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狂った宗教 イスラム教
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/322.html
投稿者 中川隆 日時 2012 年 9 月 15 日 18:53:45: 3bF/xW6Ehzs4I
 

ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を歩いていると一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。

なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、

「この女は罪人だからだ」

と答えた。

それを聞いたイエスは民衆にこう言った。

「ならばしかたがない。続けなさい」

そしてこう続けた。


「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石をぶつけなさい」


民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ
石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。


石打刑の画像
http://www.google.co.jp/search?q=%E7%9F%B3%E6%89%93%E5%88%91&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ojpUUKyrMOuTiQerlIGQBw&ved=0CCAQsAQ&biw=1030&bih=892

石刑
http://www.youtube.com/watch?v=a8tNjcqh2LU&hl=ja

イスラム預言者ムハンマドを冒涜する映画予告編(英語).
http://www.youtube.com/watch?v=KYSNqTlVV5Y
http://www.youtube.com/watch?v=mToECzIyIwc
http://www.youtube.com/watch?v=2E55rwmKSyg

1.いい女の石打刑に参加するのがムスリムの最大の愉しみ


生きたまま火をつけられて殺される。生き残った女性の小説があります。

イスラム教は女性を差別している宗教です。女性を守っているとか何とか理由をつけて美化しようとしますが、冗談ではありません。自分たちの地位を脅かされないように法律と言う形で宗教を成立させている信じられないほど人道的ではない宗教です。

女性は男性を乱す悪魔と同等の扱い。だからレイプと言う犯罪すら悪魔に惑わされた結果だから悪魔を成敗するという意味で被害者であるはずの女性が加害者に仕立てられるのです。

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ソマリアで愚劣な石打処刑 報道される処刑は1%にも満たない、
ほとんどリンチで殺害されるのが実態、旧約をつぶせ!


 【「石打ち」で女性を公開処刑=ソマリア 
 
【ロンドン時事】アフリカ東部ソマリアのイスラム系武装勢力アル・シャバブの支配下にある村でこのほど、姦通(かんつう)罪で有罪を言い渡された女性(20)に対し、死ぬまで石を投げ付ける「石打ちの刑」による公開死刑が執行された。

 英BBC放送によると、離婚後に未婚男性と関係を持ったとされるこの女性は17日、約200人の群衆の目前で石を投げられ、死亡した。
男性は100回のむち打ちに処されたという。 

アル・シャバブの支配地域では厳格なイスラム法が適用されており、アル・シャバブの解釈では、離婚後でも不倫と見なされる。

支配地域で姦通罪で石打ちの刑が執行されたのは昨年以降で少なくとも4例目。(2009/11/19-06:28)】

 これはイランで恋人と一緒にいたという理由で死刑判決を受けた17歳の少女が、なぶり殺し処刑されたときの携帯動画(残酷注意)
http://www.metacafe.com/watch/yt-qjJ1FE52-qE/stop_honor_killing_in_memory_of_dua_khalil_aswad/


不倫女性を石打ちの刑に−ソマリア

 【カイロ30日鈴木眞吉】ソマリア南部キスマヨで27日夜、イスラム教徒らが、
不倫の罪に問われた女性を石打ちの刑に処し、公開処刑した。ロイター通信が29日、報じた。

報道によると、処刑は数百人の人々が見守る中、行われたという。
処刑された女性は23歳。

この『石打ち』の刑は、主に不倫や姦淫などに適用される。
身体を縛り、顔の部分だけ開いた白い布袋を被せ、この姿で男の場合は腰まで女性は胸まで地中に埋める。
周りから市民が参加して死ぬまでこぶし大から砲丸投げの球くらいの石を投げるのである。

シャリアには見せしめの公開刑としてムチ打ちがある。これは市民が見物する刑であるが、石打ちには市民の参加が奨励され、実際に石を投げる市民が沢山いる。

この男女は両方とも所帯持ちだった。社会的には確かに聞こえが悪いが、
親が決めた相手と強制的に結婚させられ、しかも離婚が許されないムスリム女性に好きな男ができ、その男と相思相愛になればどうなるか。これはもう死を覚悟の純愛行為である。

純愛を死にまで追いつめるこういったムスリムの制度は一部アフリカの他、
サウジ、カタール、UAE、イエメンなどけっこう残っている。

私が会ったサウジの人と公開処刑の話をしたら、
「あぁ、公開処刑?そんなの週末になれば、よくあることだよ。
みんな今日はどこどこのスタジアムで公開処刑がありますよって情報を持っているんだよ。

だから、いい女の場合、見に行ったりするんだ。」って言っていました。

まるで古代ローマのコロシアム状態か???
エンターテイメント化しているのでしょうか。


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イランで女性7人に石打ち刑の判決


貧困のため夫に売春を強要され、姦通罪で石打ちによる死刑判決を受けている女性など7人のうちほぼ全員が、姦通罪での石打ちによる死刑判決である。

シャリア法に従い、囚人は胸まで埋められ、手の自由も奪われる。
さらには即死せずに苦しんで死ぬよう投げる石の大きさまで定められている。

石打ちによる死刑は男女ともに対象であるが、石打ち刑の適用は女性が圧倒的に多い。 自分が強姦されたと4人以上の証言によって証明できない限り、その女性は姦通罪に問われることになる。

石打刑の映像
http://d.hatena.ne.jp/free_jamal/20090129/p1


51才の男性にレイプされた16才の少女が死刑

事件が起きたのは今から2年前のイラン。2004年8月15日、Atefah Sahaalehという
16才の少女がイランの公共広場で絞首刑に処されました。

イスラムの法律である「シャリーア」によると、死刑に相当する罪は大きく3種類。

殺人、麻薬密輸入、そして婚外交渉、だそうで。少女が死刑にされた理由は
「姦通」の罪と言うことですが、もちろん結婚なんてしていないわけで。
このことは出生証明書と死亡証明書の双方が揃っていることから証明されており、
これがきっかけで調査が行われたそうです。

彼女は13才の頃にパーティに出席した際、自動車の中で少年と2人きりでいたという理由で「道徳警察」によって「純潔に関する犯罪」で逮捕され、刑務所で短期間ではあるが放り込まれ、むち打ち100回の刑を受けたそうです。

また、刑務所からの釈放後、彼女の年の3倍と同じくらいの年齢の男性から暴行を受けていたそうで。
それが、Ali Darabiという既婚で子どもがいる51才の男性。この男から数回にわたってレイプされていた、とのこと。

彼女はこの事実を警察や家族にも言わず、結果として再び道徳警察によって逮捕されたそうです。

さらに追い打ちをかけるようにしてとんでもないことに、彼女が不道徳の原因であり、地域の同年代の少女に対して悪影響を与えている、という申し立ても地元民によって行われたそうです。

逮捕されてから3日後、彼女は裁判にかけられ、この段階にいたってついに
レイプされた事実を告白したのですが、年齢を考えると、レイプされたことが証明できなければ彼女の罪となり、そしてレイプされた事実を証明することがイランの法廷では極めて難しく、さらに男性の証言の方が女性の証言よりも重視されるため、絶望的状況となりました。

彼女は自分の主張が全く受け入れらないため、裁判官に叫んで訴え、挙げ句の果てにベールを脱ぎ捨てたそうです。その行為が致命的な打撃となり、彼女には死刑が宣告されました。翌朝の午前6時、絞首刑となりました。

彼女の死刑は家族には通知されず、裁判所の記録によると彼女の年齢は「22才」ということで処理されたそうです。一応イランもいろいろな国際法に批准しており、18才以下の場合にはイスラム法を適用しないとなっているのですが、それを無視するために「22才だ」ということにしたようです。
22才という年齢は裁判官が彼女の体を見て決めたそうです。

ちなみにレイプした男性の方は95回のむち打ち刑で済みました。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060728_execution_teenage_girl/

レイプされた13歳の少女が、1000人の見物人が見守るなか、投石による公開処刑


ソマリア南部の港町、キスマーヨ(Kismayo)で、13歳の少女が不倫したとして、27日、投石による公開処刑がおこなわれました。

投石による公開処刑は2年ぶりとなるもので、処刑された少女は最初23歳と報道されましたが、これは現地のジャーナリストたちが少女の年格好から判断したものらしく、アムネスティ・インターナショナルらのその後の調べで13歳だとわかったということです。

少女の名はアイシャ・イブラヒム・デュロウ(13歳)。

公開処刑の場となったスタジアムには、1000人以上の見物人が詰めかけました。

見物人の見守るなかを石を投げたのはイスラム系武装勢力アル・シャバブ(al-Shabab)の民兵50人とのことです。

何人かの見物人が少女を救おうと試みましたが、これに対し民兵が銃を発射、それた弾により男の子ひとりが犠牲となりました。

アル・シャバブのスポークスマンは犠牲となった男の子の件については謝罪を表明、銃撃した民兵を捜し出し、罰すると述べています。

地面になかば埋められて投石を受けた少女は、途中何回か看護婦によって生死を確認されましたが、最終的に死に至るとホールに移されて葬られたということです。

アイシャは不倫を犯したとして処刑されましたが、裁かれた行為は3人の男から受けたレイプだったといわれています。

少女はアル・シャバブの民兵にレイプされたと通報しましたが、逆に不倫の罪を負わされ拘留されました。少女をレイプした男らは逮捕されていません。

ソマリアは人口約800万人。1991年に勃発した内戦により国土は分断され、
その後暫定政権が発足したものの依然として内戦に終止符はうたれていません。
国内ではいまだ女子の割礼が公然とおこなわれ、生まれた子供の4分の1は、5歳を迎えることなく死亡するといわれています。
http://ameblo.jp/frombangkok/entry-10129034169.html


石打ち刑は、受刑者が男性であれば腰まで、女性であれば首(胸元?)まで地面に埋めた後、こぶし大の大きさの石(大きすぎても、小さすぎても不可)を、受刑者が亡くなるまで投げつける…という刑です。被害者ないし被害者の縁者らは、定められた距離を置いて受刑者を丸く取り囲み、石を投げるわけですが、この時もし!ごく稀でしょうが、上手いこと、埋められた穴から這い出して、石を投げつける群衆の輪より外に出ることが出来れば、その時点で死刑の執行は停止される(&無罪放免!)そうで…、これはJamshidi 報道官も認めています。

とは言え、ほうほうの体で逃げ出した受刑者の、その後の安否情報は流れておらず、、逃げ出すことは出来ても、その時点で既に負っていた怪我が元で、亡くなった可能性もあります。

以下は、イランの刑務所と、鞭打ち刑、石打ち刑執行の様子が描かれた、映画のワンシーンです。

http://valvane.blog17.fc2.com/blog-entry-1029.html

「家族の名誉を守るため」娘を殺害、「名誉殺害」という風習

イラク北部のクルド人が多く住む地域で、17歳の少女が人込みの中、家族によって殺害される事件がありました。

殺害されたのは、カリル(Du'a Khalil Aswad)さん、17歳。クルド人で、ヤジディ教を信仰していました。そのカリルさんが、首を腕でしめつけられた状態で人込みの中に引きずり込まれ、石を投げつけられたり殴る蹴るの暴行を受けたりして死亡したのです。

カリルさんが殺害された理由は、イスラム教スンニ派の男性と一緒にいたから。

カリルさんとカリスさんの家族が信仰している「ヤジディ教(Yazidi)」は、イスラム教の一派とも言われていますが、むしろゾロアスター教の影響を強く受けていて、またキリスト教では「堕天使」とされる「ルシフェル」を信仰の対象としています(シンボルは孔雀)。よってヤジディ教は、イスラム教スンニ派からは「異端」とみなされているのですが、それはヤジディ教側も同じで…、他教徒との交流を不名誉なこととしています。

そして、イスラム教徒と結婚する際は、「イスラム教に改宗しなければならない」。カリルさんがその男性と結婚する意志があったのかはわかりませんが、婚前の男女は一緒にいることすら認められないのがイスラム教ですから、一緒にいたとなると、結婚(改宗)したと思われても仕方ないでしょう。

そして、そう思った家族に、「家族の名誉を守るため」殺された

家族の名誉を守るためなら、娘でも殺す――。

これは「名誉殺害」と呼ばれる、中東を中心としたイスラム文化圏でしばしば見られる風習で、「例えどのような理由があろうとも婚前・婚外交渉は許されないことだ」という考えから来ています。

そして、そうした「不名誉なことが起きないように」あるいは「不名誉なことが広まらないように」自分の娘を殺しても、その地域においてはむしろ、家族の名誉を守った【英雄】として扱われるのです。
http://valvane.blog17.fc2.com/blog-entry-703.html

いまだ中東に残る「名誉殺人」エジプトから

 エジプト国営の日刊新聞アルアクバル五月四日号に、結婚後十カ月で離婚して、カイロのアインシャムスにある実家に戻ってきた妹を、彼女の兄弟二人が、妹の行為を恥ずかしく思って殺害した、との記事が掲載された。

 実は妹が男性と付き合っていることをかぎつけた兄が妹を殺害したり、父親が娘を殺害するという事件を二カ月に一度ぐらいの頻度で目にしており、報道されない事件を含めれば、かなりの同様の悲劇が行われていると推測される。

 一方、五月二十日のCNN電子版は、イラクのバグダッドで、ヤジディ教の信者の家庭に育った十七歳のクルド人少女が、イスラム教スンニ派の男性と一緒にいたことを家族に責められ、首を腕で締め付けられた状態で、人込みの中に引きずり出され、石を投げられ、殴るけるの暴行を受けて死亡した、と報じた。他教徒との交流を不名誉と見る「名誉殺害」だが、現場にいた警察官は「名誉殺害」を阻止することはできないとの見解を示したという。
 イスラム法(シャリア)では、女性は結婚するまでは父親か兄に、妻は夫に完全に従うことが基本的に要求されている。相互に愛情があれば、それほど美しく安全なことはないのだが、愛情が欠ければ、その主従関係は地獄の人間関係に転落せざるを得ず、数多くの女性が苦悩している。
http://valvane.blog17.fc2.com/blog-entry-703.html


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バッカじゃないの、おまえらカーフィル(不信心者)はどうしてイスラームの偉大さを理解しないのか?

いいか、猿以下の頭脳しかないカーフィルにもわかるように真実の宗教イスラームの美徳を教えてやる

まずイスラームに入信すれば、慈悲深く慈愛遍きアッラーフのお定めになった聖法に従い、4人まで妻が持て、また女奴隷をいくらでも所有することができる。

夫が浮気しても何の罰もないが、妻が姦淫すれば石打ちで処刑だ。

妻が文句を言ったらなぐり倒せばいいし、離婚したければおまえと別れると3回言えばいい。

さらにだ、イスラームでは9歳の女の子(小学校3年生)との結婚・セックスも合法だ。

預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)も、9歳の少女アーイシャと結婚し、性行為を遂行された。

またイスラームの天国はすばらしいぞ。緑の木々に囲まれ清らかな水が流れる楽園で、悪酔いしないうまい酒や食い物が飲み放題食い放題、

1人につき72人の専属美少女がつき セックスし放題。彼女たちは永遠の処女で処女膜が再生する、貞淑でやさしい最高の女の子たちだ。

イスラームのために戦って殉教すればどんな馬鹿でも悪党でも天国へいけるのだぞ。

どうだ?馬鹿なカーフィルにも、イスラームの偉大さがよく理解出来たろ?

                                           ,. -―._====>ミ'ヽ、
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                                  レ'/ Y :/ /イ:/´。``':ミテメミト/ /   u  ,.ィ
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【無明時代(イスラーム以前)の女性】 

私はこれから皆さんにサウディ女性について紹介しますが、このテーマはアラビア半島の歴史を紹介せずに語ることはできません。そこで1400年前をこのお話のスタート地点とすることにします。

当時のアラブ人はアラビア半島で厳しい生活を送っていました。彼らを統制する政治システムも民事的システムも無かったのです。彼らの一般的な生活は、分裂と争いと攻防の上に成り立っていました。彼らは偶像を崇拝し、部族ごとにそれぞれの偶像を神として崇めていました。また彼らの間に広まっていたものといえば、飲酒と売春でした。

アラブ人の持つ寛大さ、勇敢さ、客の歓待、約束の履行など優れた資質があったにもかかわらず、これらは当時蔓延していた悪習によって完全な善い資質とは成り得ませんでした。私がここで紹介したいことは、無明時代のアラブ人ではなく女性です。これから当時の女性に関する慣習と伝統の要約を紹介しましょう。

無明時代、女性は価値のない商品のようでした。二代目カリフのウマル ブン アルハッターブも

「私たちは無明時代、アッラーが彼女たちに関する節を啓示するまで女性に何の価値も見出していなかった。」

と言いました。当時の女性はその権利を踏みにじられ、卑下され、自分の意見を持つことは許されず、遺産相続の権利もありませんでした。人々は

「剣を持ち、自分の部族を守ることができる者以外―つまり男性以外―は相続しない。」

とよく言ったものでした。ですからもし人が死んだ場合にはその息子が、そしてもし息子がいない場合には親戚のうち、父・兄弟・叔父・伯父が相続していました。また殺人の報復に関しても、殺害されたのが女性だった場合には報復がなされることもなく、補償金も請求されませんでした。無明時代の女性は所有されることはあっても所有することはなく、夫には妻の許可なしに妻の財産を使用する権利がありました。

また女性は時には売春を強制され、その収入はその女性の後見人が得ていました。結婚に関しても、後見人の一存で女性本人に相談することなく結婚が取り決められ、結納金は後見人が受け取り、女性には反論する権利はありませんでした。

そして当時の女性が遭遇した悪習の最たるものとして「女児の生き埋め」の習慣がありました。無明時代にアラブ人は男児に価値を見出し、女児を嫌いました。女児が生まれると、父は乳飲み子である彼女を連れ、砂を掘り、そこに自分の娘を生きたまま埋め、帰路につくのでした。この父の様子をアルクルアーンは生き生きとした描写でもって私たちに伝えています。

『かれらの1人に、女(児の出生)が知らされると、その顔は終日暗く、悲しみに沈む。かれが知らされたものが悪いために、(恥じて)人目を避ける。不真面目を忍んでそれをかかえているか、それとも土の中にそれを埋めるか(を思い惑う)。ああ、かれらの判断こそ災いである。』
(ナフル章58−59節)

彼らは実際にこの悪習を実行しており、これは彼らが部族間の抗争と攻撃をおこなうために男児を欲していたこと、それから女児から発生する諸問題から逃れるため、また貧困を恐れるために行なわれました。

このようにアラビア半島において女性はある時期、何の価値もないものとして扱われた時代を生きてきました。この状況は、彼女が父のもとにおいても、夫のもとにおいても、兄弟のもとにおいても変わることはありませんでした。

筆者:ラシャー アルマンスーリー
アブドルアジーズ国王大学 生物化学元研究科
http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/women/01.htm


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2. ムスリムはアレにしか興味が無い


イラン女性は、いったいどんな美しさを隠し持っているのか?

2009年にイランの反政府運動が起きたとき、ネダという女性が殺されて彼女の顔写真が出回ったことがあった。

そのとき、世界中から彼女の美しさを確認して、彼女はたちまち「イランの天使」へと祭り上げられた。

イラン女性はホメイニ政権が成立してから一気にイスラム原理主義に回帰した。そして、女性はスカーフ(マグナエ)やベールで顔を覆うようになってしまったが、やはりアフガン女性と同じく、美しい顔立ちの女性も多い。

ネダは撃たれて死亡するショッキングな動画で有名になってしまったが、本当はその美しさで有名になるべきだったと考える人も多い。


イラン女性とは、どんな「顔つき」をしているのか?

私たちはイランというと、真っ黒のチャドルを着た女性のイメージしか持っていない。そして、そのイラン女性の顔をしっかりと見つめることもない。

そこで、ふと思うのはイラン女性はどんな顔立ちをして、どんな美しさを持っているのだろうか、ということだ。

イランはサウジアラビアのように、顔全体を隠してしまうタイプのものではなく、髪は見せなくても顔は出しているタイプが多い。しかし、それでもイラン女性の「顔」というのがあまり印象にない。

パキスタンやアフガンの女性たちの美しさとはまた違う美しさがあるはずだ。ここで、しっかりとイラン女性の顔を見てみたい。


彼女は2009年に反政府デモの際に殺されたネダ。皮肉なことに、この殺された女性がイラン女性の美しさを世界に喧伝した。

http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120911T2154320900.html

           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
       __〉イ〃 ,  /, l   / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
       〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
//   {l { い、、\V,ィf赤       //  ,ィ|l |  ト、 \
{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
      , -‐'´/ハ 、 { |lヽ、      ∠ニ-V リ / /  ∨
  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
| ハ  |! j/ ./::`:::::、                        .:::r::、::.ヽ レ'  |
   ヽヽヽ .、 i   : : : : : : : : : : : : u: :/   、: 。: : . . .  . : : : : : ': : : :|    k   
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アラブの世界ではベリーダンスが伝統としてある。半裸の女性が胸や腰を回転運動しながら扇情的に踊るあのダンスを知らない人はいないだろう。

そして、知られていないもっと暗部もある。

アラブ世界にも娼婦がいるが、娼婦が男たちに見せる特別なダンスもあって、それはベリーダンスを変形させた、さらにインモラルなものなのである。ベリーダンスでも十分にインモラルではあるが、それをはるかに超える。

ベリーダンスのベリーは腹を意味しており、それは腹ダンスと言うべきものだ。しかし、アラブの娼婦が踊るのは回転運動させるのが腹ではなく臀部だ。

世の中にはいろんな踊り方があるだろうが、私は初めてこのダンスを見たとき、世の中にはこれほど卑猥な踊りはないのではないかとショックを受けたほどだった。

他のどこでもなく、堅苦しいと思われているアラブにそれがある。

(YouTube で探してみたが見つからない。見つかればここでアップしたい)

あのブルカに隠された女性の肉体は、寝室ではとてつもなく卑猥な踊りをすることができるということだ。

そういうものが存在するのだから、ハイファ・ワハビは、アラブの裏側のインモラルが少しだけ表に出てきていると捉えていい。

表側の堅苦しい道徳とは違う世界がそこに隠されていて、結局、表側が堅ければ堅いほど、裏側の退廃も深い。

イスラムの堅苦しさは馬鹿げている。人間的ではない。

しかし、表ではブルカをかぶせて、裏では世界でもっとも卑猥な踊りを踊らせるその二面性は、それはそれでなかな興味深いものがあるのは事実だ。

「昼間は淑女、夜は娼婦」という女性の二面性を強調する働きになっている。
http://www.bllackz.com/2010/12/blog-post_28.html


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   ゞ::'         , {   ゞ::'     ;' > -―- 、!
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、            マ{ ', } ト、} { i         jヽム       ',`ヽ、
 \        `ゝ}ハ、ヽ |             /  }  ,     } つ`マ
   `ヽ、       ヽ.   {        , '     ',    ',`  ̄´


イスラム国のSEX事情

イスラム教徒の国を旅していると、出会った先々で女性バックパッカーが男性に必ずと言っていいほど聞かれるのが

『結婚してるの?』

『恋人いるの?』

であり、その質問はすっごいうっとうしくなってくるから、

『恋人いるわよ!』

と答えれば、次に来るパターンは

『それはこの国に?日本に?この国にいないのならいるとは言えないよね』
である。

だからってそれであわよくば 『ヤッちまえ!』 ということではないのだけど、一つには興味で未婚の女性が堂々と髪の毛出して、どの男性ともしゃべる、というのが、彼らにしたら驚愕の現実、だからだろう。

敬虔なイスラム教徒の女性は結婚するまで処女でないといけないし、女性は黒いベールをかぶって目だけを出し、他の男性には顔も見せない。(一部の女性は目すら見せず、ベールを全部被ってる)

あくまで女性は自分自身のすべてを旦那様に捧げる存在。
だからか、普通に髪の毛出して歩いている私なんか歩いているのを見た日にゃ〜すべての人がガン見してきます。見られ方がハンパないです。視殺される!!!

本当はちゃんとベールもすべきだったのかもだけど、バックパッカーの女性、してる人ほとんどいません。もちろんキャミソールとか足見せとかはしませんが!
中東の人たちは極東に住むニッポン人に対して、とても好意を持ってくれる。(中東の人は日本という国を知っていて、そしてとても親日的です。)
とても温かい人が多い国です。(見られるけど)

シリアを旅してたときに安宿のおっちゃんにイスラム国のセックス事情について聞いてみた。(←やっぱ聞かずにはいられない!)

結婚初夜でかっぽーは初めてセックスができる。
まぁ、これはどの宗教でも、こういう考えを持っているよね。
(アテクシにはムリだけど)
しかし驚いたのは次の言葉。

翌日、シーツに血がついているかどうかを親族に見せないといけない。

ドシェーーー!!!!! プライバシーなんてないのねー< ;`∀´>ー!!!!

それでも一部のイスラム教徒かっぽーはガマンできず、隠れてセックスしているんだ、って彼は言ってて、でも初夜の翌日、シーツについた血を見せないといけないので、羊の血をビンだかに入れて持ち込んで、それを数滴たらすらしい。

それを聞きながら 私は改宗できません!!!!! と思ったのは言うまでもありませんが。

ちなみに、結婚相手は基本的に(シリアは敬虔なイスラム国です)オンナ側の父親が相手を探してきてその人と結婚するのだそう。昔のアジアと似てますな。

中東の国にはスークと呼ばれる屋根付きの巨大な市場があって、そこでは値段交渉をしながら、アラブ的商売が営まれている。
そこを歩いていて驚くのが、セクシー下着ショップの多さ!!!

日本でいったらセックスショップ(アダルトショップ)で売っているような、派手でスケスケな布がついているのだかついていないんだか、下着として機能を果たしているのだか不明なオパンティとかワサワサ売っているのである。

スークは同じような店が固まってるので、せくしーらんじぇりーゾーンはそればっかり。
これには、一緒に歩いていたオーストラリア人オトコもアテクシもビックリ!
真っ黒なベールをして、真っ黒なガウンを着て、もっと敬虔な人は手袋までしているのに、そういう店に入っては品定めをしている。
さらに驚くのが店員がオヤジということ。イスラム国、そりゃー女性が商売するなんてないんだろうけど、下着もおやじが売ってるとはこれまたおもしろい文化。

あんな真っ黒な中、あんなド派手な下着を着ているんだっっ?!
スークの中を歩く女性達(左奥)ととてもフレンドリーな子供。

世界のセックスコラムニストのアテクシ、さっそく再び宿のおっちゃんに質問する。

イスラム教徒の女性はあの下にはすごいセクシーな下着を着ているんだよ。
と。

私 『でも、旦那にしか見せないんでしょ?もったいないよ!!!!』

しかしこの質問事態が愚問であり、ザッツ・ムスリム カルチャーなのである。

見てみたすぎ。

コメント


1 ■下着は綿!!

宗教って、色々戒律厳しいのが多いですよね。
そういう環境で育つと、きっと何の疑問も持たずに親と同じ宗教で戒律を守るんでしょうね。私には無理っ!!!!結婚するまで処女なんて、妖精になれるよ。てか、エッチの相性もかなり大事な部分だと思うし。日本人だし(笑)

結構、戒律厳しいのに下着はセクシーってのにもびっくり煤S( ̄0 ̄;ノ  結婚したら、浮気しないためにも、冷え防止のためにも綿パンツですよ。セクシー下着は、タンスの肥やしになってます、かおち家です。

なんだか、旦那の話が気に入ってもらってるみたいなので、出来立てのお話を。いいですか?

さっき、シャワーを浴びようと思って、先に私が浴室でメイク落としてたの。マスカラつけてたから、落とすのに時間かかっててて。そしたら、旦那が入ってきて、私のお毛毛を見て、「あー処理しないといかんですな。」って言ってて、私のお毛毛を軽く引っ張ったのよ。

私は、目を閉じたままで、何かむかついたから、旦那の手に当たるように膝蹴りをしたのね。そしたら、旦那は中腰で私のあそこの前に顔を近づけてたみたいで、思いっきり旦那のあごに膝蹴りが入ってしまいました。脳みそが揺れたとか言ってましたが、私の膝は、青あざになりました。むかついたので、ごめんねって言った後に、軽くきれてやりました\(*`∧´)/


2 ■いつも楽しく読ませてもらってます(^∇^)

そ、そんなセクシーな下着着てるなんて思ってもみなかったですー!!
ってか宿のおじさんに聞いちゃうのもさすが!!と尊敬です!!
wってかそのおじさんもオープンに話してくれるもんなんですね。ww


3 ■うまいっ!

「視殺」→うますぎます!!!素敵!

それにしても、シーツに血を・・・というのはまた大変ですね。だって初めてのセックスの後に出血しない女性だってたくさんいますものね。


5 ■chieakabubuさんへ
中東女性はすっごい美人、オサレ、セクシーなんですよ、旦那のためだけに〜!


6 ■サマンサさんへ

こんにちは☆
中東の子供たちってとてもかわいい子が多いです。というか、全世界の子供たちはどの子もかわいいですよね!

しかし子供たちにも視殺されますよ〜 若い男性ならもっとだし、ってか、どこでも。今はバックパッカーもそれなりにいるので、悪い意味でガン見ではないですけども!


7 ■miyukichakerさんへ

はじめまして☆ フィアンセがチュニジアの方ですか!
そしたらフランス語で会話されているのかしら?
先日、都内のチュニジアンレストランに行ったばかりです^^ ご存知かしら?
ムスリムの国ではシモノケは不浄の毛、と呼ばれていて女性はツルリンコなのですよね。
男性もスネ毛とか剃ってると聞きました。

8 ■嫁入り前処理

そのすっごいセクシーな下着をつけるためだかどうだか知りませんが、嫁入り前の儀式として全身の毛をワックスで”抜く”そうですね。全身ですよ!
どっこもかしこも。恥ずかしいですよね〜><!痛いでしょうね〜><!


9 ■magnoliaさんへ

イスラムの世界ではシモノケは特に『不浄の毛』と呼ばれて嫌われますが、婚前は全身ワックスですか〜! 拷問ですな!!!!


10 ■摩訶不思議イスラム社会

はじめまして!今日始めて読ませてもらったんですけどめっちゃ面白いッスね(笑)
実は私オーストラリアとパキスタンのハーフの彼氏がいます。ハイ、ムスリムです。

私はこの「イスラム国のSEX事情」の記事を見て納得しました。だからあいつセクシー下着好きなんだと・・・(笑)ってか好きとかじゃなくてもうフェチなんです。

基本的にえっちとかも結婚する人としかしたくない、っていう考えらしく若いのにしっかりムスリムなんだなーと思っていたんですけどね。ネットで下着のサイトを次々に見せられて、どれがいい?って聞かれたときは度肝をぬかれました(笑)

でも彼だけじゃないんですね(´Д`)!

今彼は寝てるんで、起きたらイスラム女性のベールの下はセクシー下着なのかどうか聴いてみます。納得と安心と笑いをありがとうございました。

11 ■Malaika さんへ
パキスタンもかなりのイスラム国なので、文化も強いって聞きました^^

イスラム教徒女性の下着はホントーーーにすごいですよ! 

もう、日本人ビックリな下着を着てますし、目だけベールから見えているとやっぱりセクシー。彼氏さんもきっと望まれているはず♪

ちなみに女性は、結婚初夜は全身脱毛ワックスなので〜!

12 ■はじめまして
小生も、実は、中東の男性とお付き合いしたことがあるんですが、彼曰く

「アナルセックスは、処女とみなす。」

とのことなので、婚前交渉も、アナルはOKだそうです。
http://ameblo.jp/chocobon/entry-10035927434.html

処女アラブ女性の婚前セックスの仕方

昨夜は初めてアラビア語の個人レッスンを受けました。

スクンビットのアラブ街で知り合った男性ですが、私が入院していた時、わざわざ彼が働くレストランへ電話してHummusやナンブレッドなど配達してもらったり。(笑)

配達なんて普通しないのですが、すぐに持ってきてくれました。
ありがたや、ありがたや。(笑)

でもその時、放射線治療をやっていたので、私の部屋へは入れませんでした。
病院食に飽きていたから、もうこの熱々ナンとHummusとTabulahとチキンティカの美味しいことったらありゃしない。(笑)

インド料理もその店では出しているのでパンはナンだったのですが、2日前一緒に食事をしたフランス人も、この料理は毎日でも食べられると言っているぐらい、私達はこれらの料理が好きなんです。

特にTabular(パセリのみじん切りのサラダ)は大好きで、体が野菜を欲しがるときわざわざ買いに行きます。

昨日はアラブ街でエジプト人の彼と彼の友人3人と私でしばらくターキッシュコーヒーを飲んだ後、ソイ1あたりのバーへ移りました。(お猪口みたいな小さなカップにすごく濃くてちょっとドロッした感じのコーヒーを注ぎます。砂糖がすでに入っているからでしょうか。これを夜飲むと、眠れなくなります。最近眠れないのはこのせいか?)


このバーというかラウンジに一歩足を踏み入れて一言「うわぁ〜!」

内装がアラビア的で、まるでドバイのアラビア風デザインのバーにいるみたい。バンコクにこういうアラビア風バーというかラウンジがあったんですね。オープンエアのこのバーでは水タバコも楽しめます。私達は角のテーブルを取ってそこでアラビア語のレッスンを始めました。私が知りたい質問を英語で書き、彼がアラビア語とローマ字で書き込み発音練習。

ある特定の発音が難しく、何度やっても発音出来ません。でも、ある単語の発音をした時、「本当にアラビア語習うの初めて?」って言われるぐらいに完璧な発音をしたそうです。

新しい語学を勉強する時、すぐに覚えてしまうのが悪い言葉(笑)

2日程前、私の映画監督が悪いアラビア語を教えてくれました。

ZIP:男性のおちんちん
NICK:SEX
TEAS:女性器
KISS:お尻(お尻の穴という意味かな)


これらの単語をエジプト人に書くと、目が点になって「なんで知ってるんだよ〜!」って笑い始めました。

KISSではなくてKOSだよ、スペル間違いって言われたので、すぐに私の映画監督にSMSを送り、今これらの悪い単語の発音の勉強中って書いたら返事が来たのですが、私は大笑いしました。

「HAHAHA, 君は今エジプト人と一緒にいるのか?
アラビア半島の人たちはKISS,エジプト人はKOSって言うんだよ。」

単語ですぐにエジプト人と一緒とバレた私は、彼の鋭さに苦笑して大笑いでした。ということは、彼が教えているアラビア語はエジプトのアラビア語みたいです。ドバイへ行くのにエジプトアクセントのアラビア語は嫌だな。

家に帰って少し映画監督とチャットをしたのですが、昔からあるアラビア語はすごく難しいけど、エジプトアクセントのアラビア語はドバイでも通用するから心配するなと言われました。とにかく口語を勉強しなよと言われました。

その「KOS」という単語を教えてもらった時、彼が身振り手振りでお尻を指します。そこから、アラブのイスラム教の話になり、アラブ人の結婚の話になりました。私が

「アラブのイスラム教の女性は処女を守らなくてはいけないんでしょ、お見合い結婚みたいなものなんでしょ?」

って言うと、彼はエジプトで奥さんと知り合ったから恋愛結婚で、エジプトでは恋愛結婚が多いと言いました。そこから処女の大切さの話に移った時。

「処女って言って結婚して、夫が処女じゃないってわかったら離婚可能だよ。
でも、若い男女がどうやってデートするか知ってる?」

って質問されました。

私の答えは結婚前、デートなんてしないと聞いたと答えると、アラビア半島はそうかも知れないけど、エジプトではもちろん若い男女の恋愛がある、そして彼らがどうやってセックスすると思うかと質問されました。

「結婚前にセックスするの???」

「する人もいるけど、どうやってすると思うか言ってごらん。」

私は答えられませんでした。

「KOSだよ。」

「KOS?」

つまり、お尻の穴でセックスだそうです。

「嘘でしょ〜、さっきイスラム教の人にとってお尻の穴は穢れている場所って言ったじゃん。」

「そうそう、だから僕もやったことがないけど、結婚前でどうしてもセックスしたい若者は、お尻の穴を使うんだよ。そうやって処女を守るんだ。」

うゎ〜、イスラム女性のイメージが変わりました。(笑)

これはエジプトだからなのかな。

そこで、なぜエジプト女性はなぜアバヤを着ないのって尋ねると、

「エジプトは昔からフランス人やギリシャ人やイタリア人などから攻撃を受けたから、いろんな文化が混じっているんだよ。だから、アラビア半島みたいに黒いアバヤを着ないんだ。着ている人もアラビア半島と比べると少ないと思う。」

と答えました。そうか、ヨーロッパの影響が少しあるんですね。UAEもイギリス領みたいなものだったけど、でもアバヤを着る伝統は捨てませんでした。そう考えると、エジプトって結構オープンなんだなと思いました。
エジプト、行ってみた〜い!

今度は彼が私に質問する番。

「どうして日本人女性は黒人が好きなのか。」

なんのことやねん???

日本人女性は黒人男性が好き???

「そんなことはない。それに黒人男性を気に入っている人は東京とか大都市ぐらいで、全ての日本人女性が黒人を好むってことはない。極一部の人達だよ。誤解だよ、それ。」

「いやいや、そんなことはない。僕達アラブ人はそう思っている。日本人女性は黒人男性が好きだ。そしてアラブ男性も好きだってみんな思っているよ。カオサン通りにいる日本人女性なんて、黒人やアラブ人、タイ人男を求めているじゃないか。」

うゎ〜、どこでこんなイメージが付いたんだろう。彼曰く、スクンビットのアラブ街にも日本人女性がやってきて、アラブの男性を求めているとか。マジですか?

「ちょっと、困るわよ、そのイメージ。私までそう思われるでしょ。このアラブ街にだって私はめったに来ないわよ。私まで勘違いされてるじゃないかしら。それにカオサン通りに行く人なんて、お金がない人とか変な人が多いじゃない。ちゃんとした観光客は、スクンビットなどのちゃんとしたホテルに泊まってるわよ。

カオサン通りの人と普通の日本人女性を一緒にしないでよ。だいたい、タイに住んでいる日本人でカオサン通りなんて、普通行かないでしょ?

あんな場所。薬物中毒者や犯罪者の長期滞在場所みたいじゃない。駐在している人で行く人、会ったことがないわよ。」

「君は大丈夫。だって僕と一緒だから。」

中には1人でやってきて、アラブ人男性を見つける人もいるそうです。すごい勇気というか、だって本当にこのエリアはアラブ人男性がうじゃうじゃいるんですよ。

彼らを目がけてタイ人の売春婦も歩いたりしています。ミニスマートにタンクトップで歩くものだから、カフェに座っている男性達は目で追っています。私はワンピース姿だったのですが、1人でカフェに行くまでにたしかに男性から声が掛かった。(笑)

1人で歩く女性は売春婦かよ。(怒)

でも、このエジプト人の彼はこのアラブ街で顔が知れているようで、いろんな人が彼に挨拶に来ています。
その度に私のことを紹介していました。

「みんな僕のことを知っているんだ。だから君は心配するな。だれも君を売春婦とは思わないよ。だって僕と一緒だから。」

そうか、もしその辺の男性と一緒だったら、絶対に勘違いされていただろうな。(失笑)
アラブ街で顔が知れている彼と一緒で本当によかったわよ。(笑)

でも日本人女性でよかったってまた思いましたよ。(笑)

だって日本人って言うだけで、彼らの態度が変わります。

これは一種の「ブランド」ですね。

日本人と言うだけで、ヨーロッパでもアメリカでも東南アジアでも私は特別扱いを受けます。中国人や韓国人、東南アジア人の女性は適当に扱われているかもしれませんが、

「どこから来たの?」

と言われ

「日本から。」

と答えると、それはそれは大切に扱われます。


このアラブ街でもそうです。まあ、一つは彼と一緒だからでしょう。

顔が知れている人ということは知り合いがたくさんいると言うこと。だから、みんな彼に対してフレンドリーだし、その彼が連れてきた「日本人女性」ということで、みんな私がテーブルにつこうとすると、立ち上がるし、椅子を引いてくれるし、すぐに「飲み物は?食べ物は?」などの質問が飛んできます。

まるで女王様の気分です。(笑)
http://ameblo.jp/frombangkok/entry-10144004335.html


クルアーンには、いくつかの性的事項が記されている。 たとえば、天国に迎えられた男性を歓待する美女の描写や、セックスの体位に関する啓示、また妻がどうしても夫に服従せず、叩いても効果のない場合に限って、無理やりセックスをする権利を認めること、そして条件付での一夫多妻の容認などが記されている。

前述のとおりクルアーンにも天国での性的な事柄が記されているが、ムハンマドの言行録には更に直接的な表現で、天国でのセックスの充実が語られている。

イブン・カスィールによれば、ムハンマドは

『天国では男性は一日100人の処女(フーリー)とセックスが出来る』

と述べていたとされる。また、

『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』

と問いかけた信者に対して、

『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』

と述べたともされる。


別の伝承によれば、 ムハンマドは

『天国では信徒たちは女性に対してそれだけの強さを与えられるであろう』

と述べたところ、アナスが

『ああ、アッラーの使徒よ! そのようなことが出来るのでしょうか!?』

と問いかけた、ムハンマドは

『百人の男に匹敵する精力を得られるのだ』

と答えたという。ムハンマドの教友の中には、ムハンマドが

『天国の男たちは処女の花を散らすのに忙しくなる。』

といったと伝えている者も居る。



結婚最低年齢

ムハンマドは、マディーナへのヒジュラ時にはすでに50歳を超えていたが、前妻を失い男やもめであった。彼は教友であるアブー=バクルの娘で、9歳になるアーイシャと結婚し、セックスを行った。このことは後にシャリーアにおいて女子の結婚最低年齢が9歳とされる典拠となった。

前近代イスラーム世界ではイスラーム法規定に基づき女児は非常に早い年齢から結婚しセックスの対象とすることが許されたため、現代では客観的に見て児童性的虐待にあたるような性行為も、結婚の上なら問題視されないことが少なくなかった。

近代に入ってほとんどの国では結婚最低年齢は15歳以上の水準に引き上げられたが、イランやアラビア半島の諸国など今でもシャリーアの規定を遵守する国が存在している。例としてイエメンでは結婚最低年齢を定めないイスラーム法の解釈をとっているため、イスラーム法の通常の解釈では不可能な9歳未満の少女との結婚・セックスも少なからず存在しており、問題視されている。


婚外セックス
ハディースには、ムハンマドが婚外セックスを行った男女に対して、未婚のものは鞭打ち、既婚者は石打ちによる死刑を行ったことが記されているとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%96%87%E5%8C%96

本当にムハンマドは人間のクズだね。


アラブ首長国連邦(UAE)で撮影された37歳の男性に嫁ぐ9歳の女の子の花嫁

アラブ首長国連邦(UAE)は、西アジアにある中東の国です。アラビア半島のペルシア湾に面した地域に位置する7つの首長国からなる連邦国家でイスラム教国としても知られています。今回は、そんなアラブ首長国連邦で撮影された37歳の男性に嫁ぐ9歳の女の子の花嫁をご紹介します。

映像には、結婚するような年齢には見えない女の子が、ウェディングドレスを着て花束を持っている様子が映し出されています。

イスラーム法では、男性は4人まで妻を有する権利を有する一夫多妻制です。また前近代イスラーム世界では、世界の他の地域同様早婚が社会的に認められていました。

イスラーム法における女児の最低結婚年齢は9歳ですが、これは預言者ムハンマドがアーイシャと結婚し、初性交を行った時のアーイシャの年齢に由来しています。そのため結婚の形式を満たした上での女児への性行為は、客観的に見て虐待と思われるような内容であっても、問題されることは少なかったといいます。

これらは非イスラーム世界でも多少の違いはあれほぼ同様であり、単に前近代において女性や子供の人権への配慮の水準が現代のそれと比べ物にならないほど低かったという事実を示しているだけで、これらがイスラーム固有の事象であるという意見は事実に反すると言えます。しかし現代においてイスラーム世界におけるそれらの慣習が大きく注目され、議論の対象となっているのは、非ムスリム諸国の多くでこれらの慣習が人権侵害として問題視され廃止されていく中、イスラーム世界の中には預言者ムハンマドの事跡なども挙げてこのようなイスラーム法の規定を遵守すべきだという意見が存在しているためです。

実際にイラン=イスラーム共和国などシャリーアを施行する一部の国では、女児は9歳から結婚することができます。またイエメンでは、結婚最低年齢を定めないという解釈を取っている。そのため、イランやサウジアラビアなど、シャリーアを施行する他のイスラーム国家でさえ不可能な9歳未満の女児との結婚・セックスも可能であり、問題視されています。

しかし一方で、多くの国ではすでにそのような慣習は廃止され、女性の結婚最低年齢も非イスラーム諸国と大差はなく、女児への性行為はシャリーアにおける結婚の形式を満たしているかにかかわらず性的虐待であるという意識も広まっています。
http://commonpost.boo.jp/?p=43615
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1723610.html


ムスリム女性はグループセックスがお好き?(ドイツの反応)

マレーシアでは1年以上前から「世界イフワーン一夫多妻クラブ」という従順なイスラム女性の協会が存在し、

「イスラムセックスよ、ユダヤ人と戦い世界にイスラムセックスを呼び戻せ」

というお題目の元、自身のセックス相手を公表している。ユダヤ人がなぜここに出てくるのかは皆目不明だが、彼女たちがマレーシアに来る前、ムスリムの亭主には4人の妻がいて、彼女たちは亭主が浮気しないよう、売春婦のようにふるまい、グループセックスをしていた。

ドイツの新聞(Frankfurter Allgemeine Zeitung)が推測するところによると、イスラム亭主の結婚生活はローテーションシステムに似ているという。

一番年増な妻は選び出され、離縁される。そして若い妻がベットに呼ばれる。こうしてハーレムに残る妻は平均してぴちぴちになるわけだ。
http://blog.livedoor.jp/trans_vienna/archives/4893525.html


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3. イスラムの男は女性に割礼させるのが大好き


陰核切除 CLITORIDECTOMY
http://www.google.co.jp/search?q=CLITORIDECTOMY&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7DAJP&prmd=ivnsb&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=UAigTe_BFIa-vgO47oj0BA&ved=0CDYQsAQ&biw=972&bih=821


コートジボワール、少女たちを待ち受ける「悪習」
http://www.youtube.com/watch?v=b-tE3ZXdcp8&feature=related

Female Genital Mutilation (FGM)
http://www.liveleak.com/view?i=b6e_1248548199

FGM
http://www.youtube.com/watch?v=PS0UpDiAa1E

Clitojap
http://www.youtube.com/watch?v=EqGwI2jojcY&eurl=http%3A%2F%2Fja%2Eclitoraid%2Eorg%2Fnews%2Ephp

「陰核切除」 

女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。


「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。

従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。

一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。

http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html

FGMを行う理由

・処女性確保・性的自由の剥奪・性欲抑制・夫への配慮・結婚の条件

・恥と村八分の回避・誇り・美容・伝統の尊重・通過儀礼・・・

・ 処女性確保=陰部封鎖の場合、切開したり、ぼちぼち広げないとペニスは入らない。

・ 性欲抑制・性的自由の剥奪=痛みがある(快感はない)のでセックスしようとしない。陰部封鎖の場合は広げなければ自由にセックスできない。

・ 夫への配慮=セックスが夫だけの快感となるために施術する。

・ 結婚の条件=夫だけのための女と認められる。

・ 恥と村八分の回避=部族への帰属心が求められている。

・ 誇り=痛みに耐えしきたりに従った自信。

・ 美容=黒っぽくなる所を取るので、きれいになると思われている。

・ 伝統の尊重=2000年以上に渡って続けられてきた。

・ 通過儀礼=痛みに耐えることが、大人の条件


 女性が男性より強いと思われ、男が性的コンプレックスを持っていることがFGMを継続させているのだと内海夏子さんもその著書で述べている。

つまり、FGMは、自信のない男が、強いと思われている女より優位に立つために、女を傷付ける風習なのかもしれない。問題なのは、女の地位があまりにも低いために、人間としての付加価値を求めて女自身がFGMを積極的に継続させていることにある。

http://yoshiko2.web.fc2.com/fgm.html


陰核切除が良い事だと見做された理由


96 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/02/21 03:23

女の場合、外性器(クリトリスなど)を刺激することによって性的快感を得ることを覚えてしまうと、膣への挿入行為にまで至らずに本来の生殖行為が妨げられてしまう。

だから純粋に子作りに集中させるために外性器を切り取ってしまおうというのが、 女子割礼の基本的な考え方らしい。

617 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/28 22:33

世界的にはFGMとして、十把一絡げにされて非難の対象になっているけれど、結局、女子の割礼をする理由ってのは、それぞれの集団の事情によるのではないかな?

たとえば、エジプトでは、女子の性欲を抑えることは当然第一の目的として、あの国では、成人女性は皆、陰毛を剃るでしょ?
やっぱ、毛のない割れ目のてっぺんに肉の突起があるのはグロテスクに見えると思うな。
ブサイクだから取ってしまう、というのが第2の理由なのでは?


また、ペルーの奥地あたりでも思春期の女の子のクリトリスを取る習慣があるらしいけど、 こんなこと地理的にも、どこか他からわざわざ持ち込まれるはずはないわけで、自然発生的に、「これは取ってしまおう」ということになったのだと思う。


それと、アフリカ関係の本で読んだけど、女子割礼が普通に行われている集団では、男は、「女の股間にイチモツが有るのを見たら、勃つモノも立たない」そうです。 女の股間にクリを見たら、即、勃起する我々とは大違いです。

その感覚って、日本人に例えると、「女だとばっかり思っていたオカマのホステスのちんちんを見てしまった」幻滅感みたいなものなのでしょうか?


622 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/31 00:16

さっきまた、ドイツ人の女の子からチャットが。
タイでも10パーセントの女性は切除されているという話でした。
なんでも、タイの子供用の施設の中で切られているとか。
性欲のコントロールのためか何かで。

626 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/31 19:28

オレも聞いたことある。 将来売春婦にならないように防止の意味で陰核、小陰唇を切除するらしい。 施設でいるためには割礼を受けるしかないようだ。

しかし施設でいれる少女はまだ幸せな方らしい。
路上生活してる少女たちは強姦や人身売買の危険と飢えに苦しんでるそうだ。

少し前、日本テレビか何かのニュースで特集してた記憶がある。

629 名前: 名無し調教中。 投稿日: 03/01/01 03:31

番組名は忘れたがニュースの特集なので10分くらいだったと思う。

タイの身寄りのない子供が入る施設に男の医者が来て施設内のホールのような部屋で割礼してた。 女の子をベッドに仰向けにして看護婦らしき女性が2人で片足づつを持って股を開き上半身を私服の男性が抑えつけてた。(たぶん施設の職員)

局部を消毒したあと医療用のハサミで切除してた。
ハサミで切るたびにパチンパチンという音がしてたと思う。
もちモザイクしてたけどイメージは大体わかった。
麻酔したかどうかは不明。

割礼されてる女の子の顔が一瞬アップになったけど目に涙をためて我慢してた。
目が大きな可愛い娘だった。

VTRが終わったあと女性キャスターが取材担当の女性記者に「割礼とは具体的にどのような処置をするのですか?」 みたいに聞くと「一般的には陰核と小陰唇を切除することです」と女性記者が真面目に答えていた。

この番組は少女への割礼は人権問題だと非難していた。

633 名前: 名無し調教中。 投稿日: 03/01/01 20:31


2 女の子の年格好は?

10歳くらいの娘で下半身のみ裸にされてた。
他にも数人の娘がこの日に割礼を受けたと言ってたような気がする。


3 切るときの音は本当にパチンパチン?

