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高齢者は死んでいいのか _ 大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/220.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 7 月 09 日 05:02:56: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: れいわ新選組 大西つねき    山本太郎代表の都知事選出馬について 投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 17 日 09:42:03)

【字幕対応】大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」(2020/07/03)
2020/07/08




【文字起こし】
高齢者は死んでいいのか。
高齢者はええっと、高齢者は死ぬ確率は高いし、
そもそもね、ええっとその話ししましょうか。
どこまでその高齢者を長生きさせるのかっていうのは
あれ真剣に考える必要があると思いますよ。
あのなんでかっていうと今その介護の分野でも医療の分野でも
これだけその人口の比率がおかしくなってる状況の中で
特に上の方の世代があまり多くなっている状況で
その高齢者をちょっととにかく長生き死なせちゃいけないという
長生きさせなきゃいけないっていうそういう政策をとっていると、
これ、多くのお金の話じゃなくてあのもちろん医療費が介護料を
金がすごくかかるんでしょうけど、
これ若者たちの時間の使い方の問題になってきます。
どこまでその高齢者をちょっとでも長生きさせるために
子供を若者たちの時間を使うのかっていうことは
真剣に議論する必要があると思います。
こういう話、多分、政治家は怖くてできないと思うんですよ。
命の選別するのかとか言われるでしょう。
命、選別しないと駄目だと思いますよ。
はっきり言いますけど、
なんでかと言いますとその選択が政治なんですよ。
選択しないでみんなにいいこと言っていても、
多分それ現実問題として、多分無理なんですよ。
そういったことも含めて順番として、
これ順番として、その選択するんであれば
もちろん高齢の方から逝ってもらうしかないです。


【れいわ新選組HP】
大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日
投稿日: 2020年7月7日 投稿者: れいわ新選組
大西つねき氏の動画内での発言は、
れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない。


一方でそのことによって、
大西氏を除名するという判断はこちらにとっても簡単なことではあるが、
それでは根本的な解決にはならない。


多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、
光が当たったことを今回はチャンスと捉え、
アジャストする責任が私たちにはあると考える。


この作業は、
「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」
という理念をもつ私たちにとって、重要な意味を持つ。


大西氏には、命の選別の問題に生命尊重の立場から、
取り組んでいらっしゃる方々にレクチャーを受けて頂き、
命について真摯に向き合うチャンスを与えたいと思う。


人は変われる。
私はその力を信じたい。


れいわ新選組 代表 山本太郎


【大西つねきTwitter】
大西つねき
@tsune0024
先日の私の動画での発言を謝罪、撤回するプログポストです。浅はかな発言、大変申し訳ありませんでした。
午後11:26 · 2020年7月7日·Twitter Web App


【大西つねきブログ】
7月3日の動画での発言について


2020年7月7日
私の先日の動画での発言について謝罪と撤回をしたいと思います。


私は7月3日の自身の動画チャンネルにおいて、「命の選別が政治家の仕事」という政治家としてはあるまじき発言をしました。この考えそのものが、従来の障がい者や社会で苦しんでいる人々へのケアを不十分なものにする元凶であり、「命の選別をやめよう」というれいわ新選組の結党の精神とは真逆の主張であったと、自分の発言の愚かさを深く痛感しております。今回の発言で命の選別に正面から取り組まれている舩後議員、木村議員ならびに多くの当事者の方々はもとより、全ての人々に深く謝罪すると共に発言を撤回いたします。



代表からは、「命の選別」の問題に真正面から取り組んでおられる当事者の方々の声をしっかりと聞くべきとの指摘を受けました。自分の考えの浅はかさをより自覚し、新しい自分に生まれ変われるように努力したいと思います。


※なお、当該動画については、発言撤回と共に公開停止にいたしました。


【れいわ新選組HP】7/9 23:50追記
大西つねき氏について(続報)2020年7月8日


投稿日: 2020年7月8日 投稿者: れいわ新選組


前回のご報告で、大西つねき氏には、「命の選別」の問題に生命尊重の立場から、
取り組んでいらっしゃる方々によるレクチャーを受けていただく、とお伝えしました。


この発言の問題は、
単に個人を処分すれば終わりにできるものではありません。


できるだけ早く、今月中にインターネットで完全公開での複数回のレクチャーを始めます。


加えて、大西氏への最終的な処分に関しては、
党の意思決定の場である総会において行います。


構成メンバーと日程調整を行い、
可能な限り早い時期に開催する通知を事務局長にお願いしました。


以上、現在の党内での取り扱いについてご報告でした。


れいわ新選組 代表 山本太郎
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2020年7月09日 07:54:07 : Mu0g15Rjmc : aWloQXY0NTNQc0U=[13] 報告

れいわ新撰組にナチスが……
2020年07月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1179.html


 びっくりした。「命の選別が政治家の仕事」だって……。
  https://www.youtube.com/watch?v=x7DsNJBX8XY

 こりゃナチスだろうが…… 「大西つねき」って何もの?

 山本太郎は、なんでこんな人物を仲間に加えたの?

 ここでは高齢者と言ってるけど、麻生太郎とまるで同じだ。結局、選別というのは、「何かのために、何かを排除する」という理屈をつけるんだが、麻生太郎は「お国のために、役に立たない人は死ね」と言い、大西つねきは、「若い人のために老人は死ね」と言ってるように聞こえる。

 しかし、こうした選別の発想は、やがて「重要度に応じて生き残らせる」ということになり「弱者全般に対して死ね」という理屈に昇華・転化するのは100%確実だ。
 弱者とは誰か?
 最初に老人であり、次に障害者である。ナチスのT4作戦の理屈と同じなのだ。

 日本のT4作戦 2018年09月28日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-492.html

(T4作戦について、ブログをたくさん書いたが、ヤフーに無断削除されて残っているのは上の一つだけ)

 結局、「何かのために別の何かを犠牲にする」発想、「日本国のために必要な人材を残すために、いらない人を追放する」という「優性思想」の下で、最初に犠牲になるのは、@障害者 A老人 B病人 C権力に刃向かう連中 ということになり、例えばダウン症の子供たち、船後議員のような筋ジス患者、後期高齢者で認知症になっている人などは「早く死ね」……「自分で死ねないなら、国が代わって安楽死させてやる」という理屈が公然とまかり通ることになる。

 ちょっと有名になると、それを利用しようとする腹黒い人物が近づいてきて、最初は美味しい餌を提供するが、やがて本性をむき出しにして、自分の利権に利用しようとするというパターンは、私も何回かやられた経験がある。
 山本太郎は、早く排除しないと後々、絡みつかれてとんでもないことになるぞ。

 山本太郎にナチスはいらないぞ!
 この価値観は人間性の本性=正体なのだから、もう口先で撤回したり謝罪したってダメだ。こんな人物とは永遠におさらばしなければならない。

 私の若い頃には、日本社会は、まだ「天皇のため=お国のため」という洗脳が広く強固に人々の脳裏に巻き付いていて、「役に立つか立たないか」という基準での人間選別が大手を振って社会を席巻していた。
 私の時代ですら、人間を学歴や地位や、家柄や権力や、才能やら、病気やらで差別選別して、弱者を情け容赦なく淘汰し、強者だけの国を作ろうとする思想が主流だった。

 だから、「お国のために」に興味のなかった金子みすゞは首を吊るしかなかった。
 自由を求めた、たくさんの思想家たちが権力によって殺されていった。
 「役に立たない」と決めつけられた、たくさんの若者も殺された。
 障害を持っている人やライ患者などは、本人の意思を無視して、勝手に去勢・不妊手術を受けさせられた。 

再び優生保護思想 2018年04月30日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/?no=331

 天皇のために、お国のために、若者のために、未来のために……何かのために弱者を切り捨てる優生保護思想が正当化される社会というのは、戦前の日本がそうだったが、「人の自由」を認めない社会である。

 だが、今、こうした夾雑物に目を曇らされることなく、真実が見える人々にとって、弱者だって、社会の一つの大切な要素であって、社会を底辺で支える歯車から外れる人など一人もいないのだということが明らかにされつつある。

 私は1990年頃から数年間、タクシー運転手をやった。
 このなかで「障害者の家にお迎えにゆき、学校や施設に送る」という仕事がたくさんあった。
 ダウン症の家庭が多くて、最初は、「両親は重い荷物を持たされたように大変で、辛い思いをしているもの」と勝手に決めつけて先入観を持っていたのだが、何十回も通ううちに、そうではないことに気づいた。

 ダウン症家庭の親は、みんな、とても幸せそうに見えたのだ。そして人間性が洗練されていた。わがままで理不尽なことを言う人は一人もいなかった。
 その家では、子供が厄介者ではなく大切な宝物のように扱われていたことに驚いた。
 ダウンの子供たちは、重荷ではなく、家族を幸せにする宝物だったのだ。

 なぜ、そうなるのかについては、ここでは触れない。
 私は、障害というのは、決して重荷ではなく、人々を幸せにすることもできるのだと、生まれて初めて気づかされた。

 私は、瀕死の母親に面会しに、毎週片道3時間かけて名古屋に通っているが、妄想ばかり口走る母親を見て、「安楽死」という選択が頭をかすめないといえば嘘になる。
 だが、自分を生んで育ててくれた母親については「天寿を全うさせてやりたい」と素直な願いがある。
 母親が私と会話することで、妄想世界から現実に還ってくるのだ。

 このことで、私は無駄なことをしているのだろうか? さっさと安楽死してもらった方がいいのだろうか?
 そうではない。私は、母のために時間を費やしながら、本当に救われているのは母ではなく、実は自分の心ではないかとい真実が、日増しにはっきりと見え始めている。

 社会は、健常者、健康で能力の高い者の力だけで本当に動いているのだろうか?
 そうではない。人間の体には、余分な無用物に見える臓器がある。例えば、盲腸とか扁桃腺とかだ。以前は、「無駄なものだから除去してしまえ」と、盲腸や扁桃腺を切除する医師がたくさんいた。
 彼らこそ、障害者に強制的に不妊去勢を施した医師たちだ。

 だが、今では、両者ともに免疫機能に深く関わる臓器であることが知られるようになり、扁桃腺や盲腸を切除された人々は、老いてから免疫機能が悪化して寿命が短くなっていることが明らかにされた。

 人間の体には「無駄なもの」など、何一つない。
 人間社会にも無駄なものなど存在しない。例えば、無駄の象徴のようなヤクザ・チンピラだって、本当は社会の歯車を回している一員であることが知られるようになった。

 少年院に放りこまれたチンピラ少年のなかから朝倉未来が出た。「粗大ゴミ」と嫌われた暴走族から、竹原慎治が出た。日本のチャンピオンのかなりの部分がチンピラ出身なのだ。彼らの暴走を生み出したのは、決して彼らの因業ではなかった。

 すべての存在が合理的であるとヘーゲルが喝破したように、すべての存在に理由がある。日の当たる世界にも、日の当たらない暗い世界にも。
 健康な人にも障害者にも、優秀な人にも、そうでない人にも。
 みんなが絡み合い、共同して、この世界を動かしていることに、なぜ気づこうとしないのか?

 本当の意味での弱者、敗者、重荷、余計者なんていないのだ。
 すべての人生に、役割が存在していて、それを失えば旅立つのだ。

 「人を選別する」 「命を選別するのが政治家の仕事」だと?

 ふざけるな! 思い上がるな! みんな、すべての人が平等に、この世で未来のための役目を持っていることを理解できないか?

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1179.html

2. 中川隆[-12161] koaQ7Jey 2020年7月09日 07:55:38 : Mu0g15Rjmc : aWloQXY0NTNQc0U=[14] 報告
大西つねき氏は経済の話も間違いだらけだし、コロナの話もウイルスの怖さが全くわかっていないし、教育の話も滅茶苦茶
人気取り目的で深く考えないで表に出過ぎなんだ :

東海アマブログ |れいわ新撰組にナチスが……
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1179.html

びっくりした。「命の選別が政治家の仕事」だって……。
https://www.youtube.com/watch?v=x7DsNJBX8XY


大西つねきさんの経済の説明では大西つねきさん自体が経済がわからないバカだと判断される

大西つねきの間違いだらけの貨幣論
https://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-12519349408.html

大西つねき氏のまちがい〜お金は日銀と銀行が発行している。なので日銀は通貨発行権を持ち、会計上は表れてこないが通貨発行益も享受しているんだ。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eQ4yuALnF-g

3. 中川隆[-12160] koaQ7Jey 2020年7月09日 09:32:17 : Mu0g15Rjmc : aWloQXY0NTNQc0U=[17] 報告
れいわ新選組の公認候補である大西つねき氏がナチスも顔負けの「高齢者の命を選別すべき」と発言!! しかも「生命の選別しないと駄目だ」「その選択が政治」とまで言いきる! しかし、れいわ代表の山本太郎氏は大西氏を「除名しない」と声明!! 2020.7.8
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/477830

 山本太郎氏が代表を務めるれいわ新選組の公認候補である大西つねき氏が、YouTube上で自らの政策を語る動画で、ナチス顔負けの「高齢者の命を選別すべき」という発言をした。信じられない発言に、批判が巻き起こっている。

▲大西つねき氏(2019年7月8日、大西氏の個人演説会にて、IWJ撮影)

 大西氏の動画は「#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする」というシリーズの7月3日にライブ配信された「『正しさ依存症』とそれを生み出す教育について」という回で、下記URLで置かれ7日まで見ることができたが、すでに削除されている。

大西氏動画(削除済)https://www.youtube.com/watch?v=whuSV-Uq2_A

 大西氏は動画で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」と語った。その理由を「介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と述べた。

 さらに「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」と、生命の選別を肯定。そして「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」と、それが政治であると言い放った。

 結論として、「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」と、高齢者に先に死んでもらうしかないと明言したのである。

 「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。こんなことを「政治」の仕事だと公言する人物が、一度は国会議員を目指して立候補したということ自体に、寒気を感じる(大西氏の該当発言全体は本記事の文末に掲載します)。

 こうした考え方は、「生産性で人間をはからせない」として、重度障害者の舩後靖彦氏と木村英子氏を擁立し、国会議員として当選させたれいわ新撰組の方針と、正反対の思想のはずである。なぜ、こんなスローガンを掲げた政党に、こんな殺人煽動を公然と行う人物がまぎれこんでいたのか? これは果たして偶然なのだろうか?

 大西氏は自らの考え方を「超本当に合理主義」などと表現したが、生産性の落ちた高齢者から、順番通りにジェノサイドする思想が「合理的」であるというなら、戦前のナチスや大日本帝国で猖獗をきわめた「優生思想」以上にそれは「合理的」で、はるかにおそましい。。

 岩上安身は、本件に関して、こたつぬこ氏のツイートを以下のように引用リツイートした。

 「いずれにせよ、大西氏は説明すべきだし、誤解があるならば解くべきだし、れいわも説明責任がある。『こたつぬこ@sangituyama なお、立憲、国民、共産、社民、公明党の議員や議員候補が大西つねきの今回の発言をすれば、ただちに辞職勧告か除籍です。維新ですら長谷川豊を公認取り消ししました。自民党はともかく、これが政界の常識です』」

岩上安身のリツイート(2020年7月7日)
 代表の岩上の指示で、7日、IWJのスタッフは事実確認から動いたが、調査を進めてゆくうちに「誤解」のしようもない、本当にミもフタもない発言を大西氏がしていることが、ほどなく明らかになった。冒頭に記した通りである。

 大西氏はYouTubeを削除したが、その内容をIWJでは記録し、文字起こししている。その内容を読むと、ナチスや大日本帝国以上に、「生産性で人間をはかる」態度があからさまで、むき出しであり、人を殺す思想を隠そうともしていない。それが「政治」なのだ、とも言いきる。大西氏は自分の思想を何もぼかしていない。

 IWJでは、スタッフの一人が7月7日、大西氏の問題発言に関して、れいわ新選組の山本太郎氏のメディア担当である吉度氏に問いあわせた。その結果、「メールを送れば必ず回答する」と返答をもらった。そこで午後8時頃までに、、れいわHPの問い合わせフォームと 吉度氏のメールアドレス宛てに、以下のメールを送った。

―――――――――――――

れいわ新選組

吉度様

先程はお電話にてご対応いただきありがとうございます。

以下の動画の51分頃からの発言が、「高齢者の命を選別するものである」と各方面から批判がでていることはご承知のことと存じます。

https://www.youtube.com/watch?v=whuSV-Uq2_A

これまで障害者や難病をもつ方々を国会議員として当選させてきたれいわ新選組は、このことをどうとらえてるのでしょうか?

IWJでは、大西氏本人含め、その意図と責任について記者会見を開いて説明する必要があると考えますが、そのようなご予定はありますでしょうか。

ご回答お待ちしております。

――――――――――――――――――――――――――

 その後7月7日中に、れいわ新撰組からIWJへの回答はない。都知事選の時の対応と同じである。あの時も「質問をメールで送れば回答する」と電話口で回答したため、メールを送ったが回答も連絡もなし。しかし、我々の質問に対する回答とおぼしき文章が、アナウンスもなくサイトのQ&Aに上がっていた。しかし、我々に対しては「このQ&Aをご参照ください」という連絡ひとつ、れいわ新撰組からはなかった。

IWJより山本太郎候補にお送りした「質問状」を公開します! 山本候補からの御回答をお待ちしております! 2020.7.1
※Youtubeにあがっている該当箇所(monbranさん)の動画はこちらです。(いつ削除されるかわかりません。ご了承ください)
 https://www.youtube.com/watch?v=x7DsNJBX8XY

――――――――――――――――――――――――――

大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日

大西つねき氏の動画内での発言は、
れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない。

一方でそのことによって、
大西氏を除名するという判断はこちらにとっても簡単なことではあるが、
それでは根本的な解決にはならない。

多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、
光が当たったことを今回はチャンスと捉え、
アジャストする責任が私たちにはあると考える。

この作業は、
「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」
という理念をもつ私たちにとって、重要な意味を持つ。

大西氏には、命の選別の問題に生命尊重の立場から、
取り組んでいらっしゃる方々にレクチャーを受けて頂き、
命について真摯に向き合うチャンスを与えたいと思う。

人は変われる。
私はその力を信じたい。

れいわ新選組 代表 山本太郎

――――――――――――――――――――――――――

大西つねき氏の動画内での発言について(れいわ新選組HP)
 さらに、大西つねき氏本人が以下の釈明を公表した。

――――――――――――――――――――――――――

7月3日の動画での発言について
2020年7月7日

私の先日の動画での発言について謝罪と撤回をしたいと思います。

私は7月3日の自身の動画チャンネルにおいて、「命の選別が政治家の仕事」という政治家としてはあるまじき発言をしました。この考えそのものが、従来の障がい者や社会で苦しんでいる人々へのケアを不十分なものにする元凶であり、「命の選別をやめよう」というれいわ新選組の結党の精神とは真逆の主張であったと、自分の発言の愚かさを深く痛感しております。今回の発言で命の選別に正面から取り組まれている船後議員、木村議員ならびに多くの当事者の方々はもとより、全ての人々に深く謝罪すると共に発言を撤回いたします。

代表からは、「命の選別」の問題に真正面から取り組んでおられる当事者の方々の声をしっかりと聞くべきとの指摘を受けました。自分の考えの浅はかさをより自覚し、新しい自分に生まれ変われるように努力したいと思います。

※なお、当該動画については、発言撤回と共に公開停止にいたしました。

――――――――――――――――――――――――――

7月3日の動画での発言について(大西つねき公式ウェブサイト、2020年7月7日)
 しかし、こたつぬこ氏がツイートしたように、こうした発言をすれば「ただちに辞職勧告か除籍」が「政界の常識」のはずである。山本太郎氏は、究極のヘイトスピーチともいえる今回の大西「命の選別」発言を許し、れいわ新撰組をどこに進めようというのだろうか。

 こんな生ぬるい処置と、こんな薄っぺらい謝罪ひとつで、誰が「はい、そうですか」と信じ、許し、受け入れることができるだろうか。

 大西氏は謝罪のコメントが、「政治家としてあるまじき」というが、そもそも大西氏はまだ「政治家」を続けるつもりなのだろうか!? その神経が理解しがたい。

 また、政党に所属させておく、山本太郎代表の判断も理解しがたい。体面上、大西氏の口を封じ、形だけ謝罪や撤回したところで、大の大人の頭の中や腹の中が半日やそこらで変わりうるものか。

 また、その程度で変わるほど、薄っぺらい頭の中身だったのなら、同じその頭で、金融についての理論を開陳していたのも、中身は相当に怪しいと疑ってみるべきだろう。

 大西氏は、当然、政界はもとより、言論界からも去るべき人物である。一度吐いた唾はのみこむことはできない。60代以上の世代にとっては他人事ではない。「いずれ死んでもらう」と言われた言葉と、言った人物を誰が忘れられるだろう。

 大西氏の言動を、こんな甘い態度でかばった山本太郎氏にも強い疑いを抱く。大西氏を見出して、れいわの公認候補にすえたのは、山本太郎氏である。その、人を見る目のなさ、その判断力の甘さについて、山本氏は真剣に反省しているだろうか。

 山本氏、大西氏の両者とも、オープンな会見を開いて臨むべきである。

 高齢者ヘイトは、現代において、目立たず、しかし静かに進行している危険思想である。数年前、すべての社会矛盾を高齢者の存在に押しつける漫画がベストセラーになったことがあった。大西氏の発言は、高齢者ヘイトから何歩も先に足を踏み込んでジェノサイドまでを肯定する。自分たちから見て邪魔なものは容赦なく殺す。オウムのポアと何が違うのか。

――――――――――――――――――――――――――

以下は、大西つねき氏の発言の文字起こしである。

#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする
「正しさ依存症」とそれを生み出す教育について(Live配信2020/7/3)
50:00頃から

高齢者はこわいんですか。高齢者は逆にあれですよ、もうなんかそんな長くないじゃないですか。これもだからどこまで長生きしたいのかっていう話。これはまたね、講演会では結構ハードな話しますけど。

あれですね、リスクは常にあるし、死ぬ原因はいくらでもあるので、それをどう考えるかですね。

高齢者は死んでいいのか? 高齢者は死ぬ確率は高いし、そもそもね。その話しましょうか。どこまで、その高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。

なんでかって言うと、今その介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者をちょっと、とにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。

どこまでその高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために、子供達、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要があると思います。

こういう話多分政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。

何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題として多分無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。

そうなんですよ。これ本当ね、死生観の話になると思いますよ。いつまで我々はもうひたすら長生きさせるために、どれだけ自分たちの時間と労力をそれに使うのかっていう話は、みんなが考える必要があるし、皆が必ず死ぬということを覚悟する必要があるし、そこはもう避けては通れないと思いますよ。

こういう、だから、なんでしょう、本当に歯に衣を着せずに言う奴ってのは、まあね、批判を受けるし、なんだかんだ言われるんですけど、なんか、これなんか日本人的な感覚ぼく全然ないんです、はっきり言って、そう言った意味で言うと。

何かこう、そういうこと言ったら、誰がどう思われるかとか、どんな気持ちがするかとか、そんなこと全然考えてないです。それはそういう風に考えるしかないんじゃないのっていうのは、そのままですね、ぼくは。

超本当に合理主義っていえば合理主義です、そういった意味で言うとね。

高齢者自身の選択。もちろんそれぞれの選択はあるんですけど、それぞれの選択っていうか、やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか。

ベッドどれだけ用意する、ベッドをどういう風に、例えば数が、もうとにかく全員に、何があっても足りるようなベッド数を保つということは、それをケアするための膨大な多分若者が必要だったりして。これもどこまでもやればいいって話ではなくて、どっかである程度、数とかね、そこら辺は選択する必要がありますよね。

でそれも、冷徹にやっぱりやらきゃダメだと思いますよ。何かすごいね、情緒的なんですよ、この国は、言わせてもらうと。感情的だし情緒的だし、でもそんなもんで物事多分決めていけないと思います、それだけだと、というふうに思います。

まあいいんですけどね、それぞれ考えがあってね。でも僕はそういう政治家になると思いますよ。結構冷徹にいろんなことを判断していく。それを考えることを僕は要求すると思います。なんか感情とかじゃなく。

そうじゃなくて、あの気持ちは分かるけど、その気持ちだけで全部解決するわけではないので、結構割となんか過去において、我々ってそういうなんか情緒的な判断とか感情的にとか、頑張って人がいるからそんなことを言うなとか(笑)、あとはなんでしょ、なんか一生懸命やってんだからどうとか、そんなんで、なんか割と戦争があんだけ長引いたのも、なんかそんなような、何でしょう、合理的な判断ができなかったからなんじゃないですかね、と思いますけど。

まあね、あの、寿命はもしかしたら、そうね、おっしゃる通り、もしかしたら縮むかもしれませんね、我々の世代にはね。なんか食べてるもんとかだいぶ違うような気がしますからね。

まあそんな奴ですということも、僕も包み隠すつもりもないので、言っちゃいますけど。それで選ばれなかったら、それはそれまで。かなりそういった意味で言うと、僕はなんかあまり日本人的ではないのかもしれません、おそらく。なんかそういうちょっと情緒的なところはあまりないですね、全くないので。

命のためと言いながら、個人の尊厳を奪ってることが多いように見えるって、僕もそんな気がしますね。難しい、そう、ほんと難しい問題なんですけど、難しい問題をちゃんと我々、正面切って考える必要ありますよね。

で、考えることを僕は皆さんに、考えてもらうための発信はたぶんすると思います。結局最終的に皆さんにやっぱ決めていただく必要があるんですよね。僕が決めることじゃないですよ。僕はこう思いますよって、どう思いますかっていう、あくまでもこれ投げかけなので。

その結果、とにかく長生きが一番っていう人たちが大勢だったらそういう風になるんでしょ。たぶんそういう人たちが大勢だったら、僕は選ばれないのかもしれませんけど。それはそれ、僕の考え、それぞれ考えがあっていいということですね。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/477830

4. 中川隆[-12151] koaQ7Jey 2020年7月10日 10:13:23 : f57HvVNU3g : RGZQQzBFYWpobS4=[9] 報告
2020年07月08日
大西つねき氏の「命の選別・・」の発言について  山本太郎氏の対応のすばらしさ

大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」(2020/07/03) 2020/07/07 24 40

大西氏の動画はよく見ていたが、私は時々寝てしまうので、これに気づかなかった。

これに対し、山本太郎氏がれいわ新選組のHPで代表としての判断を載せている。
大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日 れいわ新選組


大西氏については、これまでも何度も、全面的には信用できない、ということは書いてきた。

JPモルガンにいた人であり、ロックフェラーの小だか孫だかを直接知っていると言い、いい奴だとし、ロックフェラーを絶対に悪くは言わない。
金融システムの話はしても、日銀についての言及を避ける傾向がある。

デジタル通貨のブロックチェーンはいいシステムだとして、移行を口にしていたが最近は避けている。

私が公演を聴きに行った時、質問した、
「デジタル通貨への切り替えは世界を支配している側がやると思っていて、ベーシックインカムを機にチップを入れろと言ってくる気がしているのだが、大西さんはチップを入れるよう言ってきたりしないか」
について、「大丈夫だと思いますよ。」という返答をした。
はっきりしなかったのだ。

等々、あるが、
その他の話はとてもいい話が多いし、人が生きるということについて、なかなか本質的な話ができる人がいないので、その部分は認めていた。

この人の発言の矛盾が明らかに噴出したものだ。
「長生きしたければすればいいし、したくなければ短い選択もできるようにすればいい。」
というのであれば、これまでの話と矛盾しない。
選択を自分自身でするのだから。
それを他者が決めるという話にするのは、これまでの話からすれば絶対におかしい。

命の選別が「政治の仕事」だとしたのは、イルミナティの意向と同じものだ。
今、AIを使ってどんんどん進めている。

イルミナティ側も追い込まれ始めており、焦り始めているとは思う。
あからさまに表に意向を表明し始めているのは、すでに最終段階だから、余裕で笑いながらやっているということもあるだろうが、命の危険を感じ始めている瀬戸際にあり、速くやってしまわなければ自分がやられるということでもあるように思う。

大西つねき氏がイルミナティ側なのかどうなのかはまだわからないが、・・・。
いい話もしているのでとても残念だ。

高齢者についての話は、私自身に向けて考えるのであれば、ある部分同意するところもある。
自分が余計に長生きすることで若い人の生活が大変になるのであれば、長生きしたいとは思わない。
というよりも、私自身はまず医者に行かないし、自然に死ねることを望んでいるのである。

大西氏のお金の発行の仕組みの話からすれば、お金を刷っても、コントロールしていけば大丈夫ということなのだから、
お金の心配をしての話ではないはずだ。
だとすれば、命の選別の話はもっと恐ろしい話ということになる。

「お金ではなく、若い人の時間がとられる」と言っていたが、沢山の人が、優位な給与をもらって少しずつ関われば、やっていける話ではないのか?
いや、そういう介護という仕事自体、大西氏がしたくないということだろう。
私は、生活に心配がなければ、多くの人が自分の親や祖父母を自分で看たいと思うのではないかと思っている。
そうでない人は、安心して任せられる介護施設にお願いするというのも一つの方法ではあるが、自分の生活に心配がなければ、それもとても丁寧に行えるだろう。
その思いは、どちらも、早く死んでほしいというものではない。

学童施設、障がい者施設、児童養護施設、等で働いた経験を持ち、父母の介護をしてきたことがある私としては、確かに大変なのはわかる。
大西氏は、多くの人がゆったりと暮らせる社会になった時、そういう場所で働きたいという人が減るという想像をしているのだろう。
でも、それらの仕事が大変なのは、内部の金の問題でもあり、職員の少なさから来る余裕のなさでもあり、保護者や社会の寛容さのなさも、追い込まれる原因になる。政治が変えるのはそこではないのか?

多くの人が誰に対しても優しくありたいと願っているのではないだろうか?

