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金十字架 i@CPXI6aics コメント履歴 No: 100000
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[雑談・Story41] 子供たちよ、狂った大人たちを真似するな。血の通った人の為の社会を築くために自分と闘いなさい。
もし、あなたがたが周囲の大人の考え方に絆され、反発も出来ずに、自分の中の怖れの感情、怒りの感情にすぐ負けてしまうのならば、あなた方も狂った人間の仲間入りとなる。

そして尚もこの社会は、人の血の通わない人間たちの考え、人の痛みに気付かない社会システムによって動かされていくことになる。

浅く生きようとするな。

自分の痛みを隠すな。

心に気付きなさい。

自分の感情に負けてはならない。

敵などいない。

誰をも憐れむな。

正しいフリをするな。誰かのフリをするな。それは自分ではない。

自分の手の届かない先を行く自分を想い、そこにある自分を追い求めよ。

何かを抑えるな。

不要な事に見向きもするな。

流れを塞き止めるな。

調和のみを求めよ。

抵抗を捨てよ。

今を強く生きよ。

人の痛みを知り、血を通わせよ。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/493.html

[雑談・Story41] 夢による良き兆しの話
けさ二連続で同じ内容の夢を見た。

海外の民衆が大盛り上がりで「世界が変わった」と喜んでいる光景だった。

一幕はバチカンかイスラエルという雰囲気。熱心な信徒達が私の周囲に感じられる。
広場には夥しい数の民衆が集まっており、眼前に聳える悪の枢軸としてある教会建物が、これまたものすごい数の花火が打ち上がる中で「崩壊していく光景」である。
向かって右側の教会の塔部分が崩落すると、そこから天使の輪のような光る煙が天に向かってぽんぽんといくつも立ち昇る。
それをみた民衆の中から、「イエスのサインだ」「世界が変わった」という声が上がると、全体から一斉に歓喜の声が挙がるというものである。私はその声にのまれたまま、次の瞬間にはそれを報道するテレビの前で喜びをかみしめている視点に変わっていた。

一度その歓喜の状態のまま目が覚めて、再び眠りにつくと、

二幕目は、これもまたヨーロッパのどこか。
眼前には海が広がっており、海沿いの石橋の先に島がある。
これまた石橋の上に夥しい民衆とテレビの各国の報道陣が集まっており、空にはけたたましい数のフラッシュと花火が打ち上がって大盛り上がりを見せている。どうもその先にある島が注目を浴びているようだ。
石橋からその先の島の様子を報道している。場所はイギリスか、ヨーロッパ諸国の海沿いの何処かである。思い当たるのはモンサンミッシェルのような大陸から孤立した街と一体化した場所。
するとそこに意識の視点が移動し、われわれのよく知るある国のある総理が出て来た。
「そんな勝手なことをしてもらっちゃ困る!」と叫んでいる。
どうも島で政府が困る立場の人間、皇族レベルの立場の人間のようだが、公務として動いているようだ。
その叫び声はその公務に対してのものらしい。
また視点が別の誰かに変わり、わたしはその島を取材する報道陣から託されたカメラをもって乗り込んでいくために走っているところだった。そこで目が覚めた。

その二つの夢のどちらも、目覚めの時点で非常に歓喜に満ちて興奮して目が覚めている。
何故なら、その二つの夢はどちらも、そこに居る民衆が主役で、大きな祝福と歓喜に包まれているものだったからだ。そしてそのどちらも、「世界が変わった!」と口々に叫んでいる人の姿があった。その両方の夢はまったく本質的に一緒の内容だった。

こうした夢を見るときの私の精神状態は謂わば光の三原色のパラメータすべてをマックスまで高めて眠りについたときである。寝る前にそのようにして就寝するクセをつけている。

これを私流に説明するならば、人のあらゆる感情(≒人格)による個人差と云うものは、例えばプリズムのスペクトル(周波数)値の差であるとする。つまりこの色のパラメータ値を意識的に変化させる努力の程度によって自分たちの人格は常に変化しうる物なのである。当然その数値がマックスで完全な無色透明(白または黒)であれば、その中にあらゆる人の人格が取り込まれてあると言える訳である。

そのためにどうすればいいか。それには、水道の元栓を締めるのと逆をすればよいというのがヒントとなる。普段価値観に流されて動いている時には気付き様も無い程、人はそれぞれ無意識的に自分と云う人格、パラメータ値をいじって行動しそれを楽しんでいるということになる。その時、多分にそれぞれのパラメータ値を変化対応させる為に、それぞれの各パラメータ値を元栓を締めるようにして変化させていると云う事になる。

去年の暮れから、立て続けに大きな変化を感じて来ている。あらゆる物事がわかり始めて来た。

その変化はどれもがひとつの大きな歓喜に向かって続いている。

ここでまた見た夢を挙げたいが、不思議な夢を見続けている。
1メートルもある巨大な伊勢エビを捕まえて、袋に入れようとしても入り切らない。袋を尻尾からも被せていると、立て続けに30センチほどの薄く緑がかった金色のカブトムシが目の前に現れ、それも興奮して捕まえていた。カブトは外来種のようだった。

白に銀色の斑点をもつ美しい鯉が8匹ほど、こちらを向いて、頭をくっつけて川の字に並んで泳いでみせている。何故かその頭に8の数字が書込まれているといったもの。
以前から明晰夢はかなりはっきり記憶されているということがわかっていたが、最近また変化が出て来た。
それが特徴的変化として一つある。

