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独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 16 日 18:50:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー


アドルフ・ヒトラーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html

ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 _ ヨーロッパの戦い こうして始まった! 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/352.html

『ヒトラー思想』とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html

独裁者の登場と行く末
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/409.html

アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html

天才ヒトラーは薬物中毒で破滅した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/361.html

「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく何の変哲もない一般的な「オーストリア人」
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/634.html  

ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

狂気の戦時医学 ナチスの人体実験
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/348.html


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『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。
 

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コメント
1. 中川隆[-13238] koaQ7Jey 2020年4月16日 18:51:18 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[31] 報告

アフター・ヒトラー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/772.html

犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

世紀の捏造? ”ガス室はなかった” は本当か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/346.html


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ドイツにもまともな軍人はいたけど _ カナリス提督 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/360.html

パウルス元帥
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/404.html

マンシュタイン元帥 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/403.html

ロンメル将軍
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/402.html

2. 中川隆[-13213] koaQ7Jey 2020年4月17日 20:07:52 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[21] 報告

《櫻井ジャーナル》 2016.06.22
ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。

 後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。

 1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。

「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。

 ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。

 こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。

 ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。

 モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。

 1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。

 本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。

 ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。

 相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。

 そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。

 当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。

 ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。

 バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。

彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。

現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。

バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。

 このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。

その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。


 何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。

駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。


 グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。

1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/


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《櫻井ジャーナル》 2016.06.30

戦前日本は米巨大資本に従属、その巨大資本と対立していたルーズベルト政権と日本の対立は必然

 安倍晋三政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これは矛盾していないどころか、コインの裏と表の関係にある。幕末から日本の支配層は基本的にイギリスやアメリカの巨大資本を後ろ盾としてきた、つまり強い影響を受けてきたのだ。この関係が機能しなかったのは、ニューディール派政権だった1933年3月から45年4月、あるいはジョン・F・ケネディが大統領だった1961年1月から63年11月くらいだろう。

 現在、この従属関係を「日米同盟」と呼ぶが、かつては「対米協調」と表現されていた。そうした政策を打ち出した代表的な政権は1929年7月から始まる浜口雄幸内閣。アメリカ巨大資本の要求に従った政策、フランクリン・ルーズベルトやベニト・ムッソリーニが言うところのファシズム(注)を導入、例えば、緊縮財政と金本位制への復帰を実行した。最近の表現を使うならば、新自由主義的な政策を導入したのだが、これによって貧富の差が拡大、東北地方で娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になる。

 こうした経済政策の中心にいた人物がJPモルガンと緊密な関係にあった井上準之助であり、こうした背景を抜きにして、1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、また1936年の二・二六事件を理解することはできない。二・二六事件では、昭和天皇も井上たちと同じ立場だということが明らかになった。

 ウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領をルーズベルトは1932年の大統領選で破ったのだが、その3年前にニューヨークで株式相場が暴落、経済破綻が顕在化していた。

 第1次世界大戦(1914年から18年)でライバルのヨーロッパ諸国は疲弊したが、アメリカは戦場とならずに物資の販売や金融で大儲け、自動車の大衆化が進み、映画やラジオの登場など技術的な進歩で豊かになっているように見えた。

 しかし、富が一部に集まる政策が推進され、社会は衰退する。大戦後に兵士が帰国すると街には失業者が溢れ、ストライキやデモが続発していた。そうした中、1919年にボストン近郊で起こった現金輸送車襲撃未遂事件が起こり、ニコラ・サッコとバルトロメオ・バンゼッティが逮捕された。1920年4月にマサチューセッツ州サウスブレーントリー駅近くで起こった強盗殺人事件でも有罪とされた。

 いずれの事件もふたりを有罪とするような証拠、証言はなく、1925年には別の事件で収監されていたセレスチーノ・マデイロスという男が「真犯人は自分たちだ」とする書面を提出しているが、裁判官は無視して死刑を言い渡している。ふたりが「アナーキスト」だったということが理由だと見られている。ふたりは1927年の8月に処刑された。

 勿論、1950年代から60年代にかけて公民権運動が高まるまでアメリカでは人種差別が公然と行われ、決して「自由で民主的な国」とは言えない。そうした国の内部で庶民の不満は強まり、1932年の大統領選でニューディール派を勝たせることになる。

 当時、日本の支配層が従属していた相手は「自由で民主的な」アメリカ人でなく、富を独占し、人種差別を行う人びと。フランクリン・ルーズベルト政権の誕生は、日本の支配層がウォール街に従属するという関係を崩した。この関係が復活するのは、1945年4月にルーズベルトが執務中に急死してからだ。

 このアメリカと日本が戦争を始める切っ掛けは、言うまでもなく「真珠湾攻撃」。この攻撃がいかに無謀だったかを語る人は多いが、日本はすでに戦争をはじめていた。1927年5月に山東出兵、31年9月に柳条湖事件と呼ばれる偽旗作戦を実行して侵略を開始、中国東北部に「満州国」と称する傀儡国家を樹立させた。1937年7月の盧溝橋事件後、宣戦を中国の全域に拡大、そして41年12月の真珠湾攻撃だ。

 しかし、日本が東アジア侵略を始めたのはその遥か前、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置したところから始まる。本ブログでは何度か指摘したが、1871年7月に廃藩置県を実施済みなわけで、この琉球藩設置は台湾へ派兵する口実作りの可能性が高い。実際、そのころ来日していた厦門の領事のチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めていた。そこから江華島への軍艦派遣(朝鮮に対する挑発)、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦へとまっしぐらだ。この背後にはイギリスとアメリカが存在していた。

 東アジアを侵略している間に盗んだ財宝も曖昧なまま、アメリカ支配層と山分けした可能性が高い。その過程で吸った甘い汁を日本の支配層は忘れていないはず。アメリカ支配層の最近の動きを見ていると、過去の「成功体験」を再現しようとして失敗しているようで、日本がアメリカの真似をして再び中国を侵略しようとしたなら、取り返しのつかないことになりそうだ。

 こうした道へと日本を導いているのが安倍政権。危険な流れを察知した人びとが小沢一郎の率いる民主党を選挙で勝たせたのだが、それをマスコミと検察が潰し、菅直人や野田佳彦は国民の期待を裏切って現在がある。ここで諦めたなら、支配層の思う壺だ。


【注】

(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。

(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606300000/

3. 中川隆[-13175] koaQ7Jey 2020年4月18日 15:07:34 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[28] 報告

《櫻井ジャーナル》

アメリカの支配層が世界的な規模でファシズム体制を樹立させようとしていることは本ブログで何度も指摘してきた。その計画は遅くとも大恐慌の時代から始まる。

米英の巨大金融資本とナチスとの関係も明らかになっている。

ホワイトハウスからニューディール派を排除してファシムズ体制を樹立しようというクーデター計画が1933年から34年にかけて進められていたことも書いてきた通り。スメドリー・バトラー少将らの証言によると、その中心的な存在がJPモルガンだった。

 1933年はニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年。1945年4月に執務中に急死するまでルーズベルト政権が続くのだが、その政権で45年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは44年4月、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だとニューヨーク・タイムズ紙に載せた記事の中で指摘している。

 1944年の大統領選挙でもルーズベルトは圧勝しているが、その選挙の際、民主党の幹部はルーズベルトに信頼されていたウォーレスを次期副大統領候補から外し、シオニストの富豪アブラハム・フェインバーグを後ろ盾とするハリー・トルーマンを据えていた。副大統領に就任した3カ月後、ルーズベルトの急死でトルーマンが副大統領から大統領へ昇格している。大戦後、アメリカでは反ファシスト勢力が粛清された。

 その後、アメリカにおける金融資本の影響力はさらに強まるが、FBIと並ぶ支配の重要な道具として機能してきたのが情報機関のCIA。この機関は1942年、ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本によって作られたOSSが大戦後に生まれ変わってもの。その人脈は大戦の終盤からナチスの幹部や協力者を救出、ラテン・アメリカなどへ逃亡させ、保護、雇用している。当時の動きは本ブログで何度か書いたことなので、今回は割愛する。

 アメリカやイギリスの支配層にとってファシズムは長期戦略の柱だともいえる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202004180000/

4. 中川隆[-13011] koaQ7Jey 2020年4月22日 20:12:32 : 13OAtnQgho : d2VxeFFzSXBVMTI=[28] 報告
コロナ後の世界、「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点- 内田樹の研究室 2020-04-22
http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html


―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。

内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。

 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制に成功しました。逆に、アメリカはトランプ大統領が秋の大統領選での再選という自己都合を優先させて、感染当初は「まったく問題ない」と言い張って初動に大きく後れを取り、感染が広がり出してからは有権者受けを狙った政策を連発しました。科学的で巨視的な対策を採れなかった。

 この差は、コロナ禍が終息した後の「アメリカの相対的な国威の低下」と「中国の相対的な国威の向上」として帰結すると予測されます。パンデミックを契機に、国際社会における米中のプレゼンスが逆転する。

 中国は新型コロナウイルスの発生源になり、初期段階では情報隠蔽や責任回避など、非民主的体制の脆さを露呈しましたが、党中央が仕切るようになってからは、強権的な手法で一気に感染拡大を抑え込んだ。それだけではなくて、中国は他国の支援に乗り出した。中国はマスクや検査キットや人工呼吸器や防護服などの医療資源の生産拠点です。どの国も喉から手が出るほど欲しがっているものを国内で潤沢に生産できる。このアドバンテージを利用して、習近平は医療支援する側に回った。

 イタリアは3月初旬に医療崩壊の危機に瀕しました。支援を要請しましたがEUの他のメンバーは反応してくれなかった。中国だけが支援を申し出た。人工呼吸器、マスク、防護服を送りました。これでイタリア国民の対中国評価は一気に上がった。知り合いのイタリア人も「いま頼りになるのは中国だけだ」と言っていました。

 もちろん中国も国益優先です。でも、トランプは秋の大統領選までのことしか考えていないけれど、習近平はこれから5年先10年先の地政学的地位を見越して行動している。短期的には「持ち出し」でも、長期的にはこの出費は回収できると見越して支援に動いた。この視野の広さの差がはっきりした。コロナ禍への対応を通じて、中国は国際社会を支える能力も意志もあることを明示し、アメリカは国際社会のリーダーシップを事実上放棄した。コロナ禍との戦いはこれから後も場合によっては1年以上続くかも知れませんが、アメリカがどこかで軌道修正をしないと、これ以後の国際協力体制は中国が指導することになりかねない。

―― 今回、中国の成功と米国の失敗が明らかになった。それが「コロナ以後」の政治体制にもつながってくるわけですね。

内田 そうです。今後、コロナ禍が終息して、危機を総括する段階になったところで、「米中の明暗を分けたのは政治システムの違いではないか」という議論が出て来るはずです。

 米中の政治システムを比較してみると、まず中国は一党独裁で、血みどろの権力闘争に勝ち残った人間がトップになる。実力主義の競争ですから、無能な人間がトップになることはまずない。それに対してアメリカの有権者は必ずしも有能な統治者を求めていない。アレクシス・ド・トクヴィルが洞察した通り、アメリカの有権者は自分たちと知性・徳性において同程度の人間に親近感を覚える。だからトランプのような愚鈍で徳性に欠けた人間が大統領に選ばれるリスクがある。トクヴィルの訪米の時のアメリカ大統領はアンドリュー・ジャクソンでインディアンの虐殺以外に見るべき功績のない凡庸な軍人でしたが、アメリカの有権者は彼を二度大統領に選びました。さいわいなことに、これが中国だったら致命的なことになりますが、アメリカは連邦制と三権分立がしっかり機能しているので、どれほど愚鈍な大統領でも、統治機構に致命的な傷を与えることはできない。

 少なくとも現時点では、アメリカン・デモクラシーよりも、中国的独裁制の方が成功しているように見える。欧州や日本でも、コロナに懲りて、「民主制を制限すべきだ」と言い出す人が必ず出てきます。

 中国はすでに顔認証システムなど網羅的な国民監視システムを開発して、これをアフリカやシンガポールや中南米の独裁国家に輸出しています。国民を監視・管理するシステムにおいて、中国はすでに世界一です。そういう抑圧的な統治機構に親近感を感じる人は自民党にもいますから、彼らは遠からず「中国に学べ」と言い始めるでしょう。


■なぜ安倍政権には危機管理能力がなかったのか

―― そのような大勢のなかで日本の状況はどう見るべきですか。

内田 日本はパンデミックの対応にははっきり失敗したと言ってよいと思います。それがどれくらいの規模の失敗であるかは、最終的な感染者・死者数が確定するまでは言えませんが、やり方を間違えていなければ、死者数ははるかに少なく済んだということになるはずです。

 東アジアでは、ほぼ同時に、中国、台湾、韓国、日本の4か国がコロナ問題に取り組みました。中国はほぼ感染を抑え込みました。台湾と韓国は初動の動きが鮮やかで、すでにピークアウトしました。その中で、日本だけが、感染が広まる前の段階で中国韓国やヨーロッパの情報が入っているというアドバンテージがありながら、検査体制も治療体制も整備しないで、無為のうちに二カ月を空費した。準備の時間的余裕がありながら、それをまったく活用しないまま感染拡大を迎えてしまった。

―― なぜ日本は失敗したのですか。

内田 為政者が無能だったということに尽きます。それは総理会見を見れば一目瞭然です。これだけ危機的状況にあるなかで、安倍首相は官僚の書いた作文を読み上げることしかできない。自分の言葉で、現状を説明し、方針を語り、国民に協力を求めるということができない。

 ドイツのメルケル首相やイギリスのボリス・ジョンソン首相やニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事はまことに説得力のあるメッセージを発信しました。それには比すべくもない。

 安倍首相は国会質疑でも、記者会見でも、問いに誠実に回答するということをこれまでしないで来ました。平気で嘘をつき、話をごまかし、平気で食言してきた。一言をこれほど軽んじた政治家を私はこれまで見たことがありません。国難的な状況では決して舵取りを委ねてはならない政治家に私たちは舵取りを委ねてしまった。それがどれほど日本に大きなダメージを与えることになっても、それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。

 感染症対策として、やるべきことは一つしかありません。他国の成功例を模倣し、失敗例を回避する、これだけです。日本は感染拡大までタイムラグがありましたから、中国や台湾、韓国の前例に学ぶ時間的余裕はあったんです。しかし、政府はそれをしなかった。

 一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。最悪の事態に備えてしまうと最悪の事態を招待するかも知れないから、何もしないことによって最悪の事態の到来を防ごうとしたのです。これは日本人に固有な民族誌的奇習です。気持ちはわからないでもありませんが、そういう呪術的な思考をする人間が近代国家の危機管理に当るべきではない。

 先行する成功事例を学ばなかったもう一つの理由は安倍政権が「イデオロギー政権」だからです。政策の適否よりもイデオロギーへの忠誠心の方を優先させた。だから、たとえ有効であることがわかっていても、中国や韓国や台湾の成功例は模倣したくない。野党も次々と対案を出していますが、それも採用しない。それは成功事例や対案の「内容」とは関係がないのです。「誰」が出した案であるかが問題なのです。ふだん敵視し、見下しているものたちのやることは絶対に模倣しない。国民の生命よりも自分のイデオロギーの無謬性方が優先するのです。こんな馬鹿げた理由で感染拡大を座視した国は世界のどこにもありません。

 安倍政権においては、主観的願望が客観的情勢判断を代行する。「そうであって欲しい」という祈願が自動的に「そうである」という事実として物質化する。安倍首相個人においては、それは日常的な現実なんだと思います。森友・加計・桜を見る会と、どの事案でも、首相が「そんなものはない」と宣告した公文書はいつのまにか消滅するし、首相が「知らない」と誓言したことについては関係者全員が記憶を失う。たぶんその全能感に慣れ切ってしまったのでしょう、「感染は拡大しない。すぐに終息する」と自分が言いさえすれば、それがそのまま現実になると半ば信じてしまった。

 リスクヘッジというのは「丁と半の両方の目に張る」ということです。両方に張るわけですから、片方は外れる。リスクヘッジでは、「準備したけれど、使わなかった資源」が必ず無駄になります。「準備したが使用しなかった資源」のことを経済学では「スラック(余裕、遊び)」と呼びます。スラックのあるシステムは危機耐性が強い。スラックのないシステムは弱い。

 東京五輪については「予定通りに開催される準備」と「五輪が中止されるほどのパンデミックに備えた防疫対策策の準備」の二つを同時並行的に行うというのが常識的なリスクヘッジです。五輪準備と防疫体制のいずれかが「スラック」になる。でも、どちらに転んでも対応できた。

 しかし、安倍政権は「五輪開催」の一点張りに賭けた。それを誰も止めなかった。それは今の日本の政治家や官僚の中にリスクヘッジというアイディアを理解している人間がほとんどいないということです。久しく費用対効果だとか「ジャストインタイム」だとか「在庫ゼロ」だとかいうことばかり言ってきたせいで、「危機に備えるためには、スラックが要る」ということの意味がもう理解できなくなった。

 感染症の場合、専門的な医療器具や病床は、パンデミックが起きないときにはほとんど使い道がありません。だから、「医療資源の効率的な活用」とか「病床稼働率の向上」とかいうことを医療の最優先課題だと思っている政治家や役人は感染症用の医療準備を無駄だと思って、カットします。そして、何年かに一度パンデミックが起きて、ばたばた人が死ぬのを見て、「どうして備えがないんだ?」とびっくりする。


■コロナ危機で中産階級が没落する

―― 日本が失敗したからこそ、独裁化の流れが生まれてくる。どういうことですか。

内田 日本はコロナ対応に失敗しましたが、これはもう起きてしまったことなので、取り返しがつかない。われわれに出来るのは、これからその失敗をどう総括し、どこを補正するかということです。本来なら「愚かな為政者を選んだせいで失敗した。これからはもっと賢い為政者を選びましょう」という簡単な話です。でも、そうはゆかない。

 コロナ終息後、自民党は「憲法のせいで必要な施策が実行できなかった」と総括すると思います。必ずそうします。「コロナ対応に失敗したのは、国民の基本的人権に配慮し過ぎたせいだ」と言って、自分たちの失敗の責任を憲法の瑕疵に転嫁しようとする。右派論壇からは、改憲して非常事態条項を新設せよとか、教育制度を変えて滅私奉公の愛国精神を涵養せよとか言い出す連中が湧いて出て来るでしょう。

 コロナ後には「すべて憲法のせい」「民主制は非効率だ」という言説が必ず湧き出てきます。これとどう立ち向かうか、それがコロナ後の最優先課題だと思います。心あるメディアは今こそ民主主義を守り、言論の自由を守るための論陣を張るべきだと思います。そうしないと、『月刊日本』なんかすぐに発禁ですよ。

―― 安倍政権はコロナ対策だけでなく、国民生活を守る経済政策にも失敗しています。

内田 コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。民主主義の土台になるのは「分厚い中産階級」です。しかし、新自由主義的な経済政策によって、世界的に階級の二極化が進み、中産階級がどんどん痩せ細って、貧困化している。

 コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。ささやかながら自立した資本家であった市民たちが、労働以外に売るものを持たない無産階級に没落する。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです。食い止めようと思うならば、政策的に中産階級を保護するしかありません。

 野党はどこも「厚みのある中産階級を形成して、民主主義を守る」という政治課題については共通しているはずです。ですから、次の選挙では、「中産階級の再興と民主主義」をめざすのか「階層の二極化と独裁」をめざすのか、その選択の選挙だということを可視化する必要があると思います。

―― 中産階級が没落して民主主義が形骸化してしまったら、日本の政治はどういうものになるのですか。

内田 階層の二極化が進行すれば、さらに後進国化すると思います。ネポティズム(縁故主義)がはびこり、わずかな国富を少数の支配階層が排他的に独占するという、これまで開発独裁国や、後進国でしか見られなかったような政体になるだろうと思います。森友問題、加計問題、桜を見る会などの露骨なネポティズム事例を見ると、これは安倍政権の本質だと思います。独裁者とその一族が権力と国富を独占し、そのおこぼれに与ろうとする人々がそのまわりに群がる。そういう近代以前への退行が日本ではすでに始まっている。


■民主主義を遂行する「大人」であれ!

―― 今後、日本でも強権的な国家への誘惑が強まるかもしれませんが、それは亡国への道だという事実を肝に銘じなければならない。

内田 確かに短期的なスパンで見れば、中国のような独裁国家のほうが効率的に運営されているように見えます。民主主義は合意形成に時間がかかるし、作業効率が悪い。でも、長期的には民主的な国家のほうがよいものなんです。

 それは、民主主義は、市民の相当数が「成熟した市民」、つまり「大人」でなければ機能しないシステムだからです。少なくとも市民の7%くらいが「大人」でないと、民主主義的システムは回らない。一定数の「大人」がいないと動かないという民主主義の脆弱性が裏から見ると民主主義の遂行的な強みなんです。民主主義は市民たちに成熟を促します。王政や貴族政はそうではありません。少数の為政者が賢ければ、残りの国民はどれほど愚鈍でも未熟でも構わない。国民が全員「子ども」でも、独裁者ひとりが賢者であれば、国は適切に統治できる。むしろ独裁制では集団成員が「子ども」である方がうまく機能する。だから、独裁制は成員たちの市民的成熟を求めない。「何も考えないでいい」と甘やかす。その結果、自分でものを考える力のない、使い物にならない国民ばかりになって、国力が衰微、国運が尽きる。その点、民主主義は国民に対して「注文が多い」システムなんです。でも、そのおかげで復元力の強い、創造的な政体ができる。

 民主主義が生き延びるために、やることは簡単と言えば簡単なんです。システムとしてはもう出来上がっているんですから。後は「大人」の頭数を増やすことだけです。やることはそれだけです。

―― カミュは有名な小説『ペスト』のなかで、最終的に「ペストを他人に移さない紳士」の存在に希望を見出しています。ここに、いま私たちが何をなすべきかのヒントがあると思います。

内田 『ペスト』では、猛威を振るうペストに対して、市民たち有志が保健隊を組織します。これはナチズムに抵抗したレジスタンスの比喩とされています。いま私たちは新型コロナウイルスという「ペスト」に対抗しながら、同時に独裁化という「ペスト」にも対抗しなければならない。その意味で、『ペスト』は現在日本の危機的状況を寓話的に描いたものとして読むこともできます。

 『ペスト』の中で最も印象的な登場人物の一人は、下級役人のグランです。昼間は役所で働いて、夜は趣味で小説を書いている人物ですが、保健隊を結成したときにまっさきに志願する。役所仕事と執筆活動の合間に献身的に保健隊の活動を引き受け、ペストが終息すると、またなにごともなかったように元の平凡な生活に戻る。おそらくグランは、カミュが実際のレジスタンス活動のなかで出会った勇敢な人々の記憶を素材に造形された人物だと思います。特に英雄的なことをしようと思ったわけではなく、市民の当然の義務として、ひとつ間違えば命を落とすかもしれない危険な仕事に就いた。まるで、電車で老人に席を譲るようなカジュアルさで、レジスタンスの活動に参加した。それがカミュにとっての理想的な市民としての「紳士」だったんだろうと思います。

「紳士」にヒロイズムは要りません。過剰に意気込んだり、使命感に緊張したりすると、気長に戦い続けることができませんから。日常生活を穏やかに過ごしながらでなければ、持続した戦いを続けることはできない。

「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。私はそう思います。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html

5. 中川隆[-10278] koaQ7Jey 2020年11月02日 13:18:41 : 5KIfhlnuJY : UFhPRDFELnhqNkU=[19] 報告
Caste (Oprah's Book Club): The Origins of Our Discontents (英語) 2020/8/4
Isabel Wilkerson (著)
https://www.amazon.co.jp/Caste-Origins-Discontents-Isabel-Wilkerson/dp/0593230256/ref=sr_1_3?dchild=1&keywords=Caste&qid=1604195528&sr=8-3

2020年11月2日
米国で400年続くカースト制度、トランプ人気の追い風に
森川聡一
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21236


 黒人を奴隷にしていた時代に始まったカースト制度が、現代のアメリカでもまだ続いている。黒人(アフリカ系アメリカ人)を最下層に置くカースト制度によって、白人たちは身分を保証されてきた。ところが、2009年に黒人初の大統領が就任したのをみて、白人は自分たちの地位が脅かされると危機感を抱き始めた。警察が無防備な黒人たちを射殺する事件が相次ぐのは、カースト制度にすがる白人たちが、黒人による下克上を恐れているからだ。こうした白人たちの不安心理が、白人至上主義を体現するトランプ大統領の登場につながった。自身も黒人である女性ジャーナリストの手になる本書は、アメリカにおけるカースト制度を告発する。

 本書はニューヨーク・タイムズ紙の11月1日付のベストセラー・リスト(単行本ノンフィクション部門)で、売れ行きトップ1につけた。大統領選を間近に控えて、トランプ暴露本などでアメリカ出版界がにぎわうなか、深刻な内容ながらランキング入り11週目にして快挙を達成した。その翌週11月8日付ランキングでも3位につけている。

 カースト制度と聞くと、ふつうはインドの身分制度を思い浮かべる。本書は人類の歴史のなかでも特筆すべき3大カースト制度として、インドに加えてナチス・ドイツとアメリカのカースト制度をあげる。特に、ナチスによるユダヤ人の虐殺につながったカースト制度と、アメリカの黒人差別を支えるカースト制度を同列にとらえる。

 ドイツでは戦犯たちの責任追及を進め、ホロコーストの犠牲者たちを悼み反省する取り組みをしているのに、アメリカでは20世紀の半ば過ぎまで黒人たちは公衆の面前で火あぶりなどリンチされ殺されていた。アメリカ社会ではそうした歴史を振り返って反省することもなく、いまだに黒人は差別されカースト制度が残る。

 アメリカはナチス・ドイツよりもひどいと言いたいわけだ。本書の終わり近くで紹介される天才物理学者アルバート・アインシュタインのエピソードが興味深い。ユダヤ人のアインシュタインは1932年12月に、ナチスの魔の手から逃れるため、アメリカにたどり着いた。アインシュタインはアメリカで、黒人が差別されているのを目の当たりにして、ドイツと似た状況に驚く。アインシュタインは知人に「自分がユダヤ人だからこそ、差別されている黒人たちの気持ちが痛いほど分かる」と語ったという。本書はアインシュタインの講演から次の一節を引用している。

 “We must make every effort [to ensure] that the past injustice, violence and economic discrimination will be made known to the people,” Einstein said in an address to the National Urban League. “The taboo, the 'let's-not-talk-about-it' must be broken. It must be pointed out time and again that the exclusion of a large part of the colored population from active civil rights by the common practices is a slap in the face of the Constitution of the nation."

