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オランダ海洋帝国が繁栄した理由
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/121.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 23 日 08:00:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

オランダ海洋帝国が繁栄した理由


世界最大のヘッジファンド: オランダ海洋帝国が繁栄した理由2020年5月22日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10891

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏による歴史の授業である。ダリオ氏はアメリカが覇権を失い中国が新たな覇権国家になると主張している。
•世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる

その自説の証明のためにLinkedInのブログ投稿で過去の覇権国家の繁栄と衰退をレビューしていっているのだが、今回はイギリス帝国の前に繁栄したオランダ海洋帝国の物語となる。

海洋帝国オランダ

ダリオ氏の話はオランダが海洋帝国となる前の話から始まる。


16世紀にはスペイン帝国が西洋では覇権国家であり、東洋では中国の明朝が覇権国家だった。スペインと明では明の方が強大だった。

当時、明は世界最大の覇権国家だった。豊臣秀吉が朝鮮出兵で明に喧嘩を売ろうとしたのもこの頃である。そしてオランダはまだスペイン帝国の一部だった。


その時スペインは現在ではオランダと呼ばれている小さな領土を支配していたが、1581年に力をつけたオランダがスペインに反旗を翻す(訳注:オランダ独立戦争)と、オランダはスペインと中国を追い越して1625年から1780年まで世界最大の国であり続けた。

スペイン帝国の極一部に過ぎなかったオランダは何故そこまで成功出来たのだろうか。ダリオ氏は次のように分析する。


オランダ人は非常に優れた教育を受けていた人々で、発明に長けていた。実際に17世紀の主要な発明品の25%は当時最盛期のオランダ人によるものである。オランダ人の生んだ発明のうち重要なものは、まず世界を周ることのできる優れた船舶で、ヨーロッパ内での戦争で身につけた軍事力を使って世界中から富を集めることができた。そしてもう一つの発明はその動力となった資本主義である。

「軍事力を使って世界中から富を集めることができた」とさらっと書いているが要するに強盗である。資本主義の方は、なかなか興味深いダリオ氏の議論に繋がってゆく。

資本主義とは何か

また、このオランダの例でダリオ氏は資本主義の本質に触れている。ダリオ氏はこう主張している。


オランダ人は資本主義的なやり方で資源を分配しただけではない。そもそもオランダ人が資本主義を発明した。

これはどういう意味だろうか? ダリオ氏はこう続ける。


資本主義とはわたしの意見では公共の債券および株式の市場のことである。もちろん生産活動はそれより前にも存在したが、それは資本主義ではない。貿易も存在したが、それは資本主義ではない。個人の所有権も存在したが、それは資本主義ではない。資本主義とは、わたしの意見では大勢の人々が共同してお金を貸し、営業活動の所有権を買うことのできる仕組みのことである。

オランダ人は公共の場で株式を取引できる世界初の株式会社、つまりオランダ東インド会社を作り、世界初の株式市場を作り、世界初の効率的に借金のできる金融システムを作ったとき、資本主義を発明したのである。

特にオランダ東インド会社は重要である。オランダ東インド会社とは反旗を翻した相手のスペインに海洋貿易(と侵略行為)で対抗するため1602年に複数の商社を纏めてオランダが作った世界初の株式会社である。

株式会社とは今では誰でも知っているように、新しい事業を始めたい起業家に事業を始めるお金がない場合、投資家が出資をして事業を可能にする仕組みのことだが、株式会社が存在する前までは事業アイデアと資金の両方が事業家本人になければ事業は難しかったのである。

この革新的なアイデアは当然ながらオランダのGDPを爆発的に増加させた。株式がなければ不可能だった多くの事業が可能になったからである。ダリオ氏の言いたいのは、オランダやイギリスやアメリカが覇権国家になるためには、そうした革新がなければならなかったということである。その点でオランダの株式市場の発明はイギリスの産業革命にも劣らない業績だろう。

世界初の基軸通貨

また、オランダが世界で初めて船を使って大規模な侵略行為を行なったことは「基軸通貨」というおまけも生んだ。ダリオ氏はこう説明している。


オランダの通貨ギルダーは金と銀を除けば世界初の基軸通貨である。オランダは世界の大部分を支配した最初の帝国であり、自国の通貨を広く流通させることができた。

基軸通貨の威力は現在の投資家が一番痛感している部分かもしれない。何故ならば、アメリカが無制限の量的緩和を行なってもドルがそれほど下落しないのは、ドルが世界中で使われている基軸通貨だからである。

また、オランダが支配した金融市場は為替相場だけではない。ダリオ氏はこう続ける。


金融市場に関する無数の発明とオランダ自身の経済的成功によってアムステルダムは多くの投資家を集める世界最大の金融センターとなった。オランダ政府は集まった資金を様々な事業の債券と株式を賄うために利用した。最大の例はオランダ東インド会社である。

まさに現在アメリカが世界の金融市場の中心となっているのと同じであり、その現象が17世紀のオランダには既に存在したのである。

オランダ帝国の最期

しかしダリオ氏が言うように、どのような覇権国家にも終わりが訪れる。


覇権国家の最期として典型的なのは、まずオランダが徐々に負債を抱えていったこと、貧富の差や政治的派閥対立など内部で利害対立が発生したこと、そして軍事力が弱まっていったことである。

