★阿修羅♪ > V25PQVpmVi8xc0U= > 100000
 
g検索 V25PQVpmVi8xc0U=  
 
V25PQVpmVi8xc0U= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/v/v2/v25/V25PQVpmVi8xc0U=/100000.html
[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
269. 2022年7月03日 05:20:38 : 2OgxkND5Jg : V25PQVpmVi8xc0U=[1]
大学数学をも翻弄した「ゆとり教育」の"呪い" 令和の数学教育は払拭できるか? 「技術立国日本の再建」担う若者に期待
芳沢 光雄 - 昨日 6:00

日本の歴史から考える大学数学の学び
先日の記事〈大学数学にも浸透してきた『暗記だけの学び』〉では、初等中等教育で「理解無視の暗記だけの数学学習」が広がってしまった問題点について述べ、それが大学数学の学びにも浸透してきた状況を改善する目的ももって『新体系・大学数学 入門の教科書』(上・下)を上梓したことを述べた。

今回は、日本の数学の学びに関する歴史的視点から、現在の状況を考えてみたい。

まず、しばしば耳にすることだが、少しでも日本に関心のある海外の人達が疑問に思うことに、「日本は第二次大戦の後で、どうして目覚ましい発展を遂げたのか」ということがある。それに対して筆者が真っ先に思いつく回答は「工業化に向けた数学の教えと学びが、江戸時代から脈々と生きていたから」ということである。

江戸時代には、数学教科書『塵劫記』(吉田光由)が国民の間に普及したこともあって、国民の数学レベルは世界的にも相当高かった。明治維新を成し遂げた人材を松下村塾で育てた吉田松陰は、後に杉浦重剛が品川弥二郎の談話として残した「先生は此算術に就ては、士農工商の別なく、世間のこと算盤珠をはづれたるものはなし、と常に戒しめられたり」(「松陰四十年」、日本及日本人、政教社)という言葉からも分かるように、数学教育をとくに重視していたのである。


技術立国・日本の礎を築いた数学教育者
英国の応用数学者・数学教育者で、熱力学第二法則などで有名なケルビン卿(ウィリアム・トムソン)の門下生であるジョン・ペリー(John Perry、1850-1920)は、1875年から1879年まで日本の工部大学校(東京大学工学部の前身)で教鞭を執り、特に数学の応用面を熱く説き、その後の技術立国・日本の礎の一角を築いた。

ペリーが1901年にグラスゴーでの数学教育に関する講演で述べた8項目は、いずれも重要であるが、筆者がとくに注目するのは、それらの中にある

「数学の学びで得た成果は、人類共通のものだという喜びがある」
「昔も今も、試験に合格するという狭い範囲で数学をとらえる見方があることは残念である」
「数学は自己のためということから離れて、物事を考える重要性を学ぶ」
「数学を介していろいろな原理がよく理解できる」
等々である。

戦後の指導的人材を輩出した"特別科学組"
第二次大戦の末期に、優秀な科学者の育成を目的として設けられた特別科学学級(特別科学組)は、1944年12月から1947年3月までの僅か2年半であったが、その出身者のリストをネットで見ても分かるように、戦後の日本を築いた指導的立場の人達を数多く輩出した。

筆者はかつて、その一人である鈴木淑夫(元日本銀行理事、元野村総合研究所理事長)からレポートをいただき、旧制中学の三学年末までに微分積分や(複素)関数論まで学んだことを教えていただいた。この内容は、現在では大学理系学部の教養レベルである。

特別科学学級に関する他の資料からも分かるが、現行の中学1年、2年、3年に相当するその学年での数学授業時間数は、週8時間であった。数学教育における時間数の問題は、後で詳しく述べたい。

上で述べたような流れが、戦後の工業立国としての目覚ましい発展の礎になったと考える。参考までに述べると、現在の大学数学の基礎として微分積分と並んで学ぶ線形代数は、経営数学の前身である輸送問題*がきっかけとなって戦後から始まったのである。

*輸送問題:ある製品を生産地から消費地まで最も安い費用で輸送する方法を求めるという問題

「ゆとり化」で削られてしまったもの
高度経済成長期が終わる1970年代後半から初等中等教育では、いわゆる「ゆとり化」の数学教育が始まった。1998年の学習指導要領改訂で「ゆとり教育」の骨組みが定められ、数学を中心に教育内容や授業時間数を3割削減するなどの目標が設けられた。

ちなみに、「ゆとり教育」時代の中学校での数学授業時間数は1年、2年、3年とも週3時間で、これは世界でも最低レベルである。驚いたのは、その3割削減した内容が、当初は「ゆとり教育」の「上限」であったことである。それ以上勉強してはいけないという、まるでどこかの国の文化大革命を思い出すような内容であった。

2002年に遠山敦子文部科学大臣(当時)が「学びのすすめ」を発表して学習指導要領の内容を「下限」とするまでは、その内容を「上限」とする指導まで規定されたほどである。もし「学びのすすめ」が無ければ、日本は没落国家に至ったと振り返る。

