜型に大量に交配しているのです。

中華大陸で長江文明系の集団遺伝子は「O1」と「O2」ですが、現在残っている亜型は意外に少ないのです。つまり長江文明系は周囲の他の遺伝子との交配をあまり進めてこなかったようです。このため中国の少数民族には「O1」や「O2」が多いのです。

  一方「O3」の方は長い歴史で「O1や「O2」とかなり交配を進め小亜型に分化しています。そして少数民族化せずそのまま漢民族の中に取り込んできたようです 
「O3」の中にもDerung族のように他遺伝子との交配を嫌った集団も「O3」の故地の江南特に雲南省辺りに残っています。どんな集団にも保守的な守旧派のグループはいるものです。そしてそのようなグループは少数民族化しエネルギーが弱まり、衰退してゆくのです。


「O3」亜型の小亜型をご紹介します。


O3      雲南省あたりで「O2」から分化した亜型 日本列島では2.2%
O3a
O3a1    漢民族の20%を占める。黄河文明の直系の亜型かもしれない。
O3a1c                             日本列島では5.7%もある。 
O3a2    漢民族の35%を占める。長江文明人と交配し分化した長江文明系「O3」
                                  日本列島では3.3%
O3a2b   長江文明の大溪文化(5000年〜7000年前頃)人と交配した遺伝子らしい。
O3a2b1a ミャオ族特有の「O3」
O3a2b1b シェ族特有の「O3」
O2a2b2  ヤオ族特有の「O3」
O3a2c1   シナ―チベット語族特有の「O3」     日本列島では約3.1%
O3a2c1a  漢民族系特有の「O3」           日本列島では約4.6%
O3a2c1b  チベット−ビルマ語系特有の「O3」

以上を見ると黄河文明人=漢民族ではないことがよくわかります。

漢民族は黄河文明人を基盤に長江文明人と交配しながら出来上がり、周王朝辺りから自分たちを固有民族として自覚し始め、漢王朝辺りから漢民族として確立していったようです。

中国の漢民族内の頻度的には55%の「O3」の中で、黄河文明系の直系が10%程度なのに対し長江文明との交配系は残りの45%を占め、漢民族は黄河文明系と長江文明系の完全融合体であることが良くわかります。

文化的には北方系の黄河系文化が中国の主流となりましたが、遺伝子頻度的には江南系の南方遺伝子系の方がはるかに多いのです。
http://galapagojp.exblog.jp/15243803/


遺伝子調査から見た中国古代神話考

  中国古代神話はギリシャ神話や記紀などと昔から何度も読んだ神話ですが、そこに欧米の研究者が言っている東ユーラシア=中華大陸の最初の現代人類はY-DNA「D」だったと言う、Y-DNA「D」の痕跡を探そうと以前当ブログで挑戦して挫折した過去があります。しかし往生際が悪いのが年をとった証拠で、再度チャレンジしてみました。

  海外の研究では長江文明系は母系集団(そうなら「O2」、「O1」の弥生集団も母系集団)、黄河文明系は父系集団(それなら「O3」渡来集団は父系集団)だそうです、では縄文集団のY-DNA「D」は?「C」は?

  現在中国では2大古代文明+2古代文明の4古代文明がが考えられているそうです。

●最も古い長江文明
  最も古い玉蟾岩遺跡は16000年前頃と考えられているそうですが、稲作農耕の確認されている最も古い仙人洞・呂桶環遺跡は14000年前頃と考えられているようです。西欧文明の農耕は肥沃な三角地帯:メソポタミアで発生し、その農耕民が西欧に拡散したと考えられています。つまり東西それぞれで独自に農耕は発展したと言うことが長江文明の調査でわかったのだそうです。そして日本人はその東の農耕文化を最も極めた後継者なのです。

  日本列島では縄文時代の草創期に当たる時代に既に中華大陸では文明が確立されたようなのです。と言うことはY-DNA「D2」と「C1」はその前恐らく旧石器時代には既に日本列島に到達していたのではないかと考えられます。「C3a」は「C3b」の出シベリアの時期を考えると縄文草創期頃に合流した可能性も大です。

  揚子江流域はこのようにかなり古い頃から稲作農耕文明だったようでY-DNA「O1」から分化した「O2」が揚子江中流域で文明と言えるレベルの文化をを興したようです。「O1」はかなり遅れて7000前頃から揚子江下流域に文化を立ち上げたようですが、「O1」が最初に分布したと考えられる最寒冷期の遺跡は今は揚子江河口の更に先の東シナ海-黄海ランドの大陸棚に沈んでいるはずなので「O1」文化は遺伝子から見ても当然中流域よりもっと古い可能性はかなり大です。


●黄河文明
  一方「O2」より新しく分化した「O3」黄河分明系は揚子江流域を先輩遺伝子の「O1」「O2」に既に占領されていたため、黄河流域に分布をしました。と言うより黄河流域に分布した集団が寒冷地適応や黄砂適応を受けながら分化し、7000年前頃から独自の文化を興すようになったのでしょう。


●四川文明
  四川文明は謎が多い文明のようです。長江の上流域にあるため、長江文明の系統もあれば、三星堆文化のように全く異質な文化もあります。Y-DNA「D」に関係があるとすれば三星堆文化の異質さしかないと思います。Y-DNA「O」は西欧遺伝子の「R」と同様、古代遺伝子の一つのY-DNA「F」から分化を重ねて生まれた新興遺伝子集団なので、古代特有の呪術性はかなり薄まっていたはずですが、「D」は「F」より古い古代遺伝子なのでその呪術性はかなりの高いレベルだったはずです。三星堆文化の異様な呪術性はぴったりです。

  欧米の研究者が中華大陸の最初の現代人類はY-DNA「D」だったろう、と書いていますが、現代チベット系民族として子孫がチベット高原や四川盆地など標高の高い地域に閉じ込められ現存している以上、古代神話にも痕跡が残っていると期待されるのですが、あまりの呪術性のため、特に孔子などは呪術性を嫌っていたため、史書から無視されていた可能性が高いそうなのです。

  四川省流域は諸部族が入り乱れてきましたがその後の吐藩王国などチベット系諸王国の存在や現在のチベット系集団が多く存在することから四川文明の中心はY-DNA「D1」「D3」の祖先の文明ではないかと考えるのが自然でしょう。

  中国古代神話では黄帝が蚩尤(羌姓、つまり現在のチベット系の祖先らしい)を討伐したそうです。つまり長江文明を滅ぼして拡大を続ける黄河文明が同様に中華大陸の先住民であったY-DNA「D1」遺伝子集団を追い出しチベット高原や四川盆地など黄河文明系が嫌う標高の高い地域に閉じ込め、その一つが四川文明でその代表が三星堆文化と考えられます。つまり呪術文化性の塊のような三星堆文化が41%が縄文人Y-DNA「D」の子孫である我が日本人の琴線に触れる感があるのは当然かもしれません。兄弟遺伝子なのですから。そうすると火焔土器のような極めて高い呪術性を感じる土器を縄文人が作ったのもなんとなく理解できます。


●遼河文明
  最後の北方の遼河文明は最近発掘調査が進み黄河より更に北方にも古代文明が栄えたらしいことが報告され始めています。遺伝子で考えると今でも韓半島に残る古代シーラカンス遺伝子のY-DNA「D1」(韓半島には今でも姜姓=羌姓が残っているが後世のチベット仏教布教時の移住かもしれない)の文明か一緒に行動したとされるY-DNA「C1]か「C3」の文明か、後の日本系沿岸・オホーツク海沿岸の諸族となった「C3c」ツングース諸族やモンゴル族の祖先かあるいはY-DNA「N」のヤクート族などのシベリア諸族の祖先かもしれません。

  ここは燕、渤海など古代中華周縁国家が起きたところで、箕子朝鮮、衛氏朝鮮などの古代朝鮮国家が起きたところです。つまり中華王朝から「東夷」と呼ばれた遼東半島を中心にした東夷諸民族の故地でもあります。遼河の河口は東シナ海-黄海ランドになりますのでこの水没した土地こそが本当の故地でしょう。

