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「帝国」と「原理主義」 柄谷、浅田、市田、臼杵(『批評空間』2002-2)
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投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 18 日 08:11:06:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: Re: マルチチュード、自由ではなく、解放の運動。 投稿者 こいけ 日時 2004 年 10 月 16 日 19:57:23)

「帝国」と「原理主義」 柄谷、浅田、市田、臼杵(『批評空間』2002-2)

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『帝国』をめぐって
■柄谷 話がそれるけれど、アントニオ.ネグリとマイケル・ハートの『帝国』という本があって、日本では左翼が論じているけれど、アメリカではけっこう国務省に愛されているわけね。

■市田 あんな親米的な本はないですもんね,あれは左翼の歴史上、もっとも親米的な本でしょう。

■柄谷 事実として『ニューヨーク.タイムズ』に論説を書いたりしているわけですよ、実際、アメリカは自らを「帝国」として、意識したんじゃないか。今回の事件の対応で目立ったのは、アメリカがいままで「アメリカ帝国」つまり「アメリカ大陸」の中でやって来たことを世界に拡大したということです.パナマに侵攻して、ノリエガ将軍を逮捕し、アメリカの国内法で裁く.グレナダに親カストロ派の政権ができたら、軍を送って叩き潰す。そういうことをいままで何度もやってきている。しかし、それは「アメリカ大陸」の話でした。それが、いまや唯一の「世界帝国」として、どこへでも敵を叩き潰しにいく。一方、それに対して消極的でリアリスティックなのがパウエルで、彼はやっぱり国連を通そうとしている-アメリカがいちばん国連を無視してきている国であるにもかかわらず。

■浅田 帝国主義の時代があって、二度の世界大戦に行き着いた。その後、冷戦の時代があった。しかし、八九/九一年以後、アメリカの一人勝ちによって、まったく新しい状況が展開しているかに見える。ネグリとハートはそれをあえて「帝国」と呼んだわけですね。それはもちろんアメリカを中心とする支配だけれども、そういう一国家を超えた統合世界資本主義(ネグリとガタリが『自由の新たな空間』で使った言葉で言えば)の統治形態である、と。それを「帝国」と呼ぶことの可能性と問題点を、どう考えるべきでしょう.

■市田 今回の事件が起きるまで、ぼくはネグリ&ハートの『帝国』に関してはかなり批判的なスタンスだったんです.かなりいい加減な本だなというか、「ポストモダン化された古代ローマ」なんて言って、何が言いたいの、みたいなところがあったんですね。ところが、英米の論壇を見ていると、九月一一日以降、一挙にコロッと変わったところがある。これまでわりと批評のメイン・ストリームみたい なところで肯定的に受け入れられてきたでしょう。柄谷さんの言ったように、『ニューヨーク・タイムズ』みたいなところに載り、それこそ右の側も評価するしもちろん左の側もジジェクが「我々の時代の共産党宣言だ」なんて言って評価する。なんでここまで受け入れられるのかな、と。これは本人たちもびっくりしていたみたいです。それが九月一一目以降コロッと変わった.まさに「赤狩り」ですよ。あの本こそ、現在もっとも危険な反米思想だ、と。反ユダヤ主義、イスラム原理主義、暴力礼賛、とにかくありとあらゆる反アメリカ的なものの結節点にあの本があるというわけです。そこには、ソーカル事件以来あったフランス的ポストモダニズムに対する反感も結びついていて、生け贄的な標的になっている感じがします.こんな書物をもち上げるやつらにアメリカの大学で教鞭を取らせていていいのか、と言わんばかり。

■柄谷 それは知らなかったな。ぼくが日本に帰ってきてから変わったのか。

■市田 今の情勢、イデオロギー状況のなかでは、敵視の大きな標的になるほど成功もしたのだということをまず認める必要があるの じゃないか、と思っています。ちゃんと評価できるところもある、と認めたい。理論的なことについて言うと、ぼくはつねづねネグリの考え方には良いところと悪いところ、面白いところととんでもないところの両方があると思ってきたんですけれど、それがそのまま『帝国』に持ち込まれている。その両面を今だからこそ強調したい、みたいな。ネグリは、とにかく、ホッブズ、ルソー、へーゲルとつながっていくような媒介の思考、調停者がいかにして権力をつくるのかが問題であるという思考に対して、調停なんか必要ない、存在している国家の権力というのはすなわち群集=多数者(multitudes)の力能である、スピノザの言葉で言えばとはpotestasすなわちpotentiaである、と主張する。

■浅田 pouvoirが即puissanceである、と.

