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欧州の金融危機はいつなったら収束するのか 極右政権の台頭が意味する現実(週刊東洋経済)
http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/368.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 1 月 17 日 22:34:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

            ニューヨーク証券取引所(Photo: ロイター/Lucas Jackson)


欧州の金融危機はいつなったら収束するのか 極右政権の台頭が意味する現実
http://toyokeizai.net/articles/-/100411
2016年01月17日 ハワード・デービス :パリ政治学院教授 東洋経済


原文はこちらhttp://toyokeizai.net/articles/-/98170

2008年の世界金融危機の原因は、政府や中央銀行による市場への過剰介入にあったのか、あるいは介入不足にあったのか──。学生の小論文のテーマにこんな問いを思いつく教授は私だけではないだろう。私が教えている学生の反応は、大きく3つに分かれた。

約3分の1の学生が主張したのは、政府こそが諸悪の根源だったということだ。学生らは政府による下手な介入が原因で、また米政府が支援していた住宅ローン保証会社などにも市場の効率性を歪めた原因があったと指摘した。「最後の貸し手」である米連邦準備制度理事会(FRB)の存在自体を非難した学生もいた。

他の約3分の1の学生は、危機前にFRB議長だったアラン・グリーンスパン氏こそが悪者だと答えた。学生たちは、バブルの様相を呈した状況でもグリーンスパン氏が介入を見送ったことが、結果的に危機につながったと指摘する。先進国の政府による規制緩和も市場の暴走を許したと主張した。

残りの約3分の1の学生は、政府はある分野では過剰に介入したが、別の分野では介入不足だったという、いわば2つの回答を足して割ったような見解を示した。

■各国はあいまいな姿勢に終始

金融危機から7年間が経過した。前述の問いに欧米政府や有権者はどう答えてきたのだろうか。

各国の政策や関係者の証言から判断すると、ほとんどの政府はどちらともいえない、あいまいな姿勢に終始してきた。確かに各国政府はさまざまな規制を施し、金融機関の監督も強化した。一方で金融機関が経営難に陥っても、政府や中銀は支援しないと決めた国も多い。つまり「銀行は大きすぎるので潰せない」という常識を覆したのだ。

このあいまいな姿勢が、将来的に市場に規律が戻ると予見してのものなのかどうかはわからない。各国の規制当局は、経営者に責任を押し付けたかっただけかもしれない。

では有権者はどうか。多くの国では金融危機後の選挙で左派か右派かを問わず、金融危機時に政権を握っていた政党が議席を減らし、別の政党に取って代わられた。米国、英国、フランスなどはその典型だ。フランスは右派から左派に、英国は逆に左派から右派に政権が移った。有権者は金融危機時の政府に、舵取りを誤ったとして退場勧告を突きつけたのだ。

政府や有権者の対応については最近、ある傾向も明らかになっている。ドイツのエコノミスト3人が過去150年間にわたる国内外の800もの選挙について調べたところ、平均的に金融危機後の約5年間で、右派への投票率が約3分の1増加することがわかったのだ。

実際、1929年のウォール街の大暴落や、90年代初頭の北欧諸国の金融危機などでは、調査結果のような傾向が見られた。今でもフランスでは国民戦線が勢力を伸ばしているが、オランド仏大統領の不人気が原因だとは言えない。極右の台頭という、より大きな力が働いている背景がある。

■欧州の金融危機収束は遠い

前述のドイツのエコノミストらは、昨今の別の傾向も指摘している。金融危機後には、多くの国で政権運営が困難になるとの見方だ。

これには極右の台頭などによる政権与党の求心力低下、またストライキや反政府デモといった大衆運動などの影響がある。実際、多くの国では金融危機後、反政府デモが3倍、暴動の発生頻度が2倍に増えたという。こうした傾向は最近のギリシャの事例を見ても明らかだ。

同エコノミストらの調査によると、金融危機の後は5年も経てば最悪期を脱するという。ただし昨今の欧州の状況はとてもそうとは言えない。おそらく危機が完全に収束してから約5年間の月日が必要であり、欧州はまだその段階に達していないということだ。

(週刊東洋経済1月16日号)
 

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コメント
 
1. 2016年1月19日 06:41:18 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[168]