人が自由に生きる時、大変そうなことはしないという社会になるのか?
他の星の宇宙人の世界を考えると本当にそうかも知れないとは思う。
でも、それを私は望まない。自然と共に生きること自体、少々の大変さを伴うことになる。
だからといって不幸ではない。不幸なのは人間がつくっている社会システムがあるからだ。
それを変えるのが政治だ。

山本太郎が生活困窮者を支援している思い、自然との共存、それこそが私の中にある神に通じる波動なのである。

大西氏が、「人間それぞれ自由に思ったように生きればいい」として話してきたことが、全て崩れ去る。
れいわ新選組を応援している私としては、とても残念な出来事となった。

でも、太郎さんの懐深いコメントからは、もっと大きな安堵感を与えられた。
機をてらったり、受けを狙うこともない人であることがまた一つはっきりしました。
一般的な政治家的判断を求めている人もいるが、それとは違う自分の哲学を持って、新しい世界をつくろうとしている。
こうでなければイルミナティをも取り込んで、世の中を改善することはできないのだろうな、と私は思った。
https://jibunmirai.at.webry.info/202007/article_10.html

さらに山本太郎を応援したくなった。私だったら、除名しただろうから。
太郎はすごい人だ。本当に還暦の私だが、教わることが多い。

5. 2020年7月10日 16:16:34 : 4D3OjxhHhg : TEswdkdERG1YZ0E=[26] 報告
大西つねきは、主張から見てペドフィリアなのかな
https://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666
6. 2020年7月10日 19:16:45 : f57HvVNU3g : RGZQQzBFYWpobS4=[21] 報告
【動画生中継】大西つねき氏について れいわ新選組 代表 山本太郎 2020年7月10日


7. 2020年7月12日 12:01:59 : 9xC4spK28g : OFNOTTJva0VYdVk=[6] 報告

れいわ新選組の大西つねきは、不謹慎甚だしい!(^ ^;)
2020-07-08

👿れいわ新選組の大西つねきは、以前から人間性の欠如することが所々に垣間見れたので、前からこのオッサンが気にはなっておったのだが、案の定、気になっていた事が、また起こったわ〜‼️😅👎

👿彼は、元JPモルガンだけあって経済理論は一流だが、政治家としてはほんとに不向きで、どちらかと言うと経済専門家向きなので、今回の「❤️命の選別が政治家の仕事」と言い、高齢者や身体障害者や不治の病の患者さんなどに全く配慮の無い無神経な発言は、不謹慎甚だしい失言だし、今年2月にもコロナ禍での自身のおしゃべり会の今後の開催について発言していた時の失言「🦠コロナウイルスに感染して死ぬリスクも、💴株取引や為替相場で金銭的に損をするリスクも、どの世界、どの状況でもリスクは付き物」と言い、その会自体中止せずに今まで通りに開催すると言い張り、それやったら山本太郎代表とスタンスが違うがと問われると、「れいわ新選組は、バラバラな所がいいんです!」と言ってあくまでも代表である太郎ちゃんのやり方を軽視して、それには追随しないと頑固なまでにふざけている男であるし、話を戻すと、人命の重たさと経済的損失の重さとを同じ天秤にかける事自体まったくもってナンセンスなのに、このオッサンは単純にリスクとして同等であるとした、この人命軽視とも取れる発言も無神経&認識不足極まりないので、この発言もほんと本末転倒であるので許し難いのである。🙄

お前も政治家を志すんだったら、ちょとくらい人命尊重の立場から、コロナ禍に配慮ぐらいしたらどないやねん‼️ 😳

いっこもコロナ禍に配慮せーへんねんやったら、ボケカスダボどアホのパチンコ屋とかわれへんやんけ〜‼️ 😳このオッサン‼️😡👎

👿この様な度重なる心ない失言を看過出来ないので、れいわ新選組の結党理念に合わない人は、如何なる人でも即刻辞めてもらうべきで、それで、れいわ新選組が今後、将来的に良い方向に発展して行く為には、こいつが、自分から責任を取って党を辞めるか、それか党として大西恒樹を除名処分にするか、どちらかが相当である‼️ ☺️👍

👿れいわ新選組代表の山本太郎ちゃんは、この様に人間性に些か欠如している大西つねきに生命尊重の立場から紐解く専門家のレクチャーを受けさせるそうだが、こんなアホにそんな偉い人たちの話を聞かせても理解出来ずに、馬耳東風であり、また近い将来に同じ不謹慎な発言を繰り返して言うて、人を不快な思いにさせるのが落ちで、「三つ子の魂、百まで」と言う言葉がある様に、ええ歳こいた人間の性根から変えるには、並大抵の努力では、変わらんと言うこっちゃな‼️ 🤪

👿れいわ新選組の仲間から、この様な不適切な発言を平気でする、認識不足も甚だしいアホが出てきて、れいわ新選組を心から支持しているだけに、本当に残念でならない‼️😭


https://ameblo.jp/melodyhills71/entry-12609662913.html

8. 2020年7月12日 12:07:09 : 9xC4spK28g : OFNOTTJva0VYdVk=[7] 報告
大西つねきさんのこと
2020-07-10

 私は、大西さんがWebで話された内容は、それだけでアウトだと思います。

命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。

何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題として多分無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。

そうなんですよ。これ本当ね、死生観の話になると思いますよ。いつまで我々はもうひたすら長生きさせるために、どれだけ自分たちの時間と労力をそれに使うのかっていう話は、みんなが考える必要があるし、皆が必ず死ぬということを覚悟する必要があるし、そこはもう避けては通れないと思いますよ。

こういう、だから、なんでしょう、本当に歯に衣を着せずに言う奴ってのは、まあね、批判を受けるし、なんだかんだ言われるんですけど、なんか、これなんか日本人的な感覚ぼく全然ないんです、はっきり言って、そう言った意味で言うと。

何かこう、そういうこと言ったら、誰がどう思われるかとか、どんな気持ちがするかとか、そんなこと全然考えてないです。それはそういう風に考えるしかないんじゃないのっていうのは、そのままですね、ぼくは。

超本当に合理主義っていえば合理主義です、そういった意味で言うとね。

高齢者自身の選択。もちろんそれぞれの選択はあるんですけど、それぞれの選択っていうか、やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか。

 大西さんは、老人医療にかける金の話ではなく、若者が老人の世話をしなければならないことから、長生きさせないように、老人には早く逝ってもらうことを提唱しています。彼はこれを確信を持って断言しています。

 しかしなぜか、れいわ新選組支持の方は、大西さんの言いたいことはこういうことだとか、いろいろ弁護しています。ならば、大西さんは、みずからの主張を敷衍していけばよいのです。私の発言の趣旨はこういうことだ・・・というように。
 でも、大西さんは、謝罪し撤回しました。謝罪し撤回したということは、みずからの発言はよくないことだと理解できたということです。

 私はなぜ大西さんがこういう発言をするのか考えます。とっても上から目線の発言だと思います。大西さんは56歳だということです。もう高齢者一歩手前です。にもかかわらず「命の選択」をしなければならないといいます。

 ふつうの人であった大西さん、れいわ新選組の候補者になったら俄然有名人になりました。ツアーを組んで各地で講演会を繰り広げています。

 自分自身、とても偉い人だと思うようになったのでしょうね。ふつうの人が突然有名になると、舞い上がる人っていますね。

 私は、高名な学者(ほとんど亡くなってしまったけれども)との付き合いがありますが、高名な方ほど謙虚なんです。要するに偉い人ほど謙虚なのです。

 私は大西さんの演説をネットで見たことがあります。経済の話でした。でも、老人に関して命の選択を推奨するこの方の考えは、おそらく欠陥があると思います。
 大西さんは、「命のためと言いながら、個人の尊厳を奪ってることが多いように見える」ということを言っています。これ、どういうことでしょう。個人の尊厳に軽重をつけているということではないですか。

 私には、この政党を支持するといういわゆる支持政党はありません。この大西発言を、れいわ新選組がどのように対応していくか、見つめていくつもりです。同時に、その支持者たちの動向も。どういう人が支持しているかにより、その政党も規定されますから。

https://blog.goo.ne.jp/hamanashigaku/e/294582f23980cdf47d2d83e67bdfd2e4?fm=entry_awp

9. 2020年7月13日 04:13:23 : PhcjdgdRuw : UHNNY1QwVXV6bms=[1] 報告

大西つねきが総理大臣になったら極右全体主義者になる:

あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。

そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。
安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 
学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。


 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 
安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
________________

過激な右翼ほど、過激な左翼に変わりやすい
過激な人ほどあてに成らない

俗に”右も左も正体は同じ”などと揶揄する人が居るが、確かにそんな人を見かける事があります。

過激な愛国主義者が一夜にして反日主義者に言動が変わるのは良くあり、しかも過激な人ほど反対側の過激に変わりやすい。

戦時中に好戦的な軍人だった人ほど、戦後は平和主義運動に加わる傾向があり、反日運動や日本叩きが大好きになる人が居ます。
熱心に愛国運動や日本軍賛美の作品を発表していた有名な漫画家が、ある日を境に日本を批判する作品ばかりになった例があります。

「日本軍は侵略などせず正しい事だけをした」と言っていたのが、ある日180度転換し「日本はすべて悪い、最悪だ」と決め付けるようになった。

一体彼に何があったのかは知るすべも無いが、やはり過激な人ほど正反対の過激に変わりやすいのです。


逆のケースもあり、いわゆる左翼運動や反日運動をしていた人が、ある日何か閃いたのか、今では”右翼”と呼ばれていたりもする。

ある元アイドルは反原発や官邸デモに熱心に参加していたが、離脱して現在はデモ隊などをパヨクと批判している。

ある有名なニュースキャスターは昔テレビで日本の戦争犯罪を熱心に追及していたが、今は逆の立場で熱心に追及しているようです。


これらは有名人だが、一般の人でも過激な政治活動をしていた人が、ある日コロリと変わる例は良くある。

どうしてこうなるのかを推測すると、人は結局自分中心の生き物であり、過激なほど壁に当たりやすく大きな疑問に突き当たりやすい。

「日本軍はすべて正しい」「全員が聖人君子だった」と言っていた漫画家は、そうではない例を発見し、矛盾に耐えられなかったのかも知れない。

籠池泰典理事長の場合

これがもっと中途半端なら「まあ1000万人も軍人が居れば色々あるだろう」と納得できるが、「全員が聖人君子である」と信じていた人は矛盾に耐えられない。

右から左、左から右にコロリと変わる過激な人は、一つの矛盾を発見すると頭が爆発するのかも知れない。

最近コロリと変わった例が森友学園の籠池泰典理事長で、熱心な愛国者で右翼であり、首相も参加している日本会議の大阪支部で代表・運営委員だったとされている。


国有地の不正な払い下げ疑惑や廃棄物処理法違反、国会議員への贈賄疑惑や不透明な活動を批判されると、仲間だった人達を攻撃し始めた。

本当なのか嘘なのか分からないが、自分が働きかけた国会議員の名前を出しては、金を受け取ったとか渡したと言っています。

籠池泰典は右翼団体の支部代表をしていたほど「愛国者」を自称していたのに、今ではその仲間を告発する側に回っている。


これも右から左に極端に変わった例で、重要なのは思想や信条ではなく自分自身だったのが分かります。

自分が犠牲になって何かを実現しようというつもりはなく、自分が批判されるとあっさり「愛国者」を捨てて批判する側に回りました。

言動が過激な人ほどこうした傾向が強く、熱心な右翼がある日左翼になったり、逆の場合も起こります。


人間は結局自分中心であり、自分の為に過激運動をしていた人は、批判されると自分を守るために、反対側に立つのです。  
http://www.thutmosev.com/archives/69994185.html

10. 中川隆[-12138] koaQ7Jey 2020年7月13日 04:45:24 : PhcjdgdRuw : UHNNY1QwVXV6bms=[3] 報告
大西つねきが総理大臣になったら極右全体主義者になる:
あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。
そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。
安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 
学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。
 
安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
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過激な右翼ほど、過激な左翼に変わりやすい
過激な人ほどあてに成らない

俗に”右も左も正体は同じ”などと揶揄する人が居るが、確かにそんな人を見かける事があります。

過激な愛国主義者が一夜にして反日主義者に言動が変わるのは良くあり、しかも過激な人ほど反対側の過激に変わりやすい。

戦時中に好戦的な軍人だった人ほど、戦後は平和主義運動に加わる傾向があり、反日運動や日本叩きが大好きになる人が居ます。
熱心に愛国運動や日本軍賛美の作品を発表していた有名な漫画家が、ある日を境に日本を批判する作品ばかりになった例があります。

「日本軍は侵略などせず正しい事だけをした」と言っていたのが、ある日180度転換し「日本はすべて悪い、最悪だ」と決め付けるようになった。

一体彼に何があったのかは知るすべも無いが、やはり過激な人ほど正反対の過激に変わりやすいのです。


逆のケースもあり、いわゆる左翼運動や反日運動をしていた人が、ある日何か閃いたのか、今では”右翼”と呼ばれていたりもする。

ある元アイドルは反原発や官邸デモに熱心に参加していたが、離脱して現在はデモ隊などをパヨクと批判している。

ある有名なニュースキャスターは昔テレビで日本の戦争犯罪を熱心に追及していたが、今は逆の立場で熱心に追及しているようです。


これらは有名人だが、一般の人でも過激な政治活動をしていた人が、ある日コロリと変わる例は良くある。

どうしてこうなるのかを推測すると、人は結局自分中心の生き物であり、過激なほど壁に当たりやすく大きな疑問に突き当たりやすい。

「日本軍はすべて正しい」「全員が聖人君子だった」と言っていた漫画家は、そうではない例を発見し、矛盾に耐えられなかったのかも知れない。

籠池泰典理事長の場合

これがもっと中途半端なら「まあ1000万人も軍人が居れば色々あるだろう」と納得できるが、「全員が聖人君子である」と信じていた人は矛盾に耐えられない。

右から左、左から右にコロリと変わる過激な人は、一つの矛盾を発見すると頭が爆発するのかも知れない。

最近コロリと変わった例が森友学園の籠池泰典理事長で、熱心な愛国者で右翼であり、首相も参加している日本会議の大阪支部で代表・運営委員だったとされている。


国有地の不正な払い下げ疑惑や廃棄物処理法違反、国会議員への贈賄疑惑や不透明な活動を批判されると、仲間だった人達を攻撃し始めた。

本当なのか嘘なのか分からないが、自分が働きかけた国会議員の名前を出しては、金を受け取ったとか渡したと言っています。

籠池泰典は右翼団体の支部代表をしていたほど「愛国者」を自称していたのに、今ではその仲間を告発する側に回っている。


これも右から左に極端に変わった例で、重要なのは思想や信条ではなく自分自身だったのが分かります。

自分が犠牲になって何かを実現しようというつもりはなく、自分が批判されるとあっさり「愛国者」を捨てて批判する側に回りました。

言動が過激な人ほどこうした傾向が強く、熱心な右翼がある日左翼になったり、逆の場合も起こります。


人間は結局自分中心であり、自分の為に過激運動をしていた人は、批判されると自分を守るために、反対側に立つのです。

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大西氏はJPモルガンにいた人であり、ロックフェラーの子だか孫だかを直接知っていると言い、いい奴だとし、ロックフェラーを絶対に悪くは言わない。
金融システムの話はしても、日銀についての言及を避ける。
命の選別が「政治の仕事」だとしたのは、ロスチャイルドやロックフェラーの意向と同じものだ。

11. 中川隆[-12135] koaQ7Jey 2020年7月13日 05:12:08 : PhcjdgdRuw : UHNNY1QwVXV6bms=[6] 報告
大西つねきが総理大臣になったら極右全体主義者になる:
あの安保闘争では、デモを指導していた全学連の上層部が、右翼の田中清玄やCIAから資金援助を受けていた。
そして、彼らは後に米国に留学し、中曽根康弘の手先として自民党の御用学者となった(西部邁、香山健一、佐藤誠三郎など)。
安保闘争はデモを指導していた学生がCIAに取り込まれ、ガス抜きに利用された(当時の岸信介首相は、CIA工作員)。

 
学生運動や極左運動では、凄惨なリンチやテロが相次いだ。だが当時の極左指導者も、裏では公安とツーカーだった。よど号事件では、犯人が北朝鮮(旧日本軍の残地諜者が建国した国)に亡命し、人質の一人が日野原重明(笹川人脈)だった(聖路加国際病院は戦時中は空襲に遭わなかったし、地下鉄サリン事件では被害者の搬送先となった)。

重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。
 
安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
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過激な右翼ほど、過激な左翼に変わりやすい
過激な人ほどあてに成らない

俗に”右も左も正体は同じ”などと揶揄する人が居るが、確かにそんな人を見かける事があります。

過激な愛国主義者が一夜にして反日主義者に言動が変わるのは良くあり、しかも過激な人ほど反対側の過激に変わりやすい。

戦時中に好戦的な軍人だった人ほど、戦後は平和主義運動に加わる傾向があり、反日運動や日本叩きが大好きになる人が居ます。
熱心に愛国運動や日本軍賛美の作品を発表していた有名な漫画家が、ある日を境に日本を批判する作品ばかりになった例があります。

「日本軍は侵略などせず正しい事だけをした」と言っていたのが、ある日180度転換し「日本はすべて悪い、最悪だ」と決め付けるようになった。

一体彼に何があったのかは知るすべも無いが、やはり過激な人ほど正反対の過激に変わりやすいのです。


逆のケースもあり、いわゆる左翼運動や反日運動をしていた人が、ある日何か閃いたのか、今では”右翼”と呼ばれていたりもする。

ある元アイドルは反原発や官邸デモに熱心に参加していたが、離脱して現在はデモ隊などをパヨクと批判している。

ある有名なニュースキャスターは昔テレビで日本の戦争犯罪を熱心に追及していたが、今は逆の立場で熱心に追及しているようです。


これらは有名人だが、一般の人でも過激な政治活動をしていた人が、ある日コロリと変わる例は良くある。

どうしてこうなるのかを推測すると、人は結局自分中心の生き物であり、過激なほど壁に当たりやすく大きな疑問に突き当たりやすい。

「日本軍はすべて正しい」「全員が聖人君子だった」と言っていた漫画家は、そうではない例を発見し、矛盾に耐えられなかったのかも知れない。

籠池泰典理事長の場合

これがもっと中途半端なら「まあ1000万人も軍人が居れば色々あるだろう」と納得できるが、「全員が聖人君子である」と信じていた人は矛盾に耐えられない。

右から左、左から右にコロリと変わる過激な人は、一つの矛盾を発見すると頭が爆発するのかも知れない。

最近コロリと変わった例が森友学園の籠池泰典理事長で、熱心な愛国者で右翼であり、首相も参加している日本会議の大阪支部で代表・運営委員だったとされている。


国有地の不正な払い下げ疑惑や廃棄物処理法違反、国会議員への贈賄疑惑や不透明な活動を批判されると、仲間だった人達を攻撃し始めた。

本当なのか嘘なのか分からないが、自分が働きかけた国会議員の名前を出しては、金を受け取ったとか渡したと言っています。

籠池泰典は右翼団体の支部代表をしていたほど「愛国者」を自称していたのに、今ではその仲間を告発する側に回っている。


これも右から左に極端に変わった例で、重要なのは思想や信条ではなく自分自身だったのが分かります。

自分が犠牲になって何かを実現しようというつもりはなく、自分が批判されるとあっさり「愛国者」を捨てて批判する側に回りました。

言動が過激な人ほどこうした傾向が強く、熱心な右翼がある日左翼になったり、逆の場合も起こります。


人間は結局自分中心であり、自分の為に過激運動をしていた人は、批判されると自分を守るために、反対側に立つのです。
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大西氏はJPモルガンにいた人であり、ロックフェラーの子だか孫だかを直接知っていると言い、いい奴だとし、ロックフェラーを絶対に悪くは言わない。
金融システムの話はしても、日銀についての言及を避ける。
命の選別が「政治の仕事」だとしたのは、ロスチャイルドやロックフェラーの意向と同じものだ。

因みに、優性思想のナチスを支持・支援していたのはフォードやロックフェラーでした。

12. 2020年7月13日 09:48:00 : 3D1wqyEMnw : UnlqR25GdkN5VGs=[2] 報告
山口泉 精神の戒厳令下に

事は、もはや「大西問題」では済まない
https://auroro.exblog.jp/240457300/

 ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機

   〔前篇〕「大西発言」の前史と現在


夜の言葉〔2020年7月9日〕

 以下に記す一連の事態に関しては、むろんその発生当初から、暗澹たる憤りはある。だがそれにも増して、いま、かくも荒廃した日本の政治状況のなか、その「とどめ」のように噴出した今回の展開が喚(よ)び起こす、果てしない空しさは何だろう? 

 この論攷(ろんこう)は、大西つねき氏が今春以来、今月初旬まで、自らアップロードする動画での発言を中心に、時を追うに従い、悪質化の一途をたどってきた同氏の命の選別≠フ功利主義的・ナチズム的暴言に関し、氏を昨夏、衆議院選挙候補に設(しつら)え、以後も自党の中核的メンバーの1人としての活動を認め、さらに現在もその党名を背負っての言動を容認している、山本太郎氏が代表を務める「国政政党」の対応に露呈した、同党の理念的自滅となりかねない事態の過ちを糺(ただ)すものである。

 初めに、個人的経緯を簡略に記しておく。

 私は、現在『週刊金曜日』に月1回連載している同時代批評「肯わぬ者からの手紙」の、前回──第14信「根源悪としての安倍内閣/屈辱絶望の政権いつまで」(『週刊金曜日』6月26日号)を、次のように締め括った。

 《……そうした中、都知事選に山本太郎さんが立候補を表明した。》《4月の本欄で批判した大西つねき氏の発言への対応を不問に付すつもりはないことを確認しつつ、まずは山本都知事の誕生を願う。》

 *「4月の本欄」とは、同じ「肯わぬ者からの手紙」の第12信「ウイルスと放射能の列島/命の唯一性冒瀆を許すな」(『週刊金曜日』4月24日号)のこと。


事は、もはや「大西問題」では済まない  ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔前篇〕 「大西発言」の前史と現在_a0138569_15314723.jpg


 もともと文字量に制限のあるこの『週刊金曜日』連載「肯わぬ者からの手紙」だが(毎回1500字弱、ほぼ「ツイート」10本分程度)、同月上旬の大西氏の沖縄での連続的なそれらを含む一連の「講演」活動と、それを正当化する氏の態度表明、そうした全体を貫く命の選別≠フ功利主義的主張についての私の糾問は、少なくともこの第12信においては、限られた紙数のなか、可能な限り展開したつもりである。その私の批判の「核心」部分は、次のとおり。

 《……大西氏の動画での主張はこうだ──「死に対する恐れを手放す武士道」「どうせ人間一度は死ぬ」「経済が止まる方が恐ろしい」「自分の講演で感染が拡大する可能性はあるが自粛しない」「金儲けで何が悪い」。氏のサイトの声明には「このウィルスを受け入れて、救える命、救えない命の見切りをつける」ともある。そもそも旧来の功利主義を「命」の基点から組み替える社会変革こそ、山本太郎さんの党派の尊い理念だったはず。看過し難い。》

 ──これら紙媒体での2回のほか、当Blogでも、さらに詳しく私の批判は提示はしておいた。

  https://auroro.exblog.jp/240352028/

 付け加えるなら、前出「肯わぬ者からの手紙」第12信の発表よりもかなり前──4月初旬に大西氏の「沖縄講演」の第1報に接した直後、「相互フォロー」関係にあるツイッターのメッセージ機能を利用し、すでに私は山本太郎氏に直接、大西氏の行動への危惧は、幾つかの意味での「警告」の性格をも伴った切実なものとして伝えている(大西氏の「動画」での驚愕すべき発言は、このメッセージ送信からほどなくして知った)。

 だが、このツイッターを利用しての直接メッセージの段階では、なお限定的だった懸念を含めて、私からの働きかけに山本氏からの回答がまったくなく現在にまで至っていることは、上掲Blogの経過説明にも確認したとおりである。

 ** 念のため──。ここまで記してきた「動画」とは、大西氏のくだんの沖縄連続「講演」旅行がなされていた時期のもので、この後に述べる7月3日付配信のそれではない。

 前記のうち、少なくとも『週刊金曜日』に発表した私の批判──とりわけ4月24日号掲載の「肯わぬ者からの手紙」第12信──は、山本太郎氏をめぐるさまざまな周辺的事情からしても、氏の目に触れていておかしくないと、私は考えている。

 いずれにせよ、私からの再三の問いかけに対する山本太郎氏の無回答を、私は不誠実とは感じ、残念に思いもした。だが、それでもなお、小池百合子都政のあまりに犯罪的≠ネ「棄民」独裁を阻止する唯一のよすがとして、先般の東京都知事選への山本太郎氏の立候補を歓迎したし、沖縄の地にあって私に可能な支援はしつづけたつもりである。

 2012年3月に上梓した『原子野のバッハ――被曝地・東京の三三〇日』(勉誠出版)を嚆矢(こうし)として、以後の著書の一部(***)でも相当な紙数を充(あ)て、また新聞や雑誌に発表してきた論攷において、私は本人が政治家となる前から山本太郎氏を評価し支持し賞讃してきたし、氏への批判・攻撃については、その誤りを批判し、氏を(あえて言えば)擁護してきた。その評価は山本太郎氏の参議院当選後はますます、衆参両院全国会議員のなかで掛け値なしにただ1人、真っ当な政治家としての位置づけを伴ってもいる。

 ***『辺野古の弁証法――ポスト・フクシマと「沖縄革命」』(2016年)、『まつろわぬ邦からの手紙――沖縄・日本・東アジア年代記/2016年1月―2019年3月』(2018年)。ともにオーロラ自由アトリエ刊。

 これまで、山本太郎氏に関して商業媒体や自著に書いてきた数十篇ないしはそれ以上の、長短さまざまな文章、またあらゆる現実的な場面における口頭でのやりとりを含め、私が氏の言動に疑義を呈したことは、記憶する限り(おそらく)ただの一度もない。今春、大西つねき氏が、前述のような発言・行動を始めるようになるまでは──。

 **** ただし補足しておくと、山本太郎氏や氏の党派の在り方に、これまで私がまったく疑問を持たなかったわけではない。その最大のものは、多くの人びとが指摘してきた党名における天皇暦の使用ではなく──これについては、前掲の小著『まつろわぬ邦からの手紙』(2016年〜2018年の『琉球新報』連載を、2018年、オーロラ自由アトリエから上梓)でも詳述してきた──実は昨夏の参院選期間中の、一部(決して全部ではない)の浅薄な応援文化人≠フ人選である。これには少なからぬ失望を覚えはした。

 そして前述のとおり、私からの疑義・批判に対し、山本太郎氏が現在にいたるまでの無回答である。こうしたことにも示されるような姿勢が、まさに今回7月3日配信という大西氏の「とどめ」のような動画に行き着くほかない、山本太郎氏と氏の党派の現在が抱え持つ問題点とも表裏一体のものであると言っても、さほど牽強付会の譏(そし)りは受けまい。

 以下、論を進めるが、問題の大西氏の直近の発言については、昨7月8日付のIWJ(Indipendent Web Journal/岩上安身代表)のサイトが、すでに大西氏自身が自らの《大西つねき公式ウェブサイト》から抹消した、くだんの7月3日付配信《#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする》シリーズの「『正しさ依存症』とそれを生み出す教育について」の丹念な書き起こしを中心に、いち早く資料をまとめてくれている。またこの記事での「IWJ編集部」による、大西発言への批判や、山本太郎代表の対応に対する問題提起も正鵠(せいこく)を射たもので、まだ御存知でない方には、ぜひ御一読をお勧めしたい。

 『れいわ新選組の公認候補である大西つねき氏がナチスも顔負けの「高齢者の命を選別すべき」と発言!! しかも「生命の選別しないと駄目だ」「その選択が政治」とまで言いきる! しかし、れいわ代表の山本太郎氏は大西氏を「除名しない」と声明!! 2020.7.8』

  https://iwj.co.jp/wj/open/archives/477830

 ***** 上記・記事のネット上での「無料公開」は7月12日まで。13日以降は「有料会員」のみに限定された公開となるが、この優れたメディアの存在意義を思うと「有料会員」となって支援することには十分な意味があるとも考える。

 これを含め、今回の事態のなかでの僅かな救いは、インターネット上に、大西氏のみならず山本太郎代表やその党派の対応に関しての原則的な批判が提示されているのを確認できることで、これらきちんとした声が起こっている事実には、私は一縷(いちる)の望みを感じている。

 さて、一連の大西氏の命の選別≠フ功利主義的・ナチズム的暴言の集大成≠ニも言うべき7月3日付配信《#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする》シリーズの「『正しさ依存症』とそれを生み出す教育について」の問題点については、前掲IWJサイトでのそれを含め、すでに少なからぬ批判がなされている。

 4月初旬に私が目にした動画同様、徹頭徹尾、胸が悪くなるようなその内容はどこをとっても誤謬に満ちているが、今回の場合、以下のような文言は、まさにその核心を成すと言って良いだろう(以下、引用は前記IWJサイトの「書き起こし」に拠る。記して謝意を表する)。

 《高齢者は逆にあれですよ、もうなんかそんな長くないじゃないですか。これもだからどこまで長生きしたいのかっていう話。》

 《こういう話多分政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。》

 《順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。》

 《高齢者自身の選択。もちろんそれぞれの選択はあるんですけど、それぞれの選択っていうか、やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか。》

 《これもどこまでもやればいいって話ではなくて、どっかである程度、数とかね、そこら辺は選択する必要がありますよね。でそれも、冷徹にやっぱりやらきゃダメだと思いますよ。》

 《僕はそういう政治家になると思いますよ。結構冷徹にいろんなことを判断していく。それを考えることを僕は要求すると思います。なんか感情とかじゃなく。》

 最初の引用部分は、まさに山本太郎代表自身が街頭演説でさんざん論(あげつら)い批判してきたはずの副首相・麻生太郎の妄言そのものであり(******)、以下の主張≠ヘさらに酷い。

 それを「僕はそういう政治家になると思いますよ」とぬけぬけと言明し、自らの《公式ウェブサイト》(??)とやらで「私が総理大臣ならこうする」と銘打った上、主張≠オたという事実を、私たちはどんなに恐怖し、糾弾しても足りない。しかも今回が偶発的な初めてのことでなく、このかん一貫して妄執のごとくそれが繰り返されてきたことも、またそれに対する(たとえば私からのものを含む)批判が、山本太郎代表をはじめとするこの党派により、徹底して無視・黙殺されつづけ、そのように大西氏の悪辣な言動を放置してきた挙句の果て、事ここに至ったことも前述のとおりである。

 ****** この麻生太郎の妄言との相同性は、その1点だけを取ってみても、今回、大西発言がかつてなく問題化した後もなお、大西氏や山本太郎氏、そしてその党派を擁護≠オようとする奇怪な一部支持者≠フ、「倫理」や「道義」以前、大西氏によれば「情緒」以前──形式論理的整合性をも完全に消滅させているだろう。にもかかわらず、大西氏自身はこの時点で平然と山本太郎氏の党派への自らの帰属をなお前提とし、またしかも大西氏本人があまりにもあっさりと撤回∞謝罪≠表明したと称される今ですら、そうした大西氏の許されざる妄言の数かずに対し、依然として没論理の擁護≠繰り返す支離滅裂な手合いが存在していることも、厳然かつ暗然たる事実であるが。

 何度でも言うが、忘れられてならないのは、大西氏のこうした主張は本年4月以降からは繰り返し、公然と表明されてきたものであることだ。それもそのつど、山本太郎氏が代表を務める党派の名称を掲げながら。

 少なくともこの党派が「公党」として──それも「国政政党」として存在している以上、その主張の理非曲直以前に、最低限、党派としての主張との形式論理上の整合性においてすら、山本太郎代表と同党は、一連の大西発言が始まった時点で、直ちに断固たる「対処」をする義務があった。他のいかなる対応も不可能な決定的発言である。だが、しかも、その「対処」はまったく、なされなかった。

 どのような事情があったにせよ、本来なら最低限、どんなに遅くとも今般の都知事選への立候補表明までのなるべく早い段階で、大西発言への「対処」は真摯に決しておくべき手続きだったのである。それによって都知事選挙の結果が変わったと言いはしないし、もしかしたら山本太郎候補の得票はさらに減ったかもしれないが、少なくとも、あの苦難に満ちた「選挙戦」の道義性を損なわないため──そして、その闘いに参与してくれた支持者への義務、ないしは礼節の問題としても。

 その成れの果ての結果が、現在の惨状なのだ。

 しかし冒頭で確認したとおり、本稿の主目的は、いまさら改めて、大西つねきなる人物の度し難い思考の悪辣さを糾弾することではない。

 より重大なのは、この7月3日付配信動画の後、ようやく澎湃(ほうはい)として起こった広汎な大西批判に対し、山本太郎代表とその党派が初めて(と私は認識している)表明した「見解」が、あまりにも本質的な誤謬に満ち、氏と党派の理念の根底を疑わせるものだったことである。

 事は、もはや「大西問題」では済まないのだ。山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機が、目睫(もくしょう)の間(かん)に迫っている。

 これに関し、本稿を書き起こした昨7月8日の段階で私が確認していたのは、一昨7月7日に山本太郎代表名で氏の党派のウェブサイトに掲載された『大西つねき氏の動画内での発言について』と題する声明(*******)だった(以下「第1声明」と記す)。

 ******* https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5074/


 その「第1声明」(その時点では、唯一の「声明」)における、大西発言の問題点についての認識と軽さ≠ニ浅さ=Aそして目を疑う我田引水の安易な文言──《多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、光が当たったことを今回はチャンスと捉え、アジャストする責任が私たちにはあると考える。》との──あえていえば、あまりにも臆面のない、ぬけぬけとした──自己免罪・自己正当化ぶりに茫然とした。さらに《この作業は、「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」という理念をもつ私たちにとって、重要な意味を持つ。》との問題のすりかえには、眼の前が暗くなるような絶望を覚える。チャンスと捉え、アジャストする=c…。ああ! 多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考え=H 「人」という言葉を、こんなに安直に遣(つか)ってはならない。

 あの昨夏の参議院選挙において、一度でもこの党派が掲げたすべての命を守る∞あなたは存在しているだけで価値がある=Aそして政治的・社会的システムの非人間性により奪われた人生を回復する≠ニいう意味合いだったはずの「理念」が、疑いなく特権的強者として、しかも「政治家」をめざすと公言する大西氏の到底、看過し難い発言の差別性・暴力性・恫喝性・反道義性・没論理性の擁護≠ヨと、あっけなく陋劣に「悪用」されてしまうとは──。

 かくも驚倒すべき主張に遭遇し、今月末の次回『週刊金曜日』連載「肯わぬ者からの手紙」第15信を待たず、この山本太郎代表の「声明」を批判しなければと作業を進めていたところ、同8日夜、同党派のサイトに、再度、山本代表による『大西つねき氏について(続報)』と題された「声明」(以下「第2声明」と記す)が出た(********)。そしてその内容を知り、いよいよ私の拒絶感は深まっている。

 ******** https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5077/


 この「第2声明」が続いた関係で、当初、本日7月9日未明までには当Blogにアップロードしたいと考え、進めていた本稿の作業が遅れ、さらに分割しての掲載となることをお断りする。以後、山本太郎代表の「第1声明」「第2声明」を順に検証してゆきたい。

 その上で、氏とこの党派に対する私の見解も併せて明確にしよう。

 ──続稿は、なるべく急ぐつもりでいる。

〔この項、続く〕

https://auroro.exblog.jp/240457300/

13. 2020年7月13日 09:50:07 : 3D1wqyEMnw : UnlqR25GdkN5VGs=[3] 報告

ガス室から人生は「やり直せ」るか?  ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔2〕 大西擁護論≠ニ山本代表「第1声明」前半の検証を中心に
https://auroro.exblog.jp/240464100/

夜の言葉〔2020年7月11日〕

ガス室から人生は「やり直せ」るか?

 ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機

   〔2〕大西擁護論≠ニ山本代表「第1声明」前半の検証を中心に

 心が重いとすれば、それは緊急に対処しなければならない事態の重大さの投影なのだ。

 安倍政権をはじめ、当初からある明白な抑圧と闘うこと以上に、そこに拠るべき理念を、もちろん個個の違いはあれ一定の幅で共有してきたはずの関係性のなかに、しかしながら決して容認してはならない──そこでいささかでも妥協すれば、眼前の明白な抑圧よりさらに何層も深い部分から人間の存在する全てが奪い取られ崩れ去ってしまうような魂の腐蝕作用を持つ言説とその増殖の兆候が見出されたなら、直ちにいかなる躊躇も怯懦(きょうだ)もなく、それを糺(ただ)すことが、誠実である。そしてそれが、もしかしたら私たちのいまだ見ていない真の「民主主義」へと躙(にじ)り寄る道なのかもしれない。

 私の認識では、山本太郎代表の党派そのものに関しては、事態は回復可能な転換点(*)を、もしかすると逸してしまったかもしれない。だが、それでも現在進行中の論議が、私たちの絶望状況を拓(ひら)くよすが≠ニなることを、私は心から願っている。

 ──この国の欺瞞がすべて噴出したような現在の状況が加速するなか、改めてそう確認した記した上で、稿を続けたい。

 * その引き返し≠フタイミングは、私の認識ではぎりぎり、どんなに遅くとも7月7日の山本代表の「第1声明」発表の前。むろん、それでも既にあまりにも遅きに失してはいたにせよ、せめてこの初めての態度表明たる「声明」が、問題の本質に立ち返っての、もう少し真摯なものとなっていたなら、まだかすかな再生可能性は残っていたかもしれない。

 すでにツイッターでも少し言及したが、昨宵、生中継された山本太郎代表の談話発表のインターネット動画、またその後の屋外での「囲み取材」の模様を、私も視聴している。必要に応じ、それにも触れながら、前述の「第1声明」「第2声明」の問題点と考えるものを機軸に検討する。

 その前に──。これはもしかしたら、本稿の任ではもはやないのかもしれないが、大西つねき氏の4月初旬以来、7月3日のそれに至るまでの公式サイト%ョ画における「命の選別」の主張≠ノ関し、いまだにインターネット上を中心に燻(くすぶ)る擁護論≠フ問題点について、ごく簡略に整理しておく。

 事ここに至って、なお一連の「大西発言」を擁護≠キる人びとは、最低限、以下の点について回答すべきだろう。

〔1〕くだんの最悪の発言の「内容」の是非は形式上、いったん措(お)く。だが、すでにそもそもこの「発言」が問題化してから、ただちに大西つねき氏本人はあっさりとそれを撤回≠オ謝罪=i**)した。それが十分なものであるか、それ以前にその本質が妥当なものであるか否かは別として。

 これは何か? 大西氏は自分の「発言」が正しいと思うなら撤回≠熈謝罪≠烽キる必要はない。山本太郎代表や、他の誰がどう言おうと、全人類と敵対しようと、自らが正しいと思う発言を貫けば良いのである。私なら、そうする。私の大西批判、また山本太郎代表の「声明」への疑義は、よしんば全人類と対立しても、撤回するつもりはない。

 ところが大西氏は、自らの動画をあっさりと撤回≠オ謝罪≠オた。その理由はどうあれ、ともかく本人が撤回≠オ謝罪≠キるのが良いと判断したのだとすれば、いまもインターネット上に蠢(うごめ)く擁護§_者は、誰よりもまず大西氏本人を糾弾すべきではないのか? なぜ正しい自説を撤回≠オ謝罪≠キるのか、と。それもせず、当の本人があっさり引っ込めた主張を本人に成り代わって忖度し、空想的に代弁≠キる──。さながら、昭和天皇自身が『ポツダム宣言』を受諾した後も、なお徹底抗戦≠主張しつづける「軍部」のようだ。

 ** 大西つねき「7月3日の自身の動画での発言について」

 https://www.tsune0024.jp/blog/7-3

 なお、この「謝罪文」の問題点については、後で最小限、触れる。

〔2〕またこの種の擁護§_者は、決まって「大西発言」の真意は違う≠ニ主張する。奇怪な話だ。

 本人が謝罪≠オ撤回≠オているのに、なお「真意」は別だという。黒を白といい、Aを非Aだという。「真意」は別のところにあると言う。では安倍晋三が「改憲」したいというのも、麻生太郎の「ナチスの手口を見習ったらどうか」「武装難民は射殺」「高齢者がいつまで生きるつもりだ」等等も、昭和天皇が「戦後」30年を経た記者会見で広島原爆投下について問われ「遺憾には思うが、戦争中のことであり、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思う」と言ってのけた(***)のも、「真意」はすべて別のところにあるのだろう。

 だったら安倍も麻生も、小池百合子も石原慎太郎も、一切合財を認めれば良いではないか。彼らの「真意」は、何も分からない、と? 