夢は、もう一つの現実だということができるが、われわれはそれを否定してこの現実を唯一の現実として捉えて来た。夢に於いてもそこに於ける体験の本質はやはり感情である。こちら側の現実世界とは違って夢は、その体験の本質である感情の連続である。それが際立っていると理解できる。目覚ましい変化、体験以外のものが一切入り込む余地がないという認識である。

夢の世界がリアルに感じられる程に、われわれが普段、現実認識として持っているものこそ、それが本当には一体どんな意味があるのかということをも改めて考え直すこととなる。
例えば、この間夢から覚めることが出来ずに17時間程ぶっつづけて寝てしまうことがあった。

その時観た夢は、白い幽体でできた龍が次第に我が家に近づき、二階のベランダから家の中に入り込んでくるというものである。
そしてそれが押し入れに入ると白いウサギに変化していた。タツからウに変化した訳である。
そしてハチドリのような小さな野鳥も沢山あつまって、その内の一羽が薔薇の棘のようなものをくちばしにくわえて、その先端を先ずは自分、そして他の鳥、その次に私の左手の甲、親指の根元にその針部分を刺した。すると刺された場所が反応してじわっと丸くアザ痕が出来た。印象としては、何かしらの免疫をつけるためのものらしかった。

その後、「こんなことは夢の世界でしか起きない」と気付いてしまうのだが、それが夢かどうかを確かめる為の方法として、ベタながら「頬をつねる」という行為に出た。すると当然痛く無いわけである。

頬をつまむ肉体の感触は確かにあるのだが、痛みが無い。しかしその肉感は現実感として確かにある。亡くなった家族もそこに同居して居り、当たり前の日常を過ごしているはずなのだが、痛みが無いことに気付いてしまった。何度やっても痛みが無いのだから夢だと理解するのだが、私はそこで完全に物理世界の記憶を取り戻しており、自分が夢の世界に居ることを理解しているのである、
当然、物理世界で寝ているはずの自分の肉体が急に心配になった。それでなんとか戻ろうと必至に自分の大腿部分を手のひらで叩き始めたがそれも叩いている感触は確かにあるのだが、痛みが無いのである

再び気付くと、夢からやっと覚めていたが、かなりの時間寝ていたことがわかった。普通ならば身体の維持を害するレベルの長時間である。しかし、身体は楽だった。
もしかすると、あの意識のまま自由にあちらの世界を楽しんであれば、そのまま意識が帰って来れなくなっていたのではないかとすら考えられる。しかし、自らそこに気付くことができ、そこからの体験は非常に面白いものだった。

どんなことからも何か一つは学ぶ機会を得る。

私はこのことでもあれこれ考えることになったのだが、あちらで痛みが無い事を当たり前とすれば、逆にいま、ここに居るわれわれとは、実は余りにも、「痛み」とするものに固執、執着していることになるのではないかと考えるに至っている。現実を自らの意識的創造物だと捉えることが出来ている人間であれば、それが何を意味するかも理解できることだろう。

痛みというものに執着するとは裏を返せば、楽と云うものをもまた不自然に求め過ぎることになっている。
われわれはもう少し自分を痛みから守ることばかりに意識を向かせること無く、その無駄を一切意識し、考えることも無く、自然な好奇心、そこにある積極性を保つことに意識を向けるべきではないかと今更ながらに思うのである。

限りある時間をわれわれは自分の独自の表現に使い切ることが出来ることが一番の倖せであると考える。
ここに居る使命とはいわば自己的独自的表現を生み出すということにある。
自分を評価して欲しい為に何かをするのではない。
あくまで独自性をもって、われわれ自身の存在そのものの力を使い切ることが、今ここに在る全体への貢献になり、評価に繋がることなのだ。

自然なありのままの在り方を探るとは、やはり不自然な観念的作用を排除することになるのだろうが、余りにもそこに対しても執着しなくていい。それにも増して、生き急ぐ必要もないのだから、目的物にとらわれて、自分を周囲に合わせて作り替えてしまう必要も無いのだと知る。

意識的に日々、自分の求めるもの、望ましい自分が何かを考え、自分の意識状態に常に気付き、調和とは何かを考え続けること。それが自分と向き合い闘うと云う事になる。己に克つとは、それはけして自分を打ち負かすということにはならないのだから、ただ、ただ、自分のしたいこと、自分であるものと調和し、自然であるものと調和することに意識を向けて、そして価値観に絆されること無く、自分の存在の本質部分の意思の力を信じて言って欲しいと思う。

不食を始める意思を持つくらいなら、まず意識を常に一定に保つというくらいのところから始めるのが良いのではと感じる。怒りにとらわれてもロクなことは無い。狂った人格に取り憑かれずとも正しいと感じることなら、いくらでもただ淡々と積極的にやればよい。自分と調和を合わせることになることとは何かを理解すれば良い事。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/504.html

[雑談・Story41] 日本国家懐疑的自虐史観に立脚する人の愚の極み 宗教と政治の在り方
護憲?新憲法改正? 解釈の捉え違いを私的思惑の為に利用する。


これは単に、歴史史観へ対する捉え方、執着によって生まれた思想であると理解する。

日本会議に属する人間の抱えていく人の苦しさとは何か。何故それが民族の気高さと繋がり得るのか。

私の祖父は皇族と国家に尽くした。戦地から幸運(不幸?)にも負傷軍人として帰還し、命を落とすことにならなかった。
皇族と共にお国のために彼の人生はあった。
しかし端から見ていて、私にはそれが痛々しかった。
彼の心が常に戦地と皇室に囚われていた事に関しては、そこにある思想の根強さと云うものを常に感じとって来た。
彼の心の真意、本音の部分に容易に触れられない。
それが私の苦痛であった。