欧州債:ポルトガル債下落、独国債とのスプレッド拡大−金融不安で
2016/01/19 03:10 JST

    (ブルームバーグ):18日の欧州債市場ではポルトガル国債が下落。10年物国債のドイツ国債に対する上乗せ利回り幅(スプレッド)は222ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)と、昨年7月以降の最大に拡大した。
ポルトガル市場は全般的に売り圧力を浴び、株価指数も約1年ぶりの安値まで売り込まれ、先進国の中で最悪のパフォーマンスとなった。
コスタ首相は15日、ノボ・バンコの一部債権者に損失受け入れを強制した同国中央銀行の対応に懸念を表明。中銀の判断が国内金融システムへの信頼を損なう可能性があると指摘した。
ブラックロックでファンダメンタル債券の副最高投資責任者(CIO)を務めるスコット・シール氏はブルームバーグとのテレビインタビューで、「一部銀行で起こったことを」考慮して「投資家らが警戒した」とし、「比較的マイナスな」政治情勢への反応で利回りが上昇したと語った。
ポルトガル市場はここ数カ月にわたる障害を乗り越えてきた。ノボ・バンコは、バンコ・エスピリト・サントの優良資産を引き受ける「グッドバンク」として昨年設立された。同年11月の総選挙で与党が第2党の社会党に政権を譲って以来、ポルトガルは政治危機に見舞われている。
ロンドン時間午後4時50分現在、ポルトガル10年債利回りは前週末比4bp上昇の2.77%。一時は2.78%と、11月13日以来の高水準に達した。同国債(表面利率2.875%、2025年10月償還)価格は0.30下げ100.86となった。
ブルームバーグ世界国債指数によると、ポルトガル国債の年初来のリターンはマイナス1.1%と、ユーロ圏でギリシャに次ぐ悪さとなっている。これに対しドイツ国債はプラス0.9%、イタリア国債はプラス0.3%。ギリシャはマイナス4.5%。
原題:Portugal’s Markets Slide as BlackRock Says Bond Investors Wary(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ロンドン Anooja Debnath adebnath@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先: David Goodman dgoodman28@bloomberg.net Namitha Jagadeesh, Joao Lima
更新日時: 2016/01/19 03:10 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-O15SU16K50XT01.html


欧州株:3日続落、約1年ぶり安値−銀行株の下げ目立つ
2016/01/19 02:50 JST
    (ブルームバーグ):18日の欧州株式相場は3営業日続落。銀行株の下げが目立ち、指標のストックス欧州600指数は約1年ぶり安値をつけた。
同指数は前週末比0.4%安の328.64と、2014年12月以来の安値で引けた。寄り付き直後に1.2%高となったものの、その後は0.8%下げた。銀行株指数は3営業日連続の下げとしては昨年8月以来の大幅安となる7.5%の値下がりを記録した。
前週までの3週続落で、ストックス600指数は昨年4月につけた過去最高値からの下落率が20%を超え、弱気相場入りした。この日の出来高は30日平均を約18%上回る水準だった。
MPPM(独エップシュタイン)のギレルモ・ヘルナンデス・サンペレ氏は「中長期的には買いの機会だ」と述べた上で、「ボラティリティ指数は落ち着きを示す水準からまだ程遠く、投資家は引き続きリスクオフのモードにある。このため、V字に回復する相場調整は見込めない」と語った。
世界景気をめぐる懸念や原油急落が市場のセンチメントを支配し、欧州の株価は欧州中央銀行(ECB)が量的緩和(QE)を開始すると明らかにした時期の前の水準に戻った。ユーロ圏の株価下落に備えるオプションの価格を示すVストックス指数は先週、昨年9月以来の高水準に達した。
銀行株ではイタリアのモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナとバンカ・ポポラーレ・デレミリア・ロマーニャが大幅安。不良債権の規模を懸念して売られた。ギリシャのアルファ銀行は9.2%急落。
この日の西欧市場では、イタリアのFTSE・MIB指数とポルトガルのPSI20指数、ギリシャのアテネ総合指数の下げが目立った。フランスとドイツの株価指数は0.5%未満の下げにとどまった。
原題:European Stock Plunge Deepens in Volatile Trading as Banks Slump(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:マドリード Camila Russo crusso15@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先: Cecile Vannucci cvannucci1@bloomberg.net
更新日時: 2016/01/19 02:50 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-O15R896K50YI01.html

Business | 2016年 01月 19日 00:47 JST
ロイター調査:ECB預金金利引き下げ、今後半年間の公算小さく

[18日 ロイター] - ユーロ圏金融市場関係者の多くは、欧州中央銀行(ECB)が今後半年間に中銀預金金利をさらに引き下げる公算は小さいとみていることが、ロイターが18日に行った調査で分かった。

ECBは昨年12月、中銀預金金利を10ベーシスポイント(bp)引き下げ、マイナス0.3%とした。調査によると、市場関係者25人中14人が、追加利下げを予想していないと回答。残る11人は利下げを見込んだ。

今週の定例オペ予想供給額は650億ユーロ(708億ドル)で、期落ち分の657億4000万ユーロと同程度だ。
http://jp.reuters.com/article/poll-ecb-rate-cut-idJPKCN0UW1QI

EU路線阻止へ欧州最貧国にも伸びるロシアの手
モルドバ版マイダン運動の行方
2016.1.19(火) 藤森 信吉
モルドバ社会党のドドン党首とロシアのプーチン大統領との会談写真(ロシア大統領府のサイトより)
 本年1月1日から、欧州連合(EU)とモルドバ/ウクライナ間で自由貿易圏が始動した。既に両国とも貿易に占めるEUの割合はロシアを上回っており、さらにEUとの貿易関係が深まることが期待されている。

