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日本を脅かす少子高齢化への秘策 「日本逆植民地計画」とは(SAPIO)
http://www.asyura2.com/15/hasan104/msg/811.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 1 月 27 日 08:01:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

           移民を合法的に支援すればいい AP/AFLO


日本を脅かす少子高齢化への秘策 「日本逆植民地計画」とは
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160127-00000006-pseven-soci
SAPIO2016年2月号


 日本経済がピンチだ。少子高齢化が進み資源も人材も限られる状態になりつつあるが、視点を変えれば成長力を得られる、と社会学者・橋爪大三郎氏はいう。以下、橋爪氏の見解だ。

 * * *
 少子高齢化による日本の労働力不足が深刻だ。その解決策に移民を受け入れるか否かが、議論されてきた。

 受け入れ慎重派はこう主張する。移民は日本語が話せない。単純労働につくしかない。低賃金で教育程度も低い。日本社会に適応できないで治安の悪いスラムを形成し、犯罪の温床になると。昨今の欧米がイスラム系住民と地元社会の摩擦に悩んでいるのをみると、慎重派の懸念にも理由があると思えてしまう。やはり移民はだめなのか。

 視点を変えてみよう。移民にしてみれば、自分たちは圧倒的な弱者。自分を守るために結束するのは当然だ。安心して暮らそうにも、アクセスしにくいものがある。まず、合法的な身分(就労ビザや家族ビザ)。第二に、働く機会。第三に住宅。第四に医療保険などの社会的サービス。

 それなら政府が最初からこれらを整え、移民のコミュニティを設立してはどうか。それが「日本逆植民地計画」だ。

 バビロニア国(仮称)と日本政府が、「逆植民地」の協定を結び、公募に手を挙げた過疎地域のA町をバ国の逆植民地に指定。バ国は数万人を上限に、A町に入植できる。バ国はバ国政府の出張所、警察、学校、病院などの施設を開設。バ国民同士のあいだではバ国の法律が、それ以外では日本の法律が適用される。バ国民がA町から出るには、日本国のビザが必要である。

 バ国以外にも各国の逆植民地をつぎつぎ開設。協定は数年ごとに見直して、経営がうまく行かなかった「逆植民地」は、閉鎖することにする。

「逆植民地」は、その昔の「植民地」とはまるで違う。日バ両国の合意にもとづく共同事業で、誰にとってもよいことだらけだ。

 まず故国にいるかのように、生活できる。バ国の公務員が逆植民地の役場で働いているから、住民サービスや納税もスムース。逆植民地開設に際しての初期投資はそんなに必要ないが、バ国が資金を負担する。日本は過疎地にも、電気ガス水道や通信など、インフラが整っているからだ。

 そして何より人材が育つ。逆植民地はコミュニティなので、単純労働者ではなしに、医師や教員や技師や公務員など、多様な職種の人びとや家族がやって来る。日本の技術やノウハウを身につけ、日本の学校で学び、日本の企業で働くこともできるだろう。

 受け入れ側の自治体はどうか。大勢の人びとがバ国からやって来るので地域が活性化し、地価も上昇。新たなビジネスも起こせるだろう。就労ビザを手に入れ、「逆植民地」から近隣の都市や工業地帯に働きに出てもよい。豊富な労働力を目当てに、「逆植民地」に工場を新設する企業も現れるに違いない。

 有能な人材は逆植民地を離れて、日本全国どこの事業所にも就業できるようにしよう。こうして独り立ちした人びとは、逆植民地の住民には数えないこととするので、その分の人数を代わりにバ国から新しく迎えることができる。技術や知識を身につけた人びとは故国に戻って、バ国の発展に大いに貢献できる。

 近年の紛争は、不合理な現状が改められない、不公正な感覚から生じている。恵まれたものとそうでないものは、資源や自然環境や歴史など、初期条件の違いに起因しているだけだ。「逆植民地」計画はその現状に風穴を空けることができる。先進国と第三世界が協力する、画期的なモデルケースとなるに違いない。

【PROFILE】1948年、神奈川県生まれ。社会学者。東京工業大学名誉教授。『あぶない一神教』『ほんとうの法華経』など著書多数。1月25日に『日本逆植民地計画』を発売。

 

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コメント
 
1. 2016年1月27日 11:30:16 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[463]

