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日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由 尊い犠牲の上に、今日があるからこそ(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/159.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 11 月 13 日 11:12:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由 尊い犠牲の上に、今日があるからこそ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50145
2016.11.13 栗原 俊雄 現代ビジネス


特攻。「十死零生」の作戦はなぜ生まれたのかを探る本連載。最終回は、次第に「成功率の低い作戦」と判明していく中で、それでもなぜこの作戦を止めることができなかったのか。その「謎」を紐解く。毎日新聞・栗原俊雄記者のスペシャルレポート。

(前・中篇はこちらから http://gendai.ismedia.jp/list/author/toshiokurihara


■「お前ら、覚悟しろ」

「特攻隊を志願しましたか?」

筆者がそう問うと、江名武彦さん(1923年生まれ)は答えてくれた。

「いえ。意思を聞かれることはありませんでした」

早稻田大学在学中の1943年12月、江名さんは学徒出陣で海軍に入った。航空機の偵察員となり、茨城県の百里原航空隊に配属された。前任地の静岡県・大井海軍航空隊から百里原に到着したとき、上官が言った。

「お前たちは特攻要員で来たんだ。覚悟しろ」

特攻隊員になるかどうか、聞かれたことはなかった。そして江名さんは南九州・串良基地から特攻隊員として2度出撃し、生還した。



前回書いた通り(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50088)、1944年10月に最初の神風特別攻撃隊を送り出した大西瀧治郎中将は、大日本帝国海軍航空部隊を育てた一人である。しかも、航空特攻を「統率の外道」と認識していた。それでもなぜ、大西は特攻を推進し、続けたのだろうか。

まず言えるのは、大西のみならず海軍全体、そして陸軍にも共通することだが、1944年10月の時点では、米軍を主軸とする連合国軍に対して通常の作戦では太刀打ちできなくなっていた、ということだ。

たとえば特攻が始まる1944年10月に先立つ7月、サイパン近海で両海軍が激突した「マリアナ沖海戦」では、帝国海軍は9隻、約450機の搭乗機をそろえ米海軍に決戦をいどんだ。

しかし空母16隻、900機を擁する米海軍に惨敗した。ほぼすべての航空機と、虎の子の正規空母2隻を含む空母3隻を撃沈された。一方、敵艦は一隻も沈まなかった。世界の海戦史に残る惨敗であった。

大西はこの惨敗の後、日本ほどからフィリピンに赴任する前、台湾で面談した連合艦隊司令長官・豊田副武に語ったという(豊田、『最後の帝国海軍』)。

「中には単独飛行がやっとこせという搭乗員が沢山ある、こういう者が雷撃爆撃をやっても、ただ被害が多いだけでとても成果は挙げられない。どうしても体当たりで行くより外に方法はないと思う」


■「ヨチヨチ歩き」でも出撃

ところで、飛行機搭乗員が独り立ちするまでどれくらいの時間がかかったか、ご存じだろうか。

特攻の実情を精密に分析した小沢郁郎によれば、何とか飛ぶことができる程度になるまで300飛行時間程度が必要で、それは「人間で言えばヨチヨチ歩きの段階」(『つらい真実・虚構の特攻神話』)であった。赤ちゃんのようなヨチヨチ歩きまで、毎日3時間飛んでも、100日もかかったのだ。

当時「血の一滴」と言われた航空燃料も相当費やす。そうして膨大な時間と大切な燃料を費やして育てた搭乗員を、ただでさえ劣勢な戦場に送っても、戦果は一向に上がらず反比例するように戦死者が増えるばかりだ。

おなじ戦死するならば、命中率が高いと思われた特攻に踏み切ろう、という判断だったと思われる。前述のようにはじめに大戦果をあげたため、さらに拡大していった。

しかし米軍側が対策を整えるにつれ敵艦に突っ込むどころか敵艦隊に近づくことすら難しくなった。当然、戦果も期待したようにはならなかった。

それでも大西を初めとする海軍首脳は特攻を続けた。敵にダメージを与えられる戦術がそれしかなかった、ということもあるが、それ以外にも理由はありそうだ。 


■なぜ「続けざるを得なかった」のか

1944年10月、大西が第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに向かう前のことである。大西は多田力三中将(軍需省兵器総局第二局長)に特攻構想について話した。

