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なぜ日本食は世界で人気があるのか(国際派日本人養成講座)数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統がその原動力。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/487.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 6 月 11 日 05:28:20: 8rnauVNerwl2s
 


国際派日本人養成講座から
http://blog.jog-net.jp/201207/article_5.html


■1.世界に最も良い影響を与えている国−日本

 2006(平成18)年に英国のBBC放送が、世界33カ国、約4万人を対象に世論調査を行った結果、「世界に良い影響を与えている国」としてトップに挙げられたのが日本だった。

 全体では肯定が55%、否定は18%だった。この年は平成13(2001)年以来、靖国参拝を続けてきた小泉純一郎元総理が退任した年であり、靖国参拝で「日本は国際的に孤立する」と一部のマスコミは喧伝してきたが、それは事実でない事が判明した。

 確かに中国と韓国では否定が肯定を上回ったが、ともに大東亜戦争に巻き込まれたインドネシア、フィリピンの肯定が85%、79%という数字を見れば、中韓2カ国の方が世界の異常値であることが分かる。

 この調査は、その後、毎年実施され、日本はその後3年連続で「良い影響を与えている国」第1位を維持し、2009(平成21)年こそ4位に落ちたが、翌年は2位に返り咲くなど、世界のトップレベルを維持している。

 この調査で興味深いのは、日本人自身の自国に対する評価が極めて低いことだ。2010(平成22)年の調査結果では、日本人の日本に対する肯定的評価は43%だが、上述のインドネシア、フィリピンの70%以上、米国65%、ロシア58%、タイ66%、英国57%などと比べると段違いに低い。韓国でさえ、この年は64%も肯定的評価をしている。

 世界各国での日本に対する高い評価と、自国への際だった自虐的評価のギャップこそ、わが国の教育や報道の大きな偏向ぶりを表している。


■2.大繁盛のミラノの寿司屋さん

 海外でのこうした高い評価は一体どのように形成されているのだろう。外国の一般大衆が日本に対するイメージを持つ機会は、マスコミ報道、日本旅行、在留邦人との交流などいろいろありうるが、海外に展開されている日本料理もその一つだろう。

 実は、本稿はイタリアのミラノからトリノ、さらにアルプスを越えてフランスのリヨンからパリへという旅行中に執筆している。各地でイタリア料理、フランス料理はもちろんだが、数日に一回は現地での日本料理を試食してみた。そして行く先々で、日本料理が高級料理として受け入れられている様を見聞した。

 たとえばミラノの中心部にある寿司屋さん。店は10畳ほどで、テーブル席が10名、カウンター席が5名ほどで一杯になってしまう。カウンターの向こうで寿司を握る、鉢巻きをした禿げちゃびんのおじさんは「らっしゃい」という口調そのままで「チャオ、チャオ」とイタリア語で挨拶している。

 ちょうど、お昼時で、店内はイタリア人の客で一杯だった。日本のビジネス街の定食屋のように、4人掛けのテーブルに2組相席で座らされたりしている。

 さらに順番待ちの客が二、三十人、店の入り口から、ドアの外まであふれて立って待っている。私の前に待っていた女性は、当方が日本人だと知って、英語で話しかけてきた。今はスイスに留学中だが、実家がこの近くで、帰ってくるたびにここで食事をするという。

 やがて順番が来て、カウンター席に座れたので、そのおじさんと話し始めた。もうこの地で開店して、30年以上になるらしい。そのおじさんが手際よく作る、活きのいいネタ山盛りのちらし寿司を、イタリア人の客たちは箸を器用に使って、いかにもうまそうに頬張っていた。


■3.日本食レストランの「看板に偽りあり」

 北イタリア経済の中心ミラノが大阪だとすれば、その西、列車で1時間半ほどの所にあるトリノは、京都を連想させる小さな美しい都市だ。

 ここでも日本食は大人気で、20〜30軒ほどもある。ただし、日本人が料理しているレストランは1軒のみで、あとは中国人、韓国人、タイ人、フィリピン人、ベトナム人などが経営しており、「日本料理」と銘打ちながらも「看板に偽りあり」のレストランだ。

 なぜ彼らはそんな事をするのか、とトリノに住む日本人に聞いてみると、たとえば「中華料理」レストランでは、値段が安くないと客が入らないが、「日本料理」と銘打っただけで、値段が高くとも客が来るという。

 一流のイタリアン・レストランでは50〜100ユーロ(5千円〜1万円)はするが、中華料理だと30ユーロも出せば、食べきれないくらいの料理が出てくる。それが中華もやりながら、見よう見まねの和食も出して「日本料理」と看板を掛けると、イタリアンと同じくらいの値段設定で客が入る。

 イタリア人は西洋料理の本家本元はイタリア料理だと思っているので、街中にイタリアン・レストランはたくさんあるが、フレンチはほとんど見当たらない。あるイタリア人曰く、「フランス料理とはイタリアの片田舎の料理がフランスに伝わって崩れたもの」だそうだ。そんな中で、唯一外国料理として高いステイタスを持っているのが日本料理だと言う。

 しかし、中国人の経営する「日本食レストラン」で、試しに天丼を頼んでみたら、天ぷらを冷たい酢飯の上に載せた丼が出てきて、がっくりきた。

 こうした問題が世界中で起きているのであろう。農林水産省が、一時「海外日本食レストラン認証制度」を発足させようとしたが、アメリカの中国系、韓国系経営者の猛反発で断念した経緯もある。良かれ悪しかれ、「ジュード−」と同様、日本料理は日本人だけのものではなくなっているのである。


■4.世界一の美食都市・東京

 フランスに入って、美食都市として有名なリヨンでは、日本人の経営する日本食レストランで、エビの天丼に再挑戦した。さすがにネタもタレも衣も見事で、これならシーフードの好きなフランス人にも十分アピールするだろうと思われた。

 パリでは日本人の経営するラーメン屋に入ってみた。日本人はラーメンを中華料理だと思っているが、札幌ラーメン、博多とんこつ等々、現代日本の各地で食べられるラーメンは、実は中国各地の中華料理ではまったく味わえないもので、今や純然たる日本料理と言って良い。

 そのラーメン屋さんも、30人ほど入る店内がほぼ満員で、しかも8割方はフランス人の客だった。私の隣に座ったフランス人カップルと中高生くらいの二人の娘は常連のようで、4人で餃子二皿をとり、その後、父親はカツ丼とサッポロビール、母親は焼きそば、二人の娘はチャーハンに舌鼓を打っていた。

 そんなパリジャンたちに、改めて日本食のレベルの高さを知らしめて驚かせる事件があった。世界各都市のレストランの格付けを行っているミシュランが、初めて東京版『ミシュランガイド東京 2008』を出した時に、星付きの店の数が東京では150軒もあり、同年版のパリの74軒の2倍以上に上ったからだ。

 ミシュランガイドは毎年改訂されるが、東京とパリの差は年々広がり、10年版では、最高レベルの3つ星が東京11軒対パリ10軒、2つ星では42軒対14軒、一つ星では144軒対53軒。合計で197軒対77軒と、2.5倍以上にまでなっている。

 ミシュランガイドは専門家の匿名評価による公平性や妥当性によって、世界中の美食家たちにとって、最も信頼される指標となっている。毎年100万部も販売され、フランスでは星一つあがる毎に売上が30パーセントづつ上がるとも言われている。

 世界で最も権威あるレストランの格付け機関が、東京をパリ以上の美食都市として評価したわけで、こと料理に関しては誇り高いフランス人が、強い衝撃を受けたのも当然だろう。


■5.東京が高い評価を受けた理由

『ミシュランガイド』の社長ジャン・リュック・ナレ氏は、韓国の『中央日報』のインタビューで、東京が高い評価を受けた理由を次のように述べた。[1,p34]

__________
 パリを美食家の都市というが、東京は驚くほど素晴らしい飲食店が多かった。多くの人々が料理を楽しんでいるからだ。日本料理はクオリティーも素晴らしい。シェフのレベルもどの都市よりも高く、何よりシェフ固有の技術がよく伝授されていた。数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統は追跡が難しい(JOG注:追いつくことが難しい、の意か)。

特に私が高く評価したのは専門性だ。パリの日本飲食店に行けば、寿司、刺身、焼き鳥などメニューがたくさんある。このため日本でもそうだと思っていたが、私が行った飲食店はほとんど寿司店、刺し身店、焼き鳥店、うどん店など専門店に細分化されていた。

非常に印象的だった。こうした特性から日本の飲食店の相当数は誰も追いつけない専門性を確保していた。当然、いい評価につながる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ちなみに、このインタビューでナレ氏は、韓国のシェフについて「まだ国際的なレベルには達していないようだ」と述べ、『ミシェランガイド・ソウル版』の計画は今のところない、と語っている。

 余談だが、昨年11月、韓国の李明博大統領夫妻が国賓としてホワイトハウスの晩餐会に招かれた際に、出された料理が日本料理だったので、韓国のマスコミが「失礼だ」「深刻なミス」などと批判した事件があった。

 最高級牛肉を「ワギュウ(和牛)」、付け合わせは「カボチャ」、サラダは「ダイコン」などと、メニューにも日本語がそのまま使われいた。韓国では「韓国料理の世界化」を目指して、官民挙げてのキャンペーンが展開されている矢先のことで、自尊心を傷つけられようだが、韓国人自身が海外で「看板に偽りあり」の日本食レストランで金儲けに励んでいるようでは、「笛吹けど踊らず」という所だろう。


■6.「専門性」と「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」

 ナレ氏の「専門性」、および「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」という言葉に注目したい。ナレ氏が驚いたように、フレンチやイタリアンでは、得意な料理、名物料理はあっても、たとえばシーフード・スパゲッティだけで一流店になるということはありえない。

 それに比べれば、日本料理は寿司から鍋物、揚げ物、焼き物など、いろいろなジャンルがあり、鍋物一つとっても、さらに寄せ鍋、ちゃんこ鍋、うどんすき、すっぽん鍋等々に分化して、それぞれ一流の専門店があったりする。

 たとえば、京都の「大市」という店は、元禄年間から三百年以上にわたってすっぽん料理を作り続けてきた。鍋も何百年も使い込んでいるので、湯を沸かすだけでスッポンスープができるほどだと言う。これがナレ氏の言う「専門性」と「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」である。

「大市」は極端な例にしても、親子数代にわたって寿司屋やうどん屋を続けてきた、という例はいくらでも見つかる。一つの専門にこだわり、数世代をかけて積み上げてきた技術と伝統こそが、日本料理を世界最高レベルに押し上げてきた秘密だと言える。


■7.「いただきます」という神事

 問題は、なぜ日本人はこのように専門性と歴史伝統へのこだわりを持っているのか、ということである。その秘密を史家の竹田恒泰氏は著書『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』の中で、「いただきます」という言葉から解明している。

 氏は「『いただきます』とは『あなたの命を頂きます』という意味であり、食材そのものに対する感謝の気持ちを表す言葉である」と述べている。[1,p47]

 考えてみれば、食べ物は、肉にしろ、魚にしろ、野菜や穀物にしろ、すべてもとは生き物である。その生き物の命を頂いて、我々は日々生かされている。その事への感謝が「いただきます」に込められている。食事そのものが、日本人にとっては生命をいただく神聖なる儀式、「神事」なのである。

 わが国においては、農作物を育てる農作業も、それを食べ物として提供する料理も神事である。天皇が皇居の田で稲を育てられ、毎年の新穀を天照大神に差し上げる新嘗祭は、天皇が執り行われる最重要の神事の一つである。

 また伊勢神宮では、毎朝夕、米、水、酒、塩、海の幸、山の幸を差し上げるという日別朝夕大饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)という神事が、この1500年間絶えることなく続けられている。


■8.「調理」という神事に携わる使命感

 料理人は、食材の命をいただいて、それを食べ物にするという神事を行っている。自分は、そのような尊い神事を任されているという使命感が、たとえ無意識の中にでも潜んでなければ、何代にもわたって愚直においしいスッポン料理を追求するなどということはできない。単なる金儲けが目的だったら、「看板に偽りあり」でも何でも、もっと手っ取り早い道に転向してしまうだろう。

 そして調理が神事であるからこそ、いただいた食材の命を最大限生かしておいしい料理にしようと努力し、さらにはいただいた人の健康にも良い料理を提供したいという思いやりが働くだろう。

 日本食がおいしく、かつ健康的だという特長は、多くの料理人が先祖から子孫へ、先輩から後輩に伝えられる伝統の中で、神事に携わる使命感を感じとって、愚直な努力を何世代も続けている所から来ている。こういう努力が積み重なって、いまや世界の人々に好かれるほどに、日本料理はおいしく健康的になったのである。

 日本料理に携わる人々が(それはかならずしも日本人に限らないが)、この日本の文化伝統をより自覚して取り組むことで、日本料理はさらに世界の人々に愛されていくだろうし、また、調理人のそのような生き方自体が海外の人々にも貴重な示唆を与えるだろう。そうなれば、わが国は国際社会に対して、ますます良い影響を与えていくだろう。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(574) 和食で作ろう、健やかニッポン
 ビタミン、ミネラルの豊富な和食が、現代病を克服し、心身の健康を作る
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h20/jog574.html

b. JOG(640) しょうゆを世界の食卓に 〜 国際派日本企業キッコーマンの歩み
日本の食文化の中心であるしょうゆが100ヶ国以上で受け入れられた道のり。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h22/jog640.html

c. JOG(478) 世界に愛される"Japan Cool" 〜 『世界の日本人ジョーク集』から
 自動車・家電、マンガ、アニメなど"Japan Cool" が世界の子どもや大人たちに愛されている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogdb_h19/jog478.html


 

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コメント
 
01. 2013年6月11日 23:03:01 : W18zBTaIM6
欧米人は味覚が退化してるだけだろ。

インディアン料理やアイヌ料理の方が日本料理より遥かに評価が高い。


02. 2013年6月12日 00:15:10 : AX0H5VR0ns
>日本人自身の自国に対する評価が極めて低い

ということなら、>>01は成り済ましじゃなくて本物の日本人だな


03. 2013年6月13日 11:29:16 : Ff2NlZzJFI
まあ、英語でインディアン料理というと、カレーやタンドリーチキンになる。
やはり日本人の発想だな。
アメリカインディアン料理って統一されたものはあるのかな。
コマンチ族やアパッチ族で料理が違うと思うがどうなのかな。

