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[番外地12] Bach by Albert Schweitzer - Chorales, Preludes and Fugues, Toccatas, Fantasias (Century's recording) 中川隆
92. 中川隆[-5687] koaQ7Jey 2025年7月26日 05:36:08 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[1]
ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14131432

スマホやノートパソコンを使っていると失明する
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/342.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/903.html

【Windows 10・11】ブルーライトカットの設定方法!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832096


▲△▽▼
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/736.html#c92

[番外地12] Bach by Albert Schweitzer - Chorales, Preludes and Fugues, Toccatas, Fantasias (Century's recording) 中川隆
93. 中川隆[-5686] koaQ7Jey 2025年7月26日 06:01:11 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[2]
ライヴ★ブリテン:戦争レクイエム(デュトワ指揮:スロヴェニア・フィルほか)


シャルル・デュトワ指揮
スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団
ナデージダ・パヴロヴァ(S)
イアン・ボストリッジ(T)
マティアス・ゲルネ(Bar)
スロヴェニア・フィルハーモニー合唱団
カウナス国立合唱団
ウィーン少年合唱団
2025年2月21日 リュブリャナ、ツガルス・ホールにて収録

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/736.html#c93
[番外地12] Bach by Albert Schweitzer - Chorales, Preludes and Fugues, Toccatas, Fantasias (Century's recording) 中川隆
94. 中川隆[-5685] koaQ7Jey 2025年7月26日 06:04:36 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[3]
<△21行くらい>



Benjamin Britten conducts War Requiem - Live Television Broadcast


Benjamin Britten Conductor
Meredith Davies Conductor
Heather Harper soprano
Thomas Hemsley baritone
Peter Pears tenor
Melos Ensemble
BBC Symphony Chorus
BBC Symphony Orchestra
August 4, 1964

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/736.html#c94
[番外地12] Bach by Albert Schweitzer - Chorales, Preludes and Fugues, Toccatas, Fantasias (Century's recording) 中川隆
95. 中川隆[-5684] koaQ7Jey 2025年7月26日 06:08:04 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[4]
<△24行くらい>
ガーディナー

Britten: War Requiem mit John Eliot Gardiner | SHMF 1992 | NDR Elbphilharmonie Orchester


John Eliot Gardiner
Luba Orgonasova, Sopran
Anthony Rolfe Johnson, Tenor
Boje Skovhus, Bariton
NDR Sinfonieorchester
Monteverdi Choir London, Einstudierung John Eliot Gardiner
NDR Chor, Einstudierung Howard Arman
Tölzer Knabenchor, Einstudierung Gerhard Schmidt-Garden

Mitschnitt vom SHMF-Abschlusskonzert im Jahr 1992, St. Marienkirche in Lübeck

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/736.html#c95
[番外地12] Bach by Albert Schweitzer - Chorales, Preludes and Fugues, Toccatas, Fantasias (Century's recording) 中川隆
96. 中川隆[-5683] koaQ7Jey 2025年7月26日 06:09:41 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[5]
<△24行くらい>
ガーディナー

Britten: War Requiem mit John Eliot Gardiner | SHMF 1992 | NDR Elbphilharmonie Orchester


John Eliot Gardiner
Luba Orgonasova, Sopran
Anthony Rolfe Johnson, Tenor
Boje Skovhus, Bariton
NDR Sinfonieorchester
Monteverdi Choir London, Einstudierung John Eliot Gardiner
NDR Chor, Einstudierung Howard Arman
Tölzer Knabenchor, Einstudierung Gerhard Schmidt-Garden

Mitschnitt vom SHMF-Abschlusskonzert im Jahr 1992, St. Marienkirche in Lübeck

http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/736.html#c96
[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
62. 中川隆[-5682] koaQ7Jey 2025年7月26日 07:21:20 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[6]
<■68行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025.07.25
 ウクライナを舞台とした戦争でロシアがNATO諸国に勝利するのは決定的です。形式上、ロシアが戦い、犠牲を強いられているのはウクライナですが、兵士を訓練し、兵器を供与し、衛星からの情報を提供しているのはNATOであり、NATOが敗北しつつあるということにほかなりません。

 NATO諸国は自国の兵士や情報機関員を派遣していますが、傭兵も送り込んできました。特に重要な役割を果たしてきたのは、キエフのクーデター政権に食い込み、操ってきたネオ・ナチです。ネオ・ナチはなぜ消えないのでしょうか?