多田が「あまり賛成しない」と述べたところ、大西は「たとえ特攻の成果が十分に挙がらなかったとしても、この戦争で若者達が国のためにこれだけのことをやったということを子孫に残すことは有意義だと思う」と話した(『日本海軍航空史(1)用兵編』)。

また毎日新聞記者で、海軍に従軍していた新名丈夫の証言をみてみよう。

大西は「もはや内地の生産力をあてにして、戦争をすることはできない。戦争は負けるかもししれない。しかしながら後世において、われわれの子孫が、先祖はかく戦えりという歴史を記憶するかぎりは、大和民族は断じて滅亡することはないであろう。われわれはここに全軍捨て身、敗れて悔いなき戦いを決行する」と話していたという(『一億人の昭和史3 太平洋戦争 昭和16〜20年』)。

二人が残した大西証言がその通りだったとしたら、大西にとって大切だったのは戦果だけではない。後世の人々に、自分たち先祖がどう戦ったかを記憶してもらうこと、いわば「民族的記憶遺産」を託すことであった。


  右が大西中将【PHOTO】gettyimages

大西はもう一つ、特攻を続ける理由があったのかもしれない。それは、その「作戦」を続けていれば、いずれ昭和天皇が停戦を指示するだろう、という期待だ(この大西の心情については、角田和男『修羅の翼 零戦特攻隊員の真情』などに詳しい)。

天皇は、特攻をどう受けとめていたのだろうか。

海軍に続いて陸軍が航空特攻を始めたのは11月12日。フィリピン・マニラ南方の飛行場から「万朶(ばんだ)隊」の4機が飛び立った。大本営は翌13日、「戦艦1隻、輸送艦1隻撃沈」と発表した。

同日、梅津美治郎参謀総長が、昭和天皇に戦況を上奏した。天皇は「体当リキハ大変ヨクヤッテ立派ナル成果ヲ収メタ。命ヲ国家ニ捧ケテ克(よ)クモヤッテ呉レタ」(『昭和天皇発言記録集成』掲載、「眞田穣一郎少将日記」)と述べた。

これに先立つ同月8日にも、天皇は梅津に対して「特別攻撃隊アンナニタマヲ沢山受ケナガラ低空テ非常ニ戦果ヲアケタノハ結構デアッタ」と話している(同日記)。

「あんなに敵弾を受けて」云々という内容からして、天皇は特攻の写真もしくは動画をみたのだろうか。いずれにしても、これらの史料からは天皇が特攻の戦果を喜んでいることが分かる。

ちなみに、2014年に完成し公開された「昭和天皇実録」には、特攻に関する記述がある。それによれば、天皇は梅津からの報告に対して「御嘉賞になる」(同日)とある。「実録」は、1990年から宮内庁が国家事業として作成したものである。

四半世紀の時間と莫大な税金を投じただけあって、歴史研究の貴重な資料となるものだが、特攻の場面から分かる通り、天皇の生々しい肉声が削られている憾みが残る。筆者は毎日新聞オピニオン面のコラム「記者の目」で、具体的な例をあげてこの問題を指摘した(2014年8月18日)。

ともあれ、先に見た大西の狙いは、かりにそれが事実であったとしたら完全に外れた。


■後世の日本人に残すため

さて、特攻と言えば航空機によるそれがよく知られている。しかし軍艦などによる水上特攻もあったし、改造した魚雷に人間が乗る水中特攻、さらには上陸してくる敵戦車などに、爆雷を抱いて突っ込む陸上特攻もあった。実際は、航空特攻の死者よりこれらの死者の方がはるかに多かった。

たとえば1945年4月、沖縄に上陸した米軍を撃退すべく出撃した戦艦「大和」以下10隻の艦隊を、海軍首脳は「水上特攻」と認識していたし、命令は「片道燃料」であった(実際は現場の判断で往復可能な燃料が積まれた)。この「大和」艦隊の死者だけで3000人を超える。今回は紙幅の事情で詳細は省くが、機会があればこれらの特攻のことも書きたいと思う。