そして二番手のイギリスの国力は増していた。当初、イギリスはオランダと軍事協定を結んでいたが、海洋貿易での利害対立が続き、イギリスの力が強大になったことが明白となってくると、ターニングポイントが訪れる。ダリオ氏はこの状況を現在の米中の状況に重ねて見ているのだろう。


イギリスはオランダを攻撃した。そしてフランスなどの他国も海洋貿易の主導権をオランダから奪う好機と見なした。第4次英蘭戦争として知られるこの戦争は1780年から1784年まで続いた。イギリスは経済的にも軍事的にも勝利した。オランダはこの敗北によって破産し、オランダの通貨ギルダーはオランダ帝国とともに崩壊した。

オランダ帝国の物語はここまでである。しかしダリオ氏は面白い付録を続けて書いている。オランダ東インド会社はオランダ帝国によって認められた特権で商売をしていたため、この戦争で途方もないダメージを負ったのだが、オランダ東インド会社がオランダ経済にとってあまりに重要だったためにアムステルダム銀行はこれを潰すことができず、ギルダーを新たに印刷することでこの会社を救おうとしたのである。まさに今の量的緩和と同じである。

量的緩和はオランダ東インド会社を救うことができたのだろうか? 記事が長くなったので、この面白い話は次の記事ということにしよう。楽しみにしていてもらいたい。この話題に関する一般論は、以下の記事で読むことができる。

•世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10891  

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コメント
1. 中川隆[-12591] koaQ7Jey 2020年5月26日 14:52:41 : MZ7lZTlAXs : U1VqUlg4TFg3c1k=[9] 報告

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨2020年5月23日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏がLinkedInにおけるブログでオランダ海洋帝国の繁栄と衰退について語っている。

•世界最大のヘッジファンド: オランダ海洋帝国が繁栄した理由

歴史的な部分は前回取り上げたので、今回はオランダ海洋帝国の通貨ギルダーがどのように世界初の基軸通貨となり、そしてどのように暴落していったのかに焦点を当てたい。

海洋帝国オランダ

ダリオ氏のオランダ海洋帝国とギルダーの説明から入ろう。


オランダはアメリカ新大陸からアジアにまで及ぶ帝国を築き上げた。彼らの作った世界初の主要な株式市場によってアムステルダムは世界でもっとも重要な金融センターになったのである。そしてオランダの通貨ギルダーは世界の国際取引の3分の1を担う世界初の国際的な基軸通貨となった。

オランダ人はたった100万か200万の人口でこれをやり遂げたのである。

前回の記事で説明したが、株式市場と優れた船舶という技術革新がどれほど凄かったかということである。

しかし第1次英蘭戦争、北方戦争、第2次英蘭戦争、仏蘭戦争、第3次英蘭戦争などいくつもの戦争を経験するにつれてオランダ海洋帝国の国力は衰退、1780年の第4次英蘭戦争でイギリスの優位が決定的となる。ダリオ氏は第4次英蘭戦争についてこのように説明している。


この戦争はオランダと当時力を増していたイギリスとの戦争で、オランダがアメリカの独立を支援したことへの報復戦争である。結果はオランダの大敗となり、戦費とその後の平和がオランダの通貨ギルダーが基軸通貨としての地位を失うことに繋がった。

ギルダーの衰退についてもう少し詳しくダリオ氏の説明を見てみよう。


18世紀にはオランダの債務負担は大きくなっていたが、ギルダーはまだ基軸通貨として世界中で使われていた。この時点でギルダーを支えていたのは利便性と信用だけだった。(先に説明したように、基軸通貨の地位は覇権国の他の要素よりも遅れて衰退することが多い。)

既に負債だらけとなっていたオランダがギルダーに対して何の保証もできなかったことは明らかである。それでもギルダーは使われていた。これは既に紙切れになっているドルが未だに「信用」だけで人々に使われていることと同じである。

•世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている

しかし日本円もそうだが、金本位制を捨てた後の紙幣は誰も何も保証しないただの紙切れである。「信用」とはこの場合、いかに人々が騙されているかを示しているに過ぎない。それは紙幣をゴールドと交換できた時代の余韻によってまだ使われているだけなのである。

世界初の基軸通貨の最期

さて、そのギルダーもとうとう使われなくなる時代がやってくる。ダリオ氏はこう続ける。


オランダが貿易で競争力を失うにつれて増加する債務の支払いがオランダ経済を圧迫し始めた。海外事業からの収益も減り始めた。オランダの富裕層は資金を海外に移し始め、オランダへの投資から成長率と金利のより高いイギリスへの投資にシフトし始めた。

これもアメリカ人やヨーロッパ人が新興国への投資へシフトしていることに似ている。そして新興国経済とはその大半が中国である。

•世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる

ギルダーの終わりのきっかけとなったのはオランダ東インド会社の崩壊である。


一番重要なのは、第4次英蘭戦争が東インド会社の収益力とバランスシートにとどめを刺したことである。東インド会社は既に競争力を失っていたが、イギリスがオランダの海岸とオランダ東インドを封鎖したことで貿易が崩壊すると、それは東インド会社にとって破綻の危機となった。

オランダ東インド会社は第4次英蘭戦争で巨額の損失を計上すると、(訳注:公営の)アムステルダム銀行から巨額の借金を借り始めた。東インド会社がオランダ政府にとってあまりに重要だったからである。

