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セキュラリズム 刹那の現世主義 後編
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投稿者 あやみ 日時 2014 年 3 月 15 日 04:00:16: oZZpvrAh64sJM
 

つれづればな
「セキュラリズム―現世主義」というものについて、今回はその後編である。

端的にいえばこの世の事象の価値判断から「信仰」に由来する精神を排除し、信仰は信仰で別の場所に安置するが互いに決して干渉しないという主義主張である。
これは世界の殆どの国で政策として執られていること、その上でいちばん影響を持つのが「教育」の分野であること、そしてセキュラリズムは世代が進むに連れ教育によって濃縮されてゆくことを前編で述べた。
忘れてはならないのは、セキュラリズムは決して「無神論」でないことである。神は存在するとした上で「神との別居」そして「神の陳腐化」をその目的とする。

厄介なことにセキュラリズムは自覚症状のない病によく似ている。「あなたは病んでいる」と説いたとしても当人が認めないことには治療の余地がなく、しかも当人は至って元気に生きてゆける。しかしそれは社会全体を確実に蝕み壊死へと導く。ではその過程を書いてみるとする。セキュラリズムが浸透した社会とそこに生きる人々はどうなるか。

第一に、理論で整理された判断にのみ理解を示す。数式や統計に表すことができ、さらにそこから予測可能な事象つまり「目に見えるもの」はその存在と価値を認めることができるが、そうでないものには口先で敬意を表することはあっても認めはせず、精神論、感情論などと名づけて価値判断の対象から外す。


第二に、凡そ数量による裏付けがあるものを価値として認め信用することができる。物を価格で評価し、職業を収入でえらび、学歴とは獲得した点数の総量、学校は偏差値と倍率、刑罰は量、保障は額、世相を指数化し、企業を実績で格付けし、多くの著作が流通していれば知識人と認め、多数の受賞があれば権威と呼び、多額の寄付があれば篤志家となる。得票が多ければ与党になる。
つまり、価値を比較検討するためには数量で具体化することが必要となった。言い方を変えれば数値に遮られ内容を見なくなった。

安全、信用、そういった一見して価値の置き所が心の中にありそうなものも例外ではない。たとえば建設現場や工場で取られている安全対策は人の命の尊さや後に残される家族を思ってのことではない。信用を失うことでこうむる損益や支払うべき賠償と安全管理への投資の比較(=損得勘定)である。補償制度が整った先進国ほど作業場の安全への投資が余儀なくされ、それは信用の指標として商品の単価に跳ね返る。逆に途上国では労働者に泣き寝入りを強いることで安価な製品を製造できる。だから先進国は途上国で製造したものを輸入する。が、資源の輸入にしろ、現地生産にしろ、「投資」の一言が先進国による途上国からの搾取に正当性を与えている。途上国の産業がどのような環境下にあるかを見て見ぬ振りをせざるを得なくなる。おなじ搾取を国内の移民に、被差別集団に、後ろ盾のない弱者たちに強いるようになる。が、いつのまにか自らも搾取される側に置かれることになる。

第三に、理論と数量により生まれた信用や価値というものに一人歩きを許し、それを「権威」や「知名度」に成長させてしまう。人はこれに出くわすことで事象の吟味を怠る。思考停止状態のまま社会との関係を続ける。多くの人々の皮膚感覚がここで麻痺を起こす。こうなれば内容は置き去りで権威と知名度だけを追いかけさえすれれば価値にも信用にも接することができる。その指針としての貨幣が活躍し、科学者、知識人、企業、報道、教育という権威の売り手と、買い手である民衆の双方がひたすら市場を膨らませ続ける。しかしそれは貨幣を注ぎ込み、高く売り、高く買わされ、負債を抱え、日々の糧のためとは別の無意味な労働に日の殆どを費やし、頭を悩ませ、気づけば精も魂も尽き果てることを意味する。

教会による民衆支配が暗黒時代と呼ばれた「中世」の全景ならば、西洋による非西洋への侵略と搾取はモダンつまり「近代」そのものといえる。そしてその後に来るポストモダンすなわち「現代」もやはり権威による民衆への侵略と搾取である。中世の、王権とともにあったキリスト教会が民衆の財産と精魂を吸う吸血鬼であったあの時代の相似形がいま世界中で再現されている。違うのはキリスト教が理論に、司祭が科学者やマスコミに、そして神が貨幣に取って代わったことである。アフリカなどの特定の地域ではいまだに中世と何ら変わらぬ暴力支配が続き、剥き出しの武力を行使できない国ではイデオロギーや経済の支配が繰り広げられている。

そうした歴史を現世に輪廻させるのがセキュラリズムである。


第四に、搾取を受ける側に落ち、現代生活に精魂尽き果て疲弊しても人々はそれを認めたがらない。認めることで現世すなわち人生の価値が木っ端微塵に打ち砕かれるからである。そこで自らが信じてきた合理主義や物質主義をさらに援護し実践する羽目になり、同時に自らを癒してくれる何かに縋りつく。しかし来世とは別居したため現世しか意識できず、現世の幸福を実現してくれそうな何かを見出してそれに頼らざるを得なくなる。金品、娯楽、快楽、人間関係、表現、主張、いろいろあるが結局それらが行き着くのが「自由」の言葉である。しかし現代、人の思考と行動を羽交い絞めにするものこそこの「自由」である。

「不自由」がなければ「自由」などは存在しない。そして不自由は権威や権力を背景にした制度によって人が好きなだけ作り出せるものである。つまり民衆が自由を意識するにはそれに先立って不自由の製造がなされなければならない。ならば権力者は不自由の匙加減をする。時に不自由で束縛し、また時に自由を押し付けて懐柔し、慣れた頃にそれを剥奪して恫喝し、そういった支配は古代も中世も今も変わらない。民衆がいくら自由を連呼したところでその敵である権威が存在する間は不自由は消えうせず、況や権威に益々の権威を与え不自由を肥大させることとなる。