敗戦が決まった翌日の同年8月16日、大西瀧治郎は割腹自殺した。遺書の中で、死んでいった特攻隊員たちに感謝し、かつ彼らと遺族に謝罪している。

「特攻隊の英霊に曰す/善く戦ひたり深謝す/最後の勝利を信じつゝ肉/彈として散華せり然れ/共其の信念は遂に達/成し得ざるに至れり/吾死を以て旧部下の/英霊とその遺族に謝せんとす」

大西はさらに「一般青壮年」に向けて

「(前略)諸子は國の寶なり/平時に處し猶ほ克く/特攻精神を堅持し/日本民族の福祉と世/界人類の和平の為/最善を盡せよ」

とつづった。

大西は後世の日本人が「特攻精神」を継承することを、最後まで望んでいたことが分かる。 


■大西の願いは叶ったのか?

ところで、大西が前述の多田力三中将に特攻構想を明かした際、多田が強く反対していたら、どうなっていただろうか。それでも、まず間違いなく、特攻は遂行されただろう。なぜなら、特攻は一人大西だけでなく海軍上層部の意思だったからである。

いかに海軍航空部隊育ての親の一人といえども、大西は一中将である。大西一人では、作戦の成功=死という「作戦」を始めることはできたとしても、それを組織的に継続することは不可能であっただろう。

たとえば1944年10月25日に「敷島隊」が突っ込む前の同月13日、軍令部作戦課参謀だった源田実が起案した電報には、「神風特別攻撃隊」の隊名として「敷島隊」「朝日隊」等が記されている。

また軍令部作戦部長だった中澤佑少将によれば、大西はマニラ着任前、及川古志郎軍令部総長に会い、特攻の「諒解」を求めた。同席した中澤によれば、及川は「諒解」し、「決して命令はして呉れるなよ」と応じた(『海軍中将 中澤佑』)。

この席で本当に大西から航空特攻を申し出たかどうかは、疑問も残るところだ。いずれにしても、海軍の実質的最高責任者である軍令部総長が遂行に同意していたことは確かだ。



さらに言えば、実は航空特攻以外の特攻は、「敷島隊」のずっと前から決まっていた。「人間魚雷」回天の試作が始まったのは1944年2月である。

「自分も後から続く」と約束しながら、長い戦後を生き延びた将軍に比べれば、いや比べる意味がないほど、大西は潔かった。

その大西の願い、「民族の記憶」は実現したと言える。敗戦から71年が過ぎた今日まで、特攻はときに祖国愛や同胞愛を語り振り返る文脈のなかで語られ、現代人の感動をよんでいるからだ。

それは「家族や国を守るため、自ら命を投げ出した若者たち」に対する共感や同情であり、「戦争でなくなった人たちの尊い犠牲の上に、今日の繁栄、平和がある」という歴史観にも通じる。


■本当に死者たちを悼むならば

こうした「『尊い犠牲=今日の繁栄と平和』史観」は、戦没者の追悼式で、来賓の国会議員などがしばしば口にするフレーズだ。

筆者はこの歴史観に同意する。同意するが、そのフレーズには危険性があることも感じている。それはたくさんの犠牲者たちを悼むあまり、追及すべき責任を追及させなくさせる呪文になり得るからだ。

本当に死者たちを悼むならば、以下のことを考えるべきだと、筆者は思う。

たとえばたくさんの人たちが死んだ戦争を始めたのは誰なのか。あるいはどの組織なのか。敗戦が決定的になっても降伏しなかったのか誰なのか。そしてそれはなぜだったのか。特攻でいえば、それを始めたのは誰だったのか。責任者は責任をとったのか、とらなかったのか、と。

「特攻は志願だった」

戦後、特攻隊を送り出した上官らによって、特攻はそう物語られてきた。しかし、冒頭にみた江名さんのように、意思をまったく聞かれないまま特攻隊員にされていた人もたくさんいる。筆者は水上特攻として動員された戦艦「大和」の生還者20人にインタビューしたが、「作戦」参加の意思を聞かれた人はただの一人もいなかった。

