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[昼休み52] 日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない 中川隆
25. 中川隆[-11929] koaQ7Jey 2020年8月06日 04:56:17 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[1]
日本語の起源


朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。[4][5][6][7][8]

これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。[7][9] 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。


朝鮮の無文土器時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

朝鮮の無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。このことから、朝鮮に長江文明由来の水稲作をもたらした人々が、無文土器文化の担い手であった可能性が考えられる。

崎谷満はY染色体ハプログループO1b(O1b1/O1b2)系統が長江文明の担い手だとしており、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしている[1] 。

このことから、朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。O1b2系統は現在の朝鮮民族に20〜40%ほど観察されている[2][3]。

言語系統

朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。[4][5][6][7][8]

これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。[7][9] 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。[5]

無文土器時代(むもんどきじだい)は、朝鮮半島の考古学的な時代区分である。紀元前1500年から300年頃に及ぶ。この時代の典型的な土器が、表面に模様を持たない様式(無文土器)であることから命名された。

農耕が始まるとともに、社会に階級が生じた時代であり、箕子朝鮮、衛氏朝鮮と重なる。朝鮮半島北中部と南部の間では住居や墓制に違いが見られる。時代的には日本の弥生時代と重なり、南部はこれから影響を受けた可能性もある。特に北部九州と朝鮮半島南部には共通の文化要素が見られる。

かつては朝鮮半島における青銅器時代と呼ばれたが、青銅器が出現したのは紀元前8世紀であり、普及したのは末期であるから正確ではない。

葬制としては巨大な支石墓が特徴的であるが、南部では急激に様式が切り替わる、石槨墓や甕棺墓が見出されている。


無文土器時代は櫛目文土器時代に続く時代である。

紀元前2000年から1500年頃、北方の遼河流域から北朝鮮にかけての夏家店下層文化では、支石墓、無文土器や大規模な住居が出現している。

前期

前期は紀元前1500年から850年頃とされる。農耕のほか、漁労、狩猟、採集が行われた。農耕にはまだ石器が用いられた。大型の長方形の竪穴住居からなる集落が営まれた。住居には竈が複数ある場合もあり、多世帯が同居していたと思われる。 後半には集落が大規模化し、集落ごとに有力者が生まれたと見られる。紀元前900年頃を過ぎると小型の住居が普通になり、竈ではなく、中央に囲炉裏のような炉が掘られた。

支石墓、副葬品の朱塗り土器、石剣など無文土器時代を通して続く宗教・葬制上の特徴はこの時代に生まれた。


中期

中期は紀元前850年から550年頃とされる。農業の規模が大きくなり、社会の階級と争いが生じたと考えられる。南部では水田が作られたとする仮説もあるが、陸稲と水稲が雑交している点や水田と確定出来るだけの要素が未だに発見されていない為、定説とはなっていない。 数百軒からなる大規模な集落が出現した。また青銅器が出現し、工芸品の生産や支配者による分配も行われるようになった。

中期無文土器文化は、中部の遺跡名から松菊里文化( ソングンニ)とも呼ばれ、中部で主に発展した。南部へ行くほど異なった要素が増える。

中期後半(紀元前700-550年頃)には青銅器が副葬品として現れた。青銅器は中国東北部に由来すると思われるが、この時期には朝鮮半島中部でも製作が始まっていた。

中期無文土器時代後半の墓には特に大規模なものがある。南岸部は北中部と様式を異にし、多数の支石墓が造られた。一部からは青銅器、翡翠、石剣、朱塗り土器などの副葬品が見出されている。

無文土器文化は農耕文化の始まりであるが、無文土器文化時代を通じて陸稲作はあったものの主要な作物ではなかった。現在までに渤海北部沿岸では当時の水田遺構が見出されていないことから、水田稲作がこの時代に伝わっていたとしても大陸沿いでなく黄海を越えてもたらされた可能性が大きい(日本の水田稲作とは伝播経路が異なる)。北部では大麦・小麦・雑穀などが栽培された。