 ウクライナでは、経済崩壊(IMF=国際通貨基金予測で2015年度のGDP=国内総生産成長率マイナス9%)により政権支持率は下がり続けているが、世論のEU加盟支持率は安定して推移しており、「侵略国」ロシアへの回帰は考えにくい(図1参照)。
 一方、モルドバは、GDP成長率はマイナス1%(IMF予測)にとどまっているものの、昨年春に発覚した超弩級スキャンダルによりEU統合路線が揺らいでいる。
 モルドバの首都キシナウ(キシニョフ)では、ウクライナの「マイダン」運動を彷彿させる抗議行動が続けられている。しかし、こちらは、親ロ勢力による親ロシア路線への政策変更を目指す運動であるという決定的な違いがある。
(図1)ウクライナにとって、どの経済同盟が最優先か(%)(出所)世論調査機関「デモクラティック・イニシアチブ」

モルドバの抗議行動
 旧ソ連から独立したモルドバは、農産品、特にワイン輸出で有名であるが、天然資源に乏しいうえに鉱工業が弱く、「欧州で最も貧しい国」と呼ばれてきた。
 国外出稼ぎの送金額がGDPの4分の1に相当するほどである。このモルドバだが、ウクライナと共通点が多い。
 旧ソ連で地理的に最西端に位置しEU加盟を目指す「ヨーロッパ」国というだけでなく、軍事的中立国であり、沿ドニエストル、ガガウスという分離傾向を示す地域を抱えている点である。
 両国とも政権は不安定で政権交代が頻繁に生じている。また、オリガルヒ(新興財閥)が政治に幅を利かせてきた点も似ている。
 モルドバでは、プラハトニューク氏のモルドバ民主党(PDM)とフィラート氏のモルドバ自由民主党(PLDM)という2大オリガルヒ政党が重要であり、2009年に両党が中心となった連合内閣により、モルドバのEU統合路線が確立されている。
 従って、モルドバ国民にとって「EU統合路線」は「オリガルヒ政治」と分かち難く受容されている。
 このようなモルドバのヨーロッパへの接近は、憲法上で軍事的中立を宣言しているにもかかわらず、ロシアの警戒を呼び起こしてきた。
 2013年11月の連合協定調印式を前に、ロシアの対モルドバ政策は活発化する。まず調印直前の9月に「衛生上の問題」があるとしてロシア政府はモルドバ産ワインの輸入を停止した。
 調印後も野菜・フルーツ・畜産品といったモルドバ産農産品に対する輸入停止措置を矢継ぎ早に導入し、連合協定発効に邁進するモルドバ側に圧力を加え続けてきた。
 また、モルドバの分離主義勢力を利用して揺さぶりをかけている。ロシアは、以前から、沿ドニエストルを含む連邦制をモルドバに導入させて、そのヨーロッパ外交に制度的なタガをはめようとしてきた。
 ちなみに、この手法は、ウクライナ東部でも繰り返されている(そして、どちらも現時点では成功していない)。
 また、2014年2月には、トルコ系住民が多数派を占めるガガウスで住民投票が強行され、圧倒的多数がEU加盟反対/関税同盟賛成に票を投じた。
 2015年夏には、ガガウスおよび沿ドニエストル産の農産品に限って禁輸を解除するという露骨な貿易政策まで採っている。とは言え、ロシアはこれら地域と境界を接していないため、ウクライナ東部ドンバスやクリミアで見られるような政策を再現することはできない。
モルドバ議会選挙
 2014年11月の議会選挙も、上記の一環として捉えることができる。選挙の結果次第では、親ロ派政党による連合内閣がEUとの自由貿易をご破算にしてくれる展望が開かれるからだ。
 「親ロ派」では、2013年に結党されたモルドバ社会党が注目される。
 同党は「連邦制の導入」「ロシア・ベラルーシ・カザフスタン関税同盟への加盟」といったロシア政府好みの政策を綱領に掲げており、選挙戦では、ドドン党首とウラジーミル・プーチン大統領との会談写真(面談時間はわずか10分と言われる)を喧伝してロシア政府との緊密な関係を全面に打ち出すと同時に、オリガルヒ批判を展開して支持を集めてきた(上の写真)。
 社会党は選挙で第1党となったものの、議会内で多数派を形成できず、自由民主党、民主党が中心となった親欧勢力が中心となった内閣が従来通りのEU統合政策を継承するに至った。
(表1) 2014年11月のモルドバ議会選挙の結果(比例区)(出所)モルドバ中央選挙管理委員会