皇族とは直接関係のない、名前だけを語った物品販売のカタログがしょっちゅう送られてきたが、晩年になるほど激しく高騰していたことも思い出される。あこぎな連中も跋扈していた。

これら戦後生まれた靖国の思想は「過去に縛られる」ところから発生している。
自虐史観というものから発生したその心の苦しみに対して、そこから離れられない、しかし解き放たれたい、という思想に染まった人間の心に巣食う葛藤との闘いである。
自分達を「不遇な民族」と看做すところを立脚点としてはじまっているのである。
ただただ、不健全な不浄さを蒔き散らすだけの思想だと断言する。

これに対しては、ユダヤ民族に見られる不遇さや、キリスト教徒の原罪思想にも通ずる人の不自由さ、と一緒のものを感じる。

つまりこれらは思想概念の悪用である。それが宗教であり、それが力を発揮するのは、政治が権力志向の者に乗っ取られ、私的思惑に利用される時である。
人類に対する最大の屈辱と侮辱がそれである。ただ悪害であると言わざるを得ない。

そもそも、神道とは政治そのもので在る。"宗教とは政治に利用されて来た"と云う意味ではない。
神道とは思想でも宗教でもない。神道とは政治そのものとして機能すべき知識である。
そしてあるべき宗教とは、すべての自然の恩恵が人々の精神の和合の中に、循環する為の生きた知恵そのもので在る。
これが何故に権力志向の為の道具と成り得ることとなっているかをよくよく考えてもらいたい。

つまり、そこにある思想的運動とは、そうした「不遇さ」を嘆く立場を主体とし、そこからの脱却を呼びかけるところから始まっているのである。

そもそも平和理念のためだけに発足した神々のいる国家と云うものがあるなら、その神の意思を身勝手にも人間の創り上げた特定の思想(特定の思想団体のみを保護するとした偏向曲解)によって解釈を変えて良い訳が無い事くらい、誰でもわかるはずのものだろう。

謂わばここでは皇族の祖である神、アマテラス神の真意をまったく理解していないといえるものであるはずだ。

改憲問題はその神の真意を徒にねじ曲げ、その神の意思を受け継ぐ皇族の立場を私的に利用するものである。
そしてまた進退についても、その意思を皇族直々に発する事も無いままに、第三者的な判断で変えてしまう事が出来るとさえ考える。

神の意思である平和理念、そして国家建立の意思、国民の公益性すべてに背いたまったく筋の通らない思想であると考える。
これについては、生きていたならば、我が祖父も甚大なる怒りを持ってそこに言葉を発していただろう。

私は、天皇皇族に対して何ら恨み等も無い。祖父の居たときは、苦痛を与える存在であった事は間違いない。
しかし私にとっては、ただただ、人としてそこに敬えるだけの存在であることは事実である。ここにある想いは思想教育によって培われたものではない。私はむしろそこから離れる事によって、客観性を手にした稀な人間の部類であると自認する。

あくまで私見だが、私は「皇族であることによる想い」というものを想像し考えるに、特に天皇象徴制になってからの皇族にとって、同じ人間としてどれだけ「その身を粉にして来たか」のみを感じ取る。
そして無私の立場をどのようにして維持、貫くかを悩んで来たことに対して、想像しがたいほどの心中を察する事となる。私自身その生き方にすごく関心があるのだと考える。

ついでにその祖であるアマテラス男神の心中さえも考えると次のような言葉が私の胸から飛び出すのである。

過去に囚われるなと云いたい。自らを傷つける事を止めよ。それは誰の意思でもない。

神の意思であり真理であるものとは、万物全てとの和合である。天津神も國津神もいずれ和合する。

くだらぬ世迷い言から離れよ。

如何なる屈辱と塗炭の苦しみを味わったと言え、それはすべて人なら染むる為に自ら志願した経験である。

正義なる闘い等は無いのである。すべては己に克つ。それだけである。

これは私の心から発するものである。

思想を悪用し人々を惑わす事を即刻止めよ。
志士の本懐にこれ以上泥を塗る真似をするな。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/506.html

[雑談・Story41] Re: 夢による良き兆しの話
インドのヒンドゥー教はその母体は密教である。密教の母体は神道である。神道は儒教から始まったものではない。神道は日本の古代信仰形態を母体にするものだ。おそらく神武の代、すなわちマヤの時代、いや、ムー以前、もっと古い時代からも持ち込まれた何かが融合して伝えられたものだろう。記憶では密教自体はドルイド僧が岩窟修道時代に発掘したものと言うから数十万年前のものだろうか。

仏教はインド派生したものだがこれを伝えたのは釈迦の弟子たちで釈迦本人の意志ではない。キリスト教もまた同じだ。又、それらの教伝の本元は日本のマヤの教伝ナーカル書の写しとある。それを西側諸国に写しを翻訳し伝えたのがペルシャ系ユダヤ人のイエスである。つまり正統なユダヤ人とは黄色人種、アジア人である。

仏教は密教とは異なり哲学であり、空海が伝えたとする仏教は本質的にそれではない。よって空海の本尊は大日如来であるがそれは日本で言えば八幡菩薩であり、大黒天であり、大国主命であるがつまり、それぞれの時代の人々の信仰形態の変遷とともに想念がそこに形を与えたものですべて一つである。八幡、ヤハタ、ヤワタいわばヤハウェだ。そしてヒンドゥの祭神シヴァ神=夫婦和合=伊勢神道が真言宗空海の裏本尊である。

神は全てを許容し、そこに意識を一致させようとするものを上へと引き上げる。純粋に人の世の作り出した概念の外に平穏がある。

このあたりがゴチャゴチャさせたままだから人々は未だ宗教の本質、或いは信仰の本質について理解に至ることが出来ず迷いに埋没している。

そもそも人語を通して伝えられた知識がそのまま力を持つはずもない。修験道がそこに足りないものを補う。

聖書は殆ど正確な史実を敢えて遺さぬよう偽書も多く弟子たちに作られた。暗号化されて。エッセネ派が隠した本物にしても5割方暗号化されている。

だからこそ信仰、或いは学問とは文書から学ぶだけのものでは無いのである。その事は禅宗にも「不立文字」としてしっかり表れているだろう?

