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朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 6 月 28 日 05:09:54: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 20 日 08:12:18)


朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?


「ひとりがたり馬渕睦夫」#17 朝鮮半島問題とは何か?@ 朝鮮戦争に見る近代史の真実 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B2p75lnFBfU&list=PL7MaEu9i584fGdp78r27h-eH0rmWLioEC&index=20

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18 朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY&list=PL7MaEu9i584fGdp78r27h-eH0rmWLioEC&index=21


2019/03/24 に公開

近くて遠く、理解が及ばない国、朝鮮(北朝鮮&韓国)。米朝会談はなぜうまくいかなかったのか?朝鮮半島が抱える諸問題は、まず第一に朝鮮戦争を紐解かなければ、その本質は見えてこない。
ディープステートが動かしてきた、戦争と革命の近代史を、戦後の朝鮮半島を舞台に考察します。

朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。
トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。

▲△▽▼

2019.06.28
69年前の朝鮮戦争もその後のベトナム戦争もアメリカの目的は中国の占領と略奪 《櫻井ジャーナル》


 69年前の6月25日に朝鮮戦争が勃発、「国連軍」と称するアメリカ軍は63万5000トンにおよぶ爆弾を投下、北側に住んでいた人びとの20%以上を殺している。ちなみに、アメリカ軍が第2次世界大戦で日本へ投下した爆弾は約16万トンだ。

 この戦争は北からの軍事侵攻で始まったとされているが、その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると情況は違う。朝鮮半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。元特務機関員で戦後はCIAの工作員をしていた中島辰次郎によると、開戦の数カ月前からアメリカ側の命令で彼らは挑発作戦を実行していた。

 朝鮮戦争が始まったとされる日の3日前、来日中のジョン・フォスター・ダレスは吉田茂と会談、その日の夜に興味深い夕食会に出席している。

 ニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で開かれたのだが、出席者はダレスとパケナムのほか、ニューズウィーク誌のハリー・カーン外信部長、ダレスに同行してきた国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。

 夕食会の翌日、韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領しているのだが、28日にはソウルが朝鮮軍に占領され、韓国軍は馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。アメリカはソ連が欠席している国連の安全保障理事会で「国連軍」の派遣を決めて反撃を開始するが、苦戦した。指揮していたアメリカ軍の将校が山岳地帯での戦闘に不慣れだったことが原因だという。

 戦況が変化するのは1950年9月の仁川上陸作戦から。そこから北上し、南部を占領していた朝鮮軍を孤立させることに成功するが、その作戦の背後では旧日本軍の将校がアドバイスしていたとも言われている。それに対し、約30万人の中国軍が「義勇軍」として参戦、38度線まで押し戻す。中国はアメリカ軍の目的が中国にあることを理解していたのだろう。

 旧日本軍は台湾でも活動を始めていた。蒋介石たち国民党は1949年から岡村寧次大将などに接近している。旧日本軍の将軍たちが処刑される中、岡村は無罪の判決を受けて帰国、GHQ/SCAPの保護下に入った。中国共産党は岡村大将を引き渡すように要求したが、無視されている。

 1949年4月に蒋介石は岡村の下へ曹士徴を密使として派遣、曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して台湾義勇軍を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。

 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡る。この白団を旧日本軍将校のグループが支援、その背後にはアメリカ軍が存在していた。白団は「私設顧問団」ということになるが、それでも1969年に解散するまで台湾に大きな影響力を及ぼし続ける。

 朝鮮戦争の最中、1954年4月にCIAの顧問団に率いられた国民党軍約2000名は中国領内へ軍事侵攻している。一時は片馬を占領したものの、反撃にあって追い出された。翌年の8月にも国民党軍は中国へ侵攻しているが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。

 この顧問団はCIAの秘密工作部門のメンバー。アメリカとイギリスは第2次世界大戦中、コミュニストが主力だったヨーロッパのレジスタンスに対抗する目的でジェドバラを設置しているが、大戦後、その人脈を中心にしてOPCが組織された。そのOPCが1950年10月にCIAの内部へ入り込み、CIAの秘密工作部門になったのだ。

 朝鮮戦争でアメリカは勝利できず、1953年7月に休戦。翌年の1月に国務長官のダレスはNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成する。

 ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された後、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは「トンキン湾事件」という偽旗作戦を利用してベトナムに対する本格的な軍事攻撃を開始するのだが、これは遅くとも1954年の段階でアメリカの支配層が決めていたシナリオだと言えるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201906280000/  

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コメント
1. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:07:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842] 報告
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

2. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年8月15日 18:09:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3900] 報告

2019年08月15日
終戦直前 韓国・北朝鮮を生み出した関東軍とソ連軍の駆け引き


ソ連軍が近づくと関東軍は戦わず、民間人を見捨てて逃げ出した。


画像引用:https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_mili/sov808-jlp02617204.jpg

瀬戸際の駆け引き

現在の私たちは朝鮮半島の真ん中で北朝鮮・韓国に分かれた地図を当たり前に見ています。

だが1945年夏の朝鮮半島は現在とはまったく違う世界で、その後数が月の偶然によって韓国と北朝鮮が誕生した。

ほんの少し違っていれば半島すべてが共産主義の朝鮮民主共和国になったかも知れないし、一つの大韓民国だったかも知れない。


またソ連の領土の一部や、中華民国や共産中国の「朝鮮自治区」になっていた可能性がかなり在った。

全ては日本陸軍関東軍とソ連軍のかけひきによって進み、たまたま両軍が止まったのが地図上の「38度線」でした。

この38度線も関東軍の将校らが、たまたま地図上の線を目安に、ここを防衛線にしようと決めたのに過ぎませんでした。


始まりは1941年から45年の対米戦で、圧倒的優勢な米軍に対処するため、中国大陸や半島から優秀な将兵を太平洋戦線に移動させた。

優秀な人は太平洋に移動し玉砕したので終戦末期に大陸に残っていた兵士は、あまり戦力にならないと考えられたような人達でした。

こういう事情だったので関東軍上層部はソ連と戦う自信がなく、攻めてきたら逃げるという作戦を立てました。


日本の軍中枢である大本営は敗戦を確実視し、100万人以上いた日本人移民を全員見捨てて、関東軍だけが日本に帰国せよと命令しました。

1945年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破棄して、日本軍が居ない場所を狙って前進してきました。

関東軍はあらかじめ少し後退していて、ソ連軍も日本軍が居ない場所だけ前進するという暗黙の合意が成立していました。

全ては僅かな偶然で決まった

ソ連軍はドイツを倒すため欧州戦線に全力を投入していて、極東の日本軍には勝てないとスターリンは考えていました。

欧州戦線のソ連軍を極東に移動させるには数か月かかり、その間日本軍と交戦してはならないと指示していました。

戦力としては極東ソ連軍の方が関東軍より優勢だったが、1939年のノモンハン事件では同じく劣勢だった日本軍に苦戦したからでした。


ノモンハンの戦闘で日本軍は弾薬が尽きても刀や槍で襲い掛かり、兵器や人数では圧倒的に優勢だったソ連軍の方が大きな損害を出していました。

関東軍は安全に撤退するため100万人の日本人移民には「ソ連軍と戦いに行く」と言って騙し、朝鮮半島まで撤退しました。

軍に見捨てられた日本人移民はソ連軍と中国軍らに襲われるのだが、これは本題ではないので省略します。


関東軍は将兵らの動揺を抑えるために、軍人の家族だけをこっそり38度線まで移動させ、8月15日までに主力部隊は38度線まで撤退しました。

関東軍は朝鮮半島南部を最終決戦の地と定め、もしソ連軍が38度線を越えて進軍したら、全軍が民間人とともに玉砕する計画でした。

と同時に関東軍はアメリカ軍が早く上陸するよう催促し、結局米軍は8月25日にソウルに到達しています。


ここで重要なのは「8月15日」は日本軍が勝手に停戦しただけで、ソ連軍が襲い掛かる脅威は続いていたのです。

関東軍はソ連軍を騙す事もしていて、広島長崎の原爆投下後に「日本の半分をソ連軍に引き渡す」という密約をしていました。

この約束は結局果たされず、自分が生き残るために日本を裏切ったのか、ソ連軍を足止めする高度な駆け引きだったのかは不明なままです。


中国や満州や北朝鮮に取り残された日本人100万人以上は、現地で大変な目に遭い、ソ連軍に捕らえられた日本兵のほとんどがなくなりました。

そしてたまたま関東軍が停止した38度線以南を米軍が占領し、そこが韓国になりました。

ソ連は北朝鮮を独立させる気はなかったが、韓国との対抗上なりゆきで北朝鮮を建国した。
http://www.thutmosev.com/archives/80699739.html