自由の追求が可能な領域の限界線とされている「法」と「倫理」はいずれもキリスト教社会のセキュラリストたちによって確定された。この線は越えられないが、この線は彼らの都合で描き換えることが出来る。

第五に、セキュラリズムの出発点はキリスト教会の暴力からの開放でありそこから「近代的自由」が生まれた。しかしこれは最終的に世界の権威と権力が集中する場所つまりキリスト教社会にのみ寄与する思想であり、世界の人々は自由を求めることで知らぬ間にここに貢献させられる。


日本はキリスト教国ではない。しかし憲法と軍と経済と教育を国内外のセキュラリストによって設計された国である。よって我が国の富と生気がキリスト教社会に吸い上げられているのは至極当然の避けられぬ事態である。この受け入れがたい状況が闊歩するのは日本にセキュラリズムがいかに深く染み込んだかをよく表している。

理不尽きわまる政治と社会に異論を唱え立ち上がる人々は必ず19世紀の思想家の名を掲げて、あるいはフランス革命や自由民権運動、日本国憲法の精神を引き合いに出し「本当の民主主義を」、「本当の自由を」求めて熱く語る。しかしそのようなものは決して存在しないことに気づかない。民主主義も自由も所詮はキリスト教社会の発明品であり、世界をその権力下に置くために異常なまでに美化された道具に過ぎないことに目を向けない。民主主義とは、自由とは何かという不毛な議論に時を奪われ上に掲げた五つの悲劇を繰り返す。そして来世への旅支度は手付かずのまま現世での時を終える。

アラブの春、グローバル化、フクシマ、少子化、そのほか題名をつけられない社会悲劇のどれもがセキュラリズムなくしては起こりえない欺瞞と非道である。現世での時をこのように使い果たすのが悲しく虚しいと思わない、あるいは思いながらも仕方なしと受け入れて本当の自由とやらを求め続けてしまうのがセキュラリズムである。

本論は科学と理論を否定するものではない。科学と理論を神への冒涜として迫害した中世に戻ろうという考えは毛頭ない。ただ現世に近視眼的になってはならない、そう申し上げるものである。科学にせよ理論にせよ、これらは現世で隣人に非道を働かないための智慧と捉えるべきである。そこに根拠を持つ民主主義などの政治手法はただの選択肢であり崇高なものではない。そして科学者、識者は物事の摂理を図式と論文で表現することを生業としているだけであり、彼らに万物の創造主であるかの如き権威を決して与えてはならない。
セキュラリズムの罪悪はまず科学と理論を神の替わりに神聖視させたこと、そこで生まれた権威を頂点とする支配構造を創り民衆をそこに縛りつけたこと、民衆に「自由」という得体の知れないよろこびを与え現世での時と来世への畏れを奪ったことにある。

分身の術を使い、筋斗雲を駆って飛び回る孫悟空はこの世に敵なしと思い上がり神になろうとした。「悟空よ、それほどならば我が掌から逃れてみよ」と言う釈迦に、一尺ほどの手のひらから逃れるなどとは笑止、俺様の一飛びは十万八千里、この世の果てまで駆けて見せようと息巻いた。そして幾日かとび続け、この世の果てと思われる五本の柱の立つ処へと辿り着くと、その根元に「斉天大聖」の名を書き見参の証をのこして後を戻る。やれ百万里、二百万里を駆け抜けたと豪語する悟空だが、じつは釈迦の掌の上をぐるりと周っただけであった。
孫悟空は驕り高ぶる人の子を、悟空が証拠にと名を書き残したことは弁証法や因果律をそれぞれたとえ、「釈迦の掌」とは数量と理屈が価値を裏付ける現世そのものを暗示している。その外を包む無限の来世があり、そこでは現世の法など毛ほどの重さもないことを知らなかったからこそ悟空は傍若無人な振る舞いができたのであろう。

日本の中で信仰の話をするのは極めて難しい。それだけ日本はセキュラリズムに侵されているといっていい。まがりなりにも神の存在を認めてきた西洋のほうがセキュラリズムからの脱却の余地があるのかもしれない。日本の場合は前編に記したように来世や神に関わる多くの霊的な概念を皇室神道に結び付けて玉砕した経緯があり、人々は「神」を否定をしないまでもそれを「自然」や「宇宙」と呼んでみたり、「心のよりどころ」などと定義してみたり、また地球外生命体に人類の救済を求めてみたり、とにかく直接認めたがらない。そこには歴史上で宗教戦争を繰り返してきた一神教に対する抵抗、暴利をむさぼる宗教団体への嫌悪、複雑になりすぎ解釈不可となった仏教からの逃避などさまざまな影響が垣間見れるが、いずれにしてもセキュラリズムが現世の周りに築いた塀があまりに高く、日本が「神」を直に見つめることが出来なくなったことに負う。我々がその塀の中でいくつもの手製の神を弄んでいることにもう気づかねばならない。

現世の中に閉じこもっていたのではその現世すら見えなくなるだろう。井の中の蛙が井戸とは何かを知らないのと同様、孫悟空が釈迦の掌の上を得意に駆け回っていたのと同様である。
生きているうちに現世から出ることは無理だが、現世のしがらみから意識を解き放ち現世を見つめなおすことは可能である。