 *** 1975年10月31日。日本記者クラブ主催。皇居・石橋の間。質問者は中国放送・秋信利彦記者。

 関連していえば、石原慎太郎は1999年9月17日、東京都知事として「重度心身障碍者」施設の府中療育センターを「視察」した後、その感想≠ニして、出会った入所者に関し「ああいう人ってのは人格あるのかね」と言い放った。石原の数知れぬ犯罪的発言の1つだ。くだんの擁護§_者たちの論理では、この「真意」も別か?

 ──ちなみに、ここで石原発言を引いたのは、もちろん今回の「大西発言」との比較検証≠してみたいため。石原の暴言もむろん、ただちに「障碍者」の生存権否定へと直結する性質のものだが、「大西発言」はそれをも飛び越して、有無を言わさず「口減らし」のシステムを構築することが「政治」の役割だと主張している(……こう記していても、胸が悪くなる)。

 「国会議員」をめざすと口走りつつ。 近現代の世界政治史上、それも少なくとも国政選挙に立候補もした経験を持つ人物の公然たる発言として、最大級の悪辣なものと指弾されるべきだろう。

 大西氏の言う「政治」とは、誰の、何のためにあるのか? 人間は世界においていかなる存在としてあるのか?

〔3〕さらにこの種の擁護§_者は発言の一部を切り取って批判するのは間違い≠ニも主張する。それこそが誤りだ。どんなに長大な発言であろうと、そのなかの片言隻句でも「差別」があれば、それは「差別発言」なのだから。

 《カルデアの彫刻が四つに毀れたとすれば、それは四つの彫刻になる。そしてその一つ一つの部分が全体と同じ価値をもち、全体は各部分と同じく常に生きていて力を失わない》(****)

 **** アルベルト・ジャコメッティ「自動車と彫刻」1957年(矢内原伊作・宇佐見英治/編訳『ジャコメッティ 私の現実』/1976年、みすず書房刊)

 これは「善きもの」についてのことだ。だが、逆もあり得る。

 なべて人間の営為の生むものは有機的な生命体であり、いかなる「細部」にも、実はその「全体」が投影されているのだ。差別発言を含むものは総体が「差別」なのであり、ある部分だけが、ということはない。わけても一連の「大西発言」は徹頭徹尾、経済原理≠ネるものを尺度とする「命の選別」に涵(ひた)された究極の「差別」そのものである。

〔4〕これらすべてに反駁ができないとなったとき、擁護§_者は窮余の一策に走る。曰く「完璧な人間など、いない」──? 

 そんなことは当然だ。そして大西発言を批判する私たちは、誰に対しても「完璧」など要求しているわけではない。だが眼前で「弱者」の命は絶たれても構わないと主張する者がいたら、それを誤りだと言うのは人間として当然だろう。なぜならそれは「完全/不完全」の問題ではなく「善悪」「理非曲直」の問題だからだ。

 ましてや高齢者には順に死んでもらうシステムを構築するのが政治の仕事だ≠ネどと公言する輩(やから)が「政治家になりたい」とうそぶくなら、それを全力で、絶対に阻止しようとするのは、市民としての義務ではないか。人間は「完璧」ではないから、ヒトラーのガス室も、安倍や麻生の棄民暴政も放置しておくのか? 

〔5〕さらにまた、あらゆる抗弁が成立しないとなると、この種の擁護§_者は言う──一度は支持した政治家・政党を批判するな=H もはや無茶苦茶なのだが、そもそも人の「支持」「評価」には、当然その折り折りの状況全体に対する判断に基づく、さまざまに複合的な観点がある。そしてなぜ、ひとたび「支持」「評価」した対象は批判することができないのか? いったん支持したそれらが決定的な誤りを犯したなら、それを糺(ただ)すことこそが、支持した側の責任ではないか。

 大西氏は前述の7月7日付謝罪文=u7月3日の自身の動画での発言について」で、こう述べる。

 《私は7月3日の自身の動画チャンネルにおいて、「命の選別が政治家の仕事」という政治家としてはあるまじき発言をしました。》

 「政治家としてはあるまじき発言」? 違う。「人としてあるまじき発言」なのだ。加えて、そうした主張を持って「国会議員」に立候補するなどということが許されないということである。

 《この考えそのものが、従来の障がい者や社会で苦しんでいる人々へのケアを不十分なものにする元凶であり》

 この考え≠フ決定的な加害性を「ケアを不十分なものにする元凶」と矮小化する悪辣さ。

 《自分の考えの浅はかさをより自覚し、新しい自分に生まれ変われるように努力したいと思います。》

 これは「浅はかさ」などといって済まされる問題ではない。そして新しい自分に生まれ変われる>氛氓ネんと事もなげに! 「生」を、「命」を歯牙にもかけない感覚だからこそ玩弄することのできる、あまりにも空疎な文言である。

 問題が露見したから「謝る」、謝れと言われたから謝る≠ニいう、事柄の重みを真に主体的に引き受ける意思のない謝罪文≠フ好個の見本といえよう。

 今朝方、介護の仕事に携わっている長年の盟友・安藤鉄雄さんから、私に「大西発言」への怒りを綴ったメイルが届いた。

 《私のように在宅介護の現場で重度の認知症に向き合ったり、遷延性意識障害の患者に経管栄養補給や喀痰吸引をしたりしてきた身としては「経済性」から放言される生命価値判断ほど不快なものはないと、改めて思っているところです。》

 《「いろんな考えがあっていい」などと平然と言える立場の言論の自由すらも、その考えすら表明するのに困難を抱えた人たちが本当にたくさんいるのに、この人物は、そうした困難の人が見えていない、そんな人に国会議員になってもらっては困ります。迷惑です。暴力です。》

 《……介護労働現場の件は、高齢者に限定される事柄ではないのですが、私自身の経験からかように書いた次第です。脳梗塞の後遺症の患者にも、当たり前に移動入浴が来て三人がかりで入浴し、熱が出れば看護師に連絡をとり主治医から処方箋や処置対応を聞いたナースが来てバイタルチェックをしたり肺の音を聴いたり、摘便をしたりと、どんな状態であれ人は生きてある限りにおいては、それに優劣をつけるなどということが許されていいはずはないのですから。》

【追 記】

 御本人からの連絡により、上掲・安藤鉄雄さんからのメイル引用部分のうち「遷延性意識障害」を「脳梗塞の後遺症」に改めました。(2010年7月12日18時)


 さて、ここから山本太郎氏の問題に戻りたい。

 昨宵のインターネット中継の談話の後、引き続いての屋外での「囲み取材」のなかで、私の『週刊金曜日』の文章のことを山本氏に尋ねてくださったジャーナリストがおられた(畠山理仁氏と、後で御名前を確認した)。

 これに対し、山本氏の答えは、それは目にしていないとのこと、また私の批判だけでなく、そもそも今回7月3日の大西氏の「動画」が問題になるまで(?)──このあたりの厳密な時系列は、いまひとつ明確でない印象も受けた──くだんの大西氏の一連の「発言」についても、まったく山本氏は知らなかったとのことである。山本太郎氏自身がそう言われるなら、それを疑う根拠はない。

 ここでいま一度、経過を記しておくと、私は4月4日、沖縄での大西氏の連続「講演」(山本氏の党派の名称を掲げての)を阻止するため、ツイッターから緊急に直接メッセージを送ったのだが、山本氏からの返信はなく(*****)、結局、大西氏の連続「講演」はすべて予定通り行なわれてしまったようだ。その直接メッセージの送付からほどなく、私は初めて大西氏の「公式サイト」での命の選別≠フ主張に接した。

 前述した、以前の事務的用件(山本氏へ私の新著を寄贈するにあたっての送付先の問い合わせ)に較べれば、比較にならないほど緊急かつ重要な案件だった「沖縄講演」阻止に関しての回答も見込めない通信手段であると、その時点でツイッターでの直接メッセージの有効性については断念したこと、また公人としての大西氏の一連の発言は、すでに氏の「公式サイト」で公開され、厖大な視聴者を得ていること……等から、もはやこの問題への批判は、『週刊金曜日』連載の「肯わぬ者からの手紙」で取り上げるべき段階のものと判断した。

 ***** その前に一度、事務的な連絡では山本太郎氏御本人から迅速な返信があったので、これが火急の連絡には最も有効と私は考えていた。

 ただ、商業的な部数の尺度とはやや違った意味で『週刊金曜日』は現在の日本社会で少なからぬ影響力を持つメディアと私は認識していたし、その「編集委員」の1人である雨宮処凛氏は(私は面識はないが)、山本太郎氏が演説でもその著作を引用し、また今回の都知事選最終日の山本氏の立会演説会の司会も担当されている。したがって御自身が「編集委員」を務める雑誌に掲載された私の「大西発言」批判は、その内容の重大さからして、雨宮氏から山本太郎氏に伝えられているのではないかとも、私は考えた。

 さらに同誌は、昨年、山本太郎氏とその党派を特集した臨時増刊号(******)も発行しており、その意味でも現在の日本の商業メディアのなかでは際立って山本太郎氏に近い──氏に情報の伝わりやすい媒体であるとの認識もあった。したがって『週刊金曜日』に寄稿した論攷(ろんこう)でのものなら、間接的にせよ、山本氏に私の「大西発言」批判が伝わる可能性は高いはずだと私が考えても、それはさほど荒唐無稽な空想ではないだろう。もちろん『週刊金曜日』という雑誌の位置からして、他の経路からも山本氏に小文の存在を伝えてくださる方がおられるかもしれないとの期待もあった。

 ****** 『週刊金曜日』臨時増刊号「まるごと山本太郎 れいわ新選組」(2019年11月28日)。

 なお、私は自らのツイッターで『週刊金曜日』連載「肯わぬ者からの手紙」は毎回、掲載誌の発売後、その内容を御案内(翌週号が出た後では全文の画像を掲載)している。山本太郎氏がツイッターでフォローされている1800人ほどのなかに、一応、私も入っているので、その意味では、もしかしたら私のツイートが直接、山本氏の目に触れることもあり得ないことではないかもしれない、とも。

 それが、昨宵の「囲み取材」での応答を聴く限り、私の見込み違いだったことが判った。畠山氏がしてくださった質問に対して、山本氏は私の文章のことをもっと早く知っていたら、こうした事態にはならなかったかもしれない≠ニ応じられたが、私もほんとうにそう思う。

 本来は、大西発言が始まった段階で、身近な、どなたかが教示する(国政政党としては、それがいちばん望ましかった)──それが難しかったとしても『週刊金曜日』4月24日号の発行直後、私の批判を氏に伝える、そうした人がいれば、状況は変わっていたかもしれない(前回、記したとおり、どんなに遅くとも都知事選立候補表明までには)。

 にもかかわらず、結局7月3日の大西氏の「動画」が出、それが問題化するまで(この問題化の経緯について、実は私は詳細を知りたい)、党派の代表としての山本太郎氏が大西氏のかくも問題に満ちた発言の存在をまったく知らなかったことは、それ自体、国会議員2名を擁する国政政党として、明らかに責任を問われるべき事態と考える。

 また、さらに事態が表面化した後、それを受けて山本太郎氏が「代表」として発表した2つの「声明」(および10日宵のインターネット中継上での「声明」)は、この事態の深刻さの受け止め、そして命の問題≠ノついての山本氏の理解に関し、残念ながら私を改めて失望させるものだった(これについては次節以降で詳述する)。

 だが、おそらくいま、昨宵の「囲み取材」であのような質問が出た以上、このブログが山本太郎氏の目に触れる可能性は、これまでのいかなる場合よりも高いと思う。来週、開かれるという氏の党派の「総会」までに、今度こそ、山本太郎氏御本人にお読みいただけることを願う。

 さて、本稿の冒頭で私は、今回の事態をもはや回復不可能としたのが、7月7日の山本代表の「第1声明」(*******)だったとの認識を記した。あまりにも遅きに失した態度表明が、しかもこのような内容だったことに、私は暗澹たる思いに陥った。

 以下、それについて述べよう。

 ******** 「大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日」

 https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5074/

 山本太郎代表のこの「第1声明」には、一瞥しただけでも、少なくとも5つの問題点がある。

〔A〕過ちの当事者としての責任意識の欠如

 山本代表は「大西発言」を《立党の精神と反するもので看過することはできない》と言う。まるで他人事のようだ。ではなぜ、自らが一度は参議院議員候補にまで仕立てた人物が、このような「立党の精神と反する」、人倫に照らして絶対許されない言語道断の暴言を発しつづけてきたかについての当事者責任に裏打ちされた自己検証が、ここには皆無である。問題を起こした大西氏≠ニそれ以外の自分たち・党≠ニいう形に単純化された図式があるのみで、かくも許し難い発言を公人として平然とする大西のごとき人物が、ここまでの位置を占めてしまった、そうしてきた自分たち自身の責任、自分たちのなかの差別・選別・抑圧性に対しての自己剔抉がない。だから平然と《大西氏を除名するという判断はこちらにとっても簡単なことではあるが、それでは根本的な解決にはならない》などと暢気なことを言う。まるで自分たちのほうは大西発言と無縁であるかのように。

 いかにも除名しただけでは解決にならない≠フはその通り。山本代表らが一方的に「裁く」立場で物事を論(あげつら)うのではなく、自分たち自身の責任を闡明(せんめい)しなければ「根本的な解決」など、望むべくもないのである。

〔B〕問題の重大性に対する認識の安易さ・浅さ・軽さ

 前回、本稿の〔前篇〕でも指摘したが、この事態を《チャンスと捉え、アジャストする》云云という文言の空ぞらしさ──。この安易さ・浅さ・軽さは、まさしく前述の大西氏自身の「謝罪文」と表裏一体を成すかのようだが、たとえば部落差別における差別の「確認」「糾弾」闘争は、一朝一夕で済むものでない。糾弾される側以上に、それをしなければならない側のはるかに高次の憤り・悲しみを含め、なぜ「差別」が起こったか、それはいかに自覚され自らと社会を導いてゆくかという、まさに血を噴くような痛みを伴い、何回も何十回も繰り返され、「自己批判書」が重ねられ、そうした上でようやくその端緒に就くかどうかという──それほど困難な歩みとして積み重ねられてきたものである。むろん他のあらゆる差別についても同様だ。

 それが、歴然たる国政政党が、この空前の命の選別#ュ言を《チャンスと捉え、アジャストする》と書き飛ばした「声明」をもって最初の態度表明とするとは。この「チャンスと捉え」るという安易な功利主義も、まさに大西つねき氏の思考に通底する。

 前掲した安藤鉄雄さんの言う《「いろんな考えがあっていい」などと平然と言える立場の言論の自由すらも、その考えすら表明するのに困難を抱えた人たち》──。大西氏は、まさしくそうした人びとをも含めた人命を奪おうと主張したのだ。自らの党派の主要メンバーがそうした言葉を吐き、それが問題化したのが、山本太郎氏の党派にとっては「チャンス」か? 「アジャストする」とは何のことか? 

〔C〕自らが標榜した「理念」の陋劣な悪用

 これも本稿〔前篇〕で触れたことだが、上述の胸の悪くなるような《チャンスと捉え、アジャストする》《作業》が、《「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」という理念をもつ私たちにとって、重要な意味を持つ》のだという。ああ! 

 山本氏らが昨夏の参院選で掲げた人生をやりなおせる社会≠ニは、現在の世界の弱者が不当な差別・抑圧・搾取によって疎外され生きる可能性を断たれようとすることへの「共生」と「連帯」の呼びかけではなかったのか? その大切で切実、崇高だったはずの「理念」を、高齢者の生を断つことを「やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってある」「冷徹にやっぱりやらきゃダメだと思いますよ」「僕はそういう政治家になると思いますよ」とうそぶく特権的エリートの血も凍るような発言に対し、沸き起こった差別糾弾の声から保護≠オ救出≠オ、隠匿するため、すりかえ、悪用して、山本代表は恥じないのか? あなたにとって、この輝かしい言葉は、その程度のものでしかなかったのか? 

 昨宵のネット中継での「談話」と「囲み取材」で、山本代表は何度か、大西氏を「このまま野に放つわけには行かない」と語った(この言い方にも抵抗はある)。むろん大西氏の「矯正」にも何らかの手立ては考えられて良いだろう。だがそこに、事もあろうにくだんの「理念」を流用するのは、あの参院選の闘いに「参加」した1人として、私は絶対に容認できない。それは山本氏の党派が自らを貶(おとし)め、その存在理由を根本的に喪失することだ。「政治家をめざす」という公人としての発言は、たとえば人格形成の成長途上たる小学校の学級会での発言と同断ではない。

 人生をやりなお≠キと山本代表は言う。だが、ガス室に送られる「障碍者」やユダヤ人、同性愛者や社会主義者には「やり直し」などできないのだ。そして他から糾弾されるまで、大西つねき氏が言いつのっていたのは、まさしく「ガス室の礼讃」なのだ。

〔この項、続く〕

 ──昨日の段階では、本稿はなんとか前後2篇でまとまるかと考えていた。だが現在、あと2篇は必要となりそうな見込みなので、急遽、今回は〔後篇〕でも〔中篇〕でもなく〔2〕として、続稿を急ぎたい。

 山本太郎代表の「第1声明」後半の批判的検証を中心とした〔3〕を、なんとか明7月12日(日)夕刻までに、そして私自身、完結篇としたい〔4〕を13日(月)未明には公開できるよう、力を尽くそうと思っている。

 引き続き、関心をお寄せいただければ幸いである。

https://auroro.exblog.jp/240464100/

14. 2020年7月13日 09:51:30 : 3D1wqyEMnw : UnlqR25GdkN5VGs=[4] 報告

命の「当事者」とは誰か?  ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔3〕「第1声明」「第2声明」の最深部を貫流する誤り
https://auroro.exblog.jp/240467746/


夜の言葉〔2020年7月13日〕

命の「当事者」とは誰か?

 ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機

   〔3〕「第1声明」「第2声明」の最深部を貫流する誤り

 既報の通り、沖縄の米軍基地のうち2箇所(普天間、キャンプ・ハンセン)における新型コロナ・ウイルス(SARS-CoV-2)感染者の大量発生(現時点の「公式発表」では、今月に入って一気に「62名」)が始まっている。かねて憂慮されていたこの危機に、当初、米軍は情報をきちんと開示せず、玉城デニー県知事がS・クラーディー四軍調整官(在沖米軍トップ)への粘り強い交渉の末、ようやく事実上の感染者数公表に漕ぎ着けた。

 加えて、本来、当然、すべてを基地内で対応すべきところを、すでに収容能力を超えているとして、地元住民のいっさいの同意なく一方的に北谷(ちゃたん)の民間ホテルを借り切って 移動制限措置対象者の「収容施設」とするなど、軍政下同様の暴挙を続けている。「日米地位協定」下、本来、政府が対処すべき事柄を、安倍政権では何一つなされるはずもなく、直接、沖縄県政が米国とせめぎあうような折衝を続けざるを得ない状況なのだ。

 今回のウイルスが、米国でさらに遺伝子変異を重ねた「強毒性」を持つものとなっている懸念もある。『肯(うべな)わぬ者からの手紙』第12信でも紹介した盟友の勤務医・長谷川千穂さんからは、こうした沖縄の状況に日夜、極限的な緊張を強いられながら、那覇の病院での診療にいそしむ様子を聞く。

 高齢者が多い上、医療インフラ・輸送手段等、本島よりさらに困難な条件下、蔓延が危惧されてきた先島(宮古・八重山諸島)方面でも、ついに石垣島で感染者が発生した。私自身、7年半前から暮らす、この日米両国から何重もの意味で抑圧されつづける琉球弧の地の緊急事態に関しては、早急に県政その他への働きかけを強めたい。

 東京電力・福島第1原発事故から、このたびのウイルス禍へと、山本太郎氏も繰り返してきたとおり、まさしく「政治」の責任によってとめどなく命の危機が深刻化する。かかる事態に際して、私たち支持者が現存「議会制民主主義」の中で、火急の問題となった打開の望みを共有しようと力を尽くしてきたのが、まさに山本氏による政権樹立構想だった。

 その党派が、いま決定的な理念上の破綻をきたしている。この事態に、取り急ぎ、私からの見解表明を続ける。いかに逆行とも迂遠とも思われようと、これもまた緊急不可避の手続きとして。

 昨夜、時間の関係で中断した山本太郎代表の「第1声明」(*)についての考察から、本稿を再開する。

 前回、 一瞥しただけでも少なくとも5つの問題点があると記した、それらの残り2つ――。とくに5番目、本稿で〔E〕として取り上げるそれは、すべてが誤った両「声明」のなかでも、実は私が個人的には最も暗然としたものである。

 *「大西つねき氏の動画内での発言について 2020年7月7日」

 https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5074/

〔D〕責任の所在を一般論に全溶解する「一億総懺悔」的な判断停止

 山本太郎代表は「第1声明」で、 今回の「大西発言」に対する批判の高まりを「チャンス」と規定してしまった。そのセンテンスの前半、そう称する理由を《多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、光が当たった》(**)がゆえだとする。

 この問題を取り上げ始めた当Blogの最初の回でも簡略に触れたが、「多くの人々の心の中にもあるであろう」という言葉が、まずあまりにも粗雑で安易すぎる。「人」とは、こんなに安直に扱って良い概念ではない。「多くの人々」? しかも、それが「何かしらかの優生思想的考え」を持っているのだとは──。そして自らの党派がひとたびは国会議員候補に設(しつら)えた者の命の選別≠フ主張が、それに光を当てた≠フだ、とは……。

 おのずから、傲慢──さらには厚顔無恥との言葉を思い浮かべざるを得ない。

 ** このかんくだんの用語が混乱して遣われているが、「大西発言」を優生思想≠ニ定義することには不精確さが伴う。実はこれはやはり命の選別≠ネのだ。ごく約(つづ)めて言ってしまえば、前者は後者の部分集合であり、「大西発言」の主張するところは「優生」云云のみの問題ではない。そしていずれにせよ優生思想≠その部分集合とする全体集合命の選別≠ヘ、いつ、いかなる場合にも絶対に許されない誤りである。私は未来永劫、それを絶対に認めない。

 ここで「何かしらかの優生思想的考え」は「多くの人々の心の中にもあるであろう」との雑駁な推測≠ェ、自党の有名メンバー≠フ許されざる発言をめぐっての「声明」にわざわざ嵌(は)め込まれるのは、いかなる意図によるものか? 

 なるほど、数多(あまた)の大西擁護§_者が用いたがる言葉とは違う意味で人間は完璧ではない=Bだが、人として犯してはならない過ちをすまいとして生き、日日、努力している者はたくさんいるし、少なくとも「優生思想的考え」など、いかなる意味でも持たず、また持ちようもない人びとも、いくらでもいるのだ。

 命の選別#ュ言事件を「チャンス」と強弁する山本代表の「声明」には差別は誰でもする∞だからそれを責めることはできない≠ニの含意(コノテーション)がある。そして、それは直ちに大西発言の「責任」の所在を曖昧に溶解し、判断停止の不可知論へと収斂させて「結局、人間は間違いを犯すものだ」という皮相な俗論で覆い隠し、個別の事態の問題性を人間一般≠ヨと溶解して雲散霧消させてしまおうとする傾斜を持つのである。──自らの党派が国会議員候補としようとした人物が、高齢者の生を断つことを「システム的に」「本人だけの選択ではなく社会的に」「冷徹にや」る「政治家になる」と公言した、途方もない事態の責任を。

 山本氏が多くの人々の心の中にも何かしらかの優生思想的考えがあるであろう≠ニ推測するのは、とりあえず氏の勝手である(私は、それにも賛同しないが)。しかし問題は、自らが代表を務める国政政党の国会議員候補が「政治家になる」と言いつつ前述のような犯罪的言辞を繰り出しつづけたことなのであって、多くの人々の心の中にも何かしらかの優生思想的考えがある≠ゥないかなどとは、直接には関係ない。

 このとき本来、山本太郎代表がすべきだったのは、何より大西氏本人と、自らの党派およびその代表たる自身の政治的・社会的責任を、まず明確にすることにほかならなかった。それを、かくも許し難い発言に関して「誰にでもある差別」論へと流し込み、人間は皆「差別」をするものだという含意の上に、だから結局、誰も責任を取らないという、かつて丸山眞男が天皇制超国家主義に対して洞察したのと同様の「無責任体制」へと持ち込もうとしたことは看過し難い。

 人間の個別性を捨象し、いかなる過ちに関しても「責任」は人、皆にあるとするがごとき「一億総懺悔」論は、次の瞬間にはたちまち、すべての罪科を忘却し去り、誰も謝罪も懺悔も引責もしないという責任の空洞化を顕現させるのである。

 挙句の果て、問題があくまで大西氏本人のそれであるかのごとき「人は変われる。私はその力を信じたい」などという文言で、まるで他人事のように「第1声明」は締め括られる。徹頭徹尾、山本太郎代表とその党派は大西発言から切り離した上で。

〔E〕自らの外の命の権威≠ノ問題を「委任」し、「生」をマニュアル化しようとする思考停止の危うさ

 ここから、いよいよ5番目の問題点に入ってゆかねばならない。

 このかん見てきているとおり、山本太郎代表による「第1声明」は、ほぼ全文・全語句の内容が誤謬という深刻な問題を抱え持っている。わけても、これまでの4点に較べれば、もしかしたら相対的には見落とされやすいかもしれない、その第5の点こそ、私見では最も深刻で絶望的なものなのだ。

 また実は「第1声明」の翌日に続けて出された「第2声明」(***)は、その大半がこの「第1声明」に関し、私の言う5番目の最も深刻な誤謬を、反復し、焼き直し、拡張しただけのものとなっている。そこで、この項では、「第1声明」の5番目の問題点と合わせ「第2声明」についても同時に取り上げる形としたい。

 *** 「大西つねき氏について(続報)2020年7月8日」https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5077/

 私からすれば、この「第2声明」は「第1声明」の最大の問題点を敷衍(ふえん)しただけで、その内容の本質的次元においては、新たに出される意味をほとんど感じられなかった。だが山本代表にとっては、「第1声明」と打って変わって《大西氏への最終的な処分》の文言を突如、盛り込んだこの「第2声明」は、そのかん一挙に沸き起こった広汎な批判を鎮静化しようとする意図があったのかもしれない。

 山本太郎代表は「第1声明」でこう記す。

 《大西氏には、命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々にレクチャーを受けて頂き、命について真摯に向き合うチャンスを与えたいと思う。》

 また「第2声明」は、上掲の部分が踏襲される形で書き起こされた後、こう続く。

 《できるだけ早く、今月中にインターネットで完全公開での複数回のレクチャーを始めます。》

 ──これらの文言に、しかし私はたとえようもなく強烈な「拒絶感」を覚えるのだ。

 命の選別の問題に生命尊重の立場から取り組んでいらっしゃる方々≠フインターネットで完全公開での複数回のレクチャー>氛氈Bそれが、差別者(と、あえて記す)大西つねき氏に「党」が与える矯正プログラム≠セということなのだろう。

 まず、この時点でなお依然として、山本太郎代表もその党派も、あくまで自らの位置づけは差別者≠「裁く」側・矯正プログラム≠「与える」側としてあらかじめ設定されているのであり、山本代表とその党派の責任=「共犯性」については、ひとかけらの自覚も反省も述べられてはいない。

 加えて本項〔E〕で問題としたいのは、両「声明」が事もなげに規定する「命の選別の問題に生命尊重の立場から取り組んでいらっしゃる方々」「そのレクチャー」等の概念である。

 そこに想定されている人びとが誰であるか、そしてそれらの人びとが「命の選別の問題に生命尊重の立場から取り組んでい」るかどうかを、私は詳(つまび)らかにはしない。だが、何より、自らの責任を棚上げしたまま、一転「処分」すべき差別者とした対象に「与える」矯正プログラム≠、自身の主体的な内省・問い直しの反復をひとかけらもせぬまま「命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々」の「レクチャー」に委任≠オ、それがこの事態を打開する矯正プログラム≠ナあると揚言する山本代表の、その思考に疑問を感ずるのだ。

 この「命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々」というのが、木村英子氏・舩後靖彦氏の2人だというのなら、まだ話は解る。だが、くだんの「取り組んでいらっしゃる方々」が党派の外部の誰かをも含んでいるなら、すでに事情は変わってくる。

 「命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々」──? 逆に山本太郎代表、あなたは「命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んで」はいないのか? 誰か「取り組んでいらっしゃる方々」を招いて、その「レクチャー」を受ける、それが差別者の矯正プログラム≠ナあるというがごときマニュアルぶり≠ェ、私には心底、恐ろしい。

 ──ではなぜ木村英子氏・舩後靖彦氏の2人なら、まだかろうじて話は解ると私が記したか。それは同じ党派のなかの「同志」としての率直な対話という意味でだ。

 それが、もしも外部から誰かを招聘し、その「レクチャー」をもって、今回の「大西事件」の対処とする、というのでは、すでに私が考える真摯な自己剔抉からは遠く隔たってくる。

 「命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々」の「レクチャー」「インターネットで完全公開での複数回の」──なんという安易な消費≠セろう。差別され選別されてきた「命」の痛みの。私たちがいまなお見出すことができずにいるまま、個個に分断され苦しんでいる「命」の呻きの──。

 山本太郎氏は「当事者」という言葉を頻繁に用いる。そして木村氏や舩後氏のことも「当事者」だという(しばしば「障碍」問題のトップランナー≠ニも繰り返してきた)。その直接の意味はもちろん解るが、同時にそのつど私のなかには微妙な違和感が反射的に生まれた。「当事者」というとき、明らかに失われるものがある。──たぶん「人間の普遍性」と、私の考えるものが。

 命の当事者≠ヘ、誰か、自分とは別にいるのか? あなたは──山本太郎氏は、自らの「命」の当事者ではないのか? そして命の選別の問題≠生命尊重の立場から″lえていないのか? この期に及んで、他の誰でもなく、まず自らが大西つねき氏に向け、発する言葉を持たないのか。あなた──山本太郎は? 

 2つの「声明」で、くだんの「レクチャー」を語る、こともなげな言葉に、私は最も失望した。この地上に人間として生きようとする上で、あまりにも誠意がない。痛みも苦しみもない。

 「カリキュラム」を作って「マニュアル」化した「党内学習」を公開する──。それにもまったく意味がなくはないかもしれない。だが今、どんなプログラムを手配するより先に、まずあなたがすべきは、あなた自身が自らの「命」の当事者として、人の命をシステムとして「冷徹に」断つ「政治家」たることを公言した大西つねき氏に直接、向き合い、ひるがえって社会に答えることではないのか? 