3. 中川隆[-10773] koaQ7Jey 2019年10月17日 11:46:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2073] 報告

街場の読書論 韓国語版まえがき - 内田樹の研究室 2019-10-17
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html#cbtm


 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 『街場の読書論』の韓国語版が出ました。
 書くことと本にかかわる文章だけを集めたちょっと変わったアンソロジーです。文章そのものは平易なのですが、言及された元の書物について知らないと翻訳がなかなかむずかしはずです。日本の古典からの引用もあるし、アメリカやフランス文学の話もあるし、落語の話もあるし...翻訳の労をとってくださった朴東燮先生もずいぶんご苦労されたと思います。何よりもまず朴先生のご尽力に感謝申し上げます。いつもありがとうございます。

 序文として一言申し上げたいのは、僕の本がこの時期に韓国語訳されて出版されることの意味についてです。

 いま、日韓関係は僕が知る限り、過去最悪の状態にあります。どうして短期間のうちにこんなことになってしまったのか。このところ、そのことをずっと考えています。

 どうしてこんなことになってしまったのか「わからない」というのは、僕一人ではなく日本の市民のおおかたの実感だろうと思います。

 メディアでは、「このトラブルの責任者は誰か?」「このトラブルから受益しているのは誰か?」という問いが繰り返し立てられ、そのつど「私は真相を知っている」というタイプの「専門家」が登場して「正解」を教えてくれる、ということをしています。

 むずかしい問題が起きたときには「話を簡単にする人」がもてはやされます。知識人でも、政治家でもそうです。

「話を簡単にしてくれる人」はさまざまな変数が入り組んで起きた出来事を、単一の「張本人(author)」が立案した邪悪な「計画」の所産であると説明します。そういう説明をされると、こちらの知的負荷は一気に軽減する。「なんだ。そんな簡単な話だったのか」と知ってほっとする。一見すると無秩序で、偶発的に起きているように見える現象群の背後に「すべてを差配しているオーサー」がいて、すべては実は綿密に組み立てられた計画通りに進行しているのだ・・・と思うと、ことの良し悪しに関わらず(その変化が自分にとって不利なものであってさえ)、人は「ほっとする」。

 これは人性の自然ですから、仕方がないと言えば、仕方がない。

 すべての事象の背後には「神の摂理」があると信じることも、「歴史を貫く鉄の法則性」があると信じることも、「シオンの賢者のプロトコル」があると信じることも、信憑の構造そのものは同一だからです。そもそも、偶発的に見える自然事象の背後には「美しい数理的な秩序」が存在すると信じるところから自然科学だって始まるわけですし。

 目の前の現象が入り組んでいて、理解に難いものであればあるほど、「これらの複雑怪奇に見える出来事の背後には、すべてを予見し、すべてを知り抜き、すべてを統御している単一のオーサーがいる」と推論することへの誘惑はより強いものになります。でも、その誘惑に屈服することがときに破滅的な結果をもたらすことも僕たちは知っている。

 1789年のフランス革命のあと、民衆に追われた貴族と僧侶は英国に亡命しました。そして、夜ごとロンドンのクラブに集まってはどうして「こんなこと」が起きたのか、語り合いました。残念ながら、フランス革命を「無数のファクターの複合的効果」として複雑なまま扱うことができるほどに彼らの知性はタフではなかったので、彼らはこんなふうに推論しました。

 革命は、体制を一気に覆すことができるほどの政治的実力を持ち、かつ完璧な秘密保持を誇る「世界的な規模の陰謀組織」によるものだ、と。そうでないと、大規模な政治的動乱が同時多発的に起きたことの説明がつかない。

 では、その陰謀組織は何ものか? 

 さまざまな「容疑者」が吟味されました。プロテスタント、イギリスの海賊資本、ボヘミアのイリュミナティ、フリーメーソン、聖堂騎士団...そのリストの中に「ユダヤ人の世界政府」というものもありました。実は「オーサー」は誰でもよかったのです。物語の構造だけが重要だったのです。そして、最終的にかなり多くの人たちが「ユダヤ人の世界政府がフランス革命を立案し、実行したのだ」という陰謀史観を採用することになりました。そして、その物語を信じた人たちが(どこまで本気で信じていたのかはわかりませんが)、そのあと2世紀にわたって、同じ物語を飽きずに繰り返し語り続け、最終的にそれがユダヤ人600万人のジェノサイドを帰結したのでした。

 理解しがたい事変が起きたときに、どんなストーリーでもいいから、誰かに分かりやすい理由を示してもらって安心したいと願うのは人間的な弱さの現れです。そのこと自体を責めることはできません。でも、「オーサー」を特定して「話を簡単にすること」に固執して、現実の複雑さを直視することを忌避した人たちが、その結果どれほど非人間的なふるまいに加担することになったのか僕たちは歴史から学びました。動機は人間的だったけれど、帰結は非人間的なものになった、ということがあるのです。

 この歴史的事実から僕たちが引き出しうる教訓があるとすれば、それは、どんな複雑な出来事についても、「そのすべてを統御し、そのことから受益している単一のオーサーがいる」という仮説に対しては、十分な警戒心をもって臨む必要があるということだと僕は思っています。

 その経験則に従って言うと、僕は日韓関係をこのような出口の見えない状況に導いた「邪悪な主体」がいるとは思いません。日韓両国民を困惑させる「周到な計画」があったとも思いません。無数のファクターが絡み合って、「こんなこと」になった。だから、「責任者は誰だ?」「張本人は誰だ?」「受益者は誰だ?」というタイプの、話を簡単にしようとする問いかけをする人に対しては、そういう問いの立て方は有害無益であると、むしろ問題の解決を遠ざけるだけだと告げることにしています。

 こういう難問に遭遇したときには僕は「複雑な現実は複雑なまま扱う」ことにしています。

 不合理なようですけれど、これはほんとうにそうなんです。複雑なものは無理やり単純化しないで、複雑なまま扱う。

 それがどのような種類の問題であれ、僕が困難な問題に接近するときの基本的なマナーです。政治について語る場合でも、哲学や文学について語る場合でも、それは変わりません。

 それは固く結ばれた紐をていねいにほどく作業に似ています。結び目のどこかにわずかでも緩みがあったら、そこを緩める。僕たちにできるのはそれだけです。いつ、どの結び目がほどけるのか、予測できません。だから、工程表を作ることもできないし、作業が完了する期日を示すこともできません。僕たちが経験的に知っているのは、「結び目が一つほどければ、次の結び目がほどきやすくなる」ということくらいです。