生を受けて魂が宿ったその肉体が朽ちるまでの数十年の時、それが人ひとりにとっての現世である。国家が興り滅びるまでの一時代、それが一つの国の現世である。人が人としての営みを始めやがて地上から消滅するまでの間、それが人類のための現世である。ビッグバンに始まる時空の拡張が終結し、そしてもとの一点に再び集束するまでの時間、それが宇宙の現世である。つまり、意識が肉体や国や地球という媒体に宿ることで生まれる時を現世といい、その媒体が滅びるとともに必ず終わる刹那なるものである。現世での時を終えた人の魂は来世に迎えられ、来世での行き先が天国か地獄かは現世での行いが秤にかけられ裁かれる―多くの信仰で説かれるこのことを拒むかぎり、時が尽き果てるまでセキュラリズムに操られ続ける。セキュラリズムの語源saeculumの原義はやはり「時間」である。そして来世、そこでは時は流れない。日本の先祖はそれを常世(とこよ)と呼んで知っていた。時の流れがないことは「永遠」を意味する。

大海への通い路を絶たれた入り江の如く、来世から切り離された現世は淀み、穢れ、毒を放つ。その毒が時につれ濃さを増しこの酷すぎる現代に至った。
これはひとえに「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ」として現世の善悪を現世の法で裁いてきたセキュラリズムの結果である。現世に生まれた事象の善悪の判断を、同じく現世生まれの科学と理論に頼っていては遠からず己の毒に毒されることになる。カエサルのものは神に還されなければならない。

参照

「自由」について  自由非自在 じゆうはじざいにあらずhttp://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/215.html
          自在非自由 じざいはじゆうにあらずhttp://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/222.html
「信仰」について  キライなことば―「信じる」http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/448.html
「時間」について  とき、とこ、ところhttp://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/401.html  

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コメント
 
01. 2014年3月15日 05:07:14 : GN0Rn2xKsk
あやみ さん

安芸ガラスです。

記述に共感します。

社会の豊かさ(富)はどこからくるのか?と設問します。
自然からきます。
感じること、ミカンやザクロのように目に見える有形のもの(色)と、感じることができないし、目に見えない無形(空)があります。


02. 2014年3月15日 10:24:58 : GN0Rn2xKsk
あやみ さん

安芸ガラスです。

目には見えない、感じませんけれど、人間と自然と社会のあいだへの生命の自由な交流ですよね。


03. 2014年3月15日 13:47:56 : GN0Rn2xKsk
あやみ さん

安芸ガラスです。

>日本はキリスト教国ではない。しかし憲法と軍と経済と教育を国内外のセキュラリストによって設計された国である。

私は大字(おおあざ)に住んでいます。
大字にくる地名は世界市場に再編される前の村(むら)のでした。
去年、むかし入会地だった森も伐採され太陽電池パネルが並んでおります。
この地は世界市場の地方になっていますので私たち住民は伐採された森と小川で水と薪と肥料管理の普請をすることはありません。
ですから村請けの廃止と森の伐採で地租改正を同時に体験をしたような気分になりました。
村の元名主の土地では重機が建屋を組み立てております。
村請けの負担から解放された元名主は、明治に入りこれまでの剰余と県からの補助金で株式会社組織を立ち上げ、これがこんにちまでつづいております。
この村には祠・神社があります。
村は1村1社に抵抗し、いま神社が残っています。

さて、ここからが本題です。
敗戦後、「国家神道」と云われる神社は「解体」されました。
私の村の神社も「国家神道」に組み込まれていましたが、敗戦後、住民が宗教法人を作り、神社を継承し祠は元の場所に再建をしました。
神社の用地を借りて自治会館を建ております。
自治会は神社に地代を払い、住民は神社の管理と祭りのために氏子として神社に年会費を払っております。
この年会費から天皇の宗教的行為のために神社本庁に支払っております。
天皇の国事行為は日本国憲法に明記されています。
しかし、憲法によって排除された天皇の宗教的行為をお金で担保することを、私たち住民は意識することなく行なっております。
されに初もうでと称して天皇の宗教的行為を補完しております。

日本はあやみ さんの指摘通り「憲法と軍と経済と教育を国内外のセキュラリストによって設計された国である」と思います。


04. 2014年3月15日 22:24:06 : zsNpj2MqKw
>時が尽き果てるまでセキュラリズムに操られ続ける。

地球の歴史上幾多の生物が支配者として登場し滅亡していった。若い時私は人類だけは特別な存在で地球から出て宇宙の果てまで進出できる能力を持っていると思っていた。しかし人類も恐竜などと同じ歴史を繰り返すのでしょう。やがてセキュラリズムに操られ続け朽ち果てていく。セキュラリズムは生物のDNAに組み込まれている構造なのかも知れない。だから銀河系に数千億の星があり、おそらく数千の知的生命体が発生して人類よりも歴史の古い種族もあるのだろう。しかしみんな自分の発生した惑星から出るほど科学技術が発達する前にセキュラリズムに操られて滅亡してしまう。ゆえにいくら宇宙人を探してもいないわけですよね。


05. okonomono 2014年3月17日 00:56:48 : ufgCmUGS6CG6M : 0VjicbU2B6
この論考は「セキュラリズムの陳腐化」だと感じる。
もっと学問的な禁欲(ウェーバー)をもとめたい。

06. あやみ 2014年3月17日 17:27:34 : oZZpvrAh64sJM : f1mRbFRv9U
安芸ガラスさま コメントありがとうございます。お返事がおそくなりました。

村請から行政への転換、これは信仰や道徳心に裏付けられた「横の繋がり」から法と制度による「縦の繋がり」への移行ですね。
縦のつながりとは「労働−報酬」「納税−行政サービス」などで、それは貨幣により維持されています。カネのやり取りが途絶えると、人々は糸の切れた数珠玉のように縦の繋がりからも零れ落ちます。そうしてばらばらの個人になります。