  遼河文明は遺伝子的には全くわかっていませんが「O3」の別働隊の可能性もあり、縄文晩期に陸稲稲作農耕文化を日本列島に持ち込んだ集団の故地の可能性も充分あるのです。1908年最初に見つけたのは日本の当時の有力な考古学者の鳥居龍蔵、1935年に大規模な発掘がされました。韓国のウリジナル思想では当然ですが古代朝鮮民族の国家だったと位置付けられているそうです。


いよいよ本題ですが、 

  復習ですが、中国の古代神話では長江文明の直系の子孫と考えられている苗族は稲作農耕民族であり、母系集団だったと考えられています。屈家嶺文化や石家河文化は三苗族の祖先の文化の遺跡と考えられています。となると、長江文明の子孫と考えられている弥生遺伝子集団Y-DNA「O2」と「O1」も母系集団だったと考えられます。魏志倭人伝の倭人は文字通り小柄なネグリートで縄文-弥生交配集団とガラパゴス史観では考えていますが、卑弥呼一族は弥生系の母系集団の女王呪術師だった可能性が大です。弥生系はもともと中華大陸から追われてきた長江文明の子孫なので古代性から抜けていない縄文集団に比べれば、やや近代的で国家を形成していてもおかしくはないのです。

  では本題の縄文人は母系制だったのか父系制だったのか?古代チベットの実態がわかると面白いのですが残念ながら今となってはわかりません。また現代チベット民族は「O3」と密に交配をしているため古代の風習は全く残してはいないようです。

  しかし中国古代神話では西王母や人類の創造神とされる女媧など女性が大活躍をするので母系制の名残もあったのではないかと思われます。しかも女媧は長江分明系三苗族の信奉した神で、、羌族が信奉する水神共工とは対立していたようなので長江文明系の苗族は文字通り母系制で、水神共工は男性神らしいので羌族は父系制だったのかもしれません。

  つまり縄文人大多数派のY-DNA「D2」は父系制だった可能性が大です。残念ながらY-DNA「D」系の羌族は長い間黄河文明族と対立していたため、中国古代神話では共工は洪水を興す悪神として描かれています。しかし中国古典の「国語」では天地を治める最高神が共工で、伏義と女媧の長江文明系が取って替わったことになっているので、もしかするとY-DNA「D」を中原から追い出したのはガラパゴス史観で考えていた「O3」遺伝子集団の黄河文明系ではなく、「O2」か「O1」の長江文明系の可能性が出てきました。

  つまり弥生遺伝子集団はかつて大陸から標高の高い地域に追い出した「D1」「D3」と同族の「D2」と日本列島で再開し驚いた可能性があります。また「D」遺伝子集団の風俗習慣も熟知していたかもしれないため、これ以上逃げる場のない日本列島で意外にすみやかに共存できたのではないかと推測できます。

  古典の「国語」は孔子の興した儒教的な思想で書かれていないため孔子に嫌われ中央では無視されてきた書物だそうですが、その分古代中国のことをそのまま書いていると言われているらしいのです。とするとやはり中国大陸の最初の先住民族は水神共工を信奉するY-DNA「D」遺伝子集団で後の羌族などのチベット系民族の祖先であるという可能性が極めて高く、これなら欧米の研究者が主張している東ユーラシア中華大陸の最初の現代人類はY-DNA「D」である、という説がかなり頷けるのです。勿論「O3」漢民族の中国の政府・と研究者は一切認めないでしょうが。

  遺伝子の調査で、中国古代神話はいろいろな読み方ができることがわかり、改めてY-DNA「D」は中国古代神話で水神共工族として伝承されてきたのではないか、という推測にたどり着きました。
http://galapagojp.exblog.jp/14892434/


83. 2012年11月15日 13:32:05 : HNPlrBDYLM
要するにいまのチベットやウイグルと同じで

長江人で若い女性以外は皆殺し

長江人の若い女性は性奴隷にする

性奴隷から産まれた子供は奴隷労働させる


それでできたのが昔の白人の遺伝子をかなり残した漢民族さ


何度も王朝が代わる度に、旧王朝の人間はみんな上と同じ運命を辿る。


その結果、現在の自称漢民族は川筋毎にDNAも言葉も違う何千という民族の烏合の衆となった。


84. 恵也 2012年11月16日 11:23:43 : cdRlA.6W79UEw : XrHNpVrWe6
>>80 国内多数語である中国語を自国名で呼んだ形

満州語とやらをずいぶんいい加減な説明をするものだ。
ここでいう満州語は中国語の方言と呼ぶ程度で、それをまったく独立した言語
のごとく言い換えてる暴論だよ。

あなたも書いてるように満州族は中国を占領した時点で満州族の文化は中国
文化と融合・同化していった。
満州の方言が現代中国の標準語形成に多大な影響を与えているのは自明のこと。

>> 大野教授が日本語の祖先はタミール語と誤解する原因になりました。

あなたが書いた文章じゃなく他人のコピーをそのまま自分文章のように書く
その行為を虎の衣を借りる狐という

言語の祖先というのは科学的に証明できるものじゃなく、多くの言語が影響
しながら常に変化していくものであり「祖先」という言葉が不適切なの。

それにこの著者は遺伝子に関して、あまりにも無知なところがある。
長江文明として遺伝子を調査してるのは、その当時の支配層の遺伝子に過ぎ
ず、一般庶民の遺伝子は残っていない。

2000年前のお棺から、弾力のある遺体が見つかったという話を聞いたことが
あるがこれだけ保存状態のいいものは支配層の親族でなければ残りません。

だから長江文明の支配層の遺伝子分析というべきで、住民全体の遺伝子の傾向
とはまったく違います。
一般人の遺体は土葬で、遺骨さえバクテリアなどで分解されて土に戻ってます。

卑弥呼の遺体も直径20m〜30mほどの円墳に棺に入れられて埋葬されました
が、一緒に殉死させられた100人以上の奴隷の遺体はそのまま土葬と思われます。
ですから奴隷の遺伝子は残る可能性はない。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
死ぬと棺に入れるが墓室のようなものは無い。土をもって塚をつくる。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

>> 長江人の若い女性は性奴隷にする

ここにアンタの品格の低劣さがもろ見えだ。
南京でアメリカ領事を平手打ちして、南京の若い女性を性奴隷扱いした日本軍
伍長や強姦が趣味の天野中隊長と同じ思想がある。アンタの憧れなのかな???
相手が外交官だったから問題化したけど、一般庶民じゃ泣き寝入りだったろうね。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
日本兵が血相を変えて突進してきて、「バック、バック」と英語で叫ぶと
同時に、門まで私を押し返した。私はゆっくりと下がったが、門から追い
出される前に、その日本兵は私の頬にビンタをくれ、それから向きを変え
て同じことをリッグズ氏にやった。

われわれが同行した憲兵は、弱々しい態度ながらもその日本兵を止めよう
とした。そのうちの一人が日本語で「こいつはアメリカ人だ」あるいはそ
の種のことを言った。われわれはそれから門の外の道路に出た。

われわれがアメリカ人と聞くやいなやその兵士は激昂して「アメリカ人!」
と繰り返して叫ぶと、彼の近くにいたリッグズ氏に再度襲いかかろうとした。

憲兵らがそれを止めようとしたが、彼はリッグズ氏の衿を引き裂き、シャツ
のボタンをいくつか引きちぎった。
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano1210.html


85. 2012年11月16日 12:26:25 : HNPlrBDYLM
おまい小学生か?


