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The World of ICRP
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/207.html
投稿者 宮島鹿おやじ 日時 2012 年 9 月 27 日 20:17:10: NqHa.4ewCUAIk
 


・・・私たちは何もかも知っている。・・・


「地球が太陽の周りを回っているだって? あのアリストテレスが間違っていたとでも?」 
 映画「1492コロンブス」より。

・・・・・

絵画の好みなど人それぞれであるに決まっている。だから、絵画を分析するなんてただのおしゃべり=雑談にすぎないかもしれない。

この絵は、ラファエル前派に分類されるイギリスの画家、トマス・クーパー・ゴッチの作品「アレルヤ」である。
彼の描く作品は当時としては絶賛されたと聞いている。

しかし、あえて、お聞きしたい。この絵を食卓のある部屋に飾りたいだろうか。わたしはいやである。理由は、「気持ちが悪いから」である。
なぜ、気持ちが悪いのか。それは、この少女たちがあまりにも不自然だからである。意図的な左右対称の配置、また、凍りついたような一瞬の表情の固定。
こういった画面は、通常は、自然の状態では、お目にかかることはできないだろうと思われる。画家の要求どおりに彼女らが並んだとしても。

つまり、「宗教画というものはこういうものだ」という理念があり、その理念に添って人物が配置され、ポーズ、表情までが理念に添って当てはめられる。
そこには現実の「生きた人間」はいない。死んでいる。死人の絵。だから気持ちが悪いのだと、私は感じる。


今、福島をはじめとした東北や、関東地方に起きていること。
これは、上記の「不気味さ」と全く軌を一にしている。つまり、ICRP基準という「ご託宣」があり、その理論上は、どれだけ放射性物質を吸引・摂取(内部被曝)しても人体にはさほどの影響はないとされている。そういった「理論」が先にあり、それに合わせた形で人間(子供たちも含めて!)が放置されることが容認されている。

阿修羅閲覧者であれば、その理論が「利権」を根拠にしていることもご存知であろう。つまり、子供たちは利権のために放射性物質を吸引する。
その恐ろしさを私たちは言及する。「やめろ、やめてくれ。」と。 しかし、彼らは落ち着き払ってこういうのだ。


「心配しないでよい。私たちは何もかもを知っているのだ。」 と。


彼(ヤルモネンコ)は、本当に、そう言った。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/10817.jpg

(「真実はどこに WHOとIAEA 放射能汚染を巡って」 の一場面 32分38秒 )
http://www.youtube.com/watch?v=oryOrsOy6LI
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. ろうし力学 2012年9月28日 00:59:10 : riuSNxeQ9qjU6 : jAyuFbThaU
私もこの絵を飾りたくはない。
理由は全く同じ、気持ち悪いからである。

何故私はこの絵画を気持ち悪く感じるのか。
それも、おやじさんと同じで、生きた人間を描いているのでは無いと直感するからである。

私、ろうし力学の世界観は、現状の地球人類にはびこった「唯物還元主義」と、対局にあります。

世界は物質に他ならず、人間は偶然の産物であり、全ては原子に還元され、そうなれば全ては虚空の彼方に消え去るのみであると。それが唯物還元主義者の世界観、人生観。

であるならば、眼前に展開する如何なる物事も、それは物質であり、人間のもつ感情も記憶も何もかもが、単なる化学反応以外の何物でもないと、信じて疑わないのである。

そういった宇宙観、人間観に立脚した人間が描くものとは、既に全てが生きた生命存在ではなく、対象としての物質に他ならない。

そのような人生観、世界観、宇宙観、人間観を、この絵画の中に見て取ってしまうのだ。

その観念は、あまりに空虚であり、絶望的であり、無意味であり、自己存在の徹底的な否定であろう。

この世界観から導き出されるのは、「今さよければいい、自分さえ良ければいい」という思考であるのは必然なのだ。

全てを物質に還元させる思考が生み出したのが核技術である以上、核分裂をもって、己の存在の不確かさからくる恐怖(いつ自分は消滅してしまうのか…)を、他人を一切かえりみることなく穴埋めしようと突き進む、恐怖に支配された物質人間の群れが、世界的な原子力村の実態であろう。

いかに己という「妄想」が、不確かで、無意味であり、無価値であり、無力であるか、という三重の虚無。それが彼ら唯物還元主義者の信仰する虚無である。

この虚無に恐怖する地球人類が、最終的にたどり着く地平とは一体何であろうか?

それこそが物理学的な意味同等の「熱的な死」であろうことは、容易に想像がつくものです。

まもなく、虚無の王国は、自らの強欲の完成により、自らの存在をその究極のゴールである「虚無」へと向かわせる。一切の消滅である。

一枚の絵画の中にも、生命の息吹を求める魂よ。
そこには、眼前の世界そのものが、生ける生命そのものであることへの覚醒が待っていよう。

眼前の世界そのものが「おのれ」と言う意識により、寄って立つ生き物そのものだと、その直感に突き刺さる時が近づいていることを我々は感じるのである。

そこには、もう、自と他を分け隔てる何ものもありはしない。世界とわたしを分断させていた虚空の概念は、空間に反転し、かつてあった姿は溶けてなくなり、姿をすっかり変え、全く違う意味を持っていることに気がつくだろう。

分裂していた原子核は、世界の反転と共にその本来の性質を蘇らせ、全く今までと違った、意味有る世界の一角を占めるモノへと変貌を遂げているのを、私達は目撃するだろう。

そのような反転世界の狭間に立つのが私達地球人類です。
世界側へとワタシを転じて参りましょう。
命を見失った一枚の絵画の中に、生命を吹きこもうではないですか。


02. 2012年9月28日 02:01:56 : 7uPtGleutM
日本人ジェノサイドが多くの人がきずかないまま進行している。東京と東北はいくら生き残るのかわからん。実は西日本も汚染されてるのが真実だから、、、食べ物の内部被爆と瓦礫償却で追い打つ作戦かもしれない可能性もあるね。ガレキも何か変だろ。

野田はゆっくりしてる真意はどうしてかと考えていたのだが大飯稼働に拘るところからも関西を狙ってるかもしれん。だから首都の計画が大阪ではなくて岡山なんだろうね。東京もダメ押しの4号機をするかもしれんね。311以来どうして収束させないのか考えていたがワザと収束させない命令がきてるのかもしれないと思うようになってきた。すべてがつじつまが合わん。不作為にも程がある。

政府は大崩壊を待ってる可能性はないか。日本が滅べばすべてウヤムヤになる。ソビエトのようにね。同じ作戦かもしれんね。そうでないことを祈るが。間違いであってほしい。

平穏に何も無い日常で人生を暮らして終わりたいだけだが。無理かもしれんね。


03. 宮島鹿おやじ 2012年9月28日 04:40:13 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
ろうし力学様

コメントありがとうございます。
この作品は、「アレルヤ(ハレルヤ)」というタイトルのとおりキリスト教の宗教画であり、「神を賛美している」というテーマです。
しかし、なぜか、その画風が、全く「神を賛美し、遍く存在を愛でる」ようには見えません。冷たい、物質としての人間を描いているようです。
なぜ、そうなったのか。
おそらくは、画家の意図としては、従来よりある宗教画(イコンなど)に描かれる聖人などの描画方法を、近代的な精密さをもった画風で行ったというところではないでしょうか。

(イコンの例)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Seventh_ecumenical_council_(Icon).jpg

作品が発表されたのは、1896年と思われます。時期的には、プランクによる黒体輻射の問題解決(量子力学の産声)のわずか前・・・つまり、「物理学帝国主義」隆盛の極みの時期でしょう。世界の全ては物質の運動方程式に還元して考えることが可能であると真剣に考えられた時期だと思います。時代の雰囲気なるものがこの作品に憑依していたと考えることができます。
確か、ICRPを批判する文書の中に、それをもって「物理学的」と評している部分があります。


「伝統的な ICRP モデルは、物理学にその基礎を置いている。それは DNA が発見されるよりも以前に、物理学者によって生み出された。物理学者による全てのモデルと同様に、それは数学的であり、還元論的であり、極端に単純化されている。(p16 3行目)」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ecrr2010_chap1_5.pdf

02 7uPtGleutMさん

コメントありがとうございます。
>日本が滅べばすべてウヤムヤになる。ソビエトのようにね。同じ作戦かもしれんね。そうでないことを祈るが。間違いであってほしい。

わたしも間違いであってほしいと思っています。東京の汚染状況などを少しずつ調査していますが、汚染の著しいときは仲間共々落胆して帰途に着きます。葛飾などのときはそうでした。
そして、汚染が予想ほどではなかったとき(奥多摩のときなど)は、まだ、この土地に住めるのだと思い、喜んで帰ります。しかし、後からベクレル数が判明し、その期待は裏切られることが多々ありました。

>平穏に何も無い日常で人生を暮らして終わりたいだけだが。無理かもしれんね。

昭和30〜40年代を実感をもって過ごしてきた身としては、本当に、こんな時代が来るとは・・・というのが正直なところです。


04. 2012年9月28日 07:17:59 : Xs0Gj9F23E
わたしゃ、一応女性です。
で、なるほど、と思いやした。

なんかとてもピュアーな、世の中の理想に与しやすそうなキリストloveそうなオンナノコたち。

昨日、たまたまカンブリア宮殿なるTV番組を録画して観たのですが。
精巧な美少女アニメフィギュアをコツコツ作ってきたカリスマオタク職人のボーメ様なる職人が目につきました。
なんか、この人見たことあるな?ひょっとしてTVチャンピオンだっけか、と思いつつも。
やっぱし、いいな、好きなこと職業にしてる人って。などとも思いつつ。
最近の日頃、とみにTVが娯楽の中心となりつつあって久しい(?)森永オ卓郎氏のやうな慧眼を崇拝wしとるわたくしの目などから見ても、もーーーーーちょーヤバすぎっしょ(ハート目うる目)てな感じで完全オチた。。。(あくまで、モノつくりとかアートの目で見てですが)

まじ、リアル排除の目からみたら、上の写真、何がキモいのかっと抗議しつつも、生身の子供生んだオンナ目線で見ると、やぱ、たしかに男の理想だか妄想だかが齎した
あり得ないネクロフィズム&ペドフィズムの結晶たる蝋人形。。。

これをキモいと感じる男性の感性は、むしろ、女性の肉体性生物性という本能からすると、救世主のやうな、感性なのであります。

男の子ももちろんのことですが、女の子も、もはやそれ以上に「イキモノ」なのでありますよ。
でも、フィギュアに魂を注ぎ込む職人アートに感動する目線(プラス、子供の頃お友達としてのお人形ちゃんを愛していた私目線)からすると、やっぱり素敵な、アートワークではある。裏から、作者の狙いを超えた不気味なものを感じてしまうことを脇に置いて言えばですが。
それゆーたら、全てのお人形さんが、そうなりそうだけど。。。


05. 2012年9月28日 07:21:15 : Xs0Gj9F23E
う、自分レス読み返してみたが、しょこたんにかなり影響されてるやうな。。。笑

06. 2012年9月28日 08:12:22 : Xs0Gj9F23E
しょこたんに影響されてるついでに今思った。
本来の本能目線からすると、よーするにカワユスかキモスかのどっちかしかない。
けど、カワユスがキモスになったりキモスがカワユスになったり。キモカワユスになったり。要するに、どっちも本当だったり。

その他。食うか食われるかの脅威に感じたら、ヤバすになったり、オイシすになったり。まあ、もとを正せば、ヤバす=キモス、カワユス=オイシすだったりもするが。

愛し、愛されの地球かな。
もちっと目覚めん限り、なんとも言えんがな。絵に描いたモチでぼやぼや満足してるアンタ、そろそろちゃんと起きて仕事しろや!!
原子転換は、未だダークマターやら、ダークエネルギー扱いされてるw「気」の概念を人類が包括→統合しない限りは夢のまた夢のように、一見手に届かないところに鎮座している事実なんでしょうが。

原子転換、とか、とっくに実用可能な技術なんだけど今後どんなに金かけても最低500年は不毛な火星に移住とかまじねーし。そんだけな金があったら、虚の錬金術とかやめて、さっさと「気」と原子転換技術開発して核廃物掃除した上で効率最低な絶滅系技術の核開発とか原発とかやめた方がふつーにはえーし。
あたし(達夫婦)、水エンジンで車が走ってんの目の当りにしたし(アルカリ溶液エンジンw、車走ったあと、排ガス臭一切なし、オゾン臭のみ)、ビデオでは水バーナーマジ燃えてたし(立ち会ったこの技術者紹介してくれた故阿修羅の重鎮ジャーナリストによればやっぱオゾン臭のみ)。
なんの不思議もないじゃん、中学位の時、多分誰しも実験したことあるっしょ、電離分解した水素と酸素を融合させて水に戻す、ビーカー&試験管実験。
そん時、「ぼんっ」ていう燃焼音聞かなかった?
水と酸素が還元から融合すれば、普通に燃えんじゃん?w萌え

地球人ったって宇宙人だろ?も少し賢くなれんのかいwwwwww


07. 2012年9月28日 11:47:56 : FD6chGwuCc
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

動画を拝見いたしました。
公衆医学なのでね。
個人医学は、存在しないのでね。

私の親父が被ばく者だったので原爆症と制度について勉強させて頂きました。
発病から原爆症までの期間は短期間でした。
原爆症の認定は、約11の病気に該当することが必要でした。
認定までの制度については、次回書きます。

病気を認定するには症状がありました。
さて、いわゆる原爆症と云われる病気は、疫学調査の推測です。
8月6日以前と以後、他の地域との対比の推測です。
広島、長崎は8月6日と9日以前のデーターはありません。
ですから、6日以後、あるいは9日以後の実験と非実験、追跡調査と非追跡調査のデーターです。
追跡機関の立ち上がりは3年後です。
ですから、3年過ぎてからのデーターです。

しかし、データーがあっても、その知識は個人には使えません。
医学そのものが、公衆医学、データーも疫学なので、個人、個体を見ていません。

さいわい、私は親父と暮らしていましたので、発病するまでの潜伏期間を見ていましたので、これが財産です。
発病は親父だけではありません。
祖母、親父の兄弟姉妹。
同じ症状ではありません。
個体によって、かなり違います。

ではまた。


08. 宮島鹿おやじ 2012年9月28日 13:52:46 : NqHa.4ewCUAIk : qLltjIVA1c
Xs0Gj9F23Eさん

コメントありがとうございます。
すこしわからない言葉が多くあり、調べたのですがわからないがおそらくはあまりよい意味ではないだろう(ネクロフィズム=死体愛好? ペドフィズム=グーグル検索でも不明、などなど)と考えています。

私は、自然科学はしっかりと勉強したことがないので、水を使ったエネルギー抽出はかすかにネット上で聞いたことがある程度です。本当に有力な代替技術があるとするならばそれを秘匿することはまったく言語道断です。

それにしても、作品に対する、まったく別の視点を提示していただき誠にありがとうございます。大変貴重なコメントであると考えています。

これからもよろしくお願いいたします。


安芸ガラス様

コメントありがとうございます。
公衆医学の定義をきちんと理解していないのですが、おそらくは、一人ひとりの心配などああいった人たちはしないという意味かと思います。

以前、安芸ガラス様からうかがったお話の中で、「多くの友人たちは逝去し、医者たちの『曲線』になった。」というお言葉がありました。

私は戦慄しました。人が、そのまま、「記号」になる。

これは、人体を使ってそのまま何かの道具を製作するようなグロテスクさがあります。しかし、そのようなことは現実に起き、今も、進展しているのではないか。
人間をそのように、対象化する、客体化する怖さ(医学に通ずるなにか)を、冒頭の作品は仄かに示しているように思います。

身内のかたがたが、個体としての違いをみせながら病んでいかれた様子を安芸ガラス様はみておられた。私には言葉もございません。私のような弱い精神の持ち主には。

どうかこれからも私たちをお見守りください。


09. 2012年9月29日 00:51:54 : HUjmVGn9qo
宮島鹿おやじ様

ろうし力学です。

PDF拝見しました。ありがとうございます。

その中にある以下の部分

「ICRP モデルが観察結果を予測し説明することに明らかに失敗しているという懸念に応えて、政治家と規制当局は共通して「科学的合意(scientific consensus)」という概念に言及する。本章とその他の箇所において、本委員会は、科学の政治的が、何ごとにおいてもある科学的合意を代表する「科学共同体(scientific community)」による研究論文のピア・レビュー審査と書き直しの受入れという、研究の機構を通じて進められるある種の過程であるとすることは危険きわまりない間違いである。それについてのこれまで議論されてこなかった理由のひとつは、研究論文のピア・レビュー審査による公表に対する制御である。
この科学モデルにおいては、何らかの研究が「科学的」であると信用される前に、それはある科学雑誌投稿されピア・レビュー審査を受けなければならない。
査読者は匿名でありその投稿を拒絶するかも知れない:そのような場合には通常は編集者がその投稿を断る。
こうなるとその証拠は科学からは見えないものになり科学的合意の部分になることは不可能である。

『もちろん、その問題は査読者が彼ら自身の信じているところと矛盾するあらゆる研究を破棄するということである』

;もしも彼らがそう振る舞わなくても、しばしば編集者がそうすることになる。この過程は数多くの重要な結果をその公表を遠ざけ、それが何らかの科学的合意に組み入れられることを妨害してきている。このような偏向のひとつのよい例は、1970 年代に創刊された” Journal of Radiological Protection”によって提供されており、この雑誌ではICRP 線量体系を信じている人たちが論文を公表している。彼らの論文はお互いに審査されることになり、そうして規則的に公表される」

ーーーーーーーーーーーー

とあります。

当方の、以前より周りの者をぎょっとさせる言説の一つに「『科学的』なる妄言、それはまさしくカルトだ」と言うものがあるのですが、大体、標準理論による、宇宙創世のビックバン理論とは、永遠に証明不可能な仮説で在ることを、世の中の我々市民はすっかり忘れ去るように誘導されておりますように、全く事実の認識を行わないところに、科学的なる文字は皆の頭脳に蔓延っている状態です。

当方は、かの「恐竜」さえも、実際に我々が目にするのは「化石」であって、あの化石が、現在の象やキリンなどの大型生物のような、実態ある生物であったとは、誰も証明できかねることであり、当方として、実際の恐竜は現状のコンセンサスに在るようなああいうことではなかったと思っているのです。

さて、ICRPの言うところのものとは、まさしくカルトの名にふさわしき狂信であると、常々吠えている当方ですが、まさしく日本の現状とはそれそのものに染まりきっているのではあるまいか、とかように思うのです。

絵画の話題に戻りますと、眼前に広がる視野世界とは、そもそもが「平面」であることも、我々は忘れ去って久しいわけです。

原初的な体験に基づいて、世界を観察しますと、当方は日々0歳〜5歳の児童に囲まれた環境で勤めておりますが、自分自身もそうであったように、児童の描く絵は、例外なく「平面」であるわけです。

世界をありのままに見る、ということの意味するものがそこには在るわけで、「直達正観」と言う、装飾虚飾を一切廃した処の世界認識は、世界がありのまま平面であることが「素直」だという認識に至ることになります。