>バ国以外にも各国の逆植民地をつぎつぎ開設

中国や朝鮮、米国に、どんどん領土を提供しようということだな

だったら、まず、北方領土や尖閣、それと沖縄を公式に提供したらいい


>橋爪大三郎 東京工業大学名誉教授。『あぶない一神教』

あぶない奴だなw


2. 2016年1月27日 14:42:51 : iPbXYYSDKQ : 3GmY1nSeMgw[27]
ローマ帝国も
チンギスハン帝国でも
いつか滅びます。

日本も寿命が来たら滅びます。

と、いうか、

あと3000年で、地球に氷河期が来ますから、

そこで、いったん地上の人類文明は
氷河に覆われてなくなります。

★このことは、
 天文学者、地質学者、なら誰でも知っていますから
 ご確認ください!
 ただし、その方が地球温暖化などと言っていたら
 アホですから、そいつに聞いても知らないし、
 氷河期が来るなど、野々村以上に知らんと思います!
 そいつに聞いても、唸り声をあげながら
 「あぁ〜あ、氷河期は来るんです〜〜」
 「苦労して、学者にあ〜あ、なったんです〜〜」
 とぐらいしか、答えれないと思いますがね!

そのころでも、
人間は他の惑星や宇宙では暮らせませんから、
人類の歴史はなくなります。

上手くすれば、
数万年後に、人類の遺伝子を受け継いだ
なんかの動物が、
氷河期が明けたときに
違う文明を花咲かすかもしれませんがね!


3. 2016年1月27日 16:34:34 : mJnsAoEF8k : xPxOGSEBNuo[1]
うまくいかなったんで閉鎖します。
その時、中に入るバビロニア国難民はどうするのW。

4. 2016年1月27日 19:29:28 : nZevD2XVmc : TBomaZZvqfw[23]
試験的にこの馬鹿先生の自宅の隣を難民特区として開放しよう。一年後に馬鹿先生が同じ戯言をのたまえるのなら真面目に採用しても良いのではないか。

5. 2016年1月28日 00:01:49 : gjSWR86AiA : u0glpiXsZGg[218]
そのうち日本中に、大音響が響き渡ることになる。

日本人へ...アザーン by syeikh luhaidan
https://www.youtube.com/watch?v=bw7_bVjrPvg

●休日は日曜日から金曜日に変更されます。
★ラマダンが導入されます。

こんな日本はいやだ !


6. 2016年1月28日 01:19:41 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[215]


根拠なき楽観が招いた人口減の危機
2016年1月28日(木)田村 賢司

(日経ビジネス2015年10月19日号より転載)
人口減は今や日本経済のアキレス腱となりつつある。少子化と人口減は70年代から予想されながら、強い対策をとってこなかった。国民の根拠なき楽観と、政治の不作為、官僚の甘い見通しがそこにあった。
2105年には5000万人を割り込む
●日本の総人口の推移

出所:総務省の資料を基に本誌作成(写真=読売新聞/アフロ)
[画像のクリックで拡大表示]
 1992年11月、普段はめったに注目されることのない白書が世の中に衝撃を与えた。
 国民生活白書。その名の通り国民の生活習慣や消費の動向、その背景などを映し出す白書がこの時、打ち出したのは「少子化社会の到来」だった。今となっては想像しにくいが、当時、少子化という言葉はほとんど使われたことがなかった。
 「少子化って聞いたことがないが、なんだ」「一時的な現象だったらどうするんだ」。当時、経済企画庁(現・内閣府)で白書を担当した国民生活調査課長、川本敏(現・白鴎大学客員教授)は、庁内からも、“様々な”声が上がったと苦笑する。だが、この時、川本があえて少子化をテーマに据えたのは、1つの数字がことさら気になったからだ。
 合計特殊出生率。1人の女性が生涯に生む子供の数を示すこの数字が、75年度から人口を維持するのに必要とされる2.07前後を割り込み続けていたのだ。さらに81年には、人口自体がやがて減少に向かうと予測された。
 決定打となったのは89年の出生率だった。丙午の迷信で出生率が大きく低下した66年度をさらに下回る1.57に落ちたのである。「このまま子供の数が減り続けたら、日本はどうなるのか」。川本は、白書で少子化とその先にある本格的な人口減時代への警鐘を鳴らそうと思いを定めた。
生産年齢人口は1990年代後半から減少し始めた
●日本の年齢階層別人口の推移