満州語

1.満州族の言語。ツングース諸語の一つ。
2.旧「満州国」で使用された中国語。単に国内多数語である中国語を自国名で呼んだ形。1を「固有満洲語」として区別した。


満州語(満洲語、まんしゅうご)は、満州族が話す言語。

>ここでいう満州語は中国語の方言と呼ぶ程度で、それをまったく独立した言語
のごとく言い換えてる暴論だよ。

2が中国語の北京方言でその後中国の標準語として採用された。
中国人は満州人の言葉を中国語だと勘違いしてるだけさ。


1.の満州語は女真族が昔から使っていたツングース語で、中国人が満州を不法占拠して満州人を皆殺しにした為にすでに滅びてしまった言葉だ。


86. 恵也 2012年11月16日 13:52:45 : cdRlA.6W79UEw : Ejwdo2geXE
>>85 2が中国語の北京方言でその後中国の標準語として採用された。

馬鹿はアンタ。
方言とは共通語である標準語に対していわれる言葉で、標準語自身も
常に変化していくもの。

現在の日本の標準語だって、正確には東京の方言が主にはなってるが
同じじゃありません。

それに水戸黄門の印籠じゃあるまいし、Wikiに書いてあるから正
しいとは限らないよ。
辞書だっていい加減な説明もたくさんあることくらい理解しておきなさい。

>> 中国人は満州人の言葉を中国語だと勘違いしてるだけさ。

満州人の影響は非常に大きいけど、いまの中国の標準語とは違うでしょう。
ツングース諸語族とかシナ・チベット語族とか言っても、学者が言葉の特徴を
分類しただけの話。

学者が理解しやすいように勝手に分類したものを、あまり信用しないように。
どんな言葉でも、時代とともにすべての言葉は常に変化してるもの。

日本語だって英語の影響をすごく受けるようになって、カタカナ語ばかりに
なったでしょう。
むかしの日本人には、今使われてる日本語が理解できないのじゃないかね。

>> 満州人を皆殺しにした為にすでに滅びてしまった言葉

満州に住んでる人を皆殺しにした事件なんて聞いたことがないのだが・・・
日本が満州の撫順炭鉱で多くの人を酷使し、死んだら適当に埋めてた話は聞
いたことがあるけど皆殺しなんて出来ないと思うよ。

万人坑って聞いたことがあるかい。
殺してしまったら埋めるだけでも大変でしょう。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
『中国の旅』にある生き残り中国人や遺族、周辺住民の証言、残
された現場の状況などを先入観なしに見れば、膨大な数の中国人労工が
使い殺され、その死体の多く(場合によってはまだ死んでいない人間ま
で)がろくに土をかぶせることもなく放置された結果、現在「万人坑」
と呼ばれている白骨の堆積物が形成されたことは明白です。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/nicchuu-mannin.htm


87. 2012年11月16日 14:48:43 : HNPlrBDYLM
女真族は強制的に他地域に移動させられて野垂れ死にしたのさ。

女真族の若い女性は殺されなかったが、醜い漢民族と強制的に結婚させられて、純粋な女真族の血は絶えた。

中国が今チベットやウイグルでやっているのと同じだ。

こうして満州語は滅びた。


88. 2012年11月16日 14:52:00 : HNPlrBDYLM
中国語北京方言は方言といっても他地域の中国語方言とは全く系統が違う別言語だというのが定説だ。

お前らが使ってるのは中国人と女真族が共通語として使っていた人工語だ。


89. 恵也 2012年11月16日 19:11:30 : cdRlA.6W79UEw : b50nF80XZo
>>87 女真族は強制的に他地域に移動させられて野垂れ死

いつ頃の事件か知らないけど、女真族とは宋の時代に金という国をつくり
対抗した民族で清を起こした満州族も同一民族です(広辞苑より)
アンタの知識はあまりにも誤解と偏見に取り付かれて幼すぎるよ!

>>88 中国語北京方言は方言といっても他地域の中国語方言とは全く系統が違う別言語

アンタはロクに調べる力がないようだね。
知能程度で言えば、独断と偏見で書いたHPを丸々信じてしまう子供だろう。

俺が調べた範囲では、中国語とはシナ語派に入り、これには
大きく分けて7大方言があり北方が普通語と記されてます。

7大方言::北方(北京)、呉、閩ぴん、粤えつ、客家、湘、贛かんの方言
(広辞苑より)


90. 2012年11月16日 19:28:15 : HNPlrBDYLM

おまいが方言の意味を知らないだけ:

方言と言語との区別は必ずしも明確でない。例えば、上海語は中国語の一方言であるが、北京音を規範とする標準語との差は、別々の言語であるスペイン語とポルトガル語以上に大きい。

つまり、純粋に言語構造としての見方と、社会・国家のしたでの言語の見方が必ずしも一致していないわけである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80%E5%AD%A6

中国語の方言は、発音においてヨーロッパ各国の公用語ほどの違いがあり、さらに表意文字である漢字(書記言語)にもバリエーション(後述)が存在するため、意思疎通が困難な場合もある。しかし、同系の標準語[2]である普通話(プートンホア)があるために、一般的には方言関係にあるとされる。

例えば、中国の大陸部やシンガポールの中国語(華語)は表記に簡体字を使い、台湾、香港、マカオの中国語は繁体字を使っており、発音表記にもそれぞれラテン文字表記(ピンイン)と注音符号という別体系の文字が使われている。また、中国での「方言」とは地「方」の「母国語・言語」との意味が強く、普通話も共通語・補助語的なもので、日本語でいうところの「方言」や英語でいうところの「dialect」とはニュアンスが異なる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80

毛沢東は一時不便な漢字表記を止めて、ローマ字表記にすることを考えたという。ところがローマ字表記にしたとたん、福建語、広東語、北京語など、従来漢語の方言と言われていたものが、すべて異なる言語であることが露呈する事を知ってこの企てを放棄した。漢民族というのが幻想にすぎないことがばれるのに気付いたのである。そうすれば、統一支那政権の夢は霧散するからである。このように大陸の支配者は、漢民族とひとくくりにすることによって、より広大な領土を支配する口実ができるというメリットを考えているのに過ぎない。これはさらに中華民族という観念を発明して、言語も文化もすべて異民族であることが明白な、チベットやウィグルを支配する口実としている現状と軌を一にしている。いわば中華民族とは漢民族の拡大版である。極言すれば世界支配の口実ともなる恐ろしい概念なのである。

 支那大陸に住む大多数の住人にとって、支配者が漢民族であろうが夷敵であろうが、日々の生活の安寧が守られれば良い。そうやって長い間彼らは暮らしてきた。清朝などはその典型である。ところがその時点での王朝打倒を画策した指導層などは違う。漢民族の統一国家が必要なのだと言うのだ。単に自らが大陸の覇権をとりたいのに過ぎない。嘘ではない。清末「漢民族」の知識階級は滅満興漢を唱えて清朝打倒を計画したのがその典型である。満州族の国家、清朝を倒して漢民族の国家を樹立するのだと。確かに彼らエリートは官僚になるための漢文の試験の科挙を通っていたから漢文に精通していた。

 しかし彼らは北京語、広東語、福建語など各種の言語を話していたからお互いの言葉は全く通じない。そこで日本やアメリカで打倒清朝の革命の密談を巡らすのに、日本語や英語を使っていたというのだ。明治維新の日本で薩摩、長州、土佐の藩士は、互いの方言であっても通じる日本語で話していたというのと事情が異なるのである。漢字の恐ろしさは現在残る唯一の表意文字だという事である。あらゆる文字は元来表意文字から長い時間を経て、抽象化の過程で転化して表音文字となった。でなければ人の話す言葉を表記できないからである。日本でも漢字を輸入しながら日本語を表記するために、漢字から表音文字の仮名を発明した。漢文は意志の伝達手段であっても、話し言葉を記録する手段ではないのである。

 だがなぜ漢字が現在まで表音文字にならなかったのだろうか。それは漢字が表音文字に熟成される前に、多数の古典が漢文によって書かれたからであろうと私は推定している。それは漢字が短時間で完成して、漢文という未熟な文章作成法のままに、それまで蓄積された思想が急遽記録されたからであろう。アルファベットのように表音文字に移行する以前に、四書五経と呼ばれる立派な古典が完成してしまったのである。だから支那大陸を支配した色々な民族は、ヨーロッパにおける公正の各民族が古代ギリシア・ローマの古典を文化文明の基礎として尊重したように、四書五経を尊重したのである。

 これは漢文で書かれた古典を受け入れたのであって、漢字漢文を発明した民族の言語を受け入れたのではない。この意味で構成の大陸の支配民族は漢民族化したのではない。それはラテン語で古代ローマの文明を受け入れて発展させて栄えたヨーロッパ人は、自らのドイツ語フランス語といった言語は維持したのであって、ローマ民族化したのではないのと同じである。現代ヨーロッパ人とて古代ギリシア・ローマ人とは断絶があり、その断絶を橋渡ししたのがオスマントルコなどのイスラム系の王朝であった。元代ヨーロッパですら古代ヨーロッパとは決定的な断絶がある。その点は支那大陸においても類似している。