この横から縦への転換は「個人主義」などというおふらんす風の洒落た名前をつけられて好かれていますが、要は権威の頂点に陣取る連中に都合のいいように作られたシステムです。

初詣によって…そうです!しかもその初詣が行われるのはグレコリオ暦の新年です。それを伝統・風習といって喜んでいるのが現状です。


07. あやみ 2014年3月17日 17:31:07 : oZZpvrAh64sJM : f1mRbFRv9U
04さま コメントありがとうございます。
ただいまネットが使いづらい環境にいます。後ほど改めてお返事させていただきますのでお待ちください。申し訳ありません。

05さま コメントありがとうございます。上記のとおりです。のちほどお返事させていただきます。


08. あやみ 2014年3月17日 23:42:12 : oZZpvrAh64sJM : YybAMu9E1M
04さま 遅くなりました。

人類は特別な存在です。「物の名前」を知る生き物であるからです。
「物の名前」を知るということは、目の前の物を見て「これは○○である」という答えを導き出せること、すなわち○○とは如何なる物かを解析でき、利用したり複製を作り出すことが出来ることをいいます。それは人類のみに与えられた能力であり、アダムとイヴはこの能力を与えられて現世に降り立ったことを示しています。

地球内外の人類はセキュラリズムがあってもなくても間違いなく滅びるでしょう。一人の人間がいつか死ぬのと同じです。ただ、現世に在る間の「時間」をどう使うかに大きく影響するのがセキュラリズムです。非道を働きそれに目をつぶりながら生きるか、その逆か、それが問われるんだと思います。


09. 2014年3月18日 01:27:04 : YSXYpwGLZE
>>8
あやみさん

犬だって猫だって自分の飼い主を認識する事が出来ます。猫は飼い主に甘え食事やマッサージを得ようと利用します。もちろん猫の飼い主に対する解析は間違いなのですが。カラスやチンパンジーも道具を作り使用します。それらは別に人類に特有の能力ではありません。

私は人類に特有な能力は記録だと思います。人類は他人の知識や経験を記録を通して受け継ぐ事が出来る、つまり自分一人の人生だけではなく他人の人生も生きているのです。一人の人生の持つ時間は短い。しかし他人の人生までも足してしまえば、決して短い時間ではないのです。現世に在る間の「時間」をどう使うかに大きく影響するのがセキュラリズムだとおっしゃいますが、現世に在る間の「時間」は万人にとって平等ではありません。一部の者が重要な情報を独占し、他者にはゴミ情報しか与えない。そうする事によって他者が真実にたどり着くまでに膨大な時間の浪費を余儀なくさせ、自分はその間に有利な立場に立つ事が出来るのです。

私が未来に悲観的になるのは、セキュラリズムによって資源を独占している者たちが裸の王様になり、人類の創造の源である多元性を破壊してしまうだろうと予想されるからです。グローバリズム、グローバルスタンダード、英語の公用語化、西洋文化の押し付けなど、その兆候ははっきりしています。


10. あやみ 2014年3月18日 09:40:57 : oZZpvrAh64sJM : YybAMu9E1M
okonomonoさま 遅くなりました。

さて、前回・今回の記事でセキュラリズムの誕生の背景と過程、その語源、その効果とそれによって出来上がった現状を書きました。それをお読みになった上で「セキュラリズムの陳腐化」とお感じになったのであれば、その原因はセキュラリズムにあるとするのが妥当でしょう。セキュラリズムなどもともと陳腐なものです。

私は学者でも学生でもないので学問の牢獄に外にいます。ですから自在に書きます。私が禁欲になるべきは現世に対してであり学問に対してでは在りません。

しかし一方では、おっしゃるとおりでもあります。この記事の目的はセキュラリズムに侵された方々に「馬鹿なことはもうやめなさいよ」と申し上げることなので、セキュラリスト的な作文をしなければセキュラリストの皆様に読んでもらえなくて元も子もないことになります。実際書きながらずいぶん悩みました。しかし悩んでいても始まらないのでまずはこの程度で閉じました。この先も似たような記事を書くと思いますが、いずれはましなものが書けると思います。


11. あやみ 2014年3月18日 20:07:04 : oZZpvrAh64sJM : YybAMu9E1M
>>9
YSXYpwGLZEさま 遅くなりました。

>犬だって猫だって自分の飼い主を認識する事が出来ます。猫は飼い主に甘え食事やマッサージを得ようと利用します。もちろん猫の飼い主に対する解析は間違いなのですが。カラスやチンパンジーも道具を作り使用します。

しかしこれが人間以外のおよそ限界でしょう。もちろんごく少ない例外が存在することは認めます。しかし人間外は原爆を作って余った材料を歯磨き粉にまぜて「骨に良い」などと言ったりはしません。いかに賢い猟犬でも主人の行動の善悪を見極めることは出来ないのです。

現世の長さをどう感じるかはその尺度しだいといえると思います。おっしゃるように、ある日本人が先祖の生き方を受け継いで生きているとすればその長さは日本の現世の長さに漸近すると言えるでしょう。すばらしいご指的だと思います。しかし来世という絶対無限の前では刹那であることには変わりありません。

現世には利用する側とされる側があります。我々は確実に後者です。前者の罪は計り知れぬほど重いのですが、その「裸の王様」たる彼らを育てたのは実は我々であり、無罪ではありません。その罪状は無知、無関心、無気力、無抵抗による非道への加担、権威への服従、貨幣への崇拝です。記録や情報を分析する能力が大きい人間ほどその罪は厳粛に問われるでしょう。飢餓地帯の荒野に生まれたものであればその罪は問われないのかもしれません。
どのみちこの現世は終わりを迎えます。 しかし、YSXYpwGLZEさまが悲観されるような終わり方は避けなければなりません。それにはセキュラリズムの拡大をなんとしても食い止め来世を正視できるようにならなければいけないと思う次第です。