 「アインシュタインは全米都市同盟での講演でこう言っている。『これまでの不当な扱いや暴力、経済面での差別を、国民に知らしめるために、あらゆる努力をしなければならない。というタブーを無くさなければいけない。繰り返し次のことを訴え続けるべきだ。さも当たり前のこととして、黒人の大部分から基本的な人権を奪うのは、アメリカ合衆国憲法への裏切りである』」

 このアインシュタインの言葉に、本書の思いが凝縮している。かつてアメリカで黒人に対して行われた残虐な行為の数々を本書は紹介する。19世紀の南北戦争を経て奴隷制度が廃止された後、20世紀に入ってもアメリカ南部では、罪もない黒人を火あぶりにして殺した。子どもも含め何千人もの見物客が黒人の公開処刑に集まった。リンチの様子を描く絵はがきも人気だったという。さらに、ちょうど100年前に、大統領選をめぐり白人たちが黒人を虐殺した次の史実は、いまのアメリカの不穏な空気を暗示するようだ。

 A white mob massacred some sixty black people in Ocoee, Florida, on Election Day in 1920, burning black homes and businesses to the ground, lynching and castrating black men, and driving the remaining black population out of town, after a black man tried to vote. The historian Paul Ortiz has called the Ocoee riot the “single bloodiest election day in modern American history.”

 「白人の群衆が約60人の黒人をフロリダ州オコイーで虐殺したのは1920年の大統領選挙の日だ。黒人たちの家や店を焼き払い、黒人男性たちに暴行を加えて殺したり局部を切り取ったりしたうえ、町からすべての黒人を追い出した。原因は黒人が大統領選で投票しようとしたからだった。歴史家のポール・オーティスは、このオコイーの暴動について、『アメリカ現代史のなかで、最も残虐な大統領選挙の日だ』と言っている」

 本書によれば、ヒットラーをはじめナチス・ドイツは当時、アメリカにおけるカースト制度を研究し参考にしていたという。特に、アメリカでは原住民をほぼ抹殺し、黒人たちをリンチして殺しても、白人たちの正当性が保たれる仕組みに、ヒットラーたちは勇気づけられユダヤ人の虐殺に進んだ。

 アメリカのカースト制度と、ナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺を同列にとらえているだけに、アメリカとドイツの歴史への向き合い方の違いをより際立たせる。ドイツはホロコーストを生き抜いたユダヤ人だちに賠償を続けている。ベルリンの街中には、ホロコーストの負の歴史を忘れさせないためのモニュメントや掲示がある。ドイツでは、ナチスのシンボルである「かぎ十字」を掲げると最大で懲役3年の実刑を受ける。

 半面、アメリカでは奴隷制を続けるために南北戦争を戦った南部の軍司令官が今でも英雄として多くのモニュメントが残る。奴隷制度を残そうとした南軍の軍旗は今でも自家用車に貼るステッカーとして広く愛用され、公共団体のシンボルとしても使われている。南北戦争で負けた南軍の幹部たちは、奴隷を虐待してきた罪は問われず悠々自適の老後を送り、解放されたはずの黒人たちは20世紀半ばまで差別されリンチで殺され続けた。アメリカは本当に自由民主主義の国なのだろうかと疑問がわく。


奴隷を売り買いし始めたから黒人が生まれた
 本書が紹介するナイジェリア出身の女性劇作家との会話も印象に残った。そもそも、黒人という人種は存在しない。ヨーロッパ人たちが世界的に奴隷を売り買いし始めたから黒人が生まれたという。

 “You know that there are no black people in Africa,” she said. Most Americans, weaned on the myth of drawable lines between human beings, have to sit with that statement. It sounds nonsensical to our ears. Of course there are black people in Africa. There is a whole continent of black people in Africa. How could anyone not see that? “Africans are not black,” she said. “They are Igbo and Yoruba, Ewe, Akan, Ndebele. They are not black. They are just themselves. They are humans on the land. That is how they see themselves, and that is who they are.”

 「彼女は『アフリカには黒人がいない、ということ分かりますよね』と切り出した。人間を人種で線引きして分類できるという考えに取りつかれている多くのアメリカ人は、この言葉を肝に銘ずるべきだ。意味不明に聞こえるかもしれない。アフリカには間違いなく黒人がいるのだから。アフリカ全土に黒人がいる。黒人がいないなんておかしくないか?『アフリカの人たちは黒人じゃない。イボ人であったり、ヨルバ人やエウェ人、アカン人あるいはンデべレ人なんです。黒人ではない。みな単に自分自身でしかない。大地に生きる人間だ。アフリカの人たちは自分たちのことをそう思っているし、それ以上でも以下もでもない』と、彼女は言った」

 そして、次の一言がとどめをさす。

“They don't become black until they go to America or come to the U.K.,” she said. “It is then that they become black.”

 「『アフリカの人たちはアメリカやイギリスに来て初めて黒人になる。そこで初めて黒人が生まれる』と彼女は言った」

 黒人差別は、黒人という人種を、白人たちが作り出し、カースト制度によって最下層の身分に固定したことに起因する。カースト制度は白人たちの潜在意識に働きかけ、現代のアメリカにも残っている。本書の筆者は黒人で女性だ。黒人として差別された自身の体験も披露している。若いころニューヨーク・タイムズ紙の記者として、アポイントを取って取材先を訪れたものの、黒人の記者がいるはずがないと思い込んだ白人の取材対象に追い返されたことがあるという。飛行機のファーストクラスでも、キャビンアテンダントから不当な扱いを受けたり、空港で麻薬捜査官に付きまとわれたりしたという。黒人は犯罪者が多いという偏見がはびこっている現状も指摘する。近所に出かけるのにも、犯罪者と疑われないよう服装に気をつかう黒人男性の例などをあげる。

 The caste system in America is four hundred years old and will not be dismantled by a single law or any one person, no matter how powerful. We have seen in the years since the civil rights era that laws, like the Voting Rights Act of 1965, can be weakened if there is not the collective will to maintain them.

 「アメリカにおけるカースト制度は400年前から続き、なにかひとつの法律やひとりの人間の力でなくせるものではない。その法律や人物に、どんなに力があってもだ。わたしたちは公民権運動の時代から長年にわたり、選挙権での人種差別を禁じた1965年の投票権法など多くの法律が、骨抜きにされかねないことをみてきた。こうした法律をみなが一致団結して守ろうとしなければだめだ」

 さらに、本書は社会が大きく分断されているアメリカにおいては、単に人種差別をやめるだけでは十分でないと警告する。黒人やその他のマイノリティーの権利を、もっと積極的に守る姿勢が必要だと訴えている。

 本書を読んで初めて、経済的に恵まれない白人の労働者たちが、なぜあれほどまで熱狂的にトランプを支持するのかが分かった。一番下の階級に属するはずの黒人たちに、社会的な地位において追い抜かれてしまうのではないかという恐怖心が根底にある。そうした不安を忘れさせてくれる、頼れる白人のヒーローがトランプだったのだ。

 黒人差別は、長年にわたりアメリカの社会や文化にすりこまれたきたカースト制度がもとになっている点も見逃せない。2020年の大統領選の勝者がだれになろうとも、簡単にはアメリカ社会の分断は解消しそうにない。

6. 2020年11月26日 11:08:35 : EuJAkMbW46 : MGpuSWk1dkhka2c=[3] 報告
ナチスはロシアを占領して耕作地と油田を確保した後、スラブ民族を奴隷にする予定だったが、そのナチスのスポンサーはウォール街やシティだった可能性が高い。実際、資金は米英の金融機関からナチス時代のドイツへ流れ、アメリカでは金融資本が1933年から34年にかけてクーデターを計画、ファシズム体制の樹立を目指していた。

 イギリス資本が明治維新の背後で暗躍、大陸への軍事侵攻を支援していたのもロシアや中国を制圧するため。日本列島から南西諸島を経て台湾へ至る弧状の島々は大陸を侵略するための拠点であり、朝鮮半島は橋頭堡だと言えるだろう。ロシアや中国の支配を達成するまで、この弧状列島の役割に変化はないはずだ。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#cbtm

7. 中川隆[-9409] koaQ7Jey 2020年12月09日 08:29:07 : hL0yAobYvA : Z0UuOENibGdrenM=[12] 報告
2020.12.09
真珠湾攻撃の直前、石油を目的に始まったマレー作戦で太平洋の戦争が勃発
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012090000/

 当時の日本にとってもエネルギー資源、つまり石油の確保は重要な問題だった。戦争を始めるとなればなおさら。アメリカと戦争を始めると3年目から石油が不足すると見通されていた。

 戦争に突入していない段階でも日本に対する石油禁輸を実施すれば似た状況になることは明らか。対日石油禁輸は「日本をインドシナに駆り立てる」とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領も考え、1941年8月の段階では石油禁輸に賛成していなかったという。1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持するとしていたようだ。そうした中、アメリカの財務省が石油代金の支払い方法で日本に圧力を加えた。(岩間敏、戦争と石油(1)、石油・天然ガスレビュー、2006年3月)

 東南アジアにおける石油生産量が多かったのはボルネオ、ジャワ、スマトラといったインドネシア。ルーズベルトの判断は常識的なものだ。他国を侵略したり、その国の資源を奪うため、イギリスは様々な布石を打つ。例えばその地域を分断し、傭兵を雇うが、日本は単に軍隊を送り込んだ。大悪党と小悪党の違いと言えるだろう。

 ドイツの場合、アメリカと戦争になってもロックフェラー系のスタンダード石油から石油を買っている。同社はベネズエラにあった支社からスイス経由でドイツ占領下のフランスへ売り、そこからドイツへ運んでいたという。日本の場合も事前に推測されたような劇的な減少はなかったようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202012090000/

8. 中川隆[-8211] koaQ7Jey 2021年1月16日 15:08:33 : rerJEANHFY : aXNjZy9RLkFCLk0=[21] 報告


2021.01.16
言論統制に関する話をするツイッターCEOの映像が明らかに
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101160000/


 ツイッターはドナルド・トランプ米大統領のアカウントを1月6日に閉鎖したのに続き、1月12日から「QAnon」に関係していると見なされた7万以上のアカウントの使用を停止した。こうした傾向はフェイスブック、ユーチューブ、グーグルといったシリコンバレーの巨大企業全般で見られる。

 その間、1月8日にツイッターCEOのジャック・ドーシーは多くのアカウントを長期にわたって使えなくすると内輪で語っている。その様子を内部の人間が秘密裏に撮影、それをジェームズ・オキーフの​プロジェクト・ベリタスが公開​した。

 私企業、あるいは私的権力がアメリカ大統領の情報発信を阻止する力を持ったということにほかならない。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年に私的権力が国を凌駕する力を持つ危険性を指摘、そうした状態をファシズムと定義したが、そうした状態になっている。

 ルーズベルトの同志であり、1945年1月まで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスはアメリカがそうした方向へ向かっていると懸念していた。1944年4月にニューヨーク・タイムズ紙に載せた意見の中で、アメリカをファシズムの脅威が襲うピークは第2次世界大戦の後だと指摘、ファシストは米英を帝国主義化し、ソ連との戦争へとアメリカを向かわせると彼は見通している。

 このウォーレスは1944年7月に開かれた民主党の党大会で副大統領候補から外されてしまう。党幹部の意向が反映されたのだが、選ばれたのはルーズベルトとの関係が薄く、意見を交換することもほとんどなかったというハリー・トルーマン。この人物のスポンサーだったエイブラハム・フェインバーグはイスラエルの建国や同国の核兵器開発を支援し、ダビッド・ベングリオンから信頼されていた富豪として知られている。

 1944年11月7日に実施された大統領選挙でルーズベルトが勝利するが、翌年の4月12日に急死、トルーマンが大統領に昇格した。第2次世界大戦でドイツ軍は戦力の4分の3をソ連侵攻作戦に投入したが、スターリングラードでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この時点でドイツと日本は1943年「死に体」の状態だった。ドイツと日本の降伏が正式に決まれば、アメリカ国内でファシストを支援していた勢力、つまり金融を中心とする巨大資本に対する取り調べが始まる可能性が高い。

 しかし、そうしたことは行われなかった。ルーズベルトがドイツ降伏の前月に死亡、しかも副大統領が反ファシストのウォーレスではなくトルーマンだったためだ。戦後、始まったのは「レッドパージ」という反ファシスト狩りだった。

 その間、大戦の終盤にアメリカ支配者の代理人、アレン・ダレスたちは大統領に無断でナチスの幹部らと接触、善後策を協議している。サンライズ作戦だ。ナチスの幹部や協力者を逃走させたラットラインは有名だが、逃がすだけでなく、保護、そして雇用する。ブラッドストーン作戦やペーパークリップ作戦などだ。

 大戦後もファシストの黒幕は失脚せず、影響力を強めていく。そして今、世界は私的権力が直接支配するファシズム体制に足を踏み入れた。大統領選挙におけるジョー・バイデンの「勝利」でその実態が明らかになっている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202101160000/

9. 2021年2月06日 13:34:28 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[22] 報告
【ゆっくり解説】ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
2021/02/06




ヒトラーの戦争はドイツを滅ぼしたが、経済政策はドイツを復興させた。
そう説明されることも最近、増えましたが本当でしょうか??
解説します。
10. 中川隆[-7008] koaQ7Jey 2021年2月28日 17:37:03 : 1vS4Oaq6as : UVJJTWxKQ3EwUUU=[24] 報告
1922年には「アメリカ優生学協会」が設立されている。そうした優生学の運動には富豪が資金を出していたが、その中にはロックフェラー財団、カーネギー研究所、ハリマン家などが含まれていた。

 イギリスやアメリカの支配者の間で信奉された優生学的な考え方はナチスに伝わり、第2次世界大戦後も消えてはいない。

2021.02.28
ロックダウンで世界の都市は改善されたとする書き込みをWEFが削除
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102280002/


 WEF(世界経済フォーラム)がツィッターにロックダウンが世界の都市を改善していると書き込んだことは​本ブログでも紹介​したが、反発が予想以上に強かったようで、削除された。地球に悪い影響を与えてた人間の活動を麻痺させ、そうした影響を緩和させたとロックダウンを評価していた。


 ロックダウンとは社会の収容所化だが、そうした状態を続ければ人間社会は死に至り、多くの人間が死んでいくことになる。勿論、彼らはそうした人間の中に自身を含めていない。自分たちは神に選ばれ、巨万の富を手にすることができたと考えている富豪もいる。その背景には優生学的な考え方があるのだろう。

 1864年にイギリスではトーマス・ハクスリーを中心として「Xクラブ」が作られた。そのメンバーには支配階級の優越性を主張する社会ダーウィン主義を提唱したハーバート・スペンサー、チャールズ・ダーウィンの親友だったジョセフ・フッカー、このダーウィンのいとこであるジョン・ラボックも含まれていた。

 このグループはトーマス・マルサスが主張した人口論の影響を受けていたようだ。マルサスによると、人口の増加は等比級数的であり、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になるという。すでにこの理論は事実が否定しているが、信奉者はまだ少なくない。

 長い間イギリスの植民地だったインドでは1975年にインディラ・ガンジー政権が非常事態を宣言、77年まで続いた。その間に強制的な断種キャンペーンが展開されている。当然、このキャンペーンに対する反発は強かったが、人口論者にとっては有効な実験だったのかもしれない。

 こうした人口論とセットになっているのが優生学。1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。

 このローズは1890年代からビクトリア女王の助言者になる。その仲間にはネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレットもいた。

 こうした考え方はアメリカの支配階級へ19世紀の終わりには広がっていて、1922年には「アメリカ優生学協会」が設立されている。そうした優生学の運動には富豪が資金を出していたが、その中にはロックフェラー財団、カーネギー研究所、ハリマン家などが含まれていた。

 イギリスやアメリカの支配者の間で信奉された優生学的な考え方はナチスに伝わり、第2次世界大戦後も消えてはいない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102280002/

11. 中川隆[-6661] koaQ7Jey 2021年3月10日 08:49:21 : Uj2DKea5PM : ZUhYTnd1dThoMDY=[13] 報告
2021.03.10
ラテン・アメリカで民主勢力が逆襲の動き
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103100001/

 ブ​ラジル最高裁のエドソン・ファシンは3月8日、ルイス・シルバに出されていた全ての判決を無効にすると言い渡した​。2022年の大統領選挙に出馬する道が開かれた。まだ最高裁大法廷での審理が残っているものの、アメリカの私的権力は苦々しく思っていることだろう。

 シルバは2017年7月に汚職容疑で懲役9年6カ月の有罪判決を受けたのだが、その事件は裁判所と検察が共謀したと疑われていた。2019年6月にはインターネット・メディアの​インターセプトがこの疑惑を証明する会話記録を公表​している。

 インターセプトの記事によると、最初の裁判を担当したセルジオ・モロ判事は捜査が始まった直後から検察側の責任者だったデルタン・ダラニョールに対し、裁判や投獄に関するアドバイスや指示をしていた。この捜査はバラク・オバマ政権の司法省が支援していたと言われている。

 現在のブラジル大統領、ジャイル・ボルソナロは2019年1月に就任したが、その2カ月後にアメリカを訪問した。その際、​ドナルド・トランプ大統領と会う前にCIAの本部を訪れ、ジーナ・ハスペル長官と会談​している。彼の正体を象徴する出来事だ。

 ブラジルに限らず、民意に基づいて選ばれた政権はアメリカを拠点とする私的権力の利権にとって好ましくないことが少なくない。第2次世界大戦の前には海兵隊が介入していたが、大戦後にはCIAの秘密工作部門が現地の手先を使ってクーデターを起こしている。

 例えば、1953年6月にはイギリスの要請を受け、ウォール街の弁護士であるジョン・フォスター・ダレス国務長官(当時)とアレン・ダレスCIA長官(同)をの強大はイランのムハマド・モサデクを倒している。

 ラテン・アメリカの1948年4月にコロンビアのホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺され、54年6月にはグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権が軍事クーデターで潰された。1973年9月にはチリのサルバドール・アジェンデ政権もクーデターで倒されている。

 勿論、アメリカの私的権力に破壊された政権はこれらに留まらない。その大半が民主的に選ばれていた。アメリカは「民主主義を押し売りしている」と言う人がいるが、実際は民主主義を破壊してきたのだ。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街に巣くう私的権力はアメリカでもファシズム体制の樹立を目指し、1933年から34年にかけてクーデターを目論んでいる。

 ウォール街の金融資本がナチス体制へ資金を供給していたことは研究者やジャーナリストによって明らかにされてきた。ダレス兄弟のような弁護士にとって、ドイツの巨大企業も大切な顧客だ。その巨大企業の利権とナチスは結びついていた。

 ウォール街とナチスを結ぶ仕組みで中心的な役割を果たしていたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関。ブラウン・ブラザーズ・ハリマンはW・A・ハリマンがブラウン・ブラザーズを買収してできた会社で、W・A・ハリマンが創設された1919年当時に社長を務めていた人物がジョージ・ハーバート・ウォーカーである。

 このウォーカーの孫がジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュであり、ひ孫がジョージ・ウォーカー・ブッシュ。つまり、第41代アメリカ大統領と第43代アメリカ大統領だ。

 大戦中、アレン・ダレスはスイスのベルンで秘密工作を指揮していたが、ここでナチスと接触していたと見られている。スイスには資金面でナチスとつながっていたと言われているBIS(国際決済銀行)が設立されていた。BISの初代頭取ゲイツ・マクガラーはリチャード・ヘルムズの祖父。ヘルムズはダレスの側近として秘密工作に従事、1966年から73年にかけてCIA長官を務めている。

 ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本はファシストのスポンサーだと言わざるをえない。フランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派は第2次世界大戦が終わった後、こうした関係を暴くつもりだったかもしれないが、これは実現していない。ドイツが降伏する直前、1945年4月12日にルーズベルトが急死したからだ。

 ルーズベルトと同じように反ファシストで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは民主党の幹部たちによって1945年1月にそのポストから引きずり下ろされている。後任はシオニストの富豪を後ろ盾としていたハリー・トルーマンだ。戦後、アメリカではジョセフ・マッカージー上院議員を中心に「赤狩り」が展開され、反ファシスト派は粛清されてしまう。その間、CIAはナチスの元高官や協力者を救出、保護、さらに雇用している。日本でも似たことが行われた。

 少なからぬナチスの関係者をアメリカの政府機関はラテン・アメリカへ逃がした。「ブラッドストーン作戦」だ。逃走した人びとはそこでアメリカの巨大資本のために活動している。

 逃走ルートは「ラット・ライン」と呼ばれているが、この逃走工作をローマ教皇庁の大物が協力していた。ジョバンニ・モンティニ、後のパウロ6世である。その背後にはアレン・ダレスやジェームズ・アングルトンのような情報機関の大物がいた。

 モンティニは戦後、ナチスの大物にバチカン市国のパスポートを提供し、逃走を助けている。「ラット・ライン」を1947年から動かしていたのはアメリカ陸軍第430CIC(対諜報部隊)のジェームズ・ミラノ少佐。ミラノに逃走支援工作を任されたのがポール・リオンズ中尉で、リオンズの接触した相手がクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父だった。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この逃走ルートを利用して逃げたナチのひとりが「リヨンの屠殺人」と呼ばれたクラウス・バルビー。この人物は大戦中、フランスのリヨンでゲシュタポの指揮官を務めていた。

 バルビーもラテン・アメリカで活動、1980年7月にはボリビアのクーデターに加わっている。このクーデターも背後にはアメリカの私的権力が存在、現地の軍人と大物麻薬業者が手を組んで実行した。このクーデターに限らず、ラテン・アメリカでクーデターや「死の部隊」を指揮してきた軍人の大半はSOAの出身者。

 この施設は1946年にアメリカ政府がパナマで設立、対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを教えていたが、1984年にパナマ政府から追い出され、アメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングへ移動。2001年には「西半球治安協力研究所(略称はWHISCまたはWHINSEC)」へ名称を変更した。

 ブラジルもこうした軍人たちによって支配されていたが、同じような国はアメリカ政府の下、連携していた。1975年9月ころにはチリ、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、パラグアイ、そしてウルグアイの軍事政権の情報機関が参加し、巨大資本の利権にとって目障りな人びとを誘拐したり暗殺したりしている。その連合体が「コンドル」だ。

 1999年にベネズエラでウゴ・チャベスが大統領に就任して以来、そのラテン・アメリカへ民主化の波が押し寄せた。例えば2003年にブラジルでルイス・シルバ、アルゼンチンでネストル・キルシュネル、06年にはボリビアでエボ・モラレス、ホンジュラスでマヌエル・セラヤ、07年にはエクアドルでラファエル・コレアがそれぞれ大統領に就任している。

 こうした民主的な政権を支えていたのがベネズエラの石油だったのだが、石油相場の急落もあり、ウォール街の逆襲にあった。ベネズエラに対するクーデター作戦は進行中だ。

 しかし、そうした流れを再び民主化の方向へ戻そうとする力も働き始めている。そのキーパーソンはメキシコのアンドレ・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領だろう。2018年に就任している。ロックダウンなどによって人びとを封じ込めようとしているヨーロッパ各国の首脳を激しく批判する一方、新自由主義に反対している。

 メキシコはCIAを後ろ盾とする麻薬業者に支配されてきた国で、クーデターで倒される恐れもあるが、民主化を目指す力が強まっていることは否定できない。ブラジルでの判決もこうした流れが影響しているのだろう。

 ラテン・アメリカだけでなく、東アジアでも中東でもジョー・バイデン政権は力で押し切ろうとしているようだ。すでにルビコンを渡った彼らとしては死に物狂いで押し切ろうとするだろうが、裏目に出る可能性がある。COVID-19の幻影が消えたなら致命的だ。

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12. 2021年5月10日 20:57:10 : pbgFbSLkqY : Ykk5Z3l4cGMxUVk=[39] 報告
2021.05.10
第2次世界大戦でナチスは敗れたが、ナチスの黒幕は生き残り、戦争を続けている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105090000/


 5月9日はロシアの「戦勝記念日」である。ウラジミル・プーチン露大統領はこの日、ある勢力が第2次世界大戦から何も学ばず、ロシアに対する攻撃的な計画を抱いていると指摘したうえで、国民の利益を守るという決意を述べた。好戦的なジョー・バイデン政権やその僕たちを意識しての発言だろう。

 ドイツとソ連の関係が悪化するのはナチスが台頭してからでる。十月革命でボルシェビキ体制が成立して以来、ソ連とドイツとの関係は良好だった。ナチス時代の1941年6月にドイツ軍はソ連を侵攻した。バルバロッサ作戦だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令である。まるで西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、日本軍が真珠湾やマレー半島を奇襲攻撃した12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏する。

 この段階でドイツの敗北は決定的になったが、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。その後、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。

 アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていた。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどがそうしたパイプだった。その経営陣にはョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。そのほかスイスで設立されたBIS(国際決済銀行)や第2次世界大戦が勃発する半年ほど前にドイツへ約2000トンの金塊を渡したと言われているイングランド銀行も仲間だと言えるだろう。

 そもそも、ウォール街は1930年代からファシストと関係があった。そのウォール街の傀儡だったハーバート・フーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北すると、アメリカの金融資本は在郷軍人会を利用してクーデターを行おうと計画している。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。

 しかし、この人物は憲法を遵守するタイプの人物。そこで計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言し、議会で詳細を明らかにした。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 バトラーの話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本は親ファシズムだった。ナチスへ資金を提供し、ナチスの幹部や協力者を救出、保護するのは必然だった。その延長線上に冷戦はある。バラク・オバマやジョー・バイデンの政策も同じだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105090000/