後期
後期は紀元前550年から300年頃とされる。環濠集落や高地性集落が増え、争いが激しくなったことを示している。特に丘陵地や河川沿いに人口が集中している。集落数は前の時代より減っており、少数の集落への集住が進んだと考えられる。

弥生文化の開始が無文土器文化に影響を与えた可能性もある。特に北部九州では無文土器、支石墓や甕棺墓など、朝鮮半島南部の文化と直接結び付けられる要素が多数見つかっている。これは無文土器時代前期に当たると考えられる。

無文土器時代の終末期には鉄器が出現する。これより後の鉄器時代になると、住居には北方から大陸沿いに伝わったオンドル用の炉(ko:아궁이)が現れる。また中期に北方から伝わった琵琶形銅剣(遼寧式銅剣)の影響の下に細形銅剣(ko:세형동검)が作られ始めた。

終末

普通、無文土器時代の終末は鉄器の出現に置かれるが、土器様式の連続性を重視して紀元前後までを含める説もある。しかし、紀元前300年頃から青銅器が広範囲に普及する。鉄器もこの時期を境に、朝鮮半島南部へも普及していく。このような技術・社会の変化を重視するならば、無文土器時代をこの時期までとするのが適切である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

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Japan considered from the hypothesis of farmer/ language spread
https://www.academia.edu/43005029/Japan_considered_from_the_hypothesis_of_farmer_language_spread?email_work_card=title

北九州玄界湾地域への稲作の導入(図1)周りから紀元前1000年は弥生時代の始まりです。
ウェットライス技術はムムンによって導入されました(「素焼き(訳者注:Mumun、無紋)」)朝鮮半島南部からの比較的早い時期の文化移民。
紀元前1000年半島のムムン時代(紀元前1500年から300年)。
これらの移民は弥生ではなく、ムムンでした。


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弥生時代の世界情勢 朝鮮半島

弥生時代は、朝鮮半島の無文土器時代(青銅器時代〜初期鉄器時代)から原三国時代に相当します。朝鮮半島では紀元前1500年頃中国大陸より農耕が伝わり、紀元前700年頃には青銅器が、弥生時代が始まる紀元前300年頃には鉄器が伝わり普及しました。後期の無文土器は日本列島でも北部九州地方をはじめとする弥生時代の遺跡から数多く出土しており、弥生時代の稲作農耕や金属文化の流入に朝鮮半島からの人々が関わったことを示唆しています。 吉野ヶ里遺跡でも、朝鮮系の無文土器が多数出土しています。

図:無文土器時代の後期(初期鉄器時代)から原三国時代
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei03.html

無文土器時代の後期(初期鉄器時代)から原三国時代

写真:朝鮮系の無文土器(佐賀県吉野ヶ里遺跡出土)
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei03.html

朝鮮系の無文土器(佐賀県吉野ヶ里遺跡出土)

鉄器の普及、特に鉄製農具の普及は生産力を増大させ、やがて半島内に幾つかの部族国家が並立するようになりました。弥生時代後期末の日本列島の様子も記述されている魏書東夷伝には、この頃、朝鮮半島に次のような部族国家があったことが記されています。

・高句麗(現 中国遼寧省・吉林省・北朝鮮北部)
・東沃沮(現 北朝鮮咸鏡北道一帯)
・(朝鮮半島中東部)
・馬韓・辰韓・弁韓(朝鮮半島南部)

これらのうち、朝鮮半島南部の辰韓は鉄を産出し、倭人も鉄を求めて辰韓と交易していことが描かれています。この時代の朝鮮半島の状況は弥生時代の日本列島を考える上で中国大陸と同様、非常に重要です。

http://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei03.html  

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弥生人DNAで明らかになった日本人と 半島人の起源 ー朝鮮半島に渡った縄文人ー
http://plaza.harmonix.ne.jp/~udagawa/nenpyou/yayoi_DNA.htm