おことばありがとうございます。


12. 2014年3月18日 20:48:01 : 0VjicbU2B6
>>10

これまで哲学、科学論、政治学、社会学などの分野で多くの人たちが、「セキュラリズム」ということばは用いなくても、あやみさんと重なりあうような問題意識と問題設定で論じてきた。そういう人たちの多くは、マルクスなどをのぞいて、「セキュラリズム」にあたるものを直接批判攻撃したりはしていないはずだ。彼らにとっては自分の提示した分析の妥当性が問題であって、政治的倫理的な評価を下すことが目的ではないからだ。あやみさんはそういう人たちをすべて「セキュラリスト」とみなす。しかし、客観的に論じようとすればそうならざるをえないのだ。そのことは、あやみさんがご自分でも「セキュラリスト的な作文」をしたことを認めているように、あやみさん自身にもあてはまる。このような論考をおこなうものは、「セキュラリスト」の立場に自分をおくことになるのだ。その人個人がどのような信仰、政治信条の持ち主であるかといったことは、本質的な問題ではない。このこともあやみさん自身にもあてはまることだ。あやみさんは直接「セキュラリズム」を批判攻撃することに力点を置いているが、その結果あやみさんの論考は、左翼のアジテーションや反民主主義者の主張などに近いものになっている。そういった「自在」な言説に影響される層も確実に存在するはずだが、わたしはあまり評価できない。


13. あやみ 2014年3月18日 21:25:05 : oZZpvrAh64sJM : YybAMu9E1M
okonomonoさま

>これまで哲学、科学論、政治学、社会学などの分野で多くの人たちが、「セキュラリズム」ということばは用いなくても、あやみさんと重なりあうような問題意識と問題設定で論じてきた。

はい。しかしその論説の持ち主たちは近代主義を否定しません。そして「本当の民主主義」や「自由」とは何かを論ずるところに集結します。私の目にはそれはセキュラリズムの輪廻の中に巻き込まれての空回りと映ります。なぜなら来世に対する意識が明らかに欠如(というか無視)しているからです。


>このような論考をおこなうものは、「セキュラリスト」の立場に自分をおくことになるのだ。

ニアピン賞です。「このような論考を提示するに当たって「セキュラリスト」との共通言語と話法を使用する必要がある」、といわせてください。
主張に中で「来世」「霊界」「不可視世界」という概念を肯定し挿入した場合、セキュラリスト的言語は無効になります。それがセキュラリズムの恐ろしいところです。

セキュラリスト的作文はしていないと思います。出来てますか?学問的な禁欲を求められている以上、してないと思います。


14. 2014年3月18日 21:54:04 : 0VjicbU2B6
>>13

近代主義の「恐ろしいところ」は、近代主義の乗り越えがその本質の一部となっているところだ。「本当の民主主義」や「自由」が近代主義の限界だとあやみさんはとらえているが、わたしはそれを「セキュラリズム(近代主義)の陳腐化」だと感じる。「来世」「霊界」「不可視世界」といった概念についても同様。このことは、代表的には「神」の問題として論じられてきたはずだ。セキュラリスト的言語が無効になるどころではない。

ニアピン賞というのは何だろう。このスレではあやみさんが読者に賞をくれるのかね。くれるならありがたく頂戴しておこうか。

「セキュラリスト的作文」として読もうとするとあまりにも乱暴だというのがわたしの感想だが、あやみさんがそういうつもりではないというならもういいや。これまでのところはわたしがひっかかったことについてだけ述べてきたが、それ以外の内容については高く評価している。阿修羅掲示板で読めるオリジナルな記事としては傑出していると思う。


15. あやみ 2014年3月19日 04:51:42 : oZZpvrAh64sJM : YybAMu9E1M
okonomonoさま

ご理解いただいているとは存じますが、セキュラリズムと近代主義は同じものではありません。近代主義の土俵を前もって作るのがセキュラリズムです。

また、「神の在証明」などというものこそがセキュラリズムの筆頭に来る命題です。これは神との別居を果たした現世において神の概念を現世の約束で物質化して存在の証明を試みるものです。しかし神は「在りて在るもの」であり、その存在の証明は不要であり不可能です。それを証明するなどという行為は神をキリストに憑依させて物質化・偶像化したというキリスト教が四世紀から抱える問題にまでさかのぼることが出来ます。これはキリスト教に限った事情でありその他の信仰にはとりあえずかかわりのないことです。

西洋とは違い日本にはこういった一神教の概念がまったく理解されていないにかかわらず西洋思想だけがもてはやされているという大矛盾が存在します。もちろんこれもセキュラリズムの影響です。乱暴に言えば西洋では神は来世には存在するが、日本では現世にも来世にも存在しない、そういうことになります。まがりなりにも神の存在を認めてきた西洋のほうがセキュラリズムの呪縛からとかれる可能性があると本文でも指摘しています。
また、セキュラリズムの批判と研究は数年前からイスラム社会で起こっています。セキュラリズムを社会からどう駆逐するかが切実なのはイスラム社会です。

この先、神の加護でセキュラリズムが弱体化することがあるとすれば、キリスト教社会とイスラム社会は生き返るかもしれません。しかしその場合日本は後に残されかねません。日本はそういう危険をも持ち合わせています。


16. 2014年3月19日 11:32:35 : KNCJBRPfFU
あやみ さん

安芸ガラスです。

時代の焦点 について記述します。
時代の指標は 独占です。
時代とは 政治・経済・文化のすべてに独占が覆う状態のことです。

かって住民は土地に縛られて集団で生活をしておりました。
村請け廃止と地租改正導入で、住民はおおやけとわたくしが分裂し、孤立した個体となり、世界市場に依存して生活する状態となりました。
このような中で自分の力だけに依拠して生きるためにセキュラリズム批判はまとを得ています。