 非難が起こるとあっさりと自説≠「撤回」し、《新しい自分に生まれ変われるように努力す》る、との一片の謝罪文≠ナ済まそうとする大西つねき氏。1度は国会議員にしようとした、その相手に《命の選別の問題に生命尊重の立場から、取り組んでいらっしゃる方々》の《レクチャー》を宛てがって、事態を糊塗しようとする山本太郎氏。

 どちらも、あまりに安易である。そしてこの「マニュアル」ぶりの対応に私は、単に安易ということを超え、「命」の痛みや苦しみ、その置き換えのきかない唯一性と根本から次元を異にした、何かしら絶望的に非人間的なものを感じ、一種底知れない恐怖を覚えさえするのだ。

 私は「障碍者」(かつては「障害者」)という言葉を、基本的にそのままでは遣わない。80年代から「現在の社会で障害者≠ニ呼ばれる人」と言ってきた。

 《私は本来「障害者」という言葉は用いない。また、それが示す概念も認めていない。(略)そこには、ただ人間がいるだけである。「障害者」に対応する概念をその文脈で示そうとするときには、私は「現在の社会で障害者≠ニ呼ばれる人」という言い方をすることがある。この場合には、この言葉のバイアスはそうした「人びと」に対してではなく、むしろそう彼らを「呼ぶ社会」の方に、もちろんかかっている》

 (山口泉『アジア、冬物語』第18章 人が「障害者」であるとは──/1991年、オーロラ自由アトリエ)

 実は一昨夜のネット中継での山本太郎代表の談話中、「優生思想」と東京電力・福島第1原発事故との関係の部分には、やや論旨が未整理な印象が残る。

 被曝問題を「優生思想」との関連で考察したなかで、これまで私が最も感銘を受けたのは、80年代後半、チェルノブイリ原子力発電所事故後、一世を風靡した甘蔗珠恵子氏の著書『まだ、まにあうのなら──私の書いたいちばん長い手紙』(1987年/地湧社)に関し、堤愛子氏(NPO「町田ヒューマンネットワーク」副理事長)が、その底に流れる危うさを指摘した痛切な書評「ミュータントの危惧」(月刊『クリティーク』1987年7月号)である。

 当時の食品汚染≠訴えるビラの「首の曲がった子になるの、ボクいやだ」との見出しに戦慄し、チェルノブイリ事故後に育った「巨大タンポポ」を「生命のしたたかさの象徴」と見つめる──。読む者を共振させるような、その魂の顫(ふる)えと、しかも堤氏がなお自らの「脳性麻痺」という属性を「ミュータント」と自己規定することの意味についての考察は、私の『原子野のバッハ──被曝地・東京の三三〇日』(2012年/勉誠出版)の第95章「耳なし兎と巨大タンポポ」で詳述した。

 『原子野のバッハ』は総540ページに達する重たい本で、荷物になって恐縮だったが、山本太郎氏が来沖された際、何度か遭遇した機会のいつだったかで、持っていたコンビニ袋に入れ、差し上げている。まだお手許にあれば、御覧いただきたい。そもそも同書を差し上げた理由は、この本で2段組・数十ページにわたり、山本太郎氏への評価を私が展開したからだったのだが。

 もともと私の立場は、1980年代後半、チェルノブイリ原子力発電所事故の後、ごく一瞬、日本を席捲した「反核市民運動」を貫流していた原発いらない/いのちが大事≠ゥら変な子どもを産みたくない≠ニいう血も凍る「優生思想」への批判がある。この世には「障碍者」も「畸形児」も、いない。ただ、人間がいるだけだなのだから。そして「健常者」(そんな人体模型≠゚いた者がどこにいる?)ではない「障碍者」が、いかなる意味でも自らを自己再差別してしまわない社会──人間関係を、私は望んでいる。

 前回「大西発言」批判のメイルを紹介した安藤鉄雄さんは、もともと20歳過ぎから自らの活動拠点《伝書鳩の舎(いえ)》を立ち上げ、現在の社会・世界のさまざまな問題についての発言・活動を続けてきた友だ。著書『エイズを語ることの救い』(1993年/伝書鳩の舎)は80年代末〜90年代初頭の日本で最も尖鋭な「差別との闘い」の書でもある。水俣へも何度も赴き、被害者たちとの交流も深い彼が自分は水俣病患者の支援者ではない≠ニ書き記しているのを読んだ時の、光が射し込むがごとき感覚は忘れ難い。

 同様に安藤さんは、多年、交流し共にあるHIV陽性者やエイズ発症者との関係における自らの「スタンス」も支援者≠ニいうそれではないと、当然のように語る。


命の「当事者」とは誰か?  ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔3〕「第1声明」「第2声明」の最深部を貫流する誤り_a0138569_05135183.jpg


 山本太郎さん。あなたに、もう一度「原点」を思い出してもらう意味で、私が当時、始まって間もなかった『週刊金曜日』連載「肯わぬ者からの手紙」で、 昨夏の参院選の直後、記した一部を引こう。これも、たぶん、あなたの目には触れていなかったのかもしれないが。

 《……最初に発表された候補者・蓮池透さんが、すでにして東京電力・福島第一原発事故および東アジア関係という政府の欺瞞を糾問する姿勢の現われである。さらに木村英子さんと舩後靖彦さんの指名には、過去半世紀の日本の最も深い知的蓄積の燠火(おきび)に息を吹きかけ、その焔(ほのお)を熾(おこ)して照射する側面も感じた。「母よ! 殺すな」の痛切な叫びを上げた故・横塚晃一氏ら「全国青い芝の会」の反優生思想や『知能公害』著者・渡部淳氏らの「がっこの会」、北村小夜氏の著書『一緒がいいならなぜ分けた』等の「障害児教育」批判は、私が先行する「全共闘」世代の最良の知己から教示されたものだ。

 議席を得た御2人が「障碍者」だから凄いのではない。現在の社会で「障碍者」と呼ばれる人が、他の同志たちと生の共同性において等しく連帯している姿が見事なのだ。かつて北條民雄が定義した如き「いのち」の抽象性に人権を溶解させ再差別するのではなく、おのおの、固有の名前と個人史を持った唯一無二の存在として。

 政治が人間の営みである以上、状況を動かすのは単純な「数」だけではない。人間の行為ならではの弁証法性もそこには伴い、それが、立ちはだかる局面を切り開く。

 「死」すら中継され情報として消費される最悪の時代に、人が生きるに値する世界の恢復を選挙を通じて実現しようという、本当の勇気ある企てが「政党要件」までを獲得した。この2議席は、生命の不可侵性を蹂躙しつづける安倍政権、頽廃と衰亡の極みに沈む現在の国会を震撼させるだろう。》

 (山口泉「肯わぬ者からの手紙」第3信「命を蹂躙する国家主義に/生の共同性からの抵抗を」/『週刊金曜日』2019年7月26日号)

 文中《先行する「全共闘」世代の最良の知己》とは、オーロラ自由アトリエ主宰者の遠藤京子さん。遠藤さんも私も、木村英子氏の、その年齢からすれば不思議なほどの原則主義にかねて注目していたが、先般、木村氏が自ら国立市の三井絹子氏を訪ね薫陶(くんとう)を受けたとの経歴を知り、その「筋金入り」の思想性の淵源を得心した様子だった。遠藤さん自身、三井氏の都庁前の座り込みテントへも支援に出向いたという。

 私は「人間」の分断を拒否する。「障碍者」はいない。「健常者」などいないように。そこには、ただ「人間」がいるだけだ。

 そして人は、自らが自らの主体としてその命を全うするしかない。誰に「生」を「委任」するのでもなく。他の一人一人がそうすることを、自らと同様に尊重しながら。

 「大西発言」をめぐって、まもなく山本太郎氏の党派の「総会」が開かれるという。木村英子・舩後靖彦の両氏には、その「総会」において、原則を忽(ゆるが)せにしない対応をされることを強く願う。

〔この項、次回完結予定〕
https://auroro.exblog.jp/240467746/

15. 中川隆[-12133] koaQ7Jey 2020年7月13日 09:58:04 : 3D1wqyEMnw : UnlqR25GdkN5VGs=[5] 報告
山口泉 精神の戒厳令下に

たかだか直近4箇月の「現代史」すら改竄される国──全文公開『肯わぬ者からの手紙』第10信・第11信・第12信(『週刊金曜日』連載)
https://auroro.exblog.jp/240352028/


夜の言葉〔2020年5月28日〕

たかだか直近4箇月の「現代史」すら改竄される国

 ──全文公開『肯わぬ者からの手紙』第10信・第11信・第12信(『週刊金曜日』連載)

 思うところあって……というのは、とりわけ日本国に関する限り(この個別の条件設定を、実は私は重要なものと考えている)、まったく展望も光明も見られぬ、いよいよ絶望と恐怖が深まるのみの「新型コロナ・ウイルス」(SARS-CoV-2)による「CORVID-19」の感染爆発に関し、こともあろうに内閣総理大臣・安倍晋三が「日本モデル」などと戯けた妄言を口走り(このバカが、どの面下げて……としか言いようがない)、一方、東京都知事・小池百合子はといえば、安倍と結託して「東京五輪」絶対貫徹≠フ常軌を逸した妄執に耽った結果、首都圏を中心とするウイルス禍の惨憺たる拡大に加担しながら──IOCから、いざ「五輪」延期≠ェ通告されるや、さも自らは最初から政府と一線を劃してきたかのごとく何事もなかったかのように、無内容な──ただひたすら都知事選向けのみの──のメディア露出≠続けていて、そのいずれもが大方の日本国「主権者」大衆に、結局のところ目に見える形でのさしたる抵抗もなく看過・黙認されてしまいかねない、この、どこまでもどこまでも救い難い国の、真の破滅直前そのものの局面にあって、たかだか直近4箇月の「現代史」すら、平然と改竄される事態を座視するのはあまりに堪え難いからなのだが──今般のウイルス禍が起こって以来の、私のごく小規模の同時代批評『肯わぬ者からの手紙』(『週刊金曜日』連載)の第10信・第11信・第12信について、とりあえず全文を公開しておくこととした。


 ──これら3回分の制作・発表時期は、本年2月から4月に当たる。そして本日、この3篇を公開するのは、今月回・第13信「日本に民主主義は可能か/死の国から光州(クワンヂュ)の友らへ」が、正式には明日発売の『週刊金曜日』今週号(5月29日号)に発表されることとも、いささかは複雑微妙な形で関係している。

 むろん、この最新・第13信においても、東京電力・福島第1原発事故から今般のウイルス禍に至るまで、「戦後」最低最悪の首相・安倍晋三の絶対に許されない罪責を糺す内容であることは、改めて記すまでもないが。

 なお今回、全文公開する3篇のうち、第12信「ウイルスと放射能の列島/命の唯一性冒瀆を許すな」(『週刊金曜日』4月24日号掲載)については、当Blogの4月27日アップロード分《命が重層的に冒瀆される危機のなかで》でも、すでに言及している。

  https://auroro.exblog.jp/240270649/

 だが、この小文で私が問題としているうち、たとえば山本太郎さんの党派の影の内閣≠ノおける「財務大臣」と目される大西つねき氏の一連の言動の問題点(それは私見では大西氏個人にのみとどまらず、場合によっては山本太郎さんの党派全体の「評価」にも関わってこざるを得ない)に対して、現在にいたるまで、山本太郎さんの党派の熱心な支持者・信奉者を以て任ずる人びとが、既存「制度圏」メディアにおいて少なからぬ発言力≠有しているような場合も含め、なんら真っ当な反応を示さず見て見ぬふり≠決め込みながら、「格差」だの「貧困」だのといった概念を浅薄に弄び(それはまさしく当の大西氏の相対主義的な論理≠ノも回収されかねない危うさを持つ)、「命」を一般論のなかに溶解しつつ、「コロナの時代」(なんと雑駁な言葉!)を語ったつもりになっているような度し難い状況のただなかでは、この第12信を含めての「全文公開」にも、一定程度の意味はあることだろう。現に眼の前で公然となされている選別や序列化に頬被りを決め込みながら「命」を語ろうとするほど、「命」の不可侵性を愚弄する行為はない。 

 その狭義の資質≠竍能力≠セけで言えば、愚物の見本市のごとき現閣僚はじめ自民党議員の有象無象など足もとにも及ばぬ日本共産党の俊秀はじめ、「野党」を標榜している議員らの、それにしてもなんという物分かりの良さ>氛氈B

 国会での追及はどうやらどこまでもアリバイ作りに過ぎず、現実に安倍政権を倒そうという覚悟も、それ以前に安倍らに対しての真の「怒り」すらない。

 それは安倍を「アベちゃん」などと親しげに◎揄している進歩的大衆≠フ側も同様で、真っ当な人間なら小学校高学年でも口にできる程度の政権批判を既成藝能人がしてくれた≠ニいうだけでありがたがっている体たらくである(彼ら進歩的大衆≠ェ好んで頻用する「著名人」なる言葉の卑しさ!)。

 そもそもあの愚劣、かつ感染の危険すらある不潔醜悪な「マスク」の、果てしないおぞましさを批判するのに、なぜわざわざ「○○○マスク」と、そのバカ首相の名をこちらが冠して呼んでやる必要があるのか? 安倍晋三が自ら金を払ったわけでもない、民から収奪した税を、およそこれ以上ないほど最低の蕩尽のしかたで(それも企業名すら公表できぬ)後ろ暗い経緯で浪費したのにほかならない、その全過程を指弾・糾明すべきときに、これも広告代理店臭みなぎる「○○○マスク」の呼称で、当の本人の自己顕示欲を満たしてやり、その偶像化に加担していてどうする? 

 そして、今──。

 自らはこのかんも、百歩譲っても未必の故意≠フ感染拡大、自らの不正の隠蔽と、民から収奪した財貨のこれ以上ないほどの愚劣な蕩尽しか能のなかった安倍晋三が、あたかも蔡英文・台湾総統や文在寅・韓国大統領と対等=iか、本人の饐えた脳内ではそれ以上?)という妄想の結果、大方はこれもまた年年、水準が下がっている広告代理店のコピーライターあたりから吹き込まれたのかもしれぬ「日本モデル」などという噴飯物のキャッチフレーズで、これまで人類が経験したなかでも、おそらくは最も感染力が強く、病理機序も複雑で、しかもいまだ予後についての知見も確立していない新型コロナ・ウイルス(SARS-CoV-2)の脅威を隠蔽することはできない。

 ──すなわち、いよいよほんとうの地獄が始まるということだ。

 台湾・韓国と対極のウイルス蔓延状態のまま「自粛解除」を宣言≠オた愚鈍政府に支配されるこの惨めな国は、したがって第2波≠ヌころではない、そもそもここまですで感染者数も死者数も隠蔽されきった第1波≠サのものの、いよいよ剝き出しとなった真の猛威に、明らかに今後、無防備で曝されることとなるだろう。さらに自国に生きる民に対してのみ、異様な嗜虐性に充ち満ちた安倍政権によって、いささかでも可能性のある薬剤の使用は封印されるという悪夢のごとき展開を、私は深く危惧している。

 今回、宇都宮健児氏が東京都知事選への立候補を表明した。ウイルス禍対策をはじめ、欺瞞にまみれた現職・小池百合子に対し、いずれもその補完勢力・別働隊にすぎぬ他の反動候補に比して、唯一「希望」を持ち得る、真の「対立候補」である。

 その宇都宮氏の闘いが、だが結局のところ、単なる「善戦」「惜敗」に留まり終わってはならない。なんとしても、宇都宮都政を実現させねばならない。それがもっかのところ、この欺瞞に満ちた、魂の屍臭と、やがては肉体のそれもが立ち籠めるかもしれぬ国の破滅を、いささかでも遅らせる道であり、またそれは場合によってはより以上の局面の打開にもつながることだろう。

 以下、とりあえず『肯わぬ者からの手紙』から、

 第10信「安倍一人で二度の大破局/連立救民政権樹立を即刻」(『週刊金曜日』2020年2月28日号)

 第11信「一九四五年の亡霊政権と/殺人五輪ウイルス戦玉砕」(『週刊金曜日』2020年3月27日号)

 第12信「ウイルスと放射能の列島/命の唯一性冒瀆を許すな」(『週刊金曜日』4月24日号)

 ──以上、3篇を再録しておく。

 すでに「改竄」が急速に進む、この2020年上半期の日本国の惨憺たる「歴史」についての批評として、お読みいただければ幸いである。

https://auroro.exblog.jp/240352028/

16. 2020年7月13日 11:17:42 : 3D1wqyEMnw : UnlqR25GdkN5VGs=[8] 報告
大西つねき発言 -批判と経過-
ノードワン 2020/07/13
https://note.com/nodej/n/n6b24b6f786a5


れいわ新選組の大西つねき氏の「生命の選別発言」をめぐって、事実経過と私自身がどう考え批判してきたかを明らかにしておきたい。れいわ新選組は14日からの週に総会を開催し大西氏の正式処分を決定する予定だそうだが、その結果をどう判断すべきかの視点の一つとして参考にしていただけばと思う。ことは大西氏個人だけではなくれいわ新選組全体の問題であり、同時にまた他の政党も直面している問題でもある。

簡単な事実経過

(1)7月3日、れいわ前立候補者で党員の大西つねき氏が、『「正しさ依存症とそれを生み出す教育について」』というタイトルのyoutube動画で視聴者の質問に応答する形で「政治が高齢者の生命を選別すべき」と発言し、この動画は7日まで公開されていた(*)。 れいわ立候補予定者で党員である大石あきこ氏をはじめ、7日にこれを知った人たちから直ちに「これは優生思想ではないか」と批判の声があがり、twitter上でも論争となった。

(*) 大西氏の当該動画は既に削除されているが、二次被害の懸念があるものの、証言として残すべきだとの考えを優先し、monbran氏による問題発言部分のみの抄録にリンクを貼っておく

(2)この動きを受け、れいわ新選組山本太郎代表が7日に大西氏と会い、「動画の発言は許されるものではなく党からの除名に値するが、再出発する気持ちがあれば検討する」を主旨とする問いかけを行い、氏が「謝罪した上で、再出発したい」旨答え、謝罪と動画削除を行った。これを踏まえ、同日夜れいわ本部は「大西氏の発言は立党精神に反し、優生思想的なものであり看過できない。しかし氏を除名すれば済む問題ではなく、生命の選別について改めて学び、立ち直るチャンスを与えたい」旨の声明を出した。

(3)しかし、7日の声明は処分するのかどうか曖昧さを残したままだとの党内外からの批判があり、翌8日れいわ本部は、「大西氏をふくめれいわの党員が生命倫理に取り組んでいる方たちから公開レクチャーを受ける。大西氏の処分は党の最高意思決定機関である総会で決める予定」と続報を出した。

(4)れいわ本部の声明、続報はなお処分手続きに曖昧さを払拭しきれていなかった上に、まずなされるべき国民、支持者に対する党としての謝罪が欠落し、かつ大西発言のどこが問題なのかも明らかにしておらず極めて不十分なものであった。その結果、8日以降も大西発言をめぐる批判は広がり続け、野党連合政権構想で協力関係にある共産党の志位、小池両氏もtwitter上で大西発言を「言語道断」と批判した。そしてれいわ支持者の間でも大西批判除名派と、それに反発する大西除名反対派の亀裂が拡大した。

(5)以上の流れを受けて10日、れいわ山本太郎代表が、これまでの経過と今後の対応について二つの声明を再度補足する中継動画を公開し、路上でぶらさがり会見をおこなった。この中継で山本氏ははじめて大西発言について国民と支持者に正式謝罪するとともに、@7日にはじめて大西発言を知ったこと、A大西発言を知った段階から発言が立党精神と真逆である以上党から除名するしかないと考えていたこと、B7日に大西氏に会い、自分としては除名処分を考えていることを伝えた、C氏に公開レクチャーを受けてもらうのは、除名だけ済まし何もしないとすれば、優生思想の持ち主をそのまま野に放つようなもので党として無責任になる、D除名処分は自分の考えであり、あくまで来週開催予定の総会で処分が決定されることになり、その後で党員(大西氏を含め18名)全員が公開レクチャーを受け生命倫理について学び直す、などと発言した。

(6)しかし、10日の山本代表の中継動画の前日の9日、作家の山口泉氏が自身のブログで、大西氏が本年4月初旬に実施した沖縄での講演会でも今回と同様の「生命の選別」論を展開していたこと、またこのような信条を持つ大西氏を放置することはれいわ新選組にとって致命傷になりかねず早急に対処すべきことを山本太郎氏に連絡していたこと、しかし現在に至るまで山本氏からの返答はなかったことを明らかにした。実際にも山口氏は大西氏の沖縄講演会における発言が持つ問題を4月23日、雑誌『週刊金曜日』のコラム欄「肯わぬ者からの手紙」において指摘していたのである。また筆者のツイッター上での大西批判に関連して支持者の一人から、自身やれいわ支持の知人たちも山口氏と同様の批判をれいわ本部に送っていたとのメッセージを受け取った。

(7)したがって現段階では、大西発言をめぐるれいわ新選組のこれまでの基本的スタンス、すなわち党は7月3日の大西氏のyoutube動画公開以前に、4月沖縄講演も含めて大西氏に問題があることを知らなかったことに重大な疑義が生じていることになる。知らなかったとすれば党のガバナンスが問われ、知っていたとすれば大西氏の信条を黙認していたことになり党の思想的立場そのものが問われることになる。さらにそれに加え、そもそも大西氏を議員候補者として選抜しその活動をこれまで許容してきた代表山本太郎氏自身の責任も問題になる。なおこのポスト書いている13日現在、山口泉氏が先に公開されたブログ記事の続編『ガス室から人生は「やり直せ」るか?  ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔2〕 大西擁護論≠ニ山本代表「第1声明」前半の検証を中心に』を公開され、さらに引き続き〔3〕を公開される予定とのこと。〔2〕はほぼ完璧に大西発言の問題とその擁護論のダメさを暴いており一読をすすめたい。

以上が簡単な経過であるが、 つぎに大西発言を知った 7日から12日にかけて投稿した私のツイッター上での大西発言批判を時系列に沿って再録する(アカウントはノード的、nodej001)。なお言い間違い、脱落、説明不足の部分は修正、補足した。

私の大西発言批判

7/7日
● この人は以前から怪しげだったが、この発言は許されない。山本太郎氏の主張と180度逆。れいわは大西氏が党員であれば即除名した上で、謝罪と説明責任を負う。そうしなければ政治集団として壊滅するだろう。

● 大石さん、言い訳不可、同感です。優生思想がベースにあるので、たんなる謝罪じゃすまないと思います。れいわとして(党員であれば除名の上)決別宣言すべきです。多くの支持者のために、また選別されるかもしれない人たちのためにガンバってください。

8日
● 大西発言、れいわは、規約では最高機関とされている党員総会を開催した上で氏を除名処分し(衆院選予定候補者であれば公認を取り消し)、それを公表し、公党として国民に謝罪すべき事案。山本太郎氏単独(のように思える)声明は公党として謝罪もなく、あるまじき底レベルであり、撤回すべし!

● 「命の選別が政治家の仕事」などという発言は、謝罪して済むものではない。この優生思想こそナチスが、ユダヤ人をはじめ社会的マイノリティーを選別殺害したドライブであり、その肯定は、民族ヘイトと同様、現実化する危険性を持つ。大西氏は政治家として活動する資格はなく、反省は自ら身を引くこと以外にない。

● れいわは山本太郎氏の個人商店+運動体であり、これまでの政党概念には収まらない。だからといって、身内である大西氏の優生思想肯定発言に甘くていい(処分なし)とか、公党として国民に責任を負わなくていい(謝罪なし)とかにはならず、許されない。こんなことも分からないなら公党の資格はない。

● れいわ支持者の中で、大西発言を直接、間接に擁護する発言がツイッターで流れている。党として優生思想を明確に断罪し、大西氏を処分することでしか、大西氏擁護の声は止められない。れいわが、その広がりが何をもたらすようになるか感じることができず、理解もできないとすれば、党を解散するしかないだろう。

9日
● さすがに大西氏処分について山本太郎氏単独の判断でやらないなどと決めるのは道理に合わず、総会を開催して決定するとの補足声明があった。確かに優生思想は大西氏だけの問題ではないだろう。しかし公開レクチャーの前に、党として全面否定し、国民に謝罪することが先だがそれが欠落してる。

● 開かれた党をめざし、党員は議員とその候補だけ、綱領や規約も不十分で、組織もなく、ボランティアだけに支えられた活動がれいわの実態。これを基本的に肯定したとしても、レイシストや優生主義者たちが入り込んでくることを予想し、それを許さない柵=策を立てる必要がある。だが、現在の太郎商店では困難だろう。

● 7日のれいわ声明でダメなところは、処分問題以外に、「多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、光が当たったことを今回はチャンスと捉え、アジャストする責任が私たちにはある」としたところ。大西氏が主体的に「光をあてた」のであり、他人事のようなアジャストではなく党として主体的に断罪することがまず問われている。

● これまでれいわを支持し、応援してきた多くの人たちは大西発言に衝撃を受けていると思う。れいわに立党精神があるとすれば、それは大西氏の優生思想の対極に位置していたはず。だからこそ、大西発言問題を曖昧にせず正面から糾弾することによってしか、れいわの立ち位置は回復できないと考えるべきだ。

● 三井さん、お考えは分かります。しかし大西氏が党員でありながら優生思想を肯定する発言をプラットフォームでおこなった事実は残ります。公党としてその大西氏の責任を明確にしないままではれいわは次に進めないと思います。総会での議論に期待します。

● 大西発言を許すべきでないのは、 形式的には、誰でも生きる権利があるというれいわの主張と真逆で党としてありえないからですが、何より内容的に、優生思想が相模原のような事件を生む危険思想だからです。民族ヘイトと同様、許してはならない「悪」だと私は考えます。

● 私はれいわ創立時から支持してきた一人ですが、大西発言をめぐってれいわが二分されるのは、確かに残念な事態です。しかし、れいわに流れ込んでいる一部のレイシズムや優生主義、陰謀論を批判する上で避けられないことだし、大いに議論すべきだと思います

● れいわの熱心な支持者の間で、大石氏がツイッターで大西氏を批判したのはやりすぎで、れいわ内部でやるべきだったという意見が出ています。しかし大西氏はパブリックスペースのyoutube動画で発言しているのであり、大石氏はそれを前提にパブリックに批判し、大西動画の拡散をとめるため時間的にも緊急性があったと考えるべきです。

● 確かに大西氏は白旗は掲げていますが、どこが間違い、なぜ間違ったかはまだ明らかにしていません。だからこそ、まず党として優生思想は許されないとする処分が必要で、その後に、上にあげたことを説明できる本人の真摯な反省を待つべきでしょう。

● 大石さんの発言が正当なものだということ、同感です。支持者の間でも身内をかばおうとする風潮がある中で、党内部から正面きって批判するのは勇気もいりますが、れいわ本来の立場に立っているからだと思います。

● そうだと思います。本来は異例の形であっても山本太郎さんから即座の批判があってもよかったと思います。れいわでは各党員の言動はほぼ自由放任のようですが、超えたらいけない一線はあるはずで、大西発言はそれを超えていましたから。

● れいわ支持者の間で「大西発言はミスであり、誰でもミスを犯すものだから許さないの行き過ぎ」という議論があります。気持ちは分かりますが、優生思想は歴史的に生き延びてきた危険なイデオロギーであり、単なるミスで大西氏が発言したと考えるだけでは解決しません。日常用語のミスと質が異なります。

● 大西発言について補足です。れいわとして大西発言を断罪すべきだと思いますが、大西氏の自己批判は、党や支持者が強要すべきではないと思います。反省は大西氏が主体的に行わない限り意味がないからです。公開レクチャーが自己批判の強要にならないか懸念があり、処分後はあくまで本人に委ねるべきだと思います。

● ナチスの障害者安楽死T4作戦を批判したフォン・ガーレン司教の言葉(1941年) 「貧しい人、病人、非生産的な人、いて当たり前だ。私たちは、他者から生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのか。非生産的な市民を殺してもいいなら...私たちが老いて弱ったとき、私たちもまた殺されるだろう」

● 日本国憲法第12条 「すべて国民は、個人として尊重される」 ボン基本法第1条1項 「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、保護することはすべての国家権力の義務である」 二つの憲法がいう国民や人間に例外はなく、当然子供も、若い人も、LGBTの人も、老人も、障がい者も含まれる。

10日
● 大西発言に対するれいわの対応に、荻上チキさんも、強要以外にも問題があると指摘。 https://tbsradio.jp/499198

● れいわはまず、大西発言のどこが、なぜ批判されるべきなのか、優生思想とは何かを明らかにする声明を出さなければ、一部支持者の大西擁護(あれは優生思想じゃない、切り取りだ、仲間内の批判はおかしいなどなど)が放置されたままになり、党の信頼が失墜する。公党のガバナンスが問われる深刻な事態。

● 共産党の志位さん、小池さんの「大西発言言語道断」発言は、将来の連合政権のパートナーに対し、批判すべきは批判し、今回の問題を克服してほしいという態度表明ととらえるべき。沈黙するのはパートナーとして取るべき態度ではなく、また共産党も優生思想に加担したとみなされうる。党としてそれは許容できないのは当然だろう。

● れいわ、ようやく大西発言の党としての謝罪、大西処分(除籍)予定と総会手続き、今後の対策、などについて山本太郎代表の声明と会見があった。ただし、除籍して大西氏と関係を絶つだけでは被害が広がるので公開レクチャーを、という方法には議論があるだろう。

【動画生中継リアルタイム字幕入れ UDトークVer.】大西つねき氏について れいわ新選組 代表 山本太郎 2020年7月10日
UDトーク(音声文字化機能)を用いて、オペレーターが補正をしながら字幕をお出ししています。最善を尽くしておりますが、若干の誤字脱字はご了承ください。 https://udtalk.jp/ チャンネル登録をお願いします! https://www.youtube.com/channel/UCgIIlSmbGB5Tn9...
youtube.com

● 本日の山本太郎の声明で、大西氏が問題のビデオを流したのを知った当日の夜(7日)、直接大西氏と会い「選別発言はれいわとして到底許容できない、除籍処分を検討」と伝えた点は妥当だし、当然だろう。謝罪、撤回でやり直しも選択肢としてあげたらしいが、これは処分を前提にしたものとのこと。

● れいわが公党としてけじめをつけられるかどうかまだ分からないが、優生思想を批判した上で大西発言を党として謝罪すること、大西氏を厳正処分すること、党として生命倫理について学び直すことなどが明言されたので、これらが実行されないなら党を解散すべきだと考えていた者として支持を継続したい。

● 山本氏は声明で、れいわのプラットホームを自分の政治目的のために利用するだけの人間も集まってくることに注意する必要があると発言した。大西氏は、自分の選別思想がれいわの基本方針と180度逆であることを十分に知っていながらあえて発言したはずであり、彼もこの範疇の人間だったということだろう。

● 組織なき党、中央集権主義の否定、各人一党的活動の許容というれいわの自由なスタイルが、党是に反してもそれを利用するだけの人間を生み出したとすれば、党のガバナンスで大きな弱点を抱えていることになり、その克服が課題になるだろう。もはや「山本太郎商店」では すまない。

● 党のガバナンスでいえば、大西氏が今回の発言以前にも類似の発言をしていたことを支持者から知らされ、山本太郎氏は「知らされるまで気づかなかった。そのこと事態自分たちの管理能力が不足していたことを示すものとして認めざるをえない。申し訳ない」と謝罪していたことを付け加えておく。

● 今回の大西発言、もしれいわがお粗末な対応に終われば、れいわ支持者の中から、原点回帰をめざす新しい動きが出てきただろう。れいわ自身が、一人一党的な発想に立っているから。須藤元気氏も一人党というべき。だからポピュリスト運動は危ういと考えるのか、そこに新しい可能性があると考えるのか意見が分かれる。

● だから、もし山本太郎氏やその周辺が、レイシズムや優生思想、ファシズムを容認するような姿勢を見せれば(誤りを認めなければ)、支持者は批判して見限り、みずから新しい運動を起こせばいいと、私は思う。山本太郎氏自身ももし反ファシズムでまわりを説得できなければ、つまりファシストや右派ポピュリストに党を乗っ取られたら党から離脱し、一人に戻ってまた動けばいい。

11日

● 大西発言で重要なことが抜けていたので補足しておきたい。それは民族ヘイトと同様に、私たちは、優生思想が政治公共空間に出てくること自体を阻止しなければならないということである。それが野党側から出てくるほどおぞましいことはない。だからこれはたんなるれいわの内輪揉めを超え、すべての政治党派に問われる問題なのだ。

● 山口泉氏は、大西氏が4月開催の沖縄の講演会で選別の話を持ち出していたことを知り、その危険性を山本太郎氏宛のメールで複数回警告したが結局返信はなかったとのこと。党として要望やクレームをきちんと受け、手続きにもとづいて応答し、記録を残すことさえやれていない。公党として杜撰な運営と言わざるをえない。

● 山本宛メールが膨大で山口氏からの警告メールを見逃していたこともありえる。しかし山本氏個人が直接受けてる自体党運営として合理的ではない。要望受付の担当者をきめ、重要度で振り分けするなど効率的処理を図るべき。この当たり前のことさえできず、山口氏の警告を見逃したのは山本氏の責任というべきだ。

● 大西発言はパブリックなyoutube空間でなされたことに加え、発言内容それ自体がパブリック空間に流出し、拡散することを防ぐべきものであった以上、わいわ関係者、支持者に限らず、すべての市民がその政治的権利によって批判すべきもののはず。議論はれいわ内部でやるべきだ論はここで大きく間違っている。

● なので大西氏批判は、同時に、氏の選別発言を許してきたれいわの組織と運営のありかたにメスを入れることにならないと十分なものにはならない。

● 山口泉氏の大西つねき氏を批判したブログ記事にリンクをはっておく。各自読まれることをお勧めする

事は、もはや「大西問題」では済まない  ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔前篇〕 「大西発言」の前史と現在 | 山口泉 精神の戒厳令下に
夜の言葉〔2020年7月9日〕事は、もはや「大西問題」では済まない ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機〔前篇〕「大西発言」の前史と現在 以下に記す一連...
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● そうでしたか。山本太郎氏が沖縄での大西発言を既に知っていたとすれば、彼の責任は大きくなり、事態は深刻ですね。十数人以上のクレームさえ知らなかったという言い訳はさすがに通用しにくい。
引用ツイート

まあ
私も山口泉さんと同じように全く同じ内容のクレームをてるちゃんに話して、てるちゃんから党本部にクレーム入れた方が良いと言われて党本部にクレーム入れたよ。他にもTwitterで疑問質問苦言募集コーナーでは私もやけど、十数人位の人から同じクレームとキチンとつねき氏の事対応してって書いたよ。
午前9:08 · 2020年7月11日

● なるほど。来週の総会で大西氏処分が決まるようですが、その時、山本太郎氏本人の責任が明らかにされない限り、大西氏処分だけではれいわは前に進めないことになりますね

引用ツイート

まあ
そうなんですよ。だから何故今まで知らなかったと嘘つくのかな?と。あの時から知ってて放置したから大西つねきも図に乗って言動もエスカレートしたと思うしね。山本太郎さんも自分に都合悪い事にはダンマリなのか?って何回もクレーム書いたからお尻叩いてって言うのも嘘やん?ってその頃から思ってた

● 山本太郎氏やその周辺が、大西氏が以前の講演会で今回と類似の選別発言をしていたのを知らされながら放置していたとの支持者や山口氏の証言が出てきているので、支持継続を再び保留したいと思います。来週の総会で大西氏処分とともにれいわ自身のウミを出せるかどうかにかかるでしょう。

●大西氏の発言は、遺伝子交配によって価値ある人間を残そうとする優生学的なものじゃないから、優生思想とは呼べない、という見解が流れている。しかし国家が何らかの基準(遺伝子/生産性など)で人間を価値づけ、優れた人間を残し、無価値な人間は排除すべしとするものを優生思想と呼んでいいだろう。

● ある行為や政策が社会全体の利益になるかどうかを定量的に考えるのが功利主義でしょうが、生命の価値付けはそもそも定量化できないため功利主義の範囲外ではないかと思います。しかし、大西氏は老齢者の生命を選別(価値付け)し、先に「逝ってもらう」としているのです。
引用ツイート

Hosoda Naoki
今回の命の選別発言でに「功利主義」と記載されている方がいましたが、今回の発言より前から「功利主義」と指摘されている人がいますので、おそらく、そうなのでしょう。 しかし、狙いはともかく、命の選別がNGである事はかわりません。(批判する方も慎重な方は優生思想的と「的」をつけていますね)

● 功利主義からは、確かに「若者の時間を奪う」ことは社会全体に不利益をもたらすと考えることができるでしょうが、だからといって、その不利益を減らすために、老齢者を選別して先に死なせても良いという結論まで導けるものでしょうか?