かつて、日本人は浮世絵という、世界でも特異な表現を持っておりました。

逆上れば壁画にも、虚飾、思い込みなき世界表現が見て取れますが、如何にして現在の我々「大人」は、世界に奥行きを与え、空間を空っぽの容器だと概念し、その絶望的に広大な空の容器のなかに、自らの感受性が寄って立つところの「肉体」を、一塊のモノ扱いし、眼前の世界と切り離して、世界との関係を絶ってしまったのか。

今一度、世界を平面に戻し、奥行きを概念から廃して、新しき奥行き=生命を「そこ」に吹き込まなくてはならない時を、ようやく迎えたのでは無いでしょうか。

知覚正面となる世界の見え姿は、その本質からして、見ている者と見られているものとの境界を持たざるもので在るはずです(観察の事実から)。

世界を、何もない空っぽの空間であると思い込み、そこに物体としての人間(己)を虚空の中に配した、そのことが「死せる空間」を生み出し、「生きられる空間」を忘却させた原因であると、そのように思うのです。

この絵画に在るのは、世界を虚空に変え、人間を物体に変え、生命を科学反応に変え、挙句の果てに擬似平面(バーチャルプラナ)という監獄へ、人間を貶める所業です。

真実の平面は、自己が世界そのものである見え方。それは「生きている平面」です。


10. 宮島鹿おやじ 2012年9月29日 03:33:31 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
ろうし力学様

以前より、量子力学など物理学を中心としたお話などもしたいと考えておりました。よろしければ、このスレッドにおいて是非お考えを炸裂させていただければと思います。
PDFの該当箇所については、まさに、放射線科学については、ある「特殊な人たち」による「科学の名における閉塞状況」が存在することを明らかにしています。
以前投稿した、名古屋大学名誉教授の沢田先生のインタビューにおいてもそのことは明らかでした。

http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/408.html
<シュミッツ=フォイエルヘーケ女史の論文> の段落を参照

そして、この状況は聖書にも述べられており

「あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた。」  (新約 ルカ 11−46〜)

と、ありますように、いつの世にも、こういった「輩」は存在していることがわかります。私は、何か「誉むべきもの」が生まれ、当初はその価値が尊ばれるが、それが継承されていくうちに、堕落していくメカニズムというものがあるように思っています。そのメカニズムとは何であるかと時々考えます。今、はっきり言えることは、明らかに人間のエゴ(煩悩、欲望)が心を支配するときに堕落していくのだろうと漠然と考えています。

ところで、「直達正観」という概念についてですが、初めて伺う言葉なのですが、よろしければもう少し詳しくお話しいただけるでしょうか。

>逆上れば壁画にも、虚飾、思い込みなき世界表現が見て取れますが、如何にして現在の我々「大人」は、世界に奥行きを与え、空間を空っぽの容器だと概念し、その絶望的に広大な空の容器のなかに、自らの感受性が寄って立つところの「肉体」を、一塊のモノ扱いし、眼前の世界と切り離して、世界との関係を絶ってしまったのか。

大変興味深い論考と思います。よろしければさらに、ご教示ください。また、

>当方として、実際の恐竜は現状のコンセンサスに在るようなああいうことではなかったと思っているのです。

と、ありますが、どのようにお考えでしょうか。是非お聞かせください。よろしくお願いします。


11. 2012年9月29日 12:35:57 : q4JGC555bA
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

 >以前投稿した、名古屋大学名誉教授の沢田先生のインタビューにおいてもその ことは明らかでした。

沢田さんのインタビューを読みました。

 >岩上氏「速度とか、あるいは飛ぶ距離とかも影響してくるのですか。」

 沢田氏「速度はものすごく速いです。どんな放射線でも速いですから、速度が遅 いほど電離作用の密度は高くなります。だからだんだんエネルギーを失ってゆっ くりになったら、集中して電離作用を起こすということが起こるんですけど、だ けど、もともと重い物ほどゆっくり走りますから、だから、重いものほど集中し て電離作用することがわかっていますので、アルファ線というのは、ヘリウムの 原子核ですね。で、電気を二つもってますから、余計、電離作用が濃いわけです から、もう、紙一枚通り抜けられないくらいで止まっちゃうんです。皮膚の表面 で止まっちゃうのがアルファ線なんですね。ところが、それは、早く止まるとい うことは、集中して電離作用してますから、ミクロのところで見ると、そばで、 どんどんどんどん、ぶった切れる、わけですから、誤ってつなぎ直す可能性が急 速に増えるわけです。ということで、外部被曝のほうは、透過力の強い放射線が 体の中まで入ってきていろいろな影響を与えるわけですけども、内部被曝の場合 はそういう放射性物質を体の中に取り込むわけですよね。」

沢田さんは「重いものほど集中して電離作用することがわかっていますので」との主張です。
そうだろうか。
人体へのショックは、重いものより速度が速い方が、打撃が激しいのではないだろうか。
仮に、打撲と同じように体がショックに対応できないのなら、対応できるように方向付ける可能性が出てくるのではないだろうか。

インタビューの順番が逆になりますが、沢田さんは電離作用について以下ように説明をされています。

 >沢田氏「また、切れたのをつなぎ直すわけですね。ということをやっているわ けです。幸い、すごく沢山切断されるけども、ほとんど元に戻るから、だけど、 時々、まちがった修復をするとか修復できなかったりということが起こるわけで す。で、そういうことが起こる割合は、切れた場所が近いと間違ってつなぎ直す ことが起こりやすくなるわけですね。ということは電離作用をする密度が濃いか ばらばらかということが影響違うわけです。透過力が大きいガンマ線は、ポツン ポツンポツンと電離作用をしていくわけです。そうすると、エネルギーを失う、 電離作用するということはエネルギーを与えるわけですから、自分のエネルギー が減るわけですね。だけど、ポツンポツンとやれば、何時まで経ってもエネルギ ーがなかなか減らないから、ずーっと透過力が強い、透過していくわけです。と ころが、電子、ベータ線というのは電子なんですけど、これはそれに比べれば、 集中して電離作用していくわけだから、エネルギーの減り方が早いわけです。そ れでエネルギーを失って止まるわけです。」

ここで「エネルギーを失う、与える」と、主張されています。
とても面白い。
まづ、体の先天的な体質があり、それがショックやエネルギーの減り方が条件で、症状が現れるとも読み取れます。
原爆症を掴む、手掛かりになるのではないでしょうか。


12. ろうし力学 2012年9月29日 17:07:41 : riuSNxeQ9qjU6 : wk1s0je0oA
宮島鹿おやじ様

お返事を頂きまして、ありがとうございます。

それにしましても、今までは言わぬようにしておりましたが、安芸ガラス様の彗眼に接し、当方はなんともつまらないゴタクを並べて児戯に等しい奴…と感じるのですが、しかし実際児戯であるのは真実な故、開き直ってしゃべくります(笑)

さて、おやじ様がいらっしゃることが自体が当方には素晴らしき、有り難きことですのですが、更に語りかけて頂きまして、重ね重ね感謝致します。

以下、論考です。

>そのメカニズムとは何であるかと時々考えます。
>今、はっきり言えることは、明らかに人間のエゴ(煩悩、欲望)が心を支配すると>きに堕落していくのだろうと漠然と考えています。

この人間が自滅の方向性に誘引されていってしまうメカニズムを見つめ考えることが、非常に重要な行い(その逆が思考停止)ではないかと当方も思っています。
その正反対を進めば、人間はその原点(※いつか論じますね)へ、回帰すると思うのです。唯物論者でも、本心は自滅したいというわけではないと考えます。
一部の唯物論者は、なんとか自分の自滅(消滅)を回避せんと、あらゆる悪魔的所業に走る(不老不死など)のを、歴史に見て取れます。大概は諦めてめちゃくちゃに突っ走るようですが。

>ところで、「直達正観」という概念についてですが、初めて伺う言葉なのですが、>よろしければもう少し詳しくお話しいただけるでしょうか。

この言葉にまとわりついてくる概念もグチャグチャしており、日蓮聖人だと記憶していますが、ここでは日蓮さんの関連でなく、文字通り文字を言霊に即して論考します。

とは言っても単純明快(だから直達正観なのですが…)、直接達し、あるがまま(正)に観る、ということで使っています。(創○学会の人なら、その解釈はなんだかんだ…となりますね^^;)

直接、とは、視覚において、プリミティブということで、そのまんまですね。
何も概念的手垢がついていないから直に、ということです。
達す、とは何に自分のプリミティブな視覚が達するのか、というと、これまた単純明快、目の前そのもの、知覚正面です。

「正」を、あるがままと言っているのは、後々論じますが、正しいとはどういう意味かということでもあるのですが、「まさ」と読むことからも、「まさに」という使い方からあるがまま、その本来の、ということになります。そして、日本人は五を数える時にこの字を使いますが、宇宙の基本システムを言い表している、とここでは書いておきますが、その意味においてあるがまま、となります。

観、そのまま観る。見る視ると書かずに観るですが、観賞、には楽しむという解釈がつきまとっておりますように、芸術を観賞するというときに、美は評価するのではなく、まさに感じ取るものですから、そこに働くのは思考や頭脳と言ったことではない、感性、精神、魂で受け取る、という観るです。

ですから、直達とは、全く俺が俺がという「自分」を廃して目の前をそのまま観る、正観、正しく観るですから、脚色をしない、宇宙が用意した現象そのものを捉える、ということになります。

直達正観とは、世界を受け取る(宇宙からのギフトを受け取る)時には、そこにそのまま存在の真理が描かれ埋め込まれているのですから、人間の浅知恵を持ち出さず、解釈や脚色を思考や概念に持たずに、あるがままに観るならば、眼前の現象には法則そのものが、十分に語られているから、人間は「事実」から全部理解出来るようになっているから、ゼロ(空・タオ)になって知覚正面に自身を投じなさい(警戒せずに溶け込みなさい)、という事になります。

武士道の求道における到達点として、「無為自然(むいじねん)」という境地が達人によって語られています。
無為とは、ゼロ、空、我がタオ(道)となりきる、自然とは、自らが然るという如く、自分が本来あるように、という事になります。
自然(じねん)が現在自然(しぜん)と読まれるように、大自然と一体化する境地とも読めます。
眼前の世界と自己の境界が(概念として)なくなる境地ですから、「肉体人間(物質主導)としてああだこうだ(理屈・理を屈せすさす)を一切廃するのが無為、そうなりなることは即ち自然(世界と一体化)につながる、というわけです。

まるで意味は同じであります。眼前の世界と我を断絶していない状態、これは人類が全員例外なく、胎児〜1歳児の三年間(さんさいごころ)には、(前世の要素を加味しなければ)思い込みを持っていない精神の状態を有しておりました。我々全員が。

>>如何にして現在の我々「大人」は、世界に奥行きを与え、空間を空っぽの容器だと概念し、
>>その絶望的に広大な空の容器のなかに、自らの感受性が寄って立つところの「肉体」を、
>>一塊のモノ扱いし、眼前の世界と切り離して、世界との関係を絶ってしまったのか。

この状態にある人間の世界認識は、直達にはない、正観でない認識の状態です。
後々論じますが、『自らの感受性が寄って立つところの「肉体」を、一塊のモノ扱いし』というのは、つまり
「自分とは肉体である」という、唯物還元論者の常套句でありましょう。

その思考、記憶、感情とは、神経組織の電気的科学反応の結果に過ぎません。
人間存在とは、原子の偶然の産物であり、その行末は「無」、完全なる消滅であり、人間とはなんと無意味で無価値で無力なものであり、己のことを考えただけで、実に空虚であり、絶望的なものが己の生であると、そこには意味など生じる余地がなく、いつ何時己が消滅するやもしれぬ恐怖に最悩まれる、それが人間である、と。

他方、安芸ガラス様と宮島鹿おやじ様は、量子力学の知見に明るいので、既に理解されていることですが、「観察者が観察を行うことによって、確率は収縮し、現実の事象となる」わけですから、「世界は自分で出来ている」ことを示しています。

見える世界、見る世界は、ワタシが「見るからある」わけであって、観察者の意識と切り離して現象が独立して存在している訳がありません。
唯物還元論者は、そこが受け入れられないんですよね。観察の主体である「我」を見ていない。

世界を考える時に、世界は自分が居なくても世界だ、と考えることは、世界と自分とは絶望的にまでに断絶しています。
その思考が寄って立つのが、「肉体がようするに自分だろ」という認識です。

しかし「科学的に(笑!)」、観察者の意識と眼前に広がる世界とは、表裏一体というか、むしろ世界そのものが自分であり、世界という自分自身が対象としての肉体を配している構図があって、何故かその肉体(本来それは、意識体としての我と、物質としての世界の接点であるのですが)、が「自分」だと『解釈され』たまま、見ている世界と自分は絶望的な距離を、後天的に持ってしまった。

モノゴゴロとは物(物質)という認識(心)であり、それ以前には、世界と自分とは切り離されていないのが事実ですし、まだ5歳ほどでは見ていない世界=「背後」は概念の中に明確に存在していません。(赤ん坊にとっては、常に正面しかない)

背後空間を概念化(実際背後は見える人は一人も居ない)することで、自分(肉体)を空間がぐるっと取り囲んでいる、という状態を概念化し(後ろは存在しないにも関わらず)、半径百五十億光年という途方も無い空っぽの容器に、余りにも余りにも小さい矮小で無力な「自分」観が出来上がってくるのが、人間としての第一関門(この先に、それからの脱却の道がが待っている)だと考察しています。


>>実際の恐竜は現状のコンセンサスに在るようなああいうことではなかったと思っているのです。

社会的生物学的コンセンサスは、ジェラシック・パークよろしく、ドシンドシン、ギャオー、ガツガツガツ、という巨大生物が熱帯地球環境をのし歩くイメージに固定化されていると思います。だからジェラシック・パークなのですが…

しかし、実際我々が目撃するのは、化石として「骨」がそこにあるという事です。

では我々が、自分の、でもいいし象のでもいいですが、地中深き闇の中に埋めれば、数十万年、数億年の時間が経過することで、埋めた肉体が骨の形態だけを留めて、他の物質へと置き換わるでしょうか?

誰も証明できない過去と未来なので、無責任に言い放ちますが、それは「出来ない」と断言します。

しかし、実際に骨の形態をかたどった化石が見つかる事実は在るわけです。
ここで、量子力学の視点から、全ての事象は、意識の反映である(これは「解釈」になっていますが)ならば、地中深く闇に埋め込まれて、現代の人間に観察されるに至った化石とは、かつての人間の意識の反映物であろう、という推論です。(すみません、ここは意識的にズバッとは論じていませんので、わかりにくいと思います。)

ちょこっと言えば、現在の地球を覆い尽くす「ワレヨシイマヨシ」で進められる核分裂の搾取利用、その原動力は人間の「強欲」ですが、その強欲(業想念)の形態化が化石だと思っているというところで、今は留めておきます。


13. あやみ 2012年9月29日 19:24:50 : oZZpvrAh64sJM : z99DR1EoUU
こんにちは。
いつもながらのすばらしい「対話」をしばらく拝読しておりました。
このスレッドにコメントするほどの意見は残念ながら持ち合わせていないのですが少しだけ…

ろうしさんの仰るところの「唯物還元主義者」なる人々は恐ろしい矛盾の中で生きているのでしょうね。宇宙の隅々までを数式と科学だけでで解こうとする割には人間の(記憶や感情を含めた)存在だけはは偶然の産物とかたづけたがる。そして肉体の消滅とともにその人の全てが「無」となると言い張る。

中世が終わり近代科学に対する目が開くと、人々は「神」との接し方を新たに模索する必要に迫られました。この時代ではまだ「神の否定」はできなかった。しかし神の奇跡は、死後の世界は科学的に考えるとありえなかった。そこで起こったのが露骨な「様式化」です。「アレルヤ」と神の栄光を歌う少女たちの凍りついた、感情のない顔がそれを代弁しているのではないでしょうか。北朝鮮の子供たちの泣き顔が感情抜きの「様式」であるように。

ここで、朱子学のことが思い起こされます。
自然と自己との間のつながりと均衡を突き詰める学問でありながらそれは形式化し国家事業の体面を整えるための道具となっていきました。もちろん道具であるからには使い主がいるわけですが、その使い主を支配するものはまさしく「強欲」であった、そう思います。


14. 宮島鹿おやじ 2012年9月29日 21:02:01 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
安芸ガラス様

アルファ線のエネルギーと速度、質量については以下のサイトで霧箱による実験をやっています。私自身、よくわかりませんが、参考になればと思います。

http://www.kiribako-rado.co.jp/jikken07.html

また、

「α線の速度は光速3.0×108 m/s のおよそ数%程度であることが分かります。」
「1個のα線の飛程に沿って、数十万個のイオン対ができていることがわかります。」

沢田氏の説明では、ガンマ線は、針が刺さるようにポツンポツンと影響を与えつつ貫通していくイメージですが、アルファ線は、私自身、至近距離で多くを電離する、ショットガンのようなイメージを持っています。

>まづ、体の先天的な体質があり、それがショックやエネルギーの減り方が条件で、症状が現れるとも読み取れます。

沢田氏自身が、「自分は放射線を被曝したが体調の悪化はなかった」とおっしゃっています。本当に個人による差が明瞭にあるのだと思います。


15. 宮島鹿おやじ 2012年9月29日 21:15:03 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
訂正

誤「α線の速度は光速3.0×108 m/s のおよそ数%程度であることが分かります。」

正「α線の速度は光速3.0×10^8 m/s のおよそ数%程度であることが分かります。」

コピーしたら累乗でなくなってしまいました。


16. 宮島鹿おやじ 2012年9月29日 21:50:01 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
ろうし力学様

「直達正観」、「無為自然」ともに共通する概念なのですね。
直達正観、特に、この概念は、様々な人間の思索営為の中で繰り返し現れてきたものかもしれません。ふと、思い浮かぶのが、フッサールの「エポケー(現象学的還元)」です。だいぶ以前に流行っていたポストモダンの解説書などにありました。しかし、それも、西欧中心主義からの離脱という文脈にありましたので、私たちの直面する事態も、まさにそれを継承していると考えることができるかもしれません。

そういえば、ほんの一時期習った合気道の創始者である植芝盛平氏は、「自分を殺しに来た者もわが友と思えるような境地でなければならない」といったそうです。確かに、相手に対して、「ああ来たらこうしよう」とか考えて萎縮しているのとは全く次元の異なる強い心持だと思います。それにしても、無意識に技が発動できるほどの修練を前提としているとは思いますが。

私の世界に対する理解が、ろうし力学様ほど徹底していないですが、それにしても、恐竜の化石が業想念の形態化であるというのは、正直「おお!?」という感想です。どんなもんでしょうか。


あやみ様

ようこそおいでくださいました。

私の問題意識としては、中世から近代への世界認識のありようの変化、特に、古典物理学の考え方(因果律的決定論)が、いまだに多くの科学者らによって潜在的に共有されている、あるいは、詐欺的手法として使用されているのではないかという疑念があるのです。それで、ヤルモネンコのような人物は、いけしゃあしゃあと「私は何でもわかっている」などと言えるのではないかと。
ところで「朱子学化する日本近代」は読まれましたか。私は1回だけ通しで読みましたが、まだ、こなれていないので投稿するには至っていません。もし、お読みになっているようでしたら、是非アップしていただけないでしょうか。そこに通って勉強させていただければと思うのですが。


17. ろうし力学 2012年9月30日 01:46:22 : riuSNxeQ9qjU6 : pfQoriJoNA
あやみ様

こんばんは。レス頂きまして、ありがとうございます。
このトンデモな奴に(笑)。感謝致します。

>恐ろしい矛盾の中で生きている

まさに仰るとおりです。その思考そのものが矛盾に満ち満ちているわけです。
その実態が、強欲の顕現と当方は言っているのですが、その存在様式そのものが、
「あってはならない」ものであるわけです。

こと、人間に置きましては、自分の選択が自分として間違いであったと気がついた時点で、やり直すということは、宇宙法則から禁止はされていないわけです。

ですから、この強欲の暗雲に満ち満ちた地球の状態が、自分で自分の首を絞めていると気がついたなら、その自滅的破滅的な指向性の変更も、選択に入れてかまなわいわけです。(誰も選びませんが…涙)

それなのに、人類五千年の歴史の中で、徹底的に自滅的な指向性を一切変更しなかったことは、僅か100年しか己の人生がない中、どうやって悪魔的所業を継承できたのか?
そのことを、子供自分に大変不思議に思い、直感的に「人間業でない」という言葉が浮かびましたので、その後数十年、そのことを探り続けました。

唯物還元論者の思考性においては、どうせ自分は死んだら無、なのだから、ワレヨシイマヨシも、継承の必要性は全くないと思うのです。

にも関わらず、その大きな矛盾、即ち「その目指す処の物事(支配)の完成」がイコール全ての消滅となる行動をやめられないで、継承してきたわけです。

もちろんその背景には、徹底した個人主義に基いて、たった今ここで抹殺されることへの恐怖があったことは、容易に想像できる事ですが、恐怖が理由にしてみても、矛盾だらけだと感じました。

しかし、その消滅へと突き進む強欲が、その出自が「人間でない」とすればどうなのか?というシミレーションが、自分の中にあって、そこから得られる直観は、五千年間死を持たない、業想念体、想念界の虚構であればどうか、という問(シミレーション)があった時に、「なるほどそうか…」となったのです(分かりにく!!)

