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日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第6章 ゾルゲ〜二つの祖国を持つスパイ
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/385.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 11 日 17:49:34: 8rnauVNerwl2s
 

(回答先: 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第5章 スメドレー〜女性記者の赤い疑惑 投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 11 日 17:42:40)


「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm


第6章 ゾルゲ〜二つの祖国を持つスパイ

共産主義者は、日本でもスパイ活動を行いました。わが国でのソ連のスパイ活動は、昭和16年10月、大東亜戦争直前に発覚しました。これが有名なゾルゲ事件です。背後にいるのは、スターリンです。スターリンは、ソ連を盟主とした世界の共産化を目論み、世界各国に国際共産党の支部を設け、スパイや協力者を作り、ソ連の国益に奉仕させました。彼のために日本で暗躍したスパイが、リヒャルト・ゾルゲでした。

◆二つの祖国を持つ男

 リヒャルト・ゾルゲは、1895年、ロシアのバクーに生まれました。父アドルフはドイツ人の石油技師、母ニーナはロシア人でした。3才のおり、家族とドイツに転居し、少青年期をベルリンで過ごしました。
ゾルゲは、厳格でドイツ国家主義的な考え方の強い父親に反発しました。祖父は、ドイツ社会民主党の活動家で、マルクスやエンゲルスとは同僚のような関係でした。ゾルゲは子供のころから、そんな祖父への強いあこがれを抱いていました。第1次大戦に従軍した彼は、戦争の悲惨さを痛感し、社会の変革を強く願うようになったのでしょう。1917年に、母の国ロシアで起きた共産主義革命に感激したゾルゲは、1919年に、ベルリン大学を卒業すると直ちに、ドイツ共産党に入党しました。(1)
ゾルゲは女性共産主義者ローザ・ルクセンブルグの著書の出版などで頭角を現しました。ゾルゲはまた、フランクフルト学派の一員でもありました。1924年、フランクフルト大学に西欧マルクス主義の牙城となる「社会研究所」が創立された時、彼はその所員となり、しばらく在籍したのです。そして同年、共産党の指令でモスクワへ派遣されました。ソビエト共産党に入ったゾルゲは、コミンテルン本部でも優れた才能を示し、赤軍第4本部(情報局)に引き抜かれました。彼の持つ強い信念、豊かな能力、冷徹な性格は、スパイに向いていると評価されたのです。
ゾルゲは生涯ドイツの国籍を保ちました。その一方、母の国ロシアを「革命の祖国」として尽くしました。父の国での革命を夢見て……しかし、その夢は無残に裏切られることになります。

◆宿命の出会い、そして日本へ

 昭和5年(1930)、シナの情勢は緊迫していました。満州をめぐる日ソの利害は鋭く対立しました。ゾルゲは、ドイツ人ジャーナリストの肩書で、ソ連から上海に派遣されました。ここでゾルゲは、赤い疑惑のジャーナリスト、アグネス・スメドレーと会いました。そして、彼女の紹介で、当時、朝日新聞上海特派員だった尾崎秀実(ほつみ)に近づきます。尾崎は、中国共産党や抗日組織と関係していました。ゾルゲは、尾崎にシナでの情報収集に協力を求めました。これが、彼等による日本でのスパイ活動につながります。
 昭和8年(1933)1月、ドイツにナチスのヒトラー政権が成立しました。指令を受けたゾルゲはモスクワに戻り、ドイツに入って、偽装ナチ党員となりました。
 ゾルゲは、独特の魅力を持つ人物だったようです。長身でエキゾチックな容貌、社会学博士という高い知性、東洋文化への深い造詣などは、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッぺルスをも魅了しました。そして、同年9月には、ドイツで『フランクフルター・ツァイトング』紙の東京特派員の職を得ることに成功し、日本行きの指令を実行しました。盛大な送別会には、彼の正体を知らぬゲッペルスの姿もありました。
 ゾルゲの来日の目的は、昭和6年の満州事変以降の日本の対ソ政策・対ソ攻撃計画を探知し、日本のソ連への侵攻を阻止することにありました。ゾルゲは、駐日ドイツ大使らに接近するとともに、大阪朝日本社に転勤していた尾崎と再会して、日本での協力を求めました。尾崎は「宿命的なもの」を感じました。彼等は、画家宮城与徳らを加えて情報組織を確立し、ソ連と国際共産主義に奉仕する活動を開始しました。

◆「革命の祖国」ソ連への献身

 ゾルゲと尾崎らの活動は、昭和11年(1936)の二・二六事件以降に本格化します。ゾルゲはドイツ大使館の信頼を得、オットー大使の私設情報官に就任し、重要な情報を手に入れられる立場となりました。オットー大使とは一心同体の仲となり、ゾルゲが大使名で本国向けの報告を書くことさえありました。
一方、尾崎は昭和12年4月に、近衛文麿のブレーンである昭和研究会に加わりました。翌年7月朝日新聞社を退社し、第1次近衛内閣の嘱託となり、14年1月満鉄東京支社に移りました。15年7月の第2次近衛内閣の成立前後には、国民再組織案を練るなど、国策に参与する機会をつかみました。こうして尾崎は高度の情報と正確な情報分析を提供して、ゾルゲのソ連防衛のための活動を助けました。こうしてゾルゲは大東亜戦争開戦に関する御前会議決定の機密情報などまでを入手して、ソ連に送っていました。
ゾルゲはオットー大使から、昭和16年6月のドイツ軍のソ連侵攻日時など機密情報を入手し、モスクワに通報しました。独ソ開戦後、オットー大使はヒトラーの意を受け、日本とドイツが共同でウラジオストクを攻撃し、ソ連を東西から挟撃する計画を松岡洋右外相らに持ち掛けました。しかし、日本は南進論や日米開戦方針などから難色を示しました。(2)