さらに90年代後半には、数学の授業時間数が今後減ることで、いくつかの県では高校の数学教員がゼロ採用になった。

それどころか、「数学の教員はもはや役に立たない。教員室でのあなたの机はない。家庭科の教員免許を取ったら残してあげる」、などと校長から肩叩きされた優秀な数学教員が何人もいたのである。そしてテレビの情報番組では、家庭科の教員になった元数学教員が、エプロンを付けさせられて面白おかしく取り上げられたこともあった。

そのような出来事が続いたからこそ、筆者は朝日新聞「論壇」(1996年11月7日号)への寄稿を皮切りに、数学の意義を活字にして訴え始めたのである。当時、筆者のもとに寄せられた意見の中で、とくに次の2点に関しては、なんとも悔しい気持ちを抑えることができなかった。

2つの本質的な問題
1つ目は、「ゆとり教育」を支持する方々から、「ゆとり教育を御批判される方々は『円周率約3はケシカラン』とよく言われますが、教科書にはちゃんと3.14と書いてあります。御批判の前に教科書をちゃんと見ましょう」と散々言われたことである(今でも言われる)。筆者は、その都度、このように説いたものだ。

確かに、3.14という記述はあります。しかし、それは意味のない3.14なのです。

たとえば、半径が11cmの円の面積を求めると、次のような計算が現れます。

11×11×3.14=121×3.14

ここで、3桁同士の掛け算が出てきます。

ところが「ゆとり教育」の筆算では、2桁同士の掛け算は教えるものの、3桁同士の掛け算は学習指導要領範囲外となって、そこでは「円周率は約3として計算してよい」となったのです。

したがって、この場合は、円周率が3.14で近似されることを示しながら、実際には「3」として計算することになります。つまり、問題の本質は「3桁同士の掛け算」を学習指導要領範囲外にしたことなのです。

【写真】3桁の掛け算
© 現代ビジネス
【写真】3桁の掛け算
2つ目は、「ゆとり教育」時代の前後に「数学は単なる計算技術だから、計算機が発達した時代を考えると、数学は不必要になってきた。数学科なんか卒業したって、学者を別にすると学校の先生しか就職口はないだろう」などと散々言われ(今でも言われる)、そうした意見を反映したかのように、それまで多くの成果を上げてきた横浜市立大学や上智大学の数学科が廃止となったことである。

しかし、これらの問題も、年月とともに解決の兆しが見えてきたのである。

なぜ3桁の計算が大切なのか?
最初の問題に関しては、諸外国の算数教科書でも3桁同士の掛け算を指導しているが、それが必要であることの本質的な理由にはならない。この問題に関しては、1、2、3、4、5……と成り立つ性質の理解が本質にある。掛け算でいえば、2桁同士、3桁同士、4桁同士、5桁同士……についての筆算ができるということの理解である。

数学でこのような対象に関しては「数学的帰納法」という証明法があるが、筆者は長い教育経験から数学的帰納法を用いる前に、n=1のとき成り立つ、n=2のとき成り立つ、n=3のとき成り立つ、というように、少なくても「3」までは確かめることによって、一般のnについて成り立つことを予想するのが自然である、という考えをもつ。

およそドミノ倒し現象だろうが、ボックスティッシュの紙が続いて出てくる現象だろうが、nが1と2の場合だけでは理解が不十分であり、nが3の場合のときが重要である。

それは、たとえば3枚のドミノを並べたとき、真ん中のドミノは倒されると同時に倒す作用があり、これが繋がる性質の本質である。

456×789の筆算を考えると、1段目の5×9のところでは、6×9によって繰り上がってきた5を加えると同時に、5×9に5を加えた50の5を上の位に加える作業が必要になる。この2つの作業は、3枚のドミノ倒しを行う場合の真ん中のドミノの動きに相当していることが分かるだろう。

再び注目される「掛け算の桁数」
筆者は、そのような理解をもっていたがゆえに、「ゆとり教育」の以前から「3桁同士の掛け算の指導は必要である」と新聞・雑誌・講演などで、強く訴えていた。そして2006年7月に、国立教育政策研究所は「特定の課題に関する調査(算数・数学)」(小4−中3約1万9千人対象)に関する次の報告をおこない、それは筆者の持論を証明するかのようなものだった。

小4を対象とした「21×32」の正答率が82.0%であったものの、「12×231」のそれが51.1%に急落したこと。さらに小5を対象とした「3.8×2.4」の正答率が84.0%であったものの、「2.43×5.6」のそれが55.9%に急落したこと。

それを機に掛け算の桁数の問題は注目されるようになり、筆者は文部科学省委嘱事業の「(算数)教科書の改善・充実に関する研究」専門家会議委員に任命され(2006年11月〜2008年3月)、掛け算の桁数の問題、四則混合計算の問題、小数・分数の混合計算の問題、等々についての持論を最終答申に盛り込んでいただいた。その後の学習指導要領下の算数教科書では、それらの問題は改善され、現在がある。