世界を支配する業想念は、言ってみれば人間の虚無を喰らう魔物、というイメージです。その存在そのものがあってはならないもので、その理由は、人間の強欲、業想念は、やがて尽きる時が来るという事実です。
それ(業想念)の尽きた時が、その魔物が消え去るときなのですから、それこそが大いなる矛盾なのですが、しかし、その魔物の立場にしてみれば、究極的には破綻、消滅が分かっているのなら、矛盾しているから悪魔的所業をストップするとしても、それ自体が自己否定となり、自ら消滅することの選択は、ありえない(だからワレヨシの業想念なのですから)。

人間の中でも特に強欲な人間(=当然の帰結ですが、唯物還元論者であるのですが)、それを恐怖で支配し、「アメ」として、地球人上での選民として、徹底的な優位性を持たせる戦略を授け、結局は業想念体の奴隷ではあるが、人間の頂点に立つ優性人種として、人類奴隷化(あのマトリックスのエネルギー発生源としての家畜人類のごとく)を代行してきた者たちが、大矛盾を抱えながらも、恐怖を背景に止めるにやめられずに、連綿として、人類の完全支配を行なってきた、と言うことが、近代の支配の集大成としての原子力村の存在に行き着く。

それ故に、原子力村(ICRP)の方針とは、日本に破局が起きても、放射能が国土の半分を犯しても、国民の8割を超す意思として原発の廃絶を示しても、何をどうしても、継続!継続!、国民は完全無視、という方向性を止めるつもりはさらさら無いわけです。


あはは、「矛盾」を論じると、このトンデモ論を論じるハメになりますね〜、正直、スルーで結構ですから。(殆どぶっ飛びというか、狂ってますね〜苦笑)


で、続けてしまいますが・笑、矛盾であるが、止めるわけにはいかない、そういう選択肢はないのが、虚無の根源である業想念体(=恐竜化石。但し前次元における)…と言うつながりとなるのですが、まさに「行くも地獄、帰るも地獄」の存在がそれなのですから、あってはならない、と言うのはそういう意味なわけです。地獄っていうか、消滅、ですけども。だから、止まらない。

しかし、それ自体がそもそも、「人間の強欲想念が生み出せし怪物」なのであり、その食料が人間の強欲…恐怖に裏打ちされた…であるので、人間がそれを止めてしまえば、その存在自体が寄って立つところのもの(業想念)を絶たれてしまう、即ち消滅(元への帰結)なのですから、それを「悪魔」だなんだかんだいうことよりも、「人間がそれ(業想念)に加担するのを止める」ことで、矛盾も晴れることなのですね。

だから宗教の元となった(古い宗教は、開祖の入滅後に成立)聖人の教えは、総じて「欲を捨てる」ことを語るのは、人類に不幸をもたらすのは、人類自らが生んだ(想念した)強欲からくる、という不可視世界の仕組みが、その教えの理由となっていると直感できるわけです。


そして、強欲を人類に継続的に供給させるために図ってきたのが「戦争」ということで、絶え間なき戦争により、人間の嘆き悲しみが供給されていく。それによって存続を図ってきた。だから、支配層にさせることは、絶対に格差を無くさせず、不幸を生み続ける政策であり、絶え間なき搾取、奴隷としての存在意義しか与えない社会システムの確立、共食いとも言える民族闘争などを、世界に施策し続けるのが、支配層に課せられた飴と鞭であると。

うーん、ここまで論じると、単なるキチガイの言説にしか見えない!ははは…


まあ大真面目なんですけども、宮島鹿おやじ様が、植芝盛平翁のエピソードを言われていることも絡んでくる(それだけおやじさまが的確ということ)のですが、武士道の究極は、「戦わず」に至る道なんだと。(るろうに剣心の殺さずの更に上ですね!)

戦おうと攻めてくる相手が、思わず戦う意思を見失ってしまうほど、空になっている、という状態を植芝盛平翁が語っているわけですが、そこには自他の対立は、既に無いということですね。

今の地球は、もうこれらの境地が達人や聖人のみのものではなく、私達普通の市民が、次の宇宙のサイクルへの飛躍、大峠超えの入り口だよ、と世界認識の反転(知覚正面を平面へと帰して、世界=自分という世界認識、これがプリミティブなモノの見方ってことなのですが、)そういう世界認識に前進していく、それにおいては、自他の対立がもうないのですから、無為自然であります。

無為自然の境地は、「生きたまま死後の世界に入る」ことでもあり、武士(もののふ)は死人であると悟れ、とも古(いにしえ)には言われます。

植芝翁が、最晩年には、覚者と言われた五井昌久(白光真宏会主宰)さんの道場に足繁く通ったことは、知る人はごく僅かでしょうが、もうその時分には、植芝翁の心境が世界と我を分け隔てていなかったのでは無いでしょうか。

武芸の達人だから、その境地に至ったとも言えますが、眼前の世界は誰にも開かれているわけです、例外なく。ということは、肉体に我を置くのではなく(生きたまま死後の世界に入り)、世界=我という自他の区別対立からの解脱は、強欲が支配する物質主義世界の世界観からの解脱でもあり、急速に闇の想念体は収縮し、支配体制は内部崩壊し、新しい世界観と共に立ち上がってくるのは、量子=意識、物質=心というような、モノ世界と精神が同じモノの裏と表に過ぎないという、かつて何処にもなかった実存の認識形態ではなかろうか、ということなのですね。

(すいません、表現に制限をもって語るので(隠している意味じゃない)ややこしいですね。これじゃ分かりにくな。)


>。ヨ自分を殺しに来た者もわが友と思えるような境地でなければならない」

とは、この存在世界が、如何に存在するに至ったのか(人間の出自)、その理由から理解すると、至極当然であると。
支配構造は、自己の完成が消滅、という大矛盾に満ちている一方で、本来宇宙というのは、永遠の発展性をその本質として持っているんだと。

神道では「弥栄(いやさか)」といいますが、無限生成発展、というシステムで宇宙は出来ていると言うのですね。
ですから、対峙する対象を、破壊していたら、自己矛盾が起きる(これが現状ですけど)ので、宇宙のシステム(神の思し召しってやつ)に則れば、眼前の世界(他者)を我が事となし、あらゆる存在は、宇宙が必要としている、宇宙にとっては自分を破壊しようとする意思もひっくるめて、我、なのであって、あたかも「おやごこころ」の如くに、善悪抱き参らせる、のが宇宙の意思であろう、ということではなかったか、そう思うのです。


18. ろうし力学 2012年9月30日 09:07:53 : riuSNxeQ9qjU6 : pfQoriJoNA
宮島鹿おやじ様

>私の世界に対する理解が、ろうし力学様ほど徹底していないですが、
>それにしても、恐竜の化石が業想念の形態化であるというのは、
>正直「おお!?」という感想です。どんなもんでしょうか。

意味が不明ですよね、普通(笑)

とはいえ、化石に対する思索?ですが、我々は意識的に、物理的に化石を再現することなど出来ない、という立場ではあるのです。

ズレますが、世の中には「オーパーツ」と呼ばれる工作物があります。水晶ドクロなどですが、社会的コンセンサスにおいて「くだらないまがい物」の位置付けになりますが、そんなコンセンサスなど知ったことではない。

そもそもピラミッドは、あり得ない構造物で、重力を操作出来ないと建築は出来ない、そう考えています。

では、重力の本質と、その操作のやり方は?といきたいところなんですが、それを考察するのは一旦置いておいて、重力と恐竜の関係について分析した生物学者が数十年前にいらっしゃったのですが、(なんの資料だったか忘れました)、結論として、現在の地球の重力と同等ならば、恐竜のあの巨体は、大型のものに関しては「自重によって動くことはおろか、立つことさえ出来ないはず」という計算になったということなですね。

生物の骨格構造とその強度、筋肉の組成から、重力をかけると、あの重量を支えることが不可能と。ぺしゃんと這いつくばっている恐竜…いや、そもそも成長が出来ないから。

あっちこっち飛びますが、では、白亜紀当時の重力が持っと軽かったらどうか、という計算をすると、やはりそうでないと成り立たないんだと。

重力の発生は、量子の振る舞いから物質への考え方を発展させると、「物、という観念の強度が高まれば高まるほどに、重力が高くなる」と、意識と物質の表裏一体性からの帰結がある、そういう思考ですね。

ですから、時の地球の主人公に強欲が強まれば強まるほどに、重力は変化があった。強欲に関わらない意識状態に生命が置かれていると、重力は強く働かないと。

ピラミッドは建築年代は木造物でなく岩石のために特定できないわけです。しかし、スフィンクスの侵食痕からは、1万2000年前以上である可能性が指摘されています。

あのピラミッドの配置から、先にスフィンクスがあって、何千年あとからピラミッドを建築した…と考えてもいいのかも知れませんが、大変不自然な考えです。

ピラミッドとスフィンクスの建築年代は、同時期程度であろうと考えるほうが無理がない。

となりますと、1万2000年以前の地球について、またその時の人類の、現在を凌ぐ技術について、論考してよさそうなものですが、当然欺瞞に満ちた現代の「科学者」なるものは、そんなものは一笑に付して見向きもしないです。

ピラミッドは現代の技術の延長でものを考えてもダメであることを、現代人に語りかけている(実際行きまして、中に入りました)。あれは王の墓なんかではない。

あの精緻に組まれた石、石、また石の圧倒的な構築物は、重力が概念として無い人類が運び立てられたと、そう推論しています。

恐竜の重力問題は、さらにぶっ飛んでいます。
つまり、あのような生物形態は、存在していないということす。

また飛んで申し訳ないのですが、オーパーツの一つに、カブレラ・ストーンというのがあります。その石に絵が書かれているのは、恐竜のような姿をした中型生物を飼いならしている人類が描かれている。実に謎です。

作り物である、という定説、というか思考停止によって、学者から棚上げされているものですが、恐竜と人類の同時間の生存というのは、イマジネーションを超えているものです。現代の作り物なら、そのシュールさに拍手もんでしょう。

古生代の地球に、あのような生物…その状況そのものを、当方は「意識の中の出来事」と捉え、地球の時間軸は、繰り返し2つの局面を交代化させて、折り重なっているイメージを持っています。

ご存知のように、受精卵の段階的成長過程とは、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類の形態を「我々自身が経験」して、280日(27.32日の月の自転サイクルを10回)で外部へと移行するのは、生物が永い歴史にそう進化してきたからその痕跡だと、生物学者は説明するのですが、それを今現在の物質概念の延長でしか、時間と空間を考えないために、そう考えるのでしょうし、まあシンプル(オッカムのかみそり)です。

しかし、ビッグバン理論事態、証明不能な仮説であり、宇宙の年齢、地球の年齢が150億年や、56億年というのも、仮説なのですから、これだけが正解なのだと言い張ってしまうのは既に、科学的、客観的とうたう態度から程遠いわけです、「それで、ヤルモネンコのような人物は、いけしゃあしゃあと「私は何でもわかっている」などと言えるのではないかと。」という底でつながっている、欺瞞そのものです。

ピラミッド1万2000年の時間と空間の周期については、マヤの時間概念とリンクするものです。

前次元という、地球であって地球でない時代のことを言っています。

いやー、トンデモが炸裂ですね。すみません。


19. 宮島鹿おやじ 2012年9月30日 09:09:31 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
ろうし力学様

ありがとうございます。
ところどころで、自説の「超越性」をもって躊躇されている様子が伺えますが、ガリレイもケプラーも自説を展開し始めたときは世間からコテンパンにやられていますので、要は「真摯なる動機」がそこにあったかどうかと思いますので、遠慮なくお願いします。

また、「科学の名の下のの閉塞性」という問題ですが、キリスト教の歴史の中には、聖書の翻訳活動に対してすら、恐るべき弾圧がありました。イギリスの聖職者でウイクリフという方がおられ、当時ラテン語で書かれていた聖書を英語に翻訳しました。しかしその行為が異端とされ彼は死後墓から掘り出され焼かれて河に流されました。

今回の放射能安全論、そして当時のローマ・カトリック体制擁護論に共通するのは、「演繹的無謬論」であり、いわば体制化し既得権化した学問の分泌する汚穢だと考えます。


20. 宮島鹿おやじ 2012年9月30日 09:33:01 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
ろうし力学様

コメントがかぶってしまったようですが(笑)。

ところで、ろうし力学様は、長年武道に取り組まれてこられたご様子ですが、「津本陽」という作家をご存知でしょうか。私は何冊か読んでまいりましたが、基本的には、ろうし様のいわれる「唯物的世界観」における、神も仏もない凄惨な剣闘を描かれています。作品の読みはじめのころは、司馬遼太郎などの「非剣術家」の描く殺陣とは一味も二味も異なる本格的な描写に引き込まれました。津本氏はご本人が剣道・抜刀術・示現流などの熟練者であり、ある意味での専門家です。しかし、その関心は、如何にして人を斬るか、どうしたら勝利するかということに集中しており、常々、読後感は、なんともいえない虚無感に満たされていたものでした。

しかし、最近(それでもだいぶ以前ですが)、読んだ津本氏の文章に「幽霊を見てみたい」というものがありました。つまり、死後の世界、不可視の世界というものがあれば確認してみたいというような趣旨だったと思います。実は、長いこと私自身もこのような願い(幽霊には会いたくないのですが)を持ち続けていました。

ろうし様は、長らく武道に精進されてきた中で、何か、際立った、何か人間の意識を改めて考えさせられるような体験をされたことがありますか。非常に不躾な質問で恐縮ですが、もしよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。


21. ろうし力学 2012年9月30日 10:03:35 : riuSNxeQ9qjU6 : pfQoriJoNA
宮島鹿おやじ様

ご返答に感謝致します。ありがとうございます。

>。ヨ演繹的無謬論」であり、いわば体制化し既得権化した学問の分泌する汚穢だと考えます。

思わずオエッとなるほどに、的確なるご指摘であります。

非常にキリスト教の歴史に明るいおやじ様なので、当方の浅はかな痴識(笑)で語るのも勇気がいるものです。

それで、キリスト教の成立自体が、イエス没後約100年ほど後でありましたよね。

イエスキリスト自身は、キリスト教とは何にも関係がない、という事実かと思っています。確かに口伝があり、後に明文化されて1900年間の継承(?)があったのかと思いますが、その本質の歪みは、筆舌に尽くし難いものがあるように思います。

小学生時分に聖書を毎週読んでおりましたが、まあ特定の部分ばかりでした。

問題は、その後権力が、宗教をどのように活用していったのか、当然そこには信仰など関わりがないわけで、おやじ様のご指摘どおりであります。

当方は、宗教嫌いの神様好きな人間で、不可視の世界と可視世界のリンクを幼少より意識して年齢を重ねてきたのですが、基本にあるのは実は人体における法則性なのです。

安芸ガラス様が以前、一言おっしゃっていましたが、健康に対する慧眼に、当方は恐れをなして(笑)、特別それは語らない態度をとっていますが、一言、人体は超越物質であって、宇宙法則の集大成、法則の転写が人体だと理解するに至った(浅い理解)のですね。

その要諦は、人体の中心は仙骨にあるということ(当然自分で分かったのではなく、師にご教示頂いて、自ら体験して知った)、仙骨ー蝶形骨の裏と表の仕組みが、大宇宙の運行の法則性の顕現であると、そこから全ての人生の理解が起きてくる、そいうことが根底にあるんです。

物心両面の「復権」が必要な時代であり、モノ=精神という知識が、なんの問題なく人類に理解されるときには、現状の闇の想念体が支配する、狂った現状に維新が起きる、その主人公は、一人ひとりの凡人の、世界認識の「反転」にある、そう考える分けです。

ですから、その手がかりは、科学的な物理理解、つまり量子力学を台にして考察すること、それは唯物還元論に傾いている人類に世界認識に対する維新も、唯物論に何も接点がないのでは、思考を変化する要素がありませんし、そもそも物質的な知識は、その行き着いたところで精神的な知識と完全なリンクを起こす(これは既に安芸ガラス様、宮島鹿おやじ様ご了解済みなことですが)わけですから、それが話しの台なのですね。(だから知識が浅いのです)

しかし、宗教は既に、精神的知識さえも見失って久しいわけです。
一人ひとりに必要なのは信仰なのであって、宗教(団体)では無いわけです。

もっと言えば信仰が必要なのではなく、存在の根底にある法則性ですから、如何にしてう世界は存在するに至ったか、人間とは宇宙に置いてどのような意味を持たされて存在しているのか、という理解ですね。

その法則性が、自明となった人類は、自ら「自滅的」な振る舞いは放棄する以外の選択しか見いだせないというのは、当然の帰結ですから、それだけ、物質的知(量子論的な)は、現代の閉塞した精神状況をすっかりひっくり返す「力」を有していると考えています。