どう表現したらいいかわからないがマウスをクリックするような感じの音だった。 ばねが弾けるような感じの音だったかもしれない。


少女たちには事前の説明をせずに割礼するらしい。

おそらく何の処置なのかわからないまま性器の痛みに耐えて、後で性器を見たら陰核と小陰唇がなくなっているのに気付くのだと思う。

20代くらいの女性職員がインタビューを受けてて、その女性もこの施設の出身で
入所した時に割礼を受けたと言ってて、割礼の有効性を主張してた。 しかし担当記者の報告では割礼を受けてても施設出所後に生活苦から売春に走る娘が多いらしい。

http://pink.bbspink.com/sm/kako/1010/10104/1010499056.html

早い話が、無割礼の女性は安いからです。

一部の途上国での妻の立場とは先進国の愛情を注がれるような生活ではなくて、使い勝手の良い労働者なので、それなら健康な女性であれば誰でも良かろうにと思うのですが、ひとつの理由に宗教上の処女崇拝などが根深いというのもあるらしいのです。

無割礼ですと貞操が守られることはないだろうし、親が娘を嫁がせる時に夫側から受け取る金品類も減って商品価値が下がるのではないでしょうかね?

http://ekura.blog.so-net.ne.jp/2009-07-10


62. 名無し調教中。 05/03/12 16:48:38

割礼は国際的にフェミ団体を中心に批判されているが、当事国の女たちは自ら進んで割礼を希望している。

それは、いい男と結婚したいからだ。

先進国で女が男を引きつける為にする美容整形と同じ意味合いもある。 美容整形のように皮を剥ぎ、骨を削る手術シーンの方が遥かに酷いだろう。

宗教的伝統儀式から生まれた割礼だが、現状では女としての価値を高める意味合いがつよい。

割礼をする国の男性は女性器の小陰唇がグロいという認識がある。
キレイな性器の女と結婚したいというのは万国共通だ。

ある日、日本に海外の団体がやってきて美容整形は女性差別なので直ちに禁止しろと言われたらどう思う?
割礼を禁止するよりも、まっとうな医師の元で安全に行なえるように指導と援助するのが正しいであろう。 異国の伝統と文化を否定する権利は誰にもないはずである。


83. 名無し調教中。 2005/03/24(木) 11:29:08

アマゾンのある部族の女子は初潮を迎えると、大陰唇の両側の縁を傷つけ左右を癒着させてしまう。尿と経血の出口である小さな穴だけを残す。

結婚式の初夜、新郎がハサミまたはナイフで切り開くのである。

またある裸族の習慣では、

女性は大陰唇に一対一列のピアス穴をあけ紐を通して陰裂を縫い合わせている。
この紐は、めでたい席では赤、葬式などでは黒、普段は白と決まっている。
この紐は貞操帯の役割をもはたし夫だけがほどくことが許され、陰部を洗う場合でも妻が自分でほどくことは許されないし、紐のつけはずしも陰部の洗浄も夫の役目であり、女性は自分の陰部に触ることも許されない。

結婚とは陰部の所有権・使用権を夫に明け渡すことなのである。

186. 名無し調教中。 2005/06/24(金) 12:59:35 ID:k1TOEymO

陰核、小陰唇切除のメリット

1.ヒステリーを起さなくなる。
2.自慰防止効果。
3.衛生状態の改善。
4.貞操観念の向上。
5.外性器の美観向上。

187. 名無し調教中。 2005/06/24(金) 14:29:42 ID:UdVjm00Q

ネタだとは思うが、たまに真性馬鹿がいて本気で言ってることがあるので
>>186を訂正しておく。

1、ヒステリー=子宮なんで昔は子宮摘出なんて馬鹿もやってた。
アリストテレスの頃からの迷信がベース。子宮がない男もヒステリーになる。まあ、たまに摘出手術のストレスで塞ぎこんで大人しくなったのを快方に向かったことにしちゃってた
んだな。


2、自慰が心身の健康に良いのは実証済み。まあ、女性の自慰がタブーな地域じゃ
「うちの娘はオナニーしません。」と、嫁の品質保証にはなる。


3、衛生に関しては百害あって一利なし。健康な性器はとりあえず放って置いても健康に影響がない程度には清潔だ。トラウマから性器に触れるのを畏れて不衛生にして健康被害が出ることがある。メスを入れると感染しやすくなるのだ。


4、長くなるんで、「喜びの秘密」を読むべし。旦那とのセックスが痛いだけでは貞操とは言えまい。


5、クリトリス見ると萎えるって事はあるらしい。
もっとも、インターネット上で観音様見放題の時代なんで、北アフリカ地域でも割礼してない女性が歓迎される風潮は出てきた。特に都市部ではほぼナチュラルマンコ派が大勢を占めた。
地方から出てきた保守的な家族、あるいは女子割礼をイスラムの教義と混同する神学校教師の影響を受けた家庭。そんなところの娘が被害にあうことになる。
もちろん、テレビもラジオもない地方では何の変化もない。

188. 名無し調教中。 2005/06/25(土) 00:34:05 ID:Jr2DdXCf
>>187
陰核とは男性的器官であり、陰核を切除することにより女は完全な女の体になれる。

女にとって性欲は弊害でしかなく、性感帯である陰核、小陰唇の切除は精神衛生的にも不可欠である。 女の性の乱れは社会、家族の崩壊に直結するからである。

陰核と小陰唇は性的快楽のためだけに存在するものであり、切除しても健康上の悪影響は一切ない。 割礼実施地域の女は、日本等の女と比較しても家族、子供を大切にし、貞操観念もしっかりしており夫を裏切らない。

それは陰核のない完全な女の体と精神を持っているからである

964. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 01:57:06 ID:zzWVwTRr

数年前出た「女子割礼」ていう新書読んでたら、割礼廃絶の動きが活発化する中、割礼やらずに済んだのに、大学生や大人になってからわざわざ割礼受けにくる女性が後を絶たないのだとか。 やっぱり成人してからの女子割礼も珍しくないんだね。

最近増えてるだけかもしれないが、背景には、やるべき部族の伝統を守らなかった後ろめたさがあるらしい。

966. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 03:06:13 ID:zzWVwTRr

命に影響しないなら、あとは痛みに耐えるかどうかの問題で、みんな頑張ったのにさぼった卑怯者みたいな扱いになり兼ねないし。 まあ、出身コミュニティにおいては成人扱いされないし、はっきり言って差別の対象でしょう。 兵役逃れした成人男子みたいなものか。

972. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 16:20:59 ID:7IFxs/KV

割礼じゃないんだが起源が比較的明確な纏足の例で考えるとな。
纏足ってもともと唐の時代に胡姫(金髪おねえちゃん)がダンスをするときに足をきつく布で縛ったのを真似したわけだ。最初はちょっと前に流行った上げ底ブーツみたいなお洒落だったわけね。 ところが、時代が下ってそれが女のたしなみになってくると事情は変ってくる。

個人的に足を小さく見せる方法を工夫したのが親が娘にたしなみとして教えるようになり専門にそれを職業にする人も出るわけだ。歯止めが利かなくなり、幼児の足を縛って骨を折るなんてことになるわけだね。そうなると男の方の嗜好も変って、よたよたと危なっかしく歩く姿に萌えるなんてことになる。金蓮歩なんて言葉ができるのは宋になってから。

女子割礼も最初は似たようなもんだったんじゃないかね。今の日本で言うボディーピアスかなんか。

http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/

女子割礼と文化摩擦


 「フランス,女子割礼に有罪」という記事が新聞の社会面(2月28日付『朝日新聞』)に載った。フランスに住むアフリカ系女性28人が,娘に割礼を施したとして禁固2〜5年の判決を受けたのだ。

 米国でも最近,ナイジェリアからの移住者の母親が,娘に自分で割礼を施して傷害罪で訴えられるなど,同じような事件がつづいている。アフリカからの移住者団体は「割礼は伝統であり,欧米の批判は文化的な帝国主義だ」と主張,それに反対する人権擁護団体との間で激しい論争が続いている。まさに「文明の衝突」である。米国の女性保護団体の調査ては,女性割礼か行われているのは世界で28カ国に及び,1億2000万人か受けているとも推定される。女性会議のたびに反対決議か採択されるが,現在でも毎年200万人が新たに受けているという。

 女性の割礼には,大きく分けて3種類ある。もっとも多いのは「クリトリス切除」だ。クリトリスだけをえぐり取ってしまうのが普通だが,同時に小陰唇や膣口の周辺を切り取ることもある。クリトリスの先と包皮を切り取る「スンナ割礼」は,中東で行われるが数はあまり多くないとされる。

 そして,拷問以外の何ものでもないとされるのが,「ファラオ式割礼」である。エジプト南部のヌビア地方からスーダンやエチオピアにかけては,ほとんどこの方法だ。クリトリスから大陰唇,小陰唇を切り取って外陰部の両側を閉じて癒着させる。閉じるのには羊の腸線を使ったり,樹脂などでノリ付けにする。このときに尿や生理の血が通るように,木切れを差し込んで小さな穴をつくる。完全に癒着するまで数週間,腰から両足にかけてしばって固定する。

 大都市では,欧米で教育を受けた医師が近代的な手術をする場合もあるが,通常は村の年長の女性,長老,鍛冶屋などが,消毒もしていないナイフやカミソリで行う。対象は,7歳から10歳ほどの子どもだ。最近ではさらに低年齢化する傾向にある。「ファラオ式割礼」は,原始キリスト教のコプト教徒に多いが,カトリック,プロテスタント,イスラム,アミニズムなどのあらゆる宗教,階層,民族を超えて,伝統的習慣として行われている。私たちからみれば野蛮な行為だが,社会に深く根を下ろして現地では議論の対象にすらならない。

 手術のとき破傷風などの感染症で死んだり,切除の痛みで舌をかみ切って死ぬこともある。尿道や肛門の括約筋までが傷つけられて障害が残る例さえ少なくない。出産のときも産道が萎縮して赤ちゃんがうまく出てこなかつたり,会陰部が大きく裂けて多量の出血が起きたりする。アフリカで出産時の母子の死亡率がきわめて高いのは,割礼も原因だ。

 表向きの目的は「女性をレイブから守るため」というが,現実には男性の処女崇拝や女性器支配,さらには女性の性感を奪うことにある。割礼を受けないと売春婦扱いされたり,結婚のときに「欠陥品とされて親に婚資(男性が花嫁の父親に支払う財産や労働)が支払われなかったりする。それを恐れる親が娘に強いることになる。割礼はアフリカなどで女性の置かれた立場の象徴でもある。現実に,途上国の農村の多くでは,女性が農作業,炊事,洗濯,育児などの労働の大部分を担わされている。

 このために,女性の社会的地位の向上が開発途上国の発展の力になる,とする意見が世界的に強まっている。女性の地位の向上は割礼の廃止からということで,国際的な関心も高まつているのだ。

 

女子割礼の実態とその詳細

解剖学 では、具体的に女子割礼とはどのようなものであるか見てみよう。女子割礼には大きく三つに分けられる。(引用「女子割礼」フラン・P・ホスケン)


Types of Female Genital Mutilation
http://www.wunrn.com/news/2007/11_07/11_05_07/110507_female.htm

一、 スンナ割礼
   クリトリスの包皮と先(もっとも柔らかい部分)の除去。この高度な技術を要する   手術はの知識を持たず、粗製の道具を使い、周囲の状況が悪くてもアフリカや   中東でみごとに行なわれる。


二、 切除/クリトリス切除
   クリトリスと下陰部、そして時々外側の生殖器全部を含む外側の隣接部分の除   去。地域によって膣がさらに切られる。(出産を楽にするためであるが逆に困難   にすることも事実である。この方法が一番よく行なわれる。


三、 陰部封鎖(ファラオニック割礼)
   クリトリスと大陰唇と小陰唇を除去した後、外陰部の両側を膣の上で閉じる。こ   れは出血する大陰唇の両側をとげや腸線、あるいは粘着性の練り物で留めら   れる。尿が出るように木切れをさし込んで小さな穴をつくる。それから子供の両   足をしっかり縛って数週間、すなわち傷が治るまで固定する。

   
このような手術がどのように行なわれるかというと非常に杜撰な方法を取られる。執刀者は主に老女、伝統的出産付き添い人であり、現代では病院や助産婦(ダーヤ)によって行なわれる。手術といっても用いられる道具は主に特別なナイフやカミソリの刃などの手に入る鋭い器具である。無菌法は知られていないので、少女は手術後合併症などで死ぬケースもある。

儀式に乗っ取って行なわれる場合、木の下や小屋の床などで行なわれ西アフリカでは、泥や灰などが出血をとめるために用いられ、麻酔薬も使用されないため、少女たちの痛みは計り知れないであろう。これらの儀式は、クリトリス切除は伝統的に成年に達した儀式として行なわれるが、最近ではもっと幼い子供たちに行なわれる。陰部封鎖は4才から8才の少女に行なわれ、こちらも若年化が進んでいる。生後数日の赤ん坊に行なわれている場合もあるのだ。

 歴史的に見てこの女子割礼は2千年もの間、赤道沿いの広い地域のアフリカや諸国で行なわれてきた。アフリカの人口増加に伴い、以前より多くの子供たちが手術を施されている。最近の動向では、西アフリカの指導者や、ケニアで生殖切除を禁止しているもののその後、禁止がまったく履行されていないのは悲しむべきことである。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kuribou/katurei.htm

28 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 01/09/03 06:27 ID:RhdwwuWs

「FGM トーゴ共和国、チャンバ族・コスントゥ族など部族の例」

性器を全て切り取ったうえで外性器を縫って塞いでしまう。

本格的な手術とかではなく、かみそりかナイフを使用して4人の女の人が娘の脚を広げて押さえつけ女の部分をそぎ取るのである。その後は止血のため薬草をあてがわれ、両足を腰からひざの所までを結わえられたまま40日間傷が癒えるのを待つ。その間娘はベットで過ごし肉親が用を足すのを手伝い傷の癒え具合を確認する。その期間は誰とも会うことが出来ない。

だいたい15歳くらいに行われて、結婚する前までには行われ、1人前の女として認められる。

もちろんそんなやり方なので、破傷風や出血多量などで死に至る人もいるがこの慣習を信じる人達は、施術を行わないと恐ろしいことが起きると信じられていて、施術自体が死にいたらしめたとは思っていない。

ちなみに、FGMのやり方は部族によってちょっとずつ違うので、他にもいろんなやり方がある。


32 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 01/09/03 23:25 ID:8pYJI9Z6

FGMの手法は大きく分けて三つある。

1、 クリの切除
2、 クリと小陰唇を全部そぎ取る
3、 クリと小陰唇をそぎ取った後、尿や生理を通す穴を残して大陰唇を縫い合わせる。


28で紹介したのは、3の例だろう。

この場合初夜に夫が癒着した大陰唇を切りひらいて事に及ぶので、この場合のFGMは嫁にした女が100%処女だいう女の実家側の「品質保証」でもあると言える。

むろんされる女はいやだろうが、これをしないと嫁に行けないそうだ。

http://www2.bbspink.com/sm/kako/999/999014200.html

『砂漠の女ディリー』


著者は、世界的トップモデルだったソマリアの遊牧民出身のワリス・ディリー。
本は、彼女の自叙伝。その中で、彼女が受けた女性器切除について詳しく書かれている。

まだ5歳の子供だった頃、ワリスは早く大人の仲間入りをしたいと親に頼んだ。
当日、砂漠からベドウィンの老女がやってくる。そしてワリスは岩の上に仰向けにされる。母親に押さえつけられて、老婆がワリスの足の間に座り鞄から何かを取りだす。

それは歯が欠けたカミソリ。カミソリは使いまわしで、血が付いている。
老婆は血が付いたカミソリに唾をつけ、ワリスの股間に手を伸ばす。

そして歯がボロボロのカミソリで、のこぎりのように女性器を深く切除する。
そしてトゲで穴をあけ、その穴に糸を通して縫い付ける。

切除のときも激痛に失神したが、トゲで穴を空けるときはもっと痛くこのまま殺してくれーー!って思ったと。 この一連の作業は、麻酔などもちろんなし。

生きていた彼女はまだ幸運で、多くの女性が出血多量や感染症、破傷風にかかって死亡するという。その一連の作業で死亡した女性のことを家族や誰も口にしない。元々その女性が、この世に存在していなかったように・・・

この女性器切除、国、地域、部族によって切除部分が違うらしい。
一番軽いのは、陰核切除。(軽いと言っていいものだか・・・)
ソマリアの場合は、全部切除するらしい。
そして、切除だけじゃなく、縫い付けて結合させるらしい!

フォーラムでも、「縫い付ける」とは言ってたけど、私には意味がわからなかった。縫い付けるって、どこをどう縫い付けるの??

ワリスの場合は、縫い付けられた女性器の部分はまっ平らだったという。

縫い付けるときは、2つの小さな穴だけを残す。その2つの穴とは、小便と経血の穴。その穴が、後々女性を苦しめることとなる。

結合のため、小便や経血はせき止められ、小便は全部出すまで10分もかかるらしい。生理の時は、生理痛がひどくて、何度も失神するらしい。生理が終わるのにも10日を要するらしい。 1カ月のうちの10日間、女性は酷い酷い生理痛に苦しめられる。

女性は元気そうにしていても、年齢や個人差はあるけど、生理の時はほんとうに苦しい。若い時など1日中動けず寝込むこともある。それはたいてい1日や2日だったりする。でも、女性器を縫い付けられた女性は、そんな苦しさを10日間も味わわなくてはならない。しかも毎月・・・

もう想像しただけで恐ろしすぎる・・・


このような女子割礼ともいわれている女性器切除は、アフリカだけではなく、アジアのイスラム国もで行われてるらしい。そして、ヨーロッパやアメリカに移住したアフリカ系の人たちは、そのままその習慣を持ちこみ今では、欧米諸国でも行われていて、地域で見ると広がっているという。

で、なぜそのような恐ろしい習慣が続いているのかというと、いろんな説があるけど、


結婚した時、処女であるという証のため、

女性の性の喜びを強制的に排除してしまうため、

男性優位社会で、男性が女性を押さえつけるため、


などなどだそうだ。 

ソマリアでは、女性は割礼をしてないと、お嫁に行けないらしい。
割礼していないと、家族、一族の恥だという。

これは、「親の役目で、子供を結婚させるためにしなければならないこと」と、何千年にわたり思い込まれている習慣。

女性は、そのことを誰にも言わない。そして、女性たちは、世界の他のどの女性も同じようにしていると思っている。だからあえて言うことでもないし、酷い生理痛であろうが耐えてしまうという。

出産のときも、女性器が結合されていることで、赤ん坊も出てこれず、
母子ともに出産時に死亡することも多い。

女性器を切除された女性は、そのことで一生苦しめられることになる。これは伝統文化というたぐいではないと思う。

フォーラムで、このようなことが行われている国が色分けされていて、
エジプトも多く行われていることに私は驚いた。
分布図はこちら『FGM Map』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fgm_map.gif#filehistory

本では、エジプト人女性も多く結合されていると書かれていて、ヨーロッパなどで結合されている部分を開く手術を受ける人もいるとあった。
http://kaoridon.blog68.fc2.com/blog-entry-1167.html

20 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

生殖器の部分的切断を割礼という。
場合によっては段世紀包皮の環状切開以外に包皮全体の切除や尿道の切開なども含む。


21 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

一番ひどいのになると、外陰部(大陰唇、小陰唇、陰核)を全部切除、挙句に小さな穴をのこしただけで縫い合わせてしまう。

対象は小さな女の子で当然ながら消毒も麻酔もない手術だけでショック死する子も多い。 手術後に感染症をおこして死ぬ子とあわせて40%に達するとか聞いたことがある。

傷がいえた後も小便さえもままならない、一回の小便に2時間もかかるようなとんでもない体になってしまうこともある。

結婚すると縫い合わせた陰部を夫がナイフで切りさいて性生活をする。 長期にわたり家をあけるようなときはまた縫い合わせてしまう。

中央アフリカの多くの女性はこのような生活を強いられている。アメリカに移民したブラックアフリカ系の女達もいまだこんなことをしているのが数万人いるとか・・・

24 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 23:29

>21
陰唇を切除すると、縫い合わせられないんじゃないの?
仮に縫えたとしても尿道口とは関係ない。 つまり、

1、陰核の切除
2、外陰部の完全切除
3、女性器の縫合

はヴァリエーションとして分けたほうがいい。 1と3は並存可能だが。


25 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:08

>>24は何が勘違いしてると思われ。 切除したら縫合しなきゃならない。
アフリカでの女子割礼でいう陰唇切除ってのは事実上外陰部の完全切除(ファラオ式)をさしている。 だから尿道口もあけておく必要があるんだよ


26 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:41

>25
ややこしいな。
羊の腸線や,樹脂などで癒着させる。
と書いてくれ。

216. 名無し調教中。 2005/07/25(月) 15:36:22 ID:dQfsirh/

素直に運命を受け入れて痛みに耐えようと歯を食いしばるが、気絶してしまう子もいい。

一口に女子割礼といっても苦痛のレベルは様々
いちばん辛いのは、

陰核、小陰唇、大陰唇、膣口切除、膣拡大術、外陰部封鎖

これをぼろぼろの剃刀刃でえぐるように時間かけて施術

15 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/06/29(金) 01:25 ID:R0emiL.6

飲み屋のババアから、終戦直後のパンパン(ストリートガール)の「オサネ切り」リンチの話を聞いたことがあります。オサネ=クリトリスですね。

いくら言って聞かせても、ナワバリや掟を守らない女がいると、まずリンチでボコにする。それでも聞かないやつを、みんなで押さえつけて、クリトリスをちょん切ったそう。

慣れてる女がいて、包皮をつまんでキュッと上の方にしごくと、クリのあたまがプルッと出てくるのだそうです。 そこをカミソリでスパッと切ると、その瞬間、切断面からおしっこみたいに血がピュと出て、切られた女はほとんど失神、あるいは失神寸前の状態になるそうです。

これをやられた女は、娼婦としては使いものにならなくなるらしい。 お客がオサネのない女をいやがるとか言ってた。もちろん私生活のセックスも楽しめなくなって、つらい思いをするそうです。 ああ。こわ。


40 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/05(木) 05:29 ID:twOvt3ek

何年か前、東スポに「陰核切除」という見出しが踊っていた。しかも一面トップで。
オウムの麻原がかわいがっている何人かの女性幹部のクリトリスを切除する手術をやらせたって。 理由は浮気を恐れてのことだったとか。

だから石井久子とか、あと名前忘れたけど彼女たち、オウムでクリトリスちょん切られたんだね。 気の毒に。まあ東スポだけどね。

それにしても、その日はどの駅の売店でも「陰核切除」 コンビニでも「陰核切除」 日本全国「陰核切除」(w)

55 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 00:31 ID:O5ESLiJY

ガラス壜がいっぱい並んでいて、そこにホルマリン漬けのクリトリスが一個づつ入っていて、それぞれ名前が書いてあるの。「石井久子」とか「飯田エリ」とか。
ずらっと並んだクリたちの前で、ふんぞり返って四姉妹に陰茎を世話されているショーコー。

萌え................ないな。気色悪くなってきた。スマソ逝ってくる.....

58 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 05:29 ID:N.esd4nA

ところで、瓶詰めといや、ベトナム戦争時代の現代の奇談があるみたいね。

ベトコンだかへの拷問は熾烈きわめたけど、けっこう女のベトコンが一番しぶとかったみたいで、電気拷問とか、なにやっても口割らない。もちろんそのころには、クリなんて電気責めでこげてしまってるんだろうし。

んで、精神的恐怖ってことで、クリではないけど、女性の内外性器、つまり膣と子宮などを、処刑したベトコンから摘出して、ホルマリンずけにして、名前書いたビン詰めにして、棚にずらってならべて、新しい女囚を威圧した、ってどっかの英語サイトにのってたけど、似たり寄ったりだね。

顔写真もガラス容器のところに貼ってあるらしく、仲間のベトコン女兵士のなれの果てを見て、卒倒する女囚が後を絶たなかったそうで、その手の拷問が一番効果覿面だったらしい


61 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 01:53 ID:7/cHgX7s

>>58
ベトナムは酷かったみたいだね。
なにかの本で読んだが、乳飲み子を抱えた若い母親の両乳首を、ナイフで切り取ったり(フランス兵だと書いてあった)、 ペニス切り取られた男もたくさんいたそうだ。
クリトリスやラビアを切られた女もいたんじゃないかな。


62 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 05:36 ID:2CbJa/bU

戦時中のベルリンでは薄く剥ぎ取られた女性器そのものが見せしめに玄関に釘で貼り付けてあったそうだよ。


63 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 06:17 ID:7FPat022

日本でも今ある結構大きな宗教団体で陰核切除やってるよ
両親ともにその宗教に属してるとその子供にやるんだよ


66 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/14(土) 02:27 ID:FYVdZk7E

「ドイツの古代には、姦通したら女性器を切り取る刑罰があり、切った品物は女の家の門に釘づけにしたという。」

「大阪の千日前の刑場では、女の性器をえぐりとり、晒して民衆にみせた。」

以上 井上橘泉著「写真集 残虐の女刑史」(綜合図書)より

切り取られた自分の性器を、さらしものにされるのはどんな気分だろう。
怖いような、萌えるような。

77 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/18(水) 00:14 ID:OZoMEO/s

確かアフリカのクリ切断は、クリがあるせいで淫乱になるってゆう俗信かららしいけど、本当にクリを切断しちゃうと、ほかの性感帯で快感を得ようとしてかえって淫乱になってしまうらしいね。
皮肉なもんだ。


80 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/19(木) 05:30 ID:Ec7w5sPw

>>77
アフリカの女性器切除は有名ですが、19世紀はじめの欧米ではオナニーの治療として、クリトリスの切除手術をやっていました。

オナニー=罪悪という西欧キリスト教的価値観から来ているのでしょうが、もともと性欲の強い女性のクリを切り取るわけだから、その残酷さは、ある意味アフリカのより酷いかも、、、

88 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/23(月) 23:59 ID:ytmGckNw

BME じゃ あんまりにも 性欲が強い 女が.. クリトリスを先の細い半田ごてで内側から 焼き潰すってのをやったみたいよ 一度ならずも 二度も..

一度目は 焼く時間が短くて 感覚が残ったから.. 二度目は 5秒ぐらい焼いたらしい...

95 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/26(木) 21:20 ID:KAEscDwI

>>88
アメリカなどで自慰過多症の女に手術を施すとき、切断する前にまず硝酸銀などで焼いて感覚を麻痺させていたらしい。
それでも直らなければ初めてクリを切断したワケ。


99 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 03:42 ID:bSRjdmlM
>>95
自慰過多症の治療って、まさか本人が医者に相談して荒療治うけてたともおもえんから、それって子供なんだろうか? それにしても、その場合親に自慰過多賞が発覚して医者につれてかれるってことなんだろうけど、どうやって親に娘のオナニーがばれてたんだろうか?


100 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 22:36 ID:7vN9Rjsw
>>99
大人だよ
20世紀初めまでは男女とも自慰過多は廃人になっると信じられていた時代だった
本人が罪悪感に悩んで医者に行くケースや精神病患者の自慰が発見されるケースが手術の対象になった
精神病の男の場合は去勢されることも珍しくなかった

103 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/31(火) 00:14 ID:noxBRbE2
>>102
テキサス州の病院での3人の自慰過多病の男性患者(白人1人黒人2人)の去勢手術について「優生学の名のもとに」という本に出ていたよ。

105 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/08/02(木) 05:03 ID:gfUHaq9k

知り合いの女の人で、バイクの事故で、クリトリスと小陰唇を全部なくした人がいるそうです。
入院中はほとんど、切断した性器のことなんて頭になくて、もっと人目につく、顔や体の傷やアザが治るのかということの方が、切実だったそう。

でも退院してから、自分のうちのお風呂で自分の股間をひろげて見た時にショックを受けた。
クリもびらびらもなくなって、穴だけになった自分の性器が惨めで、その日は何時間も泣いたそうです。

再建手術もイヤで(医者や看護婦に見られるのがイヤとのこと)、結局その人、精神的にセックスできない状態になっちゃったそうです。

8 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/07/27(木) 01:24:23 ID:HhA5P4o20

調査した女性が居たが、「何もないカベを見ているようだ」って言ってたなぁ
クリ・小陰唇切り取り、大陰唇縫合・マッチ棒程の穴を残す、、、、


18 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/10/18(水) 15:34:41 ID:H7QVXylk0

女の欲はそれだけ底なしだから そういう風習ができたんじゃないかね
そこまでしなくてもと思うが…


139 :/名無しさん[1-30].jpg:2008/08/07(木) 15:50:51 ID:jmAtR7us0

アフリカはかなり男尊女卑だからな。
女は男の所有物なので、下手に性欲に目覚められたら気が気じゃない。
そんで、女が自分から欲しがらないようにクリを切除。

少し前まで(否、場所によっては今でも?)石の矢じりのようなもので長老等が少女の性器を切り取った。 そこから感染症を起こして亡くなる場合もあったそうだ。 あまりに女性の意思を無視した危険な習慣との事で、これを無くそうという運動団体もある。

http://www2.bbspink.com/sm/kako/993/993375254.html
http://unkar.org/r/ascii/1153582447

娘の女性器を切除をさせないため米へ亡命 妻に浮気させないため…アフリカで毎日8000人切除


1 ◆TvN8RkVODg @ターンオーヴァーφ ★ 投稿日:2010/03/24(水) 00:43:06 ID:???0

古き悪習を絶て!

     
現地時間3月22日夜、ロンドンで開催中のヒューマン・ライト・ワッチ映画祭で、 ドキュメンタリー映画 『ミセス・グンドス・ドーター』(原題)の2度目の上映が行われた。 本映画祭での上映がイギリスでのお披露目となる本作、 アメリカからやってきた共同監督のジャネット・ゴールドウォーターとバーバラアティが質疑応答した。

本作は、アフリカのマリ共和国から、アメリカのフィラデルフィアに逃れてきたグンドス夫人を追ったもの。 夫人の渡米理由は、娘の女性器切除を避けるため。 マリでは一般的に行われている習慣で、夫人自身も記憶がないほど幼いころに切除された。 ひどい痛みをともなうという切除で、物心ついてからは、切除後の子どもたちが泣き叫ぶ声がトラウマになったという。

本作ではマリの様子も映し出される。マリの男たちは仕事を求めて何年も家を空けて旅することがあるため、留守中、妻に浮気させないためにも女性器切除が有効という男性支配が、 宗教などとも結びつけられた習慣だということも明かされる。 村ごとに子どもたちをまとめて数十人も、剃刀で次々切り落としていくという荒っぽさで、出血多量や感染から死に至るケースさえあるという。

マリに限らず、アフリカ各地で行われている習慣で、年間約三百万人、換算すると毎日約八千人ずつ切除されているというショッキングな数字が示される本作だが、
「映画にとりかかった最初のころの統計ではマリの女性の92パーセントが切除されていましたが、最新の統計では85パーセントです。少しずつ、減少には向かっています」とアティ監督はマリ国内でも女性の人権意識が芽生えつつあることを説明した。

本作で問題としていることの一つが亡命認定。最終的には認定が下りるグンドス夫人だが、簡単ではない。 ケニア出身だという若い女性観客が「ケニアでも同じような状況です。 もっと認定がスムーズに下りるよう、こういう問題が広く理解されるべきだわ」と強い調子で訴える一幕もあった。
アフリカからの移民も多いイギリスでも、遠い問題ではないようだ。

23 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 00:59:39 ID:VrJkY0cv0

中国の纏足もそうだったらしいが「やんねぇと嫁に行けない」ってんで女がかえってハッスルしてズルズル続くらしい。

で、たまに母親が早世しちまってやりそこなって独身確定な女がハイパー化して名人と呼ばれる腕になる

泣こうが喚こうが容赦しないから

42 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 01:14:56 ID:J8vLhlkYO

ごっそり切って糸で縫い合わせるんだろ

んで初夜に旦那がナイフで…

恐すぎる


81 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 02:06:26 ID:w9ov5aTG0

マジでグロい
本で酷い時は錆びたカミソリでギコギコ切り落とし出血多量で死ぬ場合もあるとかあった

104 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 02:46:04 ID:d9nHajFP0

切除するだけではなく、縫い合わせてるんだよね。
だから初夜と出産は縫合してる皮膚が裂けるので酷く苦しむという。

「女がセックスの快楽を知ったら元気になり過ぎて夫の手に負えなくなる」

と、集落の長が言ってた。

115 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 03:37:38 ID:rUF7F7ud0

 浮気できないように、縫合してしまうので、不衛生になりやすく、結婚した時にまた、切り裂いて、夫に処女だという証明になるそうで、 痛くてたまらないとか、、、、、

196 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 10:43:36 ID:LtfVUPX60

まあ騒いだところで容易には解決しないけどなw
無知がたまたま発展途上のアフリカの事に気づいただけでの話だし ちょっとネタにして忘れるだけだろ

バリバリ先進国のサウジアラビアでも女はレイプされると死刑とかそんなレベル

http://horo346.blog75.fc2.com/blog-entry-857.html

奪われたクリトリスを取り戻そう!


1 :名無しさん@ピンキー :2007/04/13(金) 09:26:14 ID:???0 (76 回発言)


アフリカの狂った慣習「女性器割礼」

この事に関して考えるスレです。

伝統・慣習の名のもと、毎日多くの女性が暴力にさらされています!
1年間に世界で約200万人の女性たちが「女性器割礼(クリトリスを含む女性器を切除する習慣)」という宗教的な暴力の犠牲者となっています。

クリトレイド(http://www.clitoraid.org/)は性器切除に反対し、クリトリス再生治療を無料で受けることのできる施設「快楽病院」をアフリカに建設するための「クリトリス再生プログラム」をスタートさせます!


2 :名無しさん@ピンキー :2007/04/13(金) 09:30:56 ID:???0 (76 回発言)

クリトレイドのビデオ(日本語版)
http://www.youtube.com/watch?v=EqGwI2jojcY

32 :名無しさん@ピンキー :2007/05/30(水) 00:52:47 ID:cZDg9ba20 (2 回発言)

ひと:キャディ・コイタさん=女性性器切除の撲滅を訴える邦訳自伝を出版

 ◇原因は男たちの幼児性、文化の差と思わないで−−キャディ・コイタさん

 フランスで05年にベストセラーになった自伝「切除されて」が今月下旬、邦訳出版されたのを機に初来日した。

 7歳の時の写真が表紙に使われた。モノクロ写真の少女が上目遣いでこちらを見ている。

悲しみ、不安、不信感に加え、瞳には強い怒りが宿っている。撮影のことは覚えていない。だが、同じ年、ひどい目に遭ったあの日、声を限りに叫んだあの時の激痛だけは忘れることができない。

 親類の家に身内の女児ばかりが集められた。年配の女性に押さえつけられ麻酔もかけられず、カミソリでクリトリス(陰核)を切り取られた。

「誰も何も教えてくれなかった。今思えば、脳の一部を切られたようなもの。その後の早すぎる結婚や夫による性暴力に耐えてきたのは、あの切除で人格をおとしめられたせいだ」

 因習は、南部を除くアフリカ大陸の約30カ国を中心にいまも続く。毎年推定で200万人の少女が犠牲になる。儀礼的なものから性器全体をえぐり、縫いつけてしまうものまで、さまざまだ。

 起源はわからない。「切り取った部位をナイル川にささげれば土地が肥よくになるという説もある。 だがやはり、処女、貞節が重んじられ、女は性を求めてはならないという男たちの考えが大きい。根にあるのは、女は怖い、信用できないという男の幼児性です」

93 :名無しさん@ピンキー :2007/08/30(木) 21:08:46 ID:YIIcbLjIO (1 回発言)

浮気防止で切るって聞いた事ありますね。浮気どころか旦那との性交為さえ痛くて苦痛らしい。

好きな人との性交為の気持ち良さを知れないのは可哀そうですね。

107 :名無しさん@ピンキー :2007/09/28(金) 17:05:00 ID:b9KQq6QL0 (1 回発言)

アフリカだけじゃなくて、キリスト教国でもやってたんだよね、これ。
魔女狩りの時は、裁判官が股開かせて、栗が大きいのが見つかると、魔女認定で死刑だということもあったらしい。

まー、白人連中も似たり寄ったりだな。


115 :名無しさん@ピンキー :2007/10/14(日) 15:09:53 ID:???0 (76 回発言)

クリトリス(陰核)とは、全ての女のマンコ・オメコの中に付いていて快感を得る為だけにしか機能しないというエッチでエロい器官を指します。
本当に生殖や排尿や生命維持には何ら関係なく、快感を得る以外は機能しません。

使用方法は自分で弄ったりが主な使い道となりますが男に優しく弄ってもらったり、舐めてもらったりする方が機能的にも発揮されます。


116 :名無しさん@ピンキー :2007/10/15(月) 01:45:14 ID:NBBzmSZbO (3 回発言)

>>115
多分、妊娠とか無麻酔の中絶とかの痛みを和らげるのに使用するんだよ。
婦人科のお医者さんも乳首を気持ちよく触診してから下を診察するお医者さんが評判いいよ。
おばちゃんたちの井戸端会議からの情報だけど。
栗も緊急手術のときなんか活躍しそう。
http://logsoku.com/thread/pele.bbspink.com/hnews/1176423974/


            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
          ,. ‐             ヽ
         ,.‐´               \
        /      ,l       \     ヽ
       /       l|, 、  、 |iヽ, ヽ \.   ヽ
       /     l  i ! | i  | |l'、ト ヽ iヽ ヽ  ',
       !     |  / | |. i  |.|| i.|ヽ |、 | ',   i  i
      !      ! / |,ャ、メ |i ト十i‐トi、! l  .i|  i
      ! i   ,.|!,.+‐'"| | | |i}  ' ュノェ|i,`i  l.| i
      l i l   l |/;:=ニ|i  l |   /rj:ヽ\ i  l i l
      | | |   ノ '/ iニ)ヽ,ヽ |!.   ' {::::::;、! 〉iー | | |
      | |i. |  !; 〈 !:::::::c!     'ー''(つ }i | i.| |
      | ! | |  ;: (つ`''"    、  //// /;:i | | !. |
       | i,  i. 、////      '     /,ノi,   i. |
       ! .|  | i 、,ゝ、     、─,    /   i |  |. i もう オナニーしないから・・・ 
       .! |  i |. | lヽ、      ̄   /  l  | i  | ! たすけて・・・・ いや・・
       ! |  i |i |l l| |`''‐ 、   , イ  |i | |i | i  |. !
       | |  i |i |i .| ノ    ` ''"  ヽ/l| l__,.、-|l l  ! i、
     ,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l '           ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
      /       ! l l ̄ `     、_        | /ノi i.!  |
     ,'          ! |              ,|/ |/i'   |
    i         ` l             .ノ  ノ ' ヽ、 |
    |        ノ     ,...      ヽ、;          ヽ-,
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4. 中東のメイドの仕事とは

若い女性が金持ちの家にメイドで雇われて、性的被害に遭う話は、それこそ膨大にある。

ある女性が中東にメイドで雇われたが、仕事は老人の性介護(セックスの相手)であり、そのうちその家の息子たち全員の性の玩具にされてしまったという凄惨な話があった。

中東の出稼ぎはフィリピン人も多いが、やはりホスト・ファミリーにレイプされたり、性的ないやがらせを受けたり、虐待されたりしている。

ブラジャーだけやトップレスで掃除することを強要されたり、レイプされそうになって雇い主を刺殺したら、正当防衛に関わらず死刑の判決が下ってフィリピン全土が大騒ぎになったりした。

マレーシアでもインドネシアの女性が凄まじい虐待を受けた例もある(ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされていく現代のメイドたち)。

インドネシアと言えば、最近はサウジアラビアで起きた事件でメイドとしてサウジに働きにいくことを禁止するほどの大事件が起きているのはご存知だと思う。

雇い主に追いつめられたインドネシア人のメイドが雇い主のサウジアラビア人を殺したのだが、政府は彼女に死刑を宣告し、インドネシア政府に何も知らせないまま断首刑を執行した事件である。


サウジアラビアで母を勝手に断首刑にされて嘆く娘


ユドヨノ大統領は激怒してサウジアラビア政府に最大限の抗議を行っている。

インドネシアの女性が国外で虐待に遭う事件が続出していて、メイドがいかに危険な仕事なのかを国民はもう知っている。しかし、それでも出稼ぎに行かなければ食べていけないのがインドネシア国民の悲哀でもある。

虐待を受けたメイドがどんな状況になっているのか、以下を見ればその深刻さが分かるだろう。

これは今、私が愛してやまないインドネシアやフィリピンの女性に起きている現実である。


雇い主に暴行(というよりも拷問)を受けたインドネシア人メイド

自国の女性に振るわれる暴力に抗議する人たち


平和が消滅すると女性の人権も消滅する

貧困国・貧困家庭の子どもや若い女性は、どこの国のどんな地域でも、必ず人身売買や性的搾取のターゲットとなっている。人種、宗教、地域問わず、すべてそうだ。

女性の時代というのは、「平和」と「豊かさ」と「教育」が維持されているときだけに囁かれるものであり、そのいずれかが消え去ると同時に女性の時代も簡単に消し飛ぶ。

特に「平和」は、「女性の時代」という幻想を築く上ではなくてはならないものである。

平和でなくなった瞬間、女性の時代もなくなる。女性の時代どころか、女性の地獄が出現するだろう。

人身売買の横行する貧困国を見ているとそれはよく分かる。戦争や内乱がそれに加わると、どうなるかはコンゴの例を見ればいいかもしれない(戦争とレイプ(3)コンゴのレイプ地獄から逃げて国境でも輪姦)。

今年に入ってからはリビアもカダフィ政権もまた中東民主化の波で内乱状態のようになってしまっているが、政権側は反政府側の女はレイプしても構わないとする「レイプ戦術」を執ったとも言われている。


15人に集団レイプされたと訴える女性


これはもちろん反カダフィ側(つまり欧米側)のプロパガンダである可能性もあって何とも言えないところでもある。

しかし、エジプトでもCBSの女性記者だったララ・ローガンがレイプされているのも周知の事実なので、リビアの女性が無事であるとは私には到底思えない。

内乱の際、レイプは暴徒にとっての最大の「楽しみ」になっているという醜い事実は隠しようがない。
http://www.bllackz.com/2009/12/blog-post_26.html

ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド


http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html

フィリピン女性に限らず、インド女性も、インドネシア女性も、中東にメイドとして出稼ぎに行く。

以前にも「上半身裸で働かされた」「レイプされ続けた」「父親からその息子たちにまで、みんなにレイプされた」「棒で叩かれ、小屋に閉じ込められ、食事を与えられなかった」と、様々な虐待がメイドたちに対して行われていることを書いているが、そういった虐待はなかなか収まることはない。


なぜなら、アラブ人は昔から「奴隷(スレイブ)」という存在に慣れていて、「奴隷は人間ではない」「動物と同じだ」「自分に所有権があるのだから、自分のものには何をしてもいい」という意識が根底にあるからだ。

アラブ人がという言い方をすればもしかしたら語弊があるかもしれない。イスラム社会の一部では、という言い方のほうが穏当だろう。

マホメットも奴隷を「所有」していたし、アラブ社会で続いていた戦争や略奪の中では、戦争捕虜は戦利品であり「奴隷」だった。奴隷の売買もあった。

またアフリカは奴隷の草刈り場だったので、アラブ人の多くがアフリカに南下して「人狩り」をしていた。当然、略奪されて集められた女性たちは「セックスの奴隷」とされるわけである。

ソマリアの村人大虐殺事件やレイプ事件でもアラブ人の民兵が容赦なくキリスト教徒を標的にしていることが知られている。

アラブの裏の世界でよく知られているのは「ハーレム」という女性の集められたシステムだ。

権力と金を持ったアラブ人はハーレムを作って、片っ端から女性を集めて、女性たちを好きに性処理の役目をさせていたが、彼女たちの面倒を見て、なおかつ好きなときに主人のセックスの相手までしていたのが「奴隷」である。奴隷に拒否権はない。

マホメットからアッバース朝、そしてオスマン帝国に到るまで、そのようなシステムは維持されていたが、そういった歴史があるので、アラブ人は「奴隷」について西洋人とは同じ観念を共有していない。

「人権」という概念そのものが社会に定着していないという言い方もできるかもしれない(もちろん、すべてのアラブ人がそうだというわけではないのは断っておきたい)。

一般に中東やイスラム社会というのは、奴隷や召使いの存在を当然のものとして、自分たちと対等の人間であると認める精神的構造がないことも多い。

これは彼らが冷酷非情なのではなく、そういう文化の中で育ってきたからである。アラブでの暴力の概念は非常に冷徹かつ直接的であり、、私は特別な関心を持ってそれを見つめている。

この暴力の概念が世界に及ぼす影響は大きいはずだ。何しろ、キリスト教徒が対立しているのが彼らなのだから。


〓 虐待に次ぐ虐待の記録

日本ではまったく報道されないので知らない人も多いと思うが、フィリピンのみならず、インドネシアでもメイドとしてマレーシアやサウジアラビアに向かった先で、凄まじい虐待に遭って国際問題になっている。

マレーシアで起きた虐待のほうは罵る、叩く、熱湯をかける、棒で殴打する、ベルトで鞭打つ、熱したアイロンを押しつけるような虐待をしていて、それが裁判沙汰になると、「あれはメイドの自作自演だ」と平然と主張した事件だった。

サウジアラビアのほうも凄惨だ。私の読んだ記事では事件の詳細には触れられていないのだが、「嫉妬した妻がインドネシア人のメイドに激しい虐待をした」と書かれている。

しかし、彼女は殴られ、蹴られ、罵られ、鉄の棒で焼かれ、はさみで身体と言わず顔と言わず、切り刻まれていた。

あまりにもショッキングな虐待にインドネシアの新聞では、彼女の切り刻まれた口唇にぼかしをかけるなどして報道している。

写真を見てわかる通り、これはもはや虐待の域を超えた制裁であり、インドネシアのユドヨノ大統領は激怒して「異常な拷問だ!」と叫んだという。

ただちにサウジアラビア大使を召喚して、これを外交問題化することを宣言し、いったい何が起きたのか調査団を派遣することに決めた。

サウジアラビアでも事態を重く見ており、この拷問の虐待者を非難しているようだ。

もしイスラム法で処罰するのであれば、虐待者の口唇も切り刻む必要があるが、そのような処罰は行われていないという。

しかし、今回の事件は稀な事件ではなく、氷山の一角であることをインドネシア国民は指摘している。

マレーシアの件でもサウジアラビアの件でも、インドネシア政府は救済に動くことを約束しているが、虐待もレイプも密室で行われる。後手後手の対応になるのは目に見えている。

また出稼ぎ先である中東との決定的対立もできないという弱味もあってインドネシア政府のできることと言えば、女性の「駆け込み機関」を作るくらいが精一杯ではないだろうか。

これとは別に、スリランカの女性もまた虐待されていて、スリランカで大問題になっていた。

彼女は雇い主に明け方から深夜まで休みなく働くことを強制され、睡眠時間を取ることも許されず、休みももらえず、疲れきって動けなくなると、熱した釘を腕に打たれたという。

その数は23本だった。
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html


「誘拐してセックスの奴隷にする」人身売買の世界のこと


http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html

人身売買された子供たちを救う運動をしているフィリピンのシンディ・ロマイン氏が ABS-CSN NEWS 紙で語っている様々な話題のひとつに、興味深い話が載っていた。

人身売買を扱う悪人たちもフェイスブックを見ながら子供たちの情報を集めてキッドナップ(拉致)しているというのがインタビューの主旨である。


ウィリアム・ヒラーの事件

長い記事なので全部は紹介できないが、この記事の後半にあった娘を誘拐された父親の話は壮絶だった。要約しつつ書くと、話としてはこういうものだ。

子供を誘拐された父親の名前はウィリアム・ヒラー。アメリカ陸軍特殊部隊の大佐だった。

彼の娘はふたりの友人と共にバンコクを出発した列車の中で誘拐された。

24時間以内に、すでに彼女たちはクアラルンプールで無理やりセックス奴隷にされていたという。

誘拐された娘を見つけるために、ヒラーは友人を仲間に入れて、誘拐された娘の足取りを半年間追い続けた。

その捜査のために、彼はクアラルンプール、バンコク、カンボジア、香港、マカオ、そしてフィリピンと渡り歩くことになる。

そして最後に、ボルネオの倉庫で32人の少女が閉じ込められているところまで突き詰めた。そこで彼は娘の友人のひとりを見つけて、「俺の娘はどこだ」と尋ねた。

「ああ……。一週間前、彼女はここを脱出したの。でも警察に見つかって、警察は彼女をここに連れ戻して売った。彼女は他の子と同じように拷問されて死んでしまったわ」


子供たちが商品のごとく売られていく。
今、私たちが生きているのは、そのような異様な世の中である。


人身売買の映画「96時間」

ヨーロッパでリュック・ベッソン制作、リーアム・ニーソン主演の映画「96時間」というものがある。

この映画はウィリアム・ヒラーに起きた悲劇とよく似ている。このウィリアム・ヒラーのことをモデルに映画化されたのだとも言われている。

映画のほうはアルバニアの人身売買業者が犯人になっているのだが、アジア中を移動させられたウィリアム・ヒラーの娘と、アルバニアの人身売買業者は立場的によく似ているので、変更されたのだろう。

アジアの人身売買の出来事を、ヨーロッパの映画監督が舞台を置き換えてヨーロッパの物語にしたのである。

いずれにしても、どこの地域のどこの少女に置き換えても、この物語が成立することに、人身売買の根深さがある。

ちなみに10年前はロシア女性がカンボジアのホテルに監禁されてセックス奴隷にされていた事件があった。

彼女たちを買った客は政府関係者だったと言われているが、状況はうやむやにされて闇の中に消えてしまった。


「味をしめた」中東の男たち

人身売買が驚くほど広範囲で広がっている。フィリピンの子供で言えば、もうずっと前から中東に売り飛ばされて性奴隷にされていることが確認されている。

以前から何度も書いているが、フィリピンと中東の結びつきは非常に深いものがあって、中東にはフィリピン女性の多くがメイドとして中東に「輸出」されている。

アラブ一帯では昔から大勢の女性をひとりの男が独占するハーレムの様式とは別に、ひとりの女性を一家の男たち(祖父、父親、そしてその息子たち全員)が「共有」するのに抵抗がない裏事情がある。

メイドでやってきたフィリピン女性が、父親にレイプされたあと、日を置いて息子たちにも次々とレイプされ、最後には11歳だか12歳の男の子の性処理までさせられたという話も「ごく普通に」あって驚く。

上半身裸でメイドの仕事をさせられて最後には虐待死した女性もいるし、レイプされそうになったメイドが主人を殺して正当防衛が成立せずに死刑になりかけた事件もあった。

多くのフィリピン女性がレイプや性的嫌がらせ、そして虐待に耐えかねてNGOのシェルターに逃げ込んでいるのだが、表沙汰になるのは氷山の一角である。


・ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド
・貧困・戦争がやってきたとき、女たちの人権はまったくない


そうやってフィリピン女性は犯罪の犠牲者にされているのだが、「味をしめた」中東の男たちにとっては、こういう発想を持つ男も出てくる。

「メイドではなく、フィリピンの幼い女の子を金で買って、永遠にセックスの奴隷にしてしまえばいい」

需要があれば供給があるのは裏世界でも同じで、そこで両国の人身売買業者がせっせと性奴隷にするフィリピンの幼女をアラブに送り込むことになる。

用済みになったら(あるいは虐待死してしまったら)、どうするのか。アラブでは特に慌てることもないようだ。そこには広大な砂漠が広がっている。


人身売買という世界があることを啓蒙するポスター。
売られていくのは、貧しい家庭の子供たち。
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html
 

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コメント
 
01. 2012年9月17日 21:26:15 : HNPlrBDYLM


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                  |  {  ヽ    __,    イ l| .|   .| ',
                   i  |   i ヽ   `ー'   /i |ノ /   | ! あたしイスラム教徒よ
                    |  l   l  ,l` ー ´  .l j  |    | .i
                    !.  |  レイ       八| |   .| .i
                   ,. -─一'´|   |_       / / ./._  | i
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         _, - ´                                   `゙


人間の屑 モハメッド

預言者ムハンマド自身、現在の過激なイスラム信者同様情け容赦なく敵(批判する人を含む)を殺した。

ムハンマドはヒトラーのホロコーストよりずっと前に自分の支配地域からユダヤ人を駆除し、西暦627年降伏した「クアライザ」(Quraiza)というユダヤ人部族の虐殺を指揮したのもムハンマド自身であった。

彼はその900人の捕虜の中のライハナという19歳の可愛い処女を見初め、彼女に結婚を申し込んだ。気高いライハナはそれを拒否し、ムハンマドの妻にはならなかったため、預言者の「破康恥な」女性奴隷グループ、つまりセックス・スレイブ・コレクションに入れられた。ムハンマドは彼女の部族を殺したその日の夜、彼女を犯したそうだ。

また、ムハンマドはムスタリク(Mustaliq)という部族を支配下においた際、女性200人を兵士たちにあてがった。

ムハンマド自身は族長の娘を奴隷にした。彼女の夫が部下によって殺されている間に、ムハンマドは彼女とセックス(レープ?)したということだ。

カイバー(Khaibar)のユダヤ人を奇襲した際、ユダヤ人部族長の17歳の妻であったサフィヤ(Safiya)が同じ悲惨な運命に遭った。その間ムハンマドの兵士達は彼女の夫の胸に火を押し付けて拷問し、殺した。

また、西暦624年の戦闘によってメディナを手に入れた時には、預言者を嘲笑する詩を作った女性作家アスマ・ビント・マルワン(Asma bint Marwan)をはじめ批判者たちを殺害。

Ka'b ibn al-Aschrafは批判的な質問や皮肉な言葉でムハンマドの怒りをかったため、預言者の部下によって殺された。

http://www.hpo.net/users/hhhptdai/jyllands.htm


02. オリハル 2012年9月24日 22:43:28 : 3eVpHzO3Pti46 : AmwoG4U4n2
狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/420.html
投稿者 中川隆 日時 2012 年 9 月 15 日 19:12:32: 3bF/xW6Ehzs4I


殺さなければ殺されるような時代的、地域的な状況があったときに、神がどのように善の側の人間(達)にアクセス(言葉を下ろ)し、(多分、正当防衛以前に)攻撃を開始させたか、ということだと思います。

個体差がありますが、人体が大人へと成熟するのは20才頃らしいですが、24、25才を待てば、ほぼ全員が(肉体的に)成人したと言えるようです。
http://oriharu.net/jHormone_shock.htm
それ以前に初SEXをしてしまうと、「ホルモン・ショック」と呼ばれることになるので、私は9才というのは、あまり良くないなとは思っています。ただ、そこに深い愛情があれば、何らかの「保護作用」がある可能性も捨て切れませんが、やはり、20才まで待つのが「安全」だと一般的には言えると思います。

ルドルフ・シュタイナーによれば、男性は女性に愛を注ぎ込み、男Aさんは⇒女Aさんへと転生し、女Bさん⇒男Bさんへ転生するそうです。そして、愛を注がれた男Bさんは男として、新しい人生で誰か女性に愛を注ぎ、女となったAさんの場合は、誰か男性から愛を注いでもらうそうです。このようなエネルギーの円環の視点では、滞ることなく流れる(愛する、交わる)ことは良い事だと思います。


03. 中川隆 2012年9月30日 21:18:32 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


2011年10月20日木曜日

イスラムの石打ちの刑というのは実際どのようなものなのか



R18
ソマリアは国家が崩壊しているので法治国家には成り得ない。そこで、犯罪者はソマリアの国教であるイスラムに則って、イスラム法(シャリーア)で裁かれることになる。

シャリーアはアフガニスタンでもイランでもそうだが、「目には目を、歯には歯を」の罰則がいまだに生きており、たとえば泥棒の右手を切断するだとか、子供の腕を轢くだとか、そういった刑がまだ普通に行われている。

シャリーア(イスラム法)

イランでは、女性に酸を浴びせた男にもその罰は同じ酸で目を焼くという刑が執行される寸前までいった。これが実行されなかったのは女性が中止を求めたからであり、別に裁判官が残酷だと思ったからではない。

公開処刑もまた多く、イランでも絞首刑やムチ打ちなどは公開処刑で行われることが多い。

このシャリーアは不倫(姦淫)にもまた強い姿勢で臨んでいることもよく知られている。

不倫をした男女は共に死刑だ。しかも「石打ちの刑」あるいは「絞首刑」である。こういったイスラムの刑については以前にも取り上げた。


・女性に酸を浴びせて顔を損壊させる事件の裏に何があるのか
・イランの公開処刑。政府に楯突いた人間は容赦なく公開処刑

石打ちの刑というのは下半身を土に埋めて、罪人が死ぬまで石を投げて打ち殺す刑である。

女性の場合は、処刑する男たちに引き回されて、その場で石を頭に打ちつけられて殺されることもある。

抵抗していた女性も、レンガくらいの石を思い切り頭に叩きつけられてぐったりしたまま、なおも石を投げつけられて殺されていく。

その状態を写した動画もある。ある18歳のクルド人女性は、別の宗教の男と恋に落ちて処刑された。女性を集団で殴る、蹴るの制裁を加え、下半身を脱がして辱めて殺す。

刑というよりもリンチに見えるがどうだろうか。

先進国では、別に誰が誰と交際しようが他人には関係のない話だが、イスラム圏ではそうではない。女性が勝手に恋をしたら「死刑に値する」のである。

アフガンのタリバン支配下の石打ちの場合は以下のような感じだ。まず女性を石で打ち殺し、次に男を引っ張り出して来て、目隠しして集団で石を投げつける。

レイプされた女性は、レイプされた方に非があると認識されるので、女性が殺される。銃殺だと、以下のような感じになる。

ソマリアに関しても、不倫した人間を「石打ちの刑」にする。この写真は男女共に石で打ち殺されているのだが、女性のほうを殺す写真は残っていない。


女性が男に抱かれたというのが問題

イスラムでは女性の地位は極端に低く見られる傾向がある。

たとえば不倫などでは男は無罪なのに女が断罪されたりする。レイプされたのも女が悪いという話は理不尽だが、イスラム社会では珍しいものではない。

また、ほとんどの地区では婚外セックスなど言語道断である。

そういったものが発覚した場合は、シャリーアの前に家族がその女性を殺害することが多い。彼女を殺した家族の人間はシャリーア法によっては無罪にされる。

不貞を働いた女性を処罰して家族の名誉を守ったのだから、こういったものは「名誉殺人」と言われている。あちこちの男とセックスをするような女は「殺されて当然」というわけだ。

殺されなくても鼻を削ぎ落とされるのも珍しくない。さしずめ、ビビ・アイシャはその典型的な例だったが、同じ刑に遭った女性は数多い。

・ビビ・アイシャ。削ぎ落とされた鼻の修復

また、同性愛も認められていない。

同性愛が容認されている欧米でも実は同性愛に対しては嫌悪を示す保守派が多くいて陰で中傷などが行われているが、多くのイスラム国家では堂々と迫害対象だ。

そういった様々な昔からの保守的な思想を受け継ぎながら、かつ刑が残酷すぎるというのも問題になっている。

「目には目を、歯には歯を」が受け継がれており、盗人の手足を切断するとか引きちぎるとか、そういった過激な刑が欧米の人権団体に批判されている。

しかし、シャリーア(宗教令)の中では、残酷かどうかの前に、神に背いたかどうかが重要視されており、神が背いたのであれば、コーランに書いてある法律を実行するのが善になる。

「女性がレイプされるのは、女性が悪い」というのもコーランがそうなっているからだ。女性が男に抱かれたというのが問題なのだ。


公開処刑に処せられる女性
http://www.bllackz.com/2011/10/blog-post_20.html


04. 2012年10月01日 00:46:36 : HNPlrBDYLM


2011年12月3日土曜日

2010年8月7日土曜日生きながら焼かれたスアド。女たちにとって宗教とは何か?

