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真の民主主義とは何でしょうーその五強者を賞賛する社会から、弱者を労る社会の構築こそ民主主義の実現なのではないのでしょうか
http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/878.html
投稿者 お天道様はお見通し 日時 2015 年 2 月 15 日 10:45:07: I6W6mAZ85McLw
 



今回のウクライナ国家クーデターに当初から米国は関与していたことを認めたみたいだし、ISILも元々モサドやCIAに育てられた人物がリーダーみたいだし、マスコミもISIS(イスラム国)に戦争商売に出かけた湯川遥菜の正体を報道しないようだし、



安倍総理は歴代でもワースト一位の記録をいっぱいもってるようだし、多くの病は、輸血でなく、生命発祥の源、海水や光を用いた療法で治るみたいだし、(新たな点滴療法と海水療法は、 放射能時代を生き抜く為の最大の武器となるだろう!歴史から完全に抹殺されていた、100%完治の癌治療(ライフ博士)地球温暖化人為説も英国テレグラフ社がNASAやNOAA系列のデータ管理機関による「公式気温の大規模な改ざん」を暴露したみたいで、怪しいし、一部西側諸国ですでに始まっている炭素税の拠り所ももうないようだし、ウランの濃縮工程から大量の放射性廃棄物を生み、電力生成時には海水を直接温度上昇させるし、使用済み核燃料は未使用のものの約1億倍の放射能、MOXの使用済みは未使用の10倍、ガラス固化体はウラン鉱石の約2万倍っつーから、それだけ増えた放射能の少なくともそれぞれの半減期相当期間、膨大な量の熱を直接的に発生させるシステムのどこに地球温暖化に寄与するのという嘘ともはや温暖化人為説の根拠も崩れたし、stap細胞禍も結局特許は米国に移行されたようだし、米国が歴史的に自軍基地を駐留させることで対象国家を、属国化、あるいは、そこで産出される石油の代価をUSドル建てにすることで大幅な富を簒奪しつづけているようだし、



第3次世界大戦への道
https://www.youtube.com/watch?v=7TOr7Pbztd8


       暴力に訴えないラストリゾートもあるはずです


そして我が日本も例外なく、第二次世界対戦後の政治は、宗主国米国のその属国日本に対する政策を、日米安保条約や日米間の諸協定が砂川裁判判決以降、米国の利害を第一に反映できるシステムが補完されたのではないのでしょうか。 以後日本が破壊され多くの不利益を被りつづけています。(前提をも流行り廃りで諸事万端を片付けようとする、思考停止、おバカなブロガー、日本人)


少し考えればわかることなのに、自分たちの利益が失われているのに。


ひつこいようですが、鼻血は放射能かどうかとか、再稼働するのかしないのかとか、甲状腺がんの患者の数などは本質でなく、


どうすれば、日本の原発を止めることができるのか。 そして、未だに海水や空気を通じて環境暴露しつづける放射能を本当に除去することができる可能性を一刻も早く試すこと。


が、日本における危急の原発問題で、



       原発を真剣に止めたいのなら、日米原子力協定や日米合同委員会の見直しあるいは破棄を論議し、それを実現させる必要があるのではないのでしょうか。


残念ながら現在放射能除去の可能性があるブラウンガスについては、本当は、それ自体が、入力1に対して出力が1よりも大きいものが期待できる可能性があるため、その試用がさしとめられている可能性が濃いのではないのでしょうか。(米海軍、海水を燃料に変換する! つむじ風


でも、情報ソース元の一つが、最近、





元素転換の実証実験 およよと驚く毎日
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-2867.html#more



http://haradatakeo.com/?p=57169

東電のトリチウム汚染水の問題。
処理法の追加公募で、元素転換法が取り上げられるかもしれないとのこと。

2月6日にヒアリングがあり、その結果が2月12日に来るのだとか。

オオマサガスでしょうかね?
酸水素ガスと呼ばれています。
電解時に振動を与えるのが特徴だそう。

 
 
ちなみに、私はこのガスの作製時に、原子状水素や原子状酸素が、少量ながらもできているのだと思っています。
振動により過剰に電子が供給(還元)される状態になり、分子状の水素や酸素にならず、原子状にまで還元される。

