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「お気持ち表明」は「勅令下る」だと書いたファクタの衝撃  天木直人
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/501.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 8 月 20 日 09:35:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

「お気持ち表明」は「勅令下る」だと書いたファクタの衝撃
http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/08/20/post-5207/
20Aug2016 天木直人のブログ


 郵送されて来た情報月刊誌「ザ・ファクタ」の最新号(9月号)を見て、私はこれ以上ない衝撃を受けた。

 そこには、「天皇陛下に生前退位の表明をさせた安倍首相は進退伺を出すべきだ」と明言した渾身のレポートが掲載されていたからだ。

 「安倍晋三首相は『国民に向けてご発言されたことを重く受け止めている』と述べたが、世論を何より尊重するかのようなコメントで済まそうとする心根がいかにも軽い。安倍首相が本物の『尊皇家』なら、これは首相の進退伺いを出すべき失態だ・・『お気持ち表明』という戦後レジームならではの穏やかな表明に救われたが、戦前なら『勅令下る』にも等しい・・・」

 このような厳しい言葉で始まる匿名の記事は、私がこれまでに目にした「生前退位」のお言葉をめぐる数ある評論の中で、これ以上ない痛烈な安倍批判である。

 筆者に敬意を表して、ここでその内容を詳しくは書かないし、その余裕もない。

 関心ある読者は是非購読してお読みいただきたいが、そのいわんとすることは次の一点につきる。

 3歳の時に盧溝橋事件が起き、11歳で敗戦を迎えた平成天皇は、物心ついてからの少年期は戦争しか知らずに育った。山間に疎開し、嫌な、悲しい、辛い思い出しか持っていない。昭和天皇の意向で軍服を着ることなく敗戦を迎え、中学生以降の成長期を戦後民主主義の揺籃期に送った。55歳で即位してから28年間、こうした生い立ちへのこだわりと、戦後憲法下で初めて即位した象徴天皇という宿命に全身全霊で向かい合った。「内閣の助言と承認により行う」(憲法第7条)国事行為以外の公的活動を意識的に広げ、障害者や高齢者、被災者、社会のためにつくす人々を積極的に訪ね、そうした人々の傍らに立ち、そうした人々の座る畳より低い板敷にひざまずき、その声に耳を傾け、思いに寄り添う。なによりも戦争の鎮魂と反省を身をもって体現する。この自ら求めた象徴天皇の役割を、自らの生命の残り時間が少ないと悟った天皇が、自分が元気なうちに生前退位して後々の天皇像に定着させたい、政治に勝手な真似をさせない、目の黒いうちにそれを見届けるまでは死ぬに死ねないという執念を吐露した、それが生前退位の表明なのだ。温厚典雅な語り口の中に、非常に高度な政治課題をつきつけた巧緻な「お気持ち」と聞かなければいけない。このお気持ちは宮内庁を通じ安倍官邸に伝えられていた。しかし、安倍首相はそのお気持ちにすばやく応じようとしなかったばかりか、そのお気持ちに反することばかり繰り返した。たまりかねて天皇陛下はお言葉表明されたのだ。そこまで天皇陛下を追い込んだ安倍首相は、国民の前にみずから進退伺いを出すべきだ。それほど大きな失態を安倍首相はおかしたのだ。

 このファクタの記事を見て、私は新党憲法9条の結党は歴史的要請だという思いをますます強くした。

 このお言葉表明の後も、安倍首相の政治は変わらないだろう。

 お言葉が棚上げされて終わるおそれすらある。

 そうさせてはいけない。

 この国の政治の中で、天皇陛下のお言葉を実現する国民的な政党が出て来なければいけない。

 まさしくそれが新党憲法9条である(了)

 

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コメント
 
1. 2016年8月20日 09:42:17 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[-850]
躍起になって天皇を政治利用しようとする天木