(追加 2019/11/26)
『韓国で、釜山・加徳島の?項遺跡の人骨(6,300年前:BC4,300年)の核DNA分析を行った結果、縄文人的と判明した。』
とのホットな(学会内)情報が伝えられた。(2019/11/24)


九州が握る日本人の謎 古賀英毅
2020/3/13 11:00
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/591652/

国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。
「この人たちが渡来したとするならば、混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。
時期は縄文時代まっただ中の6千年前。
渡来はあったとしても混血は必ずしも必要ないということになる。


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土井ヶ浜弥生人 2019年03月30日
https://newwikilihct.memo.wiki/d/%C5%DA%B0%E6%A5%F6%C9%CD%CC%EF%C0%B8%BF%CD

形質は北方新モンゴロイド。
弥生時代の北部九州・山口に分布していた弥生人。頭蓋骨の形質的に純粋な大陸系渡来人だと見られていたが
最新の核ゲノム解析により、少なくとも北部九州弥生人は実は縄文人の遺伝子を受け継いでいることが判明し*1、その割合は東京周辺の現代日本人と同じ1〜2割程度である。

縄文人に近い形質を持つ西北九州弥生人と互いに混血していたようである。
また朝鮮半島南部に進出していた縄文人との混血を経た渡来系弥生人の集団だった可能性もある。
また土井ヶ浜弥生人の居住地域からも西北九州弥生人型の頭蓋骨が発見されており*2、
弥生時代初期段階の縄文系弥生人社会と土井ヶ浜弥生人社会は対立関係になかったと考えられる。

水稲稲作や鉄器を日本に最初にもたらした集団だと考えられている。

核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。
便宜上、この項目では北部九州弥生人も土井ヶ浜弥生人としているが、厳密には北部九州と土井ヶ浜では微妙に違いがある。
現代日本人の頭蓋骨は土井ヶ浜弥生人より北部九州弥生に近い。

形質

頭型は基本的には短頭(頭の前後が短い)だが中頭も多い。
高顔でのっぺりとした起伏のない顔立ち。
胴長短足で顔が大きく寒冷地適応をしていた。
歯が大きく、噛み合わせは鋏状咬合。
縄文人に比べると比較的身長が高く男で165cm程度。
酒に弱い(ALDH2不活性型・失活型)。
体毛が薄く、髭がほとんど生えない。
髪は直毛。
華奢で骨細な体格。体格に関しては縄文でも北方黄色人種でもないようだ。
唇は薄い。口は小さい。
目は切れ長で小さい。
風習的抜歯を行うなど縄文人の文化風俗も取り入れていたようだ。


土井ヶ浜弥生人の復元図。

*1 : 安徳台遺跡
*2 : 土井ヶ浜・701号人骨
https://newwikilihct.memo.wiki/d/%C5%DA%B0%E6%A5%F6%C9%CD%CC%EF%C0%B8%BF%CD
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/450.html#c25

[近代史5] 自粛警察が日本をコロナから救った 中川隆
12. 2020年8月06日 06:04:22 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[2]
岩手県初のコロナ感染者に誹謗中傷が…ウソ申告増加の懸念
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/276793
2020/08/03 日刊ゲンダイ 

知事の発言は抑止力になるか(達増拓也岩手県知事)/(C)共同通信社

 やはり、恐れていた事態が起きた。

 全国で唯一、感染確認がゼロだった岩手県で先月29日、初の新型コロナウイルスの感染者が出た。

 感染が分かったのは盛岡市の40代の男性会社員。同22日、車で関東のキャンプ場に出掛け、県外に住む友人3人とテントで4泊していた。同28日に友人1人の感染が判明していた。

 男性が勤務している会社が同29日の午後11時すぎ、HP上で社員の感染を公表すると、県内外から「感染した社員をクビにしたのか」といった誹謗中傷の電話やメールが100件以上殺到。同30日夜には一時、サーバーがダウンしてしまった。