 第2次世界大戦中からアメリカやイギリスの情報機関はナチスと連携していた勢力と連携していました。そうした勢力は大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)を形成、東アジアで創設されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になります。

 ウクライナからもこの組織に参加したグループが存在しました。その母体になったのはステパン・バンデラを中心とするOUN(ウクライナ民族主義者機構)-Bで、このグループを大戦中からイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長を務めていたハリー・カーが雇いますが、その一方でナチスとも手を組んでいました。

 ドイツの敗北が決定的になっていた1943年春、OUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立しました。そのメンバーの半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられています。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 バンデラの主要な側近だったミコラ・レベジとヤロスラフ・ステツコのうち、レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入って破壊活動を実行、ステツコは大戦後、ABNを率いることになり、この組織はAPACLと合体してWACLになったわけです。

 その後、ステツコはMI6を後ろ盾とするKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を指揮、1986年に彼が死亡すると妻のスラバ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いました。彼女がミュンヘンからウクライナへ戻ったのは1991年12月にソ連が消滅した後です。

 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいましたが、その教え子のひとりがウクライナでネオ・ナチを率いてきたドミトロ・ヤロシュにほかなりません。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になりました。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われています。

 アメリカの情報機関は大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチス人脈と接触、前後策を練しました。サンライズ作戦です。この工作はルーズベルトの政策と矛盾していましたが、1945年4月に大統領が急死したことで解消されます。

 CIAを含むアメリカの政府機関は大戦後、ナチスの残党や協力者を逃亡させ、保護し、雇うことになります。ラットラインとも呼ばれる逃走ルートの運営はローマ教皇庁も支援、国務省は1948年頃、ナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力を助け、雇い始めました。ブラッドストーン作戦です。

 また、1945年から59年にかけてアメリカ政府はドイツの科学者や技術者1600名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させました。ペーパー・クリップ作戦ですが、その中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていました。ナチスの幹部だったハインリッヒ・ヒムラーの占星術師だったウィリヘルム・ウルフによると、死を顧みずに突撃する日本への心理をコピーする研究もドイツでは行われていたと言います。(Daniel Estulin, “Tavistock Institute,” Trine Day, 2015)

 このようにアメリカやイギリスの情報機関はナチスやその後継者と連携してきたのですが、そもそもナチスの台頭を米英の金融機関が支援していたとも言われています。スイスを拠点とするBIS(国際決済銀行)やイングランド銀行のほか、アメリカのブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキングを経由して資金が西側からナチスへ投げていたとされています。米英金融資本がナチスを使っていたからこそ、大戦後にアメリカ政府はナチスを助け、利用してきたわけで、ソ連消滅後にネオ・ナチと呼ばれる人びとが旧ソ連圏へ「帰還」したのは必然なのでしょう。

 第2次世界大戦が終わって80年目に当たる今年、そうしたことについて考えてみたいと思います。

櫻井 春彦
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202507250000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c62

[近代史3] アフター・ヒトラー 中川隆
36. 中川隆[-5681] koaQ7Jey 2025年7月26日 07:21:35 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[7]
<■68行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025.07.25
 ウクライナを舞台とした戦争でロシアがNATO諸国に勝利するのは決定的です。形式上、ロシアが戦い、犠牲を強いられているのはウクライナですが、兵士を訓練し、兵器を供与し、衛星からの情報を提供しているのはNATOであり、NATOが敗北しつつあるということにほかなりません。

 NATO諸国は自国の兵士や情報機関員を派遣していますが、傭兵も送り込んできました。特に重要な役割を果たしてきたのは、キエフのクーデター政権に食い込み、操ってきたネオ・ナチです。ネオ・ナチはなぜ消えないのでしょうか?

 第2次世界大戦中からアメリカやイギリスの情報機関はナチスと連携していた勢力と連携していました。そうした勢力は大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)を形成、東アジアで創設されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になります。

 ウクライナからもこの組織に参加したグループが存在しました。その母体になったのはステパン・バンデラを中心とするOUN(ウクライナ民族主義者機構)-Bで、このグループを大戦中からイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長を務めていたハリー・カーが雇いますが、その一方でナチスとも手を組んでいました。

 ドイツの敗北が決定的になっていた1943年春、OUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立しました。そのメンバーの半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられています。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 バンデラの主要な側近だったミコラ・レベジとヤロスラフ・ステツコのうち、レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入って破壊活動を実行、ステツコは大戦後、ABNを率いることになり、この組織はAPACLと合体してWACLになったわけです。

 その後、ステツコはMI6を後ろ盾とするKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を指揮、1986年に彼が死亡すると妻のスラバ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いました。彼女がミュンヘンからウクライナへ戻ったのは1991年12月にソ連が消滅した後です。