[32初期非表示理由]:担当:アラシコメントが多いので全部処理
2. 中川隆[3671] koaQ7Jey 2016年8月20日 09:57:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4053]

天木直人は近上天皇の考え方が全然理解できてないね。


天皇一族は共産革命を極度に恐れているから、民主主義や平和を願っている様に見せ掛けているだけさ:

革命に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』
540投稿者:3  投稿日:2015年08月17日(月) 08時09分00秒
(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html


3. 中川隆[3672] koaQ7Jey 2016年8月20日 10:00:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4054]

東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


太平洋戦争中から戦況を逐一把握しており

欧州でのフランス革命やロシャ革命での国王がどのように追放され処刑されたか

太平洋戦争後の日本で共産主義・社会主義政権が成立すれば天皇の地位はどうなるか
あらゆる情報を掴み的確に情勢判断が出来る立場にあった昭和天皇

国体護持に拘り条件付き降伏で敗戦の時機を失した責任は重大であると思う

昭和天皇は太平洋戦争敗戦にいたる責任追及が当然天皇に及ぶことを危惧し戦後の日本社会で共産主義社会主義政権樹立を阻止する為に沖縄を提供することを含め進駐軍のマッカーサー元帥を再三訪問して米軍の日本駐留を熱望していたのである


ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】

@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。


ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
http://nueq.exblog.jp/20875307/


4. 2016年8月20日 10:09:18 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-8595]
 新たに安倍王朝を創設してそのトップに君臨するための憲法を起草することと大日本帝国憲法下の日本に回帰することとは本質的な意味が違う。
 天皇が発した勅令は次期の帝国議会(国会)に提出して何らかの議論を行い結論を得て処理をしなけければならないが、もし無視をすれば同憲法をも遵守する気がないことになる。
 陰謀論漬けだけの脳では首相としての資質を疑われる。

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html


5. 2016年8月20日 10:48:00 : EIHH4CSarE : ZNs6WKx@BdQ[215]
アメリカにしてみれば、これを逆手に取るならば、日本国に対して、「全体主義最終処分命令」というのをたたきつけることで、憲法9条を亡き者にしてでも戦前の日本を取り戻そうとする日本会議そのものが公共の迷惑極まりない存在であると同時に、これを勘違いして自らの利益のことしか感がいない財界と核発電推進原理主義組織そのものも、全人類の大敵に他ならない犯罪者として、これらにまんまと騙されて共犯者となるだけの支持者だけを道連れにして、どんどん涙を流しながら、どんどん敗北することを誇りとして、どんどん歴史の闇の中に、ひっそりと泣き寝入りしながらも、そのままとっとと消滅させなければ、国連安全保障理事会で制裁決議を発動してやるが、そうでなければ、憲法9条にノーベル平和賞のお墨付きを与えてやるから」ということで、この本質的な矛盾と、私たち日本人が、誇りを持って全面対決しうることで、このような犯罪者と共犯者だけが、どんどん敗北し、どんどん大損することになろうとも、誇りを持って、どんどん涙を流しながらも、そっと静かに泣き寝入りするのを、天皇陛下と共に、そっと静かに暖かく見守っていくことにより、公共の利益として、共に分かち合いながら、このまま、そっと静かに幸せに暮らして参りましょう、ということで、アメリカ、中国、韓国、北朝鮮、ロシアをはじめ、全人類と共に、この政権与党をどんどん揺さぶり、全体主義包囲網ということで、全体主義そのものだけを、天皇制とは根本的に切り離し断絶し、どんどん勝手に孤立化させ、どんどん涙を流し続けながら、どんどん敗北し、どんどん泣き寝入りをしながら、そのまま、歴史の闇の中に、葬り捨てて消滅させることで「和して同せず」ということで、これまでに全体主義の中に埋没してきた個人主義としての歴史や伝統が、今度は「和を以て貴しとなす」という和の精神の中に、インテグレートされていくことで、全体主義そのものだけが「和して同せず」ということで、この和の精神の中に、どんどん埋没させ、歴史の闇の中に消滅させることにこそ、誇りを持って、涙を流しながらも深く感謝をして応えてきてもらえることになれば、これもまた外交カードに利用するならば、国際社会に、どんどん良いロールモデルとして見せつけていくことを誇りとして、このまま名誉ある孤立化をして、そっと静かに幸せに暮らして参りましょう、ということで、これに対する全人類からのご褒美として、憲法9条にノーベル平和賞のお墨付きを賜ることになれば、全人類が共に支え合い、助け合い、わかちあいながら、共に幸せに暮らすことが出来る様に、天皇陛下と共に、そっと静かに暖かく見守っていくことを個人主義のベースとして、良いロールモデルとしてどんどん見せつけながら、「損して得取れ」ということも、「三方一両得」として、お互いの利益としてわかちあいながら、ひっそりと自立・自律していく道を選択することで、日本の運命を大きく変えていくことにすれば、何よりのことなのでは?

