★阿修羅♪ > 音楽10 > 650.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
渋谷陽一批判 閲覧数が多いので、ひとつの投稿にまとめて追加補足しました
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/650.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 12 月 31 日 17:17:23: tZW9Ar4r/Y2EU
 

私は、以前、以下のような投稿を行った。
1970年代に、私の周りに、彼(渋谷)を教祖と仰ぐ信者が数多く跋扈していて、
私が彼らに対し、「渋谷なる教祖・・いかがなものか?」
と投げかけたところ、ヒステリックなバッシングを受けたことを、
チベットよわーさんとのロックの本質とは何か?
ロック・ミュージックの本質と真髄は繰り返し(リフ)にあり・・・
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/106.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 11 月 04 日 13:07:07: tZW9Ar4r/Y2EU

ロック・ミュージックのVoの本質と真髄は歌唱力にあらず・・
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/112.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 11 月 05 日 14:39:08: tZW9Ar4r/Y2EU

ロック・ミュージックの本質と真髄はリフ(繰り返し)にある 続編
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/120.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 11 月 06 日 10:23:42: tZW9Ar4r/Y2EU

ロックの本質(繰り返し)を究め、ロックの外に出た男達の世界
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/163.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 11 月 12 日 14:23:22: tZW9Ar4r/Y2EU


等でのいくつかのやり取りをやっている最中に、1970代の渋谷教と教祖と信者の事をなぜか思い出した・・

それが以下の
渋谷陽一 批判
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/133.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 11 月 08 日 14:08:24: tZW9Ar4r/Y2EU

である。

58. 高瀬大介 2012年12月23日 21:24:38 : SpHmU58BbL8Nk : ShlNLOnXlW
この渋谷批判の内容や、一連のコメントが、まるで30年くらい前のアンチ渋谷陽一な人が書いたような古い認識みたいで、この2012年の時代に実にまあ奇特というか幼稚というかある意味新鮮な驚きがありました。
ヤングジョッキーなんて渋谷が二十代の頃やってた番組で、誰だって二十代の頃の認識なんて今から振り替えると浅はかだし青い臭いはずです。で、その頃の渋谷の発言を持ち出して、長々と渋谷批判を展開されても、渋谷としても「はぁ…そうですか」でしょうなぁ。


上記コメント欄の高瀬大介様からの御指摘に対し、以下に、簡単に回答させて頂いた。コメントありがとうございます。

>この渋谷批判の内容や、一連のコメントが、まるで30年くらい前のアンチ渋谷陽一な人が書いたような古い認識みたいで、

まるで、ではなく、まさに、貴殿の言うように、私は、当時の渋谷信者に対し、渋谷批判の急先鋒を自負していた。貴殿の言うとおりである・・

さらに私は、

貴殿の言う、古い認識のままである。
その通りである・・。

今も貴殿の言うアンチ渋谷な人が書いたような古い認識の男である・・
私の書いた70年代に感じた(当時私は17歳くらいであった)渋谷評や渋谷批判は間違っていないと今でも思っている。


>この2012年の時代に実にまあ奇特というか幼稚というかある意味新鮮な驚きがありました。

私も、チベットよわー様に触発され、遥か昔の10代のロック小僧だった頃を、昨日のように思い出し、これ「渋谷批判」を書いている最中、タイムトラベルよろしく、実にまあ奇特というか幼稚というかある意味新鮮な驚きを貴殿と同じく感じていた。

貴殿の言うように、私は、1970年代の一連のロバート・フリップやブライアン・イーノのトラウマから脱することがいまだできない今だ幼稚な人間そのものです。この私のハンドルネームからしてそうなんですから・・しかしながら、いまだに、彼らの達したそれらのアルバムを凌駕すべく、日々音楽の創作探求はやっている。

驚くべきことに、2012年になっても、アナザー・グリーン・ワールドやキング・クリムゾンのレッドやUSAライブを、毎日のように車の中で聞いています。
人生の10曲
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/806.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 6 月 15 日 10:23:17: tZW9Ar4r/Y2EU

これに関しては、たぶん、17歳くらいの精神年齢のまま現在に至ると思います。
貴殿では、ありませんが、自分でも驚いています。

>ヤングジョッキーなんて渋谷が二十代の頃やってた番組で

今、
ウィキで調べたが、渋谷は1951年生まれとのこと、私は彼より7歳年下のようである。

>誰だって二十代の頃の認識なんて今から振り替えると浅はかだし青い臭いはずです。

ちなみに私は渋谷批判の急先鋒になっていたのは17歳くらいの頃である、渋谷は24歳くらいなんだろう・・。貴殿の言う「浅はかだし青い臭いはず」に目を背けたり、逃避したり、蓋を閉めたりしたい気持ちになるのは、理解できるが、それじゃ、進歩はない。その貴殿の言う「浅はかだし青い臭いはず」の現実に目を向け、40年経った今、その貴殿の言う「浅はかだし青い臭いはず」を対象化し客観的に見つめ、それを前向きに捉え、現在の自分の肥やしにすべきと私は思うのですが、いかがでしょうか?

可能であれば貴殿の考えをお聞かせ願いたいと思います。

いずれにせよ、
その頃のことを逃避しては、現在の自分を語ることはできない・・浅はかだからこそ、青臭いからこそ、振り返る価値があり、それらを反省することで、現在を語るべきなのだと思うのですが・・いかがでしょうか?

たた、言っておくが、急先鋒と書いたが、別に渋谷批判の運動をやっていたわけでもないし、目に余る渋谷教の信者に「あんなもんに、洗脳されちゃあ〜あきまへんで!」と忠告していた程度である。渋谷なんぞより、渋谷君には申し訳ないが、自分の「音楽活動」「バンド活動」や「可愛い女の子のこと」で、頭がいっぱいであった・・

投稿文とコメントの中でも、私は、渋谷批判をしてはいるが、渋谷なんぞ小物の中の小物、本丸は、別にあり・・はっきり書いており、渋谷なんてどうでもいい・・とも書いてある・・
だから貴殿の以下のコメントには違和感を覚える・・

>その頃の渋谷の発言を持ち出して、長々と渋谷批判を展開されても、渋谷としても「はぁ…そうですか」でしょうなぁ。

私は投稿文及びコメント欄でも、渋谷に対して書いたとも、渋谷が読んでくれることを希望するとも書いていない、むしろ、渋谷は私のようなザコは相手にしないと書いている。それを、貴殿は読んでおきながら、貴殿は、私が、あたかも、渋谷になんらかのメッセージを送っているような間違った認識でおられるようである。

だから貴殿の言う

>「はぁ…そうですか」でしょうなぁ。

という指摘は残念ながら当たらない・・

1970年代の個人的な懐古趣味で書いただけで、
渋谷などまったく眼中にない・・
なぜ、
>「はぁ…そうですか」でしょうなぁ。

なのか?

