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修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html
投稿者 中川隆 日時 2013 年 10 月 15 日 21:49:53: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 温泉へ行こう _ 長野県 七味温泉 紅葉館 投稿者 中川隆 日時 2013 年 10 月 05 日 11:41:07)


修善寺温泉「あさば」  
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g790340-d304281-Reviews-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html


静岡県伊豆市修善寺3450-1
電話:0558−72−7000


あさば 春の雨
http://www.youtube.com/watch?v=7szaro1q45c

あさば 春の朝
http://www.youtube.com/watch?v=2bcFEXb9LaE

修善寺あさば(池とテラス)
http://www.youtube.com/watch?v=UJAa_p66uys

修善寺あさばの池
http://www.youtube.com/watch?v=uL8PEA8j_l8

修善寺あさば 池のアオサギ抜き足差し足
http://www.youtube.com/watch?v=fugV6Rivp_o

修善寺あさばの庭
http://www.youtube.com/watch?v=b1Z1bKpaCYU
http://www.youtube.com/watch?v=XlhQ4Y_seWc

修善寺あさばの内風呂
http://www.youtube.com/watch?v=HxCagKLUexQ

あさば 野天風呂
http://www.youtube.com/watch?v=PUjqmiPRwfk

‪修善寺あさば(フロント)
http://www.youtube.com/watch?v=luUIO_3q7Mo

あさば、旅館内
http://www.youtube.com/watch?v=KL9uhObAz9w

修善寺温泉 あさば 部屋からの景色‬‏ - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4UzSYcZfOxY

修善寺 あさば☆伊豆太鼓
http://www.youtube.com/watch?v=RRjoXgJAb2I

修善寺 あさば旅館 和太鼓演奏
http://www.youtube.com/watch?v=-JQgu812Mlc


宿泊料金

一泊ニ食付 37,950円〜78,900円
通常一泊ニ食(内風呂付)50,550円


アクセス
電車 伊豆箱根鉄道 修善寺下車 タクシーで5分(送迎はなし)
車  東名沼津ICより国道136号線経由 約45分


地図
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlmap/
http://map.yahoo.co.jp/maps?type=scroll&lat=34.96903819329&lon=138.92491131296&z=18&mode=map&pointer=on&fa=ks&home=on&hlat=34.96903819329&hlon=138.92491131296&ei=utf-8

1. 何故日本一の旅館だった修善寺温泉「あさば」は変わってしまった


有名高級旅館 修善寺温泉 あさば (不味い口コミです) 2012-11-20 00:01:41


予約をする前に、こういうページがあればぜひ見たかった・・・と思ったので、一応書いておきます。

「西の玉の湯、京の俵屋、東のあさば」とまで言われた、修善寺温泉 あさば。

新婚旅行で、行ってみました!!

結論は、

@勉強になった

A二度と行かない

この2つ(^^;


窓から見る景色は最高。

アメニティも質がいい。

サービスも今回担当の仲居さんはハズレだったけど、他の人は悪くなさそうだった。

露天風呂のバスタオルが暖められていたのも良かった。

お風呂も気持ちがよく、清潔だった。

箸が少し湿らされて、びっくり!このサービスは初めて(^^)

と、まぁここまではok。


しかし、とにかく料理が最悪。。。。

ひとつひとつが、素材やだしの甘みが全くない・・というか、滋味がないというか、うまく言えないがとにかく不味い。

夜のコースは、正直美味しいものが、ほうじ茶アイスしかなく、我慢して何とか食べたと言っても過言ではない。。。

軍鶏つみれの鍋なんて、だれが作ってもそこそこに作れるはずなのに、不味い。

スープをほとんど飲まず、なんとか平らげた。

仲居さんが目の前で調味してくれるのだが、ネギが半生で最悪だった。

ご飯をよそってもらうとき、「ニチャニチャ」と音がたっていた。

普段から、家でも土鍋の炊き立てしか食べないYは、私よりもドン引き・・・。

どうやって、一口食べて残してしまうおしるこを作ることが出来るのだろう???

一口かじっただけで、嫌な味が口に広がる、茄子の煮びたしを作ることが出来るのだろう???

とても不思議だ。

本当に、本当に、不味かったのだ。。。

ワインのリストも、日本酒のリストも、有名どころを集めているだけで、しかも凄まじく高い。。

でも、唯一食べられたのが、夜ごはんのアイスと朝ごはんの卵焼き。

これだけは美味しかった(^^;


あまりのまずさに朝ごはんを食べ終わり、

つい


「大変失礼な物言いで申し訳ないのですが、料理長はちゃんと味見をしているのでしょうか?」


と聞いてしまったくらい(^^;


※もちろんこんなこと言ったのは初めてです!!


担当の仲居さんは、

「メニューが変わるときは、味見してると思いますが・・」

と言っていた・・・。

毎回してないのか・・・?


Yは、もしかしたら自分たちが若いからいじわるされているのでは?と疑い(笑)、

「みなさん、同じようなメニューなのですか?」

と聞いていた。

※Yがこんなこと言うのは非常に珍しい(笑)


連泊や、アレルギー対応、特別なリクエストがない限りは、みなさん同じメニューという答えだった。

とにかく本当に本当に不味く、本当に本当にびっくりした。

化学調味料に毒されてるとか、普段いいものを食べてないからだと、あさばの人に言われるかもしれないけど、今回の旅行は美味しい旅館を渡り歩いてきたため、それはない。

(っていうか、普段も、化学調味料なし、土鍋の炊き立てごはんしか食べない、調味料手作りとか、それなりに食には拘ってるし。)

神経質すぎるといわれるかもしれないが、今回の5つの旅館の中で、食事を不味いと思い、残したのは、あさばだけだ。

(これは普通の味付け、これはそこまでではない、とおもった料理は他の旅館でもあったけど、残すほどはなかった。あさばは、残しすぎて、夜も朝もおなかが空いてた・・・)


そして、今回新婚旅行で行ったのだが、初めて「おめでとう」を言われなかった。。。

(もちろん事前に知らせてはいた)

別にお祝いされたかったわけじゃないが、それだけサービスが落ちているという証明にはなる。。

でも、サービスの悪さはそこまで心には残らなかった。

他にも飲んでいない冷酒が料金につけられていたり、食事の出し方やいろいろと担当仲居さんのサービスは悪く、感じもよくなかったが、不味い食事がそれらを帳消しにして、まったく目立たせない効果を発揮してくれた。

実は、今回の旅館めぐり旅行で一番高かったのが、この「あさば」。

「西の玉の湯、京の俵屋、東のあさば」とまで言われた旅館に行ってみたかったのだが・・・・結果は散々。

他の泊まり歩いた旅館は、評判はもちろん、板長の経歴まで調べたりもして、値段や泉質、その他サービスまで比較検討し、選んだ旅館。

でも、あさばは、評判を昔から聞いていたので、あまり調べなかったんだよね。


帰宅後、いろいろ見てみると、最近女将が変わって質が落ち、料理についてだけはマイナスの評価をしている人もいた。。。

何故か、検索にはあまり上がってこないけど。


一言でいうなら、

「高いものが良いものとされていた、バブル時代の遺産だけでやっているような旅館。」

(昔はいい旅館らしかったみたいだけどさ)

やはり、ちゃんと自分で調べて、考えて、納得したものを選んでいくべきだよなーと再認識しました。

高い勉強代だったけどね(^^;

景色や歴史、アメニティは負けるけど、ここより美味しくて、仲居さんの質がいい20000円前後の旅館は、10は速攻で挙げられるよ・・・(^^;

以上、マイナスのことなので、書こうかどうか迷ったけど、旅行前にこういうページを見たかったと思っているので、書きましたm(__)m

あ!でも、あさば以外は、最高に楽しく、美味しく、充実した旅行でしたよ(>▽<)

■後日追記

あさばの口コミを、予約した旅行会社のホームページに書きました。
料理が不味い、サービスの質が悪いという評価です。

翌日そのページを見ても、1週間後そのページを見ても、別の人の大絶賛コメントがトップに出ていて、私のはなかったです。
http://ameblo.jp/kagura-mu/entry-11408575042.html

“女将が変わってから”

2011年9月に訪問

久々に、あさばに泊まりに行きました。数年前に、女将から若女将へと変わったというので、楽しみにしておりましたが…料理・サービスともに、質がガタ落ちしました。

昔のあさばを知っている人なら、今のあさばには泊まりたいとは全く思わないでしょう。
私も、二度と行かないと思いました。
あまりの質の悪さに、「料理長がお代りになったのですか?」と聞いてしまうほど。

しかも、最近では結婚式や団体客を受け入れ、1階の座敷では麻雀も解放されているとか…

本当にあり得ないです。

利益追求に走った旅館ほど、泊まり客にみじめさと哀れさをもたらすものはないですね。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r120157509-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html


あさばは年に何回か宿泊しています。
2011年4月に訪問

素晴らしい内装、完璧な接客、いつも安定したサービスなど、日本を代表する名旅館だと思います。

残念なのは、食事とホテルの構造です。

食事は、数年前までは東京のどんな料亭よりも美味しくインパクトがありました。また食べたいと思える一品が必ずお目見えし、とても感動したのです。

しかし現在は確かに良い素材を使っていますが、かつてほどの驚きがないように思えます。このくらいの料理なら他の旅館にもあるなあと思ってしまうのです。

最近の旅館は部屋に露天風呂が付いていたり、トイレまわりもデザインや小物類がとても作り込まれています。残念ながらあさばにはそれがありません。安旅館のような感じです。ただ池に面した部屋には露天風呂など設置できるわけもないので、この旅館はそういうものだと割り切った方がいいでしょう。

温泉も露天風呂は1つしかなく時間ごとに男女が入れ替わります。室内の温泉も景色が悪く普通の風呂です。このあたりなんとか改善できそうですが、ずっと同じです。

客室選びのポイント: 池に面した大きな部屋がベストです。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r120157509-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


“変わってしまいましたね”
2011年3月に訪問

3度目の利用です。20年前、10年前、1年前の3回です。

1年前の感想ですが、値段の割(56,000円/1人)には、ちょっと高いかなと感じました。

その日は、客室7割が稼働する平日でした。部屋は綺麗にそうじされていて、スタッフの応対もよかったです。お料理は、50,000円越えの旅館のものではないように感じました。

それと、高級旅館なのに、女将さんのご挨拶がないのは、はじめての経験です。朝のお見送りもありませんでした。聞けば、館内にはいらしたようですが。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r124555722-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#UR124555722

徐々に応対に変化が・・・('09/01 訪問)
acco-n (19)さんの口コミ 女性・千葉県

2004年の夏から毎年1〜2回は宿泊するほどお気に入りのお宿でしたが、ここ1年半遠退いてます。

宿の雰囲気、料理、布団の寝心地、貸し切り風呂のシステムは私たち夫婦の気に入っているところです。
ただ、一昨年前からか徐々に???と、なることが重なりました。

まず仲居さん。
当たりはずれが大きい。
これは好みもあるのかもしれませんが・・・。

部屋食で一品ずつ温かいものは温かく、冷たいものは冷たい状態で持ってきていただけるのは何よりなんですが、お部屋の入り口を開けっ放しにされるので他の部屋へ行き来される仲居さん達の足音が耳障り。

「テッセン」という一番奥のお部屋を良く使わせてもらっていたので気にならなかったのですが、一度、能舞台の見えるお部屋に泊まったときはかなり気になりました。


あとは大変失礼だとは思いますが、若女将さん。

どうやら他のお客様と勘違いされたらしく、ずっとそのお客様に合った話題ばかりを話しかけられて。
こちらとしてはよくわからない話題だったので首をかしげていてもなかなか察知してもらえず、結局そのまま。
こちらからきっぱり『人違いです。』って伝えれば良かったのですが・・・。
まだ慣れていなかったのでしょうか?

終いに帰り際、ラウンジで飲み物をいただいてチェックアウトの支払いをする時のこと。
いつもなら席に着くとすぐ係の人が「飲み物はコーヒー、紅茶、お茶から選べますが。」と、訪ねにきてくれるのですが一向に来ず。

能舞台を臨めるわかりやすい席に座っていたのに20〜30分忘れられました。

また鮎ごはんやら天城軍鶏やら穴子寿司が恋しくなった頃に伺いたいとは思いますが、経済的にもキビシイので果てさていつになることやら。


お料理のことで1つ。

いつからか最後のジェラードが3種類から2種類に減っていた。
そのことについても特に何の説明もなく、残念。
以前は目の前で取り分けてくれたんですけどね。

このご時世、変化は仕方ないのかもしれませんが。
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/1966312/?sby=&use_type=0&srt=&PG=3&smp=2&lc=0

2009年8月に訪問
以前に比べ、あれっと感じたことがなかったわけではない。

初めに通された部屋はこもった悪臭があり、部屋を取り替えていただいた。

食事は、風味のないあさりの味噌汁などコストを下げた結果が見える料理が、夕食朝食ともにあった。

今回はWEBの旅行サイトから申し込んだので、そういう内容になったのか、直接あさばさんに予約すれば以前のような完璧なお食事を頂けたのか。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r59714053-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


北斗七星さん [ 09/10/13 01:38 ]
伊豆・箱根方面に行く時、定宿として使って今回で4回目になるが、食事の質の低下に驚いた。

ひろ爺さんのコメントにも半信半疑だったが、本当にダメ。普通の老舗旅館の味に成り下がってしまった。

出汁感なく水っぽく、しょっぱさも気になった。思わず「料理長、変わりました?」と妻が聞いたほど。 30年ぐらい変わってないそうだが、いったいどうしたことか?


ひろ爺さん [ 09/10/23 14:54 ]
今回で4回目の宿泊です。松風の間でしたが、女房は控えの間へ入った途端に咳き込み、止まらなくなってしまいました。正室の方は だいぶましでしたが、滞在中 窓を開けっ放しで過ごしました。何故かは判りませんが、これまで泊った他の部屋ではそんなことは有りませんでしたけれど・・・。 

食事もこれまでは満足していましたが、今回は不満足でした。椀物は塩辛すぎて食べられず、味噌汁は逆にうすすぎてダシもあまり効いておらず飲めませんでした。美味しかったのは、ブラマンジェと出し巻きだけだったとは言いすぎか。

泊った時期が悪かったのかなあ。(因みに御品書の用紙もこれまでとは異なり ごく普通の白紙でした。) 気に入った宿だっただけに今回は残念でした。
http://ryokan-gp.com/srk/1399-18-rac


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  ||||ゝ,,丶\::v || |:‖ -__w ヽリ゙リ゙|j:‖//  /|リ
   ヽヾゝ''ヽヽ::,, --v,‖ :リ,,リ,゙,,,,,::://ノ /リ
     ヾ|ヽ,゙ヽヽ,,   ''|'''_  :::ソ/  /リ
      | ゙ヽ.\゙Vri ri | ‖iヾソノ  / |
      |   \,゙' ,,゙''''''゙゙''''''゙゙/ /   |
      |    \ ゙゙'''''゙゙'''''''゙ /    |


郡司勇

食事がここの白眉であるとのことだが、私にはわからなかった。
http://allabout.co.jp/gm/gc/80523/2/

郡司勇

私はいままで一番と思ったのは仙仁温泉「岩の湯」の食事で10年以上それ以上に感動した料理が無かったものである。

岩佐氏の絶賛する修善寺「あさば」の料理も数多く出てくるが、特に感動までには至らなかった。
http://www.gunjion1000.com/?m=201208&cat=3


自腹ゆえに本音、愛するがゆえに辛口。友里征耶さんの美味求真

「料理が美味しい旅館」という情報はマスコミや口コミでよく聞きますが、
実際訪問して満足される事が多いでしょうか?

「あさば」、「炭屋」、「俵屋」

そして最近では高額なだけがウリの「強羅花壇」。

支払い時に満足感を持たれて店をあとにされた旅館が沢山あるかどうか?
http://www.9393.co.jp/tomosato/kako_tomosato/2006/06_0427_tomosato.html


“よい旅館でも料理が全然ダメ”
2011年10月に訪問

旅館全体の雰囲気、清潔感、部屋の設備、接遇、庭園、露天風呂・・・どれも素晴らしい。ただ、料理が全然ダメ。

素材そのものの味を引き出そうとしているのかも知れないが、味わいというか滋味のようなものが全く感じられない。出汁の取り方を間違っているのではないか、とさえ思ってしまう。

また、懐紙の折り方が逆(お葬式)になっていたりもする。多分料理長はチェックしないのだろう。

各地の名旅館と称されるところに宿泊したが料理だけダントツ駄目というのは初めての経験なので投稿することにした。料理がイマイチだと再訪は難しいが、敢えて再訪して再確認したいほどだ。ただ、とある雑誌に料理や部屋(館図)が公表されていたが、同じような料理内容だった。非常に趣味の良い器に盛られ丁寧に一品ずつ供されるだけに何度も言うが本当に残念なだった。改善して頑張って欲しい。料金も5万円強していたのでコストパフォーマンスも含めて2ポイントに。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r120157509-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html


悪くはないが、評判ほどでもない('10/04 訪問)
デイープブルー (17)さんの口コミ 50代前半・男性・東京都

残念なのは料理。ふつうの懐石でした。
何一つ特筆するものはありません。おいしいと思うものはありませんでした。

料理に高評価をつけている方を疑いたくなる程です。

あと、布団引きのおじさんの雑さにはあきれます。あんなにバサバサしなくてもよいのでは。
サロンも遠く不便でした。

全体としては、普通より少しいい感じが正しい評価では?
費用対効果は疑問です。
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/1609863/?sby=&use_type=0&srt=&PG=2&smp=2&lc=0


yossyさん [ 12/05/17 20:27 ]

注目の御料理ですが、期待が大きすぎたのか、少々感動が少なかったです。お味も、だし汁が薄いようで、名物の穴子も少々硬く、匂いも残っているようでした。決して不味い訳では有りませんが、物足りなさが残りました。


かおるさん [ 12/04/02 13:31 ]

正直料理がちょっと物足りませんでした。一つ一つはとてもこだわっていらしているのがわかりますし、素材を最大限にいかしたお料理なのですが、何か全体的に似たようなテイストで、途中から飽きてしまいました。派手が良いとは申しませんが、どこが一番の売りかもわかりませんでした。

つくねのお鍋や穴子鮨は有名ですが、どちらもコースの最後の為、大分料理に飽きを感じた後で、すごく楽しみにしてたのに感動が殆どありませんでした。

施設・雰囲気・接客最高ランクなのに料理がちょっと・・・。何品かもっとインパクトのあるものが欲しいですね。料理のこだわり・品の良さは最高なのに何かが足りない気がします。必要以上の演出は不要ですが、多少のわ〜って感じは必要だと思います。でも、全体としてはさすがといった感じです。
http://ryokan-gp.com/srk/1399-18-rac

「東のあさば」は本当か?('08/05 訪問)
123 St.Thomas (2)さんの口コミ

五月に、初めての宿泊。当サイトや雑誌等のランキングでも常に評価が高く、どのような内容の宿なのか、期待していたのだが。

はっきり申し上げて、あらゆる点で過大評価だと思います。

食事について言えば、極平均点の懐石料理。
夕食に、特に印象に残る一品も、味もありません。

評判の黒米あなごも、たれの味とあなごがケンカしており残念な出来。
皆さん一押しのブラマンジェは、当方には甘すぎて、味がわからず。

高評価のワインリストも、???
有名な銘柄の、程度の低いラインが勢揃い、という印象。

給仕の仲居が、これまたひどい。

なぜ、食事している部屋の襖を開けっ放して出入りするのか。
百歩譲って、部屋入口の扉を開け放すのは配膳の都合を理解するとしても、部屋の襖までそのままにされたら、人が行き来する廊下の音を聞きながら、食べなければならないではないか。

加えて、料理を一品づつ持ってくるのは良いが、仲居が部屋に入る時、一々大きな声で「失礼いたしまーす」と叫ぶのは止めてくれないだろうか。

自分の部屋の仲居の声だけでも辟易としているのに、上記の如く襖を開け放されているので、あちこちの部屋に出入りする「失礼いたしまーす」が、こだまする如く、食事中のべつ聞こえてくるのだ。これには、参った。


朝食にしても、しかり。

一品づつ持って来てくれるのは良いが、パタパタパタパタと雪駄の音が五月蠅い。
また、朝食と夕食は、重きを置く所が基本的に違うという事を理解しているのだろうか。
朝は本来、ゆっくりと、白いご飯を美味しく食べられる「おかず」を並べ、自分のペースであれこれと、食べたいものではなかろうか。

伊豆の宿だと云うのに、朝食の膳には山葵漬も梅干しも、並ばない。
朝から客にシイタケを焼かせるのも、どうかと思う。

火鉢を、どうしても真中に置こうとする仲居の強引な振る舞いにも、唖然。
無理に置けば、私達の膳が座卓を大きくはみ出すのである。
そうまでさせて、マニュアル通りにすることに、何の意味があるのか?

宿御自慢のサロンでも、呆気にとられることしきり。
先ず、朝は八時を過ぎないと飲み物を頼めない。

早起きをして、能舞台を眺めながらゆったりコーヒー、なんてことはできないのである。
朝食後、首尾よくコーヒーにありつけたとして、二杯目を所望すると、

「お代りはお金をお支払いいただきますけれど、よろしいですか」

とくる。こちらは、飲みたくて頼んでいるのだから、お金云々ではない。

だが、仮にも一泊5万円以上払っている宿泊客に、コーヒーのお代わりを出せない宿。
これは、何か根本的な勘違いを表していないか。

サロンで本を読みながらくつろいでいる客に対して「お代りは別料金云々」と、恥ずかしげもなく大声で言える従業員マニュアル、というのもすざまじい。

ある意味、脱帽である。

世間では、「西の玉の湯、京の俵屋、東のあさば」と評されるのだそうだ。
西も京も体験済みだが、並び称されるのは、ご両所にかなり失礼かと。

外見を似せることはできても、その宿に息づくホスピタリティ、雰囲気は雲泥の差。

やはり東国は、あらゆる意味で田舎だということなのだろうか。
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/590386/?sby=&use_type=0&srt=&PG=3&smp=2&lc=0


“口コミが消されたので再投稿します”

1 / 5 2013/09/06に投稿しました


やっと予約が取れ、名旅館あさばということで本当に楽しみにしていましたが見事に裏切られました。

連休で混んでいたのはしょうがないのですが、ロビーがチェックイン時になっても掃除中のまま。掃除機のコードをまたいで案内されたのは序の口。

頼んでおいた食事の時間は間違える、仲居が未熟なのか、料理の三つ足の皿の方向を逆さにして出す。

挙げ句の果てに、最初に頼んでおいたまんじゅうの数を間違えており(食事の時間と一緒にお願いした)、チェックアウトの時に「本当に2つ頼まれましたか?」と数名のスタッフが取り囲むようにして、まるでこちらが嘘でもついたかのように責められ、悲しいやら、悔しいやら、散々な思いをいたしました。

代理店を通して頼んだ舞台の見えない安い部屋だったからなのか、それとも所詮この程度なのか、、、。

直後にこちらに投稿したレビューが、どういうわけか削除されていたので再投稿しました。

もっと高い部屋だとまともなサービスが受けられるのかもしれませんが、二度と行こうとは思いません。

2012年10月に、家族で訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r175909457-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT

“あり得ない事が…”

3 / 5 2013/01/10に投稿しました


お正月に宿泊しました。

評判の良いあさばさん。 過度な期待はしないようにと言い聞かせつつもどうしても期待してしまいます。

前日は、違う宿に宿泊していたのですが荷物は何も言わずとも あさばさんに運ばれていました。
接客が良く 清掃が完璧だと言う多くの口コミを見ていました。
けれど、運が悪かったのでしょうか…

担当の仲居さんは、愛想が無く所作が雑でコースターを投げるように置いたのにはびっくりしました。

部屋の加湿器が、お手入れのマークにサインが付いていたので交換をお願いした所、フロントの方が来て何もせずリセットボタンを押して「これで大丈夫です。」と… 
 
嘘でしょ?

「フィルター等が汚れているからお手入れマークが付いたのではないですか?」

と私。

それを見ていた仲居さんが別の加湿器を持って来てくれました。
ですが!!!もう1台あった加湿器にもお手入れマークが点滅。
まさかと思いフィルターを見ると外からも分かるぐらいびっしりの埃が付いているではありませんか。

何カ月も手入れをしていない証拠です。
担当の仲居さんに見て頂きました。


極め付けには、朝食時に出たシラスの中に髪の毛が入ってて、もうあり得ない!!!

若おかみさんが丁寧に詫びに来られましたが、それ以外にも不愉快な事があって
もう行きたいとは思いません。本当に残念です。

2013年1月に、友達と訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r149315410-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


“得意先招待だから良いけれど…”

2 / 5 2012/04/08に投稿しました


肩コル宿ですなぁ!
鬱陶しい位に干渉してくるし、歴史は有るかも知れないが、快適とは言い難い。

価格も驚愕!! お一人様56000円ですよ。

大して旨い物が出る訳でもなく、何だろなぁ的です。

これなら自分の金なら泊まらない。招待だから我慢しますが、貧乏人は御断り感覚が垣間見て取れます。

金持ちの皆様…ドンドン集って消費して下さい。内需拡大!御国の為に♪

俺は御免だがね。

2012年4月に訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r128413556-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


“レベルは高いが名前負けしてる。本当の意味の日本旅館ではない。”
2009年10月に訪問

老舗の有名旅館なので期待しすぎたせいなのか、入った瞬間、何か違う感じなーと言うのが第一印象。門構えも立派だし、清潔感はある。写真で見て知っていた池に浮かぶ能舞台も見事。しかし、本当の意味の美意識が欠けている。

全てがレベルの高いものなのだが、何故だろう?

モダンなのか、和風なのか、洗練なのか、伝統なのか、要するに、確信をもった美意識によって作られたものでないので、全てが平均点以上なのだが、すごくブレがある。失点を恐れて、他人の評価を意識し過ぎているのか、本来持っている価値を失ってしまっているように感じてしまう。もっと自信を持っても良いのに。

客に良いサービスを届けたいという気持は本当に感じますが、レベルが高いからこそ、余計に目についてしまうちぐはぐさのようなものがあります。客に何を本当に味わってもらいたいのかが良くわからないのが、残念でした。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r48963258-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


“ん〜どうでしょう...........”
2009年2月に訪問

初めての修善寺温泉。
その老舗あさば旅館へ、料理は美味しかった。
ですが、また食べたいと思わないかも。(個人差ですが)

最初に立派な門が私を迎えてくれます。
老舗のにおいが心地よかったです。
問題は中です。

老舗の旅館にしては、かなりモダンな色を出してます。
ミスマッチな感じがします。私が想像し過ぎなのかどうか?
ラウンジの作りはモダンすぎて落ちつかなかったです。
部屋は綺麗でした。
床の間もちゃんとしておりました。

アメニティの質は高級旅館にしてはそこそこ。

和をあまり感じなかったです(残念)

ワインとかのリストが部屋にありなんか、え〜って感じで、
部屋にはテレビがあり、それも中途半端な大きさでした。
あれならない方が部屋の雰囲気がよくなると思います。

とにかく、寝ても覚めてもモダンな感じの作りに
外の能の舞台とミスマッチな感じがしました。
正直、この値段でまた来るかと言ったら
考えさせられます。

一回は宿泊してもいいと思います。
でも、イベントがない時は、なにをしたい旅館なのか
と問うたら、普通の旅館とあまり大差がないのかもしれません。

気に入った点 — 庭に浮かぶ様にある、能舞台
気に入らなかった点 — 内装。老舗の趣がない。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r24074110-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


あさば・・・ - 北斗七星 2013/06/06 (Thu) 23:08:03

母の誕生日に宿泊する予定でしたが、野村萬作さんの狂言が行われるとの事で、超高額(通常の3倍ほど)のため、その前日に宿泊しました。

部屋は初めての「浅葱」でした。

相変わらず、料理は素晴らしかったですが、私の時は、アユが少々、骨っぽかったです。
寝具の素晴らしさに母は感動していました。

それにしても、狂言当日の料金が一人18万円と聞いてビックリしました〜(@_@;)

Re: あさば・・・ - あびたろう 2013/06/06 (Thu) 23:41:21


「浅葱」、部屋の出来と眺めで、一番好きな部屋です。
特にリビングで能舞台を眺めるのが良いですね。

>狂言当日の料金が一人18万円

それはびっくりです。

毎年、修善寺芸術紀行という案内が送られてきます。
それによると、野村家の狂言や観世流の能では、鑑賞・1泊2食で68,000〜 となっていますが、特別席(部屋)料金なのでしょうか?

Re: あさば・・・ - 秀

2013/07/12 (Fri) 00:03:09

みなさん、こんばんは
今日、あさばに電話したんですけど
あさばの予約って、以前は三ヶ月前だったのですが
いつのまにか半年前からokに変わってたんですね。

松茸&鱧は9月10日くらいから10月始めまでということ。
期間が短すぎて、スケジュールが
あわせづらいですね。





Re: あさば・・・ - あびたろう

2013/07/12 (Fri) 00:16:39

秀さん、またこんばんは!

そうなんです。
先日泊まった時、半年前から予約OKとのことでした。

以前は、週末は2か月前、平日は3か月前からで、とてもじゃないけどスケジュール調整ができないと、数年ご無沙汰したことがありました。
2年ほど前から、週末でも4カ月前からOKになったように記憶しています。

あさばも強気ではいられなくなったのだろうと想像しています。

松茸&鱧は、まだ食べたことがないですねえ〜
一度食べてみたいものです
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6825917

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2. 大学でホスピタリティ経営学を学んだ「あさば」の若女将が壊したものは…


iyashinnboさん [ 09/06/16 17:41 ]
残念なのはお客さんによってサービスが違います。具体的にはロールスロイスで行く時とクラウンで行くときとでは全然違います。芸能人や政治家の方が良く利用されるのである意味仕方がありませんが、もちろんクラウンは私でしたけど
http://ryokan-gp.com/srk/1399-18-rac


私、貧乏人は大嫌い

               _/ ̄二ニ> / ̄ ̄7
             } ̄ ̄\_ニrヘrx∠二_   〈
              〈  >'´        `丶、〉,       / ̄ ̄ ̄\
             〉/             \ゝ     / も   話   !  / ̄ ̄ヽ
               〃   -‐ァ7丁 ヽ       ヽ      !  ら  し  |  |  あ  |
            / / / / / j  j  \       ',、   |  え  か  :!   l  の  |
             / // /  /  ,′ l 入 \     ',、    !  ま  け  :!  ヽ__/
           ハ// //  /  /  //   丶 ヽ   ハハ.  |  す  ん.  |
            | l l //  /  /  //    \ ハ   j', ',  |  か   と  :!
           l l l /  /  /  //      ヽハ   ハ !  ',      っ  j
          fハ! ! l  /  //// 、, -‐ ´ `丶l | ノ~}j l  \__て__/
            Vヘl ハV,rr=ミx /     ,zr=-x_ l !/勹/ j
           V∧ ヽ込zソ`       乂ソ'′リ} 〉'/  j
 近 そ  あ.     乂ハ                jし'′ /
 づ れ   と             、           ハ   /
 か 以                         /    /
 ん 上             \    r‐ ー、   / ̄>/
 と                 〈 > 、 ` ´  , イ >'´_|
 っ                ∧ 《ハ`ー-‐'´  / / \_
 て             〈. \ヘハ_   / /   / ̄\__
                   \  ヽ┐ |  |  |   /    /  /

「俵屋」にあって「あさば」に無いもの、それは「抜群のホスピタリティ」だと思う。
大女将が表舞台から身を引いてから温かみが少しばかり減ったように感じるのは思い過ごしであろうか。
和のお宿からホテルテイストになっているような気がする。
http://abitaro.com/yamabuki/yamabuki.htm

この旅館の、若女将は、大阪学院大学ホスピタリティ経営学の卒業生。


大阪学院大学のホスピタリティ経営学---『ホスピタリティ・マネジメント・プログラム』

 私の見解では、「ホテル」と「旅館」に基本的なちがいはなし!!
女将とは女性総支配人にほかならず!!

『ホテル・ビジネス・ブック』のもとになった「ホテル事業論」受講生から、岡山「ゆのごう美春閣」の若女将、永山いずみさん(大阪学院大00年卒)、伊豆修善寺温泉「あさば旅館」の若女将浅羽弥佐さん(同01年卒)の二人を輩出しています。
http://blog.goo.ne.jp/nakatani-jyuku/e/4f3abf0358e121d3486dabd1580eabf9


伊豆修善寺温泉の「あさば旅館」は、1675年創業。 
昨年6月、この知る人ぞ知る老舗名門旅館の若き経営者と大阪学院大出身のホテルウーマン浅羽弥佐さん(旧姓高橋・01年外語卒)が結婚、OG永山いずみさん(00年国際卒・ゆのごう美春閣女将)に続く、二人目の女将誕生となりました。


浅羽弥佐さんは、在学中、航空会社を志望。 念願かなって航空会社の客室乗務員の内定を得ていたにもかかわらず、4回生の時、ホテル総支配人から着任早々の仲谷秀一教授の「ホテル事業論」受講をきっかけに、ホテルに進路を変更しました。


仲谷教授によりますと

「永山さん、浅羽弥佐さんに共通するのは、ホテルの仕事を単に接客サービスととらえるのではなく、ビジネス・リーダーを目指していたことですね。事実、女将になる直前のお二人は、勤務先のホテルで若手管理職、リーダーとして活躍していました」


「接客サービスで、対面する一組のお客様を満足させることはできます。しかし、リーダーやマネジャーになりますと、多くの優れたサービススタッフを育て、魅力的な企画をたて、ビジネスの仕組みに工夫を凝らすことによって、より多くのお客様を満足させ、感動させるとことが可能になります。 また、お客様が満足するホテルは繁盛し、経営も安定します」
http://blog.goo.ne.jp/hic2006/e/759f2a3e5ffe253a51cc53ea94c2f50d

93 :学籍番号:774 氏名:_____:2006/11/13(月) 02:19:50 ID:???


          。 ◇◎。o.:O☆οo.
       。:゜ ◎::O☆λλ☆。∂:o゜                   
       /。○。 ∂ノノ`∀´ルO◇。☆
     /  ◎| ̄ ̄ ̄ ̄ ゚̄ ̄ ̄ ̄|:◎:
    /    ☆。|  大阪学院大学。  ☆
  ▼      。○..io.。◇.:☆____| 。.:
∠▲―――――☆ :∂io☆ ゜◎∂:.

大阪学院はホテル系が強いらしいが、フェイスって一刻の中林大樹レベルを要求
されるのかな…。


※大阪学院大の受け入れ企業

(*^_^*)新阪急ホテル
(*^_^*)リーガロイヤルホテル
(*^_^*)ハイアットリージェンシー京都
(*^_^*)京都ブライトン
(*^_^*)ウェスティンホテル淡路
(*^_^*)新神戸オリエンタル
(*^_^*)神戸ポートビア
(*^_^*)シーサイド舞子ビラ

[来年大阪学院の研究員が社長に就任]
(*^_^*)メリケンパークオリエンタル
http://mimizun.com/log/2ch/student/1159869853/


520余年の古い歴史を持つ「あさば」。

もともとは修禅寺の門前の近くに「宿坊」として 建っていたそうです。初代当主であった、浅羽弥九郎幸忠(あさば やくろうこうちゅう)は、 修禅寺の曹洞宗の開山のために派遣された禅師に従い、当地を訪れました。そこからお寺を守る為に、僧侶が泊まる「宿坊」を 修禅寺の門前近くに建てました。

そして、時代とともに、宿坊から温泉宿へ、

修禅寺にあった宿坊をやめ、川を挟んで南西に移い変えた、当時の別館を 今の旅館として、多くの観光客の方々に愛されています。

また、ここのあさばでは、600坪の、広〜い庭があって、 竹林と緑あふれる自然に囲まれた、一面の池に、 美しく建つ、「月桂殿(げっけいでん)」と呼ばれる、 能舞台があります。

ここで、能をはじめ、狂言や、三味線で弾き語りをする 新内流しなどを多彩な公演を行っています。故・五代目、中村富十郎さん、 人間国宝になっている、野村万作さんなど多くの著名人がここの能舞台で公演を行っています。

また、神前式としても使われています。 和装した新郎・新婦さんの、愛を誓う一生に一度の、 特別な日になること間違いないですね。

部屋は、和の造りもあれば、現代アートを盛り込んだ、おしゃれな部屋もあります。
さらに、「あさば」にはサロンや、エステルームもあるんですよ。

どうして、老舗旅館なのに、こういった現代的要素を交えているのか、
10代目若女将の浅羽弥佐(あさば みさ)さんにお聞きしたところ、

「全体的なリニューアルはしていませんが、デザインや空間などの内部に、
 現代に沿った工夫をしている。」

とお話してくださいました。 老舗といえども、時代のニーズに合わせた、対応をされているんですね。 若女将にさらにお話をうかがっていくと、

「いつでもお客様が居心地のいい空間を目指す為に、当たり前のことを当たり前にできるように努めていく、
これが代々伝われたきた『あさば』の理念です」

と教えてくださいました。
http://www.k-mix.co.jp/kanogawa/2011/11/21-1300-21724.php

Re:あさば と 柳生の庄 どちらがを選びますか?
Date: 11/04 00:00

修善寺のタクシーの運転手さん曰く、泊まるならあさばより柳生の庄だそうです。柳生の庄へ向かったのでリップサービスだと思いますが。。。

私もあさばと柳生の庄で迷いましたが、電話の対応で柳生の庄に決めました。単にあさばの予約が取れなかっただけですけどね。でもいつ予約が取れるか分からないと言われた時は傲慢さを感じました。
http://ryokan-gp.com/bbs/all/3720/log19/
 

Re: あさば 満点星 - あびたろう
2010/03/15 (Mon) 01:04:36

「あさば」、大好きな宿です。でも先日、電話係の女性(ひょっとすると若女将?)とやりあったので、「意地でも行くもんか」と思い、当分行けそうもありません(笑)

あの電話係の女性以外は、何にも不満は無いのですが(笑)

これで二度目の喧嘩です(笑)
前回は二年のブランクができましたが、今回はどれほどになるでしょうか(笑)

Re: あさば 満点星 - 北斗七星
2010/03/16 (Tue) 00:17:01

あびたろうさん、あさばでの電話のやり取りは、どんな内容だったのですか?
とても気になります。

実は、前回、あさばに行った時(料理が美味しくなかった時です)、スーツを着た30代ぐらいの女性スタッフ(多分、若女将だと思います)が非常に感じ悪かったものですから。

慇懃無礼というか、言葉は丁寧なのですが、上から目線というか、小馬鹿にしてるというか、そんな印象を受けました。

ロビーで夫婦で記念写真を撮ってもらおうと思い、お願いしたら苦笑いしながら「ちょっと、、、ごめんなさいね」と断られました。こんな経験初めてなのでビックリしましたよ。

まあ、そんな事もあったので、あびたろうさんの場合はどんな感じだったのか興味あります。
差し支えない範囲で構いませんので教えてください。

Re: あさば 満点星 - あびたろう
2010/03/16 (Tue) 00:43:23

電話に出る女性スタッフ、声の感じでおそらくいつも同じ人物だと思うのですが

>慇懃無礼というか、言葉は丁寧なのですが、上から目線というか、
>小馬鹿にしてるというか、そんな印象を受けました。

まさにそんな感じですよ。
若女将かどうか定かではないのですが、「スタッフに言っておきます」という上から目線的な言葉使いから、ひょっとしてと思ったのです。

部屋係りの女性やフロントの黒服達や大女将の言われる話と、電話係の一人の女性の言うことがまったく違うのです。
そのことを事実に基づいて説明すると、謝るどころか

「今後そのようなことが無いように、スタッフに言っておきます」 

ですから(笑)
予約の時期に関することで、規則は規則で仕方がないのだけど・・・


同じことが二度続くとねえ〜
この女性の顔を見てみたい(笑)

「あさば」には時々変なスタッフが存在するようで(笑)

それ以外は、ホントに素晴らしい宿なんだけどなあ〜

今回も感じたのですが、スタッフに関しては「俵屋」のほうが数段素晴らしいですね。
あれほどの格式がありながら、「俵屋」ほどホスピタリティの素晴らしい宿は、なかなかないですよ。


Re: あさば 満点星 - マチス
2010/03/16 (Tue) 06:21:53

若女将って30歳くらいで色白のおきれいな方ですかねえ、、写真撮影拒絶ってショックですね。

もしその方であれば少しお話はしたんですが、、それほど悪い感じはしませんでした。でもやたら結婚式することをすすめてこられたのにはいささか閉口しましたがwww

そうそう、ある仲居さんにサロンで呼び止められ、浴衣を直してくださったのですがその際に「ご妊娠ですか?」と言われたのもw。。。してない、し(笑)かなり失礼ですよね。。スリムではないですが、そこまで太ってるってわけじゃあないと思うんですが私。。食事後でおなかがパンパンだったとはいえ、、結構失礼だよなあ。。と。っていうか思っても普通言わない、気が。かなりリスキーな発言ですよね(笑)

という意味では、、、そうだな。。まだまだ修行の余地ありますね、あさばのスタッフってw


Re: あさば 満点星 - あびたろう
2010/03/16 (Tue) 15:24:43

「ご妊娠ですか?」っていう問いは善意の気持ちからという解釈もできますが、使わないほうがいいですよね。デリカシーに欠けていると思います。

客商売にたずさわる人間は、言葉の微妙な言い回しには留意すべきでしょう。

「あさば」の部屋係は固定されていませんので(俵屋はいつも同じ女性です)今まで5人くらい出合ったでしょうか。
それぞれ個性的な女性でした。

良く言えば金太郎飴的な応対ではないということでしょうが、悪く言えばバラバラで統一感がありません。フロントも同様です。

マニュアル的な接遇教育というものが、あまりなされていないのかもしれませんね。

「あさば」のような宿に接遇マニュアルは必要ないと思うのですが、あまりにバラツキがあるようでも困ります。


Re: あさば 満点星 - 北斗七星
2010/03/16 (Tue) 18:00:13

私たちが、多分、若女将?と思っているのは30代の女性でスーツを着た洗練された綺麗な女性でした。
水色のスーツ姿の女性でした。

ちょっと半水慮や強羅花壇の若女将に雰囲気が似ていました。
なんとなく営業臭が感じられたのを覚えています。

若女将と言えば、俵屋に初めて行った時に、俵屋の若女将が茶室で茶の湯に招いてくれました。

細川元首相が使ってくれと持ちこんだ(笑)茶器などで、もてなしてくれ、京都の話を色々と話してくれて、肩の凝らない応対で、とても感激したのを覚えています。

あさばの話に戻りますが、私も毎回、担当の客室係が違いますが初回が×、他は△や〇で、4度行きましたが◎にお目に掛かった事はありませんね〜
ちょっと派遣っぽい方が多いような気がしました。

Re: あさば 満点星 - あびたろう
2010/03/16 (Tue) 20:40:59

私が若女将とはっきりわかったのは和服姿のときでした。
大女将が地味な色合いの和服で、若女将はきれいな色合いの和服でした。
フロントは、いわゆる黒服ですから水色のスーツ姿の女性は若女将だったかもしれませんね。

半水盧の若女将は何度かお話をしたことがありますが、俵屋の女将(佐藤年さん)とは一度もお会いしたことがないのです。

今まで10回ほど泊まりましたが一度も無しです(笑)
料理長の黒川修功さんとは顔なじみになっているのですが(笑)

あさばの客室係で◎はいましたよ(笑)
今まで泊まった宿のスタッフで感激した方は3名いました。

「玉の湯」に1名、「あさば」で2名です。

「あさば」の1名(黒服)は、その方に会うのが楽しみだったのです。しかし、お子さんの学校のことで退職されたと聞いたときは、とても寂しい思いをしました。
もう1名は、前回の時はお会いできませんでした。辞めていなければよいのですが。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3873924


 
 ミミ、 ヾ==-   〃 ゞヾ,〃 ))`ー-==ニ二三  i   l      |
  `ミミ、      !,-/´゛   ー'_,.-==-_`ー-==ニ l.  |  エ凡  |
 ミミ彡ミ三=-、   { ,'    、-=' 〃 ̄`)〉- `ー/ニ ノ  | ハ_ヽヽ|
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 ミミ彡ミ三==-   ハ  |             |||  l /  |  `ー '  |
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    彡三=''     !〉,\         !.j    |  /|  レ  ヽ   |
 ミミ彡ミ三ン''     ノ ヽ  r‐-、      u / l /  |   フ    |
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 彡三=''   _,.-'" /   / \    /   / /  |     '      \
 


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3. 老舗旅館の盛衰は女将の資質と人柄ですべて決まってしまう


老舗旅館は水周りやアメニティー部分だけを up-to-date にして、それ以外は昔からの伝統を何一つ変えずにそっくりそのまま踏襲しておけば上手く行くんですけどね。
星野リゾートのアホ社長の様に下手に欧米流の経営学を学んで時代の変化を先取りしようとすると伝統文化を破壊するだけで取り返しの付かない惨憺たる結果に終わってしまいます。


「あさば」若女将も欧米流の見当外れの教育を受けていた


若女将続々!! 2005-06-23 08:25:27

 明後日、2005年6月25日は、大阪学院大学外国語学部2000年度卒高橋弥佐さんのご婚礼。大阪学院大学教授就任以来6年目にして初の教え子から結婚披露宴へのご招待をいただきました、嬉しいですね。

高橋弥佐さんは、2000年私が大阪学院大教授に転身して、初の「ホテル事業論」受講生、熱心に講義に耳を傾け、毎回実施(なんと毎回の計28回実施です)の小レポートもしっかり書いていただきました。

 あるときレポートを見ておりますと「ホテル事業論を受けてみて、進路変更。内定を受けていた空港会社を辞退してホテル会社を受験することにしました」とのこと、しばし絶句。少なからず責任を感じておりました。

 私の場合、受講生にホテルをすすめることはなく、どちらかと言うと厳しいよということが多いのですが、この時も「何で?!」というのが正直な思いでした。

 その後、弥佐さんはオークラさんから内定をいただきホテルウーマンに、そして今回の慶事とあいなりました。新郎は、伊豆。修善寺温泉で300年以上続いている老舗旅館「あさば」のご主人、浅羽一秀さん。結婚後、弥佐さんは、若女将修行に入られるとか。
http://blog.goo.ne.jp/nakatani-jyuku/e/bc4c5909bf3280aa378b7cffc103fc34


「大阪学院大学ホスピタリティ経営学から二人目の若女将!」2006-01-28

伊豆修善寺温泉の「あさば旅館」は、1675年創業。 昨年6月、この知る人ぞ知る老舗名門旅館の若き経営者と大阪学院大学出身のホテルウーマン浅羽弥佐さん(旧姓高橋・01年外語卒)が結婚、OG永山いずみさん(00年国際卒・ゆのごう美春閣女将)に続く、二人目の女将誕生となりました。

浅羽弥佐さんは、在学中、航空会社を志望。 念願かなって航空会社の客室乗務員の内定を得ていたにもかかわらず、4回生の時、ホテル総支配人から着任早々の仲谷秀一教授の「ホテル事業論」受講をきっかけに、ホテルに進路を変更しました。

仲谷教授によりますと

「永山さん、浅羽さんに共通するのは、ホテルの仕事を単に接客サービスととらえるのではなく、ビジネス・リーダーを目指していたことですね。事実、女将になる直前のお二人は、勤務先のホテルで若手管理職、リーダーとして活躍していました」

と、二人のOGが女将となった背景を語っています。仲谷教授は

「接客サービスで、対面する一組のお客様を満足させることはできます。しかし、リーダーやマネジャーになりますと、多くの優れたサービススタッフを育て、魅力的な企画をたて、ビジネスの仕組みに工夫を凝らすことによって、より多くのお客様を満足させ、感動させるとことが可能になります。 また、お客様が満足するホテルは繁盛し、経営も安定します」

そして、「大阪学院大学のホスピタリティ・プログラムは、お二人のようなリーダーを目指す学院生をサポートするためにあるのです」と締めくくってくれました。
http://blog.goo.ne.jp/hic2006/e/759f2a3e5ffe253a51cc53ea94c2f50d


老舗旅館の価値が理解できない欧米被れのアホ・コンサルタントの『あさば』礼賛


旅館「あさば」に見る、RYOKANが世界基準になるための条件 2011年11月4日/

景気後退に加え、3.11による影響で、深刻な状況が続く日本の観光業。そのなかにあって、文字どおり“一人気を吐く”旅館、「あさば」。独立経営を貫き、さらには敷地の拡張を予定するなど、常にその進化を止めない。流行に迎合せず、かといって伝統にしがみつくのでもない、その独自の哲学にこそ、したたかでしなやかな智恵とセンスがある。

もはや国際語となったRYOKAN。日本独自のおもてなし=ホスピタリティをもつ旅館スタイルは、今やヘルシーな和食流行りと相まって、ブームになりつつある。和室での過ごし方や浴衣の着方、はたまた風呂の入り方まで懇切丁寧に書かれたRYOKAN HOW TO本や写真集までが人気を呼んでいるほどだ。観光庁が発足し、九州・東北両新幹線も開通。いよいよ本格的に日本も観光業に力を入れようとしている今、旅館は“勝ち組”となりえるのだろうか。

残念ながら、そうはいきそうもない。いや、いよいよ時流に乗っている旅館と、淘汰されている旅館とに、大きく二極化されていると言ったほうがいいだろう。なぜこれほどまではっきりと明暗が分かれるのか。その大きな要因は多くの旅館が家族経営を中心とした小規模経営であるという点である。いくらインターネットの時代とはいえ宣伝力も乏しく、設備投資にも限界がある。結果、大規模な温泉リゾートホテルなどに押され、商売替えをする旅館も少なくない。それは、老舗の名旅館であっても同じこと。何代も続いて名経営者が現れるのは稀である。しかもこれほど短い間に通信も交通もスピードがアップした現代ならばなおさらだ。潮目を読み違えれば、あっという間に客足が弱まる。

こうした難局にある家族経営の旅館に“再生”としてコンサルティングや運営にかかわる企業が近年増えている。経営権はそのままに運営権だけを委託したり、もしくはまったく別業種の企業が旅館を買い取り経営に乗り出す例も少なくない。家族経営ではとうていかなわない、資金力による設備投資と、トレーニングによるホテルライクな接客、多彩な滞在プランでファンをつかみつつある。稼働率も上々で半年先の土日までほぼ満室という施設すらあるほどだ。
http://gqjapan.jp/2011/11/04/ryokan%e3%81%8c%e4%b8%96%e7%95%8c%e5%9f%ba%e6%ba%96%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e6%9d%a1%e4%bb%b6/


未曾有の観光不況。武器は“愚直”さ

確かに、こうした資金力、ノウハウをもつ新しい旅館経営の可能性は高い。だが、主導権を握りつつあるスタイルは、日本に古くから続く旅館文化とは乖離してはいないだろうか。どこに行っても間違いのないマニュアルによるサービス、設計士やインテリアデザイナーが造るよく言えばソツのない、言い換えれば無個性な空間、人気シェフが監修する料理。安心と、確実なボトムアップはあるが、そこに漂う土地の匂いはいかんせん薄い。

家族経営でありながら、こうした企業経営の人気旅館を凌ぐ高い稼働率を誇る宿がある。修善寺「あさば」だ。創業520余年の老舗であり、日本を代表する名旅館だが、構造はほかの旅館と大きく変わることはない。いったいその強みはどこにあるのか。

言葉を選ばずに言えば、その“愚直”さだ。「あさば」には、近年の人気旅館に見られる“流行”が一切ない。今や宿のスタンダードとなったダイニングもなく昔ながらの部屋食であり、集客のマストアイテムとすら言われる露天風呂を用意する部屋も一室もない。しかも、最近多く見られる「お部屋に一切入りません」というサービスとは真逆をいく。食事の際はもちろん、何かれと客室係が世話をする。今ではほとんどなくなった昔ながらの旅館スタイルを今なお徹底しているのだ。

「旅館はその土地の文化の発信地であるべきと考えています。土地の人間が土地の食材や土地の風習文化でもてなす。それが旅をする楽しさにつながるのではないでしょうか」(若主人 浅羽一秀)。

国内外ともに支持が非常に高く、リピート率、稼働率ともに8割。海外からのゲストも多く、VIP会議にも使われることも多い。日本全体が観光不況にあえぐなか、驚異的な数字である。THE RYOKAN COLLECTIONの福永浩貴代表は次のように話す。

「真の国際性を理解し本当の意味でグローバルなRYOKANになることこそ、これからの課題です。観光資源における真の国際化とはストイックに自国の文化を学び、それをそのまま世界中にアピールできるようになること。『あさば』はそれができる稀有な旅館でしょう」

未曽有の観光不況にあって凄味を見せる「あさば」。その底力はいったいどこにあるのだろうか。
http://gqjapan.jp/2011/11/04/ryokan%e3%81%8c%e4%b8%96%e7%95%8c%e5%9f%ba%e6%ba%96%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e6%9d%a1%e4%bb%b6/2/


マニュアルに依らない人材育成力の強み──あさば 2011年11月11日

景気後退に加え、3.11による影響で、深刻な状況が続く日本の観光業。そのなかにあって、文字どおり“一人気を吐く”旅館、「あさば」。独立経営を貫き、さらには敷地の拡張を予定するなど、常にその進化を止めない。流行に迎合せず、かといって伝統にしがみつくのでもない、その独自の哲学にこそ、したたかでしなやかな智恵とセンスがある。

人材、メンテナンスを制し“田舎”を最大に利用する

ひとつに挙げられるのが、人材だ。深刻な人材不足に悩む地方の旅館。そんななか、「あさば」の板場は総勢10人、客室係も10人を抱える。人材豊富な首都圏やチェーン展開する旅館ならいざ知らず、旅館の大半は調理師協会や仲居業の派遣サービスに頼っているのが現状。だが、「あさば」はできるだけ土地の人間を採用することにこだわる。即戦力のあるプロよりも、長い時間をかけて「あさば」の哲学、DNAを浸透させていくほうに重きを置いているのだ。

広々としたロビー。日本の古い伝統だけでなく、現代アートも飾られいい具合に和洋、古今が融合した空間だ。季節の旬を盛り込んだ料理はもちろん、節句や年中行事をふまえた旅館のしつらえからは、すべてに季節感を感じさせる。能舞台では年に数回、一線で活躍する能楽師を招いて能が上演される。

かつては、奥(主人の家まわり)の仕事をさせ、箸の上げ下ろしまで徹底して教え込んだのだという。そのスタンスは今も変わらず、接客係といえどもまずは掃除をさせ和室の手入れの仕方、道具の扱い方、行儀を覚えさせてから、客の前に出す。大手の接客トレーニングといえば、どこの施設に異動してもすぐに対応できるよう、マニュアル化してしまうことが多い。だが、畳を歩かせればどの程度の嗜みがあるかが一発で分かる和の世界。目の肥えた客が多く訪れる「あさば」の場合、付け焼き刃のマニュアルではなく、和のもてなしとは何かを徐々に体得させていくのだ。

加えて、徹底したメンテナンス。瑣末なことに聞こえるかもしれないが、「あさば」では障子や襖の小さな破れ、畳のシミひとつ許されない。見つけるや否やすぐに出入りの職人を呼び直させる。言うは易いことだが、常に365日間、触れればすぐ破れる障子の乱れひとつなく、ゲストを迎えるのは並大抵のことではない。館内は常に洗いたてのように磨き抜かれ、結果、そこから漂う清潔感が清々しさとなって、旅館の心地いい緊張感にもつながっているのだ。

さらに、修善寺という鄙にありながら高い文化水準をもつ点。「あさば」は池に浮かぶ能舞台をもつ宿としても知られているが、ここで年に数回能楽や狂言、新内が上演される。第一線で活躍する能楽の第一人者を招いてである。くつろげる“田舎”にあって、心を尽くしたしつらい、もてなしに加え、一流の芸能に触れられる。これらが重なり合い「あさば」の底力となっているのだ。

2年前、修善寺の町中を流れる桂川沿いの向かいの旅館を購入した。「目下構想中」だが、一朝一夕ではない次世代の旅館につながる新しい“何か”となることは間違いない。


真似事、迎合しない潔さが次世代旅館のキーワード

今、旅館は過渡期にある。確かにライフスタイルが変わり、食事や風呂など独特の“旅館時間”に不自由を感じることもある。だが、お湯に浸かりくつろいで浴衣がけで部屋でのんびりと給仕を受けながら食事をするのもひとつの日本の旅の文化ではないだろうか。一見、不自由であることも見方を変えれば非日常の旅の楽しみでもある。そうしたところに、常連客や旅の経験値の高い海外富裕層は魅力を感じるだろう。

人気設計事務所が手がけた部屋で、ソツのないマニュアルサービスを受け、見たことのあるような料理をつつく。安心感はあるが、旅の驚きはない。誰もが同じ方向を向く必要はない。ホテルにラグジュアリーホテル、リゾートホテル、オーベルジュとあるように、旅館にも温泉自慢、料理自慢、観光自慢があっていい。新しくしたり広げることではなく、今ある当たり前を見直すこと。それこそが、世界につながる真の旅館づくりである。
http://gqjapan.jp/2011/11/11/%e3%83%9e%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%81%ab%e4%be%9d%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84%e4%ba%ba%e6%9d%90%e8%82%b2%e6%88%90%e5%8a%9b%e3%81%ae%e5%bc%b7%e3%81%bf/

 
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         .::) 9    ヽ:::::i:::::: V⌒ヽ"  「 ̄|  .イ /)
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4.「あさば」の先代の女将は賢かった


渡辺淳一×浅羽愛子(旅館「あさば」女将)対談 2008年8月


渡辺淳一
「あさば」と言えば、やはり能舞台は有名だけど、少し話してくれませんか。


浅羽愛子
今日、先生と楽しい話をしたいと思いまして、それなら能舞台だと、私も思っていました。

この舞台は、移築して来年で100年になります。そして、私がお嫁に来て50年になるんです。


渡辺淳一
じゃあ移築した時は見ていないんだ。


浅羽愛子
そうなんですよ。7代目が25年、8代目が25年、9代目の私が50年、お守りをさせていただきました。なんと、もったいない。私って、欲張りなのね。(笑)


渡辺淳一
女将さんは、ここの家の娘じゃないんだ、お嫁さんなんだね。


浅羽愛子
それがね、前に大磯で和久傳さんと蓬莱さんと3人でお話したとき、3人とも家つきじゃなくて、嫁に来てみんな苦労した。でも、みんな家つきだと思われているの。おかしいですよ。(笑)

渡辺淳一
家つきだと思うぐらい、馴染んじゃってる。(笑)


浅羽愛子
馴染んじゃって。うちの亭主が「しかし女ってすごいね」って言うの。「何で?」って言ったら、「だってさ、自分が生まれた家じゃないのに、気が付いたら自分の家みたいな顔をして住んでいるんだもんな」って。


渡辺淳一
それはそうだよ。家にいついた女って書いて、嫁って言うんだから。


浅羽愛子
そうですよね。お嫁にきて、ずっと子どもが生まれなかったんです。

3年経った時に7代目の姑が、「ちょっときなさい」って。部屋に入って行ったら、「兆候があるかね」って言うから、「何でしょう」と聞くと、「子どもよ」って言うのね。

「いいえ」と答えると、「稼して5年、子なき去る。来年になったら、こちらも考えますから」って申し渡されました。で、おまじないをしたりして、やっとできたの。


渡辺淳一
今、考えると、ずいぶん古風というか勝手で。


浅羽愛子 それで東京でお産をして、息子を連れて東海道線で帰ってきたら、門のところで四十何年いた番頭が、真新しい仕立て下ろしのはっぴを着て、打ち水して、「御隠居さんが、こちらから入りなさい」とおしゃってます、と言われて。私、子どもを抱きながら恐る恐る端の方を歩いて入っていったの。


渡辺淳一
子どもを産んだので、「でかした」というわけだね。


浅羽愛子
そうなんです。7代目と8代目の姑が、黒の紋付の羽織を着て、板の間にひざまずいて、「ご苦労であった」って。私にじゃないんですよ、息子に。

「どう?」とか言うから、私が息子を渡すでしょう。そして茶の間に行ったら布団が引いてあって、そこに息子を寝かせて、「あのね、私はこれで今日3回目の顔をあたりました」って言うのね、7代目が。

最初は生まれた時、次は嫁に来る時、次は今日、3回顔をあたりました、って。

渡辺淳一
あたるっていうのは、剃ったっていう意味?


浅羽愛子
襟を正して、奇麗にしましたという意味かしら。そういうことから始まって、やっと私も嫁として認められたんだなと思ったけど、この子を置いたら、とにかく暇をもらって帰ろうと入院中にずっと思っていたんです。でも、そうなると出るに出られないし、離縁もしてもらえなくなって。


渡辺淳一
そのころは、柳沢厚労大臣が言ったように、女は産む機械としか考えていなかったんだね。


浅羽愛子
そうですね。でも、おかげさまで、ここまできました。


渡辺淳一
今やあなたが総支配人で、「あさば」の女将。

こういう高級旅館は、女将さんの存在が一番。あなたの息子さんがどうこう言ったって、あなたに勝てない。息子さん、お一人だった?


浅羽愛子
息子一人に娘一人。


渡辺淳一
お嬢さん、どこに行っているの?


浅羽愛子
結婚して、ここにいます。婿は、ホテルのフロントで働いています。娘はJTBに勤めていて、彼と偶然知り合って、結婚したいって言い出したんですけど、初めは私が反対していたんです。でも、あまり反対してもと思って結婚させました。

渡辺淳一
もう修善寺に住んでいるの?


浅羽愛子
修善寺にくるなら許す、娘が行くなら許さないと。そうしたら向こうがくるというの。しょうがない、じゃあ、まあ許しますって。


渡辺淳一
長男のお嫁さんもいるんでしょう。


浅羽愛子
そうです。


渡辺淳一
何年前に結婚したの?


浅羽愛子
3年前。やっと、男の子が生まれました。嫁はホテルオークラに勤めていたんです。


渡辺淳一
オークラのどこに?


浅羽愛子
あそこの「山里」で働いていて、副社長さんが、「女将、こういう娘がいるから見て」と紹介してくださって。


渡辺淳一
ご主人は何年前に亡くなったの?


浅羽愛子
もう13年になります。

渡辺淳一
その後、ずーっと一人で頑張ってきたんだね。


浅羽愛子
そう私は、姑二人でしょ。舅でしょ。で、主人でしょ。主人の弟に五人送ったの。ここにきて何だか知らないけどね、法事だのお葬式だのばかりやってたわ。だから、何だか整理しにきたみたい。

もうあと何もしなくても大丈夫、「あなたたち、送るのは私だけじゃない」って言ったのね。そうしたら息子が「整理したって言うけど、自分の亭主も整理しちゃったね」って。


女将は六本木族


渡辺淳一
そもそも、こんな老舗にお嫁さんにきたわけは?

浅羽愛子
先生、望まれたんですよ。

渡辺淳一
そうだと思うよ。よほど可愛かったんだろうな。

浅羽愛子
そうじゃないの。うちの亭主が言いましたよ。

「君みたいな雑草のように強い女の人が望みなんだ」って。

主人ね、南部忠平さんのお嬢さんで、走り幅跳びか何かの選手の方と……。


渡辺淳一
南部さんね。

昔、三段跳びのオリンピック選手だった。
その人のお嬢さんと結婚する予定だったの?

浅羽愛子
そうなんです。「あさば」の父も陸上をやっていたんですね。

それが、君の雑草のようなのがいいって。(笑)


渡辺淳一
しかし女将さんは、そう言ってはおかしいかもしれないけど、顔が可愛いいよ。

美人っていう顔ではないけれど、愛嬌のある顔で。


浅羽愛子
昔は、もっと愛嬌よかったんですけど。(笑)

渡辺淳一
そういう顔はね、長持ちするんだ。

どこかとぼけた可愛い感じで。

目鼻立ちのくっきりしたギリシア美人みたいなのは、後半あっという間に老けるから。


浅羽愛子
やっぱり秋田でしょ、私。


渡辺淳一
秋田美人だよ。


浅羽愛子
でもね、うちのお嫁さんもね、私によく似ていて、「お嬢さんですか?」なんて言われます。

やっぱり、そんな感じかしら。


渡辺淳一
男に安らぎを与える顔だよ。

浅羽愛子
じゃあ、まあいいのかしら。いいことにしておこう。


渡辺淳一
秋田から、どうしてこっちにきたの?


浅羽愛子
私ドレメに通っていたんです。

それで、うちの亭主は慶應でしょ。


渡辺淳一
じゃあ、目黒にいたんだ。


浅羽愛子
私は目黒。亭主は三田。それでグループで遊んだりして。


渡辺淳一
今でいう、合コンだね。


浅羽愛子
本当に合コンですね。
慶應ボーイとダンスホールでダンスしてたの。

渡辺淳一
ダンスパーティ、真っ盛りの頃だね。


浅羽愛子 券もいっぱい出回っていて、私たちはそういうのに、いつも行っていた時代で。


渡辺淳一
あの頃、女子大学があまりなかった。
ドレメは、最先端のおしゃれな女性がいっぱいいたから。


浅羽愛子
そんな時代だったんですよ。
それで、もう遊んで遊んで。後に六本木族なんて呼ばれた。


渡辺淳一
それでよく、修善寺に引っ込んで落ち着いていられたね。

浅羽愛子
秋田の人間だから、よかったんです。

うちのお嫁さんも田舎の子で、東京でちょっと暮らした子がいいと思っていたら、岐阜の大垣の出身で。


渡辺淳一
大垣あたりも古いよね。


浅羽愛子
ですから餅をついて送ってきたり、今ごろだと山菜を送ってきたり。大垣の奥ですから。


渡辺淳一
以前、話したことがあるけど、誕生日が僕と1ヵ月か、2ヵ月の差だったよね。


浅羽愛子
昭和9年だから、私は。先生8年?


渡辺淳一
8年の末だから、女将さんの兄さんだよね。

浅羽愛子
でも何ヵ月ですよね。私は2月だから。


渡辺淳一
お嫁に来た頃の話を、少しききたいな。


浅羽愛子
最初の頃の苦労話をすると、風邪をひいて寝ちゃうじゃないですか。

すると7代目のお姑が、上草履でパタパタ音をたててきてね。

「ごきげんよう」って声きくと、もうドキっとしてね。

「すみません」っていって、布団の上に正座して。

「あなたはね、いくじがない。寝るから寝込むんです。

少々のことでは起きていなきゃ」って小言をいわれましたよ。

寝るから寝込む。寝ると寝込むは違うって。


渡辺淳一
昔の姑は、そういうタイプが多かった。


浅羽愛子
もうすごい家だなと思いましたね。

でも、子どもが生まれて、本当にお乳をやらなきゃならないし、やっぱり寝てもいられないでしょ。

我慢して起きていると、寝込まないんですね。

なるほど寝ると寝込むは違う、と。

廊下の歩き方、お客さんの接し方など、いろいろ厳しく育てられましたね。


渡辺淳一
ところで、「あさば」は意外に部屋数が少ないのでびっくりした覚えがあるけど。


浅羽愛子
うちは18部屋でやっています。

間口を広げちゃいけない、増築しちゃいけないって言われ続けてきましたから。

そうして修善寺の門前町であることを忘れないで、自覚していれば、代々食べていける。それが家訓です。


で、別にいつも思っているわけじゃないんですけど、うちの息子が、

「お金持ちじゃなくて、よかったね」って。
「もし、うちにたくさんお金があったら、今ごろ鉄筋に建て替えて、すごいホテルを作っちゃって、どうにもならなかったかもしれない」って。

いい方がおかしいけどね。


「だから、僕があちこちいじったり、直したり、自分なりに、こうしたらいいということができるんで、もしお金があっていろいろなことをしていたら、もう手も足も出なかったよ」って。

ああそういうことかって、代々いい伝えられてきたことは、やっぱり真理なんだなと思いました。


渡辺淳一
バブルの全盛期に一番損したのは、お金を持っていた人だから。


浅羽愛子
そうなんですね。本当にそう思います。


渡辺淳一
お金がなくて損をしなかった。結果として一番得したんだ。


浅羽愛子
そういわれて、なるほどそういうものかな、と思いましたね。

だから、今も18部屋のままでやっています。


渡辺淳一
女将さんが引き継いで、これだけはきちんとやりたい、原則としてこれだけは守ってきたというのは何ですか。


浅羽愛子
間口を広げないっていうことと、お寺があって、温泉があって成り立つことだけは忘れない。

もうそれだけですね。


神楽殿は守り神


渡辺淳一
時々、それぞれに象徴的なできごとがあったでしょう。

好景気が続いたわ、バブルはあった。でも不況がきたわ、と。


浅羽愛子
その時々に、悲しいことがいっぱいありましたよ。

旅行エージェントは、要するに鉄筋で何階もあって、大広間があって、そういうところには、お客さんを入れやすいわけですよ。

バスでどんどんピストン輸送できるでしょ。

うちみたいに、こんな部屋があったり、あんな部屋があったり、継ぎ足し継ぎ足しだから、お客さんをたくさん入れたいけれども、入れにくいわけですよ。

例えば50人とか100人のまとまったお客さんが入れない。

だから、採算として合わない、と。

渡辺淳一
でも、そんな団体が、ここへ入ったらイメージが崩れる。


浅羽愛子
要するにうちは、この人はあんな部屋に入れて、あの人はこんな部屋にって、入れにくいわけです。

営業で旅行エージェントを回ると、

「『あさば』はやりにくいわ」「売りにくいわ」ってよく言われてね。


渡辺淳一
そういう客、始めから相手にする気はなかったんでしょ。


浅羽愛子
若い時は、お客さんがほしいから、何とかお願いしますって、いっていましたね。

で、そんな時に、何かいつも、この能の舞台が守ってくれました。

やっぱり能舞台があるから、ここにいられたみたい。


渡辺淳一
能舞台で癒された?

浅羽愛子
そうなんです。

何かこういうことを継続していくっていう重しがいつもある。

能は私、何も知らなかったんです。

ただ秋田ってね、近所に神社があって、神楽殿があったので、そういう神楽は知っていましたけど。

昔は浴衣ざらいといって、夏になると、お能をやっているお客様が浴衣を着ておさらいをやる。

そういう人たちばっかりだったんですね。

時々、面をつけたり、お笛が入ったり、鼓が入ったりすることもありましたけど。

おおよそ20人ほどで、きちんと装束を着けて一番の能を演じるお舞台は、全然知らなかったんです。

で、それをやり出してから、面白くなって、どんどん次から次へと興味が出て。


渡辺淳一
能舞台の存在で、「あさば」は高級旅館、というイメージが基本的にあるよ。

浅羽愛子
お能をやり始めてから、琉球の舞いとか、文楽もやったし。

知らぬが花でどんどんエスカレートしていって、あれもこれもやりたくなっちゃった。

沖縄に行ったり、あっちへ行ったり、こっちに行ったり、フラメンコもやりました。

そのたびにお客様の層がどんどん変わっていくんです。

お能が好きなお客様と、文楽のお客様と、それから琉球の舞いのお客様がいらっしゃるでしょ。


渡辺淳一
文楽もやったの?


浅羽愛子
はい、吉田蓑之助さん。佐藤多圭子さんの琉球の舞い、私好きで4回催しました。

それからね、シェークスピアの『リア王』も3年間で9回やりました。

ある時『リア王』を見て、絶対にこの人の『リア王』をやってみたいと思って。

鈴木忠志さんという演出家の方にお願いしますといったら、何もそんな「あさば」でって。

私、口説きに、利賀村に行きましたよ。

とうとうやることになって、やったら面白いじゃないですか。

それでね、9回やって。

ほかにも、勅使河原宏さんが竹をアーチに組んで、花を活けてくださって、一柳彗慧さん作曲で、観世栄夫さんが石の舞台で「花と音と舞い」をやったんです。

お囃子と篠ア史子さんのハープ、みやたまゆみさんの笙で。

お客さんと一体感があって、よかったですね。

ものすごくたくさんの人がきてくださいました。

泊まられる方と鑑賞だけの方。


だいたい250人から300人、入るわけです。

でもそんなに入っても、うちは劇場じゃないから、何が困るかって、お手洗いとか休憩室がないわけね。

たくさん入ると、何か荒れていくでしょう。

だから何でも、ほどほどにですね。


渡辺淳一
その辺のわきまえは、なかなか立派なものだね。

すぐ調子に乗って、図に乗る人が多いけどね。

浅羽愛子
回数を減らしたのは、県とか、第三セクターとかで、能舞台を作ったり、各地で日本の古典芸能をやり始めているでしょ。

私の役目は終わったんですし、365日のうちのどんなにやっても40日ぐらいが精いっぱいなんですよ。

そうすると、その40日ほどのイベントのために、あさば旅館に泊まる三百二十何日のお客様に、ご迷惑をおかけします。

本当は宿屋で成り立っているのに、影響するので、やっぱり縮小しました。

だから、最近は大きいのはやりません。

しかし、何か奉納という意味も大事にして、能、狂言を基本として古典芸能をやっています。


渡辺淳一
それは大事だね。

浅羽愛子
姑たちから「やめなさい、そんなのは」っていわれました。

でも、これでお能をやめたら、今まで能舞台の「あさば」といわれてきたのに、駄目になったと思われるでしょ。

だからやめることはできないの。

今までお能だけで年間8回ぐらいやって、その他に文楽とか、新内とかいろいろなものをやっていたけど、だんだん減らしています。


渡辺淳一
そうか。たがを緩めたり締めたりね。

そういうのは理屈よりも感性だろうね。

浅羽愛子
舞台の時、お客様が見ているのを後ろで見ているじゃないですか。

そうしたら、石の舞台を作った流政之さんにいわれたんです。

「女将、何でおまえさん、後ろで見ているの?」って。

だってお客様が寒いかしら、暑いかしら、大丈夫かしらと思って、

「お客は横から見ていなきゃ駄目だよ。

舞台の袖っていうのはそういうものだよ」って。

「なぜって? お客が反っくり返るような役者は呼んじゃだめだよ。

前へ、前へと行くような役者を呼ばなかったらだめなんだ」っていうのね。


渡辺淳一
出演者と客の様子を観察するわけだね。


浅羽愛子
それに襟元にマイクを付けるでしょ。

「それ何だ」

「先生、声が聞こえないの」

「おまえさんね、聞こえないようだったら、ここに出る資格はない。

客はここに金を払ってくるんだよ。

それなのに聞こえないんだったら、おまえさん、資格ないよ」って。


渡辺淳一
いろいろ面白い人もいたでしょう。

浅羽愛子
亡くなった8世の観世銕之丞さん、昔は2日間1泊でやっていたのね。

終わると翌日のためにみんな、ものすごく飲むんですよ。

終わった、終わったって、飲むは吸うわ、飲むは吸うわ、すごいんですね。

「先生、そんなに飲んだり吸ったりして、大丈夫ですか」っていったらね、

「おやじにいわれたよ。能楽師が飲んで、たばこを吸って声が出ないならやめちまえ。

それよりも、今日は西、今日は東と、あちこち歩いていることのほうが、どれだけ芸に影響するかって。

だからいいんだよ、女将。

吸ったって、飲んだって」ってそんな面白い話がいっぱいあるのね。


女将は24時間エクサイティング


渡辺淳一
修善寺は東京からの距離も、そんなに近いわけじゃない。

熱海からさらに修善寺まで引き付けるのは、やはり魅力がないとね。


浅羽愛子
昔は、「修善寺? 遠いんだよね」ってよくいわれました。


渡辺淳一
今の人もそう思っているよ。


浅羽愛子
熱海は近いんですよね。

だから私いつも

「温泉は、少々離れて、都会から遠いほうが、静養できますよ。

いわゆる温泉場にいらしてください」って。

それで長岡はいいけど、修善寺は田舎だっていわれるわけ。

昔は長岡って、奇麗な芸者さんがいて、楽しく遊ばせてくれるところだったんですね。

「長岡は楽しいけど、修善寺は、じいさんとかばあさんばっかり行くところだからなあ」ともいわれて。

渡辺淳一
いや、長岡よりは修善寺のほうが変化があると思うけど。


浅羽愛子
電車で、三島から乗り換えるのが大変なんです。


渡辺淳一
乗り換えて、電車に乗ってみると、これはこれで面白いんだけどね。

東京にいるとちょっと分からないかも。


浅羽愛子
その雰囲気が。


渡辺淳一
2年前かな。新橋にいた女性だけど、伊豆のある旅館で女将をやってくれって、誘われて行った女性がいるの。

また最近、銀座にいた女性が、伊豆下田の旅館に誘われて行ったけど、素人が女将業をやるのは、結構大変でしょう。


浅羽愛子
そんなに旅館の女将って、魅力があると思われているのかしら。


渡辺淳一
表だけ見ていると、よさそうに見えるけど。

浅羽愛子
なかなか、男の中の男じゃなきゃできないかも。


渡辺淳一
でも、女は男より強いから、女の本当の地を出せば頑張れるかも。

でも、女将は相当な仕事で、そんじょそこらの人じゃできないんだよね。


浅羽愛子
お客さんに笑顔でね、

「いらっしゃいませ」「どうもありがとうございました」ってね、

着物着て、笑顔でいればいい、という問題じゃなくて、先生。

こういう旅館は、滞留時間が24時間ですもの。


渡辺淳一
気が休まる時間がないよね。


浅羽愛子
だから、それが本当に好きで、次から次へと、ああしたら、こうしたらって楽しめないとできないですよ。

そういうことにエキサイトできる人じゃないと駄目ね。

寒い時に新内やると、みんな寒いと思うから、下に電気カーペットを引いて、ひざ掛けを一人二枚ずつ渡そうとか。

ホカロン出したり、間に甘酒を作ったり。

新そばの頃にはそばを練って、お汁粉を作って、合間に振る舞ってみたり。

夏は、かき氷をして、うちわを配って、蚊やりをやったり。

次から次へと、ああして、こうしてって考えて、それをやることが楽しいわけね。

で、お客さんが喜んでいるかどうかはまた別なの。


渡辺淳一
客の立場で考えることが大事だね。


浅羽愛子
それで喜ばれると嬉しくなって、どんどん、どんどんテンションが上がっていくわけなの。


渡辺淳一
舞台の演じものもね。


浅羽愛子
一つの舞台が始まると同時に、もう次の舞台のことを考えるの。

今度は何をやろうかって。

ポンとお調べの鼓の音が聴こえると、

「あ、やっと幕が開いた。次は何をしようかしら?」って。

演目によっては、2、3年前から計画して、アタックしているものも結構あるんです。

何も知らなくて、イメージで。

沖縄の舞いも、琉球の紅型って奇麗な衣装が、あの橋掛を摺り足でずっと歩いてきて、舞台の上で舞っていたら、所作が奇麗だろうな、という想像だけで、私は沖縄に行っちゃうのね。

「琉球の舞いを見たい、誰かいないかしら。

一番素晴らしい人を紹介してください」って、つてを頼って沖縄に行きました。


渡辺淳一
先へ先へとやっているんだ。

それね、すごいことなんだよ。

兼行法師の『徒然草』に

「夏過ぎて、秋が来るにはあらず、夏のうちに、すでに秋の気配あり」

という一文があるけれど。

わかりやすくいうと、

「夏が過ぎて秋になるのではないと。

夏のうちにね、すでに秋の気配はあるんだ」

といっているんだよ。

これ、なかなか意味深い言葉でね。

夏の最盛期に、これでいいと思っていてはいけないと。

夏の中に、すでに秋の気配があるんだから、その秋に対処する方法を、事前に、夏のうちに考えておきなさい、といっている。


浅羽愛子
まさにそのとおりですよね。
http://blog.livedoor.jp/tabisuru2008/archives/321781.html


鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱醯鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱驩鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱雖雁聴隅鬱鬱鬱鬱羈贍貔躍鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
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コメント
 
01. 2013年10月15日 21:56:11 : W18zBTaIM6
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03. 2013年10月16日 18:44:22 : W18zBTaIM6

あさば[食事編] 2012-05-28


さてお待ちかねのお食事です。書き込みには、以前との比較がいろいろとあり、期待半分、不安半分でした。

食事につきましては、個人の味覚の問題もあり、また、初めての宿泊ですので、あくまでも、我が家の好き嫌いで書いておりますことを、お含みおきください。

まず、主室に食事は用意されます。少々予定時間をオーバーしております〜。不安〜。


お品書きです。達筆な文字が並びます〜。


最初は、菖蒲酒と白魚の衣揚げ。菖蒲をさした徳利にお酒が来ます。菖蒲の香りがお酒に移っています〜。数多く白魚の唐揚などを食べてきましたが、こんなに歯ごたえのある白魚は、初めてでした。お酒が進みます〜。まるで軟らかいスルメのようです〜。あまり表現が良くないかも〜。

このお箸、何気なく置いてありますが、うっすらと水分があります。少量の水でし湿らせてあるのです。こんなちょっとした気遣いが、素晴らしいと思いました。こんな気遣いをしている旅館が今でもあるのが驚きです。

お茶事などでは、今でもお箸を濡らすことがありますが、旅館で見たのは、初めてです〜。やっぱりすごいです〜。


空豆のすり流し。空豆の風味がよく出ていて、美味。個人的には、もう少し塩分がほしかった。


今回のお酒は、メニューに大好きな黒龍があったので注文。さっぱりとおいしお酒ですよ〜。廉価ですし〜。


八寸になると思います。独活のヌタ、のびる、石鯛の煮凝り(小鉢入り)、蛸の柔らか煮、猪ベーコン、海老の酒蒸し。猪のベーコンは、初めてでしたが、臭みもなく美味しい物でした。


次に出てきたのが、立派なお鍋。中身は、田芹と太刀魚の吸い鍋。出汁のよく利いた美味しい物です。特に芹が何とも言えません。我が家は、芹が大好きで、お正月のお雑煮には、大量の芹をのせて食します。


仲居さんが、手早く取り分けてくれます。


出来上がりです〜。お鍋は大きいですが、お椀に盛るとこれだけです〜。お出汁が利いていて、美味。
お代りがほしかったです〜。


このお鍋、純銀製の鍋なのですが、御いくらだと思いますか?仲居さんが、「売店で売っていますよ〜。おいくらだと思いますか〜?たぶん桁が違いますよ〜。」と、なんだか意味ありげに言っていました。

調べると、ナ、ナ、ナント450.000円也です〜。売店で本当に売っていました〜。誰が買うんだろう?


次は、お造りです。石鯛と鰹と伊勢海老です。そつなく美味しかったです。お醤油の味は、「椀」さんの、お醤油の方が美味しいと思いました。


鱒の木の芽炭火焼き。これは、少々身も硬く、パサパサして、あまり美味しいとは言えませんでした。残念。


次に出てきたのは、お品書きと違いました。オクラとアオリイカの酢びたしでした。さっぱりとした味わい。普通です。

手長海老の唐揚です。殻まで食べる方がいらっしゃるとのお話でしたが、到底私に無理でした〜。殻はかなりの硬さです〜。でも身は美味しくいただきました。だし汁も美味しい物でした。

さて、ここの名物の穴子黒米ずしです。期待していましたものです。確かにおいしいですが、少々穴子が硬いようで、個人的には、お味も薄いように感じました。これは味覚の差があるかもしれません。ただ、一個しかなかったので、せめて2個は欲しかったです〜。

手前の棒状のものは、穴子の骨の唐揚です。大好物のハジカミも美味しかったです〜。
意外に美味しいハジカミは、少ないのです〜。


新玉葱、白金豚、焼トマトの炊合せです。これは、私たちの口には合いませんで、妻君ともども残してしまいました〜。残念。
(このトマト「あめーら」と地元では呼ぶみたいです。「甘いです」の意味らしいです。)

最後にお食事ですが、鯵寿司でした。ほかに、お漬物と味噌汁でした。私は、鯵寿司は、美味しくいただきました。妻君は、少々口に合わなかったみたいです。味噌汁は、少々濃いめのお味でした〜(石川県の方言では、クドイ味付けといいます。)。出汁が弱いのかもしれません。


デザートとしてメロンか、くずきりが、選べましたが、迷わずくずきりをたのみました。黒蜜がとっても美味しく、葛もとってもなめらかでおいしかったです。


アイスクリームは、しょうがとよもぎでした。しょうがはパンチがあり、ヨモギは濃厚です。どちらもとっても美味しかったです。


期待していた夕食のお料理ですが、素材を生かした御料理で、全体的には、大変おいしい物でした。ただ、少々お味に斑があるようで、出汁が利いていたりいなかったりしていて、味付けが濃かったり薄かったり。
同じ料理人が作っているように思えないほど味が料理によって違うのです〜。これは、味に変化を与えていると解釈するのが良いのか、少々難しい所です〜。

また、仲居さんの人数が少ないのか、少々配膳が遅く、最初から2時間30分あまりの時間がかかっています。私は、以前は食べるのが早すぎる人間でした。でも今では、かなりゆっくり食べようになったのですが、それでも、御料理の合間が長いと感じました。もう少し早めに配膳されると良いと思いました。

また、量的には、今の私にはちょうど良い量で、満腹で、しんどいという事はありませんでした。ただし、これは今の私だからで、以前の私や、息子などには、少々物足りないかも知れません。

それでも、全体的には、美味しいと思います。


続いて、朝食です。

名物の椎茸の焼き物は、方射性セシュームが検出された影響で、がんもどきの炭火焼きに変化していました〜。残念。

私は、別にセシュームが検出されていても、椎茸で構わなかったのですが、、、。

私のこの年で、セシュームを摂取しても大勢に影響はないと思いますので〜。

しし唐はありました。出汁醤油と、塩と、ワサビをお好みでつけて食べます。


しんとり菜?(初めて聞いた名ではっきりしません〜。)の胡麻和え。ちょっと不確かです〜。みず菜のような触感でした〜。

シラスとワサビ漬け。シラスは、大変おいしかったのですが、ワサビ漬けは、はっきりといって美味しくなかったです。


ご飯は、おこげ寸前の白飯で、おこげになっていないくて、単なる固いお米でした。おこげになっていれば、美味しいのでしょうが、、、、。大変残念でした。


味噌汁は、合せ味噌みたいで、少々の白みそが混じっていて大変美味しかったです。夕食とは、比較にならないほどおいしかったです〜。なぜ、夕食と朝食のお味がこんなにも違うのか不思議です〜。

この蜆は、大変お大振りで、ぷっくりとしていてとっても美味しかったです。こんな、蜆を食べたのは、はじめてでした。大変美味。

お漬物は、少々浅めの味付けです。

出汁巻は、文句の無い物です。だし汁が一杯で、大変美味しかったです。


焼き物もとってもアツアツで大変美味しかったです。


このタケノコ料理は、残しました。私たちにの口には合いませんでした。味付けが濃すぎるのです。しょっぱいといった方が良いかも知れません。夕食の味噌汁と同じで、少々クドイのです〜。どうしてだろう?


デザートの西瓜はとっても甘かったです。

お汁粉もとっても美味しい物でした。これは、お代りがほしかった〜。

朝食が済み、精算をお願いすると、サロンにて、コーヒーのサービスがありました。とっても美味しいコーヒーでした。お代わりしたいのをぐっと我慢して、名残惜しいですが、あさばを後にする事と成りました。

このコーヒーは、今までに飲んだ旅館のコーヒの中では、1番でした〜。


この風景を目に焼き付けて、再訪できることを願いつつ出発です。大変いい思い出になりました。

帰りの際、若主人と若女将が、わざわざ車を追いかけてきてくれて、能舞台と我が家の所縁を丁寧に聞いてくれたことには驚きました。数年前には、前田家の方も見えていたみたいで、我が家の家系を聞いて、驚いていらっしゃいました。好感のもてる、若い継承者でした。これならこの宿も安泰だと思いました。時間をおいて、また泊まってみたい宿です。久しぶりに、懐かしい思いがする昔の良き時代のお宿でした。

あさばの総評:

大変古い佇まいですが、内装は、きれいに維持管理されています。人の気配や、物音が気になる私ですが、まったく気になりませんでした。宿のご厚意で、上の階を空けていただいた効果もあったとはいえ、細かな気遣いが感じられました。特筆すべきは、本文でも書きましたが、清掃が徹底されていることです。数多く旅館に泊まってきましたが、これほど清潔な宿は知りません。塵ひとつないとはこのことだと思いました。

ただ、名をはせている、お食事については、個人個人の味覚に負う所があるため、断言はできませんが、私には、かわせみの方に軍配を上げたいです。お料理によって、味付けの方向性が、まちまちで統一感が欠けているように思いました。端的に言えば、かわせみのほうが、私たちには満足感が強いという事です。

それでも、この宿は、私は大好きになりました。これだけ、さりげなく、また徹底的にこだわっている宿は無いと思います。この一種独特の雰囲気が私には大変好感が持てたからです。

また、時期を替えて再訪したい宿です。宿泊費、@55.800円也は、決して高くはないと思いました。


コメント 15


ギズモ。
お食事編拝見しました
やはり、私が泊まった時よりも、メニューもすこしずつ変化しているようですね・・・当時、穴子の黒米寿司と共に名物だった豚の角煮も無かったようですね
その代りの新玉葱、白金豚、焼トマトの炊合せだったのでしょうか
お口に合わなかったのは残念でしたね

朝食には、大皿にたっぷりのキャベツの浅漬けと、白和えは
ありませんでしたか?
実は、あのアツアツの玉子焼きとキャベツと白和えが忘れられないのです

世につれ人につれ、代替わりにつれ
進化や変化はしかたのないことかもしれませんね

新しい世代の新しい感性と、受け継がれてきた伝統がこれからどう「あさば」を守り進化させていくのか、ぜひとも再訪してみたいものです
by ギズモ。 (2012-06-05 13:45)


yossy

ギズモさん、こんにちは。

なるほど、施設の変化もさることながら、お食事も変化してきているのですね。穴子の黒米すしも、2人の時は、3個と聞いていましたが、2個でしたし、豚の角煮もありませんでした〜。(~_~;)

朝食のキャベツの浅漬けと白和えもありませんでした〜。
どうにか、出汁巻玉子だけは、ありました〜。

進化もいいですが、伝統と格式は守り続けてほしいものです。
進化と変化は、紙一重です。進化して喜ぶお客さんは多いと思いますが、おかしな変化は、お客さんを遠ざけると思います〜。

この変化はどうとらえれば良いのか、私には、判断か付きかねます。
でも、美味しかったお料理がなくなると、少々寂しいですね。

私の場合、グレードアップした加減で、御料理で差がついてしまったのかもしれません。そうだとすれば、少々寂しいです〜。

良い物、美味しい物は、残していただきたいものです〜。
能舞台は、世の良い例だと思います〜。いつまでも、大切にしてほしいものです。

最近の書き込み等を見ていると、料理の変化に注文を付けていらっしゃる方が、多く見られますが、この変化をほかのお客さんが、どう感じていらっしゃるかは、これからの「あさば」の存続を左右しそうですね。

それでも、あのお掃除と細かな気遣いは、ほかの旅館の真似の出来ない一面でした。頑張って進化してもらいたいものです。
by yossy (2012-06-05 14:11)

citron
yossyさん、こんばんは。

お箸を濡らしてだしてくれる旅館はあさば以外でも経験していますが
気遣いが本当に素晴らしいですね〜。
お料理も少しずつ変化してきているのですね。
施設などは行くたびに進化し続けて素敵なんですが料理はいい方向に進化しているようにはあまり感じられませんでした。

手長海老のからが固いのは食べにくいですね。穴子も固いのは残念です。ご飯もいっしょですね。しょっぱいのもいただけないです。
ここのデザートはどれも美味しくて好きですし出汁巻も大好きです。
シイタケが無くなってしまったんですね。

伝統を大切にしながら料理も時代に合わせて進化させていかないといけないこともありますが例え時代が変わっても基本、美味しいものは美味しい、よいものはよいので残して提供していってほしいですね。
by citron (2012-06-05 21:30)


yossy
CITRONさん、おはようございます。

私にとって、旅館で箸を濡らしてあったのは、初めての経験でしたんもで、感動いたしました〜。細かな、気遣いが、とっても新鮮でした〜。

以前の御料理は、色々な書き込み等で、知っていたのですが、細かなところで変化していました。いつまでも同じ料理では、飽きられてしまうという考えからか、内容が変わっているみたいですが、あまり大きくは変えてほしくありませんね。

伝統を大切にしながら、変化させていくことのむずかしさを、痛感いたしました〜。ただ、味噌汁などのあのしょっぱさは、なぜなのかは、いまだにわかりません。全体にしょっぱいならわかるのですが、薄味なものと濃い味付けのものが、混在していたのは、驚きました〜。決して不味い訳ではないのですが、少々面喰いました〜。

でも、あの独特の佇まいは、ほかの宿では感じられない雰囲気だと思いますし、あの綺麗に清掃された館内の雰囲気は、また行ってみたいと思わせるのもでした〜。

お時間がありましたら、以前の御料理をご存じのCITRONさんに、泊って頂き、感想をお聞きしたいです〜。
by yossy (2012-06-06 07:11)


船山史家
yossyさん。

よ、405,000円の鍋!!!(オドロキオドロキオドロキ。。。十兵衛さんとこの猫)
「あめーら」ですね。私は「おめーら」って読んでしまった。 どれも私なんかには上品過ぎるお食事です。
by 船山史家 (2012-06-06 07:28)


yossy
船山史家さん、おはようございます。

こんな高いお鍋、私も初めて見ました〜。純銀とはいえ、高すぎます〜。
あさばには、部屋数の最低17個あるそうです〜。またびっくりです。
by yossy (2012-06-06 08:15)


のん
おはようございます

まず、お箸が濡れていた事は、経験なしです!
すごい気配りですね(*^^)v

そしてお食事ですが、のん達はもちろん口が肥えてないし食いしん坊なので、激安お宿等でも、あまり美味しくないな〜という事が少ないです。

yossyさんは、美味しいものをたくさん食べて、お口は肥えているとは思いますが、そんな簡単に美味しくないとは言わない方と思いますので、あさばさんのお食事は少々残念ですかねw。。。

それでも
@55.800円也で決して高くはないと言わせるあさばさんは、その他の面でやはり素晴らしいという事ですので、余計にお食事が惜しい気がします。
by のん (2012-06-06 10:12)

yossy
のんさん、こんにちは。

お箸が濡れて出てきたところに、居合わせたのは、お茶会の時だけです〜。私も、宿では初めてでしたので、ビックリです〜。!(^^)!

あは〜、私は、グルメでもなんでもない、単なる食いしん坊です〜。
決して口も肥えていませんし、細かい味付けの事もわかりません。ただ、食べるのが好きが講じて、よくお料理は自分で作ります〜。妻君には、邪魔みたいですが、構わず手を出して作っています〜。ですから、夕方は、狭い台所がなおさら狭くなって、妻君に怒られています〜。(~_~;)

以前は、もっともっと美味しかったのだと思います。なにか、濃い味と薄い味が交錯して、少々戸惑いました〜。でも、全体的には、美味しいです〜。

単価的に宿泊料金としては、かなり高いと思います。私もそうそう簡単に泊まることはできません。でも、あの完璧なお掃除と、設備の維持管理の徹底された佇まいを見ていると、これくらいは仕方ないかな〜って、思ってしまします〜。
この雰囲気は、写真ではなかなか表現できないと思います。
by yossy (2012-06-06 10:41)


みみん
yossyさん、こんにちは!

あさばのお食事、興味深く拝見いたしました@^^@
私の時も穴子黒米すしは、2人で3つでした。
数に意味があると仰っていたので、それが変わってしまったのは残念ですね。

yossyさんのお口に合わなかったお料理があったのも残念でしたね。
統一感がない味付けなのは、アクセントを出しているのか否か。。。
なかなか難しいですね。

変わらないのも良し、なのか。。。ん〜難しいです〜。
なぜなら私は何度か行って、穴子すしや豚の角煮がいつも同じに出ることに少々飽きがありました。
朝の椎茸も美味しくて、最初は感動したけど、それが毎度だと新鮮みがなくなりました。
でも、これを目当てに来られるお客さんも多いから、一概に言えなくて難しいですよね。

でも今回、yossyさんがいらっしゃったおかげで久しぶりにあさばの食事を拝見できて楽しかったです♪
ありがとうございます!ごちそうさまでした♡

写真に時間が表示されてあるので、やっぱり10時前にチェックアウトなさったのね〜と笑ってしまいました(^m^)ぷぷ
早過ぎです〜!
by みみん (2012-06-06 18:23)


yossy
みみんさん、こんばんは。

以前何度か泊られたことある、みみんさんは、現在の変わり方をいかがお思いでしょうか。私は、以前の御料理を知りませんので、何とも言えません〜。

でも、泊まるたびに同じで、飽きてしまったという、みみんさんのご意見も、もっともだと思いますし、難しいですね。
宿の方でも、マンネリを打破したいと思う気持ちもわかりますが、良い物がなくなってしまうのも、寂しい気がします。

いかに、良い物を残し、新しい名物を探して行くかが、これからの課題かもしれませんね。

でも、この宿の良さは、御料理だけではないので、これはなくさないでほしいですね。

やっぱりチェックアウトは、早すぎるでしょうか〜、、、。今度妻君にも聞いてみます〜。今までは、何も考えずにいましたので、、、。
by yossy (2012-06-06 21:05)

じゅうべい
こんばんは♡^▽^♡
「あさば」の食事、ご馳走様でした。o@(^-^)@o。ニコッ♪
定番の捉え方は難しいですね〜
毎回食べたいと思う人もいれば、毎回同じじゃ飽きちゃうと思う人もいますね〜
個人差がありすぎるだろうし、どこの宿も一進一退、四苦八苦が本音でしょう┐('〜`;)┌
毎回食べたいと思わせる料理ってホント少ないです〜
私にとってはお馴染みの白根館と湯神の料理は史家さんの言葉を借りるなら定番というより定食♪
これを定期的に食べたいし、メニューの大幅な変更はやめてほしいと思います♪
懐石料理ではこんな思いはありません〜
次は何を食べさせてもらえるのかしらって感じすかね・・・

「あさば」の独特な雰囲気は是非体験したいと思います。
でもね〜今はまだまだ秘湯を追いかけたい気持ちが強いんです。
修善寺まで行くと10キロほど先に「うえだ」があるし・・・・・
もうちょっと温めておきます♪
自分の気持ちが熟してスイッチオンしたらお仲間になりますよ〜〜〜(^_-)-☆
by じゅうべい (2012-06-07 23:28)


じゅうべい
お箸の事は知りませんでした。
   お勉強させて頂きました
   感謝、感謝♪
私も茶道やってたけど、習った事が身についてなかったのか(・_・;)
by じゅうべい (2012-06-07 23:34)

yossy
じゅうべいさん、おはようございます。

お食事の内容は、板前さんも悩んでいらっしゃるのだろうと思います。
たしかに、難しいですね。ただ、名物といわれている御料理は、変えてほしくないですね。やはりそれを目当てに来館する方々も多いと思います〜。( ^^) _U~~

私がよく行く、「椀」さん、などは、奥様から、「いつも変わりばえしない物ばかりで、、、。」とおっしゃいますが、このお料理を食べたくて来ているお客さんは多いと思います。私もそのうちの一人ですので〜。(*^。^*)

この宿は、今まで行ったどのお宿とも違う、一種独特の雰囲気があります〜。古さと伝統と新しさと斬新が同居しているような、一種独特なのです〜。

秘湯めぐりが一段落したら、ぜひとも体験してみてくださいね。

お箸の事は、流派によって違うのかも知れません。私は、お茶に関しては、全くの素人です。お茶事にも、妻君にくっついて行って、2度ほど経験しただけです〜。ですから、なぜお箸を濡らすのかは、はっきりとは知りません。m(__)m
by yossy (2012-06-08 07:30)
http://yossy218.blog.so-net.ne.jp/2012-05-25-2


04. 2013年10月16日 18:59:21 : W18zBTaIM6


一方これが日本最高の旅館と言われていた頃の修善寺温泉 あさば

世界に誇る日本の湯宿  西日本の方にはこの上質さは衝撃かも

 大分や熊本の人気の温泉は素敵、素晴らしいという声はよく聞く。確かに、中九州の大分・熊本の温泉地は、旧来の温泉旅館のイメージを壊し、そこにあった欠点を全て払拭している。 団体旅行専用宿を排除し、かけ流しを基本とした小さな浴槽を用意し、個に籠もる客の意識に配慮して個室露天風呂をもうけている。

「カニ足、茶碗蒸し、天ぷら」という本倶楽部非お薦めの日本旅館三悪料理も極端に少ない。上等な田舎を意識した凝った内容に外観、始めていった客は誰もがあっと言う演出だ。

 しかし、中九州に通い続けると急速に飽きてくるのも事実。

よく見ると、どこも金太郎飴のように同じ。

黒く塗った木材に白い壁、焼き杉の内装材、掃いて捨てるほどの地鶏地鶏のオンパレードに創作懐石と銘打った茶道を無視した懐石、内湯を無視し体まで洗わなければいけない凝った露天風呂、売店で売る地元生ジャムや無農薬野菜・味噌。

何故こうなるかというと、由布院御三家などをのぞいて、かなり多くの宿に同一の温泉宿コンサルタントがついているからだ。

都会では、暴走族のごとき当て字漢字の創作懐石店が若い女性に流行っている。陳腐な安い素材を如何に「いい感じ」に見せるかは、全てお籠もり感の内装とメニュー造りによるが、これはほとんどがコンサルタントの知恵の結集。だから、どこも同じような中身になる。

そんなものに、飽き飽きしたら是非とも伊豆箱根の高級宿をお薦めする。

特にお薦めなのが伊豆修善寺の「あさば」。

350年の名旅館としての歴史と伝統は、内装一つ従業員の動き一つに現れており、失礼だが中九州のの宿が束になっても足元にも及ばない。

そこにあるのは、まさに引き算の美学。凝った演出などどこにもない。あるのは、本物だけが持つ安心感だけだ。


 エントランスは、とても旅館とは思えない重厚な門と唐破風の屋根を持つ玄関。見る物誰をも圧倒し、やがて取り包まれるような安心感を抱かせる。

ぴしっと掃き清められた砂利も見事。もちろん、自動ドアというしゃらくさい物はない。従業員が流麗にドアをあけしましてくれる。

ロビーにはいるが、内装には無駄な演出は何もない。小さなレシェプションデスクがあるだけ。

今では絶対に手に入らない本物の木材が持つ重厚荘厳なロビーの向こうにあっという演出がある。

600坪の池の向こうに前田藩より寄進された能舞台「月桂殿」が鷲の翼のように広がっている。


 早速通された部屋「雨月」の前にも、この能舞台は羽を広げていた。

見る物を幽玄の世界に引きずり込むとともに、今からこの旅館で始まる風雅な世界にも誘ってくれるような期がする。

風呂は、男女別の檜の内湯と男女共同の露天風呂(時間帯によって男女別と混浴がある)、貸し切り風呂が一つある。

温泉ディズニーランドのごとき最近の旅館と比較すると、ここの風呂はどう見てもミニマム。でも、それで良いのだ。

小さな浴槽にたっぷり注がれた源泉は大量に掛け流されていく。

凝った演出は何もない。ただ、備え付けのアメニティー・タオル一つ一つが本当に上質かつ清潔である。

 修善寺の泉源は、集中給湯の混合泉。成分総計0.35gのアルカリ性単純温泉で無味無臭。個性は何もない。

ただとにかく柔らかい湯である。清潔さと大量のかけ流し、絶妙の湯温・・・・それでいい。これこそ湯の引き算の美学だ。


当日の夕食のメニューは

 ・竹の子 菜海苔揚げ
・季節の盛り合わせ(鯛の南蛮漬け、空豆、鯛の子、金柑煮、煮こごり)
 ・沢煮椀
・平目 あおり烏賊造り
 ・鰆塩焼
 ・伊勢海老唐揚
 ・蕪むし
 ・穴子黒米鮨
 ・天城軍鶏たたき鍋
 ・上記の玉丼
 ・ブラマンジェ
 ・3種のアイスクリーム(ジンジャー、グランマニエ、かぼちゃ)

なお、このメニューは、事前に予約客に詳しい調査があり、各人の好みに合わせて変化する。

特に、この宿は外国からの賓客も多く、その国の宗教や風習、個人の好みに合わせて、素材から変更する。もてなしの心は、この宿では細部にわたるのだ。


 目を見張るメニューは何もない。ただ、いずれも、素材は超一級、もの凄いという表現がぴったりの味付けであった。

熊本直送の竹の子はびっくりするほど新鮮、沢煮椀には、ウドや竹の子などの野菜と全く同じ太さに切った豚の背脂が衝撃的だった。

この時点ではもの足らなさの残る塩味だ。平目の熟成も完璧。焼き物・揚げ物の火の通し方も絶妙で、実にジューシー。

蕪蒸しは、まったく魚をつかっておらずキクラゲと銀杏のみ。それで居てこのコクなので、よほどの出汁なのだろう。穴子鮨の穴子は東京湾の物で、江戸前の仕事。クリーミーさは完璧。鮨といいながらほとんど酢は使っていない。

そして、何とも記憶に残りそうなのがたたき鍋と玉丼。恐らくこれを食べるために、また仕事をがんばろう。

ディセールは一転して洋の上質。食後にオーダーして選択することができる。

実はこの宿には、デザート専門のシェフが居るという情報は掴んでいた。さも当然の如く流れるように客の要望をくみ取っていく仲居の技術も素晴らしい物があった。

御飯の炊き方も素晴らしく、失礼ながら由布院や黒川は遠く彼方にかすんでいく。


 朝起きると、絶品の朝食が待っていた。菜のおひたしはごまクリームとお出汁の割合が絶妙。

衝撃的なのはだし巻き。今まで回った宿で最高、いや料理屋を含めて最高だ。金目鯛の西京焼きに絶妙の塩加減の浅漬けにシジミのみそ汁。決して派手な演出はないが、一切の手を抜いていないのが分かる。
 朝食後、能舞台を脇から眺めるサロンに通された。ダニエル・ビュレンヌの作品。日本旅館にして、実にセンスの良いサロン。ジャズのスウィング。飾られている花は全て伊豆の山葵の花。

 旅立つとき、靴は人肌に温められていた。

一生、この宿から離れたくない。そんな思いをさせるあさばの一日であった。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~umayu/page156.html


05. 2013年10月16日 19:10:41 : W18zBTaIM6

修善寺温泉「あさば」が変わったのはこの頃からですね:

ひろ爺さん [ 09/10/23 14:54 ]

今回で4回目の宿泊です。

松風の間でしたが、女房は控えの間へ入った途端に咳き込み、止まらなくなってしまいました。正室の方は だいぶましでしたが、滞在中 窓を開けっ放しで過ごしました。何故かは判りませんが、これまで泊った他の部屋ではそんなことは有りませんでしたけれど・・・。 

食事もこれまでは満足していましたが、今回は不満足でした。椀物は塩辛すぎて食べられず、味噌汁は逆にうすすぎてダシもあまり効いておらず飲めませんでした。

美味しかったのは、ブラマンジェと出し巻きだけだったとは言いすぎか。

泊った時期が悪かったのかなあ。(因みに御品書の用紙もこれまでとは異なり ごく普通の白紙でした。) 気に入った宿だっただけに今回は残念でした。


北斗七星さん [ 09/10/13 01:38 ]

伊豆・箱根方面に行く時、定宿として使って今回で4回目になるが、食事の質の低下に驚いた。

ひろ爺さんのコメントにも半信半疑だったが、本当にダメ。
普通の老舗旅館の味に成り下がってしまった。

出汁感なく水っぽく、しょっぱさも気になった。思わず

「料理長、変わりました?」

と妻が聞いたほど。 30年ぐらい変わってないそうだが、いったいどうしたことか?


iyashinnboさん [ 09/06/16 17:41 ]

こまめさんのコメントGOODですね。私もそう思います。

私も以前よく利用しました。確かにソフトの面は色々聞きます、でも、旅館関係や従業員の方の話が私の耳によく入ってきます。お客様はどう思っていらっしゃるのでしょうね。

食事は京懐石では確かにないですね。私は好きなのですが嫁は何時も同じテイストで面白くない、とあまり良い評価はだしません。

ただ部屋や風呂景観は素晴らしいです。ただ残念なのはお客さんによってサービスが違います。

具体的にはロールスロイスで行く時とクラウンで行くときとでは全然違います。芸能人や政治家の方が良く利用されるのである意味仕方がありませんが、もちろんクラウンは私でしたけど(単なるやっかみかな、すみません)



yokoママさん [ 09/01/24 11:26 ]

九州の友人がこの旅館に行きたいというので、止めさせました。

それほどここはソフトは最悪。

ここの掲示板にこれほど書かれているのに経営者は何をしているかと思案投げ首。ハードに頼りすぎているのではないでしょうか

08年ViSAから人間国宝の新内の案内で来たので問い合わせした処、無愛想なことこの上無し。しかも一人1泊8万ですぞ。

その部屋を聞いても、私が昔泊まった部屋は改造して無いとのこと。部屋の案内をするにも、名前を早口で言うので理解不能。

そんなに人気の御宿でしたら結構と思っていたら、キャンセルがありましたのでいかがですかの電話。

誰が行くものか。あの景色を見て行きたくなるでしょうが、料理なら鬼の棲と変わらず。サービスは当たり外れあり。これが問題。 

総括、CPはギャンブル。
http://ryokan-gp.com/srk/1399


06. 2013年10月18日 12:46:43 : W18zBTaIM6

正子の世界:訂正 ('10/02 訪問)
リエートさんの口コミ


とても残念なのだけど、そんなことがあっては今後のご縁はないな、と思うことがあり修正。

自分が行ってよい印象を持っていたので、大切な家族へのプレゼントとしても使っていたのですが、こんな事後報告が…。

具合が悪く、料理を普通にいただけないのでお粥を作ってもらえないか、とお願いしたところ…断られた上に料理はどんどん運んでこられ、箸がつけられていない料理は冷めたところでどんどん下げられ、気まずい時間だけが流れたとか。

ホスピタリティのなさと対応力不足を感じるのみです。

手配した私も、大いに面目を失いました。ヤレヤレ。

美味な出汁と新鮮な卵と厳選されたお米があるのに、なぜこんな事態になったのか、本当に疑問です。
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/2134065/?lc=0&srt=update&sby=D&use_type=0&PG=2&smp=2


07. 2013年10月18日 13:08:35 : W18zBTaIM6

修善寺『あさば』 !おきばりやす!

2009年06月23日 | 先生の日常

過日、久しぶりに好きなお宿『あさば』さんに宿泊致しました。

修善寺の温泉、お料理が売りの350年続く名旅館でございます。


日本旅館大好きで様々な良さそうなところを、そのお宿を目的に旅行をする私にとって、近場では熱海・蓬莱さんか修善寺・あさばさんがお気に入りでございました。


あさばさんは、蓬莱さんよりも華やかな雰囲気があり、渋好みな私はどちらかを選ぶなら蓬莱さんかも知れないですが、あさばさんはなんと言いましてもお朝食が美味しいので、何度でも行きたい旅館でございました。

情報を得て行ってみたい♪と思う旅館は山のようにございますが、リピートしたいとはそうは思いませんで、新しい興味を満たすよりもリピートを選ぶ旅館は、本当に少ないです。

私はお能・お狂言が大好きですので、あさばさんにはお池になかなかの能舞台がございます事もとても気に入っておりました。

しつらえが大変素晴らしく、沢山オープンしている格好良いデザイナーズ旅館には手に入れる事が出来ない、350年の名旅館が持つものがあり、どうやっても真似出来るものではございません。


温泉自慢のあさばさんにはいくつかのお風呂がございまして、リサイタル前から辛い肩が鍼に行っても治らないので楽しみにしておりました。


お部屋に通され先ずはお風呂に参りましたら。。。

以前は男女入れ替え制で入れました2つのお風呂が貸し切りになっておりまして、家族風呂は閉鎖されていました。

2つしかないお風呂両方に入浴中の看板が立てられていて、入れません!

温泉旅館に来て、好きな時に温泉に入れないなんて非常識があっていいわけがございません!!

意味が分からずしばし呆然・・・


以前も、1つだけ使えないお風呂がございましたが、それは予約のお電話で

『1つがメンテナンス中でお使いいただけませんが、それでもよろしいでしょうか?』

と何度も確認されました。 当然です。

しかし、今回は何も言われておりませんでしたし、もしも2つしかないならば、家族風呂にしてしまう事がおかしいわけです。
常に開放されているお風呂が存在しないとは、有り得ないのです。

長い方は1時間以上入りますから、野天などは特に。
2組以外のお客さんはそれだけ待つ事を強いられます。
私でしたら逆に、後にお待ちの方がいらっしゃるかも知れないと思って、ゆっくり入らずに出てしまいます。。。

ご一緒しているお客さん同士がお風呂にもご一緒に入るとは限りませんし。


お風呂に入りたいのに1時間も待たせたり、次に誰か来ないためにお風呂の前でうろうろしたり、次の方を気にしてゆっくり入れなっかたりという事を、お客様にさせてはいけないに決まってると、私は思います。

今までクレームをつける人がいなかったのでしたら、それは客層がものすごく落ちたという事です。

温泉宿とはなにか、を分かっている人ならば、絶対納得しないから。

しかも、2食付きで1万円のお宿なら『そんなものかしら』と思うでしょうけれど、あの『あさば』ではあっていけない事でございます。


と思いまして、あさばで検索致しましたら、

『宿の中に2つある温泉は貸切です。
事前の予約、料金は必要なく好きなときに好きなだけ入ることができます。
私たちは本を持って入り、長湯を楽しみました。』


などという評を書かれている方がいらっしゃり、非常に驚きました。

好きなときに好きなだけ入ることは出来ないわけですよ!
本を持って入って長湯したら、お待ちの方が困るのですよ!!


その時にお宿の方に

『一体どういう事でしょうか?温泉宿で温泉に入れないという事があっていいわけがありませんよね?』

という意味の事を、柔らかい声で、せっかくの旅行を台無しにしたくない気持ちで頑張りながら、静かに伺いましたら。

只今すぐに、もう一つのお風呂にお湯を入れさせていただきますので、少々お待ちください。って。


入れるお風呂があるのに、お湯代をケチして開放しないって、あの『あさば』で!?


そこから待つ事40分程。

その間、物凄い工事の音が。

トンカチとか、よく分からないですけれど、明らかに改装中の凄い音。
これって、お客様がチェックインしたらさせてはいけない音。

何をしに来ているかと申しますと、静かにリラックスする為に伺っていて、あさばさんのお庭から聞こえる水の音に癒されたくてリピートしておりますのに。

ガンガン、ゴンゴン・・・
本当に凄い音。

仲居さんがお風呂の事で謝りにいらしたので、仲居さんに言っても仕方ないのですが、またもやとてもにこやかに『今、なにか改装なさっているのですか?にこ♪』と伺いますと、『お客様からのご希望があって、エステルームを2階に造っております。あれ?今日は工事の日だったかしら?違うかと思っていましたが、音が…しますね。うるさいですか?』

・・・


たまたま今日かどうかという事ではなく、そういう事はチェックアウトとチェックインの合間にしか出来ないはずではないですか?

お客さんが何をしに何を求めて何に対価を支払うか、お分かりにならないですか?

女将さんか、経営かが変わられたのですか?

誠に申し訳ございません、ごもっともでございます。
教えてくださり、本当にありがとうございます。

と仲居さん。

でも、翌日の朝もサロンでコーヒーをいただいていたら、ガンガン!ゴンゴン!!と始まって。。。
嗚呼、ダメだこりゃとガックリきたのでした。

そんな事を私が教えるまでもなく、当たり前の事なのにやってしまい、一時の気の迷いでやってしまったならまだしも、クレームをつけた翌朝に、まだそのお客さんがいる時にまたやるって、辛すぎます。


今いるお客さんを見ていない。
エステルームに群がるお客さんが落とすお金しか見ていない。

毎日お客さんがいらっしゃるでしょうけれど、その時にいる一人のお客さんにとってはそれは唯一のお時間です。


旅館側がone of themとして接客したら最後です。
それは、私も忙殺されている時にいつも自分に言う事です。

チェックアウトからチェックインの時間内で終わらないと人工費用がかさんでくるという経営判断が、今唯一のお時間を過ごしているお客さんの快適さを犠牲にする事を選んだという事ですよね。

クレームをつけてもらえるうちはまだ希望があるのに、上辺だけご挨拶をして翌朝また騒音をならしてガックリさせるような間違いを平然とおかしては、たとえ常連客であっても何も言わずに二度と来なくなります。

後に残るのは、悪い意味で変わり果てたもののみでしょう。

お風呂が出来て私にお風呂の鍵を渡し、

『こちらのお風呂は、お客様専用でお使いください。鍵をお持ちください』と。

私は他のお客様と平等でありたいですし、おかしいと思いましたので

『同じ気持ちになる方がいらっしゃるはずですから、どうぞ皆さんに開放なさってください』

と言いましたが、何を勘違いなさったか、いえいえ!いいのですよ。と。

お分かりいただけないと感じましたので受け取りました。


温泉旅館にとって一番大事な事を忘れて、エステルームをお造りになっている場合ではないのでは?

とつくづく。


お風呂に入ってまた驚きました。
お部屋では気付きませんでしたが、後で見ましたらお部屋の洗面所も同じでした。

何故キレイキレイが!?

このお写真、ビジネスホテルのようですよね?
あさばの洗面所です。

以前は違いました。とても素敵でした。

キレイキレイがどんなに良い商品であろうとも、この雰囲気に似合う備品だとは思えませんし、お客さんがお家や公衆の洗面所で見かけそうなものを求めているはずがないのに。
もし中身がそうでも、容器を替えるとか。
それくらいのセンスがない旅館ではないはずなのに。
どうしてでしょうか???

およよ、私まで。
文句言いながらもつい撮っておりました☆


蓬莱さんは、まだロクシタンが日本に表参道店しかなかったころ、ハイセンスな女将さんが気に入り表参道まで買い出しにいらしていまして、やがてロクシタンが誰の手にも手軽に入るようになりましたら、またなかなか普段はお目にかからないフランスの美しい備品に変わっていました。

そういう、非日常の美ってものすごく大事ですよね?

アメニティは置いていなくて、用意しますと書いてありましたのでお願いしましたら・・・

アメニティはホテル&旅館の顔ともいえると、そういうお仕事をなさっている友人から聞いたことがございます。

ビックリしてしまって、意地悪にもまた撮ってしまったのですけれど、↓こちらが届けられました。。。
あさばの方がこちらのブログを御覧になって、意識を改めてくださる事を祈っております。


お茶人と致しましては、後ろ向きを渡す相手に見せて渡すところから気になりますが・・・
そこは目をつぶりまして。
何故に新品・使い捨てのものが用意されないのでしょうか?
あと数回分のチューブをしぼって使えと言うセンスがよく分からなくて、一体あさばさんはどうしてしまったのだろうと、とても悲しくなりました。


お食事。
美味しくいただきました。
でも。

『今の時期は鮎でございます!』とそういうおっしゃり方をこのレベルのお宿がするならば。
そしてこちらようにお出しになるのでしたら↓


どんなに小さくてもよろしいので、天然じゃないと格好がつかないのでは?

天然ですと小さいので…と言って、養殖ですと仲居さん。
2尾もいりませんので、1尾でよろしいので養殖じゃない方が良いと思います。

『天然でございますので小ぶりになってしまっております』というセリフが返ってくる方が自然です。
でなければ、鮎にしなくて良いと思います。


蓬莱さんは、その時とれる旬のものが鯵ならば、最高に美味しい鯵を提供なさいます。
それで良いのです。

よくありがちな、お値段取るからには豪華な食材をつかわなくちゃ!と思って、捕れないのに伊勢海老のマヨネーズ焼きを必ずつけてくるような、そういう感覚はいらないと強く思います。

デザートも、『いつもでしたらメロンがつくのですけれど、今日はございませんで…』とか『いつもはアイスクリームなのですが、ブランマンジェになってしまいます』などとおっしゃられてしまいますと、

『嗚呼、今日は平日でお客さんが少ないからメロンを買うのを節約したのですね』とばれます。

でしたら、『本日は特別に美味しいスイカが手に入りましたのでお出しします。』とか、『料理長自慢のブランマンジェをお持ちします』と何故言えないのかしら。
にこやかで非常に良い方でしたが、正直すぎます、仲居さん。


お風呂の件、ご一緒していた短気な友人が、表情は笑みを浮かべながらとても静かにやわらかに『どういう事なのか、分かるように責任ある御方からお話しが伺いたいです』と言ったらしく。

本当に『意味が分からない』から。
あさば来訪は初めてではないので余計に分からなくてでしょう。

でも女将さんも支配人もいないのね、この旅館。
それも有り得ないねえ。

とお話ししおりましたら。

後から『ほんとにすいませ〜ん』と軽やかにおっしゃってきて、しかしきちんとした説明は全く出来なかった方が支配人だったと知りました。

友人の言い方で責任ある方を求めたにもかかわらず、名乗らない・お名刺を渡さない、誰だか最後まで分からないままで終わらせるって、とても無礼な事ですよね。
立場がお客さんでなくても、社会の一般常識として無礼ではないかと。

不景気で色々と節約せざるを得ないと致しましても、お湯は権利をもっていて源泉かけ流しだから数百円の事ですし、石鹸なんてワンプッシュですし、全て本当に数百円のこと。
それを足しても、一人あたり千円〜二千円。


そこはまさしく『おきばりやす!!!』でしょう。
きばらないと。

カッコつけるって、私はとても大事な美学だと思っています。
それが最も必要なお商売だと思います。


節約しなければならないなら見えないところで。

そしてお客としては、お料金に二千円プラスして良いので、気持ち良くすごさせていただきたい。
折角の機会がこんな一泊になってしまうのでしたら、二千円足したいです。


とても好きなお宿でございましたので、大変ショックで残念でございます。

この崩壊一直線の方針は、どうにか修正して元の素敵なあさばさんに戻っていただきたいと切に願っています。
そう思って、言いたくない事をお伝えしたのに・・・

文句は心と時間をマイナスに消費しますから、無駄な相手にはお伝えしないですよね。

皆さん同じ人間同士で頑張っているわけですから、傷付けたくないですし。

でも頑張ってみたのに、上っ面だけ頭をさげて翌朝また騒音が聞こえたときが、一番がっかり致しました。


実際には、友人も私も互いに気持ちよく過ごすための努力をして、お湯の時と騒音の最初しか口にしていません。
せっかくのお時間なので、文句ではなく気持ちよい部分に目を向けて。

どんなに勘違いがすすんでも、やはり良い旅館だなあと、そのしつらえ・風情を見て、香りを感じて思います。
そういう、素晴らしいはずの場所なのでございます。


4 コメント


ご無沙汰です (HR-Miller)2009-06-24 11:10:15ガウリさん

いやはや、テンションあがってますね↑

ところで以前、東京ディスニーランドを作った方のお話を伺ったことがありまして、

20年後、30年後の日本の年齢別人口比に伴う家族構成を見越し、来場者が何を期待するのかを予測して施設を作ったというエピソードにはビックリしましたけど、

それ以上に注力したのが、人間系の高品質サービスの提供なんだそうです。

最近、本になって話題になりましたよね。

若い夫婦がディズニーランド内のレストランに訪れた時、注文したのは「お子様ランチ」

このメニューは小さなこどもにしか出してはいけないという規則があったので、店員が夫婦に問い合わせてみたら、

誕生日になったら、一緒にディズニーランドに行こうと約束していた彼らのお子さんが亡くなってしまったそうです。

当日は、そのお子さんの誕生日。

今日はその子のために、お子様ランチをお願いできないか?とのことでした。

それを聞いた店員は、規則があるにもかかわらず、テーブル席のひとつを子供用のイスに取り替え、そこにお子様ランチを出してくれたそうです。

この配慮に、若い夫婦は、涙を流して喜んだんだとか。

こういった人との関係を増やす為に、園内に自動販売機が一台も設置されていないのも、有名な話ですよね。

リピータが異常に多いといわれる由縁は、こういう面が影響しているんでしょう。

こういった人間系のサービスって、重要ですよね。

ちょっと配慮すれば、お客さんがすごく喜んでくれるのに、

この「ちょっと」が、できなかったり、思いつかなかったり。

私もある意味サービスサプライヤーなので、こういう面は気をつけないといけません。。。

HR-millerさん (ガウリ)2009-06-24 20:59:58
やはり、今目の前にいる人を見ていれば、それで良いのだと思いますね☆
その人を感じていれば、自然に出来ることかと。


あさばさん、今回は様々な事を一気に見てしまったのですが、変なことに出くわさなければ、とても居心地の良い旅館です。
やはりしつらえば素晴らしいです。

私はたまたま出くわしてしまったのですね。
お風呂も、私が行った時に2つともうまってなければ、入れたなら何て事なかったでしょうし。
エステルームも、もう作り終えた後に行っていたら、そういう『今いるお客さんの快適さよりエステルームに群がる未来のお客さんが落とすお金』を選ぶ経営を見ることはなくて、へ〜エステルームが出来たのね♪素敵☆で済んだわけです。
鮎の時期だったばかりにばれちゃったと。

でも、出くわしてしまったのです。

とても感じ悪い日記になり、イメージも悪いでしょうからこれはアップしようか否かだいぶ悩みまして、もう全然怒っても興奮してもいないのですけれど、「どうでもよい人には注意しないのよ」と全国のお子さんが親御さんに言われているように、大事におもっているからこそあえて書きました。

あさばさんがお読みくださると信じて。


はじめまして。 (あやこ)2009-06-25 10:24:59
一年以上前にサロンテッセラさんを検索していましたら偶然ガウリ先生のこのブログにたどり着きまして、あまりに上品で、なのにユーモアたっぷりの文章に一目ぼれしてしまいました。それからずっと読ませていただいております♪

いつも、ご自身の演奏者としての音楽に向かう姿勢、教育者としてのお考え、芸術に対する含蓄の深さ、今回の記事のような人として失ってはならない大切な事、など、心から共感して読んでおります。

仮にも同じような立場にいる者として、「(自分との)この違いは何!?」と、先生の人間性の深さに日々感動&自分の小ささを省みております…。
どうぞ、これからもどんどん先生のお考えを発信していってくださいね。楽しみにしています。


あやこさん♪ (ガウリ)2009-06-25 23:08:26
コメントをどうもありがとうございます。
また、このおふざけブログ(よく母から削除命令が出ます。今は母はサハラ砂漠でキャンプ中なので、やりたい放題です☆)をいつもお読みくださり、ありがとうございます。

やはり偉そうで感じ悪いから、削除しようかしら・・・と思って開きましたらあやこさんから温かいコメントをいただいており、そのように受け取ってくださるなんてと感激いたしました。

大切なご縁ですので、生意気ブログはお目障りで怖そうな先生と生徒さんも寄らなくなりそうですが、そのままにしておきます。
もしかしましたら、母がモロッコから帰りましたら消えるかもしれませんが。。。
http://blog.goo.ne.jp/gauri1016/e/e65b43b0cc17419069e46d1b258c17c1


08. 2013年11月05日 16:02:19 : W18zBTaIM6


あさば 修善寺 2013年04月17日


宿飯のうまさでは、関東で頭一つ抜けた存在。夜・朝ともにスキがありません。
部屋や風呂など、設備も値段に見合っています。

ただ、サービスの方は、徐々に経年劣化が進んできているのでしょうか。
震災直後の、謙虚で心のこもったもてなしに戻ってほしいものです。


やっぱりきめた。
あさばにきめた(ハトヤのCMを思い出してください)。

伊豆方面で旨い物を食ってのんびりするなら、やっぱりここ、ということになるのでしょうか。

他にも良さげなところはいろいろあるようですが、「柳生の庄」ですべって以来、新規開拓でギャンブルするのがバカバカしくなってしまいました。


これといってケチのつけようがなかった宿ですが、今回は「あれ?」と思うことしばしば。


まず到着時。

小雨でしたが、車から降りるとき、傘を差し掛けてはくれませんでした。
おまけに、車の駐車も自分でやらされました。

以前にはなかったことです。
勝ち組の慢心でしょうか。

絶好調な時こそ、凋落の芽が顔を出すもの。余計なお世話かもしれませんが、嫌な予感がしました。
http://ameblo.jp/jinsei-j-blog/entry-11511885461.html


09. 2013年11月22日 22:30:13 : 2D6PkBxKqI

むーさん [ 13/11/05 13:03 ]

歴史、風景、アメニティ、館内の雰囲気は、さすが・・・といった旅館です。
  
しかし、食事が最悪でした。
爺さんや北斗七星さんのコメントを信じるべきでした。  

夜のデザート、朝の卵焼きは美味しく頂けたのですが、それ以外はほとんど残しました。  お腹が減って、とても困った印象しかありません。  

30年以上料理長は変わってないのなら、その料理長の体調が心配です。  

しかも、女将が変わってからサービスの質も落ちている感じがします。 

中居さんの質も悪い。  

料金を考えると、最低ランクの評価です。  あの料金を取るなら、もっとちゃんとして欲しい。
http://ryokan-gp.com/srk/1399-123


10. 2013年11月22日 22:41:53 : 2D6PkBxKqI

386 :食いだおれさん:2013/09/17(火) 00:40:10.98

長野のしおり絵は美味しかった。

修善寺のあさばは、口コミいいけどメシマズだから気をつけて!
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1007482832/l50


上高地口 さわんど温泉 渓流荘 しおり絵 公式サイト
http://www.siorie.com/

自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考えれば真実は直ぐにわかるのに、日本人は自信が無いので、どうしてもネット情報や旅館の口コミを信じてしまうのですね。


11. 2013年11月24日 12:56:01 : 2D6PkBxKqI

あさばのクチコミ - あさば 過大評価宿?

雑誌等のランキングでも常に評価が高かったので、期待して行きました
イイと言われている宿を10年来毎月泊まり歩いていますが、ほとんどの点において
過大評価されている宿といった感想でした

夕食は部屋なのですが、隣の部屋に給仕する声が聞こえてきたり等
全体的に繊細なもてなしが感じられませんでした

期待が大きかっただけに辛口になってしまいました

by アマン系さん

投稿日:2008年07月22日 訪問時期:2008年6月
http://tabisuke.arukikata.co.jp/mouth/13788/


12. 2013年11月24日 13:07:05 : 2D6PkBxKqI

宿無しさん@予約いっぱい [sage]2008/08/23(土) 01:30:29ID:FNKaO5zq0

あ●ばって、過大評価されすぎ
食事まずいのに
http://hotel.log2.me/1175343519_900.html


13. 2013年11月25日 23:03:17 : 2D6PkBxKqI

あさばの料理が不味いと言えない日本人の生真面目さが日本の伝統文化を崩壊させる


派遣社員やってる年収200万円の僕だけど、一年間何とかお金を倹約してやっと憧れのあさばの一番安い3万円台の一間の部屋に泊まった。

僕の車が到着した音を聞きつけて「いらっしゃいませ」の声。
しかし、僕がスズキ・アルトに乗っているのを見たとたん、従業員の人は顔がこわばり、まるでゴキブリを見た様な目になった。 女将さんも僕の所にだけは挨拶に来なかった。

しかしそれでも部屋から能舞台が見えたのに大感激

さていよいよ、お待ちかねの夕食タイム
あさばは一番安い部屋でも料理は同じと聞いて期待していたのだけど…

椀物は塩辛すぎて食べられず、味噌汁は逆に薄すぎてダシもあまり効いておらず飲めなかった。 名物の穴子も硬く、匂いも残っているようだった。
ブラマンジェは、甘すぎて味がわからず。
結局、美味いと思ったのは出巻きだけ。

でも、僕は生まれてから高級なものを食べた事一度も無いから、味がわからないだけだよね。

あの食通の あびたろう先生も あさばの料理が日本一だと言ってるし、
食べログやトリップアドバイザー の口コミでも 全員があさばの料理を絶賛してるしね。

僕も頑張って正社員になって、他の人みたいに料理の味がわかる様になりたいな。


______


社会が悪いと言えない日本人の生真面目さが日本を崩壊させる

個人の努力は大切だが、それだけで世の中が渡れるほど甘くない。個人の努力を超えたところで起きている時代の流れは、すべてをなぎ倒してしまうこともある。

1930年代、夥しい人たちが世界大恐慌に巻き込まれ、失業・リストラ・自殺・流浪という人生に落ちていった。

当時の彼らは、ひとりひとりが努力していなかったわけではない。今と同じで、誰もが他人の世話にならず、きちんと生きられるようにと努力していた。

しかし、時代がうねって大恐慌時代になると、もはや仕事などひとつもなかったのだ。

彼らは家族を食べさせるために、どんな惨めな仕事ですらも受け入れる悲壮な覚悟で生き延びようとした。それでも仕事は見つからなかったのである。

この大不況は世界規模に広がっていき、やがて全世界を巻き込む大戦争となっていった。

時代が不況に落ちたとき、時代が混乱と激動と戦争に向かって行ったとき、私たちはもう為す術がない。歴史を見ていると、それを否定できる人はひとりもいない。

多くの人たちはそのとき、「自分のせい」にする

仕事もしないで、遊び暮らそうと考える人は世の中には少なからずいる。しかし、ほとんどの人は自分なりに一生懸命に働き、努力し、向上心を持ち、将来を夢見て生きている。

怠惰に遊び暮らすどころか、むしろその逆に自分の時間を削ってでも、多少身体の調子が悪くても、それでも必死で働いて「人に迷惑をかけないように」と生きている。大多数の人は、努力しているのである。

恐らくあなたもそうだし、あなたのまわりもみんなそうだ。きちんと将来を考え、家族のことを考え、毎日を必死で生きているはずだ。

それでも、貧しかったり、苦しかったり、仕事がうまくいかなかったり、リストラされたり、失業したりすることがある。学生はどんなに就職活動をしても、まったく内定が取れないということもある。

多くの人たちはそのとき、それを「自分のせい」にする。なぜなら、貧しくない人もいるし、人生を楽しんでいる人もいるし、仕事がうまく行っている人もいるし、楽に内定をもらえる人もいるからだ。

そういう人がいる中で自分が挫折を味わうと、それは自分のせいなのだと単純に思うのは無理もない。

「時代が悪い」などと言うと、「いや、お前が悪いのだ」と反論されて終わりだ。この世に完璧な人はいないから、お前が悪いと言われて反論できる人はあまりいない。

しかし、歴史をよく観察すると、社会は常に動いており、紛れもなく「時代が悪い」という時期があるのである。

社会は、好況と不況を繰り返す。混乱と安定を繰り返す。もし、社会が不況で混乱しているのであれば、時代が悪いという見方は責任転換ではない可能性もある。


時代が悪かったのに、自己責任と言われた人たち

「時代が悪い」というと、必ず「自分で努力もしないで、他に責任を押しつけている」と言われる。言われなくても、そう思われることも多い。

本当に何の努力もしない人に限って「時代が悪い」と責任転換することが多いので、「今は本当に時代が悪いのだ」と言う人がいても、どうせ責任転換だと思われるのがオチだ。

だから、まじめな人であればあるほど、どう見ても時代が悪くても「時代が悪い」とは言えないのだ。そう考えても、それを打ち消して「いや、自分が悪い」と思い込もうとする。

日本は1990年を頂点にして、国の衰退が隠せなくなり、2000年に入ってからは正社員になれない若者や、リストラされる中高年が爆発的に増えた。

自殺が毎年3万人を超え始めたのもバブル崩壊後である。社会は大きく激変していたのだが、当初の人々の見方はまったく違った。

「若いやつは努力しないから正社員になれないのだ」
「仕事ができない人間がリストラされている」

実際は、日本企業がグローバル経済の激甚な競争に飲み込まれ、経済的に無策を続ける日本政府や官僚の姿勢も重なって、日本人はそのツケを払っていたのである。

最初は多くの人々がそれに気付かなかった。人々はそれを、個人の責任論に転化していた。「自己責任」という言葉が流行ったのは2000年以降だ。

しかし、ニートやフリーターのような立場に陥ってしまった若年層が100万人規模になり、自殺者は3万人を毎年超え、中高年が次々とリストラされて、どうにもならない人たちが莫大に増えた。

それを見て、やっと日本人は「時代が悪い」と気付いたのだった。一部の人の問題ではなかったのである。


「社会が悪い」とは最後の最後まで考えない日本人

バブル崩壊から20年以上経っている。日本が「悪い時代」に入ってから20年も経ったということになる。

すでに自殺者は約60万人になっており、未遂を入れるとその10倍はいる。単純に10倍すると600万人だから、相当数の日本人が追い詰められていたことが分かる。

日本の底辺は、静かに崩れ去っていたのである。

生活保護受給者も増え続けている。もう200万人を超えている。その多くは老人なのだが、日本はこれから老人が増える国なのだから、生活保護申請は多少の増減をしながら、最終的にはもっと増えるのは間違いない。

若年層の貧困化も加速する一方だ。しかも離婚も増えているので、母子家庭の貧困化も拡大している。

国が成長しているときや、世の中が活況に沸いているとき、人はそれほど努力しなくても生きていける。時代の波について行きさえすれば、経済的に苦しまなくてもいい。

戦後の高度成長期からバブル時代はそうだった。日本は長く右肩上がりの成長を享受し、経済的には幸せな時代を送ることができた。

今は、逆だ。今まで幸せに暮らしていた人も、今後はどうなるのか分からない地獄のような世界が待っている。少なくとも、日本が衰退を止められないと、そういうことになる。

時代が衰退や不況に向かって転がり落ちていると、個人の努力をすべて叩きつぶしてしまう。日本人はそれでも最初はすべて自分のせいにして「社会が悪い」とは最後の最後まで考えないだろう。

それは一種の美徳なのだが、客観的に見ると正しい見方をしていない。社会が悪いのに、自分が悪いと全面的に思い込い込むと間違った社会のあり方を変革する声がどこからも出てこなくなって、人々は社会に殺されてしまうことになる。

戦争が起きて、まわりで人が撃ち殺されているときに幸せになれないというのは誰もが知っている。それは社会が悪いと誰もが分かる。

しかし、銃弾が飛び交わなくても、リストラ・失業・自殺・経済苦が蔓延していたら、見えない銃弾が飛び交っているのと同じなのだ。そんな世界で幸せになれない。

どんな時代になっても、その中で生きる努力する必要があるが、同時に「社会が悪い」と気付く視点も持つ必要だ。

責任転換のためではなく、現実を見るために、社会が悪いことをあなたは気付かなければならない。そうしないと、いろんなものが手遅れになってしまう。

社会が悪いと、社会を変えなければならない。しかし、日本人はそれが言えない人が多い。その結果、社会が悪いと言えない日本人の生真面目さが、日本を崩壊させる可能性もある。


他国から見ると圧倒的に豊かな日本でも足元が崩れてきている。
http://www.bllackz.com/2013/11/blog-post_21.html?utm_source=BP_recent


14. 中川隆 2013年11月27日 00:12:19 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

『あさば』はもう日本旅館ではなくなってしまった

「あさば」ですが、ここはどんどん部屋が改装されていきます。

「あさば」は料理に関して言えば、宿泊料金で差は無いと思います。
一番安い部屋でも充分「あさば」を楽しめると思います。

しかし「夫婦の記念旅行」でしたら料金は高くても新しい部屋のほうが「幸せ感」を味わえるではないかと思います。
「あさば」は部屋の造りがそれぞれ違うので・・・
http://abitaro.com/sekisai/sekisai.htm

部屋は、和の造りもあれば、現代アートを盛り込んだ、おしゃれな部屋もあります。
さらに、「あさば」にはサロンや、エステルームもあるんですよ。

どうして、老舗旅館なのに、こういった現代的要素を交えているのか、
10代目若女将の浅羽弥佐(あさば みさ)さんにお聞きしたところ、

「全体的なリニューアルはしていませんが、デザインや空間などの内部に、現代に沿った工夫をしている。」

とお話してくださいました。 老舗といえども、時代のニーズに合わせた、対応をされているんですね。 若女将にさらにお話をうかがっていくと、

「いつでもお客様が居心地のいい空間を目指す為に、当たり前のことを当たり前にできるように努めていく、これが代々伝われたきた『あさば』の理念です」

と教えてくださいました。
http://www.k-mix.co.jp/kanogawa/2011/11/21-1300-21724.php

レベルは高いが名前負けしてる。本当の意味の日本旅館ではない。2009年10月に訪問

老舗の有名旅館なので期待しすぎたせいなのか、入った瞬間、何か違う感じなーと言うのが第一印象。門構えも立派だし、清潔感はある。写真で見て知っていた池に浮かぶ能舞台も見事。しかし、本当の意味の美意識が欠けている。

全てがレベルの高いものなのだが、何故だろう?

モダンなのか、和風なのか、洗練なのか、伝統なのか、要するに、確信をもった美意識によって作られたものでないので、全てが平均点以上なのだが、すごくブレがある。失点を恐れて、他人の評価を意識し過ぎているのか、本来持っている価値を失ってしまっているように感じてしまう。もっと自信を持っても良いのに。

客に良いサービスを届けたいという気持は本当に感じますが、レベルが高いからこそ、余計に目についてしまうちぐはぐさのようなものがあります。客に何を本当に味わってもらいたいのかが良くわからないのが、残念でした。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r48963258-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


最初に立派な門が私を迎えてくれます。
老舗のにおいが心地よかったです。
問題は中です。

老舗の旅館にしては、かなりモダンな色を出してます。
ミスマッチな感じがします。私が想像し過ぎなのかどうか?
ラウンジの作りはモダンすぎて落ちつかなかったです。
部屋は綺麗でした。
床の間もちゃんとしておりました。

アメニティの質は高級旅館にしてはそこそこ。

和をあまり感じなかったです(残念)

ワインとかのリストが部屋にありなんか、え〜って感じで、
部屋にはテレビがあり、それも中途半端な大きさでした。
あれならない方が部屋の雰囲気がよくなると思います。

とにかく、寝ても覚めてもモダンな感じの作りに外の能の舞台とミスマッチな感じがしました。
正直、この値段でまた来るかと言ったら考えさせられます。

一回は宿泊してもいいと思います。
でも、イベントがない時は、なにをしたい旅館なのか
と問うたら、普通の旅館とあまり大差がないのかもしれません。

気に入った点 — 庭に浮かぶ様にある、能舞台
気に入らなかった点 — 内装。老舗の趣がない。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r24074110-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS

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なぜ「日本文化はいずれ死ぬ」と断言することができるのか

私たちは自国を愛しており、自国の文化、自国の言語、自国の歴史を愛している。これは誰でも心に持っている気持ちであり、国を大切にする気持ちは決して消えることはない。

しかし、「自分の国を大切に思う」という気持ちは、これから次々と踏みにじられることになる。これは現代社会の大きな方向性として、知っておくべきだ。

「自分の国を大切に思う」というのは、グローバリズムに反するものだからだ。グローバリズムは、国を消失させる動きであることは、もう誰もが気付いている。

グローバル化は文化を破壊し、最終的に国を破壊する。

そうなる理由は簡単だ。文化がそれぞれの地域で違っていると、ローカライズするのにコストがかかるからだ。

文化が違っていると、文化に合わせなければならない。「合わせる」というのが多国籍企業にとってコストであり、不確定要素になる。

国家がなくなり、文化が均質化すれば、全世界で同じ物を売ることができて、全世界に支配権を得ることができる。


独自文化は破壊される方向性にあることを認識せよ

グローバル化にとって、独自文化は邪魔だ。理解できないし、ローカライズには手間がかかるし、無視すれば市場をとりこぼすことになるからだ。

だから、私たちは気が付かなければならない。

グローバル化がこれからも進むのだから、「独自文化は破壊される方向性にある」ことを。もっとはっきり言うと、こういうことになる。

「日本文化は必ず破壊される」
「日本人は日本のものではなくなる」

日本だけではなく、すべての国がそうなる。欧米ではすでに多文化主義が執拗に推進されている。

移民が続々と入り込み、人種が地域文化に馴染まないで混乱し、国内で大きな混乱が起きているにもかかわらず、それは粛々と推進されている。

ドイツでも、イギリスでも、フランスでも、オランダでも、ノルウェーでも、すべての国でまったくブレることなく多文化主義が推し進められている。

もちろん、こういった多文化主義に反対し、「独自文化を守れ」という動きは市民の間から大きな声となって湧き上がっているのは言うまでもない。

世界各国で、次々と保守政党が立ち上がって支持されている。

しかし、こういった移民排斥の運動は、世界中で「差別主義者」のレッテルを貼られる。そして、その政党は「極右団体」と称され、グローバル・メディアによって徹底的に糾弾されて、叩き潰されていく。
http://www.bllackz.com/2013/10/blog-post_20.html?utm_source=BP_recent



15. 中川隆 2013年11月27日 00:21:32 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI


・日本も含め、全世界は最後に同じ文化になってしまうのか?


・中国やインド、そして東南アジアの各諸国が台頭してきたのは、グローバル化が加速したからだ。

・グローバル化が加速するとなぜこれらの諸国が台頭することになるのかというと、簡単に言えば「人的コストが安いから」である。

・では、なぜ世界はグローバル化していくのかというと、企業間の競争があって、そこでは結果的にコスト削減を徹底的に行い、利益を上げたものが勝利を手にするからである。

・コストを削減するには人件費を削減するのが一番早い。

あるいは、安い労働力を使うのが良い。

・当然、どこの企業もこの2つに目をつけて、この2つは同時に行われた。具体的に言うと、以下のことが、同時に行われた。

・(1)賃金の高い先進国の労働者の削減
・(2)賃金の安い新興国の労働者の確保

・賃金の安い国はどこだったのか。それは中国であり、インドであり、東南アジア諸国であった。


・残った正社員は、リストラするか賃金削減するか

・先進国の失業問題は、グローバル化によって必然的に起きたことだ。

日本人の労働者がそれに巻き込まれるのは、時間の問題だったのだ。

・だから、小泉政権時代からそれは加速していったが、日本はもっと早く賃金削減が起きてもおかしくなかった。

・本来であれば、バブルが崩壊して企業がコスト削減に走らなければならなかった1990年代に賃金削減が起きてもおかしくなかった。

・そうならなかったのは日本には終身雇用という文化があったからで、企業が無理していたという言い方もできる。日本企業にも良心があったということだ。

・結局、無理に無理が重なってどうにもならなくなったので、企業側はどんどん工場を新興国に移し、本社側の人員は派遣に切り替えた。

・そして、残った正社員は、リストラするか賃金削減するかの二者択一になった。

2000年代に入ってから、この両方が平行して行われたのである。

・日本の賃金はまだ高いから、正社員はもっと削られる。
・賃金はもっと削減される。

・サラリーマンをやっている人間は、もはや一部分の人間しか生き残れないことになる。グローバル化の本質を考えると、どうしてもそのような動きになってしまうからだ。

・すべては賃金の安い国へと仕事が流れていく。

それが中国であり、インドであり、東南アジアだったのだ。


・大量のコマーシャルを流して、その文化の中に浸透

・この中で、中国とインドはよく特別化されることが多いが、それは理由がある。

・最も大きな理由は「人口」だ。これらの国は安い労働力を使えると同時に、支払った賃金で潤うと、人口の多さがそのまま販売の市場につながっていく。

・中国とインドはこの2国だけで人口は26億くらいで地球上の人口の40%ほどを占めているから、市場としての魅力は抜群である。

・そのためには、この国に巣食う貧しい人達がもう一段階豊かになる必要もある。

・それで労働コストが上がったのであれば、今度はバングラやアフリカが「世界の工場」になって、そこで作ったものを中国やインドに売るという流れになる。

・多国籍企業は新興国に大量のコマーシャルを流して、どんどんその文化の中に浸透している。

まさにその動きこそがグローバル化の動きであって、これがアジアを強制的に変化させている原因だ。

・アジアの文化に浸ってのんびりしたいと思っていたら、アジアの姿がどんどん変わって取り残されてしまう。


・その背景には、多国籍企業の顔がちらつく。

・古き良きアジアは、もはや幻想の中にしか存在しない。


16. 中川隆 2013年11月27日 00:25:36 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

・どんな問題が起きても、どんな激しい国民の抵抗が起きても、グローバル社会に参加した国家では、それが強引に行われていくことになる。

・なぜなら、グローバル化していく社会の中で、国家という枠組みが邪魔になっており、今は「国家」という枠組みを取り壊そうとする動きが加速しているからである。

・「自国文化を守ろう、自国の歴史を大切にしよう」という動きは、「保守」とは呼ばれず、「極右」とメディアによってレッテル貼りをされている。

・世界中のメディアは、ナショナリズムを必ず「極右」として扱い、差別主義者と断定する。それはグローバル化を後退させる動きなので、「絶対に許されない思想」と認定して、封印されていく。

・グローバル化を阻止する動きは、絶対に許されない。

・多国籍企業、金融市場、巨大メディアは、グローバル化する社会の中で支配権を拡大していく過程にある。

・世界を動かしているのは国民ではなく、多国籍企業、金融市場、巨大メディアである。そして、これらの企業の各オーナーたちである。

・全員が揃って陰謀に荷担しているという見方もあるが、実際のところは、グローバル化した方が「より儲かる」というシンプルな原則によって突き動かされていると言った方がいい。

・儲かるのなら、儲かる方向に向かって人は殺到していく。それが雪崩のような現象を引き起こす。


・儲かるから、グローバル化が推し進められるのだ

・グローバル化したら、世界のすべてが多国籍企業にとって市場になる。そうなれば、単純に儲かる。だから、多国籍企業はぶれることなくグローバル化を推し進める。

・グローバル化したら、賃金の安い国で物を製造することができるようになる。そうなれば、コスト削減できる。そして、競争力が付いて、単純に儲かる。だから、多国籍企業はぶれることなくグローバル化を推し進める。

・グローバル化したら、移民が大量に入ってきて、やはり低賃金で優秀な人材が雇えるようになる。そうなれば、またもやコスト削減ができる。だから、移民政策や、多文化主義は推進されるのだ。

・貿易を行うに当たって、国をまたぐたびに関税を取られたら損をする。だから、国がなくなればいいと考えるのが多国籍企業でもある。儲けのためには、関税を取る国家という存在が邪魔なのだ。

・販売を行うに当たって、各国の違いに合わせて商品をローカライズするのは無駄なコストである。言語が英語か何かで統一できれば、ローカライズする手間がなくなる。だから、国がなくなればいいと考えるのが多国籍企業である。コストのためには国家という存在が邪魔なのである。

・販売を行うに当たって、文化が違っているとやはりその国に合わせなければならないが、それも無駄なコストである。だから、移民を入れて、混ぜて、独自文化を薄めさせれば、文化に合わせる手間もなくなる。

・だから、文化がなくなればいいと考えるのが多国籍企業でもある。移民は、その国の「独自の文化」を消すのに最良の方法なのだ。


・世の中は多極化しているのではない。逆だ。

・ありとあらゆるものが、国家の消滅、国家の役割縮小、国家の無力化を目指している。上記以外にも、そんな動きは次々と動いている。

・通貨が違っていれば、為替の変動というものに注意を払わなければならず、それは多国籍企業にとっては手間である。国家をブロック化するか、もしくは国家を消滅させれば為替も統一するので便利だ。だから多国籍企業は、通貨の統一を邪魔する国家という概念を消し去りたい。

・巨大メディアも、言語・文化がどんどん統一されていけば、情報収集も、情報提供も、世論誘導もやりやすい。だから、グローバル化に乗るのは「得する」動きだ。そのために、言語・文化の守り手である国家を消滅させたい。

・インターネットもまた、「情報」という分野で世界を統一しようとする動きである。インターネット企業は、世界がグローバル化すればするほど儲かる仕組みになっている。だから、国家間の情報遮断は許しがたいことであり、やはり国家という概念を消し去りたいと思っている。

・グローバル化は、それを突き詰めると、世界が「ひとつ」になるということだ。世界が「ひとつ」というのは、要するに国家も、文化も、言語も、通貨も、すべてが「ひとつ」になるという意味である。

・現在、そのような社会に向かっている。世界は多極化しているのではない。完全にその逆だ。

・グローバル化の動きは、「ひとつ」になる動きだ。
・国家のブロック化は、「ひとつ」になる動きだ。
・多文化主義の動きは、「ひとつ」になる動きだ。
・金融市場の国際化は、「ひとつ」になる動きだ。
・移民促進の動きは、「ひとつ」になる動きだ。

・グローバル化によって、逆に統一化されようと動いている。多極化しているというのは、単に政治の力学の話であって、世の中全体の動きではない。

・多極化していると見せかけて、世の中はグローバル化によって「ひとつ」になろうとしているのである。

・絶対に移民政策が止まらないのは、世界が「ひとつ」になるためだ。本当に、単純な話だ。そうすれば多国籍企業、金融市場、巨大メディアは儲かるのだ。



・国家はどんどんブロック化していく。やがて「ひとつ」になるhttp://www.bllackz.com/2013/10/blog-post・15.html?utm・source=BP・recent


17. 2013年11月27日 00:31:07 : 2D6PkBxKqI

・そういえば、つい数年前までインドでは髪や身体を洗う時には泥を使っていたが、今では安く変える石鹸やシャンプーが浸透していっている。

・これらの石鹸やシャンプーは貧しい人たちでも買えるように小分けで売られている。

・メーカーはユニリーバ。イギリス企業(正確にはイギリスとオランダに経営機能を持つ多国籍企業)である。


・インドに浸透していく多国籍企業ユニリーバ。男は「ユニリーバ」と聞いても知らない人も多いかも知れないが、女性はみんなこの企業を知っている。


・侵略されても、それが文化侵略などとは思わない

・ユニリーバはインドで確固たるブランドを築いている。これらの人たちが生活レベルを上げるたびに、ユニリーバの高級商品が彼らの手に渡っていくことになる。

・グローバル化は、安い労働力と巨大な市場を求めて世界中のどこにでも浸透していくから、地元産業は衰退し、残った企業は淘汰されていく。

・日本では昔、よろず屋という形態の店があったが、今ではそんな店を捜しても見つからないかもしれない。なぜならすべて淘汰されてコンビニがそれに取って変わったからだ。

・フィリピンに、サリサリ・ストアという「よろず屋」「雑貨屋」形態の個人ショップが多く見かけるが、もしフィリピンの経済状況が上がっていくなら、これらのサリサリ・ストアは淘汰されて消えていくことになる。

・国がグローバル化に組み込まれると、このような個人店舗から吹き飛んでいくのは定石の動きだから誰でも分かる。

・すでに1985年前後からグローバル化に飲み込まれたタイでも、コンビニエンス・ストアが幅を利かすようになって個人ストアを駆逐してしまった。

・コンビニで売られるものは、自国の大企業のものと、海外の多国籍企業のものに二分される。

・日本でも、コカコーラやエビアンなどは普通に売っているが、これらが多国籍企業であるのは言うまでもない。

・スーパーもデパートもショッピングモールも、地元のものがスケールで敗退して、莫大な資本を投下できる多国籍企業がゆっくりと確実にその地に浸透していく。

・テスコ、カルフール、ウォールマートという巨大ショッピングモール店はそれぞれイギリス、フランス、アメリカの資本だが、買い物をする人間がそんなことはいちいち考えていない。

・趣味が良い空間で、大量のものがあって、安く買えるのであれば、どこの国の資本でも歓迎するし、それが文化侵略などとは思わないのである。


・フィリピンのサリサリ・ストア。この国もグローバル化に飲まれると、やがてこういった個人商店の店は、大資本によるコンビニやショッピングモールに駆逐されて消えていくことになる。


・すべてが画一化されたようなモノクロの世界

・外国資本のショッピング・モールに入っているテナントは、マクドナルドだったり、ケンタッキー・フライド・チキンだったり、あるいはスターバックスだったりする。

・しかし、それらに目くじらを立てる人間もいない。これらは新興国にとって、先進国の香りがする「素晴らしい企業」であり、文化侵略どころか「憧れ」だ。

・かくして、これらの多国籍企業はゆっくり、着実に、アジアに浸透していき、やがてどこの国に行っても代わり映えのしない多国籍企業の看板に埋め尽くされる。

・グローバル化はアジアを激変させている。そして、文化を画一化させていく。

・多様化を失っていく文化は、人間の増加によって次々と野生動物が絶滅していく姿にだぶる。

・グローバル化に対応できない国は絶滅していく。グローバル化に対応した国は均質化・画一化していく。グローバル化がとことん浸透すると、賃金もやがては画一化していく。

・多国籍企業は経済的な論理で激しいグローバル化を追い求めているが、その結果についてはほとんど無視されているように思える。

・グローバル化の行き着く先は、すべてが画一化されたようなモノクロの世界だ。世界中、どこに行っても同じ光景、同じ商品、同じ価値観で固定化される。

・多国籍企業は、その商品が全世界を覆い尽くすまで止まらないのは間違いない。この動きに歯止めはかからない。資本主義が終わるまで続く。

・すでに私たちは、日本にいても、タイにいても、シンガポールにいても、コカコーラを飲み、マクドナルドを食べ、スターバックスでくつろぐことができる。

・幸せだろうか?


・これがどこの国か分かるだろうか。タイだ・http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131110T2225020900.html


18. 2013年11月27日 00:36:02 : 2D6PkBxKqI


あさばさんのお風呂に入ってまた驚きました。

・お部屋では気付きませんでしたが、後で見ましたらお部屋の洗面所も同じでした。


・何故キレイキレイが!?

・このお写真、ビジネスホテルのようですよね?
・あさばの洗面所です。

・以前は違いました。とても素敵でした。

・キレイキレイがどんなに良い商品であろうとも、この雰囲気に似合う備品だとは思えませんし、お客さんがお家や公衆の洗面所で見かけそうなものを求めているはずがないのに。

・もし中身がそうでも、容器を替えるとか。
・それくらいのセンスがない旅館ではないはずなのに。
・どうしてでしょうか???

・蓬莱さんは、まだロクシタンが日本に表参道店しかなかったころ、ハイセンスな女将さんが気に入り表参道まで買い出しにいらしていまして、やがてロクシタンが誰の手にも手軽に入るようになりましたら、またなかなか普段はお目にかからないフランスの美しい備品に変わっていました。

・そういう、非日常の美ってものすごく大事ですよね?

・アメニティは置いていなくて、用意しますと書いてありましたのでお願いしましたら・・・

アメニティはホテル&旅館の顔ともいえると、そういうお仕事をなさっている友人から聞いたことがございます。

ビックリしてしまって、意地悪にもまた撮ってしまったのですけれど、↓こちらが届けられました。。。
あさばの方がこちらのブログを御覧になって、意識を改めてくださる事を祈っております。


お茶人と致しましては、後ろ向きを渡す相手に見せて渡すところから気になりますが・・・
そこは目をつぶりまして。
何故に新品・使い捨てのものが用意されないのでしょうか?
あと数回分のチューブをしぼって使えと言うセンスがよく分からなくて、一体あさばさんはどうしてしまったのだろうと、とても悲しくなりましたhttp://blog.goo.ne.jp/gauri1016/e/e65b43b0cc17419069e46d1b258c17c1


19. 2013年12月14日 21:23:23 : 2D6PkBxKqI

修善寺温泉「あさば」は典型的な3代目による破たん事例


銀行関係の打ち合わせ等のために、ハワイに来ていますが、3年ぶりに訪れたワイキキのトランプホテルの裏側にあるフルーツ店で、いつも買っていたカットフルーツを食べて唖然としました。

全く味が違っていたからです。

初代経営者が昨年亡くなっており、娘さん?があとを継いでいるようでしたが、態度も悪く、そして味も不味いとなれば、客は離れます。

良くみますと、客は昔名物であったフルーツを買っている人はおらず、アイスを食べているのです。

ここまで味も態度もひどい状態であれば、客は二度と戻らないでしょう。

初代経営者がいる時には、それは美味しいフルーツしか出しておらず、いつ食べても失敗はなく、お土産にパイナップルを買って帰った時には、「こんな甘いパイナップルは食べたことがなかった」と言われたものですが、今や日本のコンビニで食べるパイナップルの方がおいしいと思う程でした。

昔の名前でビジネスをしているのでしょうが、ビジネスをなめているとしか思えませんし、これでは名前が泣きます。

初代経営者そして2代目は、それは一生懸命ビジネスを手掛けていたのでしょうが、初代がなくなり、2代目・3代目が手を抜き潰すという典型的な2代目、3代目による破たん事例になるかも知れません。

2代目・3代目は初代が必死の思いでビジネスを手掛けてきたことを真剣に見てきておらず、いい加減な心がけでビジネスを続け、結果、選ぶフルーツの質が落ち、不味くなったフルーツをわざわざ高いお金を払って食べに来るものが消え、客が少しずつ離れていき、売り上げが落ちます。

売上が落ちたために回転が効かず仕入れコストが上がり安いフルーツに手をだし更に客を失うという悪循環に陥ります。

私も2度と買いませんので、一人客を失ったことになります。

名声を維持することは難しいものですが、我々のようなディーラーも取扱現物の品質を落とせば一瞬で終わります。

売り物がない?無理しないことです。

売り上げは結果であって、目的ではないからです。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/31551485.html


20. 中川隆 2013年12月14日 21:55:10 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

修善寺温泉「あさば」の三代目は1%の勝ち組以外は歓迎しない?  


修善寺や湯河原は、これだけ東京から近いので、いわゆる上質な高品質旅館も目白押しの状態だ。

ところで、修善寺・湯河原・熱海・箱根の高品質旅館と最近伸してきた由布院御三家(玉の湯、亀の井、無量塔)などを泊まり歩いて比較すると全く違うことが分かる。

その差は「無理」の差ではないかと思う。

全国の高級宿の価格帯は4万円〜5万円と同じなのだが、性格が大きく異なる。たとえば、由布院御三家を中心にした由布院・黒川近辺には高価格帯を支える人口はほとんどいない。そのため、わざわざ遠くから客に来てもらうために、一生懸命の工夫と努力がかいま見られる。

たとえば、玉の湯。旅館だけでなく、レストラン、カフェ、農産物販売所・・・・・。無量塔も旅館以外に、ロールケーキ販売所、チョコレートショップ、蕎麦屋、美術館・・・・・・。由布院や黒川など、誰が始めたのか、従業員は土間にも板間にも跪いて客と細心の注意を払って客と話す。まさに、女王様対応。そのどれもが悪いとは言わない。一つ一つは大変良い努力だと思う。

 しかし、残念ながら、その一生懸命さが無理に無理に無理に無理をしているようにしか見えない、、、、いわば息が詰まるようなときもある。素敵な家具の後ろは、綺麗だが合板ボード・・・・・なんていうことも多い。

 西日本各地と東京では、推定でも平均年収は1.5倍から2倍違う。高額収入者は、比較にならない。そのため、毎日高級宿に泊まり歩いても、全く問題ない階層の人も多くいる。それが現実です。

だから、東京から一番近く、高品質な修善寺や湯河原の宿には、そこまで努力しなくても客は来る。むしろ、目立たず、小粋で、本質的に上質な宿であればいいのだ。西日本の宿も良いが、時々はこのあたりの高品質な宿に泊まらないと、本当の意味での上質な宿は分からないだろう。

 修善寺や湯河原にはそんな宿が多く、昔から多くの経済人・文人・政治家・そしてお金持ちの暇人が多く訪れてきた。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~umayu/page028.html

修善寺温泉「あさば」は客を選ぶ

ヨーロッパの紳士淑女

今の日本は安物ファッションが花盛りでありで、ファッションの話を持ち出すと何だそれは、と言われるかも知れませんが、世界ではファッションの基本から逸脱する者はまともに相手にされません。

イギリスは紳士淑女の国であり、ある一定以上のクラスの男女はいつもそれなりの服装をしており、それはみていて気持ちのよいものです。

ただこれは何もイギリスだけにあるものではなく、アメリカでもフランスでも香港でも中国でも見られます。

人前に出るには当然のマナーとなっているファッションがあるのです。

男性であれば、上質の背広にアイロンのかかったワイシャツと磨かれた革靴は当たり前で、相手によってシルクのネクタイの色合いを替えるという最低線のマナーがあり、女性であれば、ブランド服に、上等なストッキングに、ブランドのバック・靴、そしてヨーロッパではそれに帽子と手袋となります。

特に女性がおしゃれをするのは何も他人を意識するだけではなく、自分の意識を高めるためでもあり、それが更には他人の目を意識することにつながります。

ヨーロッパの女性がおしゃれなのは外観だけをおしゃれしているのでなく、見えないところもおしゃれをしているからと言われており、フランス、イタリア、ポーランド等に世界的高級ランジェリーメーカーがあるのも、それだけ゛見えない゛おしゃれをする女性が多いからだと言えます。

ストッキングでも日本のコンビニ、スーパーで売っている使い捨ての一足200円、300円の安物ではなく、数千円(中には数万円する超高級品もあるようですが)するガーターストッキングを普段からはいている女性はそれは気を付けてはくものであり、だからこそ、女性らしい仕草となると言われています。

男性でもワイシャツで5万円以上する高級なワイシャツがありますが、それらを普段から着て何十万円するスーツを着ている人はそれは気を付けて着こなしており、歩く姿も洗練されているもので見ていて気持ちのよいものです。
おしゃれ・着こなしは他人のためにするのではなく、自分の意識を高めるためにするものだということを改めて認識させられるのがヨーロッパのよいところだと思っています。

安物でも『着る』という用はたせますが、そこには自意識を高める『エネルギー』はありません。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/34434976.html


21. 中川隆 2013年12月14日 22:03:24 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

修善寺温泉「あさば」で期待される人間像とは


あなたは巨額の資産を持った家系の生まれだろうか。それとも、ごく普通の生まれだろうか。いや、すでに貧困に落ちた家系だろうか。

言うまでもないが、それによって、まったく違う人生を歩むことになる。

現在の先進国では身分制度もないし、特権階級もないと思われている。もちろん、それは間違いだ。現代社会でも、依然として特権階級はある。現代社会の特権階級というのは、「金持ち」「資産家」のことである。

現代は資本主義だ。この資本主義が続くと、当然だが、経済的に成功する人と失敗する人が二極分化する。

いったん金持ちになった人は家族にも一族にもその恩恵を与えることができるようになり、経済的に成功した一族が特権階級化していく。

現代社会はそのほとんどの商品・サービスを金で買うことができる。さらに、あまり知られていないが、「身分・地位・立場・学歴」もまた金で買うことができる。

金さえあれば、あなたは上場企業の社長になれる

あなたがどこかの企業の社長になりたいとする。あなたはどうするだろうか。

「その企業に尽くし、何十年も多大な貢献をし、それによって多くの人に認められるように努力する」

それが、あなたの答えではないだろうか。まさに、それは正々堂々とした真っ正面の手法だ。世の中はそうであるべきで、一生懸命に勉強し、努力した人が認められるのが、社会であるべき姿でもある。

しかし、どこかの企業の社長になるには別の方法もある。その会社の株式を50%取得するだけでいい。そうすれば、ほぼその企業を手中に収めたことになり、あなたは代表取締役でも役員でも何でもなれる。

つまり、金さえあれば、その金で会社をも買うことができて、結果的にその会社でどんな身分にでもなれる。

その会社について何の貢献も、知識も、努力もいらない。その会社が何を作っている会社なのか、知る必要すらもない。何十年も会社に尽くす必要などまったくない。

非上場会社の株を手に入れるのは難しいが、上場会社であれば普通株式が買えるのだから、理論的には、ただ金を用意して株式市場で合法的に50%取得すればいいことになる。

上場企業で、時価総額が10億や20億以下の会社など、ざらにある。日本の上場企業でも20億円以下は470社は超える。

5億円や10億円ほどあれば、あなたは上場企業の社長になることすらも可能なのである。あなたも金があれば、そのようなことをすることができる。


学歴も「金で買える」というのが現実だ

世界中の多くの由緒ある一族、すなわち支配層に入る一族は、そうやって有力な企業の役員となって何ら苦労もなく地位も名誉も巨額配当も手に入れる。

つまり、金持ちはありとあらゆる場面で金を支払うことによって、恵まれた社会的な恩恵を受けることができるようになる。

もちろん、学歴も金で買うことができるのは「当然のこと」である。世界中の多くの支配者層の子供たちが、オックスフォード大学やハーバード大学の学生であり出身である。

アウンサン・スーチーも、ベナジール・ブットも、インディラ・ガンジーも、みんな有名大学の出身だが、彼らはみんな天才だったわけではない。

しかし、親が支配者層であれば、名門大学は入学と卒業を可能にするシステムがある。欧米の有名大学もそうなのだから、日本の大学もまた似たようなものだと思えばいい。学歴も「金で買える」というのが現実だ。

学歴は買う価値があるのだろうか。もちろん、ある。なぜなら、学歴でその人の人生は「ほとんど」が確定するからだ。高学歴は優遇され、低学歴は下層に落とされる。

資本主義社会になると、表向きには身分がないので、何らかの物差しで人間を推し量らなければならない。かつては、それが親の身分だったりしたのだが、現在は「学歴」で人物を推し量る決まりになった。

だから、学歴社会は「学歴身分制度」になっていると気付かなければならない。学歴が高ければ高いほど、社会的に優遇されて生きやすい世の中になる。

実は、この学歴社会は支配者層には非常に好都合な制度なのである。学歴社会こそが現代の身分制度であり、自分たちの地位を守るものになるからだ。それは、自動的に身分を固定化させる働きをする。


金がないと学歴が得られない社会になっていく

学歴が金で買えるという裏事情があれば、支配者層はもちろん学歴を金で買う。そうすると、金持ちの一族はみんな高学歴になる。

そして、現代社会を学歴社会にして、学費をどんどん上げて一般の人々が高学歴を取りにくい社会にすれば、学歴による身分制度が完成する。

奨学金制度があるとは言えども、先進国の有名大学はほとんどが非常に学費のかかる仕組みになっており、それは日本でも変わらない。

金がないと学歴が得られない社会になりつつあるのだ。これは、これからもっと顕著になっていく。なぜなら、そうすることによって「学歴身分制度」が完成するからである。

分かりやすく言うと、世の中はこのようになっている。

(1)世の中を学歴社会にする。
(2)支配者層は学歴を金で買う。
(3)低所得層には競争させる。
(4)教育に金がかかるようにする。
(5)低所得層は金不足で進学不可になる。
(6)低学歴の人間の身分を固定化する。

もちろん、奨学金制度や、本人の血のにじむような努力によって名門大学の学歴を手に入れる真の秀才・天才が世の中には何千人かいて、普通の家庭の子供でも学歴社会のトップに上り詰めることも可能だ。

しかし、逆にその数千人の秀才が目くらましになって、学歴身分制度の仕組みは見えなくなっている。

学歴がないのは、自分が勉強しなかったり、自分の頭が悪いからであり、自分の能力に限界があるのであれば、給料が低くても出世しなくても「仕方がない」と思う。

つまり、すべては自分のせいであると思い、自分の低い身分に納得するようになる。特権階級がそれを金で買っているとは考えもしないで……。


「持っている者」と「持たざる者」を固定化

本当は裏があって、学歴も金で買えるという事実を知っていれば、自分に仕掛けられた「社会のワナ」に気付くのだが、ほとんどの人はそれを知らないまま一生を過ごす。

だから、何かにつけて「努力」することを強いられる。しかし、あなたは以下の事実をよく噛みしめる必要がある。

「普通の人が必死で努力して学歴を手に入れようとしているが、特権階級は金で簡単に手に入れる」

努力は確かに尊いものであり、人間が人間らしく生きる上で必要不可欠なものだ。努力することによって人は成長する。だから、努力することは無駄ではない。

高学歴を手に入れるというのは、勉強するということだが、勉強は個人的にも重要なものだ。

しかし、一方で努力が押しつけられ、一方ではそれが金で買えるようになっているのだとすれば、それは大きな社会矛盾である。しかし、その社会矛盾が、多くの人には見えていない。

見えていないから、現在、「学歴による身分制度」が固定化するように支配者層が動いていることすらも気付かない。もう一度、その意味を確認して欲しい。

・教育に金がかかるようにする。
・低所得層は金不足で進学不可になる。
・低学歴の人間の身分を固定化する。

現代社会は「金」を持っている一族が特権階級であり、特権階級は身分も、地位も、立場も、学歴も、すべて金で解決することができるようになっている。

そして現在、社会の裏で起きているのは、「持っている者」と「持たざる者」を固定化させようとする動きであることを知っておいて欲しい。


オックスフォードは世界の支配者層の子供たちを受け入れる大学である。
子供たちの実際の学力は関係ない。
http://www.bllackz.com/2013/12/blog-post_13.html

まあ、あのアホの星野佳路でも ちゃんと慶応出てアメリカ留学もできたんだからね:


湯河原温泉の「指月」は何故山を下りたのか _ ハゲタカ資本と組んで伝説の名旅館の伝統を次々に壊滅させていった星野佳路は何がしたかったのか?
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/190.html



22. 2014年1月25日 19:51:00 : 2D6PkBxKqI

イスラム女性が酒を飲み、ダンスをし、ランジェリーを着る 2014-01-25


女性がアルコールを飲んで酔っ払う。そして、男たちの前でダンスする。女性がフィットネスに精を出す。女性がビリヤードをする。女性がベランダに出てタバコを吸う。女性がセクシーなランジェリーを買う。

何か問題があるだろうか?

もちろん、先進国で女性がアルコールを飲んでダンスしたところで、それが問題になるわけではない。しかし、それがイランだったら?

もちろん、イランでも表立ってこのような行為をしたら、公開処刑にされる可能性がある。しかし、時代は変わりつつある。

厳しい戒律の中、黒いベールに包まれているイラン女性も、ホメイニ師が仕掛けた1979年2月のイスラム革命以前は、実は自由はファッションが許されていたイスラム戒律の緩い国でもあった。ミニスカートをはいていた女性すらもいたのだ。

そんな時代が、イランの底辺で少しずつ戻りつつあるという。もちろん大ぴらではない。ゆっくりと、である。

世界標準に相容れない価値観は消すという流れ

インターネットによる結びつきは、全人類に共通の価値観を定着させようとしつつある。

先進国も、後進国も、今では人々の着ているものは、ほぼ同じものになりつつあり、食べ物の嗜好も統合されてきた。

もちろん、国による違いや地域差も、依然として残っている。犬食が悪いとか、鯨が悪いとか、イルカ漁が残酷だとか、激しい議論がある。

実は、そういった議論は「異質を失くす方向」で統一される可能性が高い。「世界標準に相容れない価値観は消してやる」というのが現在の社会の動きなのである。

かつては、それぞれの国にはそれぞれの衣装があった。

日本でもアメリカでもイギリスでもアフリカでも中国でも、それぞれその国特有の「衣装」があった。

現在は、そういった衣装は「民族衣装」と特定カテゴリー化されて、気がつけば「普段着るものではない」ということにされている。

そして、どこの国でもプライベートはTシャツ、ビジネスではスーツというものに統一されていく。そして、世界はどこも代わり映えしない世界となった。

どのようにして、そうなるのか。

それはグローバル企業の莫大な「広告」によって為される。広告によって人々の意識は変えられて、いつしかTシャツやジーンズ等が良いという嗜好になっていくのである。

そして、それと平行して、色も質も豊富なTシャツやジーンズ等が大量に入って来る。それらは先進国の若者も着ているので、後進国の人々も嬉々としてそれを着る。


グローバル化の本質は、画一化なのである

インドの女性たちはその美しいサリーを捨て、Tシャツにジーンズを履くようになっている。

男たちはとっくの前に民族衣装など捨てていて、背広とワイシャツとネクタイに変身している。

カンボジアも10年ほど前まで誰もがクロマーと呼ばれる手ぬぐいを帽子の代わりに頭に巻いていたが、今どきそんなカンボジア人がいたら、ただの田舎者だと思われるだけだ。

カンボジア人は今や工業製品で作られた安物の帽子をかぶるか、帽子をかぶらないでヘアスタイルの方に凝るようになった。

彼らにしてみればそれは新しいものを追い求めているのかもしれない。しかし、先進国の人々が見れば、「カンボジア人がグローバル化された」ということなのである。

グローバル化の本質は、画一化だ。

グローバル化によって画一化されることで、企業は「同じ製品」をどこの国でも大量に売りつけることができる。

国ごとに好みが違っていたら、その国に合わせてローカライズしないとならない。企業にしてみれば手間がかかる。インド女性がサリーを着ていたら、多国籍企業のジーンズ会社は困るのだ。

サリーは大量生産できないし、インドにしか売れない。しかし、インド人を画一化させて全員にTシャツとジーンズを履かせることに成功すれば、グローバル化された企業はインドで大儲けすることができる。

インド人にTシャツとジーンズを履かせること、それが「画一化」させるということである。


グローバル化の中で画一化されるように洗脳された

グローバル経済は見かけだけではない。考え方も、技術も、欲しがるものも、すべて画一化する。

たとえば、インターネットを使うための技術は世界中どこでも同じものである。そして、インターネットに接続されるOSや機器も数社ほどの製品に統一されている。

パソコンならマイクロソフト、スマートフォンならアップルやグーグルが頭脳を独占している。その世界で人々は画一化されたブラウザを使い、画一化されたSNSで友達を見つける。

車を見ても、バッグを見てもそうだ。先進国の男も後進国の男も欲しがる車はメルセデス・ベンツであり、女の欲しがるバッグはルイ・ヴィトンである。

すべての国の人たちが判で押したかのようにベンツやルイ・ヴィトンを欲しがる。画一化されたのだ。グローバル化の中で画一化されるように洗脳されてしまった。

しかし、本人だけは、なぜか自分が「画一化」されたとはまったく気がついていない。気がついていないが、しっかり「画一化」されてしまっている。

味覚もそうだ。その国にどんな飲み物があったとしても、グローバル化された社会で人々はコカコーラを飲み、ペプシを飲む。ラオスで飲むコカコーラも、タヒチで飲むコカコーラも味は同じだ。画一化されてしまっている。

中国は今でもポーレイ茶を飲んでいる。中国や香港やチャイナタウンを歩くと、あの独特の香りを街中で嗅ぐことができる。

しかし、若者はコカコーラを飲み歩き、マクドナルドのハンバーガーを食べる。

こういったグローバル化はイスラムの世界をも浸食しているのである。いずれ、イスラム世界も長い時間をかけてグローバル化されて、画一化されて来るだろう。

イランの女性たちの動きは、そういった時代の最先端となっている可能性がある。

アルコールを飲んで、ダンスをして、楽しむイラン女性。ホメイニ師が見たら激怒して処刑してしまうだろう。


おしゃれを楽しむイラン女性。もともとイラン女性はとても美しいことで知られている。

ベランダで顔も髪も隠さないで喫煙するイラン女性。タバコは別に珍しくない。髪も顔も隠さないというところが珍しい。

ランジェリーに凝るイラン女性。黒いベールの下は、とてもエロチックであると言われている。

ビリヤードをするイラン女性。こうやって女性が少しずつ街に出て人生を楽しむことが、時代を変える第一歩になるが、皮肉にもそれはグローバル化の中に取り込まれる第一歩にもなる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140125T0348290900.html

確かに『あさば』とか『蓬莱』とか山代温泉『白銀屋』とか銀山温泉 藤屋が日本旅館を止めて和モダンのデザイナーズ旅館になっても経営者の勝手なんだけど、それはもう『あさば』や『蓬莱』や『白銀屋』や『藤屋』ではないんだよね。


あの名画の舞台となった銀山温泉は今…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/351.html

湯河原温泉の「指月」は何故山を下りたのか _ あさば・蓬莱・白銀屋
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/190.html


23. 2014年2月10日 23:23:27 : 2D6PkBxKqI

今の『あさば』が失ったものはこういう心でしょうか:


湯抱温泉中村旅館 _ 日本古来の『お・も・て・な・し』とは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/531.html


24. 中川隆 2014年2月12日 22:37:27 : 3bF/xW6Ehzs4I : 2D6PkBxKqI

日本最高の旅館と言われていた「あさば」もこのまま行くと、ここと同じ運命を辿る様な気がします:

三朝温泉とラジウム含有量において双璧と言われる関金温泉。ここも1250年の歴史を誇る古湯。湯のきれいさから銀湯、白金の湯の別称を持つ。山際に寄り添うように家並みが集まり、温泉はその町の中心部、送川という小川に沿って湯が湧く。古くは作州街道の宿場町として栄えた。

温清楼は、当時上の茶屋と呼ばれるお茶屋さんだった。
その後旅籠〜旅館と形を変え続いている歴史ある宿。

「ここは、湯だけはいいんだけどね。20mほど掘って汲み上げているんやけど、昔は56℃もあったんよ。それが、他がボーリングしたりするうち温度が下がって今は45℃。湯量が少ないのが関金の泣き所なんよ。」

なるほど、三朝温泉と比べ、それほど関金温泉が発展しなかったのは湯量に原因があったのか。温泉が伏流水だとすれば、三朝の三徳川に比べ、ここの送川はいかにも小さい。そう思えば、ここに最近できた施設が軒並み循環方式ばかりなのも納得できる。その中で、温清楼のように小さいながらも源泉掛け流しを守っている宿は貴重。ぜひとも末永く湯宿を続けて欲しいものだ。
http://onsentotoro.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post-bf73.html

1987/08/04 関金温泉 温清楼

この温泉が私の温泉好きの始まりでした。
そして、たどり着いた宿「温清楼」はとても家族的な所だった。

思わず「ただいま」といいたくなるような玄関。
想像するお婆ちゃんの家に来たような雰囲気があって・・・

その時泊めて頂いた部屋が露天風呂のまん前のお部屋。


何よりもここのオススメは露天風呂。

151cmの私が手を上に伸ばした位の長さの正方形の木枠の露天風呂が二つ、湯底には年に二回新しくされる青竹を半分にしたものが敷かれていたり・・・

この露天風呂は湯船につかると自分が白く見えるのが不思議♪

そして熱くもなくぬるくもなく・・・

このお風呂からは宿の中庭とでも言うのか、そういう風景が堪能できる場所でかなりのんびり出来ます。

宿は田舎風の宿で、ホント田舎のおばあちゃんの家に来た気分。
柱や廊下・縁側などは歴史を感じるというか・・・当時は廊下が歩くとミシミシいってたり(笑) トイレも共同でしかなく裸電球のトイレ。

当時中学生だった私には薄暗くミシミシ言う廊下を抜けて裸電球の薄暗いトイレに夜一人でトイレに行くのはちょっと辛かったけど、ホントに現実世界から離れられる場所・・・それがこういう温泉なんだなって勝手に解釈し、それ以降こういうのんびりできる温泉に嵌りました。

当時は女将さんがお婆さんだったんですが、また人のよさそうな方で、思わずチェックアウトする時も「又来るね、おばあちゃん♪」と言いたくなるそんな方でした。

あの頃は確か日本秘湯を守る会にも属していた筈。

仲居さんもかなりご年配の方が多かったですが、部屋食の配膳の時などに昔のお話が聞けたり、宿に来たというよりはホントにお爺ちゃんお婆ちゃんのところに遊びに来たような不思議な感覚にさせて貰いました。

それ以降も高校時代に家族と、大学時代にNIFTYの温泉フォーラムのオフでこの宿を訪れたけれど、その時には女将が代替わりをしていたようで昔のようなどことなく懐かしい雰囲気をかもし出すものはなく、昔の方が良かったなと思ってしまい、以降私の定宿になることはありませんでした。

高校時代に行った時はまだ以前の女将さんが大女将として宿にいらして多少は目を光らせていらっしゃったのでまた昔のような宿に戻るかなと期待していたけれど、大学時代に行って、「やっぱりダメだったのね」と思わざるを得なかったのはちょっと寂しかったなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/mikachan/19870804


《2005年6月 宿泊レポート》

関金温泉の中で最も湯量が多いのではないかと思われるのは温清楼。

言ってみたら関金温泉では最も良い湯を持つ旅館である。

しかし、宿の中へと案内されると、驚きの光景が広がる。

ロビーの半分がゴミで埋まり、今流行りのゴミ屋敷だ。
2t車がいっぱいになりそうな程の量がこのロビーへと詰め込まれていた。
これには驚きそして不安に・・・。
ジュース・缶ビールが並ぶ ロビーはゴミ屋敷状態

不安になりつつ、仲居さんの後を付いて部屋へと向かう。しかし宿の素材は抜群に良いというのに、まったく掃除をしていないのが見てわかる。至る所にクモの巣があり、窓は汚れて曇っている。ちょっと覗いたが事務所の中も書類や本が山積み。その山の間でお会計の計算などを行っていた。

部屋へと案内されるまでの道のりは長い。迷ってしまうほど入り組んだ造りとなっている。

木は古くいい味を出しているわけだがやはり磨いていないのでくすんでしまっているのが残念・・・。

裸電球で浮き上がる杉の皮で出来た湯屋
杉の皮で出来た風情いっぱいの屋根、庭園風の景色の中、檜で作られた浴槽が溶け込んでいる。夜風に当たりながら長い時間湯浴みを楽しんだ。

温度はほんの少し熱め、湯量はとても多く、内湯とほぼ同じぐらいの量が注がれている。湯の特徴は無色透明、無味無臭と特徴は少ない湯であるが透明度の高い綺麗で新鮮な湯はとても気持ちがいい。

露天風呂の周りには一周ぐるっと宿が囲む。
丸見えすぎる為、舞台の上で入浴するような気分となるだろう。
特に夜にはライトアップされた露天風呂は照明があたっているかのように見える

良いところ: 温泉が絶品!ドバドバの湯は最高だった。特に夜の雰囲気がいい!部屋は少し暗く湿気っぽいが私にとっては申し分ない部屋。布団も綺麗だった。(一人だと少し怖い部屋かも・・・なんとなく)

悪いところ: 宿の中がゴミ屋敷、廊下はくもの巣が張っている。宿の素材はいいのだから磨き上げてほしい。食事はそこそこおいしい、でも味噌汁がダシなし。この接客、食事、部屋では料金が高すぎる。日帰りで十分だとは思うが夜の露天がいいのです・・・。
http://www.hikyou.jp/totori/sekigane/onseirou/onseirou.html

関金温泉 温清楼 2006年4月 入湯

で 温清楼
9時45分くらいに行ったのですが、

” まだ時間じゃないので、どっかに言って来てください”

とのこと

ロビーで待たせてもらってよいかと尋ねると

”困ります”

と言われてしまった。
やむなく玄関先でブラブラ10分間ほど待ちました。

写真上方に写っておられる女性も、同じようなことを言われて、待っておられました。


温清楼
結構デカい旅館です。
満室になったら何人宿泊できるのでしょうか?
客室は 先に紹介した関の湯を超えて、奥のほうに長々と続いています。

露天風呂
混浴です。

お湯は透明、底には竹を割ったものが敷き詰めてあります。
浴槽はなんとも風情があります。


脱衣場
オープンエアーで、浴槽から丸見えです。
つまり周囲から丸見えの場所で 衣服の着脱をする必要があります。
このように浴槽から脱衣場は丸見え。 もちろん旅館の廊下からも丸見え。
客室と廊下からは 浴槽は丸見えです。

一緒に行かれた中年の女性は、現場を見るなり入湯せずに立ち去りました。他に入湯客がいなかったので、嫁は入湯しましたが、すぐに男性4名の入湯があり、浴槽から上がるときにかなり配慮が必要でした。

露天風呂はスゴく良いですね。
建物自体は、年期が入っており掃除や整理整頓が必要に思います。
http://www.kameson.net/trip/sekigane/onseirou.htm

クチコミ通りでした。 [温清楼]
ヒロ&ドンさん [入浴日:2008年4月]

クチコミ通りでした。  いろんなサイトを拝見しても、

「汚い、掃除がなされていない」

などの書き込みばかり・・・。そして

「でもお湯は極上です」

との記載も多い。 以上のことは本当なのかな?と思いつつ訪れてみました。

立ち寄り湯は10時30分からとのことで、10時25分頃に旅館前に到着しました。

が、カーテンが布かれ開いている気配がありません。
思わず「閉館か!?」などと思いながら、電話をおかけしたら

「お待ちしております」

との返事をいただきました。 30分になるのを待ち、旅館に向かいました。

感じのいい女性に迎えていただいたのですが、やはりロビーはダンボールや色んな物が数多く積まれていて、旅館とはいえない状態です。

予備知識があったので驚きませんでしたが、何も知らずに立ち寄れば驚くこと間違いなしです。

女性にご案内いただいて露天風呂に向かいました。結構歩きました。広い敷地です。日本庭園に2つの浴槽。

脱衣所は他の方のクチコミ通り、何の囲いもないので女性は注意が必要です。

施設に何も求めず、ただただお湯がよければいい方向けです。

それにしても、もう少しなんとかならないのか・・・。
高齢の女性お一人での経営だとしたら、あの広い旅館は大変だと思いますが、
どうか、あの素晴らしいお湯は何とか守っていただきたいです。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen005843/1.htm

残念ながら休業中です [温清楼]
ぴいすけさん [入浴日: 2010年5月14日 / 2時間以内]

私が訪れた際は土曜日にも関わらず建物からは人気もせず「?」といった感じでしたが、よくよく調べてみると「現在休業中」のようでした。
雰囲気のあるお風呂だったらしいので一度入りたかったのですが、残念です。

訪れたのに廃業していました [温清楼]
放浪人さん [入浴日: 2010年10月22日 / 2時間以内]

 昨年末で廃業したとのこと。素晴らしい露天に入りかっただけに、訪れたとき玄関がカーテンで覆われているのを見てガックリ。女将がお歳だったので、やむをえないことかもしれない。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen005843/1.htm

関金温泉 温清楼 NO408 ※廃業されました 2012-08-23 20:59:51

かつては、秘湯の会の宿だった?、老舗宿。
その後、色々うわさがありましたが、閉館されてしまったようです。

今、ネットで、流れをみていると、後継者がなく、高齢のおかみさん、1人で、この宿を維持するには、大変な苦労があったのだと思います。

それでも、評判の良い温泉、特に、自慢の露天だけは、守るために、最後までがんばってこられたんじゃないかって私は思います。

だって、こ〜〜〜んなに、素敵な露天風呂だったんですよ。
湯はやわらかく、甘い。
新鮮な泡付きによる、ツルツルもあり、湯がキラキラしている。

   単純放射能泉  44.9℃

湯船の底なんて、青竹ですよ〜。
珍しいし、何年も持つものじゃないですよね?
こんなに、手入れが行き届き、気持ちよく入浴できたんですもの。
もったいないです。。。
http://ameblo.jp/1515-iiyuni-hairo/entry-11294727072.html


まあ、「あさば」 の場合は「蓬莱」同様、左前になったらすぐに星野リゾートとゴールドマン・サックスが買収に動きますから、廃業する心配は無いですね。

ただ、「界 修善寺」という名前に変わって、千葉の工場で作った冷凍食品をチンして出す様になりますけどね。

しかし、ゴールドマンの犬の星野佳路もやる事が えげつないわな。


25. 2014年2月13日 07:22:39 : 2D6PkBxKqI

米ゴールドマン、日本での事業機会重視 CEO表明

米投資銀行最大手ゴールドマン・サックスのロイド・ブランクファイン最高経営責任者が
日本経済新聞の取材に応じ、「日本の成長は世界全体にとっても歓迎すべきこと」として、
日本経済の回復を評価する考えを示した。日本企業のM&A(合併・買収)なども活発に
なっていることで「日本でのビジネスチャンスは極めて大きい」と指摘。海外M&A支援など、
日本での事業を重視していくと強調した。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1100A_S4A210C1MM8000/?n_cid=TPRN0005


26. 2014年2月13日 07:31:14 : 2D6PkBxKqI
↑は 2014/2/13 2:10 日本経済新聞 の記事ですがゴールドマン・サックスも温泉旅館の再生事業を再開するのでしょうね:


星野リゾートとゴールドマン・サックス 温泉旅館の再生事業で提携 平成17年4月11日

星野リゾートとゴールドマン・サックス・グループは、温泉旅館・リゾートホテルの再生事業に協働して取り組むため、アセット・マネジメント会社を合弁で設立する基本合意書を締結しました。出資比率は50%ずつとし、星野リゾートの星野佳路社長が代表取締役に就任します。

星野リゾートは温泉旅館やリゾートホテルの運営ノウハウを提供し、ゴールドマン・サックス・グループは事業再生のノウハウを提供することによって、お互いの強みを活かしながら再生事業を進めていきます。具体的には、再生の必要な温泉旅館等にゴールドマン・サックス・グループが資金を提供し、アセット・マネジメント会社の指導の下、既存の経営陣・社員と協同で再生に取り組む事を基本にしますが、必要に応じて、星野リゾートが直接経営に乗り出す事も想定しております。
http://www.hoshinoresort.com/

規制緩和ということは要するに、大資本が野放しになったということです。

そうなったらどうなるか、世界第2の経済大国といわれる日本でさえ、全然太刀打ちできません。アメリカの巨大資本、金融資本・銀行ですね。日本の銀行とは勝負になりません。ボブサップと私が裸で殴り合ぅようなもので、一コロで殺されてしまいます。

 それでもやれというなら、ボブサプは手と足を縛ってもらって、目隠ししてもらって、こちらは金槌でも持たしてもらって、それでやっと勝負になるのです。今まではそうだったのです。それを全部外して自由にする、無条件で自由競争にするというのです。

負けないためには、相手に負けない位大きくなるしかないですから、合併、合併、合併。あっという間に30ほどあった都市銀行が3つになってしまったのです。UFJとか「みずほ」とか、元何銀行だったか覚えておられる方おられますか。すぐ言えたら賞金をさし上げてもよろしいのですが、まず、言える方おられないでしょう。合併、合併であっという間に3つになりました。3つにになってやっとなんとか対抗できるというくらいにアメリカの巨大銀行というのは大きいものなのです。それでもダメで、長銀はのっとられてしまいました。北海道拓殖銀行も山一証券ものっとられてしまいました。次々とのっとられています。

 ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられました。

広くていい温泉なんですけど、驚いたことにゴールドマンサックスでした。
世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの代表のようなものです。

これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送していました。古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、ゴールドマンサックスが。

どうするかというと、従業員みんな首切っちゃってパートにして、腕利きのマネージャーを送り込み、部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの観光客をワーツと呼ぼうという作戦なんですね。

儲かるようにして高く売るのです。ゴールドマンサックスが経営するのではありません。

いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直してすぐに売っちゃうのです。これが投資銀行のやっていることです。

確かに、いわれてみればそのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカからごっそり観光客が来ると思います。

そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。そして近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパーなんていって売り出す気なのですね。

ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。(2006年1月14日)
http://kyonannet.awa.or.jp/mikuni/siryo/2006/kawabata-kouen060114.htm


27. 2014年2月14日 00:14:15 : 2D6PkBxKqI

 廃れる → 身売り → 外資系が買い叩く

という流れの構図が見え見えだ。まぁ、日本はアメリカ51番目の州だし、安倍州知事もアメリカ大統領のゴキゲンとりで奔走している
http://angel.ap.teacup.com/applet/zzzoo/543/trackback

・バブル崩壊以後、軒並み斜陽化した国内ゴルフ場は相当数がゴールドマンサックスなどの外資に買収され、それは今に続いている。その上、古くから根付いている我が国固有の伝統文化である「温泉湯治文化」が今、外資の手で根こそぎ破壊されようとしているのである。

・バブル以降、衰退したゴルフ場の再生を請け負ったのが、ゴールドマン・サックスとローンスター社である。特にゴールドマン・サックスのゴルフ場買収は著しい。現在はゴルフ場のみか、ホテル、スポーツ施設、旅館、観光地などの利権を買い漁っている。その中でも彼らが温泉買いを行っていることに日本人は無頓着である。国民は外資が温泉を買収していることがどういうことか考えたことがあるだろうか。

・いしにえの時代から、日本人は山里の温泉を利用してその心身を癒してきた長い歴史がある。温泉文化は日本の代表的な伝統文化である。これを外資に買収された場合、どんなことが起こるか考えてみればその恐ろしさが実感できる。今、ゴルフ場を買収した外資がゴルフ場の経営方針をどのように転換したか、昔からゴルフをやっている連中は気が付いているだろう。ゴルフ場は回転効率を目指した経営に変わっているのである。つまり、外資喫茶店のスターバッグスなどのように集客効率と回転率を上げ、プレーが即席化している。徹底した合理化である。

・日本人には接待ゴルフという言葉があるくらいに、ゴルフはスポーツプレイという側面と同時に、社交の延長という側面がある。これは日本独特の文化である。従って、外資経営の合理化とは、日本の接待的な要素をすべて捨てて、短時間内のプレイに集中させ、回転効率を目指すことになる。

・私自身は日本のゴルフ場は、その存在そのものに批判的だから、ゴルフ場の経営方針などどうでもいいのだが、これが温泉になると話は違ってくる。

・日本人とって温泉は、時代を超えて心身を癒す時間を供給する重要な場所であり、民族の文化である。これが外資に渡り、ゴルフ場の集客効率と同様の経営方針をとられた場合、我が国の伝統的な温泉文化は破壊され
る。


28. 2014年2月14日 00:15:10 : 2D6PkBxKqI

・おそらくすべての有名温泉では水着着用を義務付けられ、伝統ある古びた温泉地は西洋風にリニューアルされてしまうだろう。湯の町の情緒性などは根こそぎ破壊され、集客効率と回転率だけを志向した即物的な施設が乱立するだろう。

・そして最終的には日本人も外国人も無機的な施設の温泉地に興味を失い客足が途絶えることになる。その時、温泉地は町もろともさびれ果て、打ち捨てられる可能性が高い。外資には地方文化の興隆などという意識はまったくないから、儲からないと判断した時点で完全に撤退し、後には無残な観光地のむくろだけが残ることになる。

・このまま行くと、我々日本人は温泉情緒を楽しめなくなるのである。我々日本人は、ホワイトカラー・エグゼンプションで成果主義を押し付けられ、過当な生き残り競争の中で疲れ果て、その血のにじむような労働は、ほとんど外資のためであるという構図の中で生きていくことになる。そして疲れた身体を癒すために遠隔地の温泉に行けば、金ばかり吸い取られてゆっくりできない休日を迎えることになる。しかも水着着用で過ごすはめになるかもしれない。目先の利益で外資に委ねることは日本の切り売りなのである。しかし、これを推進する為政者とお役所は国賊である。


・弱小の旅館経営者は事実上、経営が出来なくなり廉価で手放すことになるでしょう。そこを待ち構えていたゴールドマン・サックスのような外資が一気に利権を買い漁るかもしれませんね。まったく悪質です。

・これが全国規模で進行すると、我が国の古来からの伝統文化である湯治や温泉地観光が、海外式の市場原理主義にすっぽりとはまって醜悪な様変わりをするでしょうね。

・儲けさえすれば、湯の町の情緒などどうでもいい。地域の生活者などどうでもいいと排斥されるでしょう。

・結果的に文化風習が崩壊し、地域社会は無残なことになるでしょう
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2007/01/post_2afd.html


29. 2014年2月14日 22:02:41 : 2D6PkBxKqI

ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 1 _ 山代温泉 白銀屋(現 星野リゾート 界加賀)


投資リターン10%が目標 2005-06-24
ゴールドマンは4月、星野リゾート(本社・長野県軽井沢)と合弁会社を設 立し、温泉旅館やリゾートホテルなど再生事業に共同で取り込むと発表した。星野佳路社長によれば、この合弁会社を軸に、今後2−3年で約50の温泉旅館の再生を手がける計画だ。星野とゴールドマンの温泉再生の1号案件は、国の有形文化財にも指定された石川県・加賀温泉郷の「白銀屋」で、改装後の8月に開業する。

星野社長によると、合弁会社は6月中に設立、ゴールドマンが約300億円を投資して、星野リゾートが再生にあたる。業務改善などで得られるマネージメント・フィー(手数料)は星野側に入り、将来の転売益や、ファンドや不動産投資信託(REIT)に組み込む際の投資収益はゴールドマン側に入る。投資利回りは10%程度を目指すという。
http://kissako.blog10.fc2.com/blog-entry-60.html


山中温泉観光協会会長上口昌徳さん

県外資本は再投資のつもりはなく、5,6年でもとをとったら去っていく。
白銀屋がすでにゴールドマン・サックスから格安で売りに出されている。

こんなことでは地元は持続的に生き残っていけない。
当面格安旅館のおこぼれで生き残ったとしても、その先は。
http://www1.ocn.ne.jp/~zitiken/kaihou/51k-kaga-tyousa-kamiguti.pdf


これが昔日の白銀屋の姿

”野暮な人”には行って欲しくない宿 (白銀屋) 岡野新助さん [2004年10月2日]

”本物の宿”と言っていい

たいていの宿には一つや二つ「あれ?」という変なところ
(たとえば、庭のつくりとか、床の間の置物とか)がある。

ここには「おかしなところ」が、まったくない
おそらく、2代や3代じゃ、こうはいかない。
何代もの積み重ねの結果なのだろう。

一度行かれることをお勧めする
その際、子供連れ、家族連れで、なんて野暮なことはやめてほしい
大人の宿なのである

___________

心に残る白銀屋さん (白銀屋) 浅草胡蝶さん 2008年3月4日

かれこれ十年前になりますが、たまたまふらりと伺った宿が白銀屋さんでした。こじんまりとした造りの中に、とてつもない品格のある空気が印象的です。

夕食の御懐石も驚愕の絶品。器はもちろんのこと、お出し頂いた清酒[立山]はあの折から現在まで愛飲致しております。あの折は景徳鎮の素晴らしい酒器にておもてなし頂きました。

夢のような御夕食でした。今年は舞台の休みをやりくりして、必ず必ずお伺いいたします。
日本一の白銀屋様。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen001930/1.htm

________________________

一方、こちらが“再生”後の白銀屋


今の情報が知りたいです [星野リゾート 界 加賀]
ホット さん [入浴日: - / - ]
以前の白銀屋さんが素晴しかったのを知っている方は沢山いらっしゃると思います。経営者が変わって、今はどうなっているのでしょう?
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen001930/1.htm

白銀屋は、ご承知のとおり、県外資本が入り、外観は以前と変らず紅柄格子で昔ながらですが、内装は全てリニューアルされて、モダンなつくりです。昔を知っているものにとっては、まったく異質なものになりました。私には、まったく違う旅館です。
http://www.tabier.com/cgi-bin/cbbs/cbbs.cgi?mode=one&namber=5193&type=5176&space=45&no=0

老舗の、白銀屋 さん。
ずいぶん前に 2度、お邪魔した事のある、素晴しかった 老舗の旅館です・・・・、
が、今回行って幻滅です!! 

何でも お宿の経営者が少し前に変わったとのことで、最低の旅館に変貌〜

二度と 行きません 皆さんも もし、このお宿を予定しているのなら、即!キャンセルを進言します

温泉が、どうのこうの の問題ではなく、お客を迎える、と言う意識がまるで無いのです!

部屋は誇りだらけ、お手洗いは薄暗く汚らしい(+_+)

お茶を飲もうと急須を見たら、お茶の葉も無く
あげく 若い接客係に、飲み物の注文をしても、1時間は 待てど暮らせど、一向に来る気配なし
食事も以前の様な持て成しも無し・・

何から何まで、最低になってしまいました!
潰れた方がマシ!

今まで訪れた旅館の中でも、断トツの最低宿
居るのが気分悪く、サッサと受付でお金を払い、部屋を引き払い 近くに在る 山代温泉浴殿の方で、
お湯に浸かり そのまま泊まる事も無く帰路に。

な ものですから、お湯の印象も何も・・・、

この旅では、白銀屋の凋落ぶりに唖然の旅でした
次に行く時は違うお宿で 足湯を楽しみたいです。
http://onsenkun1.seesaa.net/article/99778487.html

期待はずれ [星野リゾート 界 加賀]
ともりん さん [入浴日: - / - ]

日経OFFの記事を拝見し、私たちの心を揺さぶりました。
加賀モダンに泊まりました。

トイレは暗く、申し出たのですがこの明るさしか出ませんと言われました。又、便座の暖房も入っていませんでした。
洗面所の排水溝のホッポアップが壊れていて水が流れませんでした。
ビールとおつまみを頼んだところビールを飲み終わった頃おつまみが出てきて興ざめです。

とどめは、お土産で購入した物が帰宅して開けたら希望の物が入っていなかった事です。
色々旅をしていますが、今回はがっかりでした。

老舗と言うなら! [星野リゾート 界 加賀]
三婆末っ子 さん [入浴日: - / - ]

今回従姉会でちょっとリッチにお泊りしようと色々調べて山代温泉白銀屋に決めたのですが、ビックリ!まず、部屋に入ってお茶を頂こうとしたら、急須の中に使った後のティパック。洗ってない急須に驚き、お茶の葉でないことに驚きました。
その上、テーブルには小さなゴミが散乱。非常階段を見に行けば、掃除がしてない上、ドアには上から下まで埃が蜘蛛の糸のように絡みつき、食事の前にお風呂に行けば露天風呂の庭に白いゴミ袋!

最後は夕食時。三人で半個室の部屋に入ると一人分だけ箸置きのみ置いてあり箸はなし。一体どういうサービスなんでしょうか?若いスタッフばかりで行き届かないのは再生後の経営者のせいでしょうか?老舗と言うならもっとプライドを持ってください!


評価できない [星野リゾート 界 加賀]
じる さん [入浴日: - / - ]

年に2〜3度温泉旅行を楽しみにしています。どちらかと言うと建築とお料理が目的かな。白銀屋はかなり期待して行きました。が、最悪でした。時間とお金がもったいなかった。

魯山人ゆかりの一番いい部屋に宿泊しましたが、冬の最中にお部屋に通された時暖房も入ってなかったし、お風呂は廊下の先で寒い上にこれもお湯も入ってなく、お茶を飲もうとポットを開けると湯垢が、、、?!

夕食は台所に1人しかいないのかと思うほど時間がかかりご飯は芯があり、ロビーでコーヒーを飲めばコーヒーを飲んだことがない人いれたみたいで全てに腹が立ちアンケート用紙にぎっちり書いて投函しょうと思ったが期待が出来れば入れようとも思ったが、言うに及ばずでアンケート用紙もしばらく我が家にあったがそのうち破棄してしまった。

要は人にゆっくりしていただきたいとか、美味しいものを提供して喜んでいただこうとか一切考えていないのだと思う。夕食の時に途中で退席した人がいたようだが、私たちもよっぽど立とうかと思った。

旅とは?楽しみとは?人それぞれ満足をどこに見つけるか違いはあろうかと思うが宿を提供する側は人が数ある中から自分の所を選んで時間を使い、お金を使って下さると言うことを改めて考えることが必要と思う。聞けば、経営者が変わったらしいが、魯山人だけを売り物にするつもりなら歴史のある宿が可哀想だ。サービス業を根本から考える必要があると思う。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen001930/1.htm

3 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/16(水) 13:28:02 ID:8VN2n7PS0

レストランの味・サービスはファミレス以下。
人が飯食ってるのに走るな。 もう2度と行かない。


4 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/16(水) 14:40:06 ID:sCnFbh7rO
>>3
星のやで?


6 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/18(金) 00:05:15 ID:6NwvciiOO
>>3
味がいいって人も多いよ。
和食の方だけど。


7 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/18(金) 12:53:24 ID:wMVNALvPO
ハゲタカ社長が生理的に嫌いだから一生行かない


8 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/21(月) 10:44:30 ID:NfpXglKfO
白銀屋は文化財だよね。
食事はどうなんだろう?


9 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/21(月) 23:40:36 ID:6Xv52Jy10
>>8
俺等が泊まった部屋は中途半端なラブホみたいだったぞっ。
飯もかっこうだけだった。朝食はマシだったかな。
文化財の建物は一部。部屋は上述のとおり。
風呂は温度が変わる…。温度管理をしっかりせいっ!何がCSじゃ。
山代温泉自体も廃れた温泉場だしな。
もう、行くこともないだろう。


13 宿無しさん@予約いっぱい 2008/01/26(土) 14:29:10 ID:dE8fGQpA0

星のの関係はお得感が無いね。w

82 宿無しさん@予約いっぱい 2008/10/31(金) 12:48:54 ID:ttjZWkRu0
星野の飯って千葉で作ってる冷凍でしょ?
ガイドブックで地元の旬とか書かれてるのを見たり、雰囲気ある雑誌の編集者が物知り顔でうなっているのを見て絶賛しているのを見ると切ない。


84 宿無しさん@予約いっぱい 2008/10/31(金) 21:51:54 ID:ZTqv+lNw0
http://www.consul.nri.co.jp/nmr/report/17-5.pdf

ここでいう嘉助工房っていうのがそうでしょ?今は名前が変わってるけどね。
業績好調ってことは、ほとんどのグループで冷凍ってことかな?
http://townwork.net/h/r/Fh30010s.jsp?lac=01&gac=004&lc=150168&sc=08519&rid=07629940&rfn=1&axc=11

21 宿無しさん@予約いっぱい 2008/02/22(金) 11:59:35 ID:lR/omVkg0
星野やの料理は全部レトルト
あんなの食って 美味いってか???