まだ物質は眠ったまま、目覚めていない。
覚醒していないのは、物しか無いと思い込んでしまっている我々自身(の世界認識)です。


22. ろうし力学 2012年9月30日 10:29:04 : riuSNxeQ9qjU6 : pfQoriJoNA
宮島鹿おやじ様

あれ?20の返信を見る前に21を投稿していました。
話はかすっていますが、津本陽氏は、名前を知っているだけです。

薩南示現流の開祖、東郷重位が開眼されしものは、当方が感じ取る処、直線的な時間から、放射的時間、つまり「生きたまま死後の世界へ」であったかと思うのです。

生きる時間が違っていたというこですね。

当方も、経験してきたことですが、大変な速度における修練の繰り返しにより、今まではものすごく早く、対処できなかったことが、ぱっとスローな時間世界に突入して、全く簡単にそれができてしまう。

一度、交通事故未遂で死にそうになった時も、車に突っ込んで行く己の肉体から、認識が分離して、迫り来る車を、超スローで見ながらも同時に、真横から己の肉体を観察している、そのような経験もあります。

見ている世界側に自分が生きているというのは、そのままですね。

示現流における時間、一呼吸に何回撃ちこむことが出来るか…の修練がもたらすのも、その生きている時間に踏み入れるという、そういう側面を感じるのです。

武芸の末席を汚す当方が言うのは口幅ったいことですが、津本陽氏はその時間までは踏み込めていないのでは、そう思うのです。

師に教示頂く過程で、当方のような不肖な弟子が語るのは愚かではございますが、自分ではなく、師は、十メートル先から対峙していても、一瞬で、一歩も動けずに師に打ち込まれている、ということばかりでした。

生きる時間が、違うのです。その時間への突入こそが武士道の道標では無いかと存じます。

幽霊について、その存在は親しき存在ですが、自分の肉眼で見たという経験はございません。見えるという知人は何人も接点がある人生でした。子供の頃から疑うという言葉はありません。それはあって当然の、宇宙の一部ですので(自分には)。


23. ろうし力学 2012年9月30日 10:38:12 : riuSNxeQ9qjU6 : pfQoriJoNA
重大な勘違いをしているかしれません。

おやじ様には、漫画家のとみ新蔵さんの、まさに本格的殺陣の描き方は必見かと。

それで、とみさんの、漫画の原作が津本陽氏でした。

と言うことは、津本氏は、あの時間について、無為自然について書かれているわけですから、既に承知かと。

だから、当方のような不肖な者が軽々しき語りをするのはダメなのですね。
大変失礼をいたしました。


24. 2012年9月30日 12:39:25 : Lqx0skAlzE
ろうし力学様
安芸ガラスです。

>見える世界、見る世界は、ワタシが「見るからある」わけであって、観察者の意識と切り離して現象が独立して存在している訳がありません。
唯物還元論者は、そこが受け入れられないんですよね。観察の主体である「我」を見ていない。

ろうし力学様の指摘に『観察の主体である「我」を見ていない』とあります。
同意します。

むかし、「対象と観測という行為が電子の位置に影響を及ぼす」ハイゼベルグの不確定性原理を唯物論者は批判しました。
私は、この批判行為で、東側の権力担当者が人間的な活動の結果としての自己変化が不問にしていると、気づきました。
この不問は、87年88年のゴルバチョフのロシア革命記念日でのスターリンへの政治的断罪になりました。
指導的機関が西側と対峙している当事者性にケチをつける政治的行為に現れました。
そして、89年に社会主義世界体制、91年にソ連邦の自壊になりました。

対象に我が見えるのです。
つまり我の構造に制約された対象が見えるのです。
私も含めて対象の世界は、対象を見る性能に制約された世界なのです。
ですから体の先天的な構造が違えば、世界の切り取る場所も違います。
まず、体の先天的な構造があり、その構造に対象の見えない分子を取り込み、体と同体となり、大脳で再配置・再現するプロセスになります。


宮島鹿おやじ様
返事をありがとうございます。

沢田さんは「エネルギーを失う、与える」と、主張されています。
私は沢田さんが主張されている「エネルギーを失う」指摘については精査しております。
生き物は醍醐味は「適応」ではないのでしょうか。
生死は適応の現れと思います。

>そういえば、ほんの一時期習った合気道の創始者である植芝盛平氏は、「自分を殺しに来た者もわが友と思えるような境地でなければならない」といったそうです。確かに、相手に対して、「ああ来たらこうしよう」とか考えて萎縮しているのとは全く次元の異なる強い心持だと思います。それにしても、無意識に技が発動できるほどの修練を前提としているとは思いますが。

「自分を殺しに来た者もわが友と思えるような境地でなければならない」の指摘について。
相手の力を自分と相手の変革のために使うことではないでしょうか。
そのさい、植芝盛平氏の体を通すことで、相手の見えない分子が同体となり、再配置するのではないでしょうか。

>合気道の創始者である植芝盛平氏
合気道の精神は、今、現在習っている若い娘さんに教えて頂きました。
直感ですが、植芝盛平氏はキリスト教に好い影響を受けていると、思います。


ろうし力学様

>もちろんその背景には、徹底した個人主義に基いて、たった今ここで抹殺されることへの恐怖があったことは、容易に想像できる事ですが、恐怖が理由にしてみても、矛盾だらけだと感じました。

「徹底した個人主義に基いて」の指摘について。
「先天的な体」と「適応」とそれとの関係を述べます。
生死は適応と書きました。
唯物還元論者の手法は、人間を細胞、染色体、遺伝子、DNAと還元していきます。
でも、現実に生きている私は還元できません。
人間は有性生殖ですから、女親と男親がいます。
その親も、同じように2人の親がいます。
少なくとも、生きています私は、私以前の3代(14人)の共同作品となります。
「適応」の方向を自然に任せているので、私の先天的体は、私が生活する上で不便な面もあります。
私も含めて身近な人を観察しますと、消化器系、呼吸器系、泌尿器系、生殖系、大脳系がよく働いたり、働かなかったりする先天的なものがあるような気がします。
消化器系がよく働く親と、泌尿器系がよく働く親の子どもは、どんな「適応」の方向なのでしょうか。

広島で被ばくした私の親父は、晩発性障害に「適応」できませんでした。
しかし、親父は初期被ばく後、もう一つの「適応」に任せました。
私を含めて3人の子どもをつくりました。
すでに親父から数えて4代目が、この世に生を受けました。
「適応」は自然に任せてはいますが、4代目を見ますと、あらあらしい自然から人間的な自然を取り出す方向付けの方法もあるのだと思います。

あやみ様
>「強欲」
同意します。

これは先天的に呼吸器系が丈夫な構造の人間が主導しているような気がします。
私も体のかっこうからは呼吸器系が丈夫な構造ですが、同時に生殖系も強くあるので、それほど「強欲」の色にはなっていません。
これに気が付いたのは、見田宗介さんの「時間」にかんする難しい本がヒントとなりました。
見田さんによれば、16世紀から現代の「強欲」の世界を主導している人間は、呼吸器系が丈夫な人たちらしいですよ。


25. 宮島鹿おやじ 2012年9月30日 16:27:47 : NqHa.4ewCUAIk : l327sHWnII
ろうし力学様
安芸ガラス様

貴重なコメントをありがとうございます。
台風も近づいてきております。
これより若干外出などいたします。

ご返事はしばし遅れます。

              


26. あやみ 2012年9月30日 17:59:50 : oZZpvrAh64sJM : z99DR1EoUU
雑談です。

私も中学のころまで剣道を稽古していました。新宿区立の中学校に通っていたので剣道の区大会となると嫌でも顔を合わせるのは学○院女子中学校でした。なぜ嫌かというと、「キエーッ キエーッ」と雌鳥を絞め殺したようなあまりに醜い気合で捲し立てるわ防具のない腕やすねをわざと狙って打ち込んでくるわ、とにかく勝つことしか考えないド卑怯連中なのであります。そしてほとんど毎回優勝してました。

思うのですが、勝つためだけに剣道をするのならば、なにも竹刀ではなく金属バットでもチェーンソーでも使えばいいのです。優勝という栄冠(大げさ)のためなら何をしてもいい、そう教える教員は武道のぶの字もわかっていないのでしょうし、本当に日本人なのかも怪しい。

おやじさま、
「朱子学化する日本近代」は残念ながら未読です。両親が夏に本を携えてこちらに来るはずだったのですが冬に延びてしまいました。書籍は重いのであれもこれもとたくさん送ってもらうと送料が大変なことになるので自重しています…

ろうしさま、
キチガイ、トンデモ、結構ではありませんか。唯物論者の目から見てキチガイであるのならばそれは賛辞というべきです。

安芸ガラスさま、
>対象の世界は、対象を見る性能に制約された世界なのです
それに尽きると思います。
小さい頃、閉じてしまった絵本の中の世界はどうなっているのだろう、そんなことを考えていました。物理的には印刷された絵も文字もそのままでしょうが、パタンと閉じることで私とのかかわりを失った絵本の中身は私にとっては闇の中に消えました。その頃の本を何冊か持ってきているのですが、今ひらいてみるとそこには明らかに違う世界があります。綿新子供たちにとってもそれぞれに違う世界が広がっていることでしょう。


27. 2012年9月30日 20:02:40 : 43ONTmrMfk
あやみ様
安芸ガラスです。

私も剣道をやっていました。
12歳ぐらいから32歳ぐらいまで。
中学は町道場、高校は部活動、社会人になって小学生相手に。

解ったのは剣道は大正時代に作られたスポーツです。
それ以前の武士の剣術の動作や身体操作と違うことです。
それと根本の違いは、稽古の形態です。
それ以前は、動作を一斉に動作することはありません。

剣道に疑問を持ちましたので、神楽の稽古をしました。
先に身体操作があり、次に動作があります。
当然、子ども男女、老若の動作は違ってきます。
観るのは、身体操作です。
動作は違ってもあたりまえなのです。

きっと、武士の剣術も、それに近いと推測します。


28. ろうし力学 2012年9月30日 22:18:06 : riuSNxeQ9qjU6 : pu9C1fYvOY
あやみ様

>パタンと閉じることで私とのかかわりを失った絵本の中身は私にとっては
>闇の中に消えました。その頃の本を何冊か持ってきているのですが、
>今ひらいてみるとそこには明らかに違う世界があります。
>私の子供たちにとってもそれぞれに違う世界が広がっていることでしょう。

まさしくそのとおりだと思います。

知人が、最近知った脱洗脳で有名な苫米地さんが、見ている世界のことを、「内部空間」と呼んでいるそうだ、と話していました。

カルテジアン劇場の観客という話しがあります。脳が世界を見ていると生物学はいうが、ではその脳を見るのは何者なのか?

観察者が観察者自身を観察することが出来るのか…

当然眼球が眼球自身をどうやっても見ることは出来ないし、人間は己の顔を見ることは出来ないわけです。鏡の場合、見ているの鏡であって、顔そのものではない。

そもそも、鏡に映るものや風景とは何でしょうか。

結論を言えば、自分の背後空間、ということになります。

鏡を見ることで、そこの中心的な位置を占めているは、自分の背後空間とは一体何であるかといいますと、「顔」としか言いようがありません。

つまるところ、自分の顔は、見えない。自分の顔は自分の背後空間に属する。

見えない世界を不可視世界と呼ぶならば、観察の事実として、閉じた絵本の中身、そして、自分の背後は見えません。「顔」は背後空間の一部です。

背後空間とは、実存的なものではなく、想像的なものです。
だれもが自分の顔を知りません。顔は創造的なものです。

背後に属するものの前には、「前」があります、陰陽二元です。
背後は想像的なものであり、前は自分の記憶の折り重なりによって「在る」状態を持っているので、実際パーソナルな空間です。誰も共有していない、完全にオリジナルなものとなっています。

脳の研究者が、前を「内部空間」と呼ぶのは、大変適切な呼び名だと思います。


安芸ガラス様

>剣道は大正時代に作られたスポーツです。

当方もそののように思っていました。
同じ動作以外を認めないのであれば、武道ではあり得ません。

真剣の立ち会いにおいて、致命的なことは、剣の切っ先が、自身の背後空間に置かれることだと師がおっしゃっておりました。

その意味一つで、竹刀剣道の所作は、致命的だと。あれはスポーツだからそれでいいとして、武道では、無いと。

真剣の要諦は、切っ先にあるとも。どのような鍛え方をしても、真剣同士が、の刃をカチーンとぶつかれば、欠ける。
戦闘においてはどうであれ相手に、無我夢中で傷を負わせることになるが、武芸者同士は、刃がカチーンとなること自体を恥じたとも。

日の本の武芸の達人は、まさに驚嘆すべき技と術を体得した方たちで、居合に置いても、抜いて収める一動作が、本当に凡人の目には止まらない。

模擬刀をもってもわかりますが、抜くもの精一杯、振るのが重く、収めるのはまさに困難です。それを、本当に目にも止まらない、身体の起こりさえない。脅威です。

植芝翁の合気には、当方がお聞きしたことから推察すれば、初期、中期、晩年期とそれぞれが在るようです。それぞれの自体に教示された高弟により、合気はこうだ、という意見と術の対立があるそうです。

井上名人と言う方は、植芝翁の甥に当たるかたで、植芝翁、井上名人のお二人が、出口王仁三郎と行動を共にしていた時代、植芝の叔父貴と読んでいたそうですが、とんでもないほどの怪力の持ち主だったそうです。

その後、聖師出口王仁三郎の霊的修練の薫陶を受けて開眼したのではないかと想像するのですが、中期の合気では、まるで踊るがごとく、跳びかかる相手を自在にいなしているのは、ユーチューブ動画でも見ることができます。

晩年期は、白光真宏会の覚者五井昌久先生を、イキガミとお呼びして、稽古は道場の弟子に任せて、足繁く千葉の白光真宏会本部道場に参って、お祈りに興じられていたそうです。

戦い、相手を倒すことのみの時代を通じて、やがて合気と悟られて、晩年は「人類が平和でありますように」と、ひたすら祈られた、そのように、当時側のいた方々のお話をお聞きしています。


29. 宮島鹿おやじ 2012年10月01日 02:13:54 : NqHa.4ewCUAIk : GJMYAqeMNE
台風も過ぎていったようです。強い風がありましたが、そう多くの雨は降りませんでした。ふくいちは大丈夫でしょうか。大変心配です。

・・・・

ろうし力学様

恐竜に関する非常に興味深いお話をお聞かせいただきました。ありがとうございました。私個人としては、電子や原子などの量子レベルにおける奇跡とも言える現象についてさえまだ正確には把握できていませんので、まさに「了見の狭い」範囲でしか思索がカバーできませんが、お話は大変刺激になります。オーパーツなどの古代遺物などのお話は大好きです。

さて、ご本人の武道にまつわるお話をいただけました。大変感謝しております。

>当方も、経験してきたことですが、大変な速度における修練の繰り返しにより、今まではものすごく早く、対処できなかったことが、ぱっとスローな時間世界に突入して、全く簡単にそれができてしまう。

>一度、交通事故未遂で死にそうになった時も、車に突っ込んで行く己の肉体から、認識が分離して、迫り来る車を、超スローで見ながらも同時に、真横から己の肉体を観察している、そのような経験もあります。


極めて貴重な体験をされているように思います。交通事故などの急迫の事態のときに、通常とは違う時間世界が開ける・・・。人間の意識のあり方を考える上で大変参考になるお話です。よく、僅かな時間でもその一瞬に様々な経験が走馬灯のように・・という話は聞くものです。武術の訓練は、本来、そのような急迫の事態に対応できるようにと、想定されていたものがあるのかもしれません。それにしてもそういった対応が可能であるのは、「ああしよう、こうしよう」などと躊躇する間もなく体が自然に反応するくらいの血のにじむような努力があったはずと思います。このようなお話を直接伺えるということは大変ありがたいことと存じます。


30. 宮島鹿おやじ 2012年10月01日 02:27:03 : NqHa.4ewCUAIk : GJMYAqeMNE
以前、植芝翁の伝記の中に、「私が眠っているようだったら扇子で頭を叩け」と、あるお弟子さんがいわれ、翁がこっくりこっくりはじめたとき、しめしめと思い、扇子で頭を叩こうとするとその直前で、翁は目を開けた、というお話を読みました。

修行の成果によりあるレベルに達すると、眠っているようで眠っていないような状態が訪れると聞きました。まさにそれは、眠っている自分を、自身で「観察」しているような状態ではないかと考えます。

さきほどの、交通事故に遭われそうになったとき、迫り来る自動車と同時に、自分の肉体を観察している別の自分が存在していたという、体験談と符合いたします。


31. 2012年10月01日 04:36:11 : A4GQ7o9O02
突然すみません。

福島第一原発の核燃料である濃縮ウランは、米ソ東西冷戦下のまっただ中、米国のGE(ジェネラルエレクトリック社)が、南アフリカ産のウランをソ連(なつかしいですね)で、濃縮してもらった核燃料だったみたいですよ。東西冷戦は全くの茶番やったのかもしれません。
有馬哲夫著「原発と原爆」(文春新書)2012、にありますが、
米国は核安全保障上、ソビエトにウラン濃縮させることは、ソビエト自国のウラン濃縮能力を低減させるので
委託してもオッケーという理屈でした。突っ込みどころ満載の理屈で、思わずのけぞってしまいました。
国際原子力マフィアの闇は深いです。


32. 宮島鹿おやじ 2012年10月01日 07:19:12 : NqHa.4ewCUAIk : GJMYAqeMNE
A4GQ7o9O02 さん

おはようございます。いつもお世話になっています。


そうすると、東西冷戦も実のところ「やらせ」だったということですね。

>米国は核安全保障上、ソビエトにウラン濃縮させることは、ソビエト自国のウラン濃縮能力を低減させるので委託してもオッケーという理屈でした。突っ込みどころ満載の理屈で、思わずのけぞってしまいました。

まじめに考えるのも馬鹿馬鹿しいほどの論理ですね。
これは、昨今の放射能安全論に通じるものがあるように思います。

また、コメントをお願いします。待ってます。


33. 宮島鹿おやじ 2012年10月01日 07:54:13 : NqHa.4ewCUAIk : GJMYAqeMNE
「やらせ」のお話が出ましたが、今回の冒頭の画像の作品にも共通するのが、

「どう見えるか」

ということに、力点を置いているように思います。

何をやっているのか、ではなく、何をやっているように見えるか。 です。

漠然としていますが、本当にそう思います。


34. 2012年10月01日 09:25:37 : 7AQL3yHF4A
ICRPと冒頭の絵の「不気味さ」との関連についてはあまりピンと来ませんが、絵の「不気味さ」の理由はかなりはっきりしていると思います。
それは、現実の人間活動(例えば、女性コーラス、社交、集合記念写真に相当など)の一場面を描いたようには見えないということであり、なぜそう見えないかも明らかで、描かれた12人の女性の視線の方向がてんでバラバラで、ペアで巻物を持つほかは姿勢や動作に何の相互作用(協調や干渉)も見えないからです。
現実にはモデルはおらず空想で描かれたのかもしれませんんが、言ってみれば、まちまちのポーズを取るマネキンを12体並べたか、12人のモデルに意図的にバラバラのポーズを取らせたかして描いたように見えるということです。

35. 2012年10月01日 09:26:43 : 8bgfpoK34U
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>修行の成果によりあるレベルに達すると、眠っているようで眠っていないような状態が訪れると聞きました。まさにそれは、眠っている自分を、自身で「観察」しているような状態ではないかと考えます。

