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東海アマ 何もかも壊れてゆく社会のなかで
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/672.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 16 日 21:12:05: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 東海アマ 名古屋の記憶 投稿者 中川隆 日時 2019 年 6 月 20 日 13:17:09)


何もかも壊れてゆく社会のなかで…… 2019年10月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-905.html

 

 1974年、多摩川の狛江町で、大水害が発生し、数十軒の住宅が増水した多摩川に呑み込まれた。
 このときの映像は映画化されて、人々を圧倒し、記憶に刻まれた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B7%9D%E6%B0%B4%E5%AE%B3

https://www.youtube.com/watch?v=9rfbsEDWWkk

 この事件は、長い時間をかけて、二転三転の訴訟になったが、結局、住民側の勝訴に終わった。
 時代は、総評や社会党をはじめとする革新側の力が強く、個人的権利を守る世論が住民を後押ししたからである。
 だが、もし同じ訴訟が今、起きたなら、自民党=国家権力の独裁、暴政を守る仕組みに変えられてしまった司法が、同じように住民を守る判決を出すとはとても思えない。

 昨年7月に起きた、肱川大水害、野呂川ダム水害、2015年、9月の常総市鬼怒川水害、今回起きた台風19号による千曲川大水害、東北のたくさんの河川水害の光景を見ながら、何よりも74年、多摩川水害を思い起こした人が多かったと思う。

 昨日のブログに書いたように、近年の大水害の原因には、自然災害とはいえない、人為的な要素が多く、むしろ「開発災害」とでもいうべき金儲け最優先思想による人命や個人的権利の軽視、蹂躙によるものが多く含まれている。

 もっとも基本的な視点でいうと、1980年代から、日本政府は、林野庁による森林自然保護の色彩の強い政策を廃棄して、降雨災害における保水力の主役になっていた手つかずの原生林や、広葉樹林=照葉樹林帯を大規模に皆伐し、カネになるスギや檜の針葉樹林帯に変えていった。
 このことで、保水力を失った山岳地帯が降雨によって荒廃し、大水害が頻繁に発生するようになった。

 また、昨日のダム問題でも書いたように、本来、何よりも住民の命と財産を守るという人権優先思想が、金儲け最優先の新自由主義思想によって壊されてしまって、管理者が著しく劣化しているのである。
 ダム水利利用者の利権を住民の権利よりも上位に置くという信じがたい国交省や、電力企業の姿勢によって、肱川大水害が起きたことが明らかであり、今回、台風19号が起こしたたくさんの水害のうちの相当部分にも、水利利権優先によって起こされた無責任なダム放流管理による洪水災害が起きている疑いがある。

 これらを見るに、私は、一言でいって、「政治家と官僚=役人の思想的劣化」と断言せざるをえない。
 劣化する前の官僚=役人といえば、日本における為政官の水準は、半世紀前、世界的に極めて高いもので、知恵もあり、使命感・責任感もあり、住民=国民を守ろうとする意思が強く感じられた。安心して、あらゆる施政を役人に任せることができた時代があったのだ。
 私は、伊勢湾台風の夜、我が家に、全身ずぶ濡れになって「堤防が切れるかもしれない、準備を」と伝えに来た行政官の姿を忘れることができない。

 この本質的な理由は、何よりも役人たちが共有する人生観・社会観の根底に「人情を守る」という不動の価値観があったからである。
 すべての行動基準、価値観の根底に「人情」があり、警察の取締だって、現場の警察官の主体的な判断として「人情」が大きかった。
 行政もまた、何よりも「人情」を最優先しなければ社会に受け入れられない時代だったのだ。

 なぜ、人情が尊ばれたかといえば、それは戦争の凄まじい地獄を経験させられたからである。
 財産も家族も、地位も、あらゆるものを奪われ、失う戦争を経験させられた人々は、もはや「失うものもない」人間存在のギリギリの原点に置かれ、人生と社会に本当に大切なものこそ「人情」だと思い知らされていたからだ。

 当時の、こうした価値観に照らして、大水害が予想されながら、放流後の賠償を怖れて事後放流に任せた結果、多数の人命と財産を奪い去った肱川大水害は、まさに「人情を喪失した」行為であったと断罪することができよう。

 我々は、再び、一人一人の心に立脚した「人情社会」に戻らなければならないのだが、75年前と同様の、何もかも奪われる悲惨で残酷な運命に翻弄されないかぎり、「人情の支配する社会」に戻ることは難しいのかもしれない。