12日
大西氏の考えが功利主義か、優生思想か、両者のハイブリッドかは議論の核心ではない。核心は彼が「国家(大西氏の言葉では政治)が、生命を価値付け、優劣をつけるべきだ」と考えていることにあり、この考え方が「国家は生命に対し生殺与奪の権力を振るっても良い」という極北の思想に接続しうることにある

https://note.com/nodej/n/n6b24b6f786a5

17. 中川隆[-12119] koaQ7Jey 2020年7月14日 11:10:13 : RCoq6iKGTU : UzVxVUYxQjd4TFk=[6] 報告
2018年10月25日 大西つねきは、J P モルガン在職中に、ニューヨークで、ロックフェラーのご子息と同じ職場で働いてました。
https://www.youtube.com/watch?v=JZ3MK_7HewA



18. 2020年7月15日 17:13:48 : 80UvX5r8DM : Z21HSjdVMWpKY0U=[11] 報告
れいわ新選組と大西つねき氏の問題について


もはやことの詳細は、知る人ぞ知る話なので、ここでは簡単に振り返ります。

7月3日の大西つねき氏のネット配信の中で、彼が以下のような発言をしました。
「高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために、子供達、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要があると思います。

こういう話多分政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。
何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。」

もちろん、長い話の中の一部ではありますが、全編は削除されているので確認のしようがありません。

1分半程度は字幕付きで動画がネットにあります

【字幕対応】大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」(2020/07/03)

もう少し長い範囲を、知人が文字おこしして送ってくれたので、一番最後に転記しておきます。
(あくまで個人の作業なので、小さな間違いなどはあるかもしれません。その前提で見て下さい。)

いずれにしても、どんな脈絡だとしても、大西氏が確信を持って「命の選別が政治だ」といったことは間違いありません。

これについて、やれ「死生観の問題だ」とか、「救急医療のトリアージだ」とか、詭弁を弄するつねき擁護の輩がわき出しているようですが、それこそ大西氏の発言の真意をゆがめるものだと言えるでしょう。

大西氏の思想の大きな特徴は、「大事なものはお金じゃなくて、人の時間と労力と地球資源」ということです。私は講演を聴いたり著書を読んだりして、そう理解していました。

それを前提に、また残されている発言を精読する限り、彼の発言の主旨は

A.若者の時間を大事にすべきだ
B.若者の時間に負担をかけている老人が長生きしすぎるのは考えものだ
C.それをシステムでコントロールするのが政治の仕事だ

ということ以外には考えられません。

発言者を擁護したいのなら、発言の主旨くらいはちゃんと読み取っていただきたいものです。
そして、大西氏の頭の中で一番大きな問題としてあったのは、おそらくAでしょう。

高度経済成長時代を生きて、多くの人が持ち家と退職金と年金を確保した団塊以上の世代。
それに対し、同じ国とは思えないような、不安な未来しか保証されていないロスジェネ世代。
不公平を感じるのは当然だし、その若者に光を当てよ、というれいわ新選組の主張も、大西氏の動機も正当です。

しかし、いくら動機が正しくとも、その手段において、「老人を早死にさせろ」「命を選別せよ」ということは、決して許されるものではありません。

■政党として と 個人として はわけて考えよ

ここまでは、一応の理屈が通じる人はだいたい誰もが言っていることです。
もう、理屈も事実もお構いなしで、宗教的につねき擁護で暴走している人たちのことは、手のつけようがないので論じません。
こういう輩が、れいわ新選組を窮地に追い込んでいるということに気が付いてほしいものです。が、無理でしょうね。

発言の主旨はとらえて、その上でやはり「命の選別」は間違っている。と言う人たちの間でも、意見は分かれているようです。

A-1.即刻除名にすべきだ
A-2.即刻除名にすべきだ。除名にできないのなら、れいわ新選組は解党すべきだ
B-1.除名にせず大西氏を含めれいわ新選組が再教育受けるべきだ
B-2.発言しただけで老人を殺したわけじゃないから大騒ぎしすぎだ

という感じでしょうか。

まあB-2は論外ですね。
政治家や政党の言葉は、居酒屋談義の言葉とは違います。
「オレはこれをやるために、政権をとるんだ」という意思表示ですから、実力行使にむかう宣言とも言えます。

れいわ新選組や大西つねき氏を、まったくとるに足らない、放っておけば世の塵になって消えていくと思っていれば、たしかに大騒ぎする必要はないかもしれません。
B-2を言う人たちは、実はれいわ新選組を信じていないし、愚弄しているのです。

でも、少なくとも私は違います。
れいわ新選組の潜在力は確実にあると思っています。(今の党体制では発揮されませんが)
だからこそ、大問題だと言うのです。

私はツイッターなどでも、すでにA-2の意見を言っています。
党としては、即除名すべきだし、もし万が一それができずに玉虫色で「のど元過ぎれば」的な決着にするようなときは、そんなれいわ新選組は解党して、山本太郎個人に一度立ち返ったほうがいいと思っています。

ただ、気をつけていいただきたいのは、B-1に含まれている意味も否定はしていないということです。
れいわ新選組が抱え込んでいる「ファシズムやカルトに流れやすいリスク」について、徹底的に自己切開し、大西氏もふくめて、支持者も含めて、なぜ「正しい」と思ってやることが差別やカルトやファシズムにつながってしまうのか、自己確認することは、不可欠に重要なことだと思うからです。

この自己切開、自己確認は、これかられいわ新選組が、本気で政権交代に向けて進むのであれば、絶対に通らなければならない関所のようなものです。
大西氏の発言があろうがなかろうが。
ただ、この発言で端的に問題が発露したのだから、この機会に絶対にやらなければならないのは 確かなのです。

れいわ新選組がどんなリスクを抱えているのかについては昨年末にも一度書いたので、お目通し下さい。

れいわ新選組は本当にカルトなのか??2019.12.17

ナチスがいやなら、2.26事件の青年将校 と言いましょうか。
彼らも、世の不景気、貧困、汚職と腐敗を嘆いて立ち上がり、そして、それが一気に戦争の道をおし進めたのです。

公開処刑的な「つねきが矯正されている状況を全国に公開する」というのではいただけませんが(文革か!)、私が書いたような、「正しい政策」が「ファシズムやカルト」に直結してしまうリスクを、しっかり認識する学習は、時間をかけて、公開でやるべきだと思います。
なにやら2日間ほど非公開でやる、と昨日の発表でしたが、そんな2日やそこらでできることではありません。

では、言ってることが矛盾してるじゃないか と言われるかもしれませんが、そんなことありません。

党としては「除名」 個人としては「自己切開と学習」 です

大西氏は、党としては除名するけど、いち市民として、私たちと同じ1人のれいわ新選組ボランティアとして、共に自己切開と学習をすすめていけばいいのです。
本当に、謝罪して反省しているのならば、そういう話ができるはずです。

■大西氏は本当に反省しているのか?

しかし、大西氏のホームページを見ると、どうも大西氏は反省なんてしてないんじゃないか という気がしてなりません。

党も太郎さんも大混乱のまっただ中の7月12日 大西氏は愛知県豊橋市でセミナー活動を行っています。
それ以降も、週に3回くらいのペースで講演予定が詰まっています。
それらの告知ページも見てみましたが、中止とかいてあるものはありませんでした。

もちろん食い扶持は必要ですが、この状況でやりますか???

彼の講演は1人2000円ですから、半分が収入としてもこのペースでやっていれば月に100万以上は稼げるでしょう。
お金より人の時間が大事という大西氏にしては、ちょっと稼ぎすぎと言う気もしなくもないですが、政治資金を貯めているのだとしても、やはり、反省の色は見えません。

彼のホームページを見ても、見渡す限りでは謝罪や反省の言葉は見当たりません。
スクロールしていくと「公開した動画を順次文字データとして公開します。」という欄に「7月3日の動画での発言について」という項目があり、これをクリックすると「私の先日の動画での発言について謝罪と撤回をしたいと思います。(以下略)」という短い文章が出てきます。
でもまあ、普通に見れば、謝罪の言葉なんて見付けることはできません。

おそらく彼の謝罪というのは 「ちょっと言い過ぎちゃった ゴメンね」という程度のモノなのでしょう。
もちろん、直接彼の言葉を聞いたり読んだりしたわけではありませんが、つねき教の信者でない限りは、そのように見えてしまいます。

■なんでここまで批判するのか

これだけこき下ろしていると、「おまえはれいわ新選組支持者じゃない」とか「できたてのれいわ新選組を潰す気か」とか、罵声が飛んできます。

私が太郎さんと関わりを持つようになったのは、2014年3月にはたともこさんが太郎事務所の秘書になったことがきっかけでした。
はたさんはその後事務所を辞め、いまは立憲界隈にいってしまわれましたが、2013年の参院選では生活の党の候補者で、私たち関西の仲間は彼女の応援をしていた縁があったのです。

そんなわけで、この年の9月から、大阪などでの太郎さんの街宣のお手伝いをするようになり、大阪の道路使用許可も取りに行っていました。一昨年の秋までは。

ただ、この9月の関西街宣のさなかに、ちょっと事件がありました。
ちょうど11月に翁長雄志さんの沖縄知事選を控えた時期に、当時民主党だった喜納昌吉氏が割って入る形で立候補表明し、それにあわせて植草一秀氏が「翁長氏は隠れ辺野古基地容認派」というデマを流したのです。

喜納昌吉氏の立候補はおかしい2014.9.21

その後の翁長雄志氏の闘いを知り、そして、玉城デニー県政を切り崩す裏切り集団の顧問に就任した喜納昌吉氏を目の当たりにするとき、この謀略説がいかに許しがたいモノだったかがわかります。

儀間氏ら政治集団設立 「21令和の会」
2020年2月29日琉球新報

植草氏はこの一件で、完全に信用を失ったと言っていいでしょう。

ところがところが、驚天動地。
このとき、山本太郎さんまでが同じようなことを言いかけたのです。
うそでしょ と思われるかもしれませんが、理由はハッキリしています。
喜納昌吉氏は斉藤まさしさんたち市民の党が応援してきた人だからです。

はたさんを通して抗議した私の話を、太郎さんは街宣が始まる前の路上でしたけれども、しっかり聞いてくれました。
おそらく、他にもたくさんの抗議や忠告があったのだろうと思います。
結果として、太郎さんは翁長さん批判は撤回し、双方にとって致命的な事態は避けられました。
信頼する人からの情報でも、他の人の意見を聞いて判断するという太郎さんの柔軟な姿勢でした。

2019年の1月にお会いしたのが、お話しできた最後の機会ですが、それまでの4年半、いろいろとお手伝いをし、またお願いをしてきました。

一番大きなイベントは、2016年の参院選直後にやった、憲法フェスです。

憲法フェス@大阪のことなど 2016.9.4

憲法フェス@大阪を終えて2016.9.14

三宅洋平氏の選挙フェスが空前の盛り上がりを見せたこの年の参院選。
その広がりを、ちょっとずつでも全国で受け継いで行けたら。
そんな思いで、選挙が終わった直後に参院会館に押しかけ、太郎さんにお願いをしたのが始まりでした。
そんな大規模なイベントのつもりはなかったのですが、あれよあれよという間に大きな話になり、大阪は梅田と扇町の2会場同時進行のうえ、マルシェまで開催。いやああ 大変でした。

この準備の過程で、あの三宅氏と安倍昭恵の事件が勃発し、もう精神的にもひっちゃかめっちゃかでしたが、なんとも不思議な時空が梅田に登場したイベントでした。

れいわ新選組の準備に入ってからは、直接お話しする機会もなく、事務所もあまり知らない方ばかりになってしまいました。
それでも、7月の参院選では、自由党の街宣車の看板をれいわ新選組に貼り替えて、近畿一円を運行。私も参加させてもらいました。

選挙後は、街宣車を勝手に動かしてもらったら困ると沖永事務局長からお達しがあったので、生活フォーラム関西の皆と智恵とカネを出し合い、「勝手に応援」の文字を張り増しして、大石あきこさんが出馬表明している大阪5区で、生活フォーラム関西として週末に動かしています。
運転はもっぱら他のメンバーがやってくれていますが、警察に道路使用許可を取りに行くのは私のお役目です。

とまあ、「おまえなんか支持者じゃない!」とか言われるのが面倒なので、できるだけかいつまんで私の関わりを書いておきました。
しょせん仕事の合間ですし、カンパもカミさんに離縁されない範囲のことですから、ドップリ応援している方にはかないませんが、私なりに一所懸命やってきたつもりです。

だからこそ だからこそ 大西氏の発言は許せないし、許すべきではない と思うのです。

れいわ新選組に、本当に力を持ちうる党になってほしいから、しっかりケジメをつける胆力示してほしいのです。

■解党的出直し

以前の太郎さんならば、躊躇することはなかったし、自分の言葉で説明をしただろうと思うのです。
しかし、10日の路上会見をみると、同じ台詞を何回も繰り返し、4月の段階で山口泉さんからDMで送られた大西氏についての警告も「知らない」と。

事は、もはや「大西問題」では済まない
 ──山本太郎氏の党派の理念的自滅の危機
   〔前篇〕「大西発言」の前史と現在
山口泉 精神の戒厳令下に 2020.7.9

山口さんは決してアンチれいわ新選組ではない。
それどころか、こう書いている
「私は本人が政治家となる前から山本太郎氏を評価し支持し賞讃してきたし、氏への批判・攻撃については、その誤りを批判し、氏を(あえて言えば)擁護してきた。その評価は山本太郎氏の参議院当選後はますます、衆参両院全国会議員のなかで掛け値なしにただ1人、真っ当な政治家としての位置づけを伴ってもいる。」

だからこそ なんとかして立ち直る機はないかと、完膚なきまでの批判をされている。

「市民の党」に代わり支援者が党運営に関わって行くべきだ
田中龍作ジャーナル |2020.7.12

 れいわは一部の読者が指摘するようなヨチヨチ歩きではない。れいわという組織を差配するのは、設立24年の歴史を持つ「市民の党」なのだから。
 汗水流して献身的に山本太郎の選挙を支えるのは、事務所のスタッフやボランティアたちだ。だが、彼らには規約上、れいわの運営に口出しする権利はない。
 カンパの支援者たちも同様に、規約上、れいわの運営に口出しできない。お金を出していながら、である。
 ごくごく一握りの「市民の党」のメンバーが、多数のスタッフや膨大な数のボランティアを支配する。 
(引用以上)

田中龍作さんは筋金入りのジャーナリストだけれども、一貫して山本太郎には好意と期待をもっていることは、龍作さんの文章を読んでいる人は皆知っています。

この根本問題は、まともな批判を受け付けない、受け付ける形式すらないことです。
「これおかしいんちゃう?」
「え どこ?」
「これや」
「ああ そうやなあ」
という初動がとれる組織であるならば、こんな深刻な事態になる前に、ちゃんと議論ができるはずです。

どうやってれいわ新選組を強くしていくべきか に始まり こうした内部の問題に至るまで、しっかり議論できる組織ではないこと それがれいわ新選組の根本問題です。

そして、それを作ってしまっているのは、斎藤まさしさんや沖永事務局長らが長年活動してきた市民の党です。

市民の党 Wikipedia

あまり知られていませんが、結構なビッグネームが関係していたりします。
動いている金額も大きい。

別に市民の党そのものを批判しているのではありません。
れいわ新選組を市民の党が独裁的に閉じた組織にしてしまっていることを批判しています。
もちろん、それを良しとしてしまっている太郎さん自身の責任も免れません。

沖永明久事務局長は、現職の座間市議会議員です。
座間市はキャンプ座間という米軍基地が市の面積の3.2%を占め、隣接する厚木基地の騒音問題も深刻であると、市のホームページにも書いてあります。
基地対策 | 座間市ホームページ

8月は議会が開かれ、3ヶ月後にはご自身の市議選挙が迫っています。
スーパーマンじゃない限り事務局長をやってる暇はないのではないでしょうか。

れいわ新選組は幹事長すらないですから、事務局長は実施的な幹事長の仕事もする必要があります。
党内の調整も、他党との交渉も、すべての裏方は沖永事務局長の双肩にかかっています。
それを市会議員の仕事の合間に、片手間でやるのは れいわ新選組に投票した228万人に失礼なのではないでしょうか。

高額な家賃の赤阪の事務所をやめて、もう少し下町に移転すれば、差額で優秀な事務局長を雇うことができるはずです。
イエスマンばかりを重用するのではなく、全国から広く人材を求めれば、きっと光る若手がいるのではないでしょうか。
それこそが、れいわ新選組らしいやり方じゃないのでしょうか。

さて、そろそろまとめます
大西氏の差別発言で明らかになったことは、3つだとおもいます

・れいわ新選組という運動の持つ「正しい」がゆえに「ファシズムやカルト」につながりうるリスク
・実際にそうした動きがあってもチェックして対処する能力が現在の党にはないかもしれないリスク
・何かがおかしいときに、広く意見や批判を受けて議論する開かれた体質が皆無であること

この三つを見据えて、本気で力をもつ政党として再起するためには、解党的出直し が必要です。

その「解党的」が、欺瞞に満ちた見せかけに終わるならば、もはや本当の解党しかない、ということです。

これまで、わかっていても勝手に太郎さんに忖度して言わずに来たことがたくさんありました。

そういう人がたくさんいるはずです。たぶん田中龍作さんも、そういう忸怩たる思いで書いているのでしょう。

ある意味でそのことが、結果的にこういう事態に至ってしまったことを反省し、もはや忖度はやめようとおもいます。

まずは16日の発表を待ちますが、ここまでの3回の発表と1回の会見を見る限りでは、心配でなりません。

本日は以上です


▲△▽▼


「正しさ依存症」とそれを生み出す教育について(Live配信2020/7/3)
50:00頃から

高齢者はこわいんですか。高齢者は逆にあれですよ、もうなんかそんな長くないじゃないですか。これもだからどこまで長生きしたいのかっていう話。これはまたね、講演会では結構ハードな話しますけど。
あれですね、リスクは常にあるし、死ぬ原因はいくらでもあるので、それをどう考えるかですね。

(ここからネットに動画あり)

高齢者は死んでいいのか? 高齢者は死ぬ確率は高いし、そもそもね。その話しましょうか。どこまで、その高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。

なんでかって言うと、今その介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者をちょっと、とにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。

どこまでその高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために、子供達、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要があると思います。
こういう話多分政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど。
何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題として多分無理なんですよ。だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。
 (ここまで動画あり)

そうなんですよ。これ本当ね、死生観の話になると思いますよ。いつまで我々はもうひたすら長生きさせるために、どれだけ自分たちの時間と労力をそれに使うのかっていう話は、みんなが考える必要があるし、皆が必ず死ぬということを覚悟する必要があるし、そこはもう避けては通れないと思いますよ。

こういう、だから、なんでしょう、本当に歯に衣を着せずに言う奴ってのは、まあね、批判を受けるし、なんだかんだ言われるんですけど、なんか、これなんか日本人的な感覚ぼく全然ないんです、はっきり言って、そう言った意味で言うと。
何かこう、そういうこと言ったら、誰がどう思われるかとか、どんな気持ちがするかとか、そんなこと全然考えてないです。それはそういう風に考えるしかないんじゃないのっていうのは、そのままですね、ぼくは。

超本当に合理主義っていえば合理主義です、そういった意味で言うとね。
高齢者自身の選択。もちろんそれぞれの選択はあるんですけど、それぞれの選択っていうか、やっぱりシステム的に変える、システム的っていうか、その、例えば、本人だけの選択ではなくて、社会的な選択ってある程度していく必要ってあるじゃないですか。

ベッドどれだけ用意する、ベッドをどういう風に、例えば数が、もうとにかく全員に、何があっても足りるようなベッド数を保つということは、それをケアするための膨大な多分若者が必要だったりして。これもどこまでもやればいいって話ではなくて、どっかである程度、数とかね、そこら辺は選択する必要がありますよね。
でそれも、冷徹にやっぱりやらきゃダメだと思いますよ。何かすごいね、情緒的なんですよ、この国は、言わせてもらうと。感情的だし情緒的だし、でもそんなもんで物事多分決めていけないと思います、それだけだと、というふうに思います。
まあいいんですけどね、それぞれ考えがあってね。でも僕はそういう政治家になると思いますよ。結構冷徹にいろんなことを判断していく。それを考えることを僕は要求すると思います。なんか感情とかじゃなく。

そうじゃなくて、あの気持ちは分かるけど、その気持ちだけで全部解決するわけではないので、結構割となんか過去において、我々ってそういうなんか情緒的な判断とか感情的にとか、頑張って人がいるからそんなことを言うなとか(笑)、あとはなんでしょ、なんか一生懸命やってんだからどうとか、そんなんで、なんか割と戦争があんだけ長引いたのも、なんかそんなような、何でしょう、合理的な判断ができなかったからなんじゃないですかね、と思いますけど。

まあね、あの、寿命はもしかしたら、そうね、おっしゃる通り、もしかしたら縮むかもしれませんね、我々の世代にはね。なんか食べてるもんとかだいぶ違うような気がしますからね。

まあそんな奴ですということも、僕も包み隠すつもりもないので、言っちゃいますけど。それで選ばれなかったら、それはそれまで。かなりそういった意味で言うと、僕はなんかあまり日本人的ではないのかもしれません、おそらく。なんかそういうちょっと情緒的なところはあまりないですね、全くないので。

命のためと言いながら、個人の尊厳を奪ってることが多いように見えるって、僕もそんな気がしますね。難しい、そう、ほんと難しい問題なんですけど、難しい問題をちゃんと我々、正面切って考える必要ありますよね。

で、考えることを僕は皆さんに、考えてもらうための発信はたぶんすると思います。結局最終的に皆さんにやっぱ決めていただく必要があるんですよね。僕が決めることじゃないですよ。僕はこう思いますよって、どう思いますかっていう、あくまでもこれ投げかけなので。

その結果、とにかく長生きが一番っていう人たちが大勢だったらそういう風になるんでしょ。たぶんそういう人たちが大勢だったら、僕は選ばれないのかもしれませんけど。それはそれ、僕の考え、それぞれ考えがあっていいということですね。
(引用以上)

http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1823.html

19. 中川隆[-12106] koaQ7Jey 2020年7月15日 21:43:20 : 80UvX5r8DM : Z21HSjdVMWpKY0U=[23] 報告
「正しさ依存症」とそれを生み出す教育について(Live配信2020/7/3)
2020/07/03 にライブ配信



20. 2020年7月15日 22:47:35 : 80UvX5r8DM : Z21HSjdVMWpKY0U=[24] 報告
大西つねきC
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/sociology/1584072949/


420名無しさん@社会人2020/07/04(土) 07:11:58.41>>422
講演会では前から言ってたようだけれども、ついにYouTubeで言っちゃった。

「命を選別するのが政治です。」

421名無しさん@社会人2020/07/04(土) 08:25:52.57
危険思想

422名無しさん@社会人2020/07/04(土) 09:43:36.90>>425
>>420
え・・・
「今の政治は」って話じゃなくて?
どの動画?

423名無しさん@社会人2020/07/04(土) 12:51:29.01
こいつの党首 落選確実だな

424名無しさん@社会人2020/07/04(土) 13:37:18.30
学歴詐称都知事続投 

425名無しさん@社会人2020/07/04(土) 21:29:37.33>>426
>>422
7/3

426名無しさん@社会人2020/07/04(土) 22:20:18.82
>>425
ありがとう
50:20〜
安楽死とかとは全く次元が違う、生産性のない高齢者を一方的に冷徹に殺す政治をすると
それに反対する声は情緒的でボクそんなのないんですよと
ないのは情緒じゃなくて人としての知能だろう
レプタリアンじゃそんなもんか
太郎これでも公認するか?

427名無しさん@社会人2020/07/05(日) 08:49:27.31
「命選別しないとダメだと思いますよ、ハッキリ言いますけれども、その選択が政治なんですよ、
順番として選択するんであれば高齢の方から逝ってもらうしかないです」大西つねき


祖父母や曾祖父母が長生きだったんで金と手間がかかって苦労したという、つねき自身の
家庭事情から発生した選別哲学だろうね。

やっぱり大西には愛とカネがない!

428名無しさん@社会人2020/07/05(日) 09:13:47.72
一人っ子だから、たぶん自分の二人の親の面倒見るのも嫌だったんだと思う。
俺のカネと時間を奪うなってことだろうけど。

確かに一人っ子は自分の二人の親と、結婚してれば相手の二人の親の面倒見なくちゃいけないから
負担は大きい。しかしそれを政治的に選別して殺すというのは狂気だ。
そんな一人っ子が困らない社会を作るのが政治だろ。

この人の思想は、「津久井やまゆり園」で45人殺傷した植松聖と同じものを感じる。

429名無しさん@社会人2020/07/05(日) 09:13:56.88>>446
チャットが荒れないのが凄いw
信者の間ではすでに常識なんだな

430名無しさん@社会人2020/07/05(日) 09:19:12.75
この件について議論すべきとか言ってるけど、自分の意見以外は絶対に受け付けない姿勢の人だろ

金しか見てない、人を見てない
そんな政治家

431名無しさん@社会人2020/07/05(日) 09:34:20.37
いったい何人殺すつもりだろう   ポルポトもびっくり

432名無しさん@社会人2020/07/05(日) 09:47:42.38
人の大切な親も、「政治で決まったんで死んでもらいます」と言って引き剥がして殺処分するんだ
それができれば若い人ももっと奴隷労働に打ち込めるとお考えなんでしょうねえ
親を殺され自分も殺処分されると知りながらお国のために生きるのはさぞかし充実した生き方になると
笑いが止まらんわ全く

433名無しさん@社会人2020/07/05(日) 10:03:35.22
つねきは葉隠をものすごく薄っぺらく理解してるよな
恥ずかしいからやめて下さい
あれは武士のもので庶民のものじゃないし、現代に武士も主君もあろうはずもなくムリヤリ現代人の庶民にその生き方を押し付けられても全くトンチンカンなわけ

ザコは「生きかた上手」でも読んでろ
日本の伝統を荒らすな

434名無しさん@社会人2020/07/05(日) 12:14:45.02
れいわ新選組は直ちにこいつを除名してください

435名無しさん@社会人2020/07/05(日) 12:46:26.53
大麻常用してるだろ
この極端な思考は

436名無しさん@社会人2020/07/05(日) 12:48:42.56>>437>>438>>445
この動画は保存する。

れいわ新選組に通報する。

万が一、大西つねきを公認するのであれば、山本太郎もれいわ新選組も支持しない。

そして文春に取材依頼する。

ポルポトも裸足で逃げ出すジェノサイド大西

437名無しさん@社会人2020/07/05(日) 13:24:16.27
>>436
支持します!

438名無しさん@社会人2020/07/05(日) 13:25:57.23
>>436
ぜひ、れいわ新選組にも考え直して対処してもらいたいですね。
マスコミにも知らせましょう。

439名無しさん@社会人2020/07/05(日) 13:52:58.66
賛成
それでも外さないようなら、この動画について党首のコメントが聞きたい
いくらそれぞれ自由といっても危険すぎる

440名無しさん@社会人2020/07/05(日) 14:19:24.21>>468>>479
「高齢者本人だけの選択よりも、社会的な選択としてシステム化する必要がある」
https://youtu.be/whuSV-Uq2_A?t=2962

441名無しさん@社会人2020/07/05(日) 14:24:08.41>>444
こんな奴が総理大臣になる、俺しかいないって言ってるんだぜ

442名無しさん@社会人2020/07/05(日) 14:28:11.25>>445
人権意識をたんなる情緒と取り違えてる
そもそも人権の意味が分かってないからこうなる

443名無しさん@社会人2020/07/05(日) 14:35:16.78
脳ミソぶっ壊れとる

444名無しさん@社会人2020/07/05(日) 15:33:45.47
>>441
誇大妄想狂だろ

445名無しさん@社会人2020/07/05(日) 15:35:21.69
>>436
賛成するわ
>>442
思った

YouTubeのコメ欄から来たわ
お金があればなんでもできるさん、サンキューな

446名無しさん@社会人2020/07/05(日) 15:39:44.63
>>429
荒れてたよ

447名無しさん@社会人2020/07/05(日) 15:58:46.59>>449>>450
若い人の時間を高齢者のために無駄に使わせたくないという事だろうが、若い人の時間には価値があって高齢者の時間には価値がないという意味ですね
それはもはや人権も何もない世界の話です

そして子供の命には価値があって中年の命には価値がないとか、仕事できる人の命には価値があって仕事できない人の命には価値がないとか、どんどん細部に分けられますよね
整理整頓、スッキリですね

448名無しさん@社会人2020/07/05(日) 16:06:40.09
知れば知るほどれいわの方針とは真逆の人のように感じるんだけどw
生産性でしか価値を測れない世の中とか命の選別をやめたいってよく党首が街頭で言ってるような…w

449名無しさん@社会人2020/07/05(日) 16:06:42.33
>>447
良いこと言うな

450名無しさん@社会人2020/07/05(日) 16:14:03.10
>>447
これぞフェア党の思想

451名無しさん@社会人2020/07/05(日) 16:23:56.79
本音がちょっと顔を出しただけで、実際はもっとはるかに残虐な奴だと思う。
れいわは一刻も早く縁を切れ。

452名無しさん@社会人2020/07/05(日) 16:48:05.38
こんな事をライブで言えるって事は、これは氷山の一角だよな

453名無しさん@社会人2020/07/05(日) 17:39:55.44
誰かが何かを生み出すことこそ価値そのものって前からずっと言ってるよね
本当になんでれいわにいるのか謎すぎて

454名無しさん@社会人2020/07/05(日) 18:46:13.92
究極の危険人物。社会から隔離せよ。

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/sociology/1584072949/

21. 2020年7月15日 23:16:00 : 80UvX5r8DM : Z21HSjdVMWpKY0U=[25] 報告

参議院議員木村英子オフィシャルサイト
障がい者があたりまえに生きられる社会へ

大西つねき氏の「命の選別」発言について
2020/07/15
https://eiko-kimura.jp/2020/07/15/activity/1053/

 今回の大西氏の「命、選別しないとだめだと思いますよ。はっきり言いますけど、その選択が政治なんですよ」という発言を聞いて、施設にいた頃の私のトラウマを思いだし、背筋がぞっとしました。

 「命の選別」それが政治によって決められる世の中になったら、常時介護の必要な重度障害者の私は真っ先に選別の対象になるでしょう。

 障害を持った幼い時から自分の命を誰かに預けなければ生きていけない私にとって、他者に従うことは絶対でした。私の命、私の身体、私の生活、すべてを他者にゆだねるということは、支配されてしまうことです。

 「命の選別」、この言葉は、私が幼いころから抱いていた、「殺されるかもしれない」という避けがたい恐怖を蘇らせました。大西氏の発言は、自分の命を人に預けなければ生きていけない人たちにとって、恐怖をあたえる発言であり、高齢者だけではなく障害者も含めた弱者全体を傷つけた暴言であると思います。

 「人は生きているだけで価値がある」という理念を掲げた政党であるれいわ新選組の一員から、今回の発言が出たことに、私は耳を疑いました。

 とても悲しかった。そして、地域で差別と闘ってきた私の35年間の活動が否定されたようで、とても悔しく、怒りを抑えられませんでした。

大西氏の発言についての当事者の意見を聞く会において、当事者たちが涙ながらに意見を訴えたにも関わらず、大西氏は自分の主張がいかに正しいかを話すだけで、当事者の必死な訴えに理解を示そうとはしませんでした。

さらに、命の選別発言の動画に対して、謝罪と撤回をホームページに載せたにも関わらず、当事者の話を聞いたその翌日に、再び動画を公開し、これからも命の選別の主張を続けていこうという意思表示に私たちは恐怖を拭い去れません。

大西氏の処分は総会で決まることになっていますが、私は、今回の大西氏の発言は、決して許すことはできません。

 しかし、これは大西氏だけの問題ではなく、社会全体の問題でもあると思います。程度の差はありますが、大西氏と似たような考えを持つ人は少なくありません。

幼い時から障がい者と健常者が分けられず、日頃から関係性があれば相手の苦しみを想像することができたと思いますが、現状は、障がい者と健常者が、一緒に学び、一緒に働き、一緒に生きる社会の構造にはなってはおらず、お互いを知らないことで、誤解や偏見が蔓延してしまい、無意識のうちに差別が生まれてしまっているのです。

今回の発言は、まさに分けられていることの弊害なのです。

 れいわ新選組は憲政史上初、重度の障害をもった国会議員を生み出し、社会に迷惑とされている弱者が政治に参加するという誰もやったことのないことを実現した初めての党です。

 誰一人として排除されない社会を作るために、それぞれの苦しみや怒りを抱えた当事者が政治に関わることによって変えていける、それが誰もが生きやすい社会を作るために一番必要な政治のあり方だと私は思います。

 今回の件で、弱者に対する差別が明るみに出ましたが、私は、自らの掲げる理念である「共に学びあい、共に助けあい、共に互いを認めあい、共に差別をなくし、共に生きる」を実現し、「誰もが生きやすい社会」を作るために、これからも差別と向き合い続けて、政治を変えていきたいと思います。

命の選別をするのが政治ではなく、命の選別をさせないことこそが、私が目指す政治です。

22. 2020年7月16日 09:49:02 : eYsKEIseTA : ZzJCSG9YTURRY0E=[2] 報告
984名無しさん@社会人2020/07/11(土) 18:27:16.95

大西つねきの発言は優生思想じゃなくて姥捨て山の思想だという意見を見た
俺の理解だと大西つねきは

人間は高齢者になっていくにつれ社会の負担を与えて若者の迷惑になっていく
高齢者が若者に負担を与えすぎるならどこかの時点で高齢者が早く死んでくれるように
社会システムを作る議論をするべきじゃないかという考え