出所:総務省の資料を基に本誌作成
[画像のクリックで拡大表示]
やがて元に戻ると見ていた
 戦後70年で最大の難題となりつつある人口減問題は、人災と言えるかもしれない。政と官、そして国民自身がそれを放置してきた結果だからだ。なぜ抜本的な対策が打たれなかったのか。そこには3つの理由がある。
 まず1つ目は、錯覚が生む根拠なき楽観である。「長寿化で高齢者は増加していたし、働く世代(生産年齢人口)も97年頃までは増えていた。正直言って、少子化や人口減といっても、当時はピンとこなかった」。川本が渾身の力を込めた92年の国民生活白書発行当時の経済企画庁長官で、現衆院議員の野田毅ですら、こう打ち明ける。
 「経済と同様に右肩上がりで伸びてきた人口に一時的な停滞があっても、また元に戻っていくだろう。世の中全体をそういう雰囲気が覆っていた」。80年代末から90年代初めにかけて厚生省(現・厚生労働省)児童家庭局長や事務次官などを務めた古川貞二郎(元官房副長官)も同様に振り返る。
 対策を打つ前提となる予測自体にも問題があった。打ち明けるのは経済企画庁、国土庁などで70年代以降、全国総合開発計画を長きにわたって担当した元官僚である。
 「厚生省人口問題研究所(現在は国立社会保障・人口問題研究所=社人研)の人口予測は当時、しばしば外れていて、我々も『あれを基に全総の計画を立てていいのか』と議論したものだ。結局、自前で人口予測をやった」
 社人研の予測は実際よりも上振れすることが多かった。「人口の予測をあまり低くすると公的年金を支える世代の保険料を大きく上げなければならなくなる。それが議論の材料とならないように厚生省は人口が減少するという予測をなるべく避けようとしたのではないか」。当時、霞が関ではそういうささやきさえ聞こえた。
 社人研側に言わせれば「少子化があそこまで急速に進んだ例は他の国にはないし、それを予測する理論もなかった」(副所長の金子隆一)結果だが、いずれにせよ人口減少を問題視するようになる予測はなかなか出なかった。
高度成長期から急激に下がってきた
●日本の合計特殊出生率の推移