 今、我々は台風15号、19号の凄惨な被害を見て「いったい何が間違っていたのか?」を理解する必要がある。
 この惨禍を繰り返さないために「何が必要なのか」を知る必要がある。
 今回の台風による洪水被害を見ていると、すべてのメディアに、河川上流の森林地帯の変貌、保水力の喪失に触れる視点は皆無だった。
 安倍晋三が導入した「森林破壊法」が何をもたらすのか? この災害の向こう側に見ようとする視点も皆無だった。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-745.html

 私は、政治家も役人も、メディアも体制批判派も、誰一人、日本の森林管理政策が間違っていたことで、この災厄が起きていることを指摘していないことに絶望している。
 役人や政治家だけではない、日本国民のすべてが劣化しているのだと思い知るしかなかったのだ。
 みんな新自由主義の洗脳に犯され、「人間社会が持続してゆくうえで本当に大切なことは何か? 」という視点を完全に見失っている。

 資本主義社会は、人間同士の競争と、個人的利権を尊重する社会を生み出した。フリードマンが提唱した新自由主義は、人間社会の価値観の根底に「個人的金儲け」を置くものだった。
 我々は、「資本の競争論理」に幼いうちから洗脳され、例えば、幼稚園のうちから、かけっこでもお絵かきでも、点数をつけて人間に序列を与え、コンプレックスに落とし込み、社会の本質が差別であるかのような硬直した思想性に押し込められてきたのだ。

 こうした「競争の論理」こそが、金を儲けて他人を睥睨することや、貧乏人や弱者を蔑む愚か極まりない人間性の劣化を生み出している。
 この劣化こそが、日本社会の無数の劣化の根底にある。
 渋谷区が緊急避難所からホームレスを暴風雨の市街に叩きだした行為に対して、批判するどころか、ホームレスが死ぬのは当然であるかのような下劣な主張が大量に出ている。
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1015/ltr_191015_9284131128.html

 これも、幼い頃からの差別思想の洗脳が生み出した果実であり、こんな発想をしていれば、やがて同じ論理が自分の人生をも切り裂く運命になることを彼らは理解できない。 こうした差別が、巡り巡って利己主義の金儲け絶対優先社会を生み出し、それが今起きている残酷な水害を生み出していることに、誰が気づいているだろう?

 何度も書いてきた通り、もうすぐ人間社会は、究極の経済破局を迎える。
 これも、すべて、競争主義によって、他人の幸福を金に換える利己主義が生み出した残酷な怪獣なのだ。

 これによって、世界中の金という金が消えてゆく。人間が生きるために本当に必要なものは、金儲け競争などではなく、互いに助けあって、笑顔を糧として喜び溢れた人生を生み出してゆく姿勢であることを、人類の誰もが思い知らされるのだ。

 金で食料が買える時代は終わりを告げる。愛がなければ生きてゆくことができない時代がやってくる。

 何もかも、壊れてゆく社会のなかで、壊れないものは、人間への愛しかないことを、人類が思いしらされるのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-905.html  

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コメント
1. 保守や右翼には馬鹿し[136] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年4月22日 12:54:53 : rU6rk4Dm0Y : OVNMQ3dONG43ZUU=[1] 報告
なぜ、「みんなが幸せになるために」という人がいなくなってしまったのか
2023年04月22日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799738816.html


 私の若い頃、今から半世紀以上前の国内の書物やメディアの情報は、「利他主義」に満ちていた。

 小田実、大江健三郎、吉野作造、本多勝一、有吉佐和子と思い出す人たちは、すべて戦争の惨禍を体験し、空襲爆撃に逃げ惑った人たちだった。

 もちろん、中道も極右もいたが、みんな戦争体験の上に「利他主義」を前提に発言していたように思う。

 少なくとも、「自分の利益のためだけに生きよう」と主張する人はいなかったし、いたならば徹底的に排撃された。

 そこには、戦前の軍部専制独裁による軍国主義の再現を許さない、「民主主義と正義」の理念が核心に据えられていたと思う。

 この当時の言論は、何よりも「みんなが幸せになるためには、どうしたらよいのか?」という問題意識=哲学が社会全体で共有されていたように思う。

 この頃は、「自分さえ良ければいい」という利己主義は、強く批判されていた。

 それから、戦争体験を土台にした知識人が寿命によって次々に消えて、江戸時代生まれが全滅した1970年代の半ばあたりから、新左翼が赤軍派と心中して没落するとともに、中曽根康弘が持ち込んだ「新自由主義」の影響がじわじわと国内に拡大しはじめた。