13. 2021年5月30日 09:44:05 : p7XvUgdbig : dnJ1WmFDSWpBTUU=[10] 報告

2021年05月28日
輝かしきナチス時代のドイツ / ヒトラーの趣味と経済政策
独裁者に牽引されたドイツ経済
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68858807.html

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  日本人は大学で金融政策とか経済理論を学んでいるけど、経済の根本は、「我々がモノを生産し、それと同時にサービスを行って、色々な消費をする」ということだ。大抵の国民は「セックス・スポーツ・スクリーン」に興じ、後は適当にグルメやファッションを楽しむ。いくら大学教授がケインズ経済学とか財政問題を論じても、庶民に活力や欲望が無ければ、どうしようもない。景気は人々の気分に左右される。左翼学者の講義なんか兎の屁よりも軽くて胡散臭い。李朝時代の朝鮮人みたいに、支配者からの搾取ばかりじゃ、やる気を無くすじゃないか。乞食よりも汚かった鮮人は、キセルをくわえたまま、ボケ〜と空を見上げて一日を過ごしていた。両班にイジメられていた平民が新たな産業を興したり、画期的な技術を開発する、なんてことはない。白いチョゴリを鮮やかにする染料も無かったんだから、日本統治以前の朝鮮半島はアカンタレの聚落(しゅうらく)でしかなかった。

  話を戻す。消費増税に加え、デフレ・スパイラルと緊縮財政によって苦しめられる日本人は、消費意欲が驚くほど削がれている。高度成長期の日本人には信じられないが、「自動車なんて要らない ! そんなの維持費ばかりかかって無駄!」と思う若者が増えてきた。日本経済が好調な頃は、「格好いいクルマを買って、恋人と一緒に遠くへドライヴ」というのがデートの定番であったが、今では「電車に乗って近場のファミレス」というのが普通になっている。夜の営みも「フォア・シーズン」とか「センチュリー・ハイアット」みたいな御洒落なホテルじゃなく、自宅の小部屋でフライド・チキンを食べながら、という節約志向の生殖行為なんだから哀しくなるじゃないか。一生に一度(人によっては数回)の新婚旅行だって、憧れのパリやミラノじゃなくて、沖縄からちょっと足を伸ばした台湾くらい。たとえ奮発しても、パック旅行のハワイ程度。こんな暗い時代となれば、とても民間企業による斬新なイノヴェーションなんて望めないだろう。

  現在の歐米諸国や日本では、ナチス時代のドイツは徹底的に批判されているが、アドルフ・ヒトラーの経済政策や国家ヴィジョンは、リベラル学者がこき下ろすほど酷いとは思えない。例えば、『第三帝国の社会史』(邦訳 / 彩流社)を書いたリヒャルト・グルベンガーなどはナチスの政策に厳しい批判を加えているが、一般の日本人は彼が英国へ亡命したユダヤ人であることに気づいていない。ナチス批判については別の機会に述べることにする。かつて、経済学を専門としていた小室直樹先生は、ヒトラーのことを「ケインズ以前のケインジアン」と評し、ナチスの公共事業やインフレ退治について否定的ではなかった。

  しかし、筆者が興味を抱いたのは、ナチ・ドイツの経済政策だけではない。その背後にある考え方だ。極悪非道の権化とされる独裁者とはいえ、ヒトラーは意外と魅力的で、今でも人々の関心を引いている。もちろん、ユダヤ人にとったらヒトラーとその取り巻き連中は「不倶戴天の敵」でしかない。千年経っても赦せない悪魔だ。ところが、ユダヤ人の血が混ざっていないゲルマン人(昔ながらの西歐人)にとっては“ちょっと”違っており、国家社会主義といえども、その公共事業や福祉政策は“そこそこ”良いものだった。

  「ゲルマン人のためのドイツ帝國」とか「アーリア人による世界支配」というスローガンは、ユダヤ人に牛耳られた学会では悪魔の囁きにしか聞こえないが、多民族主義に苦しむイギリス人やデイン人、そして気違いじみたオランダ人やスウェーデン人、ナショナル・アイデンティティーを失ったフランス人にとっては、しんみりと「心に響く理念」である。ヒトラーを目の敵にしたウィストン・チャーチルは、ユダヤ人に買収された売国奴であったが、人種論や優生思想に関してはヒトラーと同類だった。チャーチルは根っからのレイシスト(白人を最上級と考える人種差別主義者)で、茶色いアジア人(インド人やビルマ人)なんか見るのも厭で、飢餓でパキスタン人が何人死のうとお構いなしであった。マルバラ公爵の御曹司は、デブ猫の「ミッキー(Mickey)」やオレンジ(マーマレイド)色の「タンゴ(Tango)」、ホレイショ・ネルソン提督に因んで名付けられた灰色の「ネルソン(Nelson)」を溺愛していたんだけどねぇ〜。

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(上写真 / ドイツ人の子供を増やそうとしたヒトラー)

  ユダヤ人はドイツから追い出されて恨み骨髄であったが、ユダヤ人が居なくなってドイツ人は清々していたのも事実だ。ドイツはドイツ人の国で、ドイツ人が増えるのは良いことだ、というのかヒトラーの信念だった。「生命の泉」を意味する「レーベンスボルン(Lebensborn)」は、ゲルマン人の少子化に対する社会政策で、強制的な側もあったから不評となっているが、国民の激減を食い止めるにはやむを得ない手段であった。現在、人口減少に悩む歐米人にとったら羨ましい限りの解決策である。ヒトラーは理論家ではなく実践家であったから直感に優れていた。権力を握ったヒトラーは、失業中の男性に職を与え、女性は家庭に戻って子育てに励むべし、という考えを持っていた。総理になった安倍晋三と違って、専業主婦が存在する健全な家庭を望んでいたから偉い。

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(左 : 現在のドイツで減少する親子のタイプ / 右 : リベラルな現代ドイツで称讃されるカップル)

  1933ヒトラーは「既婚者向け融資法(Ehestandsdarlehen)」を作り、結婚したけど金銭的に困っている人へ1千マルクをバウチャー形式で貸し付けることにした。しかも無利子で。これは同時としては相当な金額で、ドイツ人労働者の月給が平均で132から140RM(ライヒスマルク)くらいだったから、お金を手にした労働者はニコニコ顔だった。翻って、令和の日本はどうか? 政府自民党は武漢ウイルスで困った国民に、たった10万円しか給付せず、それもたった1回だけ。30万円か40万円くらい渡したっていいのに、財務官僚は与党の先生方に「プライマリー・バランスを考えると、2回目は無理です !」とレクチャーする。ところが、飲食店への“自粛要請”は牛の涎(よだれ)みたいに延々と続き、今年の大型連休どころか、五月下旬になっても緊急事態宣言が解除されず、六月まで再延長されるという。まったく、令和の日本とナチス時代のドイツと、どっちの方がいいのか判らない。

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(左 : 現在のドイツで嫌われるタイプの白人女性 / 右 : 多文化社会のドイツで大切にされる人々 )

  話を戻す。この借金には大変「お得」な条件が附いており、子供を1人産む毎に返済金の4分の1が免除される、という「特典附」だった。しかも、4人もうければ全額免除となったから最高だ。夜の悦楽に励むと借金がチャラになるなんて夢みたい。ドリームジャンボ宝くじを買っても百万円すら当たらないのに、ベッドの中でハッスルすれば、有り難い御褒美が貰えるんだから、ヒトラー総統万歳だ。ここ重要なのは、ナチスの政策が「アーリア人」を対象にしたことである。もし、多民族社会になったドイツで同じ事を行えば、ユダヤ人ばかりでなく、アラブ人やアフリカ人も大量繁殖だ。さらに、東歐や南歐からも貧民が雪崩れ込み、ジプシーみたいな連中が街に溢れかえってしまうだろう。これじゃあ、民族復興の処方箋じゃなく、民族滅亡への劇薬だ。

クルマ好きの独裁者

  現在の日本人は少子化防止や過疎対策に頭を悩ましている。地方の繁華街は嘗ての輝きを失い、今ではシャッター商店街が当たり前となっている。テナント・ビルさえ幽霊屋敷だ。でも、在日支那人なら悪霊よりも図々しいから、日本の幽霊が立ち退いた空き部屋に住み着くぞ。そう言えば、昭和63年から平成元年(1988年から89年)にかけて、竹下登が「ふるさと創生事業」とやらで各地に1億円配ったけど、これは見るも無惨な大失敗だった。「地方自治」なんて「痴呆自治」と呼ばれるくらいだから、国会議員よりも酷い連中が「棚からぼた餅」と大喜び。各市町村の田舎議員は、「自由の女神」(青森県)や「UFOの里」(福島県)、「ビッグ・スライダー(長い滑り台)」(兵庫県)などを作って交付金の無駄遣い。賢かったのは青森県の石黒市くらいで、1億円のプレゼントで「純金こけし」を購入した。しかし、2006年頃から財政的に困った市は売却を検討し始める。当時、一部の住民から反対の声も上がったが、予定通り売却できたという。最初は「こけし」を惜しむ声もあったが、2億円で売れたから反対派も沈黙するしなかった。

  地方自治体や国家全体を大金で「活性化」させようとするなら、烏合の衆による「文殊の知恵」じゃ駄目だ。こういう時は、鋼鉄の意志を持った独裁者が登場し、鶴の一声で実行するに限る。ヒトラーによるアウトバーンの建設は有名だけど、そこを走るクルマも重要だ。元絵描きの総統は無類のクルマ好きであった。1930年代といえば、自動車時代の幕開けであったから、アメリカ人やヨーロッパ人はモーター・スポーツに興味津々。ユダヤ人のヘンリー・キッシンジャーはヒトラーのことを“メガロマニア(megalomania / 誇大妄想狂)”と呼んで蔑んでいたが、当時のヨーロッパ人にとっては、伍長上がりの“カー・マニア”でもマシだった。それどころか、ヒトラーがドイツ民族の優秀性を示すためにとった数々の政策は、後の世に語り継がれる偉業となったのである。

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(左 : フォルクスゲンの人気車「ビートル」を前にするヒトラー / 右 : フォルクスワーゲンの模型を見るヒトラー)

  ヒトラーの功績はドイツ民族の精神を激しく鼓舞したことにある。元々、ドイツ人が能力のある種族であったことも成功の要因であったが、それでもヒトラーの理念が果たした役割は大きい。ドイツ人は論理や理性で物事を押し通してしまう欠点も否めないが、この民族が何らかの理想に燃え、学問や事業に集中すると物凄い結果を産むことがある。レーシング・カーの開発でもドイツ人は偉業を成し、ヒトラーの期待に応えることができた。

  1930年代のヨーロッパ・グランプリでは、ドイツ人チームの成績は芳しくなく、フランスの「ブガッティ(Bugatti)」やイタリアの「アルファロメオ(Alpha Romeo)」、「フェラーリ(Ferrari)」に引けを取っていた。したがって、ドイツのレーシング・カーはまだ開発途中。それでも、ドイツ・グランプリではルディー・カラッツィオラ(Otto Wilhelm Rudolf Caracciola)」 が、メルセデスの「SSK(Super Sport Kurz)」に乗って脚光を浴びていた。ところが、メルセデスで有名なダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)社だけではレーシング業界を牽引できず、ドイツ人は「どうしたものか?」と頭を悩ませていた。そこでドイツの自動車会社はタッグを組んでGPレースに臨むことにしたそうだ。1932年、「アウディ(Audi)」、「ホルヒ(Horch)」、「アヴンダラー(Wanderer)」、「DKW(Damfp Kraft Wagen / Deutsche Kinder Wagen)」の四社が合併して、「アウト・ウニオン(Auto Union)」を結成した。現在のアウディー社は四つの輪を自社のロゴ・マークにしているが、これは統合した四社を表している。

  幾つかの自動車会社が連携したとはいえ、直ぐさま実績をあげた訳ではない。それゆえ、まだ脆弱な業界に対し、ヒットラーは国家による梃子入れを行った。モーター・スポーツに熱を入れる総統は、「国家社会主義自動車部隊(NSKK / Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps)」を創設し、そこのトップに突撃隊(Strurmabteilung /SA)のアドルフ・ヒューレイ(Adolf Hühnlein)を据えることにした。このヒューレイが部隊の指揮を執ると、ドイツ・チームは徐々に好成績を残すようになり、ベルント・ローズマイヤー(Bernd Rosemeyer)も注目の的になっていた。彼はニュルンベルクのレースやチェコのグランプリ、さらに米国のヴァンダービルト・カップなどに出場し、華々しい成績を収めた。ただし、オート・ウニオンのドライバーであるアドルフ・ローゼンベルガー(Adolf Rosenberger)はユダヤ人であったのでレースの出場が認められなかった。フランス人ドライバーのルネ・ドレフュス(René Dreyfus)も父親がユダヤ人であったため、メルセデスのチームから排除されたという。二人はヨーロッパを去り、アメリカへ移住したそうだ。

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(左 : アドルフ・ヒューレイ / ベルント・ローズマイヤー / アドルフ・ローゼンベルガー / 右 : ルネ・ドレフュス )

  1933年、ヒトラー総統は50万ライヒスマルクをアウト・ウニオンに与え、画期的なスーパー・カーを開発するよう注文を付けた。ダイムラー・ベンツ社は政府に100万マルクの補助金を要求したが、半分しか受け取れなかったそうだ。それでもダイムラー・ベンツ社はめげず、従来のロードスターであるSSK(Super Sport Kurz)をベースに改良を加え、パワーアップした500馬力の「W125」を開発した。ヒトラーはアウト・ウニオンが造り出した革命的レーシング・カー、「シルバープファイル (銀の矢 / Silberpfeil)」を目の前にし、「素晴らしい !」と胸をときめかせていた。メルセデス・ベンツのフォーミュラー・ワンとなる「W25」も、シルヴァーのボディーであったため、銀の弾丸というイメージと重なって、「銀の矢」というニックネームの由来になっていた。

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(左 : アウト・ウニオンが開発したニューモデル「銀の矢」を視察するヒトラー / 右 : 現在のドイツで展示されているシルバープファイル (銀の矢 / Silberpfeil)」 )

  これは偶然なんだけど、ペンキを塗って白くすると車体が重くなるので、なるべく軽くするためにアルミニウムが剥き出しのままにしていた、というのだ。ちょうど、旅客機が軽量化を図るため、機体にペンキを塗らないのと同じ理屈だ。何しろ、ドラム缶数個分の量になるから、塗装といっても馬鹿にならない。燃料費を節約したい航空会社は、140kgにもなる塗装をしないことで約240万円の節約をしたそうだ。また、機内に積むコンテナも従来のアルミニウム合金製を改め、ガラス繊維強化プラスチック製にして約26kgの軽量化を図ったそうである。さらに、こうした取り組みは機内に持ち込む食器や装備品にまで及び、スプーンやフォークでさえ見直されたという。1本あたり2gの軽量化をすれば、合計で約2.5kgの軽量化になるらしい。航空会社は飲料メーカーにも協力を求め、500mLのペットポトルを改良してもらい、1本あたり9gの軽量化に成功したそうだ。ホント、民間企業は地道な努力を積み重ねている。ビールが飲みたいから冷蔵庫を買ってしまう役人とは大違いだ。

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( 左 : メルセデス・ベンツ社のレーシング・カー「W125」 / 右 : 流線型のアウト・ウニオンType Cである「ストロムライン」 )

  脱線したので話しを戻す。アウト・ウニオンが世に送り出したレーシング・カーは素晴らしく、試作品の「Type A」を基に「TypeB」が作られ、後続の「Type C」や「Type D」はヨーロッパ・グランプリで大活躍。「シルバープファイル」はドイツ・グランプリに出場し、「スクーデリア・フェラーリ(Scuderia Ferrari)」や「マセラッティー(Maseratti)」、「ブガッティー」を抜いて堂々の1位に輝いた。カラッツィオラは1935年、1937年、1938年とヨーロッパのレースに出場し、メルセデスを操って三度優勝した。メルセデスの「W25」は後に改良され、8気筒600馬力の「W125」へと生まれ変わった。ドイツ人もイタリア人に負けず劣らずで、レーシング・カーのデザインにも注意を払い、目を奪われるような流線型の「Type C」まで製造されていたのである。1930年という時代を考えれば、斬新なデザインと言えるんじゃないか。まるで、「マッハGoGo」(タツノコプロ/ 1967年放送)に出てくる「マッハ号(レーシング・カー)」を観ているみたいだ。

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(左 : レースに出場したアウト・ウニオンのType C / 右 : 人々の脚光を浴びたメルセデスのレーシング・カー )

総統専用列車「アメリカ」の出現

  ヒトラーの趣味というのは自動車だけじゃなく、自分が搭乗する列車にも独自のポリシーを持っていた。鉄道ファンには周知の事実だが、ヒトラーは自分専用の特別列車を作るよう「ドイツ国営鉄道(Deutsche Reichsbahn)」に注文していた。そこで、二年の歳月をかけて総統特別列車(Führersonderzug)が製造され、1939年に「アメリカ(Amerika)」と呼ばれる列車が誕生した。しかし、ネーミングがマズかったのか、後に「ブランデンブルク(Brandenberg)」と改名され、この列車は移動時の司令部となった。当時のドイツには他にも「特別列車」があって、「アフリカ(Afrika)」は陸軍最高司令部のウィルヘルム・カイテル(Wilhelm Kaitel)元帥が乗る特別列車で、別名「ブラウンシュヴァイク / Braunschwig)」と呼ばれていた。海軍の元帥が乗る列車は「アトランティック」という名で、別名が「大雷鳥(オオライチョウ / Auerhahn)」であった。これはエーリッヒ・レーダー(Erich Raeder)元帥やカール・デーニッツ(Karl Dönitz)提督が乗る御用列車だ。敗戦時に国家元帥となったヘルマン・ゲーリング(Herman Wilhelm Göring)には、空軍司令官用の「アジア(Asien)」という列車があり、「ポンメルン(Pommern)」という別名が附いていた。(英語の地名表記だと「ポメラニア」である。)

Wilhelm Keitel 01Erich Raeder 01Karl Donitz 02Hermann Goring 001


(左 : ウィルヘルム・カイテル / エーリッヒ・レーダー / カール・デーニッツ / 右 : ヘルマン・ゲーリング )

  こんな豪華な列車を観れば、日本の鉄道ファンは大喜びで、「ぜひ車内を見学したい !」とせがんでしまうだろう。とりわけ、小学生の鉄道オタクがドイツに赴き、列車内部を隈なく歩き回ったら感謝感激するんじゃないか。まぁ、日本の列車も負けてはおらず、豪華な列車は結構あって、「ななつ星」とか「とれいゆつばさ」、「トワイライトエクスプレス瑞風」も味わい深い。しかし、世界史に名を刻んだドイツの特別列車は“格別”である。

Hitler train the Beast 04(左 / 総統の特別列車「ブランデンブルク」号)
  総統の特別列車は重量が1,200トンで全長が430m、走行速度は80km/hから120km/hくらい。二台の機関車に牽引された列車は、蒸気と電気のエンジンで走る。空や地上からの攻撃に備えて、砲弾を発射できる武器が搭載され、まさしく動く要塞と化していた。司令部として機能するために通信設備(Befehlswagen)も整えられていたが、注目すべきは、総統が乗る「Führerwagen)」という車輌である。車内には護衛兵が常駐するラウンジがあり、大きなテーブルとくつろげるソファーがあった。別の車輌にはバスルームがあり、散髪も出来るようになっていた。その他、食事を楽しむ車輌や寝台車、記者を乗せる広報用の車輌などもあったから凄い。この特別列車にはフランスのペタン元帥、スペインのフランコ将軍、イタリアのムッソリーニも乗ったことがあるそうで、戦後は英米の軍人が戦利品として利用していたそうだ。

Hitler on train 08Hitler train 06


(左 : 車内で執務をこなすヒトラー総統 / 右 : 司令部となった列車内部の部屋 )

  ナチス・ドイツに関しては様々な罵詈雑言が投げかけられるが、ユダヤ人以外の民族だと「敵ながら天晴れ」という畏敬の念が芽生えてしまうだろう。一般の知識人は言いづらいだろうが、ナチスの人種論や政治理念には眉を顰めたくなる部分もあるが、全否定するには抵抗がある。日本やドイツの一般国民はあまり触れないが、ドイツの軍服や装備には、何とも言えない格好良さがあった。歐米の主流メディアや日本のテレビ局は、ナチ党員や国防軍の将兵、親衛隊(SS)などを紹介する時には、必ず「冷酷非道な極悪人」として描く。

German soldier 004Nazi officers 112German officer 81Nazi Germany girl fiction 1


(左 : 勲章を身につけるドイツの軍人 / ドイツ軍将校が着る皮のオーバーコート / ドイツ軍士官が身につけた皮の軍服 / 右 : ナチス時代のコスプレをする現代の少女 )

だが、ミリタリー・グッズを集めるオタク族には意外と好評で、ドイツ軍の備品やナチ・グッズは「お宝モノ」みたいだ。時たま、ドイツ軍の標章とか軍服などがオークションに出品されるが、密かなファンは高値がついても落札することがある。日本の陸軍だと野暮ったい軍服となるが、ドイツ軍の将校が着ている皮のコートや被っている帽子、首に附けている騎士十字勲章などはセンスがいい。古代ローマ人に倣ったのか、ドイツ人も鷲を標章のデザインに用いたり、ドクロ・マークを帽子に附けたりしていた。日本だと「キャプテン・ハーロック」か「エメラルダス」くらいしか用いないけど、歐米の軍隊だと、「不謹慎」に思えるような絵柄を軍隊が使っていたりする。合衆国陸軍や海兵隊の将兵だと、犬鷲や骸骨をデザインしたシールを好む。

SS cap with skull emblem (Totenkopf)Nazi Eagle 111

(左 : ドクロのデザインを用いた軍人の帽子 / 右 : ナチスのエンブレムとなった黄金の鷲 )

Heinz Guderian 01( 左 / ハインツ・グーデリアン)
  確かに、ナチス時代のドイツ人には魅力がある。日本の戦車は敵の弾丸が容易く貫通するので「鉄の棺桶」と評されるが、ドイツ陸軍にはソ連軍を蹴散らした「ティガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung B)」があって、ハインツ・グーデリアン(Heinz Wilhelm Guderian)将軍率いる装甲部隊は、ポーランド侵攻やバルバロッサ作戦で大活躍。その他、海戦では有名な「Uボート」が出没してブリテン海軍を苦しめた。ドイツ空軍(Luftwaffe)にも切り札があって、「ジェリコの壁」を切り裂くような音を立てて急降下するユンカース社の「ストゥーカ(Junkers Ju 87 Stuka)」はよく知られている。高性能を誇るメサーシュミットの「Me262戦闘機(Messserschmitt Me 262 Schwalbe)」も人気が高く、日本の戦闘機ファンにとっては基礎知識だ。

  真っ赤な大学教授はともかく、日本の一般国民はドイツの物理学、数学、医学、化学、工学、建築学などに度肝を抜かれているから、ドイツ人の卓越性に畏敬の念を抱いている。戦後に搭乗したICBM(大陸間弾道弾)の魁となる「V-2 ロケット」だって、フォン・ブラウン博士の業績だから、勝者のアメリカ人でもドイツの科学力には脱帽だ。原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」でも、ドイツで育成されたユダヤ人科学者のお陰だから、強要のあるアメリカ人が「ドイツ人、恐るべし」という感情を抱いても不思議じゃない。アルベルト・アインシュタイン博士は超有名だが、その他にも亡命ユダヤ人はたくさんいる。例えば、マックス・ボルン(Max Born)とかジェイムズ・フランク(James Franck)、ハンス・ベーテ(Hans Bethe)は皆ノーベル賞をもらった物理学者だし、オトー・ロベルト・フリッシュ(Otto Robert Frisch)はオーストリア生まれのユダヤ人であったが、ノーベル賞学者のオットー・スターン(Otto Stern)の指導のもとハンブルクで勉強していた。

Max Born 001James Franck 1925Hans Bethe 01Otto Robert Frisch 02

(左 : マックス・ボルン / ジェイムズ・フランク / ハンス・ベーテ / 右 : オトー・ロベルト・フリッシュ )

  ちなみに、日本でも有名なロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)と弟のフランク(Frank Friedman Oppenheimer)はアメリカ生まれのアシュケナージ系ユダヤ人である。同じく、マンハッタン計画に参加していたリチャード・フェイマン(Richard Phillips Feynmann)もアメリカ生まれのユダヤ人。彼の両親はベラルーシ移民で普通のユダヤ人であったが、理論物理学者となったリチャード自身は信仰に興味が無く、無神論者を自称していた。量子力学の天才として有名なニールス・ボーア(Niles Bohr)はちょっと毛並みが違い、彼の父親であるクリスチャン・ボーアはデンマークの生理学者であったが、母親のエレン・アドラーは金融業を営むユダヤ人家庭の出身だった。

Robert Oppenheimer 23Edward Teller 2Niels Bohr 001John von Neumann 1


(左 : ロバート・オッペンハイマー / エドワード・テラー / ニールス・ボーア / 右 : ジョン・フォン・ノイマン)

ホント、自然科学を専攻する研究者を調べてみると、矢鱈とユダヤ人が多いことに気づく。例えば、「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー(Edward Teller)や、コンピューターの開発で有名な天才数学者のジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)は誰でも知っているし、物理学者のレオ・シラード(Léo Szilàrd / 本名Spitz)はハンガリー出身のユダヤ人であった。ノーベル賞をもらった物理学者のユージーン・ウィグナー(Eugene P. Wigner)もブタペスト生まれの亡命ユダヤ人で、マンハッタン計画に加わったデイヴィッド・ボーム(David Bohm)も米国生まれだが、両親はハンガリーとリトアニアからのユダヤ移民ときている。物理学者のフィリップ・モリソン(Phillip Morrison)もニュージャージー生まれの「アメリカ人」であったが、民族的には「ユダヤ人」として生まれた。彼はMITで量子力学を教えていたが、一般の科学者と同じく精神的には幼稚で、現実を弁えない反核運動家になっていたから厄介なユダヤ人と変わりがない。プルトニウム型の原子爆弾を作っていたアーロン・ノヴィック(Aaron Novick)も、戦後になると反戦活動家に転向だ。分子生物学に没頭してればいいのに、ベトナム戦争に反対する民衆党員になっていたんだから、「ユダヤ人はどこか精神に異常があるのか?」と訊きたくなる。