女性にとっては容姿は非常に重要な要素だと世間一般では言われているから、鼻や耳を削がれた女性がいかに凄絶な精神的苦痛を味わうかは考えなくても分かる。それはとても恐ろしいことだ。

そういう意味で、タリバンの残酷なリンチは、女性の尊厳を徹底的に陥れることで成功している。タリバンというよりもイスラム原理主義者のリンチと言い直したほうがいいかもしれない。

「生きながら火に焼かれて」のスアド

女性は男に服従すべきだとイスラム原理主義者は考えた。それこそが神の求めている姿なのだと。

「生きながら火に焼かれて」のスアドという女性は、中東ヨルダンの女性だった。彼女は結婚前に恋をして性交渉を持ったために生きたまま火に焼かれることになった。彼女はイスラムという世界で生きることをこう描写している。


女の子には学校に通う権利はない。そもそも、権利と呼べるものなど何ひとつない。ひとりで歩く自由さえ与えられない。その村では女の子として生を享(う)けること自体が不幸なことなのだ。男たちが勝手に定め、盲目的に守りつづけてきた法に従い、朝から晩まで家事、畑仕事、家畜の世話を奴隷のように黙々とこなし、十代の後半にさしかかる頃には親の決めた相手と結婚し、夫となった者に服従しながら男の子を産まなければならない。女の子ばかり産んでいると夫から捨てられる。娘は二、三人はいてもいいが、それ以上は必要ない。

もし、上記の人生を送るのが嫌なのであれば、凄惨なリンチが待っている。鼻をもがれ、生きたまま焼かれるということだ。

これらのニュースに接したイスラムの厳格な国の女性は、どんな暴力夫であっても一生耐え忍ぶ人生を選ぶだろう。そして、絶対に夫には逆らわない決意をするだろう。

自分の肉体が物理的に損壊するのが分かっていて軽々しく逆らう人間はどこにもいない。神を信じているかどうかは関係ない。イスラムに従順でいなければ暴力が降りかかってくるのだから、従うしかないのだ。

たぶん女たちのほとんどは神なんか信じていないはずだと私は思っている。いや、そう信じたい。

何かの記録映画(華氏911だったかもしれない)で、メリカ軍に爆撃されて家族を殺されたイラクのイスラム女性が同じイスラムの男たちをこう罵って号泣していた。

「私の家族はなぜこんな目に会うのよ! あんたたちの神はどこにいるのよ!」

自分たちを抑圧しているのは、神という概念を創り上げて勝手に都合よく解釈している男であって、神とはしょせんそういうものだと女たちは悟っている。

家長主義の中での女性の立場

しかし、自分が殺されるかもしれないのであれば、「神なんかいない」といえない。神がいると思わせているものこそ、男の持つ暴力装置である。男は神を暴力で強制していると言い換えてもいい。

男は意識していないが、家長主義が長続きするのは、男が暴力を振るうことができるからである。

暴力が禁止される社会になると、相対的に女性の地位が上がっていく。暴力社会になると、女性の地位が下がっていく。何のことはない。男は暴力で女性を抑えつけているからだ。

先進国の女性が男と対等なのは、暴力が社会的に禁止されるようになったからで、進歩したからではない。暴力が減ったからだ。

しかし、暴力が減ったとは言っても、文化は家長主義を色濃く残す宗教を内包しているので、暴力が開放されれば、また女性は虐げられていく。

社会の行き詰まりは常に暴力の開放になる。先進国の女性が男と対等だと勘違いしておられるのは、たぶんもうしばらくの間だけだろう。暴力の時代が来ると、女性たちはまたもや奴隷になる。それが家長主義の限界だ。

虐げられた女性、傷つけられた女性は、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・儒教のような家長主義色の強い文化の中で行われている。家長主義=男性優位社会では、女性が対等になれることは決してない。

だから、もし女性が本気で男と対等になろうと思うのであれば、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、儒教、そして儒教を取り入れて男性優位を説くようになった仏教を、この世から消し去る決意がいる。


女たちの世の中の変え方

文化は宗教が形作っており、宗教が男性優位を人間に植えつけた。それまでは各国各地で様々な土着の文化・哲学があり、母系社会があり、世界は多種多様だった。

その中から征服欲の強い、エゴの塊のようなキリスト教やイスラム教が他宗教を征服していき、現在はこのような得体の知れない社会になってしまったのだ。

女性は虐げられ、そこからはみ出した女性は娼婦として搾取されるか、リンチされて殺されるか、奴隷にされるかのいずれしかない。

キリスト教下での女性は幸せなのか? 自由なのか? いや、たぶん本当の自由を分かっていない。女性にとって本当の自由とは、いろんな男の子供を好きに生むことである。

本当に女性が自由なら、ひとり目の子供、ふたり目の子供、三人目の子供は、すべて違う男の子供になっているだろう。そして、それが当たり前になっているだろう。

自分の子供を多様化させることは、人類の多様化につながる。しかし、そのような考え方は現在では異端であり、何の根拠もなく否定される。

しかし、父親の違う子供を生むことがなぜ悪いことなのか、人は一度よく考えてみるべきだと思う。

女性は一夫一婦制で、たくさんの好きな男の子供を自由に産む権利を剥奪されているのである。考えることすらも許されない。だから、それを考えたこともないはずだ。

しかし、本当は考えてみるべきなのだ。

そうすれば、奇妙な宗教がそれを強制していることが分かってくるし、そのような宗教が先鋭化すると、女性の鼻を切除したり、燃やしたりすることになると知ることになる。

女性は自分たちの子供に、キリスト教やイスラム教や儒教のような家長主義的な教えを信じないように教育していくべきだ。子供たちにそれらの宗教が信じるに値しないことを叩き込んでこそ、世の中は変わっていく。
http://www.bllackz.com/2010/08/blog-post_07.html

2010年8月6日金曜日

鼻を削がれたアフガン女性ビビ・アイシャ写真の波紋


2010年8月。アメリカの商業誌 TIME に、タリバンの命令で鼻と耳を削ぎ落とされた女性ビビ・アイシャの顔写真が出ている。

家庭内暴力に耐えかねて逃げ出したのが「イスラム的ではない」ので、報復として夫に鼻と耳を削ぎ落とされたという女性の写真だ。

血の海の中で倒れているのを女性の福祉団体に助け出され、ひっそりと暮らしているところをアメリカのジャーナリストに見出されて雑誌の表紙になった。


プロパガンダなのか事実なのか

このような残酷な写真については賛否両論がある。タリバンはこのような残酷なことをやっているという確固たる証拠がこの写真でありそれは知らしめる意義があるというのが賛同のほうだ。

しかし、「つまるところ、これは世論の誘導ではないのか」というのが否定の意見だ。

タリバンはこのような残酷なことをしている。だから、タリバンを攻撃するのは正しい、アフガンに侵攻するのは正義なのだ、という誘導がそこにあるのではないかということだ。

正直に言うと、世論の誘導は間違いなくこの写真にはある。アメリカのプロパガンダの一翼を担っている。ビビ・アイシャはそのために「選ばれた」のだと思われる。

イラクでも自爆テロや爆撃によって手足が吹き飛んだ画像や映像が溢れている。それらを一枚一枚見ていると気が滅入る。殺戮の少なからずのはアメリカ軍が手を下したものでもあった。

しかし、これらにはまったく注意が払われず、この写真一枚で、アフガンで起きている女性に対する暴力がクローズアップされる。

この写真を見て、タリバンに好感情を抱く者はいない。こんな残酷なことをしているタリバンという集団は殲滅させてしまえ、という気持ちになっていくだろう。

だから、自動的にアメリカがアフガンでやっていることが感情的に正当化されていく。

暴力を振るうものが、自分の暴力を棚にあげて相手の暴力を批判するのだから、そこに世論の誘導があるのは間違いない。


選挙に行った人間の鼻を削ぐ

アフガンでは、ビビ・アイシャ以外にも、姦通の見せしめとして女性の鼻を削ぎ落とすような事件は恒常的に行われている。

また、女性だけでなく、タリバンに従わない男にも同様のリンチが行われるケースもある。よく知られているのは、選挙のときのリンチだ。

アフガンでは2009年に大統領選挙をやっている。タリバンは最初から「選挙はアメリカのアフガン侵略の一環である」として反対しており、カルザイになろうとアブドラになろうと関係ないと宣言してきた。

選挙は茶番であり、アフガンはイスラム法でコントロールされるべきだという意見はアフガンでは非常に強い。だから「選挙行為そのものがイスラムに対する冒涜」だと宣言したのだった。

したがって、選挙に行く国民はタリバンから見ると「非国民」のような存在である。だから、タリバンは報復した。

今日、報道されたのは、「南部ウルズガン州で、大統領選投票日の20日、有権者の男性(35)が投票所へ向かう途中に武装した3人組に襲われ、鼻と耳をそぎ落とされた」という事件だった。

有権者の指を切り落として見せしめにする事件は多発していた。今度は「鼻と耳」である。そのニュースを読みながら、日本の非人制度のことを思い出した。


鬱憤を晴らす対象として作られる弱者

かつて日本でも士農工商の下に非人という身分制度がインドのカースト制度を参考にして作られて、そんな時代が400年も続いたことがあった。

身分制度はやがて「商」が力を持つようになって、「士」は金の力で商人に屈服しなければならなかったが、唯一よく守られたのが非人に対する差別だったといわれている。

非人は常に差別されて、その差別は頑なに守られた。

インドのカーストでもそうだが、人間社会には常に社会的弱者が存在していて、そういういたぶる存在があって社会の鬱憤が解消されているところがある。

暴動の矛先が権力者に向いたとき、権力者は巧みにその矛先を弱者のほうに向き変えて、弱者を襲わせて「鬱憤を晴らさせていた」のである。

非人はそういう存在だったので、非人の男が身分違いの女性に恋をするなどは許されるはずもなかった。

しかし、ごく稀にそういう「道ならぬ道」に落ちる男女がいる。

それが発覚したとき、非人の男は殺されるか、もしくは凄惨なリンチが行われる。

そのリンチこそが、「耳を削ぎ」、「鼻を削ぐ」という刑だったのである。鬱憤を晴らす対象として作られる弱者がいて、弱者には凄惨な暴力が加えられるのである。

タリバンが現在やっているのは、かつて日本がやってきた弱者に対するリンチと同じであるところが興味深い。タリバン政権における最大の弱者は誰か。「女」だった。

弱者を必要とする社会がまともな社会であるはずがない。ビビ・アイシャの削がれた鼻の写真を見ると、イスラムがまともな社会ではないことが分かる。

そして、忘れてはならないのは、ビビ・アイシャをプロパガンダに使うアメリカもまた同じムジナということだ。

一方は弱者を作り出し、一方は弱者を利用している。おぞましい世界がここにある。
http://www.bllackz.com/2010/08/blog-post_06.html

2010年10月17日日曜日

ビビ・アイシャ。削ぎ落とされた鼻の修復

R18
以前、鼻と耳を削(そ)ぎ落とされたアフガン女性がタイム誌を飾ったことがあった(このブログにも書いた)。

これはアメリカの反タリバンのプロバガンダの一種でもあるから、私はあまり記事自体には深入りしたくないが、傷ついた女性のほうには実はずっと興味があって折に触れてその記事を追っていた。

彼女の名前はビビ・アイシャ(Bibi Aisha)という。アイシャというのはインド圏、アーリア圏ではよく聞かれる名前で、マホメットの妻もアイシャという名前である。

私もインドやバングラデシュで何人かの「アイシャ」を知っているが、その名前の響きはとても「かわいらしい」イメージが私の中にはある。

だから、彼女の名前もまたアイシャだったことで、私はとても彼女に親近感を覚えた。ナオミ・キャンベルという女性の「ナオミ」の部分で普通の日本人が興味を持つのと同じようなものかもしれない。

CNNの記事によると、ビビ・アイシャはアフガン特有の「バード(Baad)」という紛争解決のための強制結婚で家族から相手の家族の元へ無理やり嫁がされたと書かれている。16歳のときだった。

夫は戦場に行っていたので夫の家族と共に暮らすことになるのだが、そこでは激しい虐待と10人の兄弟たちの罵倒、そして拷問が待っていた。

2年間、耐えに耐えてきたアイシャは、やがてそこを逃げ出すことを決意するのだが、カンダハルまで到着したところで失敗、投獄されることになる。

アフガニスタンでは女性が逃げ出すのは重大な罪であり、アイシャは罪人だった。

そして、恩赦で出所したのだが、そのときに許嫁の父親に連れ戻され、怒り狂った自分の夫によってタリバンの法廷にかけられることになった。

タリバンの裁判所が下した結論は、「女の鼻と耳を削ぎ落とせ」というものだった。刑はアイシャが逃げたことによって名誉を汚されたと主張する夫が行った。

裁判所の結論通り、アイシャは山中で耳と鼻を削ぎ落とされて、血まみれの中で放置された。

"When they cut off my nose and ears, I passed out,"
「彼ら(夫とその親族)に鼻と耳を削ぎ落とされたとき、私は気を失いました」

しかし、血まみれの中にあってもアイシャは死なかった。それから彼女はアフガンの女性団体に保護されて、そこでひっそりと暮らしていた。

ここまでがCNNの内容だ。


タイム誌が彼女を見出して幸運を得た

通常はこのような女性は人権団体が助けるだけで、それ以上の救いは来ない。しかし、ちょうどその頃、アメリカはイラクからアフガンに戦闘の軸足を移していたことから、彼女の人生が幸福な方向に進んでいく。

すなわち、アメリカ側が敵兵であるタリバンの蛮行をアピールする対象として彼女を見つけ、タイム誌が彼女を表紙に取り上げたのである。

彼女はタリバンの蛮行を象徴する女性として有名になり、CNNのその後の記事ではアメリカで鼻や耳の修復手術を行うところで終わっていた。


アメリカでは今日、手術後の彼女の写真が掲載されていた。最近の手術の技術の高さを垣間見せるような、何か魔術でも見せられたような出来栄えになっている。

ビビ・アイシャは助かった。本当にごく稀な確率的にもかなり低い幸運が彼女にはあった。


アフガンでは、彼女と同じような境遇にある女性たちがたくさんいて、他にも鼻を削ぎ落とされた女性たちの写真を私はいくつも見ている。

ビビ・アイシャはスポットライトを浴びたが、実は彼女のようにスポットライトを浴びないまま、削ぎ落とされた鼻を隠しながら隠れるように暮らしているアフガンの女性たちがいる。

ひとりでも多く、そういった女性たちが助かればいいと思わずにはいられない。
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_1848.html


レイプ相手と強制結婚、結婚拒絶で硫酸、ブラ着用でムチ打ち


R18
イスラム社会の女性への扱いは、理不尽であり、合理性を欠いている。女性の貞操を狂信的なまでに強調しているので、貞操を失った女性に対する扱いは暴力的であり、非人道的であり、許しがたい。

貞操というのは「社会的に承認された配偶者でない者と性的関係をもたないこと」という意味だ。

イスラムでは男は対象外か、対象であっても法的に厳しくない。しかし、女性には厳しく貞操が強要されている。


「処女性」と「貞操」

貞操というのはどういう状態を指すのか。

具体的に言うと、「未婚者は親が決めるまで誰とも性的関係を持ってはならない」「既婚者は夫以外とは性的関係を持ってはならない」ということである。

もし未婚者の女性が勝手に性的関係を持つと、「家族の名誉を汚した」のだから、家族に殺されてもしかたがないと解釈される。

これを「名誉殺人」と言って、家族の名誉のために不良娘を殺すことが正当化されている。

もし既婚者の女性が勝手に他の男と性的関係を持つと、「姦淫の罪を犯した」のだから、夫に離婚されたり、殺されたり、投獄されてムチ打ちの刑や公開処刑にされても当然だと解釈される。

姦淫の罪は重罪だ。女性の下半身を土に埋めて身動きできないようにして群集が石を投げて殺すこともイスラム社会ではいまだに行われている。

それほどイスラムでは「処女性」や「貞操」を女性に押し付け、守らせ、厳しく管理させているのである。

なぜ抗議しないのかと先進国の女性たちは思うだろうが、そんなことができるわけがない。

あなたがイスラム国家に移住し、そこで「女性の地位向上を!」と叫んだらどうなるのか。

その瞬間に、まわりから村八分され、長老は反イスラム的だと断言して、あなたは数日内に殺されるだろう。

殺すのはかわいそうだと思う人ならば、硫酸をかけて皮膚を損傷させるとか、鼻を削ぎとるとか、身体に火をつけて焼くくらいで許してくれるかもしれない。

そんな狂信的な人間で国が覆いつくされている社会で、女性の地位向上を訴えられるわけがない。昔も今も、女性は強制的に貞操を押し付けられ、弾圧されるがままなのである。


名誉殺人に反対する集会。
名誉殺人はパキスタンでもインドでも現在でも行われている。


加害者の男と結婚すること

もし女性がレイプされたらどうなるのか。それは女性が悪いとイスラムでは解釈する。なぜなら、女性は「貞操」を失ったからである。

レイプされて処女を失ったのであれば、もう家族の名誉を汚したも同然である。もしレイプした男と結婚しないのであれば「名誉殺人」の対象だ。

あるいは、姦淫したのも同様だから、ムチ打ちを執行されても文句は言えない。

男が罪に問われないことも多いが、それは「女性が劣情を誘った」からで、女性が悪いからだ。男にレイプされる隙を与えた女性がすべて悪い。

女性にとってはレイプされたうえに投獄されて罪に問われたり殺されたりするのだから、悪夢のような世界だが、これがイスラム世界では「日常」なのである。

最近もまた、この「悪夢」が大きな記事になっている。2009年、アフガニスタンで従姉妹の夫にレイプされた女性がいる。グルナスと言う名前の女性だ。

外をほっつき歩いてレイプされたのではない。自宅にいるときに男が勝手にやってきて彼女をレイプしたのである。

レイプされたときは19歳だったが、そのレイプで妊娠してしまった。彼女は「姦通罪」に問われてカブールのバダムバーグ刑務所に放り込まれた。さらに控訴審では禁錮12年が言い渡されている。

グルナスは刑務所の中で出産して、今も刑務所の中で子供を育てている。現在は21歳になる。


レイプされ、投獄されたグルナスさん

望んでもないのにレイプされ、望んでもないのに妊娠し、理不尽にも罪を言い渡され、さらにその罪が控訴審でさらに重くなる。

彼女は欧州のドキュメンタリー映画に取り上げられた。

ところが、これを報道するとさらにグルナスが窮地に追いやられるとして公開が中止になった。

しかし、この一連の動きが国際的に話題になり、アメリカも「いかなる女性もグルナスさんのような状況に置かれることがあってはならない」と声明を出す騒ぎになっていったのである。

また、カルザイ大統領の元に恩赦を求める5000名の署名の入った嘆願書が届けられて無視できない状況になった。そして、2011年12月1日、カルザイ大統領は彼女を恩赦した。ただし、そこには条件がついていた。

加害者の男と結婚すること……。


ブラジャー着用女性はむち打ち

自分をレイプした男と結婚することを条件に恩赦されるのだから、普通に考えればめちゃくちゃな話だ。

なぜカルザイ大統領がそのような条件をつけたのかというと、そうしないと、保釈された彼女は「姦通した女」として危害を加えられて、場合によっては殺される可能性もあるからだ。

レイプした男と結婚すれば、それは夫との性的関係だから姦通にならない。だから、グルナスの身を守るためには、加害者の男と結婚させるしかない。これがアフガニスタンの現状だった。

実は、このグルナスの事件が話題になっているここ数日の間、アフガニスタンでは別の事件も起きてそちらも話題になった。

それはタリバンの元司令官の結婚を拒否した家族が武装集団に襲われるという事件だ。

「アフガンの武装勢力が三人の姉妹や彼らの両親に硫酸を投げつけた。なぜならば、年長の娘が元司令官と結婚を拒絶したからだ」

このような見出しで事件が報道されている。18歳の娘に結婚を拒絶されたのを恨みに持った司令官は仲間にこの家族を襲わせ、娘や母親にアシッド・アタック(硫酸を浴びさせる)し、その姉妹をめちゃくちゃに殴打して去っていったのである。


結婚を拒絶したらアシッド・アタック(硫酸攻撃)された。


彼女のふたりの妹も暴力を振るわれていた


アフガニスタンだけが女性に対して理不尽でめちゃくちゃな扱いをしているわけではない。イスラム国家内ではどこでもそんな記事や事件で溢れている。

ドバイはイスラムでも比較的自由な場所だとよく言われているが、2010年4月に、24歳のイギリス女性がレイプされたを訴えて、本人が刑務所に放り込まれそうになった事件もあった。

男にしつこく車で家まで送ってやると言われて乗り込んだところ郊外に連れて行かれてレイプされ、そのあとに女性のアパートに戻ってから再びレイプされた。

これを警察に訴えて、女性が「姦通罪」の危機にさらされた事件だった。彼女はイギリス女性だったので「理不尽だ」と国際問題になって注目された。

もし彼女が現地のイスラム女性だったのであれば、恐らく今ごろは生きていない。男と酒を飲み、2度も犯された女性はイスラムにとっても重罪に値する姦通罪だからだ。

2008年にもアラブ首長国連邦で、似たような事件があった。

オーストラリア出身のアリシア・ガルという29歳の女性が同僚にクスリを飲まされて意識不明になったところを4人に輪姦され、それを訴えたところ、逆に姦通罪で逮捕されて8ヶ月も刑務所に放り込まれたという事件である。


4人の男にレイプされたアリシア・ガルさん。
訴えたら、逆に姦通罪で実刑にされた。

彼女はいまだトラウマで、「悪夢、フラッシュバック、鬱病、閉所恐怖症」が引き起こされていると記事にあった。

よくイスラムの女性蔑視を書くと、必ず「欧米のプロパガンダに利用されている」と言われる。しかし、女性蔑視はどんなに弁解しようと事実としてそこにあり、これはプロパガンダでも何でもない。

女性は明確にイスラム国家で「弾圧」されていて、声を上げることすらも出来ないのである。


ブラジャー着用禁止と、自爆テロ

ソマリアでも公開石打ち刑があったり、女性に対するリンチがあったりしたが、あまりにも馬鹿げたものもある。

ブラジャーが西洋的なものだからこれを着用している女性を集めてムチ打ちの刑に処したというものだ。これは翻訳された記事があるのでこちらを紹介したい。


ソマリアのイスラム組織、ブラジャー着用女性をむち打ち

ソマリアのイスラム系過激派組織「アルシャバブ」が、ブラジャーを着用していた女性を公開でむち打ちした。イスラムの教えに反するというのが理由だという。地元住民が16日語った。

イスラム聖法の厳格な適用を求めるアルシャバブは、映画観賞や結婚式でのダンス、サッカーも禁止しており、今月に入ってからは、強盗を働いたとして若い男性2人の手と足を切断していた。

地元住民の話によると、銃を持った男たちがブラジャーを着用していたと思われる女性たちを集め、公開でむち打ちした。その後、女性たちはブラジャーを外して胸を揺らすよう命じられたという。

ブラジャーくらいなら世界中から失笑を買って終わりだが、深刻だったのは、イラクの事件だった。

イラクでは数年前、突如としてアメリカ軍に対して女性の自爆テロが増えたことがあった。

その背景を調べていくと、ひとりの女にたどり着いたのだという。サミラ・ジャサムという51歳の女だった。


80もの女性をレイプさせて自爆テロに追いやった女。
サミラ・ジャサム

彼女は自爆テロの候補になりそうな女性を見定めると、男たちに女性をレイプさせていたのだという。

イラクでもレイプされた女性は名誉殺人の対象であり、姦通罪の対象になる。そこでサミラ・ジャサムはレイプされた女性を追い詰め、自爆テロを強要させていたのだという。

レイプされた女性は逃げ場がない。社会に抹殺されるか、それとも家族に殺されるかである。どうせ死ぬなら死後に崇拝される自爆テロのほうが尊厳が保たれる。

そうやってサミラ・ジャサムは、80人以上の女性を自爆テロに追いやっていたのである。彼女はイスラム過激派の「アンサール・アル・スンナ」に属していたと言われている。

イスラムが女性を追い詰め、過激派が巧みにその女性たちを操って「利用」する。そういう事実があった。


タリバンが女性に課したルール

「www.jca.apc.org」では、アフガン女性のどのような制約を強いているのか書かれている。一部、抜粋・要約して紹介したい。厳格なイスラム教を信奉するタリバンは以下を女性に強要している。

女性が家の外で仕事することは一切禁止

男性の付き添いなしに屋外で活動することは一切禁止

女性は男性の店主から物を買ってはならない

女性は、男性の医師から手当てを受けてはならない

女性は勉強することを許されない

女性は、ブルカをかぶらなくてはならない。

従わない女性は、鞭打ち、殴打、および言葉による暴力の刑

足首を隠していない女性は、公開鞭打ち刑

婚外交渉をもったと告発された女性は公開投石刑

化粧品の使用禁止

爪を染めた女性は指を切断

女性は親族以外の男性と話したり、握手をすることを禁止

女性は大声で笑ってはならない

女性は知らない人に声を聞かれてはならない

女性は、音のする靴を履いてはならない

男の親族と一緒でない女性はタクシーに乗ってはならない

女性は、公衆の集まりに出てはならない

女性はスポーツをしてはいけない

女性は自転車やバイクに乗ってはならない

女性は明るい色の洋服を着てはならない

女性は娯楽目的の場へ出かけてはならない

女性は公衆の場や川の脇で洗濯をしてはならない

女性はバルコニーから姿を見せてはならない

女性家のすべての窓に色を塗らなくてはならない

女性は公衆浴場に行ってはならない

女性と男性が同じバスに乗ってはならない

女性を写真や映画に撮られてはならない

言うことを聞かない女たちに暴力を振るってもアシッド・アタックをしても許される。アフガンの家庭内暴力の凄惨さは目を覆わんばかりの悲惨さだ。

女性に対する脅威

タリバンの説くイスラムは「厳格なイスラム」であって、たとえば戒律の緩いインドネシアではまったく様相が違う。

しかし、そのインドネシアでさえイスラム原理主義社のような人間たちがいて、このような「貞操の強制」を求めている。

先進国の女たちは、なぜイスラムを強制されている女性たちに無関心でいられるのか不思議に思うことがある。

家長主義を根本に持つ宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・儒教などは、女性に対する脅威であり、女性に対して有害なものであり、女性を抑圧する「暴力装置」である。

女性たちは宗教が自分たちにとって壮絶な危険思想であることをもっと明確に気がつく必要がある。女性たちは、あまりにも危険なものを長い間放置しすぎた。

そろそろ、これらの危険思想を世の中から一掃すべきだと思わないだろうか?

男はみんな女の子供だ。だから、母親は「宗教」という女性を縛る危険思想に自分の子供たちが染まらないように子供の頃から教育することができる。

宗教は単なる共同幻想だ。女たちは神はいないと自分の子供に教育するだけで宗教を破壊できる。

そうでもしない限り、女性の地獄はどこまでも続くだろう。馬鹿げた宗教がいつまでも女性を縛る。人類は2000年前に間違った。

男はあまりの宗教に染まりすぎてもう修復不可能だ。今や、それを正せるのは女性だけになってしまった。ひとりでも多くの女性がそれに気がつくことを願いたい。
http://www.bllackz.com/2011/12/blog-post_03.html


2012年1月3日火曜日アフガンの15歳の花嫁。売春を強制されるが拒否して拷問に


アフガニスタンで、またもや女性に対する暴力事件が注目を浴びている。

7ヶ月前に結婚した15歳の彼女はすぐに夫から売春して働くことを強要されてそれを拒否、それからトイレに監禁され、5ヶ月もの間、夫の家族から拷問を受け続けてきたのだという。

殴られ、蹴られ、生きるためのほんのわずかな水しか与えられず、タバコの火で焼かれ、爪をはがされ、髪をむしり取られ、ペンチで彼女の肉を引きちぎっていた。


アフガンを覆う女性に対する暴力

彼女は現在カブールの病院に収容されているが、身体中が傷やアザで覆われており、本格的な治療はインドで行われなければならないかもしれないと記事には書かれている。

アフガニスタンのタリバン政権は2002年にアメリカ軍の猛攻によって崩壊したが、それからもこの国はまったく安定しておらず、むしろ治安は悪化している。

特に女性には想像を絶するような過酷な国となっている。

アフガン全土でヘロインが爆発的に蔓延し、無法地帯と化したこの国で、女性たちが拉致・監禁・強制結婚・幼児結婚・略奪婚・レイプ・アシッド・アタック(硫酸攻撃)・鼻の切除などの凄惨で信じがたい暴力に遭っている。

鼻の切除と言えば、アメリカの商業誌「TIME」の表紙になったビビ・アイシャを何度も紹介しているが、犠牲になっているのはアイシャだけではない。

中には鼻と一緒に唇も切除された女性もいて、アフガンの女性に対する暴力はいったいどこまで残虐化していくのか想像もできないほどだ。

いずれ、アフガンの女性たちの「顔面を破壊」する数々の残虐行為が国際問題になることもあると思うので、そのときに、被害に遭った女性たちの、目を背けたくなるような凄惨な被害を紹介したい。

今日、ニュースになったこの「15歳の花嫁」は、どうだったのか。

5ヶ月目にして彼女は幸運にも警察によって保護されたが、彼女はもう少し発見が遅ければ殺されていた可能性も非常に高い。

復讐で殺される可能性がある

アフガンでは女性が「商品」として売られている。彼女サハール・グルも「15歳の花嫁」として、彼女の兄が夫となる男に約40万円ほどで売り飛ばした。

夫は彼女を花嫁として迎えたが、別に彼女を妻にしたいわけではなく、売春ビジネスの「商品」として購入した。

死ぬまで彼女を売春させていれば、40万円の元は取れるとでも思ったのだろう。

ところが、である。夫の思惑とは裏腹に、15歳のグルは断固として売春を拒み、自分が夫の「商品」となることに抵抗した。

もしここで彼女が売春を同意していれば、彼女は夫の奴隷として一生が台無しになってしまう。

怒ったのが、夫とその家族である。売春させて儲けるために彼女を「買った」のに、商品が言うことを聞かない。

そこで、何が何でも彼女に売春させるために、折檻がはじまり、拷問が始まったのである。

殴る、蹴る、罵る、監禁するから始まって、それでも折れないので、折檻が拷問にまでエスカレートしていく。

タバコの火を顔や身体に押し付けたり、食べ物を与えなかったり、髪の毛を無理やり引き抜いたり、爪をペンチで剥がしたり、肉をちぎったり、そんな拷問を5ヶ月にも渡って行なっていたのである。

鼻を切除したり、唇を切除しなかったのは、彼女が「改心」したら売春で働かせるつもりだったからだろう。

その間、彼女の母親が娘の身を案じて何度も夫の家を訪問しているが、まったく会わせてもらえず、夫の隣人も鳴き声や叫び声を聞いていたことから警察に通報した。

アフガンでは珍しいことに、通報によって警察が動き、やがて危篤状態になっていた彼女を保護したのだった。夫とその家族は姿を消しているが、ちゃんと容疑者を捕獲できないのはアフガンらしい。

彼女は復讐で殺される可能性がある。つまり、まだ「暴力」は終わっていない。

それがアフガニスタンの現状だ。
http://www.bllackz.com/2012/01/15.html


2012-05-23
ケイティ・パイパー。アシッド・アタックから立ち直った女性

R18
インド圏、特にイスラム圏のパキスタンやバングラデシュではとても残酷なアシッド・アタック(酸攻撃)の事件が続いており、どんなに刑を厳しくしてもそれが減らない。

そればかりか、「ファクラ・ヨーヌス」のように加害者が無罪になってしまうような例もあって、非常に状況は絶望的だ。

ダークネスでは中国の16歳の女の子が燃えた油を投げつけられて顔面が損壊してしまったという「事件」があったことを紹介したが、このような事件が起きるのは男がこう考えるからだ。

「俺の言うことを聞かない女なんか、一生をめちゃくちゃにしてやる」

その顔面を破壊してしまえばいい

女性にとって美しくあること、そして美しく装うことは当然のことであり、それは女性の楽しみであり、女性の特権でもある。特に女性の「顔」にその美しさは集中する。

だから、自己中心的で、極悪で、悪魔のような復讐心を持った男の一部は、その女性の顔面を破壊することで復讐を遂げようとするのである。

女性の人生を台無しにして一生を苦痛に放り込むには、「その顔面を破壊してしまえばいい」と考えるおぞましい人間がいるのである。

はじめてアシッド・アタックされた女性のことを知ったのは、カンボジアの「タット・マリア事件」だった。

その事件と、彼女の損壊された顔を見て、世の中にこれほどまでむごい事件があるのかと私はとても衝撃を受け、それからこのアシッド・アタックという残酷な事件をずっと追ってきた。

こんな残酷な事件は、ほんの少ししかないはずだと最初は思っていたが、それはとんでもない誤解だった。

アシッド・アタックはアジア圏だけで、年に数千件も起きている「ありふれた事件」だったのである。

実際、私もバングラデシュで被害に遭った人たちと知り合って来たが、自分の目で改めてその傷痕を見ると、恐ろしさに息が詰まった。

こんな事件は許せないし、耐えられないと私は思った。しかし、残酷な男たちは世界中のどこにでもいる。そして、信じられないのだが、アシッド・アタックという事件は認知されればされるほど、「増えていく」のである。

恐らく残虐な男たちは、テレビやインターネットや新聞等のメディアで知ったのだ。「そうなのか、女を破壊するにはアシッド・アタックすればいいのだ」と……。

かくして、アシッド・アタックという残虐きわまる犯罪は、世界中に解き放たれていく。


奇跡的に戻って来たケイティ・パイパー

イギリスのモデルにケイティ・パイパーという女性がいて、彼女もアシッド・アタックされたことをご存知の方もいるかもしれない。

アシッド・アタックされる前の、まだ金髪だった頃のケイティ・パイパー。表情にも溌剌とした若さに溢れている。

ケイティ・パイパーは、モデルの仕事をする傍らテレビの司会者としても知られていた。

しかし、2008年、彼女が24歳の時、ロンドンの路上を歩いているときに酸を投げつけられ、顔面全体に激しい損傷を受けた。元ボーイフレンドに雇われた男の仕業だった。

左ダニエル・リンチ。元ボーイフレンド。右ステファン・シルベルト実行犯。両容疑者とも逮捕されている。

10日間、昏睡状態の中にあったほどの重傷で、それは医療チームがそれまで見た中でも最悪のケースだったとも言う。

事故当時、彼女は自分を殺してくれと医療団に懇願し、苦しみの中で、自殺をするためにはどうすればいいのか、そればかり考えていたようだ。

呼吸も満足にできず、食べ物を取ることもできず、トイレにも行けず、人の声が聞こえると自分に襲いかかってきた男が戻ってきたと恐怖に震えたという。

その治療は困難なもので、18ヶ月間、23時間も特殊なマスクを着用して絶対安静にしていなければならないようなものであり、さらに何度も整形手術が必要になるものだった(整形手術は30回している)。


ほほえみと、愛と、ママになるという夢

その治療は未だに途上である。しかし、先進国の医療で献身的な治療が行われて、彼女は少しずつ容貌を取り戻しつつある。

彼女は引きこもることはせず、同じような被害に遭った人たちのために人生を捧げる努力をすることにしている。彼女は恐ろしい事件から、また奇跡的に戻って来た女性だ。

かつて金髪だった彼女は28歳になってブルネットに変えた。彼女は自分が別人になったと考え、そしてこう言う。

「私は昔のケイティの写真を取って見つめると、私って"彼女"のこと知ってると幸せな気持ちになるわ。そう、"彼女"は本当にかわいらしかった。でも、もう苦い気持ちはまったく感じない。古いケイティは去ってしまったのね、と私は"彼女"のために嘆いています。でも、私は新しいケイティも大好きなのよ」

アシッド・アタックを受けた女性が、すべてケイティ・パイパーのように最高の治療を受け、最高の笑みを取り戻して欲しいと私は切に思う。

女性たちがこのような目に遭って存在を消されてしまうことが私には耐えられない。

ケイティ・パイパーは「明日」とは何かをこう語る。


明日。それは、笑い、愛、ママになるという夢。


2012-05-23 20:31:31 9w7773s91

 本当に、本当に!憎ければひと思いに刺すなり高所から突き落すなりして殺してしまえばよいものを、ダ−クネスの方の油をかけられた中国の娘さんの事件やブラックアジアの記事で度々あがるアシッドアタック、拷問、強姦を含むなぶり殺し、私の中では「ひと思いの殺人」より邪悪ではるかに罪が重い!

(すみません私、読後の現在、多少ヒステリー状態です。)たいへん不適切な比較ですが、動物(獲物)に対するサカハギがどれだけ狩猟世界でタブーとされているか思えば、いたずらに苦しめることがどれだけ邪悪で呪われるべき行いであることは人の作った法を待つまでもなくそもそも自然の掟に反している。呪われよ呪われよ、法律を超えて呪われるがいい!許せない!

 男性だってそうですが女性にとってはとくに肌は重要なもの。顔面ならばなおさらです。ブツブツ、湿疹だけだってヒャーとなるんです。(太宰治の短編「女と皮膚」を思いだした・・・。)  aurore


2012-05-23 21:31:28 sta777592s

彼女の事は知っていました。
今もこの記事を読むと鳥肌が立ちます。
彼女の精神性に心が奮えるのだと思います。

男性が女性にこういった犯罪をする。
女性がしたとは聞いた事がないですよね。
確かに少数殺人はありますが
こうした根の深い感情というか
男性は弱い生き物だと思います。
こうした男性が少なくなるよう
教育が必要です。

何故女性ばかり犠牲者にならなければならないのか
腹が立つという感情よりも
理解に苦しむ。

髪色を変えた彼女の笑顔の美しさに
救われます。

2012-05-23 22:31:20 2v77s1uu0

おお!ケイティ、ものすごく頑張っていますね、顔も綺麗になってきているし。心から応援したいです(この件は以前から報道で知っていました)。ところでケイティに酸をぶっかけた犯人と元ボーイフレンドは捕まってちゃんと相応の刑を受けたのでしょうか?まさかイギリスまで法が正しく機能していないなんてことは、ないですよね?
でも良く考えてみたら、日本でも美空ひばりさんに硫酸を投げかけた事件とかあったのですよね。幸い日本ではこれほどひどい被害者はいないようですが。知っていたら教えてください。

2012-05-24 00:31:15 3w77s5755

犯人はもちろん逮捕されています。元ボーイフレンドと実行犯の写真も載せておきます。

(鈴木 傾城)

2012-05-24 00:31:09 77a77st5s9

これは、元ボーイフレンドにもアシッドアタックの刑が施行されるべき。施術無しで!!痛みを背負っていきてもらいたい。彼女が良い旦那様に恵まれ子供達と幸せに暮らしてほしいです。

2012-05-24 00:31:19 5ua77ss159

鈴木さん、元ボーイフレンドと実行犯の写真掲載、ありがとうございます。多少はほっとしました(実行犯の方がイケメンぽい・・)。

sta777592sさん、女性が女性に酸をかけた事件はありますよ。このサイトにも鈴木さんが掲載しましたが、カンボジアのタット・マリナの事件です。マリナを殴りつけ引きずり倒したのは主犯の女に雇われたボディガードかなんかですが、酸をかけたのは主犯の女性です。タット・マリナが不倫をしていた男の「奥さん」です。その後彼女らは行方をくらませましたが、主犯女性の夫は権力者だったのでその後はウヤムヤのようです。女でもアシッド・アタックの横行する国では加害者になる場合もたまにあるのです。ましてや権力者関係者では。

日本では不倫相手の子供を焼き殺した事件がありました。彼女は確か無期懲役になったと思います。民事では多額の慰謝料を払ったと思います(親が肩代わり)。不倫相手の男は彼女に何回か堕胎をさせています。結婚も匂わせました。受刑者の彼女は公立理系大学出身でまじめだったので男に免疫がなかったのでしょう。「見た目のいい」既婚者の男にずるずるとのめり込んでいきました。そんな中、全く離婚する気配などない男が許せなくなったのでしょう。

しかし愚かにもこの二人は社内のパソコンでも私的メールのやりとりをしていました。技術者としてプロのはずなのになんと無知なのだろう・・と思いました。私がこの事件に(被告女性側として)胸を痛めたのは、受刑者の彼女と同じ会社で同じような仕事をしていたからです・・。学生時代にそこそこ経験していた私は「会社関係の人とは絶対に関係を持たない」ということをポリシーとして仕事をしていました。彼女はあまりにウブだったとしか言えません。そして相手の既婚者の男には心底腹が立ちました。何も罪を問われずその後に子供も設けているからです。

2012-05-29 00:31:36 19as219u5t

「綺麗な顔を持っている(=俺の欲しいモノ)なのに、それを俺に与えないなんて許せない!!」ってことでしょうね。

扇情的な格好をしている高慢は女に暴力をふるうのと似た思考回路かと。

「性的なもの(俺の欲しいモノ)を提示しておきながら、それを俺に与えないなんて、許せない!!」

 強奪(と破壊)=レイプ
 破壊=アシッドアタック

でしょうか。

 タット・マリナ、男が既婚者なのを知って、別れたい、と言ったら、この男は彼女を脅して関係を続けさせたらしいですね。
 ほんとに、この男が死ねばいいのに。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120523T1729190900.html


2012-04-01
パキスタンでアシッド・アタックした男が無罪放免になった

R18
ここ数日、パキスタンのニュースの一面を飾っているのは、ファクラ・ヨーヌスという女性の自殺の記事である。彼女はパキスタンの女性で、自分の夫にアシッド・アタック(酸攻撃)された。

顔面は破壊された。鼻も口も、すべてが完全に溶解して呼吸ができないので攻撃を受けたその日のうちにも死亡すると思われた。

それほどの損傷だったにも関わらず、彼女は奇跡的に生き延びた。それから10年。彼女は36回にも及ぶ整形手術を耐えてきた。

絶望のあまりに死んでいった女性

しかし、自分を攻撃した夫ビラル・カーが、パキスタンでなんと無罪になった。無罪放免だ。

この男は元国会議員にしてパキスタンの権力者の息子、もっと具体的に言えば、パンジャブ州の知事の息子であった。

女性は男の付属品とでも思っているイスラム教国の女性蔑視と、権力者なら何をしても構わないというパキスタンの実情が絶妙に合わさった結果の無罪だ。

この無罪はもちろん、この残虐で自分勝手な男が権力者としてのコネクションを使った結果だとパキスタンの市民は信じている。

ファクラ・ヨーヌスはそれに絶望し、彼女は自分に支援を差し伸べてくれていたイタリア・ローマの治療中の建物の6階から飛び降り自殺をしたのだった。

2012年3月17日。享年33歳だった。

彼女は問題のある貧困家庭に生まれ、若くして売春をしながら生計を立てていたが、やがては美しいダンサーとしてカラチで知られるようになっていった。

そこでカラチのパーティーで夫となるビラル・カーと知り合って結婚するのだが、結婚した瞬間に夫の態度は豹変したのだという。夫は暴言を吐き、罵倒し、殴る、蹴るの暴行を加えた。

ドメスティック・バイオレンスに耐えかねた彼女は、実家に逃げ帰ったのだが、そこにビラル・カーは追いかけてきて、彼女の息子の目の前で酸をぶちまけた。

それで無罪になるのだから、ファクラ・ヨーヌスでなくても絶望するのは当然だ。

女性にとっての暴力国家

アシッド・アタック(酸攻撃)は女性に対する攻撃としては最悪の部類に入る卑劣な犯罪だ。

しかし、残念なことにイスラム教国家ではこれがまったく珍しいことではない。

イラン・アフガニスタン・パキスタン・バングラデシュの4国は特に最悪だ。

私はバングラデシュでアシッド・アタックされて背中に大怪我を負った女性と、顔から腕にかけて皮膚が溶けたまま放置されている男を実際にこの目で見てきている。

それだからこそ、この凄絶なまでに悲惨な犯罪に対しては誰よりも激しく憤っている。

日本の女性団体が、あるいは世界の女性団体が、女性の権利云々と言うならば、なぜイスラム教そのものを激しく糾弾し、イスラム教と闘おうとしないのか不思議でしかたがない。

女性がイスラム教を見て見ぬ振りをすればするほど、ファクラ・ヨーヌスのような悲劇が続出し、それにも関わらず加害者が平然と世間に居座るような社会になる。

本当のことを言えば、女性はすべての宗教に対してあまりに無邪気になりすぎていると言いたいのだが、そこまで覚醒できる女性はほとんどいないだろう。

だから、せめて男性優位・女性蔑視を公然と示しているイスラム教くらい反発してほしいと切に願う。

パキスタンでは、アシッド・アタック、共生結婚、その他の女性に対する暴力が年間で8,500件以上も起きているのである。暴力が女性に向いている。

別の言葉で言えば、パキスタンは「女性にとっての暴力国家」と言ってもいいほどだ。パキスタンだけではない。イランも、アフガンも、バングラデシュも、すべて事情は同じだ。

サウジアラビアでもレバノンでもイエメンでもソマリアでも女性たちが鞭打たれ、焼かれているではないか。

そんな地獄のような宗教国家に、女性たちが閉じ込められて息もできないでいる。

イスラムはすでに女性をがんじがらめにしている。内部の女性が逆らえば、みんなファクラ・ヨーヌスやスアドやビビ・アイシャのようにされてしまう。

だから、イスラムの外にいる女性たちが何とかしなければ、イスラムの人権侵害はとめられないだろう。

それだというのに、世界中の女性たちは誰もファクラ・ヨーヌスに見向きもしない。関係ないのだろうか?

