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人は自然体で生きて行ければ、それが一番だと思う
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/632.html
投稿者 仁王像 日時 2018 年 8 月 23 日 20:49:21: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

(回答先: 人は体術の心得がある方が、前頭葉三寸思考に堕ちらず物事の本性を直に察知する力が涵養されるのではないか 投稿者 仁王像 日時 2018 年 8 月 19 日 07:39:26)

 
人は自然体で生きて行ければ、それが一番だと思う。

 ノモンハンで「敵を知らず己も知らず」戦ったのは日本陸軍だった。
 人も”己を知らず”生きて行こうとするといろいろ不都合な事態になろう。ここでも途中から急に逆上したり、最初から逆上して現れたり…戦場なら討ち取られよう。

 ”己を知る”ということは意外に疎(おろそ)かにされているのではないかと考えるようになった。己の内面を静かに観察し客観視できれば、判断を間違うことも少なかろう。自分に変な縛りをかけ力んでそれに足を取られたり、身の程を知らないがゆえに過負荷をかけて悪足掻きしたり、といろいろある。己の何たるかを心得るということは生易しいことではないのかも知れない。

 人には個性が有り、能力・資質も多様である。一様で個性がなければ面白くも可笑しくもない世界になる。自分を買い被ったり、その逆に不必要に卑下したりと本来の自己からかけ離れる。
 己の生来の資質を伸び伸びと自然に顕現できれば、心身の健康にもつながりそれが一番良いと思う。相互のコミュニケーションも格段に向上する。

(補)ここでも虚勢を張る奴らも時々見かけるが、彼らは”己を知らない”というよりも逆に知っている者も含まれる場合もあるのではないかと思う(比率は小)。知っていながら自然体で振舞えないのは、人間性の複雑さ、としか言いようがない。


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/588.html
 >われわれもこの場をお借りして何事かを語る時、自然体を心がけたいものと思うのである。
 

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コメント
1. 仁王像[2370] kG2JpJGc 2018年8月23日 21:26:14 : VVr0rjy2VQ : 6f04gkoUsWU[1] 報告

 端的に言って、己を知らず悪足掻していると、ストレスが溜り病気になる。
 「病は気から」と良く言われるのは、この辺の事情から来ているのではなかろうか。
2. 仁王像[2377] kG2JpJGc 2018年8月26日 21:07:35 : rwbXOwzA4g : guknyXctTjI[2] 報告
 (余談)

 W・ショーターがソプラノSAXでプレイする近年と思われる曲を何曲か聴いた。音が、他のプレイヤーとは一線を画する格式があるように思えてならない(音も演奏も素晴らしい)。

 うまく言えないが趣向を壊す覚悟で言うと、ヘンに造らない、飾らない、自然体の吹き回しだが、非常なる説得力がある。他より良く見せようなどと言う意図は皆無。ただひたすら自分の芸に集中している、というようなことになる。

 演奏家が自然体でプレー出来る境地になれば、有無を言わさず人様に歓ばれ仕合せにする。こんな生き方が出来るというのは実に素晴らしい(ルービンシュタインもそう)。
 人の生き方の一つの理想形ではないだろうか。(良いプレー、人に歓ばれる。心身の健康にも良く、人生に益々磨きがかかって行く)

(補)
 ショーターさんの作曲は、筆者はあまりいいのがあるとは思えない。作曲と言えば、B・ゴルソンが筆頭に浮かぶ。いくつかの名曲がある。
 ゴルソンのテナーもゴリっとした音の中に独特の「甘味」があり、音が素晴らしく演奏も良い。すでに自然体になっているのかも知れない。

3. 仁王像[2378] kG2JpJGc 2018年8月26日 21:53:24 : 29MtqZ42hE : dGACt702dVg[1] 報告
 現在のショーターと比較したくなるのが、故スタンゲッツである。
 良く知られる「ストックホルム」はゲッツらしい演奏で差別化を図っていると見る。当初はなかなか良い演奏と思うが、何十回も聴いていると耳に付いてくる。自然体ではない。晩年の演奏も妙に力んだところもあり、自然体の境地にはなれなかったとみている。(ゲッツがガンに侵された頃、児山さんが、ゲッツのスタジオで生音を聴かせてもらったが、宝石のような音だった、と語っていた…)
4. 仁王像[2380] kG2JpJGc 2018年8月28日 20:06:21 : DgdRb6AmfY : 48Mwqbu7UFE[2] 報告
 (本題に戻って)

 人は本来の自分を知るようにし、心に不要なバリア(基準)を設けないのが良い。基準とは自分はこうすべきなのだ、と勘違いしたり、思い上がって別の基準を設けたり、と。
 本来の自分と違う生き方をしていると、ストレスが溜まり体調を崩す。体調だけでなく精神を病む場合もある。ここでも、人格が崩壊したと見られる人物が姿を消した。無理が祟(たた)ったのだろう。

 そこで、高岡英夫『身をゆるめ、心を放つ』が光彩を放って来る。「心を放つ」とは本来の自分を見極め何の縛りも自分に課すことなく自然体で生きることと同じ。繰り返すが、自然体は心身の健康に良いはずだ。「心を放つ」有力な助っ人がゆる体操で「身をゆるめる」こと、という具合になる。


『身をゆるめ、心を放つ』高岡英夫/サンマーク出版‘06年から
・ゆるんだ柔らかい身体に丹田が形成されると、肚の据わった、胆力のある、泰然自若、という状態になる/高岡英夫
 http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/752.html
 投稿者 仁王像 日時 2014 年 3 月 31 日 20:32:58: jdZgmZ21Prm8E

・日本人は海外では、「歩き方が世界一汚い国民」と見られている/高岡英夫
 http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/485.html
 投稿者 仁王像 日時 2013 年 6 月 09 日 22:05:28: jdZgmZ21Prm8E

・幸福とは身体、意識、気が活性化している状態/高岡英夫
 http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/486.html
 投稿者 仁王像 日時 2013 年 6 月 10 日 20:05:06: jdZgmZ21Prm8E

5. 仁王像[2388] kG2JpJGc 2018年9月02日 21:25:12 : fG1VEe7wmc : JOrWkD54bVI[3] 報告
 (余談.2)

 今夜のEテレではチェコ出身のノイマンのアーカイブがあった。

 解説者のMARO氏によるとノイマンは「指揮ぶりを良く見せようという意図はゼロ、作曲者に媚びる意図もゼロ。ただ自分の信ずるところに従ってやるだけ」という風な解説をしていた。

 これだね、これこそ自然体。自分の持っているもの、蓄積してきたもの、精進してきたものを飾り気なく出していくことが一番だね。
 (筆者には、クーベリックの「モルダウ」との違いは聞き分けられなかったが)
 

6. パルタ[19] g3CDi4Ne 2018年10月08日 21:20:54 : M9SX4LpJE6 : tcgbwi7c0_E[2] 報告
自然体も失敗を経験しないと完璧なものになりにくいと思う
直感やプラス思考、起床時の体調の良さが結果を保証するものではない
顔を地面に付けて学ぶ事も多いと痛感する
自分はまだまだだなあ

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