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福島原発事故から5年、東電が今頃になって「メルトダウンの基準があった」と認める!震災直後にメルトダウン認定も可能だった!
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/769.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 2 月 24 日 22:15:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

福島原発事故から5年、東電が今頃になって「メルトダウンの基準があった」と認める!震災直後にメルトダウン認定も可能だった!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-10223.html
2016.02.24 21:31 真実を探すブログ









☆メルトダウン判断 3日後には可能だった
URL http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160224/k10010420291000.html
引用:
東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって、核燃料が溶け落ちる、メルトダウンが起きたことをようやく認め大きな批判を浴びましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時の広報の在り方が改めて問われそうです。
:引用終了












東電はマニュアルで「5%の核燃料が溶けたらメルトダウン」と定めていたのに、震災から2ヶ月が過ぎる時期までメルトダウンの発表しなかったということです。これは情報隠蔽その物だと言え、東電が日本国民や行政に重要な情報を隠したことを示しています。


あの当時にメルトダウンの発表があれば、福島原発周辺に住んでいる人達はもっと早い時期に避難することが出来たはずです。多くの命を助けることが出来たかもしれなかったわけで、メルトダウンの発表を先送りにした東電は本当に極悪非道だと私は思います。
是非とも福島原発事故の情報を隠したり、警告を先送りにした東電の関係者をちゃんと裁いて欲しいところです。


「3・11メルトダウン 福島原発取材の現場から」Part1


              ◇


4/19 福島原発 枝野官房長官1〜3号機「メルトダウンにならない」


福島第1原発事故 東電、メルトダウン発表すべきだったとの見解
動画⇒http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00317196.html
02/24 20:25 FNN


東京電力は、福島第1原発事故の3日後に、「メルトダウン」、炉心が溶融していると発表すべきだったとの見解を明らかにした。
原発事故では、3日後の2011年3月14日には、1号機で25%、3号機では55%の核燃料が損傷していたが、東電は当時、会見で「炉心溶融に至っているかはわからない」と発表している。
東電によると、社内のマニュアルで「核燃料が5%以上損傷している場合は、炉心溶融、つまりメルトダウンと判定する」としていることが、2月になってわかったという。
東電は、3月14日の時点でメルトダウンと発表すべきだったとして、誤った説明を続けてきたことについて、「マニュアルを十分確認せず、深くおわび申し上げます」としている。


 

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コメント
 
1. 2016年2月24日 22:35:08 : 1lSTe5Hs82 : jEvNpD18_UI[5]
NHK動画ニュース

メルトダウン判断 3日後には可能だった
2月24日 15時17分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160224/k10010420291000.html

東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって、核燃料が溶け落ちる、メルトダウンが起きたことをようやく認め大きな批判を浴びましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時の広報の在り方が改めて問われそうです。

福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きましたが、東京電力はメルトダウンとは明言せず、正式に認めたのは発生から2か月後の5月でした。

これについて東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、事故を検証している新潟県の技術委員会の申し入れを受けて調査した結果、社内のマニュアルには炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かりました。

実際、事故発生から3日後の3月14日の朝にはセンサーが回復した結果、1号機で燃料損傷の割合が55%、3号機では30%にそれぞれ達していたことが分かっていて、この時点でメルトダウンが起きたと判断できたことになります。

東京電力は事故後にマニュアルを見直し、現在は核燃料の損傷が5%に達する前でもメルトダウンが起きたと判断すれば直ちに公表するとしていますが、事故から5年近くたって新たな問題点が明らかになったことで、当時の広報の在り方が改めて問われそうです。

メルトダウン認めるまでの経緯

今回の発表や政府の事故調査・検証委員会の報告書などによりますと、東京電力は福島第一原発の事故発生から3日後の3月14日に核燃料の損傷の割合が1号機で55%、3号機が30%に達していることを把握しました。さらに翌日の15日には損傷の割合について1号機で70%、2号機で30%、3号機で25%と公表しますが、原子炉の核燃料が溶けているのではないかという報道陣の質問に対して「炉心溶融」や「メルトダウン」とは明言せず、「炉心損傷」という表現を使います。

一方、当時の原子力安全・保安院は、事故発生の翌日の12日の午後の記者会見で、「炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないだろうか」と発言していました。ところが、その日の夜の会見では担当者が代わり、「炉心が破損しているということはかなり高い確率だと思いますが状況がどういうふうになっているかということは現状では正確にはわからない」と内容が大きく変わります。

さらに翌月の4月には、当時の海江田経済産業大臣の指示でことばの定義付けを行ったうえで、1号機から3号機の原子炉の状態について「燃料ペレットの溶融」とふたたび表現を変えます。