そして注目されがちな航空特攻と違い、忘れられた特攻隊員も、たくさんいる。たとえば、満州の荒野で押し寄せてくるソ連軍戦車に爆雷を抱いて突っ込んだ兵士たちだ。

他の民族がそうであるように、私たち日本民族も、自分たちの歴史を誇らしいものとして記憶しがちだ。それゆえ、特攻も美しい物語として記憶されてゆくだろう。そういう側面があったことは確かだが、そうではなく、強制されて死んでいった若者たちがたくさんいたこと、さらにはそうした死の多くが忘れ去られてしまっていることも事実だ。

筆者は今後も、トータルとしての特攻を取材し、執筆したいと思う。



 

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コメント
 
1. 中川隆[4924] koaQ7Jey 2016年11月13日 17:28:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5347]
太平洋戦争は八百長戦争
八百長がばれない様に本気で戦っていたように見せ掛けたかった

そこで考えたのが特攻作戦

昭和天皇直々の命令でやる事になったんだ


特攻作戦を主導した昭和天皇(ルーズベルトとグルだったのは有名な話)


特攻第一号神風隊の関大尉の別れの杯、

特攻隊員に対する昭和天皇の「よくやった」というお言葉

を隊員に紹介する隊長、「見事に死んでもらいたい」と訓示する上官、そして

昭和天皇は大元帥であったことを再確認する馬に騎乗し閲兵する姿
http://anarchist.seesaa.net/article/49087839.html


特攻を断ると根性注入棒で毎日殴られるから、どうせ殺されるんならと根性無しから順に特攻志願していったんだなwww


最初の特攻であった、海軍神風特別攻撃隊の隊長である関大尉。

戦後出版されてきた、捏造戦記では、特攻を命ぜられて、すぐに

「ぜひ、私にやらせてください」

と答えたなどと都合よく書かれていたが、実際は違った。

「一晩、考えさせてください」

と言ったのが真実。今も昔も変わらない。上司からの命令は絶対であった。雪印や三菱のような不祥事が続く悪しき温床は、昔から続いている。

艦爆乗りで腕に自信があった彼としては、戦闘機零戦に乗ること自体が納得いかず、特攻は新婚の兵士に命ぜられることはないと聞いていたので、がっかりしたというのが本音であった。

実際、彼は同盟通信特派員につぎのように語っている。

「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。

ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKA(妻)のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。」


まったくもって無念であったろう。彼は、戦死するが、みごと軍神となった。残された貧しい母は軍神の母となって、絶望的な戦局の中、国民を欺くプロパガンダに利用された。敗戦となると、あれほど近所から尊敬された『軍神の母』は、周りから罵声を浴びせられ、ひどい仕打ちを受けたそうだ。
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/880.html


2. 2016年11月13日 18:09:55 : jXbiWWJBCA : zikAgAsyVVk[519]

>大西は後世の日本人が「特攻精神」を継承することを、最後まで望んでいた

無意味な過労死が続くのは、まさに日本人が特攻精神を継承した証か



3. 2016年11月13日 20:17:56 : KpkO8ll5P8 : Ejz@qcku1sE[2]
方向転換が出来ない国日本。それは今も変わらない。政治家も官僚も過去の方針を変えることはしない出来ない。

原発を見切りできない現状をみてもわかる。アメリカ言いなりも変えられない。


4. 2016年11月13日 22:37:54 : nXX5lTNTUA : KRdV@UAXUH0[2]
中川隆はいいよな。

天皇のせいだと言ってりゃいいんだからさ。

幸福の科学のインチキ降霊術の本名名乗ってさ、とんだ大馬鹿モンだわなw


5. 2016年11月13日 23:09:27 : 0yMHvIb3IE : BrUO26x0lC4[9]
判断が誤っていたことを認めて処刑されるのが怖かっただけだろ。