日本に仏教を持ち込んだとされる聖徳太子にも同様のことが言える。彼は厩の王子として現・茅ヶ崎に生まれたれっきとした日本人だが、顔立ちはペルシャ系移民の様である。藤沢市にはゆかりの神社があるそうだ。

そしてまた、もう一つ、聖徳太子が推古天皇(女性天皇)の代に変遷した書物で天照大神が女性ということにされてしまった話も考えてみればエッセネ派と同じ扱い方に思えるのである。

つまり、聖書は読み手のレベルに合わせてそこに書かれている内容をキチンと解き明かせる者とそうでない者とに分ける試金石となる内容に敢えて書き換えて遺しているのだ。

ともかくそのムー大陸が存在する以前から様々な人種が交流して日本の土台を築いてきた。(白人種以外)それが1万数百年前、海に沈んだのだ。大量の水が月から落ちてきたとされる。この月の前駆体はマルドゥクだったもの(その一部)だろうか。

ムーが沈んだ後の日本には、ムーが沈む際ユーラシアに避難したものたちがみな帰ってきたが、よほど大事な何かがそこにあったのだろう。

どこで聴いた話だったか、氷川大社の主祭神素戔嗚尊(一説にはソサの国の王)は神奈川へと流れ着いた秦一族(ジョフク)とされてるらしいが知らない話だ。ジョフクはGREATWALL建設に嫌気がさし、秦の始皇帝に不死の薬を探すと嘘をつき、一族引き連れて日本に亡命したという話だと認識している。おそらくわたしの血統もそれだ。

海を渡ったジンギスカンの話も現在の戦争屋のルーツブルーブラッドの根絶を当時決行した話だったと考える。

ともかく、ようやく待ちに待った時を迎える前段までたどり着いたので、人類史から抹消された重要な記憶のピースをここにはめ込みたい。




数年前こんな夢をみた。

周囲に大勢の宗教者、霊能者が座っており、その中でわたしがひとり立ち、こう挨拶している。

「この度はわたしの為にお集まりいただき誠にありがとうございます」

その前列にはわたしが唯一先生と呼ぶ恩師の姿もあり、リアルでは不義理が祟り疎遠となって十数年経っていたが「これこれ現在はこうでこういうことがわかりました」などと鎮痛な思いで話すと恩師は(夢ではあるが)生前のように「そうか」といつもの堂々とした佇まいでニコッと微笑んでくれるのだった。

そこでは様々な見覚えのある霊能者がわたしに付き、祝詞の上げ方声の出し方などをレクチャーされた。

場面は変わってその会場の裏手に楽屋裏のような回廊があり、そこで懐かしい顔に出会う。

「あれ?あんたこんな所で何してんの?」

と、そこで声をかけられた相手もまた疎遠となって久しい人物だった。ではこの人の話に移りたい。


今から二十数年も前の話。

当時まだわたしは神の世界に触れて間もなく、こんな世界があったのかとそれまでの人生観を一変する節目に遭遇していた。

まず前段の恩師と出会う。わたしはそれまで今以上に社会に反発を持つどうしようもない荒れた人間だった。しかし恩師と出会って世界観が一気に開けたようになった。人生観がひっくり返ってしまった。

わたしが求めていた世界がそこにあったのだ。そしてそこはわたしを受け入れてくれた。何も解らない人はこれを新興宗教にはまり込む人間の典型的なパターンと警戒して受け取ることだろう。解っている。それでいい。話を続ける。

つまりすでにそうしてわたしはその時、信仰する神を一つに絞っていた。それだけ恩師の生き様、人物としての理想高見を行く振る舞いに惚れ込んでいたのだ。

ある日、わたしの住んでいた家のすぐ裏手に夫婦で引っ越されて住み始めたばかりの奥様が我が家の庭を通り道のように毎日通過していく。
(便宜上、この奥様のことをT氏と呼ぶ)
T氏は都会的で明け透けに人の懐に入ってくる面倒見の良い姉さん風なキャラクターで声が通ってズケズケとした物言いでやや苦手ではあったが、下町の人情味を感じる雰囲気がわたしにとっては刺激的だった。スーパーの帰りには必ず家に寄り、惣菜などを勝手に置いていくのだった。
母ともすぐに打ち解け、賑やかな近所づきあいが始まった。母より10も年輩だったろうか。

住まいとなった裏手の家は老夫婦が居たのだが、T氏はそこのお嬢さんだった。残されたお父様の為、婿養子の旦那と同居に至ったらしかった。亡くなられたお婆さんはかろうじて面識があったが聞けばイタコをしていた方らしく、それ程近所づきあいがあった訳でもなかった為、気にも止めたことがなかった。