その後、事故から2か月たった5月になって、東京電力は解析の結果として1号機から3号機まででメルトダウンが起きていたことを正式に認めました。
社員「炉心溶融 なるべく使わないようにしていた」

メルトダウン=炉心溶融を巡っては、東京電力の社員が、政府の事故調査・検証委員会の聞き取りに対し、「炉心溶融」ということばを使うことに消極的だった当時の状況を証言しています。公開された証言の記録によりますと、事故当時、東京電力の本店で原子炉内の状態の解析を担当していた社員は、事故から1か月近くたった4月上旬の時点の認識として、「1号機については水位は燃料の半分ほどしか無かったため、上半分は完全に溶けているであろうと考えていた」と述べ、核燃料の一部が溶け落ちていたと見ていたことを明らかにしています。そのうえで、「この頃の当社としては、広報などの場面で炉心溶融ということばをなるべく使わないようにしていたと記憶している」「炉心溶融ということばは正確な定義があるわけではないので、誤解を与えるおそれがあるから使わないと言った考えを聞いた覚えがある」と証言しています。

福島・楢葉町の住民「憤りを感じる」

原発事故の避難指示が去年9月に解除され、住民の帰還が始まっている福島県楢葉町の住民が暮らすいわき市にある仮設住宅では、東京電力に対する憤りや不安の声が聞かれました。

今も仮設住宅で避難生活を続けている83歳の男性は、「東京電力はきちんと謝罪をしたのか。憤りを感じます」と話していました。また、72歳の女性は「メルトダウンしたと、本当に分からなかったのか、それとも隠していたのか。今ごろ言われても気分がよくない」と話していました。仮設住宅の自治会長を務める箱崎豊さんは、「楢葉町民が、安全だというお墨付きのもとに帰ろうとしているときに今さらという感じで腹立たしく思う。残念極まりない。企業体質が改めて問われる事態だ」と話していました。

福島・大熊町長「発表が遅れた真意は」

メルトダウンを巡る東京電力の対応について、福島第一原発が立地し、現在も全町民が避難を続ける大熊町の渡辺利綱町長は、「なぜ発表が遅れたのか、率直に考えて疑問に思う。単純なミスとは考えられないし発表までにだいぶ時間がかかっているので、そのあたりの真意も知りたい。最初からメルトダウンと発表されていれば、町民などの反応も違ったと思う。信頼を築く上でも、正確な情報を迅速に伝えてもらうのが大事なので、引き続き対応を求めていきたい」と話していました。

福島県知事「極めて遺憾」

東京電力の、メルトダウンを巡る通報などの対応について、福島県の内堀知事は「3月14日の時点で『炉心溶融』という重要な事象が通報されなかったことは極めて遺憾だ。今後、迅速で正確な通報や連絡が徹底されるよう、改めて強く求めたい」というコメントを出しました。

新潟県知事「隠蔽の背景など明らかに」

新潟県の泉田裕彦知事は、「事故後、5年もの間、このような重要な事実を公表せず、原発の安全対策の検証を続けている県の技術委員会に対しても真摯(しんし)に対応して来なかったことは極めて遺憾。メルトダウンを隠蔽した背景などについて今後の調査で、真実を明らかにしてほしい」というコメントを発表しました。


2. 2016年2月24日 22:58:22 : fqr7tZnf76 : eANv9fH5DD0[1]
炉心溶融の判定基準発見 東電、3日後に公表可能だった
朝日新聞デジタル 2月24日(水)21時21分配信

 東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたと発表した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。東電は、基準が存在することに5年間気付かなかったとして謝罪した。

 事故では1〜3号機で炉心が溶融して大量の放射性物質が漏れた。公開された当時の社内テレビ会議のやりとりなどから、東電幹部らが当初から炉心溶融の可能性を認識していたことが分かっているが、東電は5月に炉心溶融を正式に認めるまで、会見などでは「炉心溶融」を使わず、核燃料が傷つく状態を意味する「炉心損傷」と説明していた。

 東電によると、判定基準は、事故対応の方針を定めた「原子力災害対策マニュアル」の中に「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていた。東電は炉心溶融の公表遅れの理由として「判断する根拠がなかった」と説明してきた。原発事故の検証を続けている新潟県の委員会の求めで当時の経緯を調べ直すなかで、今月になって基準の記載に社員が気付いたという。

 東電は事故発生から3日後の3月14日午前、格納容器内で測定された放射線量から3号機の炉心損傷割合を30%、1号機も55%と確認。2号機も15日夕に35%と分かった。いずれも5%を超えており、炉心溶融と判定・公表ができたとしている。当時は、この基準があることに気付いていなかったという。2年前にマニュアルを改訂した際も見落としていた。