 岩手県では感染者が確認される前から、達増拓也知事が「第1号になっても、県はその人のことを責めません」と繰り返し発言。5月には「感染者が出てもいい。悪ではない」と訴えていた。それでも激しいバッシングが起きてしまった。知事は中傷やデマが相次いでいることについて「犯罪にあたる場合もある。厳格に臨む意味で、鬼になる必要があるかもしれない」と断固たる態度を取ると明言している。

感染が地方に広がるにつれエスカレート

 県はこれまでも体調が悪化したら、ためらわず受診や検査をするよう呼び掛けていたが、県民からは「最初の感染者にはなりたくないから、検査には行かない」といった声が上がっていた。

 ここにきて、地方を中心に個人情報や行動履歴などウソの申告をする感染者が相次いでいる。新潟市の20代女性は当初、無職としていたが、キャバクラ嬢で「SNSでどう書かれるか心配していた」という理由から職業を偽っていた。静岡県浜松市の30代男性は、市内のバーとラウンジで飲食していたことを申し出なかった。その後、両店でクラスターが発生したため、写真と実名がSNSで拡散される羽目になった。いずれも、批判されることを極度に恐れた結果だ。

 コラムニストの小田嶋隆氏は「今年は迷惑がかかるからと帰省をためらう人も多い。村社会の伝統でしょう」とこう続ける。

「日本は相互関心がきつく同調圧力が高い。その窮屈さで新型コロナの感染拡大を抑えられた部分もあった。トータルで見れば一長一短ですが、今後は悪い部分の方が出てくると思う。誰でも感染者になるわけですから、謝罪したり、責めたりするのはもうやめた方がいい。達増知事の発言は新たな感染者の防護壁になります。本来は首相が言わないといけないのですが、国は逆に率先して、店名を公表してつるし上げをしている。政治家は感染者に責任がないというメッセージを出すべきです」

 袋叩きに遭うのを恐れて検査を避けたり、虚偽申告が増えれば、感染経路が追えなくなり、感染拡大に歯止めがかからなくなってしまう。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/137.html#c12

[近代史3] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
20. 中川隆[-11928] koaQ7Jey 2020年8月06日 09:58:19 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[3]
先週、チャンネル桜が歴史修正主義をテーマにした討論会を放送し、ゲストの一人である筑波大学の掛谷英紀(かけや・ひでき)が、米国における人種問題と黒人暴動についてちょっと述べていた。掛谷氏は左翼思想と黒人運動を説明するため、若手知識人であるベン・シャピロ(Ben Shapiro)の著書を参考にしていたが、シャピロの保守主義には“胡散臭い”ところがあるので、そのまま信じるのは危険である。

掛谷氏の発言を切っ掛けに色々な事を述べてしまったが、チャンネル桜の視聴者のみならず、一般の保守派国民はアメリカ社会に興味を持っていても、その知識が乏しいので、ちょくちょく知識人から騙される。

なぜなら、一応「保守派雑誌」と呼ばれている『正論』や『WiLL』、『Hanada』といったオピニオン誌が、目先の話題を追求するだけの週刊誌(月刊の同人誌)になっているからだ。月刊『Hanada』の花田紀凱編集長は、元々『週刊文春』の編集長なので、時事ネタを扱って部数を伸ばせばいいという考えだ。それゆえ、知的な記事を求める読者でも、いつの間にか凡庸な論調に慣れてしまい、気楽な記事しか読まなくなる。

まぁ、『Hanada』は娯楽雑誌だからいいけど、問題なのは『正論』の凋落だ。編集長が上島嘉郎になってからは衰退が著しく、田北真樹子になったらもう廃刊前の『新潮45』と同じ状態だ。

  平成の頃から保守の言論界は徐々に落ちぶれてきた。こんな状態だから、チャンネル桜が掛谷氏を招くのも当然だし、彼がベン・シャピロに引っ掛かっても不思議じゃない。一般の視聴者は掛谷氏の解説に頷き、「さすが、掛谷先生すごい!」と大感激。「なんで?」と疑問に思う視聴者の方が圧倒的に少数派である。