22 宿無しさん@予約いっぱい 2008/02/26(火) 02:37:16 ID:BDmGPI2N0
>>21
レトルトは基本万人向けに出来てるから・・・・
カップラーメンやコンビニ弁当並には美味いんだよ・・・

それ以上は無い!! ただ・・・・・業務用レトルトは最近中国製が多いから怖いやね


23 宿無しさん@予約いっぱい 2008/02/26(火) 17:49:31 ID:Gx5yXALX0
レトルトやコンビニで満足できるなら何しに長野まで。。。?
都内の高級レンストラン並みの値段付けておいてあんまりじゃないの?


24 宿無しさん@予約いっぱい 2008/02/26(火) 23:33:22 ID:BDmGPI2N0
>>23 
星野に言ってやれ!! ってレトルトで美味いって言ってる連中も良くないわなww

37 ド素人軍団 2008/05/21(水) 02:47:34 ID:XddZ/zQMO
基本的に働いている社員はほぼ経験の浅い素人集団。
実際にサービスをしているのは経験のない新卒のボンボンや派遣ばかりつかってる。


38 宿無しさん@予約いっぱい 2008/05/26(月) 17:55:11 ID:TtyeSFY+O
ほしのは、まじに駄目。
CS重視などとほざいているけど、全然分かって無い。
リゾートの達人??
ただの、金の亡者。


39 宿無しさん@予約いっぱい 2008/06/01(日) 19:17:06 ID:P9tBf/wA0
浅間温泉の「夜まつり長者」は、再生に失敗して先日手離しましたね。
ゴールドマン・サックスとの合弁事業も全体としてあまり良いリターンを生んでいないようでした。

GSの知り合いに先日聞いてみたところ、
「ノーコメントと言えばわかっていただけますよね」
と言ってましたので。


42 ド素人軍団 2008/06/09(月) 20:25:05 ID:5iZw8kRb
>>38,39
そりゃそうだ。普段サービスをしてないスタッフを表に出してやりたくもない
客相手してるんだから。。。そういう嫌がらせがホシノでいう『ジョブコンビネーション』っていうらしいぞ。
それに赤字続きのリゾートの解決手段にどうやら『パンデミック』を利用しようと本気で考えてるようだ。
http://tch.viewerd.com/hotel/1200454775/


30. 2014年2月14日 22:28:41 : 2D6PkBxKqI

204 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/11(水) 08:26:01.30 ID:z+ntj4mk0

ここが保養所やるようになって、人のよかった管理人夫婦はいなくなり、チンピラみたいなスタッフがいるようになった
食事もメニューだけはいっちょまえだが内容はひどい。
まだつるやの惣菜のがマシだわい。
これが噂の千葉のレトルトなのか?


205 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/11(水) 17:45:45.52 ID:htG3hPE2O

星野リゾートは、全事業所千葉のレトルトですよ。
天ぷら揚げた人も、下手したら昨日までまともに包丁すら握ったことの無いうえに、さっきまで客室を掃除してたスタッフとかです。
レトルト作りも、パートさんが工場で作っているような感じです。
食事はホテルで摂らないことをお勧めします。

245 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/03(火) 18:22:30.84 ID:e/FRUO7eO

ここの料理人は他のホテル料理人と違ってレトルト食品の袋を切る為に最高のハサミを持って要るんだよ。
もちろん袋を切るハサミさばきも一流だよ

92 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/02/13(月) 18:14:56.06 ID:brznqPIt0

千葉のレトルト工場から全国にお料理を配送しています。
自慢の味をぜひご賞味ください。
心よりお待ちいたしております。


417 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/06/29(金) 09:26:51.04 ID:HLmZVMPU0

千葉のレトルト工場、時給安いよな〜
バイトやパートがマニュアル通りに作ったものを、いかにも料理人が地のものを手をかけました、みたいにいって出すわけねw

419 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/06/29(金) 19:35:03.71 ID:DsyzOslkP
>>417
素人や米国人みたいな味オンチならダマせる
ここらへんなら盛り付けだけでレトルト食品だとはわからない
ただ、それ以外のグルメな奴はダマせる保証は無い。


798 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/12/18(火) 08:20:52.23 ID:l2LXzIT00

最近はあんまりレトルト工場の求人出してないよね〜


800 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/12/18(火) 12:38:09.84 ID:r1ePUwWP0
>>798
10月までは出てたみたいだよ。

「星野リゾートのグループ会社として「食品製造の達人」を目指しています。
業務用冷凍食品(惣菜類)の製造をしています。」だって。
http://job.j-sen.jp/hellowork/job_6734958/

253 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/04(水) 13:28:50.62 ID:frWZReqg0

運営委託だろうと社有だろうと、固定費は変わらない。
冷暖房ケチる照明落とすメンテ手抜きにも限界がある。

そこで削るのが食費。
これは削れば削るほど手っ取り早く利益に直結する。

そこでレトルト、成型肉の登場となる。
何でもいいから食わせときゃいいんだよw

254 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/04(水) 13:40:35.73 ID:DoZsP+fU0

ほんと、ここが運営してから保養所のメシがマズくなったわ・・・・
飾りつけだけゴテゴテして、皿も一応は暖かいんだけど、味がもろレトルト。

テレビで取り上げられてお山の大将になってるかもしれないけど
自分は星野系の施設に行くことはないね。


718 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/11/09(金) 11:29:12.50 ID:nXVFufPk0

猫魔ホテルに星野リゾートが加わってからの、飯の品質劣化は激しいなぁ。
ほとんどチンしただけのバイキングで、美味しそうに楽しんで食ってるやつが
だれもいないのが印象的。
あの辺では温泉が一番いいだけに、本当に残念。

720 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/11/10(土) 09:00:32.71 ID:vUOg4fIv0

猫魔もチンしてハサミで開封?
もしかして星野リゾートは何処に行っても同じメニューだったりして?

263 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/06(金) 08:40:22.93 ID:csGcOfTW0

5年ほど前に中軽エリア(施設名はごめん)の星野の厨房に応援でいったことあるけど、レトルトはあまり見なかったなぁ。
一応、調理手順がすべてのメニューについて文書化されてるんだけど、本職の調理人は見てなかったよw

いかにも学卒の口舌の徒の考えそうなことだと思ったね。
今はより合理化して味気なくなってるのかな??

派遣からパートになったあの若者元気かなぁ


259 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/05(木) 10:39:27.60 ID:Qy0nqvqP0

結局熱海は成型肉なんですか?
内部書き込みは、どうも小淵沢の人ばかり。熱海からの内部情報はないみたいですね。


260 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/05(木) 20:33:21.53 ID:WhxLQq7y0

熱海の兵隊さん達は一人3〜5役やってて過労死寸前!
内部書き込みなんて暇はありません。
小淵沢だって働くふりして書き込んでられるのはオレンジ色の人たち位なもんよwww
ところで成形肉でも良いじゃん? 美味けりゃさ?

ステーキガストと遜色ない味だと思うよ〜
設備投資費、食器代、人件費、そしてリゾナーレステイタス代乗っけて美味しくなってるでしょ?

不思議と文句出ないもんよ〜

大してして舌の肥えたゲストなんて居ないものwww
コストダウンと客のレベルダウンの足並みのバランスが取れているのさ〜
その辺が星野の偉いとこwww
マイッタカ?


465 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/14(土) 15:33:08.54 ID:X8Wz0vrR0

元タラサの社員です。タラサが星野運営の時、和食は、ほとんど既製品でした


463 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/13(金) 07:25:44.74 ID:lXlR8BXi0

客来るのか?
「界」も普通にダメだろ。スタッフが素人だし、メシはレトルト
これじゃ情弱スイーツしかこねーよ。
このクラスになれてるジジババは目も舌も肥えてるんだぜ?

470 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/17(火) 19:55:35.13 ID:CZWUkYDz0

星野来る層って味オンチだからね
ミッドウェーあたりのキンメ出しても脂のってうまいうまい言うだろうよw
だしだってろくにわからないだろうから、濃い味、プレゼン勝負(中身はレトルト)、能書きだらだら、になる。

472 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/18(水) 12:57:05.16 ID:4Oyy4rsv0
>>470
調理場のヤツから聞いたけど現場はヒドいもんらしいよw
まー何でも食ってくれるから放り投げて食わせとけばすむ話だけど
まともならウマいわけないよなw
それでもレベルにあったゲストはいるものよwww

474 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/19(木) 08:07:07.04 ID:yPOwmG730

板場はひでえってもんじゃないよ。
だしすらまともにひけないのが、親方面してる。
客も客だよ。あんなもん、高い金払ってよく食えるなぁ・・・・
まだ道の駅のおばちゃんの料理のがマシだよw

475 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/20(金) 15:29:32.63 ID:Xbs3UhaWO

むしろ、道の駅のおばちゃんの方が何倍もプロじゃないか?!
所詮星野のスタッフなんて、大卒のマニュアル人間集団で、厨房業務なんて
「何で俺(私)みたいな人間がこんなレベルの低い仕事しなきゃいけないんだ」
とか思いながらやってんだよ。


480 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/22(日) 11:32:44.50 ID:gNlYkw7y0

バブル期の一流な入れ物の中に安物詰め込んで物の価値の解らない三流の客に高く売るのが星野流


244 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/03(火) 17:36:31.83 ID:N7CTKQhGO

生え抜き、現場叩き上げ社員がいないとこうなるよい見本。


232 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/21(土) 09:21:36.81 ID:zUxOidaSO

マルチタスクはよいが核となる叩き上げのプロがいない。だからだめ、おままごと。見込みのあるやつはみかぎって辞めて行く。

233 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/21(土) 11:34:04.32 ID:GMfgMjIPO

会社としては人件費削減も出来るし、対応できるスタッフが増えるのがメリットなマルチタスクだけど、お客さんにとっては良い印象が無いみたいですよ。

チェックインした夜にレストランでサービスしてくれたスタッフが、翌朝のエステで施術者として現れたのに驚いて、

「プロの方に施術して貰いたかった」

ってクレームがよくあった。

712 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/11/06(火) 19:22:29.52 ID:IVwxrCnn0

部屋、トイレ、風呂の掃除をした人が接客もして、料理も作って、ウェイターもやっているのです。
部屋食は勘弁して下さい。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1321179232/
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1327925011/
http://megalodon.jp/2012-0130-2343-39/ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1321179232/



31. 2014年2月15日 19:05:37 : 2D6PkBxKqI

402 :名無しさん@いい湯だな:2006/09/14(木) 15:14:36 ID:aadvScTM

ゴールドマンサックス温泉事業部

45 :名無しさん@いい湯だな:2006/03/26(日) 21:30:14 ID:rXhIna3e

星野ではメニューは考えるが、その後はレシピ渡して外部業者に作らせてるんだよーん。

大体、牛の肉に味噌使うってどういうこと?
ほんとにうまい肉なら味噌なんか使わないよ。
肉の風味を殺しちゃうもんね。
ちなみに星野の食事ができるところは料理できあえ、『レンジでチン』シリーズだよ
(ちょー簡単な料理は除く)。

まぁ、テレビで言ってるのと、現場は大違いだよ。

NHKでも取り上げられてたけど、
(上にすり寄ってる人以外)社員は大事にされていないんじゃないかなぁ。

49 :?1/4?3?μ?3?n???¢?¢???3/4?E`:2006/03/27(月) 12:05:44 ID:wrc8q69+

星野リゾートは料理が全てインスタントとか冷凍物って事は有名だよ。

合理化とか経費削減の為、全て外注。
だから料理人もあまりいらないから社員が減って経費削減。

忙しい時期だけバイトを雇う。
村民のスタッフなんてほとんどバイトでしょ。
温めるだけだから誰にで出来るしね。


150 :名無しさん@いい湯だな:2006/06/24(土) 15:29:45 ID:/i0U9gBS

私の友人が以前ブ●ストンの披露宴用の厨房でバイトしていて言っていましたが
披露宴料理はレトルトだと言っていました。

他の事はよくわからないようですが、披露宴用では無い料理のレトルトも沢山置いてあったとは言っておりました。

でも、ゴミを減らすのと人件費を減らす為のようではあります。
出来上がった物が届けば料理を作る過程で出る生ゴミなどが無くなり、レトルトのパックと残飯だけになる。

常駐の料理人を何人も雇うより、忙しい時だけバイトを雇えば人件費も減る。
という事のようです。

427 :名無しさん@いい湯だな:2006/09/30(土) 17:40:06 ID:quK6mGWD

ここの経営方針は経費削減と合理化がメインでしょ、いかにして利益を上げるかが最重要。

そして箱さえ綺麗でイメージが良ければ中身はどうだっていいんだよ。

だからいつになっても食事は不味い。もう10年以上言われ続けてるのに全く改善されないからね。

でもよく知らない人達は広告に釣られて行っちゃうんだ。

428 :名無しさん@いい湯だな:2006/09/30(土) 19:20:38 ID:wkxvr0NJ

ここの従業員はほんとヒドイよ!!もう二度と行かない〜

431 :名無しさん@いい湯だな:2006/10/01(日) 10:30:09 ID:wRrdAPp+

環境保護とか動物愛護とかやってればイメージアップにつながるからね。
ここは中身よりイメージが大切なんでしょ。
多分、自分達にとって有益になるような力がある人達にはすごく対応がいいんじゃない。

それ以外の社員、バイトはもちろん使い捨て、一般客に対してもどうでもいいんだよ。


443 :名無しさん@いい湯だな:2006/10/06(金) 11:16:22 ID:J+zZAKpr

そもそもちゃんとした料理人はいるのか?
厨房スタッフもほとんどバイトだよね。

確か総料理長は料理人ではなくソムリエじゃなかったっけ?

447 :名無しさん@いい湯だな:2006/10/07(土) 00:48:11 ID:B1QlojqC

そもそもここで作ってる物なんて何も無いんじゃないのかな。

453 :名無しさん@いい湯だな:2006/10/08(日) 14:31:43 ID:0F9dr/l2

一回行って懲りるからリピーターもあまりいないしね。

473 :名無しさん@いい湯だな:2006/10/18(水) 15:59:09 ID:gRH3ajDo

確かに星のやは建物はいい。雰囲気があるし。前スレに書いてあった様なセクルの
声が外へ漏れる事もなかった。だけど、従業員の教育がなんとかならんのかね。あれじゃ、

二度と行く気がしなくなった。

475 :名無しさん@いい湯だな:2006/10/18(水) 22:08:20 ID:XT+GLyGr
>>473
それが星野リゾートの戦略でしょ。

箱だけ綺麗に建てて、写真を綺麗に撮り、イメージを良くする。
そして中身はどうでもいい。

社員を増やして教育していくと時間と金がかかるから儲けが減るでしょ。
イメージさえ良ければ客はそこそこ入るからね。

518 :名無しさん@いい湯だな:2006/12/02(土) 01:02:13 ID:Gj6S6ahK

メニューもどんどん安っぽくなってる。

どんどん経費削減して値段を上げて料理の量を減らして利益率を上げてるって事か?
働いてるスタッフの質まで下がってるからな。
酷くなる一方だよ。

519 :名無しさん@いい湯だな:2006/12/02(土) 21:04:04 ID:zPtgV8TS

ここのビジネスモデルは終わってるよ
だって本当の意味で顧客志向じゃないから

だいたい利益追求型温泉なんて・・・以下略

563 :名無しさん@いい湯だな:2007/02/22(木) 15:26:51 ID:EoQ3nJFc

ここに限らず再生事業って大抵は人員削減の大量リストラに経費削減して固定費を減らすだけだよ。

あとは見た目を多少綺麗にしてるだけ。
固定費が減れば売上が変わらなくても利益は増える訳だからね。

最初のウチは綺麗になってイメージが変わるからお客も多少増えるだろうけど
長い目で見たら中身が無いから続かない。

571 :名無しさん@いい湯だな:2007/02/24(土) 00:54:23 ID:QGo7h0mL

いくらハードを綺麗にしてもソフトが最悪だから長くは続かない。
対応悪いし食事も不味いし温泉の質も?

640 :名無しさん@いい湯だな:2007/06/12(火) 14:21:42 ID:LtLn70Jn

星のやは日本の温泉文化の破壊だよ。
軽井沢だから許せるけど温泉と名乗らないで欲しい。
星のリゾートの名前でやって欲しい。

669 :名無しさん@いい湯だな:2007/08/03(金) 23:34:43 ID:m4lPVMSk

ここって宣伝広告でもってるような会社だからね。
ありとあらゆるメディアに宣伝を打ってるけどリピーターは以外と少ないし
結婚式もかなり減ってるようだね。

671 :名無しさん@いい湯だな:2007/08/04(土) 17:07:34 ID:IOFnbx3V

星野に入社するということは、星野教という宗教に入ることだよね。

あ〜、怖い怖い。
だんだん 洗脳されて 他の企業では使い物にならなくなっちゃうのに
本人達は気づかない・・・
http://ranran2.net/app/2ch/onsen/1138723658/837


32. 2014年2月15日 19:34:41 : 2D6PkBxKqI


__________
__________

ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 2 _ 熱海 蓬莱
(現 星野リゾート 界熱海)

Re: 衝撃的です - ニュイ 2009/05/11 (Mon) 16:25:34
蓬莱と言えば、「あびたろうさんお気に入りのお食事が美味しそうな旅館」
ってことで、近々、泊まってみようかと思っていたので、食事の質が落ちたことに軽いショックを受けました。
そして、こちらの掲示板見て、更に衝撃です!

星野の運営になったんですね(◎0◎)

蓬莱には泊まったことはないけど、ヴィラデルソルの方を知っている私には、合理的でカジュアルな星野と蓬莱のイメージが全然結びつかないです
女将さんは今どうなさってますか??

蓬莱、もっと早くに行っておけばよかった。
あびたろうさんや、ちゃろさんが褒めていたお料理を食べてみたかったです(´・ω・`)しょぼーん。


Re: 衝撃的です - ちゃ 2009/05/11 (Mon) 19:27:59
そうなんです、「蓬莱」星野になっちゃって私も目が点だったんです。
それを初めて知ったのが、去年の年末w
びっくりしましたよ。

星野はご飯が致命的…共立もそうだけど、再建屋はどうも料理でコストカットしようとしますね。
星野のイメージがどうも個人的によくないので、「アンジン」にも足が向かないです。
女将さんの去就…私が聞いた話ではゴールデンパラシュートらしいですね。


Re: 衝撃的です - あびたろう 2009/05/11 (Mon) 20:34:45
左前になった旅館がやることといえばコストカットですよね。
特に再建屋が関わってくるとシビアになるかもしれません。

蓬莱そのものの経営は順調だったのに、ヴィラデルソルの借金が足を引っ張ってしまったとのこと。
女将もさぞ無念なことでしょう。

女将が部屋に来られとき、少しばかりお話を伺いました。

「料理の流れが変わったように思うのですが、方針変更がありましたか?」

「いーえ、全然変わりませんよ。」

とのご返事でした。
それ以上深くは追求しませんでしたが、女将が

「最近は、いつも板場に入っています」

とのお言葉に引っかかりを感じました。
少しやつれておいでのような雰囲気も感じました。

退職金貰ってバイバイですか?
私はその辺の所は知りませんが、古谷女将のいない蓬莱なんて・・・・・


Re: 衝撃的です - あびたろう 2009/05/11 (Mon) 20:40:08

昔と今回の料理の違いが分かるように写真を載せて見ますね。

まずは昔の「鰺」
http://bbs8.fc2bbs.net//bbs/img/_352000/351968/full/351968_1242041686.jpg

今回の夕食の鰺です。
http://bbs8.fc2bbs.net//bbs/img/_352000/351968/full/351968_1242042008.jpg


昔、「高級旅館で鰺がでるなんて・・・」との非難の書き込みを見たことがありますが、以前は素晴らしく美味しい鰺でした。
それに比べて今回は水っぽかった。

今回の写真の包丁跡を見てください。
身崩れしていますね。
それから「あしらい」の違いも。


Re: 衝撃的です - ニュイ 2009/05/11 (Mon) 23:38:32
女将さんと会われたと言う事は、残っておられるんですね。
でも、お辛そうです。(´_`。)グスン

鯵の写真、確かに昔の方が美味しそうです〜。
あしらいも、全然違いますねw(°□°)w。
今回のあしらいは、既製品を使っているのでしょうか??

たとえ女将さんが残っても、経営者が変わると、やはり、こんなにも激変してしまうのですね(((( ;゚Д゚)))

Re: 衝撃的です - 北斗七星 2009/05/12 (Tue) 15:31:09

あびたろうさん&ちゃさんの書き込みを見て妻と二人で固まってしまいました・・・(ToT) (TT)
私の好きな宿ベスト5に入る宿
そして、妻の一番好きな宿だっただけに、ショックはかなり大きいようです。

星野リゾート=ダメ とは思っていませんが、やることは、だいたい想像がついてしまいます。
そして、その、やりそうなことが、蓬莱に一番変わって欲しくない部分にメスを入れる事だろうと言う事が容易に想像できてしまい失意の念でいっぱいなのです。。。

肩に力の入ってない至福の料理、女将の美観から作り出される、オーラさえ感じる館内の美的空間。
本当に残念です。

ヴィラ・デル・ソルも大好きで、一人一人に気を配るホスピタリティ。
新鮮な魚介類をその時一番美味しい方法で料理するスタイル。

私も妻もリッツ・カールトン大阪よりも、洞爺湖の三ツ星レストランのシェフの味よりも、ヴィラ・デル・ソルのあの味が大好きなので、あの味が変わってしまわないかと心配です。

以前、北海道のトマム・リゾートに泊まった時、いかにも北海道らしい、ケチケチしない大らかなホテルの対応に感激しました。
蟹やステーキ、お寿司、なんでも食べ放題。
しかも、けっこう美味しい。
巨大プールに隣接する300坪ほどの施設は、まるごとサウナでした。

雲海を見てみたいのと、前回の感動を再び!
しかも、あの「星のや」の星野リゾートが手を入れたということで期待200%で訪れてみたら・・・
ワインレッドとブラウンをミックスしたような落ち着いたホテル(タワー)の色は笑っちゃうような変な壁に。。。
サウナは原色の遊園地のような幾何学的な露天風呂に変貌。
以前は10ぐらいあったレストランも半分以下に。
もちろん、蟹、ステーキ、刺身、寿司なんでもあったレストランはなくなってました。
その時、「これが再建ということなのだ」と厳しい状況を思い知らされました。

蓬莱もヴィラ・デル・ソルも、絶対にそうなって欲しくないな〜
何よりも、私たち、女将さん大好きです。
変なサービスより、女将さんが上品な笑顔であいさつしてくれれば満足なのです。

今朝、妻がガックリして出張にでかけました・・・


Re: 衝撃的です - あびたろう 2009/05/12 (Tue) 20:26:41
北斗七星さんやリコさんの「蓬莱」に対する思い入れ、旅グラのほうで充分存じ上げております。私どもも、「俵屋」・「あさば」・「蓬莱」 が定宿なので、相方は 「大好きな宿が一つ無くなってしまった」 と悲しんでいます。

私の尊敬するこの道の先輩は、日本を代表する宿として「蓬莱」と「美山荘」を挙げておられます。
旅慣れた方ほど「蓬莱」を愛しておられたのではないでしょうか。

「蓬莱」は「蓬莱」であって欲しい。
多くの客に迎合する宿にはなって欲しくないというところが切なる願いです。

女将もとても素敵な方で、「柊家」 の大女将と並んで日本の女将の代表のようなお方です。
その女将の感性を充分生かした宿が大好きでした。
http://abita2000.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=3361462

界 熱海(旧蓬莱旅館) 平成24年11月中旬訪問

あの蓬莱旅館がついに名前を変えた。
かつての蓬莱旅館ファンとして、その行方が気になってしかたがなかった。

道路わきには殺風景な看板。
これまた無粋な門らしき建造物。
あの素晴らしい玄関の雰囲気を、わざと壊しているとしか思えない。

小説にも描かれた休憩用のベンチ。
その赤い毛氈は取り払われていた。
ここも赤い毛氈は無かった。

離れの廊下
この眺めは変わっていない。
部屋は一番好きだった離れの「小鍛冶」。
左手が玄関戸。
その左手前に冷蔵庫と、お茶セットがある。
トイレの右手は洗面脱衣所。

慣れ親しんだ6畳の部屋。
正面奥はトイレの戸。
テレビ台や堀炬燵の上に置かれたテーブルが変わっている。

以前と同じ和菓子。
四畳半の部屋は変わっていない。
左側の襖は廊下へ通ずる。
右側はクローゼット。
クローゼットの内部。

浴衣と作務衣風の着物、それに腰が隠れるほどの長めの羽織が用意されてある。

洗面脱衣所も以前のまま。
数年前に改装されたばかりだから手をつけてないのだろう。
浴室も変わっていない。

アメニティグッズはグループ仕様。
界松本のそれとよく似ている。


(古々比の瀧)
変わっていない。
夕食後に行くと、薄暗くひっそりとしていて寂しかった。
この写真はストロボを使用している。
遠くの灯かりは熱海の夜景。


(走り湯)
脱衣所は新しくなったような。
湯船の周りの木が新しくなっている。
お湯に浸かりながら相模湾の眺めを楽しむのは最高。


(空中湯上がり処「青海テラス」)
走り湯への通路の途中に湯上がり処ができていた。
当分は、夜のみドリンクを置くとのこと。
一番眺めの良い所に造られてある。


(サロン・ドゥ・ホウライ)
管理棟の二階にある。
お茶やコーヒーなどセルフサービスで飲むことができる。
ちょっとした本も置いてある。


(夕食)
昨年宿のHPが変わった時、食事のランク分けがしてあったので、宿に電話をし内容を問い合わせた。
以前の食事は、特選料理に該当するという答えであった。
今回は、その答えを踏まえて「料理最上グレード」を選択した。

聞くと見るとでは大違い、単なる高級食材を使用するか否かであった。
「伊勢海老と松茸のコース」というだけである。

食前酒は地酒の「若竹 鬼乙女 幸 ひやおろし」
先付は、伊勢海老の刺身・アボガドオイルを潜らせた伊勢海老を渡り蟹の出汁仕立で・生の伊勢海老を黄身味噌漬で包んだもの。
大層な前書きの割には美味しくなかった。


高砂・大吟醸
すっきりとしていて癖がなく、美味しかった。

波瀬正吉・純米大吟醸
華やかな味で、料理にはくどすぎると思う。

八寸
「可もなし、不可もなし」といったところ。
コストが掛からないように工夫してあるとは感じる。


外国産松茸とのこと。
伊勢海老のうえに甘鯛まで入っている。
何がなんだかわからないような出汁加減になっていた。

カンパチ・真鯛・あおり烏賊・鮑
刺身は、まずまず。

蓬莱名残りの鯵
似て非なるものであった。

香り不足の天麩羅。
湯葉といっても豆腐の食感。

伊勢海老を出せば良いといった感じの一品。
目の前で焼いてくれる焼き松茸。
松茸を食べているといった幸せ感は無かった。

甘さを感じない硬い白飯。
スーパーで売っているような漬物。
辛すぎる赤出汁は残した。

私が選んだ甘味
きな粉餅のアイスクリームは美味しかった。
南高梅のシャーベットは酸っぱい。
相方は梅酒のフルーツゼリー。
味は普通とのこと。


(寝具)
いつものように四畳半に敷く。
前回はウレタン系マットは二枚敷いてあったのに。
残念ながら押し入れに予備のマットが無かったため二枚にできなかった。


(朝食)
チェックアウトタイムが12時までとなったため、遅い時間を希望することができた。

まずは、リンゴジュース
アオサの味噌汁は冷め冷め。
特徴のない豆腐。
味の無い出汁巻き。

鯵の干物は、まずまずであった。
一応、炊き合せ。
これも冷めたコーヒー。


(感想)
かつての蓬莱旅館とは全く違った宿になっていた。
建物は同じでも、目差すものが変わっていた。

「ご馳走を食べ疲れた客が、美味しいお茶漬けを食べる。忙しい俗世間から離れた時間を過ごし、命の洗濯をする。」

そういった宿から、大衆的高級旅館路線になってしまった。「界 松本」と同じ雰囲気である。
大好きな「蓬莱旅館」は、なくなってしまった。


朝食後に古谷女将が部屋に来られた。
以前より少し痩せられたか。

料理長は2か月前に辞められたとのこと。

かつての女将と料理長が二人で考えた献立と違って、本部からコンピューターで計算された献立が送られてくるようになった。そういう料理はとても出来ないといって辞めていかれたそうである。

他の客からは「いろんなものが変わったと言われる」と話されていたが、女将のお気持ちを考えると何も言えなかった。
http://abitaro.com/kaiatami/kaiatami.htm


Posted by: あびたろう | June 23, 2009 at 09:26 PM

私が本当に美味しい料理を出す旅館だと思っていたのは、

「半水盧」・「柊家」・「あさば」・「うち山」・「蓬莱」・「指月」でした。

「蓬莱」は星野リゾートに買収されて、明らかに味が落ちました。
「指月」は、なぜか廃業してしまいました。
大好きな旅館が減っていき、悲しい限りです。
http://promontory.cocolog-nifty.com/promontory/2009/06/post-b6ff.html


uraraさん
熱海・伊豆山のクチコミ :旅行時期 : 2012/01(約1年前)

年初に離れに宿泊(@\45,000)しました。
畳は赤茶け、襖・障子は破れ、大浴場のガラスもひび割れ・・・

責任者に詰め寄ると1/10以降改装に入るからとの回答。部屋に不備があるのを承知で予約を受けたとの事。

厨房から遠いためすべてお料理が冷めています。

器も良いものを使用していますが欠けていたりヒビガ入っていたりと、すべてにおいて心配りの全く感じられない旅館でした。
http://4travel.jp/domestic/area/toukai/shizuoka/atami/atami/tips/10220516/#contents_inner


2012年10月に訪問(体験)
蓬莱時代、、一度宿泊して良いイメージがあったのでこの度結婚記念日に一番上のランクで申し込みました。
結果、、料理はお粗末すぎ(伊勢えびでもあわびでも都内の鉄板料理屋さんよりひどかった)

風呂は終始混雑し手入れが行き届いていないのか汚かったです。
界 熱海になってできたというテラスも照明があきらかに不足していて真っ暗で足場が悪くカタログと比べると看板に偽りありでした。

とてもじゃないけど一泊二人10万以上出して泊まる宿ではなくなってしまいました。
景色だけなら他でも堪能できるのでここには二度と行きません。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298122-d304291-r143754041-Hoshino_Resort_Kai_Atami-Atami_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT

Re: 蓬莱旅館 - あびたろう
2012/12/10 (Mon) 21:51:40

蓬莱旅館は亡くなっていました。

例え蓬莱旅館の名前を残しても、蓬莱旅館を愛していた客は二度と行かないと思います。

私が尊敬するこの道の師匠は、蓬莱旅館を日本を代表する宿だと言っていました。日本そのものだと。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6356825


みみん : 2012/11/20 (火) 01:45:42 
界熱海(旧蓬莱旅館)へ行かれたのですね。
界熱海、やはり想像通りになっていましたね。残念です。
星野リゾートは、料理を全て一括の場所で生産して全国に冷凍配送していて、鮮度が命のお造りなどは現地で切ったり盛ったりするそうです。 それを知ってからは、人気があっても興味が無くなりました。

宿を再生させていくにはコスト削減で仕方ないのかも知れませんが、やはり人間にとって食事は大事ですし。
旅に出て一番の楽しみでもありますから。
蓬莱はずっと憧れていた宿だったので残念です。
http://abitaro.com/aso/aso.htm


33. 2014年2月15日 21:00:07 : 2D6PkBxKqI


星野リゾート傘下・熱海「蓬莱」 2012-10-10

熱海「蓬莱」が星野リゾートの傘下になりました。

「蓬莱」と言えば、名旅館と名高かったが、経営が傾き星野リゾートが
買い取り、2012年9月にリニューアルオープンしました。

「蓬莱」では勉強させていただくことが沢山あった。


料理は新鮮な魚介類と共に懐石をわきまえた季節のものと共に
器との調和が舌と目を楽しませてくれていた。

部屋のしつらえは、床の間や廊下にお軸や季節の茶花を飾り
部屋の調度品と見事に調和していました。

女将さんの着物は、女優の樋口可南子さんをはじめ沢山の着物好きが
お手本にするほど

そして、星野リゾートになってからの料理が下の写真です
写真映えはしますが・・・・

悲しいかな、、、1万円台の旅館料理でした。
織部や唐津、白磁たちはどこに行ってしまったのでしょうか。
http://ameblo.jp/tuasraisonblog/entry-11375908261.html

たまには、超ぜーたく旅行をしたかった僕は、かって、数度訪れた『蓬莱』という旅館のサイトを見に行きました。
 
 そして、その旅館が経営不振で、星野リゾートに食われてしまったことを知ったのです。
 
 星野リゾートに対する僕の評価は、極めて低いです。
 夏場に、バイトまかせのアルファ・トマムに泊り、ウンザリしたからです。
 
 ハゲタカという映画があって、経営不振に陥った宇崎竜堂さんの旅館が、はげたかファンドに買い叩かれ・・・というシーンがありましたが、どうにも、あの手のやり方は、嫌いです!

 蓬莱の女将さんが、星野リゾートと共同経営に入る!と記した声明文を読みましたけど、今の旧蓬莱のHPには、そんなもの、かけらも感じられません。

 追い出されちゃったのじゃない?

 お風呂上りに、お庭を眺めながら、お話したことを思い出します。
 長いこと、お疲れ様でした!そしてありがとう!宝石のようなお心遣いでしたよ!

 はげたかの餌食。

 日本の旅館は、結構、そうした危うさを抱えています。世襲の弊害もあるし、成長の停止もあります。
 大好きな登別の旅館は、中国人でいっぱいにならなければ、どうにもなりません。
 そういう旅館に限って、値段に見合わないサービスの分際で、高値をふっかけます。仲居さん?バイトさん?と話してごらんなさい。部屋でお食事なんて、百年早い旅館になりさがってますよ。
 
 部屋で食事というのは、一品ずつ、熱いものは熱く!冷たいものは冷たくなければ、意味がありません。
 給仕のマナーも知らない姉ちゃんに冷えた煮物なんか出してもらいたくないんですよ。
 背伸びしないで、レストランでサーブしたら?って思います。
http://dogs-of-bay.at.webry.info/201208/article_3.html


142 :139:2013/06/04(火) 22:40:04.74 ID:LBjGOE2Q0
今度、界熱海へ行きます。
旧蓬莱を好きだった方はがっかりして帰るようですが、
確かめてきたいと思います。


143 :あ〜あ:2013/06/05(水) 10:00:13.33 ID:Ws6hRaFxO
蓬莱には泊まってますか?
もし泊まってたら間違いなくがっかりします。

1.料理
言わずと知れたレトルト料理。
蓬莱時代の面影全く無しです。

2.施設
元々の建物ですが、新たに手を入れた箇所がチープです。
青海テラスも。
走り湯は風情が無くなりました。

3.サービス
良く出来るバイトって感じで、高級旅館の接客ではありません。
お得意のデーター全く活用無し。
前回宿泊時のデーター管理全く無し。
などなど

149 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/09(日) 11:19:16.59 ID:u+vWIP3r0

またジジババが被害者になるのか。
買う前に一回星野の施設行ったほうがよいよ
旧蓬莱知ってる人たちなら、こんなテキヤに金出せないとわかるからw


405 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/16(月) 13:37:43.54 ID:wdB+xDr/0
旅行会社に勧められて 有形文化財登録の宿と言うんで期待して界加賀(白銀屋)に行ったんですが最悪でした…

改装して綺麗なのは玄関のみ。

室内は最悪、ソファーに穴が開いてクッション飛び出てるとか、
洗面台の土壁が崩れ落ちてるとか、高額宿泊施設じゃあり得ない状態。

天井から白いロープがぶら下がってるから何か従業員に聞いたら「非常用の避難ロープです。」だそうです。

祖父母(80歳以上)も連れて行ってたんですが火災等あったら確実に死ねます。
従業員は若い人ばかりで落ち着きもなくいっぱいいっぱいな感じでこっちが気を遣う始末。

くつろぎに行ったのに気分を害しただけだった…。食事のレベルも料金の割に低いです。
魯山人を前面に良く出しているようですがこれでは魯山人に対して失礼では?

翌日宿泊した加賀屋の方が断然良かった。やはり新興の宿は駄目なんでしょうかね?
ちなみにジャラン等見てると良い書き込みしかないんですがやはり悪評は消しているのですかね?


408 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/16(月) 17:41:47.89 ID:TPRIQq550
>>405
老舗名旅館をタダ同然で買収、料金そのままで経営するのなら、 元のグレードに保つべきなのに、目立つとこだけ安普請改修でゴマかし、 細部はそのまま放置ということが多いね、ここ。

一度騙されるとリピーターになろうとは思わないし、むしろ以後は避けるようになる。

こうやって悪評判が広がりだすと止めることは困難。
いくらブログやツィッター操作しても、コントロールできない情報のほうが着実に凌駕していく。
もうすでに経営のコントロールがとれなくなっている感じ。
リートも伸び悩みで嫌われ懸念材料だらけだし、大丈夫なんかね????

410 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/16(月) 23:59:05.24 ID:dYyrBnVZ0
>>408
界熱海(蓬莱)の改装も改悪もいいところだよね。センス疑うわ。


468 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/10/08(火) 21:58:16.27 ID:5bs/wTqJ0
この会社10年後ないでしょ。


469 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/10/08(火) 23:18:04.67 ID:VneO0FrR0
政財界の凄い人は使わない


470 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/10/09(水) 06:02:00.44 ID:9r6QnVuu0
星野になったとたんに、まともな客はいなくなる。
熱海がいい例


517 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/02(土) 12:36:32.82 ID:zjOsYyoY0
10年しない内に倒産すんだろうな。


518 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/02(土) 22:15:10.31 ID:nlkywVmO0
うん 同感だよ。再生屋じゃなく 乗っ取り屋の末路だよ。

471 :あ〜あ:2013/10/10(木) 09:52:58.21 ID:kaUpUtNrO
確かに熱海は客層が変わったな。
センス無しのチープな改装と、バイト並みの接客に、居酒屋レベルの食事では無理だろ。
しかも1泊の内担当がコロコロ変わるから馴染みの客など付くわけないよ。

276 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/01(木) 13:45:16.19 ID:LBroDBV10
星野行くのは所謂B層だろ。


277 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/01(木) 23:17:06.49 ID:uzk5v6CH0
似たようなデザイナーズ旅館って、多いからね


278 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/02(金) 08:23:04.58 ID:D4Rv5ico0
少なくとも政財界の大物は行かないよね。

279 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/02(金) 09:01:09.12 ID:Qv+clyKj0
>>278
熱海の蓬莱には、それこそ大物が来てたけど、
界熱海になってから皆来なくなった。


280 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/03(土) 05:53:06.32 ID:dS/aJ/mt0
星野グループになってから、有名人は行かなくなるんだね。


281 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/03(土) 22:50:50.31 ID:gz2u6RAw0
値段を除いて内容的には一流ではないからね。
あまりにも手広くやりすぎると監督できなくなり、他人まかせのおざなりサービスになることが多いケースのいい見本なのかも。

本来はB層ねらいでもなかったかもしれないが、B層にしか相手にされなくなり、その層が洗練されてくると行かなくなってしまうという悪循環になってきてるわけで、、、
元々がいなかの鉱泉旅館でしかないからなあ、、、、無理なんだろうね。


282 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/04(日) 07:29:22.33 ID:0iRwQ4gP0
都心の高級ホテルのホテルマン・ホテルウーマンの仕事ぶりと比較すると、情けないほどお粗末な接客態度だともう。


283 :通りすがり:2013/08/04(日) 12:18:59.97 ID:opb6S4S6O
蓬莱ファンなんで界熱海になってからも行ってるけど、物の良し悪しが分かる人はいなくったね。

最近目立って多いのはOLや若いカップル。
金額一流、サービス・食事は二流。
って言うかサービスなんて元々何にも無いけど。

284 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/05(月) 12:55:24.02 ID:bPZPRNhF0
お値段一流・食事は二流・サービスはいっさいありません。てことでおけ?

でも蓬莱のほうが中軽井沢より少しはマシじゃん。あの川原小屋はひどいぞw

客はB層以下になってきてるしゲストの車が一段と安物になったし、もうすっかりB層からも見放された感じだな。

そもそもあの川原は商売には不向きな場所。鉱泉旅館時代も四苦八苦で潰れて閉鎖してたのを無理して改修オープンさせてるからね。

取って付けたような自己満足でしかない安普請では一流客を呼び込むのは困難だろう。
スタッフも気取ってばっかじゃいられまい。どこかに本物や高級感があればいいのにね。


286 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/06(火) 10:51:56.98 ID:Hl6jiMPU0
つぶれた宿を買い取って従業員になんでもやらせてその他も徹底的にコストダウンして利益をあげて再生するってのが基本だからなぁ。
高級路線とは根本からして相容れないものがある。


288 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/07(水) 07:59:55.87 ID:ThHaAMTL0
若いやつ使いたがるから、マニュアル以外の対応ができないし、
先を読むとか、類推するとかがダメだね


289 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/07(水) 10:26:50.46 ID:C0/RE7qrO
生え抜き、叩き上げのスタッフが一人でもいればだいぶマシになるだろうけど、一生懸命やっている姿は微笑ましいが… 上の人間が素人杉。

290 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/07(水) 12:42:06.66 ID:+bzCX2ewO
マルチタスクとか言ってるけど…上が楽なだけで、本質は単なる下男や使いっ走りなのでは?

朝から

「助六!飯炊き!
炊き終わったら掃除!
終わったらお客さんの相手。
そしたらすぐ調理!」

助六「へい!」

…な世界ってことでしょ?様々考える時間もないのでは。

ホテルだと、フロントに立ちつつ空いた時間があれば質問・復習に始まり議論やトラブルの話し合い、

フロント全般〜ホテル業界の知識や知恵・経験談や講習、果ては経営や業界にまで深めて行ってフロント及びホテルのプロになっていくわけだけど
(空いた時間=無駄という捉え方ではなく、様々な事を深めてスキルアップ、専門特化していく大事な時間)、

アレコレやっててエキスパートになる時間とかあるのかなぁとか思った。
(狭い分野に特化し過ぎても問題だけど、テレビだか本だかで星野リゾートの“マルチタスク”の話を聞いて疑問に思った)。
両立してるなら凄いことだとは思う。

291 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/07(水) 16:33:10.92 ID://W5ef/D0
まさにそれ


292 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/07(水) 23:15:44.99 ID:DoGbJTrQ0
ブレトンの調理の酷さ加減は軽井沢中の同業者間では有名だとか。
やはり潰れた施設を買い取り再生なんて、いい事できるわけがないんだね。

中古車はあくまでも中古車で、どんなにカムフラージュしようと新車の快適さは絶対に出ない。

それがろくすっぽ金もかけずに高収益を上げようなんて、バカ客集めるしか方法はないっちゅうこと。
まぁ儲かってればそれはそれでいいんだが・・・w

293 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/08(木) 07:10:49.87 ID:zEQT+4yz0
いえてる。
ボッタクリ価格。


294 :通りすがり:2013/08/09(金) 08:02:02.18 ID:mIp0AjqCO
界に泊まってお品書き見ると料理長名があるが、レトルト温めたり刺身切るだけで料理長か?

若いスタッフが何でも屋的に働かされてるから、施設の中に精通したプロが居ないからよくならない。おまけに支配人も素人同然だし。


295 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/09(金) 09:03:55.09 ID:N/gtC+UF0
料理があのていたらくだからスイーツなんかにいたっては推して知るべしです。

自称料理長が名前ばかりなら自称パテシエなんてそれ以下で居ないに等しい。
なのに、とんでもない変なものがメチャ高い。(笑

レトルト料理はじめすべてがそんな風だからいつまでたってもマヤカシの域から脱出できないんだよ。

当初は素人集団のよさや新鮮さも感じたが、肝心なところは悪くなる一方で、 このままではボッタクリ価格といわれても反論の余地はないだろう。
しょせんイナカのシーズン商売でしかないわけで、このまま東京ではとても通るまい。
まず腕のいいのはホシノには行かないしね。

372 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/07(土) 10:00:21.17 ID:3NHYGJLT0
星野と言う姓からして、半島系なの?

386 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/10(火) 02:55:30.18 ID:qCsTuqt00
>>372
日本人だったら、いくら経営難とはいえ、老舗旅館をあんなふうにするのは、抵抗あるし、しないだろうね。

星野がやっているのは、日本の旅館文化の破壊だよ

623 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/24(日) 07:50:12.79 ID:MyZXHSeT0
文化破壊をしても平然としてるその神経には勝てないわなw

ここって田舎の秀才の集まりでしょ?
文化資本が貧困だから、そういうものをぶちこわすのが快感なのかもね〜


523 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/03(日) 14:08:04.11 ID:ElT0MHA/0
とどまるところを知らない拡大拡張戦略をとる企業は半島系がほとんどだね。
メディアに出るのが大好きで一人勝ちできると錯覚してる奴。
最終的には肥大化した己の図体に負け自滅していく。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1365783192/



34. 2014年2月15日 21:34:27 : 2D6PkBxKqI


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ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 3 _ 箱根 櫻庵
(現 星野リゾート 界箱根)


82 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/12(日) 08:28:03.91 ID:Htuy64un0
界箱根は、もう行かない。最悪だった。


85 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/12(日) 21:43:26.28 ID:PqthVbzR0
払い下げの物件だよね、箱根。

90 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/15(水) 06:04:27.48 ID:2mcWz4sE0
櫻庵の方が良かった。

285 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/08/05(月) 17:04:22.27 ID:XZK1dzcz0
櫻庵だった頃よく利用したので、星野になってから行ってみたが、器は変わらず中身が腐ったって感じだった。
http://www.logsoku.com/r/travel/1012055531/


このブログのランキングで、長らく上位にいた「桜庵」。

オススメの旅館だった桜庵が倒産してしまい、これを引き受けたのが、ほしのグループ。そして、「界 箱根」となって復活しました。ぜひまた行ってみたい、そういう願いのもと、今回、訪れてみました。


※ No.13 「桜庵」参照
http://ameblo.jp/ryokan-hotel/entry-10434168914.html


旅館に到着してみると、いやぁ、外観は全く変わってません、これは桜庵です。

そして一部、内装の改装はしていると思いますが、細かいところまではあまり手を入れておらず、昔のままの箇所も散見されました。

印象としては、いい意味で質を落とした桜庵という感じかなと思いますね。

プールや、バーの廃止、部屋食の廃止、スタッフの少人数化で、ちゃんと利益のでる事業構造に代えられていると思います。それが、サービスのグレードダウンにはつながっていますが、以前のグレードの維持では成り立たない旅館。経営の見直しは、致し方ないかなと。グレードダウンしたといっても、もちろん十分なレベルには達していますので、最初に来訪される方なら、それほど気にならないでしょうね。

※個人的には、ここの旅館は部屋食が良かったのになぁと・・・


そして、今回、偶然にも、宿泊した部屋は、桜庵の時に宿泊した部屋と同じ部屋。何かの縁があるのかもしれないなぁと。。。


●スペシャル

部屋露天はないのですが、大浴場が2つ。
やはりここの大浴場は、箱根No.1だと思います。

浴場から見渡す大自然には、繊細な緑のカーテンがかかり、日本的な美をかもしだしています。そして、聞こえてくる川の音。「作品」といっていいと思います。この作品にスペシャル評価。

ただし、ここで大変なガッカリが。。。

大浴場は女性用、小さい方は男性用で固定になってしまったようです。

桜庵時代は入れ替え制になっており、どちらのお風呂も堪能できたのですが。。女性にとっては問題ありませんが、男性は小さい浴場固定なので、「界 箱根」最大の魅力を堪能できません。

なぜこういうことが起きたのか。。。コスト的な問題なのでしょうが、「ガッカリ」ですね。楽しみにしていた大浴場に入れない事を知り、正直、怒りが込みあげてきました。また、これがコストとの兼ね合い以外考えられない事を想像すると、なおさら怒りとなってしまいました。

ユーザー目線で考えたら、分かりそうなものですが。何がこの旅館の魅力で、何を楽しみに、お客さんはここに来ているのか、その辺に真剣に向き合えないものでしょうかね?ぜひ改善いただきたいものです。


●部屋
今回泊まった部屋は、「101 桜庵」の隣の部屋。前回宿泊した時にもこの部屋だったことには触れました。2枚窓で窓をあけると、大変な開放感。眼前に広がるキレイな緑の木々の奥に須雲川が流れるという大変立地のいい場所です。部屋はとにかくシンプルになっており、一番狭い部屋だったと思うのですが、広々としていますし、以前より快適感は増したように思いました。

●接客・サービス

スタッフの人数は結構少なめですね。中居さんもいませんし、部屋についてのお茶出しなんかもありません。ほしの系の宿は、比較的セルフ型のコンセプトが強いので、まぁいつものリゾートでゆっくりという感じになりますかね。サービス等においては特に問題ないと思いますが、プールや大規模な宴会場などなくなってしまったようでした。


●眺め

素晴らしい環境です。窓をあけて、水の音を取り入れれば、時間の流れがものすごくゆっくり感じられます。写真ような美しい木々。堪能してください。

●料理

料理は装飾には多少凝っていますね。味は普通といった感じ、特に特徴的なものはありません。が、ここでまた大変なガッカリが・・・・。

この料金帯の旅館としては、食事が2品ぐらい少ないですね、明らかに。すぐにメインのお料理ですという流れになります。よく見ると、お酒のメニューなんかも、種類がおいておらず、特にこだわりのお酒などがあるわけではありません。

朝の料理も、うーん。。。。ちょっと物足りない。

そして、朝食です。

●温泉

開放型の露天ということもあり、温度はちょうど良い具合になっています。なので、長風呂することもできますし、子供が入っても、熱すぎない熱さでしょう。評価は、スペシャルで記載した通り、素晴らしい露天風呂です。部屋のお風呂は、檜風呂になっており、こちらも温泉ということでしたが、基本的には大浴場にみな入ることになるのでしょうね。

●料金

このサービス、料理、部屋を考えると、料金は高いです。


■まとめ

結構、厳しめ評価になっている気もしなくはないですが、旅慣れた方にはあまりオススメできませんし、かつて桜庵に来たことのある方にはなおさらオススメしません。

年に1,2回しか温泉旅館など来ませんよーという方などには気にならないと思うので、ゆったりと楽しめるかと思います。老若男女誰にでも向いていると思うので、特別にどういうタイプが良いということもありません。大浴場はぜひご堪能いただければと思います。


大変に知名度の高い「ほしのグループ」は、メディアを見ていても、一般的には魅力的なブランドではないかと思います。今回宿泊した「界 箱根」、そしてこの「界」シリーズが、もし、立ち行かなくなった素晴らしい旅館を、リニューアルさせ、効率化し、経営を成立させるというものであるならば、実際宿泊した感想としては、二度とくることはないだろうなという感想です。

何度もおじゃました熱海の「蓬莱」。今は、「界 熱海」になっているわけですが、もし、今回泊まった、桜庵からのグレードダウンと全く同じ形であるならば、極めて残念でなりません。

箱根においても、

玉庭の女将のこだわり、

紫雲荘の亭主のきめ細かい気配り、

箱根吟遊の女将の箱根愛、

強羅花壇のスタッフのプライド。

熱海の蓬莱の女将からもらったたくさんの感動と気配り。

かつては、桜庵にもあったであろう、崇高な、そこに携わる人の「魂」。


私は、未だに「桜庵」で出てきた、アツアツの揚げ物を食べた時の感動と味を鮮明に覚えています。その時の中居さんの顔、出てきた揚げ物の形、そして舌で感じた記憶です。そこには「魂」があったと思います。


「魂」が、抜け殻になった「界 箱根」に私は魅力はとても感じられませんでした。

最高の売りである大浴場には、女性しか入れない、

冷蔵庫をあければ、ソフトドリンク、ビール数百円と並んで、「なぜか」ハーフボトルのシャンパンが6600円ででさらりと載っている。

値段を確認する前にあけてしまった人は、6600円払うのでしょうか?

楽しみにしている料理の明らかな品数の少なさ。

チェックイン時に、料理の時間は18時がオススメですと言ってのける発想。
それは旅館の効率から考えると18時がオススメなだけでしょうと。


一連のところに、どこに魂があるのでしょうか。

本当は、素晴らしい旅館なのに。箱根でも、きっと、1,2を争える環境と建物、そして大浴場。

残念ですが、こんな魂のない旅館には自分はとても興味を持てませんでした。
http://ameblo.jp/ryokan-hotel/entry-11562459077.html


35. 2014年2月15日 23:06:24 : 2D6PkBxKqI

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ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 4 _ 皆生温泉 東光園 


皆生温泉「東光園」 星野リゾートが運営へ 2007/10/05

 皆生温泉の老舗旅館「東光園」(鳥取県米子市皆生温泉三丁目)が、米投資銀行のゴールドマン・サックスグループに事業譲渡することを受け、リゾート施設運営の星野リゾート(長野県軽井沢町、星野佳路社長)は四日までに、同旅館の運営を手掛けることを明らかにした。両社はすでに共同で運営会社を設立、長期滞在者など個人客向けのサービス内容を整えた上で十一月から再出発する。両社による旅館再生は鳥取県内では初めて。

 星野リゾートによると、同旅館の事業の受け皿となる「米子皆生温泉開発」から運営受託する形となる。同社から総支配人など一、二人を派遣し、パートを含む従業員約八十人の雇用は継続する。現時点で大規模な改装の計画などはないという。

 高級リゾート施設としての再生を目指し、運営に当たっては長期滞在者や海外からの利用などを視野に個人層をターゲットにしたサービスの充実を図る方針。

 同社は二〇〇五年からゴールドマンと共同でリゾート再生事業を展開、現在、国内各地のリゾートホテルや温泉旅館など十三施設の運営を手掛ける。同社の担当者は「大都市からのアクセスの良さや温泉地として知名度もあり可能性はある。既存の建物や庭園などを生かし、早急にコンセプトをまとめたい」としている。
(日本海新聞)
http://onsen7.sblo.jp/article/5729779.html

星野リゾート、皆生温泉の老舗旅館「東光園」の運営開始 2007年11月11日

旅館再生を手掛ける星野リゾート(長野県軽井沢町)は1日、経営不振に陥った鳥取県米子市の皆生温泉の老舗旅館「東光園」の運営を引き継いだ。

 星野佳路社長は記者会見し、従業員研修などを進めたうえで来年4月をメドに新しいコンセプトを打ち出す方針を表明。「客室の大改装や新しい施設などへの投資は当面必要ない」として、サービスなどソフト面の改善に重点を置く考えを示した。

 1日就任した塚崎竜一総支配人は改善の方向性として、旅館の食事か外食かを自由に選べる泊食分離を進めたり、チェックアウト時刻を午前10時から正午に延ばしたりすることなどを例示。サービス向上により、現在は平日2人で1泊2食2万1000円の単価の引き上げを目指すとしている。

 東光園は1936年創業。大山を望む約2万平方メートルの敷地に日本庭園を配し、弱塩類泉と弱アルカリ泉の2種類の泉質を楽しめることなどで知られ、皇族の利用も多い。
http://blog.livedoor.jp/animalsensei/archives/51178979.html

ゴールドマン・サックスグループ、皆生温泉の老舗旅館譲渡 2010/10/30 5:27
 ゴールドマン・サックスグループは29日、皆生温泉(鳥取県米子市)の老舗旅館「東光園」の所有権を、「ベネフィットホテル」などを手掛ける感謝グループ(本部・広島県福山市)に譲渡した。譲渡額などは明らかにしていない。

 ゴールドマンなどは経営不振に陥っていた東光園を2007年に取得。運営を星野リゾートに委託し、経営再建に取り組んできた。同旅館の稼働率が6割台に回復、再建が軌道に乗ったと判断し譲渡を決めた。
http://kanke.cocolog-nifty.com/taketomi/cat22008665/

皆生温泉 東光園


匿名さん 2012/09/11 14:13
あんまり良い噂を聞かないけど……
どうなの?


1 匿名さん 2012/09/11 14:16
どんな噂?
少し前は朝食が美味しかった記憶がある
風呂は露天がgood

2 匿名さん 2012/09/11 22:59
従業員のマナーの悪さ&やる気の無さ
いい人もいるけど極少数
マナー勉強なんかしてなさそう
こういうホテルや旅館はしっかりとしたマナー勉強をするはずだけど、、、、


それに昼のバイキングは、時間制限はないけど、料理が乾燥して食べれたもんじゃない

お風呂のシャワーの出も最悪だよ
昔の天皇陛下が泊った旅館も落ちたもんだな


22 匿名さん 2012/12/27 20:50
最悪だった
風呂使えないなら金返せ

5 匿名さん 2012/09/12 02:05
今は昔の東光園ではないのと違うのか?
いつも求人募集してるけど、誰も働きたくないって事なのか?

6 匿名さん 2012/09/13 00:11
お風呂は、汚いし部屋もダニが出たそうだし、あんなとこ、お金出す価値ないよ!
潰れるのも、時間の問題

7 匿名さん 2012/09/13 10:28
ここの責任者って、いつもよれよれの赤い法被来てる人だよ
責任者からしてだらしない
日本一の庭園風呂ってあるけど、汚さで日本一、ぬるぬるして滑りそうで危険度日本一
旅館全体の管理が出来ていないのは、あの責任者のだらしなさから納得できる

9 匿名さん 2012/10/08 18:46
もうじき終わる?

10 匿名さん 2012/10/08 21:10
 だって、ほしのグループだよ。
宿泊費も10000円(1泊2食)以下だし、文句は言えないよ。
 以前の東光園とは全く違うって事を認識していないと。

11 匿名さん 2012/10/09 00:03
ほしのグループ
今は、感謝グループのはず

14 匿名さん 2012/10/12 08:03
感謝グループって宗教団体なの?


15 匿名さん 2012/10/15 22:58
二回だか、三回だか倒産して、今は感謝グループが、やってるらしいよ

16 匿名さん 2012/10/16 08:07
 その昔は、皇室御用達の旅館だったのにね〜
寂しいな〜〜〜  5階か6階のステーキハウスに行くのが、最高なステイサスだったのに。


20 匿名さん 2012/12/16 15:16
まだ営業してるんだ

30 匿名さん 2013/01/08 19:22
経営者が何度か変わってるんだっけ?
http://subject.jp/thr_res/ctgid=104/acode=3/bid=1579/tid=2242770/tp=6/rw=1/


1 :宿泊客:2012/04/19(木) 13:26:18.10 ID:m+GWXcHu0
東光園に4人で宿泊しました。翌朝4人に手足に赤い斑点ができダニに噛まれました。

一人の女性は顔に数箇所噛まれ販売業の仕事としては最悪な事態になりました。
事の顛末を旅館に伝えたところ

「前日、翌日に宿泊した客に電話で確認しましたが、そうゆう症状もないとのことで、こちらにまったく責任はない」

とのことでした。

普段別々に暮らす4人が4人次の朝から同じ症状がでて、 間違えなくそちらでダニに噛まれたのは間違えないのにこのような対応に納得いきません。

ほんとに宿泊した客に電話をかけ「ダニにかまれていませんか」と聞くでしょうか?
私が宿泊したの、1階の海がみえる部屋でした。東光園でダニに噛まれたというかた探しております。
泣き寝入りはしません。事実を認めさせたいです。
インターネットで、「東光園 ダニ」で検索すると同じような部屋でダニに噛まれたと投稿も他にありました。
こういう旅館は許せません。

http://blog.livedoor.jp/rhom6520000/archives/53832724.html


宿泊日 2013年09月22日
車で来館したが、駐車場の空きもなく、窓口でも「勝手にとめてください。」的な案内。

部屋は清掃が行き届いていなく埃っぽい感じ。

料理は、海鮮等地場の新鮮なものを期待したがまったくの期待はずれ。ビジネスホテルのバイキングと変わらず、温泉旅館とは言いがたい。

また、ウリであった日本庭園の中の露天風呂はぬる過ぎて入れず、ミストサウナも電気が壊れており散々。従業員に伝えても結局要領を得ない。二度と利用しません。

_______

宿泊日 2013年08月17日

部屋 : 襖や障子にシミが多くあった。障子の破れ補修も、部分的補修が多くあった。畳も擦り切れており別な宿に移りたいほどだった。窓際には菓子の食べ残しが落ちていた。

食事 : バイキングでしたが、味付けは期待外れであった。海の近くで海鮮料理を期待していたが、刺身メニューも期待外れであった。

風呂 : 内風呂から屋外の池のようなものが見えたが、水がなく底が汚れており不快であった。

設備 : 部屋の前の廊下は、カーペットの汚れが多くあり部屋を出るたびに不快な気持ちになった。

利用者アンケートに改善要望を記入したかったが、記入用紙を置いていない。
https://bs.benefit-one.co.jp/bs/pages/bs/srch/menuPrticSrchRslt.faces?menuNo=360023&su=r



2011-07-23 16:52:43
7月の子連れ旅行、皆生温泉の「東光園」に宿泊してみたよ!

7/18日、月曜。
この日は相方さんの誕生日だったのですが、この日、本当は旅行にいきたいねと話していたのに、巨大台風に邪魔されてしまい。。。

なんとか台風の去った水曜日の朝、がりがりネットで検索をかけて、格安宿を発見。

「一家で15000円ちょっとやぞ」
「何?!もういくしかないだろう(即決)」

というわけで流れで二泊目も決め、昼前には、用意をすませて急きょ、山陰へ旅立ちました。w

一泊目の場所は皆生温泉の「東光園」。
HPはhttp://www.toukouen.com/guestroom/index.htmlです。

薄曇りの空の下、見えてきた東光園。
その建物は、海側に面する方が裏になっていて、うっかりそこからアプローチしてしまったんだけど、

……ここは廃墟になった病院か?汗

というぐらいに不気味で廃墟っぽい荒れ具合の壁面でした。。。w

本気でビビって、どうしようかと思ったんだけど、いざ駐車場に車をとめて、中に入ってほっとしました。
中はまともだったよ…ww

なんでもこのコンクリートの建物は、建築学の教科書っぽいのにも掲載されるほどの建物らしいです。
なんせ古くて、一見して、「これ大丈夫か」とギクリとなるレベルなんだけど…

でも結論からいうと、私たちの予約プランは、すさまじくお得なものだったし、
お風呂も岩風呂でダイナミック、内風呂がとっても広くて雰囲気あったし、内部は清潔で、お風呂周辺の施設は、全部リフォームしてあるのか、ものすごく綺麗だったので、満足満足!でした!

とりあえず、食事とお風呂について書いていきますが…
その前に、私たちのプランの詳細を書いていくと。。。

●二人+ちび1人(二歳)で、15000円強の安さ(平日)
●体によい(というより精進料理レベルの)バイキング形式で朝夕つき
●ふとんのあげおろしは自分でやってね!w
●部屋にはお茶パックと浴衣とタオルと最低限のアメニティ以外なにもないぜ!
 アメニティは歯ブラシとハンドソープとドライヤーとかみそり程度だと思っておいてね!

というものでした。w

そういうとこ割り切って経費削減しているのか、ロビーでカウンターの係員に会った以外では、めったに職員に会うことはありません。w
本当に人いないな!!w

もちろん、もっと上のコースになると、サービスも料理内容もいいと思います。
私たちが選んだのは一番安いコースでしたw

台風のせいで、客すらいないわ!!
実は東光園は、海水浴場のまん前にあるという、絶好の立地なので、多分天気が良ければ、客はいっぱいくるんじゃないのかな。
でも、今回は台風過ぎ去ったばかりで、まだ波は思いっきり高く、客もまばらすぎて、最初、館内あるくのが怖いぐらいでしたw

それにしても皆生温泉は、みな生きる=よみがえりの温泉

というふれこみでアピールしてるらしく、この東光園では特に、体にいいバイキングと称して、精進料理系の野菜中心料理が提供されています。

で、館内で使われてる手がきの張り紙(このお水は●●という水で…などという説明の紙)が、フォントというか、書体が、あからさまにドラマの「トリック」臭いww

本気でトリックの世界に迷い込んだんじゃないかと思うぐらい、うさんくささ百パーセントですよ、奥さん!!w
エセ霊能力者ならぬエセ健康学者なんてものが出てこないかどうか、
びくびくするレベルですよ!!w

よみがえりの温泉というのもちょっと宗教じみたキャッチコピーだなぁとは思ったんですが、料理に使われてる塩やら、お土産物やら、すべてがちょっぴり、健康オタク(館内のエステの宣伝にこう書いてあったんだもん)向けでした。

それにしても健康オタクっていう言い方、やめたほうがいいんじゃないのか。w
この呼び方は決してそういう人たちを、褒めてはいないだろう、むしろ馬鹿にしてる響きがあるぞ…
と思うのは私だけなのかしら、かしらかしら。

お年寄りにはいいかもしれないなぁ。

私たちにしてみれば、バイキングで食べられるのは、鳥肉を焼いたものと、刺身の小皿ぐらいでしたが他には…

完全に家庭料理だろうとつっこみたくなる野菜の惣菜、野菜いっぱいのお汁もの、野菜で勝手につくるセルフなべもの、どこかの●流俳優プロデュースの料理店で出てきた、ぼったくりの大地の恵みの蒸し物っぽい、野菜の蒸し物とか、(いやここはバイキングで出されてるんだから全然OKなんだけどw)
そうめんにうどんにそば、パンに少しの果物にドリンク、
(一部健康ドリンク系ありだけど、一応普通の飲み物は最低限そろってます)
各種ご飯(五穀米とか普通の米とかいろいろ)
そして、アイスクリーム、セルフのたこ焼き(笑
野草のてんぷら……
てづくり豆腐

そんな感じのものでした。w

困ったのが、味付けに「よみがえりの塩」と称される、きめの細かい塩が供されること。
一応、刺身のコーナーに醤油があるんだけど、豆腐のコーナーには塩だけ。

この塩で食べると結構なんでもおいしかったけど、湿った感じのしっとりした塩なので、つい、小皿にとりすぎ&つけすぎになってしまうのね。

ここ、どんなに健康食でも、塩分過多だろうww

と思わせる内容でした。w

でも、小さい子連れの家庭にはいいプランです。
なぜなら何もかもフリーダム、何もかも放置状態なので、バイキングは子供も食べ放題だし、布団だって子供の分も自分で敷いてしまえるからですw

実際に現地にいってみて、なにかもう、なんでもありなんだなww

と思わせるだけの、雰囲気はありました。。。w

まぁ、そんな中で、みーゆはひたすら、パンとシフォンケーキと果物ばかり、食い散らかしてましたが…(涙

ほんとに偏食極まってきましたよ。
2歳のいやいや期突入で、扱いもものすごくやりづらくなってまいりました!

なんでも嫌!だからね!w

さて、肝心のお風呂なんですが。
とりあえずついてすぐにお風呂にいきました。

なかなか素敵なお風呂でしたよ。
小奇麗さはないけれど、内風呂も歴史を感じさせるつくりで、ダイナミックな岩風呂。
広いその洗い場を、私ひとりで使ってましたww
貸切だよ(*/∇\*)

で、露天も、広い方の露天が女風呂にあたったので、ラッキーでした。

でも、節電のせいで、夜はいってみたら、左側のライトが全部消されていて、ちょっとショック。
写真となんか違うなぁ、と思ったらそれでした。

館内のいろんなところ節電したり、空調の温度あげるとかは全然かまわないけど、
この左側のライトを全部節電で消すというのは、ちょっとどうかなぁ、と思いました。

このライトを、夜間に数個消したからなんだっていうんだろう。
どうせ館内の電気はいっぱいつけっぱなしなのに。
やはり節電の風潮は、若干間違った方向に走ってる人が多い気がする。
旅館も、節電してますアピールしないと、小うるさい客が文句を言うからああしてるのかもしれないけれど。

夏の節電は、昼間がキモじゃないの?

そんなに露天の灯りを消したければ、灯篭でもおくべきだと思いました。
露天の照明効果は客を喜ばせる一番のポイントだよね!!

でも、とにかく素敵なお風呂でした!うん。
風呂は古いけど、脱衣所はいい感じでリフォームされているのか、古風な雰囲気を残しつつも、美しかったです。

で、お風呂上がりの休憩所がまた最高です。

$BABYとまいにちドタバタ!-東光園休憩所

$BABYとまいにちドタバタ!-東光園図書室2

BABYとまいにちドタバタ!-東光園図書室

漫画やら本が読み放題の図書室

があって、リクライニングチェアに腰掛けながら、
だらだら漫画を読むと気分は最高!w

さらに、そこから少し離れた窓際には、お金のいらないマッサージ機が2機。

極楽極楽ですよーぅ★

で、ついに部屋に戻って、自力で布団をひくタイムになって、さらにびっくり。

せんべい布団なのはいいんだけど(料金が料金なので、文句言えないw)、
シーツがないという驚愕の事態に。
どこを探しても、ない。
マジか。と相方と探すも、ない。

結局そのまんまで寝ました。
まぁ、見た目汚れてなかったし、湿ってる感じもなかったし、
我慢できたけど、やっぱりどんなに経費削減しても、シーツは用意してほしかった。。。w

それともうちの部屋が今回、貧乏くじを引いただけで、シーツは完備なのかなぁ。
わからない。。。w

というわけで、一人あたま8000円弱だったと思えば、ま、いっか★
という感じで楽しめる宿でした・・・w

グループや家族連れで、海水浴するには絶好の立地だと思います!

あと、私たちが宿泊したとき、まだ入れなかった男女混浴露天風呂があって、それはふつーに中庭の日本庭園の中にある池が露天風呂になっているのね。

認可さえ降りれば営業を開始するという話でした。
なお、女の人は、専用の湯あみ服を着るので、恥ずかしくありませんv

翌朝、ロビーでチェックアウトしてるとき、若い男女数名が、それらしき湯あみ服をきて、入っていったので、もしかしたらもう営業開始しているかも。

あれは楽しそうなので、いいなぁ。
湯あみ服がしっかりしてるのも好印象でしたv
http://ameblo.jp/karetan/entry-10962694046.html


36. 2014年2月16日 09:32:20 : 2D6PkBxKqI

121 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/02/26(日) 22:14:07.66 ID:+E1yHDVx0

星野リゾートは知らない間に再生事業をやめて、売却することばかり。

近所の米子の東光園って旅館は、数年前星野がやってたと聞いたけど
今は、訳わからない企業グループが経営を買ったみたい。

見るも無残なサービスになってしまって、昔の高級旅館の面影はない。

まぁ、山陰合同銀行も債権もってたから仕方ないけど、地方再生の神とか言われてる星野は最低。

170 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/28(水) 08:28:55.29 ID:MwqwciQS0

星野はハッタリ一流 料金も一流
サービス三流 メシは論外だから化けの皮がはがれてきてるんだよ。


171 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/28(水) 13:35:00.02 ID:I/ilF7jr0

星野はしょせんハゲタカファンドの手下のくせに、えらそうな事いうなあ。
他人の失敗で飯食ってる星野だということを忘れるな。


164 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/26(月) 11:28:26.76 ID:S3BcNA0k0

星野が去って、タラサ志摩の業績が急↑

165 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/26(月) 11:48:59.46 ID:/zplewUN0

星野は軽井沢と星のやブランドさえしっかりしていれば
他はいつでも売却するつもり
だからみんな必死にがんばったって無駄よ。

166 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/26(月) 22:29:58.03 ID:nYHFu0NpO

とはいえ、星野は事実上「去u摩ホテルマネジメント(タラサ)」を倒産させた訳だから、星野リゾートは赤字のホテルを救うスペシャリストでは無くなったと言うことだ。


144 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/17(土) 07:35:30.54 ID:T7dVXUmt0

タラサの鎌○総支配人はどうなった?


145 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/19(月) 10:38:06.07 ID:rV9ALOEk0

クビ


172 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/03/29(木) 15:09:02.64 ID:4E+qdEoG0

タラサも終わりですか。他に失敗したのは?
東光園とどこだっけ?


219 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/16(月) 18:55:31.26 ID:sEOLdCAF0

星野なって、本当によくなったて、委託した、オーナーが良かったと思った施設って本当にあるの?


729 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/11/13(火) 09:59:44.68 ID:tN0wG9Kt0

加藤の質問が鋭かった。

加藤「昔からいる料理人は、マルチタスク嫌がりませんか?」

星野「…… 職人っていうのは、意外と顧客からの言葉に敏感なんです」?


実際は、マルチタスクを強要して、自ら辞めるように仕向けます。
そして、冷凍レトルトを導入して、料理人は旅館にいない状態になります。

120 :宿無しさん@予約いっぱい:2009/01/02(金) 08:32:34 ID:QtNJEFnn0

自分が知っていた頃は、まだ料理長が仕入れの権限を持っていた。

Standard Operation Procedure (バイトでもできるマニュアル)を作れといわれて本職の料理人が萎えていたが その後、SOPが導入され給与の高いプロは放逐、バイトがあっためる料理になって星野のメシはマズくなったのかね?

218 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/16(月) 18:12:09.36 ID:mifKiGeh0

旧蓬莱もレトルト?


220 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/04/16(月) 19:06:55.80 ID:WjgGuus70

蓬莱旅館は、女将が元気ならレトルトなんて入れさせないだろうが、どうなってるのやら。

初代スレの「さよなら蓬莱」という書き込みが忘れられない。
星野リゾートはいろいろなものを破壊している文化の敵だ。


485 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/23(月) 08:37:07.07 ID:b8mtyG1y0

わくわく(千葉のレトルト工場)の製品って、どこでも使ってるのかな?
蓬莱を変な名前にしてレトルト飯を出すなんて、大仏爆破したタリバンと変わらないじゃないか。
もうやだわ。ここいると品性が卑しくなる


488 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/24(火) 07:07:58.01 ID:STAQDAOM0

金に目が眩んで星野に蓬莱を売りとばしたクソ女将が下司なのよwww
過ちに気付いたタラサは偉いって

489 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/24(火) 09:14:56.25 ID:TMSWyeCt0

いやいや、洋館もってくるわ思いつきで金つかうわ、あの女将経営が成り立たなくなり、星野に二束三文で買われたんでしょw

でもレトルト飯はないわ〜
さよなら  蓬莱
星野の豚は氏ね


603 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/09/04(火) 17:36:02.08 ID:U3ZnPSzi0

界熱海、試泊で行ってきたが酷かったぞ。
伝統ある蓬莱を潰した罪は大きい。日本文化への冒涜だ。


611 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/09/06(木) 08:14:12.09 ID:4UP+L8Od0

界熱海(旧蓬莱)のメシどうだった〜?
ワクワクレトルトなのかねぇ


612 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/09/06(木) 08:59:52.47 ID:3zVUCxOz0

界熱海いいものは出すんだが味が無いのばっか
現場加工出しとレトルトのコラボと思われ


487 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/07/23(月) 23:14:14.76 ID:W3ykJwuq0

星野も もう早くつぶれればいいのに、
日本文化を破壊してるだけ。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1327925011/
http://www.logsoku.com/r/hotel/1200454775/


37. 2014年2月16日 10:46:33 : 2D6PkBxKqI

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ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 5 _ 浅間温泉 夜まつり長者
(現 伊東園ホテル 浅間の湯)


温泉再生 2006年02月28日付け 日経新聞

「星野リゾート、ゴールドマン・サックスグループは、地銀と連携して温泉旅館の再生事業に乗り出す。」

まず、GSと八十二銀行が共同出資で新会社を設立、星野リゾートが運営支援を行う。今後は各地で提携金融機関を増やし、温泉再生ビジネスを全国展開する。

今回、対象は松本市浅間温泉の「貴祥庵」と「夜まつり長者」、大町温泉郷の「山と撫子」の三案件。
http://blog.livedoor.jp/arrowscon/archives/2006-02-28.html


浅間温泉と大町3旅館の再生策 軽井沢・星野リゾート 2006/12/22 10:22

 ホテル経営などの星野リゾート(軽井沢町)は21日、今春に運営を引き継いだ、松本市浅間温泉の「夜まつり長者」と「貴祥庵(きしょうあん)」、大町市平の「松延(しょうえん)」の3旅館の新しいコンセプトを発表した。夜まつり長者で記者会見した星野佳路社長は「温泉旅館の個人需要は安定している。個人マーケットに合わせた戦略で集客力を高めたい」と話した。

 夜まつり長者は、子ども連れの家族向けに館内で毎晩、射的などゲーム大会を開催。最も得点の高い宿泊客がスイートルームに移動する。宿泊客が少ないと当たる可能性が高く、平日の稼働率を高める狙いだ。

 3旅館は3月、ゴールドマン・サックス証券(東京)が100%出資した新会社に経営権を譲渡。星野は新会社から運営を受託した。星野社長は「来年には3旅館すべてが黒字になる予定」とした。星野は、県外でも山梨県北杜市の「リゾナーレ」など7軒のホテル・旅館の再生を手掛けている
http://www8.shinmai.co.jp/onsen/article.php?id=ONSE20061222003708


39 :宿無しさん@予約いっぱい:2008/06/01(日) 19:17:06 ID:P9tBf/wA0
浅間温泉の「夜まつり長者」は、再生に失敗して先日手離しましたね。

ゴールドマン・サックスとの合弁事業も全体としてあまり良いリターンを生んでいないようでした。 GSの知り合いに先日聞いてみたところ、

「ノーコメントと言えばわかっていただけますよね」

と言ってましたので。


43 :宿無しさん@予約いっぱい:2008/06/10(火) 08:24:16 ID:VPGMxVrz0

長野・浅間 星野リゾート「夜まつり長者」が伊東園傘下で「浅間の湯」に。
http://yomi.mobi/agate/kamome/hotel/1200454775/1-/a

長野・浅間「夜まつり長者」が伊東園傘下で「浅間の湯」に

 長野県松本市の浅間温泉にあるホテル「夜まつり長者」が伊東園ホテルグループに入って「伊東園ホテル浅間の湯」として2008年5月7日にオープンした。
 宿泊は1年365日同一料金で、1泊2食付6800円(1室3名以上)からと、夜まつり長者時代よりもかなり割安になった。

 旧夜まつり長者は2006年2月末から、旅館再生で知られる長野県の星野リゾートの運営により再生を目指していた(星野リゾートのプレスリリース)。伊東園ホテルグループの傘下に移った経緯については星野リゾート、伊東園グループともにネット上での発表が見当たらない。そもそも星野リゾートの公式サイトでは半年近くプレスリリースのページが更新されていない。
http://onsen.xii.jp/article/15859505.html


伊東園ホテルグループは、カラオケ店チェーン『歌広場』などを経営する、クリアックス/スタディー(東京都豊島区)が東日本を中心に展開している格安ホテルチェーンの総称・通称である。

それまで東京都でパチンコ店、サウナ、キャバレーなどが入居する複合施設を運営するなどしていた在日韓国人の実業家、李支宗が、倒産して競売にかけられていた「伊東園ホテル」(静岡県伊東市)を2001年に買収したのが始まりである。李は当初、これを自社社員用の研修所とする目的で購入したものだったが、「いける」と考え直し、改装のうえ一般向けのホテルとして同年12月に再開業させた。

李はその後、倒産や経営不振に陥った宿泊施設を次々に買収、格安ホテルとして再生させていった。この手法を用いることによって、2012年9月現在、伊豆(静岡県)を中心に、北海道から滋賀県まで、計43館の温泉旅館・ホテルが、「伊東園ホテルグループ」として運営されるに至っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%9C%92%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB


これが星野佳路・ゴールドマン・サックスに買収される前の『夜まつり長者』


ふたりで楽しめました。 [伊東園ホテル 浅間の湯(旧 浅間温泉 夜まつり長者)]
TOMOMIさん ゲスト [入浴日: 2005年12月]

彼氏とふたりで行ったのですが、最初の面白い宿だな〜と思ったけど、いろいろと面白い名前が付いていたりしていて思わず笑っちゃいました。

ところがお部屋もキレイで広くてお料理もお腹いっぱい食べれて大満足。個室でふたりっきりで食べれて違う場所に行ったみたいでよかったです。

ないよりも楽しかったのは、夕食の後に射的や屋台など屋台を楽しんだりダーツたピンポンなど色々と楽しめてとっても満足でした。

オプションでDVDもあってとっても色々と楽しめる温泉です。
今度できるエステルームも期待できそうです。

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おもしろかったです!! [伊東園ホテル 浅間の湯(旧 浅間温泉 夜まつり長者)]
まーぴょんさん ゲスト [入浴日:2005年10月]
連休にお世話になりました。

HPに書いてあった通り、入り口から紅白紐を引っ張るとドアが開いたりと面白い仕掛けがあって楽しかったです。

お食事が個室で食べれてちょっと贅沢気分。

内容もよくおなかいっぱいになって満足でした。

展望風呂はきれいで気持ちよかったのですが、天気が悪くて遠くまで見れなくて残念でしたが街の灯りがきれいでした。

食事の後に射的を楽しめたり、屋台があったりといっぱい楽しめて面白てカップルの旅行には絶対おすすめです。


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料理が最高 [伊東園ホテル 浅間の湯(旧 浅間温泉 夜まつり長者)]
kazuさん ゲスト [入浴日:2005年8月]

以前職場旅行で泊まりましたが去年リニューアルしたので今度は家族で泊まりに行きました。

料理がとにかく素晴らしかったです。
小学校の娘たちもこれまで泊まった旅館の中で1番良かったと
大喜びでした。

地元(長野市)に住んでおりますが、家族のんびり水入らずの休日は温泉への「お泊り」が一番。子どもたちも以前はディズニーランドや遊園地が好きでしたが、今では何かというと「お泊り」をねだります。

親も楽で子供も喜び年に3回〜5回は温泉旅館に泊まります。長野に住んでて良かったと思います。その中でも「よまつり長者」さんは大変満足できる旅館でした。ありがとうございました。また、泊まりたいと思います。


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家族連れでも大満足でした。 [浅間温泉 夜まつり長者]
かっくんさん ゲスト [入浴日: 2005年7月]

ホームページを拝見させていただいてお邪魔したのですが、家族でたくさん楽しませていただきました。

到着してどんと詰まれた米俵にびっくりしたのですがお料理を拝見して納得!おはぎが付いたりと五穀にかんれんした内容でとっても美味しく頂戴させてもらいました。

さらにその後に、懐かしい射的を楽しませていただき、駄菓子の屋台や花火までの楽しめて家族みんなで満足させていただきました。
お部屋もお風呂も大変良く伝統のある旅館のおもてなしをしっかりと受けられ、また紅葉の季節に利用したいです。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen006607/1.htm

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そしてこっちが星野佳路・ゴールドマン・サックスに買収され、伊藤園に転売された後の『夜まつり長者』


伊藤園ホテルになりました [伊東園ホテル 浅間の湯(旧 浅間温泉 夜まつり長者)]
しろうさぎさん [入浴日: 2010年8月4日 / 2時間以内]

星野リゾートが再生に着手したはずであったが、いつの間にか「伊藤園ホテル 浅間の湯」にかわっていた。

湯口 [伊東園ホテル 浅間の湯(旧 浅間温泉 夜まつり長者)]
温泉依存症さん [入浴日: 2013年11月22日 / 1泊]
アルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)

加温・循環濾過・消毒のお湯は無色透明チョイ塩素臭ヌメリなしです。内湯1個(中浴槽)のみで露天はありません。高温泉を加水なしで、湯の投入量を絞って調整しており、ちょろちょろとしか湯口から出ておりませんでした。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen006607/1.htm


口コミ一覧 伊東園ホテル浅間の湯[食べログ]
酷かった・・・

'10/10/21 ('10/10 訪問) たかぴー。 さんの口コミ

安い伊藤園ホテルグループでのバイキングでした。
以前、別の場所にいったことがあり、値段そこそこのいい感じだったので今回はこちらを利用しましたが、あまりの違いにびっくりしました。

まず、バイキングなのに種類がめちゃくちゃ少ない!
その上、料理が無くなってもなかなか補充しない!!
何といっても美味しくないし。。。

個人的には衛生面でもイマイチです。
せっかくの飲み放題でも何も食する気になれませんでした。
もう二度と行かないですね。
http://tabelog.com/nagano/A2002/A200201/20006104/dtlrvwlst/


雪深い温泉地に行くには、ノーマルタイヤの我々にはまだいけないので、近場で安く、まだ行ってない温泉とゆう事で今回選びました。

大体予想の範囲でしたすべてが。

湯質が良くないとか、上の階の音とか隣の音がうるさいとか、夕食が冷えたものが多いとか。でも文句は言えない、あの値段なら!

ビールも飲み放題だったが酔わない。薄いの.投稿日:2012/04/06

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寒さが続く中、着膨れて過ごすため身体中が硬くなり、疲れをほぐすために、「カニ」のプランが終わる前にと思い出掛けました。

1月末の平日のため宿泊客も少なかったために、夕食も朝食もバイキングの料理は、料理の種類が少なく、サラダは野菜が高いためなのか、キャベツとミニトマトと、普段あるわかめやたまねぎが無く寂しい内容でした。

食べ放題のカニは、7時過ぎの遅くにチェックインされた方は、「残り物」といった感じでした。

温泉は露天は無いのを承知ですので満足でした。ただ、今まで置いてあった、湯上り処の、かかとクリームが無く、コストダウン?のためでしょうか?冬の足裏が硬くなるこの時期こそ、サービスで是非欲しいと思.投稿日:2012/02/03

____


全体的にいまひとつでした、

金額が安いので宿が綺麗だとか設備がどうとかは気にしないのですが、風呂の小ささと料理が残念でした。

伊東園グループさんはよく利用していて、近所の宿がとれなかったので、今回少し離れていましたが利用しました。すべてに満足とは言いませんが、風呂か料理かどちらかでも、もう少し充実していたら次回もお願いしたいのですが、すみ.投稿日:2012/01/23
http://ホテルの口コミ.com/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%9C%92%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E6%B5%85%E9%96%93%E3%81%AE%E6%B9%AF

伊東園ホテル浅間の湯 口コミ・

“安さを求めるならおすすめ”
家族で利用しましたが、部屋は目の前に建物があり、眺望はあまりよくなかったですが、広くて特に問題なく利用できました。夕食はバイキングでアルコールも飲み放題で格安料金にしてはお得感がありました。

大浴場は展望風呂でよかったのですが、清掃が行き届いていないのが残念でした。窓はもっと掃除したほうがいいです。せっかくの展望風呂なので。

駐車場が宿から離れていて徒歩5分はあり、少し不便には感じましたが、浅間温泉にしては安いのはいいと思います。
2013年11月に、家族で訪問(体験)


食事は朝晩共に 宴会場らしき所で窓もなく、閉塞感があり 何だかジメジメしていて少し残念・・・。

お酒を飲めればそれでいいんだよ!という感じであればいいのかも。

お部屋は古めな造りというのは仕方がないのかと思いますが、 網戸が数か所破けていて 虫が入るので窓は開けないようにと書かれていました。

蜂は飛んでいるし 結局一度も窓を開けられませんでした。

松本周辺の観光で立地は良い方なのだと思います。
お風呂も露天はないけれどいい湯でした。
総合的にはやや残念でした。
2013年8月に、家族で訪問(体験)

“ハートを強く”
年中均一料金なのでアルコールを飲むか飲まないか、さらにはGWや盆暮れ正月か平日かによって、全く『オトク感』が変わってくる伊東園グループ。

久々の利用でしたが、相変わらず「営業スマイル」には関心が無い模様で案の定チェックアウトの際、こちらが「ありがとうございました」とカギを返したら、真顔で「どうも」とただ一言だけ…。Σ(゚д゚lll)

「またのお越しを〜」とか、そうゆうのを一切期待しない強い気持ちが必要です。
設備面では、駐車場までの距離と、シャワーの勢いと、未だにブラウン管テレビが少々残念。
2013年8月に、友達と訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298118-d1130555-r186660042-Itoen_Hotel_Asamanoyu-Matsumoto_Nagano_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT



38. 2014年2月16日 10:52:56 : 2D6PkBxKqI

 +     :.     .  +..
  .    : ..    +  .. .
  .. :..      __  ..
  .    +   |: |
          |: |
      .(二二X二二O
          |: |    ..:+ ..   さようなら、星野佳路
     ∧∧ |: |          君の悪行は忘れないよ・・・
     /⌒ヽ),_|; |,_,,
_,_,,_,〜(,,  );;;;:;:;;;;:::ヽ,、
"   "" """""""",, ""/;
 "" ,,,  """  ""/:;;
 ""   ,,""""" /;;;::;;


Q & A 星野リゾートは、何故高い?

jordan23_majic32さん 質問日時:2011/10/20 00:06:40星野リゾートのホテル代や、飲食代は何故、あんなにベラボウに高いのでしょうか…
サービスや接客は、たいした事ないしホテルの設備も他と大して変わらないのに…
ブランドというネームバリューでしょうか?


jwykw581さん
元同業者です。 昔は良かったんですけどね・・・。

外資と組んで再生事業に手を出し拡大路線になってから人材が追いつかなくなったから質が落ちたのではないでしょうか?

ここの所ずーっと求人が出ているし・・・(汗)
.回答日時:2011/10/20 21:48:02

decade_of_ideasさん
経営者の勘違いですね。

値段が高ければ高級で一流という考えなのでしょう。

しかし、実際は値段を高くすれば高級という訳ではありません。

最高の設備で最高のサービスが出来て初めて一流になれます。

しかし、星野リゾートは社員を減らし、人件費などの固定費を削っています。
ほとんどのスタッフがバイトなのでレベルはかなり低いです。

料理もたいして美味しくありませんし、レトルトも沢山使っていますよ。

でも、広告戦略が上手いので皆さん騙されるんですよね。
.回答日時:2011/10/23 17:51:25


white_tiger_japanさん
経営者が勘違いしてるから。

私も質問者と同じく、価格とサービスが不適格だと感じています。

でも行く人がいて、採算されてんだからそう思わない人もいるのだろうけど。
サービスというより立地や前身の評判で相当助けられてる感じかな。

あと、ここの経営者はゴールデンウィーク分散化の推進者だね
この時点でズレ具合がわかる
回答日時:2011/10/20 15:02:53

kamimura_ty_since_0802さん
値段が高けりゃイイものだと勘違いする人が多いからでしょう、日本人は。
.回答日時:2011/10/20 02:10:04
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1173710581;_ylt=A7YWPRRQEgBTQD8A1sm8.vN7?pos=4&ccode=ofv


39. 2014年2月16日 11:27:53 : 2D6PkBxKqI

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ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 6 _ 玉造温泉 華仙亭有楽
(現 星野リゾート界 出雲 )


2007年05月29日 星野リゾート 島根「玉造温泉」老舗旅館を再生

リゾート運営の星野リゾート(長野県軽井沢町)は、玉造温泉(島根県松江市)の老舗旅館「有楽」の再生に乗り出す。有楽は1938年開業の老舗だが、団体客減少で経営が悪化した。星野は2005年から温泉旅館の再生事業に参入し、すでに7件の実績を持つ。

有楽は主力取引銀行の山陰合同銀行から債権放棄を受け、3月にゴールドマン・サックスグループに事業譲渡した。星野リゾートはゴールドマンから運営を受託する。

24の客室をすべて露天風呂付きにするなど数億円を投じて施設を改装。支配人を派遣して接客サービスも見直し、8月に改装開業する。
客単価を引き上げ、1年目から黒字を目指す。

星野リゾートは静岡の伊東温泉、青森の古牧温泉、長野の浅間温泉など計7件の再生を手掛けている。再生案件は今後数年で30−50件に増やす計画だ。(日経5・29)

星野リゾートはテレビでも何度も紹介されているので、星野佳路社長はとても有名になりました。再建、再生が新規事業を始めることより、数倍難儀な事業と思うが、星野リゾートは難なく再生してしまうマジックを有しているから、ゴールドマンもその実力を評価して事業を委託している。
http://blog.livedoor.jp/youzan6/archives/50866871.html

界出雲 庭を改装したというけれど‥… 満足度: 1.5
アーキテクテクさん
男性 / 玉造温泉のクチコミ : 1件 旅行時期 : 2012/04(約2年前)

どうしちゃったのこの中庭

星野リゾートというブランドもあり多少高いと思いながらも宿泊してみました。1泊朝食プランで2階客室に宿泊。

庭の改装のためしばらく休業後リニューアルオープンということなので期待していたのですが、施設の中心にある中庭は石のストライプとわずかな竹と泥の海状態。いったいどうしたの?と言いたい状況でした。

これから綺麗にするのでしょうが、改装がまだ終わっていないなら、訳あり料金などもっと安くして欲しかった。山陰には庭自慢の旅館が多いだけにこの庭はひど過ぎると思いました。

部屋はまずまず広く、バルコニーには温泉の部屋風呂があります。この部屋風呂も外部から見えにくく改修したのでしょうが、ちょっと開放感がなくなりすぎているように感じました。洗面のボウルにヒビが入っていたりちょっと古さもにじんでいます。

朝食のみでしたが、内容はともかく器の塗りが剥げ剥げで、見ても味わう和食の良さが台無し。まさに社員食堂のレベル。
昔は有楽という旅館を星野リゾートが買い取ったようですが、まだまだ整備・サービスは追いついていないようです。
http://4travel.jp/dm_hotel_each_tips-10050871.html?page=3&sort=time&companion=rate


投稿日:2011/12/21
お風呂の洗い場がすごく寒かったです。
体を洗ってる時も、どこからか風が入り、ふるえながら洗ってました。
夕食は宿泊客が多かったのか、係の方が、バタバタして落ち着かなかったです。

最初のおしぼりなど催促しないと出てきませんでした。
蟹のこーすでした。一人2杯の蟹なのに甲らが5人で3こでした。ちょっとおかしいのでは?

揚げ物とお刺身の蟹は美味しかったですが、湯がいてあるのは、かすかすして美味しくなかったです。冷凍かにのような味でした。

ご飯、しじみ汁、雑炊など味が今一つ。

京都からの4名のお客さんを招待しましたが、楽しみにしてた料理が今一つで、がっかりしてました。

私もインターネットで色々と探し決めたのに残念でした。もう、泊ることはないで.http://ホテルの口コミ.com/%E6%98%9F%E9%87%8E%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88-%E7%95%8C-%E5%87%BA%E9%9B%B2--%E6%97%A7-%E6%9C%89%E6%A5%BD

星野リゾート界 出雲 (【旧店名】玉造温泉 華仙亭有楽)[食べログ]
magnolianさんの口コミ ( 女性・東京都 ) ('11/11 訪問)

『ここがほしのリゾートであるならば』

果たして、この改装の仕上がり具合、メンテナンス状況、接客。

これらに代表は目を通しているのだろうかと思う。

グループで行っていたとしても、ほかの人には聞かれたくない内容だってあるし、それを言わないでとお願いしているのにしゃべられてしまったら、グループ内でもギスギスすることだってあるの。

露店風呂付のお部屋の小さな庭は雑草がボウボウ。

降りて腰かけられるようにと、ベンチなどが置いてありましたが降りれるような状況ではありませんでした。

神迎祭で訪れたため、夕食はなし。(1泊2食付のプランを変更しました)

朝食はというと、普通なんですね。

この近辺では定番の宍道湖のしじみを使った赤だし。
卵と海苔にサラダとご飯に焼き魚。

「おおっ、ほしのリゾートっぽい」と思うようなものは残念ながら従業員さんの制服位でしょうか。

ここはもともと、旅館を買い取って改装オープンしたところなので ほしのっぽさがないのは仕方がないのかなとも思います。

ですが、ここに1泊するのなら、出雲市駅前にオイシイ朝食を出して しかもここでの宿泊料金2名分で4名泊まれる場所があるので今年はそちらか、先日宿泊した玉造の別の宿にしようかなと思います。
http://tabelog.com/shimane/A3201/A320101/32000382/dtlrvwlst/3924208/

星野リゾート界 出雲 (【旧店名】玉造温泉 華仙亭有楽)
もにょもにょちゃん さんの口コミ ('13/06 訪問)

うーん これでこの値段はとても理解できない。

両親に記念日のプレゼントとしてこの旅館を利用しました。

 有名な星野グループの旅館でもあり、インターネットの写真を確認したところ各客室に露天風呂が付いた広くてきれいそうな部屋で、料理もこだわりがあり豪華そうだったので少し金額が高かったのですが、たまにの贅沢なので奮発してプレゼントしました。

  両親も非常に楽しみにしており喜んでおり、こちらも自信を持ってプレゼントしたので期待していました。

  利用後に両親に感想を聞いたところ、「今度からはもっと安いところでいい」との感想でした。

  詳しく聞くと、従業員のサービス内容、設備、料理とも今一つで値段の割に合わないとのことでした。

  旅館に到着後、各設備(夕食の場所、風呂など)の説明を受け部屋に案内をされたのみで、お茶はビジネスホテルのようなセルフのセットで自分で入れる仕組み。特に気の利いたサービスや会話などなし。

  部屋にある露天風呂も体を洗う場もなくお湯を張った湯船のみ。(自分が過去に宿泊した旅館は部屋の露天風呂にも簡単な洗い場はあった。)従業員へ体は洗えないのかと尋ねたところ、大浴場を利用してくださいとのそっけない返事だったとのこと。結局部屋の露天風呂は入らなかったとのことでした。これならわざわざ露天風呂付きの部屋がある旅館にしなくてもよかったと思いました。

  部屋からの眺めもいまいちで隣の旅館のほうがよさそうだったとのことでした。

  土産物売り場も小さくて商品の品数も少なくやる気が感じられなかったとのことでした。

  料理もいたって普通であまり話題にも出てきませんでした。  

  このように、サービス、設備面と期待していたものとは程遠い結果で、せっかくのプレゼントが期待外れでがっかりな感じでした本当にお客さまに満足していただけることを考えているのでしょうか。
 なぜ、このような金額なのか全く理解できませんでした。
 やはり星野グループという名前での金額なのでしょうか。

 次からは、玉造温泉にはほかにもきれいな旅館が沢山あるので他を利用したいと思います。
http://tabelog.com/shimane/A3201/A320101/32000382/dtlrvwlst/5427788/


玉造温泉3 [星野リゾート  界 出雲]
彩夢 さん [入浴日: - / - ]

数年前リニューアル直後に宿泊した。外観はなんとも落ち着いた小洒落た感のある数奇屋造りの雰囲気、館内も同様に和の要素を用いた実に素晴らしい造りである。通された客室は新館で「西の庄」10畳の本間に+4.5畳の掘りごたつ付きの当然真新しく小ぶりながら庭をも見渡せる清楚で綺麗な部屋である。温泉はというと開放感がありガラス張り越しには庭園を見渡せる凝った造りの内湯に岩を配した露天共々良いではないか。またパブリック施設等も申し分ない。

唯一残念なのが食事であった。会席料理だと思うが質、量ともイマイチ、これはと思えるメインもなし、好物の刺身などなど、う〜〜ん・・。

全く宿泊料金に見合ってない。
最近良くある格安「平日限定プラン」などなら少々納得出来るが・・
あれでは正直駄目だ。

私的に湯だけ求めるなら近所の銭湯やら県北にある良質な温泉に行くが、宿泊してこその温泉旅館を満喫する者には食事面を改善して欲しい・・

誠に惜しい旅館である。今後の期待を込め評価なし。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen003605/1.htm

湯布院「玉の湯」と星野リゾートの宿 2011-07

湯布院の「玉の湯はもう10年近く前に家族で泊まったことがある。当時妹夫婦が大分に住んでいたので、彼らを訪ねたついでに、当時から名旅館と評判の高かったこの宿に宿泊したのだ。非常に気に入ったので、今回もゴッキーをかっ飛ばして再訪したという次第。10年経ってどう進化したか(或いは精進を怠って退化したか)、それを確認するのが楽しみだった。


旅館(当然ホテルもそうだが)は、宿泊客のほぼ丸一日の生活全般に関与するわけであるから、そのサービスも多岐にわたらざるを得ない。食事、入浴、睡眠は勿論、掃除、洗濯、その他諸々。言ってみればサービスの集大成のようなものである。この玉の湯、総てにおいてトリプルAだった。その印象は今回も変わらなかった。むしろより洗練されたと感じる。

何より素晴らしいのが、サービスの一つ一つが、ユーザーの側に立って立案され、具体化され、そして実行されていることである。しかも押し付けがましいところが何もない。何も要求しなければひっそりと佇むサービス。私たちはこれだけのコストをかけてこれだけのサービスをしているのです、という自己主張がないのである。

しかし、彼らにはぼくが2002年に宿泊したというデータが残っており、食事の際に、「以前お泊まりになったときには、確かこういうものをお召し上がりになりませんでしたか?」などとさりげなく確認される。舌を巻いた。こういうサービスができる宿は極めて稀である。また時間を作って来たい、そう思わせる。


片や星野リゾートの宿。


今回出雲大社に行こうと思い立ったのは、亡くなった父が生前、母と二人で出雲大社に行きたいといっていたからである。余命短し、と悟ったからなのだろう。母との縁に感謝したい、と言っていたのだが、ついに叶わなかった。代わりに自分が行こうと思ったのだった。

出雲の宿を検索していたら、星野リゾートの旅館があることを知った。

星野リゾート、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いである。経営の傾いた旅館の経営権を引受け(その契約形態は知らないが)、流行りの宿に再生させている。彼らの手がける旅館が、日本に何箇所もある。熱海伊豆山のかつての名旅館「蓬莱」も、今や星野リゾートが経営権を握っている。


一度泊まってみたいと思った。で、泊まってみた。


結論。ダメだ。


サービスの総てがはったりである。張りぼてなのだ。

建物は、見てくれはいいが安普請。建材は主として杉。フローリングも小奇麗だが無垢ではない。窓や建具はどれも既製品のアルミサッシかスチール。

どこを見渡しても、綿密なコスト計算が透けて見える。

従業員の人数は少なく(彼らはこれを「マルチタスク」と呼ぶらしい。聞こえはいいが、要は人件費を抑えるために、最少人数の従業員に、ポーターから、部屋の清掃、そして食事の給仕まで、総てをやらせるのである。)、サービスが行き届かない。

皆若いので笑顔は素敵だが、何から何まで総てマニュアルどおり喋っているだけなので、全く応用が利かない。食事だけはまあまあだったが、使っている食材も、はったりを利かせなければならないところは奮発しているが、それ以外の、例えば前菜の八寸など、どれも安価な食材で誤魔化しているので、美味しいと思えない。


玉の湯の食事(ぼくの好きなもう一つの旅館、湯河原の「石葉」も同じなのだが)は、この八寸やら、お浸しやら、そういう脇役達の手が抜かれていない。本当に美味しいのだ。


何から何まで小聡明く、そして鼻につく。全く寛げない。結局、やっぱりね、という感想なのだが、星野リゾートの宿、ぼくはもう二度と行かない。


別にこんな比較をしなくてもいいじゃないか、そう思われるかもしれない。何でこんなことを書いているかというと、「玉の湯」の宿泊費より、この星野リゾートの宿の宿泊費の方が高くついたからなのだ。いくらなんでも高すぎです。
http://doppiovu.exblog.jp/15948404/


40. 2014年2月16日 12:10:47 : 2D6PkBxKqI

星野リゾート 褒める文化がない 
Name:社員  2013/04/23(火) 20:40 


 星野リゾートは、さまざまなメディアで「リゾート運営の達人」、「旅館の再生請負人」などともてはやされる宿泊施設業界のカリスマ・星野佳路社長が経営する会社。実際の中身はどうなのだろうか。


  この点について、キャリコネに寄せられた口コミを見てみよう。

  企画営業の女性社員(30代前半)は「褒める文化がまったくない」と言う。


  「会議と言いつつ、けなし合いでテンション下がる状況が多い。中途入社を受け入れる環境も整ってないので、入社してからがっかりする。結局、広報がうまくマスコミを利用してきれいに見せているから、それを鵜呑みにしていると痛い目に遭う」と。

  そして続けて「中間管理職はマネジメントを学んでないのでかなり頼りない。社員は家族という社訓があるが、人員削減はあっさり行い、恐ろしい」とも述べている。

  ホテルスタッフの男性社員(30代前半)も「常に社員同士を競わせる環境にあり、切磋琢磨というよりは日常的に社員同士がけなし合う雰囲気がある」と、やはり「けなし合う文化」について指摘している。

  どうやら、マスコミが描くはつらつとした会社とは裏腹に、実態は、互いにがマイナス評価し合うことで自己の存在価値を見出そうという社風のようだ。

  「広報がマスコミを利用してきれいに見せている」というのも十分にうなずける。

  同社の組織は、「総支配人⇒UD(ユニットディレクター:中間管理職)⇒プレーヤー(平社員)」の3階層しかないフラット組織。この中で、UD(ユニットディレクター)を「顧客満足度と収益性向上のための戦略を打ち出し、最前線で戦う変革請負人」と位置付けている。

  だが、元社員は「UDは一時的なポジション。常にUDと平社員の間を行ったり来たりしているので、自分で戦略を打ち出せるような勉強をするヒマはない。それに異動が多いので、1つの専門分野を極める環境もない」と明かす。

  一方、業界関係者も「メディアは星野の顧客満足度の高さをよく称賛するが、特に凄いと言うほどのレベルではない。客への見せ方がうまいだけ。これまでは田舎で勝負していたので成功していただけ。
http://www.iriomote-love.com/keijibann.html


41. 2014年2月16日 18:36:11 : 2D6PkBxKqI

口コミで星野リゾートの評価が高い理由


インターネットの口コミは殆どがヤラセ

月間10万円…やらせ業者が「食べログ」ランキング操作

 一般の利用客による採点システムが看板の人気飲食店ランキングサイト「食べログ」で、飲食店側から金で順位上昇を請け負った「やらせ業者」によってランキングが操作されている事例があることが4日、分かった。実際に食べた人の感想がわかる“口コミ”ランキングは、同サイトが店選びの指標として掲げてきた大黒柱。信頼性を揺るがす事態に、食べログ側も、やらせ業者に対して法的措置を検討している。

 食べログに現在登録されている飲食店は全国約67万店。昨年11月の月間利用者数は前年同月と比べ約4割増の3201万人にのぼり、業界首位に成長した。影響力は大きく、ランク一つで“繁盛店”になる場合もある。

 やらせ業者は、店舗を個別に訪問して勧誘。運営会社のカカクコム(東京)に把握されないように、好意的な口コミを投稿するほか、ページへのアクセス増加などで、人気店であるかのように見せかけるという。

 実際に業者の訪問を受けた東京都内の店舗は、IT関連企業の営業マンを名乗る背広姿の若い男性に「食べログの点数を上げる裏技のご提案です。食べログからは非公認のサービスとなります」と切り出された。

 男性はさらに、店舗側の意向を反映したやらせ「口コミ」を毎月5件ずつ投稿すると持ちかけた。報酬は月間約10万円。男性は「依頼を受けた店舗の点数を確実に上げる」と強調した。

 食べログでは本来、サイトに登録した一般利用者が実際に足を運んだ飲食店を5点満点で採点。その点数を独自の方法で集計した数値が「店の点数」として明記され、サイトの閲覧者が店選びの参考として利用する。ただ登録さえすれば誰でも投稿できるため、業者に悪用されたとみられる。

 カカクコムは現時点でやらせ業者39社を特定。サイト内の監視を強めるなど、対策強化に乗り出した。

 最近になって、サイト内の運営ポリシーのコーナーに「不正業者が存在することを確認しております」と掲載。ただ検索結果など閲覧者の目に付きやすい場所では、やらせ業者への注意喚起を行っていない。

 カカクコムの田中実社長は「不正業者の業務停止を求めて提訴するなど断固とした措置をとりたい」としているが、サイトの影響力が続く限り、波紋は広がりそうだ。

 ▽食べログ 05年3月にサービス開始。料理のジャンルや地域などのキーワードで検索すると、「点数順」「人気順」「最近の注目順」で店舗のランキングを紹介する。口コミの採点は、「料理・味」「サービス」「雰囲気」「CP(コストパフォーマンス)」「酒・ドリンク」の5項目で評価される。

 ▼元検事の落合洋司弁護士 食べログは飲食店の利用者が感想を書き込むことで成り立ち、店に対する評価の信頼性が維持されている。いわゆるサクラが対価を受け取り、店にも行かずにその評価を組織的に上げるビジネスモデルなのであれば、データの信頼性を損なわせるため、運営会社に対する偽計業務妨害罪に問われる可能性がある。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/05/kiji/K20120105002367020.html

24 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/01/31(火) 15:59:22.09 ID:jf5nVlbZ0
星野の元従業員です。
良い口コミをいくつも書かされました。
クレーム口コミはお客様に丁重に謝罪して抹消してもらいます。

35 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/02/01(水) 07:07:55.85 ID:gAg6TTTy0
星野の口コミは、操作されているらしいので、信用していない。
こんど、一休に聞いてみたいと思う。


95 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2012/02/14(火) 07:08:48.14 ID:EcnV1Oya0
フォートラベルのもだいぶ消されたよw
頼み込んで消してもらったのかもしれないが・・・

ここの経営陣は、広告や口コミの重さをよく理解してるから・・・
バカボンだって、親の金でオークラだ帝国だガキの頃から生意気にいってたんだから自分とこのサービスが三流なのは重々承知だろう。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1327925011/

525:宿無しさん@お宿いっぱい?:2011/08/08(月) 10:34:23.33 ID:oqbWclbE0
この前、星野リゾートのTに泊まったら、なぜか部屋がランクアップされており、チックアウト時にしつこく、よかったとクチ込みを書き込むように、頼まれた。
星野リゾートの、クチ込みの良さの秘密の一端を知りました。
http://2chnull.info/r/hotel/1287304663/1-1001


7 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/14(日) 22:56:05.34 ID:VjIHtGHO0
じゃらんの悪い口コミが消されてるのは、誰がやってるの?
担当者誰?

141 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/04(火) 15:56:34.57 ID:vORt7FAY0
リクルートのじゃらんと、専売契約を結んだ為。
じゃらんの界、不自然な程に口コミが良くなったでしょ。
広告も目に見えて増えた。

361 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/02(月) 06:46:48.48 ID:EWeA1BtFi
だったら、じゃらんのクチコミとかfacebook twitterとかで情報発信しようぜ。
こんなところでじめじめやってないで。

362 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/02(月) 10:00:41.90 ID:eJZ7Zzw90
>>361
完全にオープンな場所がここだから
他は恣意的な操作が出来るし、仲良しクラブじゃ意味梨

363 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/02(月) 20:54:57.27 ID:nTOv/uBdi
そういわれてみれば、そうか。
でも、やらんよりはやったほうがよくない?
以前、じゃらんで投稿した時、☆一つでもちゃんと反映されたよ。

364 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/02(月) 22:36:06.86 ID:V3nPl3fB0
そりゃ本人目前では反映されますよ。
ところがしばらくすると不思議なことに消えてるw

365 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/03(火) 20:49:15.35 ID:zfLh7tcPi
そうなのか。内部の人間じゃないから知らんかった。
投稿件数が多くなって、自動削除とかではなくて?
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1365783192/


42. 2014年2月16日 19:37:18 : 2D6PkBxKqI

星野リゾートに関しては悪い口コミだけを見ている方が真実がわかりますね:

ゴールドマンの犬 星野佳路の魔手に落ちた名門旅館の運命は 7_ 伊東温泉 アンジン

ゴールドマン 旅館再生 出口戦略失敗か 2010-02-24 21:55:00

ゴールドマンサックスはゴルフ場の買収&売却で味をしめたのか温泉旅館再生事業を星野リゾートと提携し、展開してきましたが買収した旅館の売却がうまくいかず、星野もあせっている...という内容の記事です。

星野リゾート自体は「星のや」や「星のや京都」で頑張っているように見えますが、ゴールドマンとの提携で再生させている旅館を見ると頑張っているところがほとんどないですので売却先が見つからないのも頷けると言えば頷けるんですけどね。

伊東で2件の運営をしていますが、口コミなどは芳しくないようです。


伊東は特にアンジンの評判が悪いですね

星野系であそこまでひどい評判も珍しいと思ったくらいひどいですね
@ゆういち 2010-02-26 10:24:43
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298123-d1079864-r47005023-Hoshino_Resort_Angine-Ito_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS


“二度といきません。” 星野リゾート アンジンの口コミ

“悲しかった”
2009年9月に、家族で訪問(体験)

離れの和風の露天風呂付きに一泊しました。
アンジンのホームページの写真と全く違い

部屋に入った瞬間、カビの匂いと殺虫剤か?なんか変な匂いが。。。
こちらの部屋は、リニューアル何もされていませんでした。
とにかく、古くて汚い!ホコリがたくさん。

でも夕食は、美味しいかった。
女性の従業員さんが娘を可愛がってくれたのは、嬉しかったですが。。。

美味しい食事、露天風呂に入ってゆっくりしようと思った瞬間
ゴキブリが!!!夫が一晩に4匹殺しました。

従業員の対応が本当に悪かった。
何もしてくれないまま、翌日早々チャックアウトしてお会計。
このクオリティーでこの値段?!高い!

一歳の娘を連れて初の家族旅行だったのに、本当に悲しかった。
古くても掃除すればゴキブリは、出ませんよ。


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“がっかり。。。”
2009年9月に、友達と訪問(体験)

ホームページやガイドブックの写真に騙されました。。

本館はきれいにリニューアルしてあるのでしょうが、泊まった離れは古くて畳にはシミがあるし、トイレはカビ臭い。

そして無駄に広い。
和室に無理やりベッド置いてる感じがイマイチ。
隣の部屋との距離もあるはずなのに、声が聞こえたりガタガタと何かを移動するような音が響いてうるさい。

離れは改装してないので、リネン室やら配膳室などの古い施設が丸見え。
食事はおいしかったですが、とくにこれといったインパクトもなく。

食事の時間も5時半か8時半と言われ・・・5時半に食べても夜食などのサービスもないので、長い夜でした。

「離れ」に泊まる方は、期待しないほうがいいですよ。
ホームページの写真とは全然違いますから。

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“どこが、和モダン?な宿”
2009年10月に、カップルで訪問(体験)

夫の知人がインターネットの旅行のページの仕事をしていてアンジンおすすめという事で宿泊しました。

確かにHPを見ると、行きたい!!と気持ちになる。
すばらしいHPだと思います。

が、しかし行ったらNO GOODでした。

エントランス、入って受付、飲み物出されココまでは、和モダンでした。
良いねえ〜♪という気持ち。

お部屋に案内されたら、一気に落ち込みました。
騙されたーーーーと。

まるで自分が小学校の時に行ったことあるような古くさい旅館。80年代の香り満載!

綺麗じゃないし、掃除も行届いてない感じでした。

ベットルームも太陽の光を入れていないのかジメジメしていて寝心地が悪かったです。

良かったところは、食事の刺身が新鮮で美味しかったのと館内用の作務衣が着心地良かったことぐらいですかね。

庭園もおばあちゃん家の庭みたいだったし
セルフのコーヒーマシーンも微妙だったし
温泉も温泉なのか微妙だったし

年に4回旅行に出掛けますが、夫婦締めて4万9千円は、高いと感じました。
おばあちゃんになったらまた行ってみたい宿ですね。


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“人には勧められないです。”
2011年10月に、一人で訪問(体験)

 週末に突如思い立って、土日で宿泊してきました。 土曜日の当日予約でお一人様でしたので朝食のみのプラン、部屋タイプは「オーシャンビュー和モダン(和洋室)」です。

 土曜日の午後に予約を入れて、東京の自宅から約3時間後に到着できました。 こんなドタバタでもとてもスムーズに受け入れができたのでこの後を期待していたのですが、以下は辛辣な意見です。

 入口入る前から気になってはいたのですが、やはりビルそのものがとても古いです。 従って表面をかなり見栄えの良いものに変更しても、構造、エレベーター、階段周り、庭、風呂、そして臭気、、、すべて古さを感じます。 

当然のことながら部屋も改装はしてはいるものの節々に見え隠れする汚れがとても気になりました。

 確かにホームページや宿泊関連の写真を見ても、自分で撮った写真を見ても素敵な部屋をイメージできるのは非常に不思議なところです。

 宿泊した者から他人に客観的に施設のイメージを伝えるならば、かつて社員旅行や社内の忘年会などで利用した巨大温泉ホテルの表面のみを”モダン”にした感じと言えば一番似通っていると思います。

 さて部屋ですが、無駄な部分もありますが普通に宿泊するには問題はありませんでした。 ただし部屋のサイズの割にベッドは小さく、都内のビジネスホテルのシングルベッド並みの小ささで寝相の悪い方は足や手が落っこちてしまうのではないでしょうか? ちなみに私はお一人様でしたので2つのベッドを並べようか考えましたが中央に配置された家具でむなしくも片方しか利用できませんでした。
カップルでイチャイチャするのはかなり厳しいですね。

 温泉もなんかさびしさを感じました。 到着後、夜、朝と利用しましたが沸かし湯らしくいつも温度差がありなんとも使いずらいものでした。 

特に朝は、なにかトラブルがあったのかぬるいを通り越して温水プール並みの温度になっていました。 居合わせた年配の方も、

「こんなんじゃ風邪ひいちゃうよ!」

とこぼしていました。 もうひとつ風呂場で気になったことがあります。 男性用の髭剃りや頭髪用ブラシなどが置いてあるのですが、これの包装がかなり硬くて開けるのが困難なことです。 これは部屋に備え付けの歯ブラシにも言えますが、年配の宿泊客が多い中、使い勝手を配慮しているのか疑わしくなります。

 夕食は外でいただいたので朝食のみの評価ですが、私は朝から日本酒派なので酒のつまみになるものはそこそこ提供いただきました。 そんな酒飲みの私を見て、働いている(恐らく地元の)おばちゃんから「朝のお酒っていいわよね!」って言われたのが一番普通の旅館っぽくて印象的でした。 

煮物、湯豆腐など恐らくいい食材を使っているのだと思いますが、内容の乏しさが感じられ夕食なしで良かったと感じてしまいました。(悲しい。。。) 焼き魚などはうまく骨抜きされているようで年配の方には嬉しい気配りがあると感じました。 

 企業の再生をしつつ、お一人様でも気軽に立ち寄れるように温泉旅館の革新を図っている姿には本当に共感できますが、今回私が支払った金額の3分の1であれば妥当なお値段なのではないかと思います。 今回の価格では残念ながら家族や友人にはお勧めすることはできません。

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“中途半端はヤメテ”
2011年10月に、家族で訪問(体験)

有名な温泉旅館再建グループが、再生に乗り出した旅館との事で期待半分/不安半分で逗留しました。

第一印象は、中途半端・・・の一言。

目に見えるところだけモダン風に改装してますが、余り手間暇もお金も掛けていないのが分かります。間接照明を多く取り入れ、また必要以上に照明を暗くする事でアラが目立たないように工夫してはいますが、明るい日差しの下で見れば古い設えに手を入れていないのは一目瞭然でした。

また古い建物をそのまま使ってのリニューアルなので館内の動線が乱れており、移動その他に無駄な時間を喰う事が多々ありました。多分経費削減の為と思いますが、アメニティグッズの「量」だけはふんだんに有るものの、決して高品質の物を置いているわけではありません。

お料理も、作り置きの物を「冷めないよう」「乾かないよう」に工夫はされていましたが、熱々の作りたてを提供すると言う考えは微塵も無いようです。伊東市内にはもう一軒、同じ経営の旅館があるとの事なので調理はまとめて一か所で行っているのか?と勘ぐってしまいそうでした。

食材の質も、せっかく伊豆まで来たのですから新鮮な魚介類をふんだんにと期待しますが残念ながら外れでした。和モダン指向で「盛り付け」「プレゼンテーション」ばかりに力が入り過ぎたのか、本来追及すべき「味」「質」の点で落胆する事が多かったです。

特に土瓶蒸しの松茸が、殆ど「瓶入り」の調理済みの物にしか思えず、鱧も骨切り後長時間が経過した古い物だったのはガッカリです、出汁も全く利いていません。

ソフト(サービス)面は、良くも悪くもマニュアル通りで、特筆すべき点はありません。お金/人出が掛からないサービス等には強いですが、肝心の建物/客室、料理の質といった点では手抜きが目立ちました。

お客様満足度を向上させるには、再建案全体の見直しが必要ではないでしょうか。最後に、宿泊客の部屋着を「作務衣」風の物に統一し浴衣を廃止しているが甚だ疑問です。

食事は全て食事処なので、都度部屋から長い距離を移動する必要があり、またその間/食事処でも多くの人目に触れますが、あの作務衣は動き易いものの色は地味で決してお洒落ではありません。下手をすると従業員さんに見間違えてしまいそうです。だからでしょう若い女性客には、普通の服に着替え直して食事をしている方が数多く見られました。やはり、綺麗な浴衣も用意すべきだと思います。


__________

“ファミレス風で中途半端”
2012年4月に、友達と訪問(体験)

安いお値段ではなく星野リゾート系列ということもあり、それなりの期待で宿泊しましたが、すべてにおいてお値段に見合っているとは思えませんでした。

接客は受付の方もスマイル全開で一見感じがいいのですが、一言でいってファミレス風のマニュアル接客でした。笑顔で感じはよくても、浴衣のサイズの確認がなかったり、脱いだブーツのジッパーを閉めずに並べただけ・・・という、ボロがすぐ出てしまうマニュアル接客だったと思います。

エステを予約しており、時間に部屋にお迎えが来るというのはいいのですが、その案内がなく、こちらから電話してしまう・・・ということもありました。

夕食は生ものは新鮮で美味しかったですが、手を加えているものはあまりおいしくなかったという印象でした。また、接客は、声をかけようにも給仕の人が忙しくてなかなか気付いてもらえませんでした。

お部屋に温泉水のパックセットがあったり、温泉まんじゅうを固形燃料で温める趣向や、効用の違うお茶が何種類かあったことなど、企画としては一生懸命さは感じるものの、人の手をかけないところで客の心をつかもうとしているところがとても残念です。

それなりのお値段なので、客はもてなしの心を期待していることに気付いてほしい宿でした。


______

“料理はいいけれど、部屋とマッサージは…”
2012年7月に訪問(体験)

星野リゾートグループに泊まってみたくて、楽しみに予約しました。廃業した所を改築しているとは知っていましたが、部屋は畳がヘタヘタだし、部屋の露天風呂は木のためか傷みがひどかったです。一見表向きは綺麗なだけで、ガッカリしました。

HPを見て疲れがとれそうだから、マッサージを予約していました。しかし、ここのマッサージはオイルを塗るだけのもので、コリをほぐすものではありませんでした。

しかもマッサージの専門家ではなくて、ホテルの従業員が研修を受けただけでやっているそうです。料理は良かったけれど、料金を考えたら、コスパが悪いと思います。

http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298123-d1079864-r158538256-Hoshino_Resort_Angine-Ito_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#REVIEWS



2012-03-09 18:14:59
ながらく星野リゾート系の旅館に強い反感を持っていた私たち夫婦

まあ理由はいろいろあれど、一番は値段が高飛車ってことですかね・・・

(-""-;)

初めて雑誌で見た時、まあすてき 感動

としびれて、値段を見た瞬間

泊まれるかああ!って雑誌を床に叩きつけたもんです


また旅館特集っていうと なぜか必ず大量出稿

辛口なはずの雑誌までがほめまくり

よっぽどなんか雑誌界の黒幕の弱みでも握ってるのか (ヽ゜言゜)


雑誌では、いつも代表がそりゃいろんな素晴らしい美しいポリシーを熱く熱く語ってますが、きれいごとばっか言いやがって そこまで客のこと思ってんなら値段下げろっての

カァーッ ( -д-) 、ペッ

って気持ちだったんです・・・

でも、アンジンは

宿泊されたかたのブログがいい感じだった


一番おしゃれな部屋が2万円台で安かった


とにかく忙しくて、近場でさっと行ける宿しかムリ


まだ行ったことないとこに行きたかった


ってことで、いちかばちか泊まることにしたわけです

1. 無題

私もブルー○スや自○人の不自然なまでの星野ヨイショ記事に胡散臭さを感じでました。
チェックイン時の客への配慮の足りないところや荷物を持ってくれないのは残念ですね。
星野リゾートの中では安い部類の宿だからですかね。

でも宿泊費2万円を超える宿で荷物持たないのってビミョーです

私も泊まるならこのお部屋にしようと思ってます。
とっても素敵なお部屋ですね。

これで2万円台前半ならコスパよさそう。
続きが気になります〜o(^-^)o
くま 2012-03-10 17:20:00


2. Re:無題
くまさんも感じてましたかっ!
自由人(あ、書いちゃった)、ほかのゴージャス系の旅館はけちょんけちょんなのにね。
なんか、いろんな黒い気持ちになっちゃいますよ
やっぱり、旅館マニアは同じにおいを感じてるんですねー
甘栗 2012-03-11 22:21:28



4. うらやましい
たまたまいいお部屋に泊まられたのですね。

私たちは6階の部屋でしたが、景色は確かにいいのですが、リノベーションがほとんどしておらず、障子は雑に張られ、壁紙も所々はがれ、トイレは昔の芳香剤の香りが充満した男の人がたってするトイレがついていて、手洗いがあるのにタオルもない。

個室のお風呂は小さなタイル張りで昭和の香りが満載のお部屋でした。
休前日だったので3万近い値段だったのですが、いいお部屋にとまれてうらやましいです
はむたろう 2013-09-25 13:58:40



5. Re:うらやましい

うわあああ大変でしたね…
。(;°皿°)

1万円台とかならともかく…3万円近くで…
(-""-;)

星野リゾートの社長は、いろんな雑誌や本ですごく立派なことをおっしゃってるけど、言ってることとやってることが違い過ぎるような…

リノベできないのだったら、せめて値段を下げるとかすればいいのに、いいお部屋だけクローズアップして、どさくさにまぎれてそういうお部屋を高い値段で出す。

手洗いがあるのにタオルがないって!!!
ああでも普通の旅館だったら、ご主人にお手紙書くとか方法があるけど…

でも私たちのお部屋のお風呂は、ほんとうによかったんです。もう絶対に行かないでしょうけど…
あまぐり 2013-09-27 21:16:41
http://ameblo.jp/yadomoe/entry-11187681224.html


by 匿名さん 2013-03-27 14:16:09

旅館経営の進行性悪性癌みたいな・・・・、老舗旅館が経営不振に陥り星野リゾートに買収されると本来のおもてなしができなくなりただ存続するだけの奇妙な旅館になっているようです。ですから、かっての高級老舗旅館と思って行くととんでもなくがっかりさせられます、恐るべし星野リゾート!というところでしょうか・・・・。

たとえばせっかくの料理が部屋食でなく居酒屋チェーンの個室もどきみたいなスペースでとらされる・・・・、中途半端なリゾート考がもたらす学芸会的な演出、スタッフがどんなにやる気があるように見えても所詮素人のカラオケとプロの歌手みたいな違い、まさにおもてなしの観点からすると最低というか全くなっていない・・・。

ほしのや軽井沢だけにしとけば被害はここまで広がらなかったと思います。残念ながらゴルフ場のアコーディアと同じイメージ・・・、どちらも買収後の悲惨さは進行性悪性・・・といえるでしょう。

もっとも両方とも行かなければよいのですが、この世から名門や老舗がどんどんなくなっていくのはさみしい限りであります。ワタクシの星野リゾートとはそんな感じです。


No.37 by スレ主 2013-03-27 16:30:52
>>36さん
当初、スレを建てまして相当に一人の方から批判されましたが、そういう意味合いのことを感じたわけです。

36さんは老舗の旅館、ホテルに精通されてるようです。
存続に意味があるとしても本来の老舗旅館の持つ風情のようなものが無くなってしまい何とも味わいのない所に様変わりしています。

味の悪い金太郎あめみたいな。
大変、的確な批評を頂き感謝しております。




No.39 by 匿名 2013-03-28 08:10:52

あの経営者、バカボンて呼ばれてるらしいですね。

何でも資金源であるゴールドマンサックスが手を引いてREITでまとまった資金を手に入れようと考えてるようですが基本的に経営の行き詰まった旅館、ホテルがその価値が有るのでしょうか?

それは別としても36さんのように目の肥えたお客には中身が薄っぺらいことを簡単に見抜かれてリピートしてもらえませんね。伊藤園ホテルのあの金額で食べ放題、飲み放題ならお客もサービスも含めて納得するだろうけど逆ににわかシェフ{入社3ヶ月の見習い社員が作る。}が平気で素人くさい料理を出す、サービスも素人。到底金額に見合うものではありません。

やたらそんな調子で増やす事より既存施設の質の向上の方が優先されるべきと思う。まあ利用者が減ればわかるでしょう。行かなければいいのですが確かにそういう印象です。


No.48 by 匿名さん 2013-08-15 01:34:36
いやぁ、薄いです。

間接照明=高級
隠れ家風=おしゃれ
表面的なもちあげ接客=おもてなし

などなど。

そもそも買収して手に入れたかったものが、ハードであり、その土地の良さや昔からの伝統に重きを置かないのだからしかたない。

自分が使わなければいいだけのことなんですが、いかにも素晴らしいって論調で語られているのをみると、ちょっと反論したくなります。

No.79 by 匿名さん 2013-11-13 19:18:00
星野は財政が厳しいからその内苦しくなるよ。
あれはフェイクだ。

サービスは素人。比較できるほどのお客は行かないからね。

最初、旅館再生というから何かと思えば伊藤園ホテルグループのパクリ。
ならそれなりの客は来るよと思った。


No.53 by 匿名さん 2013-08-21 22:19:05
星野リゾートとか、伊藤園ホテルの旅館という、今までにない旅館形態だと考えれば、問題ないですね。
また、宿泊したいと思っています。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/26-76


43. 2014年2月16日 21:17:48 : 2D6PkBxKqI

782 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/12(水) 16:22:42.82 ID:KPeQSd9uO

星野リゾートはなんちゃって高級ホテルだな。
接客もサービスも全てなんちゃってだ。社員もお育ちが分かるなんちゃって社員。高級外資ホテルやオークラやパレス辺りの社員とは全く違うレベル。

783 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/12(水) 16:25:12.47 ID:KPeQSd9uO
高級宿、高級な店にいく客はお金は気にしないが、お金に見あった対応や料理じゃなければ、2回目はないよ。高級に慣れてない客は騙せるだろうが、慣れてる客は分かっちゃうんだわ

784 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/12(水) 22:08:59.89 ID:NuJ3X54a0
>>782-783
激しく同意
スタイリッシュ()とか高級さや快適なリゾートを謳ってるのに実質が全く伴ってなかった

基本、交通の便の悪いところにあるから薄々想像はしていたが、働いていたのは教育されていない現地のおっちゃんおばちゃんとリゾートバイトの女子大生で使えなすぎた

値段だけ高級・広告の写真は奇跡の一枚レベル

行ったホテルだけじゃなく、星野リゾート全部二度と行かないわ


785 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/13(木) 05:30:35.60 ID:K3IFajEm0

ホテルマン(いや、従業員)のレベルは低いと思います。
都心の高級ホテルの『ホテルマン』とは雲泥の差です。

星野は手を広げ過ぎて、社員教育までは手が回らないのでは?

都心の高級ホテルは運営部門やホテルの花形部署のフロントオフィスは一流大卒を配置しています。また、しっかりとした教育プログラムがあり、外国語に関しては外人講師を招いて定期的に訓練が行われています。

786 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/13(木) 12:03:01.22 ID:kTiLMSEX0

日本は国立公園内に大規模ホテル建て放題っか感じだからなぁ。
そんで経営が立ち行かなくなってまわりまわって最後は星野リゾートへ。
猫魔ホテル、奥入瀬渓流グランドホテル、...

星野は、人件費を減らして経営改善するわけだから高級にはならないな。
高級の基本は、客一人に対し何人アテンドできるかってことだからなぁ。


787 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/13(木) 12:37:04.13 ID:rHA22Y7a0

宿代が高いのは

「それ相応のサービスがある≒高級宿」だからではなくて

「赤字回避のための費用」なんだろうとしか

それを誤魔化すための広告とステマ

789 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/14(金) 03:01:57.64 ID:RM43aZ7d0

何が驚いたって

宿の説明書?

館内案内やもろもろがプリンタ印刷のペラ紙2-3枚程度の超おおざっぱな案内内容で全くの役立たずなヤツの脇にすげえ立派でアグネスが喜びそうなょぅι゛ょとょぅι゛満載の星野リゾートのパンフレットが添えてあったことだな


写真では綺麗な水でライトアップされた部屋の前の池

→実際はライトアップなしのドロ沼

を前にして納得するとともに運営姿勢の全てをそこに見た気がし、涙した無駄銭の晩in星野リゾート…


202 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/05(金) 11:17:09.56 ID:OuSoMxjI0
星野のサービスって、日本旅館のサービスじゃないよね。
外資系でもできる旅館サービスだよね。


730 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/01/02(木) 18:46:58.84 ID:BcOZxQ5O0

日本的なかまいすぎや料理本位の料理旅館などは昨今ことごとく潰れています。

本当の意味の、お・も・て・な・し、とは、ほ・た・ら・か・し、ということです。

それに素人ぽさがウリでもあるのです。手慣れは必要ありません。

新時代を開く近代経営は全身あるのみ。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1365783192/


44. 2014年2月16日 21:31:37 : 2D6PkBxKqI


ゴールドマン・サックスに切られた星野佳路が考えた次の手は

398 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/15(日) 18:18:00.67 ID:YbnHSsSV0
星野はゴールドマン・サックス(禿鷹ファンド)の操り人形なんでしょ?


555 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/10(日) 13:45:37.15 ID:VkTu6YUi0
ここは本当にダメだな・・・。

内装や設備面はいいけど、二流・三流なサービスと料理になんの魅力もない。

・・・ってゆーか、投資銀行のゴールドマン・サックスが絡んでたらクソになるほかない。

経営不振や不良債権化していて塩漬けになってる案件から安直、簡単、お手軽に手っ取り早く利益を生むには客に対しても従業員に対してもドケチにならざるを得ない。

星野のおっさんも所有者のゴールドマンの意向を汲まざるを得ないから。

556 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/10(日) 14:39:16.75 ID:xCMXCT40i
>>555
ゴールドマンサックスは、つい先日完全撤退したよ。星野から。
とうとう見捨てられた?


588 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/19(火) 19:53:59.88 ID:bAHCnghR0
>>556 ゴールドマンサックスは、つい先日完全撤退じしたよ。星野から。

って事は、リゾナーレ系は全部潰れるってことですね!
元々星野には金無いし。
人のフンドシで相撲取ってたわけだから。

590 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/20(水) 08:13:11.22 ID:8WtguOKj0
リゾナーレ
ゴールドマン関係ないでしょうが。

593 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/20(水) 20:23:12.37 ID:Y4Je+39z0
リゾナーレ系は全部ゴールドマンの資産だよ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1365783192/

星野リゾートが新規参入へ 2013年3月14日
国内初の「旅館REIT」が誕生

旅館の“再生屋”として知られる星野リゾートが、不動産投資信託(REIT)市場へ参入することが週刊ダイヤモンド編集部の調べでわかった。早ければ6月末にも、保有・運営する宿泊施設を組み入れたREITを東京証券取引所に上場させる方針だ。

まず、星野リゾートは、投資家から資金を集めて投資法人を設立し、この投資法人が星野リゾートから保有不動産を買い取る。

REITに組み入れられるのは、ラグジュアリー旅館「星のや(軽井沢、京都の2施設)」、温泉旅館「界(箱根、熱海、伊東、松本、出雲の5施設)」、リゾート滞在施設「リゾナーレ 八ヶ岳」の3業態8施設となる予定。観光業界からの参入は異例で、国内初の“旅館REIT”が誕生することになる。

星野リゾートは、上場後も売却施設をREITから賃借し、従来通り宿泊施設の運営を行なう。REIT上場時の資産規模は「200億円〜300億円となる」(金融関係者)見込みだ。
http://diamond.jp/articles/-/33329

星野リゾート系旅館REIT、7月上場を承認

 東京証券取引所は6日、星野リゾート(長野県軽井沢町)の温泉旅館などを投資対象とする星野リゾート・リート投資法人の上場を承認した。星野リゾートが所有する温泉旅館など6つの物件を150億円で取得して運用
日本経済新聞 電子版 @nikkei


KENYA O’SUMI @the99tokyo
この辺のノウハウはゴールドマン・サックス様の本領発揮でウハウハなんだろうけど。
2013年6月8日 12:32 PM
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65750458.html

144 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/07(金) 09:47:29.96 ID:HwwJa5D50
公募50万超なのか
驚愕の展開だな

194 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/25(火) 14:05:47.88 ID:hT1jGJnV0
入り業者、テナント業者、パート その辺からの信用サイテーだから
そいつらか内情聞いたら誰がREITなんて…

最近やたら興信所が非社員への聞き込みやらかしてるぞぉ


149 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/09(日) 11:19:16.59 ID:u+vWIP3r0
岡本倶楽部を思い出したw
またジジババが被害者になるのか。

買う前に一回星野の施設行ったほうがよいよ
旧蓬莱知ってる人たちなら、こんなテキヤに金出せないとわかるからw


150 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/09(日) 12:42:57.78 ID:r+WuHWro0
岡本倶楽部は預託金会員制の大型取り込み詐欺で
マルボー・キムチ・ヤマグチ。

乾しのはマルエス外資系の表向きは不動産投資。
これに無料宿泊や優待がセットされると、情弱の年寄りや灰ミスはコロリといくのかな?

売価は、中軽76億、小淵沢45億だと!!!!
あんなもん、どうみても半分以下だ。しかし、定価はないわけだが・・w

中軽は木造バンガローに川端と山、
小淵沢はマイカルが失敗した築二十数年の老朽施設。
四半世紀も前の遺物。

証券会社や金融が資金回収のため至上命令をうけ、下っ端が顧客に言葉巧みに勧誘するんだろうな。目に見えるようだ。

乾しの賃借期間は主に30年だが、家賃が良すぎるし途中でやめるのは自由。
あとは誰がやる??テキヤの人柄の悪さが思いやられる。

それよりなにより、新設REIT会社のメンバーがスッゴ!!
まじワロタwwwwwwwwwwwwwwwwww


183 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/20(木) 23:42:23.16 ID:oXllv/uC0
REIT買った人に、優待あるらしいぞ。
割引券みたいな。


184 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/21(金) 04:06:07.71 ID:8+ReOGr00
経営危ないの???

185 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/21(金) 11:14:46.72 ID:kul/maNj0
>>183
一度でも利用経験ある香具師には無意味だろな。
あと岡本あたりで懲りた香具師もな。

>>184
こういうケースの場合バランスシート(BS)上は悪くないに決まってるよな。
ではなぜREITに走るのか。少し考えてみれば誰でもわかること。
金融からすぐ借りられ資金的に余裕ならREITなんかやらなくてもすむ。
例外的に東京都心のビル屋みたいに可能な限りのあらゆる手段で金集めする
そのためにREITをも併用している場合もある。ここの事情は多分そうではあるまい。
BSからみると年商の割に借入額が大きすぎるように感じる。ま、いいかww

234 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/17(水) 11:54:42.46 ID:UioawNdG0
国際ブランドにする予定だったが民主党政権の消滅でそれも難しくなった
あとは公明党頼みか?
南北半島情勢が大きく影響するだろう

ゴールドマン・サックスグループ(SMBC)がリートによる資金回収傾向と見られているのも前途多難か
さらなる積極的投資がほしいところ

海外富裕層は徹底した一流志向だからターゲットにならない100室にも満たないプチホテル


375 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/08(日) 00:14:50.00 ID:wJzHNY8n0
高料金だから高収益なのはあたり前。
新しい物好きの日本人がカリスマ商法に乗せられた結果の好業績。

それに調子づいたハゲタカファンド。ビギナーズラッキーというか開業効果というか、物は試し的客がほとんどだった。


384 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/09(月) 16:15:42.21 ID:+df0TP+U0
>>375
新規はともかく、リピータ客はいるの?

385 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/10(火) 00:25:23.98 ID:zX2h/NsD0
それがほとんど居ないから問題なんだよ

159 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/15(土) 13:29:00.07 ID:d/J6dbNL0
星野社長は、やっぱり、おもてなしで勝負するサービス業の人ではなく、旅館を投資の対象と考える金融の人だったのですね。

だから、星野リゾートのサービスって、薄っぺらだったのですね。

星野社長のやりたかったことって、結局、ホリエモンと同じ、金融なのかなあ。
Tシャツ姿の意味が今わかったような気がします。


160 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/15(土) 21:09:20.78 ID:wAVVOMIL0
>だから、星野リゾートのサービスって、薄っぺらだったのですね。

もともと田舎モンでセンスも地頭も良くないから一流の経営は無理だった。
だからたとえ金目当てでも失敗は目に見えている。

単なる勘違い野郎で、ジョブスのようなTシャツ経営気取ってみても しょせんカタチばかりの中身なしということが、近日中に暴露されるであろう。

あいかわらず借入れ体質に変わりはなく、リートで証券化すれども人気なければそれまでじゃん。

3 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/13(土) 03:33:08.90 ID:tFjMxT0t0
「メッキが剥げ落ちなければ良いが」

最初からメッキだと知っててこんな言い方するのは、さすが同業者。
バカボンが銀蠅のように空っぽの頭で飛び回るのをせせら笑って見てたに相違ない。

カネさえ出せばマスゴミはどうにでもいいように演出してくれるからなあ。
急成長したとこはアブナイ。しかもオリジナルは川っぷちの小屋集落と山頂のえせチャペル、昨年こさえた南方孤島のバンガローしかないんだろ?

あとは倒産、破産、経営破たんし二束三文の過去の遺物ばかり。
話題性だけで集客してもリピータなし。

このようなテキヤ・バッタ商法は、しまいには維持改修費さえも出せなくなる。
中興の祖になるかと思いきや、REITとは呆れたバカボンだ。


636 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/11/25(月) 16:05:52.30 ID:OJbzGenN0
ラブホテルの経営がお似合いだと思う。

19 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/20(土) 22:17:19.77 ID:jGaI4RDR0
だがしかし、REITで本拠地のすべてを売り払ったら あとが大変なことになるのは、日を見るより明らかじゃん。
雇われ社長だし、いつ何時クビにならないとも限らない。
変死ではあったが会長の死にはまったく触れず。
親をないがしろにした報いはこれから払わされるのかな?

20 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/21(日) 00:29:07.04 ID:IY/wWQc40
名前は前のままで、各旅館の個性を強調すればよかったのにね
チェーン店みたいな安っぽいところは安い客しかこないしな


22 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/21(日) 11:55:58.98 ID:oGfWo/N30
予言
ホシノはこれでコケるだろう。リートは国内投資家にはいくら株高のご時世とはいえ売れません。
ましてや観光用施設のリートなんて、そんな水商売に誰がカネ出すでしょう。
不採算施設の大幅整理が急務。

業績はますます低迷し、さらに身動きつかなくなるでしょう。
現在も青息吐息で何とか生きてますが、この先はまったく見えません。
あ、粉飾だけは絶対やらないでくださいね。


25 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/22(月) 03:16:07.92 ID:gMRUbGgv0
星のやだけで、地味にやってればよかったのにね。
結局、欲をだしすぎて、すべてを失っちゃうの?

26 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/22(月) 06:07:36.42 ID:on3kBLYg0
自転車はこがないと倒れるだろ?
いままさにそんな状態
レジェンドホテルみたいに未公開株もやりかねんねw


96 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/16(木) 23:11:19.20 ID:YEgLqvCn0
星のやだけにしとけばよかったのに、欲をかきすぎたんだよ。

102 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/19(日) 13:33:08.38 ID:+Ncv3wZr0
>>96
>星のやだけにしとけばよかったのに、欲をかきすぎたんだよ。

確かに貪欲さもあるが正恩と同じ気分のほうが強いと思われ。
オノレの実力を過信し、チヤホヤおだてられて豚も天に昇る。
結果自力では降りれなくなったといういい例。
日々足元からジリ貧にww


103 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/19(日) 15:27:02.92 ID:yG8lGAEo0
え?
経営危ないのですか?


104 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/20(月) 19:02:50.83 ID:qDD16sMN0
退職する人が多いね。


171 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/17(月) 10:49:02.52 ID:8aaBUBYr0
ホント有能社員はどんどん見切りを付けてるね。
対外的に、またアホ社員、業者向けに一所懸命TV出演だが?

対談じゃ明らかにマックのCEOに馬鹿にされてたし筋が通ってなかった
言ってることと現状の雇用状態とのギャップは詐欺以上
パワハラとパワハラの為の非道セクハラが業界一だって知ってんのかい?

「我が校ではイジメは存在していないと認識しております」ってなバカ校長。
いよいよ退職者のネガティブ広報の的がUD辺りでは止まらなくなってんぞお

173 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/18(火) 12:20:15.78 ID:7mz3Qlqp0
>ホント有能社員はどんどん見切りを付けてるね。

対外的に、またアホ社員、業者向けに一所懸命TV出演だが?
いくら金つかってTV出てもまったくREITは盛り上がらないね。

むしろ薄っぺらさが暴露して逆効果なんじゃね?
財務内容のお粗末さや業績の悪化、過大値踏み、CEOなどなどから安○楽僕状なんかと同じ臭いがする。うそ表示苦楽すしのようなマルエスの臭いがね・・・

106 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/21(火) 17:02:51.91 ID:90vD2Lax0
経営が危ないというよりかキャッシュフローと担保が少ないから REITやらなきゃもう資金調達が困難なんじゃね?

わずかな黒字店はともかく、赤字店の削除が急務だな。
そうしないと本当のピンチがやってきそう。

129 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/27(月) 17:33:34.96 ID:GegvJgTj0
星野リゾートはホテル業界では断トツ、就活生に人気のホテル。
待遇、滅茶良いらしい。


130 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/27(月) 18:03:44.65 ID:p+8LHHGu0
>>129
皮肉かい?
就活正だってだってバカじゃない

悪評判は耳に入ってるさ
ここの所ロクなの入ってこないだろ?

優秀な奴は直ぐ辞めちゃうし
無能者と社長イエスマン

そして星野に巣喰うヤクザ社員…
このタイプしか出世しない。

131 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/28(火) 08:46:21.00 ID:s7pLCQJp0
→待遇、滅茶良いらしい。

そんな話聞いたことない


132 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/28(火) 08:54:52.19 ID:Bcwxlex+0
待遇→鉱泉宿にしてはよい

の間違いだろw

モバゲーやグリーに行けるほどのスペックはないが、教養のない浅はかな学生が受けるイメージ。
テキヤに就職なんて、親が泣くぞw

133 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/28(火) 19:46:28.88 ID:3XhRBjcDO
後は、そこそこレベル高い大学卒ではある。
が、常識が無いなど、どこか本人に難があって、希望の企業に内定が一つも貰えなくて、ギリギリまで就活してた奴等の収容所なイメージがある。
星野リゾートは。


108 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/22(水) 23:04:08.25 ID:OwPdixyS0
この会社は既得権益が一定の社員の間にあるみたいだね、社長をおだて祭り上げて美味い汁をすい、またなにか面倒なことがあったら、全部社長の責任にして自分だけスタコラサッサと逃げるつもりだろう。

以前の西武の堤がその取り巻きにされたようにね。 会社が大きくなりすぎるとホントやばいね。


110 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/23(木) 08:02:55.99 ID:cUg/AOkQP
>>108
>以前の西武の堤がその取り巻きにされたようにね

かつてのプリンスホテルでは堤社長行幸の際、「社長様が来たぞ〜!みんな〜、隠れろ〜!」と至上命令が発令され、調理スタッフやベットメイク、清掃員などの下働きの汚い連中は近くの物置や空き部屋に閉じ込められて上層部の視線から遠ざけていた。

こういう仕事が出来ないくせに世渡りと口先だけが上手いゴマスリや腰巾着に太鼓持ちやイエスマンたちによって、とうとう豚も木に登ったというわけ。

東京電力もパナソニックもかつての日産自動車もソニー、シャープ、日本長期信用銀行も山一證券も北海道拓殖銀行もみんな社内にはゴマスリとイエスマンだらけで上層部は何も知らない裸の王様だった。

そして福島原発メルトダウンや国内電機メーカー経営不振みたいな出来事がおきて倒産・廃業へめがけて会社ごと坂道を転がり落ちていった。
星野リゾートでも同じようなことが展開されていたら、これがやがて大きなボロとなって、いつかは大爆発するであろう。

その時になってあわてても、すでに手遅れ。


125 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 22:56:14.69 ID:mf4+px1w0
たとえ黒いものでも社長が白と言えば「はい!白いです」と社員が答えるのが会社というものです。

社員の生殺与奪権を社長が握っている以上は。

「何をおっしゃっているのですか、黒いではありませんか」と答えようものなら周りから白眼視され、冷や飯を食うことになるのです。理不尽ですが。

かつてのプリンスホテルでは堤社長行幸の際、

「社長様が来たぞ〜!みんな〜、隠れろ〜!」

と至上命令が発令され、 調理スタッフやベットメイク、清掃員などの下働きの汚い連中は近くの物置や空き部屋に閉じ込められて上層部の視線から遠ざけていた。

こういう仕事が出来ないくせに世渡りと口先だけが上手いゴマスリや腰巾着に太鼓持ちやイエスマンたちによって、とうとう豚も木に登ったというわけ。

見え透いたごますりにホイホイ乗ってしまう社長は、やがて腹黒い取り巻きに愚か者には見えないという服を勧められ、

「とても良くお似合いです!」とゴマをすられて周りが見えなくなっていきます。

このように周りのイエスマンの良いように操られて、会社はおかしな方向へ行ってしまうでしょう。

・・・そして経営不振・倒産・廃業へめがけて会社ごとゴマスリやイエスマンもろとも坂道を転がり落ちていった。

112 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/23(木) 21:40:30.06 ID:VUxGjEqE0
>>110
ごますりの低能の心はゲストとスタッフの方を向いていません
ゲストとスタッフの思いをそのCSを誤魔化して目クラ社長と影のテング専務を騙すことしか考えてない極悪UDども

その最たるが八ヶ岳をボロボロにして逃げた桜の大門
沖縄で非人道的やり口で星野嫌いの憎しみを生産してるそうだが
八ヶ岳に置き忘れた中国ヤクザ癒着のハゲがリゾグループの蛾御を落とし込んでるぞ

118 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 01:47:53.35 ID:ThUwS9hW0
>>112
八ヶ岳でもやりまくってたぞ
買いまくった恨みが煮えたぎってるw
その残党のハゲは人として絶対許されん悪行三昧
UD降りても変わらず反省なし
ならば、思い知らせなくては?
ウラミハラサでオクベキカ


114 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/24(金) 15:22:26.45 ID:pUi/3pPj0
>>112
沖縄八重山に来た彼、
自分が気に入らない人間は、人事や上層部に悪口を叩きこんで、異動させたり、辞めさせたりしているようです。

119 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 08:02:01.32 ID:ThUwS9hW0
>>自分が気に入らない人間は、人事や上層部に悪口を叩きこんで、異動させたり、辞めさせたりしているようです。

小淵沢の伝統だよ、その前に急にほめ殺しの期間がある。
会議じゃ反対意見も出せず、みんなその恐怖政治に怯えてた
ありゃテレビで見て憧れた星野リゾートじゃなかった

そんな訳で独裁者が去り今は平和な八ヶ岳
その分業務はガタガタ
目クラ社長の罪だよな

フラットな企業なんてマスコミ向けだけ
あんなチンピラ香具師がGM出来るなんてな

113 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/23(木) 22:40:37.92 ID:XHoReOwN0
もはや低能バカBombの手におえる状態ではない。

拡張、拡張、また拡張
売りに出るもの何でも買います。←これ堤と同じ

傾いてきたら放置してダメダメダメでまた次の場所。

これではまるで大道芸人大道香具師と変わらんよ。
やがて焼き畑農業のなれの果ては、次に燃やす野原も森もまったく無くて一族郎党餓死するか、はたまたハゲタカに食われるくらいしかないのだよ。

「蟹は体に合わせて穴を掘る」身の丈知らずのオタンコナスだ。

788 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2014/02/14(金) 00:22:32.84 ID:jF3UXF6c0

ハッタリ・カリスマ・ステマ商法に踊らされて通うアフォはごく少数だろう。
B層の進化とともに客足は遠のくばかり。
それでも拡張主義はとどまるところを知らない。

偏狭な田舎がこのようなバカボンを生んだ。

カスケのように田舎のプレスリーでいればよかったものを・・・
そう言えば

「丹波笹山 山鹿のサルが 花の都で芝居する〜」

て歌があったよなwwww


120 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 08:41:06.72 ID:1QOI3Z250
潰れそうなの?


121 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 11:13:55.75 ID:WDSd7E930
潰れそうというより苦しいのです。青息吐息とでも申しましょうか、
アベノミックスはどこ吹く風、何しろゲストが来ません。

経費節減・コストダウンの至上命令は耳にタコができるほど年中発令され、現場は無能UDのパワハラにおびえています。

既存施設は放ったらかしであいかわらず目蔵はあさって向いて模索中。

清掃費や光熱水費、食材費の節約もすでに限界まできています。
もうヤケクソですね。

まぁ○武にしてもヤオ○○はおろか、高瀬○産あたりまで出入りしてる状況だから、ここの状況も推して知るべしでしょう。

これからの時季、マルチタスクのど素人食中が心配。
潰れません、息はしてますから・・・


123 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 20:30:19.09 ID:4k4EkRSs0
大丈夫、つぶれない。
ウェディングで保っているから問題なし。

124 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 22:28:54.04 ID:em9uYOU40
ブレトンのレンタルドレスのひどいこと
古デザインで薄汚れ

すでに時代は変わっている
少子化でウェディングは少なく地味婚がトレンド


126 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/27(月) 05:53:18.92 ID:GegvJgTj0ウェディングも、あれだよね?

127 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/27(月) 08:10:10.82 ID:nGGt+TqFO
レトルトの食事出してることで有名な星野リゾートですが、ウエディングケーキってどうしてるの?
今時の結婚式で作り物(食べれない)のケーキでケーキ入刀ってのは有り得ないが…


134 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/28(火) 22:05:43.60 ID:8RxH2M030
観光庁の若者の旅行離れはけっこう真面目にやってんのよ

鉱泉宿の親父の面倒も見切れない貧相な面構えの卑しい豚が日本旅館を名乗るなよ。
ぼったくりのレトルト伊東園なんかに若者を誘致したら、二度と旅行にいかなくなるぞ。

ほんと、品性は顔に出るね

195 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/25(火) 17:24:17.38 ID:F6h/dPGs0
あまちゃんに出てくる太巻さん(古田新太)が、ここの社長にそっくりだ。
目付きの悪いところとか。
頭薄くしたら、だが。


197 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/26(水) 12:38:27.69 ID:z8BxhkfX0>
>195
ホント人相最悪ね
日本人なの?
辻本婆とも仲よしだし
会社スタッフ管理職
なんかあやしいのよ???

135 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/03(月) 12:40:16.32 ID:DqcjHAUB0
CEOの品性が社風に出るな。どこも。

真心と誠実なおもてなしの精神があってこそ客は満足し感謝してくれる。
そして常連になっていく。

品性下劣でドケチで貪欲な守銭奴からは期待できることではない。
感謝のないさもしい独善家にホスピタリティーは皆無。
高利貸がお似合い。、

177 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/19(水) 07:06:36.21 ID:cXqwE5Bl0
マスコミ評価コントロールがバカボンのお仕事
只今有能社員とお馬鹿な若者社員と入替中
人材不足から脱却して急成長した過去を忘れて人材不足につぶされる


357 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/01(日) 21:19:33.72 ID:Kx7NHLyJ0
VIPや有名人をタダで泊まらせて格付けとハッタリに利用する。
これは二、三流クラスがよく使う手だな。
あとテレビやロケに提供するとか。

そういやどこぞの鉱泉旅館が有名人の宿帳や書付をひけらかしてたな。
だがいかな文人墨客有名人とてあまりに過去すぎて現代人には知る由もなく効果も期待薄。

そこであの手この手の小細工となる。テキヤ商売も時代とともに変化していかねばならないのだ。

358 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/01(日) 22:26:40.00 ID:quSN3/QWi
パブリシティー狙いは、通常のマーケティング手段だけどなぁ〜。
まぁ、NHKなんかで放送されれば、信用度が一気にアップするもんね。
その点、プロフェッショナルでうまくやったもんだと感心するわ。

220 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/10(水) 03:07:16.47 ID:Xfp7tt6a0
大胆な人事改革がなされなければこの会社は腐る
それは社長も解って居る事だろうが出来ないんだな、これが、、、
所詮その程度の経営者ってこと
弟が何とかしろよ

ぼけ老人もやっとオッチンダことだしな
考え足らずのウブドにかまけてるうちに小浜島が悪さしてるのにもきずいてなかろ?

あそこのGMは寝首をかくぞ、並みの悪党じゃないから
眼鏡拭いてよく見るこったな

221 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/10(水) 14:28:18.52 ID:35ZKapLL0
↑すでに組織はガタガタだからな

これが果たして組織と呼べるものなのか?

本部の目が届かないからどこもやりたい放題の乱れよう
客こそいい面の皮だ

目先の体裁やゴマカシにも限界があるからな
マルボーが虎視眈々と狙っているから
さらなる警戒心が必要
リートも前途多難だが乗り切れるのか?
人望の無いGMやUDが多すぎて手に負えなくなってきてるのがイタイね


178 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/19(水) 07:06:45.11 ID:q9TS/cho0
田舎の旅館なんてどんぶり勘定でやってきた前近代的なとこ多いから三流の経営者でも乗り込めばなんとかなったのよ。

それが、再生の達人とかいわれて天狗になって、身の程知らずの拡大に乗り出した結果 本丸を売りに出すような状況になった。

井の中の蛙のほうが幸せだったかもわからんね。バカボンも、若い子も。


137 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/03(月) 19:52:16.79 ID:Q3u8V8SX0
死者に打つようだが、カスケが無理してバカボンを身の丈にあわない学校にやったのが悪いのだね。

首相と同じ学校にでもいって、田舎のドラ息子ライフを満喫していたら、鉱泉宿のバカだが多少金払いはいい世継ぎとして地元で愛され、本業は番頭にまかせて、猟友会でのびのびできたかもしれんなw


138 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/03(月) 20:55:00.70 ID:IAaeHxRI0
あんなに親の死を喜ぶ兄弟っているだろうか?
鬼畜の所業!

13 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/19(金) 01:33:53.03 ID:nl/zNvH20
嘉助のこと

死因は血管系だったらしい。
一人暮らしの北軽井沢大学村の自宅ベッドから落下して死んでいたという。

第一発見者は掃除婦だったそうだが、発見時にはすでに死亡していたらしい。

奥さんらとは何十年も前から別居していてすべて東京暮らし。
嘉助は一人暮らしでほとんど家族との交流もなかったそうだ。

先代も相続をめぐって塩壷温泉と長期にわたる大裁判をやった。
よって金はすこぶる乏しく、薪炭代にも事欠くほど汲々としていたそうだ。

バカボンとて、かなり無理した口であって、決して有り余る資産家の大ブルジョアの子弟でもないのだ。
そのハングリーさが、あの積極性と元気の源なのかもしれない。
それを東京の慶応付属中等部からエスカレーター進学、卒業後はアメリカへ私費留学までさせた。
教育のかいなくいつの間にか大勘違い野郎になってしまっていたということだ。
このケースは珍しくはなく、中小企業ではよくあることだが・・

ついに家業をリートで売り飛ばす。
嘉助も誰にも看取られず孤独のうちに死んでいった。
調理は家では一切やらず、あちこち食べ歩く外食だった!
食事は偏りがちで、食べたり食べなかったりも珍しくはなかった。
北軽井沢界隈の食べ物屋では知らない人はいなかったという。
あげくのはてに人里離れた冬の別荘地で孤独死とは!かわいそうな嘉助。
何という不幸な人生なのだろうか・・

一説に死因は栄養不良に起因する突然死だろうとも・・

ほっとしてるのは、交通事故常習の懸念先がひとつ減ってくれて安堵した地元警察署くらいか。

とんでもな裏事情を書いてしまった。
まだまだいくらでもあるが、これ以上は書かない。
すでにこのレスでスレごと消されるかもだしな。
星野リゾートの将来やいかに・・・


263 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/25(木) 13:08:53.91 ID:v9FzLay50
カスケの件

この冬に孤独死したカスケ
中之条かと思いきや遺体は北軽井沢から軽井沢に降ろしてひっそりと火葬
カスケの住いだった小さな家も車もいまだそのまま放ったらかし

あれからもう半年なのに考えられん神経
遺体の第一発見者はカスケ行きつけの食堂の娘だったという
検視に司法解剖とかなり大ごとだったらしい
こんなことでええんかい・・・合掌

15 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/20(土) 06:59:54.45 ID:peltOsJQO
なんだか淋しい晩年ですね…。
親を大切にできない人がお客をもてなすことが出来るのかな?
いくら優秀な社員がいたとしても…


387 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/10(火) 12:43:36.05 ID:zX2h/NsD0
・変死したカスケの北軽大学村の屋敷はいまだに放置されたままだ。割合に大きな家なのに愛車もろとも放置され風化している。まもなく最初の冬を迎える。

・事件後は誰一人訪問せず朽ち果てるのみだ。信じられない非情さ。

・このあたりの極端な愛憎の激しさはとても日本人とは思えない。

・カスケは元軽井沢観光協会会長でもありピッキオ主宰の知名士でもあった。

・確かにバブル崩壊後は経営に行き詰まり四苦八苦の時期もあり旅館も閉めたが、それにしても徹底した排斥ぶりだ。


388 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/11(水) 07:18:41.36 ID:L1atvyp10
バカボンの親族パージは地元ではいまだに語り草らしいが、どんなもんだったの?
むかーし、ブレス豚いたひとに少し聞いたが

392 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/09/14(土) 01:27:42.09 ID:t0ehUd7Y0
>バカボンの親族パージは地元ではいまだに語り草

バカボンの親族追放は従業員解雇を含みすさまじいものだった。

どの親族も資金繰りにつまり瀕死の状態だったわりには自己主張が強くお互いを憎悪しあって往生際は最悪だったと聞く。

代々カネはなく借金まみれで常に汲々とした経営状況であったようだ。
それなのに相続争いは毎回壮烈。

先々代から温泉にこだわりすぎて最後には西武(千ガ滝温泉)に敗北するなど結果は惨憺たるものだった。信州の片田舎にしてはある程度の教養人でもあったのに、 頭でっかちのところもあり、必ずしも経営の達人ではなかったようだ。

この辺のDNAはいまだ健在。バカボンも前車の轍を踏まなければいいが・・・
親族パージは死人こそ出てないがなぜか八墓村を連想してしまうのは私だけだろうか?

詳しい話は複雑すぎてとても書ききれないが、あの時けんもほろろに強引解雇された従業員たちの恨みの念は恐るべきである。

「私たちも残って頑張るからぜひ再起させましょう」と、全員団結して言ってくれたとかいう話はウソ。


16 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/20(土) 09:41:50.48 ID:5o5NJcHe0
親父の面倒もみきれないバカボンが社員は家族といったところで、誰も信用しないわなw

憤死っていう言葉がぴったりなんじゃないかね。

メンダイの名前はそのままで、「星のや伊東園」なんてなったら、死んでも死にきれんよなぁ・・・・
ってもう亡くなってるけど。

18 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/20(土) 19:41:19.00 ID:FudTXC99O
CS評定で各種全て一番良いの評価で大満足でお帰りになった客のリピート率って高いのか?

んなこたぁないと思うのだか…(どんなに旨いラーメン屋でも何回も行きゃ飽きる)
にしても全国各地に「界」が出来てチェーン店みたいで安っぽくなっちまったなw


19 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/20(土) 22:17:19.77 ID:jGaI4RDR0
社員は家族???
笑わせんなよ、そんなキレイ事、だれが信じるかよ。

新興宗教の教祖や幹部クラスは、真摯に拝んでるヤツなんて
ひとりもいないよ。

社員やゲストを信者に見立てた確信犯的やりかたのカネ儲けさ。

だがしかし、REITで本拠地のすべてを売り払ったら あとが大変なことになるのは、日を見るより明らかじゃん。

雇われ社長だし、いつ何時クビにならないとも限らない。
変死ではあったが会長の死にはまったく触れず。
親をないがしろにした報いはこれから払わされるのかな?


192 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/06/24(月) 23:54:07.92 ID:xFZy8g6+0
つい最近十和田湖グランド泊まったら、汚ないかんじで不快だった。
建物の老朽化ってことじゃなく、季節はずれの枯葉が入り口とフロントの間に落ちてるんだ。

3階の部屋で畳は古くなかったけど、上にはクモの巣が張ってる有様。
風呂に入って浴衣を羽織ったらこれがまたステキに干し方を誤ったスルメと言わんばかの皺加工。

少なくとも「グランド」って看板から外すべきだよ・・・迷惑だし外国人観光客にも恥ずかしいから。

31 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/23(火) 03:11:28.36 ID:ULYlpHFFO
軽井沢行ってあまりの貧乏臭さに笑ってしまいました。


33 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/23(火) 18:55:42.22 ID:ApChhiO30
二度と利用したく無い宿です


39 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/25(木) 08:44:26.89 ID:HLjfqiS+0
軽井沢はほんと最低。
レストランはぼったくり感万歳だし。

58 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/01(水) 22:16:42.63 ID:8imFPs930
軽井沢はしょせん観光地
そこにカモを待ち受ける香具師やテキ屋
通年型の高級名旅館や料亭とはまったくの別物
観光地のスレッカラシ共と混同してはならない

中には利口な来訪者もいて、それと知りつつ割り切ってるが大半が騙されるね
観光で食ってると年々タチが悪くなって、ゴマカシ、ダマシ、ボッタクリ、インチキ、なんでもござれのカネ取主義になっていくヤツがほとんど
商売としては必ずしも素性のいいものではない

近年軽井沢にはおかしなヤツが多くなったね
自称文化人や選民意識のかたまりのような左巻きが増えてなんにでも噛み付くイヤな町になった

平凡な普通人には向かない地域になりつつある
そこへあのホシノだもんw


62 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/03(金) 05:50:28.27 ID:ZwOebUvU0
軽井沢は一泊はだめで二泊以上じゃなきゃ泊まれない。
有り得ないだろ・・・・・


63 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/03(金) 11:39:42.00 ID:LlK4TMQ50オープン当初は5泊からじゃなかった?


65 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/04(土) 19:04:04.32 ID:EYF74FtN0
>>63
確かにそのとおりだったけど、すぐ引っ込めて嘲笑をかった。
それで二泊以上からとかうそぶいてたが、現実には一泊でも取ってるじゃん。
どんなに偉そうに構えても客が来なけりゃそれまでのこと。そうでしょ?

>>64
観光業、観光地なんて、しょせん、ヤシ、オゲ、テキヤ、しかいません。
だから、なまけ者や不良がいとも簡単に集まりやすいのです。
そんな荒っぽい業種の中にも、きめ細かく神経を使い、誠心誠意サービスを尽くす名旅館や一流ホテルはあります。

長年の伝統と信用を重んじ、深い教養と知識に、心をこめて接待する姿勢こそが、 一流が一流たる所以なのです。

料金だけはどこにも負けず一流ってのはどこの話なの?ww

47 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/30(火) 20:28:59.52 ID:IxRQeldC0GW
クソ高い値段で界に泊まったんだが、最悪だったよ。

学生バイト?みたいな接客下手くそなのばっかり。

料理も冷めてるの出されたり、風呂の脱衣場は髪の毛だらけ。

星のやも、こうなの?


48 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/30(火) 22:40:07.78 ID:CfhGTAxf0
星野グループ早く潰れてくれよ!
日本の恥じゃ!!!

49 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/01(水) 06:06:52.07 ID:AVDHqGCf0
都内一流ホテルの接客を見習ってほしいなあ。


51 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/01(水) 10:02:40.68 ID:V59LxCmC0
出入り業者を甘く見すぎたな
恨みを買った全ての連中がマイナスイメージ発散のネガティブコマーシャルを展開してるから足元から救われるぞ
その辺を考えられるUDがいないのさ


34 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/23(火) 23:05:24.80 ID:CmtG4emM0
知り合いのオバサンたちが新聞で見つけたトライピックススの安いツアーで星野リゾートの各地の旅館にいってるよ。
安い団体客とるなんて、終わってるよね。

36 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/24(水) 22:55:39.95 ID:nv9w5KCE0
>>34
安い団体客とるなんて、終わってるよね。

はい終わっています 修学旅行もガンガン取っていますから
今じゃ、伊藤園グループか星野かと言われています。
何たって修学旅行だから伊藤園以下かな?


37 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/24(水) 23:01:40.49 ID:Wj4//FNF0
えっ 修学旅行?
それは、もう行けないね。


38 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/25(木) 07:43:35.51 ID:bSYLkYt00
レトルトだから食中毒の心配もないし、内装も安いんだからいいじゃないか!
ジャリ宿でも儲かればいいのだ!


40 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/25(木) 10:23:45.88 ID:amZOOxBi0
>>38
でも、部屋のトイレ掃除とか大浴場掃除した人が、レトルト盛り付けたり、刺身切ったりしてるんでしょ?
食中毒位あってもおかしくないね。


41 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/25(木) 10:42:29.79 ID:zbRegsdU0
>>40
マルチタスクってそういうことですよねw

42 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/25(木) 21:12:49.00 ID:+vu9gAZ7O
掃除人をなめるな!ゆとりどもが〜


46 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/04/27(土) 11:04:54.74 ID:sC5816010
>>36>>37
東北大震災難民を、福島県内の閉鎖施設に一人1泊3食2500円でしぶしぶ
受け入れたが、これが意に反し結構良かった。
稼働率を気にするより、安くとも毎日コンスタントにルームが満杯になるほうが商売としては安泰なのだ。安価な食材をうまく提供するのはお家芸だから問題ない。

福島で薄利多売の味をしめたのと、ほぼ遊休施設(開店休業状態)の活性化対策として ジャリ宿に踏み切ったと思われ。

もうすでに、業界のドン・キホーテ安売り王と化している。
これが本質なんだから速攻二の線をやめたほうがよっぽどお似合い。
しょせん田舎の鉱泉宿で季節商売。
どうしてこの種は、二の線ねらいのブランド好き文化人気取りが多いんですかねw


716 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/12/29(日) 21:41:29.58 ID:Oe4CN1CiI
ここの板って、連休・休日になるとうすくなるよね。
やっぱり社員の書き込みが多いのかな。
休みは忙しいもんね。

117 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/05/26(日) 01:46:22.37 ID:4PRlBbmG0
このスレ関係者いるから読み応えがあるな

199 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/03(水) 15:09:27.63 ID:e6CiSm4h0
毎年軽井沢行くけど
凄い満足して帰るんだけど
色々ややこしいのか?

200 :宿無しさん@お宿いっぱい?:2013/07/03(水) 21:14:54.16 ID:auzF5p4JO
いえいえ、お客人に関係ないこって…(笑)
満足してるならよかった。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/hotel/1365783192/



45. 2014年3月21日 21:02:39 : 2D6PkBxKqI


Yuiruさんの口コミ ( 男性 ) '14/03 訪問

新しい料理長に期待!

30年以上勤めあげてきた料理長が辞めて、その下で働いていた方が現料理長に就任。
あさばの歴史を築きあげた前任者に代わるプレッシャーは相当なものであると想像できる。
半水盧しかり、料理で名を馳せた旅館であればなおさらである。

あさばの場合は料理人の世代交代による劣化の心配はなさそうだ。

(このご時世にバブルの時代の様なクオリティの料理を期待するのは酷というもの、指月や蓬莱(現あさば副支配人を含め何名かがあさばに移籍)などの名旅館が相次ぎ経営難に陥り、その歴史に幕を下ろしたのだから。)

そんな中、あさばはあさばの料理としての最低限のクオリティを保ち続けている。
(少なくとも料理においては現在もあさばが東の旅館で随一であると断言しよう。)

竹の子薫のり揚げ、平目のお造り、太刀魚のお椀、穴子寿司などの定番に加え、伊勢海老の酒盗あえをご飯にのせてハマグリの鍋汁をかけていただくという意欲的な新メニューも頂けた。
デザートのポンカンのゼリーも絶品だった。

新料理長はあさばの料理の真骨頂である、選び抜かれた最高の素材(今回もシイタケ、ハマグリなど素晴らしかった)をシンプルな調理法で提供するというスタイルをキチンと継承しつつ、さらに若い感性の料理にもトライできる非常に才能あふれる人物と感心した次第である。

個人的に今回の料理で印象に残った物は焼いた鰆。
生涯で一番の鰆だった。
(artistMさんも書かれていたが素材、調理共に完璧。)

あさばの料理の凄さはそのシンプルさにある。
実はこれが一番むずかしい。
まず素材が超一流でなければならないし、料理人としての自己顕示欲を捨てなければいけないのだから。
(昨今の自己顕示欲丸出しのタレント料理人は料理が客の為の物だということを忘れている哀れな輩ばかり。)

高いポテンシャルを持つであろう新しい料理長には、是非その境地を極め前任者を超えて頂きたいと切に願う。
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/6111683/


46. 中川隆 2014年5月11日 11:35:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

あさばの新料理長はアホ?


あさば - 新参者 2014/04/09 (Wed) 17:43:49
春の藤の間、レポートありがとうございました。
とても綺麗に桜が見えるんですね。
私も藤の花が咲く頃に行こうかなと思っていたのですが
今回のお料理を見て、ちょっと考えてしまいました。

問い合わせたところ伊勢海老の出汁で蛤を鍋してあるみたいです。
5月下旬の鮎監禁シーズンまで春のお料理だそうで。
悩みます。


Re: あさば - あびたろう 2014/04/09 (Wed) 22:29:18
藤の花が咲く頃の「藤の間」は素敵だと思いますが、先日の夕食はお薦めできませんね。

「あさば」の料理は変わり映えしないとの批判がありましたが、それはそれで極めて完成度の高いものでした。
それ故に、新作の不満が高いのです。

本当に悩ましいですね。


Re: あさば - 秀 2014/04/10 (Thu) 23:27:30
新しいお料理、残念でしたね。
大きい蛤ももったいないですね。
もっと改善されるのを期待します。



Re: あさば - あびたろう 2014/04/10 (Thu) 23:54:30
代替りをすると、自分の色を出そうと妙に力むタイプの人間もいるようですが、あさばの料理の良さは何かということを充分認識して欲しいですね。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7526148

_____

あさばのエアコン - 玉蘭 2014/04/18 (Fri)
http://bbs8.fc2.com//bbs/img/_352000/351968/full/351968_1397823911.jpg

あさばにはだいぶご無沙汰しているのですが、先日、他の方のブログで萩の部屋を見たところ、広縁に普通の家庭用エアコンの室内機が取り付けられているのを見て少々驚きました。

ケンとエリーのお出かけ日記 あさば
http://tamaken.seesaa.net/category/12384424-1.html

ケンとエリーのお出かけ日記−2 あさば 2回目
http://tamaken2.seesaa.net/article/394227364.html

あさばの空調といえば、室内の様々な場所に隠れたスリットがあり、外気を給排気する素晴らしいものと思っておりましたが、あのような無粋なものが付くとは?

 以前、松風や撫子に泊まった時には、そうしたものはありませんでした。今回のあびたろう様の食事の件といい、若女将に代わってから内装のセンスを含め、変わってきたのでしょうか。残念です。


Re: あさばのエアコン - あびたろう 2014/04/18 (Fri)
萩の間の室内機ですか・・・・
どこに置いたのか、想像もつきません。
私が泊った時は、広縁の段差の所に吹き出し口があったのですが。

食事は残念でした。これまでの「あさば」の料理とは異質でしたから・・・・  


Re: あさばのエアコン - 玉蘭 2014/04/18 (Fri)
エアコン室内機が付いたのは、本間から庭を見て右側の広縁の壁上部、すなわちはなれ天鼓側だったと思います。取り付け位置からして、夏季の冷房能力向上かと考えられますが、見た目ちょっと、、です。あびたろう様の藤には無かったようなので、萩だけでしょうか。


Re: あさばのエアコン - あびたろう 2014/04/18 (Fri)
添付の写真の右上の場所でしょうか。
http://bbs8.fc2.com//bbs/img/_352000/351968/full/351968_1397832492.jpg

もしそうだとしたら、素晴らしい萩の室礼も台無しですね。



Re: あさばのエアコン - 玉蘭 2014/04/19 (Sat)
添付の写真ですと、右上に移りこんでしまいますね。萩の広縁の屋根(天板?)は庭に向かって傾斜していますが、その下端となる庭側から30センチくらいに寄せて側壁最上部に付いています。そのブログの方は、昨年6月に訪問となっていました。


Re: あさばのエアコン - あびたろう 2014/05/03 (Sat)
玉蘭さんから教えていただいたブログでは

>今回あさばを訪れたのはお盆過ぎの8月19日のこと。

ですので、無粋な室内機を設置したのは大急ぎだったと思われますが、問題は、いつまでそのままにしておくかですよね。

「萩」に、あの室内機は、あってはならないものです。
「萩」の良さが台無しになってしまいます。

料理は、どう変わっていくのでしょうか?
「蓬莱」が無くなり、「海石榴」も無くなってしまったこの頃、「あさば」の料理まで変な風になってしまったら・・・・
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7537018


47. 中川隆 2014年5月11日 13:38:28 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

「あさば」は、お気に入りでしょうか?

塾長がご利用される前(5年くらい遡り)は、今とは比較にならないくらい良かったようです。

ご利用以前の「あさば」を知らなければ比べようがありませんが、、
ぜひ「俵屋」にも足をお運びください。


投稿者:ミューズ|2014年3月 3日 02:34
http://www.gaitame.com/blog/sakoh/2014/02/post-27.html


48. 中川隆 2014年5月13日 23:32:35 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

 十六夜 : 2014/04/10 (木) 01:18:02 
あさばは長年勤めた料理長さんが定年で若い方へ代わられたとうかがいました。
お写真を拝見してても思いましたが、あの素晴らしいお料理が変わって行くのかと思うと寂しくもあります。

 あびたろう : 2014/04/10 (木) 20:20:06 
料理長さんが交代されたのですか・・・・
道理で今までとは違ったテイストの料理が出てきたと感じたのですね。

昔の蓬莱旅館のように、代々受け継がれていく料理の方針で行くのか、
それとも、料理長の個性を活かした料理となっていくのか・・・・

これまでの「あさばの料理」が大好きだったリピーターにとっては、一大事ですね。
感動させることのできる料理人は、ほんの一握りの天才だけだと思います。
変わらないことを祈りましょう
http://puiko2000.blog27.fc2.com/blog-entry-451.html

あさば 2014年3月

献立

食前酒は「菊姫にごり酒」
食前酒


黒龍純米吟醸
少し甘いが、上品な美味しさです。
黒龍


竹の子煮
鰹節の香りが少しばかりきつく感じました。


左から、蕗味噌・竹の子木の芽和え・卵焼き・アスパラベーコン巻・鮑・そら豆甘煮
どれも、手抜きの無いしっかりした味がついています。


やや強めの鰹出汁が、太刀魚にぴったりと合っていました。
あさばらしい、素晴らしい椀物。


アオリ烏賊に山椒の実を包んで食べるのもなかなかの味。
平目は、とても甘い。
造り


焼き魚も美味しい。
ここまでは良かったのですが。
むつ


飯蛸もジュレも、平凡な味。


これは鄙願、やはりこちらのほうが美味しい。
酒2


大中寺芋が甘く、煮汁も甘すぎました。
貝柱の味は普通。


定番の穴子黒米ずし
すし


鍋物は、新作と言っていました。


海老の殻でしょうか、甲殻類の味が強すぎです。
驚くほど大きい蛤。
せっかくの蛤の優しい味に、甲殻類の出し汁は合わないと感じました。
足し算の味の欠点だと思います。


伊勢えび酒盗あえ
無くもがなの一品。
えび


鍋の汁をご飯にかけるとのこと。
飯蛸からここまでは、期待外れでした。
新しい挑戦は難しいですね。
http://puiko2000.blog27.fc2.com/blog-entry-451.html



49. 中川隆 2014年5月14日 21:00:27 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

ベンチがアホやから料理がでけへん?


料理の味付けを決めるのは料理長ではない

石葉(湯河原)

日本におけるミシュランの評価が信頼に足りうるものか、意見の分かれるところではありますが、とにもかくにも2011年から「☆☆」を取っている料理です。

☆☆とは関係なく、「うち山」時代から中田氏の料理は大好きです。

追っかけをしていると言っては大袈裟かもしれませんが。

今回は、以前より渋めの感じ。

鰹出汁が多かったようですが、帰り際に出会った中田料理長は「少し前に良い鰹節があったので買い込んだ。そのことが影響しているかも。」との答えでした。


コメント


 下がり藤 : 2013/02/19 (火) 23:27:53 
あさばの料理は季節ごとで完成された定型料理が多いですが、ここは遊び心が入った料理をいつも出してくれるような気がします。

 あびたろう : 2013/02/19 (火) 23:58:20 
あさばの料理は定型料理でつまらないという声もありますが、反対に、この時期にはこれを食べることができるという楽しみもありますよね。
指月や蓬莱や海石榴が無くなってしまった現在、熱海〜湯河原で美味しい料理を楽しめる最後の砦になってしまいました。


 Pockie : 2013/02/20 (水) 00:09:51 
「石葉」は評判の料理宿として以前から気になっているところです。お写真を拝見すると、ちょっとあさばを彷彿させる凛としたシンプルさを感じますね。もう少し繊細なあしらいもあるので、ちょっと違うのかもしれませんが。

湯河原は近いようで遠い微妙なところです。都心からあっという間なんですが。まあ東京から近いとお値段も少し高めなので、ついつい・・・。

同様に料理で評判だった「指月」がなくなって、こちらと比較したりしていましたが。湯河原は「海石榴」しか行ってないので比較できないのですみません。


 あびたろう : 2013/02/20 (水) 00:36:12 
「あさば」は昔の「海石榴」(野口グループの傘下になってからはわかりませんが)と同じで、しっかりとしたレシピが出来上がっているように思います。

「石葉」は「指月」と似ていて、料理長の個性で調理されているような感じがしています。

「指月」は、島林親方あっての「指月の料理」でしたし、「石葉」は中田料理長あっての「石葉の料理」ですね。

島林親方の遊び心はとても楽しかったし、下がり藤さんがおっしゃるように中田料理長の遊び心やセンスは素晴らしいと思います。
中田料理長のおられるうちに、是非訪れてみてください。


 あびたろう : 2013/02/20 (水) 12:40:01 
「石葉」には女将が飼っているチャッピーという元野良猫がいるらしいのですが、部屋からまったく出ないそうです。

「蓬莱」では野良猫をスタッフで世話していたのですが、「界熱海」になってから禁止になったそうで、そのことからも「界熱海」の印象が悪くなりました(笑)
実際には内緒で世話をしているらしいのですが(笑)

 寒水仙 : 2013/02/21 (木) 20:30:46 
いつも心に秘めていることを言わせてください。
石葉の時だけ、「料理長」を基準になさるのはおかしいです。料理を高く評価されているあさばには、料理長がどうこう、とは一度もお書きになっていません。

 あびたろう : 2013/02/21 (木) 23:07:07
石葉の中田料理長の件ですが、あさばは料理長の存在よりも、あさばの料理というものが出来上がっています。

料理長が代わってもあの味は続いていくと思います。

蓬莱もそうでした、熱海の蓬というお店で先々代の料理長とお話ししましたが、料理長の味というよりも代々受け継がれてきた蓬莱の味というものがあると言っておられました。

雲仙の半水盧も石原料理長から佐々木料理長に代わられましたが、味は京都吉兆のままでした。

その他料理が大好きでリピートしている俵屋は黒川料理長の料理でしょうが、別の料理長はまだ知りません。

石葉は中田料理長の先代の味はまったく違いました。伊豆高原の「おやど・うち山」での中田料理長の料理とまったく同じです。

ということで石葉の料理は中田氏の料理そのものと言って良いと思います。中田料理長が辞められたら、その後は訪れないかもしれません。私が石葉へ訪れるのは、中田氏の料理が第一の目的なのです。

あさばは現在の料理長が代わられても訪問するでしょう。もし仮に料理が変わったとしても。

はじめまして 万結子 : 2013/02/27 (水) 18:20:59 
私も今月、石葉さんにお邪魔して、同じものをいただきました。
どれも美味しかったのですが、最初のふきのとう豆腐の上の
ふきのとうのから揚げが印象に残っています。

お部屋係の女性も同じ方でした。お若くて一生懸命なところが好印象でした。
あまりにもお食事が美味しくて感動したので、5月の結婚記念日にまた予約しました。

去年は界 松本(2回)年末に界 熱海にも行きました。

蓬莱の時はお邪魔したことがなかったので、そう言うものなのかと感激して帰宅したのですが、先日、界箱根の紹介番組を観ていたら、界熱海でいただいた椀ものと全く同じものが出ていて、びっくりでした。
そうか・・・グループということはそう言うことなのかと思いました。


 あびたろう : 2013/02/27 (水) 20:59:23 
蕗の薹のから揚げ、本当に美味しかったです。
部屋係の女性、数ヶ月前に来られたそうですが、一生懸命で感じ良かったですね。

界熱海(蓬莱)の古谷女将が、

「昔は、私と料理長の二人で相談して献立を決めていたのだけど、界熱海になってからはコンピューター管理で、献立が決められてくるんですよ。
料理長はそれが嫌で辞めてしまった」

と言っておられました。

私としては金太郎飴のような料理より、素晴らしい料理人の味を求めて旅をしたいと思っています。
高級料理だけでなく、田舎の地料理でも素晴らしいものは美味しいと思います。
そういうお宿も探したいと・・・・

こんばんわ 塚ファン : 2013/05/26 (日) 22:31:29 
そうですか、、。蓬莱の女将さんに、うちの主人が辞めた理由をお聞きになったのですね、、、。

主人は、根っからの職人で、本部から送られてくる、真空のお料理の最後に、料理長として、自分の名前が載ることが嫌で、辞めました、、、。

今は、蓬莱の時のように、原価はかけられませんが、それでも、少ない予算のなかで、少しでも、季節感のあるもの、おいしい物をと頑張っています。
私としては、原価を考えず、思いっきりうでをふるってもらいたいのですが、、、、。

あびたろうさんには、すでにご予約をいれていただき、ありがとうございます。
歯に衣きせぬ、ご感想もお願いしますね。
      蓬

 
 あびたろう : 2013/05/26 (日) 23:10:57 
塚ファン さん、こんばんは!
ご主人のお気持ち、良くわかります。

「蓬莱」のお料理と 「界熱海」のお料理は、まったく別物でしたから。

いろんな割烹へお伺いしていて、「この大将に、原価を考えずに・・・・」と思うこともあります。
仕入れの関係から、どちらかに絞らざるを得ないと思いますが、いつの日かは

「原価を考えず、思いっきりうでをふるってもらいたいのですが」 

夢が叶うと良いですね。

昼・夜と、お伺い出来そうです。
夜の時は、ヴィラデルソルで片泊まりになりますが、古谷女将にもわかっていただけると思います。

夏の北海道旅行でこのブログを閉じようと考えていましたが、9月の「ヴィラデルソル」&「蓬」が最終回となりそうです。
お会いできる日を楽しみにしています。

こんにちは。 万結子 : 2013/05/29 (水) 10:52:59 
2月に続き、週末に石葉さんへお邪魔してきます。
1日目か2日目になるかはまだ決まっていませんが
あびたろうさんがおすすめされていた、熱海の蓬さんにも伺いたいと思っています。
蓬莱で腕をふるわれた方のお料理、食べてみたかったのです。
とっても楽しみにしています。

 あびたろう : 2013/05/29 (水) 12:14:35 
「蓬」さん、是非訪れてみてください。
かつての蓬莱旅館の味に触れることができると思いますよ。
それから老婆心ながら、お電話されて行かれた方が良いかと。
せっかく行って満席だったら、目も当てられませんから(笑)
http://puiko2000.blog27.fc2.com/blog-entry-381.html

____________


蓬 (熱海)

界熱海(旧蓬莱旅館)を後にしたタクシーの中で、運転手さんが

「先々代の料理長がやっている小料理屋があるよ」

と教えてくれました。遅めの朝食でお腹は空いていなかったのですが、もう一度あの蓬莱の味を食べたいと、そこまで送って貰いました。
そのお店は熱海の中心街の小路を入った所にありました。

「蓬」、間違いなく古谷女将の字です。
店の名前も「蓬莱」からとったのでしょう。


カウンターと小上がりが4部屋。
こちらを向いているのが蓬莱の先々代料理長です。


メニュー
これも古谷女将の字です。
中の字は違うようです。

私は刺身定食を頼みました。
一目で、蓬莱のツマとわかりました。

刺身のアップ。
良く吟味されたネタです。
鯵も懐かしい味。

豚角煮のアップ。
とても美味しい角煮でした。

蕪蒸しの出汁は鰹優位の関東風。
相方が頼んだ単品の天麩羅。
天麩羅に付いていた酢の物。
これ以外に蕪蒸しも付いていました。


間違いなく蓬莱の味でした。
蓬莱ほどの高級食材は使われていませんが、本当に懐かしい味でした。
アップしていない白和えや味噌汁も蓬莱の味でした。
昨日の夕食より遥かに美味しい。
大将の話では、古谷女将は時々御夫妻で訪れるとのことでした。
機会があったらまた来たいものです。


コメント

 みみん : 2012/11/20 (火) 01:45:42
界熱海(旧蓬莱旅館)へ行かれたのですね。
界熱海、やはり想像通りになっていましたね。残念です。
星野リゾートは、料理を全て一括の場所で生産して全国に冷凍配送していて、鮮度が命のお造りなどは現地で切ったり盛ったりするそうです。 それを知ってからは、人気があっても興味が無くなりました。

宿を再生させていくにはコスト削減で仕方ないのかも知れませんが、やはり人間にとって食事は大事ですし。
旅に出て一番の楽しみでもありますから。
蓬莱はずっと憧れていた宿だったので残念です。


 あびたろう : 2012/11/20 (火) 20:41:18 
大好きだった宿が、大手グループに吸収されていくのは寂しいかぎりです。
九州の「界ASO」も、なかなか良い宿でしたが、「界阿蘇」になってしまいました。
http://abitaro.com/aso/aso.htm

驚きだったのは奥湯河原の「海石榴」が野口グループの傘下に下っていたことでした。
ここの五十嵐料理長の料理も、やや関東風ではありましたが、引き算の料理の見本となるもので好みでした。

料理の美味しい本当の高級宿がだんだん少なくなり、旅行のモチベーションも下がりつつあります。

2月には「石葉」を予定していますが、ここも中田料理長がいつまでおられるか不安です。
旅行も宿も、一見無駄に見えることが本当の贅沢だと思えるのですが、無駄を省いたものは味気ないですね。

 あびたろう : 2012/11/20 (火) 20:54:36 
「蓬莱」の先代の料理長は熱海駅前のビルの中にある饂飩屋さんを手伝っているという話を古谷女将から聞きましたが、その饂飩屋さんは現在休業中とのこと。
それ以上詳しい話は聞けませんでした。
先代も頑張って自分のお店を出して欲しいものです。

「蓬莱」の料理は「あさば」や「海石榴」と同様に、料理長個人の味でなく宿の味ですから、「蓬」で味わえたのは地獄で仏でした(笑)

決して華やかではなく極めてシンプルな味ですが、ほっこりするような味で、しみじみ美味しいです。

 あびたろう : 2013/05/18 (土) 15:05:55 
蓬莱さんは、「俵屋」さん、「あさば」さんと、私ども夫婦にとって日本のお宿のベスト3でした。

特に蓬莱さんの夕食・朝食は、ある意味、日本料理の神髄だと思っていました。
界熱海になってあの料理を食べることができなくなり、夫婦ともども大きな喪失感を覚えていました。しかしタクシーの運転手さんの機転でこのお店を知ることができたことは、神様のプレゼントのような気がしてなりません。

大好きだった蓬莱さんの料理を、これからも味わうことができる。
これからも、熱海を訪れた際にはできるかぎり訪れたいと思っています。
これからも、宜しくお願い致します。
http://puiko2000.blog27.fc2.com/blog-entry-363.html


蓬 よもぎ 【旧店名 さいとう】 - 来宮-魚介料理・海鮮料理
http://r.gnavi.co.jp/na03725/
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220502/22009802/

静岡県熱海市清水町12-5
TEL : 0557-82-4147

営業時間
11:00〜14:00(L.O)
17:00〜21:00(L.O)

ランチ営業、日曜営業
定休日 水曜日

アクセス
JR熱海駅 車5分
JR熱海駅 徒歩20分
来宮駅から722m
清水町のバス停から2〜3分


地図
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220502/22009802/dtlmap/
http://r.gnavi.co.jp/na03725/map/


50. 中川隆 2014年5月14日 23:18:55 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

Re: あさば・・・ - あびたろう 2013/06/06 (Thu) 23:41:21
蓬莱が無くなって残念ですね。
秋に、ヴィラ・デル・ソルに片泊まりして、元料理長がやっている「蓬」という小料理屋さんで夕食をする予定をたてています。
北斗七星さんも機会がありましたら是非「蓬」へ行ってみてください。


Re: あさば・・・ - 北斗七星 2013/06/08 (Sat) 00:17:56
「蓬」今年の初めに行ってきました。
確かに、蓬莱の雰囲気を感じさせる美味しい料理でしたが、蓬莱に泊って客室で食べる蓬莱の料理が好きだったので、やはり違うなぁと感じました。

あさばの翌日は、23回目のヴィラ・デル・ソルへの宿泊でした。
ここのフレンチは、いつ、食べても、今まで食べた、どこのフレンチよりも、私の口に合います。
この味だけは、星野リゾートに吸収されても、変わりませんね。
涙が出るほど嬉しかったです。

いつも、デザートが運ばれてくる間に、若き天才シェフ(私はそう確信しています)金野氏が挨拶に来てくれるのですが、今回は母の誕生日と言う事で、サプライズも用意してくれて、大変、感激いたしました。

また、チェックインの際、迎えてくれたのが、元蓬莱の女将・古谷青游さん!

優しい品の良い微笑みを湛えながら、「いつも、いらっしゃって下さって、ありがとうございます」と挨拶を受けました。
どんな美しい女性のお出迎えよりも嬉しかったです!(* ̄∇ ̄*)テヘッ
お元気で(お美しいままで)、本当に良かったです。

ただ、朝食は、星野色を少々、感じさせられました。
以前は、日本一美味しい洋朝食と感じたのですが・・・

また、2・3年前にソムリエの比嘉さん(体の大き男性)が辞められて、料理を伝える「美味しい言葉」が感じられなくなったのも寂しいですね。

グラスワインも赤・ロゼ・白・シャンパン、それぞれ一種類ずつしか用意されなくなったのも、星野流なのでしょうか。

あびたろうさんのレポートで、蓬莱に泊りたいという特別の気分は失せてしまいましたが、あの個性的な2つのお風呂に入れるのは極上の時間ですね。

眺めが広がるように木を切ったようで、この点に関しては、以前よりも改善されたように思います。

また、ヴィラ・デル・ソルから階段を上り、走り湯を過ぎた所に、木馬など置いてあった中途半端なスペースが、星野風の展望湯あがりスペースになっていて、飲み物もフリーで頂けるのは、進歩した部分でしょうね。

これからも、私は、年に数回、ヴィラ・デル・ソルを責め続けるつもりです。
金野シェフと女将がいる限り・・・


Re: あさば・・・ - あびたろう 2013/06/08 (Sat) 15:44:44
「蓬」の料理は、蓬の女将がおっしゃっておられるように、「蓬莱」並のコストを掛けるわけにはいかないので、残念ながら「蓬莱」同様の料理は無理だと思います。「蓬莱」の味付けを楽しむことでしょうね。

昨年、界熱海に宿泊した時、部屋へ古谷女将がお越しくださり少しばかりお話をしました。その中で、

「界熱海に泊られて、ヴィラ・デル・ソルで夕食を摂られるお客さんも、結構いらいっしゃいますよ」

と、おっしゃっておられました。 界熱海の夕食に幻滅していた時だったので、ヴィラ・デル・ソルも同じだろうと聞き流していました。

身体を張って抵抗しているのでしょうか(笑)

北斗七星さんのようにヴィラ・デル・ソルを心から愛するサポーターの為にも、頑張り続けて欲しいものですね。


Re: あさば・・・ - Pockie URL 2013/07/10 (Wed) 23:48:00
ランチに「蓬」に寄ってみようかと思うのですが、何せ渋滞で時間予約ができそうにありません。時間が嫁に渋滞だと行くのをやめるかも、と思ったりするのですが、予約なしでも大丈夫なのでしょうか?

蓬莱の件も星のにはいって残念らしいですね。私はランチにヴィラデルソルは寄ったことがあります。クラシックな正統フレンチの感じがありましたね。

かなり古い写真ですが、蓬莱の朝食です。
http://bbs8.fc2.com//bbs/img/_352000/351968/full/351968_1373467680.jpg



Re: あさば・・・ - あびたろう 2013/07/11 (Thu) 00:36:31
「蓬」のランチですが、電話されてみては如何でしょうか?