◆諜報発覚

 ドイツの進攻を受け、苦戦するソ連を防衛する活動の最中、ゾルゲらの活動は、昭和16年10月15日、日本共産党員・伊藤律を通じて発覚し、終止符を打たれました。ゾルゲ、尾崎を始め、情報提供者、情報機関員らのグループは、スパイ行為の嫌疑で次々に逮捕されました。そして、治安維持法、国防保安法等の違反で起訴されました。ゾルゲのグループは、日本人32人のほか、ドイツ人4人、ユーゴスラヴィア人2人、英国市民1人が加わった巨大組織でした。
 ゾルゲ事件は、日本国内に衝撃を与え、一大スキャンダルとして大々的に報じられました。日本政府は在京ドイツ大使館との対話を停止するなど、日独同盟関係は一時、冷え込みました。ヒトラーはオットー大使を更迭せざるをえませんでした。
 日本はヒトラーが提案したソ連挟撃構想には、終に乗りませんでした。 しかしゾルゲ事件の翌月、11月26日、ルーズベルトからハル・ノートを突きつけられた日本は、対米決戦に突入しました。ハル・ノートの背後には、日米を戦わせようとするスターリンの謀略があることなど、わが国の指導層は知る由もありませんでした。
 日米開戦後の昭和18年にゾルゲ、尾崎に死刑判決が下されました。処刑は19年11月7日に行われました。それは、日本の敗色が濃くなり、特攻作戦が開始されたころでした。苦境にあった日本は、ソ連に和平交渉の仲介を依頼していました。しかしそのソ連から、突然の侵攻を受けました。昭和20年8月9日のことです。日本が弱ったのを見たスターリンは、好機到来と、日ソ中立条約を一方的に破棄し、赤軍を進撃させたのです。背後から袈裟懸けに斬り付ける非道の行いでした。

◆スパイたちの夢、まぼろし

 共産主義に夢を抱き、命を捧げ、そして共産主義に裏切られた者は、多数、歴史の闇の中に眠っています。
大物スパイ・ゾルゲは、共産主義の首領スターリンに命をかけて尽くしました。しかし、猜疑心の強いスターリンは、ゾルゲに二重スパイの疑いをかけていました。
 スターリンは、ゾルゲが日本で処刑されたあと、ロシアに残る妻と12歳の長男を強制収容所に送り、処刑しました。長男については、当時の国内法では年齢が低くて処刑の対象にならないことが分かると、法改正まで行って処刑しました。「革命の祖国」ソ連のために死んだゾルゲに、「同志スターリン」は、かくも冷酷だったのです。
ゾルゲは、祖国ドイツに革命の夢を抱いていました。彼が夢見た革命は第二次大戦後、ソ連による東ドイツの「解放」という形で、実現しました。しかし、共産主義による「解放」とは、欺瞞そのものでした。支配と搾取の別名でしかなかったのです。「解放」の45年後、ソ連の圧政に耐えかねた東ドイツは、共産主義を捨て、民族統一の道を選びました。続いてゾルゲが命を捧げたソ連自体も、内部から崩壊しました。
ゾルゲの共犯者・尾崎秀美には、今なお漠然としたロマンや共感を抱く知識人が多いようです。治安維持法による尾崎らの逮捕・処刑を、民主主義への弾圧、人権の侵害だとする意見さえあります。
実際はどうでしょうか。尾崎が死を賭して守ろうとしたソ連は、「労働者・農民の国」を自称していました。しかしその実態は、労働者・農民が共産党官僚に支配される国でした。ソルジェニーツインが明らかにしたように、ソ連は弾圧と虐待が横行する「収容所列島」の国でした。そして、他国を侵略して下部構造に組み込み、人民を搾取する「赤色帝国主義」「社会帝国主義」の国だったのです。終戦間近に参戦したソ連は、満州や樺太で、逃げ惑う日本人婦女子を暴行・虐殺し、男たちをシベリアに連行して強制労働させました。
 そうした国のために、尾崎はスパイ行為を行いました。彼の行為は、祖国と同胞を裏切った、史上類例のない反逆罪として記憶されるべきものです。
今日の日本には、スパイ法はありません。日本は「スパイ天国」と呼ばれています。毛沢東や金日成・正日父子の国に幻想を抱き、諜報・協力している人間は少なくないようです。政治家・官僚・ジャーナリスト・大学教員の中にも。彼らの夢もまた、ゾルゲや尾崎らと同じように、まぼろしに終わるだけでしょう。
(ページの頭へ)


(1)『20世紀特派員〜暴走する大衆(23)』(産経新聞社)
(2)産経新聞平成9年12月28日号『ゾルゲ事件、日独同盟に亀裂』


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

 

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コメント
 
01. 2014年10月06日 01:01:51 : crS4VgUVtY

ヨシフ先生に読んで頂きたい充実した投稿文でした。



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