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『とと姉ちゃん』反戦メッセージ封印の一方でモデル「暮しの手帖」編集部には「政治色が強すぎ」と批判が!(リテラ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/193.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 9 月 20 日 09:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                 NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』番組サイトより
  

『とと姉ちゃん』反戦メッセージ封印の一方でモデル「暮しの手帖」編集部には「政治色が強すぎ」と批判が!
http://lite-ra.com/2016/09/post-2571.html
2016.09.20. 「暮しの手帖」に「政治的すぎ」と批判  リテラ


 先日、本サイトではNHK連続ドラマ小説『とと姉ちゃん』をめぐって、モデルになった雑誌「暮しの手帖」(暮しの手帖社)の元関係者や古い読者から「事実と全然違う」との声が上がっていることをお伝えした。

 だが、これは細部の問題ではなく、背景に『とと姉ちゃん』が「暮しの手帖」の本質を避けて通ろうとしていることがある。「暮しの手帖」は同誌の名物編集長・花森安治氏と、一緒に同誌を立ち上げた、とと姉ちゃんのモデル・大橋鎮子氏の「戦争に反対しなくてはいけない」という思いから生まれた雑誌だ。暮らしを大切にすることと、戦争をしない世の中にしていくこと。暮らしを守ることはつまり平和を守ることだという考えが「暮しの手帖」の根幹にはある。

 ところが、NHKは、番組プロデューサー・落合将氏がインタビューで「花森さんはわりと反権力的な方で、政治や政府にも一家言があったとされている。そこを朝ドラでストレートにやるにはなかなかハードルがある」と語っていたように、この反戦争、反権力的姿勢をドラマから排除してしまった。

 かつての同誌を知る人たちが、この本質をないがしろにするドラマ化に怒るのは当然だろう。

 しかし、『とと姉ちゃん』に対するこの当然の批判の一方で、いま、雑誌「暮しの手帖」には、まったく正反対の角度から奇妙なクレームが寄せられている。たとえば、ネット上ではこんな意見がいくつも出てくるのだ

〈編集長が変わって政治色が強くなった。残念〉〈暮らしの手帖で「アベ政治を許さない」的な記事を展開なさることに疑問を感じます(中略)政治記事を読むなら別の雑誌を買います〉〈新編集長以降では、はっきり左への偏りが見えます。政治は暮らしに欠かせない事かもしれませんが、この雑誌上では見たくない記事・特集です〉

「暮しの手帖」は、「ていねいな暮らし」界隈で人気を集めていたエッセイストである松浦弥太郎氏が2006年から編集長を務めていたが、15年に退社し、料理レシピサイトを運営するクックパッドへ移籍。代わって今年の80号(2−3月号)より、元マガジンハウス編集者で女優・本上まなみの夫でもある澤田康彦氏が編集長になった。ところが、これ以降、政治色が強まったとして、「これまでの『暮しの手帖』じゃない!」と一部で反発があるらしいのだ。

 たしかに、前任者の松浦氏は「暮しの手帖」から徹底的に政治性、反権力的姿勢を排除してきた。「暮しの手帖」といえば、『とと姉ちゃん』にも出てくるように、広告に一切依存せず、消費者目線で生活製品の使い勝手や安全性などを厳しくチェックする「商品テスト」(ドラマ内では「商品試験」)という名物企画で知られてきたが、松浦氏の編集長就任とともにこの企画は終了してしまった。

 さらに、松浦氏の姿勢が鮮明になったのが、福島原発事故への対応だった。東日本大震災の後、「暮らしを守る」という方針を掲げる同誌なら、原発事故や放射能の問題を独自の視点で記事にしてくれるだろう、と注目が集まっていたが、松浦編集長のもとで同誌が原発問題にふれることはなかった。

 松浦氏の講演レポート(文化経済研究会2016年1月講演)によると、原発問題を取り上げなかったことで「凄いバッシングを受けました」と松浦氏は当時を振り返っている。だが、同時に松浦氏は原発事故や放射能の問題を取り上げなかったにもかかわらず部数が伸びたことをあげ、こうつづけている。