ミニ懐石コースなどでは予約が必要ですが、一品料理は予約無しでOKです。ただ満席かどうかということが問題になりますから、そこのところを相談されると良いと思います。

熱海の前日がどこかわかりませんが、修善寺からですと、修善寺道路〜伊豆中央道〜熱函道路を午前中に走れば、それほど渋滞しないのではと(楽観的でしょうか)

蓬莱の朝食、懐かしいなあ〜
ある意味、日本一の朝食とも思っていたのですが・・・

Re: あさば・・・ - 秀 2013/07/11 (Thu) 01:51:03
今年の春、湯河原に宿泊した翌日のランチで蓬に行きましたが、
路地裏でわかりづらい場所なのに、 知ってる人は知ってる店なのか
お客さんがひっきりなしにきてました。

びっくりしたのは5人とか8人もいるのに予約無しでくる客が何組かいたとこと。
満員で何組かは断ってました。

なので予約した方が安全だと思います。


Re: あさば・・・ - あびたろう 2013/07/11 (Thu) 21:17:03
「蓬が我が家の近くにあれば、しょっちゅう食べに行くのにな。」と思います。
きっと、そういうお客も多いのでしょう。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6825917


51. 中川隆 2014年5月18日 19:50:10 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

「あさば」は引き算の美学を捨てたのか


昔の「あさば」の引き算の美学とは:

都会では、暴走族のごとき当て字漢字の創作懐石店が若い女性に流行っている。陳腐な安い素材を如何に「いい感じ」に見せるかは、全てお籠もり感の内装とメニュー造りによるが、これはほとんどがコンサルタントの知恵の結集。だから、どこも同じような中身になる。


そんなものに、飽き飽きしたら是非とも伊豆箱根の高級宿をお薦めする。

特にお薦めなのが伊豆修善寺の「あさば」。

350年の名旅館としての歴史と伝統は、内装一つ従業員の動き一つに現れており、失礼だが中九州のの宿が束になっても足元にも及ばない。

そこにあるのは、まさに引き算の美学。

凝った演出などどこにもない。あるのは、本物だけが持つ安心感だけだ。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~umayu/page156.html

余計なものを捨てるというのは、本来は日本人の発想である 2014-05-17


世の中には2つの方向性がある。どんどん「過剰」にしていく方向性と、どんどん「シンプル」にしていく方向性だ。

過剰とシンプルでは、上と下、あるいは右と左のように、真逆のものである。過剰には過剰のメリット、シンプルにはシンプルの良さがある。

過剰のメリットは、何と言っても訴求力があるということだ。

訴求力があるというのは、分かりやすい言い方をすると、非常に目立つということだ。

目立つことによって人を驚かすことができる。目立つことによって印象を深めることができる。目立つことによって華美を演出することができる。

しかし、こういった過剰の効用は分かりやすいが、欠点もまたたくさんある。どういった欠点か。

過剰になることで、安っぽく見られる。過剰になることですぐに飽きられる。過剰になることで反発者もたくさん生むという欠点だ。

過剰な演出は、その人そのものを安っぽくする

女性は、化粧やファッションを過剰にすることで目立つ。
商品は、機能や性能を過剰にすることで、目立つ。
歌手や芸能人も、表現を過剰にすることで、目立つ。

あらゆる世界で、単純に目立とうと思えば、誰よりも「何か」を過剰にすればいい。そうすると、人を驚かすことが可能だ。

しかし、こういった過剰な演出は、その人そのものを安っぽいものにしてしまい、最初の驚きが消えてしまえば、飽きられるのも本当に早い。

異様なまでの過剰さは、一種のエンターテインメントであると言える。それは人々に娯楽を提供する。

しかし、それがエキセントリックであればあるほど、ピークは一瞬で来て、終わりもまた一瞬に来る。一種のバブルのようになってしまうのだ。

だから、こういった「過剰」を売り物にしているモノやヒトは、あまり長続きできずに淘汰されていくことが多い。過剰であることで生き残るためには、飽きられたときに、すぐに違う別の新規な過剰を生み出せるかどうかにかかっている。

しかし、次から次へと過剰を生み出せるほど人は器用ではないので、別の過剰が今までのものに取って代わるのである。

過剰を志向する人は多い。過剰にして目立とうとする人も多い。過剰であることで自己を表現しようとする人が実は世の中の多数を占めている。

それは、他人にとっても分かりやすいし、自分にとっても自信のなさを過剰で覆い尽くせるから、好まれやすい。何でもかんでも過剰に、どんどん過剰になっていくのは、多くの人が過剰であることを志向しているからでもある。


「シンプルであること」が支持されるようになる

しかし、欧米でも日本でもそうだが、国が洗練され、人々の目が肥えていくと、面白いことに逆の方向性が勃興してくる。

「シンプルであること」が支持されるようになってくる。

過剰が飽きられ、遠ざけられるようになっていく。ファッションも、生活も、すべてがシンプルなものを目指すようになる。

シンプルになるというのは、付け加えるのではなく、要らないものを捨て去るという発想である。あれもこれもゴテゴテと付け加えるのではなく、逆にバッサリと削っていく。

絞り込み、捨て去り、余計なものをいっさい省き、無駄を排除する。そうやって「大切なもの」だけを残す。それだけではない。大切なものだけを残して、その大切なものを極限まで磨いていく。

こういった「余計なものを捨てる」というのは、本来は「日本人の発想」であった。

かつての日本人は、ワビ・サビの中にある美を好んでいたが、このワビ・サビというのは、「侘(わび)」「寂(さび)」という漢字を見ても分かる通り、研ぎ澄まされた静寂と質素な空間の美しさを指していた。

まさに、余計な装飾を捨て去り、必要最小限だけを残して、その研ぎ澄まされたシンプルさを愛したのである。

磨き抜かれたものは、必ずシンプルなものになっていく。これは、ヒトでもモノでもそうだ。女性のファッションにしてもそうだ。

過剰なものから、シンプルなものへと転換したとき、女性もはじめて本当の意味の美しさを得ることができる。ただ、多くの人はそこまで到達することができないので、やたらめったらと飾り立てて自滅していくことになる。


100個のニセモノで飾り立てることの滑稽さ

イミテーションのガラス玉100個で飾り立てたアクセサリーよりも、本物のダイヤモンドひとつの方が価値がある。

本物を持っていれば、100個のニセモノで飾り立てることの滑稽さに気付くのだが、本物を持っていない場合は、ニセモノをたくさん集めようと過剰に飲まれていく。

本物はシンプルだ。

本物の歌手が1人いたら、アマチュアの歌手が10人で媚びを売っても敵わない。ニセモノは騒々しいだけだが、本物はたった1人で聴衆に人生を変えるほどの感銘を与える。

ニセモノの家具はすぐに壊れるが、本物の家具は100年でも平気で使える。ニセモノの建築物は20年で老朽化してボロボロになるが、本物の建築物は100年でも崩れない。

人は、人生のどこかでこのような「本物」を知れば、ニセモノには耐えられなくなってしまう。本物の凄みに圧倒されてしまい、他では満足できなくなってしまうのである。

しかし、ニセモノが横行するのは、仕方がない。本物は稀少だし、とても高価なことが多いので、誰もが簡単にそれに触れることができないからだ。

何でもそうだが、最初は誰でもニセモノから入ることが多い。みんなニセモノで代用する。自分が触れているのがニセモノだと気付かないこともある。

しかし、あるとき本物を触れて、今まで自分が知っているものがすべてニセモノだったと知って愕然とする。そうなれば、逆にニセモノに戻れなくなるのだが、すべてのモノで本物に触れられる人は限られている。

本物の製品、本物の職人、本物の料理、本物の芸術、本物のファッションに、ことごとく触れる経験ができる人は、ほんの限られた人だけである。

だから、本物に触れて、本物になれる人は幸運だ。そんな人はめったにいない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20140518T0135340900.html


52. 2014年6月17日 07:31:39 : 3cdYZYbVIc
>>46>>51 が何故か削除されてしまいました。

・『削除コメント表示切り替え』を押して表示して下さい。


53. 2014年8月13日 14:17:04 : XslxuLxqaI

< ご飯をよそってもらうとき、「ニチャニチャ」と音がたっていた。

夜は、奥さんのあそこから、「ニチャニチャ」と音がしたのでは。
なんだかんだ、と言ってひけちらかし、自慢している。
つまらぬ投稿は止めよう。「ニチャニチャ」と音をさせると子供が起きるゾ。

[32削除理由]:無意味

54. 中川隆 2014年8月23日 06:35:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

アメリカ流学した星野佳路が日本の お・も・て・な・し の伝統を全く理解できなくなった理由


「言語はツール」の落とし穴 From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


このところ、このメルマガをはじめとしてあちこちで安倍政権の「英語偏重の教育改革」を批判しているためか、ビジネスマンや大学関係者、行政官などから、「小学校における早期の英語教育の導入」、「大学入試や国家公務員総合職試験でのトーフル採用」、「企業の英語公用語化」などについてよく意見を尋ねられます。

また、他の多くの大学もそうですが、私の所属する九州大学も、文科省の進めている「スーパーグローバル大学」構想に手を挙げているため、学内外で大学の「英語化」に関する議論をすることが最近、増えてきました。

英語化推進派の主張でよく耳にするのが、「言語はツール(道具)に過ぎない」という言い方です。

例えば、「英語はコミュニケーションのツールなのだから、子どもに教えるのは早ければ早いほどいい」とか、「英語はツールにすぎないのだから、大学の講義の英語化は大胆に進めるべきだ」などの意見をよく聞きます。それも、役員クラスのビジネスマンとか、学長クラスの大学教員、あるいは政治家とか、そういういわゆる「お偉いさん」というか「エリート」とみなされている人々がこういうことをよく言うんですよね。
(-_-;)

私は、「言語はツールにすぎない」というのは、かなり一面的で、ゴーマンな見方だと思います。

人が、あるモノが「ツール(道具)である」というのは、自分の目的が明確に定まっていて、そのモノが目的実現のための手段として役立つことを意味します。

そのとき、そのモノが、目的、あるいは目的の持主に影響を及ぼすことは想定されていません。

言語は、単なる「ツール」以上のものです。言語は、使う人の自我のありかたに影響を及ぼします。(自我に影響を及ぼしますので、当然ながら、その人の目的のあり方にも影響を与えます)。また、文化にも大きな影響力を持ちます。

たとえば、このメルマガでも以前、書きましたが、日本語と英語では、話し手は、異なった自己認識を迫られます。(この点については、下記の前半部分にも以前書きました)。

【施 光恒】日本語の優しさ(2013年11月1日配信)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/11/01/se-25/

英語の場合は、話し手が自分自身を指すときは、常に”I”ですし、相手を指すのはいつも”you”です。

英語などヨーロッパの言語は、自分や相手を指す語はとても限られています。ヨーロッパ言語では、自分や相手を指す言葉は、せいぜいそれぞれ一語や二語ぐらいしかありません。

他方、日本語では、さまざまです。たとえば男だったら、仕事中やかしこまった場では自分のことを「私」と呼ぶけれども、気のおけない友人や家族との会話では自分のことを「俺」とか「僕」とか呼ぶという人は多いでしょう。

日本語には自分自身を指す語は、「私、俺、僕、自分、わし、手前、小生」などたくさんあります。また、話している相手を指す語も、「あなた、君、お前、貴様」など数多くあります。

これ以外にも、自分や相手を、職場や親族のなかでの「役割」で呼ぶ場合も少なくありません。

たとえば相手を指す場合でしたら、「先生」、「課長」、「部長」などの職場での役職で呼びかけたり、「お母さん」、「お姉ちゃん」「おじいちゃん」などの親族名称で呼んだりするのは普通です。
J( ‘ー`)しカアチャン

日本語では、自分自身を役割名称で呼ぶこともあります。たとえば、小さな子を持つ男性が、子どもの前では自分のことを「パパはね〜」とか「お父さんはな」とか言う場合です。

このように、日本語には、会話のなかで自分や相手を指す言い方が多岐にわたっていて、状況に応じて、うまく使い分けていかなければなりません。

英語の場合は、自分はどんな場合でも常に”I”です。このことは、英語の世界観では、常に自分が出発点、あるいは基準として、そこから周囲を認識するというものの見方になることを示しています。自分がまず揺るぎなく世界の中心に存在していて、そこから他者や周りの状況を規定していくというわけです。

日本語の世界観は違います。日本語は、状況に応じて、適宜、自分を指す言葉を柔軟に使い分けなければなりません。ということは、自分の周りの状況を先によく知って、その後、そこでの自分が認識されるという順番になります。つまり、自分がどういう存在かは、場に応じて臨機応変に決まってくるという具合なんですね。

この自己認識のあり方の相違は、文化の面でも大きく関わってきます。たとえば、日本と、英語を母語とする国とでは、道徳の見方が変わってきます。

日本では、「思いやり」「譲り合い」「気づかい」の道徳が発達します。

状況認識や他者との関係性の認識が先で、それに応じて臨機応変に自分を規定していくという柔軟な日本人の自己認識のありかたは、「思いやり」「譲り合い」の精神を育みやすいのです。

自分の主張や欲求を、状況や他者の観点に照らして、お互いにより望ましいかたちに事前に調整し合う。そして各人には、場の複雑な状況や他者の観点を鋭敏に読み取るための「共感能力」(思いやりの能力)や、自分を客観的に見つめ、必要であれば自分のこれまでの認識や考え方、行為を柔軟に修正していくための「反省」の能力が求められる。そういうものが日本人の道徳となりやすいのです。

他方、英語を母語とする人々でしたら、自己は最初から中心に位置するので、複数の人々の自己主張が前もって調整されることはなく、衝突し合うことになります。そこで、英語圏だと、互いの自己主張のぶつかり合いを事後的に調整する「公正さ」という理念や、それを体現する法律やルールの明記や順守(最近の言葉でいえば「コンプライアンス」)が大切になってくるのです。

「思いやり」や「反省」を重視する日本語の世界と、「公正さ」という理念や「法」「ルール」による事後的調整を重んじる英語圏のあり方。どちらが優れているというものではなく文化的相違の問題ですが、多くの日本人にとっては、慣れ親しんだ日本のやり方のほうが好ましく感じるのではないでしょうか。

加えて、このような道徳は、経済や産業のあり方にも大いに関係してきます。

たとえば、東京オリンピック招致のスピーチで女子アナが使って、昨年の流行語大賞にも選ばれた「おもてなし」です。

老舗料亭の家に生まれ、三越やアメリカのディズニーランドでサービス業を学んだ上田比呂志氏は、おもてなしの中核にある「気づかい」の心とは、「相手が欲しいという言う前にその気持ちを読みとり、さりげない行動で示す」こと、「思いやりの心をもって相手が望むことをする」ことだと述べています 。そして、「気づかい」は、やはり日本文化のなかで育まれた、日本人でないとなかなか身に付けられない文化的色彩の強いものだと語っています。

「おもてなし」「気づかい」は、まさに日本人の道徳意識の発露そのものです。磨かれた「思いやりの精神」を用いて、言われなくとも他者の視点を想像し、他者の視点から自分を見つめ、自分が何をすべきか考え行動する。日本人が、長年育んできたこの能力こそが他の文化で育った人々には真似のできない日本のおもてなしの基礎にあるといえます。また、それが旅館や料亭、あるいは和食やその他の職人仕事にも活かされ、日本の産業の基盤の一つになっているのです。

加えて、日本のものづくりの巧みさも、こうした文化的要素が関係しています。

たとえば、ものづくりの研究をしている経営学者・藤本隆宏氏が近年よく指摘しているのは、日本の製造業の中でも特に強い分野というのは「摺り合わせ型」であるという点です。藤本氏は、製造業を「摺り合わせ型」と「組み合わせ型」に分類します。

「摺り合わせ型」というのは、たとえば自動車やデジタル一眼レフカメラなどで、各部品を相互に上手く適合させる必要のある分野です。自動車なら、たとえばトヨタと部品メーカーは何度も話し合い、トヨタ車用の部品を開発していきます。試作品を作り、各部品を擦り合わせていくわけです。

「組み合わせ型」は、汎用の部品を集めて、組み立てればできてしまう分野です。例えば、コンピューター一般やアップル社のアイ・ポッドやアイ・フォンです。一番安くて品質のいい既存のものを組み合わせていくことが求められます。

日本の製造業で特に強いのは、自動車やデジタル一眼レフカメラなどの「摺り合わせ型」です。逆に、自転車は「組み合わせ型」で、最近は台湾などが強いようですね。

「摺り合わせ型」の産業では、コミュニケーションを密にし、良い物をつくろうという一つの目標に向かって、まさに摺り合せを行います。その際に、「思いやり」「譲り合い」という道徳と通底する日本的なものの見方が役立ちます。つまり、全体の状況を見渡し、自分のあり方を調整する行為が有益なのです。

以上のように、日本語と、日本の道徳、あるいは日本の経済や産業の強みとは、密接に関係しています。「言葉はツールに過ぎない」というのは誤りです。

私は、政治家や、企業や大学の幹部などいわゆる「エリート」と呼ばれる層に、「言語はツールに過ぎない」と言いつつ、「小学校における英語教育の導入」「企業の英語公用語化」などの日本社会の英語化を訴える人々が多いことを懸念します。

「言語はツールに過ぎない」という発言では、言語が、使い手の自我や、文化や社会のあり方に大きな影響を及ぼすものであることがまったくというほど考慮されていないからです。

本来、「エリート」とは、自分自身や自分の属する社会が、先人の培ってきた文化や伝統によって形作られていることを深く認識し、文化や伝統の維持・発展に責任を負う人々のことを指すはずです。

よくいわれるように、エリートが「高貴な徳」(ノブレス・オブリージュ)を負うのは、自分自身の精神が文化や伝統によって形作られ、その恩恵を大いに受けていることを人一倍認識し、それに恩返ししようということからにほかなりません。

(短期的な)教育政策の一つとして英語力強化を主張することを、私はハナから否定するわけではありません。しかしそういう主張を行う場合、言語は文化や伝統を背負っており、日本の文化や伝統の維持・発展にどのような影響を及ぼすかを真剣に考慮することが必要なはずです。

「言語はツールに過ぎない」と言いつつ日本社会の英語化を進める「エリート」がたくさんいる日本の将来が、私は大変心配になります。また、そういう「エリート」が作り出そうとしている「グローバル人材」なるものが本当に増えたとしたら、日本はいったいどうなってしまうんでしょうね。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/08/22/se-43/


55. 中川隆 2014年8月26日 00:01:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

佐野教授のブログ
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11251512855.html


に興味深い事が記載されていた。曰く、


>言語の文法的複雑度は英語を1とすると、

中国語は1、
仏語・西語は5000万倍、
日本語は3億倍、
独語は5億倍、
露語は20億倍、
アラビア語は約100億倍、

となります。つまり英語とは最堕落言語=最簡単言語です。

最後の「英語とは最堕落言語=最簡単言語」という事実は非常に興味深い。

確かに日本語では10通りの表現方法がある場合でも英語では1つの表現しかない事が多々ある。

今まではその様な現象に対していちいち言い換えをしないといけないから大変だな、程度にしか考えていなかったが、英語が最簡単言語である事を知ると、

「欧米人の言語能力は非常に貧弱である」

という考え方が出来る。


この事は欧米人の思考や行動を掴む上で、もっと言うと欧米中心の世界を掴む上で非常に重要になのではないだろうか。

例えば身近な例で言うと、欧米人は物事をはっきり言う事が出来る。とプラス評価され、日本人はあいまいであるとマイナスの意味を持って言われる事があるが、なんの事は無い、

欧米人ははっきりと言う事「しか」出来なかったのだ

と気付く事が出来る。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=294417


56. 中川隆 2014年8月26日 00:09:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

 科学的実証例に基づいてバイリンガルの実態を分析した興味深い本を見つけたので、紹介します。
 

バイリンガルの科学―どうすればなれるのか?
小野博著(工学医学博士) 講談社発行 ブルーバックスB-1011
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E2%80%95%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%99%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B0%8F%E9%87%8E-%E5%8D%9A/dp/4062570114/ref=cm_cr_pr_product_top


 この本によると、バイリンガルは平均的に思考能力が弱く、著者の見たケースでも成功例は数%、どの言語でも年齢に見合った思考ができるだけの言語能力が獲得できない「セミリンガル」も多い。

 小学3・4年生までに母語(日本語でも英語でも)を確立しないと「セミリンガル」になり「一生問題が残る場合が多い」と書かれています

  それは「バイリンガルの子供は知力の発達が遅れる。何故ならば人間は言葉を使って物事を考えるからで、習得言語を2つに広げると、両方の言語の発達程度が低くなるので、難しい問題を考えようとする時にどちらの言語の発達も未熟となって頭が混乱してしまう。」ということのようです。

 著者は、子供の知的な発達が自然に行われるためには、少なくとも小学生の時代は1つの言語で教育を受ける事が望ましいとまとめ、小学校から英語を始めれば日本の英語教育の問題はすべて解決される、といわんばかりの風潮に、警鐘をならしています。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=281852

『英語は勉強するほどダメになる』著:栄陽子(扶桑社新書)
http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AF%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%83%80%E3%83%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E2%80%BE%E2%80%9D%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E2%80%9D%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%BF%E5%87%BA%E3%81%99%E3%82%82%E3%81%AE-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-34-%E6%A0%84-%E9%99%BD%E5%AD%90/dp/4594057446


著者はミシガン大学大学院を修了した後、留学カウンセラーを長年しておられる方。


「外国語は母語以上のレベルにはならない」という指摘には納得です。

実際には役に立たないような「受験のための英語」に時間を割いている位なら、むしろ国語や数学にその時間や労力をまわした方が、結果として将来英語を学ぶときの役に立つように思えます。

この書籍の概要をまとめたブログ

「書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」」
http://blogs.yahoo.co.jp/chanchan_yanagi/52844010.html

から一部転載します。

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【これで「英語をモノにした」と言えるのか?】

 私は仕事柄、たくさん「ネイティブ並み」の発音で英語を操る日本人の若者を見てきました。

 こうした日本人のなかには親の海外赴任について小さいころからアメリカで暮らしていた人もいれば、「語学留学」とやらでアメリカで暮らしていた人もいます。
 確かに目をつぶって聞いていれば、彼らの話す英語は日本人とは分からないくらいの流暢な話しぶりです。

 ところが、問題はその内容。

「あのコ、チョーイケてるじゃん」

「なにそれウザイ」

「だりー。やってらんねー」


 日本語に直せば、このくらいのことしか話していないという例がどれほど多いのか、みなさんはご存知なのでしょうか。

 流暢な英語を操っても、こんな彼らは「アメリカと日本の政治史」「環境問題について」「日本文化について」などを話すことはできませんし、論じ合うこともできません。

 高度な会話はできないけれど、発音だけは英米人と同じくらいきれい―――これで「英語をモノにした」と言えるのでしょうか。(p.34)


【外国語は母語以上のレベルにはならない】

 “外国語の習得には母語の力がベースになる”とは、言い換えると「外国語は母語以上のレベルにはならない」ということ。

 ベースになる母語もしっかりしないうちに外国語を教えることは、実は非常に大きな危険性をはらんでいます。

 英語を使いこなし、バイリンガルになるためには、まず母語の力を伸ばし、幅広い知識と語彙、コミュニケーション能力を身につけることが、まず第一に必要なことだと私は常々思っています。

 私は脳科学の専門家ではありませんが、言語はおそらく思考力にまで影響を与えるであろうことは経験上想像がつきます。二兎を追ったがゆえに、どちらの言語も中途半端、ひいては思考力の乏しい大人になってしまうという悲劇は避けるべきです。(p.40)

 それでも「いや、やはり正しい発音は小さいうちからはじめるからこそ身につくのだから、早いうちから英語教育を始めたい。外国語を母国語と同時に使っているうち、両方の言語能力が高まるはずだ」

 こう反論する方もいることでしょう。

 しかし、これに対しては、

「残念ですが、なかなかそううまくいきません」

とお答えするしかありません。(p.40)

【「悲劇と喜劇」の積み重ね】

 「私は日本人なんだから、英語が苦手なのは当たり前じゃないの!」と相手に言い切る強さを持てば、怖いものなどありません。

 ジャパニーズ・イングリッシュだと笑われても言いたいことを伝え、おしゃべりの輪に入り、「ねぇねぇ、こんなとき、なんて言えばいいの?」と聞きまくる。

 こうしたコミュニケーションを重ねるうち、「日常会話レベル以上」の会話力がつくものです。

 外国語を学ぶとは、本来そうしたものではないでしょうか。

 恥ずかしい思いを重ね、悔しい思いを重ね、そして開き直ってさらに恥をかき・・・と、まさに「悲劇と喜劇」の積み重ねで獲得するのが、外国語なのです。

 日本で活躍する外国人タレントの姿を、思い浮かべてください。

 彼らは「つたない日本語、間違った日本語」で笑いを取ったりしますよね。あの姿が、本来の「外国語を学ぶ姿」ではないでしょうか。(p.91)

 それに、日本人がやけにこだわる「正しい発音・流暢な英語」とは、何でしょう。

いまや “正当な英語” と言われたイギリスのクイーンズ・イングリッシュを、ほかならぬイギリス人が「こだわるのはやめよう」と言い出しているのです。その理由は、増え続ける移民が操る各国のなまりのきつい英語です。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=282450


57. 中川隆 2014年8月26日 00:17:52 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

アメリカ人の優位性は自国語が国際語になっているという事だけ:


ヨーロッパ連合(EU)では、医師免許をはじめとする諸種の国家資格が共有化されようとしている。そこでは英語が共通言語だ。この国家の壁を乗り越えたヨーロッパの歴史的で壮大な試みを無視してよかろうはずがない。医学生に限らず、わが国の大学生は皆、日本語の教科書だけで学問ができる。その例外性に多くの人は気づいていない。

日本以外の国では、英語(最低、ヨーロッパ系言語)ができなければよい教科書が読めないし、医者にも看護師にも臨床検査技師にもなれない。日本語は漢字のおかげで、外来語を簡単に母国語化するすばらしい能力を有していることを再確認したい。タイ語やスワヒリ語では医学用語の大部分が表現できない。韓国でも、医学生は英語でばかり勉強して、ちっともハングルで勉強してくれないと多くの教員が嘆いている。

EUでは医師免許をはじめとして、いろいろな国家資格が英語で統一されようとしている。最近になってフランス文化やドイツ文化の最先端科学部門における劣勢がはっきりしてきて、ドイツ人もフランス人もその他のヨーロッパ人は最先端科学部門は英語が出来ないと母国語では無理らしい。

同じアルファベットを使い、ラテン語からの派生語や、大きな影響を受けた同じ文化圏の言葉だから、専門用語はいちいち翻訳するよりも英語をそのまま使ったほうが手っ取り早いのでしょう。もはやフランス語やドイツ語はローカル言語であり、英語でないと最先端科学分野の学問は出来なくなっている。だからドイツ人やフランス人のお医者さんは英語が堪能なのは国家資格が英語で行われるからだろう。

アジア、アフリカ、中南米諸国の医学生は英語ができなくては最先端医療が学ぶことが出来ないし、多くの留学生を欧米に送り込んで学ばせている。タイ語やスワヒリ語では専門用語が翻訳できないからだ。2010年9月7日の株式日記ではスウェーデンの化学や文化の事を書きましたが、スウェーデン語と英語の二重言語生活を強いられる結果をもたらしている。他のヨーロッパ諸国も大なり小なり同じだろう。英語を学ばなければ最先端科学について行けない。

中国や韓国が大量の留学生をアメリカに送り込んでいるのも同じ理由によるものだろう。まさに英語帝国主義の大勝利であり、英語がグローバルスタンダード言語となり、非英語国では二重言語生活を余儀なくされている。その反面では英米人は外国語を学ぶ必要が無く、その時間を科学分野の研究に割り当てることが出来る。英語で国家試験が行われるようになると言うことは、それだけ非英語国民は負担を強いられることになる。

スウェーデンにおいても、スウェーデン語で書かれた文章と、英語で書かれた文章を読ませて、理解力を比べてみたら25%も英語で読んだグループは劣っていた。

つまり国際競争力においてもアメリカイギリスといった英語を母国語とする国民が圧倒的に有利になり、スウェーデンなどのヨーロッパの小国は言葉も文化もやがては失われていくのだろう。アイルランドもかつてはアイルランド語を話していましたが、今では英語が国語となりアイルランド語は文化財として残っている程度だ。

IT用語や金融用語や医学用語などは英語が共通語となり、日本も例外ではない。かつては武力が帝国の力の象徴になっていましたが、現代では言語が帝国の象徴となり、非英語国では二重言語生活を余儀なくされて、25%ものハンデを背負っているようなものだ。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu232.html


アメリカの大学院入学はGREという共通一時みたいなのが、ほとんどの大学入学基準として使われてるが、英語と数学と英作文からなる。

で、アジア人は数学で満点近くを皆とるが、英語試験が恐ろしく難解なボキャブラリーの現地人しかできないしろもので、落ちる外国人が多い。

もし、数学だけだったら、アイビーリーグや名門はほとんどアジア人留学生だけになってしまうだろうね。

で、英語帝国の興隆とともに、経済学はもとより科学の発展も止まってしまったんじゃないか?だいたい発明のような直感は自国語でしか出てこないだろ?

アメリカの戦後の発明なんて何がある?ロケットなんてv2そのものだし、ジェット機もコンピューターもヨーロッパ人が発明した。もう、0にちかい。

ようするにアメリカは英語を武器に戦後の科学覇権(社会科学の含む)を維持してきたんだ。

まあ、本当の天才を育てたいんだったら、英語を勉強させたとしても教育は自国語ですべきだ。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/471.html


しかも、アメリカ人は一部のエリート以外は英語で書かれた文章すら読めないアホばかり:


なぜ外国映画はアメリカで字幕上映されない?


世界中ほとんどの国で、外国映画は吹き替え上映が普通。

日本みたいに字幕上映が多い国が例外。


1 :名無しより愛をこめて [sage]:2009/07/12(日) 13:22:19 ID:J3Qe6wQy

アメリカで公開される外国の映画は殆どが英語吹き替えで上映されたり、
映画の舞台が非英語圏でも堂々と登場人物が英語を喋ったりで、日本で言う
字幕厨なんていう奴は全くいなく、吹替厨だらけ。

なんでアメリカ人は外国映画を英語字幕で見ようとしないんだろ?

3 :名無シネマさん[sage]:2009/07/12(日) 14:18:47 ID:CKJtk7i/

英語は綴りを読まなくちゃならないからな
漢字は一文字の情報量が多いから流し読みしても意味が汲み取りやすい
日本語字幕が全部ひらがなで書かれてる位の読み難さじゃないかな>英語字幕

7 :名無シネマさん[sage]:2009/07/13(月) 14:18:50 ID:Y0rfQyei
>>3
何度か、英語字幕付きの日本映画を見たけど登場人物が難しいことを言いだすと、長い単語が画面にズラズラと流れてこれは無理だと思ったよ。

8 :名無シネマさん[sage]:2009/07/19(日) 20:34:54 ID:ShU9guzs

ドイツに半年いたことがあったけど、
映画館は約8割はハリウッド映画を吹き替え上映してたよ。 
1日一本週4日、メジャーな映画(天使と悪魔、グラントリノ、ターミネーター等)の英語のオリジナル(字幕なし)上映があってたけど。

>>4が最初のほうでいってるように、
吹き替え上映はアメリカに限らず、けっこういろんな国で多数派なのでは?


10 :名無シネマさん[sage]:2009/07/28(火) 18:02:21 ID:W/Jd8xzS

吹替えって結構徹底してるみたいです。
しかし一度「John Rabe」というドイツ映画を見に行ったことがあるんだけど、
これがドイツ映画でドイツ語が主言語のくせにせりふがすべて吹替え!

なぜかというと、この映画はシンドラーのリストドイツ版?
日本軍の南京大虐殺から中国人を救ったドイツ人ビジネスマンの話。

なので、せりふもドイツ語のほか、英語、フランス語、中国語、日本語といくつかある。(IMDbで確認した)

日本人の将校役の俳優さんたちは日本語だな!と期待したらだめだった。
明らかにドイツ語でしゃべってる部分まで調整のため?かふきかえられてんだもん。

まじで徹底した吹替えっぷり。 これはドイツでの一例なので、ほかの国でどうなのかは未体験だが・・・
外国いって字幕で外国映画を見ようなんて、アメリカに限らずどこの国いっても期待しないほうがいいぞ。

そしてその結果、アメリカ人の知性はこの有様:


 「アメリカでは大人の4人に1人が自分の名前程度しか読み書きできない」。新聞や雑誌で、こんな統計に出くわしてハッとする。

 ただそれは、ぼくが4人に1人という数に驚くからではなく、

「やっぱりそうか、アメリカの非識字率ってそんなとこだったんだよな・・・・・」

と改めて意識させられ、でもショックは受けず、危機感もイマイチわかず、

「ま、別段新しい数字でもないし・・・・・」

と片付けそうになる、とそこで気がつく。そしてハッとするのだ。慣れっこになってはならない、深刻な問題なのだ。

 しかしまったく、ぼくの母国はどこを見ても、危機的な統計がゴロゴロしている。


――国民健康保険の制度はなく、アメリカ人のおよそ6人に1人が無保険状態で、事実上、医療が受けられない。


――ブッシュ政権が1期目で実施した大型減税は、総額の半分以上が超富裕層のトップの1パーセントの懐に入った。


――米国人は世界人口の5%にも満たないが、世界の石油消費量の4分の1以上を、一国だけで燃やしている。


――マリア様がセックス抜きに、処女のまま妊娠してキリスト様を産んだという「処女懐胎」を、アメリカの成人の8割が信じている。


 25%の非識字率と、その他もろもろのトンデモ統計と、当然みんな地続きのものだ。字がうまく読めないと、テレビが主な情報源になってしまい、テレビ報道は、「処女懐胎」と同じくらい現実から掛け離れていることが多々ある。

では、もし一生懸命ABCを勉強し、どうにかディクショナリーと首っぴきで新聞が読めるようになったとして、それで確かな情報にありつけるかというと、そうはメディア屋が卸さない。

 例えば、二年前の古新聞を見てみると、『ニューヨーク・タイムズ』を始めアメリカの全国紙も地方紙も、妄想とイリュージョンの記事で埋め尽くされている。「死との隠れん坊・なおくすぶるイラクの核兵器の謎」「細菌博士・世界一の殺傷力を持つ女」―― 2002年の暮れは、イラクが隠し持っているに違いない生物兵器と化学兵器と核兵器と弾道ミサイルの脅威の話題で100%持ち切りだった。
http://www.web-nihongo.com/back_no/column_01b/041221/index1.html


日本の成功の秘密は日本語にあるのですが、欧米人にも、そしてなぜか当の日本人にもそれがわからないのですね:


日本語は、マスターをするのが難しい言語かもしれない。しかし一旦マスターすれば、これほど便利な言語はないと考える。これは筆者の偏見かもしれないが、日本語は世界の中で一番進化した言語であり、優れた言語と思っている。

表意文字である漢字は、文字自体に意味を持つので、言葉を速く理解することができるという利点がある。特に漢字はパターンで認識するので、文字とイメージが結びきやすい。「犬」という文字を見ると、犬のイメージが頭に直ぐ浮かぶ。「京都」という言葉に当ると、京都という文字から京都に関するイメージが自然と頭に浮かぶ。


高速道路の標識も、漢字だから速く、しかも正確に認識できる。これがアルファベットなら一瞬のうちに認識することは難しい。例えば長い地名がアルファベットで記されていたなら、車を停車させなければ、書いてある行き先を読むことはできないであろう。これは言語の特徴を考える場合、重要な点である。

日本語の文書は、斜読みによって、ある程度の意味を把握することができる。これも日本語に漢字が使われているからである。速読の達人と呼ばれる人がいるが、もし文章が全て「かな」で書いてあったなら、とても一瞬のうちに読むことはできないであろう。アルファベットだけの英語も速読に向かない言語と思われる。


日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。


戦後、GHQが日本人を色々調査した。当時、米国人から見れば「日本人は人間より猿に近い動物」という認識であった(失礼な話である)。

そのような日本人が、どうして短期間のうちに列強と対等の国力を持つことができたのか、不思議だったのである。しかし調査によって、日本では、どのような地方に行っても、またどれだけ年配の人でも、文字を知り、文章が読めることを発見した。これはGHQにとって驚きであり、これで日本を見直したのである。これも日本の教育制度が優れていたのと、日本語が誰にもマスターできる優れた言語であったからである。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html

日本語は奇跡の言語 _ 欧米人が日本人に絶対に敵わない理由:


世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語


 雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。

 日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。

 私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。

 この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。

○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である 【現実世界での日本の優位性】○

 認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。

 常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。

 さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。


曖昧な表現が活きる日本語の背景


 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。

 言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。


■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。

 外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。

 繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。


■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■


 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。

 派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。


●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である 【精神(霊的)世界での日本の優位性】●


 音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

 この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:Dsy-yxb-UusJ:blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/30487456.html+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E+%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


58. 中川隆 2014年9月01日 20:45:18 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

英訳すると情痴小説(ポルノ小説)『雪国』が 出来の悪い純愛小説になってしまう理由

雪国と Snow Country (上巻)

『雪国』を読めば、日本語と英語の発想がわかる!
ものとものとの関係 − 発想の違いを検証する

松野町夫 (翻訳家)

日本語は抽象的な表現を好み、動詞が主役。これに対して、英語は具体的・説明的で能動的な表現を好み、名詞が主役、特に「ものとものとの関係」は実に明瞭である。

川端康成の小説『雪国』とサイデンステッカーの英訳 ”Snow Country” を教材として、日本語と英語の発想の違いを検証したい。ちなみに、エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)は、コロラド州生まれアメリカ人。川端康成自身、「私のノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言わしめたほどの名文家・知日家であり、私たち英語学習者から見れば、彼はいわば「神さま」みたいな存在だ。教材としてこれ以上のものはないと思う。

(原文)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。 娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」

明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

(訳文)
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.

A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura. The snowy cold poured in. Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.

The station master walked slowly over the snow, a lantern in his hand. His face was buried to the nose in a muffler, and the flaps of his cap were turned down over his face.


上記の英文を再度、日本語に訳してみる。これは訳をもう一度訳した文なので、訳訳文と呼ぶことにする。


(訳訳文)
汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。大地は夜空の下、白く横たわっていた。信号所に汽車が止まった。

同じ車両の反対側に座っていた娘が来て、島村の前の窓を開けた。雪の冷気が流れこんだ。窓いっぱいに乗り出しながら、娘は駅長を、ずっと遠くにいるかのように大声で呼んだ。

駅長は雪を踏みながら手に明かりをさげてゆっくり歩いて来た。彼の顔は襟巻きで鼻まで包まれ、帽子の耳おおいは顔まで垂れさがっていた。


原文の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、翻訳者泣かせの文である。この種の和文は英訳が極端に難しい。この文は、複文なのか、それとも重文なのか?トンネルを抜けたのは何だろうか?人か、車か、汽車か?雪国であったのは何か?英文では主語が必須だが、この和文には、主語に相当する主格や主題が出てこない。主語を特定できないので英訳作業に着手できないのだ。「抜ける」とか「〜であった」という動詞は大事にするが、その主体となるもの(名詞)はあっさりと省略されてしまっている。

しかし、この文は日本語として特におかしな感じはしない。それどころか、日本の第一級の文学者の、しかも文学作品の書き出しだから、推敲に推敲を重ねた名文のはず。名文なのに、どうしてこうもわかりづらいのだろうか。それはたぶん、この文が単独では自己完結しておらず、文脈に依存しているからだろうと思う。主語を特定するには、物語をもっと先の方まで読み続ける必要がある。和文は文脈に依存したものが多い。

もし、この文が報告書のような実務文書であれば、私はためらうことなく悪文とみなし、もっと具体的にわかりやすく書き直してくださいと、書き手に注文をつけたいような気にもなる。

文脈依存文で、もっと先の方まで読んでもどこにも主語を特定できる手がかりがないことも、たまにある。それでも翻訳作業は何が何でも開始しなければならない。こういう場合、私は、逐語訳の手法を採用して日本語の発想をそのまま英文に持ち込むことにしている。たぶん、苦し紛れに以下のように訳すような気がする。

Getting through the long border tunnel led to the snow country.
国境の長いトンネルを抜けると雪国へ出た。

典型的な逐語訳であり、これぐらいなら、いっそのこと動詞 get through を省略して、The long border tunnel led to the snow country. (国境の長いトンネルは雪国に出た)の方が英文としては、もう少しマシかもしれない。

サイデンステッカーは、主語を汽車にして簡潔に表現する。まさに「コロンブスの卵」である。

The train came out of the long tunnel into the snow country.
汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。

彼は、国境ということばを無視(省略)し、The train という単語を主語として補充した。わかりやすい自然な英文だ。目をつぶると、その光景がいきいきと目に浮かぶ。”out of the long tunnel” (長いトンネルを抜け)の前置詞 out of があたかも動詞「〜を抜け」であるかのように機能している。「雪国であった」と原文ではいわば静の状態で表現されていたものが、英文では "The train came into the snow country." と能動的に表現されている。

ここで、原文と訳文の表現をもう一度比較してみよう。日英の発想の違いが一目瞭然である。


原文: 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。(日本語的発想の文脈依存文)

訳訳文: 汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。(英語的発想の自己完結文)


訳訳文は、汽車・トンネル・雪国の「ものとものとの関係」が明白である。原文をやまとことば本来の名文だとすると、訳訳文は、英語的発想から生み出された新しいタイプの明文(わかりやすい文)である。この種の表現(自己完結文)を積極的に日本語に取り入れることで、日本語は、「あいまいさ」を排除して、さらに豊かな表現を手に入れることができるのではないか。日本語的発想の文脈依存文は文学や詩歌などの芸術分野に、英語的発想の自己完結文(明文)は報告書や説明書などの実務的分野に、という具合に使い分けるのもおもしろい。

英語的発想の自己完結文(明文)、たとえば、「汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た」は、文構造が単純なので、誰でも簡単に翻訳ができる。The train came out of the long tunnel into the snow country. 逆に言うと、日本語的発想の文脈依存文にでくわしたら、一度それを、英語的発想の自己完結文に置換してから翻訳に着手すると、作業が瞬時に完了するばかりか、作品もわかりやすい自然な英文に仕上がるといえる。英語的発想とは、主語を特定し、「ものとものとの関係」を明白にすること、たったこれだけの簡単な話である。たとえば、汽車・トンネル・雪国の3つのもの中から主語となるものを特定し、主語と別のものとを、動詞または前置詞を使用して関連付けるのである。

ちなみに、雪国の舞台は、新潟県南魚沼郡湯沢町。国境(くにざかい)は、上野国(こうずけのくに、群馬県)と越後国(えちごのくに、新潟県)の県境のこと。長いトンネルは、羽越線鉄道の清水トンネルで全長、9.7キロ。

夜の底が白くなった。
The earth lay white under the night sky.

「夜の底が白くなった」とはどういう意味なのだろうか?「夜」は通常、日が沈んで暗いとき(=時間)を意味する。しかし、時間は流れるが形がないので当然「底」などない。つまりここの「夜」は、通常の意味の「夜」ではない。では、どういう状況を表現しているのだろうか?おそらく、この「夜」は島村の車窓から見た「暗闇」を文学的に表現したのではないかと私は思う。具体的に言うと、トンネルに入る前の群馬県側では雪はなく、車窓からの夜景はただ一面の「暗闇」にすぎなかった; しかし長いトンネルを抜け雪国(=新潟の湯沢町)に入った途端、「暗闇」は一変する; 実際には、雪はずっと以前からそこの地面に積もっていたのであり、変化したわけではないのだが、島村(=川端康成)の目には、あたかも「暗闇」の下部(=地面)が突然、白く変化したかのように映ったのにちがいない。

「夜の底」という日本語の抽象的な表現に比べて、英語の The earth under the night sky (夜空の下の大地)は「具体的」「説明的」でわかりやすい。「大地」と「夜空」を前置詞 "under" で明確に関係付けている。まさに、日本語は抽象的な表現を好むが、英語は具体的な表現を好み、「ものとものとの関係」が実に明瞭だ。
"The earth lay white under the night sky." を意訳すると、「大地は夜空の下、白く横たわっていた」。要は、「地面に雪が積もっていた」ということ。直訳の "The bottom of the night became white." (夜の底が白くなった)では、何のことかさっぱりわからず、これではノーベル文学賞はとても無理だったでしょうね、きっと。

信号所に汽車が止まった。
The train pulled up at a signal stop.

ウーン、やはりネイティブ・スピーカーの英文は簡潔で美しい。民族英語はいきいきとした英米文化を背景に持つ。さりげなく訳してあるが、表現が生きていますね。

向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。

この文はわかりやすい。私ならおそらく原文にひきづられて、次のように訳しそうだ。

From the opposite seat a girl stood up, came over and opened the window in front of Shimamura.

しかし、サイデンステッカーは、この場面をはっとするほど正確に描写する。

訳文: A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura.

同じ車両の反対側に座っていた娘がやって来て、島村の前の窓を開けた。


the car は、ここでは車ではなく、車両の意味。向側の座席 the opposite seat は、向かい側とみれば、対面または背面する座席に、向こう側とみれば同じ車両の反対側の座席に解釈される。要するにこの表現では「あいまい」なのだ。実際には、娘(葉子)と島村はちょうど斜めに向かい合っていたので、同じ車両の反対側の座席が正しい。このため、訳文では、原文にはない「車両」という名詞を新たに補充している。これにより、「ものとものとの関係」、つまり、娘の座席と島村の座席の関係が明白となる。

「立って来て、窓を開けた」 stood up, came over and opened the window であれば、娘は時系列の順番に動作しているので、動詞はすべて過去形でよいが、「座っていた娘が来て、窓を開けた」となると、時制が異なるので 「座っていた娘」は、A girl who had been sitting と過去形よりさらに過去を表す過去完了進行形が必要となる。

原文: 娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」

訳文: Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.

訳訳文: 窓いっぱいに乗り出しながら、娘は駅長をずっと遠くにいるかのように大声で呼んだ。

原文は直接話法「駅長さあん、駅長さあん。」なのに、サイデンステッカーは間接話法で訳している。これは日本語と英語の特性に関係する。日本語は、敬称、敬語、謙譲語など待遇表現が英語よりはるかに豊富なので直接話法が威力を発揮するが、英語は間接話法が得意だ。「駅長さあん」の「さあん」は、敬称「さん」の変化したもので、日本人ならこれだけで、大声で呼んだとすぐにわかるが、英語には翻訳しづらい。マレーシア英語なら、日本人の多用する敬称「さん」に慣れているので、直接話法の ”Station Master san, Station Master sa-aaa-n!” でも理解してもらえるかもしれないが。


原文: 明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

訳訳文: 駅長は雪を踏みながら手に明かりをさげてゆっくり歩いて来た。彼の顔は襟巻きで鼻まで包まれ、帽子の耳おおいは顔まで垂れさがっていた。

訳文: The station master walked slowly over the snow, a lantern in his hand. His face was buried to the nose in a muffler, and the flaps of his cap were turned down over his face.

原文は「男」を主題にして文全体をひとつにまとめているのに対して、訳文は、「駅長」、「顔」、「耳おおい」と3つのものをそれぞれ主語に設定して3つの文に分けてある。「駅長」、「顔」、「耳おおい」は、いずれも原文には存在しない。「駅長」と「男」、「帽子の耳おおい」と「帽子の毛皮」は実質的に同じものなので、これは別としても、「手」や「顔」は新たに補充されたもので、「顔」などは2度も登場する。実際、訳訳文は原文よりも1.5倍ほど長い。この結果、訳文はものとものとの関係が明白だ。

「明かりをさげて」 = “a lantern in his hand”

「襟巻で鼻の上まで包み」 = “His face was buried to the nose in a muffler”

「耳に帽子の毛皮を垂れていた」 = “the flaps of his cap were turned down over his face”


「明かりをさげて」の「さげて」は動詞だが、訳文では前置詞 “in” で表現している。明かりは手に、(たとえば、腰にではなく)さげていたのだ。ここにも、名詞を多用して具体的に説明する英語の特徴が如実に現れている。

「襟巻で鼻の上まで包」んだのは何か?「顔」である。当たり前じゃないか!などと憤慨しないでください。”His face” という主語を立てないかぎり、普通の英語にはならないのです。

「耳に帽子の毛皮を垂れていた」は、「帽子の耳おおいは、顔まで垂れさがっていた」と表現している。たいした違いはないじゃないか、ですって!?いいえ、垂れていたのは、「耳」にではなく「顔」にでしょうと、訂正している。なるほど、確かに「耳おおい」は、耳を越えて顔にまでかかるものですね。いやはや、恐れ入りました。


長文は短文に分割すると翻訳が簡単!
直訳か意訳か

直訳か意訳かは翻訳者にとって永遠のテーマ。直訳は原文を字句・文法にしたがって一語一語忠実に訳すこと(literal translation)、逐語訳ともいう。意訳は字句にこだわらないで意のあるところを訳すこと(free translation)、自由訳ともいう。

若い頃、私は極端な直訳信奉者だった。といっても、主義とか思想とか、そんな高遠なものに裏うちされたものではない。単に経験不足で自分勝手にそう思い込んでいたにすぎない。当時の私は原文を絶対視していたようだ。原文の語句はすべて翻訳しなければならない、原文にない語句を勝手に補充してはならない、原文が長い文章であっても勝手に分割してはいけない、原文の形容詞や副詞は、訳文でも形容詞や副詞にしなければならない、つまり、品詞は変更してはならない、などなど。思い込みは恐い。

言語学的に似通った言語間の翻訳ならいざしらず、お互いにかけ離れた構造を持つ日本語や英語間の翻訳にそのような偏狭な手法だけで対処できるはずはないのだが、当時はしかし、そのように思い込んでいた。

川端康成の『雪国』とサイデンステッカーの英訳 ”Snow Country” は、こうした永遠のテーマに対してひとつのガイドライン(指針)を示してくれている。サイデンステッカーは必要に応じて、原文の語句を省略したり、原文にない語句を新たに補充したり、長文を短文に分割したり、品詞を変更したりする。つまり、わかりやすい英文に翻訳するために必要に応じて意訳する。

(原文)
もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

(訳文)
It’s that cold, is it, thought Shimamura. Low, barracklike buildings that might have been railway dormitories were scattered here and there up the frozen slope of the mountain. The white of the snow fell away into the darkness some distance before it reached them.

(訳訳文)
もうそんな寒さかと島村は思った。鉄道の官舎らしい低いバラックのような建物が凍結した山の斜面のあちこちに散らばっている。雪の白さはそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

原文は、島村の眺めた景色として文全体をひとつにまとめているが、訳文では、島村・建物・雪の白さという3つの名詞をそれぞれ主語にして3つの文に分割して仕上げてある。原文の流れも自然なら、訳文も同様に自然な流れで分断の後遺症など、まったく感じさせない。

原文は日本語的な発想に基づいた名文である。このような名文から直接、訳文のような自然な英文を創造することは極端に難しい。日本人にはまず無理。こういう場合には、名文を一度、英語的な発想の明文(わかりやすい文)に読み砕くことである。まず、長文ならいくつかの文に分断する。分断するときは動詞に注目し、概念(意味のひとまとまり)ごとに切り出す。分断箇所にはスラッシュ(斜線 “ / “) を入れる。スラッシュ (slash) は動詞では「切り裂く」の意。明文を書くには、「1つの文に1つの概念」が原則。現に、訳文ではこの原則が採用されている。英作文はこれに限る。これだと書くのが簡単で読み手も理解しやすい。

もうそんな寒さか/ と島村は外を眺める/ と、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている/ だけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた/。

次に、分割した各文の主語(S)や動詞(V)、目的語(O)、補語(C)などを特定する。これらが省略されているときは補充する。

もうそんな寒さか/ → もうそんな寒さかと島村は思った。

島村は外を眺める/ → 島村は外を眺めた。

鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている。

雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。


ここまでの作業で難解だった長文の名文が4つの短い明文に変換された。これなら、私たち日本人でも何とか翻訳できそう、でしょう?。俄然、やる気もわいてくる。以下に私の訳とサイデンステッカーの訳を示す。対比することで日本英語(JE)と米語(AE)の違いが実感できる。

もうそんな寒さかと島村は思った。

JE: It’s already such cold, thought Shimamura.

AE: It’s that cold, is it, thought Shimamura.

島村は外を眺めた。

JE: He looked out.

AE: (訳文では省略されている)

鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている。
JE: Railway dormitorylike barracks were coldly scattered at the foot of the mountain.

AE: Low, barracklike buildings that might have been railway dormitories were scattered here and there up the frozen slope of the mountain.


雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

JE: The color of snow disappeared in the darkness on the way before it arrived there.

AE: The white of the snow fell away into the darkness some distance before it reached them.

ちょっと気になるのは、原文の「島村は外を眺め」は、訳文では省略されている点である。私などはつい、He looked out. という英文を挿入したくなるが、山裾のバラックなどの光景は島村の眺めた景色だということは誰の目にも明快なので、実際にはこの文がなくても少しも不都合はない。

どちらかというと逐語訳調の私のジャパニーズ・イングリッシュに比べて、サイデンステッカーの訳はすべて、当然のことながら、さすがに格調高く洗練されていて、特にバラックの描写など臨場感すら漂っており、実にいきいきとまるで映画のシーンを見ているようである。この違いはどこから来るのか? もう一度、バラックの文に焦点をあて、仔細に検討しよう。

(原文) 鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている。

(訳文) Low, barracklike buildings that might have been railway dormitories were scattered here and there up the frozen slope of the mountain.

(訳訳文)鉄道の官舎らしい低いバラックのような建物が凍結した山の斜面のあちこちに散らばっている。

バラックは米語ではbarracks(単複同形)で通常、「兵舎」を意味するようだ。もちろん、「粗末な家」の意味もあるが。訳文では、「低い」や「凍結した山の斜面」、「あちこちに」が補充されていて、これらが臨場感の演出に一役かっている。これらの語句は原文にはない。「低い」は平屋を連想させる。確かに当時の鉄道の官舎はそんな感じだったようである。「凍結した山の斜面」は原文の「寒々と」を具体的に表現したもの。「あちこちに」はバラックの散在するさまを強調しているので、挿入した方が英文ではわかりやすい。ちなみに「あちこちに」は、日本語の語順と異なりhere and there 「こちあちに」となる。

(原文)寒々と → 凍結した山の斜面に
up the frozen slope of the mountain

原文では「寒々と」と副詞を使用して抽象的に表現しているが、訳文では「凍結した山の斜面」と具体的に表現している。川端康成の「寒々と」に込めた想いが訳文の ”the frozen slope” に完全に一致するとは思えないが、「日本語は抽象的な表現を好み、英語は具体的な表現を好む」という日英2つの言語の特徴が出ていておもしろい。「寒々と」を具体的に表現せよと問われたら、私は "in the freezing air" と答えるような気がする。この場面ではこの副詞句が私の語感に近い。

でも、サイデンステッカーはなぜリスクをおかしてまで「寒々と」を「凍結した山の斜面」と訳したのか?私が思うに、日本語では「家が寒々と散らばっていた」はごく普通の表現であるが、英語では、Houses were coldly scattered. とはあまり表現しないのではないか。 scatter は widely (広く)などとは連語 (collocation) になるが、coldly 「寒々と」とはあまり連結しない。だから「寒々と」を断念したのではないかと思う。インターネットを検索しても "scatter" と "coldly" の連結は見当たらない。実際、Cambridge Advanced Learner's Dictionaryは "coldly" を以下のように定義している。ロングマン米語辞典(LAAD)やオックスフォード辞典(OALD)でも似たり寄ったり。もちろん、"coldly" は cold + ly なので「寒い」という概念をいずれにせよ持っているのはまちがいないが、Houses were coldly scattered. は英米人の普通の表現にはないのかもしれない。

coldly: adverb
in an unfriendly way and without emotion:
"That's your problem, " she said coldly. (それはあなたの問題よ、と彼女は冷たく言った)

サイデンステッカーが翻訳で目指したのは「ごく普通の自然な英文」であるのはまちがいない。どの訳文を見てもお手本になる自然な英文ばかり。だからこそ、『雪国』と "Snow Country" は日本人にとって和文英訳の手引書となり得るのである。さらにまた、これは和文英訳についての手引きではあるが、その基本的な手法や考えかたは英文和訳にも、あるいはもっと一般化して、他の言語の翻訳にも相当に適用できるのではないかと私は思っている。私にとっては手引書というよりは名人による翻訳の指導書、いや極意の書である。


日本語には間接話法はない!
地の文と会話文

会話文はわかりやすい。説明や描写の文(地の文)が長々と続いた後に会話文を目にするとほっとする。会話文は砂漠の中のオアシス。子供のころから不思議なことに、会話の部分だけは文字を読むまでもなく、音声と映像で瞬時にして理解できた。まるで、話し手の声が聞こえ表情までもいきいきと見えてくるかのように。同じような体験をお持ちの方は大勢いらっしゃるはずだと思う。

(原文)
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます。」

「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ。」

「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ。」

「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」


(訳文)
"How are you?" the girl called out. "It's Yoko."

"Yoko, is it. On your way back? It's gotten cold again."

"I understand my brother has come to work here. Thank you for all you've done."

"It will be lonely, though. This is no place for a young boy."


(訳訳文)
「ご機嫌いかがですか?葉子です。」と娘は叫んだ。

「葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったね。」

「弟が今度こちらにお勤めさせていただいているそうですね。お世話になります。」

「今に寂しくなるだろうにね。ここは若いのが住むところじゃないよ。」

上述の会話文は本人の話を直接、引用しているので英文法の直接話法に相当する。英語には直接話法と間接話法がある。直接話法 (direct speech) は人のことばをそのまま伝える方法で、間接話法 (reported speech) は人のことばを話し手のことばに直してから伝える方法である。英語の直接話法と間接話法はお互いに変換することができる。


例: 「私は今、元気です」と彼は言った。

He said, "I am fine now." (直接話法 direct speech)

He said (that) he was fine then. (間接話法 reported speech)


日本語は直接話法は得意だが間接話法は苦手、というより間接話法は英語の概念であり日本語にはもともと存在しない。日本語では「会話文」と「地の文」という概念がある。「地の文」とは説明や描写の文のこと。大雑把に言うと、会話文は日本語では直接話法で表現し、英語では直接話法かまたは間接話法で表現する。


「日本語の会話文」 = 日本人は「直接話法」で表現する

「英米語の会話文」 = 英米人は「直接話法」または「間接話法」で表現する

日本語では複雑な内容であっても直接話法でなら完璧に表現できるが、間接話法ではそうはいかない。私自身、間接話法の英文をそのまま間接話法で日本語に翻訳しようとして、四苦八苦した苦い経験が何度もある。単純な内容なら間接話法で表現できなくもないが、ちょっと込み入った内容になるとすぐにお手上げとなる。いくら工夫してもなかなか素直な日本語にならない。

英語の直接話法と間接話法は、表現こそ異なるが内容(意味)はまったく同じもの。複雑な内容の間接話法の英文を和訳するときは、直接話法で処理した方が自然な日本語を得やすい。この場合、意味が不明瞭にならないかぎり、かぎかっこ(「」)を省略するなど、ちょっと工夫することであたかも間接話法であるかのように見せることもできる。

例: He said he was fine then. (間接話法の英文を和訳する場合)

「私は今、元気だ」と彼は言った。 (直接話法で和訳してもよい)

今、元気だと彼は言った。 (かぎかっこを省略して間接話法のように見せることもできる)

話法の話はこれくらいにして、『雪国』の本文に戻る。


原文: 「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます。」

訳文: "How are you?" the girl called out. "It's Yoko."

「駅長さん」は今回も訳文にはない。"How are you, Station Master? It's me." と逐語訳したくなるところだが、訳文の方がもちろん、自然な英文である。

原文: 「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ。」

訳文: "Yoko, is it. On your way back? It's gotten cold again."

「ああ、葉子さんじゃないか」を "Yoko, is it." と疑問形にして疑問符はつけない。これを仮に、"Ah, it's you, Yoko, aren’t you?" などと普通の付加疑問文にすると、アメリカ風の社交的な駅長というイメージを読者に与える恐れがある。 "Yoko, is it." か、なるほどね。これなら、日本人の駅長の感じが出ている。

原文: 「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ。」

訳文: "I understand my brother has come to work here. Thank you for all you've done."

日本人は「今度」という語を愛用するが一筋縄では行かないことばだ。場合に応じて、this time, next, recently などに訳し分ける必要がある。この場合は "my brother has (recently) come" の意だが、訳文にはない。

原文: 「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」

訳文: "It will be lonely, though. This is no place for a young boy."

訳訳文:「今に寂しくなるだろうにね。ここは若いのが住むところじゃないよ。」

"It will be lonely" の "it" は、おなじみの形式主語。 It rains (雨が降る), It's dark here (ここは暗い) などのように、形式主語の "it" は天気や時間、距離、情況などを漠然と指す。英語は形式上、主語が必要なので挿入されたもの。通常、"it" は日本語に訳さない。

会話文はわかりやすいが、皮肉なことに会話文の翻訳は非常に難解になる場合が多い。上記の、「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」もその典型的な例である。民族の文化や生活に深く根ざした表現は逐語訳ではうまく処理できないのだ。「参るだろうよ」= He'll be frustrated. や「可哀想だな」= I feel (sorry) for him. などと直訳せずに、lonely や “no place for a young man” などを使用して言外ににおわせる、まさに高等技法である。


川端康成の官能的表現
直訳か意訳か

川端康成の『雪国』(新潮文庫)の8ページには「左手の人差指」について述べた長文がある。この文は物語全体とやや趣(おもむき)を異にする。私は少し違和感を覚えた。彼の作品にしては珍しく表現が露骨で肉感的な感じが強い。サイデンステッカーの英訳版 ”Snow Country” でこの文を確認したら、どうやらサイデンステッカーも戸惑いを感じていたようである。

(原文)
もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろろなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。

(訳文)
It had been three hours earlier. In his boredom, Shimamura stared at his left hand as the forefinger bent and unbent. Only this hand seemed to have a vital and immediate memory of the woman he was going to see. The more he tried to call up a clear picture of her, the more his memory failed him, the farther she faded away, leaving him nothing to catch and hold. In the midst of this uncertainty only the one hand, and in particular the forefinger, even now seemed damp from her touch, seemed to be pulling him back to her from afar. Taken with the strangeness of it, he brought the hand to his face, then quickly drew a line across the misted-over window. A woman's eye floated up before him. He almost called out in his astonishment.

(訳訳文)
三時間前のことだった。退屈まぎれに、島村は左手を眺め人差指が屈伸するのを見つめていた。この手だけがこれから会いに行く女の、生き生きしたじかの思い出を持っているようだ。鮮明な女の画像を思い出そうとすればするほど、記憶は萎え、女がますます薄れてゆき、つかまえておきたいのに何も残らない。この不確実さの中で、この片手だけが、特にこの人差指が今も女の触感で濡れていて、遠くから自分をその女へ引き戻しているかのようだ。不思議に思いながら、彼は左手を顔に近づけて、それからすっかり曇った窓にさっと線を引いた。女の片眼が彼の面前に浮かび出た。彼は驚いて声をあげそうになった。

他の部分は原文に忠実なのに、「鼻につけて匂いを嗅いでみた」の部分だけは、"he brought the hand to his face" (彼は左手を顔に近づけた)とぼかして訳してある。「鼻につけて左手の匂いを嗅ぐ」を直訳すると、”he smelled his left hand” または “he put his left hand on his nose to smell it” となる。しかし訳文には「鼻」も「嗅ぐ」もどこにも出てこない。具体的な表現を好む英語がこの部分に限っては、日本語のお家芸を奪うかのごとく曖昧に表現している。なぜか?おそらくサイデンステッカーもこの部分については違和感を覚えたにちがいない。だから彼は意図的に曖昧に表現したのではないだろうか?

欧米文化では鼻はタブーらしい。英米の小説では「顔は克明に描かれている場合でも、どうしたことか鼻への言及が少ない」、「どうも欧米人は、鼻を何となくわいせつな感じ(obscene)を起こさせるものと見ているようだ」(『ことばと文化』 鈴木孝夫著、岩波新書、ものとことば、50〜51ページから抜粋)

だとしたら、「鼻につけて匂いを嗅いでみた」は欧米人にとっては、いよいよ卑猥な表現となる。結局サイデンステッカーは、翻訳者としての原文への忠誠の義務に逆らってまでも、具体的な表現を好む英語の用法に逆らってまでも、あえて曖昧に表現せざるを得なかったのであろう。原文は確かに少々卑猥な感じはするが、日本語の文学的表現の許容範囲内にぎりぎり収まっている。少なくとも川端康成はそう考えた。しかし、欧米文化ではこの部分の逐語訳、たとえば、“he put his left hand on his nose to smell it” は到底一般読者の容認できるものではないのかもしれない。「鼻につけて匂いを嗅いでみた」の意訳、"he brought the hand to his face" (彼は左手を顔に近づけた)は、文化レベルにまで引き上げて考えてみると、一転して原文に忠実な訳となる。日英両文とも、お互いに文化的(= 文学的)許容範囲内にあるからだ。翻訳者としての原文への忠誠義務違反は「ことば」のレベルではまさにその通りだが、上位概念の「文化」のレベルでは免罪され忠誠義務違反に当たらない。この意訳で OK だと私は思う。

原文の2つの文のうち、最初の文は相当に長い。文字数を数えてみたら何と226文字ある。ちなみに、マイクロソフトのワードで文字数を確認するには、ワードを起動し、目的の文を新規文書に入れ、ワードのメニューバーから「ツール」、「文字カウント」の順にクリックすると、「文字カウント」ウィンドウが表示され、文字数や単語数を確認できる。それにしても 226文字とは相当に長い文だが、そこは名人、誰でも難なくすらすらと読みこなせるように仕上げてはある。

この長文は、訳文では7つの文に分割されている。長文は短文に分割する、サイデンステッカーは徹底してこの手法を採用する。分割するときは、文頭から順番に、動詞に注目しながら概念(意味のひとまとまり)ごとに切り出す。このようにして分割したものを次に示す。

もう三時間も前のことだった/
島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めた/
この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている/
はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろろなくぼやけてゆく/
記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだ/
不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引く/
そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった/

ここで時制について一言。英語の時制 (tense) は時間軸に沿った単純明快なもの。このような時間軸に沿った単純明快な時制という概念は日本語にはない。たとえば、上述の7つの文は過去の話なので、英語の動詞はすべて過去形を使用しなければならない。現在形は使用できない。しかし、日本語の文末の動詞に注目すると、「ことだった」、「眺めた」、「覚えている」、「ぼやけてゆく」、という具合に「〜する」、「〜した」、「〜だ」、「〜だった」が混在している。このように日本語では過去の話に「〜する」とか「〜だ」とかも使用できるのである。中学校の英語の時間に私たちが教わった「〜する」=現在形、「〜した」=過去形、「〜でしょう」=未来形などの公式は、現実の日本語には通用しないことがわかる。時制について詳しくは http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-280.html を参照してください。

英語的な発想の明文(わかりやすい文)を書くには「1つの文に1つの概念」が原則。英作文はこれに限る。これだと書くのが簡単で読み手も理解しやすい。さらに嬉しいことに、コンピュータまでもが明文は理解できるのだ。英日・日英間の機械翻訳は実用にはまだまだ程遠いのが現状だが、実は先日、この手法を用いて自分で書いた英文メールを遊び心で、市販の英日・日英機械翻訳ソフト(訳せ!!ゴマ)にかけたところ、4ページほどの英文が2、3分後に日本語に翻訳され、ほとんどすべての訳文(和文)が理解可能な、したがって実用的なレベルに仕上がっていた。驚き桃の木、山椒の木!そばでこの作業を見守っていた同僚も「完璧ですね」と叫んだ。私も興奮した。そうか、明文は機械翻訳できるのか!明文は書くのが簡単、わかりやすい、機械翻訳も可能。だから「実務文書は明文で」。ね、そうでしょう。


会話文には接続詞はいらない!?
会話文 (2)

(原文)
「ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお願いいたしますわ。」

「よろしい。元気で働いてるよ。これからいそがしくなる。去年は大雪だったよ。よく雪崩れてね、汽車が立往生するんで、村も炊出しがいそがしかったよ。」

「駅長さんずいぶん厚着に見えますわ。弟の手紙には、まだチョッキも着ていないようなことを書いてありましたけれど。」

「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪をひいてね。」

駅長は官舎の方へ手の明りを振り向けた。
「弟もお酒をいただきますでしょうか。」

「いや。」

「駅長さんもうお帰りですの?」

「私は怪我をして、医者に通ってるんだ。」

「まあ。いけませんわ。」


(訳文)
"He's really no more than a child. You'll teach him what he needs to know, won't you."

"Oh, but he's doing very well. We'll be busier from now on, with the snow and all. Last year we had so much that the trains were always being stopped by avalanches, and the whole town was kept busy cooking for them."

"But look at the warm clothes, would you. My brother said in his letter that he wasn't even wearing a sweater yet."

"I'm not warm unless I have on four layers, myself. The young ones start drinking when it gets cold, and the first thing you know they're over there in bed with colds."

He waved his lantern toward the dormitories.

"Does my brother drink?"

"Not that I know of."

" You're on your way home now, are you?"

"I had a little accident. I've been going to the doctor."

"You must be more careful."

..................................................................................................

「ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお願いいたしますわ。」

"He's really no more than a child. You'll teach him what he needs to know, won't you."

原文は単文だが、訳文は2つに分割されている。

「子供ですから」の中の「から」に相当する語は訳文にはない。「から」は原因・理由を示す接続詞で、英語の because, sinceに近い意味を持つ。因果関係が重要な意味を持つ論文はともかく、日常会話のような文章では、「なぜならば because」はまだいいとしても、「したがって thus, consequently, therefore」のような形式ばった接続詞は英文では無視される場合が多い。(接続詞を使うとしてもせいぜい and を挿入する程度)。

たとえば、「今朝、朝食をとらなかったので、今、おなかがすいている」は I had no breakfast this morning, (and) I'm hungry now. ぐらいで十分でしょう。もちろん、I'm hungry now because I had no breakfast this morning. もOKでしょうが、少しくどい感じがしませんか。

長文を短文に分割すると、この接続詞の問題は必ず浮上する。サイデンステッカーは、長文は複数の短文に分割しているが、その際、分割箇所の接続詞は省略している。たとえば、「バラックが散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた」の「だけで」もやはり無視されていた。

私たち日本人は「〜だから」や「なので」、「したがって」、「このため」などの接続詞が大好きで日常的な文章でも頻繁に使用する。こうした接続詞がないと文と文のつながりが希薄になりそうで不安なのだ。実際、日本語では接続詞を挿入した方が文の座りがいい。しかし英米人は一般に、こういう種類の接続詞はあまり使用しない。これを翻訳の観点からいいかえると、英文和訳の際には「文の座り」をよくするため、たとえ英文になくとも接続詞を補充し、逆に、和文英訳の際には自然な英文にするために、和文の接続詞を省略するぐらいの気持ちが必要ということ、かもしれない。


「あんなことがあったのに」は英語でどう言うの?
婉曲表現:

男と女の出会い・別れ・再会はいつも感動的だ。物語の中で最も人を魅了する部分である。私も子供の頃からラブストーリーが大好きで、石坂洋次郎の『陽のあたる坂道』、アンソニー・ホープの『ゼンダ城の虜』(The Prisoner of Zenda)、田山花袋の『蒲団』など夢中になって読みふけった時期がある。以下の文も男と女、島村と駒子の再会のシーンである。(『雪国』 新潮文庫16ページから抜粋)

(原文)
あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、踊の型の本など送るという約束も果たさず、女からすれば笑って忘れられたとしか思えないだろうから、先ず島村の方から詫びかいいわけを言わねばならない順序だったが、顔を見ないで歩いているうちにも、彼女は彼を責めるどころか、体いっぱいになつかしさを感じていることが知れるので、彼は尚更、どんなことを言ったにしても、その言葉は自分の方が不真面目だという響きしか持たぬだろうと思って、なにか彼女に気押される甘い喜びにつつまれていたが、階段の下まで来ると、「こいつが一番よく君を覚えていたよ。」と、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の目の前に突きつけた。

「そう?」と、女は彼の指を握るとそのまま離さないで手をひくように階段を上って行った。

原文の最初の一文は299文字と非常に長い。サイデンステッカーはいつものように長文は分割する。この長文は7つに分割されている。

あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、踊の型の本など送るという約束も果たさなかった。 In spite of what had passed between them, he had not written to her, or come to see her, or sent her the dance instructions he had promised.

あんなことがあったのに → 二人の間に起こったものにもかかわらず

「あんなこと」とは、ここでは男女間の肉体関係を指す。婉曲(えんきょく)な表現は難しい。私のような実務翻訳者には特にそうだ。以前、原田克子さんの詩を英訳したときの話。『壊心 3』の第2パラグラフの3行目、「肌を触れ合うことがなくなったわたしたち」で困ってしまった。ウーン、難しいなあ… We can no longer sleep together とか We don't touch each other any longer now とか訳してはみたが、いまひとつ自信が持てない。「あんなことがあったのに」は In spite of what had passed between them というのか。なるほど。よーし、忘れないようにこのまま暗記しようっと。

「あんなことがあった」 (直訳すると there was a thing like that) が、訳文では「二人の間に起こったもの」 what had passed between them = the thing that had happened between them と、より具体的に名詞で表現されている。このように、日本語では文(節)で表現してあるのに、英語では名詞(もの)で表現する場合が多い。「動詞が主役」の日本語と「名詞が主役」の英語との違いがここにも顔を出している。

女からすれば笑って忘れられたとしか思えないだろう。
She was no doubt left to think that he had laughed at her and forgotten her.

“no doubt” は「疑いなく」 (undoubtedly) という副詞。She was left ... は受身。能動態に直すと、He left her ... (彼は彼女をほったらかした)。原文、訳文ともに、受動態と能動態が混在している。She was no doubt left to think that she had been laughed at and forgotten (by him). (彼女は彼にほったらかしにされ、笑われて忘れ去られたと彼女はきっと思ったことだろう) と従属節を受身にすることもできる。

先ず島村の方から詫びかいいわけを言わねばならない順序だったが、顔を見ないで歩いているうちにも、彼女は彼を責めるどころか、体いっぱいになつかしさを感じていることが知れた。

It should therefore have been his part to begin with an apology or an excuse, but as they walked along, not looking at each other, he could tell that, far from blaming him, she had room in her heart only for the pleasure of regaining what had been lost.

「体いっぱいになつかしさを感じている」 → 「彼女は、失っていたものを取り戻したという喜びだけの余裕を心に抱いていた」

“she had room in her heart only for the pleasure of regaining what had been lost.”

ワオ、これは驚いた!原文の日本語には名詞は2つ、「体」と「なつかしさ」しかないのに訳文の英語にはどちらの名詞も出て来ない。 その代わりに、5つの名詞、「she (彼女)」、「room (余裕)」、「heart (心)」、「pleasure (喜び)」、「what had been lost (失っていたもの)」が新たに補充されている。英語的な発想とはいえ、これはしかし私たちには複雑すぎる。もっと単純に、たとえば、she was filled with longing for him. (彼女は、彼に対するなつかしさでいっぱいだった) でいいのではないのかな。これだと原文の「いっぱい」も「なつかしさ」も出て来る。

彼は尚更、どんなことを言ったにしても、その言葉は自分の方が不真面目だという響きしか持たぬだろうと思った。

He knew that if he spoke he would only make himself seem the more wanting in seriousness.

なにか彼女に気押される甘い喜びにつつまれて彼は歩いた。

Overpowered by the woman, he walked along wrapped in a soft happiness.

階段の下まで来ると、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の目の前に突きつけた。

Abruptly, at the foot of the stairs, he shoved his left fist before her eyes, with only the forefinger extended.

階段の下まで来ると → 階段の下で (at the foot of the stairs)

私などつい、原文にひきずられて文(節)として when they came to the foot of the stairs と直訳しそうなところだが、なるほど、動詞 come 「来る」の代わりに、前置詞 at 「(下)で」で充分ですね。日本語の動詞は、英語では前置詞で表現される場合が多い。たとえば、冒頭の「長いトンネルを抜けると」 = out of the long tunnel. 逆に言うと、英文和訳の際には、英語の前置詞は日本語では動詞で訳した方が自然な和文になる場合が多い、ということですね。

「こいつが一番よく君を覚えていたよ。」
“This remembered you best of all.”

「そう?」と、女は彼の指を握るとそのまま離さないで手をひくように階段を上って行った。
“Oh?” The woman took the finger in her hand and clung to it as though to lead him upstairs.


「居住まいを直す」は英語でどう言うの?
駒子との出会い

新緑の登山季節、山歩きから七日振りりで温泉場へ下りて来た島村は、宿屋に芸者を呼ぶように頼んだ。ところが、あいにくその日は道路普請の落成祝いで芸者は皆出払っていた。三味線と踊の師匠の家にいる娘(駒子)は芸者というわけではないが、もしかしたら来てくれるかも知れないと女中は言う。以下は島村と駒子の出会いのシーンである。(『雪国』 新潮文庫18ページから抜粋)

(原文)
怪しい話だとたかをくくっていたが、一時間ほどして女が女中に連れられて来ると、島村はおやと居住まいを直した。直ぐ立ち上がって行こうとする女中の袖を女がとらえて、またそこに座らせた。
女の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪みまできれいであろうと思われた。山々の初夏を見て来た自分の眼のせいかと、島村は疑ったほどだった。

怪しい話だとたかをくくっていた。

An odd story, Shimamura said to himself, and dismissed the matter.

「怪しい話だとたかをくくる」は英語的な表現では、「怪しい話だと島村は独り言を言ってこの件を気にもとめなかった」となるのですか、ウム、なるほど、そうですか。

ちなみに、dismiss = to refuse to consider someone or something seriously because you think they are silly or not important. という意味。

一時間ほどして女が女中に連れられて来た。

An hour or so later, however, the woman from the music teacher’s came in with the maid.

原文では「女」となっているが、英語では “the woman from the music teacher’s (house)” 「音楽教師の家から来た女性」と具体的に説明されている。また、原文では「女中に連れられて来た」と受身の表現も “came in with the maid” 「女中と一緒に入って来た」と主体的に表現されている。いずれも英語的な発想だ。

島村はおやと居住まいを直した。
Shimamura brought himself up straight.

「居住まいを直す」はきちんと座りなおすこと。“sit up straight” の意。品のある女性に会うと、どんな男も思わずいずまいを正す。訳文の “Shimamura brought himself up straight.” は、畳文化に馴染みのない読者は “stood up straight” (直立した)の意味に解釈するかも知れない。そこで、“Shimamura sat up straight.” を私は提案したい。

直ぐ立ち上がって行こうとする女中の袖を女がとらえて、またそこに座らせた。
The maid started to leave but was called back by the woman.

原文は「女」が主語で女中をそこに座らせたとあるが、訳文は「女中」を主語にしている。文頭の「直ぐ立ち上がって行こうと」したのは女中なので、女中を主語にするのは自然な流れ。翻訳は「頭から順番に訳して行く」のが原則だ。現に、サイデンステッカーはほとんどの場合、頭から順番に訳して行く技法を採用している。頭から順番に訳して行かないかぎり、同時通訳は成立しない。この原則は和文英訳にかぎらず、英文和訳にも当てはまる。

中村保男 『英和翻訳の原理・技法』 より要点のみ抜粋する。
I'm afraid he is not here today because he caught a cold.
きょうは風邪を召して、お見えになっていないのが残念です。(英文解釈流)
あいにくですが、きょうは出社しておりません、お風邪を召したそうで。(頭から訳す)

上の受付嬢の応対では、「頭から訳す」方法のほうが遥かに実感もこもっているし、流れも快調だ。

「女中」は古くは婦人に対する敬称だったらしいが、現代では卑語となってしまった。今は「お手伝いさん」。英語ではメード “maid”。ところで「日女中本」の意味をご存知かな?これは四字熟語などではなく、単なることばのお遊び。解答は “made in Japan”。だって、日本の中に「女中」の文字が入っているでしょ、だから、メード・イン・ジャパン。私の若い頃に、こんな「ことば遊び」が一時流行したことがありました。

女の印象は不思議なくらい清潔であった。
The impression the woman gave was a wonderfully clean and fresh one.

女の印象 → The impression the woman gave (女が与えた印象)

「女の印象」を “the woman’s impression” というと、「女が抱いた印象」とも解釈されることもある。”The impression the woman gave” は、いかにも英語らしい的確な表現だ。最後の “one” は不定代名詞で「印象」の意味。「印象」を2回、繰り返すのを避けている。“one” が使用されたことで、この場合の「印象」は可算名詞だとわかる。

足指の裏の窪みまできれいであろうと思われた。
It seemed to Shimamura that she must be clean to the hollows under her toes.

足指の裏の窪み “the hollows under her toes” には、あか(垢)がたまりやすい。
訳文では ”must be” (〜にちがいない)と現在形が使用されている。ははーん、この場合は現在形の方がいいんですか!?。過去についての推定の表現は通常、”must have been” (〜だったにちがいない)と ”must have + pp” とばかり丸暗記していましたが…。

山々の初夏を見て来た自分の眼のせいかと、島村は疑ったほどだった。
So clean indeed did she seem that he wondered whether his eyes, back from looking at early summer in the mountains, might not be deceiving him.

この文は、She seemed so clean indeed that 〜 という例の (so ... that) 「非常に〜なので...」の倒置法ですね。


芸者を呼ぶ
「お湯道具」は「タオルと石鹸」だけ?

山歩きから一週間ぶりに温泉場で一泊した翌日の午後、島村は唐突に駒子に芸者の世話を頼んだ。しかし、駒子はこのときまだ19歳。男の生理にとまどってしまう。(『雪国』 新潮文庫19ページから抜粋)

(原文)
女は翌日の午後、お湯道具を廊下の外に置いて、彼の部屋に遊びに寄った。彼女が座るか座らないうちに、彼は突然芸者を世話してくれと言った。

「世話するって?」

「分かってるじゃないか。」

「いやねえ。私そんなこと頼まれるとは夢にも思って来ませんでしたわ。」と、女はぷいと窓へ立って行って国境の山々を眺めたが、そのうちに頬を染めて、

「ここにはそんな人ありませんわよ。」

「嘘をつけ。」

「ほんとうよ。」と、くるっと向き直って、窓に腰をおろすと、

「強制することは絶対にありませんわ。みんな芸者さんの自由なんですわ。宿屋でもそういうお世話は一切しないの。ほんとうなのよ、これ。あなたが誰かを呼んで直接話してごらんになるといいわ。」

「君から頼んでみてくれよ。」

「私がどうしてそんなことしなければならないの?」

「友だちだと思ってるんだ。友だちにしときたいから、君は口説かないんだよ。」

「それがお友達ってものなの?」と、女はつい誘われて子供っぽく言ったが、後はまた吐き出すように、

「えらいと思うわ。よくそんなことが私にお頼めになれますわ。」

「なんでもないことじゃないか。山で丈夫になって来たんだよ。頭がさっぱりしないんだ。君とだって、からっとした気持ちで話が出来やしない。」

原文: 女は翌日の午後、お湯道具を廊下の外に置いて、彼の部屋に遊びに寄った。

訳文: On her way to the bath the next afternoon, she left her towel and soap in the hall and came in to talk to him. (サイデンステッカー訳、ちなみにこの英文の訳は、翌日の午後お風呂へ行く途中、彼女はタオルと石鹸を廊下に置いて、彼の部屋に遊びに寄った。)

英語は具体的な表現を好む。なるほど、「お風呂へ行く途中」と状況が具体的に補足してある。しかし原文では「お湯道具を廊下の外に置いて」というだけで、お風呂へ行く途中だとも、お風呂から上がって帰る途中だとも書いていない。可能性は五分五分、どちらもありうる。原文の「お湯道具」も英文では「タオルと石鹸」と具体的に明示してある。確かにタオルと石鹸はお風呂の必須アイテム。しかしタオルと石鹸を洗面器(washbowl)に入れて廊下に置いた可能性もある。私など、南こうせつの「神田川」の世代なので、お風呂というと洗面器までも連想してしまう。日本人なら The next afternoon, she left her bath items out in the hall and came into his room to talk to him. と、あたりさわりのないように訳すような気がするが、具体性を欠くこのような英文は、アメリカ人には生理的に居心地が悪いのかもしれない。

原文: 彼女が座るか座らないうちに、彼は突然芸者を世話してくれと言った。

訳文: She had barely taken a seat when he asked her to call him a geisha.

うーん、さすがにネイティブの英文はすばらしい!頭から順番に自然に英訳してある。芸者は "geisha"、可算名詞なので 単数のときは a geisha、複数形は geisha or geishas となる。「世話する」というと通常、take care of, look after, help などを連想するが、この場合は call (呼ぶ)がふさわしい。

原文: 「世話するって?」

訳文: "Call you a geisha?"

原文: 「分かってるじゃないか。」

訳文: "You know what I mean."

原文: 「いやねえ。私そんなこと頼まれるとは夢にも思って来ませんでしたわ。」と、女はぷいと窓へ立って行って国境の山々を眺めたが、そのうちに頬を染めて、「ここにはそんな人ありませんわよ。」

訳文: "I didn't come to be asked that." She stood up abruptly and went over to the window, her face reddening as she looked out at the mountains. "There are no women like that here."

原文は会話文を前後に挿入して、全体を単一の長文に仕上げてあるが、訳文は3つの文に分割してある。この手法は随所に見られる。長文を翻訳するときは、このように分割した方が自然な英文を得やすい。「いやねえ」は訳してない。和文ではこれがあるとないとでは全体の印象が微妙に変わる。男は女の「いやねえ」を聞くと少し安堵する。まだ修復の余地が残されていると。

原文: 「嘘をつけ。」

訳文: "Don't be silly." (へーえ、”Don’t tell a lie.” じゃないんだ)

原文: 「ほんとうよ。」と、くるっと向き直って、窓に腰をおろすと、
「強制することは絶対にありませんわ。みんな芸者さんの自由なんですわ。宿屋でもそういうお世話は一切しないの。ほんとうなのよ、これ。あなたが誰かを呼んで直接話してごらんになるといいわ。」

訳文: “It’s the truth.” She turned sharply to face him, and sat down on the window sill. “No one forces a geisha to do what she doesn’t want to. It’s entirely up to the geisha herself. That’s one service the inn won’t provide you. Go ahead, try calling someone and talking to her yourself, if you want to.”

「窓に腰をおろした」は、sat down on the window sill. と英訳されている。 “sill” は「下枠」の意味。英語は具体的な表現を好む。ここでも腰をおろしたのは「窓」ではなく、「窓の下枠」だと表現する。「お湯道具」を「タオルと石鹸」と言い換えたように。これとは反対に、日本語は抽象的な表現を好む。たとえば、米国人が “We must construct roads and bridges soon.” (道路や橋をすぐに建設しなければならない)と具体的・能動的に表現するようなところを、私たちは「社会基盤(インフラ、infrastructure)の整備が急務である」と抽象的に表現する。「道路や橋をすぐに建設しなければならない」よりも「社会基盤の整備が急務」の方が、私たちには何となく高尚な感じがするのである。

原文: 「君から頼んでみてくれよ。」

訳文: “You call someone for me.”


原文: 「私がどうしてそんなことしなければならないの?」
訳文: “Why do you expect me to do that?”

原文: 「友だちだと思ってるんだ。友だちにしときたいから、君は口説かないんだよ。」

訳文: “I’m thinking of you as a friend. That’s why I’ve behaved so well.”

「友だちにしときたいから(=だから)、君は口説かないんだよ」は直訳すると、That’s why I’m not coming on to you. とでもなるところ。「口説く」は “come on to” だが、この表現は少しいやらしい感じがして、露骨すぎるのかもしれない。”That’s why I’ve behaved so well.” は、「だから、行儀よくふるまっているのじゃないか」みたいな感じ。なるほど、確かにこの方が品があり、主人公の島村の気持ちにも近い。

原文: 「それがお友達ってものなの?」と、女はつい誘われて子供っぽく言ったが、後はまた吐き出すように、「えらいと思うわ。よくそんなことが私にお頼めになれますわ。」

訳文: “And this is what you call being a friend?” Led on by his manner, she had become engagingly childlike. But a moment later she burst out: “Isn’t it fine that you think you can ask me a thing like that!”

原文: 「なんでもないことじゃないか。山で丈夫になって来たんだよ。頭がさっぱりしないんだ。君とだって、からっとした気持ちで話が出来やしない。」

訳文: “What is there to be so excited about? I’m too healthy after a week in the mountains, that’s all. I keep having the wrong ideas. I can’t even sit here talking to you the way I would like to.”

「なんでもないことじゃないか」は、私など原文につられて、”That’s nothing special, you see?” などと、つい単調に訳してしまいそうな気がする。やはり名訳はちがう。 “What is there to be so excited about?” は実に英語らしい表現だ。直訳すると、「そんなに興奮するような何があるのかい?」 → 「何をそんなに興奮しているの?」

「山で丈夫になって来たんだよ」は、英語では、原文にない「一週間」という語を補充し、“I’m too healthy after a week in the mountains, that’s all.”

「一週間、山にいたので元気になりすぎた、それだけのことだ」と具体的に表現にする。確かに島村はこのとき一週間山にいた。たとえ原文にはなくとも、「一週間」という語を補充した方が情況がわかりやすい。

「頭がさっぱりしないんだ」は、たとえば、"I don't really feel refreshed." だが、訳文では "I keep having the wrong ideas."(よくない考えがまとわりついて離れない)と、さらに踏み込んだ表現を採用し欲情を暗示する。

「君とだって、からっとした気持ちで話が出来やしない」も直訳すると、"I can't even talk to you frankly or cheerfully." とでもなるところだが、訳文では "I can’t even sit here talking to you the way I would like to.” (ここに座って君と話すことさえ、本当の気持ちで話ができやしない)と、原文にない "I can’t even sit here" とい節を補充し、これにより、臨場感あふれるなまなましいシーンをたくみに創出している。


なにしたらおしまいさ
婉曲語法、ユーフェミズム (euphemism)

川端康成の『雪国』を私が初めて読んだのは中学生の頃。思春期の多感な年ごろで男女間の秘め事には強烈な関心を抱いてはいたものの経験はもちろんない。しかし当時、この「なにしたらおしまいさ」のくだりは何となくわかったような気がした。よほど感銘を受けたのか、その後十数年たって実際に恋に悩んだり失恋したりしたときに思い出していた。それからさらにずっと後になってからでも、ときどきこの部分がふっと頭をよぎる。男と女の関係は微妙でややこしい。

島村と駒子の会話。川端康成 『雪国』 新潮文庫22ページから引用する。

「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう。」

「そう。ほんとうにみんなそうだわ。私の生まれは港なの。ここは温泉場でしょう。」と、女は思いがけなく素直な調子で、

「お客はたいてい旅の人なんですもの。私なんかまだ子供ですけれど、いろんな人の話を聞いてみても、なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れた後ってそうらしいわ。向うでも思い出して、手紙をくれたりするのは、たいていそういうんですわ。」

女は窓から立ち上がると、今度は窓の下の畳に柔かく座った。遠い日々を振り返るように見えながら、急に島村の身辺に座ったという顔になった。

婉曲(えんきょく)な表現は英訳がむずかしい。この「なにしたらおしまいさ」も、遠まわしで婉曲な表現である。英語は具体的な表現を好むとはいえ、何でもかんでも直接的にずばずば表現するというわけではない。やはり、そこは同じ人間、婉曲表現、ユーフェミズム (euphemism) は当然ある。

OALD辞典によると、euphemism (for something) = an indirect word or phrase that people often use to refer to something embarrassing or unpleasant, sometimes to make it seem more acceptable than it really is:

*Pass away is a euphemism for 'die.' 'User fees' is just a politician's euphemism for taxes.

英訳する際、まず、日本語の意味を正確に理解する必要がある。「なにしたらおしまいさ」は単純な表現に見えるが、その意味は意外と複雑だ。文頭の「なにしたら」は婉曲表現だが、意味は誰にでもわかる。「なに」する = セックスする、という意味。問題はつぎの語句「おしまいさ」の方である。これはあいまいな表現だ。いったい何がおしまいなのか、何が終わるのか、主語は何だろうか。和文ではこのように、しばしば主語が省略されるが、英文では主語は不可欠。主語を特定しないかぎり英文は書けない。主語や目的語が省略された和文を私は便宜上「文脈依存文」と呼ぶ。文脈依存文の主語や目的語は通常、前後の文脈から判断できる。

駒子(19歳)は不思議なくらい清潔な女性。足指の裏の窪みまできれいであろうと島村が思ったほどだ。島村は駒子に芸者の世話を頼んでいる。駒子は友だちにしときたいから口説かないという。なるほど、そうか、ならば主語は「男女間の友情」にちがいない。

つまり、「なにしたらおしまいさ」の意味はわかりやすく表現しなおすと、露骨になるので少し気がひけるが、「セックスすると友情がおしまいになる」ということを一般論として述べている。

「なにしたらおしまいさ」を直訳すると、

Friendship will be over if you have an affair. (仮定法現在)

Friendship would be over if you had an affair. (仮定法過去)

ここの "you" は「あなた」という意味ではなく、総称的に一般の人をさす「人は(誰でも)」という意味。また affair は、ここでは「情事、浮気」 (love affair) を意味する。

仮定法 if について:

日本語では、仮定法はすべて「A ならば B」という形式で表現し、内容にまで踏み込むことはしない。しかし、英語では面倒なことに、内容にまで踏み込んで実現の可能性が高いか低いかを区別し、それぞれに異なる表現法を採用する。実現の可能性の高いものの場合(=あり得る話)には、英語では条件節 (if-clause) に現在形を使用する。現在形を使用するのでこれを仮定法現在と呼ぶ。実現の可能性の低い場合や事実と異なるものの場合(=あり得ない話)には、英語では条件節に必ず過去形を使用する。過去形を使用するのでこれを仮定法過去と呼ぶ。しかし、過去形は使用するがその意味は現在。また、可能性が高いか低いかの判定は、話し手本人の主観的判断に依存する。

if については「if の創出する不思議な世界」http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-364.html を参照してください。

「なにしたらおしまいさ」は島村のせりふなので、島村の気持ちに即して考えれば、仮定法過去の Friendship would be over if you had an affair. がふさわしい。ただし、この英文は私が英訳したものなので、いわば典型的なジャパニーズイングリッシュ。そこで、ネイティブ・スピーカーの模範解答と比較・検討する。わが師匠(私が勝手にそう思っているだけ)、サイデンステッカー教授の英訳は次の通り。

原文:「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう。」

訳文: "An affair of the moment, no more. Nothing beautiful about it. You know that--it couldn't last."

訳訳文: 「つかのまの情事、それだけのこと。味気ないよ。長続きしないだろう」

あれえ、「なにしたらおしまいさ」の部分は「つかのまの情事、それだけのこと」 "An affair of the moment, no more." と訳されている。変だなあ。ひょっとしたら師匠は、「なにしたらおしまいさ」を「なにするだけでおしまいにする。それ以上のことはしない」と解釈されたのではないか?まさかね、日本語の堪能な大先生がそんなはずはない。はてさて、それじゃあ、どう考えたらいいんだろう。どうも「おしまい」という語に問題がありそうだ。ここの「おしまい」の用法は、フーテンの寅さんの 「それをいっちゃーおしめぇーよ」 (Things will be over if you say that.) と類似している。日本語大辞典は「おしまい」を次のように定義する。

お-しまい【*御仕舞(い)】
《「仕舞い」の丁寧語》

(1) 終わり。the end (用例>物語はこれで〜。
(2) 物事がだめになること。be all up (用例>こう不景気では、商売も〜だ。
(3) お化粧。身じまい。make up

問題の「おしまい」の意味は、定義の (2) 物事がだめになること、に該当する。それなら私の解釈でもよさそう。そこで、"An affair of the moment, no more." の文を私の訳文と差し替えて、全体をもう一度、原文と比較してみよう。

原文: 「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう。」

提案: "Friendship would be over if you had an affair. Nothing beautiful about it. You know that--it couldn't last."

うん、これでもよさそう。(なーんてね、独り合点だったりして)
罪滅ぼしに、以下の英文はすべてサイデンステッカー教授の "Snow Country" から引用する。

「そう。ほんとうにみんなそうだわ。私の生まれは港なの。ここは温泉場でしょう。」

"That's true. It's that way with everyone who comes here. This is a hot spring and people are here for a day or two and gone."

「私の生まれは港なの」は訳されていない。この文がない方がすっきりしてわかりやすいと師匠は判断されたのであろうか。代わりに、原文にない "and people are here for a day or two and gone." (温泉客は1泊か2泊してから出て行く)という文が新たに補充されている。翻訳ではこのように、省略や補充が必要な場合がある。

女は思いがけなく素直な調子で(言った)。

Her manner was remarkably open--the transition had been almost too abrupt.

「お客はたいてい旅の人なんですもの。私なんかまだ子供ですけれど、いろんな人の話を聞いてみても、なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れた後ってそうらしいわ。向うでも思い出して、手紙をくれたりするのは、たいていそういうんですわ。」

"The guests are mostly travelers. I'm still just a child myself, but I've listened to all the talk. The guest who doesn't say he's fond of you, and yet you somehow know is--he's the one you have pleasant memories of. You don't forget him, even long after he's left you, they say. And he's the one you get letters from."

女は窓から立ち上がると、今度は窓の下の畳に柔かく座った。遠い日々を振り返るように見えながら、急に島村の身辺に座ったという顔になった。

She stood up from the window sill and took a seat on the mat below it. She seemed to be living in the past, and yet she seemed to be very near Shimamura.

「今度は」が単に "and" と訳されている。なるほど、そうですね。「遠い日々を振り返るように見えた」が "She seemed to be living in the past," ですか。なるほどね。名人の手にかかると、実に簡潔に表現できるものですね。でもね、師匠、「柔かく座った」の「柔かく」は省略しないでほしかった。この表現は女性が心を開いてうちとけたさまを表す男どもにとってとても大事なこと。私など着物を着た女性の優美なしぐさばかりか、まろやかな白肌のうなじまでも連想してしまいそう。思わず、"and took a seat" の部分を "and sat down softly" に変更したい衝動に駆られる。


黙って立ち去ったのは誰?

『雪国』では、「女」という語は駒子のみをさす

翻訳をしていてよかったと思えることのひとつに、原文を精読できることである。もちろん翻訳などしなくても本は精読できる。しかし精読の濃さがちがう。たとえば、川端康成の『雪国』の文庫本は、単に読むだけなら一日、腰をすえてじっくり熟読したとしても、せいぜい数日もあれば十分だ。ところがこれを英訳するとなるとそうはいかない。最短でも1ヶ月はかかる。文章にとことんこだわる人であれば、半年とか一年かかったとしても不思議ではない。翻訳は、原作者が作品を完成させるのに要する時間とほぼ同じくらい、あるいはさらに長い時間かかることもある。一字一句、句読点までも吟味しながら作品と長く接することで、翻訳者は普通の読者が見落としたり勘違いしたりする箇所に気づくこともある。これからその一例を紹介したいが、まずは原文をご覧あれ。

川端康成の『雪国』 新潮文庫 27ページから引用する。

「それでどれくらいいるの。」

「芸者さん?十二三人かしら。」

「なんていう人がいいの?」と、島村が立ち上ってベルを押すと、

「私は帰りますわね?」

「君が帰っちゃ駄目だよ。」

「厭なの。」と、女は屈辱を振り払うように、

「帰りますわ。いいのよ、なんとも思やしませんわ。また来ますわ。」

しかし女中を見ると、なにげなく座り直した。女中が誰を呼ぼうかと幾度聞いても、女は名指しをしなかった。

ところが間もなく来た十七八の芸者を一目見るなり、島村の山から里へ出た時の女ほしさは味気なく消えてしまった。肌の底黒い腕がまだ骨張っていて、どこか初々しく人がよさそうだから、つとめて興醒めた顔をすまいと芸者の方を向いていたが、実は彼女のうしろの窓の新緑の山々が目についてならなかった。ものを言うのも気だるくなった。いかにも山里の芸者だった。島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、一層座が白けて、それでももう一時間くらいは経っただろうから、なんとか芸者を帰す工夫はないかと考えるうちに、電報為替の来ていることを思い出したので郵便局の時間にかこつけて、芸者といっしょに部屋を出た。


訳文:
"Snow Country" translated by Edward G. Seidensticker (Page 28, Vintage Books)

"How many are there in all?"

"How many geisha? Twelve or thirteen, I suppose."

"Which one do you recommend?" Shimamura stood up to ring for the maid.

"You won't mind if I leave now."

"I mind very much indeed."

"I can't stay." She spoke as if trying to shake off the humiliation. "I'm going. It's all right. I don't mind. I'll come again."

When the maid came in, however, she sat down as though nothing were amiss. The maid asked several times which geisha she should call, but the woman refused to mention a name.

One look at the seventeen- or eighteen-year-old geisha who was presently led in, and Shimamura felt his need for a woman fall dully away. Her arms, with their underlying darkness, had not yet filled out, and something about her suggested an unformed, good-natured young girl. Shimamura, at pains not to show that his interest had left him, faced her dutifully, but he could not keep himself from looking less at her than at the new green on the mountains behind her. It seemed almost too much of an effort to talk. She was the mountain geisha through and through. He lapsed into a glum silence. No doubt thinking to be tactful and adroit, the woman stood up and left the room, and the conversation became still heavier. Even so, he managed to pass perhaps an hour with the geisha. Looking for a pretext to be rid of her, he remembered that he had had money telegraphed from Tokyo. He had to go to the post office before it closed, he said, and the two of them left the room.

引用が少し長くなってしまいましたが、それでは質問。

「島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしま(った)」とありますが、黙って部屋を立ち去ったのは誰ですか?

正解はもちろん芸者でしょうと、たいていの人は答える。私も最初そう思った。実際、この文庫本の注解でも、動作主は芸者だとみているようだ。「黙って立ち上って」は、「客つまり島村に気に入られないで、断られたと、この女は判断したため」と記載されている。

しかし、たぶんそうではない。動作主は駒子だと私は思う。というのは、このとき部屋にいたのは島村と芸者、駒子の三人。気をきかせて駒子が部屋を出て行った。残されたのは島村と芸者。座はいっそう白けた。それから一時間ほどしてから、島村は芸者といっしょに部屋を出たのだ、と思う。実は『雪国』では、「女」という語は駒子をさすのである。

サイデンステッカー教授はこの部分を次のよう翻訳している。

原文:島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、一層座が白けて、それでももう一時間くらいは経っただろう

He lapsed into a glum silence. No doubt thinking to be tactful and adroit, the woman stood up and left the room, and the conversation became still heavier. Even so, he managed to pass perhaps an hour with the geisha.

訳訳文: 彼は不機嫌に黙り込んだ。女は気をきかせようと思ったようで、立ち上って部屋を出て行ったので、会話はさらに重たくなった。それでも彼は何とか一時間ほど芸者と時間をつぶした。

英文でも the woman が使用されているので、英文読者も一瞬、the woman = the geisha (女=芸者)と勘違いした人もいると思う。この文を明文(わかりやすい文)に変更するには、「女」を「駒子」に置き換えるだけでよい。「島村がむっつりしているので、駒子は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしま(った)」と、固有名詞の「駒子」を使用しさえすれば誤解は生じない。実務畑出身の私などは、ついそう思ってしまう。しかし、そこはそれ、文学の世界。「女」という語に並々ならぬこだわりがある。島村にとって「女 (woman)」は駒子のみ、である。『雪国』のその他の登場人物、たとえば、娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように「駅長さあん、駅長さあん」、と叫んだのは葉子であるが、葉子は「娘 (girl)」であり「女」ではない。それ以外の女性たちも、それぞれ「女中」、「芸者」、「細君」であり、「女」という語では表現されていない。ただし、一箇所だけ例外に見える文章はある。

宿屋の客引きの番頭は火事場の消防のようにものものしい雪装束だった。耳をつつみ、ゴムの長靴をはいていた。待合室の窓から線路の方を眺めて立っている女も、青いマントを着て、その頭巾をかぶっていた。(『雪国』 新潮文庫 13ページから抜粋)

これは、長いトンネルを抜け汽車から降り立った島村が最初に目にした湯沢町の駅前の光景である。このときは島村は青いマントの女が誰か知らないが、その後、宿屋の番頭との会話からこの「女」が駒子だったことを知る。女=駒子(一対一)。ワーオ、徹底しているなあ!でも、「女」には並々ならぬこだわりがあるのに、「男」にはあっけらかんとしている。無頓着というか、無関心というか、まったくこだわりが見えない。駅長も、葉子の連れの病人も、屋根の雪を落とす人も、すべて「男」という語で表現されている。男=男一般(一対多)。このふたつの用法は、言語学的には不均衡といえないこともないが、生物学的には男の本性に忠実でとてもわかりやすい。


対の黄蝶
求愛活動の美しさと愛の破局を暗示する

色恋はしばしば、つがいの蝶にたとえられる。梅沢富美男のヒット曲『夢芝居』(作詞・作曲:小椋 佳)でも、♪男と女 あやつりつられ、対のアゲハの誘い誘われ…。蝶のもつれ合いは絵になる。アゲハ(揚羽蝶)はどことなく妖艶で、黄蝶は可憐な感じだ。『雪国』の黄蝶のくだりは、私にとって印象深いシーンのひとつである。川端康成の『雪国』 新潮文庫 28ページから引用する。

原文:
しかし、島村は宿の玄関で若葉の匂いの強い裏山を見上げると、それに誘われるように荒っぽく登って行った。なにがおかしいのか、一人で笑いが止まらなかった。ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣の尻からげして、一散に駆け下りて来ると、足もとから黄蝶が二羽飛び立った。蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった。

訳文:
But at the door of the inn he was seduced by the mountain, strong with the smell of new leaves. He started climbing roughly up it. He laughed on and on, not knowing himself what was funny. When he was pleasantly tired, he turned sharply around and, tucking the skirts of his kimono into his obi, ran headlong back down the slope. Two yellow butterflies flew up at his feet. The butterflies, weaving in and out, climbed higher than the line of the Border Range, their yellow turning to white in the distance.


原文:しかし、島村は宿の玄関で若葉の匂いの強い裏山を見上げると、それに誘われるように荒っぽく登って行った。

訳文: But at the door of the inn he was seduced by the mountain, strong with the smell of new leaves. He started climbing roughly up it.

訳訳文:しかし宿の玄関で、彼は若葉の匂いの強いその山に魅了された。彼は荒っぽく登り始めた。

サイデンステッカーは原文を2つの文に分割している。長文は分割すると英訳が簡単になり、訳文も自然な英文となる。「裏山を見上げると、それに誘われるように」が単に、「その山に魅了された」と要約して英訳されている。「裏山」も単に 「その山」 the mountain と訳してある。しかし、英文を読み返してみても不自然さはなく、いずれもこの表現で十分だという感じがする。

原文:なにがおかしいのか、一人で笑いが止まらなかった。

訳文: He laughed on and on, not knowing himself what was funny.

訳訳文:なにがおかしいのか自分でもわからないまま、彼は笑い続けた。

なるほど、「笑いが止まらない」というのと「笑い続ける」は同じことですね。
on and on (引き続き) は、動作の継続を意味する副詞句。

動作がとぎれたり続いたりするときは、on and off = off and on (時々、不規則に)。

It rained on and off for the whole afternoon. (午後はずっと雨が降ったり止んだりした)

原文:ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣の尻からげして、一散に駆け下りて来ると、足もとから黄蝶が二羽飛び立った。

訳文: When he was pleasantly tired, he turned sharply around and, tucking the skirts of his kimono into his obi, ran headlong back down the slope. Two yellow butterflies flew up at his feet.

訳訳文:気持ちよく疲れたところで、彼は急に振り向いて、着物のすそを帯に押し込み、いっさんに坂道を駆け下りた。足もとから黄蝶が二羽飛び立った。

ここでもひとつの和文が2つの英文に分割して英訳されている。擬態語の「くるっと」は sharply (急に) に訳されている。「浴衣(ゆかた)の尻からげ」は、「着物のすそを帯に押し込み」 (tuck the skirts of his kimono into his obi)。 ウーン、なるほど。「足もとから」は、前置詞が from (〜から) ではなく at (〜で) が使用されていることに注意する。日本語の「〜から」は通常、 from を使用して、たとえば、

わが社の営業時間は9時から6時までです。Our business hours are from nine to six.

と表現するが、たまに from の代わりに in, at となる場合もある。

太陽は東から昇る。The sun rises in the east.

学校は9時から始まる。School begins at 9.

ドロップダウンリストから項目を選びます。Select an item in the drop-down list.

原文:蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった。

訳訳文:蝶はもつれ合いながら、国境の山並みより高く上り、遠くで体の黄色は白に変わった。

The butterflies, weaving in and out, climbed higher than the line of the Border Range, their yellow turning to white in the distance.

原文は「蝶」を題(topic)にして、「蝶はもつれ合い、山並みより高く、黄色が白くなり、遥かだった」と、一文にまとめてある。これに対して、英文では前半は butterflies を主語としているが、後半では yellow を主語にしている。ピリオドの代わりにコンマを使用することで、あたかも一文のように見せかけてはあるが、実質的には2つの文(重文)である。だから、The butterflies, weaving in and out, climbed higher than the line of the Border Range. Their yellow turned to white in the distance. としてもそれほど違和感はない。もっともここでは、原文の表現により近いサイデンステッカーの訳文の方が良いのは言うまでもない。原文では「遥かだった」と述語(形容動詞)だが、英文では " in the distance" (遠くで) と副詞句として処理している。

「蝶はもつれ合いながら〜」というこの表現は、注解にあるように、島村と駒子の愛の破局を暗示しているのだろうか?そうかもしれないが私の印象を少し付け加えたい。

島村、つまり川端康成は、黄蝶がもつれ合いながら上空高く舞い上がるのをずっと見続けていた。しかも「黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった」というぐらいだから相当に長い時間、見続けていたことになる。しかし私の子供の頃の観察では、蝶は一般に、せいぜい10 m ほどの低空を飛翔するものである。開張 4 cm ほどの黄蝶が山並みより高く舞い上がることなど、実際にはまずありえない。これはきっと文学者特有の心象風景にちがいない。そうだとすれば、この個所は、生殖本能の烈しさや求愛活動の美しさ・永遠性など、彼自身が心の中に抱くイメージが投影されているのではないだろうか。そして、永遠に続くように思えていた燃えるような恋情もいつかは色あせ、やがて遥かかなたの思い出に変わる。「黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった」のくだりは、こうした愛の破局を暗示しているのだろうか。


どうなすったの?
日本語は敬語などの待遇表現が豊富

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 28ページ】

「どうなすったの。」女が杉林の陰に立っていた。

「うれしそうに笑ってらっしゃるわよ。」

「止めたよ。」と、島村はまたわけのない笑いがこみ上げて来て、「止めたよ。」

「そう?」女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆっくり入った。彼は黙ってついて行った。

「どうなすったの」は女性が使用する丁寧語である。尊敬表現の「どうなさったのですか」から派生したもの。「なさる」は「する」の尊敬語。「なさった」は「なすった」の形になることがある。「どうしたのですか」も丁寧語でこちらは男女とも使用可能。「どうしたの」は丁寧語ではあるが、(ですか)が省略されている分、丁寧さが不足しているので目上には使用できない。「どうなさったのですか」や「どうなすったの」、「どうしたのですか」、「どうしたの」は、表現は異なるが、意味はまったく同じである。

このように、日本語は敬語などの待遇表現が豊富だ。敬語は人に敬意を表すために用いるもので、尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種類がある。尊敬語は相手のことを話すときに、謙譲語は自分(身内を含む)のことを話すときに、また、丁寧語は相手に関係なく丁寧に話すときに、それぞれ使用する。「ご飯を食べる」を例にとると、ご飯を召し上がる(尊敬語)、ご飯をいただく(謙譲語)、ご飯を食べます(丁寧語)となる。丁寧語は、いわゆる「です・ます」体がメインになるので一番使いやすい。

英語には丁寧な表現はあるが敬語はない。そこで日本語の敬語を英訳するとき、私は敬語を一度、基本語に直してから英訳するようにしている。たとえば、

いらっしゃる(尊敬)、うかがう or 参る(謙譲) → 行く
おみえになる(尊敬)、参る(謙譲) → 来る
なさる(尊敬)、いたす(謙譲) → する

「どうなすったの」についても同様に、基本語に直すと、「どうしたの」となる。ちなみに、「どう」は副詞で、「どのように」の意味。英語の疑問詞 how, how about, what などに相当する。「どうしたの」は何かが発生し、その何かを質問するときに使用する。「何があったの」とか「どんな事が起こったのか」という意味なので、what がふさわしい。「どうしたの」 = What's the matter? または What happened?

ただし、LAAD辞典によると、What's the matter? は、心配事とか病気など、相手が何かよくない状態のとき、その理由を質問するときに使用する (used when someone seems upset, unhappy, or sick and you are asking them why) ものなので、ここの文脈にはふさわしくない。(島村は山を駆け下りてきて、今はすっきりした気分だから)。

用例として、たとえば、Honey, what's the matter with you? Don't you feel well? (あなた、どうなすったの。気分でも悪いの?)。つまり、 What's the matter with you? = What's wrong with you? という感じですね。

「どうなさったのですか」は敬語だが、「どうした?」は敬語ではない。ため語(=ためぐち)に近いので、目上の人に使用すると失礼になる。しかし英語には敬語がないので「どうした?」も「どうなさったのですか」もいずれも "What happened?" で表現してよい場合が多い。強いて訳せば、たとえば、

「どうした?」
Hey, what happened?

「どうなさったのですか」
May I ask what happened?

"Hey" や "May I ask" などを付加することで、日本語の雰囲気に多少、近づけることは可能かもしれないが、根底に常に日英ふたつの文化の違いが存在する以上、決して完璧に一致することはない。あまり敬語にこだわりすぎると、不自然な英文になる恐れがある。

「どうしたの」 = What's the matter? または What happened? であるが、興味深いことに、「どうするの」となると、その英訳は大きく変身する。英文の主語が「こと」から「あなた」に変化するのだ。

「どうするの」
What are you going to do? (発音は「ワユゴナヅ」)

映画などの会話を聞いていると、この表現 (What are you going to do?) は頻発するが、日本人の耳にはまちがいなく、「ワユゴナヅ」と聞こえるはず。決して「ワッツ・アー・ユー・ゴーイング・ツー・ヅー」と聞こえることはない。

私たちが日常何気なく使用している表現、「どうしたの」や「どうするの」は、日本語としては同じ文法構造なのでその違いを意識できないが、英訳するとその相違点がはっきりと浮かび上がってくる。

事柄(matter)を質問する「どうしたの」 = What's the matter? or What happened?

未来の事柄(matter)を質問する「どうなるの」 = What will happen?

相手の行為を質問する「どうしたの」 = What did you do then? or What have you done?

相手の今後の行為を質問する「どうするの」 = What are you going to do?

それではここで本文に戻って、わが師匠、サイデンステッカー教授の訳文を確認しよう。


原文: 「どうなすったの」

訳文: "What happened?"

原文: 女が杉林の陰に立っていた。

訳文: The woman was standing in the shade of the cedar trees.

原文: 「うれしそうに笑ってらっしゃるわよ。」

訳文: "You must have been very happy, the way you were laughing."


原文: 「止めたよ。」と、島村はまたわけのない笑いがこみ上げて来て、「止めたよ。」

訳文: "I gave it up." Shimamura felt the same senseless laugh rising again. "I gave it up."


原文: 「そう?」女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆっくり入った。

訳文: "Oh?" She turned and walked slowly into the grove.

原文: 彼は黙ってついて行った。

訳文: Shimamura followed in silence.

ウーン、当然といえば当然のことながら、ネイティブ・スピーカーの英語はさすがに簡潔ですね。「杉林」は、the cedar forest などといわず、the cedar trees と tree (木) を複数形にしてある。そういえば、日本語でも「林」は「木」がふたつ並んでいますね。後半の「杉林のなかへゆっくり入った」は、"walked slowly into the grove" と、今度はその「杉林」を単に、the grove(木立)ですか。定冠詞 (the) がここでもぐっと効いていますね。いやはや、恐れいりました。


神社であった
神社と寺院は異なる

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 29ページ】

神社であった。苔のついた狛犬(こまいぬ)の傍の平な岩に女は腰をおろした。

「ここが一等涼しいの。真夏でも冷たい風がありますわ。」

「ここの芸者って、みなあんなのかね。」

「似たようなものでしょう。年増にはきれいな人がありますわ。」と、うつ向いて素気なく言った。その首に杉林の小暗い青が映るようだった。
島村は杉の梢(こずえ)を見上げた。

「もういいよ。体の力がいっぺんに抜けちゃって、おかしいようだよ。」

神社(お宮)や寺院(お寺)は両方とも、私たちにはなじみ深い。しかし神社と寺院は異なる。小学生の頃、私はそのことを一番上の姉に教わった。「あのね、お宮は神様、お寺は仏様がまつってあるのよ」。そのとき、どういうわけか、姉の説明にすぐに納得ができ、なんだか自分が少し賢くなったような気がした。田舎の幼稚園は当時、お寺の境内の一角にあり、姉は幼稚園の先生だった。盆踊りなどお祭りは、お宮の境内に臨時の舞台が設置されて、そこで盛大に行なわれた。

神社は shrine, 寺院は temple と私たちは暗記する。日本では神社や寺院は、「神社仏閣」と総称されるように両方とも同等だ。その違いは説明しないとわからないほどに。しかし、キリスト教徒が圧倒的多数を占める英米では、英語の shrine と temple は事情が異なる。一言で言うと、shrine は誰でも訪れる身近なところだが、temple はキリスト教以外の、異教徒たちが礼拝に行くところである。shrine の定義に come が、temple の定義に go が使用されているのも、英米人の心の奥底にひそむ親近度を反映しているようで興味深い。

shrine: a place where people come to worship because it is connected with a holy person or event. (from OALD)
(シュライン: 聖人や聖祭に関連している場所で、人々が礼拝に来るところ)

temple: a building where people go to worship, in the Jewish, Hindu, Buddhist, Sikh, and Mormon religions. (from LAAD)
(テンプル: ユダヤ教・ヒンズドゥー教・仏教・シーク教・モルモン教の人々が礼拝に行く建物)

a shrine to the Virgin Mary (from OALD)
聖母マリアをまつっている殿堂

Wimbledon is a shrine for all lovers of tennis. (from OALD)
ウィンブルドンはテニス愛好家たちの聖地である。

それではここで本文に戻って、原文と訳文を鑑賞する。


原文: 神社であった。

訳文: It was a shrine grove.

原文: 苔のついた狛犬の傍の平な岩に女は腰をおろした。

訳文: The woman sat down on a flat rock beside the moss-covered shrine dog.


原文: 「ここが一等涼しいの。真夏でも冷たい風がありますわ。」

訳文: "It's always cool here. Even in the middle of the summer there's a cool wind."

原文: 「ここの芸者って、みなあんなのかね。」

訳文: "Are all the geisha like that?"

原文: 「似たようなものでしょう。年増にはきれいな人がありますわ。」と、

訳文: "They're all a little like her, I suppose. Some of the older ones are very attractive, if you had wanted one of them."

原文: うつ向いて素気なく言った。

訳文: Her eyes were on the ground, and she spoke coldly.

原文: その首に杉林の小暗い青が映るようだった。

訳文: The dusky green of the cedars seemed to reflect from her neck.

原文: 島村は杉の梢(こずえ)を見上げた。

訳文: Shimamura looked up at the cedar branches.

原文: 「もういいよ。体の力がいっぺんに抜けちゃって、おかしいようだよ。」

訳文: It's all over. My strength left me--really, it seems very funny.

最初の文はいきなり、「神社であった。」で始まる。駒子が杉林の中に入って行き、島村はその後をついて行ったのだが、その行った先が「神社であった」のである。このように、題が何かがわかっている場合、日本語では無理して題を文に含める必要はない。「(そこは)神社であった。」の意味。ちなみに、場所を表す「ここは」、「そこは」、「あそこは」などは、英語では this (not here), it, that で表現できる。

ここは文京区本郷1丁目です。(住所標示板)
This is Hongo 1-chome, Bunkyo-ku. (not Here is Hongo 1-chome ... )

「そこは神社であった」は、日本人なら10人中9人は "It was a shrine." と訳し、それ以上何もこだわる個所はなさそうに思えるところだが、サイデンステッカー教授は、It was a shrine grove. と 原文にない単語 "grove" をわざわざ補充している。ちなみに、"grove" (グローブ)とは a small group of trees という意味で、木が群がって立っている所、すなわち、日本語の「木立」にあたる。ここでは杉の木立 (a grove of cedar trees) を指す。彼は、「神社」をそのまま "shrine" と逐語訳するのではなく、この「神社」は正確には、「神社の(境内の杉の)木立」を指していると解釈したにちがいない。

狛犬(こまいぬ)は shrine dog ですか。なるほど。では、お寺の狛犬は temple dog ですね。

苔(こけ)のついた = moss-covered, moss-grown, or mossy

苔 (moss) は、日本文化では価値あるものである。盆栽でも苔を巧みに活用する。こけ色(モスグリーンmoss green)を見ると、日本人は心が落ち着く。苔は、園芸(ガーデニング)の先進国イギリスでも価値あるものだが、アメリカでは無価値なものとなるらしい。だから、苔(こけ)の諺(ことわざ)が英米では解釈が反対になるという。

A rolling stone gathers no moss. 転石、苔を生ぜず。ころがる石にはこけが生えない。

職業を転々と変える人は益がなく、ろくなことはない。(イギリスの解釈)
職業を転々と変える人はカビが付かず、いつも清新だ。(アメリカの解釈)

「年増にはきれいな人がありますわ」は、今の女の子ならたぶん、「30代にはきれいな人がいますわ」と表現すると思う。現代日本語では、無生物・植物・物事が存在するときには「あります」を、人や動物の場合は「います」を使用するのが普通である。

「うつ向いて素気なく言った」は、” Her eyes were on the ground, and she spoke coldly.” となっている。主語をひとつにして She spoke coldly with her head down. も可能だが、しかし、この表現はすっきりしている分、文学的な余韻があまり感じられない。

「もういいよ」は “It's all over.”(もうすべて終わったよ)。これも上品な表現ですね。
こういう日常的な常套句の英訳が一番むずかしい。専門用語であれば、専門辞書の見出し語に掲載されているので検索も容易で問題はないが、日常、頻繁に使用することば、たとえば、「もういいよ」、「じゃあ、いいよ」、「いい加減にしろよ」、「だといいけど」などになると、途方にくれる。

「もういいよ」: “It's all over.” or “That’s enough.” or “Forget it.”, etc.

「じゃあ、いいよ」: “OK, I’ll give it up.” or “In that case, forget it.”, etc.

「いい加減にしろよ」: “Cut it out.” or “You talked too much.”, etc.

「だといいけど」: “That would be nice, but ...” or “I wish I could, but ...” , etc.

コンピュータ用語は直訳できるが、日常語はそうはいかない。ひとつの語句には多くの意味がある。同じ「もういいよ」でも、その場の状況に応じて七変化したり百変化したりもするのだ。だから内容はともかく翻訳作業という観点からみれば、科学論文・契約書・仕様書などよりも、日常語の翻訳の方がはるかにむずかしい。


思いちがい
英語の ”mistake” は行為だけでなく「意見」も含む

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 29ページ】

「僕は思いちがいしてたんだな。山から下りて来て君を初めて見たもんだから、ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい。」と、笑いながら、七日間の山の健康を簡単に洗濯しようと思いついたのも、実は初めにこの清潔な女を見たからだったろうかと、島村は今になって気がついた。


原文はひとつの長文である。長文は分割してから英訳すると、翻訳が簡単で自然な英文にまとめることができる。「長文は分割してから翻訳する」は私の信条。でも、そんなことをしたら、原文のよさが損なわれるのではないのかと反論する人もいる。確かにそれも一理ある。分断することで、文体が犠牲になるし、また、接続助詞(〜だから、〜ながら、〜ので)がおうおうにして割愛されてしまう。できることなら分断などしないで、原文のことばひとつひとつを忠実に逐語訳(直訳)したい、と私も思う。しかし、和文英訳や英文和訳は、直訳では意味不明となりどうしても意訳(自由訳)しないわけにはゆかない場合が多い。英語と日本語は構造的に、大きくかけ離れているので、「長文は分割してから翻訳する」より仕方がない。

まず、長文をいくつかの文に分断する。分断するときは動詞に注目し、概念(意味のひとまとまり)ごとに切り出す。分断箇所にはスラッシュ(斜線 “ / “) を入れる。スラッシュ (slash) は動詞では「切り裂く」の意。これだと書くのが簡単で読み手も理解しやすい。

「僕は思いちがいしてたんだな。/ 山から下りて来て君を初めて見たもんだから、/ ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい。」と/ 、彼は笑った。/ (〜ながら、) 七日間の山の健康を簡単に洗濯しようと思いついたのも、実は初めにこの清潔な女を見たからだったろうかと、島村は今になって気がついた。/

試訳: “I must have misunderstood. I saw you for the first time when I came down from the mountains, and I mistakenly thought that all the geisha here were beautiful like you,” he laughed. Shimamura now realized that the idea, too, of washing away soon his energy of seven days in the mountains had perhaps come to him because he first saw this nice clean woman.

試訳は私が英訳したので典型的なジャパニーズ・イングリッシュ(国際英語)。洗練された格調高いアメリカ英語(民族英語)をお望みの方は、試訳はざっと目を通すだけにして、文末のサイデンステッカーの訳を心ゆくまで堪能してください。

「見たもんだから」→「見たものだから」→「見たので」

接続助詞(〜だから、〜ので)は、理由・原因を示す。本来、"because" の意味だが、"and" で代用できる場合が多い。たとえば、


ゆうべはほとんど寝ていないので、今とても眠たい。

I hardly slept at all last night, and I'm very sleepy now.
(= I'm very sleepy now because I hardly slept at all last night.)


朝ごはんを食べなかったので、今おなかがすいている。

I didn't have breakfast and I'm hungry now.

このように、"because" を "and" で代用すると、日本語にそって頭から順番に訳していけるし、英文もごく自然な英文となる。理由・原因を明示する必要のある場合を除き、私は、接続助詞(〜だから、〜ので)はたいてい "and" で代用する。職場に "because" の大好きな同僚がいる。あるとき、彼の書いた一通の英文メールに 3 回も "because" が出てきた。いくらなんでも、これはちょっと多すぎる。よく見ると、ほとんど "and" に置き換えることができるものばかりだった。

原文: 「僕は思いちがいしてたんだな。

訳文: “I made a mistake.

原文: 山から下りて来て君を初めて見たもんだから、

訳文: I saw you as soon as I came down from the mountains, and

原文: ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい。」と、

訳文: I let myself think that all the geisha here were like you,”

原文: 彼は笑った。

訳文: he laughed.

原文: 七日間の山の健康を簡単に洗濯しようと思いついたのも、実は初めにこの清潔な女を見たからだったろうかと、島村は今になって気がついた。

訳文: It occurred to him now that the thought of washing away in such short order the vigor of seven days in the mountains had perhaps first come to him when he saw the cleanness of this woman.

「私はミスをした」は ”I made a mistake” という。しかし、日本語のミスは間違いとか誤りなど、主として「行為」を指すが、英語の ”mistake” は行為だけでなく「意見」をも含む。mistake: an action or an opinion that is not correct, or that produces a result that you did not want. (from OALD)。つまり、”I made a mistake” は、(私はミスをした)の場合も当然あるが、(私は思いちがいをした)という意味のときもある。"Don’t worry, we all make mistakes." (くよくよするな、人は誰でも誤りを犯すものだ)。

山から下りて来て = I came down from the mountains,

「山」が the mountains と複数形になっていることに注意する。これが the mountain と単数形であれば、島村が宿泊している宿の「裏山」と勘違いされてしまう。七日間も山を歩けば、当然、近辺の複数の山に足を踏み入れているはずだ。

うっかり考えた = I let myself think

日本語の「うっかり」は副詞なので、日本人ならたいてい、英語の副詞、たとえば、mistakenly, carelessly, unconsciously, accidentally などをそのときどきの状況に合わせて使用したくなる。訳文では動詞 ”let” の過去形が使用されている。(let-let-let)

動詞 ”let” は奥が深い。 Let me help you.(お手伝いさせてください)やLet me go!(行かせてください=はなしてください)は、まだ理解しやすい。いずれも「〜させてください」という感じ。しかし、ビートルズのヒット曲 ”Let It Be” になると少しやっかいだ。「そのままにしておきなさい」という意味だが、わかったようでわからないような感じがつきまとう。おまけに発音までも日本人の耳には「レリビー」としか聞こえない。 ”let” にはこれ以外にも、「不注意や怠慢でそうなるにまかせる」という意味もある。「うっかり考えた」 ”I let myself think” は、これに該当する。「うっかり考えた」から ”I let myself think” という表現は、日本人にはまず思い浮かばない。ここが民族英語と国際英語のちがい。これは動詞 ”let” を熟知しているネイティブ・スピーカー(英米人)ならではの発想だ。


お煙草でしょう
日本語の語順

都市化や過度の文明化はヒトの中性化を促すのだろうか。最近、恋愛やセックスに消極的な草食系男子が増加する傾向にあるという。こう不景気ではそれも仕方がない。これに呼応するかのように20代から30代の女性の間では、意外なことに戦国武将ブームが広がりを見せる。伊達政宗の重臣・片倉小十郎の居城、白石城がある宮城県白石市には今、若い女性が多数訪れる。東京・神田小川町の歴史専門書店 『時代屋』にも、多数の女性客が来店し、戦国武将関連の本やグッズを購入しているという。この書店では現在、「戦国婆裟羅 伊達政宗公の兜(かぶと)」を展示中。女性たちは、時代劇のヒーローに理想の男性像を見出しているのだろうか。ブームの火付け役のひとつは、戦国武将アクションゲーム「戦国BASARA」シリーズだという。しかし、ブームの根底にはおそらく、生物の本能「種の保存」の働きが関与しているにちがいない。「行き過ぎた文明」に対する本能の反撃である。

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 30ページ】

西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた。手持無沙汰になった。

「あら忘れてたわ。お煙草でしょう。」と、女はつとめて気軽に、

「さっきお部屋へ戻ってみたら、もういらっしゃらないでしょう。どうなすったかしらと思うと、えらい勢いでお一人山へ登ってらっしゃるんですもの。窓から見えたの。おかしかったわ。お煙草を忘れていらしたらしいから、持って来てあげたんですわ。」

それでは早速、原文と訳文をじっくり鑑賞する。(訳: サイデンステッカー)

原文: 西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた。

訳文: She gazed down at the river, distant in the afternoon sun.

原文: 手持無沙汰になった。

訳文: Shimamura was a little unsure of himself. (島村は少し不安になった)

原文: 「あら忘れてたわ。お煙草でしょう。」と、女はつとめて気軽に、

訳文: "I forgot," she suddenly remarked, with forced lightness. "I brought your tobacco.

原文: 「さっきお部屋へ戻ってみたら、もういらっしゃらないでしょう。

訳文: I went back up to your room a little while ago and found that you had gone out.

原文: どうなすったかしらと思うと、えらい勢いでお一人山へ登ってらっしゃるんですもの。

訳文: I wondered where you could be, and then I saw you running up the mountain for all you were worth.

原文: 窓から見えたの。

訳文: I watched from the window.

原文: おかしかったわ。

訳文: You were very funny.

原文: お煙草を忘れていらしたらしいから、持って来てあげたんですわ。」

訳文: But you forgot your tobacco. Here."

原文: そして彼の煙草を袂(たもと)から出すとマッチをつけた。

訳文: She took the tobacco from her kimono sleeve and lighted a match for him.

英語に語順 (word order) があるように、日本語にも当然、語順がある。本多勝一によると、日本語の語順の四原則は、T 述部(動詞・形容詞・形容動詞)が最後にくる。 U 修飾辞が被修飾辞の前にくる。 V 長い修飾語ほど先に。 W 句を先に。 ということである。

「西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた」 を例にとると、

西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた。(正順)
女は、西日に光る遠い川をじっと眺めていた。(逆順)
女はじっと眺めていた、西日に光る遠い川を。(逆順)

「西日に光る」も「遠い」も両方とも「川」に係る修飾語。このように複数の修飾語がある場合、日本語では長い順に、または句を先に並べる。「遠い」は2文字、「西日に光る」は5文字。5文字の方が当然長いので、「西日に光る遠い川」が日本語の正しい語順(正順)である。正順の場合は原則としてテンは不要。しかし、これを逆順にして「遠い西日に光る川」とするときには、テン(読点)をつけて「遠い、西日に光る川」とする。つまり、逆順の場合はテンが必要となる(逆順のテン)。

「遠い」を、たとえば「遥か遠くに見える」(8文字)に置換すると、「遥か遠くに見える」も「西日に光る」も両方とも長い修飾語だが、「遥か遠くに見える」の方がさらに長いので先頭に来る。「遥か遠くに見える西日に光る川」が正順。長い修飾語が2つ以上のときは境界にテンをつけ、「遥か遠くに見える、西日に光る川」とする(長い修飾語は境界にテン)。日本語の語順やテン(読点)のつけ方について詳しくは、本多勝一著 『実戦・日本語の作文技術』 朝日新聞社発行 を参照してください。

西日に光る遠い川 = the river, distant in the afternoon sun (サイデンステッカー訳)

西日に光る遠い川 = the distant river shining in the afternoon sun (試訳)

サイデンステッカー訳には詩的な余韻があるが、試訳にはあまりそれが感じられない。この違いはどこから来るのか?これはおそらく、日本語では修飾語(遠い)は被修飾語(川)の前に配置するしかないが、英語の修飾語(形容詞)は、被修飾語の前でも後でも置くことができる場合が多いので、たとえば訳文のように、the river の後にコンマを付けて " the river, distant in the afternoon sun" と続けることができる。このコンマが余韻を醸成しているのではないか。舞曲にしろ話芸にしろ「間(ま)」が重要だ。間がずれたり抜けたりすると芸事は台無しとなり、それこそ「間抜け」な印象を与える。コンマにより間(小休止)が創造され、あとにまで残る味わい(=余韻)が醸し出されるのではないだろうか。

「手持無沙汰(てもちぶさた)だった」は字義どおりには、「することがなく退屈だった」という意味なので、"Shimamura was bored." と訳してしまいそうになるところだが、ここではどうもそういう意味ではない。島村は退屈などしていない。好きな女と一緒にいて退屈するはずがない。この点、さすがに師匠の訳は、"unsure of himself" 「不安になる」と、島村の気持ちがそれなりに、ちゃんと酌んではある。

以前、「どうなすったの」は、"What happened?" と訳されていた。それに従うと「どうなすったかしらと思う」は、"I wondered what happened to you." これでもよさそうだが、今回は、「どうなすったかしらと思う」 → 「どこにいらっしゃるのかしらと思う」 → "I wondered where you could be." である。

「えらい勢いで」は「一生懸命に」の意。英語の "for all one is worth" (= with as much effort as possible) に相当する。例: He ran for all he was worth.  彼は一生懸命に走った。

「タバコ」といえば現代の日本人ならたいてい、「紙巻きたばこ」、つまり、シガレット(cigarette)を連想する。しかし、訳文の "tobacco" は「刻みたばこ」を指す。そういえば、私が子供の頃、祖父は刻みたばこを煙管(きせる)に詰めて吸っていたようだ。祖父の年代では、シガレットよりも刻みたばこが普通だったのかもしれない。


あの子に気の毒したよ
英語の使役動詞(causative verb)

「あの子に気の毒したよ」は、「あの子に気の毒なことをしたよ」ともいう。気の毒とは「心の毒」、気持ちを害するものという意味。あの子とはここでは、肌の底黒い腕がまだ骨張っていて、どこか初々しく人のよさそうな17歳か、18歳の芸者のこと。何もしないまま途中で帰らせたので相手の気持ちを傷つけてしまったと、島村は悔やんでいる。

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 30ページ】

「あの子に気の毒したよ。」

「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと。」

石の多い川の音が円い甘さで聞こえて来るばかりだった。
杉の間から向うの山襞(やまひだ)の陰るのが見えた。

「君とそう見劣りしない女でないと、後で君と会ったとき心外じゃないか。」

「知らないわ。負け惜みの強い方ね。」と、女はむっと嘲るように言ったけれども、芸者を呼ぶ前とは全く別な感情が二人の間に通っていた。

それでは早速、原文と訳文をじっくり鑑賞する。(訳: サイデンステッカー)

原文: 「あの子に気の毒したよ。」

訳文: "I wasn't very nice to that poor girl."

原文: 「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと。」

訳文: "But it's up to the guest, after all, when he wants to let the geisha go."

原文: 石の多い川の音が円い甘さで聞こえて来るばかりだった。

訳文: Through the quiet, the sound of the rocky river came up to them with a rounded softness.

原文: 杉の間から向うの山襞(やまひだ)の陰るのが見えた。

訳文: Shadows were darkening in the mountain chasms on the other side of the valley, framed in the cedar branches.

試訳: Through the cedar branches he saw the mountain chasms darkening on the other side.

原文: 「君とそう見劣りしない女でないと、後で君と会ったとき心外じゃないか。」

訳文: "Unless she were as good as you, I'd feel cheated when I saw you afterwards."

原文: 「知らないわ。負け惜みの強い方ね。」と、

訳文: "Don't talk to me about it. You're just unwilling to admit you lost, that's all."

原文: 女はむっと嘲るように言ったけれども、芸者を呼ぶ前とは全く別な感情が二人の間に通っていた。

訳文: There was scorn in her voice, and yet an affection of quite a new sort flowed between them.

人に何かをさせたいときは使役動詞(しえきどうし)を使う。日本語の使役動詞は、動詞の未然形に助動詞の「せる・させる」を添えて作る。行く→行かせる、食べる→食べさせる、働く→働かせるなど。日本語の使役動詞は、内容と関係なくほとんど形式的に、このように簡単に作ることができる。

英語の使役動詞(causative verb)といえば、make, let, have, get が有名だ。英語の場合は、日本語とちがって、内容に応じて動詞を使い分ける必要がある。だから、英語の使役動詞を苦手とする日本人は多い。しかし、説明さえ聞けば、この4つの動詞の使い分けは意外と簡単である。たとえば、

「彼女に行かせましょう」は4通りの英訳が可能だ。

1. I'll make her go. (make は無理やりに行かせる場合。彼女は行きたくない)
2. I'll let her go. (let は望み通りに行かせてあげる場合。彼女が行きたい)
3. I'll have her go. (have は頼んで行ってもらう場合。頼まれれば彼女はそうする責務がある)
4. I'll get her to go. (get は説得して行ってもらう場合とか、そうしむける場合とか)

Mom makes us eat lots of vegetables.

ママは僕たちに野菜をいっぱい食べさせるんだよ。(僕たちはあまり食べたくないのに)

My wife won't let me watch football on TV.

妻は私にテレビでサッカーの試合を観戦させてくれない。(サッカーの試合を見たいのに)

I want to have my men report. 部下に報告させようと思う。(部下はそうする職務がある)

Get your friends to help you. 友人に助けてもらいなさい。(説得すればそうしてくれるはず)

たとえば、アメリカの友人を自宅に招待し、スキヤキをご馳走したいとき、

「今晩、妻にスキヤキを作らせましょう」 → I'll have her cook sukiyaki tonight. となる。

I'll make her cook sukiyaki tonight. だと、妻に無理強いするので離婚話に発展する恐れがある。

I'll let her cook sukiyaki tonight. だと、妻がスキヤキを作りたいので、今夜は妻の望みどおりにさせてあげるという意味になる。この状況では、make, let 両方ともふさわしくない。

I'll get her to cook sukiyaki tonight. だと、妻はあまりスキヤキを作らないが、今夜は何とか説得して作ってもらおうという気持ち。have の用法に近いので、この状況では、get でもいいかもしれない。

原文の「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと。」に対して、訳文は "But it's up to the guest, after all, when he wants to let the geisha go." となっている。ここで "let the geisha go" に注目する。使役動詞の "let" から類推すると、芸者本人が行きたいことになってしまうが、そうではない。客が行かせるのであるから、本来は "make the geisha go" となるべきところではある。

この "let somebody go" は、実は「仕事をやめてもらう」という慣用句(to dismiss someone from their job)である。つまり、「解雇する」の婉曲(えんきょく)表現なのだ。

例: We've had to let three people go this month.

(今月、弊社ではやむなく3人辞めてもらった)。

会社が従業員を解雇する場合、従業員自らが解雇を望むわけではないので、
The company makes employees go. となるべきところだが、これだと会社があまりにも無慈悲で残酷なイメージがある。また従業員にしてもこれでは惨め過ぎる。そこで、英語では婉曲表現を使用して The company lets employees go.(会社は従業員にやめてもらう) と表現する。

この点、日本語も同じだ。経営側は従業員に対して「仕事をやめていただく」と婉曲的に表現する。「〜していただく」は「〜してもらう」の謙譲語。自分のために相手に何かをしてもらうことなので、文字通りに解釈すれば、従業員が会社のために自ら身を引いてくれることになるのだが、実際そうでないことは労使双方とも百も承知している。A さんが解雇され、後日、A さんにかかってきた電話に会社の同僚は、「A さんはお辞めになりました」と婉曲表現で応ずる。こうした婉曲表現に異を唱える人はあまりいない、日本にも英米にも、そして、たぶん別の国であっても。


遠回り
「回り道」の反意語は「近道」

「遠回り」という語で私がまず思い出すのは、菅原 都々子(すがわら つづこ)の『月がとっても青いから』である。1955年(昭和30年)に発表され100万枚を超える大ヒットとなった曲だが、当初タイトルは『遠回りして帰ろう』だったという。ちなみに、作曲を手がけたのは菅原の実父で作曲家の陸奥明、作詞はその父の友人で菅原をよく知る作詞家の清水みのる。そう聞けば、若い男女のロマンチックな歌なのに、歌全体にどことなく父性愛のような暖かみが感じられる。

『月がとっても青いから』

月がとっても 青いから/遠廻りして 帰ろ
あのすずかけの 並木路は/想い出の 小径よ
腕を優しく 組み合って/二人っきりで さあ帰ろう

「遠回り」と「回り道」は同意語である。英語で「遠回り」や「回り道」は、おなじみの「ディーツア」 “a detour” または “a roundabout route”。「遠回りする」は “make/take a detour” なので、「遠回りして帰ろう」は、たとえば ”Let’s take a detour home.” という感じだろうか。

detour: noun
a longer route that you take in order to avoid a problem or to visit a place:

It’s well worth making a detour to see the village. (from OALD)

(試訳:回り道してその村を見ることは十分価値がある。→ その村は回り道してでも行くべきだよ。)

しかし訳文では「遠回り」に ”roundabout way” が使用されている。これは、言葉などで遠回しに表現する場合、“detour” とか “route” ではなく、 ”in a roundabout way” 「遠回しに」というように “way” を使用するのがよいからである。「回り道」と、道そのものを表現する場合は、”way” でもいいが、”route” も使用できる。以下のふたつの英文を比較するとこの違いがわかりやすい。

・The taxi driver took a roundabout route to the hotel. (from LAAD)
(タクシードライバーは遠回りしてホテルに到着した。)

・In a roundabout way, she admitted she was wrong. (from LAAD)
(遠回しに、彼女は自分のあやまちを認めた。)

「回り道」の反意語は「近道」である。英語で「近道」は「ショートカット」”shortcut” とか、あるいは “shorter way” という。「近道をする」は “take a shortcut”。

We took a shortcut through the downtown. 私たちは近道をして中心街を抜けた。
There are no shortcuts to economic recovery. 経済回復に近道はない。

それでは本文に戻って、原文と訳文を鑑賞する。
【川端康成の『雪国』 新潮文庫 30ページ】

原文:
はじめからただこの女がほしいだけだ、それを例によって遠廻りしていたのだと、島村ははっきり知ると、自分が厭になる一方女がよけい美しく見えて来た。

訳文:(サイデンステッカー)
As it became clear to Shimamura that he had from the start wanted only this woman, and that he had taken his usual roundabout way of saying so, he began to see himself as rather repulsive and the woman as all the more beautiful.

ワーオ、原文、訳文ともに切れ味鋭い洗練された表現ではないか!とても、わたくしめごときが介入できる余地などない。ここはただ子供のように素直になって、このふたつの名文を暗誦できるほどに、くりかえしくりかえし読み返すのみだ。そうすることで、願わくば、表現が大脳のどこか記憶域に蓄えられ、いつの日かふと必要な場面でタイムリーに読み出されますように…。

ことばの習得には本当のところ、近道などない(There aren't really any shortcuts to learning languages)。実際には、3つの「き」、暗記・根気・年季が必要だと思う。暗記して根気強く継続して何年も続ければ、やがてはそれなりに習得できる。近道はないが、しかし効果的な学習方法はある。反論があるかもしれないが、それが文法だと私は考えている。暗記・根気・年季プラス文法、これが日本にいて独学で、英語などの外国語を習得する最も実践的で効果的な学習方法ではないだろうか。


うちへ寄っていただこうと思って
if 節(条件節)に単純未来を表す "will" が使用できる場合

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 50ページ】

「うちへ寄っていただこうと思って、走って来たんですわ。」

「君の家がここか。」

「ええ。」

「日記を見せてくれるなら、寄ってもいいね。」

「あれは焼いてから死ぬの。」

「だって君の家、病人があるんだろう。」

「あら。よく御存じね。」

「昨夜(ゆうべ)、君も駅へ迎えに出てたじゃないか、濃い青のマントを着て。僕はあの汽車で、病人の直ぐ近くに乗って来たんだよ。実に真剣に、実に親切に、病人の世話をする娘さんが付き添ってたけど、あれ細君かね。ここから迎えに行った人?東京の人?まるで母親みたいで、僕は感心して見てたんだ。」

「あんた、そのこと昨夜どうして私に話さなかったの。なぜ黙ってたの。」と、駒子は気色ばんだ。

「細君かね。」

しかしそれには答えないで、「なぜ昨夜話さなかったの。おかしな人。」

ここの会話は短いが、日本人にとって興味深い英訳が随所に出てくる。「うちへ寄る」、「走って来た」、「君の家がここか」、「日記を見せてくれるなら、寄ってもいいね」など、さすがに名人の手にかかると、すべての訳文があたかも原文だったかのように、いきいきとよみがえる。

原文: 「うちへ寄っていただこうと思って、走って来たんですわ。」

訳文: " I ran after you because I thought I might ask you to come by my house."

「立ち寄る」は米語では "come by"。come by = to go to someone's house for a short time before going somewhere else. 原文の「走って来た」は、直訳の "came running" よりも意訳の "I ran after you" (あなたを追いかけた) の方がここではぴったりする。

原文: 「君の家がここか。」

訳文: "Is your house near here?"

訳訳文: 「君の家はこの近くなのかい?」

「君の家がここか」は "Is your house here?" と、私など、つい直訳しそうな気がするなあー。もちろん、こういう訳もあるとは思うが、"Is your house near here?" の方がここではより的確な表現だ。

原文: 「ええ。」

訳文: "Very near."

原文: 「日記を見せてくれるなら、寄ってもいいね。」

訳文: "I'll come if you'll let me read your diary."

ここでは "I'll come" と "come" が使用されている。"come" と "go" は、基本的には同じ動作を示す。ただし視点は異なる。日本語の用法だと、ここでは「行く」となるところだが、英語では、話し手(島村)の視点が聞き手(駒子)の家にあるので "come" が正しい。「夕食、準備できたわよ」(Dinner's ready!) と妻に呼ばれて、「わかった。今、行くよ」は、"OK, I'm going." ではなく、"OK, I'm coming." と言う。それと同じこと。

原文: 「あれは焼いてから死ぬの。」

訳文: "I'm going to burn my diary before I die."

原文: 「だって君の家、病人があるんだろう。」

訳文: "But isn't there a sick man in your house?"

原文: 「あら。よく御存じね。」

訳文: "How did you know?"

原文: 「昨夜(ゆうべ)、君も駅へ迎えに出てたじゃないか、濃い青のマントを着て。僕はあの汽車で、病人の直ぐ近くに乗って来たんだよ。実に真剣に、実に親切に、病人の世話をする娘さんが付き添ってたけど、あれ細君かね。ここから迎えに行った人?東京の人?まるで母親みたいで、僕は感心して見てたんだ。」

訳文: "You were at the station to meet him yesterday. You had on a dark-blue cape. I was sitting near him on the train. And there was a woman with him, looking after him, as gentle as she could be. His wife? Or someone from Tokyo? She was exactly like a mother. I was very much impressed."

あれえ、変だな?「娘」が "a woman" と訳されているぞ! "a girl" の方が断然いいのに。この娘は、冒頭の「駅長さあん、駅長さあん」と叫んだ葉子を指すので、冒頭部分の英訳と同じように、"a girl" の方がいいと思う。『雪国』の中では「女」という語は「駒子」のみを指すいわば「予約語」なので、翻訳でも "woman" は「駒子」の専用語として確保しておきたい。

原文: 「あんた、そのこと昨夜どうして私に話さなかったの。なぜ黙ってたの。」と、駒子は気色ばんだ。

訳文: "Why didn't you say so last night? Why were you so quiet?" Something had upset her.

原文: 「細君かね。」

訳文: "His wife?"

原文: しかしそれには答えないで、「なぜ昨夜話さなかったの。おかしな人。」

訳文: Komako did not answer. "Why didn't you say anything last night? What a strange person you are."

学校では、「if 節(条件節)には単純未来を表す "will" を使用しない」と教わる。それが頭にこびりついているので、たいていの人は、訳文の "I'll come if you'll let me read your diary." のような英文を見ると不安になる。でも、ご安心あれ、これは真正の英文である。ただし、if 節に "will" を除いた英文ももちろん可能。両者は少し意味が異なる。

1. I'll come if you let me read your diary.
日記を見せてくれるなら寄ってもいいよ。

2. I'll come if you'll let me read your diary.
(見せたくないだろうけど)日記を見せていただけるなら寄ってもいいね。

多くの単語がそうであるように、"will" も複数の意味を持つ。つまり、上記2のif 節 の "will" は「単純未来」を表す "will" ではなく、「(相手の好意を期待して)〜してくださるなら」、という期待を表す "will" である。

未来のことを話すのに「単純未来」を表す "will" を使用しないのは、if 節だけではない。 when節, while節, before節, after節, as soon as節, until節or till節 などでも同じ。

明日、雨なら試合は延期されます。
The game will be postponed if it rains tomorrow. (not if it will rain tomorrow)

雨が降っている。出かけたら濡れるよ。
It's raining. We'll get wet if we go out. (not if we will go)

「雨が止んでから出かける」というような場合:

We'll go out when it stops raining. (not when it will stop)
We'll go out after it stops raining. (not after it will stop)
We'll go out as soon as it stops raining. (not as soon as it will stop)

彼が私を抱いてくれるまで、じれったいけど待つわ。
Till he holds me, I'll wait impatiently.

コニーフランシスの「ボーイハント」 "Where the Boys Are" より
http://home.att.ne.jp/yellow/townsman/SnowCountry_1.htm


59. 中川隆 2014年9月01日 20:50:32 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

欧米人には絶対にわからない『雪国』の背後の世界


802:tky10-p121.flets.hi-ho.ne.jp:2011/01/22(土) 22:33:30.90 0
川端康成の「雪国」は死後の世界
みんな幽霊という設定


803:tky10-p121.flets.hi-ho.ne.jp:2011/01/22(土) 22:35:37.56 0
ちなみに千と千尋も死後の世界だね
トンネル抜けるとそこは黄泉の国ということ
http://2chnull.info/r/morningcoffee/1295616090/1-1001


講演の中で、奥野健男は川端康成の「雪国」に触れ、実際に川端康成と話したときのことを語ってくれた。

川端によると「雪国」というのは「黄泉の国」で、いわゆるあの世であるらしい。


  「雪国」があの世であるというのは何となくわかる気がする。島村はこの世とあの世を交互に行き交い、あの世で駒子と会うのである。駒子とはあの世でしか会えないし、この世にくることはない。島村と駒子をつなぐ糸は島村の左手の人差指である。島村が駒子に会いにくるのも1年おきぐらいというのも天の川伝説以外に何かを象徴しているのだろうか。

  とてつもなく哀しく、美しい声をもつ葉子はさしずめ神の言葉を語る巫女なのか。その巫女の語る言葉に島村は敏感に反応するのだ。もしかしたら葉子は神の使いなのかもしれない。

 駒子は葉子に対して「あの人は気違いになる」というのは、葉子が神性を帯びているからではないのか。

 日本人とって、あの世とは無の世界ではない。誰もが帰るべき、なつかしい世界である。あいまいな小説「雪国」がなぜか私になつかしい思いをさせるのはやはり「雪国」が黄泉の国だからなのだろうか。
http://www.w-kohno.co.jp/contents/book/kawabata.html


川端は代表作雪国でトンネルを効果的に使っているが、1953年4月に発表された小説『無言』でも現世とあの世をつなぐ隠喩として名越隧道をうまく使っている。なお、川端が自殺した逗子マリーナには、車で鎌倉から一つ目の名越隧道と二つ目の逗子隧道を抜けてすぐ右折し5分程度の距離にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%B6%8A%E9%9A%A7%E9%81%93
http://blog.livedoor.jp/aotuka202/archives/51017908.html


ずいぶん昔、何かの会合のあと友人数人とスナックで 飲んでいた時、そのうち一人との会話である。

「川端康成の『片腕』はシュールな傑作だね。口をきく片腕と添い寝 して愛撫するとは」と友人。

「あれはハイミナールの幻覚だと言われているがね」と傑作であるこ とは認めつつ、

「川端康成なら君など問題にならないくらい読んでいる がね」と言う代わりに、どうでもいいような不確かなゴシップ を喋る私。


「『眠れる美女』はまさしく屍姦だが、あれもハイミナールの幻覚か い?」

「いや、あれは実際にやっていたと言う話だ。死体愛好癖とロリコンは 川端康成の二大テーマだからね」


渡部直己『読者生成論』(思潮社)の中にある「少女切断」を読みつつ 上記の会話を思い出した。この「少女切断」は非常に刺激的で、一瞬、川 端康成全集を買って読み返そうかなどと思ったくらいだ。

読み返すとは言っても川端康成が少女小説を書いていたのは知らなかった。 昭和十年から戦後四、五年まで数にして二十以上の長短編少女小説を 書き、これらの少女小説は渡部直己によれば読み応えのある傑作である という。またこの少女小説の一つである「乙女の港」には、中里恒子 による原案草稿20枚が発見されているとのことだから、本物の少女小説 である。

今日すでに存在していない、ここで言う「少女小説」とは渡部直己によ れば、次のようなものである。


「 お互いの睫の長さも、黒子の数も、知りつくしてゐたような、少女の 友情……。

相手の持ちものや、身につけるものも、みんな好きになって、愛情を こめて、わはってみたかったやうな日……。(『美しい旅』)


そうした日々の静かな木漏れ日を浴びて、少女たちはふと肩を寄せあい、 あるいは、人垣をへだててじっと視つめあい、二人だけの「友情と愛の しるし」に、押し花や小切れなどさかんに贈りあっては、他愛なくも甘美な 夢にひたりつづける。お互いを「お姉さま」「妹」と呼びかわし、周囲から 《エスの二人》と名ざされることの悦びに、いつまでも変わらぬ「愛」を 誓いあう二人の世界を彩って、花は咲き、鳥は唄い、風は薫りつづける」


この「少女小説」は、現在の ギャル向けポルノ雑誌と同じ機能も果たしていたのであろう。

今日存在する「少女小説」は、だいぶん様子が違ってきている。たとえば 耽美小説と呼ばれる美少年の性愛を露骨に描写した小説も「少女小説」の一種 であろう。この少年とは大塚英志が言うような、少女の理想型としての少年で ある。
実はこのジャンルはまるで苦手だ。子供の頃、少女マンガというのは 実に退屈なものだなと思った。したがって、後年その少女マンガから傑作が 生まれることなど私の想像力の範囲を超えていた。文学が痩せこけていくのに 反比例して、様々な表現分野が豊饒になり、いわゆる文学を超えた傑作が 多く生まれた。それもまた私の守備範囲を超えていたのであった。

友人の一人(男)が鞄の中に常時少女マンガ雑誌を携帯し、赤川次 郎的少女小説なども愛読している。この感性はどちらかといえば少数派に違いない。

時々「わぁーっ、素敵」などとこの男が言ったりするのは少女マンガの悪影響 だろうが、聞いている方にはかなりの違和感がある。これは異化作用とは 言えない違和感である。

渡部直己が模範的反少女小説として詳細に論じているのは『千羽鶴』で ある。
『千羽鶴』の主人公三谷菊治や『雪国』の主人公島村はその年齢に比して ひどく老成した印象を受ける。彼らはテクストから、はみ出さない。

島村は視点に過ぎないし、冥界を往還する傍観者的な過客の分際から踏み 出そうとはしない。『伊豆の踊子』の一高生にとって 伊豆がそうであったように、島村にとって『雪国』は黄泉の国であり異界で あり、彼は 異人の劇に観客的に出演する。異界は彼にとって慰藉であり、生への意志 を充填する場所なのだ。

三谷菊治は、死者が紡ぎだす美に翻弄されるだけで、 自らの欲望を生きることはなく、作品の狂言まわしですらない。彼は 死者と近親相姦的にかかわる。自殺してしまう太田未亡人も文子も、 もともとこの世の人ではなかった。 或いは三谷菊治自身が死者なのかもしれない。

渡部直己によれば、 事態をなかば抑圧し、なかばそれを使嗾する検閲者である栗本ちか子は、 読みの場の知覚をみずから模倣しつつ作品に介入する 人物の典型、作者の分身たちがひしめきあう世界に紛れこんで、むしろ 読者の分身たらんと欲する人物で、小説一般に幅広く散在する。渡部直己 は『千羽鶴』の場合、作品はあげてこの人物を唾棄しようとすると書いて いる。

だが栗本ちか子は此岸の人であり、テクストを抜け出して我々の人生に 顔を出したりする。彼女は物語の検閲者であり、その欲望は使嗾しつつ抑 圧することのように見えて、実は他者を破滅させることにある。
http://homepage3.nifty.com/nct/hondou/html/hondou73.html


60. 中川隆 2014年9月01日 21:12:49 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

要するに、『雪国』の国境の長いトンネルは あさば旅館の池に浮かぶ能舞台『月桂殿』の橋掛かりと全く同じ意味を持っているのですね:

能は能舞台という専有の演技空間を持っています。横浜能楽堂に一歩足を踏み入れるとすぐにお気づきのように、


客席に突き出た三間(約6メートル)四方の本舞台(ほんぶたい)と、向かって左に延びる橋ガカリからなること、

室内でありながら舞台上にも屋根があること、

橋ガカリ奥に5色の揚幕(あげまく)という幕があるのみで、観客と舞台を隔てるものがないこと、

枝振りのよい松が描かれた鏡板(かがみいた)が背景となること


など、横に広く長い日本の大多数の劇場とは随分違っているのです。能舞台は非常に特異な空間ですが、これは能と狂言の演技の本質に深くかかわっています。


 まず本舞台。この正方形の空間は、左右より前後の動きが演技の中心となっていることを意味します。足を一歩出す、一歩引くというほんのわずかな動作が、説得力に満ちた表現になるのです。客席に張り出す舞台では、役者の身体の前から背中まで、すべてが見えてしまいます。「動く彫刻」といわれるように、一分の隙も許されず、全身全霊の力を外に放つ気迫が役者に要求されます。


また能には神、仙人などの超人間的な存在や、あの世の者が多く登場します。人間の生身の肉体である素顔を使わず能面を用いるのはそのためですが、異次元の世界からこちら側へ渡って来るには、果てしなく遠い道のりを辿らねばならないのでしょう。その距離とエネルギーとを象徴するのが橋ガカリなのです。
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/98spr/001-2.html


橋掛かりとは、揚幕から本舞台へとつながる長い廊下部分のこと。

ここには、微妙な傾斜がつけられており、観客から見て遠近感が強く感じられるように設計されているそうです。

この橋掛かりを通って、シテは、揚幕から本舞台へと現れ、消えていきます。
それは、亡霊が現れては消えていく、能の物語そのものです。
まるで、橋掛かりが、あの世とこの世を結ぶ道のようです。
http://www.sense-nohgaku.com/noh/articles/whats_no/youhashigakari.php


橋掛りは、異次元とこの世を繋ぐ架け橋です。
http://www.ryosuikai.com/distript.htm



61. 中川隆 2014年9月02日 23:14:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

そのA病院なんですけど、〇〇の斡旋をしているそうで。 素敵な世界に案内してくれるのは病院の院長さん。

最初は一枚写真を撮られますが、それからは一蓮托生、きっといい仲間となってくれるはずです。まあ、もともと院長の知り合いの方しか呼ばれないようですが、そこは努力と根性でなんとかしてくだい。みなさん名士がそろってらっしゃるそうなので、サロン気分でのご利用などもいかがでしょうか。

気になるお値段の方は、「相手」によっても変わってくるようですが、5万〜10万円が相場なのだとか。そのお相手もある程度限定されていて、事故で死んだ若い女子中高生なんかが人気なようですよ。ちなみに今までの「お相手」の最高金額は一回20万。 7歳の少女の死体だったそうです。
http://unkar.org/r/occult/1201014326


川端康成 『片腕』


「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」

と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。

「ありがとう。」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝わった。

「あ、指輪をはめておきますわ。あたしの腕ですというしるしにね。」

と娘は笑顔で左手を私の胸の前にあげた。「おねがい……。」


 左片腕になった娘は指輪を抜き取ることがむずかしい。

「婚約指輪じゃないの?」と私は言った。

「そうじゃないの。母の形見なの。」

 小粒のダイヤをいくつかならべた白金の指輪であった。

「あたしの婚約指輪と見られるでしょうけれど、それでもいいと思って、はめているんです。」と娘は言った。

「いったんこうして指につけると、はずすのは、母と離れてしまうようでさびしいんです。」

 私は娘の指から指輪を抜き取った。そして私の膝の上にある娘の腕を立てると、紅差し指にその指輪をはめながら、「この指でいいね?」

「ええ。」と娘はうなずいた。

「そうだわ。肘や指の関節がまがらないと、突っ張ったままでは、せっかくお持ちいただいても、義手みたいで味気ないでしょう。動くようにしておきますわ。」

そう言うと、私の手から自分の右腕を取って、肘に軽く唇をつけた。指のふしぶしにも軽く唇をあてた。

「これで動きますわ。」

「ありがとう。」私は娘の片腕を受け取った。


「この腕、ものも言うかしら? 話をしてくれるかしら?」


「腕は腕だけのことしか出来ないでしょう。

もし腕がものを言うようになったら、返していただいた後で、あたしがこわいじゃありませんの。でも、おためしになってみて……。

やさしくしてやっていただけば、お話を聞くぐらいのことはできるかもしれませんわ。」

「やさしくするよ。」

「行っておいで。」と娘は心を移すように、私が持った娘の右腕に左手の指を触れた。

「一晩だけれど、このお方のものになるのよ。」

 そして私を見る娘の目は涙が浮ぶのをこらえているようであった。

「お持ち帰りになったら、あたしの右腕を、あなたの右腕と、つけ替えてごらんになるようなことを……。」

と娘は言った。「なさってみてもいいわ。」

「ああ、ありがとう。」

 私は娘の右腕を雨外套のなかにかくして、もやの垂れこめた夜の町を歩いた。電車やタクシイに乗れば、あやしまれそうに思えた。娘のからだを離された腕がもし泣いたり、声を出したりしたら、騒ぎである。

 私は娘の腕のつけ根の円みを、右手で握って、左の胸にあてがっていた。その上を雨外套でかくしているわけだが、ときどき、左手で雨外套をさわって娘の腕をたしかめてみないではいられなかった。それは娘の腕をたしかめるのではなくて、私のよろこびをたしかめるしぐさであっただろう。

 娘は私の好きなところから自分の腕をはずしてくれていた。腕のつけ根であるか、肩のはしであるか、そこにぷっくりと円みがある。西洋の美しい細身の娘にある円みで、日本の娘には稀れである。それがこの娘にはあった。ほのぼのとういういしい光りの球形のように、清純で優雅な円みである。娘が純潔を失うと間もなくその円みの愛らしさも鈍ってしまう。たるんでしまう。美しい娘の人生にとっても、短いあいだの美しい円みである。それがこの娘にはあった。

肩のこの可憐な円みから娘のからだの可憐なすべてが感じられる。胸の円みもそう大きくなく、手のひらにはいって、はにかみながら吸いつくような固さ、やわらかさだろう。娘の肩の円みを見ていると、私には娘の歩く脚も見えた。細身の小鳥の軽やかな足のように、蝶が花から花へ移るように、娘は足を運ぶだろう。そのようにこまかな旋律は接吻する舌のさきにもあるだろう。


 袖なしの女服になる季節で、娘の肩は出たばかりであった。あらわに空気と触れることにまだなれていない肌の色であった。春のあいだにかくれながらうるおって、夏に荒れる前のつぼみのつやであった。私はその日の朝、花屋で泰山木のつぼみを買ってガラスびんに入れておいたが、娘の肩の円みはその泰山木の白く大きいつぼみのようであった。娘の服は袖がないというよりなお首の方にくり取ってあった。腕のつけ根の肩はほどよく出ていた。服は黒っぽいほど濃い青の絹で、やわらかい照りがあった。このような円みの肩にある娘は背にふくらみがある。撫で肩のその円みが背のふくらみとゆるやかな波を描いている。やや斜めのうしろから見ると、肩の円みから細く長めな首をたどる肌が掻きあげた襟髪でくっきり切れて、黒い髪が肩の円みに光る影を映しているようであった。

 こんな風に私がきれいと思うのを娘は感じていたらしく、肩の円みをつけたところから右腕をはずして、私に貸してくれたのだった。

 雨外套のなかでだいじに握っている娘の腕は、私の手よりも冷たかった。心おどりに上気している私は手も熱いのだろうが、その火照りが娘の腕に移らぬことを私はねがった。娘の腕は娘の静かな体温のままであってほしかった。また手のなかのものの少しの冷たさは、そのもののいとしさを私に伝えた。人にさわられたことのない娘の乳房のようであった。

 雨もよいの夜のもやは濃くなって、帽子のない私の頭の髪がしめって来た。表戸をとざした薬屋の奥からラジオが聞えて、ただ今、旅客機が三機もやのために着陸出来なくて、飛行場の上を三十分も旋回しているとの放送だった。こういう夜は湿気で時計が狂うからと、ラジオはつづいて各家庭の注意をうながしていた。またこんな夜に時計のぜんまいをぎりぎりいっぱいに巻くと湿気で切れやすいと、ラジオは言っていた。私は旋回している飛行機の灯が見えるかと空を見あげたが見えなかった。空はありはしない。たれこめた湿気が耳にまではいって、たくさんのみみずが遠くに這うようなしめった音がしそうだ。ラジオはなおなにかの警告を聴取者に与えるかしらと、私は薬屋の前に立っていると、動物園のライオンや虎や豹などの猛獣が湿気を憤って吠える、それを聞かせるとのことで、動物のうなり声が地鳴りのようにひびいて来た。

ラジオはそのあとで、こういう夜は、妊婦や厭世家などは、早く寝床へはいって静かに休んでいて下さいと言った。またこういう夜は、婦人は香水をじかに肌につけると匂いがしみこんで取れなくなりますと言った。


 猛獣のうなり声が聞えた時に、私は薬屋の前から歩き出していたが、香水についての注意まで、ラジオは私を追って来た。猛獣たちが憤るうなりは私をおびやかしたので、娘の腕にもおそれが伝わりはしないかと、私は薬屋のラジオの声を離れたのであった。娘は妊婦でも厭世家でもないけれども、私に片腕を貸してくれて片腕になった今夜は、やはりラジオの注意のように、寝床で静かに横たわっているのがいいだろうと、私には思われた。片腕の母体である娘が安らかに眠っていてくれることをのぞんだ。

 通りを横切るのに、私は左手で雨外套の上から娘の腕をおさえた。車の警笛が鳴った。脇腹に動くものがあって私は身をよじった。娘の腕が警笛におびえてか指を握りしめたのだった。

「心配ないよ。」と私は言った。

「車は遠いよ。見通しがきかないので鳴らしているだけだよ。」

 私はだいじなものをかかえているので、道のあとさきをよく見渡してから横切っていたのである。その警笛も私のために鳴らされたとは思わなかったほどだが、車の来る方をながめると人影はなかった。その車は見えなくて、ヘッド・ライトだけが見えた。その光りはぼやけてひろがって薄むらさきであった。めずらしいヘッド・ライトの色だから、私は道を渡ったところに立って、車の通るのをながめた。

朱色の服の若い女が運転していた。女は私の方を向いて頭をさげたようである。とっさに私は娘が右腕を取り返しに来たのかと、背を向けて逃げ出しそうになったが、左の片腕だけで運転出来るはずはない。しかし車の女は私が娘の片腕をかかえていると見やぶったのではなかろうか。娘の腕と同性の女の勘である。私の部屋へ帰るまで女には出会わぬように気をつけなければなるまい。女の車はうしろのライトも薄むらさきであった。やはり車体は見えなくて、灰色のもやのなかを、薄むらさきの光りがぼうっと浮いて遠ざかった。


「あの女はなんのあてもなく車を走らせて、ただ車を走らせるために走らせずにはいられなくて、走らせているうちに、姿が消えてなくなってしまうのじゃないかしら……。」と私はつぶやいた。

「あの車、女のうしろの席にはなにが坐っていたのだろう。」

 なにも坐っていなかったようだ。なにも坐っていないのを不気味に感じるのは、私が娘の片腕をかかえていたりするからだろうか。あの女の車にもしめっぽい夜のもやは乗せていた。そして女のなにかが車の光りのさすもやを薄むらさきにしていた。女のからだが紫色の光りを放つことなどあるまいとすると、なにだったのだろうか。こういう夜にひとりで車を走らせている若い女が虚しいものに思えたりするのも、私のかくし持った娘の腕のせいだろうか。

女は車のなかから娘の片腕に会釈したのだったろうか。こういう夜には、女性の安全を見まわって歩く天使か妖精があるのかもしれない。あの若い女は車に乗っていたのではなくて、紫の光りに乗っていたのかもしれない。虚しいどころではない。私の秘密を見すかして行った。


 しかしそれからは一人の人間にも行き会わないで、私はアパアトメントの入口に帰りついた。扉のなかのけはいをうかがって立ちどまった。頭の上に蛍火が飛んで消えた。蛍の火にしては大き過ぎ強過ぎると気がつくと、私はとっさに四五歩後ずさりしていた。また蛍のような火が二つ三つ飛び流れた。その火は濃いもやに吸いこまれるよりも早く消えてしまう。人魂か鬼火のようになにものかが私の先きまわりをして、帰りを待ちかまえているのか。しかしそれが小さい蛾の群れであるとすぐにわかった。蛾のつばさが入口の電灯の光りを受けて蛍火のように光るのだった。蛍火よりは大きいけれども、蛍火と見まがうほどに蛾としては小さかった。

 私は自動のエレベエタアも避けて、狭い階段をひっそり三階へあがった。左利きでない私は、右手を雨外套のなかに入れたまま左手で扉の鍵をあけるのは慣れていない。気がせくとなお手先きがふるえて、それが犯罪のおののきに似て来ないか。部屋のなかになにかがいそうに思える。私のいつも孤独の部屋であるが、孤独ということは、なにかがいることではないのか。娘の片腕と帰った今夜は、ついぞなく私は孤独ではないが、そうすると、部屋にこもっている私の孤独が私をおびやかすのだった。


「先きにはいっておくれよ。」

私はやっと扉が開くと言って、娘の片腕を雨外套のなかから出した。

「よく来てくれたね。これが僕の部屋だ。明りをつける。」

「なにかこわがっていらっしゃるの?」

と娘の腕は言ったようだった。

「だれかいるの?」

「ええっ? なにかいそうに思えるの?」

「匂いがするわ。」

「匂いね? 僕の匂いだろう。暗がりに僕の大きい影が薄ぼんやり立っていやしないか。よく見てくれよ。僕の影が僕の帰りを待っていたのかもしれない。」

「あまい匂いですのよ。」

「ああ、泰山木の花の匂いだよ。」

と私は明るく言った。私の不潔で陰湿な孤独の匂いでなくてよかった。泰山木のつぼみを生けておいたのは、可憐な客を迎えるのに幸いだった。私は闇に少し目がなれた。真暗だったところで、どこになにがあるかは、毎晩のなじみでわかっている。

「あたしに明りをつけさせて下さい。」

娘の腕が思いがけないことを言った。

「はじめてうかがったお部屋ですもの。」

「どうぞ。それはありがたい。僕以外のものがこの部屋の明りをつけてくれるのは、まったくはじめてだ。」


 私は娘の片腕を持って、手先きが扉の横のスイッチにとどくようにした。天井の下と、テエブルの上と、ベッドの枕もとと、台所と、洗面所のなかと、五つの電灯がいち時についた。私の部屋の電灯はこれほど明るかったのかと、私の目は新しく感じた。

 ガラスびんの泰山木が大きい花をいっぱいに開いていた。今朝はつぼみであった。開いて間もないはずなのに、テエブルの上にしべを落ち散らばらせていた。それが私はふしぎで、白い花よりもこぼれたしべをながめた。しべを一つ二つつまんでながめていると、テエブルの上においた娘の腕が指を尺取虫のように伸び縮みさせて動いて来て、しべを拾い集めた。私は娘の手のなかのしべを受け取ると、屑籠へ捨てに立って行った。

「きついお花の匂いが肌にしみるわ。助けて……。」

と娘の腕が私を呼んだ。


「ああ。ここへ来る道で窮屈な目にあわせて、くたびれただろう。しばらく静かにやすみなさい。」

とベッドの上に娘の腕を横たえて、私もそばに腰をかけた。そして娘の腕をやわらかくなでた。


「きれいで、うれしいわ。」

娘の腕がきれいと言ったのは、ベッド・カバアのことだろう。水色の地に三色の花模様があった。孤独の男には派手過ぎるだろう。

「このなかで今晩おとまりするのね。おとなしくしていますわ。」

「そう?」

「おそばに寄りそって、おそばになんにもいないようにしてますわ。」

 そして娘の手がそっと私の手を握った。娘の指の爪はきれいにみがいて薄い石竹色に染めてあるのを私は見た。指さきより長く爪はのばしてあった。

 私の短くて幅広くて、そして厚ごわい爪に寄り添うと、娘の爪は人間の爪でないかのように、ふしぎな形の美しさである。女はこんな指の先きでも、人間であることを超克しようとしているのか。あるいは、女であることを追究しようとしているのか。

うち側のあやに光る貝殻、つやのただよう花びらなどと、月並みな形容が浮んだものの、たしかに娘の爪に色と形の似た貝殻や花びらは、今私には浮んで来なくて、娘の手の指の爪は娘の手の指の爪でしかなかった。脆く小さい貝殻や薄く小さい花びらよりも、この爪の方が透き通るように見える。そしてなによりも、悲劇の露と思える。娘は日ごと夜ごと、女の悲劇の美をみがくことに丹精をこめて来た。それが私の孤独にしみる。私の孤独が娘の爪にしたたって、悲劇の露とするのかもしれない。

 私は娘の手に握られていない方の手の、人差し指に娘の小指をのせて、その細長い爪を親指の腹でさすりながら見入っていた。いつとなく私の人差し指は娘の爪の廂(ひさし)にかくれた、小指のさきにふれた。ぴくっと娘の指が縮まった。肘もまがった。

「あっ、くすぐったいの?」

と私は娘の片腕に言った。

「くすぐったいんだね。」

 うかつなことをつい口に出したものである。爪を長くのばした女の指さきはくすぐったいものと、私は知っている、つまり私はこの娘のほかの女をかなりよく知っていると、娘の片腕に知らせてしまったわけである。

 私にこの片腕を一晩貸してくれた娘にくらべて、ただ年上と言うより、もはや男に慣れたと言う方がよさそうな女から、このような爪にかくれた指さきはくすぐったいのを、私は前に聞かされたことがあったのだ。長い爪のさきでものにさわるのが習わしになっていて、指さきではさわらないので、なにかが触れるとくすぐったいと、その女は言った。

「ふうん。」私は思わぬ発見におどろくと、女はつづけて、

「食べものごしらえでも、食べるものでも、なにかちょっと指さきにさわると、あっ、不潔っと、肩までふるえが来ちゃうの。そうなのよ、ほんとうに……。」

 不潔とは、食べものが不潔になるというのか、爪さきが不潔になるというのか。おそらく、指さきになにがさわっても、女は不潔感にわななくのであろう。女の純潔の悲劇の露が、長い爪の陰にまもられて、指さきにひとしずく残っている。
 女の手の指さきをさわりたくなった、誘惑は自然であったけれども、私はそれだけはしなかった。私自身の孤独がそれを拒んだ。からだの、どこかにさわられてもくすぐったいところは、もうほとんどなくなっているような女であった。

 片腕を貸してくれた娘には、さわられてくすぐったいところが、からだじゅうにあまたあるだろう。そういう娘の手の指さきをくすぐっても、私は罪悪とは思わなくて、愛玩と思えるかもしれない。しかし娘は私にいたずらをさせるために、片腕を貸してくれたのではあるまい。私が喜劇にしてはいけない。

「窓があいている。」と私は気がついた。ガラス戸はしまっているが、カアテンがあいている。

「なにかがのぞくの?」

と娘の片腕が言った。

「のぞくとしたら、人間だね。」

「人間がのぞいても、あたしのことは見えないわ。のぞき見するものがあるとしたら、あなたの御自分でしょう。」

「自分……? 自分てなんだ。自分はどこにあるの?」

「自分は遠くにあるの。」

と娘の片腕はなぐさめの歌のように、

「遠くの自分をもとめて、人間は歩いてゆくのよ。」

「行き着けるの?」

「自分は遠くにあるのよ。」

娘の腕はくりかえした。


 ふと私には、この片腕とその母体の娘とは無限の遠さにあるかのように感じられた。この片腕は遠い母体のところまで、はたして帰り着けるのだろうか。私はこの片腕を遠い娘のところまで、はたして返しに行き着けるのだろうか。娘の片腕が私を信じて安らかなように、母体の娘も私を信じてもう安らかに眠っているだろうか。右腕のなくなったための違和、また凶夢はないか。娘は右腕に別れる時、目に涙が浮ぶのをこらえていたようではなかったか。片腕は今私の部屋に来ているが、娘はまだ来たことがない。

 窓ガラスは湿気に濡れ曇っていて、蟾蜍の腹皮を張ったようだ。霧雨を空中に静止させたようなもやで、窓のそとの夜は距離を失い、無限の距離につつまれていた。家の屋根も見えないし、車の警笛も聞えない。

「窓をしめる。」と私はカアテンを引こうとすると、カアテンもしめっていた。窓ガラスに私の顔がうつっていた。私のいつもの顔より若いかに見えた。しかし私はカアテンを引く手をとどめなかった。私の顔は消えた。

 ある時、あるホテルで見た、九階の客室の窓がふと私の心に浮んだ。裾のひらいた赤い服の幼い女の子が二人、窓にあがって遊んでいた。同じ服の同じような子だから、ふた子かもしれなかった。西洋人の子どもだった。二人の幼い子は窓ガラスを握りこぶしでたたいたり、窓ガラスに肩を打ちつけたり、相手を押し合ったりしていた。母親は窓に背を向けて、編みものをしていた。窓の大きい一枚ガラスがもしわれるかはずれかしたら、幼い子は九階から落ちて死ぬ。あぶないと見たのは私で、二人の子もその母親もまったく無心であった。しっかりした窓ガラスに危険はないのだった。

 カアテンを引き終って振り向くと、ベッドの上から娘の片腕が、

「きれいなの。」

と言った。カアテンがベッド・カバアと同じ花模様の布だからだろう。

「そう? 日にあたって色がさめた。もうくたびれているんだよ。」

私はベッドに腰かけて、娘の片腕を膝にのせた。

「きれいなのは、これだな。こんなきれいなものはないね。」

 そして、私は右手で娘のたなごころと握り合わせ、左手で娘の腕のつけ根を持って、ゆっくりとその腕の肘をまげてみたり、のばしてみたりした。くりかえした。


「いたずらっ子ねえ。」

と娘の片腕はやさしくほほえむように言った。

「こんなことなさって、おもしろいの?」

「いたずらなもんか。おもしろいどころじゃない。」

ほんとうに娘の腕には、ほほえみが浮んで、そのほほえみは光りのように腕の肌をゆらめき流れた。娘の頬のみずみずしいほほえみとそっくりであった。


 私は見て知っている。娘はテエブルに両肘を突いて、両手の指を浅く重ねた上に、あごをのせ、また片頬をおいたことがあった。若い娘としては品のよくない姿のはずだが、突くとか重ねるとか置くとかいう言葉はふさわしくない、軽やかな愛らしさである。腕のつけ根の円みから、手の指、あご、頬、耳、細長い首、そして髪までが一つになって、楽曲のきれいなハアモニイである。

娘はナイフやフォウクを上手に使いながら、それを握った指のうちの人差し指と小指とを、折り曲げたまま、ときどき無心にほんの少し上にあげる。食べものを小さい唇に入れ、噛んで、呑みこむ、この動きも人間がものを食っている感じではなくて、手と顔と咽とが愛らしい音楽をかなでていた。娘のほほえみは腕の肌にも照り流れるのだった。


 娘の片腕がほほえむと見えたのは、その肘を私がまげたりのばしたりするにつれて、娘の細く張りしまった腕の筋肉が微妙な波に息づくので、微妙な光りとかげとが腕の白くなめらかな肌を移り流れるからだ。さっき、私の指が娘の長い爪のかげの指さきにふれて、ぴくっと娘の腕が肘を折り縮めた時、その腕に光りがきらめき走って、私の目を射たものだった。それで私は娘の肘をまげてみているので、決していたずらではなかった。肘をまげ動かすのを、私はやめて、のばしたままじっと膝においてながめても、娘の腕にはういういしい光りとかげとがあった。


「おもしろいいたずらと言うなら、僕の右腕とつけかえてみてもいいって、ゆるしを受けて来たの、知ってる?」

と私は言った。


「知ってますわ。」と娘の右腕は答えた。

「それだっていたずらじゃないんだ。僕は、なんかこわいね。」

「そう?」

「そんなことしてもいいの」

「いいわ」

「…………。」

私は娘の腕の声を、はてなと耳に入れて、

「いいわ、って、もう一度……。」

「いいわ。いいわ。」


 私は思い出した。私に身をまかせようと覚悟をきめた、ある娘の声に似ているのだ。片腕を貸してくれた娘ほどには、その娘は美しくなかった。そして異常であったかもしれない。

「いいわ。」

とその娘は目をあけたまま私を見つめた。私は娘の上目ぶたをさすって、閉じさせようとした。娘はふるえ声で言った。


「(イエスは涙をお流しになりました。《ああ、なんと、彼女を愛しておいでになったことか。》とユダヤ人たちは言いました。)」

「…………。」


「彼女」は「彼」の誤りである。死んだラザロのことである。女である娘は「彼」を「彼女」とまちがえておぼえていたのか、あるいは知っていて、わざと「彼女」と言い変えたのか。

 私は娘のこの場にあるまじい、唐突で奇怪な言葉に、あっけにとられた。娘のつぶった目ぶたから涙が流れ出るかと、私は息をつめて見た。

 娘は目をあいて胸を起こした。その胸を私の腕が突き落とした。

「いたいっ。」

と娘は頭のうしろに手をやった。

「いたいわ。」

 白いまくらに血が小さくついていた。私は娘の髪をかきわけてさぐった。血のしずくがふくらみ出ているのに、私は口をつけた。

「いいのよ。血はすぐ出るのよ、ちょっとしたことで。」

娘は毛ピンをみな抜いた。毛ピンが頭に刺さったのであった。

 娘は肩が痙攣しそうにしてこらえた。

 私は女の身をまかせる気もちがわかっているようながら、納得しかねるものがある。身をまかせるのをどんなことと、女は思っているのだろうか。自分からそれを望み、あるいは自分から進んで身をまかせるのは、なぜなのだろうか。女のからだはすべてそういう風にできていると、私は知ってからも信じかねた。この年になっても、私はふしぎでならない。そしてまた、女のからだと身をまかせようとは、ひとりひとりちがうと思えばちがうし、似ていると思えば似ているし、みなおなじと思えばおなじである。これも大きいふしぎではないか。私のこんなふしぎがりようは、年よりもよほど幼い憧憬かもしれないし、年よりも老けた失望かもしれない。心のびっこではないだろうか。

 その娘のような苦痛が、身をまかせるすべての女にいつもあるものではなかった。その娘にしてもあの時きりであった。銀のひもは切れ、金の皿はくだけた。

「いいわ。」と娘の片腕の言ったのが、私にその娘を思い出させたのだけれども、片腕のその声とその娘の声とは、はたして似ているのだろうか。おなじ言葉を言ったので、似ているように聞えたのではなかったか。おなじ言葉を言ったにしても、それだけが母体を離れて来た片腕は、その娘とちがって自由なのではないか。またこれこそ身をまかせたというもので、片腕は自制も責任も悔恨もなくて、なんでも出来るのではないか。しかし、「いいわ。」と言う通りに、娘の右腕を私の右腕とつけかえたりしたら、母体の娘は異様な苦痛におそわれそうにも、私には思えた。
 私は膝においた娘の片腕をながめつづけていた。肘の内側にほのかな光りのかげがあった。それは吸えそうであった。私は娘の腕をほんの少しまげて、その光りのかげをためると、それを持ちあげて、唇をあてて吸った。


「くすぐったいわ。いたずらねえ。」

と娘の腕は言って、唇をのがれるように、私の首に抱きついた。

「いいものを飲んでいたのに……。」と私は言った。

「なにをお飲みになったの?」

「…………。」

「なにをお飲みになったの?」

「光りの匂いかな、肌の。」


 そとのもやはなお濃くなっているらしく、花びんの泰山木の葉までしめらせて来るようであった。ラジオはどんな警告を出しているだろう。私はベッドから立って、テエブルの上の小型ラジオの方に歩きかけたがやめた。娘の片腕に首を抱かれてラジオを聞くのはよけいだ。しかし、ラジオはこんなことを言っているように思われた。たちの悪い湿気で木の枝が濡れ、小鳥のつばさや足も濡れ、小鳥たちはすべり落ちていて飛べないから、公園などを通る車は小鳥をひかぬように気をつけてほしい。もしなまあたたかい風が出ると、もやの色が変るかもしれない。色の変ったもやは有害で、それが桃色になったり紫色になったりすれば、外出はひかえて、戸じまりをしっかりしなければならない。


「もやの色が変る? 桃色か紫色に?」

と私はつぶやいて、窓のカアテンをつまむと、そとをのぞいた。もやがむなしい重みで押しかかって来るようであった。夜の暗さとはちがう薄暗さが動いているようなのは、風が出たのであろうか。もやの厚みは無限の距離がありそうだが、その向うにはなにかすさまじいものが渦巻いていそうだった。

 さっき、娘の右腕を借りて帰る道で、朱色の服の女の車が、前にもうしろにも、薄むらさきの光りをもやのなかに浮べて通ったのを、私は思い出した。紫色であった。もやのなかからぼうっと大きく薄むらさきの目玉が追って来そうで、私はあわててカアテンをはなした。


「寝ようか。僕らも寝ようか。」

 この世に起きている人はひとりもないようなけはいだった。こんな夜に起きているのはおそろしいことのようだ。

 私は首から娘の腕をはずしてテエブルにおくと、新しい寝間着に着かえた。寝間着はゆかたであった。娘の片腕は私が着かえるのを見ていた。私は見られているはにかみを感じた。この自分の部屋で寝間着に着かえるところを女に見られたことはなかった。

 娘の片腕をかかえて、私はベッドにはいった。娘の腕の方を向いて、胸寄りにその指を軽く握った。娘の腕はじっとしていた。

 小雨のような音がまばらに聞えた。もやが雨に変ったのではなく、もやがしずくになって落ちるのか、かすかな音であった。

 娘の片腕は毛布のなかで、また指が私の手のひらのなかで、あたたまって来るのが私にわかったが、私の体温にはまだとどかなくて、それが私にはいかにも静かな感じであった。

「眠ったの?」

「いいえ。」と娘の腕は答えた。

「動かないから、眠っているのかと思った。」


 私はゆかたをひらいて、娘の腕を胸につけた。あたたかさのちがいが胸にしみた。むし暑いようで底冷たいような夜に、娘の腕の肌ざわりはこころよかった。
 部屋の電灯はみなついたままだった。ベッドにはいる時消すのを忘れた。

「そうだ。明りが……。」と起きあがると、私の胸から娘の片腕が落ちた。

「あ。」私は腕を拾い持って、

「明りを消してくれる?」


 そして扉へ歩きながら、

「暗くして眠るの? 明りをつけたまま眠るの?」

「…………。」


 娘の片腕は答えなかった。腕は知らぬはずはないのに、なぜ答えないのか。私は娘の夜の癖を知らない。明りをつけたままで眠っているその娘、また暗がりのなかで眠っているその娘を、私は思い浮べた。右腕のなくなった今夜は、明るいままにして眠っていそうである。私も明りをなくするのがふと惜しまれた。もっと娘の片腕をながめていたい。先きに眠った娘の腕を、私が起きていてみたい。しかし娘の腕は扉の横のスイッチを切る形に指をのばしていた。

 闇のなかを私はベッドにもどって横たわった。娘の片腕を胸の横に添い寝させた。腕の眠るのを待つように、じっとだまっていた。娘の腕はそれがもの足りないのか、闇がこわいのか、手のひらを私の胸の脇にあてていたが、やがて五本の指を歩かせて私の胸の上にのぼって来た。おのずと肘がまがって私の胸に抱きすがる恰好になった。

 娘のその片腕は可愛い脈を打っていた。娘の手首は私の心臓の上にあって、脈は私の鼓動とひびき合った。娘の腕の脈の方が少しゆっくりだったが、やがて私の心臓の鼓動とまったく一致して来た。私は自分の鼓動しか感じなくなった。どちらが早くなったのか、どちらがおそくなったのかわからない。

 手首の脈搏と心臓の鼓動とのこの一致は、今が娘の右腕と私の右腕とをつけかえてみる、そのために与えられた短い時なのかもしれぬ。いや、ただ娘の腕が寝入ったというしるしであろうか。失心する狂喜に酔わされるよりも、そのひとのそばで安心して眠れるのが女はしあわせだと、女が言うのを私は聞いたことがあるけれども、この娘の片腕のように安らかに私に添い寝した女はなかった。

 娘の脈打つ手首がのっているので、私は自分の心臓の鼓動を意識する。それが一つ打って次のを打つ、そのあいだに、なにかが遠い距離を素早く行ってはもどって来るかと私には感じられた。そんな風に鼓動を聞きつづけるにつれて、その距離はいよいよ遠くなりまさるようだ。そしてどこまで遠く行っても、無限の遠くに行っても、その行くさきにはなんにもなかった。なにかにとどいてもどって来るのではない。次ぎに打つ鼓動がはっと呼びかえすのだ。こわいはずだがこわさはなかった。しかし私は枕もとのスイッチをさぐった。

 けれども、明りをつける前に、毛布をそっとまくってみた。娘の片腕は知らないで眠っていた。はだけた私の胸をほの白くやさしい微光が巻いていた。私の胸からぽうっと浮び出た光りのようであった。私の胸からそれは小さい日があたたかくのぼる前の光りのようであった。

 私は明りをつけた。娘の腕を胸からはなすと、私は両方の手をその腕のつけ根と指にかけて、真直ぐにのばした。五燭の弱い光りが、娘の片腕のその円みと光りのかげとの波をやわらかくした。つけ根の円み、そこから細まって二の腕のふくらみ、また細まって肘のきれいな円み、肘の内がわのほのかなくぼみ、そして手首へ細まってゆく円いふくらみ、手の裏と表から指、私は娘の片腕を静かに廻しながら、それにゆらめく光とかげの移りをながめつづけていた。

「これはもうもらっておこう。」とつぶやいたのも気がつかなかった。

 そして、うっとりとしているあいだのことで、自分の右腕を肩からはずして娘の右腕を肩につけかえたのも、私はわからなかった。

「ああっ。」という小さい叫びは、娘の腕の声だったか私の声だったか、とつぜん私の肩に痙攣が伝わって、私は右腕のつけかわっているのを知った。

 娘の片腕はミミ今は私の腕なのだが、ふるえて空をつかんだ。私はその腕を曲げて口に近づけながら、


「痛いの? 苦しいの?」

「いいえ。そうじやない。そうじやないの。」

とその腕が切れ切れに早く言ったとたんに、戦慄の稲妻が私をつらぬいた。私はその腕の指を口にくわえていた。

「…………。」

よろこびを私はなんと言ったか、娘の指が舌にさわるだけで、言葉にはならなかった。

「いいわ。」

と娘の腕は答えた。ふるえは勿論とまっていた。

「そう言われて来たんですもの。でも……。」

 私は不意に気がついた。私の口は娘の指を感じられるが、娘の右腕の指、つまり私の右腕の指は私の唇や歯を感じられない。私はあわてて右腕を振ってみたが、腕を振った感じはない。肩のはし、腕のつけ根に、遮断があり、拒絶がある。

「血が通わない。」と私は口走った。

「血が通うのか、通わないのか。」


 恐怖が私をおそった。私はベッドに坐っていた。かたわらに私の片腕が落ちている。それが目にはいった。自分をはなれた自分の腕はみにくい腕だ。それよりもその腕の脈はとまっていないか。娘の片腕はあたたかく脈を打っていたが、私の右腕は冷えこわばってゆきそうに見えた。私は肩についた娘の右腕で自分の右腕を握った。握ることは出来たが、握った感覚はなかった。

「脈はある?」と私は娘の右腕に聞いた。

「冷たくなってない?」

「少うし……。あたしよりほんの少うしね。」

と娘の片腕は答えた。

「あたしが熱くなったからよ。」


 娘の片腕が「あたし」という一人称を使った。私の肩につけられて、私の右腕となった今、はじめて自分のことを「あたし」と言ったようなひびきを、私の耳は受けた。

「脈も消えてないね?」と私はまた聞いた。

「いやあね。お信じになれないのかしら……?」

「なにを信じるの?」

「御自分の腕をあたしと、つけかえなさったじゃありませんの?」

「だけど血が通うの?」

「(女よ、誰をさがしているのか。)というの、ごぞんじ?」

「知ってるよ。(女よ、なぜ泣いているのか。誰をさがしているのか。)」

「あたしは夜なかに夢を見て目がさめると、この言葉をよくささやいているの。」


 今「あたし」と言ったのは、もちろん、私の右肩についた愛らしい腕の母体のことにちがいない。聖書のこの言葉は、永遠の場で言われた、永遠の声のように、私は思えて来た。

「夢にうなされてないかしら、寝苦しくて……。」

と私は片腕の母体のことを言った。

「そとは悪魔の群れがさまようためのような、もやだ。しかし悪魔だって、からだがしっけて、咳をしそうだ。」

「悪魔の咳なんか聞えませんように……。」

と娘の右腕は私の右腕を握ったまま、私の右の耳をふさいだ。

 娘の右腕は、じつは今私の右腕なのだが、それを動かしたのは、私ではなくて、娘の腕のこころのようであった。いや、そう言えるほどの分離はない。


「脈、脈の音……。」

 私の耳は私自身の右腕の脈を聞いた。娘の腕は私の右腕を握ったまま耳へ来たので、私の手首が耳に押しつけられたわけだった。私の右腕には体温もあった。娘の腕が言った通りに、私の耳や娘の指よりは少うし冷たい。


「魔よけしてあげる……。」

といたずらっぽく、娘の小指の小さく長い爪が私の耳のなかをかすかに掻いた。私は首を振って避けた。左手、これはほんとうの私の手で、私の右の手首、じつは娘の右の手首をつかまえた。そして顔をのけぞらせた私に、娘の小指が目についた。

 娘の手は四本の指で、私の肩からはずした右腕を握っていた。小指だけは遊ばせているとでもいうか、手の甲の方にそらせて、その爪の先きを軽く私の右腕に触れていた。しなやかな若い娘の指だけができる、固い手の男の私には信じられぬ形の、そらせようだった。小指のつけ根から、直角に手のひらの方へ曲げている。そして次ぎの指関節も直角に曲げ、その次ぎの指関節もまた直角に折り曲げている。そうして小指はおのずと四角を描いている。四角の一辺は紅差し指である。

 この四角い窓を、私の目はのぞく位置にあった。窓というにはあまりに小さくて、透き見穴か眼鏡というのだろうが、なぜか私には窓と感じられた。すみれの花が外をながめるような窓だ。ほのかな光りがあるほどに白い小指の窓わく、あるいは眼鏡の小指のふち、それを私はなお目に近づけた。片方の目をつぶった。


「のぞきからくり……?」

と娘の腕は言った。

「なにかお見えになります?」

「薄暗い自分の古部屋だね、五燭の電灯の……。」

と私は言い終らぬうち、ほとんど叫ぶように、

「いや、ちがう。見える。」

「なにが見えるの。」

「もう見えない。」

「なにがお見えになったの?」

「色だね。薄むらさきの光りだね、ぼうっとした……。その薄むらさきのなかに、赤や金の粟粒のように小さい輪が、くるくるたくさん飛んでいた。」

「おつかれなのよ。」


 娘の片腕は私の右腕をベッドに置くと、私の目ぶたを指の腹でやわらかくさすってくれた。


「赤や金のこまかい輪は、大きな歯車になって、廻るのもあったかしら……。その歯車のなかに、なにかが動くか、なにかが現われたり消えたりして、見えたかしら……。」

 歯車も歯車のなかのものも、見えたのか見えたようだったのかわからぬ、記憶にはとどまらぬ、たまゆらの幻だった。その幻がなんであったか、私は思い出せないので、


「なにの幻を見せてくれたかったの?」

「いいえ。あたしは幻を消しに来ているのよ。」

「過ぎた日の幻をね、あこがれやかなしみの……。」

 娘の指と手のひらの動きは、私の目ぶたの上で止まった。


「髪は、ほどくと、肩や腕に垂れるくらい、長くしているの?」

私は思いもかけぬ問いが口に出た。

「はい。とどきます。」

と娘の片腕は答えた。

「お風呂で髪を洗うとき、お湯をつかいますけれど、あたしの癖でしょうか、おしまいに、水でね、髪の毛が冷たくなるまで、ようくすすぐんです。その冷たい髪が肩や腕に、それからお乳の上にもさわるの、いい気持なの。」


 もちろん、片腕の母体の乳房である。それを人に触れさせたことのないだろう娘は、冷たく濡れた洗い髪が乳房にさわる感じなど、よう言わないだろう。娘のからだを離れて来た片腕は、母体の娘のつつしみ、あるいははにかみからも離れているのか。

 私は娘の右腕、今は私の右腕になっている、その腕のつけ根の可憐な円みを、自分の左の手のひらにそっとつつんだ。娘の胸のやはりまだ大きくない円みが、私の手のひらのなかにあるかのように思えて来た。肩の円みが胸の円みのやわらかさになって来る。

 そして娘の手は私の目の上に軽くあった。その手のひらと指とは私の目ぶたにやさしく吸いついて、目ぶたの裏にしみとおった。目ぶたの裏があたたかくしめるようである。そのあたたかいしめりは目の球のなかにもしみひろがる。


「血が通っている。」と私は静かに言った。

「血が通っている。」


 自分の右腕と娘の右腕とをつけかえたのに気がついた時のような、おどろきの叫びはなかった。私の肩にも娘の腕にも、痙攣や戦慄などはさらになかった。いつのまに、私の血は娘の腕に通い、娘の腕の血が私のからだに通ったのか。腕のつけ根にあった、遮断と拒絶とはいつなくなったのだろうか。清純な女の血が私のなかに流れこむのは、現に今、この通りだけれど、私のような男の汚濁の血が娘の腕にはいっては、この片腕が娘の肩にもどる時、なにかがおこらないか。もとのように娘の肩にはつかなかったら、どうずればいいだろう。


「そんな裏切りはない。」と私はつぶやいた。

「いいのよ。」と娘の腕はささやいた。

 しかし、私の肩と娘の腕とには、血がかよって行ってかよって来るとか、血が流れ合っているとかいう、ことごとしい感じはなかった。右肩をつつんだ私の左の手のひらが、また私の右肩である娘の肩の円みが、自然にそれを知ったのであった。いつともなく、私も娘の腕もそれを知っていた。そうしてそれは、うっとりととろけるような眠りにひきこむものであった。


 私は眠った。

 たちこめたもやが淡い紫に色づいて、ゆるやかに流れる大きい波に、私はただよっていた。その広い波のなかで、私のからだが浮んだところだけには、薄みどりのさざ波がひらめいていた。私の陰湿な孤独の部屋は消えていた。私は娘の右腕の上に、自分の左手を軽くおいているようであった。娘の指は泰山木の花のしべをつまんでいるようであった。見えないけれども匂った。しべは屑籠へ捨てたはずなのに、いつ、どうして拾ったのか。一日の花の白い花びらはまだ散らないのに、なぜしべが先きに落ちたのか。朱色の服の若い女の車が、私を中心に遠い円をえがいて、なめらかにすべっていた。私と娘の片腕との眠りの安全を見まもっているようであった。

 こんな風では、眠りは浅いのだろうけれども、こんなにあたたかくあまい眠りはついぞ私にはなかった。いつもは寝つきの悪さにべッドで悶々とする私が、こんなに幼い子の寝つきをめぐまれたことはなかった。

 娘のきゃしゃな細長い爪が私の左の手のひらを可愛く掻いているような、そのかすかな触感のうちに、私の眠りは深くなった。私はいなくなった。

「ああっ。」私は自分の叫びで飛び起きた。ベッドからころがり落ちるようにおりて、三足四足よろめいた。

 ふと目がさめると、不気味なものが横腹にさわっていたのだ。私の右腕だ。

 私はよろめく足を踏みこたえて、ベッドに落ちている私の右腕を見た。呼吸がとまり、血が逆流し、全身が戦慄した。私の右腕が目についたのは瞬間だった。次ぎの瞬間には、娘の腕を肩からもぎ取り、私の右腕とつけかえていた。魔の発作の殺人のようだった。

 私はベッドの前に膝をつき、ベッドに胸を落して、今つけたばかりの自分の右腕で、狂わしい心臓の上をなでさすっていた。動悸がしずまってゆくにつれて、自分のなかよりも深いところからかなしみが噴きあがって来た。


「娘の腕は……?」私は顔をあげた。

 娘の片腕はベッドの裾に投げ捨てられていた。はねのけた毛布のみだれのなかに、手のひらを上向けて投げ捨てられていた。のばした指先きも動いていない。薄暗い明りにほの白い。

「ああ。」

 私はあわてて娘の片腕を拾うと、胸にかたく抱きしめた。生命の冷えてゆく、いたいけな愛児を抱きしめるように、娘の片腕を抱きしめた。娘の指を唇にくわえた。のばした娘の爪の裏と指先きとのあいだから、女の露が出るなら……。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/kawabatayasunari.html


62. 中川隆 2014年9月10日 13:48:55 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

どういう教育を受けると星野佳路の様な費用対効果や効率しか考えない人間ができあがるのか


サッカーとか、ワールドカップの様子を見ていると、「日本戦見てない奴は非国民」みたいな攻撃的な同調圧力が異常に高まっていましたね。全員が同じものに、同じように熱狂することを強制する。この同調圧力がこの20年くらいどんどん高まっている。

均質化圧と同調化圧。それはやはり学校教育のせいなんだと思います。

学校はどこかで子どもの成熟を支援するという本務を忘れて、子どもたちを能力別に格付けして、キャリアパスを振り分けるためのセレクション装置機関になってしまった。

子どもたちを格付けするためには、他の条件を全部同じにして、計測可能な差異だけを見る必要がある。

問題は「差異を見る」ことじゃなくて、「他の条件を全部同じにする」ことなんです。みんな叩いて曲げて同じかたちにはめ込んでしまう。そうしないと考量可能にならないから。同じ価値観を持ち、同じようなふるまい方をして、同じようなしゃべり方をする子どもをまず作り上げておいて、その上で考量可能な数値で比較する。

見落とされているのは、この均質化圧が財界からの強い要請で進められているということです。


彼らからすれば労働者も消費者もできるだけ定型的であって欲しい。

労働者は互換可能であればあるほど雇用条件を引き下げることができるからです。

「君の替えなんか他にいくらでもいるんだ」と言えれば、いくらでも賃金を下げ、労働条件を過酷なものにできる。


消費者もできるだけ欲望は均質的である方がいい。

全員が同じ欲望に駆り立てられて、同じ商品に殺到すれば、製造コストは最小化でき、収益は最大化するからです。

ですから、労働者として消費者として、子どもたちにはできるだけ均質的であって欲しいというのは市場からのストレートな要請なんです。

政治家や文科省の役人たちはその市場の意向を体して学校に向かって「子どもたちを均質化しろ」と命令してくる。


―均質化と同調圧力を押し返し、本来の「知のありよう」を取り戻すのには、やはり教育がキーワードになっているのでしょうか?

教育だとは思いますよ。でも、今の学校教育は閉ざされた集団内部での相対的な優劣を競わせているだけですから、そんなことをいくらやっても子どもは成熟しないし、集団として支え合って生きて行く共生の知恵も身につかない。

保護者も子どもたちも、どうすれば一番費用対効果の良い方法で単位や学位を手に入れるかを考える。最少の学習努力で最大のリターンを得ることが最も「クレバーな」生き方だと思い込んでいる。

でも、学校教育を受けることの目的が自己利益の増大だと考えている限り、知性も感性も育つはずがない。人間が能力を開花させるのは自己利益のためではなくて、まわりの人たちと手を携えて、集団として活動するときなんですから。

でも、今の学校教育では、自分とは異質の能力や個性を持つ子どもたちと協働して、集団的なパフォーマンスを高めるための技術というものを教えていない。

共生の作法を教えていない。それが生きてゆく上で一番たいせつなことなのに。

僕は人間の達成を集団単位でとらえています。ですから、「集団的叡智」というものがあると信じている。長期にわたって、広範囲に見てゆけば、人間たちの集団的な叡智は必ず機能している。エゴイズムや暴力や社会的不公正は長くは続かず、必ずそれを補正されるような力が働く。

ですから、長期的には適切な判断を下すことのできるこの集団的叡智をどうやって維持し、どうやって最大化するのか、それが学校でも最優先に配慮すべき教育的課題であるはずなのに、そういうふうな言葉づかいで学校教育を語る人って、今の日本に一人もいないでしょう。学校教育を通じて日本人全体としての叡智をどう高めていくのか、そんな問いかけ誰もしない。

今の学校教育が育成しようとしているのは「稼ぐ力」ですよ。

金融について教育しろとか、グローバル人材育成だとか、「英語が使える日本人」とか、言っていることはみんな同じです。

グローバル企業の収益が上がるような、低賃金・高能力の労働者を大量に作り出せということです。


文科省はもうずいぶん前から「金の話」しかしなくなりました。

経済のグローバル化に最適化した人材育成が最優先の教育課題だと堂々と言い放っている。

子どもたちの市民的成熟をどうやって支援するのかという学校教育の最大の課題については一言も語っていない。子どもたちの市民的成熟に教育行政の当局が何の関心も持っていない。ほんとうに末期的だと思います。

―モノや資源のレベルでも、教育のレベルでも、色んな意味での持続可能性というのは、一人一人がそういった知のマップを作ることだと思います。このマッピングをどうやって可能にして、共生の知恵をもった社会に作ることができると思われますか。

今の日本の制度劣化は危険水域にまで進行しています。いずれ崩壊するでしょう。ですから、目端の利いた連中はもうどんどん海外に逃げ出している。シンガポールや香港に租税回避して、子どもを中等教育から海外に留学させて、ビジネスネットワークも海外に形成して、日本列島が住めなくなっても困らないように手配している。彼らは自分たちが現にそこから受益している日本のシステムが「先がない」ということがわかっているんです。でも、「先がない」からどうやって再建するかじゃなくて、「火事場」から持ち出せるだけのものを持ち出して逃げる算段をしている。


僕は日本でしか暮らせない人間をデフォルトにして国民国家のシステムは制度設計されなければならないと思っています。

でも、日本語しか話せない、日本食しか食えない、日本の伝統文化や生活習慣の中にいないと「生きた心地がしない」という人間はグローバル化した社会では社会の最下層に格付けされます。

最高位には、英語ができて、海外に家があり、海外に知人友人がおり、海外にビジネスネットワークがあり、日本列島に住めなくなっても、日本語がなくなっても、日本文化が消えても「オレは別に困らない」人たちが格付けされている。

こういう人たちが日本人全体の集団としてのパフォーマンスを高めるためにどうしたらいいのかというようなことを考えるはずがない。どうやって日本人から収奪しようかしか考えてないんですから。
http://blog.tatsuru.com/2014/09/05_1112.php


63. 中川隆 2014年9月29日 17:26:05 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

本物の資産家は、星野佳路の様な知性も教養も品位も完全にゼロの唯のアメリカ気触れとは違って本当の贅沢を知っていますね:


広東オペラ鑑賞 2014年09月20日

昨日、大阪にて行われました広東オペラ公演に香港の有力者から招待され、観賞してきましたが、日本の昔の物語をベースにした脚本とのことで、我々日本人にも分かりやすく、華やかなオペラで3時間があっという間に過ぎました。

素晴らしい現物資産が取り持つ縁となりますが、物の”命”の尊さを理解できない者や、物を粗末にする者はこのような縁はありません。

日本人は今でも使える建物や物を金もうけだけの為に破壊し粗末にしてきていますが、必ずこれは命を持つ物からしっぺ返しを受けるはずです。

エコだと言ってポイントを導入して使えるTVを何百万台と無駄にした結果、TV業界は壊滅的打撃を受けました。

エコカー減税として使える13年以上の車を所有する者に罰金のような課税をしていますが、今や車業界はリコールの嵐で、粗悪品を乱造した結果、昔の頑丈な日本車という品質を無くしてしまい、今ままだ車業界は生きていますが、そのうち、とんでもない「仕返し」を受けるかも知れません。

日本人は物を大切にするという心がありましたが、今やその心を無くし、安ければ安いだけ良いとなり、本当のもの作りをする者・企業が消えていっています。

これはデパートやスーパーという大型量販店の力が強くなり過ぎたことにも理由がありますが、安物を求める日本人が増えたという「結果」であり、日本人が物を大切にする昔の日本人ではなくなったことに原因があると言えます。

「物には命などない」として、命の尊さをわかっていない日本人が増えれば増える程、日本の物作りの現場は消えていくことになります。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/40292064.html

本当の所有と移動 2014年09月24日

今回ギャラリープレシャスコレクションを観るためだけに香港から家族連れで来られた資産家は資産数千億円とのことですが、所有しているのが世界有数の超一流ホテルであり、その洗練された話し方、態度は流石でした。

資産規模やコレクションは内容も規模もグレードも違いますが、コレクター魂は同じであり、お互い¨コレクター談義¨に花を咲かせていました。

お互いのコレクションを称えあい、そして羨ましがるのはコレクターそのものですが、今回、【稀少金貨】にもの凄い関心を持たれたことには驚きでした。
しかも考えが日本人とは全く違うのです。


息子さんはまだ10代半ばであり、今買って息子さんの¨子供¨に渡せば、大分値上がりしているだろうね、との考えなのです。

大方の日本人は自分の資産として現物資産を考えていますが、この資産家は息子でもない、孫の代に売ればと考えているのです。

これが大富豪になるべくしてなった由縁だと思います。

彼が購入していますカラーダイヤモンドは相場の4〜5倍していますが、

『よいものは高いのは当たり前で、これと同じダイヤモンドを安い価格で買えるならいくらでも買う。残念ながら1度もそのようなオファーはないがね。』

と話していました。

本当の富裕層はものの良さをしっかり認識しており、誰を信用してよいかもしっかり識別出来ています。
だからこそ、莫大な資産を保有するようになったのです。

ギャラリープレシャスのお客様も今後このような本当の富裕層だけになるのかも知れませんが、その時には本当の資産家プレーが見られるはずです。

一般人の振るい落としが起こり、現物資産が本当の富裕層に集まり、それが完了した段階で、彼らが本格的に買いに入り、価格の急騰が起こるのだと思っています。

今回、この息子さんのために【ウルトラハイリリーフ金貨】を¨取りあえず¨とし15000ドル分を購入されましたが、今後これが100万ドルになり、1000万ドルになるかも知れません。

そして彼の知り合いの富裕層が一斉に買い始めればどうなるでしょうか?