6. 2016年8月20日 11:18:00 : skfixCFHRI : lAqci_AKXFg[6]
ファクタ筆者の読みは深いというか良く書いた。
ここに紹介の文が示す内容でアベ首相の態度と

天皇陛下がたまりかねて”おことば”を語るに
至った経緯が理解出来る。



7. 2016年8月20日 11:18:38 : F6Iy3a4rJc : bjTiNfeXP1w[13]
>3

>昭和天皇は太平洋戦争敗戦にいたる責任追及が当然天皇に及ぶことを危惧し

これは証拠のないゴシップでしかないので論評に値しない。

>戦後の日本社会で共産主義社会主義政権樹立を阻止する為に沖縄を提供することを含め進駐軍のマッカーサー元帥を再三訪問して米軍の日本駐留を熱望していたのである


これは昭和天皇の判断が正しい。
当時の共産主義とはソ連で、ソ連や東欧の人々は決死の覚悟で西欧に亡命していた。日本をそんな国にしてはならない、という昭和天皇の判断に日本国民は感謝すべきだ。
中川氏は共産革命を望んでいるのか?


>@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。


これも昭和天皇の的確な判断だ。戦前の軍部支配はキチガイだし、それに服従した日本国民の自立心や民度も低かった。


>A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

これも昭和天皇の判断が当時としては正しい。生長の家の残党や日本会議はキチガイカルトでしかない。ただし奇怪なことだが、これらのキチガイカルトは今や大の親米であり、アメポチである。

中川氏は神道イズムの復活を望んでいるのか?アメポチなのか?

総じて昭和天皇の判断が正しかったので、今の日本の繁栄がある。
これに文句を言う中川氏は日本を北朝鮮化したいのかな?


8. 中川隆[3676] koaQ7Jey 2016年8月20日 12:41:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4058]
>>7
昭和天皇がアメポチなんだよ
戦前からずっとJPモルガンのエージェントだったからね

9. 2016年8月20日 14:24:54 : VP1RRcYhnY : u_7yPUkSpL0[3]
>>8

岸信介がCIAの手先だったことは、たしか米国公文書に記録が残ってるんじゃないか?

おまえの言い分だと、天皇も、バカウヨの大将も、どっちもアメポチの子孫だということ。

だったら日本にアメポチでないのがいるのか?

文鮮明様だけは違うとか(笑)


10. 中川隆[3677] koaQ7Jey 2016年8月20日 15:10:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4059]
>>9
岸信介も吉田茂も昭和天皇の指示でアメリカのスパイになっただけだよ。
自分の意思でそんな大それた事をやる訳無いからね。


日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。


アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。

アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。

 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm


昭和天皇に入れ知恵したジョセフ・グルーの正体

アメリカのジョセフ・グルーは1941年日米開戦までの駐日大使であったが、在任中10年間の間に牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔らと深く関わって、牧野らから御前会議の内容や日本政府の極秘事項をスパイさせていた。白洲次郎もその一味である。