ある時その家から深夜火が出て、騒がしさで気づいて一目散に消火器を持って駆けつけた。消防車がくる前で野次馬が既に居たが、誰も火消しをしていない。馬鹿かと思った。気づいたら消火器の栓を抜いていたが煙を吸ってしまって殆ど何も出来てないような有り様だった。外壁を黒くするぼやで済んだが、こういうときに口ばかりで何も出来ない人間を観ると怒りを覚えるタチだとその時自覚した。

そこからどうだったか余り覚えていないが、深夜にそのお宅にお茶飲みに来いと誘われるようになった。どうもT氏は引っ越した後から日に日に霊的な力に目覚めたらしく、連日変わったことを口走って居ると母親づてに聴いていた。

「宇宙さま、赤鬼青鬼さま、閻魔様、観音様、毎日違って出てくるんだって」

「わたしを死神さんが誉めてくれてるって。死神が人を誉めることなんてめったに無いんだって」

母はよく相談事などしてるようだったが、わたしは既に恩師のもとに一本の人間だったので困った事だと思っていた。浮気心に揺れる事を嫌い、付き合いを制限したい思いが募っていた。

ある時、そのお宅で看病されてたもう一人のお父様もお亡くなりになられ、その時わたしは自宅で深夜まで商売の飾り付けに追われて店に灯りをつけて居たが、その時シャッターの陰に老夫婦が二人立つような気配とともに、「お世話になりました」との声を確かに聴いた。丁度そこに母も居たかと思う。

その晩丁度お亡くなりになられていたと後から聞いて、嗚呼、挨拶に来て下さったのかと、T氏には伝えたかと思う。

ある日の晩、確か母から誘われて初めて深夜遅くまでそのお宅にお邪魔したかと思う。火災の後リフォームしてそのお披露目もあったかも知れない。猫を飼っていて、黒い招き猫も飾られていた。「猫を飼う人はねぇ…」「猫は視えるよ」とそんな他愛のない会話で初日は楽しんだかもしれない。

昼間外で会う時のがさつな雰囲気と夜とではまるで異なり、魔女の家のパーティーにお邪魔するような気分であった。気さくで人付き合いに線を引くような人ではなく都会人らしく優雅で気品があった。

いつものようにコーヒーを飲みに来いと誘われれば、母がお世話になっていることもあり、無碍に断ることはできなかったのだと思う。そこではわたしのことも十分に理解してくれて安心感もあった。

旦那さんは当初、宗教的な話には敬遠気味で口数も少なく、真逆のタイプかに思えたが、実は人前で試していたのだと知る。わたしの信仰心が本物だと解ると突然雰囲気が変わり、「この子はどこのアレなの?」と奥様に聴くと、「ほら、○○の○○さまだって」と奥様が答えて「ふーん」という感じだった。

そこからたびたび畑の手伝いや何やらで時折お邪魔するようになったが、それでもまだわたしの方で線を引いていたように思う。

そんなある晩のこと、今度はひとりで来いと言うのでお邪魔したんだったかと記憶する。とにかくその日は特別な日だった。いつものようにコーヒーをごちそうしてもらって居ると目の前に座ってわたしを観ると言うことになった。なぜそうなったかの経緯はまるで覚えていないが、内心困ったことになった、とそわそわしたのは覚えている。


T氏は目を瞑りじっとし、わたしはその様子をただ見守っていたが、しばらくすると口を開けた。

「ワシはアマテラスと言うものじゃが」

内心何が起きてるか全く解らない状態となった。

「オヌシ、ワシのことを知っているか?」

と聴かれてすぐに「はい」と答えた。

この時心では「まさか」という疑念の方が強かったと思う。

「そうか、ならばよい」

「オヌシはもう“自分の神を持っている”からワシから何か言うことはないが…」

そう言って手のひらを上へ向けてテーブルの上に出すよう指示を受け、その通りにすると、内心「困ったことになった」と拒む意識があった筈だが、言われるとおりにするとわたしの両手に上から手を乗せてきた。

すると次の瞬間、わたしの左肩にまで一気に強烈な気が走ってこれまで感じた事のない強いショックに急に胸が押し開けられた様に感じて目頭が熱くなって涙が止まらなくなった。心にじかに触れられたような温かみを感じた。

「これでもうオヌシは普通の人間ではないよ」

「この力で汝の母を助けなさい」

「今度オヌシの神に会いに行ってみよう」

そう言って消えた。

T氏の意識が戻ったばかりのような表情でぼうっと目を開けて、「誰が出てきた?」と聴いてきた。

わたしはそこで「またまた!」という気持ちを抱いたが、恐る恐る「アマテラスと言っていました」と伝えるとと「へー!」といって驚かれた。

その反応を予想してなかったので心中複雑となった。覚えていないってのはおかしい、と思いつつ、真偽を確かめるようにこう訊いてみた。

「アマテラスオオカミって男神ですよね?」

「そうだよ」

その時はぐうの音も出なかった。

その日の事はずうっとそこから後を引いて、頑なに「頂いたとする力」には触れぬようにしようと封印するように意識から遠ざけてきた。

その後、恩師のもとにお邪魔したのだが、いたたまれなくなって思い切ってこう訊いてみた。

「神棚の中央にはアマテラスオオカミを祀ってありますが、○○さまを一番に置いて(信仰して)良いのですか?」

すると恩師は目の奥で考えるようにやや間を置いて「はい」「それでいい」

そして「アマテラスは何も悪くないよ」と聞いてない事についても一言触れられた。

今日はここまで。続きは明日以降。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/905.html
[雑談・Story41] アンダーグラウンドに光を
前回(人類史から抹消されたピースを届けに)からの続き