 漢字を発明した漢民族が滅びて後、支那大陸を支配したいろいろな民族は、漢字を発明した民族とは言語も文化も関係ないのである。漢文が発明者の漢民族の使っていた言語とは異なることは、四書五経が古典として優れている事とは別な問題である。だから後の各支配民族がこれらの古典を尊重したとしても、彼らはオリジナルの漢民族の言語を習得して漢化したのではない。それどころか、外から来た異民族が北京などに首都を構えると、周辺の住民はこれに迎合して外来民族の言語風俗を習得した。考えてみれば支配者に大多数の被支配民族が迎合するのは世の常である。

そして弱体化した外来民族を打倒するのに、すでに定住していた民族の指導者は、自らを漢民族と自称して、現在の政権打倒の正当性の根拠としたのである。外来の民族が別な民族により、革命と称して支配の立場から追放されて大陸の一角に定住したとき、漢文は尊重しても、言語は元の民族言語を維持した。それは漢文が言語表記ではないため、いくら漢文を習得しても、自らの言語体系が壊れることがないためでもある。支那大陸を支配した外来民族が定住により漢化したというのは嘘である。現に北京語や京劇、辮髪、支那服というのは、満州族のオリジナルである。これが西欧では典型的な漢民族文化とみなされていたのは滑稽でさえある。

 このようにして周辺の民族がその前の王朝を倒すたびに、各地に知識層は文章は漢文を使うが、各住民が元の民族の言語を維持する地域の分布が出来上がっていった。同様の経緯を経て、ヨーロッパにもそのような民族分布が定着していった。ヨーロッパではそれが各民族による民族国家の基礎となっていったのである。しかしヨーロッパにおけるローマの古典は、単に古典に過ぎなかった。同じアルファベットを使って、各民族の言語を表記していったから、民族の相違が言語の上でも明らかにわかる。ところが支那大陸ではその間の事情が異なった。

 それは漢字が表意文字だったから、どの民族の言語を表記することはできなかったのである。多数の言語があったにもかかわらず、支那大陸では漢字以外はわずかに、チベット文字とモンゴル文字と、それに起源を発する満洲文字があるだけだった。その他の各民族は文字表記としては漢字による漢文しかなかった。しかも漢文は言語と関係がなく、文法がなく、習得が困難だったから、漢文を使えたのはわずかな知識層だったのである。つまり漢文を使う人たちが一部にいる「漢民族」とはいえ、漢字漢文が分かるのはごく一部だったのである。つまり自らの言語とは関係のない漢字を使う事は、庶民にとって何の意味もなかったし、漢字に代わる文字もなかったから、多数の民族のほとんどの庶民は文盲であるしかなかった。

 しかしほとんどの民族には、文字といえば漢字しかなかった。この人たちを漢民族と総称したのである。そして前述のように、夷言語を話す異民族の清朝末期の革命の志士は日米で、日本語や英語を話しながら、「漢民族」の同志として革命を論じるという奇妙な光景が生まれたのである。彼らの密談の結論は、満州族を追放して漢字を使う漢民族の統一国家を作るべきだ、ということであった。彼らは漢字を使うという共通項だけで、無理やり多数の民族を束ねて、統一国家を作るということに何の疑問を感じなかったのである。表音文字のアルファベットが、民族の個性を反映することができたのに対して、表意文字の漢字は各民族の言語の個性を反映できなかったために、かえって漢民族による統一国家という幻想を生んだ。

 しかし奇跡的なことが起こった。清朝末の白話運動である。まず北京語を漢字で表記するという運動である。その後広東語でも同様な事が起きた。漢文という異様な文章体系にだけ使用可能なはずの漢字で、話し言葉に近い文章を書くことを可能にしたのである。表音文字という漢字の特性からして、これはやはり奇跡に近い。しかし異言語は異言語である。広東語と北京語では漢字の読み方が違う。同じ漢字表記でも北京語と広東語では表記方法は同一ではないが、表意文字だけあって、全く違うわけではない。

 しかし北京語と広東語では漢字の読みが違う。それは元の話し言葉が異なるからである。だから奇妙な事が起こる。つまり話し言葉を文字に書いても、同じような漢字で書かれるのに、全く異なる発音で読まれるのである。ヨーロッパの各言語は、けっこう同一の語源、たぶんラテン語などからきているため、似たような単語が多い。しかし似たようなアルファベット表記であれば似たような発音になる。しかし支那の言語では、同じ文字で別な発音がされる。

 似た単語による異言語が多いヨーロッパでは多数の民族の国民国家に発展したのに、同じ文字で違う発音がされる支那大陸は、中共という唯一の中央集権国家に統一されている。それもこれも同じ漢字を使う、漢民族という幻想を共有しているためである。ために民衆は適正規模の国民国家を持てず、強権的な古代の帝国の支配に呻吟しなければならない。それもこれも、支那大陸の地理的特性とと、漢字というまれにみる不思議な文字の共有が原因である。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub21.html


91. 2012年11月16日 19:41:46 : HNPlrBDYLM

満州人は、女真族という、旧満州のあたりから、ロシアの沿海州の方に住んでいた、民族です。

言語も、風俗もまったく違う、遊牧民族です。 日本人と漢人のように、まったくちがいます。大体、満州という言葉も、マンジュという言葉に、漢字を無理やりあてたのを、なぜか日本では使っているだけです。

清朝の皇帝は、初代ヌルハチ、次はホンタイジ その次はフリンという名前でわかる通り、満州人です。

パスパ文字は、モンゴルで使われていた文字です。

清朝では、第一公用語は満州語、第二がモンゴル語、第三が漢文です。公文書では、3つ併記してかかれました。

領土拡大は、ヌルハチ、ホンタイジ、フリンが、シナを、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時に、南モンゴル、チベット、雲南、東トルキスタンなどのトップを兼任するというかたちで、征服しました。(シナでは皇帝、モンゴルではハーン、といった感じで、それぞれの国のトップではあるが、その国の風土にあったような統治をした、ということです。)

清朝では、神聖なる満州には、漢人なんかは、立ち入り禁止の厳しいきまりがありました。

満州人はもともと人口が少なく、(遊牧民族はすくないのです。今のモンゴルをみればわかると思います。モンゴルと満州人はいろんな面でにています。)広い土地に人がいないようなところでしたが、清が崩壊する前後から満州に漢人が入り込み、満州人は移住させられたり、混血されたり、自然消滅になっていきました。(いま、チベットや、ウイグル、内蒙古も、こういう風にやるでしょう。シナ人は同じことしかしないので)

中国語というのは、最近無理やり、毛沢東の使ってた、北京語を国語にしようとしてるだけです。数百の同じ国で通じない言語の混在した国です、日本の感覚をあてはめようとしてはなりません。 清での第3公用語は、漢文です。文字だけの言語です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1253942397


92. 恵也 2012年11月16日 23:12:03 : cdRlA.6W79UEw : cmmhfDW8MU
>>90 北京音を規範とする標準語との差は、別々の言語であるスペイン語とポルトガル語以上に大きい。

アンタね北京音もスペイン語もポルトガル語も知らないで、他人の文章を
さも自分の文章のようにコピペするものじゃない。

他人の文章には著作権というものがあり、勝手にコピペすると微罪だが
著作権法違反として東京地検特捜部が飛んできて小沢一郎みたいに取り
調べされてしまうぞ。

小沢一郎は政治資金規正法違反で報告書のミスというアヤフヤ罪だけど、
アンタははっきりした著作権法違反だ。
アンタはHPの著者の了解をもらってないでしょう。


93. 2012年11月16日 23:49:38 : HNPlrBDYLM
おまいは知恵遅れ

著作権法違反はネットには適用されないというのが常識さ。

どちらにしろ中国語の方言は方言でないというのが言語年代学や比較言語学の定説さ。

なにしろ北欧3ヶ国の言葉が別れたのは17世紀だからね。 それでも別言語なのさ。


94. 2012年11月17日 07:23:44 : HNPlrBDYLM

中国人は悪い。

遠からず中国人は大陸の資源を完全に食い尽くして、日本に何億人もの難民が押し掛ける事になる。5年先か10年先かはわからないが。

海上封鎖の準備をして日本に侵入して来る中国人を全滅させる方法を考えておいた方がいい。

中国人の頭上からガソリンを撒いて火炎放射器で火を付けるのが一番簡単か。

硫酸をかけて体ごと溶かす方が良いか?

