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欧米とイスラムは、なぜ、かくも対立するのか〜十字軍コンプレックスとヨーロッパ帝国主義による蚕食/小室直樹
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/343.html
投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 16 日 15:34:57: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

(回答先: イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」〜キリストの「愛」とアッラーの「慈悲」を比較する/小室直樹 投稿者 仁王像 日時 2016 年 1 月 15 日 20:06:51)

第三章 欧米とイスラムーなぜ、かくも対立するのか
第一節 「十字軍コンプレックス」を解剖するー現代世界にクサビ刺す“1000年の恩讐”
≪イスラムはなぜアメリカを憎むのか≫
 日本人な中にもある反米感情と、イスラムの反クリスチャン感情とは、けっして同列に並べるわけにはいかない。日本人が欧米と本格的に接触したのは、19世紀半ば以来のこと。これに対して、イスラムと欧米の関係は700年以上の昔に遡る。この長い歴史の中には、さまざまな因縁があり、それが現在のイスラムと欧米の関係を形作っている。
≪イスラム史を知らずして、世界史を語るなかれ≫
 日本人の知っている世界史は、ヨーロッパ史と中国史、それにアメリカ史を少々加えたもの。大事なものが一つ、それがイスラムの歴史である。
 イスラム世界は三度にわたって、その盛時を迎えた。
@ マホメットの死後、「正統四カリフ」時代
A サラセン帝国時代
B オスマン・トルコ帝国、サフォービー王朝、ムガール帝国の三国鼎立時代。
 さらに、AとBの間に、ティムール大帝国の隆盛もある。
 これら三つの時代における、イスラムの繁栄たるや。
 同時代のヨーロッパなんて、とうてい比べものにも何もならない。

≪世界の富と文物、知識が集中したイスラム世界≫
≪綺羅星のごとき、イスラムの英雄たち≫
 ティムール、メフィット二世、アクバル大帝。(ナポレオンなど比でない)
≪イタリア・ルネッサンスもイスラムの賜物だった≫
≪聖書研究でもヨーロッパをはるかに凌ぐ≫
≪西欧人にとってオリエントは憧れの地だった≫
 もう一つ忘れていけないのは、経済力。この当時のヨーロッパときたら、イスラムから見れば、さながら山猿のごとき生活をしていたと言っても過言でない。それを示すのがオリエント急行だ(1883年開業)。
≪イスラムから“逆輸入”された古典研究≫
≪忘恩の徒、汝の名はクリスチャン≫
 地中海世界において高い文明を誇ったギリシャ、ローマが滅びた後、その文明はアラブ世界によって守られ、さらに発展した。この貢献がなければ、その後のヨーロッパ近代文明は生まれなかった。イスラム世界はまさに「恩師」とも呼ぶべき存在なのである。その大恩師に向かってキリスト教が“お返し”されたのが、十字軍であった。こともあろうに聖地エルサレムを占領しようとした。
 突然現れた野蛮なキリスト教徒によって、エルサレムにいたムスリムたちは虐殺された。謂れもなく、このような殺戮は、いかに平和を愛するムスリムといえども、怒り心頭に達するというものだろう。
 ここにおいてイスラムは聖戦を発動し、ヨーロッパと相まみえることになったのである。

≪十字軍コンプレックスとはなにか≫
 現代におけるイスラムのヨーロッパに対するイメージは、まさにこの十字軍経験が大きく影響している。イスラム教徒の心中には、十字軍に対する聖戦意識が複合して、今なお蟠踞(居座って)いるのである。
 このキリスト教徒の劫略(ごうりゃく)に対して、イスラム教徒が本格的に聖戦を発動するのは、12世紀も後半になってからだ。1187年のハッティンの会戦―この激戦で勝ちを収めたのが、有名な聖戦の英雄サラディンであった。だが、ヨーロッパ人は諦めなかった。足かけ3世紀に及ぶ十字軍との戦いに翻弄され、戦いに決着がついたのは1244年のことである。
 アラブ世界がモンゴルに滅ぼされた時は、モンゴル人は、イスラムの教えの前にひれ伏したので、モンゴル・コンプレックスは残さなかった。
 ところが、キリスト教徒ときたら…。イスラム教に教化されなかった。十字軍の戦いで敗れても、その信仰を捨てようとしなかった。
 後年生まれる十字軍コンプレックスの根底には、こうした事実が潜んでいる。
 十字軍の記憶も、それが過去の記憶のままで終わっていれば、さほどの問題ではなかった。ところが、十字軍の侵攻はから数百年経った19世紀になると、ふたたびヨーロッパ勢力はイスラム世界に挑戦してきたのである。
 イスラムとヨーロッパの勢力バランスが、急速に変化したのは19世紀になってからのことだった。18世紀までは、イスラムの圧倒的優勢は揺るぎがなかった。当時のトルコ軍といえば、地球上で最強の軍隊。オスマン・トルコはすんでのところでウィーンをその勢力圏に置くところだったが、ポーランド、オーストリアの連合軍がこれを阻んだ。もし、このときの戦いにヨーロッパ人が敗れていたら、間違いなく世界史は変わっていたに相違ない(小室は、ヨーロッパ人の多くは頭にターバンを巻き、パリやロンドンではコーランが朗々と流れていたに相違ない、と書く)

≪近代ヨーロッパ帝国主義に蚕食されるイスラム≫
 ヨーロッパに対して圧倒的な優位に立っていたイスラムが、その地位を失いはじめるのは17世紀。18世紀に入ると、この傾向が加速され、19世紀に−入るや、完全にイスラムはキリスト教社会に圧倒されるようになる。
 19世紀に入るや、ヨーロッパ帝国主義国はイスラム世界を蚕食しはじめた。
 かくてイスラム世界はキリスト教徒のヨーロッパ人の前に膝を屈することとなった。
 ムスリムたちが「汚いことクリスチャンのごとし」と呼んで憚らなかった野蛮人たちが、今や世界の主人になったのである。
 なぜ、このような大逆転が起きたのか。さまざまな理由が挙げられるが、ヨーロッパ人のみが「近代」の扉を開いたことが、最も決定的だった。近代資本主義、近代デモクラシー、の成立。また、数学や物理学といった近代科学も産み出した。アッラーの軍隊も、ヨーロッパの近代軍にやすやすと敗れることになった。
 

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コメント
 
1. 中川隆[1178] koaQ7Jey 2016年1月16日 18:30:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[905]

また見当外れの事言ってるな

元々、砂漠地帯は人口密度が極端に少ないし、農業ができない

農業をやらないと財産の蓄積ができないんだよ

遊牧民の生業は農耕民の蓄積した財産の略奪

自分では何一つ生み出さない

こんなんでは産業革命はおろか学問や研究は絶対にできない


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