これは現在の状況で言えば株式市場が重要すぎて崩壊させられないので量的緩和で支えるというところだろうか。しかしそれを崩壊させなければ単に別のところで破綻が起きるだけである。それは初めから分かっているにもかかわらず、人々は同じ間違いを何度でも繰り返す。

•世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
•ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判

しかし個別の歴史には個別の道がある。オランダ海洋帝国の場合はこうだった。ダリオ氏は続けて説明する。


アムステルダム銀行の預金者は銀行が新たに印刷したギルダーをオランダ東インド会社に「貸している」ことに気付くと、アムステルダム銀行で取り付け騒ぎが起きた。投資家が資金を引き出し始め、紙幣よりもゴールドが好まれた。現金を持っている者はアムステルダム銀行でそれをゴールドに交換しようとしたが、十分なゴールドがないことが明らかになった。

「新たに印刷したギルダーでゾンビ企業を生きながらえさせる」と言い換えるとここの読者は聞き覚えがあるのではないか。ドラッケンミラー氏による量的緩和デフレ元凶論である。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

まったく同じことが起きているのだが、誰も歴史から学ばない。状況を理解しているのは著名投資家など極一部の人間だけである。ギルダーの場合はどうなったか? ダリオ氏の説明を最後まで聞いてみよう。


銀行からの逃避とギルダーからの逃避が戦争の最中に加速し、オランダの敗戦が濃厚になると銀行は更に紙幣を印刷しギルダーの価値を薄めなければならなくなると予想された。

ギルダーは貴金属の裏付けがあったが、ギルダーの供給が増加すると状況を理解した投資家たちはギルダーの金と銀への交換を要求した。金と銀へ交換要求は結局アムステルダム銀行の貴金属の貯蔵が空になるまで続いたのである。ギルダーの供給は増え続け、需要は減り続けた。

そうして世界初の基軸通貨となったギルダーは暴落した。量的緩和によって暴落したのである。

結論

新型コロナで経済活動が失われたにもかかわらず、それを新たな経済活動で埋め合わせずに印刷した紙幣をばら撒いて埋め合わせようとしているアメリカや日本の政府を見ていると本当に頭が痛くなる。

•世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる

筆者の見方では、現代の量的緩和バブルの最期は道筋はギルダーと異なったものにはなるだろうが、本質的には同じことが起こるだろう。ちなみにドルにも円に貴金属の裏付けはないので、価値が暴落する時にはただ暴落するだけで、誰も何かと交換してくれたりはしない。ただの紙切れをただの紙切れと気付かずに持っている人間の責任ということである。

冷たいようだが、文句は是非政府に言ってもらいたいものである。しかし誰も言わない。だからあなたがたは政治家に騙され続けるのである。

•世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな

幸いにも投資家は金融市場を使って自衛をすることができる。損をするのは量的緩和の支持者だけにしてもらいたいものである。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903

2. 2022年1月19日 15:28:14 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[13] 報告

2022年01月18日
黄金の馬車に乗る青ざめた国王
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68885395.html


寛容の精神と懺悔の日々

Doutzen Kroes 133Black Pete 29934

  ネーデルラントは「寛容の精神」と「多元的共存(pluralism)」の国として有名だ。様々な民族を受け容れると"文化的豊かさ"を享受できると信じているのか、単一の文化主義よりも、色々な人種や文化を支柱(pillars)にした国家の方が良いと思っている。本当は独自の文化や伝統だけを守り、異人種を排除した方がよっぽといいのに、このゲルマン人王国は不愉快な異民族を取り入れてバルカン半島状態になっているのに気づかない。否、気づいている者はいるが、世間の批判を恐れて黙っている。
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  註。筆者は日本で一般に言われる「オランダ(Hollande)」を使わず、連邦全体を指す「ネーデルラント(低地)」を用いることにする。(近隣のフランス人やベルギー人も「低い土地Pays-Bas」と呼んでいる。) 以前にも述べた通り、「オランダ」は州名であって国名じゃない。日本でいえば、「関東」や「関西」、あるいは「長州」や「紀州」といった感じの言葉で、国家全体を指す名称ではないからだ。
  また、所謂「オランダ語(hollandais)」はブラバント方言みたいな言葉で、フランドル地方の「フラマン語(flamand)」と同じ類いである。一般国民は「標準ネーデルラント語(néerlandais)」という「教養語」を使っている。我々は英語経由でネーデルラントの事を学んでいるので、中世ラテン語の「teudicus」から派生する「theudisk」をドイツ語で「deutch」と呼び、ネーデルラント語で「duits」、イギリス語で「Dutch」と呼んでいるのだ。
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  異民族を易々と受け容れてしまうのは、もしかすると、ネーデルラントの歴史に原因があるのかも知れない。昔から、ここに住むゲルマン系のバタヴィア(Batavi)人にはプロテスタントが多く、スペインのカトリック勢力と戦って独立を勝ち得たことから、宗教的熱狂で異端者を処刑するのは大嫌いだ。『統治二論』や『寛容に関する書簡』で知られるジョン・ロック(John Locke)が、迫害を恐れて逃げ込んだのもアムステルダムであった。彼は大法官になったシャフツベリー伯爵、すなわちアンソニー・アシュリー・クーパー(Earl Shaftsbury, Anthony Ashley Cooper)の知遇を得て、彼の主治医兼私設秘書となった有名な哲学者。