 気長な作業です。こういう作業に必要なのは、「切れ味のよい知性」ではありません。むしろ「タフな知性」です。結論が出ないまま、ずっと宙吊りにされていることにも耐えられる知的な忍耐力です。僕は「知性の肺活量」という言葉を使うこともあります。どこまで息を止めていられるか。わかりやすい結論を採用して、知的負荷を一気に軽減したいという誘惑に耐えて、どこまで「わかりにくい話」に付き合い続けることができるか。

 いま日韓両国民に(とりわけ日本国民に)求められているのは、そういう自制と忍耐だと思います。

 なんだか抽象的な話になってしまってすみません。

 僕のこの本が韓国の読者にどういうふうに受け止められることになるのか、僕にはうまく想像がつきません。韓国の読者たちの何人かに言葉を届かせたくらいのことで、日韓の外交関係に何らかのプラスの影響が出ると期待するほど僕はイノセントではありません。でも、「複雑な事態を複雑なまま扱う」という僕の作法に共感してくれる読者が一人でもいれば、そこから結び目がひとつほどける可能性がある。僕はそんなふうに考えています。

 がんばりましょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html#cbtm

4. 中川隆[-10758] koaQ7Jey 2019年10月17日 14:27:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2089] 報告

宇野正美講演会・傍聴記「反ユダヤ伝道師」かく語りき

7月20日(1995年)に、神田の日本教育会館・一ツ橋ホールで開かれた、
宇野正美氏の「1996年 国家存亡の危機が来る」という講演会を聴きに行った。

そうか。この人物が、H氏やA氏やY氏と並んで、「ユダヤによる世界支配の陰謀」
を唱えて、日本の言論界の一角で、異様な気炎をはいてきた宇野正美氏か。

この人が「ユダヤの陰謀」という恐ろしいテーマをひっさげて,もう二十年も言論
活動をやっている人なのか。もし本当に氏が「陰謀」なるものを暴いてしまった人
だったら、とっくの昔に殺されていないのはなぜだろうという疑問が脳裏をかすめた。

 宇野氏ら陰謀評論家は、世界の一般民衆を操る支配階級の人びとの、さらにそのまたごく少数の限られた人びとの秘密クラブの存在を確信することから、自分たちの言論活動を開始する。

「1990年にバブル経済が破裂したあとの5年間で、世界で、日本で、〇〇、〇〇の事件がありましたね。

これは、〇〇が〇〇して、〇〇になったものでした。その背後に、世界を操る〇〇〇〇の存在があるのです」。

要約するならば、宇野氏の話は、このスタイルに終始している。

「〇〇という事実がありました。これは、皆さんもご存知のとおり〇〇〇〇だったのですが、これも実は〇〇〇〇がからんでいるのです」。

 この語り口調は、なかなか小気味よいのである。そうか、あの事件も、この事件
も、やっぱり裏に秘密があったのか。自分もヘンだな、と思っていたんだ。

聴衆は、宇野氏の推理いつしかのめり込んでいく。開場は静まり返って、みんな真剣に聴き入っている。

いろんな厳しい人生経験を積んでそれなりの生き方をしてきたあとでも、人間はこの程度のホラ話に一気のめり込むことができるのである。


「この1月17日の関西大地震は、人工地震の可能性が、1%はあります」

「3月のオウム事件は、地下鉄サリン事件は、北朝鮮が裏で糸を引いているのです」

「最近起きたソウルのデパートの倒壊事件。奇妙でしょ。ビルの中央部分だけが、
一気に崩れ落ちるなんて。これは、低周波兵器でズーンと低周波をかけると、起こるのです」

 この三年ほどで、宇野氏の考えは二つの点で大きく変化している。かつて文芸春秋系のネスコ社から出していた本では、単純素朴な、ユダヤの秘密組織による日本征服説が説かれていた。これは、若い頃からの氏の聖書研究と愛国感情が混じり合った産物だった。

最近は、

「ユダヤ人には、アシュケナージ・ユダヤ人というニセものがおり、スファラディ・ユダヤ人という本物のユダヤ大衆を抑圧するためにイスラエルを建国したのだ。

そしてこのイスラエル建国主義者たちがシオニストであり、国際陰謀をめぐらす諸悪の根源である」

という考え方をしている。

 かつての論調ではフリーメーソン、ビルダーバーグ、イルミナティ、TC(米欧日三極会議)、CFR(外交問題評議会)などの秘密結社や国際機関と、ユダヤ人の秘密結社との関係がどうなっているのかはっきりしなかった。ところが、今回の講演では、「ザ・クラブ・オブ・アイルズ」というヨーロッパの旧来の王侯貴族達の裏結社が、これらすべての秘密クラブの上に君臨し、序列を作りそのずっと下の方で使われているのがユダヤ人たちである、という簡単な理論になっていた。


フリーメーソンやイルミナティなどの秘密結社の存在はさておくとして、TC
(トライラテラル・コミッション、米欧日三極会議)は公然と存在する。

私は、「陰謀」の存在自体は否定しない。世の中に「陰謀」の類はたくさんあると
思っている。世界覇権国であるアメリカ合衆国の、政治・経済の実権を握っている支配層の人びとの間に、多くの「陰謀」があるのは当然のことだと思う。

 そして、1990年以来の、日本のバブル経済の崩壊によって深刻な不況に陥っている現状は、やはりニューヨークの金融界が、日本の経済膨張を抑え込むために陰に陽に仕組んで実行したものであると信じないわけにはいかない。薄々とだが、ビジネスマン層を中心にこのような話は語られ広まっている。

 私の友人のなかに銀行員が何人かいる。昔、いっしょに『ニューヨーク・タイムズ』紙の早朝読み合わせ会という勉強会をやっていた友人のひとりは、ニューヨーク駐在勤務から帰ってきた後に、私にははっきりと語ってくれた。

「ニューヨークの金融センターは、ユダヤ系の人びとに牛耳られており、彼らの意思に逆らうと商売ができない恐ろしいところだ」

 彼は、宇野理論のような直接的なユダヤ陰謀論は説かないが、そのような傾向が
存在することを信じている。株式の大暴落を引き起こし、ついで地価の下落、そして円高による波状攻撃で日本の大企業の力を弱体化させ、日本国民の金融資産の
3分の1は、ニューヨークで解けて流れて、消失してしまった。日本の資産の運用先の大半は、その金利の高さゆえに、アメリカの政府債(TB、トレジャリー・ビル)や社債で運用されてきたからである。それが、円高で元金の方がやられてしまった。
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=0&mode=new_sort

5. 中川隆[-15135] koaQ7Jey 2019年12月16日 18:15:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2184] 報告

2019年12月16日
在韓米軍の足跡 韓国建国前史から半島撤退まで

最初の反米運動は1945年の「解放」直後から


引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fe/Anti-Trusteeship_Campaign.jpg/640px-Anti-Trusteeship_Campaign.jpg


