http://www.asyura2.com/12/music10/msg/133.html
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上記は渋谷がロックのひな型的な曲として取り上げていた曲
Led Zeppelin- Communication Breakdown
渋谷陽一批判を書こうと思う
私が、中学生くらいの頃、私の周りでは渋谷陽一教の信者が数多く存在し、私にとっては、彼らは奇異なる存在として思えた。
私が、「誰だ、それは?」というと、
「お前、「若いこだま」聴いてないのか?」との答え・・
私が「聴いてないよ〜」というと、
「だめだな〜」という感じ・・
その後、正確な時期は、覚えていないが、
NHKFM「ヤング・ジョッキー」という番組になってから、
渋谷という男の語りを聞かされることになる。
その時の印象は、
「なんだか、コイツキザな奴だな〜」
という印象・・
でもって、なんだかんだと、能書き垂れる・・
まさにこの男の言いたい放題、やりたい放題で、
独壇場である・・
よく、覚えているのが、
led zeppelin、
ボブ・ウェルチ、
ビートルズ(特にジョン)、
ジミヘンを絶賛していたことである。
ジミヘンとキング・クリムゾン(フリップ、クロス、ビル、ウェットン)の
ライブは観てみたかったとも言っていたが・・
叶わなかったとのことである。
で、コテンパンに悪意を持って批判するのは、
ウィッシュボーン・アッシュとかキャメルとか、
メロディアスで、
彼が言うには抒情的(と言っていた)な曲調のバンドである。
それも、なぜ、抒情的な曲調が、
ダメなのか?
そういたバンドがダメなのか?
の「具体的」な説明が一切ないのに驚いた・・
は〜ん、ようするに、
もっともらしいこと言ってるようだが、
結局は、
感情的に言ってるんだな・・コイツ・・と
すぐ、思ったが・・
抒情的っていいながら、
自分が一番、抒情的な判断をロック・ミュージックに対して
行っている自己矛盾の塊のような男であった。
もうひとつ、
バカのひとつ覚えのように言っていたのが、
ロックの本質は「暴力衝動である」的な発言である。
この言葉の具体的な説明も私は番組中で聞いたことがない。
他ですでに述べているかもしれないが、
番組中では、私は聞いたことがない・・
ということで、
彼のロック・ミュージックの評論(?)の基本は、
まず、彼の主観、もっと単純に言えば、好き嫌いで、
語るだけなのであるが、これに、少々
塩コショウなるものを加え(暴力衝動やら抒情的なる言葉)
・・・。
具体的な裏付けや説明がいかなる場合も
皆無なのである。
そんな、お粗末な論評ではあるが、
おめでたいことに、
信者は、思考停止し、私のように批判しなかった。
一度、渋谷がレイ・デイビスにインタビューした時の話を聞いたことがあるが、
レイが渋谷を結構、嫌ったらしく、
要は、
「シブヤ!お前のインタビューなんか受けたくないんだゾ!
マネージャーがやれって言うからやってんだ・・
早く終わらせえてとっとと消えやがれ!」
みたいな、雰囲気だったらしい・・
サンドイッチを食いながら、
サンドイッチのパンとハムを一枚一枚はがしながら、
渋谷を睨みつけるように、
インタビューにいやいや答えていたという・・
そのことを、くどくどくどくどと国営放送の電波で語っていた。
グレッグ・レイクの時には、
冒頭から、キング・クリムゾンのファースト・アルバムのエピタフの
「コンフュージョン・ウィル・ビー・マイ・エピタフ」歌詞について、質問したとたん、グレッグを怒らせ
「そんな昔の話のインタビューするんなら、俺は帰るぜ!」
と怒らせたという・・
その場は、「では、まあまあ、ELPの話をしましょうや〜」
ということで、一応は、丸くおさまったが・・
最後の最後で、
「グレッグ、俺のことジェントルマンといってくれたんだ・・」
みたいなこと言って喜ぶ・・幼稚の極みである。
結局は、この渋谷という男、内容は何もないのである。
以前、私は、イギリスのあるロック評論家なる人物について書いたが、
そのザコ男と大差ないような男なのである。
ブライアン・フェリー、1975年頃、ある評論家に酷評されるが・・ 相手にするまでもなかったようである
http://www.asyura2.com/12/music9/msg/739.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 10 月 22 日 08:47:56: tZW9Ar4r/Y2EU
それなのに、当時の私の周りは、
渋谷教が蔓延して、私が渋谷批判をすると、
いきなり、「貸してあるあのレコード早く返してもらおうか!」
とすごまれたり、尋常ではなかった。
なんなんこれは?みたいな・・
たかが、ロック・ミュージックである。