 モルドバのEU統合路線は盤石なものと思われていたなか、2015年5月に政権を一大スキャンダルが襲った。中央銀行の監査で、モルドバの3大商業銀行から10億ドルの資金がロシアの複数の銀行を経由してオフショワに不正送金されたことが明らかになったのだ。
 実にGDP比8分の1に匹敵する巨額である。その後、検察庁の調査により、自由党フィラート氏が首謀とされ、議会は同氏に対する不逮捕特権のはく奪を決議、逮捕されることとなった。
 しかしながら、検察庁はプラハトニューク氏の影響下にあると言われており、この逮捕劇をオリガルヒ間の政争と見る向きもある。
ジレンマに悩まされるEUと親欧派
 この巨額の不正は国民の怒りを呼び起こしている。日頃からオリガルヒに不満を抱いているうえに、銀行救済に多額の血税が投入されたのだから当然であろう。
 興味深いのは、抗議デモを、親ロ派だけでなく親欧派も組織していることである。
 親ロ派は、野党勢力、すなわち上述の社会党、そして「ビジネスマン」ウサートゥイ氏が創設した「我らの党」が中心となっている。抗議集会は、不正糾弾で親EU連合政権に打撃を加えられるうえに、そのEU統合路線も揺さぶることができる。
 最新の世論調査によれば、不正事件により与党とその指導者はことごとく支持率を下げ、一方で野党およびその指導者は軒並み支持率を上げている。さらには、EUがオリガルヒの不正を黙認してきたとして、ユーラシア関税同盟支持率がEU支持率を上回った。
 彼らの戦術は、抗議行動で世論を喚起して政権支持率を下げ、早期の議会選挙を実現させて政権を獲得・政策変更、という2段構えになっている。ちなみに、先の選挙では首都キシナウにおける社会党の得票率は30%に達しており、十分な動員力を確保できている。
 この点、ビクトル・ヤヌコヴィッチ大統領(当時)への支持が皆無であったウクライナの首都キエフとは決定的に異なる。
 一方、親欧派の組織は、「尊厳と正義(DA)」運動が中心となっている。「DA」は2015年2月に結成され、汚職根絶・オリガルヒ排除によりモルドバのEU統合政策を完全に根づかせることを掲げる市民運動である。
 しかし不正糾弾は、親EU政権の崩壊・親ロ政権の成立をもたらしかねないため、その矛先は鈍りがちである。
 欧米諸国も同様のジレンマに立たされている。モルドバの汚職構造は常に欧米諸国の批判対象となってきたが、先の巨額の送金劇に対しも真相究明を強く求めている。しかし、親EU政権は維持されねばならず、汚職根絶との両立に欧米は苦慮している。
カードが出尽くした親ロ派
 ウサートゥイ氏やドドン氏がモスクワ詣でを繰り返し、頻繁にロシア政府の要人と会談していることから、親ロ派支援・抗議集会は、ロシアによる低コスト介入政策として見なすこともできる。
 ウクライナへの介入や沿ドニエストルを見れば明白だが、軍事力行使や非承認国家の維持は多額のコストを要する。親ロ派にとっては、世論の支持を背景に議会解散・総選挙に持ち込みたいところが、これが実現されなければ、先行きはあまり明るくない。
 モルドバ経済の低成長は、EU加盟支持率を減らすかもしれないが、ロシア経済も悪化しており、出稼ぎ先や経済統合先としての魅力が失われている。沿ドニエストルの経済危機も、ロシア経済に余力がないことを抱かせるマイナス要因だ。
 最大の問題は、与党連合が、敗北が予測される早期の選挙を避け、妥協しつつ連合を維持しようとしていることだ。逆に、親ロ派の一角を占める共産党が、オリガルヒ政党の切り崩し工作を受けて、所属議員数を減らしている。
 とは言え、オリガルヒのプラハトニューク氏が首相候補に躍り出るなど、モルドバ政界の親EU勢力の自浄力は疑わしい限りで、欧米としても安心できない状態が続くことになる。
 国際ドナーが圧力をかけない限り汚職の改善が進まない点でも、モルドバはウクライナと似ているかもしれない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45773


 


ケルン暴力事件で露わになった「文明の衝突」欧州難民危機と対テロ戦争の袋小路(中)

2016年1月19日(火)熊谷 徹

 新年早々、ドイツは陰鬱な雰囲気に包まれている。2015年の大晦日から元日にかけてケルンに出現した「狂気の夜」は、多くの市民を震撼させた。


ケルンで起きた集団暴力事件を契機にドイツで盛り上がる難民受け入れ反対デモ(写真:ロイター/アフロ)
ドイツを変えたケルン事件

 この出来事は、単なる刑事事件ではなく、政治的に大きなマグニチュードを持つ。難民問題をめぐるドイツ人の意識は、大晦日の夜を境に、一変したと言っても過言ではない。これまで「戦火を逃れてドイツにたどり着いた難民を積極的に受け入れるべきだ」と考えていた人々は、1年間に約100万人の難民を受け入れることが、現実生活の中で何を意味するかを、ようやく悟った。

 ドイツで一度も起きたことがない暴力事件を見て、ドイツ人たちは、「文明の衝突」を体験しつつある。ケルン事件以降、多くのドイツ人の心から、「難民を歓迎する文化(Willkommenskultur)」は雲散霧消した。首相のアンゲラ・メルケルが難民受け入れ数に上限を設けない限り、彼女に対する支持率は今後下落するだろう。

外国人による女性襲撃

 大晦日の夜に、何が起きたのか。ライン川に面した古都ケルンは、中央駅の南側に大聖堂があることで知られている。中世から約600年をかけて建設された、高さ約157メートルの2本の尖塔を持つゴシック様式の大伽藍は、ケルンだけではなくドイツで最も有名な教会建築の1つである。