04. 中川隆 2013年6月15日 07:00:34 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

インディアンはとうもろこしを主食とし伝統料理と言えば、ペミカン、サコタッシュ(キドニービーンズやとうもろこしを煮たもの)、「揚げパン(フライブレッド)」などで、今では米国民の食文化に取り込まれたものもあります。

野牛やターキー、食用犬のほかサケマスの漁労が蛋白源です。松の実、どんぐり、ベリー等を採集、粉にしてパンに混ぜて食べていました。


野牛のジャーキーとベリー等のドライフルーツ、骨髄の脂肪を練り合わせた伝統的な冬用携帯保存食料「ペミカン」は、20世紀初頭の各国の南極探検にも採用されたそうです。サコタッシュからチリビーンズやポークビーンズになっていったのかもしれません。

米国の重要な作物であるトウモロコシ、タバコ、トウガラシはインディアンが昔から栽培していたもので15世紀以降に新大陸から世界に広がったものです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1330112148


私はアメリカのニューメキシコ州に住んでいたとき、ネイティブアメリカンの食文化について学ぶ機会を持ちました。その中で、人類とハーブの関係について詳しく調べていくと、ネイティブアメリカンの薬草としてのハーブの深いつながりが見えてきました。

ネイティブアメリカンとハーブの関係は、彼らの自然、大地、動物、そして精霊への感謝の念に根付いた精神的なヒーリング儀式であるということに気づきました。都会に住んでいると、野菜、果実、穀物が生育される過程を私たちはあまり目にしません。ネイティブアメリカンのように天候に左右されながら、作物を育て、恵の雨には感謝のダンスをして、感謝の念を全身で表現するようなことはまずないのです。しかし、スーパーマーケットに行ってお金を出せば求めるものはほとんど手に入れることができます。

よく言われることですが、私たちは物質社会の中で麻痺しきっているのでしょう。母なる大地に生かされているという感謝の念を忘れてしまっているのです。本書では、ネイティブアメリカンの自然と融合した普遍的な生き方を、伝統的な食文化の観点から紹介します。自らの伝統文化を守り続けるネイティブアメリカンとの出逢い・・・・

数多い諸族の中でもニューメキシコとアリゾナ両州にまたがる地域に多いプエブロ部族(ホピ、アコマ、ズニ、サントドミンゴなどの19部族を含む)の文化に特に焦点を当てました。みなさんにネイティブアメリカンの力強い、そしてやわらかな風が、聖なるハーブ、セージのアロマとともに届きますように。
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/HealingRecipes.html


Chapter1 ネイティブアメリカンの食材


トウモロコシ、スクワッシュ、カボチャ(パンプキン)、豆、トマト、アボガド、

チリ、イチゴ、スイカ、ナッツ、穀類、甘味料、料理に使うハーブ


Chapter2 癒しの前菜

ズッキーニのシンプルソテー

コーンミールマッシュのマッシュルームオニオンソース

色とりどりの豆のハーブソテー

アボガドとエビのクレープフルーツドレッシング

アボガドとホタテの冷菜・・・・セルクル仕立て

キノコのソテー


Chapter3 癒しのスープ

キドニー豆とセロリのスープ

コーンスープ 基礎編

南西部風コーンスープ

ワイルドライスのスープ

アイルランド人とジャガイモ、そしてネイティブアメリカン

南西部風インディアンのベジタブルスープ

フィッシュチャウダー

パンプキンとコリアンダーのスープ

アボガドの冷製スープ


Chapter4 癒しのサラダ

コーンとナッツとコリアンダーのサラダ

トマトとフェタチーズのコリアンダードレッシング

ナスタチウムのサラダ


Chapter5 癒しのブレッド

コーンブレッド

バービーコーンブレッド

フライドブレッド

アイリッシュポテトブレッド

ナバホタコス

クイックブレッドについて

プエブロ石釜ブレッド

プエブロのスクワッシュブレッド

ストロベリーブレッド

セージとクルミとチーズのクイックブレッド

トルティーヤー

コーントルティーヤー

フラワートルティーヤー

まずはスピリットワールドへ


Chapter6 癒しの主菜

ニジマスの蒸しもの・・・・ミント風味

ニジマスのフライ

ムール貝の蒸しもの

ネイティブアメリカンスタイルのブイヤベース

三姉妹のシチュー

グリーンチリシチュー

コーンダンプリング

タマーリ

ハーブと呼吸

チリビーンズ

リフライドビーン

トマトライス

ホットストーン ヒーリングセラピー

ペミカン風ミートローフ


Chapter7 癒しのソース

ヴァカモーレ

サルサ

レッドチリソース

パンのためのディッピングオイル

ビーンペースト

コリアンダーペースト

パンプキンとローズマリーのスプレッド

ローズヒップジャム

メールシロップとマスタードドレッシング

コリアンダーとライムのドレッシング

スピリチュアル ポン酢

クランベリーソース

感謝祭とネイティブアメリカンについて

薬草、癒しとしてのハーブ


Chapter8 癒しのハーブオイル、ハーブビネガー

南西部風オイル

南西部風ビネガー

スウェットロッジ


Chapter9 癒しのシーズニング

ハーバルシーズニング

南西部風シーズニング

ラベンダーシュガー

ネイティブアメリカンとベリー


Chapter10 癒しのデザート

ベリースープ

ストロベリースープ

クランベリーとメープルシロップのグラニータ

スイカのグラニータ

フレッシュハーブゼリー
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/HealingRecipes.html


アリゾナのインディアン ネイティブアメリカン料理

アリゾナのインディアン、別名ネイティブアメリカンのお宅にお呼ばれされたときの食事の写真です。アリゾナに住むネイティブアメリカンの方が料理した本物のネイティブアメリカン料理です。

今回写真に撮ったのは伝統的なネイティブアメリカン料理です。

まず最初に紹介するのはフライドブレッド,fried breadと呼ばれる手作りのパンです。 小麦粉をメインに混ぜたものをキャノーラ油で揚げたものです。

できたてほやほやのパンの匂いはよく、とてもやわらかくておいしかったです。 このパンは豆やチーズ、レタスとトマトをトッピングするとピマ族のタコになり、作られた場所によってはナバホのタコ、ホピのタコ、あるいは単にインディアンのタコになるらしいです。

手作りパンの作り方 インディアン料理のパン 手作りパン

こちらはサーモンをグリルで焼いた後、サルサを上にのせた写真です。日本料理のような鮭の塩焼きという感じではなかったです。 同じ食材でも日本人とネイティブアメリカンが作ると違った一品になるからおもしろいです。


インディアン料理の手作りサーモン

こちらはインディアン料理ができあがった写真です。時計回りから説明すると、サラダとズッキーニ、インディアン特性のご飯、バッファロー、そしてサルサがかかっているサーモンです。 写真のインディアン料理のごはんは何種類かのごはんがミックスされていて、細長く、割と固めでした。バッファローとは野牛のことで、インディアンが昔から食べ続けてきた動物です。 アリゾナにはインディアンの方がたくさん住んでおり、こういったインディアン文化を体験できる機会に感謝しています。
http://www.japanese-in-arizona.com/native-american-meal.html


ナバホ料理のお店に皆で行きました。

とりあえず、お勧めのナバホタコを試したのち、意外に美味しかったので、ナバホ名物のフライブレッドとビーフシチューを追加してみました。


すると、ナバホタコはピザの様で塩けもちょうどよかったのに、ビーフシチューが我々のイメージと違っていて、ビーフが入っていなかったのはただの不運でしょうが大変に味が薄く、このまま飲んでも美味しい感じではないのですね。

でもフライドブレッドと一緒にたべるとなんとなくいい感じのサイドメニューです。

人の体は塩分が体内に入ってから0.9%位になるように自然に調節されていて、ご飯や汁物のように大量摂取するものは味が薄く、佃煮や漬物のように少量しか接種できない物には食文化的に濃い味付けがされています。

なので、こういう時単純に美味しいまずいと感じるのではなく、他民族の食事を味わう時は、こうした濃い味付けのものと薄い味付けのものを食べることによって、
自分達の食文化の概念を取っ払って この部族が日常に、どれだけこの食べ物を量的に摂取する文化があるのか塩分濃度で判断することもできなくなないと思いました。

このスープには多くの種類の野菜が含まれており、豊かな部族ではないと聞きましたし、


この野菜からでる栄養をより多くの水分とともに摂取してお腹をふくらましたのかもしれません。

それならば、他の民族のよぶシチューより、これだけうす味なのもわかる気がします。

真実のほどは知りませんが。

体も温まってお腹もいっぱいになり私は好きでした。

それと、このナバホブレッド、現地で小耳にはさんだ話によると、イースト菌もない時代からの食べ物なのよね?
って言ってる人がいました。

そのため帰宅後英語のサイトを調べたら、 確かにブレッドなのにイーストは使わず、薄力粉とか中力粉にベーキングパウダーで生地を作成していました。

そして、生地をいかに綺麗に膨らませるかで家庭の妻の技を競っていたようです。

油であげるといった工程に関してもいくつか食文化の感想があるのですが、
これはまた今度書こうと思います。
http://ameblo.jp/yakiton/entry-10405355675.html


インディアン料理

古い古いノートに貼りつけてある「アメリカ・インディアンの煮込み料理」を作った。

昭和56年(1981年)2月、26年前だが、鄙びた味がたまにはいい。
料理研究家の大原照子さんがオクラホマで出あったもの。

[コーンと豚肉のシチュー]は夏向きとは言えないが、とうもろこしの出まわるこの時期をはずせない。

玉ねぎのみじん切りをバターで炒めた中に、シチュー用豚肉ととうもろこしとスープを入れてコトコト(私は圧力釜で)煮込んで塩コショウしたもの。

[揚げパン] これは煮込み料理ではないが主食の1つ。

薄力粉220gにベーキングパウダー大さじ1と塩小さじ1/2を入れて篩った中に牛乳1カップを入れてスプーンでかき回したものを12個に分けて揚げたもの。粉砂糖をまぶすのが好みです。発酵をしないパンで簡単で、ドーナツとも違う味わいがある。

後はサラダにパッションフルーツ(頂き物・・殆どたべるところがない)で簡単料理でした。

Kontobutanikusityu Agepan

Passyonhurutu 他に[カブの煮物]や[豆の煮物]やロールキャベツやカボチャの煮物などがあるが、私たちにも違和感が無い懐かしい味と紹介されていた。インディアン居留地でも、当時でももうインディアン的な生活様式が薄れているらしい。
もっと古いのには「3分クッキング」4冊が娘のところにある。


コメント


インディアン料理、コーンと豚肉のシチューって私はコーンが好きなのでちょっと気になってます。シンプルに塩コショウっていうのも良いです。
その他にあげパンにパッションフルーツ…。
パッションフルーツは食べた事がないんですけど、どんな味なんでしょう?
投稿: pochiko | 2007年7月26日 (木) 22:16

もうpochikoさんの畑にはとうもろこしが出来たのでしょうか。
缶詰のコーンよりとうもろこしからの方が美味しいような気がします。シンプルですがスープの素を使って美味しくしました。

パッションフルーツは石榴みたいと思ってください。石榴は種を出しますが、これはそのまま食べてしまいます。酸っぱいだけで、あまり値段のわりには美味しいものではないですが、夏向きかもしれません。
しょっちゅう、ヘンな取り合わせの食事になってしまいます。
投稿: tona | 2007年7月27日 (金) 08:24



tonaさん、おはようございます(^-^)

>夏向きとは言えないが…
そうですか(・・?)さっぱりしていそうですよ…バターは控えめが良いかもですね〜♪
キャベツとか入れると…もっとさっぱりとしそうです…クールでも良いですね〜♪

「アゲパン」は「サーターアンダギー」を連想します〜♪娘は大好きですヽ('-'*)〜♪
揚げ物は控え気味なのですが…久々に作ってみようかしら…と思いました(^-^)V

それにしても…随分と旧い記録をお持ちなのですね…昔はスクラップしていましたが…
全部処分しました…お料理は基本が解れば後は応用だと感じましたので…(^^;
レシピをその通り作ったことのない人です(>_<)分量も適当…
味見をしながら良くも悪くも…自分好みの味にしてしまいます(^^;

先日「火を使わないでカレー」…なんて見てしまいましたので…早速ヽ('-'*)〜♪
レンジで10数分の手抜き料理ですが…まぁまぁでした(^O^)
投稿: orangepeko | 2007年7月27日 (金) 09:16

シチューもパンも美味しそうですね!
塩やお砂糖だけの単純な味付けのお料理ってけっこう好きです。
こんど作ってみたいです。
揚げパンにシナモンをかけても、美味しいかもしれませんね。
投稿: mmiizzz | 2007年7月27日 (金) 09:40



豚肉は下焼きをしないのですね。柔らかい味がいいのでしょうね。
投稿: saheizi-inokori | 2007年7月27日 (金) 11:13

そういえば、このお料理は実に調味料が少なく、簡単な味付けです。
ごてごてしているのに飽きたときにはとても美味しく感じられます。
揚げパンの方は分量をきちんとした方が良いと書いてありますので、よろしかったら作ってみてくださいね。
シナモンをかけるとちょっと洒落た味になると思います。
投稿: tona | 2007年7月27日 (金) 17:00


豚肉は中の旨みをスープの方に引き出すため、玉葱と一緒に炒めないです。
肉を美味しく味わいたい場合は最初に豚肉の表面を焼いて、中からエキスが出ないようにした方がいいです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2007年7月27日 (金) 17:05

このコーンは丸ごとから実をとられたのですか?たまねぎの甘さがあるので、シンプルな味付けで美味しいでしょうね。
あげパン作ってみたくなりました。
コーンの料理も、豚肉とか入れるので、夏バテ防止になりそうです。これも作ってみますからね。
投稿: もみじママ | 2007年7月28日 (土) 00:01


インディアンというと古き西部劇などのアパッチを連想して、当時どんなかと思って記事を見たのでしたが、なんだ、現代のインディアンに受け継がれたお料理はさっぱりしたもので、そう、違和感がないですね。
http://maplesyrup.tea-nifty.com/365/2007/07/post_22b5.html


05. 中川隆 2013年6月15日 07:22:12 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

アメリカン・インディアンの料理
 

〜「The Art of American Indian Cooking」 Yaffe Kimball & Jean Andersonより〜
 

         コーン・パフ(FRESH CORN PUFF 4ダース分)