 ジョセフ・グルーは、外交史ではよく平和主義者で、戦争末期には天皇制を認めて早期に終戦を図るべき努力したとなっているが、大ウソである。
 以下は、おおむね鬼塚英昭氏の『原爆の秘密(国外編)』(成甲書房)から教わったものだ。

 グルーはアメリカのモルガン財閥の血族の一人である。つまりモルガン財閥が対日工作のために送り込んだエージェントであった。戦争に反対した平和主義者とは、アメリカの走狗となり果てていた当時の(今も)マスゴミによって宣伝された顔なのである。鬼塚氏はグルーを、トルーマン大統領に代わってから実質的な国務長官として、原爆投下に向けてスティムソン陸軍長官と共同歩調をとったえげつない人物として描いている。
 
 鬼塚氏によれば、原爆は国際金融資本グループが第二次世界大戦後の世界で、核兵器で大儲けをする計画でなされた実験であったと述べている。それが長崎に投下されたプルトニウム爆弾であった。広島に投下されたウラン型の原子爆弾はとうに完成していたが、プルトニウムでの原爆は完成に時間がかかった。だからプルトニウム爆弾が完成するまで日本が降伏しないように指示をだしたのはグルーであり、それを日本側の吉田茂、牧野伸顕、樺山愛輔ら(おそらく海軍の米内光政も)に伝える役割を担ったのが白洲次郎であった。

 憲兵隊もそれを掴んでいて、吉田茂とその反戦グループの意味で彼らを「ヨハンセン・グループ」と呼んだ。ヨハンセン・グループは、アメリカのユダヤ国際金融勢力の意を受けたグルーの指示で日本の降伏を引き延ばしていた。
 鬼塚氏は、白洲次郎を「スティムソン陸軍長官(原爆の責任者)とヨハンセンに操られた“プリンシプルのない男”」と称している。

 白洲次郎の父・文平は綿貿易商「白洲商店」を興して巨万の富を築いた人物である。明治時代にハーヴァード大学を卒業しているから、このときすでにイルミナティあるいはユダヤ財閥と関係を持った(工作員となった)はずである。後にドイツのボンに学んだ折、白洲の妻となる正子の父・樺山愛輔と面識を得たということになっているが、次郎も正子も幼少のころから(イルミナティによって)結婚させられる手筈が整っていたと思われる。

 次郎はケンブリッジ大に留学する。学者を目指したとされるがウソだろう。神戸でチンピラやっていて、英国に行っても高級車を乗り回すしか能がない男が学問だなんて笑わせるんじゃない。イルミナティの工作員として教育されるためにケンブリッジ大学に呼ばれたと見るべきであろう。白洲次郎も本格的にイルミナティに取り込まれて、終世ドレイ的契約を交わしたのであろう。
 そのうち親元の「白洲商店」が昭和2年の金融恐慌で倒産して帰国せざるを得なくなる。一方で樺山愛輔も金融恐慌のあおりで理事をしていた十五銀行が閉鎖に追い込まれる。そのせいで米国に留学していた娘の正子も帰国させられ、そこで次郎と正子が出会ったことにされて、結婚に至るのだ。

 次郎はいきなり日本水産の取締に就任する。これも誰かの手が働いたのだろう。鯨油の輸出に携わり、以後毎年、イギリスに赴く。ロンドンでは駐英大使・吉田茂と親交を深め、日本大使館の2階が定宿となる。いくら知り合いだからといっても、吉田が白洲を日本大使館に住まわせてやるとは…。ここにもイルミナティ関連の工作が効いているのだ。