■市田そう、だから媒介をどうのこうの考える必要はない、と。いかにして戦争状態を克服するか、利害を調整するか、と問題を立てて、国家が存在する正当性を説明しようとするのは、まったくの問題の捏造であって、国家権力は実はそのまま群集・多数者の力能なんだと力説する。
■浅田 「即」ということですね。

■市田 「即」。彼は本当にそればっかり一言うんだけれどね.そこには一種新鮮なところ、革新的なところもあったわけですよ。スピノザ的な神の全能性というのは、神が過去に世界をつくったところにあるんじゃない、神は常に世界をつくり続けている、だから世界は常に変化している、だから新しいものをつくることは「即」いいことなんだ、と。新しいものが生まれ続けるかぎりで神の全能性は証明されるのだから、神を愛する人間はすべからく現状を変えなくてはならないんです。そのように考えて、既存のシステムからはみ出るような運動をすべて肯定するわけです。これは単なるアナーキズム的楽観論ではなくて、間題の立て方を変えようという試みだったと.尚っていいのじゃないか。放っておいても利害は予定調和的に調整されるから媒介としての統治は必要ない、というタイプの楽観論とは違います。確かに、放っておいても集団性はできると考える。集団を作ったほうが、力能は高まるから。社会の全体はそういう方向性をア・プリオリにもっていると承認してしまいます。間題というか分岐はその後に設定される。既存の部分的な集団性を守るか、それともそれを解体してもっと大きな集団性を構想するか、そして、どのような集団性がよりよいのか(力能を高める、つまり可能なことを増やすという点で)というところにだけ問題を認める。言ってみれば、全体のあり方、進み方としては「力能最大化」に向かっているということを公準として認めてしまい、後は、それを阻むものと推進するものについて、生態学的に見ていこう、と。左翼の歴史で言えば、党をつくり、それによって国家権力を奪取するというような路線でなくてもいいのだ、横にはみ出していく自然成長性みたいなものをそのまま肯定しつつ、関係のあり方だけを変えていけばそれが共産主義になると考える。そのことをたんにロマンティツクに言 うだけではなく、スピノザからマルクスに至る古典の読み直しまで含めて体系的にやったところに、ネグリの大きな功績があると思います。でも、それは、裏側から見ると、果てしない現状肯定にもなりかねないしろものです。権力は媒介者ではなく、その実質は無媒介の力能であると宣言したとたん、やがて壊すべきものであるにしろ、いったんは権力がかくあるという事態も承認・肯定されるから。どんな変化であっても、その結果そのものは即、正しいことになるから。なにしろ、全体としては「力能最大化」に向かっていることが前提なわけです。現在、世界大になっている「帝国」の権力は、すなわち、やはり世界化した群集・多数者の力能であるというふうにして肯定されるんです。どうやらキッシンジャーもスピノザの愛読者らしいんですが、そうだとすると、キッシンジャー的なスピノザの読み方というのかな、強いやつにはそれなりに強い理由がある、なんで強いのかはいわば神がそうなさしめていることなんだから考えなくてよい、問題はその中でどうするのかだ、というリアル・ポリティクスの読み方も可能になるわけですよね。ステータス・クオーの思想としてのスピノザ主義。そういう問題点がそのまま『帝国』にも出て来ていると思います。ソ連圏の崩壊以降、左翼が敵をもう一度名指し直したわけですね、「敵は帝国だ」と言って。だから、みんな飛びついて、「これは新しい時代の共産党宣言である」と言った、そういう一種ユーフォリックな時期が、ネグリ派の周辺だけでなく、かなり広範にありました。敵を名指すカの効果ですね。そういう効果をベルリンの壁崩壊以降の左翼の衰退のなかでとにかく生み出すために、あの本は早く出さなければならなかった。中身に関する詰めが多少甘くなっても早く出すことの、意味みたいなものを、彼らは考えたと思うんです.そして、それは成功したと思うんですよ.特にグローバリゼーションの只中におけるアメリカのヘゲモニーの評価に関して。彼らが標的とする「帝国」に対するアンチのモデルというのも、実はアメリカの建国なんですよ.アメリカの建国こそ、群衆・多数者が権力を獲得することと自分たちの力能を高めることが同じであるということを、歴史上実現したんだ、と。そういう「帝国」とアメリカの二重性一方ではアメリカはあくまで世界権力を委任された「帝国」である、しかし他方でアメリカ的なものは肯定されなくてはいけない、そういう微妙な二重性を抱えているんですね、あの本は。左翼の伝統的なインターナショナリズムを、アメリカに対する二重の評価という形にいわば今目化した。市場に対する二重の評価と言ってもいいです。一方で、市場が実現する流動性、異種交配性、ようするに自由の拡大をとことん肯定しつつ、他方で、同じ市場がもたらす不平等、再領土化(ブ・ック化や伝統回帰のような反動)については否定する、この二面性を意図的に、極力、維持しようとした。