 当時、戦後、日本軍が大陸や朝鮮半島で行った731部隊の人体実験殺戮や三光作戦の隠されていた真実が「悪魔の飽食」のような暴露小説で暴かれ、社会全体を震撼させた。松本清張も、小説のなかで次々に権力犯罪をやり玉に挙げた。

 社会全体に「正義を実現しなければならない」という価値観が共有された時代だったように思う。

 だが、同時に、新自由主義による「金儲けだけが正義」という思想が日本社会に持ち込まれ、1980年代には、バブルが全盛期を迎え、投機バクチの風潮が社会全体を席捲する時代がやってきた。

 当時、私は国立駅前で、「営業研修」と称して、お立ち台の上で、営業目標をお大声でがなり立てていたグループを見て、日本の底知れない地獄の始まりを予感させられた。

 世の中全体が金儲けに発狂した時代だった。そして、急速に利他主義思想が失われ、徹底した利己主義にとって代わられた時代だったように思える。

 戦前から日本社会を支える底辺の細胞だった「隣組」の連帯はもう失われ、見渡す限り社会全体が敵意に満ちた時代に変わり果てたように思えた。

 バブル崩壊とともに、繁華街で豪遊する人たちが大騒ぎする一方で、街角に浮浪者が目立ち始め、ゴミを漁って辛うじて生きている人も激増した。

 社会全体に、もうかつての連帯感、相互主義は失われていた。そこにあるのは、「自分さえ良ければいい」 「他人のことなどどうでもいい」という社会観であり、利己主義の人生観だった。

 私だって、例外ではなかった。

 1990年代、山一證券の崩壊から、日本社会は沈滞と低迷の時代に入った。それは30年以上を経た2023年の今でも続いている。

 原因は消費税にあることがはっきりしているが、自民党保守政党はもちろんのこと、革新系の政党でさえ、簡単明瞭な消費罰金税がもたらす社会の停滞について、理解できる人はほとんどいなかった。

 ただ、私は、消費税という繁栄抑止の毒薬が、底辺の社会に、「モノを大切にし、無益なゴミを作らない」効果が生まれたことだけは評価している。

 自民党は、金持ちの特権階級だけが贅沢を謳歌する社会を作りたかったのだろう。

 20世紀が終わるころになると、自民党内に強力な新自由主義勢力が登場するようになる。

 それは、ハーバード大ロックフェラー経済研究所の竹中平蔵が、ユダヤ金融資本から日本保守政界に送り込まれたからだ。

 竹中平蔵を閣僚として採用し、戦後社会の市民・労働者としての権利を剥奪し、安定雇用が約束された正社員から、ルンペンプロレタリアート(臨時・派遣社員)の地位に貶めたのは小泉純一郎である。

 それは、戦後労働運動を支えた総評を解体するところから始まった用意周到で計画的なものだった。この背後には、岸信介~中曽根康弘の壮大な陰謀があった。

 岸は、もしかしたら両親が李朝王族関係者で、文鮮明とともに、韓日反共統一国家を目指していたのかもしれない。

 竹中平蔵らの計画は、「金儲けだけが正義」という新自由主義の思想を日本の若者たちに浸透させて、徹底した利己主義の価値観・人間観を定着させるところから始まっていた。

 これを支えた組織が、国際勝共連合→日本会議であり、ギャンブル王、笹川良一がその資金を提供していた。

 そして小泉純一郎は、「日本を金融(バクチ)国家に変える!」と宣言した。

 日本人の多くが、戦後教育の土台としての競争主義に洗脳されていたので、「人間として生きる価値の根源は金儲け競争だ」と容易に受け入れてしまった。

 この結果、人々の関心は、蓄財と増殖、利己主義だけに向いてしまい、1970年代に社会的に共有されていた「みんなが幸せになるためには、どうしたらいいのか?」というテーゼを思い浮かべる者は、ほとんどいなくなってしまった。

 日本社会全体が「カネがすべて」という価値観に席捲され、「みんなが幸せになることで、自分も幸せになれる」という理念を主張する者は、どこにもいなくなってしまった。

 本来は、人間社会の本質を霊的視点で見ているはずの霊能者たちですら、金儲けと利己主義が正義であるかのように語り始めた。

 https://www.youtube.com/watch?v=g00flJ4Qlyw&ab_channel=KenHonda%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%81%A5

 霊能者たちの多くが、金儲けビジネスに吸収されてしまっている。

 江原啓之も木村藤子も検索すれば、有料クラブサイトに誘導される。下ヨシ子は、頼めばひどくカネがかかるらしい。

 本来、霊的世界にはカネなど何の関係もなく、「みんなを幸せにすれば自分が幸せになれる」という霊的真実を教える立場のはずなのだが、なぜか、それを前面に出している人は見当たらない。