 東電の担当者は「気付くのに5年間かかったことは誠に申し訳ない。今まで十分な調査ができていなかった点は反省している」と謝罪。今後は第三者の協力を得て、炉心溶融の判定や公表ができなかった経緯や原因を調べるという。

 福島県の内堀雅雄知事は「11年3月14日時点で炉心溶融という重要な事象が通報されなかったことは極めて遺憾である。今後、迅速・正確な通報・連絡が徹底されるよう改めて強く求めたい」とのコメントを出した。(西川迅)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160224-00000057-asahi-soci

東電の情報操作はもはや犯罪である。


3. 2016年2月24日 23:31:51 : uONfi8ApJc : GejPPS0W740[34]
最初の保安員は、フリー記者の質問で、
「メルトダウンの可能性がある」と
事実を答えたために更迭された。
東電や経産省側の大手メディアは、
これを伝えず、質問したフリー記者を叩いた。

だから、記者クラブ以外の記者だけが事実を伝え続けた。


4. 2016年2月25日 04:30:42 : WH6rIX40b6 : uiiwTUOHrkg[1]
メルトダウンの基準が有ったとかの問題では無く今どうなっているかの事実を公表させる事が一番重要なのでは?

5. 日高見連邦共和国[365] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年2月25日 07:13:29 : C7Wqvb1wZA : tDwH8L7NsPc[306]

会見した東電の担当者も、まるで“他人事”。

死んでろっ!!!!!!!!!!


6. 2016年2月25日 13:47:24 : 0c4ZmL4o9g : lMFXGgOaf84[95]
●西山英彦wikipediaより。
事故直後3月12日午後には、担当者の原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(原子力安全基盤担当)[3]が記者会見を行っていたが、「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい」との発言内容を官邸側が問題視した[4]こともあり、翌13日午前5時の会見では、根井寿規審議官(原子力安全担当、核燃料サイクル担当)[5][6]が担当したが、震災発生から一睡もしないまま臨んだ最初の会見で「(会見を)やりたかないんですけれども、(中略)幹部からの指示で私が会見させていただきます」などと発言したことが問題視され即座に交代させられた[7][8]。そこで、西山が経済産業省の審議官級では数少ない保安院経験者であること、経済産業省の報道室長を歴任したことなどから、広報担当として同日午後から会見した。
●3月12日にメルトダウン認めた中村幸一郎審議官を絶対に更迭してはいけなかった。その理由を怒りをこめてわかりやすく。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65711166.html
●事故翌日「スリーマイル超える」 震災当初の保安院広報 中村幸一郎審議官 2012年2月22日
中村氏は、1号機の原子炉を覆う格納容器の圧力が上昇した昨年三月十二日未明には「難しい状況に入ってきているなと思った」と、当時の認識を説明。
消防車で注水を始めたのに、原子炉の水位が低下している状況をとらえ「(過熱した)核燃料の溶融が始まっている可能性がある」と考えた。大学で学んだ原子力工学の知識も判断を下支えした。
同日午前の会見で、「(核燃料を覆う)被覆管が一部溶け始めていることも考えられる」と、初めて溶融の可能性に言及した。
午後の会見前には、「コア(幹部)の人たちはそういう(溶融の可能性があるとの)認識を持っていた」と、寺坂信昭院長(当時)らと認識を共有していたと説明。寺坂氏の了承を得て、会見で「炉心溶融の可能性がある。ほぼ進んでいるのではないか」と踏み込んだ経緯を説明した。
その後、首相官邸側が保安院の説明に懸念を示しているとの情報を得た寺坂氏から、ほかの審議官を介して「発言に注意するように」と指示された。
中村氏は同日夕の会見を最後に広報担当を交代した。その後、保安院の説明は「炉心が破損」など、「溶融」を使わなくなった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012022202100005.html

7. 2016年2月25日 16:39:11 : sCDmVUfcYY : hE7ppZNfNVM[1]
5と6は、どーなの?

8. 日高見連邦共和国[372] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年2月25日 18:13:19 : C7Wqvb1wZA : tDwH8L7NsPc[313]

>>07

私のコメントがどーだって?(笑)

誰もが思っててもなかなか言えないことを言っただけだが?


9. 2016年2月25日 19:11:29 : axdxgm3Wdc : WoR5VAJtx2c[270]
ほとぼりが 冷めたら小出し メルトダウン

10. 2016年2月26日 00:33:56 : tHIVKuZsdo : _YgkBQOb_8U[287]
1)稼働にGOが出るまで伏せて置きたかった。
2)不利になりそうな重大案件の裁判なり和解なりに概ね有利な結果の確定が出揃う迄伏せておきたかった。
…てな処か

関係者と一族郎党には満遍なく30回そこら死んで欲しいわ


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