大学数学も新たな動きへ
2つ目の大学数学科の問題に関しては、2つの数学科の廃止に対しては、当初から関連する2つの学科等が他大学に設立されて成功すれば、プラスマイナス0になるだろう、と単純に考えていた。それに向けたチャンスは意外と早く訪れたのである。

ひとつは2007年に桜美林大学にリベラルアーツ学群が設置され、その中に筆者も参加した数学専攻が設けられたこと。もうひとつは、同志社大学で工学部が理工学部に改組した2008年に、そこに数理システム学科が設置されたことである。

桜美林大学の数学専攻については教員スタッフがたった3人という小さい専攻であるが、コンスタントに20名近くの数学メジャーの学生が集い、また中学や高校の数学教員をほとんど毎年のように輩出している。数学専攻の学生が、論文コンクールで観光庁長官賞を受賞したこともある楽しい組織である。

客観的に見れば、大学の数学系の学科等の問題に関しては、同志社大学の数理システム学科が成功するか否かの方が、はるかに大きな問題である。

幸い、旧友の教員が勤務する学科ということもあり、当学科の設置前後から数年前まで筆者は、高校生対象の当学科主催の講演会や、当学科の非常勤講師を担当させていただいた。もちろんそれらの効果は、あっても微々たるものであることは心得ていたが、横浜市立大学や上智大学のことを思い出すと体は自然に動いていた。

かつて三重県で行った高校生対象の出前授業に参加された高校生と、数理システム学科での筆者の授業で再開したときも嬉しかったが、何年か前に感激して涙が溢れて止まらないことがあった。

それは、数理システム学科の教員から、卒業生の主な就職先の資料を見せていただき、金融工学や符号・暗号理論に関係する企業に卒業生が続々と就職してきたことが分かったときである。同時に、このような情報が日本でもっと広がることこそが緊要な課題であると考えた。

【写真】数学科を巣立った者たちの活躍を知る
© 現代ビジネス
【写真】数学科を巣立った者たちの活躍を知る
「技術立国日本の再建」を握る数学
間もなくして、その思いが現実となることが起きたのである。2019年3月26日に経済産業省で発表されたレポート「数理資本主義の時代〜数学パワーが世界を変える」である。これは、数学関係者にとって大きな励ましになったことは言うまでもないが、これから数学を本格的に学ぼうという若い人達にとっても大きな励みとなるものである。

そのレポートの冒頭では、社会のあらゆる場面でデジタル革命が起き、「第四次産業革命」が進行中で、この第四次産業革命を主導し先へと進むために欠かすことのできない科学が3つあると捉えている。「それは、第一に数学、第二に数学、そして第三に数学である!」と述べている点は、驚くばかりである。

全文50枚に及ぶレポートはネットで読めるようになっており、海外ばかりでなく国内でも数学系の人材が求められていることを詳しく述べてある。戦後の工業立国としての目覚ましい発展の礎には微分積分などの解析学が大きなウエイトを占めていたが、現在はそれに加えて、符号・暗号の基礎となる代数学や離散数学も重要になってきていることが、図によって視覚的にも理解できる。

大学数学の入り口の学びに関しても、そのような変化を鑑みることが必要と考え、6月に上梓した『新体系・大学数学 入門の教科書』(上・下)の章立てで参考にした次第である。

さらに同書の出版直前に、数学界をリードする東京工業大学の加藤文元教授の注目すべきインタビュー記事〈GAFAで数学系の人材がひっぱりだこな理由。純粋数学はもう「ポケットに入っている」〉が「Forbes」6月9日号に掲載された。

上述の経済産業省のレポートを純粋数学の視点からブラッシュアップした記事であり、微分積分学の厳密な基礎になる「ε‐δ論法」や(代数学の群、環、体などを想定した)「数学的抽象概念の言葉」の学びにも言及している点に、頭が下がる思いがした。このインタビュー記事によって、「技術立国日本の再建」を夢見る若い人達が、数学の世界に飛び込んで来ることも期待したい。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%82%92%E3%82%82%E7%BF%BB%E5%BC%84%E3%81%97%E3%81%9F-%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2-%E3%81%AE-%E5%91%AA%E3%81%84-%E4%BB%A4%E5%92%8C%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%A6%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%AF%E6%89%95%E6%8B%AD%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B-%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%BB%BA-%E6%8B%85%E3%81%86%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%AB%E6%9C%9F%E5%BE%85/ar-AAZ5xBq?ocid=EMMX&cvid=66fbef85913d45b89d968d980ef165bf
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c269

[リバイバル3] 音楽はこういう部屋で聴きたい 中川隆
119. 中川隆[-13026] koaQ7Jey 2022年7月03日 07:01:45 : 2OgxkND5Jg : V25PQVpmVi8xc0U=[2]
オーディオに求めるもの  完結編・・・になるのか? Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-553.html


このブログを読んでいただいている人の反応も色々で

「お前のブログは何を言っているのかさっぱり分からん」と言う人あれば、同じ日の記事に対して

「今回の記事は”あるある”だよねえ、笑った」と言ってくれる人もいます

この様な反対の感想が出るのは、特定の思想に「右向け右」をしていない証拠で健全な内容である為と自負しております

音楽やオーディオを聴くことは、感性による作業ですから受け取り方が人それぞれに異なるのは当然です
感性のベクトルが真逆の人とオーディオや音楽の話をしても全く噛み合わないのは必然ですから、一つのブログの記事に対して異なる反応があるのは正常なことでしょう