「僕自身びっくりして、被災地の仮設住宅を訪ねました。すると読者の方が皆さん言うんですが、テレビも雑誌もネットも、悲惨な話しかしない時に『暮しの手帖』だけはどこのページを見ても震災のことも、放射能のことも書かれていなかった。あの時皆さんは現実逃避するために『暮しの手帖』を選んでくれたんです。雑誌やメディアは真実を伝えるという役割もありますよ。でも現実逃避させるという役割もあるんです」

 現実逃避という役割──。そんなものはほかの雑誌がいくらでも担っていたはずで、よりにもよって「暮しの手帖」がその役割を選択する必要があったのかと疑問でならないが、これこそが松浦氏のスタンスだった。

 だが、今年春、澤田氏が編集長になると、「暮しの手帖」は政治的なテーマも扱うようになり、民主主義、平和の必要性を訴える企画も見られるようになった。たとえば、澤田氏が編集長に就任して最初の80号では、料理や手芸などのページとともに、「今デモが変わってきています」と題し、安保法制以降の国会前デモの流れを紹介。〈政治はわたしたちの暮らしとは切り離せない関係にあります〉〈わたしたちがいちいち声をあげることで、もし物事が危険な方向に動いていれば、声の力は抑止力になります〉と社会活動に参加する意味を誌面で読者に問いかけている。また、82号では、「若い人におくる選挙ガイド」として、作家・高橋源一郎が学生たちと民主主義などをテーマに対話を行う企画も掲載された。

 しかし、こうした変化に対して、「昔のほうがよかった」「政治記事で『暮しの手帖』を壊さないでほしい」などと批判するのは、明らかに「暮しの手帖」がどういう雑誌か知らない人間の意見だろう。

 花森安治氏は1970年発行の「暮しの手帖」で、同誌のスタンスをこのような文章にして掲載している。

〈さて ぼくらは もう一度
 倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
 おしまげられたり ねじれたりして
 錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め
 しっかり 組みたてる
 民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
 ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ〉(「見よぼくら一銭五厘の旗」/『一戔五厘の旗』所収、暮しの手帖社)

 この花森氏の文章にもあるように〈ぼくらの暮し〉こそを守ろうという確固たる思いが、「暮しの手帖」を唯一無二の存在たらしめてきたのだ。

 むしろ、そうした〈民主々義〉の雑誌を壊したのが、松浦編集長だった。現在は削除されているが、松浦氏は2011年の年末にFacebook上でこんなエピソードを紹介していた。

 その文章によると、松浦氏はある人に「今の「暮しの手帖」にジャーナリズムはあるのか、それともないのか」と尋ねられて、「いわゆる昔ながらのジャーナリズムはありません。しかし新しいジャーナリズムはあると思う」と答えたという。その上で「君の言う新しいジャーナリズムとは何か」と訊かれ、松浦氏はこう答えたという。

「悪人探しや間違い探しではなく、反権力でもなく、政治的主張によって存在を表すものでもなく、正しさの白黒をつけることでもなく、今日一日をあたたかく安らかに楽しく過ごすためや、少しでも今日の暮らしを美しくするための知恵や工夫を発見して、わかりやすく面白く伝えることです」

 松浦氏がこう言うと、〈その人は「花森安治の暮しの手帖も終わったな」と言って去っていった〉という。このエピソードを、松浦氏は〈今日あったほんとうの話です〉と締めくくっている。わざわざ〈ほんとうの話〉と記しているあたりから察するに、松浦氏は“あり得ない暴言を吐かれた”とでも感じたのかもしれないが、むしろ花森氏が守ってきた編集方針を知る者からすれば、「終わったな」と言われるのも当然の話だろう。

 暮らしのなかに美しさを発見する、その心を奪うのが戦争であり原発事故だ。松浦氏のいう〈安らかに楽しく過ごす〉ために、花森氏は〈ぼくらの暮しをなによりも第一にする〉と掲げ、政府や企業を敵に回すことを厭わなかった。そうしなければ暮らしは守れないということを、花森氏は戦時中の経験を通して痛感していたはずだからだ。

 一方、松浦氏が口にする「暮らし」とは、物質的価値に支えられた表面的なものとしか思えない。松浦氏が大事にする「ていねいな暮らし」とやらだって、ヨーロッパのほうきで部屋の塵を片づけ、作家ものの器に京都の茶を煎れ、アンティークの型でマドレーヌを焼くといった「手仕事」だの「時代を越えたデザイン性」だのといったキーワードを消費しているだけで、「暮らし」そのものは社会や政治と切り離しては考えられないという根本を理解していないように感じるのだ。だからこそ、彼が「暮しの手帖」編集長の後に上場企業であるクックパッドに移籍したことは、非常に合点がゆく展開だった。つまり、「ていねいな暮らし」とはコンテンツであり、ビジネスなのだ。花森的思想と相容れるはずもないのである。