根底には人間は働けなくなって介護が必要になった段階ですぐに死ぬ種族になるべきとの
優生思想があると思うな


985名無しさん@社会人2020/07/11(土) 18:45:17.70
>>984
その思想を広げていくと、いろんな状況・立場の人が殺処分の対象になるね。

989名無しさん@社会人2020/07/11(土) 19:17:27.31
>>985
まず障がい者だろ
あと自分で稼げないナマポは捨てられ
年収300万以下は捨てられ
独身小梨は捨てられ
不細工は捨てられ
優秀で生産的で魅力的な素晴らしい人間だけが残る訳だ

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/sociology/1584072949/

23. 中川隆[-12102] koaQ7Jey 2020年7月16日 16:38:55 : eYsKEIseTA : ZzJCSG9YTURRY0E=[24] 報告
大西つねきの発言は優生思想じゃなくて姥捨て山の思想だという意見を見た
俺の理解だと大西つねきは
人間は高齢者になっていくにつれ社会の負担を与えて若者の迷惑になっていく
高齢者が若者に負担を与えすぎるならどこかの時点で高齢者が早く死んでくれるように
社会システムを作る議論をするべきじゃないかという考え
若い人の時間を高齢者のために無駄に使わせたくないという事だろうが、若い人の時間には価値があって高齢者の時間には価値がないという意味ですね
それはもはや人権も何もない世界の話です

そして子供の命には価値があって中年の命には価値がないとか、仕事できる人の命には価値があって仕事できない人の命には価値がないとか、どんどん細部に分けられますよね
根底には人間は働けなくなって介護が必要になった段階ですぐに死ぬ種族になるべきとの
優生思想がある

この思想を広げていくと、いろんな状況・立場の人が殺処分の対象になるね。

まず障がい者
あと自分で稼げないナマポは捨てられ
年収300万以下は捨てられ
独身小梨は捨てられ
不細工は捨てられ
優秀で生産的で魅力的な素晴らしい人間だけが残る訳だ

この人の考え方は「何も生み出さないものは不要」だから、カジノやパチンコはダメ。
東京オリンピックも、スポーツが何も生み出さないから中止すべきとしている。

この考え方だと、あらゆるスポーツや趣味、嗜好に関連する産業・企画・イベントは不要ということになる。
こんな人がリーダーになったら、非常につまらない社会になることは間違いないだろう。

生産性とゼロ産業に拘ってるみたいだけど
株やFXすら庶民から取り上げて、趣味はおろか投資なんかしてもしょうがないと言い切る


あと老後に関しては何も準備してなくて考えていないそうだ
そりゃそうだ
老人福祉は何も生産しないからな

大西つねきさんは祖父母や曾祖父母が長生きだったんで金と手間がかかって苦労したという、つねき自身の
家庭事情から発生した選別哲学だろうね。一人っ子だから、たぶん自分の二人の親の面倒見るのも嫌だったんだと思う。俺のカネと時間を奪うなってことだろうけど。
確かに一人っ子は自分の二人の親と、結婚してれば相手の二人の親の面倒見なくちゃいけないから
負担は大きい。しかしそれを政治的に選別して殺すというのは狂気だ。
そんな一人っ子が困らない社会を作るのが政治だろ。
この人の思想は、「津久井やまゆり園」で45人殺傷した植松聖と同じもの。

人の大切な親も、「政治で決まったんで死んでもらいます」と言って引き剥がして殺処分するんだ
それができれば若い人ももっと奴隷労働に打ち込めるとお考えなんでしょうねえ
親を殺され自分も殺処分されると知りながらお国のために生きるのはさぞかし充実した生き方になると
笑いが止まらんわ全く

24. 2020年7月17日 00:33:50 : cIPDERXMH2 : TzBFM2FhbkpMTlE=[1] 報告
大西つねき氏の居直りと木村英子氏による批判
ノードワン 2020/07/16

れいわ大西つねき氏が「生命の選別も政治の役割」とし、「社会システムとして高齢者が先に逝ってもらうことも考える必要がある」とむき出しの優生思想をyoutube動画で語ったことをめぐり、れいわは紛糾を続けているが、本日16日に総会が開催され、そこで大西氏の処分が決定される予定になっている。

ところが総会を前にした15日、突然大西氏が「(謝罪と動画公開停止は)多くのお叱りを受けたがその通りであり、自分の語ったことを隠す必要がないと考えるに至った」との理由で問題動画を再公開するという、7日の謝罪を反故にする居直り的な行動を取った。

そして同日時を置かず、れいわ参議院議員である木村英子氏が13、14日に開催された当事者(これが高齢者なのかどうか分からないが)による啓蒙的なレクチャーで、大西氏が反省の色を見せず、自己の主張を繰り返しただけであったことを明らかにし、レクチャーの後、問題動画を再公開したことに恐怖を感じたと述べ、「大西発言は決して許されるべきではなく、差別と選別のない社会を実現することこそ政治の役割だ」と主張した。ブログが公開されるや、ツイッター上では木村氏の発言を支持、賛同する声が大きく広がった。

こうして総会を前にあらためて重要な出来事が起こったわけだが、これを書いている午後2時現在、まだ総会は開催中だと思われる。総会でどんな議論が交わされ、大西氏処分がどういうプロセスで決まるのか、私たち支持者は現状では部外者であり、閉会後の報告記者会見を待つしかないが、前ポストと同様にその評価を考えるための材料として本日の私の連続ツイートを再録する。事実経過の部分は重なっているが許されたい。

れいわ新選組は、本日16日、総会を開いて、大西氏の処分を決める予定とのこと。しかし、くだんの大西氏は、7日、いったんは動画上の自分の発言の過りを認め、謝罪していたにもかかわらず、昨日15日、経過説明ぬきに「自分の考えを隠す必要がない」との理由で動画を再公開した(1)

昨日15日時を置かず、れいわ参議院議員の木村英子氏がブログで、大西つねき氏の発言に対する批判を明らかにした。大西氏が13、14日に実施された当事者レクチャーで発言の正当性を主張するだけであったこと、その翌日に問題動画を再公開したことに恐怖を覚えたこと語り、生命の選別を許さない政治こそ必要と訴えた(2)

以上の経過から、大西氏の7日の謝罪が虚偽だったこと、氏が「国家が個人の生命を選別をすることを認める」優生思想の確信犯的な持ち主であることは明白となった。「誰一人排除されない社会をめざす」はずのれいわ新選組が、氏を党員として許容することはもはや不可能になっている(3)

7日に大西氏をツイッター上で批判した党員の大石あきこ氏、また総会の前日に大西氏批判を明らかにした木村英子氏の行為に対し、総会前の行為として妥当なのかという批判があるが、党内の議論のあり方が定まっていないれいわの現状で、大西発言がれいわだけにとどまらない社会的問題であるとの危機意識を伴った判断で、いわば緊急行為と理解すべきだろう(4)

大西氏の発言とその後の行動からみて、れいわは大西氏を除名処分するだけでなく、なぜ大西氏の思想を見抜けなかったのか、氏の4月沖縄講演に対する支持者からの批判をなぜ無視したのか、7日以降の対応がなぜ混迷したのかなど、代表山本太郎氏の責任を含め、党のあり方そのものを切開する必要があるだろう(5)

れいわ新選組には議員とその候補者しか党員は存在しないという特異な組織路線をとっており、多くの支持者はその声を党に伝える回路を持たず、だからこそSNS上で発言するしかないのが現状である。その結果、党もまた、支持者内部のカルト的、陰謀論的、ファシスト的発言を批判、抑制する方法を持っていない(6)

したがって、現在の党組織のあり方を抜本的に改善しない限り、れいわは今後も大西発言と同様の問題に繰り返しぶつかることになるだろう。これは全国で200万人を超える支持者が生まれている中で、「山本太郎商店」を終わらせなければ公党へ脱皮できないことを意味する(7)

本日の総会で、れいわが単に大西氏処分に留まらず、みずからの党のあり方まで踏み込んだ議論ができるかどうか、またその展望を出せるかどうかが、れいわの今後を占う試金石になるだろう(8 了)

https://note.com/nodej/n/ne014282a71f2

25. 2020年7月17日 08:55:48 : LquaJkWHJM : NTlLUmxOSTJnWHM=[5] 報告
2020年7月16日
大西つねき氏の発言に関する声明

2020年7月16日、大西つねき氏に対して、れいわ新選組は、除籍との結論を出しました。

この結論に際し、舩後が同日行われた記者会見で、声明を公表いたしました。

以下の通りです。

「れいわ新選組」の舩後靖彦ふなごやすひこと申します。

大西氏による「命の選別をしなきゃいけないと思いますよ。その選択が政治です。……中略……高齢の方からいってもらわないといけない」という発言は、到底容認できるものではありません。

大西氏は、障害者やそのほかの社会的弱者を対象にしたものではないとの趣旨のことをおっしゃっています。

しかし、そこで一度、大西氏のいうように「順番として高齢の方から」という線引きを許してしまえば、その対象は、あらゆるところに広がっていきます。最初は高齢者、次は障害者、難病患者、稼げない人……。私は、進行性の難病があり、人工呼吸器を使わなければ、寿命が尽きています。大西氏の表現する「順番」通りで言えば、すでに線引きの対象にされていたことでしょう。

当初、発言を知らされた時は非常に驚きましたが、党として、当事者の声を聞く会を開く機会を設けるということでしたので、大西氏が、ご自身の発言の問題の本質に向き合っていただくことを期待いたしました。

私も、会の一部を参観しました。その時、大西氏からは、「おごり」を感じました。氏の経歴を見ても、氏自身がおごらないのは難しいと感じます。

おごるとは、

・相手に対し、自分のほうが上だと思う心がある

・自分に執着することから起こる慢心がある

・間違ったことを言っても、正しいと言い張る我心がしん、つまり、自我にとらわれた心がある

の三つです。

特に「相手に対し、自分のほうが上だと思う心がある人」は、政治家にむかないと私は考えています。

私が障害者になった途端「自分のほうが上だと」と思わせられる発言をする人が、数多くありました。残念ながら、大西氏からも、そうした態度を感じざるを得ません。

私はALSを発症後、『命の価値は横一列』という講義を、複数の大学でやってまいりました。つまり、大西氏のいうような「命の選別」をさせないことこそが重要と訴えてきました。

残念ながら、大西氏のいうような「命の選別」を認める価値観は社会にまん延しています。そうした社会のなかで、全身麻痺で、人工呼吸器を付けている私が、国会議員として活動するのは、命の選別をさせない政治を実現するために、ほかなりません。

会に参加して下さった当事者の方の声を聞いてなお、大西氏は、当事者の痛みや恐怖に対して、理解されないまま自説を変えようとしませんでした。非常に残念です。

私の意見は、大西氏は除籍。ただし、今後もレクチャーを受ける権利は与える。これは「何度でも人生をやりなおせる社会を構築する」という党の理念にそうものです。

党としての結論を尊重したいと思いますが、大西氏を処分するだけで、この問題が解決するわけでは決してありません。党内ではもちろん、社会に対しても、働きかけていきたいと考えております。
https://yasuhiko-funago.jp/page-200716/

26. 2020年7月17日 19:23:43 : LquaJkWHJM : NTlLUmxOSTJnWHM=[14] 報告

大西つねき記者会見中継(Live配信2020/7/17) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=VkNEOUsekBI


27. 2020年7月18日 05:03:46 : HrqLkPjLMA : TWJ2YkhZV0t5eFE=[1] 報告

そもそもノーベル賞学者や大芸術家なら100歳になっても殺さないんだろ。
ロックフェラーやジョージ・ソロスも100歳になっても殺さないんだろ。
大西つねき氏はそういう命の選別の不平等を許容するんだね。

上級国民は70歳を過ぎても臓器移植を受けさせて貰い、
若い下級国民は年取った上級国民の為に臓器を提供させられる。
まさにマルクスが預言した階級社会だね。
大西つねき氏はそういう階級社会を目指している事になる。


そもそも大西つねきさんは
現代では技術の進歩・効率化で生産効率が上がって、労働者は1日2, 3時間も働けば食べて行けると言ってたよね。だったら若い人には老人の介護をするくらいの時間的な余裕は十分ある筈だよね。

失業者は常に沢山居るんだから、十分な給料さえ出せば介護職に就きたい若者は幾らでも出て来るしね。

大西つねきさんは何時も

貨幣は幾らでも発行できる、
技術の進歩・効率化で労働者は1日2, 3時間も働けば十分だ

と言っているのに、下級国民の年寄りの医療・介護に使うお金と時間だけは無駄だという主張だね。

人の大切な親も、「政治で決まったんで死んでもらいます」と言って引き剥がして殺処分するんだ

それができれば若い人ももっと奴隷労働に打ち込めるとお考えなんでしょうねえ。
親を殺され自分も殺処分されると知りながらお国のために生きるのはさぞかし充実した生き方になると
笑いが止まらんわ全く

28. 2020年7月19日 04:10:46 : 28bu31PHG6 : dTBBanVlUDR5NS4=[1] 報告
2020/07/18
「命の選別」発言について
https://www.oishiakiko.net/20200718-inochi/

大石あきこです。
7月16日、れいわ新選組の総会で、れいわ新選組の構成員である大西つねきさんへの除籍処分の提案があり、私は賛成しました。何より、「命の選別」発言により恐怖をあたえた方々や、私や、れいわ新選組に期待していただいた皆様にお詫びします。

この間の経過と、私の考えを書きます。

れいわ新選組としての経緯・理由などの説明は、れいわ新選組代表・山本太郎の7月16日の記者会見でご確認ください。(以下、記者会見の動画リンク)

https://www.youtube.com/watch?v=e94gkQqnpXA

■私をめぐる経緯

私が大西つねきさんの発言を知ったのは、7月7日の午後、サポーターのかたから「れいわ新選組のメンバーがこんな許せない発言をしている」との連絡がありました。7月3日に大西つねきさんがおこなった講演の発言の一部であり、その問題となった発言の文字おこしは以下です。

ーー(大西つねきさん7月3日講演の該当部分文字おこし)ーー

「高齢者は死んでいいのか?」高齢者は、高齢者は死ぬ確率は高いし、そもそもね。えっと、その話しましょうか。えっと、どこまでその高齢者を長生きさせるのかというのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ。

あのー、なんでかっていうと、その、まぁ今はその介護の分野でも、医療の分野でも、その、これだけその人口の比率が、えー、おかしくなっている状況のなかで、特に上の方の世代があまりにも多くなってる状況で、その高齢者をちょっと、とにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていうそういう政策を取っていると、これ多くの、これお金の話じゃなくて、あのー、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これはこの若者たちの時間の使い方の問題になってきます。

どこまでその高齢者を、まぁちょっとでも長生きさせるために、子どもたちとか若者たちの時間を使うのかっていうことは、あの真剣に議論する必要があると思います。

まぁこういう話多分、政治家は怖くてできないと思うんですよ。まぁ命の選別するのか?

とか、言われるでしょ?

命、選別しないとダメだと思いますよ。あの、ハッキリ言いますけど。

何でかというと、その選択が政治なんですよ。

あのー、選択しないで、みんなにこう、良いこと言っていても、多分それ現実問題として、多分無理なんですよ。

だからそういったことも含めて、あのー、順番として、これ順番として、えっとーその、選択するのであれば、えっと、もちろんその、高齢の方から逝ってもらうしかないです。

ーー(文字おこし掲載ここまで)ーー

この発言の動画は、私が知ったころには、すでにたくさんTwitterで拡散されていました。たくさんの方々にれいわ新選組が恐怖・失望を与えていることを重く考え、私は自分のツイートアカウントで、大西つねきさんの発言を批判しました。以下のとおりです。

ーー(大石のツイート)ーー2020年7月7日20:23

この大西つねきさんの発言は許されるものではありません。観る前は発言の切り取りかなぁと思ったけど、この動画の時点で言い訳不可ですね。

傲慢さと介護への無知が現れているのだと思います。

みなさまには申し訳ありません。私なりの行動をします。

私の見解:

いま、極めて生産力の高い社会です。その生産力が、庶民のために使われていないことが、問題の元凶なのです。

介護労働のやりがい、科学技術を使っての改善といった、介護現場の人たちの理想と離れた「労働力リソースを介護に割くべきでない」論は傲慢、無知というほかありません。

党内部で討論は当然として、すでに公開してしまった差別的見解をそのままにする党であってはならないと危機感をもってツイートしました。

リプライ欄の大西つねきさんの擁護論は選別イデオロギーに染められたものが多く、1つ1つ丁寧に説いて脱却しなければいけないと痛感しています。

ーーーー

このことについて、大西つねきさんの真意を理解していないというご意見、又は逆に、私の対応は甘い、という両方のご意見を多くのかたからいただきました。

■私が経験で学んできたこと

大西つねきさんが言う「高齢の要介護(看護)者の命の選別」について、どうして私が許せなかったのか。私の考えを説明します。

私も元々は、高齢化社会を心配する一人でした。働いたり、自分で歩いたり生活できなくなった高齢者を、現役世代(働ける人たち)で支えなくてはいけなくて、税金や時間の負担が重くのしかかってしまうのではないか、と負担しないといけない側の感覚で考えていました。だって、そういうイメージ図が、報道でも、自分の働く役所でもどこでも、あふれていたからです。

それでも、そんな図自体がおかしいんだ!という結論に行きついたのは、やっぱり、この社会の風潮に抗いたいと思ったからです。戦争経験を含めて色んな苦労や人生体験をした人生の先輩であるお年寄りを「社会のお荷物」のように見立てるのがイヤだからです。そして、介護は汚くて嫌な仕事だというという考えが大多数の世の中で、それでも介護の仕事が好きだという人、命の尊厳を大切にしようと奮闘している人に出会ってきたからです。その人たちとの出会いが私の心の中に残って、私を突き動かすからです。

出会いの1つは、もう15年以上前、私の中学時代の同級生です。電車でたまたま出会ったとき彼女が「見てや!」とカバンの中から取り出したのが、自分が働いている介護施設を利用するおばあちゃん、おじいちゃんの写真のアルバムでした。この人が〇〇(愛称)で、こんなこと言っててむっちゃおもろいねん、かわいいねん、と電車から降りて別れるまでずっと楽しそうに話していました。中学時代にはお年寄りを大切にする意識が高いとは思えなかった彼女がどうしてなのかな?と介護労働経験のない私は不思議でした。それで「なんで保育士じゃなく介護に行ったん?」と聞いたら「両方の体験に行って、お年寄りのほうがむっちゃおもしろかったから」と言っていました。さらに不思議に思って「オムツとか変えなあかんよね、嫌じゃないの?」と聞いたら「エプロンうんこだらけになるでー。でも慣れたら大丈夫やし、むっちゃかわいいで」と屈託なく言っていました。ただただすごいなぁと、そのときの衝撃は忘れられません。

小学生の同級生も介護ヘルパーをしています。会ったときに「賃金が低いのになぜ続けているか」聞いたら「自分にはおばあちゃんがいなかったから、お年寄りの言うことは勉強になるし、自分のおばあちゃんみたいに思える」とのことでした。そう聞いて、自分もそんなふうに人を大切にしたいな、お年寄りになったときに大切にしてもらいたいなと、泣きそうになりました。

今、私は「介護・福祉総がかり行動」という介護事業者と従業者などで作るネットワークに参加させてもらっています。そこでも、コロナ禍で大変な中でも、ちゃんとお年寄りを介護させろ、そのための防護服等の体制と、危険手当を行政は補償しろと、行政に申し入れをおこなってきました。

このようにして、私自身は元々、高齢者に冷たい視線を持っている自分がいたのですが、子どものときに私と全く同じ目線であどけなく遊んでいた同級生の成長や、今一緒に活動している介護現場の人たちにふれて、私もそのようになりたいと思っていますし、お年寄りの方々1人1人が望むケア、ご家族が望むケア、介護従事者が望むケアが出来るように今の政治を変えたいと強く思っています。

また、ケアが必要なのはお年寄りだけではなくて、障がいのある人、子ども、病気になったとき、私たちは人生を通じて様々なケアが必要となります。その全ての現場において、正解はなくても少しでも本人や家族やケア労働者の望む体制が可能になるようにしたいです。そのために、人手不足・サービス不足の根本原因である低賃金を解消するべく、介護・保育の所得倍増を基本政策に、現場の方々とのネットワークや政策提言の活動をしています。

もう少し出会いのことで。

「全ての子が普通学級で学べる公教育(インクルーシブ教育)」「少人数学級」の活動を一緒にしているある保護者の息子さんはダウン症をもつA君です。A君は初めて会ったとき、私の腹にパンチを入れてきました。「ちょっと何するん」と苦笑いしたら足を蹴ってきました。A君の顔は冗談ではなく真顔でした。ああ、今日は私のことは気に入らないんだなぁと思いながら、A君の横に並んでとぼとぼ歩いているとA君はごく自然に私の手をつないできました。私は心が明るくなって、一緒に食事に行けました。A君は同じようにして、小学校でも同級生と仲良くしているそうです。その子たちは大人には想像できないように自然にA君と仲良くなり、A君のよだれをふいてあげたり、トイレ介助をしたり、そのクラスは体育で走高跳びなどの授業があっても、うまく飛べた子だけでなく全員に自然に拍手を送るようになったことなど知りました。子どもたちは色んな子どもと接する中で、優しくなれる。それでもA君のお母さんは、「本当にA君が望むことは、A君にしかわからない」と言っています。

私の娘は、人前で話すのが苦手ですが、朝礼当番になったときに、娘の代わりに声を出してあげる子役がいたり、娘の同級生もそれを見て色んなものを受け止め吸収しているだろうと思います。

そうやって人のお世話をしあうことを楽しめる社会、本人がどう考えているかは究極的にはわからないけど、謙虚に、できるだけ本人の望むことをすくい取れる努力をする社会。誰もがそれを享受できる。そんな社会が悪いものだとは私は到底思えません。私はそんな社会で生きてみたいです。

だから松尾匡さんや様々なかたから、反緊縮の経済理論を学びました。いずれのかたも、「全ての人の尊厳を守る」から逆規定して、何が必要かを考え、反緊縮やMMTを唱えておられる方々です。

労働力リソースはまだまだ増やせる余地があること、また、ケア労働を遠慮したり節約する必要などない、本気を出せば(政権を取れば)、既存の予測の延長線で考える意味がないほどサービスを大きく増やせる、質を高められる可能性を感じました。そういう大転換の中で、ケア労働への価値観もまた変わると考えています。

その考えにいたり、そんな政治運動の最先頭にいると私が感じた、山本太郎さんが代表をするれいわ新選組に参加を希望しました。れいわ新選組の木村英子議員は、施設では自分の尊厳は守れないと飛び出し、家への出入りや外への移動を、道行く誰かの介助を待ちながら生き抜いてこられました。舩後靖彦議員は、ALSを発症後、『命の価値は横一列』という講義を、複数の大学でやってこられました。痛みを知り、生きたいという自分の気持ちを大切に、命がけで闘ってきた人たちと一緒に進み、社会を大きく変えていきたいと思っています。

去年2019年12月、山本太郎さんの大阪での屋内講演を聞きに行きました。そのとき、会場からの質問で、「『生きてるだけで価値がある』と山本太郎さんは言うが、自分はどうしてもそう思えない。なぜそう思えるのか。」という質問があがりました。山本太郎さんは「生きてるだけで価値があるとは思えないのはある意味、当たり前だ。だってそういう社会だから。だから『生きてるだけで価値がある』と言うことからしか始まらない。そんな社会が見たいから、そう言っている。」という主旨の回答をしたと記憶しています。私は、ああそうか、「生きてるだけで価値がある」は山本太郎さんの憲法のようなものなのだな、そう思えない自分もあなたも含めて変えていくんだという意思の提案だと思いました。「健康で文化的な最低限度の生活」などは絵空事になってしまった、この腐りきった社会において、それでも「生きてるだけで価値がある」と言い切り、暑苦しくてもクサくても「あなたを幸せにしたいんだ」「生きててくれよ」と叫ぶことからはじめたい。そうして、あなたを不幸にする社会を政治をひっくり返していきたい、それを共感するみんなでそれをやろうよ、ということなんだと思います。

■れいわ新選組の研修と総会にて

7月16日の研修では、「身体障がい」のある講師と大西つねきさんの対話がなされました。(本来は講師が精神的なダメージを負う可能性が高い対話形式は企画するべきではないものですが、講師のかたがお考えを冷静に伺いたいと対話を望んだことから、そのような形式にしたものです。)

大西つねきさんは、例の発言は障がい者のかたに向けたものではないとしつつ、講師の「『高齢者、若者、長生き』の定義はなんですか?」という問いかけに「雑に急いでしゃべった」として、明確な定義はされないままでした。講師の「例えば、20代で生涯を終えることの多い障がいもあるが、その人は若者に含めるのか」の問いにも明快な解はなく、判断基準としては「自然の摂理に従う」という抽象的なものでした。そうしたとき、大西つねきさんがあの発言の際、「高齢者のみを想定した」のが主観としては事実だとしても、定義のない抽象的な「自然の摂理に従わない形で、介護・医療リソースを使う高齢者」から「介助がなければ命を失う障がい者」を除外していたとは考えにくいです。「雑に」言ってしまった自分の言葉は、目の前にいる講師や舩後さんに対する「あなたに逝ってもらう」をも意味してしまうことに気づくものではないでしょうか。すでにその前日に、そのように木村さんに指摘されたこともあわせればなおさら。

また、対話では、「そもそも命に“価値”はないと考えている」と講師が言うと、大西さんはそれを肯定し「命に意味はない」と返しましたが、講師に「でもあなたは生きる意味が必要だと冒頭おっしゃいましたね」と矛盾を指摘されると「僕の場合はそうだ」「(僕の場合は)『ただ生きるだけ』はできない」としました。「ただ生きるだけ」の定義はわかりませんでした。

発言を振り返ってどうかという問いには、「アホなのでやっちゃった」「発言のときと考えは変わっていない」「自分の考えは話すときが来る(ここでは話さない)」といった返答がありました。

講師は最後まで冷静に論理的に、大西つねきさんの自己矛盾を指摘して終わりましたが、大西つねきさんがご自身の論理的矛盾の指摘に向き合わずすり抜けていく様子は、講師に対しても不誠実でした。誰でも間違いはしますし、人を傷つけたりもしますが、指摘されたら受け止めて自分を変えていきたいものです。それをしない政治家というのはとても怖いし、すでにたくさんいるのでこれ以上は増える必要はないと強く感じます。

一部の大金持ちがますます大金持ちになるルールの下で、命が売買され、命へのあきらめがまん延する社会の中で、「その命」「その尊厳」のために抗いたい人々が、どの歴史にも存在しているし、私の目の前にも存在しています。私もそうです。じゃあ、その存在がある限り、私はその人たちと、突き動かされ続けたい。そんな歴史の波の中で自分の命をまっとうしたい。あなたにも一緒にそうしませんかと誘いたい。

大西つねきさんの除籍処分は、大西つねきさん本人に恨みがあったわけでは全くありません。総会当日、大西つねきさんには、おこがましく説得を試み、「死の自己決定権のゆくえ」という本をもらっていただき、別れ際に握手を求めました。大西つねきさんは全て応じてくれました。

ただ、私が出会ってきた、命の選別と抗う人の存在に、私が真摯に向き合う方法として、「私は命の選別思想と決別する」という意思として、除籍に賛成しました。研修の機会がありながら、同じように選別思想と決別することを選ばなかった大西さんのことは残念です。その翌日の大西つねきさんの記者会見も、到底、受け入れられるものではありません。

今後も、大西つねきさんが再生産しようとしている選別思想や、主観的で誤った労働リソースの観念に対抗します。また、広範な、命の選別に抗う人、抗いたい人と行動を共にします。

※以下、上記の「死の自己決定権のゆくえ」という本の一部を紹介します。この本は、ある方から「れいわ新選組の総会前に読んでほしい」と頂き、読み進めています。人の命に勝手な線引きをしてはならない事例が載っています。人は無知であり、傲慢になってはならないと、改めて思います。みなさんにも読んでいただければと思いました。

https://www.oishiakiko.net/20200718-inochi/

29. 2020年7月19日 08:36:44 : 4QXwIIK7dY : Z3YxRFBjTld1RTY=[2] 報告
松尾匡のページ
20年7月18日 大西つねきさんの発言をめぐって
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__200718.html

【つねき発言事件でショック】
 前回のエッセーで、山本太郎東京都知事選挙出馬によって、反緊縮運動における左派・リベラル派の影響力が減退し、極右的な影響力が増すのではないかという危惧を表明しましたが、それをアップしたあと、れいわ新選組のメンバー(当時)の大西つねきさんが、例の「命の選別」発言をしていたことを知り一気に気持ちが沈みました。この事件の結果、私の危惧した方向が、ますます進行したような気がします。
 何よりもショックなことは、れいわ新選組の支持者らしき人はじめ、反緊縮政策に理解があると思われる人たちの間で、こんなにも大西つねきさんを擁護する人がいるのかということでした。私のつたないネット技術で見る限り、反緊縮勢がつねき擁護し、反・反緊縮勢がつねき批判・れい新批判しているような印象で、それ以外は存在感が薄い感じがしました。
 それだから、れいわ新選組の立候補予定者で、私が代表をしている薔薇マークキャンペーンの事務局(念のために書いておくと、ここには共産党員も立民支持者もいて反緊縮だが特定政党に偏ってはいない)の大石あきこさんが早い段階で問題を指摘してくれたことは大きな功績だったと思います。遅れていたらどうなっていたことか。もっと手のつけられない大きな傷になったと思います。でもそのために大西つねきさんの発言の擁護者からたくさんのバッシングを受けているようで、これもまた心が沈む事態です。
 つねき発言が、反緊縮思想にもれいわ新選組の基本思想——「すべての人は生きているだけで価値がある」——にも、根本的に相容れないことは明白なことで、筋金入りの反緊縮の大石あきこさんがすばやく反応したことは当然のことと思いますが、中にはそんな彼女の反緊縮を「ウケ狙い」と疑う人もいるそうで、残念に思いました。彼女は、私の反緊縮経済理論を深いところから理解してくれている数少ない人の一人だと思っています。

【大西つねきさんの発言がどんなものでなぜいけないのか】
 大西つねきさんは私と同じく日本における数少ない政府貨幣論者で、これについての日頃の啓蒙・宣伝活動には常々心強く思っていました。れいわ新選組の経済政策も、大西さんがいるなら安心だと思っていました。それだけに今度の事態はとても残念です。
 一時は大西つねきさんも発言の撤回、謝罪をされていましたので、期待するところはあったのですが、残念ながら謝罪撤回されてしまって、開き直られては、「除籍」ということに至ったのは当然のことだったと思います。「構成員」のみなさんは、みんな傷ついて、お疲れになったことと思います。しばらくお疲れをいやしていただけたらと思います。

 大西さんの発言がどんなもので、何がいけないのかは、下記リンクの荻上チキさんのnoteをご覧いただければ、おわかりいただけると思います。つねき発言の動画の文字起こしが載っています。

大西つねき氏の「命の選別」発言の問題点(文字起こし付き)

 私は荻上さんとほとんど同じ意見ですし、大西さんの処分を報告した山本太郎さんの記者会見の説明ともほとんど同じなのですが、若干荻上さんの議論の繰り返しになるところもありますが、以下に私見を述べておきます。(山本太郎さんの記者会見で出たコロナの問題については、私の医療知識がないので保留します。)
 以下に述べることは、私、松尾匡の個人的な見解であり、薔薇マークキャンペーンの見解ではありません。薔薇マークキャンペーン事務局での議論は方向性として私と同じですが、対外的な意見表明となるには、今しばらく慎重な議論が必要です。
 また、私はれいわ新選組の外部の人間ですので、以下の見解はれいわ新選組の見解でもありません。

【トリアージや個人・家族の選択の問題ではない】
 まずおさえておかなければならないのは、トリアージとか個人の生死観の問題とかは、この議論とは関係ない筋違いな問題だということです。つねき発言の問題は、平時に継続的に維持される公的システムをこう変えようという話だから問題なのです。しかも、結局は個人の人権とか個人の願望を根拠にした話ではなくて、あからさまに労働制約を究極根拠にした全体論だから問題だという、このことがおさえられなければ議論がへんになると思います。

 ちなみにこのたびの騒動で、れい新支持者にも、財政制約を根拠にする人がいるのだとわかりましたが、これはまずもって入り口で、財政制約などないと説得することがれい新の役目でしょう。そこまで言い切っているところがれい新の反緊縮のオリジナリティなのですから、世の中に流布する命の選別論が結局ほとんどが財政制約を根拠にしている以上、それをちゃぶ台返ししないと何のためにれい新の反緊縮論があるのかわからなくなります。

 大西つねきさんはもちろん、財政制約などないということはご存知です。だから労働制約の話をされているわけです。これが、個人を超えた全体論的な理屈づけで政治が個々人の命を選別する話になっている点で問題なのです。

 だから、つねき発言を問題にすることは、経済的理由が(本音では)根拠で延命治療を断らざるを得ない家族や、医療資源不足でコロナのトリアージを余儀なくされた医療労働者を責めるものではないということを理解してほしいです。
 これらのことは緊縮をはじめとした貧弱な体制のせいです。だから、政治運動として公的に実現を訴えることは、まずは緊縮をやめろ、誰もが長生きしたくなる社会を作れと言うことです。しのごの言わずに政府が金費やして今のうちに人工呼吸器量産しろ、危険手当ていっぱい出して医療従事者をたくさん確保しろと言うことです。現状の貧弱な体制を話の前提にしてはなりません。
 肉親の延命治療を止めざるを得なくなった家族、トリアージを余儀なくされた医療労働者の、苦渋の思いは、みんなでその重みをシェアして緊縮への怒りに向けるようにめざすのが反緊縮運動だと思います。こんな現状でも現場の関係者が思い悩まずスッキリさせる方向に公的制度を向けようというのは反緊縮運動としてちょっと違うと思います。