 ドイツでは大晦日の夜、新年の到来を祝うために花火や爆竹を鳴らし、シャンペンなどで乾杯する風習がある。年が明けた瞬間には、ドイツ全土で花火が打ち上げられ、硝煙が町や村を覆う。ケルンでも、毎年大晦日には大聖堂と中央駅の間の広場で、花火の打ち上げを見物するために、多くの人々が集まる。

 だが去年の大晦日は、いつもと様子が違っていた。既に午後6時半頃には約1000人の群衆がこの広場に集まり、まだ年が明けていないのに、大聖堂に向けて花火を発射していたのだ。この時、大聖堂では2015年最後のミサが行われていた。ミサに参加した1人は、「聖職者の説教の声が聞こえなくなるほど、花火や爆竹の音がけたたましく響いていた。近年、見られない現象だった」と証言している。

 ノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州のラルフ・イェーガー内務大臣が発表した報告書によると、広場にいた群衆のうち、400〜500人は北アフリカ、またはアラブ系の男性だった。これらの外国人の年齢は15〜35歳の間で、酒に酔っていた。彼らは打ち上げ花火を人混みに向けて発射するなどしていた。しばらくすると、この群衆の中から数人のグループが離れて、広場にいた女性を取り囲み、胸や下半身を触ったり、財布や携帯電話を強奪したりし始めた。

 被害者の1人は、「あらゆる方向から触られたので、誰がやっているか分からなかった。犯人たちは、悪いことをしているという意識を持っていないように見えた」と証言している。人混みの隙間を通って逃げようとする女性が、両側に並んだ外国人たちによって次々に身体を触られるケースもあった。

 ドイツ人の女性だけでなく、アジア人の女性も被害にあった。スリの捜査のために私服で勤務していた女性警察官も、身体を触られた。ボーイフレンドと一緒の女性もいたが、相手の数が多かったために、ボーイフレンドは外国人たちによる「攻撃」を防ぐことができなかった。ある警察官は、「下着を脱がされて、泣いている女性もいた」と証言している。

 1月17日までに、ケルンだけで約600人が警察に被害届を出した。そのうち約40%が性的犯罪だった。

警察は市民を守れなかった

 特にドイツ人を怒らせているのが、警察の対応の悪さだった。現場には142人の警察官がいたが、外国人たちが女性を取り囲んで視界を遮っていたためか、現場指揮官を初めとして、多くの警官たちは、女性たちが外国人に襲われていたことに気づかなかった。ケルン市警察は、「花火のためにけが人が出る恐れがある」として、夜11時35分に駅前広場から群衆を排除し始めた。だがこれ以降も、外国人たちは、広場の周辺や駅の中で、女性たちの身体を触ったり、金品を奪ったりしていた。

 NRW州内務省によると、ケルン市警察が、多数の女性が襲われていたことを把握し始めたのは、1月1日の午前1時頃だった。警察本部が、現場指揮官に対して「警察官を他の地域から現場に派遣するべきか」と問い合わせたのに対し、指揮官が応援を要請しなかったことも、警察の状況判断がいかに誤っていたかを浮き彫りにしている。

 NRW州内務省によると、1月10日の時点で警察は19人の容疑者を捜査している。そのうち10人が亡命申請者で、9人が不法に滞在している外国人だった。亡命申請者のうち9人は、去年ドイツにやってきた外国人。また容疑者のうち14人は、モロッコかアルジェリア出身だった。このうち、窃盗の疑いで拘留されているのは、4人にすぎない。

 ある外国人は、警察官に対して「おれはメルケルに招待されたのだから、丁寧に対応しろ」と言い放った。警察官が現場で逮捕した2人の外国人は、ドイツ人の女性に性交渉を迫るための言葉を、ドイツ語とアラビア語で書いた紙片を持っていた。そこには、「あなたとセックスをしたい」という言葉だけでなく、「殺すぞ」という脅しの言葉も記されていた。この紙片は、ケルンでの暴力事件が突発的なものではなく、周到な準備の下に行われたことを示唆している。

 不可解なのは、ケルン市長やNRW政府が、事件から4日経った1月5日まで、事態の深刻さを意識していなかったことだ。主要メディアもこの事件について、1月5日まで大きく報道することはなかった。1月1日の早朝に、約50人の女性が現場の警察官に被害届を出していたことを考えると、ケルン市警察が1月1日の朝に「駅前広場の状況は平穏」という広報文を発表したのは、非常識と言わざるを得ない。

 NRW州政府は、ケルン市警察の現場対応と広報体制に重大な落ち度があったとして、ヴォルフガング・アルバース本部長を解任した。さらに同様の事件は、ハンブルクとシュトゥットガルトでも発生していた。大晦日の夜に、ドイツ南部のヴァイル・アム・ラインという町では、シリア人の若者4人が、14歳と15歳のドイツ人女性2人を強姦して逮捕された。