とにかく早急に日本人の知恵を集めて何としても中国人難民の日本上陸を阻止しないといけない。


95. 2012年11月17日 07:41:45 : HNPlrBDYLM

中国人は悪い。

とりあえず今日本にいる中国人を集めて、全員強制収容所に入れる事を提案したい。


96. 2012年11月17日 08:17:32 : HNPlrBDYLM

中国人用全員強制収容所は現在の中国の施設をモデルに運営するのが一番いいね:


法輪功根絶

【【大紀元日本12月15日】中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。 

瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。】

 【証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。証人:30代だったでしょう。

調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。

物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。

彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。

彼らの手はちっとも振るえず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか、と。

この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。

心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼女は美人なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。
証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。
証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。
証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。
証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは? 
証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。
証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。】
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html
 

「麻酔掛けずに直接摘出」 中国の臓器奪取、凄惨な実態が明らかに

【大紀元日本10月24日】重慶市元トップの薄煕来氏の暴力団一掃運動に立ち向かったことで1年半の懲役刑に服した北京の弁護士・李荘氏がこのほど、ミニブログ(微博)で、中国の臓器奪取の実態をさらした。

 「ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ。『重要患者に臓器移植を行う場合、臓器の鮮度を保つために、われわれは麻酔を掛けずに直接摘出するのだ』。僕は、死刑囚に対しても人道的でなければと忠告した」

 この書き込みに多くの注目が集まった。ユーザー「虎甲胡威」は、「死刑執行の前に、死刑囚から臓器を摘出し死亡させることは、もはや人道のうんぬんではなく、計画殺人だ」と指摘。また、「中国で臓器売買のピークが法輪功を弾圧した時期だ。アメリカが証拠を持っているようだ」「李弁護士はもっと情報を提供すべきだ」などとさらなる真相の解明を望む声が飛び交った。

 中国の臓器移植問題について、米国務省は5月24日に発表した2011年度人権状況報告書の中国関連部分で、メディアや人権団体から法輪功学習者の臓器が奪取され売買された報告が絶えないことに初めて言及した。また、9月12日に米議会で中国の臓器狩りについて公聴会が行われ、中国の囚人から生体臓器奪取の状況が証言された。

 さらに、中国国内では9月、これまで最大規模の不法臓器売買事件の訴訟が始まっている。解放軍病院が仲介者を通じて闇の臓器売買を行ったことが明らかになり、死刑囚の臓器提供意思書、親族臓器提供意思書など、すべて偽造されていたことも浮き彫りになった。

 闇から少しずつ、その凄惨な実態が浮かび上がっている中国の臓器狩り問題。2006年にすでにこの問題に注目し、調査報告書『戦慄の臓器狩り』を発表した著者の一人、カナダ元外務省アジア太平洋外務担当大臣のデービッド・キルガー氏は10月25日から27日の日程で来日し、会見やシンポジウムを開く予定だ。

(12/10/24 15:18)
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/10/html/d68771.html



5 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/11/09(金) 00:50:33.84 ID:LBi1ML3E

おしながき

腎臓 62,000 米ドル
肝臓 98,000-130,000 米ドル
肝臓と腎臓 160,000-180,000 米ドル
腎臓とすい臓 150,000 米ドル
肺 150,000-170,000 米ドル
心臓 130,000-160,000 米ドル
角膜 30,000 米ドル

中国国際臓器移植支援センターのウェブサイトより
(http://en.zoukiishoku.com/)(瀋陽市)

※2006 年4 月に削除される


中共は金のためなら国民すら比喩ではなく切り売りする。
中国に投資する日本の大企業も同罪、人道犯罪者
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1352389655/


中国人が世界に貢献できるのは臓器を提供する事くらいだもんね。


97. 恵也 2012年11月17日 11:38:41 : cdRlA.6W79UEw : nnKMeN5FbA
>>91 中国語というのは、最近無理やり、毛沢東の使ってた、北京語を国語にしようと

すごい思想だ。
毛沢東という革命の指導者が使ってた北京語なんて存在するのかね。
この人は湖南省の出身で中国の南部でしょう。
北京語というより毛沢東の方言としては湘という中国南部の田舎方言。

これを書いた著者はまったく中国のことを知らずに、適当に妄想を作ってる。
だいたいテレビやラジオ、新聞がある現代で、中央集権の強い中国にそんな
通じないような方言が今なを存在してるなんて信じてるのかね。

中国の国会でどんな言葉を使ってると思ってるのか脳みその中を見てみたい。
1000年位前の元の時代にでさえ、ポーランドを攻撃してたバトゥは攻撃の途中
で大ハーンが死んだので帰れという命令を守ろうとしてる。

どれだけ中国の通信網や輸送網が発達してたのかさえご存知じゃないようだ。
島国の日本のことしか知らず日本の尺度で大陸を見る程度の知能には感心する。
中国語の方言なんてアンタが考えるほど、お互いに通じないようなものじゃない。
中国の交通世界ははるかに小さいよ。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
このあともモンゴル軍が進撃を続けていれば、ヨーロッパもモンゴル帝国の一部
になったかもしれないのですが、ここで事件が起こる。オゴタイ=ハーンの急死
です。次の大ハーンを決めるためのクリルタイに参加せよ、という連絡がモンゴ
ル高原より来るんですね。

 バトゥは兵を返します。ただ、かれはモンゴル高原まで帰らず、ロシア平原に
留まってここを自分の本拠地にします。これがキプチャク=ハーン国と呼ばれ
、モンゴル帝国の一部となります。
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-42.html


98. 2012年11月17日 12:05:07 : HNPlrBDYLM

その一行だけ勘違いしてるだけだろ。

毛沢東は湖南弁しか話せなかった。

要するに湖南弁と標準語では全然通じないという事だ。

それ以外では上記は正しい。


99. 2012年11月17日 12:39:43 : HNPlrBDYLM

 言語について言えば良好な関係にあった孫文と汪兆銘は同じ広東語か客家語を話し、これと対立した蒋介石はこの時代では例外的な上海語の指導者である。

毛沢東が北京語を話さなかったから毛沢東の言葉はわからないといわれたのは有名である。袁世凱は清朝末の漢族出身の軍人である。しかし北京語を話したはずだから、康熙帝伝の言うところの満洲化した「漢民族」であろう。


つまり北京語は他地域の中国人が聞いてもわからなかったという事だね。


100. 恵也 2012年11月17日 17:54:27 : cdRlA.6W79UEw : Vuv62kM9U6
>>93 著作権法違反はネットには適用されないというのが常識さ。

冗談で言っただけ、悪かったね。
でもコピペで間に合わす癖は何とかならんものかな。
こんな事をやられたら、議論にはならず斜め読みせざるを得ないよ。

オーム真理教に顔を出したときにも、書物を50cmくらい出されて読むように
言われて斜め読みしたけど、まったく頭には入らん。
だいたいこのコピペはあなたが気に入ってるだけのものだろ。

>>96 中国国際臓器移植支援センターのウェブサイトより

この臓器の金額は事実でしょう。
共産党員の唯物史観の欠点で、死刑になった人間の臓器が役に立つという思想だ。
しかしその前の法輪講信者の話の信用性は無い。

日本では臓器移植が前向きに進められてるが、こんな科学は人類に惨禍を
もたらし原発と同じような後悔を人類にさせてしまうでしょう。

目撃者の名前や法輪講調査員の背景もわからず、小説みたいな感じがする。
しかし日本軍の行った生体解剖ではその点、証言者の名前、実行者の名前など
迫真性があります。
根深い民族差別と戦争という環境が人間を狂わせてしまったもの。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
一つは「お国」と「天皇陛下」のために戦い勝利するということが至上目的
となり、そのためにはどんなことをしても許されるように思われた、という
ことです。

石井機関で行われた細菌兵器や前線で役に立つ治療法(凍傷、ワクチン、異種
間輸血など)の研究開発、ならびに陸軍病院での「手術演習」は、「お国の
勝利のため」「天皇陛下のため」という建前によって正当化されていました。