 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいましたが、その教え子のひとりがウクライナでネオ・ナチを率いてきたドミトロ・ヤロシュにほかなりません。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になりました。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われています。

 アメリカの情報機関は大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチス人脈と接触、前後策を練しました。サンライズ作戦です。この工作はルーズベルトの政策と矛盾していましたが、1945年4月に大統領が急死したことで解消されます。

 CIAを含むアメリカの政府機関は大戦後、ナチスの残党や協力者を逃亡させ、保護し、雇うことになります。ラットラインとも呼ばれる逃走ルートの運営はローマ教皇庁も支援、国務省は1948年頃、ナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力を助け、雇い始めました。ブラッドストーン作戦です。

 また、1945年から59年にかけてアメリカ政府はドイツの科学者や技術者1600名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させました。ペーパー・クリップ作戦ですが、その中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていました。ナチスの幹部だったハインリッヒ・ヒムラーの占星術師だったウィリヘルム・ウルフによると、死を顧みずに突撃する日本への心理をコピーする研究もドイツでは行われていたと言います。(Daniel Estulin, “Tavistock Institute,” Trine Day, 2015)

 このようにアメリカやイギリスの情報機関はナチスやその後継者と連携してきたのですが、そもそもナチスの台頭を米英の金融機関が支援していたとも言われています。スイスを拠点とするBIS(国際決済銀行)やイングランド銀行のほか、アメリカのブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキングを経由して資金が西側からナチスへ投げていたとされています。米英金融資本がナチスを使っていたからこそ、大戦後にアメリカ政府はナチスを助け、利用してきたわけで、ソ連消滅後にネオ・ナチと呼ばれる人びとが旧ソ連圏へ「帰還」したのは必然なのでしょう。

 第2次世界大戦が終わって80年目に当たる今年、そうしたことについて考えてみたいと思います。

櫻井 春彦
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202507250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html#c36

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
35. 中川隆[-5680] koaQ7Jey 2025年7月26日 07:21:49 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[8]
<■68行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025.07.25
 ウクライナを舞台とした戦争でロシアがNATO諸国に勝利するのは決定的です。形式上、ロシアが戦い、犠牲を強いられているのはウクライナですが、兵士を訓練し、兵器を供与し、衛星からの情報を提供しているのはNATOであり、NATOが敗北しつつあるということにほかなりません。

 NATO諸国は自国の兵士や情報機関員を派遣していますが、傭兵も送り込んできました。特に重要な役割を果たしてきたのは、キエフのクーデター政権に食い込み、操ってきたネオ・ナチです。ネオ・ナチはなぜ消えないのでしょうか?

 第2次世界大戦中からアメリカやイギリスの情報機関はナチスと連携していた勢力と連携していました。そうした勢力は大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)を形成、東アジアで創設されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になります。

 ウクライナからもこの組織に参加したグループが存在しました。その母体になったのはステパン・バンデラを中心とするOUN(ウクライナ民族主義者機構)-Bで、このグループを大戦中からイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長を務めていたハリー・カーが雇いますが、その一方でナチスとも手を組んでいました。

 ドイツの敗北が決定的になっていた1943年春、OUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立しました。そのメンバーの半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられています。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 バンデラの主要な側近だったミコラ・レベジとヤロスラフ・ステツコのうち、レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入って破壊活動を実行、ステツコは大戦後、ABNを率いることになり、この組織はAPACLと合体してWACLになったわけです。

 その後、ステツコはMI6を後ろ盾とするKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を指揮、1986年に彼が死亡すると妻のスラバ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いました。彼女がミュンヘンからウクライナへ戻ったのは1991年12月にソ連が消滅した後です。

 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいましたが、その教え子のひとりがウクライナでネオ・ナチを率いてきたドミトロ・ヤロシュにほかなりません。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になりました。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われています。

 アメリカの情報機関は大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチス人脈と接触、前後策を練しました。サンライズ作戦です。この工作はルーズベルトの政策と矛盾していましたが、1945年4月に大統領が急死したことで解消されます。

 CIAを含むアメリカの政府機関は大戦後、ナチスの残党や協力者を逃亡させ、保護し、雇うことになります。ラットラインとも呼ばれる逃走ルートの運営はローマ教皇庁も支援、国務省は1948年頃、ナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力を助け、雇い始めました。ブラッドストーン作戦です。

 また、1945年から59年にかけてアメリカ政府はドイツの科学者や技術者1600名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させました。ペーパー・クリップ作戦ですが、その中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていました。ナチスの幹部だったハインリッヒ・ヒムラーの占星術師だったウィリヘルム・ウルフによると、死を顧みずに突撃する日本への心理をコピーする研究もドイツでは行われていたと言います。(Daniel Estulin, “Tavistock Institute,” Trine Day, 2015)