John Locke 1Anthony Ashley Cooper 11Algernon Sydney 001King Charles II

( 左 : ジョン・ロック / アンソニー・アシュリー・クーパー / アルジャノン・シドニー / 右 : 国王チャールズ2世)

  しかし、1683年に起こった「ライ・ハウス陰謀事件(Rye House Plot)」に絡んでいたので、伯爵のもとで働いていたロックも一味じゃないのかと疑われてしまったそうだ。ということで、彼は不本意ながらもイングランドを去ることにし、海を渡ってネーデルラントに亡命することにした。日本では一般的に知られていないけど、この陰謀は反カトリックを標榜する集団が起こした政治騒動で、国王のチャールズ2世と弟のヨーク公爵(後の国王ジェイムズ2世)を抹殺しようと企てた暗殺未遂事件である。逮捕された者は色々な方法で処刑されたという。例えば、かの有名なアルジャノン・シドニー(Algernon Sidney)とウィリアム・ラッセル卿(Lord William Russell)は斬首刑。トマス・アームストロング卿(Sir Thomas Armstrong)と評議会議員のヘンリー・コーニッシュ(Henry Cornish)は縛り首にされた。可哀想なのは、エリザベス・ゴーント(Elizabeth Gaunt)という女性で、彼女は叛逆者達を匿っただけなんだけど、火炙りの刑に処せられてしまった。

  「寛容(tolerance)」というのは、元々「厭なことを耐え忍ぶ」という意味で、「本来ならしたくないけど、仕方ないから我慢する」といった諦念である。なるほど、政治亡命者や宗教的迫害を受けた人を迎え入れるのは立派だが、それは西歐人だけに限定すべきで、アフリカ人とかアラブ人、パキ人、ビルマ人、ベンガル人などは受け容れるべきじゃない。なぜなら、「難民」というのは「将来の国民」になる人、もしくは無期限の「永住者」になるのが普通であるからだ。したがって、非西歐文化圏のエイリアンを認めるのは新潮に考えるべきで、あまり賢明とは言えまい。だいたい、奇妙な人相の外来者を「同国人」とか「仲間」にするのは問題で、いい事なんて滅多に無いだろう。

King Willem Alexander 022(左 / 国王ウィリアム・アレグザンダー)
  最近、ネーデルラントのウィリアム・アレグザンダー国王が、従来使われてきた「黄金の馬車」をリタイアさせ、今後はアムステルダム博物館に展示する、との声明を発表した。日本の一般人なら、「どうして、あんなに素晴らしくて豪華なロイヤル馬車を放棄するのか?」と怪訝に思うだろう。実は、この馬車に描かれている「イラスト」が問題なのだ。馬車の側面には半裸の黒人や南アジア人が描かれており、彼らは王座に坐る白人女性の前でひれ伏し、贈り物を捧げる、といった描写になっている。この屈辱的な絵に対し、ネーデルラントに暮らす黒人やアジア人は大激怒。特に、アフリカ大陸や元植民地からやって来た有色移民やその子孫は烈火の如く怒る。

Golden Carriage The Netherlands 1455(左 / 黄金の馬車 )
  何しろ、奴隷にされた現地人が王権に服従し、卑屈な態度でウィルヘミナ女王(Queen Wilhelmina)を崇めているんだから、黒人奴隷の子孫からすれば、腸(はらわた)が煮えくり返って絶対に赦せない。白色人種のネーデルラント国民にとっては、第17世紀の帝国主義時代ときたら「黄金の勃興期」なんだろうが、征服された有色人種からすれば「暗黒の時代」である。ライデン大学にあるアフリカ研究センターやケンブリッジ大学の研究によれば、オランダ商人による大西洋貿易で、奴隷にされたアフリカ人は約60万人にも上ったという。(Helmer J. Helmers and Geert H. Janssen, eds. , The Cambridge Companion to the Dutch Golden Age, Cambridge University Press, 2018, p.173.)

  日本の主流マスコミは詳しく紹介しなかったが、ネーデルラントの王族が「黄金の馬車」に乗らなくなったのは、主に二つの理由が推測される。一つは、ネーデルラント国内における王室支持率の低迷だ。2020年の世論調査によれば、ウィルヘルム・アレグザンダー国王とマキシマ女王に対する国民の好感度・支持率は68%もあったが、2019年に行われた調査では83%であった。つまり、一年で15%も支持率が低下していたのだ。また、君主政に対する支持率も75%から58%へと下がってしまった。('Dutch royal family less popular, monarchy under pressure', DutchNews.nl, April 27, 2021.)