とても、残念だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120401T0757020900.html


2011年9月27日火曜日

女性に酸を浴びせて顔を損壊させる事件の裏に何があるのか

R18
10年ほど頃、カンボジア・プノンペンで、タット・マリナという美しい女性が、付き合っていた男の妻から硫酸を浴びせられるという痛ましい事件があった。ちょうど私がカンボジアをさまよっていた頃に現地で起きた事件だったのでよく覚えている。

それは、顔面から上半身まで体面積の43%が焼けただれる重度の火傷だった。一歩間違えれば死んでいたほどの瀕死の重傷だったが、それでも彼女は何とか生きながらえた。まだ16歳だった。

女性の身体に酸を浴びせる。それは凄絶なまでに残酷な攻撃である。タット・マリナの被害を受けた写真を見ても分かるが、あまりの痛々しさに言葉を失うほどだ。耳などは炭化して黒焦げてしまっている。


「私はあの時に死ぬべきでした」

「私は死んだほうがよかったのだ」と絶望的に嘆いていたのを記事で読んだが、それが私の脳裏から離れなかった。別のサイトにも、私はそれを記している。


硝酸はタット・マリナの美しい髪を焼き、整った顔面を焼き、皮膚を溶かした。2リットルの硝酸が、彼女の上半身を舐め尽くしてしまった。皮膚が焼き焦げる苦痛に気絶から覚め、彼女は絶叫を上げて苦悶した。そんな姿を見て、暴漢たちは逃走した。

この凄まじい凶悪な事態にどう対処していいのか分からず、まわりの人々は呆然と苦しみのた打ち回る彼女を為す術もなく見ていたようだ。硝酸のかけられた箇所は、最初は白くなり、それから赤く膨れ上がったという。

後にインタビューを受けた彼女は、泣きながらこう言った。「私はあの時に死ぬべきでした」

しかし、彼女は奇跡的な一命を取りとめた。彼女の激しく深い火傷は、第3度レベルのものである。つまり、皮膚層のすべてが損壊してしまったのだ。

一年経った現在、彼女はベトナムの病院に収容され、いまだに個室で集中治療を受けている。彼女の頭・ 首・ 後部・ 胸、 および手首は硝酸によって、ほとんど回復不可能な損傷を受けてしまった。

耳朶は手術によって切除され、唇は膨らんだままにされている。鼻孔は閉じてしまわないようにプラスチックのチューブが挿入された。

いまだにタット・マリナは焼けた皮膚の苦痛にうめき、カンボジアの暴力にとめどもない涙を流している。


アシッド・アタック(硫酸攻撃)

タット・マリナの事件を見ていて思ったのは、自分が生きている世の中とは、こんなにも残虐な世界なのかということだった。

人間という生き物が自分の理解を超えるほどまで残酷になれることにも底知れぬ恐怖を感じた。

女性に対する暴力についてはすでにタイの売春地帯での監禁からカンボジアの売春地帯での収奪まで見てきていたが、このタット・マリナの事件で、女性が受けている「激しい暴力」に私は強く関心を持つようになった。

もう私はずっとアジアの女性と一緒にいたので、彼女たちに振るわれる暴力が自分の痛みのような感受性になっていたようだ。

私はその後から東南アジアからインド圏に旅の軸足を移していくことになるのだが、そこで私はインド圏の女性たちが信じがたい暴力の中で生きていることを知ることになった。

そこでは、女性たちが次から次へと酸で顔を焼き潰される事件が起きていたのである。それも一国ではなく、数カ国にまたがって流行していた。

アシッド・アタック(酸攻撃)とそれは言われる。

インドでも、バングラデシュでも、パキスタンでも、アフガンでも、当時は1年に100件以上もアシッド・アタックが起きているのが現地でも報道されていた。

事件のたびに写真も確認したが、その残虐性は見るに耐えないものでもあった。

しかし、私が驚いたのは、報道されたそれが氷山の一角でしかなかったということだ。アシッド・アタックは、どこでも当たり前に見られる「珍しくない事件」だったのである。

硫酸がいくらでも安く手に入る

そして、バングラデシュで私もまた実際にアシッド・アタックされた何人かの人々と出会っている。ひとりは女性、ひとりは男性だ。

女性は背中が焼け爛れたままケロイドになって固まっていた。男性のほうは頬の皮膚が溶解して垂れ下がったまま固まっていた。男性のほうはビデオに撮って残している。


当時、このアシッド・アタックがバングラデシュやインドでは流行していた。男が攻撃されることもあったが、ほとんどの被害者は女性だった。

1995年からそれはインド圏で流行を見せるようになって、2000年に入る頃にはバングラデシュだけで1000件以上ものアシッド・アタックが起きていたが、有罪判決にまで至ったのはたった20件だった。

当時のカレダ・ジア首相は「これらの硫酸事件はバングラデシュの恥だ」と激怒して、罰則を厳しいものにしたが、それでどうなったのだろうか。

たしかにアシッド・アタックは下火になったが、いまだにそれは続いている。先日も交際を断られた男が、自分の名誉を傷つけられたとして女性の顔面に硫酸を浴びせて逮捕されている。事件は連綿として続いている。

硫酸は自動車工場から簡単に安く手に入るからである(今は非合法になったようだ)。

インドでもアシッド・アタックが当たり前に存在すると書いたが、インドのコルカタのあるスラム売春地帯の中に自動車解体工場があるのを私は確認している。

深刻な諍いが起きたとき、硫酸がいくらでも安く手に入る。それで何が起きるのかは火を見るよりも明らかだ。


アメネ・バーラミ。19回も整形手術

最近、話題になったアシッド・アタックの事件はイランのものだ。

事件は2004年にアメネ・バーラミという女性が、マジッド・モヴァヘディという男の求婚を断ったことから始まっている。

男はプロポーズを断られたことに腹を立てて、アメネの顔に硫酸を浴びせ、彼女は容貌と視力を失った。

マジッド・モヴァヘディは逮捕されて有罪になるのだが、イランはシャリーア(イスラム法)があるので、刑の執行は「女性が男の目に硫酸をかけて失明させる」というものだった。

それが物議を醸し出していた。

人権団体があまりにも非人道的すぎるとして刑の執行を中止を求めたのだが、イランの裁判所はこれを強行しようとした。「数週間以内に刑は執行される予定だ」

しかし、イラン政府はしばらくして態度を変えて刑を延期した。

実際のところは分からないが、この当時はちょうどアメリカがイラン攻撃をする口実を探していたこともあり、この残酷な刑によって欧米の世論がイラン攻撃に傾くのを阻止したかったせいもあったと言われている。

しかし、再度刑の執行が行われようとしたとき、今度は被害者のアメネ自身が男を許すことにして刑の執行が中止された。

彼女はすでに19回も整形手術を受けているが、今後もさらなる手術が必要になる。


宗教が極限まで男性優位を増長させた

アシッド・アタックではないが、この中東圏・インド圏の女性に対する暴力は苛烈なものが多い。

恒常的なドメスティック・バイオレンスは当然で新聞沙汰にもならない。

暴力がエスカレートすると、鼻を切り落としたり、顔面をナイフで抉ったり、燃やしたり、女性の容姿を崩壊させるような事件が次から次へと起こる。


鼻を切り落とされた女性


顔を抉られたパキスタンの女性

こういった事件を見ていくと、いったいなぜこの地区に限って、このような事件が起きるのかと考えてしまうが、すでに原因は分かっている。

イスラム教やヒンドゥー教の根底にある家長主義・男尊女卑・保守思想である。宗教が極限まで男性優位を増長させ、反発する女性を許せない。

だから、暴力でモノを言わせるのだ。神の名において、女は家畜のように従わなければならないと思い込んでいるのである。

それなのに付き合いを断ったり、プロポーズを断ったり、口答えしたりすると、男は家畜の分際にプライドを傷つけられたと思って激しい憤りを持つ。

男が傲慢になる素地がそこにあって、規格に合わない生意気な女を黙らせたいのだ。だから「男に逆らうと、どういうことになるのか」という他の女に対する見せしめもあって女を破壊する。

女性に酸を浴びせて顔を損壊させる事件の裏に何があるのか。それは「見せしめ」である。

アシッド(酸)は、女性がもっとも大事にしている容姿を一瞬で破壊することができる。女は苦しみ、もだえ、そして二度と容姿が復活することがない。

そして、多くの女たちが被害者の惨状を見て、もう萎縮して口を開くことはない。イスラムの女は、同じ宗教の中で生きている被害女性のことを国境を超えてよく知っている。

硫酸を投げつけられたアメネ・バーラミのこと。
鼻を削り落とされたビビ・アイシャのこと。
焼き殺されそうになったスアドのこと。

イスラムの女性たちにとって、彼女たちに起きた身の毛もよだつような惨劇は、まさに親しい友達が遭遇した悲劇のように切実感を持って捉えている。

当然だ。イスラムの女性はみんな同じ境遇にある。明日は我が身だと分かっているのである。
http://www.bllackz.com/2011/09/blog-post_27.html


05. 2013年4月04日 20:41:22 : W18zBTaIM6

サウジ裁判所「手術で体まひさせよ」、同害報復刑を適用 2013年4月4日

[ドバイ 3日 ロイター] サウジアラビアの裁判所は、知人を刺して体に障害を負わせた罪で収監されている24歳の男に対し、外科手術によって被害者同様に体をまひさせるよう同害報復刑を適用する判決を下した。

現地紙サウジ・ガゼットが先週報じたもので、それによると男は10年前に口論相手の知人を刺した。この知人は下半身が不随になり、車椅子生活を余儀なくされたという。

同国では「目には目を」で知られるイスラム法(シャリア)を適用していおり、男が被害者家族に100万サウジ・リヤル(約2500万円)を支払わなければ、刑が執行されるという。

これに対し国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは2日、「拷問だ」として裁判所の判断を非難。「こうした罰が執行されるかもしれないというのは、極めて恐ろしいことだ」と述べた。

サウジアの裁判所はこれまでも「目には目を」に則り、抜歯やむち打ちのほか、目をえぐり出すなどの同害報復刑を適用したことがある。


06. 2013年4月28日 12:32:04 : W18zBTaIM6

2013-04-27

名誉殺人。自分の父親に殺された20歳女性の、切断された頭部

R18
中東やインド圏ではしばしば"honour killing"(名誉殺人)が起きて、若い女性が家族の手で殺されている。あるいは、殺される一歩手間にまで追い詰められている。

アフガニスタンで鼻を削がれたビビ・アイシャも夫から逃げようとして鼻と耳を削がれた。彼女は殺されなかったが、容姿は傷つけられた。(ビビ・アイシャ。削ぎ落とされた鼻の修復)
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_1848.html


同じくアフガニスタンでは浮気を疑われた女性が、夫に公開処刑で銃撃されるという事件もあった。(暴力の地に取り残された。公開処刑されるアフガニスタン女性)
http://www.bllackz.com/2012/07/blog-post_09.html


ヨルダンでは、スアドが生きながら焼かれて全身大火傷になった。(生きながら焼かれたスアド。女たちにとって宗教とは何か?)
http://www.bllackz.com/2010/08/blog-post_07.html


イギリスに渡ったパキスタン人の夫婦が、イギリス風に染まる娘を名誉殺人で殺したという事件もあった。(シャフィリア・アハメド。父親に殺された17歳の女性の悲劇)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120805T1053180900.html


名誉殺人は、過去の遺産ではなく、未だに中東や南アジアでは普通に起きている。


通りがかりの男を見たというだけで殺される


名誉殺人で殺されるのは、その多くが女性で、さらにその多くが若い女性だ。そして、その原因は「恋愛」だ。

イスラム圏では、結婚していない娘が親に内緒で誰かと付き合って性行為をしたり、妊娠したりすると、その時点で殺されても仕方がないと誰もが納得する。

親も絶対に娘を許さないだろうが、仮に親が許しても、まわりが許さない。そして、それは一族の不名誉となる。だから、そんな「ふしだら」な娘は死ななければならないと考える。

実際、パキスタン・バングラデシュ・アフガニスタン・イラン・イラクでは、勝手な性行為・予期せぬ妊娠をした女性は殺されることが多い。

パキスタンでは2012年には分かっているだけでも900人の女性が、そうやって殺された。

2012年11月には、10代の半ばの娘が若い男と親しげに話したというだけで、両親が娘にアシッド・アタック(酸攻撃)をして殺すという事件があった。

誰かと勝手に話した、勝手に恋をした、勝手に付き合った。それがすべて殺される原因になる。ひどい場合は、通りがかりの男を見たというだけで殺されることもある。

偶然、目が合っただけでも駄目なのだ。

父親は、剣で自分の娘の首を切り落とした

名誉殺人を引き起こすのはイスラム教を信奉している国に多いが、ヒンドゥー教でもしばしば名誉殺人が起きている。

やはり、娘が不品行を許せない閉塞的な伝統や因習を残したままの村があって、よく殺人事件やリンチが起きている。

ヒンドゥー教徒の場合は、娘の婚外性交や不倫を咎める名誉殺人以外にも、低カーストの男と付き合った娘もよく殺される。その場合は、最初に男が殺されることも多い。

警察も「低カーストの男が上位カーストの娘に手を付けるのが悪い」と考えているので、このような事件で犯人が逮捕されることはないというのがインドの現状だ。

また、親の意向を無視して駆け落ちするような「馬鹿な娘」もまた殺されて当然だとまわりは考える。

2012年に、インドで起きた名誉殺人は、そのケースだった。

親の意向を無視して男と駆け落ちした20歳の娘マンジュは村に連れ戻されたが、父親は娘を許さず名誉殺人で殺された。

ただ殺されただけではなかった。

父親は剣で自分の娘の首を切り落とし、その生首を持って村を歩き回って自分の愚かな娘を名誉殺人で殺したことをアピールしたのである。

切断された彼女の頭部の写真は残っている。

この父親は警察に逮捕されたが、彼の村では誰もこの父親を咎める者はいない。なぜなら、彼は正しいことをしたと確信しているからである。

彼女の遺体は、切断された首と共にヒンドゥーの伝統できちんと火葬されたようだが、それだけがこの事件の救いだったのかもしれない。


名誉殺人で殺された20歳の女性の頭部。伝統よりも自分の感情を、父親よりも恋を選んだ女性だったが、最後はこのようになってしまった。


娘を殺した父親。娘の命よりも伝統を、娘への愛よりも家族の名誉を選んだ父親には後悔など一片もないのかもしれない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130427T0418210900.html


07. 2013年8月14日 16:25:56 : W18zBTaIM6

硫酸、鼻削ぎ、死刑。女性虐待国家アフガニスタンの闇は続く 2013年8月14日水曜日

イスラム狂信主義の特徴は、女性を徹底的に抑圧することに特徴がある。女性が仕事をすることも許さない。女性教育すらも許さない。

女性の権利をブログで訴えていた14歳の少女マララ・ユスフザイを銃撃したのも記憶に新しい。

家族の名誉を汚した女性は、家族に処刑される

アフガニスタン・パキスタンに広がるイスラム過激派による女性虐待は、苛烈を極まるものであり、まさに地獄のような様相を呈していると言ってもいい。

勝手な性行為、勝手な恋愛、予期せぬ妊娠をした女性は、家族の名誉を汚したということで、家族によって処刑されることが多い。

こういった殺人は、「名誉殺人」と言われて賞賛される行為となっている。

最近は、イギリスでもパキスタン人の父親が欧米文化に染まる17歳の娘を殺したという事件が起きた。この両親はイギリスで終身刑になったが、パキスタンでは英雄になっていただろう。

2012年のパキスタンでは、分かっているだけでも900人の女性が名誉殺人で殺されている。

アフガニスタンはもっと多いだろうが、この国は統計もなく、誰も実体が分からないので、数字が出てこない。

アフガニスタンでは強制結婚も当たり前に行われており、10歳そこそこの女性が60歳の老兵と結婚させられることも多い。

強制結婚から逃げ出すと、鼻や耳を削ぐ刑が執行される。アメリカの商業誌タイムは、鼻を削がれたビビ・アイシャの写真を表紙にして大きな話題をさらった。

ビビ・アイシャのような目に遭った女性は、アフガニスタンではたくさんいて、中には鼻と一緒に唇も削がれた女性もいる。

不倫は石打の刑だが、これはアフガニスタンだけではなく、イスラム圏ではあちこちに見られる処刑方だ。

(イスラムの石打ちの刑というのは実際どのようなものなのか)
http://www.bllackz.com/2011/10/blog-post_20.html


2012年には、浮気を疑われて、タリバンに所属する夫に銃で死刑になる女性の姿もあった。

(暴力の地に取り残された。公開処刑されるアフガニスタン女性)
http://www.bllackz.com/2012/07/blog-post_09.html



鼻や耳を削がれた女性はアフガニスタンには多い。
しかも、夫が自分の妻の鼻や耳を削ぐ。

アシッド・アタックは逆に拡散して増えていく

そして、イスラム圏で忘れてはならないのが、反抗的な女性には硫酸をかけて女性の顔面や身体を損壊させるアシッド・アタックが続いていることだ。

このアシッド・アタックは女性に屈辱と絶望を与える暴力として非常に有効であることが世界中で知られるようになった。

だから、アシッド・アタック事件は少しずつ拡散しており、イギリスでも白人女性がアシッド・アタックされるケースが見られるようになった。

アシッド・アタックは残虐だ。どれほど女性に苦痛を与えるものなのかは、誰でも被害に遭った女性を見れば分かる。

だから、「増える」のである。

すでに、イラン・アフガニスタン・パキスタン・インド・バングラデシュでは、このアシッド・アタックが当たり前のように使われている。
http://www.bllackz.com/2013/08/blog-post_14.html

言う事を聞かない生意気な女はアシッド・アタックで懲らしめてやろう
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/831.html


08. 2013年8月15日 20:57:13 : W18zBTaIM6

少しでもイスラム教をけなすと、冒涜罪で死刑になる危険な国 2013-08-02


パキスタンでは、宗教の自由は一応のところ認められている。しかし、それは建前であり、実際には狂信的なまでのイスラム教が国土を支配している。

もちろん、キリスト教徒もいる。しかし、イスラム教徒の国パキスタンでキリスト教徒として生きるのは、恐らく相当な辛苦があるに違いない。

2013年3月、パキスタン・ラホールで、キリスト教徒が居住する地域がいきなりの焼き討ちに遭っている。

キリスト教徒がイスラムを冒涜したという言いがかりから端を発した事件だった。

実は、2012年にも14歳の知的障害のある少女が、コーランを焼いたという罪で逮捕されていた。彼女はキリスト教徒だった。イスラムの聖職者にワナにかけられたことが判明し、後に保釈された。

パキスタンでは、キリスト教徒を排除するために、多くの事件が起きているのはあまり知られていない。

「ムハンマドは何をしたの?」で死刑宣告になる国

宗教は平和をもたらすものではない。敵対者を排除して、場合によっては皆殺しにするような危険な性質を持つ。だから、少数派は常に弾圧されるか、差別される。

パキスタンでもそうだった。

2011年3月2日、キリスト教徒のシャバズ・バッティ少数民族相が射殺された。イスラム狂信派の「パキスタンのタリバン運動(TTP)」が犯行声明を発表した。

シャバズ・バッティ氏はイスラム教を冒涜(ぼうとく)した者を死刑などに処す同国の法律を批判し、法改正を求めて活動していた人物だった。

イスラム教を冒涜と言えば、日本人の感覚から言うと、イスラム教を激しい言葉で糾弾したり、中傷するような感覚があるが、実は本当に些細なことでも「冒涜罪」になる。

パキスタンではじめて女性に対する死刑判決が出されたのは、つい2010年11月9日だった。

この女性アシア・ビビはイスラム教への改宗を迫られ、それを拒否して口論になっていた。そして、彼女はこのように言って、冒涜罪で死刑が決定した。

「イエス・キリストは人類の罪のために十字架で死んで下さった。ムハンマドは何をしたの?」

彼女は別にイスラム教を悪く言ったわけではない。ただ、問いかけただけだ。ほんの些細なことだが、それが「冒涜罪」になってしまったのである。

間違った国で、間違った宗教を信じていたアシア・ビビは命運が尽きた。

いかにパキスタンのイスラム教徒が、他宗教を排除したいと思っているか、これで分かるはずだ。

冒涜罪で死刑を宣告されたアシア・ビビ。「ムハンマドは何をしたの?」と言っただけで、死刑を宣告された。


シャバズ・バッティ氏はすでに殺害の脅迫を受けていた

ビジネスで関係が切れた人の名刺を整理する機会というのは多いはずだ。

しかし、もしあなたがパキスタンでムハンマド氏の名刺を捨てたら、やはりイスラム教に対する冒涜になる。つまり、あなたはパキスタンで死刑になる。

なぜか。イスラム教の始祖ムハンマド(マホメット)と同じ綴りである名刺を捨てるというのは、ムハンマドを冒涜するという意味だからである。

2010年12月13日、パキスタン人の医師がそれで冒涜罪を適用され、死刑が決定した。パキスタンというイスラム国家で狂信が蔓延していることが分かる。

こういった狂信や理不尽な冒涜罪の是正に動いていたのがシャバズ・バッティ少数民族相だった。

しかし、反米イスラムの国で脆弱な親米政権が樹立され、そこの少数民族相に選ばれたキリスト教徒と言えば、あまりにも危険なポジションではある。

シャバズ・バッティ氏については当初から非難の声が上がっていたが、それを押し退けるようにシャバズ・バッティ氏はその地位に就いた。

アメリカのクリスチャン・ポスト紙のインタビューで、シャバズ・バッティ氏はすでに殺害の脅迫を受けていることを伝えている。

折しも冒涜罪に対しての議論がパキスタン内で活発になっていた。世論は圧倒的にイスラム側に立っていた。

このままではキリスト教徒が窮地に落ちるのは目に見えていた。シャバズ・バッティ氏はなんとか世論の流れを変えようと尽力したが、その矢先に射殺されてしまった。

暗殺されたシャバス・バッティ氏。パキスタンのキリスト教徒を守る運動をしていて射殺された。


冒涜罪反対の知事は、29発の弾丸を撃ち込まれた

この当時、折しも、アシア・ビビの冒涜罪に絡んで「冒涜罪には反対だ」と意見表明したパンジャブ州の知事サルマン・タシール氏がボディーガードに射殺されるという事件が起きていた。

サルマン・タシール知事は冒涜罪だけではなく、イスラム原理主義であるTTPも批判しており、暴力そのものを否定していた。

パキスタンではもっともよく知られていた冒涜罪反対者であり、やはり公然と命を狙われていた人間のひとりだった。

2011年1月4日、サルマン・タシール知事は暗殺された。

29発の弾丸を撃ちこまれていたという。ボディーガードは逮捕されているが、この事件によって逆にイスラム側から英雄視されている。

「知事はイスラム教に対する冒涜罪を批判した。許すことができない」

実は、このサルマン・タシール知事と共闘していたのがシャバズ・バッティ氏だった。

バッティ氏はこの時点で「次の暗殺のターゲットは自分である」とインタビューにも語っていたが、昨日2011年3月2日、それが成就した。

11時頃、自宅を出て公用車に乗り込んだバッティ氏の車の進路をふさぐように一台の白い車が止まり、4人ほどの武装した男が公用車に向けて銃を乱射した。

それから車内のバッティ氏を引きずり出して弾丸を撃ちこんで確実に絶命させて逃亡したのだった。

計画的な暗殺だ。犯行声明を出したTTPはこれでパキスタン内の邪魔者を暴力でもって無理やり沈黙させることに成功した。

だから、この「イスラム冒涜による処刑」はパキスタンで猛威を振るうようになり、2012年から様々な事件が起きているのだ。

冒頭の知的障害の少女が逮捕された事件もそうだ。パキスタンの歌手ガザラ・シャベド暗殺事件もそうだ。

(ガザラ・ジャベド。パキスタン女性歌手が銃撃を受けて死亡)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120619T1849280900.html


国際的に話題になったマララ・ユスフザイの事件もそうだ。
(マララ・ユスフザイ。タリバンを批判して銃撃された14歳少女)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121011T2353290900.html


狂信がパキスタンを覆っており、今まさにそれが深く根付こうとしている。多様性を拒絶するこの国に、未来はあるのだろうか。

サルマン・タシール氏の暗殺現場

シャバス・バッティ氏の暗殺に抗議するキリスト教徒
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130802T2244050900.html?a=l0ll


09. 2013年9月15日 21:07:43 : W18zBTaIM6

イエメンで8歳の「花嫁」が初夜に死亡、子宮破裂で 2013年 09月 12日

[サヌア(イエメン) 10日 ロイター] - 中東イエメンで、わずか8歳で結婚させられた少女が、新婚初夜に内出血で死亡するという惨事があった。人権活動家らが明らかにした。

人権活動家のArwa Othman氏によると、同国北西部のハッジャ県で、ラワンという名の少女が、自分の年齢の5倍にあたる40歳の男性と結婚式を挙げた。

その夜、2人は性行為におよび、ラワンは子宮破裂による出血で死亡したという。

Othman氏によれば、現地当局は、ラワンの「夫」や家族に対して事情聴取などは一切行わなかった。

また、地元の治安当局者はそのような事件があったことを否定している。しかし、ロイターの取材に応じた2人の住民によると、この悲劇が報道で伝えられると、部族長らは事件の隠ぺいを図ったという。

イエメンでは貧しい家族が生活費を浮かせるため、もしくは夫から支払われる金銭目当てに幼い女児を嫁がせることがある。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが国連などのデータをもとに明かしたところによると、同国の少女の約52%が18歳までに結婚するという。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE98B06820130912

投獄されたアフガニスタン少女の90%は何の罪だったのか? 2013-09-05


見たこともない男といきなり結婚させられる。好きでもない男に無理やり強制結婚で性行為を強要される。

結婚という形態を取っていても、実際にはカネで買われた身になって、見知らぬ男の家庭に入って奴隷のようにこき使われる。逆らえば、男の家族全員から虐待される。

日本人には今どきそんな世界があるとは想像もつかないのではないだろうか。

しかし、そのような国が存在しているのである。それは「アフガニスタン」という国だ。

この国では女性に発言権はない。結婚は自分が好きになった男とするのではない。父親が勝手に決めた相手と結婚する。あるいは、カネを払った相手に買われていく。

結婚が10代の前半で決まることも多い。そして、相手は老人だったり、障害者だったりすることも多い。女性は、自分の知らない間に結婚を決められ、逆らうことは許されない。

アフガニスタンでの女性抑圧は言語道断のレベル

タリバンは今でも、戦争で手足を失ったり、大怪我をした男を「戦いのために命を賭けた勇敢な男」として、10代前半の少女と結婚する権利を与える。

タリバンが、それを決めるのである。そして、女性や女性の家族はそれに従わなければならない。

アフガニスタンではもうタリバン政権ではないが、タリバンは今でも多くの地域を押さえている。

アメリカが泥沼の戦争に嫌気を指して撤兵をしている今、アメリカの傀儡政権であるカルザイ政権はもはや風前の灯火だ。

アメリカがアフガンから完全撤退すると、またもやタリバンが勢力を吹き返して行く可能性は非常に高い。しかし、もうタリバンを止める勢力はなく、アフガニスタン女性は世界から見捨てられることになる。

アフガニスタンは狂信的なイスラム原理主義に覆い尽くされた国であり、たとえタリバンの支配下でなくても女性は、強烈なイスラム主義によって人生を押さえ付けられる。

アフガニスタンでの女性抑圧は言語道断のレベルにある。

自由な職業、自由な教育、自由な恋愛、自由な結婚は、アフガニスタンではあり得ないのだ。地方に行けば行くほど、イスラム主義の締め付けは強くなり、貧困が深ければ深いほどイスラム主義は狂信的になっていく。

もちろん、アフガニスタン女性にも感情がある。強制結婚に対して激しい嫌悪を抱く女性もいれば、逃げ出す女性もいる。

ビビ・アイシャは強制結婚させられて逃げたが、夫に捕まって鼻と耳を削がれた。

(ビビ・アイシャ。削ぎ落とされた鼻の修復)
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_1848.html

アフガニスタン女性にも感情がある。強制結婚に対して激しい嫌悪を抱く女性もいれば、逃げ出す女性もいる。


アフガニスタン女性の悲劇は、知られることがない

レイプされたら、その相手と結婚しなければならない。なぜなら、レイプされたら純潔を失ったことになり、純潔を失うのは重い罪だからだ。

レイプされるというのは、女性の罪になるのである。だから、アフガニスタンでは、レイプされた女性は、死刑かレイプ相手との結婚かの二者択一を強制される。

(レイプ相手と強制結婚、結婚拒絶で硫酸、ブラ着用でムチ打ち)
http://www.bllackz.com/2011/12/blog-post_03.html


あるいは、最初から妻を売春ビジネスさせることを目的に結婚する男すらもいる。拒否するとどうなるのか。下手すれば死んでしまうような、激しい虐待を受ける。

(アフガンの15歳の花嫁。売春を強制されるが拒否して拷問に)
http://www.bllackz.com/2012/01/15.html

浮気はもちろん死刑だ。いや、浮気をしたと疑われただけでも死刑になる。誰が妻を死刑にするのか。アフガニスタンでは夫が妻を銃殺することもある。

(暴力の地に取り残された。公開処刑されるアフガニスタン女性)
http://www.bllackz.com/2012/07/blog-post_09.html

こういったアフガニスタン女性の悲劇はほとんど知られることがなく、闇から闇へと消されて行く。

こういった状況に絶望して、自ら火を付けて自殺する女性も多い。焼死を選ぶのが、他の国の女性たちと違う部分だ。

他の国では焼身自殺を選ぶ女性はあまりない。しかし、アフガニスタン女性の自殺は、自らを「燃やす」のである。

彼女たちは「男」に苦しめられ、自分が「女」であることに苦しんできた。焼けただれて「女」としての容姿を失ったとき、彼女たちは初めて「男」から解放されると考えているのかもしれない。

女であることは、アフガニスタンでは重い咎(とが)でしかない。女たちは死んだ方がマシだと考えている。

焼けただれて「女」としての容姿を失ったとき、彼女たちは初めて「男」から解放されると考えているのかもしれない。


地獄のような社会が国際社会から忘れられていく

アフガニスタンでは、女性や少女が数百人単位で投獄されている。彼女たちの犯した犯罪は「モラル・クライムズ」と呼ばれている。モラル(道徳)を破ったのだ。

どんな道徳を破ったのか。

その多くは、「虐待する夫から逃げた」とか、「強制結婚から逃げた」というものだった。つまり、アフガニスタンでは夫からの暴力は受け続けなければならないものであり、強制結婚は受け入れなければならないものなのである。

そこから逃げると、「道徳に反した」ことになって罪人として刑務所に放り込まれるのである。

2013年5月21日、イギリスのBBC放送は、アフガニスタンでここ数年来、「モラル・クライムズ」で投獄される女性が増えたと報じている。

女性が反抗的になったという見方もできるが、実際はアメリカがアフガニスタンに興味を失い、どんどんイスラム主義が深まっていると考える方が事実に近い。

アフガニスタンで投獄される少女の90%、成人女性の50%は、この「モラル・クライムズ」で投獄されている。虐待する男から逃げて投獄されるとは、信じがたいがこれがアフガニスタンの現実である。

これほど女性にとって恐ろしい社会を見たことがない。社会全体が強制結婚や、虐待を容認しているのだ。

その中で、女性ができる唯一の行動は、「逃げること」しかないが、逃げても地獄なのである。そもそも、どこに逃げる場所があるというのだろうか。

アフガニスタン全体が女性にとっては強制収容所のようなものであり、どこに逃げても女性には常に危険がつきまとう。

こんな地獄のような社会が国際社会から忘れられ、アフガニスタン女性は闇の中で消されて行く。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130905T0218260900.html?a=l0ll


10. 中川隆 2014年8月04日 23:45:11 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

イスラム文明論 PART1

 イスラムの勃興とそれに続く大征服事業というのは、世界史上の驚異である。その最初の時期だけをとってみても、東はペルシャから西はスペインにおよぶ広大な版図をもつ「イスラム帝国」がまたたく間に出現してしまったのである。
 

 単に規模ということを問題にするならば、たとえばチンギス・ハーンの率いるモンゴル軍の大征服などはこれを上回るものである。しかし永続性という点に注目するならば、モンゴルの作った巨大な元帝国の寿命は極めて短く、その事業は泡のように歴史の中に消えていってしまった。

 その点イスラムの征服地は、それに続く歴史の中でほとんど恒久的に維持され、その事業は永続性という点でチンギス・ハーンを始めとする他のいかなる例とも著しく異なっている。というより、その影響は現代の世界まで途切れることなく続いているのである。

 一体なぜそんなことが可能だったのだろうか。西欧キリスト教圏の二流の歴史家たちは、イスラム帝国の勃興を非理性的な宗教的狂信の所産として切り捨てることが多い。だが実際にその歴史の細部に当たってみると、どうも真相はずいぶんと違ったものだったようである。

 実際、イスラムについて学ぼうとするときには誰でも常に、西欧キリスト教側が二重三重にかぶせたフィルターをいかにして除去するかに多大な努力を割かれるものであり、かつてのソ連国内にいて「プラウダ」紙の記事から西側世界の本当の姿を割り出す努力とはさしずめこんなものだったろうかと、しばしば苦笑させられた。

 大体「ルネッサンスの三大発明」などという言葉を世界中教科書に載せてしまうというのだから、キリスト教側の宣伝能力には恐れ入る。それら三つとも、すなわち火薬にせよ羅針盤にせよ印刷にせよ、中国に起源をもつものがイスラム圏に伝えられ、西欧はそれを最後に学んだに過ぎない。ルネッサンスに功績があるとすれば、それを量産したということだけである。

 ルネッサンスとは要するに「大翻訳時代」であり、西欧はようやく17世紀に入って先生であるイスラムを追い抜いたのである。(それは英語の代数=algebraがアラビア語であることを見てもわかる)

 このフィルターを除去することは、単に世界史を正しく見るという意義にとどまらない。それは一般的問題としても盲点となっているさまざまなことを教えてくれる。特に近代西欧文明の閉塞状況に悩む現代においては、それは未来への不思議な光を投げかけているのである(実は私の資本主義観はイスラムの観察なくしては成立し得なかった)。ではその実体とは一体どんなものだったろうか。

 まず第一にわれわれの常識を覆すのは次のことである。それを一言で言うならば、「イスラムは砂漠の砂嵐の中から生まれたというよりは、むしろ都市の金銭の洪水の中から生まれた」ということである。

 読者の多くは、イスラムがどのようにして発生したのかと問われたならば、そのとき頭の中に例えば次のような情景を思い浮かべるのではないかと思う。砂漠の中で黒い布に顔を包んだ遊牧民たちが、厳しい砂漠の自然の中でそれに畏敬の念をおぼえていつか夕日に向かって祈り始め、やがてマホメットがそれらの風習を一まとめにして宗教として統合していくという光景である。 

 しかしこれほど実情とかけ離れたイメージもないと言ってよい。そもそもイスラムというのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたものではなく、高度に経済的に繁栄した都市の真中で誕生したものなのである。そして当時のメッカというのは、まさしく砂漠の真中に忽然として出現した金銭万能の小宇宙だったのである。

 メッカは他のいかなる社会とも異なる進化の足跡をたどった。このような特殊な社会というのは、それ以前の歴史の中においてもほとんどその例を見ない。その理由を探る前に、当時のメッカの社会というものがどんなものだったかを見てみることにしよう。それはほとんどの読者にとって意外の連続であろうと思われる。

1-1 イスラム誕生前夜のメッカ

 先ほども述べたように、当時のメッカは本質的に商品経済が高度に発達した商業社会だった。都市内部には当然のこととして農業を職業とする人々はほとんどおらず、市民のほとんどは商業によって収入を得るビジネスマンによって構成されていた。

 彼らメッカ市民の性格を一言で言えば、それは「個人主義者」の一言に尽きるといってよい。確かに彼らはあまり本を読まず、したがって見るべき文化や芸術も発達させることはなかったが、それらは彼らの文明水準の低さの証というよりは、むしろ彼らが金儲けに忙し過ぎたからである。実際、商業に役立つものでありさえすれば、例えば為替だの簿記だのといった技術は相当に高いレベルにあったとみられる。

 やや誇張して一言で言うならば、当時のメッカとは、さしずめ米国の西海岸が埃っぽいベドウィンの衣装をまとったようなものだと表現しうるだろうか。

 東西通商のちょうど中央位置を占める彼らは、金さえあれば東西世界の最新の品物を容易に集めることができた。ちょうど現代米国の西海岸がそうであるように、彼らも密かに、自分たちが世界最先端のライフスタイルを実践しつつあるのだと自負していたかもしれない。無論ギリシャ人たちの目から見ればそれはまだ洗練されておらず(奴等はプラトンも読んだことがないんだぞ)、20世紀のヨーロッパ人がアメリカ人に対して抱いたような軽蔑の視線が、恐らくそこに存在していたことだろう。(もっとも当時の地中海世界の人間がメッカの存在を知っていればの話であるが。)

 そんな彼らにとって人生の目的とは何かと言われれば、むろんそれはビジネス・チャンスをつかんで金持ちになることだった。ちょうど米西部でテンガロン・ハットをかぶってバッファローを追い回していたような連中が、10年もしないうちに株式市場の主役になってしまったのと同様、アラビア半島においてもラクダに乗っての冒険は次第に過去のものとなりつつあったのである。

 イスラム登場以前の時代は「ジャーヒリーヤ(無明)時代」と呼ばれている。これは字面からは暗黒時代の意味になるが、しかしその半面、砂漠の遊牧生活の冒険とロマンの時代という響きも含まれている。(この点でも、二丁拳銃のアウトローが暴れ回る時代へのノスタルジーと少し共通する面がある。)

 都会の人間に生まれ変わった彼らにとっては、砂漠の天幕に住むベドウィンはもはや半ば異人種だったろう。マネーと野望の渦巻く都市の住人がそうであるように、彼らもビッグ・サクセスの夢と現在の自分の快楽の極大化以外に何の関心ももたない。もし彼らが現代米国の「ライフ・ハピネス・リバティ」の三位一体の教義を聞いたなら、これこそ我らの神であると、諸手を上げて賛同したかもしれない。このような社会においては金さえあれば何でもできたし、逆に金がなければ何もできなかった。恐らくは人間関係も相当にドライに金銭に帰着されていたようである。

 そしてまた意外なことに、女性と社会の関係に関してもここは周囲の世界と比べてかなりの「先進地域」だった。アラブ世界の女性といえば真っ先に思い浮かぶのは、顔を黒い布で覆ったいでたちで歩く女性だが、あんな格好をして外を歩く若い女性はまずおらず、ここが実は自由恋愛の天国であった可能性はかなり高いのである。さらにビジネスへの女性の進出も目覚ましく、やり手の女性事業家などはさほど珍しい存在ではなかった。

 もっとも近代西欧と違って、イデオロギーとしての男女平等思想はなかったからその点での制約はあったろうが、金銭万能社会というものが世界中どこへ行っても中味が似たりよったりのものになってしまうことを考えれば、実態がどんなものだったかは想像がつくというものだろう。

 さてこのようなむき出しの金銭万能の社会においては道徳の退廃は必然であり、個人のエゴと短期的願望が金銭を軸にして増殖し、共同体の秩序を凄まじい速度で食い潰しつつあった。つまりメッカは「コラプサー」への坂道を転がり落ちる途上にあったのであり、イスラムはまさしくその転落を阻止する防壁として築かれたのである。

 全く仰天するばかりに常識とはかけ離れているが、とにかくこのようにイスラム登場以前のメッカというのは、かなり「進んだ」都市の中の個人主義社会だったというわけであり、そこには行き着くところまで行きつつある現代資本主義社会の姿がオーバーラップして見える。

 そしてイスラムというものの今日的な意味もそこにある。すなわち商業主義が行き着いた先の退廃や、文明社会の死の病と言うべき「コラプサー」に対するワクチンとは一体何かという問題に対する極めて重要な示唆を与えることになるからである。

 実のところ「資本主義とは、その外見に反して最も原始的な社会システムなのではないか」という疑念を私が抱いたのも、このイスラム発生の過程を見たことがきっかけになっている。他の時代においては、末期症状を迎えた時期のアテネの民主社会やローマ帝国の社会がこれにやや近いものだったが、それにしてもメッカの特異性というのは群を抜いている。では一体なぜこんな場所に突如としてこんな特異な社会が誕生したのだろうか。実はそれは非常に興味深いメカニズムによってなのである。

1-2 メッカが置かれていた特殊な国際情勢

 その結論に進む前に、当時のメッカが置かれていた特殊な国際情勢について述べておこう。実はイスラム誕生のきっかけを作ったのは、東ローマ帝国とササン朝ペルシャの間で続いていた戦争だった。

 戦争がない平和な状態であれば、この両国の国境付近、シリアからメソポタミアのあたりというのはちょうど東西世界の通商の十字路となり、世界の富が集まってくる地域に相当していた。

 ところが戦争によってこのあたりが通れなくなってしまった。そのため通商ルートが大きくまとまって南へ迂回を始めたのである。そしてそのちょうど中継点に当たる場所こそがメッカだった。


 このためそれまでさびれた砂漠の小都市でしかなかったメッカに、突如として世界中の富と繁栄が流れ込むようになってきてしまったのである。突然やってきた金銭的繁栄が社会を道徳的に破壊せずにいることは稀であり、この金銭的繁栄と道徳的頽廃が逆にイスラムの培養土となったのである。

 この砂漠の隊商都市の経済的繁栄は、他の場所では考えられない特異な社会的状況をもたらした。すなわち社会の中で軍事的要素がほとんど発達せずに経済部門だけが異常に発達するということが起こったのである。実際こういうことは他の世界においてはようやく現代の、核兵器とコンピューターの時代になって初めて可能となったことである。 通常の農業社会においてはこういうことは不可能である。農業社会においては人々の生活は農地というものに縛り付けられている。そして収穫を上げるためにはその領地の広い面積を防衛しなければならない。

 そのためにここではその面積に比例した大きさの軍隊というものがどうしても社会の中に根を張るようになる。そして外敵から農地を守るはずの軍隊は、いつかその農民を支配する道具にもなってゆく。もし軍隊がその軍事費のために重い税を農民に課したとしても、農民は農地を捨てて逃げ出すわけにはいかない。

 こうして農地の上にどっかりと腰を据えた軍隊は、安定した租税を得て、隣の国の農地で同じように腰を据えたライバル国の軍隊とにらみ合いながら、社会内部に一つの生態系の要素としての位置を占め、恒久的に存続していくことになるのである。

 要するにこれが封建社会の誕生であり、よく考えてみると封建制度というものは経済制度であるというよりは、むしろ軍事制度として発達したと言った方が正しいようである。

 ところが砂漠の通商都市においてはこういうことは起こりにくい。例えば大きな軍隊がその通商都市の一つに駐屯することを考えてみよう。このときこの軍隊はその維持費をまかなうため市民に税金を課さねばならないのだが、問題は市民の富が通商による利潤によって成立していることである。

 砂漠の中をラクダを連ねて渡る隊商の立場からすると、こういう都市は非常に困る。せっかく利潤を上げても、その都市に立ち寄ると高額の税金をとられ、無駄飯食いの軍隊を養う費用のために利潤を吸いとられるというのではたまったものではあるまい。

 しかし砂漠というのは広いのである。彼の立場からすれば、もっと安く中継点となってくれる都市を別に捜すなどということはそう難しいことではない。こうして通商ルート全体が、この軍隊の居座る都市を嫌って一斉に迂回を始めてしまうのである。そのため通商ルートに見放されたこの都市は急速にさびれて市民の食糧を確保することさえ困難になっていくことになる。軍隊が飢えで自滅することは言うまでもない。


 そしてどの都市も等しく似たような状況に置かれるということを考えれば、相互の侵略に対処するための軍事力の必要性もどんどん低下していくことになる。

 大体において、ただでさえ砂漠を大軍が渡って都市の城壁を打ち破るなどというのは大変なことであり、他の都市を侵攻するにはよほど腰を据えて大規模な補給体制を整えない限り、できるものではない。

 こうしてお互いに軍隊の保有ということがコスト的に引き合わないということがわかっているため、軍事力が非常に低いレベルに止め置かれるというのが、砂漠の隊商都市に特有の現象なのである。実際ここで必要とされる武力というのは、隊商の護衛に要求されるものぐらいであり、それは軍隊というよりは警備会社の感覚でビジネスの中に取り込まれる傾向がある

 歴史的に見ても、それ以前のアラビア半島内部においては統一国家や王朝が誕生した例はほとんどないのである。できたとしてもそれはせいぜいゆるやかな部族連合のようなものに過ぎなかった。

 実際に例を上げても、この時期に存在した王朝は、もっと北のガッサーン朝やラフム朝などというもので、アラビア半島の砂漠から事実上外に出たチグリス・ユーフラテス川沿いやレバノン沿岸に発達したものであり、要するに砂漠の中に生まれた王朝と呼べるようなものではない。

 また砂漠の隊商都市に王朝が生まれた稀な例として、ローマ時代の隊商都市パルミラが知られているが、この都市は地形的にちょうど周囲から見て隘路を占める位置にあったため、通商路の迂回が難しいという例外的条件のもとに成立し得たものである。


 一般の文明社会では、軍隊の存在は単に領土の防衛を果たしているだけではない。軍事貴族という社会階級の成立は、忠誠心、名誉、規律、自己犠牲などといった徳目を社会に対して教える役割を果たしているものであり、ヨーロッパにおいてはそれは商業主義の害毒を中和するという点で時に宗教以上に強い役割を果たしていた。かつての日本においてもそうである。

 しかしこういうメッカのような状態では、そんなことは期待するだけ無駄というものだろう。アラビア半島が貧しい時代には、部族社会の伝統的な掟というものがそういう役割を引き受けていたのだが、突如として流れ込んできたマネーのパワーがそれを根こそぎ覆してしまったのである。

 こうしたことは西欧社会では核兵器とコンピューターの時代に、資本の移動が自由になってから現実のものとなってきた。資本の移動が可能な世界においては、国家の側が資本という生き物にとって快適な環境を保証してやらねば、資本はそこを見限ってさっさと逃げ出してしまい、それはそのまま国力の低下となってしまう。

 現代において共産主義の崩壊以後、軍事力がその威力を失い、そのため国家や社会が挙げて商業主義の踊りを踊らねばならないという、この現代の自由経済社会の有様を見てわれわれは驚いているが、実は何と千数百年前のアラビア半島で、これと全く同じメカニズムが一時的に生じていたというのである。

 社会進化の異端児であるメッカは、まさしく経済的要素だけの純粋培養によって進化を遂げた社会の実験室だった。封建社会を飛び越えたメッカは、もっとも原始的な段階においてすでに西海岸的資本主義社会に似た社会的容貌を示していたのである。


1-3 対照的だったキリスト教とイスラムの幼年期
  
 都市の拝金主義がその誕生の培養土となったという点では、キリスト教ともある程度共通していると言える。キリスト教も、なるほど誕生したのはエルサレムや死海の周辺だったが、それが成長したのはローマ市内であり、この都市の道徳的退廃に対するワクチンとしてその成長のきっかけが与えられたのである。

 そのキリスト教とイスラム教の成長過程の最大の違いというのは、前者が主として下層階級が担い手となっていたのに対し、後者がメッカ上・中層階級がその担い手であったことである。

 そのためキリスト教というものは、その本質において下層階級向きにできており、ローマ時代においては「貧乏人と女子供のための宗教」と蔑まれていた。実際に夫はギリシャ的教養をもってローマの神々を奉じているが妻から先にキリスト教に改宗したという家庭は多かったようである。

 なぜそうなったかといえばその理由は簡単で、当時のローマ帝国内部というのはギリシャ的教養を頭にぎっしり詰め込んだエリートたちが掃いて捨てるほどおり、彼らを全部押しのけようとすれば、その教養を競う熾烈な競争に参加しなければならなかったからである。

 このような状況下で別の新しい世界観を受け入れさせるのは容易なことではない。イエス・キリストといえどもうっかりローマへ行けば、試験をされて落第のレッテルを貼られたかもしれない。そしてその一方で、ギリシャ的教養は社会に規律を与える力が弱く、その自由主義は当時の道徳的退廃に対するワクチンとしては完全に無力であった。

 それゆえそんなギリシャ文明に駄目にされたエリートどもなどもはや頼むに足らずとばかりに、下層階級の側がエリートたちをそのギリシャ的教養もろとも麻袋にくるんで縫い込め、谷底に捨てようとしたというのが、キリスト教発展の過程なのである。

 そのためキリスト教というものは、その歴史において非常に多くの場合、下層階級がエリート階級を倒そうとする際の武器として作用してきた。逆に言えば、キリスト教圏では宗教が力を持つということは、知識人が鎖につながれるということを意味する。

 それゆえ知識人たちは、宗教の中にとどまって下層階級のプロレタリアート的支配に甘んじるよりは、自由を求めて無神論へ走ることが普通だった。まさしくキリスト教世界の歴史は、下層階級による階級闘争と、知識人の脱獄の歴史である。


1-4 エリート優位のイスラム圏

 これに対してイスラムは全く逆である。当時のメッカ市民が金儲けに忙しくてギリシャの本を読む暇がなく、議論の粗探しをして喜ぶだけのしょうもない似非インテリが少なかったことが幸いして、彼らはギリシャ的教養との死闘を経ることなしにエリート層を取り込むことが可能だったのである。

 布教活動一つとっても、キリストの弟子たちが野宿も当たり前という状況だったのに対し、ムハンマド(マホメット)の弟子たちはメッカ上流階級の若い子弟が多かったため、広い館をまるごとぽんと専用に提供されてそこに寝泊まりしているという裕福ぶりだった。

 この若者たちの何人かは、将来メッカの実力者としてその政治を行うことを約束されており、エリート階級の癖や好みというものがかなり宗教自体の中に入り込んでいた。そのためか、キリスト教とは全く逆に「男らしさ」というものを極めて重んじる態度がイスラムの中には強く根を張っている。

 実際この宗教はそういう階層の人間に訴える力が強かったらしく、その誕生間もない時期に、すでに有能な武将・戦略家・行政官としての能力を備えた人物をもっていた。

 実のところ、キリスト教が天下を取るのに300年もかかっているのに、イスラムが同様のことをするのにたった数十年しかかからなかった最大の理由がそこにある。

 そしてその版図が安定してからも、エリートによる支配は続いた。その担い手になった存在は「ウラマー」と呼ばれるイスラム法学者である。

 このウラマーのことを誤って「僧侶」と訳している場合は多いが、実際にはこれはいわゆる僧侶の概念とは相当に異なったものである。大体において、他の宗教において存在しているような僧侶というものは、イスラムにおいては存在しないのである。

 これらウラマーすなわちイスラム法学者たちは、イスラムが社会生活において要求するイスラム法(シャリーアと呼ばれる)の解釈を行う人々であり、ユダヤ教における律法学者(ラビ)にやや似ている。

 そして彼らウラマーは、単にイスラム法の専門家であるばかりでなく、彼らの中にはそのかたわらで数学や天文学・医学や歴史学・地理学もなどといった学問を修めている者も少なくなかった。逆に言えばイスラム世界で学問の担い手であった人々は、その総合的性格ゆえにイスラム法学もその修得範囲に含んでいたわけで、広い意味でのイスラム世界における知識人こそが彼らだったのである。(ただし科学史に名を残したイスラム科学者たちは法学よりも医学にかかわる場合が多かったようだが。)

 つまり知識人たちはイスラムの奥深く入り込むことで、逆に下層階級に対する支配力を手に入れる格好になっている。キリスト教圏の場合とは全く逆に、イスラム圏では知識人は無神論に走る必要がないどころか、むしろわざわざパワーを手放すことになりかねないため、そんなことをする物好きは滅多にいない。

 われわれは宗教といえばキリスト教世界のことをつい連想しがちだが、それを基準にしている限りイスラム圏の人々の行動というものはしばしば全く理解できない。しかし英国のイスラム研究者たちは、しばしばこのウラマーたちとその支配の姿に、英国のジェントルマン階級の支配の姿を重ね合わせて、親近感を抱くことはあるらしい。

 実際、一つの文明の背骨となってそれを担い、腐敗で溶解することなくそれを長期間それを立派に支えぬいたその姿は偉大である。

 そしてそれはまた(西欧の概念からする「知識人」とはいささか異質ではあるが)武力や権力を直接持たない知識人たちが、大きな一つの文明を集団で事実上統治することに成功した、世界史上ほとんど唯一の例であるという点でも注目に値するものである。

1-5 イスラム初期の登場人物たち

 では次に、イスラム初期の時代における主要登場人物のプロフィールを描いておこう。それらの多くの名前は、日本人にはあまり馴染みのないものであるが。
 
ムハンマド

 言わずと知れたマホメットのことである。「マホメット」という名前は西欧側の呼び名で、やや侮辱的なニュアンスがこもっているらしい。そのため日本でも最近は専門書などではもっぱら「ムハンマド」という呼び方を用いているが、一般にはまだ定着していない。どちらをとるか少々迷ったのだが、将来のことを考えて、あえてこの馴染みの薄い方を選んだ。

 さてこのイスラムの預言者は、キリストと違って神の子でもなければ、奇跡を起こしてみせたこともない。むしろ「預言者」の名の通り、神からのホットラインを通じてその言葉を伝えるだけの一人の人間であると、自らも認識していたようである。

 彼は非常に聡明で誠実な人物だったが、聖人くさい芝居がかった逸話は少なく、キリストのように、それこそ自分の内臓をつかみ出して貧乏人に与える式の重苦しい博愛精神もない。むしろ次のような逸話が彼の人柄をよく伝えるようである。

 昼寝をしていた彼が目を覚ますと、足元で猫が寝ていた。用事があった彼はすぐに起きて出かけなければならないのだが、猫が彼の着物の裾を敷物がわりにしていたため、立ち上がれば猫を起こしてしまう。しかしあまり気持ち良さそうな猫の寝顔を見て起こすのが可哀想になった彼は、ハサミをとってもらって着物の裾を切って出かけていったという。このように彼の逸話には、どこか都会的な優しさを感じさせる話が多い。

 彼は両親が早く死んだため孤児として育ち、若い頃には目だった逸話は少ない。しかし人生の後半において展開した戦略的・政治的手腕は全く卓越したものであり、どうしてそんな才能がいきなり目覚めたのかは不思議と言うしかない。彼は、ただ自分は神が命じた通りにやっただけだと言うであろうが、実際もし神が存在しないとしたなら、逆に彼は史上最大級の戦略家の一人に数えられてよい。永続性という点を重視するなら、その事業にはアレクサンドロス大王と言えども遠く及ぶものではない。

 なお、イスラム圏の人々は大体において人間としてのムハンマドについて語ることを忌避する傾向があるというが、それは陳腐化の阻止という観点からすれば賢明なことである。彼の戦略家としての側面を論じるというのは、実は外部の人間ならではのことであると言えようか。

アブー・バクル

 ムハンマドの最も古くからの協力者の一人であり、その生涯を通じて彼をよく助けた。性格は地味で誠実、自ら「自分はムハンマドの帳簿管理人に過ぎない」と言うぐらいだったが、それゆえに周囲の信頼は厚く、ムハンマドの死後、その後継者として皆に推されて初代カリフの地位についた。

 しかし初代カリフとしての仕事ぶりは単なるつなぎの人物のそれではなく、優れた政治的洞察力によってイスラム拡大の事業を軌道に乗せた。ムハンマドとイスラムの幸運の一つは、このアブー・バクルという優れた後継者を持ったことだろう。

ハーリド・ブン・アル・ワリード

 初期におけるイスラムの武将で「神の剣」と称された名将である。智将タイプと言うよりはむしろ猛将タイプで、当初ムハンマドがメッカと敵対していた時期にはメッカ側の武将としてムハンマドを苦しめたが、後に自らイスラムに改宗し、ムハンマドの味方となってイスラム軍を統率する。

 後半には主として西部戦線で東ローマ帝国と戦い、ヤルムーク川の戦いで東ローマ帝国軍を破る大勝利をおさめた。

サアド・ブン・アビー・ワッカース

 ハーリドと並ぶイスラム初期の武将で、ハーリドが西部で戦っている時期に東部軍を統率していた。彼は古くからのムハンマドの教友で、中途改宗組ではない。

 東部戦線ではササン朝ペルシャと戦い、カデシヤ(カーディシーヤ)の戦いで決定的にペルシャ軍を破った。猛将ハーリドとは違って政治的洞察力にも富んでいた。


           
アムル・ブン・アルアース

 ハーリドと同時期にイスラムに改宗したが、ハーリドとは正反対の、すばしこいとすら言える智将タイプである。

 ヤルムーク川の戦いに参加した後、アムルは独断で自分の兵を率いてエジプト侵攻に乗り出した。むろん中央からはエジプト国境を越えるなとの命令書が届いたが、内容を見越したアムルは国境を越えるまでその封を開かず、既成事実を作ってそれを無効化した。

