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内閣「官房機密費」のナゾ 〜その起源にさかのぼってみたら… 戦前の内閣書記官長が認めた衝撃の事実
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50161
2016.11.13 魚住 昭 ノンフィクションライター 週刊現代 :現代ビジネス
■外務省から内閣に流れるカネ
いきなりで恐縮だが、機密費の話をさせてもらいたい。
読者もご存じのように日本の内閣には官房長官の裁量で自由に使える官房機密費がある。
年間約14億円。うち約2億円は内閣情報調査室に振り分けられるから残り約12億円、ひと月あたり約1億円の金が使途を公表されることなく誰かに渡されている勘定になる。
ただ、これは予算上の数字だ。実際にはそれに加えて、年間約55億円の外務省の「外交機密費」の一部(=約20億円)が上納されているので、官邸の機密費の総額は30億円をゆうに超えるとみられている。
この額の多寡をここで論ずるつもりはない。私が問いたいのは、官邸の経費を外務省が負担するというイレギュラーな仕組みがつくられた理由である。なぜ、正面から官邸の必要経費として予算化されなかったのか。
'01年に発覚した外務省機密費流用事件を追った『外務省激震 ドキュメント機密費』(読売新聞社会部著・中公新書ラクレ)に、その理由を知る大物衆院議員の証言が載っている。
彼は〈僕が知っている機密費のおどろおどろしい使い方っていったら、ある総理大臣が、盆暮れに自民党の大物代議士のところに3億円ずつ持っていっていたことぐらいだろうか。当時は、その大物代議士が党内を牛耳っていたからね。総理大臣は自分で現金の束を運んでいたという話だ〉と言う。
国会をうまく乗り切り、政権を延命させるためなら総理もこれぐらいのことはするだろう。が、こんな使い方をすると毎年十数億円の官房機密費ではとても足りない。と、大物衆院議員は語り、こうつづけている。
〈そこで外務省の分を引っ張ってきて上納させるんです。この上納分は20億円。ここ10年近くで少しずつ増額されている計算になるのかなあ。もともと、この習慣は1950年代から始まったんです。官邸の機密費を増やすと目立つからといってある官房長官が始めたことは、党内では有名な話です〉
さもありなん。権力と金はいつの時代も密接不可分の関係にある。しかし、それを国民に知られるとまずいので外務省に付け替えたということだろう。
では、'50年代に外務省からの上納システムができあがったのが事実だとして、それ以前の官邸の機密費は、どうやって捻出されていたのだろうか。
■80億〜90億円の上納金
実は、ほとんど知られていないが、1945年の終戦後、この機密費の謎に迫った法律家がいた。GHQ国際検察局のW・E・エドワーズ法務官である。
彼の苦心の跡は『国際検察局(IPS)尋問調書』(粟屋憲太郎ほか編・日本図書センター刊)に収録された文書でたどることができる。
機密費をめぐるエドワーズの捜査が始まったのは1947年2月のことだ。当時進行中だった東京裁判で陸軍機密費の性格や使途が論点となり、エドワーズはそれを解明するため関係者の事情聴取に乗り出した。
終戦直後、陸海軍などの重要書類は証拠隠滅のため焼却されていた。そのため物的証拠は計約300万円の機密費が6回に分けて関東軍に支出されたことを示す記録ぐらいしかなかった。
エドワーズは、まず陸軍省の元兵務局長・田中隆吉(陸軍の悪行を暴いて「日本のユダ」と言われた)の話を聴いた。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49634)
田中によれば、機密費はもともと軍事情報の収集や、軍の慰労会の費用などのため幹部に支給される金だ。会計監査の対象外のため、幹部が麻薬を買ったり、芸者遊びをしたり、着服したりするケースもあった。
しかし、機密費の最も重要な点は、それが軍のプロパガンダや軍の政治目的を達成するために使われたことだ。その費用にあてるため、東京の財政当局から海外の日本軍に送られた機密費の相当部分が、銀行経由で日本に還流していたという。
そうやって集められた機密費は具体的にどう使われたか。田中はエドワーズにこう語る。
「陸軍省の軍務局から、衆院の翼賛政治会(=戦時中に認められた唯一の政治団体。東条内閣の御用政党)や極右団体、それにマスコミ関係者らに渡された。この金の力で陸軍は世論を思うように操り、自らの政治目的を遂げることができたんだよ」
エドワーズは田中の指摘に衝撃を受けたらしい。以後、この証言の裏を取るため旧陸海軍の幹部や内務省の元幹部、元衆院議員らを次々と尋問し、機密費の謎に迫っていく。
が、当事者の口は重く、全容はなかなか見えてこない。そんな状況が一変するのは捜査開始から2ヵ月後の4月21日のことである。
この日の朝、市ヶ谷台にある陸軍省ビルの375号室に富田健治が出頭した。富田はもともと内務官僚だが、公爵・近衛文麿の側近となり、日米開戦直前の第二次・第三次近衛内閣(1940年7月〜1941年10月)の書記官長をつとめた。
エドワーズは富田に訊ねた。
「あなたの経歴から見ると、あなたは内閣と陸軍の機密費について相当な知識を持っていると思うのだが、どうだろう?」
富田は「イエス」と答えた。「陸軍の機密費についてはよく知らないが、内閣の機密費についてならよく知っている」。
エドワーズ「近衛内閣の書記官長として内閣機密費の運用の責任者だったのだね?」
富田「そう。責任者だった」
エドワーズ「では、その機密費の捻出法や使途などを教えてくれないか」
富田「内閣に割り当てられた機密費は年間10万円だった。しかし内閣はそのほかに、陸軍と海軍から年間500万円ずつを受け取っていた」
総額1000万円、今の80億〜90億円に相当する金が機密費として陸海軍から内閣に上納されていたというのである。
これにはエドワーズも驚いたらしい。富田の言葉を遮り、「確認だが、陸軍と海軍双方から500万円ずつだね」と訊いた。
富田の答えは「That is correct」(その通り)と揺るぎなかった。衝撃的な証言はさらにつづく。(以下、次号)
『週刊現代』2016年11月19日号より
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