尤も、ブログは日記的に平明でたくさんの人が興味のある内容のが良いのも又真実でしょうがねえ
閲覧数とか👍の数を競うのが目的であればそれも正義でしょう

それでも、見知らぬたった1人の誰かのきっかけにでもなれば本望だと思いブログを書いています

さて、そんな分かり難いこのブログにおいても前回は超絶中途半端に終わりまして、各方面からツッコミが入っています

私が言いたかった事を簡単にまとめると

生演奏でも、特別な機会でしか体験できない様な「エモーショナルな経験」をオーディオを通じて追体験できるならば、オーディオを以て音楽を聴く行為としては本懐である
元々はこんな趣旨で書き始めました

でも、途中で李香蘭のライブ音源に出会ってしまい
この歌唱を聞いてしまったら、自分がどんな文章を書いたところでこれ以上を伝える事は不可能だと打ちひしがれて途中で投げ出してしまった訳です


私が初めてオーディオを通じて意識を失いそうになるほどの衝撃を体験をしたのは、40年近く前の22歳頃の事でした
こちらでも何度も書きましたから、簡単に列挙しますが

・我が家にて 
 ボベスコ/ジャンティ ラフマニノフのヴォカリーズやフォーレの入った一枚 アメリカの再発盤
 WE728+WE713モノラルで

実家の子供部屋・・・在来工法の二階6畳
トランポリンの様な床に、厚さ6mmの板を貼っただけのタイコ状の内壁
炊飯ジャーと電子レンジとヘアドライヤーを同時に使うとブレイカーが落ちてしまう様な電源環境という
オーディオマニア的には禁則事項の展覧会の様な環境でもたらされた体験でした

その後、我が家と他所で合計数回これに匹敵する体験をしましたが、いずれもスーパーオーディオマニア宅の立派な装置と専用室ではなく一般の住宅で、極めて紳士的?なオーディオセットによるものでした

ちょっと悪い言い方を許してもらえるなら
施策の限りを尽くしたオーディオマニアさん宅の音は、美しく整っていて非の打ちどころの無いものも多くありましたが、その為か返って音楽や演奏の熱を伝えにくい印象を受けることがあるかもしれません

元メーカー出身=提案する側?の私が言うのも変ですが、オーディオフェアのブースや試聴会で聞かれる「あの音」と言えばご理解頂ける方もいると思います


さて、
それらの神の如き再生音楽体験はその後のオーディオ人生における決定的な「指標」を私の中に植え付けてくれました


今の私が、真空管やケーブルを変えたり、アースの金属タワシがどーしたのと言った音変え遊びに全く興味がないのは

普通の住宅環境で、ビデオに無料でついてくる様な赤白ケーブルだったり、テーブルタップもホームセンターで売っている700円くらいの白い物でも「神の如き音」は出るときには出るし

レコードも特別製の高額盤やオリジナル初期盤ばかりで無い経験があるからなんです


3L.jpg

あるときネットで拾った画像です。どなたのかは存じません
印象的な写真(映え)だったのでずっと前に保存していました、本文を補完する一例以外の他意はありません

色々なアプローチがある事は否定しません、本人の満足に従って楽しむべき事です
個人的な感想は、賑やかな色彩の室内は好まないかなあ


私は知ってしまったんです


・高額で有名なアクセサリーやケーブルや
・真空管を変えて音の変化を楽しみ、より良い音を追求する
・〇〇な特殊金属のインシュレーターやボード類を使うと音質向上
・金タワシや200本のアース棒、しまいにゃ自家製電柱  ・・・ その他大勢 ・・・


この様なベクトルで幾らお金をかけて身を減らして音の変化を追いかけても自分は「神の如き音楽」には一生出会えないんだということ身を持って体験させられたのです
他人様のことは知りません、そうしたアプローチを楽しんでいる方々の趣味は最大に尊重します

私がオーディオに求める「音楽のエモーショナルなパワー」を聴くためにはその方向では、上手くいかないんだな。と
私の感性が思い込んでいる・・・だけであるということです

この体験を、いくら紙面(ブログ記事)で力説したところで全く他人に伝える力はありません
その瞬間に同席した人か、あるいは明らかに同様の経験を持つ人にしか理解されることは無いと断言できますからブログ記事としては何の意味も無いかもしれませんが


まだ出会っていない、これからも出会う必要もないですが同じ経験をした人と時空を超えて共感できるといいなと思います
2022/03/28
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-553.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c119

[リバイバル3] 音楽はこういう部屋で聴きたい 中川隆
120. 2022年7月03日 07:07:58 : 2OgxkND5Jg : V25PQVpmVi8xc0U=[3]
「こだわり(拘り)」を誇りに思うなよ Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-554.html