         =材料=

         生とうもろこし4本もしくは600gの粒コーン

         植物油3カップ(1カップは240cc)

         小麦粉 85〜90g

         ベイキングパウダー 小さじ1

         塩    小さじ1/2

         パプリカ 小さじ1/4

         胡椒   小さじ1/8

         卵    3個 

         =作り方=

         1)生とうもろこしを使う場合は、皮を剥いて、ひげを取り、粒を削ぎ落とす。卵は溶いておく。

         2)粉類(小麦粉、ベイキングパウダー、塩、パプリカ、胡椒)を先に混ぜておく。

         3)2)に卵とコーンを入れ、よく混ぜ合わせる。

         4)175℃程度に熱した油に3)をスプーンですべり入れ、揚げる。

         5)両側がほんのり茶色くなってきたら、出来上がり。ビールのおつまみやおやつにどうぞ。

 

 

          サボテンサラダ(CACTUS SALAD 4人分)

          =材料=

          缶入りサボテン1缶(71/4 oz)

          ピミエント(スペイントウガラシ)1缶(7 oz)

          ・ドレッシング材料

          サラダ油  小さじ3

          タラゴンヴィネガー 小さじ2

          青ネギ   1本

          にんにく  1かけ

          胡椒    小さじ1/3

          =作り方=

          1)缶サボテン、ピミエントは水切りする。にんにくはつぶしておく。

          2)皿の上にサボテンを並べ、ピミエントを細切りにして、サボテンの上から散らす。

          3)ドレッシングの材料をすべて混ぜ合わせ、2)の上にかけまわす。

          4)3)をそのまま冷蔵庫で1時間ほど置いてから、サーブ。

           もし、材料が手に入ったら、ぜひ試してください・・・。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/6374/nativerecipe.html


17世紀以前 インディアンの時代

アメリカン・インディアン(と、ここではします。ネイティブ・アメリカンという呼称を嫌うとインディアン研究家の著書に書いてありましたので。ただ皆がそう思うのかどうかは知りません)がアメリカ大陸にやって来たのは、1万4千年前のことで、シベリアからベーリング海峡を渡って、氷河に覆われていないアルバータの平原を抜け、北米大陸から南米のアステカ、インカへ到達したと考えられています。


 インディアンの主要な食べ物であり、聖なる作物であるトウモロコシは、南米の産で、考古学者、植物学者は、4600年前にペルーの前インカ文明時代のものだろうとしています。

現在、インディアン・コーンとして知られているメイズ種のものが、ペルーでも発見されています。

そして、大昔に、二種類の野生のイネ科植物の交配が人為的になされたのではないかと考えられており、そういったことを主張する部族もあります。

数々の伝説、夏に行われるトウモロコシの収穫祭、プエブロ族の女性達による40種以上ものトウモロコシ料理、といったことから、インディアン達のトウモロコシに対する深い敬意と愛着の念がうかがわれます。

インディアン達にはそれぞれ住みついた土地ゆえの食のバラエティがあります。

参考図書「クックブックに見るアメリカ食の謎」東理夫 東京創元社

「The Art of American Indian Cooking」 Yaffe Kimball & Jean Anderson

           「I hear America Cooking」  Betty Fussell

 http://www.geocities.co.jp/Foodpia/6374/nativefood.html

アメリカンインディアンの居住地域別による食の特色

 
1)南西部(アリゾナ・ニューメキシコを中心とした、カリフォルニア、テキサス、オクラホマまで広がる地域)

中心部族はプエブロ・インディアン(リオ・グランデ河に沿って住む穏和な農耕部族)

現在、その仲間は、ニューメキシコ州サンタ・フェ周辺に居住するズニ、タオス、サント・ドミンゴ、イェメスなど19部族が有名で、彼等の食料である深紅の大型のチリ、トウモロコシ、さやえんどう、タマネギ、にんにく、ひょうたんやスクワッシュ(かぼちゃなどの類で、アメリカには日本にはない多様な種類がある)などを住居の低い軒先に吊しているのが観光名物にもなっている。

食生活の道具:ホルノス(蜂の巣形をした野外オーブン)は、パンを焼き、肉や野菜をローストする不可欠な調理器具。

ホピ族もプエブロ同様穏和で、驚くほど農業技術が高い。

白から黒にいたる12種類以上の豆類は、現在北アメリカ発祥のオリジナルな豆として認められている。

赤、白、青、黄色の4種類のトウモロコシがあり、ホワイトコーンはパンやホミニィ、(さまざまな料理に使われる干しトウモロコシ)甘みの強いイエローは若いのを生で食べたり、蒸し焼きに。レッド、ブルーは、干して粉にひき、薄くてパリパリのピキ・ブレッドにする。


ワカモーレ(グァカモールなど呼び名いろいろのアボカドのディップ。メキシコ料理として知られている)もサボテンの葉のサラダもホピの創案。イタリア料理で知られる、カボチャの花にチーズ等を詰めて揚げるバターフライド・スクワッシュ・ブロッサムも、ホピの料理で、イタリアにスクワッシュを伝えたのはコロンブス。

 

2)太平洋北西海岸  

海の恵み:クジラ・オヒョウ・かれい・ニシン・ひらめ・ちょうざめ・銀鱈・あしか・川獺・クラム・かに・アヒル・鴨・カモメなど。

海草類:ケルプやワカメや昆布は、食料でもあり、包んで蒸し焼きにする調理道具でもあり、調味料でもあった。

海水:魚以外にも野菜を煮たり、スープやシチューのだしとしても使った。

森の恵み:森林に棲息する鹿、熊、キジなど。

野原にはヒナユリ(根)・野生のニンジン・じゃがいも・ナッツ・ベリー類。

一番大切な食料はサーモンで、あまりに多数が川を遡るため、その背を踏んで向こう岸まで濡れずに行けたという記録もある。

サーモンを獲りは男達の仕事で、シーズンには一年中の食料を確保するため何日も夜昼徹してサーモンを獲った。それらは、茹でる、蒸す、焼く、ほとんどは保存のため薫製に。女達の仕事は野菜の採集と料理だった。

 

3)中西部大平原地帯 (ミシシピー河の西に広がる平原)

シオウアン族(羽根飾りのかぶりものや、ビーズで飾られたバックスキンの服

現在、インディアンの服装としてイメージのついているものは元々シオウアン族だけのもの)の居住地域。

平原地帯のうち、ミシシピーとミズーリ河に挟まれた渓谷は肥沃で、昔からトウモロコシ、豆類、トマト、かぼちゃ栽培そしていた。

トウモロコシを皮つきのまま焚き火に入れて蒸し焼き(トウモロコシの甘みが際立つため)にするのは、アメリカ南部の家庭のBBQでもいまだに行われているが、インディアン由来である。

バッファローを追ってこの平原にやって来たのは、ダコタやシャイアン族。

元々土地付きのシオウアンやブラックフットもバッファロー狩りは不可欠。

バッファロー: 北はハドソン湾から南はメキシコ国境まで草を求めて移動。

春になって平原に戻ってくる。保存用の肉に食べ飽きたら、必要分を狩り、肉はロースト、焙り焼き、胸やすね肉はシチュー、肋や関節、骨髄はスープ。

その他の肉類: 野牛が手に入らない時は、男たちは鹿やウサギを捕り、その肉を湖沼で採れるワイルドライス(ライスといってもお米ではなく木の実だそうで、黒くて長細く、スープやサラダ、チキンもしくはターキーのローストのスタッフィング、等に使うことが多いです。かつてはインディアンがカヌーを使って野生のものを採集していたそうですが、現在は栽培されています。

グルメ志向から珍味ともてはやされ、値がぐっと上がったとか。確かに高い)

と一緒に煮て、濃厚なスープにする。

 

魚:川でマスや亀を捕まえ、焼いたり、フライに。亀のスープは得意料理。

林:木の実が豊富で、ジャーキー・ビーフと混ぜてペミカンを作ったり、つぶした実をローストした野牛肉の付け合わせに。

 

4)南部 (ヨーロッパ人が最初に北アメリカだと世界に紹介したのは、西インド諸島と太平洋に面した南部諸州だった。)


 海:カレイ、サケ科のホワイトフィッシュ、ニベ科の魚。

川:マス

森:リス、うさぎ、フクロネズミ、鹿、熊

野原:キジ、うずらなど山鳥。植物も豊富。

 畑:スクワッシュ、トウモロコシや豆類。

 林: ヒッコリー、ペカンナッツ、ブラックベリー、野いちご、柿、スパイスなど。


この周辺に住むチェロキー、チョクトー、セミノール族の女性たちの料理は、現在アメリカ南部料理として広く知られているサコタッシュ(ライマビーンズとトウモロコシの煮物)やブランズウィック・シチュー、フライド・グリーン・トマト(映画のタイトルにもありましたね)、ロースト・ピーナッツなどなど。

 

5)東部森林地帯  

クラムベイク:ナラガンセットやペノブスコット・インディアンの女性は、大西洋岸の砂浜に深い穴を掘り、そこに貝類を入れて海草を敷き詰め、その上を焼いた石で覆って蒸し焼きにする料理法を考え出した。現在もクラムベイクは東部の人々の人気料理。その他ベイクド・ビーンズ、蒸しロブスター、鰻の燻製、クラムチャウダーなど。鰻の燻製を除いては東海岸料理として馴染み深い。


この東部地域に住むほとんどのインディアンたちは、日に一度だけの正餐をとる風習があり、朝と昼の食事のちょうど中間の時間の食事会の内容は、        

大ぶりの野禽類のローストか魚の焼きもの、野菜のサラダ、ベイクド・パンプキン

デザートとしてヘーゼルナッツ・ケーキなどが普通だった。イロクォイ族らがセレモニーとして食べ続けたそれらの料理は、やがてはニューイングランドの古典的な料理となっていく。

 

参考図書「クックブックに見るアメリカ食の謎」東理夫 東京創元社
「The Art of American Indian Cooking」 Yaffe Kimball & Jean Anderson

http://www.geocities.co.jp/Foodpia/6374/nativearea.html


ネイティブアメリカン料理 画像
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E6%96%99%E7%90%86&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=AJW7UeeLGILmkAXfr4DgBw&ved=0CDoQsAQ&biw=995&bih=892

ネイティブアメリカン料理 レシピ
http://cookeatshare.jp/recipes/cuisine/native-american


06. 中川隆 2013年6月15日 18:41:29 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

幸霊 奇霊 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ
幸はへ給へ 照らし給へ 導き給へ

掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神  ◇       ミ ◇     祓へ給ひ清め給へと
筑紫の日向の橘の          ◇◇   / ̄| ◇◇.   まをすことを聞こし召せと
小戸の阿波岐原に        ◇◇ \  |__| ◇ ◇    恐み恐みもまをす。
禊ぎ祓へ給ひし時に           彡 O(,,゚Д゚) /.       
なりませる祓へ戸の大神たち       (  P `O      
諸々の禍事・罪・穢れあらむをば    /彡#_|ミ\    
    

アイヌ料理も書いとくね:

アイヌの食文化


今の日本では、お金を出しさえすれば、世界中のどんな食べ物でも手に入れることができます。しかし私たちの置かれた環境に感謝し、そこから得られる糧に満足して生きてきたアイヌの人々の暮らしと、 今の暮らしを比べると、アイヌの人々の暮らしのほうがずっと豊かであったのではないかと思えます。

ここでは、アイヌの人々の食文化をご紹介したいと思います。


アイヌの食文化


アイヌの人たちには、主食にあたるものはありません。

一汁一菜といえば、和食であれば汁物・おかず1品にご飯ですが、アイヌ料理では、そのまま汁物1品とおかず1品のことを指します。お米は日常食ではなく、儀式の際に大量に使われるおさけを作るための大切な材料として利用されていました。

神(カムイ)の自然と生きる生活


アイヌの人たちは自然のすべてのものを、神(カムイ)としてあがめ、日々信仰の中に生きてきました、したがって儀式に欠かせないお酒は大変貴重なものでした。
その原料となる米も大変大切にされ、普段の食を満たすために使われることはほどんどありませんでした。

食事の回数は1日に2〜3回、で季節や労働の内容によって変わることもありました。

アイヌの人たちにとって、大地は神(カムイ)の肌であり、大地にはえている草や木は神の衣服にあたります。むやみやたらと木を切り倒したり、大地をけずって畑を耕すということはしませんでした。

農耕をおこなわなくとも、ふんだんにある自然の木の実や植物を自分たちが必要な分採取し、食していたのではないかと思われます。


厳しい北海道の自然の中で生き抜く食の知恵


厳しい北海道の気候のなかで生活していたアイヌの人々は寒さに大変強い民族だといわれています。 冬の期間、ビタミンなどの補給に必要な植物の補給ができません。そのためアイヌの人々は、タラなどの魚の肝臓から「魚油」をとり、保存食として利用していたようです。

「魚油」はビタミンを大量に含む優れた栄養食品であり、植物が採れない期間、利用されていたようです。

その他に、ビタミンが豊富ですぐに熱に変わる脂肪をたくさんとっていたこと、
細ンしておいた山菜をふんだんに使っていたこと、そして何よりも、食事は大変うす味で、減塩食だったことがきびしい冬も元気に過ごせた理由だといわれています。


アイヌの食の紹介


チェプオハウ(魚汁)


アイヌの人たちには、私たちのご飯やパンのような 「主食」にあたるものはありません。

一汁一菜といえば、和食であれば汁物・おかず1品にご飯ですが、アイヌ料理では、そのまま汁物1品とおかず1品のことを指します。

お米は日常食ではなく、儀式の際に大量に使われるお酒を作るための大切な材料として利用されていました。
http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/ka/sankei/syokuzai/ainu.html#ainu2


オハウ ohaw(煮込み汁)

獣肉や魚肉、山菜、野菜を鉄鍋で煮込んだ汁物。単なるスープに留まらず、鍋料理とも言えるほど具沢山の汁物で、「主食」が存在しない狩猟・漁労民族であるアイヌの食生活の中心を成す料理だった。現在、北海道の郷土料理として名高い石狩鍋、三平汁の起源とも言われている[2]。