現物資産はいくべきところにいくものであり、これから《本当の移動と保有》が始まります。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/40368086.html


リトルジェントルマン 2014年09月22日

香港から素晴らしい14才の¨紳士¨と会食しましたが(ご両親とも)、親の躾、環境によって子供がここまで立派になるものか、と改めて親の力を感じることが出来ました。

会った時の挨拶から始まり、食事に対する礼もまさにジェントルマンであり、これからどんな成長を見せるのか楽しみな若者でした。

もし娘がいたら、このような男性に嫁がせたいと思ったほどで、もし彼が近くにいたら徹底的に美術の世界を教え込み、中国を代表する知識人に育てあげたいと思ったほどです。

子供は親の財力、知力で変わります。

親が財力がないとよい食事も経験させることも出来ませんし、よい教育も受けさせることも出来ません。

また住む世界(クラス)が違うとして、上のクラスの者は相手にしません。

子供の一生は親の財力によって決まるとも言われますが、それでも例外はあります。
子供が反発して折角の環境を捨ててしまうことがあるからです。

14才のリトルジェントルマンは最近みることがなかった清々しい若者で両親を尊敬し年配者を敬い、そして知識欲は人一倍強いという、将来敵に回せばとんでもない手強い相手になるでしょう。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/40325271.html


一夜限りの夢のような美術館 2014年09月26日

昨夜は夢のような美術館を豪華客船に作り、今はもう跡形もない美術館となっていますが、まさに夢であったのではないかと思うほどです。


準備・打ち合わせに数ケ月かかり、開館時間はわずか9時間という、はかない蜻蛉のような運命となりましたが、目の奥にはしっかりとその光景が残っています。

この美術館に携わった人、訪れた人は皆、心に何かが残ったはずです。


通常、客船ではショーがあったり、ダンスをしたり、カジノをしたりと決まったアクティビティしかありません。


その客船を何度も利用されている方からしますと、『船に美術館?』、『観たい!』となりましても不思議ではないのです。

日本一の豪華客船でしたが、世界一の豪華客船には比べようもない規模ですが、サービスは流石日本というサービスをされており、心地よい空間でした。


このような豪華客船で世界中を回っておられる富裕層の方が多いようですが、今後【ギャラリープレシャスコレクション】をこのような本当の富裕層の方にお披露目出来ればと思っています。


10カラットのイエローダイヤモンドを持っているのよ、と言われていた奥様が更に一億円以上のカラーダイヤモンドも持たれていると言われていましたが、驚きはしませんでした。

それくらいは当然お持ちだろう、という雰囲気をお持ちだったからです。

気品と言えるのかも知れませんし、余裕と言えるのかも知れません。

本当の富裕層の方とはこのような方をいうのでしょうが、今回は準備等に大変でしたが、もの凄い¨勉強¨になりました。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/40403997.html

2つの違い 2014年09月28日


今回の豪華客船での美術館では、2つの違いを目の当たりにしました。

お客様の層と担当したスタッフの凄さです。

今回、豪華客船でお話させて頂きましたお客様や美術館にお越しになられましたお客様は本当の富裕層の方でした。

何千万円もの宝石をただ趣味として買い、身に付けて楽しむことが出来る富裕層の方が自然な姿で楽しんでおられたのです。


稀少金貨やダイヤモンドを資産防衛のために買われるお客様はいますが、数千万円のジュエリーや1億円以上する宝石を惜しげもなく¨趣味¨として買われる方は今まで日本ではみたことがなかったからです。

これは高いのよ!と言われていましたが、確かに我々の卸では数千万円位ですが、それを1億円以上で買われて満足されているのです。

物にはコストが掛かっていることを分かって高い宝石を買われているのです。
これぞ本当の富裕層と言えます。


これは私の買い方にも共通しており(金額は話にならない位違いますが)、昨日卸では20万円位のアメジストを100万円で買いましたが、高いのは分かっていますが、ではそれを探しに行けるか?となると仮に行ったとすれば航空賃だけで軽く100万円以上するでしょう。

それを考えれば100万円は安いと判断したのです。
物の価値とコストを分かっているからです。

本当の富裕層の方はこの買い方がスマートであり、また敢えて高く買って楽しまれている面もあります。

満足感、優越感を楽しまれているのです。

借金で買うのではなく、有り余る現金で数千万円、数億円のものを買われて楽しむことが出来る富裕層がこの日本にもこれだけおられたのは驚きでした。

そしてその富裕層の方に満足して頂けた作品を提供出来たという嬉しさもまたあります。

これから更に作品の質を高めていき、世界の富裕層の方に満足して頂けるようなコレクションにしたいと思っています。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/40432222.html


64. 中川隆 2014年9月30日 10:29:37 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

アメリカ気触れのグローバリスト 星野佳路の何処がダメなのかは偉大な企業家と比較すればすぐにわかりますね:

大塚正士(大塚製薬創業者)語録


事業の継続に執念をもち希望を失わない

「経営に生命をかけるということは、事業の継続にあくなき執念をもつということである。商売、経営は、経営者が希望を失わなければそう簡単に破綻するものではない。努力すれば、必ず活路を見出せる」


「商売、経営には百戦百勝はない。敗れ、苦境に陥るときもある。しかし、それに打ち克ってこそ、筋金入りの経営者が生まれる。私の事業歴には、後退という記録はない。結局は戦う以外に勝ち目はないというのが、私の基本的な経営姿勢なのである」


「役員全員が賛成する商品は売れないことが多い。それは判断力の問題である」

「世の中の役に立つ企業でなければ発展はない」


「断じて値上げになど、走ってはならない。現在の百円という値段さえ、大衆の利益という観点に立てば、まだ高いかもしれぬのだ。大衆の利益にならない商品は必ず滅びる。私はそう断言する」

「ごきぶりホイホイというのがええやないか」

ある日、大塚は工場の技術部長から

「フラスコに80数匹のゴキブリが入りこんでいた」

と報告を受けた。原因は技術部員がフラスコの洗浄を怠ったためであったが、大塚はミスを咎めることなくさらに詳しく状況を聞いた。

「そりゃ、面白い。フラスコに残っている抗生物質がゴキブリを誘引したに違いない」

すぐさまアースの技術部に商品化を命じ、そのネーミングについても上記のように命名した。「ごきぶりホイホイ」のパッケージやデザインも大塚自身が考案し、大ヒット商品となった。
http://meigennooukoku.net/blog-entry-131.html
http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%e5%a4%a7%e5%a1%9a%e6%ad%a3%e5%a3%ab

大塚正士、おおつか・まさひと。

1916年〜2000年(大正5年〜平成12年)大塚グループ創業者。

徳島県鳴門市生まれ。旧制撫養中学卒。

昭和9年、中学卒業と同時に家業に従事。

昭和21年、大塚製薬工場且ミ長。昭和39年、大塚製薬を設立して社長に就任。

昭和51年会長。平成6年、大塚グループ各社取締役相談役。

著書に「わが経営酔虎伝」「わが実証人生」83歳で没

オロナミンCを発売し、栄養ドリンクと炭酸飲料の中間という商品分野を浸透させた人物。そのほかにもボンカレー、ゴキブリホイホイ、ポカリスエットなどの企画を生み出した経営者。

大塚国際美術館建設
最初から美術館の経営は赤字になるとわかっていましたが、大塚正士は地元への恩返しとして設立したそうです。

大塚国際美術館
http://www.youtube.com/watch?v=rioGUb5t5Ms
http://www.youtube.com/watch?v=xxmfvn79ltc


大塚美術館☆荘厳なるシスティーナ礼拝堂☆かめたろうTVG
http://www.youtube.com/watch?v=jxw-dvjKRnc

大塚国際美術館☆最後の晩餐@修復前と修復後☆かめたろうTV
http://www.youtube.com/watch?v=3Hqic2gLBvY

イエスが裏切りを告げた瞬間!その時、何が?大塚国際美術館・かめたろうTV
http://www.youtube.com/watch?v=YkW6gYNrXRI

大塚国際美術館★恐怖!!ゴヤの黒い絵★BLACKかめたろうTV
http://www.youtube.com/watch?v=Z88DZEAPCxY

大塚国際美術館★ムンク「叫び」赤い雲の秘密?★かめたろうTVB
http://www.youtube.com/watch?v=tpQLIdp-j78

大塚国際美術館☆モネの大睡蓮☆かめたろうTVF
http://www.youtube.com/watch?v=7hqm8D-VqGc

大塚国際美術館 陶板で見る原寸絵画の世界

徳島県鳴門市鳴門町 鳴門公園内
TEL 088-687-3737

開館時間 / 9時30分から17時まで(入館は16時まで)


休館日 / 月曜日(祝日の場合は翌日休館)
※1月は正月明けに連続休館あり、8月無休

入館料 / 小中高生 520円/大学生 2,100円/一般 3,150円
http://www.o-museum.or.jp/
http://applembp.blogspot.com/2013/05/Otsuka-Museum-of-Art-Cappella-Sistina.html


初代館長の大塚正士氏の「創業地・鳴門に何か恩返しがしたい」という強い意志のもとに、名画を収集するのではなく、自社の特殊技術を使って文化的に貢献する、という目的をもって大塚グループ創立75周年記念事業として、つくられた美術館です。

古代壁画から世界25カ国、190以上の美術館が所蔵する現代絵画までの西洋名画から、著名でかつ美術史を理解する上で重要な作品ばかりを1,000点以上集めて「陶板名画」として展示しています。

初代館長が海外の墓地を訪れた際に、その墓碑の写真は紙写真であることを見て、「写真はいつか色褪せる。でも陶板に再現すると決して色あせずに後世までその美しさを伝えることができる。」と確信したことがこの「陶板名画美術館」の礎となったそうです。そして面積29,000u余り、「全部歩くと4km以上あるんですよ」と土橋さんがおっしゃるような広大な美術館が誕生したわけです。


展示フロアへは長いエスカレーターを上っていきます。それはまるで瀬戸内海の海の中から地上へと上っていくようでもあります。そしてエスカレーターを降りると、最初に目に飛び込むのがシスティーナ礼拝堂の壁画を再現したシスティーナ・ホールです。

エスカレーターを上りきるとシスティーナ・ホールが出迎えてくれます。その迫力に、来館された方のまず最初の驚きの声が聞こえます。

そもそも「陶板名画とは何か」と、おそらくお客様が持つだろう疑問に答えるべく、館内には「陶板紹介コーナー」があります。

工程を要約すると、印刷用データを「紙に刷る」のではなく「タイルに刷る」ということで、色の分解、フィルム作成など「刷る」までの工程は印刷技術を応用したものです。再現できるタイルの大きさには限界があるため、それを超える大型の作品を再現する場合にはその繋ぎ目の色味を全く同じに揃えることが何より苦心する、とか。作品の色味の調整はオリジナルの作品に限りなく近づけるため、焼き直しも行うそうです。美術館オープンまでの約10年の準備期間に、この膨大な展示作品を色調確認・調整しながら1点ずつ完成させていった担当者の方の苦労はひとかたならぬものがあったに違いありません。


この美術館の展示方法は大きく分けると「環境展示」「系統展示」「テーマ展示」の3つから成ります。

「環境展示」とは先ほどのシスティーナ・ホールのように「古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごとそのまま再現した今までにない臨場感を味わえる立体展示」です。古代遺跡や教会はその壁画の朽ちた様子なども詳細に再現してあり、まさに臨場感を味わうことができます。

礼拝堂の壁画、モザイク画の金色など、陶板による再現性の素晴らしさに触れることができます。

次の展示方法の「系統展示」ですが、ここでは「古代から現代に至るまでの西洋美術への変遷が美術史的に理解できるように展示」されています。

モザイク画は凹凸の表現や金の質感などが再現されており、本当に石やガラスを埋め込んでいるかのよう。ふと足元を見るとそこにもモザイク画がありました。「この美術館ではモザイク画の上に乗って当時の人々が見ていた同じ視点から鑑賞できますよ」と土橋さんが笑いながらおっしゃっていました。

「この美術館は西洋美術の名画を実際の大きさで、国を超えて楽しんでいただくことができます。世界中に散らばっている作家の作品を全部回って見ることなどほぼ不可能ですよね。でもここでは、例えば点在するモネの作品やセザンヌの作品、といった見方をすることができるのです。

大塚正士初代館長は、若い学生さんがここで美術を好きになって、新婚旅行に行って現地でオリジナルの作品を見る、というようになってほしいとよく言っていたそうです」と土橋さん。

また「皆さんは名画を間近に鑑賞したことはありますか?でもここの作品は見ている方が触れてしまうくらい近くで作品と対話することができます。」

ともおっしゃっていましたが、絵の具の厚みに特徴のあるゴッホの作品もその筆致までも再現されており、確かに触れてしまうお客様がいても不思議ではないほどです。

(最後の晩餐)は左の壁に修復前、右の壁に修復後、が展示されています。ここは一つの部屋になっていますので椅子に座って左右をじっくりと比較して修復の成果を感じてみましょう。

そして3番目の展示は「テーマ展示」です。これは「人間にとって根源的かつ普遍的主題など、時代を超えて古今の画家たちの描いた代表的な作品を展示。それぞれの表現方法を比較することができる」展示です。

例えば「トロンプルイユ(だまし絵)」の作品だけを集めて展示する、「運命の女」というテーマの作品を集めて展示する、といったような内容となっています。

まだまだ外は寒い季節の取材でしたが、暖かい季節には屋外にあるモネの「大睡蓮」に行かれることをお薦めします。

池には睡蓮が植えられているため、花咲く季節になると、睡蓮の花とモネの(大睡蓮)の陶板名画の色彩と空の色とが相まって、モネが睡蓮を眺めて作品を描いた気持ちを体験することができるかもしれません。光や雨に強い「陶板画」の最たる特長が発揮できている展示といえます。


パリのオランジュリー美術館にある1 室を再現した屋外展示:モネの「大睡蓮」。


学芸部 土橋さんからのコメント

ロマネスク時代聖堂や、モネ、ルノワールなどの印象派、エコール・ド・パリの画家たち。。。

大塚国際美術館では、日本に居ながらにしてフランス各地にある作品を一堂に鑑賞していただくことができます。

特に、モネは、集大成ともいえる「大睡蓮」にとても強いこだわりを持ち、展示場所から展示方法までを自らが指定するほど執着したそう。当館では、「自然光でみてほしい」というモネの願いを実現した、陶板ならではの屋外展示をしています。

周囲の池では、6〜9月にかけてモネが愛した色とりどりの睡蓮が花を咲かせます。鑑賞の合間に、カフェ・ド・ジヴェルニーで自然溢れる池を眺めながら、心やすらぐ時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/38652263.html


絵画を持つ意味 2014年05月25日

本物の絵画を持つことに昔の人はなぜ勤しんだのでしょうか?
お金儲けでしょうか?所有欲でしょうか?

違います。

本物の絵を持つことで、自らの心を満たし、家族が居れば家族の心を見たし、その満たされた心を次世代に伝えるために、本物の絵を所有したのです。

ある専門家は、自宅に何十枚という絵を飾っていましたが、全て名が通っている絵でした。
レンブラント、ルノワール、モネ、マネ、コロー、ドガ等々、錚々たる名前の画家の絵が飾ってあり、その絵を前にお酒を飲みながら色々な会話を楽しんだものですが、冬などは暖炉の前で絵の話をするのが本当に楽しい時間でした。

ある時には明け方まで話し込み、いつの間にかお酒がまわり、2人とも暖炉の前で「落ちて」いたことがありましたが、今から思えば楽しいひと時でした。

お客様のところに数億円の絵画をお届けにいく際などは楽しく、ワクワクしていたことを思い出しますが、我々以上にワクワクされていたのがお客様でした。

お金儲けの為ではなく、自分(家族)の「心」のために数億円という絵画を買うのですから、生半可な決断では出来ないものですが、それを平気な心でやってのけるのですから、やはり大物ということが出来ます。

本当にビジネスで成功した人の自宅には必ずと言って良い程、素晴らしい絵画が飾ってあるもので、絵画がない人は、成功した人物ではないと言えるかも知れません。

何故なら、その絵画を買う「心の余裕」がないからです。

勿論、10億円、100億円のビジネス(売上)では成功者とは言えませんので、名画がなくても何ら不思議ではありませんが、1,000億円、1兆円となれば、世間からすれば成功者となり、その自宅に名画がないとなると
「この人は本物?」となるのです。

そこで、絵画を持ち始めて成功者になるのか、それとも成功者になってから絵画を持ち始めるのか、と言われれば、圧倒的に前者が多いのです。
成功者は成功する途中から名画を持ちはじめ、成功した暁には、膨大な絵画を持っていることが多いのです。
「心の余裕」を持ちながらビジネスをしているからです。

小さくても本物の名画を持つことで、経営者は一回り大きくなります。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/38298007.html


ロンドン印象派絵画オークション 2014年06月15日

今月末にロンドンにて今年前半を締め括る印象派絵画のオークションが開催されますが、もの凄いよい作品が出品されますが、高くて手が出せません。

今までなら1億円以下で買えていた作品が軒並み2億円から3億円となっているからです。
そしてこれは素晴らしい、と思う【モネ】の睡蓮が30億円から50億円という予想となっており、仮に50億円がハンマーとなりますと、手数料だけで10億円を超えることになります…。

モネの睡蓮はいず100億円を超えていくでしょうが、その時には今1億円位のルノワールは10億円を超えるはずであり、作品を持っている者はそれはそれでよいことですが、コレクションを構築しているものからすれば、『ちょっと待っててくれないか。』となります。

世界中の資産家、富裕層は必ず名画と言われる絵画を数点保有していますが、事業をしている間はこつこつ資金をため、引退した(一区切りがついた)時に名画を買い求め、精神の安泰を求めると言われていますので、名画への需要は増えることはありましても減ることはあり得ないのです。

名画は人の心を洗ってくれます。
これを分かる人が本物を知り、本当の資産家になるのです。

ある程度お金がありながら、更にお金儲け、お金稼ぎばかりを考え、回りに配らない人は、昔の言い方をすれば、守銭奴となり、お金に使われている、いやしい人となります。

そしてそのような者からはよい人が去り、その代わりに¨ハイエナ¨がたかり、食いちらかされて無一文になり、悲惨な死に方をしています。

名経営者が、一円の利益にもならない美術館を作ったり、世界に誇るコレクションを作るのは、自分のためではなく、後世のために『施し』をしているのかも知れません。

ビジネスはきれいごとだけではすまない社会であり、その中で日々生きていれば当然『垢』はたまります。
その『垢』を落とすために美術館を作ったりコレクションを作り、そして社会に還元しているのです。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/38652263.html

ロンドンより到着 2014年07月04日

ロンドンクリスティーズオークションで購入しました作品が到着しましたが、やはり素晴らしい作品で、購入してよかったと思っています。
パステル画ですので、蛍光灯や直射日光には弱く、通常は展示出来ず、いずれ専門の部屋が出来れば展示したいと思っています。

農民の貧しさからくる嘆きを描いた作品であり、当時のフランスの農民のおかれた悲惨な状況がこの絵から見ることができます。

ミレーも若かりし頃はしっかり人物の表情を描いていましたが、風景画を描くために田舎に行った際に、農民の貧しさ・貧困を目の当たりにして、彼らの生きざまを描くようになり、その完成した画風は、表情がなく、暗い顔となっています。

しかしながらその動きには力強さが見られ、厳しい生活を送っていながらも精一杯力を振り絞って種をまく(生きる)農夫達を描いたのです。


フランス絵画には二つの大きな流れがあり、風景画を徹底的に追い求める画家達と人間の醜さや素晴らしさを描く画家達です。


自然を追い求め、森に籠り、一筋の光で劇的に変わる森の中を描き続けたバルビゾン派の画家達。
主人公は人間ではなく自然なのです。


農家の苦しみ、楽しみ、働くよろこび、また働く苦痛を描き続けたミレー派とも言える画家達

ひまわりで有名な炎の画家と言われるゴッホも農夫の働きを描いていますが、ミレーと競っていた時があったのは余り知られていません。

一枚の絵が教えてくれることはそれは多く、だからこそ、財をなし、功をなした財界人はほぼ例外なく絵画を買い、美術館を作り、その絵画と対話して精神のバランスをとり戦略を考えるのです。

絵画と対話、会話ができるということは精神状態が安定していると言え、自分がおかれている姿を見ることができるからです。

美術品をもたない資産家?本当の資産家ではありません。
一枚でも良いのです。
本当の絵画を持てば人生の時間が変わります。


ある大国の特命全権大使が大使公邸の書斎で一枚の絵を前にして以下のようなことを言われていたのを覚えています。

『この絵は自分が若いときに買い求めた絵なのだよ。サインも入っていない無名の作品だけど、自分がおちこんでいた時に通りがかった骨董市で一目見た時に吸い込まれるような感覚に陥り、気がついたら買っていたんだ。』

証明書もなく、サインもない、画家を特定することが出来ない絵でしたたが、紛れもなくゴヤでした。

大使は、ご自分の書斎に掛けていつもその絵と対話しているそうです。

落ち込んでいた自分を救った絵画だったのでしょうが、絵画も大使に救われたと思っているはずです。
何故なら、いつも話し掛けられて大切にされているのですから。

いつまでも無名の絵画でいて貰いたいと思い、名前を言いませんでしたが、いくらの価値があるのか等をいうのは野暮なことなのです。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/?p=21


帰国へ 2014年05月25日

今回のロンドン、パリ出張では絵画一点の購入だけでしたが、色々な専門家との会話や打ち合わせが出来たり、作品を見せて貰ったりして、極めて有意義な滞在となりました。

勿論、購入したいと思っていました1910年代のダイヤモンドブレスレットが残念な結果となりましたが、悪い物を買わなくてよかった訳であり、来てよかったと言えます。

オークションカタログとオークション会社のレポートだけを見れば『買い』ですが、実際は手出し無用だった訳であり、ホテル代と飛行機代を出しても価値はあったと言えます。

1000万円の物を買うのに200万円、300万円のコストがかかることもありますが、そのコストを惜しんでいれば元の1000万円も無くしてしまいます。

全てのものにはコストが掛かっており、そのコストを償却するには10年、20年かかることもありますが、現物資産は長期で捉えるものであり資産家がじっくりその時を待つのも分かります。

高くてよい物にはバーゲンはありません。

でも良くて安い物が欲しい?
自分で探してみることです。

探し当てることができればそれは素晴らしいことですが、専門家が手を出さなかったバーゲン品は決してその後も専門家は手出ししません。
何かしら隠れた(隠された)問題があるものだからです。

結果、安物買いの銭失いとなります。

何でも鑑定団で有名な先生が、『よい骨董品にはバーゲンはない』と言われていましたが、これは西洋美術にも稀少金貨にも当てはまることだと言えます。
http://blog.livedoor.jp/nevada_report-daydream/archives/38308128.html


65. 中川隆 2014年11月05日 19:08:28 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

顧客が名門旅館に求めているのは「何も変えない事」

「新しいことに挑戦する」よりも、さらに重要なこととは? 2014年11月5日


電化製品やコンピュータは、毎年性能がアップするので、変わらないと取り残される。IT業界は、他人よりも早く「変わる」ことで生き残ろうとする。

家電業界でもファッション業界でも、「古臭い」と思われたら時代に見捨てられるので、毎年のように何か新しいものを出して、見捨てられないようにする。

ときには気が狂ったようにありとあらゆる分野で新製品を出しまくる企業もある。変わらなければ捨てられるので、死にもの狂いで今あるものに、あれこれ微細に手を加えて「変わりました」とアピールする。

日本企業も、要らない機能をあれこれ死ぬほど付け加えていくのは、そうでもして変わらないと見捨てられるという恐怖がそこにあるからだ。

そして、多くの企業が自分たちの得意とする分野を超えて、違う領域にも手を出していく。「時代の流行が変わった、流行りの分野が変わった、新しいもの、目立つものが変わった」と言うたびに、今までの蓄積を捨てて新しい分野に飛んでいく企業もある。

「変わらなければ、見捨てられる」という恐怖

新しい分野に飛び込んで行っても、古い分野はそのまま残すので、多くの企業は気がつけば「多角経営」になる。いろんなものを同時並行に取り込んで企業の実態が複雑怪奇になってしまうのだ。

「変わらなければならない」という強迫観念にも似た恐怖が企業を支配した結果、いろんな不必要な業務や部署が膨れあがって、誰も全貌が分からなくなってしまう。

面白いことに、こういった企業の動きとまったく同じように生きる個人もいる。毎年のように新しい趣味、ファッション、習い事、仕事をして、そのすべてが中途半端になってしまう。

「変わらなければ、見捨てられる」という恐怖がそこにあるのだろう。

しかし、「新しいものに手を出せ」と世の中が狂気のように叫んでいるのとは裏腹に、冷静になってよく考えて見ると、実は「変わらないこと」の方がより合理的で安定していることが分かるはずだ。

ずっと需要が続くものは変わらなくてもいい。ずっと需要が続くものは変える必要がない。永遠に需要が続くものは、永遠にそこに集中することで生き残ることができる。

たとえば、石油企業は石油だけに集中していればいい。石油の需要は変わらず、石油の性質は変わらず、石油の重要性は変わらない。

現代文明は石油を糧に回っているのだから、石油の性質が変わったら逆に困る。変わらないことが望まれている。だから、石油会社はやたら変化に強い企業でもある。世の中がどう変わっても生き残る。

ブランドを持ったビール会社はビールを売ることに集中していればいい。バドワイザーは永遠に味を変えなくてもいい。変えたら本社は焼き討ちに遭うだろう。変わらないことが望まれている。

だからバドワイザーを製造するABインベブ社も、やたら変化に強い企業でもある。世の中がどう変わっても生き残る。


何も変えることなく永遠に続けられる仕事

車会社やコンピュータ会社が危険なのは、製品がすぐに陳腐化し、競争が激しく、変わることにコストがかかりすぎているからだ。新製品を出しまくらないと生きていけず、その新製品を出すために莫大な研究費を必要とする。

バドワイザーは、広告が必要であっても新製品開発のための研究費も設備投資も要らない。新しいことをする必要がないのでコストがかからない。

タバコ会社もそうだ。信じられないかもしれないが、タバコ会社の大手フィリップ・モリスはマクドナルドよりも時価総額が高い。これだけタバコが嫌われている世の中なのに、マクドナルドよりも会社の規模が巨大なのである。

タバコ産業は、世の中から袋叩きにされても決して需要が消えず、何も変える必要もなく、ただそれを供給できればいい。新しいことをする必要がない。

新しいことをしないで生きていけるというのは、最大のコスト削減となり、強みとなる。

自分の人生を考えても分かるが、新しいことをするというのは、金がかかり、しかもそれが成功するとは限らない。あれこれ手を出してみても、自分に合わずにいつしか忘れられたものは山ほどあるはずだ。

仕事でも、新しい分野の仕事をしても時代が変わったら見捨てられるような仕事なら、それで生きていくのは心もとない。

世の中が変わっても生き残れる仕事、自分が老いても続けられる仕事、自分が才能を発揮させ続けられる仕事、すなわち「何も変えることなく永遠に続けられる仕事」をすることが最も合理的なのである。


「何も変える必要がない」というのが重要だ

「うまくいっていて永遠に続けられるもの」を発見する。

実を言うと、それこそが自分の人生にとっても、企業の存続にとっても、さらにはあらゆる生命体にとって最重要課題なのである。

新奇なもの、珍奇なものは古くなる。しかし、「何も変えることなく永遠に続けられるもの」は古くならない。そういった「何も変えないでもうまく生きていける」ものを見つけられれば、個人も企業も永遠に生き続けられる。

「何も変える必要がない」というのは、日に日に熟練するということである。熟練が極まると匠(たくみ)になる。つまり、その分野で他人を寄せ付けない「名人」になる。

あれこれよけいなことをしていれば、そのたびに「新人」と化して、大成できない上に実り(リターン)が得られない。人間はそれほど器用にできていないし、人生はあれこれ何でもできるほど長くない。

あれこれ何でも試してもいいのは若いうちだけで、その若いうちでも、自分の性格や体力や能力を最も活かせる「もの」を早く見つけられた人が、大成し、生き残れる人だ。

「あれこれ何でもすべき」「新しいことに挑戦」は、100%正しいことのように言われているが、それこそが人生を無駄にする要因になってしまうこともある。

いったん、実りが得られるものを見つけたら、もはやそこに集中して離れず、うまくいくものを永遠に続けて第一人者になった方がいいのである。

時間は限られているのだから、選択と集中が重要になるのは、個人でも企業でも同じだ。

「変わらないこと」は、長い目で見ると自分の得意を伸ばすことであり、得意を伸ばすことができればできるほど、他を寄せ付けない存在になれる。


人生の中で、永遠に続くものを、あなたは見つけられるか?
http://www.bllackz.com/2014/11/blog-post_5.html


66. 中川隆 2014年11月05日 19:18:01 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

24 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2013/05/25(土) 10:38:28.48 0

子供の頃に連れていってもらった旅館が
本当に当時のままで残っていると不思議な感覚になるよ
もう父は他界して実家にさえ残って無い記憶がそのまま塊で有る
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1369397865


名曲喫茶 ライオン
http://lion.main.jp/


 昨夕、仕事の帰り、久しぶりに渋谷を通った。

 喫茶「ライオン」。学生時代のまま、時の止まった名曲喫茶があった。

 昔、私が学生のころには東京に名曲喫茶というものがまだけっこう生き残っていた。  今はほとんど皆無といおうか。本郷の「麦」などしか行っていないが、ここ渋谷の「ライオン」に来たのはほんとうに久しぶりだ。何年ぶりだろうか。

 いや、一体まだあるのだろうか、そんな気持ちを抱きながら、おそるおそるとでもいった感じで足を運んだのだが……

 道玄坂を登り、右手の百軒坂商店街の門をくぐって少しのところに、その店はそう、あたかも古代の遺物のように建っていた。

 ドアを開けると、そこには学生時代と寸分たがわぬ光景が広がっていて、レトロな気分に、いやタイムマシンにでも乗ったかのような錯覚に陥るのだ。

 古びた椅子が並ぶ中に、正面にそびえたっているスピーカーがこの館のあるじだと言えよう。木造で、大きくて、縦に長い。二メートルくらいもありそうな、年代物のステレオ・スピーカー。いや、立体音響装置の城壁。

 六月の案内をいただく。きっと毎月違うのだ、定時に演奏するメニューが。パンフレットは紫だった。私の好きな色。これも今月の色なのか、いつもそうなのか。

 「帝都随一の音響装置」といううたい文句。やはり時が止まっている場所だ。

 いつも私は、二階に上がっていた。今日もそうしよう。

 メニューを渡されるが、飲むものはコーヒーに決まっている。ホットで五百円。注文は二階に、と頼むとそのままきしむ木の階段を一段ずつ上がってゆく。

 二階はバルコニーになっている。そう、文字通りのバルコニー。

 正面にそびゆるスピーカーは、二階までぶちぬきになっていて、その周りを半円にとりか囲むようにバルコニー席の座席がある。まるでオペラ劇場のように。
 そう、ここの歌姫は、このスピーカーなのだ。

 バルコニー最前列の席に、深々と腰を沈める。

 届いた熱いコーヒーを、ひとくちすする。そして、静かに音楽にひたる。周りを、やさしい音符のハーモニーが包んでくれる。

 いきなり、滂沱の涙があふれる。 いや、コーヒーの届く前から、この席に座った時から、すでに涙腺はゆるみ放しだった。 今、心地よく、しかし、哀しい涙に、私は心をゆだねている。

 なぜ、こんなにも泣けるのか。

 それは、ここが、あの人と来た店だから。学生時代に。

 あの時と、少しも変わらないから。もうあの人はいないのだけど、いないはずなのだけど、こうしてここに座れば、あの人はいつも私の隣にいるのだから。

 リサ。

 私はまだ生きているよ。君に先にゆかれて、もう二十年以上がたってしまった。

 君のことを、君のことを書き残すために、私はこの世に生き残ったはずだったのに。
 光太郎が智恵子の造形を残すために生き残ったのだと言ったように。

 紫のラベンダーの薬がほしい。君とここで会った、あのころにもどりたい。


 ショパンのピアノが流れ出す。

 なつかしいLPレコードの針の音が、私の記憶をかきたてる。
 君の弾いてくれた、あの曲。そうか、今はリクエストタイムだったね。
 君はやはり、いるんだね。だいじょうぶ、忘れていないから。

 また、いつか君の思い出を書いてみよう。

 ああ、でも渋谷の街は、私にはつらい想い出が多すぎる。 ずっと足を運んでいなかったのに。でも、たまに哀しいことを思い出すのもいいね。

 君の好きだったクラシック、また聞きに来たいね。さようなら。もう帰るから。
http://angel.ap.teacup.com/taejeon/974.html


若者たちの街、東京・渋谷。道玄坂を中ほどまで上り、路地を右手に進むと、石造り風の古い洋館が現れる。昭和元年創業の名曲喫茶「ライオン」。玄関につるされたパンフレットには、誇らしげに

「全館ステレオ音響完備」
「帝都随一を誇る」

とある。石原圭子さん(77)はその3代目店長だ。


 客席は旅客機の座席のように、一つの方向を向いている。お客が見つめる先は高さ2b、幅3bの巨大スピーカー。これが「帝都随一」のいわれだった。この音響装置の下の棚では、クラシックのレコード5000枚が今か今かと出番を待っている。

 先代の店長で夫の宗夫さんは4年前に亡くなった。石原さんは嫁いでから50年あまり。その半世紀はスピーカーから流れだす深く柔らかい音に、静かに身を委ねる客の姿を眺めて過ごした。

 「父さんと母さんはいつでもここでデートしていたよ」。

先日、北海道から訪れた中年夫妻が我が子に聞かせる光景を見た。

「まだやってたか!」。

店に入るなり、叫んだ客もいた。

 最近は2階席の床がぎしぎしと悲鳴をあげ、経営も楽ではない。だが、店を閉めようとは思わない。

「戻ってくるお客さんがいるから、やめるわけにいかないのよ」


 東京・渋谷の名曲喫茶「ライオン」の3代目店長、石原圭子さん(77)が店に来た50年前は、夫の義兄で創業者の山寺弥之助さんが店長。明治生まれを絵に描いたような頑固で厳しい人だった。

 日本橋で育ち、銀座でハイカラなものも多く見て育った石原さんは、巨大なスピーカーに驚くことはなかったし、レコードを扱ったこともあった。だが、店の看板である「帝都随一を誇る」音響設備は、やはり勝手が違った。

 初めて客のリクエスト曲をかけた日。針を持ち上げると、ウソのように軽い。それを、ぐるぐる回っているレコードに静かに載せるのは容易ではない。置き損ねてバチバチッと針が飛ぶと、すかさず「何やってんだ!傷つける気かっ」と怒声が飛んだ。

 レコードがとても高価な時代。石原さんは震え上がり、しゃれっ気から視力が悪いのにかけずにいた眼鏡を買いに走った。その後も、針を落とすのが難しい、レコードの途中に入っている曲のリクエストが来ないように祈った。

 怖くてあまり話せないまま、山寺さんは亡くなった。怒ったのは、一枚一枚のレコードを大切にする気持ちからだろう。指揮者によって同じ局が別のものに聞こえるくらい耳が肥えた今、心から思う。「もっといろいろ教わっておけばよかった」。

 半世紀も店にいると、いろいろな人に会う。東京・渋谷の名曲喫茶「ライオン」の店長、石原圭子さん(77)が客の奇抜な振る舞いに目を丸くしたのは一度や二度ではない。

 スピーカーの前で、髪を振り乱して指揮棒(タクト)を操る「マイタクト学生」、モーツアルトばかりリクエストして卓に突っ伏して聞き入り、隣の人が本をめくる音にも「うるさい」とどなる「モーツアルトおじさん」…。でも、そうした振る舞いも、音楽を愛するゆえと思えば、いとおしくなるから不思議だ。

 昔に比べると、最近のお客は随分おとなしいが、今でも「このスピーカーでなきゃ」と、わざわざ大阪からレコード持参で通ってくる変り種もいる。

 店のアルバイト森曠士郎さん(36)も、元々は客の一人だった。音大でピアノを学んだが手を痛めて中退、人生に絶望していた時、店で働き始めた。巨匠の音楽を聴く毎日は耳と心を鍛えた。鍵盤に触れずとも、間の取り方など演奏のイメージが次々浮かんだ。「また弾きたい」。強い気持ちがわいてきて、再び鍵盤に向かった。動かなかった手は緩やかに回復し、今ではピアノ教室で教えられるまでに戻った。「音楽には人を癒す力があるからね」。石原さんはにっこり笑う。

 東京・渋谷の老舗名曲喫茶「ライオン」は年中無休だった。大みそかは「第九」、正月は筝曲を流す。経営者の石原圭子さん(77)の夫で、先代店長の宗夫さんも「休まない」という創業者の意思を守り続けた。

 夫はとにかく、店のことになると一生懸命。「コーヒーを研究する」と言って、東京中の喫茶店を訪ねて歩いた。店をつかの間、人任せにして一緒に卓を挟んで座るひとときが好きだった。無口な人で、何を話すでもなかった。でも、しあわせな時間だった。

 お互いに年をとってきた頃、石原さんの意見で正月休みと夏休みだけはとるようにした。がんと分かったのは4年前。病床でも「店は大丈夫か」と何度も口にしたが、闘病は数か月で終わった。

 通夜も葬式も店で行った。ひつぎを大きなスピーカーの前に置き、一晩中、ありとあらゆる作曲家のレクイエム(鎮魂曲)をかけた。欧風のクラシックな内装と青白い証明。そこに幕を張り、ベートーベンやブラームスの肖像画に囲まれて線香がたかれ、お坊さんがお経を読む葬式は、何とも不思議な光景だった。その中で、息子や娘が父の思い出を語る姿を見つめた。たぶん、夫はこのお別れを気に入ってくれただろう。その日だけはコーヒーのにおいがしなかった。

 扉の前をうろうろしていた若者が遠ざかっていく。「あら、行っちゃった」。昭和元年創業の名曲喫茶「ライオン」(東京・渋谷)ではクラシック過ぎる外観のせいか、入店をためらう人をよく見かける。「怖くないのに」。そうつぶやくのも経営者の石原圭子さん(77)の日常だ。

 歩きながらでも、多様な音楽を聴けるようになった現代。7年ほど前には、「何かを変えるべきか」と夫と悩んだこともある。でも、行き着いた結論は、

「来てくれる人がいる限り、同じスタイルで店を続ける」。

音楽とお客さんのために、細々とだが働く道を選んだ。

 最近ちょっとうれしいのは、若い女性が増え始めたこと。村上春樹さんの作品に出てきた作曲家ヤナーチェクをリクエストする人も多い。人はきっかさえあれば、クラシックのすばらしさに気付いてくれるだろう。

「がちゃがちゃした音があふれる世の中でこそ、心にしみこむクラシックは脈々と生き続ける」。

そう信じている。投稿日 2011/01/29
http://sawasdee-terry.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/01/post_22c1.html
http://sawasdee-terry.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/01/post_7839.html


67. 中川隆 2014年11月05日 19:27:56 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

顧客が名門旅館に求めているのは「何も変えない事」


原点 (蔦温泉旅館) 修さん

私にとって原点とも言える温泉の一つで、東北を離れた今でも「温泉」と言えば真っ先に思い浮かべるほど心に残っている温泉です。

 古びた廊下を渡った先のどん詰まりの扉を開けると、脱衣所と、遮るものなくすぐ横に横たわる広々とした総木造りの浴場が同時に目に飛び込み、とても鮮烈な印象を受けたこと。

少し熱めの浴槽の底からブクブクとあふれ出るお湯。

湯船の脇で大の字になって寝転ぶ快感。湯煙と夕暮れの薄暗がりの中に燈る灯り。

そのどれもが私を温泉の魅力に惹き込むに充分なものでした。


 ここには露天はありません。趣ある宿と、それを包み込む環境の素晴らしさを考えると、露天があればさぞかし・・・という気持ちが正直ないでもないですが、それが蔦温泉。このままの姿で未来永劫残って欲しいと願っています。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/detail/aid_onsen005793/kid_0000027234/1.htm


心の中に・・・(蔦温泉旅館) 修さん [入浴日:2006年6月]

私にとって「蔦温泉」は特別な場所。

最後に訪れてはや十余年が経ちますが、その記憶は何度となく私の心を癒してくれました。

その「蔦温泉」に再会できる喜びと、一方で、もうあの姿は無いのではないかという不安を抱きつつ、先日初めて宿泊で利用しました。

不安はものの見事に的中し、十数年間想い描き続けたかつての浴場の姿はそこにはもうありませんでした。

変わり果てた姿とはいえ、浴槽から吹き抜けにいたる各所にかつての面影が残り、浴槽の底から大粒の湯玉となって湧き上がるお湯に浸かっていると、10年の穢れを洗い流してくれているかのようです。

今回の再訪によって、もう取り戻せないかつての「蔦温泉」がこれまで以上に心に刻まれるという皮肉な結果になったようです。

初めて訪れた蔦沼も綺麗でした。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/detail/aid_onsen005793/kid_0000045621/1.htm


68. 中川隆 2014年11月07日 10:19:19 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

銀山温泉 藤屋
http://www.geocities.jp/aizbndi/page002.html
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%8A%80%E5%B1%B1%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E8%97%A4%E5%B1%8B&lr=lang_ja&hl=ja&biw=982&bih=871&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=cBhcVJTiDcX28QXzmoH4AQ&sqi=2&ved=0CDEQsAQ

526 :名無しさん@いい湯だな:2007/05/17(木) 15:48:14 ID:Ucjr066O

数年前に結婚式が終わったその足で藤屋に泊りました。

真冬の平日。挙式後の親戚への挨拶やら何やらで出発が大幅に遅れてしまい、到着は夜八時を過ぎる事を告げたら、尾花沢に着いたらもう一回電話を下さい。

「入口で案内できるよう人を待たせておきますから・・・」

と女将らしい人。随分外国人訛りの人だなぁと思った。
(この時はここの女将がジニーさんだとは知らなかった)
銀山温泉到着は八時半。吹雪の中仲居さんが待っていてくれた。

嫌な顔一つしないで「すぐに暖かい物を沢山食べて下さい」と言ってくれたジニーさん。 熱々の納豆汁はとても美味しかった。

出発するときに新婚の私達に

「お二人はひな祭りの様な素敵なカップルです。おめでとうございます。お幸せにどうぞ」

と送り出してくれた。 次もまた藤屋に泊まれると良いね。と帰りの車中で語り合う私達。

先週久し振りに訪れて藤屋の豹変ぶりに唖然。
私達が新婚一夜目を過ごした桜の間はもう無い。

時代の流れで建物が生まれ変わるのは仕方がないのかも知れない。
しかし、あの成金趣味丸出しの悪趣味な建物だけは受け入れることが出来なかった。
もう少し美的意識を持った建築事務所に頼めなかったのだろうか・・・

私はただの一宿泊者である。とやかく言っても仕方がないのは解っている。

でも、数年前の吹雪の晩に私達を暖かく迎えてくれた心は忘れて欲しくない。
そう思いつつ懐かしい銀山温泉を去りました。

真っ暗な藤屋の駐車場の前で仲居さんが待っていてくれた時は本当に嬉しかったです。

当初は一泊だけの予定だったのですが、あまりにも居心地が良くて連泊しちゃいました。

私が泊まったのは三階(二階だったかも。最上階で有ることは間違いないです)の能登屋方向の川縁の部屋。

華美な装飾は有りませんでしたが、品の良い作り。
天井は一枚板で柱は太くて素敵なお部屋でした。

ああいう物壊すのは簡単だけど同じ物を作るにも材料がない。腕が立つ大工が居ないということを考えると本当に残念ですね。


530 :526:2007/05/30(水) 17:32:18 ID:LaLrOFDQ

真っ暗な藤屋の駐車場の前で仲居さんが待っていてくれた時は本当に嬉しかったです。

当初は一泊だけの予定だったのですが、あまりにも居心地が良くて連泊しちゃいました。

私が泊まったのは三階(二階だったかも。最上階で有ることは間違いないです)の能登屋方向の
川縁の部屋。
華美な装飾は有りませんでしたが、品の良い作り。
天井は一枚板で柱は太くて素敵なお部屋でした。

ああいう物壊すのは簡単だけど同じ物を作るにも材料がない。腕が立つ大工が居ない
ということを考えると本当に残念ですね。

因みに今回の宿は一泊目は能登屋。二泊目は永澤平八にしようかと思いましたが、古山閣にしました。
通りから見える部屋の古い天井に惚れたのです。古山閣の女将は冷たい感じがしないでも有りませんで
したが、天井に惚れたと言ったら大層喜んでくれて、帰るときに離れの中も見せてくれました。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/onsen/1091105065/

2006年11月 1日 (水)
銀山温泉の外人女将で有名な「藤屋」が今年7月にリニューアルしていたようだ、最悪だね

趣のある木造3階建ての旅館が川を挟んで並ぶ「おしん」の舞台にもなった銀山温泉にあるアメリカからやって来た女将ジニーさんで有名な旅館「藤屋」が今年7月にリニューアルしているのをたまたま銀山温泉関係をチェックしていて初めて知った。

その藤屋のホームページに行ってみてびっくり。かつて存在した3階建てのほかの旅館と調和して大正ロマンの味わいを見せる木造3階建てステンドグラスの望楼のあるあの雰囲気いっぱいの「藤屋」が完全に消失して、なんと伊豆辺りに普通にありそうな女性好みのいわゆるオシャレっぽいどうでも良い建築物に成り果てているではないか。

4年ほど前に銀山温泉に行き、共同浴場と3カ所の旅館で日帰り入浴して以来銀山温泉には行っていない。その時に藤屋にも日帰り入浴を確か500円程度でした記憶があるが、素晴らしい建築で何の問題もなかった。あのとき聞いた限りでは宿泊も1万円ちょっとで可能だった。

それがそれがどうしてあの歴史ある、ほかの建物と一体になり銀山温泉の特色を造っていた建物を壊してしまったのか。

経営者は究極の馬鹿なのか。アメリカから来た白人女性の言いなりになってしまったのかどうか実に馬鹿らしい限りの改築だ。

写真で見る新しい藤屋の建物の銀山温泉にあることの違和感。あんな建築家の自己満足だけの建築物が突然闖入してしまった銀山温泉なんて何の魅力もありはしない。もう行く気にもならない。

しかもなんと、新しい藤屋は日帰り入浴も受け付けない(それはそれで旅館の経営方針だから構わないが)上に、宿泊料金が2人で泊って安くて35000円。部屋によっては5万円。銀山温泉の基本的なあり方を完璧に勘違いしているとしか言いようがない。これほどの金を払うなら京都の素晴らしい懐石料理が味わえる俵屋にも宿泊できるではないか。あまりに馬鹿らしい料金設定だ。

銀山温泉は湯自体にはたいした特徴などがある訳ではない。あくまであの建築群が集合した町並みが魅力だったのだ。それをぶち壊す今回の藤屋の改築。自らが自身の存在価値を放棄するという馬鹿らしさ。もう銀山温泉はどうでも良い。山形県なら同じような雰囲気で庶民でも銀山温泉などとは月とスッポンの素晴らしい湯が味わえる肘折温泉がある。藤屋は六本木ヒルズあたりに住み、金が余って仕方ないようなバブル長者辺りを相手に商売していれば良いだけだ。

それにしても日本の建築家というのは文化や伝統との調和を考えることが出来ない奴らばかりなのか。黒川なんとかと言う文化人気取りの設計屋をはじめ独りよがりの自己主張さえしていれば自己満足している人間たちのようだ。
http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2006/11/post_6fe7.html
http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2008/08/post_179e.html


銀山温泉に5時過ぎ到着。吹雪だった。
旅館は藤屋。土曜日だと宿泊料は3万円を超す。

 ここはただ高いというだけではなく、実は世界的建築家「隈研吾」の設計した話題の旅館なのだ。
銀山温泉の景観に対してこの建物のデザインが合うとか合わないとか賛否両論が行き交っているのだ。
なるほどそうだろうなと思う。藤屋が隈研吾に設計を依頼した経緯はわからないが、こうなることは予想されたはずだ。

 さすがに素晴らしい空間だった。竹と格子とガラスのフィルターに包まれてお客がシェルエットを造っている。

 館内に五つあるお風呂は全て貸し切り。今晩は二つのお風呂に入る。気持ちいい〜!残りは明日だ。お風呂も見事に隈研吾の世界。使いやすさよりデザインを優先されたお風呂だ。高齢者には向かないだろう。

 食事の後、旅館から防寒コートと長靴を借りて夜の温泉街を歩く。

古い昔からの佇まいを残す旅館の前に観光客が群がり、ガス灯の下で記念写真を撮る。

しかし藤屋の前は素通りをする。
銀山温泉に観光客は古きロマンの街並を求めているのだ。

藤屋の前の通りからは藤屋の客室が細い格子越しに良く見えていた。
お客はデザインの一部なのだろう。隈研吾にとっては。
http://arigatodiary.cocolog-nifty.com/arigatodiary/2010/01/post-75cd.html

あ然! (パサ君)2007-04-15

あの藤屋の佇まいが、こんなになっちゃいましたか
銀山温泉の雰囲気とは全く合わない改装をしましたね。。。
せめて窓の木枠だけでも黒く塗ればよかったのに。

で、能登屋でビックリしたのは、各階にある休憩所と、椅子とテーブルのある広間でした。
それはそれは、ほんとに大正ロマンを感じる造りと調度品の数々でした。
今でも鮮明に記憶に残っていますよ
ますます。。。

銀山レポ楽しめました (kabumasa)2007-04-16

この記事の写真で藤屋のある銀山の雰囲気良く分かりますね。

やはり銀山の雰囲気を根本的に破壊しているのを再認識。

これは、まあ旅館サイドの高級旅館にして売り上げを上げたい思惑から来るいわゆる高級イメージの勘違いがまずあるのですが、それ以上に旅館サイドに改築を提案した建築家が一番のガンですね。日本中にグロテスクな建築物をまき散らして来た黒川紀章らのアホ建築家の悪しきパターンの典型です。

ヨーロッパなど外観をそのままに内部をハイテク建築に改築するなどして街並を破壊しない方向が多く、ドレスデンなど空襲で破壊された街を戦前の状態に戻す街再建をしたほどですからね。

この藤屋の設計をした馬鹿は銀山の持つ街並の価値が理解できなかったのでしょう。底なしの馬鹿です。それに、藤屋も銀山の湯治温泉の歴史をまったく理解せず、伊豆あたりのバブル長者目当ての似非高級感でのカネだけが狙いになりはてた心根の貧しさが貧相な新藤屋の外観ら臭いたちます。

5万円などする旅館を農閑期でちょっと贅沢な温泉三昧をしたいなと思うおばあちゃん達が利用できるでしょうか。東北の人たちを完璧にコケにしていますね。
http://blog.goo.ne.jp/onsentamago23/e/9b2bfe643c95f89a29ea0019f0a95a58


69. 中川隆 2014年11月09日 17:04:29 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

ハゲタカ資本と組んで伝説の名旅館を次々と壊滅させていった星野佳路は一体何がしたかったのか?

星野リゾート公式サイト
http://hoshinoresort.com/


星野リゾートってどうですか?
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/all/


No.1 by 匿名 2012-11-13 23:59:43

ここの社長さんは例えるならユニクロの柳井氏みたいな感性です。
同じニオイがしました。

要は合理主義者。リゾートとは対極と個人的には思わなくもありませんが。
経営サイドはよいのでしょう。

No.27 by ビギナーさん 2012-11-21 22:21:22

星野リゾートに行って見たいと思うのですが、実際はどうなんでしょうか?

No.36 by 匿名さん 2013-03-27 14:16:09

旅館経営の進行性悪性癌みたいな・・・・、

老舗旅館が経営不振に陥り星野リゾートに買収されると本来のおもてなしができなくなりただ存続するだけの奇妙な旅館になっているようです。

ですから、かっての高級老舗旅館と思って行くととんでもなくがっかりさせられます、恐るべし星野リゾート!というところでしょうか・・・・。

たとえばせっかくの料理が部屋食でなく居酒屋チェーンの個室もどきみたいなスペースでとらされる・・・・、

中途半端なリゾート考がもたらす学芸会的な演出、

スタッフがどんなにやる気があるように見えても所詮素人のカラオケとプロの歌手みたいな違い、

まさにおもてなしの観点からすると最低というか全くなっていない・・・。

ほしのや軽井沢だけにしとけば被害はここまで広がらなかったと思います。
残念ながらゴルフ場のアコーディアと同じイメージ・・・、どちらも買収後の悲惨さは進行性悪性・・・といえるでしょう。

もっとも両方とも行かなければよいのですが、この世から名門や老舗がどんどんなくなっていくのはさみしい限りであります。ワタクシの星野リゾートとはそんな感じです。


No.37 by スレ主 2013-03-27 16:30:52
>>36さん
当初、スレを建てまして 相当に一人の方から批判されましたが、そういう意味合いのことを感じたわけです。

36さんは老舗の旅館、ホテルに精通されてるようです。
存続に意味があるとしても本来の老舗旅館の持つ風情のようなものが無くなってしまい何とも味わいのない所に様変わりしています。

味の悪い金太郎あめみたいな。
大変、的確な批評を頂き感謝しております。


No.39 by 匿名 2013-03-28 08:10:52

あの経営者、バカボンて呼ばれてるらしいですね。

何でも資金源であるゴールドマンサックスが手を引いたので、REITでまとまった資金を手に入れようと考えてるようですが、基本的に経営の行き詰まった旅館、ホテルがその価値が有るのでしょうか?

それは別としても36さんのように目の肥えたお客には中身が薄っぺらいことを簡単に見抜かれてリピートしてもらえませんね。

伊藤園ホテルのあの金額で食べ放題、飲み放題ならお客もサービスも含めて納得するだろうけど、逆ににわかシェフ{入社3ヶ月の見習い社員が作る。}が平気で素人くさい料理を出す、サービスも素人。到底金額に見合うものではありません。
やたらそんな調子で増やす事より既存施設の質の向上の方が優先されるべきと思う。

まあ利用者が減ればわかるでしょう。行かなければいいのですが確かにそういう印象です。

No.41 by 匿名 2013-03-28 23:03:19

子供が一緒なら星野リゾートで充分です、お金があるなら一流旅館を使う、住み分けをすればどうですか?

No.42 by 匿名 2013-03-29 19:10:02

そうですね。 行った人間が満足すればいいのです。
所詮、庶民は1泊だけの夢ですからね。

別荘で持つといろいろと付き合いが大変ですから。
ただ、あの社長が素晴らしい着想の様に言われてるのが違和感ありますね。

36さんのように見る人が見れば付け焼刃がすぐわかる。
取り上げるテレビ局も担当者がその程度の育ちなんだろうとわかってしまう。


70. 2014年11月09日 17:07:33 : b5JdkWvGxs


No.46 by 匿名さん 2013-05-05 07:50:25

星野リゾートとか伊東園ホテル、行って見たいと思っています。
実際はどうなんでしょうか?



No.47 by 匿名 2013-05-05 08:49:57

伊藤園ホテル
割り切るといいですよ。飲み放題食べ放題で温泉です。

これだけですが星野のほうが若い人向き。
食い物はよくないですが。


No.48 by 匿名さん 2013-08-15 01:34:36

いやぁ、薄いです。


間接照明=高級

隠れ家風=おしゃれ

表面的なもちあげ接客=おもてなし

などなど。

そもそも買収して手に入れたかったものが、ハードであり、その土地の良さや昔からの伝統に重きを置かないのだからしかたない。

自分が使わなければいいだけのことなんですが、いかにも素晴らしいって論調で語られているのをみると、ちょっと反論したくなります。


No.51 by 匿名さん 2013-08-20 15:25:13

値段の割には至って普通でしたね。
正直、また泊まりたいとまでは思いませんでした

No.52 by 匿名さん 2013-08-21 08:22:19

「おもてなし」がなっていない。
一流ホテルに修行に行け!


No.63 by 匿名さん 2013-08-31 11:53:02

ぼったくり感満載だと思いました



No.73 by 匿名さん 2013-09-21 20:39:22

星野は平均して料理がだめだと思う。
一歩間違うと居酒屋みたい。



No.61 by 匿名さん 2013-08-31 08:53:29

安いホテルと高額なホテル旅館を同一軸で評価するのは馬鹿げていますね。
ここで言われている星野リゾートは内容からしてどう見ても「低価格路線」のものだと思いますが。

1万5000円の星野で満足(私は56です)。

翌週は5万以上のリゾートホテルに泊まったがこれも満足。
もちろん全然違うけど、「星野がだめだ」なんて全く思いませんよ。どちらもいいもんです。

星野がだめだと思う人は使わなければいいだけですね。

No.67 by 匿名さん 2013-08-31 14:05:40

書かれている内容がチグハグに感じます。
「星野リゾート」と一括りに語ることに問題があると思いませんか?

2人で食事込みで3万〜4万で利用できるアンジンのようなツーリズム施設と、食事入れると10万円を超えてくる星のやとどっちを語るかで判断は違うでしょう。

私は、ツーリズムのカテゴリーなら、「気軽に使えるし、値段なりと思えるので好きならば使えば」 と感じます。

「星のや」カテゴリーは、お値段に内容が伴わないので今後は使うことはないと思います。

ここで批判している人は、「星のや」に関して微妙な感想を持っているのではないでしょうか?

No.68 by 匿名さん 2013-08-31 15:49:26

61です。61でも書いたように、ここをざっと読んで批判対象は「低価格路線」と判断しました。

そうではなく、67さんが言われるような「高額路線」が批判対象なのだとしたら、私にはわかりません。利用したことがありませんので。

まあ、私はチェーン店的なものに真の「高級」なんぞはなから期待しませんので、そもそも5万以上かけて星野リゾートの施設には泊まりませんが。





71. 2014年11月09日 17:08:29 : b5JdkWvGxs




No.164 by 匿名さん 2014-10-04 07:11:26

  地方の観光地の旅館の中で、星のや京都の様に 前の嵐峡館が温泉旅館だったので今でも温泉と思っている人は多いはず。 

関西の人は家族や友達と食事と温泉のセットや 会社の会合、クラス会や法事に気軽に利用していました。 泊りは 二万までから 昼食八千円位だったので気軽に利用出来たが、星のや京都になってから 同じ景色で温泉が無いのに高額すぎて利用出来ない。                                        
 星のや京都は 温泉では有りませんと 広告に書くのが良心的と思うのです。

星のや 京都 星野リゾート【公式】
http://hoshinoresort.com/resortsandhotels/hoshinoya/kyoto.html

No.165 by 匿名さん 2014-10-04 09:51:27

  地方の観光地の旅館の中で、星のや京都のように 前の嵐峡館が温泉旅館だったので今でも温泉と思っている人は多いはず。                                       
 関西の人は嵐峡館に 家族や友達と食事と温泉のセットや 会社の会合 クラス会や法事に利用していました。            
 泊りは、1,8千円から、昼食8千円位だったので誰でも気軽に利用できました。                     
 星のや京都になってからは、同じ景色で温泉が無いのに何倍もの高額料金です。                   
 景色は歩いて行けば、無料で見ることができます。    
今も温泉と思っている人の為にも、星のやに 宿泊希望のお客様の為にも 星のや京都は温泉ではありませんと 明確に大きく広告する必要があると思うのです。 騙されたような思いをしない為にもです。


No.76 by 匿名さん 2013-10-31 22:44:49

今年9月16日の18号台風で桂川が氾濫した、渡月橋小橋右岸の京都府道の奥が星のや京都だ。
この府道沿いの4件の茶店は全て流れ無くなった。

星のや京都の旅館の客室の床にはいくつもの穴が開き建物の壁面の板面はほぼ全て流され玄関の門の前のセメントも無くなった。門の脇の照明器具も流れその横の電柱は折れ配電盤は流れ岩場に流れ着いていた。

2艘の船の内の1艘の船は大破した。今までも桂川の氾濫は何度か有り土石流で 星のや京都の前の嵐峡館は流れ死者も出た事が有るらしい。風致地区内に建つこの旅館は京都の日本の規制や条例を守れ無いなら京都で事業をすべきでない。  

星のや京都の客は殆どが中国人、韓国人、台湾人。
特に中国人のマナーが悪く嵐山の土産物店では困っているらしい。  
星野リゾートが来るまでは嵐山は静かで伝統や京文化が守られていた。
温泉も無いのに1泊の宿泊代が信じられない高額代金らしい。  
星のや京都の従業員が地元で

(あんな高い金出してそれだけの値打ちも無いのによく泊まるわ)

と話しているらしい。同感だ。  
星のや京都は来年2月から営業らしいです。可なりの台風被害だったんだ。
なぜこの被害の事実を公表しないのか不思議だ。
{星のや京都}以外の旅館や土産店は全てもう営業しています。

No.77 by 半沢 2013-11-13 18:59:35
事実とは違うことを書くのはやめたら?

No.141 by 匿名さん 2014-09-19 14:35:47

76さんの書かれた内容本当です。77さんは星のやの関係者でしょうね。

お稽古の仲間の一人が膝や腕が痛み通院中で 地元の今話題の星のや京都が温泉旅館と思い込んで静養に御夫婦で行かれたら、温泉では無く、 おまけに階段ばかりで歩きずらく、宿伯代が高いばかりの星のや京都に行かない方がいいよと言っていた。  

別の仲間の一人が昨年の18号台風で嵐山の桂川氾濫後 やじ馬で嵐山に行ったら、星のや京都の名前入り看板全てが消されていた。閉店したと思ったらしい。  
奥の星のや京都までの道には 白色の軽自動車が放置してあった。

高さの半分ぐらいまで泥水で汚れていたのを見て被害の程が判ったらしい。
茶店は全て無く、星のや京都の建物の床は幾つもの穴が開いているのが保津川の岩場から見え、裏の道から電気系統が水に浸かったりして壊れたり流されていたらしい。

あの頃 私も同じく野次馬で見に行った。 やじ馬だらけだった。
被害は可なりだった。
二本の谷川の間の星のや京都。その一本の谷川には灰色の土嚢が多く積んであるのを見た時、あそこの旅館危ないと思った。

今年八月 広島市の土石流の災害からは、日本中どこでも いつ自然災害に遭うか解らないと思う様になり、ハザードマップで市内の危険個所を調べたら、星のや京都は警戒区域に指定されていた。 

本当なのか行政に聞いたら、星のや京都は警戒区域です。星野リゾートに直接伝えていますとの返事でした。

過去に死者が出ている所なので今後 特別警戒区域になるとも言っていた。 
嵐山の他の旅館や料亭は、被害をテレビや新聞に正直に公表公開していたのに、星のや京都は、看板の旅館名全て消してまで現状を隠すのはよほど都合が悪いとしか考えられない。お客さんの命と金儲けとどちらが大切ですか。


No.147 by 匿名さん 2014-09-23 00:55:04
141です。 
星のや京都に宿伯された方は、一家皆さんお医者さんで 海外も国内も常に泊られています。      
その方が 星のやには二度と泊りたくないと お稽古の仲間 皆に話されたのは、説得力のある 体験と思いますよ。    
私は食事なしで一泊 15万前後だす気はないので関係ないですが。

No.43 by 匿名さん 2013-05-01 03:47:10

沖縄に大量に中国人を誘致してる会社でしょ。
西表島とか環境保護地区に中国人を入れたらどういうことになるか・・。
観光で来る中国人にとって環境保護も文化財もクソだからね、やりたい放題なのは周知の事実でしょうに。
中国人観光客を主にした観光地はみな後悔しかしてないよ。
一度壊された自然は元には戻らないのに、どう責任を取るつもりなのか。


星のや 竹富島 星野リゾート【公式】
http://hoshinoresort.com/resortsandhotels/hoshinoya/taketomijima.html

リゾナーレ小浜島 星野リゾート 【公式】

リゾナーレ 西表島 星野リゾート【公式】
http://hoshinoresort.com/resortsandhotels/risonare/iriomotejima.html

No.44 by 匿名 2013-05-01 08:20:16

IHSの社長が旅行客に来られる国のことを先に考えたのと大きな違いですね。
別に恨みは無いんですけど、商売って周囲のことを考えず好きにやるのはどうかと、思いますね。
リピーターが少ないのも星野リゾートの特徴とも言われています。

No.128 by 匿名さん 2014-09-13 02:49:24

星野リゾートと星のやでは、宿泊代がかなり違いが有るんですね。
星のや京都は 一時期中国人等の東洋人だらけで マナーが悪く43さん 44さんの内容に同感です。
星野リゾートのうすぺらな旅館経営。京都嵐山の景観は台無しにしました。
自然環境保護もクソにした星野リゾートです。
食事無しで 15万円とか 18万円とか テレビで見ました。
そんな値打ちどこにも無かった。お金の価値の判らない人が泊るのでしょうか。

No.129 by 匿名さん 2014-09-13 07:02:53

そうですね。思い込み客というか本当の高級旅館に泊まらないと比較が出来ませんからね。
あの社長は旅館再生が最初でしたが伊藤園グループのやり方を真似ていました。
要するに食べ放題バイキングをメインにして365日低価格同一料金制ですね。
そのうち小規模な旅館ではこの方法では大容量で無く無理、また前身が高級旅館ではそのイメージである程度の高額料金が狙える。

そのうちどういうわけか高級イメージが定着して高額中心になったわけです。
でも金額との差に微妙に気がつくわけです。
ただ大多数の人は一泊二日なのでバレないわけですね。
いずれにしても別荘持ちのような階層は高級な所も旨い店も知ってるわけで
金を持ち合わせてるような連中はまるでごまかせないでしょう。

No.130 by 匿名さん 2014-09-13 09:01:34

いちいち料理の味、スタッフ、サービスに文句ばっか言う心の貧しい客ばかりだから、老舗旅館は経営不振に陥っちゃったんだろうね

No.131 by 匿名さん 2014-09-13 15:21:24

確かにね。それも有るけど貧乏な人が増えたんだと思うよ。
金持ちは別荘があるから旅館はあまり関係ないしね。
稲取の銀水荘なんか高い頃は1泊4〜5万。それが半分から三分の一だもの。


No.135 by 匿名さん 2014-09-14 17:33:16

テレビみたくて美味しい料理が食べたいなら、星野に泊まる料金の半額だして大手の高級ホテルにでも行けばいいのでぢ。

星野はテレビ無い、料理のほとんどは千葉のセントラルキッチンから冷凍で運ばれてるって散々宣伝してる訳だし、その辺理解してから泊まらないと星野リゾート側もお客側もかわいそうだなって思いますね。

No.136 by 匿名さん 2014-09-14 18:22:31

リピーターが非常に少ないと言うのもそういう理由ですか。

No.137 by 匿名さん 2014-09-14 19:16:53

食材は冷凍なのか!!?????
取れたての旬の…云々、っていうのは嘘なのか!!??

No.139 by 匿名さん 2014-09-14 21:00:29
137さん
2割は旬の素材を使って旅館で作ってるので嘘では無いですよ。



No.79 by 匿名さん 2013-11-13 19:18:00

星野は財政が厳しいからその内苦しくなるよ。
あれはフェイクだ。
サービスは素人。比較できるほどのお客は行かないからね。
最初、旅館再生というから何かと思えば伊藤園ホテルグループのパクリ。
ならそれなりの客は来るよと思った。


No.143 by 匿名さん 2014-09-19 17:32:11

あの社長は胡散臭い。でも伊藤園グループのマネだね。
ただ伊藤園グループの客の方が騙されそうも無い。
高級なフリに騙されるより割り切って伊藤園のニュー富士屋へ行ってみろ。
呑み放題、食べ放題で巨大風呂。
よほど星野より正直な商売だ。

関係者と思われると困るので断っておくが、これでも伊豆に敷地350坪の別荘とリゾマン。軽井沢1700坪の戸建てと野尻湖のつり用の1800坪の別荘がある。それでも9000円程度で呑み放題、食べ放題はうれしいよ。

No.145 by 匿名さん 2014-09-20 17:56:41

同意ですね。3泊4日したら正体が分かるんだよね。


No.95 by 浜友 2014-03-01 21:08:20

星野リゾートになるまえの、蓬莱時代に利用しておりました。
最初は、、昔と変わっていない佇まいのお宿なので、どうなることかと心配しました。お食事は、とても美味しく、スタッフの皆さんが、笑顔で対応して下さり、これぞ「おもてなし」と感心いたしました。
ただ、地形的に、お風呂がはるか下の方にあるのは変わらないので、「階段が

No.104 by 匿名さん 2014-08-25 08:22:58
>>95
本当に蓬莱時代と界熱海になってからと両方泊まってますか?
料理の感想があり得ない。
星野関係の方か、味覚障害の方かなら分かりますが。

【公式】星野リゾート 界 熱海(旧 蓬莱)|熱海・伊豆山
http://kai-atami.jp/

No.105 by 匿名さん 2014-08-25 14:48:13

擁護スレは星野さんの関係者でしょう。


No.84 by 匿名さん 2013-11-17 06:44:59

伊東園ホテルグループと、星野リゾート、どっちが良いの?


No.85 by 匿名さん 2013-11-17 08:54:29

自分は伊豆に2ヶ所、家がありますが伊藤園の熱海富士屋ホテルに初日に泊まったりします。基本的に食べる事と温泉に入る事、その2点だけですが食べ放題、お酒飲み放題です。そのためだけと分かり易い。

そう人間は食べられない事に気がつきます・笑
それで1万円でおつりが来ます。
割り切って分かりやすくて友人,社員、家族には好評ですよ。

星野はいい雰囲気を人も含めて人工的に作り出そうとしてるようですが基本的なサービスと料理がダメかな。でも宿泊主体の人なら一夜の事ですからね。

No.86 by 匿名さん 2013-11-17 13:17:24

海鮮などもどうも料理がプロっぽくない。
伊豆のほうなど地元の魚屋に予算を告げて盛り合わせ作って貰う方が新鮮でうまいですよ。



No.98 by 匿名さん 2014-05-20 09:03:50

何回か利用しましたがやはり料理ですかね。
伊豆,雲見の民宿に釣り仲間と宿泊しましたが料理が新鮮で良かったですね。
温泉も良かったです。
やはりこの2点が大切なポイントでしょう。
伊豆に2ヶ所、戸建てとリゾマンがありますがそれ以来、雲見は何度も訪れています。
星野さんは何ていうか、全てにおいてフェイクのような感じを受けます。

No.106 by 匿名 2014-08-25 16:09:57

雲見の民宿のおばチャンの料理の方がうまいなあ。
サザエめし・カメノテ入りのアオサ味噌汁、アジの冷汁、カサゴのから揚げ
イセ海老の鬼がら焼き、イカの沖作り。これを青酎でやる。
リゾマンへ行き、一泊は民宿へ。


No.96 by 旅館好き 2014-05-18 22:20:12

界熱海と伊東に泊まったので、泊まった上での感想・評価です。

星野リゾートはメディアでは高い評価を受けていますが、正直 過大評価です。
星野はメディアの使い方は上手いと思います。
その点では優れた企業と言えると思います。

よく食事か美味しいとの書き込みがありますが、味覚は個人差があるので難しいですが、正直 美味しいとは言えません。
料理は千葉の工場で半加工され各界に送られます。
なので界にはまともな料理人はいません。
メニューも東京の本部で作られ、それに沿った材料が届き簡易調理して出されます。
なのでどの界でもほぼ同じメニューです。

サービスは素人的な一生懸命さは伝わりますが、マニュアルの範囲内です。

簡単に言えば、プリンスホテルの旅館版です。
なので界に本物は期待しないで出かける事をオススメします。



No.99 by 住まいに詳しい人 2014-07-20 08:30:05

界阿蘇料飲に勤務していた方から聞いたので、間違いないです。
料理は素人受けするが美味しくはない。わからないように手を抜いている。
具体的には、刺身に使われているのは粉ワサビなど。メディア戦略がうまいだけ


No.101 by 匿名さん 2014-08-16 12:49:57

心がこもってないというか・・
そういうお膳立てはするんだけど料理がなんていうか
作ったと言うよりデキの惣菜を乗せたというような感じ。
割り切って伊藤園グループの呑み放題、食べ放題9800円のニュー富士屋の方が好きなものを沢山食べれてよい。

No.83 by 匿名さん 2013-11-15 18:02:35

軽井沢は最悪でした。

星のや 軽井沢 星野リゾート【公式】
http://hoshinoresort.com/resortsandhotels/hoshinoya/karuizawa.html


No.166 by 匿名さん 2014-10-04 13:38:39

星のや 軽井沢は、2泊以上で一人56000円からとなっていますが、食事は別だそうです。
朝食くらいは付けてほしいな〜

No.167 by 匿名さん 2014-10-04 18:09:46
いい値段だねー・・・・

No.170 by 匿名さん 2014-10-05 08:02:21
本当にリピーターは少ないようですね。

No.107 by 匿名さん 2014-08-26 05:52:38

軽井沢の村民食堂も不味いしサービス悪いし・・・。
二度と行かない。


村民食堂 日帰り施設 星野リゾート【公式】
http://hoshinoresort.com/resortsandhotels/daytrip/sonmin.html
http://www.hoshino-area.jp/sonminsyokudou/


No.110 by ご近所さん 2014-08-30 10:49:07

まずいか美味しいかは個人の感覚だね。
だけど、まずけりゃあんなに混まない。
観光客が去った秋でも地元の人間・別荘族で混雑しているね。
料金は高めかも。これも個人の感覚。だけど、軽井沢はどこも高い。軽井沢料金というくらいだから。

私もガソリンは軽井沢では入れない、なるべく。
まずいと思えば行かなきゃ良いだけ。

No.111 by 匿名さん 2014-08-30 10:59:22

村民食堂のサービスは最低だと思います。
昨年行った時、混雑していて裏の方の部屋に案内されたのですが、しばらく放置されました。
仕方なくレジ付近まで行って、注文をお願いしに行きました。
案内したのだから、もっと気遣ってくれればいいのに。
私たち以外に3組ほどお客がいましたが、みんな放置。
いくらメインホールが忙しいからって、あれはないよな〜〜〜

No.112 by 匿名 2014-08-30 18:10:31

混むことに慣れてないんだね。
昔からの人はあまり行かないと思う。食べるところが少ないからね。

No.113 by 匿名さん 2014-08-30 21:09:16

つるやで美味しい食材買って料理するよ。
間違っても星野…には行かない。

No.115 by 匿名さん 2014-08-31 05:22:09

味つけが、どれも似たり寄ったりだよね、村民。


No.116 by 匿名 2014-08-31 08:38:09

全般に通じる星野の問題は料理だろうね。舌の肥えてる人は誤魔化せないかも。
後はサービスのバイトの人?
見てないと真顔に直ぐ戻るようなルーチンワークになっている。
これは仕方ないかも知れないがコンビニ。もカラオケも
星野の言うサービスと同じ。実はこの程度じゃないかと感じる。
失礼な言い方だが年に一度出かけるようなビジターなら誤魔化せるかも知れない。

No.125 by 地元民 2014-09-03 20:52:30

地元の人はあんな所行きません。
サービスを勘違いしている頭の悪いスタッフだらけですよ。
関連業者はそんなアホどもに見下されても我慢しております。
ハルニレテラスはテナントですから別ですよ。


No.126 by 匿名さん 2014-09-03 21:09:47

星野ってやってる方と行く方と両方勘違いで成り立ってるよね。
所詮、別荘持ちには関係ない店だよね。



No.148 by 匿名さん 2014-09-23 06:08:53

軽井沢や京都も酷いけど、小淵沢リゾナーレも酷いよ。
ロビーラウンジのソファは破れたままで、痛みは激しい。
ホテルの顔のロビーのソファが、あれじゃーね。
ランチブッフェは、味が無いものばかり。フルーツも一種類のみ。
それで2600円もぼったくる。最低。

化粧室も古いままで汚いし・・・・。
高額な料金を取りながら、そのお金はどこに使われているのだろう??
二度と行かない。

【公式】星野リゾート リゾナーレ 八ヶ岳
http://www.risonare.com/

No.91 by 匿名さん 2013-11-22 11:48:08

小淵沢のリゾナーレはベッドに犬の毛が付いていた


No.174 by ビギナーさん 2014-10-18 00:06:55

泊まったことはないですが、全く魅力感じないですね
界アルプスのHPやTVでの紹介・・・

【公式】星野リゾート 界 アルプス
http://kai-alps.jp/

長野で夏過ごした身からすればものすごい違和感を感じます。

それにアルプスと言えば田舎ではなく、アルペンムード漂う空間じゃないですか
上高地のホテルかその奥の徳澤のイメージですが、信州やアルプス知ってるんですかね!


No.176 by シオサイト 2014-10-19 13:36:08

青森屋に家族で行きました。

【公式】青森 温泉旅館|星野リゾート 青森屋
http://noresoreaomoriya.jp/

部屋の空調が使えず、風邪をひきました。
料理は冷たい物もあり、子供も残す感じでした。
せめて温泉だけはと、期待して入りましたが、薄暗く清潔感がなくカルキ消毒臭い、身体にまとわりつくヌルヌルした最悪なものでした。
テレビ等で上手に上質な宿感を装い、利用者を騙している様な感じがしました。
いつも、びゅうプラザで予約していますが、初めてのハズレでした。
この金額を出せば、都内のクラブレベルに泊まれます。
星野さんの経営は、行き詰まると思いました。


No.181 by 匿名 2014-10-20 08:08:58

循環式って気持ち悪いよね。
うちのマンションでも1500万掛けて源泉掛け流しにしました。
そういう施設ってお客を舐めてるような気がします。

No.182 by 匿名 2014-10-21 21:26:26

単なる宿。下手すると普通以下。
高すぎるんだよ、宿泊費。


No.177 by 匿名さん 2014-10-19 15:11:43

評判は良いですけど・・・・・・青森屋

星野リゾート 青森屋 クチコミ・感想・情報【楽天トラベル】
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/40425/review.html


No.185 by 匿名さん 2014-10-26 22:46:25   
  この口コミ いいこと書いているのは、星野関係でしょうか。         自社の宣伝まで 口コミでするのは みっともない。恥さらしちょん。

No.81 by 匿名 2013-11-15 15:51:38

界松本の電話受付応対の女性が非常に感じ悪いです。
暗いし意地が悪いし面倒くさいのか電話して行く気がなくなりました
基本 ほしのやさんはスタッフがいつも面倒くさそうで対応悪いです

【公式】 星野リゾート 界 松本 | 松本・浅間温泉の温泉旅館
http://kai-matsumoto.jp/

No.82 by 匿名さん 2013-11-15 17:55:29

もてなしの教育が基本的に出来てないんだよな。


No.92 by 匿名さん 2013-11-22 17:20:28

やたら拡大主義に走るより本当のもてなしが出来る一軒宿の方が魅力的。
星野某が事業を拡げる事自体が楽しいのだろう。
事業初心者のよくやる間違いでそういう中身の伴わない拡大は必ず将来、ツケがくる。

No.97 by 匿名さん 2014-05-18 22:38:21

そりゃメディアに広告費払ってるだけ
中身が伴ってないからじきに資金繰りに行き詰まって潰れるだろうね

No.149 by 匿名さん 2014-09-23 08:51:19

このグループのビジネスモデルは破綻する時が来るのでは?
旅行業界はリピーターとその口コミが大切です。
料金だけ上げてというのは逆にフェイクがバレ安いもの。
例の熱海にある飲食の風雲児のホテル。リラックスリゾートも随分料金が安くなりました。
また、かつて謳歌したペンションも仲介では売り物だらけです。
その上のクラスがプライスダウンした事も大きいけど料理が大きい原因の一つでしょう。
見た目はらしく見えるけど素人は素人。
とにかく星野さんも本業の星野温泉を守ることが大切な仕事で現在のように所帯が大きくなると固定経費も激増でしょう。高い宿泊料に疑問を持たれだすと大変ですね。


No.150 by 匿名さん 2014-09-23 11:13:19
むしろ今まで持ちこたえているのがフシギ。

No.151 by 匿名さん 2014-09-23 16:09:10

大手町の高級温泉旅館のオープンに向けて、その他施設の経費削減なんでしょうか?
温泉旅館なら風光明美な所の温泉が良いと思うんですけど(私はね)

海外からの旅行者は、都会のど真ん中のビルの中の温泉を好むのでしょうか?
大手町は眺望は皇居一望でしたっけ??????

価格が安いのならまだしも、この分じゃ幼稚なサービス・食事なのにも関わらず、高額料金を請求されそうですね。



No.152 by 匿名さん 2014-09-24 07:27:26

同感ですね。
大江戸温泉の豪華版のような印象ですが外国人にはうけるのですかね?
自分も温泉地で入りたい方なんで街中の大江戸温泉のような類のところは行きませんね。
自分のリゾマンは源泉掛け流しになり大浴場から伊豆七島が見渡せます。
多忙の為、年に一度くらい{既に1年半も行ってませんが}しか行けませんが、観光地で味わいたいですね。
大手町では料理ごまかせませんね。
歴史ある有名ホテルでは先輩の料理人が後輩に味を伝えていくそうなので付け焼刃のようなわけでは通用しないと思うのですが・・

No.153 by 匿名さん 2014-09-24 08:17:57

同感ですね。
大手町周辺には、名だたる高級ホテルがたくさんあります。
あの場所で料理を手抜きしたら、客は逃げていきます。
ビルを眺めながらの温泉なんだから、料理とサービス位は最高級を提供してほしいものです。
一流のホテルスタッフが揃っている事を願うばかりです。

No.155 by 匿名さん 2014-09-30 19:44:15
分かりやすい表現ですね。やはり本物で勝負しないと続かなくなりますね。

No.157 by 匿名さん 2014-10-01 09:15:51
 
二流か三流なのに 一流風に見せかけてテレビや雑誌で取り上げさせている。                        
大抵の人は テレビ等見て一流と錯覚する。
宿泊すると賢い客なら直ぐ見破る事が出来る。                  
従業員は接客の経験が殆ど無い若者の素人ばかり、
大学の学園祭じゃあるまいし素人ばかりで接客 
高額を取るのは 客に失礼な話しだ。                                      
10年足らずで、30軒以上増やすのは人材不足や、資金不足で雑になるしかないのかな。                  
この様な経営 何時か破綻する時が来るよ。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/all/


72. 中川隆 2014年11月09日 20:11:13 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

こういう違いがわからないアホ成金を騙すのは簡単だけど

『山代温泉・白銀屋』

北大路魯山人ゆかりの宿といいます。

私たちが北陸、山代温泉・白銀屋(シロガネヤ)に泊ったのは九年前、平成十六年。
その前年、私は会社の社長を退き会長になり、歳は六十歳。

ひと休みして「還暦を、夫婦で旅行でも」と、わが子たちが段取りした二人旅は新婚三十年ぶりか。

老いが進む父母を子らに託し、病み気味の妻を連れて北陸路へ向かいました。
十一月六日、この日は父の九十二歳の誕生日。

一カ月後、その父が逝き、六年して母が逝き、その翌年、同行した妻も他界し、
皆いなくなってしまいました。無常の二年。妻の三回忌を迎えました。


十二月は祥月。

家族三人の命日を抱え、「いのちの月」。
前号に紹介した供養「いのちの日」の旅は、九年ぶりの山代温泉へ。

老舗旅館・白銀屋。創業寛永元年(1624)。

紅殻格子の風情を残し、加賀藩主前田家の久姫定宿として知られ、大正昭和に度々逗留していた北大路魯山人の足跡が刻まれた名湯の宿。

が、老舗破たん。私たちが泊った直後のこと。

立て直しに当たったのは、星野リゾート、星野佳路(ヨシハル)氏。

明治三十七年、軽井沢開発を手掛けた星野温泉の四代目。

バブル崩壊後の自社再建を土台にホテル、旅館を蘇らせる新生星野リゾートに成長。

平成十七年八月、彼が山代に降り立ち、そこからテレビの撮影が始まります。

平成十八年一月、NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」第一回の放送。

「再生請負人・星野佳路」のテーマで。


「残った社員が財産です」

現場の事情を最も知っているのは、間違いなく彼ら。

「働く主役はあなたたち」と、現場で決断できる社員に変身させてゆきます。

繰り返し「どうしますか」と会議で社員に振る星野氏。

誰に何を、を社員の口から引き出し、共感し合うコンセプトを深めてゆきます。

白銀屋。そこは今、星野リゾート「界・加賀(カイ・カガ)」。

あの紅殻壁に格子造りの同じ建物が私を待っていました。

『醸』追稿 ・・・・・・・・・・・・・・・・山代温泉・白銀屋


教科書通りにやってみよう、という星野佳路氏。

ヤン・カールソン著「真実の瞬間」。

スカンジナビア航空を立て直したこの言葉。

最前線の従業員の最初の十五秒間の接客態度が、その航空会社全体の印象を決めてしまう。

その十五秒を「真実の瞬間」と呼びます。

今回、加賀温泉駅に出迎えた応対の瞬間、いい宿だ・・。

ケン・ブランチャード著「一分間顧客サービス」。

成功するには「熱狂的なファン」をつくる。

満足した顧客では十分じゃなく、「熱狂的」。

自分が何を望み、顧客が何を望むか。そのビジョンに熱狂する。

プロフェッショナルとは、完璧に向かって進化を続けるその姿、と星野氏。


同じくブランチャードの「一分間エンパワーメント」。

現場に委譲し、仕事を任せ、「言われるまま」から「自分で動く」ように変身して組織を再生させる事例。

白銀屋再生がその舞台となりました。

他にも、「ビジョナリー・カンパニー」、「ブランド・エクイティ戦略」等々。
定石を教科書に学び、教科書通りに進めて現場に委ねてゆくのが、星野流儀。

慶應大学からコーネル大学ホテル経営大学院に学び、父のホテルを継いでアメリカ経営術で改革に乗り出す、が・・。

細かい接客マニュアルと徹底したトップダウンはすべて空回りし、壁にぶつかり、社員は辞めてゆく。

経営定石を現場に降ろし、さらに降ろして共有してゆくと、共感のコンセプトに辿り着き、 働くことが共有の喜びに変わってゆく。

日本の観光を世界の一流にしよう、と社員と取り組みが始まりました。

「星のや」という名の非日常の宿。

テレビは無く、もてなしは地域限定。

「リゾート」という名の、洗練され、斬新なデザイン空間の中の滞在。

そして「界」という名の温泉旅館。

「界」とは、世界に通じ宇宙に広がり、日本旅館の世界は世界一流の、界。

この日、案内された103号室・寿の間、ここは九年前と同じ部屋。

岡崎から持参した特注「円裕地蔵」を懐に、夕食に案内された二階の個室。

え・・! 亡き妻がいる。差向かえのセットづくり。

当時の写真を片手に、献立もあの時を参考に、あの器のあの料理を挟み食事が進みます。あの頃を語りながら。

部屋へ戻れば、夜具は二組。

「老舗が界に変身し、お客様個々のおもてなしを究めてゆきます」と。

ここは若き北大路魯山人が目覚め成長したところ。

いま、和食は世界文化遺産。日本の美食は世界の「もてなし」の粋。

(文・深田正義)
http://okazaki-juku.jp/magazine/2014/02/2800/


しかし、星野佳路が白銀屋再生と称して実際にやった事は:

これが昔日の白銀屋の姿

”野暮な人”には行って欲しくない宿 (白銀屋) 岡野新助さん [2004年10月2日]

”本物の宿”と言っていい

たいていの宿には一つや二つ「あれ?」という変なところ
(たとえば、庭のつくりとか、床の間の置物とか)がある。

ここには「おかしなところ」が、まったくない
おそらく、2代や3代じゃ、こうはいかない。
何代もの積み重ねの結果なのだろう。

一度行かれることをお勧めする
その際、子供連れ、家族連れで、なんて野暮なことはやめてほしい
大人の宿なのである


___________


心に残る白銀屋さん (白銀屋) 浅草胡蝶さん 2008年3月4日

かれこれ十年前になりますが、たまたまふらりと伺った宿が白銀屋さんでした。こじんまりとした造りの中に、とてつもない品格のある空気が印象的です。

夕食の御懐石も驚愕の絶品。器はもちろんのこと、お出し頂いた清酒[立山]はあの折から現在まで愛飲致しております。あの折は景徳鎮の素晴らしい酒器にておもてなし頂きました。

夢のような御夕食でした。今年は舞台の休みをやりくりして、必ず必ずお伺いいたします。
日本一の白銀屋様。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen001930/1.htm


________________________


一方、こちらが“再生”後の白銀屋


白銀屋は、ご承知のとおり、県外資本が入り、外観は以前と変らず紅柄格子で昔ながらですが、内装は全てリニューアルされて、モダンなつくりです。昔を知っているものにとっては、まったく異質なものになりました。私には、まったく違う旅館です。
http://www.tabier.com/cgi-bin/cbbs/cbbs.cgi?mode=one&namber=5193&type=5176&space=45&no=0

老舗の、白銀屋 さん。

ずいぶん前に 2度、お邪魔した事のある、素晴しかった 老舗の旅館です・・・・、
が、今回行って幻滅です!! 

何でも お宿の経営者が少し前に変わったとのことで、最低の旅館に変貌〜

二度と 行きません 皆さんも もし、このお宿を予定しているのなら、即!キャンセルを進言します

温泉が、どうのこうの の問題ではなく、お客を迎える、と言う意識がまるで無いのです!

部屋は誇りだらけ、お手洗いは薄暗く汚らしい(+_+)

お茶を飲もうと急須を見たら、お茶の葉も無く
あげく 若い接客係に、飲み物の注文をしても、1時間は 待てど暮らせど、一向に来る気配なし
食事も以前の様な持て成しも無し・・

何から何まで、最低になってしまいました!
潰れた方がマシ!

今まで訪れた旅館の中でも、断トツの最低宿
居るのが気分悪く、サッサと受付でお金を払い、部屋を引き払い 近くに在る 山代温泉浴殿の方で、
お湯に浸かり そのまま泊まる事も無く帰路に。

な ものですから、お湯の印象も何も・・・、

この旅では、白銀屋の凋落ぶりに唖然の旅でした
次に行く時は違うお宿で 足湯を楽しみたいです。
http://onsenkun1.seesaa.net/article/99778487.html

期待はずれ [星野リゾート 界 加賀]
ともりん さん [入浴日: - / - ]

日経OFFの記事を拝見し、私たちの心を揺さぶりました。
加賀モダンに泊まりました。

トイレは暗く、申し出たのですがこの明るさしか出ませんと言われました。又、便座の暖房も入っていませんでした。
洗面所の排水溝のホッポアップが壊れていて水が流れませんでした。
ビールとおつまみを頼んだところビールを飲み終わった頃おつまみが出てきて興ざめです。

とどめは、お土産で購入した物が帰宅して開けたら希望の物が入っていなかった事です。
色々旅をしていますが、今回はがっかりでした。

老舗と言うなら! [星野リゾート 界 加賀]
三婆末っ子 さん [入浴日: - / - ]

今回従姉会でちょっとリッチにお泊りしようと色々調べて山代温泉白銀屋に決めたのですが、ビックリ!まず、部屋に入ってお茶を頂こうとしたら、急須の中に使った後のティパック。洗ってない急須に驚き、お茶の葉でないことに驚きました。
その上、テーブルには小さなゴミが散乱。非常階段を見に行けば、掃除がしてない上、ドアには上から下まで埃が蜘蛛の糸のように絡みつき、食事の前にお風呂に行けば露天風呂の庭に白いゴミ袋!

最後は夕食時。三人で半個室の部屋に入ると一人分だけ箸置きのみ置いてあり箸はなし。一体どういうサービスなんでしょうか?若いスタッフばかりで行き届かないのは再生後の経営者のせいでしょうか?老舗と言うならもっとプライドを持ってください!


評価できない [星野リゾート 界 加賀]
じる さん [入浴日: - / - ]

年に2〜3度温泉旅行を楽しみにしています。どちらかと言うと建築とお料理が目的かな。白銀屋はかなり期待して行きました。が、最悪でした。時間とお金がもったいなかった。

魯山人ゆかりの一番いい部屋に宿泊しましたが、冬の最中にお部屋に通された時暖房も入ってなかったし、お風呂は廊下の先で寒い上にこれもお湯も入ってなく、お茶を飲もうとポットを開けると湯垢が、、、?!

夕食は台所に1人しかいないのかと思うほど時間がかかりご飯は芯があり、ロビーでコーヒーを飲めばコーヒーを飲んだことがない人いれたみたいで全てに腹が立ちアンケート用紙にぎっちり書いて投函しょうと思ったが期待が出来れば入れようとも思ったが、言うに及ばずでアンケート用紙もしばらく我が家にあったがそのうち破棄してしまった。

要は人にゆっくりしていただきたいとか、美味しいものを提供して喜んでいただこうとか一切考えていないのだと思う。夕食の時に途中で退席した人がいたようだが、私たちもよっぽど立とうかと思った。

旅とは?楽しみとは?人それぞれ満足をどこに見つけるか違いはあろうかと思うが宿を提供する側は人が数ある中から自分の所を選んで時間を使い、お金を使って下さると言うことを改めて考えることが必要と思う。

聞けば、経営者が変わったらしいが、魯山人だけを売り物にするつもりなら歴史のある宿が可哀想だ。サービス業を根本から考える必要があると思う。
http://onsen.nifty.com/cs/kuchikomi/onsen_255/list/aid_onsen001930/1.htm


要するに、星野佳路がゴールドマンサックスと組んで実際にやろうとした事は:


ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられました。

広くていい温泉なんですけど、驚いたことにゴールドマンサックスでした。

世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの代表のようなものです。

これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送していました。

古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、ゴールドマンサックスが。


どうするかというと、

従業員みんな首切っちゃってパートにして、

腕利きのマネージャーを送り込み、

部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの観光客をワーツと呼ぼう


という作戦なんですね。

儲かるようにして高く売るのです。

ゴールドマンサックスが経営するのではありません。いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直してすぐに売っちゃうのです。

これが投資銀行のやっていることです。

確かに、いわれてみればそのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカからごっそり観光客が来ると思います。そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。

そして近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパーなんていって売り出す気なのですね。

ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。
http://kyonannet.awa.or.jp/mikuni/siryo/2006/kawabata-kouen060114.htm


まあ、星野リゾートは違いのわかる人すべてから総スカンを食って、星野佳路もゴールドマンサックスから切られてしまったのですけど。


73. 2014年11月09日 20:33:00 : b5JdkWvGxs

界 加賀 星野リゾート【公式】
http://hoshinoresort.com/resortsandhotels/kai/kaga.html

>「残った社員が財産です」


全員 首にしといて よう言うね(呆れ)



74. 中川隆 2014年11月17日 07:59:47 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs


私が投資したいのは「変化しなくても生き延びる」企業だけ 2014年11月16日

アップルという企業は独創的で、魅力的で、高い技術水準と道徳を持ち合わせ、素晴らしい経営者が企業運営している。さらに株価水準も非常に高く、文句をつけるところはないほど優れている。

しかし、私自身はアップルという企業の株式を持ちたいと思ったことは一度もない。これからも持つことはない。なぜなら、アップルという企業は、毎年毎年、何か「新しいもの」を開発しなければならないからだ。

アップルは、毎年成功しているからこそ、世界でも最も重要なIT企業になっている。

しかし、アップルはどんなに成功している製品を出しても、翌年にはまた技術の進歩、ライバルとの競争のために、新しい製品で成功しなければならない。

つまり、アップルは絶えず「変化して成功すること」を求められている。また、パラダイムシフトが起きればアップルのやってきたことは一瞬にして無に帰す可能性がある。

「変化して成功すること」を求められている業界は、それが故に今は成功していても、10年後にもその成功が続いているとは限らない。

変わり続けなければならないというのは重荷なのだ

コンピュータ業界は、変わり続けなければならない。

変わるのを止めたときが死ぬときだ。家電業界もまた同じで、その製品の多くは、絶えず変わり続けなければ競争力を失ってしまう。

毎年毎年、新製品を出さなければならない業界というのは、毎年毎年、過大なリスクにさらされている業界であると言える。

巨大企業はそれができているから巨大企業になったのだが、巨大であるから将来が保障されているのかと言えば、まったくそうではない。

ソニーも、パナソニックも、シャープも、過去がどんなに素晴らしくても、ひとつ間違うと翌年には会社存続の危機になるというのを日本人は経験したばかりだ。

「変化して成功すること」を毎年求められている業界や企業は、将来が読めない。だから、このような企業の株式は、私自身はあまり関心がない。

では、私が関心を持つ企業は、どこにあるのか。それは、「変化しなくても生き延びる」ものである。


ところで話は変わるのだが、世の中には奇妙な製品がある。

その製品を仮に「X」とする。「X」は80年近く前に初めて発売されたが、それ以来、製品の内容も、質も、まったく何も変わっていない。

この製品「X」は宣伝されていない。この製品「X」は社会から嫌われ、叩きのめされている。社会問題を引き起こし、発売禁止されている極悪な製品だ。

にも関わらず、今も世界中で量産され、関わっている人間たちに莫大な利益をもたらしている。製品は改良されず、禁止しても、罰則強化しても、時代が変わっても「まったく」関係なく使用者が生まれる。

それは何か。

・・・

http://www.bllackz.com/2014/11/blog-post_16.html


75. 中川隆 2014年12月10日 01:33:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs


No.190 by 匿名さん 2014-11-29 18:41:57

星野リゾート もうダメでしょうね。

中途半端な高級感。
中途半端なおもてなし。

No.188 by 匿名さん 2014-11-22 02:24:14
  
経営不振に陥ったリゾート施設や旅館の再生で有名になった星野社長。 

たしかに 経営不振に陥った ホテルや旅館もあるでしょう。  

しかし 中には、どうしても手に入れたいと目を付けた有名老舗旅館やホテルを潰して、タダ同然で手に入れた乗っ取り?もあるでしょう。 

この様な物件なら誰でも再生できるはずだ。 

軽井沢の温泉宿の帰化社長が短期間で有名になるには話題性を上手く利用した一番の近道だったのでしょう。頭のいいやり方だ。 

ハゲタカ資本が手を引くと 今度はREIT。

この様な経営が 何時まで通用するか疑問だ。

 


No.191 by 匿名さん 2014-12-09 22:14:36

188スレさん 私も 

何代にも渡る歴史ある老舗旅館や、ホテルを強引な方法で手に入れて来たと耳にしています。

自殺した経営者も居られると聞いています。 

怨念やその旅館の先祖の霊も 星野さんを許さないでしょう。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/


76. 中川隆 2014年12月13日 11:57:35 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

星野佳路が完膚無きまでに破壊し尽したのは名門旅館の伝統だけではない


あなたが過去に戻る「きっかけ」になるものは何だろうか?


ボブ・ディランの「時代は変わる(The Times they are a changin')」という歌で、このような一節がある。

「あなたは、泳ぎ始めた方がいい。そうしないと石のように沈んでしまうだろう。時代は変わって行くのだから」

私たちはぼんやりしていると、どんどん時代に取り残されていく。時代は変わり、自分が変わらないと、自分は過去の人になってしまう。

誰もがそれを自覚している。だから、誰もが時代に合わせて自分を変えていく。時代の空気を吸収し、古いもの、古い考え方、古い仕事、古い常識、古い衣服、古い友人を捨てる。

10年経ち、20年経つと、誰もが自分が変わっていることに、ふと気付く。時代は変わり、必死になって時代に付いていく中で、自分は「変えられた」のである。

しかし、今を必死で生きている人は、実は時代が変わったということを意識できない。過去が風化してしまい、その結果、自分が何者か分からなくなってしまう。

時代は変わり、それに合わせてあなたも変わった

時代は変わり、それに合わせて無意識にあなたも変わった。生き残る過程で、あなたは過去を捨てて現代に生きる。だから、人は自分を見失う。変わることを自分に強いて、自分が分からなくなるのである。

だから、自分を見失ったとき、人は必ず自分の過去を振り返り、そして過去に戻っていこうとする。

人には過去があって、現在の自分がある。過去は永遠に自分の人生から去ることはない。自分が歩んで来た道はずっと記憶の中に残って、それは水彩画のようなイメージとして心の中にしまわれている。

過去の出来事の積み重ねが今の自分を作り上げてきた。自分が何者か分からなくなったら、常に過去を辿っていかなければならないのである。

人の心はもろい。ちょっとしたことで傷つき、ちょっとしたことで自分を見失う。

もし、あなたが深く傷つき、誰かに慰めて欲しいと思ったとき、あなたは恐らく気心知れた「昔からの友人」に会いに行く。最近知り合った友人よりも、古くから知っている友人に会いたいと思う。

なぜ「旧友」を無意識に求めるのかというと、旧友こそが昔の自分を知っていて、自分を理解してくれると感じるからだ。時代は変わっても旧友の性格や性質は変わらない。そのまま、そこにいてくれる。

過去に戻っていくことが重要なのを、人は無意識に知っているのである。

人は傷ついたとき、昔に戻っていく。過去に戻るというのは、心を自浄する作用がある。郷愁を感じたとき、あなたは何とも言えない心の和らぎや心地良い興奮を感じないだろうか。

それが、自分の原点を見つけた心の躍動なのである。

もし、あなたが深く傷つき、誰かに慰めて欲しいと思ったとき、あなたは恐らく気心知れた「昔からの友人」に会いに行く。最近知り合った友人よりも、古くから知っている友人に会いたいと思う。


過去を振り返ることこそ、自分の原点を取り戻すこと

まだ自分が若かった頃の楽しかった「あの頃のこと、あの頃の人」は、「自分だけの宝」だ。当時は何でもなかった出来事も、それが郷愁にまで昇華したとき、それが自分にとっての幸せとなる。

その想い出が今の自分を作り上げた原点なのだから、過去を振り返ることこそ、自分の原点を取り戻すことになる。

たとえば、知らない街に辿り着き、方向を間違い、進むべき道を見失ってどうしていいのか分からなくなったら、誰でも分かるところまで戻る。そして、自分の居場所をしっかりと確認してから、正しい道に向かって歩き出す。

人生の道も同じだ。自分を見失ったら、過去に戻って原点をしっかりと確認してから、再び未来に向けて歩き出す。

自分を見失ったときこそ、静かなひとりの時間を見つけて、しっかりと自分の原点を見つめる作業が必要になる。何が自分にとって正しいのかは、過去に答えがある。進むべき道は、過去に聞かなければならない。

容赦なく変わっていく時代の渦に溺れて自分が分からなくなったら、立ち止まってひとりになり、静かに過去に戻る準備をしなければならない。

過去の想い出が自分の原点だ。タイムマシンに乗ったように自分の人生を逆に辿っていくと、そこに自分が忙殺されて忘れていた「生きている意味」を再発見することができる。

自分と同じ人生を歩んでいる人間は世界中どこにもいない。自分の人生は自分のものだ。

だから、過去に戻るという作業は、他人に任せることはできない。自分が自分の原点を見つけに行かなければならない。

過去の想い出が自分の原点だ。タイムマシンに乗ったように自分の人生を逆に辿っていくと、そこに自分が忙殺されて忘れていた「生きている意味」を再発見することができる。


あなたが過去に戻る「きっかけ」になるものは?

あなたはまだ若かった頃、夢中になって読んでいた本、夢中になって聞いていた音楽、夢中になって見ていた映画がそれこそ山のようにあるだろう。

時代が変わったと気付くのは、そういった「昔、夢中になっていたもの」に触れるときだ。あれだけ好きだったものが、いつしか時代に取り残され、そして大勢の人たちの記憶からも消えている。

しかし、自分がそれに夢中になっていたとしたら、それは決して消え去らない。自分の人生に織り込まれているからだ。

重要なのは、その時代、その時期に、自分が心から惹かれた本、音楽、映画を改めて触れるというのは、簡単に過去に戻るための方法でもあるということだ。

古い本、音楽、映画が決して消え去らないのは、多くの人にとってそれが自分の過去を振り返るための「きっかけ」だからだ。それに触れた瞬間、まるで魔法でも作用したかのように、一気に過去に戻っていく。

他人にとって評価されないものであっても、自分がそれに夢中になったということは、自分の人生にそれが織り込まれたということでもある。それこそが、自分の宝なのだ。人生で非常に重要なものなのだ。

あなたも、「それ」に触れた瞬間に、一瞬にして過去の郷愁に戻れる何かを持っているはずだ。

音楽であれば、それを聴くたびに、自分が輝いていた頃、つまり原点を想い出すものがあるはずだ。それは、「過去のドアを開ける鍵」なのである。

すべてのドアは合う鍵が違うように、過去に戻るためのドアを開ける鍵は人によってすべて違う。あなたが過去に戻る「きっかけ」になる本・音楽・映画は、何だろうか?

古い本、音楽、映画が決して消え去らないのは、多くの人にとってそれが自分の過去を振り返るための「きっかけ」だからだ。それに触れた瞬間、まるで魔法でも作用したかのように、一気に過去に戻っていく。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20141213T0406170900.html


77. 中川隆 2014年12月20日 16:37:00 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

192:匿名さん [2014-12-19 15:59:27]

 熱海の老舗旅館 蓬莱に以前宿泊したことがある者です。 

いつの間にか界熱海になっていたのは残念です。       

あのような名旅館が星野リゾートの手にどんな経緯で買収されたのでしょう。

ただただ悔しい. もっとマトモナ会社なら あきらめもつくのですが。 
残念です。                            

193:匿名さん [2014-12-20 12:18:39]

櫻庵も良い旅館だったのに・・・・・
今じゃ〜ね〜
http://m.e-kodate.com/thread/290317/


78. 中川隆 2014年12月31日 07:20:04 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

星野リゾートが何時まで経っても

中途半端な高級感しか出せない、中途半端なおもてなししかできない理由


道を究めて素晴らしい何かを生み出すのが日本人の生き方


考え抜かれた製品、技術、デザイン、哲学、サービスを持った希有な企業が世の中には存在する。磨き抜かれたオリジナル、技、発想、アイデアを持った希有な人が世の中には存在する。

独自の「何か」を生み出す能力を持った企業や人は本物だ。そして、長い目で見ると、結局生き残るのは本物だ。

誰かが何かを成功させると、真似やパクリをする企業や人が山ほど現れるのだが、パクリ製品は気が付けばいつしか消えて後に残らない。

パクリがどんなにうまくやってのけても、結局はオリジナルの方が生き残る。そして、オリジナルの方が愛される。

どれほど巧妙にパクリを成し遂げても、なぜオリジナルが最後に生き残る可能性が高いのか。

その理由は、その製品、技術、デザイン、哲学、サービス、発想、アイデアには、それができあがるまでに多くの試行錯誤が為され、その試行錯誤で得た知識や経験が「物事の基本」となって製品を支えているからだ。しかし、パクリには土台を支える思想がない。


物事のすべては、基礎や基本が何よりも重要だ

物事のすべては、基礎や基本が何よりも重要だ。それが揺らいでいると何が重要で何が重要でないのかも分からない。そして、「次」を踏み出す時に間違う。

次の新しいものを生み出すにも、今あるものを改良するにも、さらなる付加価値を付けるにも、基本ができていないと何もできない。逆に、基本がしっかりしていると、「次」に発展することができる。

本当のことを言えば、そんなことは誰でも分かっている。では、なぜ基本をないがしろにして、他人のものをパクることで生きていこうとする企業や人がいるのだろうか。

たとえば、中国や韓国は、ありとあらゆる企業のパクリを行っており、国中に粗悪なパクリ製品が溢れている。

なぜ、彼らは次から次へとパクリを行うのか。なぜ、彼らはオリジナルを生み出すこと、すなわち基礎や基本をないがしろにするのか。

その理由は簡単だ。基礎や基本をきちんと身につけるというのは、実は尋常ではないほど単調で、単純で、根気のいる作業を延々と繰り返さなければならないからだ。これは、すべての分野に関して言える。

基本を身につけるには、誰も注目しておらず、誰も褒めてくれず、誰も気付かないところで、ずっと単調な作業を繰り返し、常に試行錯誤していかなければならない。

この単調な繰り返しを行って基本が身につくのだが、パクリを行う人間はそれをすっ飛ばすのである。そして、表面や形だけをパクって世の中をごまかす。

最初は騙せるのかもしれない。しかし、それがオリジナルではない時、やがて人々に見透かされる。そして捨てられる。


時代が変わっても古くならない原理原則

基本が重要であるというのは、職人も、技術者も、芸術家も、アスリートも、アナリストも、兵士も、各職業人も、すべてがそれぞれの言葉で言い伝えている。

そして、基本を否定する人間は誰ひとりとしていない。

つまり、「基本を怠らずに鍛える」というのが、時代が変わっても古くならない原理原則であるということである。

表面や形だけをパクリ取って、まともな基本を身につけていない企業や人は、そのときは良くても最後に足をすくわれる。土台がないので応用がまったく利かない。

もちろん、そのようなパクリをして人生を乗り切る生き方もひとつの生き方である。あえてそれを選び取る人間もいる。

手っ取り早く儲かるのであれば、あるいは手っ取り早く売名できるのであれば、それを選び取る人は珍しくない。

売れた製品のパクリを作って安売りする企業、あるいは売れた人間の技や作品や芸をそのまま真似して、自分こそが元祖だと起源を主張するクズのような人間もいる。しかし、それは邪道であり王道ではない。

王道とは、その道の基礎や基本を誰も見ていないところで、淡々と愚直に繰り返し、泥にまみれ、汗を流し、苦しみを味わうことである。

それは、一見ムダなように見える時間だが、基礎や基本は膨大な時間をそこに費やさなければ身につかないのだから、絶対にムダではない。

どれだけ基礎と基本が身についているかで、その世界で成功できるかどうかが決まる。

ムダなのは、自分の人生に重要でも何でもないことに時間を費やすことだ。自分がその道で生きていくつもりもないようなもの、たとえば時間つぶしのゲームだとか、だらだら見ているテレビだとかに時間を費やすのは、たしかにムダだ。


自分の分野で道を究めることが日本の復活になる

自分の全人生を費やしても構わないと思うことに全力集中で取り組み、基礎や基本を繰り返し反復する。

そうやって、基礎的な能力を身につけても、まだそれで世の中を渡っていけるのか、成功できるのか、大成できるのかどうかは分からない。そして、それで食べて行けるのかどうかも分からない。

しかし、基礎や基本がないのに、いきなり他人のパクリをしてそれで生きていけないことだけは、はっきりしている。

かつての日本人はこういった基礎や基本を「型」と言っていたが、型を身につけるのに誰も見ていないところで死ぬほど練習していたし、それが日本人の底力を作り上げていた。

日本人が「特異な民族」なのは、そういった基礎や基本を疎かにしないという人間が夥しく存在していて、基礎を追求する文化を持っていたからである。日本人には、ありとあらゆる分野が「道」を極める対象となった。

ただ、「お茶を淹れる」という些細なものであっても、それは「道」となって、茶道となっている。

日本人のひとりひとりが、それぞれの分野で基礎と基本を地道に積み上げて道を究めてきたから、あらゆる点で日本は他の民族や国家を凌駕してきたのだ。

最近、日本の土台が揺らいできたというのであれば、恐らく最近の日本人は、かつての日本人ほどに基礎と基本の積み上げが足りなくなっているからだ。

科学の世界でも、ノーベル賞を取るほど優秀な人間がいる一方で、形ばかり研究者のフリをして他人の論文をコピーして、パクリや真似でごまかそうとする人間が出てきたりしている。

日本人にパクリは似合わない。日本人はパクリの道を行くのではなく、優れたものを生み出せる民族であってほしい。パクリを排除し、ひとりひとりが自分の分野で道を究めることが日本の復活になる。



基礎や基本を疎かにしないで道を究めるのが日本人の特異性だ。
http://www.bllackz.com/2014/12/blog-post_30.html


79. 中川隆 2015年1月15日 18:10:53 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

190:匿名さん [2014-11-29 18:41:57]

星野リゾートはもうダメでしょうね。
中途半端な高級感。
中途半端なおもてなし。

194:匿名さん [2015-01-04 08:47:29]

星野リゾートはお客の要望は聞かない事にしたらしいよ。
がっちりマンデーで社長が言ってた。


195:匿名さん [2015-01-04 08:58:51]

そのうち、つぶれるよ。

196:匿名さん [2015-01-04 10:01:20]

客の要望を聞かなくなったら、心に余裕が出てきた、とか言ってたな。
客がストレスだったのかね?


197:ご近所さん [2015-01-11 08:04:53]

星野リゾートは早く消えてくれ


198:旧罪罰 [2015-01-11 13:24:58]


☆野は新自由主義売国金融リゾート屋でっせ、ケケ中の仲間でっせ、郵政さん気をつけましょ、

199:匿名さん [2015-01-11 16:42:45]

本当にお客を大事にしてるような気がしませんね。

よっぽど西伊豆、雲見あたりの漁師民宿の方が酒も肴も旨い。

別荘も有るけど必ず行く。好きなジョナリーを用意して待っててくれる。

夜がふけるまでおっちゃんとおばちゃんと語り明かす。
また7月に行きますよー。
http://m.e-kodate.com/thread/290317/

効率化と収益化を極大化させ、自滅していくマクドナルドと星野リゾート 2015年1月15日

多くの企業は、当たり前だが「効率化」と「収益化」を疑うことは絶対にない。なぜなら、この2点こそ企業の成長と拡大を促すものだからだ。

しかし、極度なまでの「効率化」と「収益化」を求めると、失うものがある。それは何か。顧客への信頼性だ。

効率化は往々にして顧客サービスの削減につながる。収益化は往々にしてコスト削減に向かい、それが品質の削減につながる。効率化も収益化も、それが先鋭化すると自滅するのである。


効率化の極大化=顧客サービスの低下

収益化の極大化=コスト削減による品質の低下


効率化・収益化を極大化することによって、結果的に信頼を落とし、売上を落とし、企業ブランドを傷つける。

今、その負のサイクルに入っている企業がある。それが日本マクドナルドである。

マクドナルドは腐った鶏肉を商品に使っていたことで2014年に大きなダメージを受けた。2014年12月には売上が全年同比21.3%減となり、さらに1月に入ってから立て続けに異物混入事件で評判を落としている。


問題を起こすのは時間の問題だった理由とは?

異物混入はマクドナルドだけの問題ではない。すべての食品業界は避けられないものでもある。

しかし、ことさらマクドナルドだけが槍玉にあげられるのは、2012年のメニュー撤廃騒動、2013年にはホルモン漬けの鶏肉問題、2014年の鶏肉偽装と、毎年のように問題を引き起こしているからでもある。

2012年にメニュー表を撤廃したのは、顧客がメニューを見て迷う時間がもったいないとマクドナルド側が考えたからだ。効率化のために顧客サービスを低下させる悪い見本として、この事例は今でも語り継がれている。

メニュー撤廃は、企業の効率化と収益化を最大限に目指したものであり、決して顧客のためではない。

危険な中国製の鶏肉をずっと使い続けていたのも、収益化を最大限にするためであり、顧客のためではない。中国製の鶏肉は安いので、コスト削減のためにはちょうどよかったのである。

しかし、それが2014年には腐った肉、カビの生えた肉、床に落とした肉を商品として使っていたという杜撰な実態が明るみに出てマクドナルドを追い詰めることになった。

マクドナルドの効率化・収益化の極大化が問題を起こすのは時間の問題だったのだ。

マクドナルドの経営陣は、顧客のことよりも自社の収益が重要なので、肉も野菜も日本のものを使わない。キャベツも韓国製を使っている。

日本人は韓国製の食品を食べたいわけではない。マクドナルドがコスト削減のために勝手にやっている。


効率化と収益化の極大化は何を生み出すのか?

「効率化」と「収益化」はビジネスにおいて必要不可欠な視点だが、それが極大化して暴走していけば何が起きるのか、マクドナルドはよく示している。

必要な手順や工程を省けば効率化される。だから、効率化しか頭になくなり、それが暴走していくと、提供される製品は「粗悪品」になる。

品質を落として安物で代替すれば収益化が望める。だから、収益化しか頭になくなり、それが暴走していくと、提供される製品は「粗悪品」になる。

「効率化」と「収益化」は、共に「粗悪品」を生み出す元になっていくのである。

中国や韓国の多くの企業が「粗悪品」を量産するのは、要するに最初から自分たちが儲かるために、いろんな部分で工程をはしょり、材料を安物にするからである。

顧客のことなど何一つ考えておらず、ただ効率化と収益化だけを考えている。安物を提供して、自分たちだけが儲かればいいと思っているのである。

マクドナルドも、粗悪品を量産する中国企業と同じになってしまった。マクドナルドの経営陣は、自社の製品を数字として見ているだけであり、食品として見ていない可能性がある。

要するに、彼らは食品としての自社製品にはそれほど愛があるわけではなく、単にビジネスをしているだけなのだ。下手すれば、「ジャンクフードは食べたくもない」と心に思っていてもおかしくない。

だから、マクドナルドは日本で信頼を失い、未だに信頼を取り戻せないでいるのである。

いくら大宣伝してもムダだ。マクドナルドに対して不信感が増長しているところに宣伝しても、反撥しか受けないのは分かりきっている。


宣伝や戦略で何とかするという一時しのぎ

効率化と収益化の前に重要なのは「信頼」だ。マクドナルドは「信頼」を捨てても金儲けしたいとどこかのタイミングで考えるようになったのだ。

「信頼を失うくらいなら、収益を減らしてもいい」という企業としての良心をどこかで忘れてきたのだ。

マーケティングや、巨額の宣伝で、そんなものは何とでもなるとでも考えたのかもしれない。

しかし、宣伝や戦略で何とかするという一時しのぎを繰り返した結果、マクドナルドの迷走はますます深いものになってしまっている。

ここ数年、日本人は粗悪品が危険なものになっているということに気付いている。

かつての粗悪品は単にすぐ壊れるか使えなくなるだけのものだったが、今の粗悪品は危険極まりない物質となっている。

中国産の食べ物も、当の中国人ですらも信用せず、異様なまでに危険であることも知っている。

(原因はただ一つ。中国を覆い尽くす底なし食品汚染と大気汚染)
http://www.bllackz.com/2013/01/blog-post_30.html


最近の「粗悪品」は関われば致命傷になる可能性があるのだ。

中国人が大挙して日本に押しかけて狂ったように買い物をしているのは、要するに日本製品には「信頼」があることを知っているからである。

それを考えると、日本の生き残る道は、効率化と収益化を極大化することではなく、むしろ身の丈を知った企業規模で、「信頼」を積み重ねていくことであると気付く。

マクドナルドは日本にローカライズできていない。粗悪な食品しか作れない企業は日本には必要ない。だから、マクドナルドが日本で消滅してもおかしくない。

「信頼を失うくらいなら、収益を減らしてもいい」と考える経営者はマクドナルドに出現するだろうか。それはまだ分からないが、今の経営陣では難しいのは確かだ。
http://www.bllackz.com/2015/01/blog-post_15.html


80. 中川隆 2015年2月03日 22:48:07 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

【公式】星野リゾート 界 熱海(旧 蓬莱)|熱海・伊豆山
http://kai-atami.jp/


81 :名無しさん@いい湯だな:2012/04/27(金) 21:47:47.37 ID:6cmeMdux0

界熱海、予約が出来なくなっている。何か起きた?


82 :名無しさん@いい湯だな:2012/04/28(土) 09:20:16.79 ID:Sd2TIe7s0
>>81
HP見た?

 「星野リゾート 蓬莱」はその格式と風情をそのままに新たな進化を遂げ、
 「星野リゾート 界 熱海」として7月1日より営業を開始いたします。

84 :名無しさん@いい湯だな:2012/04/30(月) 00:41:56.64 ID:V7syeCHL0
>>81
昔からいた仲居さんは全員やめて、
全員新しい人がはいるんでしょ。
サービスはどーなんだろうね?

87 :名無しさん@いい湯だな:2012/04/30(月) 23:00:03.96 ID:1y2NVecK0
>>82
4月2日 ネット予約開始(一休)
4月3日 ネット予約開始(星野リゾート)
4月17日 システム調整中で一時停止(一休も停止)
4月中は復活せず。


88 :名無しさん@いい湯だな:2012/05/01(火) 01:33:32.90 ID:EL8I9kBo0
>>87
女将と従業員が改名に猛反対したってあるから
権利関係とかで、内部で揉めてるんじゃね?

強引に宿の名前変えて、裁判とかにならないのかな?

89 :82:2012/05/01(火) 09:46:31.92 ID:wrHnzyc00
>>87-88
あ、なるほど、そうことですか。
わかってませんでした、すみません。

内部でモメごとが起きてるのって、そんな事やってる余裕とかイマドキないだろうにねえ・・・

客にウンザリされちゃったら名前がどうだろうが元も子もないのに。

女将や従業員が反対してるのって、きっと、名前に対する彼らの『過去の思い入れ』だよね。

でも、『思い入れ』でなんとかなるもんだったら、そもそも最初から改名しようとかしないと思うんだよな。

イメージを改善したいからこその改名なんじゃないのかねえ。
思い入れの名前とともに落ちぶれていく覚悟があるならいいけど。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/onsen/1292545452/


81. 中川隆 2015年2月05日 22:48:34 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

___________
___________


最近はあさば旅館も星野リゾート同様 グローバル化・効率化・構造改革が進んでいるようですね:


あさば旅館の口コミ


“年々・・・・・”

凄く有名な宿なので数年前から度々利用しています。

庭園の眺望は相変わらず素晴らしく、能楽堂の手前で行われる和太鼓も毎回楽しみですが、年々サービスの質が劣化している気がします。

掃除の完璧さでも有名なこのお宿ですが、前回宿泊時には髪の毛が畳に落ちていました。

料理も以前ほど美味しくないなーと感じます。料理長が変わったのでしょうか?

2人で10万円という価格を出せば、修善寺は他に良い宿が沢山あるので、今後は行かないと思います。

2014年 6月に、カップルで訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r246628929-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT


“期待し過ぎました”


温泉(というか温泉旅館)好き夫婦です。
修善寺は大好きで、有名どころは制覇?しました。

そんな私共に残された最後の聖域(?)「あさば」にいよいよ宿泊!

期待が高過ぎたのか(お値段も高過ぎました。笑)、気合いを入れすぎたのか、印象は“普通の高級旅館”以上でも以下でもありませんでした。

お料理よりお風呂が重要な私共ですが、こちらも至って普通。

また、出したお金に見合う接客をしていただいたとはどうしても思えません。

見ていると常連さんらしき方にはあからさまに従業員の態度も違ったようですので、基本、一見さんお断りの宿なのかもしれません。

次からは、お近くにある、そこそこお値段のチェーン旅館にすると思います。


2014年 9月に訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r231479530-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT


“以前にも増して”

あさばの素晴らしさを見出すことはむずかしかったです。

お目当ての石葉がとれなかったためこちらに連泊しましたが劣化も目立ち、なによりは人とお宿の距離感が新しい若女将になられて特に粋なものでなくなったような気がしました。

お料理の低下、設えの経年劣化は目をつぶったとしてもスタッフの動作、気配りはこの宿が目指していたものとは異なってきていると思われました。

どなたかが顔をきちんと出された自身のブログで 今やすごい勢い☆の屋のように器だけが立派でも中身のないようなお宿に成り下がらないよう願います と書かれた文面に強くうなずきます。

そしてこの宿のシンボルのようなサロンは絨毯の臭いが充満していて(特に右手前の小部屋)もう少し質の良い絨毯を選んでほしいです。

週末にされる太鼓もそれにかこつけ5000円いやおうなしに付けるのはいかがでしょうか。一度見ればも良いという方もいると。久しぶりの修善寺も震災後益々幽霊屋敷化してきていてもっと町ぐるみで町並み景観をまとめないと本当に陳腐化してしまうと思いました。


客室選びのポイント: 別に能舞台が見えなくとも料理はみなおなじだそうなので安めの部屋でも良いと思います。


2014年 7月に、カップルで訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r220367423-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT


“1度は訪れたい宿でしたが・・・・”

名旅館として名を馳せるあさば。あさばを知ったのは、著名なエッセイストの本で、兼ねてから一度は、訪れてみたいと思っていました。ところが、そののち、おいそれと訪れる旅館ではないことを悟りました。

歴史があり、文化があり、伝統あり。能舞台を持つ、幽玄な世界。単なる老舗旅館とは一線を画し、泊まる者の感性を問われる宿。この宿の象徴的存在が能舞台であるなら、最低限の能の世界への造詣も求められるはず。

ここに足を踏み入れるということは、これまで何を見て、何を感じてきたか試される場所。場にふさわしいふる舞いが求められ、ゆかたの着こなしひとつとっても、TPOをわきまえたみだしなみ、所作などが求められるそんな緊張感を持った旅館だと思っていました。

ここに泊まるためには、日本文化を学び、基本的なことは身につけた上で、理解して消化できる素養が求められる。お茶、お花、掛け軸などのしつらえものへの造詣や会話など、その人が生きてきた人生、本質的な部分を問われてしまう宿。ある意味、身ぐるみ剥がされてさらけ出されてしまうような緊張を感じさせられていました。訪れるには、一種の覚悟を要し、心して行かねばならないという思いを持っていました。

高い宿泊費を払えたら、泊まってもいい宿ではない。一生のうちに、行くことができるかどうかの旅館・・・・・・・・

と思っていたのですが、たまたまこちらで昼食会が開催されるという催しに、お招きいただきました。こんな機会は、あとにも先にもおそらくこれ限り。ということで、「あさば」も、みんなで訪れれば怖くない。という思いもあって、参加しました。(しかしながら、常連さんにとっては、このようなお客さんが、ご迷惑に感じられるのだろうと思いながら・・・・)

立派な屋根のある門構えを入り、「あさば」にやってきたという気分を盛り上げてくれます。玄関を入り有名な能舞台をチラリと見ながら、2階にあがりました。

広間で団体用のテーブルと椅子が用意されています。ほどなくして、お食事が運ばれてきました。ベテランさん、新人さん、混ざっての配膳です。途中、仲居さんのお料理の提供方法に、首をかしげてしまいました。配膳の際に気にかかることが・・・・

通常、食べ終わった食器を下げてから、新しいお料理を出すのが基本のはず。ところが、先にお料理を置いて、あとから、食べ終わった器を下げています。それはないのでは? 全体の流れ、リズムも、しなやかさがありません。

お茶の提供方法、丁寧なのはわかるのですが、団体を扱う時は、別の方法があるような気がするのですが・・・  団体客は慣れていないのかしら? なんて考えながら

   100年の恋が、冷めていくのを感じていました。

畏敬の念に近いものを抱いていた「あさば」だったのに・・・・
自分の中の「あさば」像が、崩れ落ちていきました。

団体客ということで、不慣れなスタッフさんが、当てられたのでしょうか?スタッフさんによって差があるという話は耳にしました。しかし、不慣れとはいえ、お料理の提供の基本が身についていないのは・・・・ビックリというか、それを通り越してショック状態(笑)


お料理も、大変失礼ながら、特筆することがなかったように感じられました。お出汁の感動もありませんでした。単に自分の味覚と合わなかっただけなのかもしれません。


過去に泊まったお料理で定評のある旅館。自分はとてもおいしいと感じられ、他の多くの人もおいしいと言われていても、イマイチという評価があります。一方、自分がイマイチと思っても、多くの方が、おいしいという評価をされていることも・・・・ おいしい、まずいは個人の主観にすぎません。

ところが、あさばのお料理は、賛否が大きく分かれすぎているという印象があります。これは好みの問題とは別の要因もありそうです。その一つの原因は、料理長の変更によるものではないかと思われます。それまで高評価だったお料理が、料理長の変化で受け入れられなくなったケースが考えられそうです。そのため、投稿時期というのも評価の参考になりそうな気がします。

あとは、うまく表現できませんが、味付けが、大きく好みの分かれるレンジの味なのではとも思いました。

団体で昼食を食べたのですが、大抵は、お愛想でも、「おいしいですね」という言葉を発するものだと思うのです。ところが、誰ひとりとして、その言葉を発している方がいらっしゃいませんでした。ご招待を受けながら、失礼なことと思うのですが、取り繕いの「おいしい」という言葉も出なかったのです。

もしかしたら、地域的な味の差が影響していたのでしょうか・・・・・  昼食をいただいただけであさばを評価するのは、大変失礼なことかもしれません。真の評価は、実際に泊まって判断したら、総合的な印象も変わるのかもしれません。ロビーやお風呂、ゆったり流れる300年という悠久の時間。、

また、ここに訪れる機会が持てるかどうか。高い宿泊代を払ってでも、泊まってみたいと思えるかどうか・・・・  かつて抱いていた、日本文化の教養を身につけてからでないと・・・・ という気持ちは、仲居さんによって、ハードルを下げていただけました。その点はよかったと思っています。


帰りがけに、入口の門に、「紋」があったので、これは何の「紋」ですか? と伺ったところ、何人か、仲居さんがいらしたのですが、どなたも、それに答えることができませんでした。さらに、その中のお一人は、「葵?」とお答えになりました。自分の働いている歴史ある宿の紋を知らない。まして「葵」というお返事がでるとは・・・・

私の中で、ある種の神格化にも近い状態に崇め奉っていた「あさば」とはは何だったのか・・・・


そんな瞬間でした。訪れる人に緊張感を与える宿というのが、いいのか悪いのかわかりませんが、
それを維持して、来る人を選ぶ宿があってもいいのだと思います。


しかし、今回の訪問では、あの「あさば」は、こんなものなんだ・・・・と、これまでの高いハードルを低くしてくれたともいえます。


またとない機会を得て、訪れるにあたり、数々の口こみやブログを見ました。よくない評判もありました。
その一つが、お若い方で、濡れ箸をご存知ない方だったようなので、有名旅館に泊まった経験はあっても、まだこれからの方・・・・  話半分で拝見していました。食について、かなり辛辣なご意見でしたが、訪れてみて、妙に納得してしまうところがありました。

老舗の旅館やホテルというのは、その歴史やたたずまいを理解できないことは、無粋と見られがちです。それらを認めた上で、守る人、引き継ぐ人の一挙手一動、そして言動が、訪れる人の感性に問いかけてきます。

いつか訪れたかった宿・・・・・   その思いが崩れてしまう経験となってしまいました。


2014年 2月に、友達と訪問(体験)
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g790340-d304281-r235964225-Asaba-Izu_Shizuoka_Prefecture_Chubu.html#CHECK_RATES_CONT


82. 中川隆 2015年2月05日 22:56:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

名声と個人の感覚は違う。 (2014/12 訪問)

tadas728 さんの口コミ -


あさばの名声とは異なり、おもてなしの志を個人的には感じませんでした。

(これは状況や感情に左右されるので気にしないでください)

評判の料理も、味のメリハリや、目で楽しむ感覚に欠けていると感じました。

正直、料理ごとに味に抑揚と変化が少ないために、印象に残る一皿がないように感じました。

しゃも鍋や評判のあなご黒米の握り寿司も今一つと感じました。

(玉秀の鍋や乃池のあなごの方が私は好きです)

味覚は人それぞれなので、私の味覚には合わなかったということでしょうね。

メニューは以下の感じ(記憶)


湯葉蒸し
桜海老のかきあげ/くわい煎餅
沢煮椀
お造り 槍いかと白身
焼き物
ずがに汁
大中寺芋 と白子の 衣揚げ
穴子黒米鮨
軍鶏鍋
軍鶏鍋を使った玉子丼
ブラマンジェとアイス
熟していなかったメロン


何と言っても食事中に部屋の扉が開放されているままのシステム(偶然この日だけがそうだったかもしれません)は感心しません。

お風呂も手狭でしたし、名声と自分の感覚とが違いすぎました。

まあ、感じ方は色々ですので、個人差はあると思いますが、1泊 5万円前後で旅館をチョイスする場合、私はあさばを選択対象にはしないでしょう。
http://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/7081263/?sby=D&use_type=0&PG=&smp=1&rvw_part=all&lc=0&srt=update



83. 中川隆 2015年2月06日 11:53:51 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

修善寺温泉あさば お部屋 ASABA Room Tour
https://www.youtube.com/watch?v=VHxQkwC6BsI


84. 中川隆 2015年2月06日 19:15:04 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

修善寺あさばの能鑑賞 ― 人生一度の経験 2014年11月12日
http://nakajima-lab.jp/multiblog/casaaf/2014/11/12/%E4%BF%AE%E5%96%84%E5%AF%BA%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%B0%E3%81%AE%E8%83%BD%E9%91%91%E8%B3%9E%E2%80%95%E4%BA%BA%E7%94%9F%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%81%AE%E7%B5%8C%E9%A8%93/


 今年の春の3月に修善寺あさばに行った時に、今年の芸能の予定表を見ていたら、10月の2日に能の舞台があることを知り、当日が木曜日なので、家人が休診日でもあり、良い機会と思い、予約を取ることにした。ご承知のように、予約は4か月前からであり、6月1日朝8時に電話することになった。たぶん忘れるのではないかと危惧はしていたが、それくらいしか仕事の無い身の上故、しくじらないように二重赤丸を付けておいて、無事電話をかけ、能舞台の真正面の雨月という部屋を予約できた。

 それから4か月は、あっという間に過ぎた。美容整心クリニックの場所探しに奔走していたからである。

 10月2日は朝から車を磨いて、テンション高く出かけたのである。
いつも、ご一緒するY氏夫妻と今回も一緒であり、しかし今回は部屋を二つもらうのは、はばかられたので、相部屋で泊まることになっていて、なんとなく双方が緊張していた。
 が、着いてみると、隣室にキャンセルがでており、結局はお互いの鼾と、夜中のトイレを気にせずに泊まることになった。

揚幕のかかった能舞台


雨月は簾のかかった対面の部屋です


部屋から舞台を臨む


 能は夕方6時開演なので、それまでにお風呂に入り、御主人差し入れのシャンパンで一息ついて待機していた。

 日が暮れてくると、箱船に乗って池の要所要所のろうそくに火をつけて回るのも風流であった。

 出演者が三々五々に集まりだし、申し合わせ(リハーサル)を始めると、いよいよの期待感が高まり、私達は浴衣を着替えて、廊下に椅子を並べて、待機していた。

 いつもは人気のない、ただの舞台だが、当日は橋懸に揚幕がかかり、能舞台の臨場感が伝わってくる。部屋からは、舞台は真正面に対峙して距離は10mほどである。

 私は能を見た経験は無く、すべてが初めての経験であった。

 能はシテ、ワキの能楽師、太鼓、大鼓,小鼓,能管(笛)の4種類の楽器を奏でる囃子方、謡、地謡(バックコーラス)いう謡曲を謡う人達で成り立っている。

 能の主人公は「シテ」と呼ばれ、多くの場合はシテが演じるのは神や亡霊、天狗、鬼などの超自然的な存在であり、そのような役を演じる曲を夢幻能といい、生身の人間を演じる曲を現在能というらしい。

 「ワキ」の僧侶がシテの霊に会い、死してなお苦しむ執念や妄念を聞き、舞を舞って成仏させるというのが夢幻能の基本構成である。

プログラム


 さて、当日の演目は「融」で、とても有名は題目らしいが、もちろん私は聞くのも初めてのことであった。

 シテは光源氏のモデルになったと言われる源融大臣で、かつて優雅に遊んだ場所が今や廃墟になっているのを嘆き霊になって現れるのをワキの旅僧が聞くというもので、前シテに汐汲みの老人がでて源融大臣を呼び出す前座を務めるという夢幻能の一種であった。

 能楽は、徹底的に簡素化された様式美の芸術で、太鼓、大鼓,小鼓,能管(笛)の4種類の楽器で演出のリズムを囃すのだが、謡の音階や間拍子には全く合わせないものと言う。囃子は謡に合わせる伴奏ではなく、音階は非科学的、非論理的だが、芸術的には極度に厳密に構成されているものだという。

 あさばの能舞台は室内ではなく、自然の中に懐かれ、池に浮かぶような設定であるから、暗闇の中に舞台がライトアップされ、装束も一段と美しく、まさに幽玄というのが相応しい世界であった。鼓の音も、笛の音も、京都の都踊りとは比べるもなく、研ぎ澄まされた響きで天空に舞った。

 身動き一つさせないような緊張した空気に支配されながらも、まさに心が浄化される思いであった。

 後で知ったことであるが、能のリハーサルは「申し合わせ」と言い、当日、演ずる直前に一度行うだけという緊張感に満ちたものであり、能は一演目一回限りのもので、能楽師と見所(客)が一緒に作り上げる時間と空間で構成されるものであるという。再演は基本的にしないもので、見たければ年単位で待たなければならないという。

 だから、一旅館のイベントとは言え、舞台はあくまでパブリックなものであり、決して宿泊客のプライベートなものではないということである。客は浴衣を着替えて、身を正して観劇しなければならないし、ましてや、がやがや声をあげてはいけないし、写真など取ってはいけないのである。

 その点、小生はあまりに無教養であり、品性の劣る客であったと赤面の思いで,多いに反省する所があった。つまり、ノンフラッシュとはいえ、写真を撮ってしまったのである。

 しかしながら上記のような理由で、能舞台実演中の、あの感動的な幽玄の世界の写真は今は無く、ここではお見せすることは出来ません。

新しくなった内風呂


檜壁板は良く出来ているがフェイクでした。


 ところで、旅館あさばは、少々変貌していました。この半年の間に廊下を畳敷きにしたり、部屋付きの風呂をリフォームしたりしていました。

驚いたことに、壁の檜板はプラスチックでしたが、妻は気付かなかったほどの精巧さで、技術の進歩に感心しました。しかし、とは言えあさばがそれを使うか、という気もしましたが。


夕食メニュー


麩饅頭はとても美味

 料理も、献立は同じでも味が明らかに変わっていたので、いつもの仲居さんに尋ねると板長は既に2年前位に代わっていると言うので、そうであるならば、板長がそろそろ自分らしさを出してきているのかなあ、と納得した。

 その味の変化、良し悪しは、実際にお行になってご自身で評価されてください。

 無理に変えることはないのに、というのが僕の評価です。

 しかし、あさばも、昔の伝統に裏づけられた、どっしりとした揺るぎなさが失われつつあることは、肌で感じますね。

 今は、熱海伊豆山の蓬莱の二の舞にならないことを祈るだけです。
http://nakajima-lab.jp/multiblog/casaaf/2014/11/12/%E4%BF%AE%E5%96%84%E5%AF%BA%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%B0%E3%81%AE%E8%83%BD%E9%91%91%E8%B3%9E%E2%80%95%E4%BA%BA%E7%94%9F%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%81%AE%E7%B5%8C%E9%A8%93/


85. 中川隆 2015年2月06日 20:20:19 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

ABITARO掲示板
http://abita2000.bbs.fc2.com/

Pockieのホテル宿フェチお気楽日記
http://pockie74.exblog.jp/


あさば&石葉行きました Pockie 2014/09/28 (Sun) 11:40:26

あさば「松風」、石葉「草楽庵」に泊まりました。


あさばの2F「松風」はゆったりとした二部屋、能舞台と木々がいい感じに眺められ、主人はとても気に入っていました。足が楽なので、事前リクエストで和室に最初からテーブル&椅子をしつらえていただきました。お風呂からも能舞台が見られてよかったです。

http://bbs8.fc2.com//bbs/img/_352000/351968/full/351968_1417271914.jpg


他のお部屋もほとんど見せていただき、「山吹」が次の候補です。能舞台はやはりあのサロンからがベストですよね。

うちもあのサロンでピッコロ・モエが定番です^^。

石葉は、最初「連山」にはいったのですが、もう一部屋あるところでゆったり休みたいと思い、ちょうど空いていた離れの「草楽庵」に変えていただきました。最初見学したときはちょっと暗い感じでどうかなと思ったのですが、あの光の具合、木々が見える窓のつくりが滞在してみて良さを感じました。部屋のお風呂も良く作られており、素晴らしい部屋です。

もうひとつの離れ「観月庵」も見せていただき、眺めを楽しむなら次回はこちら!と思い帰ってきました。

食事はどちらもたっぷり楽しめて、大変充実の滞在を実現することができました。

Re: あさば&石葉行きました - あびたろう 2014/09/28 (Sun) 23:09:43

「松風」からの能舞台の眺めは、ちょうど良い距離感ですよね。
下の「雨月」からは近すぎて、能舞台の良さが半減です。
「山吹」は枝垂れ桜か紅葉の季節が良いと思います。

それにもまして、サロンからの眺めは最高です。
サロンでピッコロ・モエ(ヴーヴ・クリコ)ですよね(笑)

「草楽庵」のお風呂に比べて、「観月庵」のそれは、やや不満なのですが、大浴場がすぐ傍なので充分カバーできると思います。


Re: あさば&石葉行きました - Pockie 2014/11/29 (Sat) 23:38:33


ようやくHPのアップが完了しました。遅い^^(笑)

あさばは、いいけどやっぱり高いですねぇ。石葉は今度は「観月庵」をトライしたいと思いました。


あさばはやはり、ラウンジからの眺めのために毎回行くのかもしれませんね。それなら安いお部屋でもOKってことでしょうかね・・・と自問自答しています。

あさば
http://pockie74.exblog.jp/i49/

石葉
http://pockie74.exblog.jp/i92/


Re: あさば&石葉行きました - あびたろう 2014/11/30 (Sun) 19:17:08

京都へ行っていました。どこも凄い人だかりでした。

HP、拝見していましたよ。
石葉さんのお料理、流石ですね。

あさばさん、能舞台の見えるお部屋や、改装後のお部屋は高くなっていきます(笑)

今回、行ってきた俵屋さんも同様ですが(笑)

「藤」や「萩」、さらには「鉄仙」あたりの部屋は、割安ではないでしょうか。
部屋風呂無しの部屋ならコスパは素晴らしいと思いますよ。

俵屋さんとあさばさんの全室制覇を目指している私としては、週末料金を避けて、改装後の「萌葱」挑戦しなくてはなりません(笑)


Re: あさば&石葉行きました - Pockie 2014/11/30 (Sun) 22:29:35

あさばはあの週末料金制度がちょっとネックです。
値段だけでなく、太鼓も毎回はいいかな^^・・・というのもあり。。。
静かな能舞台を夕方見たいですよね。

石葉の品格ある料理、気に入りました。ぜひまた行きます!


Re: あさば&石葉行きました - あびたろう 2014/11/30 (Sun) 22:55:36

週末料金・太鼓・・・・
俵屋さんもコストカットを感じたし。

老舗旅館は、どこも経営が苦しくなってきているのでしょうか・・・・
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7920793


86. 2015年2月22日 00:44:17 : b5JdkWvGxs

合言葉はコストダウン


by 匿名 2015-02-22 00:12:24

星野リゾートのスタッフはほとんど派遣社員です。

聞いた話では2〜3か月の契約でいきなり厨房からホールから客室清掃までの仕事を時間単位で1日目まぐるしくこなすそうです。

厨房の仕事は送られてきた食材を温めて皿に盛る。作るのはサラダぐらい。
清掃は時間に追われて厳しい。

ブラック企業のようだと言っていました。

宿泊するお客さんがかわいそうなくらいです。
契約途中でやめる人も多いそうです。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/


87. 中川隆 2015年2月28日 12:59:26 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

斜陽であっても、最後の生き残りになると逆に生存できる 2015-02-25

石油の前は石炭が人類の主要なエネルギーだった。石油の時代に入ると石炭産業は斜陽化した。その結果、世界中にあった石炭企業は多くが事業を畳み、その事業から離れていった。

インターネットが爆発的な普及を見せる前は、新聞社が情報産業に君臨していた。新聞がなければ世の中を見通すことができなかったのである。しかし、インターネットによる情報革新が始まると、新聞社の凋落は決定的になった。

同じことが出版業界にも言える。今後、書籍や雑誌やマンガは、インターネットに収斂していくことになる。出版業界は斜陽産業となり、その凋落は決定的になる。

2015年2月15日も、学研ホールディングスが出版事業の縮小を検討し、リストラにも着手するが、ちょうど一ヶ月前の1月16日も、カドカワが希望退職300人のリストラを発表したばかりでもある。

時代が変わると、必ず斜陽になる業界がある。出版社・新聞社はまさに現代の典型的な斜陽産業であり、多くの企業が事業の転換を急ぐか、事業の縮小・廃止・解散に向かっている。

もがいてもあがいても浮かび上がれない苦しい局面

市場がいったん斜陽と化すると、市場は一気に崩落する。パイが小さくなり、見捨てられ、話題にもならなくなり、もがいてもあがいても浮かび上がれないような苦しい局面になる。

競争相手はもちろん消える。しかし、市場も一緒に消えているので、まったく楽になることはない。

市場が拡大し、注目されている業界では、どんなにマズい手を打っても、どんなに能力のない人間がトップに立っても企業は存続できる。

時流に乗った業界というのは勢いがあるので、多少の失敗や無策を飲み込んで成長していくのである。景気が良いというのはそういうことだ。

ところが、斜陽産業では様相が一変する。

有能で知的で実力がある経営者であっても、苦心惨憺の事業運営を強いられる。市場が消え、注目も消え、社会から見捨てられているので、今まで売れていたものがどうやっても売れないのである。

三井財閥は日本を代表する財閥の1つだが、この財閥は呉服屋の成功から名を上げた。しかし、今どき三井と呉服を結びつける人はいない。

呉服屋として始まったかもしれないが、今はとっくに多角化して呉服屋としてのイメージは影も形もない。この財閥がずっと「呉服」にこだわっていたら、存続していなかった。

今どき呉服(着物、和服)を着て日常を過ごす女性は存在しなくなった。市場は消えたのだ。つまり、呉服は昭和に入ってから急激に衰退して、市場は「ほとんど」残っていない。


斜陽の中でも突き詰めると、どうなるのか?

しかし、世の中は面白いもので、競争相手が消え、見捨てられ、まったく顧みられなくなった業界であっても、そこで生き残っている企業がある。

衰退産業でいったん生き残れると、競争相手はおおかた消え去っているので、大儲けにはならないのだが、一定の需要があってつぶれることもなくなる。

アメリカでは石油の時代に入って、山のようにあった石炭の企業が「ほとんど」消え去って、今は上位10社だけで70%から80%に近いシェアを持っている。

生き残った企業が、市場を独占するのである。それは、もはや全盛期とは比べものにならないほど縮小した市場なのだが、生き残りの企業はその市場規模に合わせてダウンサイジングされているので問題ない。

本当にその業界を愛していて、最後の最後まで生き残った人間には、その最後の段階で安定が手に入る。

この現象は示唆に富んでいる。

斜陽業界、斜陽産業であっても、「そこしか作っていない」ようなところにまで市場が縮小したら、「そこ」が存続できるのはほぼ確定的になる。生き残れないはずだったのに、「ずっと生き残る」という逆転現象が起きていく。

時代遅れだと思われて、世の中の大部分から無視されるような小さな市場だが、その市場で生き残れれば、深く、濃く、継続した生き方ができるようになるのである。

これは、ある意味、人間の生き方にも当てはまる。

時代遅れだろうが、何だろうが、あまりにもその対象を愛して離れられない人間は、最後のひとりになれば、逆に「大切な人間」になっている。

人間国宝と呼ばれる重要人物は、そのほとんどが斜陽の業界の中にあって、「もうこの人が死んだらその業界は終わり」という瀬戸際にある。

別に人間国宝にならなくてもいいが、斜陽の中でも突き詰めると、最後にはそれくらいの「超重要人物」と化す。


最後の生き残りに入った瞬間に、すべてが変わる

「それ」が時流に乗っていようがいまいが、そこから離れない人が確かにいる。

もし、そうであれば、最後の最後までしぶとく食い下がるというのも1つの生きる道だ。楽ではないが、離れられないのであれば、それが生き残るの方法でもある。

世間が「それ」に無関心になっているのだから、口で言うほど生やさしいものではないのも確かだ。

しぶとく食い下がれなければならない。踏みつぶされても立ち直れなければならない。何度でも這い上がれなければならない。そして、したたかにならなければならない。

毎日の逆境に淡々と立ち向かい、あれこれ動転しないで対象に集中しなければならない。それほど集中して戦っても、報われない時期の方が長い。

しかし、最後の生き残りに入った瞬間に、必要な存在、重要な存在と化す。

他人がどうであれ、自分が「それ」から離れたくないのであれば、逆にのめり込みを加速させて、最後のひとりの生き残りになるのも、サバイバルになる。

合理的な人間はみんな去る。生半可な人間はみんな消える。そして、世の中の動きや合理性を無視し、狂気を感じさせるまで執着できる人間だけが最後に残る。

その業界に残ること自体が、筋金入りになる。

斜陽の中で生き残るというのは、長く苦しい戦いの中で、最後のひとりになるまで生き残るということでもある。そこに至る道は厳しいのだが、最後の段階で成功と安定がもたらされる。

この皮肉な逆転現象は、ひとつのサバイバルとして、もっと注目されてもいいかもしれない。

時代遅れだろうが、何だろうが、あまりにもその対象を愛して離れられない人間は、最後のひとりになれば、逆に「大切な人間」になっている。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150225T1807380900


88. 中川隆 2015年8月17日 19:16:51 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

あさば&石葉行きました - Pockie URL
2014/09/28 (Sun) 11:40:26

先週あさばと石葉に行ってきました。
あさば「松風」、石葉「草楽庵」に泊まりました。

あさばの2F「松風」はゆったりとした二部屋、能舞台と木々がいい感じに眺められ、主人はとても気に入っていました。足が楽なので、事前リクエストで和室に最初からテーブル&椅子をしつらえていただきました。お風呂からも能舞台が見られてよかったです。

他のお部屋もほとんど見せていただき、「山吹」が次の候補です。能舞台はやはりあのサロンからがベストですよね。うちもあのサロンでピッコロ・モエが定番です^^。


Re: あさば&石葉行きました - あびたろう
2014/09/28 (Sun) 23:09:43

「松風」からの能舞台の眺めは、ちょうど良い距離感ですよね。
下の「雨月」からは近すぎて、能舞台の良さが半減です。
「山吹」は枝垂れ桜か紅葉の季節が良いと思います。

それにもまして、サロンからの眺めは最高です。
サロンでピッコロ・モエ(ヴーヴ・クリコ)ですよね(笑)



Re: あさば&石葉行きました - Pockie URL
2014/11/29 (Sat) 23:38:33

ようやくHPのアップが完了しました

あさばは、いいけどやっぱり高いですねぇ。

あさばはやはり、ラウンジからの眺めのために毎回行くのかもしれませんね。
それなら安いお部屋でもOKってことでしょうかね・・・と自問自答しています。


あさば
http://pockie74.exblog.jp/i49/

石葉
http://pockie74.exblog.jp/i92/




Re: あさば&石葉行きました - あびたろう
2014/11/30 (Sun) 19:17:08

あさばさん、能舞台の見えるお部屋や、改装後のお部屋は高くなっていきます(笑)
今回、行ってきた俵屋さんも同様ですが(笑)

「藤」や「萩」、さらには「鉄仙」あたりの部屋は、割安ではないでしょうか。
部屋風呂無しの部屋ならコスパは素晴らしいと思いますよ。

俵屋さんとあさばさんの全室制覇を目指している私としては、週末料金を避けて、改装後の「萌葱」挑戦しなくてはなりません(笑)


Re: あさば&石葉行きました - Pockie URL
2014/11/30 (Sun) 22:29:35

あさばはあの週末料金制度がちょっとネックです。値段だけでなく、太鼓も毎回はいいかな^^・・・というのもあり。。。静かな能舞台を夕方見たいですよね。


Re: あさば&石葉行きました - あびたろう
2014/11/30 (Sun) 22:55:36

週末料金・太鼓・・・・
俵屋さんもコストカットを感じたし。

老舗旅館は、どこも経営が苦しくなってきているのでしょうか・・・・


Re: あさば&石葉行きました - 秀
2015/02/15 (Sun) 10:25:19

いまさらながらですが、 今これを見て思ったので書き込みします。

土日はただでさえ料金が高いのに どうにか予定をつけて行こうと決めた日に
太鼓があるとまた料金が高くなるのでがっかりします。

太鼓を聞きたくて行くわけでないですけどね。
たまたま選んだ日が太鼓の日だったんでしょうかね?
ここ数年、2連続で太鼓の日だったんで。


Re: あさば&石葉行きました - あびたろう
2015/02/15 (Sun) 15:29:51

「あさば」の土曜日の太鼓の日、「あさば」に問い合わせたら、月に二回以上あるそうです。これって、事実上の値上げではないかと思いました。
一人5000円だったかな?
二人なら1万円ですよね。

ちょっとねえ〜
少しばかり、「あさば」のイメージが下がりました。

次回は清水の舞台から飛び降りるつもりで、改装後の「萌葱」を考えていたのですが・・・・
当分、なさそうです (´Д`。)グスン


Re: あさば&石葉行きました - Pockie URL
2015/02/16 (Mon) 22:39:39

そうなんです・・・・太鼓は1回はいいけど、もう十分ですよね^^。
ある3連休の問い合わせをしたら、2泊とも太鼓だといわれてちょっと閉口しました。

若女将になっていれたしくみみたいですが、週末に値上げする口実にしてらっしゃるのかしら。思い切って素直に週末料金って歌っても誰も不思議がらないと思うんですが、どうなんでしょう。

私が前回あさばに泊まった時は、なんとか飛び石連休の中日を休んで、その前日の太鼓がない日を選び、松風を予約しました。太鼓料金ついたらとっても高くて!


Re: Re: あさば&石葉行きました - 秀
2015/02/17 (Tue) 14:22:02

そういえば、2連泊した時の三連休が両方と太鼓でした。
去年いったときも太鼓でしたが、その前と後で太鼓打ちは違う団体ではありました。
まあ、胡弓とか、バイオリンとか、モダンバレーとか、もう少しバリエーション変えないと、毎回太鼓はキツいですね。

秋に予定たててますけど、幸い平日なので、太鼓はなさそうです。
でも、JTB経由の予約とかの場合も太鼓の割り増しつけてんでしょうかね。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7920793

Re: あさばの次に宿泊する処 - 詠み人知らず
2015/08/16 (Sun) 00:13:20

この夜半、あびたろうさんの北海道訪問記を読了し、旅情に浸りつつ、何気なく「あさば」と検索していました。

あさば・・・一休・・・えっ


あさば [一休.com]
http://www.ikyu.com/00002155/


ご覧になりました?超びっくりです。
ホムペもないことが有名なあさばさんが一休登場とは。驚きました。
http://www.ikyu.com/00002155/


Re: あさばの次に宿泊する処 - あびたろう
2015/08/16 (Sun) 11:04:25


「あさば」が一休に・・・・
驚きです!

「あさば」は以前から少しずつ変容してきているように感じていました。

特に、大女将が引退して若女将に変わってからではないかと推測していますが。


☆ 予約の受け方が杓子定規になった(尤も、悪いこととは限りませんが)

☆ 部屋係の女性の顔ぶれの変化が激しくなった

☆ 料理長が代わって、料理も変化した

☆ 週末の太鼓の演奏による追加料金(実質上の値上げ)


「あせび野」編の冒頭にも記しましたが、最近は気持ちが離れつつあります。
http://abitaro.com/asebi/asebi.htm

客足も減っているのでしょうか?


Re: あさばの次に宿泊する処 - 詠み人知らず
2015/08/16 (Sun) 14:36:22

興奮してつい、書き込み・横レス失礼いたしました。

今冬にあらや滔々庵で蟹でも、と計画しましたが断念し、車で行ける範囲であさばを候補に入れていたタイミングでしたので、驚きは一入でした。

上に列挙されていますが、あびたろうさんにも色々と思うところがお有りのようですね。他にも廊下を全て畳敷きに変えたとも聞きます。

一休登場で、これまでの「別格の佇まい」からは数段ハードルが下がる気がしています。それによる客層・雰囲気の変化もあるのでしょうか。
何か邪推したくなるような、意表突かれた感じです。


Re: あさばの次に宿泊する処 - あびたろう
2015/08/16 (Sun) 21:17:21

一休をしっかり見てみましたが、昨年宿泊した部屋(藤)が更に値上がりしていますね。
その上、週末に太鼓の特別料金が加算されたら、「何をか言わんや」です。

「古き良き時代の」あさばが懐かしい・・・
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=9600998

made by Abitaro  憧れの旅館・ホテル
あせび野 平成27年6月中旬宿泊

修善寺駅が大幅に改装されていた。

前回の訪れの時は、工事中でカバーされており、回り道を余儀なくされたのであるが。

修善寺駅からタクシーに乗る。

これまでは、修善寺にきたら「あさば」以外に立ち寄ることは考えられなかった。

しかし最近は「あさば」に対する以前のような思い入れが無くなっている。
http://abitaro.com/asebi/asebi.htm


89. 中川隆 2015年10月08日 17:23:12 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

凋落する大企業。次に凋落する業界や企業はもう決定している


東芝は1500億円以上にものぼる不正会計をサラリーマン社長が延々と「黙認」してきて株価も40%以上が吹き飛ぶという大惨事と化した。

東芝はこれによって企業の存続にも化しているが、実力のないサラリーマン社長がトップになるとどんな歴史のある質実剛健な企業であっても凋落するという良い見本だ。

シャープにもまた韓国サムスン電子に企業秘密を盗まれてもヘラヘラしている佐々木正のような愚鈍な馬鹿がいた。

あるいは技術をパクられてもサムスン電子に技術提供していた奥田隆司も高橋興三のようなお人好し経営者が続いて会社を凋落させた。

(あまりにもお人好しすぎて骨の髄までしゃぶられるシャープ)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150320T1809490900


大企業の経営者というのはそれこそ数十万人もの社員の面倒を見なければならない重責にある立場にも関わらず、素人のような乱暴なマネージメントで会社を崩壊の危機に陥らせる。

そして、追い詰められたら「会社の膿を出す」とか言いながら社員をリストラする。馬鹿な経営者にとって「会社の膿」とは自分のことではなく社員のことだということだ。

こんな経営者がトップに立ったら、どんな会社でも一気に傾いてしまう。

「傲慢」が社内に蔓延するときから凋落が始まる

実力もないサラリーマン社長が会社を凋落させているのは、東芝やシャープだけではない。

NEC(日本電気)もまた手がけている事業のほぼすべてが赤字であり、事業の方向性も柱も見失って凋落を余儀なくされている。数年後、この会社が潰れていても誰も驚かない。

ソニーも自社ビルを売り飛ばし、保有株を売り飛ばし、社員をリストラし、今度は音楽出版子会社も売り飛ばし、資産を切り売りしながら生きながらえている状態だ。

パナソニックも富士通も、ブランドだけは一流だが売れ行きは決して芳しいものではない。

かつて日本を代表していたはずの家電企業は、気が付けばことごとく瀕死の状態に陥って見る影もない状態になってしまっている。

イノベーションも生み出せなくなり、時代に取り残されるばかりとなった企業は、日本企業のみならずどんな強固なブランドがあったとしても捨てられる。

最近ではドイツのVWグループがその悲惨な例となった。

このVWグループもまたシェア拡大のために、現場を無視して不正と小細工に走って自滅した。

経営トップだったマーティン・ウィンターコーン氏は「知らなかった」とうそぶいて退職金5850万ユーロ(約78.6億円)を手に、さっさと逃げていったが、そんな人間がトップだったのでこんな結果になったということだ。

VWグループは、当初の想定以上の賠償金や損害賠償や売上不信に見舞われることが確実となっており、場合によってはVWグループの解体もあるかもしれない。

かつては素晴らしかったが、ブランドにあぐらをかいて凋落していく企業が凋落するきっかけになるのは、「傲慢」が社内に蔓延するときからだと言われている。

成功した企業の成功というのは、未来永劫にその地位にいられるわけではない。だから「成功しているのが当然」という傲慢が経営者や社員の意識に定着したとき、そこから凋落に向けて坂道を転がり落ちるという。


無能経営者の馬鹿げた賭けが頓挫して凋落する

傲慢が取り憑くと、まわりが見えなくなってイノベーションから取り残される。傲慢が取り憑くと、他人の忠告が聞こえなくなり、データが見えなくなり、手痛い失敗も問題ないとやり過ごすようになる。

そして、「自分たちは偉大なブランドを持っているのだから、何をやっても成功する」とばかりに、無謀で無鉄砲な新規事業や、選択と集中や、売上向上を図ったりする。

そして格下の企業が技術を盗みに来たり、パクリをするようになっても「我々はブランドを持った一流なのだから、そんなのは大したことがない」と鷹揚な対応をして問題を放置する。

こうした状態が数年続くと、やがて時代に遅れ、ブランド力が衰退し、技術でも格下企業に追い抜かれることになる。

ところが、社内では幹部から社員までもが「自分たちは一流企業だ」という傲慢に取り憑かれているので、危機感はあっても大改善をするところにまでは至らない。

改善するどころか、むしろ問題を覆い隠すように、悪いデータを矮小化し、良いデータを誇大化し、経営幹部は日本経済新聞の「私の履歴書」みたいなもので自慢話を滔々と語ってまわりを辟易させる。

しかし、足元では経営が弱体化していき、このままでは会社が傾くことが明らかになっていく。そうすると、経営者はどうするのか。

追い詰められて、賭けに走る。

無謀な選択と集中を行って何かに過大投資したり、会社の資産をすべて使ってM&A(企業買収)に走ったりして、華々しく動きながら、会社の資産を一気に食いつぶし、負債の山を築くのである。

こうして、無能経営者の馬鹿げた賭けが頓挫して、ブランドを持っていた企業は、そのブランド力を使い果たして、いよいよ凋落を隠せなくなってしまう。


次に日本で凋落していくのはどこなのか?

日本企業は戦後の何もないところから苦心惨憺して実績を積み上げていった。

こうした過程を踏んで企業を巨大化させてきた経営者の多くは「今は成功していても、明日は一瞬で吹き飛ぶかもしれない」という危機感が常にあって、成功の中にあっても用心を怠らなかった。

ところが、こういった経営者の時代が終わり、「成功しているから」群がってきた経営幹部や社員が大量に入り込んで行くようになると、「奢り」や「傲慢」がそこに蔓延していくようになっていく。

そして、大手という立場に安住し、決断のできないトップが時代に取り残され、方向転換しようにも図体の巨大さから何もできず、最後には資産すべてを賭けで食いつぶして会社を凋落させてしまうのだ。

こうした状態に陥っていて、次の凋落を余儀なくされている企業はたくさんある。次に日本で凋落していくのはどのような業界・企業だろうか。

マスメディア業界にいるいくつかの企業は、間違いなく凋落していくだろう。いくつかの新聞社、いくつかのテレビ局は、数年後に経営悪化が表面化して凋落が止められなくなる。

今のマスメディアの奢りと傲慢さは日本のどの業界よりも強烈である。経営者も社員も、その傲慢さが見えていない。そして、世論とかけ離れているのに、「自分たちは従わせることができる」と思い込んでいる。

時代は変わっているのに、自分たちは変わろうともしない。

そうしたマスコミに対する批判も膨れ上がっているのだが、まったく聞く耳を持たず、凋落のデータも現れているのにその意味を知ろうともしない。

「自分たちは偉大なブランドを持っているのだから、何をやっても成功する」とばかりに、無謀な世論操作を行ってそれが成功すると思い込んでいる。

傲慢だ。そして、驕り高ぶっている。今のマスメディア業界はまだこうした状況を続けていけると思っているようだが、もう終わりは始まっている。

「時代に取り残されるばかりとなった企業は、どんな強固なブランドがあったとしても捨てられる」のである。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20151008T1521280900


90. 中川隆[2271] koaQ7Jey 2016年4月09日 17:20:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2277]

伊豆・修善寺 あさば旅館|あさば旅館オフィシャルサイト
http://www.asaba-ryokan.com/

91. 中川隆[3696] koaQ7Jey 2016年8月21日 16:44:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4078]

変わらないことの方が合理的であるという真実に早く気付け

数十年、いや百数十年にも渡って成功し続けている企業というのは、「同じ商品を繰り返し売っている」という黄金パターンが見出せる。

何十年に渡って成功し続けている人も同じだ。成功している人というのは、「同じことを飽きずにずっとやっている」という行動パターンが見出せる。

プロの演奏家、プロのアスリートも、基本練習を1万時間以上も繰り返して一流の域に達していることが知られている。同じ動作を繰り返しやっているのだ。

繰り返し同じことをするというのは、一般的には良いイメージには捉えられていない。それは退屈で変わり映えせず、驚きもなく停滞しているというイメージがあるからだ。

そのため「同じことを飽きずに繰り返す」というのを嫌う人も多く、「同じことをしたくない」とわざわざ違う世界に行ってしまう人もいる。

しかし、現実は「同じことを繰り返す」ことができる人が大成し、それで売上を上げられる企業が超優良企業と化す。

同じことを飽きずに繰り返せる個人や企業は、それが世間で受け入れられるのであれば、大きなパワーを得るのである。その真理には早く気付かなければならない。

変わらないことの方が、より合理的で安定している

「成功したパターンを繰り返す」というのは、成功を単発にしないで継続させて、より基盤を強化することになる。個人はそれで安定した収入を手に入れることができるし、企業はそれで安定した成長を維持できる。

逆に次から次へと新しいものに手を出す企業があるが、いずれは新しい事業によって首を絞められる。新しい分野に飛び込んで行っても、成功は約束されていない。

また古い分野はそのまま残すので、多くの企業は気がつけば多角経営になる。いろんなものを同時並行に取り込んで企業の実態が複雑怪奇になってしまう。

そして、すべてが中途半端になった挙げ句、みんな同時に駄目になってしまうのである。それでもあれこれ手を出すのは、「変わらなければ、見捨てられる」という恐怖がそこにあるのだろう。

「新しいものに手を出せ」と世の中が狂気のように叫んでいる。しかし冷静になってよく考えて見ると、変わらないことの方がより合理的で安定していることが分かるはずだ。

需要が続くものは変わらなくてもいい。そもそも、変える必要がない。永遠に需要が続くものは、永遠にそこに集中することで生き残ることができる。

つまり、同じことの繰り返しが「効く」のである。

コンテンツでもそうだ。たとえばディズニーという企業は、白雪姫やシンデレラやスーパーマンやスターウォーズ等のコンテンツを所有する世界最大のコンテンツ企業だ。

こうしたコンテンツはストーリーもキャラクターも成功しているので、繰り返し繰り返し上映される。

それは明らかに「同じものの繰り返し」なのだが、成功したコンテンツは永遠に求められるので、いくらでも繰り返しが効いて利益を生み出すのである。

歌でもそうだ。巨大なヒット曲が生まれれば、歌手は何も変えず、何も足さず、それをひたすら再現することで一生が保障される。

逆に変えたら終わりだ。人々は「知っているもの」に愛着があり、それを変えられたくない。

とすれば、仮に長期に渡る投資をするならば、どこに目をつけなければならないのかは一目瞭然だと思わないだろうか。そうなのだ。長期投資家であれば、数字を見る前に考えなければならないことがあるのだ。それは何か?
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160821T1610480900


92. 中川隆[4044] koaQ7Jey 2016年9月16日 20:25:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4441]

アップルの徹底したこだわりの遺伝子は日本がお手本だった


アップルのアイフォン7が発売されている。

下らない批評家の「もうアップルは駄目だ」「アップルは凋落した」という事前評価とは裏腹に、アップルはしっかりと基本を押さえてユーザーの心をつかみ、売れ行きは非常に良い。

アップルの革新は止まっていないし、ユーザーは満足しており、株価や時価総額もそれを大きく反映している。

アップルは着実に前進しており、流れの速いこのIT業界で一歩も遅れを取っていない。(アップルの凋落を預言している批評家はみんなニセモノだ)

まともな商品を出せず、世界中で爆発して窮地に陥っているのはパクリ企業である韓国サムスンである。

いまやサムスンのスマートフォンである「ギャラクシー」は爆発物や危険物の扱いと化している。重度の火傷を負ったユーザーも何人かいて、サムスンはこれから高額訴訟に巻き込まれる可能性も高い。

アップルの真似をしていたにも関わらず、アップルを激しくけなしていたサムスンだが、爆発し続けるギャラクシーで相当なダメージを受けるのは間違いない。


儲かる儲からない以前に、重要視しているもの

アップルは、オリジナリティを重視する企業である。

古くは「マッキントッシュ」によるパーソナル・コンピューター機器から始まり、最近ではタブレットからスマートフォンまで、すべてアップルが「世の中を変えてきた」と言ってもいい。

しかも、感嘆すべき部分は、誰かの真似をして作り出したのではなく、独自の美学と哲学で新しい革新を生み出してきたという部分である。

こうしたアップルの革新のDNAは、言うまでもなく創業者であったスティーブ・ジョブズの製品に対する強烈な「こだわり」が、ジョブズなき今も継承されているからである。

アップルの製品を最も愛している民族はアメリカ人ではなく、日本人だと言われている。現に、アイフォンのシェアが日本が一番高いという統計もある。

そのためアップル自身もアイフォン7で日本市場を意識するかのように、フェリカ対応で日本独自仕様を出してきたりしている。

なぜ、アップルの美しい製品群が日本人に最も受け入れられているのかというと、実は日本人もまた、自分の関わる製品に対して強烈な「こだわり」を持っているからだ。

日本は、商人の国でもなく、金融の国でもない。日本は、「職人の国」である。儲かる、儲からない以前に、質に対する強烈な「こだわり」が優先する。

職人というのは、自分の作り出す商品に極限までこだわり、細部を磨き上げ、誰も見ない裏側にさえも美学を求める「狂気のこだわり」を持っている人だ。

「より良くしたい」「もっと良くしたい」という突き上げるような感情が止められない。もっと素晴らしいものにするという部分に「こだわり」を持つ。

本物の日本人は、ひとりひとりがスティーブ・ジョブズと同じ「こだわり」を有している。ここにアップルの製品が日本人を惹きつけて止まない理由がある。


日本の企業が失った「もの」とは何か?

製品の質をとことん磨き上げる日本人の「こだわり」は、諸外国から見ると狂気のように見られている。スティーブ・ジョブズもまた「狂気のようだ」と形容されていた。

スティーブ・ジョブズの哲学や美学は、まさに日本人の「職人魂」と同一のものだったのだ。

スティーブ・ジョブズ自身も日本に惹きつけられ、日本の職人魂を愛していた。音楽革命を引き起こした「iPod」も、ソニーのウォークマンのリスペクトから生み出されている。アップルの徹底したこだわりの遺伝子は日本がお手本だったのだ。

日本人は「なぜ日本にアップル製品のようなものが生み出せなかったのか」と悔しがる。それを言うとき、日本人の頭の中にはアップルの時価総額や経営手法は含まれていない。

純粋に、美しく、精巧で、惚れ惚れするようなアップルの「製品群」だけを見てそう評価している。

日本人はアップルの巨大な売上や資金力に注目しているのではなく、ひたすらその製品の素晴らしさに注目しているのだ。ここに日本人の特性が隠れている。しかし、当の日本人だけが気付いていない。

日本人がアップルの売上に羨望の目を向けているという話は聞いたことがない。日本人がアップルに心酔しているのは、会社の規模ではなく、こだわり抜かれた製品の美しさなのである。

まさに、日本人が「職人の国」である証拠だ。

アップルは、製品を良くしたいという強烈な「こだわり」において世界ナンバーワンであり、日本人はそこに素直に痺れているのである。

翻って現在の日本の家電会社を見つめたとき、こういった強烈な「こだわり」を感じさせる企業は少なくなった。大企業になればなるほど、かつての日本人が持っていた製品に対する強烈な「こだわり」が消えている。

そんなことになってしまったのは多くの複合的な理由があるが、大きいのは経営学を学んで数字だけしか関心のない事なかれ主義のサラリーマン社長が居座っているからだ。

こういった経営者は数字だけしか関心がない。製品にコストがかかっていると思えば、質を落としてもコスト削減の方を優先する。職人は質を追及するが、雇われ経営者は質など普通でよくて、それよりもコストを追及する。

それが積み重なっていくと、最終的に製品から強烈な「こだわり」が消えていき、凡庸な製品だけが残り、個性も、魅力も、何もかもが急速に消えていく。


日本人はアップルの「凄み」を本能的に感じている

もちろん、猛烈なまでに「こだわり」を見せても、それが直接売上に結びつくと決まっているわけではない。

むしろ、妥協を知らない狂気なまでのこだわりは、先行投資が膨らんで赤字になっていったり、期限の遅れの元凶になり、妥協を求める社内の人間たちの強烈な反撥を受けたりして、次第に追い込まれていくこともある。

スティーブ・ジョブズも社内で激しい激論の中で製品を生み出してきている。

妥協を求める声は絶対にある。それでも、そこを突き抜けて「こだわり」を優先していくところに、ジョブズの凄みがあり、さらにはその遺伝子を継承したアップルという特異な企業の凄みがある。

日本人はアップルの「凄み」を本能的に感じている。アップルが「本物」であることを知っている。本来であれば、アップルの立ち位置こそが日本人の目指していたものであることにも気付いている。

日本人は、昔からこのような「こだわり」を自然と持ち合わせて来た。だからこそ日本では職人が大切にされて来たし、職人の生み出す製品の凄さを大切にしてきた。

しかし、グローバル化の時代になり、安物が席捲し、安物しか買わない時代がやってきている。多くの日本企業や日本人がそれに染まっていき、もはや「こだわり」をまったく持たない日本人も増えた。

そうは言っても、長らく日本人に染みついた「より良くしたい」「もっと良くしたい」という職人気質は、簡単に消えてなくなるようなものではない。

重要なことだが、日本人からはまだ職人魂は失われていない。多くの日本人は、今も極上の製品に対する渇望があり、それを評価する目がある。

日本人の凄みは、「こだわり」にある。職人気質の日本人がその気質でビジネスを成功させることができたとき、日本の復興が本物になる。

日本人は自分の内なる「職人魂」を燃え上がらせるべきだ。それは日本人の武器なのだ。職人魂を見つめ直すことが日本の最強の復活となる。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160916T1736300900


93. 中川隆[4126] koaQ7Jey 2016年9月22日 16:47:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4534]

星野リゾートってどうですか?
リゾートマンション・リゾートホテル・別荘掲示板@口コミ掲示板・評判

>>69, >>70, >>71, >>80, >>86 に追記


227 by 匿名さん 2015-03-08 17:12:53

こういうフェイクビジネスは潰れると思いますよ。

今、借金して色々買えるから楽しい時期なんですよ。
特に旅館ホテルの売り物は引き合いがたくさん有るでしょう。アパートの経営と
同じで損益分岐点が借り入れの為、高額な宿泊料を維持しなければならないと辛くなるでしょう。

だから契約社員、パート、アルバイトで人件費を低く維持して固定費を低くしようとしている。
だがこれは見る人が見ればすぐに見抜かれてしまう。この人がリピーターにならなければ厳しいですね。

アパの社長も

「リゾートビジネスは要求されるものが多く難しいとビジネスホテルに絞った展開を続けて来た」

とビジネス誌で読んだ事が有ります。マンション分譲や、近年、ゴルフ場経営もされてるようですがビジネスホテルに比べてリゾート業は虚業の側面があります。
ギミックのような仕掛けではなく本当のもてなしが出来なければ難しいと思います。

263 by 通りがかりさん 2016-07-04 07:02:27
>>227 匿名さん
数年勤めた元社員です。
フェイクビジネス、まさに星野リゾートの本質をついた表現だと思います。

228 by 匿名さん 2015-03-10 19:28:27

あの料金でセントラルキッチンて行く方が悪いね。
一泊二日は金の無い人達の旅行パターン。こういう連中が騙される。
それ以上のものを経験してなければ比べようが無いからね。

骨董などでも修行中に本物をできるだけ見ると言うでしょ。
でも行く奴が満足すればしょうがないでしょ・・

貧乏人だらけの日本。それにしてもよく冷凍チンでやれると思うよな?
よっぽどお客を馬鹿にしてる。

自分は伊豆も軽井沢も自分の別荘だから関係ない。食事は美味い店に行くからね。
また友人、知人呼んでおでんでもたこ焼きでも別の美味さがあるけどね。

229 by 名無し 2015-05-25 16:54:00

父に最低なホテルだと聞きました。 宿泊者意外ご飯食べられないんです。

230 by 草津派 [女性 50代] 2015-09-16 00:39:36

軽井沢から星のリゾート脇の渋滞を通り抜けて草津温泉にいつも向かいます。
こんなに多くの人があれだけの湯船に浸かるのかと思うとぞっとします。
人気があって込み合うというのは お風呂に限ってはいいことではありませんよね。
循環浄化にも限度があると思います。

浴室が薄暗いのは 演出ではなく明るくできない事情からでしょうか?
一時間も走れば かけ流しの日本一の草津温泉があるのに。
天皇陛下もここ毎年軽井沢から通っていますね。

232 by 匿名さん 2015-09-17 08:35:36
>>230さん

草津の温泉は本当にいいですね。自分は伊豆に自家温泉のリゾマンがありますが
どうも温泉の効果が違う。
草津の温泉は関節の悪いところなどがビリビリしびれるんですよ。
足腰が悪い人は時間をかけて湯治ができれば良くなると思いますね。

233 by 匿名さん 2015-09-19 09:58:40

草津は基本強酸泉だからね。
白旗あたりはけっこうキツい(ピリピリくる、皮膚だけどね)、賽の河原あたりはそうでもない。
皮膚の弱い自分はちょっと苦手。


231 by 匿名さん 2015-09-16 13:20:35

トンボの湯か?ただの日帰り入浴施設だろ。
竹富はどうなのかね?

234 by 匿名さん [女性 40代] 2015-09-28 12:16:49

トンボの湯自体は美肌効果もあって気に入っているんですが、ロッカースペースが狭すぎやしませんか?

千ヶ滝温泉と比べるとスペースに余裕がなく、着替えるのも隣りの人と当たって大変だし、ドライヤーの本数も少ないから髪を乾かすこともできず。あんなに料金高いのにこれは無いでしょう…って気がします。

あとあの渋滞もなんとかして欲しいです。
この前のシルバーウィーク 引きこもるしかありませんでした。
シャトルバスの運転士さんも従業員さんも… 正直 皆さん心に余裕がなさ過ぎです。
期待していただけに、ちょっとがっかり。


236 by 匿名さん [女性 50代] 2015-10-15 23:49:53

トンボの湯 美肌効果ですか?

うーん 最後はしっかり洗い流して出てきたいですね。

ぬるっとするのは 別の理由かも

大勢入っていますからね。

途中で お手洗いに連れて行くお子さんあまり見ません。

やだやだ。

有難がって行く人 温泉を知らないガイドブック派でしょう。


237 by 匿名さん [女性 70代] 2015-10-28 19:08:25

星野温泉ホテル時代は良かったですよ。

従業員=社員は、皆サービス業に携わっていることに誇りをもっていて、泊り客に対しては、軽井沢で気持ちよく過ごしてもらい、英気を養い、都会に帰って良い仕事をしてくれることが嬉しいと、実に親切な態度でした。

素朴で拙い所はあっても、お客に接する気持ちは一流のサービス業でした。
いつから変わってしまったのか、残念なことです。

今でこそ珍しくないですが、自家発電にも挑戦し、地元の人を雇い、地域全体の活性化にも一役かっていたそうです。

一流のホテルほど公共性を大切にするのに嫌な思いをされてさぞ残念だったでしょう。

238 by 匿名さん [男性 40代] 2015-11-03 14:15:52

コスパが悪すぎる。
他の高級旅館の露天風呂付き客室で朝夕食付きより高い。
にもかかわらず、サービスは並で、別料金の食事は高いだけで全然ダメ。

モダンに見てくれだけよくして、はい高級宿です、法外な値段で。
余談だけど自分はアメリカ在住でこの宿は外国人にはウケてる。

理由は、諸外国からするといわゆる旅館のサービスと日本独特の高級リゾート感を醸し出してるからで、悪い言い方をすると、見た目だけで内容は値段に全く伴っていないけど無知な外国人は騙しやすいという経営理念なんでしょう。

毎年箱根や宇奈月などへ行くけれど、ここよりよっぽどいい旅館がやまほどありますし、そういうところへよく足を運ぶ日本人からするとボッタクリ以外の何物でもなく感じるはず。

239 by 匿名さん 2015-11-04 08:55:12

この円安で、外国人客の多い旅館・ホテルはますます強気の価格設定になるだろうね。
自分が愛用していたホテルも30%程度値上げした。為替変動に合わせて国内価格を変更した感じ。
予約はますます取りにくくなってる。

235 by 匿名さん 2015-09-30 22:09:08

昔アルファトマムの会員でした、壮大な計画とトマム自体が非常に楽しかった記憶が有ります、トマムの会員権が紙屑になって非常に残念でした、星野トマムになって活気ずいて良かったのか複雑な心境です。

バブル時代のトマムは夢が有って楽しかったな〜、もうバブルは来ないよな〜。

241 by 不動産業者さん 2015-11-11 18:19:26

星野リゾートトマム、中国企業に売り払いましたね。

外資系金融機関からの借り入れが大きく資金繰りが苦しいのは有名な話だけど
あの間抜け星野社長に言いたいけど安さに駆られてトマムに手を出したのが運の尽きだよ。

まあ、もっともトマムなんか日本人じゃ買わないからな{笑}
調子に乗って手をだしたリゾート物件を中国なんかに爆売りするなよ。

242 by 匿名さん [男性 50代] 2015-11-12 09:24:38

サーヒスの質は悪いと感じる。正面玄関にいるのはアルバイトとかなんだか知らないが、面倒くさいことはお断り、ただ持ち場だからいるだけ感が凄かった。まぁ気が利かない。

機転が利くような教育が恐らくできていないのだろう。突っ込んだ質問をしてみたら分からない知らない、常識がっかりです。

もっと気遣いができるようにならないと、と駆け出しホテルならまぁ譲るが、星野でこれでは。

個人的にはもう行かないかな。

243 by 不動産業者さん 2015-11-12 18:51:40

なるほどと思います。私の知人も同様な事を話してました。
要するに金額とサービスの釣り合いがとれていない。
たぶん、目の肥えてるお客さんが行くとすぐバレちゃうんだね。

244 by azur 2015-11-13 10:43:21

星野リゾート2回行きました。

静かなリゾートでのささやかな楽しみを、と思っていったのですが、いずれも
騒々しく、傍若無人、マナー知らずな中国人団体客のおかげで楽しみも半減してしまいました。

多分もう行きません。

245 by OLさん 2015-11-16 16:43:15

どこも有名な温泉地は中国人だらけです。
ひなびたお宿を探していつも行きます。笑

246 by 匿名さん 2015-11-17 18:20:46

星野社長、金に困ってるから資金力のある中国人が好きだよね。
ああ言う色物になると買取話が毎日来る。買いたい病になるんだよ。

外資から融資受けてるらしいが将来は難しいと思う。
別荘族や舌の肥えてるユーザーは騙せないからね。
所詮、一泊二日の盲目ユーザー相手だから{笑}

自分など小金持ちだけど伊豆、軽井沢の合計5つの別荘の3代の生活では有名じゃないけどいい温泉、うまい料理を食わせる地元の店がいくらでもある事を幼稚園の時から知ってるからね。

247 by トメ吉 2015-12-11 07:27:40

軽井沢の星のやがオープンした時までがピークでしたね、それ以降は調子に乗りすぎです。元々リゾートや一流の接客が何かを知らない経営者だから無理なんですよ。

248 by 匿名さん 2015-12-11 08:01:32

手広くやりすぎたね。
何ていうかワザとらしい演出が見えちゃうんだよな。
田舎芝居みたいな演出料が料金に上乗せという事か・・・


250 by [男性] 2015-12-12 14:43:30

星野リゾートの良い点など有る訳無いよ.
悪どい乗っ取りで大きくなったのを自覚しな.
ファンドで獲物探すのか.恐ろしい悪る.

251 by 匿名さん [男性] 2015-12-12 17:26:56

M&Aとスクラップ&ビルドという考えれば、星野リゾートは頑張っていますね、勉強してみてください。

252 by 匿名さん [男性 50代] 2015-12-28 23:42:10

M&A とスクラップ&ビルドでものすごく収益があったから、星野やも改修するんじゃない?建物も設備もかなり色褪せてきているからね。従業員の給料も大幅アップして、モチベーションがあがってサービスもよくなるよ。期待感大。


253 by 匿名さん [女性] 2016-02-12 17:27:05

2015年11月や12月に 星野リゾート トマム が 183億円で中国の富豪に買収されたニュースと金額に 驚いた。 何で中国人に 売るのかと腹が立った。

2016年1月になると 星野リゾート トマム を 地元の村が調停を地元裁判所に申し立てる記事を見て驚いた。

村との約束の 1100万円が今だ 払われないとの訴えらしい。
183億円ものボロ儲けしたのに たかが1100万円ぐらい払わない星野リゾート借金だらけなのか?何か有るのか? 興味深い。


254 by 匿名さん [男性 60代] 2016-03-02 20:06:32

胡散臭い会社だね。大手や、一流で無く 三流てことだよ。

259 by 山田太郎 2016-05-14 21:27:27
>>254
同感です。
ありとあらゆる土地で傾きかけたホテルや旅館を買収して事業を拡大している。
絶対泊まりたくない宿屋と言いたい❗

255 by 匿名さん [男性 40代] 2016-03-03 17:50:08

リートの値段見てびっくり仰天。大手を後目に3桁だよ。
実体とかけ離れていて、いくらなんでもありえない。胡散臭いに1票。

256 by 匿名さん 2016-03-03 20:10:45

意外と星野リゾートの批判というか違和感は小さい頃から別荘持ちの子弟などが多いようですね。
一泊二日という宿泊の形態が逆に無いし、伊豆でも軽井沢でも美味い店に家族で出かけてるので舌を誤魔化せない。
付け焼刃は難しいということでしょう。

257 by 住まいに詳しい人 [男性 60代] 2016-03-30 22:56:46

宿やホテルを経営する上では従業員が要だろう。
建物や施設はまあ簡単にはできるが、お客への経験豊富な対処やホスピタリティーはそう簡単には準備できまい。
お客の居心地、安心感、利便性、高級感を従業員を通して確実に高めてほしい。

そのどれもが上級のクラスのものであって、できれば安価がいい。
従業員の質の悪さを建物や施設でカバーしょうとするのだけは止めてほしい。

たまに、建物や施設の悪い点を従業員のお客への対応力でカバーしている宿を見受けるがこれもダメ。両方が必要。
よい人材を業界の他から引き抜くのが手っ取り早いのでは・・。


260 by 匿名さん 2016-06-14 09:55:20

スタッフが、大学生のサークルのノリ…というか頑張ってサービスします!って感じなのはどうなんだろ。

261 by 匿名さん 2016-06-15 07:09:33

小細工というか・そういう印象のサービスだね。
演出料にしては高すぎる。

262 by 通りがかりさん 2016-07-03 20:59:34

界川治の支配人は喫煙者です。
喫煙者採用不可なのは、口だけ。
会社全体がそんな組織文化です。

264 by 匿名 2016-07-07 11:17:51

素晴らしいけど‥従業員の質がよろしくない。若い客にはいいかもだけど。
払い下げの宿の利用…はいいアイデアだけど、結局また廃業にいってしまいそう

265 by 星のや従業員 2016-07-09 15:06:42

中途で勤務中。もうすぐ退職予定(やっとだ)
バックヤードでゲストをなんて呼んでるか、皆さん知ってますか。苗字の呼び捨てですよ。
この会社のメディアイメージと、本当の顔の乖離がすさまじい。早く正体がバレてほしい。


266 by 匿名さん 2016-07-09 20:09:40

星野って宿泊施設の再建と言うけどやり方は業界の先駆者、韓国人経営の「伊東園グループ」の焼き直し。

但し場所によりギミックで料金をつり上げてるだけなんだよな。

でも一泊組みが多いから成立してるけど本当に旨い物を食べてる別荘組(小さい時から)や本当の旅館接待を知ってる人たちにバレるんだよな{笑い}
本物はごまかせないんだよ。


267 by アマン 2016-07-14 19:36:39

星のや東京。人がなかなか集まらなくてアルバイト雇って人をかきあつめてるみたいです。



268 by 匿名 2016-07-22 16:24:42

八ヶ岳に泊まりましたが非常に安普請。

外に風呂もありましたが完全に銭湯。
男湯では女児が泣きわめいてました・・・

夏休みシーズンで従業員が急きょ増員されたのか?

部屋に案内してくれた若い女性は 風呂の場所も施設も部屋のエアコンの場所さえ分からず 何の説明もできませんでした。

全国各地に建設しすぎ。コストカット意識だけ高く従業員の教育とホスピタリティが全く追いついていない。


269 by 匿名さん 2016-07-22 18:46:17

拡大する事が楽しくなるのでしょうが
将来は厳しいと思いますよ。リピーターが増えないと厳しいですからね。
268さんのようなユーザーは誤魔化せない。

270 by 匿名さん 2016-07-23 10:19:08

今は商売としては成功してるってことか。
集客はどうやってるんだろうね。


271 by 京橋 2016-07-26 22:12:54

社員は知っている。


273 by 匿名さん 2016-08-18 21:14:23

要するに基本は伊東園ホテルを真似てるのに料金だけ異常に高い。

金額に見合うかと思うとガックリする。

なら伊東園ホテルの均一料金の方がよっぽど良心的。


275 by 匿名さん 2016-08-19 19:52:20

経営者もいたずらな拡大よりリピーターの続く愛される少数の宿が目端の届き、お客様への思いやりと感謝に思えるけどね。


277 by 京橋 2016-08-21 18:09:19

さだみちさんを知ってるのは、内部の人間ですね?


278 by 匿名さん 2016-08-21 19:00:18

界を利用したのですが、温泉で振る舞われていた酒がかなり水で薄められていた。
それほど経営厳しいのかと思った。
ケチるぐらいなら出さないほうがいいよね。

280 by 匿名さん 2016-08-24 23:24:23

界を某一流旅行代理店が勧めていたので、そこで予約して行きましたが、ガッカリでした。
そして、その代理店が信じられなくなりました。

281 by 匿名さん 2016-08-25 05:58:51

無意味なわざとらしい演出が逆に安っぽくしてるね。
でも外人は日本を勘違いしてるからだまされるかも・・・
いたずらに拡大するよりも加賀屋のようにおもてなしを追求した方がいいと思う。


No.128 by 匿名さん 2014-09-13 02:49:24

星野リゾートと星のやでは、宿泊代がかなり違いが有るんですね。
星のや京都は 一時期中国人等の東洋人だらけで マナーが悪く43さん 44さんの内容に同感です。

星野リゾートのうすぺらな旅館経営。京都嵐山の景観は台無しにしました。
自然環境保護もクソにした星野リゾートです。

食事無しで 15万円とか 18万円とか テレビで見ました。
そんな値打ちどこにも無かった。お金の価値の判らない人が泊るのでしょうか。

272 by マンション検討中さん 2016-08-18 14:44:20
>>128 匿名さん

星野リゾート川治へ行きましたが、最悪でした! 夕食後で、体調崩して何度も嘔吐し発熱しました。

施設はお決まりの古いホテルの立て直しにリノベーションでしたが、完全にチープ!

温泉もぬるい!部屋も下手なリフォームで落ち着かない‼

でも値段だけは一人32000円!

星野リゾートはコスパが最悪です!

その事実は 『星野リゾート 最悪』 と検索すれば北は北海道から津々浦々勃発してます。


星野リゾート 最悪 - Google 検索
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja#hl=ja&q=%E6%98%9F%E9%87%8E%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88+%E6%9C%80%E6%82%AA

じゃらん 等で口コミが良いのは、高級温泉宿に泊まり慣れてない方々です!

星野リゾートにはリゾートはありません!
ただのリフォーム宿です。

泊まっているお客様も高級な方はいません。
PRだけで高級な雰囲気を演出しているだけです。5年内には必ず傾きます。

経営者の顔の見える、全国各地の安くて良い温泉宿か、高級温泉宿に泊まりましょう!


276 by 匿名さん 2016-08-20 18:55:27

272さんへ 随分辛い嫌な旅でしたね。思い出したく無いですね。

星野リゾートは 経営破綻した旅館や ホテルを買い取り再生している様ですが 欲しい旅館やホテルを故意に潰してタダ同然で手に入れる悪魔の詐欺師です。星野佳路 星野究道兄弟潰れる日は近いでしょう。恨んでいる人は多いはず。

279 by マンション検討中さん 2016-08-24 10:22:37
>>276 匿名さん

共感頂き、本当にありがとうございました‼

じゃらん へレビューして事実を書いても、全く掲載されません。

本当にネットの旅行代理店は信用できません。このサイトがあって本当に良かったです!

今まで数々の温泉旅館を泊まってきましたが、こんな酷いレベルは初めてです。

星野リゾート被害者の会が発足する事を願います。

星野の奥さんも日産の役員らしいですが、すっかり魅力の無い車ばかりになりました。


282 by 匿名さん 2016-08-29 13:23:58

>>279 ーマンション検討中さん

『星野リゾート違法開発』 で検索してみてください。


星野リゾート 違法開発 - Google 検索
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja#hl=ja&q=%E6%98%9F%E9%87%8E%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88+%E9%81%95%E6%B3%95%E9%96%8B%E7%99%BA

星野佳路社長は日本人が長年大切にしてきた日本国土を全国で自然破壊しています。
行政 や 国会議員 や 地元有力者を接待 買収。

全国で裁判もしています。
捏造や騙しで 他人の水源地の山を乗っ取ります。 私も被害者の 一人です。

まともな会社では無いですね。ブラックです。
悪魔の乗っ取り屋です。 いつまでもこの悪事は 続かないでしょう。
必ず 潰れる日は来ると思います。

283 by 匿名さん 2016-08-29 17:34:11

いずれは倒産すると思いますよ。
でも一番怖いのはこういう経営者はモラルが無いので中国資本などに すべてを売り渡す事ですね。

284 by 匿名さん 2016-08-31 09:34:34

星野社長を観光立国観光大使に任命したのは 現在野党の政権時代です。

星野リゾートトマム が中国資本に183億円買収された。
トマム内の村の所有扡を借りていたが 金を払わない為 、星野リゾートは村から訴えられているらしい。

トマムの水源地も中国資本の手に渡ったとか。

星野リゾートは 売国奴の様に思われます。
国が国土を守る法律を確立しないと しまいにどこかの国の植民地に成りかねないと思うのです。

285 by 匿名さん 2016-09-03 21:39:38

矢張り 恐ろしい。
ブラックだ。

286 by 匿名 2016-09-04 08:54:24

伊豆を中心に定額料金制度で大きくなっている「伊東園グループ」も韓国資本で
この代表者の兄弟は「歌広場」というカラオケも経営しています。

星野リゾートもここの手法を真似て始めたが{経営不振ホテル、旅館を買い取り再生}

違うのは料金設定を高くした事。

伊東園グループは一万以下の低額なので当初は大当たりしたがみんなが手法に気がついた為に現在では集客に苦労している。

星野リゾートは小手先の付加価値で料金を吊り上げるが
リピーターにつながるかという事だろうけど大体一度で懲りてるようだ。

287 by 界●●のサービスチームスタッフ 2016-09-15 18:06:32

[ご本人様からの依頼により、削除しました。管理担当]

『なんで「界」夕朝食の異物混入は外部にもれないんだろ?

客はみななんで発言しても揉み消されるから。

界の料理人は素人のサービスチームスタッフがやってる。

仕込みも、盛り付けも、チェックイン業務と兼ねてるから制服を着たり脱いだり。人は入れ替わり立ち替わり。
そりゃ引き継ぎ漏れでアレルギー材料のスルーや異物混入は日常茶飯事です。

でも、社長と支配人が揉み消してくれるから現場は麻痺している。』


288 by 匿名さん 2016-09-22 14:25:14

287ー 界●●のサービスチームスタッフさんせっかく勇気出して書き込みされたのに内部告発の風当たりが有ったのですね。

民宿とかのオーナーや家族なら受付、掃除、は勿論 調理師免許を持っている者が
料理や盛り付けもしているのをテレビで見た事があります。

界星野リゾートでは、サービススタッフさんがされていることは、レトルト料理なんでしょうね。

アレルギー食品を聞いていたの スルーは 命に関わる重大問題です。
こんなリゾート存在しては絶対いけないです。
もみ消しで済まない事故が起こる日が恐ろしい。

社員スタッフさんの内部告発でしかこの会社良くならないですよ。
先ず こんなリゾート 利用し無い事。
http://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/1-1000/


94. 中川隆[5717] koaQ7Jey 2016年12月27日 14:39:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6158]

あさば - クチコミ(口コミ)・評判 [一休.com]


ゆたき さんの感想 投稿日:2016/09/29

今回二回目の宿泊です。

前回は初めてという事もあり、館内の清潔さや料理の美味しさ等に感動して、今回二回目の宿泊となったのですが、印象が全く異なりました。

館内やお料理はよろしいのですが、担当の仲居さんは挨拶笑顔が欠けており、なんとなく物として扱われたような印象を受けました。

前回はあった女将の顔出しもなく、このクラスの旅館としては、ううんという感想です。一度でやめておけば良かった。

宿泊日 2016/09/25

利用人数 2名(1室)

部屋 お池と能舞台お眺め 内風呂無(和室)

宿泊プラン 【秋/9月〜10月】鱧と松茸吸鍋や修善寺産の新米コシヒカリで実り豊かな秋の味覚を堪能

食事 夕朝食付.
http://www.ikyu.com/ap/info/UspW70201.aspx?mes=01153050

じょーいおいたん さんの感想 投稿日:2016/06/29

一人旅にて宿泊させて頂きました。

私如きの言葉では語れば語るほど陳腐になってしまいますので、ただ一言で表現させて頂きますと極上の二日間で御座いました。

星を減らした箇所だけ理由を述べさせて頂きます。

客室・アメニティに関しては、欲を言えば客室にも化粧水類、館内移動用の巾着等の袋物、石鹸の他にハンドソープが欲しいと思いました。

お風呂に関しては貸切露天風呂が片方整備中で利用出来なかったとのが残念でした。

最後に接客サービスではチェックアウトの際に客による扱いの差を強烈に感じた為です。

フロントでは既に裕福そうなご婦人が恐らくチェックアウトの手続きをされており、パッと見3〜4人ほどでご対応されておりました。外には高級車が。

私は鍵を渡すとサロンでお待ち下さいと言われ、誘導もされず放置でした。
一人でサロンへ向かうと、サロンでは先程のご婦人のお連れの方と思しき方が何やら丁寧に説明を受けており、楽しげな会話の横で私は自分でコーヒーを入れて寂しく啜りました。

その後、明細の確認にやや不慣れな感じの女性がやってきて、特に会話もなく事務的に精算が終了。領収書を封筒などに入れるでもなく、ペラ紙一枚で手渡されました。

去り際にごゆっくりどうぞとのお言葉でしたが、とてもゆっくりする気にはなれず、すぐに出ました。

宿としては常連や太客に手厚くしたい気持ちは理解出来ますが、一人旅の一見客とは言えこんなにも扱いに差が出た宿は初めてです。

帰り際、雨が土砂降りでしたので、不要な傘があればとお願いした所、汚れだらけの使い古された小さな傘を手渡されました。 もう少し下のランクのお宿でさえ客用にまともなビニール傘くらい用意してくれています。車で来ることが前提条件なのでしょう。 

最後だけ三人の方に丁寧に見送って頂きましたが、私がボロボロの傘をさし、宿の方々は立派な傘をさされている様も、それは惨めでした。 

極上の二日間を過ごし、精算の寸前までは絶対に再訪すると決心していましたが、最後の最後で現実を突きつけられ、自分が場違いなのだと思い知らされました。 

さりげない扱いや言葉一つで自分が相手にどう思われているのか如実に伝わってくるものです。相手の言動一つで自分が相手にとってどの程度の存在なのか伝わるものです。最後に値踏みされ、軽く扱われたのは残念でした。 

再び極上の時間を味わいに伺いたいけれど・・・

宿泊日 2016/06/27

利用人数 1名(1室)

部屋 お池と能舞台お眺め 内風呂無(和室)

宿泊プラン 【憧れの宿へ・ポイント最大7%】駿河湾で取れた鯵のたたき吸鍋・備長炭で焼き上げた鮎と鮎ご飯など

食事 夕朝食付
http://www.ikyu.com/ap/info/UspW70201.aspx?mes=03898594


95. 中川隆[5718] koaQ7Jey 2016年12月27日 14:48:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6159]

tywgfcauhvkas さんの感想 投稿日:2016/03/23

部屋の前は池でむこうに能舞台が見え、川のせせらぎ、鶯の声というしつらえはよそにない。水辺の音を聞き、川のせせらぎを見ながら入る露天風呂も最高でした。この宿の魅力はひとえにこの風景。設備もいちいち気が利いていて最高級です。

ただし、お料理は一流でおいしいけど超一流というほどではないかも(鰆の焼き物や刺身などは普通。でも、フキノトウのご飯など絶品もあり)。

サービスというか愛想はいまひとつ足りない。

一生懸命やってくれているが、客がいるのにスタッフが玄関で代理店の人と打ち合わせとか、出発時に担当した仲居さんなどが挨拶に来ないとか、仲居さんがカジュアルというか割合いいたい自由にいうのにも驚いた(不快ではないが、人によっては違和感あるでしょう)。

このあたり、ネットでみるここのネガティブ評価のゆえんだろうと思いました。

でもまた行きます。完ぺきなおもてなしのいわゆる古き良き旅館ではないがお値段相応に一流の美とバランスの取れたいいお宿です。

宿泊日 2016/03/21

利用人数 2名(1室)

部屋 お池と能舞台お眺め 内風呂無(和室)

宿泊プラン 【春/3月〜5月】田芹と太刀魚の吸い鍋、春の蛤御飯など、春の恵みをいただく

食事 夕朝食付
http://www.ikyu.com/ap/info/UspW70201.aspx?mes=00250832

いっきゅうな さんの感想 投稿日:2016/02/02

料理のレベル低下傾向、

穴子は小骨だらけ、

名物朝の卵焼きは料理人によって、黄金のプルプルか単なる黄色の塊か、出来映え味に天と地の差あり。


館内環境では1階ラウンジ内装も選曲もアンバランス。
接客、お迎えお見送りが手抜き、
門前で宿泊者を見忘れ不審者扱いはプロ意識の欠如か、残念。

本物のあさばは何処へ。

宿泊日 2016/01/29

利用人数 4名(1室)

部屋 【萌葱】お池と能舞台お眺め 源泉かけ流し風呂付(和室)

宿泊プラン 【冬/10月〜3月】天城しゃものたたき鍋とお出汁で作る玉子丼など、旬の味覚で心潤う特別な夜を

食事 夕朝食付
http://www.ikyu.com/ap/info/UspW70201.aspx?mes=00605511


シュウの寛太 さんの感想 投稿日:2015/11/07

先月、ここの料金より下の宿に泊まったがそちらの方が良かった。

今までは高級温泉宿でやってこられたが、料理は三流の内容で味は合わず、お酒も料理に合うものを聞いたが「分からない」との答え、

池の庭園を楽しみにしたが、夜はあまり観ることができず、温泉だけなら、他の旅館で、美味しい料理とお酒を選んだ方が良かった

宿泊日 2015/11/05

利用人数 2名(1室)

部屋 【山吹】お庭側お眺め 源泉かけ流し風呂付(和室)

宿泊プラン 【冬/10月〜3月】天城しゃものたたき鍋とお出汁で作る玉子丼など、旬の味覚で心潤う特別な夜を

食事 夕朝食付
http://www.ikyu.com/ap/info/UspW70201.aspx?mes=00861233


96. 中川隆[5719] koaQ7Jey 2016年12月27日 14:56:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6160]

あさば [食べログ]のクチコミ

『伝統の世代交代』by gunmadontist あさば - 修善寺-旅館 [食べログ]
gunmadontist 口コミ

およそ10年ぶりの訪問であったが、まずお宿が新しくなっていることに気付く。
2年前に数日間休館し、全面改装を行ったとのこと。

部屋は2階の、ベットルーム付きの二間の部屋。
窓から僅かに能舞台が望め、見晴らしはまずまず。
寝室の天井が高く、開放感のある室内。


(夕食)
⚪️先付:銀杏と小柱の炙り
⚪️霜降盛肴:猪の西京焼き、いくら醤油漬け、蒸し鮑、里芋
⚪️沢煮椀
⚪️地魚作り:アオリイカ、深海海老
⚪️焼物:鰆
⚪️ずがに汁:藻屑蟹、芋茎、白だつ
 :コクのある藻屑蟹の出汁が美味。
⚪️揚物:大中寺芋と雲子
⚪️穴子黒米ずし
 :あさばのスペシャリテ
⚪️天城軍鶏のたたき鍋
 :あさばの冬の定番料理。
⚪️葛切り
⚪️菓子:南瓜の炭火焼のアイス、生姜のアイス

(朝食)
⚪️ほうれん草の胡麻浸し
⚪️椎茸の白和え
⚪️焼椎茸
⚪️ゴソ(ハシキンメ)の焼物
 :脂の乗りも程よく、芳ばしく焼かれていて美味。
⚪️茄子の甘辛煮
⚪️玉子焼
⚪️味噌汁
⚪️ご飯
⚪️果物


古い記憶と比較すると、お料理の印象が少し異なる。

尋ねてみると4年前に料理長が定年でご勇退され、40代の料理長に代替わりされたとのこと。

長年先代の料理長と共に板場に立たれていた方のようだが、やはり微細な勘所に違いがあり、お料理に反映しているのであろうか。

今回も旅館料理としては秀でたものであったが、前回に感じた一流料理店に匹敵するような凄味は感じられなかった。
https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/37333652/


97. 中川隆[5720] koaQ7Jey 2016年12月27日 15:22:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6161]

地方の高級風旅館 (2016/02 訪問)
湘南のりょう さんの口コミ
30代後半・男性・神奈川県


平日に一人で泊まった。部屋は山吹。一人には広すぎず狭すぎず丁度良いサイズ。

14:30チェックインに向けて、正面玄関に向かうと向こうから高級車、大勢のスタッフでお見送り。高級旅館はお見送りも派手だなと思った。と同時にチェックアウト11:00後もくつろげるのかと思った。

チェックインはスムーズ、なかなか感じのいい仲居が担当。ウェルカムサービスは煎茶と麩饅頭。煎茶は静岡茶ではなく、京都の茶だと言う、ならば何故抹茶じゃないのかとも思うが、ここは京都じゃないからが解答なのだろう。

荷物を置いてすぐに露天風呂へ。一番湯と思いきや、先に出てきた方が私は二番湯だと言う。先ほどの高級車といい、条件によっては時間外チェックイン/チェックアウトもできるらしい。

露天風呂を始め全ての風呂は塩素消毒をしていない。本来ならばしなければいけないところだが、入る側にしてみればそちらの方が嬉しい。24時間入れるわけではなく、清掃の時間もちゃんとあることからレジオネラ菌の心配など無用だと感じる。お湯はとてもやわらかく、温度はやや抑えめ、39度くらいだろうか、長く入っていられる。

内風呂は外の景色が見えないのが残念だが、洗い場の石が滑りにくいこと、湯船から管が湯船の外につながっていて人が入るとそこから排水され、洗い場に残った石鹸やシャンプー泡立ちが流されていく画期的な工夫にも驚かされた。客は体を洗ったあと必ずしも立った泡を全て流すことはないが、必ず最後に湯船に浸かるだろう。湯船に浸かればお湯が満たされているかどうかに関わらず細い管を通って洗い場に湯船のお湯が流れ、泡も流れていく。後の人のことを考えずともその客が出たあとは元の通り、綺麗な洗い場に戻っている。この工夫にはとても関心した。

風呂上がりにはミネラルウォーター(冷、常温)、蜜柑が置いてある。2つほど部屋に持って帰って食した。蜜柑は盛況らしく、夜には少なくなっていた。

玄関、ロビー、サロン、売店などには基本的に従業員はいない。いない方が余計な言葉を発せずに済むから静かでいい。昨日までは中国人が春節の時期だけに多く、騒がしかったらしい。ロビーにも蜜柑あり。晴れていればロビーからベランダに出れる。ベランダには石造りの州浜のような形状をしているが、年配の従業員はその由来等は知らないらしい。

山吹の部屋は玄関から比較的遠い2階にある。能舞台も見えないし、せいぜい隣部屋の声と池に注ぐ川の音くらいしか聞こえない。あさばに泊まるに当たって、数々の口コミを参考にしたが、そうだと思えるところもあれば、思えないところもあった。そういえば仲居がこんなことを言っていた、忙しい方は静かを求めてやってこられ、仲居が入ることさえ嫌気に感じられる方もいるとか。口コミで仲居の音が五月蝿いと書かれていた方はまさしくそういう方なのだろうと思った。私はあさばの歴史や建築、庭園話題などできるからむしろ歓迎なのだが。

夕食。京都であれば懐石料理の名の下に順序だって食べ物が運ばれてくるが、修善寺は京都ではない。京都はその昔、日本の中心だったが、だからといって日本料理は京懐石が何も目指すべき境地ではない。

よくイギリス料理は不味いと言われるがそれは勝手にフランス料理を美味いの基準に置くからそれに反するものを不味いと定義するのであって、逆に考えればフランス料理こそイギリス料理からしてみれば口に合わないベタベタの料理ともなり得る。

客が高級旅館の料理に京懐石を無意識的に求めれば、あさばは自ずと不満になるし、高額の宿泊料金を意識すればコストパフォーマンスを考えて、高級食材求め、さらに辟易するだろう。あさばの料理には、鮑やキャビアは出てこず、モヤシや玉丼さえ出てくるのだ。

料理はさして多くはない。少食だったり、日中から饅頭でも食べていたのでもなければ、腹一杯にはならないだろう。玉丼を3杯食べてようやく8分目弱といったところ。

酒は飲まなかったが、決して高い額ではなかった。よほど場末のバーへ行った方が高くつくくらいだ。酒の種類も決して豊富ではないし、有名で手に入りにくい酒は無かったし、主張の強すぎる酒も無かった。

料理に高級料亭のような絶品さや、極端な地産地消を求め、宿泊料金から過度な期待をする人ほど、口コミに非難が多く感じ取れた。

寝具。評判のフカフカ羽毛布団だが、フカフカ苦手な私はマットを一枚除き、フカフカ枕の代わりに座布団を使って寝た。私にはこれくらいがちょうどいい固さだ。

朝食。8時以前を選べないのは改善の余地があると思う。せめて7時半くらいには食べたい、何より旅行中でも普段の食生活や食時間を乱したく無い。腹減りすぎて蜜柑を頬張りすぎてしまった。

部屋風呂は源泉掛け流しなだけあって、源泉温度のまま入ることになり、当然熱すぎる。そこで前夜のうちにお湯を貯めておき、朝入ろうと思ったのだが4割りほど抜けていた。他に気になる点としては、チェックイン後にすぐ入れるようにお湯を張っておいて貰えてもよかったのではと思う。湯布院玉の湯などは張ってある。また、使う使わないに関わらず風呂の蓋の用意があってもいいのではと思った。

洗面所。アメニティは持ち帰り自由だが、タオルにはわざわざ部屋備え付けだから欲しいなら売店で買ってくれの文字。タオル1枚に千円以上も払いたくない。百円の安っぽいタオルでいいから、修善寺とか、あさばとか書かれたタオルが欲しかったな。

洗面台の水回りは広くて使いやすい。体重計があってもよかったのではと思う。

洗い用以外のアメニティが安っぽい。少しは気をきかせて欲しい(多くの高級旅館では安っぽい)。耳かき一つとっても、細いタイプ、濡れタイプなどバリエーション揃えてひとセットとしても良いのではないか。

歯磨き粉も粉っぽくて、使い捨てとはいっても質の良いものを用意してもいいのではと思った。

お見送り。あらかじめの支払い以外に会計は発生していないのでスムーズ。

靴を用意してくれてお見送り、と思いきや玄関に出てきたのは新人と思しき若い従業員ひとり。
部屋付きの仲居も含め、他の者は手空きにも関わらず挨拶一つ無し。

昨日の14:30チェックアウトの人との差は支払った額の違いだろうか。

後味の悪いお見送りだった。

一昨年、俵屋に泊まった時は、錦市場に入るまで遠くから手を振ってくれて感激したものだが、あさばでは50m程度進んで振り返ってみたら、従業員の戻る姿が見えただけであった。
https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220504/22000220/dtlrvwlst/48837893/


98. 中川隆[5721] koaQ7Jey 2016年12月27日 17:43:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6162]

あさば旅館の料理
http://izusyuzenji.web.fc2.com/

あさば旅館は、料理が美味しいと評判の高級旅館だ

マスコミ等でも絶賛している様だ

マスコミの記事を書く、記者達は自分のお金を支払って、あさば旅館に宿泊したことがあるのだろうか

自分でお金を支払えば考える、当然に見えてくる物が見えてくる

裸の王様では良くない

あさば旅館では入り口に問題があるのだろう


(写真は料理が出された時点)


旅館の献立
性格が表れる


料理の献立
胡麻豆腐


盛り付けは大事
胡麻豆腐
前菜三種

寂しい盛り合わせ
前菜三種
ビールが三種類

銘柄は聞かない

グラスは一個

アサヒ・サッポロ・キリン

グラスは3個だ

グラスが2個足りない
ビールの盛り合わせ。グラスが足りない
出汁が問題

濁っているのか

湯気なのか

香りが無い

旨味と香りは何処

鰺たたき吸い物

お刺身はイカ

他には何も無い
お刺身はイカ
歪んだ盛り付け

上から落としたのか

縁に寄りすぎる
盛り付けが歪んでいる
鮎は臭い・焦げている

焼くと焦げるでは別

身が剥がれている

鮎の仕入は何時なの

仕入れ時期が疑問です

案内とは別物
焦げた・鮎の塩焼き・何時鮎を仕入れたの
旅館のパンフレット

鮎の塩焼き

上の写真と比較

実際の鮎は上の写真

旅館のパンフレットでは
穴子黒米寿司

小皿に一個

黒米なのに白い米

白い黒米とは
黒米寿司・お米は白い・白い黒米
旅館のパンフレット

左はお米が黒い

現実は上の写真

お米は白い

白くても黒米なのか

旅の喜びも半減
旅の喜びは・旨味と香り・喜びも半減
海老に頭が無い

身が固い

固くて殻が外れない

伊勢海老の頭は何処

本当に伊勢海老か

なぜ唐揚げ
伊勢海老唐揚げ・頭が無い
粗雑な盛り付け

歪んでいる

ヘラを使ってない

箸で投げ込んだ
歪んだ盛り付け
鮎が2回

鮎の炊き込みご飯

臭い鮎をほぐして

ご飯に炊き込む

鮎ご飯は臭い

お新香は雑
臭い・鮎ご飯・茶碗で出てきた
旅館の案内

名物の鮎ごはん

現実は上記写真

一目瞭然
旅館のパンフレット
くずきり

水菓子は出ない

料理には美味しい料理・不味い料理・クソ料理・クソ以下の料理もある、全ての判断基準は自己責任だ


あさばの美味しい料理

あの金額で此の内容

料理は見栄えも大切

旅館はお客を見ていない

料理に旅館の姿勢が表れる

頑張れ あさば旅館

あさばのパンフレットには修善寺で350年

ルレ・〇・シャトーのサイトでは修善寺で520年

昔の案内では修善寺で500年

350年・500年・520年


古人の風雅をいまにとどめる

主人の願いも大変だ


伝統やサーヴィスとは、判断基準は、何を持って言うのだろうか。

伝統と、ただただ長く息をする事とは違います。

最近は食品加工技術も向上している、美味い物を作るよりも、まずいものを作る方が難しいのです。


鮎の塩焼き・鮎は臭かった・腐った鮎を焼いたのかと思うほど臭かった


穴子黒米寿司・お米は白い・白い普通のお米だ

白いお米でも黒米と言うらしい

小皿に1個だけ

白いご飯に醤油を塗れば黒く見える

伊勢海老の唐揚げ、海老の頭は何処にある、本当に伊勢海老なのだろうか

何故、伊勢海老は、唐揚げなのだろう

此が伊勢海老だと言われても


海老はシッポだけだ

シッポ以外には何も無い

海老のしっぽを、唐揚げにする、何か特別な理由があるはずだ

お皿には海老のシッポ

しっぽの唐揚げ

身が固くて殻が外れなかった


伊勢海老は生きているから価値がある


イカの唐揚げならば理解も出来る

イカはお摘みに丁度良い

シッポの唐揚げ

疑問は残るばかりだ

くずきりは葛粉と水を混ぜ合わせて固めるだけ

材料費も安上がり

水菓子は出ない


あさば旅館は、料理が美味しいと評判の高級旅館だ

マスコミ等でも絶賛している様だ

マスコミの記事を書く、記者達は自分のお金を支払って、あさば旅館に宿泊したことがあるのだろうか

自分でお金を支払えば考える、当然に見えてくる物が見えてくる

裸の王様では良くない

あさば旅館では入り口に問題があるのだろう
http://izusyuzenji.web.fc2.com/


99. 中川隆[6950] koaQ7Jey 2017年3月04日 12:10:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7412]


2016.11.29
伊豆の修善寺「あさば旅館」は評判通りの良い旅館なのか?実際に行ってきた!
http://hatuiku.com/shuzenzi-asaba/236/


秋の紅葉がキレイと言われるこの時期、伊豆修善寺にある「あさば旅館」に行ってきた!