 アムルの兵力は僅か4千で、一国に対する侵攻作戦としては驚くほど少なかったが、彼はその軍事力を直接用いるよりは、住民を巧みに手なずけるなどの策略を用いて、次々に城塞を陥落させ、魔法のようにエジプト全土の占領に成功、その総督におさまる。

 当初は無謀としてエジプト侵攻中止を命じた中央も、その結果については文句のつけようもなく、事後承認を行った。

アリー

 彼はムハンマドの甥で、初期のイスラムにおける最大の悲劇の中心人物である。彼は知恵者である反面、理想主義に溺れる書生くさい一面もあったようである。

 彼の知恵を示す逸話は多く、例えば人々が象の重さを計ろうと悪戦苦闘しているのを見て、空の船に象を乗せて喫水変化を記録し、次に象を降ろして石を一個づつ乗せてその石の重さを計れば良いではないかと提案したり、訴訟を巧みな知恵で処理した名裁きの話などが伝えられている。

 その一方政治的には理想主義的な直情径行の性向が災いして、人々が全幅の信頼を寄せるには今一歩というところがあった。しかしその知恵ゆえに、彼には自分こそがムハンマドの後継者であるべきだとの自負が強かった。

 しかし彼のカリフ就任の機会はそのたびごとに見送られ、ついにその機会がめぐってきたときには、次に述べるムアーウィアとの政争および内乱の中で、政治的に次第に追いつめられ、暗殺された。彼の死によって、アブー・バクルから4代続いた「正統カリフ時代」は終わりを告げた。

 なお、現代のイランを中心に広がるシーア派というものが発生した発端もこのアリーである。これはもともと「シーア・アリー(アリーの党派)」と呼ばれた人々が、いわば反体制派として一個の大集団を作ったものが現代まで続いているのである。


ムアーウィア1世

 彼はアリーの政敵だが、もともと父親がムハンマドの活動初期にメッカで迫害の先頭に立ったアブー・スフヤーンという人物だったという因縁をもつ。

 彼は戦場での見るべき戦功はほとんどなかったが、極めて政治的機略にたけ、しかもその策略は残虐性はなかったが氷のように鋭い。つまりはアリーとは対照的に、人々に親しまれる部分は全くない。

「この時代のアラブには4人の政治的天才がいる」と言われていたが、ムアーウィアはその一人である。(なお、前述のアムルもその一人)。

 彼は征服事業の最中にシリア方面に根を張り、その勢力を拡大する。そして第3代カリフ暗殺事件という突発事態に引き続いてアリーがカリフの座につこうとした時、その反対勢力を結成してアリーに対抗する。(なお、前に登場したアムルはエジプト総督の地位にあって、シリア総督だったムアーウィアとは同格の地位にあったが、ここではムアーウィアの下について戦った。)

 そしてアリーを追い落したムアーウィアは、ウマイヤ朝を興し、自らそのカリフに納まる。このウマイヤ朝はその後14代も続くが、これは見ようによっては「簒奪王朝」とも言えないことはない。かつて初期のイスラムの最大の迫害者であった部族の一員が、ムハンマドの血を引くカリフ後継者を排除して新しい王朝を開いたというのだから、まあそう言われても仕方のない部分はある。

 ましてこのムアーウィア1世はどうもそれほど敬虔なイスラム教徒だったとは思えないのだが、逆に言えばその王朝がかなり長く続いたということが、ムアーウィア1世の卓越した政治手腕とともに、イスラムのもつ強い政治的性格を示すものだと言えなくもない。


 さてこれらを見れば、なぜ初期のイスラムがあれほど短期間にあんな征服事業を行い得たのかはどことなく理解がいくのではないかと思う。

 実際、その登場人物の横顔は、キリスト教の初期の教団のそれとは余りにもかけ離れたものである。政治力の不足を言われたアリーでさえ、もし彼がキリスト教団の中にいたならば伝説の知恵者として長く語り継がれたことだろう。

 それだけの能力をもつ政治家・戦略家・武将を多数擁しているところへもってきて、まず都市ではもっぱら経済と金銭の獲得に向けられていた人々の関心がイスラム圏の確立という政治的目標に向かい、また地方ではそれまで部族間抗争に明け暮れていた各部族がイスラムという新しいアイデンティティのもと、同胞同士で殺し合うことをやめ、それらの戦闘的エネルギーが一斉に外へ向かっていったのである。

 ちょうどその様は、ばらばらな向きを向いていた多数の磁石が、お互いの磁場を打ち消し合って外側から見ると全体として磁力を帯びていなかったのが、突然それらが一斉に揃って一つの方向を向くようになったため、突如凄まじく強力な磁石が出現したようなものである。

 それらのパワーをハーリドやサアドのような人物が率いていたことが、ヤルムーク河やカデシヤの戦いで東ローマ軍やペルシャ軍を圧倒するという結果を生んだわけである。


1-6 イスラムと非ハーモニック系

 こうしたエリート優位の文明として出発したことは、イスラム文明に次のような特徴を与えることとなった。その特徴を一言で言えば、それは非ハーモニック系の社会をいかに運営し、社会がコラプサー状態に落ち込むことを阻止するかという主題で貫かれているということである。

 これはあるいは言い方が逆なのかもしれない。むしろライバルであるキリスト教文明の側が、度を超した強烈なハーモニック・コスモス信仰を抱えこんだ特異な存在だと言うべきなのである。そしてなぜそんな違いが生まれたのかは、先ほど列挙したイスラム初期の登場人物たちの横顔をキリスト教初期においてそれに相当する人物たちと比較すればよくわかる。

 イスラム教団初期の、馬に乗って戦場を疾駆した名将・智将たちに比べると、貧民たちの中にうずくまって左手で捨て子を抱き、右手で天を指差して神の道を説くパウロやぺテロなどキリスト教団初期の人物たちの姿は余りにも対照的である。そして二つの宗教がその揺籃期を過ごした環境の違いをこれ以上よく物語るものはない。

 ローマ帝国の辺境で生まれたキリスト教には、首都にいるギリシャ的教養をぎっしり頭に詰め込んだ官僚たちやローマ軍団を率いる司令官を押しのけて国家の指導権を手に入れるなどいうことは、権力基盤の点で不可能である以前に、それに必要な知識すら十分に備わっていなかった。そのため彼らは、神の愛弟子を自称する諸君は社会をどう運営するつもりなのかね、と問われたとき、そんなことは抹消的な問題であると宣言してそれをあっさり無視し、一足飛びに神様に向かう以外なかったのである。

 これは社会を運営する立場から見れば短絡以外の何物でもなく、本来なら指導者として失格の烙印を押されても仕方がない。しかしそんな彼らにとって救世主となる概念が一つ存在している。言うまでもなくそれがハーモニック・コスモスの概念であり、そういう宇宙においては社会という複雑な系の振る舞いをバイパスすることができる、というよりそんなものは本質的価値をもたなくなるのである。

 このため彼らにとっては、どうしても世界はハーモニック・コスモスでなければならなかった。もちろん彼らがハーモニック・コスモスなどという概念を知っていてそれを吟味し、採用したわけではない。むしろ人間にはもともとハーモニック・コスモスを求めるという性癖が本能的に備わっているものであり、そしてそれは宗教的雰囲気と極めてマッチしたものなのである。

 そのため彼らはその本能を刺激し、下層階級の不満と混合してそれをちょっとギリシャ的論証技術で味付けすれば、実に見事な神学を作り上げることができたのである。(その過程は、近代においてプロレタリアート支配をうたったマルクス理論が成立する過程にかなり似ている。)

 この点で言えばイスラムは全く異なっている。何度も言うようにメッカそのものが商業のネットワークによって成り立つ社会だった。つまり腐敗したエリートどもを一掃するなどということを考えようにも、その革命が商業ネットワークも一緒に壊滅させてしまうようでは、メッカの自滅を招く以外の何物でもない。これは、たとえ資本主義が悪いということがわかっていたとしても銀行を核爆弾で吹き飛ばすわけにはいかないという、現代のわれわれの立場に少々似ている。

 そのためどうしてもそのアプローチは乱暴で外科的な切除手術であるよりは、巧妙で間接的な内科的手法をとらざるを得ず、そのためには社会のメカニズムについて熟知していることが必要だった。このような環境においては、ハーモニック・コスモス信仰が浸入してくる余地は滅多にないものである。

 このように本質的に商業社会であるイスラム世界においては、商業的機略というものは称賛の対象にこそなれ、決して否定されるものではない。そのため「策略」という言葉は必ずしも否定的意味をもたず、「策略をもたない頭はカボチャより劣る」という言葉があるほどである。

 当時のメッカの退廃とは、彼らがもともと備えているそうした商業的機略が近視眼的欲望と結び付いて自家中毒を起こしていたものなのであり、それに対するワクチンとして要請されたのがイスラムだった。そのため宗教の体系そのものが社会というものを深く洞察し、むしろその欠陥を巧妙に補完しようとする意図をもっており、イスラム世界においては政治家であることと宗教家であることは本来矛盾しない。それは、神も含めたこの世界が本質的に巨大にからまった毛糸玉のように複雑な非ハーモニック系であるという認識とは表裏一体のものである。

 これは全くキリスト教圏とは対照的であり、キリスト教圏では宗教的要素すなわちハーモニック・コスモス信仰が社会運営技術の中に入り込んでくると、とかく物事を単純かつ強引に善と悪に二分し、外科的切除の要領で悪を人間集団ごと撲滅するということになりがちであり、たちまち火あぶりだの虐殺だのといった惨々たる結末に終わってしまう。

 そのためキリスト教圏では「政教分離」というものが絶対必要であることが経験的に理解された。しかしそれは実はハーモニック・コスモス信仰を分離するという目的のために必要だったのであり、宗教自体が非ハーモニックの体系をもっている場合、政教分離は必ずしも絶対的に必要なものではない。

 むしろ皮肉なことだが、政教分離の先進国だと自ら信じ込んでいる米国こそ、現代において最も「政教分離」が必要な国家であるように思われる。なぜなら米国の平等・人権思想やベンサム的自由思想こそ、首までどっぷりハーモニック・コスモス信仰に漬かっているという点で、キリスト教において最も問題をはらんだ部分にラベルを貼り変えたものに過ぎないからである。

 今から思えばそれは単なる錯覚に過ぎなかったのだが、近代西欧があれだけの「進歩」を遂げられたのはまさしくその思い込みの故だった。ハーモニック・コスモスの思い込みを最初から持たなかったアラビア科学は、中世を通じて西欧の先生であり続けたにもかかわらず、ついに微積分を生み出すことがなかった。そして圧倒的な豊かさを誇ったイスラム経済は、徹底した規格化・画一化による量産技術を確立しなかった。逆に言えば物事をなまじきちんと洞察していたからこそ、イスラム文明は近代文明に乗り遅れてしまったと言える。

 しかしそれらの西欧的な画一化による進歩というものが限界を暴露してハーモニック・コスモス信仰そのものを放棄しなければならなくなったとき、人類が振り返って見て参考にできるものと言えば、それはまずイスラム文明だということにならざるを得ない。非ハーモニック系を仮定した社会運営のための技術体系をもち、しかもそれにかなりの程度成功した文明はそれしかないからである。

1-7 数学史からみたイスラムと西欧

 なお付記しておくと、イスラム文明と西欧文明を「数学」という観点から見ると、ある意味で両者の本質が浮き彫りになる。これは大変重要なことなので、関係者のためにもここで述べておくことにしよう。(なおこの事実は現在、本稿以外の世界中のいかなる文献にも記されていないことであり、読者はその重要性に是非注目されたい。)

 さておよそこれまでの人類の数学というものは、二つの大きな体系の上に両足を広げるようにして立ってきたと言える。それは要するに解析学(微積分)の体系と代数学の体系である。

 そして数学史においては、西欧が微積分を、イスラムが代数学(algebra)を引き受ける形でそれぞれを発展させてきたということは、注目すべきだろう。

 それというのも作用マトリックス理論をご存じの読者は、次のことを理解しておられることと思う。それは、解析学と代数学の体系は、それぞれ作用マトリックスの特殊な場合として現われる二つの顔だということである。

 すなわち一般に作用マトリックスで扱う系とは本来、

・系の中に多数の要素がからみあい、

・それら全体が時間的に変化する

いう、二つの性格をもっている。しかしここで前者の性格を消して、要素の個数を2個だけに減らした場合、それを表現する作用マトリックス(2行2列)は事実上、関数と同じものになって、体系全体が解析学と同じものに帰着できる。

 一方それとは逆に、今度は後者の性格を消して、体系を静的なものとした(つまり行列のN乗自体を考えない)場合、作用マトリックスは単なる線形代数の行列になってしまい、体系全体は代数学と同じものに帰着される。

 つまりこのように、それぞれ体系の性格の半分を消去する二種類の特殊化を行なうと、一方は解析学に、もう一方は代数学になるというわけだが、数学史の中ではこの両者を二つの文明がそれぞれ分担していたという事実は興味深い。

 そして西欧が解析学(関数)的発想を、イスラムが代数学(連立方程式)的発想を、それぞれと文明の基礎に置いていたとすれば、実は両者は、一つの大きな体系の中に現われる、部分的な二つの顔を見ていたわけであり、彼らは文字通り文明全体の中でそれを等分に分け合ってきたのである。

 つまりこの観点からするならば、本来どちらが文明として上かという議論は成り立たないわけであり、両者の断絶をつなぐ数学的ツールとして、作用マトリックスの役割は大いに期待されるところである。実際それは、この二大文明をつなぐ最大の鍵となる可能性がかなり高いと予想されるのであり、これがなければもう未来において両者を融和共存させることは不可能ではあるまいかと考えられる。

 その意義に比べれば、数学者が今の学会でもてはやされているどんな問題を解いたところで(どうせ現在では結果の点でせいぜい携帯電話の性能向上ぐらいにしかつながらないのだから)、歴史は時の経過と共に、吹けば飛ぶようなちっぽけな文明史的意義しかもたないものとして、それを端役の地位に追いやっていくことだろう。

 そのため、イスラム文明への認識は数学関係者にとっても非常に重要なことなのである。
(2001年11月1日 長沼伸一郎)
http://pathfind.motion.ne.jp/isram.htm


11. 中川隆 2014年8月05日 22:07:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

イスラムの国家原理

 イスラム諸国
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/islam.html

と欧米の相互理解はなかなか進まない。

 そもそも両者の上幸な関係は、中世のヨーロッパ諸国による中近東への十字軍遠征に始まる。

 その後、イスラム地域はヨーロッパの椊民地支配に組み込まれた。

 第1次大戦時に英仏がアラブとユダヤ双方に相矛盾した約束をしたことが遠因で、今日のパレスティナ紛争が引き起こされる。

 第2次大戦以後の米ソ冷戦期には、東西両陣営の対立の前線ともなり、米ソが軍事援助を強めたことが、中東イスラム地域の上安定性を強めた。

 中東に豊富に存在する石油が、事情をさらに複雑にした。

 1973年10月に第4次中東戦争が勃発した時、アラブ諸国は、やせた砂漠の国土に唯一眠る貴重な資源を、武器として利用することを思いついた。こうして 発生した第1次石油ショックは、欧米諸国をパニックに陥れた。

 石油の戦略性に気付いたアラブ諸国は、それを利用して欧米に対して民族主義的要求を次々と行った。いわゆる「資源ナショナリズム《が高揚し、アラブ地域で始めて近代化が進み始めた。

 しかしそれは諸刃の刃だった。

 貧富の差と富裕階層の欧米化は、下層民の反米感情を募らせた。

 特に、ソ連が消滅し、アメリカの一人勝ちとなった1990年代以降の、アメリカ発の市場優先のグローバリズムの波が、イスラムの伝統的価値観を揺さぶるようになると、反米感情が高まり、アル=カイダのような国際テロ組織が、アメリカを標的に、手段を選ばないテロ攻撃を仕掛けるようになった。

 このために欧米や日本では、イスラム教徒=狂信的テロリストという短絡的なイメージが出来つつある。

 一方イスラム世界では、欧米はいつまでたっても自分たちに対する抑圧者・搾取者であり、彼らが貧困から抜け出せないのは欧米の経済・政治的支配のせいだという思いが強い。

 事実、国際社会の政治・経済的な枠組みは、欧米文明の思想に沿って作られている。

 だが、イスラム世界の国家概念は、西欧のそれとは根本的に異なる。

 同じ「国《と言っても、欧米・日本人が抱くイメージと、アラブ・イスラムの人々が考える国家像とが、一致していない可能性がある。

 だとすれば、欧米とイスラム世界との間で、相互理解が進まないのも当然だ。

 では、イスラム「国家《とはどういうものか? そもそもイスラム世界では、国家というものはどのように形成されたのか?

 歴史を紐解いてみることにしよう。


12. 2014年8月05日 22:09:17 : 3cdYZYbVIc
 
かつて

アラビア半島
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/arabia.html


は緑あふれる土地だった。しかし、2世紀後半からの世界的な気候悪化の影響で砂漠化し、定住農耕民だったアラブ民族も4〜6世紀の間に遊牧化して苦難の道を歩き始めた。

 しかし6世紀半ば以降、東ローマ(ビザンツ)帝国とササン朝ペルシアの激しい衝突が続き、西方内陸アジアの通商路が使えなくなると、替わって、パレスティナ・エジプト→紅海→インド洋を経由する交易路(紅海ルート)が利用されるようになった。

 そのため、その途上に当たるアラビア半島西海岸(ヒジャーズ地方)は急速に発展し、メッカ、メディナ等の中継貿易都市が勃興した。

 だがその一方で、こうした経済的繁栄は、それに伴う社会矛盾の激化で弱者を虐げた。

 そんな時(610頃)、

預言者マホメット(正確にはムハンマド)
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/muhammad.html


はメッカで次のような教えを説き始めた。


13. 2014年8月05日 22:10:32 : 3cdYZYbVIc
遠からず恐ろしい最後の審判の日がやって来る。大地は揺れ、空は裂け、星は四散し海は干上がる。そしてこの日、全ての人間は生前の行いに応じて裁かれ、罪深いものは地獄の劫火に投げ込まれるであろう。

現世はかりそめのもの、審判後の世界こそ永遠に続く。されば罪ある者は早く悔い改めて、万能の主アッラーにすがらなければならぬ。アッラーの教えに全存在を挙げて委ねなければならぬ。……

 この 委ね をイスラームと言い、そのためこの教えは

イスラム教
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/islam.html


と呼ばれる。

 イスラム教誕生の背景には、経済的発展の他、当時アラビアに多かったユダヤ教徒やキリスト教徒からの影響もあった。


14. 2014年8月05日 22:10:47 : 3cdYZYbVIc
 上の教義もそうだし、また例えばアダム、ヌーフ(ノア)、イブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーゼ)、イーサー(イエス)等もマホメットと同じく神アッラーの預言者とされた。さらにユダヤ教徒やキリスト教徒は「啓典の民《として信教の自由を保障された。そのため東ローマなどは当初イスラム教をキリスト教の新たな異端と考えた程である。

 イスラム教の最大の特徴はむしろ、信者の生活に対する厳格な規定にある。

 イスラム教はユダヤ教と同じく、単に宗教体系であるばかりでなく、同時に生活の全体系であり、信者の生活のあらゆる面が掟(シャリーア)で決められている。信者が最低守らなければいけない五つの勤行(イバーダー)の中には、1日5回の礼拝、ラマダーン月の昼間の断食など、市民生活上かなりきついものも含まれている。

 このようなイスラムの信仰生活を支障なく送るためには、イスラムの目的にあった生活の場所がいる。メッカを追い出されたマホメットはメディナに移り(622)、そこに政教一致の最初のイスラム信仰共同体「ウンマ《を作った。

 イスラム世界に於ける「国家《の概念は、このイスラム信仰共同体(ウンマ)である。

 人々はイスラム信仰を全うするために集まり住んで国を作っているのであり、その逆ではない。したがって、同じ「国家《とは言っても、古代ローマの影を引きずる中世ヨーロッパ諸国や、あるいは市民革命後の近代的西欧国家とは、国家形成の原理が根本的に異なる。

 現在でも欧米と中東の国際関係がスムーズに行かない原因の一端はここにある。


15. 2014年8月05日 22:11:34 : 3cdYZYbVIc
イスラム信仰共同体(ウンマ)が短期間に確立した秘密は、アラブ族がまだ部族共同体的社会を保持していたことにある。マホメットは、アラブの伝統的な共同体をそのままイスラム信仰共同体にしたのである。我々は便宜上、この信仰共同体を

「イスラム帝国
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/islam_empire.html

《と呼ぶことにしよう。当時、イスラム帝国は“アラブ帝国”に同義だった。

 マホメットの死後、カリフ(後継者)たちは、イスラム教指導者というよりアラブ族長としての立場から、部族民の生活を安定させるため、周囲の地域の遠征を始めた。これがいわゆるアラブの「大征朊《である(633〜650)。

 初代カリフ、アブー・バクル(位632〜634)によるアラビア半島統一(634)後、第2代カリフ、ウマル(オマール)1世(位634〜644)が目ざましい大征朊を行ない、636〜642年の間に、ヘラクレイオス帝率いる東ローマ軍を破り、ササン朝正規軍を壊滅させた。ホスロー2世死後の混乱したササン朝は、新興のイスラム軍の前にはひとたまりもなく、事実上642年までに滅亡した。同年までには東ローマ領だったエジプトの征朊も完了し、第3代カリフ、ウスマーン(位644〜656)の治世半ばまでにチュニジア(北アフリカ)を征朊した(647)。

 こうして最初の大征朊が一段落するまで(〜650)に、イスラム帝国は旧ササン朝の全領域を合わせ、東ローマ帝国からシリア、エジプト、北アフリカを奪っていた。


16. 2014年8月05日 22:11:54 : 3cdYZYbVIc
ここで誰もが抱くのが、なぜこんな大征朊が可能だったのか?という疑問だろう。装備も貧弱な砂漠のらくだ部隊が、いかにしてペルシアと東ローマという大帝国を倒すことが出来たのだろうか?

 その理由は、意外にも、イスラム軍が宗教に寛容だったからである。

 そもそも大征朊は、イスラム布教の為ではなく、アラブの同胞を養うというカリフの族長的責任から行われたものだった。その証拠に、初期の遠征にはイスラム教徒ではないアラブ人も多数加わっていた。だから初期のこの大征朊は、むしろアラブ人の民族的発展または民族移動の一過程と見てもいい。

 そのような性格の征朊だから、征朊地の住民に特にイスラム教を強要することもなかった。上述のようにユダヤ教徒・キリスト教徒など「啓典の民《は信教の自由も保障された。ただ、イスラム教徒は租税が免除されるので、住民たちが自主的に改宗したのである。「コーランか剣か《というのは後世のヨーロッパ人の誤解に過ぎない。

 それどころか人々は、イスラム軍を東ローマやペルシアの圧政からの「解放者《として歓迎した。常日頃東ローマ帝国と対立していた単性論のコプト教会(エジプトの独立キリスト教会)などでは、アラブ人がエジプトに侵入してくると、数多くの修道士がアラブ側に立って東ローマ軍と戦ったほどである。


17. 2014年8月05日 22:12:13 : 3cdYZYbVIc
だから極端に言えばイスラムの征朊は、ペルシア民衆や東ローマ属州民が自ら政権の交替を望んだ結果であり、一種の“市民革命”的性格すら持っていたのである。

 イスラム帝国では、カリフ位継承をめぐる内乱(656-661)の後、

ウマイヤ朝(661-750)
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/umawiya.html


が成立し、再びイスラム勢力圏の爆発的な拡大が始まり、674〜678年には連年コンスタンティノープルを海上攻撃した。再び内乱(683-692)による中断を挟み、7世紀前半のうちに、東は中央アジア〜北西インド、西は北アフリカ〜イベリア半島(スペイン)を手に入れた。中央アジア攻略では唐の軍隊と衝突(タラス河畔の戦い 751)するほど拡大した。

 また西方攻略でも、東ローマの北アフリカ統治最後の拠点カルタゴを陥れ(698)、711年にはベルベル人将軍ターリクがイベリア半島へ侵入、西ゴート王国を滅ぼした。なお、ジブラルタル海峡の地吊はターリクの吊にちなむ(ジェブル・アル・ターリク=ターリクの岩)。彼らはピレネー山脈を越え、720年からはガリア(フランス)に侵入を開始した。

 イスラム帝国のヨーロッパ攻撃は、東は717-718年のコンスタンティノープル包囲の失敗、西は732年の有吊な「トゥール、ポワティエ近郊の戦い《でのフランク王国の勝利でようやく止まったものの、結局8世紀前半までに中近東、中央アジア、北アフリカ、そしてピレネー山脈以南のヨーロッパという広大な領域がイスラム教国となってしまった。

 当時のヨーロッパにとって、このイスラムの西方進出の持つ意味は重大である。
 地中海の制海権はイスラム帝国に奪われ、古代以来の地中海経済圏は分断され、ヨーロッパ人はヨーロッパ大陸に文字通り押し込められて他の世界との接触を絶たれた。

 西欧の経済的没落は決定的になり、東方産の豊かな物資は西方世界から姿を消した。胡椒や絹は滅多に得られなくなり、エジプト産のパピルスに代わって羊皮紙が用いられるようになった。金貨鋳造は中止され、地中海経済はイスラム銀貨を基軸通貨とする銀本位制に代わった。商業は衰退し、現物経済が優勢となり、来る封建社会を準備する。

 これに伴い、南ガリアのローマ型流通経済に基礎を置いていたメロヴィング朝フランク王国の没落も決定的となり、北方アウストラシアを地盤としたカロリング朝が権力を持つようになってくる。

 ヨーロッパ各地にはこの後、追い討ちをかけるように、ノルマン人(ヴァイキング)が襲来する。

 交通・通信網はずたずたに寸断され、商品の流通も途絶し、現物経済化が加速する。各都市は孤立し、フランク王国は国家機能を停止し、一切の治安組織も消え失せた。

 イスラムやノルマンの攻撃が激しさを増す中、国家権力が消滅するという事態に陥ったこの時代のヨーロッパの恐怖を、ご想像いただけるだろうか? 現代の日本で、無数の殺人者集団が襲い来る中、警察も自衛隊も消失したようなものである。

 そこに現出したのはこの世の地獄とも言える光景だった。毛むくじゃらの大男たちが鎧兜で武装し、船に乗り込んでやってきては、町を焼き、財産を奪い、男を殺し、女を連れ去ってゆく。

 完全な暴力と殺戮と無秩序が支配する、身の毛もよだつような世界……それが現実に、9〜10世紀のヨーロッパに出現したのである。

 自警団を組織しても、ノルマン人のような戦闘集団を相手には勝ち目がない。住民たちは、少しでも強そうな人の元に駆け込んで、「何でも差し上げますから、何でもしますから、どうか助けて下さい《と頼み込んだ。

 こうして腕っ節の強い実力者たちの元に人々は集まる。実力者は保護下にある人々の財産を所有し、その労働力を使役し、やがて人格までも隷従させる。その代わり彼らの財産と生活を守ってやる。彼らはやがて「領主《とも「騎士《とも呼ばれるようになる。

 こうして誕生するのが、中世ヨーロッパの封建社会である。

 それは、殺さなければ殺される過酷な掟から誕生した苛烈な社会であり、殺しのプロ(騎士)を中核とした異様な世界である。

 この凶暴な性格は、その後もヨーロッパの歴史を規定し、ヨーロッパにおける国家概念の出発点ともなっている。

 即ち、国は国民から武器を取り上げる。その代わり、国は国民を守るために、国民に代わって武器(武力)を使う。これが西欧風の国家概念の基礎である。そしてそれは国家と国民との間の、一種の契約である。これも騎士の封建的主従関係が契約としての性格を強く持っていたいたことの反映だ。

 そして現在の国際法の考え方も、これを延長したものである。国家間の紛争解決は、基本的には武力によるが、これを一種の契約で棚上げし、国際調停機関に持ち込んで解決しようというものだ。本当は武力行使権限を国際機関に預け、その代わりに国際機関が必要な場合はそれらの国々になり代わって武力を行使できれば理想だろうが、現実はまだそこまで至っていない。

 さて、翻って、イスラム的国家概念「ウンマ《と比較してみよう。

 イスラム教徒から見れば、契約で人工的に作られた西欧的「国家《は、本当に彼らが帰属すべき国家ではない。彼らは信仰共同体に属しているのであり、世俗の国家は便宜的なものである。だからイスラム世界の一般民衆は、国や民族への忠誠よりも、イスラム教徒というアイデンティティに基づく国際連携を重視する傾向にある。

 欧米がイスラム大衆を国際秩序に組み入れようとしても、西欧式「国家《という枠組みしか考えないならば、彼らを取りこぼしてしまうだろう。

 イスラム過激派のテロに対し、厳しい軍事的対抗手段をとるのは当然だろう。だが力に力で対抗するだけでは、報復の連鎖を断ち切ることは出来ない。

 テロが後を絶たないのは、テロ行為に走るほど生活が困窮し、人生に絶望している人々が多いからであり、また西欧文明の原理がイスラムの世界観と衝突しているからでもあろう。

 それを解きほぐす意味でも、歴史に学ぶことは多い。


=参考文献=

•嶋田 襄平『イスラムの国家と社会』 岩波書店 1977年
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/column/islam_kokkagenri.html


19. 中川隆 2014年10月25日 22:21:05 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

一方、こっちがイスラム世界でのもっともらしい男女関係の建前:


イスラムの性

以下「イスラムと女性」より
http://www.way-to-allah.com/jp/documents/Women_Jap.pdf


性の喜びは、夫婦の聞で味わう特権であり、結婚前、結婚外における性交渉はすべて禁じられる。

性を罪悪視したキリスト教の歴史においては、非婚が神聖視され、性行為を生殖のみを目的とした行為とみなし、そこから快楽を得ることを忌み嫌ったこともあったが、イスラームにおいては性行為は神が夫婦にのみ許し給うた快楽であり、また神聖な務めであった。

「男が自分の妻に近づくとき、彼は2人の天使に守られ、彼はアッラーのための戦士のようである。彼が妻と関係を持つとき、彼の罪は落葉のように落ち、全身洗浄をすれば罪は洗い流される。」(ワサーイルアシーアに集められた伝承)

また、別のハデイースには、妻と交わることも善行であり、そこにはアッラーからの報償があると述ベられている。

妻にとって夫の性的欲望を満たすことは重要主義務の一つである。

「もしある女が夫との間余を拒み、夫が一晩怒りを抱えて過ごせば、天使が朝まで彼女をののしる。」 (アル=プハーリ一、ムスリムの伝える伝承〉、

「あなたがたのうちのだれかをある女性が魅惑し、心を迷わせたときには、自分の妻の所に行き、交合しなさい。そうすれば情念を払うことができるでしょう。」(ムスリムの伝える伝承〕、

「男が自分の欲望を満たすために妻を呼んだときには、たとえカマドに火をくべていても彼の許に行かなくてはならない。」(アツ=テイルミズイーの伝える伝承)


フェミニストがこれらのハデイースを読んだら、イスラームでは女性を単なる性の道具としてしか見ていない、と非難の声を上げるだろうか。しかし、私はこれらのハデイースに、なにか素朴なほのぼのとした夫婦愛の形を見る。

愛する夫に欲望された妻はうれしさ、恥ずかしさを「務め」という大義名分に隠しながらいそいそと夫の欲求に応える。時にはそこに二人は仲宜りの糸口を見い出すかもしれない。


妻が夫の欲望に応えなければならないというと、性行為がもっぱら夫のためにだけあるように誤解されるといけないので付言すると、夫には妻を喜ばせる義務がある。

「あなたがたのだれでも、卑しい獣のように妻に飛びかかつてはいけません。まず交わりの前に先駆けを送りなさい。」

と預言者( 彼に平安あれ〕は言われ、先駆けとはなんのことですか、と尋ねられると、

「接吻と優しい言葉です。」

と言われた、という伝承がある。

また、妻の許しなく射精宜前に休を離すことは禁じられるが、これは妻の喜びを奪うことになりうるからとも考えられる。

性行為は生殖のためだけでなく、夫婦の問で楽しむべきものとしてアッラーから与えられているのである。

私はこうしたイスラームの性愛観を知って、小説、雑誌、テレピなど巷に氾濫する性のイメージに対して覚えていた嫌悪感を一掃することができた。それまでは性を心のどこかで不浄視していたように思う。切り捨てることのできない人聞の動物的側面として疎ましい気持ちがあったように思う。また、性行為に男と女の力関係を見るようなやり切れなさも感じていた。現在、それは一点の曇りもない滑らかな性のイメーヅに取って代った。
http://web.joumon.jp.net/blog/2014/10/2307.html

ヒジャーブ

『男の信者たちに言え、視線を下げ、貞潔を守れと。その方が彼らにとっては清廉である。アッラーは彼らのなすことをご存じである。

また、女の信者たちに言え、視線を下げ、貞潔を守れ、そして自ずと現れるもの以外は己の身の飾りを現すなと。

また、彼女らは覆いを胸まで垂らすように。己の身の飾りを現してはならない、夫、父、夫の父、自分の息子、夫の息子、兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子、自分の女たち、右手に所有する者(奴隷)、欲望を持たない男の従者、あるいは女の秘所について知らない幼児に対するほかは。…』(第24章[御光]30、31節)

『預言者よ、おまえの妻たち、娘たち、また信者の女たちに言え、長衣を纏うようにと。そうすれば見分けがつきやすく、危害を加えられることがないであろう。』(第33章[部族連合]59節)


 クルアーン中のこれらの節は、ムスリマが身内の結婚対象となりえない男性を除きすべての異性に対し身を覆わなければならないことを命じている。

「成人に達した女性は、ここを除きどの部分も見られてはならない、と言って預言者は顔と手を示された。」

というハディースもある(アル=バイハキーの伝える伝承)。


女性の性的魅力は夫に対してのみ発揮させるべきなのである。

妻は夫のために身を飾り、夫も妻のために装う。一体これが「抑圧」だろうか。

 誤解されていることが多いので補足すれば、体を隠さなければならないのはなにも女性に限らない。隠すべきとされる部分は異なるが、男性も「恥部」、すなわち臍から下、膝から上は隠さなければならない。アラブの男性の民族衣装がタプッとした上着であるのも、男性の象徴をあからさまに誇示しないためだろう。


 また、秘所を隠さなければならないのは、異性の他人に対してだけではない。
女性同士、男性同士でも秘所は隠しあわなければならず、それは親子といえどもかわりない。これは別に裸体(肉体)を卑しいもの、汚れたものとみなしているということではなく、「羞恥」という非常に人間的な、文化的な感情を尊重するためであろう。

『信仰する者よ、おまえたちの右手の所有する者と身内の未成年者には3つの時間には(部屋に)入る許しを求めさせよ。暁の礼拝前、真昼に脱衣している時、夜の礼拝後、おまえたちが素肌でいる3つの時間である。…』(第24章[御光]58節)、

「あなたがたの誰でも妻のところに行くときには恥部に注意しなさい。服を脱ぎ捨て猿のように素裸になるべきではありません。」(イブン・マージャの伝える伝承)、

「男は誰も裸の男を見てはならず、女は誰も裸の女を見てはなりません。」(ムスリムの伝える伝承)


 この「恥の心」、これこそが人間を人間らしくするものだ。

海辺でビキニ姿になる女性がなぜ同じ格好で町の中を歩かないのか。

人間の裸体が自然のものならなぜ服を脱ぎ捨てないのか。

モラルを信じられなくなった現代人は、羞恥心を習慣によって受け継いだ無意味な感情とみなし、無理やりにもそれをはぎ捨てようとし、我も我もと裸に近い格好を晒すようになった。そしてそれを「解放」だと勘違いしている。

 話を結婚に戻すと、自分で結婚相手を見つけなければならない今日の女性は、不特定多数の男性に対し、自分の性的魅力をアピールし、いわば「商品」として売り込まなければならない。そのため、若い未婚女性は自分の容姿にひたすら心を砕き、鼻が低いの、目が小さいの、髪が強いの、足が太いのに小さな胸を痛めなければならない。外見に自分という人間の評価が集約されるかのような有り様だ。


 自己アピールのための美の追求はともかく、最近の女性は娼婦とまごうばかりの露出度の高い格好をしている。

彼女たちにそこまで己の「女性性」をアピールさせているのはなにか。女として特別扱いされることを嫌い、あらゆる分野において男並みの働きをする女性が増えている一方で、「私は女よ」となぜあれほどまでに声高く彼女たちは主張しなければならないのか。

女性の身体的特徴をあのように強調するのは、貞淑さを要求され、性的魅力を包み隠さなければならなかった過去の倫理観から解放され、自分の肉体を取り戻した彼女たちの凱旋の表現だろうか。

女性があのように自分の体をオブジェ化して男の眼前に晒すのは、むしろ女性性の疎外に苦しむ彼女たちの無意識の叫びのような気がしてならない。「どうか私を女と認めて」という悲痛な叫び声が聞こえて来るような気がする。


 いずれにせよ、(人間としての)内面よりも(女性としての)外見が評価される今日の風潮の根底に女性差別がないといえないことは確かだ。むしろヒジャーブによって女性的部分を隠したムスリマの方が、ずっと「人間として」男性と向き合っている。

イスラーム世界では、女性が「職場の花」を演じさせられたり、「お茶くみ、コピー取り」といった男性社員の補助に回されることはない。

かわいい子ぶって愛想笑いする必要もなく、新車の横に裸同然の格好で立たされることもない。どちらの 方が女性を尊重しているか、一見して明らかではないか。


 男と女の間に一線を引くイスラーム世界では、男の世界と女の世界がはっきり分かれている。

男性が社会の中心にあり、女性が片隅に追いやられているのではなく、2つの別の世界を構成しているのだ。


「男は仕事に、女は家庭に」、

これがイスラームにおける原則的な男女の役割分担だが、それは女性に活動の場が奪われていることを意味しない。

今日は「専業主婦」という立場がずいぶん低く評価され、出産によってやむなく退職した女性が、まるで夫の付属物になってしまったようなあせりと 、社会から取り残されたような孤立感を味わう、という話はよく耳にする話である。

確かに小さなアパートで外との接触もなく一日中子供を相手に明け暮れていれば、「一体私の人生って何」という気持ちになってくるのもわからないではない。しかし、自己の実現のためにはなにも収入を伴う仕事に従事する必要はないのである。

職場において自分にしかできない仕事のできる女性は多くないだろうが、家庭では自分にしか果たせない妻として母としての役割を果たすことができるし、生活の心配が ない分、儲けぬきで人の役に立つ社会福祉活動に心置きなく従事できる。

若い専業主婦が自分の居場所を見いだせないのは、女性の世界がないからだろう。

イスラームにおいて女性は家族、親類、隣人といった横の関係をつなぐ核として欠かせない役割を果たす。

今日、高齢化社会の到来と共に老人福祉の問題が深刻化しているが、こうした分野にこそ女性の力は発揮されるべきではないか。主婦は人と人の繋がりを結ぶ重要な分子の役割を果たすべきなのである。そして、そうした主婦の労働はもっ ともっと社会的に高く評価されなければならない。

近年日本でも主婦のボランティア活動がずいぶん盛んになってきたようだが、女性の力はこの方向で生かされるべきだろう。男たちが取り込まれた資本主義能率主義の賃金労働システムの中に女まで無理やり参入する必要はまったくないのである。

 ヒジャーブに関して補足すれば、信仰あるムスリマ(女性イスラーム教徒)は「信仰の証し」であるヒジャーブを誇りにこそ思え、抑圧の印だとはわずかにも思っていない。

体のラインを隠すゆったりした上衣は、今日の若い女性が死ぬほど胸を痛める身体的コンプレックスを覆い隠してくれるし、サウディアラビアや原理主義者と呼ばれる女性たちが着る全身をすっぽり覆う黒衣になると、貧富の差や年齢までも隠してくれる。

媚を振って歩く必要もなければ、「女らしい」座り方をする必要もない。
 

服を着ていようといまいと、壇の上だろうと路上だろうと、程度の違いこそあれ「性を商品化する視線」は今の社会の至る所にあるし、どんなにフェミニストたちがいきり立っても決してなくならないだろう。

そうした視線から女性を守れるのはヒジャーブしかない。蜂蜜の皿に蓋もせず外に晒しておきながら、寄って来る蝿に「いまいましい」と苛立つのは愚かしいことだ。
 

イスラーム教徒の女性が「ヴェールを脱ぎ捨てて解放される日」は決して来ないだろう。女性の真の解放の鍵はむしろヒジャーブにある。

現にヴェール回帰現象は高等教育を受けた若い女性を中心に急速に広がっている。そして西欧でも現代の西欧型女性像を究極の女性像としてイスラーム圏の女性に押し付けることの間違いにそろそろ気づき始めたようだ。

ハビーバ中田香織 「アッサラーム」第65、66号掲載
http://www.way-to-allah.com/jp/topics/scarf1.html


イスラム社会における男女関係

次にイスラム教における男女関係について見てみましょう。

イスラム社会における男女関係は非常に特徴的です。その特徴と背景に迫ってみます。

性に対する肯定性

女性が身につけるベールのイメージから、イスラム社会は性(特に女性)に「否定的」な社会と言うイメージがありますが、実態は大きく違い、性に「肯定的」な社会です。

キリスト教では「性」は「罪」とされ、禁欲を美としていますが、イスラム教では開祖ムハンマド自身が、禁欲や去勢を戒めたと言われ、コーランの中にも性に関する内容が多数登場します。

るいネット 〜「性」に肯定的なイスラム教
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=241130


(上記リンクにも記載がありますが、ムハンマドは天国では一日100人の処女とセックスが出来るとも述べています・・・)

上記引用文でもあるように、イスラム教では「性」を単なる生殖行為として捉えるのではなく、重要な充足源と捉えていると言えます。この点が、ユダヤ教・キリスト教と大きく異なっている点です。


性闘争を抑制する「ヒジャーブ」

先述したように、イスラム教は性に対して「肯定的」である一方で、女性は全身を覆い隠す「ヒジャーブ」(所謂ヴェールのこと)をまとい、身内以外の男女の接触は制限されています。


(目だけしか見えないヒジャーブの一種ブルカ)


コーランの中で、「女性は顔と手意外を隠し、近親者意外には目立たないようにしなければならない」と記述されている為に、イスラム社会の女性は例外なく身体を隠すヒジャーブを身にまといます。(実はヒジャーブにもバリエーションがあります。ロンドンオリンピックのイスラム女性選手の服装でも話題になりましたね)


(ロンドンオリンピックのイスラム選手)


西欧社会からは、ヒジャーブは女性抑圧の象徴と捉えられることが多いですが、イスラム教徒はヒジャーブを「信仰の証」として誇りに思い、抑圧の象徴とは全く考えていないとのことです。

(ヒジャーブを中止する社会的運動は全く起きていない)むしろ、それを身につけることで、「性を商品化する視線」にさらされず、安心感を得られるとの意見もあります。(イスラミック・センター ジャパン)


ヒジャーブが設けられた背景としては、コーランの中で、

「預言者よ、おまえの妻たち、娘たち、また信者の女たちに言え。長衣を纏うようにと。そうすれば見分けがつきやすく、危害を加えられることがないであろう」

との記載があり、略奪・性闘争の抑制を意図して設けられたものであったと考えられます。

(国によって差はありますが)イスラム圏では、イスラム教徒による性犯罪はほとんどなく、ヒジャーブによる性闘争・性的自我の抑制が、社会秩序・社会規範を維持することに繋がっていると言えるでしょう。

(なお、一般的にヒジャーブの下はセクシーなランジェリーを身につけることが多いらしく、イスラム圏のスーク(バザール)にはランジェリーショップが非常に多いらしい・・・集団の外では性は隠し、集団の中では性を全開にすると言うことでしょうか。。)


(シリアのスーク ランジェリーショップ)


婚姻規範・婚姻様式

イスラム社会では、身内以外の男女の接触は制限されている為に、未婚男女の自由交際は基本的にありえず、ほとんどの場合が見合い婚となり、結婚契約を取り交わすのは女側の父親と夫になる男の間と決められています。ただし決定権は女性にあり、

「既婚の女性はその意向を尋ねてからでなければ嫁がせてはならず、また処女はその同意を得てからでなければ嫁がせてはならない。」

とされています。


なお、コーランによるイスラム法の下では、男性は4人まで妻を娶ることができるとされており、典型的な父権一夫多妻社会です。

(ただし、決定権が女性にある点に、かつての母権社会の名残が見受けられる。また、男性は正当な理由があれば、5人以上の妻をもつことも可。ムハンマドに至っては、16人の妻と4人の妾、その他に2人の女性と関係を有していたと言う。)

一方で、同じくコーランにおいて、夫は妻を保護し扶助を与える義務があり、それぞれの妻に差異を設けることは許されないとされており、条件をみたせないときは複数の妻を娶るべきではないとされています。(このような場合、一夫一妻が推奨され、財力的な問題で現実的には一夫一切が多いが、一方で一夫一妻制は「不自然な姿」とも考えられている)

イスラムの一夫多妻は、男の好色を満たすために複数の女性を囲うハーレムの誤ったイメージばかりが先行し、西欧キリスト教社会からは女性差別の象徴と見なされることが多いですが、その実態は上記のように決して「男に都合のいいシステムではない」ことが解ります。

イスラム社会が一夫多妻になった背景には、戦争下で寡婦となった女性の経済的扶助の目的と、戦争など一時的に男女間の人口不均衡が起こった際でも、女性が結婚し、子供を産むことで社会的再生産を進めることができるようにとの目的があったと考えられています。


男女の役割規範

イスラム社会では、「男は仕事に、女は家庭(集団)に」と、男の世界と女の世界が明確に分けられていますが、男が社会の中心にあり、女性が家庭と言う片隅に追いやられていると捉えるのではなく、二つの別の世界を構成していると捉えられています。

女の世界である「家庭」とは閉じられた社会ではなく、「家族・親類・隣人」と言った横の関係をつなぐ核として欠かせない役割を果たすと考えられており、その中に女性の重要な(充足)役割があると考えられています。(この意識には、かつての母権集団の名残が見られます。)

イスラム教では男と女は異なるもので、それぞれに義務があるとされます。教義において、夫は妻に対しリーダーシップを負い、男は女の擁護者とされるため、西欧的フェミニズムからは女性差別・蔑視であると指摘されることが多いですが、女に対する男の権威意識ではなく、集団規範・男女役割規範に基づいた意識であると言うのが正確と言えます。


■まとめ

さて、以上イスラム教世界とその男女関係について見てきましたが、こうやって見てくると我々のイスラム教世界に対するイメージ(特に女性が抑圧されていると言うイメージや排他的宗教観)が随分ずれていることが解ってきます。

我々が一般的にイスラム社会に描いているイメージは、全て西欧(=キリスト教)的視点から見たものであり、ヨーロッパがイスラム社会に対して抱いている偏見とコンプレックス(歴史を通して戦争でも技術でも文化でもヨーロッパ社会はイスラム社会に負けてきた)が、イスラム社会を正確に理解することを妨げているのであると思われます。

色眼鏡を通さずにその姿を捉えれば、「イスラムの観念体系や行動規範は全て集団原理・集団統合に根ざしている」と言え、、「イスラムとは(架空の)宗教観念と言うよりは、集団規範観念である」」ことが解ってきます。

それは、むやみな性闘争を抑制する為のヒジャーブの存在や、集団における男女役割規範、そして集団の活力源として性を捉える意識など、男女関係においても貫かれています。

集団を原点としたこれらの意識は、我々日本人の意識と極めて親近性が高いように感じられます。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2012/11/1120.html

それから、こっちがイスラム社会で今も実際にやっている事:


陰核切除 CLITORIDECTOMY
http://www.google.co.jp/search?q=CLITORIDECTOMY&hl=ja&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7DAJP&prmd=ivnsb&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=UAigTe_BFIa-vgO47oj0BA&ved=0CDYQsAQ&biw=972&bih=821


コートジボワール、少女たちを待ち受ける「悪習」
http://www.youtube.com/watch?v=b-tE3ZXdcp8&feature=related

Female Genital Mutilation (FGM)
http://www.liveleak.com/view?i=b6e_1248548199

FGM
http://www.youtube.com/watch?v=PS0UpDiAa1E

Clitojap
http://www.youtube.com/watch?v=EqGwI2jojcY&eurl=http%3A%2F%2Fja%2Eclitoraid%2Eorg%2Fnews%2Ephp

「陰核切除」 

女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。


「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。

従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。

一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。
http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html

FGMを行う理由

・処女性確保・性的自由の剥奪・性欲抑制・夫への配慮・結婚の条件

・恥と村八分の回避・誇り・美容・伝統の尊重・通過儀礼・・・

・ 処女性確保=陰部封鎖の場合、切開したり、ぼちぼち広げないとペニスは入らない。

・ 性欲抑制・性的自由の剥奪=痛みがある(快感はない)のでセックスしようとしない。陰部封鎖の場合は広げなければ自由にセックスできない。

・ 夫への配慮=セックスが夫だけの快感となるために施術する。

・ 結婚の条件=夫だけのための女と認められる。

・ 恥と村八分の回避=部族への帰属心が求められている。

・ 誇り=痛みに耐えしきたりに従った自信。

・ 美容=黒っぽくなる所を取るので、きれいになると思われている。

・ 伝統の尊重=2000年以上に渡って続けられてきた。

・ 通過儀礼=痛みに耐えることが、大人の条件


 女性が男性より強いと思われ、男が性的コンプレックスを持っていることがFGMを継続させているのだと内海夏子さんもその著書で述べている。

つまり、FGMは、自信のない男が、強いと思われている女より優位に立つために、女を傷付ける風習なのかもしれない。問題なのは、女の地位があまりにも低いために、人間としての付加価値を求めて女自身がFGMを積極的に継続させていることにある。

http://yoshiko2.web.fc2.com/fgm.html


陰核切除が良い事だと見做された理由


96 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/02/21 03:23

女の場合、外性器(クリトリスなど)を刺激することによって性的快感を得ることを覚えてしまうと、膣への挿入行為にまで至らずに本来の生殖行為が妨げられてしまう。

だから純粋に子作りに集中させるために外性器を切り取ってしまおうというのが、 女子割礼の基本的な考え方らしい。

617 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/28 22:33

世界的にはFGMとして、十把一絡げにされて非難の対象になっているけれど、結局、女子の割礼をする理由ってのは、それぞれの集団の事情によるのではないかな?

たとえば、エジプトでは、女子の性欲を抑えることは当然第一の目的として、あの国では、成人女性は皆、陰毛を剃るでしょ?
やっぱ、毛のない割れ目のてっぺんに肉の突起があるのはグロテスクに見えると思うな。
ブサイクだから取ってしまう、というのが第2の理由なのでは?


また、ペルーの奥地あたりでも思春期の女の子のクリトリスを取る習慣があるらしいけど、 こんなこと地理的にも、どこか他からわざわざ持ち込まれるはずはないわけで、自然発生的に、「これは取ってしまおう」ということになったのだと思う。


それと、アフリカ関係の本で読んだけど、女子割礼が普通に行われている集団では、男は、「女の股間にイチモツが有るのを見たら、勃つモノも立たない」そうです。 女の股間にクリを見たら、即、勃起する我々とは大違いです。

その感覚って、日本人に例えると、「女だとばっかり思っていたオカマのホステスのちんちんを見てしまった」幻滅感みたいなものなのでしょうか?


622 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/31 00:16

さっきまた、ドイツ人の女の子からチャットが。
タイでも10パーセントの女性は切除されているという話でした。
なんでも、タイの子供用の施設の中で切られているとか。
性欲のコントロールのためか何かで。

626 名前: 名無し調教中。 投稿日: 02/12/31 19:28

オレも聞いたことある。 将来売春婦にならないように防止の意味で陰核、小陰唇を切除するらしい。 施設でいるためには割礼を受けるしかないようだ。

しかし施設でいれる少女はまだ幸せな方らしい。
路上生活してる少女たちは強姦や人身売買の危険と飢えに苦しんでるそうだ。

少し前、日本テレビか何かのニュースで特集してた記憶がある。

629 名前: 名無し調教中。 投稿日: 03/01/01 03:31

番組名は忘れたがニュースの特集なので10分くらいだったと思う。

タイの身寄りのない子供が入る施設に男の医者が来て施設内のホールのような部屋で割礼してた。 女の子をベッドに仰向けにして看護婦らしき女性が2人で片足づつを持って股を開き上半身を私服の男性が抑えつけてた。(たぶん施設の職員)

局部を消毒したあと医療用のハサミで切除してた。
ハサミで切るたびにパチンパチンという音がしてたと思う。
もちモザイクしてたけどイメージは大体わかった。
麻酔したかどうかは不明。

割礼されてる女の子の顔が一瞬アップになったけど目に涙をためて我慢してた。
目が大きな可愛い娘だった。

VTRが終わったあと女性キャスターが取材担当の女性記者に「割礼とは具体的にどのような処置をするのですか?」 みたいに聞くと「一般的には陰核と小陰唇を切除することです」と女性記者が真面目に答えていた。

この番組は少女への割礼は人権問題だと非難していた。

633 名前: 名無し調教中。 投稿日: 03/01/01 20:31


2 女の子の年格好は?