それを、お聞かせ願いたい。


繰り返すが、私は、チベットよわーさんとのロックの本質論を語った中で、
渋谷批判を思い出し、それを、まとめてみたかっただけである。

個人的な温故知新、懐古趣味の域をでない
自己満足の賜物である。

それ以上のものでもないし、それ以下のものでもない。


そうではなく、
私の指摘より、
私の「渋谷陽一批判」に批判したい、
反論したいのであれば、それを、
しっかりとした客観的で具体的根拠に基づいた反論や批判を、

コメント欄にではなく
新たな投稿で、お願いしたいと思います。


渋谷陽一批判を書こうと思う
私が、中学生くらいの頃、私の周りでは渋谷陽一教の信者が数多く存在し、私にとっては、彼らは奇異なる存在として思えた。
私が、「誰だ、それは?」というと、
「お前、「若いこだま」聴いてないのか?」との答え・・
私が「聴いてないよ〜」というと、
「だめだな〜」という感じ・・
その後、正確な時期は、覚えていないが、
NHKFM「ヤング・ジョッキー」という番組になってから、
渋谷という男の語りを聞かされることになる。
その時の印象は、
「なんだか、コイツキザな奴だな〜」
という印象・・
でもって、なんだかんだと、能書き垂れる・・
まさにこの男の言いたい放題、やりたい放題で、
独壇場である・・
よく、覚えているのが、
led zeppelin、
ボブ・ウェルチ、
ビートルズ(特にジョン)、
ジミヘンを絶賛していたことである。
ジミヘンとキング・クリムゾン(フリップ、クロス、ビル、ウェットン)の
ライブは観てみたかったとも言っていたが・・
叶わなかったとのことである。
で、コテンパンに悪意を持って批判するのは、
ウィッシュボーン・アッシュとかキャメルとか、
メロディアスで、
彼が言うには抒情的(と言っていた)な曲調のバンドである。
それも、なぜ、抒情的な曲調が、
ダメなのか?
そういたバンドがダメなのか?
の「具体的」な説明が一切ないのに驚いた・・
は〜ん、ようするに、
もっともらしいこと言ってるようだが、
結局は、
感情的に言ってるんだな・・コイツ・・と
すぐ、思ったが・・
抒情的っていいながら、
自分が一番、抒情的な判断をロック・ミュージックに対して
行っている自己矛盾の塊のような男であった。
もうひとつ、
バカのひとつ覚えのように言っていたのが、
ロックの本質は「暴力衝動である」的な発言である。
この言葉の具体的な説明も私は番組中で聞いたことがない。
他ですでに述べているかもしれないが、
番組中では、私は聞いたことがない・・
ということで、
彼のロック・ミュージックの評論(?)の基本は、
まず、彼の主観、もっと単純に言えば、好き嫌いで、
語るだけなのであるが、これに、少々
塩コショウなるものを加え(暴力衝動やら抒情的なる言葉)
・・・。
具体的な裏付けや説明がいかなる場合も
皆無なのである。
そんな、お粗末な論評ではあるが、
おめでたいことに、
信者は、思考停止し、私のように批判しなかった。
一度、渋谷がレイ・デイビスにインタビューした時の話を聞いたことがあるが、
レイが渋谷を結構、嫌ったらしく、
要は、
「シブヤ!お前のインタビューなんか受けたくないんだゾ!
マネージャーがやれって言うからやってんだ・・
早く終わらせえてとっとと消えやがれ!」
みたいな、雰囲気だったらしい・・
サンドイッチを食いながら、
サンドイッチのパンとハムを一枚一枚はがしながら、
渋谷を睨みつけるように、
インタビューにいやいや答えていたという・・
そのことを、くどくどくどくどと国営放送の電波で語っていた。
グレッグ・レイクの時には、
冒頭から、キング・クリムゾンのファースト・アルバムのエピタフの
「コンフュージョン・ウィル・ビー・マイ・エピタフ」歌詞について、質問したとたん、グレッグを怒らせ
「そんな昔の話のインタビューするんなら、俺は帰るぜ!」
と怒らせたという・・
その場は、「では、まあまあ、ELPの話をしましょうや〜」
ということで、一応は、丸くおさまったが・・
最後の最後で、
「グレッグ、俺のことジェントルマンといってくれたんだ・・」
みたいなこと言って喜ぶ・・幼稚の極みである。
結局は、この渋谷という男、内容は何もないのである。
以前、私は、イギリスのあるロック評論家なる人物について書いたが、
そのザコ男と大差ないような男なのである。
ブライアン・フェリー、1975年頃、ある評論家に酷評されるが・・ 相手にするまでもなかったようである
http://www.asyura2.com/12/music9/msg/739.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 10 月 22 日 08:47:56: tZW9Ar4r/Y2EU