現在意識は、潜在意識の「外」の世界に対する取り入れ口ではないでしょうか。
ほとんどの人は、刷りこみがあって現在意識で「外」の世界に対処しようとしています。
現在意識が閉じて、寝ている状態を活用することが大事と思います。
ただ、潜在意識は受身の可能性がありますので、活動の方向付けは現在意識で行うしかないと思います。

世間に流布している潜在意識は、海の中に氷山の頂上が浮いているイメージでしょうか。
海の上が、現在意識、下が、潜在意識と云われています。
このイメージも「徹底した個人主義」の刷りこみ。
海、それ自体が潜在意識の集合体ではないでしょうか。
海の上に出ている頂上は、その海と、接触している個体の個人の現在意識ではなかろうか。
「観察」の中に、海を同体とする身体操作があるように推測します。


人間にとって、空気、水、食べ物は、すべて毒の状態です。
それをアメーバのように同体にして、体内に取り込みます。
同体にできるのは、それらと深部が同じ根っこだと、推測しております。


36. ろうし力学 2012年10月01日 23:52:17 : riuSNxeQ9qjU6 : 32940fEKVE
宮島鹿おやじ様

お返事ありがとうございます。

>修行の成果によりあるレベルに達すると、眠っているようで眠っていないような状態が訪れると聞きました。まさにそれは、眠っている自分を、自身で「観察」しているような状態ではないかと考えます。

ご指摘のとおりと思います。

量子論においての、観察と事象の不可分の関係性から考察して、人間が観察していない、更に寝ている状態を考察して見ると、その時世界は何ら実存的なものではなく、確率の海にあり、観念の中に世界はあるということが言えます。

この前のコメントで、背後空間は想像的なもので、実際には観察が出来ないバーチャルな空間と言いました。

そして、前はパーソナルな内部空間と呼べるとも言いました。
内部とはつまり自分が「観念」しているということでもあります。

観察により、知覚正面は実存となり、背後は観察が出来ないバーチャルな空間。

よくよく感がますと、「わたし」とは実に不可思議な存在です。
見ている世界は、わたしが見ることで世界として存在するに居たり、延々と果てしなく広がっている、と想像される背後空間とは、実はバーチャルな空間。

バーチャルな空間には「果て」、というものが在るはずかなく、実は我々人間は、自分の観念に寄って立つ「前」を見ずに、見えていない背後空間を「前」にまでもコピペして、球空間をイメージして、その果てしない無限空間の中心に、自分が大宇宙からレンタルしているところのもの…肉体、を配置(想像による配置であり、観察ではない)して、その位置に「自分」という観察の主体を重ねてしまっているわけですよね。

見えない霊、神などを信じていいる人であっても、自分のイメージとは決まってこの肉体を指しているのであって、観察の主体そのものを捉えて話している訳ではないことが殆どです。

世界を見ていない状態、ここでは寝ている状態において、世界は観念の中にあるのであって、そこはまさしく死後の世界に他ならないわけです。
眠ることと死ぬことは、同一であると考察できます。

宗教的には、それをもって、「一日が生涯である」と言って、眠ることは死であり、目覚めるのは産まれ出ることと理解していた(古には)わけです。

武芸者は、無為自然ともうました。無為自然は、生きたまま死後の世界に踏み入れることとも申しました。「武士道とは、死ぬこととみつけたり」。

生きたまま死後の世界の住人になり得た方は、肉体という容器が、睡眠を必要とする時にも、自身(霊の本体と云いますか)は、何ら変わらないということでもあります。

わたし自身(霊)は、死がありません、当然眠りもありません。
肉体が生きたまま、死後の世界の住人になるということは、死がありません。

死後の世界は、霊としての自身が生きている空間と時間です。
肉体を我と思う意識状態は、霊(本体)が目覚めて居ないとも言える状態です。

さて、当方が「霊的」という言葉を使うとき、自分で何を意識していその言葉を発しているかと言いますと、目の前の世界そのもの、を意識しています。
つまり、眼前の物質世界が、自分には霊そのもの、と捉えられています。

幽霊の「幽」は、霊とは異質です。霊は観念そのもの、幽は物質と観念を併せ持っているもの、物質は観念の「反映」(観察することで、確率が収縮する)。

幽霊とは、極めて「物質的な」ものであると言えます。
「物」という観念が生み出すのが、想念(念)。
肉体という器が還元してしまっても、「物」としての肉体の物観念が、強い波導となって揺らいでいるところに、幽霊という「状態」が現れます。

幽霊は不可視世界の住人、と言うよりも、物観念とつながりの強い存在だと言えます。

不可視世界とは、背後世界であり、目の前と言う可視世界はまた霊的(自己の観念に支えられている)世界と捉えることができます。

その意味で、死後の世界は正しく「目の前」であり、その目の前は、背後世界のコピペ空間ではありません。

プリミティブな、平面、世界に生まれ落ちたばかりの原風景としての平面世界で、そこには「あるからある」というものしかない、自分とは肉体では決して無い。
正面世界そのものがワタシであり、そこに退治している我(肉体)など、どこにも存在していない、それがかつての私達(人間全て)だったわけです。

空間を巨大な球空間として、中心に自己(肉体)を配置する自己イメージには、「どこにも」生きた生命は存在していないわけです。

見ている世界=自分、という原初の存在様式への回帰が、武芸者の到達しようとした彼岸ではなかったでしょうか。


A4GQ7o9O02 様

東西の冷戦がヤラセではなかったか。まったく同意です。

当方が、見えない世界の話しばかりしており、異様かも知れませんが、そのヤラセ構造についても、長年研究(?)してきたくちです。

陰謀論よりもぶっ飛んだことを研究してきましたが、「戦後史の正体」にも在るように、戦後、日本は一度も独立などしていませんでした。

冷戦により、西側への防波堤として、日本経済の成長を認め、そこから最大限の搾取システムを組み入れて、国際金融支配は、戦争軍備を最大の金儲けの手段として、世界(アジアと中東)に、常に「危機を生み出して」来ました。

双頭の竜戦略と呼ぶ、表面的には対立していても、根っこは同根であることを言うみたいですが、もとより○○革命(明治維新含む)と呼ばれた「民主革命」とは、人類に闘争を継続させる目的によって、プランを実行してきことが見えて参ります。

覇権を争う勢力は、大雑把に、アメリカの背後にあるもの、中国の看板を持っているもの、第三勢力としてロシアにあるもの、そして欧州にあるもの、これらが最終的には目的は同じであり、つながっているけれども、最後は互いを倒すまで止まらないという、破壊エネルギーが、歴史に身を隠しながら暗躍してきた構図ですね。



37. 2012年10月02日 04:24:08 : JnYsYjAvGE
ろうし力学様
安芸ガラスです。

>陰謀論よりもぶっ飛んだことを研究してきましたが、「戦後史の正体」にも在るように、戦後、日本は一度も独立などしていませんでした。

「日本は一度も独立などはしていません」に同意します。
しかし、現象を掴む肯定的意味で、「独立」を私は使っています。
ろうし力学様は、否定的意味で「独立」を使われているように理解をしています。

日本は安政5カ国条約で自由貿易体制に参入しました。
そのさいの江戸協約において、国内の政治改革、経済改革、文化改革を、自由貿易体制の先発国である英国、米国、仏国、蘭国の4国に指導されました。

つまり、自由貿易体制の胴元は4カ国で、日本は子としての立場です。
当時の自由貿易体制の先発国のルールに、日本が国内基準を合わせるのです。
この作業は、明治の終わりまで続きました。

それが、明治維新と呼ばれるものです。
それを合意して、指導したのは、武士や公家です。
戊辰戦争は、その主導権争いです。

明治政府の暦の改正、村請けの廃止、地租改正、円の印刷などは、江戸協定に基づいています。
私が云いたいのは、自由貿易体制の主権国家・国民国家制度は、世界システムなのです。

ですから、「日本は(明治以降、世界システムに組み込まれているので)一度も独立などはしていません」

89年に自壊した社会主義世界体制、91年に自壊したソ連邦は、その自由貿易体制に対する、まだ組み込まれていない住民の選択肢、希望、新しい生活だったのです。
清も朝鮮も越南も共産主義は、その地域の住民の独立のための手段だったのです。
清の場合は、最初から華僑などの世界性があり、彼らの共産主義は、自由貿易体制の胴元になるための手段(方便)です。


38. 宮島鹿おやじ 2012年10月02日 05:22:23 : NqHa.4ewCUAIk : GJMYAqeMNE
安芸ガラス様

おはようございます。

アルファ線など放射線の影響については今後とも勉強してまいります。よろしくご教示をお願いいたします。ただ、あまりにも奥が深い世界ですので、その入口でうろうろしております。

>私も含めて身近な人を観察しますと、消化器系、呼吸器系、泌尿器系、生殖系、大脳系がよく働いたり、働かなかったりする先天的なものがあるような気がします。

各人の身体に関して、呼吸器系、泌尿器系・・・などが良く働く身体、そうでない身体があり、放射線の影響は、むしろ強く働く系統に現れるというお話をいただいております。よく働くところにかえって放射線の影響が出てしまうということに、何か、久しく伝えられる智恵、たとえば、「禍福は糾える縄の如し」といった言葉が浮かんで参ります。

呼吸器系の強い人が、傾向的に強欲であるというお話は大層興味深く伺いました。たしかに、政治家になる人は首が太くがっちりした身体を有している場合が多い、いわゆる猪首のような印象があります。身体と気質、そういえば、クレッチマーによる痩せ型、がっちり型、肥満型といった分類がありましたが、関連がありそうですが、どのようなものでしょうか。

植芝翁については一時期、図書館などで本を借りて読んだことがあります。武術と信仰、心の世界について大変示唆を受けました。

剣道の動作に疑問をもたれ、神楽を学ばれたというお話ですが、「ハッと」するような思いで伺いました。

>解ったのは剣道は大正時代に作られたスポーツです。
それ以前の武士の剣術の動作や身体操作と違うことです。
それと根本の違いは、稽古の形態です。
・・・
剣道に疑問を持ちましたので、神楽の稽古をしました。
先に身体操作があり、次に動作があります。
当然、子ども男女、老若の動作は違ってきます。
観るのは、身体操作です。
動作は違ってもあたりまえなのです。


私も、わずかばかりですが、身体活動として武道を選んでまいりました。そして、その結果得られた結論は、まさに、おっしゃるとおりとなっています。
つまり、「ある身体操作があり、それ固有の意味を持っている」たとえば、脇をあけた状態で掌で壁を押す動作と、脇を締めた状態で壁を押す動作では「見た目」は同じに見えるが、やっている事実(身体操作)としては全く違うというようなことです。

空手に型というものがありますが、おそらくは一つ一つの動作に意味があり、骨格・筋肉をどのように動員するのが合理的かという知的結晶であったと思われます。ところが、その動作を単に「まねる」こと、単に同じように「見える」ような「所作」になったとき、武術的意味は失われ、いわば「踊り」になってしまったと考えます。

そういう意味で、「身体操作」が先にあり、老若男女によってはその現れ(動作)は異なってあたりまえだという見解は、本当に同意いたします。


あやみ様

中学生時代のお話を伺いました。
剣道の試合のときは大層不愉快な思いをされていたんですね。
不快で威嚇するような気合、防具の無いところを狙って打つ卑怯な戦法、結果としての常勝・・・なにか、まさに浅ましい「この世」を現しているようで大変興味深いお話です。
ところで、私が今まで読んだ本の中で、大層影響を受けたものに、『剣の思想』というものがあります。甲野善紀氏と前田英樹氏の交換書簡という形で進められる著作です。甲野氏は古武術の価値の再認識という一種のブームを巻き起こした方で大層有名になられました。前田氏は立教大学の教授でフランス思想が専門の方です。私がこの著作の中で最も強い示唆を受けた、前田氏の紹介する言葉に

君子は上達し、小人は下達す。

というものがありました。上達に対して、「下達」という概念がある。この下達とは、私なりの解釈では「ある特有の環境に対してのみ通用する適応を過剰に行うこと」と考えています。つまり、剣道の試合という「特有の状況」において、腕とか脛などを狙って打ち、相手にダメージを与えて試合を有利に進めるような戦法、あるいはそれに熟達することです。要するに「勝てばいい」という考えですね。この下達という現象は、武道のみならずあらゆる領域、今回問題となっている科学の領域まで深刻に浸潤していると考えます。いわゆる「御用学者」とは下達という現象の明瞭な一つの現れと考えます。

一方で、前田氏は、それに対比される「上達」とは何かという問題を考察されています。そして、その困難さに嘆いてもおられます。


39. 2012年10月02日 06:14:23 : JnYsYjAvGE
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。
おはようございます。

>身体と気質、そういえば、クレッチマーによる痩せ型、がっちり型、肥満型といった分類がありましたが、関連がありそうですが、どのようなものでしょうか。

私の発想は、植物と動物の軸からきています。
植物の軸は、体の上下と内側と外側の2本の軸です。
動物の軸は、頭(上)と尾(下)、背(前)と腹(後ろ)、右と左を決める3本の軸があります。
卵子と精子が受精した卵は、内側は消化・呼吸器系、外側が大脳・皮膚系、中側が生殖・泌尿器系の器官がつくりだされます。

もちろん私の場合は発想が方便となります。
最初に「消化器系、呼吸器系、泌尿器系、生殖系、大脳系」の現象があり、その現象を掴むには、どうすれば、掴めるのだろうか、と追って行くわけです。
それで受精卵のときは、どうなっているのだろうか、と推測するのです。
ですから、クレッチマーの学説とは、縁もゆかりもありません。


>空手に型というものがありますが、おそらくは一つ一つの動作に意味があり、骨格・筋肉をどのように動員するのが合理的かという知的結晶であったと思われます。

「骨格・筋肉をどのように動員するのが合理的か」…面白い。
筋肉の縮む力は、伸ばされた細胞がもとの位置に戻る力です。
量子力学ではクローン力でしょうか。
つまり電磁力の統合される力です。
力と力の格差、つまりバランスが崩れるから、それを戻す力のことです。
ほんの少しの身体操作で十分ですね。

話は飛びますが、沢田さんは「力を失う」と主張されています。
私は体が修復する方向づけさせできれば、「適応」の方向進むのではないかと、推測します。


40. 2012年10月03日 08:34:55 : Xs0Gj9F23E
>08
しばらく出先だったので、レスが遅れました。すみません。
ネクロフィズムは仰る通りです。
ペドフィズムは、いわば、paedophyllia(ペドフィリア)を捩った造語です。
つまり、ペド(ペドフィリア)とは、小児性愛(嗜好)という心理学(病理)用語のことです。ペドフィルとは、小児性愛者のことを指しますが、最近の日本のオタク(主にアニメ、アイドル系)文化の中では、「ペド」であることをカミングアウトした上で一定の市民権を得ているということで、敢て、日本の現代文化に既に根ざしているという先入観を以ってついつい「イズム」を取って付けてしまったというわけです。。。つまり「オタク受け」を狙ってしまったわけですが、非常に分かりにくい表現をしてしまってすみませソ(このンの代わりのソ表記も、ネットオタク文化につい合わせてしまった結果。。。)
色んな意味で不躾な言い方ですよね。
てか、このスレに出会うまで、いい年こいてる自分がこんなにオタクアイドルたる、「しょこたん」に影響されてたとは、思いもよりませんでした(汗、、

41. 本能知 2012年10月03日 09:26:53 : UhMfn7fAFMbC. : Xs0Gj9F23E
私(Xs0Gj9F23E )は、なんとなくペンネーム決めました(笑
今まであんまりしっくりするものを思いつかなかったんですが、要するに私という概念の主たるテーマがもしあったりしたらこんなもんかな、という。

むつかしい内容を展開するのはちょっと面倒な方なので、あくまで感性に即したことを適当に投入する方に持っていくと思うのですが(故に、却って分かりづらいかことが多々出てくる可能性は高いと思っているのですが、「??」となったら、突っ込んでくれれば出来る範囲でお答えする努力はします・笑)

私の感覚にピンときた方向を解説するならば、要するに「アレルヤ」という写実絵画が表現しているものの背後から忍び寄る違和感とは、今、着々と進行しつつある、「エートスプロジェクト」そのものを形象化したもののように、各々が観じているからなのでは?と。

山下&田中「俊一連合w」とかいう、パウロ系キリスト教殉教者(だったりして!?)と、敗戦系米国従属者としての、双方どっちかっつーと卑しい知的貧民のガツガツした根性が合体した上での、「オレらからみた綺麗な(&御しやすい)女性とは男性社会の一見優しげなこと言ってるけど実は下心満載の『偉くなってる』我々の願望に対して素直に順応するべく『こうであって欲しい』という下劣なH願望を盛り込んだ『イヤらしく、生命を愚弄する』モテない男性のコンプレックスが描き出した理想像、
を想起されるが故、そういう社会に洗脳されてない女性から観るのはもちろんのこと、まともな心ある男性の目線から見ても、何だか不自然でキモいものとしての、背後からただよう腐臭が探知されてるのかも。。。

エートスプロジェクトの類を絵画化するとこんな感じかな、なんて思う今日この頃・・・w。


42. 本能知 2012年10月03日 09:54:04 : UhMfn7fAFMbC. : Xs0Gj9F23E
>17
ま、ぬるま湯を求める慣性の法則、ちゅーことですねww

軽く笑ってみせましたが、実際は未だ地球上ではバカみたいに支配的でちょっと笑えないっちゅう。。

エントロピーの法則自体がそいつが作りだした言い訳創作括弧付物理法則みたいなもんで、しかもそいつが自ら選んだ、墓堀の落とし穴っ痛か(爆、、こっちはマジ笑でんがな涙目。。

その法則も一応存在はしてるけど、宇宙的集合野として観たら、まだまだ圧倒的に下位のレベルなんだけどね。。

ぼちぼち、カラの死ぬ用意を整えとこう、とな!!