 白洲次郎は日水時代に、近衞文麿の政策ブレーンも務め始める。ゾルゲ事件のあの尾崎秀実とともに、だ。いったい実業家とは名ばかりで、政治の勉強をしたわけでもなく、政治家を目指したわけでもない遊び人の男が、どうして近衛文麿首相の側近に食い込んでいけたというのか。白洲は情報を収集しては米英の工作機関に渡し、また指示を受けて近衛首相を操作したと思われる。日本を泥沼の支那事変に没入させ、勝算のない日米戦争に引き込まれたのは、直接的には白洲らの工作によるのである。

 ソ連の工作員だった朝日新聞の記者、尾崎秀実はゾルゲ事件に連座して死刑になったが、おそらく同じような工作を担当していた米英側の工作員・白洲次郎は生き延びて、さらに戦後GHQの手先まで務めたのである。アメリカ側が戦時中に白洲に手を出すなと日本の官憲に厳命した可能性はある。それは白洲も尾崎も同じイルミナティの手先であったが、戦後は冷戦構造を演出しなければならなかったから、イルミナティとしては日本をアメリカの統治下におくので、ソ連系の尾崎は邪魔になったのだろう。尾崎は日米戦を実現させた意味で、勲一等ではあったが、アメリカ系スパイの白洲と組んでいたことがわかれば、まずいからではなかったか。

 ちなみに朝日新聞は、尾崎秀実を「信念の記者」と今もって褒めている。朝日のコラムニスト早野透がそう言っている。尾崎がスパイとして日本を支那事変の泥沼に陥れる工作に加担し、やがては敗戦直前にソ連軍に侵入させて多くの満州・朝鮮にいた日本人を陵辱させた、その人でなし尾崎を朝日は絶賛する。
 
 鬼塚氏は『原爆の秘密(国外編)』で「白洲次郎は米英のための、具体的に書くならば、スティムソン、グルー、ウォーバーグたちのためのエージェントの仕事をし続けていたのである。原爆産業のエージェントであったといえよう」と書いている。
 鬼塚氏はよく調べたと思うが、しょせん戦争はすべてユダヤ・イルミナティが仕組む八百長であることが十分わかっていない。八百長には演出家も俳優も必要なだけで、白洲はただの小間使いである。

 Wikipedia にはこうある。

 1950(昭和25)年、講和問題で池田勇人蔵相・宮澤喜一蔵相秘書官と共に渡米しジョン・フォスター・ダレスと会談、平和条約の準備を開始した。

 1951(昭和26)年9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿に手を入れ英語から毛筆による日本語に書き直し、奄美諸島、琉球諸島(沖縄)並びに小笠原諸島等の施政権返還を内容に入れさせた。昭和27年(1952年)11月19日から昭和29年(1954年)12月9日まで外務省顧問を務めた。

 よく言うわ。講和交渉もサンフランシスコ条約も、本来、政治家でもない白洲ごときが口をだせるものではない。全部イルミナティの指示によって白州がお目付役となって随行したにすぎまい。まるで最近の小泉劇場を演出した秘書官みたいだ。

 鬼塚英昭氏は『原爆の秘密』で、日本の敗戦時のポツダム宣言受諾「黙殺」と原爆投下がセットになっていると述べている。これはポツダム宣言が出た直後に、ときの総理・鈴木寛太郎が「黙殺」という言葉を使い、そのため米英国民世論が激昂し、それを受けてトルーマンが原爆投下を決断したとされる一連の動きに関してである。

 鈴木首相が「黙殺」と言ったから、原爆投下の正義、口実が確保されたということになっている。これは、スティムソン陸軍長官からヨハンセン・グループに「黙殺」という言葉を使えと指示が行き、それを受けて鈴木首相が「黙殺」と言わされたのだ、という。

 その「黙殺」という言葉を当時の同盟通信社が「ignore」と訳して世界に発信した。つまりわざわざ人騒がせな刺激的な言葉を選んで、アメリカに原爆投下の口実を与えるよう工作したのである。
 