■浅田 世界大の「帝国」ができてしまった。これは権力の極限形態である。しかし、そういうものができたということは、すなわち、その中で「生-権力」の対象として裸の生物体にまで賎められた個人が、しかし、これまたグローバルに結びついた多数性において最大の力能に到達しつつあるということでもある、と。そうすると、グローバルな帝国の権力とグローバルな群集=多数者の力能が対抗している、しかもそれは実は同じコインの両面である、というような、ものすごく単純化された議論になってしまうような気がするんですよ。マルクス主義の歴史で言うと、カウツキー に対するレーニンの批判というのがあるでしょう。カウツキーは、帝国主義戦争の時代を超えて、グローバルな資本の連合が平和裏 に世界を支配する超帝国主義の時代が到来するだろうと言った。それに対して、レーニンは、いや、世界資本主義は不均等発展から来るさまざまな矛盾を持っているから、超帝国主義などというのは、不可能であり,必ずや帝国主義戦争はあると言った.もちろん、いまレーニンの考えたのと同じような戦争が起こるとは思えないし、各国で帝国主義戦争を内乱に転化して革命を成し遂げるというレーニン的な戦略はもはや無効だと思うけれども、不均等性をもった複雑なネットワーク、強い環や弱い環を含んだネットワークとして世界を見るという原則は、やっぱり正しいでしょう。世界帝国と世界の群集=多数者が対峙するという構図ではなく、いわば中問的な水準において、不均等で複雑な関係の重なりを考えていかなければならない。そこのところではじめて政治というものが出てくるのではないか。

■市田 ネグリは「政治」「政治」と言うけれども、実はネグリに政治はなくなってきているのも事実ですね。ネグリ自身はともかく、 彼の周りにいる人、純粋ネグリ派みたいな人たちは、「政治」という概念すら捨てよう、「存在論(オントロジー)」に替えてしまおう、と言ってます。この場合の「存在論」というのは、集団性のあり方、関係のタイプ、そういった議論です。
■浅田 要するに、スピノザですね。

--略--

■浅田 まあ、ネグリのマルクス解釈はかなり強引だと思うけれど、スピノザ解釈はある面においてはかなり正確だと思いますよ。たしかに、スピノザには「即」という論理がある。また、スペインの圧制から独立したオランダの初期の商業共和国においては、群集=多数者がそれぞれ力能を強めることが、即、全体の権力を強めることだという論理、ある意味でまさしく資本主義的な論理が、革命的な意味を持ちえたわけでしょう。ただ、それを資本主義の現段階にそのまま持ってくることができるかどうか……。

■柄谷 その媒介のない「即」というのは西田幾多郎なんかもよく使うわけですよ。「即」ということで、へーゲル的な弁証法ではないんだ、と。

■浅田 ともかく、左翼から見るとそういう限界を持っているかに見える『帝国』が、なぜ九月一一目以後に妙にリアリティをもって批判されるかと言えば、やっぱり今度アメリカの始めた戦争が世界帝国と世界の貧民の戦いという格好になってきているからでしょう。アメリカ自身そういうふうに見えるのは困るというので、パウエルなんかは何とかそれを国連を通じた普通の政治の次元に持っていこうとしている。けれども、少なくともブッシュ政権の背後にある勢力は、福祉国家による貧民の取り込みが破綻したいま、全世界を「監視/管理社会」化することが不可能だとすれば、常に臨戦体制にあって貧しい群集=多数者を軍および警察で制圧していかなきゃいけない、と思っているわけですよ。

■柄谷 だから『共産党宣言』みたいにくだらない話になるわけね。ついに世界が両極化して、最後にプロレタリアートが勝つ、と。そんなものは間違っている。そういう神話的言説は影響力を持つであろうけれども、問違っている。一八四八年の経験というのは、『共産党宣言』ではだめだということなんだ。そうでなかったらマルクスは『資本論』なんか書く必要はなかったはずです.『共産党宣言』だけで済むんだから。