後世に残すんなら一人でも多くの若者を生き残らせた方がいいだろ。

若者を無駄死にさせることに何の意味もない。

上官自ら順に特攻して行ったと言うのならまだしもそんなことは一切ない。

ただただ愚かな作戦を立て続けた自分の責任を追及されるのが怖かっただけだ。

最後まで自分のオナニー心中に付き合わせただけの大西。


6. けろりん[1686] gq@C64LogvE 2016年11月13日 23:40:43 : 644GX8JIyM : ggVV1bt32dk[473]

『 特攻 』を美談に押し上げる根拠は、
日本に欧州米国が、あるいは中華軍が・・
真珠湾のような攻撃をしてきた___
__などという、< 開戦根拠 >が、
当然のように必要になる・・・・。

ドタマが悪いのか・・・?
勘違い精神病なのか・・・?
サイコ・パス・・・なのか・・・?
極端な、おこさまセンズリ種族なのか・・・?
・・・イッタイ・・・どれだ???

ワシのこの間死んだ・・特攻志願兵・生き残り___
「 なにが、後世の日本人のため ・・・アフォか!? 」_弁。
だいたい、ソレの類を言うヤツほど・・・
『 ぬくぬくと生き残っとる__アフォか!! 』
『 クズだと、クズ・・・特攻とは何のカンケイも無いわ・・・』
『 ワシらはただの就職やった・・・今の時代と何にも変わらんわ・・』

特攻隊員の、ナマの___御コトバ___だ。

>筆者はこの歴史観に同意する。同意するが、___

カンケイ無いヤツ・空論のヤカラ三文文士ごときが、
何も現実を知らずに___安易に同意するんじゃ無い。


クズ。


_____________________________
●中国原発__稼働14基_計画・建設中33基


劣化ウラン弾と言う名の< 小型核砲弾 >製造の米軍・極東基地。
ほぼ100%受注供給体制の、ジャパン米軍基地。

「 高浜MOX原発 」止めれば、プルトニュウムの生産は、
「 川内MOX原発 」だけになり、生産効率が悪くなる・・。

高純度・長期燃焼可能な高度濃縮<原潜用ウラン燃料>と、
毎年劣化して行く、<生もの核ミサイル>と<小型核砲弾>と、
そのために、どうしても原発濃縮ウラン工場が要るんですよ。
いまや、全世界に張り巡らされている米軍基地用に、
大量の濃縮ウラン、プルトニュウムが必要となっている。


その役割りを、国際軍産金融グループは、
いま中国大陸へと移行しようとしている。


●25基を建設中
たしかに習近平時代になってから、中国経済の失速が止まらないのは事実だ。今年1月にはダボス会議で、あのジョージ・ソロス氏が「 中国経済のハードランディングが迫っている 」と警告したことは、記憶に新しい。そんな中で、前述のように習近平主席は、原発建設を中国経済復活の足がかりにしようとしている。現在世界で建設中の原発66基中、3分の1を超す 25基 が中国国内なのである。
「  中国の原発建設のスピードは異常です。これほど原発建設を加速化させれば、ただでさえ危険なのに、危険はさらに倍増します。通常、原発の試作機というのは、1基導入しただけで、さまざまなトラブルが生じます。そうしたトラブルに一つひとつ対応しながら、改良に改良を重ねて完成させていくわけですが、いまの中国のやり方では、そうしたトラブルを改善する人的、時間的な余裕がまったくない。その結果、同じようなリスクを孕んだ原発が、次々と稼動することになるのです  」「  中国の原発で事故が発生すれば当然、日本にも大きな影響が出ます。PM2・5の被害が日本に及んでいるように、放射性物質が、海と空からどんどん日本中にやってきます 」 /元東芝原子力プラント設計技術者の後藤政志氏

日本にとって、まさに「 悪夢のシナリオ 」である。
まもなく福島原発の事故から5年を迎えるが、中国にその教訓を汲み取る謙虚さはまったくない。中国の原発は、いつ爆発が起きても、何の不思議もないのだ。中国の原発は、東シナ海の沿岸にズラリ並んでいる。その海の向こうは日本だ。