1945年9月8日から韓国(南朝鮮)を守ってきた米軍が、ついに撤退する日が近づいている。


文在演大統領側近の大統領補佐官は「韓米同盟を破棄して中国の同盟国になり守って貰えば良い」と驚きの発言をしています。


米軍撤退後の事は分からないが、朝鮮半島における米軍の歴史を振り返ります。

米軍の恩恵を受けた地域ほど米軍を憎む謎


韓国で2002年に女子中学生2人が在韓米軍の装甲車にひかれる事故があり、全国的な反米デモが巻き起こった。


半島人の特徴としてこういう時は、客観的に物事を考えず、アメリカを悪魔や侵略者として厳しく糾弾します。



1990年代にフィリピンやアジア、欧州から次々に米軍が撤退し、撤退ブームと言うべき状況があった。

特にフィリピンの場合は民衆が一斉蜂起して反米運動を起こし、米軍を追い出すというドラマチックな展開だった。


米軍が撤退したフィリピンは非武装中立国家になり、西側の領海の殆どを中国に占領されたが、それはずっと後の事である。


不思議な事に反米運動で米軍撤退を迫っているのは、フィリピン、沖縄、韓国と米軍無しでは成り立たない地域ばかりでした。

米軍に最も恩恵を受けた地域の住民ほど反米意識が強い。


日本本土、ドイツやイタリアなど、米軍が居なくても自力で守れそうな地域ではそれほどでも無い。


現実世界で米軍への依存が強いほど、それを認めたくないという意識が働くのかも知れない。

フィリピンは植民地時代からずっと米軍が駐留していたが、裏を返すとフィリピンは世界最強の軍隊から無料で守ってもらっていました。

沖縄も同じことで米軍が駐留している限り、最強の無料用心棒を雇っているのと同じなのです。


韓国などは朝鮮戦争で一度は負けて国土の95%を北に占領されたが、米軍に奪還してもらったのが現在の領土です。

こうした米軍依存の国や地域ほど「米軍は必要ない。米軍には迷惑している」と言いたがるのは不思議です。


日本軍の半島撤退


意外というか当然というか、米軍は1945年に朝鮮半島南部を占領していた日本軍から、朝鮮の統治を引き継いだ。

韓国という国が出来る前、既に在韓米軍は存在していて後から韓国と韓国軍が創設されました。


1945年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を破棄して日本に宣戦布告しきました。


対する満州や朝鮮の日本軍は局地戦をしながら後退し、最後に本土へ帰還する計画を立てた。

日本に帰還するには海を渡らねばならないが、アメリカの海上封鎖で海路を塞がれていました。


この帰還作戦は日本がアメリカに降伏し、海上封鎖が解かれ兵士と居留民は帰国し、入れ替わりに米軍が朝鮮に上陸する事に期待していた。


そうならない場合には朝鮮半島の日本軍はソ連には降伏せず、ソ連軍と決戦し玉砕する事になっていました。

ソ連参戦が8月9日で昭和天皇が降伏を決めたのが8月10日過ぎ、終戦の詔勅(玉音放送)が録音されたのは8月14日だった。


8月13日に中立国を通じてアメリカには15日の降伏が伝えられていて、14日には目立った戦闘はなく、15日の玉音放送をもって日本軍は停戦した。


8月6日に広島、8月9日に長崎原爆投下し、米軍機は8月15日にも東京を爆撃している。

まさに一日を争うタイミングで、数日遅れたらソ連軍が北海道や朝鮮南部に襲い掛かってくるのは確実でした。


この時日本にとって切羽詰った問題は、米軍機による民間人への空襲を止めさせる事、米軍によってソ連軍を食い止める事でした。


大本営と関東軍は米軍の到着が早ければソ連に占領されずに済み、日本は分割を免れやがてまた独立できると計算した。

米軍の到着が遅ければ満州と朝鮮の日本軍と民間人数百万人が玉砕し、北海道や東日本はソ連の領土になってしまうでしょう。


9月8日に最初の米軍が仁川に上陸するまでの約1ヶ月間、弱体化した日本軍守備隊は強大なソ連軍と38度線で対峙した。


ソ連軍が攻めてくればソウルは一日で陥落し、1週間で朝鮮半島全体を占領されただろうが、何故か最後まで攻めてこなかった。

この1ヶ月間の空白は物資と軍隊を欧州から輸送するためという意味もあったが、ソ連首脳は特攻や玉砕を恐れない日本軍が兵力以上に強いと思い込んでいた。


アメリカは日本軍と本土で戦えば100万人以上の犠牲が出ると試算したし、ソ連軍もそうした見方をした。


特攻・玉砕はソ連軍を恐れさせ、食い止めたという意味はあったのかも知れない。

米軍の上陸によって日本軍は海路で帰国することが出来、韓国の統治権を米軍に引き渡した。


朝鮮戦争の米軍


日本軍の停戦は1945年8月15日だが、米軍が朝鮮に上陸したのは9月8日だった。

9月9日に朝鮮総督府がアメリカ軍への降伏文書に署名し、朝鮮半島で第二次大戦が終わった。


日本は満州も米軍に占領してもらいたかったのだが、軍に余裕が無いという理由で拒否されている。


1945年9月7日、米軍は南朝鮮に軍政を宣言し、1982年まで戒厳令を敷いた。

因みに「サウス コリア」(南朝鮮)をそのまま英語の国名として現在も使用している。

9月11日には軍政庁を作って統治を始めたが、中身は朝鮮総督府の朝鮮人役人達だった。


1948年8月15日に朝鮮総督府を公式に韓国政府とし、大韓民国を建国した。

即ち現在の韓国政府は、朝鮮総督府を韓国人に入れ替えた組織である。


独立2年後の1950年、米軍への反発や朝鮮半島の軽視から、米軍は韓国から撤退してしまっていた。


1950年6月25日、北朝鮮は突如として国境線を突破し28日にソウルを占領した。

頼みのアメリカ軍は、韓国の反米活動で「出て行け」と言われたので、韓国ではなく日本に居た。


米軍は最初日本からの空爆でお茶を濁したが、国連軍を結集して日本で準備している間に、韓国の大半を北に占領されてしまっていた。


北朝鮮軍は朝鮮半島の最南端の釜山まで快進撃を続けたが、そこには日本からの補給を受けた米軍が陣取っており、ようやく止まった。

北朝鮮軍が釜山を包囲したのが8月15日ごろで、9月15日に米軍が仁川上陸作戦を決行した。


北朝鮮軍は補給線が延びきったところで強力な敵に遭遇し、背後から上陸されて挟撃され、絵に描いたような大敗を喫した。


連合軍は38度線を突破して、中朝国境まで北朝鮮軍を追い込んだ。

ソ連軍と中国軍は「参戦しない」と言いながら参戦し、アメリカ軍は中国軍によって再び38度線に追い返された。

司令官のマッカーサーは中国への原爆使用を要求したが、大統領は将軍を解任し、中国と取引して停戦した。

これが朝鮮戦争で、韓国人は99%までアメリカ軍のお陰で命拾いをした。


戦後の在韓米軍


アメリカ軍のお陰で国土を守った事から、韓国における米軍の権限は強大な物になった。

韓国人は米軍によって抑圧的な生活をさせられていると感じ、反発を強めていった。


韓国人は米軍に感謝するどころか、敵とみなして反対運動を再開しました。


韓国政府は日本に対してもそうしているように、国民の敵意をアメリカ軍に向けさせ、政権への不満の捌け口に利用しました。

例えば韓国軍と韓国政府は朝鮮戦争の期間中、100万人以上の韓国人を「スパイ」として粛清していた。


だが米軍がもっと少数の韓国人を、同様の容疑で処分した方を大々的に宣伝して、自らの犯行を隠しています。


米軍による犯罪や交通事故も、韓国政府の犯罪を隠すために煽っている側面が強い。

米軍向けの慰安婦問題も、韓国政府が怒りを米軍に向けさせる為に煽ったのだが、意に反して国民の怒りは韓国政府に向った。


韓国では政府が批判され国民が不満を持つたびに、日本と米国を「いけにえ」にする事で批判をかわしています。


また韓国では米軍の存在で北と対立しているとか、統一の障害になっているという批判もされている。

たしかに北朝鮮が韓国を統治するには米軍は障害になっていて、文在演は米軍撤退を強く望んでいます。

2016年には規模縮小という名目で、韓国から在韓米軍は撤退する事になっていました。


撤退後も空軍の一部と、少数の陸軍は残る事になっているが米韓連合軍の指揮権は韓国に移譲される予定でした。


だが北朝鮮によるミサイル発射や核開発危機があったので、韓国は急に「撤退するな」と言い先送りになった。


今度はまた韓国が「撤退しろ」と言い出していて、アメリカもいい加減うんざりしている。
http://www.thutmosev.com/archives/35719532.html