 二つ目は、中国や朝鮮の軍事的支配は、中国や朝鮮の人々を日常的に虐待し
たり殺害することによって維持されていたので、人体実験や生体解剖による殺害
を《けっしてやってはならないこと》とする倫理的判断力が失われる傾向にあった
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~tsuchiya/vuniv99/exp-lec4.html

「私は7回にわたって・・・14人の中国人を・・・生体解剖してしまったのです」
 湯浅は、最初の生体解剖については特によく覚えている。
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/star/hoshi1.html


101. 恵也 2012年11月18日 15:16:04 : cdRlA.6W79UEw : nIaOPnLJrY
>>96 ある著名な病院の著名な心臓外科の著名な医師らが僕ににこやかに教えたんだ

最低限のルールとして著名な医師らの名前を書くのが当たり前。
「にこやかに教えたなんて医師」にはまったく反省の気持ちもないのだから
医者を殺人罪で被害者とも名前を明らかにして告訴すべきでしょう。
いくら中国でも殺人罪を受け付けないわけにはいかないよ。

それにこの証人、具体性がないんだよね。
ただの野次馬として生体解剖を見れたのかな。
普通はこんな現場は野次馬には見せないと思うぞ。

世の中には信念を持ってデマを飛ばす方がいる。
具体性を持たせるために自分しか見てないとなったら、他人の日記を改ざん
して本にして発表し、写真のコピーが現存していて改ざんが証明されたよう
な方までいます。

田中正明という南京虐殺否定派で、A級戦犯として死刑になられた松井石根
大将の側近として活躍し、松井石根大将の日記を奥さんから譲り受けたため
に日記の日付などを変えて都合がいいように本にして出し解説してます。

俺には理解できないような信念でがんばっておられたようだ。
今でもこんな人は沢山いることでしょう。
アンタも簡単にだまされないようにしときなさい。

ーーーーー引用開始ーーーーーー
見ていただけば、一目瞭然ですが、もともとの陣中日誌には、田中氏の本にある

此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京
占領軍と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレ
ーザーを招致し、然る後在上海の各国通信印と会見す。質問は主として、首都陥
落後の日本方針及パネー号に対する善後処置なり。

などという記述はありません。これについて、田中氏は既述のように
「日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)を日記本文と峻別し
なかった等、づさんな点のあったことは認めます。」
「月刊評論八三四号」
 と述べています。
 
しかし、田中氏のしたことは、ただ単に、日誌に、もともと無かった文章を
挿入しただけではありません。
 田中氏は、自分が挿入した文章に、

編者注 南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が
「南京虐殺」に関する質問を受けたという様子が全くみられない点、注目す
べきである。
 
 という、「編者注」をつけています。
田中氏のした行為が「日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)
を日記本文と峻別しなかった」などというレベルの問題ではないことがお判
りになると思います。

田中氏は、史料を改竄し、その改竄した史料をもとに、南京事件の否定を行
おうとしたと言わざるを得ません。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/7kaizan-2.htm


102. 中川隆[-6615] koaQ7Jey 2021年3月12日 10:51:21 : Re2tLVFtNs : QU15Nm1veWkyaUU=[15] 報告
尖閣諸島の歴史を徹底分析、問題はなぜ生まれたか
3/12(金)
https://news.yahoo.co.jp/articles/59a4aa5b3f2dc7bdd698660548e4c99d9bf0cb81?page=1


尖閣諸島に向け約50隻の台湾・香港の漁船がアクティビストを乗せ出航。その上空を海上自衛隊のヘリがホバリングして警告(2004年3がtう28日、写真:ロイター/アフロ)

 尖閣諸島の領有権問題を再考する。

 米国は公式には、領有権問題では特定の立場を取らないとする一貫した中立政策を堅持している。

 ところが、2021年2月23日、米国防総省のジョン・カービー(John Kirby)報道官は記者会見で、「尖閣諸島の主権に関する日本の立場を支持する」と述べた。

 だが、同報道官は26日の記者会見で、23日の記者会見での自身の発言について「訂正したい(I need to correct)。尖閣諸島の主権をめぐる米政府の方針に変わりはない」と述べ、「誤りを遺憾に思う。混乱を招いたことを謝罪する」と述べた。

 わが国の各種メディアは、この奇妙な出来事にあまり関心を示さなかったが、筆者は大いに興味を持った。

 ジョン・カービー報道官は退役海軍少将であり、また過去に国防総省報道官や国務省報道官を務めた広報分野の大ベテランである。

 かつて、ジョン・ケリー国務長官(当時)は、退役後のカービー氏を国務省報道官に登用するにあたり「『非の打ち所のない判断力』や、メディアを完全に理解していることが起用の理由であると説明した」(産経ニュース2015.5.14)ことがある。

 筆者は、優秀かつ経験豊富なカービー報道官は言い間違ったのではなく、本心をつい口にしたのであると見ている。

 なぜなら、かつて沖縄を占領・統治した米国政府、とりわけ米軍人は尖閣諸島が日本の領土であることを百も承知であるからである。

 筆者は、カービー報道官が過去に第7艦隊または在日米軍司令部勤務がないか調べたが確認できなかった。

 本稿の目的は、米国による沖縄の占領・統治・返還に関する情報資料に基づき、尖閣諸島が日本固有の領土であることを再確認することである。

 以下、初めにカービー報道官の記者会見における発言内容について述べ、次に、米国が占領・統治・返還した沖縄の範囲などについて述べる。

 最後に、米国の領土問題に関する中立政策の背景について述べる。

■ 1.カービー会見における発言内容

 (1)カービー報道官の発言内容

 以下は、米国防総省ホームページのトランスクリプトを筆者が仮訳したものである。

 記者会見の終盤になり記者から、「中国海警局の船が日本の領海に侵入していることを報道官はどの程度懸念しているのか。また、これについて日本側とどのような話し合いをしているのか」という質問があった。

 これに対してカービー報道官は次のように述べた。

 「その事件に関して、日本側と話し合っていない。 大小を問わず、すべての国が主権を確保し、抑圧から解放され、一般に認められている規則や規範に従って、経済成長を追求できるべきである」

 「国防総省は、米国、同盟国、パートナー、さらには中華人民共和国でさえ大きな利益を享受しているルールに基づく自由で開かれた国際秩序を擁護することに尽力している。ところが、北京は、自らの行動により自らの利益を損なっている」

 そのあとイラン問題に関する質疑応答あったが省略する。

 次に、カービー報道官自ら次のような発言をした。

 「我々は、国防戦略を実行する際に、中華人民共和国が提起する戦略的課題に対処するための措置を引き続き講じる」

 「これには、軍の近代化、同盟国とのパートナーシップの強化、相互接続されたセキュリティパートナーシップの促進による我々の利益の促進が含まれる」

 次に、記者が「国防総省は、中国の船舶の行動を挑発的なものと見なしているか」と質問をした。

 この質問に対して、カービー報道官は、「中国は国際ルールを無視し続けており、我々はこの活動に関する懸念を非常に明確にした。我々はインド太平洋におけるルールに基づく秩序を強化し、そして、公海が公海であることを明確にするために同盟国やパートナーとの協力を継続する」と答えた。

 その答えに続けて次のように述べた。

 「私はあなたの前の質問に十分に答えていなかったように感じるので、もう一度主張させてください。つまり、我々は明らかに尖閣諸島と尖閣諸島の主権について国際社会と同意見である」

 「また、我々はその主権について明らかに日本を支持している。 そして、我々は中国に、沿岸警備隊の船を使って、誤算や潜在的な物理的危害につながる可能性のある行動を避けるように強く要請している」

 それから数日が過ぎた2月26日の記者会見で、同報道官は「23日の記者会見での自身の発言について訂正」した。

 「尖閣諸島を含む安全保障条約第5条に基づく日本防衛への米国のコミットメントは揺るぎないものである。 米国は、現状を変えようとする一方的な行動に反対している。さらに米国の政策について議論したいのであれば、国務省の同僚を紹介したい」


 (2)筆者のコメント

 カービー報道官は、記者から誘導されるわけでなく、自ら「尖閣諸島の領有権について日本を支持する」と述べたのである。

 また、2月26日の記者会見で、「さらに米国の政策について議論したいのであれば、国務省の同僚を紹介したい」という発言は、尖閣諸島を含み日本を防衛するとしているにもかかわらず、尖閣諸島は日本の領土であると認めない米国の政策について自分は説明できないので、国務省の専門家を連れてくるという主旨であろう。