/「 週刊現代 」2016年3月5日号より
・・・・・・・・・・・・・・

参考数/約数

●日本原発__稼働 2 基_計画・建設中10基( 53基停止中_部分廃炉中 )

●韓国原発__稼働25基_計画・建設中7基

●中国原発__稼働14基_計画・建設中33基

※中華製ゲンパツなど、地震が無くても稼働させた途端に爆発する。
※東洋のサルを地上から壊滅・削減するには最も都合がいいんだ。


< ”絶対的” 崇拝システム・君(王族)が代 >
●アメリカ__ナチズム( ナチを吸収 )/世界的覇権
●ドイツ___ナチズム( ナチを解体 )/在米軍5万人→NATO
●イタリア__ファシズム( 王族を一掃 )/在米軍1万人→NATO
●日本____八紘一宇( 天皇を温存 )/在米軍5万人→対中戦・自衛隊へ移管
●韓国____八紘一宇( IMF・米軍管理 )/在米軍3万人→対中戦・自衛隊との協同戦線
●北朝鮮___八紘一宇( 外天皇を温存 )/帝国陸軍置産国→対日戦・人民解放軍との協同戦線

※『 通貨発行権 』を独自に持つ北朝鮮は、中華やロシアではなく、イランと繋がる。


_______________________________________
日本自衛隊と中華解放軍がアフリカ世石油利権で、合同軍事支配展開中だ・・・。
中華解放軍が、首尾よくアフリカ石油油田を押さえれば・・・、
南シナと東シナ海での、日本自衛隊との一戦を交えるコトが可能になる。

極東のサル奴隷同士を、お互いにへたらせてから・・・、
欧州金融・軍事支配旧王族種族が__火事場の焼太りを目指して再度
コッソリ乗り込んでくる・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
太平洋戦争と__まったく、同じシナリオだ。


7. けろりん[1687] gq@C64LogvE 2016年11月13日 23:46:24 : 644GX8JIyM : ggVV1bt32dk[474]

ワシのこの間死んだ・・特攻志願兵・生き残り___

叔父だ___叔父。
16歳で志願して・・余りの年少のために、
二人乗りゼロ練習機で_後部位置の通信特攻兵として
練習中に__終戦になった。


その叔父__が言うには・・、
「 なにが、後世の日本人のため ・・・アフォか!? 」_弁。
だいたい、ソレの類を言うヤツほど・・・
『 ぬくぬくと生き残っとる__アフォか!! 』
『 クズだよ、クズ・・・特攻とは何のカンケイも無いわ・・・』
『 ワシらはただの就職やった・・・今の時代(平成)と何にも変わらんわ・・』

特攻隊員の、ナマの___御コトバ___だ。


8. けろりん[1688] gq@C64LogvE 2016年11月13日 23:59:48 : 644GX8JIyM : ggVV1bt32dk[475]


もうひとりの伯父___叔父ではなく伯父だが、
ミッドウェー交戦経験者で__帰ってから
『 失敗・組 』__として左遷させられ___
潜水型『 特攻 』爆弾・回天の指導教官に飛ばされた・・。

重巡に乗っていたが___
交戦・開戦までの船上で___自殺者の防止に
夜中中__見張りの任を負わされていた・・・・。

夜中になると、艦上から__次々と身投げをしていくんだ。
余りの恐怖に耐えられなくなり__自殺者・続出になる__。


敵前逃亡は__だいたいが、30%ぐらいにのぼる___。
それが、ナマの戦争__だ。


スマホのゲ〜ムじゃないんだ・・・。
ソコの、おめでたい__評論おちゃらけネット難民。



9. けろりん[1689] gq@C64LogvE 2016年11月14日 00:06:44 : 644GX8JIyM : ggVV1bt32dk[476]

< 天皇ヒロヒトとドレイパーの密約 >
 

1945年、第二次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来る。
 

今後の日本をどうするか、米軍の指揮官ダグラス・マッカーサーとの交渉を担当したのが、当時の大蔵省事務次官池田勇人( 後に首相 )の部下、渡辺武であった。渡辺の自伝である「  渡辺武日記 対占領軍交渉秘録  」( 東洋経済新報社 )によると、渡辺と米軍の最初の「  大きな交渉テーマ  」は、米国の銀行ディロン・リードに対する日本と天皇一族の借金返済問題であった。