King Willem Alexander & Queen 223King Willem Alexander & royal family 2567


( 左 : ウィリアム・アレグザンダー国王とマキシマ女王 / 右 : 国王陛下の家族 )

  この激減には様々な要因が考えられるが、その一つは王室の贅沢な暮らしぶりにあるようだ。意外にも、ネーデルラント王室はヨーロッパ諸国の王室の中で最も多く税金を使っているそうだ。公式には6,000万ユーロと発表されているが、実際には3億5,000万ユーロの歳費を使っているらしい。('Hidden costs of royal family make it most expensive in Europe, claim republicans', DutchNews.nl., April 24, 2018.) 確かに、中堅クラスの王室が、イングランド王室よりも多額の公費を使っていれば、左翼議員や異民族は黙っちゃいないだろう。王制打倒を企てる極左分子や共和政支持者が騒ぎ立てるのも当然だ。

  そもそも、非西歐系の国民、つまりトルコ人やスリナム人、マレー人、アラブ系ムスリムからすれば、白人の王侯貴族なんか「赤の他人」である。ネーデルラントのパスパートを持っているからといって、カリブ海のアンティール諸島からやって来た黒人、北アフリカからの元"出稼ぎ人"、有色帰化人から生まれた混血児、あるいは異教徒のアラブ人に同族意識なんて無い。日本人は生まれや育ちが東北とか九州でも、江戸や京都の国民と同じだ。昭和時代までなら、大抵の国民が天皇陛下を尊敬し、地域に関係なく戦国武将が大好き。例えば、熊本の国民は尾張出身でも加藤清正が大好きで、細川護熙なんかは、たとえ総理大臣になろうが「バカ殿」程度の扱いだ。幕臣であった庄内藩士は薩摩藩の西郷隆盛を尊敬していたし、日露戦争で活躍した小倉藩の奥保鞏(おく・やすかた)大将とか、桑名藩の立見尚史(たちみ・なおふみ)大将とくれば、薩長の士族だって一目置く。

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( 左 : スリナム人の子供達 / 右 : ネーデルラントに暮らす非ヨーロッパ系国民)

  しかし、帰化鮮人となれば話は別で、こうした英雄も単なる「赤の他人」で、祖国を植民地にした憎い敵となる。例えば、昔、支那系の永六輔と北鮮人の辛淑玉が対談本を出した。永が熊本へ行った時のエピソードを話し、加藤清正の朝鮮征伐に言及すると、辛は「あっ、いやなヤツですよね」と言い、「征伐って、うちの朝鮮はなにか悪いことをしたのでしょうか?」と疑問を投げかけた。そして、永が清正公の「虎退治」を述べるや、辛は再び「虎は何か悪いことをしたのでしょうか?」と尋ねたのである。(永六輔 / 辛淑玉『日本人 対 朝鮮人』光文社、1999年、p.27.) 所謂「朝鮮征伐」は朝鮮人が敵じゃなく、宗主国の支那が日本の敵であったから、朝鮮人なんかは下っ端の雑兵でしかない。つまり、小早川秀秋や加藤清正にとったら、支那人の属国になった手下を討ち取ったまで。在日鮮人は朝鮮の惨めな歴史を認めたくないから、朝鮮兵を勇敢な戦士と勘違いしているのだろう。

  また、永が清正公の墓を見物した時、その周りに朝鮮人の墓を目にしたという。永は日本人が技能を持った朝鮮人を大切にし、その技術を尊敬したと述べたら、辛は再びケチをつけた。「加藤清正だって、今でいう強制連行で朝鮮人を日本に連れて来たけどお墓までつくった。なのに、この百年は墓どころか命をゴミとして扱った」と言いたい放題。(上掲書、p.38.) まぁ、朝鮮学校で教育を受けた在日鮮人には何を言っても無駄である。

  脱線したので話を戻す。もう一つの要因は、BLMから刺激を受けた黒い「ネーデルラント国民」の反抗心と民族意識の勃興であろう。ネーデルラントはヨーロッパ世界における「多文化・多民族主義のメッカ」であり、国民の大多数が深刻な"リベラル思想"に冒されている。ネーデルラント国民の精神病は致命的で救いようがない。政界や財界のみならず、教育界や藝能界にもユダヤ人やアラブ人が大勢紛れ込んでいるから、"人種的多様性(racial diversity"とやらが矢鱈と持て囃されている。例えば、労働党は多民族主義に汚染されており、党首はアムステルダム市長から下院議員になったヨブ・コーエン(Marius Job Cohen)が務めていたし、ロッテルダムの市長にはモロッコ人のアフメッド・アブタレブ(Ahmed Aboutaleb)が当選し、堂々と就任していたのだ。

  国民の”質”が変われば、"国民性”にも異変が起きるのは当然である。非西歐系の国民はネーデルラントの伝統や文化に反感を覚え、ゲルマン系国民が先祖代々受け継いできた歴史的遺産にも怨みを抱く。例えば、ネーデルラントのクリスマスでは、サンタクロース(Sinterklaas)に同伴する厄介な助っ人、「黒いピーター(Zwarte Piet)」が恒例となっている。子供達にプレゼントを配るサンタクロースは、赤い服を着て髭を伸ばした白人が演じるが、小姓の「ピーター」役には、顔面を黒く塗った白人がなっていたから問題となった。

Christmas festival in The Netherlands 3Black Pete demo in the Netherlands 2

( 左 : サンタクロースと黒いピーター / 右 : 「黒いピーター」に扮した西歐系ネーデルラント人 )

  PC(政治的に正しい言葉遣い)やBLM(黒人運動)の影響を受けたネーデルラントでは、「こうした黒塗りのキャラクターは人種差別的だ !」という意見が湧き起こり、有色人種の国民や知識人、主流メディアからの批判が激しくなっている。昨年のことだが、約100名の抗議者が街に繰り出し、「黒いピーターを叩き出せ !」と叫んだらしい。('Anti-racism activists stage demo against Dutch Black Pete', Associated Press, 13 November 2021.) こうした左翼活動家に阿(おもね)ったのか、マルク・ルッテ(Mark Rutte)首相は、もはやクリスマスの祭りでは、聖ニコラウスの伝統である黒いピーターを用いることはない、と発表したそうだ。(Sou-Jie van Brunnersum, 'Dutch PM deems Black Pete tradition racist', Deutsche Welle, 5 June 2020.)