Eugene Paul Wigner 01Leo Szilard 1Aaron Novick 01Phillip Morrison 3


( 左 : ユージーン・ウィグナー / レオ・シラード / アーロン・ノヴィック / 右 : フィリップ・モリソン )

  敗戦後の日本人やドイツ人は、自国の過去を闇に葬り、自虐史観で「善人」を演じているが、本当に国家の再興と繁栄を目指すなら、自国民の魂を揺さぶるような教育は不可欠だ。ヨーロッパやアメリカの教育機関ではドイツ人への“仕置き”が主流となっているけど、ドイツ人が国内でドイツ人の優秀性を鼓舞して何が悪いのか? ナチスの非道をなじり、ドイツ人の罪(人種差別や国家主義)を咎めるユダヤ人は、さっさとアメリカやヨーロッパを去って、同胞が暮らすイスラエルに帰ればいいじゃないか。ドイツ人はユダヤ人に遠慮なくゲルマン人の偉業を誇り、ゲルマン系の子供を優先的に教育し、学問やビジネスの面で活躍できるよう育成すべきだ。これはイギリス系アメリカ人や日系日本人にも言えることで、仲間の国民を蔑ろにし、ユダヤ人や支那人、アラブ人、アフリカ人を招き入れ、彼らの子供に手厚い教育予算を与えるなんて言語道断。テキサス州では不法移民の子供でも公立学校に迎え入れ、ヒスパニックの子供と西歐系アメリカ人の児童を混ぜて、多文化教育を施しているんだから“まとも”じゃない。

Lebensborn 33Heinrich Hi,,ler & daughter Gudrun

(左 : ゲルマン系ドイツ人の子供達 / 右 : 娘のグドルンと一緒のハインリッヒ・ヒムラー )

14. 中川隆[-4191] koaQ7Jey 2021年6月24日 16:20:10 : S1eRUxmNYw : aEdNRXBKTUhTcHM=[59] 報告
【ゆっくり解説】ヴェルサイユ条約は適正だった?【もう一つの歴史】
2021/06/23





今回の内容はヴェルサイユ条約再評価論です。
日本だと知名度がまるで皆無な模様。
あと宥和政策のチェンバレン擁護論とかよく見るけど体系化したものは見たことないから作りたいなぁとは思う。
15. 中川隆[-5112] koaQ7Jey 2021年7月05日 15:27:38 : 4si1NsPNPQ : Sm5qUy4uazAucVU=[6] 報告
女たちはなぜナチスに加担したのか _ 監視、殴り、むち打つ…残虐行為に駆り立てたもの
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1682.html
16. 中川隆[-17598] koaQ7Jey 2021年8月01日 12:06:03 : bpJXXhrmJA : UTkxbGw4d0VLOW8=[31] 報告

2021年07月31日
ナチスを育てた米国の資本家 / 隠された西歐史
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html


ヒトラーに資金を流した黒幕

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(左 : ドイツ兵を前にするヒトラー / 右 : ウォール街の大物 J.P.モルガン)

  西歐世界における歴史教育は非常に厄介だ。なるほど、歐米諸国では優秀な大学教授や有名な研究者が、膨大な資料に基づき様々な歴史書を出版してきたし、現在も続々と新刊本が出ている。かつてのソ連圏や支那、朝鮮で出版される歴史書なら、「こんなのは政治プロパガンダの一種だろう」と笑われてゴミ箱行になるところだが、名門大学の権威者が世に出した“学術書”となれば話は別だ。一般人は準聖書の如く扱い、謙虚な心を以て恭しくその青史を繙く。まさか、歴史の真実を隠蔽するための偽典とは思わない。なぜなら、多少、解釈や判断の違いがあっても、あからさまな捏造は無いからだ。しかし、高名な学者であっても、何らかの“不都合な事実”を葬るため、意図的に言及を避けたり、陰謀論として却下するから一般国民には注意が必要だ。

  従来の学校歴史観だと、英米はソ連を同盟国にして、極悪のドイツ、イタリア、日本を成敗したことになっている。さらに、英米の勝利は「ファシズムに対するデモクラシーの勝利」となっているから片腹痛い。なぜなら、どうして極悪の共産主義国、すなわち全体主義のソ連が同盟国となっているのに、リベラル・デモクラシーの勝利と宣言できるのか? しかも、アメリカは大虐殺を厭わない毛沢東を支援して、支那大陸の赤化を推進した張本人。朝鮮戦争だって、ディーン・アチソンやジョージ・マーシャルの不可解な言動を調べれば、米ソの「出来レース」だと判る。東アジアは米国から遠く離れた化外の地。冷たい“緊張状態”が続くことは、エスタブリッシュメントにとって必ずしも損な状態ではない。ノルマンディー上陸作戦だって甚だ怪しく、ポーランドを含めた東歐諸国をソ連に貢ぐための策略じゃないのか、と思えてくる。もし、本当に歐洲を救いたければ、フランスの海岸じゃなくバルカン半島から上陸し、北上しながら反撃すればいいじゃないか。英米の一般人は、ポーランドがヒトラーの手から解放され、スターリンの懐に入ったから嬉しいのか?

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(左 : 「ルマンディー上陸作戦」に参加したアメリカ兵 / 右 : 第二次大戦で勝利したロシア兵)

  もちろん、一般のアメリカ国民や連合軍の将兵は、米国と歐洲を救うべく、多大な犠牲を払ったと思っている。しかし、大戦が勃発する原因や経緯、戦後の経済体制や国際秩序を冷静に見つめてみれば、何となく割の合わない結果であることに気づく。普通のアメリカ人やイギリス人は絶対に口にしないけど、「どうも、腑に落ちない。日独に勝ったとはいうものの、俺達の生活は良くならないどころか、以前よりも悪くなっている。第一、ナチズムを一掃したら、今度は故郷に有色人種が増えちまった。アーリア人を殺して、アフリカ人が隣人なんて真っ平御免だぞ。これなら、ドイツと一緒に組んでユダヤ人を中東に叩き出しておけばよかった。あれだけ多くの血を流したのに、その結果がこの程度なんて・・・」と嘆いてしまう。そもそも、大戦前にブリテン帝國の崩壊と英国病を予想したイギリス人は、いったい何人いたんだ? また、南洋戦線で日本兵を撃ち殺した白人兵は、本国での人種平等、つまり黒人との混淆やユダヤ人との共生を望んでいたのか?

  第二次世界大戦の隠された目的は、独立を高めるドイツ帝國への懲罰処分にあった。我々はナチ・ドイツがヨーロッパ諸国を侵掠し、ユダヤ人を迫害したから、正義と秩序を守る英米が蹶起(けっき)した、と習っている。しかし、こんなのは子供騙しの御伽噺だ。大戦の理由は幾つかあるけど、そのうちの一つは、歐米世界を牛耳る闇組織の誤算にあった。ロスチャイルド家の指令を受けたウォーバーグ銀行が、レーニンのボルシェビキに資金を流したことはよく知られている。日本人は「ロシア革命」と思っているが、実質的には「ユダヤ人によるクーデタ」と呼んだ方がいいだろう。嘘だと思う日本人は、ボルシェビキの幹部を一人一人じっくりと眺めてみれはいい。

  ポグロムを以てユダヤ人を度々迫害してきたロマノフ朝ロシアは、ユダヤ人にとったら不倶戴天の敵であるから、一家皆殺しは当然の結果である。しかし、革命の目的はそれだけではない。ロシアの富を収奪しようとする連中にとって、買収の効かないロシア皇帝は邪魔者でしかなかった。もし、外国人勢力がロシアの天然資源を根こそぎ奪い、民衆を低賃金労働者にして搾取すれば、必ずやロマノフ王朝は介入してくる。おそらく、外国企業は国外追追放になってしまうだろう。でも、子飼いのレーニンが支配者になれば、共産党が唯一の窓口になるから、党の幹部に甘い汁を吸わせておけば、後は国際企業のやりたい放題。巨大な資金を有するオルガルヒのような悪党、つまりロシア人の“フリ”をしたユダヤ人が、ロシアの至る所で跋扈し、ロシアの石油や稀少金属を掘り出して巨万の富を得るだろう。もちろん、ボルシェビキの一般党員は「赤色革命」の輸出に夢中だ。しかし、裏から資金を流していた連中は違う野望を抱いていた。そして、世界政府の樹立を目論む大富豪は、レーニン亡き後の指導者にレフ・トロツキーを充てようと考えていたのだ。

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(左 : ウラジミール・レーニン / 中央 : レフ・トロツキー / 右 : ヨシフ・スターリン )

  ところが、グルジア人のヨシフ・スターリンが、国際金融業者の計画に大きなズレをもたらした。スターリンは巧妙な策略を用いてトロツキーを欺き、レーニンの葬儀に参列できないよう仕組んでしまう。意識朦朧のレーニンから「後継者の指名を受けた」スターリンは、独裁者として赤いロシアに君臨する。しかも、冷徹な目で現状を捕らえる大元帥は、トロツキーの永続革命論を斥け、一国社会主義で自分の土台を固めようと考えた。これはトロツキーを「操り人形」にしようと考えていた資金提供者にとっては番狂わせのパプニングだ。彼らはスターリンを甘く見ていたのかも知れない。知識人型のレーニンと違って、暴君型のスターリンは金持ちどものペットになる気は更々無かった。レーニンは資本家の足元にひれ伏したが、スターリンは彼らの尻(ケツ)を舐めるのが大嫌い。ユダヤ人のパトロンに頭を下げるくらいなら、自前で金を稼ぐ方がいいと考えた。実際、スターリンは金に困って強盗になったし、売春婦を搾取する女衒にもなっていた。やはり、革命家は暴力団の闘士でなきゃ。

  ボーダレス・エコノミーを夢見る資本家達は、「絶大な権力を手に入れたスターリンを何とか制禦しなければ !」と思い、このグルジア人を懲らしめる政敵を創ろうと考えた。そこで目に附けたのが、当時、まだ駆け出しの政治家であったアドルフ・ヒトラー。なんと、ロンドンやウォール街を牙城とする大物ビジネスマンは、現地の企業を通してヒトラーに活動資金を渡していたのだ。この経緯については、アンソニー・サットン教授が詳しく述べている。フーバー研究所に属していたサットン教授は、ウォール街とボルシェビキの関係を明らかにしたことで有名だ。彼の三部作を読めば、どんな人物がヒトラーのパトロンになっていたかが判る。

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(左 : アンソニー・サットン / 中央 : エミール・ラーテナウ / 右 : ヴァルター・ラーテナウ )

  ヒトラーの台頭を助けた企業として挙げられるのは、米国の有名企業である「ジェネラル・エレクトリック社(General Electric)」である。この会社はベルリンにある「ドイツ・ジェネラル・エレクトリック社(Allgemeine Electricitäts Gesellschaft / A.E.G.)」と提携し、国家社会主義者のヒトラーを支援するスポンサーになっていた。「A.E.G.」というのは、エミール・ラーテナウ(Emil Rathenau)がトマス・エジソンの特許を取得して設立した、「ドイツ・エジソン電器会社(Deutsche Edison Gesellschaft für angewandte Electricität)」が前身となっている。そして、エミールの息子というのが、ワイマール共和国で外相を務めたヴァルター・ラーテナウ(Walter Rathenau)ときている。彼は1922年に暗殺されてしまうが、元々は父親の跡を継いでA.E.G.の経営を担っていた人物だ。

  ドイツでA.E.G.をパートーナーにしていたのが、アメリカの「ジェネラル・エレクトリック(GE)」で、GEの経営陣には、日本でも有名なオーエン・ヤング(Owen D. Young)とジェラルド・スウォープ(Gerard Swope)がいた。第一次大戦後、ベルサイユ体制で痛めつけられたドイツは、不況とハイパー・インフレーションに見舞われ、賠償金の返済にも困っていた。これを憂慮したアメリカは、ドーズ案とかヤング案を用いてドイツの経済復興を助けようとした。当時のカルヴィン・クーリッジ大統領は、特別委員会を設置し、元銀行家で副大統領になったチャールズ・ドーズ(Charles Dowes)を委員長にしてドイツへ派遣する。オーエン・ヤングが議長となった委員会では、「ヤング案」という計画が作成され、これが新たな賠償方式となった。このヤング委員長はGEの会長で、復興支援を模索する傍ら、ドイツの電器産業を束ねる計画、すなわちカルテルを結成しようと目論んでいたのだ。彼は他の企業の経営にも携わっており、「Radio Corporation of America」の会長や「OSRAM」と「A.E.G.」の経営者、ニューヨークのFRB副議長も務めていた。(註 / 「オスラム : OSRAM」というのは、電球などの照明器具を製造するドイツ企業で、ここの日本法人は神奈川県にある。)

Owen D. Young 22Gerard Swope 001Charles Dowes 1


(左 : オーエン・ヤング / 中央 : ジェラルド・スウォープ / 右 : チャールズ・ドーズ )

  ジェラルド・スウォープはGEの社長で、「A.E.G.」や「OSRAM」の経営にも携わっていた。彼も様々な役職を兼ねており、RCA(ヤングが創設したラジオ局や電気機器、レコード会社を手掛ける多国籍企業)、NBC(三大ネットワークの一つ)、ニューヨークの「National City Bank」の経営陣にもなっていたが、ヤングと同じくモルガン商会の代理人であった。J.P.モルガンの手下は他にもいて、GEの経営陣に属するクラーク・ヘインズ・マイナー(Clark Haynes Minor)は、「International General Electric(I.G.E.)」の社長であった。ヴィクター・カッター(Victor M. Cutter)もGEの経営陣に加わっており、彼はボストンの「First National Bank」を任されていた。

  ドイツの経済界でカルテルを形成しようと図るGEは、大手企業のA.E.G.を傘下に納めようと画策した。1929年8月、1,400万マルク相当の株がGEの手に渡り、両者の人的関係や技術提携は濃密になった。1930年1月になると、A.E.G.の重役会議にはGEの三人衆、すなわちクラーク・マイナーとジェラルド・スウォープ、E. アーサー・ボールドウィン(E. Arthur Baldwin)が送り込まれた。(註 : ボールドウィンは「International General Electric Company」の副社長を務めていた。) GEの野望は壮大で、このアメリカ企業はドイツの大手企業である「シーメンス&ハルスケ(Siemens & Halske)社」にも食指を伸ばし、電器業界の独占を目指していたのである。しかし、GEの目論見は達成されず、シーメンス& ハルスケ社は独立を保つことができた。(このS&H社はシーメンス社の一部門で、かのシーメンス社は電気・通信技術をはじめ、発電機やロータリー・エンジンなどの開発も手掛ける大手企業。大正3年に発覚した「シーメンス事件」は有名で、帝國海軍の高官が贈賄を受けたとのスキャンダルが騒がれ、山本権兵衛内閣は総辞職に追い込まれた。)

  ウォール街からやって来た投資家や企業家は、貪欲にもドイツ企業の支配に励んでいた。GE社の「International General Electric(I.G.E.)」は、「A.E.G.」株の約30%を取得し、「Gesellschaft für Electrische Unternemungen」社の株だと全体の約25%、「Ludwig Lowe & Co.」も餌食となって、全体の約25%を占められていた。(「G.E.U」は投資会社から始まった電力供給会社で、鉄道事業も手掛けていたドイツ企業。「Ludwig Lowe」の方は、機械製造の会社で、武器弾薬の生産も行っていた。) IGEはOSRAMにも影響力を持ち、A.E.Gの経営陣を通して操っていたという。

  シーメンス社が間接的にヒトラーへ献金を行った事はあっても、直接的に渡したという証拠は無いらしい。でも、「A.E.G」や「OSRAM」からの資金提供は明らかで、「国家信託機構(Nationale Treuhand)」を介して資金を流していたそうだ。(Anthony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler, Seal Beach, California : '76 Press, 1976, p.53.) 米国のビジネス業界と連動するドイツ企業もヒトラーに資金提供をしており、染料や肥料、窒素の生産で有名な「I.G. ファーベン(Interessengemeinschaft Farbenindustrie)」も直接的に献金を行っていた。A.E.G.から数名の役員がI.G. Farbenに出向しており、A.G.Eの会長を務めるヘルマン・ブュヒャー(Hermann Bücher)とユリウス・フレッチハイム(Julius Flechtheim)、そしてヴァルター・フォン・ラス(Walter von Rath)の三名は、I.G. Farbenの重役でもあった。

  A.E.G.のウァルター・ファーレンホルスト(Walter Fahrenhorst)は、「フェニックス社(Pheonix A.G.)」や「ティッセン社(Thyssen A.G.)」、「デマグ社(Demag A.G.)」の重役を兼ねており、この三社はともにヒトラーへの献金を行っていたという。(上掲書、p.57) また、潜水艦や戦車に使われるバッテリーを製造していた「Accumulatoren Fabrik 社」もA.E.G.の重役二名、アウグスト・フェファー(August Pfeffer)とギュンター・クァント(Günther Quandt)を迎えており、2万5千ライヒス・マルクの献金をヒトラーに渡していた。ちなみに、クァントは「Accumulatoren Fabrik 社」が発行する株の75%を個人的に持っていたそうだ。A.E.G.のポール・マムロス(Paul Mamroth)とハインリッヒ・ファールス(Heinrich Pferls)は「OSRAM」の重役で、同社はヒトラーに4万ライヒス・マルクの献金を行っていた。

  鉄鋼業から始まり兵器産業へと進出した「クルップ社(Krupp)」も「I.G.E」と繋がっていた。GEは子会社の「Carbolony Company」を使ってクルップ社とカルテルを組み、「炭化タングステン(tungsten carbide)」の値段を吊り上げた。1920年代、この素材は1ポンド当たり50ドルしかしなかったのに、Carboloyが特許を用いて独占を図ると、1ポンド当たり453ドルまで高騰したという。これにより、両社は大儲け。I.G.E.と提携したクルップは、60万ライヒス・マルクの資金をヒトラーに提供していた。

  学校の教科書を疑わない日本人は、ナチスとヒトラーの話を聞けば、直ぐにホローストや侵略戦争を頭に浮かべてしまうが、「誰が伍長上がりの活動家に銭を渡したのか」を考えることはない。政治家になるには理念や情熱だけでは不充分で、必ず活動資金が必要となる。ユダヤ人の害悪を訴える退役伍長は、大企業の御曹司でもなければ、貴族の道楽息子でもない。露骨に言えば、大勢の乾分(こぶん)を抱えたルンペン親分だ。潰しの利かない武闘派の手下に飯を与えるだけでも精一杯。だから、アメリカやブリテンからやって来た怪しいビジネスマンでもOKとなる。「シドニー・ウォーバーグ(Sidney Warburg)」というペンネームで出版された『Financial Origins of National Socialism』によれば、ウォーバーグ自身が1929年から1933年にかけて、5回ほどヒトラーと会談し、このドイツ人が資金を欲していると分かったので、約2500万ドルを送金したという。

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(左 : ポール・ウォーバーグ / ジェイムズ・ポール・ウォーバーグ / マックス・M・ウォーバーグ / 右 : エリック・H・M・ウォーバーグ )

Mathilde Ludendorff 001(左 / マチルデ・ルーデンドルフ)
  もちろん、この「シドニー・ウォーバーグ」というのは実在の人物ではない。しかし、巷ではこの本がポール・ウォーバーグ(Paul Warburg)の息子であるジェイムズ・ポール・ウォーバーグ(James Paul Warburg)によって書かれたんじゃないか、という噂が流れた。なぜなら、第一次大戦で有名になったドイツ軍のエーリッヒ・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff)将軍の再婚相手で、未亡人となったマチルデ(Mathilde Friedrike Karoline Ludendorff)夫人が、ニュルンベルク裁判でジェイムズ・P・ウォーバーグがウォール街とナチスの橋渡しになっていた、と証言したからだ。しかし、マックス・M・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)の息子であるエリック・H・M・ウォーバーグ(Eric Hermann Max Warburg)は大激怒。マチルデ夫人の言説を「でっち上げただ!」と言い放った。この「シドニー・ウォーバーグの虚説」に対して憤慨したエリックは、これを掲載した各新聞社に抗議し、正式に取り消してもらったそうだ。(ロン・チャーナウ 『ウォーバーグ : ユダヤ財閥の興亡』 下巻、青木榮一 訳、日本経済新聞社、1998年、 pp.298-299.) 

  ちなみに、チャーナウの翻訳本は全訳ではなく、大切な「註」も省略しているので、本の価値が半減している。せっかくの労作なのに、肝心の註を省いたから台無しだ。まぁ、数頁にわたる脚注を附けると値段が高くなるから割愛したんだろうが、翻訳者の青木氏と日経新聞社はアホな事をしたものだ。

  話を戻す。「シドニー・ウォーバーグ」の本は元々、ネーデルラントのアムステルダムにある「Van Holkema & Warendorf」という老舗の出版社から刊行された書籍である。ところが、この小冊子は極めて少数しか販売されなかったので、今では稀覯本となっている。ただし、ここに隠れた価値を見出した人がいたので、スイスでドイツ語版が出版されたという。さらに、ドイツ語版を基にして英訳本が出版され、 1980年代に入って「Research Publications」が復刊した、という次第である。現在は、「Omnia Veritas社」が出版しているので、日本人でもアマゾンで購入できる。原書の『De geldbronnen van het nationaal socialisme : drie gesprekken Hitler』(Amsterdam : Van Holkema & Warendorff, 1933)が誰によって書かれたのかが不明だから、安心して信用できる資料とはならないが、もしかすると、内情に詳しい誰かがこっそりと暴露したのかも知れない。全くの素人が出鱈目を書いたとは思えないから、たとえウォーバーグ家が否定しても、幾つかの箇所は事実なのかも知れないぞ。日本の歴史学者は、こうした点に目を附けて詳しく調べるべきなのに、ユダヤ人の書いた学術書ばかりを有り難がるんだから本当に情けない。

  我々は学校で社会科の授業を受け、テレビや雑誌でも第二次世界大戦について聞いている。しかし、その歴史観、あるいは説明の枠組みを誰が作ったのか、に関しては興味が無い。生前、外務省の外政官でサウジ・アラビアやタイに赴任した岡崎久彦大使が語っていたけど、敗戦国では戦時プロパガンダが暴露され、様々な嘘が明らかにされているが、戦勝国では戦時プロパガンダがそのまま残ってしまうらしい。不正確な情報が否定ささず、修正もされないまま温存され、やがてそれが「定説」となってしまうのだ。ナチ・ドイツに関する「歴史」もその危険性があり、ナチス側の反論は悉く斥けられ、英米の学者やユダヤ人の一方的な解釈と論説で「正統な歴史書」が綴られている。

  そもそも、事後法に基づくニュルンベルク裁判自体が違法だし、検事と判事が“グル”なんて論外だ。勝者側の裁判官はドイツ側の弁護士が証拠の提出を求めても却下するし、英米側が持ち出してくる「証拠」だって、どんな「味付け」がなされているのか分からない。公式な報告書だって巧妙な捏造かも知れないし、調査官が米国側の工作員という可能性もあるのだ。日本人はユダヤ人の証言を鵜呑みにするが、科学的捜査に基づく物的証拠も無いのに、それを「真実」と思うのは間違っている。だいたい、「宣誓証言」でもない「噂話」や「感想」を「事実」と宣伝するのは異常だ。もし、米国と英国の政府がドイツと日本を裁くなら、英米の極秘ファイルも公開すべきだろう。しかし、いくら日本の弁護士が機密資料の公開を求めても米国は応じまい。つまり、英米は「疚しい過去」や「不都合な真実」を隠したまま、日独を裁いたということになる。たぶん、アメリカの弁護士や裁判官は、心の底でこうした魔女裁判を「リンチ法廷」と見なしているはずだ。でも、自分の社会的地位を守りたいから、誰もが口をつぐんで知らぬ顔。悧巧な者は無口だ。

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(左 : デボラ・リプシュタット / 右 : デイヴッイド・アーヴィング )

  歐米の知識人に勇気のある人は少ない。A.J.P.テイラーやパトリック・ブキャナンのように、従来の「歴史観」に刃向かったら、ユダヤ人勢力の総攻撃を食らって自滅となる。日本でもそうだけど、有名になる知識人というのは、民衆から尊敬されたいと望み、出来ることなら優雅な生活を送りたいと欲する高級種族。しかも、綺麗事を語るのが大好きな偽善者。日本学術会議にたむろってい連中をみれば判るじゃないか。リムジン・リベラルの先生達は、真実を喋って貧乏暮らしなんて真っ平御免である。英国のデイヴッイド・アーヴィング(David Irving)は、普通の大学教授が怠けて調べないドイツの一次資料を丹念に調べ、驚きの事実を数々公表したが、歐米ではネオ・ナチとか異端の歴史家扱い。ユダヤ人学者のデボラ・リプシュタット(Debora Lipstadt)から目の敵にされたアーヴィングは、「ホロコースト否定論者」との因縁をつけられ、訴訟沙汰に巻き込まれて多額の罰金を科せられた。こうした迫害を受けたアーヴィングは、憐れなことに破産状態へと陥った。こんな惨劇を見れば、普通の知識人はビビってしまうだろう。だから、ちょっと賢い歐米人は、どんなにユダヤ人が事実をねじ曲げ、勝手な歴史観をバラ撒こうが、絶対に反論しようとは思わない。日本人は自由な言論空間にいると思っているが、それは鉄壁の枠組みが透明で目に見えないからだ。しかし、勇気を持って主流の枠組みから逸脱し、「陰謀論」と馬鹿にされる世界に立ってみれば、別の景色が見えてくるかも知れないぞ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html

17. 中川隆[-17111] koaQ7Jey 2021年8月18日 12:45:16 : XWQRzBKQ8k : NmxkNDluOU5BbVk=[29] 報告

2021年08月15日12:13
ヒトラーは国際金融業者の敵だった ! / 対独戦の裏側
両替で儲けたユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867461.html