それなのに、当時の私の周りは、
渋谷教が蔓延して、私が渋谷批判をすると、
いきなり、「貸してあるあのレコード早く返してもらおうか!」
とすごまれたり、尋常ではなかった。
なんなんこれは?みたいな・・
たかが、ロック・ミュージックである。
それも、馬の骨だか何だかわからない、
自称ロック評論家と評する渋谷という男を教祖と崇め、
連なる連中が多く、そして、
渋谷の出版するくだらない雑誌にまでお金をつぎ込むようになってくるのである・・
愚かしや・・
聞くところによると、
渋谷は、一切、楽器も演奏できない、歌も歌えない、曲もかけない、
たいそうな音楽音痴だそうである・・
そもそも、そのようになったのも、
友人の家に遊びに行ったときに、
ギターを触ろうとしたら、
「お前は、さわるな!」といわれたことが、
トラウマになっているから、
音楽に疎くなったという、理由にならない理由を
堂々と述べている。
自分は音楽のことがさっぱりわからないのであると堂々とうそぶき、
開き直って見せるのである。
そんなことくらいでトラウマになること自体、
私から言わせれば、お話にならない、
私なんぞ、先輩の家で、ドラム叩かせてもらっていて、
あまりにも、テリー・ボジオよろしく、
やかましく長くだらだら叩くので・・
「お前、そろそろ、うるさいから帰れや!」
なんて言われても、翌日に「また、お前来たのか?」
とか言われながら、呆れられながら、嫌われながら、
うまくなっていったから、この渋谷の弱気な反応・・
モチベーションの低さ、理解不能です。
何の世界でも、その道を極めたり、
究めようとした求道師が、なんらかの理由で、
引退したりして、
その道の解説をしたり批判したり論評したりするのがふつうである。
野球にせよ、ゴルフにせよ、囲碁にせよ、スキーにせよ、
馬術にせよ・・解説者として呼ばれるのは、
選ばれしそれなりの求道師達である・・
渋谷のような楽器も弾いたことがない、
作曲もできない、
歌も歌えない、
コードもわからない、
ベース音もわからない、
アレンジもわからない人間に、
はたして音楽をロック・ミュージックを語れるのであろうか?
いや、語っていいのであろうか?
いや、彼は、その、耳触りのよい「暴力衝動」やら、「抒情的」
やらの抽象的な言葉で、
多くの迷える子羊たちを騙し、
生計を立ててきたのである。
ロック・ミュージックの本質や
ロック・ミュージックのあるべき姿を、
具体的に一切提示せずに・・
自らの具体的裏付けのない空虚な論をむなしく語り、
それに、無批判で付き従う、
愚かな騙されることを欲する信者がここの世界にもにも大挙して存在するのである。
で、そのことを、私なんぞが、
つっこむと、たぶん、こういうだろう・・
「私はミュージシャンじゃないし、音楽のことは、わからない、ギターも弾けないし、作曲もできないし、アレンジもコードもわからない・・・ベース音もね・・」
渋谷の評論とやらの本質は、
「暴力衝動」やら「抒情的」やら、耳触りのよい抽象的な言葉を用い、己の主観(好き嫌いに任せ)にたより、具体的な音楽論に立ち入らないで、
空虚で嘘八百な事をもっともらしく書いただけである。
こんなものを読んでも時間の無駄である。
彼は犯罪者ではないが、
オウムの麻原なんかの信者(迷える子羊)を騙す手法とほとんど同じである。
私は、渋谷カルト教に信心している信者に、聞いてみた・・
「渋谷のなんとかって雑誌そんなにいいのか?」
「あったり前だろう・・じゃあ、お前、まだ、ミュジック・ライフ読んでんのか?」
なる答えが返ってきた・・

「あんなもん、見ない方がいいよ、ミーハーの雑誌だから・・」
こんな具合で、彼らにしてみれば、
ミーハーでレベルの低いロック愛好家は
「ミュージックライフ」を愛読している。
という公式が成り立つのである。
志の高いレベルの高いロック愛好家は「ロッキングオン」を読むのだ・・
まさしく、渋谷教の経典さながらの位置づけである。
人間の心理(優越感や劣等感)を利用したような
くだらない階級論理があったようである。
ロック・ファンを、読む雑誌によって格付けする・・
愚かな行為である・・
ここのところは、渋谷が意図としたのか、
しなかったのかは不明だが、
渋谷が、「ミュージック・ライフ」を意識していたのは確かであろう・・
渋谷批判のまとめ
1.一見耳触りのよい、一見すると哲学的とも感じさせる抽象的なる言葉を弄して、ロッ ク・ミュージックを語るが、内容を吟味するとその、抽象的なることばの音楽的な具 体的説明は一切ない。
2.一切具体的説明のない耳触りのよい、迷える子羊を騙すのに格好の抽象的なことばの 具体的な説明や実例の列挙を求めた場合、渋谷は、「私は音楽のことは、わからない ので、その説明はできないというであろう。」(そんな質問をするのは、私くらいし かいないであろうが・・)
3.自分の論説を高貴なものとし、その論説に付き従う信者を、高レベルなロック・ファ ンと位置付けし、彼らにその優越感を体験させ、その為にはロッキングオンを購読す ることが必要不可欠なものと意識させ、自らの出版物の営業成績を上げて行く。(カ ルトの販売と同じ手法)

 

ところで、この渋谷なる男、
今もなんかやってんですかね?
私はヤングジョッキーの時しか知らないんで・・
まわりは、結構、多かったですよ、
渋谷教の信者・・
純粋に音楽というかロック・ミュージックを、楽しめばいいのに・・
なんだか、かまえちゃって、腕組んで、
語っちゃって・・でも教祖の、第一声や語りがないと、
語れないんだよね・・
渋谷がどうかたるか?じゃなく、
自分が純粋にどう感じるか?
それでいいんじゃないですかね・・
信者さんたちの、毎月せっせと買い貯めた
ロッキングオンはいまは、いずこへ?

>言葉に感動があまり無い気がしてきました。
鋭い、指摘です。
なんか、冷静に音楽を分析しているように
見せかけて、まったく何も分析しておらず、
(渋谷は音楽のことがまたっくわからないと主張していながら
彼の妄想の中で、空虚(非具体的)な分析をしているふりをしているだけ)
上記投稿のように、基本は己の主観で、
好きか嫌いか、を抽象的な表現を用いて
信者を騙しているだけです。
蛇足ですが、
ある友人が渋谷教の信者でした。
で彼には、もうひとつの信者の側面が、
共産主義を熱烈に信奉、信仰していました。
彼の前では、渋谷批判と共産主義批判は
タブーなので、そーっとしておきましたが、
もう、彼とは、かかわりがありませんが、
社会人になると同時に党員になり、
いまだに党員だそうです。
いまだに、マルクスのユートピアを信じているようです。
いまだに渋谷信者かどうかは不明ですが・・
基本的に、騙されることを欲する人間だったのかもしれません・・
彼も、まったく、音楽のことは知らなく、
ギターすらタラリーンとひくことはできませんでした・・