 釈迦は、「因果応報論」のなかで、自分が他人に対して行ったことが、すべて自分に返ってくるカルマ論を教えているのだ。人生は利他のなかにだけあると諭し、利己的な権力と蓄財を勧めたことなど一度もない。

 話を本題に戻そう。

 「なぜ、『みんなが幸せになるために』という人がいなくなってしまったのか」

 という理由は、日本人が戦争で地獄に堕とされた体験を忘れてしまったからだ。

 戦争を実際に体験した人は、現在80歳以上で、記憶に残している人は、90歳を超えた人くらいだから、もちろん私も経験していない。

 だが、私の周囲には両親はじめ、凄まじい恐怖の体験をした人たちが無数にいて、その記録もいやというほど教えられてきた。

 だから、私の世代は、いわば戦争を疑似体験できた世代なのだ。だから反戦や軍部専制独裁という社会を二次的に理解しているといっていい。

 しかし、一次的に戦争を体験した世代のほとんどが死に絶え、二次的に疑似体験できた我々の世代も、多くが死に始めている。

 だから、今の若者たちは、正真正銘の「戦争を知らない世代」なのだ。

 今の若者たちは、もしかしたら体験したことのない戦争に好奇心を抱き、「戦争を経験してみたい」と思っているのかもしれない。

 だから、ネット上では軍事大国になることに憧れているような発言が非常に多い。

 霊的真実をいえば。「みんなが憧れ、希望することが実現する」のである。

 だから、日本は戦争に向けてひた走っている。やがて、実際にその凄まじい惨禍を体験させられることになるだろう。

 もう一つの視点として、今、「日本社会のやさしさ」が、ネット上で語られることが多い。

 これは、戦争と同じ意味で、阪神大震災、熊本震災、東日本大震災を体験させられた人が多く、被災者に同情して支援を寄せた人たちが、巨大震災を疑似体験することで、人が困難な状況に置かれたことから生まれる助け合い=利他主義を獲得しているからだと私は思う。

 竹中平蔵の金融バクチ主義=新自由主義に向かった者たちは、投機に旨味が失われると、特殊詐欺のような詐欺集団に取り込まれていった。

 小泉純一郎が「日本を金融国家にする」と宣言してから、日本社会にはオレオレ詐欺など詐欺師が跋扈する社会に変わったのだ。

 しかし、大震災の被災者を援助することで疑似体験した人々は、心に「優しさ」という財産を蓄積した。

 これは釈迦の言った利他=「他人を幸せにすることが自分を幸せにする」という因果応報の原理が実現したものといえるだろう。

 結論をいえば、我々は、目先の金儲けや利己主義を賛美してはならない。

 我々が語ることは、いつでも「みんなが幸せになるためには、何をすべきなのか?」という視点だけである。

 そして、「三人寄れば文殊の知恵」システムに目覚め、人と対話を重ね、良いアイデアを得て実現してゆく人生、利他主義に人生の価値を見出すことが必要なのだ。

 

 江原啓之は、今年、「終焉のワルツ」と警鐘を鳴らした。

 たぶん、これから未曾有の凄まじい災厄がやってくる。日本社会が終わりになることを実感させられるほどのことだ。

 だが、みんな、そんな恐ろしい未来など見たくもないし、考えたくもないから、気分の良いことだけを見せられて、明るい未来を信じてワルツを踊っている。

 なぜ、人々が、「嫌なものを見たくない」と思うようになったのかというと、ネットの共有倫理をネット支配者であるユダヤ金融資本が、今世紀に入って「不快になるものを見せない」という管理を徹底するようになったからだ。

 私の知る限り、前世紀末には、ネット上には真実が溢れていた。そこには、残酷な死体の写真や、人間の強欲、大きな過ち、それを糾弾する声など、あらゆる真実が溢れていた。

 だが、GAFAMユダヤ金融資本と新自由主義は、ネットの媒体から、そうした真実を「保護」の名の下に排除していった。

 だから、かつてあれほど溢れていた残酷な写真や動画など、ほとんど見ることができなくなった。

 あらゆる、ある種の人々が「見せたくない」ソースが排除されるようになり、情報から真実が失われていった。

 いわば、キレイゴトだけの情報に包まれるようになったのだ。

 こうした傾向が、社会に対する危機感を失わせ、「みんなが幸せになるために、どうしたらよいのか?」という問題意識を人間社会から追放してしまっているのではないか。

 我々に必要なものは、見たくもない真実なのだ。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799738816.html

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