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日本・日本人という自尊心の切実な防衛それ自体が目的のためのレトリックなので論理が倒錯・矛盾・破綻している。 投稿者 近代化とその戦争からわれわれは何も学んでいない 日時 2002 年 8 月 21 日 18:25:59:

(回答先: お二人の論議を活かしたい 投稿者 あっしら 日時 2002 年 8 月 20 日 18:04:01)

書記長さん、あっしらさん、ありがとうございます。
ジャン・ジャック=ルソーをたまたま再読していたんです。西洋近代や西洋文明を検討する上でどうしても吟味を避けることのできない18世紀最重要の思想家なんです。などと書かれたりするのですが近代政治の根幹的原理(社会契約説・人民主権論)を提示した人なのですが近代政治システムが制度的に確立する以前に,彼は実はヨーロッパ近代文明を批判しているんです。つまり,近代の理念を提示しながら,近代の条件となっている「文明」を厳しく批判しているんです(lIt was Rousseau who originated modern dissatisfaction with modernityなどと書かれたりする)。
  彼は「文明」というのは人間と社会を腐敗させ(自然性=「本当の自分」を喪失していく)、実に破壊的でどうしようもない,と批判しているんですね。本来人間は自然状態では自足を知り、人々と協力し合うことが好きなとても善良な性質をもっているのだけれど社会的自我がめざめ自尊心が目覚めると「自らを他から抜きん出させる欲望」「虚栄心」が発生する。競争心や利害心が目覚め欲求が肥大化しそのため「競争と対抗意識」「支配と屈従」「暴力と略奪」の中に生きることになるんだよ、と。「一方では競争と対抗意識、他方ではり外の対立,そして常に他人を犠牲にして自分の利益をえようというひそかな欲望,これらすべての悪(は,私有制の最初の効果である)」。悪徳,貧困,富の格差、そして不平等な法のくびきの下での隷属状態がでてくるよ、その結果社会はこの上もなく恐ろしい戦争状態「互いに破壊し合わなければ生きられない」ような状態に席をゆずってしまうよ、と。「ある土地に囲いをして<これは俺のものだ>と宣言することを思いつき,人々がそれをそのまま信じるほど単純なことに気づいた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」。

「自由」とは「人間の資格」であり,「人類の権利ならびに義務」「人間の本姓」である,と。他から干渉を受けないというばかりではなく,自分が自分の主人として自己を律しながら行為する,という積極的な意思の自律の行為である,と。したがって,力(force)による強制ほど,この人間の本性とあい入れないものはない、と。自由というのは、自分が自分自身の主人でありたいという欲求を中核に、しかもこれを孤立的な私人としてではなく,共同体の一員として実現したいんだ、と。
 で,そこで彼の有名な言葉が出てきます。「力は権利を生まない」。社会契約説に彼自身のものともう一つあるんです。それは彼の先人であるホッブズやロックの考え方で、これは強者・支配者が奪った土地や物を弱者や奪われたものから奪いかえされないように、両者の間で合意や契約をする,というもの。彼はこのような強者が弱者に所有権(排他的支配権能)の合意・認定を強制させることには厳しく批判したんです。

さて、このようなルソーの視点からみると、明治以後の日本は西洋「近代」そのものであり,西洋文明の腐敗ぶりそのものじゃないですか。欧米列強も近代日本も異常に病理化した利己心と自尊心をもとに他者の自由,自分が自分自身の主人でありたい,という気持ちを蹂躙したものではないんですか?書記長ご自身でも欧米列強の帝国主義と「文明」のありかたを激しく批判しているじゃないですか。その批判はどうして、日本帝国主義には適用されないのですか?日本と日本人は白人国家と違い伝統があって立派な国柄であり立派な人々だからなんですか?だとすればそれご都合主義なんじゃないですか?日本の指導層による帝国主義のコピーは確信犯なんですよ,大日本帝国という自称が示すとおり。日本の指導層は欧米列強に拮抗するため帝国主義の論理を正確に理解し,その方法論を積極的に,この植民地争奪戦というゲームに参加したんです。満州問題は日本の帝国主義の典型的な現象であり、上記のような、帝国主義が抱えている「文明」としての問題を考える恰好の課題なのではないのですか?日本が間違っていなかったとしたら,欧米列強もぜんぜん間違ったことしてませんよ、批判はできないのではありませんか?

ルソーは250年前の人であり,現代のひとではありません。ルソーの見方でかつての大東亜戦争を考察・評価することになにか問題がありますか?ルソーを日本語(日本)と中国語(中国)で翻訳紹介した立派な誇るべき近代日本人、中江兆民は当時から近代日本をきっちり批判していますよ。欧米列強と日本の帝国主義によって殺された側の人々はルソーの視点からそうした動きを批判してはいけないんですか?略奪と虐殺の限りを尽くしてアメリカ先住民を殲滅した米英の当時の常識的方法論である帝国主義を現在の時点でのものの見方や250年前のルソーの見方で批判することはまちがっているんですか?

書記長さん,気を悪くしないでくださいね。建設的な対話をしたいだけなのですから。


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