20代の頃から不思議な世界への視界が徐々に開けていった。このことは明らかにわたしの母が影響しており、そこに引きつける何か力のようなものを中心に広がりをみたものだと解釈していた。

従姉妹の叔母も霊感が強く、恩師の元に母がお邪魔したのも叔母がきっかけである。叔母は水子供養の近くには近づけないと言うほど敏感だったようで、恩師の元で修行を奨められもしたが断り、憑いていたという観音様をとってもらったらしい。その時肩に真っ赤な痕が数日残ったそうである。この方も愛情深い方で母は実の姉のように慕って可愛がられていた。

わたしから見てもこの叔母の雰囲気は普通の人とは違い、芸能人のような魅力があった。しかし叔母はT氏とは一切顔を合わせようとはしなかった。母曰く、同じ雰囲気をこの二人に感じていたらしく、意識しあう程関係性は難しい為、とどのつまり、合わないのだそうである。晩年叔母のすっぴんを見たが本当に綺麗で、まさに昭和の女優のような気品と顔立ちを感じた。素直にそう病室の面会時話すと喜んでくれたようだった。惜しくも若くして亡くなってしまった。

ある時叔母は恩師との話の中で恩師のアドバイスを気丈に断り、その時恩師は叔母の前で涙を見せたらしい。後にも先にも、神さまを泣かせた話としてわたしたちに語り継がれている。ともかく非常に愛の深い人と言えるのだった。

母はそのような霊媒的体質の方とよく巡り合わせ色んな体験談を持っている。時には空海さんがつく方と、また、龍神様が憑いてる夫婦とも不思議な親交があった。

本人の元にも龍神さまとのツーショット写真がある。多分これほど鮮明に龍の姿が写り込んだ写真は他に無いだろうという位、ハッキリとした目鼻立ちに和やかな表情の龍神さまが写っている。恩師曰く、恩師との旅行先からついて来た龍らしく、叔母がその休憩先で撮影したものだった。その写真はキチンと今でもとってある。ロウソクに現れた龍はヒゲと角がシッカリ細いのにディティールがしっかりしていたがこちらは欠損したためお流ししてしまった。写真を撮っとけば良かったと後悔した。

ともかく社交性が高く、誰にでも好かれる、付き合いの幅が広くどの世代とも親しくなる。なぜこの人が呪われるのだろうと思った。

T氏は「ダキニがあんたのお母さん守ってるよ」と言った。わたしもよく小さな頃から稲荷さんの講中に手を引かれてついてった記憶があるが、祖父の代からの影響かと思っていた。しかしもっと過去に遡るようである。蔵王権現様と象顔の神さま(シヴァ神だが)が好きなことといい、後醍醐天皇の頃まで遡るのではないかと思ったりしてるが、どうも北条政子さんとも関係性がありそうであった。

T氏は、母に「死神があんたのこと誉めてるよ。死神が人を褒めることなんてめったにないよ」と伝えても居たらしい。

それを聴いてわたしが「○○さん(T氏のこと)、お母さんにはダキニ天がついてるって言ってたよ。稲荷さまのことだよ」と伝えると「お母さんにはグンダリ明王さまがついてるって言ったよ」と。ともかく何でも好きで手を合わせる性格で、わたし自身はその事自体には子供のする事と言うくらいに留めていたが、常に問題視していた。

恩師にも母の事は、いいものも悪いものも呼び寄せると言われ、改名もしたくらいである。思い出したが初めて二人で恩師の元に行った際、「どちらが親かわからない」と霊能資質を共にする恩師のご子息に笑われたことを母はずっと根に持っていたらしい。

解釈の方向性、そして許容性の問題だろうが身の丈にあわないものに手を出すとそこで大変な思いもする事になる。そのように以前はしょっちゅう頭が重いという日が多く病院通いをしていた。しかし恩師の元に行くと軽くして貰えたようだ。

そうして依存心が高く見えることがわたしには疲れたのである。なのでわたしは逆に頑固なまでに恩師に対しては(母を救ってくれてる事を感謝していた)頼み事や相談を持ち込む事はなかった。信仰と依頼心を強く分けたいとも考えていた。恩師の負担を考えれば当然のことと思ったのだ。しかしそれ以上に恩師は神としての力の使い方に責任を持っていたようで、時に愚痴を聞いてくれる人を求めていたり人間味を感じる部分もすごく好きだった。叔母がそれを果たす場面もあったようだが、そうした姿をわたしら若い世代に見せたかったようで、常にわたしの瞼の裏には恩師の自己に対する厳しさが植え付けられて行ったのである。当然全く近づく事すら出来なかったのだが。

残念ながら恩師ももうお亡くなりになられている。だが時折夢でアドバイスを頂いて耳の痛い思いもしている。

T氏の元にも不思議と遠くから来客が絶えなかったようだが、聞いた話で驚いたのは、フラフラと普賢菩薩さまに連れられて訪れた人なども居たようである。本当に不思議な世界と関わってこれたものだと思う。

T氏との間に起きた(前回の話)件にして、内心非常に困惑したというわたしの心情はこれで理解されたかと思う。心理的に距離を置かざるを得なかったのは信仰の度合いを常に計るかのように自分を諫めないとわたし自身が不安定だったから言える。T氏にも自身の信仰に対する思いを話した事があり、それについて氏は、