私は「拘り」という言葉が毛虫より嫌いです、蛾よりも嫌いです


「拘り」には二つの読み方があるようで

一つは「こだわり」
気持ちが囚われていること、拘泥のさま

もう一つは「かかわり」
そんな事にいつまでも関わっていないで、早く仕事しなさい
と言うように、些細で意味のない事に関わり過ぎる様を表します


いずれにしても物事に執着しすぎることを戒める言葉であって、元々は否定的なニュアンスを持ちます(諸説あり)
オーディオマニアが肯定的に「一つの事を拘って突き詰めるねえ」などは本来の言葉の意味とは違っているようです



一般に「オイロダイン・スピーカー」と言われるが、世の中にそんな名前のスピーカーは存在せず「KL-L439(他バリエーションは多数あり)」といったコードで機種表記されている

オイロダインとはEURO(欧州)+ DYN(CGS単位系の力の単位。 1グラムの質量の物体に働いて、毎秒毎秒1センチメートルの加速度を生じさせる力の大きさ)を組み合わせた造語でKlangfilm社の展開する業務用音響システムの「シリーズ名」であってその中には当然アンプ、スピーカー、映写機など一連の機器が存在する


私が初めてKL-L439オイロダイン・スピーカー(あえてこの名を使います・真田幸村見たいな感じ)を購入した時に1950年代Klamgfilm社の資料を入手し、対となるKL-V401オイロダイン・アンプ(笑)を探して購いました


その当時
「アンプまで揃えるなんて聞いたことがない!拘っているねえ」と、いう方が何人か見えましたが
私には何御事かさっぱり理解できませんでした


自分としては、製造当時の資料によって「これらを組み合わせて使いなさいよ」と、メーカーが指定したアンプを探してきただけですから「自分の感情とか嗜好とか拘りの類は一切動員していないのです」

「ハイオクガソリン専用」のエンジンにハイオクガソリンを入れて使うのは「拘り」ではなく設計性能を担保し、故障を回避する為の当たり前の行為でしょう?

ハイオク仕様のエンジンに「レギュラーガソリン」や「軽油」を入れる者があればそいつの方が余程「自意識の強い拘りの人物」だけれど、言い換えれば「馬鹿者」です

unnamed.jpeg

☆☆
この件ずっとブログに書きたかった・・それ程衝撃的なものでした

ある時、オーディオの歴が浅い若者でしょうかその人のブログを読んでいた時のことです

昨今のレコードブームに乗じて自分もプレーヤーを誂えた
今のところ付属のカートリッジで聞いているが、将来的には他のメーカーのカートリッジを買って使ってみたい

「DENONの〇〇のカートリッジを買ったら、まずXXのシェルリードに付け替えて音質向上させるぞ!」

一見、若者の意気込みや良し。って事なんですけど
文脈からみて、明らかに買ったら即交換して使う気満々なんですね

どうしてそうなっちゃたんだろうなあ
「お金を使う」ことがイコール満足なんでしょうかねえ
そんなこと言っちゃ可愛そうだけれど、君にはまだシェルリードによる音の変化が音楽再生に対してプラスなのか否かは分からないよ

そりゃ音が変わることくらいは分かるでしょうけど、そんなものは小学生だって分かる

・・・と言うか
オリジナルの状態の音を聞かないとすると「音質が向上した」かどうか、どうやって判断すんだ!?

ま、それはよしとして
その程度の些末な事がオーディオの醍醐味では無いのでね、正しく導いてくれる人が居ないことの悲哀を感じますね
高価なオーディオ部品を買うお金で未知のレコードを買う方が君の将来にとってどれほど有用で近道か分からない

ネットや雑誌やオフ会の仲間や、経済のみで繋がる販売店から何かを得ようとすると遠回りになります

「そんな事に関わってないで、自分自身の感性で以って音楽と向き合う時間を取りなさい」
そうすればいつか一廉のものを掴む事になりますよ

手を入れる事が悪いと言っているのでは無いのです
その前にできる事、やるべき事は沢山あるだろうにと思うのです

あまりにも表面的で、他人任せで、チョロチョロっと弄ること自体を楽しんでいる風潮に嫌気を感じているのです


男なら、まずは黙ってオリジナルとジックリ取り組みましょうや
結論は何年先でも良いじゃねえですか

・・・それが私の「こだわり」です
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-554.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c120

[リバイバル3] 本当のオーディオファイルは「ミニマリスト」を目指す 中川隆
59. 中川隆[-13025] koaQ7Jey 2022年7月03日 07:12:11 : 2OgxkND5Jg : V25PQVpmVi8xc0U=[4]
オーディオに求めるもの  完結編・・・になるのか? Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-553.html

このブログを読んでいただいている人の反応も色々で

「お前のブログは何を言っているのかさっぱり分からん」と言う人あれば、同じ日の記事に対して

「今回の記事は”あるある”だよねえ、笑った」と言ってくれる人もいます

この様な反対の感想が出るのは、特定の思想に「右向け右」をしていない証拠で健全な内容である為と自負しております

音楽やオーディオを聴くことは、感性による作業ですから受け取り方が人それぞれに異なるのは当然です
感性のベクトルが真逆の人とオーディオや音楽の話をしても全く噛み合わないのは必然ですから、一つのブログの記事に対して異なる反応があるのは正常なことでしょう