メルケル政権に強い衝撃

 ドイツはこれまで比較的治安が良い国として知られていた。100人を超える警察官が近くにいたのに、公共の場で多数の女性が性犯罪の被害者となるという事件は、戦後ドイツで初めてのことだ。

 メルケルは、1月7日に「一部の外国人は、女性を蔑視しているのだろうか。そうだとしたら、我々は徹底的に取り締まる。ケルンの事件は、氷山の一角だ」と強い不快感を表明。また連邦法務大臣のハイコ・マースは、「ケルンでは、一時的に文明国とは呼べない状況が出現した」と述べた。さらにマースは、「ケルンの事件は、突発的な事件ではなく、組織的に行われた可能性がある」とも発言。一部の北アフリカ人たちは、SNSを使って、大晦日の晩にケルンに集まるように声をかけあっていた。

 メルケル政権は、この事件をきっかけに、罪を犯した外国人を国外追放する規定を厳しくする方針を打ち出した。これまでドイツでは、罪を犯した外国人のうち、国外追放処分にするのは、裁判所から禁固2年以上の実刑判決を受けた者に限っていた。今後は、禁固2年未満で、執行猶予付きの有罪判決を受けた外国人でも、国外追放を可能にする。さらに政府は警察官を増員するとともに、広場など公共の場所を監視するカメラの数を増やす。

ケルン事件をめぐる議論

 今回の事件は、ドイツ社会全体に深い衝撃を与えた。ケルンで起きたのは、公共の場での外国人男性による「女性狩り」だ。警察当局が適切に対応できなかった理由の一つは、このような集団犯罪がこれまでにドイツで起きたことが一度もなかったからである。公共の場で、多数の外国人たちが、数時間にわたって臆面もなく女性を襲い続けるという「無法状態」の出現は、警察のマニュアルには載っていなかった。

 ドイツ人たちの間では、ケルンの事件をどう解釈するかについて、激しい議論が起きている。ケルン市長のヘンリエッテ・レーカーは、当初「この事件は、ケルンの難民宿舎に住んでいる亡命申請者が起こしたものではない」と述べ、難民に対する偏見や差別を強めてはならないと警告した。

 また、「ケルンのカーニバル(謝肉祭)や、ミュンヘンのビール祭オクトーバーフェストでも、多数の男性が女性を強姦する事件は起こる。したがって、ケルンの事件だけを特別視すべきではない」という意見もある。

 これに対し、1991年から10年間にわたり、ドイツの公共放送局ARDのアルジェリア特派員を務めたザミュエル・シルムベックは、「北アフリカやアラブ諸国では、公共交通機関の中などで、男性が女性の身体を触る性犯罪は、日常茶飯事だ。ケルンで起きたのは、アラブ世界で毎日起きていることが、場所を変えて起きたにすぎない」と指摘している。

 彼は、「アラブ世界では、多くの女性たちが男性からの蔑視に苦しんでいる。その背景には、イスラム原理主義がある。ドイツのリベラル勢力の間では、アラブ世界で起きている女性差別の実態がほとんど知られていない。今回の事件をきっかけに、イスラム教に関する真剣な議論を始めるべきだ」と述べている。

 ドイツでは確かに、これまで外国人が犯罪をおかした場合に、メディアがその出身国や難民であるかどうかを詳しく報じないことが多かった。メディアは、市民の間にある外国人、特に難民に対する偏見が高まることを恐れたのである。さらにメディアは「イスラム教徒に対して反感を抱いている」と左派勢力から批判されることも恐れた。

 筆者自身、ケルンの事件が起きるまでは、特にARDなどの公共放送局が、難民流入について否定的なニュースを極力避けようとしていることに気づいていた。だがケルン事件以降、メディアはこうした「自粛措置」を大幅に減らしている。連邦内務大臣のトーマス・デメジエールも、「犯罪者の出身国の公表を控えることは、許されない」と発言した。

ドイツの社会規範とは異質な空間の出現

 ケルンの事件は、「男女同権」や「法治主義」が常識となっているドイツの価値観や行動規範とは、全く異質の空間が、難民流入によってドイツに誕生したことを、浮き彫りにした。つまり大晦日の夜、ケルンの駅前広場では、ドイツとアラブの文化が衝突したのだ。そこでは、数時間にわたり、「女性の身体に触れたり、金品を奪ったりしてはいけない」というドイツでの常識が通用しなかった。

 リスク意識が強いドイツ人にとって、治安の確保は極めて重要だ。ところが、ドイツの国家権力を代表する警察は、ケルンの暴力事件の前に無力だった。警察は、市民が治安の確保という任務を委託している「暴力装置」である。その暴力装置が、外国人に襲われる女性たちを守ることができなかった。これは、多くのドイツ人にとって、生活の基盤を揺さぶられるような体験である。ドイツでは、過去1年間にピストルなど、銃器の所有許可を申請する市民の数が急増している。これは、多くの市民が治安の悪化について懸念を抱いている兆候である。