 それから、つねき発言を問題にすることは、残された命を苦痛なく快適に生きるために、寿命が縮むリスクはあるけど緩和ケアを優先することを本人が選ぶことを否定するものでもありません。むしろ本当に当人にとって生きててよかったと思える丁寧なケアを実現するためには、単なる延命治療よりも多くの人手と医療資源を必要とする可能性があります。十分にそうした資源をつぎ込める保障があってこそ、本当の意味で個々人にとって自由な選択が機能できるのだと思います。大西さん流の労働制約の根拠づけからは、むしろこうしたことは根拠づけられなくなります。
 (17日の大西つねきさんの除籍後の記者会見でも、個人が「生きる質」を享受する自由の問題と全体論的な労働制約の問題の混同が見られましたが、労働制約を根拠にすると「生きる質」の充実にとっても制約になるということを認識しておられない気がします。)
 大西さんの根拠づけの問題は、そういう、個人の快適さとか人権とか尊厳とかのことにはないのだということに気をつけてください。上のリンクさきの荻上さんのnoteの文字起こしをよく読んだらわかります。

【「人は生きているだけで価値がある」の真のポピュリズム】
 なによりも、私は、山本太郎さんが常々語るれい新の基本哲学、「人は生きているだけで価値がある」という言葉は、非常に革命的な言葉だと思っています。どこが革命的かというと——
 普通の政治勢力は、新自由主義者もリベラルも、人格の所在を「理性」に見て、身体を理性の持ち物のようにみなします。そして、理性的にお金儲けを計算するとか、理性的に公共的なことを考えるとかを個人に課してきます。そしてその優劣で人をランクづけし、不遇な結果を自己責任扱いします。
 れい新はそうした押し付けに生きづらさを感じた人たちにアピールできたのです。それは、それに代えて、「生きているだけ」でも存在する生身の個人を人格の主人公にすえ、空腹の胃袋や筋肉痛の手足を変革の根拠にして、エリートの「理性」が作った強者の都合の押し付けに反逆したからだと思います。

 これが本当のポピュリズムというものだと思います。
 荻上チキさんの上のリンク先の文章で一つだけ全面的には納得できないのは、れい新のポビュリズム的側面を支える情念がこのような「命の選別」を合理化する危険を持つとされた点です。
 大西つねきさんの動画での言い方は、合理的な自分が政治判断して、生身の命を救うか救わないかを決めるということです。これはエリートの理性が支配して、生身の個々人のコントロールのきかない外から、生身の個々人の誰彼を損壊してくるということであり、ポピュリズム的情念が本来最も敵視してきた図式の極端な例と言えます。これを「犬笛」として出てきたいろいろな「命の選別」論は、やっぱり自分の方が情緒を離れて合理的だということを互いに競い合っている感があります。おそらく大西さんのこういう議論を、街頭の大観衆の前でしたら、大衆が熱狂するかと言うとしないでしょう。引くと思います。

 私見では、「人は生きているだけで価値がある」という姿勢は、「生きているだけ」でも存在する生身の個人を人格の主人公にすえているからこそ、たとえ一般に「意識」と呼ばれるものがない状態で生きている人でも、尊厳ある人格を持った権利主体として扱うことを要請します。その人の身体反応レベルの選択は、いわゆる理性的選択と優劣なく、最大限尊重しなければならないと思います。ここにはつねき流命の選別の入る余地はありません。

 そして、だからこそ反緊縮になるのだと思っています。
 緊縮政策とは、「生きているだけ」でも存在している生身の個人が損壊されるかされないかが、所得の大小や、総需要不足で限られた雇用にたまたまありつけているかどうかで、選別されるシステムです。それが、分別ぶった財政規律論のお説教で押し付けられるわけです。それに反対するからこその反緊縮です。
 私も多くの反緊縮派も、財政危機論は誤った幻想だとわかっています。しかし、たとえそれが間違ってなかったとしても、「財政」も「通貨」も、本来は人が生きていくためのツールとしての決まりごとにすぎません。それを自己目的にして、「生きているだけ」でも存在している生身の個人を犠牲にすることは本末転倒です。まずは、「生きているだけ」でも存在している生身の個人が、誰一人漏らすことなく「生きていてよかった」と言えることをめざすことが優先されるべきです。

【問うべきものは労働配分の選択】
 この立場は大西さんが指摘されている労働制約があったとしても変わるものではありません。
 将来的に、高齢化が進行することで、医療・介護などに人手がたくさん必要になり、それらの部門で必要になる物財の生産のためにも人手が必要になって、日本経済全体でどれだけの労働不足が発生するかという問題は、同僚の橋本貴彦教授と私が2030年について産業連関分析によって簡単な計算をしています。

高齢化時代における蓄積と社会サービスへの総労働配分と搾取:投下労働価値計測の応用

 ここでは、高齢者一人当たりの医療・介護サービスを2010年のスウェーデン並みにしたときに、必要となる総労働のうち約15.4%が,そのときに存在する推計総労働賦存量に比べて不足することをみいだしています。
 これは、医療・介護部門以外で、基準時点の2010年からの20年間で、年率0.84%の労働生産性の上昇があれば、医療・介護関連で必要になる不足分の労働は作り出されることを意味します。これまでの現実に照らして年率1〜2%ぐらいの労働生産性上昇はあるものだと考えれば、十分に達成されます。しかし、これは政策を考えるときに今あてにしていいものではないと思います。あえて労働生産性を上昇させる政策など、供給構造改革とかろくでもないものです。

 だとすればどうすればいいでしょうか。
 この場合、社会的合意をつけて選別されるべきものは大西さんの言うような「命」ではありません。どの分野の労働配分を減らすかということです。消費財を生産したり流通させたりする労働を減らすというのであれば、消費税を上げることになります。私たちは、日本の場合、固定資本形成(機械や工場などをつくること)のための直接・間接の労働配分割合が他の成熟先進国と比べて高く、民間のそれは高度成長期末期の1970年と変わらぬ約2割を維持し続けていることを発見しました。そこで私たちは、この労働配分割合をまず減らすことを提言しています。これは法人税を上げることなどを意味します。
 そのほかにも、労働配分を減らしていいと社会的合意をつけられる分野はあると思います。それが政府支出で維持されているならばその政府支出を削減すればいいし、そうでなければそこに税金をかければいいことになります。
 この計算は荒削りのもので、まだまだ改良が必要です。それに女性や高齢者の労働力化が、この計算で前提している政府の予想以上に進行することも考えないといけません。いきなり命の選別の話をはじめる前に、このような方向を考えていくことこそ必要なことなのだと思います。


※ 当初、文中、「たとえ大脳が全く機能しなくなった人でも、尊厳ある人格を持った権利主体として扱うことを要請します。もちろん殺してはならないことは健常者を殺してはならないことと同じです。その人の身体反応レベルの選択は、健常者の理性的選択と同等に、最大限尊重しなければならないと思います。」という表現がありました。ここで、大脳が機能する人を指して「健常者」という表現を使いましたが、「健常者」は「健常者/障害者」という対比の中で、上に立つグループという差別的ニュアンスのある言葉でした。したがって、無思慮にこの言葉を使うと、「障害者は殺してもいいのか」という大変恐ろしく差別的な意味で受け取られかねないことがわかりました。無思慮をおわびし、ご指摘に深く感謝いたします。大西つねきさんの発言が、差別・選別される側に痛みをもたらした問題をとりあげた文章で、同様にひとを傷つけることに気づかなかったことを大変恥ずかしく思います。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__200718.html

30. 2020年7月20日 04:47:28 : ES84LdNrMS : SlBKRjMyRlBKaVk=[1] 報告
142名無しさん@社会人2020/07/19(日) 22:04:27.51

各議員の態度まとめ

木村英子・・絶対に許さない。総会前日に公式声明を発表。
大石あきこ・・絶対に許さない。発覚時(7/8)Twitter上で意見を発信(現在削除)。総会後声明発表。
辻村ちひろ・・許されるものではない。発覚時(7/8)Twitter上で声明を発表。

舩後靖彦・・許されるものではない。れいわ勉強会の参加は認める。総会後声明発表。
山本太郎・・許されるものではない。当初は離党処分検討。大西の態度を受け除籍を提案。
三井よしふみ・・許されるものではない。当初は離党勧告、大西の態度を受け除籍に賛成。総会後動画で経緯説明。
北村いたる・・許されるものではない。当初は離党勧告、大西の態度を受け除籍に賛成。
渡辺てるこ・・総会前日Twitter上で除籍を表明(すぐ削除)。総会後舩後に同調。

安井みさこ・・許されるものではない。離党勧告。
田島つよし・・許されるものではない。離党勧告

くしぶち万里・・Twitterで軽くコメント。

太田かずみ・・現時点で態度表明なし。
大池ゆきお・・現時点で態度表明なし。
竹村かつし・・現時点で態度表明なし。
蓮池透・・現時点で態度表明なし。

天空界の人々
野原ヨシマサ・・総会後声明発表。大西信者、れいわアンチの意見を真に受けている模様。自己の判断に根拠はなく混乱中。
安冨歩・・恐らく委任。Twitterで今回の件に関すると思われる孔子の引用を記載するなど高いところから評論。

145名無しさん@社会人2020/07/19(日) 23:10:42.02

各候補者レビュー(>>142を参照しながらお読みください)

木村英子・・85点
絶対的に正しいスタンスではあるが、舩後議員のような論理性や柔軟性に欠き、総会前日に声明を発表する等、扇動的な面も見え隠れ。
拒否反応を引き起こしアンチを生んでしまった事実はマイナス。
しかし当事者の言葉は重い。上記を考慮せよ、というのは無理筋である。
語弊はあるが、当事者パワーで高評価。

大石あきこ・・65点
Twitterで瞬発的に意見表明。しかし、ここで大西つねき氏の動画を引用していたため二次被害拡散(後に削除)。
総会後発表の声明も、自身の大西つねき氏に対する言葉の刃の鋭さと比較して、表現の未熟さや自身への甘さが目立つ。
対応の速さ、スタンスが明確であること、一応の説明責任は果たした点を評価。

辻村ちひろ・・75点
当初より声明を発表する応答の速さ、中途半端な発信は行わない潔さが際立つ。有権者を混乱させないことを考慮か。
経緯の説明等の点で有権者の気持ちをフォローしているとも言えないが、それはブレない安定感として捉え、加点。

舩後靖彦・・90点
当事者でありながら、木村英子氏とは異なり論理的で冷静な対応。
大西つねき氏に、勉強会の参加権を与えるなど、柔軟さも見て取れる。
大西つねき氏の"おごり"を指摘するなど、厳しいながらも、非常にバンランスの取れた対応を見せた。
ネオ当事者として大変な高評価。

山本太郎・・45点
何度でもやりなおせる社会、誰も選別されない社会、という自らのポリシーを崩すことのない対応を行った。
一方、"レクチャー"に関する二次被害・思想教育的になる点への浅慮が見られた。
また、代表という立場でありながら、他党員に先行した処分方針の発表、スタンスの変更による支持者の混乱やアンチの激化の要因を作り出してしまった。
『厳しく指摘してください』と表明している割に、今回の件への大幅な対応の遅れ、情報収集の杜撰さも見て取れる。
代表としての責任を考え、今回は超低評価。
今後、体制整備など党としての強化、政治家としての進化を願う。

146名無しさん@社会人2020/07/19(日) 23:11:43.64
各候補者レビュー(>>142を参照しながらお読みください)

三井よしふみ・・85点
非常にバランスが取れた判断力。知性も感情も優れている。
総会後発表の動画内で、総会の経緯や自己の判断理由を説明するなど、有権者のフォローも行ってくれた。
周辺の怪しい人物など気になる点もあるが、今回は、当事者以外で最高評価。

北村いたる・・70点
三井氏と同様のスタンスでバランスが取れているが、Twitterで意見を表明するのみの対応など、説明責任の点で疑問。
深慮している可能性もあるが、不誠実感も感じるため、今回は低めに抑えた評価。

渡辺てるこ・・65点
舩後議員の判断に同調しているが、自ら意見を表明してはいない。
有権者への説明責任を果たす様子も見受けられず、総会前のツイ消し等対応スタンスのブレも見られる。
特段の推す材料も見当たらなかったため低評価。

安井みさこ・・75点
総会後の声明での理知的でバランスの取れた文章、感情面の豊かさ、かつ外形的な判断を崩さず離党勧告に留める点など、非常に成熟した候補者であることが分かる。
この声明への高評価だけですでに75点。
ただし、これは声明文上での話であり、さらなる加点は今後の活躍を見るまで保留。

田島つよし・・・70点
何度でもやりなおしが出来る社会をというれいわのポリシーにしたがって、離党勧告に留めた点で大変温情的であり、この人柄を評価。
ただし、須藤元気的おバカキャラに堕する可能性もあるので、今後のムーブを注視。

くしぶち万里・・60点
Twitterでの発信の仕方に浅慮が見られる。
総会後の声明発表もなく、意見発信は党派的なものにも見え、除籍の判断理由が不明確。
特に加点材料が見当たらず、この評価に。

147名無しさん@社会人2020/07/19(日) 23:12:21.68
各候補者レビュー(>>142を参照しながらお読みください)

太田かずみ・・0点
大池ゆきお・・0点
竹村かつし・・0点
蓮池透・・0点
この4人に関しては、特に発信がないため本来は採点不能である。
ただし、事態の経緯や自らのスタンスに対する説明責任の点で、今回の件に関して発信がないことは不適当である。
さらに、これを『自らのスタンスを表明し支持を得る好機』として活用出来ていないことも、政治家としては低評価。
以上の理由から、採点不能ではなく、0点とする。

野原ヨシマサ・・-80点
自らの判断基準を持ち合わせず混乱している。
過激派アンチや陰謀論者の非常に偏った意見を真に受けている。
非科学的なアンケートを総会に提出している。
以上の事実を受け、-100点としたいところではあるが、声明を発表したのはよいことなので20点加算。

安冨歩・・±∞点
孔子を引用した評論は大変よい内容。
ただし、本人は委任(丸投げ)をしており、評論がアンチにも利用され、この状況に対する直接的に説明は皆無。
自らの評論通りの行動を行っているようにも見受けられないず、現実世界から乖離した様子が目に付く。
れいわの女神様として、遠くかられいわを見守ってね。


167名無しさん@社会人2020/07/20(月) 01:06:23.66

マジで構成員整理したほうが良いと思う
今回の騒動に対する各構成員の反応は面接などでは分からない人間性を調べる良いリトマス試験紙だった

さらに大西思想を持ちながられいわに公募するような門前払いでお断りしたいSNSで自我肥大してるような公募者も篩にかけることが出来た
安冨は問題外として自己の判断基準を持たない野原さんや自分の意見を表明しない1期メンは正直これどうしようもないだろ
2期メンは意見表明できなくてもしょうがないと思うが


181名無しさん@社会人2020/07/20(月) 04:41:04.39

大西つねきはもう講演のお呼びもかからないし、youtube で動画発信もしないだろうから
自然死だな

もう56歳だから強制安楽死でいいよ

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/sociology/1595088476/l50

31. 2020年7月20日 14:13:06 : ES84LdNrMS : SlBKRjMyRlBKaVk=[3] 報告
【岩上安身のツイ録】「命の選別」は大西つねき氏だけの問題ではない! 世代間格差により若年世代を蝕む「高齢者ジェノサイド」論! 2010年に『「若者奴隷」時代』を出した山野車輪氏とのツイッター論争を再掲載! 2020.7.19
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/478419

 2019年の参議院選挙に、山本太郎氏率いるれいわ新選組から出馬し、山本氏、蓮池透氏に次いで、れいわとしては3番目に多い1万9842票を得た大西つねき氏が、7月16日、れいわ新選組を除籍処分となった。

 大西氏は7月3日に自身のYouTubeアカウントで配信した動画の中で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」「生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」「その選択が政治なんですよ」「高齢の方から逝ってもらうしかないです」などと発言し、大きな問題となった。「逝ってもらう」とは「死んでもらう」「殺す」という意味に他ならない。政治によって生命を選別し、社会的な負担を軽減するため、高齢者を順送りして「殺してゆく」ことを強く訴えていた。

れいわ新選組の公認候補である大西つねき氏がナチスも顔負けの「高齢者の命を選別すべき」と発言!! しかも「生命の選別しないと駄目だ」「その選択が政治」とまで言いきる! しかし、れいわ代表の山本太郎氏は大西氏を「除名しない」と声明!! 2020.7.8
 この発言が「中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る」という、れいわ新選組の綱領(立党の理念)と正反対の主張であることから、大西氏は16日に開かれた総会での決議を経て除籍となった。

 一方、大西氏は7月17日、離党会見を開いて「自分は生産性や能力、ナチスによる人種による選別などとは一言も言っておらず、むしろ反射的にそんなことを連想するほうが、差別と偏見に満ちている」などと詭弁を弄して反論した。

れいわを除名された大西つねき氏「命の選別」発言に対する謝罪は本心ではなかったと開き直り!高齢者ジェノサイドを正当化する命の選別思想を口にし、次回衆議院選出馬まで表明!〜7.17 大西つねき氏 れいわ新選組離党会見 2020.7.17
 しかし、大西氏の主張する高齢者に「逝ってもらう」とは、「殺す」ということであり、「その選択を政治がする」とは、すなわち国家による組織的な高齢者ジェノサイドの遂行を主張していることに変わりはない。

 大西氏は17日の会見の中で弁明として、少子高齢化で人口バランスがいびつになるなかで、「人の時間と労力」というリソース(人材)を確保するために、「国家経営上の決断」として、死に近い高齢者の「最後の出口を少しだけ緩める」ことが方策だと主張している。少子高齢化の問題は何十年も前から指摘されていることである。解決する方法は、2つだけである。若年人口を増やし、人口維持水準に戻すこと。もうひとつは、若手の移民を入れて人口動態バランスを少しでも回復させることだ。しかし、後者には抵抗する人々が多く、社会的コンセンサスが形成されず、現実に進んで来ていない。となれば、若手人口を増やす、若い世代が結婚し、子供を安心して産み育てる社会をつくること以外にない。そうした社会をつくる努力を、大西氏はこの数十年の間、してきたのだろうか!? 人口動態バランスを回復させるには、地道でポジティブな努力を積み重ねるしかない。それを諦め、投げ出し、生産性の落ちた高齢者から「逝ってもらう」ことで「解決」をはかろうとする。これは人間の「清算主義」という危険思想である。

 非常に危惧されるのは、ネット上ではこのような大西氏の危険な主張に共感し、大西氏の発言を擁護する声が後を絶たないことだ。大西氏は伏在していた若年層の不満にはけ口を与えてしまった。パンドラの箱を開けてしまったというべきである。

 岩上安身はかつて2002年から2003年にかけて、『正論』(産経新聞社)で連載した「日本人が消滅する日」の中で、今後、生産年齢人口が急激に減少していくという、経済企画庁が1997年9月に公表した「高齢化の経済分析」を紹介し、それ以来何の有効な対策もしてこなかった政府を批判し続けていた。

 一方でその間、「高齢者ヘイト」は激しさを増している。2010年8月6日にはツイッター上で、岩上安身と『嫌韓流』などの著書で知られる漫画家・山野車輪氏との間で、論争となった。

 山野氏は2010年3月15日、『マンガ 「若者奴隷」時代』(晋遊舎)を出し、増え続ける年金負担額などを理由に、「高齢者が若者を搾取している」と指摘した。

 表紙には副題として「『若肉老食』社会の到来」と記され、若い男女を犬のように鎖でつないだ老人が「だ・か・ら 若者は高齢者に一生貢いでいればいいんだよ!」と叫んでいます。老人の足元では、重りをつけた足かせをつけられた若い男が「ジジババを殺らなきゃオレたちはこのままなのか!?」と青ざめている。

 岩上安身は「高齢者に対するヘイトクライム。殺害を匂わすなど、論外」と、このマンガを批判するツイートをしたところ、作者の山野車輪氏から、言論の自由のもと「世代間格差を訴えただけ」だと反論のツイートが返ってきた。

 10年前には、まだ高齢者ヘイトマンガのレベルだった。しかしここでもすでに高齢者を「殺るしかない」という表現が出てきていた。私はこの点にこだわって批判を繰り返した。10年後、もはや「表現の自由」を争う段階ではなくなってしまった。政治家として、政治の判断によって、高齢者ジェノサイドを実行しようと公言する人物があらわれたのだ。それも、生命の尊重と平等を最もラジカルに訴えるれいわ新選組の中に、高齢者ジェノサイド政策を進めることをたくらむ人物がまぎれ込むなどに至っていたことは、ショックなことである。高齢者ヘイトの事態は悪化し、深刻化している。
  
 ここにあらためて、2010年8月6日のツイートをまとめた。

岩上安身「いつか姥捨てが始まると警鐘を鳴らしてきたが、とうとうきたか、という気がします。ほとんど高齢者に対するヘイトクライム。殺害を匂わすなど、論外」

山野車輪氏「若者を批判的に書いた若者論の本はたくさんありますが、高齢者を批判的に書いた高齢者論の本は見かけません。なので僕は、『最近の若者はケシカラン』というのと同じ程度には『最近の高齢者はケシカラン』と言える言論の自由のある社会を望んでいます。

 若者を批判しても若者を捨てろとはならないが、高齢者を批判すると姥捨てが始まると歪められる。世代間格差を訴えただけでも、世代間対立を煽ると歪められる。話題に取り上げることすら封じ込められてしまう。だから若者冷遇・高齢者優遇の歪んだ社会になってしまったわけだが、これでいいわけがない。

 世代間格差が生み出される制度や環境を作り上げてきたのは上の世代ですがそこはスルーですか」

岩上「言論の自由があるの当然。同時にそこで発せられた言論の質には、表現者が責任を負うべき。

 経済政策や社会保障政策の積み重ねの結果、生涯収支や社会保障の収支に世代間格差があるのが事実としても、批判し是正すべきは公平性を欠いた政策や制度。あたかも高齢者が悪意を持って若者を奴隷化しているような表現(首輪など)は妥当性を欠くでしょう。
 表紙に公然と『ジジババを殺らなきゃ、オレたちはこのままなのか!?』とあります。『殺る』という表現は、『殺害』以外に解釈しようがない。しかも、世代間の収支格差を埋めるのは再分配等の政策。老人を『殺って』解消しますか」

山野氏「返信ありがとうございます! 僕はこれまで、言論の質に対しても僕なりに責任を負っていたつもりで、裁判に訴えられても逃げずに係争したこともありますが、僕が責任を負っていないと岩上氏が考えておられるのでしたら、その根拠って何ですか? 是非聞いてみたいです。

 政策や制度を作り上げてきたのは上の世代。そして変えようとしないのも、上の世代の票数の多さと政治家の結託が一因としてあると、僕は思っています。それを風刺マンガとして表現する『表現の自由』は、日本には存在しないと言っておられるのですか?

 風刺マンガとして表現する『表現の自由』は、日本には存在するのかしないのか、どっちですか? 『殺る』という表現については、それを答えとします。実は、その『殺る』については編集とそーとー話し合いましたが、アリだということになりました」

岩上「表現するな、などと私は一度も言っていない。問題をすり替えないでください。表現の自由を認めたうえで、表現された内容への批判を申し上げている。

 その『アリ』とは? 『殺る』という言葉は、殺害以外にどんな解釈があり得るのですか? それが、世代間格差解消につながるという根拠は?

山野氏「『表現された内容への批判』って一体何ですか? 『殺る』という風刺マンガ的アプローチですか? でも『表現の自由』は認めているんですよね? では、その『表現の自由』の境目ってどこですか?

 『表現の自由』は認めると言いつつ、『例え』の表現全否定ということは僕にも理解できました。違うと仰るのであれば、岩上さんは『表現の自由』のどの辺りを認めておられるのですか?サッパリわかりません」

岩上氏「何度も言いますが『殺る』とは殺害以外に他に解釈できません。究極の暴力を示す言葉です。高齢者への暴力が世代間格差の問題を解決しますか? 

 世代間格差の問題を取り上げることには異論はありません。だが、問題のとらえ方に異議があると申し上げている。高齢者一般を攻撃の標的にするのではなく、世代間の格差を生んでいる政策・制度の是正を訴えるべきでしょう。

 若者は高齢者に一生貢いでいればいいんだよ」という表現もあるが、今の若者もいずれ高齢者になります。一生高齢者に貢ぐ若者であり続けることなど、不可能です。このナンセンスな矛盾は?」

山野氏「問題のとらえ方に意義があるのは構いませんよ。人それぞれですから。僕は、政策・制度の是正だけでなく、高齢者批判の舞台も作りたい。それでいいじゃないですか。

 話がまとまったところで、作業に戻ります。岩上さん、ありがとうございました! 高齢者と世代間格差の問題を少しずつでも広めていけたらと思います。今後ともよろしくお願いいたします」

岩上「素早い撤収ですね(苦笑)。若者層の困窮は大変な問題です。問題提起が実りあるものになりますように祈念します」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/478419

32. 2020年7月30日 18:15:33 : TAWjj7Db7o : OWNZZFdRNEdWZm8=[4] 報告
記者座談会 「れいわ新選組、しっかりせい!」 命の選別騒動に思うこと
2020年7月30日

 東京都知事選の直後から、れいわ新選組界隈が揺れている。大西つねき氏の「命の選別は必要」発言に端を発した炎上騒動から、その後の総会における除籍処分決定を経て、最近になって参院選候補者だった野原善正氏が離党届けを提出する事態にまで至り、政党誕生から1年という大切な時期に、何かギシギシと音が聞こえてきそうな気配すら感じさせている。沈黙によるどんよりとした空気のなかで、多くの支持者たちは「何事だろうか?」と気を揉み、果たして今後どのような一歩を踏み出していくのかと注目の眼差しを注いでいる。こうした状態について、「長周新聞はどのように見ていますか?」との問い合わせを複数いただいたことから、この間の経過についてあるがままを整理してみて記者座談会を持ち、記者たちはそれぞれこう思っているという形式で自由に語り合ってみた。思いは千差万別であり、見解の相違があることも承知のうえで、読者の皆様と共に考えてみたい。

 A 都知事選直後に大西氏がユーチューブに配信していた動画が炎上し、「なんだか大変なことになっているぞ」というのがはじまりだった。「命の選別は必要だ」の部分だけが一人歩きして、SNS上でとくに左側とおぼしき知識人も参戦した形で「けしからん!」「ナチス顔負けだ」「麻生太郎と同列」「優生思想を許すのか」といった批判が展開されていた。正直、「いったいなにが起こってるんだ?」と驚いた。しかし一方で大西つねき氏が常々講演会や動画で話してきた内容を見てきた限りにおいて、その一部分切りとりでは判断がつかないな…という思いでなりゆきを見ていた。真意を知りたいし、どういう話の文脈でそのような言葉を発したのかを捉えない限り、批判も擁護もできないし、まずは動画をすべて見ようと思った。しかし、既に削除されていた。

 B 大まかに経緯をふり返ると、都知事選終盤の7月3日、大西つねき氏が自身のユーチューブチャンネルのライブ配信で発した言葉が騒動の発端だった。同氏は視聴者からの質問に答える形で「世の中のお金が利息など不労所得を得ている銀行などに集中し、ごく一部の株主のところには行くが、ほとんどの人々の手元には行かない。悲劇的なのはお金が行かないことによって活動ができない。例えば子どもの教育に充分使えない。子どもたちが学んで働いて、動けば新しい価値がどんどん生まれるのに、たかだか数字でしかないお金がないために多くの子どもたちの大事な時間が浪費されるのは大きな問題」とのべたうえで、「(コロナ対応で)子どもたちの時間を浪費している。もっと時間を有効に使って今しかできないことがいっぱいあるのにそれをやらせない。本当にそれだけの意味があるのか真剣に考えなければいけない。このまま学校教育やわれわれの生活のあり方が、これからウイルスがいくらでも出てくるなかで、死に怯えて、ある生を精一杯生きることなく、長生きすることだけにその時間を使っていくのかという哲学的な死生観の問題でもある。そこをわれわれはもう一回考えないといけない」とのべた。

 また「(コロナ感染で致死率の高い)高齢者は怖いのでは?」という視聴者の質問に答えて、「(高齢者にとって)リスクは常にあるし、死ぬ原因はいくらでもある」としたうえで、少子高齢化によって要介護人口が増えていくなかで「その高齢者をちょっとでも長生きさせるために、子どもたち、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要がある」「命の選別をするのかといわれるが、命は選別しないとダメだ。その選択こそが政治」などとのべた。

 もともと大西氏は、JPモルガンやバンカース・トラスト銀行などでの為替ディーラーを経て、東北被災地や教育困難校でのボランティア活動をしてきた経験から、お金が社会や人々にとって必要なところに注がれず、借金を増やすことによって一部の富裕層に集中させている現在の金融システムの不条理や、デフレや貧困を加速させてきた「緊縮財政論」を批判し、教育や介護などの社会的ニーズがありながら国の投資が少ないために酸欠状態に陥っている分野に積極的な財政出動をおこなう必要性を説いてきた人物だ。だからこそ経済問題の専門家として、2019年7月の参院選でれいわ新選組の比例候補者となった。

 C 少なくとも昨年本紙でもとりあげた大西氏の持論は、現在が子どもから高齢者まで冷淡な「命の選別」に晒されている社会だからこそ、国が借金(国民にとっての資産)や政府通貨の発行による財政出動で社会的に有用な分野を成長させ、無意味な金もうけや貧困によって多くの人が命を絶つような社会を終わらせ、みんなが本当に必要だと思うことに時間と労力を注ぐことができる豊かな社会を実現しようというものだった。医療や介護の人的資源が不足しているから「命を選別」せざるを得ないというのは、現在の緊縮財政を是認する主張であり、その点から見ても首をかしげるものがあるし、事実に基づいて整理されたものでもなかった。議論を投げかけるにしてもいささか観念的で、今向き合うべき現実からかけ離れている。批判や議論を呼ぶことは避けられないものだったと思う。

 B たちまちSNS上では「れいわ新選組の候補者が優生思想を語った」「相模原事件の犯人と同じ危険思想」「ただちに辞職勧告か除籍が政界の常識」などと蜂の巣をつついたような騒動になり、7月7日に大西氏は党本部からの指摘を受けて自身の公式サイトで発言について謝罪・撤回し、動画を削除した。同日、山本太郎代表は、当該発言について「れいわ新選組の立党の精神と反するもので看過することはできない」とする声明を出し、大西氏を除名するだけでは根本的解決にはならないため「命の選別の問題に生命尊重の立場からとりくんでいらっしゃる方々からレクチャーを受けていただき、命について真摯に向き合うチャンスを与えたい」とした。

 その後も、大手紙では朝日新聞が「れいわの立候補予定者が『命の選別』発言」と報じ、ネット界隈でも「ナチス顔負けの発言」「殺人煽動を公然とおこなった」「解党的出直ししかありえない」「処分できない社会常識の欠如」「言語道断であり、公党としてケジメを付けろ」という激しい批判が主に独立系メディアや野党議員からあいついだ。

 10日に会見した山本代表は「大西氏の発言は、立党の精神である“生きてるだけで価値がある”という世の中を実現していくという理念に真っ向から反した考え方である」と断罪して党代表として謝罪し、大西氏の処分については党の意志決定機関である総会に諮り、みずから除籍を提案することを明かした。だが、各地のボランティアなどの支援者からは「大西氏の発言に問題があったとしても、一方的に優生思想と断定し、問答無用の除籍ありきで総会をおこなうのではなく、大西氏の真意と発言の経緯を公の場で明らかにし、透明性のある組織運営をすべき」などの意見も少なからずあった。すでに動画は削除されていたため発言内容の検証はできず、大西氏も謝罪と発言撤回をしている状況下でもあり、支持者からすれば、問題の性質をはっきりさせるためにも公平・公正な論議と説明を求めるのは当然のことだ。煽られた炎上騒動に即物的に反応するのではなく、冷静によく話しあえということだったと思う。

 15日に非公開で4時間にわたっておこなわれた臨時総会(出席者18人)では、大西氏の除籍処分案が14対2の賛成多数で採択された。総会を前後して、同党の参議院議員である木村英子氏は「自分の命を人に預けなければ生きていけない人たちにとって、恐怖をあたえる発言であり、高齢者だけではなく障害者も含めた弱者全体を傷つけた暴言」とし、同じく舩後靖彦氏は、前日に開いた当事者(障害者や難病患者)の声を聞く会で「当事者の方の声を聞いてなお、大西氏は、当事者の痛みや恐怖に対して、理解されないまま自説を変えようとしませんでした」とのべ、大西氏の態度を「おごり」として批判する声明を発した。こうした構成員による発言からも、大西氏とのメンバーの矛盾は除籍や離党が避けがたい状態にまでこじれたことがうかがえた。

 C 大西氏は翌16日に単独会見をおこない、「命の選別」という言葉が出た真意について語り、言葉の切りとりや恣意的解釈による報道で歪んだ評価が広がったことや、処分を前提としたれいわ内部での話し合いでも折り合いがつかず、謝罪撤回や離党届の提出に至った経緯についてのべ、今後は新たに自分で旗を立てて次期衆院選を目指すことを宣言した。経緯を含む詳細は、大西氏の公式サイトに全文が掲載されている。

 騒動後も問題がくすぶっている最大の要因は、れいわの母体である支援者が置き去りにされたことだと思う。大西氏の不用意な発言に端を発しているが、支援者に対する十分な説明がないまま処分が先行され、その過程で除籍に反対した支援者まで大西氏と同じバッシングに晒されたことが現在でも不信感として一部にくすぶっている。野原氏が組織運営のあり方に異議を唱えて離党宣言したことも支援者を心配させている。

 れいわが組織として擁立したメンバー間の意志疎通や信頼関係がどれだけ構築されていたのか、このようなトラブルにさいして支援者との関係を第一に考えるプロセスになっていたかについても検証し、今回のような恣意的な炎上攻撃に対しても微動だにしない確固とした支援者との関係を築くべきだと思う。


2019年参院選に挑んだ候補者たち

意図的に薪くべる勢力 れいわ潰しも背景

 D れいわ新選組の屋台骨が揺らいでいるかのような光景にも見える。この揺らぎに耐えてより強靱な勢力として台頭していくのか、それとも出る杭は打たれるの如く、叩いて潰してやろうと意図する勢力もいるなかで足腰の揺らぎ、すなわち重みに耐えきれずにひねり潰されるのか、正念場のような気がしてならない。内部事情など露知らぬ身としては、静観というより客観視もしつつ、叱咤激励の思いから、しっかりしろよ! とただただ思う。既存の政治勢力におもねらない新しい政党の挑戦はまだ始まったばかりではないのか…と。

 恐らく昨年からの旋風を支えてきた多くの支持者も、何事だろうか? と気を揉みつつ、SNS等でなにを発信するわけでもなく見守っている人が大半ではないだろうか。少なくとも自分たちのまわりでは、「なにやってんだ?」「しっかりせい!」とみんながいっている。