おばあちゃんの年齢が80歳を越え、死期が近いと(全然ピンピンしてるけど)感じた孫(私)が旅行を企画し、初めてのババ孝行をしました。(誕生日プレゼントとかはしてるよ。たまにね)

このあさば旅館を選んだ理由は「料理がとてもおいしかった」と言う3人の記憶(おばあちゃん・母・母の妹)が強くあったので、「じゃあそこに行こう」と決まった。

「どうせなら母と母の妹の分も払ってあげよう」と思っていたが、結構高かったのでおばあちゃんの分だけ払い、ババ孝行だけすることになったのである。

修善寺のあさば旅館とは


「あさば旅館」オフィシャルサイト
http://www.asaba-ryokan.com/

修善寺にある日本を代表する525年続く温泉宿「あさば」。あふれる緑の山々と美しい川が流れるここ伊豆修善寺に、浅羽弥九郎幸忠が開いた宿坊に端を発します。日本の美しい四季の風情を大切に、そして遙か昔よりこんこんと沸き出づる源泉掛け流しの温泉が旅人の心を癒し、お食事は、旬の食材と鮮度を大切にした料理をころ合いよくお出しするよう心がけています。



以上がオフィシャルサイトに載ってた説明。

とりあえず老舗の旅館のようです。

あさば旅館の料金

11月後半に行って1人6万円でした。

予約はJTBで行い、往復の電車代も込みの値段。

電車は「踊り子号」という古ーい電車で、流れる音楽に年寄りたちは懐かしさを感じていた。

東京から修善寺まで乗り換えなしなので、ゆったり駅弁を食べながら行くことに。(到着まで約2時間)

▼電車の中で食べた駅弁がこちら
東京駅の駅弁
東京駅で買った西京焼きの駅弁1000円。

これが中々美味しかった!

そして2時間、年寄の話を聞き修善寺に到着▼
修善寺駅
修善寺駅はかなり綺麗で、コンビニとお土産屋さん・そして写真右側の「あじ寿司」のお店がある。

このあじ寿司は、修善寺のお土産の中でも人気があり帰りの列車で食べたのだが、中々美味しかった!

▼これがそのあじ寿司(お値段はたしか1000円くらいだった)
修善寺駅 あじ寿司
修善寺駅からあさば旅館までは少し距離があるので、タクシーでいく事に。

10分しないで着いたが、道が狭い狭い。
修善寺 道
車で行くとちょっと嫌な道の狭さである。

あさば旅館には駐車場が15台止められる場所があるようだが、結構狭いし人多かったので電車がおすすめ。

▼これがあさば旅館のロビー
あさば旅館
右側がガラスになっていて、そこから見える景色がこれ▼
あさば旅館
能舞台を行う場所があり、池には鯉がいます。(エサやりもできるよ)

能舞台についてはオフィシャルサイトのこちらをみて下さい。

そして夜のライトアップ
あさば旅館
写真は微妙かもしれないが、実際見ると綺麗ですぞ!

ちなみにあさば旅館で一番良かったのが夜の露天風呂!

写真の腕が悪いのはご勘弁を
あさば旅館 露天風呂 あさば旅館 露天風呂
▼公式ページの写真だと
あさば旅館 露天風呂
ライトアップされた紅葉がとにかく綺麗だった!

しかも誰もいなく、一人でゆったりできたのも満足。

だけどこの露天風呂は、男女交代の時間制。

しかも恐怖の混浴タイムまであるので注意してね。(じじばば率がすごいよ)

※ちなみに混浴タイムは避けました。(朝の1時間くらいしかありません)

お楽しみの夜ご飯
あさば旅館 夜ご飯
お品書きになります。

バカな私にはふりがな欲しかった。

1品目:香箱蟹
あさば旅館 夜ご飯
これは全員一致でうまかった!

蟹の身・カニみそ・卵?など、ポン酢をつけて食します。

酒好きにはたまらんかも!(私は酒が弱いっす)

2品目:霜降盛肴
あさば旅館 夜ご飯
いくらウマし!

アワビとトコブシの中間と言われた貝、ウマし!

小っちゃいサトイモ(キヌカツギ芋)、もう少し塩をたしてちょ・・・

イノシシの肉の燻製ウマい!けど脂っこいので1枚で・・・年寄もキツそうだったぞ

右下の白いのは百合根。シャリシャリして「んー」って感じ。好きな人は好きかも

3品目:沢煮椀
あさば旅館 料理
ごぼうや椎茸、しゃきしゃきした?が入ってる。

おつゆは美味しかったよ!

4品目:地魚造り
あさば旅館 料理
イカ・鯛・甘エビになります。

これと言って美味しいわけでは・・・

5品目:鰆岩士焼
あさば旅館 料理
脂の乗った鰆!これはうまかった!

魚の春と書くので、春が旬かと思いきや、この時期の方が脂が乗ってうまいんだとさ。

6品目:ずがに汁
あさば旅館 料理
カニみその汁!

これもウマかったな。

7品目:大中寺芋と雲子の衣揚げ

写真取り忘れました(汗)

大中寺芋は芋にすこしあまく味が付いた食べ物で、雲子とは白子のことで天ぷらで出てきました。

まあ、どちらもおいしかったかな。

8品目:穴子黒米ずし
あさば旅館 料理
穴子のお寿司は好きだけど、これは味がうすかった。

まあ、繊細な味なのかもしれないが、全員「んー」って感じ。

ハジカミも味がなく・・・

9品目:天域軍鶏たき鍋
あさば旅館 料理
軍鶏の肉団子とネギになりやす。

お汁がとってもウマかった!

10品目:玉丼
あさば旅館 料理
さっきの軍鶏汁に卵を入れて、それをご飯にかけた丼ぶり。

味が繊細すぎて・・・・私には薄い

デザート
あさば旅館 料理 あさば旅館 料理
四種類から選べるデザート。

アイスとくずきりを注文しました。

まあ普通にうまかった!

ここまで食べた全体的な評価としては、ちょっと微妙かなと・・・。

おばあちゃん達も「なんだか微妙ね」って感じで、20年前の思い出ほどおいしくはなかったようです。

全体的に薄味、繊細な味・素材の味を楽しむのなら良いのかもしれません。

決して「美味しくないわけじゃない」けど、特別おいしい味でもないですね。

(でも蟹と鰆はうまかったぞ!)

てなわけで、お腹もいっぱいになったので、お風呂入って就寝。

▼フカフカの布団に湯たんぽが付いています。寝心地最高!(気に入ったら購入もできるぞ!めっちゃ高いけど)
あさば旅館 布団
いざ朝ごはんに期待!

続いては朝ごはん。

夜の分を挽回してほしい期待を込めて、いざ「実食」

お赤飯としらす
あさば旅館 食事
おばあちゃんの誕生日だったので、もしかしたら特別に出してくれたのかもしれないお赤飯。

味は・・・「もうちょい塩足してほしいかな」

私はセブンのお赤飯の方が・・・。

おひたしと炊き合わせ
あさば旅館 食事
クレソンのおひたし・・・繊細な味だが結構好きかも!

炊き合わせ・・・めちゃめちゃ繊細だけどガンモは全員一致でウマいと評価。

椎茸と大根は今一でしたねー。これも全員一致の評価。

出し巻き卵はうまかった!
あさば旅館 食事
甘くない方の出し巻き卵になります。

これはとても美味しかった!だけど、デカい・・・でもウマい!

ゴソ焼き
あさば旅館 食事
深海魚(ゴソ)を焼いた物になります。

脂が乗ってプリっとした触感。

私は少し苦手でしたが、他の皆は高評価!

ごはんとしじみ汁
あさば旅館 食事
ごはんは私以外おいしいと喜んで食べてた!

少しやわらかめだったので、私は苦手でしたね。

しじみ汁はおいしいですが、まあ普通の美味しさ。

この後にデザートが出てきて朝ごはんはおしまい。

デザート出てくるのが遅くて、写真はありません。(ちなみに柿とブドウね)

朝ごはんの総合評価も、夜と同じく微妙な感じ・・・・

まあ好き嫌いが分かれる味なのかもしれません。

ちなみに、私が一番おいしい!と絶賛して、持ち帰りたいくらいうまかったのがこちら▼
あさば旅館 生麩饅頭
1日目の到着時に出された和菓子「生麩饅頭」!

私以外は「別に普通じゃん?」って言ってたけど、これはうまかったな。

かなりのモチモチ具合で、甘さ控えめの粒あんが入ってます。

※持ち帰りは不可(お土産でも無理)

ちなみに持ち帰り用の「あさば饅頭」は買うことができます。

帰る前日の20時までに注文して下さい。

それがこちら
あさば旅館まんじゅう
温泉まんじゅうなのですが、皮がフワっとしてやわらかいのが特徴!

普通においしいですが、感動するほどでもない。

お土産にはまあいいんじゃないかなと。(たしか800円だった気が・・・)

修善寺で観光したところ
修善寺で観光
「修善寺は見るところがあまりないよ」と、行く前から聞かされていましたが、

本当に見るところが少ない・・・

あさば旅館から歩いて行ける範囲にまずは

「楓橋(かえでばし)」
かえではし
恋にまつわるご利益がある橋になります。

眺めはキレイだよ!

その近くには竹の林▼

ここもキレイ!

だけど観光客が結構多かった。

そして福地山修禅寺▼
修善寺
こちらも人でいっぱい・・・

中入ったが、これと言って行く必要あるのか・・・って感じ。

▼有名な独鈷(どっこ)の湯
独鈷の湯
▼射的もあるぜ
射的
▼ドラえもんの色だって変ってるんだぜ!
ドラえもん
ちなみにドラマ”逃げ恥”で放送されサーバーダウンを起こした旅館「宙(そら)」は、あさば旅館の隣にありました。

一日だけの入浴も可能なようです▼
宙そら
修善寺の観光は微妙かも

とにかく見るところが少ない。

福地山修禅寺のお寺はつまらんし、楓橋や竹の林などはすぐに見終わってしまう。

頼家の墓も見たが、「んー」って感じ。

もう行く事はないかな。(宙soraの旅館にはちょっと言ってみたいが)

あさば旅館についての感想
あさば旅館
ご飯は微妙かもしれないが、それが昔ながらの味なのかもしれない。

それ以外は特に不満はなし。

中居さんの対応は良かったし、旅館はとてもキレイで池の庭も個人的には好き。

部屋のお風呂も立派だった▼
あさば旅館
ちなみに貸し切りのお風呂もあるが、部屋のお風呂とあまり大差は無いと思う。

内湯はまあ普通だったけど、露天風呂は最高だったな。(ちなみに全部温泉水を使ってます!)

まとめ

色々素晴らしい旅館だと思いますが、料理だけが残念だった。

食べログの評価は超高いけど、他の口コミサイト見ると料理について下評な意見もチラホラ見かけます。

凡人の私には宿泊費も高いし、もう1回いく事はないかなと。

個人的評価は5点満点中3点でした。
http://hatuiku.com/shuzenzi-asaba/236/


100. 中川隆[7545] koaQ7Jey 2017年4月05日 19:54:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8030]

星野リゾートってどうですか?
リゾートマンション・リゾートホテル・別荘掲示板@口コミ掲示板・評判

>>69, >>70, >>71, >>80, >>86, >>93 に追記

305 by 匿名さん 2016-10-30 22:38:48
≫298 299 301
同じ社員さんですね。今辛いよね。 302 303 読むかぎり ひどい会社なんだね。
自分の気持ち ここに書き込み 吐き出せている人だから 辞めて良かったと、
思える日が 必ず、必ずきます。
自分を大切に 前向きで 一歩踏み出そうよ。
言われ無くとももう既に踏み出せているよと言われそうだね。
余計なおせっかいかな❓ 頑張れ…


308 by 匿名さん 2016-10-31 07:25:18

>>304 マンション検討中さん

そのお陰で、社員には明日が来ないんだよ。


307 by 匿名さん 2016-10-30 23:55:00

辞めたら知っている事実を文春に送りたいが、相手にしてくれるだろうか。


309 by 匿名さん 2016-10-31 09:43:56

嘘で成り立ってる会社は 、 元社員が事実を 文春に 言っても 言わなくても その内 潰れるよ。
悪どい会社てのを 一部の人は知ってる。
自分も、文春取り上げて欲しいと 思っている1人。
そう思っている人多いよ。


342 by 京橋 2016-11-19 00:38:25

社員の不幸で成り立っている星野リゾート。今期まただいぶ重要パーソン達がごそっとやめたよね。文春リークはいくつか心当たりがあるがエビデンスがないのが本当に残念です。

343 by 高架下の部屋 2016-11-19 00:45:00

なんでみんな面白いほど騙されるんだろうね。


359 by 名無しさん 2017-03-12 00:31:03

また長く勤めてた優秀な人が同業他社に去ってってまった。なんでみんな去ってくんですかね。


360 by 匿名さん 2017-03-13 23:58:50
>>359 名無しさん
星野の成長スピードについていけないから辞めるんだよ

361 by 名無しさん 2017-03-16 07:13:50

>>360 匿名さん
表面上はそう見えるでしょうね。「成長してる」と。


362 by 名無しさん 2017-04-02 17:14:17

京都 嵐峡舘社長が自殺して、わずか6ヶ月半程で、星野佳路社長があり得ない程の、格安で
本館、別館、阪急嵐山駅近くの駐車地3ヶ所取得した。
跡継ぎが居なく。と書いている記事があるが、娘さん、息子さんもいた。娘さんは 女将修業中だった。
星のや京都は、条例、規制の厳しい地区に、新築、増築、宅地造成の違法開発をした。

築100年以上の、歴史的建造物と 公式ブログに書いているが、根も葉もない嘘、
昭和26年7月土砂災害で、建物の殆ど流れ、死者4名出た。
ハザードマップ危険区域での国会議員、行政絡みの違法開発だ。

星のや京都の船着場は、保津川 一級河川で、京都府の借地だ。ここを、鉄板とコンクリートで
プライベートテラスを作り、ステンドグラス風看板、テーブル、椅子を置いている。

こんな社長が、観光立国観光大使、観光カリスマ、京都市の観光策定委員なのだ。
国会議員、行政 絡みは、森友学園問題に似た違法問題だ。どちらも許すな。
日本を、日本の自然と、景観を守ろう。


363 by 名無しさん 2017-04-05 10:07:28

≫362 名指しさん
星のや京都の星野リゾートは、風致保安林の木を伐採し、急斜面を埋め立て
宅地造成して新築造った。違法開発のし過ぎ。

星のや京都 隣の、 旧嵐峡舘 親族の 嵐山山林10万坪以上、捏造で(タダ)無料で乗っ取る裁判を
仕掛けたが、捏造が暴露て、大阪高裁で全面敗訴して居る。悪度過ぎる欲ボケ星野佳路社長。

悪事はいつまでも続かないよ。悪事で大きくなったのだ。
星野リゾートは、まともな企業で無い。ブラック企業。
京都では可なりの市民が、悪事を知っているよ。


364 by 匿名さん 2017-04-05 12:47:28

食事のクオリティが低いですね。
何か観光地としてのギミックには凝っているようだけど
宿泊費が高い割りにセントラルキッチンを使うとか{笑}
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/265-364/


101. 中川隆[7651] koaQ7Jey 2017年4月11日 11:41:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8138]

366 by 匿名さん 2017-04-10 19:53:05

>>362さん
今、京都が 京都で無くなってきて居る。
元々の京都人は、危機感と不満と不安とだ。京都を京都人は、愛してる。京都破壊は止めて欲しい。

観光地だけでなく、京都の中心の道路を歩いていても、日本語は聞こえてこない。外国語ばかり聞こえてくる。外国人だらけだ。

外国人の マナーが悪く、京都人は もううんざりしている。これ以上外国の観光客が増えて欲しくないと思う。


星野社長の様な金の亡者が、京都市観光策定委員など、とんでもない。

自分の違法開発を、正当化するため、働きかけするだけだ。

京都を壊すな、京都から出て行けよ と思う。

金儲けのためなら自然破壊も、条例規制も無視する。
国会議員、行政絡みと耳にしている京都人は多い。

星野リゾートの社員は、使い捨ての駒なんだろうよ。
この事に気がついて 転職考える社員は賢明だと思う。

365 by 新入社員です 2017-04-10 12:48:18

(昨年か今年の新入社員ということにぼやかしときます)

星野リゾートに入社して驚いたのは個人情報管理の甘さ。

例えば、ゲストの連絡先が書かれた用紙はデスクの上にそのままで先輩は調理や客室にヘルプに行っちゃうし(ちなみに外部業者が出入り自由のところに放置)、個人携帯でも入れるGメールにはインチャージ達がゲストのフルネームがそのまんま書かれた題名で熱く議論していたりと、情報管理の甘さにびっくりしています。

あと、憧れて入った会社なのに、社員みんな死んだ魚みたいな目をしていて疲れきってるなと。

現在転職にむけた情報収集中です。

今年も来年の採用方針は『質より量』だそうだからしっかりOBOG訪問してから決めるべき。

質より量を重視して組織が拡大していったとして、この情報管理の甘さが合わさったら『必ず』世間を騒がせる事故が起きますよ〜〜



102. 中川隆[7707] koaQ7Jey 2017年4月12日 23:27:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8196]

367 by 通りがかりさん 2017-04-12 20:34:50
>>366 匿名さん

東京の大塚で、新たな悪だくみを始めようとしているみたいです。

368 by 口コミ知りたいさん 2017-04-12 20:47:01

私も噂聞いてます。


103. 中川隆[7749] koaQ7Jey 2017年4月14日 17:17:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8239]


369 by 匿名さん 2017-04-13 01:02:42

心配してるのは借金だらけなので飽きられた時にまとめて中国資本などに
売り飛ばさなければいいと思うんです。


370 by 匿名さん 2017-04-13 22:02:42
>>369 匿名さん

本当に借金だらけの 綱渡りでしょうね。

宿泊料金が ぼったくり料金で、内容がともなって無いから、一度泊まるとリピーターがほぼないはず。

北海道トマムのように、中国資本に売り飛ばすことを心配されてるようですが、星野社長夫婦も、弟夫婦も日本の人で無いらしいから、既に外国資本のようなものでしょうね。

愛国心がないから 金儲けの為なら、自然破壊も条例違反も平気でできる悪人です。何も知らない社員さんが可哀想です。


104. 中川隆[7948] koaQ7Jey 2017年4月21日 08:20:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8439]

36 by 匿名さん 2013-03-27

旅館経営の進行性悪性癌みたいな・・・・、老舗旅館が経営不振に陥り星野リゾートに買収されると本来のおもてなしができなくなりただ存続するだけの奇妙な旅館になっているようです。

ですから、かっての高級老舗旅館と思って行くととんでもなくがっかりさせられます、恐るべし星野リゾート!というところでしょうか・・・・。

たとえばせっかくの料理が部屋食でなく居酒屋チェーンの個室もどきみたいなスペースでとらされる・・・・、

中途半端なリゾート考がもたらす学芸会的な演出、

スタッフがどんなにやる気があるように見えても所詮素人のカラオケとプロの歌手みたいな違い、

まさにおもてなしの観点からすると最低というか全くなっていない・・・。


ほしのや軽井沢だけにしとけば被害はここまで広がらなかったと思います。

残念ながらゴルフ場のアコーディアと同じイメージ・・・、どちらも買収後の悲惨さは進行性悪性・・・といえるでしょう。

もっとも両方とも行かなければよいのですが、この世から名門や老舗がどんどんなくなっていくのはさみしい限りであります。ワタクシの星野リゾートとはそんな感じです。

371 by まちの回覧板さん 2017-04-21

>>36 匿名さん >>362 名無しさん >>363 名無しさん

某週間新聞が、2017年3月初めから 5週連続特集で、

【京都が 京都でなくなる】第1部 ホテル、民泊編 A 富裕層観光の裏側

の報道があリました。

内容は、

A 富裕層観光の裏側編では、京都市は増え続ける海外観光客のために [ 京都市宿泊施設拡充、誘致方針]を基に建設が原則認められていない地域に上質な宿泊施設の建設を特例で認めると、2016年10月策定しました。

京都では、三山のほとんどが開発や建設が原則禁止の市街化調整区域に指定されている。
加えて、山裾は風致地区、歴史的風土特別保存地区に指定され、現状変更が厳しく制限されてきた。

(2009年12月開業) の (星のや京都) 星野リゾートは、これら策定以前の工事です。

一帯が市街化調整区域、歴史的風土特別保存地区などに指定されているにも関わらず、施設が 新増設。川岸には、プライベートテラスが設置されている。

どういう条例上の根拠で許可されたかは不透明です。

嵐峡舘は過去に、集中豪雨で4人死者がでている。治水上もこんな開発がよく認められたものです。

(2010年~2014年) (未来、京都観光振興計画) で同計画の策定委員が国土交通省の観光カリスマに選ばれた、星野リゾート代表取締役社長 星野佳路氏で、事業展開に支障となる都市計画の規制を堂々と突破できる道が開かれたとも記事に書かれています。

市民としてだけでなく、日本人の宝の京都を金儲けの道具にするのは許せないです。

>>362 名無しさんや 、>>363 名無しさんが書かれている通リのようです。

森友学園問題京都版みたいな問題ですね。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/


105. 中川隆[7943] koaQ7Jey 2017年4月23日 23:42:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8434]

372 by 匿名さん 2017-04-21 10:17:23

>>371まちの回覧板さん

私もこの記事読みました。森友学園問題に似ていると思いました。

以前星のや京都で検索したら、(公式)に築100年の歴史的建造物と書いていたが、今回見ると 歴史的建造物の表現が消されていました。

星のや京都の横の一級河川を大堰川と書いていますが、星のや京都の従業員も星野リゾートも川の名前を知らない様なので教えます。

渡月橋下流を、桂川。渡月橋から星のや京都迄は 大堰川。星のや京都から上流を、保津川と 川名が変わります。

宿泊客ブログには ほぼ大堰川と書いてる。嘘を教えないようにして、京都を 嵐山をもっと勉強して接客して下さい。

いい加減な企業ですね。


106. 中川隆[-7981] koaQ7Jey 2017年4月30日 12:50:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

107. 中川隆[-7915] koaQ7Jey 2017年5月01日 08:30:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:


これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


108. 中川隆[-7693] koaQ7Jey 2017年5月09日 20:21:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

星のや口コミ 最悪 星野リゾート〜Hoshino Resort〜の魅力★口コミ・評判★
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445652922.html

2017年01月07日

今回は星のやの口コミのまとめ
宿泊するの中止したくなるかも。所詮はハリボテ宿(笑)そのうち潰れるかも。


【星のや富士】
“最悪です”

■2泊目
夕食中にスタッフが部屋に無断に入り且つ部屋の鍵を閉め忘れたまま部屋を去った。

■最終日
チェックアウト前にもかかわらず、散策から戻ると私物が全て外に持ち出され、部屋も荒らされた状態であった。(急遽フロントに確認したところ、チェックアウトを確認せずに清掃に入ったとのこと)

宿泊中スタッフに何をされているか分からず気味が悪くなり、最終日のオプションは全て解約して退散しました。皆さまもお気を付けください。
2016年 8月に、家族で訪問(体験)

【星のや竹富島】
“もう行きたいない”

星のやさんには2回目の訪問です。

前回、星のや軽井沢に伺ってとっても嫌な思いして2度と行きたくないと思っていたのですが、その時すでに竹富島の予約をしてしまってたので仕方なく訪問しました。何しろ星のやさんは予約時からキャセル料金100パーセントの強気のお宿さんですから…

ですのでさほど期待はしないでいきました。
到着して竹富島の美しさには惚れました。

そして星のやさんの施設には前回の軽井沢同様満足しました。ですが、3泊素泊りで20万円以上お支払いしているので当たり前といえばあたりまえです。プールも綺麗でよかったです。

他の方のクチコミに、集落に行く手段がなく施設に閉じ込められた感じがするとかかれていましたが、そこはすこし改善されたのか大満足とはいかないですが、集落まで行く足はありました(^ ^)あの炎天下の中自転車で動くのはきつかってのでそれはよかったです。

まずは前回同様、お部屋に案内されたときの案内が長すぎました。食事やアクティビティの予約を急かされごり押しさせれてとっても疲れます。これはきっとグループ全体の決まりごとなんでしょうが、やめてほしいです。

でももうそんなのはいいです。今回、1番不満だったのは、値段です。

お庭でバーベキューをやらせてもらったのですが、確かにプライベーゾーン、青空の下、ロケーションは最高だったのですか、高額なお値段の割に、食材の質も普通、ご飯の量もすくなく、デザートもなし、う〜んと思わざる得ない内容でした。石垣島で食べた焼肉や集落でいただいた石垣牛のハンバーグの方がリーズナブルで美味しかったですよ。

そしてゴルフ系列ホテルのゴルフのオプションがあったので予約しました。こちらも勉強不足だったことは否めませんが、個人で予約したら1人9500円のところ、星のやさんでお願いしたら、船代金が入っていたにせよ1人28000円、もちろん食事も特典も何もなし。この値段設定どうなっているんですかね…

それから、お部屋にヤモリとゴキブリがでました。自然のなかです。そこにかんしては文句はありません。ですが、苦手なのでお掃除の時に外に出してほしいとお願いしたところ、確かに外に出してはくれていました。ですかヤモリがいたトイレの鏡についていたヤモリの糞はそのまま掃除されていませんでした。なんのための掃除なのでしょうか?これでは他のところもちゃんと掃除されているのか疑問ですよね…一流ホテルがきいてあきれます。

まだあります。

離島に行くために港に送迎してもらう際、中国の方の団体のチェックアウト後の方たちとバスが一緒になりました。

スタッフの方たちが大勢お見送りをして、バスが遠くに離れても手を振っていました。

私達が帰る際は、運転手さんは私達がチェックアウトしたことも知らず、何処の島に遊びに行くんですか?なんてトンチンカンな質問をしてきて【もう帰るんですけど】と話すとスーツケースはどうしたかと車を停めて探す始末、暇をしていたスタッフも多かったのにありがとうございましたもなく、お見送りもたったの1人頭を下げただけ…

あの中国の方への大勢のお見送り見てしまっていただけに、連れとこの差はいったいなんなんだろ(^^;;と呆れかえってしまいました。

結局3日間で一回バーベキューをしただけでそれも予約をごり押しするだけしておいて、いざ予約しようとすると好きな日にち、時間に取れないといった状況の中、30万円以上のお金を払って不愉快な思いだけがのこる旅となりました。

名前ばかりの金儲け主義、他の方はどう感じるかわかりませんが、わたしにとっては慇懃無礼な星のやさんへの再訪は今後一切ありません。

軽井沢、竹富島、で思い知りました。
竹富島は大好きです
2016年 6月に訪問(体験)

【星のや東京】
“休めるようで休めない宿”

オープンしてすぐに滞在したのが良くなかったのか、スタッフが緊張しる様子がわかりました。各フロアにあるお茶などをいただく憩いの場でも「何か話さないといけない」と思わせるほど一生懸命会話されている様子が伝わり、その相手をするのがややストレスでした。。

温泉は屋上なので「天空の気分」が味わえますがお湯の効力なのかアンモニア臭が強くずっと入っていると気分が悪くなってしまうかなと思いました。

部屋は和風旅館の雰囲気がありますが周りはビジネス街なので夜遅くまで飲み会帰りらしき人達の声が響き眠りにくいです。

食事は半個室です。一品ずつ解説を聞いてゆっくり時間をかけていただきます。デザートは別の場所へ移ってその場でパティシエが作るというプレゼンテーションでした。

ともかく常にスタッフのだれかと会話をしていないといけない雰囲気があり、もう少しゆっくりと滞在したいと思っていたのにチェックアウト後にどっと疲れが出ました。

また、駐車場の代金割引が全くなく、1泊8000円もしました。近隣のホテルは3000円なのになぜなんだろうとアンケートに書いたのですが全く回答はいただけませんでした。

人恋しい方にはおすすめですが、ある程度自由にさせてほしい方には面倒くさいなと思ってしまうかもしれません。

客室選びのポイント: 金額を出せばいくらでも良い部屋に泊まれます。


【星のや東京】
“これからに期待したい”

 オフィス街に温泉旅館、お茶の間ラウンジ、雅楽の演奏等アイディアとコンセプトは素晴らしいと思いますが、スタッフのパフォーマンス的なサービスにゲストが付いて行かなければならない様な感じを覚え少々疲れました。ゲストのテリトリーに入り込む事無く、気疲れさせず、付かず離れずの距離で見守るサービスも大切であると思います。一生懸命さは伝わるのですが、ここが老舗一流ホテルと大きく違う点であると勉強になりました。

 到着初日に温泉の備品にトラブルがあり、対応が不十分で危機管理が出来ていないと実感、残念でした。お部屋はぬるま湯しか出ず、コールしましたが異常無しと言われ続け不具合に納得して貰えず疲弊。後程、温度を上げられた、と説明を受けましたが夜になって設備の不具合だった事を告げられました。

 到着早々トラブルの連続で何度も幾人もの方が部屋を行き来、出れば別の方から説明を繰り返され貴重な時間は更に失われ最早プライバシーは無くなっていました。

 ホテルはスタイリッシュな造りでお洒落なデザインですが、座椅子も座卓も微妙な高さでくつろげず、食事の度に二人係りでテーブルも座椅子のクッションもセットする事数分、撤収にまた数分、普通の座椅子に座卓で良いのに、、、と思ってしまいました。ルームサービスも品数が少なくて選択肢がありません。

 お茶の間ラウンジは、パジャマで利用出来便利です。飲み物やおつまみも十分に揃っていて自由に利用が可能です。ホテルでゆっくりされたい方は十分に楽しめると思います。お茶の入れ方も本格的でとても美味しかったです。スタッフの方は皆さん若くてエネルギッシュなのでこれからに期待したいと思います。

2016年 12月に、家族で訪問(体験)
posted by ほしのはじまり at 09:50|Comment(0)|星のや
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445652922.html


109. 中川隆[-7692] koaQ7Jey 2017年5月09日 20:33:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

星野リゾートの口コミ【界箱根】
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445549340.html?seesaa_related=category

【界箱根】

何度も旅館やホテルに宿泊しておりますが、金額と旅館のバランスの悪さにビックリしました

同じ内容を書いてる方もいましたが、 内風呂はひどく入れませんし、だからと言って露天風呂はシャワーも外なので、寒くて辛いです

部屋も古過ぎて壁紙が剥がれたり、清潔感がありません

料理は過去最低の味ですね 完全に作り置きです もう2度と来ない事を誓いました


【界箱根】
コストパフォーマンスが悪い

価格はハイクラスなのに、料理もサービスも残念。

景色だけ癒されました。

宿の人はバイトみたいな若い人ばかりで、マニュアル的な対応だし、和室にベッドだったので、一人はお布団を敷いて欲しいとお願いしたら別料金でびっくり。

初めての星野リゾートで楽しみにしていたので残念でした。
星野リゾートのブランド代でしょうか、コストパフォーマンスが悪すぎです。


【界箱根】
評判と価格を考えると。。。

口コミを読み、安定した満足度を感じたので、外国からの友人と4人で予約しました。2部屋4人の説明や荷物の移動に対し1人の係。私達も軽く手伝いはしたものの、大変そうで可哀想なほどでした。宿側の人員配慮がありません。

ゆったりとした朝の入浴時間に、露天風呂の写メを撮る女性客が!
誰も入浴中でなかったのですが、私は下着姿でした。注意する事をためらっていた所、清掃のスタッフがいらしたので、安堵したのもつかの間、注意を促すどころか話し込み始めてしまいました。

朝食も手抜きでしたし、オーガニックコットン製の浴衣の色も着崩れした感じも不満です。

外国からの友人には判断は難しいと思いますが、
宿選びに失敗だったと、悔いが残りました。

【界箱根】
箱根の景色を堪能できる

1月の上旬に宿泊しました。ロビーやお風呂、客室やトイレなどはオシャレで雰囲気が良くとても満足のいくものでした。

しかし、すみずみまで清掃が行き届いていない様子も見受けられ少し残念だったところもあったのは事実です。

客室の襖におおきなシミがあったり、天井のスピーカーに謎の着色汚れがあったりと、がっかりしてしまったところもありました。

【界箱根】

界箱根何度も箱根に来ています。某外資系ホテルは前回とてもよかったから今回もいいところにしようと星野を予約。

アクセス: 箱根駅までの迎え送りがないことは少々不便を感じ、まぁタクシー拾えば何とかなります。(バスが少ないので)

フロント対応: ついてからはおしぼりとお茶が出され、説明もされ、普通によかった。

部屋: 念願のお部屋ですが、とてもとても不満でした

まず入ってからかび臭いなと友人と二人で話していて、いろいろ設備を見てみたらとてもじゃないけど、ビジネスホテルレベル以下の汚さ。

まずコーヒーテーブルの水回りが詰まっていて、周りが茶色になっており、全く掃除されていない感じでした。

詰まっているからどうしようもないなとフロントに電話し、しばらくしたらスタッフさんが来て、雑巾とウェットティッシュのようなものを手に持ち、掃除させていただきますねと・・・

まさか?!ウェットティッシュできれいになると思います?!

しばらくやられてからは、すみません、もう大丈夫ですと言われ、確認したら確かつまりはなくなったのですが、汚れなどは一切とれていなく、尋ねてみると漂白剤がないと取れないので、ごめんなさい。とのことでした。漂白剤を使用したお掃除は普段やっていないそうです!

いや、やれよ、毎日でなくても周一くらいはしてほしいですね。。

その後しばらくしてからスタッフさんが再びいらっしゃり、部屋の交換はどうでしょうと提案され、3つほど空き部屋を拝見させてもらったのですが、どれも同じ(むしろもっと匂いが強い)部屋でしたので、交換はせず、そのまま最初の洋室に泊まりました。

和室も拝見したのですが、もっと汚いです。


食事: これは他の界と同じコース内容でした。夜はおいしかったです。朝ごはんはごく普通・・・

お風呂: 半露天風呂しかないため(洗い場も)、冬は一回部屋で洗ってから行かれた方が良いです。寒いです。本当に。お風呂も一か所しかないので、ごく普通です。

お風呂から上がり、ちょっと体を拭いたり整えようとすると、ここもまた本当に汚くて、、、消毒済みのブラシ取ろうとしたら、すっごくほこりがついているブラシを見て、全てのやる気を失いました。写真もアップしました。なので今回の宿泊は一回のみのお風呂で、二度と入りたくないと思いました。

全体 見送りや出迎えなど、そういうのがちゃんとしているのですが、なぜお掃除はちゃんとしないでしょうか?!

もともと古いホテルを改装したものとなりますので、建物自体の古さなどをカバーしようと思わないのかな?

星野はこのレベルか?!と思いました。少なくとも「界」ブランドは辞めた方が良いと思います。

また、ホームページからの予約でしたのでその後直で感想を送りましたが、それもまた返信がなく、最後の最後まで残念です。。。


客室選びのポイント: 止まらない方が一番良い。】

“掃除が行き届いていない、清潔感のなさに驚き。ビジネスホテル以下。
It was such a dirty hotel.”


【界箱根】
“宿泊費の見直しが必要な旅館”

2015年3月に宿泊しました。大浴場のロケーションは素晴らしいのですが半露天の為、洗髪や洗体は部屋の内風呂での利用をスタッフから進められました。

が、黒ずんだ不潔感あふれる檜風呂を見てその気は失せました。

その為、大浴場を利用しましたが3月でも肌寒かったので真冬は無理かと思います。

食事は好みがあるかとは思いますが、私は許容範囲です。
スタッフの対応や量的にも満足でした。24時間利用可能なドリンクサービスがあったり、アメニティも充実しています。受付&食事処と宿泊施設の棟が別でエレベーターを使い渡り廊下を歩いていかなければならないという面に多少の面倒くささを感じなくもありませんが、こちらも許容範囲でした。

問題はお部屋です。
50000円近くをかけてまで宿泊する部屋出はありませんでした。

窓いっぱいに広がる緑、渓流の音等ロケーションは良いと思います。
ですが、それだけです。

不自然に部屋と部屋をつなぎ合わせたような作りで、部屋の壁にむき出しのままで残された蛇口、部屋の中央に中途半端にある柱、ところどころにベニヤ板で仕切られた空間があり、隙間を覗くと使わない窓が見えました。

鏡台もなく、お湯も冷水の用意もありません。

飾られたお花はホコリをかぶった造花、毛玉だらけの古びたソファ...

例を挙げるとキリがないのですが、とても値段相当の部屋とは思えませんでした。
2015年 3月に、家族で訪問(体験)


【界箱根】
“宿泊費とサービス内容が釣り合わなすぎ! 最低です。”

温泉旅館が大好きで、日本国内100軒近くは行きましたが、最低のランクです。

1泊 一人 40000円
電話での予約で、クレジットカード先払い。

箱根湯本駅から界 箱根への送迎無し。タクシー代入れたら、41000円です。

部屋食ではなく、レストランでの食事。しかも部屋から遠くて、外を歩くので寒い。

夜も寒くてトイレに3回も行った。普通温泉行ったら体も暖まってるけどどこ行くのも外歩くし、露天だから部屋帰ると体が冷えてしまう。

到着して、お茶すら入れてくれず、自分で入れないといけない。

部屋で注文した物を忘れる 催促したら持ってきた

風呂場に持っていく袋が、風呂敷で自分で袋状に組み立てるが、中の物が落ちそうになるし
布なので、濡れた物が入れられない。ビニールの袋でいいのに。。

古い旅館のリフォームなので、窓の淵はさびてる。窓の開閉が硬い。

お風呂の脱衣所はかろうじて見える部分をリフォームしただけで、古いのままの脱衣所みえみえ

シャンプーなども、界箱根と書いたボトルなので、業務用の安い物をつぎたしてる。

ボトルでごまかしてる。今時そういうのないです。

カゴやロッカーも近所の昔のお風呂屋さんと同じ。情緒というよりリフォーム代をケチった感

安っぽいリフォームの洗面台。中庭を通って、お風呂やレストランに行くので、寒い。

風呂は半露天で、一瞬は素敵に感じるが、一つしかないので、冬は無理!風邪ひくね

部屋のヒノキ風呂はヒノキが真っ黒すぎで、気持ち悪い。

食事はセンス無し。

盛り方や見せ方がシロウト。刺身を、醤油に漬け込んだり、タレにまぶしたりして新鮮さを隠してる。いつの刺身?刺身は新鮮さと味が重要なのに。

味薄い。豆腐と豚肉がメインの鍋で、40000円?


浴衣は普通の綿でパリッとしたので良い。
おしゃれな素材を選んだのはわかるが、着崩れしすぎ

部屋への冷たい水の用意は高級旅館の必須。それも無し。
冷蔵庫に210円もする水はある。


総評 ファッショナブル感をかもしだそうとしてるが、客を喜ばすポイントズレすぎ。

儲かってないのかと感じるほど、ケチってる部分をごまかそうとしてる。
無意味な部分にお金をかけてます。

見える部分だけ繕ってます。

40000円出したら、部屋食は当たり前。今まで行った温泉旅館で最低ランクでした。

20000円ならまあ許せます。20000円でもっと完璧な所があるから行かないけど。

温泉旅館知らない人が作ったのね。比べる所がある人には儲け主義はすぐばれます。

サービス的に何をされた訳ではありません。
異常と感じる程、宿泊費とサービスが釣り合わなすぎです。

星野グループ バブルってます。この時代に勘違いも甚だしいです。
2014年 10月に、家族で訪問(体験)


【界箱根】
“過度の期待は禁物”

1歳半の子供連れでの宿泊でした。

従業員の方の気遣いで?到着後すぐに子供の名前を聞いてくださり名前で呼んでくださるのですが、色々な従業員の方に違った名前で呼ばれ4回ほど間違われました。

食事の担当さんも、堂々と間違った名前で呼んでくるので驚きました。ロビーではまた別の名前で呼ばれる、だったら最初から読んでくださらない方がいいなーと思った瞬間でした。

案内されたお部屋は広く、窓からの眺めも良く、大変素敵でしたよ。

お風呂もとても素敵な雰囲気でしたが、塩素の匂いがキツイお湯でした。

お食事は一品一品の量がとてもお上品=少ないので、特に男性の方はお夜食持参をオススメいたします。女性に丁度良いくらいの量かと。

お食事のお部屋は個別になっていますが、広い部屋をパーテーションで仕切ってあるだけなので、少々チープ感ありです。

ロビーはお洒落な雰囲気でした。

2013年 8月に訪問(体験)
posted by ほしのはじまり at 21:51|Comment(0)|全般
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445549340.html?seesaa_related=category


110. 中川隆[-7691] koaQ7Jey 2017年5月09日 20:46:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


星野リゾートに期待してはいけないこと 2017年01月05日
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445604836.html


星野リゾートにいざ行くぞ!となって期待してはいけないことがあります。

それは料理です。

それはまずいと言っているのではありません。

旅館といえば、強面の料理長がいて、素敵なそしておいしい夕食に、朝食というイメージですが星野リゾートは違います。

星野リゾートはセントラルキッチンで作られた料理をお皿に盛るだけ。

でもでも!そのおかげで斑がなく、まずくない。
はじめからセントラルキッチンと知っていればがっかりしない。

料理のおいしい店なんて都会に行けばいくらでもある。
星野リゾートはオーダーメイドのサービスを受ける場所です。

デニーズのメニューおいしいでしょ。

下記は、星野リゾート・料飲システムズという会社の求人情報を参考までに。


オペレーション業務をメインにチームのマネジメントをお任せします。

【具体的には】

◆和食・洋食の調理・製造業務(手作業と機械作業があります)

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◆メンバーのケア、シフト管理、日々のスケジュール作り など製造工程について

計量⇒調理⇒包装の工程があり、チームに分かれて作業をしています。

パートさんや契約社員を中心に6、7名で構成される各チームを取りまとめながら、自身もプレイヤーとして調理・製造に腕を振るってください!


【入社後は】「麓村塾」という当社独自の教育プログラムにて観光業に必要なビジネススキルや知識を学べるほか、研修やトレーニングをチームごとに用意しており、手厚い教育を受けることができます。

実際の業務は先輩指導のもと、現場で実務を通して覚えていただきますが、分からないことや困ったことはしっかりフォローするので安心してください。
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445604836.html


他のブログでも本件紹介されてましたので、よろしければ見てください。

2015 09/30
星野リゾートの触れられたくない急所をさりげなく暴露
http://standardandpoors.blog.fc2.com/blog-entry-341.html


星野リゾート公式サイト 企業情報
http://www.hoshinoresort.com/aboutus/


この企業情報には表に出せない、秘密の事業所があります。


星野リゾートの基幹ブランドの星のやの公式サイト
http://hoshinoya.com/


豪華ですね。非日常空間があります。しかし、このサイトの動画を見ても施設や客室の豪華さを強調するばかりですが、日本の高級宿泊施設に不可欠な「食」とおもてなしの「人」が見当たりません。建物だけ?

豪華な食事はあるようです。公式サイト 嘉助の料理について
http://hoshinoyakaruizawa.com/?_ga=1.77241749.1871305138.1443617858#/dining/kasuke


しかし......
触れてはいけない禁忌の言葉があります。

株式会社星野リゾート・料飲システムズ
https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E6%98%9F%E9%87%8E%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E6%96%99%E9%A3%B2%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%82%BA&spf=1


上記の公式サイトにはこの関連企業も事業所も伏せられています。秘密結社なのでしょうか。

グーグル先生に聞いてみましょう。

グーグル検索 株式会社星野リゾート・料飲システムズ
http://standardandpoors.blog.fc2.com/img/20150930223931bf9.png/


お客様には見せられない、公式サイトでは見せられない関連会社ですが、求人サイトではゾロゾロ出てきます。

株式会社星野リゾート・料飲システムズ 星野リゾートを食から支える【製造管理】

※未経験者歓迎!正社員


ビュッフェ・デザートなどの製造現場をマネジメント! えっ、お料理ではなく製造なの?

右下の画像にはビュッフェでもデザートでもないお料理が出ているようですが.......


星野リゾートはセントラルキッチン
http://standardandpoors.blog.fc2.com/img/2015093022450585d.png/


業務用冷凍食品(惣菜類)の製造

チ〜ン

客観的な証拠を出せないですが、高級温泉旅館ブランドの「界」の勤務経験のある知人の話では、確かに冷凍食品、セントラルキッチンでした。専任の板前はおらず、従業員は持ち回りで料理から部屋の掃除からお客様対応まで全てを対応しないといけないようです。最大で16時間拘束されるブラック企業でした。

私もブランドのグレードは下になりますが、星野リゾート裏磐梯温泉ホテルを利用した事があります。

星野リゾートに買収される前の旧猫魔ホテルは地場の野菜をふんだんに利用した料理が印象的でしたが、傘下になった後は特徴のない、チーンな印象に。

旧猫魔ホテルはまた使いたいとリピーターになり、星野リゾート傘下になってから利用したのですが、生涯で最悪のホテル体験となりました。

チェックインすると夕食は18:00と一方的に指定され、時間通りに行ったら20分くらい行列で待たされ、挙句の果ては相席をお願いしますと言われました。

スキー場の食堂ならそれでも良いのですが......


※セントラルキッチンや冷凍食品を否定する意図はありません。

チェーン店のレストランで、高い品質と安全性を安定的に維持するのには、非常に効果的です。

しかし、それは「星野リゾート」「星のや」「界」のブランドイメージや利用者が求める世界観とはかけ離れたものでしょう。
http://standardandpoors.blog.fc2.com/blog-entry-341.html


111. 中川隆[-7690] koaQ7Jey 2017年5月09日 20:50:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝食対決 星野リゾート vs ビジネスホテル 2017年01月08日
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445710465.html


ホテルの楽しみと言えば、食事!

そこで今日本で注目されているホテルといえば星野リゾートの星のや東京


星野リゾート(1名1泊8万円)の朝食。・・・・・・・・なんじゃこれ(笑)

もう少し真面目に作れ。

http://hoshinoresorts.seesaa.net/upload/detail/image/E38380E382A6E383B3E383ADE383BCE38389-75347-thumbnail2.jpg.html

ビジネスホテルの700円朝食
http://hoshinoresorts.seesaa.net/upload/detail/image/images-51c86-thumbnail2.jpg.html

やっぱり、ハリボテ宿なのかな。

これが星野リゾートの魅力です。
8万円払ってバイトが握ったおにぎりと永谷園の味噌汁。

どんどん星野リゾートの魅力をお伝えします。
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445710465.html


112. 中川隆[-7689] koaQ7Jey 2017年5月09日 20:56:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


流出防止 2017年02月20日

みなさん、星野リゾートの従業員が大量に流出してます。
助けるために、宿に泊まりにいってください。
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/447196312.html

社員の気持ち 2017年01月09日


星野リゾートではどのような人が素晴らしいサービスを提供しているかまとめてみました。

とりあえず第一弾


@ただ一点残念な点が産休育休制度が整っていないこと。

本社オフィスでマーケティングや広報をしている人は取得実績があるそうですが、社員の大半を占める現場の人間は、とてもとても家庭を持ちながら働ける環境ではありません。

残念ながら、結婚すると退職するのが流れです。

そういう業界ですから仕方ありませんが、長く勤められないことは女性にとってはとてもマイナスポイントです。

A基本的に40〜80時間程度。これ以上少なくなることはありませんでした。

肉体労働ですし拘束時間も長いため、さすがにしんどいなと思い始めた頃に100時間超えを記録し、ついに退職を決意。サービス業ですから幅があるのは慣れていますが、これでは身体が保ちません。


B会社の急成長により人材の育成が追いついておらず、中堅の社員が居なく現場はほとんどが入社3年以内の若手。

教育が追いつかない
→ 新人のフォローで既存社員がキツイ
→ 2,3年目の退職が相次ぐ
→ 教育が追いつかない
→ …

の無限ループ。事業所により差はあるだろうが、私が勤務した施設では立ち上げから軌道に乗るまで、かなり苦戦している施設だと思う。
四年勤めたら古株NO.2になった。とにかくマネジメント出来る人材が居ない。
定着率には会社も頭が痛いと思う。

C給与水準は低いと思います。

同僚で、2人の子供を養っている方がいますが、本当に大変そうです。
市から給付される養育費でなんとかやれているそうです。彼を見ているといつも心が痛みます。

この会社は残酷です。ご家族がいらっしゃる方には向いていない会社だとズバリ申し上げます。

D福利厚生はほとんどありません。通勤手当があるくらいです。

私の場合は、車通勤を希望したのですが、駐車場が空いていないという理由で、勤務地近くのアパートを探すしか選択肢を与えられませんでした。ちなみに、住宅手当もありません。

食事に関しても、まかないどころか、補助はいっさい無く、その一方で、食事の廃棄を目の前でどかどかやられるとむなしい気分になります。社員に対する優しい気持ちはいっさいない会社です。

従業員をロボットかと思っているんじゃないでしょうか。

E【社員教育に積極的か】
会社の積極性はさほど感じません。
社内セミナーはありますが、趣味レベルですし、本当に必要なトレーニングは現場任せで幼稚です。
http://hoshinoresorts.seesaa.net/article/445752292.html


113. 中川隆[-7330] koaQ7Jey 2017年6月26日 08:51:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
星野リゾートってどうですか?
リゾートマンション・リゾートホテル・別荘掲示板@口コミ掲示板・評判

>>69, >>70, >>71, >>80, >>86, >>93, >>100, >>101, >>102, >>103, >>104, >>105 に追記


373 by 名無しさん 2017-06-02 09:33:05

軽井沢の旅館の若旦那が背伸びして急激に旅館を増やしましたが、高いだけで内容なし。もっといい宿いくらでもあります。
旅館業は利益が薄いのでいずれ資金ショートで行き詰まりになります。高級感を売りにしてますが騙されないように。


374 by マンコミュファンさん 2017-06-26 05:00:40
>>365 新入社員ですさん

時間の問題ですね。今日にも事件事故が起こっても不思議でないです。

375 by マンコミュファンさん 2017-06-26 05:05:48
>>369 匿名さん

自社所有に見せかけているだけで、自社所有自社運営の施設なんてひとつもないんではないですか?
運営だけでも赤字なのですから、実質的オーナーから見捨てられたら、星野リゾートは破産です。

376 by マンコミュファンさん 2017-06-26 05:14:39

星野リゾートトマムは最低ですね。
あの広い敷地内で通勤は自己責任(寮から部署までのバスがないときは徒歩)。
食事も自己調達自己責任。シフトに食事時間が反映されてないので一日一食も食べられない日あり。

体調不良で倒れるアルバイトが続出してます。
正社員は自身を過大評価した馬鹿ばかり。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/


114. 中川隆[-7248] koaQ7Jey 2017年7月07日 21:26:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

381 by 匿名さん 2017-07-07 16:01:23

昨日星野リゾート伊東に1泊してきました。星野と期待して行きましたが、期待外れな宿ですね。全て普通以下でした。

料理もたいして美味しくなかったですね。全てコストカットしているような感じがしました。

接客も微妙ですし、従業員はなんか勘違いしたよう人が多い印象を受けました。

他の星野の宿は分かりませんが、値段を考えるとお勧めできない宿でした。


382 by 匿名さん 2017-07-07 18:55:05

料理がダメなんだよな・・・
クダラナイ演出は笑うとしても料理がね・・

一時期、流行った素人ペンションのようなんだよな。
フランス料理のようでフランスじゃない・・


115. 中川隆[-7244] koaQ7Jey 2017年7月08日 09:30:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

383 by マンション検討中さん 2017-07-07 23:58:16
>>382 匿名さん
え、だって竹富島とか料理長いないですよ?
セントラルキッチンでサービスチームスタッフ(素人)がそれっぽく盛り付けてるだけなんで。


385 by 匿名さん 2017-07-08 07:59:56

チーンで調理しているコンビニ・ファミレスと同じじゃん


116. 中川隆[-7167] koaQ7Jey 2017年7月15日 11:07:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

387 by 名無しさん 2017-07-10 20:48:59

星野リゾートのご当地楽て素晴らしいと思う。しかも全部現場の意見。
社長は経営者として素晴らしい。

388 by マンション検討中さん 2017-07-14 23:27:04
>>387 名無しさん
笑 元マネジメントクラスで勤務してましたが、メディア信者ですね。そんなわけないでしょう(苦笑)

実情話しましょうか。

銀座京橋の高架下にいる界マーケティングと支配人で内容を決め、オペレーションを現場に考えさせるものですよ。

全部現場の意見なんてとんでもない。特に界はね。
星のやは現場からのボトムアップが若干残ってますが。


117. 中川隆[-7128] koaQ7Jey 2017年7月22日 08:10:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

389 by 名無しさん 2017-07-15 15:00:19
>>388 マンション検討中さん

そうだったんですね。そういわれると不自然なサービスがあった気がします。


391 by 名無しさん 2017-07-15 18:03:47
>>388 マンション検討中さん

どうして退職したんですか?


394 by 名無し 2017-07-15 20:26:22
>>392 名無しさん
バレるのでいえません。正しい議論ができなくなったからじゃないですかね?


395 by 名無しさん 2017-07-17 05:39:31
>>394 名無しさん
会議室5

396 by 名無し 2017-07-17 19:39:15
>>395 名無しさん
ははは、具体的すぎだよ。


397 by 名無し 2017-07-17 19:40:48
>>395 名無しさん
星野リゾートは、辞めて正解。在職中はワクワクしながら仕事してたけど、辞めて外からみると凄い宗教的な社風だったな、と思います。


398 by 名無しさん 2017-07-17 20:26:55
>>397 名無しさん

私もやめようかな。企画開発会議が不毛すぎ。

399 by 通りがかりさん 2017-07-21 18:49:13

熱海で勤めていました。
宗教感半端ない。
もう、ゲストに嘘はつけないと思い辞めました。
本当に最低なホテルでした。

400 by 名無し 2017-07-21 21:02:49
>>399 通りがかりさん
そうね、お客様に嘘はつけない。

401 by 名無しさん 2017-07-21 21:35:44
>>399 通りがかりさん

私は玉造でした。あそこは汚いというレベルじゃなかったですね。

390 by 名無しさん 2017-07-15 15:03:26
>>385 匿名さん

料理長がいるとスタッフが言ってましたが


392 by 名無し 2017-07-15 20:24:24
>>390 名無しさん
セントラルキッチンですよ?料理を監修してるのは2000km離れた場所にいます。
そのスタッフ嘘つきですねー笑



118. 中川隆[-7131] koaQ7Jey 2017年7月24日 08:17:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

200by 匿名 2015-02-22 00:12:24

星野リゾートのスタッフはほとんど派遣社員です。
聞いた話では2〜3か月の契約でいきなり厨房からホールから客室清掃までの仕事を
時間単位で1日目まぐるしくこなすそうです。
厨房の仕事は送られてきた食材を温めて皿に盛る。作るのはサラダぐらい。
清掃は時間に追われて厳しい。
ブラック企業のようだと言っていました。
宿泊するお客さんがかわいそうなくらいです。
契約途中でやめる人も多いそうです。

201 by 匿名 2015-02-22 12:00:24

これだけバッシングされてるのに、なかなか潰れないのはどうして?

202 by 匿名さん 2015-02-23 12:49:00

基本は1泊2日の客が大半だしテレビでやるからね。
もっと上等なサービスの宿泊先に泊まった人でないとわからないでしょう。
比べようが無いからね。

402 by マンコミュファンさん 2017-07-23 04:56:59
>>201 匿名さん
高リスク高リターンのファンドで資金調達している。ファンドがただの紙きれになった瞬間破綻の時。
実家の旅館まで売ってしまうくらい資金繰りが厳しいということ。
トマムなんて、占冠村所有分まで勝手に中国資本に売ってしまうなんて常識では考えられない。


398 by 名無しさん 2017-07-17 20:26:55

私もやめようかな。企画開発会議が不毛すぎ。

403 by マンコミュファンさん 2017-07-23 05:05:45
>>398 名無しさん
星野出身者は他のホテル人事担当者に評判が悪い。
マルチタスクで色々な部署を単に経験しただけなのに、何でもできると勘違いしている輩が多すぎる。
他のホテルが求めているのはスペシャリスト。
料飲と調理を軽視している星野出身者は使い物にならない。
まずは、料飲から勉強して下さい。

404 by 匿名さん 2017-07-23 07:54:28

星野さんの非常識ぶりが問題ですね。
ある時、中国資本にすべて売り飛ばすような事が起きるかも知れませんね。

405 by マンコミュファンさん 2017-07-23 14:10:43
>>404 匿名さん
ヤバいんですよ。トマムとクラブメットを買った中国の会社のオーナーが当局によって拘留されている。
儲けているのに共産党に袖の下を渡さなかったのが原因。

406 by マンコミュファンさん 2017-07-24 06:45:18

経営者の資質ゼロ。単にメディア戦略が上手いだけ。
他社の真似ばかりでオリジナリティなし。
もうすぐ60なんだから早く引退して、後輩に道を譲れ

249 by 匿名さん [男性] 2015-12-11 08:45:57

悪いところではなく、良い点を探しましょうよ。

250 by [男性] 2015-12-12 14:43:30

星野リゾートの良い点など有る訳無いよ.
悪どい乗っ取りで大きくなったのを自覚しな.
ファンドで獲物探すのか.恐ろしい悪る.

251 by 匿名さん [男性] 2015-12-12 17:26:56

M&Aとスクラップ&ビルドという考えれば、星野リゾートは頑張っていますね、勉強してみてください。


408 by マンコミュファンさん 2017-07-24 07:02:42
>>251 匿名さん [男性]さん

違うよ
未だ非上場なのは、上場すれば色々とバレてしまうから


119. 中川隆[-7121] koaQ7Jey 2017年7月27日 10:50:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

409 by 名無し 2017-07-24 19:18:38

>>406 マンコミュファンさん

実務は専務で、社長は広告塔というのが社内の既知。
メディアに踊らされる世の中はいつ気づくのか。
それは社内を知って愛想つかせた社員が今どんどん辞めていく先で伝わっていくだろう。新卒も可愛そうに、、

411 by マンコミュファンさん 2017-07-27 02:31:52

>>403 マンコミュファンさん

まさにその通り!
サービスのレベルは低く、知識もない。
そのくせハイレベルなことをやろうとする。が結局中途半端でチープなサービスをすることになる。
これでよくサービス料が取れると思う。恥ずかしい。。。

料理に関してもキッチンスタッフの技術が乏しく、同じ食材、調理法などがひとつのコースの中で多用されている。挙げ句の果てには既製品のオンパレード。

ファミレスの方がよっぽどクオリティが高い。


120. 中川隆[-7115] koaQ7Jey 2017年7月29日 15:04:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

414 by 匿名さん 2017-07-27 20:52:43

セントラルキッチンですよね・・星野さんは・・


418 by 匿名さん 2017-07-28 01:56:21

料理の「り」の字も知らないUDやAUDが厨房現場に口を出す。あげくの果てに、料理人に客室清掃までさせる。
これじゃぁ、料理人の士気も低下する。
100%出来合い素材を使っても、料理人の腕がよければ美味しく仕上がる。
料飲の「り」 の字を知らないUDやAUDがレストラン接客に口をだす。フロントや売店で接客をかじった程度な奴がレストランを仕切れるはずもない。


416 by 名無しさん 2017-07-28 01:12:43

みなさん同じような思いを抱いているようですね。
ただ、全ての星野がそうであるかはわかりませんが、私の知っている施設は皆さんが言っているような施設です。


417 by 通りがかりさん 2017-07-28 01:45:42

もっと食べログとかでこういう評価がでるべきだ!


419 by 匿名さん 2017-07-28 01:57:51
>>417 通りがかりさん

イカサマやってんだろ?

420 by マンション検討中さん 2017-07-28 15:39:53

星野さんにゲストとられた先のネガティブキャンペーンですね。わかります。

421 by 名無し 2017-07-29 13:34:14
>>420 マンション検討中さん

いえ、多分社員(現役&元)ですよ。
ネガティヴキャンペーンというか、表のイメージと中の実情で大きなギャップがある、トップが嘘ばかりついてる事に仕事の誇りや組織への疑念が湧いている人は少なくはないと思いますよ。

旅ライターが褒めるのは、全部コンプ(料金タダ)で通常ゲストが体験する以上のおもてなしを人員かけてやってるからです。とまぁ実情はこんな感じ。

いつも眺めてるだけでしたが、思わずコメント書いてしまいました。ではでは


121. 中川隆[-6857] koaQ7Jey 2017年8月06日 13:43:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

431 by ご近所さん 2017-08-05 22:58:56

両親が蓬莱がお気に入りだったので、3年ほど前に主人と界熱海に行きましたが雰囲気も良く、お料理も珍しいお魚とか出て良かったので3か月ほど前再び行ったんだけど、お料理も代り映えなくお刺身はスーパーでいつも売ってるようなポピュラーなものに代わっててがっかり。

メインが金目のアクアパッツァ?が出た話を父にしたら昔の蓬莱はそんな庶民的な魚は出ないよって言ってました。

そのあと別の旅館に泊まった際、たまたま蓬莱で働いていた方が仲居さんでその話をしたら、業者さんとかは変わらないらしいんだけど、とにかく蓬莱の食材は星野リゾートではとても使えないとのこと。

要するにかなりのコストダウンね。たぶん3か月前に行った時の責任者は一般的な食材しか知らない人だったのかな。

432 by 名無し 2017-08-06 10:22:26
>>431 ご近所さん
千葉県美浜区にあるセントラルキッチンです。
料理長はいません、素人です(形式上、メニューに料理長◎◎と書かれています)

ちなみに私がいまいる施設の支配人は、

「湯上がり処に無料の酒やドリンク置いてたらお腹膨れて客の料理が進むスピードが遅くなるし、お代わりしなくなる。少ない人数でサービスを回すための戦略だよ」

と、どうせ支配人会議で聞いた内容をあたかも自分が考えたように話していたのを今でも覚えています。


「あ、ここには大切な家族とか友人を本心から呼べないな」と感じましたね。。


122. 中川隆[-6841] koaQ7Jey 2017年8月07日 09:11:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

433 by 匿名さん 2017-08-07 05:47:08
>>432 名無しさん
>>431 ご近所さん
料理長というポストが存在しない宿の食事に期待したら駄目(笑)
素人に食材購入と仕込みをさせ、プロの料理人に皿洗いや客室清掃をさせる訳のわからぬマルチタスク。

安く買って高く売り別資本になっているのに「星野」を名乗っているところがほとんど。

434 by マンション検討中さん 2017-08-07 07:59:15
>>433 匿名さん

湯せんと電子レンジ活用??
鬼怒川でマグロの漬けが出たときは???????てなりましたが、素人が勝手にメニュー出してるの?


123. 中川隆[-6792] koaQ7Jey 2017年8月08日 07:14:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

436 by ご近所さん 2017-08-07 20:06:22

以前星野リゾートで前旅館から継続で働いていた人に聞いたけど、界はセントラルキッチンも多いけど、地元の業者からも結構魚貝類や野菜を仕入れてるって聞いた。

でも魚なんか素人のニセ料理人がさばけるわけないから厨房では刺身なんか切るだけだって。下ごしらえは魚屋。地元のセントラルキッチン(笑)

考えてみても、ファミレスやコンビニ飯しか食べたことの無いような若い社員がどれだけ背伸びしたって自分が食べたことの無いような一流の料理が作れるわけないし。

星野社長が社員の勉強のために一流料亭の味を覚えさせるわけないし。

でも料金が安いから仕方ないけど伊藤園はひどい。
料理の産地なんて載せられないレベル。
伊藤園に入れている各地元の業者は大江戸にも入れてるって聞いた。

そういうグループは板前と業者の関係も。
その点星野社長は前にテレビで板前嫌いだって言ってた。



201 by 匿名 2015-02-22 12:00:24

これだけバッシングされてるのに、なかなか潰れないのはどうして?


202 by 匿名さん 2015-02-23 12:49:00

基本は1泊2日の客が大半だしテレビでやるからね。
もっと上等なサービスの宿泊先に泊まった人でないとわからないでしょう。
比べようが無いからね。


402 by マンコミュファンさん 2017-07-23 04:56:59
>>201 匿名さん
高リスク高リターンのファンドで資金調達している。ファンドがただの紙きれになった瞬間破綻の時。
実家の旅館まで売ってしまうくらい資金繰りが厳しいということ。

トマムなんて、占冠村所有分まで勝手に中国資本に売ってしまうなんて常識では考えられない。

437 by 匿名さん 2017-08-08 06:33:03
>>402 : マンコミュファンさん

トマム 占冠村所有分まで勝手に中国資本に売り、金も払わず村から訴えられた新聞記事を読んでいます。
常識では考えられ無い会社です。同感です。

28歳の若さで総支配人になった「星のや●●」の S氏。

S は「星のや●●」隣の他人の水源地の山をタダ(無料)で 捏造でっち上げで乗っ取る為、裁判で嘘の証言をすることで星野社長に総支配人にしてもらったのでしょう。

高裁にS氏の写したDVD が提出され、水源地の山まで徒歩30分以上の山道、写っていたのは 殆ど関係の無い物でした。

墓穴を掘った一つが DVDでした。社員に嘘の証言や嘘の DVD 写させ、高裁で全面敗訴した星野社長。

哀れな総支配人 S。

普通の人間ならこの会社の実態や、社長の本性を知り不信感から嫌になる筈が、今も総支配人にしがみついている。そんなに総支配人はおいしい仕事?
常識の無い荒手の詐欺会社 ?


124. 中川隆[-6787] koaQ7Jey 2017年8月08日 08:21:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

439 by 匿名さん 2017-08-08 08:05:08
>>437 匿名さん

リゾート会社を装った投資会社

所有せず運営のみとか訳のわからんこといっているが、安く所有して高く売る。
そして運営会社まで売り、星野リゾート・界・リゾナーレ等のブランド料金を取り続ける。


125. 中川隆[-6781] koaQ7Jey 2017年8月09日 04:38:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

438 by マンション検討中さん 2017-08-08 07:30:35
>>437 匿名さん

井戸水で作ったお酒はうまいよね。知ってた?

442 by 匿名さん 2017-08-08 09:06:52
>>438: マンション検討中さん
星野関係者さん 実態書き込まれ 「 ボケ⁉️」書くしか無いよね。真面な事業しなよ。


448 by 匿名さん 2017-08-09 03:59:00
>>442 匿名さん
法律スレスレで真面目に不動産業と投資業をやっている。
決してリゾート会社ではないからね。

443 by マンション検討中さん 2017-08-08 21:02:49
>>442 匿名さん

星のや京都に来れないひとですね。来ても食事高すぎて、施設に食事たべれないかたですね。

444 by 匿名さん 2017-08-08 21:51:13
>>443: マンション検討中さん
本物の優良旅館、ホテルを良く知る者は見せかけだけのハリボテ 星のや京都には行かないな。
しかも土砂災害で死者数人出ている危険な場所。死者の幽霊を遊船の船頭が見た噂もあるよ。
京都にも、他府県にもいくらでも食事の美味い もてなしの素晴らしい旅館はある。
わざわざ行かないよ。特に賢い京都人は行かない。

445 by マンション検討中さん 2017-08-08 23:09:37
>>444 匿名さん

船頭はプロ?

446 by 通りがかりさん 2017-08-08 23:10:35
>>444: 匿名さん
地元民なら殆どの人が知っている名所が有る。星のや京都の門近くの千鳥ヶ淵 は 大堰川にある
川底が深い自殺の名所です。この場所も怖い。

447 by 通りがかりさん 2017-08-08 23:17:17
>>445: マンション検討中さん
遊船を知らない田舎者? 京都人じゃ無いな。話にならないわ。


126. 中川隆[-6773] koaQ7Jey 2017年8月09日 13:25:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

448 by 匿名さん 2017-08-09 03:59:00

法律スレスレで真面目に不動産業と投資業をやっている。
決してリゾート会社ではないからね。

453 by 評判気になるさん 2017-08-09 09:55:38
>>448: 匿名さん
内部の方の様ですが 法律スレスレでは無く、
森友学園や加計学園に似たことを裏でしていると聞いていますよ。


127. 中川隆[-6777] koaQ7Jey 2017年8月10日 08:38:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

455 by マンション検討中さん 2017-08-09 23:51:22
>>453 評判気になるさん

例の追い出し部屋ユニットとかひどいよね


461 by 通りすがり 2017-08-10 08:03:55
>>455 マンション検討中さん

どこですか?コンプライアンス?

462 by マンション検討中さん 2017-08-10 08:29:38
>>461 通りすがりさん

FM。使えない人はどんどんFM送り。


128. 中川隆[-6763] koaQ7Jey 2017年8月10日 18:17:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

437 by 匿名さん 2017-08-08 06:33:03

28歳の若さで総支配人になった「星のや●●」の S氏。

S は「星のや●●」隣の他人の水源地の山をタダ(無料)で 捏造でっち上げで乗っ取る為、裁判で嘘の証言をすることで星野社長に総支配人にしてもらったのでしょう。

高裁にS氏の写したDVD が提出され、水源地の山まで徒歩30分以上の山道、写っていたのは 殆ど関係の無い物でした。

墓穴を掘った一つが DVDでした。社員に嘘の証言や嘘の DVD 写させ、高裁で全面敗訴した星野社長。

哀れな総支配人 S。

普通の人間ならこの会社の実態や、社長の本性を知り不信感から嫌になる筈が、今も総支配人にしがみついている。そんなに総支配人はおいしい仕事?
常識の無い荒手の詐欺会社 ?

464 by 評判気になるさん 2017-08-10 09:03:02
>>437: 匿名さん
星野リゾートの運営している旅館では、28歳で総支配人になれた内容で驚きです。
なるほどですが、
星野リゾート関係施設では経験豊富なベテランが居ないのですか?
全国の殆どの、ホテルや旅館の総支配人はある程度経験豊富な年配のイメージでした。
若い総支配人だと、メリット、デメリットはかなりありそうだな。

466 by 通りすがり 2017-08-10 17:28:21
>>464
それは、ベテランは高給だからということらしい
ペラッペラの若い人なら支配人でもお安くあがるというわけだ

465 by 通りすがり 2017-08-10 17:26:08

星野リゾートのリゾナーレ小浜島のときに行ったが、部屋の給湯器ぶっ壊れてて初日から水シャワーだった。

夜中にフロント呼びつけてもラチ明かず、その情報が翌日のスタッフに行き届いてなかった。

何人ものスタッフにその話をしたのだが一向に状況把握&修理に来ないため、こちらから「大変困っています」とさらにスタッフを見つけては話をして、やっと確認にくる始末。

夕食を予約していたのでのんびりできない時間になってから「給湯器が壊れている」と、取り換え工事の始まり。

さすがに別部屋でシャワー使わせてもらうように話をつけて、なんとか済んだものの、こちらは交換工事が見たくて泊まってるわけじゃない。

「申し訳ございません」はゼロ円だから、その後どのスタッフもペコペコ頭を下げていたが、とうとう部屋代の値引きなんて話も出なかった。

「星野の精一杯はゼロ円で済ますこと」だと認識して宿泊なりマンション購入なりしたほうがいい。
なんせあの社長いわく

「クレームがくる寸前までギリギリ絞ったサービスが提供できれば良い」

だからな。

クレームつけたくても、サイトにクレームいえる場所がないときた。



129. 中川隆[-6757] koaQ7Jey 2017年8月11日 00:02:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

467 by 周辺住民さん 2017-08-10 18:23:28

ナイトフロントなんて何処の旅館やホテルでも最低レベルの仕事しか出来ない人がほとんどです。
星野リゾートも例外ではありません。社員ではなくバイトのような人です。
ちゃんとした仕事が務まらない人が唯一出来る仕事と言ったところでしょうか。

私も長い間旅館業界におりましたが、支配人なんて大した仕事はしないです。
星野ならなおさら現場で勝手に値引きなんて出来ません。

468 by 匿名さん 2017-08-10 23:43:44
>>467: 周辺住民さん
世間の支配人の地位がそうなんですね。始めて知りました。
星野リゾートの「星のや」の総支配人は別格のようですよ。

2013年から5年連続で「ミシュランガイド京都.大阪2017」「快適で豪華な最高級」評価を獲得。
(築100年の趣や伝統の意匠を活かし……)評価の内容に堂々と嘘があっても、
ミシュランガイドで高評価獲得できるんだ。ミシュランガイドていい加減なんだね。

昭和26年7月 梅雨末期の大雨で土砂災害発生し、死者4名。旅館の殆ど流れた。
地元新聞記事の写真には建物は何も写って無い。

全国で自然災害が頻発していて多くの死者が出ている昨今に、嘘 でミシュランガイド高評価取ることも詐欺でしょう。

28歳で総支配人になったS氏も別格だと思います。
裁判所に嘘の陳述書提出。裁判では嘘の証言をし、高裁ではデタラメDVD提出。
50人の従業員のトップの 総支配人の肩書きで裁判に出提していたらしい。

世間の支配人とは別の仕事があるのかな? 「星のや●●の総支配人。」


130. 中川隆[-6756] koaQ7Jey 2017年8月11日 00:14:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

星のや 京都【 2017年の口コミ・料金比較・宿泊予約 】- トリップアドバイザー#REVIEWS


京都、嵐山が泣いています

二部屋食事込みで50万以上を支払ったにもかかわらず、飲み物の注文が少なかったからか、レストランで大変冷たい扱いをされました。70以上の高齢者なので、どれぐらい飲めば星のやさんが喜んでくれるかを考えてしまいます。

おもてなしを唱えておいて、結局金儲けしか考えていないです。星のや、レゾナーレ、界など系列を一切利用しません。
一部のみ表示する

宿泊時期:2016年 12月、家族旅行


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若者向け

お値段は一泊一人8万。

このレベルのホテルの場合、設備は良くて当たり前、最後にものをいうのはホスピタリティだと思います。スタッフは20代中心で若い人しかおらず(いたのかもしれないが遭遇せず)、一生懸命で健気で応援したくなるけれども、こちらが関心するような心遣いは感じられなかった。

ホスピタリティなんてものはマニュアル通りではどうにもならない部分があり、経験がものをいうと思うのです。そしてこのレベルのホテルなら当然のようにそれが求められてしまう。特に人生経験豊富な年配の方ほど設備以外部分の心配り等を重要視します。40-50代のベテランスタッフが必要なのではないかと感じました。

宿泊時期:2016年 11月、家族旅行

_____

J
人手不足?

軽井沢に続き、京都もダメだった…

鵜飼舟に乗るために早めの夕食を予約したが、お料理が出てくるのに時間がかかりすぎ食事を中断。残りはお部屋でお願いしますと言われ、鵜飼見学を終えてからお部屋で食事をしたが、終えてから食器を片づけてほしいと何度か連絡しても来ず、おきっぱなしで一晩過ごした。

翌日チェックアウト時、舟の時間がないと追い出されるように部屋を出たが、その際クレジットカードを返し忘れ、京都市内に移動してから気づいてフロントに連絡をするもこちらにはないと言う。探してほしいと二度連絡をしたがやはりないと言うのでカード紛失の手続きをし、その後の予定を変更し早めの新幹線に乗ることに。と同時にフロントに置きっぱなしでしたと電話がかかってきた。

他にも京都を知らないスタッフがいい加減な京都情報を伝えたり、従業員の教育ができていないように思う。食事もイマイチ、サービスも最低。4人で30万円近くかかったが納得いかない金額である。

宿泊時期:2015年 8月、家族旅行

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JJJJJKMMMM
また、行きたいとは思わない・・・

船で宿に行くのは始めはよかったのですが、小腹がすいても宿の中には「軽くつまめる」ものは売っておらず有るのは割高のものだけ。外とのアクセスも絶たれているのコンビニにも行けませんでした。

また、夜にチェックインしたのですが急勾配な階段が多いのにも関わらず、フロントや部屋に行くまでの照明が暗すぎです。誰が転んでもおかしくありません。
割高な値段の割にはサービス、施設、お料理も普通で、リピートしたいとは正直思いませんでした。

宿泊時期:2012年 12月


131. 中川隆[-6755] koaQ7Jey 2017年8月11日 00:31:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

最悪でした - 星のや 京都の口コミ - トリップアドバイザー


かなり期待していたのですが、かなりひどいホテルでした。。

働いている人たちが若いのはいいのですが、知識がなさすぎます。。
食事もまずかったです。。
ワインも頼みましたが、知識がなさ過ぎて、あきれました。。。

前の日に、三つ星のちはなにいったのですが格差がありすぎて本当にがっかりしました。。しかも星のやさんの方が高くてありえませんでした(T_T)  

一番いやだったのは、東京から震災のため避難してきたのにテレビが、情報がないことでした。。テレビがなくくつろいでもらうコンセプトはわかりますがこの時ぐらいはきをつかってほしいです。。自分達で携帯用のテレビ買いにいったぐらいです。。   

とにかく顔だけ良くて中身のない人と一晩過ごしたみたいなやな気分でした。。
もう二度と行きたくないです

2011年 3月に、カップルで訪問(体験)


132. 中川隆[-6757] koaQ7Jey 2017年8月11日 09:38:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「星のや京都」に宿泊して感じたこと
兵庫県の注文住宅建築設計事務所 松尾設計室のブログ 2015-03-07
http://matsuosekkei.blog85.fc2.com/blog-entry-2634.html


先日、実際に接客を担当している社員3名を引き連れて「星のや京都」に宿泊してきました。星のやグループは御存知の通り旅館業界の革命児的存在で中でも軽井沢と京都は極めて人気が高くなかなか予約が取りにくい宿としても有名です。

 期待をふくらませて行って見ていろんな意味で予想を裏切られることがありました。そのあたりを書いてみたいと思います。

まず良いと思ったところです。立地とサービス、全体計画は本当に素晴らしいと思いました。保津川沿いの河原にあり、川と山を一望できる最高のスポットでした。サービスも支配人が33歳であるというくらい若い人たちが笑顔でかつ「これでもか」というくらいのおもてなしをしてくれます。さすがは高級旅館です。また、全体の建物の配置等も雰囲気良くまとめられていました。

 逆に想定以下だった点は建築物そのものにあります。所員の設計力向上を目的に視察ツアーを組んだわけですが、あてが外れました・・・。一般の方はおそらく満足されるのだろうと思いますが、我々プロから見ると「ディティールが甘い」「貼物が多い」ことがものすごく目につきました。それをクリスマスツリーチックな外構照明計画の演出で重ねてくる感じが安っぽく感じました。また、築100年近い木造建築をどのように暖かくしているのかにも興味がありました。曲がりなりにも高級旅館ですし、外国人のお客様も多い上、社長自ら「世界の高級リゾートに負けない」といったことを公言していたからです。

結論から言いますと、ほぼ無断熱建築でした。ガラスは木製単板窓で隙間だらけ・・・しかし、寒くはないのです・・・。これは別の意味で驚かされました。ここまで読んだ方は「松尾は頭がおかしくなったのか?」「断熱嫌いの工務店と同じことを言ってるじゃないか」と思うでしょう。でもそういうことではないのです。

ベッドの周囲や、洗面脱衣には見事に熱いくらいの床暖が張り巡らされています。それにプラスして本体が見えないように隠された業務用のダクト式のエアコンが窓際直上から見事に噴出されています。トイレには500Wものデロンギヒーターがご丁寧に置かれており、エアコンの設定温度は23℃に設定されています。これは見ただけで住宅の設計やさんではない、普段ビルの設備設計をしている技術者が計画した暖房計画であるということが一目でわかります。

これだけの暖房設備のイニシャルコスト、そしてこれだけの暖房温度を維持する光熱費は一泊9万円というコストだからこそ実現できる芸当です。あれほど断熱性能が低い住宅をあそこまで見事に暖かくしてしまう「プロの設備設計」のテクニックには正直驚かされました・・・わたしのように「住宅設計屋にしては多少断熱に詳しい・・・」と言われている人間とは次元が違う思いさえしました。

 ところで「トイレに500Wのデロンギ・・・」というのはいつも私が講演で話している内容なので笑ってしまいました。しかもつけっぱなしでも居室に比べると明らかに寒い・・・。たった1畳のトイレを温めるために500Wのデロンギを24時間つけっぱなしにするわけです。しかもそれでも少々寒い・・・。ひるがえって私どもが設計している住宅だと70畳くらいあって陽が落ちている間だけ1000W程度で暖房し、昼間は無暖房でも家全体を20℃に保つことができる・・・。一般人が前者を選んではいけないのは自明なのに、世間ではほとんどの住宅が前者の状態になっています。

 さらにもうひとつ・・・暖かいのは暖かいのですが、低断熱を無理やり力技で暖めているので風量が多く、その結果騒音がうるさく,空気も乾いてしまっています。相当量の加湿をしなければ、あの乾燥感は解消できないでしょうし、仮にできたとしてもあの静寂な雰囲気にあれだけ風の音がしたら台無しです。先月オーストリアの高断熱スキーロッジで体験した自然の中での真の静寂とは似ても似つかないレベル差でした。

 もうひとつ気になったこと。テーブルや家具類もいわゆる「貼物」が多いのは本当に残念でした。安旅館ならいざしらず、高級旅館でこれはないと思いました。一流料理店に行ったら冷凍食品が出されているようなものですから・・・。それに加えて今後のことも気になりました。本物の家具等は年数が経つと年数なりの味わいが出てきます。しかしながら、貼物は出来た瞬間が一番きれいです。ここ数年は星のリゾート人気はとどまるところを知りませんが、あれだけ貼りものだらけだと数年後には陳腐化してくるのではないかと思いました。

 とはいえ、建物のまずさを覆い隠すほどサービスは良かったと思います。建物への期待も大きかっただけに厳しいコメントになりましたが、一般の方が普通に観光として訪れるには申し分ないのではないかと思います。

 ただ、改めて思ったことは、自然と建築を満喫する高級旅館という意味ではやはり昔から何度か行っている高知県のオーベルジュ土佐山の方がはるかにレベルが高いということでした。もう一度改めて行ってみようと思いました。

 星のやのあと、内藤廣さんが設計した和菓子の老舗「虎屋」に行きましたが、これは打って変わってディティールの塊のような建築でした。断熱こそ全くダメですが、それ以外のディティールは先日の竹中大工道具館に勝るとも劣らずという感じでさすが!!と唸らされる出来栄えでした。

 最近建築家も確実に二分された感がありますね。SANAA、隈研吾さんといった絵だけ書いて奇抜な空間をつくり、エネルギーを大量消費する上、雨漏りも多く、5年も経たないうちにボロボロになってしまうような建築家(しかしこちらの方が有名かつちやほやされている)

逆に日建設計、竹中工務店という超技術集団なのにデザインセンスも持ち合わせているスーパー建築家集団、小規模事務所なのに全物件強烈なディティールに支えられている内藤廣さん・・・、意匠建築家なのに断熱や気密にも本当に力を入れているみかんぐみの竹内昌義さん本当はこういった方々こそ、もっともっと取り上げられないといけないのですが、今までの日本の意匠建築業界は単なる「奇抜度合コンテスト」でした。これからの前者による不具合もネットで調べればすぐに分かる時代となっています。エンジニアリングを含むトータルデザインこそが建築家の本分であると思います。そういう意味ではこれから後者の建築家が強くなる時代がくることを願うばかりです。


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この記事のコメント


嫉妬ですかね?

2015-03-14 Sat 18:42 | | #-[ 内容変更] | top↑

+星のや京都の断熱などについて。

星のやファンの方から御社のブログ日記について内容の質問があり拝読いたしました。宿泊の感想につきましてはお客様それぞれの個人的見解ですのでしかたがありませんが、間違った事実に基づいております部分につきましては、ご説明させていただき、このコメントを残していただくか、ご理解いただけましたら訂正をお願いしたくこの文章をお送りいたします。

私は3つの『星のや』を設計いたしました東環境・建築研究所の東です。『星のや京都』は古い日本建築を改修したものです。ご存知のとおり、昔の日本建築は真壁でできており、実際、改修以前この建物は真壁でした。真壁は柱を内外にだし、壁の部分は竹などの小舞壁を下地に外部内部を佐官で仕上げているため、もちろん断熱はもともとありませんし、この建物ができたときには断熱材自体も世の中にはなかったと思います。

しかしながら、『星のや京都』としての改修には、一部の和室として残すと決めた部屋以外は内装側を大壁にし(柱を隠し、壁をふかして新たに仕上げをする)、壁にも断熱をいたしております。また、屋根裏の空間にも断熱材を敷き込んでおります。床下にも断熱材をいれております。また、居室(和室や寝室)はペアガラスになっており、寝室や書斎の床には床暖房も設置しております。つまり、『ほとんど無断熱』の建物ではございません。『ほとんど断熱を行っている』建物です。
もともと、長い年月の中でアルミサッシや新建材(木風のフェイクの仕上げなど)が混ざってきており、そういったものをすべて排除し、本来の日本家屋の魅力に修正することが私の目的でしたので、アルミ建具は木製建具にもどしております。「星のや軽井沢」では、高気密木製建具を使っておりますが、既存の日本家屋には重量的にも、また、目的にも過剰と判断しましたが、できる限りの断熱性能は確保しております。

暖かいことに驚かれたとかかれておりますが、それは、断熱をしていないという誤解からの内容だと思います。また、私どもも設備設計もビルなどの設計を主としているわけでなく、私も住宅を多く設計しておりますことも付け加えさせていただきます。

住宅はいつも使われる方の嗜好に対応すればよいのですが、宿泊施設は、寒さに強い方、弱い方、暑がりの方いろいろな方が毎晩宿泊をされますので、その対応を考えますと、本来、設備的には住宅と比較することはできないかと思います。

私どもの常識から言えば、ダクト式のエアコンは宿泊施設では効率からいってもグレードの高いやり方であり、とくに窓際にあれば、コールドドラフトもふせげ、効果的です。住宅では、それだけの予算もありませんし、壁掛けエアコンや輻射暖房(断熱を含め)で住まい手の一番快適なところを狙えばよいのですが、そうはいかないのが宿泊施設です。

『星のや軽井沢』(JIA環境賞をいただいております)に宿泊いただければ、輻射暖房を主として(しかも全体消費エネルギーの7割以上が地熱、温泉排熱、水力発電)いる環境をご経験いただけます。古い日本家屋の良さを残すことを主眼としている京都では、エネルギーの考え方は違う旨お伝えいたします。

次に、『貼りもの』とおっしゃっている家具についてです。家具のほとんどは、『星のや』の家具、京都で訪問されたという内藤さんの『虎屋カフェ』の家具も作っている工場と直接コラボしているものです。

木も植林をしてリサイクル可能とはいえ、無尽蔵に使えるものではありません。また、無垢には良さと難しさがあります。私どもは、無垢と練りつけ、厚単板貼りなど、使われる場所や大きさで使いわけております。京都の家具は、神代杉や松など日本の造作で使われる系統の樹種をつかっております。練りつけは一般的なものより厚いものをいつも使っております。私の住んでおります『塔の家』にも樹種は違いますがヨーロピアンチェリーの練りつけの家具(同じ家具工場の製作)が入っておりますが、今やきれいな飴色になっております。つまり、入った時が一番きれいなことを狙ったいるつもりはありませんし、将来において、味がでてくることを考えておりますので、誤解のないように申し上げます。

建築家あるいは設計士が他の人が設計した作品を批評するときには内容をきちんと理解をして責任をもった内容であるべきです。生半可な思い込みからくる情報でブログをアップされますと大変迷惑であることはご理解いただけるのではないかと思います。本来の目的は、ご自分の考え方のための比較例としてあげられたのでしょうが、間違った思い込みの記載は私どもといたしましては大変迷惑です。すでに本当なのかという問い合わせまでありましたので、誤解を生むような内容はご自重いただきますようお願いいたします。
質問などございましたら、ご連絡いただければご説明いたします。

東利恵
2015-03-16 Mon 10:39 | | 東利恵 #-[ 内容変更] | top↑


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+星のや京都

星のやファンの方から御社のブログ日記について内容の質問があり拝読いたしました。宿泊の感想につきましてはお客様それぞれの個人的見解ですのでしかたがありませんが、間違った事実に基づいております部分につきましては、ご説明させていただき、このコメントを残していただくか、ご理解いただけましたら訂正をお願いしたくこの文章をお送りいたします。

私は3つの『星のや』を設計いたしました東環境・建築研究所の東です。『星のや京都』は古い日本建築を改修したものです。ご存知のとおり、昔の日本建築は真壁でできており、実際、改修以前この建物は真壁でした。真壁は柱を内外にだし、壁の部分は竹などの小舞壁を下地に外部内部を佐官で仕上げているため、もちろん断熱はもともとありませんし、この建物ができたときには断熱材自体も世の中にはなかったと思います。

しかしながら、『星のや京都』としての改修には、一部の和室として残すと決めた部屋以外は内装側を大壁にし(柱を隠し、壁をふかして新たに仕上げをする)、壁にも断熱をいたしております。また、屋根裏の空間にも断熱材を敷き込んでおります。床下にも断熱材をいれております。また、居室(和室や寝室)はペアガラスになっており、寝室や書斎の床には床暖房も設置しております。つまり、『ほとんど無断熱』の建物ではございません。『ほとんど断熱を行っている』建物です。
もともと、長い年月の中でアルミサッシや新建材(木風のフェイクの仕上げなど)が混ざってきており、そういったものをすべて排除し、本来の日本家屋の魅力に修正することが私の目的でしたので、アルミ建具は木製建具にもどしております。「星のや軽井沢」では、高気密木製建具を使っておりますが、既存の日本家屋には重量的にも、また、目的にも過剰と判断しましたが、できる限りの断熱性能は確保しております。

暖かいことに驚かれたとかかれておりますが、それは、断熱をしていないという誤解からの内容だと思います。また、私どもも設備設計もビルなどの設計を主としているわけでなく、私も住宅を多く設計しておりますことも付け加えさせていただきます。

住宅はいつも使われる方の嗜好に対応すればよいのですが、宿泊施設は、寒さに強い方、弱い方、暑がりの方いろいろな方が毎晩宿泊をされますので、その対応を考えますと、本来、設備的には住宅と比較することはできないかと思います。
私どもの常識から言えば、ダクト式のエアコンは宿泊施設では効率からいってもグレードの高いやり方であり、とくに窓際にあれば、コールドドラフトもふせげ、効果的です。住宅では、それだけの予算もありませんし、壁掛けエアコンや輻射暖房(断熱を含め)で住まい手の一番快適なところを狙えばよいのですが、そうはいかないのが宿泊施設です。

『星のや軽井沢』(JIA環境賞をいただいております)に宿泊いただければ、輻射暖房を主として(しかも全体消費エネルギーの7割以上が地熱、温泉排熱、水力発電)いる環境をご経験いただけます。古い日本家屋の良さを残すことを主眼としている京都では、エネルギーの考え方は違う旨お伝えいたします。

次に、『貼りもの』とおっしゃっている家具についてです。家具のほとんどは、『星のや』の家具、京都で訪問されたという内藤さんの『虎屋カフェ』の家具も作っている工場と直接コラボしているものです。

木も植林をしてリサイクル可能とはいえ、無尽蔵に使えるものではありません。また、無垢には良さと難しさがあります。私どもは、無垢と練りつけ、厚単板貼りなど、使われる場所や大きさで使いわけております。京都の家具は、神代杉や松など日本の造作で使われる系統の樹種をつかっております。練りつけは一般的なものより厚いものをいつも使っております。私の住んでおります『塔の家』にも樹種は違いますがヨーロピアンチェリーの練りつけの家具(同じ家具工場の製作)が入っておりますが、今やきれいな飴色になっております。つまり、入った時が一番きれいなことを狙ったいるつもりはありませんし、将来において、味がでてくることを考えておりますので、誤解のないように申し上げます。

建築家あるいは設計士が他の人が設計した作品を批評するときには内容をきちんと理解をして責任をもった内容であるべきです。生半可な思い込みからくる情報でブログをアップされますと大変迷惑であることはご理解いただけるのではないかと思います。本来の目的は、ご自分の考え方のための比較例としてあげられたのでしょうが、間違った思い込みの記載は私どもといたしましては大変迷惑です。すでに本当なのかという問い合わせまでありましたので、誤解を生むような内容はご自重いただきますようお願いいたします。
質問などございましたら、ご連絡いただければご説明いたします。

東利恵
2015-03-16 Mon 10:56 | | 東利恵 #-[ 内容変更] | top↑

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窓が変わると日本の家は変わる!
本当にその通りだと思います。

だったら、口だけではなく(今回のように
人の作った建物を批判するだけでなく)

自身の知識と知恵を活かして
ご自身で新しい窓を作ったらいいのでは
ないでしょうか?

窓は断熱の知識だけでは設計できません。
期待してお待ちしています。

2015-03-17 Tue 10:53 | | とら猫 #HfMzn2gY[ 内容変更] | top↑

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+無気密

つまるところ、無断熱ではなく、無気密だったということですかね。
ちなみに省エネ等級3以下はスカスカで実質無断熱状態ですね。
近々軽井沢に参りますがそちらは是非楽しみにいたしております。
高いお金出して皆泊まるので職業は兎も角批評は自由でしょうし。

追記:軽井沢は一転なのか、温熱面は木製トリプルのヘーベシーベに熱源に床暖房、さらにバックアップに壁掛けエアコン、サッシ下のがらりに放熱器?というまだ寒さ残る軽井沢でも暖かすぎるぐらいの環境でした。実際、床暖房のみで、エアコンも止め放熱器もつけてませんが十分でした。その他ランドスケイプや照明計画など個人的には見どころが多かったと思います。ただメインダイニングが上から覗けるのは私なら好まないので、逆に上はクラブラウンジのようでよかったです。


2015-03-19 Thu 11:58 | | ホウ酸屋 #ycS9IfAg[ 内容変更] | top↑

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まず、最初に返答が遅くなったことお詫び申し上げます。コメントがつくことが滅多にないので、確認していなかったところ知人から教えてもらってコメントを頂いていることに気がついた次第です。それと、誤った点があったこともお詫び申し上げます。その点に関してはブログでも是正コメントを出したいと思います。正直、ご本人からこのようなコメントを頂くようなことになるとは全く思っておりませんでした。しかも、実名を出しての正々堂々とした反論には頭が下がりました。

その上で私の改めての見解を申し上げたいと思います。まず最初に「ほぼ」と書いてあります。当然、図面を見られるわけではありません。よって目視と体感でしか判断することができません。また、私は高断熱の世界の人間であり、その尺度から見た「ほぼ無断熱」という解釈であることもご理解いただければと思います。

体感した感じでは屋根と床下はおそらくある程度は入っているだろう。壁に関しては全くわからないという感覚を受けました。

また、そもそもあのような伝統的な宿に断熱性能を求めて伺ったわけではありません。超高級伝統建築を最近話題の建築家&星のリゾートのコンビがどのような設計をしているのかを勉強するために高い宿泊料を支払って、社員のうち4名の業務を2日も停めて行きました。

当社は10名ほどの設計事務所ですが、設計事務所が4名を引き連れて2日業務を止めて、10万近い宿泊料を支払う・・・。この時点で当然ながら期待値のレベルはかなり上がってしまいます。

私達は普段は2000万から3000万程度の住宅の仕事が量的には最も多い事務所です。まれに住宅でも5000万オーバー、たまには1億超えの施設が来るという程度で東様のような大きく、かつ予算が比較的潤沢な仕事はほとんどありません。

しかしながら、今回伺うことで、自分たちとは次元の違う設計及び、ディティールの中に2000から3000万の住宅んい落とし込めるエッセンスがなにかあるのではないか。また、そういった住宅の設計をする上でも自分たちのセンス向上になる要素があるのではないか・・・。そのような期待を込めて伺った次第です。
それが当初の目的であったため、あれだけ古い木造建築なのにあそこまで暖かくできていることに関して、本当に驚かされたのです。それも窓に関しては木製の製作シングルガラスであったから余計に衝撃的でした。窓際があれだけ断熱的に劣っている設計をあそこまでの温熱環境に持っていくということは私の常識にはありませんでした。ですから素直に驚かされたわけです。

家具に関してですが、私もメラミン等は好きではありません。しかし、表面厚さが2mm以上あるような厚板であれば、貼りものといっても別にそれほど嫌な気はしません。有名な工場で作られたものだということで、デザイン的にも悪いとは思いませんでしたが、多人数の利用を想定してなのか、表面加工がほとんどウレタン塗装的な質感を感じました。木材の資源的な側面などは当然こちらも重々承知しております。しかし、1泊10万程度取るということは、私がいうのもなんですが、燃費や環境といったこととは別次元にした圧倒的な質感を期待してしまうものです。我々が普段体験している日常とは別次元の高級感を社員にも経験んさせてあげたい。そこで、目を養ってもらいたい。それを期待していった私の感覚を元に書いた文章であるということをご理解いただければと思います。
 
 ということで、断熱批判をするものでは決してありませんでした。また、10万円という金額設定でなく、3万とか4万という設定であれば、評価が全く異なっていたと思います。

この記事を書くにあたり、その1ヶ月前くらいにオーストリアの超高断熱ロッジに3泊ほどしてきました。見た目や広さは星のや京都に大きく劣りますが、温熱環境は本当に素晴らしく、無音かつパジャマだけ、裸足でも全く寒さを感じない本当に素晴らしい温熱環境でした。しかしながら、宿泊費用は星のやよりも圧倒的に安く、そのギャップから批評が厳しくなってしまったことは、東さんには全く関係のないことであり、私が反省すべき点であると思います。

 なお、追記ですが、今日明日と偶然ですが星のや軽井沢に宿泊させていただきます。僭越かつ恐縮ではありますが、これに関しては社内で私だけが土日と月曜の午前中をつぶして向学のために伺います。新築と改修ではやれることのレベルが大きく異なるので、改めてニュートラルな視点で拝見したいと思っております。

ご迷惑をおかけしたこと、ご気分を害されたことに関してあらてめてお詫び申し上げます。


2015-03-21 Sat 09:23 | URL | 松尾 和也 #-[ 内容変更] | top↑


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+Re: タイトルなし

> まず、最初に返答が遅くなったことお詫び申し上げます。コメントがつくことが滅多にないので、確認していなかったところ知人から教えてもらってコメントを頂いていることに気がついた次第です。それと、誤った点があったこともお詫び申し上げます。その点に関してはブログでも是正コメントを出したいと思います。正直、ご本人からこのようなコメントを頂くようなことになるとは全く思っておりませんでした。しかも、実名を出しての正々堂々とした反論には頭が下がりました。

> その上で私の改めての見解を申し上げたいと思います。まず最初に「ほぼ」と書いてあります。当然、図面を見られるわけではありません。よって目視と体感でしか判断することができません。また、私は高断熱の世界の人間であり、その尺度から見た「ほぼ無断熱」という解釈であることもご理解いただければと思います。
> 体感した感じでは屋根と床下はおそらくある程度は入っているだろう。壁に関しては全くわからないという感覚を受けました。

> また、そもそもあのような伝統的な宿に断熱性能を求めて伺ったわけではありません。超高級伝統建築を最近話題の建築家&星のリゾートのコンビがどのような設計をしているのかを勉強するために高い宿泊料を支払って、社員のうち4名の業務を2日もとめて行きました。

> 当社は10名ほどの設計事務所ですが、設計事務所が4名を引き連れて2日業務を止めて、10万近い宿泊料を支払う・・・。この時点で当然ながら期待値のレベルはかなり上がってしまいます。

> 私達は普段は2000万から3000万程度の住宅の仕事が量的には最も多い事務所です。まれに住宅でも5000万オーバー、たまには1億超えの施設が来るという程度で東様のような大きく、かつ予算が比較的潤沢な仕事はほとんどありません。ただ、住宅設計の世界と施設設計の世界の空調の設計方式が違うことくらいは当然承知しております。


> 今回伺うことで、自分たちとは次元の違う設計及び、ディティールの中に2000から3000万の住宅に落とし込めるエッセンスがなにかあるのではないか。また、そういった住宅の設計をする上でも自分たちのセンス向上になる要素があるのではないか・・・。そのような期待を込めて伺った次第です。

> それが当初の目的であったため、あれだけ古い木造建築なのにあそこまで暖かくできていることに関して、本当に驚かされたのです。それも窓に関しては木製の製作シングルガラスであったから余計に衝撃的でした。窓があれだけ断熱的に劣っている設計をあそこまでの温熱環境に持っていくということは私の常識にはありませんでした。ですから素直に驚かされたわけです。ああいった、古民家的な建物においてあのような窓仕様にされたことは、デザイン優先であることから特に異論はありません。(できれば、ペアガラスにはすればよかったとは思いました。)

> 家具に関してですが、私もメラミン等は好きではありません。しかし、表面厚さが2mm以上あるような厚板であれば、貼りものといっても別にそれほど嫌な気はしません。有名な工場で作られたものだということで、デザイン的にも悪いとは思いませんでしたが、多人数の利用を想定してなのか、表面加工がほとんどウレタン塗装的な質感を感じました。木材の資源的な側面などは当然こちらも重々承知しております。しかし、1泊10万程度取るということは、私がいうのもなんですが、燃費や環境といったこととは別次元にした圧倒的な質感を期待してしまうものです。我々が普段体験している日常とは別次元の高級感を社員にも経験させてあげたい。そこで、目を養ってもらいたい。それを期待していった私の感覚を元に書いた文章であるということをご理解いただければと思います。
>  
>  ということで、断熱批判をするものでは決してありませんでした。また、10万円という金額設定でなく、3万とか4万という設定であれば、評価が全く異なっていたと思います。
>
> この記事を書くにあたり、その1ヶ月前くらいにオーストリアの超高断熱ロッジに3泊ほどしてきました。見た目や広さは星のや京都に大きく劣りますが、温熱環境は本当に素晴らしく、無音かつパジャマだけ、裸足でも全く寒さを感じない本当に素晴らしい温熱環境でした。しかしながら、宿泊費用は星のやよりも圧倒的に安く、そのギャップから批評が厳しくなってしまったことは、東さんには全く関係のないことであり、私が反省すべき点であると思います。
>
>  なお、追記ですが、今日明日と偶然ですが星のや軽井沢に宿泊させていただきます。僭越かつ恐縮ではありますが、これに関しては社内で私だけが土日と月曜の午前中をつぶして向学のために伺います。新築と改修ではやれることのレベルが大きく異なるので、改めてニュートラルな視点で拝見したいと思っております。
>
> ご迷惑をおかけしたこと、ご気分を害されたことに関してあらてめてお詫び申し上げます。


2015-03-21 Sat 10:12 | | 松尾設計室 松尾和也 #-[ 内容変更] | top↑


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+コレは酷すぎる…この上から目線は何でしょう?

いや〜これはひどいブログですね。当方ブログでもこれは取り上げたいと思います。

世界基準って一体何ですか???

ヨーロッパの様な建造物を日本に作ることでしょうか???

そのヨーロッパ風のネーミングを付けた宿泊施設を絶賛してますね?ただ景観は酷いですよあれ。

自然を満喫すること、豊かな自然と建造物をマッチングさせることは別次元の話かと思いますよ?

1960年迄美しかった京都も高断熱を謳う醜いコンクリートの箱や、テカテカの新建材アンバランスで酷い景観になりました。

貴方のような美に対するセンスがない人間が、日本の伝統、文化を、これからも破壊していくのでしょう。

2016-11-28 Mon 22:50 | | 日本の伝統美を守ろう! #M8Cf/v42[ 内容変更] | top↑
http://matsuosekkei.blog85.fc2.com/blog-entry-2634.html


133. 中川隆[-6757] koaQ7Jey 2017年8月11日 12:24:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>129 の続き

448 by 匿名さん 2017-08-09 03:59:00

法律スレスレで真面目に不動産業と投資業をやっている。
決してリゾート会社ではないからね。


453 by 評判気になるさん 2017-08-09 09:55:38
>>448: 匿名さん
内部の方の様ですが 法律スレスレでは無く、
森友学園や加計学園に似たことを裏でしていると聞いていますよ。

468 by 匿名さん 2017-08-10 23:43:44

2013年から5年連続で「ミシュランガイド京都.大阪2017」「快適で豪華な最高級」評価を獲得。
(築100年の趣や伝統の意匠を活かし……)評価の内容に堂々と嘘があっても、
ミシュランガイドで高評価獲得できるんだ。ミシュランガイドていい加減なんだね。

470 by 通りがかりさん 2017-08-11 12:00:07

森友学園、加計学園と同じような 国会議員とお友達で、
やりたい様にするのも客商売では如何なものかと思う。

ミシュランガイドも買収できるのなら値打ちないな。
ただ、嘘でミシュランガイド獲得でも宿泊代金ボッタクれるな。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/


134. 中川隆[-6749] koaQ7Jey 2017年8月12日 05:59:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

465 by 通りすがり 2017-08-10 17:26:08

星野リゾートのリゾナーレ小浜島のときに行ったが、部屋の給湯器ぶっ壊れてて初日から水シャワーだった。

夜中にフロント呼びつけてもラチ明かず、その情報が翌日のスタッフに行き届いてなかった。

何人ものスタッフにその話をしたのだが一向に状況把握&修理に来ないため、こちらから「大変困っています」とさらにスタッフを見つけては話をして、やっと確認にくる始末。

夕食を予約していたのでのんびりできない時間になってから「給湯器が壊れている」と、取り換え工事の始まり。

さすがに別部屋でシャワー使わせてもらうように話をつけて、なんとか済んだものの、こちらは交換工事が見たくて泊まってるわけじゃない。

「申し訳ございません」はゼロ円だから、その後どのスタッフもペコペコ頭を下げていたが、とうとう部屋代の値引きなんて話も出なかった。

「星野の精一杯はゼロ円で済ますこと」だと認識して宿泊なりマンション購入なりしたほうがいい。
なんせあの社長いわく

「クレームがくる寸前までギリギリ絞ったサービスが提供できれば良い」

だからな。

クレームつけたくても、サイトにクレームいえる場所がないときた。


471 by 評判気になるさん 2017-08-11 15:58:30
>>465: 通りすがりさん
ひどい実体験され折角の思い出台無しにされましたね。
社員教育が出来てないですね。殆どバイトか、パートなのかな?

旅行会社通さず行かれたのですか? 旅行会社で予約なら苦情言えますよ。
しかもこんな状態の客室でよく金取るな。宿泊代金の一部返すべきですよ。
プロ意識ゼロのホテルだな。消費者センターに相談してもいいのでは。

星野リゾート関係施設で嫌な思いされた方、体験談をもっと多くの人が書けば、
少しは改善するかも知れないな。
星野リゾートは、嘘でミシュランガイド高評価取る様な、
とんでもないホテル、旅館だと、口コミで広めよう。

472 by 匿名さん 2017-08-11 18:37:59

料理がうまくなかったですね。
外にうまい店が有ればその方がいいかも・・

473 by 周辺住民さん 2017-08-11 22:25:13

基本的に経営不振の格式高い高級老舗旅館を格安で買収するのが星野リゾート。
中堅〜安宿を買収するのが伊東園グループ、大江戸温泉ですね。

耐震的には心配ですね。
共立グループは基本的に新築していつ施設が多いようですが、星野以外の3社は板前を置いているので納入業者が結構共通してると聞きました。

知人の知り合いの板前さんは共立グループに努めてますがベンツとかいつも高級車に乗ってます。温泉場の板前が給料だけで買えるのでしょうか?

熱海の蓬莱は政治家、歌舞伎関係、芸能関係者がお忍びで多かったみたいだし、ヴィラデルソルもあるので
さすがに星野社長も欲しくて買収にあたり結構お金使ったという噂を聞きました。


135. 中川隆[-6708] koaQ7Jey 2017年8月14日 09:41:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

478 by 通りがかりさん 2017-08-14 09:00:29

星野リゾートが20年後も残ってると思う方どれくらいいますか?
ちなみに私は昨年退職した者です。

私は残らない、に一票。
以下理由

@日本全体の労働人口が減少。もともと、労働集約性のホテルなのに、数だけ過剰に増えてしまっている。よって、働き手が圧倒的に足りなくなる
時代を回避できない。


A年間300人採用して、400人退職する職場環境。これは上司のパワハラ、不倫を始めメディアイメージと現実のあまりに激しいギャップ&少ない報酬で自立した人は早々と転職していく。もともと、星野リゾートに採用されるのは良くも悪くも優秀な人が多いから転職はしやすいはず。

Bこれが一番大きいと思ってますし、まだ現役社員は軽視してますがいずれ脅威に変わると思ってます。それは、過大広告により裏切られた顧客の周辺に広まる「口コミ」、また退職した従業員により広まる「実態」により、一生懸命築き上げた認知度、 ブランドイメージは緩やかに減退していく(あの頃の社長プレゼンでは、「せめて湯快リゾートより上にいきたい」と発表してたっけな)。

人により成り立つ商売の中で、星野リゾートが投資の恩恵を受けられなくなった以降で発展し続けるとはどうしても思えない。考え方は人それぞれですけどね。

過大広告、現実とは違う提供価値を表現を変えて伝える心理的なテクニックは本当にすごい会社だと思います。これは人材採用においても言えること。

ただ、これで集めた金は、やはり実態を生で知ってる人は「虚業」というのも分かります。

同期はまだ数名残ってるので、この会社の今後はちょっと気にしてます。


136. 中川隆[-6676] koaQ7Jey 2017年8月15日 11:21:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

479 by マンション検討中さん 2017-08-14 19:21:57

私の同期は、誤って割った食器を弁償させられてたな。
給料天引きじゃなく支配人に現金を払う謎ルール。

137. 中川隆[-6616] koaQ7Jey 2017年8月23日 18:20:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

473 by 周辺住民さん 2017-08-11 22:25:13

基本的に経営不振の格式高い高級老舗旅館を格安で買収するのが星野リゾート。
中堅〜安宿を買収するのが伊東園グループ、大江戸温泉ですね。

487 by 匿名さん 2017-08-23 17:05:13
>>473: 周辺住民さん

バブル全盛期には、地上げ屋が 目を付けた ターゲット物件にダンプカーやトラックを突っ込ませて、邪魔な住宅を壊したり、暴力団が関わり、暴力的手段によって立ち退きを迫ったりして目的の物件を手に入れてきた。

現場を目撃した者は、面倒に巻き込まれるのを恐れて口をつぐんでしまう。
そんな時代がかってあったようだ。

現代版 地上げ屋が、星野リゾート星野佳路社長だと思う。

「経営不振に陥った リゾート施設や 旅館の再生」とメディアに公表していたが
それは 星野佳路社長の自作自演のキャチフレーズに過ぎない。

地上げ屋 の手口で、経営不振では無い 、如何しても手に入れたい旅館を強引に格安で手に入れる 追い出し屋だ。

元の旅館社長自殺後、6ヶ月程で星野佳路社長の名義になった。

メディアには、長く休館していた旅館を星野リゾートが再生と嘘を書かせた。
メディアに自作自演を書かせて成り立つ会社だと思う。


138. 中川隆[-6566] koaQ7Jey 2017年8月31日 09:48:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

493 by 評判気になるさん 2017-08-27 10:43:57

>>487: 匿名さん

日本人の殆どの人は、8年〜10年前まで 星野リゾートの名前を聞いたことさえない無名の会社だと思う。

ところが、急激な速さで ホテル、旅館を全国展開していった。
一時期 ゴールドマンサックスと手を組み、相当 手荒いことをしていたと聞いていた。

ゴールドマンサックスの評判も、以前から相当悪いと聞いていました。
星野佳路社長を、ハゲタカ。ゴールドマンサックスをハゲワシ。と聞いたことがあります。

匿名さんの 文は、的を得ていると思います。想像していた通りです。
ホテル、旅館業の会社は、星野リゾートの餌食にならないように注意した方がいいと思います。

499 by 匿名さん 2017-08-29 13:00:45

>>493 評判気になるさん

「星野リゾート」という冠はついていますが、ほとんどのグループ会社は星野リゾートの資本が入っていません


501 by 評判気になるさん 2017-08-30 01:27:13

>>499 : 匿名さん

3年〜4年前まで 星野リゾート星野佳路社長は、土地や建物を所有し運営していました。

星野リゾートが運営する全国34施設の内、自社保有物件が約半分で、残りの一部は 第三者の保有物件を運営とメディアに話しています。

残りの一部の、12施設のホテルや 旅館を (星野リゾート.リート投資法人) に売却したのです。

売却と言っても、スポンサーも テナントも全て同じ 星野リゾート企業グループという前例のない REITです。


506 by 匿名さん 2017-08-30 18:20:45

>>501 評判気になるさん

不動産を長期にわたって所有したことなんてありません。メディアに騙されてはいけません。
本家の軽井沢の星のやさえ売却してしまったくらいですから。

502 by 匿名さん 2017-08-30 10:17:39

リートなんて資産家じゃなくても銀行に勧められてみんな買ってるよ。
年寄り中心で。
都内の開発のほとんどがリートだし軽井沢にも入っている。
リート資金は避けられない、今更。

494 by マンション検討中さん 2017-08-27 20:07:10

残業したのにわくログを休憩にさせられた。栃木3兄弟のどこかです。

495 by 通りがかりさん 2017-08-27 21:34:04

>>494 マンション検討中さん

それ、やばいんじゃない?でもそれが起こりうるのってM.G時代の界KJだと十分あり得そうな気が。地域住民にも評判最悪の支配人でしたからね。


496 by マンション検討中さん 2017-08-28 08:35:22

>>495 通りがかりさん

目先の利益をとるなと言われたんです。残業は評価に響くと。業務命令の残業だったのですが。

497 by マンション検討中さん 2017-08-28 17:01:52

>>495 通りがかりさん

kjから津軽海峡に飛ばされたひとからではないです。最近の話です。

498 by 匿名さん 2017-08-29 12:57:50

>>496 マンション検討中さん

一時間の休憩は取りましたか?
一時間の休憩を取らずに8時間を超える労働をすると労働基準法違反になります


500 by マンション検討中さん 2017-08-29 21:50:10

>>498 匿名さん

更衣室を掃除しながらとか、何かしながら休んでます。


503 by 匿名さん 2017-08-30 12:50:29

>>502: 匿名さん

499: 匿名さん。502: 匿名さんは 星野関係者さんですか?

この書き込みに複数名 別の匿名さんさんがいますね。

498: 匿名さんも星野関係者さんですか?
500: マンション検討中さんの書き込みでは、こんな休憩時間有りですか?


2013年の経済誌の文中に、星野リゾート急成長の死角。
「おもてなし」に維持が低下。
問題もあるとかで 、維持には人材確保が課題と書かれていた。

目先の利益ばかりでは、社員やパートの人材を育てるとか人材を大切にしないと
退社する人増大するでしょう。

504 by 匿名さん 2017-08-30 18:14:35

>>500 マンション検討中さん

それは労働基準法34条違反ですから、所轄の労働基準監督署に申告して下さい。
某施設は労働基準監督署に摘発されて無理矢理一時間休憩させられるようになりました。

507 by 匿名さん 2017-08-30 22:53:02

>>494 マンション検討中さん

それは書き込みたくもなりますね。

僕も一時間休憩取れたことほとんどなかったけど、支配人はまるで他人事だったなあ。
ハロワで会社と争うか聞かれたけど、怖くて
いえ、けっこうですって言ってしまった。

508 by マンション検討中さん 2017-08-31 00:11:38

>>504 匿名さん

伊東は改善されたみたいですね。


509 by 評判気になるさん 2017-08-31 01:35:17

>>500: マンション検討中さん

酷い職場環境だと思いました。こんな職場環境有るんですね。
あなただけではなく、他の方の休憩時間も同じですか?よく我慢してますね。

働き手があるから星野リゾート関連ホテル、旅館業が成り立つ会社なのに、
この職場環境で我慢することはないです。身体壊しますよ。心もボロボロになりますよ。
この職場環境で接客(おもてなし)出来ないのでは無いですか?
勇気を出して、労働基準監督署に訴えて下さい。

510 by 匿名さん 2017-08-31 06:39:55

>>507 匿名さん

ハローワークは関係ない
労働基準監督官か労働局の基準部監督課です。
公益通報者保護法によってあなたは保護されます。


511 by 匿名 2017-08-31 08:58:31

以前、働いていた人が言ってましたが、チームの後輩が管理者であるUDに

「他部署より残業が少ないからもっと残業した方がよい」

とアドバイスしていたそう。既に残業45時間は常だったのに…。
また総支配人にも残業を平準化したいと言われ、訳のわからない仕事を押し付けられていた。残業を減らす努力をして、さらに売上も上げているチームだったのに特に評価されることもなかった上に「なくても成り立つ」と言われチーム自体がお取り潰しになっていた。パブリシティ獲得に散々協力してきたチームだったのに。

結局、その人は過労で高熱が続き入院することになった。代わりがいないと39度でも出勤させられていて驚いた。

また、修繕工事で社員に無理矢理有給を使わせていた。本当は休業手当を6割以上払わなければならないのに。。。

色んな意味でギリギリな会社です。
社長の知名度だけでもっています。


139. 中川隆[-6079] koaQ7Jey 2017年10月24日 07:51:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

512 by マンション検討中さん 2017-08-31 12:48:40
>>511 匿名さん

八ヶ岳のことですね。

513 by マンション検討中さん 2017-08-31 12:51:18
>>511 匿名さん

いやリゾナーレ熱海かな。

514 by 匿名さん 2017-09-01 18:56:49

そんな事より星野氏自身が中国の投資会社の出先機関のような状況でしょ・・
国内の金融機関は貸さないから外資から借りてるが中国資本にシフトしてるでしょ・・
既に中国の手下じゃないの・・・?

515 by 匿名さん 2017-09-01 19:01:46

何言っているのか良く分からないけど。
ファンドってそういうもんだよ。
出資してくれればそれはそれで誰でも良いの。
手下もなにも無いのよ。
出資してくれる人から資金を集めるのがファンド。
ファンドを否定したら日本は成立しない。

516 by マンション検討中さん 2017-09-01 20:06:48
>>514 匿名さん

82銀行と三井住友がメーンバンクだよ。

518 by 匿名さん 2017-09-02 19:18:14
>>514 匿名さん

「国内の金融機関は貸さない」というのは間違い。
星野は借りるための担保がない。

519 by マンション検討中さん 2017-09-03 20:14:50

星野はリートがあるから大丈夫でしょ。増資すればいいだけだし。

520 by 匿名さん 2017-09-04 06:44:24

>>519 マンション検討中さん

星野リゾートの株式は100%プロパーではない

521 by マンション検討中さん 2017-09-04 07:06:36

>>520 匿名さん

やまぼうしのこと?

522 by 通りがかりさん 2017-09-04 18:58:43

スタッフとしてホテルで働くのか
ゲストとして行くのか、
どちらかな?
それによりお答えしますよ!

524 by 通りがかりさん 2017-09-04 19:07:19

180を超える残業はもちろん、
不倫は当たり前だし、
モラハラもあるし…

鬱になりながらも一年頑張ったけど、
退職しました。

525 by 通りがかりさん 2017-09-04 19:14:32

リゾ熱海は酷いです

526 by マンション検討中さん 2017-09-04 20:17:12

>>525 通りがかりさん

リブイン部屋がやりべやだったもんな

527 by 通りがかりさん 2017-09-05 03:52:04

あくまで個人的な好みだけど
星のや京都ないし東京に見られる
あのズレた「和風」の気持ち悪さったらない…

高級なお宿なら、建築や内装、装飾品に至るまで、それなりの〈教養〉を感じたいけど…
まず、スタッフの制服からして、とにかく安っぽいしダサいんだよなぁ

もちろん、適当な値段なら「まぁ、こんなもんでしょ」と思って、わざわざ批判もしないけど
でも、星のやの場合は「なんちゃって」と「掛け違い」の不協和音を聴かされるためのチケット代が高すぎる

528 by マンション検討中さん 2017-09-05 06:44:32

>>527 通りがかりさん

社長のご学友の東さんの趣味悪いよな

529 by 通りがかりさん 2017-09-05 11:33:59

>>528 マンション検討中さん
その弟子が新しいビジネスを展開する時の設計を担当するよ


530 by 通りがかりさん 2017-09-05 17:33:22

>>528 マンション検討中さん

東さんのデザインは、中規模の実用的な公共施設とか、ビジネスに毛の生えたくらいのホテルが相応だと思う。
高級な宿としては、いまいち品が無いんだよね…
意気込みは分かるんだけど、スタイリッシュが先鋭すぎて逆に野暮になってる。

531 by マンション検討中さん 2017-09-05 19:01:35

>>529 通りがかりさん

プロジェクト忍者のことね。

533 by 匿名さん 2017-09-06 19:59:39

戦略会議でキレて反対意見を言うのが
カッコいいと思っている人がいるのは
うちだけ?

534 by マンション検討中さん 2017-09-06 23:06:06

>>533 匿名さん

しゃべらないとこはマイクミュートにして。

535 by マンション検討中さん 2017-09-06 23:42:38

oMoで商標登録だしてるね。

536 by eマンションさん 2017-09-18 20:29:57

3連休疲れましたね。ゲスト我が儘言い過ぎだよ。

537 by 通りがかりさん 2017-09-20 23:13:11

>>536 eマンションさん
星のや富士にいたとき、足の不自由なゲストが段差をクレーム言ってきたときマネージャーがオフィスで暴言吐いて笑顔でゲストに接してるのを見て見切りをつけて退職しました。


538 by eマンションさん 2017-09-21 22:17:03

>>537 通りがかりさん

私が一個前にいたところは休憩室に恨み帳がありました。嫌なゲストの個人情報と悪口が書いていくルールでした。

539 by 通りがかりさん 2017-09-22 07:30:27

>>538 eマンションさん
それどこの施設?

541 by eマンションさん 2017-09-23 05:41:12

>>539 通りがかりさん

風雅といえばわかる?

542 by 匿名さん 2017-09-23 23:05:17

>>537 通りがかりさん

フラットの意味合い、間違えてるような。。

でも星野育ちのGMやインチャージって、そもそも手本にするべき背中が無かったから、そうなったんだよね。
もしくは見ていた背中が、部下の前でゲストへの暴言をはく、だったか。

それはそれで可哀想。

543 by ご近所さん 2017-10-23 18:22:18

ところで今の界熱海は料理が酷いらしいね。
支配人が良くないのか調理責任者が悪いのか知らないけど
行った友達曰く演出で豪華に見せてるけど
4万以上の料金なのにバイキングで1万でお釣りの来る
近くにある大江戸温泉の方がマシだと言ってたが
ホントのところどうなの?
食事ってそのレベルですか?


544 by 口コミ知りたいさん 2017-10-23 19:16:37

料理は知らないけど前いた会社で納入してました。
年末だか正月か忘れたけど注文間違えたとかで大量に食材を返品されたことあります。
干物を入れてる業者も皮が剥けてるとかで焼いた干物を返品されてるの見て、ありえないと思った。
悪びれた様子もなく返品するスタッフの人間性も疑った。
業者だからと見下してるのか知らないけど信頼関係は大事ですよ。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/495-544/



140. 中川隆[-5704] koaQ7Jey 2018年1月04日 10:28:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

549: ろくそんじゅく  [2017-11-17 08:33:30]

社内関係者です。
数年前より新卒内定者数が倍以上になってます。と同時に社長の戦略的メディア露出によりブランド名も若干あがりました。それで勘違いしやすいですが、新卒人事関係者のスローガン聞いたら引くんじゃないかなと思います。

「質より量。現場の不足数を埋められばとりあえずはミッション達成」

私は個人的にドン引きしました。
弊社の社外イメージと実情に乖離があるのはうすうす感じてましたが(^^;; 未来ある新卒者は騙されないよう主体的な情報収集をオススメします。

いずれ日産のように星野リゾートの闇も暴かれる日も遠くはないんじゃないかな。

ちなみに日産と弊社の共通点は「夫婦」。


550: 匿名さん  [2017-11-18 20:56:58]

>>549 ろくそんじゅくさん

支配人のセクハラバレたらやばいね


543 by ご近所さん 2017-10-23 18:22:18

ところで今の界熱海は料理が酷いらしいね。
支配人が良くないのか調理責任者が悪いのか知らないけど
行った友達曰く演出で豪華に見せてるけど
4万以上の料金なのにバイキングで1万でお釣りの来る
近くにある大江戸温泉の方がマシだと言ってたが
ホントのところどうなの?
食事ってそのレベルですか?

551: 通りがかりさん  [2017-11-23 02:22:19]

>>543 ご近所さん

それ以下です。


552: 匿名さん [2017-11-27 06:47:41]

やめたい


553: 通りがかりさん  [2017-12-04 22:18:31]

今月号の選択という雑誌に星野リゾートの記事が掲載されています。
社員が部屋のメイク、フロント、宴会場の手伝いまで全部しなければならず、
手が回らなくなっているそうです。
それとREITとの利益相反の取引が記載されています。

554: r  [2017-12-09 20:31:17]

遊びに行っても 働きに行っても ろくなことがないよ

遊びに行けばスッタッフは素人でイライラ 食事はレトルト 

働くと、やめる人が多いので 人員の使いまわし 

休み削られ夜中まで働かされる

結果ミスが重なり機材トラブル サービスの質低下


555: 評判気になるさん  [2017-12-10 02:28:27]

就職考えている大学生です。悪口以外にいいところも教えてください。

556: ろくそんじゅく  [2017-12-10 08:37:22]

>>555 評判気になるさん

やりがい搾取を搾取と捉えない仕事に真面目熱い人達が多いです。自分のプライベート、キャリアを犠牲にして会社に尽くすホテル戦士が多いです。大量採用して賢明な人は大量に辞めてくので、たいして能力ない人でも施設内で多少目立つことができます。

557: マンコミュファンさん [2017-12-18 22:10:01]

ホテル運営会社買収したね。ざびー

558: 匿名さん [2018-01-02 05:49:56]

星野リゾートトマムの敷地内にクラブメッドがオープンしたが、大丈夫か?
コンセプトが違い過ぎる


559: r  [2018-01-03 18:26:00]
>>558
メッドもトマムも中国人投資家の物になったから、問題なし

中華街みたくなってますよ

それと、星野はこうゆうスレッドも監視しているので、
これから就職を考えている人は書き込まないほうがいいですよ
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/460-559/

[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理

141. 中川隆[-5725] koaQ7Jey 2018年1月09日 12:53:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

占冠(しむかっぷ)村にある総合リゾート施設「星野リゾートトマム」は、1000haを超える敷地に巨大タワーホテルやスキー場などを併設する。

「星野リゾート」という名称から日本企業の経営と思われがちだが、経営主体は2015年秋に同施設を買収した中国系企業で、「星野リゾート」は管理を行うのみだ。

最近、同リゾートを訪れた知人によると、当地には中国人の利用客が大挙して押しかけ、場内アナウンスにも中国語が。知人は、「正直、ここはどこの国かと驚いた」と語った。

中国系資本による土地買収にはパターンがある。最初に「リゾート地をつくる」「医療ツーリズムの拠点にする」などの壮大な計画をぶち上げる。財政難の自治体が賛成した途端に買収交渉を進める。だが、最初の構想は一向に実現しない。

 では何のために膨大な日本の領土を手に入れているのか。

 中国が買った土地には共通点がある。ほとんどが周囲を自然に囲まれて中の様子がわからない土地だ。出入りする場所が限られるため、出入口さえ封鎖すれば、外部からの干渉が難しくなる。

 しかもゴルフ場やキャンプ場はすでに土地が整備されていて水源が豊富にあり、開墾せずとも宅地や農地に転用できる。つまり、いつでも“自己完結型の自治区”となりうるのだ。

最近は世界で移民問題が大きなテーマになっているが、隔離された土地に大勢の中国人が住み着き、農産物や水、エネルギーを占有すれば日本の領土に中国の自治区ができてしまう。それこそが彼らの狙いではないのか。

 事実、中国の一部メディアは、「北海道は十年後に中国の三十二番目の省になる」と予測しているという。ある在日の中国人論客は、「中国は北海道を二十年前から狙っている」として「これは武器を持たない、目に見えない戦争だ」と警鐘を鳴らす。
https://www.news-postseven.com/archives/20171116_626631.html

[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数のため全部処理

142. 中川隆[-7859] koaQ7Jey 2018年4月09日 08:54:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10042]

星野リゾートってどうですか?|リゾートホテル・別荘掲示板@口コミ掲示板・評判

566: マンコミュファンさん 
[2018-01-10 23:22:29]
[No.561〜本レスまで、情報交換を阻害、および、削除されたレスへの返信のため、いくつかの投稿を削除しました。管理担当]

567: 詐欺野郎! 
[2018-01-27 00:07:00]

星野リゾートは、たくみに、お金を巻き上げます?

568: 匿名さん 
[2018-04-09 03:26:05]

星野リゾートで検索してたどり着きました。
宿泊しようと調べてビックリしたのですが、すごい空室率ですね。ゴールデンウィーク最終の方だとほとんどの施設でまだ予約がとれます。
というか、直近で満室の日があまりありません。

低コスパなのにメディアで宣伝して次々に新しい箱を作る自転車手法が消費者に見透かされてリピートが激減しているのでしょうか、飽きられたのでしょうかね。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/


143. 中川隆[-7893] koaQ7Jey 2018年4月11日 08:46:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10102]

569: 匿名 [2018-04-10 06:31:27]
正直、内容に比べて料金が高い。
心配なのは経営が行き詰まり、まとめて中国資本などにならないか‥?と言う事です。
熱海のアウトレットショッピングモールで建てて頓挫していた大きな建物も中国人の所有になりましたよね・・


570: 匿名さん  [2018-04-11 06:09:36]
≫568さん
5月25日前後に国内旅行を計画中の者です。
目的地のホテルを探していますが、可なり満室のホテルが多く焦りました。

たまたま星野リゾート公式ホームページの空室状況を見たら、
星野リゾートのどの施設もガラガラですね。気持ち悪いぐらい空室です。
予約が取れない旅館と宣伝していますが、嘘ですね。

あれだけボッタクリ宿泊料金だと、行くのを躊躇もするし、リピートし無いと思う。
飽きられたらお終い。568匿名さんの内容通りでした。そろそろ飽きられてきたのかな?


144. 中川隆[-12571] koaQ7Jey 2018年5月23日 08:59:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが進出するディープな大阪 飛田遊郭

飛田新地

大阪府大阪市西成区山王3丁目1−13
http://tobita-angel.com/


地図
http://tobita-angel.com/history?symfony=289a84b91cc5420d0ba4d6f23e218b02
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_qf.&biw=1047&bih=892&wrapid=tlif134945383548910&um=1&ie=UTF-8&q=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&fb=1&gl=jp&hq=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&hnear=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&cid=0,0,15461009027138679728&sa=X&ei=EQhvUI7hNIKNmQX02YDABw&ved=0CHUQ_BIwAw


飛田遊郭
http://www.youtube.com/watch?v=KKQOamvpyYQ
http://www.youtube.com/watch?v=1powsBN_P3U&feature=relmfu

西成 飛田新地
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10033215
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10033163

2012年5月5日19時02分 飛田新地4.AVI
http://www.youtube.com/watch?v=N3CP24Yrm6w&feature=related

松島遊郭
http://www.youtube.com/watch?v=1FvQcG9keHw&feature=relmfu

飛田新地の部屋
http://www.youtube.com/watch?v=0o0dDLrHmSE&feature=related

関西新地(ちょんの間)情報
http://homepage2.nifty.com/moruda/20/angya/tyu-kyu.html

2017年3月9日
星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 地元民「何を血迷っておられるのか」


大阪市がJR新今宮駅前にある市有地約1万4000平方メートルを、高級ホテル事業で知られる「星野リゾート」に約18億円で売却したことを3月8日に発表。9日には星野リゾートが同地に都市観光ホテルの開業する計画を発表したのだが、ネットからは驚きの声があがっている。
https://www.excite.co.jp/News/bit/E1489046811883.html

新今宮のホテルは「OMO」 星野リゾート、都市型導入
2017年10月12日14時22分


星野リゾートが新今宮駅前に計画しているホテルのイメージ図(星野リゾート提供)

新今宮駅前のホテルについて説明する星野リゾートの星野佳路代表=大阪市北区


 星野リゾートは、JR大阪環状線新今宮駅前で2022年に開業を計画しているホテルを、ビジネスホテルと対抗できる価格帯にする方針だ。温泉施設などを置かない「OMO(おも)」という新ブランドを使うという。

 11日、星野佳路代表が大阪市内で会見し、「観光客は、温泉旅館からビジネスホテルに移っている」と説明した。OMOは、「星のや」などほかのブランドより宿泊料金を抑えた都市型ホテル。18年に開業予定の北海道・旭川では、1泊1万円台を予定している。

 ホテル内のレストランも最小限にとどめ、周辺のレストランを紹介するサービスにも取り組むという。
https://www.asahi.com/articles/ASKBC4H81KBCPLFA001.html


    2010年09月04日 11:31
グーグルさんすげえええええ
ストリートビュー、店の中が見えてるじゃねーかww
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&sll=34.644312,135.504727&sspn=0.009144,0.017681&brcurrent=3,0x6000dd8cbba0dc6b:0xcf5038f428d01acd,0&ie=UTF8&hq=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0&hnear=&ll=34.643642,135.504985&spn=0.009144,0.017681&z=16&layer=c&cbll=34.643724,135.505015&panoid=_FmdUwiKATh-zCwKcEd2hA&cbp=12,287.76,,0,25.42


名無しさん@ニュース2ちゃん 2010年09月04日 13:27
http://make-view.appspot.com/indexsearch?searchValue=%E8%A5%BF%E6%88%90&prefecture=&line=&station=&searchflg=1
西成は凄いなぁ


萩之茶屋本通商店街から今池商店街に行く際 飛田新地側で、オヤジが忠告!

『刺されるで!』

動画の一番最後をご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=ugsyUaq_sfk
http://ag-skin.com/daily/skinblog.cgi?mode=2&sn=968

この辺りは薬物売買はあとを絶ちません。
そこらじゅうに売人がいますので、カメラを向けるとあからさまに­嫌がる人は売人なんです。

商店街は安全ですが、一歩それて中に行くに連れて売人がいますの­でカメラは厳禁になります。 普通に歩くには何の危険もありません。義理人情熱い普通の下町で­す。
baburugum2 年前38

カメラ撮影が危険とは聞いていましたが、初めて理由を知りました­。
9c8c7c3 年前17


大阪で言う夜のアメ村みたいに米人とかがヤク売るために彷徨いてる時がある。

で、カメラ持って店を紹介するのは良いけれど
ヤクの売人達はそれを撮された(つまり警察に渡すと勘違いするか)ら困るし、
up主の命にも関わるぐらいあぶない
http://www.youtube.com/watch?v=ugsyUaq_sfk


漫画では見たことあったが、本当にあったんだ・・・
kingtsukasa9 か月前

「やり手ばばぁ」がまだ現役でおわします。いいですね。
kyuurinoshiyaha1 年前

すごいね! 江戸時代みたいだ。
Ryuta Hirayama6 日前

タクシーでぐるぐるしたけど、運転手は

『ここの子たちはかわいそうだよ、逃げられないんだ。物珍しくて写真撮る輩もおおいけどそれを一番本人たちはいやがる­とおもうよ』

と言ってた
shoreheaven1 年前69

30年前、18才の田舎者が住むにはあまりにも刺激的で世の中の表と裏を体験した人生で一番価値のある時代となった所で­す。
髪結い屋(美容室)の丁稚奉公で、料亭の方々の肩もみ、雑談、髪­洗いなどををやってました。

「借金で売られて来た人」「生きるため来た人」「死んでる事にな­っている人」

ここにお金欲しさに来た女の人はいませんでした。

髪結い屋の大先生に一番最初に聞かされた教えが

「ここわゃな〜、新地とちゃう荒地ゃ でな生きてるもん一人一人が皆タンポポゃー」

踏まれても踏まれても花を咲かせると言うタンポポ、色町の華やかなバラなんて夢の夢 踏まれて育った小さな花なんです。
Minineko115 か月前11

文化的価値があるということもここが残ってる一因だろうね。
堂々と国定文化財になってる店舗があるくらいだし。
24superplay2 年前20


これはメイン通りとは違う通称おばちゃん通りの様子だね。
kazuyannn2 年前


青春の門だなw
でも、高すぎる
通りによって年齢が違うし値段も違う
何の値段かって?
そ・れ・は・・・・・・知ってるくせにもうw
waki19196 か月前

消した方が良いよ。893に消される前にさ。シャレにならないか­らね。これは。
alzoq10 か月前

撮影ばれたら・・・勇気を称えます。
st170dc51 年前3


飛田新地でカメラを回すとガチでやばいぞ!!
自分は以前、ビデオカメラを取り出しただけで黒いスーツの連中に追いかけられたからな。
自転車で全力で逃走しなかったらどうなってた事か・・・・
ked36892 年前7
http://www.youtube.com/all_comments?v=KKQOamvpyYQ

2012年05月21日
日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました

大阪市西成区の「飛田新地(とびたしんち)」には日本最大級の遊郭が残っており、「鯛よし百番と飛田新地」によると「難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。

戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれていますとのことで、非常に貴重な建物が多く残っており、実際にこの地域の最も古い建物であり、料亭でもある「鯛よし百番」は国の登録有形文化財にも認定されるほど。

なので、どのような建物が残っている町なのかを実際に見に行ってきました。

「飛田新地」と呼ばれるエリアは大阪市西成区山王3丁目の一帯。

一見すると小料理屋のように見える2階建ての建物がズラリ。

現地にあった地図はこんな感じ。実際にはここに名前が書かれているより多くのお店が営業を行っています。

周辺にはどう見てもパチンコ屋にしか見えないことで有名な激安スーパーマーケット「玉出」もあります。

たこ焼き屋なども営業中。
この地で営業するお店を束ねる「飛田料理組合」の建物。
「飛田新地料理組合」の看板。

さらに進んでいくと、一帯には以下のようにズラリと「ちょんの間」スタイルの店が軒を連ねており、仕事帰りと見られるサラリーマンふうの男たちなどが前を歩いています。仕事帰りのOLや買い物にいくおばちゃんなども普通に歩いています。

よく見るとあちこちに「ホステスさん急募集」の看板。

さらに今度は「お運びさん募集」の看板。「お運び」とは料亭で料理を運ぶ仲居さんのことですが、この場所では「お客と自由恋愛を行う仲居」という意味だそうです。

お店の外観はこんな感じ。

室内にはまぶしいくらいの明かりがつけられており、普段はこの中にサービスを行う若い女性と客引きや勘定などを行う年配の女性がいます。

18歳未満は入店禁止。
別のお店はこんな感じ。

軒先にはちょうちんが下げられています。
どこのお店でも実際にサービスが行われるのは2階の部屋のようです。

1階の内部はこうなっています。
20歳未満は飲酒禁止、という張り紙がしてありました。

店の中に客がいてサービスが行われている時はこのようにして店内は空席となるようです。

客が入っていない時はサービスを行う女性が室内に座っています。

客引きはもう1人の年配の女性が行う場合がほとんど。

こんな感じで「お兄さん寄ってって」「かわいいコいるよ」と声をかけられます。

どこのお店もつくりはほとんど同じで、入り口の左右に店名が書かれており、のれんの奥に女性たちが座っているという運営スタイル。

このスタイルがどの店も徹底して貫かれており、以下のようにどの店も同じような雰囲気になっています。これが今も当時の風景と文化が色濃く残り続ける理由の一つであることは疑いようがありません。

この地区を10年以上取材し続けていたというフリーライターで「さいごの色街 飛田」などの本を執筆した井上理津子さんが筑摩書房のサイトで書いているところによると

「約四百メートル四方の土地に、約百六十軒の「料亭」がずらりと並び、「にいちゃんにいちゃん」と呼び込む曳き子がいる。上がり框に、赤い電気に照らされ、微笑む若い女性がちょこんと座っている。
客となった男が、二階の部屋でビールかジュースを飲み、女性と話すうちに、恋愛関係に陥る。表向きには、そういうことになっていて、公然と性的サービスが行われている」

といった場所であるとのこと。

また、Wikipediaの「飛田遊廓」の項目にも同様にして

「1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を伝えている。ほとんどの「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである」

と書かれており、ウォール・ストリート・ジャーナルの「飛田新地の幽玄 - Japan Real Time」という記事には

「1958年に売春防止法が施行されてから、それらの店は“料亭”に姿を変えた。だが外観にだまされてはいけない」

「20年程度での建て替えが当たり前の日本で、飛田新地は、建築物の保存状態の良さで大阪でも特異な存在だ。建物の多くは終戦直後に建てられた。飛田新地の不思議な魅力となっている木造建築には、玄関ホールの木彫りの彫刻のように、かつての繁栄が刻まれている」

「ここが21世紀の日本であることを忘れないようにあらかじめお伝えしておこう。「料亭」の入り口に座っている女性は女子高生や看護師の制服を着ていることが多い。“ママさん”は顧客を手招きし、交渉を持ちかける」

と書かれています。このようにしてありとあらゆる現代まで続く「矛盾」が凝縮されているような場所となっているため、一体いつまでこの状態を続けることができるのかはまったくわかりませんが、とにもかくにも非常に不思議な場所であることだけは確かです。

なお、この飛田新地の一角で営業している料亭「鯛よし百番」は国の登録有形文化財の建物を使用しているだけのことはあって本当にホンモノの料亭なので、ある意味、注意が必要です。
http://gigazine.net/news/20120521-tobita-shinchi/


星野リゾートがディープな大阪に進出する「ホンマの理由」
フリーライター 南 文枝. 2017年07月05日
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20170704-OYT8T50005.html

 リゾートホテルや高級旅館の運営などで有名な「星野リゾート」(本社・長野県軽井沢町)が、2022年、大阪・JR新今宮駅北側に、観光客をターゲットにした都市型の大規模ホテルをオープンする。星野佳路代表は、新ホテルの予定地周辺を「ディープな大阪」と評するが、なぜこの地への進出を決めたのか。フリーライターの南文枝さんが現地を歩いて取材した。


30年以上「塩漬け」の“一等地”に進出!?


新今宮に建設予定の新ホテルのイメージ図(星野リゾート提供)
新今宮に建設予定の新ホテルのイメージ図(星野リゾート提供)


 今年6月、大阪市浪速区の予定地へ行ってみた。

 JR新今宮駅で電車を降りると、ホームから、ぽっかりと空いた広大な土地が見える。面積は、約1万4000平方メートル。周りをフェンスで囲まれた土地には草が生い茂り、駐車場として使われた名残の舗装跡が残っている。


建設予定地周辺の地図
建設予定地周辺の地図


 もともとは、化粧品会社や金属会社の工場があった土地だ。市が昭和50年代、公園用地として取得した。昭和30〜40年代にかけて、市内で子どもの数が急増、予定地近くの公園用地に中学校を建設することになり、その代替地が必要になったためだ。だが、取得後は公園として整備されることはなく、具体的な用途が定まらないまま、事実上、「塩漬け」の状態が続いていた。一時的に警察署の仮庁舎や臨時駐車場などにも使われたという。


 そうした中、今年3月、市の開発事業者公募で、星野リゾートが提案したホテルの建設計画が採用されたのだ。


 同社が市に提出した計画では、新しく建設するホテルは20階建てで、客室数は約600室。温浴施設や大阪の食文化を楽しめるレストランを設け、駅側にはホームから見渡せる緑の広場を作るという。街歩きやたこ焼きづくりなど、大阪の歴史や文化に触れるサービスも行う予定だ。宿泊価格帯は未定だという。


 予定地からは、大阪のシンボル的存在である「通天閣」や串カツで有名な繁華街「新世界」までは徒歩で約5分。20分ほど歩けば、300メートルの日本一高いビル「あべのハルカス」や、天王寺公園の芝生広場「てんしば」に着く。近くにはJRや南海電鉄、阪堺電車、地下鉄の駅があり、関西空港から鉄道で約40分、JR新大阪駅からは約25分という好立地だ。


 星野社長は今年4月に開かれた記者会見で、新今宮に進出する理由として、空港やユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)など観光スポットへのアクセスのよさに加え、「大阪に自分がいる、と自覚できる」という街の雰囲気などを挙げた。


 新今宮駅を挟んで南側には、日雇い労働者の街として知られる「あいりん地区」もある。だが、星野リゾートの広報担当者は「新世界も観光地として知名度が上がり、てんしばエリアにはおしゃれなカフェやレストランが連なるなど、(周辺の)印象はだいぶ変わってきている。新ホテルがこの流れをさらに加速させ、にぎわいを創出できれば」とイメージ刷新に意欲的だ。

地域の状況は様変わり


建設予定地の北側から、JR新今宮駅とあべのハルカス(中央)を望む
建設予定地の北側から、JR新今宮駅とあべのハルカス(中央)を望む


 あいりん地区は戦後、日雇い労働者が集まって栄えたが、バブル崩壊や労働現場の機械化などで、かつてほどの労働力需要がなくなった。一方、労働者は高齢化し、ここ数年でも地区や周辺の状況は大きく様変わりしている。その理由の一つが、外国人観光客の増加だ。


 大阪観光局によると、2011年以降、大阪府を訪れる外国人観光客は増え続け、16年は11年の約6倍の941万人に達した。ホテルなどの客室稼働率も上昇し、14年81%、15年84.8%と、2年連続で全国トップとなった。


 そんな中、あいりん地区周辺の1人1泊1000〜3000円程度で泊まれる簡易宿泊所(簡宿)が、外国人のバックパッカーから人気を集めている。新今宮駅の南側の通りには、英語や中国語などの案内看板や荷物の一時預かり所が立ち並び、大きな荷物を抱えた外国人観光客でにぎわう。


 外国人に対応した飲食店も増えている。今年2月にオープンした「ニューワール堂」(大阪市西成区)もその一つ。牛ホルモンを油で揚げた「かす」を入れた南大阪の郷土食「かすうどん」などを味わえる店だが、外国人客を意識して、内装をシックにし、Wi−Fiを整備。写真入りの英語メニューも設置した。客の約2割は外国人で、筆者が取材に出向いたとき、店内では外国人観光客のグループがかすうどんを食べていた。

変化する「ディープな大阪」 地元の反応は?


建設予定地から5分ほど東に歩くと、通天閣や串カツなどで有名な繁華街・新世界に着く
建設予定地から5分ほど東に歩くと、通天閣や串カツなどで有名な繁華街・新世界に着く


 新ホテルの建設予定地周辺で、ホテルや飲食店を営む人たちは、星野リゾートの進出をどのようにとらえているのか。


 訪日外国人客専門の旅行会社、フリープラス(大阪市)は、17年4月、予定地の南側に、外国人旅行者に照準を合わせたホテル「FP HOTELS 難波南」を開業した。大阪を訪れる外国人旅行者の増加に伴い、宿泊施設の不足などが指摘されるようになったため、外国人旅行者のニーズを満たすホテルの運営に乗り出したのだ。


 外国人旅行者が快適に過ごせるように、英語や中国語、インドネシア語など多言語を話せるスタッフを採用。客室は、日本の通常サイズよりも広めに設計した。コンセントも、世界各国のプラグに対応しており、変換プラグを使わなくても、スマートフォンなどを充電できるようにした。宿泊客を対象に、自転車の貸し出しサービスも行う。


 同社によると、稼働率は開業以来、約80%と好調だ。宿泊した外国人旅行者からは「駅からも近く、公共交通機関での移動も便利」、「英語でスムーズにコミュニケーションできるのも素晴らしい」などと、アクセスやスタッフの対応のよさを評価する声が多く寄せられている。18年秋ごろには、西成区に2号店をオープンさせる予定だ。同ホテルの増田篤紀支配人は「この界隈かいわいは立地の利便性が高い。星野リゾートの参入で、『新今宮』の認知度が上がっていくのではないか」と期待する。


 また、16年夏に閉店したミックスジュース発祥の店と言われる新世界の喫茶店「千成屋珈琲」は、17年5月に営業を再開した。4代目店主の白附克仁さん(50)は「新世界の街やミックスジュースを世界に広めるため、(星野リゾートの進出は)心強く感じているし、期待している」と話す。


 白附さんは、父親が西成区の高校で教べんを取っていたこともあり、小さなころから新世界や西成の街になじみがあった。現在は自らも西成区に住む。「新世界は刺激的で可能性がある街。周辺の治安もここ数年でだいぶ良くなった。外国人旅行者は、地域の文化に触れ、地元の人たちとコミュニケーションを取りたがっている。アクセスのよさが認知されれば、もっと人を呼べる」とみる。
「星野」は進化の起爆剤?


建設予定地を上空から撮影した。手前中央の空き地が予定地
建設予定地を上空から撮影した。手前中央の空き地が予定地


 2008年に予定地の南、「動物園前商店街」の一角で喫茶店を開き、16年4月、移転して新たにゲストハウスをオープンしたNPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」(西成区)の代表、上田假奈代さん(47)は地元の空気をこうとらえている。「進出が決まってすぐは、あまり話題に上らなかったが、現在は変化に対応していこうという思いもあるようだ」


 ゲストハウスの宿泊客は、外国人と日本人が半々だ。外国人客の行き先は、新世界や道頓堀、USJ、京都と様々だが、ゲストハウス周辺や地元の人たちの暮らしにも興味を持っているという。「メキシコ人の男性から頼まれて、釜ヶ崎(あいりん地区周辺の通称)の知人のお見舞いに連れていったこともあります」(上田さん)


 上田さんは、ゲストハウスの他に、地域の住民らを対象に読書会や詩、合唱、ダンスといった講座や、ワークショップを行う「釜ヶ崎芸術大学・大学院」の運営や街歩き、健康相談、夜回りなど、地域で様々な活動に取り組んでいる。「(星野リゾートの進出で)変わることもあるでしょうが、新しく訪れる人たちにも、この街の歴史や、たくましく生きてきた人たちの姿を伝えていきたい」と話す。


 05年ごろから、新今宮駅周辺で学生らによる観光案内所の運営や、多言語パンフレット作製といった外国人観光客の誘致に取り組んできた阪南大学国際観光学部の松村嘉久教授(51)は、「新今宮駅周辺の区や地域、公共交通機関などが、それぞれの壁を超え、駅を中心とした街づくりについて考える、連携するきっかけになれば」と進出を歓迎する。


 周辺には安くておいしいレストランが多く、ざっくばらんに飲めて、知らない人同士が仲良くなれる雰囲気がある。ウォール(壁)アートやジャズなど、文化的な活動も盛んになった。松村教授は「アクセスがよく、外国人の目線で見た時には魅力的な地域」と分析する。星野リゾートが進出すれば、外国人旅行者に加え、駅で降りる日本人観光客も一気に増えることが予想されるため、松村教授らも取り組みにいっそう力を入れる考えだという。


 また、松村教授は「関西空港で降りた外国人旅行者は、まずは新今宮を目指して来る。立地やアクセスのよさを生かして、四国や九州といった地方の情報も発信し、旅行者を『(西日本の)他の地域へ誘うよう仕掛ける』体制を整えれば、『リピーター』の観光客にも対応できるし、ハブ(交通の結節点)的な存在としても栄えるのではないか」と期待する。


 星野代表は、会見で「(予定地周辺の)ディープな部分は圧倒的なプラス。新今宮でいろいろな活動をしている方々と連携を取っていく」と語った。新ホテルの進出は、果たして新たなまちづくりの起爆剤となり得るのか。「ディープな大阪」の今後に注目したい。


145. 中川隆[-12570] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:03:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を「飛田新地」に呼び寄せると「飛田新地」は消滅する事になる

関西の暗部「飛田新地」も、いつまでも存在できるわけではない理由とは


大阪には、飛田新地、松島新地、今里新地、信太山新地、滝井新地……といくつもの「ちょんの間」が生き残っている。さらに尼崎にも、かんなみ新地が生き残っている。


関東は町田の通称「田んぼ」や横浜の「黄金町」があったのだが、すでに2005年には壊滅した。いくつもの「ちょんの間」が生き残っている関西の特異性には驚くばかりだ。

なぜ関東の「ちょんの間」が絶滅して関西の「ちょんの間」が生き残ったのかは、日本のハイエナたちの間で議論があるのだが、私は「関東のちょんの間の主力は外国人女性で、関西のちょんの間の主力は日本人女性だったから」と理解している。

町田も黄金町も「外国人女性がいた」ということが致命傷になって摘発・閉鎖を余儀なくされている。

なぜ、警察はそろそろ動いてもおかしくないと私は感じているのか。

それは、飛田新地も外国人の客が押し寄せるようになっており、そこが日本の暗部(アンダーグラウンド)として紹介されるようになっているからだ。

(ブラックアジア:写真禁止と言っても、どんどん流出していく飛田新地の夜)
https://blackasia.net/?p=841


政府当局はこうした存在が国内でひっそりと知られているだけであれば黙認するのだが、世界に広く知られるようになると急いで潰す。

なぜなら、日本は常に外国から「売春問題」で非難されてきた歴史があるからだ。

「日本は女性の人権をないがしろにしている」「日本は人身売買国家だ」「日本は淫売国家だ」と国外から攻撃されて、日本は非難轟々の中で遊郭の閉鎖を決めていた。

2000年代初頭の関東のちょんの間摘発もまたアメリカから「日本は人身売買国家だ」と名指しで糾弾されて、驚いて摘発に向かったものである。


ヤクザ経営のフィリピン・パブではしばしば女性たちがパスポートを取り上げられ、監禁され、売春が強制させられていたのだった。

彼女たちは被害を英語で訴え、アメリカのジャーナリストも好んで「YAKUZA」のあこぎなビジネスを糾弾し、それはアメリカ政府の耳にも届いていた。

それを指して「日本は人身売買国家だ」とアメリカに批判されたのだ。

指摘を受けて日本政府はフィリピン女性の興行ビザを出さなくなり、フィリピン・パブは壊滅状態になった。

「ちょんの間」はとばっちりであったのだが、それでも日本政府は外国人女性がいるちょんの間を強権で潰して消した。どのみち、この形態の売春ビジネスも世界に知られれば糾弾されるのは間違いないからだ。

こうした経緯もあって、日本政府は今も「売春を野放しにしている」と外国から指摘されることに神経質になっている。

だから、飛田新地が外国人の男たちに存在が知られるようになり、そこに群がるようになっているのであれば、摘発して潰すことになっても不思議ではないのだ。
https://blackasia.net/?p=7337


146. 中川隆[-12569] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:06:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を呼び寄せようとしている「飛田新地」とは


流れ者の女性たちが通り過ぎる大阪「飛田新地」。

今でもここで多くの女性が身体を売っている。どこにも定住せずにふわふわと流れるように生きている女性には、何となく自分の人生とかぶるものがあり、それだけで共感を感じる。


日本のアンダーグラウンドにも流れ者の女たちが潜んでいる


アンダーグラウンドに堕ちて、身体を売りながら底辺を転々とする根なし草の女性は今でも日本にいる。最近そんな女性を横浜で知ることになった。

(出稼ぎ風俗嬢(1)東京から神戸まで転々と身体を売り歩く)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20170802T0024290900.html

流れ者の女性。人生の旅人。

すべての女性に当てはまるかどうかは別にして、一般的な話をすれば、女性は自分の慣れた場所に定住する生き方を好み、そこで自分の居場所を作り上げて生きる。

しかし、中には自分の住所すらも持たず、どこかの性風俗店の用意した寮に転がり込み、仕事に飽きたら寮を出てまた見知らぬ土地に向かっていく女性がいる。

日本には地方にも多くの温泉街や歓楽街があって、その裏側には置屋やソープランドのような性風俗の店が静かに隠されている。

そうした場所を転々としていけば、10年でも20年でも日本のアンダーグラウンドをさまよい歩いて生きることができる。

そうした日本女性が本当にいることを知って、私は深い感銘を受けた。また、根なし草の人生を送っている女性の孤独にも関心が向いた。


気が付けば深い孤独に追いやられていくのが流れ者

私自身も20代から東南アジアをウロウロして一ヶ所に居つかない人間だった。

そのため、どこにも定住せずにふわふわと流れるように生きている女性には、何となく自分の人生とかぶるものがあり、それだけで共感を感じた。

流れ者は孤独だ。社会の底辺をさまよい歩く人間であれば、表社会の人たちに相手にされない分、なおさらひとりぼっちになりやすい。その底知れぬ孤独は、実際に流れ者になった経験がないと分からない。

知らない場所を転々とするというのは、まわりはいつも知らない人たちとなる。自分がいる場所も右左もよく分からず、どこに何があるのかも知らない。その土地の文化も詳しくないし、話している言葉も違う。

新顔は警戒されるし、言葉が違ったりその土地の文化を知らなかったりすると受け入れられなかったりする。受け入れられるどこか排除されることさえもある。必然的に部外者(アウトサイダー)となるのである。

流れ者は疎外感の中に生きる。

こうした疎外感は、ときに解放感ともなる。なぜなら、部外者はどのみち出ていくので、その地域や人間関係に責任も持たないで済む。

仕事で新しく誰かと知り合って人間関係ができたとしても、それが重くなる前に関係を断ち切って去ることができる。

だから、流れ者の中で人間のしがらみが好きでない人は、疎外感の中の解放感に浸って喜びを感じることもある。それは、流れ者ゆえの解放感である。

しかし、こうした生き方に馴染んでしまうと、自分を心から心配してくれる親友もできず、気心知る友人もできず、生活も落ち着かない。

人生は時に逆風にさらされる。病気になったり、収入が消えたり、貯金がなくなったり、仕事が見つからなかったりする。流れ者の解放感に浸っているうちに歳を取って、気が付けば自分には何もないことに愕然とする。

かくして、深い孤独に追いやられていく。それが流れ者の人生である。転々と日本の地方の性風俗を渡り歩く女性の姿に私は自分と似たような匂いを感じて一緒にいる時間が心地良く感じた。


社会の底辺には根なし草の女性がたくさんいる

私たちはまったく意識しないが、日本の社会の底辺にはこうした根なし草の女性がたくさんいる。

たとえば、尼崎のかんなみ新地にいるのは沖縄の女性が多いと言われている。

(尼崎の「かんなみ新地」に沖縄出身者が多いのはなぜか?)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20161211T0257080900.html


大阪の「飛田新地」も日本全国から流れて来た女性が仕事をしている。1日に5回転も10回転もして男たちにセックスを提供する彼女たちの中には東京から流れてきた女性も多い。

関西には雄琴や神戸にソープランドがあるのだが、こうしたソープランドにも短期間の「出稼ぎ」の女性で占められており、彼女たちの出身は様々である。

「出稼ぎ」という言葉は表社会ではもうほとんど使われない単語だが、日本のアンダーグラウンドの女性たち、特にデリヘルやソープランドに所属している女性たちは今でもごく普通に「出稼ぎ」という言葉を使う。

性風俗の女性たちは年功序列も終身雇用もない。歳がいけばいくほど収入が落ちていく。

若い頃は高級店で働いていた女性でも、20代の後半あたりから客が取れなくなって、次第に人妻店や格安店にランクを落としていくことになる。

しかしランクを落とせばすぐに稼げるのかと言えば、そんな甘いものではなく、待機の方が長くなったりする。ときに10時間以上も待機してひとりの客が取れない日も出てきたりする。

このとき、女性の中には「自分が稼げなくなった」というのを認めず「この店は稼げない」と考えて、あちこちの店を転々とするようになる。

それでも駄目だと「この場所は駄目だ」と考えて、地方に向かっていく。出稼ぎするのである。

地方に流れる女性はどちらかと言えば年齢のいった女性が多いと言われているが、もちろん若いときから地方で出稼ぎする女性もめずらしくない。

あちこちの店でトラブルを起こしながら店を移り変わる女性のことを「転々虫」と呼ぶ。

(転々虫(1)。なぜ彼女は店を3日で辞めてしまうのか?)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20170103T0159170900.html

こうした女性が、ほとぼりを冷ますために地方に出稼ぎすることも珍しくない。ただ単に性格が根なし草だから流浪する女性だけでなく、流れ者にはいろんなタイプがある。


売春地帯「飛田新地」にいた阿部定と福田和子

稀代の淫婦と呼ばれている阿部定(あべ・さだ)も流れ者の女だった。

彼女は東京生まれだったのだが、15歳のときに強姦されたことによって自暴自棄な生活に陥るようになり、激怒した父親に「そんな男が好きなら遊郭にでも行ってろ」と言われて遊郭に売られ、それから流れ者になった。

最初に売られたのが横浜住吉町の遊郭だった。しかし、ここで金で揉めて飛び出し、以後、彼女は日本の売春地帯を転々とすることになる。

大阪に流れてからは有名な飛田遊郭に居ついている。飛田遊郭は今も「飛田新地」として現役の売春地帯である。飛田はいつの時代でも、流れ者の女たちでビジネスが成り立っている。

ここでもトラブルを起こした阿部定は、今度は兵庫の京口新地に向かって、そこを脱走して、名古屋・大阪と流浪して最後に東京に戻って「阿部定事件」を起こしている。

(阿部定(さだ)事件。彼女は、どこから来た女だったのか?)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20120420T0043110900.html

日本のアンダーグラウンドを転々として、やはり「飛田新地」にも所属していたという女性がもうひとり知られている。「松山ホステス殺害事件」の福田和子だ。

彼女は1982年に同僚の女性を殺してから日本各地を転々としていた。整形手術までして15年近くも逃げおおせ、時効が成立する21日前に福井県でやっと逮捕された。

福田和子は愛媛県松山市出身だったが、母親が売春ビジネスにどっぷりと浸っていた関係で、彼女もまた17歳頃からどんどんアンダーグラウンドに転がり堕ちていき、18歳で強盗で逮捕されたという経歴を持っていた。

流れ者として日本のあちこちを転々とし、飛田新地の他にも信太山(しのだやま)のちょんの間にも所属していた。

人を殺して逃げ回る女性もまた必然的に流れ者になり、性風俗のアンダーグラウンドで生きながら、誰とも深いかかわりを持たずに姿を現したり、消したりして人生を生きている。

そんな女性に深い関心を持たずにおられない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170815T0515550900.html


147. 中川隆[-12568] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:09:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を呼び寄せようとしている「飛田新地」とは 2


飛田、松島…風俗店なのに警察が「掃討作戦」しないワケ “料理店”のウラ側
2017.3.23 20:35
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/170323/evt17032320350074-n1.html

昔ながらの日本家屋が建ち並ぶ松島新地。
あちこちで「そこのお兄さ〜ん、いらっしゃーい」と「やり手婆」の声が飛ぶ=2月21日夜、大阪市西区
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/photos/170323/evt17032320350074-p1.html


衝撃事件の核心

 飛田新地、松島新地といえば、聞いたことのある人も少なくないだろう。かつては華やかな遊郭だった赤線(公認の売春地帯)地域だ。今も日本有数の「ちょんの間」街、つまり風俗街である。客が店に金を支払い、女の子と本番行為を行う性風俗店が乱立するが、不思議なのはどの店も「料理店」として営業許可を出していること。菓子などを料理≠ニして提供し、「店員と客の自由恋愛」という体裁で売春が行われる。実態と明らかに異なる届け出なのに、なぜかほとんどの店舗が警察当局の摘発から逃れている印象が強い。当局は本気を出せばできそうな「掃討作戦」をなぜ実行しないのか。その背景を探った。(桑村朋)

 「売春供述」が決め手

 「はい、そこのお兄さ〜ん、いらっしゃ〜い」

 大阪市西区の市営地下鉄中央線、阪神なんば線の九条駅からほど近くにある松島新地。市民が憩う商店街「ナインモール九条」を抜けると突如、昔ながらの日本を感じさせる建物が現れ、あちこちから「やり手婆」と呼ばれる客引きの高齢女性の声が聞こえる。こちらに向けて手招きし、中では化粧をした20〜30代の女性が手を振って客を今か今かと待っていた。

 何とも異様な光景。地元の人たちが自転車に乗って普通に通り、地域に溶け込むようにたたずんでいるのも驚きだ。現在営業しているのは約90店舗。約160店舗を構える飛田新地(同市西成区)に次いで国内2番目の規模とみられるが、飛田より金額は比較的安く、愛好家も多い。そんな一大風俗エリアで先日、警察による店舗の摘発があった。


 大阪府警西署は1月、売春防止法違反容疑で、松島新地の料理店「恋心(ここ)」の経営者の女と引き子役にあたる「やり手婆」の女の計2人を逮捕。逮捕容疑は共謀し、昨年11月6日と25日の夜、店内で20代と30代の女性に男性客2人を売春相手として引き合わせたとしている。同署の調べに、2人は「料理を出すことはありません」と容疑を認めた。

 同署などによると、店は少なくとも平成25年1月から料理店の許可を取って営業。20分1万円で、10分増えるごとに5千円が加算されていくシステムだった。同署は実際に性的サービスを受けた帰りの男性客から「売春営業を受けた」との話を聞いて捜査を始め、逮捕にこぎ着けたようだ。

 ただ、男性客の話を聞くだけで逮捕できるなら、もうすでに新地が壊滅していてもおかしくはない。どの店舗も実質、「性風俗店」なのは明らかだが、なぜか警察による摘発は少ないのが現状だ。

 松島新地では4年前、店舗の経営者や、店に女性を送り込んだスカウトグループの関係者らを一斉逮捕。暴力団関係者を通じてグループと知り合い、性接待などを受けた男性警部補が処分される事態にまで発展した過去がある。ただ、それ以降は大規模な「掃討作戦」はみられない。

 売春防止法施行で「料理店」に…

 そもそも松島新地はいつの時代に誕生し、なぜ「自由恋愛」の営業スタイルになったのか。


昭和33年発行の「松島新地誌」(松島新地組合)によると、かつては「松島遊郭」と呼ばれ、今から約150年前の明治元年に設置許可が下り、翌年に開設された。「松島」という地名は寺島という地域に松の大木があったことが由来といわれているそうだ。今とは別の場所にあったが、先の大戦中の大阪大空襲で大半が焼失。現在の場所に移ったのは戦後のことだ。

 しかし、昭和33年に売春防止法が施行。売春行為そのものが法律に禁止と明記され、遊郭などの流れをくむ売春の実質的公認地帯だった赤線≠ェ消滅した。松島の各店舗の存続も危うくなり、各店舗は届け出上は「料理店」として営業許可を取得するという抜け道≠考案。

 「店員と客による自由恋愛」という名目で性的サービスを提供するようになり、当局側が黙認する形で続いてきたとされている。

 飛田新地など他の遊郭も同じ理由から同様の営業手法になったというのが通説で、現在も「〜新地」などの呼び名で性風俗店の名残が残っている。今でも店に行けば、まずはじめに茶や菓子がふるまわれる。これも「料理店」としての体裁を保つため。当時の営業許可の名残のようなものだ。

 ただ、やはりどうしても気になるのは、明らかな売春行為なのに、なぜ警察は「料理店」としての営業許可を認めているのか、そして積極摘発をしないのか、だ。

警察も「グレーゾーン」黙認?

 「警察はグレーゾーンだと認識しながらも、店がなくなったときの社会のリスクを考えて料理店の営業許可を出しているはずだ」

 そう語るのは、飛田新地の内情を描いた「飛田で生きる」(徳間書店)の著書で知られる杉坂圭介氏。飛田新地で約10年の店舗経営経験があり、今はスカウトマンとして活動する杉坂氏は「世の中から性風俗店がなくなれば性犯罪が増えかねない。そうした社会的リスクを考え、グレーゾーンの料理店を黙認して営業許可を出しているのでは」と指摘する。

 摘発件数が少ない背景については、「街を取り仕切る料理組合の存在が大きい」とみる。

 新地で店を新規に構える場合、料理組合の許可を得なければならないが、そこでは厳しいチェックが行われるという。「組合は暴力団の徹底排除など、安心安全でクリーンな街にするよう努めている。もし、暴力団とつながりのある店が見つかれば、組合で自主廃業を促すこともある。警察も営業許可を出す際、『ちゃんと組合の許可は下りるんだろうね』と新規参入者に話すようだ。暗黙の協力関係があるのかもしれない」と話す。

 飛田新地では、組合を挙げて定期的な清掃活動を行うほか、街の防火のために水の備蓄を行うなど、「きれいな街」を常に心がけている。松島新地でもいたる場所に「麻薬撲滅」や「暴力追放の街」などと書かれた看板が掲げられ、飛田と同様、街を取り仕切る料理組合がクリーンな街を意識しているようだ。

「警察も組合を信頼」

 「過去の摘発店舗は、店員が覚醒剤をやっていたり、暴力団とつながりがあったりしたところが多い。売春行為は別の事件から波及する形で問われることがほとんど」と杉坂氏。警察も数カ月に1回、住民票の確認など各店舗の名簿チェックを行うが、組合が犯罪の芽を事前に見つけて対処していることも多く、「組合の活動が摘発数を必然的に少なくしているのだろう。警察もある意味、組合を信頼している」とする。

 とはいえ、松島関係者の関係者は「最近は摘発がなかったから本当に怖い。一斉摘発なんてあったらどうしよう」と戦々恐々としている。

 「料理店内で何が行われているかという事実関係は確認しづらいが、売春行為を見つければ逮捕する。それだけだ」と捜査関係者は語る。

 「何でも透明に」との考えが強い現代社会で、なおも残るグレーゾーンの世界・新地。料理組合が自警団的な役割を続ける限り、警察は店舗の積極摘発に動かない方針なのか。犯罪を抑止し、健全な社会を保つため、グレーゾーンを見て見ぬふりをする…。暴力団を「必要悪」とする一つの価値観とどこか通じるものがあるのかもしれない。


148. 中川隆[-12567] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:10:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を呼び寄せようとしている「飛田新地」とは 3


飛田新地、大阪のど真ん中に広がる“異世界”を覗く(上)秋山謙一郎 2016年12月27日
http://diamond.jp/articles/-/112727


日本で一番、生活保護受給者比率の高い町、大阪市西成区のあいりん地区から目と鼻の先には、昔ながらの遊郭の面影を残す飛田新地がある。街並みの写真撮影すらNG、徹底したルール運営がなされる飛田新地とは、どんな場所なのだろうか


「嘆きの壁」の内側には別世界が広がっていた

 異世界――最後の色街と言われる「飛田新地」を一言で表すとすれば、この言葉しか見当たらない。


写真撮影は基本NG。徹底してルールを守り、今も色街として存在し続けている飛田新地は大阪のど真ん中にありながら、「異世界」という言葉がふさわしい風情を持った街だ(写真:秋山謙一郎、以下同じ)

 大阪のオフィス街・梅田から市営地下鉄御堂筋線・なかもず方面に乗ること約13分、6駅目の「動物園前」駅で下車。飛田本通商店街を南下、アーケードの終点まで歩くと、厳めしい門扉跡と交番へと行き着く。ここはかつての遊郭時代、飛田の「内」と「外」を繋ぐ唯一の場だった“大門(おおもん)”があったところである。

 労働者の街「西成・あいりん地区」からは目と鼻の先、徒歩3分ほどの距離だ。ちなみに、大阪の新名所「あべのハルカス」からも、大人の足で歩けば約15分ほどで着く。

 この「大門跡」から足を一歩内側に踏み入れたそこからが、飛田新地だ。メインストリートである「大門通り」を見渡せば、その突き当りには高い壁が聳え立っている。「嘆きの壁」と呼ばれるそれは、その昔、遊女たちが「外」へ逃げないように設けられたものだということは、その名からも察しがつくところだろう。

 今、この「嘆きの壁」を境として壁の内側が大阪市西成区、外側が阿倍野区となっている。外と内をつなぐ階段を上った場所にいた、阿倍野区に住む小学生の子を持つ地域住民女性(30代)はこう語る。

「この階段を降りたそこは別世界です――子どもには決して階段から下へ降りないように言っています。同じ女性として、(飛田新地で)働いている方へのせめてもの配慮です」


実際、「子どもを立ち入らせない」という声は西成区側の住民からも耳にした。やはり“大人の空間”である飛田新地には、こうしたルールが徹底しているようだ。

 さて、その飛田の内側には玄関の引き戸を取っ払い、座敷の様子があらわになっている“料亭”がずらりと並んでいる。

 そんな“料亭”のひとつに記者が目をやると、座敷中央にはライトアップされたキャミソール姿の女性がひとり座っていた。その横には年配の女性が寄り添うように座っている。その光景は、まるで大正か昭和初期の時代にタイムスリップしたかのような錯覚に襲われる。

あくまでも“料亭”
頼めば食事も出てくる!?

「お兄ちゃん!今座ったとこやで。顔見ていったって。可愛いで。おいで。遊んだって……」

 客引きと見られる、年配の女性たちから、次々に声を掛けられる。後で地元住民に聞くと、この客引き女性は“遣り手婆”(やりてばばあ)と呼ばれているのだという。だがこの遣り手婆は、決して記者が歩く路上にまで出てきて客引きするようなことはない。“料亭”の座敷に座ったままの声掛けだ。


かつての遊郭時代、飛田の内と外を繋ぐ唯一の場だった「大門(おおもん)」のあった場所。この先が飛田新地だ

「飛田新地に集うのは料亭や!ゆうたら飯屋やな。頼めば飯食わしてくれるはずやで。せやから風俗店みたいに、路上に出てまでの客引きなんてのはまずやらんのよ」(地元住民)

 ともすれば短時間での「性的サービス」を提供する場、いわゆる“ちょんの間”と捉えられがちな飛田新地だが、その実は地元住民が言うようにあくまでも“料亭”に過ぎない。

料亭で性的サービス提供を
成り立たせる“暗黙の了解”

 客は食事目的で料亭に行き、そこで偶然にも“お運びさん(もしくは仲居、雑役婦、ホステス)”と恋愛関係に陥った――この暗黙の了解がわからない者は、飛田にやって来てはいけない。前出・地元住民が続けて語る。

「遣り手婆は通りを歩いてるお客さんに声掛けるけど、真ん中に座ってる“お運びさん”の女の子は、絶対、客に話しかけへんやろ。それもそんな『大人の事情』によるもんなんや思うで!」

 確かに“料亭”の座敷にひとり座っている、キャミソール姿や肩をはだけた着物姿の女性たちは、目が合うと微笑みを返し会釈したり、手を振ったりはしてくれるものの、声を掛けてくるということはなかった。


女性はあくまで「お運びさん」。飛田新地に集まるのは、「料理屋」という建前なのだ

「“料亭”の募集広告みてみ。『お運びさん募集』としか書いてへんで。ま、お運びさんとの自由恋愛まで警察や法は規制できんわな。もちろん違法行為があれば、警察もちゃんと取り締まるがな」(元大阪府警察官)

 ルール運営は厳格なようだ。客も“お運びさん”や“遣り手婆”にカメラを向けることは許されない。

 そんな飛田新地内の“料亭”街は、4つの通りに分かれている。

 メインストリートである「大門通り」を挟んで北側には、若くて可愛い容姿を持つ“お運びさん”が集まる「青春通り」、若いが妖艶な大人の魅力を持つ“お運びさん”が集う「メイン通り」がある。南側には「妖怪通り(もしくは「年金通り」)と呼ばれる2つの通りがある。こちらは「青春通り」「メイン通り」に比べて、“お運びさん”の年齢がやや高いのだという。
http://diamond.jp/articles/-/112727

飛田新地、大阪のど真ん中に広がる“異世界”を覗く(下)秋山謙一郎 2016年12月27日
http://diamond.jp/articles/-/112821


女性の週給は30〜40万円

 飛田新地内には、喫煙ベンチが2ヵ所ある。公衆トイレ横や、「嘆きの壁」階段下にあるこれらのベンチは、これから“料亭”で遊ぼうという客たちの「情報交換の場」として機能しているのだ。そこで出会った男性たちは皆、こう口を揃える。

「飛田では、どの通り、どの店に行っても料金は、皆、一律同じや。多少の違いはあっても大幅に変わるわけやない。強引な客引きもやらへん。だからお客さんも安心して遊べるんちゃう?」


お客の男性たちが集い、情報交換をする公衆トイレ脇ベンチ

 そんな飛田新地の“料亭”で男性が遊ぶ費用は、15分で1万1000円、20分で1万6000円、30分で2万1000円というのが相場だ。ちなみに諸説あるものの、“お運びさん”女性の取り分は、客が支払った額の半額だといわれている。ただしそのうちの1割は、客を呼び込んだ“遣り手婆”に支払うのだという。

「店は開いてるけど誰もいない状態がずっと続いていたら、そこは“売れてる”ゆうことや。飛田では15分か20分の客が多い。“お運びさん”は1人客相手したら次の客を待たせんよう、すぐ準備せなあかん。それでも20分客なら1時間でせいぜい2人までしか相手できへんやろ。3人となるときついんちゃうかな……」(前出・地元住民)

 実際、人気のある“お運びさん”は、1日に10時間労働で、約10人から20人ほどの客を次々に相手にするのだという。仮に最短の15分コースで1日20人の客がついた場合、その収入は1日当たり約10万円弱といったところである。

「店で顔見世するから、風俗店のように顔写真を撮ることもないし、“お運びさん”の女の子は皆、安心して働けるとちゃうか。ただ短い時間で大勢の客を相手にするんや。体力面で辛いと思うで。でも飛田ではそこそこの“お運びさん”なら1日に平均して7、8万円は稼げるんや。週5日で30万円から40万円は稼げるて聞くな」(前出・同)


敷地内にたたずむ
慰霊碑と観音像

 話を聞かせてくれた地元住民男性と公衆トイレ横にある喫煙ベンチで別れた後、入れ替わりにやって来たのが20代と思しき若い男性2人組だ。「男になりにきました!」「社会勉強です」と口々に話す彼らは、ノーベル賞受賞者を数多く輩出している関西の名門大学の学生だった。

「一通り歩いたんですが、僕らくらいの歳と変わらへん子がいっぱいいてますね。でも、ちょっとキレイ過ぎて緊張しますわ。ええなと思う子いてたんですけど、ほか見てる間に誰か入ったみたいで。早い者勝ちなんですね」

 事実、飛田に遊びにやって来た男性たちは皆、「総じて女性のレベルが高い」という。記者が確認した限りでも、多くの男性が納得できる容姿の“お運びさん”が揃っていた。ここでは常に直接「顔見世」をする。だから風俗店のような写真修正もない。ごまかしのきかない世界だ。

「行ってきます!頑張ります。終わったら報告します!」――。


飛田で唯一、撮影OKな文化財「鯛よし 百番」。ここから南に向かうと、慰霊碑と観音像がある

 名門大学生たちを見送って、記者が向かったのは登録有形文化財に指定されている「鯛よし 百番」だ。ちゃんこ鍋、寄せ鍋などの鍋料理が評判の「鯛よし 百番」は、撮影NGの飛田新地にあって唯一、撮影OKの場所だ。

 この「鯛よし 百番」を南に歩くと、「慰霊碑」と「観音像」がある。

 いろいろな事情からかつての飛田遊郭で働き、暮らしていた人たち。慰霊碑は、様々な事情や世間の風評で、遊郭の外に住むこともままならず亡くなった霊たちが安らかなれと願い、建てられたという。

 一方、観音像は、地域に貢献しながらも、身内にも看取られることなく亡くなった多くの遊女たちの霊を供養し、彼女たちの苦労を無為にしないように地域が一丸となって奉って行きたいとの願いから建てられた。

「お兄ちゃん、鯛よしさんは写真撮ってもええけど、この慰霊碑と観音像は手を合わせるとこやから写真は堪忍やで」

徹底して女性を守る飛田
配られる「飴」の意味とは

 スマホ片手に一人様子を窺っていた記者に、近隣住民と思しき年配の女性がこう声を掛けてきた。己のうかつさと非礼を詫びる記者に女性は続けてこう語った。

「店(いわゆる“料亭”のこと)を撮るんやったら、女の子写さんといたってな。朝早くやったら店も閉まってるし怒る人もおらんやろ……」


まるで警察署のような雰囲気を持つ、飛田新地料理組合。飛田新地の秩序や働く女性たちのプライバシーを守る役割を果たしているという

 地域住民や飛田事情を詳説したいくつかの書籍によると、飛田で写真撮影をすると、即、「飛田新地料理組合」の自警団がやってくるという。

 これは近隣女性が言うように「(飛田新地で働く)女性たちのプライバシーを守る目的」に尽きる。

 そうこうすると、東京からやって来たという入社同期という女性3人組と遭遇、「女性から見た飛田新地」について話を聞くことができた。

「ひとつの通りを歩いてみたのですが、おばさん方から怖い目で睨みつけられました。物見遊山で女性が来てはいけない場所なのですね。ここは……」

 3人組の1人が話すと他の2人が大きく頷く。事実、飛田での遊びに精通した男性らの話を総合すると、“料亭”で働く女性への配慮から、観光や冷やかし目的の女性の立ち入りは歓迎されないのだそうだ。そして、「客として、女性が“料亭”に上がることも認められていない」(地域住民男性)のだという。

 徹底して、そこで働く女性たちを守る飛田の街は、いつ訪れてもゴミや吸殻ひとつない整然とした街並みが保たれている。しかし内と外を繋ぐ、「嘆きの壁」の階段には、無数の「飴」によるものと思われるシミや、飴の欠片が落ちている。

 この飴は“料亭”を後にした客に配られるもの。「もう帰りです」というサインとして用いているもので、飛田新地内にある4つの通りを飴を舐めて歩いていると、遣り手婆も客引きの声をかけることはないという。

「いや〜。良かったです!20分でしたが、めちゃ長い時間に思えました!」

 先ほど見かけた、「男になりにやってきた」名門大学生だった。

「僕が『まったくの初めてです』とゆうたら、おばさんもお姉さんも親切にしてくれましたわ。お姉さん、めっちゃ頑張ってくれたみたいです。今日はもう寝れませんわ!」

 そう語る彼もまた、棒付きの飴を舐めていた。「バイトしてまた来ます!」という彼の話によると、“料亭”では、短時間ゆえにとても情熱的な自由恋愛が繰り広げられたという。

 時代を超えて、年齢問わず熱心なファンが訪れる飛田新地だが、記者が確認した限りでは朝は10時から、夜は24時まで“料亭”が開いている。今日も大勢の男性が「自由恋愛」を求めて飛田へとやってくる。
http://diamond.jp/articles/-/112821


149. 中川隆[-12566] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:16:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を呼び寄せようとしている「飛田新地」とは 4


60 :名無番長:2007/05/26(土) 10:13:39 O
大阪の組員です。

人身売買について騒いでるみたいですね。 現在も人身売買はあります。

その多くは借金などが絡んだもので、飛田や信太山に売られて行きます。

私の知るところでは三重県のW島に売る場合もあります。

今回犯行場所が海の近くとゆうことで、半島に送ってるのでは、と言われてますが、半島に送る場合は F県か Y県の某所まで車で運ぶことがほとんどです。

K国に送られる商品はほとんど基地周辺の売春宿に買われて行きます。

今回のケースはあくまで私の推測ですが、極道ではなくT会系の犯罪組織絡みだと思います。

風の噂で聞いたとしか言えませんが、このようなケースは日常茶飯事に行われているそうです。

彼らが絡んだ犯行の場合は売春より○○販売がほとんどです。
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/4649/1179799358/l50

2013.2.9

「ちょんの間」の絶望…あっという間に“売春人生” 極悪スカウトたち

【衝撃事件の核心】

 「お兄ちゃん、寄ってってえ」。年配の女性が客を呼び込む傍らで、座椅子に座った美女が妖艶な笑みを浮かべ、ひらりひらりと手を振った。

旧遊郭として知られる大阪市西区の繁華街、通称「松島新地」で1月、女性に売春をさせていたスカウトグループの男らが、売春防止法違反などの容疑で大阪府警に逮捕された。

風俗嬢に暴利のヤミ金融を紹介し、がんじがらめにして売春宿に送り込む−。

こんな極悪手口を得意とし、大阪を中心に暗躍していたスカウトグループに捜査の手が入ったきっかけは、「返しても返しても借金が減らない」と悲嘆した女性たちのSOSだった。


 ■料理店「美人座」の摘発

 昨年3月、大阪府警布施署に22歳の女性2人が助けを求めて駆け込んできた。

 「借金のカタに松島新地で売春させられている」

 事情を聴くと、ホストクラブ遊びなどで数十万円の借金を抱え、その返済のために売春婦として働かされているのだという。

 「お金を返しても返しても元本が全然減らない。もう先が見えなくて…」

 女性の訴えを端緒に、府警は松島新地の料理店「美人座」など2店舗の摘発に乗り出した。売春防止法違反容疑で、同店オーナーの武田義貴容疑者(47)や実質経営者の西村暢一郎容疑者(28)ら9人を逮捕した。

 同店は平成20年に開業。店内には部屋が3室あり、6人の女性が売春婦として働いていた。料金は30分1万5千円から。店全体の客は1日平均7人で、10万円ほどの売り上げがあったという。松島新地ではごくごく平均的な売春宿だ。しかし、府警が注目した理由は、女性たちの話から浮かび上がった、ある売春組織の存在だった。

■売春に潜むスカウトグループ

 大阪を中心に暗躍するスカウトグループ「ギャグナ」(現Rグループ)。このグループのトップに君臨し、女性たちに売春をさせていたのが、美人座の実質経営者でもあった西村容疑者だった。

 「ギャグナの名前を聞けば、たいていの女はやくざと同じくらい怖がる」

 西村容疑者が逮捕後に供述した通り、ギャグナは風俗業界では名の通った存在だった。女性たちは恐怖心から売春をせざるを得ない状況に追い込まれていたとみられる。

 府警によると、ギャグナはキタやミナミの路上で女性に声をかけ、キャバクラやガールズバーなどの店員をスカウト。ときにはデリヘルなどの風俗店に送り込むこともあった。スカウトの他にも、風俗店やヤミ金も手がけ、一体的な裏ビジネスを展開していたという。布施署に相談にきた女性たちも、当時働いていた風俗店から「すぐ金を貸してくれる人がいる」と紹介され、ギャグナが経営するヤミ金で金を借りていた。

 「金は即金で貸す。でも代わりにここで働いて返済してもらうからな」

 美人座で女性たちを待ち受けていた西村容疑者はそう告げると、それぞれに40万円と60万円を手渡した。契約内容は「利息は週6回勤務で10%、週3日勤務で20%」という超暴利。そもそも女性たちの稼ぎは店と折半で決して多いとはいえず、どれだけ体を酷使しても利息は膨らみ続ける仕組みだ。逃げ出せない恐怖と絶望が4畳半の「ちょんの間」を支配していた。


■旧遊郭の情緒

 「東の吉原、西の松島」

 松島新地は明治初期にはそう呼ばれるほど、西日本を代表する遊郭だったという。現在では大阪市西成区の飛田新地より規模は劣るものの、約8万平方メートルの敷地内に104店舗の「料理店」がひしめいている。

 細い通りの両端には小さな家屋が立ち並び、軒先にともるちょうちんが一種の情緒をもって街を演出する。開け放たれた玄関の奥に、白いライトに照らされた若い女性がちょこんと座り、男性は通りを歩きながら素早く女性たちに目をくべると、おのおの気に入った店に吸い込まれていく。

 どの店も表向きは「料理店」として営業許可をとっているため、カムフラージュとして最初にお茶とお菓子が出される。そこから先の行為は売春ではなく、「仲居と客との自由恋愛」。なんとも曖昧でゆるい決まり事が、この街が今も残っている理由だ。

 ■日本でも横行する人身取引

 だが、笑顔で客を引く女性たちの中には、借金や暴力で脅され、無理やり連れてこられたケースが多い。

 「これは立派な人身取引。女性の体や性が商品として売り買いされていることに、もっと危機感を持ってほしい」

 そう訴えるのは、人身取引の被害者支援に取り組むNPO「ポラリスプロジェクトジャパン」(東京都)の藤原志帆子事務局長だ。

 人身取引というと、国外から労働力として人を強制的に連れてくる、というイメージが強い。だが、藤原さんは「ポラリスに寄せられる相談の6〜7割が日本人女性から。国内の問題でもある」と話す。

 「彼氏に出会い系サイトで援交させられている」

 「ホストクラブで借金漬けになって、風俗店で働けと脅された」

 女子高生やOLらからのこうした相談内容も、人身取引にあたるという。

 風俗産業は「短期間で高収入」が常套句。だが、実際には生活費をぼったくられたり、ヤミ金で法外な利息を取られたりと、一度足を踏み入れれば、容易には抜け出せないシステムが女性たちを待ち受けている。


■「汚い仕事…」友人に告げ口

 藤原さんが被害女性たちから聞き取った話によると、風俗スカウトは巧みに女性の心をつかむ。

 スカウトは繁華街で女性を観察し、ナンパを装うなどして声をかける。優しい言葉でデートに誘い、女性に「彼氏」と認識させればしめたもの。徐々にホストクラブ遊びを教え、借金を抱えたころに姿を消す。あとは借金取りや風俗店経営者ら、さまざまな人物を登場させ、あっという間に女性を売春の道へと引きずり込む。

 それだけにとどまらず、スカウトたちは一度捕まえた女性を孤独にさせて逃さないために、家族や友人とのつながりまで断とうとする。女性の友人に「汚い仕事をしている」と吹き込んだり、家族に「私が娘さんの借金返済を手伝って、迷惑をかけないようにする」と恩を着せて信頼させたりと、手口は実に巧妙だという。

 藤原さんは「女性をだまして売り飛ばすためのマニュアルがあるのだろう。組織的な売春ルートが存在している」と指摘する。

 松島新地の事件でも、西村容疑者は「オーナー(武田容疑者)に店の売り上げから80万円を毎月渡していた」と供述。スカウトグループの上に別の指示系統が存在することを匂わせている。府警はスカウトグループが集めた金が暴力団組織に流れていた可能性もあるとみて捜査を続けている。
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/140122/evt14012212150012-n1.html


Res.208 by 無回答 from トロント 2013/02/08 22:53:19
“ちょんの間”の絶望 女性たちを売春人生≠ノひきずり込む「スカウトグループ」獣の如き手口

 「お兄ちゃん、寄ってってえ」。

年配の女性が客を呼び込む傍らで、座椅子に座った美女が妖艶な笑みを浮かべ、ひらりひらりと手を振った。

旧遊郭として知られる大阪市西区の繁華街、通称「松島新地」で1月、女性に売春をさせていたスカウトグループの男らが、売春防止法違反などの容疑で大阪府警に逮捕された。

風俗嬢に暴利のヤミ金融を紹介し、がんじがらめにして売春宿に送り込む−。

こんな極悪手口を得意とし、大阪を中心に暗躍していたスカウトグループに捜査の手が入ったきっかけは、「返しても返しても借金が減らない」と悲嘆した女性たちのSOSだった。


料理店「美人座」


 昨年3月、大阪府警布施署に22歳の女性2人が助けを求めて駆け込んできた。

 「借金のカタに松島新地で売春させられている」

 事情を聴くと、ホストクラブ遊びなどで数十万円の借金を抱え、その返済のために売春婦として働かされているのだという。

 「お金を返しても返しても元本が全然減らない。もう先が見えなくて…」

 女性の訴えを端緒に、府警は松島新地の料理店「美人座」など2店舗の摘発に乗り出した。売春防止法違反容疑で、同店オーナーの武田義貴容疑者(47)や実質経営者の西村暢一郎容疑者(28)ら9人を逮捕した。

 同店は平成20年に開業。店内には部屋が3室あり、6人の女性が売春婦として働いていた。料金は30分1万5千円から。店全体の客は1日平均7人で、10万円ほどの売り上げがあったという。

松島新地ではごくごく平均的な売春宿だ。しかし、府警が注目した理由は、女性たちの話から浮かび上がった、ある売春組織の存在だった。


大阪を中心に暗躍するスカウトグループ「ギャグナ」(現Rグループ)。このグループのトップに君臨し、女性たちに売春をさせていたのが、美人座の実質経営者でもあった西村容疑者だった。

Res.210 by 無回答 from トロント 2013/02/09 21:17:53

 「ギャグナの名前を聞けば、たいていの女はやくざと同じくらい怖がる」

 西村容疑者が逮捕後に供述した通り、ギャグナは風俗業界では名の通った存在だった。女性たちは恐怖心から売春をせざるを得ない状況に追い込まれていたとみられる。

 府警によると、ギャグナはキタやミナミの路上で女性に声をかけ、キャバクラやガールズバーなどの店員をスカウト。ときにはデリヘルなどの風俗店に送り込むこともあった。スカウトの他にも、風俗店やヤミ金も手がけ、一体的な裏ビジネスを展開していたという。布施署に相談にきた女性たちも、当時働いていた風俗店から「すぐ金を貸してくれる人がいる」と紹介され、ギャグナが経営するヤミ金で金を借りていた。

 「金は即金で貸す。でも代わりにここで働いて返済してもらうからな」

 美人座で女性たちを待ち受けていた西村容疑者はそう告げると、それぞれに40万円と60万円を手渡した。契約内容は「利息は週6回勤務で10%、週3日勤務で20%」という超暴利。

そもそも女性たちの稼ぎは店と折半で決して多いとはいえず、どれだけ体を酷使しても利息は膨らみ続ける仕組みだ。

逃げ出せない恐怖と絶望が4畳半の「ちょんの間」を支配していた。

旧遊郭の情緒

 「東の吉原、西の松島」

 松島新地は明治初期にはそう呼ばれるほど、西日本を代表する遊郭だったという。現在では大阪市西成区の飛田新地より規模は劣るものの、約8万平方メートルの敷地内に104店舗の「料理店」がひしめいている。

 細い通りの両端には小さな家屋が立ち並び、軒先にともるちょうちんが一種の情緒をもって街を演出する。開け放たれた玄関の奥に、白いライトに照らされた若い女性がちょこんと座り、男性は通りを歩きながら素早く女性たちに目をくべると、おのおの気に入った店に吸い込まれていく。
http://bbs.jpcanada.com/log/16/24166.html

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飛田新地掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/movie/6660/



150. 中川隆[-12565] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:20:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を呼び寄せようとしている「ディープな大阪」とは

男のやりまくりどころ(信太山新地)2011-03-03


信太山新地 - Google マップ
https://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&oe=UTF8&om=1&msa=0&msid=110710843559987550171.0004390036c4f2c4781d1

夜の信太山新地(小栗の郷)
http://www.youtube.com/watch?v=vNDTCHZ1CMw

昼の信太山新地(小栗の郷)
http://www.youtube.com/watch?v=-yAJt2kjD-c

信太山(ちょんの間)
http://www.youtube.com/watch?v=cNRd7QMrsm8


15分7500円。

この数字が何を表しているかわかるだろうか?
決してミリオンゴッドや吉宗の投資速度を表しているわけではない。

これは、チンコをマンコに入れるのに費やされる時間と金額である。
日本国には、15分でセックスをさせる秘境が存在するのだ。

捜査当局がこの秘境の存在を知ったのは4年ほど前。

関東の言葉を話す「アサノ」という男から仕入れた情報だった。

リーガロイヤルホテルでアサノと会った私は当時まだ若輩であり、ヘルスでマンコを舐めているだけで幸せを感じることが出来る果報者で、好き好んで15分のセックスをしに行くアサノの意図がさっぱりわからなかったものだ。


時は経ち、マンコを舐める事に感動を憶えなくなった今、少しだけアサノの気持ちがわからないでもない。スペルマは溜まる。でもセックスするのは面倒くさい。それを手っ取り早く放出させる手段として利用していたのかもしれない。


時刻は14時。すっかり春の陽気の中、ゼファーに飛び乗り国道を南向きに走り出した。

現場はJRの駅のすぐ近くにあると聞いている。とりあえず、JRの線路は発見。線路沿いにゼファーを走らせる。途中の駅で運賃表を見て、現場最寄の駅を確認。順調な展開である。ターゲットは近い。


たぶんここらあたりか・・時速40kmでゼファーを走らせながら廻りを見回す。と、そこへ白い看板が視界に飛び込んできた。

迷惑駐車を非難する言葉が書かれたその看板には、小さく信太山新地を書かれている。

ビンゴ。いとも簡単に発見することが出来た。

近くの歩道に単車を停め、料亭が立ち並ぶ一角へと入っていく。あたりはいたって普通の南大阪の住宅街である。マンションやコンビに、スーパーもある。全てが日常の風景。もっとも、都人である私には南大阪や東大阪の空気はどうしても馴染めないのだが。

現場の規模自体は小さいのだが、造りは非常に閉鎖的に出来ており、細い道が出入り口となっている。存在を知らねば、間違って中に入ってしまうことは無いだろう。中に入ると、入り組んだ路地が続き、立ち並ぶ店は全てが料亭である。

雰囲気的には雄琴みたいな感じである。

玄関先にはやり手ババアが座っており、声をかけてくる。料亭だと思うのだが、玄関先には女の姿は無い。

恐ろしいことに、すれ違う人の数が尋常ではない。そこかしこの店から女や男が出てきて、そそくさと早足で歩いていく。どうやらかなり繁盛している様子。

建物は、南側一帯は総じてボロいのだが、北へ行くに従い、綺麗なつくりになってくる。

ひととおりの店を見て、一番高級感がある北の端にある店に入ることにした。一際目を引く、立派な玄関先でババアと話をする。

ババアはニコニコしながら、

「お兄ちゃん、○○に似てるねぇ」

とサッカー選手の名前を口にする。最近のババアはこんな営業トークまで用意しているようだ。かなり的確な若者トークに私は驚いた。

玄関先で話をしていると、横からギャル風の女が入ってきた。ミニスカートから伸びた足はムチムチで、かなりの太さである。「7番ね」というババアの呼びかけにダルそうにうなずき、奥へと消えていった。

すかさず私は「細身の子がいい」と、ババアに女をオーダーする。今の女と体も性格も正反対の子をチョイスしてくれと暗に言ったつもりである。

ババアは、「ふん、わかった。細い子な。いてるで。」と自信に満ちた顔で返してきた。

ここでプレイ時間を確認すると、「何処も一緒で、15分7500円」という答えが返ってきた。


靴を脱いで上がり、2階の「8」と書かれた部屋へと案内される。料金はここでババアに払う。ババアは2・5本だけを受け取り、「あとは女の子に渡してな」と言って去っていった。


料亭だと思っていたのだが、ここで初めて旅館であることに気付く。なるほど。女は旅館へ派遣される芸子という建前のようだ。

部屋のつくりは、ビジネスホテルのそれとそっくりで、小さな部屋に小さなテレビと週刊誌、そしてベットが置かれている。窓を開けてみたが、雨戸がしまっていて外は見えない。

適当に写メを取って、ベットに座ってぼ〜っと女を待つ。
5分ほどでノックの音があり、女が入ってきた。

ババアのヒアリング力と商品選定力に間違いは無かった。そこにはギャルとは正反対の位置にある細い女の子が立っている。ドラえもんの静香ちゃんが大人になったと言えばわかりやすいか・・。

女に5本のお金を渡すと、さっそくプレイが始まる。

お互い服を脱ぎ、裸になる。女は服を脱いだ後、自分のマンコにローションを仕込んでいる。

女はベットに仰向けに寝た私のチンコを口に含み、フェラを始めた。なかなかヘタクソなフェらである。でも静香嬢のイメージ的にはこれくらいヘタクソであって欲しいが。そして、こういう女を優秀なエロリストに育て上げるのが、捜査当局の仕事でもあるのだ。

しかし今日は時間が15分しか無い。いらぬ事は考えず、頭の中で卑猥なことを想像してチンコのやる気を高めていく。

しばらくしてチンコにコンドームがかぶせられる。これは正常位での合体になるかなと思ったが、女は自分から乗っかり、自分のマンコにチンコをあてがった。フェラからは想像できない、凄い高速ピストンが始まった。


し、静香ちゃん・・・・・・痛い。


乾いたマンコに入れてもまるで気持ちよくない。さ〜てどうしたものか。正常位にもっていっても、感じていない女の表情をみていると、射精できるかわからない。

少し迷ったが、

「上になっていい?」

と聞き、合体したままで正常位へ。
なるべく女の顔を見ないように精神を集中させ、腰を使う。

ああ、時間があれば、この女と抱き合い、マンコをヌルヌルにさせて、髪の毛の匂いをかぎながら楽しいセックスが出来ただろうに。

私は女に「もうイクね」といい、下腹に力を入れ、発射。


世の中の沢山の男は、ヤリタイやりたいと騒いでいるが、セックスするのはこんなにも簡単なのだ。気持ちよくもないのに無理やり射精するセックス。出来ることならやりたがっている男と代わりたい。

ゴムを外し、濡れたチンコの先をウェッテイで拭う。

なんだかおもしろい女で、天然の会話を聞いていると静香ワールドに引き込まれていく。いわゆるコンパで2番目に人気の出るタイプですね。

以前に腰を痛めたとか言っていたが、そらあんなピストン毎日してたらいためますよ。お嬢さん。

意外と長かった15分。女に見送られ、部屋を出る。


1階に下りると、ババアが出てきて

「どうやった?ええ子やった?」

と聞いてきた。 私は軽く首を縦に振り、玄関先に積んであったお菓子を貰ってもいいかと聞く。長官へ証拠物件を提出しなければいけないからだ。

ババアは気を使ってくれたらしく、ザルに山盛りの飴を持ってきて、両手に溢れるくらいの飴を私のカバンに入れてくれた。

そして、私が玄関を出るまで「ほんま○○に似てるな〜。言われるやろ〜」と営業することも忘れなかった。


信太山新地。南大阪の秘境。

いつまでこの秘境は荒らされずに秘境であり続けるのか。
日本国で存在し続けるのか。

秘境である間に、チンコが立つ間に、アドベンチャーしたいと思う男は私だけだろうか。

☆案外有名なところらしいが、美人よりも韓国系の女が多いと思うが。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/dfe01c2c3bdf5cfe18de4b322086bb64

JR阪和線信太山駅を降りて駅を背にして左に行くとすぐに着きます。

車ですと26号線か30号線でいけますし。
阪神高速湾岸線の助松で降りて10分ぐらいで信太山に到着します。

ナビに信太山駅で迷わずに行けるはずです。

信太山駅とスーパー玉出の間の道を進むと駐車場もあり車を止めて路地を入るとすぐに信太山新地です。


信太山新地の料金はどのお店も一律です。
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15分 7500円
30分15000円
45分22500円
60分30000円
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1万円でお釣りがくる料金で大阪で一番安い料金です。
http://sinodayama.6.tool.ms/10/


大阪府和泉市のJR阪和線信太山駅にあるのが大阪の中で料金が一番安い新地として有名な信太山新地です。

料金はなんと7500円だけですよ。

(注意)毎月20日は信太山新地全店休みです。

20歳〜30歳までの女の子が多く可愛い子も結構いますよ。
旅館によってはシャワーがある所もあるので衛生的にもおすすめです。


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信太山新地 求人 夏に向けて女の子募集中

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信太山新地とは?

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大阪の風俗は年々暇になってきてますが信太山新地は忙しく他の風俗より稼げます。


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提携旅館が多い為女の子がまだまだ足りません、信太山新地で働きたいと思ってる女の子は是非信太山新地で一番の待遇の当店で働いてみてください

15分コースで3500円
30分コースで7000円
45分コースで10500円
60分コースで14000円

お昼でも雨が降ってても安定して稼ぐ事が出来ます。頑張れば頑張る程稼げます
http://sinodayama.6.tool.ms/

信太山新地編

少し前、仕事の関係で大阪へ行く機会があった。

僅か一泊二日の出張だが、久々の大阪だ。

思わず股間を膨らませた私は風俗遊びを即座に考えたが、

最近は財布の中身が乏しいこともあり、予算は一万円が限度である。

この少ない金で満足しようと思えば、どうしたら良いのだろうか?

真っ先に考えたのは、ピンサロ遊びだった。

京橋に行けば激安サロンが多くあり、ここなら一万円の低予算でも2発も可能だ。

しかしブタおばさんにチンポを咥えて貰い、両足に力を入れて無理矢理射精するのは虚しい。

あまりにも虚しい。

大体40を越えたオッサンが椅子にどっかりと座り、フル勃起したチンポをただ舐めて貰う姿は格好が悪い。

傍から見れば、非常に間抜けである。

(私は間抜けの広島代表みたいなもんですが…)

やはりスケベな行為は、人に見られるべきではない。

(↑馬鹿の戯言です)

慎ましくペッティングをしながら、性の悦びを感じとるのが本来あるべき姿ではなかろうか。

で、今回サロンは却下して、それなら天王寺の立ちんぼを捕まえてファックしようかと考えたが、

生でぶちこんで病気を貰ったら嫌なのでこれも却下。

飛田の年金通りを散策して、極太りオバサンのプッシーを舐めるのも良いが、

近頃はヤングに魅力を感じるようになったので、年老いたデブには用はない。

でも青春通りは値段が高くて嫌だ。

だったら何処に行けばイイんだ!と思わず発狂した私は、信太山新地で遊ぶことにした。

当日、仕事を終えホテルで念入りにチンポをキレイキレイすると、意気揚々と電車に乗り込んだ。

道中、加山雄三の「蒼い星屑」を口ずさみながら大阪のヤバい街並みを眺めていると、やがて信太山に到着した。

さて、信太山新地である。

スーパーエロ博士の皆さま方ならご存知だろうが、

数少ない専門学校生読者の為に説明すると、ここは7500円でファックができるところなのだ。

僅か7500円だよ!

わ〜安い安いと思ったチェリーboyに対し更に説明すると、この国にはもっと安くファックできるところはある。

ただ風俗業界には、安い=デブ婆の巣窟との悪徳弁護士も恐れる定説があり、

安いところに行くとホントろくなことがない。

じゃあ信太山新地もそうだろと呟いた今来た学生。

残念でした。

信太山新地の女は粒揃いなのです。

多くの人が絶賛するここ信太山に私は過去三回訪れており、何れもクリーンヒットだったのだ。

三打数三安打である。

どうだ、凄いだろう。

昔大洋にいたミヤーンより遥かに高打率だぞ!

そんで今回も火を噴くようなヒットを期待しながら、玄関先に怪しいおばちゃんが居るエリアに入った。

信太山には一見旅館のような売春施設はかなりあるが、飛田や松島新地のようにナウい女は座っていない。

居るのはとうがたったような婆のみ。

この婆さんに好みのタイプを告げると、置家から女の子が呼ばれて来るのが信太山のスタイル。

だから常連以外は、何処に入っても大差ありません。

よって私も適当なところに足を向けると、

早速若い頃は歩くマンコと呼ばれていたと思われるおばちゃんが声をかけて来た。

「兄ちゃん、どんな子がエエの?」

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40歳を越えたオッサンでも兄ちゃんである。

気を良くした私は思わずマンコおばちゃんを指名しようかと考えたが、グッと堪えて要望を言い放った。

「サービスの良い子をお願いします」

するとおばちゃんはにこっと微笑んで頷き、料金を支払うと二階に案内された。

「直ぐ来るから、ちょっとだけ待っててや」

うんと返事するとおばちゃんは立ち去り、殺風景な部屋で待つこと10分。

上品にドアがノックされたので、

クッキングアイドルで有名なまいんちゃんに似た声で「は〜い」と返事をすると、今宵の恋人が入って来た。

「こんばんは、今日は宜しくね」

満面に笑みを浮かべながら入って来たのは、

セクシーお笑い芸人の山本梓に良く似た人でないか!!

私は小さい時からラムちゃんのファンであり、

やって来た彼女に虎柄の水着を着せたいと思ったことは言うまでもない。

ただ彼女はラムちゃんに比べると、多少太っている。

でも大丈夫。

7500円を考えれば極上ギャル(30歳位でしたが…)であり、

早くもチンポをフル勃起させた私はラムちゃんをベッドに誘った。

「じゃあ時間がないから始めよっか」

お互いベッドの端に座ると、彼女の甘い言葉で闘いのゴングは打ち鳴らされ、

急いで全裸になった私は早くも闘志を見せるチンポをラムちゃんに見せ付けた。

すると彼女は苦笑いしながらウエットティッシュでカチカチのそれを清めてくれ、

綺麗になると顔を近付けて来てKissをしてくれたではないか!

わぁ〜!憧れのラムちゃんとのKissや〜!!

しかも舌をベロベロ絡ませるディープやで!