尤も、ブログは日記的に平明でたくさんの人が興味のある内容のが良いのも又真実でしょうがねえ
閲覧数とか👍の数を競うのが目的であればそれも正義でしょう

それでも、見知らぬたった1人の誰かのきっかけにでもなれば本望だと思いブログを書いています

さて、そんな分かり難いこのブログにおいても前回は超絶中途半端に終わりまして、各方面からツッコミが入っています

私が言いたかった事を簡単にまとめると

生演奏でも、特別な機会でしか体験できない様な「エモーショナルな経験」をオーディオを通じて追体験できるならば、オーディオを以て音楽を聴く行為としては本懐である
元々はこんな趣旨で書き始めました

でも、途中で李香蘭のライブ音源に出会ってしまい
この歌唱を聞いてしまったら、自分がどんな文章を書いたところでこれ以上を伝える事は不可能だと打ちひしがれて途中で投げ出してしまった訳です


私が初めてオーディオを通じて意識を失いそうになるほどの衝撃を体験をしたのは、40年近く前の22歳頃の事でした
こちらでも何度も書きましたから、簡単に列挙しますが

・我が家にて 
 ボベスコ/ジャンティ ラフマニノフのヴォカリーズやフォーレの入った一枚 アメリカの再発盤
 WE728+WE713モノラルで

実家の子供部屋・・・在来工法の二階6畳
トランポリンの様な床に、厚さ6mmの板を貼っただけのタイコ状の内壁
炊飯ジャーと電子レンジとヘアドライヤーを同時に使うとブレイカーが落ちてしまう様な電源環境という
オーディオマニア的には禁則事項の展覧会の様な環境でもたらされた体験でした

その後、我が家と他所で合計数回これに匹敵する体験をしましたが、いずれもスーパーオーディオマニア宅の立派な装置と専用室ではなく一般の住宅で、極めて紳士的?なオーディオセットによるものでした

ちょっと悪い言い方を許してもらえるなら
施策の限りを尽くしたオーディオマニアさん宅の音は、美しく整っていて非の打ちどころの無いものも多くありましたが、その為か返って音楽や演奏の熱を伝えにくい印象を受けることがあるかもしれません

元メーカー出身=提案する側?の私が言うのも変ですが、オーディオフェアのブースや試聴会で聞かれる「あの音」と言えばご理解頂ける方もいると思います


さて、
それらの神の如き再生音楽体験はその後のオーディオ人生における決定的な「指標」を私の中に植え付けてくれました


今の私が、真空管やケーブルを変えたり、アースの金属タワシがどーしたのと言った音変え遊びに全く興味がないのは

普通の住宅環境で、ビデオに無料でついてくる様な赤白ケーブルだったり、テーブルタップもホームセンターで売っている700円くらいの白い物でも「神の如き音」は出るときには出るし

レコードも特別製の高額盤やオリジナル初期盤ばかりで無い経験があるからなんです


3L.jpg

あるときネットで拾った画像です。どなたのかは存じません
印象的な写真(映え)だったのでずっと前に保存していました、本文を補完する一例以外の他意はありません

色々なアプローチがある事は否定しません、本人の満足に従って楽しむべき事です
個人的な感想は、賑やかな色彩の室内は好まないかなあ


私は知ってしまったんです


・高額で有名なアクセサリーやケーブルや
・真空管を変えて音の変化を楽しみ、より良い音を追求する
・〇〇な特殊金属のインシュレーターやボード類を使うと音質向上
・金タワシや200本のアース棒、しまいにゃ自家製電柱  ・・・ その他大勢 ・・・


この様なベクトルで幾らお金をかけて身を減らして音の変化を追いかけても自分は「神の如き音楽」には一生出会えないんだということ身を持って体験させられたのです
他人様のことは知りません、そうしたアプローチを楽しんでいる方々の趣味は最大に尊重します

私がオーディオに求める「音楽のエモーショナルなパワー」を聴くためにはその方向では、上手くいかないんだな。と
私の感性が思い込んでいる・・・だけであるということです

この体験を、いくら紙面(ブログ記事)で力説したところで全く他人に伝える力はありません
その瞬間に同席した人か、あるいは明らかに同様の経験を持つ人にしか理解されることは無いと断言できますからブログ記事としては何の意味も無いかもしれませんが


まだ出会っていない、これからも出会う必要もないですが同じ経験をした人と時空を超えて共感できるといいなと思います
2022/03/28
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-553.html


▲△▽▼


「こだわり(拘り)」を誇りに思うなよ Der Klang vom Theater (ドイツ〜劇場の音と音楽)
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-554.html