日本の総合雑誌は「米国の保守派がどうなっているのか?!」については無関心だし、購読者自身が幼稚になっているから救いようがない。これじゃあ、雑誌の中身が適当な政治記事で埋め尽くされていても当然である。保守派雑誌を買う一般人は、国内政治のゴタゴタと「韓国・中国けしらからん!」という特集記事を目にすれば満足なんだから、馴染みの無い話題は敬遠となる。こうした知的頽廃に気づけば、どうして櫻井良子なんかが未だに支持されているのかが分かる。「チョコプラ」の松尾じゃないけど、Ikkoを真似て「驚愕ぅぅ〜!」と言いたくなるよねぇ〜。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68815064.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/399.html#c20

[番外地8] 日本政府は日本の資金が欧米に流れる様な経済政策と取っているんだよ 大西さんもアメリカ金融資本のエージェントだから、それに… 中川隆
1. 中川隆[-11927] koaQ7Jey 2020年8月06日 11:11:49 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[4]
日本政府は日本の資金が欧米に流れる様な経済政策と取っているんだよ
大西さんもアメリカ金融資本のエージェントだから、それに協力しているんだな
大西さんの信者にはそれがわからないから、大西さんを救世主だと勘違いしているんだな。
証券マンは口が上手いからなあ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/163.html#c1
[リバイバル3] ソニー プリアンプ TA-2000・TA-2000F 中川隆
7. 2020年8月06日 12:01:25 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[5]
TA-2000F+TA3120の組み合わせは「活性化」が異常に早い
2020年08月06日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/88a313f1ac70bdf16e6fba95fc984134


今まで色々なメーカーのアンプを使って来たが、SONYの1970年前後のアンプの「活性化」のスピードの速さには驚嘆している。使い出してわずか2ヶ月でヌケて来ている。累計時間で云えば200Hr程度だろう。他のアンプ達が2000Hrくらいかかるのにその1/10の時間で活性化している。

アキュフェーズ(C280/290/M-100/M-60他)にしろパイオニア(C3/M4)のアンプ達は2000Hrかかっている。マッキントッシュ(C29/MC2500他)もマークレビンソンのアンプも2000Hr必要だと感じている。本当にSONYの1970年前後のアンプは凄い。同じSONYでも1977年製はこうは行かない。

スピーカーにしろアンプにしろ、「オーディオ黎明期」のモノが集まって来ている。JBLのスピーカーユニットは1950〜1960年のモノが良い。これはアメリカでの「オーディオ黎明期」にあたる。技術者たちが「良いものを作ろう」と頑張った時期である。その後はお決まりのインフレとコストダウン。価格は高くなったのに性能はダウンしていると感じるのは私だけだろうか?
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/88a313f1ac70bdf16e6fba95fc984134

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1066.html#c7

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
76. 中川隆[-11926] koaQ7Jey 2020年8月06日 12:02:11 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[6]
TA-2000F+TA3120の組み合わせは「活性化」が異常に早い
2020年08月06日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/88a313f1ac70bdf16e6fba95fc984134


今まで色々なメーカーのアンプを使って来たが、SONYの1970年前後のアンプの「活性化」のスピードの速さには驚嘆している。使い出してわずか2ヶ月でヌケて来ている。累計時間で云えば200Hr程度だろう。他のアンプ達が2000Hrくらいかかるのにその1/10の時間で活性化している。

アキュフェーズ(C280/290/M-100/M-60他)にしろパイオニア(C3/M4)のアンプ達は2000Hrかかっている。マッキントッシュ(C29/MC2500他)もマークレビンソンのアンプも2000Hr必要だと感じている。本当にSONYの1970年前後のアンプは凄い。同じSONYでも1977年製はこうは行かない。