6. 中川隆[-13872] koaQ7Jey 2020年2月10日 18:14:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-534] 報告
2020.02.10
カーク・ダグラスが死ぬ前に息絶えていたハリウッド

 俳優のカーク・ダグラスが2月5日に103歳で死亡した。ジョン・フランケンハイマーが監督した「5月の7日間」は軍の好戦派によるクーデターがテーマの作戦だが、その映画で彼は主役を演じている。

 この映画の原作はジャーナリストのフレッチャー・ネベルとチャールズ・ベイリーが1962年に書いた小説。1961年7月にアメリカ空軍の参謀総長に就任したカーティス・ルメイをインタビューしたことが小説を書くひとつの切っ掛けになったとされている。

 言うまでもなく、ルメイは第2次世界大戦の終盤、東京を含む日本の都市を焼夷弾を使った空爆で焼き尽くし、多くの非戦闘員を殺した作戦の責任者であり、広島や長崎へ原子爆弾を投下する上で重要な役割を果たした。

 1948年にはSAC(戦略空軍総司令部)の司令官就任、50年6月に勃発した朝鮮戦争でも日本に対する以上の空爆を実施、朝鮮の人口の20%を殺したと本人も認めているほどだ。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下したのは約16万トンだが、朝鮮戦争で投下された爆弾は約63万5000トンに達する。

 ネベルとベイリーがインタビューした当時、ルメイはライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長と同じようにソ連への先制核攻撃計画に参加、その準備としてキューバへアメリカ軍を侵攻させようとしていた。

 このふたりを含む好戦派の計画を阻止したのが1961年1月に大統領となったジョン・F・ケネディで、1962年9月にはレムニッツァーの再任を拒否している。

 その前にはCIAの長官と副長官が解任されている。1961年11月には長官だったアレン・ダレスを、62年1月には副長官だったチャールズ・キャベルを大統領はCIAから追い出したのだ。ルメイをSACの司令官に留めたことがケネディにとって致命傷になったと考える人もいる。

 ソ連に対する先制核攻撃の準備が進められる中、アメリカ国内ではファシズムに反対する人びとの粛清が始まる。映画界へもその波は押し寄せ、下院の非米活動特別委員会が1947年9月にハリウッドのシナリオ作家、監督、俳優ら19名に対して召喚状を送り、10月23日に出頭するように命じている。

 そのうちのひとりはドイツから亡命していた著名な劇作家のベルトルト・ブレヒト。指定された日に実際、証言させられたのは11名だった。そのうちブレヒトを除く10名が「ハリウッド・テン」と呼ばれている。

 そのうちのひとりが脚本や小説を書いていたドルトン・トランボで、自分の名前で仕事することができなくなった。トランボが自分の名前を取り戻したのはスタンリー・キューブリックが監督、カーク・ダグラスが主役を演じた1960年公開の「スパルタカス」。映画のクレジットにトランボの名前が明記されたのだ。

 しかし、現在のハリウッドは支配層の利益に反する作品を作ることは不可能な状態になっている。表現の自由は失われた。エル・サルバドへアメリカの軍や情報機関が関与している実態を描いた1986年公開の「サルバドル」、ベトナム戦争を描いた86年公開の「プラトーン」、89年公開の「7月4日に生まれて」、93年公開の「天と地」、あるいは87年公開の「ウォール街」や91年公開の「JFK」を監督した​オリバー・ストーン​によると、冷戦が終わってから情況は悪くなり、今では軍を批判したりイラク戦争を取り上げることが困難になっているという。有力メディアと同じように、単なるプロパガンダ機関になったということだ。

 以前にも書いたことだが、「5月の7日間」を映画化するようフランケンハイマーに頼んだのはケネディ大統領である。1962年にホワイトハウス報道官のピエール・サリンジャーを介して依頼したのだが、その大統領は映画が公開される3カ月前にテキサス州ダラスで暗殺された。当時、ダラスの市長はチャールズ・キャベルの弟だ。

 映画の原作が書かれる切っ掛けになる話をしたルメイに対し、ケネディ大統領が暗殺された翌年に日本政府は「勲一等旭日大綬章」を授与している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002100000/

7. 中川隆[-13871] koaQ7Jey 2020年3月17日 19:14:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1011] 報告
2020年03月17日
アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚

アメリカは圧倒的な戦力を持ちながら日本軍を恐れ、ソ連に対日参戦してもらうため、欧州の東半分を譲渡した。それがノルマンディ上陸作戦。

引用:http://format.net.au/site/wp-content/uploads/2014/01/overlord-1024x784.jpg


ノルマンディ上陸は不合理な作戦

第二次大戦でドイツにとどめを刺したのがノルマンディ上陸作戦なのは良く知られていて、何度も大作映画になっています。

だがこの作戦を決めたのが、ソ連の指導者スターリンだったのは、まったく知られていない。

アメリカ軍の上陸地点がノルマンディだった事で東西ドイツが分割され、ソ連の全盛期や中国の発展までつながった。

スターリンがそれほどの影響力を持った理由は日本軍で、アメリカは日本を絨毯爆撃しながら、日本軍にビビリまくっていた。

アメリカの恐れにスターリンがつけ込んだのが『テヘラン会談』で、ここで戦後の枠組みが決定しました。

テヘラン会談に参加したのは英チャーチルと米ルーズベルト、ソ連スターリンの3人と側近達だが、終始スターリンが主導権を握った。


ルーズベルトは1933年3月から1945年4月まで大統領の職にあり、第二次大戦の全期間を通してアメリカ大統領に選任された。

最後は4月12日に脳卒中で倒れ、副大統領トルーマンが大統領に昇格して終戦を迎えた。

ルーズベルトは同じ1933年に政権の座に就いたドイツのヒトラーを最大の敵と見做し、欧州の戦争に参加したがっていた。


ドイツは米国との戦争を避けようとしたので、同盟国の日本に「南京事件」をでっち上げて、経済封鎖をして挑発した。


経済封鎖すれば日本は何らかの軍事行動を起こさざるを得ず、アメリカはドイツと戦って英国を支援することが出来る。

この時点で日本についてはどうでも良く、アメリカ軍に対抗できるとは考えていなかった。


日本軍に狼狽したアメリカの錯覚

だが戦争を開始した日本軍は予想外に強く、アメリカ軍は連戦連敗でもう少しで全艦隊が全滅するところだった。

いくらアメリカの国力が強大でも、戦える軍艦がなくなれば負けを認めて停戦交渉に応じざるを得ない。

そうならずに済んだのはフランス、オランダ、オーストラリア、イギリスなどの弱小部隊が、日本海軍を引き付けて分散させたからだった。


日本軍は米軍に圧勝していた頃、中国やソ連とも対峙し、欧州各国の残存部隊とも戦い、アジア人の武装勢力とも戦っていた。


米艦隊との決戦に備えるべき海軍主力部隊は、オーストラリアやインド洋まで出かけて、どうでも良い作戦に使われていました。

日本が敗戦に向うきっかけになったミッドウェー海戦では、開戦以来一度も定期整備されなかった軍艦や軍用機に故障が続発し、過労から兵士のミスも続出した。


逆に開戦から殆ど働いていなかった米空母は気力充分で、故障も起こさず、存分に力を発揮して圧勝した。

アメリカ海軍は負けそうになったのを英蘭仏豪などが日本軍を引きつけたおかげで、やっと戦況を挽回できたのだった。

大戦前半のアメリカがどのくらい日本軍を恐れたかというと、海軍が全滅したらハワイとグアムを譲渡して和平交渉しようなどと言っていました。


ルーズベルト大統領は1943年になってもまだ、日本軍にはかなりの戦力が残っていて、米軍だけで勝つのは困難だと考えていた。

この錯覚が日本への過剰な絨毯爆撃やマンハッタン計画になり、ソ連への参戦依頼となって現れました。

1943年10月から11月の『カイロ会談』『テヘラン会談』ではスターリンがルーズベルトの弱気を読み、条件を飲まないならソ連は対日参戦しないとハッタリをかました。

ソ連は樺太、千島列島を得ることを確約させたが、後に北海道と日本の東半分の要求にエスカレートしている。


ミッドウェー海戦で日本側はほとんど偵察機を発進させず、米空母を発見できずに敗北した。
開戦以来英仏豪蘭などと戦い続け、故障のため発進できる偵察機がなかった。
米軍だけが相手だったら日本海軍は米艦隊を全滅させていた

引用:http://nisei.hawaii.edu/docs/IO/4992/img4992.jpg


スターリンが支配した1945年

さらにスターリンはドイツへの上陸地点を、バルカン半島からフランスに変更させ、ルーズベルトは了承しました。

バルカン半島はクロアチア、ボスニア、ブルガリアなど大戦後に共産圏に組み込まれた国々で、ソ連側に近い。

ここにアメリカ軍が上陸したら、バルカン半島は米英側が支配する「西側」になり、ソ連はドイツ侵攻すら不可能になるかも知れない。


ソ連がドイツに侵攻するには東欧諸国を占領しながら進撃するが、そこにアメリカ軍が居座っていたら、どうする事もできません。

チャーチルには事の重大さが分かっていたのでバルカン半島を強く主張したが、ルーズベルトはもうボケかけていたのか、頭が回らずフランスに変更してしまった。

この結果東欧諸国は全てソ連が占領し、ドイツは東西に分割されて、「ソビエト連邦」という強大な超大国が出現しました。


ソ連の出現によって中国も共産化し、こんにちの「中華人民共和国」が出現する原因も作りました。

日本軍はルーズベルトの間抜けぶりに狼狽しながら、なるべく多くの領土を「アメリカに占領してもらう」作戦を展開しました。

米ソに分割されたら、ソ連に取られたほうは未来永劫真っ暗闇になるのは分かっていたからで、特に朝鮮半島南側と北海道をソ連に取られるかどうかが焦点だった。


だがアメリカ側はトルーマン大統領に替わっても「日本に上陸したら大量の犠牲者を出す」と言って停戦交渉に応じようとしなかった。

そこで外務省と海軍は弱気になっていた昭和天皇を説得し、終戦の詔勅を録音してラジオ放送した。

ソ連参戦は8月9日でラジオ放送は15日、アメリカ軍は突然の日本の降伏にオロオロし、日本や朝鮮に上陸しようとはしない。


戦後世界は偶然生まれた

ソ連軍はシベリア鉄道で大量の物資と兵士を輸送して、日本上陸と朝鮮半島での決戦に備えつつありました。

そこへやってきたのがパイプを咥えたマッカーサーで、米軍の方が先に日本と朝鮮南部に達した事で、ソ連軍は占領を断念した。

終戦はこのように奇跡的なタイミングで行われ、数日でもずれていたら北海道や韓国がソ連領になった可能性が高い。


逆にアメリカ軍がもっと迅速に動いていたら、北朝鮮や千島列島にソ連軍が到達できなかった可能性もあった。

固定不変のように思われている領土や国家の枠組みは、このように偶然決まる事もあります。

そして強大になったソ連を中心に戦後数十年が始まり、戦勝国アメリカは思ってもみなかった苦戦をするのでした。

http://www.thutmosev.com/archives/66119291.html

8. 中川隆[-13249] koaQ7Jey 2020年3月27日 12:14:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1655] 報告
不当に安すぎる通貨、円

日本が円高になる理由はそもそも1949年に1ドル360円になった時から、円が異常に安いので定期的に円高が起きています。

最初1ドルと1円は同じ価値だったが1940年ごろには1ドル4円から5円、敗戦によって1945年には1ドル15円、翌年には40円、1947年には1ドル50円になっていた。

当時アメリカは「日本を貧困化してフィリピン並みの小国にする」政策を進めていたが、1950年の朝鮮戦争ですべてが変わった。


アメリカ軍は優勢な共産軍の前に連戦連敗し朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められて「日本軍を再結成して欲しい」と泣きついてきました。

日本は後に自衛隊になる警察予備隊を創設したり、日本を前線基地として使用させたり物資の補給などで協力し、米軍はなんとか引き分けに持ち込んだ。

アメリカは日本経済を復興し日本軍再結成に方針を転換し、その後日本は高度経済成長を経て今日に至る。


1ドル360円にしたことで円は不当に安くなり、日本で生産したものは安くて品質が良いので大量に輸出されるようになった。

1980年代になるとアメリカは日本の輸出で打撃を受けるようになり、1985年のプラザ合意でドル円を変動相場制に移行した。

これを分かりやすく言うと固定相場制では「輸出国が儲かった」のに、変動相場制では「輸入国が儲かる」ようになる。


日本は輸出するほど円高になって損をするのを繰り返し、バブル崩壊や平成不況、超円高でのたうち回った。

現在もこの構図は変わっておらず、日本の通貨円は不当に安いので日本企業は輸出攻勢をかけて儲けている。

「日本はもはや輸出大国ではない」という人もいるが、実際には毎年20兆円も経常黒字を積み重ねている。


円安に誘導するから円高になる

変動相場制では「日本が儲かるほど円高が進む」のだから毎年20兆円分円高にならないとおかしいのです。

20兆円と言うと日本のGDPの3.5%程度なので、毎年3%以上円高になっている計算です。

円高にならないとおかしいのだが、どの程度円高になると円の価値は正しくなるのでしょうか?


これは物価や実質実効レートを見れば簡単に分かり、実質実効レートとは物価を計算した「本当の為替レート」の事です。

例えばドル円がずっと1ドル100円だったとしても、日本の物価は変わらずアメリカは毎年5%物価上昇したら毎年5%円安が進んだことになります。

実質実効レートでは2011年ごろと比べて同じ為替レートでも円は10%ほど安くなっている。


つまり2011年の1ドル75円と同じドルと円の交換レートは、物価を修正すると現在では1ドル60円台になる。

経済危機のたびに注目される「ビッグマック指数」ではアメリカの物価は日本の2倍なので、1ドル50円台が予想される。

1985年や1995年や2009や2011年のような円高が発生した場合、次は1ドル60円台か50円台になると見ています。


物価からは1995年や2011年は円高ではなく「正しいレート」で、日本政府が強制的に円安誘導していたと言える。

政府が無理やり円安にするので、およそ10年ごとに矛盾が噴出して一気に円高になるのです。

1ドル60円になって人民元が何割か安くなると日中のGDPは再逆転し、再び日本のほうが上位になります。


人民元は日本円とは逆に不当に高く維持されていて、中国のGDPを大きく見せかけるのに貢献している。

http://www.thutmosev.com/archives/82547886.html

9. 中川隆[-12205] koaQ7Jey 2020年6月28日 14:03:26 : rhl6twI2q6 : a3kzajdjUUsxVXM=[14] 報告