明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。米軍が天皇の戦争責任を問題にせず、真っ先に銀行ディロンの代理人として借金の取り立てを行った事は、戦争の目的が金であった事、そして米軍が米国政府の代理人などでなく銀行ディロンという私的機関の「 代理人 」である事を良く示している。しかも奇妙な事に、日本は戦争のための兵器購入資金を敵国の米国ディロンから「 借り入れ 」ていたのだ。さらに貸し付けた側の銀行ディロンの社長が、米国の戦争省長官ウィリアム・ドレーパーであった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていた。


ディロンの親会社が、現在のブッシュ大統領一族の経営する軍事産業専門投資会社カーライルであり、そのブッシュの経営するハリマン銀行の取締役ロバート・ ラヴェットが、戦争省次官として自分の経営する兵器会社から米軍に武器を納入していた。米軍の兵器と日本軍の兵器購入資金は、同一の ハリマン=カーライル=ディロン から出ていた。日本軍と米軍が「 殺し合えば殺し合う程 」この銀行が儲かる「 仕組み 」になっていた。この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「 殺し合い 」をした。

 

この金儲けシステムの
米国側にドレーパーがおり、
日本側に天皇ヒロヒトが居た。

  
 
ドレーパーの銀行ディロンは、戦争で莫大な利益を得た。天皇も日本軍の兵器購入資金の一部を私物化し、スイス銀行に莫大な財産を蓄積した。天皇が戦争責任を問われなかったのは当然である。日本人と米国人に「 殺し合い 」を行わせ金儲けする、ディロン=ハリマン銀行の日本支店長が天皇であった。最初から天皇は「 日本と日本人の命 」を「 敵国に売り渡して 」いた。なお天皇は、スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、「 敵国の戦争指揮官 」ドレーパーに勲一等瑞宝章を与え表彰している。 

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「 天皇を平和の象徴( シンボル )として利用する 」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「 軍部 」に押しつけて天皇を免罪し、「 象徴天皇制 」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「 皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない 」とする「 英米・共同指針計画 」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「 日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権” 」を提言し、「 天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する 」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「 三菱は戦争のたびに大きくなった 」と三菱電機社長はのべている。

こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年( 現状・70年 )たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。

_________________________
おめでたい__評論おちゃらけ被洗脳ネット難民。

これが、戦争の真実だ。
覚醒セイよ___、いつあでもいつまでも
まるで『 あほう 』のまま_ではなく。



10. けろりん[1690] gq@C64LogvE 2016年11月14日 00:12:32 : 644GX8JIyM : ggVV1bt32dk[477]

>いつあでもいつまでも___


とは、なんだ?


いつまでもいつまでも___だ。
まるで『 あほう 』のまんま___
奈良時代から、ほとんど変化していない・・。
まるで、無知・蒙昧__のまんまだ。


死んで『 成仏 』、
突っ込んで『 特攻 』。


どこかしら・・・、
アタマが根本的に、ワルいんだ・・・。
善い人々___なんだけれどな?



11. 2016年11月14日 17:29:48 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[994]
戦争を止められなかった理由 それはただ 「悔しくて止められなかった」 と言うだけの事
勝てる見込みのない不毛な戦争を継続したって 後世に残るものなどない
「自分達の戦い方を後世に」 は、無理に自分達を納得させる 慰めの論理でしかない

『現実に 一部のウヨ連中を除けば 神風特攻を讃える人間など まともな国民の中には存在しない』

つまり、何も評価はされていない 軍国体制の愚かさと無能さと醜悪さが 語り継がれているだけである

日本の各都市が焼野原にされ 原爆で甚大な被害を出し ソ連参戦で軍民ともに逃げ惑うばかり
弾薬も燃料も 食料すらも底をつき 何もかも絶望的状況となってなお 戦争継続を叫んで最後は自決した
宮城事件を起こした若手将校たちを見れば 誰にでも推測できる事

「ただ 悔しかった だけである」


12. 2016年11月14日 19:17:55 : 2LiKY8ftgY : PTfAaIrqs6s[39]
自己犠牲 美化で酔わせろ お人好し

13. 2016年11月14日 20:13:18 : unA9hWYW1I : ZvrK62aHhUQ[214]
●第二次大戦下の日本とアメリカの、極めて明解本質的なメンタリティーの差すら、分からぬネトウヨゾンビども!!