Hitler 884321FDR & Stalin & Churchill 001

  日本では毎年毎年、夏になると“反省祭り”が鳴り響く。NHKや民放は特番を組み、日本が如何にして“無謀な戦争”に突入し、アジア諸国を侵掠したか、と大騒ぎ。日本の軍国主義者はアジアの民衆に多大な損害を与え、日本国民にも言葉に出来ぬほどの犠牲を強いたと糾弾する。しかし、祖国の敗戦を喜ぶ左翼は、海軍の米内光政や陸軍の瀬島龍三を一切批判せず、皇室撲滅を狙っていた近衛文麿も素通りだ。一般人は風見章の悪行さえ知らないんだから、NHKの戦争特番は誰のために作っているのか、と質問したくなる。BS-NHKなんかは、『英雄たちの選択』で近衛文麿やリヒャルト・ゾルゲを取り上げても、ソ連を助けたかった共産主義者については沈黙というより、意図的な無視を決め込んでいた。大学の左翼学者も同じ穴のムジナで、アメリカ人を嫌いなくせに、米軍の無差別焼殺や核攻撃を「空襲」とか「原爆投下」と呼んで、その残虐性を薄めようと図っている。

  さらに、国民からゼニを搾り取るNHKは、共犯者のドイツに対しても誹謗中傷の匕首(あいくち)で心臓や背中を突き刺す。物的証拠や科学捜査も無いのに、ナチスによる「ガス室殺人」を宣伝し、反対尋問に基づかない「噂話」や「証言」でさえ、決定的な「証拠」のように取り扱う始末。チフスで亡くなったユダヤ人を焼却すると「ホロコースト(燔祭)」になるらしいが、本当のホロコースト犠牲者は、地獄の炎で包まれたドレスデンのドイツ人であり、焼夷弾で殺された日本人の女子供である。焼夷弾で逃げ道を絶ってから、絨毯爆撃の炎で住民を皆殺しにするなんて鬼畜の殺戮だ。ブリテン軍も同罪で、1944年、モンテ・カッシーノ(Monte Cassino)にある修道院を爆撃したんだから、無辜の聖職者と民間人を殺したことになる。

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(左 : 破壊されたモンテ・カッシーノ修道院 / 右 : 猛烈な空爆を受けたドレスデンの街)

  だいたい、日独の攻撃からソ連を救い、東歐諸国をスターリンに献上したことが、英米の「勝利」なんだから、ノルマンディー上陸作戦や硫黄島の激戦で亡くなったアメリカ兵は成仏できないだろう。(まぁ、大半はキリスト教徒の兵卒なので、イエズスの再臨で復活し、天国に行けるかも知れないが、日本兵の首を切断し、金歯や所持品を盗んだ悪党どもは地獄行きだ。)

  普通の日本人が「第二次世界大戦」と聞けば、直ぐにナチ・ドイツによるユダヤ人の迫害・虐殺といった“お決まりの悲劇”を思い浮かべてしまうが、この歐洲大戦の根底には、国際金融業者の損得勘定が絡んでいる。つまり、ユダヤ人の投資家や銀行家による暴利に気づいたアドルフ・ヒトラーは、彼らの軛(くびき)からドイツ経済を解放したので、恐ろしい“仕置き”を受けることになった。ユダヤ人学者はバベルの塔が埋まるくらい、多くの書物を刊行し、お涙頂戴の迫害悲劇を垂れ流す。だが、そんなのは真相を隠すための煙幕に過ぎない。ユダヤ人の追放や強制収容は、ナチスが掲げる政策の一環に過ぎず、当時のヨーロッパ人なら「いい気味だ!」と言いたくなるほどの快挙であった。日教組の洗脳を受けた日本人は気づいていないが、千年以上も他人の王国や領土にタカリ続ける居候は、ジプシーのような鼻つまみ者である。ユダヤ人は迫害や虐殺を咎める前に、自分達の図々しさを反省すべきだろう。

Thomas Aquinas 001(左 / 聖トマス・アクィナス)
  ナチ・ドイツの経済政策について述べる前に、我々が認識すべき点は、貨幣の本質と実態を知ることだ。現在、日本国民は紙幣や硬貨を当然のように使っているが、この紙切れ(or金属)は、基本的にモノとモノを交換する時の「媒介物」に過ぎない。中世のヨーロッパ人(ローマ・カトリック教会の信徒)は、市中に出回る貨幣を売買の際に用いる潤滑油、あるいは交換を手助けする金属と見なしていた。金や銀のコインという「貨幣」は、元々「人々に奉仕するモノ」であったから、これを用いて「利潤」を得る事は不届きな所業、すなわち罪深い事と考えていたのだ。こうした思想は聖トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)の『神学大全(Summa Theologiae)』や、グラティアヌス(Gratianus)が編纂した『法令集(Decretum Gratiani)』を読めば分かる。

  中世キリスト教世界の貨幣観や倫理観は、我々日本人のものとはかなり違っており、経済用語の意味も現在のものとは幾つか異なっている。例えば、「利子(interest)」は「中間にあるもの」、すなわち「差額」を意味し、ここから転じて「蒙った損害の補償」を意味するようになった。要するに、お金を貸した人が金銭を貸したことにより何らかの損害を受ければ、損害賠償(interest)を受け取るのは「正当」というわけ。また、貨幣の「貸借(mutuum)」から生じる利益というのが「「徴利(usura)」で、現在の英語で言えば、「暴利」とか「高利」を指す「usury」となる。

  中世スコラ学の泰斗である聖トマス・アクィナスや、教会法(canon law)を編纂する神学者によれば、高利貸しというのは詐欺師に等しい。なぜ、こういった考え方になるのかと言えば、それは「所有権と使用権が分離しているもの」と「両者が一体化しているもの」があるからだ。例えば、ある人が家屋を誰かに貸した場合、大家さんはその“所有権”を保持したまま他人に家を貸して利益を得る。つまり、借主は“使用権”を得ただけ。しかし、ワインを販売する酒屋の主人は、使用権と所有権を一緒に渡してしまうのだ。まさか、ワインの“使用権”だけを販売し、お客が飲み終わった後に、「“所有権”を返せ !」と強要する商人はいないだろう。ワインを飲んだ客が胃袋から吐き出したって、そんなのは「貸したドリンク」の「返却」にならない。パンを作るために買った小麦だって、使用権と所有権を一緒に購入したわけだから、両者は分離不可能である。

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(左 : ヨーロッパで鋳造された金貨 / 右 : ヨーロッパ各地で流通した銀貨)

  少々ややこしいが、もし、ある人が他人へ使用のために所有が必要なモノを貸せば、その所有権も借手に移ってしまうから、貸手は所有権に基づいて使用料を請求することは出来ない。貸借される貨幣も小麦やワインと同じで、消費されるもの、購入に用いるもの、と見なされる。ゆえに、お金の「貸し借り」で使用料(徴利)を求めることは不当になってしまうのだ。もう一つ面白いのは、「貨幣不妊説(sterility of money / barren metal theory)」と呼ばれる見解である。つまり、金属で作られた貨幣は、生殖といった行為をする生命体とは違うので、「それ自体は増えたり減ったりしない」という考え方だ。アリストテレスに倣った神学者らは、「貨幣は貨幣を生まない」とか、「貨幣は自らの価値以上の価値をもたない」と述べていた。まぁ、冷たい岩石の如き貨幣(硬貨)は、不妊の無生物であるから、生殖や交配を通じて繁殖する植物や動物とは違っていても当然だ。それゆえ、いくら他人へ1ヶ月とか6週間くらい貸したからといって、1枚の金貨が2枚の銀貨を産むわけじゃない。

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(左 : 昔ながらのユダヤ人両替商 / 右 : 1934年当時のイスラエルで営業していた両替商)

  ところが、ヨーロッパに住み着いたユダヤ人は、計算高い商売人で、同胞のユダヤ人には利子を取らずに貸してあげるけど、異教徒(キリスト教徒)のヨーロッパ人は高利で貸し付ける。なぜなら、ヨーロッパ人は牛や豚のような家畜人間で、穢らわしい動物と一緒。しかも、「赤の他人」だから、容赦なく取り立ててもいい。シャイロックの如きユダヤ商人は、「おい ! テメー、判ってるんだろうな ! お前に貸してやった金には、ちゃんと利子が附いているだぞ ! 期限が来たら、きちんと耳を揃えて返せよ !」と迫ったのである。一方、借金をしたヨーロッパ人からすれば、「どうして材料を仕入れるために借りた金属、物々交換の際に用いる潤滑油(貨幣 / コイン)を使ったからといって、余計なゼニを払う必要があるんだ?」と考えてしまうのだ。例えば、金貨を使っているうちに半分に割れたら問題だけど、金貨を囓(かじ)っても、涎(よだれ)が附くくらいで、金の含有量は減らないだろう。

  ユダヤ人というのは未熟な文化しか持たないゲルマン人と違い、アラブ人とかペルシャ人と同じ狡猾な通商民族で、アジア大陸でも古株の種族だ。彼らは昔から計算や商売が得意で、神殿に群がって儲ける「両替商」は評判の良くない連中だった。イェルサレムの神殿には周辺地域から大勢のユダヤ人が訪れ、捧げ物をしたり礼拝をしたりで大賑わい。参拝客のユダヤ教徒は、生け贄にする動物を買うのが普通だった。例えば、お金に余裕のある人だと子羊を購入するが、貧乏人はちょっと安い鳩で済ませる。そして、神殿に入る際には、誡律で決められた入場料というか、天主へ献納する半シェケルを払うことになっていた。(出エジプト記第30章13節) この「シェケル(shekel)」というのは、当時のユダヤ人が用いていた重量単位で、貨幣の名称でもあった。聖書を読んだ人なら解るけど、当時の各硬貨は以下のような価値になっていた。

   1 タレント (talent / kikkar) = 60 ミナ (maneh) = 3,000 シェケル(shekels)

  紀元前のユダヤ教徒は、神殿の前で両替商からシェケル硬貨を購入したが、それは色々な土地からやって来る参拝客が、独自の硬貨を持っていたからだ。異教徒の国で鋳造された硬貨には、皇帝や領主といった支配者の横顔や動物の姿、あるいは地元の神々が刻印されていたので、偶像崇拝を嫌うユダヤ教からすれば“穢らわしいコイン”となっていた。そこで、巡礼者のユダヤ人は両替商に頼み、自分の硬貨とシェケル硬貨を交換してもらっていたのだ。しかし、こうした為替業者に激怒したのがイエズス・キリストで、神殿の境内に踏み込むと、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを引っくり返してしまった。(マタイによる福音書 : 第21章12節 / マルコによる福音書 : 第11章15-17節 / ヨハネによる福音書 : 2章13-17節)

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(左 : ローマ帝國の金貨 / 右 : ユダヤ人が使っていた シェケル硬貨)

  救世主も若くて血の気が多かったのか、「神聖な神殿の境内で穢らわしい銭儲けをするとは何事だ!」と怒り狂ったのである。イエズスの言い分によれば、神殿は本来「祈りの場」であるはずなのに、ユダヤ人どもは「強盗の巣」にしてしまった、というのだ。今だと器物損壊罪に問われてしまうけど、過激な救世主は激昂したから、羊や鳩の販売業者や両替商を目にしたとたん、縄で鞭を作り、羊や牛を全て境内から追い出してしまった。それでもイエズスの怒りは治まらず、両替商の金を摑んで撒き散らしたというから凄い。でも、これじゃあ、当時のユダヤ人がイエズスを怨んでも当然だ。

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(左 : ユダヤ人の両替商を神殿から追い出すイエズス・キリストの絵 / 右 : 縄を振るってユダヤ人を駆逐するイエズス)

  ユダヤ人はヨーロッパ人を丸め込むのが上手(うま)い。ローマ軍の攻撃により「民族離散(ディアスポラ)」に遭ったというのはフィンションに近い。そもそも、“可哀想なユダヤ人”というのは、ヨーロッパに居坐るための政治プロパガンダである。実際は、離散の前からユダヤ人の浸透は始まっており、ローマ帝國での生活が快適だったから、そのまま居着いてスペインやドイツ、フランス、イングランドに散らばっただけ。彼らはローマ兵にくっ付いて商売人や書記官になったり、略奪品を購入する古物商を営んでいたのだ。それゆえ、捕虜になった敗戦国の女を売買する奴隷商人とか、色々な国の硬貨を扱う両替商がいても不思議じゃない。ヨーロッパでの「甘い汁」を知ったユダヤ人は、スペインで迫害されてもイェルサレムがあるカナンに帰らず、フランクフルトやロートリンゲン、アムステルダムに逃れ、移住先で金貸しや宝石商になっていたのである。

King William 3 of England(左 / イングランド国王ウィリアム3世 )
  有名なのはエドワード1世により追放されていたユダヤ人が再びイングランドに戻ってきた歴史だ。ピューリタン革命という内戦が起こり、オリヴァー・クロムウェルが国王のチャールズ1世を処刑すると、「ここぞ !」とばかりに強欲なユダヤ人が英国へと舞い戻ってきた。さらに、「名誉革命」という内紛で、スチュアート家のジェイムズ2世がフランスに追放されると、オラニエ家のウィリアム3世がイングランド国王に即位したのだが、この総督・君主にはユダヤ人の金融業者が背後に控えていた。

  例えば、オラニエ・ナッソー家のウィリアムがイングランドへと渡る時、ユダヤ人のフランシスコ・ロペス・スアッソ(Francisco Lopez Suasso)は、この王様を支援すべく、200万ギルダー(gulden)も貸し付けていたのだ。フランシスコはマラーノ系(Marrano / 「豚野郎」という意味)の金融業者、すなわちキリスト教に改宗したユダヤ人で、同胞の間では「アブラハム・イスラエル・スアッソ(Abraham Israel Suasso)」と呼ばれていた。驚く事に、このセファラディー系のユダヤ人は、ネーデルラントで第二代アヴェルナ・ド・グラ男爵(Baron of Avernas de Gras)という貴族であった。彼はモーゼス・メンデス・ダ・コスタ(Moses Mendes da Costa)という銀行家の娘と結婚していたのである。ちなみに、このユダヤ人モーゼスに関する詳しい経歴は不明で、ある説によれば、彼はイングランド銀行の株を保有していたというし、別の説に従えば、イングランド銀行の理事であったらしい。

経済的奴隷状態から抜け出したナチ・ドイツ

Hjalmar Schacht 001(左 / ヒャルマー・シャハト)
  ユダヤ人が歐米諸国で金融業界を牛耳っていることは、第一次世界大戦前から有名な話である。敗戦国のドイツはヴェルサイユ体制で雁字搦め。軍事的に弱体化されるし、膨大な賠償金の支払いで精一杯。札束が紙クズよりも安くなるほどのハイパー・インフレだから、一斤のパンを買うために一輪車で紙幣を運んだほどである。こんな超インフレを前にしたら、誰だって匙を投げるに決まっている。でも、ヒャルマー・シャハト博士(Dr. Hjalmar Schacht)は、「レンテンマルクの奇蹟」でドイツ経済の宿痾を治したから、「魔術師」の異名で呼ばれたのも頷けよう。

  では、シャハトは如何にしてドイツ経済を蘇生させたのか? それは、国家の信用を基にした独自の特別「通貨」を利用したことにある。何と、ドイツは国民の労働力を担保にして国債を発行したのだ。もし、ブリテンやアメリカから借金をすれば、必ず利子を附けて元金を返済しなければならない。しかし、ドイツ帝國自身の中央銀行、ライヒスバンクが“お墨附き”を与えて、小切手でも商品券でも発行すれば、それが「通貨」として信用される。これが単なる個人商店の商品券だと怪しまれるが、偉大なる国家の保障を受けた紙幣だから、国民は安心して受け取るのだ。実際、政府は公共事業を行う際、労働手形を用いて道路や橋を建設していた。仕事を請け負う民間事業者が、その労働力に応じて「労働手形」を発行すると、それを自治体が受け取って、この手形が銀行へ渡って、銀行は通貨を自治体に渡し、そのお金を使って自治体は公共事業を行う、という仕組み(循環)だった。

Gottfried Feder 001(左 / ゴットフリード・フェダー)

  ヒトラーを単なる狂人と見るのは間違い。彼は慧眼の持ち主だった。ヒトラーの凄い点は、利子附の外国通貨や借金、および外国人に支配されたライヒスバンクに頼らず、「自分達の通貨」で経済を廻そうとした点にある。これは、まだ駆け出しの活動家であったヒトラーが、ゴットフリード・フェダー(Gottfried Feder)の講演を聴いたのが切っ掛けであった。後のドイツ総統は『我が闘争』の次のように述べている。

  わたしが初めてゴットフリート・フェーダーの「利子奴隷の打破」についての講演を聞いたとき、わたしはすぐ、ここでは理論的な真理が問題となっており、ドイツ民族の将来に対して計り知れぬ意義のあるものになるに違いない、と思った。国民経済から株式資本を鋭く分離することによって、資本一般に対する戦いと同時に、独立した民族的自己保存の基礎を脅かされることなく、ドイツ経済の国際化に反抗する可能性を示したのだ。わたしは、困難きわまりない闘争がもはや敵対性民族に対してでなく、国際資本に対して攻撃せねばならないことを知らなかったことよりも、ずっとはっきりとドイツの発展が目にうつったのである。フェーダーの講演の中にわたしは、この来たらんとする闘争に対する力強い合いことばを感知したのである。(アドルフ・ヒトラー 『わが闘争』 (上巻) 平野一郎・将積茂・訳、角川書店、昭和48年、p.302.)

  日本では一般的にシャハトの方がよく知られており、フェダーの方は経済学者や歴史家にしか馴染みがない。しかし、ドイツ経済の蘇生を勢いづけたのは、歴史に埋もれたフェダーの理論であった。彼が提案した金融論をかいつまんで言えば、民間の銀行ではなく、国営化された中央銀行を通して貨幣を供給することに経済復興の要諦があった。(Stephen Zarlenga, The Lost Science of Money, New York : American Monetary Institute, 2002, p.590.) 大半の日本人は「何を言ってるんだ?」と意味が摑めないが、英国のイングランド銀行や米国のFRB(連邦準備制度理事会)がどうやって貨幣を発行しているのかを理解すれば納得できるはずだ。

  アメリカ合衆国には国家直営の中央銀行は無い。FRBという民間銀行が通貨を発行しているだけ。ジキル島で作られた連邦準備制度(Federal Reserve System)は、ロスチャイルド家やその手下であるモルガン家に富をもたらす法的な枠組みに過ぎない。各州にある連邦準備銀行を統括する連邦準備理事会(Federal Reserve Board)は、「政府機関」を看板にしているが、実際は通貨マフィアの評議会となっている 。昔、ニューヨークの犯罪組織が話題となったけど、ボナンノー(Bonanno)、ガンビーノ(Gambino)、コロンボ(Colombo)、ジェノヴィーゼ(Genovese)、ルッケーゼ(Lucchese)といった五大ファミリーが麻薬じゃなく、「金融」でカルテルを組んだと思えば、FRBの正体が判りやすい。一般のアメリカ国民は、誰がどんな風にFRBを運営しているのか知らないし、どんな連中が大株主になっているかさえもシラされていないのだ。たとえ、FRBの議長が公に現れたって、そんなのは“表の支配人”に過ぎず、裏に控える“大御所”はマスコミに登場せず、遠く離れた何処かに隠れている。

  連邦準備制度の「いかがわしさ」は、1994年にエドワード・グリフィン(G.Edward Griffin)が、『The Creature from Jekyll Island(邦訳本 : 「マネーを生み出す怪物」)』で暴露した。そもそも、FRBは何も無いところから米ドルを発行し、利子を附けて貸し出しているんだから、独裁者や悪代官よりもタチが悪い。元々、貨幣の鋳造は封建領主や国王の特権で、そこから得られる利益を指していた。英語の「seigniorage」が君主の特権と貨幣鋳造の利益を意味していることを思い出せば理解できるだろう。となれば、FRB議長となったアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)やベン・バーナンキ(Benjamin Shalom Bernanke)、ジャネット・イェレン(Janet L. Yellen)は、アメリカ共和国に君臨するユダヤ人領主だったのかも。

J. P. Morgan 11Alan Greenspan 011Ben Bernanke 01Janet Yellen 01


(左 : FRSを創ったJ.P.モルガン / アラン・グリーンスパン / ベン・バーナンキ / 右 : ジャネット・イェレン)

  これは実に奇妙な仕組みなんだけど、FRBは「国家の銀行」を装って「信用」を生み出し、緑色の紙幣を印刷している。そもそも、国民から選ばれた訳でもない理事どもが、自分達の都合で勝手に通貨の供給量とか利率を決め、景気を左右しているなんて“おかしい”じゃないか ! (ちなみに、グリフィンの翻訳本は好評なんだが既に絶版で、アマゾンに出された古本は1万円以上の値を付けている。この名著は馬渕睦夫がユダヤ人や金融史を論ずる時の「ネタ本」だろう。筆者は、ずいぶん昔に原書と翻訳本を購入していたが、こんなに高騰するとは思わなかった。経済史を専攻する大学教授の“業績”なんかは、ほとんどが“クズ本”で、強制的に買わされた学生が古本屋に売却することが多い。5千円の豪華本でも、買い取り価格は5百円くらいで、通常は100円セールの棚で売れ残っている。)

  金融システムを研究するスティーヴン・ザーレンガー(Stephen Zarlenger)によれば、ヒトラーは「法定不換紙幣(fiat money)」を使って経済不況を解決したという。この「フィアット・マネー」というのは、「金や銀の裏付けは無いが、法貨として定められた紙幣」のことを指す。本質的には今の1ドル札とか100ドル札と同じである。緑の紙切れには有名な大統領の肖像画やピラミッド、鷲、連邦議事堂、白亜館が印刷され、財務長官の署名までも記されているが、純金とは交換されないし、額面とは見合わない印刷コストになっている。もし、100ドル札で10億ドルを用意したとしても、その印刷代が4億ドルとか6億ドルになることはない。 自動車なら半額くらいの生産コストがかかってしまうが、印刷した紙なんて100万ドルもかからないだろう。貨幣はモノやサービスの交換に際して使われる媒介物だから、インフレにならない程度の量が出回り、経済規模に応じて供給されればいいのだ。

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(左 : ハイパー・インフレのせいで大量の紙幣を運ぶ破目になったドイツ人 / 右 : 紙屑同然のマルクで遊ぶドイツ人)

  ユダヤ人による国際金融のカラクリと私有(民間)銀行による借金漬けに気がついたヒトラーは、債務地獄に陥らないよう、外国からの資金を借りずに、独自の「特別マルク」を発行し、物々交換の経済に切り替えてドイツ経済を恢復させようと図った。ドイツ帝國銀行は対外債務を全て現金で支払うことはせず、元本の50%は現金で返済するが、残りは特別なマルクで支払うことにした。つまり、手持ちの金や外貨を減らしたくないから、輸入代金や借金の利子を商品券もどきの貨幣で払うことにしたのだ。特別なマルクというのは、例えば、ドイツでの旅行に使える「ライザマルク(Reisemark)」であったり、ドイツでの投資に用いたり、輸出するドイツ製品を購入するための「レジスター・マルク(Registermark)」、ドイツの人民および大義のために使われる「アスキ・マルク(Askimark)」などであった。(John Weitz, Hitler's Banker : Hjalmar Horace Greeley Schacht, Boston : Little Brown and Comapny, 1997, p.155.) 普通の日本人は大学生でも、こうしたドイツ経済の歴史を知らないし、特殊なドイツ・マルクがあったことすら聞いたことがない。ユダヤ人に対する迫害ばかりを勉強する日本の青年は、洗脳教育に気づかないまま、暢気に卒業するから本当に憐れだ。

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(写真 / 旅行用に発券されたドイツノ政府の小切手)

  西歐諸国の資本家や金融業者は、ドイツの新しい「経済プラン」に憤慨したが、東歐諸国や南米諸国の輸出業者はそれ程でもなかった。何しろ、人口約七千万のドイツは魅力的な市場であったから、ドイツの貿易圏は徐々に拡大し、英米仏のブロック経済圏と肩を並べるくらいにまでに成長した。ルーマニアやハンガリー、アルゼンチン、ブラジルなどの国々は、原材料や食料をドイツへ輸出し、輸入代金として「ドイツの商品券」を貰うことになったが、ドイツの工業製品は魅力的だったから、「買ってもいいかなぁ〜」という気分になっていた。こうした物々交換は日本でも可能で、もし我々が楽天市場でアニメのお宝フィギアとか読み終えた漫画本を売って、楽天ポイントを貰えば、そのポイントを使って映画のDVDとかドッグ・フードを購入するだろう。右から左へと資金を流すだけで、巨額の利益を得るユダヤ人に対し、ヒトラーは忌々しく思っていた。ユダヤ人の方も怒りに震えていたから、ドイツ製品をボイコットしたり、プロパガンダ映画を作って反撃していたのである。

  ヒトラーの経済政策に加えて、シャハトの借金減額作戦も功を奏した。シャハトは対外債務に苦しむ祖国を救うべく、アメリカやブリテン、フランスなどと交渉し、借金の軽減に努めていた。借金の利子を減額してくれないとドイツ経済は破綻し、元金すら返済できなくなるぞ、と脅したんだから凄い。膨大な金額の借用書が紙切れになってしまうかも、と思えば、債権者の方も考え直すしかない。結果的に、シャハトの開き直りは成功だった。実際、ドイツの国富は目減りする一方だった。債務返済と失業に苦しむドイツからは、見る見るうちに「ゴールド」が減っていったから、金本位制の通貨発行なんて無理。ドイツ帝國銀行が保有していた金の量は、1930年の頃、約30億マルクくらいあったのに、1932年には9億9,100万マルクに減少し、1939年にはたった7,800万マルクしか残っていなかったのだ。(Franz Leopold Neumann, Behemoth : the Structure and Practice of National Socialism 1933-1944, Chicago : Ivan R. Dee, 2009, p.333.)