2020.06.28
70年前に始まった朝鮮戦争は米国が英国から引き継いだ対中国戦争の一環
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202006280000/

 朝鮮半島では1950年6月25日に戦争が勃発している。その当時、半島の南にはアメリカの傀儡体制だった大韓民国があり、北には中国やソ連を後ろ盾とする朝鮮民主主義人民共和国が存在、戦いは中国とアメリカの軍事的な衝突という側面があった。

 この戦争は北からの軍事侵攻で始まったとされているが、その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると情況は違う。朝鮮半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。アメリカ軍は63万5000トンにおよぶ爆弾を投下、北側に住んでいた人びとの20%以上を殺すことになる。ちなみに、アメリカ軍が第2次世界大戦で日本へ投下した爆弾は約16万トンだ。

 朝鮮戦争が始まったとされる日より前から南と北との間で軍事的な小競り合いは繰り返され、元特務機関員で戦後はCIAの工作員をしていた中島辰次郎によると、開戦の数カ月前からアメリカ側の命令で彼らは挑発工作を始めていた。

 その当時、韓国の李承晩体制がアメリカの傀儡だということは広く知られていて、人気は朝鮮の方が勝っていた。その朝鮮の指導者だった金日成は6月7日に選挙を8月上旬に実施しようと呼びかけるが、その結果がアメリカの支配者にとって好ましいものにならないことは明白であった。

 社会主義やコミュニズムを掲げる勢力だけでなく、自立した体制を樹立しようとする人びとをアメリカの支配者は嫌った。嫌われていたひとりが金九。第2次世界大戦中、上海にあった大韓民国臨時政府の要職に就いていた人物で、朝鮮半島に統一国家を建設しようとしていた。その金九は1949年に暗殺されている。

 アメリカの支配者はウォール街の大物弁護士、ジョン・フォスター・ダレスを6月18日に韓国へ派遣、その足で日本を訪れて6月22日に吉田茂と会談、その日の夜に興味深い夕食会に出席している。

 その集まりはニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で開かれた。出席者はアメリカ側がダレスとパケナムのほかニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、ダレスに同行してきた国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。

 夕食会の翌日に韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領しているのだが、戦争勃発から3日後の28日にはソウルが朝鮮軍に占領され、韓国軍は馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。そこでアメリカはソ連が欠席している国連の安全保障理事会で「国連軍」の派遣を決めて反撃を開始するが、苦戦した。指揮していたアメリカ軍の将校が山岳地帯での戦闘に不慣れだったことが原因だとする人もいる。

 戦況が変化するのは1950年9月の仁川上陸作戦から。そこからアメリカ軍は北上し、南部を占領していた朝鮮軍を孤立させることに成功するが、その作戦の背後では旧日本軍の将校がアドバイスしていたとも言われている。それに対し、約30万人の中国軍が「義勇軍」として参戦、38度線まで押し戻す。中国はアメリカ軍の目的が中国にあることを理解していたはずだ。

 中国を侵略する拠点として台湾も機能する。その台湾で権力を握っていた蒋介石たち国民党は1949年から岡村寧次大将などに接近、4月には岡村の下へ曹士徴を密使として派遣する。旧日本軍の将軍たちが処刑される中、岡村は無罪の判決を受けて帰国、GHQ/SCAPの保護下に入っていた。東京裁判が茶番だったことは、この事実からもわかる。

 曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して台湾義勇軍を編成することで合意する。富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は白(パイ)団と呼ばれている。台湾でも日米合同で対中国戦が始まっていたのだ。

 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡る。この「私設顧問団」が解散するのは1969年のことである。

 CIAの顧問団に率いられた国民党軍約2000名は1951年4月に中国領内へ軍事侵攻、一時は片馬を占領したが、反撃にあって追い出された。翌年の8月にも国民党軍は中国へ侵攻しているが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。

 1953年に大統領となったドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した戦争から抜け出そうと考え、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと伝えたとされている。そして同年7月に休戦は実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202006280000/

10. 2021年3月19日 10:40:15 : XaF5TPsry2 : bG5IWDJHbksveFU=[2] 報告

2021年03月19日
韓国政府には韓国軍の統制権がなく、朝鮮戦争にも参加しなかった
http://www.thutmosev.com/archives/73605592.html


戦時に韓国軍は米軍の指揮下に入り、独自の作戦行動は許されていない。

引用:https://d16tvlksr2me57.cloudfront.net/p/money/wp-content/uploads/2017/07/28141413/170729korea_army_eye.jpg

韓国政府には韓国軍の統制権がない

韓国は1950年の朝鮮戦争で北朝鮮と戦争をしなかったし、停戦文書にも調印していなかった。

嘘のようだが事実であり、朝鮮戦争で韓国軍を指揮したのはアメリカで、停戦に合意したのも調印したのもアメリカだった。

現在も韓国政府は韓国軍の戦時統制権を持っておらず、有事にはアメリカ政府が韓国軍を指揮する事になっている。

まず1948年に韓国が建国した時に遡るが、韓国軍は5万人の兵力で、装備はすべてアメリカからの支給品と、日本軍が残していったものでした。

アメリカは当時北朝鮮やソ連、中国を危険だとは考えず、韓国が建国したらすぐ占領軍を引揚げました。

米軍が残していった車両4万台、小銃10万丁、バズーカ砲2000門などで、戦車や戦闘機などは無かったようです。


韓国軍は5年前に存在した旧日本軍とは別組織で、実戦経験はなく、素人同然の将校が、これまた素人の兵士を率いていました。

北朝鮮軍が創設されたのは韓国軍より早く、ソ連軍によって実践的な訓練が実施され、数段レベルが上だった。

1950年6月25日に北朝鮮軍が38度線を越境して攻撃開始し、9月までに釜山と済州島を覗く韓国全土を占領しました。


この時、何の抵抗もせず自国民を攻撃していた(保導連盟事件)韓国軍は、国連軍の統制下に入った。

朝鮮戦争の停戦後は米韓連合司令部に統制権を委譲し、実際にはアメリカ軍の統制下に入った。

1994年に平時の作戦統制権は韓国軍へ移管されたが、戦時の作戦統制権は2020年代に協議する事になっている。

朝鮮戦争の実態

1950年から1953年の朝鮮戦争では、韓国政府と韓国軍が戦ったように戦史には書かれているが、実際にはアメリカ軍が北朝鮮と戦った。

アメリカは国連軍(連合軍)を結成したが、常任理事国のソ連が反対したので法的には国連軍ではなく、アメリカが結成した「多国籍軍」に過ぎない。

韓国軍は多国籍軍の一員としてアメリカ軍の統制下に入り、アメリカの一部隊として北朝鮮と戦った。


朝鮮戦争は米軍の反撃によって一度は北朝鮮を追い詰めたが、中国軍の(非公式な)参戦とソ連の支援で再び38度線に押し返された。

苦戦するマッカーサーは原子爆弾による中国攻撃を要請し解任され、世界大戦の危機に発展していた。

戦争の主体はアメリカとソ連中国であって、韓国が出る幕ではなくなっていました。


1951年6月にソ連は「アメリカに」停戦を提案し、米ソ間で停戦協議が行われ、韓国は協議に参加しませんでした。

1953年に米ソ両国の指導者が交代し、7月27日に休戦協定が結ばれました。

38度線の板門店で休戦協定に調印したのは北朝鮮軍、中国軍、アメリカ軍司令官だけで、韓国軍は停戦に調印していません。


韓国軍は開戦時に実態として存在せず、弱すぎて戦力にならなかったので、相手にされなかったのが実態でした。

現在も韓国政府には韓国軍の戦時統制権がなく、戦争になったらアメリカ政府とアメリカ軍の指揮下に入る事になっています。

それが米韓軍事同盟の条件であり、アメリカ軍が韓国軍を指揮するのです。

http://www.thutmosev.com/archives/73605592.html

11. 2021年3月24日 12:03:25 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[14] 報告
2021年01月09日
保導連盟事件 韓国人が隠す犠牲者100万人の闇
http://www.thutmosev.com/archives/73156663.html