最後に、渋谷の人間性を垣間見れる、面白いエピソードを
記して終わりにします。
時期は、まったく覚えていないが、
渋谷は、「矢沢永吉」の秘かなファンだったという・・
理由はわからんが、
ほとんど、それをメディアでは、
言ったり、書いたりしないそうだが・・
で、一度、自らの力ではなく
国営放送のご尽力をいただき、
矢沢を
「ヤング・ジョッキー」に呼びたいと
画策・・
見事、矢沢が承諾・・
1時間全部を矢沢との対談と、
矢沢の曲でいっぱいにした。
対談の中で、彼のオハコの「暴力衝動」やら「抒情的」なる
言葉は、まったく登場せず・・
いつもの、自信満々の言いたい放題、やりたい放題の
渋谷節は、最後まで出さずじまい・・
まあ、矢沢のいちファンとして、さし障りのない
対談に終わった・・
この裏表のある渋谷の行動を垣間見、
ミュージックライフの東郷かおる子と
渋谷の違いを、全く見出せないのは、私だけか?
で、最後に、何を思ったのか・・
渋谷が、「矢沢」さんをお呼びしたのは、
よかったんですが・・
「昨夜から、ビビってしまって、不安で大変だったんですよ・・」と、
まるで、矢沢に命でも取られるような、
そんな心境だったらしい・・
小心者としての渋谷の本質を垣間見れる、
エピソードのようだが、それはそれでいいが、
それより、自称ロック評論家と称するのであれば、
矢沢の本質を洞察できなかったのか?
と思う。
こんな見当はずれな誤解をするということは、
矢沢の本質をまったく理解していなかった、
渋谷に責任があるのである・・
マスコミが作り上げた虚像をそのまま、
真に受けていたということで、
少なくともロック評論家と自ら名乗るのであれば、
自分なりに得意の分析で、矢沢を解剖し、洞察力を駆使して、
マスコミが作り上げた虚像を打破したりうち破ったりして、
矢沢の本質を見抜き、対峙すべきである。
それを、何もせず、矢沢のファンだからの
一点張りで、国営放送の力を借り、
一般的なマスコミの情報をうのみにし、
依拠し、吟味も何もせず、
ビビって、矢沢に対峙する・・
「はあ〜?」ですよ・・
渋谷の本質、正体を
空虚な人間であることを知らしめる
エピソードである・・
しかし、
そこで、心やさしき矢沢・・渋谷をフォローする・・
「ああ、そうですか・・・
俺って、よく、そうやって言われるんですけど・・
なんででしょうね・・?」
と言って、渋谷を器の大きさでフォローしてあげていましたね・・
何気ない、こういったやり取りでも、
人間の器の違いを感じますよ・・

渋谷が私の批判を読むとは思えないけど・・
私がいいたいのは、
矢沢のファンであることは、
自由だし、それはいい・・
じゃあ〜
純粋なファンを自認するんだったら、
矢沢の本当の人間性を理解してると思いますよ・・
矢沢のファンは、前にも書いたけど、
音楽も確かに素晴らしいけど、
どちらかというと、矢沢の生きざまとか、
人間性にほれ込んでファンになってる人・・
が多いですよ・・そして、
そんな矢沢に自分を重ね合わせて、
レコード買ったり、ステージ観に行ったり
一緒に、唄ったり・・
してるんでしょう?
渋谷にはこれがないわけ・・
たぶん、「成り上がり」も
読んでいないし、
地には平和さんがいいこと言った
「渋谷の話で感動したことない・・」
これが、渋谷の正体です
お得意の「抒情的」なるものに憎悪するわけですから・・
渋谷なんて、ただ、発売された矢沢のレーコードを聴いて
ウダウダ言ってるだけのレベルでしょう・・
彼の生き様や人間性について
深く考えたこともないんですよ・・
たぶん、関心ないんだろうと思います。
矢沢なんて渋谷の嫌う「抒情的な楽曲」ばかりですからね・・
ただ、マスコミが流す情報を吟味もせず
うのみにして、
あ「あ・・あっしたあ〜、と・・とってもお〜、こ・・怖い感じのお〜、
し・・しとがあ〜、ス・・・スタジオにいひ〜
、や・・やってくるう〜んですがあ〜
どうしおよう〜?????」
みたいな感じですよ・・
「けっ〜」ですよ・・
そんなことで、
怒るような器のちいさい矢沢じゃないけど・・
なんだかね・・
あほらしいから・・
この辺にします・・


>実際ロックの大御所でもたとえばジミ・ヘンドリックスは「楽譜が全く読めない」人であったし、
私も何度もこの音楽板に書いてあるが、同じく「楽譜」は読めない
ちなみに、
私は、
>>渋谷のような楽器も弾いたことがない、
作曲もできない、
歌も歌えない、
コードもわからない、
ベース音もわからない、
アレンジもわからない人間に、
はたして音楽をロック・ミュージックを語れるのであろうか?
ように書いたが
「楽譜を読める読めない」という表現や表記は一切使用していない
あのスティーリー・ダンに、これも書いたが、
サポートとして参加していた男
マイケル・マクドナルドも楽譜が読めないという・・
楽譜なんて読めなくても
別に問題ない・・
レイ・チャールズ
スティービー・ワンダー
も盲目なので「楽譜」を読むことはできないであろう
点字の楽譜を読んでいたのかもしれないけど・・
でも、連中の感性からして
そんな、まどろっこしいことは、やってないだろう・・
点字のような皮膚感覚を、
指から頭脳に伝達して、
それを音楽に変換するような、
手間のかかるようなことは
やらない、
感覚一発勝負・・の塊のような連中である・・
それが闇の世界の住民(盲目の音楽家)の
音楽界で生きていくすべである。
すなわち、
耳と創造力と想像力と発想力でのなせる技である・・
楽譜なんてそもそも、
ロック・ミュージックにおいて
たいして意味はない・・
音楽を何らかの形で伝達する「記号」でしかない
それ以上でもなし、それ以下でもない・・
たぶん、テープレコーダーみたいなものが
あれば、ロックの場合、この伝達と言う仕事は十分可能である
テープで聞いた方が、
記号(楽譜化)するより、
直接的で具体的である・・
記号(楽譜)にすると、抽象化され
その人が認識してる四分音符の認識と
作曲した人の四分音符では、
メトロノームがない限り、
必ず誤差が発生する・・
結論は、ロック・ミュージックに楽譜の読める読めないは、
たいした問題じゃないってことである。
そりゃ、読めるより読めたほうがいいに決まってるが、
それを、ロック・ミュージックにおいては、
「特に語るようなものではないのである。」
(スタジオ・ミュージシャンになりたいんなら別だが・・)
音楽理論も同じことが言える、
私は音楽理論の教育はまったく受けたことないが、
既に書いたが、ビートルズ全集のコードを、
ギターとピアノでコピーしたことで、
作曲ってのが少しわかったような気がした。
それまでの吉田拓朗のような曲が、
少し、グレードアップしたなと思った。
ろっくなんてこんなもんで十分です・・
フリップの後釜になろうっていうなら別だが・・
音楽理論なんてわかんなくても、
作曲はできるのである・・
文法がわかんなくても
会話ができるのと同じである・・
楽譜が読めなくてもロックなんぞはできるのである・・
文字が読めなくても会話ができるのと同じである。