 そこで現在の澤田編集長なのだが、彼は今年7月に東京新聞の寄稿文のなかで、「暮しの手帖」編集部のOBである小榑雅章氏から「だまされない、賢い生活者であるための雑誌をつくってください」と言われたことを述べたうえで、文章をこうまとめている。

〈ぼくら庶民は「為政者はだますものという認識」「常に疑うこと」を標準装備にしておいたほうが、生活上安全だと思います。かなしいことだけど〉

〈民主々義の〈民〉は 庶民の民だ〉と言い切った花森氏に通ずる、〈ぼくら庶民〉という生活者に立った主語。──「暮しの手帖」は編集長交代で「変わってしまった」のではない。「本来のあるべき姿に戻った」だけなのだ。

「暮しの手帖」が朝ドラによって脚光を浴びるこのタイミングで花森イズムを少なからず継承する編集長が雑誌をつくっていることは、じつに喜ばしいかぎりだ。それでも「弥太郎さん時代のほうがいい」という人は、「天然生活」でも読んでいればいい、それだけの話である。

(大方 草)

 

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コメント
 
1. 2016年9月20日 09:43:51 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2689]

戦後のメディアは赤が主流

それほど日本の中では偏っていたわけでもない

だから今の世界の常識から掛け離れた異常に平和ボケした日本があるわけで

海外から来る人も、日本では安心できるわけだ

しかし、そうした見せ掛けの平和も、所詮は

強大な覇権国米国の属国として経済的に発展できたから可能だっただけで

そう遠くないうちに終わる



2. 2016年9月20日 10:09:00 : 2VxazcwEtj : LkYd3S4cYsA[93]
まあ〜NHKの番組だから何も期待してないし
見てないから俺的にはこんな番組などどうでもいいんだが
見通しのきく人にとってはこういうNHKの番組作りが我慢ならんのだろう。
NHKなどなくなった方がいいと俺は思ってる。いまのNHKなど害悪のみ。
統合失調症の変な電波が見えるってのは主にNHKじゃないかと思ってるぐらい。

ただ番組とは別になんか引っ掛かるのが
花森の文章とか言う

〈さて ぼくらは もう一度
 倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
 おしまげられたり ねじれたりして
 錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め
 しっかり 組みたてる
 民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
 ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ〉

これは少し怖い感じがする。
こういう物言いは国側や権力者側からの言葉にいとも簡単に入れ替わるからだ。

力強い真実というのか真理というのはこういう声高の中にあるのではなく
もっと柔らかさというかしなやかさの中にあると思うんだがな。

戦意高揚のスローガンも民主主義高揚のスローガンも
気をつけないと通じてしまうところがあると思う。



3. 2016年9月20日 10:16:09 : yviNKoZ7iC : qxMvgh_uTGs[3]
戦争なんかしたくないよ。

殺すのも殺されるのもいやだ。

    ↑
    ↓

戦争したくてしてるわけじゃないよ。

殺したくないけど殺されたくないから殺すしかないんだ。


4. 2016年9月20日 10:47:40 : MBdP4SuIHA : Lhmt9rixWGc[1]
戦争ぼけがどんなに悲惨で厳しいものかを知らない人間が平和ぼけを批判する。
外交を軍事中心でしか語れない人間が大手を振っている日本だから、
断固抗議、軍備増強しか喚けない人間を有能だと思い込み喝采を送る。

軍事大国アメリカは民が安心して暮らせる場所なんですかね?
NYでこの間爆発が起きましたが。

お花畑の理想論とあざ笑い破滅的な選択を現実的と賢いふりをする人間が国を廃墟に導く。
戦後廃墟の中で我々は現実的な選択をして納得のいく結果を得たと言った人がいましたかね。


5. 2016年9月20日 14:37:13 : 60zrsP9i5I : gDIlEHw40xw[203]
殺されると思い込んでいる被害妄想患者に物事を託すわけにはいかない。そんなに怖ければイスラエルやアメリカに行け。被害妄想の結果がアレだ。保証されるものは「永遠の恐怖」である。