 日刊経済紙「ハンデルスブラット」で副編集長を務めるトーマス・トゥマは、「1965年に西ドイツが大量の労働移民をトルコなどから受け入れた時、作家マックス・フリッシュは、“我々は労働力を受け入れることばかり考えていたが、実際にやって来たのは、生身の人間たちだった”と書いた」と述べている。

 1960年代に、西ドイツの政府と企業は、ドイツで仕事がなくなれば、トルコ人たちとその家族は母国に帰ると思っていたが、多くのトルコ人が手厚い社会保障制度を持つドイツに定住した。西ドイツ政府はドイツ語の習得を義務付けなかったので、30年のあいだドイツに住んでいてもドイツ語を話せないトルコ人たちが、ドイツ人との交流を必要としない「パラレル・ワールド」を作ってしまった。当時のドイツの移民政策は失敗したのである。

 トゥマは、「今回の難民危機で、我々は戦争の被害者たちがやってくると思っていた。実際には、その中には犯罪をおかす者たちも混じっていた」と述べている。今回も、ドイツ政府は外国人の受け入れをめぐり「想定外の事態」に直面したのだ。

 筆者も、昨年9月の初めに、毎日1万人もの難民がドイツに到着し、身元について詳しく検査されることなく入国しているのを見て、「ドイツの治安がフランスや米国のように悪化するのは避けられない」と強く感じた。しかし、そのわずか3カ月後に、ケルンの事件のような露骨で大規模な犯罪が行われるとは、想像もできなかった。

強まるメルケル批判

 筆者は、多くのドイツ人たちがケルン事件以降、「我々は全く異質の文化を抱え込んでしまった」と当惑しているのを感じる。批判の矛先が向けられるのは、ブダペストで立ち往生していたシリア難民らの受け入れを昨年9月に決めたメルケルだ。今この国では、メルケルの難民政策に対する批判が、一段と強まっている。普段はリベラルな論調で知られる「シュピーゲル」誌記者のコルト・シュニッベンすら、「ケルン事件以来、多くのドイツ人が、自分の国の中にいても外国人からの危険にさらされるという疎外感と不安感を抱いている。メルケル政権は、難民の受け入れ数を大幅に減らして、市民の不安を取り除くべきだ」と主張している。

 メルケルの難民受け入れ政策を支援していた人々にとって、ケルンの暴力事件は、大打撃である。これまで右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」などは、「難民に紛れて犯罪者がドイツに流れ込む」と主張して、難民の受け入れに反対してきた。彼らはケルンの事件を見て、「我々の言う通りだったではないか」と豪語している。

 9月以降、ドイツの地方自治体は、「これ以上難民を受け入れないでほしい。もう収容能力はない」と州政府や連邦政府に訴えてきたが、メルケルは「Wir schaffen das(我々はやり遂げることができる)」という抽象的なスローガンを繰り返すだけで、市町村の首長の要望に耳を貸すことがなかった。

 農村部に住む保守的な市民の間では、「難民を際限なく受け入れ続けたら、治安が悪化する」と懸念する声が強かった。筆者は、昨年9月11日にバイエルン州のメッテンハイムという村でキリスト教社会同盟(CSU)が開いた難民問題に関する講演会を取材した。ここで、ある女性がバイエルン州の警察幹部に対して「最近、難民が女性を強姦する事件が増えているという噂がある。どう思うか」と質問するのを聞いた。警察幹部は「そんなことは聞いていない」と答えるだけだった。

 別の市民は、「2001年に同時多発テロを行ったモハメド・アタらは、ドイツのハンブルクで犯行の準備をしていたのに、ドイツの警察や諜報機関は、全く見抜けなかった。現在毎日数万人単位で難民が流入している中、警察はイスラム国(IS)のテロリストが混ざっていないかどうか、どうやって調べるのか」と質問。会場を埋めた約400人の聴衆から、雷のような拍手が巻き起こった。別の市民は、「ドイツ基本法(憲法)の中の、亡命権の保障規定を廃止するべきだ」と発言した。

 この時筆者は、農村部の保守的な市民の間で、難民に対する偏見がいかに強いかを感じた。

 今年1月には、ドイツ連邦憲法裁判所の長官だったハンス・ユルゲン・パピエが、「現在の難民危機は、政治が破綻したことの結果だ。かつてこの国で、法律と現実の間の乖離がこれほど大きくなったことはなかった」と述べ、メルケル政権がドイツの国境を事実上守れずに、難民を無制限に入国させていることを批判した。

 EU圏内に到着した難民は本来、「ダブリン協定」に基づき、最初に足を踏み入れた国で亡命を申請しなくてはならない。ところが、メルケルが昨年9月5日に行った決定により、大半の難民はギリシャに到着しても、そこでは亡命を申請せず、社会保障制度が手厚いドイツへ来て亡命を申請している。これは、ドイツとEUの法律に違反する状態だとパピエは警告したのだ。

 連邦憲法裁判所は、違憲問題を審理する裁判所で、国民に強く信頼されている「法の番人」だ。その裁判所の元長官が、「現政権の難民受け入れ政策は、法律違反だ」と公言したことは、メルケルにとって大きな痛手である。