ただ、渋谷陽一をこっぴどく(それほどでもないか・・?)
酷評したが、
子どもの頃の、私のまわりには、
チベットよわー様い曰くの渋谷カルト信者が多く、
ちょっと、批判しただけで、
「レコード返せ!」とか、
「お前とは、口をききたくない!」とか
結構、ヒステリックな反応されたのを思い出すと、
チベットよわー様のように、
渋谷を支持する人がもっといても、
いいんじゃないかな・・と思っていましたが、
ヤング・ジョッキーって1970年代初頭から中ごろの放送なんですかね、
なんだかんだで、
もう、40年も前のことなんで・・
忘れ去られたか、風化したか・・
どうなんでしょうね・・
渋谷もまだまだ元気だということですし・・
いちど、渋谷と対談したいと
思いますけど・・
まあ、私のようなザコは相手にされないだろうけど・・


>そこが大好きなんだと思いますよ。ホントはね。
でも、そんなこと今さら口が裂けても言えないし・・・かな?
それは鋭い指摘・・
矢沢のでっかい「YZAWAタオル」買って、
肩にはおって、
会場入りした渋谷なんて
みたいけど、
本人はやらないだろうな?
死んでもね・・
そして、
トラベリン・バスで、
「ルイチャナ〜」ていったら、
タオルを真上にほおりあげる
「あれ、一度、やってみたかったんだよな・・オレ・・
実は・・・そんな渋谷が、いるのでした・・」
チャンチャンですかね・・
渋谷先生の批判・・
結構閲覧してくれてますね・・
秘かに注目してたのかな?


渋谷陽一批判の補足を以下に記しました。
興味のある方は以下の
チベットよわー様の投稿の
コメント欄をご覧ください!
Mr. Soul から Jumpin' Jack Flash へ
http://www.asyura2.com/12/music10/msg/156.html
投稿者 チベットよわー 日時 2012 年 11 月 11 日 18:55:09: Xy93FIMaJupUQ


>僕がいきつくのは、抽象的な言葉を並べてダダを
こねては主流社会に反抗するような・・・・こういう自己満足のカルト人種でしかない・・・。
自分を卑下して、言っているのか?
本気で自分でそう思っているのか?
不明ですが・・
では、そうなる、理由を、
そうならざる理由を、
いつかお聞かせ願いたいと思います。
>水野晴郎、淀川長治に通じる独特の欧米人Loveな雰囲気を持っておられる渋谷先生。
笑い声を仮名にしたらオホホホとかじゃねーだろーなw
確かに、
で、お子様、いらっしゃるのでしょうか?
シブヤ君・・
>ロック評論とは、音楽というクライテリアをできるだけ用いずに語るところに価値があるのだ!
としかいいようがない。
まさに、ロック・ミュージックの本質から逃避して、
語るしか術を持たない渋谷の本音白状
独白か?
普通の信者にはそれは、
シブヤのシナリオ通りに騙せるが、
騙されることほ自ら欲しない
俺のような、アホには、
その魔術も効果がないようである。
いずれにせよ、私は、この音楽板で、
数多くの評論をしている。
たとえば、以下のものである・・
別に、音楽的な素養がなくても理解できるし、
音楽的な素養がなくとも書ける文章で、
抽象的な表現で終わる内容はない。
音楽に少なくとも興味のある人であれば、
誰でも理解できるように書いてるが、
渋谷のように、
音楽の外の世界の現象やら事象にかこつけた
表現は一切していない。
音楽の本質は何か
ロックの本質は何か
それをただ究めようとする
意思と意志の産物である。
渋谷に欠落しているのはそこんとこである・・・
活字のゴミである・・
筆舌に尽くしがたいレナード・コーエンのジュールズ倶楽部でのライブを動画埋め込みの為、再投稿
http://www.asyura2.com/12/music7/msg/641.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 6 月 01 日 06:38:58: tZW9Ar4r/Y2EU


中村さんの調査、誠にありがとうございました。
ミュージック・マガジンという雑誌は知っていました。
がただ、買ったことはありませんでした・・
自分の好きなアーティストが表紙になってると、
気になったりは、しましたが・・・
内容見ても、こんなもんか?的な感じで・・
むしろ、何も覚えていないんですよね・・
それより、やはり、渋谷君だと思いますよ・・
まだ、生きてる・・し
これも下らんけど、
思い出したから、書くけど・・
なんか、ジミヘンかなんかの特集やっていて・・
どんだけ、ジミヘンがすごいんか!
という説明の中で、
己は楽器もギターもひけないから
音楽やそのテクニックのことは、わからないと、
言っていながら・・
以下の矛盾した発言が飛び出す!
チャーというギタリストと対談した時に、
チャーが、
「もし、ジミヘンが生きていたら
俺はギターを弾いていない・・
それくらい、テクニック、発想、サウンド、作曲にその他すべてにおいて、
飛びぬけてすごいんだ!」
という言葉をチャーが言ったらしい・・
「あのチャーがそうやっていうんだから、
すごいんだよ!」
みたいな、結論を導いていたのには
呆れた・・
チャーというギタリストの
他人の褌で相撲取るのかよ、お前は・・
自称ロック評論家と名乗り、
音楽そのものにつては、語らないと豪語するのなら
それを貫徹せよ!
やはりコイツ蝙蝠君ですね・・
お前は、音楽のこと分からないから
音楽が外の世界にどんな影響を与えたとか
音楽が若者にどんな影響を与えたのかとか
音楽の本質、真髄、本質については語らないハズではなかったのか?
都合のいいことにチャーの弁を持ち出し、
ジミヘンのすごさをことさら強調し
崇める・・
いつから、自分のわからないギターテクや作曲や
アレンジや曲の発想について、他人の褌を借りて
受け売りで、
「チャーが言うんだからすごいんだ・・」
なんて、こと言うようになったのか?
じゃ〜、もしジミー・ペイジが、
もし、「ジミヘンはテクニック的に未完成で、
ステージ上では、アームを使い過ぎて、チューニングに問題が
あったが、大音響でやりまくるので、チューニングなんて気にしていない
最低のギタリストだったんだ!」なんてジミーが言ったら