暮らしの手帖は反権力、反財界、反戦(これらは一本で繋がっていることに気付いたか?その反対は常に親権力、親財界、好戦である)あってはじめて価値がある。松浦のような右顧左眄の輩がどうして暮らしの手帖の編集長になれたのか全くわからないが、そもそも暮らしの手帖の左派平和主義は、花森が戦時中に松浦のようなことをした反省から作り出した路線である。NHKのような政権宣伝機関でねじ曲げられた姿で紹介されるようでは花森も浮かばれまい。

大体、現実逃避ができるからという理由で暮らしの手帖を買うバカがいるものか。しかももしそれが事実なら、洗脳やスピンが目的の雑誌だと編集長自ら認めたようなものではないか。


6. 2016年9月20日 16:48:01 : FQhPhu3PcY : 7ti_U4pfh_A[28]
「政治色が強すぎ」

ペテン師の常套句ですな。

「偏っている」 「中立」 と同様のペテン。
詐欺集団・放送法遵守を求める視聴者の会も、よく使っている。

http://news.livedoor.com/article/detail/11204640/
 


7. 2016年9月20日 17:02:09 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[876]
まあーーーた 馬鹿ウヨ連中は 戦争に反対とかって主張は 左翼の特権だと思い込んでいるアンポンタン
反戦イコール左翼 というレッテルを貼るのは、裏返すと好戦イコール右翼だぞと 言外に言っているのと同様だ
本当の右翼や保守層から見れば 迷惑千万な存在 それが【ネトウヨ】というヤツらである

【だから こういう馬鹿どもは 漢字ではなく カタカナで“ウヨ”と 私は書く 右翼モドキという意味だ】

戦争と言うものは、二度と繰り返してはならぬ この世で最も愚かな行為 この世で最も忌むべき行為
この認識には 右も左もないのだ 右と左の違いとは 戦争を避けるべき 「手段の違い」 だけである

★ 戦争を避けるためには 武力を放棄せよ これが左翼の論理

★ 戦争を避けるためにこそ 武力を保持せよ これが右翼および保守層の論理

どちらの論理が正しいのかは いろいろ議論の余地はあるものの
戦争と言う選択は 絶対に避けるべき行為である事に 右と左の違いなど無いのである

つまり、左翼が反戦ならば 右翼だって反戦なのである
反戦を唱えたからってすぐ 「左翼め」 って罵るネトウヨどもこそ 馬鹿の見本というものである。


ただし、日本がかつて突き進んだ 「戦争への道」 あの太平洋戦争においてだけは
右翼と国粋主義者の責任は極めて重く 万死に値するほどの重大な責任が有る それは間違いない

しかし、歴史上 世界のありとあらゆる戦争における責任は 右翼よりも左翼(社会主義や共産主義)
のほうが責任は大きい場合が多々あり いちがいに右翼のせいで戦争が起きるとは言い難いのも確かである。


8. 2016年9月20日 17:32:43 : HrFTRFNcGS : QtQYPlSKr2A[137]
「暮しの手帖」にクレーム?
どうせ日本会議関連の組織からだろう

組織だって執拗にやるらしいからねぇ
恥ずかしくないかねぇ


9. 2016年9月20日 22:04:07 : wuu0GmjFX6 : fiFJ5Yr0Hwk[73]
> 一方、松浦氏が口にする「暮らし」とは、物質的価値に支えられた表面的なものとしか思えない。松浦氏が大事にする「ていねいな暮らし」とやらだって、ヨーロッパのほうきで部屋の塵を片づけ、作家ものの器に京都の茶を煎れ、アンティークの型でマドレーヌを焼くといった「手仕事」だの「時代を越えたデザイン性」だのといったキーワードを消費しているだけで、「暮らし」そのものは社会や政治と切り離しては考えられないという根本を理解していないように感じるのだ。

全くその通り。一見質素に見える「手作りの暮らし」だって、実際は貧困に陥ってしまった人には手の届かない贅沢品だ。現役世代なら、夫に十分な安定収入のある専業主婦くらいしか実現できないだろう。そうした「暮らし」など実現できない人たちの暮らしに寄り添えないのなら、単なる「趣味のオタク雑誌」になり下がるしかない。

花森の望んだ方向では全くないだろう。


10. 2016年9月21日 07:40:31 : NUtw6FkvOM : Zm6fOl2_e1I[2]
笑った。1へお前が平和ボケだ!!

