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大統領になることに人生を賭けたヒラリーの誤算−(田中良紹氏)
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20th Nov 2016 市村 悦延 · @hellotomhanks
アメリカのトランプ政権が何を目指すのか、
おそらくトランプ自身もまだ分かっていないうちから押しかけて安倍総理は会談を行い、
「世界で最初の首脳会談」が日本では大きなニュースになった。
次期大統領としてまだ準備が整っていないトランプと会う事を首脳会談と呼ぶべきではない。
実際に家族も同席するプライベートな環境の中で行われ、
日本の総理が土産を持って次期大統領に「面会」したという話である。
それを「世界で真っ先に会談してもらえた」と喜ぶ報道を見るといささか恥ずかしさを覚える。
日本はGDP世界第三位で第一位のアメリカに後れを取るが、
しかし25年連続で世界一の金貸し国であり、
金の貸し借りだけで言えば世界一の借金国であるアメリカより優位にある。
それが「もう日本の面倒は見れない」と借金国から言い出され、
慌てて金貸し国が土産を持って駆けつけた話で、「会談できた」と喜んだり騒いだりする話ではない。
ところで、大統領選挙から10日余りがたち、
フーテンの心の中にはファースト・レディの頃から初の女性大統領を目指す存在として見続け、
今年の大統領選挙でその夢を散らせたヒラリー・クリントンへの思いがある。
彼女の有為転変と挫折は彼女の二面性と政治が持つ残酷さを物語る。
ヒラリー・クリントンを意識したのは1992年の大統領選挙に戦後生まれのビル・クリントンが勝利し、
直後にアーカンソー州リトル・ロックで全米の学者、官僚、経営者、労組幹部を集めて開かれた
「経済会議」を政治専門テレビC−SPANで見た時である。
ソ連崩壊後の世界でアメリカの最大の脅威は日本経済だったが、
「経済会議」では日本型資本主義、とりわけ国民皆保険制度に強い関心が示された。
まるでアメリカが「日本に追いつき追い越せ」を議論しているように見えたが、
その議論の中心にいたのがクリントン夫人ヒラリーだった。
ホワイトハウス入りするとヒラリーはファースト・レディ用エリアではなく大統領用エリアに自分の部屋を設け、
国民皆保険制度を導入する委員会の委員長に就任した。
しかし国民皆保険には野党共和党、保険会社、製薬会社、中小企業などが強く反対し、
1994年の中間選挙で民主党は惨敗、多数を持っていた議会との間に「ねじれ」が生じた。
選挙に敗れたクリントン大統領は一転して共和党の「小さな政府」路線にかじを切る。
そしてヒラリーも大統領エリアの部屋から退去し、ファースト・レディに専念するようになった。
その変わり身の早さにフーテンは驚いたが、同時にこの夫婦には並々ならぬ政治的野心があることを感じた。
ヒラリーは国民皆保険制度の実現をいったんは封印した。
そして今度は一冊の本を書く。「It Takes a Village(それをやるのは村)」というアフリカの諺が
タイトルの本で、子供を育てるのは家庭だけでなく地域社会の役割が重要という内容である。
これが共和党やキリスト教右派から猛攻撃に遭った。
「ヒラリーの思想はアメリカの伝統的価値観を破壊する」と批判された。
この時、フーテンは我々日本人社会の共同体的思想とアメリカのキリスト教的伝統のかい離を強く感じた。
日本やアフリカなど多神教の世界では「共生の原理」が前面に出るが、アメリカのキリスト教社会にそれはない。
しかし70年代のアメリカにはヒッピーに代表される反キリスト教文化の影響があり、
70年代に青春を送ったクリントン夫妻にはその影響を受けた一面がある。
ヒラリーが初の女性大統領を目指している噂はあったので、
フーテンは我々と近い価値観のアメリカ大統領誕生の日が再び来ることを期待するようになった。
ヒラリーが初の女性大統領を意識したのは18歳で入学した名門女子大ウェルズリー時代だと思われる。
子供の頃からリーダーシップに秀でたヒラリーは学友のお金持ちのお嬢さんたちに
初の女性大統領はヒラリーだと確信させ、学友たちは大学に要求して卒業式でヒラリーに演説させる。
それがテレビや雑誌に大々的に取り上げられた。
ヒラリーは「政治的野心」を持たない男性との交際には興味がなく、
その後に進学したエール大学でビル・クリントンと出会うと、
その「政治的野心」に魅かれて共和党支持者から民主党支持者になる。
そしてウォーターゲート事件の弾劾調査委員会に加わるなど共に活動するようになった。
シカゴで生まれた都会育ちのヒラリーはビルの故郷である南部アーカンソーという田舎の州で
ビルと結婚するが、そこにもヒラリーの政治的野心は働いていた。
田舎の州だからこそ32歳の若さでビルは州知事となり、さらに46歳で戦後生まれの初の大統領となった。
クリントン政権最後の年にヒラリーはニューヨーク州から上院議員選挙に出馬する。
初の女性大統領を目指すためにである。しかし大統領を目指すが故のヒラリーの変質も始まる。
女性が軍の最高司令官になるためには軍事に強くならねばならぬと考えヒラリーは軍事委員会に所属する。
そこで意識的に共和党のタカ派議員たちと親交を深めた。
キャリア・ウーマンのイメージを払しょくするように、軍事委員会の長老議員のお茶くみをしたり、
共和党の重鎮であるジョン・マッケイン委員長と二人でウォッカの飲み比べをやって気に入られた。
また大統領選挙の死命を制するのは選挙資金と考え「クリントン財団」を立ち上げてせっせと蓄財に励む。
そして2008年の大統領選挙にヒラリーは満々の自信をもって挑戦した。
しかしベトナム戦争以上の泥沼に陥ったアフガン、イラクの戦争に米国民は嫌気がさしていた。
そこに「米軍撤退」を掲げて若いオバマが登場する。
しかし軍事委員会に所属して軍との関係を深めてきたヒラリーにそれはできない。
ヒラリーはオバマの「チェインジ」に敗れた。
しかしそこでヒラリーは国民皆保険制度の実現をオバマに託す。
いったん封印した目的を忘れてはいなかったのである。
何かを実現するためには幾多の回り道と幾多の妥協が必要なことを見せつけられた気がして、
フーテンは政治の持つ難しさとを感じた。
そしてヒラリーにとり最後のチャンスとなる今年の大統領選挙。
米国民はグローバリズムが生み出す「格差」に憤りを感じていた。
民主党予備選でのサンダースや共和党のトランプはそれを訴えて国民の熱烈な支持を集めた。
そのグローバリズムを生み出したのはヒラリーの夫の政権である。
そして多額の選挙資金を集めた「クリントン財団」は批判の対象になることはあっても
褒められることはなかった。国民はまたまた「チェインジ」を求めていたが、
それは男性大統領から女性大統領への「チェインジ」ではなく、既成政治からの「チェインジ」だった。
女子大時代からおよそ半世紀、初の女性大統領に挑戦してきたヒラリーは、
しかしワシントン政治に四半世紀もどっぷりと浸かっていて、挑戦者のイメージからはかけ離れていた。
こうして国民皆保険や共生社会の重要性を説いてきたヒラリーは暴言王トランプの「チェインジ」に敗れた。
本人はFBIの捜査を敗因に挙げているが、
しかし選挙結果は既成政治に不満な民主党支持者が第三党に流れた傾向を示している。
そして民主党が初の女性大統領を目指すヒラリーを他の候補者に変えることはできなかった。
政治とは残酷なものであることを今回の選挙はフーテンに再認識させてくれた。
この結末にフーテンは無常観を感ずるのみである。
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