人間も自然の力の発現ですから。



17. 2014年3月19日 13:24:33 : KNCJBRPfFU
あやみ さん

安芸ガラスです。

>人間も自然の力の発現ですから。

自然の力の例をしめします。

私は年末に風邪をひき経過は以下です。

 ・喉が痛くなる(過敏反応)
 ・下痢をする(弛緩反応)
 ・イビキをかく
 ・咳をする
 ・寝汗をかく(排泄反応)

これらが現象(事実)で価値付けをします。
私が体を偏って使っている(努力)。

体が偏りをこれらの現象で解消しようとした。(保存)

私はこれらの現象(事実)を自然の力の発現であると捉えることで価値付け(価値変換)をした。

年末だから体が自発的に体の大掃除をしているので、それを妨げないようにしようと。

ハッとしないでホッとして風邪を御迎えをしました。


あやみ さんの以下の文章は私の風邪の経過を的確に捉えています。

>端的にいえばこの世の事象の価値判断から「信仰」に由来する精神を排除し、信仰は信仰で別の場所に安置するが互いに決して干渉しないという主義主張である。


18. あやみ 2014年3月19日 16:51:54 : oZZpvrAh64sJM : YybAMu9E1M
安芸ガラスさま 

時代の焦点、納得いきます。

かつてこの地球に興こり滅んだ王朝がいくつもあります。
それをそれぞれの「時代」と括り各時代の「法」と「支配」の関係を正しく検証し、学識者の間だけでなく民間にも常識として知らしめる必要があります。
しかしは今のところ全世界がキリスト教社会に設計された法で支配を受けているためにそれがほぼ不可能となっています。大学も司法も「死体」となりました。

日本はその意味で惨憺たる状態にあります。自国の歴史と時代ごとの精神世界が知られておらず、珍妙な右寄りの解釈と押し付けの西欧寄りの解釈の二つしかない上に国民はその無駄な論争に時間を奪われています。

子供たちが風邪を順番に引きました。私も薬品は一切使わないので、風邪が自然な形で進行し消えうせるのをこの目で見ました。二晩熱にうなされた五歳の娘は、熱か冷めてみると額の生え際にびっしりと新しい髪の毛が生えていました。背も伸びていました腸壁にたまった古いカスも出て行きました。普段は簡単に行われない代謝が体温が高いときに急速に進むのだと思います。ありがたいことです。

人体は社会の雛形です。社会が大掃除(排泄、代謝、回復)するためには社会が風邪を引かなければならないのでしょう。しかしその苦痛を鎮めるために周囲が誤った行動をとると風邪から病に移行し、いずれ癌化します。パレスチナ、エジプト、シリア、ソマリア、フクシマ…。風邪は万病の元とはよく言ったものです。


19. 2014年3月19日 19:31:32 : 0VjicbU2B6
>>15

あやみさん

>セキュラリズムと近代主義は同じものではありません

これは>>14の「セキュラリズム(近代主義)の陳腐化」という表現などがひっかかったのだと思うが、>>13であやみさんは、セキュラリストの限界として「近代主義」を否定しないことを挙げている。その文脈で等値した。

前編から読むと、あやみさんのいう「セキュラリスト」というのは、積極的に政教分離などを主張した人たちにとどまらず、「セキュラリズム」の枠組みが形成されるなかでそれと呼応するようにして活躍した科学者や思想家を指している。そして、その人たちが「セキュラリズム」を「拡散」「浸透」させたのだとあやみさんは難じている。

そういうことがあてはまる面もあるだろうが、一面的な見方だと思う。なぜなら、その人たちの残したものは現在もっと多様な形で継承されており、あやみさんが「セキュラリズム」によってもたらされたとみなすようなさまざまな問題について取り組む土台にもなっているからだ。その力は弱いかもしれないが、あやみさんが5つに分けてあげているような問題があること自体にその弱さがよくあらわれている。すなわち、科学や思想はイデオロギーとして固定されたときに死んでしまう。それらは本来、自らを乗り越え続ける運動なのだ。わたしたちがすべきことは、あやみさんのいう「セキュラリスト」たちを否定し拒絶することではなく、生きたものとして自分たちの側にとりもどすことだと思う。

とりあえず、わたしにとって一番大事なことについてだけ書いた。


20. 2014年3月20日 05:47:50 : Sdxpj6Ca06
あやみ さん

安芸ガラスです。

引き続きセキュラリズムについて記述します。

>端的にいえばこの世の事象の価値判断から「信仰」に由来する精神を排除し、信仰は信仰で別の場所に安置するが互いに決して干渉しないという主義主張である。

イデオロギーを例とします。

漠たる処から生死が発生します。
漠たる処は、形も、色も、音も、匂いもありません。
無といってもよいのでしょう。
このような処から、生があり、死があるとの思いが生まれてきます。
これをセキュラリズムといってさしつかえないでしょう。
イデオロギーとはこの世で生きるためのもともと同じものを同じものとして捉える指針のことです。

>すなわち、科学や思想はイデオロギーとして固定されたときに死んでしまう。それらは本来、自らを乗り越え続ける運動なのだ。

このイデオロギーの捉えかたは思想的には実存主義、政治的にはトロッキズムの匂いがする。


21. 2014年3月20日 06:22:27 : Sdxpj6Ca06
安芸ガラスです。

利益について記述します。

>近代主義の「恐ろしいところ」は、近代主義の乗り越えがその本質の一部となっているところだ。「本当の民主主義」や「自由」が近代主義の限界だとあやみさんはとらえているが、わたしはそれを「セキュラリズム(近代主義)の陳腐化」だと感じる。