10歳くらいの娘で下半身のみ裸にされてた。
他にも数人の娘がこの日に割礼を受けたと言ってたような気がする。


3 切るときの音は本当にパチンパチン?

どう表現したらいいかわからないがマウスをクリックするような感じの音だった。 ばねが弾けるような感じの音だったかもしれない。


少女たちには事前の説明をせずに割礼するらしい。

おそらく何の処置なのかわからないまま性器の痛みに耐えて、後で性器を見たら陰核と小陰唇がなくなっているのに気付くのだと思う。

20代くらいの女性職員がインタビューを受けてて、その女性もこの施設の出身で
入所した時に割礼を受けたと言ってて、割礼の有効性を主張してた。 しかし担当記者の報告では割礼を受けてても施設出所後に生活苦から売春に走る娘が多いらしい。

http://pink.bbspink.com/sm/kako/1010/10104/1010499056.html

早い話が、無割礼の女性は安いからです。

一部の途上国での妻の立場とは先進国の愛情を注がれるような生活ではなくて、使い勝手の良い労働者なので、それなら健康な女性であれば誰でも良かろうにと思うのですが、ひとつの理由に宗教上の処女崇拝などが根深いというのもあるらしいのです。

無割礼ですと貞操が守られることはないだろうし、親が娘を嫁がせる時に夫側から受け取る金品類も減って商品価値が下がるのではないでしょうかね?

http://ekura.blog.so-net.ne.jp/2009-07-10


62. 名無し調教中。 05/03/12 16:48:38

割礼は国際的にフェミ団体を中心に批判されているが、当事国の女たちは自ら進んで割礼を希望している。

それは、いい男と結婚したいからだ。

先進国で女が男を引きつける為にする美容整形と同じ意味合いもある。 美容整形のように皮を剥ぎ、骨を削る手術シーンの方が遥かに酷いだろう。

宗教的伝統儀式から生まれた割礼だが、現状では女としての価値を高める意味合いがつよい。

割礼をする国の男性は女性器の小陰唇がグロいという認識がある。
キレイな性器の女と結婚したいというのは万国共通だ。

ある日、日本に海外の団体がやってきて美容整形は女性差別なので直ちに禁止しろと言われたらどう思う?
割礼を禁止するよりも、まっとうな医師の元で安全に行なえるように指導と援助するのが正しいであろう。 異国の伝統と文化を否定する権利は誰にもないはずである。


83. 名無し調教中。 2005/03/24(木) 11:29:08

アマゾンのある部族の女子は初潮を迎えると、大陰唇の両側の縁を傷つけ左右を癒着させてしまう。尿と経血の出口である小さな穴だけを残す。

結婚式の初夜、新郎がハサミまたはナイフで切り開くのである。

またある裸族の習慣では、

女性は大陰唇に一対一列のピアス穴をあけ紐を通して陰裂を縫い合わせている。
この紐は、めでたい席では赤、葬式などでは黒、普段は白と決まっている。
この紐は貞操帯の役割をもはたし夫だけがほどくことが許され、陰部を洗う場合でも妻が自分でほどくことは許されないし、紐のつけはずしも陰部の洗浄も夫の役目であり、女性は自分の陰部に触ることも許されない。

結婚とは陰部の所有権・使用権を夫に明け渡すことなのである。


186. 名無し調教中。 2005/06/24(金) 12:59:35 ID:k1TOEymO

陰核、小陰唇切除のメリット

1.ヒステリーを起さなくなる。
2.自慰防止効果。
3.衛生状態の改善。
4.貞操観念の向上。
5.外性器の美観向上。

187. 名無し調教中。 2005/06/24(金) 14:29:42 ID:UdVjm00Q

ネタだとは思うが、たまに真性馬鹿がいて本気で言ってることがあるので
>>186を訂正しておく。

1、ヒステリー=子宮なんで昔は子宮摘出なんて馬鹿もやってた。
アリストテレスの頃からの迷信がベース。子宮がない男もヒステリーになる。まあ、たまに摘出手術のストレスで塞ぎこんで大人しくなったのを快方に向かったことにしちゃってた
んだな。


2、自慰が心身の健康に良いのは実証済み。まあ、女性の自慰がタブーな地域じゃ
「うちの娘はオナニーしません。」と、嫁の品質保証にはなる。


3、衛生に関しては百害あって一利なし。健康な性器はとりあえず放って置いても健康に影響がない程度には清潔だ。トラウマから性器に触れるのを畏れて不衛生にして健康被害が出ることがある。メスを入れると感染しやすくなるのだ。


4、長くなるんで、「喜びの秘密」を読むべし。旦那とのセックスが痛いだけでは貞操とは言えまい。


5、クリトリス見ると萎えるって事はあるらしい。
もっとも、インターネット上で観音様見放題の時代なんで、北アフリカ地域でも割礼してない女性が歓迎される風潮は出てきた。特に都市部ではほぼナチュラルマンコ派が大勢を占めた。
地方から出てきた保守的な家族、あるいは女子割礼をイスラムの教義と混同する神学校教師の影響を受けた家庭。そんなところの娘が被害にあうことになる。
もちろん、テレビもラジオもない地方では何の変化もない。

188. 名無し調教中。 2005/06/25(土) 00:34:05 ID:Jr2DdXCf
>>187
陰核とは男性的器官であり、陰核を切除することにより女は完全な女の体になれる。

女にとって性欲は弊害でしかなく、性感帯である陰核、小陰唇の切除は精神衛生的にも不可欠である。 女の性の乱れは社会、家族の崩壊に直結するからである。

陰核と小陰唇は性的快楽のためだけに存在するものであり、切除しても健康上の悪影響は一切ない。 割礼実施地域の女は、日本等の女と比較しても家族、子供を大切にし、貞操観念もしっかりしており夫を裏切らない。

それは陰核のない完全な女の体と精神を持っているからである

964. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 01:57:06 ID:zzWVwTRr

数年前出た「女子割礼」ていう新書読んでたら、割礼廃絶の動きが活発化する中、割礼やらずに済んだのに、大学生や大人になってからわざわざ割礼受けにくる女性が後を絶たないのだとか。 やっぱり成人してからの女子割礼も珍しくないんだね。

最近増えてるだけかもしれないが、背景には、やるべき部族の伝統を守らなかった後ろめたさがあるらしい。

966. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 03:06:13 ID:zzWVwTRr

命に影響しないなら、あとは痛みに耐えるかどうかの問題で、みんな頑張ったのにさぼった卑怯者みたいな扱いになり兼ねないし。 まあ、出身コミュニティにおいては成人扱いされないし、はっきり言って差別の対象でしょう。 兵役逃れした成人男子みたいなものか。

972. 名無し調教中。 2006/12/15(金) 16:20:59 ID:7IFxs/KV

割礼じゃないんだが起源が比較的明確な纏足の例で考えるとな。
纏足ってもともと唐の時代に胡姫(金髪おねえちゃん)がダンスをするときに足をきつく布で縛ったのを真似したわけだ。最初はちょっと前に流行った上げ底ブーツみたいなお洒落だったわけね。 ところが、時代が下ってそれが女のたしなみになってくると事情は変ってくる。

個人的に足を小さく見せる方法を工夫したのが親が娘にたしなみとして教えるようになり専門にそれを職業にする人も出るわけだ。歯止めが利かなくなり、幼児の足を縛って骨を折るなんてことになるわけだね。そうなると男の方の嗜好も変って、よたよたと危なっかしく歩く姿に萌えるなんてことになる。金蓮歩なんて言葉ができるのは宋になってから。

女子割礼も最初は似たようなもんだったんじゃないかね。今の日本で言うボディーピアスかなんか。

http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/

女子割礼と文化摩擦


 「フランス,女子割礼に有罪」という記事が新聞の社会面(2月28日付『朝日新聞』)に載った。フランスに住むアフリカ系女性28人が,娘に割礼を施したとして禁固2〜5年の判決を受けたのだ。

 米国でも最近,ナイジェリアからの移住者の母親が,娘に自分で割礼を施して傷害罪で訴えられるなど,同じような事件がつづいている。アフリカからの移住者団体は「割礼は伝統であり,欧米の批判は文化的な帝国主義だ」と主張,それに反対する人権擁護団体との間で激しい論争が続いている。まさに「文明の衝突」である。米国の女性保護団体の調査ては,女性割礼か行われているのは世界で28カ国に及び,1億2000万人か受けているとも推定される。女性会議のたびに反対決議か採択されるが,現在でも毎年200万人が新たに受けているという。

 女性の割礼には,大きく分けて3種類ある。もっとも多いのは「クリトリス切除」だ。クリトリスだけをえぐり取ってしまうのが普通だが,同時に小陰唇や膣口の周辺を切り取ることもある。クリトリスの先と包皮を切り取る「スンナ割礼」は,中東で行われるが数はあまり多くないとされる。

 そして,拷問以外の何ものでもないとされるのが,「ファラオ式割礼」である。エジプト南部のヌビア地方からスーダンやエチオピアにかけては,ほとんどこの方法だ。クリトリスから大陰唇,小陰唇を切り取って外陰部の両側を閉じて癒着させる。閉じるのには羊の腸線を使ったり,樹脂などでノリ付けにする。このときに尿や生理の血が通るように,木切れを差し込んで小さな穴をつくる。完全に癒着するまで数週間,腰から両足にかけてしばって固定する。

 大都市では,欧米で教育を受けた医師が近代的な手術をする場合もあるが,通常は村の年長の女性,長老,鍛冶屋などが,消毒もしていないナイフやカミソリで行う。対象は,7歳から10歳ほどの子どもだ。最近ではさらに低年齢化する傾向にある。「ファラオ式割礼」は,原始キリスト教のコプト教徒に多いが,カトリック,プロテスタント,イスラム,アミニズムなどのあらゆる宗教,階層,民族を超えて,伝統的習慣として行われている。私たちからみれば野蛮な行為だが,社会に深く根を下ろして現地では議論の対象にすらならない。

 手術のとき破傷風などの感染症で死んだり,切除の痛みで舌をかみ切って死ぬこともある。尿道や肛門の括約筋までが傷つけられて障害が残る例さえ少なくない。出産のときも産道が萎縮して赤ちゃんがうまく出てこなかつたり,会陰部が大きく裂けて多量の出血が起きたりする。アフリカで出産時の母子の死亡率がきわめて高いのは,割礼も原因だ。

 表向きの目的は「女性をレイブから守るため」というが,現実には男性の処女崇拝や女性器支配,さらには女性の性感を奪うことにある。割礼を受けないと売春婦扱いされたり,結婚のときに「欠陥品とされて親に婚資(男性が花嫁の父親に支払う財産や労働)が支払われなかったりする。それを恐れる親が娘に強いることになる。割礼はアフリカなどで女性の置かれた立場の象徴でもある。現実に,途上国の農村の多くでは,女性が農作業,炊事,洗濯,育児などの労働の大部分を担わされている。

 このために,女性の社会的地位の向上が開発途上国の発展の力になる,とする意見が世界的に強まっている。女性の地位の向上は割礼の廃止からということで,国際的な関心も高まつているのだ。

 

女子割礼の実態とその詳細

解剖学 では、具体的に女子割礼とはどのようなものであるか見てみよう。女子割礼には大きく三つに分けられる。(引用「女子割礼」フラン・P・ホスケン)


Types of Female Genital Mutilation
http://www.wunrn.com/news/2007/11_07/11_05_07/110507_female.htm

一、 スンナ割礼
   クリトリスの包皮と先(もっとも柔らかい部分)の除去。この高度な技術を要する   手術はの知識を持たず、粗製の道具を使い、周囲の状況が悪くてもアフリカや   中東でみごとに行なわれる。


二、 切除/クリトリス切除
   クリトリスと下陰部、そして時々外側の生殖器全部を含む外側の隣接部分の除   去。地域によって膣がさらに切られる。(出産を楽にするためであるが逆に困難   にすることも事実である。この方法が一番よく行なわれる。


三、 陰部封鎖(ファラオニック割礼)
   クリトリスと大陰唇と小陰唇を除去した後、外陰部の両側を膣の上で閉じる。こ   れは出血する大陰唇の両側をとげや腸線、あるいは粘着性の練り物で留めら   れる。尿が出るように木切れをさし込んで小さな穴をつくる。それから子供の両   足をしっかり縛って数週間、すなわち傷が治るまで固定する。

   
このような手術がどのように行なわれるかというと非常に杜撰な方法を取られる。執刀者は主に老女、伝統的出産付き添い人であり、現代では病院や助産婦(ダーヤ)によって行なわれる。手術といっても用いられる道具は主に特別なナイフやカミソリの刃などの手に入る鋭い器具である。無菌法は知られていないので、少女は手術後合併症などで死ぬケースもある。

儀式に乗っ取って行なわれる場合、木の下や小屋の床などで行なわれ西アフリカでは、泥や灰などが出血をとめるために用いられ、麻酔薬も使用されないため、少女たちの痛みは計り知れないであろう。これらの儀式は、クリトリス切除は伝統的に成年に達した儀式として行なわれるが、最近ではもっと幼い子供たちに行なわれる。陰部封鎖は4才から8才の少女に行なわれ、こちらも若年化が進んでいる。生後数日の赤ん坊に行なわれている場合もあるのだ。

 歴史的に見てこの女子割礼は2千年もの間、赤道沿いの広い地域のアフリカや諸国で行なわれてきた。アフリカの人口増加に伴い、以前より多くの子供たちが手術を施されている。最近の動向では、西アフリカの指導者や、ケニアで生殖切除を禁止しているもののその後、禁止がまったく履行されていないのは悲しむべきことである。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kuribou/katurei.htm

28 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 01/09/03 06:27 ID:RhdwwuWs

「FGM トーゴ共和国、チャンバ族・コスントゥ族など部族の例」

性器を全て切り取ったうえで外性器を縫って塞いでしまう。

本格的な手術とかではなく、かみそりかナイフを使用して4人の女の人が娘の脚を広げて押さえつけ女の部分をそぎ取るのである。その後は止血のため薬草をあてがわれ、両足を腰からひざの所までを結わえられたまま40日間傷が癒えるのを待つ。その間娘はベットで過ごし肉親が用を足すのを手伝い傷の癒え具合を確認する。その期間は誰とも会うことが出来ない。

だいたい15歳くらいに行われて、結婚する前までには行われ、1人前の女として認められる。

もちろんそんなやり方なので、破傷風や出血多量などで死に至る人もいるがこの慣習を信じる人達は、施術を行わないと恐ろしいことが起きると信じられていて、施術自体が死にいたらしめたとは思っていない。

ちなみに、FGMのやり方は部族によってちょっとずつ違うので、他にもいろんなやり方がある。


32 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 01/09/03 23:25 ID:8pYJI9Z6

FGMの手法は大きく分けて三つある。

1、 クリの切除
2、 クリと小陰唇を全部そぎ取る
3、 クリと小陰唇をそぎ取った後、尿や生理を通す穴を残して大陰唇を縫い合わせる。


28で紹介したのは、3の例だろう。

この場合初夜に夫が癒着した大陰唇を切りひらいて事に及ぶので、この場合のFGMは嫁にした女が100%処女だいう女の実家側の「品質保証」でもあると言える。

むろんされる女はいやだろうが、これをしないと嫁に行けないそうだ。

http://www2.bbspink.com/sm/kako/999/999014200.html

『砂漠の女ディリー』


著者は、世界的トップモデルだったソマリアの遊牧民出身のワリス・ディリー。
本は、彼女の自叙伝。その中で、彼女が受けた女性器切除について詳しく書かれている。

まだ5歳の子供だった頃、ワリスは早く大人の仲間入りをしたいと親に頼んだ。
当日、砂漠からベドウィンの老女がやってくる。そしてワリスは岩の上に仰向けにされる。母親に押さえつけられて、老婆がワリスの足の間に座り鞄から何かを取りだす。

それは歯が欠けたカミソリ。カミソリは使いまわしで、血が付いている。
老婆は血が付いたカミソリに唾をつけ、ワリスの股間に手を伸ばす。

そして歯がボロボロのカミソリで、のこぎりのように女性器を深く切除する。
そしてトゲで穴をあけ、その穴に糸を通して縫い付ける。

切除のときも激痛に失神したが、トゲで穴を空けるときはもっと痛くこのまま殺してくれーー!って思ったと。 この一連の作業は、麻酔などもちろんなし。

生きていた彼女はまだ幸運で、多くの女性が出血多量や感染症、破傷風にかかって死亡するという。その一連の作業で死亡した女性のことを家族や誰も口にしない。元々その女性が、この世に存在していなかったように・・・

この女性器切除、国、地域、部族によって切除部分が違うらしい。
一番軽いのは、陰核切除。(軽いと言っていいものだか・・・)
ソマリアの場合は、全部切除するらしい。
そして、切除だけじゃなく、縫い付けて結合させるらしい!

フォーラムでも、「縫い付ける」とは言ってたけど、私には意味がわからなかった。縫い付けるって、どこをどう縫い付けるの??

ワリスの場合は、縫い付けられた女性器の部分はまっ平らだったという。

縫い付けるときは、2つの小さな穴だけを残す。その2つの穴とは、小便と経血の穴。その穴が、後々女性を苦しめることとなる。

結合のため、小便や経血はせき止められ、小便は全部出すまで10分もかかるらしい。生理の時は、生理痛がひどくて、何度も失神するらしい。生理が終わるのにも10日を要するらしい。 1カ月のうちの10日間、女性は酷い酷い生理痛に苦しめられる。

女性は元気そうにしていても、年齢や個人差はあるけど、生理の時はほんとうに苦しい。若い時など1日中動けず寝込むこともある。それはたいてい1日や2日だったりする。でも、女性器を縫い付けられた女性は、そんな苦しさを10日間も味わわなくてはならない。しかも毎月・・・

もう想像しただけで恐ろしすぎる・・・


このような女子割礼ともいわれている女性器切除は、アフリカだけではなく、アジアのイスラム国もで行われてるらしい。そして、ヨーロッパやアメリカに移住したアフリカ系の人たちは、そのままその習慣を持ちこみ今では、欧米諸国でも行われていて、地域で見ると広がっているという。

で、なぜそのような恐ろしい習慣が続いているのかというと、いろんな説があるけど、


結婚した時、処女であるという証のため、

女性の性の喜びを強制的に排除してしまうため、

男性優位社会で、男性が女性を押さえつけるため、


などなどだそうだ。 

ソマリアでは、女性は割礼をしてないと、お嫁に行けないらしい。
割礼していないと、家族、一族の恥だという。

これは、「親の役目で、子供を結婚させるためにしなければならないこと」と、何千年にわたり思い込まれている習慣。

女性は、そのことを誰にも言わない。そして、女性たちは、世界の他のどの女性も同じようにしていると思っている。だからあえて言うことでもないし、酷い生理痛であろうが耐えてしまうという。

出産のときも、女性器が結合されていることで、赤ん坊も出てこれず、
母子ともに出産時に死亡することも多い。

女性器を切除された女性は、そのことで一生苦しめられることになる。これは伝統文化というたぐいではないと思う。

フォーラムで、このようなことが行われている国が色分けされていて、
エジプトも多く行われていることに私は驚いた。
分布図はこちら『FGM Map』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Fgm_map.gif#filehistory

本では、エジプト人女性も多く結合されていると書かれていて、ヨーロッパなどで結合されている部分を開く手術を受ける人もいるとあった。

http://kaoridon.blog68.fc2.com/blog-entry-1167.html

20 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

生殖器の部分的切断を割礼という。
場合によっては段世紀包皮の環状切開以外に包皮全体の切除や尿道の切開なども含む。

21 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

一番ひどいのになると、外陰部(大陰唇、小陰唇、陰核)を全部切除、挙句に小さな穴をのこしただけで縫い合わせてしまう。

対象は小さな女の子で当然ながら消毒も麻酔もない手術だけでショック死する子も多い。 手術後に感染症をおこして死ぬ子とあわせて40%に達するとか聞いたことがある。

傷がいえた後も小便さえもままならない、一回の小便に2時間もかかるようなとんでもない体になってしまうこともある。

結婚すると縫い合わせた陰部を夫がナイフで切りさいて性生活をする。 長期にわたり家をあけるようなときはまた縫い合わせてしまう。

中央アフリカの多くの女性はこのような生活を強いられている。アメリカに移民したブラックアフリカ系の女達もいまだこんなことをしているのが数万人いるとか・・・

24 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 23:29

>21
陰唇を切除すると、縫い合わせられないんじゃないの?
仮に縫えたとしても尿道口とは関係ない。 つまり、

1、陰核の切除
2、外陰部の完全切除
3、女性器の縫合

はヴァリエーションとして分けたほうがいい。 1と3は並存可能だが。


25 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:08

>>24は何が勘違いしてると思われ。 切除したら縫合しなきゃならない。
アフリカでの女子割礼でいう陰唇切除ってのは事実上外陰部の完全切除(ファラオ式)をさしている。 だから尿道口もあけておく必要があるんだよ


26 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:41

>25
ややこしいな。
羊の腸線や,樹脂などで癒着させる。
と書いてくれ。

216. 名無し調教中。 2005/07/25(月) 15:36:22 ID:dQfsirh/

素直に運命を受け入れて痛みに耐えようと歯を食いしばるが、気絶してしまう子もいい。

一口に女子割礼といっても苦痛のレベルは様々
いちばん辛いのは、

陰核、小陰唇、大陰唇、膣口切除、膣拡大術、外陰部封鎖

これをぼろぼろの剃刀刃でえぐるように時間かけて施術

15 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/06/29(金) 01:25 ID:R0emiL.6

飲み屋のババアから、終戦直後のパンパン(ストリートガール)の「オサネ切り」リンチの話を聞いたことがあります。オサネ=クリトリスですね。

いくら言って聞かせても、ナワバリや掟を守らない女がいると、まずリンチでボコにする。それでも聞かないやつを、みんなで押さえつけて、クリトリスをちょん切ったそう。

慣れてる女がいて、包皮をつまんでキュッと上の方にしごくと、クリのあたまがプルッと出てくるのだそうです。 そこをカミソリでスパッと切ると、その瞬間、切断面からおしっこみたいに血がピュと出て、切られた女はほとんど失神、あるいは失神寸前の状態になるそうです。

これをやられた女は、娼婦としては使いものにならなくなるらしい。 お客がオサネのない女をいやがるとか言ってた。もちろん私生活のセックスも楽しめなくなって、つらい思いをするそうです。 ああ。こわ。


40 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/05(木) 05:29 ID:twOvt3ek

何年か前、東スポに「陰核切除」という見出しが踊っていた。しかも一面トップで。
オウムの麻原がかわいがっている何人かの女性幹部のクリトリスを切除する手術をやらせたって。 理由は浮気を恐れてのことだったとか。

だから石井久子とか、あと名前忘れたけど彼女たち、オウムでクリトリスちょん切られたんだね。 気の毒に。まあ東スポだけどね。

それにしても、その日はどの駅の売店でも「陰核切除」 コンビニでも「陰核切除」 日本全国「陰核切除」(w)

55 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 00:31 ID:O5ESLiJY

ガラス壜がいっぱい並んでいて、そこにホルマリン漬けのクリトリスが一個づつ入っていて、それぞれ名前が書いてあるの。「石井久子」とか「飯田エリ」とか。
ずらっと並んだクリたちの前で、ふんぞり返って四姉妹に陰茎を世話されているショーコー。

萌え................ないな。気色悪くなってきた。スマソ逝ってくる.....

58 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 05:29 ID:N.esd4nA

ところで、瓶詰めといや、ベトナム戦争時代の現代の奇談があるみたいね。

ベトコンだかへの拷問は熾烈きわめたけど、けっこう女のベトコンが一番しぶとかったみたいで、電気拷問とか、なにやっても口割らない。もちろんそのころには、クリなんて電気責めでこげてしまってるんだろうし。

んで、精神的恐怖ってことで、クリではないけど、女性の内外性器、つまり膣と子宮などを、処刑したベトコンから摘出して、ホルマリンずけにして、名前書いたビン詰めにして、棚にずらってならべて、新しい女囚を威圧した、ってどっかの英語サイトにのってたけど、似たり寄ったりだね。

顔写真もガラス容器のところに貼ってあるらしく、仲間のベトコン女兵士のなれの果てを見て、卒倒する女囚が後を絶たなかったそうで、その手の拷問が一番効果覿面だったらしい


61 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 01:53 ID:7/cHgX7s

>>58
ベトナムは酷かったみたいだね。
なにかの本で読んだが、乳飲み子を抱えた若い母親の両乳首を、ナイフで切り取ったり(フランス兵だと書いてあった)、 ペニス切り取られた男もたくさんいたそうだ。
クリトリスやラビアを切られた女もいたんじゃないかな。


62 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 05:36 ID:2CbJa/bU

戦時中のベルリンでは薄く剥ぎ取られた女性器そのものが見せしめに玄関に釘で貼り付けてあったそうだよ。


63 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 06:17 ID:7FPat022

日本でも今ある結構大きな宗教団体で陰核切除やってるよ
両親ともにその宗教に属してるとその子供にやるんだよ


66 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/14(土) 02:27 ID:FYVdZk7E

「ドイツの古代には、姦通したら女性器を切り取る刑罰があり、切った品物は女の家の門に釘づけにしたという。」

「大阪の千日前の刑場では、女の性器をえぐりとり、晒して民衆にみせた。」

以上 井上橘泉著「写真集 残虐の女刑史」(綜合図書)より

切り取られた自分の性器を、さらしものにされるのはどんな気分だろう。
怖いような、萌えるような。

77 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/18(水) 00:14 ID:OZoMEO/s

確かアフリカのクリ切断は、クリがあるせいで淫乱になるってゆう俗信かららしいけど、本当にクリを切断しちゃうと、ほかの性感帯で快感を得ようとしてかえって淫乱になってしまうらしいね。
皮肉なもんだ。


80 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/19(木) 05:30 ID:Ec7w5sPw

>>77
アフリカの女性器切除は有名ですが、19世紀はじめの欧米ではオナニーの治療として、クリトリスの切除手術をやっていました。

オナニー=罪悪という西欧キリスト教的価値観から来ているのでしょうが、もともと性欲の強い女性のクリを切り取るわけだから、その残酷さは、ある意味アフリカのより酷いかも、、、

88 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/23(月) 23:59 ID:ytmGckNw

BME じゃ あんまりにも 性欲が強い 女が.. クリトリスを先の細い半田ごてで内側から 焼き潰すってのをやったみたいよ 一度ならずも 二度も..

一度目は 焼く時間が短くて 感覚が残ったから.. 二度目は 5秒ぐらい焼いたらしい...

95 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/26(木) 21:20 ID:KAEscDwI

>>88
アメリカなどで自慰過多症の女に手術を施すとき、切断する前にまず硝酸銀などで焼いて感覚を麻痺させていたらしい。
それでも直らなければ初めてクリを切断したワケ。


99 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 03:42 ID:bSRjdmlM
>>95
自慰過多症の治療って、まさか本人が医者に相談して荒療治うけてたともおもえんから、それって子供なんだろうか? それにしても、その場合親に自慰過多賞が発覚して医者につれてかれるってことなんだろうけど、どうやって親に娘のオナニーがばれてたんだろうか?


100 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 22:36 ID:7vN9Rjsw
>>99
大人だよ
20世紀初めまでは男女とも自慰過多は廃人になっると信じられていた時代だった
本人が罪悪感に悩んで医者に行くケースや精神病患者の自慰が発見されるケースが手術の対象になった
精神病の男の場合は去勢されることも珍しくなかった

103 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/31(火) 00:14 ID:noxBRbE2
>>102
テキサス州の病院での3人の自慰過多病の男性患者(白人1人黒人2人)の去勢手術について「優生学の名のもとに」という本に出ていたよ。

105 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/08/02(木) 05:03 ID:gfUHaq9k

知り合いの女の人で、バイクの事故で、クリトリスと小陰唇を全部なくした人がいるそうです。
入院中はほとんど、切断した性器のことなんて頭になくて、もっと人目につく、顔や体の傷やアザが治るのかということの方が、切実だったそう。

でも退院してから、自分のうちのお風呂で自分の股間をひろげて見た時にショックを受けた。
クリもびらびらもなくなって、穴だけになった自分の性器が惨めで、その日は何時間も泣いたそうです。

再建手術もイヤで(医者や看護婦に見られるのがイヤとのこと)、結局その人、精神的にセックスできない状態になっちゃったそうです。

8 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/07/27(木) 01:24:23 ID:HhA5P4o20

調査した女性が居たが、「何もないカベを見ているようだ」って言ってたなぁ
クリ・小陰唇切り取り、大陰唇縫合・マッチ棒程の穴を残す、、、、


18 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/10/18(水) 15:34:41 ID:H7QVXylk0

女の欲はそれだけ底なしだから そういう風習ができたんじゃないかね
そこまでしなくてもと思うが…


139 :/名無しさん[1-30].jpg:2008/08/07(木) 15:50:51 ID:jmAtR7us0

アフリカはかなり男尊女卑だからな。
女は男の所有物なので、下手に性欲に目覚められたら気が気じゃない。
そんで、女が自分から欲しがらないようにクリを切除。

少し前まで(否、場所によっては今でも?)石の矢じりのようなもので長老等が少女の性器を切り取った。 そこから感染症を起こして亡くなる場合もあったそうだ。 あまりに女性の意思を無視した危険な習慣との事で、これを無くそうという運動団体もある。

http://www2.bbspink.com/sm/kako/993/993375254.html
http://unkar.org/r/ascii/1153582447

娘の女性器を切除をさせないため米へ亡命 妻に浮気させないため…アフリカで毎日8000人切除


1 ◆TvN8RkVODg @ターンオーヴァーφ ★ 投稿日:2010/03/24(水) 00:43:06 ID:???0

古き悪習を絶て!

     
現地時間3月22日夜、ロンドンで開催中のヒューマン・ライト・ワッチ映画祭で、 ドキュメンタリー映画 『ミセス・グンドス・ドーター』(原題)の2度目の上映が行われた。 本映画祭での上映がイギリスでのお披露目となる本作、 アメリカからやってきた共同監督のジャネット・ゴールドウォーターとバーバラアティが質疑応答した。

本作は、アフリカのマリ共和国から、アメリカのフィラデルフィアに逃れてきたグンドス夫人を追ったもの。 夫人の渡米理由は、娘の女性器切除を避けるため。 マリでは一般的に行われている習慣で、夫人自身も記憶がないほど幼いころに切除された。 ひどい痛みをともなうという切除で、物心ついてからは、切除後の子どもたちが泣き叫ぶ声がトラウマになったという。

本作ではマリの様子も映し出される。マリの男たちは仕事を求めて何年も家を空けて旅することがあるため、留守中、妻に浮気させないためにも女性器切除が有効という男性支配が、 宗教などとも結びつけられた習慣だということも明かされる。 村ごとに子どもたちをまとめて数十人も、剃刀で次々切り落としていくという荒っぽさで、出血多量や感染から死に至るケースさえあるという。

マリに限らず、アフリカ各地で行われている習慣で、年間約三百万人、換算すると毎日約八千人ずつ切除されているというショッキングな数字が示される本作だが、
「映画にとりかかった最初のころの統計ではマリの女性の92パーセントが切除されていましたが、最新の統計では85パーセントです。少しずつ、減少には向かっています」とアティ監督はマリ国内でも女性の人権意識が芽生えつつあることを説明した。

本作で問題としていることの一つが亡命認定。最終的には認定が下りるグンドス夫人だが、簡単ではない。 ケニア出身だという若い女性観客が「ケニアでも同じような状況です。 もっと認定がスムーズに下りるよう、こういう問題が広く理解されるべきだわ」と強い調子で訴える一幕もあった。
アフリカからの移民も多いイギリスでも、遠い問題ではないようだ。

23 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 00:59:39 ID:VrJkY0cv0

中国の纏足もそうだったらしいが「やんねぇと嫁に行けない」ってんで女がかえってハッスルしてズルズル続くらしい。

で、たまに母親が早世しちまってやりそこなって独身確定な女がハイパー化して名人と呼ばれる腕になる

泣こうが喚こうが容赦しないから

42 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 01:14:56 ID:J8vLhlkYO

ごっそり切って糸で縫い合わせるんだろ

んで初夜に旦那がナイフで…

恐すぎる


81 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 02:06:26 ID:w9ov5aTG0

マジでグロい
本で酷い時は錆びたカミソリでギコギコ切り落とし出血多量で死ぬ場合もあるとかあった


104 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 02:46:04 ID:d9nHajFP0

切除するだけではなく、縫い合わせてるんだよね。
だから初夜と出産は縫合してる皮膚が裂けるので酷く苦しむという。

「女がセックスの快楽を知ったら元気になり過ぎて夫の手に負えなくなる」

と、集落の長が言ってた。


115 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 03:37:38 ID:rUF7F7ud0

 浮気できないように、縫合してしまうので、不衛生になりやすく、結婚した時にまた、切り裂いて、夫に処女だという証明になるそうで、 痛くてたまらないとか、、、、、


196 名無しさん@恐縮です 投稿日:2010/03/24(水) 10:43:36 ID:LtfVUPX60

まあ騒いだところで容易には解決しないけどなw
無知がたまたま発展途上のアフリカの事に気づいただけでの話だし ちょっとネタにして忘れるだけだろ

バリバリ先進国のサウジアラビアでも女はレイプされると死刑とかそんなレベル

http://horo346.blog75.fc2.com/blog-entry-857.html

奪われたクリトリスを取り戻そう!


1 :名無しさん@ピンキー :2007/04/13(金) 09:26:14 ID:???0 (76 回発言)


アフリカの狂った慣習「女性器割礼」

この事に関して考えるスレです。

伝統・慣習の名のもと、毎日多くの女性が暴力にさらされています!
1年間に世界で約200万人の女性たちが「女性器割礼(クリトリスを含む女性器を切除する習慣)」という宗教的な暴力の犠牲者となっています。

クリトレイド(http://www.clitoraid.org/)は性器切除に反対し、クリトリス再生治療を無料で受けることのできる施設「快楽病院」をアフリカに建設するための「クリトリス再生プログラム」をスタートさせます!


2 :名無しさん@ピンキー :2007/04/13(金) 09:30:56 ID:???0 (76 回発言)

クリトレイドのビデオ(日本語版)

http://www.youtube.com/watch?v=EqGwI2jojcY

32 :名無しさん@ピンキー :2007/05/30(水) 00:52:47 ID:cZDg9ba20 (2 回発言)

ひと:キャディ・コイタさん=女性性器切除の撲滅を訴える邦訳自伝を出版

 ◇原因は男たちの幼児性、文化の差と思わないで−−キャディ・コイタさん

 フランスで05年にベストセラーになった自伝「切除されて」が今月下旬、邦訳出版されたのを機に初来日した。

 7歳の時の写真が表紙に使われた。モノクロ写真の少女が上目遣いでこちらを見ている。

悲しみ、不安、不信感に加え、瞳には強い怒りが宿っている。撮影のことは覚えていない。だが、同じ年、ひどい目に遭ったあの日、声を限りに叫んだあの時の激痛だけは忘れることができない。

 親類の家に身内の女児ばかりが集められた。年配の女性に押さえつけられ麻酔もかけられず、カミソリでクリトリス(陰核)を切り取られた。

「誰も何も教えてくれなかった。今思えば、脳の一部を切られたようなもの。その後の早すぎる結婚や夫による性暴力に耐えてきたのは、あの切除で人格をおとしめられたせいだ」

 因習は、南部を除くアフリカ大陸の約30カ国を中心にいまも続く。毎年推定で200万人の少女が犠牲になる。儀礼的なものから性器全体をえぐり、縫いつけてしまうものまで、さまざまだ。

 起源はわからない。「切り取った部位をナイル川にささげれば土地が肥よくになるという説もある。 だがやはり、処女、貞節が重んじられ、女は性を求めてはならないという男たちの考えが大きい。根にあるのは、女は怖い、信用できないという男の幼児性です」

93 :名無しさん@ピンキー :2007/08/30(木) 21:08:46 ID:YIIcbLjIO (1 回発言)

浮気防止で切るって聞いた事ありますね。浮気どころか旦那との性交為さえ痛くて苦痛らしい。

好きな人との性交為の気持ち良さを知れないのは可哀そうですね。

107 :名無しさん@ピンキー :2007/09/28(金) 17:05:00 ID:b9KQq6QL0 (1 回発言)

アフリカだけじゃなくて、キリスト教国でもやってたんだよね、これ。
魔女狩りの時は、裁判官が股開かせて、栗が大きいのが見つかると、魔女認定で死刑だということもあったらしい。

まー、白人連中も似たり寄ったりだな。


115 :名無しさん@ピンキー :2007/10/14(日) 15:09:53 ID:???0 (76 回発言)

クリトリス(陰核)とは、全ての女のマンコ・オメコの中に付いていて快感を得る為だけにしか機能しないというエッチでエロい器官を指します。
本当に生殖や排尿や生命維持には何ら関係なく、快感を得る以外は機能しません。

使用方法は自分で弄ったりが主な使い道となりますが男に優しく弄ってもらったり、舐めてもらったりする方が機能的にも発揮されます。


116 :名無しさん@ピンキー :2007/10/15(月) 01:45:14 ID:NBBzmSZbO (3 回発言)

>>115
多分、妊娠とか無麻酔の中絶とかの痛みを和らげるのに使用するんだよ。
婦人科のお医者さんも乳首を気持ちよく触診してから下を診察するお医者さんが評判いいよ。
おばちゃんたちの井戸端会議からの情報だけど。
栗も緊急手術のときなんか活躍しそう。
http://logsoku.com/thread/pele.bbspink.com/hnews/1176423974/



20. 中川隆 2014年10月25日 22:51:06 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs


2014-08-19
斬首。レイプ。血と暴力でイラクを制圧する異常な暴力国家


イスラム武装組織が、巨大な勢力を持ってシリアからイラクの一部地域を現地支配をするようになり、彼らは「イスラム国」としてひとつの国家を形成しつつある。

当初、イスラム国はシリアのアサド政権に対する反政府組織であったので、欧米はひそかに彼らを支援していたが、彼らはもう欧米の手先のように動いていない。

シリアからイラクにまたがる広大な地域を急激に押さえて勢力を拡大させ、恐怖政治によって地元を制圧している。

彼らは当初、単なる成り上がりのスンニ派の武装組織であり、チンピラ同様に思われていた。

ところが、今やその「チンピラ武装組織」であったはずの集団が、シリア東部の油田地域を支配し、潤沢な資金で武器弾薬を揃え、イラクのモスルやファルージャを制圧してしまった。

指導者は「アブバクル・バグダディ」と呼ばれる人物だが、この人物は過去に数々のテロに関わったとしてアメリカ政府から指名手配されているような人物だ。

「敵は皆殺しにしろ」という単純明快なルール


アブバクル・バグダディの統治する「イスラム国」の基本方針は、「敵は皆殺しにしろ」という単純明快なものである。

その結果、敵対する捕虜・兵士はことごとく虐殺された上に、斬首される。そして、その首を「さらし首」として誇示しているのである。

かつて日本の戦国時代で起きていたことが、今、この中東のど真ん中で再現されている。

2014年8月16日にも、シリア東部デリゾール近辺で、住民700人を大虐殺し、少女や子供たちをみんな拉致していったという。

ちなみに、このデリゾール近辺の人々は、イスラム国の母体となっている同じスンニ派の部族だったが、彼らはイスラム国のやり方に反撥していたために、敵と認定されて皆殺しにされたという。

逆らう者は、同じ民族であっても容赦しないというイスラム国の残虐性がここに表れている。

アメリカのオバマ大統領は、このイスラム国が充分に組織として機能するようになってから、急に危機感を感じて空爆をしている。

しかし、広大な地域を押さえるイスラム国の過激派組織は、すでにそのような空爆で壊滅するような規模ではなくなっており、中東の混乱は新たな局面を迎えている。

テロリストが国を創設し、暴力至上主義がこの国を覆い尽くし、その規模を拡大させようとしている。

湯川遥菜という日本人がその中に取材と称してシリアに入り込んでいったようだが、それがいかに無謀な行動であったのかは、このような状況を見ても分かるはずだ。


(シリアで拘束された湯川遥菜氏と、民間軍事会社という会社)
http://www.bllackz.com/2014/08/blog-post_18.html

3000人規模で女性や少女が拉致されている現状

今、「イスラム国」の激しい暴力の中で、最も懸念されているのが、彼らに「敵」と認定された住民たちの女性・少女である。

シリアやイラクでは、ここ2週間だけで3000人もの規模で女性や少女が拉致されていることをアムネスティが確認している。彼女たちの多くは過激派兵士によって、集団レイプされていると言われている。

そのあと、女性や少女たちは、兵士の誰かと強制結婚させられるか、もしくは性奴隷として「売られる」という運命を辿ることになる。

シリアにはキリスト教徒もいる。彼らが改宗を拒むと、そのまま処刑している。(女性が柱に縛りつけられ、彼女にツバを吐いていけとメモが)

それも、最初に子供たちの首を刎ねて殺し、娘を親の目の前でレイプし、それから親を殺すというような残酷なやり方をしているという。(狂気の宗教対立。シリアでキリスト教少女の首が刎ねられた)

こういった「男は処刑、女はレイプ」は、クルド人にも向けられており、クルド人のイラク国民議会、フィヤン・ダキー議員は2014年8月5日、涙を流しながら議会でこのように悲痛な訴えをしていた。

「この地球上から、ひとつの宗教が根絶されようとしているのです。同胞のみなさん、私は人類のために訴えます。どうか我々を救って下さい」

「女性たちは、愛人になるよう強要され、人身売買の犠牲になっています。どうか我々を救って下さい、助けて下さい!」

女性や少女たちは、兵士の誰かと強制結婚させられるか、もしくは性奴隷として「売られる」。

クルド人のイラク国民議会、フィヤン・ダキー議員。今、彼女の民族が大虐殺に遭遇している。


本来であれば、存続すら許されない異常国家

はっきり言おう。ISIS(イスラム国)は、テロリスト国家である。暴力国家である。虐殺国家である。本来であれば、存続すら許されない異常国家だ。

アブバクル・バグダディが支配するこの「イスラム国」を、擁護する知識層もいる。しかし、イスラム国を擁護するのは、間違っている。

イスラム国の持つ、その苛烈さと暴力性は、1974年にカンボジアに降り立ったポル・ポト政権と同じだ。

そんな政権が今この瞬間にも勢力を拡大しており、一切の容赦なく敵対者を皆殺しにして支配地域を広げ、恐怖によって中東を支配しようとしている。

こういった過激な暴力主義の組織が長続きするはずがない。しかし、長続きしないからと言って、すぐに打倒されるとも決まっていない。

ポル・ポト政権のような史上最悪な政権でさえも4年近くカンボジアを支配した。油田地帯をも制圧したイスラム国は、もっと持つかも知れない。

中東は、2010年から2012年までの2年間で、チュニジアのベンアリ、エジプトのムバラク、リビアのカダフィ大佐と、片っ端から独裁者を失脚させるような動乱に動いていた。

これらの動乱は「アラブの春」と呼ばれ、アラブに民主的な政権が樹立する「春の訪れ」になると期待されていた。

しかし、この動きは、血と暴力が蔓延し、混乱しか生み出さなかった。アラブには春が来たのではない。地獄が来たのだ。イスラム国は、まさに地獄からの使者でもある。


アブバクル・バグダディの統治する「イスラム国」の兵士によって、斬首され、さらし首に。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140819T0507470900.html


2014年8月20日
アルカイダまでもが暴力的だと敬遠する、狂気の超暴力国家


2014年6月29日、アブバクル・バグダディは、シリア東部からイラク西部の広大な土地を掌握して、「ここはイスラム国(Islamic State)である」と勝手に国家樹立宣言を行った。

テロリストの集団が広大な無法地帯を占拠して、勝手に「国家樹立」するだけでも驚きだが、その2ヶ月後には「イスラム国」としてのパスポートまで発行するという手際を見せた。

このテロリスト集団は、本気で国家運営をしようとしているのだと世界が知った瞬間だった。

この集団の前身は、狂気のテロリストと呼ばれていたアブ・ムサブ・ザルカウィの「イラクの聖戦アルカイダ組織」である。

つまり、イスラム国(Islamic State)はアルカイダに所属していた人間たちが樹立した。ただし、現在のアルカイダは、このイスラム国という新しい国家とは決別している。

なぜか。「アブバクル・バグダディのやり方はあまりにも暴力的すぎる」と言うのである。あのアルカイダが、「暴力的すぎる」というのがアブバクル・バグダディの樹立したイスラム国である。

「イラクの聖戦アルカイダ組織」が前身だった

アブ・ムサブ・ザルカウィと聞いても、それが何者なのか覚えている人はいないかもしれない。

このテロリストは2006年頃に米軍の空爆によって爆殺されたと言われているが、それまではイラクでの残虐なテロを一手に引き受けていた男だった。

敵対する人間、イラクにいる外国人を拉致してはビデオの前で公開斬首していたのが、この男が率いていた「イラクの聖戦アルカイダ組織」なのである。

2004年に、香田証生というバックパッカーがまわりの制止を振り切ってイラク入りして拉致されて「斬首」されるという事件があった。

これを行ったのも「イラクの聖戦アルカイダ組織」である。

「敵対者は皆殺し」「公開処刑で斬首」というのは、ザルカウィの得意な処刑方法だが、これは現在のアブバクル・バグダディ率いるイスラム国(Islamic State)の兵士にも引き継がれている。

彼らは、自分たちの敵と見なした人間たちをことごとく斬首している。そして、それを誇示する。まさに、ザルカウィが率いていた「イラクの聖戦アルカイダ組織」さながらである。(斬首。レイプ。血と暴力でイラクを制圧する異常な暴力国家)

老人も子供も容赦なく皆殺しだ。そうやって広大な土地に住む人々を恐怖で支配している。逆らえば、皆殺しにされるのだから、逆らうことなどできない。

現在のアルカイダの指導者はアイマン・ザワヒリであると言われているが、アブバクル・バグダディはもはやこのザワヒリの命令すらも完全に無視して暴走している。


2004年に斬首された香田証生氏の遺体。

2014年現在、湯川遥菜という人物も「イスラム国」に拘束されている。
公開処刑されるとしたら、同じようになる可能性は高い。

完全に、アメリカのオバマ政権の外交的失敗

狂気のテロリスト集団が国家樹立にまで至ったのは、完全にアメリカのオバマ政権の外交的失敗であると言われ、オバマ大統領は窮地に陥っている。これがオバマの失敗であると糾弾されているのには、理由がある。

アメリカはシリアのアサド政権を崩壊させるために、反政府組織と手を組んで裏で操ろうとしていた。そこでオバマ政権は何を考えたのか。

シリアの反政府組織に、誰構わず武器を供給した。目的のためには手段を選ばないつもりだったのだろう。オバマ政権は、シリア反政府組織がアルカイダ系で、「かつての敵」だったことを知っていて武器を大量に流した。

当然、この武器はISISにも流れていった。現在、彼らが所持している銃火器の多くは、アメリカがトルコ経由で供給したものであると言われている。

本来は、この武器がアサド政権打倒に使われるはずだった。ところが、シリアの内部でこの反政府勢力が分裂して、彼ら同士が銃を向け合って戦うような混乱状態に突入した。

その理由は、アブバクル・バグダディのISIS(イラクとシャームのイスラーム国)が、常軌を逸する虐殺行為を行うことにあった。

虐殺、皆殺し、拷問、レイプ、斬首。ありとあらゆる犯罪行為が続出し、裏でシリアの反政府勢力を支援していたアメリカも驚いて手を引いた。

その結果、アサド政権は崩壊せず、しかも中東全域を混乱に陥れていたテロリスト集団が急激に力を付けて新しい勢力として中東の混乱の中で台頭した。

アブバクル・バグダディは、オバマ政権を手玉にとって、今や中東の悪夢となっていったのである。


子供も容赦しない。それが「イスラム国」のルールのようだ。
この過激組織のせいで、イスラムに対するイメージは悪化する一方だ。


オバマ大統領にワナを仕掛けるバグダディ

他の反政府組織も、「ISISのやっていることは、アサド政権よりもひどい」とさじを投げ、アイマン・ザワヒリ率いるアルカイダも、2014年2月には「我々はISISとは無関係だ」として関係を断絶した。

しかし、アブバクル・バグダディの暴力は止まるどころか暴走する一方になる。2014年6月にはアジール油田地帯を制圧して、国家運営を維持するための資金源を手に入れたのだ。

窮地に追い込まれたオバマ大統領は、8月に入ってから今までの中東撤退を翻すように空爆をするようになった。

しかし、この空爆は中途半端で、逆にアブバクル・バグダディのイスラム国に利する結果になっているとイギリスの報道機関は指摘している。

イスラム国は、「自分たちの敵はアメリカや西側諸国なのだ」と空爆を指してスローガンができるようになったという。

そして、イスラム国は「アメリカと戦っている」という姿勢を打ち出すかのように、この時期になってアメリカ人ジャーナリストで2012年に拉致されていたジェームズ・フォーリー氏の首を切断するビデオを公開した。

イスラム国は別のアメリカ人も撮されていて、「このアメリカ人の命は、オバマの次の決断にかかっている」とオバマ大統領を挑発している。

これでアメリカが報復攻撃をしたら、どうなるのか。

事態は一気に「アメリカ対イスラム国」という構図になっていく。その構図であれば、今まで「イスラム国」に対して懐疑的だった人間たちも、反米のためにイスラム国支持に回る可能性が高まっていく。

つまり、アブバクル・バグダディは、オバマ大統領にワナを仕掛けているのである。いつも口先だけと罵られるようになったオバマ大統領に、果たして打つ手はあるのだろうか。


最近、公開されたジェームズ・フォーリー氏の斬首。
2004年の香田証生氏の斬首とほぼ同じ手口であることが分かる。
http://www.bllackz.com/2014/08/blog-post_20.html

イスラム世界の拡大

スンニ派とシーア派を合計するとイスラム教徒人口は11億4700万人(1997年調べ:リンク))を超え、現在、イスラム諸国会議機構に加盟している国は56カ国、信者数は13億人を超えて拡大しているとされています。

中東地域以外での増加、アフリカなどでのイスラム教徒人口の増加が見られ、更に興味深いことに敵対するアメリカにおいてもイスラム教徒の人口は700万人を超え増加しているとのことです。

世界の5人に一人はイスラム教徒、われわれ日本人には馴染みが薄く、イスラム原理主義・反米テロなどなど、とかくイメージが良いとは言いがたい宗教ですが広く支持されていることは明らかです。

イスラム教の国を旅したことのある人なら往々にして感じることの一つに強烈な戒律意識が挙げられると思います。

子供が何か悪さをすると直ぐに大人が飛んできて叱り付ける。

一見すると気の毒なほど激しく叱られている様に見えるが、昨今の日本で見られるような幼児虐待などに見られる密室における行為とは異なり、公衆の面前で叱りつけ叩く。周囲の人間も悪さをしたのだから当然の報いだと理解して口を出さない。

キリスト教における罪を許し悔い改めるよう説き伏せるという感覚の真逆を行く考え、自らの犯した罪と同等の報いを受けるという潔さ、言葉にすると陳腐ですが清貧さを感じました。

近代化に伴い多くの宗教において信仰心が薄れて行く中で、イスラム教が今日急速に拡大していることを見ると、現実から逃避するという思考ではなく、何かそこに現実を切り開く強さ、可能性を感じているのだと思います。

人類の歴史は言い換えれば宗教の歴史と見ることも出来ます。現在宗教が求心力を失いイスラム教がその求心力を回復している姿を見ると、何か人間の本来あるべき姿を取り戻しているでは?と感じます。

何故イスラム教が拡大しているのかその原因を調べることは社会の状況を読むことにつながると感じました。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=92696

2013年8月22日
欧州はいずれ移民に国を乗っ取られ、今の文化が破壊される


ヨーロッパはキリスト教の国だというのが私たちの認識だ。
しかし、最近はすでにそのような見方は一面的だと言われるようになってきた。

なぜか。現在、ヨーロッパには5200万人ものイスラム教徒がどんどんヨーロッパに流れ込んでいて、各国で集団を作って住み着いているからだ。

彼らは次々にヨーロッパ各国に流れ込んでいる。スウェーデンにも、ベルギーにも、スイスにも、ポルトガルにも、フランスにも、ドイツにも、オランダにも、スペインにも、ヨーロッパのありとあらゆる国家に入り込み、数を増やす。

さらに、それぞれの国で大量に子供を産む。オランダも、ベルギーも、新生児の半分はすでにイスラム教徒の子供である。

ヨーロッパは移民に寛容であり、グローバリズムを信奉する政治家たちもまた国民感情を完全に無視して「多文化主義」にひた走っており、どんどん移民を増やしている。

その結果、ヨーロッパ各国で「極右」と呼ばれる政治グループが台頭するようになってきた。


極右と呼ばれている集団は、何を訴えているのか

極右と呼ばれている集団は、何を訴えているのか。それは、移民の排斥である。なぜか。理由はいくつもある。

欧州の移民の多くはイスラム教徒だが、彼らは自国のキリスト教文化をまったく受け入れない。移民先の文化に従う素振りすらも見せず、イスラム施設・イスラム寺院を次々と建てて地域をイスラム化していく。