戦争も知らず、平和の中でぬくぬくと暮らし、平和の尊さ、戦争の悲惨さも知らないくせに、平和を求める人を嘲笑う!!

まさに平和ボケ!!

戦争体験者で平和憲法の日本を否定する奴はよほどの金持ち以外いないわ。

てか世界の常識語るなら治外法権の米軍を首都近辺に受け入れている事をなんとかしたら?イラクでも7-8年で米軍追い出したのに、まだ占領されているって異常だよね。


11. 2016年9月21日 12:06:02 : unA9hWYW1I : ZvrK62aHhUQ[179]
●「パブロフの犬(条件反射)」

ネトウヨゾンビどもは、この有名な生体反応実験を、一体知っているのか!!
高等動物の各個体は、習性や程度の差はあろうが、概ね一度「痛い目」の刺激体験をその身に食らうと、二度目からは本能的にそれを避けようとする、強い拒否反応を示すデータが、実験の結果ハッキリ証明された!

●それに反し、ヤツらネトウヨゾンビどもは、父祖世代が、あの敗戦亡国の破綻地獄という、内外に二千万人以上に及ぶ厖大な犠牲者と、言語に絶する惨禍を蒙りながら、将に性懲りもなく、アメリカ戦争屋の先兵となり、またぞろ戦争へ巻き込まれる、危険な道を辿ろうとする、安倍極右腐敗一味ヨイショに狂奔する!!

●ということは、ヤツらは凡そ高等動物界のカテゴリー外の、ただ自己増殖本能やら、細胞分裂本能しか具わらぬ、最下等生物並みか、或いは突然変異で出現のグロイ怪物といった存在ではないのか!!

●かつてのナチスドイツやら、軍国ヒステリー大日本帝国の、悲惨な末路は一体何だったんだ!!
いかに強大な軍備を誇ろうが、だから一体何なんだ!! 負ける時には必ず負けるんだ!!


12. 2016年9月21日 16:47:43 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[880]
戦後日本の 奇跡的な復興は、軍備と外地(占領地植民地)に注ぎ込んでいた国家予算を 国内産業育成へ
すべてつぎ込む以外に 選択肢が無くなったお陰である

北は樺太 西は満州 南は台湾から南洋諸島 今現在と比べ物にならぬ広大な領土を誇っていた戦前の日本が
あれほどまでに情けない貧乏国家だった事実と、すべての領土を取り上げられた戦後の日本が何故か
奇跡と呼ばれる程の経済復興が成し得た事実は 微動だにしない厳然たる事実であります

要するに、戦争と軍備など 国家の富を食い潰す 寄生虫のような存在であり 害悪以外の何ものでもないという
その事実を立派に証明するのが、「戦前の日本と戦後の日本の比較」 であります

明治維新以来、対外戦争に一度たりとも負けた事のなかった大日本帝国が
どうして戦後の日本に対して 比べものにならぬほど貧しかったのか ウヨ連中は考えようともしない

何の資源も持たない我が国が、唯一の資源とも言えるのは 「技術力と人」 であり
この 技術大国日本が繁栄していくためには 世界が平和である事が大前提 戦争状態では 「技術力と人」
という財産を 生かす事は出来ない訳で、世界との経済交流こそ【唯一の日本の生きる道】なのです

しかし、もちろん 最低限の武力は保持しておかなければならぬ事も確かではあるものの
「過剰な武力」 は、自分達の首を絞める結果にしかならない それが戦前の日本の偽らざる姿なのです

軍備と外地に 湯水のように国家の富を注ぎ込み その結果 国内産業は疲弊し経済的窮地に立たされ
その解決策をまた 対外戦争と新たな領土獲得に求め 国際的な孤立と経済的破綻を招く悪循環に陥るという
堂々巡りから抜け出す唯一の手段は 「敗戦」 しかなかった訳です

そして、戦後の日本は 軍という寄生虫と 領土植民地という赤字店舗を リストラに成功した流通企業のごとく
V字回復を 成し得た最大の要因だったのです。


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