渋谷は
「そうですね!
ジミヘンは大音響で
難聴になって、
ステージでは、CメージャーがCマイナーに聞こえるほど、
どうしようもなかったということです・・」
なんて言って手のひら返すんじゃないだろうなあ〜?
ロックの外の世界で語ろうとするなら
チャー(音楽家)の言葉をネタに自分のコメントに肉付けするようなことは、
するな!
音楽のことはわからないから
語らないのであれば、それを徹底して極めろ!
だから、音楽が社会にどんな影響を与えたか?
とか、例の音楽の外側を語る「渋谷ワールド」を極めろ!
と言いたいですね・・

と言いたいです。

>「音楽評論家」はもういらないのか?
生まれたばかりのひなのように・・
あーんと大きな口をあけて
親鳥が、えさをその大きな口に入れてもらえるのを待つ・・
そのような、受動的かつ
他人の意見があって初めてコメントするような人物かつ
騙されることを欲する
愚かな子羊的な人には、必要なんでしょうね・・
自分で考えて行動するより、
他人のアドバイスにすぐに頼ろうとする人物・・
他人に支配されたいと思う人
結局自分の意見がない・・
というか自分で音楽を、
先入観ゼロで、聞き、
それに何かを感じるが、なぜか、
それについて、何も語ることのできない人
(これはこれでいいんです)
それでいて、その音楽を他人に語ってもらいたいと思う人
なんかも、必要なんでしょう・・
結局、自分で本質を探ろうとしない
怠惰な人、
効率ばかり求めたり、
楽しようとしたり
安直に結論を求めたり
この世の中のことも同じ、
音楽も同じ・・
そのしっぺ返しは、
高い代償として後後つく・・
しかし、評論家にその責任は押し付けることはできない
騙される人の
自己責任ですよ・・
他にもあるけど、
そんな人、いっぱいいますので、
そういう人には、音楽評論家という空虚な人種が
必要と思われます。
たとえば、何か、
レコード店で、かかってた音楽が気に入り、
自らの意思で、
そのレコードを買う・・
そしたら、その人の過去のレコードも気になる
そのレコードのプロデューサーも気になる
その人が、他の歌手に楽曲書いてたらそのレコードも気になる
そんなの、ジャケットの裏に全部・・英語で書いてある・・
そうやって、自分で、見つけていけばいいんですよ・・
音楽なんて、
それを、面倒がったり、するんじゃないですか?
皆さん・・たぶん・・
誰かさんの意見を聞きたい・・
そんなのいらんて・・
自分の好みとその誰かさんの
好みが同じなわけないんですよ・・

本だって、同じです、
1冊の本が、きっかけで、
どんどん、興味が広がって、
100冊にも200冊にもなる・・
巻末に参考図書とか書いてあるから、
そっちも読みたくなる・・
これ、終わりがない旅になるんだけど
結局、
その繰り返しでしょう・・人生・・
音楽も一緒ですよ・・
聴き手が横着するから、
思考停止するから
その弱みに付け込んで、
いかがわしい評論家がはびこるんです。
一般大衆は、評論家の方が
圧倒的に情報量が多いと思っているし、
実際にスーパースターとタイマンで会ってる
(これって、別に語るようなことではない、どうでもいいことなんだけど)
その情報がクソみたいな情報でも、
タイマンで会ってる内容もクソみたいなものでも、
力関係が、なぜか、以下のようになる
最初から、評論家を崇めている・・
評論家>一般人
となる・・
これで、評論家がイニシャチブを握り、
評論家>一般人 
この、力関係を維持持続できる・・

今後も、この手の輩は、跋扈しますよ。
実際にビジネスとして、成り立ってんですからね・・


>>誰かさんの意見を聞きたい・・
となると、赤の他人のいい加減な主観に
翻弄されることを覚悟しないといけないし、
例の自己責任・・
結局は、自分で探るっていう努力をしないから、
皮肉っぽく言えば、
まあ、効率よく、情報収集ってやつですが・・
まあ、世の中、効率が求められるので・・
そういった人が、ほとんどなんで、しょうがないでしょうなあ〜
たとえば、喫茶店で、流れてる、
聞いたことない曲・・
いい曲だなあ〜
これだれのなんという曲なのかな?
むかし、10代後半のころかな?
有線にわざわざ
電話して、その曲名、質問したりしてたね・・
「あの〜、さっき流れてた曲名とアーティスト教えてください!」
とか言ってね・・
そんで、そのあとで、もう一回聞きたいから、
今度は、その曲、リクエストしたりしてましたね・・
次かな?とか・・まだか?とか・・
かかったら、なんだか、嬉しくてね・・
子どもっぽいけど・・
今、そんな人、いるのかなあ〜?
というか、ないだろうね・・
とか・・
映画でも、いきなりテレビつけたら
なんかや見たことない映画やってて、
すごく面白くて
一気に最後まで見たとかね・・
ふらっと、時間つぶしに適当に前情報なしで、
映画館入ったら
その映画すごく面白かったとかね・・
なんでも先入観なしで、
遭遇した方が、
その音楽や映画の本質が、
見えてくるんです・・
それを、誰かのいいかげんな無責任な
論評で己の感性を曇らせて欲しくないと思います・・

本投稿とは、無関係ですが、
私の以下の投稿のコメント数が多くて、
下まで見るのが、大変なので、
こちらの方で、書かせていただきます。
誠に申し訳ございませんが、
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
>「・・・・しかしビートルズはあくまで風俗・流行としての存在であり、
その音楽にまで本当に耳を傾けているのは同級生に2,3人しか
いなかった」
これは、純粋に言えば、社会心理学的な分析です。
社会心理学の学者なんかが
たとえば、ビートルズの音楽やファッションが
当時の若者にどのような影響を与えたとか・・
ほとんどのファンは麻疹のようなファンで、