そうすると、自国民が引っ越したり逃げ出したりするので、その地域は徐々にスラム化していき、やがては移民に占拠されたような場所になっていく。

そして、移民はどんどん仕事を奪っていく。欧州が移民を許容したのは、実は底辺の仕事であるゴミ集めや、掃除夫や、建設作業員等の仕事をさせるためだった。

しかし、そういったところからどんどん自国民が締め出されて、自国の底辺層の人々が仕事が見つからなくなった。

さらに、言葉も分からず、働きたくても職に就けない移民は生活保護に頼ることになるが、その生活保護も国民が税金で払うことになる。彼らを税金で養わなければならない。

その上、多くの移民が強盗、殺人、レイプ、放火のような重大犯罪を引き起こして、非常に治安が悪くなっていく。

教育の現場も、移民の子供たちで混乱していき、いじめ問題も発生している。自国の子が移民の子をいじめているのではなく、その逆に移民の子が徒党を組んで自国の子をいじめているケースも増えて来ている。

なぜなら、新生児の半分が移民の子であることからも分かる通り、すでに子供の比率が移民の子供の方が多いというクラスもあるからである。


イギリスのイスラム教徒たち。


人口が増えれば単純に消費者が増えるので物が売れる

他にも、食文化が違うとか、いきなり大勢が道ばたで祈り出すとか、若者同士が対立して常にいさかいを起こすとか、書き切れないほどの問題が山ほど発生している。

それがゆえに多くの国民が堪忍袋の緒が切れて、多文化主義に疑問を持つようになる。

その結果、移民の排斥を訴える政党が生まれ、それが支持されるようになり、そういった政党は極右と呼ばれるようになっていった。この極右がどんどん台頭している。

ところで、既存の政治家は多国籍企業の支援や結びつきで当選して政権を担っているが、多国籍企業は言うまでもなくグローバル化を推進する中心勢力だ。

なぜ多国籍企業がグローバル化を推進するのかというと、単純に世界がグローバル化すればするほど市場が増えて、自分たちの製品が売れるようになり、より成長を享受できるからだ。

文化も宗教も言語も国も、何もかもが統一されてひとつになってくれた方が多国籍企業にとっては都合が良い。同じ製品がどこでも受け入れられる。

EU(欧州連合)は、まさにグローバル化の理念を唱えた組織であり、「国を超える」ための壮大な実験だった。

国境がなくなり、流通が自由になったことから、多国籍企業はEUというひとつの巨大マーケットを手に入れたことになる。

ところが欧州のそれぞれの国は、そのほとんどが少子化に向かって人口が縮小しており、それは企業の金儲けという観点から見ると、由々しき事態である。

人口が増えれば単純に消費者が増えるので物が売れる。だから、移民でも何でも突っ込んで消費を増やすというのは、グローバル化にとっては正しい行動でもある。

だから、多国籍企業と結託している既存の政治家はみんなグローバル化も多文化主義にも賛成しているのである。


ブルカ着用の権利を求めるイスラム女性たちの抗議集会。


「庇を貸して母屋を取られる」状態になっていく

移民は必ず問題を生み出す。数が増えれば増えるほど、自分たちの文化、自分たちの流儀を押し出すようになり、その国の国民と激しく衝突するようになる。

自分たちの権利を主張するようになり、それが受け入れられなければ「差別だ」と激しく訴える。

たとえば、スイスでも、イスラムの移民たちが、モスク(イスラム寺院)を建てさせないのは差別だ、スイス人は人種差別主義者だと激しく糾弾している。

オランダでも、イスラムの移民たちが、「仕事を与えないのは差別だ、生活保護を与えないのは差別だ、イスラムの排斥は差別だ」とデモを起こしている。

フランスでも、イスラムの移民たちが、「学校でブルカ(イスラム女性の顔を覆うベール)を脱がせようとするのは差別だ」と激しい抵抗運動を起こした。

現在は、こういったイスラム移民側の抵抗は「数の論理」で排斥ができているが、オランダやベルギーではあと10年もすればイスラム移民の人口が国民の半分を占めるようになる。

そうすると、「数の論理」は逆に働くようになり、逆にイスラムがキリスト教徒の排斥になっていくはずだ。

移民という形で庇を貸していたつもりなのに、いつの間にか母屋が乗っ取られるという状況だ。このまま移民がなだれ込んで行くと、ヨーロッパは間違いなく、「庇を貸して母屋を取られる」状態になっていく。

ちなみに、この 「庇を貸して母屋を取られる」というのは日本人の表現だが、イギリス人では増え続けるイスラム移民を指して「現代のトロイの馬」と呼んでいる。どちらにしても、同じ意味合いがある。

移民問題の深刻なところは、一度入ってきた移民を追い返すことは絶望的に「不可能」であることだ。つまり、ヨーロッパは遅かれ早かれ移民が国を乗っ取り、文化が破壊される。

今、ヨーロッパで起きているのはそういう問題だ。


団地の中庭で礼拝するイスラム教徒。ロンドンでの光景だ。
http://www.bllackz.com/2013/08/blog-post_22.html


21. 中川隆 2014年10月25日 23:23:43 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

イスラム教徒が行わなければならないことは5つある。

「礼拝」「巡礼」「断食」「信仰告白」「喜捨」

である。特に「喜捨」は金融・経済に関係が深く、相互扶助や弱者救済のために行われ、事実上の租税、それも宗教的な意義を持つものとしての役割がある。


ヨーロッパ人は自分達の国をイスラム教徒に「喜捨」させられたんですね:


イギリスでイスラム法支配地区を作ろうとする移民達
http://www.youtube.com/watch?v=smMM9vqEhm4

バッキンガム宮殿をモスクにするよう要求し始めた移民達 イギリス ロンドン
http://www.youtube.com/watch?v=mXOOPVW-0Ec

エリザベス女王は改宗するかイギリスを出ていくか イギリス移民問題
http://www.youtube.com/watch?v=PlYlrT7HQuQ

日本人の知らないパリの別世界 移民自治区 フランス
http://www.youtube.com/watch?v=r_vGiPCddc4

フランスに増える無法地帯 移民自治区
http://www.youtube.com/watch?v=EjkyKwKo17A

フランス人が少数派となり無法地帯となる移民自治区 パリ フランス
http://www.youtube.com/watch?v=I_TbMZXo71Y

ドイツ「アラーという名の下の暴力。サラフィストの危険性」
http://www.youtube.com/watch?v=lzCH6nDg9YM

多文化主義の失敗例 ドイツの学級崩壊
http://www.youtube.com/watch?v=RxhIamUjBA0

ベルギスタンへようこそ。2030年までにイスラム国家になるベルギー
http://www.youtube.com/watch?v=VdHEAG8DEP4

スウェ−デンは2049年までにイスラム国家
http://www.youtube.com/watch?v=UocmQZa8tqo

移民に再征服されるスペイン
http://www.youtube.com/watch?v=6U6qaUgodzk

移民がコントロール不能になりつつあると気付き始めたヨーロッパ人
http://www.youtube.com/watch?v=-_oxPtFJ-F8


22. 中川隆 2014年10月26日 16:43:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

イスラム国戦闘員勧誘「カネ・女・SEX」の甘い罠 2014年10月26日

 シリアやイラクで勢力を拡大し、欧米の人質を次々とインターネット上で公開処刑し続けている過激派組織『イスラム国』。

なぜ世界の若者たちはイスラム国に参加するのか。

中東情勢に詳しいジャーナリストがこう語る。

 「イスラム国は、カネ以外にも若者たちを懐柔する老獪な手法を用いているという。

 「それがセックスなのです。イスラム国は『女とやり放題』『結婚相手も世話する』と吹聴しており、実際、攻め入る先々で女たちを略奪しまくっている。

特にイスラム国で邪教とされるヤズディ教を信仰するイラク北西部のクルド人らの集落では、男は皆殺し。女は処女と既婚者に選別され、処女は幹部らの慰み者に。既婚者や老いた女は下級兵士らのセックス奴隷にされたほどなのです」(前出・公安関係者)

 しかも、イスラム国は世界中のイスラム教徒の女性たちに「セックスジハード」を呼び掛けており、兵士たちの性欲処理をさせているという。

「出兵前の兵士が100人の女と交わった」などとする話もまことしやかに流布しており、カネと女に餓えた世界の若者たちを刺激しているのである。
http://wjn.jp/article/detail/4078467/


23. 2014年10月26日 19:49:59 : b5JdkWvGxs

イスラム国:ウェブ英字機関誌で人身売買認める記事

毎日新聞 2014年10月15日 


「イスラム国」から逃れようと、シリア国境へ向かうヤジディー教徒=イラク北西部シンジャルで8月、ロイター

 【カイロ秋山信一】イスラム過激派組織「イスラム国」は、今月発刊したウェブの英字機関誌「DABIQ」最新号の中で、イラクで拘束した少数派ヤジディー教徒の女性や子供を奴隷として売買していることを認めた。

女性の一部が結婚や性行為を強要されていることも事実上認め、「(イスラム国が統治の基本とする)イスラム法では合法だ」と主張した。


 イスラム国は8月、イラク北西部シンジャルを攻撃し、集住していたヤジディー教徒ら数千人が行方不明となっている。イスラム国は「奴隷制復活」と題された記事で、

ヤジディー教徒の女性や子供の奴隷化が容認されると主張。

シンジャルで戦った戦闘員に「戦利品」として分配したことを明らかにした。


 避難民の証言によると、拘束された男性の多くが処刑され、女性や子供はイラク北部モスルやシリア北部ラッカなどに連行され、奴隷として売買されている。

サウジアラビアなど外国も売却先になっているという。

また女性らが「奴隷市場」で10ドル(約1000円)前後で売られ、性交渉を強要されているとの報道もある。

 イスラム国は7世紀のイスラム教草創期の社会を理想としており、実効支配地域では極端な慣習を住民に強制している。奴隷制の復活を含む教義の極端な解釈と強要に対して、イスラム社会からも非難の声が上がっている。


24. 中川隆 2014年10月30日 11:11:52 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

レイハネ・ジャバリ。絞首刑にされた彼女の最後の願いとは 2014-10-30
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20141030T0419480900.html

2014年10月25日、イランでひとりの女性の絞首刑が執行された。「レイハネ・ジャバリ」という26歳の女性だ。

彼女は2007年、19歳の頃にひとりの男にレイプされそうになった。相手はイラン元情報省職員のモルテザ・アブドラリ・サルバンディという男だった。

現場の状況がどのようなものだったのか、彼女の言い分とイランの裁判所の言い分が違っている。

彼女は襲われている最中に正当防衛で男をナイフで刺したと言った。裁判所は、彼女が2日後にナイフを買って計画的に男を殺したとの見解を支持した。

どのみち、イランでは「男を殺すような女」は、その理由が何であっても許されることはない。正しい裁判、正しい客観的事実の前に、「男を殺した」という事実のみで女性の運命は決まっている。

レイハネ・ジャバリは2009年、計画殺人の罪で有罪判決を受けた。死刑だった。

レイプされたら、レイプされた女の方が悪い

「レイプされそうになった。身を守るために抵抗した。結果的に男を殺した」

もし、このような経緯があったら、その女性は正当防衛を行使したと考えるのが私たちの常識だ。人は誰でも自分の肉体を守る権利がある。

しかし、イランのみならず、多くのイスラム国家では「レイプされたら、レイプされた女の方が悪い」という考え方になる。

「男は絶対的な存在だ。理由はともあれ、その絶対的な存在を殺した。そんな女は許されない」

このような考え方になるのがイスラム的な戒律の強い国々の文化である。

イランでは2004年にも、16歳の少女が「男にレイプされた罪」で絞首刑にされている。

「レイプされて絞首刑」なのである。その理由は、「彼女が不道徳だったから」というものである。彼女の不道徳さは他の少女にも悪影響を及ぼす。だから、死刑にしなければならなかったというのだ。

イランには「道徳警察」というものがある。彼らは男とふたりきりでいる「汚らわしい女」を見つけると、不品行や姦通の罪で逮捕する。

何もかも、女性が悪いということになる。

パキスタンでもアフガニスタンでも、このように「不品行なふるまいをする女は焼かれても殺されても文句は言えない」という考え方が信じられており、実際にこういった女性が姦通罪で処刑されたり、名誉殺人で殺されたりしている。

レイハネ・ジャバリは2009年、計画殺人の罪で有罪判決を受けた。死刑だった。


絶対権力者である「男」にたてついた女性の末路

ヨルダンのスアドという女性は、婚前交渉をしたことで、生きたまま焼かれた。親族が彼女を名誉殺人で殺そうとしたのである。

(生きながら焼かれたスアド。女たちにとって宗教とは何か?)
http://www.bllackz.com/2010/08/blog-post_07.html


アイシャ・ビビは家庭内暴力から逃れて、鼻を削がれた。

(ビビ・アイシャ。削ぎ落とされた鼻の修復)
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_1848.html


アフガニスタンの名もなき女性は、姦通していた「かもしれない」という疑いによって、夫に蜂の巣にされて殺された。

(暴力の地に取り残された。公開処刑されるアフガニスタン女性)
http://www.bllackz.com/2012/07/blog-post_09.html

これらの女性すべては、絶対権力者である「男」にたてついた女性の末路である。ただ国際ニュースになっていないだけで、現地では夥しい女性が燃やされ、殺され、酸を投げつけられ、鼻を削がれている。

東はヨルダンから西はパキスタンまで、イスラム原理主義が猛威を振るう国の女性は、このような世界で生きている。

こういった社会背景から見ると、レイハネ・ジャバリが死刑になるのは当然だという意識がイランのみならず、イスラム社会にはあるのだろう。

レイハネ・ジャバリが自分に襲いかかった男をナイフで刺し殺したのは2007年だったが、奇しくも同じ2007年にはサウジアラビアでも似たような事件があった。

インドネシア人女性のメイドが雇い主にレイプされそうになって男を殺すという事件が起きていたのだ。このインドネシア女性はどうなったのか。

もちろん、死刑判決になった。

「不道徳な女は他の少女にも悪影響を及ぼす。だから、罰しなければならない」このような理屈がイスラム国家にある。


「私のためにお墓は作らないで下さい」

レイハネ・ジャバリの人生に降りかかった容赦ない制裁に、イランの人権保護団体はアムネスティ・インターナショナルに保護を求め、そこからこの事件は欧米でも知られるようになった。

2009年に死刑を宣告したイラン当局には大きな国際非難が浴びせられて、これが政治的な駆け引きの材料にもなった。

この当時、イスラエルは核開発をするイランを攻撃すべきだという主張をしており、アメリカも同調していた。

このままレイハネ・ジャバリを絞首刑にしてしまうと、「イランは女性虐待国家だ」としてイラン攻撃が正当化される恐れがあり、イラン当局はそれを警戒してずっとレイハネ・ジャバリの処刑を延ばしてきた。

しかし、最近アメリカのオバマ政権は2011年に親米政権がことごとく倒れても何もできない弱腰政権であることが見透かされるようになった。シリアにも、ロシアにも、中国にも、まったく何もできないままレームダック化を迎える。

さらに、シリア・イラクで勢力を拡大している「イスラム国(IS)」を叩くためには、イランの協力も必要になりつつある。アメリカは、もうイランの敵視を続けることができず、ましてや攻撃することもできなくなっている。

だから、2014年10月25日という今のタイミングでレイハネ・ジャバリは絞首刑にされたと言われている。結局、イランはこの厄介な女性レイハネ・ジャバリを最初から死刑にしたかったのだ。

レイハネ・ジャバリは母親に宛てた手紙の中で、このように書いている。

「私のためにお墓は作らないで下さい。お母さんが泣いたり苦しんだりしてしまうから」

「私は土に埋まって朽ち果てるのは嫌です。私の目や私のまだ若い心臓が土に還ってしまうのは嫌なのです。私が絞首刑にされた後すぐに、私の心臓や腎臓、目、骨、それから移植可能なあらゆるものについて、それを私の体から取り出して、必要としている人にプレゼントとして提供する手筈を整えておいて下さい」

何としてでも生き抜きたいと願っていた女性の思いが、この文章に込められている。

正当防衛を訴え、最後の最後まで戦っていたレイハネ・ジャバリ。その願いも潰えて、2014年10月25日絞首刑に処された。26歳だった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20141030T0419480900.html


25. 中川隆 2015年1月14日 10:33:46 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

「逆らったら生き埋め」自爆テロ強要された少女

読売新聞 1月14日(水)7時23分配信

 【ヨハネスブルク=上杉洋司】イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が、自爆テロに少女や女児を使い始めた。

 警戒されにくいからとみられる。女子生徒ら若い女性を拉致してきたボコ・ハラムは、「(民兵と)結婚させた」などと説明してきたが、救出された少女は自爆テロを実行するよう強要されたと証言した。

 ナイジェリア北東部ボルノ州マイドゥグリの市場で10日、10歳ぐらいの女児が隠し持っていた爆弾が爆発し、少なくとも19人が死亡した。

 AFP通信によると、女児が市場の入り口でボディーチェックを受けている時に爆発が起き、チェックしていた自警団員らが死亡した。目撃者は、同通信に対し「(女児は)自分が何を持っているのかもわかっていなかったのではないか。誰かが遠隔操作で爆発させたのだろう」と語った。

 隣のヨベ州ポティスクムの市場でも翌11日、10代半ばくらいの少女2人による自爆テロがあり、4人が死亡した。最初の少女が爆発したのを見たもう1人の少女は、パニックになって逃げ出し、その時に爆発した。何者かが遠隔操作で爆発させた可能性が高い。

 いずれもボコ・ハラムの関与が疑われている。治安当局は、ボコ・ハラムが拉致した少女を脅迫したり洗脳したりして自爆テロを強要しているとみている。

 少女を使うのは、北部はイスラム教徒が多く、女性は警戒されにくいことと、ほとんどの女性が身にまとう全身をゆったり覆う服の中に爆弾を隠しやすいことがあるとみられる。

 ◆200人消息不明

 北部カノで昨年12月10日、少女2人が自爆し、10人が死亡した。この時、自爆テロを起こすために現場にいた3人目の少女(13)は、最初の爆発でけがをして病院に担ぎ込まれたところを警察にテロ未遂で逮捕された。この少女は、12月下旬に記者会見した。

 AP通信によると、ボコ・ハラムのメンバーは少女に対し、「天国に行きたければ、自爆テロをしなければならない。逃げようとしたら殺す」と脅し、爆発物付きのベストを着せた。ボコ・ハラムのキャンプでは逆らったものは生き埋めにされていたといい、少女は「生き埋めにされるのが怖かった」と話した。キャンプには同い年ぐらいの少女が何人かいたという。

 ボコ・ハラムは昨年4月、ボルノ州チボックで200人以上の女子生徒を拉致した。アブバカル・シェカウ指導者はビデオ映像で「(女子生徒は)みな結婚した」と宣言したが、消息は依然不明だ。自爆テロを強要されているのではないかとの懸念が出ている。


26. 中川隆 2015年2月07日 11:20:27 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

この続きは


狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/420.html


27. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2016年1月01日 11:20:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[653]

・狂った宗教 イスラム教 _ 頭がおかしいのは中国人と朝鮮人だけではない 2
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/332.html

28. 中川隆[-5832] koaQ7Jey 2017年11月30日 08:03:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

古来より宗教的体験はその記述を追ってみると病気の症状である場合が多い。
マイケル・ガザニガによれば、モーセやブッダ、ムハンマドについても側頭葉てんかんが疑われるという


側頭葉てんかんと神秘体験。


宗教的・神秘的な体験は
側頭葉の癲癇(てんかん)
によって起こると言われています。


側頭葉てんかんとは、てんかんの一種。

側頭葉てんかんの原因は、
仮死分娩、
脳炎・髄膜炎の後遺症、
はしか、
突発性発疹、
先天性脳腫瘍、
大脳皮質の形成障害、
脳血管障害、
頭部外傷など、
非常に多岐にわたる。


意識の喪失・痙攣はせず、
患者は発作が起きると
聴覚・視覚・嗅覚・触覚に異常を覚える。
茫然自失状態となったり、
よくわからない言葉を話したりする。


側頭葉てんかんの障害を持つ患者は、
発作が起きてなくても、
ゲシュヴィント症候群と称せられる特色を持つ。


@過剰書字(たくさん文章を書かずにいられない)
A過剰な宗教性・道徳性
B攻撃性
C粘着性
D性に対する極端な態度


側頭葉てんかんで有名な人は、
ゴッホ、
ドストエフスキー、
ルイス・キャロル、
アイザック・ニュートン、
ギュスターブ・フローベール


天才ばかり。


さらには、
パウロ、
ムハンマド、
モーセ、
仏陀、
ジャンヌ・ダルク

宗教関係者は、
伝記から推測するに
てんかん発作を経験していると思われる。


側頭葉は、
強烈な宗教体験を知覚するとき、
幻聴が聞こえるときに活動するとされている。

特定の電気を頭に流す事で、
神秘体験、宗教体験をする研究は盛んだ。
脳に流れているのは、
微弱な電流。

すでに、操作することが可能だと言う。

特定の電流を頭にあてることで、
頭が良くなるヘルメットなどもすでに開発されている。

オウム真理教のヘッドギア。
あれも似たような効果を狙っていたはずだ。

教祖の体験した、
側頭葉てんかんによる宗教体験を、
ストーリーを聞き、
左脳が理解し、
擬似的に、間接的に体験する事で
宗教というものは産まれているのですね。


側頭葉てんかんの患者は、
しばしば神の降臨・神との接触など
神秘体験をすることが知られています。


「神は側頭葉にいる」


そんなジョークもあるのです。

この、
側頭葉てんかんと神秘体験について、
擬似体験させてくれる小説があります。


山田正紀著 
『神狩り』
『神狩り 2 リッパー』


側頭葉の発火で
目の奥が、
バチバチッと光る感じで
超能力が発動して、
天使見えるようになっちゃう。
そんな話。

おすすめのSF小説。

そうだ。


今日、
てんかんについて書いたのは、
京都は祇園にて、
花見客6人をひき殺した事件。事故?

その死亡した運転手が、
てんかん患者だったというからだ。

てんかん患者、
パニック障害、
これらは似た症状が起きるのだが、
身近で見た事があれば、
運転が危険だと言う事は明らかだ。


てんかん患者に対する、
運転免許証の交付は、危険。
事故に直結します。
てんかん協会の対応が求められます。
https://ameblo.jp/zion69noiz/entry-11222862687.html


てんかん患者として知られる著名人 (Wikipedia)


俳優

ヒューゴ・ウィーヴィング(俳優)
ダニー・グローヴァー(俳優)


音楽家

アダム・ホロヴィッツ(ビースティ・ボーイズのMC兼ギタリスト)
リチャード・ジョブソン(ザ・スキッズのボーカル)
ニール・ヤング(シンガーソングライター)
大江光(作曲家)
沢田泰司(TAIJI)元Xのベーシスト)


イアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョンのボーカル)
ステージ上で発作を起こすこともあり、自殺の一因になったとの説もある。

ジョージ・ガーシュウィン(作曲家)
多型性神経膠芽腫の最初の徴候として、めまいや短時間のブラックアウトと同時に、焼けたゴムの様な臭いがしていたという。そして、腫瘍を取り出す手術を施されたにもかかわらず、6ヵ月後に死亡した。


芸術


エドワード・リア(画家)
子供の時に発症し、姉のジェーンも頻繁な発作に罹っていて、早世したことから、遺伝からくるものだったのではないか、と推測されている。彼は自身のてんかんを恥じていて、生涯周囲には隠していたという。しかし、自身の日記で各々の発作の様子を記していた。


フィンセント・ファン・ゴッホ (画家)


スポーツ選手

ピート・アレクサンダー(元メジャーリーグ選手、300勝クラブ投手)
バディ・ベル(元メジャーリーグ選手)
トニー・ラゼリ(元メジャーリーグ選手)
フローレンス・ジョイナー(陸上選手・ソウルオリンピック金メダリスト)


作家

フィリップ・K・ディック(SF作家)
フョードル・ドストエフスキー(作家)
ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(作家、ノルウェー国歌の作詞者)
晩年に脳卒中に倒れた後、部分てんかんに罹った。


ギュスターヴ・フローベール(作家)


宗教

ピウス9世(カトリック教会の司祭)


ジャンヌ・ダルク(カトリック教会の聖女)


ギュイヨン夫人(神秘主義思想家)
ジョセフ・スミス・ジュニア(末日聖徒イエス・キリスト教会の設立者)
リジューのテレーズ(カトリック教会の聖人)

パウロ(新約聖書の著者の一人)


アビラのテレサ(スペインのローマ・カトリック教会の神秘主義思想家)
慢性的な頭痛や一時的なブラックアウトに悩まされ、酷いときには4日間も昏睡状態に陥ることもあったという。


ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(イスラム教の開祖)
側頭葉癲癇が、彼にインスピレーションを与えていた原因の一つである、という分析がある。


エゼキエル(預言者)
スウェーデンのビルギッタ(スウェーデンの聖職者)


学者

ソクラテス(哲学者)

エマヌエル・スヴェーデンボリ(科学者・政治家・神秘主義思想家)

カール・グスタフ・ユング(精神科医・心理学者)
幼少時、失神を伴う痙攣発作をたびたび起こしていた。


君主・王族

ミカエル4世(東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝)
イヴァン5世(ロマノフ朝第4代のモスクワ大公)
ジョン(イギリス王子)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
フェルディナント1世 (オーストリア皇帝、ハンガリー王、ボヘミア王)


政治家

ガイウス・ユリウス・カエサル(軍人・政治家)
ハリエット・タブマン(奴隷解放運動家)
イーダ・サクストン・マッキンリー(ウィリアム・マッキンリー第25代アメリカ合衆国大統領夫人)

ナポレオン・ボナパルト(軍人・政治家)
夜中に短時間しか眠らなかったというエピソードは、睡眠中に発作を起こすため、連続した睡眠が得られなかったことに起因している。


なお、彼は一般に「3時間しか眠らなかった」と言われるが、実際は昼寝をしていて、それを含めれば6〜8時間に達していた(当時彼に仕えていた人の日記などからそう判断される)。

ウラジーミル・レーニン(ソビエト連邦建国者)
亡くなる最後の数ヵ月前に発病し、てんかん重積が原因で死亡した。ちなみに、その発作は50分間も続いた。


その他


ダニエル・タメット(円周率暗唱のヨーロッパ記録保持者)
https://blogs.yahoo.co.jp/smkss434/3285585.html


大宗教の誕生と「側頭葉てんかん」


エドガ・ケイシーの眠りながらする予言、療法なども「てんかん」なのではないかと思う。ケイシー自身は「てんかん」を頭の病ではなく腸の問題であると喝破しているところがすごい。


「てんかん」を次のように考えているようだ。


ケイシーは、テンカンになる原因として、主に、


1.頚椎、脊椎の歪み

2.出産時もしくは出産前に発生したトラブル、

3.内分泌腺の不均衡

4.腸の乳び管の癒着や炎症


などを
あげています。


※(妊娠中の母親の不適切な食事が原因のものもある)


さらに、魂の選択して、自分の魂の成長のためにテンカンとして生まれた。あるいは
両親の魂の成長のために自分がテンカンで生まれることを選択した(病を持った
子どもの世話をすることで、両親が精神的、霊的に成長していく)というものもあるようです。(ameblo.jp/sorakazeum)


お腹への「強打」あるいは殴打のような、傷害あるいは外傷

* 付着に帰着するお腹の炎症を作り出す幼年期の発熱
*脊柱の傷害(特により低位背骨)
*妊娠合併症
*困難あるいは異常分娩に起因する出産時外傷

より明確に、ケイシーは、てんかんのほとんどのケースに腹部癒着が乳糜管にあると述べました。
乳糜管はリンパ系の一部です。
それらは腸を通し消化された食物の通路として小腸から栄養素を吸収します。
乳糜管中の付着は、栄養素(特に脂肪およびタンパク質)の吸収を阻害をすることができます。
また、付着は血液リンパ循環とを阻害し、バランスあるいは「調整」から神経系を影響外にします。
神経系不調整はてんかんにおいてケイシーリーディングで引用された主要な要因です。

(blog.kushiroph.com)


側頭葉てんかんと宗教の誕生


(blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime)


「脳の中の倫理」(マイケル.S.ガザニガ著、梶山あゆみ訳、紀伊國屋書店)という本を読んでみた。


脳という臓器が、


(1) 辻褄を合わせようとする(左脳の「解釈装置」で辻褄の合う物語を作る)臓器であり、

(2) 記憶も書き替えられるし、
(3) 不都合なことは忘れる臓器


だ、という研究の紹介だ。


著者自身が、特に、左右の脳を分離した状態の研究の大家であり、左脳の「解釈装置」に詳しいので、この本の後半の説明は面白い。犯罪の目撃証言がいかにあやふやなものかがよく分かるし、自分の記憶も簡単に信用してはいけないということもまた分かる。


「信じたがる脳」と題された第9章では、宗教的な体験と側頭葉てんかんの関連性

についての面白い仮説があった。


側頭葉てんかん は、てんかんの一種だが、意識の喪失や痙攣を伴わない。


患者は発作が起きると、 聴覚、視覚、嗅覚、触覚に異常を覚え、 しばらく茫然自失状態となったり、 口をぺちゃくちゃ動かすような症状が現れたりする。


側頭葉てんかんの患者は、発作が起きていない状況でも、ゲシュヴィント症候群と称せられる特色を持つとされこれは、


1. 過剰書字(たくさん文章を書かずにいられない).......作家、音楽家
2. 過剰な宗教性・道徳性......宗教家、心理学者
3. 攻撃性..........政治家、スポーツ
4. 粘着性..........学者
5. 性に対する極端な態度(非常に強まるか、弱まるか).....英雄


を示すという。典型的には画家のゴッホがそうだ。


ゴッホ以外にも側頭葉てんかんと考えられている有名人は、


ドストエフスキー、ルイス・キャロル、
アイザック・ニュートン、ギュスターブ・フローベール


などの天才、さらには、


パウロ、ムハンマド、
モーセ、仏陀、ジャンヌ・ダルク


などの宗教関係者が伝記から てんかん発作を経験していると思われるという。


側頭葉は強烈な宗教体験を知覚するときや、幻聴が聞こえるときに活動するとされており、弱い磁場を発するヘルメットで、側頭葉を刺激して、側頭葉てんかん発作のような明確な宗教体験をした(カナダのローレンシアン大学のマイケル・パーシンガーの研究)という研究もある。かつての、オウム真理教のヘッドギアも似たような効果のものだったのだろうか。


ガザニガの仮説は、大まかにいえば、


教祖の側頭葉てんかん発作ないしはそれに近い脳活動が宗教体験のもと になって、これが


左脳の解釈装置で現実と(ないしは物語と)一緒に解釈され、


ゲシュヴィント症候群の特徴を持った教祖が他人に影響を与える


ことによって、これが


現実生活に合ったものであった場合に、その宗教が大きくなっている のではないか、というようなストーリーだ。

側頭葉てんかん


(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa)


現在の脳科学では側頭葉癲癇患者が発作時に神秘体験をするといわれていますし、かなりの宗教的聖人とされている人が側頭葉癲癇であったろうとされています。


確かユングも側頭葉癲癇が疑われてるはずです。


側頭葉電気刺激で正常者でも神秘体験が再現性があるので、一定の脳への刺激で(激しい宗教的修行や臨死体験などの脳の低酸素状態で出現します)人間に内在してる宗教感覚が体感できる能力は遺伝子的に組み込まれてるのは明らかなんです。


彼はそれを癲癇患者なりに直感で人類共通にある宗教感覚と思ったんでしょう。


太古の昔から人類の進化には宗教とは切っても切れない関係があります。


氷河期などの環境の激変を乗り越え、飢餓や捕食者との戦いの連続の危機的な状況で集団で狩猟採取生活をし、子供を育て、農耕文化へと発展する進化の過程で集団をまとめるのは強いリーダーとシャーマニズムであると思われます。


自然を畏怖し死者を敬っていたのはかなり太古のネアンデルタール人でさえ遺跡に痕跡があるのです。


それこそが彼の言う文化や地域関係なく人類の共通の集団感覚なんでしょう。


あなたの思考する脳は人類200万年の進化の結晶であり、行動・思考はあなた個人の独創的なものでなくDNAに組み込まれた一定のパターンの中で選択してるはずです。


東京女子医大脳神経センター 脳神経外科
(soufusha.co.jp/hori/)


平沢研一、林 基弘、山根文孝、堀 智勝


日本全国において てんかん患者は120万人に達し、うち難治性は成人例で25%、小児例で13%、全体で17% (20万人)である。


これらの中で、側頭葉てんかん は、手術治療の最もよい適応の一つと考えられている。以下に側頭葉てんかんを概説し、我々の取り組みについて述べる。


発作: まず、


1. 上腹部のこみ上げるような不快感、

2. 異次元にいるような感じ、

3. ものが大きく見えたり、小さく見えたりする、

4. 恐怖感やいやな臭い、

5. 既視感


などの前兆から始まり、


6. 意識が混濁


する。


この際、


7. 動作を停止し、虚空を凝視する


ことが多い。さらに典型的には


8. 舌なめずりや、

9. 手でものをいじる、

10. 部屋の中を歩き回る


、といったいろいろなタイプの自動症がみられる。


一回の発作が1分程度と長いことが多く、また、発作後も意識混濁が数分間続くことが特徴的である。
https://blogs.yahoo.co.jp/smkss434/3285722.html

宗教とは何か(1)宗教とは宗教でないものではない
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150331/1427727600

 「宗教とは何か」ということについて、少しずつ考えてみようと思う。


 「宗教」とは何なのか。われわれは、たしかに何かを宗教と呼んでいる。しかし、「とは何か」ということになると、話は簡単ではない。

 これは、学問的に定義するのも難しければ、一般的な言葉で答えるのも難しいであろう。多くの場合、宗教とは何かと問われたら、「たとえば、キリスト教とか仏教とか」と個別の宗教を挙げるのではないかと思われる。あるいはそれから共通点を探そうとする。

 しかし、あらゆる「宗教」に共通のものは存在するのだろうか。われわれは、それが何であるとき、それがどのようであるとき、あるものを宗教と呼ぶのか。そのことは明らかに自明ではない。宗教の定義は、宗教学者の数だけあると言われている。


 上にあげたような、個別の宗教の名前を列挙することで「宗教」なるものを見出そうとする作法は、結局のところ「宗教なるものは存在しない」という態度を表していると言える。つまり、存在するのは個別の宗教だけであり、それらの上位概念たる「宗教」は、名称だけが存在するとみる。

 あるいは、これと対立するものとしてあえて挙げるなら、個別の宗教を超えた「宗教なるもの」が確かに存在するとみる立場もあるだろう。つまり、先に「宗教なるもの」があり、個別の宗教は全てその一つの表れのとみる。どちらをとるかは議論する価値があるだろう。

 一方で、この二つは「個別の宗教は複数ある」という認識は共有しているが、それすらもない場合もある。つまり、ある個別の宗教こそが普遍的実在だとみなす場合である。これは「原理主義」と呼ばれるが、こうなった時、他の宗教に対する非寛容が生じる。宗教は場合によっては、人間生活のあらゆる側面を規定するからである。

 宗教が個人の内面の問題だとされている場合は、人間生活の「それ以外」の領域は宗教からは自由である。しかし、宗教によっては、教義的に、「それ以外」の領域が存在しないものもある。たとえば国家の法律や社会の慣習が、宗教の教義と一致している場合である。そこでは、実践の領域も宗教の制限下にある。そのような場合、内部での連帯は強くなるが、異質なものへの排斥の念は強くなる。「他のもの」が入り込む隙間がないからである。

 しかし、他の宗教に対してどういう態度をとるのか、とってよいのか、とるべきなのかも宗教によっていろいろある。そして、それが教義上明らかにされている場合とされていない場合、あるいは教義にはなくてもコミュニティ内では暗黙的に決まっている場合がある。こうした複雑な実感のからみあいが個別の宗教を成立させている。


 もっとも、何かが「宗教である」ことが、われわれにはなぜかわかるとは言えるだろう。それを言葉にするのが難しくとも、われわれには、あるものが「宗教」あるいは「宗教的」であるのかないのかの判断はできている。そこには何か基準があるはずである。


 宗教とよく対立するのは「科学」である。科学者の多くは、宗教を過去のものとする。宗教は確かに、たとえば連帯を成り立たせ、想像の力を育て、倫理観を培ってきたと、「歴史的に」宗教に意義があったことは認める。しかし、理性を十分に使えるようになった人類には、もはや宗教は必要ないというのがそこでの考えである。このような発想は、本人が明示的に主張している場合と、暗黙の前提としている場合がある。

 こうした主張に対して、宗教の側からは、たとえば科学も一つの宗教であり、あらゆるイデオロギーも宗教であるとする反論がみられることがある。確かに、あらゆる体系を宗教とみなせば、それは宗教に見えるだろう。もっともそれは、メタファーの持つ性質による。メタファーとは、Aというものを理解するために、AをBであるととらえることによって、AのもつB的側面だけを強調するものだからである(ジョージ・レイコフ/マーク・ジョンソン『レトリックと人生』参照)。

 しかし、ここで重要なのは、それが便宜的な理解ための一つの方法であるということである。AをBであるととらえることが可能でも、AをBであるととらえること「によって」AがBであることを保証するわけではない。たとえば科学を宗教ととらえたところで、科学が宗教であることを証明するわけではない。

 それは、たとえば人間をサルであるととらえたところで、人間がサルであることを証明しているわけではないのと同じである。人間をサルであるととらえると、確かに人間のもつサル的側面が強調される。しかし、それは人間がサルであることの証明ではない。われわれは、人間をふつう人間だと思っており、サルだとは思っていないし、「違い」の方に注目しても、同じくらい見出されるからである。

 つまり、科学を宗教であるととらえるのは自由だが、そう考えたところで、われわれが科学を「科学」と呼び、「科学教」と呼んでいないのはなぜなのかという問題が生じる。「宗教とは何か」という問いに答える糸口は、一つはこのあたりにあるのではないかと思われる。

 もっとも、「科学も一つの宗教である」という宗教の側からの反論が、単に宗教の自己保身のための主張だとする判断は早計である。宗教の側と科学の側では、「宗教とは何か」ということに対する根本的な実感が異なるかもしれないからである。実際には、追求すべきなのはそうした対立の一つ上の視点からの理解である。


 いずれにしても、われわれが「あるものが宗教である」ことを判断していると考えられること、そして、あるものが「宗教ではない」ことも同様に判断していると考えられることから、「宗教とは何か」を問うにあたっては「宗教とは何でないか」という問いも掲げておくと、求める答えが得られる可能性は高くなるであろう。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150331/1427727600


宗教とは何か(2)少なくとも宗教は「信じる」ものである
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150401/1427884200


 前回、宗教と科学の関係について少しだけ触れたが、これについて「宗教とは信じるものであり、科学とは認めるもの」ではないかというコメントをいただいた。一般的には根強い考え方だが、今回はこれについて考えてみたい。


 「宗教とは信じるものであり、科学とは認めるものである」を解釈すると、ここで言われていることは、それとかかわるに際しての「態度」の区別であろう。つまり、宗教とは信じるという態度とともにあり、科学とは認めるという態度とともにある。このように考えれば、たしかに納得する人はたくさんいるだろう。日常的な言葉での表現としてはきわめて簡潔である。


 もっとも、ここで分析的な態度をとれば、ただちに「信じることと認めることの違いは何か」という問いが生じる。あるいは、「違いは何か」以前の問題として、信じることと認めることは別のことであるのかという問いもあるだろう。後者から考えてみることにする。


 単純に考えれば、言葉が違うのだから、違うものだと言えそうである。しかし、そのことは必ずしも自明ではない。なぜなら、「信じる」と「認める」という言葉を使い分けているのは、単に日本語という言語体系における習慣かもしれないからである。それが認知的なものと対応しているかは、必ずしも定かではない。

 とは言え、ここでは「違うものである」という態度をとりたい。私の実感では、同じものについて、「信じる」という時と「認める」という時では、思い描いているものが違うからである。これは、あくまでも私自身の実感に根差した判断であるが、多くの人は同意されるところではないかと思う。


 もっとも、信じることと認めることが別のことであり、それらに違いがあるとしても、それが宗教と科学の違いを説明するわけではない。なぜなら、宗教的な主張であっても納得すればわれわれは認めることがあるし、また科学的な主張でもたとえば「それは科学である」というお墨付きだけで信じている場合もあるからである。


 もっとも、宗教が基本的に「信じるもの」であるのは確かであろう。以下、特定の宗教を「信じる」ことについて少し考えておきたい。


 ちなみに、ここでおもしろいのは、ふつう、信じるのは個別の宗教のみであり、「宗教なるもの」を「信じる」人はいないということである。「○○教を信じる」とは言えても、「宗教を信じる」という言い方にはどこか「頭痛が痛い」と同じようなものを感じるのは、おそらく「宗教とは信じるものである」という前提がそこにあるからであろう。「私は宗教を信じる」と言う時、多くの場合の返答は「どの宗教?」であり、それなら「宗教なるものを信じる」ことは可能ではないと考えられているか、少なくとも一般的ではないと考えられる。


 では、特定の宗教を信じるようになるそれぞれのケースについて考えてみる。


 一つは、いつの間にか信じている場合である。このケースでは、子どものころから、あるいは社会にとりこまれる過程で、ある宗教を信じているのが当然だという認識を受け入れざるをえなかったというものが多いであろう(別のケースには、過去を否定する形で特定の宗教を信じ始める場合、たとえばある種の「洗脳」があった場合などがある)。

 もっとも、そうした事情で言わば「はじめから」特定の宗教を信じている場合でも、ある機会にその宗教を離れるケースは存在する。反対に、「その宗教を離れる」という選択肢を知る機会そのものがない場合もある。ドーキンスが『神は妄想である―宗教との決別』の冒頭で描いている「私は、そんなことができるとは知らなかった」である。こうした場合、その宗教の教義によっては、危険なものを生み出す可能性がある。そこでは、場合によっては不可避的に他者を排斥しなければならないからである。


 次に、自らの判断で特定の宗教を信じ始める場合である。そこでは、もともと宗教を信じていなかった、あるいは別の宗教を信じていたが、自分の意思と判断で特定の宗教に入信する。たとえば、自分の実感と最も合致する考えを持っている宗教を選ぶ場合もあるだろう。

 しかし、新たに入信する場合の多くは、比較検討したうえで選ぶというよりも、ある一つの宗教との強烈な「出会い」体験に根差している場合が多いと言える。それは、「どれかの宗教にかならず入信していなければならない」という制約でもない限り、わざわざいくつかの宗教を比較検討してどれかを選ぼうという動機が得られることがまずないからでもある。特定の宗教を信じることを、たとえば国家に強いられる場合は、そこでの主張は「この宗教を信じよ」であり、「どれでもいいからどれか一つを信じよ」ではない。

 「出会い」体験に根差している場合、どの宗教を選ぶかというのはつまり、こちら側から選ぶというよりも、「宗教の方からやってくる」場合が多い。そこでは、実はその人の内面ではすでにその宗教に親和的な、あるいはその宗教のものそのものである認知体系ができあがっている。なぜなら、知らない概念に名前はつけられないからである。そこでは、名前がついていることが存在を保証するのであり、「求めていたものが、確かにあった」ことに人は感動する。


 ここで、「信じる」というものはあくまでも内面的なものであると考えておきたい。われわれは、ある宗教を内面的に信じている場合と、ある宗教にかかわることを外面的に「実践している」場合がある。もっとも、「実践する」というとすでにある何らかの内面に照らして何かを実行に移すというニュアンスがあるから、ここでは単に「行う」と言った方がよいかもしれない。

 外面的という場合、たとえばその宗教の認知体系をもっているかどうかとは関係なく、その宗教と関係のある儀式なり行事に参加することを指す。そのような場合をわれわれはふつう「信じている」とは呼ばない。

 典型的な例は、日本で多くの人が仏教や神道、あるいはその他の宗教に関わる物事に接していながら、多くの人が「私は無宗教である」と言うことである。つまり宗教は、内面的生活がないところでは、文化や社会の一部となる。したがって、特定の宗教を「信じている」状態にあるには、特定の内面状態を持っている必要があると考えられる。

 その意味で言えば、「自分の意思と判断で入信する」場合も、多くは内面的にはすでに「信じて」おり、入信のための何らかの手続きを行うのは、あくまでも公的に、つまり外面的に「信じているとみなされる」ためであると言える。


 では、ある宗教を信じている時の「内面」はどのようなものであるのか。

 次回はそれについて考えてみたい。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150401/1427884200


宗教とは何か(3)宗教を知るには、心から信じるしかない
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150402/1427976000

 前回、「ある宗教を信じている時の内面はどのようなものであるのか」という問いを残した。今回はそれについて考えることにする。


 ある宗教を信じている時の実感がどのようなものであるかは、外からの理解は難しいであろう。そこでは、本人に話をきくのがひとまずの方法ではないかと思う。

 たとえば、「神がいるから信じるのではなく、信じるから神がいる」という主張がある。これは特に唯一神の存在を前提とする宗教を信じる人の主張であり、そうした人の実感を伝えるものであると思う。


 言いかえればこれは、認識についての問題であろう。つまり、「神がいるから信じる」という場合、神をどのように認識するのかという問題がある。

 それが、五感で感じられるものの場合は、他者との共有は容易であろう。「これだ」と示せばよい。しかし、多くの場合、神に限らず宗教的なものは五感では感じられないと言える。別の宗教を信じている人どうしでは時に、文字通り話が通じないからである。

 もっとも、人間は五感で感じられる世界にまずは生きているのであり、たとえば見たり触ったりできるものが、「宗教的なもの」として登場する場合もある。しかし、何らかの道具を使う場合も、それはあくまでも「向こう側」に到達するための手段であると言える。宗教における「リアル」は、精神的な領域にしか現れないのである。そのことが、他者からの理解を難しくする。


 言いかえれば、「信じていない人に信じさせることはできない」と言えるであろう。「信じるから神がいる」とは、「信じている」という状態になることによって、「神が認識できるようになる」ことを指す。そこではやはり、信じることが先なのである。それなら、信じるという行為によって宗教が生まれたのだから、宗教が「信じる」ものであるのは当然かもしれない。

 そこでは、あくまでも信じた結果として「神がいる」のである。しかし、いったん神を信じれば、あらゆる物事が、神が存在する証拠に見えてくる。神を信じていなければ、「これが証拠だ」とみせられても、神は見えないのである。なぜなら、その人の内面にはまだ「神はいない」からである。


 布教を行う場合に「まず、問答無用で神を信じてください」という態度になりがちなのは、裏から言えばつまり、それしか入り口がないからであろう。もっとも、ここにあげたようなパターンは、個人の内面を重視する宗教におけるものである。特に一神教の発想であろう。たとえばキリスト教である。

 キリスト教では、「神」が「イエスを救世主として遣わした」と心から信じれば、それだけでキリスト教徒になる。洗礼その他の儀式は、あくまでも他者からキリスト教徒であると「みなされる」入り口である。


 逆のパターンは、内面に信仰がなくても、外面的な行いに参加しているうちにいつしか内面も変化してゆくことである。そこでは、教義を理解している必要はない。時には、教義がわからなくても、実践してさえいれば「救われる」からである。これは、たとえば中世のカトリックにみられる。宗教においては、教義の理解と実践は別なのである。


 逆に言えば、教義を理解するだけでは、ある宗教を知ったことにはならないということになる。なぜなら、信仰という内面的実践を持っていない限りは、実感が異なるだろうからである。

 しかし、内面がいったんある宗教の認知体系になってしまえば、それ以外はみえなくなると考えられる。二つ以上の宗教を同時に信じている人がいないのは、そのためであろう。ある宗教を知るには、その宗教を「心から信じる」しかないのである。いくつもの宗教を「同時に」心から信じることは、構造的にできないのであろう。宗教理解が難しいのは、この点にある。


 前回「科学」と対比した際に、科学の側と宗教の側では「宗教とは何か」についての理解が根本的に異なるのではないかとしたが、それは確からしいと思われる。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150402/1427976000


「神秘体験」とは何か(1)サードマン現象
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150408/1428501600


 「宗教」について考えることの延長として、親和性が高いと思われる「神秘体験」について考えてみたい。


 いわゆる「神秘体験」を定義するのは難しいが、

(1)日常的に起こるものではないこと、
(2)多くの人にとって不可解な現象であること、

くらいを確認しておけばとりあえずは問題ないであろう。

 一般的によく言われるのは「科学では説明がつかない」ということだが、これは話が逆で、実際には神秘体験と呼ばれる多くの現象は科学ではけっこう説明がついている。つまり、どちらかと言えば「科学で説明できない」のではなく「日常的な実感で説明がつかない」もので、科学で説明がつかないと「思われている」のが神秘体験なのである(要するに、他のあらゆる領域でもそうであるように、一般的な実感は専門的な説明とはかけ離れていることが多いのである)。


 「サードマン現象」というものがある。一言で言えば、とくに非日常的な場面において、何らかの危機的状況に陥った時、そこにいないはずの「誰か」(サードマン=第三の人)が現れて助けてくれるというものである。実例については新潮文庫の

『サードマン: 奇跡の生還へ導く人』
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3-%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E7%94%9F%E9%82%84%E3%81%B8%E5%B0%8E%E3%81%8F%E4%BA%BA-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC/dp/4102184910

にたくさんある。

 たとえば雪山で遭難したとき、誰かの励ます声が聞こえる。あるいは正しい道を教えてくれる。共通するのは、自分ではない「誰か」の存在を感じることで、生還した人は決まって「誰か」に「助けられた」と言う。


 これは実際には幻覚と呼ばれるものの一種であるが、本人にとっては強烈な体験であるために、とても自分で起こしているとは信じないことが多い。しかし、実際は自分の脳が起こしている。人間の心に起こることは、最終的にはすべて脳が起こしているのである(脳と心は、同じ一つの存在だからである)。

 たとえばわかりやすい例は、夜道を一人で歩いている時に誰もいないのに気配を感じるというものである。あるいは幽霊が見えたとか自分の部屋に誰かいたとかでもよい。いずれも、自分がそう思ったことがリアルに「見えてしまう」。これは、前回あげた「信じるから神がいる」のメカニズムに通ずる。

 実は人の脳は、外部刺激、つまり感覚器官からの入力が単調になると、スクリーンに映画を映すかのように外部に内面状態を映すようになる。それは、脳にとっての整合性を保つためである。実際にはこれは四六時中やっているのだが、環境が単調になるとその傾向が明白に強まる。

 たとえば夜道なら、ふつうは真っ暗、つまり視覚的変化に乏しく、周囲は静まり返っているから、聴覚的にも変化に乏しい。そこでは、小さな刺激にも過敏に反応して、「何か」を見出し、「意味」を作り出してしまう。わざわざ木を人と見たり、風の音を人の声と聞いたりするのである。これがひどくなるとサードマンも現れる。

 もちろん、サードマン現象が起こる要因は一つではない。というより、「誰か」の存在を感じたという部分が共通しているだけであり、実際にはいくつかの異なる現象がまとめてサードマン現象と呼ばれていると言えるだろう。しかし、このように要素を追ってみると説明は可能である。

 そもそも、人間の脳は生存のために情報処理を行うべく動いているのであり、非日常的な状況になればなるほど、非日常的な体験をしやすくなる。たとえば雪山の例では、低体温、低酸素、孤独感といったストレスも認識に大きく影響を与えている。サードマン現象では、幻聴とはとても思えないようなリアルな呼びかけを聴いたりもするが、人間の認識が常に「外部刺激」とそれによって引き出される「記憶」の「統合」により生じていることを考えれば、それとて不可解なものではない。


 上のような例は、状況次第で誰にでも起こるものである。宗教と関連付けて言えば、「誰か」をたとえば「神」だと認識してしまえば、信仰心が篤くなることは容易に想像される。

「宗教とは何か(2)少なくとも宗教は「信じる」ものである」
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150401/1427884200

で「出会い体験」について書いたが、宗教と神秘体験の親和性が高いのはこのようなことからも説明可能だろう。逆に言えばそれは人間の認知構造に根差しているために、宗教という体系性を持ったものとセットで認識されると、なかなか離れがたいものになるのである。


 この「極限状態」の軽いバージョンが、もろもろの宗教的な「場」であろう。「場」には物理的な「場所」と、特定の「機会」を両方含むが、前者ならいわゆる「聖地」や教会、聖堂、寺院、祭壇等、後者は儀式・儀礼である。

 こうした場では、日常とは異なる体感を引き起こす要素、とくに視覚的、聴覚的にうったえかけるものが多い。あるいは大人数で歌を歌う時の肉体的同調、お経のように単調で一定周波数の音を聞く、炎を見つめるなど、いずれにしても環境的に非日常的な外部刺激がつくられている。だからこそ、そこでは神や仏も感じられるのである。


 さて、神秘体験については、上に挙げた状況的に起こりやすい場合のほか、先天的、あるいは後天的な体質により起こりやすい場合、そして自ら起こす場合があるであろうが、それらについては次回以降にふれることにする。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150408/1428501600


「神秘体験」とは何か(2)神秘体験が起きやすい体質
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150409/1428584400


 「宗教」について考えることの一環として「神秘体験」を取り上げているが、前回は「状況的に起こりやすい」場合に注目してみた。今回は、「先天的、あるいは後天的に体験しやすい体質を持っている場合」について考えてみたい。先天的という場合は遺伝的特質によるもの、後天的という場合は怪我などによる損傷によるものだが、いずれにしても肉体的、身体的ということである。


 「幻覚」を頻繁に体験する場合は、現代社会では何らかの病気と診断されていることが多い(幻覚そのものが病気なのではなく、症状の一つとして幻覚が起こる)。しかし、何が病気かはあくまでもそれぞれの時代にそれぞれの場所で文化的に定義されるものである。われわれは常に、自らを基準にして物事を測るからである。