あまりに興奮し過ぎて頭がおかしくなった私は、

Kissだけでも良いと思ったが、彼女はサービス精神が旺盛な人でした。

濃厚なキッスを終えると全身を丹念に舐めてくれ、

毛が密集しているアヌスまでベロベロしてくれたので、年甲斐もなく声を出してしまいタマランチ会長!(古いギャグですみません…)

その後、シックスナインとなり、ラムちゃんのマンコにご対面!

プッシーはビラビラが肥大した粗悪品だったが

それでも舌をねじ込んでひわいな汁を思う存分吸わして頂きました。

この間彼女は口でビンビンチンポを生のまま愛してくれ、

愛撫を終えるとゴム帽子を装着しスタンバイ完了。

「じゃあ、上になってね」

勿論でんがな!と意気込んだ私は、

ビラビラを開いてズッポシ挿入すると、ラムちゃんに覆い被さってキッスをしました。

ここでチンポに異変が起こってしまったのです。

気分が高揚し過ぎていたことでチンポの感度も良くなり過ぎており、

三擦り半でヤバい状態になってしまったのだ。

「アカン…またいつもの悪い癖が出てもうた…」

既に先走り液を噴き出していたチンポからは早くも絶頂のサインが出されてしまい、

長時間の性愛を諦めた私は、彼女の口の中に舌を入れたまま白濁液をゴムの中に放出しました。

僅か一分の結合でした。

射精直後、またもや苦笑いしたラムちゃんを見ると赤面した私でしたが、

彼女は優しい人で時間いっぱい会話を楽しませてくれたのです。

いや〜えかった。

今回はさしずめ、走者一掃のスリーベースと言ったところだろう。

私は三塁ベースの上で小さくガッツポーズをするカープの東出を自分にたぶらせながら、

幸せだなぁ〜と呟きつつ信太山駅に向かいました。

信太山新地ミニガイド

最寄り駅…JR阪和線信太山駅

料金…7,500円 15分!

約40軒あります。

毎月20日は休みなので注意して下さいね。

最近はシャワーを完備した店もあるそうです。
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/ymoa34/sinochan.htm



「信太山新地 旅館 花紋」 体験談 “ゆみちゃん” 


この日、休日が取れた事もあり風俗遊びを予定していたのですが、前後に思わぬ出費がある事を忘れており、お金に四苦八苦しておりましたのでこの信太山新地で遊ぶ事に。

マイスター次郎として1度しか行った事のない風俗街で得意気な顔も出来ないので、やはり信太山新地は数回は行って把握して置きたかったのも理由です。


市内から車で数十分。信太山新地に到着します。

以前も述べた通り、信太山新地は特別な看板も無く入るまでは全く分からないほど住宅街に紛れ込んでいます。

ですが、路地を入れば別世界。その一帯だけ昼間だというのに電飾がキラキラと煌めいている独特の旅館地帯になります。

前回は三笠という旅館で遊びましたので、今回は違うお店をレポートしなければと思い、奥に進みます。

奥に進めば路地の角などで男性がちらほらと立って周囲を伺っています。
この地帯は実際に女の子を見て判断出来ないのですが、出入りしている女の子を観察し、気に入った女の子が居ればその旅館に「さっきの女の子がいい」と告げれば指名も可能の裏技が存在します。

ですがマイスター次郎。そんな煩わしい事はしません。お店に飛び込み、ハズレもまた一興、良いネタになりますので時間はかけませんよ。

そんなわけで、今回は「花紋」という旅館でお世話になる事に。

お店に入るとおよそ旅館とは思えないキラキラの内装。
階段も鏡張りや電飾が光り、異様な光景になって居ります。

部屋の内装も以前行った場所と同じように、ベッドが一つと人が一人入れるシャワー室。
あとは謎のエロ漫画やオカルト漫画などが置かれていました。
独特の雰囲気ですが手入れも行き届いており、シャワーにはカビ一つありません。

一つ文句を言うとすれば、脱衣カゴがなかったくらいでしょうか。

おばちゃんからおしぼりと飲み物を渡してもらい、ベッドに腰掛けます。

まずはおばちゃんが女の子の好みを聞いてくれます。


オバ「女の子の指名とかある?」

次郎「ううん、まだ二回目なんですよ。まだどんな子居るかもわかんないんです。」

オバ「あ、そうなんやね〜。じゃあこれから徐々に遊んでいって慣れて行ってもらったら良いと思うわ〜。じゃあどんなタイプの女の子が良いとかある?」


この日は色黒のギャル系がよかったので(色黒ギャルって、たまに異様に興奮する時ありません?)


次郎「そうやね〜、まず若い子。それでもってギャル系がいいかな。色黒の子とか居ます?」

オバ「う〜ん、ガングロ系はおらんね〜。でもええ子ばっかりやで」

次郎「そっか〜。じゃあサービスええ子が良いな。サービス良い子やったらどれくらいの年齢にりますか?」

オバ「サービス良い子なら〜、25歳〜29歳くらいになるけどねぇ〜」

次郎「ふむふむ、じゃあ若い子ほうが良いし、若い子にさせてもらおうかな。若いからってサービス酷いってことはないですよね?」

オバ「サービスは任せといて!どの子もしっかり教育してるから!」

次郎「そうなんや(笑)マグロじゃなかったら全然オッケーです♪」

オバ「了解!安心してや!まかせといて〜」


といったやりとりをおばちゃんと交わして女の子を決定。プレイ料金の7500円をおばちゃんに支払います。

信太山新地のいい所は、飛田新地のようにやりてババがガツガツしていない所です。
他愛もないコミュニケーションが取れます。
実家に帰ったかのうように自然に接してくれ、今から女の子を買ってエッチな事をするのに妙に落ち着く気分にさせてくれます。

そんなわけでおばちゃんが出て行った後は、シャワーで体を流します。
汚れをしっかり落としたら、腰にタオルを巻いて面白くないオカルト漫画(芸能界タブーみたいなやつ)を見て時間をつぶします。

やがて10分後くらいでしょうか。
コンコンと部屋をノックされます。どうぞと言うと女の子の登場で御座います。


…素晴らしい!

素晴らしいのひと言です。

普通に可愛い女の子が登場しました。
20代前半でしょうか。しっかり化粧はしていますが化粧のノリも良く、肌は適度に白いですがとってもキメが細かい、おおきい付けまつ毛もしていますが、似合っています。もちろんスレンダー系の体型です。
普通に可愛いギャル系の女の子が登場です。

タイプを口で伝えただけでここまでバッチリのクオリティで来るとは思っていませんでした。恐るべし。


「こんにちは!ゆみでーす!」

元気もいっぱいで、好印象の女の子。

「今日は仕事?」「お兄さんかっこいいね〜お兄さんの体型好きやわ〜」

といった、他愛ない言葉から嘘でも嬉しい褒め言葉を次々に出してくれてしっかりと接客してくれます。
ちょっと天然系入っていますが、それがまた可愛い雰囲気のゆみちゃんです。

とはいえ、時間もあまり無いのでゆみちゃんもパッパと服を脱ぎ、全裸になります。

おお、パイパンでは御座いませんか!
性行為を行うお店で遊ぶ上で怖いのは毛じらみ、パイパンだと毛じらみ感染の可能性がほぼゼロになりますのでこれは嬉しいです。

そして早速プレイ開始。

私は基本的にまずは女の子の可能プレイを探るために受け身になります。最初キスから入るか乳首から入るかでだいたいどこまで可能かは分かるのがマイスターの悲しい習性で御座います。

ゆみちゃんは後者の乳首舐めから入るタイプ。そっか、この子はキスはNGなんだな〜と判断した私はキスはしないようにします。
そのまま乳首をあっさり舐めてくれた後は生フェラへ。飛田と違い、シャワーがあると生フェラ確率も跳ね上がりますね。嬉しい限りです。

ただ、フェラチオやリップなど、ゆみちゃんどうやらあまり舌技は上手ではありません。
痛いという事はありませんが、特別上手と言う事も無くただ舐めていると言った感じです。

それでも当然愚息はフルボッキするわけです。

「ゴムつけていーい?」

生でもOKの意味なのか、そろそろ挿入するからゴムつけてもいいという事なのか、ちょっと分かりませんでしたが当初より生でするつもりは全くありませんので普通にゴムをつけて頂く事に。

ゴムを付けてもらったら騎乗位で挿入。あー気持ちよいででございます。

「あ〜ん、気持ちいい〜お兄さんおチンポおっきぃ〜」
「あんっ、あんっ、気持ちいいよ。お兄さんのおチンポすっごくきもちいい〜」

ゆみちゃん、淫言を連発してくれます。
愚息が大きいなんてこの人生で2回ほど(うち全て風俗)しか言われた事がありませんので、おそらくは嘘ですが、それでもやっぱり言われると嬉しい物ですね。

しばらく騎乗位でしたが、ここで体勢チェンジ。

「バックがいい?正常位がいい?」

「ん〜じゃあバックでさせてもらおうかな。」

「うん、いいよぉ。早く入れてぇ♪」

なんて興奮させてくれる子でしょう。
私はバックが苦手なので気持ちよくなる事はありませんが、少しでもゆみちゃんを堪能したいのでバックを選ばせて頂きました。

ゆみちゃん、四つん這いになります。

ちょっとお尻がプツプツと汚いのがここで発覚します。が、顔や上半身はバッチリきれいなので文句はありません!

そしてバックの体勢で挿入。挿入している結合部分、ゆみちゃんの肛門が丸見えでますます興奮してしまいます。

そのままガンガン突かせて頂く事に。

「あっすごい!気持ちいいよ、お兄さんのおっきい肉棒気持ちいい!」

「あんっ、固いよぉイッちゃうイッちゃう!気持ちよすぎるよぉ!オマンコおかしくなっちゃう!」


嘘だろうと思いつつも、久々に淫語連発してくれる子、もはや私の興奮メーターは振り切っております。

「それじゃあゆみちゃん、次は正常位でもいい?」

「ハァハァ、うん、いいよ!もっと気持ちよくして!」

抜いた所でボピーボピーとマン屁が出てゆみちゃん、ちょっと恥ずかしそうになっておりました。


15分で3体位も欲張りですが、正常位に体位を変更。さらにガンガン突かせて頂きます。

ゆみ「あん!気持ちいい、カチカチの肉棒気持ちいい!」

ゆみちゃんがあまりに淫語をいっぱい言って盛り上げてくれるので、私も負けじと淫語をひり出します。

次郎「あーゆみちゃん、気持ちいいよ。ゆみちゃんのパイパンマンコ、とっても気持ちいいよ。」

ゆみ「あんっ、イッちゃいそう!」

次郎「イッちゃうの〜?もうイキそうなの?」

ゆみ「うんっ!ダメェ?」

次郎「ダメッ、一緒にイカないとダメやからね!」

ゆみ「うんっ、一緒にイキたい!」

ゆみ「もっと突いて!激しく突いて!」

ここで私の愚息も暴発寸前。やばいです。こんなの久々です。

私が少し腰のピストンを緩めようとすると。

ゆみ「ダメ!もっと動いて!もっと激しく突いてほしいの!お兄さんのおっきな肉棒で私のオマンコグチャグチャにしてほしいの!」

ゆみちゃん、私のお尻をパンパン叩いてくれます。ドМとしてはたまりません。いつもなら「ああっ、もっと叩いて!」等というアホな事を言う私ですが、今日は私の方がSなのがよさそうなのでSに徹します。

次郎「ゆみちゃん、そろそろイキそう!」

ゆみ「ああっ、もっと、もっと激しく突いて!激しく突かれながらイキたいの!」

次郎「それじゃあいっしょにイこっか!ゆみちゃんの中にいっぱい出すよ!」

ゆみ「うんっ、私の中にいっぱいぶちまけて!ザーメンいっぱいぶちまけてほしいの!」

もちろんゴムはしているので、お互いなりきってのセリフです。

次郎「あっ、イク!」

ゆみ「あッッ!!!あんっ!」ビクッビクッ

そのままゆみちゃんと深く結合したままお互い抱きしめ合ってゴムの中に白濁液を大量放出させて頂きました。

ゆみちゃんもワンテンポ遅れてイッた「フリ」をしました。
マイスターである私からはバレていましたが、あまり風俗経験のない方から見ればゆみちゃんは本当にイッたのだと勘違いするくらいの迫真の演技。

本当にイッたのならそのままグッタリとなって「はへ〜気持よかった〜」みたいになるはずですが、終わると同時にスッと元に戻るゆみちゃん。惜しい!ツメがちょっと甘かったです。

そのまま一人でシャワー浴びて、いそいそと服を着ます。

終わった後のトークもちょっと天然っぽいながら、ずっと会話をしてくれます。これは大当たりを引きましたね〜。

信太山新地、7500円という超ローコストながら素晴らしいクオリティでした。
下手なピンサロ2回行ったり、安いファッションヘルスで遊ぶよりは女の子レベルは高いです。

今回のゆみちゃんは、個人的には飛田新地でもなかなか見つけない逸材です。

15分という短い時間ながら、非常に濃厚な時間を過ごす事ができました。

放浪の風俗マイスター次郎としては、リピートはあまりしない主義ですが、お金が有り余っているならリピートしたいと思うほどの女の子でありました。

そしてお店を出ると、他のお店から出てくる女の子も数人発見、20代前半から30代前半まで、ギャル系、清楚系など色々居りましたが、どの女の子もなかなかレベルが高く、損した気分には全くならないようなレベルです。さすが。

遠い信太山ですが、噂以上にお勧めでした。
皆様も是非一度どうぞ。


-------マイスター評価 (☆5つが満点)-------

「旅館 花紋」

■女の子:ゆみちゃん
■場所: 大阪府和泉市幸 最寄り駅:JR阪和線信太山駅 駅から線路に沿って北側へ10分ほど(約1km)歩けば右手にあります
■料金:15分7500円


【顔】
☆☆☆☆☆ …飛田新地並みの美女でした。これは大当たり

【接客態度】
☆☆☆☆ …ちょっと天然だったので会話のキャッチボールが取れない所はありましたが、プレイ中も盛り上げてくれたのが何よりのポイントでしたね。

【テクニック】
☆☆☆ …残念ながらフェラチオ等のリップサービスは上手ではありません。セックスもこれといった特徴はありませんでした。

【スタイル】
☆☆☆☆ …要望通り細身のスレンダー系女の子。胸は大きくありませんが、乳首も大き過ぎる事もなくいい感じでした。ただ、お尻がちょっと汚かったのが残念。。

【総合評価】
☆☆☆☆ …何よりの特徴は、既に述べた通りプレイ中の淫語連発の盛り上げ方が嬉しかったですね。お互いに淫語を掛けあいながらの激しいセックスは久々でしたので何より興奮しました。
http://kansaihuhu.blog.fc2.com/blog-entry-92.html


151. 中川隆[-12564] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:31:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートの為に「ディープな大阪」が消滅してしまう理由

中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威


梅毒の患者数、5千人を初突破 最多は東京、都は対策本腰へ 2018年1月5日

 性行為などで感染する梅毒が若い女性らに広がり、国立感染症研究所の集計によると2017年の患者数は、現行の集計方式となった1999年以降で初めて全国で5千人を超えたことが分かった。うち3割を占め、患者数が最多の東京都は感染拡大に歯止めをかけるため、18年度から検査態勢拡充などの対策に本腰を入れる方針だ。

 同研究所によると、17年12月17日までに報告された患者数は5534人。都道府県別で見ると東京都が1705人と最多で、大阪府(788人)愛知県(325人)神奈川県(312人)など都市部で目立つ。

 20年東京五輪・パラリンピックを控え、都は拡大を懸念する。

(共同)

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ZAKZAK【感染大陸中国】
中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威 2014.10.07

中国国慶節(建国記念日)の大型連休(1〜7日)真っ直中。円安・人民元高も加わり、日本を訪れる中国人観光客はいつになく多い。ここ数年、消費の起爆剤として期待されるようになった彼らだが、負の側面も顕在化。風俗業界では沈静化したはずの性病が再流行し、その原因として隣国からの“お得意さん”の影響がささやかれている。日本の風俗業界が直面する感染症の現実と中国人客、そして中国国内でのずさんな衛生実態をジャーナリストの奥窪優木氏が5回にわたってリポートする。

 70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱は、17都道府県あわせて154人(4日現在)が発症する事態となった。西アフリカではエボラ出血熱の感染拡大が世界的な危惧となり、日本でも検疫所による水際対策が強化されるなど「対岸の火事」ではなくなってきた。

 新旧感染症への不安が高まるなか、日本国内の“ある場所”で猛威を振るっている別の感染症がある。

 都内デリバリーヘルスの男性店長、A氏(29)によると、店で働く女の子たちの間で、性感染症にかかるリスクが高まっているのだ。

 同店では、風俗嬢として働く女性に、月に1回の性病検査を義務付けているが、2年ほど前から陽性の結果が出る頻度が高まっているという。在籍する20人ほどの女の子のうち、最近はほぼ誰かが感染している状態で、クラミジアや淋菌のほか、梅毒が喉から検出されることが多いという。

 以前は、半年に1人に陽性が出るか出ないかの程度だったというから、アウトブレーク(感染爆発)状態にあると言えるかもしれない。

同店では、コンドームなしでのフェラチオや素股といった粘膜接触を通常サービスとして提供しており、さらに別の客へと感染が広がる可能性も高い。「あの店で性病をうつされた」という噂がネットで広がれば店にとって死活問題であるため、各店の店長らは対応に苦慮している。

 こうした異常事態の原因について、A氏が心当たりとして挙げるのが、外国人客の増加だ。

 日本の性風俗店のほとんどは、もともと外国人客お断りが原則だった。ところが長引く不況で客足が低迷するなか、方針転換を図った店も多い。

 A氏の店もその1つで、2年ほど前から外国人への門戸も開いた。ここ数カ月では売り上げの約1割がアジア系の外国人で、「おそらくほとんどが中国人」とA氏は話す。

 「日本語が分かる通訳か、ガイドが電話してきて、彼らが宿泊しているホテルに出張することが多く、中国系の団体旅行者の場合、4〜5人の客からまとめて注文が入ることもある」(A氏)。店にとっては上客なのである。

 外国人客を受け付けるかどうかは女の子に委ねられているが、「性病検査で陽性が出る割合は、外国人客OKの女の子が圧倒的に多い」というから感染経路は推して知るべしだ。

 昨年、日本を訪れた外国人旅行者は1000万人の大台を初めて突破。あらゆる業界が彼らの財布をターゲットにしているが、風俗業界も例外ではない。しかしそこには、負の側面も潜んでいるのだ。 =つづく

 ■奥窪優木(おくくぼ・ゆうき) 1980年、愛媛県生まれ。上智大経済学部卒。2004年に渡米、出版社・新聞社勤務を経てフリーに。07年から中国・広州で取材活動を開始。08年に帰国し、中国の社会問題を週刊誌などで執筆中。著書に『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社)、『中華バカ事件簿』(同)など。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20141007/frn1410071545004-n1.htm


 裏で囁かれていること。風俗の主力客は日本人でなくなる?

高級、中級、格安問わず、すべての風俗で外国人の男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている。

外国人と言えばアメリカ人やイギリス人を思い浮かべるのは遅れている。

欧米の人々もくるが、日本で最も多い外国人は、日本政府観光局の出している2017年のデータによると、中国人・韓国人・台湾人・香港人・タイ人の順番となっている。

しかも、中国・韓国人の訪日客数は他を圧倒的に引き離しており、アメリカ人と比べるとその差は5.2倍近くもある。

だから、分かりやすく言おう。「男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている」と言えば、中国人と韓国人が日本の風俗嬢を買い漁っているということだ。

実際、大手の風俗サイトは中国人と韓国人の需要を見込んでいて、サイトをこれらの国の言葉でも作って客を募っている。

この動きは、風俗に関心がない表社会の人々にはまったく知られていない事実なのだが、ここ数年前から起きている大きな潮流である。

先日、超激安の地雷専門デリヘル店の女性にも話を聞いたのだが、私は気になって「この店にも外国人の客は来るのか?」と尋ねてみた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180218T0446160900.html


HIV感染は防げるが風俗嬢が見殺しにされる理由とは?

日本の風俗は性病に無防備すぎる。ソープランドではコンドームなしの性行為が日常的に行われていたり、デリヘル等では精液を口で受けたりする。

こんな危険な性サービスが常態化していたのは、日本人は「病気にかかったら病気を治す」というのが常識として定着しているため、性病を持ったまま風俗を渡り歩く人が男女共に少ないからだと言える。

世界は違う。淋病にかかろうが、梅毒にかかろうが、尖圭コンジローマにかかろうが、HIVに感染しようが、それでも医者にかからない人が大勢いる。

貧困で医者にかかれない人もいるのだが、もともと身体の異常に無頓着な人も多い。性病の発症があっても、それを性病と認識しないこともある。

だから、性病を放置したままになりやすい。淋病も梅毒もエイズもいったんそこで流行すると、アウトブレイクするのはそのせいだ。

近年の日本は大量の外国人を受け入れており、欧米人からアジア人までが日本の風俗嬢を買い漁る状況になっている。無防備極まりない日本の性サービスと、性病に無頓着な外国人が出会うことによって何が起きるのかは火を見るより明らかだ。

日本の風俗嬢は、今後は性病地獄に陥るのである。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180117T0200420900.html

風俗嬢が危険にさらされているのに、日本人は冷淡過ぎる

日本の性の現場は、私に言わせると異常であるとしか言いようがない。なぜ日本人はこんな異常を黙って受け入れているのか分からない。

まず、日本の性風俗は「本番行為が禁止」という建前があるので、デリヘルのようなところでは女性が口でサービスして射精させるような行為が一般化している。

コンドームは使わない。生の精液をそのまま口で受ける。

ソープランドはどうか。ソープランドだけは本番行為が黙認されているのだが、ここではコンドームなしの性行為が蔓延していて、それが「売り」になっている店もある。

店は女性に膣内射精を受け入れるように教育しており、女性はそれをやっている。

デリヘルでは口内射精が一般化し、ソープランドでは膣内射精が一般化しているのだから、風俗嬢がいかに危険な状況にあるのか誰もが分かるはずだ。

ところが、日本はこんなものが一般化しているし、誰も何も言わないのである。風俗嬢が危険な状況にあると危機感を持つ人間もどこにもいない。

日本人は、風俗嬢に冷淡すぎるのではないか。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180207T0250450900.html


風邪をこじらせて朦朧としながら、夜の世界の賃金を考える

数日前から風邪をひいた。こじらせないように注意していたのだが、意に反して症状は悪化してしまい、悪寒と頭痛と激しい咳が止まらない状態が今も続いている。

10ヶ月ほど前にインフルエンザにかかっているので、インフルエンザと普通の風邪を比較できる立場にある。インフルエンザの症状は急激かつ強烈なのに比べて、重い風邪の方は身体の奥底から疲労感が湧き上がる感じだ。

どちらにしても普通の能力が発揮できないのは間違いないのだが、風邪は誰でもいつでもかかるものなので、めったにかからないインフルエンザよりも、むしろ風邪の方が深刻度が高いのではないかと考えた。

こんな時にも、ふと夜に生きている女たちのことを思う。

昼職と夜職の大きな違いは、昼職は「月給」が基本であり夜職は「日給」が基本であることだ。また昼職は有休なども整備されていて一定時間働けば賃金が保障される「固定給」なのだが、夜職の多くは「歩合給」である。

業種によって、固定給と歩合給を組み合わせたものや、本人が月給か日給かを選択できる形態のものがあるのだが、基本的に夜職は「日給、歩合制」が普通である。


その仕事を長く続けないことを前提とした支払い?

ところで、一般の勤め人にはあまり馴染みのないものに「年俸制」という賃金の支払い方もある。外資系の会社の役員や経営者やエリート社員、あるいはスポーツ選手などは「年俸制」のことが多い。

年俸制、月給、日給……。

一般的に言えば、社会的な立場が強い側であればあるほど年俸制に近づき、社会的な立場が弱い側であればあるほど日給に近づく。

会社から見ると、個人の能力や才能を最大限に発揮して長く会社に留まって欲しい人を年俸制として雇う。

逆に、いくらでも代替がきく仕事に就いている場合や、長く働いてもらえない環境にある場合や、期間が限定されている季節労働などの場合は日給で雇う。

日給というのは、会社も本人も「その仕事を長く続けない」ことを前提として組み立てられた給与体系なのである。

さらに、夜の世界は雇用も企業の存続も浮き草のように不安定である。会社は「いつ飛ばれるか分からない」という疑いを個人に持ち、個人も「いつ会社が潰れるか分からない」という不安を持っている。

だから、「働いた分だけしか払わない」という会社と「働いた分だけもらう」という個人の利害が一致し、それが「完全歩合制」という給与形態になる。

いつ働いている人が飛ぶか分からない仕事、いつ給料が払えなくなるのか分からない会社であればあるほど完全歩合制の日給で払いたがる。

逆に、自分がいつ辞めるか分からない仕事、いつ潰れるか分からない会社で働く場合は、完全歩合制の日給が最も合理的な働き方だ。

社会の底辺になればなるほど、そして浮沈の激しすぎる真夜中の世界であればあるほど完全歩合制の日給になっていくのは、そのような理由がある。


人は頑強な機械のように常に一定の能力で働けない

ところで、完全歩合制の日給は真夜中の世界で働く人間に最適化されたシステムであるのは間違いないのだが、この完全歩合制の日給には、働く側にとって大きなデメリットがある。

それは「働かないと1円も稼げない」ということだ。

年俸制や固定給の月給で働いている人たちは、たとえ風邪や事故で一週間くらい働けなくても、固定賃金の部分で収入の激減をカバーすることができる。

年俸制の場合は、年間の給料が保証されているのでブランクがあっても何の問題もない。月給の場合も3日や4日の休みくらいは、ほぼ賃金に影響がないようになっている。

しかし完全歩合制の日給は、そうではない。

その日働けなければ入ってくる金はゼロだ。3日休めば3日分ゼロだ。一週間も休めば収入は激減する上に、会社からも「もう来なくていい」と見捨てられる可能性もある。

夜の人間たちの収入が月によって増減し、日によって増減するのは、まさに「働いていない分はゼロ」というシビアな現実がそこにあるからである。

では、人は頑強な機械のように常に一定の能力で働くことは可能なのだろうか。常識的に考えると、それは不可能だ。

人の体調は日によって変化するし、時には病気もするし怪我もする。精神的に不調になったりすることも珍しくない。

その振幅は人によってまったく違うが、どんな頑強で強い精神力を持った人であっても、病気もすれば怪我もすれば精神的に落ち込む日が必ずある。

さらに、自分がいかに体調管理に気を付けていたとしても、仕事自体が景気や天候に左右されることも多い。

「大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい」というが、雨が降ったら大工仕事は中止になり、完全歩合制の日給で働いている大工は1円も稼げない。

風俗なども意外に天候に左右される職種で、雨が降ったら客が来なくて風俗嬢はまったく客が付かないことも多い。客が付かなければ、収入はゼロである。

雨が降って喜ぶのは日給で雇われているタクシーの運転手だが、それでも都合良く雨が降るわけではなく、タクシーの運転手もまた仕事を転々とする。


休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮する

人は誰でも重い風邪にかかる。どんなに体調管理をしていてもそれは避けられないことであり、それが軽く済むか重症化するかも運によるところが大きい。

風邪を抑える薬はあるが、風邪を治す薬はない。だから、風邪をひいたら症状が去るまで大人しく寝ているしかない。そこで無理すると症状はより悪化して自滅する。

しかし、仮にもし貯金が充分でなければどうなるのか。休むのが一番だと分かっていても、生活のために休むことができない状況に追い込まれる。

休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮してしまう。

真夜中の世界では、そのギリギリのところで働いている人たちも多く、だから夜の女たちは生き急いで自滅するドッグ・イヤーのパターンになる。

最近、日本の風俗業界では梅毒が爆発的に流行しており、日本各地の風俗街のすべてで梅毒感染の風俗嬢が報告されている。

風俗が外国人を受け入れるようになっているので、危険度は凄まじく増している。しかし、風俗業界はまったく変わろうとしないので、梅毒の感染は絶対に止まらない。

そのため、これまでの感染数拡大は始まりに過ぎず、これから風俗嬢の感染は倍々ゲームで増えていくのは確実だ。

梅毒はきちんと治療したら治る病気だ。だから、表社会ではエイズと違ってあまり深刻に受け止められていないように見える。しかし、現場の風俗嬢の恐怖は相当なものがある。

もし梅毒にかかったら、風俗嬢は完治するまで仕事を休まなければならないのだが、治療は1ヶ月から2ヶ月かかることも多い。

治療が遅れた女性の場合だと、半年も働けなかったりする。それは、半年も収入がゼロになることを意味している。

固定給で働いている昼職の人間でも、半年も仕事を休んだら甚大な影響がある。

そう考えると、日給で完全歩合制なのにしばしば仕事ができない状況に追いやられる夜の女性たちの深刻さは、相当なものがあると分かるはずだ。

今は順調でも、一瞬で生活が崩壊してしまう可能性があるのが夜の世界なのである。風邪をこじらせて朦朧としながら、私はずっと夜の女たちのことを考えている。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171111T0048410900.html


「梅毒」が一般女性にも感染拡大。スマホの影響か 2016.09.18
https://nikkan-spa.jp/1181432

「梅毒」の流行に歯止めがかからない。特にここ数年は全国的にはもちろん、若い女性に感染者が急増している。その原因、そして危険性とは?


風俗嬢、さらに一般女性にも感染拡大


https://nikkan-spa.jp/1181432/bk3_160816_01
梅毒の湿疹はかゆみや痛みを伴わないうえ、数週間で消えるため、放っておいてしまうケースが極めて多い


 箸やコップに付着した唾液から病原体が入り込むほど、感染力の強い梅毒。症状も出づらいため、自覚のないままさらなる感染を引き起こすこともしばしばだ。また、保菌者が気づかずに菌を撒き散らす理由がほかにもある。梅毒の感染経験がある20代のデリヘル嬢、小田えり子さん(仮名)は「中国人のお客さんにうつされたかも」と語る。

「ウチの店は本番NGなんですけど、ここ数年で中国人の客がすごく増えて、強引にプラス3万円くらい出してヤラせちゃうことも。検査で陽性が出た後、『治療中はセックスしちゃダメ』って店長に言われたから仕事も休んで、お客さんからの連絡も『体調が悪い』『生理だから』って逃げていました」

 都内で風俗店の検査を請け負っている医師も「近年は中国人観光客の影響は大きい」と語る。

「中国では梅毒感染者が’13年の時点で40万人と極めて多く、中国人団体客を受け入れていた店で感染者が増えたという話もあります」


また、感染に関しては一般女性が怖いという指摘もある。

「これまで風俗で働く女性に陽性反応が出るケースはありましたが、ここ数年は一般女性に感染者が拡大している。また、風俗従事者たちは危険を自覚しているので定期検診を受け、治療も早期にします。一方、一般の女性はまさか自分が梅毒感染者だとは思わないので、パートナー男性の感染が発覚するまで気づかないことが多いんです」(「池袋クリニック」の院長を務める村上雄太氏)

 また、「若年層の感染拡大はスマホによる影響が大きいのではないか」という意見もある。

「私の医師仲間から聞いた話では、感染経路と疑われる相手が会社内の地味な若い女のコで『まさかあんなコが……』と絶句した患者さんもいたとか。スマートフォンの普及や見た目がかわいい出会い系アプリが増えたことで、若い女性が見知らぬ男性と気軽に出会えるようになったことが感染の拡大した要因かもしれません」(内科・泌尿器科医の大和宣介氏)

 現役女医として多くの患者を診てきた清水なほみ氏も「若い女性は梅毒をよく知らない」という。

「梅毒という名前自体、今の若い女性にはピンとこないのか症状が一旦、治まったことで安心して受診しない事例が多いんです。しかも妊娠期に感染していると母子感染の恐れがある。子供が先天性梅毒になったり、最悪、流産してしまう場合もあります。予防のため、妊娠前は一通りの性感染症検査を受けることを勧めます」

 大和医師も「もっとも危険なのは症状が治まったからといって治療を放置すること」と言う。

「手足や性器に痛みのない湿疹が出た場合や、微熱や咳が続く場合は早期の検診をオススメします。また、梅毒に感染している人はHIVを合併感染している事例が多いです。命の危険にもかかわることなので、基本中の基本ですが、不特定多数とのセックスはなるべく避けるべき。万が一、そういったシチュエーションになってもコンドームの着用を心がけてください」
https://nikkan-spa.jp/1181432


オーラルセックスが癌の原因に!?厚労省も警鐘鳴らす危険性
ダイヤモンド・オンライン 2016/11/25

 11月25日から12月1日までの1週間は、「性の健康週間」。実は、先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけと言われる。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。特に、アダルトビデオなどでお馴染みのオーラルセックス(口腔性交)は「妊娠の心配がない」と無防備な人も少なくない。性感染症を無症状のまま、広げてしまうリスクもある。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

● オーラルセックスで咽頭がん!?  米国有名俳優の話に脅威

  (おいおい、勘弁してくれよ)

 都内在住の会社員Sさん(40代)は、スマホを見ながらつぶやいた。2013年のことだ。

 配信されていたのはアメリカの俳優マイケル・ダグラスのニュース。

 マイケルは、映画『氷の微笑』『危険な情事』など過激なエロティックサスペンスで人気を博したと同時に、「セックス依存症」を告白したことでも知られる、"とんでもエロおじさん"だ。

 2010年にステージWの咽頭がんを患いながらも、無事生還を果たしたマイケルだったが、なんと自分ががんを発症した原因は「クンニ(クンニリングス)のし過ぎだった」と語っていた。

 自他共に認める大の酒好き、かつヘビースモーカーのマイケルに対して、英ガーディアン紙の記者が「がんを患ってみて、悪しき習慣を後悔していますか」と尋ねたところ、「後悔なんかしてないよ。咽頭がんになったのは、飲酒や喫煙のせいじゃないからね。このがんの主な発症原因はクンニによるHPV(ヒトパピローマウイルスという子宮頸部がんなどの原因になるウイルス)感染なんだから」とご機嫌で答えている。

 これにSさんは動揺した。
 というのも当時、SさんはステージWの咽頭がんと告知され、闘病中だったからだ。

 「喉頭がんの原因が、ヒトパピローマウイルスへの感染かもしれないという話は知っていました。でも、まだはっきりしたわけじゃない。喫煙や飲酒、声の出しすぎだって、関係していますよね。何より僕は、酒は飲むけど、毎日じゃない。タバコだって飲み屋に行った時にたまに吸う程度で、会社の健康診断では一度もひっかかったことがありません。それなのに、いきなりステージW.その上、あのセックス依存症おやじと同じように、『クンニのし過ぎ』でがんになったなんて周囲から思われたら、恥ですよ。悲惨過ぎる」

 ごもっとも。

 Sさんのために補足しておくと、HPVには150以上のタイプが存在し、性交渉の経験がある男女なら誰でも持っている可能性がある。マイケルのようなセックス依存症でなくても、感染してしまうリスクは常にあるのだ。

 そしてHPVのなかには、がんの原因となるハイリスクなタイプもあり、その一部は、性器の内部にある細胞を好み、なかに侵入する性質があるため、主にセックスを介して感染し、がんを発症させてしまうこともある。ただし、HPVが原因で男性ががんを発症する頻度は、子宮頸がんの10分の1程度だ。

 その後、Sさんは幸いにも放射線治療が功を奏して、がんは完治。定期的に検査を受けながらも、元気に暮らしている。

 しかしながら、咽頭がんの治療後の5年生存率は、ステージWの場合約40%。命が危うくなったことへの恐怖から、飲酒、喫煙に加え、妻へのクンニといったオーラルセックス(口腔性交)も一切できなくなってしまった。

● 無症状のままうつしまくる オーラルセックスの危険性

 クンニやフェラ(フェラチオ)など、オーラルセックスでうつる病気には、がん以外にも次のような性感染症があり、厚生労働省はホームページで、「オーラルセックスにより性感染症に感染するということには2つの意味があります」と警鐘を鳴らしている。

 ◎オーラルセックスによる性感染症
 ・淋菌
 ・クラミジア
 ・ヘルペス
 ・梅毒トレポネーマ
 ・AIDSを起こすHIV

 特にオーラルセックスで、性器から口腔に感染した場合は無症状のことが多いので、自分が感染していることに気付かないままに、更に別の性交渉相手にオーラルセックスを介して性器に感染させてしまうことがあります。
 (オーラルセックス(口腔性交)による性感染症に関するQ&A 厚生労働省より)

 無症状で気づかないまま、どんどん他の人たちにも感染を広めてしまうのは、相当恐ろしいことなのではないだろうか。

 まさに、オーラルセックス恐るべし、なのだが、この件に対する日本人の危機意識は呆れるほど低い。

 インターネットを使って8700人から回答を得たアンケート調査(北村邦夫:「日本人の性意識・性行動調査」、2011)によると、全体の49.5%(男性54.4%、女性42.7%)がオーラルセックスを行っており、その際、性感染症を予防するためにコンドームを使用していたのは、わずか17.2%。全体の82.8%(男性79.4%、女性87.9%)は、「まったく使わない」と答えている。

 また、別の調査によると、コンドームを使わない理由は、「口でなら妊娠しない」、「口でなら性病はうつらない」という思い込み、あるいは「ゴムをつけたままは気持ち悪い」という嗜好が大きいという。

 オーラルセックスは妊娠しないし、ゴムは確かに不味くて気持ち悪いが、性感染症は、たとえばフェラしただけでも、してもらっただけでもうつるということを覚えておこう。クンニも同じだ。

 感染症の専門医は、「先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけ。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。日本性教育協会の調査によると、女子高校生の13%(男子高校生は6.7%)は、クラミジアに感染しているというデータがあるほか、性交渉の相手が多い人ほど、コンドームの使用率が少ないというデータもあります。10代女子の罹患率は世界トップクラス」と語る。

 女子高校生に限らず、日本人は老若男女総じて、「快楽のためなら、性感染症なんて怖くない。場合によっては死んでもいい」と思っているのだろうか。

 まさか、そんなはずはないと信じたい。

● キスでうつるがんも!?  ウイルスが関与する場合は要注意

 さて、日本人の性感染症に対する危機感が薄いのはわかったが、咽頭がんや子宮頸がんに対してはどうだろう。

 これらのがんは性感染症ではないが、セックスを介してうつるという点では一緒だし、オーラルセックスとの関連性も深い。ヒトパピローマウイルスが直接ガンになるわけではないが、細胞の構成を変えることでがんを誘発する。

 だが、この、「うつるがんがある」という事実は、あまりはっきりと語られることはない。

 実際、行政のホームページを見ても、「がんがうつる」という表現は、がん患者への差別や偏見を広めることになるため、正確をとことん期す、というか注意深く避けられているように思う。

 例えば、千葉県のホームページでは、「がんはうつるのですか」という質問に対して、
「基本的にはがんは他人にはうつりません。(中略)しかしウイルスによって生じるがんがありこれらは例外となります。この発がん性のあるウイルスとしては、肝炎ウイルス(B型およびC型)、EB(エプスタイン・バー)ウイルス、ヒトパピローマウイルス、ヒトT細胞白血病ウイルスがあり、それぞれ肝がん、B細胞リンパ腫、皮膚がん、子宮頚がん、T細胞白血病を引き起こす可能性があります。(中略)がんがうつるというよりもがんの原因となるウイルスに感染することがあるとお考えください」と、かなりまどろっこしい表現になっている。

 ちなみに、EBウイルスによる代表的な感染症には「伝染性単核球症」という風邪に似た病気があり、「唾液」によって感染することから、別名「キス症」とも呼ばれ、日本人の90%以上が感染経験を持ち、たいていが成人時にはすでに抗体を備えているとされている。そして、同ウイルスは咽頭がん、胃がんの発生に関係していることがわかっている。

 つまり、とっても極端な話、絶対がんになりたくなかったら、「セックスは必ずコンドームを使用し、オーラルセックスは厳禁、キスもやめておいたほうがいい」ということになってしまうのだ。

 性感染症も然り。

 人類が本能の赴くまま、自由に愛し合えた時代は、もう過去のものなのである。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161125-00109205-diamond-soci


152. 中川隆[-12563] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:32:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

星野リゾートが外人観光客を「飛田新地」に呼び寄せると「飛田新地」は消滅する事になる

関西の暗部「飛田新地」も、いつまでも存在できるわけではない理由とは


大阪には、飛田新地、松島新地、今里新地、信太山新地、滝井新地……といくつもの「ちょんの間」が生き残っている。さらに尼崎にも、かんなみ新地が生き残っている。


関東は町田の通称「田んぼ」や横浜の「黄金町」があったのだが、すでに2005年には壊滅した。いくつもの「ちょんの間」が生き残っている関西の特異性には驚くばかりだ。

なぜ関東の「ちょんの間」が絶滅して関西の「ちょんの間」が生き残ったのかは、日本のハイエナたちの間で議論があるのだが、私は「関東のちょんの間の主力は外国人女性で、関西のちょんの間の主力は日本人女性だったから」と理解している。

町田も黄金町も「外国人女性がいた」ということが致命傷になって摘発・閉鎖を余儀なくされている。

なぜ、警察はそろそろ動いてもおかしくないと私は感じているのか。

それは、飛田新地も外国人の客が押し寄せるようになっており、そこが日本の暗部(アンダーグラウンド)として紹介されるようになっているからだ。

(ブラックアジア:写真禁止と言っても、どんどん流出していく飛田新地の夜)
https://blackasia.net/?p=841


政府当局はこうした存在が国内でひっそりと知られているだけであれば黙認するのだが、世界に広く知られるようになると急いで潰す。

なぜなら、日本は常に外国から「売春問題」で非難されてきた歴史があるからだ。

「日本は女性の人権をないがしろにしている」「日本は人身売買国家だ」「日本は淫売国家だ」と国外から攻撃されて、日本は非難轟々の中で遊郭の閉鎖を決めていた。

2000年代初頭の関東のちょんの間摘発もまたアメリカから「日本は人身売買国家だ」と名指しで糾弾されて、驚いて摘発に向かったものである。


ヤクザ経営のフィリピン・パブではしばしば女性たちがパスポートを取り上げられ、監禁され、売春が強制させられていたのだった。

彼女たちは被害を英語で訴え、アメリカのジャーナリストも好んで「YAKUZA」のあこぎなビジネスを糾弾し、それはアメリカ政府の耳にも届いていた。

それを指して「日本は人身売買国家だ」とアメリカに批判されたのだ。

指摘を受けて日本政府はフィリピン女性の興行ビザを出さなくなり、フィリピン・パブは壊滅状態になった。

「ちょんの間」はとばっちりであったのだが、それでも日本政府は外国人女性がいるちょんの間を強権で潰して消した。どのみち、この形態の売春ビジネスも世界に知られれば糾弾されるのは間違いないからだ。

こうした経緯もあって、日本政府は今も「売春を野放しにしている」と外国から指摘されることに神経質になっている。

だから、飛田新地が外国人の男たちに存在が知られるようになり、そこに群がるようになっているのであれば、摘発して潰すことになっても不思議ではないのだ。
https://blackasia.net/?p=7337


153. 中川隆[-12562] koaQ7Jey 2018年5月23日 09:45:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14254]

日本の秘宝 飛田新地を守ろう

飛田新地 求人

大阪・飛田新地高収入アルバイト情報


店舗情報

はじめまして、飛田新地のマスターです。みなさん一度は「飛田新地」という言葉を聞いたことがあると思いますが、どういう所かあまり知らない人が多いと思います。他の風俗店との違いを3つお伝えします。


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当店はスカウト等を使わず「直接お店からの求人募集」です!
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大阪・飛田新地「遊女の真実」(前)

タレント級の美女がワンサカ Posted on 2012年8月28日

 飛田の中のことは、外の者がさわったらあかん─。

これまでかたくなに口が閉ざされていた大阪・飛田新地の世界。そんな飛田の内情を赤裸々に語った一冊「飛田で生きる」が8月31日に徳間書店から発売される。著者の杉坂圭介氏は、10年間飛田料亭経営に携わったあと、現在スカウトマンとして活躍しており、同書では欲望と哀愁がむき出しに交差する、誰も知らなかった“遊女”たちの世界が驚愕のエピソードとともに語られている。

 杉坂氏が飛田で料亭を始めたのは2001年。失業中だった杉坂氏は、不動産業に関わっていた高校時代の先輩に呼び出され、飛田の中心街、メイン通りにある料亭の「親方」、つまり経営者になるよう勧められた。

「月に400万〜600万円くらい儲かると言われました。でも、そんな甘い世界ではないと思ったから最初は断った。
『飛田の親方なんて、素人にできへんでしょう?』。
そしたら
『細かいことはオバちゃんに任せておけばええんや』
と説得された。結果、職もないし、父親が亡くなって得た生命保険金もあったので、これを資金に店を開けることにしたのです」

 杉坂氏は、まず飛田を管理している飛田新地料理組合へ挨拶に行き、店を開けることを報告。了承を得てから、不動産会社へ行き保証金も含めた800万円を支払い、警察に対し“料亭”の営業を開始したいと正式申請。3カ月後に営業の許可が下りた。

「警察からは『料亭やるのはいいけど、法律にのっとったお店経営をしなさいよ』と通達されました。開業する前、同業者の誰もが『この商売、女の子が全てだ』と口をそろえてましたが、実際、女の子集め、スカウトこそ、飛田ビジネスの要でした。女の子のクオリティによって、月の売り上げが、100万、200万円単位で変わってしまいます。なので店をやっていた10年は、ちょっとでもいい子をそろえようと、危ない橋もずいぶん渡りました」

 女の子集めの基本は、フリーペーパー、高収入マガジン、ネットの求人広告。だが、それらはいつ連絡が来るかわからない。クオリティも不確定。だから確実にカワイイ子、美人を確保するためには、自分で探して歩き、実際に見て確かめて、口説くことが不可欠なのだ。

 つまり、危険覚悟で客を装い、飛田で稼げそうな子を他の風俗から引き抜く。風俗店を仕切っている暴力団から拉致され、監禁されても、「そんなもん気にしとったら、アカン」と、連日引き抜きに行く親方も少なくない。だからこそ、飛田の中心、メイン通りや青春通りには、佐々木希や蒼井優のような
「何でこんなカワイイ子がこの仕事するんやろう?」
と思わせるキレイな子がそろっている。


「2つの通りにいる子の多くは、全ての風俗の中でも最高級レベル。
そんな子たちが飛田にいる理由は、ただ一つ、稼げるから。飛田のいいところは、本当にカワイイ美人だったら他の風俗の倍は稼げる。しかも、楽に。キャバクラのトップでも、月に100万超えている子はめったにいないが、飛田なら普通に100万、150万稼げる。トップでなくてもキャバクラの上位レベルだったら間違いなく稼げます」

飛田の基本料金は
15分1万1000円、
20分1万6000円、
30分2万1000円

など。一番短い15分コースの場合、1万1000円の取り分の基本は、店が5000円、女の子5000円、呼び込みのオバちゃんが1000円だ。

 15分といっても、いろいろ準備があるので、接する時間は7分くらい。実働7分で5000円。30分コースなら実働15分で1万円。人気の子なら、1日に20人近くお客がつくから、軽く10万円は超える。中には3カ月で600万円近く稼ぐ子もいる。つまりそういう子は店にも600万円落としてくれるわけだから、スカウトも気合いが入る。

「女の子は自分が何をするのか、知っていて来ます。『そんなのありなんですか?』などと言う子はいない。全て稼ぐためと割り切って来ている。

メインと青春通りなら基本は、全てゴム付き、キスなし、バストタッチなしだから、割り切りやすい。
なので求人広告を見た子の中には、ただキレイなだけでなく、ビックリするような経歴、学歴の女の子もいる。大阪の有名大学の学生、公務員、上場企業在職のOLなんかは、もう普通です」

 2年前には関東の超有名国立大学に通う現役学生で実家が開業医をしているというお嬢さんが、夏休みの間だけ働きに来た。風俗は初めてだが、飛田なら研修も必要なく、大阪だから親バレ、友達バレもない。

「マンスリーマンションを借りて、2カ月間、生理の時もほぼ毎日働いていて、300万近いお金をためて帰った。これまで飛田のことを書かれた本などを読むと、『不幸な訳ありの女の子ばかりが集まっている』という書き方をされています。でも今は、自分で派手な生活をするために来ている子のほうがずっと多い。

訳ありの子、親、家族、彼氏の借金のためという子は、10人のうち1人か2人くらい。そういう子にとって、生きるための最後のとりでが飛田だったりするわけです」

 杉坂氏の店にも時折、訳ありの子が面接に来た。脳梗塞で倒れた父親が抱えていた借金と住宅ローンを払うため、1年に1000万円ずつ返済し、3年で完済した。借金がなくなり、親の介護をするだけになったら、最後にお礼を言って、二度と現れることはなかった。他にも、国家資格を取るためなど、夢や目標の実現のために来る子も少なくない。

「特に多かったのが看護師を目指している子。家の事情で、勉強しながら生活費も稼がねばならない子たちです。でも、ハンバーガーショップで週6日バイトしていたら勉強できない。当時、時給が700円くらいですから、8時間働いても1日5600円。飛田なら15分で稼げる。だから資格を取りたい子は、みんな言います。『1日1本で十分ですから、あとは勉強の時間に充てさせてください』。それで実際に看護師の資格を取って、今も病院で働いている子がいます」


飛田にやって来る女の子の目的は当然、お金。ところが、それだけではない子もいる。ほとんどの女の子たちは客と接していても、「仕事だから一切、気持ちよくない」と言う。

 しかし中には「誰でもいいからしたい」という子もマレにいるのだと。

「『客やったら気持ちよくないやろうと言うけど、アタシは気持ちいい。とにかく気持ちいい。24時間、何か入れててほしい』。そう話していた塾の先生がいました。有名な塾の先生ですごく真面目な人。『塾より稼げるから、教師になるまで働かせてほしい』と言って、本当に教師になるまで働いていた。週イチで来ていた医学部だか薬学部だかの学生の中には『出会ってはいけない快感と出会って、仕事が楽しくてしかたがない』と言う子もいました」

 旦那さんが相手してくれないから面接に来たという28歳の奥さんからは、「欲求不満を解消するために来たんですけど、やっぱり100%満たされないんで、親方、お願いします」と誘われた。

「そんなエロ映画みたいな世界が実際にあるんです。その奥さん、店ではゴムを付けていますが、誰もいなくなると、私のそばに来て耳もとでささやくんだ。『マスターだったら、今夜、ナマでいいです』って。その奥さんだけでなく、他の女の子たちからも結構、誘われました。さんざんお客さんにサービスしたり、されたりしても、仕事とは違うものを求めて来る。女の子の中には、仕事が終わって家に帰ったあと、毎日オナニーをしてしまう子がいるのもそのせいです」

 杉坂氏は、飛田に来てから、男だけでなく、女の業の深さにも驚かされた。その業の深さで、杉坂氏自身も窮地に陥ることになった─。
http://www.asagei.com/7536
http://www.asagei.com/7542
http://www.asagei.com/7546


大阪・飛田新地「遊女の真実」(後)

160軒近い店が並び、1日に1500人近い男たちが訪れる大阪・飛田新地。

その内幕を告白した「飛田で生きる」の著者・杉坂圭介氏は、01年から10年間、飛田料亭の経営に携わった。高校時代の先輩に「月に400万〜600万円儲かる」と誘われて始めたものの、そんな甘い世界ではなかった─。

 08年9月のリーマン・ショック以前は、それなりに稼げた時期もあり、女の子に恵まれると、実際に500万円近い利益を出せた月もあった。だが、それは一時的なもので、リーマン以降は客単価が下がりっ放し。最低目標とした300万円どころか、100万円にもならない月もあった。

「月1000万円売り上げても、女の子とオバちゃんの取り分を払ったら、手元に残るのは400万円。そこから家賃50 万円、求人広告費30万円、光熱費、ガソリン代とかを払ったら、利益は300万円。さらに他の風俗から女の子を引き抜くための資金もかかるのだから、仕事のリスクを考えたら、割りが合わない」

 仕事自体がリスキーだが、それ以外にも連絡もせず店を休む女の子や要領の悪いオバちゃんに胃を痛めたり、スカウトに行ってトラブルに巻き込まれる。接客態度を注意したら、逆恨みした女の子が他の子全員連れて店からいなくなったこともある。また、クスリをやっている子や未成年の子が年をごまかして面接に来たり、ネットに事実無根の悪口を書かれたりと、神経の休まる暇がない。加えて飛田特有の甘い罠も多い。

「飛田では、親方(マスター)でなく、女の子のほうから近づいてくることがよくある。仕事を終え、車で送って行くと『コーヒーが飲みたい』とか言って、ホテルに誘ってくる。ここがふんばりどころなんです。だけど、ふんばれない。その子が、ただ“したい”だけならいい。でも、絶対それだけで終わらない。親方に手をつけられた女の子は必ず他の女の子にこう言います。『ここだけの話、マスターとしちゃった』と」

 飛田の女の子の中には、他の子に差をつけたがって親方に近づいてくる子がいる。だから3日もすると、“私はマスターの女よ”という顔をし、店を仕切りだす。そうなると、他の女の子たちは「バカらしい!」となって、次々に辞めていき、店が成り立たなくなる。自業自得なのだが、飛田ではよくある話なのだ。

「『アタシがいるからええやん』と言うけど、その子が残っていると、ようやく入った新人もすぐに辞めてしまう。かといって、その子を無理やり辞めさすと変な噂を流されたりするから、邪険にできない。どうにもならなくて、あっという間に貯金もなくなる。悲しいのは、そんな痛い目にあっているのに、また同じことを繰り返す。『彼女なら大丈夫やろう』と思って、何回も裏切られるんです」

 杉坂氏だけでなく、飛田の親方たちの中には「今、目先の欲望で、こいつに手を出したら、店がガタガタになるな」とわかっていても、手をつけてしまう人が少なくないのだ。


 行為に対する抵抗が薄れているのか、今はろくに男性経験のない学生まで面接に来る。そういう子たちに、呼び込みのオバちゃんが、お客さんを呼べる笑顔の作り方、愛想の振り方を教えてあげて、商品に仕立てる。だが、プライドが高く、自分に自信を持っている子などは、年を取ったオバちゃんが何を言っても聞かない。そういう時がオバちゃんの腕の見せどころでもある。

「よその風俗なら、適当に修整した写真を載せておけば寝ていても仕事が来る。でも飛田では、実物が玄関に座って、極上の愛想を振りまかなければ、お客さんはつかない。どんな美人だって、ただ座って『はい、どうぞ』とやっていただけでは素通りされる。それをわからすために、プライドの高い子は、とりあえず思いどおりに座らせておく。そうすると自慢のお澄まし顔も、外からは怒っているようにしか見えないから、お客はつかないんです」

 だがその間、彼女と交代で玄関に座らせている子たち、美人度ではかなり落ちている子たちには、それなりに客がついている。というより、オバちゃんが気合いを入れて、客をつけているのだ。すると、その子も焦り始める。金銭に関して何らかの困った事情があって飛田に来たのだから、当然のことだろう。

「そこで、初めて聞く耳を持つ気になる。そのタイミングを見計らって、オバちゃんがアドバイスしてやるんです。

『これまでどんだけ男にモテたか知らんが、飛田に遊びに来るお客さんが求めるんは、自然に出るええ笑顔や』

と。言うことを聞いたら、強引にお客さんをつけて自信を持たす。そうやって女の子を育てる。そのへんは巧みなものです。仮にその子に客が20人つけば、それだけでオバちゃんは2万円の稼ぎになるわけですから」

 さらに、リーマン・ショック以降は、ごく普通の奥さん、風俗とは無縁に生きてきた奥さんが面接に来るケースが増えている。夫がリストラにあって、夫も公認で働きだすケースだと。

「旦那さんが店の近くまで車で送って来て、『頑張ってね』と。彼氏公認はいましたが、旦那さん公認は最近の傾向です。でもそういう旦那さんは奥さんが稼ぎだすと、働く意欲がなくなっていく。『自分が子供の世話をするから、お前が外で稼いで来い』って。それで家に帰って来た奥さんを癒やしてくれたらまだましだけど、『もっと稼げ』とかダメ出しする旦那さんがいる。それで奥さんから『もっと稼がせてください』と泣きつかれるんです。そこまでやらされて、何で離婚しないのか不思議ですね」

ここ何年間で、飛田の親方も急速に世代代わりをしている。昔からいた親方がいなくなり、30代の新経営者が増えてきた。その一方でママさんと呼ばれる女性経営者も増えていて、みずからも女の子を経験している彼女たちは、男にはできないアメとムチの使い分けで、店を回しているという。

「ママさんは、ふだんは
『何で、生理やからて休むんや、うちはそんなで休まんかった』
と厳しく接しながら、仕事を終えると、ホストクラブに連れて行き遊ばせてやる。でもただ遊ばせるのではなく、女の子にホストのおもしろさを教えて金遣いを荒くさせる。貯金できないようにすると、辞めないで、いつまでも働いてくれるから。賢いママさんだと裏でホストに
『この子はあんまりハメすぎると心が折れてしまうから、それ以上お金を落とさすな』
とか指示までしてます」


 そこまで割り切れるのは女性だからこそ。杉坂は贅沢を覚えさせるようなことはしなかった。逆に、飛田に引っ張り込んだ者の責任として、「ムダづかいはするな。稼げる時は短いんやから、しっかりためて大事に使えよ」と叱責し続けた。

「実際、うちにいた子は、1000万、2000万円と計画的に貯金している子も多かった。ただ問題は辞めたあと。しばらくすると貯金が底をついて戻って来る。その原因は全て男。ホストとかに全部吸われちゃう。去年も『3000万貯金したんで辞めます』と言ってたが、復帰してきた時には一銭も残ってなかった。飛田で稼いだお金は、どうしても羽振りがよくなる。何かあったら戻ればいい。戻ったら、またすぐに入ってくると思い、それで男に貢いじゃうんです」

 そうした中、現在、普通の生活を送っている子も少なくない。直接連絡をもらうことはないが、たまに世話になったオバちゃんに、手紙を出す子もいる。

「『結婚して、子供を産んで、夫と順調に生活してます』とか書かれていた。みんな結婚する時は黙って結婚する。互いのためにそのほうがいい。でも相手によっては、正直に話す子もいます。3年前、九州から来た40代ぐらいの男女から声をかけられました。女の人が『このへんに〇〇という店はありませんか? 私、そこで2年働いていたんです』と。親が働けない体だったので、自分と妹の学費、親の生活費を飛田で稼いでいたそうです。学校を卒業し、OLになり、ずっと独身だったけど、彼にプロポーズされた。それで飛田のことを正直に話したら事情を理解してくれて、『今度一緒に行ってみよう』と言われたそうです」

 最後に杉坂氏は、飛田が残ってきたのは、それなりに理由があると断言する。

「ここでしか働けないオバちゃんや、家族のために必要としている人がいる。浪費癖、ホスト遊びで借金まみれになり、最後のよりどころにする子たちもあとを絶たない。でもそれ以上の理由として、飛田がなくなれば、間違いなく性犯罪が増える。親方をやっていて目の当たりにした男たちの姿は、みんながみんな理性的ではありません。健全な街づくりにはガス抜きが必要で、不可欠な存在です」

 他にも風俗店はあるが、飛田でなくてはダメだという人が実に多い。杉坂氏はそうした人たちのために、現在はスカウトマンとして女の子探しに奔走している。
http://www.asagei.com/7781
http://www.asagei.com/7786
http://www.asagei.com/7792


飛田新地レポ


この日は大阪出張。関西の某都市で現地集合現地解散という前代未聞の状況なので、仕事が終わってから行く場所はひとつしかありません。

そう、飛田新地!

仕事は予定通り夕方に終わりました。同じ方向の電車に乗ったクライアントに

「アメ村に寄ってから帰りたいんですよ」

と欺き、JR天王寺駅で下車。次の電車に再び乗車し、新今宮駅で下車です。

ただ、当日は台風を思わせる大雨。

想像していた新今宮駅とは大きく違います。秋は日が落ちるのが早いから真っ暗だし、線路沿いを歩いていってもホームレスらしき人はいないし、893も見当たらない。

視界が悪いのでスーツを着ていても目立たない(と思う)ので、飛田新地初心者には大雨の日がオススメかもしれません。

ただ、街の雰囲気は極めてイカガワシイです……。

そこらじゅうに1泊1000円程度の安宿があり、オヤジ率が異常に高い。過疎化が進んでいる日本でも、平均年齢の高さで競ったら西成周辺はいい勝負をしそうです。

さらに日本随一と思えるのが物価。

カレーライスは300円、かけうどんは100円程度というのがこの辺りでの適正価格のようです。


そんな中、
予めiPhoneに登録していた飛田新地のアイコンを目指して散策。もちろん、事前にリサーチ済みですよ。

西成で写メを撮ったら殺される一般常識も、新今宮駅から飛田新地に向かう道すがらは治外法権ってコトもね。


そうこうしているうちに、見えてきました妖艶でソソラレル灯が!

ここまで歩いてきた街並とは別世界です。

スラム街を通り抜けて、遊郭に足を踏み入れた気分です。

事実、新今宮駅から飛田新地にかけては立派な(?)スラム街なんですけどね。


いよいよ飛田新地に潜入。

まずは状況と作法を把握するために周辺を散策です。相変わらず、すごい雨です。折り畳みの小さい傘を差すしかなかったんで、スーツも革靴もぐしょぐしょです。
といった天気だからか、YouTubeで見たような賑わいはありません。

需要と供給のバランスは明らかに需要側に分があるのでしょう。

扉が開け放たれた六畳一間から、ライトアップされた姫と呼び込みのおばちゃんがここぞとばかりに愛想を振りまいてきます。

それにしても、よくできてるシステムです。
どちらからメンズが歩いてきても分かるように、通りに肩を向けて座るおばちゃんの向かいには姿鏡が立てかけてあります。
そのおばちゃんがメンズに声をかけ、姫がニコっと笑うわけです。

その姫を照らすライトは美容研究家の故・鈴木そのこ氏を想像していただければ分かりやすいと思います。

もちろん、このライト効果で騙されるメンズも多いんだとか。


また、もうひとつ事前に調査して得た情報によると、ずらりと並ぶ六畳一間はそれぞれが料亭で、姫は仲居さんという位置づけなんだとか。

そして客は料亭で飲食するうちに仲居さんと恋に落ち、コトに至ってしまうという筋書き。そのため、コトに至ってしまうのは自由恋愛によるもので、決して売春じゃあない、という理屈がまかり通っているそうです。

そんな姫たちのプライバシーを守るべく、怖い本職のお兄さんたちがこの界隈を監視しておりました。だから当然、iPhoneをポケットから出すわけにもいきません。頭の中に叩き込んでおいた飛田新地案内図を広げ、状況把握に努めます。

その時に非常に役に立ったのが、

SHINGO☆西成とかいうラッパーの「ようこそここが飛田新地♪」で始まる歌。

「華、小松、笑福、椿〜♪」といった具合に、メイン通りから順に料亭名を羅列して道案内してくれます。

そして、「おすすめ田代♪」のある通りが、若くてかわいいコが多いと噂の青春通り。

この時点で、拙者の面食い度はかなり上がっています。

“普通にかわいい”がぞろぞろいて、関西流でいうところの“めっちゃかわいい”がチラホラいるんですもん。

さらに、

巨乳、ロリ、メガネ、優等生風、ギャル、AKB方面などなど、

実に多彩な女の子を用意してくれています。ホント、いつまで経っても決まらないっす。そんな嬉しい悩みを抱えながら「ようこそここが飛田新地♪」の歌から外れていくと、

なんだか姫の年齢層が高くなってきました。
姫の体重も徐々に増量しているようです。

そう、ここが妖怪通りで、奥に進むと妖怪通りその2があります。

好みは千差万別とはいえ、妖怪通りの料亭に入っていく客がいることにびっくりしてしまいました。

そして、鯛よし百番と嘆きの壁を見物した後、再び青春通りへ。

もう決めました。

さっき見かけた田中美保似のショートも気になるし、10年以上前の上村愛子を思わせる健康的美少女も捨てがたいけど、ニコッと笑う小柄で小顔のこのコに決めました。

というわけで、意を決して料亭の中へ。

「はじめてなんで、よく分からないんすよね」と拙者。

「あとは上で女の子と相談して」とおばちゃん。

熟練者から「もっと聞くことがあるやろ」と突っ込まれそうですが、これ以上悩んでも仕方がないので、いざ突撃です。

料亭に足を踏み入れた拙者は小顔で小柄な姫の案内で、階段を昇っていきます。
雨でずぶ濡れの拙者を見て、

「うわぁ、びしょびしょ」

と姫……。

ごめんなさい。浮き足立っていたので、料亭の名前も姫の名前もチェックしていません…。仕方がないので、とりあえず姫の名前はナミとしておきましょう。

だって、案内された部屋がワンピース一色なんですもん。

そこかしこにチョッパーのぬいぐるみやら、タオルが置かれています。
部屋の作りは四畳半が二間といった感じでしょうか。

拙者がまず通された部屋には折りたたみ式のちゃぶ台と座布団。
ちゃぶ台の上には、中華料理店にあるようなアクリルのメニュー表が立てられています。

15分11,000円、
20分16,000円……。

その下もありましたが、眼中にありませんでした。
すると、

「何分にします?」

とナミ。延長もできるみたいなので、

「15分でいい?」と拙者。

「全然いいですよ。じゃあ、準備してきますね」

あっという間に恋に落ちて、自由恋愛成立です。

ナミが出て行ってから、5分ぐらいは経ったでしょうか。まだ来ないので、部屋の中を凝視します。さすがにここでもiPhoneを出す勇気はありません。貼ってある飛田新地の地図を立って見ていると、襖をノックする音が。

ナミが麦茶とアメを持って現れました。

「じゃあ、脱いでください」

そう促すナミはもう脱ぎ始めています。ナミに遅れること15秒。拙者も素っ裸になりました。では、隣の部屋に敷いてある布団の上へ。

「ヒルルクの最期は泣いちゃったよ」

拙者にも少しワンピースの知識があるんです。

「あれは泣いちゃうよ」

拙者に跨がったナミが軽くチュッとしてくれます。

うぅん、カワイイ。間近で見てもカワイイ。
「ナァミすぅわぁん♡」と叫ぶサンジ君の気分です。

残念ながらオッパイはワンピースのナミのようにはいかずBカップ程度と小振りですが、乳頭はすっごくキレイです。肌のハリ、キレイな乳輪。

20歳前後と推定しました。
学生の頃に合コンした短大生グループの一番カワイイおしゃれなコといった雰囲気。合コンに来てるくせに彼氏がいることを公言する小悪魔的なあのコです。

その後、舌は拙者の乳首に到達し、柔らかい愛撫を頂戴しました。
そしてゴムフェラ。短時間ではあるけれど、なかなかの舌使いです。
もちろん、拙者の一物はパンパン。臨戦態勢は整いました!

ナミの舌使いでビンビンになった拙者の一物。
向かう先は決まっています。

ジュボジュポジュポと、チョッパーをモチーフにしたポンプからローションを出すナミ。ぬるりと拙者の一物に絡ませ、巧みに跨がります。薄い茂みの狭い入口に拙者の一物がじりじりと侵入していきます。

そういえば、きつい穴に一物を押し込んでいくこの感覚、どこかで味わったことがあるような……。

思い出しました!NK流です!
関東のちょんの間地帯として名を馳せた西川口の本サロに似ています。

だって、ローションでぬるぬるにしてから入れるなんて、普通はやらないですもんね。でも、このきつい感じがなんとも気持ちがイイんです。

ナミも喘ぎ声を出していますが、演技なのか真偽のほどはわかりません。

ただ、アソコの温かさが広がっていくような気が……。

調子に乗った拙者はナミの小振りなオッパイを鷲掴みにします。

バストを揉まれ、天井を仰ぎながら喘ぐ美女。
エロイです。たまらんです。

すると、ナミの腰の動きがゆっくりに。

「下になるね」

頷いた拙者はギンギンの一物をすぐに入れ、がんがんがんがん突き上げます。

やっぱり気持ちイイ。

肩を押さえつけ、さらに突きまくります。
ナミも拙者の首に手を回してくれています。
喘ぐ姿も実にカワイイです。

そんなことを思いながら、ゴムの中にたっぷり放出させていただきました!

フィニッシュとほぼ同時にタイマーが鳴り、ワンピース部屋から退散です。

その前に、ぺろぺろキャンディの袋をはがして、差し出してくれたナミ。ご厚意に甘え、パクリとくわえます。

「それを持ってると、終わって帰るところって合図なんです」

なるほど。お互いのために、そんな暗黙のルールがあるんですね。

急な階段を下りると、ひな壇には誰もいませんでした。ナミは再びそのままひな壇に座る模様。靴を履いた拙者に笑顔で手を振ってくれています。

ホントにいいコです。ちょっと名残惜しいけど、退散です。


料亭を出て行く時は、入る時よりも気恥ずかしいです。すっきりした表情をうまく隠せているでしょうか。平然を装います。何事もなかったかのような顔をして、ぺろぺろキャンディを頬張る拙者は周りからはどのように見えるのでしょうか。気になるというよりも、興味があります。

それにしても、ぺろぺろキャンディの威力は凄まじいです。手に持っているだけでも声をかけられないし、死角で持つとすぐさま「おにいさん!」です。

その後は西成の激安商店街を通り抜け、地下鉄御堂筋線に乗って心斎橋へ。
お好み焼きを食して帰省しました。
というわけで飛田新地の総評。


5分あたり約4,000円の計算になるので、分単位で換算すると吉原と同等。
ソープのオイシイところだけを味わえるので、せっかちな人にはいいかも。

ただ、拙者はキス好きだし、もっと触りたかったので、ちょっと物足りなかったですね。
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/375169.html
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http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/399445.html
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/411054.html
http://blog.livedoor.jp/green_day_showa/archives/417874.html



154. 中川隆[-12566] koaQ7Jey 2018年5月23日 12:49:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

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155. 中川隆[-12565] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:00:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

2013.6.10
飛田新地で働く人たちが街を去る理由とは?

現役スカウトが描く「漂白」される飛田の10年後
【スカウトマン・杉坂圭介×社会学者・開沼博】
http://diamond.jp/articles/-/37023


売春島や歌舞伎町のように「見て見ぬふり」をされる現実に踏み込む、社会学者・開沼博。そして、大阪・飛田新地の元遊郭経営者であり、現在もスカウトマンとして活躍する杉坂圭介。

『漂白される社会』(ダイヤモンド社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%BC%82%E7%99%BD%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E9%96%8B%E6%B2%BC-%E5%8D%9A/dp/4478021740

の刊行を記念して、「漂白」されつつある飛田の現在・未来をひも解く異色対談。

最終回は、飛田で働く「おばちゃん」「女の子」「親方(経営者)」が街を去っていく理由に迫りながら、現役スカウトによって「漂白」が進む飛田新地の10年後が語られる。

引退した女の子が「おばちゃん」に転身

開沼 本を読むと、飛田にとって「おばちゃん」の存在がとても重要だと感じます。おばちゃんの現状、また、おばちゃんを辞めた方はどうされていますか?

杉坂 もうね、辞めたおばちゃんは、年金を貰う、生活保護を受ける、子どもを産んで世話になる方がほとんどだと思います。昔は、1日3万、4万持って帰っている人もいたんですけど、いまは正直、持って帰れても1万か2万じゃないですか。

 最近になって聞くと、おばちゃんの保証が昔は1日働いて1万くらいはあったんですけど、いまは保証を出さない店も多いらしくて、朝から働いて3000円のおばちゃんもいるらしいですからね。貯金できているおばちゃんはいないんじゃないですかね。

開沼 「おばちゃん」という響きからも若い方はあまりいないように感じますが、新しいおばちゃんはどのように確保するんですか?


杉坂 おばちゃんのほうこそ、基本的には横のつながりなんです。メイン通りの女の子がお年を召してばばあ通りに行きますよね。で、ばばあ通りのほうでも「そろそろ自分やばいんじゃないかな」となったら、そこからおばちゃんに変わるんですよ。

 仲良かったおばちゃんに相談して、「おばちゃん、そろそろ私おばちゃん商売かなぁ」「じゃあ、どこどこの店紹介してやるよ」とこんな感じです。突然、外部から来るのはめずらしいですね。ほとんどが卒業生です。

開沼 経験者だからこそ勝手がわかる部分もあると。

杉坂 親の心子知らずではないですけど、おばちゃんになってはじめておばちゃんの苦労がわかるってみんな言いますよ。それまでは、おばちゃんに「あーせえ、こーせえ」言ってた女の子が、今度は言われる側ですから(笑)。若いおばちゃんだと40歳くらい、30代の人もいるんじゃないですかね。ただ、全体的には60代でしょうね。

開沼 飛田で働く女の子がいる限り、おばちゃんはいなくならないと。

杉坂 どうなんでしょうね。いまは20代をメイン通りで過ごして、30代をばばあ通りでと、長く飛田で過ごす女の子も減ってきてますからね。結婚するから20代で辞めるというのが多いですから。

 ただ、30歳、40歳まで主婦をやって、そこで離婚して母子家庭になったらばばあ通りに戻ってきたり、もうちょっとしてから人生やり直すためにおばちゃんになったりとか。そんときに、当時のおばちゃんや経営者さんに電話したりもあるんじゃないですかね。


女の子は結婚して引退か、それとも“飛ぶ”か

開沼 「飛田が人を活かしている」と書かれています。この状況はいまでも変わりませんか?

杉坂 そうですね、精神的に不安定だったりする女の子も受け入れてます。あと、本当はあってはダメなんですけど、「16時に来なさい」と言って17時や18時に来ても、その場は務まるんですよね。スーパーマーケットでそれやったら「君、明日から来なくていいよ」ってなるんでしょうけど。無断欠勤があっても、次の日に「すいませんでした」で済むのが飛田なんで。そういう意味ではいろんな子が働ける場所ですよね。

開沼 飛田を辞めた女の子たち、働けなくなってしまった人たちはいま何をされているんですかね?

杉坂 結婚している人が多いですね。普通に「マスター、長いことありがとうございました」って挨拶してくる子は結婚です。それ以外は“飛び”ます。たいがい飛びます。

開沼 それはどこに飛ぶんですか?

杉坂 詳しくはわからないんですけど、九州の子に聞いたら、最初はとりあえず東京に行くんですって。東京でやばくなったら名古屋に来て、名古屋でやばくなって大阪に来て。「お前もいずれ飛ぶんかい?」って聞いたら「飛ぶかもしれませんね」って。それでほんまに飛びますからね(笑)。

開沼 飛ぶ子の特徴ってありますか?飛ぶ理由など。

杉坂 金がらみが多いです。あとは、親バレ、友達バレですね。僕の店にはいませんでしたけど、友達にメールをしてお客さんを引く子もいるらしいです。以前働いていた風俗・ヘルスの客を引く子もいますけど、それは少ないです。

 なんでかというと、ヘルスの子は「いつもは本番をさせてないけど、あなただけ特別に本番をさせてた」というトークを使っていた子が多いらしいんですよ。それが「飛田では全員と本番してるやろ」って客が冷めるらしいんで、「逆に言えない」って言ってましたね。

開沼 新規参入もあり、料亭の軒数は増えているとおっしゃっていました。一方で、働きたいとやって来る人の数はどうですか?

杉坂 減ってます。多くの店が求人誌に頼ってますね。関西で有力な風俗求人誌があるんですけど、飛田、松島、信太山の3つで35軒ほどの料亭が載っています。飛田が160軒、松島が100軒、信太山で40〜50軒、だいたい300軒として、10%くらいが求人に頼っています。

 見番屋さんって特殊なんですよね。ここに行ってもあそこに行っても、提携してたら同じ子が来るっていうスタイルなんで。でも、残りはスカウト絡みですよ。スカウトが飛田は稼げると思ってますから。でも、いまはいい子がいたら、飛田じゃなくて福原のソープに回しているみたいです。飛田出身の人間は飛田をひいき目に見ますけど、客観的に見るヤツはソープに流してますね。


なぜ飛田には沖縄の女の子が多いのか?

開沼 スカウトや求人ではなく、自分から玄関を叩いて来る場合もありますか?

杉坂 いますよ、それは。入り口に看板がありますから、自分でパッと見て雰囲気が良さそうな店を選ぶとか。ちょっと知識がある子は、おばちゃんを見て、怖そうなおばちゃんがいる店にはいかないって(笑)。

開沼 店を探して普通に歩いているんですか?

杉坂 誰かの車に乗せてもらったり、歩いている子もいますよ。その代わり、おばちゃんから「姉ちゃん働くの?」やらぶわ〜と言われますから。店を探している子と出勤のために歩いている子はなんか違うんですよ。店を探してる子はキョロキョロしますけど、出勤する子はうつむいてまっしぐらに早歩きしますから。昔は店の前までタクシーで来ていましたけど、いまは電車通勤が多いですね、交通費がもったいないから。稼げない子ほどタクシーで来ます(笑)。

開沼 なるほど。地域を転々としている場合もあれば、関西出身、あるいは東京から働くためにわざわざ来る場合もありますよね。出身地域の特徴はありますか?

杉坂 街全体で考えると、一番多いのは沖縄ちゃいますか。沖縄はね、夏場はカップルが来るからダメなんですって。「夏場は集客多いやろ?」って言ったら、「夏場はカップルで来るからうちらに来ない。だからプロ野球のキャンプが終わったらこっちに来る」ですって(笑)。

 沖縄も真栄原社交街がなくなっちゃいましたよね。そこらへんで働いていた子がこっちに来たりとか。でも、僕らから見ると、暑い国の女の子って働かないですよ(笑)。もうちょっと真面目に働いてと思います。

 松島や信太山なんか行っても、だいたい沖縄から来ている子は友達を頼って来るんですよ。友達が先に働いているからと。次がネットの求人ですかね。昔は地元のスカウトが全部手配しましたけど、いまはネットで選んで来てます。

開沼 やはり、雇用不足が要因になっているようで興味深いですね。沖縄以外では地域の偏りはありますか?

杉坂 僕の周りでは、東京・名古屋・福岡以外は来てますよね。田舎のほうだとキャバクラの時給が2000円くらいだと聞きますから。大阪で3000円〜3500円くらい。東京だともっと稼げると思いますけど、やっぱり賃金格差ですね。

 あとは長崎か大分だったと思いますけど、風俗がまともにないと言ってました。出会いメールやハッピーメールでやると聞きますし、「ムラがすごくあるので、飛田に働きに来ました」と言ってましたけど。


遊郭経営者は死ぬまで辞められない

開沼 おばちゃん、女の子と同じくらい、「元・経営者の方のいま」が気になります。経営者を引退された方はどうするんですか?

杉坂 死ぬ、ですね、現役引退の場合のほとんどが。自分の店だったら、所有権を持っていれば誰かに貸せますからいいですけど、賃貸でやってる人は一生続けるしかないでしょう。若い子なんかは見切りをつけて辞める子もいます。でも、年いったら次の仕事ないでしょうから。若い子だと辞めてからスカウトに転身している子が多いですよ。

 女の子もいなくて、探す気力もないという方は廃業して、まあたぶん元やってはった業界に戻りはるんでしょうね。それしか道がないと思いますね。辞めたときに「女の子いたら紹介しますね」と言って別れますが、そこから連絡を取ることはないですね。

開沼 親方は結婚されている方がほとんどですか?

杉坂 そうですね、ほとんど結婚していますね。40歳以上くらいの人は。亡くなるときは、奥さんがいて、病院に入ってと普通のパターンです。

開沼 ご自身が店をやっていたときに働いていた女性から連絡はありますか?

杉坂 メールはありますよ。辞めてからも「結婚しました」とか、メールで交流がある子はいますけどね。「俺の名前なんか載せてたら具合悪いやろ?」って言ったら、「大丈夫、女の子の名前にしているから」なんてね(笑)。「マスターからのメール来たらすぐ消すし」「そのほうがええ」って。

開沼 相談相手のような役割を果たされていると。

杉坂 ほかの店よりも距離だけは縮めとこうというスタンスはありました。それを生温いと批判する方もいると思いますが。30代の経営者さんは、なんだかんだ遊び感覚の付き合いというか、そんな感じでやってるんじゃないですかね。「店終わったらクラブ行こうや」とか聞きますし。

 距離を詰める人は結構詰めるんですよ。それが原因で、「なんで前の店辞めたの?」と聞くと「セクハラです」とかもあります。でも、いまは怖いですよ、ネットに書かれますからね。「どこどこの店のマスターは講習とか言って…」と。昔は、自分の店に自分の女を置いたりする店もあったと聞きますけど、いまそんなんしたら1発で店がグシャグシャになりますからね。

潰されるとしても飛田は最後に
スカウトマンが描く10年後

開沼 5年後、10年後、飛田の街はどうなっていると思いますか?東京でも繁華街浄化作戦のような動きがいろいろありましたし、大阪でもダンス規制のように行政が突然牙をむくこともあったわけですが。

杉坂 たぶん、たぶんですけど、これも二極化じゃないですけど、潰すにしても飛田は最後になると思います。松島とか信太山、今里、滝井ってたくさんあるんでね。潰すと名前が大きく出るけど、大勢に影響がないのは今里と滝井なんですよ。今里は4〜5軒、滝井がたしか8軒だったかな。じゃあ、その8人はどうすんねんて話でもありますが。

 警察はたぶん知ってると思うんですけど、滝井新地はみんな松島新地の支店なんですよ。だから、「あそこを潰しても松島で生き残れるやろ」という感じもあるかもしれません。ただ、街全体を潰すならまず今里。今里は在日の方なので、日本人じゃないことが不利なんですよ。

開沼 なるほど。

杉坂 西成区は飛田があって、あいりん地区があってというダークなイメージは変わらないので、まずは違法な部分を取り締まるとかはあるかもしれませんね。でも、こういうことをすると最後まで不法なところが残るんです。出会い喫茶だって、摘発されても同じ場所で同じ許可出してますから、あれはどうかと思います。

 ヘルスとかソープとか、デリヘルも許可制から届出制に変わったこともあって、営業する側のレベルも落ちたと思います。まずは、そういうところを先にやってほしいなというのが願望です。僕ら飛田の人間からすると、ほかに潰す順番があるだろと思いますけど。

開沼 なるほど。そして、現在2作目を執筆中だと聞いています。これからも実態を伝えていきますか?

杉坂 実態を伝えていきたいですね。次も飛田の話を書きます。もう少し見識が増えたら、飛田とはまったくシステムが違う松島、信太山の実態なんかも書けたらなと思います。
http://diamond.jp/articles/-/37023


156. 中川隆[-12560] koaQ7Jey 2018年5月23日 13:17:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

中国人客を受け入れると日本の楽園 飛田新地は閉鎖されてしまう
星野リゾートから楽園 飛田新地を守ろう


2017年3月9日
星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 地元民「何を血迷っておられるのか」

大阪市がJR新今宮駅前にある市有地約1万4000平方メートルを、高級ホテル事業で知られる「星野リゾート」に約18億円で売却したことを3月8日に発表。9日には星野リゾートが同地に都市観光ホテルの開業する計画を発表したのだが、ネットからは驚きの声があがっている。
https://www.excite.co.jp/News/bit/E1489046811883.html

飛田新地掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/movie/6660/

飛田新地 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%A3%9B%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%9C%B0


157. 中川隆[-12558] koaQ7Jey 2018年5月23日 14:25:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]


2017年12月04日
関西“色街”の風俗嬢が涙の訴え、中国人観光客が「ありえない」理由
「梅毒」の流行も中国人観光客から 森原ドンタコス
https://nikkan-spa.jp/1433610


「もうホンマに無理やって! 言葉が通じひんっていうより、わからんフリしてるだけ! ウチらに何やってもいい思うとんのが腹立つ!」

 こう一気に捲し立てるのは、関西エリアの有名な“色街”で働く美也子さん(21歳・仮名)。普段はこの道のプロとして、客のグチを漏らすことはほとんどないという美也子さんの怒りは、店にやってくる「中国人観光客の男性」に向けられていた。

「チップや金払いはエエけど、こっそり隠し撮りしたり、部屋の中を物色したり……。これだけならまだエエほうで、足の指を血が出るまで噛まれたり、性器に足を突っ込まれそうになった子もおる。ありえないマナー違反に『ヤメてください』言うても、ニヤニヤするばかり。でも外人のお客さんやからと思うてやっとったけどもうガマンの限界!」

 旅の恥はかき捨て……とはよく言ったものだ。バブル時代の日本人男性観光客も海外での“買春ツアー”など、大いに現地の性風俗を楽しんだが、現在は中国や韓国、台湾の男たちが日本人の女性を抱こうと、意気揚々と来日している。

中国人民元

色街に足を運ぶ外国人観光客の弊害…風俗嬢の怒りの声

 多少のトラブルはあるだろう……なんて思うのだが、別の関係者に聞いても、現場では中国人だけが、なぜか異常に印象が悪いという。

「隠し撮りが中国のアダルトサイトに載っていたり、カメラを回しながら集団で色街を物色する男性グループがいるんです。注意してもヘラヘラするだけで、何度もやってくる。彼らは『女性を買いに来ただけ』といいますが、ここはそういう文化ではない。日本人ならわかってくれますが、外国人、特に中国人はわかってくれないんです」

 色街の関係者はこう肩を落とし、関西エリアだけではなく、九州の風俗業界でも、中国人観光客によるこうしたトラブルが頻発しているという。さらに、関西地方から爆発的に広がったといわれる「梅毒」の流行も「中国人観光客によってもたらされたものではないか?」と推測する。

「日本の風俗店は、基本的に“外国人お断り”のところが多かったんです。ただ、中国人や韓国人を中心にあまりにも問い合わせが多いということで、大阪の格安店が外国人でも応対可能な風俗店を始めました。そして売り上げを大きく伸ばしたことで、ほかにも外国人に対応できる店が増えていきました。しかしながら……得体の知れない外国人客が増加すれば、リスクも相応に高まる。はじめは淋病、そして梅毒が出たというのも、そこの店とのウワサなんです」

 いま日本国内では梅毒の感染者が爆発的に増えている。10月31日に出された国立感染症研究所の発表によると、東京や大阪などの大都市はもちろん、地方都市にも猛スピードで感染が広がっているそうだ。昨年に比べて、熊本、岡山は3倍以上。青森、広島、香川、山口で2倍以上となった。

女性 その原因のひとつとして風俗の“爆買い”があるのではないか――。前出の美也子さんも色街ではそれほど多くなかった淋病や梅毒などの性病に罹患した女性が増えていると訴える。

「病気はホンマありえへん……。病気になったら生活できへんちゅーねん」

 とはいえ、嫌な外国人観光客ばかりではない。

「でも……それでもなかにはいいお客さんもやっぱりおって、台湾のお客さんなんかはいっつもお土産にパイナップルケーキを買うてきてくれたり……。日本人でもせえへんような気配りができるお客さんもいます。もちろん中国人にだってね」

 郷に入れば郷に従え……。

 日本式の感覚が外国人に通じないのは当たり前かもしれないが、日本がこっそり守ってきた色街文化に土足で上がり込まれ、さらに小馬鹿にされている現状。おおっぴらに言える立場ではない人たちは、それでも踏ん張って、色街で生きてゆくのだ。



158. 中川隆[-12555] koaQ7Jey 2018年5月23日 15:44:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14260]

中国と組んだ星野リゾートは日本を滅ぼす

中国の掲示板から愉快なスレッドを選び、それを日本語に翻訳して紹介しておるぞ。


エイズを日本に広めようね♪


元スレはここだ。
http://club.book.sohu.com/read_art_sub.new.php?b=Focus&a=223239&sr=0&allchildnum=11


今年20歳で、もう少しで21になるんだ、人生でも楽しい時期のはずなんだけど、でもそんな風には全然感じられないんだ。 うつ病になったみたいなんだ、先月から、どんどん悪化してるようで、先月は一週間以上の間、全てが薄暗くなって、楽しくなりたくても、全く楽しくなれなくて、誰とも話をしたくなくなって、両親とか、BFともね............

今月また始まって、もう二日になるんだけど、本当に辛くて、自分で盛り上がろうとしても、できないんだよね、こういう感覚は正常な人にはわからないと思うんだ、私にとっては、死にたいくらいの感じなんだ.............

でもまだ死にたくないんだよね、だって自分にやり残したことがあるように思えるし、子供のころの夢もまだ実現してないから。


子供のころの夢、誰でもあるよね、大きくなったら宇宙飛行士になるとか、お金持ちになるとか、色々ね.......


でも私は違ったの。子供のころ学校で抗日戦争の映画を見て、日本人を憎んで、畜生にも劣ると思ったんだ、同じ人なのに、どうしてあんなにひどいことができるのか、私たち中国の土地がほしいから?ってね。

教科書に書かれた歴史を読んで、どんどん日本人を憎むようになって、こんな夢をもつようになったんだ:大きくなって、もし第三次世界大戦が起きたり、日本人がまた私たち中国に侵略してきたら、私は軍人になって、自分の命を引き換えにしても、一人殺せばおあいこだし、二人殺せば一人もうけたことになって、殺した数が多いほど、儲けが増えるんだ.......


 日はどんどん過ぎていくけど、第三次世界大戦は起こらないし、日本人も侵略してこない、、毎日見るニュースに出てくる日本の報道は二種類:一部分の日本人は自分が過去に行ったことについて後悔していて、一部分の日本人は自分の先祖が偉大だと思っている(右翼ってことだよね)。

日本人にもいい人もいれば悪い人もいるって考えたこともあるよ、でも抗日戦争で被害を受けた中国人が日本に賠償を求めて敗訴したり、日本の教育局が教科書の歴史を勝手に変えたりするのをみて、怒りの炎がまた燃え上がってきたんだ、間違いを犯したのにそれを認めないなんてひどすぎる、クソ日本、お前らは最低だよ!!!

 20歳、20歳はまだ大学にいる年齢だよね、でも私はそうじゃないんだ、あなたたちは大学に入って国家のために役に立とうとしてるよね、だから私も何かしなくちゃ、私が住んでるこの田舎では、うつ病とかいっても誰も知らないんだ、なんでうつが病気なの?どうして薬を飲むの?とか全然わかってないんだよ!私は計画を立てたよ、自分の夢を実現するためにね。


 明日広東の辺りに行くつもりだよ、なにをするかって?

みんなが恥に思ってる職業につくためだよ、売春婦にね......

売春をするのもお金のためじゃないよ、じゃ何のため?

売春婦はお金と関係がなきゃだめなの?

いまエイズが流行ってるよね?売春婦になるのは自分がエイズに感染するため.......

それから日本に密入国して、自分がエイズに感染したら計画は半分成功したようなもの、日本についたら99%成功.....

それから日本で売春婦を続けて、この邪悪なウイルスを広めて、たくさんのクソ日本人にこの病気を感染させて、家に帰って妻や恋人に感染させて、妻が不倫相手に感染させて、妻の不倫相手が自分の妻や恋人に感染させて....................

こうやって広まっていくんだ........

日本はあっという間にエイズという恐怖の病に包まれて、それはまるで富士山の上に黒い雲が折り重なっているようにね、そんな富士山は美しい.........

黒い雲はすぐに流されていくけど、エイズはそうはいかないよ、どんどん広がっていくんだ、


全ての日本人がエイズにかかったとき私たち中国人民は喜んで、韓国も喜んで、そのときにはあなたたちは花火を上げて、爆竹を鳴らして、ほんのちょっとだけ私のことを思い出してね、生まれ変わった時にはもう少しましな人生をおくれることを祈って...........
http://chinabbs.seesaa.net/article/6831449.html


159. 中川隆[-12567] koaQ7Jey 2018年5月24日 00:26:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

中国と組んだ星野リゾートは日本を滅ぼす


星野リゾートがトマムを中国系に売った理由
「週刊東洋経済」2015年12月5日号〈11月30日発売〉「この人に聞く」に加筆


独占!星野佳路代表に直撃インタビュー(上) 2015年12月06日
https://toyokeizai.net/articles/-/95118

中国、中国と騒ぐのは偏見だ

「実家の軽井沢だって売却した。トマムの売却はなんら特別なことではない」と語る星野佳路氏(撮影:梅谷秀司)

国内各地で高級旅館やホテルを展開し、老舗旅館の再生実績も多い星野リゾート。11月11日、同社は2005年から全面的に再生を手掛ける、「星野リゾート トマム」(北海道占冠〈しむかっぷ〉村)の所有者が変わると発表した。

トマムの運営は従来通り星野リゾートが継続するが、12月1日から中国のコングロマリットのフォースングループ(復星集団)傘下の企業が所有者となる。

北海道のニセコなど、全国各地で中国系企業がホテルや旅館を買い漁るイメージが先行していることもあり、トマムの件は話題を集めた。なぜ相手が中国企業なのか。狙いは何か。星野佳路代表が真意を語った。

トマム再生には10〜15年の時間がかかる

──トマムを売却する理由は?

1991年に、僕が星野リゾートの社長になったときから、星野リゾートは「運営会社になるんだ」ということを掲げてやってきた。基本的には(不動産や建物の)「所有」と、ホテルや旅館の「運営」を分離する方針だ。

もともと「星野リゾート トマム」は米国系ファンドのグローブが80%を所有しており、星野リゾートは20%しか持っていなかった。われわれはこの10年間、トマムの運営をやってきたし、これからも運営を続けていく。


「星野リゾート トマム」は全28のスキーコース、東京ドーム123個分の広大な敷地を持つ

トマムは巨大なリゾート施設で再生には10〜15年かかる。

僕が提案している改善策は右から左までたくさんあるが、再生の初期段階では短期的に収益をあげる施策を優先してきた。

2006年にグローブと組んでから、再生の第1ステージとして、スキーリフトを掛け替えたり、雲海がよく見える「雲海テラス」を設けるなど、短期的に収益を出すための投資をしてきた。おかげで安定収益をだすところまできている。
ファンドには、必ず出資している投資家がいて、どこかで出口戦略を決めなければならない。9年間という期間は比較的長いが、ファンド側としても、結論を出す時期に来ていたという事情がある。

ここから再生の第2ステージとして、もうひとリスクとれ、われわれの成長戦略に合意してくれる投資会社が必要だった。そのために、今回、フォースンという投資会社と組むことにした。

――トマムの投資会社交代が話題を集めた理由は、新しい所有者であるフォースンが中国企業だったという点にある。


2014年11月15日号で復星についてリポート。2014年6月には「ついに日本上陸、中国企業『復星』の全貌」を配信している

それは偏見だ。会社を見ていなくて、たまたま上場していた場所で見ている。フォースンという会社は中国だけでなく、中長期的な視点で、世界中に投資している会社だ。

確か、2014年の「週刊東洋経済」で、フォースンが日本に投資を始める準備をしているという記事があったはずだ。

中国で上場しているが、もともと学生2人がスタートした民間企業。フランスのクラブメッド(旧地中海クラブ)などにも投資しており、国際的な視点を持ったいい会社だ。

ファンドと組んで始まる再生の第2ステージ

――フォースンと組んだ第2ステージの再生戦略をどう描くのか。


2006年に開設し、夏場の集客の成功事例となった「雲海テラス」

トマムは1983年に開業しているが、日本のスキーリゾートはどれもバブルの頃に開発されたもので、新しいものはほとんどない。この20年余りで、世界のスキーリゾートは進化した。

トマムの雪質や山は世界トップクラスのスキーリゾートになる可能性がある。

そのためには、世界の新しい潮流に合あわせた、積極的な投資が必要だ。昔はゲレンデがあって、そのふもとに、ベースとなるレストランやホテルがあった。スキーを担いで、子供の手を引っ張って、歩かなければならなかった。


今はゲレンデの中に、さまざまなアクティビティができる場所が備わっており、スキーで滑り込み、そのまま出て行く、スキーイン・スキーアウトが一般的だ。つまりストレスなく、楽しめるリゾートに世界は変わってきた。

「リゾナーレ トマム」は、レストランなどのパブリックな機能はベースにあるが、すでにリフトを掛け替えて、コースも付け替えた。スキーで滑り込んできて、滑り出していける、スキーイン・スキーアウトができるホテルになっている。

それから、閑散期である夏場の集客にも、中長期的な投資をしていく必要がある。今までも雲海テラスなど、夏の滞在を魅力的にするアクティビティをたくさん導入したが、お客様の声を聞いていると、夏の北海道らしい風景を求めている。

先日もレストラン街「フォーレスタ モール」の一部を壊した。これからは、20数年前に建てたものを、壊し、新しく建てていく。こうすることで、トマムというリゾートが北海道らしい風景として、魅力的に見えるように再編していく必要がある。

ホテルの「所有」と「運営」は別のノウハウ

──トマムを含めて、ファンドがホテルや不動産を所有し、星野リゾートが運営を受託する、「所有」と「運営」を分離する方式を取っている施設が多い。これはなぜなのか。

ホテル業界では、1970年〜1980年代に、所有と運営の分離が始まった。この業界において「所有する」ということは「投資する」ということ。「運営する」ということは、接客して、食事を作って、掃除するという、「サービスを提供する」こと。この2つは根本的に違うノウハウだ。

不動産投資からすると、ホテルは毎日値上げできるのでインフレに強いが、オフィスはなかなか値上げできないのでインフレに弱いと言われている。投資会社のグローブにしたって、フォースンにしたって、不動産投資のポートフォリオの中で、オフィスやホテルなどに投資している。

世界には、ホテルに投資したいし、所有もしたいけど、運営はしたくない人の方が多い。食事も、掃除も、サービスもやりたくない人は、いっぱいいる。そこは専門である運営会社に任せましょうとなっている。

――運営に特化することは、星野リゾートにとって、どんなメリットがあるのか。


2005年に全面改装して誕生した「星のや 軽井沢」。この星野氏の実家も売却済みだ(撮影:今井康一)

僕は1991年に実家の星野温泉の社長に就任してから、「星野リゾートは運営会社になるんだ」と言い続けてきた。

運営会社から見ると、所有しないことは、借金しなくてもよいということ。バランスシート上の資産や負債を増やさなくて済む。

それで得られるのが、展開の速さだ。星野リゾートは2001年に「リゾナーレ小淵沢」の運営を受託し、軽井沢から一歩を踏み出した。それから15年間で、軽井沢に1軒だった施設は、35軒になっている。これだけ案件を増やせたのは、所有をしないからだ。

1軒が35軒になって、借金も同じように35倍になったら、金融機関だって、どこか1軒でも大変になったらと思うだろう。運営に特化して、フィービジネスに切り替えたことが、星野リゾートが成長してきているポイントだ。

トマム売却で騒いでいる人がいるが、僕の実家である「星のや軽井沢」も2012年に売却済みだ。所有と運営を分離することは、僕たちにしてみれば、何ら特別なことではない。

──実家を売却してまで、スピードを追い求めた理由は何か。

僕らは待っていてもダメ。北海道ニセコにはヒルトン、箱根にはハイアットリージェンシー、沖縄にはリッツカールトン、京都にはフォーシーズンズができた。軽井沢に旅館を1軒だけ所有する会社よりも、リッツカールトンに運営させたほうがいいという時代がきている。

われわれは投資という点では、ゴールドマンサックスやグローブに勝てないし、その体力もない。だから運営に特化するという選択をした。
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星野流、規模100倍の外資ホテルとの戦い方
中国、中国と騒ぐのは偏見だ

独占!星野佳路代表に直撃インタビュー(下) 2015年12月07日
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「外資系ホテルは誰でもできる運営をしている」と語る星野氏(撮影:梅谷秀司)

前編はこちら:星野リゾートがトマムを中国系に売った理由

リゾートの再生にはファンドの資金が必要

――実家の「星のや軽井沢」は、星野リゾート・リート投資法人に売却している。トマムでは投資ファンドを選んだ理由は何か。

リート投資法人は性格上、完成した建物を買って、安定収入を得ることはできる。ただ、新しい建物を買ったり、リフトを掛け替えたり、リフトの近くにレストランを作るといった、開発を手掛けることはできない。

破綻したリゾートの再生現場においては、投資ファンドのようにリスクを取れる資金が必要だ。彼らは、再生が終わり、価値があがったときに、売却して利益を得ることを目的としており、それなりにリスクをとることができる。

そして再生が完了し、収益が安定期にあがるようになると、価値は急にあがらない。一般的な再生期間において、最初にリスクがとれる会社はどこにするのか。再生が完了した時点で、安定して所有する会社はどこにするのか。決めることはとても大切だ。

――運営会社なのに、そこまで投資会社を意識して経営する理由は?


スキーリゾート、トマムの再生には、リスクのとれる投資ファンドの資金が必要だった

顧客満足度をあげるには、投資をするしかない。

日本の観光産業は、スタッフというソフトの質という点では、世界レベルにある。

そのスタッフが活躍する舞台であるホテルや旅館は、バブル経済のころ、20年以上前に建てたものを大事に使っている。

(施設という)ハードと(人材という)ソフトはクルマの両輪だ。20〜30年前に建てられた施設では、どんなにスタッフが優秀でも、力をすべて発揮することはできない。

経営者の役割はお金を調達すること、スタッフが働きやすい舞台を作ることにある。だから、経営者の僕が発言すると、投資となってしまう。

――クルマの両輪ということだが、2014年の東洋経済のインタビューでは「ホテル業界のトヨタを狙う」としている。星野リゾートのブランドポジションからすると、フェラーリやポルシェなど、もっと尖ったブランドという印象がある。


トヨタ自動車九州の高級車「レクサス」生産ライン

そんなことはない。やっぱり目指すのはトヨタだ。かつて、自動車メーカーとしては、米ゼネラル・モーターズ(GM)が世界最大だった。

後発のトヨタ、日産、ホンダが世界に進出し、成長できたのは、生産性の高さがあったからだ。

規模の経済によるメリットだけで考えれば、当時のトヨタは、GMには絶対かなわなかった。そこを、トヨタは各工場の生産性を高めることで、巨大な差を埋めていった。

日本のサービス産業は、圧倒的に生産性が低い。星野リゾートは、生産性を改善する手法について、ヒルトンやマリオットよりも、製造業から多くのことを学んできた。ホテルの中で、一番労働集約な作業は、部屋の清掃と調理だ。

旅館メソッドで外資系ホテルに挑む

大量に時間を投下している、この2つの作業の生産性を高めるため、トヨタでいう多能工化、われわれの言葉でいう「サービスチーム」や「マルチタスク」で、生産性を高めてきた。


12月2日には日本政策投資銀行と組んだ旅館再生専門のファンドを立ち上げると発表した(右は政投銀の関根久修・常務執行役員)

世界のホテルの運営会社はみんな同じ。マリオットもヒルトンもハイアットも、同じ方法で運営されている。

彼らと同じ運営方法をしていては、規模の大きな外資系の運営会社に勝てない。大事なのは個々のホテルの生産性だ。星野リゾートは旅館出身で、外資系のホテル運営会社とは違う。

だからこそ、生産性や収益力、サービスの質が高くて、投資家も高いリターンを得られるということが大事。僕はこれを「旅館メソッド」と呼んでいる。

──星野リゾートの自社直営や運営受託を含めた、グループの取扱高は、約400億円。マリオットによるスターウッド買収が成功すれば、単純合算で売上高は427億ドル(約5.1兆円)となる。2ケタも規模が違う相手に、どう戦いを挑むのか。


星野佳路(ほしの よしはる)/1960年生まれ。米コーネル大学大学院を経て、日本航空開発(旧JALホテルズ、現オークラ ニッコー ホテルマネジメント)に入社。1991年に星野温泉に戻り社長に就任。現在はグループの代表を務める(撮影:梅谷秀司)

海外の運営会社には、どのホテルも運営が同じという問題点がある。マリオットの総支配人が翌日、ヒルトンの総支配人に、ハイアットのシェフが、翌日にはヒルトンのシェフになっていたりする。

世界の投資家に話を聞くと、彼らに対しては、「誰でもできる運営をしている」という不満を持っている。

今、世界の大都市には、高級ホテルのブランドが60ぐらい存在している。マーケットセグメントがそれほどあるわけではない。

東京には「パークハイアット」があるので同じブランドは使えない。今度は「アンダース」を作ろうという、オーナー側の事情によるものだ。

本来、ブランドというのは、顧客との信頼関係を築くことのはず。オーナー側の事情で、顧客の信頼を得ていないブランドが増えすぎてしまった。

消費者も60もブランドがあると、自分にあったブランドがわからないから、結局はエクスペディアのようなオンライン予約サイト(OTA)やトリップアドバイザーのような口コミサイトを見ないと、選べない状況が生じている。

増え過ぎた外資系は再編の必要があった

オーナーの事情で、そういう状態になってしまったことに対する反発は、当然ある。ブランド評価で有名な、インターブランド社が発表している「世界のトップ100ブランド」に、ハーレーダビッドソンやソニーは入っているのに、ハイアットやマリオットなどホテルはひとつも入っていない。


星野リゾートは旅館メソッドを武器に、規模が2ケタ以上も違う、世界のホテル運営会社に戦いを挑む

運営会社の再編などを通じて、ホテルのブランドは消費者から見て正しい数まで収束することが、どこかで起きると思っていた。

投資会社にとっても、運営会社は誰でもできる運営をしているし、ブランドが増えすぎて、OTAに高い手数料を支払う、耐え難い状況になっている。

そこに星野リゾートは、旅館メソッドで答えていきたいと思っている。僕たちは生産性の高い運営方法ができる。ほかの運営会社と違う方法ができることが、いかに小さくても投資家に選んでもらえるポイントになる。

「星のや東京」をステップに世界へ

――長期的に星野リゾートの成長戦略をどう描くのか。


12月10日に改装オープンする「界 加賀」。現在は全国で13施設を展開している

長期的な考えはあまりない。ただし、いくつか言っていることはある。

ひとつは温泉旅館ブランドの「界」(かい)を、早く30軒体制にすること。2005年から言い出して、もう10年経ったが、まだ13軒しかない。

全国の有名温泉地に星野リゾートブランドを出すことは、顧客の期待でもあるし、界のブランドにとっては大事なビジョンだ。これは30軒になるまで淡々とやっていく。

それよりも、外資のホテル運営会社と戦える競争力を、持たなければならない。まずは2016年夏、「星のや東京」を出して、きちんと成功させることだ。


2016年7月、東京の中心部に開業予定の「星のや 東京」は、世界展開をにらむ旗艦の旅館となる(完成予想図)

東京の中心地に進出することは、星野リゾートが世界に出て行くための、ステップ、それも重要なステップだ。

東京は世界の名だたる運営会社が乱立している市場。パークハイアット、マンダリンオリエンタル、コンラッドといった会社と戦い、星野リゾートのほうが、稼働率も、運営や単価、利益もいいとなれば、ニューヨークでも「星のや」を出さないか、という話になる。

世界の大都市では、日本車が走り、日本食も食べられる。なぜ日本の旅館はないのか。その選択肢を与えるためにも、われわれにとって、とても重要なプロジェクトだし、投資家からも非常に注目されている。
https://toyokeizai.net/articles/-/95181



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占冠(しむかっぷ)村にある総合リゾート施設「星野リゾートトマム」は、1000haを超える敷地に巨大タワーホテルやスキー場などを併設する。

「星野リゾート」という名称から日本企業の経営と思われがちだが、経営主体は2015年秋に同施設を買収した中国系企業で、「星野リゾート」は管理を行うのみだ。

最近、同リゾートを訪れた知人によると、当地には中国人の利用客が大挙して押しかけ、場内アナウンスにも中国語が。知人は、「正直、ここはどこの国かと驚いた」と語った。

中国系資本による土地買収にはパターンがある。最初に「リゾート地をつくる」「医療ツーリズムの拠点にする」などの壮大な計画をぶち上げる。財政難の自治体が賛成した途端に買収交渉を進める。だが、最初の構想は一向に実現しない。

 では何のために膨大な日本の領土を手に入れているのか。

 中国が買った土地には共通点がある。ほとんどが周囲を自然に囲まれて中の様子がわからない土地だ。出入りする場所が限られるため、出入口さえ封鎖すれば、外部からの干渉が難しくなる。

 しかもゴルフ場やキャンプ場はすでに土地が整備されていて水源が豊富にあり、開墾せずとも宅地や農地に転用できる。つまり、いつでも“自己完結型の自治区”となりうるのだ。

最近は世界で移民問題が大きなテーマになっているが、隔離された土地に大勢の中国人が住み着き、農産物や水、エネルギーを占有すれば日本の領土に中国の自治区ができてしまう。それこそが彼らの狙いではないのか。

 事実、中国の一部メディアは、「北海道は十年後に中国の三十二番目の省になる」と予測しているという。ある在日の中国人論客は、「中国は北海道を二十年前から狙っている」として「これは武器を持たない、目に見えない戦争だ」と警鐘を鳴らす。
https://www.news-postseven.com/archives/20171116_626631.html

中国人が多すぎて、星野リゾートが…
星野リゾート トマム ザ・タワーの口コミ:2017年2月13日

生後3か月の子供と一緒に宿泊しました。
パンパースのおむつが使い放題で大変助かりました。
子供のフロアに宿泊していたのですが
部屋にロディがいたりゴロゴロできるラグなど
かなり楽しい時間でした。

ですが中国人の多さに…辟易しました…

宿泊時期:2016年3月、家族旅行
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1120868-d1187154-r459109080-Hoshino_Resorts_Tomamu_The_Tower-Shimukappu_mura_Yufutsu_gun_Hokkaido.html


558: 匿名さん [2018-01-02 05:49:56]

星野リゾートトマムの敷地内にクラブメッドがオープンしたが、大丈夫か?
コンセプトが違い過ぎる


559: r  [2018-01-03 18:26:00]
>>558
メッドもトマムも中国人投資家の物になったから、問題なし

中華街みたくなってますよ

それと、星野はこうゆうスレッドも監視しているので、
これから就職を考えている人は書き込まないほうがいいですよ
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/460-559/



160. 中川隆[-12566] koaQ7Jey 2018年5月24日 00:51:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

支那人に征服される呑気な日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

支那人に狙われた北海道


Chinese woman 1Chinese 11
(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)
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  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

Chinese & cherry trees
(左: 桜の木に登ろうとする支那人 / 右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)
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  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。


チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真 / シカゴで新年を祝う支那人たち)
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  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

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(左: シカゴに住む支那人たち / 右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)
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  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 / シカゴの学校に通う支那人の子供たち)
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  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真 / 奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

Leavenworth WA 1Leavenworth WA 3
(写真 / レヴンワースの風景)
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  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街 / 右: ドイツにある美しい村)
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  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス / 右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)
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支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー / 右: ティンラン・ホン)
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  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

Hugh Grant & Anna-Eberstein 2Hugh Grant parents
(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント / 右: グラント氏の両親)
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  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年 / 右: 支那人の少女)
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  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル / 中央: 支那人の妊婦 / 右: 支那人と黒人の混血児)
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  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング / ローレン・トム / ロザリンド・チャオ / 右: ジョアン・チェン)
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  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真 / 支那人の子供たち)
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  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人 / 右: 支那人の労働者)
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  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人 / 右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)
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  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
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2018年05月07日
支那人が居て当り前の時代 / 闇黒大陸の一部となる日本
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「隣は支那人」になった現在

  日本は海で朝鮮半島と支那大陸から切り離されている、というのは昔の話だ。交通機関が発達し、チラシ広告のようにビザが発給されている今日では、あっちに支那人、こっちに朝鮮人、お向かいにフィリピン人、後ろに黒人というのが珍しくない。筆者も驚いてしまったが、ある日、東京四谷のコンビニ店に入って会計をしようと思ったら、レジ係がペルシア人(イラン人)男性なので面喰らってしまった。以前、鉄火丼を食べようと本郷の定食屋に入ったら、注文を取りに来た女給が支那人だった、という思い出がある。また別の日、近所を散歩していたら、背後からウルドゥー語が聞こえたので、「何事か?!」と思って振り返ってみたら、三人のパキスタン人が自転車に乗って走っていたのだ。確か、日本の道路を歩いていたはずなのに、「あれっ ! 英国のブラッドフォード(Bradford)にいるのかなぁ ?」と錯覚しそうになった。日本も一等国になったようで、都市部がロンドンのイースト・エンドみたいになっている。でも、墓場の伊藤博文や夏目漱石は喜ばないよねぇ。

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(左: 英国に住むパキスタン人 / 右: 西歐人を非難するイスラム教徒)

  だいたい日本人は脳天気すぎる。異民族を知らなかった日本人は、日韓併合で下劣な朝鮮人が大量に押し寄せたからビックリ。敗戦で朝鮮を放棄した後も、穢多(エタ)と変わりない賤民が残留し、「第三国人」と称してやりたい放題。不逞鮮人に苦しめられた日本人は結構多いのに、子や孫にその「苦労話」を伝えないから、現在の若者は支那人や朝鮮人に無知なまま暢気に暮らしている。一方、北京政府の改革開放路線で“小金持ち”となった支那人は、歐米諸国はもちろんのこと、近場の日本にも群れを成してやって来た。ディスコだって客を選んで入店させるのに、日本政府は千客万来で支那人の渡航を許してしまうんだから、愚かとしか言いようがない。支那人ってのは欲望全開、道徳最低の銭ゲバ民族である。いくら懐が温かくなろうとも、心は氷点下の冷血動物だ。江戸や京都を歩いても、タバコのポイ捨て、カラ弁の投げ捨て、痰の吐き捨て、ウンコの垂れ流しなんて当り前。犬だって列に並ぶのに、支那人にはそれすら出来ない。昔、アジアの租界で「支那人と犬はお断り」という立て札があったそうだが、盲導犬や麻薬犬に失礼だ。柴犬の「豆助」が近づいてくれば「よしよし」と撫でてやるけど、支那人がホイホイやって来れば、スリッパでその頭を引っぱたきたくなる。「チャンバラトリオ」の南方英二ならハリセンでぶっ叩くし、漫才コンビ「ゆーとぴあ」のホープ師匠なら「ゴムパッチン」だぞ。(だいぶ古いけど、詳しくはネットで調べてね。)

  経済発展で支那人が態度を改めるなんて嘘だ、妄想だ、まやかしだ。日本人はポテンシャル(潜在能力)が異常に高く、自分が変化と進化を遂げて良くなるから、多民族もそうなると信じてしまう。ただし、例外はある。長嶋茂雄は現役引退の時、「巨人軍は永遠に不滅です!」と述べたが、今では斜陽の巨人軍は目を蔽いたくなる程の体たらく。プロレス界だって馬場や猪木の頃とは格段に違っている。それでも、日本は全体的に素晴らしい。ところが、支那人ときたら数千年前と変わらぬままだ。秦や漢、唐、宋、元、明、清になっても同じ。日本の知識人は支那が民撰国家(デモクラシー)になれば変わると思っているが、あと四千年経っても支那人は支那人だ。支那の歴史は軍閥・匪賊で分裂し、中原の覇者が現れて統一というのが定石。しかし、暴君や腐敗と戦乱で再び群雄割拠となるから、残忍で冷酷な独裁者が降臨し、再統一というパターンが繰り返される。絵巻物みたいな美しい日本史とは違い、支那の歴史は血塗れで、恐怖と醜悪に満ちたホラー劇。地獄の方がまだマシだ。なぜなら、閻魔大王は一人だけ。支那ときたら、百鬼夜行で魑魅魍魎。ドラキュラ伯爵でも蠅か蛇に過ぎない。悪魔がたじろぐ悪党がウヨウヨいるんだから。

  支那人について話し始めるとキリが無いので省略するが、支那人というのは実にうるさい。アヒルみたいにガーガー喋る。比べちゃ悪いけど、オックスブリッジを出た中流階級のイギリス婦人とか、エレガントなフランス人女性は躾が良いのか、話を聞いていて気持ちがいい。例えば、日本でも有名なBBCニューズで、アンカーを務めるフィオナ・ブルース(Fiona Bruce)の話し方は気品があって、そのブリティッシュ・アクセントは耳に心地よい。ちょっと庶民的な司会者のキャット・ディーリー(Cat Deeley)でも、話を聴いていて愉快になる。映画ファンならジミー・キンメルのトーク番組とかで、女優のジリアン・アンダーソン(Gillian Anderson)や男優のヒュー・グラント(Hugh Grant)が話すのを聞いたことがあるだろう。米国の中西部だとアンダーソンのような英語を喋る西歐系女性は多いから、在米日本人のビジネスマンでも気付く。一方、グラントはオックスフォード大卒の珍しい俳優で、会話を聞いていても英国風のユーモアを交えて喋るから、いかにもイギリス人らしい。

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(左: フィオナ・ブルース / キャット・ディーリー / ジリアン・アンダーソン / 右: ヒュー・グラント)

  今回、支那人の話し方に触れたのは、先月の4月29日、吉祥寺駅で支那人による傷害事件が起きたからだ。被害者になった会社員の土屋英司さん(65歳)は、電車の中で話す二人の支那人がとてもうるさかったので、吉祥寺で降りたとき、彼らに注意したそうだ。すると、酒に酔っていた支那人の代強(だい・きょう)は、叱責されたことで腹を立て、土屋さんに掴み掛かかった。口論が昂じて二人がもみ合いになると、運悪く電車が動きだし、土屋さんは車輌に押しつけられて重傷となる。脳挫傷で病院に搬送された土屋氏は、意識不明のまま、五月に入って息を引き取った。土屋氏の死亡を以て、代の容疑は傷害致死に変わったそうだ。

  亡くなった土屋氏は正義感が強く、勇気をもって注意したのだろう。一般的に、支那人は自己中心的でマナーが悪く、周囲の迷惑を顧みない。大声で喋っても、大声だと気がつかないくらい鈍感だ。恥も無いければ、反省も無い。日本語が上手い支那人でも、日本語を話す口調は支那的で、“がさつ”な上に、ぶっきらぼう。しかも、押しの強い喋り方で、機関銃のように言葉を発するから、まともな日本人だと眉を顰めるし、温厚な人でも心の底で「何こいつ !」と呟いてしまう。支那人の態度にはデリカシーのカケラも無いし、繊細な感覚とか、相手を思いやる「気遣い」というものが一切無い。これは支那人家庭の特徴で、子供の躾が我々と根本的に違うからだ。いくら日本の大学に留学し、日本での滞在期間が長くても、「生まれと育ち」から由来するの行動様式は中々変えられないものである。だから、日本人と結婚すると、色々な事で驚く。支那人の男にとって日本人女性は別世界の人間で、可愛らしさと慎ましさが魅力的。柔和な性格を持っていても、その中に芯の強さがある。天真爛漫なのに意外と賢く、亭主と苦楽を共にしてくれる伴侶となるから最高だ。

  片や、支那人の女を娶った日本人は、不幸を背負い込んだようなものである。カマキリのような女は、国籍目当てで日本の男に近づくし、隙あらば財産を収奪しようとする。さらに、いつのまにか亭主に多額の生命保険を掛け、チャンスを狙って一攫千金。憐れな旦那は、ハッと気がつくと棺桶の中。年金受給前にあの世へ直行なんて、あゝ無情。支那製の列車に乗ったようなもの。だいたい、支那人を女房にする方が愚かだ。いくら女日照りだからといって、支那人の女房じゃセックス以外に喜びが無い。同僚や友人に自慢できないし、紹介された相手も何となく「馴れ初め」を訊けないし、どんな事を話していいのか分からないから、遠慮がちになる。支那人なら気にしない、ちょっとした“しぐさ”も、日本人にとったら気になる。でも、注意すれば侮辱になるから、素知らぬ振りを決めこんで居眠りするのが一番。やはり、後進国ならぬ最低国から来た劣等民族は、高度な日本社会に同化するなんて無理。(支那人については、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』で詳しく論じたから、そっちを読んでね。笑ってしまうけど、現在でも頷ける支那人の性質が解る。)

  再び話が脱線したので元に戻す。支那人に殺された土屋氏の一件は、実に気の毒な暴力事件だけど、問題の核心は、日本のマスコミと支那人の居住を許す政府にある。事件を受けて、各テレビ局は一応「傷害事件」として報道したが、形式的にサラリと流すだけで、事件の本質を追求しようとしなかった。本来なら、「どうして、こんな事態になったのか?!」と特番を組んでもいいのに、酔っ払いの“いざこざ”としか考えていないのだ。下らない福田財務次官のセクハラ事件だと、何日も延々と報道したくせに、兇暴な支那人の犯罪だとチョロッと触れるだけ。ジジイの残尿じゃないんだぞ。淡白すぎるじゃないか。下手人の代強は、埼玉県春日部市に住む“自称”「調理師」であるというが、これって「専門職」の外国人に分類されるんじゃないか?

  日本政府は「高度技術の保有者」を優遇しているから、北京料理とか上海料理を得意とする支那人も「専門職」の人材となるのだろう。餃子の皮を素早く作ったり、麵を巧みに引き延ばす支那人なら“大歓迎”となる。でも、そんな基準なら、何億人も該当するので、津波のように支那人が押し寄せるぞ。何せ、支那人は一般人でも料理の達人だ。鶏から豚、熊、蛇、蛙に至るまで、何でも包丁で屠殺できる。道端で野菜クズを拾ってきたら、見事な八宝菜を作ってしまうし、腐った肉でも油で揚げてチンジャオロースとか酢豚にして誤魔化すのが上手だ。世界中に散らばる支那人が先ず始める商売といったら、必ず郷土料理を持ち込む食堂である。したがって、支那人に限って言えば、料理人を「専門職」にしてはならない。コンピューター技師だって怪しいものだし、却って危険な場合もある。機密情報を盗むハッカーにもなるし、偽造クレジット・カードを作る「専門家」にさえなってしまうのだ。ピッキングの空き巣だって「専門職」じゃないか。盗難防止の装置が附いている高級車を盗む手口なんか、実に鮮やかで、その素早さ、正確さ、連携プレーは大したものだ。もし、犯罪オリンピックがあれば、支那人は個人・団体戦を含めて金メダルの独占は間違いない。

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(左: 犬の丸焼きを包丁で捌く支那人 / 右: 支那人の子供たち)

  支那人や朝鮮人の犯罪が世間の脚光を浴びると、テレビ局は必ず評論家とか藝能人をスタジオに招いて、「全部の支那人や朝鮮人が犯罪者という訳ではない」と語らせる。しかし、こうしたテレビ藝者は腹話術の人形に過ぎず、裏で糸を操っているのは、制作者のディレクターやプロデューサーである。したり顔の九官鳥は「教えられた台本」を喋ってるだけで、熟慮を重ねた上での結論ではない。提灯を掲げた雑誌記者も、お座敷に呼んでくれた「旦那衆」に媚びるのが十八番(おはこ)である。そもそも、俳優とか漫才師が自分で丹念に調査して、根拠のある資料を以て独自の見解を述べるなんてあり得ない。フジテレビは坂上忍を起用して「ご意見番」にしてるけど、彼はベテランの役者だから、制作者の意図を汲んで“期待通り”のキャラクターを演じているだけだ。

  最近耳にして驚いたが、藝人の東山紀之がテレ朝の『サンデーLIVE』という番組で、メイン・キャスターを務めているという。もう呆れてしまうが、人気者を採用すれば、彼の固定ファンや若い女性が観てくれる、とでも思ったのだろう。確かに、くたびれた中年のアナウンサーよりも、キリっとした二枚目役者を使う方が、一般の視聴者を洗脳しやすい。(ただし、『必殺仕事人』で中村主水の代役を務めた東山は無惨だった。お客の視線が厳しい演劇は、おちゃらけたワイドショー番組と違って実力がモノを言う。大根役者は三流役者のままで、看板役者にはなれない。たぶん、歌手で零落(おちぶ)れたから、キャスターに転向したんだろう。)

  歐米人もそうだが、日本人は率直にモノを言わないから、困った事態に陥ってしまうのだ。嫌なものは「イヤ !」と言うべきである。支那人を排除できないのは、問題の急所を突かないからだろう。つまり、たとえ移民の中に良い支那人がいようとも、国境の前で「支那人はお断り」と撥ね付けるべきなのだ。戦国時代、織田信長は一向宗に手を焼き、それを根絶しようと比叡山延暦寺の焼き討ちを断行し、宗徒や兵僧を皆殺しにしたという。実際、そんな大虐殺があったかどうかは怪しいけど、立派な坊主に生臭坊主がくっついていたことは事実らしい。ここで重要なのは強欲坊主ではなく、そうした僧侶が繁殖する宗教組織の方である。権力と金銭を求める集団は、徹底的に弾圧するしかない。支那人も同じで、本当に勉強したい奴がいても門前払いにすべきなのだ。善良そうな留学生だって、時が経てば“本来”の支那人に戻ってしまうし、北京政府の勧誘を受ければ工作員とか協力者になってしまうのだ。というのも、支那大陸に両親や兄弟、祖父母を残しているから、北京政府がこの血族を人質に取れば、ノンポリの支那人でも忠実なスパイになる。そうじゃなくても、お金に弱い支那人だ。ウキウキして誘いに乗るんじゃないか。

  別の例だけど、アクネス・チャンやジュディー・オングを見てみろ。最初は可憐なアイドル歌手を演じていたアグネスも、中年を過ぎると則天武后か宋美齢みたいに、狡猾な支那人に戻っていた。「アフリカの貧しい子供に救いの手を !」と訴えるアグネスは、ベルサイユ宮殿のような豪邸に住んでいる。しかも、北京政府に弾圧され、酷い拷問を受けた末に処刑されるチベット人やウィグル人には冷淡だ。派手な衣装でヒット曲を歌うジュディー・オングも支那人の家系で、彼女の一族は抗日戦線を行っていた華僑らしい。しかし、国共内戦が勃発し、オング一家は大陸から台湾に渡ってきた。1976年だったと思うが、『必殺からくり人』に出演していた頃、ジュディー・オングは初々しく、とても狡猾な支那人には見えなかった。しかし、年を重ねて徐々に変わってきた。まったく、支那人ってのは腹の中にエイリアンを宿しているのか?

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(左: アグネス・チャン / チャンの豪邸 / 右: 若い頃のジュディー・オング)
 
  そう言えば、千葉県の知事となった森田健作は「仕掛の天平」を演じ、花火玉を相手にの口に入れて殺すという仕掛人の役だった。まさか、「俺は男だ !」と叫んでいた役者が、後に「俺様は県知事だ !」と豪語するなんて。まぁ、意地悪婆さんの青島が都知事となり、横山ノックが府知事で、大橋巨泉が参院議員なったんだから仕方がない。ミュージカルの「アニー」に出演した山尾志桜理は遙かに酷く、子役で舞台デビューを飾っていたが、国会にデビューしたら姦通議員になってしまった。えっ、昼のメロドラマかと思いきや、現実の不倫劇なんだから唖然とする。一方、ジュディー・オングは山田五十鈴が演じる元締めの養女役で、「花乃屋とんぼ」という役名になっていた。ちなみに、ドラマ自体は平凡な作品だったけど、緒形拳が演じる「夢屋時次郎」は印象に残っている。彼が鳥居耀蔵の狙撃に失敗し、顔に火薬を塗って自爆するシーンは壮絶だった。昔の脚本家は斬新で、今では許されない強烈なシーンを描いていた。現在のテレビ時代劇だと、残酷なシーンは企画段階でカットだから、ハードな作品は望めないのかもね。


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(左: 支那の電車内で起こった客同士の喧嘩と流血事件 / 右: 電車内で幼児に排便させる母親)

  とにかく、支那人の移民が増えると犯罪も比例して増える。支那人がやって来るということは、日本に支那社会が形成されることを意味する。つまり、我々の国家が支那風に染まって行き、日本に居るのに支那と同じ状況に置かれてしまう、ということだ。なるほど、日本人同士でも酔っ払って喧嘩になることはある。しかし、いくら激昂したからといって、走り出した電車に押しつけるなんて普通は無い。せいぜい、プラットホームで殴り合いか、怒鳴り合うだけだろう。ところが、支那人には後先を考えぬ馬鹿が多く、精神異常者も珍しくない。支那全土で白痴が何パーセントいるのか。評論家の黄文雄によれば、相当な数の狂人がいるらしい。支那大陸には日本人の想像を超えた犯罪者や気違い、破廉恥漢がひしめいている。その一部が既に来日しているにもかかわらず、大半の国民は他人事で聞き流すから実感が伴わない。例えば、日本人の加藤善一郎が犠牲者となった、支那人「インリナ」による替え玉殺人事件とか、山形県母娘殺傷事件のような小さな地方事件から、蛇頭や日支混成組織による数々の犯罪、出稼ぎ人が犯罪をビジネスにする風習、阿漕な日本企業乗っ取りに至るまで、あらゆる罪悪が日本各地に蔓延っている。もう目が眩むような犯罪のオンパレード。それなのに、地上波テレビは相変わらず、藝人のスキャンダルを連日追っ掛け、どうでもいい官僚の不祥事に熱を上げている。

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(左: 支那人のギャング / 右: 逮捕された支那人犯罪者)

  結局、深刻な事件は取り上げないということだ。一般国民に被害が及んだとしても、高給を貪るテレビ局職員には関係無し。駅構内で起こった殺人事件など、単なる三面記事に過ぎない。しかし、我々にとったら恐ろしい事態である。ある日突然、父親ないし母親が殺害され、霊安室で号泣する破目になるのだ。また、幼い子供を持つ親は、もっと心配だろう。朝「行ってきます !」と言って元気に登校した子供が、夕方、遺体となって帰宅することも考えられる。死亡でなくても重傷を負えば、その家族は一生不幸だ。もし、半身不随とか、昏睡状態、身体障碍でずっと介護が必要となれば、面倒を見るのは犠牲者の親で、付添人の方が心労で倒れてしまう。また、兄弟も自分の生活を犠牲にして面倒を見ることになりかねない。老齢化した親と身体障碍者の子供を介護施設に送り込めば楽だろうが、その費用は個人と国家が出すことになるので、一般国民の税負担が重くなる。

  しかし、傷害事件を犯した支那人は、刑務所の中で悠々自適の生活を送ることができる。日本の「更生施設」は支那の牢獄と違って衛生的だし、食事や風呂も完備している。正月には特別メニューが用意されるし、娯楽として歌謡コンサートが開かれ、健康維持の為に野球を楽しむことができるのだ。しかし、刑務所の維持費は国民負担。一般の日本人は外国人犯罪者のために働き、税金をむしり取られたうえ、恐怖に怯えながら暮らす破目になる。支那人は運悪く逮捕されても、通訳をつけてもらって取り調べ。法廷でも通訳をつけてもらえるし、判事や検事は買収されていないから、公平な裁判を期待できる。人を殺したって死刑にならないし、刑期も驚くほど短い。文明国の刑務所では虐待や拷問が無いので気が楽だ。日本人が支那の刑務所に入ったら、どんな運命が待ち受けているやら。想像しただけでも戦慄が走る。日本人の容疑者なら、たとえ濡れ衣で捕まっても、支那人の裁判官は簡単に死刑を言い渡す。お金で正義を買うことができる支那では、法律はゴム紐のように伸縮自在だ。地獄の沙汰も金次第。賄賂で籠絡できぬ支那人はいない。そう言えば、ドラえもんは世界を破壊できる爆弾を持っていたけど、そのポケットの中に支那人だけを抹殺できる爆弾はないのか? もし、どこかにあるのなら一個譲ってもらいたい。100億円でも安いよね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68715520.html


2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる
中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。

慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。

トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。

彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。

これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。

逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。

策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。


盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人

日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。

正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。

しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。

策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。

騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。

まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。

日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。

食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。

彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。

最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。


日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている

日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。

民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。

朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。

テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。

もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。

こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。

さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。

言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。

辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。

日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。

そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。

だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。

しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。


「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく

ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。

親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。

たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。

だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。

しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。

自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。

彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。

それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。

その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。

関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。

これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。


中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html

日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。

日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html



161. 中川隆[-12565] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:00:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

【宮脇淳子】中国は何故かくもずうずうしいのか?[桜H24/5/21]
http://www.youtube.com/watch?v=MZoWnKT6jTA

【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0

2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。


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中国は歴史捏造の常習犯


宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8

これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義
宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes

講師 : 宮脇淳子(学術博士・東京外国語大学講師)
演題 :『真実の中国史を知って、日本の未来を開こう!』
日時 :平成24年3月18日(日)14時
場所 :護国会館(栃木県護国神社内)


【宮脇淳子】『真実の中国史を知って日本の未来を開こう!』 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+


あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。

多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。



162. 中川隆[-12564] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:05:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

絶滅寸前の日本人と日本文化

無責任な社会の中でも無責任になれないのが日本人の気質だ


(韓国は日韓合意の後も約束をまったく守らず、サンフランシスコにもフィリピンにも、あちこちに慰安婦像を建てて日本を貶めている。約束はまったく守らない。日本人は騙されたのだ。約束は守るという素晴らしい日本の常識は通用しなかった)

日本にいれば、日本人の素晴らしさというのが気がつかないのだが、海外をふらふらして日本に戻ってくれば、日本人の素晴らしさがよく見えてくる。

海外に長くいればいるほど海外の常識に馴染んで、やがては自分自身からも日本人的な特質が薄れて行き、「日本人らしくない」人間になっていくのだが、そんな人間になっても日本に戻ると、ふと日本人と接して感銘を受けたりする。

誠意ある行動を見せる、嘘をつかない、相手を重んじる、約束を守る、正直である……。

信じられないかもしれないが、日本で当たり前だと思っていることは、その多くが当たり前ではなかったりする。

世界では、「相手は誰であれ騙すのが基本で、騙された方が悪い」と心から信じていたり、「約束は場合によっては守らなくてもいい」と考えている民族も多い。

そういった世界では、その世界に見合った生き方がある。

たとえば、そのような弱肉強食の世界では、自分自身も他人に対して責任を持つ必要がない。無責任でも責められない自由があるのだ。

信用第一の日本人は、ルーズな世界に馴染めない

日本人の多くは無責任になれないので、「無責任になる自由」と言ってもピンと来ないかも知れない。しかし、実は多くの国ではこの「無責任の自由」を行使している。

そういった国では、私たちも「この仕事は明日できる」と言ってできなくても構わないのだ。「約束する」と言っても、守らなくてもいい。約束は破ってもいいと言うことだ。

なぜなら、できない事情ができたので、できないものはできないという理屈が通るからだ。

途上国で適応して生きるのであれば、私たちは口で何を言ってもそれを果たす必要も義務はなく、単に「できなかった」と言うだけでいい。

「どうしてもやれ」と言われたら、私たちは賄賂を要求することすらもできる。なぜなら、特別に「優先してやる」のだから、それなりの対価を払うのは当然だからだ。

賄賂と言えば中国を思い出す人もいるかもしれないが、中国だけでなく、多くの国ではそうやって社会が回っている。

そのような世界なのだから、私たちがそうしたからと言って糾弾されるわけでもない。信用を失うわけでもない。そうすることができるのだ。

こんなことを日本人に言うと仰天して、「まさかそんないい加減な姿勢で社会が回るとは思えない。どうかしている」と多くの人が呆れたり、怒り出したりするはずだ。

しかし、途上国に1ヶ月でも沈没していれば分かる。世界のほとんどの国は、そんなルーズで無責任な姿勢で社会が成り立っている。

だから、約束重視、信用第一の日本人は、そんな世界に馴染めなくて、ノイローゼになってしまう。無責任で約束など守らなくてもいいと言われても、それができないのが日本人だ。

先進国では契約重視なので、一応は約束は守られるが、G7やG8を見ても分かる通り、先進国というのは全世界で10指に満たない国で構成されているだけなのである。


日本人の当たり前は、当たり前ではない

つまり、世の中は、約束が守られたり、契約が重視される国が少なく、約束も信用も何ら意味を持たない社会のほうが圧倒的多数である。

もっと分かりやすく言うと、日本人の持つ、約束厳守、信頼第一、責任重視を当たり前だと思う社会や民族は、世界でも希有な文化であると言えるのだ。

日本人の当たり前は、当たり前ではないのである。

日本を飛び出した人の多くはそれを実感する。ビジネスで関わった人は、みんな約束や契約の不履行で、悩みに悩み抜いて生きている。

そして、そんな途上国から日本に戻ってくると、約束を当たり前に守り、責任感も強い日本人に、同じ日本人でも感嘆を隠せなくなる。

そのとき初めて「日本社会は世界でも異質だったのだ」と気が付く人も多い。

日本人が空気のように当たり前だと思って気が付いていない、日本人気質の美しさに気が付くのだ。

その異質さは、日本人の持つ一般的な性格や気質が作り出しているのは明白で、取り上げるとキリがないほどだ。

日本人の気質として、私が最も美しいと思うのは、日本人の多くは「約束を守って信頼できる人が多い」という部分に尽きる。責任感が強いという言い方もできる。

日本人が明日できると言えば、本当に明日できるのだ。日本人がそれをすると言えば、本当にそれをする。日本人が対処すると言えば、本当に対処してくれる。

こんなことは、多くの途上国ではそれこそ奇跡に近い。途上国ではできないことをできると言い、守れないものを守れると言い、対処しないのに対処すると言う人がうなるほどいる。


日本が世界に誤解され、叩き潰されようとしていく

他人を重んじるのも日本人的な特質かも知れない。日本人は他人に気を遣うし、他人の気持ちにもよく気が付く。相手のために、あえて折れることもある。

他人に対して最初から敵意剥き出しにするようなこともない。最初に好意と協調を見せ、自分の主張ばかりせず、他人の事情にもきちんと配慮する。

何でも計画性があって、それを遵守しようとするのも日本人的な特性だ。ちょっとしたことであっても、計画的に物事を進めて行き、それを成し遂げる。

我慢強いのもまた日本人的な特性だ。成果がすぐに出なくても継続し、コツコツと続けて行く。時間がかかっても、今日中に何とかならなくても手を抜くことがない。

何かあっても他人を恨んだり非難したり責任を押し付けたりしないのも日本人的な特質だ。まず起きたことを謝罪し、状況を分析し、起きてしまったことを受け入れ、二度と同じ過ちを起こさないためにはどうしたらいいのかと考える。

あまり見栄を張らず、虚栄心も持たず、派手な言動を嫌って控えめにするのも日本人らしい。カネを持っていることを見せびらかして傲慢な態度で他人に接するのを嫌うのである。

何をさせても、緻密で正確な点も日本人の特質だ。よく電車やバスが時間通りに来るというので日本社会は賞賛される。しかし、時間だけでないのだ。

社会の隅々に、緻密さや正確さが行き渡っている。物事を徹底してやるという姿勢や、それを賞賛する姿勢が日本にはある。

日本人や日本人気質の中には、こんなに素晴らしいものが山ほどある。ところが、信じられないのだが当の日本人がそれを「当たり前」だと思って気が付いていない。

それもまた日本人らしい。

そんな日本が世界に誤解され、叩き潰されようとしていくのは、見るに忍びない。本当に、心から、何とかしたいと思う。


日本人の多くは無責任になれないので、「無責任になる自由」と言ってもピンと来ないかも知れない。しかし、実は多くの国ではこの「無責任の自由」を行使している。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/07/20130718T1823000900.html


2013年5月3日「恥の文化」の力
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


このところ特に強く感じるんですが、最近の日本人って、ホントに自信を失ってますよね。といっても、周りの大学生などと話していると、若い世代はそれほどでもないように思うのですが、50代後半〜60代ぐらいの人たちは、なんか日本は経済も文化も根本的にダメダメみたいな感情をもっているように思います。

だから、「バスに乗り遅れるな」とか「世界の孤児になってもいいのか」「これからは英語、英語、留学、留学、トーフル、トーフル」「アジアに打って出るしかない」みたいな強迫的ともいえるグローバル化衝動が生じるのかなあなどと日々感じております。

こういう日本人の自信のなさの背景には、一つは、日本の道徳に対する不信感があるようです。

たとえば、「日本人は同調主義的だ」「自律性や主体性がない」「権威に弱い」「周りの他者や世間の目ばかり気にする」ということがよく言われます。

なんでこんなイメージが広まったかといえば、一つの理由として、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが書いて終戦後、日本でベストセラーになった『菊と刀』の議論があると思います。

この本の中で、ベネディクトは、日本は「恥の文化」だといって、日本の一般的な道徳観をかなり悪く言っています。

ベネディクトの説明によると、「恥の文化」とは、「ものの良し悪しを判断する際に、他者の目や世間の評判のみを基準とする外面的な道徳が支配的な文化だ」というんですね。

要するに、周りに他者や権威者の目がなければ、日本人は悪いことしますよ〜というわけです。

逆に、ベネディクトは自分とこのアメリカの道徳は「罪の文化」であり、自律的だといっています。たとえば、「罪の文化」は、「道徳の絶対標準を説き、良心の啓発を頼みとする」と書いています。

つまり、アメリカ人は、「良心を重視するので、誰もみていなくても悪いことしませんよ、自律的ですよ」というんですね。

こういう「恥の文化=他律的、外面的」、「罪の文化=自律的、内面的」という図式を『菊と刀』で展開して、日本の道徳を否定的にみるわけです。

『菊と刀』は、終戦直後の日本でよく読まれました。戦争でみんな自信を失っていたんでしょうね。日本人は真面目だから、戦争で負けたのは、自分たちに何か欠陥があったからに違いない。アメリカ人の言うことをよく聞いて反省しなければならない、と考えたのだと思います。

それで、「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で同調主義的だ」というイメージを受け入れてしまったんだと推測します。

でも、このイメージ、正しくないですよね。
たとえば、日本は、米国に比べれば、はるかに治安が良く、犯罪も少ないと思います。
電車に財布を置き忘れても無事に届けられる確率は、日本は世界で最も高い部類に入るでしょう。
人に見られてなければ悪事を犯すなんてことは、大部分の日本人には思いもよらぬことです。
権威に弱いというのも、間違いだと思います。日本ほど、政治家の悪口をいう国民はそうそういないように思います。私も例にもれませんが(^_^)

つまり、ベネディクトは、日本の道徳をひどく矮小化し、間違って理解していたと思います。現代の日本人も、残念ながらベネディクトの理解に影響されてしまっているところ多々があるようです。

ベネディクトの「恥の文化」の理解のおかしさについて、いくつも指摘したいことがあるのですが、今回は、上の新聞記事でも書いた一点だけ触れたいと思います。

「恥の文化」で敏感に感じとるべき他者の視点として、同時代の他者や世間だけではなく、死者の視点、つまり過去の世代の人々の視点もあるということをベネディクトは見逃していたということです。

現代の日本人も忘れがちかもしれませんが、日本の伝統では、死者の視点を常に身近に感じ、死者に思いを馳せることに、とても価値が置かれていました。
(なんか五月の連休ではなく、お彼岸に書いたほうがいいような内容ですね…。スミマセン…)
f(^^;) フタタビポリポリ

私はすごく好きな文章でよくとりあげるのですが、民俗学の祖・柳田国男は、この点についてとても美しく書いています。

「私がこの本のなかで力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである」(『先祖の話』)

「日本を囲繞したさまざまな民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形をもって、おおよそは行きわたっている。

ひとりこういうなかにおいてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念しているものと考えだしたことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りもなくなつかしいことである。

それが誤りたる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人が決めてよい。我々の証明したいのは過去の事実、許多の歳月にわたって我々の祖先がしかく信じ、さらにまた次々に来る者に同じ信仰をもたせようとしていたということである」(「魂の行くえ」)。

つまり、柳田国男によると、日本の多くの人々は、人が死んだら故郷の山のあたりに魂は昇って行って、そこから子孫の生活をずっと見守っているというのですね。そしてお盆になると降りてきて、子孫や近所の人たちと一緒に過ごして、お盆が終わるとまた戻っていく。そういうふうに考えられてきたというわけです。

私は、この考え、すごく好きです。私も死んだら、近くの山の頂上あたりにふわふわと漂って、後の世代の人々の生活をぼーっと見ていたいなあ、なんて思います。
柳田国男が「…限りもなくなつかしいことである」といった気持ちがわかるような気がします。
(^-^ )

少し話がズレました…。
(-_-;)

柳田国男がここで述べているのは、日本人の道徳は、死者、つまり過去の世代の人々に思いを寄せ、彼らの意を汲むことを重んじてきたことだと解釈できます。

つまり「恥の文化」は、同時代の他者や世間のみではなく、今は声をあげることのない過去のさまざまな人々の思いを感受し汲みとってはじめて完成するということです。

同時代の他者の観点やその総体としての世間の観点だけでなく、過去に生きたさまざまな人々の視点やその集合体としての祖霊に思いを馳せる。
それを通じて、いわば横軸(同時代)だけでなく、縦軸(伝統)の視点を身につけ、時間のつながりのなかで自分の位置を反省し、遠い将来まで見据えたうえで自分がいま何をなすべきかを立体的かつ複眼的に考えられるようになる。

本来の「恥の文化」とは、とても奥深く、そこまで求めたものだと思います。

そこをベネディクトは見抜けなかったし、現代のわれわれ日本人も、忘れがちのような気がします。

現代では、死者とのつながりが忘れられ、縦軸が疎かになっているので、(私もえらそうなことはまったく言えませんが)ふらふらと周囲の目ばかり気になり、自分を見失い、何をなすべきか定まらない人が増えているように思います。

靖国の問題だけではないですが、現代の日本人にとって困ったことの一つは、戦前と戦後で意識の分断が生じやすくされてしまったことですよね。

それが、日本人が本来の力を発揮するのを難しくしているのではないかと思います。

逆に言えば、日本にもう少しおとなしくしていてもらいたい国々は、何かにつけてそこに付け込もうとするんですよね。

戦前と戦後の意識の分断をどう修復すれば一番いいのか私にはわからないところも多いのですが、一つ言えると思うのは、戦前の人々も、現代の我々も、根本ではあまり変わっていないと認識することなんじゃないでしょうか。国民性って、そう簡単に変わるものではありませんので。そしてもっと身近に過去の世代の人たちに思いを馳せることではないかと思います。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/03/se-12/

続・「恥の文化」の力


前回のメルマガのあと、周囲の学生から、

「日本の道徳は、「世間様」だけじゃなくて、「お天道様」も重視しますよね。この二つって、どういう関係なんですか?」

と尋ねられました。


また、メルマガのHPやフェイスブックのコメントにも、「お天道様」関係に触れたものをいくつかいただきました。

私も、日本の道徳は、「世間様」だけでは終わらず、「お天道様」の目を意識するようになるのが本来の姿だと思います。単なる世間様倫理だけではないですよね。

ですが、前回書きましたように、ベネディクトの議論などの影響を受けて、

「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で主体性がなく同調主義的だ!」

というイメージがいまでも結構、根強いみたいです。
(´_`;)トホホ

少々前の本ですが、一昔前のいわゆる「進歩的文化人」っぽい政治学者の本を読んでいたら、こういう趣旨のことが書いてありました。

「日本人が水戸黄門のドラマが好きなのは、日本人が、オカミに弱いからだ。権威に従属したり、権威にすべてを委ねてしまったりするのが好きなのだ」。

この進歩的文化人氏以外にも、『水戸黄門』についてこういうふうに語っている人、いまでもときどきいるように思います。大手新聞の社説とかにも、この手の観点から日本人をくさして、「だから日本人は新しい規範意識を身につけ、主体性をもった市民に生まれ変わるべきだ」みたいなの、結構ありそうです。

でも、日本の道徳に対するこういう見方って、一面的過ぎですよね。

確かに、日本人は、ふだんは他者との調和を好む人が多いと思いますが、時と場合によっては、その時代の大多数の人々の見方である「世間様」の見解に逆らっても、自分の信じる道を貫こうとする人もたくさんいますよね。

「世間が分かってくれなくても、己を貫き、歯を食いしばってがんばっていこう」。

そういう強さをしっかり持っている日本人も、決して少なくないと思います。

「世間様」だけではなく、「お天道様」を意識するようになるとはどういうことなのか、少し考えてみたいと思います。

確かに、日本人が、「人目を気にする」ことは多いようです。
発達心理学の本などをみると、子供のしつけの際に「他者が自分のことをどう見ているかを意識させることが多い」というのは、日本の子育ての一つの特徴のようです。

これは別にへんなことでもなんでもなく、他者の目から自分をみることを覚えさせようとしているのだと思います。他者の目を意識して、他者の観点から自分を振り返る。そして悪いところがあれば改めることを学ばせる。そういうことなのでしょう。

子供は、だいたい最初は、母の目を意識することを覚えます。次に父親、兄弟姉妹、友達、先生、先輩後輩、近所の人…という具合に、だんだんと意識する対象が広がっていきます。そして、いろいろな人のもの見方を、当人なりに整理して作り上げたのが、「他者の一般的な見方」である「世間の見方」といえるでしょう。

子供は、成長のある段階で「世間の見方」を身につけます。そして世間一般の観点から自分を見つめることができるようになります。たぶん思春期ぐらいでしょうか。

でも、そこで成長が止まり、世間のものの見方を絶対視してしまって、それに従属するというわけではないですよね。ほとんどの子は、世間のものの見方を身につけたからといって、世間の見方が絶対に正しいなどと考えたりはしないでしょう。

当然のことですが、世間が間違うこともあるってことが、だんだんわかってくるからです。世間が、自分のことを全部知っていてくれているということはまずないわけですから。

「自分は○○だけど、周囲はそうはみてくれない」とか、「世間は自分の学校のことを△△のようにいうけど、実はそんなんじゃない」ということを皆、経験するでしょう。それによって、「世間は間違うこともある」ということがわかってきます。
それで、世間の見方や期待に沿って生きていくだけでは満足できなくなるんですね。


たとえば、石川啄木のこの短歌、そのあたりの気持ちを詠んでいると思います。


へつらいを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

たぶん、啄木がある程度、売れてからだと思うのですが、おべっかを使う人が周りに集まってくる。でも、自分は、自分のことをよく知っているから、お世辞を聞いても素直に喜べない。そればかりか、自分自身の至らなさに逆に腹が立ってくる。そんな気持ちを詠んだ歌だと思います。(勝手な解釈です。違うかもしれません。スミマセン…)

世間の見方に満足できなくなると、人は、次のように感じると思います。


「世間は自分や自分を取り巻く事情をよく知らないようだが、よく知っているとすれば、どう判断するのだろうか」。

そして、多くの人は、現実の世間そのものではなく、こちらの問いかけ、つまり「世間が自分や自分を取り巻く事情をよく理解しているとすれば、どう判断するのだろうか」ということを基準にして生活するようになると思います。


この「事情をよく理解している世間」というのがいわゆる「お天道様」だといえるでしょう。(または、「ご先祖様」とか、前回触れた「祖霊」とか、あるいは「神様」でもいいと思います)。

こういう感じで、結構多くの日本人が、「世間は必ずしもわかってくれないかもしれないけれど、お天道様には恥ずかしくない生き方をしよう」というふうになっていくのだと思います。

ベネディクトは、「恥の文化」を「世間様」レベルで止まるかのように誤解してしまったようですが、そうではないんですね。日本の道徳は、そこで止まるものではなくて、「お天道様」レベルまで進んでいくと捉えるほうが自然だと思います。

そして大多数の日本人は、「世間様」レベルの道徳では満足せずに、自分の子供には「お天道様」レベルの道徳意識を身につけてほしいと願ってきたはずです。日本の道徳は、世間様倫理ではなく、「お天道様」の目を意識するように求めるものだといっていいと思います。

そう考えると、さきほどの某進歩的文化人氏の「日本人が水戸黄門好きなのは、オカミや権威に弱い日本人の性格をよく表している」というのは、いかにもアサハカ、あるいはイジワルな見方だなあと思います。

むしろ『水戸黄門』は、不当な権威や権力にこびない、己の倫理観に従った自律的な生き方を賛美し推奨する物語であると理解するほうが、自然ではないかと思います。

たとえば、『水戸黄門』のドラマでは、次のような設定がよくありますよね。

ある町では、悪代官が、強欲な商人と結託している。そして、その町で、頑固だが真っ当に生きている職人に辛い仕打ちを行っている。職人は、どうにか持ちこたえ、慎ましくも己の信念に従って生活している。

だが、職人があまりにひどい悪代官と強欲商人の仕打ちに負けそうになったとき、水戸黄門の一行がやってくる。黄門様一行は、職人の窮状をよく知るようになり大いに同情し、悪代官と強欲商人の不正をただすために立ち上がり、彼らに正当な裁きを加える。

以上のようなものです。

このようなおなじみの設定では、悪代官や強欲商人は、偏狭な世間やそこでの権威の象徴だと解することが適切でしょう。水戸黄門の一行は、実はすべてをお見通しの「お天道様」の象徴だと理解できると思います。

したがって『水戸黄門』の物語が与えるメッセージは、権威への従属とか、世間への同調とかではぜんぜんなくて、むしろ次のようなものだと思います。

「お天道様はきっとすべてを観ていてくださり、最終的には正直者こそ救われるはずだ。だから、たとえ現在、よこしまな権力者にいじめられていたとしても、あるいは世間に認められていないとしても、くじけずに己の倫理観を貫いて強く生きよ!」
m9(`・ω・´) キリッ

こういうメッセージに、多くの日本人は世代を超えて共感してきたんでしょう。それで『水戸黄門』は人気番組だったのだと思います。

『水戸黄門』を、日本人の権威に弱く主体性に欠けた同調主義的性格を表す物語だ!などと受け取る「進歩的文化人」系の人って、いまでもときどき目にしますが、日本へのまなざしが少し冷たすぎますよね。もっと共感的理解ができないものかと思ってしまいます。まあそれが商売なのかもしれませんが…。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/17/se-13/


「忖度」への冷笑と道徳の矮小化
 今年の流行語大賞の一つは「忖度(そんたく)」だそうだ。私は、最近の「忖度」という言葉の使い方には違和感を覚える。森友学園の問題以降、「忖度」は「権力者におもねり、その意を汲む」という意味で使われるようになってしまった。

 元来、「忖度」に悪い意味はない。辞書には「他者の心を推し量ること」とある。他者の気持ちを敏感に感じとり、おもんぱかるということであり、「思いやり」「やさしさ」など日本人が大切にしてきた道徳に大いに関係のある語なのである。

 実際、忖度の相手をオカミや上司など権力者に限定する必要はない。「友人の行動の意図を忖度してみた」「息子の気持ちを忖度する」という具合に、同等もしくは目下の者の気持ちを推し量る場合にも、この言葉を使うことができる。

 ではなぜ「忖度」が「権力者におもねり、その意をくむ」という意味で専ら使われるようになってしまったのか。政権批判を盛り上げたい一部マスコミがこの意味で多用した影響は大きい。だが残念ながらそれだけではなく、現代日本人の多くが、日本の道徳が本来備えている奥行きを見失いつつあることも一因ではないか。

 日本の道徳では、子供を、他者の気持ちによく気が付き、配慮できる敏感さを備えるように育てる。また、感受した他者の観点から自分自身を見つめ、それまでの行動や考え方を改めていく素直さも重視する。

 ここで注意すべきは、気持ちを感受すべき「他者」には非常に幅広いものが含まれるということである。前述の通り、権力者や目上の者だけでではなく同等あるいは目下の者も含まれる。

 また、同時代の者だけではなく、すでに亡くなった人々も含まれる。柳田国男によれば、日本の伝統的死生観の特徴とは、人は亡くなってもそう遠方には行かず、「故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念している」と考えてきたことにある。「草葉の陰から見ている」という表現にあるように、死者はわれわれを常に見守っていると考えたのである。墓参りやお盆の行事を大切にしてきたのは、過去の世代の人々に思いを馳(は)せる感受性を養うためでもある。過去の人々の観点から自分自身の存在を見つめる、いわば歴史の縦軸を意識することの大切さを教えようとしてきたと理解することもできる。

 また、動植物など人間以外の生き物への配慮も日本人は重視してきた。例えば、食前に「いただきます」と唱え、食材への感謝を示すのもこの表れである。さらに言えば「もったいない」という言葉に表されているように、モノへの配慮や感謝も大切だと考えてきた。針供養や包丁供養の慣習からもこの点はみてとれる。

 このように日本の道徳では、本来、万物・万人といってもいいほどさまざまな対象に気を配り、その「気持ち」に配慮すべきだとされてきた。多様な者やモノの観点から自分を見つめ、それらとの関係のなかで、反省を繰り返し、時には厳しく自分を律することが必要だと考えられてきたのである。

 しかし、現代では、お盆や墓参りの習慣は衰え、「ご先祖様が草葉の陰から見ている」と教える親も少なくなった。「もったいない」の精神も忘れられがちである。日本の道徳の可能性が矮小(わいしょう)化されつつあるのではないか。そのため「忖度」も「おもねり」としてしか理解できなくなってしまったのではないか。「忖度」が、冷笑気味に使われるのを見ると、日本人自身が、日本の道徳の豊かさを理解できなくなりつつあるように思われてならない。



163. 中川隆[-12563] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:05:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

2018年05月04日
黒い選手が日本代表に? / 肉体が変化する日本人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68715028.html


所属はどちらでもいい?!

  最近、チャンネル桜の対談番組を目にしたら、西尾幹二がゲストに招かれており、乗り気じゃなかったけど、一応話を聞いてみようと思って観てみた。今ではすっかり老け込んで耄碌ジジイとなっていたが、ヒステリー気味の不満は健在で、安倍政権に対する憎悪に満ちていた。安倍首相や昭恵夫人に対する非難はさておき、西尾が取り上げた日本社会の外人問題は傾聴に値する。筆者はスポーツに詳しくないので明確な事は言えないんだけど、西尾はテニス選手の「大坂なおみ」を取り上げていた。彼女は世界ランキングの上位に入るプレイヤーで、その成績ゆえに世間の脚光を浴びている。

Naomi Osaka 1(左 / 大坂なおみ )

  しかし、大坂氏は本当の意味で「日本人選手」なのか? もちろん、黒人との混血児だから興味を持たれるのは仕方がない。水島総社長との対談において、西尾も彼女の素性や国籍、私生活について知りたがっていた。報道によれば、彼女の父親はハイチ人だが、母親は日本人であるという。だが、その出生地はともかく、育った土地はアメリカで、幼少期を過ごしたのは日本ではないらしい。日本語の読み書きがどの程度できるのかも定かではないが、母親との会話を除いて、日常会話は主に英語のはずだ。確かに、母方の血統により半分は「日本人」なんだろうが、見た目は黒人に近く、思考様式も外人的と評される。したがって、普通の日本人には、どうしても異邦人に見えてしまう。

  ただし、インターネットの情報では、彼女は日本国籍を選択しているようなので、法律上は「日本の選手」なのかも知れない。この動機は素人でも理解できるだろう。なぜなら、もし彼女がアメリカ国籍を選択すれば、選手層が厚く、優秀な選手団に混じった新星プレイヤーとなってしまい、それほど目立たない。ところが、優秀な選手が少ない日本に来れば、大坂氏は断然目立つ。トップ選手を取材したいマスコミが押しかけるし、日清食品やアディダス、WOWOW、YONEXといった大手企業がスポンサーに附くから収入も増える。反対に、「アメリカ人選手」になっていたら、今のような地位を獲得できたかは疑問だ。やはり、女子テニス界のトップ選手が不在の日本に住んでいるから注目されるんじゃないか。そもそも、スポーツ選手にとって「国籍」はポイント・カードみたいなもので、特典があったり便利なモノならどれでもいい。歐米諸国や日本の国籍は、ステータスの高い「プラチナ・カード」で、ハイチの国籍なんてか花札以下。ホケット・ティッシュ程の価値しか無い。できれば破り捨てたい貧乏籤(くじ)だ。

  テレビや新聞が持て囃す大坂選手だが、一般の日本国民は彼女を「日本人選手」として応援しているのか? メジャー・リーグで活躍するイチロー選手とか、海外のゴルフ・トーナメントに出場する石川遼なら、心から声援を送っている人も多いだろう。 引退した伊達公子も、多くのファンから支持されていた。だが、大坂選手は違う。まるで、山梨学院の陸上部に属するエチオピア人選手みたいだ。たとえ、日本語を流暢に喋っても、大坂選手には同胞意識を覚えないし、日本人選手が世界の檜舞台で活躍している、といった感動が湧き起こらない。筆者の素朴な質問だけど、巷のオバちゃんやオッサンは、メジャー・リーグで奮闘する大谷翔平選手を憧れと期待で称讃するが、同じ感情を大坂選手に対して持っているのか? おそらく、説明に苦しむ違和感を抱いているはずだ。

Maria Sharapova 3Maria Sharapova 6

(左: マリア・シャラポワ / 右: ビキニ姿のシャラポワ )

  ここでは直接関係無いけど、外国人は異人種が同胞になったら、どのような反応をしめすのか? 例えば、ニャガン(Njagan)出身のロシア人選手マリア・シャラポワ(Maria Sharapova)は、日本や米国でも人気があって、英国のウィンブルドン(Winbledon)をはじめとして、全米、全豪、全仏でも優勝した実力者である。さらに、その美貌を以てファッション・モデルもこなし、「東レ」が日本でのテニス大会に招いたことは記憶に新しい。他方、米国出身のヴィーナス・ウィリアムズ(Venus Ebony Starr Williams)と、その妹であるセレーナのウィリアムズ(Serena Jameka Williams)も世界的に有名だ。しかし、日本での認知度は低く、ファッション・モデルとしての需要も低い。シャラポワなら雑誌の表紙とかグラビアで引っ張りだこなのに、ウィリアムズ姉妹のビキニ姿を撮した欲情的なグラビア写真など無い。もし掲載した日本の雑誌があれば貴重品だ。

Venus Williams 2Serena Williams 1

(左: ヴィーナス・ウィリアムズ / 右: セレーナ・ウィリアムズ )

  興味深いのは、もしウィリアムズ姉妹がロシア国籍を取得したら、ロシア人のテニス・ファンは彼女達を歓迎するのか? スラヴ系ロシア人がアフリカ系選手を「同胞」と見なすなんて想像できない。アメリカの白人と違ってロシア人は露骨だから、即座に「嫌だ(ニエット)」と拒絶するんじゃないか。人種平等の洗脳を受けていない一般のロシア人は、ウィリアムズ姉妹の成績よりも、その容姿で判断してしまうのだ。そう言えば、シャラポアを「ロシアの妖精」と呼んだ日本人はどうなのか? 筆者は妖精とか河童を見たことがないから、それらがどのような格好をしているのか分からない。(筆者が知っているのは漫画『ベルセルク』に出てくる妖精と「かっぱ寿司」のマスコットくらいである。) たぶん、ロシアに棲息する妖精はシャラポアみたいな姿をしているのだろう。じゃあ、ウィリアムズ姉妹は「アフリカの妖精」と呼べるのか? 日本には沢山の漫画雑誌があるけど、「黒い妖精」なんて見たことないぞ。もしかしたら、どこかの漫画本に描かれているだろうけど、人気キャラクターにはならないと思う。イタリアのアニメ『カリメロ(Calimero)』は黒いヒヨコだし、「ジャングル黒べぇ」はアフリカ人のピリミー族だから除外。ちなみに、「黒べぇ」は飛行機でやって来たアフリカ人の密入国者だ。

Venus & Serena Williams 1Naomi Osaka 2

(左: ウィリアムズ姉妹 / 右: 大坂選手 )

多民族社会に突入する日本

  安倍晋三総理は一応「保守派」の政治家と見なされているが、その政策を眺めると、元民主党の議員で構成された左翼政権か、と思えてくる。自民党は技能実習生や高度人材の“輸入”に熱心で、アジア人の大量流入を望む竹中平蔵がウキウキしている。支那人や朝鮮人はもとより、畑で見かけるタイ人やビルマ人、水商売のフィリピン人、工場で働くベトナム人に加え、民族料理店を営むトルコ人やインド人、ペルシア人なども珍しくない。自民党の尻を叩く人材派遣業者や製造業者は、安い賃金で外人を扱(こ)き使えるから嬉しいだろうが、彼らを支えるために、多額の負担を強いられる一般国民は堪ったものではない。日本語を解さない外人の為に役所や病院、警察で通訳が必要となるし、風習の違いから来る近隣トラブルも増えている。元々が下層階級の労働者だから、生活が荒んでいるのは当り前で、目先の利益を得るためなら犯罪も厭わない。伝統的な日本人なら生活保護を貰うなんて恥ずかしくて出来ないが、支那人や朝鮮人は「当然のご褒美」として歓迎するし、東南アジアからの出稼ぎ人からすれば、会社から支給されない特殊なボーナスに見えてしまう。「貰えるモノは何でも貰う」がアジア人のモットーだ。

Thai 17Chinese man 2Turksih man 1Indian man 8

(左: タイ人 / 支那人 / トルコ人 / 右: インド人)

  案の定、アジアからの外人に生活保護が支給されている。。厚生労働省の平成28年度統計によれば、外国人の生活保護受給世帯数は、月平均で前年度に比べ0・4%増えている。景気が上向いているここ数年は、増加率が鈍化しているが、18年度(3万174世帯)からの10年間で見てみると、56・0・%も伸びているという。また、人数ベースで調べてみても、外国人の家庭が受け取る福祉は大幅に増えている。28年度は月平均7万2014人と、18年度の4万8418人から48・7%も多くなった。(「生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も」、産経新聞、2018年5月3日)

  外国人を雇う企業は面倒な負担を一般人に押しつけている。例えば、仮に日本人を雇うと自給1,000円を払わねばならぬが、アジア系外国人を雇えば750円で済むとしよう。だが、日本語の授業とか健康保険、宗教面での配慮、子供が通う学校など、様々な費用を考えれば、自給3,000円ないし5,000円以上を払う破目になる。だから、企業は余計な負担を我々に押しつけるのだ。それに、もし外人労働者が飲酒運転で一般人を轢き殺しても、雇用主に責任は無い。以前、茨城県龍ケ崎に住む夏作揚という支那人が、クルマで小学生の少女をはねて、その後、わざわざクルマを降りて殴り倒し、一目散に逃走するという事件があった。しかも、この支那人は逃亡途中に別の子供をはねたという。しかし、マスコミによる追跡取材が無かったので、未だに動機が明らかにされていないのだ。

  また、不景気になったからといって企業は気軽に外人を解雇するが、失業した外人は何処に再就職するのか ? 単純作業をしていた外人には、「これ」といった技術は無いし、ロクな就職先も無い。日本人労働者だって、単純な仕事ばかりじゃ手に職が附かないから、再就職の時に苦労することは確かだ。外国人ならもっと困るだろう。日本語だって不自由なのに、家族を抱えてどのような生計を立てて行くつもりなのか ? ところが、外人を連れてきた業者は、「そんなの知らねぇよ !」と顔を背ける。用が無くなりゃポイ捨てが当り前。アフター・ケアなんてあり得ない。結局、尻ぬぐいするのは一般国民だ。たとえ役人が面倒を見たって、原資は税金なんだから同じ事である。

  外人輸入に疎い庶民は、確定申告時に目玉が飛び出るほどの税金を巻き上げられてびっくり仰天。「どうして、こんなに高いんだ?!」と憤るに違いない。歐米諸国では既に社会問題となっているが、生活保護を受けている外人の子供たちは、親と同じ道を辿りやすいし、たとえ自立できたとしても、低所得階層から抜け出せないことが多い。日本人は低所得外人の「階層化」や「固定化」に無頓着だ。米国では1970年代に「福祉依存の母親(welfare mother)」というのが問題になり、政府の役人や学者たちが、この悪循環をどうやって断ち切るか、を真剣に考えていた。だが、次から次へと移民・難民が押し寄せるので、貧民対策は解決の対象ではなく、永遠に続く年中行事になっている。すなわち、「お手上げ状態」ということ。

NHKの巧みな表現

  一方、左翼偏向のマスコミは、地元民が移民や難民に対する嫌悪感を抱かぬよう、自国民の方を懲らしめる予防策を打っていた。教養人を対象にした報道番組は、貧しい家庭に育った移民の子供を取り上げ、熱心に勉強する中学生とか、有名校に合格した高校生、立派な職業に就けた有色人種に焦点を当てる。取材記者は公平を装うため、落第生となり麻薬に溺れるような負け犬も紹介するが、メインは人生における輝かしい成功を納めた優等生だ。貧しい環境にもめげず、昼も夜も一生懸命勉強し、名門校を卒業した医者とか弁護士、経営者をラスト・シーンに持ってくる。無警戒に画面を眺めている視聴者は、まんまと感動し、「やはり移民や難民だからといって、異人種の彼らを差別してはいけないんだ」と考え、「慣習や容姿の違いで排斥しようとする奴らは右翼だけど、私は善人だから彼らを受け容れなくちゃ」と思ってしまう。こうした「ドキュメンタリー特集」は単純な「お涙頂戴物語」だけど、結構引っ掛かる人が多い。一般人はテレビ局に「編集のプロ」とか「熟練の脚本家」、「映像の魔術師」がいることに気付いていないのだ。詐欺師というのは暴力団ばかりではなく、テレビ局や大学にも存在するのである。

  偶然だが、4月28日にBSのNHKで放送された「セカンドの美学『シャア・アズナブル』」を観た。これは人気アニメ「機動戦士ガンダム」に出てくるキャラクター、「赤い彗星のシャー」を扱った娯楽番組であるが、そこに“いかがわしい”取材があった。NHKは外国でも好評な日本のアニメだということで、日本に住む外国人がどう反応しているのかを調べたそうだ。すると、北海道に住むフィリピン人で、熱狂的なガンダム・ファンであるヘクター・アトム・ポサダス(Hector Atom Posadas)を見つけた。さっそく、彼にインタビューするため、北海道の十勝を訪れたNHK記者は、「シャー・アズナブル」の赤い軍服を着たヘクターに出逢い、彼がどうしてシャーを好きになったのか、その話を聞くことにした。(それにしても、派手なコスプレ姿のフィリピン人が、よりにもよって北海道に住んでいるとは。新人だけでも嫌なのに・・・。子供の頃に北海道を旅行した筆者にとっては、何とも陰鬱な状況である。日本は悲しい時代になってしまった。)

  インタビューを受けたヘクターは幼い頃、母親が買ってくれたガンダム・プラモデルが切っ掛けだった、と打ち明けてくれたのだが、NHKのナレーションが“問題”なのだ。NHKの女性アナがナレーションを担当していて、彼が子供の頃、「海外出張の多かった母親が、ガン・プラを買ってきた」と述べていたのである。筆者は思わず耳を疑った。「海外出張 ?!」って聞けば、骨董商とか貿易商みたいな職業か、と思えるじゃないか。でも、何となく怪しい。数々の「前科」を持つNHKのことだ。“不都合な事実”があると、巧妙に隠す癖がある。以前にも紹介したけど、NHKは肝心な点を視聴者に伝えないことが多い。今回だって正直とは限らないじゃないか。これは筆者の憶測だけど、ヘクターの母親は水商売のフィリピン人かも知れない。日本のキャバレーとかフィリピン・バブに勤める出稼ぎ人の母親が、たまにある帰国の際に、当時人気を誇っていた日本のガン・プラを、我が子への「お土産」として購入し、それを実家で暮らす息子に与えていたとも考えられるのだ。NHKは「出稼ぎ酌婦」と紹介したくなかったから、耳障りの善い「海外出張」に言い換えたんじゃないか。断っておくが、事実は不明である。

filipino dancers 1Filipino children 4
(左: フィリピン人の踊り子 / 右: フィリピン人の子供 )


  NHKが行ったインタビューの中で印象的だったのは、ヘクターが感銘を受けたというシャー・アズナブルの言葉だ。ヘクターはシャーについて書かれた本を取り出し、シャーがなぜマスク(仮面)をつけているのかを話した。そして、彼はシャーが体現する「過去を捨てる生き方」に感動したという。これも筆者の推測だけど、ヘクターは自分の「過去」を捨てたいんじゃないか。つまり、フィリピン人という民族性は日本という異国では自慢にならない。出来る事なら何処かに葬って、新たな人種、民族、人間に生まれ変わりたいと考えても不思議じゃないだろう。アメリカに暮らすユダヤ人だって、おぞましい過去を持つ「異人種」より、アングロ・サクソン人が創った国家に属する「アメリカ人」という名称の方を好む。例えば、デーブ・スペクターは日本人の前で「アメリカ人」というブランドを自慢するけど、西歐系アメリカ人が聞けば、「なぁ〜んだ、ロシアから流れ着いたユダヤ人の小倅か !」と“せせら笑う”だろう。こうした西歐人モドキの異邦人は、無知な日本人が相手だと、「どうだ、オレ様は戦勝国で超大国のアメリカからやって来たんだぞ !」と大威張り。馬鹿らしいけど、デーブ・スペクターは黒髪を金色に染めればゲルマン人になれると思っている。こんな変装は日本人から見ても滑稽だ。

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(左: ビルマ人の少年  /   右: アフリカ系アジア人 )

  日本人は本当にお人好しで脳天気である。アジアから移民を受け容れれば、街並みが変わるだけではなく、自分達の肉体までもが変わってしまうことに気づいていない。我が子が通う幼稚園や小学校にアジア移民の子供や混血児が増えるだけでも嫌なのに、息子や娘の結婚相手がアジア系とかアフリカ系になったらどうするのか? 。大学教授や文化人は言及しないけど、肉体が変わってしまうと精神まで変わってしまうのだ。人間は集団生活をするので、外見や仕草で「仲間」と「よそ者」を区別する。普通の日本人はいくら日本語が達者でも、アフリカ人のような顔附きの人間を、従来の意味で「日本人」とは思わない。しかし、現代の教育はこうした違和感を「悪」と断罪し、人種偏見を持たぬよう“調教”しようとする。だから、大人の抑制を持たぬ小学生や中学生は、こうした洗脳に生理的な反撥を示し、教師の居ないところでアジア系生徒の悪口を述べたりするのだ。アジア人生徒やアフリカ系混血児に対する「仲間はずれ」が絶えないのは、子供たちが持つ本能的拒絶反応なのかも知れない。

同種同族の国民が欲しい


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(左: 雑種犬 / 中央: サモエド犬 / 右: コーギー犬 )

  人間と動物を一色単にして述べるのは危険だが、犬や猫を例に取ると解りやすいこともある。現在では優生学とか人種衛生学は悪魔の学問であるが、全否定すると大切な部分まで捨ててしまうことになりかねない。各民族が独自の特徴、遺伝子、風習を保存しようとするのは間違いなのか? 「ホロコースト」を叫ぶユダヤ人は、アブラハムから継承する血統を誇っているし、黒人の遺伝子を殊さら嫌っている。しかも、西歐諸国で「人種のるつぼ」を謳っていたのに、イスラエルに住むと排他的で、アラブ人やイスラム教徒を迫害。これって二枚舌じゃないのか。日本人やヨーロッパ人にも二重思考がある。一般人は人間の血統に無頓着を装っているが、犬や猫、馬といった動物になると平気で血統証明書を見せびらかす。試しにペット・ショップを覗けば、人気の種類が高値をつけ、雑種は安値が当り前で、店によっては取り揃えていないのだ。人気のある種類は、純血の秋田犬とか、英国のウェリッシュ・コーギー、白くて大きなサモエド犬、猫だとノルウェージャン・フォレストやスコッティッシュ・フォールド、ブリティッシュ・ショートヘアなどで、1、2万円で買えると思ったら大間違い。貴重なペットを購入するお客は、動物の命ではなく、その可愛さとか外見に対してお金を払っているのである。もし、どんな種類でも平等なら、保健所で殺処分を待つ犬猫でいいじゃないか。

cat Norwegain Forest 3cat Scottish Fold 4Cat British Shorthair 2


( 左: ノルウェージャン・フォレスト / 中央: スコティッシュ・フォールド / 右: ブリティッシュ・ショートヘアー)

  普通の日本人や西歐人も時折「人種差別」の側面を見せる。例えば、養子を取る時、白人夫婦はなるべく自分達に近い白人の赤ん坊を選び、高い仲介料を斡旋業者に払う。孤児院には黒人やヒスパニックの子供が多いのに、彼らには需要が少なく、「値段」も安い。黒人の赤ん坊だと二束三文で、大抵は売れ残り。しかし、こうした「在庫品」でも成長するので、幼い養子を求めるカップルから敬遠されてしまい、益々引き取り手がいなくなる。さらに可哀想なのは黒人の男の子で、仕方なく黒人を養子に迎える白人カップルは、なるべく女の子を選択するそうだ。というのも、男の子を選んでしまうと、大きくなってグレた場合、非常に厄介な事になるからだ。確かに、腕力のある不良黒人が一旦暴れ出すと、養父だって負けてしまうから大変だ。また、いくら慈悲深い白人夫婦に育てられても、黒人少年は自然と同種類の黒人を友達にする。ところが、その中には下品で非行に走る者もいるから、寂しがり屋の黒人は「悪事」と分かっていても、つい共犯者になってしまう。全部とは言わないが、異人種の養子を迎えた家庭は、不幸になる確率が高い。

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(左: 黒人の赤ん坊 / 中央: 黒人の親子 / 右: フィリピン人の赤ん坊)

  日本人夫婦もなるべく自分の遺伝子を持った子供を欲しがる。不妊治療を受ける女性だと、自分の卵子を用いた体外受精を考えるし、それが駄目なら兄弟の子を譲ってもらうとか、何らかの養子策を取るのが一般的だ。いくら子供が欲しいからといって、朝鮮人とかフィリピン人の孤児は選ばない。だいいち、愛情が湧かないし、亭主だって他人の精子で生まれた子供じゃ厭になる。もし、亭主の精子を諦めた日本人女性が人工授精を考え、精子バンクを訪れた場合、彼女は日本人男性の精子を選ぶはずだ。人によってはゲルマン系白人男性の精子を選ぶかも知れないが、アフリカ人の精子を選ぶ者はほぼ皆無だろう。わざわざ黒人との混血児を選ぶ女性がいるとは思えない。また、精子提供者をモンゴル人でもインド人でも、マレー人、トルコ人、ケニア人、グルジア人でも構わない、と答える日本人はいないだろう。ロシアン・ルーレットじゃないんだから、「出産した時のお楽しみ」なんていうケースは無いぞ。


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(左: 北歐系の幼児と猫 / 中央: ゲルマン系の親子 / 右: 西歐人の少女 )

  西歐人もそうだが、我々日本人も人種や民族性について、無意識的な「禁忌(タブー)」を刷り込まれている。そもそも、なぜ自分の国に住んでいるのに、先祖代々の容姿を受け継ぐことがいけないのか? ドイツのゲルマン人がチュートン的特徴を保存したいと望むのは当然で、ジャーマン・シェパードを飼いたいと望む日本人が、純血のシェパードを求めるのと同じ気持ちである。もし、モンゴル人がモンゴロイドの子孫を残したり、ギニア人の夫婦が黒人の養子を迎えたら、日本人は彼らを「レイシスト」と呼ぶのか? だいたい、日本人は西歐白人ばかりに目くじらを立てるから異常だ。アメリカの白人も同じ症状に悩んでおり、イギリス系入植者が建てた国に住んでいながら、「白人であることを誇っては駄目」と叱られ、「人種的色盲(colour blind)教育」を強いられている。自宅や郷里を「ホーム」と呼んできたのに、合衆国を「スウィート・ホーム(愛しき祖国)」と呼べないだから、アメリカの白人は憐れだ。今じゃ野球場だけが例外となり、「ホーム・グラウンド」と呼ばれている。

  日本も確実に「多民族社会」に突入おり、あらゆる場面で異人種共存となってしまった。「グローバル企業」を目指すユニクロの柳井会長は、さすが“国際派”である。たまたま同社が制作した「Kidsショート・パンツ」のCMを観たんだけど、そこに登場するモデルは日系日本人の子供じゃなく、縮れ毛の黒人とかアメリカ人気取りのアジア人少年なのだ。まるで米国の衣料メーカー「ギャップ(GAP)」のテレビ広告みたいだけど、ユニクロの名物会長さんは、異人種混淆社会を理想としているんだろう。こうした大企業をスポンサーにしている日本のテレビ局が、多文化・多民族主義を称讃していてもおかしくはない。色々なバラエティー番組で、ヨーロッパ系混血モデルと一緒に、アジア系・アフリカ系の藝人を採用しているじゃないか。まるで「抱き合わせ商品」を売りつけるテレビ・ショッピングみたいだ。

  話は戻るけど、何が何でもオリンピックで金メダル数を増やしたい日本人は、アフリカからドンドン優秀な運動選手を輸入すればいい。身体能力の優れた黒人の子供1千万人を連れてきて、奨学金と国籍を与えれば、「日本人選手」になるし、それと同時に、一般国民も黒人との混血児をもうけて、エリート教育に励めば、メダリストの息子や娘を持つことができるだろう。しかし、こうした黒い孫や異質な近所の子供を眺めた高齢者は、「うわぁぁ、素晴らしい」と叫んで喜ぶのか? 「昔は良かった」なんて呟くようになったら不幸だ。でも、現実は嫌な方向に進んでいる。相撲を観ればモンゴル人だらけ。サッカーの試合を観戦すれば南米人が目立つ。陸上競技には黒い混血児がいっぱい。ラグビーの早慶戦でもトンガ人やサモア人が主力選手。箱根駅伝ではアフリカからの留学生が走っている。こんなスポーツ界を目にする日系人は、それでも「ニッポン頑張れ !」と応援するのか? フランスのサッカー「代表選手団」を観た、あるケルト系フランス人が愚痴をこぼしていた。「なんだ、アラブ人ばかりじゃねぇか !」てね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68715028.html


164. 中川隆[-12562] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:14:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]
>>160 リンク訂正

2017年12月15日 支那人に征服される呑気な日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html


165. 中川隆[-12561] koaQ7Jey 2018年5月24日 01:44:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。


かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。

ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。

このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。


『アナと雪の女王』/2014年3月14日(金)公開
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movies/anayuki

ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 配給 (C)Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA


松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM


それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。

どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。

ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。

ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。

構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。

つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。

2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。

擬声語は、たとえば

わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。

おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。

キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。

そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。

ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。


それだけではありません。

日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。

オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。
では、

 風が「そよそよ」と吹く
 太陽が「かんかん」に照る
 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
 星が「きらきら」光る

などはどうでしょうか。

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。

実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。
中には2〜3万年前のものもあります。

 シベリアの2万年前のもの
 ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。
そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千〜三万年前に新石器時代を迎えていた。」

と述べています。

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。
そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。
ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。
地味だけれど、ずっと咲き続けます。
まるで日本人そのもののようです。

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。

だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。

コメント


新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?

東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2q程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前〜4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。

江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。

僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。

当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。

やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。

彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。

様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。

日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。
2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]


外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。

擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。

また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。

日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は
理解できないようです。

外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、
この言語を意識せず使いこなしている
我々は本当、凄いのかもしれませんね。
2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM.


新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘

新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo

これですね。
2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI

加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん

KIさんへ

動画等のご紹介ありがとうございます。

加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。

『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029

という本です。

この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。

映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。

映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。
写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。

個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。

縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。
2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more


○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○


 雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。

 日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。

 私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。

 この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。


○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である 【現実世界での日本の優位性】○

 認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。

 常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。

 さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。

●●● 曖昧な表現が活きる日本語の背景 ●●●

 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。

 言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。

■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。
 外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。

 繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。

■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■

 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。

 派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。

●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である 【精神(霊的)世界での日本の優位性】●

 音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

 この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:Dsy-yxb-UusJ:blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/30487456.html+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E+%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm

  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。

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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).” When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn. (i) The word order in the ancestral language was SOV. (ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion. (iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order. (iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.

Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV. Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS. There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50). Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won. However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm 



  日本語の祖先はこれまで書いたようにY-DNA「D2」の話していた縄文語です。現在世界でY-DNA「D」語を祖先にしているのは、わかっている範囲ではチベット語と「D*」100%のアンダマン諸島のJarawa族とOnge族だけです。Y-DNA「D」72%の雲南のPumi族は未調査です。つまりY-DNA「D」語は孤立言語です。

遺伝子調査で初めて理解できたことです。しかもY-DNA「D」は人類が出アフリカを果たした際の形質を最も残していると欧米の研究者は述べています。ということは縄文語が最も古いホモサピエンスの言葉を残している可能性もあるのです。Jarawa族やOnge族、Pumi族の語彙を徹底的に追いかければ解明できそうですが、日本の御用学者ではない欧米の気鋭の言語学者が研究してくれるとありがたいですね!

  現代アイヌも日本列島人と同じY-DNA「D2」85%の「D」民族ですが、残念なことにオホーツク文化時代に侵略者だった古代ニヴフ族に征服され、熊祭りなどすっかり古代ニヴフ文化(古住シベリア民文化)に変貌してしまっています。言語も恐らく古代ニヴフ語に変わっているでしょう。

丹念に追えば語彙には「D」語の痕跡が残っているかもしれません。日本列島のように「D2」が圧倒的な人口多数派だったなら「D」語が残ったかもしれませんが、人口そのものが少なかった北海道では文化も言語も語彙も古代ニヴフ語に変わってしまっている可能性が大です。
http://galapagojp.exblog.jp/i31/





日本の成功の秘密は日本語にあるのですが,欧米人や中国人にはそれがわからない.中国語も日本語も漢字を使っているから,日本語は中国語と同じ様なものだと思い込んでいるんですね:

一口に日本語と言っても、書き言葉と読み言葉がある。ここで取上げるのは主に前者、つまり書き言葉である。主に日本語は、漢字という表意文字と、ひら仮名・カタ仮名という表音文字で構成されている。さらに日本語の表記には、これらの他に句読点やローマ字、簡単な英語、西洋数字、ギリシャ数字そして特殊な記号まで雑多な文字を使う。最近、メールには絵文字まで登場している。

表記方法も、横書きだけでなく縦書きもある。通常、横書きは左から右に書くが、昔の看板なんかは右から左に書いたものがある。縦書きは世界的に見ても珍しく、外国人は日本人が縦書きで文章を書くのを見て驚いている。これらの雑多の表記方法を使っている日本語は、マスターをするのが難しい言語かもしれない。しかし一旦マスターすれば、これほど便利な言語はないと考える。これは筆者の偏見かもしれないが、日本語は世界の中で一番進化した言語であり、優れた言語と思っている。


漢字は象形文字が基になった表意文字であり、文字そのものが意味を持つ。しかし今日、表意文字として使われているのは漢字くらいである。漢字圏は、日本を除けば中国、台湾、シンガポールと朝鮮半島、そしてべトナムである。しかし朝鮮半島やベトナムは漢字離れをしているようだ。

表意文字である漢字は、文字自体に意味を持つので、言葉を速く理解することができるという利点がある。特に漢字はパターンで認識するので、文字とイメージが結びきやすい。「犬」という文字を見ると、犬のイメージが頭に直ぐ浮かぶ。「京都」という言葉に当ると、京都という文字から京都に関するイメージが自然と頭に浮かぶ。


高速道路の標識も、漢字だから速く、しかも正確に認識できる。これがアルファベットなら一瞬のうちに認識することは難しい。例えば長い地名がアルファベットで記されていたなら、車を停車させなければ、書いてある行き先を読むことはできないであろう。これは言語の特徴を考える場合、重要な点である。

日本語の文書は、斜読みによって、ある程度の意味を把握することができる。これも日本語に漢字が使われているからである。速読の達人と呼ばれる人がいるが、もし文章が全て「かな」で書いてあったなら、とても一瞬のうちに読むことはできないであろう。またアルファベットだけの英語も速読に向かない言語と思われる。


しかし漢字にも欠点がある。基本的に一文字がそれぞれ意味を持ち、世の中の現象を表現するためには、漢字がどんどん増えることである。新しい物が発見されたり、新しい概念の表記が必要になると、それに対応する漢字が必要になる。しかしそこを日本語は、熟語と「かな文字」の発明で、極力使う漢字が増えることを回避してきた。

熟語の登場は、文字と文字の組合せだから、漢字の数を増やすことなく新しい概念を表現することを可能にした。また「ひら仮名」と句読点を用いることによって、どれが熟語であるのか明示できる。さらに外来語をとりあえず「カタ仮名」で表記することで、漢字を増やすことを回避している。

中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。

筆者は、まず難しい日本語をマスターし、日本語に翻訳された本や文献で勉強するのが一番効率的な学習方法という気がする。英語の本を一冊読む間に、日本語なら二冊の本が読めるのではないかと思う程である。もしこのような方面を研究している方がいれば、是非その辺の事情を教えていただきたいものである。


日本語と中国語
知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。

どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。


「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。

一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。

戦後、GHQが日本人を色々調査した。当時、米国人から見れば「日本人は人間より猿に近い動物」という認識であった(失礼な話である)。そのような日本人が、どうして短期間のうちに列強と対等の国力を持つことができたのか、不思議だったのである。しかし調査によって、日本では、どのような地方に行っても、またどれだけ年配の人でも、文字を知り、文章が読めることを発見した。これはGHQにとって驚きであり、これで日本を見直したのである。これも日本の教育制度が優れていたのと、日本語が誰にもマスターできる優れた言語であったからである。


言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。

「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。


しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。

ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。


しかしこれほど優れた言語である日本語が、最近の教育現場では軽視されている。群馬の太田市では、全て英語で授業を行う小学校が開校した。例のくだらない特区である。

最近読んだ雑誌に、算数の学力を向上させるには、まず国語の教育を徹底的に行うことが重要という記事があった。特に小学生の低学年の授業は、全て国語で良いというのである。算数や理科・社会の教育は、国語の力をつけてからの方が好ましいという意見であった。これには筆者も賛成である。とにかく太田市の小学校の教育成果が注目される。


今日、国語教育が軽視されているのに、英語、特に英会話の教育が重視されている。筆者は、英会話は必要に迫られればなんとかマスターできるものであり、学校教育で行う必要はないと考える。また必要のない英会話の技能は簡単に失われる。

日本人がどうしても英語で会話する必要に迫られるのは、年間平均で3分間という話を聞いたことがある。筆者の経験でもその程度と感じる。年に一、二度、外国人に道を訪ねられるくらいのものである。しかし年間平均でたった3分間のために、日本人は多額の費用を使い、膨大な時間を割いている。必要なら通訳を雇った方がずっと安上がりである。むろんこのような労力は国語教育に注ぐべきと考える。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html





166. 中川隆[-12560] koaQ7Jey 2018年5月24日 02:12:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

中身のない英語を話しても意味がない

日本育ちの子をインターナショナルスクールに入れるのは愚の骨頂だ
バイリンガルに育てるつもりが…
西宮 凛 同時通訳者・ESL英語講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131


日本で日本人の家庭に生まれながら、インターナショナルスクールに入れる。それは経済的にも余裕があり、「子どもにインターナショナルな感覚を持たせたい」という思いを抱く家庭ならではのことでしょう。

しかし自らが海外で育った帰国子女でもあり、同時通訳者として働きながらアメリカの大学院で英語教授法の資格を取得し、多くの「早期英語教育を求める保護者」と「大人になってからきちんとした英語を学ぼうとしてきちんと身につけた大人」を見てきた私は、声を大にしていいたいのです。

「日本に生まれ育ちながらバイリンガルに育てたいのなら、絶対にインターナショナルスクールには入れないほうがいい」と。

母国語で考えることが最重要

日本人が算数が良くできる理由の一つを紹介しましょう。

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10を3秒以内に、数字をきちんと耳で誰もが認識できる速さでだーーーーっといえることです。

では、英語で同じように、1~10まで言ってみてください。

One, two, three, four, ……日本語に比べてなんと時間がかかることでしょう。

これは、英語の教育では one, two, three, … をスぺリングから数字に入ってしまうからなのです。

この速さが、算数の四則計算に始まり、基礎力から応用力への発展への理解力スピードにも関係していきます。日本語での教育に素晴らしいところが十分あると理解していただけたらと思います。

では、言語習得能力についてのことを説明していきましょう。

一番大切なのは「絵本の読み聞かせ」

日本では、7歳から基本的に読み書きの習得、識字教育が始まります。この7歳までに子どもにたくさんの本を読ませるということがとても大切だと私は思っています(理想的には10000冊という説もありますが、繰り返し読むことも含めてできる限りでいいと思います)。

0歳からスタートして、お母さんやお父さん、周りの人たちが毎日子どもに読み聞かせをすることで、耳から、目から、自然に子どもが言葉に触れるので、言葉に対する感性が身につきます。


0歳児にお勧めのオノマトペ絵本の代表格『じゃあじゃあびりびり』から、ユーモアものから、大人も思わず涙する感動物語まで、「絵本」とひとことでいっても幅広い。大人も子どもと一緒に楽しもう。

そうして生まれたころから「文字」に目と耳で触れてきた子どもは、おそらく、文字を書く道具が周りにあれば3歳くらいから、ひらがなをしっかり目で追い、自分でも書きたがるようになります。それまで耳と目だけで入ってきた言葉が、文字で立体的に繋がっていきます。

就学年齢になる7歳から学校に入り、ひらがなの正しい書き方を学び、国語を体系的に学ぶことで、一気に子どもの知的好奇心は深まります。それまで受け身だった読み聞かせから、文字と言葉に対する理解が深まることで、その先にある楽しさに能動的に取り組むようになります。

本を読むこと、文字を書くこと、そして起承転結を捉えること、日本語の文章に「はじめ・中・終わり」というまとまりがあることを理解し、自分の思いを正確かつ適切に伝える行動を段階的にできるようになっていきます。文章のまとまりを読み取ることができると、国語のみならず算数、社会、理科などの他の科目も、また具体物に対する理解もどんどん深まります。


このようなやり方を7歳から10歳までに深めておくと、10歳くらいで手に触れることのできない抽象物への理解ができるようになるのです。ちなみに、目に見えないもの、人の感情や目の前で起きていない事象を深く理解でき始めるのは10歳以降と言われています。

言語獲得で特に大切なのはこの幼少期から思春期までの限られた時期であり、「言語習得の臨界期」に言語に触れることが一番の近道とする仮説は、1967年に研究者レネバーグが打ち出しました。その後も様々な研究が続けられています。

無理なインターは「セミリンガル」になる

近年「英語獲得は早い方がいい」という学校現場での取り組みも熱を帯び、また「だから小学校からインターナショナルスクールに入れれば、英語のネイティブになるでしょう」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

でも日本に住み、日本の家族と暮らしている場合、最初に母国語(L1言語と言います)ができなければ、第二カ国語(L2言語)をマスターし、両方の言語を自由に操作出来る「バイリンガル」にはなりません。英語をある程度話せるようにはなりますが、日本人として使えるべき日本語が不自由になってしまいます。

また、近年外国人が日本にも増えてきたとはいえ、日本で学ぶ英語はどうしても「外国語」であり、「第二ヵ国語」ではないことにも注意をしたいものです。

1 本を通して就学年齢に到達する7歳までにできるだけ多くの母国語に親しませる

2 就学年齢である7歳から10歳までに正しい母国語を学び、具体物の理解を進める

3 10歳から抽象物の理解を深めていくことができるように、日本語の文章構造の理解を深める

この3つを受けて初めて、母国語を駆使して物事を理解し、他の言語システムを理解し、他文化、多様性の理解をでき、グローバルに活躍できる人材になる一歩を踏み出せるのです。

「これからの時代は英語が出来たほうがいい」とか「大人になった時に困らないように」という理由だけで、日本で生まれ育ったお子さんをインターナショナルスクールに入れている場合ではありません。

私の尊敬する同時通訳者の諸先輩方も、インターナショナルスクールにいきなり通わせる前に大切なのは、母国語である日本語の習得、と口を揃えておっしゃっていました。それくらい本末転倒なことなのです。


インターナショナルスクールはカリキュラムも含めて良さがたくさんあるが、日本ドメスティックな家庭対象に作られたものではない。photo by iStock

例えば、両親共に海外育ちであるとか、赴任帯同によりお子さんが海外の英語環境で育った等のバックグラウンドがある等の場合には、英語がそのお子さんの核となる言語になっているのでその方がお子さんにとっても幸せだと思います。ただそのような場合にもご家庭で日本語力の維持、特に漢字を読ませることにはみなさん努力していらっしゃるはずです。

バックグラウンドなしでインターナショナルスクールに入れるのであれば、セミリンガル/ダブル・リミテッドまっしぐらです。家族との会話や意思疎通もままならなくなるお子さんもたくさん見てきました。ちなみにセミリンガル/ダブル・リミテッドは「両方の言語において年齢に応じた言語習得度に満たない中途半端な二ヵ国語使用者」という意味です。


もちろん中には、2つの言語を同時期に習得し、二か国語を母語とする話者や「バイリンガル脳」を持つ方もいて、その研究も行われています。しかし一般的に日本で日本人の家庭に生まれたお子さんについては、母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになる下地が出来ると考えます。

母国語を習得し、母国語で論理的に考える力があるからこそ、バイリンガル、トライリンガルになれるのです。

発音やアクセント習得は早期教育が効果的だが

ただし、「早期教育は効果がないのか」というと、そういうことではありません。

「英語セッティングの環境に入る年齢が早ければ早いほど、英語習得力は高まる」というのは「発音、アクセントにおいてはその通り」です。

これは脳の発達との関係も大いにあると主張する研究もあります。生理学でいう「側性」、つまり大脳の各種機能が左右両半球に分化する状態は、生まれてから思春期にかけて発達し、それがどちら寄りになるのかが決まるタイミングと、英語習得における臨界期に大いに関係があると、スコヴィルをはじめ心理言語学者が発表しています。

思春期の具体的な時期は、人によって違いがあることを前提に、大脳の各種機能の発達が大体落ち着く頃には、新しい言語の発音、アクセントを忠実に再現できる「柔軟性」が少しずつ失われることを主張したのです。脳神経の発達と発音は非常に密接に関わっています。発音、アクセントは口の筋肉の動きがあってこそうまくできるわけで、神経と筋肉の動きと発達が、発音とアクセントの良し悪しを左右することは間違いありません。

自分の目の前にいる第三者が話す英語の発音がきれいだったり、ネイティブの話す英語を聞き取れたりしている、という場面を見ると、「第二ヵ国語である英語習得に成功しているんだ」、と感じることでしょう。実際、大人になって英語を学ぶ日本人の多くは、読むことはできても、聞いたり話したりすることができないという直面に多く立たされ、「小さい時にやっておけば良かった」という声をよく聞きます。

「RとLの発音がきちんとできる!」「アクセントがネイティブ並み!」であると、それだけで「素人目にもわかりやすい」から、その点で「じゃあ早く子どもに英語の学習をスタートさせたほうがいい」という説が出やすいのではないでしょうか。

また、言語学習開始年齢が早ければ早いほど良い、とされる仮説に対し、ただ耳から、口から、の発音、アクセントの習得度合いをもって最終的な言語習熟レベルを図るのは適切ではないとする説もあります。


1995年にスラヴォフとジョンソンという研究者が、7歳から12歳の間に渡米し英語を第二ヵ国語とする中国人、日本人、韓国人、ヴェトナム人の107人の子供達を、7〜9歳の間に英語学習を始めたグループと、10〜12歳に英語学習を始めたグループに分けて実験を行いました。

英語学習の開始時期は早いほど良い、と言語獲得の臨界期仮説を謳う研究者にとっては驚きの結果が出ました。

構文の理解、文章の構造や比較的難しいとされる文法の理解においては、英語学習の開始時期が遅いグループが秀でていたのです。


中身のない英語を話しても意味がない

言語学習の獲得においては、まずその言語の正しい文法を理解できる年齢に到達してから、情緒的、社会的、動機的な要因が言語獲得に与える影響を踏まえて学習することが大切であり、年齢、早期学習が必ずしも最終的な習熟度に直接的な関係があるわけではない、と発表しています。

英語習得のどのレベルを「完成形」とするのか、教養も品格もある過去のアメリカ大統領(「過去」です、残念ながら)が話すような英語レベルを求めるのか、それとも、発音はネイティブ並みでも、とても実際のネイティブが落ち着いて聞いていられないようなスラングだらけの英語を話すレベルで良しとするのか、目標を見据えた学習も非常に重要です。

様々な研究者の発表や実験、また日本人や日本人以外のノンネイティブ学習者に対して本当に必要な英語を日本とアメリカの両方で指導してきた経験を踏まえると、私は以下のことが大切だと考えています。

・正しい文法の習得:

・修辞法の習得:

・論理的根拠を持つこと(ロジックの大切さ)

以上の3つに重きを置いた英語教育が出来るのは、「母国語があって母国語で論理的に考える言語能力あってこそ」、なのです。

子どもであればあるほど、言葉がもたらす社会的影響や価値には気づいていません。発した言葉が持つ影響をわからないまま、ただその言葉を流暢に話せる人間になることは非常に危険だと私は感じており、これが私の英語教育において大切にしている、「その言葉を使って世の中に何を発信する人間になるのか」、という「ロジック」の部分です。

日本人が「英語」を必要とする現場において、英語は出来るのだけれど、軸のない空っぽな会話では困るわけです。ですから幼少のうちから読み聞かせをすることで、豊かな語彙力、表現力、物事を深く考える力を養っておきたいと思うのです。

また、年齢と習熟度の関係だけではなく、年齢を重ねたからこそ「語学は難しい」という心理が働き、及び腰になるので、その分習熟が遅くなるという研究もあります。
しかしその時期を越えてからの語学学習においては、子どもが母国語をマスターする過程の学びプロセスを念頭に入れながら、コツを抑えた学習法をしていけば良いことなのです。その学習法については、別の機会にご紹介できればと思います。


今の小学生が大人になる頃には、現時点で存在しない仕事に就く子どもたちが40%になるとも言われています。

ネットも更に進化するでしょう。数多ある情報の中から、情報を素早く正確に理解し、吸収し、本当に自分にとって必要な情報なのか、また信頼できる情報なのかを判断し、それを仕事や生活に活かしていく力が更に求められると思います。

つまり、文章を読み、論理的根拠、分析力、物事を深く考える力を用いてさらに発展させる力が問われると思います。

国と国の間=inter-national(インターナショナル)ではなく、自分が何者であるのか、そのルーツとスピリットを踏まえた上で日本人として世界に出て、世界基準のものの考え方を出来てこそglobal(グローバル)になれる。

そのために、早期学習で得られる発音とアクセントありきの英語教育はしなくて大丈夫です。幼少期からの読み聞かせの持つ力、大人だからこそ深みのある英語学習ができるのはアドバンテージなのです。

母国語で深く思考できないことが一番、「バイリンガル」への道を遠ざけてしまうのです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131


グローバル企業が支援する愚民化政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

「お遊び」としての英語教科

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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。


  @ 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  A例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。

特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

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(左: フィリピン人の女中 / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか? 想像しただけで恐ろしくなる。

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(写真 / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

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(左: 英語を話す黒人女性  / 右: カナダの白人女性 )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

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(左: キャサリン妃 / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

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(左: インド系男性 / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う〜ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691561.html

専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」2018年4月20日 プレジデントオンライン


英語能力のテストとして、学校教育でもビジネスでも重要視されるTOEIC。しかし長年、企業の語学研修に携わってきた猪浦道夫氏は「TOEICは英語能力検定試験として欠陥がある。TOEIC対策講座に成り下がった英語教育を進めることで、母国語をふくめたそもそもの言語教育に悪影響が出ており、日本人の知的レベル低下を招いている」と警鐘を鳴らす――。

■TOEICハイスコアは成功への登竜門?

筆者は長年、語学教育にたずさわってきましたが、30年ほど前から学校の英語教育が「文法偏重から会話力重視へ」と急カーブを切り始めました。そのころからビジネス界でもグローバル化の標語のもとに、ビジネスピープルたるもの「誰もが英会話力は必須」のような雰囲気になってきて、どこか不気味な感じがしていました。

その象徴的な存在がTOEICの急成長です。昨今では、あたかもこれからの教育界、ビジネス界ではTOEICのハイスコアが成功への登竜門であるかのごとくみなされるようになってきています。

1990年ごろまで、英語力を認めてもらうには「実用英語技能検定(英検)」が一般的でしたので、この試験は英検に比べてさぞかし画期的な試験なのかと思いました。そこで、この試験の問題を分析してみましたが、そのときの正直な感想は、「これがビジネスに役立つ実践的な英語力とどういう関係があるのか。全体的に英検のほうがまだ数段優れているな」というものでした。

にもかかわらず、TOEICの浸透はやがて文科行政、企業教育にまで及んできて、いまや猫も杓子もTOEICという状況になりました。知人、生徒たちにTOEICの感想を尋ねてみると、その反応の多くは、TOEICなんてあまり意味がないけど上から受けろと言われたので、就職の書類にスコアを書く欄があるので、また若い世代の場合、大学受験で一定のスコアが求められているから仕方がない、という消極的またはやや否定的な意見でした。

いまや、小中学校から大学、大学院、そしてビジネスピープルに至るまで、なんでもかんでもTOEICで学習者の英語力を図ろうとしています。

しかし、TOEICで測れる英語の能力は、あたりさわりない英語トーク(しかも米語の発音)の聴き取りと、専門性の低い英文の理解力だけです。しかも、後者の場合、日本語をまたいでの翻訳力はまったく評価できません。この点では、いろいろな問題はあるにせよ、英検のほうが圧倒的に優れています。

しかるに、言語能力というものは多様でそんな単純なものではありません。「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つの能力の区別はよく知られていますが、もう少しキメ細かく見ると、「聞く」「話す」の部分は「通訳能力」があるかどうか、「読む」「書く」の分野は「翻訳能力」があるかどうかの視点も考慮しなければなりません。

さらに、それらの能力はスピーチレベルというものを考慮しなければなりません。おおざっぱに分類しても、現地の人と日常のくだけた会話をするレベル、改まった場面で正式な話し方をするレベル、そして、専門分野の情報交換に必要なコミュニケーション能力です。文章にも、この区別が厳然としてあります。

■本当に英語力が必要な人、不必要な人

英語を学ぶ場合、学習者がどのような目的で学ぶのかによって、どこのゾーンの能力をどの程度まで伸ばすかを考慮しなければ時間の無駄になります。

例えば、日本の大学生がその専門分野の研究において必要としている英語能力とは何でしょう。それは英会話の能力ではなく、原書を読み理解する能力です。大学院レベルの研究(特に理系)においては、それに加えて英語で論文を書く能力が求められましょう。

一方、企業活動における英語力とはどうあるべきでしょう。実は90%のビジネスピープルは高度な英語力を必要としていません。国際化、グローバル化の掛け声のなかで「少しぐらい英語ができないとみっともない」といった曖昧なイメージだけが先行しているだけで、実際に現場にいるビジネスピープルの多くは英語を使う機会はありません。

英語を必要とするのは、海外とのやりとりがある部署の人間だけです。英語を必要としない社員にまで画一的にTOEICの勉強を強要しようとするのは、経理部で働く可能性のない社員に簿記の試験を受けろと言っているようなものです。企業活動のそもそもの目的を考えれば、ビジネスの現場でほとんど役に立たない英語力を少しぐらいアップさせる時間があったら、ビジネスの力を磨いたほうが会社にとってメリットが大きいはずです。

もしビジネスを目的として英語を学習するにしても、個々人の業務内容を考慮してターゲットを絞るべきです。例えば、英文メールが書ければよい、英語文献などを読んで情報分析できなければならない、頻繁に外国人ビジネスピープルと交渉事がある、といったものです。そのレベルによって求められる英語力は大きく異なります。漫然とオールラウンドに高度な英語力を身に着けたいと思っているならば、それは差し迫った必要性に迫られていない証拠です。

■国語ができなきゃ英語なんてできるわけがない

私は、最近、英語のみならず母国語である日本語も含めて、日本人のコミュニケーション能力、論理的思考力が変調をきたしているのではないかと思うようになりました。この傾向は、一般の人々や若者ばかりでなく、ビジネスピープルや知識人と呼ばれる人々のあいだでも顕著で、はたで他の人のトークを聞いていても話がかみ合っていないと感じることが多いのです。

私はこの度『TOEIC亡国論』という、あえて刺激的なタイトルの本を出版しました。それはなぜか。本稿でもこれまで、英語能力試験としてのTOEICの欠陥を示してきましたが、そんな試験が社会に当たり前のように受け入れられてしまったことで、英語にとどまらない言語教育そのものに悪影響を及ぼしはじめているという、強い危機感があるからです。

認知科学者で慶應義塾大学名誉教授の大津由紀雄氏は、文科省「教育の在り方に関する有識者会議(第3回)」において、大学での英語教育の現状を「TOEICの対策講座化に堕している」と評し、「TOEICでの高スコアは必ずしも英語の熟達度を示すものではな」いと喝破しています。

そしてその原因として、「そもそも日本語がきちんと使える人が非常に少ない」ことを挙げ、母国語教育と英語教育のあり方に同根の問題があることを指摘しています。

本来あるべき言語教育とは、英語という特定の言語に偏ることなく、言葉そのものに対する興味をさまざまな角度から養い、母国語と外国語をよく比較観察しながら「ことばの仕組みとか動き」を理解するものであるべきだと、大津氏は言います。

しかも、そもそも「比較観察」する前提となるのは国語力。国語力は思考と深く関連性があり、言語というものは思考した結果を表現するツールに過ぎません。だから、英語を学ぶ以前に、国語力に立脚した思考能力がなければ話にならないのです。

外国語の能力は母国語の能力を上回ることはないが、外国語を知ることは母国語を見直す契機となり、母国語の習熟度を高めます。英語学者の渡部昇一氏はこれを「知的格闘」と呼んでいましたが、外国語を知ることは、母国語と外国語両方に望ましい教育効果が期待できるのです。

■TOEICを目的とした教育で「母国語力」が低下している

ところが、TOEIC対策講座と化した外国語教育では、前述した通り、翻訳能力や通訳能力、そして実践的なスピーチ能力が、正しく身につくとはいえません。大津氏のいう「比較観察」も、渡部氏のいう「知的格闘」も磨かれず、外国語教育で求められる「母国語と外国語両方の習熟」という効果が期待しづらいと言えるでしょう。にもかかわらず、TOEICの点数さえよければいい、という教育を続けていれば、日本語力は磨かれず、当然ながら、日本語力を基盤とする思考力も育たない。

同時に、英語教育における学習者のレベルダウンは、言語学的見地から言えば、紛れもなく背景に国語力の欠如と、読み書き、文法学習の軽視に原因があることはまず間違いありません。つまり、日本語教育がうまく言っていないから、英語力も育たない。

他方で、TOEICの対策講座になった英語教育のせいで、日本語力が育たない。このような負のスパイラルは、基本的には学校教育での誤った教育方針が原因です。重ねて言いますが、そのあしき傾向を助長しているのがTOEICの存在で、その弊害はもはや看過できないレベルにまで達しています。

■日本語教育と外国語教育をセットで考え直すべし

その危機感は最近ますます強まっています。私はときどき国会の審議で答弁している官僚の話し方とか、テレビ番組に出ているコメンテーターと言われる人たちの会話や討論を聞くことにしています。そこで感じたことですが、意識的に論点をずらすとかある種の交渉術的な戦略があることを考慮しても、それ以前に日本語もおかしいというか、きちんとした日本語を話していない人も多い。

一方には、インテリを気取ってところどころ誰にもわからないような英語を交えて話す人もいて、そういう討論を聞いていると、そもそもこの人たちはコミュニケーションする気があるのだろうかという気さえしてきます。

今の世の中は殺伐といていて、子供殺しの親とか、モンスターペアレンツ、会社内での過労死など、痛ましい事件が後を絶ちませんが、これらの事件は、背景に日本語力の貧困によるコミュニケーションの欠如に遠因があるのではないかとすら思えてきます。唐突に思われる方もあるかもしれませんが、自分の考えを理解してもらえないと、人間というものはすごいフラストレーションを感じ、それが極限に達すると「切れる」ものなのです。

文科省の行政指導には、大きな問題があります。経済政策とか外交政策とか、およそ政策というものは、基本的には優れた専門家による検討を踏まえて決められていくものでしょう。ところが、文科省の(特に)英語教育に関しては、優れた専門家の諮問に耳を傾けているとはとても思えません。志ある立派な専門家がどれだけ主張しても、一向にそれが好ましい形で英語教育に反映されません。

浮ついた英語学習を改めて、そろそろ日本人の言語教育がどうあるべきか、国際社会での真のコミュニケーション能力には何が必要かを、国民ひとりひとりが原点に立ち返って考え直してほしいと思う今日この頃です。
http://news.livedoor.com/article/detail/14604971/

2018.4.3
英語を仕事で使う人の数は減少傾向という現実、むしろ必要な力とは
榎本博明:心理学博士、MP人間科学研究所代表+ 
http://diamond.jp/articles/-/165663

2020年東京オリンピックでの「おもてなし」に向けて、“英語ファースト”の時代が訪れている。「いまの時代、英会話ぐらいできないと」、「英語は早いうちから学んだ方がいい」と言われるが、

『その「英語」が子どもをダメにする』(青春出版社)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4413045203/diamondonline-22/


の著者・榎本博明氏は、そんな思い込みが蔓延する英語“偏重”な教育現場に警鐘を鳴らす。

実際、仕事で英語は本当に必要?