 それほど、尖閣諸島を巡る米国の領有権問題に関する中立政策は奇妙・不可解なものであるということである。

 以上のことから2つのことが推測される。

 一つは、既述したが、カービー報道官は言い間違ったのではなく、本心をつい口にしたのである。

 もう一つは、米国が領有権問題では中立政策をとっていることが、一般にはよく知られていないということである。

 つまり、国務省の一部の外交官はよく知っているが、その他の政府職員や国民には知られていないということである。

 逆に、多くの米国民は、尖閣諸島の領有権は日本が持っていると思っているのではないだろうか。

 その傍証として、2013年8月に来日した共和党のジョン・マケイン(John McCain)上院議員は、「尖閣諸島に対する日本の主権は明確だ。この点は論議の対象とされるべきではないと語り、日本の立場を全面的に支持する考えを示した」(朝日新聞デジタル2013年8月22日)。

 米国民からその存在を最も愛された政治家の一人と言われた故ジョン・マケイン氏の日本の立場を支持するという誠に日本人に勇気を与える言葉である。

■ 2.米国が占領・統治・返還した沖縄

 (1)米国(軍)の沖縄占領・統治・返還の軌跡

 (1)1945年3月26日、米軍、慶良間諸島に上陸。同日、太平洋艦隊司令長官・太平洋区域司令官兼米国軍占領下の南西諸島およびその近海の軍政府総長チェスター・ニミッツ(Chester Nimitz)米海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第1号(いわゆるニミッツ布告)を公布し、日本の行政権と司法権の停止を通告。

 (2)4月1日、米軍、沖縄本島に上陸。同日、米国海軍軍政府布告第2号を交付し、読谷村比謝に琉球軍政府(Ryukyu Military Government)を設立。

 (3)6月23日、沖縄守備第32軍司令官牛島満大将と参謀長長勇中将は自決し、日本軍の組織抵抗は終焉。

 (4)8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾し、9月2日に日本側と連合国側代表が米艦船ミズーリ艦上で降伏文書に調印。

 (5)9月7日、沖縄では、南西諸島の全日本軍を代表して、宮古島から第28師団(豊部隊)の納見敏郎中将らが参列し、米軍に対して琉球列島の全日本軍は無条件降伏を受け入れる旨を記した降伏文書に署名。

 これに対し、米軍を代表して第10軍司令官ジョーゼフ・スティルウェル(Joseph Stilwell)大将が日本軍の降伏を受諾・署名し、沖縄戦は公式に終結した。

 (6)1946年7月1日、琉球軍政府の権限が海軍から陸軍へ委譲。

 (7)1950年12月15日、琉球軍政府に代わり、沖縄の長期的統治のために琉球列島米国民政府(USCAR : United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)が設立された。同政府は、沖縄の本土復帰の前日に閉庁した。

 (8)1951年9月8日、「サンフランシスコ平和条約」および「日米安全保障条約」の調印。

 (9)1952年2月29日、USCAR布告第68号(琉球政府章典)において、施政下に置く琉球列島の範囲が緯度経度で明示された。詳細は次項で述べる。

 (10)1952年4月28日、「サンフランシスコ平和条約」が発効され、日本は主権を回復したが、同条約第3条の規定により沖縄は引き続き米国の施政権下に置かれた。

 (11)1971年6月17日、沖縄返還協定の署名。

 (12)1972年5月15日、沖縄返還協定が発効し、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が米国から日本に返還された。

 (2)米国が統治・返還した沖縄の範囲

 本項は、内閣官房ホームページ「米国の施政下の尖閣諸島」を参考にしている。

 1952年2月29日、琉球列島米国民政府(USCAR)布告第68号(琉球政府章典)において、施政下に置く琉球列島の範囲が緯度経度(北緯28度・東経124度40分、北緯24度・東経122度、北緯24度・東経133度、北緯27度・東経131度50分、北緯27度・東経18度18分及び北緯28度 128度18分)で明示された。

 これを図示したのが下図(図1)の(2)の部分である。その範囲の中には、尖閣諸島が含まれており、尖閣諸島は一貫して南西諸島の一部に位置付けられている。

 また、1951年9月に署名され、1952年4月に発効した「サンフランシスコ平和条約」において尖閣諸島は日本が放棄した領土には含まれず、日本の南西諸島の一部として米国の施政下に置かれた。

 当時、中国はそれらの措置に一切異議を唱えておらず、逆に中国共産党の機関紙や中国の地図の中で、日本の領土として扱われてきた。

 また、1972年に発効した「沖縄返還協定」で規定された返還範囲も図1の範囲と全く同じである。

 図1:USCARの布告等で示された琉球列島の範囲

 (3)尖閣諸島の射爆撃演習場

 本項アおよびイ号は、内閣官房ホームページ「尖閣諸島 研究・解説サイト」を参考にしている。

 ア.射爆撃演習場の指定

 尖閣諸島には、米軍がその管理下に置く射爆撃演習場が2箇所存在する。久場島の「黄尾嶼射爆撃場(Kobi Sho Range)」、大正島の「赤尾嶼射爆撃場(Sekibi Sho Range)」である。

 射爆撃演習場に指定された場所は、漁業者による出漁が禁止された。

 2017年度までの資料調査(注1)では、遅くとも1948年には久場島が射爆演習場として指定され、その旨が米国軍政府から下部の行政機構にあたる沖縄民政府に同年4月9日付で通達されていたことを示す資料が確認されている。

 2018年度の資料調査では、米国軍政府が沖縄民政府に対して出漁禁止区域を告知したこと、またそれを沖縄民政府が漁業関係者に通達していたことを示す同年4月22日付の資料が確認されている。

 戦後、沖縄を統治することになった米国(軍)が注目したのは、尖閣諸島の軍事訓練場としての有用性であった。

 なお、1978年6月以降、久場島、大正島とも射爆撃場の使用についての通告は行われていない。久場島、大正島の位置は下図(図2)のとおりである。

 図2 尖閣諸島の地図

 (注1)資料調査とは、政府の委託事業の下で有識者の助言を得て、調査・収集および作成したものである。しかし、その内容は政府の見解を表すものではないとの但し書きが付いている。

 イ.米軍と久場島所有者との軍用地契約

 米軍の射爆撃演習場として指定された久場島は、古賀善次氏が所有する私有地であった。米軍は、琉球政府を介し、同島を軍用地として借り上げる賃借契約を古賀善次氏と締結した。

 資料調査では、この契約に関する1958年から1970年までの資料を確認した。米国(米軍)が久場島、大正島を施政下に置いていたこと、戦前からの制度や財産を戦後も認めていたことが確認できる。

 ウ.射爆撃場に関する国会答弁

 この2つの島は、1972年5月15日に、沖縄の施政権が米国から日本に返還されると同時に、日米合同委員会合意により日米安全保障条約と日米地位協定に基づく施設提供のスキームに切り替えられ、継続して米軍が使用するものとされた。

 しかし、既述したが1978年6月以降、久場島、大正島とも射爆撃場として使用されていない。

 日米地位協定で、米軍に提供された施設で使用の必要がなくなったものは返還されることになっている。

 この点を踏まえて沖縄選出の照屋寛徳衆議院議員は内閣総理大臣宛の「米軍訓練制限水域及び射爆撃場の返還に関する質問主意書(2010年10月1日提出)」で、政府の認識を質した。

 政府からの答弁は以下の通りである。

 「黄尾嶼射爆撃場については空対地射爆撃訓練、赤尾嶼射爆撃場については艦対地射撃及び空対地射爆撃訓練を使用目的として使用しているものと認識している」

 「なお、米軍は、かかる使用目的により提供水域及び指定水域を使用する場合、米側から防衛省に対し当該水域の使用期間等について事前に通告がある」

 「指定水域及び指定空域の在り方(返還等)については、米軍の必要性等を勘案しつつ、随時、日米合同委員会の枠組みを通じ、米国と協議してきている」

 「今後とも、日米合同委員会の枠組みの中で、個々の水域及び空域の実情を踏まえながら適切に対応していく考えである」

 すなわち、両射爆撃場に対する当時および現在の政府の認識は、「米側から返還の意向は示されておらず、引き続き米軍による使用に供することが必要な施設および区域である」と認識しているというものである。