具材に特に決まりはないが、大体以下の様な方法で調理される。


1.鍋に水を張り、獣骨や小魚の焼き干しを入れて火にかけ、出汁を取る。

2.大まかに切り分けた肉、魚を入れて煮る。乾肉、乾魚の場合は時間をかけて煮る。この際、アクは取り除かない。

3.野菜は根菜などの煮えにくいものから入れ、つぎに繊維の多い山菜、そして葉物野菜を入れる。それらが柔らかくなるまで煮込む。

4.動物性脂肪、魚油、少量の塩で味を整え、最後に風味付けとして焼き昆布の粉末、乾燥させたプクサ(ギョウジャニンニク)をふりかける。

※肉のアクが気になるようであれば、後から入れる野菜や薬味に吸わせる。

中心となる具材からそれぞれ

「チェプオハウ」(cep ohaw 魚汁)、
「カムオハウ」(kam- 肉汁)、
「カムイオハウ」(kamuy- 熊汁)、
「キナオハウ」(kina- 野菜汁)

などと呼ばれていた。ニリンソウは汁と相性が良いため「オハウキナ」(ohawkina 汁の草)と呼ばれ、具材として特に好まれていた。


ラタシケプ rataskep(野草による煮物や和え物)
直訳すれば「混ぜたもの」。山菜や野菜、豆類を柔らかく汁気が無くなるまで煮込み、軽く潰してから獣脂、魚油、少量の塩で味を整えた料理。 日常食としても作られるが、儀式の供物や振る舞いには欠かせない、ハレ食である。

使用する材料によって限りない種類がある。


シケレペキナラタシケプ sikerpekina rataskep
乾燥させたシケレペキナ(ヒメザゼンソウ)を湯で戻してから、弱火で数時間、汁気が無くなるまで炊く。食べやすい大きさに刻み、獣脂と塩少量で味を整える。


プクサラタシケプ pukusa rataskep
豆を柔らかくなるまで炊き、プクサ(ギョウジャニンニク)の茎を加えてさらに炊く。獣脂と塩で味を整える。 チスイェラタシケプ cisuye rataskep 初夏に採集したチスイェ(アマニュウ)で作る。豆を炊いて柔らかくなったところにチスイェを加えてさらに炊き、獣脂と魚油で味を整える。


かぼちゃラタシケプ kampoca rataskep
豆を柔らかくなるまで炊き、切干にして保存しておいた南瓜を水で戻して入れ、さらに炊く。南瓜が煮崩れたところで、塩と魚油で味を整える。香辛料としてシケレペ(キハダ)の実をふりかける。

チポロラタシケプ cipor rataskep
「チポロイモ」とも呼ばれる料理。馬鈴薯は皮ごとゆでる。別の鍋にチポロ(筋子)を入れ、弱火で潰しながら半煮えにする。茹で上がった馬鈴薯は皮をむいて厚切りにし、先ほどの煮えたチポロを入れ、塩を加えてよく混ぜる。


ニセウラタシケプ nisew rataskep
ニセウ(どんぐり)は殻を取り、渋皮つきのまま数回ゆでこぼしてアクを抜く。ここにあらかじめ水戻ししておいた豆を水と共に入れ、沸騰したら煮汁を捨てる。再度水を注いで全体が柔らかくなるまで煮込み、玉蜀黍の粒を入れてさらに煮る。好みの柔らかさになったら米の粉を入れ、全体を練り上げる。塩と脂で味を整え、出来上がり。

サヨ sayo(粥)

ピヤパ(稗)やシアマム(米)で炊いた薄い粥。大抵は穀物のみで炊かれるが、山菜などを炊き込む場合もある。農耕民族のような「主食」としての粥ではなく、脂こい汁物や焼肉、焼き魚で腹を満たしたのち、「口直し」として茶のようにすすられるものである。そのため脂気が混じらないように、それ専用の小鍋で炊かれる。盛り付けの際も、掬うカスプ(お玉杓子)は汁用とは別のサヨカスプ(粥杓子)を用い、汁の味が混ざらないよう気を配った。

このサヨには、以下の種類がある。


トゥレプサヨ turep sayo
トゥレプ(オオウバユリ)から澱粉を採集した際の澱粉滓を醗酵させた保存食オントゥレプ(on turep)を入れた粥。まず硬く乾燥したオントゥレプを臼で搗き砕き、水で戻す。水の沈殿物で直径3センチほどの団子を作り、稗の薄い粥に入れてさらに炊く。

トゥレプの球根の鱗茎を入れた粥も、同じ名前で呼ばれる。


イルプサヨ irup sayo
オオウバユリのイルプ(澱粉)を団子にして入れた粥。


エントサヨ ento sayo
山菜の一種であるエント(ナギナタコウジュ)を入れた粥。独特の香気が好まれる。

サッシラリサヨ satsirari sayo
トノト(どぶろく)を作ったときにできるシラリ(酒粕)を、粥に入れる。


キキンニサヨ kikinni sayo
キキンニ(エゾノウワミズザクラ)の皮を入れた粥。


チポロサヨ cipor sayo 米で粥を炊き、チポロ(イクラ)を入れる。生イクラを使ったチポロサヨは、秋にしか食べられないごちそうである。それ以外の季節は、サッチポロ(sat cipor 乾燥筋子)を入れた粥を作る。


シト sito(団子)


チセ内部に飾られた漆器類。儀礼の際はシトやトノト(どぶろく)を盛り付ける。(北海道開拓記念館)

団子。名称の「シト」は、大和言葉でペースト状にすりつぶした生の穀物や団子をさす「しとぎ」と同系統とされている[1]。かつて穀物の精白や製粉を臼による手作業でこなしていた時代は、その手間ゆえに贅沢な食品。日常の食品としてよりも、イオマンテ(熊送り)やイチャルパ(祖霊祭)その他、ハレの日の供物やご馳走して作られることが多かった。


材料はメンクル(黍)、ムンチロ(粟)、シアマム(米)。時代が下がればエモ(馬鈴薯)、カンポチャ(南瓜)も材料として加わった。日本の草餅と同じく、ノヤ(ヨモギ)を混ぜ込んだ「ノヤシト」も春の味として好まれていた。

作り方は以下の通り

1.精白された穀物を一晩水に漬ける。水から上げたのち、一晩水を切る。

2.穀物を臼に入れ、数人でイウタウポポ(杵搗き歌)を唄い調子を取りながら搗いて粉にする。

3.出来上がった粉を湯で練上げ、直径7、8センチ、厚さ1センチほどの大きさに丸める。

4.大鍋に沸かした湯で、鍋底に焦げ付かないように注意しながら茹で上げる。

茹で上がったシトは、供物にするならばそのままシントコ(sintoko 漆塗りの桶)、パッチ(patci 木鉢)、オッチケ(膳)に盛り付けるか、ミズキの串に刺した巨大な串団子「ニッオシト」にして神前に捧げる。

人間が食べる際は、チポロ(イクラ)を半潰しにしたものか、焼いた昆布を砕き、脂で練ったタレをつける。


チタタプ citatap(肉や魚のたたき)

チタタプというアイヌ語を訳すれば、「チ・タタ・プ」(ci-tata-p 我々が・たくさん叩いた・もの)。その名の通り、魚のたたきである。

以下は、代表的な作り方。

1.鮭のアラ、頭、白子をイタタニ(丸太を輪切りにして作った俎板)に乗せ、鉈のような重みのある刃物で刻み、叩く。

2.ペースト状になるまで叩いたら葱、メンピロ(ノビル)、プクサ(ギョウジャニンニク)のみじん切りを薬味として加える。

3.焼き昆布と塩で味を整える。

鮭以外でも、スプン(ウグイ)、ウッタプ(カスベ)、イチャニウ(マス)、チマカニ(カジカ)などあらゆる魚、さらにユク(鹿)、キムンカムイ(ヒグマ)、モユク(狸)、イソポカムイ(兎)、さらにルオプ(シマリス)などの獣肉も刻んで薬味を加え、チタタプに加工された。老いた獣の肉は固いことが多いので、チタタプに加工すれば食べやすい。


これらのチタタプの鮮度が落ちた場合は、つみれのように汁に入れる。

イオマンテ(iomante)の際は、熊の脳のたたき、「チノイペコタタプ」が作られる。

材料は熊のほほ肉、脳味噌、葱、塩。儀式で飾り付けた熊の頭から脳味噌を取り出し、あらかじめゆでて刻んだ熊の頬肉と混ぜる。薬味として葱を効かせ、塩で味付けする。熊送りの際しか作られない貴重な料理なので、量も少ない。儀式を司るコタンの有力者から、掌に直に下賜される[2]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%96%99%E7%90%86


40. 2012年9月22日 15:38:29 : IXP8eKUhLM
朝は食べない=> まだ体が排出の準備をしているから。
おなかがなるまで食べない=> それが本当の体のサインだから。

自炊・粗食をつづける=> そのほうが体が元気になるから。

日本食を見直す=> 田舎の本物の味と本当に元気な老人たちを知っているから。

体の芯を強くして、体をいつも動かす=> ご飯を本当においしい、ありがたいと感じるから。

自然と触れ合う=> 自然の大切さが食の大切さを教えてくれるから。

早寝早起きをする=> 太陽と月が体のリズムを支配しているから。

笑う=> 心が疲れていると体は元気になれないから。



41. 中川隆 2012年9月22日 15:49:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


アイヌ民族の「食」


かつて、アイヌ民族の暮らしを支える営みは、森や川、海などの自然を基盤とした狩猟、漁労、採集、農耕であり、それで得た産物を使いおこなわれた交易でした。
季節を通して暮らしに必要なものを入手します。

北の地に長い冬が終わりを告げるころ、森では雪解けの水をたっぷりと吸い込んだ木々が芽吹き、ギョウジャニンニクやニリンソウ、フキなどの山菜を採り、川ではイトウ漁がはじまります。

森の緑が濃くなる頃、畑にはアワやヒエを蒔き、初夏、オオウバユリの鱗茎からデンプンを採取する。真夏の沖ではメカジキ漁、川ではマス漁がおこなわれます。

秋、川では遡上する鮭を迎える祈りとともにサケ漁が解禁され、森ではキハダやクルミなどの木の実やきのこを採取しました。

一面を雪に覆われる冬は山猟の季節、シカやキツネ、テンなどを追い、それらの良質の毛皮は交易品としても利用されてきました。


「かつて」という時間は結構あいまいでひとりひとり微妙にイメージする時代が違います。例えば100年とか150年前のことなのか、つい10年前のことなのか、個々の時間軸の捉えかたでイメージされる時代はさまざまです。しかし、アイヌ民族の文化を紹介する様々な冊子やインターネットなどで得られる情報の多くが、上記のような生活でありますが、これは現代のアイヌの人々の生活ではなく、いわゆる私たちアイヌ民族にとって一番身近な伝統の時代の文化なのです。

食に関していえば、食材も豊富で、和食からフレンチ、イタリアン、中華などいろいろな食文化に溢れた時代現代であるにも関わらず、ことアイヌ民族の食文化に関しては、ある一定の時代の枠のなかに閉じ込めた、今なお何の変化もしていないかのようなイメージで語られることは少なくありません。

文化を考える時、その時間軸を外してしまうことでさまざまな誤解や偏見を生むことがあるので気を付けたいものですね。

(1)料理のアイヌ語名

・オハウ(ルル) 汁もの

アイヌ料理の中で一番ポピュラーというか基本的なメニューに「オハウ」や「ルル」と呼ばれる、塩と油(脂)で味付けをした、具のたくさん入ったスープがあります鹿肉を使ったものは「ユク(鹿)オハウ」「ユクル」、山菜がたくさん入っているものは「キナ(野草)オハウ」、「キナルル」などと呼ばれます。

・ラタシケプ(ボツボツ) 煮込み?あえもの?

山菜類、野菜類や豆類などからつくる料理で、数種類の材料を混ぜ合わせて煮るものが多く、味付けには油脂や塩が用いられます。ほとんど汁気のない料理で、「オハウ・ル(汁もの)」「サヨ(粥)」「チサッスイェプ(ご飯)」以外の料理のほとんどが「ラタシケプ」に相当します。

ラタシケプ種類も多く、その素材は地域や家庭によっても違いがあります。日常食として食べたり、儀礼など祭事のごちそうとしてもつくられます。

・ その他 ・チタタプ(たたき?) ・サヨ(粥) ・シト(団子)

・チサッスイェプ(飯) ・ルイペ(解けるもの) ・フイペ(生のもの)他
(2)調味料について(甘み、しょっぱみ、酸味、からみ、薬味)

・油=脂:タラ、イワシ、サメ、アザラシ、シカ、クマ、※(甘いもの)

・海水(を使用したという事例もあった)、

・塩

・昆布、魚の焼き干し、骨、※(だしをとる際に多く使われる)

・植物=キハダの実、チョウセンゴミシ、ヒメスイバ、サンショウ、ヤマブドウ
ヒメザゼンソウ、ミツバ、ギョウジャニンニク、ナギナタコウジュ等々)

・その他 樹液(イタヤカエデ、クルミ、樺)
みそ、しょうゆ

(3)スム(油)

アイヌの料理に油は欠かすことのできない調味料のひとつです。甘みをだすために使われるほか、ビタミンが豊富なので栄養のバランスやエネルギー源としても大切なものです。陸獣、海獣、鳥、魚など植物以外のいわゆる動物性の脂(油)が使われました。油の常温での形は、固形、液体のものがあります。


●魚油の形状:常温で液体。

魚油の種類:イワシ油、ニシン油、タラ油、サメ油、マンボウ油
油の採取:


@肝臓だけを煮る。空鍋に肝臓を入れじっくり焦げないように弱火で煮る。脂分がしみだしたら、ザルや晒布などで濃す。何度か繰り返すことできれいな油が取れる。

A湯を沸かした鍋に肝臓を入れ煮る。油が浮いてきたら、上の部分を杓子ですくい、息を吹きかけながら油と水分をわける。

B魚全体を鍋で煮る。油が浮いてきたら上の部分を杓子ですくい、息を吹きかけながら油と水分をわける。


●陸獣油の形状:常温で固形、又は半固形

油を採る陸獣の種類:クマ、シカ、タヌキ、

油の採取:

@ 脂身だけを煮る。空鍋に薄切りにした脂身を入れ、焦げないように
火にかける。油分がしみだしたら、別容器にとる。

A湯を沸かした鍋に骨(骨は割って髄が溶け出しやすいようする)や脂身などを入れ煮る。油が浮いてきたら、上の部分を杓子ですくい、息を吹きかけながら油と水分をわける。

(4)食材の確保について

・狩猟 ・漁撈 ・採集 ・農耕 ・交易

※江戸時代すでに栽培されていた作物
粟、稗、黍、麦、大豆、小豆、などの雑穀及び豆類
蕪、ジャガイモ、大根、葱、カボチャなどの野菜類
※移入品 米、塩、みそ、糀 等


(5)食材の保存法

@乾燥 (茹でて乾燥、焼いて乾燥、生で乾燥、発酵させて乾燥、寒干)
A燻製 (乾燥に関連する)
B塩蔵 ほとんどされなかた
C冷凍 冬の一定期間
D土に埋ける 冬の一定期間(凍れないよう)


例えば:

肉の保存 茹でて乾燥
魚の保存 寒干、焼いて乾燥
山菜の保存 生で乾燥、茹でてから乾燥、醗酵させて乾燥
木の実の保存 生のまま乾燥
穀類の保存 乾燥
根菜類 乾燥、凍れさせて粉にして乾燥
油の保存 海獣や陸獣の内臓(胃、膀胱 など)

・当日のメニュー

1)チェプオハウ(鮭のスープ)
2)チマチェプ(焼き鮭)
3)メンクルチサスイェプ(イナキビご飯)
4)ペネコショイモ(凍れ芋)
5)エントウセイ(ナギナタコウジュのお茶)

・チエプオハウ(魚汁)の作り方

材 料:・サケ ・ジャガイモ ・大根 ・昆布 ・人参 ・長ネギ ・他山菜
・ギョウジャニンニク ・塩 ・タラの油

作り方

1)大根、人参、ジャガイモは皮をむいて適当な大きさに切り、鍋に入れて煮る。

2)野菜が煮えたらサケを適当な大きさに切って入れる。この時、肝臓などがあれば一緒に入れる。

3)サケが煮えたら塩と油で味付けする。(内臓が入る場合は油をあまり入れなくてよい。)

4)昆布はカリカリに火にあぶって揉み砕いたものを入れ、乾燥したギョウジャニンニク、ネギも鍋に入れ、蓋をして蒸す程度にさっと煮たせて出来上がり。

・メンクルチサスイェプ(イナキビご飯)の作り方

材 料:・米 ・イナキビ ・塩 ・油

作り方1)米とイナキビをといで、塩、油を適量いれて炊く。

※水量はふつうにご飯を炊くよりも少し多めが良い。

・ペネコショイモ

材 料:・ペネコショイモ ・片栗粉 ・砂糖 ・塩 ・油


作り方

1)冬の間外で凍れさせたジャガイモを乾燥させたペネコショイモを水にもどし、何度か水を取り替え、晒しの袋などに入れ水切りをしておく。

2)水切りをしたペネコショイモに、片栗粉を混ぜて練り、砂糖と塩で味を調え適当な大きさの団子にし、フライパンに油をひき、焼く。

http://www.coleman.co.jp/event/winter/bbw_0903.pdf?PSID=o3jdhodr7852t7umu9quo1j6h6


42. 中川隆 2012年9月22日 15:53:52 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


2010.2.12 アイヌの伝統食をまるごと体験!オントウレプ食べてみよう 


昨年7月に手稲山でオオウバユリの根を採取し、みんなでデンプン作りをしました。
http://teinesato.blog.so-net.ne.jp/2009-11-13-5


オオウバユリのアイヌ語名を「トウレプ」といいます。デンプンをとったあとのオオウバユリの根の繊維を発酵させ、乾燥させたものを「オントゥレプ」といいます。アイヌで保存食として利用されていました。

今回も安田千夏さんに講師をお願いしました。

「昔のアイヌの冬の暮らし」についてクイズを交えてお話いただきました。つくづくアイヌは究極のサバイバル術のエキスパートだと感心するエピソードばかりでした。アイヌの男性のたくましさは素敵だなあ〜〜とうっとり・・・なかでも「クマにであったらどうするか?」の本の紹介とエピソードはびっくりでした

このドーナツ型の物体が繊維を発酵させたものです。これから乾燥させるのです。

実は乾燥させたものは3個あったのですが、(かちかちに乾燥したものはなんとも動物の糞のようないでたちなのですが)2個紛失してしまいました。これは乾燥したものを細かく削っているところです。

本当は削ったものを水に浸しておくとボウルの底にデンプンが沈殿するのです。それをスプーンなどでお粥に落とすとトゥレプサョ(ウバユリ粥)になる・・・はずでした・・

1個では少なすぎてデンプンは取れなかったので今回は急遽、イナキビ入りのお粥、アイヌの人が食べていた「魚の汁」(チェプオハウ)と「シバレイモ」(ペネコショイモ)団子をつくることになりました。

「魚の汁」(チェプオハウ)です。今回は鮭を使用した三平汁です。鱈なども内臓ごと使っていたようです。

当時、塩は交易で手に入れなければならなかったので貴重だったようです。実際食べていたものはかなりの薄味だったようです。私達は現代風にアレンジしたいただきました。ポイントはギョウジャニンニク」(プクサ)とあぶった昆布を砕いていれるところです。

調理風景です。

これが「シバレイモ」(ペネコショイモ)です。真冬に外に出しておき凍ったジャガイモを水で何度もアクだししたものです。みなさん少し凍ってしまったジャガイモを食べたことがありますか?すこしクセのある匂いがします。

あんな感じです。

砂糖を少し加えて団子状にしてホットプレートで焼きます。これはとても美味しかったです!もちもちっとしていて焼くと香ばしくほんのり甘く・・また食べてみたいです。

完成しました

いただきま〜〜す

前回のオオウバユリの採取から7ヶ月、採取→加工→調理の過程をみんなで学ぶことができました。

昔のアイヌの人たちは食べ物を粗末にすることなく最後の最後まで智恵をしぼり使い切る究極のエコの精神を持っていたんだなあ・・と尊敬します。そして食べ物になる植物の子孫が絶えることがないようにルールをつくって採取していたことも学ぶことができました。自然、食べ物、いのちに感謝する気持ちが自然にわきあがってきます。

いのちを身近に感じ、感謝し生きていきたいです。
http://teinesato.blog.so-net.ne.jp/2010-05-07


43. 中川隆 2012年9月22日 16:07:56 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


アイヌの人々は肉を食べる場合には動物の新鮮な内臓を例外として、生で食べることはあまりありませんでした。

肉を食べる場合にはほとんどの場合、汁ものに入れて煮たものや焼いたものを食べていました。

魚類を食べる場合には串に刺したものを焼いて食べたり、天日などで乾燥させたりしたものを汁ものに入れて煮たものを食べていました。獲ったサケを冬期に屋外で凍らせてそのまま食べることもありました。


ラタシケプは山菜や蔬菜、豆類などを汁気が無くなるまでしっかりと煮込んで魚脂や獣油、海水などを使って味付けを施して鳥獣肉、魚肉は使いません。

カッコウの初鳴きを合図として、一年分の山菜を採って乾燥させて収蔵し終えたところに、夏がやってきて畑仕事が始まります。昔のアイヌには稲作は行われていなかったのですがアワやヒエあるいはイナキビのような穀類と豆類、蕪などを昔から栽培していました。

山の物ではヤマブドウやクロミノウグイスカグラ(ハスカップ)のような果実は生で食べましたが、山菜類は魚や肉などと一緒に汁に入れて煮込んだり、お粥やご飯などと一緒に炊いたりして食べるものでした。

雑穀類を焚いたチサッスイェプや雑穀類を焚いて焦がして作ったスウケプ、シト(団子)などはイオマンテのように大きな儀礼の時に食べられる特別料理であって祖先や神々も一緒に食べて、楽しむとされていました。
http://www.islanddistinctiveoccasions.com/hokkaidob/

アイヌ語でオハウもしくはルルという魚や鳥獣肉、山菜などの具が沢山入った汁ものを主食としていました。

入れる材料によって多くのバリエーションをもっています。

副食として食べられていたものはアイヌ語でサヨというお粥でその種類もヒエ粥、アワ粥、ギョウジャニンニク、ウバユリの繊維質、イクラ入りの粥などのバリエーションがあったそうです。

他にはアイヌ語でラタシケプという山菜や野菜の煮込んだもの、焼き魚、穀物の団子のように多くの種類の料理があります。

調味料に使われるのは、メインは塩でしたが、寒冷地であることからカロリー補給や味を柔らかくすることを目的として油脂を多用しました。
http://www.islanddistinctiveoccasions.com/hokkaidob/hokkaidoba.html

平取町 アイヌ料理 
http://www.youtube.com/watch?v=LruBb1DBPFI


44. 2012年9月22日 17:00:58 : HNPlrBDYLM

アイヌ人の食事は汁ものが主食で、その具は殆ど山菜や雑穀類。
要するに、完全菜食では味付けが難しいので、肉や魚を少しだけ入れて山菜や雑穀類を食べ易くしたという事ですね。

アイヌ人の様な狩猟民は牧畜民の欧米人の様には肉を沢山食べないのです。

アラブ人の様な遊牧民もミルク、ヨーグルトが主食で肉はハレの日にしか食べません。

従って、毎日肉を食べる欧米人や日本人は「人類本来の食生活」から大きく離れています。アメリカ人に極端な肥満が多いのはホルモン剤で育てた牛の肉を食べるからですね。



45. 2012年9月22日 21:34:27 : HNPlrBDYLM

アイヌ料理 画像
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C+%E6%96%99%E7%90%86&hl=ja&lr=lang_ja&tbs=lr:lang_1ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=_K9dUL-fGIOdmQXF94DwBQ&ved=0CC4QsAQ&biw=1030&bih=892


46. 2012年9月22日 23:18:52 : HNPlrBDYLM

【アイヌ料理】オハウを作ってみた
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10293618


47. 中川隆 2012年9月23日 00:16:40 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


アイヌ生活文化再現マニュアル
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/bunka_main.html


 私たちのいう「自然」に食糧(しょくりょう)を求めていたアイヌの人たちは、一年の多くを食糧採取(しょくりょうさいしゅ)に費(つい)やしました。特に、野生植物は、一度で取り尽くしてしまうようなことはせず、必ず「根」を残し、次の年の分を確保(かくほ)しながらの採取でした。四季折々(しきおりおり)にとれる野生植物や動物、魚介類(ぎょかいるい)は家族の食卓(しょくたく)にのぼるとともに、長い冬の間の食糧(しょくりょう)として、また、飢饉(ききん)などに備(そな)えるために蓄(たくわ)えられました。

 調理(ちょうり)には、「煮(に)る」「焼(や)く」「炊(た)く」という方法が用いられました。主食として、山菜をベースに、動物の肉や魚を入れて煮(に)たオハウ、ルルがありました。オハウは、用いる材料によって、チエプオハウ(サケを入れた汁)、プクサオハウ(ギョウジャニンニクを入れた汁)、カムオハウ(動物の肉を入れた汁)などと呼ばれました。

 副食(ふくしょく)には、アワやヒエなどの穀物(こくもつ)を煮たサヨ、山菜を汁(しる)気がなくなるまで煮込(にこ)んだラタシケプがあり、生の動物の肉や魚は、串にさして焼いて食べました。また、季節によっては、「生で食べる」こともありました。


プクサ(ギョウジャニンニク)

焼(や)いて干(ほ)したウグイ。夏にとれた魚は、焼いて天日(てんぴ)で干(ほ)し、貯蔵(ちょぞう)した(新ひだか町アイヌ民俗資料館蔵)。

儀礼(ぎれい)の際(さい)の食事

   クマやシマフクロウの霊送(れいおく)りや祖先供養(そせんくよう)、婚礼(こんれい)や葬礼(そうれい)などのときには、普段(ふだん)の食事に加えて、雑穀類(ざっこくるい)を炊いたもの、団子(だんご)など特別な料理がつくられました。一年に数回しか味わうことのできないこの特別な料理は、人間だけでなく、祖先(そせん)や神々もともに食べ、ともに楽しむものでした。

いまに伝える

   江戸時代の終わりころになると、アイヌの人たちも野菜(やさい)をつくるようになり、多くの料理に用(もち)いられました。また、明治以降(めいじいこう)、本州からの移住者(いじゅうしゃ)の増加(ぞうか)とともに、アイヌの人たちを取り巻(ま)く環境(かんきょう)も大いに変化し、食生活もまた大きく変化しました。その一例として、調味料(ちょうみりょう)の使用などがあります。現在、北海道内各地でつくられる料理もこのころにつくられたものを基本としています。チエプオハウやラタシケプなどといった料理の多くは、日常の料理として、あるいは儀礼(ぎれい)の際(さい)の料理として盛(さか)んにつくられており、その伝統(でんとう)はいまに伝わっています。


食事の様子(『蝦夷嶋図説』函館市中央図書館蔵)


チエプオハウ
ラタシケプ
 

クマの霊送(れいおく)りのときにつくられる料理。神とともに人間も楽しむ(財団法人アイヌ民族博物館蔵)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/hito/taberu/taberu.html

アイヌ料理 春〜夏
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/tabemono2/tabemono.html

アイヌ料理 秋〜冬
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/tabemono/tabemono.html


アイヌは人間の力が及ばないもの、自然の恵みを授(さず)けてくれるもの、生きていくうえで欠かせないものなどを、神[カムイ]として敬っていました。自然界の神々―火の神、水の神、山の神、集落の神、森の神、狩猟の神、穀物(こくもつ)の神等―に感謝し、神々が与えてくれた恵みとして、食材を必要な分だけいただきます。

 秋は豊かな実りの季節でした。川では遡上する鮭を捕え、山では木の実を採集し、狩りで動物の肉を手に入れて食べました。冬や飢饉(ききん)に備えて保存食も加工しました。

 動物からとった油脂(ゆし)や、塩などを調味料として使い、肉や魚、山菜などを入れた汁物[ルル]、ヒエ・アワなどのおかゆ、煮物(にもの)などが食べられていました。

 今回は、料理を作る場所として、『旭川市博物館分館アイヌ文化の森 伝承(でんしょう)のコタン チセ』を使用しました。アイヌの伝統的な住居には、炉(いろり)が切られており、火種を絶やさなかったといわれています。

 古くから集落のあった石狩川の周辺には、豊かな自然があり、食材は、家の周りで容易に調達できました。現在では都市化の影響もあり、身近で手に入れることが難しくなっています。今回、食材を調達するにあたり、旭川近郊の山々はもとより、遠方まで出かけて集めたものもあります。