  ヒトラーが称讃したゴットフリート・フェダーの貨幣論は、嘗てのアメリカで流行った「グリーンバック(Greenback)」運動とソックリ。エイブラハム・リンカン大統領は南北戦争を乗り切るために「グリーンバック(緑色の政府紙幣)」を発行したんだけど、これは「アメリカ合衆国銀行」とか「北米銀行」といった民間銀行が創り出す貨幣とは大違い。怖い金融業者に利子を払わず、みんなで紙幣をグルグル使い回せるから気分爽快だ。フェダーもドイツ政府が支配する中央銀行による不換紙幣の方がいい、という見解だった。しかし、輪転機(紙幣を印刷する機械)で儲けていた銀行家は腸(はらわた)が煮えくり返っていた。せっかく、元植民地を金融で牛耳っていたのに、あの髭面野郎が独自の紙幣を刷って利益を駄目(ふい)にしてしまったのだ。在野の歴史家の中には、暗殺者のジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)は単なる舞台俳優じゃなく、ロスチャイルドの手下に雇われた傭兵なんじゃないか、と疑う者がいるくらい。(例えば、Xaviant Hazeの『The Suppressed History of American Banking』第8と9章を参照。)

Abraham Lincoln 02John Wilkes Booth 01Greenback note 001


(左 : エイブラハム・リンカン / 中央 : ジョン・ウィルクス・ブース / 右 : 裏側が緑のインクで印刷された1ドル紙幣 )

  普通のアメリカ人や日本人は、どうしてもナチスの残虐性や侵略行為などに注意が向いてしまうが、経済・金融面から眺めてみれは、違った光景が見えてくる。そもそも、第一次世界大戦で負けた後、ドイツは経済面でも戦勝国に蹂躙されていたから、ヒトラーやナチ党の幹部が復讐心に燃えても当然だ。例えば、ドイツの中央銀行である帝國銀行は、まるで民事再生を受けた企業のように扱われ、理事会の半分が外国人で占められていた。さらに、理事会が人事権を握っていたから、貪欲な外人どもが恣意的に総裁とか役員を決めていたのである。ドイツ国民にとって承服しがたいことは無数にあって、何と、ヴェルサイユ条約で課せられた賠償金には、戦争で被害を受けた財産への賠償のみならず、当初は条約に無かったブリテンやフランスの「戦費」まで含まれていたのだ。これじゃあ、堪忍袋の緒だって切れてしまうだろう。こんな仕打ちを受けたから、ナチスの綱領に「ヴェルサイユ条約の破棄」が明記されていても不思議じゃない。

  直感に優れたヒトラーと国民主義のフェダーにより、ドイツ第三帝國は独自の通貨を発行し、「自給自足経済(autarky)」を拡大した。一方、ブリテンやアメリカのエスタブリッシュメント、とりわけ金貸しで儲ける国際金融資本家は大激怒。ドイツ人をこき使って金銭を搾り取ろうとしたのに、あのチョビ髭伍長が勝手な経済政策をやらかして、懐に入ってくるはずの利益が飛んでしまったのだ。世界を股に掛ける投資家や銀行家にとって、庶民を主体とする国民経済やナショナリズムは言語道断、邪魔な障碍物でしかない。英米で“しこたま儲ける”ロスチャイルド家にとったら、国家社会主義を掲げるドイツの総統は抹殺すべき対象となる。

Hitler & Mussolini 03Konoe 0032


(左 : ヒトラーとムッソリーニ / 右 : 仮装パーティーで憧れの「ヒトラー」に扮した近衛文麿)

  ということで、ロスチャイルド家やシオニストの一派は、飼い犬にしていたウィンストン・チャーチルを首相に押し上げると共に、アホな日本人を嗾(けしか)けて世界大戦の導火線に火を付けた。極東の島国では丁度、共産主義にかぶれた近衛文麿が破滅への道を準備し、ローズヴェルト大統領が「最初の一撃」を待ち構えていたから、日米開戦の勃発は秒読み状態。英米の国際金融業者は、日本の共産主義者を利用すれば、愚鈍なアメリカ国民でも「戦争賛成」になる、と考えたはず。スターリンと仲良しのチャーチルは、日本軍が真珠湾を奇襲したとの知らせを受けた時、「これでアメリカの参戦は決まりだな !」と安心し、その晩は熟睡できたそうである。マーバラ侯爵のバカ息子を「英雄」と見なしているイギリス人は間抜けだが、未だに山本五十六を擁護している日本人はもっと愚かで、呆れるほど救いようがない。

FDR & Stalin 11Winston Churchill & Stalin 111


(左 : スターリンとローズヴェルト / 右 : チャーチルとスターリン)

  日本の歴史教科書は、ヒトラーの反ユダヤ主義や人種差別、東歐への膨張政策、覇権を求めた世界征服、独裁による全体主義、占領地での侵掠行為ばかりを強調するが、西歐諸国で隠然たる権力を行使するユダヤ人についての記述はほとんど無い。ヒトラーの反ユダヤ政策が英米のユダヤ人を奮い立たせた事は確かだが、それよりも大富豪の金銭的な損失とかナショナリズムの勃興といった問題の方が深刻で、ソ連を造ったユダヤ人にとっては赦しがたい謀叛であった。第二次世界大戦というのは、ある意味、「民衆政治vs全体主義の戦い」じゃなく、ユダヤ人と組んだアングロ・サクソン人とユダヤ人を排除したいゲルマン人の死闘である。もし、我々が先の大戦を「共産主義を拡散するユダヤ勢力(英米)とユダヤ人支配に刃向かうナショナリズム国家(独伊)との闘い」と見れば何となく筋が通る。(ドイツに占領されたフランス人は不機嫌だったが、ユダヤ人を追放するヴィシー政権には満足だった。) そうでなければ、どうして英米がソ連と組んで枢軸国と戦争をしたのか解らない。

Christian Rakovsky 1(左 / クリスチャン・ラコフスキー )

  ヒトラーに関する評価や伝記はたくさんあるが、ルーマニア国籍を持つブルガリア人社会主義者で、のちにソ連の外政官となったクリスチャン・ラコフスキー(Christyan Rakovsky / 本名 : Krastyo Georgiev Stanchev)のコメントは興味深い。彼はドイツの貨幣制度について、1938年1月にこう述べていた。


  この教養無き凡人、ヒトラーは天賦の直感力を持ち、専門知識を持つシャハトの反対にもかかわらず、極めて危険な経済システムを創り出した。必要性のみに駆られ、あらゆる経済理論に無知であったが、彼は国際資本家や高名な個人金融業者を出し抜いてしまった。ヒトラーはほとんど金(ゴールド)を保有していなかったから、それを通貨の基礎にすることはできなかった。彼がお金を創るために利用できた唯一の担保は、ドイツ国民が持つ技術的な才能と、素晴らしい勤勉性であった。技術と労働が彼のゴールド(金)になっている。・・・諸君も知っているように、ヒトラーは奇術のように六百万以上の熟練労働者のために失業を一掃してしまったのだ。(Richard Tedor, Hitler's Revolution : Ideology, Social Programs, Foreign Affairs, Chicago, 2013, p.47.)

  歐米や日本におけるヒトラーの評価は非常に厳しく、冷酷な独裁者とか全体主義者のレイシスト、民族抹殺を図った狂人など、罵詈雑言の嵐である。しかし、当時のドイツ人労働者にとっては恩人で、経済不況と失業から庶民を救ってくれた救世主。ドイツから追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だったけど、ゲルマン系のドイツ人からの評判は良かった。しかも、失った領土を恢復し、忌々しいユダヤ人を追い払ってくれたから万々歳。ただし、戦争末期になるとドイツ兵の命を粗末に扱ったから、ヒトラーの愛国心やナショナリズムは自分中心の主義主張であった。それでも、ヒトラーの功績は無視できず、移民の波に怯えるドイツ人や他の西歐人にとっては、理想の政治家となっている。日本人はヒトラーの名前を聞くだけで耳を塞ぎ、歴史の真相から目を逸らしてしまうが、せっかく言論や学問の自由があるんだから、ユダヤ人を懼れないでナチスの歴史を勉強すべきなんじゃないか。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867461.html

18. 2021年8月21日 09:56:58 : I2jriCFAv6 : UlhoZEVFSW9Bc3c=[20] 報告
ナチス親衛隊 ヘルマン・フェーゲライン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1057.html
19. 2021年8月28日 17:43:17 : pOtbpYEQOg : ZnRVRVNBUXpBWTY=[49] 報告
ナチス親衛隊 アドルフ・アイヒマン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1058.html
20. 2021年8月29日 04:55:46 : bFsGIgAzDw : YUkuWkFLUWlHZHM=[3] 報告
ポーランド総督ハンス・フランク
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1059.html
21. 中川隆[-16680] koaQ7Jey 2021年8月31日 15:31:52 : egUkgZKmks : NWNjU1d1TmVGRVE=[5] 報告
ドイツ軍がソ連侵攻に失敗する迄は西側の国々はドイツと戦おうとしなかった


 1939年9月にイギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告、41年6月にドイツはソ連に対する奇襲攻撃を始める。「バルバロッサ作戦」だが、この作戦でドイツはソ連攻撃に310万人を投入、西側には約90万人だけを残した。西側からの攻撃を考慮しない非常識な作戦はアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。実際、西側の国々はドイツ軍と戦わない。事実上、レジスタンスだけが戦っていた。その主力はコミュニストだ。1940年9月から41年5月までドイツ軍はイギリスを空爆しているが、これはバルバロッサ作戦の準備を隠すための陽動作戦だろう。

 当初、イギリスのウィンストン・チャーチル政権やウォール街のアレン・ダレスたちはドイツが圧勝すると予測、静観していた。ドイツ軍は1941年7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ドイツだけでなく、イギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたという。

 しかし、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入するものの、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的で、日本の負けは決まった。

 この敗北に慌てたイギリスはアメリカとその年の5月に協議、両国軍は1943年7月にシチリア島へ上陸している。シチリア島でもコミュニストが住民に支持されていたため、アメリカ軍はコミュニスト対策として犯罪組織と手を組んだ。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 1943年の後半にアメリカとイギリスの情報機関はレジスタンス対策のため、特殊部隊を組織した。「ジェドバラ」だ。フランスでの作戦が一段落すると、隊員の多くは東南アジアへ移動して日本軍と戦う。

 大戦が終了するとジェドバラは解体されるが、人脈は消えない。一部は軍の特殊部隊になり、一部は極秘の破壊工作部隊OPCになる。この極秘機関は1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレス副長官としてCIAへ乗り込んできた。このOPC人脈が中心になり、破壊工作を担当する計画局が設置された。1970年代に計画局の存在が議会の調査で明らかにされると、名称を作戦局へ変更、2005年10月にはNCS(国家秘密局)になり、15年3月には再び作戦局へ名称を変更する。

 大戦後、要米諸国は植民地の再支配を目論み、アメリカやイギリスは中国をコミュニストの手から取り戻し、ソ連を殲滅する作戦を始動させる。フランスはベトナムで戦争を始めた。

 しかし、ベトナムでフランス軍は1954年5月にディエンビエンフーで敗北、その直前の54年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてアレン・ダレスが率いるCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。この段階でアメリカの「ベトナム戦争」は始まっている。この軍事介入を終わらせようとしたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。

 CIAは特殊部隊と手を組み、1964年2月から北ベトナムに対する破壊工作をスタートさせる。そして同年8月にトンキン湾事件を引き起こして本格的な軍事介入を開始、67年から住民を皆殺しにする「フェニックス・プログラム」を始動させた。抵抗の基盤になる共同体の破壊が目的だったとも言われている。

 1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落で、ウィリアム・カリー大尉が率いる小隊が住民を虐殺した。アメリカ軍によると犠牲者の数はミライ地区だけで347名、ベトナム側の主張ではミライ地区とミケ地区を合わせて504名だという。この虐殺はフェニックス・プログラムの一環だった。

 カリー大尉の小隊は第23歩兵師団に所属していたが、この師団に後の国務長官もいた。コリン・パウエルだ。1968年7月に少佐としてベトナム入りしているが、2004年5月にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、その師団がソンミ村で住民を虐殺したことを認め、自分も現場へ入ったと語っている。パウエルは「上官が聞きたくない情報」をもみ消すことが役目だったという。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108310000/  

22. 中川隆[-16378] koaQ7Jey 2021年9月14日 07:25:02 : meoR52NmVY : RnhYRDEzN2NDbjI=[5] 報告
反ユダヤ主義新聞を発行、強烈な反ユダヤ報道を行ないドイツ人全員を反ユダヤにしたユリウス・シュトライヒャー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1061.html
23. 2021年11月13日 12:56:18 : JeKi1x7FcA : cVd0eXdEZEVEL1E=[16] 報告
囚人を並ばせ目の前で脱ぐ。興奮したら最後....史上最悪の女看守イルゼ・コッホの人生
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1063.html
24. 2022年2月10日 21:21:01 : ZtijSkYdH2 : THNRZ3A0MEZlTEU=[25] 報告
ヒトラーはどんな政治家だったか 橋下徹や維新の会の手法と似ているか?
2022年2月10日
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/22720


 立憲民主党の菅直人元首相が「(橋下徹氏は)弁舌の巧みさでは、第一次大戦後にドイツで政権をとった当時のヒトラーを思い起こす」といったことに日本維新の会がかみつき、謝罪と撤回を求めていることが物議を醸している。だが、こうした発言は今回がはじめてではなく、故・石原慎太郎が「彼(橋下徹)の演説のうまさは若いときのヒトラーですよ」といったこともあった。では、ここで俎上にあがるヒトラーとはいったいどんな政治家だったのか。それについて改めて調べてみた。


演説するヒトラー(1934年)

 アドルフ・ヒトラーが、ドイツ労働者党を通称ナチス(正式名称・国家社会主義ドイツ労働者党)に改称したのは1920年のことだ。当初は地方の泡沫政党だったが、彼らが仕掛けたクーデター、ミュンヘン一揆が失敗した後の1925年には武装闘争から合法的政党活動に転換し、全国進出をめざす。1928年の総選挙で18万票を得て12議席を獲得したところから、世界大恐慌を経た1932年7月の総選挙では1375万票、230議席を獲得して第一党(総議席608)になり、翌1933年1月、ヒトラーは首相に任命された。

 ヒトラーがナチスを結成した時期は、第一次大戦が終わり、戦勝国がヴェルサイユ講和条約で過酷な条件を敗戦国ドイツに押しつけ、ドイツ国内が騒然となっていた時期だ。旧帝国領土の約13%と約700万人の人口を奪われ、再軍備は禁止。そのうえフランスが42年間にわたり総額2260億マルクという天文学的数字の賠償金支払いをドイツに命じた。

 ドイツでは失業者が増え、農民は外国農産物の輸入に苦しんだ。そのうえハイパーインフレに見舞われ、最終的に卵一個が100万マルクにもなった。国民のやり場のない怒りは、この条約を受け入れた社会民主党を中心とするワイマール共和国政府に向かった。当時、各政党は離合集散をくり返し、内閣は半年も持たず、何一つ決められなかった。人々のなかで既成政党への幻滅が広がっていた。

 そのとき、まるで貧困層の救世主のような装いで登場したのがヒトラーだった。ヒトラーの最大の武器は言葉巧みな演説で、農民や労働者、商売人の苦境を訴え、敵はユダヤ人、共産主義者、そしてワイマール共和国の政治家だと名指しした。

 ドイツ近現代史の研究者によれば、ヒトラーは世相をよく読み、人々が無言のうちに求めていることを正確に見てとって、演説という言葉芸で人々の支持をとりつけ、誘導することに長けていた。ヒトラーは何百何千の聴衆を前に、既成政党がいわないヴェルサイユ条約の無法を訴え、「全ドイツ人に職とパンを」「金権貴族を征伐せよ」といった短いフレーズで人々の情緒的感性をくすぐった。とくに「負け犬の滅亡か、誇りある未来か」と単純化して二者択一を迫るやり方をとり、それをくり返し訴え続けること、断固とした口調で一刀両断に断定すること、が彼の政治的プロパガンダの基本的原理だった。

 ヒトラーが主催する集会では、共産党や社会民主党といった左派の政敵を挑発してその場に引き入れ、集会を公開論戦の場とし、衆人環視のもとで相手を徹底的に罵倒し、おとしめることを常套手段にしていたという。今でいう「劇場型政治」である。集会は乱闘騒ぎになって中断したり、警察が介入したりする事件が頻発したが、ヒトラーは騒ぎになって新聞に載り、世間の注目を集める方がよいと考えていた。

批判者は徹底的に粛清 新聞は発行禁止に

 ヒトラーはまた、民意を尊重していると装うことに努めた。ヒトラーは独裁制を非難されるたびに、それが民主的手続きのもとに合法的に生まれたと力説した。だが、ヒトラーは議論をして多数決で何かを決めるという民主主義を嫌悪し、ワイマール共和国の議会制民主主義に終止符を打つことをめざした。

 ナチスは失業青年を集めて演説会の護衛集団・突撃隊(SA)を組織した。SAは次第に議会政治の外側で活動する武装組織となり、労働組合や左翼政党の集会を襲撃して政敵を混乱に陥れた。

 ナチスが政権をとった1933年3月の総選挙は、もはや自由な選挙ではなかった。ナチスのゲッベルス率いる情報宣伝省が政権与党の猛烈なプロパガンダをおこなう一方、他の政党の機関紙は様々な理由で発行停止にしたり、SAのデモ隊が彼らの印刷所を破壊したりしたからだ。

 そのなかでこの年、南ドイツのメスキルヒ市で起こった事件は、ヒトラーの性根をあらわしている。この町の地方紙『ホイベルク民衆新聞』が、「ナチスは、不平不満をかこち猟官運動をする連中の煽動者」という記事を載せ、ヒトラーを当時ドイツを騒がせていた連続殺人犯になぞらえた。するとヒトラーは、ひそかに警察とはかって報復に出た。編集長を検束し、新聞を発行禁止にしたのだ。そしてその後、ナチスは「大掃除」と称して市の幹部職員を様々な理由で追い出し、古参党員から順にポストをあてがった。多くのドイツの都市で同じことがやられたという。

 ヒトラー運動の聖典とされる『我が闘争』も、その重要な柱が「強者は必ず弱者に勝利する」「議会主義は無責任体制を意味し、民族を代表する一人の指導者の人格的責任において万事が決定されるべき」「民族共同体が拒絶すべきすべてのことがら(民主主義、議会主義、平和主義、マルクス主義など)にユダヤ人が関係している」などとなっていると研究者は指摘する。ヒトラーは首相になったら歳費は受けとらないと「身を切る改革」を表明したが、『我が闘争』はそれが不要なほど巨額の印税収入をもたらした。


ドイツ国会議事堂炎上事件(1933年2月27日)

 3月総選挙が終盤にさしかかった2月27日夜、ベルリンの国会議事堂が何者かの手で炎上した。ヒトラー内閣はただちにこれを共産党による国家転覆の陰謀だと決めつけ、「国民と国家を防衛する」といって非常事態宣言・大統領緊急令を発した。共産党の活動は禁止され、数千人の左翼の活動家が投獄された。また、言論・集会・結社の自由や住居の不可侵など、ワイマール憲法が定めた基本的人権の保障が停止された。

 続いて総選挙後の3月23日、ヒトラーは国会議員の3分の2の賛成で授権法を成立させた。授権法は、首相が国会審議を経ずにあらゆる法律(憲法に反する法律を含む)をつくることができると定めた。これによって三権分立の原則は廃止され、国会の機能は消滅した。その後、次々につくられたナチ法によって地方分権の否定、ナチス以外の政党の禁止、労働組合の解体がおこなわれ、ヒトラーは独裁的な権限を持つ総統となってヨーロッパ各国への侵略戦争、ユダヤ人の大量虐殺へと進むことになる。

 2013年に副総理だった麻生太郎は、日本の憲法「改正」論議に関連して「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」といったが、それはこの辺りのことを指す。

背後で支えたのは財界 ヒトラーに巨額献金

 問題は、誰がヒトラーにカネを出して支えたのか、である。それはドイツの財界で、財界はヒトラーに巨額の政治献金をおこない、「ヒトラー首相」を求める請願書を大統領ヒンデンブルクに届けたりした。

 帝政復古を主張する国家人民党の党首・フーゲンベルクはドイツメディアを支配するコンツェルンの総裁で、早くからヒトラーとナチスを支援した。ヒトラーが首相になると財界幹部25人が会談を持ち、国防軍の復活や反共産主義で一致。製鉄最大手のクルップが300万マルクの選挙運動資金を約束したことが記録に残っている。つまりドイツの財界が、危機の時代にヒトラーのような政治家を求めたということであり、ヒトラーはその代理人だった。またアメリカが第二次大戦に参戦するまではフォード、GM、デュポン、IBMなど米国大資本も積極的にナチスに出資、支援した。

 さて、このヒトラーを痛烈に皮肉り、笑い飛ばしたのが、チャップリンの『独裁者』だった。『独裁者』は第二次大戦が始まったばかりの1940年10月にアメリカで上映が始まった。撮影と上映はさまざまな妨害を受けたが、観客は「毎回、耳が聞こえなくなるほどの拍手」をし、前年の『風と共に去りぬ』を上回る大ヒットとなった。その後、ヨーロッパや南米など世界各国で上映された。ヒトラーは製作と上映を中止に追い込もうとあらゆる手を尽くしたが、『独裁者』は1941年2月末の時点で世界中の3000万人が観劇し、拍手喝采を送ったという。チャップリンとヒトラーとのたたかいは喜劇王の圧勝に終わった。

 橋下徹や維新の会の政治手法がヒトラーに似ているかそうでないかは、読者のみなさんの判断に委ねたい。

https://www.chosyu-journal.jp/shakai/22720

25. 中川隆[-13310] koaQ7Jey 2022年4月14日 03:10:19 : AYYizAdVIY : Qm9wcDQueGs1Y3c=[6] 報告
【ユダヤから紐解くロシア・ウクライナの歴史D】ナチズムとは何か|茂木誠
2022/04/12

26. 2022年4月24日 02:38:13 : iETXt650tQ : QTJoQ3BhaG1MdW8=[1] 報告
米英金融資本とナチスの緊密な関係
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1573.html
27. 2023年2月08日 21:41:32 : F1HK90DybM : VWlDZS85U0dRN2s=[2] 報告
2023年02月07日
スターリンを復活させるロシア、毛沢東神格化の中国

旧ソ連にあった最大のスターリン像

画像引用:https://russiainphoto.ru/photos/70229/


スターリンの威光にすがるプーチン

1991年のソ連崩壊時に赤の広場辺りにあったレーニンとスターリンの像が民衆によって倒される映像が民主化と象徴として世界で放送されました

ソ連各地にレーニン像は数万体、スターリンは数千体存在し多くは撤去されたが一部は「変な観光地」扱いで残されていた

ロシア南部の都市ボルゴグラードはソ連時代にはスターリングラードという地名で、ドイツ軍がここを包囲したがソ連軍は守り抜いてドイツ惨敗のきっかけになった


ソ連の”聖地”だった都市ですがプーチン大統領のロシアは再びスターリンえを必要とするらしく、戦勝80周年に合わせて新しい胸像を作った

独ソ戦終戦をソ連は降伏文書に署名した1945年5月9日、欧州の西側諸国はヒトラーがなくなった5月8日とし、アメリカはまだ日米戦争が続いていたのであまり重視していない

大戦前のソ連は欧州諸国から敵とみなされていたがドイツのソ連侵攻によって戦友になり、ソ連は今日のウクライナのような軍事支援を受ける事が出来た

ソ連の有名なTー34戦車は1939年12月に正式採用されていたので、ソ連は欧米の支援を受ける前から一部の技術や産業では既にかなりの水準に達していたのが分かる

ヒトラーは一体何を考えたのか中立を守っていたソ連に侵攻し、英仏についでソ連とも同時に戦闘を始め内陸の奥深く侵入していった

ソ連の戦い方は敵を奥深く侵入させ補給を困難にし包囲し叩くもので、おびき寄せるためにスターリングラード(偉大なスターリン)という都市を利用した


この街には軍事的にも産業としても何の価値もなかったが、疑似餌に食いつく魚のようにドイツ軍は飛びついてきた

スターリングラードは当時としては珍しいコンクリート製の建物が多く、砲撃で瓦礫になっても要塞として機能した

ドイツ軍はヒトラーの命令によって何の価値もないこの街を半年以上包囲し、時間と資源を浪費して惨敗し全滅した


過去の独裁者の威光にすがるプーチンと習近平

ロシアは今ウクライナに侵攻して劣勢であり恐らくドイツ軍のように惨敗するが、プーチンは度々独ソ戦の例を出して愛国心を鼓舞している

プーチンは「祖国を守る」という言葉が好きで兵士を愛国の英雄と言っているが、実際にやっているのは嫌がる人をウクライナに連れていき突撃を繰り返しているだけです

兵士や国民の間でプーチンや政府への不満が高まっているがプーチンはこれを抑え込み、英雄とか愛国という装飾品で飾り付けている


プーチンが政権を握った2000年以降ロシアではスターリンの復権が進められていて、折しも習近平の中国でも毛沢東復権が進められている

最近中国で印象に残ったのはあの”少林寺”で仏教を連想させるものが排除され、頭上には毛沢東と習近平の肖像画がかけられていました

中国ではあらゆる宗教が禁止されているが習近平になってから少林寺の黄色い僧服が禁止され、ただの体操着に変更された

寺なのに教義を説いたり仏教の教えを説くのも禁止されていて、第一今の少林寺には僧侶がおらず小坊主や修行中の僧侶もいない

だから中国人観光客は日本の寺に僧侶が居るのを見て、「寺に僧侶が居る」と驚くことになります

習近平政権で中国全土の寺で従来は認められていた仏像すべてが破壊され、代わりに毛沢東の肖像画などが掲げられた


習近平もまたプーチンがスターリンの威光にすがるように毛沢東の威光を必要としていて、「共産主義がコロナを防いだ」のようなフィクションを続けている
https://www.thutmosev.com/archives/89963670.html

28. 保守や右翼には馬鹿し[62] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年3月14日 05:06:04 : vEA56hJs9E : bmllcnkvNU5mcWM=[1] 報告
スターリングラードの戦いはドイツが1941年6月に始めたソ連に対する侵略戦争のひとつの結果。この作戦にアドルフ・ヒトラー政権は300万人以上を投入、西部戦線に残ったのは90万人だけだと言われている。西側からの攻撃を想定しているとは思えない作戦を命じたのはヒトラーだ。