総理は新しい憲法の制定を公言しています。
ヤルタ・ポツダム体制を否定し、日本が世界市場の胴元になろうとのことです。
総理はヤルタ・ポツダム体制の下での憲法に基づいて、国民投票を実施したいらしい。
このような状況で利益について考えたい。

世界市場に組み込まれている世界では、もともと同じであった利益が、おおやけとわたくしに分裂しているのが現状です。
かっての寄り合いは、地の形状・生り物・人の気風の共通性の基での大字の総代への命令的委任の関係の場でした。
これが世界市場を通すことで、地の形状・生り物・人の気風を平均化し、すべての地域を世界市場の地方化になりました。
このことで地域の住民の利益が全体(世界市場)が地方(地域)を抑圧する陳腐化したのです。
このように陳腐化したので現在の議会と議員は、どこの地域の住民の代表ではないのです。
現代では世界市場と代議制の意志決定方法はセットになってしまっています。


22. あやみ 2014年3月20日 18:28:01 : oZZpvrAh64sJM : FzvFkuoU3E
okonomonoさま

セキュラリズムを否定したところで科学や理論を否定したことにはなりません。私はセキュラリズムを立脚地とした支配構造=モダン=ポストモダンを悪としているのです。以下は本文からの抜粋です。


>本論は科学と理論を否定するものではない。科学と理論を神への冒涜として迫害した中世に戻ろうという考えは毛頭ない。ただ現世に近視眼的になってはならない、そう申し上げるものである。科学にせよ理論にせよ、これらは現世で隣人に非道を働かないための智慧と捉えるべきである。そこに根拠を持つ民主主義などの政治手法はただの選択肢であり崇高なものではない。そして科学者、識者は物事の摂理を図式と論文で表現することを生業としているだけであり、彼らに万物の創造主であるかの如き権威を決して与えてはならない。

ところでokonomonoさまは、私が前・後編とコメント欄を通して来世来世と連呼しているのに全く耳を貸していただけません。正直腹が立ちますがそれは大きな問題ではないのでいいです。
セキュラリズムの検証は現世とその対称概念である来世の二つを眺めないことには出来ないのです。来世など存在しない、そうおっしゃるのであればそれはokonomonoさまと神様の間の問題なので私にはとりあえず口を挟むことは出来ません。ただし、とりあえずです。
陸地が現世、海を来世とたとえます。有毒な産業廃棄物を陸地においておきたくないので海に捨てるとします。海洋はそれによって汚染されます。その海洋汚染は生態系を狂わせて結局われわれは病魔に取り付かれます。
来世をかえりみない生き方、思想、それは回りまわって現世を汚します。現世は共有されています。これは「個人の自由」などとは言えないのです。


23. あやみ 2014年3月20日 18:52:43 : oZZpvrAh64sJM : FzvFkuoU3E
安芸ガラスさま

>漠たる処から生死が発生します。
漠たる処は、形も、色も、音も、匂いもありません。
無といってもよいのでしょう。
このような処から、生があり、死があるとの思いが生まれてきます。
これをセキュラリズムといってさしつかえないでしょう。

これはどちらかといえば無神論に近いかと思います。ただ、一神教を信仰する世界と日本の間ではずれがあります。

西洋では死後の世界を神の国とする考えを否定しません。否定せずに無視(無力化)するのがセキュラリズムです。否定せずに無視する方法は22のコメントに海と陸地の例で触れました。
イスラム世界ではみな、死後の世界(=本当の世界)ためにこの現世でかりそめの世を生きているという考えがいまだ健在です。しかしセキュラリズムの影響は徐々にそれを崩しつつあります。イエスの教え(原理キリスト教)もイスラーム同様こういったものでしたが忘れられてしまいました。

日本の場合は「死後の世界はない」という考えが支配的です。神の存在を証明できない場合に「それでも神はいる!」と断言する根拠=信仰の教義を持ち合わせていないからです。15のコメントでその危険性に触れています。

>このことで地域の住民の利益が全体(世界市場)が地方(地域)を抑圧する陳腐化したのです。
このように陳腐化したので現在の議会と議員は、どこの地域の住民の代表ではないのです。
現代では世界市場と代議制の意志決定方法はセットになってしまっています

「民主主義」の最終目的はここだと思います。
私は反民主主義とよく言われますが、民衆の投票によって政治決定がなされること自体には何の異存もありません。ただし、それが正しく履行されるだけの国家と国家の大義名分があればの話です。改憲も、軍事化も、死刑も、全てそうだと思います。


24. 2014年3月20日 20:03:02 : Sdxpj6Ca06
あやみ さん

安芸ガラスです。

>これはどちらかといえば無神論に近いかと思います。ただ、一神教を信仰する世界と日本の間ではずれがあります。

私は無神論者ですが、生と死を2つが別々にあると思い込んでいるのがセキュラリズムではないのか、と書いたのです。

唯物論者は生きるには生きるに任せて、死ぬには死ぬのに任せ、心を2分しません。


25. あやみ 2014年3月20日 22:46:05 : oZZpvrAh64sJM : FzvFkuoU3E
安芸ガラスさま

生と死は表裏一体です。生がなければ死はありません。死の待ち受けない生も無い。この二つが別べつにあるとの思い込みは、死後の世界を証明できないことの所産です。証明できないものは存在しない、すなわちセキュラリズムです。