  問題となった「黒いピーター」は、文字通り小馬鹿にされるような黒い肌の黒人である。しかも、縮れ毛の鬘(カツラ)に真っ赤な口紅ときているから、アフリカ系の「ネーデルラント国民」にしたら我慢がならない。ネーデルラント人の説明によれば、「ピーター」はスペインに居たムーア人奴隷を誇張したキャラクターであるそうだ。しかし、高等教育を受けた有色国民はには納得できない。こうした「差別文化」に激怒した一人が、「オランダ奴隷・遺産研究国家機構」の所長を務めるリンダ・ノイトミア(Linda Nooitmeer)である。彼女はネーデルラントに根づくレイシズムに恨みを抱き、それを認識したルッテ首相を高く評価した。この怒れる黒人は「何としても悪しき伝統を廃絶せねばならぬ !」と意気込んでいた。

Linda Nooitmeer 0022Black Pete demo in the Netherlands 3

( 左 : リンダ・ノイトミア/ 右: 「黒いピーター」に反対する黒人の活動家 )

  ノイトミアの怒りは「黒いピート」に留まらず、ネーデルラント白人による国民への"抑圧"にまで及んでいた。彼女は同胞の黒人に対して、ヨーロッパ白人の氏族名(last name)を棄てて、「アフリカ人の名前」に変えるよう呼びかけた。例えば、「ヤンセン(Jansen)」とか「デ・ヨング(De Jong)」、「ヴァン・デァ・バーグ(van der Berg)」とかは、奴隷を所有する主人(ドミヌス)の名前だから、アフリカ系国民は自分の民族性に目覚めて、「アベベ(Ababe)」とか「ブール(Buhle)」、「オコエ(Okoye)」、「ケニアッタ(Kenyatta)」といったアフリカ人のラスト・ネームにすべし、という訳だ。

  これは丁度、通名を止めて、祖先の本名を使用するよう勧めた在日鮮人の左翼と同じ理屈である。もちろん、誰がどんな氏族名やファースト・ネームを附けようが本人の勝手である。しかし、アフリカやアジア、南米出身の「ネーデルラント国民」が、祖先あるいは同胞の名前を誇りにするなら、嫌いなネーデルラントに住んでいないで、さっさとスリナムやトルコ、あるいはモロッコやイランに戻るべきだ。どうして祖先を奴隷にした白人と共存し、彼らから社会福祉を受け取るのか? 学校でネーデルラントの歴史を学ぶ際、白人主体の歴史観が嫌いなら、アフリカ大陸に帰って現地の言葉を使いながら「黒人の歴史」を学べばいいじゃないか?

  黒人やムスリムの活動家は二枚舌の御都合主義者だ。彼らは白人国家にタカリながら、フリジア人やバタヴィア人に向かって「お前達の過去は間違っている ! 残酷だ ! もっと黒人に配慮した社会にしろ ! 人種の平等と人権を尊重した政治にすべし !」 と叫ぶ。しかし、彼らの浅黒い両親や祖父母は、貧しい祖国が大嫌いで豊かなヨーロッパに移り住んできた。しかも、"自主的に"、だ ! 白人の愛国者は有色人種の移民なんか喜ばなかったし、彼らを"仲間"とも思わなかった。むしろ、色々な理由を拵えて追い払おうとしたが、偽善者のインテリと強欲な財界人が邪魔をし、低賃金で使える「現代版の奴隷」を次々と輸入したのである。

  したがって、本来、恨み骨髄の黒人たちが非難すべきは、"レイシスト"の白人ではなく、移民を呼び寄せた経営者とか親切なフリをする人権派の連中であろう。冷静に考えてみれば、「おかしい」点はいくらでもある。どうして、有色移民を嫌う白人の庶民が彼らと一緒に暮らし、移民や難民を呼び寄せた知識人や大富豪が、彼らと離れて暮らすのか? リベラル思想を掲げるテレビ局や、左翼番組に資金を提供するスポンサー企業の重役は、トルコ人やモロッコ人が密集するゲットーに邸宅を構えているのか? 