 7月にドイツ軍はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫る。10月3日にヒトラーはソ連軍が敗北するという見通しを口にした。同じ頃、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測している。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ドイツ軍はレニングラードを制圧できず、1942年1月にモスクワでソ連軍に降伏した。スターリングラード市内へ突入したのは8月になってからだ。つまりスターリングラードで戦況が逆転したわけではない。11月にソ連軍が猛攻撃を開始、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、1943年1月に降伏した。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202303140000/

29. 保守や右翼には馬鹿し[248] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年6月22日 07:37:09 : QhgDqo75M2 : UlRZa2wzL3V1R2M=[1] 報告
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2023.06.22XML
中露を壊滅させようとルビコンを渡ったバイデン政権は賭けに負け、窮地に陥った
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202306220000/

 82年前の6月22日にドイツはソ連に対する軍事侵攻を始めた。「バルバロッサ作戦」である。

 EUではエリート層がアメリカ支配層に従属し、ウクライナを舞台にしたロシアとの戦争に参加する一方、庶民はその戦争に反対し始めている。フランスではエマニュエル・マクロン政権への批判が高まる一方、マリーヌ・ル・ペンが率いる「国民連合」を支持する人が増え、マクロンからル・ペンへの政権交代を望む人が41%に及ぶという。

 ​ドイツでもロシアとの戦争に反対する人は多い​のだが、ロシアを敵視しない者は弾圧され、犯罪者として扱われている。今年1月にはハインリヒ・ビュッカーが公然とウクライナにおけるドイツの戦争政策に反対したとして有罪になった。この人物は反ファシスト協会(VVN-BdA)や左翼党のメンバーだ。

 こうした政府による反戦活動取締りの中、多くの人は慎重に発言していたが、今年1月25日にオラフ・ショルツ首相がドイツの「レオパルト2」戦車をウクライナに送ると決定した。その決定を後押しするため、イギリスは自国の主力戦車である「チャレンジャー2」と劣化ウラン弾の提供を決め、アメリカも主力戦車「M1エイブラムズ」を渡すと決めた。

 西側には「無敵の戦車」が投入されると喜んだ人もいるらしいが、現在の戦闘では航空兵力の支援なしに戦車を戦場に投入すれば無惨なことになる。昨年春の段階でウクライナ軍には航空兵力はないに等しく、そうした状態でロシア軍に向かわせれば壊滅的な結果が待つ。

 実際、今月に入って始められた「反転攻勢」ではそうした展開になった。この作戦で戦死したウクライナ兵は15万人から25万人だとも推測されている。航空兵力の支援を受けられない「戦艦大和」で戦況を一変させることはできない。すぐにでも10万人程度を兵士としてあるめる必要があるとする人もいる。

 新たな部隊を前線へ送らなければならない状況のため、ジョー・バイデン政権は6月12日から23日まで実施されているNATOの軍事演習「エア・ディフェンダー23」を利用するのではないかと懸念されていたが、バイデン政権のためにロシアと戦争する覚悟ができているNATO加盟国は多くないだろう。

 ロシアからドイツへ天然ガスを運んでいたノード・ストリーム1やノードストリーム2の破壊、クリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋(ケルチ橋)の爆破、ノヴァ・カホウカ・ダムの破壊などのような破壊工作を実施、「ロシアがやった」とメディアに宣伝させることも考えられる。原子力発電所を破壊し、アメリカ/NATO軍を前面に出してくるというシナリオもある。バイデン政権が抱えるスキャンダルや来年の大統領選挙を消し去るためには思い切ったことを行うしかない。例えば2001年9月11日の攻撃のような出来事だ。

 NATOの初代事務総長でウィンストン・チャーチルの側近だったヘイスティング・ライオネル・イスメイはNATOを創設した目的について、ソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえ込むことのあると公言していた。ソ連が消滅した現在、締め出す対象はロシアだ。

 米英を支配する私的権力はドイツを押さえ込む仕掛けをドイツ国内にも作った。アメリカは各国の情報機関、治安機関、軍、メディア、労働組合、アカデミーなどへネットワークを広げていく。これは日本でも当てはまる。

 ドイツの場合、ナチスはウォール街やシティ、つまり米英金融資本をスポンサーにしていた。したがってウォール街の弁護士だったアレン・ダレスはナチスの幹部ともつながっている。

 ドイツは1941年6月22日に対ソ連戦を始めた。いわゆる「バルバロッサ作戦」だ。アドルフ・ヒトラーの命令でこの作戦に戦力の4分の3を投入した。西から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ソ連はドイツとの戦争で2000万人とも3000万人とも言われる国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態で、西ヨーロッパに攻め込む余力があったとは思えない。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたが、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するものの、ここでもソ連軍に敗北。そして1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。このバルバロッサ作戦にフィンランドはドイツ側について戦っている。

 この段階でSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣。1944になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触した。ウィズナーもダレスと同じようにウォール街の弁護士。

 ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織、後にヒトラーの第一後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングも含まれる。ウォール街人脈はゲーリングを戦犯リストから外そうとしたのだが、ニュルンベルク裁判で検察官を務めたロバート・ジャクソンに拒否された。ゲーリングはニュルンベルクの国際軍事裁判で絞首刑が言い渡されたが、処刑の前夜、何者かに渡された青酸カリウムを飲んで自殺している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 バルバロッサ作戦の1年前、1940年5月下旬から6月上旬にかけてイギリス軍とフランス軍34万人がフランスの港町ダンケルクから撤退しているが、その際、アドルフ・ヒトラーは追撃していたドイツ機甲部隊に進撃を停止するように命じている。そのまま進めばドイツ軍が英仏軍より早くダンケルクへ到達することは明らかだった。この停止命令はゲーリングのアドバイスによるとも言われている。

 ドイツ軍は1940年9月7日から41年5月11日にかけてロンドンを空襲したが、この攻撃は東への侵攻作戦を隠し、ソ連側の警戒を緩和させることにあったとする見方もある。空爆が終わる前日、つまり5月10日、ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスは単身飛行機でスコットランドへ飛び、パラシュートで降りたとされている。無線通信を避けなければならない重要な情報を伝えるためだったという推測もあるが、真相は不明だ。

 チャーチルの思惑とは違い、ドイツはスターリングラードでソ連に負けた。慌てたイギリスはアメリカと上陸作戦を実行、レジスタンス対策のゲリラ戦部隊ジェドバラも創設する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルト米大統領はチャーチルにとって邪魔な存在だったが、1945年4月12日に急死、帝国主義者のハリー・トルーマン副大統領が昇格した。

 その翌月にドイツは降伏、それを受けてチャーチルはソ連に対する奇襲攻撃プランの作成を命令。作成された作戦は、1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めることになっていた。これが実行されなかったのはイギリスの参謀本部は拒否したからだという。

 一方、ゲーレンはドイツが降伏した直後、アメリカ陸軍のCIC(対敵諜報部隊)に投降、携えていたマイクロフィルムには東方外国軍課に保管されていたソ連関連の資料が収められていた。

 尋問したCICのジョン・ボコー大尉はゲーレンたちを保護するが、その後ろ盾はアメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将と連合国軍総司令部で参謀長を務めていたウォルター・ベデル・スミス中将だ。サイバートとスミスはドイツに新たな情報機関創設を1946年7月に決めた。

 ゲーレンの機関は1949年7月からCIAの監督下に入り、資金の提供を受け流ようになる。1954年に作成された秘密メモによると、ゲーレン機関の少なくとも13パーセントは筋金入りのナチスだった。この機関は1956年4月から西ドイツの国家機関、BND(連邦情報局)になる。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 日本の天皇制官僚体制と同じように、ナチスは米英金融資本を後ろ盾にしていた。大戦後にアメリカの支配層がナチスの幹部を助けたのは必然だ。

 ジェドバラの人脈は大戦後、極秘の破壊工作機関OPCや特殊部隊の基盤になった。OPCは1951年にCIAへ入り込み、破壊工作部門の中核になる。

 ヨーロッパでもジェドバラの人脈が秘密部隊を組織、NATOが創設されるとその中へ潜り込んだ。その秘密部隊は全てのNATO加盟国に設置され、1951年からCPC(秘密計画委員会)が指揮するようになる。その下部機関として1957年に創設されたのがACC(連合軍秘密委員会)だ。各国の秘密部隊には固有の名称が付けられているが、中でも有名なものは1960年代から80年代にかけ、イタリアで極左を装った爆弾テロを繰り返し、クーデターも試みたグラディオだ。

 この問題を研究しているダニエレ・ガンサーによると、NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要があり、NATOの元情報将校によると、「右翼過激派を守る」ことが秘密の議定書によって義務づけられている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)

 こうした仕組みでヨーロッパはアメリカやイギリスの情報機関に支配されてきた。ショルツ首相がアメリカ政府に従っているだけにしか見えない理由はそこにあるのだろう。

 ドイツにはシュルツよりアメリカへの従属度が高い閣僚がいる。緑の党のアンナレーナ・バーボック・ドイツ外相。国際会議でEUは「ロシアと戦争をしている」と口にした人物だ。バイデン政権に従属することで自分がドイツの支配者だと勘違いしたのかもしれないが、彼女の発言はドイツ人を刺激した。アメリカや緑の党デモがドイツ全土に広がり、2月25日には約5万人がベルリンの「平和のための蜂起」に集まったという。

 ウクライナの内戦は2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権がネオ・ナチを利用して実行したクーデターから始まる。クーデター政権と反クーデター派住民の戦いだ。当初、反クーデター派が優勢だったため、ドイツとフランスはミンスク合意で時間稼ぎした。

 このクーデターの目的はドイツとロシアを分断することにある。ドイツから安いエネルギー資源の供給源を断ち、ロシアからマーケットを奪うということだ。「経済制裁」のターゲットもドイツを含むEUとロシアだったが、ロシアは準備していたことからダメージは少なかった。それに対し、ドイツなどEUは深刻なダメージを受け、経済的苦境に陥っている。

 すでにウラジミル・プーチン露大統領はアメリカ/NATOが約束を守らないと悟り、話し合いで問題を解決できないと腹を括ったようだ。つまり「脅せば屈する」というネオコンの信仰は崩れた。そこで中国に近づき、「ひとつの中国」を支持するとアントニー・ブリンケン国務長官は中国側に語ったようだ。

 アメリカと中国の関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高める切っ掛けになったナンシー・ペロシ米下院議長(当時)の台湾訪問が軍事的な挑発をブリンケンはどのように釈明するつもりなのだろうか。アメリカに従属することで台湾独立を実現しようとしてきた蔡英文総統の立つ瀬がない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202306220000/

30. 2023年7月13日 02:24:25 : O5e20PrBAO : VjhxS3BNWEE5V28=[1] 報告
アウシュヴィッツ探訪記
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14128816
31. 2023年8月06日 07:15:46 : Uj7exv5Jj7 : V2kwb3paQWV3M2s=[1] 報告
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雑記帳
2023年08月05日
小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
https://sicambre.seesaa.net/article/202308article_5.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E8%A8%BC-%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%89%AF%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-1080-%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%AF%BA/dp/4002710807


 岩波ブックレットの一冊として、岩波書店より2023年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、インターネットの日本語環境(詳しく調べていませんが、本書冒頭で取り上げられている事例から推測すると、多分多くの他の言語環境でも)では珍しくない、ナチスは「良いこと」もした、というさまざまな主張を具体的に検証します。この問題について詳しく調べているわけではないので断定できませんが、インターネットにせよ映像・音声媒体にせよ紙媒体にせよ、日本語環境で主張されている、ナチスは「良いこと」もした、という主張はほぼ網羅されているのではないか、と思います。その意味で、本書の意義はたいへん大きいでしょう。

 本書冒頭では、善悪を持ち込まず、どのような時代にも適用できる無色透明な尺度によって、あたかも「神」の視点から超越的に叙述することは歴史学使命ではなく、そもそも不可能であり、人間には「色があること」を認めたうえで、相互検証により誤りや偏りを正していかねばならない、と指摘されており、これはひじょうに重要な視点だと思います。歴史認識をめぐる問題において、「事実」と「解釈」と「意見」の三層構造で検討する必要性を提示していることも、重要になってくるでしょう。

 まず本書はナチズムについて基本的な事項を解説し、その後で、ナチスは「良いこと」もした、というさまざまな主張を具体的に検証していきます。ナチズムの日本語訳は、「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」が妥当だと指摘されており、その理由はまず、「国家社会主義」が「国家主導の社会主義体制」というナチズムとは別の意味になるからです。次の理由として、ナチズムは国家ではなく国民と民族を優先する思想だったことが挙げられています。1990年代以降の研究では、ヒトラーや支配層だけではなく、「普通の」国民による同意や協力や支持や黙認が注目されるようになったそうです。

 ナチズムの理解で重要な概念となる「民族共同体」では、ユダヤ人やロマや同性愛者や障害者が排除されており(社会的地位や資産などの収奪も伴います)、ヒトラー政権での、一見「良いこと」と思えるさまざまな社会福祉政策にしても、「民族共同体」のみが対象だったわけです。本書は、この包摂と排除こそがナチ体制の本質だった、と指摘します。これと関連して、ナチズムは「社会主義」を掲げているものの、民族や人種に究極的な価値を置いており、マルクス主義の階級闘争や国際主義といった概念には反対していた、と本書は指摘します。本書は、スターリン体制とナチ体制を同一視する「全体主義論」に限界があることを指摘します。もちろん、ソ連や中国など現実の社会主義政権はマルクス主義を忠実に実行したわけではなく、その民族主義的傾向はナチ体制と通ずると言えなくないかもしれませんが、安易に同一視すれば、ナチ体制にしてもソ連や中国など現実の社会主義政権にしても、重要な側面を見落としてしまう危険性があるとは思います。

 ヒトラーの権力掌握過程については、「民主的に選ばれた」とか「選挙で勝った」とかいった評価がかなり単純化されたもので、ヒトラーの首相就任時点でナチ党と保守政党との連立でも国会議席数で過半数を超えることはなく、保守勢力と提携して大統領により首相指名を受けたことが指摘されています。本書は、ヒトラーの首相就任前年となる1932年7月の国会選挙で、ナチ党は確かに得票率37.4%で第一党になったものの、共産党も得票率14.6%で、反議会勢力が過半数を占めることになり、国会は麻痺状態に陥っていた、と指摘します。当時、大統領大権に基づいて首相が指名され、議会に拘束されない政権が続いていましたが、ヒトラーの首相就任前の各内閣が短期間で政権運営に行き詰まり、ヒトラーを首班とする右派連立政権だけが、ほぼ唯一の選択肢になっていた、と本書は指摘します。首相就任後、ヒトラーは暴力や「全権委任法」などにより政権を強固なものとしていき、ヒトラーの権力掌握は民主主義の自己破壊を本質としていた、と本書は評価します。ただ、ヒトラーの権力掌握が一定以上の民意を背景にしていたとは言えるかもしれないとしても、ドイツ国民の大多数がナチ党による一党独裁を望んでいたわけではなく、ヴァイマール憲法の制度上の脆弱性を突き、暴力の使用により政権を強固なものとしていったことから、「ヒトラーは民主的に選ばれた」という主張が、ヒトラーの暴力性を覆い隠すものになることも、本書は指摘します。

 ヒトラー政権下の景気回復は、ナチスの「良いこと」としてよく挙げられ、じっさいに失業者が急減したことは確かですが、ヒトラー政権以前にドイツ経済が景気の底を脱していたことや、労働奉仕制により若年労働力の供給を減らしたことや、結婚奨励策で女性の離職を促したことや、世界恐慌以降に賃金が低く抑えられていたことなどが要因として挙げられています。ヒトラー政権下の「景気回復」は、青少年や女性や労働者の犠牲の上に成り立っていた、というわけです。また本書は、アウトバーン建設や雇用創出政策が景気回復において果たした役割は副次的で、軍備拡張こそ決定的だった、と指摘します。ヒトラー政権の経済政策は短期的には優れているように見えたものの、過剰な財政支出に基づく軍需経済に大きく依存しており、戦勝による領土もしくは勢力圏拡大がなければ破綻していただろう、というわけです。労働者の福利厚生措置もナチスの「良いこと」としてよく挙げられますが、統制強化に対する労働者の不満を埋め合わせるので、「民族共同体」の一員と認められた労働者のみが対象だったことを本書は指摘します。また本書は、ヒトラー政権下における労働者の生活改善策は、約束倒れか部分的実現に留まり、消費生活水準の向上にも社会的格差の解消にもほとんど寄与せず、それは軍需生産が優先されたからだ、と評価しています。

 経済政策や福利厚生措置ほどではないとしても、ナチスの「良いこと」として挙げられることが多いのは環境保護や動物保護ですが、本書は、ナチスの環境保護が「民族共同体」の保護と一体ものもので、動物保護政策の中核である屠殺の規制は露骨な反ユダヤ主義だった、と指摘します。また本書は、ヒトラー政権下での環境保護は戦争準備が加速する中で蔑ろにされがちであり、1936〜1945年にかけてドイツでは保護林が14%減少し、大学での動物実験も事実上容認された、と指摘します。さらに本書は、戦争こそ「究極の自然破壊」であり、第二次世界大戦を引き起こして環境面でも多大な損害を与えたナチ体制の環境政策から一部を抽出し、「良いこと」と評価するのにどれだけの意味があるのか、と疑問を呈します。

 禁酒や禁煙や癌撲滅運動もナチスの「良いこと」として挙げられますが、これは、ドイツ国民は「民族共同体」の一員であるべきで、そこから外れる人々は排除の対象になることと表裏一体で、「アルコール中毒患者」と診断された人々は「断種」され、癌の研究では強制収容所の囚人が人体実験の対象とされ、死亡した囚人もいました。さらに本書は、ヒトラー政権初期にアルコール消費量は減少したものの、これは世界恐慌による景気低迷のためで、経済が回復すると消費量は増加に転じ、煙草の消費量はヒトラー政権の前の1930年から増加し、物資が不足した1942年まで上昇し続けた、と指摘します。ヒトラー政権でも禁酒と禁煙が徹底されなかったのは、酒と煙草が重要な収入源だったからだ、と本書は指摘します。


 以上、本書をざっと見てきました。ナチス関連本を多少読んできたので、本書の見解は全体的に意外ではなかったものの、通俗的に言われるナチスの「良いこと」が網羅的に取り上げられ、その歴史的背景と意図と結果が解説されており、たいへん有益でした。正直なところ本書が、ナチスは「良いこと」もした、と主張する人々にどこまで届くのか分かりませんが、一定以上の好影響があるのではないか、と楽観したいものです。ナチスに限らずさまざまな分野で、本書のように通俗的な見解の問題を指摘する入手しやすい一般向け書籍は必要なのでしょうが、個人的な理想論で言えば、これは研究者が直接的に取り組むのではなく、報道機関も含めて大衆媒体が直接的にやるべきではないか、と以前から考えています。

 本書を読んで改めて思ったのは、ナチ体制は「民族共同体」の「発展」を至上目的としたものの、第一次世界大戦で生活水準の低下からの国民の不満により最終的に敗戦に追い込まれたことから、軍拡に特化せず経済および国民の生活水準の維持・発展にも注力することになり、それは事実上、戦勝での領土もしくは勢力圏の拡大でしか達成することのできない、「民族共同体」以外の人々にとって本質的に侵略的・略奪的なものであり、持続可能性はきわめて低かった、ということです。これは、「民族共同体」に含まれない人々には残酷な処置を厭わないことと表裏一体で、しかも、第2章で取り上げられているように、祖母がユダヤ人でも場合によっては政権獲得後のヒトラーとの「交流」が許されていたことから窺えるように、「民族共同体」の構成員の認定にもかなり恣意的なところがあったのではないか、と思います。こうした有力者の都合により認定が決まる「民族共同体」の「発展」と「利益」を至上命題とした体制の一部の政策を、「良いこと」と評価するのが妥当なのか、はなはだ疑問が残ります。確かに、「民族共同体」の一定以上の割合の構成員にとって、ナチ体制は「利益」をもたらしたとは言えるでしょうが、それは長期持続性のないものであり、何よりも収奪から殺害に至るまで「悪いこと」を前提とした場合もはなはだ多かったように思います。

 一方で、長期持続性との観点では、現代社会、さらにさかのぼって産業革命以降、あるいはもっとさかのぼって農耕牧畜開始以降の社会も、結局のところ長期持続的とは言えないだろう、との疑問もあるかもしれません。また、人間社会にはゼロサムゲーム的な側面が多分にあり、個人から会社や国家に至る組織まで、豊かな人々や組織の繁栄が貧しい人々や組織からの収奪に依拠している側面は否定できないように思います。その意味で、現代社会にナチ体制的な側面を認めて断罪することも、一つの見識かもしれません。ただ、それはやはり極論と言うべきで、人間社会において程度問題はきわめて重要であり、ナチ体制とさまざまな社会・体制がどの程度似ているのか、あるいは異なるのか検証し、必要ならば断罪しつつ改善していくしかないのでしょう。もちろん、その判断は時代の制約を受けるので、現代の判断が百年後どころか十年後には糾弾されている可能性も低くはありませんが、人間社会はそうしたものと受け止めて、極論に偏らず地道に生きていくことが重要なのだと思います。
https://sicambre.seesaa.net/article/202308article_5.html

32. 中川隆[-12372] koaQ7Jey 2023年8月21日 04:16:27 : rjC2qFrDi2 : VTZxczJodUJEQ1k=[2] 報告
Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142315
33. 中川隆[-12366] koaQ7Jey 2023年8月23日 07:26:36 : VTiC2s3NyY : MWZqS0RYUW9FTzY=[2] 報告
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レジスタンスとは?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14143033


西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

米英金融資本とナチスの緊密な関係
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1573.html

米国の資本家はスターリンを倒す為にヒトラーを支援した
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1245.html

ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済 の事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14125646

ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

共産主義者のルーズベルトは意図的に東欧をソ連に支配させた
アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/963.html

共産主義者のルーズベルトは意図的に北方領土をソ連に支配させた
2019.01.21 旧ソ連の北方領土占領、米国が軍事支援していた…歴史の定説を覆す発見文=粟野仁雄/ジャーナリスト
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26352.html

戦前の日本陸軍軍人は共産主義者ばかりだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016765

太平洋戦争は共産革命を恐れた昭和天皇が英米支配層と組んで起こした八百長戦争だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016737

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA    

34. 中川隆[-12325] koaQ7Jey 2023年9月27日 07:57:22 : MZ6IYfKy7Y : VEE4ZTBwMlk5TTI=[7] 報告
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2023.09.27XML
加議会で議員とウ大統領が元ナチス親衛隊兵士にスタンディング・オベーション
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309270000/

 カナダのアンソニー・ロタ下院議長は9月22日、議会にウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領のほか、ヤロスラフ・フンカなる人物を招待していた。下院議長はフンカを「ウクライナの英雄、カナダの英雄」と呼んで功績に称え、議場にいたゼレンスキーを含む人びとは一斉に立ち上がり、拍手するのだが、その光景を見て抗議の声を上げる人が現れた。

 フンカは第2次世界大戦中、ソ連軍と戦ったとロカ議長は讃えているのだが、彼の所属部隊は第1ウクライナ師団(親衛隊ガリシア師団)、つまりナチスのSS(武装親衛隊)だったのだ。この師団は1943年半ばにハインリヒ・ヒムラーが8万人のウクライナ人志願者で編成したという。この師団はユダヤ人、ポーランド人、ベラルーシ人、スロバキア人に対する残虐行為でも知られている。

 こうした背景をロタが知らなかったとは考えにくい。正体不明の人物を招待するとは思えず、常識的に考えて、カナダ政府は事前にチェックしたはずだ。

 抗議を受け、ジャスティン・トルドー首相の事務所はフンカとナチス親衛隊の関係を知らず、全て下院議長が決めたと主張、下院議長は全て自分の責任だとして謝罪した。大戦中、ソ連軍が戦った相手はナチス体制下のドイツ軍とその同盟者である。何の情報も持っていなかったとしても、ロタ議長はフンカとナチスの関係に気づかなければおかしい。

 そもそもトルドー政権で副首相と財務大臣を兼任しているクリスティア・フリーランドの家系はナチスと関係が深い。​彼女の母方の祖父にあたるマイケル・チョミアックはポーランドで発行されていたファシスト系新聞の『クラキフスキー・ビスティ』で編集長を務めていた人物。​ドイツに占領されていた当時のポーランド政府の要人と一緒に撮影された写真も残っている。チョミアックとドイツ軍の関係は、ワルシャワにあるポーランド政府公文書館でドイツ軍の記録から判明している。彼はウィーンでドイツのスパイ活動やプロパガンダ活動の訓練を受けたという。カナダは第2次世界大戦後、約2000名のナチス親衛隊を受け入れ、保護したと言われている。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ナチスはウォール街やシティ、つまり米英の金融資本から資金援助を受けていた。そうした金融資本が作った情報機関がイギリスのMI6やアメリカのCIAだ。

 ナチス政権に率いられたドイツ軍は1941年6月にソ連に対する奇襲攻撃「バルバロッサ作戦」を開始。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。

 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。

 また、ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入する。ここでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。ここからアメリカやイギリスは慌てて動き始める。

 1943年1月にフランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相はフランスのシャルル・ド・ゴールらとカサブランカで会談、「無条件降伏」という話が出てくるが、この条件はドイツの降伏を遅らせる一因になった。米英にはソ連対策を講じるための時間的な余裕ができたわけだ。

 その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始めた。「サンライズ作戦」である。ダレスは戦時情報機関OSSの幹部だったが、その前はウォール街の弁護士だった。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などだ。

 1943年春、ウクライナのステパン・バンデラ派OUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。UPAは「民族浄化」に乗り出し、ユダヤ人やポーランド人の殺戮を始める。その方法は残虐で、妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出し、脅しのために灌木に引っかけるといったことをしたという。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 反ファシズムのフランクリン・ルーズベルト米大統領は戦争終結後、ウォール街とファシストとの関係を追及する姿勢を見せていたと言われているが、1945年4月12日、ドイツが降伏する直前に急死する。必然的に彼が率いていたニューディール派の力は弱まり、ウォール街がホワイトハウスの実権を取り戻した。