 本マニュアルは、杉村京子さんが、親の世代から学んだ、秋から冬にかけての食材を用いた料理を紹介します。

 自然に抱かれ、チセで暮した時代に培われた習慣や知恵は、様々な社会変化の影響を受けながら、独自の文化として生き続けています。

 なお、食材を採集する時期は、旭川地域を目安にしています。
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/tabemono/tabemono_hajimeni.html

杉村さんが子供の頃、大人に連れられて山へ出かける時、弁当は持ちませんでした。器と塩を持って行き、その場で材料を調達(ちょうたつ)しておつゆを食べたと言います。

「アイヌのおつゆには、肉か魚介類が欠かせない。」

と杉村さんは言い、山菜だけではなく、カワシンジュガイ(カラスガイ)などを捕(と)って入れました。

家では秋から冬にかけて獲(と)った鹿や熊の肉、鮭なども乾燥保存しておき、
夏でも山菜と一緒におつゆに入れて食べました。

アイヌの料理では、このような汁物が主食でした。

 これは、キト、セリ、ニリンソウなどの山菜と、乾燥保存した鮭を入れた塩味のおつゆです。

 杉村さんが親達から聞いた話では、かつて塩は交易(こうえき)[ウイマム]で手に入れていたので貴重品でした。濡(ぬ)らした箸(はし)の先にわずかな塩をつけ、器に盛ったおつゆに混ぜて食べたと言います。

 アイヌは素材の味を活(い)かした料理を作り、あまり濃い味付けをしませんでした。
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/tabemono2/tabemono_column_02.html

現在では、一年中、新鮮な食材を入手できるようになり、採集や保存に手間をかけなくても良い時代になりました。

 また、身近に自然が少なくなったことも影響(えいきょう)して、杉村さんも昔ながらの料理を作って食べる機会が減りました。

 しかし、杉村さんが親達から学んだ料理は、ほかに代え難(がた)いものとして、現在も杉村さんの心に刻まれています。 杉村さんは言います。

 「あるおばちゃんが、おれらは小さい時から、おつゆに魚でも肉でもたくさん入れて食べたもんだけど、今の人はそういうことができない。おれらはうまいものばかり食ったもんだと言ってたけど、ほんとにそうだわ。

今、これだけのおいしいもの毎日食べられないよ。まずおいしい、昔のものは。自然のものを自然のまま、こしらえて食べる。体にはいいし、おいしいし。」


 神々を敬(うやま)い、自然に抱かれて暮らしてきたアイヌにとって、物がない時代にこそ味わうことのできた豊かさもあったのです。  
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/tabemono2/tabemono_owarini.html

 「ウタリの食べものはね、ほとんどが薬。自然のものを食べるから、体に良いものばかりだった。戦争中、終戦後、(食料が乏しい時代でも)ウタリには栄養失調の者はいなかった。」

 杉村さんは、アイヌのことを、仲間・親戚(しんせき)を意味するウタリという言葉で表現するのを好みます。病人や高齢(こうれい)で山へ行けない家庭のためにも食べものを集めて分け与え、集落全体がひとつの家族のようにして、助け合って生きて来たと言います。

 食材の採取にあたっては、昔ほど身近に自然がなくなり、山奥へ行かなければ採れなくなったものもあります。 杉村さんは、その原因のひとつに乱獲(らんかく)を挙げて言います。

 「ウタリは、山へ行って物をいただいて来る時、10本しかなかったら、7本だけいただいて、あとの3本は残してくる。動物も虫も魚もいる、人間だけではない。そういう習慣が一番大切だと思います。

ウタリは山から余分に持ってきて捨てることは一切しなかった。それをみんなに教えたいと思う。分かって欲しい。」


 食は、親子や地域のコミュニケーションに欠かせない要素でもありました。特に熊送りの時などは近所の人達も集まって、大勢で楽しく料理をしたり、食事をしました。そうした中で、アイヌの伝統文化は、親から子へと語り継がれてきたのです。
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/tabemono/tabemono_owarini.html


イオマンテ−熊の霊送り[料理編]
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri.html

 狩猟採集(しゅりょうさいしゅう)を生業(せいぎょう)としていたアイヌは、狩猟(しゅりょう)の対象など生活の中で深い関わりを持つ動物をカムイ(神)として敬(うやま)い、その魂を大切に取り扱ってきました。

 「イオマンテ」とは「動物の魂をカムイモシリ(神の国)へ送る」という意味で、広く動物神の霊送りの名称として使われる場合がありますが、一般的には「飼い熊の霊送り儀礼」を指す言葉として知られています。春先のヒグマ猟(りょう)で、母熊と共に生まれたばかりの子熊を手に入れると、人々はカムイから養育を任された名誉あることと考え、授(さず)かった子熊を大切に育てました。そして1〜2年ほど飼育した後には、その魂をカムイモシリへ送り帰す盛大な儀式が、集落をあげて営(いとな)まれてきたのです。

イオマンテは、カムイを敬(うやま)い、日常生活の中で常にカムイの存在を意識してきた人々が、たくさんのお土産を持たせて子熊の魂を送ることでその再訪(さいほう)を願い、食料の安定供給を求めるという、アイヌにとって最も重要な伝統儀式のひとつです。イオマンテは、明治以降の同化政策による生活環境の変化などにより、次第(しだい)に行われなくなりました。

 今回のイオマンテの料理の再現は、道南の白老地方に伝わる儀式の際の特別な料理です。アイヌ民族博物館が平成元年から数回にわたり実施したイオマンテの料理を参考に制作します。(写真1)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_hajimeni.html


イオマンテの儀式は寒い時期に行われるため、料理の材料はそれまでに採取(さいしゅ)され、プとよばれる食料庫に保存されてきたものが中心となります。イオマンテでは

「熊が神の国へ土産として持ち帰るためのごちそうの数々」、また

「宴(うたげ)の際、神と一緒に来客が食べるごちそう」

と、普段にない種類と量を女性たちが用意することになります。

 イオマンテの儀式において、アイヌの人たちは熊を「殺す」という観念(かんねん)は全くありません。熊の毛皮をまとい、肉を身につけ、

「神の国から、人間の国へ遊びにきた神を、もとの神の国へ送り返す」

という考えから、祭儀(さいぎ)が行われてきました。その神をもてなすためのごちそうとして料理が作られるのです。(写真155、156)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_owarini.html

カムイオハウ

イオマンテでつくられる料理には、あらかじめ儀礼の前に作られるものと儀礼の進行に伴って作られるものとがあります。このカムイオハウは、儀礼のなかで熊の解体が終わると、その肉の一部を使用して作られます。(写真2)

 カムイオハウには熊肉、ギョウジャニンニク、ダイコン、ニンジン、ネギ、塩を使います。(写真3)

 熊肉を適当な大きさに切り、湯通しをして、熊肉のアクを取り除きます。(写真4)
 
 熊肉に火が通ったところで一度鍋から取り出します。これで熊肉の下準備が完了しました。(写真5)
 
 野菜の下準備です。火が通りやすいように適当な大きさに切り、煮込みます。(写真6)
 
 茹(ゆ)でてアクを取り除いた熊肉は、食べやすいように一口大に切ります。(写真7)
 
   野菜の火の通り具合をみて、鍋に熊肉を入れます。全体をかき混ぜながら、材料に火が通ったところで塩を入れて味付けます。(写真8) 

 刻(きざ)んだネギと、乾燥したギョウジャニンニクの葉を入れて仕上げます。ギョウジャニンニクはアイヌ語でプクサとよばれ、保存する際は、茎と葉に分けて細かく切って乾燥させます。(写真9、10)  

材料が全部入ったところで、強火でひと煮立ちさせて完成です。(写真11、12)  
 カムイオハウは供物として祭壇(さいだん)の前に供えられるほか、宴(うたげ)の席で客にふるまわれます。

 この他、熊肉などを使ってつくる重要な料理にチノイペコタタプ(熊の頬の肉と脳のあえもの)があります。この料理は、他の料理と違い男性の手で作られます。作られる量も少量のため、皿などに盛り付けず、エカシなど主だった男性だけに配られます。材料は、熊の脳、熊の頬肉、ネギ、塩です。作り方は、頬肉をあらかじめゆでておき、まな板の上でみじん切りにして脳と混ぜ合わせます。これに、細かく刻(きざ)んだネギを入れ、塩で薄く味付けします。
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_01_kamuiohau.html


 トノト

 トノトは、神々に捧(ささ)げる御神酒(おみき)です。酒もイオマンテには欠かせず、1週間から10日ほど前から仕込み始めます。(写真13)

 仕込みには、魔よけのため、マキリ、イナウル、チエホロカケプを用意します。

右からマキリ、イナウル、チエホロカケプ(写真14)

 酒はトノトカラシントコとよばれる樽に仕込まれます。(写真15)

 酒樽を包むための毛布やキナとよばれるゴザ、そしてキナを縛るタラという縄を用意します。

 こうじ(麹(こうじ)・カムタチ)を混ぜるためにサカエナムテプという器とエンピリという道具を用意します。

 酒の材料にはヒエと麹(こうじ)を使います。ヒエはアイヌにとって最も古い作物で酒の原料として重要なものです。麹(こうじ)はヒエとほぼ同じ量を用意します。
麹(こうじ) (左)とヒエ(右) (写真18)


 最初にヒエのお粥(かゆ)を作ります。
 鍋に湯をわかし、用意したヒエを入れます。
 ヒエを鍋の中でゆっくりとかき混ぜながら、火を通します。(写真21)

 鍋にヒエを入れ終わったら、蓋(ふた)をしてお粥(かゆ)を作ります。お粥(かゆ)といっても柔らかすぎないように、ほんの少し水分が残るくらいに炊き上げます。(写真22)

 炊き上がったヒエをサカエナムテプに移し替えます。(写真23)
 ヒエをサカエナムテプ全体にのばし、人肌になるまで冷まします。(写真24)
 ヒエが冷めてから、麹(こうじ)を入れます。(写真25)

 発酵がうまく進むように、ヒエと麹(こうじ)をムラなくまんべんに混ぜ合わせます。(写真26)

 麹(こうじ)と混ざり合ったヒエを樽に移します。樽に移しながら、さらに混ぜ合わせます。(写真27、28)

 火の神に祈りを捧(ささ)げます。

 「火の神よ 今日の仕込みのため お移しいたしますのを どうぞ お許しください」

という言葉を述べながら、真っ赤になったオキを2つとりあげます。(写真29、30)

 オキを仕込んだヒエの上にのせます。


 「火の神よ あなたの力で このヒエが よいお酒になりますよう どうぞ お守りください」

と祈ります。(写真31)

 オキを移し、火の神への祈りを終えた後、樽にふたをしてヒエを寝かせます。
 発酵(はっこう)をうながすため、毛布で一度樽を包み込んでからゴザを巻きます。(写真32)

 ゴザを巻きつけます。(写真33、34)

 樽のふたの上にイナウルを巻きつけたマキリをのせます。 これは仕込んだ酒に魔物が近づかないように、という願いが込められています。(写真35)  

       
 最後にゴザの上部をすぼめてタラで縛り付けます。
 樽の上部にはチエホロカケプをさします。これも魔よけのためです。(写真36)
 樽は、神窓の近くの左座(ひだりざ)に置きます。ヒエが発酵(はっこう)して酒になるのを待ちます。(写真37)

仕込みの終わった樽を前に、火の神においしいお酒ができますよう守護(しゅご)してくださいと再び祈りを捧(ささ)げます。(写真38)

仕込み終わったヒエは、イオマンテの前日まで何度か状態をみながら樽の中をかき混ぜ、発酵(はっこう)を促します。タラを解き、ゴザを外して樽の中を静かにかき混ぜます。(写真39、40)

こうしてイオマンテが行われる前日を待つのです。(写真41)

まつりの前日、酒漉(さけこ)しをします。ゴザを解いてふたを取り、仕込みの際に入れたオキを取り出します。(写真42、43)

取り出したオキは、炉の中へもどし、火の神に立派な酒が出来るよう見守ってくれたことへの感謝をあらわす祈りを捧(ささ)げます。(写真44)

酒漉(さけこ)しをするため、別の樽にサケヌンパニとよばれる棒を4本「井桁(いげた)」に組んだものを置きザルをのせます。仕込んだ酒をサケピサツクといわれる柄杓(ひしゃく)でザルにあけていきます。(写真45)

仕込んだ酒はもろみの状態です。

ザルにあけたもろみを、手で擦(す)り込むようにして漉(こ)します。ザルをゆすったり、ザルの底をこすったりもします。(写真46)

こうしてザルで漉(こ)されたもろみはトノト、ヒエで作った酒になります。(写真47、48)

酒漉(さけこ)しの過程で、パッチとよばれる器を用意します。(写真49)

酒漉(さけこ)しでザルに残る酒粕(さけかす)をシラリといいます。シラリはパッチに盛られ、神への祈りであるカムイノミに使われます。(写真50)

酒漉(さけこ)しが終わったザルは洗わずに戸口に持っていき、戸口のそばの守り神であるアパサムシペカムイに祈りを捧げながら、ザルを当てて、付着した酒粕(さけかす)を落とします。シラリを戸口の神の方へ飛び散らせます。

 シラリを神に捧げ、実りの多い年であるようにという願いがこめられています。(写真51)

 酒漉(さけこ)しに使ったザルなどの道具を洗い終わったタライの水は玄関先にまき、

「戸口の神様も、近くを往来する神様も飲みたい神様がいたら、どうぞみんなで分けて飲んでください」

と言葉を添(そ)えます。

イオマンテの前日、トノトがこうして出来上がります。(写真53)

再(ふたた)び樽をゴザで覆(おお)い、神窓(かみまど)の左座(ひだりざ)に置き、翌日のイオマンテを待つのです。(写真54、55)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_02_tonoto.html


シト

シトは米やイナキビなどで作る団子です。(写真56)

材料は米、イナキビ、もち米の粉(つなぎ用)です。
米、イナキビを研いで水に一晩漬け置き、ザルに上げ、水切りしておきます。

米 (写真57)
イナキビ (写真57)
 