  また、ヨーロッパに住み着く有色移民は、矢鱈と白人至上主義を糾弾するが、それなら、アラブ人やユダヤ人は、中東アジアかアフリカ大陸の一角に「人種の坩堝国」を造って、エジプト人やトルコ人、インド人、ペルシア人、ベトナム人、支那人と一緒に暮らせばいいじゃないか。でも、こんな多民族国家は誕生しないし、多民族主義のユダヤ人は一目散に逃亡するか、唾を吐いて放棄する。第一、アジア人やアフリカ人には、"まともな国家"を建設・維持・管理・運営する能力が無い。

日常にはびこるレイシズム

  ゲルマン系のネーデルラント人は、寛容な精神に基づくリベラル思想や、多文化主義を支える多元化社会を自慢するけど、本音の核心は違った原理で動いている。スリナムやアンティール諸島からやって来た有色移民は、ネーデルラント白人の偽善的な行動や陰険な人種差別に日々曝されていた。

  例えば、29歳の或るスリナム系黒人は、医者として働いていたが、私生活で謂われ無き差別を受けていたという。それほど昔でもない頃、彼は従兄弟と一緒にクラブへ行ったそうだ。しかし、彼らは入店を拒絶され、ドアの前で店員から「身分証明(ID)を見せろ !」と要求されたらしい。二人は運転免許証を提示したが、なぜか入店を許されなかった。そこで、彼らは店長に理由を尋ねた。ところが、クラブの主人は全く答えなかったという。その一方で、現地(autochthonous)のネーデルラント人、すなわち白人客は店に入っていったそうだ。丁度その時、たまたま警察官が通りかかったので、彼らは助けを求めようとしたが、このパトロール警官達も店長と同じ種類の「現地人」で、彼らは何もしてしれなかったそうである。(Dienke Hondius, 'Black Dutch Voices : Reports from a Country that Leaves Racism Unchallenged', in Philomena Essed and Isabel Hoving, eds., Dutch Racism, Rodopi, Amsterdam and New York, 2014, p.282.)

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(左 : イスラム教徒の女性 / 右 : 非ヨーロッパ系の学生達)

  別の黒人で23歳の男子学生も、ディスコの入店を断られた経験があるという。彼は街中でも奇異な目で見られることが多く、野球帽のような帽子(cap)を被り、ブード附の上着と半尻の腰パン姿で歩くと、人々は彼と離れて歩いたという。すると、彼は皆に言いたくなったそうだ。「ヘイ、俺はアンタ達を狙う"引ったくり強盗"じゃねぇぞ !」、と。確かに、ラップ・ミュージシャンのような格好なら、白人の通行人は何らかの「恐怖心」を感じ取って、こうした黒人を避けてしまうだろう。黒人の若者からすれば、"御洒落"のもつりかも知れないが、まっとうなヨーロッパ人からすれば、"下品なファッション"に過ぎない。

  28歳の黒人学生も人種の壁に悩んだそうで、一応「オランダ語」を話すけど、ネーデルラントでくつろぐことはないし、ここを祖国(郷里)とも思えないそうだ。就職のために面接を受けた時も、肌の色で落とされるし、何年住もうが「この国では歓迎されていない」と感じるそうだ。黒人女性も職場での人種差別を感じるそうで、医療福祉の現場で働くある黒人女性は、患者から拒絶されるケースがあるという。つまり、黒人に介護されるのは厭、という訳だ。60歳になる元教師のスリナム系女性も、苦い経験があるそうで、学校の生徒達が彼女を教師と思わず、一瞥もしなかった、というのだ。なぜなら、ネーデルラント人の子供達は、彼女を"清掃員"と思っていたからだ。(上掲書、p.283.)

  現在の有色系国民は、それほど露骨な差別を受けていないが、半世紀前のネーデルラント社会では、けっこう赦しがたい差別や侮蔑があったそうだ。ある高齢のスリナム系女性は辛い過去を語っている。「私の息子は(白人)から"サンボ"と呼ばれていたのよ !」と。63歳になる別の女性もレイシズムについて述べていた。彼女の息子は学校で"黒ん坊(zwarte neger)"と呼ばれ、クラスの子供達から「お前なんか国(出身国)へ帰れ(ga terug naar je land) !」と罵られたそうだ。

  31歳になる別の女性も露骨な差別を受けていた。彼女が道でバスを待っていると、運転手はそこで止まらず、彼女の前を通り過ぎてしまったのだ。アンティール諸島出身で23歳になる女性は、現在ロッテルダムに住んでいるが、7歳の頃を思い出し、当時の様子を述べていた。彼女が幼い頃、黒人の子供が白人の友達を持つことは非常に稀であった。哀しいことに、「同じ国民」とは言うものの、ネーデルラントで生まれ育った彼女は、依然として「外国人」と観られていた。それゆえ、彼女は心の底で「私は本当にオランダ人なの?」と自問自答し、劣等感に苛まれていたという。(上掲書、p.284.)

  アンティール諸島からの黒人やアラブ系のムスリム、マグレブ諸国からの異人種が体験した人種差別を話し出すと切りが無い。民族学や移民研究を専門にしている大学教授なんか、本質的には無駄飯ぐらいの左翼か、有害な言論を撒き散らす道楽者だ。こうした知識人というのは、勝手に居坐ったアフリカ人やアラブ人にインタビューをして、彼らの不満や怨念を長々と書く。どんなに馬鹿らしい内容でも、形式を整えた「研究論文」なら立派な「業績」となり、大手マスコミからの称讃を受ける。日本の大学教授は更に酷い。彼らは歐米の左翼学者が出版したクズ本を翻訳して、さも立派な「業績」にして自身が出した「著作」のプロフィール欄に載せている。こんなのは「二番煎じ」というか、生ゴミ捨て場で拾ってきた煮干しを再使用して、「一番出汁(ダシ)」と称するようなものだ。