 ドイツが降伏するとOUN-Bを含む東ヨーロッパの反ソ連勢力はアメリカやイギリスへ接近、オーストリアのインスブルックへ逃げ込んでいる。1945年夏になると、バンデラたちはドイツの情報法機関を統轄することになるラインハルト・ゲーレンの機関に匿われることになる。当時、ゲーレンたちはアメリカの配下に入っていた。

 反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へ発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)と共にWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。

 こうした背景を考えると、カナダの議会でナチス親衛隊の元隊員がたたえられるのは必然であり、ウクライナを舞台とした戦闘は第2次世界大戦で米英が行ったナチスを利用した対ソ連戦の続きだということがわかる。バラク・オバマ政権がウクライナにネオ・ナチ体制を成立させたのも必然なのだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309270000/

35. 2023年10月06日 06:41:37 : 3en5ThmVuU : NVF4MGl3TnJFenM=[2] 報告
ジプシー・ロマ迫害の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=DSX4CsWFXAI
36. 中川隆[-12307] koaQ7Jey 2023年10月06日 10:50:19 : 3en5ThmVuU : NVF4MGl3TnJFenM=[8] 報告
【ゆっくり解説】アデレード・オートヴァル、ナチスの人体実験を拒絶したフランス人女医。
ゆっくりニッチな歴史解説
2023/07/29
https://www.youtube.com/watch?v=EyVa5WQ0JCo

ナチスの人体実験を拒絶したフランス人女医、アデレード・オートヴァルについてゆっくり解説。

37. 中川隆[-12102] koaQ7Jey 2023年12月02日 01:50:24 : WLhDUxH7CA : bTJCUUhOSm9zUm8=[2] 報告
戦争をするほど好景気になるロシア _ ヒトラー的好景気は持続しない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828077


【ゆっくり解説】ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
2021/02/06
https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

38. 中川隆[-12097] koaQ7Jey 2023年12月03日 03:18:22 : GvSv29avic : ckI3OUd3U0Fhb1U=[1] 報告
【ロシアに占領された結果】ドイツ捕虜の扱いが悲惨過ぎた
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828227
39. 中川隆[-12017] koaQ7Jey 2023年12月10日 12:58:22 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[6] 報告
ヒトラーに息子がいた
【ゆっくり解説】独裁者の血縁たちのその後!
闇堕ち世界史【ゆっくり世界史解説】
2023/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=xVURCepbyG8
40. 中川隆[-11996] koaQ7Jey 2023年12月12日 15:03:40 : JbGxwNE4jI : NFp1dENPR29PWEE=[11] 報告
<■111行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
【タブー視される悪魔の学問】人間の命に優劣をつけた「優生学」とは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829705

現在でも米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056012

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

キリストの再臨とアメリカの政治
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007057

イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828427

パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16824368

ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515

西側支配層の人類を死滅させかねない政策は背後に優生学
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311210000/

Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142318

非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14138805

日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えの違い
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828003

アメリカの黒人強制労働の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14019321

接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14112398

ナチスの「人間牧場」 選別した男女に性交渉させ、アーリア人を産ませる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14027543

ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047960

遺体は“1000人以上” 暴行、レイプ…先住民の子どもを大規模虐待〜カナダ寄宿学校の闇〜
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14063178

氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008921

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007474

ウクライナのネオナチを動かしている優生学の発祥地は英国であり、米国で育った
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202212310000/

「モンゴル人種に属すロシア人」を殺す必要性を訴えたウクライナ軍の米人報道官
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310070000/

優生学と関係が深い人口削減政策は19世紀のイギリスから始まる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307310000/


▲△▽▼


RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
  そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
  ある意味非常に効率的に管理支配していますね。

BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
  彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。

  それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
  乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
  主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
  睾丸を抜いてしまうんです。

  だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
  彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
  日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
  潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。

  事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
  あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
  羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。

  その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
  (キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
  全体を支配するという考えです。

  これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。

  ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
  「羊人」という家畜にすぎません。

  だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
  劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。

  家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。

  文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。

  このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
  存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html

41. 中川隆[-11946] koaQ7Jey 2023年12月23日 00:41:35 : FkF1HUsTDg : dG53c1paZW1QVEU=[3] 報告
【ヒトラー】最恐独裁者の人生をわかりやすく解説
大人の教養TV
2023/12/22
https://www.youtube.com/watch?v=tRdcO_OFkOQ


【ヒトラー】の最期は?遺体の行方は…
大人の教養TV 2nd
2023/12/22
https://www.youtube.com/watch?v=e6eZbp_Wi58

42. 中川隆[-11360] koaQ7Jey 2024年3月08日 09:50:33 : gQJXwwJ1Go : aW0vQWdqVlNseGM=[5] 報告
<▽40行くらい>
ノルウェー映画「ザ・ハント ナチスに狙われた男」:ノルウェー人の対独抵抗運動
続壺齋閑話 (2024年3月 8日 08:16)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7708.html#more

norway03.hunt.jpg

2017年のノルウェー映画「ザ・ハント ナチスに狙われた男」は、第二次大戦中ナチスドイツに侵略されたノルウェーの対独抵抗作戦をテーマにした作品。事実に基づいているとのアナウンスがあるので、実際にあったことなのだろう。イギリスで訓練を受けたノルウェー人12人が、対独工作要因としてノルウェーで活動するが、一人を残して捕らえられ、捕らえられたものらは拷問を受けたうえで殺される。残った一人は、作戦の報告を目的に、スウェーデンへの脱出をはかる。それをナチスの一将校が執拗に追う、というような内容。見方によっては、対独レジスタンスとも、サバイバル・サスペンスとも受け取れる。

映画は、のっけから一人のノルウェー人(ヤン)の逃亡する様子を描く。逃亡は映画の全編を通じて続く。その合間に、回想という形で、12人の行動が描写される。それに彼らの受けた拷問とか、処刑される様子が挟まれる。ヤンが触れ合ったノルウェー人たちはみな、かれに対して同情的であり、また、中には彼の逃走を助けるものもいる。とりわけ重要なのは、フィヨルド地域で出会ったマリウスとその妹だ。そのマリウスの努力によって、ヤンはマンダーレンという人々の助力でスウェーデンへの脱出に成功するのである。マンダーレンとはノルウェーの少数民族か、くわしくはわからない。

見どころはヤンが必死になって逃走するシーンだ。凍った水や雪の中を逃げ回り、ひどい凍傷にも見舞われ、生きているのがつらいような状況のなかでも、なお生きることにヤンはこだわる。こんなに辛い思いをするより、死んだほうがましだと思うのがふつうではないか。しかしヤンは徹底的に生きることにこだわるのである。

そのヤンを追いかけるナチスの将校が異常なほどの執念を見せる。かれにかぎらずナチス側は、みな非人間的で残虐な生き物として描かれている。21世紀になってもドイツ人は、ナチスの残した負の遺産に振り回されていると思わざるをえない。そこは同じ敗戦国でも、日本はまだましだ。中国はじめ侵略した国からそんなにひどい反発を受けることはない。中国にも戦時中の日本軍の残虐さを描いた映画はあるが、そうした映画がアジア地域で数多く作られるということはない。ところがドイツは、ヨーロッパじゅうの国々において、いまだにナチス時代に犯したことの責任を問うような映画を作られているのである。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7708.html#more

43. 中川隆[-11358] koaQ7Jey 2024年3月08日 10:30:18 : gQJXwwJ1Go : aW0vQWdqVlNseGM=[7] 報告
「『ニュルンベルク裁判史観』の嘘と誇張(前半)」宇山卓栄 AJER2024.3.8(3)
https://www.youtube.com/watch?v=5qFA3b8KxiQ
44. 中川隆[-11350] koaQ7Jey 2024年3月08日 15:30:19 : gQJXwwJ1Go : aW0vQWdqVlNseGM=[15] 報告
<■103行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「『ニュルンベルク裁判史観』の嘘と誇張(前半)」宇山卓栄 AJER2024.3.8
https://www.youtube.com/watch?v=5qFA3b8KxiQ


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ヨーロッパ人から見たドイツ人は、覚醒剤を大量に摂取して寝ないでポーランド侵攻、フランス侵攻の電撃戦を行ったドイツ兵のイメージで捉えられてしまった

ノルウェー映画「ザ・ハント ナチスに狙われた男」:ノルウェー人の対独抵抗運動
続壺齋閑話 (2024年3月 8日 08:16)

2017年のノルウェー映画「ザ・ハント ナチスに狙われた男」は、第二次大戦中ナチスドイツに侵略されたノルウェーの対独抵抗作戦をテーマにした作品。事実に基づいているとのアナウンスがあるので、実際にあったことなのだろう。イギリスで訓練を受けたノルウェー人12人が、対独工作要因としてノルウェーで活動するが、一人を残して捕らえられ、捕らえられたものらは拷問を受けたうえで殺される。残った一人は、作戦の報告を目的に、スウェーデンへの脱出をはかる。それをナチスの一将校が執拗に追う、というような内容。見方によっては、対独レジスタンスとも、サバイバル・サスペンスとも受け取れる。

映画は、のっけから一人のノルウェー人(ヤン)の逃亡する様子を描く。逃亡は映画の全編を通じて続く。その合間に、回想という形で、12人の行動が描写される。それに彼らの受けた拷問とか、処刑される様子が挟まれる。ヤンが触れ合ったノルウェー人たちはみな、かれに対して同情的であり、また、中には彼の逃走を助けるものもいる。とりわけ重要なのは、フィヨルド地域で出会ったマリウスとその妹だ。そのマリウスの努力によって、ヤンはマンダーレンという人々の助力でスウェーデンへの脱出に成功するのである。マンダーレンとはノルウェーの少数民族か、くわしくはわからない。

見どころはヤンが必死になって逃走するシーンだ。凍った水や雪の中を逃げ回り、ひどい凍傷にも見舞われ、生きているのがつらいような状況のなかでも、なお生きることにヤンはこだわる。こんなに辛い思いをするより、死んだほうがましだと思うのがふつうではないか。しかしヤンは徹底的に生きることにこだわるのである。

そのヤンを追いかけるナチスの将校が異常なほどの執念を見せる。かれにかぎらずナチス側は、みな非人間的で残虐な生き物として描かれている。21世紀になってもドイツ人は、ナチスの残した負の遺産に振り回されていると思わざるをえない。そこは同じ敗戦国でも、日本はまだましだ。中国はじめ侵略した国からそんなにひどい反発を受けることはない。中国にも戦時中の日本軍の残虐さを描いた映画はあるが、そうした映画がアジア地域で数多く作られるということはない。ところがドイツは、ヨーロッパじゅうの国々において、いまだにナチス時代に犯したことの責任を問うような映画を作られているのである。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7708.html#more


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ヒトラーとドラッグ:第三帝国における薬物依存 – 2018/9/26 ノーマン・オーラー (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0-%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%BE%9D%E5%AD%98-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4560096511

内容紹介
「錠剤の形をしたナチズム」の実態に迫る

ヒトラーの主治医テオドール・モレルは、一本の注射で体調不良を解決する頼りがいのある医師だった。

ヒトラーはホルモン剤、鎮痛剤、覚醒剤、そしてモレルへの依存を深め、不調のたびに投薬や注射を求めるようになった。

第二次世界大戦が始まり、ヒトラーは誇大妄想にとりつかれ、現実遊離が目につくようになり、軍事作戦能力も徐々に失われていった。足を引きずり、腰も曲がって、くたびれた老人のように見えた。

一方、前線兵士は薬物によって「猛獣と化す」ことが目標とされ、無謀な作戦に投入され、総統大本営も制御を失い、もはや究極の破滅に突き進むしかなかった……。

ヒトラーとモレルの危険な関係は、大戦の命運を左右したのか?

本書は、ヒトラーと第三帝国が薬物に深く依存していたことを暴き、世界的ベストセラーとなった歴史ノンフィクションだ。歴史学者ハンス・モムゼンが本書の「あとがき」で、「これまでの全体像を変える本」と評したのをはじめ、イアン・カーショー、アントニー・ビーヴァーら専門家も賛辞を寄せている。著者は作家らしく、逸話を満載し、史料もきちんと渉猟し、早く続きを読みたくなるような、手に汗握る展開をみせる。


兵士には覚醒剤を、総統には麻薬を!  驚きのドラッグワールド・第三帝国
覚醒剤メタアンフェタミン(1893年に日本人長井長義が合成し1919年にこれまた日本人緒方章が結晶化に成功)が太平洋戦争中の特攻隊で使われていたという話はよく聞くが、これをさらに徹底的に使ったのがナチス・ドイツだった。あの電撃的なポーランド・ベルギー・フランスへの快刀乱麻ともいうべき進攻のスピードは兵士に大量投与された覚醒剤によるものだったとは!

一方で、ヒトラーは戦況の悪化とともに主治医モレルに投与されるオキシコドンに依存。軍首脳部もほとんどがジャンキー状態。暗殺未遂後はコカインまでも加わる。

こうして、上層部はジャンキーの集団となり安全な地下壕みたいとところから無茶苦茶な指示を乱発し、兵士は戦場で覚醒剤漬けにされ独ソ戦の頃にはダメダメな状態に。

最後にベルリンに籠った頃にはヒトラー用のドラッグも底を尽き彼は激しい離脱症状の中で自殺。

あまりにも戦況の変化と薬物乱用がきれいにシンクロするのに驚く。最高指導者がドラッグ依存だとしたら、だれも彼へのドラッグ投与を拒めない。世界史的な出来事がドラッグで突き動かされ得るという恐怖。

当時の日本の軍中枢にこんなことがあったとは聞かないが、本土決戦前に証拠が消されたのかもしれない。まあ、しらふでヒトラーと同じようになっていたと考えるとそれもまた怖い話だが。

オキシコドンはアメリカでは近年も安易に鎮痛薬として処方されてかなり問題になっていますね。日本に持ち込もうとして逮捕された某自動車メーカーの外国人役員も。決して過去の話ではない。


▲△▽▼


ヒトラーも、最前線で戦っていたドイツ兵も、覚醒剤を大量摂取してこういう極端な被害妄想になっていた:

覚醒剤中毒者の極端な被害妄想を映像化した映画史上で最も怖い映画 コワイ女ーカタカタ

コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B3%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%A5%B3

45. 中川隆[-11245] koaQ7Jey 2024年3月18日 23:14:02 : llJt0PQ1GE : dXFzcnJDN0JBSHc=[7] 報告
<■104行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.03.18XML
ウクライナを破壊する世界大戦当時から続く米英金融資本とナチスの協力関係
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403180000/

 ウクライナをクーデターで乗っ取るため、アメリカやイギリスの私的権力はネオ・ナチを利用したが、それを可能にしたのは第2次世界大戦当時から続くウォール街やシティとファシストとの繋がりだ。ウクライナの戦乱を理解するためにはこの事実を知る必要がある。

 アメリカでは1932年の選挙で現職のハーバート・フーバーを破って当選したフランクリン・ルーズベルト大統領は反植民地、反ファシズムを掲げていたが、ウォール街は植民地を放棄する意思はなく、親ファシズムだった。ルーズベルトが大統領に就任した1933年から34年にかけて金融資本が試みたクーデターである。計画の詳細は名誉勲章を2度授与されたアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会における証言で明らかにされた。

 バトラー少将によると、1933年7月に在郷軍人会の幹部ふたり、ウィリアム・ドイルとジェラルド・マクガイアーが少将の自宅を訪問したところから話は始まる。在郷軍人会を改革するため、シカゴで開かれる会の集まりへ数百人の退役兵士を引き連れて参加し、演説して欲しいというのだ。

 ふたりは演説の原稿を置いて帰ったが、その原稿には金本位制への復帰を求める文言が含まれていた。訪問者は退役軍人の福祉を説得の材料にしてきたが、金本位制がそれに役立つとバトラーには思えず、疑問を抱く。そこでバトラーは参加する素振りを見せて情報を取ることにしたのだ。

 その結果、スポンサーがウォール街の大物たちだということを聞き出し、彼らがドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていることをつかんだ。「クロワ・ド・フ」のような将校や下士官で構成される50万名規模の組織を編成して政府を威圧、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の重責を引き継ごうとしていたのだ。

 こうしたクーデターを計画していたウォール街の中心的な存在だったJPモルガンは関東大震災以降、日本に対して強い影響力を持っていた。1929年7月に誕生した浜口雄幸内閣は金本位制の即時断行を主張していた。その浜口政権で大蔵大臣を務めた井上準之助はJPモルガンと緊密な関係にあった。浜口内閣は1930年に金本位制への復帰を決めている。

 この内閣の政策は新自由主義的なもので、不況は深刻化、庶民は経済的に厳しい状況におかれる。東北地方で娘の身売りが増えたのもこの頃のことだ。そして1930年11月、浜口首相は東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡した。1932年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。

 その1932年にフーバー大統領は日本へ大使としてジョセフ・グルーを送り込んだ。この人物のいとこであるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。つまりウォール街は大物を駐日大使に据えたわけだ。グルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人だが、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーにほかならない。

 ウォール街はクーデターの指揮官としてバトラーを選んだのだが、JPモルガンが考えていた人物は陸軍参謀長のダグラス・マッカーサーだった。

 この軍人が結婚した女性はルイス・クロムウェル・ブルックス。その母、エバ・ロバーツ・クロムウェルが再婚した相手、エドワード・ストーテスベリーはJPモルガンの共同経営者で、マッカーサーはJPモルガンの人脈に属していたのだ。それにもかかわらずマッカーサーが選ばれなかったのは、軍隊内部においてバトラーはそれだけ人望を集めていたということである。そのバトラーは最後の局面でカウンター・クーデターを宣言、クーデターを実行したなら自分も50万以上を動員して対抗すると警告した。

 そのウォール街はナチスを資金援助しているが、そのためにUBC(ユニオン・バンキング)を創設している。重要な資金源のひとつだったブラウン・ブラザーズ・ハリマンのプレスコット・ブッシュやW・アベレル・ハリマンはドイツ企業との手形交換業務を行う名目でUBCを作ったのだ。

 プレスコット・ブッシュが結婚した相手の父親はウォール街の大物として知られていたジョージ・ハーバート・ウォーカー。プレスコット自身もウォール街の人間で、年齢が近く、ウォール街で弁護士をしていたアレン・ダレスと親しかった。プレスコットの息子、ジョージー・ハーバート・ウォーカー・ブッシュがCIA長官になるのは必然だった。

 第2次世界大戦の勝敗は、ドイツ軍がスターリングラードで降伏した1943年1月に結していた。ソ連の敗北を予想、傍観していたイギリスのウィンストン・チャーチル首相は急遽、モロッコでルーズベルト大統領と会談、シチリア島とイタリア本土への上陸を決めた。またソ連対策の準備をするために戦争を長引かせるため、「無条件降伏」を要求している。

 計画通りに同年7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸。ハスキー計画だが、この際、コミュニスト対策でアメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏した。

 この頃にはナチスの幹部とアレン・ダレスたちは秘密裏に接触、善後策を練っていた。そしてナチスの高官や協力者を南アメリカなどへ逃亡させ(ラットライン)、そうした人びとを国務省やCIAは雇い(ブラッドストーン作戦)、同時にドイツの科学者やエンジニアを雇った(ペーパークリップ作戦)。

 戦争中、ナチスと手を組んでいたウクライナのステパン・バンデラ派(OUN-B)は1943年からUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始めて11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立。大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)と合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 2014年2月にウクライナでビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒したネオ・ナチにはこうした背景がある。ドイツがソ連へ攻め込んだ当時からナチズムの信奉者をアメリカやイギリスの私的権力は手先として利用してきたのだ。

 そのクーデターで米英支配層はクリミアを制圧してロシア海軍に壊滅的な打撃を与えようとしたのだが、それには失敗した。クリミアやドンバスはソ連時代、正規の手続きを経ずにウクライナへ割譲されたこともあり、住民はその後も自分たちをロシア人と認識していた。

 1990年にウクライナ議会がソ連からの独立を可決すると、クリミアでは91年1月にウクライナからの独立を問う住民投票を実施、94%以上が賛成しているが、ソ連消滅後、クリミア議会は住民の意思を無視してウクライナに統合されることを決めてしまった。また「民意」は無視されたのだ。その民意が実現したのは2014年のことだが、それを西側の「リベラル派」は批判している。憲法を否定したクーデターを支持、民意の実現を否定しているのが彼らだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403180000/

46. 中川隆[-11066] koaQ7Jey 2024年3月29日 21:16:05 : dbbSjGlErU : VTJVNVZ2aUc3SmM=[11] 報告
<■92行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
レイ・ダリオ氏: 国家が衰退する時期には独裁者が生まれやすい
2024年3月29日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/46623

世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏がLinkedInのブログで中国経済におけるバブル崩壊と、そうした環境において政治的指導者がどういう人物になりやすいかについて語っている。

中国のバブル崩壊

現在、中国では長年続いていた不動産バブルが崩壊し、失業率が高騰するなど経済的に厳しい状況が続いている。

多くの先進国で株価が上昇しているなか、香港ハンセン指数のチャートは次のように大幅下落で推移している。


ダリオ氏は今の中国経済について次のように述べている。

中国国内は今経済的に非常に難しい状況にある。何故ならば、多くの国民が不動産や株式その他の資産価格の下落、雇用減退、賃金下落による負の資産効果に苦しんでいるからだ。

経済危機と政治的指導者

これは中国の長年の経済成長の総決算であり、特に地方政府の負債によって不動産市場を人為的にバブルにしてきたツケを払う段階が来ていると考えられる。

多くの投資家なら中国のバブル崩壊の先行きと、その後の中国の経済成長がどうなるかについて考えるところである。

だがダリオ氏は著書『世界秩序の変化に対処するための原則』でオランダ海上帝国や大英帝国など歴代の覇権国家がどのように繁栄し衰退してきたのかを分析しているように、いつも経済を政治と関連させて論じてきた。

だからダリオ氏によれば、これからの中国経済の見通しを予想するためには、中国の政治がどのように展開してゆくのかを理解しなければならないということになる。

ダリオ氏が指摘するのは、こうした国家の危機的状況において国の指導者がどういう人物になるのかということである。ダリオ氏は次のように述べている。

歴史を見れば、あらゆる国家が100年に一度と言えるような危機を経験するとき、その国の指導者は独裁的な政策を採用することが多い。

何故ならば、そうしなければ大きな内紛や騒乱が起こるからだ。また、そうした時期には支配者層を攻撃する勢力がいることが多い。

中国を率いている習近平氏は国内の営利的な学習塾の禁止やゲーム産業への厳しい規制などの政策で知られる。また、2022年の人事改革で親ビジネス的な政治家がまとめて排除されており、これにはダリオ氏も懸念を示している。

世界最大のヘッジファンド: 中国の新体制から市場寄りのグローバリストが消えた
しかしダリオ氏がここで言いたいのは、こうした状況において独裁的な政治家が現れるのは国家の成長と衰退のサイクル的に避けられないことであり、それは西洋の国々でも同じことだということである。

ダリオ氏は次のように纏めている。

国の指導者がその時代の状況を決めるというよりは、時代の状況が国の指導者を決めると言った方が正しい。

西洋における独裁主義

国が危機的状況に陥ったとき、独裁的な政治家が現れる。現れるだけでなく支持されることも多い。

一番典型的なのは第1次世界大戦後のドイツだろう。敗戦国となったドイツは巨額の賠償金を負い、ドイツはそれをハイパーインフレによってチャラにすることになった。

「政府の借金は問題ない」と叫ぶ一部の人々の叫び声のように政府の借金はしっかりチャラになった一方で、ハイパーインフレによって国民の生活は無茶苦茶になった。

そこで出てきたのがアドルフ・ヒトラーとナチ党である。ナチ党は経済的に完全に疲弊していたドイツ国民によって支持され、ドイツは第2次世界大戦へと向かってゆくことになる。

いつものことだが、ダリオ氏は独裁的という言葉に善悪の判断を行なっていない。ただ歴史的にそうなっているという事実を見るだけである。

そういう意味では、例えばアルゼンチンの状況もダリオ氏のサイクルに当てはまると言えるかもしれない。

アルゼンチンでは政治家が国の借金を使って好き放題にばら撒きを行い(まるで何処かの国のようだ)、そしてハイパーインフレになった。

疲弊したアルゼンチン国民が選出したのは、そうした腐敗した政治家を非難する経済学者のハビエル・ミレイ大統領である。

アルゼンチン、緩和のやり過ぎで自国通貨を廃止する破目に
彼は政治家に通貨発行権を持たせてはならないとするオーストリア学派の経済学者であり、政治家が低金利を使って国の借金で好き放題やらないように、自国通貨を廃止すると言っている。

経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエク氏の主張と同じである。

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
それはかなりの独裁的な強権が必要となる政策である。その意味ではアルゼンチンでは、ミレイ大統領が独裁的になれるのかどうかが注目されている。

新アルゼンチン大統領のミレイ氏、経費削減のため閣僚の半分を削減する
ミレイ大統領が独裁的になれなかった場合、アルゼンチンの政治腐敗は継続し、また次の独裁的な政治家が現れて腐敗のサイクルを終わらせるまで、サイクルは継続するだろう。

結論

中国を例にしたダリオ氏の話から読み取れる教訓がある。アメリカや日本の状況も、独裁的な政治家が現れる土壌が出来上がっていると言える。

トランプ氏がバイデン氏より独裁的だとは筆者は考えていないが、両方の候補者に不満を持っているアメリカの有権者は少なくない。今年の大統領選挙ではないだろうが、トランプ氏でもバイデン氏でもない第3の過激な政治家が出てきて、政治をまったく別の方向に向かわせるような土壌は出来ていると言える。

また、個人的な見解では日本はその状況にアメリカよりも近い。国民は自民党の腐敗から目をそらせないような状況になっているが、野党に満足しているわけでもない。

これはまさに独裁的な第3の政治家が現れるのに理想的な状況であると言える。

どちらにしても、日本もアメリカも中国も末期である。だから多くの投資家がインドに期待を寄せる理由も分かる。

ガンドラック氏: インド株は30年前の中国株と同じ状況、買って放置しておけ
レイ・ダリオ氏: インドにもっと投資できれば良いのだが
国家は繁栄し、それから衰退する。ダリオ氏の著書で説明されているように、それぞれの国がこのサイクルの何処にいるのかを意識しておく必要があるだろう。株式に長期投資をする際には、特にそうである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/46623

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