「同じ事をお願いするならどこに手を合わせても良いんだよ」との解釈を披露された。

が、わたしの信仰する恩師の父である神は共に祀って良いとする神は明確に分けていた。だがそれを恩師にも尋ねた時、そこで確かに「アマテラスは悪くない」と言われた。

つまりそれはアマテラスの取り巻きは悪い、と言うことだと即座に解釈した。この国の現時点まで続く政治権力をめぐる争乱に纏わる話だろうと理解した。しかし恩師の言い方を考えれば本来そうした解釈こそ慎むべきかもしれない事を諭してくれてるとも思うべきなのだろう。

また当時は新興宗教が乱立し、精神的退廃にも繋がってることについて非常に感じるところが強かった事もあり、人一倍信仰に対する厳格な矜持を必要としていたのかも知れない。そんな不安な社会性であった。警戒感が強かったとも言えるかもしれない。

折しもその頃は連日オウムや足裏占いの事件が世間をにぎわしても居た。社会がそのような状況だからわれわれもまた同列に視られることを拒んだ。世間一般の認識を代表するような性格の父も、又、そうした尺度からわれわれを痛烈に批判する側であった。(後に恩師の元での酒宴の席で参加者と触れることによってその認識は一変され、父はわたしたちの理解者側となったが)

文面には著してないがわたしの半生、ほぼ半世紀と言ってもいい時間は戦いと心労絶えない時間の連続と言えたかもしれない。だがそこを突き詰めた結果、全く物怖じしない性格に登り詰めてしまったと言える。

世間一般とは隔絶された時間だったとも言える。それが功を奏したとは主観からようやく言えることである。

さてある時、T氏が玄関先に現れていた。その時家にいたのはわたしだけだった為、何事かと応対したんだったと思う。(当時住んでいた家は冬以外、常に玄関は開放的であった)、

「あのさ、昨日の晩ね、いつものように手を合わせてるとね、こういう人が現れて」

と、両腕を外側に開いて、首をやや左に傾け、目を瞑ってうなだれる仕草をして見せた。

「キリストさんですか?」と訊いたらしい。

「すると何も言わないでじっと黙ってるのよ」

「だから(首を傾げて)うーんと、般若心経唱えさせて頂きますと言って」

般若心経を唱えたのだそう。

すると「ありがとう」と言葉を残して(終始静かなまま)消えたらしい。

そんな他愛もない話、とその時は思ったかと思う。何故その話をしに訪れたのかを後から考えれば、おそらく誰でも良かったのかも知れない。よほど困惑した話のようだったから身近な誰かに話して反応を見たかったのかも知れない。

しかし、随分後になってから頭によぎったのは、もしかするとそれは「双子の弟」とされるイスキリの事ではないかということ。

磔にされたのはイエス本人ではないというのは事実だ。アマテラスが男神というのと同じくらい知られた事実だ。

その事を知る者なら明快に答えがでるだろう。彼はその存在も知られることなく、少なくとも千数百年という歳月、誰にも望まれないその姿でいまだ人々の前に磔にされている。その事自体が呪詛ではないかと。

つまり、人々の記憶に彼の生きたドラマは抹消されて居り、と言うかその存在すら認められても居ない。

わたしがこの話をしようと思い立ったのも、このタイミング、水星逆行の時期と関係する。そしてこの話が出来るのはわたし位なのではないかとずっと頭に重石のように乗っかっていたのである。だからどうしてもこの世界に命がある内に書き込んでおきたいと考えてきた。

この掲示板にこのペンネームで書き込んだキッカケも(2004前後の事)不意に見せられた夢が原因であり、その夢の強烈な印象によってそれまでの自分が一変した。一切関わりを感じなかったキリスト教に面を突き合わせるハメとなったのである。古いページにはまだその投稿が遺されている。ここに出会ったこと自体、考えれば不思議である。

わたしがこうして関りを持つ○一族はどうも名古屋あたりにも居たらしく、先祖が残した通行手形や木彫りの太子象(紛失)、祖母の訛りの原形を辿るとそこに行き着く。

わたしの前世の一つは殿に仕える小姓のような側近だったと思うのは最近その夢を見たからだが、単なる願望として殆どそうして有り得ない夢ばかり見てきたと思う。

魂の変遷を独自に探る事となってきたが一朝一夕のことではない。複雑に入り混じった時限式パズルの様なもので突然口伝てにピースがはまる瞬間をつてに九州から、そして京都からと、何度もわが祖先はどこかに逃れるように移動して来た事が解ったのである。それは魂の旅路の数だけルートがあるようだ。

父方は中東系でアマゾン川流域にもルーツがありそうな顔をしている。それで思い出したが、母が以前インカ時代の夢を見た事があったようだ。父と母、もしくは自分もかつてその頃にも付き合いがあったのだろうか。その父は養子として現在の母方の○○家に入った。

つまりわたしは途中から母方の姓を名乗っている。

母方の先祖を探ると嫡男に恵まれない家系のようで、恩師からは七代祟られていると言われた。実際跡継ぎは皆若くして病死し、養子を迎えてなんとか繋いで来たようだ。曾祖父もまた養子で、小さな山里の出だがその集落の家系に小笠原家がある。母の従姉妹もその集落の出だ。

母方の父、つまりわたしの祖父だが戦争体験者で戦地で傷痍軍人として奇跡的に命をつなぎ止めた。聴く限り奇跡的な帰還だった。祖父の兄弟はみな腹違いで祖父は二人目の妻との間に生まれた。

この二人目の奥さん(祖父の母親)はナガマヤ系の様でたっぱ(体格)が大きかったようだ。祖父と曾祖父の骨格の違いに幼い頃違和感を感じていたが大人になって真相を聴いて複雑な大人の事情に、ただ圧倒されるばかりだった。命の襷を繋ぐのは本当に生半可な事ではないと感じる反面、魂の遍歴は肉体的な繋がり以上に強力なものだとも思う事となった。