スピーカーにしろアンプにしろ、「オーディオ黎明期」のモノが集まって来ている。JBLのスピーカーユニットは1950〜1960年のモノが良い。これはアメリカでの「オーディオ黎明期」にあたる。技術者たちが「良いものを作ろう」と頑張った時期である。その後はお決まりのインフレとコストダウン。価格は高くなったのに性能はダウンしていると感じるのは私だけだろうか?
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/88a313f1ac70bdf16e6fba95fc984134

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c76

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 安田成美・岸谷五朗 この愛に生きて (フジテレビ 1994年) 中川隆
3. 2020年8月06日 12:37:26 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[7]
この愛に生きて 4話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/998.html#c3
[番外地8] 日本政府は日本の資金が欧米に流れる様な経済政策と取っているんだよ 大西さんもアメリカ金融資本のエージェントだから、それに… 中川隆
2. 2020年8月06日 12:46:06 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[8]
そもそも大西さんは緊縮財政派で体制側だからね
まあどちらにしろド素人の与太話だから誰にも相手にされないけど。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/163.html#c2
[お知らせ・管理21] 2020年08月 困った時、意見、提案、相談などなんでも。管理人が24時間以内に必ず見るスレ 管理人さん
25. 2020年8月06日 15:20:27 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[9]
阿修羅掲示板には中国工作員しかいなくなったからなあ
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/609.html#c25
[近代史3] アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの? 中川隆
17. 2020年8月06日 15:55:08 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[10]
シェーンベルク 「浄められた夜」作品4
2020 AUG 5 2:02:08 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/08/05/%e3%82%b7%e3%82%a7%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%83%99%e3%83%ab%e3%82%af-%e3%80%8c%e6%b5%84%e3%82%81%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a4%9c%e3%80%8d%e4%bd%9c%e5%93%81%ef%bc%94/



クリムト ユディトT(1901)

これはシェーンベルクが書いた最も “わかりやすい” 曲である。月下の男女の語らいを描いたリヒャルト・デーメルのセクシャルな詩をベースに作曲された弦楽六重奏曲だ(詩の内容はwikipediaをご検索いただきたい)。初演は1902年3月18日にウィーン、ムジークフェライン小ホールでロゼ四重奏団(Rosé-Quartett)らによって行われ、第2チェロは作曲家のフランツ・シュミットだった。グスタフ・クリムトがユディットT(右、Judith with the Head of Holofernes)を書いた頃のウィーンと書けばイメージをつかんでいただけるだろうか。

1890年にブラームスの弦楽五重奏曲第2番を初演したのもこの四重奏団であった。組織したアルノルト・ヨーゼフ・ロゼはルーマニア出身のユダヤ人である。マーラーの妹婿であり彼が指揮していた当時の1881年から57年の永きにわたりウィーン宮廷歌劇場のコンサートマスターをつとめ、ちなみにワルターVPOのマーラー交響曲9番の奏者はロゼだ。

マーラー、シェーンベルク、ロゼ、ワルター。ナチス台頭前のウィーンの音楽界を牽引したこの4人の巨人はそれぞれボヘミア、ハンガリー、ルーマニア、ベルリン出身のユダヤ人である。ウィーンが東欧の中心であり人種、宗教、文化の坩堝(るつぼ)であったことがわかる。ヨハン・シュトラウスの父祖もハンガリーのユダヤ系だったし(シュトラウスファンだったヒトラーが隠した)、ヴィヴラート奏法をウィーンにもたらしたフリッツ・クライスラーはウィーン生まれのユダヤ人だ。

我々日本人は「ドイツ音楽」という概念でハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ブラームス、マーラーの音楽を大雑把に括り、彼らがドイツ語を母国語として生活したウィーンをその中心地と考えるが、そもそも彼らを包括できるドイツなどという国は1871年までない。したがって我々のドイツ音楽という概念は欧米には存在しない。ドイツ語圏でできた音楽という意味で “Deutsche musik”、”german music” と言えないことはないが、アメリカ南西部の音楽をカントリー・ミュージックと呼ぶようなもので、アカデミズムとは程遠い響きである。