しかしセキュラリストは神を否定しません。肯定し、とことん利用します。「神の存在証明」などと言い神を現世の物質にしようとする努力が行われました。

23に書いた日本の無神論に補足します。
日本では「神」の概念があやふやなのです。それが確立されていない以上、神を否定して無神論とすることは不可能です。マルクス主義と呼応する形での無神論は日本には育たないでしょう。

たとえば社長室やビルの屋上には必ず神棚があります。また、宝くじや受験票を神棚や仏壇に上げておいたりします。しかし「神などいない!」と言えないのです。
日本の場合は無神論も何もあったものではないのです。


26. 2014年3月21日 00:47:27 : 0VjicbU2B6
>>22

あやみさん

わかってきた気がする。
ものわかりが悪くてごめんなさい。
明日にでも何がわかったのかを書いてみる。
このスレは最重要視しているんだけどこんなありさまで面目ない。


27. okonomono 2014年3月21日 23:08:34 : ufgCmUGS6CG6M : I5FlH3PNNI
あやみさんの主張を短くまとめてみた。
これで合ってるかな。

 現代社会では現世が絶対化されていることで多くの問題が生じており、
 来世を畏れなくなった人々が正しい生き方を見失っている。


28. あやみ 2014年3月22日 06:05:09 : oZZpvrAh64sJM : SjMynt0avU
okonomonoさま ありがとうございます。

はい、そういうことです。

>来世を畏れなくなった人々が正しい生き方を見失っている。

「正しい生き方」の指針を何に求めるか、です。
近代以前は信仰にそれを求めていましたが、近代以降は近代主義(自由、平等、正義…)に求めるように変わりました。どちらが正しいかの議論はここでは控えます。結果は目の前の現代です。

本来、信仰とは来世と直結するものであり人間の発明品ではありません。手心を加えてはいけないのです。そして、いじり壊された信仰の代表がキリスト教です。ここに正しい生き方を求め、あるいは求めさせては中世欧州のようにしかならないのであり、その批判から無神論やセキュラリズムが生まれるのもまた自明なのです。

しかしあまりに痛い。人類はこのような現世を生きるしかないのでしょうか、そんな筈はないのです。


29. 2014年3月22日 10:27:12 : gL2AASVjvI
あやみ さん

安芸ガラスです。

私が捉えたのは、潜在意識のような自然の本体、この作用として波のような気です。
気の集散が生死の源です。
ここまでを術(心術)と云うらしい。
ここから先は道(大道)と云われています。


30. あやみ 2014年3月22日 22:49:00 : oZZpvrAh64sJM : SjMynt0avU
安芸ガラスさま

>潜在意識のような自然の本体、この作用として波のような気です。

「気」の流れがおこるのは「場」に「陰」と「陽」の両極にがあるからです。

両極は絶対なものではなく常に入れ替わりながら全体の均衡を保ちます。
地球(陰)と太陽(陽)、月(陰)と地球(陽)、満月(陽)と新月(陰)…

おっしゃるとおり、生死も陰陽両極の間に流れる気の「集散」により起こります。生死自体も陰(死)と陽(生)からなる律動です。

「波」「流れ」「入れ替わり」「集散」「律動」これらは「時」の縦糸の上に織り成されます。「時」、すなわち現世です。

陰と陽の両極に分かれたとき、無から現世が始まりました。
それが神の御業であるとするのが信仰です。

しかし後から発明品の信仰が増え多くの血が流れたことで神の御業に疑いの目が向けられるようになりました。


31. okonomono 2014年3月23日 00:07:19 : ufgCmUGS6CG6M : I5FlH3PNNI
あやみさん
このまとめも合ってるかね。

 絶対化(=自己目的化)した現世の至上価値とはたとえば自由である。
 自由の内容は問われることがないので低劣な欲でも野放しになっており、
 さらに自由を求めれば求めるほど人々は支配されやすくなっていく。


32. あやみ 2014年3月23日 22:28:36 : oZZpvrAh64sJM : SjMynt0avU
okonomono さま 遅くなりました。

>自由の内容は問われることがない

いい表現ですね。どんな自由を求めようと自由、そういうことです。

自由は法の境界線の中でのみ認められますが権力者はその境界線を動かすことが可能なのです。法とは善悪可否の判断です。その判断が準拠するのが近代主義であり、この先はまた28のコメントにもどります。



33. 2014年3月25日 11:22:17 : FYKy8Lmkhp
あやみ さん

安芸ガラスです。

>自由は法の境界線の中でのみ認められますが権力者はその境界線を動かすことが可能なのです。法とは善悪可否の判断です。その判断が準拠するのが近代主義であり、この先はまた28のコメントにもどります。

国家と宗教の関係は、イギリス、イタリア、ドイツなどのタイプがありますね。
心の中のことが捉まえられないので、表に現れる儀式で判断するのが、近代主義ではないでしょうか。


34. あやみ 2014年3月25日 19:16:41 : oZZpvrAh64sJM : SjMynt0avU
>心の中のことが捉まえられないので、表に現れる儀式で判断するのが、近代主義ではないでしょうか。

心の中のことは捉えることが出来ないので来世に撤去し、表に現れる現世の仕事に集中するのがセキュラリズムです。そのさい、善悪可否の判断基準が欧米の支配層に有利に働くように設計されました。それが近代です。

人はもとより精神(≒心の中)をもつ生き物です。その精神に根拠を持つ考えを「精神論」として議論の外に片付ける合理主義などは、私にとっては屁理屈です。


35. 2014年3月28日 12:27:15 : ASDZS9J70Q
あやみ さん

安芸ガラスです。

>人はもとより精神(≒心の中)をもつ生き物です。

同意します。

意思でやろうとしたらどうするのか?
心がとらわれたらどうするのか?
心が停滞したらどうするのか?
心と体が統一するにはどうするのか?
などなど生きていくのに大切なことです。


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