これまでの難民流入は、まだ序章

 昨年ドイツには約100万人の難民が到着した。大連立政権に参加しているCSU出身で、バイエルン州の首相を務めるホルスト・ゼーホーファーは、「今年ドイツが受け入れる難民の数を20万人に抑えるべきだ」と要求している。メルケルは、「難民の数は減らすべきだ」としながらも、受け入れ数に上限を設けることには反対している。

 ドイツの保守派たちは、「ドイツに到着した難民には、ドイツの法律や規則を守ることや言語の学習を義務付け、この国の社会に適応することを強制するべき。従わない者については、国からの生活保護などを削減するべきだ」と主張している。

 あと数カ月してヨーロッパに春が訪れ、地中海の波が穏やかになれば、再び多くの難民がドイツをめざす。今後3年間でEUにやってくる難民の数は、約300万人に達すると見られている。いまドイツで我々が見ている状況は、まだ序章なのだ。

 筆者は、全ての難民を犯罪者と同一視することには反対だ。全てのイスラム教徒が女性を差別するわけでもないだろう。全てのイスラム教徒が、女性に対する暴力行為を是認しているわけではない。だが、一人ひとりの難民を詳しく審査することなしに、毎年100万人の外国人をこの国に受け入れることは、ドイツに大きなストレスをもたらす。ドイツがこの負荷に耐えられるかどうかは、未知数だ。メルケルが掲げる「Wir schaffen das(私たちはやり遂げられる)」というスローガンだけでは、もはや国民は納得しない。

 メルケル政権は、「難民危機はドイツだけの問題ではなく、EU全体の問題だ」として、他の加盟国にも難民を受け入れるよう求めている。だが英仏や東欧諸国は、難民受け入れに極めて消極的だ。さらにこれまでは受け入れに寛容だったスウェーデンとデンマークも、「収容能力の限界に達した」として、今年に入って国境での入国検査を再開した。難民政策をめぐり、ドイツはEUで孤立している。

 今年3月には、バーデン・ヴュルテンベルク州など3カ所で州議会選挙が行われる。ケルンの事件は、メルケル、そして大連立政権の支持率を引き下げ、右派政党AfDの支持率を押し上げるだろう。有権者はこれらの選挙で、メルケルに対し「あなたは、毎年100万人の難民を受け入れるという決定が、ドイツに与える影響について十分に考えずに、人道的な動機から衝動的に決めた。これは政策ミスだ」という警告を突きつけるに違いない。

「難民を歓迎する文化」の終わり

 ドイツでは、「メルケルが衝動的に難民受け入れを決めた?由」として、しばしば引き合いに出される有名なエピソードがある。メルケルは、昨年7月16日、つまりハンガリーでの難民をめぐる状況がエスカレートする2カ月前に、旧東ドイツ・ロストック市の学校を訪れ、先生や子どもたちと対話した。メルケルは時折、このような「市民との対話」をドイツ各地で行っている。

 この時、4年前にパレスチナからレバノン経由でドイツに来た難民の娘、レーム・サーウィル(14歳)が、メルケルに対しドイツ語で「私は、ここに滞在できるかどうか分かりません。将来がどうなるか、分からないのです」と言って泣き出した。女の子のドイツ語は流暢で、この子が必死でドイツ社会に適応しようとしていることは、明白だった。この時メルケルは、「泣かないでください」と言って女の子の頭を撫でて、慰めようとした。しかしメルケルは、「残念ですが、全ての外国人が、ドイツに滞在できるとは限りません。国に帰らなくてはならない人もいるのです」と厳しい言葉を言わなくてはならなかった。メルケルの顔には、苦しそうな表情がはっきり表れていた。衆人環視の中で、涙ながらに「助けてください」と直訴されたメルケルは、心を鬼にして女の子を突き放さなくてはならなかったからだ。

 ドイツのジャーナリストの中には、「この時の体験が、2カ月後、メルケルを難民受け入れに向けて突き動かした」という意見を言う者もいる。当時フランス政府の閣僚からは、「憐みの心だけで政治を行うことは、危険だ」という声が聞かれた。ケルンの事件後、メルケルは自分の決断が招いた結果の重さを噛みしめているはずだ。

 メルケル政権の閣僚からも、「ドイツは、1年間に100万人の難民を受け入れる力はある。しかし、この状態が何年も続くとなると、話は別だ」という意見が出ている。

 筆者は昨年9月5日に、ミュンヘンの駅に続々と到着するシリア難民たちを、ミュンヘン市民が拍手で出迎え、食料や玩具を手渡すのを見て、感動した。ドイツ人のこうした態度は、「難民を歓迎する文化(Willkommenkultur)」と呼ばれて、米国などで絶賛された。だがケルンの事件は、ドイツの「難民を歓迎する文化」を事実上終わらせた。この国では、難民、そして外国人に対する目が日に日に厳しくなりつつある。メルケルは、市民そして政界からの批判に対して、どのように答えるだろうか。
(文中敬称略)(続く)

このコラムについて
熊谷徹のヨーロッパ通信
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/219486/011800012/?ST=print


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