 (4)筆者のコメント

 いくら米国(軍)でも、1948年当時、尖閣諸島が台湾または中国の領土であると認識していたならば射爆場を尖閣諸島に設置することはなかったであろう。

 すなわち、当時、米国(軍)は、尖閣諸島が日本の領土であると認識していたのであろう。

 では、なぜ米国(軍)は1978年6月以降、射爆撃場を使用していないのであろうか。考えられる理由は、1978年当時の米国および日本の対中融和政策である。

 1971年のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(当時)の中国訪問から始まった米中国交回復の動きは、1972年2月のリチャード・ニクソン大統領の訪中による米中共同声明、1979年1月1日のジミー・カーター大統領とケ小平国家主席との間の交渉によって、米中国交正常化が合意された。

 一方、日本は、1972年9月田中角栄首相が訪中し、周恩来首相との間で日中共同声明に調印し、日中国交正常化が合意された。

 その後、平和友好条約交渉が行われ、1978年8月12日、日中平和友好条約が調印された。1978年10月に国会の衆参両院で共に圧倒的多数で批准され、同年10月22日にケ小平氏が来日した。

 さて、筆者の提案であるが、1978年当時と現在の米中関係および日中関係は大きく異なる。そこで、政府は、米軍に尖閣諸島を射爆撃場として使用させるのである。

 できうる限り黄尾嶼射爆撃場および赤尾嶼射爆撃場を日米共同利用施設とし、自衛隊も利用するのである。

 そうすれば尖閣諸島が日本固有の領土であることを世界にアピールすることができる。政府には是非知恵を絞ってこれを実現させてもらいたい。

■ 3.米国の中立政策の背景

 本項は、官邸ホームページ「パンフレット-尖閣」および外務省ホームページ「尖閣諸島について2015年3月」を参照にしている。

 1960年代の終わり頃になると、尖閣諸島への台湾人の不法入域が問題となり、琉球列島米国民政府(USCAR)と協議の上で琉球政府は取締を行った。

 この頃、尖閣諸島をめぐる情勢に変化が生じた。

 その変化は、沖縄返還が現実化するに伴い顕著になってきた。それまで、尖閣諸島の領有を主張したことのなかった中国、台湾が、突如として領有権を主張しはじめたのである。

 また、1969年5月、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の調査報告書が公表され、「石油および天然ガス埋蔵の可能性が最も大きいのは台湾の北東20万平方キロに及ぶ地域である。台湾と日本との間にある大陸棚は世界で最も豊富な油田の一つとなる可能性が大きい」と指摘された。

 ちなみに、1970年7月に台湾は米国のパシフィック・ガルフ社に周辺海域の大陸棚探査権を与えた。しかし、1971年4月パシフィック・ガルフ社は米国務省の意見で撤退した。

 以上のことから、中国および台湾が尖閣諸島に関する独自の主張を始めた要因については2つの見解がある。

 一つは、国連機関による調査の結果、東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からであるとする見解。

 もう一つは、尖閣諸島を含む沖縄が日本に返還されることになった沖縄返還にあるとする見解である。

 例えば、台湾の漁民は、尖閣諸島が米国の施政権下に置かれた時代にも尖閣諸島の周辺海域に自由に操業できたが、尖閣諸島の施政権が日本に返還されると、漁場取り締まりが厳しくなることを恐れていたと言われる。

 いずれにしても、台湾の中華民国政府は1971年6月11日、外交部声明(注2)を通じて尖閣諸島の領有を主張した。

 その半年後1971年12月30日、中華人民共和国外交部は、尖閣諸島は「台湾の付属島嶼である。これらの島嶼は、台湾と同様に、昔から中国の不可分の領土の一部」であるとする声明(注3)を発表したのである。

 一方、米国の領有権問題に関する中立政策の契機となったのも沖縄返還である。

 沖縄返還協定の署名が行われた1971年6月17日、米国務省のチャールズ・ブレイ(Charles Bray)報道官は、記者会見において次のように述べた。

 「米国政府は、尖閣列島の主権について中華民国政府(Governments of the Republic of China)と日本との間に対立があることを承知している。米国はこれらの島々の施政権を日本に返還することは、中華民国の根元的な主張をそこなうものではないと信ずる」

 「米国は、日本が従前から同島に対して持っていた法的権利を増大することもできないし、中華民国の権利を縮小することもできない」

 米国は、その後も折に触れて、尖閣諸島の領有権については、最終的に判断する立場にはなく、領有権をめぐる対立が存在するならば、関係当事者間の平和的な解決を期待するとの中立的な立場を示している。

 なぜ、米国は中立政策を採用したのかについて次の2つの見方がある。

 一つは、1971年6月の沖縄返還協定締結の時期に、台湾および中国が尖閣諸島の領有権を主張した。台湾はその頃まで、米国の同盟国であった。

 また、同年7月にはニクソン大統領の訪中が発表された。そのための折衝が、水面下でキッシンジャー補佐官によって行われていた。

 よって、米国は、台湾および中国の主張に配慮し、曖昧な姿勢をとったのであるとする見方である。

 もう一つは、米国の「中立政策」が、紛争の火種を残すための意図的なものであったとする見方である。したたかな米国の外交政策は、いかなる時も自国の国益を最大限確保するための方策を講じると言われる。

 この見方の傍証に「ダレスの恫喝」がある。

 ダレスの恫喝とは1956年8月に重光葵外相とジョン・フォスター・ダレス米国務長官が会談した際、ダレスは沖縄返還の条件として「北方四島の一括返還」をソ連に求めるように重光に迫った。

 東西冷戦下で、領土問題が進展して日ソが接近することを米国は強く警戒していたのである。

 日ソ共同宣言には条約締結後に歯舞、色丹の二島を引き渡すと明記されている。しかし当時、「ダレスの恫喝」によって日本政府は「四島一括返還」を急遽主張し始めたために、平和条約の締結交渉は頓挫して、領土問題も積み残されたのである。

 (注2)1971年6月 台湾外交部声明(抜粋)

 ・・・同列嶼は台湾省に付属して、中華民国領土の一部分を構成しているものであり、地理位置、地質構造、歴史連携ならびに台湾省住民の長期にわたる継続的使用の理由に基づき、すでに中華民国と密接につながっており・・・米国が管理を終結したときは、中華民国に返還すべきである。

 (注3)1971年12月 中国外交部声明(抜粋)

 ・・・この協定(沖縄返還協定)の中で、米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に組み入れている。これは,中国の領土と主権に対するおおっぴらな侵犯である。・・・釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に,これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球、つまり今の沖縄に属するものではなくて、中国の台湾の付属島嶼であった。

 ・・・日本政府は中日甲午戦争(日清戦争)を通じて,これらの島嶼をかすめとり…「台湾とそのすべての付属島嶼」および澎湖列島の割譲という不平等条約-「馬関条約」に調印させた。


■ おわりに

 日本政府は、「尖閣に安保条約第5条(防衛義務)が適応される」との米政府の公式見解に満足しているのであろうか。

 政府は、米政府に対して、日本の尖閣諸島の領有権を認めるよう働きかけているのであろうか。

 筆者は、今が好機であると考える。米国は対立する中国に配慮する必要は全くない。また、中国から恫喝を受けている台湾は米国に配慮しなければならない立場にある。

 元々、台湾にとっては、領有権より漁業権の問題が切実な問題であった。日台の漁業権交渉が解決してから返還要求は沈静化したと言われる。

 そこで、日本政府要人などは米国のカウンターパートに対して、歴史的にも、国際法的にも日本の領土である尖閣諸島の領有権を認めるよう直接働きかけるべきである。

 元外交官の宮家邦彦氏は「交渉とは言論による格闘技ですから、物理的腕力の強い奴が常にに勝つ訳ではありません。論理的腕力さえあれば、勝つチャンスは大いに高まるといえるでしょう」(『ハイブリッド外交官の仕事術』PHP文庫)と述べている。

 政府および外交当局者の論理的腕力に期待したい。


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