私は「拘り」という言葉が毛虫より嫌いです、蛾よりも嫌いです


「拘り」には二つの読み方があるようで

一つは「こだわり」
気持ちが囚われていること、拘泥のさま

もう一つは「かかわり」
そんな事にいつまでも関わっていないで、早く仕事しなさい
と言うように、些細で意味のない事に関わり過ぎる様を表します


いずれにしても物事に執着しすぎることを戒める言葉であって、元々は否定的なニュアンスを持ちます(諸説あり)
オーディオマニアが肯定的に「一つの事を拘って突き詰めるねえ」などは本来の言葉の意味とは違っているようです



一般に「オイロダイン・スピーカー」と言われるが、世の中にそんな名前のスピーカーは存在せず「KL-L439(他バリエーションは多数あり)」といったコードで機種表記されている

オイロダインとはEURO(欧州)+ DYN(CGS単位系の力の単位。 1グラムの質量の物体に働いて、毎秒毎秒1センチメートルの加速度を生じさせる力の大きさ)を組み合わせた造語でKlangfilm社の展開する業務用音響システムの「シリーズ名」であってその中には当然アンプ、スピーカー、映写機など一連の機器が存在する


私が初めてKL-L439オイロダイン・スピーカー(あえてこの名を使います・真田幸村見たいな感じ)を購入した時に1950年代Klamgfilm社の資料を入手し、対となるKL-V401オイロダイン・アンプ(笑)を探して購いました


その当時
「アンプまで揃えるなんて聞いたことがない!拘っているねえ」と、いう方が何人か見えましたが
私には何御事かさっぱり理解できませんでした


自分としては、製造当時の資料によって「これらを組み合わせて使いなさいよ」と、メーカーが指定したアンプを探してきただけですから「自分の感情とか嗜好とか拘りの類は一切動員していないのです」

「ハイオクガソリン専用」のエンジンにハイオクガソリンを入れて使うのは「拘り」ではなく設計性能を担保し、故障を回避する為の当たり前の行為でしょう?

ハイオク仕様のエンジンに「レギュラーガソリン」や「軽油」を入れる者があればそいつの方が余程「自意識の強い拘りの人物」だけれど、言い換えれば「馬鹿者」です

unnamed.jpeg

☆☆
この件ずっとブログに書きたかった・・それ程衝撃的なものでした

ある時、オーディオの歴が浅い若者でしょうかその人のブログを読んでいた時のことです

昨今のレコードブームに乗じて自分もプレーヤーを誂えた
今のところ付属のカートリッジで聞いているが、将来的には他のメーカーのカートリッジを買って使ってみたい

「DENONの〇〇のカートリッジを買ったら、まずXXのシェルリードに付け替えて音質向上させるぞ!」

一見、若者の意気込みや良し。って事なんですけど
文脈からみて、明らかに買ったら即交換して使う気満々なんですね

どうしてそうなっちゃたんだろうなあ
「お金を使う」ことがイコール満足なんでしょうかねえ
そんなこと言っちゃ可愛そうだけれど、君にはまだシェルリードによる音の変化が音楽再生に対してプラスなのか否かは分からないよ

そりゃ音が変わることくらいは分かるでしょうけど、そんなものは小学生だって分かる

・・・と言うか
オリジナルの状態の音を聞かないとすると「音質が向上した」かどうか、どうやって判断すんだ!?

ま、それはよしとして
その程度の些末な事がオーディオの醍醐味では無いのでね、正しく導いてくれる人が居ないことの悲哀を感じますね
高価なオーディオ部品を買うお金で未知のレコードを買う方が君の将来にとってどれほど有用で近道か分からない

ネットや雑誌やオフ会の仲間や、経済のみで繋がる販売店から何かを得ようとすると遠回りになります

「そんな事に関わってないで、自分自身の感性で以って音楽と向き合う時間を取りなさい」
そうすればいつか一廉のものを掴む事になりますよ

手を入れる事が悪いと言っているのでは無いのです
その前にできる事、やるべき事は沢山あるだろうにと思うのです

あまりにも表面的で、他人任せで、チョロチョロっと弄ること自体を楽しんでいる風潮に嫌気を感じているのです


男なら、まずは黙ってオリジナルとジックリ取り組みましょうや
結論は何年先でも良いじゃねえですか

・・・それが私の「こだわり」です
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-554.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/691.html#c59

[近代史5] ストラディバリウスについて語るぜ(完璧主義者による完璧主義者のための完璧な楽器) 中川隆
2. 2022年7月03日 08:19:54 : 2OgxkND5Jg : V25PQVpmVi8xc0U=[5]
「音楽&オーディオ」の小部屋
ストラディバリウスはお値段に見合う音を出せるのか?
2022年07月03日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0b0deed8656d03274a49846925330e88


先日の新聞に掲載されていた記事がこれ。

         

ストラディバリウスといえば周知のとおり数あるヴァイオリンの中でも王様的な存在だが、つい先日のブログでも「20億6千万円」で落札された記事を話題にしたばかり。

ただし、この種のネタは旧くて新しいテーマとしてこれまでも度々提起されている。

その理由は「何億円もするヴァイオリンが、はたしてそれに見合う音を出しているのか?」の一点に尽きる。

いわば「藝術的な価値をコスト意識で割り切れるのか」というわけで、結論の出しようがない不毛の議論を性懲りも無く何度も何度も〜(笑)。

この新聞記事では演奏者の正体が明かされていないところがポイントで、たとえば一流の演奏者が弾くのと二流の演奏者が弾くのとではいかなる名器であっても違った響きを出すのが当たり前だから随分と無茶な話のようにも思える。