母には祖父譲りの骨太さをも感じることながら視る限りに中東系の血も濃い。祖父の骨格はナガマヤ系の特徴として見られるものだと認識している。空海さんもそのような感じだろうか。

曾祖父の後の三人目だか四人目の後妻は連れ子で○○家に入ったが、出身地を探ると戊辰戦争後に入居してきた人々かとも思う。連れ子の顔立ちは半島系日本人(ソビエトに拉致された日本軍が渡って北朝鮮になった)、金正男そっくりである。わたしたちとは全く考え方が合わず、母とは腹違いの兄弟だが疎遠となった。このウチの長男は恩師の元に紹介されたが、恩師も拒否するほど人の怨みを買ってきたらしく、百体以上憑いていたらしい。戦後大きくなった建設業の幹部職で大阪を担当していた。恩師の家に入るや否やいっぺんに払う事は出来ない、とり殺されると当初突き放したと聞いた。

祖父の母親がナガマヤ系であるのは他の関連事項に照らしてすぐに解ったがこのナガマヤ系の家柄がその後も我が家と様々な方面で関係が深いことを知って本当に驚いたが嬉しくもあった。わたしはカラマヤ系だと当初思っていたが融合したのだと知ったからである。空海さんとの関係性もここに解ることであった。

母親が象顔の神を好むのも、「死神」に好かれてるというT氏の指摘もここに繋がってくるのである。ヒンドゥー教徒、南洋を船舶で移動してきた犬飼系(ベンヤミン)とも関係があるのではないかとも考えた。

この母方の父(わたしにとっての祖父)の二人目の妻(初代は病死)、即ちわたしの母の母親(祖母)がどうもカラマヤ系の様であり、祖母の姉妹も神武系そのものの顔立ちをしている。尚且つ、その祖母の姉の結婚相手がまるで日本人離れした虎のような強烈な顔をしていた(トルコ系回族のような顔立ち)。

母親はまだ幼い頃、その山里にある母親方の生家に行き、そこで祖母の祖母(私にとって)に不思議なまじないを見せられた事もあるらしい。その地域は現代において隠れキリシタンの定住した地域のそばに位置する。それを仄めかす地名ともなっている。

ある時、

「○○(母の名)よ、お前には癇の虫が憑いてるから取ってやる」と言って、手のひらに墨をつけた筆でぐるぐると渦巻きを書いたのだそう。

するとその線の中から白い線虫のようなものがニョロニョロと無数に出てきて驚いたそうである。カラマヤ系と融合した中東系キリシタンはそういう家系のようだった。

祖母の祖母はわたしの夢にも一度出てきて(そう名乗っていた)わたしを見守ってくれてたらしい。夢での姿を母に伝えたらまさにそれだと一致していた。写真も一枚だけ残っていた。

祖母もまた昔ながらの日本女性で学に通じることの無い暮らしをして来たように思われたが、直感に優れて洞察力が鋭く、わたしも小さい頃から他の大人が指摘しないことをしてみせるので一目置く存在だったと後に回想するところである。幼いわたしに初めて絵の具で色彩感覚を教えてくれたのも祖母で、今でこそわたしにはすごく教養の高い人物だったと思えるのである。よく家の中で左回りに遊んで走り回ると「左周りは葬式の時しかしない」と注意されたりもした。現代人がすっかり忘れたような色んな話しをされたものだった。

わたしの家の地域には一族について丹念に調べて本に書くような人も居て、よく祖父の代に家に上がり込んで話していく人がいた。祖父が亡くなってからも家に訪れて一冊の本に編集したものを持ってきたことがある。

それで興味が出て過去帳なども調べると母の前世はどうも母方の一族、○○家初代男性であり、それは恩師か恐らくT氏あたりに伝えられた事であったと思う。しかしよくよく見ると記録にはどうもわたしの誕生日がその初代の命日と重なる気がしている。母が理解するのはその初代の息子たちではないかと過去帳の記録からつい最近薄々そう思い始めたのである。

聴きだすと母もまたタンスの奥にしまってたものをとり出すように初めて聴く話ばかり次から次と出てきて、実はその初代には双子の片割れがおり、そことは何らかのすれ違いが起きてケンカ別れし、一方はカラマヤ系のルーツにより深く接する場所まで移動を続けたといった話もし始めた。不思議な話だが、祖母の姉妹のひとりがその離れた地域にまで嫁いでおり、複雑な縁の力を感じるのだった。

○○家はそうして調べられた範囲では複雑な家系だが広範に点在しており、血の融合を目指して来たかのようにも見える。歴史上にも余り表に出てこないが特定の時代に藩の要職も勤めてるらしい。そして不思議とすべて当て字であり、読みに変遷がある事が解った。つまり意図的にどこかの時点で過去と決別している。


今日は此処まで。

余談だが、母が一年ほど前、かわった夢を見た話で、玄関先に人が立っており、見ると白い帽子に白い服を着た人だかりが出来てズラーッと並んで口々に「トビデが開いた」と言ってると。

その列を最後列まで見渡すと一本のリンゴの木の陰から続いてるらしく、(リンゴの木は実際の景色には無い)その光景に卒倒しそうになったらしい。わたしはそれを聞いて、「トビデ」ではなく「ダビデ」?もしくは扉?と聴いたがトビデに近い発音だった様子。訳がわからない。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/906.html

   

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