 現在、日本人は仕事上どれくらいの頻度で英語を使っているのだろうか。仕事で英語を話す機会といえば、海外支店に転勤になった場合か取引相手が海外の企業だった場合ぐらいである。

 とはいうものの、これからグローバル化が進む時代で、実際は英語の必要度がどんどん増しているのではないかと考える人も多いだろう。

 これについては、実証的なデータがある。言語社会学者の寺沢拓敬が行った調査で、「日本で実際にどれぐらいの英語が使われているか」を検証した。2002年の調査結果では、仕事で英語を「よく使う」人と「ときどき使う」人を合わせた比率は12.7%だったのに対し、2008年は13.3%と6年間でほとんど変化はみられなかった。

 さらに、「過去一年間に仕事で少しでも英語を使った」という人の比率は、2006年21.0%に対し、2010年は16.3%と、むしろ減少傾向にあるのだ。

このようなデータを見るかぎり、これから先も日本で仕事する上で本当に英語が必要になってくるのか疑問になってくるだろう。

 また、企業が社員にもとめる能力を調査したところ、英語力よりもむしろ専門性や柔軟性、そして仕事ができること、だれとでもコミュニケーションがとれることだったという。(『週刊金曜日』2013年11月8日号)

 最近では、英語は入社後でも十分身につくという考えが広がり、企業では仕事を進める力や人間力が重視されているというのが実態である。

 やはり、子どもの将来を考えた場合、英語教育に先走るよりも、まずは日本語力や思考力の基礎をしっかり固めることが優先されるべきだといえるだろう。

就活で「コミュニケーション力」が重視されるワケとは?

 新卒採用で多くの企業が最も重視するのが、「コミュニケーション力」だ。これはもちろん日本語でのコミュニケーションのことを指す。例年、「主体性」や「意欲」などを抑えて「コミュニケーション力」が圧倒的に重要視されるのはなぜだろうか。

 これは、近年の大学生の日本語能力の低下が関係していると考えられる。たとえば「内向的」「情緒不安定」「引っ込み思案」などの言葉が通じなくなってきていると榎本氏はいう。

 多くの大学教員が、学生に対して心理検査やアンケート調査ができなくなってきたというが、それは質問項目の意味がわからないという学生が増えてきたからといわれている。

 最近の学生は、SNSでのやり取りで記事を投稿したり友達と会話するなど、言葉に触れる経験は豊富なのだが、本をあまり読まないため、読書体験で得られるはずの豊かな表現や抽象的な概念に触れる機会がないのだ。

このように、英語どころか日本語のコミュニケーションさえうまくできない若者が増えているため、企業としては何としても「コミュニケーション力」がある若者を雇いたいと思うわけである。

 さらに、2007年から日本語検定が行われるようになり、企業の採用試験や研修で使われているという。そのようなものが必要になったということは、それだけ日本語に不自由な若者が増えてきたことの証拠といえるだろう。

英会話ができても、外国人と対等にはなれない

 そもそも日本人の多くが、英会話を話せれば外国人と対等にコミュニケーションがとれていると勘違いしている。その勘違いゆえに、わが子に英会話を習わせたいという親が多いのだ。

 もちろん英会話を話せないより話せた方が、コミュニケーションは円滑に進むだろう。しかし、“話せる”ことだけに注力してしまうのは危険である。

 子どもの言語発達について、発達心理学者の岡本夏木氏は、日常生活の言葉である「一次的言葉」と授業の言葉である「二次的言葉」を区別している。

「一次的言葉」は、具体的なことがらについて、いわば、日常生活において身近な人たちとの間で会話するための言葉である。それに対し「二次的言葉」は、抽象的な議論にも使える言葉であり、そこには話し言葉だけでなく書き言葉も加わったものである。

要するに、日常生活の具体的な場面の会話で用いる言葉か、教室で授業を受ける時などのように抽象的思考や議論をする時に用いる言葉か、ということだ。

 日本語を不自由なくしゃべっていても勉強ができない日本人、知的活動が苦手な日本人がいくらでもいるように、大事なのは学習言語能力、つまり後者の「二次的言葉」を磨くことである。それができないと、授業についていけず、ものごとを深く考えることができない子になってしまうのだ。

 幼いうちから英会話に注力しすぎた結果、英語どころか日本語能力も低く、日本語の文章が読めなかったり抽象的な議論ができないとなれば、取り返しがつかないだろう。

 先述しているように、英語はある程度大きくなってからでも学ぶことは十分可能なのだから、小さいうちから焦る必要は何もないのである。

 英会話は勉学ではなくあくまで「コミュニケーションのツール」。子どもが大きくなって勉強や仕事で本当に必要な能力は何なのか。親には、目先の能力にとらわれず、子どもの将来を見越した教育を受けさせることを忘れずに、わが子と向き合ってほしい。
http://diamond.jp/articles/-/165663

内田樹の研究室 2017.11.03 大学教育は生き延びられるのか?
独立行政法人化から後、日本の大学の学術発信力は一気に低下しましたけれど、それも当然なんです。法人化があって、学部改組があって、カリキュラム改革があって、そこに自己評価や相互評価が入ってきて、次はCOEだとかRU11だとかグローバル人材教育とか、ついには英語で授業やれとか言われて、この15年くらいずっとそういうことに追い回されてきたわけです。

グローバル人材育成と称して、今はどこでも英語で授業をやれというプレッシャーがかかっている。どう考えても、日本人の学生相手に日本人の教員が英語で授業やることに意味があるとは思えない。

実際にそういう大学で働いている人に聞きましたけれど、オール・イングリッシュで授業をするとクラスがたちまち階層化されるんだそうです。

一番上がネイティヴ、二番目が帰国子女、一番下が日本の中学高校で英語を習った学生。

発音のよい順に知的階層が出来て、いくら教員が必死に英語で話しても、ネイティヴが流暢な英語でそれに反対意見を述べると、教室の風向きが一斉にネイティヴに肩入れするのがわかるんだそうです。コンテンツの当否よりも英語の発音の方が知的な位階差の形成に関与している。

これも英語で授業をしている学部の先生からうかがった話ですけれど、ゼミの選択のときに、学生たちはいろいろな先生の研究室を訪ねて、しばらくおしゃべりをする。その先生のところに来たある学生はしばらく話したあとさらっと「先生、英語の発音悪いから、僕このゼミはとりません」と言ったそうです。その方、日本を代表する批評家なんですけれど、学生はその名前も知らなかった。
そういうことが今実際に起きているわけです。ではなぜこんなに英語の能力を好むというと、英語のオーラルが教員の持っている能力の中で最も格付けしやすいからです。一瞬で分かる。それ以外の、その人の学殖の深さや見識の高さは短い時間ではわからない。でも、英語の発音がネイティヴのものか、後天的に学習したものかは1秒でわかる。

『マイ・フェア・レディ』では、言語学者のヒギンズ教授が出会う人たち一人一人の出自をぴたぴたと当てるところから話が始まります。『マイ・フェア・レディ』の原作はバーナード・ショーの『ピグマリオン』という戯曲です。ショーはヒギンズ教授の口を通して、イギリスでは、誰でも一言口を開いた瞬間に出身地も、職業も、所属階層も分かってしまうということを「言語による差別化」(verbal distinction)としてきびしく告発させます。ヒギンズ教授は誰でも口を開いて発語したとたんに、その出身地も学歴も所属階級もわかってしまうというイギリスの言語状況を批判するためにそういう曲芸的なことをしてみせたのです。すべてのイギリス人は同じ「美しい英語」を話すべきであって、口を開いた瞬間に差別化が達成されるような言語状況は乗り越えられねばならない、と。だから、すさまじいコックニー訛りで話す花売り娘のイライザに「美しい英語」を教えて、出身階層の軛から脱出させるという難事業に取り組むことになるのです。

でも、今日本でやろうとしているのは、まさにヒギンズ教授がしようとしたことの逆方向を目指している。口を開いた瞬間に「グローバル度」の差が可視化されるように英語のオーラル能力を知的優越性の指標に使おうとしているんですから。それは別に、英語がネイティヴのように流暢に話せると知的に生産的だからということではなく、オーラル能力で階層化するのが一番正確で、一番コストがかからないからです。

日本中の大学が「グローバル化」と称して英語教育、それも会話に教育資源の相当部分を費やすのは、そうすれば知的生産性が向上するという見込みがあるからではないんです。知的な生産性という点から言ったら、大学ではできるだけ多くの外国語が履修される方がいい。国際理解ということを考えたら、あるいはもっと現実的に国際社会で起きていることを理解しようと望むなら、英会話習得に教育資源を集中させるよりは、外国語履修者が中国語やドイツ語やトルコ語やアラビア語などに散らばった方がいいに決まっている。でも、そういう必要な外国語の履修については何のインセンティブも用意されていない。それは、英語の履修目的が異文化理解や異文化とのコミュニケーションのためである以上に格付けのためのものだからです。

TOEICはおそらく大学で教えられているすべての教科の中で最も格付けが客観的で精密なテストです。だからみんなそのスコアを競うわけです。競争相手が多ければ多いほど優劣の精度は高まる。前に申し上げた通りです。だから、精密な格付けを求めれば求めるほど、若い人たちは同じ領域にひしめくようになる。「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。
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内田樹の研究室 2018.01.31
『街場の文体論』韓国語版序文


これが韓国語訳されることになったわけですけれど、果たして僕がこの授業で取り上げたさまざまなトピックが隣国の読者たちにとっても同じような切実さを持つものかどうか、確信がありません。でも、一つ言えるのは、韓国でも日本でも、言語が遭遇している危機についてはおそらくそれほどの違いはないということです。それは母語が痩せ細っているということです。序文として、それについて少しだけ思うことを書いてみたいと思います。

母語が痩せ細っているというのは、現実的には英語が支配的な言語になりつつあるということです。すでに各種の学会ではそうなりつつあります。

自然科学系の学会ではしばしば日本人だけの集まりでも発表や質疑は英語で行われます。研究者たちは英語で論文を読んで、英語で論文を書いて、英語で議論する。

韓国でも事情は同じだと聞いています。どちらも英語での大学の授業数が増えています。

「留学生数」や「海外提携校数」や「英語で開講されている授業数」や「外国人教員数」が多い学校に助成金がたくさん分配される。

だから、どの大学も必死になって英語に教育資源を集中的に分配するようになっています。

日本では中学高校で英語の授業は英語で行うことが定められました。

こういう流れを「国際化」とか「グローバル化」といって肯定的に語る人がたくさんいます。でも、それはそんなに喜ばしいことなんでしょうか。

とりあえず日本において統計的に一つだけわかっていることは、母語の教育を疎かにして、限られた教育資源を英語に集中するようになってから英語力が低下したということです。

この現実に慌てた政府は日本人が英語ができないのは学習開始年齢が遅いからだという根拠のない解釈に飛びついて、英語教育の開始年齢をさらに引き下げて、小学校3年生からの英語教育開始を決めました。結果はまだ出ていませんが、英語力を含めてすべての学力が低下することになるだろうと僕は予測しています。

なぜそんなことが起きるのか。それは言語政策を起案している日本の政治家や官僚や学者たちが「言葉を使う」という営みの複雑さを知らないからです。

彼らは言語というものを自転車や計算機のような「道具」だと思っている。こちらに道具を操作する主体がいて、あちらに道具がある。性能のよい道具を手に入れ、操作技術に習熟すれば仕事が捗る。そう思っている。

でも、それは違います。言葉は道具じゃない。僕たちが言葉を使うというより、僕たち自身が言葉で作られているのです。僕たちが言葉を支配しているのではなく、むしろ僕たちが言葉によって支配されているのです。

言葉は僕たちの血であり、肉であり、骨であり、皮膚である。それがどのような質のものか、どのようなかたちのものか、どのような特性を持ったものかによって、僕たち自身のものの考え方も、感じ方も、生き方もすべてが影響を受ける。

英語を巧妙に操れるようになるということは、「英語を母語とする種族のものの考え方、感じ方」をわが身に刻み込み、刷り込んでゆくということです。そのことの重大さに人々はあまりに無自覚だと思います。

アメリカの植民地であったフィリピンでは英語が使えないとビジネスマンとしても公務員としても教師としてもジャーナリストとしてもよい職には就けません。だから、地位のある人たちはみんなみごとな英語を話します。

フィリピンの生活言語はタガログ語です。でも、タガログ語ではビジネスをすることも政治や経済について語ることもできません。そのための語彙が母語にはないからです。

フィリピン人のある大学の先生がこう語っていました。「英語で話せることは実利的(practical)であるが、母語では話せないことは悲劇的(tragical)だ。」

なぜ悲劇的であるのか。それはこのような言語環境に置かれている限り、フィリピン起源の政治理論や芸術運動が出現する可能性が絶望的に低いからです。

知的なイノベーションは(ほとんどの場合)母語による思考から生まれてくるからです。
母語が痩せ細っていれば、知的なイノベーションは始まらない。

例えば僕たちは母語でしか新語(neologism)を創ることができません。新語というのは、勝手に作れるわけではありません。条件があります。それは生まれて初めて耳にした語であるにもかかわらず、聞いた瞬間に母語話者たちにはその語義もニュアンスもわかるということです。だから、あっという間に広がる。これは外国語ではできません。自分で新語を作ってみても(例えば、不規則変化は覚えるのが面倒だからこれからは“I went”ではなく”I goed”にしようと僕が提案してみても)「そんな言葉はない」と冷笑されるだけです。

新しい言葉を創れないということは、新しい概念や新しいロジックを創ることができないということです。創造的なアイディアが思い浮かんだ時のことを思い出せばわかります。それは「喉元まで出かかっているのだけれど、まだ言葉にならない」というもどかしさを伴う経験です。アイディアは身体の奥の方から泡のように湧き出てくるのだけれど、まだはっきりしたかたちをとることができないでいる。最終的にそれなりの言葉になるのですけれど、それは手持ちの言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、これまでそんな語義で使った前例のない使い方をしたことでようやく達成されます。創造的な概念がかたちをとる時には母語もまた変容する。知的創造と母語の富裕化は同期する。

言葉を使うというのは、そういう力動的なプロセスなのです。道具を使うのとは違います。

鋏を手に持っている時にその新しい使い方を思いついたら、鋏がその思いに合わせて形状を変え、材質を変え、機能を変えるということはあり得ません。その「あり得ない」ことが母語においては起きる。それを考えれば、母語の運用がいかに生成的なものであるかが想像できると思います。そして、この知的創造は(例外的な語学の天才を除けば)母語によってしかできません。既存の言葉を引き延ばしたり、押し拡げたり、たわめたり、それまでにない新しい語義を盛り込んだりすることは母語についてしかできないからです。

ですから、母語が痩せ細るというのは、その言語集団の知的創造にとっては致命的なことなのです。

植民地帝国はどこでも自分たちの言語を習得することを植民地現地人たちに強要しました。

宗主国の言語は強国の言語であり、当然「グローバル」な言語であるわけですから、植民地化された人たちはそれを習得したことで、政治的にも経済的にも学術的にも実力をつけて、国際社会の中で以前よりは高い地位に達してよいはずです(日本の英語政策はまさにそのような発想に基づいて実施されています)。

でも、歴史はそのような実例を一つも教えてくれません。

なぜ宗主国は植民地に「グローバルな言語」の使用を強要するのか。

それは宗主国の言語を習得した植民地人たちには母語を富裕化する動機が失われるからです。そして、母語が痩せ細ると知的創造の機会が失われる。

植民地人たちは、自分たちの歴史的現実について語ろうとする場合でさえ宗主国のロジック、宗主国の歴史観、宗主国の世界戦略に即してしか語れないようになる。父祖伝来の「家産」的な生きる知恵と技術を伝え、それに即して生きることができなくなる。母語が痩せ細るというのはそういうことです。

僕が「クリエイティブ・ライティング」という授業を始めたのは、「グローバル化」潮流の中で日本語が痩せ細り始めているということに強い危機感を抱いたからです。

でも、母語を豊かなものにすることは集団の知的創造性において必須であるということが言語政策を考えている人たちには理解されていません。その結果、日本の知的生産力は21世紀に入ってから急激に劣化しました。

一昨年の秋にはForeign Affairs Magazine が昨年春にはNature がそれぞれ日本の研究力の劣化について長文の分析記事を掲載しました。それほど危機的な状況であるのにもかかわらず、日本の教育行政はすでに失敗が明らかになった「グローバル化に最適化する教育」をさらに加速させる政策をいまも次々と採択しています。これは日本の知的生産力に回復不能の傷をもたらす結果になるでしょう。

誤解して欲しくないのですが、僕は外国語教育の重要性を否定しているわけではありません。僕自身は最初に中学生で漢文と英語を習い、大学ではフランス語を集中的に学びました。その後は(どれもものにはなりませんでしたけれど)ドイツ語、ラテン語、ヘブライ語を独学しました。去年からは韓国語の勉強も始めました。新しい外国語を学ぶとは、異国の人々の自分たちとはまったく異なる宇宙観や倫理規範や美意識に触れることです。それによって自分の母語的偏見が揺り動かされることに僕はいつも深い驚きと喜びを経験しています。そして、これらの外国語との触れ合いは間違いなく僕の母語運用能力を高め、もし僕が母語においてなにごとか知的創造を果たしたとすれば、それに深く関与したと思います。

でも、いま「グローバル化」の名の下で行われているのは「母語的偏見を揺り動かされる」ような生成的で鮮烈な経験ではありません。「英語ができないと出世ができない、金が稼げない、人にバカにされる」というような怯えに動機づけられた外国語との出会いが生産的なものになると僕にはどうしても思えないのです。

この本は「母語が痩せ細っている」という危機感の中で行われた授業の記録です。きっと韓国にも自国語の豊かさと創造性について、僕に似た危機感を抱いている人がいるのではないかと思います。そういう人たちにぜひ読んで欲しいと思います。
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チェスタトンの外国語論 早期英語教育は有害


グローバリストの奴隷育成

  文部科学省の中央教育審議会で子供に英語教育を施す環境作りを議論しているそうだ。(『日本の議論』「英語」は本当に必要なのか / 産経新聞 2014年12月20日) 平成28年度にも改定される新学習指導要領では、小学生高学年から英語が科目として導入されるんだって。高校生には英語で討論や交渉力を高めるような教育方針にするという。まったく役人ってのは、どうして余計なことだけでなく、邪魔な改定をするのだろう? 小学生に英語教育など不必要だし、他の教科の時間を削るから有害である。どうせ現場の教師はてんてこまいになって、やる気のない子供は無理強いされてふくれっ面するだけだ。多少興味を示す子供だって、たかが数時間の授業だから挨拶程度でおしまい。すぐペラペラ喋れると期待した子供は授業に失望するだろう。かくして英語の授業はお遊戯の時間となって、子供の学力はみるみる低下するだけ。したり顔のお役人様にいい英語を教えましょう。
Bloody fool, arsehole ! (アホんだら)

  文部官僚や学校教師は立場上の損得勘定をしているから脇に寄せといて、肝心の子供はどのような意見をもっているのか。ベネッセが6200人にアンケートした調査によれば、中高校生の90パーセントが仕事で英語を使うようになる、と予測していることが分かった。テレビや雑誌、学校などで英語の必要性が宣伝されているから当然だろう。しかし、「自分自身が英語を使うイメージがあるか」との問いに対しては、中学生44パーセント、高校生46パーセントが「ほとんどない」と答えたそうだ。具体的な仕事に就いていない生徒に、切迫した現実的必要性はないだろう。

  ところが、英語教育を推進したいのは財界だ。経団連からやって来た三宅龍哉委員は、海外に社員を派遣するときに企業が英語教育をせねばならぬ、と不満の意見を述べた。要は企業が英語教育費を負担することになるから、学校の方(税立施設)で費用と時間を持ってくれ、と要求しているのだ。虫のいい提案だろう。

  もっとけしからんのは、元入試センター教授の小野博・福岡大学客員教授だ。小野氏は「社会情勢の変化により日本企業のアジア進出が更に拡大したり、逆に移民を受け入れるなど、今後日本社会は変化を余儀なくされる可能性が高い。英語は必ず必要になる」と断言したそうだ。こういう馬鹿が教授になっているのだから、いかに大学が堕落しているか分かるだろう。イギリス人が日本に移住してくるわけがなく、おもに英語圏のアジア人を想定しているのだろう。たとえば、フィリピン人のためにどうして我が国の子供が英語を勉強せねばならぬのか。フィリピン人が移民せぬよう防ぐことの方がよっぽど重要である。「社会情勢の変化」という“まやかし”の言葉を用いるところなど、小野氏には如何にも詐欺師的匂いがする。まるで彼は国境を破壊してアジア人を引き入れようとするグローバリストの手先みたいだ。

  小野氏のような腰巾着を登用する財界と役人は、日本人労働者の生活水準をアジア人並(つまり奴隷状態)に下げて、低賃金でこき使いたいだけだろう。そのために小学生から低賃金労働者にすべく、税金を使って調教しようとする肚は見え透いている。国際企業にとりアジアはリスクが高い。社会インフラが貧弱だったり、政情不安で暴動を気にせねばならない。せっかくの投資がパーになったら大変だ。安全で便利な日本で製品を作りたい。日本にインドやシナ、フィリピンから安い労働者を輸入して、利益を最大限まで上げたい。その時、日本人労働者がアジア人と共同して作業できるために、共通語たる簡単な英語が必要なだけだろう。その英語だって簡単な単語を並べて、お互いに推理しながらの意思疎通だ。

  じゃあ聞くが、英語を社員に強要する社長や重役たちは本当に英語で会話しているのか? そんなに英語力が重要なら、英米の有能人物を雇えばよいだろう。そんなこと言ったらお偉方は沈黙。つまり、自分たちは“日本人社員”に向かって、“日本語”で言いたい放題の指図をしたいが、社員どもは雑談でさえ英語を使えと命令するのだ。ユニクロや楽天の社員はどう思っているのだろうか? 日本語では傲慢な態度の重役らは、英米の白人社員の前だと、そのお粗末な英語を披露せねばならぬから、態度が急変して作り笑顔になることがよくある。彼らは同期の重役仲間とは、日本語で会話しながら“のびのびと”ゴルフを楽しむ。ゴルフ場が会議室。英語で雑談などしない。二極分化している日本では、上流階級の子弟は、進学校で英才教育を受けながら日本語で会話をし、低能教育しか受けていない低賃金労働者は、社会の底辺から抜け出せぬ人生を送り、職場ではブロークン英語を強要される仕組みが出来上がる。

怨みのこもった英語教育熱

  日本人が「英語だ、英会話だ」と騒ぐ原因は、多くの国民に学校での英語教育に対する怨みがあるからだろう。十年間くらい勉強したのに、イギリス人やアメリカ人の前でちっとも流暢に喋れないどころか、外人の話を聴き取ることすらできない。そうした若者が親になったら、自分の子供だけは違った教育で英語を流暢に話せるようにさせたい、などと決意して欧米系のインターナショナル学校に入れたりするのだ。勉強が出来なかった親に限って、お金で環境さえ整えれば我が子は自分と違った秀才になると思っていやがる。ばぁーか。蛙の子はカエルだ。日本では英語が喋れるくらいで、自慢になり仕事がもらえる。日テレで英語を披露していた関根麻里という藝人(何の藝かな?)は、米国なら単なる小娘だからテレビに出られない。オヤジの関根勤のほうがよっぽど外国で通用する。だってカマキリ姿でギャグをする藝人の方がアメリカ人にとって面白い。(若きラビット関根の十八番。ただし娘の番組は一度しか観ていないので詳しく語れない。ゴメンなさい。) つまり、子供にはまづ中身のある教育を施し、立派な日本人に育てることが優先事項である。

  元NHKワシントン特派員だった日高義樹の英語なんて酷かった。テレビ東京のレギュラー番組で、ヘンリー・キッシンジャーにインタヴューしたとき、日高氏は、たんに自分の英語を自慢したいがために、通訳を附けずに対談していた。もともと教養がない日高氏が、不慣れな英語を使って鋭い質問など出来るはずがない。台本通りの質問を得意げに吐いていたから、視聴者はつまらないし、どうでもよくなってシラケてしまう。日高のアホは英語より先に政治や歴史を勉強しろ。むかしソニーが輝いていた頃、盛田昭夫会長の話は傾聴に値するものだった。彼の英語は拙(つたな)くても、思わず聞きたくなるようなモノだった。盛田氏の個人的魅力があったからかも知れないが、彼は米国で信念と情熱を込めて中身のある議論を交わしていたのだ。対話しているアメリカ人は、極東アジアから来た英語を喋る九官鳥ではなく、背骨の通った日本の国士を相手にしていたのである。

  つい最近、エアー・バッグ製造のタカタが、缺陷(けっかん)製品のリコール問題で社長が米国の公聴会に召喚され弁明していた。しかし、彼の英語はどちらかと言えば下手で、筆者は大企業の社長でもこの程度かと思った。(詳しく言えば、話す英語にリズムや強弱がないのだ) 大切なのは弁明の中身であり、誠意を示す表現なり態度である。見え透いた嘘を流暢な英語で語っても、アメリカ人は感心しないのだ。個人的魅力がない日本人がいくら英語を喋っても、そのへんのパンク野郎か乞食と同じだろう。日本人は人格形成を蔑ろにして、簡単な英語で空虚な会話を習得しようとしている。せっかく英語を習得したのに、アメリカ人から「へぇー、英語上手ね。あんた香港からの支那人?」て尋ねられたら、日本人は「何を無礼者」と怒るだろう。語学より大切なことがあるのだ。

英語学習より英国史が先

  数学教育についても言いたいことがあるが、今回は語学教育に限って述べたい。日本人が英語を勉強するときには、何らかの目的があってのことだろう。子供はいったい英語で何がしたいのかがはっきりしないまま、学校で英語を詰め込まれるのだから、英語嫌いになって当然だ。日本の公教育は子供に勉強が嫌いになるようプログラムされている。「そんなこととないぞ。こっちとら、一生懸命頑張ってるんだ」と教師は反論するだろう。でも、スクールがギリシア語の「スコラ(σχλη)」から由来することは周知の通り。つまりギリシア人は日常の雑用や仕事を奴隷にやらせて暇だから、みんなで集まって宇宙や地球の構造や摂理を探求するといった趣味に興じていたのだ。だから、幾何学や哲学、論理学といった学問をあれこれ討論しても、定期テストや入試なんか持ち出さなかった。もちろん最低限の基礎知識は必要だ。まったくの素人では議論にならない。ただ、船大工なら親方が新入り職人をテストすることはあっても、プラトンやソクラテスが哲学の議論で仲間に学期末試験なんて課さない。謂わば「オタク族」の集まりにそんなの要らないのだ。しかし、現在の学校では、子供を将来の労働者にすべく、効率的に職業訓練を施したいから、実力試験を課して達成度を測りたいのである。食肉にされるブロイラーが餌と抗生物質で効率的に飼育されるのと同じ要領。家庭で日本語を話している小学生や中学生が、いきなり外国語を強要され、試験でランクづけされたあげく、もっと勉強しろと命令されたら楽しいはずがない。一週間にたった数時間の授業で文法(syntax/grammar)や発音が全く違う言語を習得するなど無理。苦痛のみが増幅するだけだ。一方、ヨーロッパ人にとって英語は姉妹語だから簡単(gravy)である。

chesterton 1  ここで、英国の有名な偉人ギルバート・K.・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton)を紹介したい。筆者も大好きなイギリス人批評家で、日本でも人気の高い碩学の知識人である。チェスタトンは『デイリー・ニューズ』紙に『歴史VS.歴史家』という文章を掲載した。若いときに彼は、「学校に通っている児童には歴史のみを教えるべし」と喝破した。(G.K.Chesterton, History Versus the Historians, Daily News, 25 July, 1908, in Lunacy and Letters, ed. by Dorothy Collins, Sheed & Ward, London, 1958, pp.128-129) チェスタトンが暴論に思えるような意見を述べたのは、当時の古典科目ではラテン語の習得は必修であったからだ。そしてラテン語の教授方法に苦言を呈したのである。「少年は単にラテン語を学ぶだけではラテン語の重要性は分からぬ。しかし、ラテン人の歴史を学ぶことで、それが分かるであろう。」とチェスタトンは提案したのだ。(ラテン人とはローマ人を指す。)

  さすがチェスタトンの炯眼(けいがん)は鋭い。彼が言うには、アウステルリッツ(Austerlit)という地名を地理の授業だけで覚えることはナンセンスだ。単なる計算を学ぶ算数の授業だって同じこと。しかし、フランス皇帝ナポレオン1世が、アウステルリッツでオーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ皇帝フランツ2世)とロシア皇帝アレクサンドル1世を相手に干戈(かんか)を交えた一大決戦(Bataille d'Austerlitz)となれば話が違う。子供だって大物武将三人が睨み合った三帝会戦(Dreikaiserschlacht)なら、教師の話を手に汗握って聞き入るだろう。日本の子供も桶狭間の戦いや川中島の合戦の話は面白い。弱小藩の織田信長が“海道一の弓取り”今川義元の首をとった逆転劇はスリル満載。智将の上杉謙信と猛将の武田信玄がぶつかった戦の講談は大人だって楽しい。砲兵出身の名将ナポレオンが計算をしたり、地図を見ながら策を練る姿を聞けば、子供たちも地理と算数に興味が沸くだろう。

  チェスタトンは一件無味乾燥な科目でも、その背景を教えてもらえば、子供が“知的好奇心(intellectual curiosity)”が芽生えることを指摘しているのだ。幾何学が嫌いな生徒でも、十字軍のロマンティクな物語やサラセン人の世界を知れば、そのへんてこな数字の羅列に興味を示すかも知れない。(ギリシアの「幾何学Algebra」は中東アジアを経由して西洋に導入されたから。) 英語では「何が何だか分からぬ(It's Greek to me.)」と表現して、ギリシア語などイギリス人には「ちんぷんかんぷん」だろうが、ギリシア人の文化藝術を知れば、その難解な言語を学びたくなる。チェスタトンは、「歴史はすべての学問を、たとえ人類学でも人間臭くする」と言う。「人類学」を人間に親しみのある学問にするとは、いかにもチェスタトンらしいヒューモアだ。

  日本人が外国語習得について考えてみれば、おかしな事に気づくだろう。朝鮮を統治していたのに朝鮮語を喋れる半島在住の日本人(内地人)がほとんどいなかった。朝鮮総督府の役人でさえ、朝鮮語を学ぼうとする者が滅多にいなかったのだ。理由は簡単。馬鹿らしいから。朝鮮人なんて不潔で下劣な民族の言葉をどうして一流国の日本人が学ぶ必要があるのか。初めて見る糞尿だらけの極貧国に、日本人が憧れるような文化はない。朝鮮に渡った日本の知識人だって、儒教を朝鮮人から学ぼうとは思わなかった。小便さえ自分でしなかった両班の姿を見れば笑ってしまうだろう。日本人にはアカンタレと乞食が何を話そうが興味ない。ロシア語なら陸軍将兵も必要を感じたから学ぶ者がいたし、ドイツ語は尊敬するドイツ陸軍とドイツ文化の言葉だから、強制されなくても日本人は進んで学んだのである。現在、支那語に人気がないのは、支那人を見れは納得できる。だって、支那人と話して嬉しいのか?

  我々日本人が英語を学ぶときは、まづ英国史を勉強すべきだ。特殊な職業を目指す子共は別だが、語学能力を本業とせぬ一般の日本人は、イギリス人が如何なる歴史を送ったのか、どんな功績を残したのか、彼らはなぜ大帝国を築くことが出来たのか、などを知るべきだ。そして興味をそそられた者が、イギリス人を自分で理解するために英語を専攻すべきだ。大学入試のためだけの英語とは違い、そこにはイギリス人が感じた事を彼らの言葉で自分も感じることができる喜びがある。こうした語学勉強なら一生続けられるだろう。「ハロー、レッツ・スピーク・イングリッシュ」なんて謳う幼児英会話教室は要らない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68281664.html

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html


詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven
(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。

アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ〜あ、また“グローバル化”かよぉ〜」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

Ewan McGregor 8Cameron Diaz 2Will Smith 4Murray Abraham 1
(左: ユアン・マクレガー / キャメロン・ディアス / ウィル・スミス / 右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

kids in thai 2Filipino girls 6chinese girl 2
(左: タイ人の子供たち / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ〜い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

Sigrid Agren 1 FrenchFrench kids 4
(写真 / フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左 / 渡部昇一 )

  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691413.html


167. 中川隆[-12559] koaQ7Jey 2018年5月24日 02:23:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

自ら発展途上国化しようとしている日本

英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) – 2015/7/17
施 光恒 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E5%8C%96%E3%81%AF%E6%84%9A%E6%B0%91%E5%8C%96-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%8A%9B%E3%81%8C%E5%9C%B0%E3%81%AB%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%BD-%E5%85%89%E6%81%92/dp/4087207951

我が国を長期的に亡国に導く可能性がある衝撃的なニュースが報じられていた。


『ホンダ、英語を公用語…日本人だけなら日本語も
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150705-OYT1T50040.html


 ホンダは2020年を目標に、英語を社内の公用語にすることを決めた。
原則として、外国人の社員が参加する会議や、本社と海外拠点で共有する文書では、英語を使う。自動車業界はグローバル化が進んでおり、英語の公用語化によって、社員同士の意思疎通を円滑に進めることを目指す。

 基本的には、外国人社員が一人でも会議に出席していたり、本社から海外拠点に指示したりする場合には英語を用いる。ただし、外国人社員が出席しない会議や、現地の従業員だけが共有する文書は、これまで通り日本語や現地の言葉を使うなど柔軟に対応する。

 現在、本社と海外の現地法人の電話会議は、主に日本語で会話しており、日本人の駐在員しか出席しない場合が多い。駐在員が会議の内容を英語に翻訳して外国人従業員に伝えるため、手間がかかり、本社の意図を正確に伝えられないこともあったという。』

 これで、ホンダは「日本企業」であることをやめたも同然です。そして、日本語環境で高度な思考を巡らせ、製品開発や販売戦略を練ってきた日本人社員が英語を強制されることで、意思疎通は更に悪化し、需要に応える自動車を作るという意味における、真の意味の「ホンダの競争力」は凋落していくことになるでしょう。


 ホンダを含む「英語の公用語化」などと愚かな実験を始めた全ての日本企業の経営者、社員に読んで欲しい一冊があります。7月17日に発売になる、施光恒先生の「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 」です。


自由、平等、そして民主主義の「基盤」となっているのは、何でしょうか。

国民の言語です。


 国民の言語が統一されていることで、人間は、
「多数の選択肢に実際にアクセスし、その中から選ぶことができる」
 という意味における自由を手に入れます。日本が、

「英語が公用語。日本語は現地語」

 といった状況だと、我々日本国民の人生の選択肢は相当に狭まってしまうでしょう。すでにして、「英語が分からなければ、ホンダで働けない」と、自由の制限が始まっているのです。


 また、言語が統一されていれば、
「グローバル言語(かつてはラテン語。今は英語)を話す人と、現地語(あるいは土着語)で話す人」
 といった格差が生じ、平等が破壊されることが防げます。そして、日常生活で使う言葉や語彙で「政治」を話し合うことができて初めて、民主主義が成立するのです。 


 施先生が本書で例に出されていますが、ベルギーは1830年の建国以来、異なる言語を使う人々の間で連帯意識をいかに醸成するか、苦労に苦労を重ねてきました。結局、言語が異なる国民同士の連帯意識を高めることは不可能に近く、現在は南部と北部の対立が先鋭化し、選挙のたびに国政が停滞する(政権が発足できない)状況が続いています。(最近では、言語問題に輪をかける形で、移民問題を抱えているわけです)


 母国語を捨てることは、自由や平等、そして健全な民主主義が存在する社会を諦めることなのです。
 
 そもそも、「グローバルな言語(現在は英語)」が公用語的になっており、人々が日常的に話す言葉が「土着語」「現地語」と呼ばれ、高等教育を母国語で実施できない国のことを「発展途上国」と呼ぶのです。


 ビジネス界のみならず、我が国では小学校の英語教育の早期化や、大学教育の英語化が始まっています。すなわち、自ら発展途上国化しようとしているわけで、これほど愚かな国は世界に類例を見ないのではないでしょうか。
 
 人類の進歩というものがあるとしたら、それは施先生も書かれていますが、「翻訳と土着化」で進んできました。欧州を近代化させたのは、間違いなくグローバル言語(ラテン語)で書かれた聖書の各国語への翻訳と土着化です。聖書が英語やフランス語、ドイツ語に翻訳され、概念に基づき語彙が増えていき、各地の「国民」は母国語で世界を、社会を、神を、人生を、哲学を、政治を、科学を、技術を考えられるようになったのです。結果、欧州は近代化しました。


 日本の近代化は、それこそ「明治産業革命」時代の翻訳と土着化により達成されました。外国語をそのまま使うのではなく、概念を理解し、日本語に翻訳する。適切な言葉がないならば、作る(日本語は漢字で表現されるので、非常に便利です)。


 科学、哲学、個人、経済、競争、時間といった言葉は、日本語に適切な訳語がないため、造語されました。自由、観念、福祉、革命などは、従来の漢語に新たな意味が付加されました。


 日本が先進国なのは、先人が「英語を公用語化する」(そういう話は何度もありました)という愚かな選択をせず、「総てを母国語で」を貫いたおかげです。結果的に、恐ろしく柔軟性(これも幕末以降の造語ですが)に富み、抽象表現が幅広く使える日本語により、世界に冠たる文明(これも造語)を築き上げることに成功したわけです。


 確かに、日本人は英語が下手ですが、当たり前です。そもそも日常生活で英語を使う必要が全くなく、母国語で素晴らしい文化(これも造語)を花開かせているのです。英語が巧くなるわけがありません。とはいえ、何度か書いていますが、「日本語」以外でワンピースやコードギアスやシュタインズ・ゲートが生まれると思いますか? 絶対に、無理です。


 逆に、「現地住民」が英語を学ばなければならない国は、母国語のみでは生活できない発展途上国なのでございます。この種の国の国民が、母国語のみで生きていけるようになったとき、初めて「先進国」になるのです。


 というわけで、施先生がメルマガなどでも書いて下さったように、我が国は各国が、
「英語が下手でも普通に生きていける国」

 になるよう、支援するべきなのでございます。それにも関わらず、我が国は自ら「英語を学ばなければ、生きていけない国」を目指しているわけで、このあまりにも愚かな動きに対し、断固反対していかなければなりません。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12047937948.html

【施 光恒】英語化と「国のかたち」 2015/07/10


7月17日に、『英語化は愚民化──日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)という新しい本を出します。
http://www.amazon.co.jp/dp/4087207951/ref=zg_bs_492118_4


中身は、日本社会で進む英語偏重の流れや、その背後にあるグローバル化を筋道立てて批判したものです。

しかし、英語偏重の流れは、止まりませんね。三橋さんも先日触れていらっしゃいましたが、楽天、ユニクロだけでなく、ホンダも、企業内の公用語を英語にするらしいですね。

昨日もそれに関連する下記のような記事がでていました。

「ホンダ「も」導入した英語公用語化──「オフィスは英語」が日常の風景になるのか」(『日経ビジネス ONLINE』2015年7月9日付)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/070800028/?P=1

小学校での英語正式教科化も、2020年から始まる予定です。7月6日の『朝日新聞デジタル』では、小学校での英語教育推進の是非についてのさまざまな意見が特集されていました。

「早期の英語教育、改めて考える 反響をもとに取材」(『朝日新聞デジタル』2015年7月6日)
http://www.asahi.com/articles/ASH6T6486H6TUTIL03Y.html

日本語も覚束ないような幼い時から「英語、英語」ということには、上記の記事にあるように反対意見も多々出されているのですが、文科省など行政は、着々と、英語化を進めています。

小中学校で外国人教師を採用したり、小学校教員の採用試験を英語重視に改めたりするようです。

「教員採用試験でも広がる「グローバル化」──英語教育の充実で」(『Benesse教育情報サイト』2015年7月2日)
http://benesse.jp/blog/20150702/p1.html

私が「おっかないな」と思うのは、こうした英語偏重の「改革」が続けば、あるどこかの時点で「閾値」を超え、ダーッと日本社会の英語化が進んでしまうのではないか、ということです。

その「閾値」というのは、多くの日本人が、「英語ができなければ、子供たちが将来、よい教育を受けられないし、よい職業にもつけず、みじめな思いをしてしまうだろう」と実感してしまう時点だと思います。

この時点を迎えてしまえば、たとえ個々人が「ここは日本なのだから、英語よりもまず日本語が大切だ」と考えていたとしても、あまり関係ありません。自分の子供が将来、つらい思いをするかもしれないと心配になってくれば、大部分の人は、自分の考えはどうあれ、子供にともかく英語を身に付けさせるようになるでしょう。

この「閾値」となる時点は、すでにすぐそこまで来ているのではないかと思います。

今回のホンダの企業内英語公用語化のニュースも、この時点の到来を早めるものの一つでしょう。

それに政府は、小学校の英語正式教科化や、大学の授業の英語化など、英語偏重の教育改革に躍起になっています。

全国の小学校で英語が正式教科となってしまえば、当然、私立や国立の中学入試でも、英語が必須科目となります。

「コミュニケーション重視」「実用的英語力重視」のご時世ですので、中学受験で英語の面接などが導入されるところが増えるのではないでしょうか。

そうなれば、教育熱心な家庭では、小学生のときから、アメリカやイギリス、あるいはフィリピンなどの英語圏に留学させることが流行すると思います。少なくとも、夏休みに、小学生が語学留学するのは、ごく一般的になるはずです。

また、下村博文文科大臣は、平成25年の第四回産業競争力会議で、「世界と競う大学」を作るために、「今後10年間で、大学の授業の5割以上を英語で実施するようにすべきだ」という成果目標を提案しています。
(-_-;)

「人材力強化のための教育戦略」(「第4回 産業競争力会議配布資料 下村文部科学大臣提出資料」平成25年3月15日)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai4/siryou7.pdf
(PDFファイルが開きます。上記の成果目標は、6ページに記載されています)。

「小学生の間にある程度、英語を身に付けていないと、よい中学に入れない」「英語ができないと、よい大学で学べない」「将来、良い仕事にも就けなくなってしまう」と思う日本人が、遅くても10年足らずの間に急速に増えることが予想されます。

財界の一部や、その意を受けた政府が、(日本人の税金を用いて)政策として日本社会の英語化を進め、「国のかたち」を変革しようとしているわけです。

この変革は、ある程度まで行ってしまい、「英語ができなければ、子供たちが惨めな境遇に追いやられる」と多くの人が実感するようになれば、それから先は、半ば自動的に日本社会の英語化は加速度的に進んでいくようになります。

その先に待っているのは、英語能力の格差が経済的なものに反映される著しい格差の拡大であり、「英語族」と「日本語族」との間の国民の分断であり、日本語があやしく日本人的な感覚も持ち合わせていない新世代の「エリート」による、よそよそしい政治であると思います。
(´・ω・`)

なぜ、日本社会の英語化というバカな流れが止められないのでしょうか。

一つの理由は、現代人の多くが、「グローバル化は時代の必然的流れであり、抗うことはできない」「英語化も時代の不可避の流れだから、しょうがない」というような奇妙な歴史観にとらわれてしまっていることにあるように思います。

拙著『英語化は愚民化』では、まず、この奇妙な歴史観の検討と批判から、話を始めています。

「グローバル化・英語化は時代の流れだから、しょうがない」という無力感にとらわれず、「たとえ英語ができなくても、子供たちは、高いレベルの教育をきちんと受けられ、よい仕事にも就ける。様々な機会を享受できる。惨めな思いなどしなくてもよい」という日本を守っていかなくてはならん。そういう思いから、拙著を書きました。

書店に並ぶようになりましたら、ぜひ手に取ってご覧くだされば幸いです。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/category/seteruhisa/

本日は先日来ご紹介して、異様に反響があった施 光恒先生の「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) 」発売日でございます。わたくしはゲラ段階で拝読させて頂き、献本いただいて再度読んだわけですが、つくづく「良書」でございます。

 というわけで、あまりネタバレしたくはないのですが、一つだけ、
「なぜ、現在の日本国において、曲がりなりにも民主主義が成立しているのか」
 について、施先生の考察を書きたいと思います。


 民主主義が成り立つためには、国民が政治的な概念、言葉、定義を共有し、議論をする必要があります。政治の語彙(ボキャブラリー)がない人は、政治について語ることはできません。


 例えば、現在の永田町では「防衛という安全保障」を巡る議論(一応、議論としておきます)が活発化していますが、これは「防衛」「安全保障」といった概念を、日本国民が日本語で語ることが出来なければ成り立たないのです。日本語に「防衛」「安全保障」という語彙がない場合、日本国民は防衛や安全保障について議論することはできません。


 その状況で、民主主義が成り立つでしょうか。もちろん、無理です。


 というわけで、民主主義をこよなく愛する(はずの)朝日新聞は、今こそ「反・英語化」の路線を採るべきなのです。日本の政治が「英語」なしでは議論できない状況になった日には、間違いなく我が国の民主主義は終わります。政治は、英語を解する一部の特権階級のものとなり、「土着語」である日本語を話すマジョリティの国民は、政治について語ることが不可能になってしまうのです。


 母国語で、つまりは日常的に使う言語で「政治」について、一般の国民が話し合うことが不可能な国では、民主主義は成り立たないのです(実際、成り立っていません)。我が国が「国民が主権を持ち続ける国」であるためにも、現在の「英語化」の動きには断固として反対しなければならないのでございます。


 日本国民は、江戸末期から明治初期にかけて、欧米から新たに入ってきた「概念」について、「翻訳と土着化」をして下さった先人に感謝するべきです。当時の日本人が、文化、文明、民主、自由、共和、経済、競争といった「概念」について、日本語を「造語」してまで翻訳して下さったおかげで、我が国は先進国になれたのです。すなわち、普通の日本人が文化やら文明やら、共和、民主、経済、競争といった「概念」を用いてコミュニケーション可能な国にしてくれたからこそ、日本は先進国となりました。


 無論、当時の日本人は概念の翻訳と土着化のみならず、より物理的な「技術」についても欧米から学び、「日本で生産可能」とするための投資を積み重ねました。まさに、その「遺産」こそが明治産業革命遺産なのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12051193178.html

施光恒・九大大学院准教授「英語押しつけで日本人は愚民化」
2015年8月3日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/878.html


■安倍政権は米国に追随したいだけはないか


 安倍政権は安保法制で何を守ろうとしているのか。根本的な問いかけをしている話題の書が、施光恒・九大大学院准教授が著した「英語化は愚民化」(集英社新書)である。米国の繁栄を前提に、とことん米国に追随しようとする安倍政権は安保政策やTPPで尻尾を振るだけでなく、ついには英語の事実上の公用語化に動き始めている。英語教育の充実は当たり前のように思われがちだが、それによって、強制的に国の形、文化、働き方が変えられてしまう恐れがある。その先に何があるのかを著者に聞いた。


――タイトルは非常に刺激的というか、英会話ブームの今の日本の風潮を真っ向から否定するものですね。この本を書かれた動機は?


 楽天やユニクロが社内の公用語を英語化したでしょう? 同じ頃、安倍政権が日本社会全体を英語化する政策を推進し始めた。たとえば、産業競争力会議の下にあるクールジャパンムーブメント推進会議は「公共の場での会話は英語のみ」という英語公用語特区をつくる提言をしました。日本国内であるのに日本語を「使ってはいけない」区域をつくるという信じ難い提案です。教育行政でも、英語による授業の割合を増やす大学には巨額の補助金を与えるようになり、文科省は一流の大学は10年後に5割以上の授業を英語化せよ、とまで一昨年言っている。その背景には、グローバル化の時代なのだから仕方がないという発想があるのですが、本当にグローバル化の流れは必然なのか、良いことなのか。その波に乗ることで、日本の強さの基盤が破壊されることはないのか。そうした根源的な疑問を持ったんですね。


――小学校でも間もなく英語が正式教科になりますね。


 そうなれば、中学入試の科目に英語が入ります。教育熱心な家庭は小学生を英語圏に短期留学させるでしょうね。父親は日本で稼ぎ、母子は外国で暮らす。そうやって英語が上達した子が、日本のエリートと目されるようになる。しかし、こうした英語偏重教育は当然、日本語の力に跳ね返ってくる。母国語である日本語が怪しいエリートたちに、果たして深い思考ができるのだろうか。英語はできるが思考力のない植民地エリートのような人々が仕切る政治や行政は、一般の国民が求めるものとはかなりずれたものになる。これが怖いのです。


――こうした英語化推進は「国家百年の計の過ちである」と書かれていますね。


 ビジネスや大学教育など日本の社会の第一線が英語化されてしまうと、どうなるか。英語がしゃべれるか否かという教育格差が、収入など経済的格差に直結し、究極の分断社会が誕生します。どんなに他の能力が高くても英語力を磨く余裕がないというだけで、中間層の人々は成長したり、能力を磨いたりする機会を奪われる。日本の誇る中間層が愚民化を強いられ、没落するのです。また、日本語が高度な議論の場で使われなくなれば、日本語そのものも最先端の用語を持たない遅れた言語となり、国民の愚民化に拍車が掛かる。一方で、英語がしゃべれるだけのエリートもまた、深い思考力や洞察力を持てないから日本全体が愚民化していきます。


――でも、英語がしゃべれるようになるのは悪いことじゃないでしょう?英語化に熱心な楽天の三木谷さんは「第2公用語を英語にしたら、日本の経済はシンガポールのように超強くなる」と言っていますよ。


 英語化によって日本の知的中間層が衰弱したら、日本経済の再生など不可能です。ちなみにシンガポールは超格差社会で、民主主義国家ですらないのです。グローバル化の流れに乗れば、国民が幸福になるというのは幻想です。


――今の日本を覆っているのが、米国流のグローバルスタンダードに従うべきだという風潮です。


 安保法制にしても、TPPや英語公用語化の動きにしても、何が日本の利益になるのかはっきり見えない。結局、米国に追従したいだけではないか。こうした問題への対応を見ていると、今の政府が、まるで自分たちをアメリカ人であるかのように錯覚しているのが分かる。すでに植民地エリートになっているのかもしれません。


■英語しかしゃべれない植民地エリートが国を壊す

「安倍政権に強い危機感」と訴える施氏(C)日刊ゲンダイ


――英語を公用語化すれば、グローバル企業が参入し、日本人もそこで働けるというのが狙いなのでしょうが、この発想も植民地的ですね。


「経済的利益のためなら日本語をないがしろにしてもかまわん。言語はしょせんツールだから」と英語化推進派は思っているようです。しかし、経済的利益などあまりないし、それよりも何も、言語は私たちの知性や感性、世界観をつくっているのです。例えば、日本語は私、俺、小生などさまざまな一人称がある。時には子供の前で自分を指して『お父さんはね』などとも言う。相手を呼ぶ場合もあなた、君、おまえから、先生、課長などいろいろです。日本人は常に相手との関係を考えて話をする。それが互いに思いやる文化をつくってきた。一方、英語の一人称は常にIだし、二人称もYouだけです。英語を母国語とする人は、最初から自分が中心にいるのです。


――日本人の気配り、欧米人の自己主張。そういう民族性の違いは言語に起因すると?


 我々は言葉から自由になれないし、その言語がつくり出す文化に縛られているのです。たとえ英語がペラペラになっても、彼らの文化やルールの上で、米国人や英国人と対等に勝負できるかというとそうではない。結局、日本人がグローバル資本の奴隷になるだけです。つまり、英語はそこそこ話せるけれども高度な思考はできないといった、安価で都合のいい現地雇いの労働者の量産が狙いでしょう。


 非英語圏の星である日本までが英語化すると、世界全体も不幸になります。英語圏諸国を頂点に置くピラミッドのような「英語による支配の序列構造」がさらに強固になるからです。つまり、英語のネーティブの特権階級が上にいて、その下に英語を第2公用語とする「中流階級」ができる。その下に英語を外国語として使う「労働者階級」が存在する。そういうピラミッドが不動のものになる恐れがあります。


――このピラミッドの下の方から、日本人が抜け出すことは難しそうですね。


 この言語による不公正な格差構造のある世界を、日本人はグローバル社会と呼び、称賛する。グローバル化って、マジックワードなんですよ。本当は違うのに、進歩した世界に聞こえてしまう。役所でも、グローバル化対応予算などというと、すんなり通りやすくなる。


――村より国家、国家より地域統合体、理想は世界国家みたいな考え方ですね。しかし、EUは地域統合で行き詰まっていますね。


「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」で話題のフランスの歴史学者のエマニュエル・トッドは、グローバル化の進展に伴って、EU各国内での民主主義が機能しなくなっていると警鐘を鳴らしています。


――EUの閉塞状況こそを参考にしなければいけないのに、日本は周回遅れのランナーのように、グローバル化と叫んでいる。


 安倍首相は当初、「瑞穂の国の資本主義」というスローガンを掲げていたのに、真逆の方向に進んでいます。安倍さんのナショナリズムというのは日本の文化や言語を大事にするのではなく、米国がつくった評価システムの中で日本のランキングを上げるという発想です。私はそれをランキング・ナショナリズムと呼んでいます。米国の覇権を前提にして、日本がなるべく米国に近い位置を占めようとする発想です。


 グローバル化の荒波からいかに国民生活や文化を守るかが問われているのに、国民経済の安定を目指すべき経産省がグローバル化をあおり、日本文化を守るための教育を担う文科省が日本を破壊する英語公用語化の旗を振っている。米国への従属から脱する気のない政府に強い危機感を覚えます。
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/878.html


英語化は植民地政策だ 施光恒
9月 28th, 2015 by 月刊日本編集部.


英語化は植民地化政策だ

―― 施さんは『英語化は愚民化』(集英社新書)を上梓し、英語化に警鐘を鳴らしています。


施 結論からいうと、英語化は植民地政策の一環です。安倍政権は様々な面で対米従属を深めています。経済面ではTPP、軍事面では日米ガイドラインと安保法案、そして文化面でも英語化という形で対米従属が進行しているのです。

 しかし言語の問題は政治や経済とは訳が違います。国語は国家、民族、歴史、伝統、文化の根源だからです。

 フランスの作家アルフォンス・ドーデの小説『最後の授業』では、普仏戦争後にフランスからドイツに割譲されることになったアルザス・ロレーヌ地方の小学校でのフランス語の最後の授業が描かれます。そこで教師は児童にこう語りかけます。「フランス語は世界中でいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばんしっかりした言葉である。だから君たちはこれを守りつづけ、決して忘れてはならない。なぜなら民族が奴隷になったとき、国語さえしっかり守っていれば、自分たちの牢獄の鍵を握っているようなものなのだから」と。

 現在の英語化は「英語公用語化」といっても過言ではないほどです。このまま英語が日本語を駆逐していけば、私たちは「牢獄の鍵」をうしない、対米自立の道が断たれます。日本的なるものは滅びるか、滅びないまでも再起不能になり、そのあと日本列島に残るのはアメリカの植民地ということになってしまうのです。


―― それでは英語化の現状から伺えますか。


施 現在、日本社会全体で英語化が進んでいます。企業では今年7月、ホンダが楽天やユニクロに続いて社内で英語を公用語とすることを決定しました。

 教育分野でも同様です。政府は早ければ2018年以降小学校5年生から英語を正式科目とする方針です。さいたま市や岐阜市のように小学校一年生から英語の正式教科化を進めている地方自治体もあります。英語のみで英語の授業を行う「オールイングリッシュ方式」はすでに高校では導入されていますが、今後は中学でも採用されます。

大学教育については下村文科相が一昨年、一流とされる大学は、今後、10年のうちに5割以上の授業を英語で行うようにすべきだと述べています。また、文科省も「スーパーグローバル大学」構想なるものを打ち出すなどして、授業の英語化を進めるよう各大学の尻を叩いています。

その結果、京大は一般教養科目の2分の1の英語化を目指していますし、東大理学部化学科に至っては昨年秋からすでに全授業を英語に切りかえています。各学会でも、最近は「研究発表は日本語ではなく英語でやるべきだ」という風潮が強まっています。

 行政も例外ではなく、近い将来、国家公務員から地方公務員まで英語化が進む恐れがあります。今年度からはキャリア官僚になるための国家公務員総合職試験ではTOEFLの活用が始まりました。またTPPには「政府調達(公共事業の入札)」という項目があり、TPPに加盟すれば国家レベルの公共事業だけではなく、地方自治体レベルの小規模な公共事業も国際入札で行われるようになり、行政文書も英語化されていくでしょう。

 さらにクールジャパンムーブメント推進会議という政府の有識者会議は、公用語を英語とする「英語特区」を企画し、「公共の場での会話は英語のみに限定する」「販売される書籍・新聞は英語媒体とする」と提案しています。いわば「日本語禁止特区」です。自ら「アメリカの租界」を作っているようなものです。


英語化で日本の国力は地に落ちる

―― しかしグローバル化の時代を生き抜くには、英語力を高める必要があるという声が大きい。


施 いや、逆に英語化は日本の国力を落とすでしょうね。まず日本人の学力が格段に落ちる。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、中国や韓国の研究者から「どうしてアジアで日本だけが次々と受賞者を輩出できるのか」と尋ねられ、「日本人は母国語で専門書を読むことができるからだ」と思い当ったと話しています。

 本来、人間の可能性は母語の中でこそ最大化します。どんなに上手でも日本人にとって英語は外国語です。外国語である以上、英語で日本語より深い思考をすることはできない。スーパーグローバル大学は「世界レベルの教育研究」を行うために「英語で授業を行う」と謳っていますが、英語化は日本の知的レベルを下げる一方でしょう。

また政府は「グローバル人材」を育てて経済力を上げたいようですが、GDPの上位五カ国はアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスです。一方、英語を公用語として使っているアジア・アフリカ諸国のGDPは低い。

 そもそも英語力と学術や経済の力とを結びつける発想が間違っています。……
http://gekkan-nippon.com/?p=7080

【施 光恒】グローバル化は中世化 2016/03/18


拙著『英語化は愚民化』(集英社新書)で述べたことの一つに、

グローバル化やその文化面での表れとしての英語化は、

なぜか一般的には「進歩」とか「歴史の必然的流れ」とか思われていますが、

その実、全く逆で、中世的世界への逆戻りと考えたほうがいいのではないか

ということがありました。


中世ヨーロッパでは、ラテン語を話す聖職者や貴族などの各地の特権階級が一種の「グローバル・エリート」層を形成していました。そして、各地の未発達の土着語(英語やフランス語、ドイツ語などの元になった語)しか話せない庶民を、社会の中心から排除していたのです。

近代社会とは、この状態が変わることを通じて成立しました。
宗教改革における聖書の翻訳は大きなきっかけでした。

ラテン語で書かれていた聖書を、ルターやティンダルらの宗教改革者が、ラテン語(あるいはギリシア語やヘブライ語など)から庶民の日常語である土着の言葉に聖書を翻訳していきました。

ラテン語などからの知的な用語が、各地の土着語に移植され、それによって、庶民の日常語が知的なものとなっていきました。

これに伴い、ラテン語ではなく日常の言語に根差した社会空間が各地に成立します。

ここでは、多くの普通の人々は、社会の中心から排除されることなく、自分たちの知的能力を磨き、発揮し、社会参加できるようになります。

こういう状態が生じてはじめて、多くの人々の力が結集され、活力ある近代社会が登場してきたわけです。


しかし、現在の世界で進む英語化は、英語をかつてのラテン語のような「グローバル・エリート」の言葉とし、英語が不得手な者を、社会の中心から排除していきます。

日本のような英語国ではない国では、「英語階級」と「非英語階級」(日本では「日本語階級」)といった形に国民が分断されます。

そして、おそらく大多数を占める「非英語階級」は、政治や経済の中心から排除されるわけです。ちょうど、中世のヨーロッパのような社会になってしまいます。

拙著『英語化は愚民化』では、こんな感じで、グローバル化や英語化は、実は、社会が良くなる「進歩」などではまったくなく、逆に、中世のような社会への逆戻り現象だととらえたほうがいいのではないかと書きました。

今回のメルマガで何が言いたいかといいますと、最近、やはり

「グローバル化は、進歩どころではなく、中世化に過ぎないのではないか」

とよく考えます。そう考えられる現象が多々あるのではないかということです。


この点で一つ興味深かったのは、

郭洋春氏の『国家戦略特区の正体――外資に売られる日本』(集英社新書、2016年)
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%89%B9%E5%8C%BA%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%96%E8%B3%87%E3%81%AB%E5%A3%B2%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%83%AD-%E6%B4%8B%E6%98%A5/dp/4087208206


という本のなかの農業改革についての記述です。

国家戦略特区のなかには、新潟市や兵庫県の養父(やぶ)市や秋田県の仙北市のように、農業改革を主眼として指定されたものがあります。これらの農業改革の試みで規制緩和のテーマとして挙げられているものの一つは、「農地の集積・集約、企業参入の拡大などによる経営基盤の強化」です。

つまり、米国のような大規模農業を日本にも導入して効率化を図り、日本の農業の国際競争力の強化を狙うものです。

こうした「農業の大規模化」について、著者の郭氏は、「世界史的に見ても、農地解放運動の歴史に逆行する行為」(107頁)だと指摘しています。

確かに、日本を含む多くの国では、農地解放、つまり大規模な土地を所有する地主の下で働かざるをえなかった小作農に土地を分け与え、自作農にすることこそ、農業の近代化であり、民主主義の社会にふさわしいものだと考えられてきました。

国家戦略特区構想などで進む農業改革は、株式会社の農業への参入が一つのテーマです。大企業が参入することによって、農業は大規模化し、効率化されます。

そこではもちろん、土地所有者ではない人々が、低賃金で働くことになるのでしょう。昔の「地主」と「小作人」の復活とも見て取れます。

郭氏は、

「効率化が目的とはいえ、日本の農業を再び大規模化するというのは、農地解放運動さらには民主主義の歴史に対する挑戦といってもいいだろう」(同頁)

と記しています。


このように、TPPなどグローバル化の中で進む日本の農業改革も、一種の中世化かもしれません。中世ヨーロッパで見られたような、大地主と農奴の再現といったら少々言い過ぎでしょうか。

こういう「中世化」というか、歴史の逆行のようなものは、他のところでもいろいろと見られます。

国家戦略特区でいえば、例えば「解雇規制の緩和」や「労働時間規制の緩和」(残業代ゼロ)などの労働規制の緩和の流れもそうでしょう。

高校生のころ、「現代社会」や「世界史」の時間に、労働者の権利や社会保障受給権などを総称して「社会権的基本権」ということを習いました。また、社会権的基本権は、20世紀になって定められたということで、「20世紀的人権」ともいうと学びました。

私の高校時代は、1980年代後半でまだ20世紀でしたので、「なるほど、社会権的基本権とは、新しい、現代的人権なのだな」と思っていました。

しかしこれ、21世紀になった今あらためて考えてみると、

「20世紀に徐々に認められてきたが、21世紀になるとだんだんと削減され、なくなっていく」

という意味で、労働者の権利などの社会権的基本権は「20世紀的人権」と呼ばれているのだと理解したほうがいいかもしれません。

経済のグローバル化が進み、資本の国際的移動が自由になると、各国政府は、資本の海外流出を避けるために、あるいは外資を呼び込んでくるために、グローバル企業が「ビジネスしやすい」環境を作ろうとします。つまり、グローバル企業に都合のいい環境を作っていきます。

そこで、各国は、労働者の権利や社会保障を徐々に削っていくのですね。
人件費も削減されますので、労働条件は、悪くなっていきます。

これも、「中世化」への流れの一つとみることができるでしょう。

こう考えてくると、最近、自民党が、「移民受け入れの議論を始めるべきだ」と言い始めているのも、この流れのもう一つの現れといえそうです。

近代社会とは、一般庶民が、社会の中心メンバーとなり、自分たちの言語や文化のうえに国を作り、民主主義の下、国を運営していく社会です。つまり、各国では、人々が「我々は同じ国民だ」という連帯意識を持ち、「自分たちこそ社会の主人公だ」と考え、政治を動かしていくわけです。

しかし、経済のグローバル化の名のもと、移民を大規模に導入すれば、こうはいきません。一般的に、国民の連帯意識は薄れ、団結が難しくなります。人々はバラバラになり、政府に意志を伝えにくくなります。

移民受け入れを推進する側の狙いの一つは、このように、移民を受け入れることによって、国民を分断し、連帯しにくくすることだともいえるでしょう。

国民の連帯を分断すれば、政治に文句がつけられることが減りますので、労働者の権利や福祉の削減、人件費の引き下げ、移民のいっそうの受け入れなど、国民に不人気な政策が、その後、やりやすくなります。

また、各種の社会保障などの福祉は、おおもとでは、国民の相互扶助意識に根差しています。つまり、人々のもつ「同じ国民だから、助け合おう」という意識こそが、福祉の基本にあるものです。

移民を大規模に導入することによって、国民の連帯意識を壊してしまえば、社会保障を減らしていくことは、ますます容易になっていきます。

実際、近代社会の成立の一つの前提は、国民意識の確立でした。
国民の連帯があってはじめて、民主主義や福祉(平等)も成り立つのです。

以上のようにみてくると、やはり、「グローバル化は中世化」と言えるでしょう。


一方には、英語を操り、土地に縛られず、愛国心も持たず、世界を飛び回って大金を稼ぐごく少数の「グローバル・エリート」がおり、

他方には、社会の中心から排除され、(英語で構築された)知的な世界から切り離されて自信を失い、低賃金でこき使われ、打ちひしがれ、バラバラの大多数の一般庶民がいる

という世界です。


「グローバル化」って言葉、本当に最近、ますますいやになってきました…

どうにかしないといかんですね
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/03/18/se-73/

2014年11月14日「リカちゃん人形」と「いただきます」
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


2週間ほど前のNHKのテレビ番組で面白いことを話していました。
http://www4.nhk.or.jp/masakame/x/2014-11-01/21/30135/

タカラトミーが出しているおなじみの「リカちゃん人形」ですが、今年で発売47年になるそうです。

このリカちゃん人形ですが、47年間、変わらない特徴があるとのことです。

リカちゃんの眼です。リカちゃんの眼は、まっすぐに前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。

なぜかと言えば、子どもがリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと、圧迫感を感じてしまうので、それを避けるためだそうです。

タカラトミーは、いかにも日本の企業ですね。

アメリカのバービー人形は、まっすぐ前を見つめています。画像検索して、バービー人形の画像をみてみましたが、なるほど目が合いそうです。私なんかは、バービー人形で遊ぶ子どもは、確かに人形の目から圧迫感を感じてしまいそうだと思いますが、アメリカ人の子どもは別に気にしないのでしょう。

日米の文化の違いですね。

文化の相違といえば、先日、大学院のゼミの時間に学生と「いただきます」についての話をしました。私のゼミは、一応、政治理論・哲学のゼミなのですが、その日はカナダのあるベジタリアン(菜食主義者)の政治哲学者のことが話題に上りました。

その関係で、食事の際に何に感謝するかという話になりました。

日本では、「いただきます!」というときは、料理をしてくれた人とともに、これから食す食べ物(肉や野菜など)にも感謝をします。つまり生命を提供してくれた魚やトリ、ブタ、ウシ、野菜、穀物、果物などに感謝の意を込めて「いただきます」と言うわけです。

欧米では、「いただきます」とは言いませんが、食事の前に祈る場合があります。この際、個々の食材ではなく、キリスト教の神に感謝の念を捧げるのが普通のようです。

私は、キリスト教の中学校に通っていたので、中学時代、たびたびキリスト教のお祈りを唱えさせられました。いまでも覚えているのですが、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という一節がありました。食物を与えてくれるのは神だと理解するわけです。

生命を捧げてくれた個々の食材に感謝する日本と、万物の創造主としての神を想定し、その神に感謝する欧米。この相違の根底にあるものは、食前の儀礼以外でもさまざまな面で見出すことができ、非常に興味深く感じます。

論者によって詳細は異なりますが、日本と欧米の文化の違いについて、よく次のような指摘がされます。

日本では、状況における他者の気持ちや期待、人々の関係性や社会的役割に注意を払う「関係重視の道徳」が優勢である。他方、欧米文化では抽象的な原理や非人格的なルールを尊重する「原理重視の道徳」が優勢である。

「リカちゃん人形」の件も、「いただきます」の件も、このような文化差から説明できるのかもしれません。

日本社会では、他の人々に敬意を払い、他者の気持ちを大切にしなさいと教えられます。あるいは、「もったいない」の精神に表現されるように、「万物に感謝の心を持ちなさい」などともよく言われます。

こう教えられるため、日本人は他者の気持ちに配慮するようになりますし、他者の視線に敏感にもなります。モノを大切にする文化も形成されますし、「いただきます」と食前にいう習慣も生じます。

当然ながら、日本と欧米の文化のどちらが優れているかという優劣の問題ではなく、文化の違いの問題です。

ただ、日本人は弱気なことが多いですよね。自分たちの文化の論理をうまく説明できず、主張されるがままに欧米の理屈を受入れてしまうことが少なくないようです。

このメルマガでよく取り上げる言語学者の鈴木孝夫氏が、ある本で次のように書いていました(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書、1999年)。

アメリカ人の英語教師が、日本の学生たちによく要求することの一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがあります。会話の最中に目をそらすことは何か心にやましいことがある、何か良くないことを企んでいる、と解釈するのがアメリカの文化だからだそうです。

しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることは、失礼なことです。「ガンをつける」という言い方があるように、日本では相手の目を注視すれば見つめられる方は不快な気持ちになってしまう場合が多いでしょう。

ですが、日本人は、アメリカ人の先生に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだと思います。

鈴木孝夫氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的な相互理解は果たされないとします。国際的な相互理解という観点からすれば、この場合、日本人学生は、アメリカ人教員に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだと鈴木氏は論じます。つまり、「相手の目を正面から見据えて話すことは、アメリカと異なり日本では相手を威圧することにつながりかねず礼儀正しいことではない」とはっきりと述べる必要があるというのです。

私もそう思います。日本では、他者の言い分を受入れ、自分を変えていくことが美徳だと考えられることが多いからか、どうも自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させることをあまりしてきませんでした。日本人自身が日本的なものの見方は特殊だと思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきました。

近年は特にそうですね。いわゆる構造改革も、最近のTPP参加を見据えた国内の制度改革(例えば軽自動車の税制上の優遇措置の廃止など)も、そうでしょう。「グローバル化=英語」と言わんばかりのビジネスや教育での英語化の流れも顕著です。この調子でいけば、近い将来、日本人にとって生きづらい日本社会ができてしまい、我々の子孫は大変苦労することになりかねません。

何年かぶりに米国からメジャー・リーガーがやって来て、現在、日米野球が開催されています。近頃いつもそうですが、相変わらず、使用するボールの規格で日本人選手は苦労していると報じられています。

日本のプロ野球で使われているボールと、アメリカの大リーグで使用されているボールは、手触りや縫い目の高さなど細かいところで違うからです。

これなんかも私は、日本で開催するときは、基本的に日本のプロ野球が普段使っているボールを日米野球でも使用するべきではないかと素朴に考えます。あるいは、全試合中、半分は日本球、もう半分はメジャー球というふうに公平にすべきだと思います。

もちろん、メジャー・リーグ主催のWBCではメジャー使用球が使われるので、それに慣れるためという事情もあるのでしょう。

しかし、だったらWBCでも、あるいはメジャー・リーグ自体でも、品質がよりよいとされる日本式のボールを公式球として一部でも採用してもらうように日本野球機構などの上部組織は粘り強く交渉してもらいたいものです。

上に立つ者、あるいは組織が、相手方のルールや土俵を呑まされてしまい、現場の人間が苦労する。なんか最近の日本ってそういうことがやけに多い気がします。
https://38news.jp/archives/04679

2018.2.1 【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】

リカちゃん人形の視線と日本文化

 先日、大学で学生たちと雑談していて知ったのだが、2月22日から福岡市博物館で「誕生50周年記念リカちゃん展」が始まるそうだ。タイトル通り、「リカちゃん人形」の発売50周年を記念する展覧会である。

 面白そうだ。リカちゃん人形は、その時々の流行をうまく取り入れてきた。世相の変化を映し出す展覧会となるだろう。現在のプロフィルによれば、リカちゃんの趣味の一つは「SNS更新」だそうだ。現代っ子のリカちゃんは、友達とラインしたり、「インスタ映え」する場所を探して、あちこちで出かけたりするのかもしれない。

 流行に敏感なリカちゃん人形だが、発売以来、変わらない特徴があるのを、ご存じだろうか。目である。リカちゃんの目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られている。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるので、それを避けるためだという。

 対照的に、米国のバービー人形は、真正面を見つめている。私などは、バービー人形で遊ぶ子供は人形の目に圧迫されないのかと心配になるが、米国の子供はあまり気にならないのだろう。日米の文化差である。

 言語学者の鈴木孝夫氏は以前、次のように書いていた(『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書)。米国人の英語教師が日本人学生によく要求する点の一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがある。会話の最中に目を逸(そ)らすのは何か心にやましさがあるからではないかと解釈するのが米国流だそうだ。

 しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることはあまり好ましくない。「ガンをつける」と言うように、日本では相手の目を注視し続ければ、見つめられる方は不快な気持ちになるか、当惑してしまう場合が多い。

 それでも日本人は、米国人教師に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだろう。

 鈴木氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的相互理解は果たされないと指摘する。この場合、日本人学生は、米国人教師に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだ。つまり、相手の目を正面から見据え続けて話すことは、日本では相手を威圧することにつながりかねず、礼儀正しいことではないとはっきりという必要があるというのだ。

 私も同感だ。日本には「ことあげ(言挙げ)」を嫌い、謙譲の美徳を尊ぶ気風がある。そのため日本人は自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させる努力を怠ってきた。こうした日本的なものの見方について、日本人自身が「特殊で劣っている」と思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきた。実際、ここ20年ほど「構造改革」の名の下に、日本社会を米国型に改造する動きが顕著であった。この調子でいけば、近い将来、日本人が違和感を覚え、生きづらく感じる日本社会ができてしまい、われわれの子孫が苦労することになりかねない。

 今後、日本でリーダー的立場に就く人々は、日本人の感覚や習慣をきちんと認識し、言語化し、外国人に向かってその意義を説明する能力と気概を身に付ける必要がある!

 …と、このように「リカちゃん人形展」の話題から、いつものように学生相手に長々と演説をしてしまった。「また始ったね〜」という具合に、学生たちが温かくも少々呆(あき)れた目でこちらを見ているのに気づき、気恥ずかしく思った次第である。
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

2018年2月2日【施光恒】リカちゃん人形の不易と流行
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


昨日付の『産経新聞』(九州・山口版)のコラムに、次のような記事を書きました。

「リカちゃん人形の視線と日本文化」(2018年2月1日付)
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

リカちゃん人形は1967年生まれですので、昨年で50周年を迎えたそうです。それで、昨年3月の東京を皮切りに「誕生50周年記念リカちゃん展」が全国のいくつかの都市を巡回しています。

以前、このメルマガにも少し別の角度から書いたことがあるのですが、リカちゃん人形の目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるかもしれないため、それを避ける配慮だそうです。

リカちゃんの目のこの特徴は、発売以来半世紀、変わっていないとのことです。

その一方、リカちゃん人形は、そのときどきの流行を敏感に取り入れてもいます。産経のコラムにも書きましたが、例えば、現在のリカちゃんの趣味は、「SNS更新」だそうです。

設定では、リカちゃんは小学校5年生ということですので、「SNS更新」が趣味とは、昭和生まれの私からすると「ちょっとませてるなぁ」とか思ってしまうのですが、まあ今の子はそんなものなのかもしれませんね。

リカちゃん人形が半世紀にもわたってながく親しまれてきたのは、「不易流行」の理念をよく踏まえているというのが一因でしょう。「不易」、つまり「いつの時代にも変えてはならないもの」と、「流行」、つまり「そのときどきの状況に合わせて変化を重ねていくべきもの」のバランスがとてもよいのだと思います。

日本の子どもが、米国などの子どもに比べて、他者の視線に敏感で、あまりじっと見つめられると圧迫感を覚えやすいという特徴は、時代を経てもなかなか変わらない部分です。

日本の家庭や学校での子育てでは、「やさしい子」「素直な子」「人の気持ちによく気がつく子」を育てようとします。これはかなり昔から変わらない特徴だと言えます。

この子育ての特徴から、人の気持ちによく気がつく敏感な子が育ち、それが「おもてなし」「思いやり」の文化を生んでいます。また世界に誇るべき日本の治安の良さや整然とした秩序、清潔さの源でもあるでしょう。(むろん、悪い面を強調すれば、他者の顔色を窺いがちで、自己主張が苦手な日本人を生み出す要因ともいえるわけですが)。

人の気持ちや視線に敏感だという日本人のこうした特徴が変わりにくいことは、「やさしさ」という言葉の語源からもうかがえます。

「やさしい」の語源についてはいくつかの説がありますが、「現在もっとも説得的でほぼ定説化している説」は、「痩せる」という言葉と同根だという説です。

つまり、「やさしい」という言葉は、「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いがする」「やせるほどつらい」「身もやせるように感じる、はずかしい」というのが原義だそうです(参照、竹内誠一『日本人は「やさしい」のか──日本精神史入門』ちくま新書、1997年、76-77頁)。

面白いですね。「やさしい」ことと「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いだ」ということは、元来、表裏の関係にあるようです。「やさしさ」を持つこととは、同時に、他者の目を気にして、ときとして胃が痛くなるような思いもしがちだということなのでしょう。

上記の原義に今の「おもいやり」「細やかな配慮」という肯定的な意味合いが千年ほど前から徐々に付け加わってきたようですので、日本人の性格は、かなり昔からあまり変わらないんだなと思います。

他者の視線に敏感であるというのは、日本文化の根幹の一つで、そうそう変えられるものではありません。

これは、実際、子育ての習慣や言語習慣(人の呼び方や敬語表現など)に深く根差しているものであって、変えようとすれば、「文化大革命」的な日本文化の根本的かつ大規模な変革が必要となります。これは不可能でしょうし、望ましくもないでしょう。

リカちゃん人形は、日本人の子どもは他者の視線に敏感だという変化しにくい事柄に配慮しつつ、そのときどきの流行を積極的に取り入れることによって長い人気を保っています。

このリカちゃんの知恵は、日本の政治や社会、経済の「改革」を考えるうえでも大いに役立つはずです。「リカちゃんに学べ」です。

「やさしさ」に代表される日本人の心のかたちは、良くも悪くも、そう簡単に変わるものではありません。無理に変えようとすれば、どこか歪みが生じます。

例えば、日本人が最も動機づけられるのは、つまり仕事などへの「やる気」を感じるのは、今も昔も、周囲の他者の期待を受け、それに応えようとするときだと言われています。

「きみはわが社の大黒柱だ」「〇〇さんのおかげで皆、助かっているよ〜」といった言葉が、日本人を一番動機づけるのです。

近年、日本人ビジネスマンの仕事への熱意の低下がときおり話題になりますが、この一因は、やみくもな「構造改革」の結果、アングロサクソン型の組織のあり方や雇用制度を取り入れようとし、結果的に、日本の会社組織が日本人のやる気をうまく引き出せなくなってしまったことにあるのではないかと思います。
(この点については、以下の拙コラムをご覧ください。「『仕合わせ』な改革を」(【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】2017年6月1日付))
http://www.sankei.com/region/news/170601/rgn1706010026-n1.html

日本社会をよりよくするためには、何よりも、日本人や日本文化の特徴をよく知り、それを前提としたうえで、よりよき形に伸ばしていくことを目標にすべきではないでしょうか。

人々や文化の性格を根本から大変革してやるというのは、傲慢かつ不可能であり、様々な副作用を招くものだと思います。

リカちゃん人形のように、不易と流行のよきバランスを探していきたいですね。
https://38news.jp/column/11584


168. 中川隆[-12558] koaQ7Jey 2018年5月24日 02:51:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

西洋の植民地にされるとこうなる - YouTube 動画
http://www.youtube.com/watch?v=cT-3DE6nSZs

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英語を覚えるために外国人の男と結婚したい28歳の風俗嬢
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171123T0523540900.html

数ヶ月前、アメリカに行くために風俗で働いているという28歳の女性と話をした時、「アメリカに何しに行くの?」と尋ねたら「将来はアメリカ人と結婚したい。英語もしゃべれるようになって面白そうだから」と答えた。

外国人と結婚したり外国で生活するのは「面白そう」という感覚が彼女にあって、そのために風俗で金を稼いでいるのだと彼女は私に説明した。

彼女は本気だった。そのために英語も勉強していて、英語学校なるものにも通っていて外国人の先生に習っているという。

この英語学校に通う彼女の女友達は、ただ英語を話せるようになりたいだけで外国人の男と付き合っており、彼女はそれを「偉いよね」と評価していた。

「じゃ、英語を覚えるためだけに結婚するのもありなの?」
「全然ありじゃない」

それから28歳の彼女は「その気になったら、相手なんかすぐに見つかるから」と豪語した。それを聞きながら、私は東南アジアの女たちと彼女の感覚がまったく同じなことに気付いて苦笑するしかなかった。

彼女も風俗で働く身だ。夜の女にとって結婚というのはとても「軽い」出来事のように見えているのかもしれない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171123T0523540900.html

そこで娘は貞操を失うが、何とか生き延びられる環境になる
https://blackasia.net/?p=703

表社会ではあまり知られていないが、植民地を世界各国に持っていた欧米の男たちは自国で稼いで旧植民地で安く過ごし、現地の女性を片っ端から抱くというスタイルで生きる闇の男たちが存在する。

今に始まったことではない。「経済格差を利用したフレッシュ・トレード(flesh trade=肉体取引)」をしている男たちは200年以上も前から存在していたのだ。

合理的に、効率的に、そして貪欲に、女たちの肉体を食い尽くす。まるでハイエナのように食い漁る。


自分の娘を売春地帯に売り飛ばすという状況に、私たちは「何と言う親だ」と憤りを覚えるかもしれない。

しかし、金も食べ物もなく、下手したら一家全滅の危機にある最中では、娘を売るというのは自分たちにとっても娘にとっても「救い」となる。

売春地帯で娘は貞操を失うが、その仕事で食べていける。生き延びることができる。うまくいけば娘が稼ぐ金で自分たちも助かる。そうでなくても一人分の食い扶持が減るので助かる。

カンボジアには人身売買業者が跋扈して若い娘たちをあちこちの村から集めていたが、それが可能だったのは極度の貧困の中で売春ビジネスだけが生き残るための「できること」だったからである。

カンボジア国内では、ベトナムのメコンデルタからやってきたベトナム人たちもまた凄まじい極貧の中で暮らしていたのだが、彼らもまた娘を人身売買業者に売り飛ばした。
https://blackasia.net/?p=703

日本も早くタイやマレーシアの様な欧米人の理想のアジア国家になろう

2006年8月 1日 (火)
"The Sleeping Dictionary"(セックスする辞書) マレーシアの映画

なんとも情けない話である。

イギリスの植民地になった国々は、旧宗主国に対する尊崇の念が自己のアイデンティティの一部になっていることは確かなようだ。(準植民地だったネパールでもそうだし、ミャンマーでもアメリカは嫌われているのにイギリスはそれほどでもない。)

イギリスの場合は「植民地経営」と呼ばれたりするが、日本の場合は必ず「植民地支配」と呼ばれるのは納得がいかないが、長く支配した者の勝ちという教訓だろう。

植民地支配は、十分な実力を背景に容赦なくやること、被支配者を人間と思わないこと(言葉らしいものをしゃべる猿と人間との中間的な存在ぐらいにみなすこと)、被支配者同士を戦わせ争わせること、支配者の言語を複数の被支配者の共通語にすること、そして、とにかく長く支配を維持することが重要であるようだ。
他者をモノとみなすこと、あるいは本当に見下すことは、日本で思われているほど簡単なことではない。これは訓練を要する心の技術であり、少年時代からの教育と修練が必要である。

"The Sleeping Dictionary"という映画がマレーシアのテレビで放送されるらしい。

ここで"Sleeping Dictionary"というのは、「引かないで眠ったままになっている辞書」のことかと思いきや、そうではなかった。

sleepを英和辞典で引くと・・・「((略式))(異性と)寝る((together/with ...)). ▼「性交する」の婉曲(えんきょく)表現」とある。

サラワク(現在マレーシア領のボルネオ島の一部)の"Sleeping Dictionary"とは、イギリス人の植民地役人にあてがわれた、「寝床の辞書代わり」つまり「現地語教材かつ召使を兼ねた性処理用の土人女」のこと。

つまり「イギリス人殖民役人に寝物語で現地語を教える女奴隷」という意味である。

そしてこの物語は、高邁な精神を持つイギリス人役人が、あてがわれた土人売春婦とヤってるうちに愛が生まれたという世にもまれなる御伽噺のようである。
また、イギリス人に女をあてがったのは地元の土人側が勝手にしたことで、土人の未開な悪習からそうしただけであって、イギリス側が求めたわけではないという立派な結構にもなっている。

forbidden loveとあるのは、「土人側にはよくても文明国のイギリスからは禁じられた関係だった」という、まことによくできたお話である。

なお、この女の出身母体である土人は、サラワクの非ムスリムのIban族ということになっている。

あるツーリストは「ボルネオはタイの次に白人崇拝がひどかった」といっていたが、マレーシアの「土人売春国家」的な面が、非ムスリム少数民族との関係で噴出するということだろうか。

マレーシアも、ムスリムの少ないボルネオでは白人向け土人売春ツーリズム・レンタルワイフツーリズムを、タイ並みに振興したいのかもしれない。

なお、サラワクは、Brookeという白人のゴロツキが私的に占領して「白人王」(White Raja)を名乗っていたという歴史のある土地でもある。
誰か志のある人が、大川周明の「英国東亜侵略史」でも英訳して七つの海の国々に配布してくれると良いと思う。

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(記事全文 NEW STRAITS TIMES, AUGUST 1, 2006 より)

A tale of forbidden love By Hizreen Kamal
Set in the 1930s in Malaysia's rainforests, The Sleeping Dictionary tells the story of the tempestuous and forbidden love affair between a young, idealistic Englishman and a beautiful Iban tribeswomanWhen John Truscott (Played by Hugh Dance) takes up a job in the British colonial outpost of Sarawak to "civilise" the Malaysian natives, he is taken aback when he is presented with a native servant Selima (played by Jessica Alba) as his "sleeping dictionary", a local term used for women given to settlers to teach them the local language as well as sleep with them.

Although this unorthodox practice is a readily accepted custome in the local comunity, the pair is monitored closely by Governor Bullard - John's crusty superior - and Bullard's wife Aggie (played by Brenda Blethyn) to ensure that no romantic attachments result from the liaison.

(土人側には喜んで受け入れられた習慣だったが、イギリス植民当局は渋い顔をしただと。ただの肉便器辞書女の関係なら良いが、「恋愛」に発展するのはまずいと。)

John and Selima soon fall passionately and openly in love.
(普通は同国人の素人娘でも簡単にやれてしまうと急速にさめてしまうのが男の性だと思うが・・・・・

確かに、通常の恋愛とはまったく異質の「南国コロニーでの女奴隷遊び」という「特別な分野」に夢中になる白人は今も少なくないようである)


The colonial authorities and the native population soon turn against the lovers, setting off a chain of events that test their resolve to the limit.

(ローカルに受け入れられたのは「肉便器関係」だけであって「恋愛」ではなかったと。)

Filmed in Malaysia, the bettersweet love story directed by Guy Jenkin boasts spectacular cinematography, featuring the lush rainforests of Sarawak and rich colours of the exotic 1930s (including architecture and traditional custumes)The Sleeping Dictionary premieres on Asian television on Aug 27 at 10pm (Cinemax, Astro Channel 41)----------------------------------------------

サラワク原住民Iban族の野蛮性を良く表現した映画であるといえる。ぜひとも「野蛮」の存在を確認し、野蛮の中に神秘的な美を見出すとともに、それによって自己を確認したい白人にとっては垂涎の物語であるということになるのだろう。

はっきりいって、こういう白人に媚びた土人オリエンタリズムは迷惑である。

これを見た毛唐は

「ああ、アジアはやっぱりそういうところか。そうかそうか」

と納得して喜ぶだろう。サラワクへの土人買春白人ツーリストが増えることは間違いない。

「非ムスリムのアジア・土人のアジアは、白人にとって都合のいい便利な所だ」

という白人ツーリズム振興目的の宣伝は、ムスリムのマレー人のプライドは一向に傷つけない。ネイティブ(土人)でない移民系にも関係ない。だからマレーシアでこういう映画が抵抗なくまかり通ることになるのだろう。

なにより"The Sleeping Dictionary"というタイトルが下品というほかない。

いっそのこと日本も「肉便器」というタイトルの映画を作って、

「アジア女にカネ使うなんて、よっぽどもてない不細工な白人なんだろうね」

というキャンペーンをはってみたらどうだろう。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6237979/index.html

"Sleeping Dictionary" 再考

聞くところによれば、

日本語を習得したいと思っている白人男性がまずなすべきことは「日本人のガールフレンドを作ること」

というのが、日本語学習を志す白人たちの「教科書的な答え」になっていて、そのとおりに活字にもなっているそうである。


彼らの日本語テキストには「日本語を覚えるために日本人のガールフレンドを作りました」とか「作りましょう」という話題が平然と出てくるのだとか。

白人にとってはいまでも、日本人を含めた「アジア女」は、望めばいつでも自由に手に入るもの、コンビニで買えるものという感覚なのだろう。

その意味で彼らにとってタイの売春婦も日本の英会話学生も変わるところはない。
(違いがあるとすれば、タイでは多少なりともカネがかかるのに対して、日本ではカネが入る、ただし、タイではハゲデブ60過のオヤジでも白人ならOK、日本ではそれはちょっと難しいかもしれない、というぐらい)。

この関係は、当事者の主観的な認識には左右されない「客観的な枠組み」として確立しているものであり、彼らが仮に主観的にまじめであったとしても、この枠組みから外に出ることはできない。

彼らがそれを意識しなかったとしても、世界的には、当然のようにその枠組みの中で人々に扱われる。それは、タイの上品な高級ホテルで白人男性とアジア人妻のカップルが歓迎されないのと同じく自然なことであり、タイの有名高級ホテルで白人客がつねに優先されるのと同じように揺るぎがたい、確立した枠組みである。

もし彼らが果敢に、その枠から「外に出よう」と努力するなら、その「努力」という行為自体によって、あらためて彼らの関係の「特殊性」が再規定されることになるだろう。したがって、世界に広がるこの枠組全体を壊してしまう以外に、個別にこの枠から自由になる方法はないということになる。

昔「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画があったが、そこでも簡単に手に入ってしまうチベットのローカル女性と白人との「模範的な関係」が表現されていた。

そこでは、チベット女性をモノにすることは(よっぽど歪んだ性格の白人でない限り)ちょっと色目を使えばすぐに落ちてくるような容易なことなのだが、珍しい素材としての彼女を磨いて付加価値を付けるのは白人の嗜みである。

彼女の文化にすり寄ってみるのも白人の風流な遊びであり、趣味の類である。彼女の携える文化は一見異質そうに見えても、実は白人に容易に「理解可能な」ものばかりである。

白人にとって「異文化との出会い」は「深刻な葛藤」ではありえず、選択肢がひとつ増えたという素朴な喜びにすぎない。そこで彼らが出会うのは決して白人に理解不可能な、アクセス不可能な「他者」ではない。もしそのようなものだったとすれば、それは断固として根こそぎにすべき野蛮だということになる。

「異文化との出会い」とか「異文化コミュニケーション」という気持ち悪い言葉が日本に流布するようになって久しいが、その「出会い」が少しでも「まじめ」なものであるならば、当事者の内面に「深刻な葛藤」を生ずるのが自然だと思う。「異文化」は「厄介なもの」なのである。この認識は、英語だとか英会話だとか言って喜んでいる多くの日本人にも欠けているように思う。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/sleeping_dictio_51bf.html

Restoran Hameed'sで。この二人は周期的にここに来る。

典型的なごろつき白人の「レンタルワイフ」。

白人ツーリストたちが「スーツケースのプラグのようなもの」と表現する通りの女である。

彼らは普段はタイにいて南部のビーチあたりでふんぞり返っているのだろうが、男のビザ(あるいはノービザ滞在の更新)の都合でこうやってマレーシアに出てくるのだろう。マレーシアで見る白人の中でもとりわけ汚らしい、下水のような連中である。

この女がこの男のレンタルワイフ(長期契約売春婦)でないということはないだろうが、万一そうでなかったとしても、そう見られる責任は彼らにある。

タイのレンタルワイフと法律上の「結婚」をする白人男も少なくない。しかし、彼らには日本人のような戸籍の観念はない。1年2年でいくらでも離婚できる。仮に子供が出来ても、タイ女の親族が育てるので平気である。女はまた売春バーで働けばいい。女もカネのことは心配するがそれ以外のことは平気で、白人の子を周囲に自慢するくらいのことである(この点は日本人肉便器と共通しているかもしれない)。男は慰謝料さえほとんど払わないことがある。

タイのレッドネックバー、売春バーを回ってみれば白人と「結婚」したことのある売春婦を見つけることは難しくないはずである。

つまり、白人にとってこのような「結婚」は、買春のひとつの形式なのであり、東南アジアバカンスのパッケージに組み込まれた要素に過ぎない。

白人は、白人の歴史を背負い、この世界でそしてアジアで、現に特権を享受している。そうである以上、彼らの歴史に規定された不利益の方も甘んじて受けなければならない。(白人世界の豊かさは、今日の日本の豊かさのようにほとんどゼロから60年で自力で作り上げたものではないのである)。

東南アジアでこのような薄汚いアジア女を連れ歩く以上、その白人男はレンタルワイフを連れているとみなされてもやむをえない。

東南アジアで現地女を連れ歩く白人の80パーセントがそれに該当するとすれば、残りの20パーセントは世間のそのような評価を甘んじて受け入れるか、それが嫌なら東南アジアに立ち入らないか女を連れて自分の国に帰るべきであろう。

どんな金持ちでもゴム草履と短パンランニングシャツで外を歩くのは自由だが、その格好で高級ホテルに入っていけば守衛につまみ出されても文句はいえない。貴金属店に入っていくなら、警察を呼ばれてパトカーで連行されしばらくあれこれ調べられてもやむをえない。それと同じことである。

つまり、白人が東南アジアでこのような女を連れ歩く以上、これが「契約買春でない」という主張立証責任は白人の側にあるということである。

それ以前に、この男の場合、売春婦であろうとせめてもう少しまともな格好をさせて連れ歩くべきである。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/?mode=m&no=87

"Discrimination"、BBCの日本批判【忘れないために】

自称日系ペルー人、カルロス・ピサロ(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)による、広島市の木下あいりちゃん強姦殺害事件に関し、BBCニュースは、その背景に日本社会の「差別」があることを強く示唆した。

この事実を忘れてはいけないと思う。

これが白人ジャーナリズムの日本批判、日本報道の基準を示すものであるからだ。

またBBCニュースは、「ある一人のセネガル人」から聞き取ったという日本での「差別体験」を紹介し、日本人の「外国人差別」を強調する。それは何の具体性もないただの被害妄想と言ってもいいもので、次のようなものである。

For many foreigners living in Japan, however, discrimination is a real problem. Treatment appears to be determined by a range of factors - from socio-economic status to ethnic background.

Gemba, a Senegalese who works in a topless bar in the red-light district of Kabukicho, said: "Every day, I feel discriminated against. Japanese people don't like foreigners.

"If you are inside a train, the Japanese will not sit close to the foreigners."
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/3708098.stm


これはもうお笑いというしかないが、彼がもし差別を感じたとしたら、それは彼が歌舞伎町の「トップレスバー」で働く不法就労外国人だからというのが、普通のマトモな頭の人間の考え方だろう。しかし、BBCはそうは考えないのである。

大男が大股開きで中途半端な位置に座り、足をぐらぐらゆらし、周囲の日本人を睥睨し、コカコーラをラッパのみしたりチューインガムをくちゃくちゃ噛んでいたりすれば(この種の振る舞いは、ほとんどの白人が東南アジアでごく普通にやっていることでもあるが)、そいつが外人であろうと日本人であろうと、白かろうと黒かろうと、普通の人間なら近寄りたくないのは当然である。

合法的に日本に滞在しているまっとうなセネガル人は、この「トップレスバーのセネガル人」についてどう思うだろうか。

また、欧米豪の白人諸国において、白人たちは、電車で不法滞在者らしきアフリカ出身男性の隣の席に座る義務を感じ、その義務を誠実に履行しているというのであろうか?

ともあれ、ジャーナリストがこのような一人の(事実上匿名の)外国人の主観的経験の聞き取りで記事を書いていいのなら、私にも言うことがある。

私が3年ほど前にタイで話をしたあるタイ女性は、かつてデンマーク人と結婚していて、一年ほどデンマークに住んでいた。その間、初めて雪の実物を見るという楽しい体験もあったが、見知らぬデンマーク人から「アジアへ帰れ」と罵倒されることはしょっちゅうであったという。

言葉だけではなかった。あるとき彼女が自転車に乗っていて、交差点で信号待ちをしていたとき、2人の巨体のデンマーク女が突然彼女の自転車を二人がかりで押さえつけ、前へ押し出してきた。彼女はただ恐ろしいだけで、何事が起きているのか一瞬理解できなかったが、それがひたすらなる「悪意」による「嫌がらせ」であることを了解した。

女二人で示し合わせたこの犯行は個人の思いつきや出来心とはいえないない。ネオナチでもないだろう。白人社会の本来の土壌に根ざしたきわめて悪質な人種差別犯罪といえる。

有色系外国人は白人諸国で、白人の人種差別に基づくこのような現実の生命の危険に日々晒されているのである。

このような犯罪は、白人国家では毎日起きているはずだが、白人ジャーナリズムがそれを報じることは決してない。

また、BBCニュースはタイでいかに白人が優遇され、有色外国人、とくに色の黒い人種がひどい扱いを受けているかについても一言も語ったことがないはずである。

優遇のあるところには差別もある。不当に優遇されるものがいれば必ず不当に差別されるものがある。しかし、白人メディアはタイにおけるきわめて明瞭かつ明示的な「白人ゆえの白人優遇」については一切語らない。

というのも、このようなタイのシステムが、白人にとってもっとも都合の良い「アジアのあり方」を示すものであるからである。すなわち、白人の理想とするアジアは、全アジアが「タイのような自由な国」になることだからである(その対極にあるのがイスラム社会であろう)。

したがって、白人の作り上げる評価基準は、タイを「自由な国」とし、デンマークのようなレイシスト国家を「高度に人権の保障された国」と認定し、ロシアでさえ自由で民主的な国と評価する。

ロシアをはじめヨーロッパ各国で、東洋系人種が投石、暴行、殺害等、直接の暴力の危険にさらされていることはほとんど論じられない。

これらの問題が白人ジャーナリズムによって「ネオナチ問題」という「特定地域の特殊問題」として語られることはあるが、彼ら自身の世界の人種差別問題として問われることは一切ない。

すなわち、ヨーロッパ全般で見られるアジア系人種に対する嫌がらせ、罵詈雑言、暴行、投石等の事案は、「ネオナチ」の枠内で処理され、そのことによって「知的でリベラルな」彼ら自身とは無関係な特殊な人々の問題と見做され、安心して脇に置かれる。

これらの切迫した現実の危険を伴う問題が、「ネオナチ」問題の定式を介さず、「白人による有色人種差別」すなわち「白人世界の人種差別主義的な土壌に根ざした人種差別犯罪」として、白人ジャーナリズムによって率直に問題にされたことが一度でもあるだろうか。

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白人の「日本の人種差別」批判は白人自身の人種差別・アジア蔑視に由来する

日本が、白人から「人種差別」という批判を受けることになる一つのありそうなモデルはこうである。

アジアにくる白人ツーリストはまず最初にタイにやって来ることが多い。タイは物価が安くその割に安全であるといわれる。イスラム国でもなく、欧米人を狙ったテロもおきていない。文化的制約やタブーも少なく何よりも白人が優遇されるから欧米ガイドブック等でも絶賛されている。若い白人の貧乏旅行には最適の国ということになる。

実際、タイに行ってみると、日本では想像のできないほど大量の薄汚い白人ツーリストがアジアに来ているのだということがわかる。そのほとんどは日本には恐らく一生来ないだろう。

タイとその周辺国だけを見て、

「私はアジアがわかった」とか「アジアはすばらしい」

とか、寝言を言っている白人ツーリストも少なくない。

彼らは一生日本を見ないまま「アジア」を語って過ごすのだが、彼らがアジアを気に入ったとすればそれは、アジアの「後進性」と白人ゆえに与えられていた「特権」からに他ならない。

彼らの中にはやがて少しカネができたころに日本にやって来るものも出て来る。アジアの非イスラム国・仏教圏だと思って、タイの延長くらいの軽い気持ちで日本にやって来る。

しかし、ちょっと物価の高いタイに行くような気持ちで日本に来てみたところ、タイとはちょっと勝手が違うことに気づく(六本木と肉便器とNova講師だけでやりくりできた者にとってはタイと同じだが、みながそううまく行くとは限らない)。


・タイでは安かった物が日本ではこんなに高い。アジアなのに・・・

・ネット屋がその辺にない。アジアなのに・・・

・米ドルが使えない。街に両替所がない。アジアなのに・・・

・タイでは許されていたヤンチャやワガママが日本ではやりにくいような感じがする。バックパックを担いで喫茶店内を歩き回りながら(白人の普通の声で)しゃべっていたら日本人たちに白い目で見られた。→日本には「自由」がない!「人権」が抑圧されている!

・日本では白人だからといってタイほどにはチヤホヤ持ち上げてもらえない。アジアの非イスラム圏なのに・・・→これはきっと「外国人差別」だ!

・タイでは、禿げて腹の出た60代の白人オヤジも若い娘を自由に連れまわしていたのに、日本では30代の俺が若い娘に持てない。ちょっと禿げて少し体重が増えているだけなのに・・・→これはあきらかに「差別」だ!日本社会の「差別体質」がここに現れている!

・日本にはバービアもゴーゴーバーもない。タイのように若いレンタルワイフを簡単に手に入れられるところがない。その上、風俗店は外国人を入れてくれない。・・・→これは明々白々な「人種差別」である!


註:外国人は日本の風俗店には入れないと聞いていたが、実際はそうでもないようである。

先日バンダ・アチェで会った男は、日本で5年間不法就労したことがあると言っていた。色黒で一見して外国人とわかる容姿だったが、流暢な日本語で日本滞在時代の楽しい思い出について熱く語ってくれた。

インドネシア人の友人に連れられて行った西川口の本ストでは入場料3000円のほかに別室料金3000円で完全満足制であった。外国人だからといって別室で差別されることはなかった。

ただ、「ジャンケン」に参加することができるのは日本人だけであったという。ジャンケンに勝てば別室に行く必要はない。彼はジャンケンに参加できなかったことを何度も残念そうに語っていたが、外国人が本ストのまな板ショーのジャンケンに参加できないことが「外国人差別」として問題にされるべきかどうかは、さらに議論の余地があろう。

アチェはもともと風紀の厳しい土地柄であり、彼は割礼のある敬虔なムスリムである。彼が性感染症を日本に持ち込んだ可能性はきわめて低いと思われる。

これに対して、HIV感染率が高く、ろくに風呂に入らず、傲慢で、自らの傲慢さには気づかず日本人をarrogantと批判し、空気も読めず、遊び方も知らず、「イエース、イエース、ハッハッハッハッ」と女に襲いかかることしか知らない白人が日本の風俗店に入れてもらえないのはきわめて当然の扱いである。
バンダ・アチェの日記はのちに上げる予定である。


・昔カオサンで買ったDieselの半ズボンをはいて脛毛をさらして日本橋三越を歩いていたらなんとなく浮いてるような気がした。タイではどこでも半ズボン姿で歓迎されたのに・・・→これは「人種差別」に違いない!


白人はだいたいこの程度の連中である。

白人の日本批判が基本的に、上記のBBCの「歌舞伎町の風俗店で働くセネガル人」からの伝聞記事のような根拠薄弱な思い付きで成り立っている反日宣伝にすぎない以上、われわれもまた、あらゆる伝聞や噂を動員して、これに対抗し白人世界の反人権・反人道の現実を摘出し続ける必要がある。

そういう努力をしなければ、「日本人は罪を認めた」とみなされ「やっぱり一番悪いのは日本人だ」と強調されて、白人たちの不法非道は不問に付されたままになるだろう。残念ながらこれが現在の世界のルールである。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

白人ツーリズムは現代の植民地主義である

白人の基準によれば、デンマークは「高度に人権と表現の自由の保障された国」であり、タイはマレーシアよりも立派な「自由の国」であって、ミャンマーは民主主義はもちろん人権に関しても最底辺に位置づけられる国であろう。

白人はまず、「ミャンマーに旅行すべきかどうか」すなわち「ミャンマーに旅行することは正しいことかどうか」を議論するところからはじめる。

これは彼らの頭が完全に狂っている証拠としか私には思えないのだが、彼らは、

「(白人)ツーリストがミャンマーの人権状況を監視することができるから行ったほうがいい」

というキチガイじみた結論に達するのである(ロンリー・プラネット)。

しかし彼ら白人ツーリストは、「白人にとって居心地のいい・都合のいい場所」にしか最初から行くつもりはない。常に「白人の生活様式一式」を巨大なバックパックに詰めて辺地を移動する擬似「異文化」体験を求めるツーリストにすぎない。

したがって、彼らのいう「人権を監視する」とは、白人がどれだけ「ふさわしく」「文明的に」扱われるかを監視するということ、すなわち、有色人種たちがご主人様たる白人をもてなすマナーをちゃんと守っているかどうかを監視することに過ぎないのである。

白人ツーリズムはまさに、現代の植民地主義にほかならない。現代の植民地主義たる白人ツーリズムをイデオロギー的に指導し、弁護するのが、「ロンリープラネット」である。

彼らは白人がミャンマーに旅行することの是非については大いに語るが、タイでレンタルワイフを雇ってアジア中を連れ回している大量の白人男たちの「旅」の是非については決して語らない。

脛毛を出してのし歩き、地域住民感情など一切意に介さず、どんな片田舎にもアジア人売春婦を連れまわし、西洋式の買春の仕方とビールとコカコーラのラッパ飲みの仕方を実演して見せ農山村にまで害毒を撒き散らしている大量の白人男たちの行動の是非については、決して語らないのである。

なぜミャンマーが非難されるのか

ミャンマーは人種差別も少なく、日本人旅行者にもやさしい国である。

人権と民主主義に関していえば、ネパールの専制の方が深刻である。ブータンも自由で民主的な国とは言えない。もちろん私はブータンを批判するつもりは全くない。

なぜミャンマーは白人に批判され、ネパールやブータンは批判されないのか。ネパールやブータンはアメリカに楯突いていないし、ネパールはイスラエル人を含む白人ツーリストを大々的に受け入れてちやほやしているからかもしれないが、なにより、ミャンマーには天然資源があり、地政学的にも重要な位置にあるからだろう。

ミャンマーには、将来インドとともに発展し、世界的な食糧難の時代に食料資源の供給に寄与しうる潜在的な力がある。

植民地時代にイギリスは、マンチェスターで織った綿布をビルマにロンジー用に「輸出」し、ビルマの米を「輸入」するという形式で、ビルマの富を搾取していたほどである。

ミャンマーが人権批判をかわすには、根本的にはアメリカに膝を屈し、内外にアメリカの価値の優位性を宣言しなければならないのだろう。

しかし、近道がないこともない。ヤンゴンの目抜き通りに売春バーやプールバーを開き、英国旗やカナダ旗、オーストラリア旗掲げて白人ツーリストを誘致歓迎し、現地女性を自由に抱かせる。これは事実上の白人の「勝利宣言」「優越宣言」であり、ビルマ人の「雌伏」の宣言になる。(ボス猿が交尾の真似をすることによって上下関係を公認させることと同じ原理だが、ここでは従属させようとする集団の雌たちと実際に交尾するのである。)

白人が欲しいのは(広い意味で)イデオロギー的な「ヘゲモニー」であり、白人の文明的「優位性」を、国際的にもミャンマー国民にも、認めさせることだから、現地女が競って白人男に憧れ抱かれたがる姿を世界中に晒させることでもかなりの部分目的は達成できるのである。

しかしそれをやってしまったらミャンマーは終わりであることは言うまでもない。千年単位の国家の自殺である。

タイのようにゆっくりと腐って行き、周囲に腐臭を撒き散らしながらやがて自壊する国になるほかはない。

アウン・サン・スー・チーの意味とアウン・サン将軍の動機

ミャンマーが特別な批判を受ける理由(口実)の第一は、もちろん、アウン・サン・スー・チーをめぐる問題である。

彼女は「人権弾圧」の「象徴」にすぎないが、何よりも「ヘゲモニー」を求める白人にとっては「象徴」が極めて重要な意味を持つ。

ミャンマー政府がアウン・サン・スー・チーを弾圧するということは、アウン・サン・スー・チーが代表するところの「白人世界」(「白人の理念」「白人の正義」および「白人の支配する世界のルール」)に対して、ミャンマー政府が正面きって反抗しているという象徴的な意味を持つ。白人にとっては何よりもこの「意味」が重要である。

アウン・サン・スー・チーは、内面は完全なイギリス人で、ビルマ語も満足に話せないといわれる。イギリスの雌犬にすぎない。それでは、自らの娘を旧宗主国の女奴隷のように育てた「建国の英雄」アウン・サン将軍とはどんな人だったのだろうか。

彼は日本軍の支援のもとでビルマ国民軍を創設し国防大臣の地位についたが、戦後(連合国に対し)「日本人はわれわれを犬のように扱った」と公言している。

The Japanese were able to maintain Burmese political support for only a short time before their harsh and arrogant conduct managed to alienate the Burmese.(日本人はほんの少しの間はビルマ人の政治的支持を得ることができたが、過酷で傲慢な振る舞いでビルマ人を遠ざけようとして支持を失った。・・・・・

訳註:これを書いているのはきっと『ロンリープラネット「タイランド」』を書いているあのレイシスト白人男だろうと思う。ロンリープラネット「ミャンマー」の執筆にはあの男も一部加わっている。

彼はビルマ人とタイ人との区別もつかないようだ。白人が優勢になったらすぐに白人側に日和り、日本人に背を向けただけでなく、日本軍の駐屯地を襲ったりしたのはタイ人である。日本が優勢に見えたときには日本人に媚び、日本軍について来てビルマに侵攻し、シャン州を侵略したが、その罪は、後の白人への必死の媚びへつらいと死に体の日本兵への容赦ない残虐行為という踏み絵により、戦後も不問に付されたのである。

ここに書いてあるのは、タイ人がとった醜悪な行動を白人の側から都合よく解釈したものに過ぎない。それがビルマ人にも当てはまると勝手に妄想しているだけだろう)
Aung San expressed his bitterness during his stay at Japan's 15th Army headquarters in Maymyo(now Pyin U Lwin):

I went to Japan to save my people who were struggling like bullocks under the British.But now we are treated like dogs.We are far from our hope of reaching the human stage,and even to get back to the bullock stage we need to struggle moreLonely Planet, Myanmar(Burma), Facts about Myanmar-Historyより


要するにアウン・サンは、日本人のもとで自分たちは人間並みに扱われなかった、イギリスに支配されていた方が良かったというのである。

イギリスに支配されて去勢された牛、すなわち白人にぺこぺこしながらも結構良い思いのできる植民地エリートでいた方が良かったと彼は思ったのであろう。

結局のところアウン・サンも、アジア途上国エリートにありがちな男で、エリート意識とコンプレックスとのあいだで揺れたすえ、白人にはどうしてもかなわないと観念し、反日にコンプレックスのはけ口を見出した反日家、白人崇拝主義者でしかなかったということだろう。

しかし、すべてのビルマ人が彼と同じように感じていたとは私は思わない。日本兵とともに最後まで戦い散華したビルマ人を含め、大部分のビルマ人は彼とは別の考えを持っていたはずである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/09/discriminationb_bbd7.html

東南アジアにいる白人「教師」たちはほとんど性犯罪者の集まり。

日本でもそうかもしれないが。

若者への「性的いたずら」でタイから追放されるアメリカ人英語教師【NST】

オーストラリア人英語教師が児童買春・児童ポルノ作成で逮捕される ジャカルタ インドネシア

2,3年前には、チェンマイの大学の白人先生が、ホテル「スリ・トーキョー」で売春婦相手にバイアグラセックスをして腹上死した事件があった。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/post_1629.html

白人メディアも認めざるを得ない
「アジアでの英語教師職は性犯罪者の隠れ蓑」−AP通信(ジョンべネ事件)

[記事の概要]アジアの英語教師の世界は、旅行中に簡単に現金を稼ぎたいバックパッカーや海外での経験を作りたがっている新卒者、そして、何か隠し事があって絶えず動いている連中の、浮動的なネットワークである。

機会と成功と同視されるこの言語を学びたい人が多い地域では、多くの国で、ネイティブの英語教師の需要が供給をはるかに上回る。

多くの英語学校では教師の転職率は高く、審査は最小限のものである。インチキの認定書を持ってくる者や、−このJohn Mark Karrのように−本国で教師を辞めさせられた者にも、アジア中で広く門戸を開き、彼らを教室に招き入れている。

10年前の事件のときに「ジョンベネと一緒にいた」ことを自供している容疑者Karrは、2001年以来ドイツ、オランダ、コスタリカで教師をしており、同年4月カリフォルニアで児童ポルノ所持で逮捕され6ヶ月の服役の後、姿を消した。

その後、Karrは、2002年に韓国で数ヶ月、2005年にホンジュラスで、そして今年6月、「厳しすぎる」という理由で解雇されるまで2週間、バンコクの一流の学校で教えていた。

Convicted sex offenders from various countries have popped up in Asia as English teachers性犯罪の前科者たちが英語教師としてアジアにひょっこりやってくる。

"It's a very traditional paedophile strategy,""If you want to sexually abuse children what better job would there be."

これはたいへん伝統的な小児性愛者の戦略である。もしあなたが子供を性的虐待したいなら、これよりいい仕事があるだろうか。

犯歴のある外人教師が、ばれないようにするのは簡単である。前歴や素性に関する情報が国際的に共有されることは容易ではないからである。もっとも格式の高い英語学校でさえ審査は困難である。

とくにタイのような観光国家では、英語能力に対する需要が大きく、これが教師の欠員をすぐに埋めなければならないプレッシャーになっている。

アジアではニセの教師証明書も安く手に入る。仕事はいくらでもある。たとえば、昨年度日本では4500の外国語学校があり14000人近い教師がいた。韓国では12000のネイティブスピーカーが私立学校で教えている。

(ニセでもOK仕事はいくらでもあるときて、いきなり日本の数字が挙げられている。いずれ、日本の女が英語教師名目の白人性奴隷を買いあさり虐待している、とか批判されそう。その通りなら仕方がないが・・・・)

世界中の国の学校がネットで求人広告を出しており、教師たちが、仕事を見つける前に短期で働き、すぐに次の仕事に移ることが容易になっている。これが逃亡中の性犯罪者のための完璧な隠れ蓑をセックスツーリズムで悪名高い地域に提供している。・・・・・・・・・・・

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こんなことはいまさらくどくどというまでもないこと。

中卒のオーストラリア人でも白人でさえあれば英語教師の口はすぐに見つかると思う。オランダ人、ドイツ人や北欧人でも英語が話せればOKではないだろうか。しかし、アジア系や黒人だったらアメリカの一流大学を出ていてもタイの民間語学学校で英語教師の仕事はまず無理だろう。

現在大量の一般白人ツーリストたちが、タイを中心とする白人セックスツーリズムセンターにおしよせいるにもかかわらず、彼らがそこで何も見ていないということはありえない。

みんな十分知っているはずなのに、白人メディアは、Karrの事件のような言ってみればくだらない「失踪白人女性症候群」的な騒ぎがおきて初めて教科書的な能書きを披瀝している。

この記事に出てくる白人NGOなども、東南アジアなど行ったことのない人間向けのお上品な言い訳の仕事をしているに過ぎない。

白人はただセックスバカンスにいそしんでいるだけでなく、チャイルドセックスツーリズムを憂いているんです、というところだが、日本人などが何かしたときの彼らの反応に見られるような高飛車な非難の態度はまったくなく、ひたすら「憂う」のみ。

今回は「英語教師」がターゲットなので、白人は逃げられない。アジアの「英語」産業が、名だたる人種主義産業、白人至上主義産業であることは言うまでもない。白人もアジア人もみんな知っていることである。

必要もないのに「英語」を勉強したがることは、かっこ悪いだけでなく、実害を生んでいるという認識を、日本人はもっと持つ必要がある。

私は以前、日本など東アジアでの英語教師を目指す(イギリス)人向けの指南書みたいな本をチラッと見たことがる。前書きで、金額まで挙げて

「日本でビジネスマンとちょっとおしゃべりするだけでこんなに儲かるのだ。これをやらない理由があろうか。これは不道徳だろうか。いや、そうではない・・・・日本人はとてもhumbleな人たちである・・・・」

みたいなことが、くどくど書いてあった。そこしか読まなかったのだが、しんそこ日本人をなめきった内容だった。humbleというのは卑屈とか卑しいという意味だと思った。こういうのを読んだ人間が英語教師として日本などに来るのである。

「教師はみんな外国人」なんて広告を出している学校には特に注意すべきだと思う。正常な感覚の人間が聞けばただでもいかがわしく感じるセリフだが、性犯罪者をかくまいかねない社会的にも有害な施設であるといえるだろう。

こういう学校は、間接的にであれ白人セックスツーリズムを激励し、白人による児童買春ツーリズムにも寄与しているのだということが、今回の事件でますます公になってきたといえる。

小学校で英語を教えるそうだが、これにも反対である。福沢諭吉は25歳から覚えたそうである。戦前の知識人は、ほとんど読本だけで英語を学んだが、英語もほかの外国語もよく使いこなした。読めない外国語がまともに話せるわけがなく、読めるようになれば英会話など習わなくても話せるようになる。

よく言われるとおり、内容のない話をぺらぺらしても軽蔑されるだけである。英語をぺらぺらしゃべって尊敬されるのは、後進国の情けない連中にだけである。尊敬というより羨望で、あなたの英語が彼らから見て上手すぎればだだちに嫉妬に変わり、白人を巻き込んだ返り討ちにあうだろう。

そういうかわいそうな国では、白人ツーリズムが産業の重要部分であり、「英語を話せること」がすなわち「学問」であり「教養」なのである。

彼らはそれ以外の「教養」の定義についてほとんど思いをめぐらせたことがない。国が発展するということの意味も考えたことがなく、自国が事実上の乞食国家であるという自覚もない。

つまり、小学校で英会話を教えましょうというのは、それらしい英語をしゃべるタイの白人バーの売春婦みたいな子供をたくさん養成しましょう、ということにほかならない。

とくに白人の英会話インストラクターを大量に採用するようなことは、現実問題として、日本に大量の白人ぺドフィリアを引き入れるというのとほど同義である。白人NGO団体も性犯罪者をスクリーンのしようがないと認めているのである。

白人男が、キャリアにもならず大してカネにもならない日本での英会話教師などを志願するのは、女以外の目的はまずないだろう。しかも白人男にとってアジアの幼女というのは格別に魅力的なものらしい。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-15.html


児童買春(子供買春)2008年10月 2日 (木)

クアラルンプルでまた幼女(10歳くらいに見える)を連れた白人男を見る
あまりに堂々としているので写真も撮らなかった。「正当な理由」があるのかもしれない。「正当な理由」を準備して堂々と振舞うことで白人は世界を制覇してきた。

今日、クアラルンプルの中華街で、10歳くらいに見える幼女を連れた30歳くらいのバックパッカー風白人男を見た。10歳くらいに見えるというのは、もし日本人の女の子だったらそのくらいの年頃に見える、ということ。東南アジアの子だから12歳か13歳くらいかもしれない。

どう見ても白人の子には見えないが、父親に似ないこともあるのでこの汚い白人男の子でないとは断定できない。かわいいアジアの女の子、どっちかといえば中国系の子に見えた。

「正当な理由」はいろいろある。

「養女(義理の母親もあり。カネで現地女を雇う)」

「孤児と遊ぶボランティア」

「少数民族の子供にただで英会話や勉強を教えてあげるありがたい白人青年ボランティア」

「現地妻の連れ子(現地妻を雇うがそのオバサンが目的ではもちろんない)など。

こちらにも書いておいた。
http://kuantan.aboutme.jp/user_statuses/show/82392


白人の強みは情報、ネットワーク、「野蛮の地」における惜しみない相互扶助、重要なことにはカネを惜しまないこと、長いバカンスが取れる「生活の質」などである。これらの諸要素は、「正当な理由」付の児童買春・児童性的虐待遊びや「ガールフレンド」遊びにも有効である。

「イスラム国家」マレーシアの首都クアラルンプルで幼女連れ白人を見たのはこれで2回目である。いずれも中華街。一回目はこれ。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-116.html
http://journal-ibrahim.blogspot.com/2007/03/kl.html

  
なお、タイの幼女連れ白人の実例はこれ。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/04/crime.html


【タイ】5歳の養女に性的暴行を加えた72歳の米国人男を逮捕 パタヤ

「バービア」というのはビア・バーすなわち、タイの売春バーのことです。タイでは絶対売春(対価を支払って女の子をお持ち帰り)がないバーというのはまずないので、すべてのバーは潜在的に売春バーといえます。

タイではすべての恋愛や結婚も、かなり長期契約売春といえるわけですが。(別にマルクス主義者〔結婚は法制度化された売春だと主張する〕とかでなくても納得するような「あからさまな」意味で)。
 
母によると、ビーチ付近で娘と散歩中に声をかけてきた男にいきなり娘を養子にしたいとの話を持ちかけられ

白人男による、こういう形での幼女少女調達、偽装夫婦による児童性的虐待は、タイではありふれたものです。白人のお家芸といえます。

アジア系男はこういう段取りが苦手なようで、売春宿から児童がいなくなってからはトンと児童買春に縁がなくなったようですが。

  
「タイの地元新聞を読む」より。 
   
5歳の養女に性的暴行を加えた72歳の米国人男を逮捕

 チョンブリー県パッタヤー地区の警察当局は18日夜半、5歳の養女に対する性的暴行容疑で72歳のアメリカ人の男を逮捕した。

 この逮捕は、養女の実母であるバービヤで働く21歳のタイ人女性が警察に被害届を提出した事により実現したもので、実母によると、ビーチ付近で娘と散歩中に声をかけてきた男にいきなり娘を養子にしたいとの話を持ちかけられ、当初は疑っていたものの、男の誠実な対応に心を打たれた両親や親戚の勧めを受け、娘の教育費や自分の住居費の面倒を見るという条件で今年5月に養子契約を締結したという。

 しかし、その後男が、定期的に娘を男の家に行かせるという当初の約束に満足できず、終いには娘を男の家に留め母親に会わせることを拒むようになった為、不審に思い17日に何とか娘に会うことが出来た際に娘に生活状況を聞いたところ、娘から毎晩の様に男に性器を触られたり、無理矢理男の性器を咥えさせられているとの証言が得られたことから、男に娘の返還を要求したが拒絶された為警察に告発したという。

 逮捕された男は警察の取り調べに対して一貫して容疑を否認しているが、警察側は、養女と実母の証言に一致する点が多いことから、実母の告発は事実に基づいたものであると見て、医療機関で養女の診察を行った上で、あらためて詳細な事情聴取を行う方針を明らかにしている。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/times/2008/07/572_c8c3.html

 59歳のアメリカ人男がチャイルドセックスで逮捕 
11歳と12歳の少女とプノンペンのホテルで カンボジア

59歳のアメリカ人男が11歳と12歳のカンボジア人少女とプノンペンのホテルにいるところを警察に逮捕された。月曜日、元旦のこと。

これは児童買春というより、幼女奴隷といったほうがいいのだろう。

白人の場合、同時に二人の幼女と性行為をすると逮捕される確率が高いようである。このケースは男が2人の幼女と一緒にホテルにいるところを逮捕されている。身を隠そうとする形跡すらない。

このケースの被害者はベトナム人少女でなく、カンボジア人少女のようである。(なおさら悪質性が高いように感じられる。ことさら幼女を求めて貧しい家庭と交渉したことが考えられる。というのは、ベトナム幼女の人身売買には「市場」があるが、カンボジア人幼女の人身売買には市場がないからである)。

最近のカンボジアでも、白人が逮捕され報道されるケースはこのようなエゲツナイものばかり。

幼女を連れて歩いているくらいでは逮捕もされないのだろう。

孤児援助のボランティアだ、NGOだ、ミッショナリーだなど、白人にはどんな言い訳でもして開き直る用意がある。実際、その手のボランティア、NGO、ミッショナリー等が、白人のチャイルドセックス、児童性奴隷、人身売買の温床にもなりカバーにもなっているのである。


An American held over child sex

アメリカ人男が幼女性的虐待と人身売買の罪で逮捕される プノンペン カンボジア

裁判所は昨日、アメリカ人の男をヒューマントラフィキングと二人のベトナム人幼女を性的に虐待した罪で告発した。(カンボジアは糾問主義)。Myron Maboris(46歳)が、水曜日、当地のゲストハウスの彼の部屋を手入れされたあと逮捕されたと、市の人身売買対策警察の副長官、Keo Theaが語った。警察は、Maborisが13歳と14歳の2人の少女と部屋にいるのを見つけた。彼は彼女らとセックスをしたとされる。(マレーシア紙New Straits Timesより)

白人が起こすこのような犯罪は、3日に一回ぐらいの割合で報道されている。このアメリカ人男も白人でないとは考えられない。タイ近辺では、黒人は道を歩いているだけで犯罪者扱いされ警察の尋問を受けることが多い(マレーシアを除く。マレーシアはタイとは逆で人種差別がタブーというのが国是の国で、黒人はのびのびしている〔ただし白人崇拝がまったくないわけではない〕)。

日本人男性がこのような事件を一件でも起こしたならば、(産経新聞も含めて)日本の新聞は大きく紙面を割いてスキャンダラスに報道するだろう。そしてその報道がまた世界中にフィードバックされて復唱されるのである。
しかし、こちらで3日に一度のように報道されている白人の性犯罪は白人世界のメディアではまず報道されることがないだろう。彼らにとってはこのような事象は「ない」ということになる。白人セックスツーリズムの醜態についても具体的には報道されることはないのではないか。

カンボジアでクズなドイツ人が逮捕されてもドイツの新聞が報道するということはないだろうし、アメリカ人でも同じ。

当地の新聞で報道されるものも、起訴に至ったものばかりであるし、それもすべてかどうかわからない。実態と比べれば、氷山のほんの小さな一角である。

東南アジアの国々の警察は(マレーシアも含めて)白人に対してはきわめて及び腰である。タイはいうまでもないが、カンボジアのような弱小国ならなおさらであろう。もしも白人を誤認逮捕でもしたら欧米メディアにどれだけたたかれることか。賠償を請求され、重要な資源である観光のイメージを悪くすることか・・・・。

よほどの目にあまる確証(たとえば近所の人間は誰もが知っているとか、白人NPOからの通告とか、白人からの密告とか)がない限り、なかなか強制捜査に着手できないのではないだろうか。この事件の犯人も、2人のローティーンの少女を同時に、ゲストハウスの自分の部屋に連れ込むという、おぞましくも不用意な男である。
underageというのが何歳からになっているのかわからないが、新聞で報道されるのは女の子が15歳未満の場合ばかりである。

日本のように17歳と援助交際で逮捕されて名前を晒されるということはない。17歳の少女を堂々とレンタルワイフにしている白人男は東南アジアにはいくらでもいるだろう。

つまり、underageでない年長女子との同棲や事実上の人身売買は大手を振ってまかり通っており、そのような白人は自国メディアでの倫理批判を受けることもなく開き直っているということである。

児童買春カテゴリーを見てほしい。白人の児童買春犯罪がいかにすさまじく性懲りもないことか。

私は常に新聞をチェックしているわけではないし日本にいるときもあるから、これらは報道されたものの中でも氷山の一角、つまり氷山の一角のさらに一角なのである


ドイツ人男が児童性的虐待で10年の刑 シアヌークビル カンボジア

裁判所は、7歳もの若さの4人のホームレスの少年に性的虐待をした36歳のドイツ人の男に10年の刑を言い渡した。男の名前は、Watrin Alexander Moritz。火曜日、シアヌークビルの地方裁判所により、debauchery(遊蕩):これは当地の当局が使う性的虐待を意味する言葉、の罪で有罪の宣告を受けた。(マレーシア紙New Straits Times記事)

「プノンペンの置屋にたむろする日本人」を批判する産経新聞の記事を前にあげたが、白人流のやり方の一端がこの事件に現れている。ホームレスの少年と直接交渉したようである。白人はフィールドを好むようだ。

アンコールワットの近くにあるレストランなどにも多くの白人ツーリストがたむろしている。

そして、実にかわいらしい(カンボジアの子供はたいていかわいらしいが)幼い少女たちが、彼らのところに笛を売りに来る。白人男たちはまず買わないが、物売りの幼女たちと会話を楽しんでいるようだった。

4年前に私が見たのはそこまでであるからそれ以上のことは言えない。

しかし、3,4年前のタイで。「チェンマイの花売り少女」は8歳ぐらいから20歳近いのまでいた。多くは山岳少数民族の女の子たちで、ロイクローの売春バーにたむろする白人酔客たちのところに行って薔薇を売っている。(チェンマイのバーは売春バーでもオープンバーで花売りが自由に客のところまで行ける)。客は花を買ってバーの女(多くが売春婦で少数民族の少女が多い)にやるのである。

花売り娘たちは夜更けまでチェンマイの街中をうろついていた。中にはかわいらしい12歳の少女で、なぜか英語が上手すぎる子もいた。

NGOのようなところに出入りしていた14歳のアカ族の少女は、バーの白人客から500バーツでホテルに行こうと持ちかけられたことがあると言っていた。彼女は学校には行っていなかったが英語が話せた。キリスト教ミッショナリーに侵食された村の出身らしく、自分もクリスチャンだといっていた。英語は村の教会(高床式の村の中でひときわ目立つけばけばしくペンキを塗りたてた小屋など)で教わったようだった。

タイの山岳少数民族はお金に困ることが多い。彼女らのほとんどが「永久IDカード」は持っていなかった。タイ族なら無条件にIDカード(=タイ市民権)が交付されるが、山岳少数民族には難しい。町に出てきている山岳民族の多くが期限付きのIDしか持たず、その更新をするには警察に大金(私が聞いたときは4000バーツ)を払わなければならない。(IDカードなしでも自分の村には住めるが、移動の自由はなく町に出ることができない。

彼らは本来山岳地域を移動しながら焼き畑農業などをしてきたので、移動を禁じられることは自給自足の生活さえ脅かされることを意味する。また貨幣経済の浸透により、現金収入も必要になっているからどうしても町に出ざるを得ない。一方ミャンマーではすべての山岳民族が永久IDを与えられる。山岳少数民族の市民権に関する扱いではタイよりもミャンマーのほうがより「人権」に配慮している)。

彼女たちにとって4000バーツは気の遠くなる大金である。このような状況に陥った少女たちに対してファラン(白人)の「援助」の手が差し伸べられることは、大いにありそうなことであろう。

東南アジア全域で、花売りや物売りや乞食の少年少女(幼女)に「援助」を持ちかける白人男は数え切れないと思われる。
 
アジアの現地警察は(日本を含めて)、白人の性犯罪に関してはよほど目に余ることをやっていない限り手を出せないということにも注意すべきである。

カンボジア警察はよくやっているほうだが、これは国連が作り出した「スワイパー村」での幼女買春(お客は国連関係者)が問題になった経緯があり、国連機関・国際警察機構が取締りの後押しをしているからである。

タイ当局は「取り締まらないことによって問題がないことにする」政策を貫き、映画「闇の子供たち」をも弾圧している。


「闇の子供たち」、タイで上映中止に=バンコク国際映画祭

(私はこの映画を見ていないし原作も呼んでいないので、その内容についてはここで評価することはしないが)。

実際、タイの田舎を回ってみれば、不自然な3人家族を見かけることは珍しくないはずである。白人の「父親」とタイ人「妻」と12歳前後の「娘」が、会話も交わさず人目を忍ぶように、あまり人の来ないようなホテルに滞在し、転々としている。
タイ北部の田舎でゲストハウスを経営していたあるアメリカ人は、そういうドイツ人の「父親」から宿泊の依頼を受けたが断ったと言っていた。しかし、このアメリカ人は「良心的」といえるか?

「野蛮」の地では白人同士はやばいことでも遠慮なく頼むし、頼まれたほうもできるだけ力になろうとする。野蛮人の警察に通告したり恐喝したりはしないのである。

アジアの白人ツーリズムは異常である。中東から西では、これに類するような嫌なものは見なかった。ごくまれに土人売春婦連れの白人を見たくらい。
    


2008年9月17日 (水)
いまだに繰り返される「日本人もやっている」で黙らせようとする論法
先日、アクセス解析のリンク元解析を見ていたら、ある匿名掲示板にこの記事のリンクが貼ってあり(よくは読まなかったが)、あいかわらず「そういうことは日本人もやっている」という反論がなされていた。

はっきりいえば、少なくとも今、日本人はこんなことはやっていない。80年代の幼女が万国の路上で売りに出されていたころならどうかわからない。しかし、今こういうことを堂々とやっているのは白人だけである。

なぜなら、相手が白人の場合と日本人の場合とでは現地警察の対応がまったく異なってくるからである。

白人も幼女買春で逮捕されることは多いが、東南アジアで逮捕される事例は、被害者が非常に幼い場合がほとんどで、同時に複数の13歳未満の幼女を自宅やゲストハウスの部屋に引き入れて同時に淫行していたとか、常習であったり、派手なものがほとんどである。目にあまるので近所の住人のうわさになり通報があったような場合である。警察が気がついただけでは容疑者が白人なら見て見ぬふりをするのが普通だろう。カンボジアはいまは多少厳しいかもしれないが、タイではまずそうである。

一方、日本人がこの写真にあるような行為をしていたなら、直ちに現地警察が駆けつけて逮捕するだろう。タイなら現地マスコミも大喜びするはずである。

東南アジアのNGOや国際機関も白人主導であり、できるだけ「アジアで児童を虐待しているのはやっぱりアジア人だ」という結論を導きたがっている。彼らも白人の悪行はなるべく表に出したくないのである。

昔も今も、この種の犯罪行為の「数」から言えば白人が圧倒的である。白人は日本人が東南アジアなどに買春旅行にいくようになる何百年も前から、アジア、アメリカ、アフリカの植民地でこの種の犯罪を普通に、犯罪ともされずにずっと行ってきているのである。

「量の違い」、ということを無視することは欺瞞である。白人が今も続けている圧倒的な歴史的犯罪を、日本人の一件の犯罪で中和することはできない。同じような犯罪行為を行う日本人が数名いたとしても、この種の犯罪の主体が白人であることには変わりはない。

圧倒的な量の違いは「質の違い」なのである。

さらに、「日本人もやっている」という反論で白人批判を中和しようとする言論は、その論者がこの種の行為を「本当は悪いと思っていない」ということを示している。

彼らは日本人がやっている限りはその行為を手厳しく批判し、日本人を非難するだろう。rところが、白人だけがやっているときにはすっかり批判の手を緩めてしまう。それが「悪い」ことであるならば、誰がやっていようと、白人がやろうと日本人がやろうと悪いのだが、彼らにとってはそうではないということだ。

「人権」や「正義」は重要な理念である。ところが、世界史上最も人権や正義を踏みにじってきた白人が人権や正義をもっとも声高に叫んでいる。彼らが偽善者なのは確かだが、だからといって人権や正義が無意味になるわけではない。

つまり、仮に「日本人もやっている」としても、われわれは白人のこの種の犯罪行為を見つけたならばそれを糾弾することができるし、また、しなければならない。人権や正義の普遍性ということはそういうことである。白人は白人の評価を下げるような事実をできる限り隠蔽しようとするのが現実なのだから、なおさら非白人が声を上げなければならない。
 
白人によって「アジア人もやっている」という反論がなされる以上に、日本人自身が「日本人もやっている」で黙らせ、議論自体を潰そうとすることが多い。この種の「日本人もやっているで黙らせる論法」は、非常に「ムラ的」で団体主義的で配分主義的な言論だといえると思う。「日本人ならそのようなことをよそに向かって言うべきではない」といって、日本人言論社会の思想統制をしようとしているに等しいからである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/journal/cat6339172/index.html


169. 中川隆[-12557] koaQ7Jey 2018年5月24日 03:08:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

土人はなぜ土人か _ 白人崇拝がタイ人を土人にした


タイ人女性は白人の奴隷女であることが嬉しい


仏教や王室に対する侮辱にヒステリックに反応して見せるタイ人だが、自国の娘たちが白人の女奴隷として扱われることには何の抵抗も感じない。

現にまったく抗議しないのだ。 嫌だという意思表示も一切しない。

タイ人は白人には一切文句を言わない。

彼らは白人からはどんな扱いを受けても平気なのである。

タイ人自身、どうせ自分たちは「土人」だと思っているからである。

それが土人の土人たるゆえんでもある。

そして、白人の前で他の有色人種がタイ人より勝って評価されないようにその足を引っ張ることにのみ専念する。


「日本人もヨーロッパに行くときには往復航空券が要るよね」

「日本人の女の子もファランが好きだよね」

タイ人が日本人に対する決め手として出してくるのはだいたいこんなとこである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/08/post_eecb.html


「土人」とは、白人が有色人種を見る歴史的な見方を、まずもって見られる側として次にはあくまでそれに従属する形で見る側として、内面化してしまった者のことである。

(したがって、日本の「過去の歴史」と「土人」性とは関係がない)。

白人との関係で、

有色人種の世界で他の有色人種に比べて上位の者とされたい、

白人に愛されたい、

白人が有色人種支配のために課したシステムの優等生になりたい、

という動機が内面に刷り込まれて本能のようになっている者のこと。


「金髪碧眼」に言われることにはおとなしく従う気分になるということだろうか。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6237979/index.html

タイでは都会はもとよりよほどの田舎町でも、ごろつき白人が奴隷女を囲って貴族滞在している風景を普通に見ます。

そういう「白人のいる風景」を毎日見ていて平気でいられる、それが普通なのだと思っている、というのがタイ人です。

これほど白人を受け入れている国民はアジアでも他にはあまりないと思います。

自国民の女をクズ白人爺が奴隷女のように囲って自分の町や村に滞在している、そんな「白人のいる風景」をタイでは普通に自分の生活空間の中で、屋台でも喫茶店でもモールでも、毎日のように目にしなければならない。

つまり、ごろつき白人はタイ人の生活の一部になっているわけです。

これがもしネパールだったら、と考えてみると、カトマンドゥのタメル地区(ツーリスト地区)では土人女連れ毛唐をたまに見ますが、女奴隷連れで旅行している白人で、女はネパールで調達したのではなくタイなど外国から連れてきたのが多いように見える。
ネパールでは契約売春婦の調達は簡単ではないようです。

ネパールの田舎町だったら、仮にその毛唐が囲っているのが自分とは無縁のカーストの女であったとしてもネパール人は黙ってはいないと思います。
 
ヨーロッパ人はタイのバービア嬢やゴーゴー嬢と安易に結婚して(短期間=結局破綻するので)本国に連れ帰る例が多いようですね。

白人ツーリズム=買春拠点であるチェンマイではそんな話をよく聞きました。

ヨーロッパで暮らしたことがあるというのを自慢にしている売春婦(自称「ガールフレンド」、「支払われるガールフレンド」を稼業にしている女)のも少なくないような。

そんなタイ女がヨーロッパにいっぱい住んでいるのだから、タイ人の場合、先進国で差別されて当然というほかないような気がします。

ごろつき白人がタイでだらだら暮らすために売春婦と結婚して本国にも連れて行くという例も非常に多いのですが(係累のない孤児のような女を必死で探すのだとか=それは納得ですが)、堅いイギリス人などで育ちの良いのがちょっとタイに来て売春婦につかまってしまう例も少なくないと聞きました。

タイに来ただけで「アジア」がわかってしまったと思い込むタイプの白人が多いようです。

まじめなヨーロッパ人男が初めてのアジア旅行でタイに来て、自分が教えられてきたヨーロッパの価値観や美意識とはまったく違うものがまかり通っていて、しかもそれで結構楽しい思いができたことにショックを受け、

「これだ!これでいいんだ!これがアジアなんだ!」

とか思い込み、売春婦と本気で結婚してしまうこともあるのではないかと思います。

実際、人身売買、児童売買、海外移送の手先として国際的に活躍しているタイ女が非常に多いので、タイ女が国際社会で胡散臭い目で見られるのはむしろ当然でしょう。それはタイが国策として長年やってきたことの当然の結果です。

タイの「ガールフレンド産業」のせいでタイ人以外のアジア女性全体が「ガールフレンド」や「レディー」のような目で見られている面が相当あるのだから、タイ人が差別されるのは自業自得というほかありません。

私は日本の入管もタイ女だけは極力入れないようにすべきだと思います。フィリピン女よりたちが悪い。彼女らが売春するだけならまだしも、そのかげではるかに弱い立場にいる少数民族などの少女が売買され搾取されている可能性が非常に高い。

白人の児童性的虐待のカバーとして、児童の母親役のタイ女と偽装カップルになるというのはタイではごくありふれたことです。

(児童とも母親役の女とも・・・ということがあるかどうかまではわかりません。これでは偽装親子○ですね)。

これだと目立ちにくいので、それによってタイが「児童買春支援国家」として国際的非難を浴びることもないから、タイ国内では白人がやってる分にはほぼ野放しのようですね。

しかし(どうでもいいことですが)こういう悪い遊びをするにはある程度ネットワークが必要です。

児童の調達はもとより、母親役の女の調達など、現地人の支援と白人同士の助け合いが必要になります。

日本人買春オヤジはこういう組織性が必要な遊びは苦手なように見えます。

たしかに、白人同士はアジアでよく助け合っているように見える。

「野蛮人の地では助け合う」というのは、数百年にわたる経験で白人が得た知恵かもしれません。

在外日本人たちのようにいつも互いに足を引っ張り合っているよりは麗しいことかもしれません。
 http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-174.html


52 : [sage]:03/06/10 01:24 ID:KpHVIBQs

白人コンプレックスのタイ人女性をFBIが分析した


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    |:::::| ∴∴  -二二二二- ∴∴ |:::::::|  < 白人男は私の物
    |:::::|                  |:::::::|    \___________


顔・目は細く、小さい。目頭が無く、寄り目。眉毛が無い。鼻は低く穴は丸く、鼻筋が無い。

出っ歯。のっぺり顔。口は開きっぱなし。夢見る表情。

身体的特徴・チビ、弛んだ身体。首が短く、短足O脚。大顔。貧乳。 貧尻で垂尻。ぶ厚い前髪。

趣味・欧米の映画や音楽、白人スターの追っかけ、白人男性を見る。

好きな映画・ハリポタ、ロードオブザリングなど。ファンタジーや、中世映画で白人美男が出てくる作品。

目的・美形白人の恋人を作る。

性格・内弁慶。白人的外見の黄色人女性に嫉妬。親に八つ当たり。自虐的。
僻みっぽく、被害妄想。執着型。強迫神経症的。 誇大妄想。ナルシスト。

白人男性のこととなると急に自棄になり、白人男性と一緒にいるタイ人女性を見ると酷く嫉妬し、悪口を言いストーキング。

特徴・白人男性にしか興味が無く、有色男性を無視。色白で金髪青目の王子様ルックスや貴族を好む。

有色混血白人男性には興味無し。

完璧な白人男性を手に入れられず苦しむ。

自身を白人と同等に考えているため、白人とは別物だという事を理解しない。

自身を黄色人だと思わない。

白人男性からのナンパを期待しウロウロ。

白人男性とは下手糞な英語で皆に聞こえるよう大声で話す。

心の中で黄色人差別。英語が上手いふり。

欧米留学は白人男性が目的だから語学は上達せず大金を払った親が苦労。

欧米旅行も運命的な出会いを期待して。欧米人の集まる場所も同。 

291 :名無しさん:2006/10/19(木) 16:49:52 ID:G0tVeQpI
タイ人の心の中

「日本? あー戦争に負けたアメリカの植民地ね。
独立してる我が国とは格が違うわ。
あっスティーブンから電話だわ、着替えなくちゃ」


304 :権:2007/04/04(水) 20:26:51 ID:4BjjlJOw
それにしてもパタヤの女は完全ファラン漬けだ。

ファランの後ろを歩いていると実感するね。

「セクシーメーン!ウェカ〜ム!」 

そのあとを歩く俺には顔を伏せて一斉無言を決め込む。 
 全く自身喪失になるよ。
日本でこんな屈辱知らないからね。

62 :名無し:03/09/10 18:09 ID:MH6fliqX
本国に帰ったら、永久に窓拭きやっているようなヤツにペコペコ頭さげてるタイ人を見ると哀れだよね。


413 :mm:2007/04/11(水) 00:09:41 ID:yti/C4HH

タイ人女は白人男とセックスの相性がいいからだよ。

白人がセックスするときの声とか聞いたことあるか?
ポルノ顔負け、というかポルノは演技じゃない。

実に卑猥な動物的な声でヒヒヒヒヒイエースイエースハーハーハーオーオーオー
って感じ。

それに対してタイ女が反応する。

オホーイオーイオホーイってね。これもまた実に動物的。

動物同士のセックスがうまくいくからなんだよ。

タイの女で日本女みたいに高周波な?ひーひーってあえぎ声出せる
やついるの?


182 :G[sage]:2006/08/29(火) 09:25:50 ID:gls40XbM
タイの若い女は全員売春婦になっちゃったからな
女子大生の憧れがGOGOで踊る事らしいorz


118 : :2005/04/06(水) 10:20:28 ID:VYJCzbfq
タイだけじゃねーよ。ぴーなもジャパニーズも台湾人もチョンも女は同じ。
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

先進国にはたいてい「ミスコン批判」という運動があり、いろいろな理由で美人コンテストを激しく非難する人たちがいるものです。

そのせいかどうかは分かりませんが、日本では美人コンテストを敢行する人々はあらかじめいろいろな言いわけを用意しなければなりません。

曰く、容姿だけでなく知性や教養も審査するだの、人間性を総合的に審査するだの・・・言えば言うほど滑稽になる理屈を用意し、何かしゃべらせたり、受け答えを見たりしたりするようです。

しかし世界にはそのような心配から一切自由な国もあります。そんな国の代表格の一つがタイです。タイでは、美貌こそ善であり正義である、という大原則が社会を貫いています。ミスコン批判など出る幕はないようです。

先日タイで行われた美人コンテストでは、母国語すらロクに話せない、オーストラリア白人との混血の女性がトップに立ち、ミスタイランドに選ばれました。

結局、タイ語ができないからミスタイランドとしての仕事が果たせないという分かりやすい理由で、賢明にも本人がトップの座を辞退しました。しかし、その人を選んだ人たちが何を考えていたのかは謎です。あとさきも考えず混血美人に飛びついたのでしょうか。

タイ人の「美」の基準はわれわれのものとはすこし異なると思われます。
まず、肌の色が白ければ白いほど美しい。何はさておき肌が白くなければダメ。肌さえ十分白ければ何とかなる。色黒は問題外です。

日本人から見れば色黒な人が多い国なので、これほどまでに色白に憧れる姿はいささか憐れを催します。しかし、上流階級のタイ人には華人系の肌の白い人も多いので、色白はわれわれが想像する以上に切実で具体的な憧れなのかもしれません。

褐色の肌を美の基準にすればもっと多くの人が幸せになれると思うのですが、彼らにその気はまったくないようです。タイ人が最も嫌うものが「平等」です。

ともあれ、ちょっと余裕のある人は異様な情熱で美白に励んでいるようですが、美白といっても、日本ではやっているようなシミそばかすやクスミを防ぐ美白ではなく透明感うんぬんでもなさそうです。そんなことより、なんでもいいからとにかくすこしでも肌を白く見せたい。できれば白人のように、それが無理なら中国人のように白く見せたいというダイレクトな白い肌への憧憬のようです。つまり、われわれから見れば「タイ人らしくなく」見せるためです。

タイ人にとって美はたんなる僥倖ではなく、むしろ倫理規範であり正義です。

つまり「美」を求めるのはタイ国民の義務であり、そのことに躊躇や恥じらいはまったくないようです。

そんなことから、大部分のタイ人とは似ても似つかない白人との混血女性を、タイを代表する「ミスタイランド」にしたてあげるのも平気だったのかもしれません。

美が正義である以上、美が要求されるのは男性も同じことで、その基準も同じ。

色白=ハンサム=金持ち=正義の人、ということになります。

色黒の人は、外で働かなければならない人=貧乏人とみなされます。

タイでは貧しさは悪です。

貧乏人や「弱者」は人間とはみなされません。

すこしカネのある人は下女に働かせて自分は日焼けしないように昼間から日陰でごろごろというのがよくあるタイ人の姿です。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-category-7.html


タイの男が最も気にするのが女性の肌の色


白ければ白いほど美しいと同義語になる。

タイ人は元々浅黒い肌(蜜色)なので、色白であることは美人の絶対条件の一つ。
浅黒い肌は最も蔑まれる。

華人との混血の人、北部出身の人、東北のイサーン人でもほとんどラオスとの国境にいる人々などは色白が多い。

外で力仕事をしている下層階級の人々は日照時間が長いから色白になりえない、家の中にいて優雅な暮らしをしている人々は色白だと固く信じられているのか、肌の色は社会階層まで表す。

それだけに色白の娘というのはタイ男が最も憧れる女の条件の一つになっている。

“ピユ・ダーム”と言えば「肌が黒い」という意味になるが、タイ語の「黒い」という言葉は何かしら蔑みの気持ちも含まれている。
http://hage.momo-club.com/news/mp-ura3.html

タイでテレビに出るような「美人」(とされる人)たちの大部分は、白人との混血。ただし日本のテレビに出る白人混血とはかなり違う顔立ちである。

タイの環境からして必然的に、ほとんどが契約売春婦の子か売春契約的婚姻関係で生まれた人たちと言うことになる。

背が低すぎたり顔が醜すぎたりして本国では女に相手にされない白人男性たちが、タイの女紹介エージェントに殺到している。

以前白人のサイトを見ていたら、「タイ人はもう大部分が白人との混血だから安心しろ」なんて書き込みもあった。

アジア全体が中南米のようになってしまうのが白人にとって一番都合が良い。
それが白人にとって最高のアジア戦略だということもこれまで書いてきたとおり。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/04/post_6ce7.html


数年前に私が飛行機内で隣り合わせた一人旅の日本人の女の子は、タイの入管役人に「お前はタイ人の癖になんで日本のパスポートを持っているんだ」と詰め寄られたと語っていた。

その理由はどうやら、彼女が小柄で「土人顔」だったからのようである。

それだけでなかなか通してもらえなかったそうである。

この一件で彼女はひどく傷ついたらしく、「タイの差別はひどい」「タイ人は人種差別主義者」としきりに訴えていた。

当時の私はまだタイに行ったこともなかったし、タイのことは何も知らなかった。

ご多分に漏れず、「仏教国で親日的な『微笑みの国』なのではないか」という、よくある幻想を抱いていたので、彼女の言っていることの意味がピンとこなかった(あとあとになってタップリと知らされることになる)。

この事例からも窺えるように、タイはまず「容姿」による差別を合理化し、制度化さえしている。

タイ人にとって「容姿」はIDカードに準ずるか、時にはそれにまさるものであり、法的資格でさえある。

その土台にあるタイの階級社会における生殖によって、「土人」顔は再生産されるとともに、「土人」搾取のシステムもまた再生産される。

白人がレンタルワイフにどんどん生ませている混血児が(時にマスメディアのセレブリティを獲得したりもして)事態を多少複雑にさせているかもしれないが、これが却って「土人」搾取の現実を対外的に曖昧化し、「タイ式社会」への「国際的」(=白人世界の)認知あるいは黙認を導き入れているのである。

タイ人は、「タイには(卑しい)土人がいる」ことを抵抗なく受け容れる。

タイ族は、彼ら(色黒の人、モン系、クメール系、山岳少数民族、マレー系等)を、外国人の前でも公然と侮蔑する発言をしてみせる。

ところが現実は、このようにタイ人自身が「タイに土人がいる」ということを受け容れていることによって、タイ人全体が「土人性」を帯びることになるのである。

このことこそ、タイがどこまでいっても土人国家、土人売春国家(土人性奴隷国家)であり続けるゆえんである。

なぜなら、タイ人自身による「土人蔑視」は、客観的にはタイ人(タイ国民)としての自己卑下でしかなく、タイの「土人国家」性にかんする自己規定にほかならないからである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/07/post_3d74.html

強きものを強きがゆえに尊敬し、嬉々としてこれにへつらい、弱きものを弱きがゆえにおとしめ、ないがしろにし、踏みつけにする。

これがタイ精神であり、タイの思想であり文化であり美意識なのである。

白人の植民地になると白人崇拝になる、というのであれば、400年も白人に支配されていたインドネシアはよっぽど白人崇拝の国になっていなければならないはずだが、実際はそうではない。

誰が見たってインドネシアよりタイのほうがはるかに白人崇拝主義者のスクツである。

ただ、フィリピンや中南米のように混血が進んでしまうとなかなか誇りの回復は難しくなるようである。しかも、発端が「女奴隷」や「レイプ」のようなものであることは明らかなので、白人との混血系は白人と対等の立場を持つことは無理である。

タイもベトナム戦争以後今日に至るまでどんどん白人との混血が進んでいる。

ほとんどが売春婦やレンタルワイフや、白人が遊びで「結婚」した事実上のレンタルワイフの子である。
 http://ibrahim.blog49.fc2.com/?mode=m&no=126


179 :名無しさん:2008/08/14(木) 10:59:59 ID:7RddDhgX

タイは白人マンセーの国なので黒人はもてません。
黒人差別はアメリカよりひどいかもしれない。


180 :名無しさん:2008/08/14(木) 11:01:30 ID:A4vKdFxZ
一時期服の仕入れのメッカになって黒人が押し寄せてたけど、 宿はあからさまに嫌がってたなあ


184 :名無しさん:2008/08/14(木) 22:06:06 ID:3aWIcBuT
タイのCM観りゃ白人や色白ハーフばかりだろ
タイ人は色白ハンサムなファランが大好きなんだよ
逆に自分よりも色黒の黒人なんかは見下してるのが現実


188 :名無しさん:2008/08/15(金) 22:31:33 ID:rEbk8CMW
大体よ、白い肌が上位なら
黒い肌のタイ人は醜いってことになるじゃん。


189 :名無しさん:2008/08/15(金) 22:37:37 ID:xnOEZCFS
>>188
そうだよ
タイ人の中でもそうなってる
南方系の黒い人たちより北方系のが美人とされてる
白人や日本人(白いとされてる)と結婚したがるのは白い血をいれたいため


190 :名無しさん:2008/08/16(土) 03:54:52 ID:IksD8qsA
>>188
そうなんだよね。
タイ社会の中でも色の白いのが優位に扱われているし、色黒の人達は
コンプレックスを持っている。
>>184>>189の言うとおりなのが現実だよ。

実際、色白華僑系のムエタイ選手なんてほとんどいないだろ?
あんなのは低階級のやることだって言うのがタイ人の認識。
いろんな意味でタイは人種差別があるのが本当。


209 :名無しさん:2008/09/01(月) 19:45:32 ID:DWVoKR3B
白人を優遇してるのは白人との混血を増やして人種を白人に近づけようとしてるのかもしれん。
肌が白いほど良いとしてるのも国策なんじゃないか。


210 :名無しさん:2008/09/02(火) 10:36:32 ID:DtuBEVFN
混血増やそうたって、白人女性はタイ人を全く相手にしてないんだけど。
俺、白人と結婚したタイ人男性を一人も見たこと無い。
負け犬白人にはらまされたパン助は多いが。


337 :名無しさん:2009/10/27(火) 06:07:17 ID:MSkrVtb4
金持ちタイ人って他のアジア人(日本人含む)を見下す人が多い気がする。
タイの中で金持ちっていっても日本人からしてみれば普通レベル。
まぁまれに桁違いの金持ちがいるけど。
日本人が住むごく普通のコンドミニアムにそういうのが多いな。

アジア人には無愛想、白人には親切、ってね。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/world/1193226362/l50

59 : :03/08/06 00:12 ID:qux8372O
タイ人の場合、白人コンプレックスというより「肌白」 に対する崇拝のほうが激しい気がする


514 :soi57:2008/04/05(土) 20:18:52 ID:hgaEKE71
タイのTVとかも酷いよね
「色白でないと女じゃない!」みたいなCFとか平気で流してるし
タイの会社案内とか見ても、必ず登場するのは白人ビジネスマン
アメリカでこんな事したら、間違いなく黒人連中からクレームだよw


66 :☆:03/09/12 22:14 ID:SWf4IJqN
タイでは色黒は嫌われる。
よってタイ在住のインド人は好かれない。
勿論、黒人はアメリカ人でもモテない。
しかし母親がタイ人のタイガー・ウッズは例外。
白人は基本的にモテるが、タイの観光業者はイスラエル人やユダヤ系の人は大嫌い。
(とにかくドケチなくせに、 気難しく口うるさいから)


90 :☆:04/09/23 18:39:28 ID:iBNubaf+
タイ人は色白になりたがる
小麦色に焼きたがる日本人が理解できないらしい

113 :タイ焼き:2005/04/05(火) 03:12:08 ID:xbhNBPtZ
タイのポップス歌手はやたら混血が多い、白人顔が好まれる、
アジアで唯一植民地にならなかったのに、多のアジアの国より白人に憧れ度が高い。
ベトナムみたいに白人国家と戦争して勝った経験がないし 白人支配の経験が無いのが、白人に媚る原因か?

タイガーウッズもゴルフしてなかったら有色カテゴリだろな。
多の元植民地国家の対白人意識とタイの意識は違いを感じる。


114 : [sage]:2005/04/05(火) 04:10:26 ID:5U7GCaNQ
単純に白人のほうが見栄えがするからだと思うが?


88 : [sage]:04/09/07 23:25 ID:FVFrndTt
白人女性はアジア女性よりはるかに美しいと思う。 
ヤローについては何人でも何とも思わない。


102 :     :04/12/09 13:54:44 ID:XR/sZIYq
白人女性、綺麗だよね。若いうちは。


103 :XXXX     :04/12/10 00:01:56 ID:+0moPS9B
バッグパッカーでも何でも良いがタイで見かける白人女性の中には Miss World Class が随分といるよね。


78 :名無しさん@お腹いっぱい[sage]:04/07/07 15:14 ID:lsSuGp52
なんか、このスレの白人コンプレックスな奴キモイ。
白人の容姿が優れているとか思うのは、六本木とかテレビとかでみてる白人がそうだからだろ。
六本木にいる奴とかテレビに出てる奴は、モデルやモデル崩れなんだよ。
一般人の白人はそうでもないよ。とくにアメリカ人は野暮で下品だ。


194 :うむ :2006/09/02(土) 09:43:07 ID:DJuY2RVD
タイ国人は誇り高き民族 
経済発展で収入が底上げされれば地位が上がったように勘違いする。
特にバンコクのサラリーマン層は勘違いは甚だしい。
外国に言って自分の地位を再確認するべし(どうせ出国できないが)

周辺の国境を接している国やタイ族のいる外国では自分達が一番という態度をとる。
理由は建国から現在までの持続している歴史がありかつ現在の経済状況がいいから。

ミャンマーや西双版納、カンボジアでの彼らの振る舞いは「横柄、威張り」そのもの
もし日本人が中国、朝鮮等でそんなことをしたら絶対ボコられる。

国内でのマイノリティーに対する差別もあからさま。階層の順はこう考えているらしい

1位タイ人(中華系含む)、
2位イサーン人、
3位ベトナム人、
4位カンボジア人
5位イスラム教徒、
6位ミャンマー、インド、
最下位山岳民族(アカ族等)

※イスラム教徒は以前底辺扱いだったが南部爆弾テロの成果で少しは
地位が向上した様子。アカ族も一揆を起こせば少しは状況が変わるかも
しれない。

タイ人の人をモロに馬鹿にする場面もよく見たな

とあるホテルのロビーでなかなか来ない予約したタクシーを待っていると
レセプションの女どもがインド系の人達が流暢な英語で話しかけるとタイ語で何ですかとかよく理解できませんと言ってもろ嫌な顔をして文句ブツブツ言いながら不機嫌モロだしだった。

その後に白人が英語で話すとちゃんと英語で対応している場面あり。

ここで怒っちゃいけない。そういう文化というか風習の人達決して悪気はない (と思う)

多民族国家によくある差別は当たり前。

この差別にタイで抗議しているのは南部のマレー系の人達のみ。
北部少数民族や東北地方のラオ系は蜂起しないので彼らの扱いは醜い。

こうして考えればカースト制度というかアパルトヘイトみたいなのが自然に存在する

外国人旅行者もランク付けされているので ある意味白人以外はチップも必要ないし、外国人価格の適用を受けなくてもいいと思われる。

しかしこのあたりはタイらしく、金に関しては地位に関係なく持っている人は還元せよ的な自分本位な考えがある。

タイ人との結婚を考えている方 基本的に日本人とこのあたりの感覚が違うのは念頭においておいた方がいい。

530 :通りすがり:2008/11/12(水) 22:15:59 ID:vJiUbpJf
タイ人の人種差別は凄いぞ

山岳民族、ラオス、イサーン人は公然と差別して構わない雰囲気がある
それに比べ欧米人にはバカみたいに媚びる
奴隷ほど醜い人種差別を行うってことか
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237

499 :オー様と名無し:2010/07/15(木) 03:52:54 ID:xpca9PFw0
タイの現在の法制度ではタイ人と山岳民族(タイヤイも含む?)は日本の戸籍制度にあたる住民登録が違っているのですが、

純粋のタイ人は黒のタビアンバーンで、
山岳民族等はタイに住んでいても外国人を意味する黄色のタビアンバーンを与えられています。


524 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 01:46:30 ID:8pGGVD4U0
チェンマイでもどこでも良いけれど役所の窓口で1時間くらい観察してみてください。
黒(濃紺ですか)と黄色の扱いの違いがはっきりわかるから。

黄色ホルダーの相手には役人はほとんど命令口調。
書類不備なのかどうか罵声を浴びせられてる場面もありました。

しかもまわりのタイ人はそれを見て笑ってました。
田舎へ行くほどその傾向は強いようです。
そういう社会なんですわ。

まあ外国人の黄色タビアンにはそういう扱いは無いようですけど。

528 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 09:11:52 ID:11VZTIw60
タイ人の人種差別意識には、ほんとにウンザリさせられる。

まず初めに気づいたのは、イサーン人への差別、俺がモーラムやルークトーン
が好きだと言ったら、赤貧農家の小作人にさえ馬鹿にされた。

次に気がついたのはインド人や黒人等、白人以外への差別。

また、隣国(ラオス、ミヤンマー、カンボジア人)への差別意識も物凄い。

最も酷いのが、山岳、少数民族への差別感、彼らは人間でなく家畜並みの存在だと思っている。

この鼻持ちならない差別意識に、今ではすっかりタイ人の性格がよく分かり
微笑みの裏にある、厭らしくて姑息で偏見だらけの国民であることが、最近よく分かった。

もうすぐ日本に帰るけど、もう沢山だよ、こんな国。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/3341/1275952742/

154 : [&]:2005/12/30(金) 02:11:29 ID:oFbK3j9h
タイ人ってのは、無学な国民が大多数なので見た目でしか人を判断できません。

見た目が金持ちなら、親切な態度をとってくれますが貧乏そうだと、自分よりも下のレッテルをはって見下した態度をとります。

ためしに、ヨレヨレのTシャツに短パン、不精ひげといういでたちで55やソイ7の円光バーに行ってみましたが、その時は見事に無視されました。

翌日アルマーニのYシャツ&ズボン、グッチの革靴で、こぎれいにしていくと、全然態度が違い、女が寄ってきてウザイほどでした。

男の店員もミスター扱いで、やれやれといったところです。
ホント、タイ人って馬鹿で、面白い国民です。


156 :THAI邦人:2006/01/13(金) 19:04:42 ID:OzVB37eF
タイ人は、貧乏人を最下級層と判断するDNAを持っている。(山岳民族等と同等)
よって、ミエ張りばかりで御座います。
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/21oversea/1049826237



170. 中川隆[-12556] koaQ7Jey 2018年5月24日 03:37:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14278]

オペラに描かれたダメダメ家庭 配信日 05年2月11日  (10年4月8日に大幅に改訂)
タイトル 蝶々夫人(原題:Madama Butterfly)
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm

作曲 ジャコモ・プッチーニ
初演 1904年 ミラノ スカラ座


先日のインド洋の津波で、救援のため、アメリカ海軍の空母「リンカーン号」が出動しました。

アメリカ軍の船のリンカーン号は、オペラにも出てきます。勿論のこと、かなり前の代のものでしょうが。

リンカーン号が出て来るオペラは、あの有名な作品、プッチーニ作曲の「蝶々夫人」です。

長崎を舞台に、アメリカ軍人のピンカートンに捨てられたチョーチョーさんが自決する話です。

ピンカートンはリンカーン号に乗って長崎にやってくるんですね。
どうやらアメリカ軍においては、リンカーン号は、太平洋周辺で活動するのが慣わしとなっているんでしょうね。

今まで、このカテゴリー「作品の中で描かれたダメダメ家庭」では、多くの映画を取り上げて来ました。今回は趣を変えてオペラにしてみます。
オペラ「蝶々夫人」って、名前くらいは聞いたことあるでしょ?

「ピンカートンとチョーチョーさんの家庭がダメダメ家庭なの?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、そう言うことではありません。むしろチョーチョーさんの発想のスタイルが、ダメダメ家庭出身者の発想スタイルの典型と言えるわけ。

最近はオペラのCDは図書館で借りることもできます。図書館によってはヴィデオやDVDを借りることができるところもあります。
ご興味が出てきましたら、対訳を読みながらCDを聞いたり、字幕つきのDVDやヴィデオで見たりしてみては?

では、チョーチョーさんのどんなところがダメダメ家庭的なのでしょうか?具体的に検証してみましょう。

1. 家柄自慢・・・ダメダメ家庭出身者は意外にも、自分の出身家庭の家柄を自慢したりするわけ。そもそもダメダメ家庭では地縁,血縁に拘ることが多いことは、このメールマガジンで何回も書いています。このチョーチョーさんも「私の家はお侍で、本当はこんな芸者稼業をする人ではないのよ!」と言っています。自分の出身家庭に誇りをもつことは結構。しかし、そんな感情が「自分の本当の姿はこんなモンじゃないんだ!」という現在の自分への否定的な感情なり、被害者意識につながって行きやすいわけ。

2. 母とは疎遠・・・非業の死を遂げた父のことは語れても、まだ存命中の母親のことについては語れない。どうも折り合いが悪そう。ピンカートンから捨てられた後で、母親と相談してもいいのに、どうしてそうしないの?あるいは、結婚式において、チョーチョーさんが叔父さんにいじめられている時に、間に割って入って、娘をかばうのが本来の母親の役目でしょ?それにアメリカ軍人との「結婚」がどういう意味を持つのか?大人である母親がもっと娘に説明する必要があるでしょ?どうもチョーチョーさんの母親は、母親の役割を果たしていないわけ。

だからこそチョーチョーさんは、家柄自慢はしても、家族自慢はしない。亡き父親を語っても、母親は語れないわけ。

3. 親戚の問題・・・チョーチョーさんの親族は、それこそ自決した父親、影の薄い母親、アルコール中毒の叔父、宗教に入れ込んでいる叔父・・・と、こんなメンツ。いかにもダメダメ家庭の親戚ですよね?

4. 近隣から孤立・・・チョーチョーさんの結婚式の際に出て来るご近所さんの対応をみるにつけ、このチョーチョーさんはご近所から「浮いて」いたことがよくわかります。まあ、ダメダメ家庭の人間は会話ができないので、どうしても地域から「浮いて」しまいがち。その上、最初の家柄自慢が加わるので、ますます疎遠になってしまう。それに、ちょっとのことでスグに逆上したりする傾向があるので、ご近所さんも警戒したりする。だからどうしても孤立しやすい。

5. 発想が極端・・・ピンカートンと結婚する段になって、チョーチョーさんは従来の宗教を捨てて、キリスト教に改宗する。それはそれでいいのですが、ピンカートンはそんなことは求めていません。チョーチョーさんの宗教が何だろうと関係ないと思っているわけ。まあ、サスガにお歯黒はイヤがりますが、宗教なんてどうでもいいわけです。

実際にピンカートンは仏像を「大切にしようね!」って、言っているくらいです。ピンカートンにしてみれば、チョーチョーさんは、どうせ現地妻なんですからね。宗教よりも容姿ですよ。ただダメダメ家庭の人間は往々にして発想が極端。そして相手に入れ込んでしまうことになる。退路を断つというよりも、もともと大切なものを持っていないわけ。

だからこそ、宗教だって、簡単に乗り換えることができてしまう。それに、仏像を捨てられるということは、従来のお寺とのやり取りも、うまく行っていなかったということでしょ?

6. 玉の輿狙い・・・「いつも上手く行かない!」と思っている女性は、いい男をゲットして一発大逆転の玉の輿を狙おうとする。おまけにダメダメ家庭の人間は「恋に恋する」妄想癖がある。現実離れした男を「すばらしい!」と思ったりするわけ。

あるいは自分の家柄自慢に引っ張られて、「家柄がよければOK!」という無謀な玉の輿を狙ったりするんですね。チョーチョーさんもそのタイプ。そして結婚後は、周囲に対して「これからは私をピンカートン夫人とお呼び!」と言い放ったりするわけ。

しかし、会話のできないダメダメ家庭出身の女性と結婚するような男性は、何か問題があるもの。マトモな男性なら、会話の楽しい女性と結婚するものでしょ?
結局は、とんでもない事態になってしまうんですね。

7. 会話が無い・・・日本女性とアメリカ男性の国際結婚なのだから、いたしかたがない面もありますが、この夫婦には会話がない。まあ、イタリアオペラなんだからイタリア語で会話がちょっとありますが。会話がないから、捨てられたチョーチョーさんがピンカートンの思い出を語ることも出来ないわけ。せめて「あの時の会話は楽しかったわ!」くらいなら、まだいいのですが・・・会話が無いから思い出もないわけ。「あの時には、一緒にこんなことをした。」そんな思い出話もない。そもそも、この「蝶々夫人」というオペラは、結婚前の情景と、夫が立ち去った後の情景の2幕でできています。逆に言うと、結婚生活は描かれていないわけ。つまり、愛情あふれる結婚生活を描いているわけではなく、それが「失われた」と言っても、それが本当に存在していたとはいえないわけ。

有名なオペラであるヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」では、ヴィオレッタとアルフレードの楽しい新婚生活が描かれています。だから、それが失われるがゆえに、喪失感なり悲痛な心情を持つわけ。。

その「椿姫」も、結婚生活を描いた第2幕がないと、印象が変わるでしょ?
オペラ「蝶々夫人」は、意識的に、その結婚生活の描写がないわけです。

8. 現実を見ない・・・ダメダメ家庭は現実を受け入れることをしない。結局は妄想の中で生きているわけ。チョーチョーさんはピンカートンに捨てられたのを受け入れない。ただ「帰ってくるわ!」「帰ってくるわ!」の一点張り。そしてドンドンと妄想の深みにはまって行く。しかし、現実を受け入れないことで、次善策をとらなくてもいい。「帰ってこないのなら、じゃあ、どうしよう?」そんな発想から逃避している。結局は、精神的にラクしているだけなんですね。逆に言うと、そのような現実逃避的な傾向を持っているがゆえに、外国人との結婚という現実離れした夢に親和性を持つわけ。

9. チャリティーおたく・・・ピンカートンに捨てられたチョーチョーさんはお金がなくなって来たのに、有り金を恵まれない人に寄付してしまう。そんなことやっている場合ではないのに・・・子供の食費はどうなるの?しかし、現実を見たくない人間は、そんな善行をすることで、現実から目をそらすわけです。そして、「ああ、恵まれない人に恵んでやっているワタシって、なんていい人なの?」と自画自賛。そして「こんないい人のワタシなのに、うまく行かないのは、全部○○のせいだ!」と誰かに責任を押し付けることになる。

10. 味方を作ろうとしない・・・このオペラで出てくる男性で、実にマトモなのはアメリカの長崎領事のシャープレスさん。結婚前のピンカートンに「女性を悲しませてはダメだ!」「彼女は入れ込むタイプだぞ!」と忠告したり、捨てられたチョーチョーさんに、「別の生き方を見つけては?」とアドヴァイスしている。本当にいい人。

ヘンな話、チョーチョーさんも、このシャープレスさんの長崎の現地妻にでもなればいいじゃないの?確かに年齢はいっているでしょうが、常識は持っているわけだし、何より品性がある。シャープレスさんなら、チョーチョーさん本人にも、チョーチョーさんの子供にも十分な配慮をしてくれることは確実です。あるいは「人を見る目」があるシャープレスさんを後見人にして、新たな男性の2号さん?になればいいじゃないの?

しかし、そんなシャープレスの現実的な解決案を受け入れないチョーチョーさんは、折角の現実的なアドヴァイスも「アンタなんか、ワタシのことは何もわかっていないわ!」と逆上したりするわけ。これでは味方もいなくなってしまいますよね?ちなみに「逆切れ」はダメダメ家庭出身者のオハコであることは言うまでもないことでしょ?

11. 子供だけが頼り・・・ダメダメ家庭では味方を作ろうとしない。それにもともと会話の能力も低い。だから話し相手は自分の子供だけ。だから子供を取り上げられると何も残っていない。だから死なないといけないわけ。

12.約束の地・・・チョーチョーさんは「夫が帰ってくれば、今の困難な状況もすべて解決!」そんな極端な解決策しか持っていない。逆に言うと、そのように自分に言い聞かせることで、現状認識から逃避し、将来展望も封印してしまう。だから地道に対処する発想もない。常に一発大逆転を狙うばかり。


確かにお涙頂戴のオペラなんですが、色々とチェックしてみるとダメダメ家庭出身者の要素がテンコ盛状態。

ちなみに、このオペラは全2幕のオペラです。第1幕にも第2幕にも「花を撒き散らす」シーンがあります。第1幕ではチョーチョーさんの結婚を祝う、純粋に「喜ばしい」シーン。第2幕はピンカートンが長崎に帰ってくることがわかっての喜びのシーン。ただこの後でチョーチョーさんがピンカートンに捨てられたことがはっきりわかって自決することになってしまう。つまり第2幕でのシーンは「喜びの中に悲劇を内包」しているシーンと言えるわけ。

ということで、ちょっとニュアンスが違っています。

作曲者のプッチーニはバックのオーケストラによって、撒き散らされた「花の匂い」を表現し分けています。第1幕の花の匂いと、第2幕の花の匂いの違いを音で描き分けているわけ。

単なるお涙頂戴ではなく、緻密に計算されているオペラなんですね。だから何回も泣けるわけ。単なるお涙頂戴の劇なら、1回しか泣けないでしょ?

このように「花の匂い」をオーケストラによって表現するのは、20世紀の音楽ならではのオーケストラの扱いと言えます。音楽表現の進歩が必要とされているわけです。

音楽表現は時代によって進歩していますが、人間そのものは、いつの時代にも変わらないでしょ?

このような現実逃避で自己逃避の女性というのは、このチョーチョーさんばかりではないもの。

それこそ・ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画「ベティ・ブルー」のベティさんもその典型ですし、あるいはトルストイの「アンナ・カレーニナ」のアンナさんも、まさにその典型。

彼女たちは、都合が悪くなると「そんなものは、ワタシに見せないでよ!」とスグに逆切れして、常に問題を先送り。そして、「うまく行けばいいなぁ・・・」「誰かワタシを助けてくれないかなぁ・・・」と周囲の人に期待しても、自分では何も努力しない。

結局は、はじめの頃にはあった出口も自分でふさいでしまって、すべての出口がなくなり、ドッカーンとなってしまう。そんなパターンは、ダメダメ家庭出身者には、実にポピュラーなパターン。

チョーチョーさんのような人は、いつの時代にも、どこの場所でもいらっしゃいますからね。

それに長崎はこの当時から、ダメダメ家庭のメッカだったこともわかります。進歩がないわけ。

オペラというと、「舞台の上で、太った女性と男性が大きな声でオーバーな演技。」と思っていらっしゃる方も多いでしょうが、後々まで「残る」ような作品は、それなりのリアリティがあるわけです。
そのリアリティに観客が共感するわけですね。

ちなみに、このオペラ「蝶々夫人」のタイトルは「Madama Butterfly」。ちょっと考えれば、ヘンなタイトルですよね?

「Madama」はイタリア語で「夫人」と言う意味。「Butterfly」は英語で「蝶々」。だから合わせて「蝶々夫人」となる。しかし、オペラ「蝶々夫人」はイタリアオペラなんだから「蝶々夫人」をそのままイタリア語にすると「Madama Farfalla」(ファルファーレって、パスタにあるでしょ?蝶々の形をしたヤツ)となる。あるいはアメリカ軍人ピンカートンに合わせて「蝶々夫人」を英語にすると「Mrs.Butterfly」になる。

結局は、チョーチョーさんは、アメリカ軍人ピンカートンの「ミセス」にはなれなかった。「Madama」という、あいまいな・・・リアリティのない立場だった・・・ということなんですね。

ちなみに、この文章をお読みになられた方で「オマエはチョーチョーさんを、かわいそうとは思わないのか?この人でなしめ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は別にチョーチョーさんを冷笑的に見ているわけではありませんよ。やっぱりかわいそうですよね?

ただ、私はシャープレスさんの方に共感してしまいます。そのシャープな(なんと名前はSHARP・LESS ・・・シャレなんでしょうが)洞察力で、当事者たちに十分に警告していても、結局は当事者たちはカタストロフに突進してしまう。それをわかっていて散々忠告しながらも、結果的にカタストロフを見守る役目は辛いもの。
酔っ払いよりも、酔っ払いを介抱する方がシンドイものです。

このようにオペラ「蝶々夫人」という作品を、現実逃避的で「恋に恋する」妄想癖のあるダメダメ家庭出身者の女性が、自分自身で出口を塞いで行き、ついに唯一の出口に到達する・・・そのような心理劇と見る発想は、世界広しと言えども私だけかな?と思っていましたが、同じことを言っている人がいました。

イタリアの指揮者のジュゼッペ・シノポリという人。彼が指揮した「蝶々夫人」のCDに彼のインタビューが載っていますが、私と同じことを言っています。たまたま調べていたら私と同じことを言っているのに、私もビックリしました。

彼は「『蝶々夫人』は日本のオペラとは言えない。彼女のような女性はヨーロッパに多くいる。」と、おっしゃっています。ダメダメ家庭はヨーロッパにも多くあるわけですから、「蝶々夫人」の問題は日本固有の問題ではなく、世界的な問題なんですね。

このシノポリさんは、精神分析で博士号を取った方、作曲もなさって、売れっ子指揮者としての激務の傍ら、考古学の博士号も取られた方です。
そんな生き急いでいたので、50歳代で心臓麻痺で死んでしまうことになるのでしょうが。

オペラ「蝶々夫人」を心理劇と見ることは、彼の精神分析者としての立場から来る面もあるのでしょうが、私はむしろオペラを作曲した経験から来る面もあるのでは?と考えています。

オペラとか芝居とか映画などの舞台劇には、鉄則があります。
「ドラマの進行には役に立たない人間は登場させない。」ということ。

小説のような本を読む場合には、ページを読み返して、ちょっとわからなくなった登場人物をチェックすることができる。しかし、舞台劇ではそうは行かない。あまり多くの登場人物が出てくると観客は困ってしまうわけ。

舞台劇の場合には、登場人物の数そのものを絞る必要があるわけ。原作において役割の薄い人物は2,3人を1人にまとめたりして、観客にわかりやすくするようなことが必要なんですね。

少ない登場人物で、濃密なやり取り・・・それが舞台劇のスタイル。

しかし、オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は役割が薄い。ちょっと出てきて挨拶をするだけ。オペラ作品の登場人物なのに、歌を歌うわけでもない。

娘の結婚を祝う歌くらいは、シチュエーション的に設定できるでしょ?

もし、私が一般的なオペラ作家なら、チョーチョーさんの母親は、夫が自決したあとで後追い自決をしたことにして、娘の結婚の際には死んでいたことにしますよ。
それだったら、チョーチョーさんの孤独な境遇を強調できるし、最後のカタストロフを暗喩することもできる。いずれにせよ、本来ならチョーチョーさんの母親は、あえてオペラに登場させる意味はないわけ。

オペラ「蝶々夫人」において、チョーチョーさんの母親は、ドラマの進行において実に中途半端で、役割を果たしていません。

しかし、「母親の役割を果たしていない母親」という「役割」を果たしている・・・そう言えるのでしょう。そこがまさにダメダメ家庭のドラマなんですね。

(終了)
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発信後記

またまた怒涛の長さになってしまって・・・
しかし、こうやって考えてみると「蝶々夫人」というオペラは実に現代的でしょ?

本文中で言及した指揮者のジュゼッペ・シノポリさんは、医学部で精神医学を学ぶ傍ら、音楽院で勉強した人。精神分析で博士号を取って、指揮者としても引っ張りだこで、その傍ら考古学で博士号をとって・・・まあ、そりゃ死んじゃうよね。

精神分析やったり、指揮者をやったり、考古学をやったり・・・とマルチな才能とも言えるのでしょうが、多分、本人はそうとは思ってはいなかったはず。

楽譜を見て、「この音楽をどのように演奏しようか・・・」と考える演奏家が大多数でしょうが、「この音楽を作曲した作曲家は、どのようなことを考えて作曲したのだろうか?」と考えるタイプの演奏家もいるわけ。

そのようなタイプは当然のこととして、「この患者はどうして、このようなことを言ったりするのだろうか?」という精神分析にも興味を持つ。
それに「この古文書や遺跡を作った昔の人は、どのようなことを考えて遺跡を作ったのだろうか?」とも考えることになる。
結局、皆同じ発想なんですね。

学問をジャンル分けした人は、それほど頭のいい人ではないので、既存のジャンル分けを前提にモノを考えるとかえってわかりにくくなる。

知性というものはシンプルなもの。

ただ、シノポリさんのように、狂気のように、自分の生命を削るように、思考に突進して行ったのは、それなりのわけがあるのでしょう。彼も色々とモノが見えた人なんでしょうね。

他人の思考を読まずにはいられない、そのシノポリさんの精神を、私が読もうとしていたりする。

似たもの同士はタチが悪い。
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-02/05-02-11.htm


171. 中川隆[-12557] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:55:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲
Giacomo Puccini Madama Butterfly Freni, Pavarotti, Kerns, Ludwig; Karajan I - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YAT22yt8fxY
https://www.youtube.com/watch?v=abIgSHdxEjQ
https://www.youtube.com/watch?v=oiuBNRyiRNQ


Giacomo Puccini "Madama Butterfly"
プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲

 ミレッラ・フレーニ(蝶々さん/ソプラノ)
 ルチアーノ・パヴァロッティ(ピンカートン/テノール)
 クリスタ・ルートヴィヒ(スズキ/メゾ・ソプラノ)
 ロバート・カーンズ(シャープレス/バリトン)
 ミシェル・セネシャル(ゴロー/テノール)
 マリウス・リンツラー(ボンゾ/バス)、他
 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ノルベルト・バラッチュ(合唱指揮)

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音時期:1974年1月
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


____


YouTube動画変換 - MP3、AACダウンロード
https://www.onlinevideoconverter.com/ja/video-converter


「YouTube」の動画を安全にダウンロードする方法について
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c5


youtube のクラシック音楽リンクは


番外地7
http://www.asyura2.com/17/ban7/index.html

中川隆 _ 音楽関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html


に纏めました。


YouTube には CD では発売されていないライブ録音等の希少音源が無数に有り、
AAC形式でダウンロードすればそこそこの音質で聴けますが、やはり CD を EAR や dCS等の ハイエンド・CDプレーヤーで聴いた方が遥かにいい音になります。


172. 中川隆[-12556] koaQ7Jey 2018年5月24日 09:58:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

リンク訂正


プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲
Giacomo Puccini Madama Butterfly Freni, Pavarotti, Kerns, Ludwig; Karajan I - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Puccini+-+Madama+Butterfly+++Karajan


173. 中川隆[-12555] koaQ7Jey 2018年5月24日 10:10:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

Puccini Madama Butterfly -- Sinopoli -- Freni -- Carreras -- Berganza -- Pons 1988 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Sinopoli+Madama+Butterfly+
https://www.youtube.com/results?search_query=Sinopoli+Madama+Butterfly+


・プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』全曲

ミレッラ・フレーニ
 ホセ・カレーラス
 テレサ・ベルガンサ
 ホアン・ポンス、他

 フィルハーモニア管弦楽団
 アンブロジアン・オペラ・コーラス
 ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)

 録音:1987年[デジタル]



174. 中川隆[-12554] koaQ7Jey 2018年5月24日 10:53:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

修善寺温泉「あさば」 能楽の世界


能は本来、修善寺あさば旅館の池に浮かぶ能舞台「月桂殿」の様に川や池を隔てて、遠くから見るものだったのですね。 能の幽玄については誤解している人が多いので解説しておきます:

能「井筒」- YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%83%BD+%E4%BA%95%E7%AD%92

『筒井筒』/伊勢物語(第二十三段)
http://plaza.rakuten.co.jp/miri3310s/13005

『井筒』のあらすじは、旅僧が在原寺を訪ね、在原業平とその妻になった紀有常の娘の跡を弔っていると一人の女性が現れ、古塚に花と水を手向けます。僧の不審にこたえて女は伊勢物語の歌などを引いて、二人の恋物語を語り、遂に女は実はその女だと名乗り、井戸の陰に姿を隠します。(中入)

夜も更けて僧の仮寝の夢に、業平の形見を身につけた先刻の女が現れ、業平を偲ぶ舞を見せ、やがて寺の鐘の声に夜も明け、僧の夢も覚める、というものです。
http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0041.html


業平を想い舞を舞うシテ


「能楽図絵二百五十番」月岡耕漁

「昔あの人と暮らした在原寺で、こうして昔を今に返すように舞っていると、井筒に映る月影のさやかな事…」

そうつぶやいた彼女の思いは次第に過去へと遡っていった。

「月はあなたのいらした頃の月と同じでしょうか、春はあなたのいらした頃の春と同じでしょうか…、

そう詠みながらあなたを待ち続けたのはいつの事だったでしょうか…」


「筒井筒…」彼女は思い出の歌をくちずさむ。


「…井筒にかけしまろがたけ、生(お)いにけらしな…」

そう詠んだ彼女は、自分がいつの間にか老いてしまった事に気づかされる。

思い出の井筒に姿をうつす


彼女の足は、自然に思い出の井筒へと向かう。そして業平の直衣を身に着けたその姿で、子供の頃業平としたように、自分の姿を水面にうつす。そこに映るのは、女の姿とは思えない、男そのもの、業平の面影だった。

舞台は一瞬静寂につつまれる。


「なんて懐かしい…」


そう呟いて、彼女は泣きくずれる。 そして萎む花が匂いだけを残すかのように彼女は消え、夜明けの鐘とともに僧は目覚めるのだった。
http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0041.html

能の幽玄については誤解している人が多いので解説しておきます:


男は男に成るまでの間に、この世のものとも思われぬ玄妙幽艶な一時期がある。
これを美しいと見るのは極めて自然なことであり、珍しいものではない。
http://blog.livedoor.jp/kani16/archives/7800041.html


【日本奇習紀行シリーズ・番外】平安貴族たちの隠された悦楽

奇習! 封印された平安貴族たちの蛮行 ― “恍惚”の赤ん坊レイプ


 かつて、小説家・芥川龍之介は、『今昔物語集』に残る逸話を基に、その著作である小説『羅生門』で、死体から髪を盗んで生業とする老女の姿を描いていた。だが、かつて、京の都が荒みに荒んでいた頃、死人の髪と同様に、常時では考えられぬ需要が生まれていた。それは、生後間もない嬰児の亡骸である。

 以前、世界各地の権力者たちが、幼児の性器から切除した包皮を好んで食していたという内容をご紹介した。

(※【世界の奇習】割礼した幼い女児の性器の包皮を食す―永遠の美と不老長寿を求めて)
http://tocana.jp/2015/10/post_7648_entry.html


その時にも触れたが、嬰児が持つ生命力に魅了される形で、不可思議な行為を密かに行っていた者は、洋の東西を問わず意外と多く存在していたようだ。しかし、彼らの中には、そうした目的とはまた別の意味合いで、乳幼児の肉体を求めていた者も存在していたのだ。それは、その柔らかき肉体が、性的な快楽を得る上で、この上なく適したものであると感じていた人々である。

「現存する史料に乏しいため、正確な部分については不明な点も少なくないのですが、私は確実に“あった”と考えています」

 かつて平安貴族たちを中心に未曾有の大流行となったとされる“ある秘せる儀式”についてそう語るのは、歴史研究家・山種昭三氏(仮名・78)。彼は以前、定説を無視してまで半ば強引に持論を展開し、学会における地位を失った過去を持つ。氏が研究したところによると、今を遡ること900年以上前の1050年頃、京の貴族たちの間では、嬰児の亡骸を密かに買い入れては、それを性的な欲求を満たすために利用する者が続出した時期があったのだという。


「さる筋の傍流にあたる高貴な方が遺した書物によると、

生後3カ月くらいまでの女児の性器は、まるで淡雪のごとく、柔らかき感触である

とのことなのです。またこれは別の史料から少しずつわかってきたことなのですが、ある時、京の北西部にある某寺の僧が、さる雅な血筋の赤子の遺体を弔う際に、なんの好奇からかは知る由もありませんが、その女性器に、自分の指を一本入れてみたそうです。

 すると、今まで感じたことのない感触に驚いたというんです。

それで、その僧は仏罰が当たることを百も承知で、その嬰児の屍を抱き寄せて行為に及んでしまった。

けれども、その行為の最中に見張りの者に見つかってしまい、彼はその場で斬られてしまうんですね。でも、切断されたその首は、とても恍惚に満ちたような表情を浮かべていたとか…。

本当か嘘かはわかりませんが、もしかする当時、こうした逸話に尾ひれがついて、あのおぞましき習慣が広まったのではないでしょうか」


スルジャン・スパソイェヴィッチ監督の映画『セルビアン・フィルム』では、男が赤ん坊をレイプするという、なんとも信じ難い一幕が描かれていた。

山種氏によると、平安の世においては、件の僧にまつわる逸話をどこからか聞きつけた一部の堕落した貴族たちにより、嬰児の遺体を買い集める行為が急速に広まっていったという。

しかし、夜毎の快楽のためにそうした行為を繰り返していたのでは、死体がいくらあっても足りなくなってしまう。それがさらなる悲劇を生んだ。


「遺体が簡単に手に入らなくなると、今度は褒美を出す形で、貧しい庶民の家から生まれたばかりの生きた赤ん坊を買い集めるようになっていったと聞きます。しかしそれだけでは金も赤子も数が足りない。

 そこで結局は押し込み強盗のような真似をしてまで方々から赤子を誘拐しては、自らの屋敷へと運び込んでいく、と。その際に生死の別は問わなかったそうです。

ですが、仮に死後間もない赤ん坊を 1とすると、しばらく経ったものでその半分、逆に生きたままの赤ん坊であれば実に 3倍のもの価値の褒美を惜しげもなく与えていたと言いますから、今風に表現すれば、とんだ赤ん坊バブルですね」


 夜毎、貴族たちの屋敷の裏手には、あちらこちらから赤ん坊を集めてきた者たちが、列を成してその「換金」を待つという、なんとも奇妙な光景が展開されていたという。

折しも、平安時代と言えば、通常の男女であっても、親の承諾が得られない場合などは、誘拐という形で強引に婚姻関係を結んでいた時代。今の時代と比較すれば、いかにこの手の罪に対する意識が緩かったかがわかる。


「まあ、当時は“辻とり”といって、路上で女を浚ってそのまま結婚なんていう時代でしたし、乳幼児の死亡率も極めて高かった時代ですから、今ほど罪の意識はなかったんでしょうね。

ましてや、婚姻対象となる年齢そのものも今に比べて格段に低かった。

現代で言うところの小学生の女の子をいい歳の男が嫁にするなんていうのも当たり前でしたから、性の対象というもの自体が、あまりに自由すぎる時代だったと言えるのかもしれません」

 性に関するタブーという意味では、あまりに無秩序で、開放的過ぎた平安時代。当時の感覚を持たぬ現代の我々から見て、それが理解に苦しむものであることは、ある意味、致し方のないことなのかもしれない。
(文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2015/11/post_7743_entry.html


▲△▽▼

 将軍足利義満が12歳頃の世阿弥(稚児時代)を寵愛した、「男色」については、野上豊一郎の「世阿弥元雅」(創元社・1938年))や杉本苑子の「華の碑」(講談社・1964年)には出てきますが、昭和48年(1973年)の岩田準一「本朝男色考(私家版)」で広く伝えられました。

 近年は、白州正子の世阿弥のホモ・セクシュアリティー評価が有名で、発展して、

能で男が女を舞うのは、

「(歌舞伎と違って)どこまでも児姿の延長であり、しいていうなら、男女が重なった姿、もしくは男女が分かれる以前の、理想像を目指している」


と。女になってしまうのではなく、あくまでも「中性的な」美を礼賛しています。ドナルド・キーンは、

「ときどき、しろうとの能でほんとうの女の人が舞うでしょう。
ほんとうに気味が悪い」(「日本の魅力」(中央公論社))


と述べています。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-87.html

「両性具有の美」 白洲正子著 

さきほどの100分の名著 こころ 漱石著についての島田雅彦氏コメントにホモ・ソーシャルという言葉が出てきた。日本の古典の愛はたしかにホモ・ソーシャル概念,あるいは両性具有の美で説明できるかもしれない。源氏絵巻物見ても男と女の中性的なもののような気がする。

ホモソーシャルという言葉は洋風なので、日本の専売特許ではない。そこを両性具有とすると俄かに日本ぽくなるから不思議。(゜д゜)近松の心中やら吉原やらの色恋は昔から日本にあった。でも近代的恋愛はやはり輸入物で明治以降の話。ひょっとすると戦後の男女平等概念以降のことかもしれない。

スタンダールの「赤と黒」はじめ恋愛論、意外と知られていない。

バルザックの「谷間の百合」ほとんど知られていない。

かく言うわたしも、知らん・・・・別に知らなくても不自由はしません。さらにブラームスやシューマンのように完成された女性への憧れなんて望むべくもなく、切り口変えて「恋愛は美しき誤解」と言う必要もなかった。

 昔流行ったのは、職場結婚、学生時代の腐れ縁、とかせいぜいお見合いとか・・・漱石著の「こころ」の先生同様相手の親のメガネに叶えば、近代恋愛の手続きは不要だったんです。高校は男子校、童貞失ったのも社会人以降と、真面目を絵に書いたようナ、人生。

自慢することはないけど、むしろホモソーシャルな男子同士の友情あるいは女性への憧れへの訣別みたいな女性蔑視ではないけれど、無意識のうちの男性優位の伝統から脱してはいなかった。恋をしようと思うより、真剣な話し合いのほうが価値があると思っていたね。


○ホモではないし、マッチョでもなく、レズでもなく同性愛蔑視もあり、両性具有の世界に生きていた。

やっと本論に着いたけど、むかしむかしの両性具有の世界は、白洲正子の論にくわしくかかれております。


○結論;「男女や、主従を超えたところにある、美しい愛の形」

奇しくも漱石「こころ」(先生と「わたし」)に無意識的に現れた、弟子と師匠の関係。

これ「愛」でしょ。欲望、師匠の欲するところを欲望するのが弟子の欲望の正しいありかた。

これは正子著の西行論「西行」、高野往来に弟子との愛の言葉を含んだ、歌に読み取れると言う。(興味のある人読んでみてね)

正子の出身の薩摩藩自体がそのような文化を具現したとの指摘もあり、女への憧れはなくても、やさ男への憧れはそこここにあったとの・・・・武道剣道がその見本。

ちなみにホモソーシャルをネットで索くと下記の通り。

【homosocial】

セジウィックによる概念。
ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする男性同士の擬似同性愛的な強い親愛・連帯関係。

それ自体、同性愛と見まがうような強い接触・親愛関係でありながら、同性愛者と女性を嫌悪・蔑視して排除し、異性愛男性同士で閉鎖的な関係を構築する。

※日本以外でもあった、あるんですね。

P.S.
だから性差を超えての愛という思い込みで結婚した結果、結婚してから、妙に卑猥な女っぽい人間に出くわすと浮気をすることがあるようですね。浮気は恋じゃないという安心感でつい騙される。      

ヨーロッパでは昔から結婚してからの方が本当の恋愛ができるとする、文がちらほらあるからカトリック教というのは、離婚否定の文化伝統から、浮気=不倫の是認になっている可能性は大きいと思う。ちがってたらm(_ _)m。


P.S.その2
「西行」。弟子の名は西住という。高野往来の章に出てくる。
二人の贈答が、男女の恋歌のように聞こえることが多い。
終生の心の友だったにちがいない、と正子は言う。


P.S.
アンリ・サルバドールを慕っていたバイオリニスト??誰だっけ出てこない名前。
http://sumeba-miyako375.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-4370.html

世阿弥は、南北朝時代の1363年、大和四座の人気スターであった観阿弥の長男として生まれました。幼名を鬼夜叉、本名、元清といいます。

11歳の時、今熊野での演能で、父・観阿弥と供に獅子を舞ったことがきっかけとなり、世阿弥は一躍人気役者となります。この時、若き将軍義満に出会い、以後、世阿弥は、彼の寵童として、そば近くに召し使われることになりました。当時最高の文化人であった二条良基も世阿弥を贔屓にした一人で、「古今集」などの古典や連歌の知識を授けたといいます。

当時、新興芸術のためには、将軍や公家などのパトロンがとても重要な存在であり、将軍家の眼に留まることは、観阿弥・世阿弥親子にとっては、またとないチャンスでした。

「寵童」という身分について、自らも能を舞った白州正子は、その著書『世阿弥』の中で次のように述べています。


「男色は、当時珍しいことではなく、現代のような不健康なものでもなかったようだ。

性的倒錯というよりは、主従・師弟間の愛情の煮詰まったかたちで、初々しい少年に女性的な美しさを求めるというよりは、若さと美の象徴として、男性の理想を求めたようである。

僧侶の間では、仏道に入る機縁として、美しい稚児に観音の化身を見たという物語もある。」


「世阿弥は、将軍の寵愛におぼれるような人物ではなく、好奇心に富んだ利発な少年だった。書物の中でも、将軍への恩義は示しても、格別それを誇る様子はなく、無論甘えた根性などは見受けられない。」


世阿弥が20歳を少し過ぎた頃、父・観阿弥が旅興行先の駿河で亡くなります。以後、世阿弥は、名実ともに観世座のリーダーとなり、演出・主演を兼ねるシテ役者として一座を束ねていきます。演目でも、父のレパートリーなどの旧作を補綴、編曲するほか、数々の新作も手がけました。

順風満帆な人生を送る世阿弥を悩ませ続けていたのが、後継者問題でした。世阿弥にはなかなか子どもができなかったので、後継者として弟・観世四郎の子、後の音阿弥を養子に迎えました。彼は、この頃から自分の芸の伝承を考え、『風姿花伝』の執筆を開始したといわれています。これは、現在考えられているような純粋芸術論ではなく、自分の後継者たちが第一人者の地位を保ち続けるためにどうすればよいかを教える、いわばマニュアル本のような存在でした。
http://www.the-noh.com/jp/zeami/

世阿弥 元清 1363-1443


父観阿弥の英才教育で猿楽能(物真似が中心の芝居)を学び、1372年、父が京都で名声を得るきっかけとなった醍醐寺7日間公演に9歳で参加している。1375年、「観世座はスゴイ」という噂を聞いた当時17歳の3代将軍足利義満は、京都・今熊野で初めて猿楽能を鑑賞し、これにハマった。

観阿弥の演技が素晴らしいだけでなく、共演した12歳の美少年世阿弥の愛らしさにメロメロになった。以降、義満は観世座の熱心な後援者となる。


義満の世阿弥に対する寵愛ぶりは相当なのもので、3年後の祇園祭の折には、山鉾を見物する義満のすぐ背後に世阿弥が控えていたという。側近たちはこれを嫉妬し、内大臣は当日の日記に

「乞食のやる猿楽師の子どもを可愛がる将軍の気が知れない」

と書きつけている。


1384年(21歳)、父が巡業先の静岡で急逝。世阿弥は悲しみの中で観世流の2代目を継ぐ。その後もひたすら稽古を重ねて芸を磨いていく中で、彼を刺激したのは父と同世代で近江猿楽のリーダー格・犬王(道阿弥)の存在だった。観世座の能が大衆向けで演劇色の濃い、物真似中心の「面白き能」であったのに対し、犬王の能は優雅で美しい歌舞中心の「幽玄能」だった。

義満は情緒があり格調のある犬王を世阿弥以上に寵遇する。犬王は天女の舞を創始するなど舞の名人でもあり、世阿弥も素直に犬王を絶賛、もろに影響を受けて自身の能も内面を表現する幽玄能に変化していった。


1400年(37歳)、

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」

など父の遺訓をまとめた能楽論書『風姿花伝(花伝書)』を著す。風姿花伝は芸術の技術論ではなく精神を論じた書であり、このような書物は世界にも殆ど例がない---

能役者が観客に与える感動の根源は「花」である。「花」は能の命であり、これをどう咲かすべきか、「花」を知ることは能の奥義を極めることである。

桜や梅が一年中咲いていれば、誰が心を動かされるだろうか。花は一年中咲いておらず、咲くべき時を知って咲いている。能役者も時と場を心得て、観客が最も「花」を求めている時に咲かせねばならない。花は散り、花は咲き、常に変化している。十八番の役ばかり演じることなく、変化していく姿を「花」として感じさせねばならない。「花」が咲くには種が必要だ。花は心、種は態(わざ、技)。

観客がどんな「花」を好むのか、人の好みは様々だ。だからこそ、能役者は稽古を積み技を磨いて、何種類もの種を持っていなければならない。牡丹、朝顔、桔梗、椿、全ての四季の「花」の種を心に持ち、時分にあった種を取り出し咲かせるのだ。
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-baree.htm#zeami

日本における男色の歴史

Homosexual"や" gay" という言葉は近世になって作られ、西洋において“悪”と結び付けられた概念である。  現在において、同性同士の恋愛を表現する言葉としてもちいられるのが、「同性愛」である。

しかし「愛」という言葉自体、日本語元来のことばではない。Homosexual1という言葉ができる前、日本では井原西鶴の『男色大観』のように、「男色」という言葉が用いられた。

 男色とは、男性同性愛を指し、英語でのhomosexualityにあたる。しかし、そこには日本人の男性同性愛への考え方が現れている。すなわち、「色」としての男色である。 


「色」は日本に古くからある概念だが、愛や恋愛という言葉は明治時代の輸入品である。 「愛」はloveの訳語として北村透谷によって定着され、さらに精神的関係をより強調した形の概念として日本に受け取られた。そして現在用いられる「恋愛」という概念は、異性間にしか成立しない言葉でもある。

 他方、「色」という表現は、恋において肉体関係と精神的関係を明確に二分することなく前者をも包含し、かつ、それを抑圧し、低俗と見なさない点に特色がある。そしてまた男と女の恋にかぎらず男と男の恋をも含めたものであった。これをさして「色道ふたつ」という表現が生まれたのもそのゆえんである。


 色道とは無秩序な性の欲望を噴出させる道ではなく、書道、華道、茶道など様々な道を動員し、人生のひとときを美的な、非日常的な時空間にするための手段だったのである。そしてこのことがゆえに性は俗ではなく、聖の領域にあったことを読みとることが求められるのである。

恋としての男色は、僧侶と稚児という形で、中世寺院に多く見られはじめる。稚児とは、寺院において僧の身の回りの世話などをし、仏道に関して学び、また歌舞音曲の伝授を受ける少年を指す。出家を目指す見習い段階であるが、実際には教育のために寺に入れるという意味合いが強い。院政期の院の近臣たちは稚児上がりのものも多く、院と深い関係を持っていた。藤原頼長『台記』にはその奔放な男色関係の多くが描かれる。

ここで注意しておきたいのは稚児=少年を神仏の顕現と見なし(比叡山に初めて登った最澄は十禅師神の化現した少年と出会った。また『稚児観音絵巻』をはじめとしたいくつかの絵巻に見られる)、稚児との肉体的交わり自体を神聖視する宗教的側面もあったことである。このことは宗教が、男色において大きな機能を果たしていることをさらに裏付けよう。

つまり、仏教は性欲の処理としての男色を聖性との関わりの中で許容し、さらに男色の中の美意識にまで介入して行くことで、それを仏教自体の一環となそうとまでする。


 中世の稚児物語においては、主人公(主に僧侶だが)はほとんどの場合、桜の木の下で美少年と出会う。美少年の恋と死が、現世のはかなさのメタファーとして現れているのである。仏教が無常というものを美しい者の滅びやすさという面から説くのに利用されているのである。

 これはそのまま少年愛の美意識、また少年美の追求の大きな要素として後代に受け継がれて行く。すなわち、少年の聖性(両性具有に起因するものともいえようか)と、一過性である。

世阿弥の『風姿花伝』のなかでの「少年は時分の花」という言葉がなによりもその心を表す(世阿弥自身、藤若として足利義満に侍っていたことはすでにあきらかとされる)。桜がその象徴とされている。


 世阿弥が能を大成すると、それをうけて男色とその美意識は、芸能に乗って大衆間に広まる。多数の謡曲が生まれるのもこのころである。

 戦国期に入ると武士たちの間に、男色が目立って流行しはじめる。そこには、女性の排除による男性集団の結束の緊密性の確保、より高度な礼と義の関係を築く、という新しい目的意識=尚武の気風があった。

 江戸時代には、衆道という言葉が用いられるようになってくる。衆道は男色にさらに武士道を加えたものと理解されよう。男色の美意識と思想と武士道の思想は実に近いものがあった。義として浮気を堅く戒め、命を捨てる覚悟(葉隠)。衆道が、義兄弟の形を伴うのもそのためである。

 これは二君に見えずという思想=主君への恋心に通ずる。それゆえに衆道の美意識は、「刀」に尽きるのである。

 桜の下、白い着物をつけた美少年、切腹による赤い血とはまさにその文脈に受け継がれたイメージである。江戸初期、死を賭した恋として、仇討ち、殉死が頻発したのではなかろうか。
http://www.ht.sfc.keio.ac.jp/~kenta/web2.html

中世において、男色は、女を排除していた武士や寺院では一般的なものであったことが知られる。また、公家文化においては「悪左府」と呼ばれた藤原頼長の日記『台記』には彼が複数の男性と同衾していたことが書かれている。

鎌倉幕府の将軍や執権、有力な大名たちも制度的な少年愛を実行していたと推定されるが、歴史的に有名かつ顕著なのは、次の室町幕府3代将軍である足利義満と、その寵愛を受けた能楽師世阿弥の関係である。

世阿弥は後に夢幻能を完成させ、『風姿花伝』を著すが、その書のなかで、「少年の美」についての魅力を述べている。


男色は女色と対になる言葉で、「色の道」は単に肉体的な関係だけではなく、精神的な関係も含み、稚児との男色においては、むしろ「精神性」に重点が置かれていたことからすれば、古典ギリシアのアレテーの教育としての「少年愛」の理念と共通するものを持つ。武士と少年、僧侶と稚児のあいだの男色関係では、愛する年長者は「念者」と呼ばれたが、念は「一念」の念でもあり、倫理性や精神的信頼性が前提にあった。

男色の道は、世阿弥の能芸の流布と、『風姿花伝』における少年の儚さの賛美と相俟って、武士や僧侶階級だけではなく、広く一般庶民にとっても「憧れ」と「美意識」を持って期待される文化風俗となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%84%9B


風景の中の世阿弥


観阿弥は奈良から京へ行くことになる。その頃世阿弥は幼名を藤若といい史実によれば美しい少年であったという。この姿の美しさに将軍足利義満は魅かれ世阿弥は義満の寵愛を一身にうけることになる。

私はかつて肉体には性の両義性(アンドロギュヌス)を飼っていると思っていたことがある。それは記号論的には両性具有的なまなざしを肉体はどこかで意図的に展開し、それらへの体験を通してより中性化する肉体=人間という記号に導かれるように構成されるだろうという意味である。

世阿弥が男色を経験したことは肉体的にも精神的にも、自らの中にあるアンドロギュヌス性を否応なく発見し、発見したことによって、自らすすんでその経験を能芸の中に生かし切っていたのではないか、という想像が働く。考えてみれば演能における男から女への変化、人間から霊的な存在に憑依する形式を世阿弥が演ずる時、男色的な経験はむしろ役に立つことはあっても邪魔なものではない。

経験は想像力にとって最も魅力的な素材であること。見事に変化したことに観客が感じ興奮するのは、そうしたリアリティの官能を敏感に感じとる時でもある。心理的にいうと、精神の深い淵で演者と観客が共に性的興奮を味わっている姿を想像できる。

習慣や風習以上に芸人にとって男色のもたらす経験が大きいのは、舞台の上の物語に華をもたらすためである。そして、その華=花は妖しければ妖しいほど観客を魅了する。こうした常に観客を意識するまなざしの感覚が、世阿弥の花であり上手であるといってもよいかもしれないと思うことがある。それはつまり自らの中にあっては無意識的に両義性に結びついていった経験の意識化である。
http://www.hikuiyama.com/goji-hamada/J-html/gh-j017.html

両性具有の美 (新潮文庫) 白洲正子 (著)

わが国では男色は罪とされておらず衆道として武士のたしなみの一つだとは知ってはいたものの、これほど広がっていたものとは思わなかった。 菊花の契り、や稚児信仰、天狗信仰といった独特の文化などの日本文化の深さを知った作品であった。

白州さんというと能の解説や評論に関する本を愛読させていただいていた。 今回の本を読むまで能の両性具有性がこのようにエロティシズムを含んだものだとは思っていなかったし、題材の根底に流れる同性愛などは想像もしていなかった。


確かに、女性が男装して舞ったり、子方とシテのただならぬ関係を類推させる作品は多い。 少年が男性になるまでの一時期中性的せつな的美しさは、武将や聖職者といえども購い難きものであったのであろう。しかも倫理的、宗教的にタブーとされていなかったのだからなおさらである。

日本の衆道のことをキリスト教圏の友人に話したら非常に驚かれた。キリスト教においては大罪である。 ここ数年は同性愛もかなり容認されるようになってきたものの、やはりかなり偏見もある。

女装した少年ではなく、男性のままで女性の色気を感じさせる両性具有の完璧な美しさを備えた少年が目の前にあらわれたら私もひれふしてしまうかもしれない、そんな完璧な美しさをもった少年の姿を本を読みながら思い浮かべていた。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%A1%E6%80%A7%E5%85%B7%E6%9C%89%E3%81%AE%E7%BE%8E-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%99%BD%E6%B4%B2-%E6%AD%A3%E5%AD%90/dp/4101379084

白州正子 「両性具有の美」

白州正子(1910−1998)は大分、以前からブームになっていますが、どういう人物であるか、一口で説明するのが難しい人です。

一応、肩書きは随筆家ということになっていますが、元華族の令嬢で、能や骨董などに造詣が深く、小林秀雄や青山二郎のような一流の文化人と付き合いがあり、夫は超イケメンで、超カッコイイ白州次郎ということで、「一流」とか「本物」という言葉がこれほど似合う女性はいないでしょう。

本人もすべてにおいて一流好みで、本物指向でした。

彼女は明治43年に東京で華族の令嬢として生まれますが、華族といっても昔から続く公家華族ではなく、薩摩藩の武士であった祖父の樺山資紀が明治維新の勲功により伯爵を授爵されたいわゆる新華族です。

そのせいか、華族の令嬢といっても、淑やかなところはまったくなく、大変、活発な男の子のような子供だったと自伝に書いています。

祖父の樺山資紀は、明治政府で海軍大将や初代台湾総督を歴任した人物ですが、橋口覚之進と名乗っていた幕末の頃、指宿藤次郎という朋友の薩摩藩の武士が京都祇園の石段下で、薩長と対立していた幕府の見廻り組(新撰組と同じような組織)に殺されるという事件が起ります。

このとき、指宿には前田某という若侍が同行していたのですが、彼は指宿を見捨てて遁走してしまいます。

それで指宿の葬儀のとき、橋口は棺の蓋を開けたままにしておいて前田を呼びつけ、「お前が最初に焼香しろ」と命令し、前田が指宿の死体の上にうなだれたときに一刀のもとに前田の首を斬り、首が棺の中に転がり落ちるのを見て、「これでよか」といって棺の蓋をしたといわれています。


当時、薩摩藩には 郷中と呼ばれる青少年の教育機関が存在し、藩士の子弟は八歳のときに稚児(ちご)として郷中に加わり、二十歳で兵児二才(へこにせ)の時期が終わるまで厳しく文武の道を体得させられたそうです。

稚児と兵児二才は男色関係で結ばれていて、薩摩武士の集団では、男色の道を知らない者は一人前扱いされず、武士として鍛えられ、教育されることは、男同士の契りを結ぶことでもあったといわれています。

幕府の見廻り組に殺された指宿藤次郎と前田某はおそらく男色関係で結ばれていて、本来ならば念友である指宿と共に闘うべきであったところを卑怯にも彼を見捨てて逃げたということで、郷中の長として橋口覚之進が制裁を加えたのではないかと正子は推測しています。

こういう野蛮ともいえる武勇伝をもつ下級武士が明治維新に勲功があったとして伯爵を授爵され、華族の仲間入りをしてしまったわけですから、明治維新というのはやはり一種の革命だったのでしょう。

このような過去をもつ海軍軍人が父方の祖父で、母方の祖父もやはり薩摩出身の海軍軍人で、活発な正子を見て「この子が男の子だったら、海軍兵学校に入れたのに」と、ふた言目には家族たちが残念がっているのを耳にして、自分でも男の子に生まれなかったことを残念に思うようになったと、正子は語っています。

自分が女に生まれたことが口惜しくてしょうがなくて、周囲にあたり散らしていたそうです。

その後、本来は男のものといわれる能を学び、女性として初めて能舞台に立つのですが、これも「男に生まれたかった」コンプレックスのなせる業かもしれません。

学校は華族の令嬢の通う学習院の女子部に入学するのですが、やはりお上品な華族のお嬢さんの多い学習院の生徒の中では浮いた存在だったそうです。

そのせいか、14歳のときにアメリカに留学します。

アメリカには4年間いて18歳のときに日本に帰国し、翌年19歳で神戸の富豪の息子、白州次郎と結婚します。

白州次郎もまた最近、ブームになっているので、ご存知の方も多いでしょうが、17歳のときから9年間、イギリスに留学し、ケンブリッジ大学を卒業したという経歴の持ち主で、戦後、アメリカ占領下の日本で、英国時代から親交のあった吉田茂首相の懐刀として、GHQ(連合軍総司令本部)相手の交渉にあたったことで知られています。

結婚当時、白州次郎は、貿易の仕事をしていて、正子は毎年のように夫の仕事に同行してヨーロッパに渡り、現地で社交を楽しんだそうです。

白州次郎という人は、長年、イギリスに住んでいただけに、国際情勢に敏感で、かつ先見の明があり、このまま行けば日米開戦は不可避で、当然、日本は負けるに決まっているから、深刻な食糧不足が起るだろうと予測し、太平洋戦争の始まる前の昭和15年に東京郊外の農村に移住して百姓生活を始めます。

戦争中は、東京の空襲で家を焼かれた友人の文芸評論家、河上徹太郎を農家を改造した自宅に引き取ります。

正子はその関係で河上徹太郎夫婦と知り合いになるのですが、戦後、同じ骨董趣味を持つ河上徹太郎を通じて、河上の骨董仲間である小林秀雄や青山二郎に知己を得ます。

正子は、小林秀雄や青山二郎、河上徹太郎といった男たちが「特別な友情」で結ばれていることを知ると、猛烈な嫉妬を覚え、どうしてもあの中に割って入りたい、切り込んででも入ってみせる、と決心したと自伝に書いています。

子供の頃からの「男に生まれたかった」コンプレックスが再燃したのです。
http://jack4afric.exblog.jp/3620880


小林秀雄や青山二郎、河上徹太郎といった男たちが「特別な友情」で結ばれていたといっても、彼らは武士と違って男色の習慣を持たない文士ですから、男色関係で結ばれていたわけではありません。

「男の友情もここまで深くなれば男色関係などあってもなくても同じことだ」と正子は語っていますが、彼らは、男同士ではセックスできないので、同じ一人の女性を共有して、その女性と性関係を持つことで、緊密に結びついていたといいます。

男が男に惚れるのは「精神」なのであり、精神だけでは成り立たないから、相手の女(肉体)が欲しくなるのだ、と正子は説明しています。

正子はそういう男たちに共有されている女性と知り合い、親しくなりますが、自身は男たちの友情の絆としての女(肉体)になる気は毛頭ありませんでした。

男たちと男女の関係になるのではなく、男たちと対等な一人の人間として彼らの仲間入りすることを望んだのです。

男たちの目には、随分と生意気な、身の程知らずな野心を持った女に見えたに違いありません。

戦後、正子は自分で骨董店を経営するほどまでに骨董に打ち込み、また雑誌に評論を書き始めるのですが、文学や骨董を学ぶために青山二郎に弟子入りし、青山や友人の小林秀雄に徹底的にしごかれます。

この頃の青山の日記には「今日も白州正子泣く」という一文が頻出するそうですが、正子は男たちにからかわれ、罵倒されながらも、必死に耐え、彼らとの付き合いを続けるのです。


昭和28年に元祖ウーマンリブともいうべきフランスの作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第二の性」が日本で出版され、ベストセラーになります。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という冒頭の言葉が有名になりましたが、正子はこの冒頭の言葉を読んで、コチンときたといいます。

「女になる」なら、なぜ女でも男でもない「人間」になってはいけないのか、と思ったというのです。

それで、ボーヴォワールの「第二の性」に対抗して「第三の性」を書くのですが、それがこの「両性具有の美」という作品として結実するわけです

この作品は、女装して、九州の蛮族の長、クマソを誘惑して、征伐したというヤマトタケルノミコトの話から始まって、最初から最後まで男色のエピソードが続き、さながら日本男色史ともいうべき内容になっています。

正子は、日本の古典に造詣が深く、この「両性具有の美」で、源氏物語に描かれる光源氏や伊勢物語の在原業平のような女性的男性や、男になる前の男でもない女でもない、人間ばなれした美しさを持つ少年を愛で慈しむ日本人の感性について語っています。

ボーヴォワールにたいして、あなたがた西洋人は、人間を男と女という二元論のレベルでしか捉えることしかできないけれど、東洋には男であると同時に女でもある、性の境界を超越した第三の性という概念があり、私たち東洋人は、そういう両性具有的な存在に美と価値を見出すのだ、と主張しているのです。

正子は、少女時代にアメリカに留学し、結婚してからは毎年のように夫に同行してヨーロッパを旅行して欧米の上流階級と付き合ってきた女性ですから、中途半端な日本のインテリと違って西洋コンプレックスがないんですね。

同時に西洋のことをよく知っているから、西洋というものを相対化して客観的に見ることができ、「あんた達、西洋人はそうかもしれないけれど、我々日本人はそうじゃない」と、ちゃんと主張できるわけです。

「両性具有の美」の終わりに正子は、「私がこの作品で言いたかったのは、女には能を舞えないということだ。50年間、能をやってきて、結局、女には能はできないということを私は悟ったのだ」と書いています。

これはどういうことかというと、50年間、男になるために必死に努力をしてきたけれど、やっぱり男にはなれなかった、ということです。

この言葉にはボーヴォワールのような女を教祖として崇めるウーマンリブやフェミニストなど日本の女権拡張論者にたいする正子の批判が込められているような気がします。

あんた達は、ふた言目には男女平等や男女同権をいうけれど、男と対等になるためにいったい、どれだけの努力をしたというのよ。女であることに甘え、女の特権を保持しながら、男の権利も欲しい、なんて虫が良すぎるわよ。

そんな正子の言葉が聞こえてきそうです。

そこには「この女離れしたところのある私でさえ、いくら頑張っても、男にはなれなかったのよ!」という自負心と悔しさがないまぜになった複雑な心情がこもっているような気がします。

白州正子は、男になろうとして一生懸命、努力して、結局、男にはなれなかったけれど、頑張ったお陰で男っぽい女、つまり両性具有的な人間になることができました。

正子は、青山二郎に「おまえは、俺と小林のおかまの子なんだから、しっかりしろ」といわれたそうですが、これって最高の褒め言葉だと思いますね。

青山二郎と小林秀雄が男同士、愛し合って出来た子供が正子だといってるんですから。
http://jack4afric.exblog.jp/3643212

イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。
そして彼は弟子たちに言われた。

”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似ている”。

彼らは彼に言った。


”それではわたしたちは幼な子として神の国に入るのでしょうか”。

イエスは彼らに言われた。


”あなたがたがふたつのものを ひとつにするとき、

そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、

そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、


あなたがたは神の国に入るであろう”。
http://ime.st/emikikuchi.exblog.jp/i40


シモン・ペテロ彼らに言う。

マリアを我らより離れしめよ。女は生命の価値なかりければ。

ペテロは言った。

「マリアを私たちの間から出てゆかせよう。女性は〈生〉に値しないのだから」
                       
イエス言いたもう。

見よ。我マリアを導きて、マリアを男となさん。
マリアまた、汝ら男たちのごとく命ある霊となりぬべし。
おのれを男とせし女らみな、天国に入ることを得たればなり。 


イエス、言う。

「見ていなさい。私が彼女を導く。彼女を男性にし、彼女もまたあなたがた男性と同じように生ける精霊となることができるように。

なぜなら、自らを男性となす女性はすべて天国〈王国〉に入るからである」
http://mahachohan81.blog133.fc2.com/blog-entry-131.html

シモン・ペテロ彼らに言う。

マリアを我らより離れしめよ。
女は生命の価値なかりければ。  

                     
★原始キリスト教を創設したペテロは、マリアを自分たちのところ(イエスの弟子たちによる集団)から出ていかせようとしました。

「女性は悪の根本原因」だとして、拒絶したのです。
生命の価値がないという理由で…。


「女たちは命に値しない」というのは、ユダヤ教、ユダヤ人キリスト教、初期のカトリシズムに見られる女性蔑視が極端な形で表現されたものです。現在のカトリック教会においても、女性は聖職位階制から排除されているようで、女性の法王は存在したことがありませんね。「男性優越主義」が21世紀になっても、相変わらず存在しつづけているというのが、宗教界の実情なのです。


★マリハムとは、マリアのことです。そして、このマリアはイエスの生母ではなく、彼の妻のマリア(マグダラのマリア)のことです。マグダラのマリアは、イエスが初めて心のうちを打ち明けて癒された女性であり、彼が初めて愛した女性でした。


イエスが結婚していたことは、最近(2006年)「ダ・ヴィンチ・コード」が映画化され、ようやく世界中に知らされることとなりましたが、これが事実だと都合が悪いと考える人たちによって、ひた隠しにされてきました。

わたしは、小説「ダ・ヴィンチ・コード」で話題になる20年ほど前から、マグダラのマリアがイエスの伴侶であったことは知っていました。何の疑問もなく、受容していたのです。でも、世界中のクリスチャンはどうだったのでしょうか?