地球人類zzzっ全員集合!!!のあvivanonnon
ばばんばbangbangbang
いい湯加減だの〜〜



43. 本能知 2012年10月03日 09:58:00 : UhMfn7fAFMbC. : Xs0Gj9F23E
ぬるま湯の、
やがては煮立つ、
ゆで蛙


44. 本能知 2012年10月03日 12:34:15 : UhMfn7fAFMbC. : Xs0Gj9F23E
>24
安芸カラス様

>>。ヨ人間は有性生殖ですから、女親と男親がいます。
その親も、同じように2人の親がいます。
少なくとも、生きています私は、私以前の3代(14人)の共同作品となります。
「適応」の方向を自然に任せているので、私の先天的体は、私が生活する上で不便な面もあります。

遺伝と適応ということについて、ふと思ったことがあります。
以前、福岡正信(ふくおかせいしん)というかなり最近に天寿を全うされた、自然農法を提唱した方の著書を読んで納得したことがあるのですが、今、その本が見当たらないゆえうろ覚え内容を記憶ダイジェストとして述べてみますが、植物の種を掛け合わせて新種を作ろうとする、そして、出来てきたのが、何百種ともいえるサンプルで、それは決して、メンデルの法則が言うような、シンプルな優先遺伝と劣性遺伝の現れのみに還元されるとは到底いえない、それは、確かに親種から受け継いだ形態や特性を引き継いではいるものの、その環境に合わせた強い弱いも含めて(その中で、どこが強くてどこが弱いかの偏差値もまた、それぞれにあり)、百種あったら百人百様と言っていいほどのそれぞれの個性(一卵性双生児の類は別として)の豊かさが現れており、本当の意味で誰が強いのか誰が弱いのかも、どれが人にとって美味しいのか不味いのか、また、どんな調理をすればその特性を生かして美味しくできるかも、その環境に根付かせて育ててみないことには何とも言えない・・・
けれど、確実に環境に合わせて逞しく生きる種は存在するし、また別の環境に根付かせればそこでは逞しく生きられるであろう種というのも起きてくる、、、というようなことだったと思います。

人は、植物と違って、自由に住む環境も変えられますし、住んでいる環境を自分に合わせて変えることも、その気になればできます。

その著作からインパクトを受けて間もなくの頃、たまたまなんとなく観ていたTVに、白人と黒人の夫婦の間に生まれた、20人前後の子供達の大家族特集の映像が出てきました。
その時、福岡氏の書いたものを、なるほど納得できるという形で思い出したことがあるのです。

その白黒ハーフの子供達の、ほぼ男女比が同等の子供たちは、全員が見事なバリエーションのグラデーションを形成していました。

大雑把に言えば、年齢の幼少に関わらずですが、なるほど、白人と黒人の間をとってるな、と分かるハーフが存在しているのはもちろんのこと、黒人寄り、白人寄り、どう観ても、ただの黒人、或いはただの白人にしか見えない者、女なのにいかつく男の子っぽい子、男なのに繊細そうで、一見女の子にしか見えない子(心の中の性同一性はまた別かも知れませんが)、丈夫そうな子、ひ弱そうな子(それも、見た目とは実は逆のパターンもあるかも)・・・

人間だって、植物の例に違わず同じ夫婦同士の間に20人も子供が出来れば、植物の同じ親種を掛け合わせて色んな種が出来てくるのと同じ位の、明らかに親の遺伝子を引き継いではいるものの、多種多様なバリエーションが顕れてくるという証拠がそこにあったと思いました。

人間ごときの賢しら(の初歩科学レベル?w)で、劣性遺伝とか、優勢遺伝とか分かったように言うのも、意味のないことだなー、ましてや、差別なんて下らないもんだよなーとついつい思ってしまったワケですが。。笑


45. BRIAN ENO 2012年10月03日 15:52:03 : tZW9Ar4r/Y2EU : yhmbAsnuyo
ニール・ラーセンとレナード・コーエンとハレルヤとモンタレージャズ・フェスティヴァル
http://www.asyura2.com/12/music6/msg/592.html
投稿者 BRIAN ENO 日時 2012 年 3 月 24 日 20:51:40: tZW9Ar4r/Y2EU

46. ろうし力学 2012年10月03日 23:31:48 : riuSNxeQ9qjU6 : jC2xKrZc8E
安芸ガラス様

>「日本は(明治以降、世界システムに組み込まれているので)
>一度も独立などはしていません」

おっしゃる意味はまさしくそうだと思っています。

独立に付与している意味において、言語的には当方は否定の意味ですが、
実のところ当方の意識の中にあるのは、独立に否定肯定の間(中庸)に立つことが意識されています。

否定的に独立していない、の使い方は、日本の国民は9割がたが、日本が主権独立であり、「世界システムに組み込まれている自覚がない」ということにたいしてのアンチテーゼとして、独立なんてしていないの意味で言っていますので、これは正しく「否定的」です。

実のところ、「日本は独立しなくてはならない!」、そう思ってはいないです。
そうではなくて、世界支配権力が標榜するNWO、新世界秩序、世界統一政府樹立、そういう概念とは、混同されるがおおよそ「対極」の世界の在り様を、意識してのことです。


全ての団体は、それが国家であれ何であれ、マネージメントの必要性がある、そう考える人間が多勢です。欧米はそれが主流でしょう。
欧米の権力志向の人間は、外部注入式に支配ーマネージメントが必要と信じている伝統があるように思っています。


さて一方日本人は、人類全員に最初から組み込まれている「コア」に、従う生き方に、きわめて近い生活を知っていたと、当方は考えます。

人間のコア、肉体的に言えば、昔の人々が臍下丹田と呼んで、何とか表現しようとした、人間の霊存在としての霊物の接点を、生きる中の「動きの起点」とするあり方ですが、武道の求道の究極は、頭を取って(主要に頭を使わない)、「肚(はら)に従う」、でした。


受精卵に至る、卵子、精子の行動に、人間の本質を見る思いです。
それは、精子の在り方に現れる、「全と一(多と一)」の一体性にあります。

3〜5億と言われている精子が、最終的にたった一つ、卵子と結合を見るまでの過程には、精子が大枠では三つの種別で存在し、それぞれの役割をもって、卵子までたった一つをたどり着かせる意志を持っていることです。

よく知られたオタマジャクシ型の、エッグゲッター群、ブロッカー群はエッグゲッターを守って道をつける役、キラーは前線で他者(免疫細胞や、他の精子)と戦う役割、それぞれに、形が違っていて、平べったかったり、とがったり、角があったり、役割に応じた形質を持っていることが観察から判明しています。

そして、その精子の一群が、その中のたった一つの精子を、卵子に送り込んで、たった一つが酵素で卵子の殻を破ったその瞬間に、すべての精子(達)が、活動を一斉に止めてしまうという。

その研究結果を知って、自然の摂理とは、そういう仕組みか…と降りてきました、ストン、って。

精子「群」とは、そう見えるだけだと。

「多」、に見える精子だけど、実は「一」なんだと。皆で自分の分身をたどり着かせる協同を行って、そのもっとも「力を与えられた(精子群に与えられた)」1、が、目的に達したら、「自分達全体が」その目的を達した、そういうことなんだと。

人類という種も、多様で、様々な可能性(適応への分化)を展開し、多くはダウンして、まるで「優れている」ものが生き残るように、一見すると見えているが、それは実は出発は「一」であるところものが、「多」に化けて、多という形態を活用して、「一」へのフィードバックを行い、変化=進化という無限発展生成を行っているだと。

この「一なるもの」と「多なるもの」、一見まったく相反する存在を、再び「一」へと還す(孵す)、宇宙はそういう作業を永遠と「ユニバース」しているのだと。

一見相反する、陰と陽の一体化(初めは一体から、分離して、相対となった)が、大きなテーマではないかと、そう思っております。


47. 宮島鹿おやじ 2012年10月04日 03:00:05 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ご返事が遅れております。

>>34さん

ICRPについての私の認識は、おおむね以下の過去投稿などによって形成されています。繰り返し言及していますが、それは科学を偽装した、隠された目的を内蔵する演繹論ではないかと疑っております。よろしければご参照ください。

http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/406.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/164.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/246.html

また、絵画についてのご指摘ですが、おっしゃるとおりだと思います。私が表現したかったことをさらに適確に示していただきました。ありがとうございます。絵画についても、私は下手の横好き程度の知識しかありませんが、よろしければまたご教示ください。


48. 宮島鹿おやじ 2012年10月04日 03:29:53 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
安芸ガラス様

こんばんわ。

>>35において

>世間に流布している潜在意識は、海の中に氷山の頂上が浮いているイメージでしょうか。
海の上が、現在意識、下が、潜在意識と云われています。
このイメージも「徹底した個人主義」の刷りこみ。
海、それ自体が潜在意識の集合体ではないでしょうか。
海の上に出ている頂上は、その海と、接触している個体の個人の現在意識ではなかろうか。


というお考えをいただいております。いわゆるユングの「集合的無意識」のことかと思います。この視点は、いままでのお話の中ではあまり出てこないものだったと思います。


>「観察」の中に、海を同体とする身体操作があるように推測します。

これは、たとえば、「瞑想」も指すように思われます。

>人間にとって、空気、水、食べ物は、すべて毒の状態です。
それをアメーバのように同体にして、体内に取り込みます。
同体にできるのは、それらと深部が同じ根っこだと、推測しております。

放射能、あるいは、沢田先生のお話の「力を失う」という部分とつながってくるくだりではないかと今気がつきました。現前にあっても、自分には見えていないということが多々あるのですが、これからも学んでまいります。よろしくお願いします。


49. 2012年10月04日 11:30:29 : oEfsNRX4Mg
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>放射能、あるいは、沢田先生のお話の「力を失う」という部分とつながってくるくだりではないかと今気がつきました。

そうです。
体を構成する物質、いわゆる水、鉄、隣、カリなどのことではないのです。
その物質を保つ働くが、その方向が大切なのです。
体が一つの方向で、保たれています。
それが個体、個性だと思います。

確かに原子核力(強い力)は、大変な力を発揮します。
東海村では、急性被ばくで2人が体が融けました。
しかし、私たちの体は、それぞれの人が微妙な方向の違いで、物質を保っています。
クローン力(あるいは電磁力)は、伸びたものを縮めたり、元に戻す力もあります。

深読みしますと、沢田さんは、縮める力を失う、ともいわれているのかなぁ、ような気もします。
力を失うのは「抵抗」するからです。
私たちが生きれる可能性があるのは、見えない分子を体の中に取り込み、同体にする、その方向付けをすることだと、思います。

これからも、生き延びるための共同作業を、よろしくお願いします。


50. 2012年10月04日 12:35:05 : oEfsNRX4Mg
本能知様
安芸ガラスです。

>44
私は遺伝学に違和感を感じています。
少なくとも、祖母、2人の親、私は、しぐさ、感受性、行動のパターンを、混ぜ合わで遺伝しているように見えます。

そして妹、その子ども、さらにその子どもを観察していましても同じように見えます。


ろうし力学様
>46
>独立に付与している意味において、言語的には当方は否定の意味ですが、
実のところ当方の意識の中にあるのは、独立に否定肯定の間(中庸)に立つことが意識されています。

立場の表明ですね。
心を伝える立場は4つあります。
 あいまい。
 主観的。
 相手を認める。(あるいは両人を認めない)
 両人とも認める。
この4つの立場が、回っていますね。
 


51. ろうし力学 2012年10月04日 18:39:53 : riuSNxeQ9qjU6 : 7EocdTHb42
本能知さま

>人間ごときの賢しら(の初歩科学レベル?w)で、劣性遺伝とか、
>優勢遺伝とか分かったように言うのも、意味のないことだなー、
>ましてや、差別なんて下らないもんだよなーとついつい思ってしまった
>ワケですが。。笑

まさにおっしゃる通りと思います。
本能知さまの、遺伝理論に対する懐疑も、当方も同様に感じるところです。

一人のご婦人が、三つ子を産んで、その三つ子ちゃんが、黒人、白人、黄色人種の三人兄弟だった記事を読んだことがあります。

人間という存在は、実に様々な可能性を持って、今も変化し続けています。

「いんやくりお」という少年が語った、詩のような本があります。
不可視世界から、地上世界に、自分の人生、親を選んで生まれてきた、生前の記憶が綴られています。

それを読んだとき、「ああ、自分と同じだ」と思いました。当方も、生前の記憶がありましたので、人間の人生は、全部自分が選んで生まれてくる仕組みになっていることが自明でした。

その記憶には、地球へ落下する記憶があるので、まあるい地球を見つめながら地上にたどり着きます。

そういう記憶がありますから、「人間は地球人だよね」と当たり前に認識していました。

しかし、違ったのです。そういう誰もがみんな地球人という括りは、99パ%の方が抱いていなかったことを小学中学年で知りました。ガーンっとショックでした。

そういう主観に頼らずとも、本能知さまのような、事実をありのままに見ての考察を持ってすれば、自ずと「差別なんて下らないもんだよなー」という、人間への認識が生まれると思うのです。

遺伝はあります。それはあるのですが、今の遺伝学は、事実を正面から見つめていませんよね。表層を見て、自分の都合よくすくっているだけだと思います。

おっしゃりたいのはそういうことではないでしょうか。


宮島鹿おやじ様

武道の話題でのつながりですが、日本に伝わる武芸者の身体操作の基本は、「引き込む」です。空手の付きは、拳を突き出す反対側の肘の、仙骨中心への「納め」が肝心です。薩南示現流では、左肘切断というようですが、左肘を丹田(中心)へ納めたまま胴から離さず、右腕は中心からの自在な「伸びる、縮む、伸びる、縮む」の動作で、常識を超えた時間への突入をしていると見受けられます。

のこぎりの動作でも、欧米型は押し切り、日本型は引き切り、包丁も引き切り、中心に納める力を研鑽するわけです。

柔術の投げは、相手を投げるのではなく、相手は筋力を持って己の中心から外れる行動をもって襲ってきますから、己は中心を保ち、相手の外れを、中心に納めることが要諦です。結果、相手は地面に納まります。最大の中心である「地球の中心」に納まるのです。

地球の中心に納まることは、肉体にとって重要です。病気になれば、寝て直しますが、この意味は、地球中心にピントを合わせるということです。

ここにも、全(多)と一の一体性が横たわっている、ということを言っています。


52. 宮島鹿おやじ 2012年10月04日 19:43:31 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
皆様

少し体調を崩し風邪気味です。
ご返事などは後程とさせていただき、休みますが、どうぞ、活発なる意見交換をお願いします。

なお、現在図書館でデイヴィッド・アイクの「最大の秘密」というのを読んでいます。歴史・政治・経済などの記述については、うなづけるところがあるのですが、支配階級は「レプティリアン=爬虫類」だ!というあたり(それ以外にも多々ありますが)クラクラしています。(ホンマカイナという感じです)

では。


53. 本能知 2012年10月05日 05:54:36 : UhMfn7fAFMbC. : Xs0Gj9F23E
>51
ろうし力学様

確かにそういうことだと思います。で、思い出したのですがかつてTVで見た、前述の完全なブラックとホワイトの間に生まれた子供達の中に、どう見てもアラブ系(かインド系)な子供と、どう見ても日本人にもたくさんいそうな、黄色人種系にしか見えない外見の子供が居た記憶がありました。実は、それが一番驚いたことのような気がします。

生命は、完全な「場(フィールド)」のルールに従って成立しているのでしょうね。
千島理論や、福岡正信氏の哲学を見ても、そう思えます。
実は、それらの概念に導いてくれた人は(水エネルギーで走る自動車を開発している方も含めて・・・その方は、実は自分はIAEAのメンバーだと自ら仰っておりました)、かつて阿修羅で知り合って、幾度かお会いしたこともある、Y・I氏という、既に数年前に亡くなられたジャーナリストなのですが、私の知識や直感にフィットもしていましたが、更に多くの発展的な概念を多く紹介してくれた、素晴らしい慧眼の持ち主でした。晩年近くには、カタカムナ文明関係の著作も出しておられました。

常に、世の流れや縁の世界の不思議を体感しております。

>52

私も、アイク氏がらみは故太田龍氏という方のサイトなどを通していくらか読んだことがありますが、爬虫類人類の類の話にはついていけません・笑
この世に出回る、本当の中枢から目を逸らさせるための(目くらまし的な)一種のディスインフォメーションの類の一つではないかと・・・。
人間の脳には、馬の脳や爬虫類の脳がまだ残っているという話は聞いたことがありますが、だったら、みんな爬虫類人間じゃないかと・笑

というか、割とイキモノ全般好きで、うちの家族全員結構爬虫類なんかも好きな方なんで、人間の金融屋や戦争屋なんぞといっしょにして、爬虫類を侮辱するな!
なんて思ってしまいます・笑
(最近空耳板でも連載のある、シュメール神話の「アナンヌキ」あたりが爬虫類型宇宙人プロトタイプの証拠になっているようですが、確かあれは、半漁人に近い神だったような・・・)

どうぞ、お体を大切になさって、しっかり休まれて下さい。
ただでさえ、大変なお仕事をされているのですから、、ただの風邪であっても人一倍気をつけて、くれぐれも無理をなさらないよう。


54. 2012年10月05日 07:20:01 : sXDZYdGiok
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>少し体調を崩し風邪気味です。
ご返事などは後程とさせていただき、休みますが、

好い機会です。
3代の共同作品である体のクセを薄くする好機会です。
母方、父方に膝で生活を不便にされた方は、おられないでしょうか。

以前、新聞のコラムで読んだことがあります。
幼いころ、父親に箸の持ち方をしっこく云われ、結果として歳をとった今、
箸の持ち方が恥ずかしくないので、そのことで父親に感謝していると、の話しです。

私からすれば、箸の持ち方ひとつ、やはり共同作品なのです。
本人の現在意識で、改善する話しでは、ありません。
ですから、児童虐待として感じました。

改善の方法は、急激な体の変化の機会を活用して、お臍を休ませることです。
たぶん、胴体の左側が右側に比べて太いとかで、太い側が日常的に使っている側です。
蒸しタオルや炒た塩を利用し、お臍の左右を同じ弾力にすることです。
あるいは、お臍の間裏の背中側に当てても同じです。

これは(改善の機会)、体調崩した、今しかありません。

そうすることによって、同じ共同作品ですが、生活に便利な作品が現れてきます。

現在意識は、潜在意識への方向づけ、あるいは、生活に不便なクセを薄くする条件設定で利用できます。


>支配階級は「レプティリアン=爬虫類」だ!というあたり(それ以外にも多々ありますが)クラクラしています。(ホンマカイナという感じです)

そうかも知れませんね。
本屋で江戸末期・明治初めの武士の女性の写真を見ますと、同じタイプが多いことに目に付きます。
イギリスは犬、日本は朝顔で品種改良でしょう。
ご主人に都合のよい、品種改良のノウハウがあるのかも知れませんね。
ただ、顔の筋肉は植物系なので、現在意識では、働きかけることができません。
頭と目、耳、鼻、口は、動物系なので違います。
「レプティリアン=爬虫類」は、その植物系のデホルメではないでしょうか。


55. 宮島鹿おやじ 2012年10月06日 16:08:09 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ろうし力学様


>観察により、知覚正面は実存となり、背後は観察が出来ないバーチャルな空間。

アインシュタインは、量子力学の帰結となる上記命題を受け入れることができず、「私が見ていないとき、月は存在しないのですか?」と尋ねたとのことです。実は私もそのような気持ちがよくわかるのです。


>世界を見ていない状態、ここでは寝ている状態において、世界は観念の中にあるのであって、そこはまさしく死後の世界に他ならないわけです。
眠ることと死ぬことは、同一であると考察できます。


夢を見ている状態とはなんであるのか、ということについて、一つの明確な回答がここにあります。夢。とても不思議な夢を見たことがあります。
また、夢の中で、「これは夢だ」と自覚したことが2〜3回あったように記憶しています。たしか、明晰夢という現象だと思いますが、ろうし力学様は経験されたことはありますでしょうか。私の場合、夢であると自覚した途端、スターマリオ(知ってますか? マリオブラザーズというゲームの主人公が無敵になった状態です)のように、空を飛んだり、走行するバイクに体当たりしたりです。(笑)


>幽霊の「幽」は、霊とは異質です。霊は観念そのもの、幽は物質と観念を併せ持っているもの、物質は観念の「反映」(観察することで、確率が収縮する)。

実は、この考え方を、このサイトの別の板で、わりと最近聞いています。ご存知でしょうか。阿修羅では結構有名な方だと思います。ろうし様のおっしゃることと共通するお話を伺えます。