●日本=最たる人命軽視の、勝つためにはいわゆる天皇のため国家のために、ただひたすら「死ね死ね」と、須らくただ虚構の(精神力)と称する死ぬ事のためだけに終止徹底戦わせた!!

●つまり負けて当然の、死なねばならぬ戦い!!

●アメリカ=何としても行き残り、行きぬくためには勝たねばならぬ、ただひたすら生きるため、自由のため、勝つためには何事(如何なる大量破壊兵器使用)も惜しまなかった!!

●つまり勝つのが当然の、行き抜かねばならぬ戦い!!


14. 2016年11月15日 17:13:41 : QrKbsLuqyo : o2RjD9803g4[2]
シリウス内閣の時の原発事故の話ですか?
それとももっと前にも同様の事があったのですか?

15. 2016年11月15日 19:21:53 : kXiYBEm1EM : M4_cAnDHe9M[4]

不敬罪で逮捕者候補の山

16. 2016年11月15日 21:12:03 : 3E76uVCkj6 : nVgKMnZYopg[440]

 「時間稼ぎ」だよね

 戦争に負ける => 本土決戦 => 松本の山の中に トンネルを掘って 天皇を移す計画 => 時間稼ぎ

 ということだった
 
 沖縄も 大和も 時間稼ぎだよな〜〜〜  まだ こんな戦法があるぞ〜〜というだけで

 勝つためではなく 単に 防空壕を作るためだけの 時間稼ぎだ〜〜

 ===

 命が 「時間稼ぎ」に使われた
 


 


17. 2016年11月16日 03:10:16 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[995]
16さんの言う事も一理だが 時間を稼いだところで 戦局を逆転できる見込みは 完全に無かった訳で
誰がどう見たって挽回不可能  まあ、沖縄戦や硫黄島のように 米軍の死傷者を増大させるゲリラ戦術は
可能であったかもしれないが、それでは日本国民 あと何百万何千万と犠牲にしなければならない
国土の荒廃は悲惨を極め、最終的に 天皇が殺されるまで戦い続ける事になり 国家体制は完全消滅
南北朝鮮やドイツのように 東西に分断されて あるいは4か国統治という話もあったとか

そもそも、戦争始める前から 勝つ見込みはまったく無かったのです

真珠湾攻撃成功に沸き返る日本国内の 山本五十六出身地の新潟県長岡で 祝勝の行燈行列が始まった事を
報告した幕僚に向かって山本五十六は 「ふん、今にそいつらが 俺の家に 石を投げに来るだろうさ」
こう言い放って その幕僚は 顔色を失ったという。


18. 2016年11月17日 22:05:48 : NfZatfa7Fg : ufWuS3vUo78[1]
>17
>最終的に 天皇が殺されるまで戦い続ける事になり 国家体制は完全消滅
南北朝鮮やドイツのように 東西に分断されて あるいは4か国統治という話もあったとか

国体の護持ってやつか?
あり得ない理屈だな。
まさか?皇居と周辺が空襲を逃れたのは神風が吹いたからだとか?

戦争は、突発的に起こるのではない。
計画的に遂行されるものだ。

あの戦争で、利益を得た者は誰だった?
戦争後の繁栄がどこにあたか?

それこそが真実で、答えだ。



19. 2020年11月12日 01:59:49 : NuXNNdTHzg : blZvWi9DOE80MGM=[11] 報告
>尊い犠牲の上に、今日があるからこそ

違うな
「尊い犠牲『に対する反省』の上に、今日があるからこそ」だ
犠牲を美化するな
これは「犬死」だよ・・・それをさせたのは、当時の日本政府だ

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