ちなみに、ずっと以前に「名器ストラディバリウスの真価とは」と題して投稿したことがある。

音楽は「音」で成り立っているが、ご承知のとおりその「音」というのは物体の振動によって発生し、空気の振動として伝わっていく。

楽譜は読めなくても、せめて音響の原理ぐらいは理解しておこうと思って(今更、何だ!)読んでみたのが次の本。

「よく分かる音響の基本と仕組み」  

音の正体、聴覚の仕組み、など興味深い項目について分りやすく解説されていた。それに頁のところどころにはさんである”コラム”も面白い。193頁に以下のコラムがあった。

ヴァイオリンの世界では「ストラディバリウス」や「ガルネリ」といったいわゆる「名器」がとてつもない値段で取引されている。中には10億円以上のものがある。こういった神格化された名器の音は、はたしてその値段にふさわしいものだろうか。

きちんとした聴き比べ実験が試みられている。ストラディバリウス(数億円)、プレッセンダ(数千万円)、中級品(50万円)、低級品(5万円)の4種類のグレードのヴァイオリンが使われた。

一流の演奏家による演奏を録音し、被験者に何度も聴かしてそれぞれの音の特徴を覚えさせる。そして、音だけ聴かせてどの楽器かを回答させた。その結果、ストラディバリウスの正答率は53%だった。あまり高い正答率とはいえないが、全然分らないというものでもない。少なくとも「中級品」「低級品」と間違えることは少なかった。

「音の伸びがいい」「音の厚みがある」ことがストラディバリウスと判断する手がかりだったという。

ところがである。同じ被験者で生演奏で同じ実験をしたところ、正答率は22%に下がってしまった。これはほぼ偶然にあたる確率である。演奏者の素晴らしい演奏に聴き入ってしまい聴き比べがおろそかになってしまったのだろうか?名器の秘密に迫るのは難しそうだ。

以上のような内容だったが、この話、オーディオ的にみて実に興味深いものを含んでいるように思う。

電気回路を通した音では聴き分けられたものが、生の音では聴き分けられなかったいうのがポイント。

このことは目の前でじかに聴く音の瑞々しさ、生々しさは楽器のグレードの差でさえも簡単にカバーしてしまうことを示唆している。

したがって、オーディオにはあまり熱を入れず生の演奏会を重視する人たちがいるという理由もなんだか分るような気がする。

さて、ストラディバリウスの真価は果たしてこの程度のものだろうか。

日本の女流ヴァイオリニスト千住真理子さんがストラディバリウスの中でも名品とされる「デュランティ」を手に入れられた経緯は、テレビの特集番組や著書「千住家にストラディバリが来た日」に詳しい。

テレビの映像で、彼女が「デュランティ」を手にしたときの上気してほんのりと頬に紅がさした顔がいまだに目に焼き付いて離れない。

千住さんによると、凡庸のヴァイオリンとはまったく響きが違い、いつまでも弾いていたいという気持ちにさせるそうである。

やはり、プロの演奏家にしか真価が分らないのが名器の秘密なのだろうか、なんて思っていたところ、逆に「ストラディヴァリは神話に過ぎない」とバッサリ一刀両断している本に出会った。               
                          
「贋作・盗作 音楽夜話」(2010.5.10)

著者の「玉木宏樹」氏は東京芸大の器楽科(ヴァイオリン)を卒業されて現在は音楽関係の仕事をされている方。

本書は表題からもお分かりのとおり、音楽の裏話を面白おかしく綴った本だが、その57頁から75頁まで「ヴァイオリンの贋作1〜3」の中でこう述べてある。

「ではストラディヴァリは本当に名器なのでしょうか?私の結論から申し上げましょう。それは神話でしかありません。値段が高いからいい音がするわけではなく、300年も経った楽器はそろそろ寿命が近づいています」

「ヴァイオリンの高値構造というのは一部の海外悪徳業者と輸入代理店によってデッチ上げられたものですが、ヴァイオリニストというものは悲しいことに最初から自分独自の判断力を持つことを放棄させられています」

「ヴァイオリニストにとっての名器とはいちばん自分の身体にフィットして楽に音の出るものと決まっているはずなのに、その前にまずお金で判断してしまうのです」といった調子。

以上のとおりだが、芸術家としての千住さんの話もご尤もだと思うし、玉木さんのドライな説もなかなか説得力があり、どちらに妥当性があるのか結論を出すのがなかなか難しいが、この問題は冒頭に述べた「芸術的価値とコスト意識」に帰するようで、つまるところ当の本人の価値観に任せればそれで良し!

オーディオだって似たようなものですからね〜(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0b0deed8656d03274a49846925330e88
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1018.html#c2

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > V25PQVpmVi8xc0U= > 100000  g検索 V25PQVpmVi8xc0U=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。