■浅田 むしろ、万国のプロレタリアートが団結できないのはなぜかというのがずっと問題なわけでしょう。ネグリ&ハートの場合、グローバルに広がった群集=多数者の力能と、いうのは分かるとしても、具体的にそれがどのようにして自然発生的な連繋として出てくるのかがよく分からない。

■市田 彼ら自身の議論の中身としては、どうやって中間的権力集団みたいなものができるのかという問題意識は、普通にあったと思います。ところがここ最近、『帝国』以降、特にネグリについては、それさえすっ飛んでしまったような感じで、「即」ということばかりが強調されているんですね。反グローバリゼーションの運動でジェノヴァにものすごい人が集まったりしたら、「貧者たちは立ち上がった」と素直に狂喜するわけです.彼の「群集=多数(multitudes)概念にはもともと、一歩一歩着実に進み、持続的変化をもたらすというイメージと、ドラスティックにすべてを権力から力能に戻して共産主義を実現するというイメージの両方があって、それが「即」の論理により共存させられていたような感じなんですが、ここへ来てどうも、ドラスティックな転換のほうが勝ってしまってる気がします。

■浅田 しかも、ローマ帝国における初期キリスト教団とか、神聖ローマ帝国におけるフランシスコ会とか、ちょっとキリスト教的な色彩が強すぎるような気がする。

■市田 確かにキリスト教的なアポカリプス待望論みたいな感性があるんですね。

■浅田 だから、ぼくはもちろん「文明の衝突」論はまったく認めないけれど、逆に、「世界帝国の権力を世界の群集=多数者の力能へ」という図式もまたあまりに単純化しすぎていると思う。

■市田 ある時期まで、単純な図式であるがゆえに、反グローバリゼーション運動のなかで、「帝国」という名前も広がったし、「群集=多数者」という名前も広がった、それで各地の
運動が結びついたというような実績はあると思うんですよ。だけど……。

「広域」としての「帝国」

■柄谷 近代以前の帝国は帝国主義と違います。帝国主義は、近代国家、ネーション・ステートの延長であって、だから、それがまた、反作用として、ネーション・ステートを生み出してきた。たとえば、ナポレオンの帝国主義が、ヨーロッパ内部にネーション・ステートを大量に生み出した。西洋の帝国主義が、各地にネーション・ステートを作り出した.しかし、「帝国」というのは、基本的に、国家間の交易を保証する法的・軍事的装置だと思う。それ以外に、ほとんど文化的・宗教的に干渉しない。ローマ法が自然法で、国際法の基盤になったというのは、そのためですね。 また、歴史的に、大帝国が、わりあい短期間にできるのは、諸国家や部族がそれを望むからですね。帝国は、国家と違って、資本主義的です。だから、世界資本主義そのものを「帝国」として見たくなる気持は分かる。しかし、現実に、それが帝国として形をとると、どういうことになるか。けっして、一つの国家がそれを担えるものではない。歴史的に、「世界帝国」は多数ありました。それは世界をおおうものではない。さらに、「世界宗教」というのも、結局その「世界帝国」の中だけでしか成立しなかった。そういう風にいくつかの「帝国」があり、その中から分節化してきたのが近代国家ですね。しかし、本当に世界全体をおおう世界帝国が成立 したことがない、ということが大事だと思う。ぼくは、今後もないと思うのです。それは国家が資本と位相的に異なる存在だからです。

■浅田 少なくとも、世界が不均等性を孕んでいて、その中で政治があるという現実は、なくなったわけではないでしょう。その中でイスラム圏がどうなるのかというのを、もういちど考えてみたいのですが.

■市田 原理的に言えば、近代の国民国家というのは、構成員がいて国家を作るわけですね,ところが、「帝国」というのは構成員の合意で作られるわけじゃない。イスラム圏というのも、「帝国」かどうか分からないけれど、構成員がいて国家を作るというわけではないでしょう。だから、イスラム圏という単位、その現代における位置はどうなっているのかということを、知りたいですね。

■柄谷 イスラム圏というのは、やはりナショナリズムが非常に成立しにくい環境にあったと思うんですよ。ユダヤ教は言うまでもないけど、キリスト教も国家と妥協していったのに対して、イスラム教は「世界宗教」のままであろうとしてきたと言えますね。たとえば、聖書と違って、コーランは各国語に翻訳されなかった。一方、そういう世界宗教があったために、二〇世紀まで続いたオスマン・トルコの帝国では、別にトルコ人が支配しているわけではないし、ユダヤ人やキリスト教徒も活躍していたので、逆に民族主義が出てこなかった。
---つづく

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