>見ている世界=自分、という原初の存在様式への回帰が、武芸者の到達しようとした彼岸ではなかったでしょうか。

一つの世界の見方を教示いただきました。というよりは、やはり、私よりはるかに透徹した思索を重ねてこられたのだと思います。ところで、ろうし様は、「瞑想」などは行っていますか。


56. ろうし力学 2012年10月07日 01:06:33 : riuSNxeQ9qjU6 : V6T1vDv3zU
宮島鹿おやじ様

お元気がご回復されたようで、何よりです。原子転換、分子再構築をされたようです。

寝ると言うのは、地球中心に自分の中心をリセットする行為といえます。生体地場と地球磁場が不可分な関係性を持っています。病気はサインです。それは必要であり、機能であり、人体は宇宙の縮図ですから、完全性を持っています。

>実は私もそのような気持ちがよくわかるのです。

アインシュタインが見ていない時に月は存在しないのかと言ったエピソードですが、そのアインシュタインの視点を考察することで、彼は何か重大なことを隠したか、それとも気が付かなかったのかが、疑われます。
アインシュタインの相対性理論そのものも、オリジナルでなかったとも言われますが、大事なのは、彼のそれ以後の、人類にもたらした世界認識でした。

この理論によって、時間がその重合性を見失われ、いわゆる表面的で矮小な世界認識が、人類に蔓延りました。

それによって人類は、唯物還元の強度を高めていったとも見受けられます。その最も重大な罪が、核分裂を破壊兵器につなげていったことです。


>夢の中で、「これは夢だ」と自覚したことが2〜3回あったように記憶していま>す。たしか、明晰夢という現象だと思いますが、ろうし力学様は経験されたこと>はありますでしょうか。

ありますよ。

>私の場合、夢であると自覚した途端、スターマリオ(知ってますか? マリオブ>ラザーズというゲームの主人公が無敵になった状態です)のように、空を飛んだ>り、走行するバイクに体当たりしたりです。(笑)

自在です。でもそれが実相なのです。私達は、この物質世界を主体に見て、不可視世界を戯言と片付てきましたが、真相は真逆ですね。

誰でも必ず「死」にますが、それは肉体を宇宙に返すにすぎないわけです。意識が自分の本当のスガタです。ですから、死と寝るのは同じことなので、夢見ているとは、入れ物の制限を解放して、本来の自分の状態なわけですから、意識したとおりになる世界です。

宇宙は、完全にパーソナルなもので、意識の数だけ世界があるわけですから、その内部でなにがあっても普通です。

あの、映画「MATRIX」で、電脳世界の真実に目覚めた人類に一部が、バーチャルワールドの中では、何でも出来てしまうのは、一面の真理をついているといえます。


>実は、この考え方を、このサイトの別の板で、わりと最近聞いています。
>ご存知でしょうか。阿修羅では結構有名な方だと思います。

存じませんでした。
世界は、誰にでも、そのありのままの姿を示していますから、それをどういう言葉で言い表すかの違いはあるにせよ、同じ法則は、同じ意味でありましょう。

子供の頃、聖書を呼んでも、お経を呼んでも、他の宗教の経典を呼んでも、「ああ、同じことが書かれている」と素直に思ったものです。それが自分には「普通」でした。でも普通ではなかったようです、ほとんどの方は、○○教、○○教では、全く違うと、自分の正当性を主張するのが普通のようで、当方にはそれが不思議でなりませんでした。
言葉こそ違え、同じ法則に対しての表現の違いに過ぎないじゃないか、と。


>私よりはるかに透徹した思索を重ねてこられたのだと思います。

そうでしょうか、そうでは無いと思います。当方の思索には、どうも「複雑」さを皆さんは感じてしますようなのですが、当方の思索で寄って立つのは、観察の事実です。つまり「直達正観」に近づくことです。

虚飾を廃し、思い込みを省みて、固定観念を打破する。シンプルに世界をありのままに、そう思索するのです。
しかし、我々地球人は、見ている世界に思い込みをはめ込んで、脚色して見ています。それが故に、虚飾を廃し、思い込みを省みて、固定観念を打破する意思と行為そのものが「複雑」で「困難」であると感じるようになっています。

>ところで、ろうし様は、「瞑想」などは行っていますか。

いわゆる禅宗や、ヨギの行う瞑想はしておりません。一時試みていますが。

当方の武道の師は、「動いて行う禅」であると、位置づけて教示して頂いておりました。
おやじ様がおっしゃっていたように、「それにしてもそういった対応が可能であるのは、「ああしよう、こうしよう」などと躊躇する間もなく体が自然に反応するくらい」という次元の住民に、自分が成ること、では無いでしょうか。

瞑想のスタイルが、座禅というスタイルをとることで、実際に思考を滅することができるのは、お坊さんの何人中何人でありましょう。
やってみてわかるのは、凡人にはますます煩悩が湧いて出てくる(それを出しつくせとも言われますが)わけであって、程なく挫折が待っています。
生死をかけた状況では、ああしようこうしようと考えなくもないですが、今晩のおかずのことや、宝くじの当選のことなど、考える余裕はありませんね。

それだけ稽古は、一つ間違えれば怪我や、死に至るような稽古をして頂いていました。相手の肌に拳が触れるので、体表数ミリで留め置く精巧さが要求されました。
不思議と、師の突き、蹴りは、後を引かない痛みでした。稽古生同士は、やりすぎで、怪我がよくありました。(
ちなみに、これはあくまで、攻撃側は空手の技をもって稽古し、受け側は法則をもって和合するのであって、自分から攻撃は存在しません。稽古上仕方なく、空手の攻撃を使う、という意味です。)

生と死の狭間に、脳みその思考は役に立ちそうにありません。


57. 宮島鹿おやじ 2012年10月07日 13:15:07 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
安芸ガラス様

いただいたコメントで、

(以下引用)
私の発想は、植物と動物の軸からきています。
植物の軸は、体の上下と内側と外側の2本の軸です。
動物の軸は、頭(上)と尾(下)、背(前)と腹(後ろ)、右と左を決める3本の軸があります。
卵子と精子が受精した卵は、内側は消化・呼吸器系、外側が大脳・皮膚系、中側が生殖・泌尿器系の器官がつくりだされます。

・・・

話は飛びますが、沢田さんは「力を失う」と主張されています。
私は体が修復する方向づけさせできれば、「適応」の方向進むのではないかと、推測します。
・・・

のくだりはまだ消化できず考え中です。すみませんが、もう少しお時間ください。
よろしければ、原発スレに投稿しました。コメントなどをお願いします。
http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/778.html


58. 宮島鹿おやじ 2012年10月07日 18:03:54 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
本能知様

ご返事が遅れまことにすみません。
宮島です。今後ともよろしくお願いいたします。

この絵画を「エートスプロジェクト」と関連付けていただきました。私は投稿したとき、そういった意識はありませんでしたが、言われて見ればまさに「その通り」です。予定調和的、行儀だけよくて腹黒なPTA・教育委員会的、エラソーなこといって実は我利我利亡者の集合である議会的・・・・。

薄気味悪くて表面だけ取り繕っている、まさに、そんな感じです。

たしか、古い仏教経典に、悪魔が仏陀を誘惑・堕落させようと近づいてきたとき、「彼はねぎらいの言葉をのべつつ・・・」というくだりがありました。古代インドから、「口先だけ」の奴は警戒されていたんです。そして、「魔」の語源は「マーラ」、意味は「殺すもの」です。この言葉が中国に入ったとき、該当する言葉がなかったので「マ」である「麻」の下に霊である「鬼」をくっつけて「魔」という言葉を作ったという記述がありました。(うーん、間違ってないと思います)

態のいい言葉を取り繕いながら、接近して、最後には殺してしまう。
まさに、エートスプロジェクトは「魔」そのものです。

体調も戻りました。そんなで、原発板でまた投稿などしています。よかったコメントなどしてください。「大変な仕事」といっていただき誠に光栄ですが、やっていることは、うろうろしながら、地面の測定をやっているだけです。たいした機材もなく、土日しか動けません。しかし、たいしたことではなくても、自分に出来ることはかなりやっているように思います。この先、東北・関東にひどいことが起こらないように願望しています。誰だってすきこのんで自分の郷里の汚染を確認したくはありません。でも、はっきりいえる事、それは、「放射能は心配いらない、大丈夫だ」ということを言う人たちの中で、信頼できる人が誰もいないということです。

また、コメントしてください。


59. 宮島鹿おやじ 2012年10月07日 19:18:30 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ゆで蛙
釜、薪、茹で湯
自腹かな


60. 宮島鹿おやじ 2012年10月07日 19:23:26 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
BRIAN ENO様

コメントありがとうございます。
動画拝見しましたが、妙に渋いおじいさんが歌ってますね。
どういった人なんですか。あのおじいさんがニール・ラーセンさんですか。
でも、コーエンてちょっと気になる名前ですね。
よく聞くような気がします。


61. 宮島鹿おやじ 2012年10月07日 20:00:30 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ろうし力学様

こんばんわ。原発板ではどうも。
ところで、武道における突きの、反対側の腕の肘が仙骨に納まるというのが具体的にイメージできません。

また、かなり↑のほうにいただいたコメントで

>その要諦は、人体の中心は仙骨にあるということ(当然自分で分かったのではなく、師にご教示頂いて、自ら体験して知った)、仙骨ー蝶形骨の裏と表の仕組みが、大宇宙の運行の法則性の顕現であると、そこから全ての人生の理解が起きてくる、そいうことが根底にあるんです。

がありますが、もし、よろしければもう少し詳しくお話いただけませんか。
お願いします。実は、ろうし様と同じトーンのお話をされる方から、「人体や瞑想」について学ぶべきであると教えられているのです。しかし、不真面目な聴講生である私は、ついつい、外面的なこと、たとえば、世にある不正義(原発問題など)に意識をとらわれたままになっています。


62. ろうし力学 2012年10月07日 23:40:14 : riuSNxeQ9qjU6 : nbN5a72SDg
宮島鹿おやじ様

>ところで、武道における突きの、反対側の腕の肘が仙骨に納まるというのが具体的にイメージできません。

それは意外と簡単です。まず、左腕をまっすぐに真上に上げてみましょう。それから、「完全に」一瞬で脱力します。
すると重力で、つまり地球中心に向かって、腕は崩れ落ちて行きます。そのとき、腕のどこから崩れ落ちるか、そこがまっさきに胴体のどこに接するのか。

この法則に任せきった細胞(腕の細胞)動きを、真上から、地面と並行に転じて行うだけです。(ちなみな、稽古段階で、自分の脇腹を自分で打ち付けることになりますので、腹筋の側部を、相手の打撃からの衝撃を受け止める稽古が同時進行でもあります。)

平行に転じて動くとき、突く側の腕(利き腕)も、引く側の腕も、正中線を通ることが肝心です。つまり自分の正面の中心を、両腕は行ったり来たりするわけです。だから、自分の腕が自分脇腹に突っ込んでくるわけです。
脇は隙間が空きません。脇が空くならば、脱力できていませんので、突きが筋力のみとなります。
体重が重い人はそれでも相当に相手へのダメージが在るでしょうが、その突きでは相手を「殺せません」。

相手を殺せる突きは、自分の体重が、その一瞬に拳に乗って飛ぶ突きとなります。なので、体重が40キロもあれば十分殺せます。

殺せる突きが、人体の法則に則った動きから繰り出されます。それを理解して、決して相手を壊さないで、ダメージだけを残すことが肝心です。それには「引き」こそが最も大事なことになります。


>実は、ろうし様と同じトーンのお話をされる方から、「人体や瞑想」について学ぶべきであると教えられているのです。
>しかし、不真面目な聴講生である私は、ついつい、外面的なこと、たとえば、世にある不正義(原発問題など)に
>意識をとらわれたままになっています。

「外面的なこと、たとえば、世にある不正義(原発問題など)に意識をとらわれたままになっています。」
これは大事なことでは無いでしょうか。同時に、別の世界、不可視世界にも意識を向けられると、物質世界への理解がよりふくよかになるのでは無いでしょうか。

当方は、もし子供への教育を行うなら、小学生も後半からは、まっさきに人体について教えるのが重要と考えます。
言葉、文字、お釣りの計算は、一生涯使うので、小学生前半から取り組むのは当然ですが、更に一生涯使うのは「人体」です。
なのに、人体について、詳しく教えないのです、一生涯使うにも関わらず、教えない。これも支配のシステムの中でしょう。

また昔の一流の武道家は、人体の隅々まで知識があった、それは当然です。相手を殺す、相手を活かす、これは表裏一体です。
術も、人体構造を知って初めて最小の行動で、最大の効果が出る。

瞑想については、コメントしていますが、禅では、霊的導師に監修されないで瞑想するのは魔が差すのでダメです。
魔が差しても、それを払える導師が居なくては道を誤ります。霊的導師は霊能力ではありません、法則のマスターであり、ネイティブ・アメリカンの伝統で言えば、シャーマンではなくメディスンマンです。

もちろん瞑想は行うべきでしょう。しかし、食べることが必要だといって、毒を食らう(まるで現状の日本みたいに)と、道を誤ります。
瞑想と同じ着地点へ行くための方策とは、「集中」では無いでしょうか。

示現流の稽古の基本は、立木を一呼吸の内に打ち込む稽古だと言いますが、そのように、一点に集中する、それ以外は頭に何も浮かばない状態です。魔がさす隙が無い。頭は空っぽになります。その稽古をするということではないですが、集中するという例えではそういうことになります。

仙骨中心の理解は、また別に。


63. 玄 2012年10月08日 00:15:58 : 3X5IG34.wmdiA : T425wDRS3c
宮島鹿おやじさん、こんばんは。
ろうし力学さん、はじめまして。

とっても興味深いお話を少しだけ読ませてもらいました。
感想は…、実のところよく分かりません。ごめんなさい。
でも、ろうし力学さんのお考えが華厳経の世界観(一即一切・一切即一 全ては関係性(縁)によって成り立っている)に似ていて不思議な感じで印象的です。

宮島鹿おやじさんが投稿してくださった絵をみていて感じるのは、本来わたしたちが持っている東洋の知恵というものは、「0か1か」で物事を二分するようなものでも、ゼロサムゲームで全てを奪ったり奪われたりするようなものでもないというような印象です。この絵を見ているとやはり、聖か邪か、均衡か不規則か、というような、鑑賞をするものに何か選択を迫るような押し付けがましさを感じてしまう。ですから、私も自宅にこの絵を飾りたくないですね。社会の矛盾や不条理が、むき出しになってきている昨今、本当に必要とされるものは、案外あしもとに転がっているのかも知れない。私たちにはそれが見えないだけなんじゃないか?
そんな気がしています。

前段の「東洋の知恵」これを明らかにするのは私にはどだい無理なことですが、この投稿にお集まりの皆さんのご意見お考えを聞いていると、素晴らしい発見の喜びが、いつか訪れるような、そのような感じがしました。そんな日がいつか来ればいいですよね。

最後に皆さんのお話を聞いていて思い出した動画を紹介します

埴谷雄高独白 死霊(しれい)の世界
http://www.youtube.com/watch?v=dI-GpfSqq2E&playnext=1&list=PL3A81EC48C9E5FA21&feature=results_video

題名は暗いですが内容は発見の光にあふれています。
お時間があればご覧になってください。
では、おじゃましました。


64. ろうし力学 2012年10月08日 00:57:53 : riuSNxeQ9qjU6 : nbN5a72SDg
玄さま

コメントありがとうございます。

>ろうし力学さんのお考えが華厳経の世界観(一即一切・一切即一 全ては関係性
>(縁)によって成り立っている)に似ていて不思議な感じで印象的です。

考えといえばそうでずが、世界をそのまま見る、と言うことに立ち位置があるならば、それが時の言語や文化、習俗や場所性に応じて、どう語られたかの違いに過ぎず、似ているというよりも、同じものではないでしょうか。

「虚体」に始まって、虚体に至る。
全て宇宙とは、始まりが終わりとリンクした、永劫回帰なのではないでしょうか。

おそらく、創造の神さえも、自身の出自は分からないのです。それ故に、永遠に回転するのが存在世界であり、ユニバースなのではないでしょうか。

人間とは何か、人間とはどこから来て、どこへ行くのか。

おそよそのような問が、歴史の中で幾万回と繰り返されたように想像されますが、そんなものは無いのである、歩くから歩くのが人間なのである、と説いたのは釈迦であったか、イエスであったか。

そこまで自身の思索がたどり着くまで、この世の時間では40年は経ったでしょうか。未だに無明な魂です。

>社会の矛盾や不条理が、むき出しになってきている昨今、本当に必要とされるものは、
>案外あしもとに転がっているのかも知れない。
>私たちにはそれが見えないだけなんじゃないか?そんな気がしています。

全く、玄さまに同意です。
はばかりながら、その「足元」が、知覚正面(見たまんまの目の前)ではないでしょうか。


65. 宮島鹿おやじ 2012年10月08日 11:11:56 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ろうし力学様

武道的な突きについて教えていただきました。まだちょっとイメージが湧きませんが、繰り返し読んでみます。

今日は、天気が良いですね。

よみうりランドに丘の湯というのがあるのをご存知ですか。わたしはときどきそこへ行って風呂につかったり昼寝をしたりします。今日みたいな日は大層混み合うので行きませんが、とてもお気に入りの場所なのです。(完全な雑談ですね)

しかし、そこは、現在、問題としている原発問題のまさに出先機関のような場所でもあります。食堂には、「小岩井ソフトクリーム」というのがでかでかと販売されています。まあ、「読売の人たち」にしてみれば、今までの、サラリーマンは風呂上りにビールを見ながら巨人戦観戦。マスコミが流す情報をそのまま信じて、お上のいうことは間違いない・・・というような時代が続いてほしいと思っているのでしょうね。しかし、もう、そういう時代には戻れないと思います。悪い意味では政治・経済・社会現象として混迷が深まるように思いますが、もしかすると、かなり多くの方々、ろうし様のような人が現れて、いわゆる「霊的覚醒」という現象が本当に起こるのではないかとも思います。私もそのほんの端っこに乗っけてもらえないかと思案したりもするところです。とりとめがありませんが、本当の雑談ということでご容赦ください。


66. 宮島鹿おやじ 2012年10月08日 11:29:12 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
玄様

ようこそおいでくださいました。

華厳経の世界観・・・。

華厳経というものは、仏教の入門書でその名前を知っているだけですが、なぜか、この「華厳」という言葉には強く惹かれる何かがあります。もしよろしければ、華厳経のもう少し詳しいエッセンスなどを・・・と、まあ、私は結構、好奇心旺盛でいろいろ聞いたりするのですが、すこし難しくなってくると、「ふにゃ〜」となってしまうのですが・・・。

また、先日、日光の華厳の滝に行ってまいりまして、そこで、福島のご婦人と少しだけお話をしました。一言で言って、もう「あきらめている」という感じでした。何かもう、毎日が憤慨しているのですが、このようにお話させていただけるのもご縁かと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


67. ろうし力学 2012年10月08日 12:16:00 : riuSNxeQ9qjU6 : FVfQJ8R1lU
宮島鹿おやじ様

うし力学です!wこっちの方がいいかも♪

ろうしさまのお名前を語るとは1000年早いよなー

牛といえば、おやじ様は十牛図をご存知ですか。仏教の絵ですか、悟りの道程を描いたものということです。

これを見て、はっとして、愕然として、ホワッと力抜けました。本当に頭でっかち(今もですが)な己に、あきれました。言っていることが100なら、できることが3ぐらいな自分です。消費税にも負けています。

その「うし」も、ろうしさまの「タオ」も、同じでしょう。
うし力学、いいと思いました。マジで。

それで、雑談。丘の湯には、歩いて一時間ほどです。
その周辺に、山郷が、街に囲まれて残っていますよね。破局事故以前には、毎週歩いていって、里山を徘徊しておもしろがっていました。ガイドブックには、「運が良ければ遭難します」と書かれていて、運よく?二回、出られない!状態に陥ったことがあります。でも一キロ直進できたら、街に出てしまうんですよね。

丘の湯の前を通るので、「おお、いつかここで休憩♪」とか思っていた矢先、破局事故で、散歩、と言っても4時間コースですが、を全くしなく、できなくなりました。最近は行っていませんね。風呂入りたいですが。

本当に天気がいいです!