出所:厚生労働省の資料を基に本誌作成
[画像のクリックで拡大表示]
 これを対策が打たれなかった2つ目の理由とすると、3つ目の理由は「強力な政策推進母体がなかったこと」と、人口と経済の関係に詳しい明治大学教授の加藤久和は指摘する。
 政府は92年の国民生活白書の後、94年に初めての具体策として、エンゼルプランを打ち出した。育児休業の取得促進や駅での保育所開設、在宅保育サービスなどの施設拡充、さらに既存保育所の延長保育やより低年齢の乳児の保育受託など、育児支援に焦点を当てたものだ。
 1999年には、これを育児中の短時間勤務や、出産・子育てで退職した人への再就職支援、教育資金を融資する育英奨学事業の拡充から子育てしやすい住まいの実現にまで広げた新エンゼルプランを策定した。
 エンゼルプランには文部省(現・文部科学省)、厚生省、労働省(現・厚生労働省)、建設省(現・国土交通省)が関わり、新エンゼルプランは、この4省に大蔵省(現・財務省)と自治省(現・総務省)が加わり、合計6省が勝手に動くような状態となった。強力な司令塔はなかった。
 政治家にしても「少子化対策は、10年単位で効果が出てくるものだし、政策を実施してもその効果と言えるかどうか判定が難しい」(大和総研主席研究員の鈴木準)ため、積極的に牽引役になろうという動きはほとんどなかった。
 少子化を食い止める手立ての一つは共働きで子育てをする家庭を支援する仕組みだ。しかし、子供を引き受ける時間の短い幼稚園は定員に空きが出る一方で、保育時間の長い保育園には待機児童が増える状況は長く続いた。
 原因は幼稚園を管轄する文科省と保育園を受け持つ厚労省の縦割りである。昨年春、消費税引き上げで生まれた財源を使って幼稚園と保育園の中間的な役割を果たす認定子ども園の整備が本格化した。ようやく政治が動いたのは、「政治家が待機児童問題は有権者の関心を引きやすいと気づいたから」(少子化関連官庁の幹部)。時すでに遅しの感は否めない。
少子化・人口減対策は後手に回り続けた
●少子化などへの政策と環境の変化
1989年 1.57ショック 合計特殊出生率が1.57になり、少子化の危機が世の中に認識されるきっかけになった。
1994年 12月 エンゼルプラン策定 初の本格的な少子化対策。低年齢児受け入れ保育所の倍増、延長・休日保育の整備、学童クラブの普及など、働く親を支援して子育てをしやすくする施策を中心に立案した。
1999年 12月 新エンゼルプラン策定 エンゼルプランをさらに充実させた。保育、子育て支援のための低年齢児の受け入れ枠の拡大や延長・休日保育の推進、育児休業の取りやすい環境作りなどを盛り込んだ。
2003年 9月 内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)が置かれた 少子化対策で初の担当大臣。
2008年 2月 新待機児童ゼロ作戦 2017年までの10年間で、保育所などの受け入れ児童数を、100万人増やすなどの目標を設定。待機児童を減らす子育て支援で少子化に歯止めをかけようとした。
2012年 8月 子ども・子育て支援法など関連3法成立 幼稚園と保育園の両方の機能を備える認定子ども園の整備をはじめ、子育て支援をさらに拡充。
2014年 8月 『地方消滅』出版 元総務相の増田寛也氏が地方の多数の都市が将来、人口減で消滅すると予測し、大きな注目を集めた。
2014年 11月 まち・ひと・しごと創生法施行 人口減少対策と東京一極集中の是正のために地方創生が必要だとしている。
国民の生活水準は2割低下
 政官民の問題先送りは、ここにきて大きなツケとなって跳ね返りつつある。まず一つは、社会保障費の負担増である。例えば公的年金は年金を受給するお年寄りが増える一方で、支え手の現役世代が減少を続けている。
 97年度から2012年度までの16年間だけを見ても、年金受給者が3942万人と1300万人も増えたのに対し、支え手の現役世代(保険料を負担する年金加入者)は、5839万人と63万人減っている。2004年の改革で、年金保険料を2017年度まで段階的に引き上げ、18.3%にするという対策が打たれているが、国民の将来に対する不安はむしろ高まる傾向にある。実質賃金が増えているのに消費が盛り上がらないのは、将来不安が一因と言われている。
 しかし、個人と企業への負担増はこれだけではない。これからむしろ将来にわたって続く。
 「従来と同様の緩やかな改革しか行わなければ、日本経済は2030年頃にはマイナス成長に陥る。消費税率は25%に引き上げなければならなくなり、国民の生活水準(1世帯当たり実質消費)は2割低下する」
 昨年1月、経済財政諮問会議に置かれた「選択する未来」委員会の初会合で、委員の一人で元日銀副総裁の岩田一政が提出した試算が世の中を驚かせた。
 同委員会は、人口減時代を見据えて取り組むべき政策を検討する場。従来は人口減が予想されても、そのマクロ的な影響までは分析されていなかったが、過去の不作為のツケの大きさがようやく明らかになってきた格好だ。

安倍内閣は待機児童ゼロを目指すが…(写真=アフロ)
企業経営も人口減で変わる
 企業経営にも影響が出ている。
 「人口減で国内市場は縮小しており、既に顧客である自動車メーカーなどは海外市場に活路を求めている。当然、我々も海外での販売・生産を増やし続ける。そうなれば、本社の人材も、多様化せざるを得ない。総合職でも中国、韓国などの出身者を今、積極的に増やしている」。ブレーキ摩擦材大手、日清紡ホールディングスの社長、河田正也は今、人口減による国内市場の縮小を見据えて本社の作り直しへ思いを巡らせ始めている。
 市場が世界に広がり続ければ、「事業部門の“本社”は海外に移っていいかもしれないし、長期的に考えれば持ち株会社だって、日本にこだわる必要があるのか、と考えることもできる」と河田。人口減は、工場などの現場作業員の人手不足問題として理解されやすいが、国内市場の縮小を通じて日本企業の経営そのものに変化を迫ろうとしている。
 日本に今必要なのは、改めて人口減少への総合戦略を立て直し、それを実行できる力を発揮することだろう。
高齢者経費ばかりが増え続けた
●高齢者と子供関連給付費の推移