  そもそも、ネーデルラント王国はバタヴィア人やジュート人、アングロ・フリジア人、サリカ・フランク人などのゲルマン民族が主流の国家だから、カリブ海の黒人なんか"対等"の国民にならないし、同じ権利を持つ"同胞"にはならない。令和の高校生や大学生は、どのようなタイプの人間を「ネーデルラント人」と思っているのか分からないけど、映画ファンの日本人なら、『エマニュエル夫人』に出演した女優のシルヴィア・クリステル(Sylvia Kristel)とか、モデル出身のダニエラ・ヴァン・グラース(Daniella van Graas)などを挙げるだろう。格闘技ファンなら、ピーター・アーツ(Peter Aerts)やセーム・シュルト(Semmy Schilt)じゃないのか。音楽ファンだと間違いなく、人気ロック・ギターリストで2020年に亡くなった、「ヴァンヘイレン」のエディー・ヴァン・ヘイレン(Edward van Halen)を挙げるに違いない。後は、来日したこともあるサックス演奏者のキャンディー・ダルファー(Candy Dulfer)くらいだろう。

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(左 : シルヴィア・クリステル / 中央 : ダニエラ・ヴァン・グラース / 右 : キャンディー・ダルファー )

  とにかく、日本や歐米諸国にはびこるリベラル派や人権活動家は頭がおかしい。だいたい、ネーデルラントのゲルマン系国民が、いくら人種平等主義を唱えたからといって、彼らが書類上(国籍上)のスリナム人やモロッコ人を「同胞」と見なすのか? 東大や慶応などの左翼教授ならともかく、正常な日本人であれば、K-1で活躍したアーネスト・ホースト(Ernesto Hoost)やレミー・ボンヤスキー(Remy Bonjasky)を「ネーデルラント人」とは思わない。日本人が思い描く「オランダ人」というのは、北方種族のアーリア人、つまり西歐系の白人である。

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(左 : ピーター・アーツ / セーム・シュルト / レミー・ボンヤスキー / 右 : アーネスト・ホースト )

  長崎県には「長崎オランダ村」というテーマ・パークがある。もし、この娯楽施設で大勢のアフリカ黒人やアラブ人、あるいは髭面のトルコ人やチュニジア人が堂々と闊歩していたら、観光客の日本人はどう思うのか? たぶん、「えぇ〜っ !!」と驚き、「何で不気味な外人がうろついているんだ?!」と怪訝に思うだろう。大半の日本人は西歐白人がもたらすヨーロッパ文化を堪能したいだけ。お金を払って九州にまでやって来るのに、そこで交流する「オランダ人」が「中東アジア人」なんて馬鹿げている。それゆえ、いくら大金をかけて長崎に「コンゴ村」とか、「モロッコ牧場」を造っても、維持・管理できるだけの収益は見込めないだろう。「にゃんこスター」のアンゴラ村長を園長にした「アンゴラ風テーマ・パーク」を造っても無理。小池百合子とフィフィを起用した「エジプト遊園地」を建設しても、人気が出るとは思えない。

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( 左 :「魔法使いサリー」に扮した小池百合子 / 中央 : 「かまやつひろし」風の「メーテル」に扮した小池都知事 / 右 : 「クレオパトラ」を演じたエリザベス・テイラー)

  まぁ、「女帝」と呼ばれた小池都知事なら、アトラクションのメイン・キャラクターになるかも知れない。例えば、エジプトの「女王」役を申し出れば、「なるほど、名案かも・・・」と受けてくれる可能性もある。何しろ、大女優のエリザベス・テイラーが演じたこともあるので、自信満々の都知事様は「あら、私って、メークをするとエリザベス・テイラーにソックリかも !」と言い出しかねない。そう言えば、「東京全体をアニメランドにする」といった小池氏の公約はどうなったのか? 筆者は「魔法使い」サリーに扮した小池百合子よりも、「キューティー・ハニー」を演じるネーデルラント人モデルを見たい。例えば、ドゥツェン・クロース(Doutzen Kroes)とか、ロッテ・ファービーク(Lotte Verbeek)なんかは最高だ。(ファービークはネーデルラント出身の女優だが、英米の藝能界でも活躍している。たぶん、日本の洋画ファンなら知っていると思うが、彼女は米国の人気TVドラマ『ブラックリスト』にも起用され、ロシア人スパイの「カタリーナ・ロストヴァ」役を演じていた。)

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(左 : ドゥツェン・クロース / 中央 : ロッテ・ファービーク / 右 : エリザベス・テイラー )

  一般の日本人は気づいていないけど、我が国は既に世界でもトップクラスの移民受け容れ国で、4位か5位になるくらい、大量の外国人を「技能研修生」という名目で輸入している。まだ、多くの一般国民は日本を「日本人の国」と思っているが、その幻想は数年後、あるいは十数年後に崩れてしまうだろう。さすがに、皇室の馬車は廃止されないと思うが、秋篠宮家の愚行を目にすると、皇室伝統は安泰とは言えなくなる。我が国にも段々とイスラム教徒が増えているし、日本各地の森林や観光地が支那人によって買収されているから、日本の伝統維持は益々難しい。昔、山口百恵と三浦友和が共演した『ふりむけば愛』という映画があって、物語はハッピーエンドで幕を閉じたが、令和の日本だと『ふりむれけば支那』という映画が作られそうだ。まさか、日本が「倭人自治区」になることはないよねぇ〜。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68885395.html

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