彼らの音楽そのものより
髪型だったり、
洋服だったり
雰囲気だったり、
付和雷同的なファンがほとんどではないだろうか・・とか・・
で結局は
当時の若者の中で、
純粋にビートルズの音楽の本質は何か?
とか、
ロックとは何か?とか・・
ジョンは何をいいたいのか?
ポールとジョンの音楽的な違いは何か?とか・・
ジョージ・マーティンはどんな役回りで
彼らの創作に関わっているのか?
とか・・
彼らのあの刺激的な音楽のルーツは何か?
どんな音楽をルーツとしているのか・・?
とか、
そのあたりに注目して、
真摯にビートルズ・ミュージックに向き合っている
若者は少なかったのである・・とか・・
渋谷のは、・・そのたぐいですよ
渋谷君の分析は・・
>実際にそれだけポピュラーな大衆娯楽があったところで
その本質までじっくり取り組んで自分の世界観に融合しているような層はごくごくごく
一部の人間でしかないのだ。ロックが実はマイナー文化だというところに早くから
着目していた渋谷にはロック評論を志す資格があったのではないかと思う。

上記の分析も音楽がどのように、
大衆娯楽になったのか?
その大衆娯楽が、自分の世界観に融合云々・・
ロックがマイナー文化云々も・・
結局は、ロック・ミュージック
そのものを分析・評論するものではなく、
ロック・ミュージックの外で起きた現象や、
ロックが社会に、若者にどんな影響を与えたか
ということであって、ロック・ミュージックの
外の世界の現象論の域を出ていない・・
結局、ロック・ミュージックそのものを
語ることを避けている、
ロック・ミュージックそのものを語ることから
逃げている・・
結局、ロックの本質を捉えていないから、
捉えられないから、
社会心理学的なアプローチに逃げて
文章を書く・・
(これがいいだなあ〜渋谷君・・)
(これが一番居心地がいいんだなあ〜渋谷君・・)
結局、ロックの本質
ロック・ミュージックとは何か?をわからないから、
ロックの外の世界の現象論に帰結する・・
いつもこれ、ワンパターンです。
渋谷の常とう手段である
ロック・ミュージックを
ロック・ミュージックの外側で論じる
ピントはずれないつものパターンなんですが・・
私は大昔、渋谷信者に、
「ロック・ミュージック」以外の話をして、
一瞬「はあ〜・・・」と思わせて、
君たちを騙しているだけなんじゃないの?
こけおどしでしょ!
ロックが若者文化にどんな影響を与えたとかってのは、
社会心理学とか、
別の世界の人達(大学の先生とか)がいつもやってることでしょ?
松田聖子がなぜ、人気があるのか?
オニャンコクラブがなぜ、人気があるのか?
なぜ、矢沢は暴走族みたいな連中の支持をうけるのか?
とか・・
とか、社会心理学の大学の先生が得意とする
世界ですよ・・

と、言ったことがある・・
すると彼らは・・
「社会心理学ってなんだ?」
「そんなの渋谷に関係ない・・」
との返事・・・
渋谷の話に戻るけど、

簡単に言えば、渋谷の評論(?)とやらは、
いずも、「疑似社会評論家」の域を出ない・・
「社会評論家」でもない
「社会心理学者」でもない
「ロック・ミュージックの評論家(?)」でもない・・
まあ、都合のよい、位置づけですよ、
イソップ童話の
まるで、「こうもり」のような・・
あっちふらふらこっちふらふら・・
たぶん、社会心理学的なことを聞いたら、
「いや、私は社会心理学者のような専門家じゃないですから・・」
とか言って逃げるだろうし、
「ジャー、渋谷さん、このアルバムの音楽的な側面を語ってください」
といったら、
笑いながら
「イヤ〜、実は、音楽のことは、全然わかんないんですよ〜」
と言って逃げるだろう・・
このへんの処世術には長けているが、
結局は、友人に「おれのギター触るな!」
といわれて、「ギタリストを断念する程度の男の正体がある」
結局は、居心地のいい場所にいて、
処世術だけ大切にする
ミニ「アサハラ」である・・
ロックが社会にどのような影響を与えたか?
ロックが若者にどのような影響を与えたのか?
その中で、コアのファンは何を感じ、何を求めたのか?
とか?
で、結局、
ロック・ミュージックの本質を探る旅の回答とはなっていない。

なぜか?
渋谷には申し訳ないが、
自ら、俺は音楽のことは知らんとうそぶいて
堂々と音楽を語るこの矛盾に満ちた悪漢ぶりは
オウムのアサハラとそっくりだが・・
音楽を知らずして音楽を語る
そしてこれで、メシを食える
さらに、これで、迷える子羊を
騙して、自分のくだらない雑誌を売ることができる・・
味をしめたようだ・・
渋谷はその方法を彼は、意識的か無意識の偶然の賜物か
とにかく、うみだしたのである・・
それは、自分の苦手な音楽の話はしないで、
社会心理学的なアプローチをうまいこと活用して、
音楽ファンのハートを捉えるということである・・
それが、貴殿の言う
>「・・・・しかしビートルズはあくまで風俗・流行としての存在であり、
その音楽にまで本当に耳を傾けているのは同級生に2,3人しか
いなかった」
上記は、まさに、渋谷の真骨頂です。
音楽を語らずして、
音楽の外の話をして
音楽評論(?)とする。
私はこれを渋谷マジックといいたい。

音楽を語らずして音楽を語るという、
この矛盾した彼の評論家観・・
音楽を語らずして、音楽を語るという
この邪道を開発したのは、
たぶん、日本のロック評論家(?)の
パイオニアじゃないですか?
音楽を語らずして
音楽評論(?)を行う
悪漢渋谷に・・・乾杯!