それも、馬の骨だか何だかわからない、
自称ロック評論家と評する渋谷という男を教祖と崇め、
連なる連中が多く、そして、
渋谷の出版するくだらない雑誌にまでお金をつぎ込むようになってくるのである・・
愚かしや・・
聞くところによると、
渋谷は、一切、楽器も演奏できない、歌も歌えない、曲もかけない、
たいそうな音楽音痴だそうである・・
そもそも、そのようになったのも、
友人の家に遊びに行ったときに、
ギターを触ろうとしたら、
「お前は、さわるな!」といわれたことが、
トラウマになっているから、
音楽に疎くなったという、理由にならない理由を
堂々と述べている。
自分は音楽のことがさっぱりわからないのであると堂々とうそぶき、
開き直って見せるのである。
そんなことくらいでトラウマになること自体、
私から言わせれば、お話にならない、
私なんぞ、先輩の家ドラム叩かせてもらっていて、
「お前、そろそろ、うるさいから帰れや!」
なんて言われても、翌日に「また、お前来たのか?」
とか言われながら、呆れられながら、嫌われながら、
うまくなっていったから、この渋谷の弱気な反応・・
モチベーションの低さ、理解不能です。
何の世界でも、その道を極めたり、
究めようとした求道師が、なんらかの理由で、
引退したりして、
その道の解説をしたり批判したり論評したりするのがふつうである。
野球にせよ、ゴルフにせよ、囲碁にせよ、スキーにせよ、
馬術にせよ・・解説者として呼ばれるのは、
選ばれしそれなりの求道師達である・・
渋谷のような楽器も弾いたことがない、
作曲もできない、
歌も歌えない、
コードもわからない、
ベース音もわからない、
アレンジもわからない人間に、
はたして音楽をロック・ミュージックを語れるのであろうか?
いや、語っていいのであろうか?
いや、彼は、その、耳触りのよい「暴力衝動」やら、「抒情的」
やらの抽象的な言葉で、
多くの迷える子羊たちを騙し、
生計を立ててきたのである。
ロック・ミュージックの本質や
ロック・ミュージックのあるべき姿を、
具体的に一切提示せずに・・
自らの具体的裏付けのない空虚な論をむなしく語り、
それに、無批判で付き従う、
愚かな騙されることを欲する信者がここの世界にもにも大挙して存在するのである。
で、そのことを、私なんぞが、
つっこむと、たぶん、こういうだろう・・
「私はミュージシャンじゃないし、音楽のことは、わからない、ギターも弾けないし、作曲もできないし、アレンジもコードもわからない・・・ベース音もね・・」
渋谷の評論とやらの本質は、
「暴力衝動」やら「抒情的」やら、耳触りのよい抽象的な言葉を用い、己の主観(好き嫌いに任せ)にたより、具体的な音楽論に立ち入らないで、
空虚で嘘八百な事をもっともらしく書いただけである。
こんなものを読んでも時間の無駄である。
彼は犯罪者ではないが、
オウムの麻原なんかの信者(迷える子羊)を騙す手法とほとんど同じである。
私は、渋谷カルト教に信心している信者に、聞いてみた・・
「渋谷のなんとかって雑誌そんなにいいのか?」
「あったり前だろう・・じゃあ、お前、まだ、ミュジック・ライフ読んでんのか?」
なる答えが返ってきた・・
「あんなもん、見ない方がいいよ、ミーハーの雑誌だから・・」
こんな具合で、彼らにしてみれば、
ミーハーでレベルの低いロック愛好家は
「ミュージックライフ」を愛読している。
という公式が成り立つのである。
志の高いレベルの高いロック愛好家は「ロッキングオン」を読むのだ・・
まさしく、渋谷教の経典さながらの位置づけである。
人間の心理(優越感や劣等感)を利用したような
くだらない階級論理があったようである。
ロック・ファンを、読む雑誌によって格付けする・・
愚かな行為である・・
ここのところは、渋谷が意図としたのか、
しなかったのかは不明だが、
渋谷が、「ミュージック・ライフ」を意識していたのは確かであろう・・
渋谷批判のまとめ
1.一見耳触りのよい、一見すると哲学的とも感じさせる抽象的なる言葉を弄して、ロッ ク・ミュージックを語るが、内容を吟味するとその、抽象的なることばの音楽的な具 体的説明は一切ない。
2.一切具体的説明のない耳触りのよい、迷える子羊を騙すのに格好の抽象的なことばの 具体的な説明や実例の列挙を求めた場合、渋谷は、「私は音楽のことは、わからない ので、その説明はできないというであろう。」(そんな質問をするのは、私くらいし かいないであろうが・・)
3.自分の論説を高貴なものとし、その論説に付き従う信者を、高レベルなロック・ファ ンと位置付けし、彼らにその優越感を体験させ、その為にはロッキングオンを購読す ることが必要不可欠なものと意識させ、自らの出版物の営業成績を上げて行く。(カ ルトの販売と同じ手法)
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