余談になるが、それでも僕がドイツ音楽という言葉を使っているのは、日本の音楽ファンにはその方が通じるからだ。Beethovenは “ビートホーフェン” だが日本では通じないからベートーベンだ。ベートーヴェンと気取る人もいるが、間違っていること五十歩百歩だ。”ハヴェール” もラベル、ラヴェル、どうでもいい。ハイドン〜マーラーは広義のドイツ文化圏の人々で、服に喩えれば布地はプロイセン、バイエルン、東欧と様々だが彩色は多民族国家であるオーストリア・ハンガリー帝国風である。だから彼らの音楽の演奏団体がベルリン・フィル、ウィーン・フィルどちらであろうとドイツ保守本流と見做され得るが、その二つの楽団はまったく別の国、別の文化圏の似て非なるものなのである。

19世紀までウィーンは欧州最大の開かれた国際都市であり、イメージとして僕は我が国が遣唐使を送ったころの唐の長安を思い浮かべる。だからモーツァルトもベートーベンもブラームスも遠路はるばるやって来たし、ユダヤ人も来たのである。その都市に「ドイツ」をかぶせたのはアドルフ・ヒトラーであった。1938年のオーストリア併合である。ここで「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ少佐はオーストリアからスイスへ亡命したが、シェーンベルク、ロゼ、ワルターはそれぞれロサンゼルス、ロンドン、ビバリーヒルズへ逃げ、みな当地で亡くなった。ロゼの娘のアルマは収容所に送られ、女性オーケストラを組織するなど楽才を発揮したがアウシュヴィッツで病死した。

「浄められた夜」はそんな悲劇がおこる40年ほど前のウィーンの音楽である。弦楽合奏版もあり、初めて聴いたのがどっちだったか誰の演奏だったかは記憶にないが、覚えてもいないほど一聴して僕にとっては堕落した作品であった。クリムトの絵も好きでないし、マーラー嫌悪はそれ以上であったのは、恐らくその時代の生ぬるく退廃的なウィーンの空気が肌にあわないのだとウィーンの美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)を歩きながら思ったりもした。シェーンベルクというと室内交響曲第1番で入り、次いで衝撃を受けた「月に憑かれたピエロ」(1912)しか眼中になかった。「浄夜」は回顧的(retrospective)で「ピエロ」は急進的(radical)だ。ストラヴィンスキーはradicalでキャリアをスタートしたのになぜシェーンベルクはできなかったんだろう。

その時はまだ音楽史を知らなかった。僕は間違っていた。25才のシェーンベルクは、ウィーンの音楽家だったのだ。だからまず、浄夜を書く頃の彼が範としたのはブラームスであった(表層的な例だが、第1交響曲第4楽章のパッセージがそのまま出てくる)。それは、クロマティックに動く内声部が主導する和声の後期ロマン派的な変転や、拍節感を希薄にするリズム構造の旋律、ポリリズムの交差する複雑な対位法、以上を駆使した凝りに凝った変奏といったマニアックな作曲技法においてである。ブラームスはそれら諸点においてベートーベンの末裔であるから、シェーンベルクはドイツ音楽(ウィーン音楽の意味だ)の保守本流の発展形としてドデカフォニー(12音技法)に踏み込む自負があったと見ていいように思う。

僕は(誰も主張していないが)ブラームスは同様の精神の刻印として第4交響曲の冒頭主題をハンマークヴィール・ソナタ(29番)の緩徐楽章から引っ張ったと考えており(コラール主題がJ.Sバッハ由来なのは有名だが)、シェーンベルクはそのブラームスからドイツ古典の血脈を受け継いだ。ところがその一方で、その系譜から分派して(日本史で喩えるなら南朝・北朝の如く)ブラームスと対立したワーグナーの響きとトリスタンの書法をも取り入れているという、音楽史上唯一にして驚くべき知性の産物が「浄められた夜」という作品であったのだ。