 その同盟通信社はヨハンセン・グループの樺山愛輔の父・資輔が設立したものであった。樺山愛輔が天皇の意向を受けて「ignore」と訳して返事としたと、鬼塚氏は説いている。そこに樺山の娘婿の白洲次郎が一枚かんでいるかもしれない、と。
 白洲次郎は日本に原爆を投下させる役割を担った悪魔というべきチンピラでしかない。
http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/cat5132966/index.html


アメリカの金融資本が大きな影響力を持つようになった切っ掛けは1923年9月1日の関東大震災。その復興支援の調達をJPモルガンに頼ったことから、この金融機関は日本に大きな影響力を持つようになる。その代理人として1932年に来日した人物がジョセフ・グルー駐日大使。そのいとこであるジェーンが結婚した相手がJPモルガンの総帥だったジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだった。またグルーの妻、アリスは少女時代に華族女学校(女子学習院)で九条節子(貞明皇后)と親しくなっている。つまり、皇室にもパイプがあった。

日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。

 こうした政策の背後にはJPモルガンがいたのだが、この巨大金融機関と最も親しくしていた日本人は「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じて親しくなったという。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。この井上は1932年、血盟団に暗殺された。その前、1930年には浜口雄幸首相が銃撃されて翌年に死亡、井上が殺された翌月には三井財閥の大番頭で、ウォール街とも親しくしていた団琢磨が暗殺された。二・二六事件は1936年である。

日本では「関東軍の暴走」という話をよく聞くが、もし本当なら日本軍は軍隊の体をなしていないということになる。説得力がない。もし、参謀本部や陸軍省が関東軍を押さえられなかったとするならば、理由はひとつしか考えられない。皇族の介在だ。

ハワイの真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦争(八百長戦争)に突入する。

その翌年までグルーは日本に滞在、日本とアメリカとの戦争を回避するために努力したというが、当然だ。彼らは日本をソ連侵略の手駒と考えていたのだから。投資の回収をどうするかも大きな問題だっただろう。離日の直前、グルーは岸信介からゴルフを誘われている
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608030000/

日本の場合、最大の問題になる人物は昭和天皇。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、同じことを考える人が日本軍と戦った国々、例えばイギリスやオーストラリアには少なくない。ソ連も天皇に厳しい姿勢を示していた。

 つまり、そうした人びとの影響力が強まる前にアメリカの支配層は天皇制官僚国家を維持するために手を打とうとする。1946年1月に設立された極東国際軍事裁判(東京裁判)の目的はそこにある。その裁判では厳罰に処せられた人がいる反面、本来なら起訴されるべき人が起訴されていない。

 新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#cbtm


11. 2016年8月20日 17:06:35 : n7M234JHjo : OBoBCF8mU2w[100]
10>> フィクションとしては色々あってもよいが、証拠にとぼしい
    のでは、思い込みが激しいように感じる。


 例えば 日本はソ連侵略の手駒と考えていたとあるが
  
「ハワイの真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦争(八百長戦争)に突入する。

その翌年までグルーは日本に滞在、日本とアメリカとの戦争を回避するために努力したというが、当然だ。彼らは日本をソ連侵略の手駒と考えていたのだから。投資の回収をどうするかも大きな問題だっただろう。離日の直前、グルーは岸信介からゴルフを誘われている」

 当時、日本は満州に精鋭の関東軍を置き 対ソ布陣を敷いていた 
 米国がABCD包囲網で日本を刺激しなければ、真珠湾攻撃はなかったろうし
 むしろ 独日で共通の敵、共産ソ連をはさみ打ちに出来た可能性がある。

 米国はソ連に膨大な軍事援助をして第二次大戦は連合国だったわけで
 米ソ連合軍で日本を攻撃した現実はどう説明できるのか。

 そのはかにも疑問はあるが長くなるでここまで。

  


12. 中川隆[3681] koaQ7Jey 2016年8月20日 17:21:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4063]
>米国がABCD包囲網で日本を刺激しなければ、真珠湾攻撃はなかったろうし