事件の多くは米兵立会いのもとで起き、米軍も承認していた

http://www.ilbe.com/files/attach/new/20140625/377678/2616075466/3774345375/a24ea677d342d986c41d93d3be31be25.jpg

建国と同時に自国民を粛清

韓国人や韓国政府は「日本のせいで100万人が犠牲になった」という話をとても好みます。

ちょっとした事でも「犠牲者数十万人から数百万人」を連呼するのは理由があり、自分がやったある出来事を隠すためです。

韓国建国と同時に、日本帝国の押さえが無くなった朝鮮人は、南北で戦争を始めただけでなく、互いに自国民を粛清した。


北朝鮮の金日成が自国民を弾圧したのは知られているが、南朝鮮も北朝鮮以上に自国民を弾圧しました。

弾圧を始めたのは38度戦以南を占領した在韓米軍で、北朝鮮を支持したり半島統一を主張する者が対象でした。

最初の弾圧は韓国建国前からで、1945年9月7日に連合軍がソウルを占領し、軍政実施を宣言するとすぐ反対運動が起きた。


1945年8月15日に天皇が停戦命令を発し、9月2日に降伏文書調印、9月6日に朝鮮総督府は「朝鮮民主共和国」独立を宣言しました。

日本軍は朝鮮を独立させることで影響力を残し、本土引き上げを円滑にすると共に、戦後も半島で権益を保持しようとした。

そうはさせまいとアメリカ軍はなんと建国翌日にこれを取り消し、朝鮮人たちは「新しい侵略者」を自分たちの敵と認識した。


日本時代には分断されていなかったのに、米軍とソ連軍が勝手に侵略し分割したとして、統一運動が起こりました。

半島統一運動=反米運動であり、1946年には物価高騰やコレラなど疫病蔓延、軍政への反発によって南朝鮮全土で反米暴動が起きました。

1946年10月1日には230万人が参加する反米暴動があり、占領軍は市民に発砲して百数十人がなくなりました。


済州島四・三事件から保導連盟事件へ

朝鮮半島は戦時中の爆撃もほとんどなく、徴兵も徴用もされず食糧不足も無く、第二次大戦とは無縁でした。

空襲から逃れて朝鮮に避難するのが流行になったほどで、第二次大戦にはまったく関係ありませんでした。

そこに米軍がドヤドヤ乗り込んで来て軍事統制と弾圧をやり始め、経済は滅茶苦茶になり、疫病まで蔓延させました。


こうした反発から反米運動が南朝鮮に蔓延し、米軍は警察や軍隊、ヤクザやならず者まで動員して、反対派を襲撃させました。

事態が急激に悪化したのは1948年4月3日で、済州島の統一運動家らをアメリカ陸軍司令部が、ヤクザを使って襲撃させました。

続いて警察や治安部隊、軍隊も動員し、1957年までに島民30万人のうち8万人がなくなったと推測されています。


手に負えなくなったアメリカは南朝鮮を独立させる事にし、1948年8月13日に大韓民国を独立させ、親米運動家の李承晩を任命した。

李承晩は済州島での弾圧を米軍から引き継いで、島民が10分の1に減少するまで続けました。

だがこの済州島での弾圧ですら、その後韓国全土で行われる大弾圧の、最初の始まりに過ぎませんでした。


韓国を独立させるとアメリカは朝鮮半島への興味をすっかり失い、さっさと占領軍を引揚げてしまいました。

1950年6月25日に金日成の北朝鮮軍が38度戦を突破すると、韓国軍はあっという間に釜山まで追い詰められました。

韓国軍が撤退する最中に起こしたのが保導連盟事件で、住民を手当たり次第「スパイ」として粛清しました。


韓国軍は住民を捕まえてはスパイとして粛清した
396
引用:http://3.bp.blogspot.com/-HmeKhJ1Eudk/UVpZRGBdTkI/AAAAAAAAG2k/2zHK_P1nDHM/s1600/396.jpg

保導連盟事件で100万人以上が犠牲

朝鮮戦争では韓国側の民間人被害が67万人だが、保導連盟事件の犠牲者は100万人以上と言われています。

スパイ狩りにはまたしても米軍が関わっていて、多くのスパイ粛清を米軍は知っており、見て見ぬふりどころか立ち会っていました。

現存する写真の多くをアメリカ兵が撮影したが、つまり米兵は現場にいて事件に加担していた事になる。


朝鮮戦争の原因のひとつが、反米運動と米軍による弾圧、李承晩による済州島弾圧で韓国国民の反発が大きかったからでした。

北朝鮮軍が「解放者」として南に進軍すれば、南朝鮮の人達は一斉に蜂起すると、金日成は考えていたようです。

北朝鮮軍は6月25日に38度戦を突破し、9月始めには釜山周辺と済州島を除く全土を占領し、戦勝は確実と思われました。


僅かに残った釜山と済州島は在日米軍が守り、日本からの支援によってかろうじて防衛されていました。

李承晩による韓国本土でのスパイ狩りは、北朝鮮軍が侵攻した6月25日に開始され、手当たり次第住民を捕まえては、北のスパイとして粛清しました。

統一運動に参加したものや李承晩に反対したもの、反米運動に加わった者、親日家など誰でも対象にされました。


韓国政府は今日に至るまで事件を認めず、公式な統計もないが、100万人以上というのが定説になっています。

韓国政府は隠すだけではなく、犯行は北朝鮮軍によって行われたとか、日本の占領時代に行われたなどの創作も行いました。

韓国政府が事在るごとに「100万人の韓国人が日本の犠牲に成った」と言いたがるのは、自分が犠牲にした韓国人が100万人以上だからです。

日本を憎ませて目くらまし

済州島の8万人粛清を隠すのにも日本軍が利用され、日本軍が「慰安婦狩り」をした事にして事件を隠そうとしました。

朝鮮半島全土でも日本軍は100万人の慰安婦狩りをした事になっているが、むろんそうした方が保導連盟事件を隠すのに好都合だからでした。

北朝鮮軍と李承晩から逃げ出した韓国人は日本に密航し、朝鮮戦争前後に20万人前後が渡航し、「在日韓国人」になりました。


アメリカ軍側には、米軍立会いの下で「スパイ」の刑執行が行われた記録が数多くあり、米韓は共謀して行っていました。

韓国政府とアメリカ政府はこの事件を追及されたくないために、この後半島における「日本軍の戦争犯罪」追求に執着する事になります。

韓国国民の目を韓国政府の犯罪からそらすためには、どうしても日本軍に罪をかぶってもらい、憎悪を一身に浴びて貰いたかったのです。


こうして日本時代には発展し戦争とも無縁に暮らしていた朝鮮人は、アメリカ軍とアメリカが決めた無能な指導者のために、数年で全てを失い流民になった。

国民全員が無一文のホームレスになった韓国を助けたのが、またしても日本だったのだが、1952年に李承晩は竹島を侵略して自分の手柄にしました。

この時まだ自衛隊や警察予備隊はなく、米軍占領下だったので「侵略しても日本は反撃できない」と見越しての行動でした。


竹島占領後も日本は韓国への援助を続け、1960年代には日本の援助が国家予算の半分も占めていました。

http://www.thutmosev.com/archives/73156663.html  

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