シェーンベルクの「発明」は12音技法とシュプレヒシュティンメである。後者を代表する「月に憑かれたピエロ」の新奇さのインパクトに比べればこの曲は後期ロマン派の残滓に過ぎず、後継はなく出発点を示したに過ぎない。いみじくも「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」と語ったグスタフ・マーラーはシェーンベルクを評価はしたが「浄められた夜」の地点で立ち止まった作曲家だった。

いまは原曲である弦楽六重奏版(弦楽四重奏にVa、VCを追加)の透明感を好むが、この曲の真髄を味わわせてくれたのは、ロンドンで聞いた弦楽合奏版によるカラヤン / ベルリン・フィルの壮絶なライブ演奏だ(カラヤン最後のブラームス1番を聴く)。録音にはあの圧倒的な低音が入りきっていないが、それでも尋常でない音楽のうねりは感じていただけるだろう。この曲がそういう音楽かどうかは置くとして、オーケストラの創造できるあらゆる意味において極限に位置する巨大な演奏だった。クライバー / BPOの唯一のブラームス4番、ヨッフム / ACOの最後のブルックナー5番と同様に世界のクラシックファンの共有財産としてyoutubeにアップし、その場に居合わせた者の記憶を世界のクラシックファンの為に英文で書き残しておいた。

Herbert von Karajan conducting Berliner Philharmoniker

5 October 1988, Royal Festival Hall , London



Schoenberg "Verklärte Nacht" - Karajan's last London concert (1988)

Herbert von Karajan conducting Berliner Philharmoniker
5 October 1988, Royal Festival Hall , London


We arrived at the Royal Festival Hall fairly early, almost one and half hour before the concert due to begin at 8 pm. The Lobby was already packed with audience chatted away over, I guessed, this Karajan’s probable last appearance in London according to his age and health conditions. My wife and friends urged me to find some cozy place to settle down for quick dinner. The only available place was a buffet at basement. It was unprecedently crowded. We had to queue up for thirty minutes to be seated and, when we had all dishes served, it was 7:30 pm. I managed to swallow a giant burger but had to give up coffee. We rushed out of the buffet and running up the stairs when noticed an announcement saying that the concert would delay and expected to begin at 9 pm. The reason of delay was unbeknown to audience for a while. There were spreading suspicions around that the concert would have to be canceled. It was truly a long time before we heard update announcement saying “The conductor and orchestra were present, however, the instruments were being transported by road from Paris and had been delayed for strike in France. With help of police escort, they arrived at 8 pm. The concert will begin at 9 pm.

The first piece was this Verklärte Nacht.



カラヤン流が鼻につくという方はおられるであろうし、これで覚えてしまうのは危険かもしれない。オリジナルとこれはローストビーフか1ポンドステーキかという差があり、別物と考えたほうが良い。室内楽のポリフォニックな線の絡みと和声の透明感を味わうのが先決で、このブーレーズ盤はピッチの良さもさることながら熱さと高揚感も過不足なく、初めての方にもお薦めである。


Schoenberg: Verklärte Nacht, Op.4 - Boulez.

Arnold Schoenberg (1874-1951): Verklärte Nacht (Transfigured Night / La Nuit transfigurée), Op.4 (1899)

Pierre Boulez: Membres de L'Ensemble Intercontemporain
Charles-André Linale: violin / violon
Maryvonne Le Dizès-Richard: violin / violon
Jean Sulem: viola / alto
Garth Knox: viola / alto
Philippe Muller: cello / violoncelle
Pieter Strauch: cello / violoncelle



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/08/05/%e3%82%b7%e3%82%a7%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%83%99%e3%83%ab%e3%82%af-%e3%80%8c%e6%b5%84%e3%82%81%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a4%9c%e3%80%8d%e4%bd%9c%e5%93%81%ef%bc%94/

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[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 安田成美・岸谷五朗 この愛に生きて (フジテレビ 1994年) 中川隆
4. 2020年8月06日 18:02:19 : Sq9OvAHq8Y : NTBVeEl2MU0xWms=[11]
この愛に生きて 5話



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