 このようにアメリカやイギリスの情報機関はナチスやその後継者と連携してきたのですが、そもそもナチスの台頭を米英の金融機関が支援していたとも言われています。スイスを拠点とするBIS(国際決済銀行)やイングランド銀行のほか、アメリカのブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキングを経由して資金が西側からナチスへ投げていたとされています。米英金融資本がナチスを使っていたからこそ、大戦後にアメリカ政府はナチスを助け、利用してきたわけで、ソ連消滅後にネオ・ナチと呼ばれる人びとが旧ソ連圏へ「帰還」したのは必然なのでしょう。

 第2次世界大戦が終わって80年目に当たる今年、そうしたことについて考えてみたいと思います。

櫻井 春彦
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c35

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
63. 中川隆[-5679] koaQ7Jey 2025年7月26日 07:22:37 : 4suxvfTQvk : a0lxSUt2aWJMYVE=[9]
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2025.07.25
 ウクライナを舞台とした戦争でロシアがNATO諸国に勝利するのは決定的です。形式上、ロシアが戦い、犠牲を強いられているのはウクライナですが、兵士を訓練し、兵器を供与し、衛星からの情報を提供しているのはNATOであり、NATOが敗北しつつあるということにほかなりません。

 NATO諸国は自国の兵士や情報機関員を派遣していますが、傭兵も送り込んできました。特に重要な役割を果たしてきたのは、キエフのクーデター政権に食い込み、操ってきたネオ・ナチです。ネオ・ナチはなぜ消えないのでしょうか?

 第2次世界大戦中からアメリカやイギリスの情報機関はナチスと連携していた勢力と連携していました。そうした勢力は大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)を形成、東アジアで創設されたAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になります。

 ウクライナからもこの組織に参加したグループが存在しました。その母体になったのはステパン・バンデラを中心とするOUN(ウクライナ民族主義者機構)-Bで、このグループを大戦中からイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長を務めていたハリー・カーが雇いますが、その一方でナチスとも手を組んでいました。

 ドイツの敗北が決定的になっていた1943年春、OUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立しました。そのメンバーの半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられています。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 バンデラの主要な側近だったミコラ・レベジとヤロスラフ・ステツコのうち、レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入って破壊活動を実行、ステツコは大戦後、ABNを率いることになり、この組織はAPACLと合体してWACLになったわけです。

 その後、ステツコはMI6を後ろ盾とするKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を指揮、1986年に彼が死亡すると妻のスラバ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いました。彼女がミュンヘンからウクライナへ戻ったのは1991年12月にソ連が消滅した後です。

 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいましたが、その教え子のひとりがウクライナでネオ・ナチを率いてきたドミトロ・ヤロシュにほかなりません。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になりました。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われています。

 アメリカの情報機関は大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領に無断でナチス人脈と接触、前後策を練しました。サンライズ作戦です。この工作はルーズベルトの政策と矛盾していましたが、1945年4月に大統領が急死したことで解消されます。

 CIAを含むアメリカの政府機関は大戦後、ナチスの残党や協力者を逃亡させ、保護し、雇うことになります。ラットラインとも呼ばれる逃走ルートの運営はローマ教皇庁も支援、国務省は1948年頃、ナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力を助け、雇い始めました。ブラッドストーン作戦です。

 また、1945年から59年にかけてアメリカ政府はドイツの科学者や技術者1600名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させました。ペーパー・クリップ作戦ですが、その中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていました。ナチスの幹部だったハインリッヒ・ヒムラーの占星術師だったウィリヘルム・ウルフによると、死を顧みずに突撃する日本への心理をコピーする研究もドイツでは行われていたと言います。(Daniel Estulin, “Tavistock Institute,” Trine Day, 2015)

 このようにアメリカやイギリスの情報機関はナチスやその後継者と連携してきたのですが、そもそもナチスの台頭を米英の金融機関が支援していたとも言われています。スイスを拠点とするBIS(国際決済銀行)やイングランド銀行のほか、アメリカのブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキングを経由して資金が西側からナチスへ投げていたとされています。米英金融資本がナチスを使っていたからこそ、大戦後にアメリカ政府はナチスを助け、利用してきたわけで、ソ連消滅後にネオ・ナチと呼ばれる人びとが旧ソ連圏へ「帰還」したのは必然なのでしょう。

 第2次世界大戦が終わって80年目に当たる今年、そうしたことについて考えてみたいと思います。

櫻井 春彦
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