日本の宣戦布告が遅れたのは故意にやったものだという説が有力

関係者はスパイの吉田茂の部下でその後栄転してるし。

そもそも日本で真珠湾の事を知っていたのは昭和天皇だけだったし、攻撃があるのはアメリカも事前に知っていた。

すべてアメリカと一緒に仕組んだ事:


最終通牒を遅らせた大使館員は戦後大出世

真珠湾攻撃には幾つかの不可解な事が起こっている。一つは宣戦布告の通知が遅れた事、そしてもう一つは攻撃の不徹底さである。通知が遅れた件に関しては此れは最初からそう仕組まれたものであったと云う他は無い。

 日本から発せられた最後通牒は時間的にも充分間に合う物であった。東郷外相の訓令は対米宣戦布告の最後通牒の手交をワシントン時間、12月7日、午後1時に行うものであっス。ところが野村、栗栖大使が実際に其れをハル国務長官に手交したのは午後2時であり、其の時真珠湾は既に猛火と黒煙に包まれていた。最後通牒の手交が何故遅れたかに就いては尤もらしい説明が付けられている。

 対米最後通牒の電報は14通から成り、其の内の13通は米国の12月6日中に日本大使館に到着し、既に電信課に依って暗号解読され、其の日の内に書記官に提出されていた。残り、即ち最後の14通目は翌7日早朝(ワシントン時間)に大使館に到着、同時に最後通牒の覚書を7日午後1時に手交すべく訓令した電報も大使館には届いていた。

 其の時の大使館員の様子は次の如くであったとされる

◆14通の電報は2種類の暗号を重ねた2重暗号であり、最初の13通は
 12月6日午後1時から入電を開始、粗同時に専門の電信官に依って暗
 号解読が始まった。午後8時半あ事務総括の井口貞夫参事官が解読作業
 中の若手外交官達を誘って行き付けの中華料理店”チャイニーズ・ラン
 ターン”の一室で夕食会を開く。此れは寺崎英成1等書記官の中南米転
 任送別会を兼ねていた。

◆7日、早朝13通分の電文タイプを開始、寺崎一等書記官は妻グエンと娘のマリコ、及び妻の母と共に郊外に車旅行、連絡も付かない状況であった。


◆7日の朝、大使館の電信課宿泊員で若い熱心な基督教徒である藤山楢一
 は14通目の電報ともう一通の「最後通牒」の手交時間訓令の電報を入
 手したが、其の日は日曜日であった為、教会の礼拝に出掛け、電信課の
 責任者であり前夜宿直していた奥村勝蔵首席一等書記官及び松平康東一
 等書記官に対し連絡を怠った。

 14通目の電報が7日の何時から暗号解読され始めたかの公式記録は無い。だが前日に受信した13通の電報が既に解読されており、事の重大性に大使館全員が気付かぬ筈は無い。重大であればこそ大使館員全員が待機して14通目の到来を待ち、其れ以前の13通分に就いても事前にタイプを済ませて何時でもハル国務長官に提出出来る様にして置くのが当然であったろう。だが実際にタイプが始まったのは7日午前7時半あからであり、14通目の暗号解読が終ったと推定される午前10時あ迄は奥村一等書記官に依るのんびりした調子(ペース)であった。

 ところが午前11時過ぎに最後通牒の手交時間が午後1時である事が解り、大使館は騒然と成った。だが日本の外務省から秘密保持の為タイピストを使わぬ様指示されていた日本大使館では慣れない奥村がタイプを打ち続け、終了したのが真珠湾攻撃開始後の1時25分、ハル長官に野村、栗栖大使が手交しスのは1時55分であった。

 此の外務省、日本大使館の動きは全く理解に苦しむのである。
 先ず外務省であるが、僅か残り数行に過ぎない14通目と最後通牒文である第901号電を何故態々其れ迄の13通より遥かに遅れて発信したのか。更に此の重要な時期に何故寺崎一等書記官を転任させる処置を取ったのか。又何故秘密保持と称して専門のタイピストを使用禁止にしたのか等である。