>ビートルズ直撃世代から時代が流れた80年代に中学校にいた私のまわりに
実に洋楽派は殆どいなかった。
私も、ビートルズが解散した後に、洋楽を聴き始めましたが、
貴殿は、ビートルズや他の60年代のバンドに詳しいので、
てっきり、ビートルズをリアルタイムで体感してきた世代だと
思っていましたが、
私よりも、かなり年下のようですね・・
で、思ったのが、
@なぜ、ビートルズに詳しいのか?
Aなぜ、ビートルズ以外の60年代バンドにも詳しいのか?
その辺に、純粋な興味がわきました。
もし、問題なければ、
教えてください。
私は、作曲に役立つと思い、
70年代終わりくらいから80年はじめくらいまで、
コピーしながら全曲聴きました
でも、本心言えば、
聴きたくなかったんです・・
ビートルズって、なんか、
アイドルみたいで、
イェスタデイとかミッシェルとか、
ロックというより、なんか、モンキーズみたいな
イメージがありましたし・・
権威のようだったし、
あんまりけなす人居ないし・・
(ただ、うちらの田舎とバンド仲間は、ケチョンケチョンにけなしていましたが)
でも、これは、それこそ、
音楽を究めるためには
聴かなきゃならないバンドだと
心に言い聞かせて聴きました。
あと、うちらの田舎は、
このコメント欄にも結構書いてるけど、
娯楽がなかったんです・・
倒産、寸前な、映画館の
禿げオヤジと、
映画を上映するか?
しないか?
で、いつも、やりあってました。
あと、10人呼んで来い!
そしたら、映画見せてやる!
オヤジ・・8人しか、いなかった・・
オヤジ・・今度は20人呼んでくるから、
今日は、頼むよ!
とか、交渉しながら、
がめら対ギャオスとか観てたんですよ・・
そんな田舎なんで、
娯楽は洋楽です・・
小学校4年生くらいから
好きな女の子に、
涙のハプニングと
霧の中の二人と
魔法のどれが好き?
なんて聴いたりね・・
おれは「魔法」だったんだけど、
彼女は「涙のハプニング」が好き・・
と聞いて、少しがっかりしたの
今でも覚えている・・
高校2年の時かな?
映画「永遠の詩」が出て、
サウンドトラックでたんで、
予約して買ったら、
変な「ポスター」もらったんだけど、
クラスのジミー・ペイジ大好きの
美女中の美女に、
レコード貸して、
その変なポスターをあげたり、
なぜか、ロック好きの女の子は美女が多くて
困った・・

>その他の一覧を見ると、師匠の「渋谷陽一批判」ありましたよ。すごっ!
己がすごいんじゃなくて
この掲示板「阿修羅」がすごいということですよ。
私なんぞ、他人の褌で相撲取って、
あーでもない、こーでもないって
能書きたれてるだけですからね・・
管理人さんが、一番すごいんじゃないですか
なんてったって、俺はそう思うし、
いつも、感謝しています。
こんな自分に、機会をいただいてね・・
最近、うちの家内や娘に
「普通の人は、年食ったら、丸くなるっていうけど、
あんたは、逆だねえ〜、どんどん、とんがってくるんだから〜」
「困ったもんだよ!この、オヤジ〜!」
なんて言われてますが・・


中村なんとかっていう人、全く知らないです・・
たぶんよくわかんないけど、
下らん争いでしょ・・
これに関しては、調査の価値なんてないと思いますよ・・
だって、渋谷自体がくだらんやつなんだから
そんな下らんやつと争うのって結局は下らんのじゃないですか?
まったくしらない中村さんに失礼か?
私も、渋谷批判、たまたましましたが、
なんと言っても
チベットよわー様が
渋谷陽一がどうしたこうしたとか
キング・クリムゾンは
繰り返しが多いとか
歌唱力が弱いとか書いてあったんで、
一気に、少年時代の感覚に
もどっちゃって、
いろいろ当時のこと思い出して、
これは、下らん事だが、
一度は書くべきだなと思い書いたんですよ・・

一連のロックの本質論と渋谷批判論は、
ある意味では、チベットよわー様が、
影の主役ですよ。
本人、どう思ってるか知らないけど・・
ロックの本質は繰り返しである
ロックVoに歌唱力は必要ないとか
子どものころに思っていたことを、
活字にするチャンスをいただき、感謝していますよ。
チェベットよわー 様
ありがとうございました。
先輩からドラムを借りれるということで、
うちのおばあちゃんが、リヤカーを貸してくれるということになり、
友達と、リヤカー押して、町の隅から隅へ
えっちらほっちら、人力車よろしく、
駆け回ったのを思い出しました。


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年1月01日 18:55:19 : FrpXTmA0eo
 ENOさん、明けましておめでとうございます。

 どんどん尖っていくなんて、なんてすばらしいことでしょう。 今年もますますのご活躍を、、。


02. BRIAN ENO 2013年1月01日 19:57:59 : tZW9Ar4r/Y2EU : yhmbAsnuyo
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

>最近、うちの家内や娘に
「普通の人は、年食ったら、丸くなるっていうけど、
あんたは、逆だねえ〜、どんどん、とんがってくるんだから〜」
「困ったもんだよ!この、オヤジ〜!」
なんて言われてますが・・

長々とした文章お読みいただき、
誠にありがとうございます。


03. チベットよわー 2013年1月02日 04:55:19 : Xy93FIMaJupUQ : KBbxKDp4vo

大きな運動を作り出したいときは、その代表的な推進者を凡人にすべき、という法則がありますね。
あんまり切れる奴だと、全体がついていかない。

日本の総理大臣が、推薦やスポーツ特待で生徒を獲得することで知られる二流の教育機関である
私立の早慶出身者でできているのも、一流の東大だと距離があきすぎ一般大衆が離れてしまうからである。
だから東大は猿をまわしながら裏で政府を動かす。

渋谷が本当にキレモノであったとして・・・・・坂本龍一並みの楽才と村上龍並みの文才があって、
ロックをネタに政治思想や文化史を語るリキがあり、インタビューも英語でこなす・・・・・・。
こんなスーパー評論家であれば、おそらくロッキング・オンはブレイクしなかったんじゃないだろうか。

僕の知り合いには写真を取る人種がけっこういて、プロアマを含めて3大陸で写真家を名乗っている。
その中で、それだけでフリーで食べていけているのはたった3人しかいない。違いはなにか?ちゃんと
客層のターゲットを定めて欲しがられることをこなしているか、どうかそこである。自分で客の持っている感性
をワープさせてしまうくらいの革命的創作力を持っている天才はいないだろう。

自分の好きなことを自分の追求したいレベルでやっていいのなら、写真家界のヒエラルキーは
一夜で一転してしまうに違いない。

渋谷の活動は上流家庭出身のボンボンがちょっと上から見るような感じで一般大衆を相手にすることで
成り立っていたのだろう。あんまり極プロすぎてもダメ、1ファンの代表みたいな奴でもダメ、
65点でずっと精力的にやっていけること、それが成功だったということか。


(一部ギャグを含めました・・・・w)


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)|(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(なしでも可能。あったほうが良い)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 音楽10掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 音楽10掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