 米とイナキビをそれぞれ臼(うす)に入れて杵(きね)で搗(つ)き、粉にします。
 イウタといわれる杵搗(きねつ)きは、2〜3人で唄で拍子をとりながら交互に搗(つ)いていきます。(写真58)
   
ある程度搗(つ)いたところで、搗(つ)いた米を器に移します。(写真59)
 
杵搗(きねつ)きと同時に、搗(つ)いた米やイナキビは、順次ふるいにかけ、粉状になったものと、まだ粗(あら)いものにふるいわけます。(写真60)
 
まだ粗(あら)いものは再び臼(うす)にもどし、さらに搗(つ)いて粉にしていきます。

 こうして全てが粉になるまで杵搗(きねつ)きが繰り返されます。(写真61)  
米の粉にお湯を注ぎます。

 ヘラで混ぜ合わせてから、じっくりと手でこねていき、耳たぶほどのかたさに練(ね)り上げます。

イナキビも同様にお湯を注いで混ぜ合わせ手で練(ね)っていきます。(写真64)
練(ね)り上げる際、つなぎとしてもち米の粉を使います。イナキビに混ぜ、ほどよいかたさに練(ね)り上げていきます。(写真65)
 
練(ね)った米やイナキビで団子を作ります。(写真66)  

団子の形は用途(ようと)によって違います。

 直径3〜4cmに丸めたシトは、イオマンテの時、撒(ま)くものです。(写真67)  
 平たい円盤状に作るシトは、直径6cmほどのものと10cmほどの大きめのものとがあります。(写真68)
 
大きめの円盤状のシトには中央に穴をあけるものとそうでないものがあります。(写真69)
 
鍋でお湯を沸かし、シトを入れ、茹(ゆ)でていきます。
シトは茹(ゆ)であがると湯に浮いてきます。  

 茹(ゆ)であがりまでおよそ15分です。

 ザルに上げ、冷まして米とイナキビのシトの完成です。(写真71)

 直径6〜7cmの小さい方の円盤状のシトはパッチに盛り付けます。パッチに山盛りになるように盛り付けていきます。

 これは、家の中へ招きいれた熊の神や先祖への供(そな)え物とするシトです。(写真72、73)

 丸いシトも同様にパッチに盛り付けていきます。このシトはイオマンテのとき、エカシたちによるカムイノミが終わった後、神(熊)の上にクルミなどと一緒に撒(ま)かれ、皆で拾(ひろ)います。

「みなが楽しんで拾(ひろ)いあえば、神もまた楽しい」

とされているのです。(写真74、75)

ひと回り大きめの円盤状のシトは、その両側を切り、オツチケとよばれるお膳(ぜん)に積んでいきます。

 切ったシトは、縦と横方向交互(こうご)になるように積みます。このシトも供(そな)え物として使われます。(写真76、77)

穴をあけたシトは串に刺して神に持たせるお土産(みやげ)となります。串はミズキを削って作られたものを使い、12個のシトを通します。(写真78、79、80)

串のダンゴをイナウルで包みます。(写真81)
 
 包み込んだあと両端と中央を縛り、さらに両側にイナウルを撚(よ)りあわせた紐(ひも)を結んで完成させます。この串のダンゴは、祭壇(さいだん)に飾り付け、神へのお土産(みやげ)とするのです。(写真82、83)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_03_sito.html

スケトウダラの利用

 タラは干して食べるほか、肝を煮詰めて脂(あぶら)をとり、料理の時の調味料として用います。(写真84)

 タラをさばいて肝臓を取り出します。(写真85、86)

 身の方には切り込みを入れておきます。(写真87)

 切り込みに紐(ひも)を通して、2尾をつなげ、竿に干して乾燥させます。(写真88、89)

 タラの脂(あぶら)の作り方です。取り出した肝を鍋に入れます。(写真90)

 鍋を火にかけ肝を煮詰めます。(写真91)

 煮詰めていくと黄金色のエキスがしだいに出てきます。

 肝が焦げ付かない程度に弱火でじっくり煮詰めます。(写真92)

 脂(あぶら)が出きったところで、ザルで濾(こ)します。

 濾(こ)した脂(あぶら)はビンなどに移し替えて保存します。タラの脂(あぶら)は調味料として料理に使います。(写真94、95、96)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_04_suketoudara_01.html

スケトウダラの塩煮

干したタラで塩煮を作ります。(写真97)

 3〜4週間干したタラは、背びれなどを切り落とし、下ごしらえをします。(写真98)

 下ごしらえしたタラを鍋に入れ、たっぷりの水で煮込みます。(写真99)
 いったん沸騰させた後、塩で味付けをし、弱火にして時間をかけじっくりと煮込んでいきます。

 じっくり煮込んだタラは骨まで軟らかくなります。(写真100、101)

 出来上がったスケトウダラの塩煮を、お膳(ぜん)に盛り付けます。干したスケトウダラの味が十二分に生かされた料理です。白老地方のイオマンテでは必ず作られてきた料理のひとつです。(写真102、103)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_04_suketoudara_02.html

ボツボツ

ボツボツの材料はカボチャ、マメ、トウモロコシ、シケレペ(キハダの実)、砂糖、塩、タラの脂(あぶら)です。(写真104、105)

シケレペはキハダの実で、秋に黒く熟したものを採取します。胃痛、喘息(ぜんそく)などの薬として用いられることもあります。(写真106)
 
マメとシケレペはあらかじめ煮込んでおきます。

材料のカボチャは生のものがあればそれを使うが、多くはリンゴの皮を剥(む)くようにかんぴょう状にしたものを乾燥させ保存しておいたものを使います。(写真108)
 
生のカボチャは皮を剥(む)き適当な大きさに切って、水から煮ます。(写真109)  
 カボチャに火が通り柔らかくなったところで、下ごしらえしたマメとシケレペをカボチャに加え、さらに煮込みます。(写真110)
 
ゆでておいたトウモロコシも加え、かき混ぜながら煮込んでいきます。

 調味料として砂糖とタラの脂(あぶら)を入れ、味付けをします。十分にかき混ぜながら味を馴染(なじ)ませます。最後に塩を少し加えて味を調え、かき混ぜながら水が無くなるまで弱火で煮続けます。(写真111、112)
 
ボツボツ、又は「カンポチヤラタシケプ」とよばれ、白老地方の代表的なラタシケプのひとつです。(写真113)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_05_botubotu.html

チポロラタシケプ

チポロラタシケプは筋子、ジャガイモ、塩を使います。(写真114)

カムイチエプとよばれるサケは、アイヌにとってもっとも重要な食料です。秋に大量に捕獲(ほかく)したサケは冬を越すための保存食にされます。(写真115)

生の筋子を用いたラタシケプは、サケが遡上(そじょう)する時期限定の料理で、上等なごちそうといえます。

 チポロとは筋子のことです。(写真116)
 
 取り出した筋子は、お湯と塩を使い筋をとります。(写真117)  

 お湯に塩を入れてかき混ぜた後、筋子をその中に入れ、ほぐしていきます。(写真118、119)

 ほぐした筋子を、一度ザルにあけます。(写真120)
 
 再度お湯に塩を入れかき混ぜ、ぬめりなどを取りきれいにします。こうして筋子の下ごしらえをしておきます。(写真121、122)
 
 ほぐした筋子を鍋に入れて火にかけます。焦げ付かないようにゆっくりとかき混ぜながら火を通します。(写真123)

 塩で味付けし、さらにじっくり火を通します。
 
 筋子をすりつぶすのには、チポロニマというすりこぎ棒付きのこね鉢(ばち)を使います。(写真124)
 
火が通った筋子をチポロニマに移し、すりこぎで押し付けるようにしながらすりつぶしていきます。(写真125)
 
ジャガイモは皮をむいてふかしておきます。ふかしたジャガイモを鍋の中でつぶします。(写真126)

 ジャガイモを十分につぶしたところで、鍋に筋子を入れて和えると、チポロラタシケプの完成です。(写真127、128、129)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_06_tiporo.html

シケレペキナラタシケプ

シケレペキナラタシケプには乾燥させたシケレペキナ、塩、タラの脂(あぶら)を使います。 
シケレペキナとはヒメザゼンソウのことです。山で採取したあと茹(ゆ)でて、乾燥させ保存しておきます。(写真130、131)

 いったん水にもどしたヒメザゼンソウを洗い、鍋に入れ火にかけます。初めは中火で、その後は弱火で数時間かけてじっくりと煮込みます。(写真132)

 煮汁を十分に吸収させ、水気がほとんど無くなるまで煮込みます。
 
煮込んだヒメザゼンソウを鍋から取り出します。

 イタタニとよばれるまな板の上で、適当な長さに切っていきます。(写真134)  
 切ったヒメザゼンソウを再び鍋にもどし、味付けにタラの脂(あぶら)、塩を入れ、かきまぜながら火を通します。(写真135)
 
 できあがったシケレペキナのラタシケプをパッチに入れ、神に供(そな)えます。(写真136)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_07_sikere.html

シケレペラタシケプ

 シケレペラタシケプは、シケレペ(キハダの実)、マメ、塩、タラの脂(あぶら)を使ったラタシケプです。

 乾燥させ保存しておいたシケレペ(キハダの実)を、水に浸(ひた)して戻し、火にかけて煮込みます。

 煮えたところで、あらかじめ煮ておいたマメを鍋に入れます。(写真140)
 
 塩、タラの脂(あぶら)を加えて味を整えます。(写真141)
 
 火が通ったら鍋をおろし、キハダの実とマメをいっしょにすりつぶしていきます。(写真142)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_08_sikere.html

いなきびご飯、ひえご飯

かつて、アイヌにとって農耕による生産物は貴重な食料で、特に米をふんだんに使うのはイオマンテなど儀式のときの特別なごちそうでした。

 いなきびご飯には、イナキビ、米、マメ、塩を使います。(写真144、145)

 マメをあらかじめかために煮ておき、鍋にイナキビと米を入れて混ぜ合わせ、塩とマメを加えます。

 鍋を火にかけ、最初は強火で炊き上げていきます。(写真147)

 沸騰したら弱火にします。
 
 弱火でじっくり炊き込みます。(写真148)
 
 炊き上がったご飯にタラの脂(あぶら)を適量入れ、混ぜ合わせて味付けし、完成です。(写真149、150、151)
 
ひえご飯も同様に作ります。(写真152、153、154)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_09_inakibigohan.html


アイヌ料理「ハルコロ 」


今年(2011年)の5月22日開店の北海道以外では唯一のアイヌ料理の専門店です。「ハルコロ」とは「お腹いっぱい食べれる」という意味のアイヌ語です。

2009年11月7日に赤字のため閉店した中野区新井にあったアイヌ料理店「レラ・チセ」のコンセプトを受け継ぎ一部のスッタッフが開店させたお店です。テーブル3つにカウンターという小さなお店ですが、木調で手作りのぬくもりが感じられるお店です。アイヌ民族の情報発信基地にもなっているようでいろいろなパンフレットやポスターが貼ってあります。

場所は新大久保のコリアンタウンや渚総研からもほど近いJR総武線大久保駅南口から徒歩1分の焼き鳥屋の跡地。以前はこのあたりには屋台村もあり飲食店街として栄えていたのに最近はすっかり寂れてしまいました。

今回の注文は「鹿丼」¥900-と「オハウ」(鮭汁、チェプ汁)¥200-です。

アイヌ料理を食べるのは白老に行ったとき以来なので何年ぶりだろうか。。。

鹿肉。。。久しぶりに食べるジビエ料理(獣肉料理)です。

「鹿丼」は、やや固めの牛肉のような味わい。以外と油分が多い。寒い地方の料理なせいか味付けは濃い目です。

「オハウ」は(鮭の切り身、タマネギや人参、大根、長ネギなど鮭がちょっと少ないのが気になったけど、野菜が豊富で塩味であっさりしています。これは安いです。


鹿肉料理はちょっと高い気がしますが、食材としての入手のいにくさを考えるとまぁこんなところでしょうか。。。

鹿肉や鮭、行者にんにく、コマイなどの食材を使った料理が多いのですが、ぜひ熊肉のレパートリーも増やして欲しいですね。

お客の入りがすごく少なかったのがちょっと気になります。

せっかく復活させたアイヌ文化の東京の拠点です。前身の「レラ・チセ」のように赤字や経営不振を理由に閉店させないよう活発なイベントスペースとしての機能やワークショップなど情報発信基地としての機能を期待したいです。

琉球王国の沖縄料理店は東京にたくさんあるのに、アイヌ民族のアイヌ料理店はなぜ東京には一軒しかないんだぁ!
なぜ、北海道出身者にアイヌ民族のことを聞いても何にも知らんのかぁ〜という素朴な疑問が以前からありました。

アイヌ民族の文化は少数民族とはいえ日本の貴重な文化遺産です!日本人として絶対に守っていかなければなりません!