 たとえば、ジュリアン・ジェインズは、文献からの分析で、四千年ほど前までの人々はみな現代でいう「統合失調症」の状態にあったのではないかと推測している

(『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E6%B2%88%E9%BB%99%E2%80%95%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%A8%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%AE%E8%88%88%E4%BA%A1-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/4314009780


そこでは、「病気」という概念はおそらくなく、今でいう「幻覚」は日常体験だったと考えられる。これは、古代人の信仰心の篤さと関係があるかもしれない。古代では、およそ信仰のないところに歴史は生まれていない。

 あるいは、統合失調症は精神障害であるが、より物理レベルに近いところで言えば、側頭葉てんかんがある。側頭葉はもともと宗教的体験と関係が深い領域であるとされるが、たとえばよくあげられるのはサウロの例である(サウロはパウロの改宗前の名前である)。

 記述によれば、サウロはダマスコへ向かう旅路で突然強い光を受けて倒れ、目が見えなくなった。その時、「なぜわたしを迫害するのか」というイエスの声を聞いたという。側頭葉てんかんでは発作が起きると五感に異常を覚え、幻覚を体験することが多い。もちろん、これだけで断定できるわけではないが、その他の記述ともあわせてみれば、サウロが側頭葉てんかんだった可能性は高いとされている。

 このように、古来より宗教的体験はその記述を追ってみると病気の症状である場合が多い。マイケル・ガザニガによれば、モーセやブッダ、ムハンマドについても側頭葉てんかんが疑われるという

(『脳のなかの倫理―脳倫理学序説』)
https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E2%80%95%E8%84%B3%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E5%BA%8F%E8%AA%AC-%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BBS-%E3%82%AC%E3%82%B6%E3%83%8B%E3%82%AC/dp/4314009993


このように考えれば、ある時代までは、ある種の病気を持つ人は「異常」とレッテルを貼られるどころか、尊敬される対象だったのである。各地にみられるシャーマンも何らかの特異な体質を持っていることが多い(あるいは、幻覚作用のある植物を使うことも多いが)。


 神秘体験を得てそれが宗教と結びつく場合、特定の宗教の敬虔な信者となる場合と、本人が新たな宗教の教祖になる場合、あるいはサウロのように伝道者となる場合がある。いずれにしてもここで重要なのは、本人が、それが宗教的経験であると本気で信じているということである。実際には自分の脳によるものであるが、そうした知識がなければ宗教的体験であると解釈するのも無理はない。

 一般に、いかなる話であれ第三者が語るよりも本人が語る方が説得力が増すのは、身体的に空間を共有していると体感が伝播するからであるが、ここでは、本人が本当に強烈な体験をした経験を臨場感をもって思い出しながら語ることで、時にその体感とともに信念体系をも伝播させる。こうして本人が知らないうちに教祖なり伝道者なり、敬虔な信者となるのである。


 このように、宗教的体験が人間の認知構造に根差していると考えれば、人間は誰もが宗教的体験を覚える可能性があることになり、常に一定程度の宗教家や信者がいることは理解される。特定の宗教を知る者にはその宗教のリアリティが高まるであろうし、宗教を知らなければむしろ、そのような体験をすることで人間は宗教を作り出したと言えるのかもしれない。

 その意味では、人間にとって「宗教」とは、信じる方が普通であるようなものかもしれないだろう。つまり、どちらかと言えば、「信じる」ことを選択するのではなく、「信じない」ことを選択するのである。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150409/1428584400


「神秘体験」とは何か(3)自ら起こす場合
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150415/1429095600


 宗教を考える延長上で「神秘体験」に注目しているが、前回と前々回ではそれぞれ「状況的に起こりやすい場合」と「体質として起こりやすい場合」をとりあげた。今回は、「自ら起こす」場合について考えてみたい。少しあやしくなってきた。


 宗教において神秘体験を自ら起こすというと、いわゆる「修行」というものがかかわってくるであろう。「修行」というともっぱら東洋的な語感であるが、ここでは何にせよ、「何らかの形で身体にはたらきかけることで、心理状態あるいは脳内状態を自発的に変化させること」を指すことにする。つまり、心と身体が一つであることを利用している。

 宗教的行為のほとんどは、もともとはその意味での修行である。これは、伝統宗教でも民族宗教でも、新興宗教でもかわりはない。その本来的な意味からずれて表面的なところだけが残ったとき、それは文化に取り込まれるのだとも言えるであろう。そもそも各宗教にある聖地の巡礼にしても、もともとは祈ったり拝んだりすることが目的というよりも、そこに行くまでの行程が修行であった。修行はすべて、特定の精神状態に行きつくための一連の手段であり、最後のところだけをやっても意味がないのである。


 修行は、必ずしも苦行ではないと言われる。しかし、苦しいかどうかは本人の感覚によるだろう。外から見てどんなに苦しそうでも、本人の中では至福体験であるかもしれないから、これを区別することにあまり意味はないと思われる。苦行でも行きすぎると死んでしまうであろうから(それだから死んでしまう人もいる)、いずれにしてもどこかの段階でいわゆる脳内麻薬が出ていることは間違いないと考えられる。たとえばエンドルフィンであればいわゆる「ランナーズハイ」と同じメカニズムである。身体に負荷がかかりすぎると、脳の方が「もういいでしょう」と言ってくる。

 あるいは運動を促すドーパミンや、危機状態において「fight or flight」(闘争か逃走か)の判断を迫るノルアドレナリンも、出すぎると「行き過ぎ」を止めて精神状態を安定させるために相応のセロトニンが出る。セロトニンが大量に出ているときはいわば「落ち着いて」気分がよくなるから、思い切り身体を使ったり頭を使ったり、危ない状態になればなるほど、相対的にその後の「心の平穏」も強くなるのである(自傷行為のメカニズムもこれである)。これが修行や至福体験と関係が深いことは容易に想像される。


 もっとも、宗教ではそうした心と身体のメカニズムについて明示されない場合が多い。というか、それを明らかにしていたら宗教にならない。多くは、ただ教義に則って何事かを行っていれば、いつしか自然に特定の状態が生じる。そこで生じるのはあくまでも「体感」であり、その意味付けを行うのは本人である。したがって、人間の性質として自然に起こると本人が知らなければ、何らかの超越的なものを感じるほかなくなる。そこでは言わば、宗教は頭よりも先に身体を取り込むのである。


 その意味では、布教においては「とりあえず信じてもらう」のとは別に、「とりあえずやってみてもらう」というのがあり、その前提として「とりあえずふれておいてもらう」というのがあるのであろう。修行以前に環境として慣れ親しんでいること、つまり特定の宗教にかかわる何かが身の回りにあることは、動機づけとして重要な意味をもつと考えられる。つまり、文化の中からも布教するのである。そうして外堀を埋める。

 たとえばヨーロッパ文化におけるキリスト教を考えてみると、教会建築、聖歌、パンとぶどう酒、あるいはクラシック音楽は神の世界を表現するためにはじまったものであるし、絵画も当初はもっぱら宗教画である。さらには「科学」でさえも、当初の科学者たちは「神が創ったこの世界の素晴らしさを知るために」研究している場合が少なくない。こんな環境にいたら、無縁でいる方が無理があるだろう。

 キリスト教については、布教の過程でヨーロッパがキリスト教化すると同時にキリスト教がヨーロッパ化したと言われるくらいだから、文化と一体になることもまた宗教の宿命なのであろう。一般に宗教は、伝播した先ではもとのそれとは似ても似つかないものに変形する。これはキリスト教でも仏教でも同じである。そうしないと成立しないのであろう。

 逆に言えば、構造的に変形できない宗教は広められる範囲に限界がある。歴史的にイスラム教が日本に入ってこなかったのはそのためだという人もある。キリスト教がこれほど拡大できたのは、おそらく信仰の第一義を内面生活にのみ置くからである。そこでは、頭の中で信じてさえいれば、外面的に何をやっているかは言わば関係がない。「隠れクリスチャン」はクリスチャンだからこそ可能なのである。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150415/1429095600

シャーマンの病

 イタコの入魂儀礼も時代と場所によって多様であるが、いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をする。寒い冬の水垢離は冷気に耐えかねて逆に身体に熱を発生させる。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じるのである。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴である。不動明王が右手にもつ、倶利伽藍(くりから)の剣に蛇が巻きついているのは、このことを表しているように思える。正常な意識では耐えられないので思考から切り離すため祝詞や祭文といったマントラを延々と唱え続ける。イタコは変成意識状態の中で神や仏と出会うのである。

 右耳の上にある大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれている。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが解っている。この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになる。


イタコの入魂儀礼は堪え難い疲労と緊張によるストレスが引き金になり大脳の右側頭葉の回路にスイッチが入るのだ。儀礼はスイッチが入るまで続く。

そうして右脳の中から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生するのだ。

イタコ系は人為的だがカミサマ系の教祖達は人生の中で極端な不幸、災難、困難を経験して発狂寸前まで追い込まれる。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。

日常を超えたこのような体験はシャーマンの病と呼ばれる。


意識の成長・進化


 体験を否定して自我の崩壊、分裂が起こることもある。自我がある程度発達していないと恐怖のあまり退行してしまうのだ。閉じこもってそこから出て来ようとしなくなる。退行してしまうと、自我を越えることも社会にも適応できない状態に置かれてしまう。

 体験が肥大化すると、自分は凄い人間なんだとうぬぼれてしまう。教祖が信徒に攻撃的になったり人に対して抑圧的、支配的になってしまうのは抑圧された無意識のエネルギーに巻き込まれてしまっているからである。カルトや新興宗教の教祖にこのようなタイプがいるので注意が必要だ。

 私たちは自分の思考や感情を波動として周囲に放射しているので自我の境界が薄くなった人は気をつけなくてはいけない。霊能や特殊な能力をえて人に認めてもらいたいというのは自己評価欲求が満たされていない段階なので、問題を生じやすいのである。

 不思議なヴィジョンを見たり、異常な肉体の感覚を経験したり、このような普通では考えられない体験を大いなる自己に統合できれば意識の成長・進化がおこる可能性がある。

 それには抑圧されたエネルギーを解放し、体験を否定も肯定もせずただあるがままに見てゆく観察的な自我を育てることが必要だ。
http://homepage.mac.com/iihatobu/work/itako.html#anchor11


「神の存在」という幻想(1)
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/09/26/100035


ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』
https://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE%E5%B9%BD%E9%9C%8A-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%EF%BC%B6%E3%83%BB%EF%BC%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3/dp/4042982115


ラマチャンドランは、局所発作(てんかんの発作)が大脳辺縁系に起こると、次のような症状になるという。


患者は、強い恍惚感から深い絶望、破滅のときが迫っているという気持ち、はては極度の怒りや恐怖まで、「感情がもえさかる」という。女性はときどき発作の最中にオーガズムを感じることがある。理由ははっきりしないが男性にはない。しかしなかでも一番注目に値するのは、神聖な存在を感じたり、神と直接コミュニケーションしたと感じるなど、感動的な霊的体験をする患者たちだ。周囲のあらゆるものが宇宙的な意味に満たされていると患者は言う。「私はようやく、すべてを理解しました。このときをずっと待っていたんです。不意にすべてがのみこめました」。「ついに私は宇宙の真髄を見抜きました」。

皮肉なことだが私は、この悟ったという意識、真実がついに啓示されたという絶対的な確信は、情動に関与する辺縁系からくるはずで、思考をつかさどる合理的な脳領域――真実と偽物を識別する能力をおおいに誇っている領域――からくるはずがないと理解している。

大脳辺縁系を理解しておこう。

http://www.cis.twcu.ac.jp/~asakawa/BrainScience2008/Pictures/Pinel002.jpg


辺縁系には、海馬・扁桃体・中隔・視床前核・乳頭体・帯状回などが含まれる。脳弓は長い神経線維束で、海馬と乳頭体をつなぐ。辺縁系は感覚や運動に直接かかわるのではなく、事象から抽出された情報や事象の記憶、事象に関連する感情などを扱う、中核的な処理システムを構成している。


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/d0/c319628432589f964219719493388cf9.jpg


辺縁系はすべての感覚系(視覚・触覚・聴覚・味覚・嗅覚)から入力を受ける。辺縁系の出力は、主として情動の体験と表出に向けて調整される。情動体験は前頭葉との相互結合によって媒介されており、内面の感情の豊かさの多くは、恐らくこれらの相互作用によっていると思われる。これらの感情を外界に向かって表出するには、視床下部と呼ばれる、小さな核が密に集まった部位の関与が必要になる。

もう一つ、てんかん(癲癇)についても理解しておこう。


てんかんは、突然意識を失って反応がなくなるなどの「てんかん発作」をくりかえし起こす病気ですが、その原因や症状は人により様々で、乳幼児から高齢者までどの年齢層でも発病する可能性があり、患者数も1000人に5人〜8人(日本全体で60万〜100万人)と、誰もがかかる可能性のあるありふれた病気のひとつです。「てんかん発作」は、脳の一部の神経細胞が突然一時的に異常な電気活動(電気発射)を起こすことにより生じますが、脳のどの範囲で電気発射が起こるかにより様々な「発作症状」を示します。しかし症状は基本的に一過性で、てんかん発作終了後は元通りの状態に回復することが特徴です。原因は様々で、脳腫瘍や頭部外傷後遺症などの明らかな原因がある場合は「症候性てんかん」、原因不明の場合は「特発性てんかん」と呼ばれます。(厚労省 http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_epilepsy.html

ラマチャンドランの説明では、


「てんかん」と聞くと、たいていは、ひきつけを起こして倒れる人を思い浮かべるだろう。こうした症状は、大発作と呼ばれる、最もよく知られているタイプのてんかんの特徴である。こうした発作はふつう、脳のどこかでニューロンの小集団が混乱した発火を行い、その活動が野火のように広がって脳全体をのみこんでしまうことによる。しかし発作には「局所的な」発作、すなわち1カ所の狭い範囲にほぼとどまっているものもある。この局所発作が運動皮質で起こると、連続した筋肉の痙攣が生じる(ジャクソンてんかん)。局所発作が大脳辺縁系に起こると、感情の症状がもっとも顕著となる。[以下、冒頭の引用に続く]

以上の記述によれば、辺縁系のどこかに異常な電気活動が起こると、神秘的な体験をするということのようだ。


この患者たちは神の目をまっすぐに見つめるという、類のない特権を発作のたびに享受している。こういう体験が(どんな意味においても)「本物」かそれとも「病的」か、誰が決められるだろう。医師はこういう患者に薬を飲ませて、全脳の神が降臨するのを阻止すべきなのだろうか?

http://wildhopeartgallery.com/wp-content/uploads/2015/04/Karen-Weihs_IMG_4977-1020x1024.jpg


この問いは、意外に重要な問いであるかもしれない。普通の「正常」な人は、このような神秘体験を病気とみなし治療すべきというのではないだろうか。しかしそれは「類のない特権」を否定するという抑圧的行動になる可能性を考慮したものであるかどうか。人類の進化を否定する行為になるかもしれないと考えた結果であるのかどうか。他方、それは後天的な経験の発現(単なる願望)という単純なことであるのかもしれない。
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/09/26/100035


「神の存在」という幻想(2) 神秘体験(宗教)は、精神疾患である?
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/10/26/210000


神秘体験(スピリチュアル/宗教体験)は病気(精神疾患)なのかどうかに関して、ラマチャンドランは、神経科学者として興味深い議論をしている。


大脳辺縁系のなかを神経インパルスの衝撃が大量かつ頻繁に通過すると、ある回路が永久的に「促進」されるか、あるいは大雨の水が丘陵をどっと流れ、新しい小川や溝や水路をつくるように、新しいルートが開かれるのかもしれない。このキンドリングと呼ばれる現象が、患者の内的な感情のあり方を永久的に変化させる――そしてときには豊かにする――のかもしれない。

こうした変化は、一部の神経科医が「側頭葉人格」と呼んでいるものを生み出す。患者は情動が強まり、ささいな出来事に宇宙的な意味を見出す。彼らはユーモアに欠け、ひどく尊大で、毎日の出来事をことこまかに日記に記録しつづける傾向(過書字と呼ばれる特徴)があるとされている。患者たちはときおり私に、神秘的なシンボルや記号でいっぱいの何百頁にもおよぶ書き物をくれる。患者の一部は、理屈っぽくて細かいことにうるさく、自分本位である(もっとも科学者仲間の多くにくらべればまだましだが)。そして哲学的、神学的な問題にとりつかれたように没頭する。

「理屈っぽくて、細かいことにうるさく、自分本位である」ことは、神秘家のみならず、似非科学者(似非評論家)の特徴である。やたら屁理屈をこね、些細などうでもよいことに拘り、自分は間違うはずがないと自信満々に主張する者に接すると、私は一体どうしたものかとおおいに悩む。


https://spiritualmusclehead.files.wordpress.com/2014/09/spiritual-1.jpg


「メルクマニュアル医学百科 家庭版」は、「側頭葉の損傷」について、次のように述べている。


右の側頭葉が損傷を受けると、音や形の記憶が障害される傾向があります。言語が左半球優位である人が左の側頭葉に損傷を受けた場合は、言葉の記憶や言語の理解能力が著しく低下することがあり、これはウェルニッケ失語症(受容性失語)と呼ばれます。ときとして、側頭葉の一部が損傷を受けると、ユーモアがなくなる、狂信的になる、性欲がなくなるなど、人格の変化が生じることがあります。


ラマチャンドランは、ポールというてんかん患者を診察した。


ポールは、自分の考えに夢中で、信者としての尊大さは持っていたが、深い宗教心の謙虚さはまるでなかった。…彼は歓喜を覚え、ほかのものは何もかも色あせた。歓喜の中で神をはっきりと感知した――カテゴリーも境界もなく、創造主との一体感だけがあった。彼はこの話を細部まで念入りに、とてもしつこく説明した。…翌日ポールは私の研究室に、派手な装飾の緑色の表紙を付けた膨大な量の原稿を持ってやってきた。彼が数か月前から取り組んでいる課題である。それには哲学や神秘主義や宗教に対する彼の見解、三位一体の神の本質、ダビデの星の図、霊的な題材を描いた精緻な絵、一風変わった神秘的なシンボルや図などが並んでいた。…ポールがフラッシュバックの話をしているときに「あなたは神を信じていますか」とふいに問いかけてみた。彼は当惑したような様子で「だって、ほかに何があるんです?」と言った。


http://images.elephantjournal.com/wp-content/uploads/2014/02/spiritual-man.jpg


ポールのような患者は、なぜ宗教的な体験をするかに関して、ラマチャンドランは4つの可能性をあげている。

第1の可能性は「神が本当に彼らを訪れている」というもの。


もしこれが事実なら、それはそれでいい。神の無限の叡智にだれが疑問をさしはさめるだろう。残念だがこの可能性は、実験的に証明したり除外したりはできない。

これは科学者としては良心的な態度だろう。実験的に証明できないからと言って、この可能性を排除していない。しかし、ラマチャンドランがこのように言うとき、彼には「神」がどのようなものであるかについての一定の観念があると思われる。私にはそれがどのようなものであるかよく分からないので、実験的に証明できないと言われても、本当に?と疑問に思ってしまう。


第2の可能性は、「ありとあらゆる奇妙で不可解な感情の体験に対処するために、宗教的な静謐という、穏やかな沐浴を求める」というもの。


こうした患者は、まるで大釜が煮えたぎるように、ありとあらゆる奇妙で不可解な感情を体験するので、唯一の頼みの綱として宗教的な静謐という、穏やかな沐浴を求める。

精神安定剤としての宗教という考えは、かなり説得力あるように思える。免疫力が弱い子どもや老人(精神年齢)には、「ありとあらゆる奇妙で不可解な感情」が押し寄せてきても抵抗できるように宗教という精神安定剤を処方しようということになるのだろうか。

ラマチャンドランは次のような説明も検討している。


ごたまぜの感情が別の世界からの神秘的なメッセージとして、誤って解釈されるのかもしれない。

しかし、この説明はありそうもないとして、退けられる。


前頭葉シンドロームや精神分裂病、躁鬱病、それに単なる抑鬱などの神経および精神障害でも感情が混乱するが、こうした患者がこれほど宗教に心を奪われるケースはめったにない。…精神分裂病患者には、側頭葉てんかん患者のような強い熱情や、強迫観念めいた形は見られない。したがって、没我的な信心を、感情の変動だけで説明することはできない。


第3の可能性は、「キンドリング現象」によるというもの。


世界の不確かさに対処するには、辺縁系の他の部位や海馬にメッセージを送って闘争か逃走かに備える指令を出す前に、事象の顕著な特徴を何らかの方法で評価する必要がある。ところが辺縁系に発作が起こり、そこから出た偽のシグナルがこれらの経路を流れるとキンドリングが起こる。「顕著な特徴」の経路が増強され、脳組織どうしのコミュニケーションが増加する。人や事象を見たり、声や音を聞く感覚領域は、情動中枢とより密接に結合するようになる。その結果は? 顕著なものだけでなく、あらゆる物体と事象に深い意味がふきこまれ、患者は「一粒の砂の中に宇宙を」見たり、「自分の掌の中に無限を」つかんだりする。そして宗教的恍惚の海にただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸へと運ばれていく。

キンドリングにより、「宗教的恍惚の海にただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸へと運ばれていく」のならば、意図的に辺縁系に刺激を与えたくなるのではないか。…あなたは、「経験機械」につながれたいですか?(2015/2/20)で紹介したハッピーサプリが思い浮かぶ。

ラマチャンドランは、この可能性を実験的に検証した。その結果は?(次回に紹介)


第4の可能性は、「人間は、宗教的経験を伝達することを唯一の目的とする、特別な神経回路を進化させてきた」というもの。


超自然的な存在を信じる傾向が世界中のあらゆる社会にあまりに広く見られる。…生物学的な基盤があるとするなら、鍵となる疑問「どんな種類の選択圧がそのような機構を引き起こすのか」に答えなくてはならない。もしそのような機構があるとしたら、主として信仰や霊的な学習に関与する遺伝子あるいは遺伝子グループがあるのだろうか? 無神論者は、この遺伝子を持っていないか、これを出し抜くコツを習得しているのだろうか(これは冗談)。

この種の議論は進化心理学(社会生物学)の分野で行われているそうで、興味深いものがあるが、ここではラマチャンドランの話を聞くにとどめよう。


進化心理学の中心的な教義によれば、人間の特性や性向の多くは、ふつう「文化」によるとされがちなものでさえ、実は、適応的な価値を持っているので自然選択に導かれて特異的に選ばれてきた。…他方、こうした「進化心理学」の理論がいきすぎないように注意する必要がある。ある特性が普遍的に見られても、それだけではその特性が遺伝的に規定されているとは言えない。

では、進化心理学は宗教の起源をどのように説明するのか。


宗教(あるいは神や霊性を信じること)は、文化が主たる役割を果たしている料理に似ているのか。それとも強い遺伝的基盤を持っていると思われる一夫多妻婚のほうに似ているのか。

一つの可能性として、権威ある象徴を求める人類普遍の傾向が遵奉的な特性を促進し、同じ遺伝子を共有する社会集団(血縁集団)の安定性に寄与するのではないかと考えられる。したがって遵奉的特性の育成を促進する遺伝子は、繁栄し増加する。そしてこれを持たない人は社会的に逸脱した行動をとるために排斥され処罰される。…宗教遵奉の「遺伝子」を信じるかどうかに関わらず、側頭葉の特定の部位がこのような宗教的経験に、他のどの部位よりも直接的な役割を果たしていることは明らかである。

「宗教遵奉の遺伝子」は、誰かがまじめにその存在を証明しようとしているのだろうか。「権威ある象徴を求める性向」の遺伝子といったら、どうだろうか。もう少しブレークダウンしたら実験可能になるかもしれない。


患者にとってはどんな変化も本物で、ときには望ましくさえあり、医師には、人格に秘儀的な色合いがあることの価値を判断する権利はない。神秘的体験を正常であるとか異常であるとかを、誰がどんな根拠で決められるだろうか。「変わった」ことや「稀な」ことを異常と同等にみなす傾向が一般にあるが、これは論理的に間違っている。天才は稀だが非常に価値の高い特性であり、虫歯はごく普通にあるが、あきらかに望ましくない。

心に留めて欲しいのは、(側頭葉が宗教に関係しているという)まったく同じ証拠が、使いようによっては神の存在に対する反証ではなく、神の存在を支持する証拠にもなるということだ。例えば、大半の動物は色覚に関するレセプターや神経機構を持っていない。特権的な少数者だけが持っているのだが、だからと言って色が実在しないという結論になるだろうか? ならないのは明らかだが、ではなぜ同じ論法が神には適用されないのか。もしかすると、「選ばれた」人たちだけが、神の存在を知るのに必要な神経結合を持っているかもしれないではないか。

人格神を想定していると、全くナンセンスなことを議論していると思われるかもしれないが、次のような汎神論を考慮に入れて、もう一度ラマチャンドランの記述を読み返してみるのも面白いかもしれない。


汎神論…存在するものの総体(世界・宇宙・自然)は一に帰着し、かつこの一者は神であるとする思想をいう。「一にして全(ヘン・カイ・パン)」「梵我一如(ぼんがいちにょ)」「神即自然」などが標語として用いられる。世界そのものが神であるとするから、有神論のように世界の外にある神と被造的世界との絶対的対立を認めず、すべてのものは神の現象であり、あるいは神を内に含むとする点で、創造以後は神は被造物に干渉しないとする理神論と異なる。神を世界を統一する普遍的原理、法則性として考える点で合理的側面をもつが、その反面で自我の神への帰入、主観と客観との絶対的合一を説いて神秘主義に至りやすい。神と世界とについて明確な概念が形成された後で登場するのが普通である。ウパニシャッド、古代ギリシアの一部に最初にみられる。西欧近世以降のブルーノ、スピノザ、ドイツ観念論とその周辺の思想家たちの汎神論的思想は、宗教の非合理性を排して、近代自然科学と調和させようという意図で築かれたものである。[藤澤賢一郎/日本大百科全書(ニッポニカ)]
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/10/26/210000


「神の存在」という幻想(3) 「神モジュール」と「婚約数」
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/11/12/210000

今日、「神経科学」は、急速に進歩しつつあるようだ。Wikipediaによると、


神経科学は脳と心の研究の最先端に位置する。神経系の研究は、人間がどのように外界を知覚し、またそれと相互作用するのかを理解するための基盤となりつつある。

認知レベルにおいての研究(認知神経科学)では、神経回路がどのように心理・認知機能を生み出すのかが研究の対象となっている。近年、ニューロイメージング(例:fMRI、ポジトロン断層法 (PET)、単一光子放射断層撮影 (SPECT)、近赤外線分光法 (NIRS) )や電気生理学、経頭蓋磁気刺激法 (TMS)、ヒトの遺伝子解析などの強力な研究手段が発達してきたことにより、神経科学者(特にこのレベルの科学者を認知脳科学者とも言う)は、ヒトの認知や感情などのより抽象的な機能がどのような神経回路によって担われているかということについて研究を行うことが出来るようになった。従来は科学的に還元不可能と考える研究者さえいた多くの複雑な精神的なプロセスが神経活動と強固に結びついていることが解明されつつある。

「神の存在」を信じるというような「宗教的な体験」は、「認知や感情などの神経活動」の一種であるという観点から、「科学的な解明」を試みることは、「宗教対立」を「どうしようもないもの」と考えたり、「信仰の自由」を無条件に認めたりするような、「思考停止」に陥らないために有効な方途であろうと思われる。


ラマチャンドランは、側頭葉てんかんの患者が宗教的体験をする理由について、4つの仮説をあげていた。(前回の記事参照)


01.神が本当に彼らを訪れている

02.ありとあらゆる奇妙で不可解な感情の体験に対処するために、宗教的な静謐という、穏やかな沐浴を求める

03.キンドリング現象

04.人間は、宗教的経験を伝達することを唯一の目的とする、特別な神経回路を進化させてきた


ラマチャンドランは、第3の可能性を実験的に検証した。このキンドリング現象については、ラマチャンドランの説明より、次のブログ記事がわかりやすい。


キンドリングは元々てんかんのモデルとして考えられました。1967年にGraham Goddardがラットの脳を研究していて偶然見つけた現象です。彼は,ラットの脳をいろいろ電気刺激したけど,非常に低い電圧でどんなタイプの痙攣も起きない筈でした。ところが数週間実験を続けたら,その電圧で痙攣を起こすようになり,数ヶ月後でも同様に起こしたのです。つまりラットは電気刺激に感作されたのです。

この現象は,焚き木を燃やす時の焚きつけに似ていることからキンドリング(焚きつけ,燃え上がり)現象とよばれました。その後電気刺激でなく,化学物質の刺激でも同様の事が起きる事が分かりました。

てんかんでは,これと同じような事があって,痙攣が自然に起きる状態と考えられました。また抗けいれん薬の薬効を検定するのに動物のキンドリング・モデルが有効でした。

脳神経の条件付けによる過敏反応だとか,発作の反復により新たな神経ルートが構築され、小さな刺激で発作が再発するようになるなどが,想定されていますが,完全には解明されていません。(2004-11-12)

http://m2fazami.blog26.fc2.com/blog-entry-17.html 

ラマチャンドランの実験というのは、


キンドリングが側頭皮質から扁桃体までのすべての結合を無差別に増強するという説は、患者の電気皮膚反応を調べることで直接の検討ができる。通常、物体は側頭葉の視覚野で認識される。情動的な重要点――親しい顔あるいは恐ろしいライオン――のシグナルが扁桃体から出て辺縁系に伝えられると、情動が喚起されて発汗が始まる。しかし、キンドリングによってこの経路のすべての結合が増強されていると、なにもかもが重要点になってしまう。何を見ても――何の特徴もない見知らぬ人や、椅子やテーブルを見ても――辺縁系が強く活性化され、発汗が起こる。


ラマチャンドランは、この可能性を検証するために、同僚に紹介してもらった2人の患者に実験した。その患者は、過書字[毎日の出来事をことこまかに日記に記録しつづける傾向]があり、霊的なものを好み、宗教に対する自分の気持ちや形而上学的なテーマについて取りつかれたように話した。


(ラマチャンドランは)患者に、単語やイメージのランダムサンプルを数種類見せた。ごく普通の無生物の物体をあらわす単語、馴染みのある顔、馴染みのない顔、性的刺激となる単語や画像、性に関する4文字語、ひどい暴力や恐怖、宗教的な単語やイコンなど。

キンドリング仮説で予測すると、すべてのカテゴリーに対して一様に高い反応が出るはずだ。だが、驚いたことに、2人の患者は主として宗教的な単語とイコンに高い反応を示したが、他のカテゴリーに対する反応は、通常なら強い反応が出る性的な単語や画像に対する反応も含め、正常な人と比較して異様に低かった。

ここでラマチャンドランは、注意を喚起している。


側頭葉てんかんの患者がみな信心深くなるわけではない。側頭皮質と扁桃体の間には並行した結合がたくさんある。そのどれに問題があるかによって、人格が他の方向にそれて、取りつかれたように文章を書く患者や、絵を描く患者、哲学を論じる患者もいるし、稀にはセックスに夢中になる患者もいる。こうした患者のGSR[電気皮膚反応]をとれば、恐らく宗教的なイコンよりもそれぞれが夢中になっているものに関する刺激に大きく反応するだろう。この可能性については、私たちのところでも、他でも、いま研究が進行中である。

こういう話を聞くと、健常者と障害者との境界は曖昧なもので、「程度の差」に過ぎないように思えてくる。…本書は1998年に発行されたものであり、その後どれだけ研究が進展しているのだろうか。


さて、以下のような、ラマチャンドランの神経科学者らしからぬ話が面白い。これが本書の魅力である。(以下、「GSR」と訳されているところを「電気皮膚反応」に置き換える。)


神が電気皮膚反応装置を通して私たちに直接語りかけてきたのだろうか? 私たちは天国への直通ホットラインを手にしているのだろうか? 

宗教的な単語やイコンに対する反応が選択的に増幅されることで何ができあがるにせよ、この実験結果によって、提示した仮説の一つ――彼らが霊的になるのは、ただ周囲のすべてが重要点になり、深い意味を持つからだという説――が排除された。

キンドリング仮説は排除された。しかし、


結果は、あるカテゴリーの刺激(宗教的な単語やイコンなど)に対する反応が選択的に増強され、性的な意味合いの強いものなど他のカテゴリーに対する反応が実際に減少することを示している。とするとこれらの所見は、側頭葉に宗教や霊性を専門にする神経組織があって、それがてんかん発作によって選択的に強められていることを意味しているのだろうか? 

これは魅力的な仮説だが、他の解釈も成り立つ。私たちが知る限りでは、この患者たちの宗教的な熱情の引き金を引く変化は、どこでも起こる可能性があり、側頭葉で起こるとは限らない。それでもその活動性は最終的には辺縁系になだれ込み、宗教的イメージに対する電気皮膚反応の増強という同じ結果をもたらす。したがって電気皮膚反応が強いこと自体は、側頭葉が宗教に直接関係していることを保証するものではない。

辺縁系とは、次のようなものであった。(2015/9/26 の記事:「神の存在」という幻想(1)を参照)


辺縁系はすべての感覚系(視覚・触覚・聴覚・味覚・嗅覚)から入力を受ける。辺縁系の出力は、主として情動の体験と表出に向けて調整される。情動体験は前頭葉との相互結合によって媒介されており、内面の感情の豊かさの多くは、恐らくこれらの相互作用によっていると思われる。これらの感情を外界に向かって表出するには、視床下部と呼ばれる、小さな核が密に集まった部位の関与が必要になる。

以上のことから、ラマチャンドランは次のように結論する。


人間の脳には宗教的な体験に関与する回路があって、一部のてんかん患者ではこれが過活動になる。この回路が信仰心のために特別に進化したのか、それとも信仰心を誘導するような別の感情を生み出しているだけなのか(但しこれでは多くの患者の信仰心を支えている熱情を説明することはできない)は未だわかっていない。したがって脳に遺伝的に規定されているらしい「神モジュール」があることを示すのはまだまだ先のことになるが、神や霊性に関する疑問に科学的に取り組めるようになったというだけで、私にとっては十分に刺激的である。

「神モジュール」という考えは面白い。…私は、それは「恐れ」(地震や雷などの自然現象に対する恐れ)に由来しているのではないかと想像している。根拠はない。ちょっと言ってみたかっただけ。


人間の本質的な特性である信仰心…これはいまだ解明されない人間の本性の謎の一つに過ぎない。このほかの人間独自の特性――例えば音楽や数学やユーモアや詩作の能力――はどうなのだろう。モーツァルトが交響曲を頭の中でつくりだしたり、フェルマーやラマヌジャンのような数学者が段階的な証明を積み重ねることなしに、欠陥の無い推論や定理を「発見」するのを可能にしているのは何なのか。ディラン・トマスのような詩人が心を揺さぶる詩をつくりだすとき、脳の中ではいったいどんなことがおこっているのだろうか。創造の火花はすべての人のなかに存在する天与の火花のあらわれなのだろうか。皮肉なことにこの手がかりは「イデオ・サヴァン・シンドローム」(より政治的に正しい表現としては、サヴァン・シンドローム)と呼ばれる奇異な状態から得られる。精神遅滞がありながら高い才能を持つこの人たちは、人間の本性の進化――前世紀の偉大な科学者たちがとりつかれた主題――について貴重な洞察を提供してくれる。

確かに、人間の本性は謎だらけだ。私のような俗物にとっては、音楽家や数学者や詩人は、謎の生物だ。

イデオ・サヴァン・シンドロームとは、weblioによると、


精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。

重度の精神障害を持つ人に見られる、ごく限られた特定の分野において突出した能力を発揮する人やその症状のことです。1887年に、J・ラングドン・ダウン博士により「イディオ・サヴァン(天才的白痴)」と名付けられ、のち「サヴァン症候群」と呼ばれるようになりました。その能力については特に規則性や傾向はありませんが、○月×日の曜日をすぐ当てられる、膨大な書籍を1回読むだけですべて暗記できる、一度聞いただけの曲を最後まで間違えずに弾ける、航空写真を一瞬見ただけで描き起こせるなど、異常なほどの記憶力・再現力が特徴といえます。一般的に男性に多く、また自閉症の人に多く見られます。サヴァン症候群についてはまだ解明すべき謎が多く残されていますが、現在では、左脳の損傷によるという説が有力視されています。

http://www.weblio.jp/content/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3

こう見てくると、神を信じる人・信仰心が篤い人とは、モーツァルやフェルマーやトマスのようなサヴァン・シンドロームの症状を呈する人と同類なのかもしれない、と思ったりもする。

f:id:shoyo3:20151112174944j:plain

https://www.youtube.com/watch?v=aNdUqBQ2r5k 


(余談)婚約数について

数学の未解決問題に、いろいろ面白い問題があるようだ。素人には、問題自体が理解できないものが多いが、次の問題は理解できる。Wikipediaより、


婚約数とは、異なる2つの自然数の組で、1と自分自身を除いた約数の和が、互いに他方と等しくなるような数をいう。準友愛数とも呼ばれる。現在まで知られる婚約数の組はすべて偶数と奇数の組である。

一番小さな婚約数の組は (48, 75) である。…48の1と自分自身を除いた約数は、2,3,4,6,8,12,16,24で、和は75となる。一方、75の1と自分自身を除いた約数は、3,5,15,25で、和は48である。

【未解決問題】

・婚約数の組は無限に存在するか?

・偶数同士、奇数同士の婚約数の組は存在するか?

「全能の神」は、「婚約数の組は無限に存在するか?」の問いに、何と答えるのだろうか。…私は知っているが、人間には教えない、とか。
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/11/12/210000


「神の存在」という幻想(4) 「自然選択説」は「潜在能力」を説明できない
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/12/09/221912


前回「サヴァン症候群」の話が出てきた。サヴァン症候群とは、「精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状」であったが、ラマチャンドランはこれに関心を持っているようだ。自然選択の話もこれに関連してのことだろう。でも「天才」の話が出てきたりしてなかなか面白い。


音楽や美術や文学の才能は、「自然選択説」で説明できるのだろうか? 自然選択説とは、


生物の進化を要約すると次の通りである。

生物がもつ性質が次の3つの条件を満たすとき、生物集団の伝達的性質が累積的に変化する。

01.生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異)

02.そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)

03.変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。(選択)


上記のメカニズムのうち、3番目に関わるのが自然選択である。一般に生物の繁殖力が環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。このように適応力に応じて「自然環境が篩い分けの役割を果たすこと」を自然選択という。(Wikipedia)

「進化論」は面白い話題なので、いずれ取り上げたいと思う。ここでは「自然選択」について、wikipediaの解説のごく一部を引用しておくにとどめる。

ラマチャンドランはこう述べている。


ダーウィンは自然選択の原理で、指や鼻などの形態的な特性の出現だけでなく、脳の構造も、したがって精神的能力も説明できると考えていた。言い換えると、音楽や美術や文学の才能や、そのほかの人類の知的な業績も自然選択で説明がつくと考えた。ウォレスはそうではなかった。ダーウィンの原理で指や足指が説明でき、単純な精神特性も説明できるかもしれないというところまでは認めたが。数学や音楽の才能といった人間の本質をなす一定の能力は、偶然による行き当たりばったりの作用では生まれてこないと考えたのである。

ウォレスがなぜそう考えたかというと、


(第1に)いったん文化や言語や文字が生まれると、人類の進化はラマルク流になった――即ち人が生涯に蓄積した知恵を子に伝えることができた。この子孫は文字を持たない者の子孫よりも賢くなるが、それは遺伝子が変化したかえらではなく、(文化という形の)知識が親の脳から子の脳へ伝えられたためである。このように脳は文化と共生関係にある。

(第2に)例えばあなたが現存しているアポリジニの社会から、ほとんど読み書きのできない先住民の子どもを連れてきて(それともいっそタイムマシンを使ってクロマニヨン人の子どもを一人連れてきて)、リオデジャネイロかニューヨークか東京で現代の公教育を受けさせたとする。彼はもちろん、そういう都市で育った子どもたちと全く違わない。ウォレスの考えによれば、これはアポリジニもクロマニヨン人も、彼らの自然環境の中で必要とされる知能をはるかに超える潜在的知能を持っているからだ。

数学の能力が、生存競争において有利に働くのだろうか。ネアンデルタール人やクロマニオン人が数学的潜在能力を持っていたのは何故か。


http://www.wakingtimes.com/wp-content/uploads/2013/05/Flickr-NASA-NASA-Goddard-Photo-and-Video.jpg


ラマチャンドランはこう書いている。


潜在能力を出現させた選択圧とはどんなものなのだろう。自然選択では、生物が表出している実際の能力の出現しか説明できない――潜在能力は説明できないのである。能力は、それが有益で生存を高めるものであれば、次世代に受け継がれる。しかし潜在的な数学力の遺伝子など作って何になるのか。文字を持たない人にどんな利益になるのだろう。行き過ぎのように思える。

ここが問題のところだ。道具が所有者の必要に先立って発達してきた。だが私たちは進化が先見性を持たないことを知っている! ここに進化が予知力を持っているように思える例がある。なぜそんなことが可能なのか。

ウォレスはこのパラドックスに力強く取り組んだ。数学の技能と言う特殊な能力が(潜在的なかたちで)向上することが、どのようにしてこの潜在能力を持つ一族の生存や、持たない一族の絶滅に影響を及ぼせるのか。ウォレスはこう書いている。「現代の著述家たちは、みな人間が非常に古い歴史を持つことを認めているのに、その大半が、知能はごく最近になって発達したと主張し、われわれと同等の知的能力を持つ人間が先史時代に存在していた可能性をほとんど考えないのは、いくぶん奇妙な事実である」

現代の私たちは、そういう人間が存在していたことを知っている。ネアンデルタール人やクロマニヨン人の脳容量は、実際に私たちの脳容量よりも大きく、彼らがホモ・サピエンスと同等あるいはそれを上回る潜在的知能を持っていたというのは考えられないことではない。

だとすれば、先史時代に出現した驚異的な潜在能力が、つい1000年前になってようやく認識されたことになるが、なぜそんなことがありうるのか? ウォレスが出した答えは神の御業(!)だった。「より高い知的存在が人間の本性の発達過程を導いたに違いない」。したがって人間の資質は、この世に表出された「神授の資質」である。

ウォレスとダーウィンの意見が対立したのはここのところである。ダーウィンは、自然選択が進化の主たる原動力であり、最も特殊な精神特性の出現も神の手を借りることなく自然選択で説明できる、と断固として主張した。

「神の御業」とは面白い。「より高い知的存在」は「現在の科学では解明できない」という代わりの修辞学的表現なのだろうか。


現代の生物学者ならウォレスのパラドックスをどのように解決するだろうか? 恐らくは、音楽や数学の能力といった限定的かつ「高等な」人間の特性は、通常「一般的知能」と呼ばれているもの――300万年の間に「暴走し」、爆発的に大きく複雑になった脳が到達した頂点――の特殊な発現であると論じるだろう。論理はさらに続く。一般的知能の進化によって、会話や狩猟、食物の貯蔵、複雑な社会儀礼などを始めとする多数の人間の行為が可能になった。そしてこの知能がいったん備わると、計算や音楽や、感覚の及ぶ範囲を超える科学的な道具の設計など、ありとあらゆる物事にそれを使えるようになった。

ラマチャンドランは、音楽や数学の能力に関して、この見解に反対している。「サヴァン症候群」の知見にたちかえり、次のように述べている。


「サヴァン」とは、精神的能力あるいは一般的知能が非常に低いにもかかわらず、驚異的な才能の「島」を持っている人たち。例えば、報告されているサヴァンの中には、IQが50以下で普通の社会生活がほとんどできないのに、8桁の素数を簡単に言えるという人たちがいる。これは終身在職権をもつ数学教授でもめったにできない離れわざである。

美術や音楽の世界には、ときどきサヴァンが登場して、その才能が後々まで人を驚かせ喜ばせる。…盲目で自分の靴の紐が結べない13歳の少年トムは、どんなかたちにせよ音楽の指導を受けたことは一度もないが、ほかの人の演奏を聴くだけでピアノを弾くことができた。歌を聴いて旋律を聴き取り、どんな曲でも1回で、熟練した演奏家と同じくらい見事に演奏した。

…こうした例は、特殊化した才能が一般的知能から自然発生的に出てくるのではないことを示している。もしそれ[特殊化した才能が一般的知能から自然発生的に出てくる]が事実なら、精神遅滞者がこうした能力を示すはずがない。それにこの点を立証するのに、サヴァンという特異な例を引き合いに出す必要もない。才能のある人や天才はみな、このシンドロームの要素を持っているからだ。「天才」というのはよくある誤解とは裏腹に、超人的な知能の同義語ではない。私が光栄にも面識を得た天才のほとんどは、本人たちは認めたがらないだろうが、サヴァンに良く似ている――限られた分野ではなみはずれた才能を持っているが、その他の面ではごくふつうなのだ。


ラマチャンドランは、サヴァンの例として、インドの天才数学者ラマヌジャン(1887-1920)の話を紹介しているが、ここではwikipediaから、若干引用しておこう。


ラマヌジャンは、極貧の家庭に生まれたが、奨学金を得て大学に入学。数学に没頭し、他の科目の試験に不合格。大学中退後、港湾事務所に勤務。…周囲の勧めもあって、1913年、イギリスのヒル教授等に研究成果を記した手紙を出したが黙殺された。しかしケンブリッジ大学のG.H.ハーディは、ラマヌジャンの手紙を読み、最初は「狂人のたわごと」程度にしかとらなかったものの、やがてその内容に驚愕した。というのも、ラマヌジャンの成果には明らかに間違っているものや既知のものもあるが、中には「この分野の権威である自分でも真偽を即断できないもの」、「自分が証明した未公表の成果と同じもの」がいくつか書かれていたからである。…ハーディは1から100までの点数で数学者をランク付けするのが好きだった。それによると、ハーディ自身は25点、リトルウッドが30点、偉大なるヒルベルトが80点、そしてラマヌジャンが100点だった。

ラマヌジャンの逸話として有名なものの一つに次のものがある。

1918年2月ごろ、ラマヌジャンは療養所に入っており、見舞いに来たハーディは次のようなことを言った。

「乗ってきたタクシーのナンバーは1729だった。さして特徴のない数字だったよ」。これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言った。「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」。実は、1729は次のように表すことができる。1729 = 123 + 13 = 103 + 93。すなわち、1729が「A = B3 + C3 = D3 + E3」という形で表すことのできる数 A のうち最小のものであることを、ラマヌジャンは即座に指摘したのである。この逸話のため、1729は俗にハーディ・ラマヌジャン数やタクシー数などと呼ばれており、スタートレックやフューチュラマなどのSFや、ハッカー文化の文脈では「一見すると特に意味のない数」のような文脈でこの数が使われていることがある。

最後の「一見すると特に意味のない数」にも意味があるという指摘は面白い。これを拡張すれば、「一見すると特に意味のない事象にも、重大な意味があるものがある」となろう。


では、サヴァンや天才はどのようにして生まれるのか? 遺伝と関係あるのか? それは、次回に。
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/12/09/221912


「神の存在」という幻想(5) 宇宙信仰と創造性
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/12/25/200000


ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(15)

サヴァンや天才はどのようにして生まれるのか? 遺伝と関係あるのか? (サヴァン症候群とは、「精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状」をいう)

ラマチャンドランの推論はおもしろい。


靴の紐が結べない、あるいは普通の会話ができないという人が、いったいどうして素数を算出できるのか。その答えはひょっとすると左半球の角回と呼ばれる領域にあるのかもしれない。…サヴァンが誕生の前あるいは直後に脳に損傷を受けて…彼らの脳が、幻肢患者で見られたような地図の再配置をしているという可能性はないだろうか?…ある部位が何らかの理由で、通常よりも多くの入力あるいはそれに相当する刺激を受け取るようになって、大きく密になっているのだろうか。それは数学的な能力にどんな結果をもたらすのか。これが8桁の素数を言える子どもを生み出すのだろうか? 実を言うとニューロンが抽象的な作業をする仕組みはほとんど分かっていないので、こうした変化の影響を予測するのは難しい。角回の大きさが2倍になると数学の能力がただ2倍になるのではなく、対数的に増加したり100倍になったりする可能性もある。この脳の体積の単純なしかし「異常な」増加が才能の爆発を引き起こすと推測することもできる。同じ論法が絵画や言語をはじめ、どんな人間の特性にもあてはまる。

「ニューロンが抽象的な作業をする仕組みはほとんど分かっていない」…こういう教科書風でない書きっぷりは好感が持てる。


この議論は滑稽なほど奇抜なうえに全くの推論だが、少なくとも検証可能である。数学サヴァンは左の角回が肥大しているはずだし、美術サヴァンは左の角回が肥大しているのではないかと考えられる。私の知る限りでは、こうした研究はまだ行われていないが、右の頭頂葉(角回がある場所)が損傷されると、(左側の損傷で計算力が損なわれるのと同じように)美術的な技能が大きく損なわれることがわかっている。

現在(2015/12)は、検証されているのだろうか。仮に否定されていたとしても、こういう検証可能な仮説を提起する能力は重要だ。他人の「議論」「提案」「仮説」「作品」等を紹介・批判するだけでなく、自らの「議論」「提案」「仮説」「作品」等を産み出せるようになることが望ましい。


同様の理論を使って、正常な人たちのなかにときどき天才や並はずれた才能が出現するわけを説明することもできる。あるいは、そもそも進化の過程でそうした才能がどのようにして生じたのかという、厄介な疑問に答えることができる。おそらく脳の大きさがある臨界に達すると、予期しない新しい特性が、自然選択によってとくに選ばれたというのではなく、ただ出現するのだろう。

「自然選択」ではなく、「ただ出現する」。「自然選択」については、別途考えてみたい。ここでは、「ただ出現する」という言い方が面白いのでメモしておこう。


サヴァンに関する私の基本的な議論――特殊化した脳領域のあるものが他の領域を犠牲にして拡大しているのではないか――は、いずれ正しいか正しくないか判明するだろう。しかしもし本当だったとしても、留意してほしいのはピカソやアインシュタインのようになるサヴァンは一人もいないということだ。真の天才になるには、才能の孤島だけでなくほかの能力も必要なのだ。大半のサヴァンは真に創造的ではない。…欠けているように思えるのは、創造性という、言葉で表現できない資質、すなわち私たちを人間であるとはどういうことかの本質にむきあわせるものである。…猿にタイプライターを与えておけば、いずれはシェイクスピアの戯曲ができるという言い回しは有名だが、意味のあるセンテンスがたった一つ出てくるまでに寿命が10億年ほど必要になるだろう−ソネットだの戯曲は論外だ。


https://i.ytimg.com/vi/WLHfFaWzFqs/maxresdefault.jpg


ラマチャンドランは、サヴァンは創造的ではなく、天才になりえないという。天才には創造性が必要だ。猿は創造性を発揮することができるだろうか。


少し前、自分が創造性に関心を持っていることをある同僚に話したことがある。すると彼は、頭の中でアイデアをとことんまでいじり、ランダムな組み合わせをしているうちに、審美的に心地よいものにぶつかるのだという、言い古された議論を繰り返した。それで私は、それならいくつかの単語やアイデアを「いじりまわして」、「ばかばかしく過度な行為をする」あるいは「物事をやりすぎる」という状態を表わす、心に響くメタファーを一つつくってみてくれと挑発した。彼は一時間ほどたって、頭をかきながら、オリジナルなものは全く思いつかなかったと白状した(非常に高い言語IQを持っているにもかかわらずと付け加えておこう)。私は彼に、シェイクスピアは一つのセンテンスにそういうメタファーを五つも盛り込んでいると指摘した。

@純金に金箔をはり、Aユリの花に絵の具を塗り、Bスミレに香水をふりかけ、C氷をなめらかにし、D虹にもう一つ別の色をつけ加える……は無駄で、ばからしい、余分なことでありましょう。

ひどく簡単に聞こえる。しかしなぜシェイクスピアがこれを思いつき、他の人は誰も思いつかなかったのか。私たちはみな、同じ単語を思いのままに使える。伝えられている概念には複雑なところも深遠なところもない。それどころか一旦説明されると全く明白なことで、「なぜ自分は思いつかなかったんだろう」という反応を引きだす。これは独創的で見事な洞察の特徴である。しかしあなたや私が、心の中で言葉をかき集めたりでたらめに混ぜ合わせたりするだけで、同じくらいエレガントなメタファーを思いつくことは決してない。欠けているのは天才の創造の火花である。この特性は現代の私たちにも謎のまま残されているが、ウォレスにとってもそうだった。神の介入を引き合いに出さずにいられなかったのも無理はない。


今回で、第9章「神と大脳辺縁系」を終わるが、最後に、ラマチャンドランが本章冒頭に引用しているアインシュタインの言葉をあげておこう。


この宇宙信仰の感情を、それが全くない人に説明するのは非常に難しい…。あらゆる時代の宗教上の天才は、この教義を持たない宗教的感情によって特徴づけられる…。私の見解では、芸術や科学の最も重要な機能は、この感情を呼び覚まし、感受性のある人たちのなかで、それを生き続けさせることだ。

私には、この教義なき(神なき)宇宙宗教が、芸術や科学の駆動力たりうるのではないかと思われる。

世界(宇宙)は分からないから面白い。
http://shoyo3.hatenablog.com/entry/2015/12/25/200000


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