 A 一連の経過と決定をどう見るかを巡って、現状では支持者のなかで一定の動揺が広がり、大西氏への処分や政党としての在り方について納得していない人たちのなかからは、れいわ離れも進行しているように見える。ポスターボランティアを毎週やってきた支援者のなかからも、「少し考えさせてほしい…」と言葉少なに距離を置く人が出ているのも事実だ。あるいは状況について静観し熟考しつつ、短絡的に善し悪しを判断したくないと思っている人だっている。また、批判や指摘をするべきはしつつ、尻を叩いて政党としてより強く育ってほしいと願っている人もいる。それも支持するからこその思いだろう。人の思いは千差万別である以上、それらの違いは当然生じうるし、致し方ないものではある。

 一方で、ここぞとばかりに“れいわ潰し”に熱を上げ、右も左もハッスルしている勢力だっているのが現実なのだ。むしろ、そっちの界隈が大喜びで炎上させている風にすら見える。そうした攻撃に対してはひるむのではなく、ファイティングポーズを崩してはならないと思う。東京都知事選はある意味、一発入れにいったなと思って見ていた。それが終わってみると「江戸の敵を長崎で討つ」ならぬ「都知事選の恨みをつねき炎上で討つ」みたいなのに火がついている。

 C 「命の選別は必要だ」発言については、大西氏の動画を見る限り、やはり言葉としては本人も認めている通り乱暴であったことは否めない。選別される側が抱く感情や機微についての言葉や配慮が足りず、当事者が恐怖を感じたのも事実なのだ。また、なぜここにきて大西氏が老人vs若者という問題の立て方をしたのかへの疑問点もあるし、反緊縮を訴えながら社会的リソースの問題の結論がそこなのか? と疑問にも思った。受けとり方はそれこそ人それぞれだろう。しかし、除籍後の記者会見動画も通じて、大西氏の真意については一定の説明がなされたようにも思う。

 従って、一部の言葉尻をとらえて同氏を優生思想論者であるとか、ナチス顔負け、麻生太郎と同列などという扱いはあまりにも極端すぎるもので、それは別感情を抱いている者が火に薪をくべているだけだろうとも思う。そんなものに与するわけにはいかない。除籍になったとはいえ、氏は氏で政治家としていいたいことを自由にのべる道を選択し、みずからの言論を張っていくというなら、誰にも束縛されずにおおいにやるべきだと思う。所属政党がどこであれ、政治家たる者は堂々と批判にも向き合って言論で勝負し、その善し悪しは最終的には有権者が判断することだ。受け入れるか否かを判断するのは、有権者の側に委ねられている。

 E 一方で、れいわ新選組としては総会において除籍という厳しい判断を下した。これまたいかなる真意であれ「命の選別は必要」という発言は譲れない問題であるという政党としての判断だろう。ケジメとして必要であると判断したからこそ除籍処分という重い決定を下した−−。その結果について誰が何をいおうと政党としての意志なのだ。しかし同時に、見る者によっては乱暴過ぎる印象を受けた人々も少なからずいたのが現実で、炎上に慌てて自己防御のために火消しに走ったと落胆する人だっていた。「除籍まではやり過ぎだろう…」と。また、組織の意志決定がどれだけ民主的にやられているのか等々、支持者のなかには様々な疑問や思いがくすぶっているのも事実なのだ。こうした支持者の思いも含めて微妙な空気をどう受け止め、応えていくのか、建設的に次の一歩を踏み出して欲しいと思う。

 B こう見る者もいれば、ああ見る者もいる−−。まさに千差万別な状況のなかで問われる選択。今回の件については正直いって、どちらかがすべて正しく、どちらかがすべて誤っているとも思わない。あっちの味方か? こっちの味方か? という類いの問題にも見えない。また、れいわ新選組内部だけの矛盾という単純なものにも思えないし、そこには先ほどものべたように炎上狙いで意図的に薪をくべる側もいて、“れいわ新選組潰し”との激闘が始まったように思う。しかし、いずれにしても一つの政党のなかで疑問や異論が生じたならば、そのなかで喧々囂々(けんけんごうごう)ではなく、侃々諤々(かんかんがくがく)と忌憚のない意見をぶつけあい、最終的な判断として袂を分かつこともあれば、矛盾を乗りこえて手を組む等々含めて、政治である以上、厳しい決断がともなうのも当たり前だろうと思う。もっとも大切なのは、次の一歩をどう踏み出すのかだ。困難ななかからはいつくばってでも前に進んでいくしかない。願わくば、大西氏の発言をきっかけに、そのテーマが社会的である以上、より党内論議を深めたらよかったのにと思う。言葉狩りにあって潰されたような印象が拭えず、すべてが乱暴に始まり乱暴に終わっていったような感じに見えて、そこに置き去りにされた支持者の側の悶々とした思いがあるのだろうと感じる。

政党としての成長過程 指摘や批判にどう向き合うか

 D ツイッターなどでさまざまな角度から批判もあれば叱咤激励も飛び交っているなかで、こうした意見にどう向き合うのかも大切ではないか。明らかにれいわ潰しを意図したものとそうでないものは当然峻別しないといけない。しかし、例え厳しい指摘や耳障りなものであっても向き合えるかどうかだと思う。政党として常に晒される公的な存在になったからには、これからも批判や指摘を受けることは当然あり得るのだから。例えば幹事長を置くべきだとか、太郎独裁みたいな状態を脱して党の意志決定の過程を透明化せよと危惧するもの、規約をしっかりとしたものにせよという意見、寄付は募るくせに支援者の意見は聞かないのかとかさまざまなものがあった。「独裁」はいい過ぎだと思うが、恐らく山本太郎の個人商店みたいな状態をみなは心配しているのだろうと思う。それが異論は許さないというような空気や、問答無用で排除するみたいなのと重なったのも事実だ。

 A 批判や意見をすることがけしからんとは思わない。おおいにいいたいことをいい、自由であれと思う。ボランティアや支持者は黙ってカネだけを出す信者とか宗教団体ではないのだから。一人一人に思いはある。しかしその議論のなかから建設的に進んでいけるかが大切だろうと思う。批判されると確かに耳障りだったり、嫌な気持ちにもなるが、図星だったら受け入れて自分を変えて進化する方が正しいと思う。固執しないで柔軟に変わっていく強さが必要だ。政治ならなおさらだ。組織的にも立て直すべきではないかという指摘については、結構正鵠を得た指摘ではないかと感じた。参院選までは個人商店的でもよかったかもしれないが、やはり今後国政政党として政権をとりに行くと訴えている以上、全ての判断や責任を代表である山本太郎一人が背負っていくというのも重荷すぎる。またそんなことは不可能でもある。今以上に組織的にも大きくなっていくことを考えたら、現時点でのキャパの限界という課題をどう打開していくのかは重要ではないか。それは大変なことだろうが、ある意味、負担も分散させながら次なる変化、組織的な進化が求められているということの証でもあると思う。むしろ、そこまで心配している支持者の本気の思いを感じる。

 E いいたいことを自由にいい、そのなかから正しいと思う選択をくり返して進化していく。れいわ新選組の生命線はそこにあるのではないか。まだ誕生して1年そこら。進化・成長の過程でたじろいでいる場合ではない。本人たちは街頭からいいたいことをあからさまにいって、既存政治に忖度なしで批判を加え、それこそ自由にやってきたわけだ。であれば、「異論は許さない」みたいな空気はそぐわない。その辺がちぐはぐかつ一方通行気味に進行した結果の動揺だと思う。

 D 代表である山本太郎におんぶに抱っこ状態で一馬力依存であることのデメリットも今回の一件で感じたことだ。あの街頭でフルパワーの演説によって旋風を起こしていく威力と同時に、もっと構成メンバーも実力をつけて同レベルくらいの存在になってほしいと願っている。一馬力依存であるが故に、意志決定も含めて一馬力決定のように傍からは見られ、また周囲も意見しづらくなるだろうし、結果的に山本太郎+付属物みたいに見られてしまっている。もっと構成メンバーも含めてみんなの力を発揮しながら、政党としての総合力みたいなものを押し出せれば、状況は変わってくるのではないか。「信者」などと揶揄する勢力もいるが、おんぶに抱っこ状態がそういわせる遠因でもある。そこは切磋琢磨、つまり全体の努力がいる。「政治は信じるものではない。みんなで監視しつくっていくものだ」を本当の意味で実現していく道のりがいる。

 A その後、支持者が分断された格好で一部で批判合戦もくり広げられているが、れいわ新選組、あるいは大西つねき氏なり双方の支持者がたたかう相手は誰なのかを冷静に考える必要があるのではないか。れいわ新選組vs大西つねき、あるいは双方の支持者がぶつかるというのでは、本来たたかうべき相手を見失ってしまい、何のことだか分からなくなってしまう。矛先が別物にすりかわってしまうような気もする。みんなが生きにくい社会をつくり出している支配構造の元凶に向かって、みんなで束になって国政政党として立ち上がってきたわけで、感情はさまざまあるだろうが、ここだけは見失ってはいけない点としてはっきりさせないといけないと思う。

 E 参院選からの突貫工事というか、結構緩い形でれいわ新選組はつながってきたような印象だ。その分、大同小異というか、細かい点での見解の違いなども当然あるはずだ。創価学会のようにみんなが宗教的にまったく同じ見解であるとか、トップが独裁的な力を有して右へならえという組織ではないなら、「私はこう思う」「否、私はこう思う」という意見が自由闊達に行き交い、そのなかで問題解決に導いていけるのがベストだ。国会という言論の府で勝負するならなおさらで、多種多様な意見を言論によって自由に表現するのが政治家だ。しかし、その見解の相違が非和解的で政党として許しがたいものであったなら、今回のように最終的には決裂するというのもあり得る話だ。それは悲しいとか悔しいとかの感情の話でもないように思う。除籍、除名などの扱いはそのためにある。

衆院選に向けた次の一歩を

 A いずれにしても、今回の件で立ち止まっている場合ではない。ふんどしを締め直して大暴れしたらいいのにと思う。こんな政党が日本社会に一つくらいあったっていいじゃないかと思うし、世界的にも反緊縮の第三勢力ともいうべき政党が街頭からのし上がっている。たたかう相手は経団連であったり、植民地支配をいまだに続けているアメリカ及び多国籍資本であったり、もっと巨大なはずだ。誰とたたかうために誰と手を組み、何を為すのか−−。そこじゃないか? どうも矛先のずれてしまった感情的ぶつかりや騒動に釘付けにされて、みんなが疲労困憊しているような印象がする。問題点や課題はすっきりと炙り出して、次に進む必要があるのではないか。弱点があるなら、それを克服するしか術はない。少しの躓きでへこたれるべきではないし、支持者を信頼してしっかり向き合うことでしか進めないと思う。恐らく大半の者が「しっかりせい!」と思っていると思う。旗を立てた以上、掲げた政策の実現のためにたたかい続けるしかないのも現実だ。

 E れいわ新選組が新自由主義に公然と反旗を翻して台頭するのが気に入らない者が一方で存在する。既存の政治勢力が支配の支柱として野党も含めて欺瞞してきたなかで、それらが選別され、政治勢力としての入れかわりの時期にさしかかっている。だから、今回の炎上でもムキになって薪をくべていたのは左側だったのも特徴だ。泡沫政党としての危機感から駆り立てられるのだろうと思う。そのような矛盾が現実にあり、れいわ新選組は抜き差しならない緊張感のなかに存在している。背中を見せたらやられるのだ。この炎上騒動以後はまるでサンドバッグ状態じゃないか。今は小さな存在だからメディアも放送禁止物体として無視を決め込んでいるが、そのうち醜聞を叩き始めたり、あの手この手の攻撃をすることだってある。弱点や急所をつかれるものだ。しかし、片手ではね除けていくくらいの性根や組織的体制がいる。リーダーがどんと構えて、しかしみんなの創造的で能動的な力に依拠して進むなら塊はもっと巨大にしていけると思う。それこそ、全国で火だるまを転がして大きくしていけばいいのではないか。

 B 炎上している折に、「火だるま」とかいったらドキッとするというか、傷に塩を塗るような感じがするんだが…。

 E 塩でも塗って「痛ってぇな!」くらいでいけばいいじゃん。困難にぶつかっているなら、自分たちの力で乗りこえていくしかないだろうに。れいわを潰したいと手ぐすね引いている勢力が間違いなく存在する。ある意味、その存在が炙り出された炎上騒動でもあった。潰そうとしている者がいる以上、これにひるんだり、へたりこんでフルボッコにされているような無様な姿勢は見せるべきではない。一発ジャブくらった程度で、ノックダウンするほどの致命傷か? と思う。「命の選別」発言について、除籍処分という政党としての判断を下したのだから、それを有権者や支持者がどう受け止めるのかは人それぞれだ。その際に生じる批判や意見についても正面から受け止めて、政党として成長していく以外にないではないか。後ろ向きでじっとしているのだったら、これが仲間だったら尻をひっぱたきたい気分だ。

 A 既存の政治に対して真っ向勝負を挑んできたことで、睨まれ、疎まれ、目障りな存在になっている。だから、当然にも攻撃される。それに対して後ろ向きの防御ではなく、あくまで実現したい政策のために突き進んでいく以外に選択などないと思う。修羅場や困難があるからこそ揉まれ、鍛えられて強くなる−−。人間、みんなそんなもんだろうと思いつつ、れいわ新選組が次なる一歩をどう踏み出していくのか注目して見ている。なにかをすれば善し悪しは必ずや有権者によって、それこそ厳しく「選別」されるのが政治だ。そういう意味で「政治の選別は必要だ」と言いたい。

 C 実際にやるべきことは、次期衆院選において選挙区で地上戦を展開することだろう。世の中をよくするために巨大な権力と対峙しないといけないなら、立ち止まってないで次に進まないといけない。この座談会で好きなことを語り合っているが、それを気に入らないと怒る人もいれば、愛の鞭と捉える人だっているかも知れない。れいわ新選組のスタッフなりが読んで生意気だなといって激怒するのもよし。それで「ポスターを剥がして下さい」といいに来るもよし。もう人それぞれなのだから、その評価のなかに迷い込んでどうするのかと思う。分断されるのではなく団結できるすべての力とつながっていく方向に進んでほしい。それだけだ。

 A みんなを幸せにしたいんだ! の訴えを実際に政策として実現するまでたたかいの連続だ。始まったばかりで脚がからまってずっこけているようにも見えるが、必死に頑張る者について、上からマウントで評論したい者には評論させておけばよいと思う。しかし、必死に頑張り続ければその姿勢を必ずみんなが見ている。その信頼は簡単に崩れるものではないのだから、支持者を信頼して進んでほしいものだ。脇を固めつつ、ちょっとやそっとでは揺るがない塊となっていくなら、より強靱な政治集団として台頭していけるように思う。

 D 山口四区では候補者の竹村さん自身がもっともポスターを貼っているが、本人自身が汗を流し、必死になっている姿勢が受け入れられている。だからこそ、他のボランティアのみんなも「もっと貼ろうぜ」と意気が上がるようだ。「竹村、頑張ってんな!」と街のおっちゃんやおばちゃんたちも見ている。「ポスターを貼って下さい」と本人自身が足を運ぶものだから印象が強いのか、はたまたガタイがでかいから忘れられないのか、「アイツ、この前○○(安くて美味しいと評判の地元店)でクレープ買ってたぞ」とか、その他の行動も細々と街の人たちのなかで話題にされていて、正直うける。だいぶ街中でピンクのれいわポスターが目立ち始めていて、「みんな貼ってんじゃん」(うちも貼っていいよ)現象みたいなのも起こっている。ゼロから1は大変だろうが、頑張れば次の局面で2になり3になっていけるのかなという印象だ。

 他の選挙区がどうなっているのかは知らないが、候補者自身が汗をかいて地域コミュニティの中に入っていき、その地域に暮らしている人々と切り結んでいく努力がなければ、選挙区など街頭旋風だけでたたかえるものではない。草の根で努力し続けるのは大変かも知れないが、候補者を立てただけでは選挙にならないのだから、もっと目に見える形で支持者を広げ、束にしていくことが必要なのだろう。

 B 読者の方々から寄せられた「長周新聞はどのように見ていますか?」の問いに、以上のような記者たちの論議で応えられたのかはわからない。しかし、いずれにしても「れいわ新選組、しっかりせい!」とは思っている。叱咤激励したいと思う。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/18135

33. 中川隆[-5739] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:16:08 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[11] 報告

2021年04月14日
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html


親や子供や親せきや世間の為に生きるのは辞めた方が良い
カテゴリ社会問題・環境などライフ・趣味・食べ物
自分で歩けず食事できない人は、欧米では死者あつかいになるので寝たきり老人が居ない

人生の負担を軽くしよう

日本人は30年間不況が続いた末にコロナで経済が壊滅し、さらに困難な状況に陥っている人が多い。

政治家はばかばっかりで予算を取り仕切る財務大臣は「給付金なんか無駄なんだよ」とばかり「パンが無ければケーキを食べなさいよ」みたいな事を言っています。

だがその連中を選挙で選んだのは他ならぬ日本人自身なので、東日本大震災の失策同様に、政治家がバカなのか選んだ国民がバカなのか分からない。

ちなみにマリーアントワネットが「パンが無ければケーキを食べなさいよ」と言ったのを聞いた人は1人もおらず、革命を起こしたかった新聞の捏造記事でした。

先進国の中で日本だけが唯一ずっと不況なのですが、その原因として国民に過剰な負担を強いている事が考えられます。

高齢化で親が動けなくなり、子供が寝たきり老人の介護をするため仕事を辞めるケースが非常に多い。


仕事を辞めた子供は貧困者か生活保護に転落し、下手をすると親子で食べるものが無くなってしまう。

この話を聞いた欧米人の反応は「ばかじゃないの?」というもので誰も同情してくれないそうです。

欧米では子供が親の面倒を見るのは自由意志で強制されるものではなく、親の面倒を見ない人は大勢います。


子供に世話して貰えない人は福祉団体や介護施設に入るが、寝たきり老人がそもそも居ない。

ドイツの例では寝たきりになった人を生かしておく文化がなく、それ以上延命治療をしない例が多い。

F1レーサーのミハエルシューマッハはずっと寝たきりらしいですが、あれは莫大な資産があるので家族の意思でそうしています。

人の為に人生を犠牲にしても何も残らない

普通の人が自分で歩けなくなり、食事もできなくなったらそれ以上治療せず自然死するのが普通です。

ここで日本人の生死観という問題につきあたり、「生かしておくのが親孝行だ」という考えが正しいのかどうか疑問に思えます。

自分で体を動かせず考える事もできないのに、医学の力で心臓と脳を動かして、それが親孝行や本人の為なのでしょうか?


親の最期の20年間のために子供は20年間を犠牲にするわけで、その負担で子供も作れず少子化が加速します。

親のおむつを替えるのではなく子供のおむつを替えれば子孫が栄えるのに、親の介護があるから子供を造れません。

日本政府は老人の介護を子供に押し付けておいて、「なんで子供を産まないんだろう」と首をひねっている。


両方の親4人の老後の面倒を見ながら自分の子供2人を育て上げるなど、誰にもできる筈がありません。

子供は親の面倒を見るべきではないし、親は子供の世話になるべきではない、非情なようですがそうしないと子供の負担が際限なく増えます。

ここで登場するのが親戚一同で「親の面倒も見れないのか」などと非難して罪悪感を植え付けようとします。


「親を老人ホームに入れるなんて、なんて冷酷な奴だ」現実にこのように言われて親の介護に人生を犠牲にする人が多い。

親の次に人生の負担になっているのは家と子供で、多くの人は「子供に家を残す」目的で家を建てるそうです。

だがその子供は「自分の家を所有したい」などと言っていないはずで、その証拠に成人したらさっさと家から出ていきます。


これも30年間を住宅ローン返済の為にだけ生きるのが、本当に子供の為なのか非常に疑問です
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html

34. 2021年8月02日 17:36:23 : 3imoFC76mc : akZZbDUxMVY1cnM=[36] 報告

2021年08月02日
中国の”超高速少子高齢化”、上海などで日本を上回る勢い

中国人は長寿化を喜んでいるが、それが悪夢だと気づく


上海の平均寿命が東京を超えた

中国最大の広告会社が運営するネットニュース新浪によると、上海人の寿命が近いうちに日本人を超える。

記事によると上海の平均寿命は中国の中でも長く、83歳に達しもうすぐ84歳になる。

日本政府は”日本人の平均寿命”を公表しておらず、調べればどこかにあるのでしょうが男女別の調査しか公表していない。

外国は男女別ではなく合計なので直接比較できないが、全国平均で男78.79歳、女85.75歳となっている。

日本は男女合計で82.3歳くらいで、1位の長野県でも男女平均で83.3歳くらいになる。

それが上海はもうすぐ84歳になるというから、本当なら既に日本を超えている。


ここで問題なのは農民工の存在で、住民ではないのでおそらくカウントしていない

農民工は公式発表では2019年に2.8億人ほど存在し、戸籍外で暮らす人全体では3億人以上と考えられる。

コロナ前には上海にも300万人ほどの農民工が存在し、上海の人口は2600万人なので人口の1割ほどを占めている。


人口の1割を不都合だから除外したのが平均寿命83歳という数字で、農民工や非合法住民の寿命はぞれより短い筈です。

それはともかく中国の平均寿命が延びているのは事実で、WHOによると77.4歳、日本は84.3歳だった。

今後さらに中国の平均寿命が延びるのは火を見るより明らかで、すぐ80歳になるでしょう。

長寿国の悪夢

今中国は平均寿命が延びたと喜んでいるが、すぐそれが悪夢の始まりだと気づきます。

日本も平均寿命が世界一になった時は大喜びで、「金さん銀さん」ブームなどがあった。

だが高齢者が増えて負担が増え、子供を作る余裕がなくなり急速に少子高齢化が進んだ。


昔の若者は子供を5人くらいつくって育てたが、今の若者は親の介護をしなくてはならないので子供を作れません。

日本は今国を挙げて老人介護をし、子供は仕事を辞めてまで親が死ぬまで介護しています。

もし日本中の人が親の介護を辞めて子供を育てたら、日本の出生率はすぐ3とか4になるでしょう。


中国も年取った親の面倒を子供が見るか、国が高齢者の面倒を見なくてはならなくなります。

すると若者は親の介護のために出産を諦め、少子高齢化が急速に進みます。

ちなみにドイツや北欧では年取って自分で歩けない、食事ができない人は延命治療せず自然に死を迎えさせます。


日本の平均寿命が世界一なのは、自分で生きれない人に無理やり呼吸させたり、無理やり栄養を取らせて延命しているからです。

それが良い事だとは思えません。

http://www.thutmosev.com/archives/86426369.html

35. 2021年8月13日 14:18:52 : CFw0roH3lo : UXpORjVUUUVyUnM=[14] 報告
【Front Japan 桜】藤井聡 日本人の死生観を問う[桜R3/8/13]



36. 中川隆[-12782] koaQ7Jey 2023年2月19日 08:54:42 : ZYtW5DPL1k : WEJmYkJudGoxRjI=[4] 報告
生産性の高い社会のゆくすえ - 内田樹の研究室
2023-02-15

 若い経済学者が高齢化について「唯一の解決策ははっきりしている」として、「高齢者の集団自決」を提言したことが話題になっている。「人間は引き際が重要だと思う」ということも、「過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる」ということも事実の適示としては間違っていない。でも、この人が「解決」と呼んでいるものは、やってもたぶん「解決」にはならないと思う。
 似たようなロジックでかつてドイツは「ユダヤ人問題の最終的解決」を企てた。問題そのものをなくすことで問題が解決できると信じてホロコーストを始めたのである。だが、いくらユダヤ人を殺してもドイツの国運は向上しなかった。やむなく、「チャーチルもルーズベルトもスターリンも世界ユダヤ政府の走狗だ」と「ユダヤ人」概念を拡大解釈することで問題が解決しない理由を説明しようとした。それでも戦況はさらに悪化するばかりだった。最後は「政権の中枢にユダヤのエージェントがいて、政策を失敗に導いている」と言い出す者さえ出てきて体制が滅びた。
 たぶんこの経済学者やそれに賛同する人たちもいずれ同じことを言い出すような気がする。「誤解している人が多いが、『高齢者』というのは生物学的概念ではなくて、社会的概念である。つまり私たちは日本をダメにしている人たちのことを年齢とは無関係に比喩的に『高齢者』と呼んのだ」と「高齢者」概念の拡大を図るのである。
 でも、仮にそうやって「無能な人間」たちを社会から組織的に排除し、発言権を認めず、行政コストもかけない仕組みを作ったとしても、やはり日本の国運の衰退は止まらないだろう。そうなると次には「無能者の排除」を声高に主張している人たち自身のうちに「隠れ無能者」がいて、社会の停滞を引き起こしているのだと言い出す人が出てくるからだ。
 でも、「社会的に有害無益なメンバー」の摘発と排除にどれほど資源を投じてもそれは価値を創り出すことにはならない。社是に「フリーライダーをゼロにすること」を掲げ、全社員がひたすら「働きのないやつ」の摘発と排除業務に励んでいる会社は遠からず売り上げがゼロになるのと同じことである。
(AERA1月26日)
http://blog.tatsuru.com/2023/02/15_1817.html

37. 中川隆[-11438] koaQ7Jey 2024年2月29日 08:39:50 : AYqTKuqWCs : YWRlaXJtdXJ1QUE=[12] 報告
<■79行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ガンドラック氏: 何故80歳の政治家に投票するんだ?
2024年2月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/45053

DoubleLine Capitalのジェフリー・ガンドラック氏が自社の動画配信で馬鹿げた政治を嘆いている。

政府債務の問題

今年、アメリカのヘッジファンドマネージャーたちが話している第一の話題は財政赤字と政府債務だ。何故ならば、インフレのために中央銀行が国債の買い入れを出来なくなった状態で国債を大量発行しなければならなくなりそうだからである。

チューダー・ジョーンズ氏: 今年中に米国債暴落、金利急上昇の可能性
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/44883


政府にお金がなくなった理由の1つは、実質的にネズミ講であるところの年金制度のせいである。しかも自分が払った年金を自分で受け取る制度であれば何の問題もなかったものを、今の高齢世代が現役時代に支払ったお金は何処かに消えてなくなっている。

それは過去の高齢世代のために支払ったからである。そしてその世代はそれよりも更に前の世代のために支払ったわけだが、では最初の世代が支払った年金は何処に消えたのか?

政治家にお金を預けるとはそういうことだ。それはiDeCo(イデコ)を絶対にやってはならない理由でもある。NISAはまだ使いようによっては辛うじて利用可能だが、iDeCoは完全なトラップである。

iDeCoこそ自分で積み立てる年金ではないのか? iDeCoでは積み立てた資金は歳を取るまで取り出せないが、取り出す時には税金がかかる。その時の日本の税率が今よりも良いと考えるのは完全に間違った希望的観測である。iDeCoは絶対にやってはならない。政治家にお金を預けてはならない。政治家は見かけ上の減税制度によって増税を可能にする生き物なのである。

若者から資金を吸い上げる年寄り

話がそれたが、政治家に金を渡すとはそういうことである。彼らは票田や自分に献金してくれる企業のために自由に使うだろう。

若者と老人の格差もそういった政治家による資金移動の一例である。ガンドラック氏は次のように述べている。

若い人々はベビーブーム世代に怒っている。ベビーブーム世代が政府支出から受け取る金額は、35歳以下の世代が受け取る金額の8倍だからだ。

これは社会を運用するには馬鹿げた方法だ。未来がない人々に誰が投資したがるのか。未来を保有し、未来を作り、未来そのものである人々に投資をすべきだろう。

スタンレー・ドラッケンミラー氏も同じようなことを言っていた。

ドラッケンミラー氏、高齢者が若者から搾取する税制を痛烈批判
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/31231


政治とは税金を集めて政治家の裁量でそれをばら撒くことであり、政治家の裁量でそんなことをやろうとすること自体が馬鹿げたことなのだが、よりにもよって若者から年寄りへの資金移動がさも当然のように行われているのは何故なのか。

ガンドラック氏は次のように言う。

本当に驚くべきなのは、80代の政治家が当選し続けていることだ。何故人々は彼らに投票し続けているんだ?


馬鹿げた政治が現実になる理由

本当に意味が分からない。だがアメリカではジョー・バイデン氏が大統領選挙に勝ち、日本では自民党が当選し続けている。何故か? 国民がそう投票したからである。これは冗談ではない。日本でもアメリカでも起こっているただの現実である。

ガンドラック氏は更に酷い政治の例として、カリフォルニア州で950ドル以下の窃盗が重罪にならないことが住民投票で決められたことを挙げている。

ガンドラック氏は次のように述べている。

カリフォルニアでは店から950ドルの商品を盗んでも起訴されない。こんな政治に投票したのは誰か? カリフォルニアの人々だ。

笑い事なのだが、ガンドラック氏はカリフォルニアに住んでいるので笑い事ではない。彼は次のように続ける。

カリフォルニアの人々は今、街にどれだけ犯罪が溢れているかを嘆いている。自分でそれに投票したんだろう。

結論

そして日本人は自民党に投票したのである。

自民党の裏金問題が出て急に自民党を責めている人に言っておくが、自民党は元々そういう党である。今更何を言っているのか。コロナ禍で東京五輪を無理矢理行なった時点で(あるいは元々何十年も前の時点で)気付いておくべきことではなかったのか。今更何を言っているのか。

ガンドラック氏は次のように言っている。

何故われわれはこんなことに投票し続けているのだろう?

だが裏金などは政治家による弊害の一部ではないか。そもそも国民から強制的に徴税して政治家が勝手に別のところに使う時点でおかしいのである。経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエク氏の言葉を再掲しておこう。

ハイエク氏: 現金給付や補助金はそれを受けない人に対する窃盗である
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/35564


自分で得たわけでも他人が放棄したわけでもないものを得る権利を特定の人々に与えることは、本当に窃盗と同じような犯罪である。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/45053

38. 中川隆[-11088] koaQ7Jey 2024年3月28日 18:28:06 : 8S14nzMoLM : aXNZRXJid0ZXZi4=[6] 報告
<■62行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
日本の平均貯蓄1900万円? 40代以下はマイナスだった
2024.03.28
https://www.thutmosev.com/archives/76275249mmm.html

平均値と中央値の乖離がひどすぎて、この統計は嘘だと言える


https://mcpass.jp/media/article003.html 【世帯・年代別】貯蓄の平均額はいくら?データから見る貯めておきたいお金の目安 _ おかねのコンパスメディア
平均貯蓄はまったく信用できない

政府調査によると個人が保有する金融資産は23年12月末時点で2141兆円と過去最高を更新し前年から5.1%増も増えた

日本の世帯あたり貯蓄額の平均は22年に1901万円だったが、実態とかけ離れ過ぎていてほとんど実感がないのではないだろうか

調査は二人以上世帯で単身者は含まれず一人あたりではないので、一人当たり貯蓄額よりかなり多めになる

二人以上世帯の貯蓄高は1901万円で前年に比べ1.1%増加し4年連続の増加、貯蓄保有世帯の中央値は1168万円だったがこれもかなり誤解を招く表現です

貯蓄保有世帯の中央値は1168万円だったが貯蓄が無い13.4%の世帯を最初から除外していて、しかも単身世帯も最初から居ない人のように扱っています

単身世帯の金融資産の平均は645万円で、金融資産を持たない人の割合は38%、母子世帯の場合は327万2千円でした

この統計の「平均値」は資産1兆円のような人が数字を吊り上げてしまうので、人数の中心である中央値のほうが実態に近い

2人以上世帯の金融資産の中央値は419万円で平均値の1901万円とかけ離れていて、単身者では平均値645万円に対し中央値は45万円と少額です

平均値と中央値の差は非常に大きく子供がいる夫婦世帯の平均が1060万円に対して中央値は500万円などこの統計は一言で言って「めちゃくちゃ」です

一方で二人以上の世帯の1世帯当たり負債現在高の平均は576万円で、中央値は1231万円とこちらは中央値のほうが遥かに高額になっています

多くの2人以上世帯は金融資産が419万円で負債の方は1231万円、この多額の負債はおそらく住宅ローンだと思われます

2人以上世帯の4割が負債を持っていて、負債額の9割を土地や住宅を取得した費用が占めていました

老人は金を使わず若者は金がない
日本の多くの世帯が1000万円以上の貯蓄を持っているのだが、まだ実感よりかなり多すぎる気がします

40歳未満の平均貯蓄額は812万円、40歳代は1160万円、年齢が増えるほど増えていき、70歳以上は2411万円も持っています

40歳未満と一緒くたにされていますが、年齢が下がると貯蓄額も下がり、20代前半や10代では多くの世帯が貯蓄ゼロだと思います

つまり日本人の世帯平均貯蓄が1900万円というのは60歳以上だけの話であり、中央値だと70歳以上の世帯だけです

40歳未満の平均貯蓄額は812万円ですが、逆に負債額(借金)は若い世代ほど多く、40歳未満では平均1469万円でした

40歳未満は平均すると貯蓄が812万円で負債が1469万円もあり、差し引きするとマイナス657万円でした

そのうえ平均と中央値のマジックがあって実際の中央値はもっと貯蓄は少なく負債はもっと多くなっています

逆に70歳以上の高齢者世帯は貯蓄が2411万円で負債が90万円しかなく、平均するとプラス2321万円でした

しかも日本では公的負担が少ないなど高齢者は色々と優遇されていて若者ほど重税でサービスは悪い、「老人優遇」となっています

これでは若者は結婚したくてもできないし、子供が欲しくても産めず消費したくても消費できないわけです

10代、20代、30代はマイナス資産で、40代でやっとプラマイゼロ、50代でプラスになるが今後は「年をとれば自動的に収入が増える」という社会ではなくなっています

年功序列・終身雇用・完全保険のもっとも美味しい部分を60代以上がとってしまい、30代以下はそのツケを払っています

40代以下の世帯は借金が多く資産マイナスなので消費するどころではなく、60代以上の世帯は金が余っているが「老後が不安だ」と言ってお金を使わず消費をしません

こういう事が日本の消費不況になっているので、老人から若者にお金が移動する仕組みを作らない限り消費は改善しにくい
https://www.thutmosev.com/archives/76275249mmm.html

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