 大使館側にも深い疑惑は残る。大使館員十数人全員が丸で事の重大性を弁えぬ無神経、且つ怠慢な動きを取っている事である。此れは一体何を物語るものであろうか。答は二つ、外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、差もなくば確信犯であったと云う事である。真相は恐らく後者であろう。
http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/413.html
http://www.asyura2.com/08/wara4/msg/253.html



13. 中川隆[3682] koaQ7Jey 2016年8月20日 17:28:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4064]
>米国はソ連に膨大な軍事援助をして第二次大戦は連合国だったわけで
 米ソ連合軍で日本を攻撃した現実はどう説明できるのか。


アメリカ側も一枚板ではなく利害が反するグループが対立していたからね:

1932年の大統領選挙でフーバーの再選を阻止したのは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルト。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするウォール街の住人はニューディール派を排除してファシズム政権を樹立しようと目論む。

 このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将やジャーナリストのポール・フレンチの議会証言で明るみ出て実行されなかった。当時、軍の内部で人望の厚かったバトラーを抱き込もうとして失敗したのである。その際、バトラーはクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えたという。この結果、日本の支配層が従属していたJPモルガンの影響力は低下してしまった。

日本国内でもJPモルガンの傀儡に反発していた勢力も存在する。例えば、血盟団や二・二六事件を引き起こした将校たちだ。現在の表現を使うならば、この傀儡たちは新自由主義者。庶民は貧困化し、東北地方では娘の身売りが増えた。労働争議や欠食児童も問題になっている。その一方、支配層は裕福になり、貧富の差は拡大した。

 こうした政策の背後にはJPモルガンがいたのだが、この巨大金融機関と最も親しくしていた日本人は「適者生存」、つまり弱者切り捨てを主張していた井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じて親しくなったという。浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めている。この井上は1932年、血盟団に暗殺された。その前、1930年には浜口雄幸首相が銃撃されて翌年に死亡、井上が殺された翌月には三井財閥の大番頭で、ウォール街とも親しくしていた団琢磨が暗殺された。二・二六事件は1936年である。

 その後も日本にはソ連へ攻め込もうと考える一派が強い影響力を持ち、1939年には中国東北部とモンゴルの国境地域で日本軍がソ連軍と衝突している。ノモンハン事件だ。参謀本部と陸軍省の意向に反して関東軍が戦闘を拡大したが、ソ連軍の機械化部隊は日本軍の第23師団を壊滅させてしまった。このソ連に対する攻撃はウォール街の意向に沿うものだったはず。ソ連に対する攻撃が成功していたなら、ソ連は西と東、両面作戦を強いられた。このソ連軍との衝突は台湾派兵、日清戦争、日露戦争、韓国併合、シベリア派兵、満州事変という流れの中で引き起こされたとも言える。つまり、米英の戦略に合致しているわけだ。

大戦後、グルーは日本からニューディール派的、つまり民主主義的な要素を払拭する活動を始める。その中心になったグループがジャパン・ロビーだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608030000/



14. 北の吟遊詩人[664] lmuCzIvhl1aOjZBs 2016年8月20日 19:45:00 : 2fQ2auhIpU : bw5E3Q8rtoo[16]
>安部しんぞうから日本を守れ!!
>憲法守れ!
>戦争反対!
>誰も殺すな!

陛下と奥田君は全く同じことを言っていると思う。
陛下の詔で、憲法9条と民主主義を守ってほしい。
国民は安部でなく陛下の方がお好きだ。


15. 2016年8月22日 13:08:50 : B2ZWFoe7wM : ZVMHCzrzJ9g[12]
勅令なんか下しちゃダメでしょ。
天皇のお言葉を非常に高度な『政治課題』をつきつけた巧緻な「お気持ち」と聞いたらあきません。


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