出所:大和総研の資料を基に本誌作成
[画像のクリックで拡大表示]
 「出生率を1.8まで回復させ、名目GDP(国内総生産)を2割増やして600兆円にする」。首相の安倍晋三は9月24日、経済成長を目指す新たな3本の矢として、@希望を生む強い経済A夢を紡ぐ子育て支援B安心につながる社会保障──を掲げた。2020年代半ばとした出生率1.8の達成はその実行のための重要な柱である。
 GDPを600兆円にする具体策が見えていないこともあり、実現可能性を疑問視する声は少なくないが、労働力不足が経済成長のボトルネックになっていることは疑いようがない。有効求人倍率は今年5月、23年ぶりとなる1.19倍に達した。
 安倍が出生率回復を狙う理由はそこにある。育児支援で出生率を引き上げるとともに、女性の労働参加率を押し上げる。さらに介護離職ゼロの実現で働き盛りの退職を防ぐことで、少しでも労働力を増やそうというわけだ。
 ただし、これだけでは、「ここ20年の少子化対策の看板を掛け替えただけ」(中部圏社会経済研究所・経済分析チームリーダーの島澤諭)としか言いようがない。必要なのは、さらに踏み込んだ戦略と実行力だ。
 例えば、1993年に1.66だった出生率を2012年に2へ引き上げることに成功したフランスはこの間、思い切った政策を実行した。子供の数が増えるほど所得税が軽減される税制や、第3子以降は育児給付をより手厚くする制度などを整備。さらに個人宅で子供の保育を請け負う「保育ママ」の認定数を増やし、雇用する親を補助したり、育児休業制度も拡充したりした。
 大胆な対策には財源が必要になる。高齢者向け社会保障費が増え続ける日本にはそこが難題となってきた。しかし、高齢者対若年層という対立構造で財政問題を捉えるのも不毛である。互いに何を譲り、何を得るか。人口減から反転を目指すには、それは細くても目指すほかない道だ。
=文中敬称略



戦後70年の日本経済
日本は昨年、第2次世界大戦から70年の節目を迎えた。高度成長から1980年代バブルを経て、90年代半ばからデフレ不況へ。古希の日本経済はどう変わったのか。シリーズで見る。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/011900002/012700007/?ST=print


 


モンスター化する東京_中規模都市の消滅可能性はより深刻に

2016年1月28日(木)田村 賢司

 人口減による「自治体消滅」の危機は、地方を中心に徐々に忍び寄る。都市が活力を保ち続けるには、「働く世代」を呼び込むことが欠かせない。
 日経ビジネスと日経BP総合研究所は働く世代2万人への調査から「活力ある都市ランキング」を作成し、日経ビジネス1月25日号の特集で掲載した。
 2014年に「約半数の都市が消滅する可能性がある」と指摘した増田寛也氏(日本創成会議座長、元総務相)。衝撃的な予測は、今後10年、東京の高齢化が進む中で本番を迎えるという。働く世代、そして高齢者世代や若年層が共に暮らせる街をどう作っていけばいいのか。これからの街作りを聞いた。
(聞き手は田村 賢司)
増田さんは、日本の約半数の都市が2040年までに消滅する可能性があると指摘されました。日本の都市の将来像について、改めてお話しください。

増田:我々が特に着目したのは20〜39歳の子供を産む世代の女性の人口でした。この層が少なくなると、地域で人口を“再生産”する能力が小さくなり、人口減に歯止めがかからなくなるからです。


増田寛也(ますだ・ひろや)氏
1977年4月、建設省入省。95年4月、岩手県知事就任(計3期)。2007年8月から2009年9月まで、民間人として総務大臣を務める。2009年4月、野村総合研究所顧問、東京大学公共政策大学院客員教授、内閣官房参与(同年8月まで)。日本創成会議座長として2014年5月、消滅可能性都市の問題を指摘した(写真:柚木 裕司)

 地方では高齢者の介護の仕事が、そうした女性などの雇用を作ってきました。しかし、地方の約4割の地域では高齢者も減少する段階に入っており、その仕事すらなくなっていく。そうすると介護の需要が増える東京にまた人口移動が進むといったことが背景にあるのです。

 この結果、全国1799の市区町村のうち、約半数の896が行政サービスの維持も困難な「消滅可能性都市」になると指摘したのです。いろいろな意見はあるでしょうが、危機感は共有できたと思います。大事なのはそこです。現状を認識しなければ、改革はできませんから。

「地方移住の勧め」は姥捨てではない

東京への一極集中はさらに進むということですね。しかし、総人口が減っている以上、その東京もいずれ高齢化する。

増田:まず、全体で見ると都市の居住者は増えます。ですが、それを含めても東京はモンスター化し、「東京」対「他地域」というくらい圧倒的な大きさになるでしょう。

 都市の居住者は増えると言いましたが、人口10万人くらいの中規模都市は大きく減ります。そして、最初、町や村から始まった高齢化は都市に広がり、10年後には東京も高齢化が本格化します。団塊の世代が後期高齢者に入っていくからです。