特にこの原子状水素は反応性が高く、他の元素に取り込まれやすい(=元素転換)はず。
トリチウム(3H)ならば、ヘリウム(4He)に転換するのでしょう。

あるいは原子状酸素(16O)と反応して、フッ素(19F)に転換する。

そう考えていますが。




ということで、期待もしているのですが、これも、どうなることでしょう。


それにしても、私のような阿呆がちょっと思い巡らしただけでも、こんなにたくさんの、矛盾や嘘ややらせのあふれている世界じゃあ、民主主義も原子力発電の世界的廃止もへったくれもないですね。


そこにあるのは、色や形はちがっても、結局のところ、


大多数や環境といった社会的弱者の被支配層からの一握りの既得権益支配層という社会的強者による大幅な利益の不当簒奪に過ぎないのは、明らかなのではないのでしょうか。








「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」


 


ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら


 
この詩の作者は山田康文くん。


生まれた時から全身が不自由で
書くことも話すことも出来ない。
養護学校の向野先生が康文くんを抱きしめ
投げかける言葉が康文くんのいいたい言葉の場合は
ウインクでイエス、 ノーの時は康文くんが舌を出す。


出だしの「ごめんなさいね おかあさん」
だけで1ヶ月かかったという。


気の遠くなるような作業を経て、
この詩は生まれました。


この母を思いやる切ないまでの美しい心に対して、
母親の信子さんも、彼のために詩を作りました。


 


わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて


わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり


 
このお母さんの心を受け止めるようにして、
康文君は、先に作った詩に続く詩をまた作りました。


 


ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり


 
康文くんは重度の脳性マヒで8歳の時、
奈良の明日香養護学校に入学しました。


不自由児のための特殊学校で、
康文くんも母子入学でした。


 


康文くんは明るい子でクラスの人気者になりました。
1975年4月には体の不自由な子供達が集う
「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、
康文くんの詩が披露されました。


このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ
森昌子さんが康文くんの詩を歌いました。
このコンサートのあと、康文くんは
突然天国に行ってしまいました。


窒息死でした。


横になって寝ていたとき、
枕が顔を覆ってしまったのです。


15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。


 


康文くんの先生で、この本の著者の
向野幾代さんは復刊にあたって


「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて、
言わなくてもすむような世の中であってほしい、
というメッセージ。


今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。


いま、障害者の問題は、
高齢者の方たちの問題でもあります。


『老いる』というのは、
障害が先送りされているということ。


歳をとると、足腰が不自由になって
車椅子が必要になったり、知的障害になったり・・・


健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。


だから康文くんたちは私たちの先輩。


世の中をより良くするよう切り開いてきた、
パイオニアなんです」


と・・・
 


向野幾世著
『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』より
※詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、
障害児本人の作品であり、原文を尊重しました。


 


――――――――――――――――――


本当に障害者が『ごめんなさいね』なんて、
言わなくても済むような世の中を望みます。


その為に今自分が何をするべきなのか・・・?


改めて考えさせられました。



おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい
http://buzz-media.net/moving/2738/







       強者を賞賛する社会から、より弱者をいたわる社会の構築こそ、真の民主主義の実現なのではないのでしょうか。



 

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コメント
 
01. お天道様はお見通し 2015年2月15日 12:19:17 : I6W6mAZ85McLw : GKXDTfpDh2
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02. 2015年2月15日 13:03:33 : KzvqvqZdMU
民主主義とわ、民主的な選挙によって政権を起立し、これを「国民の政権」と
認め、盛り立てる。この「国民の政権」を打ち倒し共産主義と言う名の独裁政権を画策する連中、たとぃば市民運動家ら、を弾圧する、これも民主主義の必要条件だな。


[32削除理由]:削除人:アラシ
03. 2015年2月15日 13:38:46 : Rd1dV3cBIA
>五強者を賞賛する社会から、弱者を労る社会の構築こそ民主主義の実現なのではないのでしょうか

違うんだよ。いまの先進国のほとんどが民主主義国家でなく、資本主義国家なのだよ。
だから、強者(=金持ち)に媚びる輩がウジャウジャいるわけだ。
強者(=金持ち)は善、弱者(=貧乏)は悪という図式だ。

民主主義の根幹は、貧困のない社会だ。資本主義は、金を儲けた者勝ちの世界だ。
貴君の示された、弱者にも配慮できる社会は十分民主主義と言えると思うが、まずは、金がなければ生きていけないという一般庶民の洗脳を解き、身を持って民主主義とはどういうものか、どうあるべきかということを説いていかない限り、70年に亘り染み付いた思想を、簡単に変えることは出来ないだろう。