::::::::::::::::::::::::以下リンク先からの転載です:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

大久保にオープンしたその名は「ハルコロ」。「お腹いっぱい食べれる」という意味のアイヌ語です。

JR総武線大久保駅南口から徒歩1分のところに開業。カウンター席と浦川治造さんお手製のテープル席が3つ。木の温もりが感じられる素敵なお店です。鹿肉やキトピロ(行者ニンニク)、鮭の料理を味わうことができます。レラチセの閉店から1年半、東京ではアイヌ料理を食べれるお店はなかったので、今日は久しぶりに行者ニンニクを味わった。

レラチセでも働いていた照代さん、レラチセの創業にも関わっていたお母さんのタミエさんを囲みいい時間。子どもたちが輪唱をし、千葉さんのトンコリが鳴り、タカハシは気持ちよく酔い粗相をしました。ごめんなさいだったけど、嬉しい酔いでした。


レラ・チセは、日本の東京都内にかつて存在したアイヌ料理店。
店名はアイヌ語で「風の家」の意味である。

1993年の「国際先住民年」を契機として、全国からの募金で、1994年に東京都新宿区の西早稲田で開業する。2000年に東京都中野区新井に移転する。

アイヌ料理の店であるが、エゾ鹿のステーキ「ユク」や鮭の背わたの塩漬け「メフン」、いも団子「ムニニイモ」がメニューにあった。鹿肉カレーや鮭カレー、熊肉の焼肉を食べられることもあった。アイヌ語教室の開催など、首都圏のアイヌ文化継承の拠点となった。ライブもあった。中野区新井の店は三階建てであった。かつては、昼と夜の営業が行われときもあったが、全体を通して午後6時からの営業となっていた。不況の中で売上が減少し赤字経営が続いた。2009年11月7日閉店した。
http://blogs.yahoo.co.jp/nagisa_aoi21/60786274.html

「ハルコロ 」(HaruKor)

・住所: 東京都新宿区百人町1-15-3
・電話: 03-3366-6400


JR大久保駅南口より徒歩1分
JR新大久保駅より徒歩3分
大久保駅から120m


地図
http://www.mapion.co.jp/m/35.69657318_139.70171817_8/v=m2:%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%AD/
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13126529/dtlmap/


営業時間
[月〜金]17:00〜24:00(L.O.23:00)
[土・日]16:00〜24:00

ランチ営業、夜10時以降入店可、夜12時以降入店可、
不定休 日曜営業
http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13126529/

ハルコロは、日本の東京都内に2011年5月に開店したアイヌ料理および北海道料理の店。 2009年11月に閉店したアイヌ料理の店『レラ・チセ』の共同経営者の女性の一人とレラ・チセでも働いていた娘が、閉店した焼き鳥屋の後を借り受け、2011年5月22日に開業する。

メニューに、鹿肉料理が含まれ、アイヌ料理もいくつかある。居酒屋もかねている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%AD

新宿「ハルコロ」 母の志継ぎ、店きりもり
2011.10.01 朝日新聞朝刊

この夏、東京・新宿でアイヌ民族の女性が亡くなった。宇佐タミエさん。69歳。北海道外で唯一とされるアイヌ料理店を三女の照代さん(39)と再開させた矢先だった。「民族の文化と誇りを守りたい」。料理を通して伝えてきた母の志は、娘が受け継ぐ。

JR大久保駅近くの新宿区百人町の一角。約8坪の店のメニューには、ジャガイモやカボチャの団子「シト」や「鹿天」などアイヌ伝統の料理や創作料理が並ぶ。カウンターのすみに、孫に囲まれてほほえむタミエさんの写真があった。

 北海道釧路市で生まれ育ったタミエさんは40歳のころ、離婚を機に一男四女の子供をつれて上京。ビルの清掃や店員など、時には三つの仕事を掛け持ちして育て上げた。首都圏のアイヌ民族の団体「レラ(風)の会」に子どもをつれて参加し、歌や踊りを学ぶうち活動にものめり込んだ。

 1994年、同会がアイヌ料理店「レラ・チセ」(風の家)を早稲田に開いた。タミエさんは仕込みを受け持ち、照代さんも店に立った。アイヌの味を伝え、広げる。「アイヌであることに誇りを持っている」と語っていた。

 だが、店はその後、中野に移転し、2009年には経営難で閉店した。沈み込むタミエさんを見て、照代さんは「母の生きがいを取り戻し、みんなが集う場をもう一度つくろう」と決意。閉店した焼き鳥屋の後を借り受けた。店名の「ハルコロ」はアイヌ語でハル(食べ物)コロ(持つ)という意味。「食べ物に困らないように」という願いを込めた。

 開店前日の今年5月21日。タミエさんは店で5人の子どもと9人の孫、1人のひ孫に囲まれた。アイヌ語で「サザエさん」を輪唱する孫たちに、タミエさんは目を細めた。サケを具にした「オハウ」(汁)などで腕もふるった。

 しかしタミエさんは6月30日夕、突然、脳出血で倒れ、息を引き取った。照代さんは「母の分も長く、店を続けたい。やがてはアイヌ語やムックリ(口琴)などを学ぶ場にもしていきたい」と話している。

 ハルコロについて北海道アイヌ協会は、道外で唯一のアイヌ料理店ではないかという。
http://blogs.yahoo.co.jp/nagisa_aoi21/60786274.html

やはり「レラ・チセ」の後継店だった「ハルコロ」 2012-04-15

 夏頃にマイミクさんから教わったのか、大久保駅南口に鹿肉などが食える「北海道料理の店」があるとのことで、
大久保「ハルコロ」
(http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13126529/)
へ。

 まずは鹿煮込みと鹿肉の餃子。

 それから、から揚げのような「鹿天」。

 鹿肉のジンギスカン風。

あと鹿から離れて秋鮭のルイベ。

次の水タコ刺ともども、冷凍だけど口の中で解かすと地味が美味しい。

最後は「オハワ」というアイヌ風野菜汁。


 店内にはアイヌの人達が常連客として集っているし、昔早稲田に開業していた「レラ・チセ」について書かれた本もあるので、退店後に調べてみたら案の定、この店はかつて「北海道以外では日本唯一のアイヌ料理店」として斯界に著名だった「レラ・チセ」の後継店でした。資料

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%BB

によると、「レラ・チセ」は、1994年に西早稲田で開業、2000年に早稲田界隈では惜しまれつつ中野区新井に移転するまで、「早稲田グルメ」の有名店として早大学内雑誌や学生媒体にも数多く掲載。移転直前の頃にσ(^^)も食べには行きましたが、すぐ足が不自由になり正座が困難になったσ(^^)にとって、土間の店は狭苦しくて快適な食事場所とは言えず、常連の座に就くほど通うには至りませんでした。
 リーマンショックなどの不況による赤字のため2009年11月閉店、しかし昨年5月、「レラ・チセ」の共同経営者が大久保に現在の「ハルコロ」を開店するも6月に急逝。現在店は「レラ・チセ」時代から店に出ていた娘が後を継いで切り盛りしているとのこと

 「レラ・チセ」時代には熊肉も入荷があればメニューに乗っていたが、今夜直接聞いた所では現在は扱っておらず、また客単価もよくある通り「食べログ」平均予算より高く5000円越えでしたが、内容を考慮すればコスパは許容範囲だと思いました。人数が集まれば鍋なども受注してくれるでしょう。職場から近い?ので思いつきで再訪も可能性高そうです。
http://ameblo.jp/armarius/entry-11223435985.html

日本人の様な農耕民よりインディアンやアイヌの様な狩猟採集民の方が味覚が発達しているんだよね。

欧米人は氷河時代に氷河に閉じ込められて腐った肉ばかり食べていたから味覚ゼロなのさ。

世界の料理ではアイヌ料理が飛びぬけた No.1だというので間違い無い。


07. 中川隆 2013年6月15日 18:57:33 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

日本料理の老舗も紹介しとくね:

酔狂老人卍 グルメレビュー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/427.html

湯河原温泉の「指月」は何故山を下りたのか _ あさば・蓬莱・白銀屋
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/190.html

天才料理長を失った嵐山_吉兆と雲仙_半水盧のその後
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/276.html

京都の「おもてなしの文化」 とは _ わかる人にはわかる日本一ハイ・センスな京都 俵屋旅館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/231.html

超絶人気の仙仁温泉 岩の湯 _ 温泉の泉質も宿からの景観も料理もすべて一流半なのに何故?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/229.html

こんな温泉に泊まってみたい _ 妙見温泉 石原荘
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/223.html

LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 湯布院御三家
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html

こんな温泉に泊まってみたい _ 手白沢温泉
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/221.html

こんな温泉に泊まってみたい _ 長野県 奥山田温泉 満山荘
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/227.html


_________


あびたろうの憧れの旅館・ホテル
http://abitaro.com/

あびたろうの食べある記
http://puiko2000.blog27.fc2.com/

あびたろうの旅行記
http://abitaro.blog52.fc2.com/

ABITARO掲示板
http://abita2000.bbs.fc2.com/

友里征耶の行っていい店、わるい店
http://tomosato.net/
http://tomosato.net/kako/


8. 2015年8月24日 04:40:53 : b5JdkWvGxs

修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html

温泉ガイド情報
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/455.html

theoria テオーリア まるみの 湯気の向こうに
http://www.yuge-marumi.com/index.php?FrontPage


9. 中川隆[-13412] koaQ7Jey 2018年7月10日 08:56:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16399]


日本を作った「イネ」。そのすごい力とは?
2018年07月05日 稲垣栄洋(植物学者)
https://shuchi.php.co.jp/the21/detail/5343?

日本の人口密度を支えた「イネ」のパワー


「人類の歴史は、植物の歴史でもある」……。植物学者の稲垣栄洋氏はそう指摘する。確かに人類は植物を栽培することによって農耕を始め、技術を高め、文明を生み出した。そして、そこから生まれた富を争って戦争が始まった。また、イネ、コムギ、コショウ、トウガラシといった植物は、人々の食生活や文化をも変えてきた。

では、植物から見ると歴史はどのように見えるのだろうか。中でも日本人にとって極めて身近な「コメ」について、

稲垣氏の著書『世界史を大きく動かした植物』
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%82%92%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%8F%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%A4%8D%E7%89%A9-%E7%A8%B2%E5%9E%A3-%E6%A0%84%E6%B4%8B/dp/456984085X


を元に解き明かしていただいた。


イネはコムギの数倍の生産性を誇る

イネはもとをたどれば東南アジアを原産とする外来の植物である。しかし、今ではコメは日本人の主食であり、神事や季節行事とも深く結びついている。日本の文化や日本人のアイデンティティの礎は稲作にあると言われるほど、日本では重要な作物となっているのだ。

どうしてイネは日本人にとってこれほどまでに重要な存在となったのだろうか。

イネは東南アジアなどでも盛んに作られているが、数ある作物のうちの一つでしかない。食べ物の豊富な熱帯地域では、イネの重要性はそれほど高くないのである。

日本列島は東南アジアから広まったイネの栽培の北限にあたる。

イネはムギなどの他の作物に比べて極めて生産性の高い作物である。イネは1粒の種もみから700〜1000粒のコメがとれる。これは他の作物と比べて驚異的な生産力である。

15世紀のヨーロッパでは、コムギの種子をまいた量に対して、収穫できた量はわずか3〜5倍だった。これに対して17世紀の江戸時代の日本では、種子の量に対して20〜30倍もの収量があり、イネは極めて生産効率が良い作物だったのである。現在でもイネは110〜140倍もの収量があるのに対して、コムギは20倍前後の収量しかない。


「コメと味噌汁」は栄養学的に優れている

さらにコメは栄養価に優れている。炭水化物だけでなく、良質のタンパク質を多く含む。

さらにはミネラルやビタミンも豊富で栄養バランスも優れている。そのため、とにかくコメさえ食べていれば良かった。

唯一足りない栄養素は、アミノ酸のリジンである。ところが、そのリジンを豊富に含んでいるのがダイズである。そのため、コメとダイズを組み合わせることで完全栄養食になる。ご飯と味噌汁という日本食の組み合わせは、栄養学的にも理にかなったものなのだ。

かくしてコメは日本人の主食として位置づけられたのである。

一方、パンやパスタの原料となるコムギは、それだけで栄養バランスを満たすことはできない。コムギだけではタンパク質が不足するので、どうしても肉類などを食べる必要がある。そのため、コムギは主食ではなく、多くの食材の一つとして位置づけられているのである。


稲作に適した日本列島

さらに日本列島はイネの栽培を行うのに恵まれた条件が揃っている。

イネを栽培するには大量の水を必要とするが、幸いなことに日本は雨が多い。

日本の降水量は年平均で1700ミリであるが、これは世界の平均降水量の2倍以上である。日本にも水不足がないわけではないが、世界には乾燥地帯や砂漠地帯が多い中で、水資源に恵まれた国なのである。

日本は、モンスーンアジアという気候帯に位置している。モンスーンというのは季節風のことである。アジアの南のインドから東南アジア、中国南部から日本にかけては、モンスーンの影響を受けて雨が多く降る。この地域をモンスーンアジアと呼んでいるのである。

5月頃にアジア大陸が温められて低気圧が発生すると、インド洋の上空の高気圧から大陸に向かって風が吹き付ける。これがモンスーンである。モンスーンは、大陸のヒマラヤ山脈にぶつかると東に進路を変えていく。この湿ったモンスーンが雨を降らせていくのである。

そのため、アジア各地はこの時期に雨季となる。そして、日本列島では梅雨になるのである。

こうして作られた高温多湿な夏の気候は、イネの栽培に適しているのである。

それだけではない。冬になれば、大陸から北西の風が吹き付ける。大陸から吹いてきた風は、日本列島の山脈にぶつかって雲となり、日本海側に大量の雪を降らせる。大雪は、植物の生育に適しているとは言えないが、春になれば雪解け水が川となり、潤沢な水で大地を潤す。

こうして、日本は世界でも稀な水の豊かな国土を有しているのである。


「田んぼを作る」のは簡単ではない

もっとも、雨が多ければイネを栽培できるというほど単純なものではない。イネを栽培するためには、水をためる田んぼを作らなければならないのだ。ところが、これが簡単ではなかった。

日本の地形は山が急峻であることで特徴づけられる。山に降った雨は一気に平野へ流れ込み、増水してあちらこちらで水害を起こす。そのため、日本の平野部は人の住めないような湿地帯が広がっていたのである。そうかと言って高台に住んでいれば、雨水は一気に流れ去ってしまうから、田んぼに使う水を確保できない。雨が多くても、実際に田んぼを拓き、イネを栽培することは簡単ではなかったのである。

田んぼを作るには、山から流れる川の水を引き込んで、田んぼの隅々にまで行き渡らせることが必要である。こうして、大きな川から小さな川を引き、小さな川から田んぼに水を行き渡らせて、田んぼに水をためることによって、山に降った雨は一気に海に流れ込むことなく、地面を潤しながらゆっくりと流れるようになったのだ。

「何もない」景色に隠された途方もない努力

途方もない労力と時間を掛けて、人々は川の氾濫原を田んぼに変えていった。日本の国土にとって、田んぼを作る歴史は、激しい水の流れをコントロールすることに他ならなかったのである。

「田んぼはダムの役割がある」と言われるが、それは単に水をためているからではなく、急な河川の流れをなだらかにして、ゆっくりと流れながら大地を潤し、地下水を涵養することから、そう言われているのである。

戦国時代の日本では、同じ島国のイギリスと比べて、すでに6倍もの人口を擁していた。その人口を支えたのが、「田んぼ」というシステムと、「イネ」という作物だったのである。

ただ、私たち日本人にとって田んぼという風景は当たり前すぎて、田んぼしかないところは「何もない」と表現されてしまう。そして、田んぼが埋め立てられてコンビニでもできれば、「何もなかったところに店ができた」と言われてしまう。

しかし、そこに田んぼがあるということは、血のにじむような先人たちの努力があったということなのである。





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