モンスター化した東京の高齢化は、相当に対応が難しい問題ですね。

増田:その通りです。東京は人口が多いだけに、乗り切るのが大変難しい。東京では高齢者の約30%が単身世帯で、孤立している人も多い。認知症も増えますから、老人ホームなどの施設で対応しなければなりませんが、それが難しいのです。

前に「高齢者の地方移住が必要」と唱えられましたが、一部からは「姥捨てだ」との声も出ました。

増田:それは全くの誤解です。高齢者を地方に移し、そこで面倒を見てもらおうと言っているわけではありません。最近は少し変わってきましたが、日本では大学を出た後、1つの会社でずっと働き続ける人がまだ多い。途中で転勤したとしても、多くの人はまた東京に戻る。つまり東京なら東京でずっと働く人が多い社会なのです。

 これをそろそろ変えてはどうかと言ったのです。50歳ぐらいから、仕事を変えて次の場所で活躍するということも考えられます。東京で役職定年になって一線を半分退くのなら、さらに働ける場を求めて地方に行く手もあります。日本人は生き方を変えてもいい時期に来ているということを言いたかったのです。

でも、多くの地方都市は経済停滞に加え、生産性が上がらないため、定住したくなるような雇用が減り、賃金も低下しています。地方都市はまず何から取りかかるべきでしょうか。

増田:地方にはいくつか典型的なタイプの都市があります。その一つは地場の中小サービス産業が中心になっている街です。外食やバス・タクシーなど交通、小売り、医療・介護といった業種が多い、どこにでもあるタイプの街です。

 しかし、そうした地場企業は生産性が低いままで、企業の新陳代謝も進んでいないところが多い。その結果、給料が低くなって若い人を惹きつけられなくなっているのは確かです。

地方は生活費も低いから何とかやってこられたが、この状況は限界に来ています。しかも、2009年秋からの民主党政権で中小企業への信用保証枠を拡大して、それがそのまま残ったこともあり、余計に企業の新陳代謝が進まなくなった。

 こうしたところはまず、そこから変えなければだめだと思います。信用保証枠の縮小などで、中小企業の新陳代謝を進め、より工夫した強い企業が生き残れるようにしてサービス産業中心の街を活性化する必要があるはずです。今、地方も有効求人倍率が1を超えていいます。弱い企業が退場しても人が動けるからこういうタイミングは改革の好機です。

企業城下町こそ、大胆な改革が必要

地方には、企業城下町もあります。しかし、大企業の側は事業の選択と集中やグローバル化で収益を復活しても、城下町には恩恵が及ばなくなってきました。

増田:確かに大企業の企業城下町は課題を抱えています。1990年代半ばの円高以後、生産拠点が海外に移り、最近では研究開発の一部も動いています。そして、いったん海外に出た部門はなかなか元には戻りません。

 ある都市の大企業の工場が、その企業の全世界のネットワークの中でマザー工場になっていたり、研究開発拠点を持っていたりすれば別ですが、そうでなければ企業城下町はもう厳しいでしょう。特にある1社の大企業だけの城下町のようなところはきつい。

 必要なのは、産業も人ももっと多様化することです。特定の大企業に寄りかかっていては、リスクが大きくなるばかりなのです。例えば、サービス産業をもっと強くしたり、新たな事業を興したりといったことに取り組まないと生き残りは難しくなる一方です。

コンパクトシティー化の必要性も唱えてきました。コンパクト化して、都市をどう変えることで、何が起こせるのでしょうか。

増田:私は、都市全体が中心部に集まれと言っているわけではないのです。中心部はその外側を含めて、中山間は中山間でまとまる必要があると言っているのです。高齢化時代に欠かせない訪問介護や訪問看護といったサービス一つ取っても、事業者は効率を考えます。端的に言えば、1日に何件対応できるかといったことです。それだけ捉えてもコンパクト化は必要です。

 先ほどの人口減による行政サービスの低下も、人々がまとまって住めばある程度は対応できます。人口減の時代、働く世代から高齢者まで暮らしやすい街作りをどうするのか、もう考えて行動する時期です。

このコラムについて
活力ある都市ランキング

人口減による「自治体消滅」の危機は、地方を中心に徐々に忍び寄る。都市が活力を保ち続けるには、「働く世代」を呼び込むことが欠かせない。日経ビジネスは働く世代2万人に調査し、「活力ある都市ランキング」を作成。彼らが支持する街の姿から、ヒトや会社を呼び込むヒントを探る。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/012000004/012700003/?ST=print


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