この第一歩として、民主主義を体現できる人物が現れない限り、日本人に仕組まれた拝金主義を一掃することは出来ないだろう。
民主主義とはなにかということを知らないのだから。

任侠ではないが、昔から言われてきた義理と人情の世界のほうが、よっぽど民主主義に近かったのではないかと思われる。
義理があるから強制的に「ヤレ」ではなく、義理があるから自律的奉仕として「やろう」ということになれば、ほぼ民主主義と変わらないのではないか。
 


04. 天橋立の愚痴人間 2015年2月15日 13:39:33 : l4kCIkFZHQm9g : ZuBTh2pB7k
お天道様はお見通し さん

民主主義と言う概念をユートピアと結びつけてはいけないのでは。

ユートピアと関連つけては、民主主義を神棚に祭り上げるようなもの。

民衆というものは、そんなに善人でもないし、慎ましやかでもないと思います。

民主主義と言う言葉で結果を夢見てはいけないのではないでしょうか。

また民主主義を為政者から与えられるものとしても良くないのでは。

民主主義とは、あくまでも、それを求める民衆の気概でなくてはならないのではないでしょうか。

貴方の記事は、段々と理念的なものから為政者を批判する方向へ変わってきたように思います。

言葉背景において、それが感じられますよ。


05. 天橋立の愚痴人間 2015年2月15日 13:45:55 : l4kCIkFZHQm9g : ZuBTh2pB7k
>任侠ではないが、昔から言われてきた義理と人情の世界のほうが、よっぽど民主主義に近かったのではないかと思われる

03氏のこの部分について賛同します。

(他のサイトでの問答から抜粋)
福沢諭吉の「開鎖論」

>そして鎖国について、『そもそも我輩が唱える鎖国とは、数十年前に全国に流行したる攘夷鎖国に非ず。外国人に交わるに先ず、彼我の分界を明らかにし、人種においても、道徳においても、宗教においても、文物においても、政治法律においても、学芸商工においても、一切彼は彼たり、我は我たりと、大見識を定めて、我が欲する所の事を行い、我が向かう所の道を直行して左右を顧みざることなり。』

そうですか、あの当時、福澤諭吉がその様な事を言っていましたか。
同じように新渡戸稲造も明治の武士道というテーマで、日本の洋風化に問題意識を持っていたようです。

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/4/4-02.pdf#search='%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93'

ですが、時代が違い、現代ではこのように形が変わって来たと、考えるべきではないかと思います。

要するに開国を誘う勢力として、民主主義、資本主義の概念をあげたく思います。
西欧の民主主義、資本主義に両手を上げて突っ込んで行く前に、人間社会にとって、何が大事であるかを見極めることは鎖国と言う概念に当てはまるでしょう。

福澤諭吉が現代に生きていたら、このような警鐘を鳴らしてくれるのではないでしょうか。


06. 天橋立の愚痴人間 2015年2月15日 14:01:27 : l4kCIkFZHQm9g : ZuBTh2pB7k
民主主義と言う言葉を、封建主義と言う言葉と対比すれば、現代は明らかに民主主義と言える。

また、民主主義を個人の自由、権利の保障という面でとらえるならば、それは人間自身が持っている利己心の開放となる。

結果、民主主義とは弱肉教職の時代とも言える。
現代の格差社会は、その結果であり、富めるものも貧するものも庶民に違いはない。

また、民主主義を倫理道徳と解釈すると、民主主義の概念、そのものが変わって来る。

誠に、民主主義とは、厄介な代物です。
真の民主主義とは、

斯も難解なテーマであると思います。
真の民主主義とは

何か!


07. 2015年2月15日 14:02:49 : ZuBTh2pB7k
弱肉教職→弱肉強食

08. 2015年2月16日 20:34:43 : AiChp2veWo
まことの徳治政治は、頂点の存在があり、その頂点は逆円すいの底にあると表現して良いでしょう。人々は仰ぎ見るが、その頂点の心は人々の為の,人々の仕合せの為にある存在です。民に主があると民が口にして、また、そう思ってはならないのです。頂点中心の存在と心が人々の為にあるという事は、自然、人々が中心なのです。人々は頂点の真心(神に同体、或はその継承者)とその教えと行動にうたれ、心底からの信頼と尊敬を覚えて、頂点についていきます。そこには、自分たちが主であるなどとは露ほども意識せず、民主主義、などという言葉も知らないのです。


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