68. 2012年10月08日 12:47:31 : KtskQCFl6w
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>いただいたコメントで、

(以下引用)
私の発想は、植物と動物の軸からきています。
植物の軸は、体の上下と内側と外側の2本の軸です。
動物の軸は、頭(上)と尾(下)、背(前)と腹(後ろ)、右と左を決める3本の軸があります。
卵子と精子が受精した卵は、内側は消化・呼吸器系、外側が大脳・皮膚系、中側が生殖・泌尿器系の器官がつくりだされます。

・・・

話は飛びますが、沢田さんは「力を失う」と主張されています。
私は体が修復する方向づけさせできれば、「適応」の方向進むのではないかと、推測します。
・・・
のくだりはまだ消化できず考え中です。すみませんが、もう少しお時間ください。

 おやじ様の感受性に合っていないので、合うように話しの角度を変えます。
おやじ様の感受性がはっきり掴めるカ処があります。
それは、以下です。

>夢を見ている状態とはなんであるのか、ということについて、一つの明確な回答がここにあります。夢。とても不思議な夢を見たことがあります。
また、夢の中で、「これは夢だ」と自覚したことが2〜3回あったように記憶しています。たしか、明晰夢という現象だと思いますが、ろうし力学様は経験されたことはありますでしょうか。私の場合、夢であると自覚した途端、スターマリオ(知ってますか? マリオブラザーズというゲームの主人公が無敵になった状態です)のように、空を飛んだり、走行するバイクに体当たりしたりです。(笑)

 私は夢を見ているらしいのですが、その夢を覚えていません。
目覚めた瞬間に、忘れてしまいます。
寝ているときは、現在意識が働きません。
潜在意識の状態です。
そのときの私は、夢を見ても、覚えてもいません。
それは、エネルギーが大脳に行ってないからでしょう。

おやじ様の感受性は、夢から推測しますと、現実から空想するのではないでしょうか。
そこで、現実から入ります。

 おやじ様は合気道を体験されたことがあると言われましたね。
合気道は相手の力のベクトルを、自分の体を通して自分のベクトルと合成します。
その合成した力を使いますが、相手は抵抗するから、縦や横の軸が崩れるわけです。
相手がかってに崩れるのは、相手の力を使うからです。

 放射線の種類で、大きい、破壊力、遅いのと、小さい、速いとのがあります。
放射線を浴びて、崩れるのは体側です。
刺激を感じるのは体側です。
大きい、遅いのと、小さい、速いのでは、体はどう感じるでしょうあか。
そして、どちらが体の抵抗する力が起きるでしょうか。
大きい、遅い方は、体にとって力の量になります。
小さい、速い方は、体にとって質になります。

 私の親父は被ばく者でした。
急性被ばく症については聞きませんでした。
しかし、20代で被ばくをし、60代後半に晩発性の症状が現れました。
つまり、後遺症です。
広島での作業中は、放射線を浴びた影響がありませんでした。
でも、体の中に影響が残っていたのでしょう。

初期被ばくの症状は、体が力の量に抵抗した結果ではないでしょうか。
しかし、速度の速い方は、どうでしょうか。


69. 2012年10月08日 15:43:13 : KtskQCFl6w
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

続きです。

 私の周りの初期被ばくの症状は、 
  1、はなぢ がでます。
  2、げり をします。
  3、かみの毛がぬけます。*
  4、のどがいがいが、せきこんこん。
  5、こうないえん。
  6、しっしん。
  7、ねつ。
  8、目がみえなくなる。*
  9、耳がきこえなくなる。*
  10、肩こり。
  11、あそこがはれる。
  12、でんせんびょうにかかりやすくなる。*
 などです。(*は確認できていない)

 これらの症状を掴むには、どうしたらよいのでしょうか。
症状は体の中の変化の結果です。
なにが、変化したかを追いかけて行きました。

 鼻血は、大脳系(血液・脈管系)。
 げりは、消化器系。
 せき、しっしんは、呼吸器系。
 のど、こうないえんは、泌尿器系。
 あそこがはれるは、生殖系。
に分類できます。

 私は、器官と感受性としぐさは、「遺伝」と見ています。
「遺伝」といっても、そのまま獲得形態が遺伝することではありません。
人間の子どもは有性生殖なので、女と男の獲得形態が重なるのだと、推測しています。
 2人の親は、また2人の親から、その親はやはり2人の親から生まれるから、
その14人の重なりが、獲得形態(血液・脈管器官、消化器官、呼吸器官、泌尿器官、生殖器官)となり、その体を基にしての感受性としぐさと見ています。

 その消化・呼吸器系、大脳系、生殖・泌尿器系を追って行きますと、卵子と精子が受精した卵の内側(消化・呼吸器系)と外側(大脳・皮膚系)と中側(生殖・泌尿器系)に行きます。

  
床に伏せた親父に勉強させて頂いたのは、「原爆症」と云うのはありません。
すべて、症状です。
医学が個体を対象としていないので、これが根拠だと云うものがありません。
急性放射線障害以外の症状は、統計と疫学での推論です。
親父の晩発性の症状は中毒に似ていました。


70. 本能知 2012年10月08日 18:18:09 : UhMfn7fAFMbC. : Xs0Gj9F23E
>45
Brian Eno様

大分レス遅れましたが、

実は、レナード・コーエンの「ハレルヤ」は
19になる私の次女の、数年前からの弾き語りの十八番なので、you tubeでこれまで色んなヴァージョンをみてきましたが、こんな渋い方が一生懸命歌っているヴァージョンを見るのは初めてです・笑

娘は、14の時から淺川マキの歌(かもめかもめ、他数曲)を、彼女がかつてホームグラウンドにしていたライブハウスで歌ってたことがあるという、まさに年の割りに渋い趣味の持ち主なのです。他にも、りりィとか、スタンドバイミーとか、けっこう古い歌が十八番です・笑
鼻歌も昔のフォークとかパンクとかが多い。彼女のもとギターの先生だった人と、長女が今調布の方で同居していますが、その先生は25にして、美川憲一に曲を提供したり、先日NHKで三好鉄生と競演したり・笑

最近の若いもんは・・・渋っ

こういうと、親バカの極みみたいでみっともないですが、次女の弾き語る「ハレルヤ」は、ほんとに心にしみるんです。

同じ少女であっても、「アレルヤ」の少女画のような無機的なものとは一線を画しているんじゃないかな・・・


71. ろうし力学 2012年10月08日 22:31:00 : riuSNxeQ9qjU6 : nbN5a72SDg
>こういうと、親バカの極みみたいでみっともないですが、
>次女の弾き語る「ハレルヤ」は、ほんとに心にしみるんです。

本能知さま、ちょー幸せ♪こういうの好きだなー
自分も、心にしみる歌声を聞いてみたいなぁ…


おやじ様

守りたいよ、世界中の人々のささやかな幸福を。

世界を支配しようと画策する虚無に、力ではなく、共鳴共振の反転と転換をもたらすのが、自分の夢です。

叩くところは叩く、けども支配力と同じ次元には陥っては、自分がそれに取って代わってしまう。ただ交代しただけでは、負の連鎖は断ち切れない。

宇宙は虚無さえも抱き参らせるのが道だと示し申してます。

力を抜くことが、一番むずかしいのが人間ですが、それを実現しないことには、力には力が対抗し、双方が破壊のミチへ進んじゃう。それはダメだ。

力には、マイナス力、力ではないものを作用させる。心にしみる歌なんて、その一つに違いないよな。


72. 2012年10月08日 22:45:48 : KtskQCFl6w
ろうし力学様
安芸ガラスです。

>力を抜くことが、一番むずかしいのが人間ですが、それを実現しないことには、力には力が対抗し、双方が破壊のミチへ進んじゃう。それはダメだ。

力には、マイナス力、力ではないものを作用させる。心にしみる歌なんて、その一つに違いないよな。

同感です。
「力を抜くこと」
「力ではないものを作用させる」
その通りです。

本能知様

人間は力を刺激として感じる構造です。
小さな力を大きな刺激として使うことが道です。
ここに「心にしみる歌」の技術があるのでしょうね。


73. 宮島鹿おやじ 2012年10月09日 08:03:51 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
安芸ガラス様

おはようございます。
いただいたコメントを読み返しております。
以前にもお話しましたが、自然・身体に関する深遠な認識があり、それを伝えて下さろうとしていることがわかります。私も、それが、際立って、有意義なものであるという直観があるのですが、如何せん私の能力不足(あるいは何らかの桎梏?)のせいで吸収できません。ただただ、お時間を戴き、学んで参りたいとおもいますのでご了解ください。よろしくお願いいたします。ただ、客観的に見て、ここのところ少し、理解力と記憶力の減退が明瞭な気もします。あまり考えたくはないのですが。

放射能汚染についてばかり考えているこのような日々の中にも多少はよいこともあります。そばと納豆を常食としたらだいぶ血糖値が下がったようです。ただ、同じものばかり食べ続けているので自分でも大丈夫かと思いますが、ことのほか体は快調のようにも思えます。カゴメの野菜ジュースなどは毎日のんでいますので、そんなにバランスが悪いわけでもないと思っています。そばと納豆は広島から送ってもらっています。あと1ヶ月もすると宮島の紅葉が美しくなります。11月の下旬頃帰郷します。


74. 2012年10月09日 10:21:05 : betzIduWUU
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

おはようございます。
返事、ありがとうございます。

さて、言葉は自分のことを話すためにあります。
しかし、会話は焦点が合いますと、お互いが変化をします。
それには、自分と相手が双方向になる必要があります。

双方向になるには、相手の感受性を掴まえ、その連想の方向変えます。
さらに、相手の潜在意識にある云いたいことを、言葉にして投げ掛けることも大切です。

この基準から、おやじ様と私のコメントのやり取りは、私の側に足らないものがあるようです。

ただ、別の板で、焦点が伝わったような気がします。
これからも、お付き合いをよろしくお願いします。

そうそう、連れ合いが、8月、私の実家に帰りました。
測定器持参でした。
広島の空間線量が高いのに驚いておりました。
0.1以上あったそうです。


75. 2012年10月09日 19:28:27 : Xs0Gj9F23E
>71
うし・・・笑じゃなかった、ろうし様

ありがとうございます。ただ、最近の次女は、近所に住む彼氏などと一緒に、バイクに釣りにとアウトドアにはまっており、ライブなどの予定は最近は聞きません。
とはいえ、弾き語りの練習は続けており(最近の音楽にもいろいろチャレンジしてます)「ハレルヤ」も頼んだり、気が向いたりしたら弾いてくれます(なんか最近アニソン系バンドのギターのピンチヒッターのお誘いがあったそうですが、ボーカルは別の女子ということなので、こちらはライブがあってもあまり面白くないかも・・・)。
もし、またどこかで弾き語りライブのようなことを開催する話があったら、阿修羅で告知することも考えておきます・笑
長女も弾き語りをしており、ライブ経験もあるのですが、こちらも迫力があります。でも、次女の歌の方が、中高年受けしやすく、じわっとしみるかも・・・。

>58宮島鹿おやじ様

エートスプロジェクトについては、以下のサイトなどが詳しいと思います。
偽善、欺瞞などという言葉ではいい尽くせないほどの、虚しさを覚えます。
そもそも、原発の存在そのものが、そうなのですが・・・。

#原子力発電_原爆の子
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/07/ml-6-ml-17-13-httpyoutu.html

ただ、表題の絵については、このスレッドのレスと比較して見ているうちに、ある全く別の印象が響いてまいりました。
それについては、近々改めて、書いてみようと思います。


76. 宮島鹿おやじ 2012年10月09日 22:05:59 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ろうし力学様

十牛図、これですよね。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/10978.jpg
(すこしななめになっちゃいましたね)

私も、これ、大好きなんですよ。

穏やかで、静かに神秘的で、そして回帰する。

うーん、いい意味で東洋的〜。


77. ろうし力学 2012年10月09日 23:34:11 : riuSNxeQ9qjU6 : Db98fPXi8E
本能知さま

うし♪です! ありがとうございます。

この強欲が幅を利かせる経済至上主義世界では、芸術なるものは、金になるなら認めてやろう、金にならぬなら処分する、という貨幣変換の可否で量られてしまい、市民までもがそれに倣って考える傾向があります。

当方が、これから地球人類が「存在の意義に覚醒」して行った先には、人の活動の主体は、芸術と農が担う世界が展開するビジョンを持っています。

もうすぐ、娘さんたちの時代が訪れますよ〜♪


宮島鹿おやじ様

十牛図、それですね〜♪

永劫回帰です、ユニバース。始まりは終り、終わりは始まり。

メビウスの環のように、裏と思っていたことが表であり、表と思っていたことが裏であり、あなたから見た世界、わたしから見た世界、その両面が折り重なって、世界は出来ているという。

あなたはかつて、ワタシであり、わたしはかつて、アナタであった。

見るものと見られるものとは、実は一体であった。

人間とは、神自身の忘却なのですね。自分を神と忘れたのが人間なのですね。

神により、人間はあるが、人間により神は神になり得たのですね。


78. 宮島鹿おやじ 2012年10月12日 07:05:39 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
安芸ガラス様

おはようございます。
だいぶ、涼しくなってきたようです。私は鼻がつまっています。
お変わりありませんか。

>広島の空間線量が高いのに驚いておりました。0.1以上あったそうです。

ええ、確かに、広島では、0.12〜0.15くらいというのはざらです。
海さんの情報提供によれば地質的なものではないかとのことです。
http://www.geosociety.jp/hazard/content0058.html#map

ただ、爆発後のプルームの動きの不明確さ、瓦礫の全国焼却など、安心できない要因がありすぎますので、油断はできないです。


79. 宮島鹿おやじ 2012年10月12日 07:08:32 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
本能知様

エートスの資料ありがとうございます。
必ずよく目を通します。

>表題の絵については、このスレッドのレスと比較して見ているうちに、ある全く別の印象が響いてまいりました。それについては、近々改めて、書いてみようと思います。

是非是非お願いします。違った視点というものはとても貴重であり大切です。
世界を開く鍵といってもいいかも。(ちょっと大袈裟か)


80. 宮島鹿おやじ 2012年10月12日 07:10:44 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ
ろうし力学様

>見るものと見られるものとは、実は一体であった。

また、別のスレッドで、現前している世界そのものが自分である、という命題について、結構まじめに、考えています。これは極めて深遠でありなおかつ日常的なものと思います。

これからもご教示ください。


81. 宮島鹿おやじ 2012年10月12日 07:44:21 : NqHa.4ewCUAIk : LCezg03HLQ

誤:また、別のスレッドで、現前している世界そのものが自分である、という命題について

正:また、別のスレッドでいただいたコメントの、「現前している世界そのものが自分である」、という命題について


82. 2012年10月12日 09:27:21 : Eb6wJyx33k
宮島鹿おやじ様
安芸ガラスです。

>だいぶ、涼しくなってきたようです。私は鼻がつまっています。

そうですか。
鼻ですか。
私は咳の発作です。
今年も2〜3日前に、やってきました。
鼻も片方が詰まりだしました。

咳や鼻詰りを治すことが大切ではありません。
咳の発作と鼻が片方が詰まる、その構造を再編する方が重要だと思っています。
咳や鼻の動きは、生命活動が活発になってきた証しでしょうかね。
私は、秋から冬ですか。

情報提供、ありがとうございます。
当地は、3月11日以前は、0.035ぐらいでしょうか。
現在は2倍ぐらいです。
20年以上前も、広島は0.1ぐらいでした。


83. ろうし力学 2012年10月12日 23:26:44 : riuSNxeQ9qjU6 : Qovx4bWnR2
宮島鹿おやじ様

ろうし力学です。

>これは極めて深遠でありなおかつ日常的なものと思います。

レスに深く感謝致します。
おっしゃるとおりと思います。極めて深遠であるのは、まず、過去の聖人偉人、宗教の「元」になった教祖にあたるかた(その聖人は、宗教の成立に無関係ですし、教祖でもありませんから)が、その「悟り」でも、いずれの場合でも、その点「見るものと見られるものとの一体性」について言及しているということですね。

「なおかつ日常的である」のは、まさに「量子力学」です。
おそらく量子力学は、それが現在のコンピューターテクノロジーの発展及び、核分裂核融合の基礎となったにも関わらず、人々の認識にまったく上がってこないのは、意図的に「愚民は知らんでよろしい」と隠された結果だと思いますが、それが、現在の地球人の「世界認識」に、「変革」をもたらしてしまう「力」を有していることが、支配権力には認識されていたのだと思っています。

それ故に、「眼前の自分が見ている世界そのもの」という、究極の「日常的」な知識または認識、であるにも関わらず、「それは難しいこと」「専門家が扱うことで、市民は関係ない」と刷り込まれてきたところのものだと思います。

量子力学の命題は、「観察者が観察行為を行うと、確率の波が収縮して、現実の事象になる」ということですよね。でも「おれが前を見ると、前が出来上がる」とただそれだけのことを言っているにすぎないのではないでしょうか。

自分が見ることそのものが、世界が在る理由なのさ。とアッケラカンと言っても、それは何の間違いもなく、言ったままの「理」なんですよね。

おやじ様は、とっくにその日常的であることをお気づきになって、そう書かれていると拝察されました。

全く、おっしゃるとおりです、極めて日常的なことです。
真理が難解だという刷り込み、理論が自分とは縁のないものだという刷り込み、科学が遠い彼方の出来事であるという刷り込み、偉い人達は何でも知っているのだろうという幻想にハマッて硬直した衆愚化、そのような「自分」と言うものを打破して、自分という観念にイノベーションをもたらす、絶好の機会が今訪れました。

聖人の悟りと、科学の行き着いた、両者の「彼岸」とは、「見ている世界=実は俺だった」ということに他ならないのではないでしょうか。

理を解くと書いて、理解と申します。理を存在世界の法則と呼ぶならば、それを解き明かすのは、もはや人間とは呼べないかもしれません。
神聖なる知に至る隙「間」を埋めた「人」と呼ぶ存在、そう呼べるのだと思います。

チャンス、大到来です。


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