ペテロが発した「マリアを我らより離れしめよ。女は生命の価値なかりければ」ということばは、女性蔑視の骨頂とも言うべき暴言ですが、彼がいかにマリアに嫉妬し、嫌厭していたかがうかがえる箇所です。


宗教を創ったのがみな男性だということは大変興味深いところですが、ペテロは別として、世の男性たちが女性を恐れる理由は面白いと思います。

それは何かというと、女性がそばにいると、神や仏の探求よりも、女性の探求のほうが魅力的になるということです。それでは修行の妨げになるばかりか、面倒なことが発生しかねません。それゆえに彼らは女性を拒み続けなければならなかったということです。


釈迦(ゴータマ・ブッダ)にしても同様です。

ゴータマ・ブッダは悟りを開いた後に釈迦教団を創りましたが、男性の修行者のなかに女性の修行者を入れることはなかったようです。

彼は最初、女性の修行者自体も受け入れていなかったのですが、志願者が増えたため、しかたなく比丘尼となることを認めたのです。でも、男性修行者とは隔離しなければなりませんでした。なぜか、もうおわかりでしょう。
http://mahachohan81.blog133.fc2.com/blog-entry-130.html

河合隼雄先生著の「とりかへばや、男と女」を読んでいると、面白いことが書いてありました。

(以下引用)
いかなる元型もそれ自身はわかるはずはなく、元型的イメージを通して類推されるだけである。今元型Xがあるとしても、元型的イメージというのは自我によって把握されるものであるから、イメージの方に相当の自律性があるにしろ、自我の在り様によって、そのイメージは変わってくるはずである。

そこでたましいの元型というものの存在を仮定すると、それを把握する自我が男性的である場合は、女性のイメージとしてその元型的イメージが生じ、自我が女性である場合は、男性のイメージとして生じると考えればどうであろう。

つまり、アニマの元型、アニムスの元型が存在するのではなく、あるのはたましいの元型というひとつの元型で、それがイメージとして顕現してくるときに姿を変えると考えてみるのである。しかし、それらは、もっと深いところにおいては、両性具有的なイメージとなり、その中間に男女の対のイメージがあるのではないだろうか?


_____


図式的に考えた場合、男性的自我を持つ人にとっては、その対をなす存在として、無意識の領域に女性のイメージ=「アニマ」を仮定できます。

しかし、実際問題として、男性の中に女性イメージの元型があるかというと、実はそうではなくて、男性的自我から、無意識内にある女性的イメージ「アニマ」の方向を向いたところに(あるいは、男性的自我と女性的イメージの間に)、河合先生の言う「たましいの元型」とも呼べる存在があるのではないでしょうか?

あるいは、言い方をかえますと、男性の中に女性のイメージである「アニマ」があり、女性の中に男性のイメージである「アニムス」があるというよりは、「アニマ」「アニムス」と呼ばれるものは、実は同じであり、それは「人間そのもの」とか「人間の本質」と呼ぶに近い(人間)元型なのではないでしょうか。


したがって、

・男性的自我から、その人間の本質である元型を見た場合、それは男性的自我と対立する要素である「無意識の領域の女性的イメージ」の方向にあり、したがって、男性的自我から見れば、それは女性のイメージとして具現化される。

・また、女性的自我から、その人間の本質である元型を見た場合、それは女性的自我と対立する要素である「無意識の領域の男性的イメージ」の方向にあり、したがって、女性的自我から見れば、それは男性のイメージとして具現化される。

――そのようにいえるのではないでしょうか。


つまり、「アニマ」「アニムス」共に、実は同じ「人間そのもの」、「人間本質」の元型であり、その人が立つ位置によって、「自分とは相反する要素=自分に欠けた要素」の方向にあるため、相反する性のイメージであるアニマ・アニムスの姿として現れるということです。


そして、人間は、「自分の持つ要素」と、それとは相反する「対立する要素」とを統合したり、結合させることで、自分に欠けた要素を補い、「本来の人間」とか「人間そのもの」と呼ばれるものに、近づけるのだと思います。

またまた、言い方をかえると、完全なる人間の元型は「自分が今持っているもの」と「自分には欠けたもの」の両方を持っているので、つまり、自分の今いる位置とは相反する位置(対立する位置)の方向にあるわけで、したがって、完全なる人間に導くもの=「魂」は、今いる位置とは相反する位置(対立する位置)に、人間を導こうとするのではないでしょうか?


ここに、「対立する二つの要素と補償作用」、「分離と統合」、「数字の1と2と3と4」などの奥義があるように思います。


ここで、男性・女性の存在と全体性の回復を考えた場合、

・男性的自我だけでは(完全なる人間としては)足りず、その全体性を補ったり、人間の本質へと向かうためには、その対立する要素である無意識内の女性的イメージ「アニマ」との対話・対決を通して、両方の性を包含した人間本質の元型に向かい、それによって「全体性の回復」という仕事は成されるのではないでしょうか。


・女性の場合も、女性的自我だけでは(完全なる人間としては)足りず、その全体性を補ったり、人間の本質へと向かう場合には、その対立する要素である無意識内の男性的イメージ「アニムス」との対話・対決を通して、両方の性を含有する人間本質の元型に向かい、その仕事は成される。


――そう言えるのではないでしょうか。


但し、ここで注意することは、人間の本質(あるいは、その元型)とは、あくまで「男性的自我と女性的イメージ」や「女性的自我と男性的イメージ」の両方を包含するものなのであって、男性が女性化するのでも、女性が男性化するのでもない、ということです。

前の図を見た場合、男性的自我が、無意識内の女性的イメージと対話・対決しながら歩み寄るのが、その間にある「人間そのもの」や「完全なる人間」の元型に近づくことになるのに対し、男性が女性化するのは、単なる「反転」であって、それは人間の本質を大回りに回避し、単に立つ位置が入れ替わったに過ぎない、と言えるでしょう。(女性的自我と、男性的イメージの場合も同じです)


つまり、意識レベルでの反転が行なわれただけで、欠けたものが補われたとか、人間の本質に近づいたとは、言い難いわけです。そして、このような考え方は、実は男性・女性、アニマ・アニムスの考えのみならず、いろんなことに対して、言えそうな気がします。
http://starpalatina.sakura.ne.jp/kouza/11.html

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能「頼政」 喜多流 喜多六平太、森茂好
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能楽名演集
能 『楊貴妃』
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喜多流 友枝喜久夫 [DVD]
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能「弱法師」1980年放送 カラー

シテ:友枝喜久夫 ワキ:松本謙二 アイ:善竹十郎
笛:田中一次 小鼓:鵜澤速雄 大鼓:柿原崇志 地頭:喜多長世


弱法師は好きな演目ですので、気合いを入れて見てしまいました。友枝喜久夫さんはやはり、すごいですね。ちょっと泣けました。

弱法師は盲目の法師ですから、弱法師という専用面をつけるわけですが、友枝喜久夫の弱法師は本当に目が見えないのでは、と感じさせるものがあります。
(このころは既にお目が不自由でしたかもしれません)


「梅の香が聞こえ候」では、本当に何かの香りが漂うよう。

「日想観なれば・・・」心の目で風景を見ようとする辺りでは、心がふるえるような高揚感を。

「盲目の悲しさは貴賤の人に行きあいの・・・」このあたりも云うことなしの素晴らしさ。

「今よりは更に狂わじ」の諦念と深い内省。


さすがに云うなし。喜多流って、やはり写実的でしょうか。
http://ansam.at.webry.info/200608/article_4.html

友枝喜久夫を聴く


仕事の合間の気分転換に、友枝喜久夫の謡を少し聴く。

一調一声「三井寺」(小鼓:大倉長十郎)と一調「勧進帳」(大鼓:安福建雄)。


「三井寺」は「雪ならば幾度袖を払はまし」から「三井寺に早く着きにけり」までの道行の謡。

「乱れ心や狂ふらん」の後に入る鼓が絶品。友枝さんのテンションも自然と上がって行く。声が大きいわけではないのだが、「志賀唐崎の一つ松…」以下、道行ならではの叙景の言葉が続くが、「風すさまじき秋の水の」で頂点に達する。

テクストは、直接に子を思う母の情を表現したものでなくても、母の情が理屈抜きに聴き手に伝わって来るだけの熱い思いが謡に込められている。

友枝喜久夫は、小柄な人で、必ずしも「安宅」のような曲がニンに合う能役者ではなかったように思うのだが、「勧進帳」は「それ、つらつら惟(おも)ん見れば」から、特に重々しく謡おうという作為がなく、その境地に達するまでに積み重ねられた修練の積み重ねが感じられる。

安福建雄の大鼓も、最近の彼の舞台には見られない気迫で打ち込んで、「天も響けと読み上げたり」と謡い切った時に、有無を言わさぬ説得力が生まれる。つくづく、友枝喜久夫という能役者は、「謡う」ことが好きだったのだなあという感慨が残る。


 国立能楽堂で粟谷菊生が「班女」を舞った時だったが、最晩年の友枝喜久夫は、最初から登場せず、地謡は前列4人だけで始まり、初同(地謡が最初に謡う箇所)の直前に後列の4人が切戸口から出るというやり方をしたことがあった。

異例のことだが、しかし、私がこれまでに見た喜多流の能で、地謡があれほど繊細だったことは他にない。地謡の面々の、友枝喜久夫と謡う機会を大切にしようという思いが結晶したものだったのだろう。
http://eirakukan.seesaa.net/article/36183559.html

「景清」 友枝喜久夫(喜多流) 1991.11.4 友枝会 友枝喜久夫・能舞納め


平家の敗北で自らを盲目にし、日向(宮崎)に流されて侘びしく暮らす平家の武将・悪七兵衛景清の行方を探して娘が訪ねてくる。

初めは応じなかったが会えば親子の情が湧く。かって屋島で兜のしころを引きあった合戦の様子を見せ、我が亡き後の回向を娘に頼み今生の別れを告げる。つかの間に長い時間を押込めた悲劇の能。

この友枝喜久夫の「能舞納め」では能面をつけず「直面(ひためん)」で演じた。


「景清」 友枝喜久夫(喜多流) 1991.11.4 友枝会 友枝喜久夫・能舞納め


シテが幕に消えてゆく。拍手が続く。幕入りまで追ったファインダーが滲み霞んできた。

目を病みよく見えない舞台も大きく舞い、わずかな動きで大きく空気が動く芸。私が理想とする名人の最後の能であった。終曲、舞納めになぜ「景清」を選んだのかが分ったような気がした。
http://www.noh-photo.com/exhibition/08exhibition/08sakuhin.html

昔、友枝喜久夫という能楽師がいた。

いまブームの文筆家、故 白州正子が晩年愛して止まなかった人物。歌舞伎評論家の渡辺保も絶賛を送っていた。様式の完璧を目指す能楽界の中でも、とりわけ強さと形にこだわった故 喜多実率いる喜多流の名家、友枝家の人間。

若い頃は剛直な芸が信条だったけれど、老いて眼病を患い、ほとんど盲目に近い状態になった。ところが、それから彼の芸が大輪の花のように花開いた。

私は彼がほとんど見えない、という前提でしか舞台を観ていないので、若い頃の彼の芸はよくわからない。実際に観たのは、幻想的で夢のような舞台の数々だった。

たまに向きを間違えたりしても、それがなにも傷にならない。
若い頃から鍛え精神と体の奧に備わった「型」。
そして目が見えないからこそ、そこから飛翔できた表現。

なによりも、私は彼の透徹した謡の”声”にしびれて止まなかった。

能の謡は、徹底的に鍛え上げ、一度ノドをつぶしてそこから復活してくる声がいい、という傾向がある。でも、彼の謡は違った。

透明な、あくまでも透き通った音。クリスタルや水晶が口から出てくるようなイメージ。それが単にノドを使っているだけの声ではなく、きちんと鍛えられ胆から出てくるのだから、強靱さが違う。強靱でありながら、ひたすら透明で美しい謡。

この世のものと思えなかった。


白州正子は、彼のために『老木の花』という本を残している。 老木に花が残るがごとく、そこにある美。晩年大輪を咲かせた彼の芸は、次の世阿弥の言葉があてはまる。


「…さりながら、誠に得たらん能者ならば、物数みなみなうせて、善悪見所は少なくとも、花は残るべし。」


確かに、彼の舞台には、まことの花がありつづけた。舞納めの景清まで、ずっと。
http://nohgaku.cocolog-nifty.com/noh/2005/06/post_54b6.html

老木の花―友枝喜久夫の能 [大型本]
白州 正子 (著), 吉越 立雄, 大倉 舜二


大正から昭和の中頃へかけて多くの能の名人芸にふれた著者は、その名人たちの死とともにそれ以降の能に幻滅を感じ遠ざかってしまった。それが友枝喜久夫(81歳)喜多流能の名人が演じた「江口」を観て幽玄という言葉では表現しきれぬ至芸に感動。友枝さんの美しい芸に報いたいという想いで筆を起こした後世に残る一冊。撮影写真は吉越立雄氏と大倉舜二氏による一葉一葉が芸術品と呼べる写真。


さて能「江口」は天王寺詣りの旅の僧が江口の里にやってくる。人の賑わう遊女の里。僧は里人に江口の君の宿跡を尋ねる。その昔、江口の君と呼ばれる遊女がおり、西行法師が雨宿りを請うと、泊めるのを断った。そのとき、西行が詠んだ歌

“世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな”

僧はこの歌を思い出し、口ずさむと里の女(江口の亡霊)が現れて、江口の君の返歌を引いて泊めなかった理由を語る。

“世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ”

江口の君が宿を断ったのは、西行の僧侶という身を思って断っただけなのに、宿を惜しんだなどと言われては残念と言う。僧は驚いて名を尋ねると里の女は私こそ江口の君の亡霊ですと言い、消えていく。(中入り)

僧は驚き、夜もすがら読経すると川もに舟が現れ江口と遊女が舟遊び。

(ここで絢爛な序の舞)

人間浮き世への執心を捨てれば、菩薩の道はひらくと語るや、江口は普賢菩薩となって白像にまたがり消えていく。


さて、この演能で、白州さんは友枝喜久夫の謡いが水晶の玉のように透明で澄み切った音声。人間の肉声でなく、他界からひびいてくる精霊のささやきのようだと表現する。さらに仕舞い、装束のまといかた、足はこびに幽玄という言葉であらわしきれない新鮮な感動を伝えている。


「この歳になって(来年80になる)、こんな美しいものに出会えるとは夢にも思わなかった。また気が付くと前の席の若いお嬢さんが涙をこぼしている。ジーパン姿の青年、ネクタイ姿の会社員風まで涙を拭いている。」


また白州さんは次のように激しく言う。


「能を難解なものにしたのはインテリが悪いので、世にもありがたい「芸術」に祭あげ、専門家がそれに乗っかって、一種の権威主義を造り上げたのだ」


友枝喜久夫がかくも能に縁遠い若者や外国人に共感を与えるのは、

「ひたすら己を虚しうして稽古に打ち込んでいるいるからで、もはや芸というよりも魂の問題である」


「本当にものを見るとは、こちらから積極的にこうしたものに会うことである。テレビの前に寝そべっていては駄目、こちらから出かけて行ってつかみとらねばならない」

とも言う。世阿弥の言葉「たけたる心位」は茶道の始祖村田珠光の「たけくらむ」、芭蕉の「軽き趣のすじ」とも一脈通じていると解釈する。

最後に題名の「老木の花」が世阿弥が父観阿弥を評した言葉であり、老人になって、人生の最後に咲いた花こそ「まことの花」であると言う。西洋の芸術が「若さと力の表徴」であるなら、日本文化はまさに世阿弥の「老木の花」にあると言えよう。


盲目になってしまった名人友枝喜久夫の心の眼には「人生の経験を積んだ後に到達する事の出来た幸福な境地、若い時には知らずに過ごした様々なものが見えているに違いない」と白州さんは締めくくっている。


名人友枝喜久夫さんも、白州正子さんも鬼籍に入られた。もう二度とみることが出来ない名人友枝喜久夫の能舞台姿を本書で見ることが出来るのは至福の極みである。 また当代きっての名文家にして能を知り尽くした白州正子の能鑑賞の手引きとしても後世に残る秀作である。
http://blog.goo.ne.jp/rurou_2005/e/e10d804373b8160e0a6739eb56a82d70

《友枝喜久夫の芸は、現代でいえば、まさしく「たけたる位」に相当しているといえよう。といっても、本人が意識して行っているわけではなく、目が見えぬ悲しさといらだちが、「我を忘れる」結果となり、「我を忘れた」時に、思いもかけぬ美しさが火花となって散るのである。

友枝さんの芸が能には珍しくドラマティックであるのは、訓練を重ねた技術の向う側に赤裸々な人間性が現れるからで、そのために、姿勢が崩れる恐れはいささかもない。

今、ドラマティックと私がいったのは、芝居がかっているという意味ではなく、矯めに矯めた感情が、能の型や約束を打ち破って現れる時、強烈な感動を与えるのだ。それは誰にでも理解できる美しさで、美しさというより、魂をゆさぶる衝撃といえようか。今時そんなものに出会うことは稀にしかない。》

(白洲正子『老木の花』より)


《バレエとお能とでは天と地ほどの相違があるが、私にこの世のものならぬ美の神髄を見せてくれたのは、あとにも先にもバレエのアンナ・パヴロヴァと、能楽の友枝喜久夫しかいない。》

(『白洲正子自伝』より)
http://www.buaiso.com/koyu/kokoro/13.html


渡辺保著「能のドラマツルギー 友枝喜久夫仕舞百番日記」(角川書店)、
白州正子さん主催による友枝喜久夫師の仕舞の会観劇記のあとがきです。


ある時「蝉丸」があまりによかったので、

「あの『走り井』のところで、井戸をのぞくのはどういう気持ちでおやりになるんですか」

とつい聞いてしまった。愚問だと思うが、天気の話ばかりしていても仕方がないと思ったからである。笑いながら、友枝さんは少し恥ずかしそうに、

「やはり、そういう気持ちになってやりますね。」

とりつく島がない。そうしたらば、すかさず白州さんが

「ああいうところは型通りやれば、それで生きてくるのよ。現に友枝さんは、井戸の底よりずっと深いところを見ていらっしゃるでしょう」


______


友枝喜久夫さんの「三井寺」

昨日放送のNHK「日本の伝統芸能」の「能」一回目をビデオで観る。はからずも、1日付けの道行で触れた友枝喜久夫さんの「三井寺」の映像を素材とした解説。嬉しい偶然。

清水寺で、息子に会えるようにと願う母の姿。面の表情にその心理が凝縮されていて、シテの心のうちへと引っ張り込まれるような感じ。

友枝喜久夫さんは生の舞台を見たことがなく、それが残念でならない。


_________


立ち姿のこと-写真集「姿」井上八千代・友枝喜久夫-


立って静止しているだけの、その姿に惹かれてしまう、ということが時々ある。たたずまい、という言葉。

京舞、四世井上八千代さんと、喜多流能楽師、友枝喜久夫さんの写真集。白州正子さんの文章に吉越立雄さんの写真(求龍堂)。


能の友枝喜久夫さんは、型がほんとうに美しい。それなのに(それだから??)能には珍しいほどの情がほとばしる。

仕舞の写真は紋付袴なのですが、そのすうっとした立ち姿。なかでも「藤戸」が印象的。また、直面での「景清」が昔語りをする場面はすさまじささえ感じるほど。

そして娘を見送る後ろ姿の余情。
(こういう写真を見るとやっぱり「景清」は、文楽版よりも、娘を帰らせて自分は後に残る、というストーリーがいいなあと思います。)
http://www16.ocn.ne.jp/~kuriy/2002jun.htm


能舞台のある旅館めぐり


日本全国に、能舞台を持った格式高い旅館が数多あることをご存知だろうか?

この3月末、降りしきる雪の中を3泊4日の北陸旅行に出かけた。宿に着くと、白足袋に履き替えて舞台に立たせてもらい、足拍子を踏んだり小謡を謡ったりした。泊まった旅館は

和倉温泉加賀屋、
金沢深谷温泉石屋、
山中温泉よしのや依緑園

の3軒。石川は加賀宝生の土地柄、3軒も揃う県は他にない。この酔狂な旅は03年8月に始め、足掛け3年で全8軒に泊ったことになる。他の5軒を泊まった順に記すと、


03年8月

岐阜下呂温泉水明館、
長野昼神温泉石苔亭いしだ、
静岡修善寺温泉あさば、
渋谷のセルリアンタワーホテル、


05年7月
愛媛道後温泉大和屋本店。


旅館の能舞台は、一般の能楽堂と同じように2タイプ。舞台は庭・見所は座敷というのと、舞台も見所も屋内である。

屋外舞台は修善寺あさば、金沢石屋、道後大和屋の3軒だけ。真冬と真夏は厳しいが、私はこちらの方が好きだ。

宿代を気にしなければ、延宝3年(1675年)創業のあさば旅館が良い。100年前に深川富岡八幡宮から移築された、座敷やテラスから池越しに見る能舞台「あさば月桂殿」は群を抜いている。

年4・5回の定期能や狂言会のために手入れが行き届いているし、後方の竹林や鬱蒼とした樹木、夕方ともされる吊り灯篭も風情があって、世俗を忘れさせてくれる。七代目浅羽保右衛門氏は宝生流だったそうだが、八代目は観世友資師、十代目を継ぐ一秀専務は学生時代から観世暁夫(現銕之丞)師にと、その長い入れ込みぶりは目を瞠る。


寛政元年(1789年)創業の石屋は、七代目社長が大正6年(1917年)に設えたそうだから90年になる。宝生の派手さを嫌った素朴な造りである。用材のくさまき(能登檜)は水に強く、雪深い山奥の舞台に相応しい。普段は雨戸も閉めないため、すぐ側の山に棲む狸が舞台を走り回って腹鼓を打つらしい。泊まった日も、足跡がいくつかついていた。ここは、先に出来た室内の稽古舞台があり、力の入れようが半端でないことが分かる。現在、石屋九代目誠一氏は宝生流佐野由於師に師事。金沢市内から約10kmの、野中の一軒家のような宿には珍しい褐色の温泉が湧き出て、前田の殿様同様ゆったりした気分が味わえる。

明治元年(1868年)創業の大和屋本店は、10年前の96年、改築に合わせて4階の屋上に能舞台「千寿殿」を設えている。松山は高浜虚子の兄、能楽研究家池内信嘉氏の出身地だけに、能楽を地域の伝統文化にと思う気風が強い。喜多流金子匡一師に師事する奥村武久社長は、それを意識して造られたようだ。毎日、宿泊客に能楽体験サービスを熱心に行っている。

残りの五軒は、屋内の能舞台である。最新は、01年5月セルリアンタワーホテル地下2階にできた能楽堂。隣り合わせの料亭金田中の座敷から観ることもできる、200席ばかりのこじんまりした良い舞台であり、唯一のシティホテル能舞台である。着物を着た人々が行き交う大人の街にしたいと考えた、東急のまちづくり構想の目玉になっている。ここの浦潔館長は、金剛流の豊嶋三千春師に習っておられる。

昭和7年(1932年)創業の下呂温泉水明館は、60周年の91年に新館を増築した際、1階「石橋の間」に舞台を設えている。三代目滝多賀男社長のご母堂が観世流関根祥六師に師事していて、下呂の謡曲の会を主宰しておられた関係のようだ。00年頃までは年2回「水明館能」が催されていたが、今は各流派のお素人の会に使われたり、落語名人会や結婚式にも活用しているとのこと。庭に面した幅広のガラスを電動で動かせるのが自慢で、気候の良い時は薪能風にすることもできる。

昼神温泉石苔亭いしだは、2年前のテレビドラマ「温泉にいこう」のタイトルバックに出ていたから、ご記憶の方も多いだろう。中央道園原IC近くにあるこの宿は、昭和59年(1984年)創業と新しいが、4年後の88年、湯治旅館から今の純和風旅館に建替える際に能舞台「紫宸殿」を設けている。石田小夜子女将が観世流浅見重好師に習っていて、能「木賊」に出てくるご当地、園原に相応しいものということだった。大手門のような門をくぐり、玄関に入ると目の前に能舞台があって吃驚する。橋掛と3間四方の奥行が少し短いのが惜しい。柿落しは先代観世左近宗家が務められ、その後も春秋2回「いしだ能」があったが、ここも01年に中止になった。逸見貴子若女将のご亭主が京都の大蔵流茂山千三郎師に稽古に通われたせいか、最近は狂言会が定例になっているようだ。

明治39年(1906年)創業の和倉温泉加賀屋は、今年が100周年。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で連続25年1位を誇る、天皇・皇后が何度も泊まられた宿である。規模の大きさやからくり仕掛け、料理や調度、仲居さん達の接遇の素晴らしさには驚くが、こと能舞台に限っては物足りない。舞台構造を知らない設計者に任せたものと思われる。橋掛は1間、鏡の間や楽屋もないため、演能には向かない。空調設備の影響らしいが実に惜しいことである。目付柱や脇柱は取り外しができ、声の反響も良いので謡や仕舞は可能である。

最後は、山中温泉よしのや依緑園。この旅館は、何と建久元年(1190年)創業であり、800年以上が経つ。昭和42年(1967年)、宝生流を習っていた二十五代目社長が、8階建ての長生殿を建てる時、反対を押し切って最上階に能舞台「長生殿」と正面に見所を兼ねた大宴会場を設えている。当時、旅館の屋内能舞台は日本初であり、00年頃まで年3・4回、泊り客向けにプロの演能が行われていたそうである。二十六代目社長は宝生流山田太佐久師のお弟子であるが、今は、大阪音楽大学出身の元ミスユニバース、中曽根有希若女将がクラリネットリサイタル等に使用しているとのこと。淋しい話しである。

以上、加賀屋を除いて、誰かが習っていて造ったか、舞台があるから習っているという旅館ばかり。これからも大切に維持して欲しいと思うが、現在教えておられる先生やお弟子には、このような旅館に泊まって舞台を活用していただきたいと思う。いずれも部屋や料理、露天風呂、仲居さん達は素晴らしいの一語。謡い終わった後も、楽しめること請け合いである。

http://www.hinoki-shoten.co.jp/lesson/ryuyujiteki/nohbutai-meguri/


能が成立した頃は、神社や寺院の拝殿や屋外の仮設舞台などで演じられていた。

その頃の能舞台は基本的に屋外にあり、舞台を取り囲む、または向かい合う位置に作られた別棟の建物から庭を隔てて観る形が一般的だった。

http://www5.plala.or.jp/NATIVE/kyougenraisan/k-keifu/k-noubutai.html


 能と狂言は、能舞台という専有の演技空間を持っています。横浜能楽堂に一歩足を踏み入れるとすぐにお気づきのように、


客席に突き出た三間(約6メートル)四方の本舞台(ほんぶたい)と、向かって左に延びる橋ガカリからなること、

室内でありながら舞台上にも屋根があること、

橋ガカリ奥に5色の揚幕(あげまく)という幕があるのみで、観客と舞台を隔てるものがないこと、

枝振りのよい松が描かれた鏡板(かがみいた)が背景となること


など、横に広く長い日本の大多数の劇場とは随分違っているのです。能舞台は非常に特異な空間ですが、これは能と狂言の演技の本質に深くかかわっています。


 まず本舞台。この正方形の空間は、左右より前後の動きが演技の中心となっていることを意味します。足を一歩出す、一歩引くというほんのわずかな動作が、説得力に満ちた表現になるのです。客席に張り出す舞台では、役者の身体の前から背中まで、すべてが見えてしまいます。「動く彫刻」といわれるように、一分の隙も許されず、全身全霊の力を外に放つ気迫が役者に要求されます。


また能には神、仙人などの超人間的な存在や、あの世の者が多く登場します。人間の生身の肉体である素顔を使わず能面を用いるのはそのためですが、異次元の世界からこちら側へ渡って来るには、果てしなく遠い道のりを辿らねばならないのでしょう。その距離とエネルギーとを象徴するのが橋ガカリなのです。
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/98spr/001-2.html


橋掛かりとは、揚幕から本舞台へとつながる長い廊下部分のこと。

ここには、微妙な傾斜がつけられており、観客から見て遠近感が強く感じられるように設計されているそうです。

この橋掛かりを通って、シテは、揚幕から本舞台へと現れ、消えていきます。
それは、亡霊が現れては消えていく、能の物語そのものです。
まるで、橋掛かりが、あの世とこの世を結ぶ道のようです。
http://www.sense-nohgaku.com/noh/articles/whats_no/youhashigakari.php


橋掛りは、異次元とこの世を繋ぐ架け橋です。
http://www.ryosuikai.com/distript.htm

かつて能は、神社の拝殿や芝生の上や屋外の仮設舞台などで演じられていました。

現在のような整った舞台での演能は、室町時代末期から一般的なものになったと考えられていますが、それでも正式な能舞台はすべて屋外に設置されていました。

現存する最古の能舞台は、京都の西本願寺の北舞台です。西本願寺の北舞台の構造は、基本的には現在の能舞台とほとんど変わっていないところをみると、この形式になったのは、かなり早い時期であったと推定されます。

 近代になって生まれた「能楽堂」という劇場においては、能舞台は、かつては舞台とは別棟であった見所(観客席)や舞台と見所との隔てとなっていた白州ともども、すっぽりと建物の中にとり込んだような形、いわば屋外の能舞台を建物で覆った形に変わりました。これは、相撲の土俵を建物の中に取り込んだ国技館とも相通ずるところがあります。今日の能楽堂のように、舞台と客席とが一つの建物の中に収まった劇場形式になったのは、明治14年以降のことで、400年余の能舞台の歴史の中では、まだ新しいものといえます。                    
http://www.janis.or.jp/users/shujim/noubutai.htm

能舞台――叙述の空間 松岡和子


 能楽堂の中へ足を運ぶ。場合によっては入口で穿きものを脱ぎ、あるいは穿いたままで歩を進め、時には階段を昇り時には一階のレベルに続くロビーを抜け、客席に入る。

 能舞台がある。

 どこの能楽堂であれ、私は未だに能舞台を目の前にするこの瞬間に慣れることができずにいる。慣れない、なじまないというのだからこれは一種の違和感にはちがいないのだけれど、その時そこにある能舞台に対して感じるのは、言うまでもなく決して不快な違和感ではなくて、小さな子供ならば恐らく「あっ、おうちの中にまたおうちがある!」という言葉で表現するだろう驚きなのだ。

 いつまでたっても私は、能楽堂の客席に一歩踏みこむ度に小さく息を呑み、すがすがしい驚異の念に打たれる。実際の風雨にも十分に耐えられる堅固な瓦葺きの屋根と柱をそなえた眼前の建ものの中の建ものが、舞台装置ではなく舞台そのものだということに……。

 そして、この建ものはやがて、一夜の能曲の現れにつれて、舞台であり舞台装置であるという融合した場となり、演者たちが静かに姿を消したあとは、再びまた明るい虚空をたたえた舞台として残るのである。


 かつて能舞台の屋根は、本当に雨を受け雪をいただき、外気に触れていた。四季に見合った能曲が演じられる時、梅の季節には梅の香をのせた風が、紅葉の季節には紅葉の色を帯びた風が、能舞台にもそれと相対する別棟の観客席にも、その間に広がる白洲の上にも吹き渡っていただろう。しかし、


「おもだった能役者は自宅の屋内に稽古舞台を持っていたので、明治以後はそこで公開の催しを行うようになった。現在の能楽堂はこの稽古舞台が劇場化したもの」(平凡社刊『能狂言事典』)


だという。だが、能舞台が屋外からまるごと屋内にとりこまれた時、能そのものも徴妙に、そして根本のところで劇としての姿を変えたのではないだろうか。


 日本人でありながら、むしろ西洋演劇を遠い源とする劇やシェイクスピア、そして今日の小劇場演劇の方にずっと馴染んでいる私のような観客にとって、能はハナシそのものの荒唐無稽さは別にしても、そのフィクション性を強く意識させられる演劇形態だ。面をつけたシテと素面のワキが相対することといい、観客席の明るさといい、囃子方が劇中人物と同じ場に坐し後見が出入りすることといい、そこにはいわば「劇」への没入に水をさす一種の異化効果がある。「劇」はあくまでも演じられたものであり、イリュージョンであるということを演じる側も観る側も強く意識しているという意味で、能はメタシアターと言えよう(だが能の場合「劇中人物」にもその意識があるわけではないから、これはあくまでライオネル・エイベルの言うメタシアターの拡大解釈なのだけれど)。
http://www.hashinokai.com/journal/24/24-2-1.htm


 『葵の上』や『砧』といった「室内劇」もあるけれど、能曲は、山中とか野辺、あるいは古塚や川のほとりといった戸外を場とする作品が圧倒的に多いのではあるまいか。これには、専門的な視点から様々な説明が可能なのだろうけれど、本来の能舞台が屋外に建てられていて、「劇」が外の空気と季節にじかに触れ、融け合っていたことと無関係ではないと思う。

 かっては能舞台の屋根の上にも、観客席の屋根の上にも空があった。

 いま、能舞台はそれよりひとまわり大きな建ものの中におさめられている。だが、それが屋根をつけたまま丸ごとそこにおさまった時から、私たち観客の頭上に・広がる天井はただの天井ではなくなった。それは仮想の空になったのだ。つまり、観客席もまたただの観客席ではなく、仮想の外気が流れるフィクションの空間になったのである。
http://www.hashinokai.com/journal/24/24-2-2.htm


自然と共存した能舞台


 演劇の舞台形式として、三方吹き抜けの能舞台は、かなり珍しい形式といえます。江戸時代までは、略式の座敷舞台(室内設置)を除いて、江戸城のそれを正式の規格とする能舞台は屋外に置かれていました。観客は白州と称する空閑地を隔てて、向かいの座敷から見物したのです。

 昔の能は多くは日中の演能でしたから、格別の照明は必要ありませんでした。平安時代の貴族邸宅様式である寝殿造の庭(建物に接近した部分)に白砂を敷き詰めて余計な木々を植えなかったのと同様、一面に白石を撒いた白州は、反射光を舞台に取り込む必須空間なのです。

勧進能(家元役者主催の一般公開能)や町入能(町人を招待する江戸城の祝儀演能)などの祝祭的例外を除けば、白州は見物人を一切入れないことで機能するのです。もっとも、当時の能舞台は北向きを正式としましたから、取り込める光量としては知れたものでした。


薄暗い舞台の上で舞われる能を、10メートル以上も隔てた場所から眺めるのが将軍・大名の観能でした。


江戸時代の劇場照明

 このように自然の光と共存していた能舞台と異なり、劇場組織の発達していた歌舞伎芝居では、照明の発達はそれなりに進んでいました。特に、大坂の顔見世(旧暦11月に行われる、年間契約を結んだ役者の披露祝賀興行)は、江戸と異なり夜間興行を常としました。これは木蝋の原料となるハゼの木が東南アジアから渡来して普及、栽培が盛んになり蝋燭が多く流通する、江戸時代中期以降のことでした。が、和紙を芯とする和蝋燭は、現代の蝋燭に比べてまるで別物、驚くほどの煤(すす)を多く発し、折々は芯を摘まねば炎が衰えます。つまり、夜の芝居小屋は実に煙たかったのです。

夜の能舞台では蝋燭のほかに篝火などを使用、もっとも屋外ですから煙は出るものの多少この弊は免れますが、大敵は灯火を目当てに群がる虫。夏から秋にかけての夜能は、当然歓迎すべきものではなかったため、あまり行われませんでした。(薪能と称する夜間イベントが盛んになったのは古い昔ではなく、ごくごく近年のことです。)


明治維新と能舞台

 明治維新以降、能舞台は室内に置かれるようになりました。靖国神社境内に現存する能舞台は明治11年、芝・増上寺山内(現在の東京タワーの立つ場所)に設置された大社交場・紅葉館の舞台で、偉大な名人が技を競った記念碑的な存在ですが、これが室内能楽堂(そもそも「能楽堂」という呼称もこの舞台が初めでした)のハシリです(現況は屋外)。

ただし、室内に舞台が組み入れられても、演能の頼りは障子やガラス越しの外光でした。正式な番組は戦前まで能五番の長大なものでしたから、早い場合は朝の7時から始まり、日没には終演しました。むろん、外光に頼るためです。

したがって、春たけて日脚が伸びると、能・狂言の番数も少しはにぎわったものでした。大正時代以降、電気照明が当たり前のように能舞台に取り入れられてからも、その明るさを単純に喜びこそすれ、あくまで補助的なものだとの認識は消えなかったためか、あかりの効果は積極的には求められませんでした。


欧米の劇場と照明


  ヨーロッパのオペラでは19世紀中盤、グランド・オペラと呼ばれる、豪華なバレエや派手な舞台装置を組み入れた出し物が流行し、ここに当時普及し始めた電気照明が積極的に取り入れられます。とはいえ、開演中に客席の照明を落とす習慣は、実はそんなに古いものではありません。20世紀初頭、作曲家として有名なヴィーン帝室歌劇場監督のグスタフ・マーラーが断行したと言われていますが、起源はもう少しさかのぼるともいわれます。当時、劇場は社交の場であり、開演中も談笑の声が絶えず、次の間を控えた桟敷では食事や賭博が行われていたのですから、客席内を暗くしたのは、劇場を純然たる藝術鑑賞の場とするのがその意図だったのです。


能舞台でのあるべきあかり


 実態はどうであれ、建前上は端座して「拝見」するものとされた能は、照明の効果による粉飾を嫌い、「ありのまま」の真実を見せるものです。

最近は見所(客席)を暗くする能楽堂もありますが、わたくしは反対です。地肌の美しさを見るべき能に、溶暗による余計な雰囲気づくりは無用だからです。

それはかえって、生一本の気迫で臨む能役者の藝を衰えさせる遠因となるかもしれません。闇や影による日本の美意識をことさらに論じた谷崎潤一郎の名随筆『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』は、一面の文学的真実に過ぎません。能・狂言をそうした雰囲気だけで水増しするとしたら、その及ぼす弊害もまた大きいと言えなくもないのです。

 しかし一方で、能舞台に射し入る自然光の美しさ。これは取り戻さなければならないものだといえます。現在、東京圏の大きな能楽堂で外光が取り込めるのは、東中野の梅若能楽学院舞台のみです。今年の正月、祝典曲として重んぜられる〈翁〉を見ました。ふだんは閉じられている黒幕を除いて、陽光が豊かにあふれる舞台。伝説の能面作者・日光の作と伝えられる、国の重要文化財に指定されている白式尉(はくしきじょう)・黒式尉(こくしきじょう)の面が、外光に照らされてどれほどすばらしい表情を見せたことでしょう。

 能のような強靭な藝術では、人工が自然に及ぶことなどいくらもあろうはずはありません。人工照明でその価値を粉飾するのではなく、自然光の力を積極的に取り入れた室内舞台。これからの能楽堂に求められるのは、こうした「ありのまま」を見せるあかりと舞台のありようだと思います。
http://www.hino.meisei-u.ac.jp/nihonbun/column/vol-08.html


175. 中川隆[-12553] koaQ7Jey 2018年5月24日 10:58:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

修善寺温泉「あさば」_ 茶道の本当の目的


柔道、剣道、弓道、華道、茶道 何でも同じですが、日本人は仏教の悟りの過程を真似して中身の無い物を如何にも奥深い深遠な物に見せかけるのが得意なのですね。

本来、剣道、弓道は殺しのノウハウ、柔道は喧嘩のノウハウ、華道、茶道はもてなしのノウハウであって、それ以上の物ではないのです。道と付くものをやる人間はみんな知性も教養もゼロのアホばかりでしょう。アホだからこそ道だとか精神だとか言ってカッコ付けるしかないのですね。

それに悟りと言っても、大乗仏教や禅宗や密教では釈迦の悟りの意味を完全に誤解していたのですが:


禅宗は知識ではなく、悟りを重んじる。禅宗における悟りとは、生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付くことを言う。このため、唐代の祖師たちは苦闘を重ねながら悟ってきたのである。

しかし宋代以降、悟りを得るための多くの技法が考案されてきた。坐禅(瞑想とは異なる)、公案(知的な理解を超えた話を理解すること)、読経(お教を読むこと)、作務(普段の作業)などの修行を既に悟りを得た禅師の元ですることで、悟りが得られるようにメソッド化されてきた。

悟りは、ロウソクの火が、消えているロウソクに伝わるように(伝灯)、師から弟子へと伝わるとされる。それは言葉(ロゴス)による伝達ではない。それゆえに正しい禅師を選ぶことが肝心とされる。それは悟りを得ている事だけではなく、自分の個性に適合している禅師を選ぶという意味もある。しかしながら、悟りを得た禅師が指導して悟らせるのではない。師を持たずに悟りを得たゴータマ・シッダッタ(仏陀、釈尊)を持ち出すまでもなく、唐代の祖師たちは、師匠から教わって悟ったのではないのである。

悟りを言葉により定義することは出来ないが、言葉を始めとしていろいろな方法で悟りの境地を表現することはできる。そのため特に日本に伝わった後、詩や絵画を始めとした芸術的な表現の上に悟りが表現されており、その香りを味わうことができる。芸術以外にも、茶の湯や生け花を始めとした振舞いなどにも表現されており、振舞いをたどることによって、悟りの世界を味わうという手段も生まれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97

悟りへの道ー夢窓疎石の教えー

峯尾: 夢窓国師と言いますと、非常に優れた造園家で、沢山の庭園を造っており、目の前のこの天龍寺の庭もそうなんですが、禅宗にとって庭の意味するところというのは、どういうものなんでしょうか。

 
平田:  禅宗に必ず庭がなくてはいけないということはないのですが、一つの禅の芸術表現として庭があるということです。だから、禅の表現は庭園芸術だけではなく、能もそうであるし、茶道も明らかに禅から出ているわけです。そういう芸能の一つに庭園芸術はあると思います。ことに夢窓國師はそのような山水を愛し、愛でるということが好きだったようですね。


峯尾:  天龍寺以外で夢窓国師が造った庭ですが、まず、岐阜県多治見市の永保寺(えいほじ)。これは比較的若い時に造られたものですね。
 
平田:  虚渓山に入ったのは・・・
 
峯尾:  三十八歳ですね。
 
平田:  まだ若い。聖胎長養の真っ最中ですね。山中にあって池を造り、観音信仰をもっていたのでしょうか、観音閣というようなものを造るわけです。ずいぶん高いところにあるおぜん型の坐禅石もあります。その上で坐禅をしたのでしょう。
 
峯尾:  そして、天龍寺の比較的近くにある西芳寺(さいほうじ)、私どもは、「苔寺(こけでら)」と言っていますが。
 
平田:  夢窓國師は南陽慧忠(なんようえちゅう)(中国・唐の禅僧)という中国の國師に憧れ、彼をモデルにしているようなとこがあります。その南陽慧忠の有名な詩をとって、一つ一つ庭園に名をつけたわけです。「湘(しょう)の南(みんなみ)、潭(たん)の北(きた)」という詩句があって、「湘南亭」「潭北亭」という茶室がある。「中に黄金あって一国に充つ」というので、「黄金池」と言っているわけですね。
 
峯尾:  そして枯山水ですね。
 
平田:  向上関(こうじょうかん)。
 
峯尾:  滝を表している。

平田:  ええ。得ては捨て、悟っては捨て、ますます向上していくという意味で向上関というところがある。もともと西芳寺は浄土宗の寺で、改宗して禅の寺にしたのです。ここは先ほど言った聖胎長養の人だけを入れる場で『西芳遺訓』と称して、厳しい規則を作って、ここへ住んでいる人はその規則に従う、いわば厳しい悟後の修行の道場であったわけです。苔寺を造る時に、このような句を作っています。
 
     仁人自是愛山静   仁人(じんじん)は自(みず)から是(これ)山の静なるを愛す
     智者天然楽水清   智者は天然に水の清きを楽しむ
     莫怪愚惷翫山水   怪(あやし)むこと莫(な)れ愚惷(ぐとう)の山水を翫(もてあそ)ぶを
     只図藉此砺精明   只だ此(こ)れを藉(かり)て精明(せいめい)を砺(と)がんことを図(はか)るのみ
 
「砺(れい)」、これは研ぎ澄ますという意味なんですね。そこから「励精閣(れいせいかく)」というのを造っている。この偈頌がいわんとしていることは、「私が山や川のような山水を愛して庭を造るというようなことを、なぜそんなことをするのだという人がいるかもわからないが、それは言うことなかれ、怪しむことなかれ、そういうものを通して我が心を研ぎ澄ますためなのだ」ということです。怨憎(おんぞう)、愛欲、見たり、聞いたり、欲しがったり、貪ったりという心はどこから出てくるのか、そういう心の根源へと目覚めるためにやっているんだと。それが庭を造るひとつの方針になっているわけです。

 
上田:  心を磨く場として、夢窓国師は庭造りにいそしまれたと思うのですが、私が好きな言葉に、
 
     山水に得失なし
     得失は人の心にあり
       (『夢中問答』)
 
というのがあります。自然そのものの中に人間のありようを見出すということでしょう。

人間は常に損得を考えて行動する。自然と人間が一体化する、今の言葉で言えば共生ですね。ともに生きる。そういう思想が禅宗の庭園にあるのではないかと私は思います。禅宗の庭というのは観賞の庭より、まさに心を磨く庭だと思いますね。枯山水などもそうですし、曹源池(そうげんち)のように見事な池を廻遊する。廻遊式庭園というのですが、このような庭を造られる心ですね。

日本の文化というものは、室町時代の庭園に集約されているような気がします。庭園の文化は、勿論、中国、朝鮮の方から入ってきたものですが、最近飛鳥寺の南で飛鳥時代の大きな庭園の遺構が見つかり、もう飛鳥時代には日本独自の庭園の文化になっているんですね。京都には名園が多いですが、大体が室町時代のものです。いわゆる苔寺、すなわち西芳寺にしても、鹿苑寺金閣にしても室町時代でしょう。大徳寺の大仙院の庭もですね。これはまさに日本の文化を集約している。そういう日本の庭園文化の基礎を夢窓国師が作られたと言えると思います。

 
峯尾:  上田さんは庭を造らせた夢窓国師だけでなく、実際の庭師の方たちのこともおっしゃっていますね。
 
上田:  ええ。夢窓国師は勿論設計されたでしょうが、忘れ易いのは、「山水(さんずい)の河原者(かわらもの)」と呼ばれた人びとのことです。彼らは身分も低くて、差別された人びとですが、そういう人たちが庭造りに加わっているんですね。時代は下りますが、銀閣寺のあの名園も、そのオーナーには足利義政がいるのですが、実際には善阿弥(ぜんあみ)という庭師が造るわけです。ですから、夢窓国師の庭の背後に、そういう「山水河原者(さんずいかわらもの)」と呼ばれた人びとが加わっているということも忘れてはならないと思います。
 
 
上田:  高僧なりのあり方についてですね。深山幽谷にこもって悟る、もちろんそれは大事なことですが、その教えを世俗に広める、民衆を救わずして何の宗教だという考えが私にはあります。そういう意味では夢窓国師の行われたことは、今の世にも学ぶべきものが多いと思います。特に、乱世でしょう。乱世の中で、敵味方を乗り越えて、教えののあるべき姿を説かれたというところに魅力を感じますね。
 

 
平田: 最近の宗教学者は、「純粋禅」なんていう言葉を使うが、そんな言葉を誰が作ったのかは知らないが、純粋に拘ったら、そんなものは禅じゃない。やはりいろいろなものを包み込んで、それを自家薬籠中のものにしながら、禅をあたためていくところが本当の一流の禅。

人を見たら一喝をはいたり、一棒を叩いたりして、禅ぶるというのは本当ではないんです。この点は頂相(ちんそう)をご覧になっても、夢窓国師は私なんかと違って、痩せ型で、口元を見ても慈悲に満ちた口元をしておられる。あの人こそ純粋な日本人で、純粋に一流人であると私は思う。和歌も巧みでしたしね。だから、「宋直入の禅ではない」とも批判される。非常に日本化した禅というものを広めた方だと思っております。
http://www1.kcn.ne.jp/~hk2565/kokoro-262.htm

茶道は修行であり、稽古にひたすら励むことで悟りを得ることが出来ると師匠からも教えてもらって、確かに色んなことが分かるようになってきた。点前の所作を通して生まれる『何故?』を考えたり、師匠に言われたことを咀嚼しきれずに抱えたままの状態で月日を重ね、ある時急にその言葉の意味が分かるようになったり。

けど、悟ったり、理解が深まったりというのは、あくまで自分目線で世の中の仕組みを『世の中こうなってるんだよ』と思慮深い顔で語っても だから、この世界の真ん中でどうやって生きていけば良いのかという答えは導き出せない。
それを茶道を通して人に伝えて行こうというのだから尚更難しい。
http://torianchado.sblo.jp/article/53284658.html

茶道・禅・スノビズム

 茶の湯は禅宗より出たるに依りて・僧の行を專にする也。珠光・紹鴎、皆禅宗也。(『山上宗二記』)

 茶の湯と禅の結び付きは、利休の高弟、山上宗二の言葉を引用するまでもなく、よく知られていることである。抹茶の風味・茶人の立ち振る舞い、侘びた茶室の佇まい等々、禅宗のストイックな雰囲気は茶の道のいたる所に看取できる。禅的であると同時にそれは、日本的という言葉もふさわしいと言えるだろう。

 しかし、現象的な面だけではなく、思想的な面でも茶と禅を強く結び付けることは可能だろうか? 茶を一杯飲むだけのために必要とされる、覚え切れぬほどの煩項な点前。「数寄」の名のもとにくり広げられる、かくあるべき価値体系。これらは茶道を特徴づけるものではあるものの、果たして、禅の精神に沿うものなのだろうか? 

たしかに、禅宗の寺には「規矩」と呼ばれる細かい規則があり、食事の仕方から草履の上げ下ろしに至るまで正しい作法が決められている。その意味では、「点前」と「規矩」の類似性から茶道の細かい決まり事も、禅と無関係ではないと言うことはできるだろう。だが、それにしても、現象的な共通点以上のものではなく、思想的な裏付けがあるわけではない。

 逆に、禅宗を含めた仏教が目指すのは、いっさいのとらわれやこだわりをなくすことではなかっただろうか? 

法外な値段で売買されてきた茶器はまさに欲望(煩悩?)の対象であるといえるだろう。そして、茶道の美意識とこだわりの体系は、すべてを超越した悟りの意識の前ではどれほどの価値をもつのか? こうしてみると、茶道と禅の関係は極めてあやういものに思えてくる。


 ロラン・バルトは禅と言語についてこう語っている。

 禅において《悟り》と名付けられているもの、これはおそらく、言語の空おそろしい宙吊り、わたしたちの内なる「記号列」の支配を追い払う空白、わたしたちの人となりを構成する内的詠誦の割れ目にほかならないのではなかろうか。この無言語の状態が一種の解放であるのは、二次的思考(思考についての思考)の増殖・あるいは余分な表徴化作用の行う終わりのない補足−−つまり言語そのものがその行い手であるとともに規範である悪循環−−これが仏教的体験を閉塞するものだからである。逆に、二次的思考の廃絶こそが、言語の悪しき無限をうちくだく。これらの仏教体験の一切において、たいせつなのは、言語をいわく言いがたいものの神秘的な沈黙のもとに押しつぶすことではなくて、言語に「見切りをつける」ことなのであり、たえず象徴が執念ぶかく事物にとってかわろうとする働きを独特の旋回運動のなかにまきこんで、表現へと導いてしまう言葉の独楽を停止させることなのである。要するに、そこにおいて攻撃の目標となるのは、意味論的作業としての象徴なのである。
(ロラン・バルト『表徴の帝国』)

 フランスの記号学者バルトが言っているように、禅の目標とすべき地点は「言葉を停止させる」ことであるといえるだろう。この場合の「言葉」とは我々が口に出し・読み・書く記号だけを表しているのではあるまい。ソシュールが提唱した記号学が音声記号だけでなく・広く文化一般を対象としたように、禅が停止させるべき意味はすべての価値体系、すべての文化体系に広がるはずである。

 そのことは、禅の「以心伝心、不立文字」という教えの中にも見ることができる。《悟り》の経験というものは経典などの言葉で伝えることはできない。逆に悟りを言葉でとらえようとすればするほど、いわゆる「悪循環」に陥ってしまう。それを手に入れるには(それはもちろん、容易なことではないのだが)、記号の持つ意味作用を宙吊りにすることが不可欠だということである。

 一方、茶道を記号論的な観点から解釈するとどうなるだろうか。いくつかの茶書から、茶書の特徴と言える部分を引用してみる。


名物の釜

一 平蜘蛛  松永の代に失す。宗達平釜、藤波平釜、弐つ。但し此の三つ釜は、当世在りても用いず。
一 紹鴎小霰釜 水弐升の上入る。信長公より宗二拝領して、後に関白様へ進上す。
一 乙ごぜの釜、関白様に在り。
  此の釜、信長公より山上宗二拝領し、関白様へ進上す。
(以下、項目続く)(山上宗二 『山上宗二記』)


客人類

一 客になりて座敷へ入る事、上座入は、上座の分の障子をあけ、次に下座のほうをあけ、下座入は、先ず下座の方をあけ、後に上座の方をあくべし。さて、縁より床ならびに勝手へ目をくばり、気を閑めて座中へ入るべし(以下項目続く)   (真松斎春渓『分類草八木』)


一 数寄と云う事、何れの道にも好み嗜みを云うべし。近代、茶の湯の道を数寄と云うは、数を寄するなれば、茶の湯には物数を集むる也。侘びたる人も風炉釜・小板・水指・水翻・蓋置・茶入・茶碗・茶筅・茶杓・茶巾・囲炉・自在・炭斗・火箸・花入・画・墨跡・葉茶壺・茶臼等を集むる也。諸芸の中に、茶の湯ほど道具を多く集むる者これ無し。(同上)


 これら茶書のありかたは、現代のカタログやマニュアルとほとんど同じものと考えてさしつかえあるまい。南坊宗啓が書き残したといわれている『南方録』にも曲尺割(かねわり)と呼ばれる、道具の置き方の非常に細かい法則がイラスト入りで描かれている。これらのありさまは、あたかも昆虫の図鑑か、語学の文法書にも似て、茶の道の文化体系の網の目の様子を示している。

 徹底した様式化とその反復、そして、反復による様式のさらなる洗練。茶の湯の文化は、武道や芸能と同じように、コジェーヴの言う日本的スノビズムの様相を呈している。この饒舌な姿はそのままでは《悟り=言葉の停止》と縁があるとは言えないだろう。

これらのスノビズムと禅の間に関連があるとすれば《悟り》そのものにおいてではなく、そこに至るまでの過程においてではないだろうか。先にも述べたとおり、禅寺での修行僧の生活が事細かに規則によって規定されていること。そして、日本曹洞宗の開祖、道元が「只管打坐」と伝えるように、ただひたすら座禅を反復し、打ち込むこと。これらはいずれもそれ自体は《悟り》そのものではなく、あくまでも《悟り》に至るための過程である。

このように、茶道をはじめとする日本のスノビズムの文化は禅の精神そのものというよりも、禅の形式の引用といったほうがよいのではないだろうか。

 茶道をはじめとする日本のスノッブな文化は、禅の《悟り》そのものではない。だがそれは、茶道では禅の修行にはならない、ということではない。「仏法を以て修行得道する事也」(『南方録』覚書)といわれるように、茶道が《悟り》に至る過程を引用しているものならば、それをたどって大悟する可能性もある。また、それは茶道に限ったことではなく、唐の普化禅師を開祖とする普化宗では、吹禅と称して尺八を吹くことを修行とした。さらに、道元が宋に渡った時に年老いた典座(食事係)との問答で理解したことは、禅者にとって本来雑用はひとつもなく、すべてが仏道の実践であるということであった。

つまり、食事を作ることでも、掃除をすることでも、それが何であろうと《悟り》に至る可能性はあるということだ。
http://homepage2.nifty.com/k-katsunori/sadou.htm

まあ、禅で悟りを得た名僧は一人も居ないですし、まして茶道で悟りを得られる筈も無いのですが、元々、千利休は茶道の精神はどろどろとして浅ましい世俗的欲望を隠す為の建前だというのを前提にして、形式だけを整えて茶の湯の儀式体系を完成させたのです:


『千利休』

一般に彼の名は茶道の大成者として世に知られている。別にその事自体が間違いではないが、同時に『当代随一の茶人』の称号が皮肉な事に彼の本質を消し去ってしまっている気がする。

彼は江時代の文化人の様に芸の道一筋に打ち込んでいた訳ではなく、むしろどろどろとした政治や商売の世界に棲息していた『政商』とも言うべき立場の人間である。

彼が堺の豪商の息子としてこの世に生を享け、物心ついた西暦1530〜1540年頃は古い価値観が地響きを立てて崩れ落ちつつも未だに一定の権威を所有していた『不確実の時代』であり、そんな時代にあって上流階級の人々が嗜んだのが茶道であった。茶の湯を楽しむ趣味自体は奈良・平安時代から存在していたが、それは静寂な茶道のイメージとは異なる多分に猥雑なものだった。そんな流儀は人間の浅ましい欲と付き合う連中の支持は得られず、彼等が志向したのは閑静な環境で定刻に遅れた者は追い返す厳しい礼儀の下で行われる『茶数寄』であった。


この様に現世からの煩わしさから逃れる趣のあった茶数寄だが、嗜む連中自身が金と暇と権力を持て余していた為(全てを所有している人物はごく限られていたが)権力者との接触は避け難く、次第と本来の目的から逸脱していく。

例えば徹底した唯物論者であった織田信長は茶の湯本来の『わび』『さび』への価値は認めなかったが、付帯価値とも言える『社交場兼密談』としての茶道を認めていた。

その様な状況の中で幾何・音楽等の南蛮文化に詳しく刀・書画の鑑定眼をも併せ持つ持つ田中与四郎は『千宗易』として信長に接近、彼の要望に合わせて伝統的な概念と斬新な新発想を巧みに纏め上げる事で信長の周囲にいる胡散臭い連中に一堂に会せるだけの共通の価値観を与える事に成功、この功績をきっかけに『利休』の称号へと近付いていく。

一般に我々が『利休』と呼んでいるのは単なる号ではなく1586年に朝廷から下賜された居士(こじ)号である。
理由は『禁中茶会』を開く為とされたが無論それだけではない。
これは秀吉から宗易への目に見えぬ彼の功績への褒美であった。

周知の通り本能寺の変を契機とした政治的混乱を巧みな手腕で鎮圧した羽柴秀吉は『偉大な主君』織田信長の遺産を殆ど全て相続したのだが、その統治体制には大きな問題点があった。元々農民からの成り上がりである秀吉には譜代の家臣など存在する訳も無く、戦にせよ(人たらしの彼は調略の方を好んだ様だが)領地の統治にせよ、実弟の秀長が補佐役としてかなりの部分をフォローしていた。

数カ国を預かるサラリーマン大名としてならそれでも問題ないが天下を預かる中央政権としてはきちんとした政権機構は必要であった。言葉を変えれば単なる行政手腕だけではなく、万人を納得させるだけの政治理念を持つ人材が秀吉自身も含めて羽柴家には存在しなかった。

単に力があるからとか勢力があるから天下が治まる程世の中は甘くはなく、秀吉は強大な外敵と戦う間にも内部の難題にも取り組まねばならなかった。石田三成に代表される子飼いの官僚達にその様な器量はない。

彼が急激過ぎる程の膨張への対応策として選択したのは堺の大商人を『社外重役兼相談役』として招聘する手段だった。こうして信長政権下では『有力茶頭』の一人に過ぎなかった千宗易は天下第一の実力を持つ『千利休』としてその名を天下に轟かせる。

だが秀吉と利休の蜜月は決して長い年月ではなかった。大阪城築城とそれに伴う城下町の発展は堺の衰退を招来し、指折りの大商人であった利休も派手な外聞とは異なり内実は必死で金銭の工面を執り行う。そして彼の力を借りて天下を統一した豊臣政権は有り余る武力と経済力を吐き出す為に国内志向の強い堺よりも海外志向の強い博多への結び付きを強めていく。

表向きは『不敬の振る舞いが多かった』だの『関白との芸術観の違い』故とされる利休の末路はどろどろとした豊臣政権内部の
抗争の一端に過ぎなかったのである。
http://www6.tok2.com/home/temjin/rikyuu.html

千利休は武器商人   JUST-IDEA 12/03/03

日本における武器商人の起源について学んでいます。茶人千利休は、堺銃、及び火薬の営業マンだったようです。戦国の世において、茶室は、商取引の場、或いは、接待の場として利用されていた可能性もあります。そう捉えると3人の天下人に仕え、非業の死を遂げた利休の生涯にも裏の史実がありそうです。


■歴史を変えた堺銃
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_kokusai/asia_sea13.html

堺商人は、薩摩から種子島などを経由して琉球へと往復していたので、鉄砲の伝来をすぐに知ることができ、その製造技術を堺に持ち帰りました。それを見てすぐに模造品をつくる高い技術を、堺の職人たちは持っていました。

戦国大名の多くは、この新兵器に注目し、堺へ続々と注文を出しました。これらを引き受けることができたのは、現代の総合商社のような役割を果たしていた堺商人が、職人たちを組織し、「部品互換方式」(部品の大きさをあらかじめ決めておいて、別々に作っても製品として組み立てることができるため大量生産が可能になるものづくりの手法)を開発するなどして、鉄砲の大量生産に成功したためです。

有名な茶人である今井宗久や千利休らも、鉄砲の製造取引や硝石の貿易で活躍した商人でした。


■千利休
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic21.html

活力に湧く自由都市・堺に信長が目をつける。信長は圧倒的な武力を背景に堺を直轄地にし、軍資金を差し出させ鉄砲の供給地とした。

信長は堺とのパイプをより堅固にするべく、政財界の中心にいて茶人でもあった3人、今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)、利休を茶頭(さどう、茶の湯の師匠)として重用した。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=261886

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茶の湯と倒錯文化(1)


侘び茶とは、中世の堺で武野紹鴎や千利休によってはじめられた茶の湯文化です。

形成された初期の頃には、いまだ「侘び数寄」などと呼ばれていたらしく、侘び茶と呼ばれるようになるのは江戸時代になってからです。つまり、後の世に武野紹鴎や千利休が実践していた茶の湯の様式のことを、侘び茶と呼ぶようになったというように順序に逆転がみられます。以下では、武野紹鴎や千利休の実践した茶の湯のことを、便宜的ですが通俗的な呼び名として「侘び茶」に統一することにします。

侘び茶は、数寄物といわれた堺衆の武野紹鴎や千利休によってはじめられたとされています。

武野紹鴎や千利休は、唐物の天目茶碗にみられるような品質の高い工芸品などよりも、むしろ実用品とされた高麗茶碗や呂宋壺を重用することになります。また、公家文化の茶の湯では使用されることがなかった竹細工を茶席の中に用いるなど、茶の湯そのものを革新的な試みによって実践していくということになります。

このような、茶の湯は、おそらくは当時においては風変わりな(数寄物)ものとして写ったのではないでしょうか。このように風変わりな(数寄物)茶の湯が、時の堺の権力者である三好長慶や松永久秀、織田信長の目にとまることになり、庇護をされることになります。

風変わりな茶の湯である侘び茶は、やがて権力者の周辺で権威ある社交手段として認識されるようになります。このことで、侘び茶の持つ社会的価値は増していくことになるのですが、それとともにその指南役であった武野紹鴎や千利休ら堺衆の権威も増していくということになります。

では、なぜ時の堺の権力者が、このような倒錯した文化ともいえる侘び茶に対して高い評価をすることとなり、指南まで受けるということになったのでしょうか。

そもそも茶の湯は、貴族や大名の間だけで行われていた、公家社会の社交文化のひとつであったとされています。茶の湯が一般大衆にまで広まることになるのは、江戸時代も中期以降のこととされています。従って、千利休らの堺衆が風変わりな茶の湯である侘び茶を広めることになる対象とは、一般大衆ではなく、戦国大名などの時の権力者たちであったということになります。


茶の湯と倒錯文化(2)


戦国時代は、律令制の持つ秩序や旧来からの価値が崩壊してしまった時代であり、秩序と価値の大転換期にあたるといえます。朝廷や幕府の権威も地に落ちてしまい、諸国の兵(つわもの)がのし上がっては、つぶされていく弱肉強食の下剋上の時代でした。絶対的に信用できるような秩序や価値は、もはやどこにも存在せず、先が見えないということでは、現代社会にも通じるものがあるのかもしれません。

このような下剋上の時代にあっては、既存の秩序を破壊し、新しい秩序を構築するということが、すなわち天下をめざすということにもなってきます。既存の秩序の破壊という時代精神を持担った戦国大名が、侘び茶の持つ既存文化への反逆性に対して共感を抱き、高く評価することになるのは自然なことであったのかもしれません。つまり、倒錯文化としての侘び茶が、価値の逆転を目指す戦国大名により、親和的な文化として受け入れられたということになります。

それでは、そもそも武野鴎紹や千利休がはじめた侘び茶が、公家社会の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として、強い反逆性を帯びることになるのはどうしてなのでしょうか。

千利休は「ととや」とよばれた納屋衆(倉庫業)であり、屋号からは鮮魚を扱う商人であったとされています。そして、千利休の侘び茶の師匠であった武野紹鴎は、武器商人とも皮革を扱う問屋ともいわれており、時の堺の支配者であった三好長慶などとも武器商人として交流があったとされているようです。また、千利休についても、三好長慶や松永久秀との茶会での交流の記録が残されていることから推測すれば、おそらく武野紹鴎と同様に茶人としてだけではなく、商人としても時の権力者たちと接触していた可能性が高いと考えることができるのではないでしょうか。

そして、時の権力者である戦国大名からの信任を得るために、なにより必要とされた才覚は、より多くの武器を商うということであり、権力者の布武による覇権にいかに貢献できるかということであったと考えられます。武野紹鴎と千利休が、このような商いを通じて、時の堺の権力者から大きな信任を得ていた可能性については、あながち否定できないことではないでしょうか。

茶の湯と倒錯文化(3)

武野紹鴎や千利休が武器を扱う商売をしていたとすれば、両人が武具の生産にとって必需品とされる皮革を扱う職人とも交流があったことは、推測できるところです。皮革の生産を生業とする職人や屋号の「ととや」から推測できる漁労を生業とする職人が、当時の日本の支配的な宗教観であった死に対するケガレや仏教における殺生戒などから、特別視されていたことや賤視されていたことは考えられることです。

職業が、いまだ身分制度としては固定化されておらず、流動的な時代であったといえますが、その生業が先のような宗教観から畏怖や賤視の対象になっていたということについては、網野善彦氏など多くの研究者によって言及がされているところです。

武野紹鴎が武器を商っていたとされるように、千利休も同様な商いをしていた可能性については先にも触れました。両人が、時の堺の権力者から信任を得ていたということは事実であり、権力者を相手に商売で利益をあげていた可能性は十分に考えられることです。そして、現在においても、武器商人は平和のかく乱者として疎んじられています。

もし、武野紹鴎や千利休が、武器商人として利益をあげていたら、おそらく当時の堺の町衆は、両人のふるまいをにがにがしく思って眺めていたのではないでしょうか。宗教的な禁忌品を商いするだけではなく、これを武器に転用し、時の堺の権力者と取引をしていたとすれば、堺の町衆である世間の目は、両人を、おそらく、ねたんだり、賤視したり、そして特別視するということになったのではないでしょうか。

武野紹鴎や千利休が、このような世間からの特別視や賤視というものを経験していたとすれば、おそらくその心理状態は抑圧的なものであったと推測することができます。侘び茶が形成される背景には、このような創始者の抑圧心理というものが、大きく影響していた可能性があることについて指摘できるのかもしれません。

武野紹鴎や千利休が、世間からの特別視や賤視からの抑圧心理を共有していたとすれば、侘び茶は抑圧心理がもたらすことになる、反逆性を原因とした倒錯文化ということになります。つまり、既存の宗教観や文化的秩序からもたらされるコンプレックスは、自我の防衛機制として、いったん抑圧されてしまうことになります。

しかしながら、抑圧されたコンプレックスは、自我のバランスを維持するために、旧来の既存システムに対する強い反逆性として出現してくることになります。そして、出現した反逆性は、価値の逆転という倒錯性を伴うことにもなります。このような反逆性は、戦国大名が下剋上の時代にあって既存の価値を否定しながら、新たな秩序と価値を構築しようとした反逆性と、その方向性がとても似ているといえそうです。

茶の湯と倒錯文化(4)

武野紹鴎とその弟子の千利休は堺の南宗寺で侘び茶を始めたとされることから、侘び茶と禅宗との関係については従来から指摘がされているところです。この関係については否定できるものではないと思われます。しかしながら、この論考では、ひとつの仮説として、武野紹鴎と千利休を取り巻く社会的背景が抑圧的なものであったことを想定し、両人が伝統的な茶の湯の権威を認めながらも、一方で旧来の文化観や宗教観を破壊することになる侘び茶に傾倒した深層心理の視点から考察することとしております。

抑圧心理は、反逆性(倒錯性)という心理状態を出現させることになります。

侘び茶が、抑圧されたコンプレックス(複合的心理)によって生み出された倒錯文化ということであれば、このような倒錯文化を共有できるような心理的背景を持つ人は限られていたといえそうです。つまり、誰もが同じように抑圧心理を背負いながら暮らしていたわけではないということです。従って、侘び茶は、草創期においては理解されるということは少なく、比較的小さい規模の人たちによって始められた趣向のひとつであったのかもしれません。このことからすると、侘び茶は、既存の茶の湯文化に対するカウンターカルチャー(対抗文化)として位置付けられることになります。

侘び茶が、カウンターカルチャー(対抗文化)ということであれば、その本質は旧来からの世間の持つ宗教観や文化観への反逆性ということになるのが自然といえそうです。つまり、侘び茶は、既存の公家文化である茶の湯を憧憬しながらも、一方では既存の茶の湯も持つ権威に対する反逆性から生み出されることになった倒錯文化ということになります。

戦国時代は、社会の秩序や価値が崩壊してしまった時代でした。時の権力者は、旧来からの権威や価値を利用しながらも、その必要性がなくなれば迷うことなく破壊する行動様式(エトス)が主流の時代であったといえます。侘び茶は、このような時代にあってはじめて成立することができた文化といえるのかもしれません。つまり、下剋上の時代精神が背景となり、侘び茶の持つ倒錯文化が熟成されていくことになったといえそうです。


茶の湯と倒錯文化(5)

第2章 侘び茶とコンプレックス

戦国大名の中でも松永久秀や織田信長は、朝廷や幕府、そして宗教などの旧来からの権威を認めなかったことについては、よく知られているところです。また、松永久秀や織田信長は、旧来からの権威の破壊者として、戦国大名の中でもひときわ異才を放つ存在といえそうです。下剋上という戦国時代を勝ち抜くためには、旧来の権威を利用するだけではなく、むしろその権威を超越していくことが、新たな支配者に求められた能力であったといえるのかもしれません。従って、戦国の世の支配者となるためには、旧来の権威を破壊するということが求められていたということがいえます。

しかしながら、未だ呪術的な世界観が支配的であった中世の世においては、朝廷や宗教という既存の権威を破壊するという行為は、畏怖の感覚からすれば、大罪として認識されるということが一般的な感覚であったと思われます。従って、旧来からの権威を何らかの形で利用しようとした支配者は多かったものの、実際には秩序と権威を破壊することまでできた支配者は、戦国の世でも一握りの人たちであったといえるかもしれません。

このような戦国大名にとって侘び茶の持つ倒錯文化の反逆性は、既存の政治的権威である朝廷や幕府を否定することにもつながることから、戦国大名が戦略的に侘び茶に内在する政治性を利用したことは考えられることです。侘び茶に見られるような、価値がないとされたものを高く評価することや価値があるとみなされていたものを躊躇なく破壊するなどの反逆性は、戦国大名が下剋上の時代を生き抜くために日常的に試みていた戦略といえるのではないでしょうか。

松永久秀や織田信長は政治的秩序の破壊者であり、同時に新たな政治的秩序の構築者であったということができます。そして、松永久秀や織田信長が、倒錯文化としての侘び茶を政治的な戦略手法として利用したことについては、千利休ら堺衆が重用されたことからも説明できることといえます。一方、侘び茶の持つ既存の秩序への反逆性とは、公家文化への羨望の裏返しでもあったことについては同時に押さえておかなければならないことと思われます。

茶の湯と倒錯文化(6)

このような両義性は、侘び茶のみならず下剋上の戦国大名にも内在していた心性ということができます。侘び茶と戦国大名が結びつくのは、おそらく侘び茶に内在していたコンプレックス(葛藤)が戦国大名のコンプレックス(葛藤)に共鳴したと考えられます。これはユング心理学のコンプレックス仮説である「コンプレックス(葛藤)はコンプレックス(葛藤)に共鳴する」にあてはまります。

むろん、侘び茶に内在するコンプレックスが形成されるのは、その創始者である武野紹鴎や千利休が自分自身のコンプレックス(葛藤)を抑圧したためということです。そして、松永久秀や織田信長の抱いたコンプレックスは、下剋上という時代精神によって形成されたものですが、結果として武野紹鴎や千利休の持つコンプレックスに対し共鳴していくという形になったのです。


今一度整理しておきます。

侘び茶においては、唐物のような豪華で質の良い茶器は重要とはされずに、むしろ実用品として大量に生産されることになった形のいびつな茶器が、高い価値があるものとされることになりました。

また、漁師が使用する魚籠などの竹細工が、伝統的な高品質の磁器などよりも価値のあるものとして茶席に飾られることになりました。

このような倒錯した文化は、確かに既成の価値観にとらわれない革新的なものの見方への飛躍ということがいえるのかもしれません。しかしながら、旧来の価値が創造されるまでのプロセスを十分に評価したものとはいえそうにはありません。要するに、誰もが共有できる価値(普遍性)にはなっていないということです。従って、侘び茶の持つ倒錯的価値とは、選定する者の恣意的な評価基準に依拠することになってしまうため、どうしても曖昧な価値基準が残ってしまうことになります。つまり、侘び茶がなぜ素晴らしいのか、なぜ美しいのかという美意識が、恣意性を帯びたものになってしまうということです。

これは、侘び茶の美意識が、当時の日本人の自然な感覚からすると、かなりずれたものになっていることを推測させます。おそらく当時の日本人の標準的な価値基準(文化)ではなかったといえそうです。このことからすると、草創期の侘び茶は、倒錯した美意識を共有できるような限定された範囲において成立していた特殊な文化(価値観)ということになるのではないでしょうか。


茶の湯と倒錯文化(7)

論考の最初の問いにもどることになりますが、侘びや寂は果たして日本人の美意識となっているといえるのでしょうか。

いままで見てきましたように、侘びや寂が倒錯した文化であるという特徴からすると、人間の持つ感性に対してストレートな価値観というよりも、むしろ屈折した価値観といえるかもしれません。つまり、侘びや寂は日本人なら誰でも共通感覚として持つことができる普遍文化というよりは、むしろ特定の集団の特殊性を伴った文化ということになるのではないでしょうか。

従って、侘び茶の侘びや寂の本質を理解しようとするのであれば、その価値が形成される過程まで遡るという必要があるのかもしれません。そして、価値の倒錯を引き起こすことになった、戦国という特殊な時代背景や社会背景というものを理解する必要があるのかもしれません。このように侘びや寂が特殊な時代や社会を背景として形成された文化なら、日本人であれば誰でも同じようにその価値が共有できるという普遍的な側面は否定されることになり、むしろ倒錯文化としての特殊性が強調されてくるということになります。

千利休は、侘び茶の創始者であったがゆえに、侘び茶の持つ特殊性、つまり価値の恣意性を独占することができたのかもしれません。そして、価値が恣意的であったがゆえに、千利休の権威は政治的に利用されることにもなったのかもしれません。このため、さらに上位にある権威から、千利休の権威(政治性)が否定されてしまうと、侘び茶の持つ価値も衰退するということになってしまいます。侘び茶が、千利休という特殊性(政治性)に依拠していたがゆえの結末といえるのかもしれません。これらのことからすると、侘び茶は、それ自体が自律した(思想性のある)文化というよりも、特殊性ゆえの愉悦性、あるいは恣意性ゆえの脆弱性というような、どちらかというと寄生的な倒錯文化ということになるのかもしれません。

また、侘び茶では、装飾的な茶器よりも、むしろ実用的な茶器を重視したという特徴から、侘び茶が、「使用的価値」に重点をおいていたように思われることもあるようです。しかしながら、実際にはその実用的な茶器に破格な価値や値段がつけられたことからも分かるように、千利休が選定した「利休ごのみ」というものが、ひとつの「象徴的価値(ブランド)」になっていたということになります。
http://kkmessage.exblog.jp/tags/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91/

茶の湯と倒錯文化(8)

象徴的価値とは、ブランドのロゴなどにみられるような価値のことであって、その価値が共有できている人にとっては権威や権力を象徴することになります。つまり、茶器などの「名物」を所持しているということが、権力者の象徴にもなるということです。このように、侘び茶の持つ社会学的な意味は、侘び茶に実用性を重視するような使用的価値が重んじられていたものではありません。むしろ、旧来の公家文化の茶の湯と同様に権威や権力の象徴的価値を重んじる記号的意味が重視されていたということになりそうです。

この点からすると、旧来からの茶の湯と侘び茶には大きな相違はないということになります。しかしながら、侘び茶は、権威への羨望や憧憬というコンプレックス(葛藤)を抑圧したことによって、旧来の価値基準が倒錯した形で出現することになったものでした。つまり、侘び茶とは、創始者の武野紹鴎や千利休のコンプレックス(葛藤)が引き起こした倒錯的価値ということであったわけです。そして、そのような倒錯的価値は、当時の日本人の感覚からすれば、おそらく普遍的な感覚とはいえず、千利休の権威によって支えられていた特殊な象徴的価値であったということになります。

千利休が削ったとされる茶杓(ちゃしゃく)がいくつか残っています。しかしながら、これらを別の茶人のものと比較して、美的に、技術的に明確な区別をすることはおそらく無理ではないでしょうか。そこに差異を認めるとすれば、それはかつて千利休が選定したという歴史的意味だけになると思われます。つまり、侘び茶がもともと内在させていた倒錯文化の持つ反逆性や政治性という本質は、モノや作法という様式からは消失してしまうということになるということです。

現在まで続く茶道は、千利休がいったん廃絶された後に、再興されたものであって、侘び茶の流れを汲むものといえます。しかしながら茶道は、千利休以来の伝統に基づいた作法という様式は守りながらも、侘び茶にもともと内在していた倒錯文化の本質についてまでは、おそらく伝えていないように思われます。このことからすれば、もともと侘び茶は時代背景を越えて成立することができるような普遍的な価値を持った文化ではなく、戦国という動乱の時代を背景として成立した特殊な価値を持った倒錯文化ということになるのではないでしょうか。

茶の湯と倒錯文化(9)


第3章 倒錯文化と堺

侘び茶は、人間の持つ感覚にストレートに伝わるようなものの見方ではなく、むしろ屈折した倒錯文化ということでした。美しいものを美しいとはしない、価値の高いものを高いとは評価しないということは、価値のないとされるものを高いと評価することになり、否定されているものを積極的に肯定するという尺度が転倒した倒錯文化ということになります。従って、このことからは、弱いものが強いということにもつながることになり、貧しいものが貴いことということにもなってしまう、複雑で屈折した倒錯文化ということになります。ニーチェのいうルサンチマンにも通じるような、抑圧的で屈折したものの見方といえるのかもしれません。

養老孟司氏によると、普遍性とは、人間が持つ一般的な感性や感覚のうちで、両端に偏在することになる極端を取り除いた残りとして定義されています。侘びや寂が、このような普遍性として位置付けられるのであれば、侘び茶の持つカウンターカルチャーとしての反逆性は、人間や社会に幅や厚みを与えるものと位置づけられることになるのかもしれません。しかしながら、倒錯したものの見方を無批判に鵜呑みにしているだけでは、人間や社会に幅や厚みを与えるどころか、人間の持つ自然な感覚や社会の秩序を混乱させてしまうことにもなり、私たちのアイデンティティに危機をもたらすことになります。

従って、まず私たちに求められるものは人間の持つ普遍的な一般感覚であり、倒錯した特殊な感覚ではないということです。そして、橋本治氏によると、個性とは一般感覚という基盤からこぼれ落ちてしまった感覚や能力のことであり、つまり個性とは一般からの破綻ということになります。このような破綻は、私たちに痛み(みんなと同じではないという痛み)をもたらすことになるのですが、やがて破綻した個性は、一般感覚という全体の中に再び統合されていくという考え方があります。

ユング心理学でいう個性化の過程ですが、これは自我が個性をコンプレックス(葛藤)として抑圧してしまうのではなく、むしろ自我に統合していく過程にあたるとされています。


茶の湯と倒錯文化(10)

現在の茶道においては、侘び(劣っていること)や寂(時間が経過して古びたこと)は、伝統の様式や作法として残っていますが、倒錯文化の持つ本質までは伝えていないといえるのではないでしょうか。

侘びや寂は、完全なものにはない、むしろ手垢のついた少しいびつなものにこそ価値があるとする美意識といえます。

このような美意識と似たものとしては、ドレスダウンのような、わざとドレスコードを破って着崩すという文化があります。最近のバンクーバーオリンピックで、物議をかもしたドレスダウンの問題は、同様な美意識といえるのかもしれません。

しかしながら、現在の茶道においては、侘びや寂が既定のものになってしまっていることから、なぜこのような迂回的な表現がなされるようになったかという理路までは理解されていないようです。従って、現在の茶道には、観念や様式としての侘びや寂は残っていても、その意味や起源についての考察は、十分になされているとはいえないのではないでしょうか。

現在の茶道が、従来からの伝統の様式と作法を受け継いで来たことは間違いないことですが、その本質までは受け継いでいるといえないように思われます。

現在にまで至る茶道の流れは、千利休のあとに再興された京千家の千少庵や千宋旦の流れを受け継ぐものといえます。 表千家、裏千家、武者小路千家の三千家などは、千利休以来の伝統の様式と作法を「型」によって受け継ぎながら、その差異は小さいものにとどまっているようです。そして、茶道の美意識が、もともと倒錯的価値に起源を持つ可能性があることまでは考察されておらず、従って反逆性や政治性も茶道の本質ではなくなってしまっているように思われます。

しかしながら、侘び茶の発祥の地である堺や京都には、いまだ侘びや寂を生み出すことになる倒錯文化を受け継ぐような土壌が伝統として残っているところがあるように思われます。もちろん、劣っていることが素晴らしいとか、弱いものが強いとされるような倒錯文化に見られる現象は、堺や京都だけに限って見られることではなく、他の日本の都市でも同様な現象はあるのかもしれません。堺や京都では中世以前から都市文化が成立していたことから考えれば、都市化と倒錯文化との間には相関関係があるのかもしれません。現代のように都市化が進んだ社会状況では、誰もがコンプレックス(複合的心理)を抑圧しなければならない構造の中に投げ込まれているということになり、いずれの都市にあっても倒錯文化が生まれる土壌にあるということであるのかもしれません。

茶の湯と倒錯文化(11)

現代社会に見られる価値の倒錯性は、反逆と憧憬のようなアンビバレンツ(両面等価)な葛藤(コンプレックス)を抑圧してしまうことによって出現する、病理的な現象といえるのかもしれません。そして、このような倒錯的なものの見方は、日本だけに見られる独自のものではなく、欧米社会においても報告がなされています。

フロイトの精神分析では、葛藤(コンプレックス)がもたらす価値の倒錯性について、抑圧心理や転嫁行動(敵ではない弱い第三者を攻撃する)、反動形成(嫌いな相手に逆に優しくする)などが報告されています。

また、ニーチェのいうルサンチマン(弱者の奴隷精神がもたらす価値観の反転)も、同様に価値の倒錯が見られる現象といえるのではないでしょうか。

このように、価値の倒錯性は、洋の東西を問わず、私たちの日常生活の中で当たり前の現象として出現しているといえそうです。

人間は、自我を脅かすような葛藤(コンプレックス)が生じると、無意識にこれらを抑圧することによって自我を守ろうとします。その結果、意識下にとどめ置かれることになった葛藤(コンプレックス)は、自我の自己制御を誤作動させてしまうことになり、やがて価値の倒錯が引き起されることになるようです。

しかしながら、現在のストレスフルな社会環境では、日常的に多元的な価値を抱え込まなければならない状況は決して珍しいことではありません。このため、自分自身が既に価値の倒錯を引き起こしてしまっていたとしても、また逆に回りから倒錯した価値観を押し付けられたとしても、そのまま気付かないでいるというケースは多々あるのではないでしょうか。

茶の湯の発祥の地である堺や京都は、歴史的に多元的な価値観が並立して存在する伝統的な都市文化の土壌になるということができそうです。そして、幾重にも重なった歴史の古層に覆われた堺や京都では、多元的な価値観の棲み分けがなされないままに、対立と協調という長い歴史が繰り返されてきたのではないでしょうか。このような価値の多元性は、現代の都市文化が抱えるひとつの特徴でありますが、長い歴史を経過することによって錯綜した問題が、さらに複雑化してしまっているのではないでしょうか。


堺や京都では、このような都市文化の特徴を伝統的に受け継いできたということになるのではないでしょうか。そして、コンプレックス(葛藤)を抑圧した結果として出現する倒錯的価値が、伝統的なものの見方になってしまっていると、それが自然となってしまい、自分が倒錯した構造にあることにさえ気付かなくなってしまうことにもなります。つまり、伝統的に倒錯したものの見方が強く残っているような社会では、普遍性ではなく特殊性が社会の基盤になってしまうということです。
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176. 中川隆[-12552] koaQ7Jey 2018年5月24日 11:19:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

悟りの世界 _ 平安貴族が仏教に帰依した本当の理由


芥子の花


ふ〜しょう♪ふ〜めつ♪ふ〜くう〜♪ふ〜じょう♪〜

読経は続いている。焼香の煙が静かに漂い流れてくる。

私の実家は阿波の国、土佐との国境で、海底で堆積し褶曲された山々がある所では隆起しある所では黒潮が流れる青い海へと没した海辺に開けたのどかな土地にある。

宗派は真言、それで弘法大師いわれの話しがここかしこに言い伝えられている。


大師さんが休み、杖をついたところ、そこから清水が湧いてきたとか、ちょうど大石が落ちてきた時、弁当に使っていた箸を地面に突き刺すと忽ち箸は大木の杉の木になって大石の落下をくい止めたとか、小さな頃から法事がある度に先代のおじゅっさんから先祖の逸話を聞くと伴に大師さんにまつわる話しを数多く聞いてきた。

・・・ないし♪むろし♪やくむろしじん♪・・・


遠い声を聞く様に清んだ先代のおじゅっさんの話し声が重なって聞こえてくる。


裏山に住む狸の話をしてくれた事や椎の大木の陰に潜む天狗が夜な夜な空を飛ぶ話しとか、そんな幾つかの話しの中にあって、ことさら不思議と胸の内にわだかまった話し


「大きな声では言えないがね寺の裏山には終戦頃まで芥子の花が咲みだれていてね・・・」


何か咲きみだれる見知らない花々が秘密めいて思い出されてくる。

これは我が母校の校章となっているからだろうか?

焼香の匂いが一層強く漂い私はさらに静かにゆっくりと夢想の翼が開いていく様に感じられてきた。 月の青い光が降り注ぐ裏山に白い花びらの芥子の花が青白く濡れている。 これは梶井基次郎が書いた『櫻の木の下に死体が埋まっている』より尚妖艶ではないだろうか?

芥子の花の下には骨が埋まっているのに違い無いのでは。


空海さんはさすが博学やったんやな〜と思ってしまう。 真言密教の片田舎の末寺に芥子の花が咲き乱れていたと言う事は日本各地の数多くの寺々では芥子が植えられ使われていたのではないだろうか?

さても、古く真言密教の儀式において護摩火に芥子も焼香のひとつとして投げ入れる秘儀が常時おこなわられていたのでは?・・・

かの時代なら十分うなずけれることなのでは。


薄暗い堂内に掲げられた曼荼羅に昇る火と立ち込める煙、それと伴に強い香を焚けば祈りを捧げる人々、 みんな酩酊しないわけが無いのではないだろうか。

人々の眼前に現れるのは極楽浄土だったのではないだろうか。


夢想する私の耳には空海さんが唐国から船で帰るさい墨染めの衣の袖の下には身毒(インド)渡りの芥子坊主を忍ばせた・・・・

サラサラと芥子坊主の中の乾いた実の音が聞こえてくる。

そしてその音はサラサラ サラサラと木霊し流れ来て私の脳内の神経節の一部にエンドルフィン、エンケファリンとして反応し点滅している様に感じられてくる。

それはランニングハイのような高揚なのだろうか?

いやいやそれは今まさに私の脳内で芥子坊主から滲み出した黒く変色した果汁が翼を開ける様に広がっている高揚なのではないだろうか?


・・・ぎゃあ〜てい♪ぎゃあ〜てい♪はらさそ〜うぎゃあ〜てい♪・・・・


読経は尚も続いている。

ああ・・・またもや何処か人知れない廃寺の裏山でひっそりと月の光に濡れながら青白く咲く芥子の花と唄う様に揺れる芥子坊主の姿が私の頭の中で映像として結びだしてきた。
http://plaza.rakuten.co.jp/maeno7547/diary/200901310000/


真言密教立川流と後醍醐天皇の子沢山

文観弘真(もんかんこうしん)僧正の真言密教立川流に心酔した後醍醐天皇は、教義に添って多くの子を為すのだが、この「後醍醐天皇の子沢山」は、後の出来事を思うと「歴史の必然だった」のかも知しれない。

後醍醐天皇のお相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで十六人に及ぶ親王(しんのう/皇子)、内親王(ないしんのう/皇女)を設けられている。

正直、一頃の親王(しんのう/皇子)・内親王(ないしんのう/皇女)の誕生時期が重なるほど後醍醐帝の子創りがお盛んだった為、どなたが何番目のお子なのか不明なくらいだった。

南北朝期の初期、中央の畿内では北朝方・足利尊氏が南朝の本拠地・吉野山周辺を残してほぼ制圧を果たし、戦が義良親王(のりながしんのう /後村上天皇・ごむらかみてんのう )を頂いた東北地方と懐良(かねなが)親王を頂いた九州にその主戦場が移って居て居た。

その他に中国・四国を中心に活躍した第十一皇子・満良親王(みつながしんのう)、越後・越中・信濃で活躍した宗良親王(むねながしんのう)、新田義顕(にったよしあき)と共に戦い越前国金ヶ崎に散った尊良親王(たかながしんのう)など、帝の意を受けて戦った多くの皇子がいた。

千三百八十二年(元中九年/明徳三年)の「南北朝合一(明徳の和談)」まで南北朝の抗争が六十年間続いたのは、多くの親王が各地で抵抗したからである。

つまり真言密教立川流に心酔した後醍醐帝の「子沢山」が「歴史の必然だった」と思えるほど、南朝方は「皇統を繋ぐには親王(しんのう)が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。
http://jiyodan.exblog.jp/18745248/

インドにおける密教は変容し、性欲崇拝の濃厚なものになり、やがてチベットに伝わり、ラマ教になるのだが、ラマ教は密教という点では空海が遺した真言密教との違いはないといっていいであろう。

しかしながら両者は神秘性の表現においてははなはだ異なっている。

ラマ教は、インドで衰弱段階に入った後の左道密教といわれるものに相似し、性交をもって宇宙的な原理を表現することに於いて強烈で得あるが、空海がもたらした密教はそういう思想を内蔵しつつも教義全体の論理的筋肉がまだ若々しく、活動がなお旺盛で、性欲崇拝へ傾斜するような傾向は外部からは窺いにくい。

しかし空海の没後、数百年を出ずして彼の密教も左道化した。

「真言立川流」 と呼ばれる密教解釈が、平安末期から室町期にかけて密教界に瀰漫し、とくに南北朝時代にはその宗の指導者である文観(もんかん) が後醍醐天皇の崇敬を受け、立川流が密教の正統であるかのような座を占めたことなどを見ても、空海の体系には、性欲崇拝を顕在化させる危険が十分内在したというべきであろう。
http://singetu.ddo.jp/kuukai_huukei/56.htm

ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。


これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。

 この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。

その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。

その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。


 ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。


天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。

 この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。


星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。


 上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。


 というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。

 そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。 
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html

父母や先祖の髑髏に漆を塗って祭壇に祀る。

そしてへールカと呼ばれる中央の男性とダーキニーと呼ばれた女性行者が9名とその前で契りを交わし、その和合水を髑髏に塗り付ける。


髑髏の「建立」

髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

続いて,地面に血を用いて曼荼羅を描き中心に指導者がそのパートナーと座し,その周囲に円形に8人の容姿端麗な美女を配置する. 天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と和合を行なう。

中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立する様にする。 中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合し,それを5日間続ける.

そしてその和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねる。 それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香を焚けば死者の姿が煙のなかに現れる。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻る。

このような修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。 さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。


このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。

舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。 顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女のように化粧する。

こうして髑髏が完成したら、それを壇上に祭り、山海の珍味を供え、反魂香を焚き、子、丑、寅の三刻に祭祀を行う。 そして卯の刻になったら、七重の錦の袋に入れる。

こうして、行者はその袋に入った髑髏本尊を、夜は行者が肌で抱いてあたため、昼は壇に据えて山海の珍味を備えて供養する。


これを7年間続けるのである。


 そして、8年目になると、髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現す。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語る。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/tachikawa/dokurohonzon.htm

髑髏の「建立」。

用意した髑髏を加工して組み立てる。 これには大頭、小頭、月輪形の三種類の制作法がある。

大頭とは、髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

つづいてすでに訳知りの容姿端麗な美女と性交し、その和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねるのである。

髑髏を守っているという七魄(人間の魂は三魂七魄からなるとされる)に和合水(三魂の象徴)を三魂七魄の本尊としての準備が整うわけである。

それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香とは、漢の孝武帝が李夫人の死後も恋しくてならず、方士に香を造らせ、それを焚いて夫人の面影を見たという故事にちなむもので、それを焚けば死者の姿が煙のなかに現れるとされる香である。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻るというのである。

このようなず修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。
このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。


曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。

顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女か、童子(美少年)のように化粧する。
その際、表情は貧相にせず、笑みをたたえ、決して怒ったような顔つきにしないことが大切である。
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/shingontatekawa.html

「真言立川流」を始めたのは見蓮と言う人物で、陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師だった。

北斗・北辰妙見信仰に始まる「交合に寄る歓喜行」は、日本の信仰史上に連綿と続いた呪詛巫女の神行であるから、真言宗の僧侶兼陰陽師だった見蓮が創始した八百万の神・陰陽修験と陀羅尼真言密教の習合教義である真言密教立川流に、その奥義が取り入れられていても「自然な流れ」と言える。

この真言立川流、今の時代ではとても理解されないが、当時、素朴な民衆を矛盾無く導く為に、性に対していたずらに禁欲をさせるより、「肯定した上で民意をリードしよう」と言う考え方があった。

真言密教立川流の始祖と言われ、立川流開祖見連に奥義を授けた仁寛僧正は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮に、真言密教の秘伝「歓喜法」を授けた者である。

仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。

仁寛は、鳥羽天皇の暗殺を謀ったとして、捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。言わば、政治犯の流人である。 そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、醍醐三宝院流秘伝の奥義を伝授されたのだ。

現代人の宗教観とは合致しないであろうが、本来、いずれの宗教も「現世利益」が基本である。 つまり他人の事はどうでも良く、祈る者だけに「利を与える」のが元々の教義だった。 本来、信者の本音で言えば「現世利益」が無い信仰など魅力がある訳が無い。

近・現代に於いて「教えが改善された」と言えばその通りだが、元々の信仰はそんなに立派なものではなく、自分の「利」の為に祈るもので、呪詛的には「相手を呪い殺す願い」をも受け入れる事が「信仰(宗教)の実態」と言って良かったのである。 この辺りを理解すると、個人の「現世利益」の考え方から、極楽浄土に「性的な境地」が結び付く教義「真言密教立川流」に、現実感が出て来ても不思議ではないのである。


常識的に見て密教経典の意味解釈は、解釈する側の意志で加工が可能である。弘法大師(空海)が日本にもたらせた密教は、やがて日本で加工されて行ったが、その原点に近いものがインド・ジャンム・カシミール州最大の地方「ラダック(Ladakh)」に残っている。

このラダック地方の土着宗教がタントラ教の影響を受けた密教で、いわゆるチベット仏教である。 ラダックには多数の仏教寺院、ゴンパがあり、全人口が敬けんな仏教徒である。

釈迦生誕の地に近く、「真言・天台両宗の源流」とも言える「敬けんな仏教徒の地ラダック地方」には、つい近代の英領インド時代に禁止されるまで「一妻多夫」の習慣があり、一人の妻を兄弟で共有していたが、それはチベット仏教においては「けっして教えには背いては居ない」のである。

つまり密教において、性はかなり「おおらかな扱い」であり、現在の日本人が意識する厳しい戒律は「無かった」のである。

元来性行為と言うものは、単に「男女が交われば良い」と言う即物的なものではない。 そこには精神的感情が介在する。 それも複雑で、一口に「愛」とばかりにかたずけられない。

性交の本質は、想像力をたくましくして、被虐心、加虐心、羞恥心に触覚、聴覚、視覚を駆使して、初めて上等な性感を得る。 つまり【右脳域】の本能的無意識の境地に入る為の「行」として捉えるのである。

人間の感性は複雑で、あらゆる情報を脳で処理する事で、結論を導きだす。従って、性的快感も単純ではなく、それに拠る精神的癒し効果も認められる。

つまり、性と精神はリンクしていて、人格の形成にも関与する重大事項と言えるのだが、これを「無理やり離して考えよう」と言う間違った傾向がある。 喜怒哀楽は人間の基本的な感性で、【右脳域】の思考である。 その内の「喜」を以って「楽」を為すのが、密教における性交呪詛所謂「歓喜法」に拠る「極楽浄土」の境地である。


人間は、性行為や食事、音楽や映像鑑賞の際に「ベータ・エンドロフィン」と呼ばれる快感ホルモン物質を分泌させ快感を得る。 言うなれば、宗教行為と性行為、音楽の演奏などは、ある意味同質の目的、快感ホルモン物質の分泌を促す為にある。

宗教に陶酔したり、音楽に聞き惚れたり、視覚、嗅覚、五感の刺激がこの快感ホルモン物質の分泌を促すのなら、人は神の教えで救われても不思議はない。 それを経験的に学習しているから、いかなる宗教にも音楽や雰囲気創りの演出は付き物で、そのトリップ状態は、けして否定すべき物でもない。

言うなれば、宗教行為と性行為が合体した真言密教立川流は、「究極の奥義」だったのではないだろうか?

この快感ホルモン物質がモルヒネと同じ作用を持つ「脳内麻薬」で、精神的ストレスの解消と肉体的老化防止の特効薬であり、必要なホルモン物質なので、健康な性行為の抑制は必ずしも人間の為にはならない。 当然の事ながら、気の持ち様で「自然治癒力が増す」などの奇蹟は現に症例が多いから、宗教の奇蹟も存在する。 真言密教では、この生物反応的効能を肯定して、「修験道に活用しよう」と考えた。


快感ホルモン物質が大量に分泌されると、人間はトリップ状態になる。

従ってかがり火の燃え盛る呪詛の場で、陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)が流れる荘厳な雰囲気の中、激しい性行為を繰り返す事によって、常人には無い激しい反応を見せる。 それが呪詛の効果で、真言密教で言う所の「極楽浄土」である。

その状態が「呪術の効果をもたらす為に必要だ」としていたから、立川流は成立した。 それにしても、呪詛の為に身体を提供して「歓喜法」を体現する呪詛巫女の存在は、現在の感覚では理解が難しい。

しかし、密教の教えの詰まる所は「空」である。 空に私心は無い。

有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空に成れば、如何なる行を求められても、それを不条理と思う事は無い。 実は、「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。 言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思えるパワー現象が生じる。 しかし、そこに到達するには、「空」が要求されるのである。 その「空」に、成りおおせないのがまた、人間である。


行を施され、呪詛巫女が空に及ぶには、その行の厳しさに相応の覚悟が要る。女性の身体は不思議なもので、縛り上げて三日ほど変わる変わる攻め立てれば「脳で考える気持ち」とは別に、身体が性交の快感を覚えてしまう。

つまりそちらの感性は【右脳域】の本能的無意識が覚醒するからである。 そうなればしめたもので、女性から呪詛(性交)に応じる様になり、滞りなく行える呪詛巫女が完成する。 当初の呪詛巫女の仕込み方は大方そんな処である。

呪詛巫女の確保については多くの方法がある。 その一つが、前述した律令制における被差別階級として賤民の利用である。

奴婢として地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢と呼ばれる身分の者の中から「婢」の身分の女性奴隷を選び出し、執拗に性交を施して極楽浄土を体現させ、呪詛巫女に仕立て上げた。

八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。

仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。 金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。

大陸での修行を終えた空海(弘法大師)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。 当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。

空海(弘法大師)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に

「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、
口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、
心に本尊(大日如来)を念ずる

事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。 その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶と呼んでいる。

密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。 手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。

この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者が生まれている。修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。

当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。 呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。

修験道には、役小角を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。 弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。 本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。

この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。 お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。 そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。


真言密教立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行を採用した。 立川流の教義は、真言宗の


「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、

「当相即道(とうそうそくどう)」


の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。


「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は

「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、

淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」

に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。


この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。

「一切の法(手段)は清浄なり」を「男女の性交も清浄なり」と解すれば、良いのである。


如来は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、
欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。

男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。 つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。

それはそうだろう。 禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。


「全ての主である様な心地となる事」、
「欲心をもって異性を見る事」

も、また、

男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳る事、全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、
満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、ものの味もまた清浄なる菩薩の境地である。


と、立川流では、全てのものをその本質において積極的に肯定している。つまり色欲の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの、菩薩のものとして肯定されており、性欲肯定の句として知られている処である。

何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。

それは、菩薩が人々の【右脳域】に存在し、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。

故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。


真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。 現代人の感覚では理解し難いかも知れないが、弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていた事も事実で、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の生命への畏怖を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前である。

つまり真言密教・立川流に拠ると、弘法大師・空海が持ち帰った真言密教の教義解釈は「性交に拠って穢れが浄化される」 と言う解釈なのである。


儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。

ところが、後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。

愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。

開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は、信念とは別の御都合主義の為せる業で教義を変節したのであり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?


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3) 立川流の呪詛様式


立川流の経典は理趣経を習している。 そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行「歓喜行」を採用した。 邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。

確かに、髑髏の存在は「死と言う現実」を見せ付けられるものであり、並みの人間で有ればそれだけでも不快に感じるのは事実である。また、髑髏には生前のその持ち主の魂が宿っていそうで、精神的には犯すべからぬ畏怖の対象であるから、その辺りの抵抗感が存在して、違和感が生じても不思議はない。

にも関わらず、真言立川流が髑髏を本尊としたには、こうした精神的な意識に元付く既成概念そのものを、共通して一気に変革させる狙いを試みていたのではないのだろうか?

真言密教立川流の髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は、王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂と一千人の髑髏の上部を集めたもの、「法界髏(ほうかいろ)」と言う儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。

その様に選ばれた髑髏の表面に、女人の協力を得て、性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、更に髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。

しかもその七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。 こうして約七年間もの歳月を「歓喜行」に費やして作られた立川流の髑髏本尊はその位階に応じて「三種類の験力を現す」と言う。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して「三千世界の全ての真理を語る」と言う強烈な現世利益の本尊である。


真言密教立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、「大日如来と一体になる事」である。 立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵(さんこしょ)、もう片方が二鈷杵(にこしょ)になっている。 この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)と言う。

本堂のお勤め場所の周りに星型の結界が、蝋燭としめ縄で張られる。 しめ縄はいわば神の「結界占地」を標示するもで、神域に張られる事になっている。

蝋燭の炎は、「歓喜行」の間絶やす事は無い。

反言真言を唱え、星形の結界(五芒星)は陰陽師家、安倍晴明の判紋である。

格子状のしめ縄の結界は、九字紋と同じ形状であり、九字紋は横五本縦四本の線からなる格子形(九字護身法によってできる図形)をしている。 九字結界は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を星型に配置し、その間を結んで五芒星(晴明判紋)となす。 安倍晴明判紋は晴明桔梗とも呼ばれ、五芒星と同じ形をしている。五芒星(九字護身法に拠って出来る図形)の意味は、一筆書きで元の位置に戻る事から、「生きて帰ってくる」と言う意味でもある。


「歓喜行」はこのしめ縄の結界の中で全ての障害を排して執り行うのである。呪法に使う髑髏にも、それなりの確りした仕度がいる。

亡なって間もない人頭を、丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆を塗る。朱色を出すには「辰砂(水銀)」を使う。水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。

この「辰砂(水銀)」、弘法大師(空海)が多用していた事で知られている。

真言密教立川流に取って、朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。 仕上がったら、よく乾燥させ、上等な桐箱に収めて置く。

そして七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」を行い、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。

この本格的な「歓喜行」は、真言密教立川流の僧正が呪詛を用いる為に強力な呪力を有する淫液に塗れた髑髏本尊を会得させる為の物だった。これが、「髑髏本尊・歓喜法」と言う秘術である。

立会いの僧正や男女の信者達は、願主が「歓喜行」を行うを、眼前にて見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。 一度達しても、茶吉尼(だきに)天の妖力の色香は強烈で、男はすぐにまた活気を取り戻す。

願主は真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏に和合水の塗布を続けて、七日目の深夜「結願」を迎える。


いよいよ「結願」を迎えた八日目に入った深夜十二時を過ぎからは、「開眼供養」を夜明けまで行う。 和合水と反魂香にまみれた髑髏の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。 その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。 願主が歓喜行をする時は傍らに捧げ、仮本尊となす。

八年目に、ようやく「髑髏本尊」が完成する。 この本尊に妖力が宿り、「呪詛祈願の達成効果を保持する」としていた。 陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、性交を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。

しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。

理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。 この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。 そうなれば髑髏本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。


何故こうした信仰が成立するのか、種明かしをして置く。

人間は「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。こうした興奮の心理的な影響は極論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。 その興奮に影響される判断が、興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に所謂「洗脳状態」に陥る状態が、信仰などに利用される心理的な手段である。


真言密教立川流、その教義は、遠く印度の仏教に遡る。 印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼天と言う魔女が、大日如来の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。

これが日本では、後に稲荷神社に成る。 財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗の商家の奥庭に、祭られたりしていた。

当時の商人の考え方は、「商は長くやるもの」であり、家業、商売を代々繁栄させるのが使命であるため、老舗跡の跡継ぎの確保は重要だった。 その為には跡継ぎに困らない様に妾を持つほどの艶福家で無ければならず、性的パワーのある稲荷の社を祭ったのである。

つまり、幸せにしてくれる神様で、その茶吉尼天が、真言立川流の御本尊である。 茶吉尼天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。 茶吉尼天の法力を高める為には、男女和合の性エネルギーのパワーが必要で有る。

つまり初期の仏教は、信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、道徳教育的な目的から「悪行を積むと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。

一方で修験道師が村々に分け入って布教し、植え付けて行った矛盾とも取れる「おおらかな性意識」は、庶民の中で生き続けていた。

真言密教立川流の本尊・荼枳尼天(だきに天)は、元々はインドのヒンドゥー教の女神で、「荼枳尼天」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したもので、ヒンドゥー教ではカーリー(インド神話の女神/仏教・大黒天女)の眷属とされる。

このヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられ、荼枳尼天は仏教の神となる。元々は農業神であったが、インドの後期密教においては、タントラやシャクティ信仰の影響で、 荼枳尼天は裸体像で髑髏などを抱えもつ女神の姿で描かれるようになって、後に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。


荼枳尼天は、自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べると言われたが、その荼枳尼天が、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、仏教神となって「死者の心臓であれば食べる事を許された」とされる。

日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、荼枳尼天は、性愛を司る神と解釈された為、その男女の和合で「法力を得る」とする真言密教立川流と言う密教の一派が形成され、荼枳尼天を祀り、髑髏を本尊とし性交の儀式を以って即身成仏を体現したとされる流派が興隆を極めた。


真言密教と陰陽道を究めた人物に仁海(じんかい)僧正がいる。醍醐寺隨心院は、九百九十一年(平安時代中期・正暦二年)に雨僧正と呼ばれていた仁海僧正によって建立され、千二百二十九に門跡寺院となった真言宗善通寺派の大本山である。「雨僧正」と呼ばれ、占術の祈祷で「祈雨祈願に成功した」とされる仁海僧正は和泉国の小豪族の家に生まれ、七歳で高野山に上る。 そこで、占星術を身につけ、学僧としても、知られるようになる。

仁海はしばしば五行の考えに基づく易を使う。安倍晴明より少し後の時代に活躍した仁海は、しばしば五行の考えに基づく易を使う。 このことは当時の僧侶が仏教の経典だけではなく、中国の「易経」のような中国特有の古典にも通じていたことを示している。 仁海僧正の私生活を「生臭坊主であった」とする評があるが、それは当時の僧を後世の常識感覚で評するからである。

そもそも、日本の神官や僧侶は、長い事氏族が武士や官僚と兼務していたもので、勢力争いもするし女性も抱く。 高僧と言えども例外ではないから、正妻を置いたかどうかを問わなければ、江戸期以前の僧侶は全て「生臭坊主」である。 と言うよりも、「女性との交わりを呪詛パワーの源」と言う解釈が、密教に於いては為されていたのである。


陰陽師の見蓮に、仁寛が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとする頃、北条(平)政子が心血を注いで礎を作った流石の鎌倉幕府執権・北条得宗家も、代を重ねて落日を迎えようとしていた。 鎌倉幕府が弱体化していた頃、敵対していた勘解由小路(賀茂)家と土御門(安倍)家の両家は天皇の皇統護持の為に和解している。


◆真言密教立川流・南北朝との関わり

北条(平)政子が心血を注いで築きあげた「鎌倉幕府執権・北条得宗家」も、体制百三十年余りを数えて独裁への反感も膨れ上がり、流石に屋台骨が揺らぎ、「時節到来」と倒幕の機運も、静かに盛り上がりつつあった。

そんな時に、皇位に目覚めた後醍醐天皇(第九十六代)が、突如現れた。 それは取りも直さず、地に潜っていた「勘解由小路党」を、そして幕府御家人衆に甘んじていた「源氏の血筋」を目覚めさせる事となった。

この後醍醐天皇(第九十六代)、まさしく密教の申し子だったのである。

京都醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺であり、後醍醐天皇の支えだった。その醍醐寺は、真言密教の教義を支持していた。 従って後醍醐天皇は、真言密教を信奉していたのである。


本来、男女の交合は尊い物である。男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が、男女交合の歓喜パワーであり、密教理念としていた。 この教義を後醍醐天皇が信奉した事は、彼がしごく「人間的であった」と言う事である。

真言密教の理念は、けして浮ついた邪教ではない。 至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在した。

それはそうだろう、武器を携えて破壊と殺戮に行くよりよほど良い。 精神的な愛に於いて、性交はあってもなくても良い。そして独占欲はそれも愛情で有るが、それが愛情の全てではない。 その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。

全てに拘束を欲する愛情もあれば、全てを赦す愛情もある。 難しい所で有るが、愛し方はそれぞれで、自分と違うからと言って、愛が無いとも言いきれない。

空海(弘法大師)が唐から伝えた経典では、何よりも性に対する位置づけが「生命力パワー」と言う前向きな思想からなっている。 真言密教でも、その「生命力パワー」は認められていた。


京都醍醐寺に文観弘真と言う僧侶がいた。彼は先人で有る仁寛僧正を信奉し、その弟子が興した見蓮の真言密教立川流を継承していた。

勿論同じ醍醐寺に、文観弘真に対立する勢力もある。後醍醐天皇(第九十六代)と文観弘真僧正が結び付けば、当然反対派もまた結び付くのが世の習いである。


話は、鎌倉時代末期の事である。

後宇多上皇(第九一代)の皇子・尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵や文観から宋学の講義を受け、宋学の提唱する大義名分論に心酔し、鎌倉幕府の倒幕を目指し、宋の様な専制国家の樹立を志した。

千三百十七年の文保の御和談に於いて花園天皇から譲位され践祚(せんそ)した尊治親王(後醍醐天皇)は野心満々で、平安時代の聖代(延喜帝・醍醐天皇や天暦帝・村上天皇の政治)のような復古的天皇親政を行うべく、当時の醍醐天皇(第六十代)に肖って自ら後醍醐天皇(第九十六代)と名乗り、手初めに父である後宇多上皇が行っていた院政を停止させ、天皇としての実権を確立した。


鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだ文観は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。 これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。 文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教立川流を直伝する。

茶吉尼天のイメージが演出され、衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、天皇は絶倫になる。 退屈な宮中生活にあって、これが「楽しくない」筈はない。

若き天皇は好色でこの教えを痛く気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中に広がった。 後醍醐天皇の相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで、十六人に及ぶ親王、内親王を設けている。

つまり、「皇統を繋ぐには親王が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。 「勘解由小路党の女人(白拍子)」も天皇相手に、歓喜の行で大活躍したのかも知しれないが、詳しい記述はない。 唯、夜な夜な「おごそかな歓喜儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像にするに難くない。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」は、九字呪法である。 そして男女による「歓喜法」で「極楽浄土」を体現する。 その強烈なパワーを持って、四方に幸せをもたらす。

この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言密教立川流を保護し、文観を政務の補佐役にする。 文観の権力は強くなり、一時、日本中に真言立川流は広がって行った。


この辺から、雲行きが怪しくなる。

真言立川流が、余りの隆盛を見せた事で、真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。 右派が、後醍醐天皇の対立相手、大覚寺(持明院統方)と組んだのである。 これは、宗教上の権力争いで、醍醐寺統(後醍醐天皇)と左派(真言立川流)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。 「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。

だが、醍醐党が破れ真言立川流は衰退して行った。 つまり、負けた方が「弾圧された」のである。 そこに至る経過が、南北朝並立の争いとリンクしていた。


文観は、当時としては珍しく、八十歳と言う長寿を全うしたそうである。 文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、真言密教立川流を守っていたのだ。

真言密教立川流(真言宗左派)は、対立する宗教勢力(真言宗右派)と結び付いた政治勢力(北朝方)が、南朝方に勝利すると、倫理観を前面に出して「淫邪教」の烙印を押されてしまった。

所が、本来の立川流の教義の形成経緯は、密教の命の持つ力(パワー)に対する純粋な信仰心と土着の呪術・占術を一体化した修験密教の教義を、誓約(うけい)の概念をも含めて理論武装し、再構築したもので、ただ単に淫蕩な目的の宗教では無いのである。

真言宗右派(反立川流禁欲派)と北朝(持明院統・光明天皇)、足利尊氏派が、真言宗左派(密教立川流・文観弘真僧正)と南朝(大覚寺統・後醍醐帝)、新田義貞・北畠顕家派に勝利し、文観僧正に拠って頂点を極めた真言密教立川流は、急速に衰えて行く。

元々、仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定した。 その開祖・弘法大師否定した儒教思想を、主流と成った真言宗右派は、チャッカリ教義に取り入れて真言密教立川流を邪教とし禁欲の教義を広めた為、安土地桃山期には立川流はほとんど無くなり、江戸初期には完全に消滅してしまった。

後醍醐天皇が吉野へ逃れ、足利氏と持明院統(北朝)が勢力を拡大すると、醍醐寺大覚寺統の「真言密教立川流」は徹底的に弾圧されて先細りと成り、やがて衰退して消滅している。

弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。真言密教に大きく影響を及ぼした理趣経の経典は、その基礎に大陸での「妙見信仰」がある。

実はこの妙見信仰は弘法大師・空海が経典として持ち帰る前に、既に大陸からの移住者(渡来人)達に拠って先行して伝来し普及していた。 そして列島独自の原始宗教と習合し、陰陽修験道として集成していたのである。 そうした経緯から、弘法大師・空海の真言密教は陰陽修験道とは一体化の道を辿り、総本山金剛峰寺は修験道の修行の地と成るのである。

さて妙見信仰の伝来当初は、渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であった様だが、次第に畿内などに広まって行った。 しかし朝廷の統制下にない信仰であった為、統治者としての統制が取れない。 神の威光で統治する朝廷にとって、庶民の間で勝手に広がった「妙見信仰」は危険な存在だった。

七百九十六年(延暦十五年・平安遷都直後)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

これは何を意味するのか?

庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。 本来、信心深いはずの庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?

命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。 元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。

気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。 日本における所謂庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交闇祭り文化」である。

つまり、建前(本音はただの性欲のはけ口かも知れないが?)子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。

例えば、京都・宇治の「暗闇祭り」、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で、相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。 京都府宇治の県神社の「くらやみ祭り」は、明治維新まで無礼講の祭りだったのである。

こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事である。


◆【私の愛した日本の性文化】


当時の庶民感覚は、元々「性」に対しておおらかだった。 信仰が庶民に浸透して行くには、それなりの現世利益が必要で、「北辰祭(妙見祭)」は、当時の庶民が日頃の憂さをおおっぴらに晴らす有り難い行事として、「大いに支持された」と言う事だろう。 そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。


朝廷の「北辰祭(妙見祭)」禁止から十年、八百六年(大同元年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。 空海(弘法大師)が信徒獲得の為に目を付けたのが、北辰祭(妙見祭)禁止に対する「庶民の不満」である。


空海の教えは、

身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、
口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事

により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事が出来る。」として「性」を積極的に肯定している。

この妙見信仰や、修験道と結び付いた弘法大師(空海)の真言密教は庶民にも浸透して行った。

そもそも密教には、人間は「汚れたものではない」と言う「自性清浄(本覚思想)」と言う考えがある。 真言立川流が弘法大師(空海)の「東密(真言密教)の流れを汲む」とされるのに対し、
伝教大師(最澄)の台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とし、摩多羅神を本尊とする「玄旨帰命壇」と言う一派があった事からも、性交を通じて即身成仏に至ろうとする解釈が密教中に存在したのは確かである。
http://jiyodan.exblog.jp/7936468/

厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


皇族の性処理事情…天皇のセックスのやり方とは? 2018年2月14日
http://saras-media.com/12215

最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史も含めて解説していきます。

天皇のセックスに関する噂

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあります。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法などがあると言われています。

結婚をして、初夜を迎える者に対し代々申し伝えられているという仕組みです。

巫女の存在

また、皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、それぞれ重要な役割を果たしています。皇族のさまざまなお世話の場で活躍し、その場は性に関するものを含め多岐に渡るのが巫女。

当然ながら、皇室のセックスの性処理の場においても重要な役割を果たします。

皇族のみそぎ

皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女がその男子のお相手を務めることです。

これは皇族の中ではみそぎと言われ、私たちで言うところの筆おろしの行為となります。天皇は普段の生活だけでなく、性生活に関してもさまざまな干渉を受けているのです。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けをするのですが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

その他の初夜に関するしきたりについてもみていきましょう。

入浴潔斎の儀

入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀とは、結婚の儀を終えた二人が初夜を迎えるための準備のこと。男性で言うところの筆おろしのことです。

巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

初夜装束を身につける

初夜装束とは、入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与える儀式とします。

露見

介添人が、初夜の床入りの際、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

この際、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

皇族の性処理・セックス事情まとめ

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。

皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般の我々には考えられないようなことが多くあるようです。

もちろんこれらの情報は、皇室で言い伝えられてきたものであり、現在の天皇陛下がセックスにおいて、どの程度続けられているかは謎多き部分ではあります。

このようなセックス事情があったからこそ、天皇家が数千年続いているとも言えますね。
http://saras-media.com/12215


177. 中川隆[-12549] koaQ7Jey 2018年5月24日 12:35:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

天皇家や古代豪族が信仰していたミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道とは何処の国から来た宗教なのか?


日本列島に渡来した民族のハブロタイプ

40.000年前 C1a1(ポリネシアン)
35.000年前 D1b(日本列島固有)
34.500年前 C2a(日本列島固有)

3.000年前 O1b2(江南)
1.300年前 O2(百済、新羅、高句麗)

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縄文時代後期の約4000年前に日本列島の人口は26万人超だったが、縄文末期の3000年前には約8万人まで減少した。

しかも東日本では減少率が少なかったが、西日本は最初から10分の1の人口密度のうえに、壊滅的な減少に見舞われた。


弥生時代の大量移民

人口減少の原因は気候変動で、縄文時代をもたらした温暖化は日本海の水位を120mも上昇させるほど暖かかった。

4000年前から寒冷化が進み、木の実や魚介類や動物が少なくなり、自然減少しました。

自然採集では食えないので大陸では先に農業が始まり、後から農業を始める集団は「農業未開の地」を求めて半島や列島に移住したと考えられます。


この頃から九州に移住して田んぼを作り始めたのが半島南部から来た「渡来人」で、渡来は1千年以上続いたとされている。

推測では年平均1000人ほどの渡来が1000年間つづき、合計では100万人もの人が移住してきた。

縄文末期に西日本の人口はせいぜい2万人で、九州では1万人未満、渡来地の九州北部は数百人しか居住していなかったと考えられる。


人口数百人の地域に毎年1000人もの渡来人が渡ってきて、九州の縄文人と交わり「弥生人」に変化した。

縄文末期の1000年間で26万人から8万人に減った人口は、その後の1000年間で60万人まで増加しました。

これが弥生時代をもたらし、邪馬台国やヤマト政権に発展したと考えられている。
http://www.thutmosev.com/archives/75746010.html

2013年12月17日 被差別部落民の形質人類学のデータ

エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

被差別部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった被差別部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある被差別部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、被差別部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが被差別部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099203.html

2017/9/3 10:35:32
部落差別は東日本では少なく西日本では多いという感じがしますが、これは西日本に住んでいる人の方が陰湿で差別的だからでしょうか?

それとも何か別の原因や理由があるのでしょうか…

僕が調べた限りだと、部落差別をする人は京都や大阪に多そうな感じがします。

僕は東京に住んでいますが、部落差別的なことを言う人には今までに一度も会ったことがないし、部落問題については授業で少し習った程度で全然詳しくないので教えてください。

御回答よろしくお願い致します

tym********さん 2017/9/9 21:58:46

大まかに説明します。

関西には渡来系弥生人の子孫が多く、関東には先住民である縄文人の子孫が多く暮らしています。

渡来人達は、九州近辺から上陸してきたからです。

渡来人が先住民を駆逐し、国土を乗っ取る。

世界中どこでもそうですが、後ろめたい歴史を持つ国家には、都合の良い伝説と被差別部落が残ります。

静岡より西の地域は、当時鉄器と農耕技術を持っていた渡来系弥生人(朝鮮人)によって蹂躙され、原住民は都の外に追いやられました。
これが部落です。

この渡来系の一族はやがて天皇となり、日本神話を創り、現代に至るまで経済から宗教までを管理してきました。

細面で切れ長の目を持ち、色白で体毛が薄いのは渡来人の特徴です。

背が低く、骨格たくましく浅黒い二重まぶたの人たちが、古来、この国に住んでいた狩猟系の原住民です。

僕自身は完全に渡来系の顔立ちですが、日本古来の原住民が未だに部落に追いやられて生きている現実には、怒りと屈辱しか感じません。

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aka********さん 2017/9/3 23:17:24

縄文人が森で採集や焼畑農耕をしていた所へ、渡来人が来て低湿地を占拠して、水田稲作を本格化しました。日本列島には低湿地は少ないので渡来人同士が戦い、ムラからクニへ成りました。その過程で、最後まで徹底抗戦した敗者が奴婢とされ、被差別部落の起源になりました。

以上のいきさつは西から東へ進んだので、西日本の方が部落差別は根深いです。

奈良時代には五色の賎に編成され、その内の陵戸が古墳の管理をさせられたので、奈良盆地では古墳のそばに被差別部落が多いそうです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11178943481

「別所」という地名が全国に何百箇所もある。信州に別所温泉というのがある。

それは征服した蝦夷を連れてきて住まわせた難民キャンプの如きもので、
移住させられた蝦夷のことを俘囚と呼ぶ。だから東北地方には別所という地名は無い。

山間の小盆地とか河川の屈曲部などの周囲と隔絶した場所にある。

被差別部落である場合が多い。

地区には石の棒を祀る由来不明の神社があったり、歌詞の意味が全く意味不明の民謡などが伝わっていたりする。おそらく古代蝦夷民族起源の習俗であろうと推測させられる。

アフリカからアメリカに連れてこられた黒人奴隷がブードゥー教やアフリカ的な音楽を伝承し続けたのと似ている。

ちなみに京都市内の被差別部落の中には俘囚起源のものがある。

団地を作るときに穴を掘ったら擦紋土器(古代蝦夷の土器)やオホーツク文化圏の
骨角器などが出てきた。家族単位村単位で生活道具を携えてはるばる都まで連れてこられたのだろう。

言葉も通じない蛮族が京都でさせられる仕事といえば最底辺の賤業であったのはいうまでもない。
http://roadsmart.blog.jp/archives/15577845.html


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天皇家や古代豪族が信仰していたミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道や皇室で使われていた言葉は高句麗・百済系の古代朝鮮語だった


ikz********さん 2012/10/19 16:29:16

日ユ同祖論 信憑性はどの程度なのでしょうか。

言語が似ている、歌をヘブライ語にすると意味が通る(君が代、かごめかごめ、 ソーラン節など)という具体的な共通点から、遺伝子が中国韓国人にはないものをもつという根拠不明なものなどが上げられます。

某掲示板では、宗教観が違いすぎる、戦前の白人コンプレックスの日本の学者が作り上げたものだとしているのをみて妙に納得してしまいました。確かにユダヤ教と神道、仏教は違いすぎます。まず一神と多神、偶像崇拝禁止と仏像とで明確です。

ただはっきりどちらに分があるとは判断しにくい部分が多いため詳しい方いたらよろしくお願いします。

aki********さん 2012/10/21 01:10:58

歌の類似性と言えば、和歌がインドの民謡と共通性が高いほうが注目に値すると思います。今でも日本人は海外の文化を輸入して、独自に発展させる才能を発揮していますが、昔もそうだったと考えるべきだと思います。ただし、ヘブライ語と日本語の類似性は他の言語と同程度で、かなり低いと思います。多くは音が似ているだけのコジツケになっていると感じます。

本当に日本語と近いのは、大陸の高句麗語です。言語が近縁かどうかを観察するとき、真っ先に見るのが数詞と言われています。日本語と高句麗語の数詞の比較を行うと、朝鮮語などよりもはるかに近縁の言語という結果が出るようです。

高句麗は滅亡して、その人々は女真族と名を変え、今は満州族と呼ばれています。

彼等は清帝国を築いたわけですが、清の時代に遭難した日本の商人が北京に行って驚いたのが、一二三四ではなく、ヒ・フ・ミ・ヨの日本語の数え方がそのまま通じたことだそうです。高句麗の流れを汲む女真族の言葉を話す人々と、北京で普通に接触できたようです。

百済は扶余・高句麗から枝分かれした王室で、朝鮮半島は異民族支配されていました。

そのため、百済の王室と民は異なる言語を話しているという指摘が、中国側に残っています。

神道の世界には古い朝鮮語が数多く残っていると指摘されることがありますが、実際にはそれが失われた高句麗語という説も出てきています。


高句麗語は日本語と同じ膠着語です。

系統が違う漢民族の言葉と文字がいきなり日本に輸入されたわけではなく、まず漢民族の言葉と直接接していた高句麗語が漢字表記されるようになり、それが、高句麗と近い山東半島や遼東半島付近の海人の手を経て日本にもたらされて、古い神道の祝詞の言葉などが作られていったと考えられます。

纏向型祭祀と高句麗国の東盟祭の類似性も、かなり指摘されているようです。

倭人文化圏が北九州から済州島を経て山東半島や遼東半島付近に分布していたと認識している中国側の史料が幾つか散見されるようです。

卑弥呼寒冷期と呼ばれる地球規模の寒冷化に伴って、飢饉に直面した高句麗地域の人々が日本に渡来した結果、弥生時代が古墳時代に変わっていったという説があるようです。

九州に山東半島原産の三眠蚕が入り、纏向(奈良)にも山東半島付近の製鉄と蚩尤(兵主・天日槍)の信仰が入っています。その結果、天照大神のモデルになった古い日女神を祭った比売許曽(ヒメコソ)神社が建てられるといった現象が起こったようです。

比売許曽は姫を祀る神社という意味の高句麗語(朝鮮古語)です。だから、比売許曽神社の末尾の「神社」は必要のない筈ですが、時代が下って元の意味が見失われた結果、付けられるようになったと考えられます。祝詞にも高句麗語由来の言葉が大量に入っている、というより、本来祝詞は高句麗語(吏読)だったそうです。謎が多いとされる「ひふみ祝詞」は、高句麗語として意味がほぼ通じる形で伝わっているそうです。飛鳥という都の名前も元は高句麗語のようです。

トルコからシルクロードを介して日本まで、膠着語圏が広範囲に広がっています。
文法的に近いため、日本語に輸入しやすかったことが考えられます。


たとえば、天皇を古い時代はスメラ・ミコトと呼んでいました。

シュメール文明と日本語の関係がかなり指摘されていますが、シュメール・ミグトと言えば、天降りた支配者のことで、日本語と音が似ているだけでなく、意味も一致しています。したがって、シルクロードを介して日本に入ってきたのは、なにも古代イスラエルの文化に限られるわけではないと思われます。

秦の始皇帝の兵馬俑はペルシャ式の軍団編成になっていて、ペルシャ人の人骨が近くから出ているようです。

ササン朝ペルシャの滅亡に伴って、シルクロードに逃れた王子が中国に亡命し、妻子を安全な日本まで連れて来ているケースもあるようです。わずか数年で日本とペルシャは繋がる距離にあります。西の文化が日本に断片的に入っていても、不思議ではありません。仏教も入れば、ギリシャ彫刻もガンダーラの地域で形を変えながら伝わっています。

しかし、文化的影響が認められるからと言って同祖論を持ち出すのは、不自然すぎると感じます。それを言うなら、人類はアフリカ原産の動物で、皆同祖という話になります。

遺伝子に関しては本来akatamayorihimeさんが御専門の筈ですが、完全スルーしているようです。相手にする必要もない勘違い、ということだと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195894356


chielien_4f89277efa984404924a2bf6bさん 2016/8/30 21:55:06
同和地区、被差別部落関連のご相談です。気分を害される方もいらっしゃるかと思いましたがネットで調べても詳しく分からないのでこちらでご相談させていただくことにいたしました。

付き合って5ヶ月ほどの彼氏がいる30代の女性です。

年齢のこともあり、付き合い始めからお互い結婚を意識した中で、お付き合いをしております。付き合って3ヶ月頃には互いの両親にも会うことができ、双方の両親ともに私たち自身は気に入ってくださっています。ただ、、彼のご両親が同和地区や被差別部落出身のことを気にされる方のようで、私の苗字と、両親祖父母の出身地が九州ということを知ると、祖父が部落出身ではないかということを気にされてるということを聞きました。

第三者機関で調べてくださって結構ですとお伝えしたのですが、付き合いもまだ浅く、結婚の話にも具体的になっていないので調べないと言われました。彼もご両親と言い合いになったりして辛い思いをしています。なんとかこれから結婚という先を見て楽しくお付き合いを続けたいと思っているので、彼も私も自分達なりに調べたところ、そちらの出身ではないと思っているのですが、それでは信じてもらえる証拠にならず困っています。興信所に調べてもらいたいと思っています。そこでお聞きしたいのですが、

@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。

A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。

B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。

探偵も興信所も、部落問題は取り扱わないと記載されていることが多いので困っています。もちろん私も彼も差別はしてはいけないという考えですが、彼のご両親にも色々と事情があり、彼のことを思って気にしているので、彼とご両親を仲違いさせていることに心苦しいのです。ただ私も彼もお互いこの人と結婚したい‼︎と心から願っています。とはいえ彼の大切なご両親に祝福されないまま強行突破はしたくありません。わがままかもしれませんが、、

とにかく調べる方法がなにかあれば助言をいただけると大変嬉しいです。
また、同じような経験をされた方がいらっしゃったらどのようにされたのかお聞きしたいです。

大変深い悩みで辛い思いをしております。差別だというご叱責は遠慮していただきたいです。

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Answer katuragi_893さん 2016/9/11 8:49:32

部落とは元来、村の集落を表す単語で昔はズバリ、穢多村・穢多・非人村・非人と言っていましたが、余りに露骨すぎるので今は穢多村・穢多・非人村・非人の隠語で部落を使ってます。同和は「同胞融和」の意味でこれまた穢多村・穢多・非人村・非人の隠語です。(江戸時代中期以前は穢多と非人は違うモノでしたが江戸時代後期?頃から、セックス、混血、共同行動で今では非人も穢多に同化し同じモノです。有名な非人の末裔に「フーテンの寅」こと車 寅次郎がいます)
https://www.youtube.com/watch?v=HR01VW7qpKY
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穢多とは奴隷の末裔で日本人じゃ無い。諸説あるが

穢多(えた)とは
日本人とは異なる異人種・異民族。

古代、日本人との戦争に負けた民族が日本人に捕えられ奴隷となっていた民族、穢多族。

非人(ひにん)とは
罪を犯した者に与えられる刑罰の一つ。
罪を犯した者は罰として、非人の身分に落とされた。

穢多は奴隷の末裔。具体的には国栖・土蜘蛛の末裔(マレーポリネシア系人種)+蝦夷の俘囚+中世、近世の流民、罪人・賎民との混血。日本人では無い。

室町時代から「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。穢多の子はいつまでも穢多である」との絶対的概念があるから、穢多族の子は確定的に穢多族に成る。それ故、穢多族男女は既成事実作り中出し妊娠H狙って来る傾向があり大変危険です。

超強力な穢多部落優遇が存在してる段階で差別は無いし、現実は非穢多部落民が穢多部落民からヤリタイ放題されてます。穢多部落民忌避は邪馬台国と出雲帝国時代、2300年前からある日本の伝統文化です。西日本では婚姻忌避は存在していますが、あれは差別ではありませんし誰だって穢多の子は穢多で忌避される血筋を入れたくありません。もし、穢多部落民が逆の立場なら絶対穢多部落民の血筋は入れないでしょう。

或る左翼部落問題活動家が自分の息子の嫁に穢多部落民女を忌避し破談にしたのはこの部落の真実知ってるからです。左翼部落問題活動家で息子の嫁に穢多部落民女を忌避した奴は狡い奴です。他人には穢多部落民と婚姻しても何ともないよ言いながら、自分の息子の嫁には人種的、歴史的に穢多と言う階級の真の意味を知ってるかから忌避したんです。ホントに狡い奴です。

穢多部落民との結婚は彼も穢多部落民に成り、産まれて来る子も穢多部落民に成ると言う事です。わかっていましたか?。彼との子供も排除・忌避される側に成るという事です。本音と建て前、違いますから今でも就職忌避・婚姻忌避が現実に存在していますから貴方の子供が成人した時に穢多の血筋で就職忌避・婚姻忌避に遭遇するでしょう。。
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全部説明したと思いますが私の書き込みを絶えずチェックし絶えず削除

依頼を出す真実を知られたく無い歴史隠蔽、穢多部落民血筋(DNA)拡散
を狙う穢多部落民に付き纏われてるのでコピペで失礼します。

実際、部落の問題にはこれがあり、奴等が「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と言えた義理ではありません。

山口組ヤクザ約70%の者が部落出身者であり約10%の者が韓国人等の外国人。 カプランとデュブロ

潜入ルポ ヤクザの修羅場(鈴木智彦著 文春ウェブ文庫)

「不良はある程度の年齢になると、ヤクザになるか、右翼になるか、同和にいくか進路を決めるんですわ」彼のいう右翼も同和も”似非”を意味しており、純粋なそれに所属している人間たちにとっては迷惑な話だろう。しかし、彼の何気ない一言は、関西の暴力社会の基本構造をストレートに現している。鈴木智彦は曰く「暴力団と政治団体と人権団体の三位一体は、裏社会最強のコンビネーションだ」、「大阪ではかつて、同和利権を制するものがヤクザ社会を制すると言われていた」。

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実。


被差別部落と暴力団(鈴木智彦)

穢多非人部落=ヤクザ(暴力団)=右翼(政治団体)=解同(人権団体)=全て同じモノで三位一体が現実で、仮に一般人と穢多非人部落民が婚姻し、その婚姻が破綻し穢多部落民と離婚しょうとしても、離婚する時は、解同(人権団体)が出て来て「差別するな!!偏見を捨てろ!!差別するな!!偏見を捨てろ!!」と喚き散らし一般人の親・親戚の所に押しかけます。

警察は相手が解同(人権団体)なのと民事不介入で介入してくれません。
ヤクザ(暴力団)、右翼団体(政治団体)の場合は警察が介入してくれますが解同(人権団体)の場合は警察が介入しないのを知ってて奴等はやって来ます。
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穢多部落民は過去戦争を煽動・推進したことから天皇から絶対的に嫌悪・忌避・排除されています。

穢多部落民忌避の根源は天皇が絶対的に穢多を嫌悪・忌避・排除してるからです。千年経っても変わりません。

天皇・皇后、障害者支援施設視察

:質問:

@自分の曽祖父の代まで、そういう地区出身かどうかというのは調べてもらえるのでしょうか。
A調査の結果は書類としていただけるのでしょうか。
B曽祖父。祖父の出身が同和地区かどうかを調べる場合のだいたいの金額はいくらぐらいでしょうか。


:回答:完璧に調べる方法はある。

ただ、貴方が穢多だった場合、自殺、、、。。。魔の宗門人別改帳、江戸時代穢多管理は仏教(宗門)で行っていたので菩提寺が穢多寺なら絶対穢多で一般百姓は原則穢多寺を菩提寺に出来ません。曽祖父の嫁、曽祖母の菩提寺もついでに調べたら完璧に判ります。どの寺が穢多寺だったかは今でも完璧に判ります。逃げられません。徳川幕府の完璧な穢多部落民、嫌悪・忌避・排除に感謝すべきですね。

私は前、この菩提寺による穢多判別の回答をしましたが、穢い穢多部落民共によって削除されました。でも、これが核心です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12163671097



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昔、三宅久行さんから聞いた話 2012/11/16 03:24


あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、テレビで活躍中だった。

空港まで車で三宅さんを迎えに行った。高速道路を走りながら車中で、昭和天皇の話になった。

三宅さんが、日本史の江上さんから聞いた話だと。

あの騎馬民族説の江上さんですね。

そう。

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、昭和天皇に質問したそうだ。
天皇は、オフレコならばと前置きして答えられた。


Q:天皇家の先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。

三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。

現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。
http://akirakakun.iza.ne.jp/blog/entry/2928306/

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、

天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 知らない方が良いこともあるのだ と答えたという研究者の話が伝わっています。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html



karasawa7772000さん 2010/10/19

律令期・7〜8世紀頃における渡来人

当該期、半島情勢の動乱によって多数の人々が日本に亡命しています。

※ちなみにこれ以前の渡来(弥生時代前半を除く)については、当該期の記録に比べると格段に少なく、遺伝学的な影響を及ぼすほど多数とは言い難い、というのが現在までの研究成果とされる。

事例を挙げますと…。


・天智天皇5年:百済男女2000人
・天智天皇8年:百済人700人余
・天武天皇13年:百済の僧尼と俗人23人
・持統天皇元年:高句麗人56人
・持統天皇元年:新羅人26人
・持統天皇2年:百済人
・持統天皇3年:新羅人
・持統天皇4年:新羅人12人
・和銅8年:新羅人74人
・霊亀2年:高句麗人1799人
・天平5年:新羅人56人
・天平宝字2年:新羅人74人
・天平神護3年:新羅人193人
・宝亀11年:新羅人


ちなみに奈良時代の総人口は、『延喜式』規定の出挙稲額と常陸国の出挙稲額を比例計算したした結果、600万人前後と推定されているそうです。

すなわち、上記の数値は今日(1億2千万人として)に換算すると20倍近いものとなります。

一つの都市に相当する人数が渡来したことになり、当該期いかに多い人間が来たかわかります。

この中には宮廷で高位に就く者もいたばかりか、白村江の戦いの結果、亡命してきた百済王(の系譜)なども含まれております。


朝鮮半島経由で稲作が伝播した理由には、遺構自体の類似性もありますが、何より出土する遺物に幾つもの同一性があることが両者の行き来を示すとされています。

事例を列記します。


・遼寧式銅剣
分布が遼寧省(中国東北部)を中心とすることからこの名が付いた。
紀元前9世紀に出現したとされ、遼東半島〜朝鮮半島(比来洞遺跡・松菊里遺跡)〜今川遺跡(福岡県)などで出土。

・磨製石剣
・諸手鍬、エブリ、石包丁、石鎌など農具
・蛤刃石斧、抉入柱状石斧、扁平片刃石斧など木工具


…これらは従前の北部九州・縄文晩期には見られない製品で、総て大陸を遡源としているだけでなく、石製である点にも注意せねばなりません。

当該期、中国大陸ではこれら道具の多くが金属製品に代わっていて、朝鮮半島・日本では石製を使用していたのです。

同時に型式的類似性もある、というかソックリなものの方がむしろ多数を占めます。

縄文時代にも「オサンニ釣針」や「キバノロ牙の加工品」など、九州と朝鮮半島が古くから交流していた物的証拠が幾つもあります。

※特にキバノロは日本に生息していない点に注意。

ただし、縄文時代後晩期〜弥生時代前半において文物が伝播したのは朝鮮半島経由のみではなく、北方からもあったとされます。

・三足土器(亀ヶ岡式土器に数例)
・内反り石刀(同)
・玉斧(山形県中川代遺跡)
・中国製青銅刀子(山形県三崎山遺跡)

…こうしたものは、分布などから考えて中国北方〜沿海州などから伝わったものとされています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1448933639?fr=rcmd_chie_detail


何かの本に

和泉式部日記の時代の大和朝廷族は読み書きを含め漢語を話していた、完全な漢文化民族だったと、確か女性の研究者だと思いましたが、ハッキリと書いていました。その通りだと思います。宮中独特の言葉と言うのはその時代の漢語の名残に他ならないのでしょう。

いづれにせよ天皇と公家たちは明らかに漢民族「O3」と思われます。

楽浪郡、帯方郡など中華王朝の出先機関が牛耳っていた韓半島での生存競争を勝ち抜くことができず、流れ者武装集団として日本列島に逃げ込んできた戦闘集団の中で最後に勝ち残ったのが大和朝廷族となったようです。

縄文―弥生混成集団は本来戦闘集団ではなかったため、容易く征服されていったようです。

この「O3」は韓半島の支配階級でもあったため、韓半島も日本列島も漢族の支配した土地であったことがよくわかります。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/

「朝鮮と日本の神話を考える」 上田正昭 京都大学名誉教授

 敬愛してやまない末本徹夫さんがお亡くなりなって早くも2周年になります。仏教で申しますと3回忌になりますが、徹夫さんは京都大学の先輩でもありました。学生でありながら京都市会議員に当選され、人権問題、とりわけ日朝友好促進に力を入れられました。末本徹夫さんを偲んでの2周年の集いに「神話の問題」の話をしてほしいと雛子さんから言われまして喜んで参上した次第です。末本徹夫さんの写真がここに置かれていますが、その志を受け継いでいきたいと念じております。

 今日は「朝鮮と日本の神話を考える」というテーマです。新しい歴史教科書の問題がありますが、歴史学も科学です。小説家の歴史ではなく、歴史的事実を正確に認識することが大前提になります。伝仁徳天皇陵も仁徳天皇が葬ってあるかどうか大変あやしいのですが、伝仁徳天皇陵は私が学長をしていました大阪女子大学の近くにある日本最大の前方後円墳です。巨大な前方後円墳の仁徳天皇陵と伝えられている古墳ですが、堺では大仙という地名がありますので、我々は大仙古墳と言っています。大仙古墳を天皇を尊敬する方々がご覧になったら全長六百メートルの古墳になる。天皇制に反対の方がご覧になったら二百メートルだ、ということでは学問として成り立たない。

歴史は解釈の問題も大事ですが、誰がどういう立場で言おうと、史実は変わらない。正確な史実をまず認識するということが学問としての歴史研究の第一歩です。神話についても皇国史観の人が解釈する神話と、左翼の人が解釈する神話で全く違う評価が生まれるということでは学問になりません。

神話の定義

そこで神話をどう定義するか。定義が正確でないと内容が間違って解釈されることになりかねないと思います。「神話」という漢字の熟語は中国の古典にもありません。漢字文化圏である朝鮮半島の古典にも神話という漢字の熟語はありません。中国の『三国志』にも神話という文字はない。翻訳漢字です。日本の学者が1890年代に英語のmyth,mythusを「神話」と漢字に訳したものです。神話という翻訳漢字は失敗であったと思います。神話は神様の話という単純なものではありません。

日本の古典の中に神話に類似する用語があるか。「神語」というのはあるんです。『日本書紀』、皇極天皇2年、同3年の条、西暦643・644年の条に「神語」と文字があります。「カムガタリ」という方が皆さんがお考えになっている神話の意味がより正確に言えると思います。神の語りです。神話の定義は神話学者の数ほどあると言われるようにいろんな定義があります。

ギリシャ神話とか文字に記録された神話は神話の本来の姿ではないんですね。記録された神話は第二次、第三次の神話です。書かれた神話は本来の神話とは違うということです。文字を知らない人や、民族でも神話を持っています。なぜなら神の語りだからです。耳から口へ、口から耳へと語り伝えていくものが本来の神話です。文字に属するのではなく言葉の世界に属します。ホーリー・ラングウェッジ、聖なる言葉が神話の大事な点です。

沖縄の研究も復帰前から進めてまいりました。沖縄での国際会議にもたびたび招かれています。沖縄が本土に復帰する以前、米軍が占領していた時代、沖縄に行くにはパスポートがいった時代です。その時代から沖縄の調査をしていますが、本島から先島つまり宮古、八重山諸島など台湾に近いところです。

たとえば宮古島では神話が伝わっていますが、記録にはない。巫女さん、「ツカサ」のおばあさんたちが神話を言葉として語り伝えている。祭りの場で伝えられる。記録としてはないわけです。祭りに参加しなければ神話は聞けない。日常は語られません。男子禁制なので入れない。ツカサの神話の語りを録音させてほしいと申し入れて、

「祭りの場でもないのに語れません」

と拒否されました。お供えをして帰ろうとしたらおばあさんが

「待ってなさい。あなたは神の子だという御告げがあったから語ってあげます」

と録音させていただいたこともありました。

記録された神話

 『記・紀神話』といわれているものは、語られた神話ではなくて書かれた神話です。『古事記』は3巻あっては上巻に神話が書いてある。『日本書紀』は30巻ありまして、巻第一と巻第二が神代の話です。『古事記』は和銅5年、西暦712年正月28日に完成しましたが、時の天皇家の立場から作為的に記録されたものです。天武天皇の勅語に

「偽を削り、実を定める」

と書いてある。天皇家の立場からこれはふさわしくないというのは削ってある。天皇家の立場から書いている。神話のすべてを書いてあるわけではありません。


例えば今日の話について皆さんは、私の言葉を速記するなら別ですが、上田の話はここは大事だなと思う箇所を書いておられる。全部書いているわけではない。皆さんの日記でも全部正確に書いているとはいえない。都合の悪いことは自分の都合のいいように書く。日記だから本当のことが書いてあると思ったら間違いです。将来、孫が読むかもしれない。「おじいちゃんはこんなに立派だった」と第三者を予想して書いている場合もある。

記録する時には作為がある。歴史学をやるものは、書かれたものが全て本当だと思うようでは歴史研究をする資格がない。どこが本当で、どこがウソか文献批判が必要です。ラブレターはそれの最たるものです。「私はあなたを愛しています」と書くわけです。その瞬間はそう書くんです。口説くために。騙されて結婚して今日に至っている人もたくさんいると思います。ラブレターの文献批判をしていない。

自由民主党の新聞に書いている内容と共産党の新聞に書いている内容では違うことがありうる。一つの事実がさまざまに記録されるわけです。新聞が書いているからその通りだと思ってはいけない。毎日新聞の立場がある。朝日新聞には朝日の立場がある。6紙くらい読んでどれが真実かと考える。

 これは文字による記録の限界なんですね。書かれた神話には誇張の潤色が入る場合がある。『古事記』や『日本書紀』が日本の神話のすべてだと言っていたら、神話を教科書に載せる資格は全くない。こんな教科書で勉強するのは気の毒です。戦争中はそういう教育を受けた。神話を疑ってはいない。神武天皇橿原宮で即位された。「紀元は二千六百年、ああ一億の」という時は中学2年生でした。昭和15年。私は級長でしたから並んで国旗掲揚をしました。

紀元二千六百年の元年は西暦ではB.C.660年です。縄文時代の晩期の頃です。弥生時代の前です。そういう時代に日本国ができたというのは、少し勉強したらちょっと待ってくれと言わざるをえない。日本国家が縄文時代にできたなんてことはありえない。邪馬台国よりはるかに昔の話ですよ。邪馬台国の卑弥呼の時代は紀元後3世紀前半の話です。そのときから900年くらい昔の話です。日本国が誕生したという考えには幼稚園の子どもでも待ってくれと言わざるをえないのではないでしょうか。だけどそれは『日本書紀』に書いてあるわけです。『日本書紀』に書いてあるからその通りですと言うていたら、ウソということになるわけです。

神話とはなにということを理解していただかないと、これからお話する日本と朝鮮の神話の問題も間違ってくると思います。神話はまさに聖なる言葉でした。

神話とよく似た言葉には「伝説」「昔話」があります。語り伝える口頭伝承です。言葉の世界に属していますが、しかし内容はみな違うんです。

神話は神様が出てくる。この世のはじめ、天地開闢と関係がある。

「この世のはじめにおける神と人との重要な出来事を語り伝えた聖なる言葉」

が神話です。ハレは非日常、ケは日常。神様をお祭りするハレの時に着る着物が本来の晴れ着です。日本人の晴れ着は祭りの日に着る着物です。ケ着は日常の着物です。ハレの非日常の聖なる時と場の語りが神話です。神の行いを信じるという信仰が神話にはある。語られている内容がどんなに非合理であっても。

国産み神話。イザナギとイザナミの命が鉾を天空から海中に下ろして、それが塩で固まって島ができた。次々に国を生んでいく。塩が固まって島ができる、国土ができる。全く不合理な話ですが、語っている人、聞いている人が信じていた。信仰です。祭りの場に参加していないと聞けない。信じてかつてそのような出来事があったことを深く信じている。

 ところが伝説というのは全く違うんです。ある特定の物に則して語られる。伝説には神様が登場しなくてもいい。即物性がある。弘法大師が池をつくられた。弁慶が運んだ石がある。義経が腰をかけた石がある。何か物に則して伝説は語られる。語られている内容は自分たちの祖先がやってきたこととして語る。伝説には何年何月何日、「頃は元禄15年12月14日」は忠臣蔵の日ですが、日時まで物に則して語られる場合がある。

昔話は語られる内容が全く違う。どの昔話でも「昔、昔、あるところに」と時がわからない。伝説は特定している。昔話は特定しない。「で、あったとさ」と語りの最後は結ばれる。もちろん土地の言葉で語られる。伝説や昔話はケの語りです。いろり端で語る。「昼の話はネズミが笑う」という諺がありますが、夜、語られる。

神話はケの語りではない。神を祀るというハレの時と場で語られる。文字を知らないどこの民族でも神話はある。朝鮮民族には朝鮮民族の神話があり、日本民族には日本民族の神話があるわけです。それが後に記録化される。日本の場合は記録化された神話としては『古事記』『日本書紀』が有名です。

『古事記』『日本書紀』以外も我々の祖先のことが書かれているものがあります。『風土記』があります。『古語拾遺』は西暦807 年にまとめられたものです。『風土記』は各国々で編纂されましたから国々にあります。語り部の神話の記録もあります。『万葉集』の中にも『延喜式』にもあります。『先代旧事本紀』の神話もある。『古事記』や『日本書紀』だけが日本神話のすべてではないということを押さえておかないといけないと思います。

朝鮮の神話では

 朝鮮の神話はどうか。もちろん朝鮮民族の神話も最初から文字で書かれたわけではない。好太王碑文は有名ですが、その冒頭は建国神話で、高句麗の祖先はこういう人たちであったと語っているわけです。25、26年前、高句麗文化展がありました。京都市立美術館で朝鮮民主主義人民共和国から貴重なものを送っていただきました。京都を皮切りに巡回されました。私は西日本の高句麗文化展の責任者だったんです。東日本の責任者は騎馬民族説で著名な江上波夫先生でした。

碑は高さが6メーター38センチあります。これをレプリカにして送ってきましたが、美術館に入らない。京都の場合は屋外に展示しました。そのはじめに高句麗の神話が書いてある。広開土王という高句麗の王様の石碑が彼の子どもの長寿王の2年の時に建った。西暦414年、5世紀のはじめです。[史料5]この碑文が有名なのは、碑文に

「由来朝貢而倭以辛卯年来渡」。

西暦391年に倭人が海を渡ってきた。「百殘」は百済です。「新羅以為臣民」と書いてあります。

倭イコール大和朝廷と解釈しているのは歴史的事実に反します。

倭をどう解釈するか問題があるのですが、北九州を中心にする倭の勢力が海を渡ってきて、朝鮮半島の百済、新羅、伽耶を破って臣民にしたと書いてある。

これを明治以来の日本の政府はかつて朝鮮半島は日本の属国であったということをこの碑文を証拠に言ったわけです。その中心になったのは東京帝国大学の先生方ではなく、陸軍参謀本部なのです。そのことを明らかにしたのが、在日の歴史家の李進熈さんです。和光大学の名誉教授の考古学者です。

陸軍参謀本部が改ざんしたのだというのが李さんの説です。李説が発表された時、中国の学者も韓国の学者も台湾の学者も日本の学者もショックを受けた。好太王碑文の陸軍参謀本部の改ざん説が契機になりまして、好太王碑の研究が前進しました。その功績は高く評価していますが、改竄説には賛成してはいないのですが、李さんの問題提起がなければ好太王碑の研究はあれほど盛んになるとは思われません。

共和国の学者も好太王碑についての論文も書きました。中国の学者も書きました。好太王碑をめぐって大変な論争を展開することになります。その火付け役をしたのが李進熈さんです。このことはちゃんと認めないといけないと思います。

 好太王碑が立っているところは中国の吉林省にある集安、鴨緑江を挟んで対岸は朝鮮で共和国の皆さんが歩いておられる姿が見えます、川を挟んで。

その碑文の調査に私は3回行きました。碑文の文字は残っているのですが、剥落して判読できないところも若干あります。

 この碑文が大事なひとつは高句麗の神話が記述されている事です。

朝鮮にも古典はたくさんあります。たとえば『三国史記』がありますが、『古事記』や『日本書紀』より出来たのははるかに遅いんです。1145年に編纂の命をうけて書かれました。12世紀のなかば、日本でいえば平安時代の終わりです。平清盛の頃に書かれた神話を高句麗の本来の神話として議論してはいけない。

高句麗の神話は5世紀にあったということは好太王碑文を見たらわかるわけです。この碑文ができたのは414年です。414年の好太王碑文の最初に神話が書いてある。

「惟昔始祖 牟王之創基也」。

朱蒙が高句麗の基を築いた祖先である。

「出自北夫餘天帝之子」、

天の神様の子どもであって、お母さんは「河伯女郎」なり。河の神の娘である。お父さんは天の神様。お母さんは河の神の娘である。卵を裂けて世に降りる。生まれながらにして聖。

高句麗には5世紀のはじめのころに建国神話があったということは、好太王碑文によってわかるわけです。もちろん書かれた神話ですが、そういう神話が5世紀のはじめに高句麗にあったことを物語っているわけです。

 昨年12月23日の天皇誕生日の前の12月17日、宮中で記者会見があった。記者クラブが7つ質問している。その中の一つが

「来年はワールドカップで日韓共催でやる。天皇はどう思われるか」

という質問に

「自分の先祖である桓武天皇の生母高野新笠は百済武寧王の子孫であった。
韓国とのゆかりを感じます」

と語られたわけです。私にもすぐ朝日新聞社からコメント依頼がきました。私が感動したのは、人物の交流が皇室を含めてあったのだけれども

「不幸な関係があったということも忘れてはなりません」

とちゃんと言っておられる点ですね。そこがあまり報道されてないんです。

 私は朝日のコメント依頼に「そこが大事だ。それを書いてくれなければコメントしない」と申し上げたのです。1月16日、京都新聞には載りませんでしたが、共同通信が後追いの記事を出しました。なるほどと思ったのは「誕生日の記者会見くらいは自分の言葉で言わせてほしい」と言われたそうです。宮内庁のチェックはなかったようですね。宮内庁は大慌てになったということを1月16日の共同通信配信で知りました。私はその日、松江に行っていまして、山陰中央新報で知りました。実はこれは、神話の問題とも関係があります。


桓武天皇のお母さんの高野新笠は、勅撰の歴史書である『続日本紀』が明記するとおり武寧王の子孫ですが、延暦8年12月に亡くなります。お葬式は正月にあった。葬ったのは大枝の沓掛にある旧山陰道の右手の山の中腹。そこに高野新笠のお墓があります。階段を登らないと行けません。延暦9年1月にお葬式をしている。

『続日本紀』に新笠の伝記が書いてある。どういう人だったかということを書いて百済の神話を書いている。そこに書いてあるものを読むと

高句麗の建国神話と百済の建国神話が同じであったことがわかります。今、残念ながら朝鮮人民民主主義共和国と大韓民国は分断されていますが、百済の建国の神話と高句麗の建国神話は同じです。在日の皆さんが自分の祖国の神話も知らずにいるというのでは残念です。

朝鮮と日本の神話の類似性

百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。

百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。

百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。

新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。


 共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。

同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。

伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。

 「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。

そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。

伽耶の国の建国神話があります。[史料4]

「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。

禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。

「所居北亀旨(クシ)」。

今も首露を祀っている廟があります。

「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。

変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。

「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」

と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。

 天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。

朝鮮と日本の神話の相違性

 日本の神話と朝鮮の神話は極めて類似性がある。
玄界灘を隔てて隣り合っている国ですから共通性がある。
日本の神話と朝鮮の神話には共通性がある。

比較というのは似ている点だけをすることではない。どこがどう違うかということを正しく理解することが極めて重要です。朝鮮の文化と日本の文化のどこが共通しているか。

日本の中に朝鮮の文化がこんなにたくさんある。
遺跡めぐりをしても朝鮮の文化が各地にある。
それにあわせてどこがどう違うかという、共通性だけでなく独自性も見ていないと、本当の友好、連帯はできない。全く同じだったら改めて勉強する必要はないんです。キムチと漬物の文化とは違うじゃないですか。

なぜ違ってきたのかを正しく理解しなければ、本当の連帯はできない。同じだと言ってばかりいると「日鮮同祖論」になる。祖先は同じなんだから日本に朝鮮が併合されてももとは一緒ではないかという論理と類似のものになってくる。どこがどう違うかということだけを言っていても具合悪いんですね。共通性と独自性の両方を理解することが必要だと思います。


 書かれた日本の神話と、書かれた朝鮮の神話の決定的に違うところが三つあります。それも知っておく必要がある。

クシの峰、天降った山の名は類似している。

けれども、日本の神話では「荒ぶる神」がいた。降ってきて平定するんです。

高天原から降って「言向和平」する。

朝鮮の神話では違う。民衆が

「どうか神様降ってください」

とお祈りすると降ってくる。 [史料4]「又曰 

皇天所以命我者 御是處 惟新家邦 為君后為茲故降矣 称須掘峯頂撮土 歌之云 亀何亀何」。

もしもし亀よ亀さんよと歌うわけです。

「首其現也 若不現也 燔灼而喫也」。

亀さんの姿を現せ、そうでなければ焼いて食べるぞと。民謡だと思います。

「以之踏舞 則是迎大王・歓喜踴躍之也」。

神が降ってきたといって民衆が喜び、踊り回る。

「歓喜踴躍」する。すばらしいシーンです。


 朝鮮の高句麗や百済、伽耶の神話の場合は卵が天から降ってきて、それが割れて中から誕生する。卵から生まれるという卵生型は日本の神話にはありません。

 そして朝鮮の神話ではお供を連れて天降ってこない。単独降臨です。

日本ではお供の神様がついてくる。

アメノコヤネの命は中臣氏の祖先です。瓊瓊杵尊と一緒に天降ってくる。

後の天皇家の周辺の有力貴族の祖先も一緒に天降ってくる。
朝鮮には檀君神話を除いて随伴神伝承はないんです。
後の時代はお供が増えますが。そのように内容が違う。


 もとは共通であったはずの朝鮮と日本の神話がなぜこのように違ってきたのか。

語られた神話、『古事記』『日本書紀』に書かれる段階で、すでに我が国には天皇制があった。

天皇制を背景にできあがった『古事記』『日本書紀』の神話に対して、朝鮮の場合は貴族の合議制。王者はいるのですが、貴族が合議しながら政治をやる(和白制)。

よりデモクラティックな民主的な要素の強い朝鮮社会と、我が国のように天皇制を中心にする社会体制ができあがっている。記録化の背景が違ってくる。社会の仕組みが違うので神話の内容も専制的なものになっていく。極めてデモクラティックな朝鮮との違いができたのではないかというのが私の説です。文庫本(日本の神話を考える)をお持ちの方もおありのようですが、そこにも詳しく書いておりますので参考にして下さい。

 韓国、朝鮮は日本と最も近い国です。善隣友好、隣と仲良くできなくて、どうしてアメリカ、ヨーロッパと仲良くできるか。近くで対立しているようでは、国際化日本にはなれないと思います。そのためには日本の文化と韓国、朝鮮の文化のどこが共通しているかを確かめると同時に、なぜこんなに違ってきたのかということを相互に詳しく理解しなければ本当の信頼関係は生まれないと思います。国際化ということは、相手を知ることがまず第一です。

我々が朝鮮の文化、朝鮮の歴史、朝鮮の生活を知る。そして己を知る。自分を知る。日本人が日本を知らなくて国際化なんてできません。在日の皆さんもそうです。朝鮮の皆さんが朝鮮のことを知らなくてどうして国際化ができますか。朝鮮民族が日本のことだけを知っているのではなく、己を知ることも大事です。いかに友好の関係史があったか。そのことにあわせて極めて不幸な侵略の歴史、大変なご迷惑をかけた、拭うことのできない歴史も忘れてはなりません。

共通の認識と共にどこがどう違うか。異質性、独自性の認識が正しい理解を生むのだと思います。共通性もありますが、違う点もあることをよくご理解いただきたいと思います。以上で終わらせていただきます。

ご静聴ありがとうございました

質問 三つだけ教えてください。

@神話は科学的に実証することができるかどうか。
A真床追衾(まとこおふすま)について。
B邪馬台国について。

上田 神話を正しく理解するには書かれた神話、記録化した時にどこにどう手を加えたということを知ることが大事です。原像を復元することはむずかしいと思います。しかしその作業をなおざりにはできません。

 2番目の真床追衾。マは形容語で、寝床の床です。高御座の台です。
被りものを被って降臨する。オブスマは被りもの。スマは中が空洞になっているものです。

 3つ目に邪馬台国、卑弥呼の時代は3世紀前半です。
邪馬台国は私の考えでは前期邪馬台国と後期邪馬台国に二つに分けて考えられる。

後期邪馬台国は畿内の大和だと思います。前期は九州だと考えています。

講談社学術文庫『大和朝廷』に私の説が書いてありますのでお読みください。大王家の祖先は邪馬台国の卑弥呼になるのですが、神武天皇が北九州から入ってくる。北九州から大和に入ってくる伝承を全くの架空とは断言できない。西から東に王権が移ったということがあったに違いない。考古学は1、2世紀の文化は畿内大和より北九州の方が進んでいる。3世紀では畿内大和が進んでいる。

弥生時代の前期は九州の方が進んでいる。弥生時代後期は断然大和が進んでいる。2世紀後半に遡る可能性がある。最近は畿内説の方が調子がいい。畿内説から九州説に寝返った人もいるが、私は一貫して畿内説ですが、生え抜きの畿内ではない。邪馬台国後期の畿内論です。

(2002年1月26日 講演記録より)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html


「朝鮮隠し」 と 「日本神話」

「白村江の戦」で新羅に破れ国を追われた百済人は、故郷を追われた怨念もあったであろうか、追われた身としてではなく「天から降臨した神の子」として新天地づくりに熱情を傾けた。自分たちの国として、自分たちの位置づけを明確化し、故郷に対する優越意識を高めるために、「朝鮮隠し」なるものを発揚させたのである。

「日本」という国号を作り、「我々は日本人である」という意識高揚が、現日本人の祖先の位置づけを曖昧化させた。朝鮮系の地名・人名を変え

加羅→唐 高麗→呉 金→今、

その風潮は1300年経った現在も消えず、朝鮮の痕跡を顕在化させまいとする歴史が今でも点灯している。

「日本神話」の真実

ソウル市内の国立中央博物館で韓国の「檀君神話」 と「日本の建国神話」 を比較考察する学術会議が開催されたとき、アジア史学会会長 上田正昭氏の論文が事前公開された。その際、上田氏の

「天孫が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」

という記述に注目が集まったという。日韓の神話を比較研究してきた上田氏は、

日韓の天孫は山頂に降臨しており、共通点が多い

と主張。百済の神の存在が、日本で継続的に命脈を受け継いできたと指摘しているという。


日本の建国神話は、韓国の「檀君神話」の影響を大きく受けており、この事実は韓国だけでなく日本史学界でも認められているという。「日本神話」は、主に八世紀初めに書かれた「記紀」の記述がもとになっている。

この説は、「駕洛国記」による韓国の降臨地「亀旨kuji」と「記紀」による降臨地「久志」の音がそっくりであることからも否定できないという。

日本にも朝鮮にも、「仏教」以前から「神道」が存在している。

「神道」は、朝鮮半島の古代文化を形成した北方民族 (騎馬民族) のシャーマニズムに由来すると言われている。北方民族のシャーマニズムは「天孫降臨神話」をもっており、「天孫降臨神話」が日本にも朝鮮にもあるということは、騎馬民族によって形成された朝鮮文化の流れに日本も乗っていることになる。

弥生時代から急増した朝鮮渡来人が、倭国へ「神道」をもちこんだのはごく自然な流れだろう。

梅原猛は「芸術新潮(2009年)」の大特集「古代出雲王朝」で、

「日本書紀の記録や出雲で発見された古墳・遺跡・大社の社などから判断すれば、

スサノオは朝鮮半島から出雲へ来た

という説が正しい。スサノオがヤマタノオロチを切った刀は韓鋤の剣であることからしても、スサノオが韓国から来た神であると考えるのが最も自然であろう。

スサノオに始まる出雲王朝には朝鮮の影が強く差している。」

と述べている。さらに、梅原猛は、著書『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』で、

「出雲王朝の創立者は韓国系と考える。

その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。
銅鐸の起源は韓国の貴族が双馬馬車につけていた鈴だ。
スサノオが韓国からきたとする説はますます有力になっている。
新しい日韓関係を見せてくれる。韓国に注目しなければならない。
古代日本にとって、韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた。」


と述べている。

出雲市の斐伊川の上流に「鳥髪」という所がある。

市町村合併によりその地名なくなったが、奥出雲の「鳥上小学校」「鳥上公民館」の「上 かみ」は「髪」の音から転用した語である。

AD四世紀ごろ スサノオは韓国の「소머리 somoli 牛頭」から奥出雲の「鳥髪(とりかみ)」へ渡来し、「たたら流し」のリーダーとして名を成した人であるという。

スサノオは砂鉄によって「草薙の剣」を作った偉人という伝説があり、「草薙の剣」はヤマタノオロチの尾にあった剣のことである。「記紀」の神話を書く際に、フィクションのモデルにされたのはスサノオであろうという説がある。奇妙に思うかもしれないけれども、

「記紀」を書いたのは渡来人(主として百済のエリート)であり、「記紀」が書かれるより300年前の伝説の人 スサノオも渡来人である。

「日本神話」の成立についてのこのような話は、現在の日本人にとって想像を超えた物語に聞こえるだろう。


「소머리 somoli 牛頭」と「鳥髪(とりかみ)」は同じ言葉で、「소 so 牛」が「새 se 鳥」に転訛し、「머리 moli 頭 髪」は「鳥髪」の「髪」と同じ言葉であるという。

スサノオが天から降りて来たという神話は、朝鮮の「天孫降臨神話」を模したものでフィクションに過ぎない。このような真実を、馬鹿馬鹿しい想像によるものであると影に移し、「記紀」が書かれて1300年たった現在ですら「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」は日本神話の真髄である。朝鮮の影が映っている歴史は影に過ぎないと追跡せず、朝鮮由来の歴史は朦朧と曖昧化されている。従って、日本の古代史の書籍には「謎である」という解釈が目立ち、日本語のルーツは明治以来150年にたってもわからないのだから、今後も「謎だらけ」であろうと豪語する学者らしき人の書籍が店頭を飾っている。
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1eca.html

[庚戌国辱100年紙上座談会・上]韓日元老6人が100年を論ずる
◇古代からの韓日交流史 2010年04月14日 中央日報/中央日報日本語版

−−韓国と日本は古代からさまざまな交流をしてきた。 お互いどんな影響を及ぼし合いながら現在の社会文化を形成してきたと考えるか。

梅原猛=中国の先進文化は韓国を経由して日本に入った。
私は今月、『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』という本を出すが、

出雲王朝の創立者は韓国から来たと考えている。

『日本書紀』に多くの文書があるが、そのうち3つの文書は‘韓国系’と把握している。 これは新しい考えだ。

弥生(BC200−AD300)時代には日本海(東海の日本式表現)側が日本の中心部だった。 したがって越の国、今の新潟県から移ってきた国が出雲を支配していたが、韓国から来たスサノオ(日本神話の人物)が出雲を越の国の支配から独立させた。

出雲王朝の創立者は韓国系と考える。

その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。 大和王朝の鏡に代わるものだ。 銅鐸の起源は韓国の貴族が双頭馬車に付けて入った鈴だ。

(神話に出てくる)スサノオが韓国から渡ってきたとする説はますます有力になっている。

新しい日韓関係を見せてくれる。 韓国にまた注目しなければならない。 古代日本にとって韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた恩人だった。

朴泰俊(パク・テジュン)=古代韓国は日本に文明を伝授した。
ポスコがある迎日湾の村には、『三国遺事(サムグクユサ)』に記録されている新羅時代の「延烏郎細烏女」という夫婦の話が伝えられている。

この夫婦が日本に‘太陽と月’(光)を伝え、王と王妃に推戴されたという話だ。

‘光’は文明を意味する。

1973年に迎日湾には日本の協力で新しい‘光’が誕生した。 溶鉱炉の光、すなわち浦項製鉄だった。 迎日湾を背景に両国間でやり取りした‘光’の話は、両国関係の未来を照らす灯火と考えてもよい。 韓日間には日本の侵略と植民地という痛ましい歴史もあったが、お互い助け合いながら発展した時期も多かった。
http://japanese.joins.com/article/246/128246.html?sectcode=&servcode=A00


178. 中川隆[-12548] koaQ7Jey 2018年5月24日 13:12:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14284]

ミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道以前の古神道


1) ミソギ(禊)・ハラエ(祓)の神道


幸霊 奇霊 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ
幸はへ給へ 照らし給へ 導き給へ

掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神  ◇       ミ ◇     祓へ給ひ清め給へと
筑紫の日向の橘の          ◇◇   / ̄| ◇◇.   まをすことを聞こし召せと
小戸の阿波岐原に        ◇◇ \  |__| ◇ ◇    恐み恐みもまをす。
禊ぎ祓へ給ひし時に           彡 O(,,゚Д゚) /.       
なりませる祓へ戸の大神たち       (  P `O      
諸々の禍事・罪・穢れあらむをば    /彡#_|ミ\    

____

2)弥生人の神道

 
古代の日本人の霊魂観によると、人は肉体と霊魂からなり、また霊魂を「タマ(魂・玉)」と呼びました。生命の維持はタマの働きによって保たれ、死はタマの離脱することだと考えられていたのです。病気や怪我などはタマの一時的離脱であり、死はタマの永遠の離脱(脱出)を意味していました。つまり、「タマ(魂・玉)」は生命活力の根源とされてきたのです。

 「タマフリ(魂振り)」は、「タマ(魂・玉)」を振り動かして、その霊威を高める働きです(魂振・魂殖・魂触・魂降などは少しずつニュアンスが違いますが、生命エネルギーの活性化という意味では同じです)。神や人のタマを人の中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め結び付けること(「タマシズメ(魂鎮め)」)は、霊威が活き震うことの前提であり、「タマフリ(魂振り)」により人の生命力と活動力が強化されると考えられたのです。

 「タマフリ(魂振り)」いわゆる鎮魂(ミタマシズメ・ミタマフリ)は、禊祓(みそぎはらい)と並ぶ神道の重要な行法で、枯渇する人の魂を振り起こし、衰微する魂の生命力を再生する救霊の呪法です。そして鎮魂祭は、人の肉体から遊離しようとする「タマ(魂・玉)」をしっかりと中府(ちゅうぶ・体内)に鎮め固定し(「タマシズメ(魂鎮め)」)、「タマフリ(魂振り)」をすることによって人の生命力と活動力を強化すると考えた古代信仰から生まれた神事(祭祀)なのです
http://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50045056.html

人里に近い山を「葉山」といい、亡者の霊がしばし山中に留まり、この世への執着を絶った後に祖霊となり、やがて里を訪れて子孫に福をもたらしてくれる、という葉山信仰が東北に多く、恐山もその一つだ、といいます。
http://www.kurikomanosato.jp/to-r07simokita.htm

「人が死ねば肉体は滅びても、その霊は祖霊として永遠不滅な一種の生命体となって蘇生復活し、高い山に上って住み、山上から麓の子孫を守ってくれる」と信じられていました。この我が国固有の信仰は、すでに「古事記」にも見られ、永年にわたって脈々と受け継がれてきたのです。

 古来、子孫の生活の中で最も重要なことは「稲作」であり、祖霊なる「ハヤマの神」は、春4月8日ごろ「田の神」とになって田に降りて、子孫の農耕を助け、秋の収穫が終わると、家族と新穀を共食し、10月8日ごろ再び山に帰って休むと信じられていました。

したがって、「ハヤマ」のある場所は、田の見える端の山でなければなりません。もっとも、祖霊の住まう山は「ハヤマ」の冠を持つとは限らず、山形県や秋田県の「モリノヤマ」などは、「ハヤマ」に相当する山です。
http://www.geocities.jp/hayama1462m/hayama-history.htm


_____

3)縄文人の神道  

上の稲作云々の部分は弥生時代以降に変わった部分で本来の神道は:

アイヌの人々が考える宇宙は、この世とあの世とからなる。人間は死ぬとあの世へ旅立つが、そこではあの世での新しい生活がある。そこで一生を終えるのと、またこの世に戻ってくる。この世とあの世とは、同じ生活が営まれているが、季節や昼夜は反対である。

 霊魂 この行き来するものが霊魂であるが、この世にあるすべてのものに霊魂が宿っているとされている。

 アイヌにとってのカミ観念 そうした霊魂のうち、火や雷、地震、津波などの自然現象、クマやオオカミ、トリカブトなどの強い力を持った動植物など人間の意のままにならないもの、力を持ったもの、不思議もの、役に立つもの、あるいは恐ろしいものが、神として崇められ、畏れられた。神は崇められるだけではない。神として崇められた霊魂は、人間世界へなんらかの恩恵をもたらすことで、返礼する。


_____

巫女とはどういう存在かというと、「神と交わる人」だ。

ここで、「交わる」の意味が問題となる。 遠まわしな表現でいえば「神と一つになる」だが、それでもわからなければ「神と寝床を共にする人」だ。 だから、「神」が男神であれば巫女は女性であり、女神であれば逆になる。 そして人は「神の子孫」となる。

もちろんこのような話は、王室の正当性を主張するために作られる神話だ。

吉野裕子さんによると、古代の日本は蛇信仰のメッカだったという。 そして、吉野論の極めつけは、「日本人は蛇の落とし子である」というものだ。日本人は古来より、蛇に対して畏敬の念をもつと同時に強烈な嫌悪の対象として見るという、アンビバレントな感情を抱いていた。

だから蛇に対する信仰は、多くの場合は隠された形で、隠喩として示されてきた。
だから、その謎を解明するのは困難を極める。蛇信仰が縄文時代からあったことは、縄文土器に多く見られる蛇の形からもわかる。

だが、吉野説では、その「縄文」自体が蛇とかかわりがあるという。


さて問題の蛇巫の話だ。

吉野裕子著の『蛇−日本の蛇信仰』では、「蛇巫の存在」として1章を当てている。

そこで吉野は、『常陸風土記』のヌカヒメ伝承と大和の「箸墓伝説」、つまり大物主神とヤマトトトヒモモソヒメ命の神話を比較して、この二つに見られる共通点を以下のように挙げている。


 蛇巫が夜ごと、神蛇と交わること。

 幼蛇を生むこと。

 幼蛇を小さい容器の中で飼うこと。


先に、巫女とは神と交わる者だと書いたが、それに習えば、蛇巫とは「蛇と交わる者」ということになる。吉野は他にもいくつかの例証をあげ、以下のように結論づける。

日本古代蛇信仰では、神蛇とはまず人間の巫女と交わることをその第一義としたから、「祭り」とは要するに巫女による蛇との交合であったとさえ思われる。

また、、太古の諏訪大社の主祭神であったと思われるミシャグチ神についても、諏訪大社の代々の最高神官であった大祝(おおはふり)はミシャグジ神の蛇巫だったとしている。

諏訪大社ではたしかに蛇あるいは龍神とのかかわりが密のようであり、そのことは現在の諏訪大社の主祭神である諏訪大明神つまり建御名方神においても受け継がれているようだ。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20041009/1202903595


▲△▽▼


縄文時代の宗教はアイヌのシャーマニズムとして伝わっています:


これが本来の神概念

アイヌとカムイ

アイヌ民族の伝統的な世界観では、カムイは動植物や自然現象、あるいは人工物など、あらゆるものにカムイが宿っているとされる。一般にカムイと呼ばれる条件としては、「ある固有の能力を有しているもの」、特に人間のできない事を行い様々な恩恵や災厄をもたらすものである事が挙げられる。そして、そういった能力の保持者或いは付与者としてそのものに内在する霊的知性体がカムイであると考えられている。

カムイは、本来神々の世界であるカムイ・モシリ (kamuy mosir) に所属しており、その本来の姿は人間と同じだという。例えば下記のアペ・フチ・カムイ (ape huci kamuy, 火の老婆のカムイ) なら赤い小袖を着たおばあさんなど、そのものを連想させる姿と考えられている。そしてある一定の使命を帯びて人間の世界であるアイヌ・モシリ (aynu mosir) にやってくる際、その使命に応じた衣服を身にまとうという。例えばキムン・カムイ (kim un kamuy, 山にいるカムイ)が人間の世界にやってくる時にはヒグマの衣服(肉体)をまとってくる。言い換えれば我々が目にするヒグマはすべて、人間の世界におけるカムイの仮の姿ということになる。

名称ではキムン・カムイ、コタン・コロ・カムイ (kotan kor kamuy, 集落を護るカムイ、シマフクロウ) 、レプン・カムイ (rep un kamuy, 沖にいるカムイ、シャチ) のように、「ーカムイ」などのように用いられる。

また、カムイの有する「固有の能力」は人間に都合の良い物ばかりとは限らない。例えば熱病をもたらす疫病神なども、人智の及ばぬ力を振るう存在としてカムイと呼ばれる。このように、人間に災厄をもたらすカムイはウェン・カムイ (wen kamuy, 悪しきカムイ) と呼ばれ、人間に恩恵をもたらすピリカ・カムイ (pirka kamuy, 善きカムイ) と同様に畏怖される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4

アイヌのシャーマンの治療分野として大きく以下のジャンルがある。

1.ウェインカラ(透視・千里眼)
霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。「空」の境地に入るといわれる。

2.トゥス
治療師のトレンカムイ(憑き神)や患者の先祖などを降ろし、トゥスクル(トゥスする人)の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はないらしい。

3.ウェポタラ
祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。

4.フッサラ
悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの。 ウェンカムイ(悪霊)払い。

6.薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法)
多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合するらしい。 筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。

9.テクマウ(手当て療法)
カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応するらしい。

これらの秘儀の継承は家系的に受け継がれるのもと、臨死体験し、魂が持っている要素を引き出し秘儀を授かることが多い。


REF034 二風谷アイヌのウェポタラ 1     Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 1         N.G.Munro D-2
13'00" 1933 白黒サイレント
94011001 (ORG・RETAKE)(Hi8), 92090202 93052603 (AGFA版・字幕無・チセノミと混)(Hi8), 96030801 (非復元版・日本語字幕・チセノミ混)(β-CAM)     

帰化スコットランド人医師N.G.マンローは、第二次大戦前、二風谷アイヌへの医療と健康改善につくしながらアイヌ研究を続けた。その中で撮影され、生前未完成に終った悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その1(原版16mm)。エカシの祈祷(アッツシ、イナウ)、儀礼(庭先、家の脇:樹の枝)、治療(庭先・川岸、数種類のイナウ)、樹に祈祷(刀、着物を治療に使用)、火のついた草束を患者がくぐる、エカシの踊り(イナウ、刀の使用)、女性の踊り


REF048 二風谷アイヌのウェポタラ 2      Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 2     N.G.Munro D-2
15'00" 1934 白黒 サイレント
92090202 93052603 (チセノミと混じっている)(Hi8)     

N.G.マンローの悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その2(原版35mm)   

川辺での治療、家の脇での呪い・治療、織物(糸紡ぎ、アットゥシを織る)、揺り篭の子供をあやす、赤ん坊を背負う、頭にのせたものを運ぶ、炉端の周りに集まり食事をする、女性の踊り、輪舞(男女)

http://tokyocinema.net/far-eastlist.htm


不思議なアイヌの超能力


アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56)を取り上げたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E9%9C%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-56-%E8%97%A4%E6%9D%91-%E4%B9%85%E5%92%8C/dp/4098200562


著者の藤村さんは、アイヌ研究の第一人者で、
現在は北海学園大学の名誉教授ですが、
以前、開拓記念館の研究員をなさっていたときに
主に道東各地のアイヌ文化に関してフィールドワークを実施し、
さまざまな長老の方々と語り合う中で徐々に受け入れられ、
その本質に触れていくことができるようになったということでした。

この本の中で「憑き神」について述べられているところを要約しますと、


・誰にでも憑き神は憑いている。

・憑き神は人が生まれるとともにこの世にやってきて、
 その人が死ぬとその霊共々あの世に返っていく。

・先天的に憑いて来る霊には2種類あり、1人から最大3人で-ある。

・後天的に憑く霊は4種類ある。
 非常事態(たとえば病気)などのときに助けに来たりする霊もいれば、わるさする霊もいる。

・個人以外に人間の集団に憑く神もある。家系や村などの集団組織ごとにいる。

・同じ憑き神が複数の人を渡り歩くことはない。

・その人の動きやしぐさを観察すると、その人の憑き神がわかったりする。

・憑き神を知るためには「トゥス(シャーマン)」のところへ言ってみてもらうと判明する。

・その個人が成長するとともに憑き神も成長し、老化する。


…などなど、という感じですね。

現代スピリチュアリズムで言うところ「守護霊」とは同じ雰囲気のところもあれば、
そうでないところもありますが、大きな差異が見られるわけではない、とも思います。
「わるさする神もいる」、ということですから、それは「憑依霊」として分類されますね。

「守護霊」というと、なんでもかんでも守ってくれるもの、と勘違いしそうですが、
「その人(集団)の成長を助けてくれる見えない存在・神さま」と考えるほうがあっているようですね。


そして、それらの憑き神などの存在を、
普段は意識できないように、この世界もできているわけですが、
どうもこれはちゃんといるんだなーと感じる体験ができるのが、
上記にもあったシャーマン的な特異能力を発揮するような人に出会ったときですね。

http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/023/


本の中に「不思議なアイヌの超能力」という章があり、
そこには巫術行為(トゥス)の系統について述べられています。


 ・トゥスは世代世襲制である。家系をはずれてトゥスができるようになる人はいない。

 ・母親がトゥスをする人であって、子供が誰もできない場合、
  母方の兄弟の子供にできる人が現れたりする。

 ・例えば、姉がトゥスをよくする人で、その姉が急死した場合、
  ぜんぜんできなかった弟が代行する場合などもある。


ということで、霊能力には家系が非常に大切と言うことも分かります。

そういえば有名な霊能者さんのお話を聞くと、ご先祖様が霊能者をやっていた方もいらっしゃいますし、
そのままでなくても、お医者さんだったり神主さんお坊さんだったり、という方が多いような気も致します。

そうするとその方の拝む対象や、浄化の仕方なども自然とその系統を受け継いでいくようです。


また「ノイポロイクシ」と呼ばれる能力もあるそうで、
著者の藤村さんがご存知でそれができるという方はお二人いて、まずある古老の方は、


 ・あるときに「頭痛」がして、そうすると五分以内に来客が来ることがわかる。

 ・その来客も遠方から来る見知らぬ人に限って起こる。

 ・必ず頭痛する部位が、頭の右か左に偏り、
  左の場合は位の高いような大切なお客であるし、右の場合は並の人である。

 ・「はげしい頭痛」がある場合は、とてつもなく偉い人の来客である。


ということであり、もう一人のおばあさんの場合は、


 ・来客する1時間か30分くらい前に頭痛が走る。

 ・荒々しい頭痛の場合は女性の来客で、緩やかなときは男性の来客である。

 ・訪問理由の概略と来客の年齢まで分かる。


という感じで、来客に関して分かるという共通点はあるものの、
細部の情報の伝わり方はそれぞれ違うようなのですね。


それで、「どうして分かり方がちがうのか?」というのは、
私の考えでは、おそらく頭痛が走るようなやり方で、その方々の「憑き神」、
つまり「守護霊」さんたちが教えているのからなのではー?と思うわけですね。
つまり、憑き神さんたちとその受け取る人の能力差によって、
サインの受け渡し方法が違うのだろうと思うのです。

ですから、いろいろ便利そうだからと
若い人などが興味本位で超能力を伸ばそうとしてもそうならないのは、
きちんとそれぞれの憑き神さんが受け取る人の能力や人格を配慮して、
受け取る準備ができている人のみに、お知らせを送っているためと思われます。


ちなみに後のおばあさんの場合は、嫁いだ先のお姑さんがそういう能力があった方で、
離婚した後、自分の故郷に帰ってからご自分にも能力が出てきた、ということですから、
霊能力には実際の血のつながりだけでなく、さまざまなご縁も非常に大切なのかもしれませんね。


そのほか、この本にはカラスの鳴き方でもって来客や死別、
向かいの家でご馳走がある、それが自分の家に回ってくるか、こないか(笑)、
天気のよしあし、豊漁の有無などもわかる、ということですから、
カラスさんもいろいろ考えておしゃべりしているものなのだなーとも思いますが、
今ではすっかり忘れられている以心伝心的なコミュニケーションがあったおかげで、
昔の人々も厳しい自然の中で生き延びて来られたのかもしれないと思いましたね。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/024/


アイヌ文化の中のスピリチュアル的な行為の代表としては、
ツス(降霊現象)とウエインカラクル(観自在・千里眼能力)が挙げられるかと思います。

要するに、恐山のイタコさんのような力のある方が村の中にいて、
何か問題が起こるとお伺いを立ててことなきをえた、ということですね、
いわゆる「シャーマン」がいたわけです。

具体的にはどのような感じだったかということで、
今でも活躍中の方がいらっしゃればよいのですが、
なかなか「アイヌ式」などと謳っておやりになっていらっしゃる方は居ないようなので、参考文献として


『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』
 青木愛子 述 長井博 記録
   樹心社 1983年 新版2001年 ¥2000+税

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795224803/reborn0a-22/250-1298541-7861852

の記述をお借りしますね。

『ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。
対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前にいる相手でなければならないということはなく、
電話に出ている1千キロ離れた相手であってもかまわないし、
今どこに居るかわからない人のことであってもかまわない。
想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。
治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。

開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。
貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。
こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヶ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。
生まれる時の様子が見えるので、雄か雌かわかる。

商売の運勢を見てもらいに人が来る。
その商売で動くおかねの様子が見える。
ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。』


…ということで、この本に出て来る青木さんも、
なかなかお見通しな方だったようですねー。
見たくなくても見えてきてしまう、とのことですから、
とても霊感がおありの方だったようです。

それで、そのような能力というのも、
青木さんの場合は、若い頃に死の淵を彷徨ったことから始まったようですね。

臨死体験をして、あちらの世界へ行きかけたのだが、
「お前はまだやりのこしたことがある!」とかなんとか
守護天使さんのような方に言われて舞い戻ってきたら、
いつのまにかそのような能力が付いていた、という体験談も良く聞きますよね。

また強制的に臨死体験をするようなことをして霊感を高める修行は、
各地の伝統宗教などにも良く見られますね。

ネイティブアメリカンの方などでは
呪術師見習いがひとりで少しだけの食糧を持って荒野をさまよい、
精霊の声の導きを待つ、といういわゆる「ヴィジョンクエスト」などもあり、
ほんとに命がけで行なったようです。

ただ共通しているのは、「見える」ようになるということは、
自分ひとりの力で行なっているわけではないと言うことですね。
ただ、聴きに来る方は「その人自体がエライ先生」と言う風に祭り上げやすくなってしまうので、
霊能者自身も勘違いしやすい、道を誤りやすい、という弱点もあるようです。

そのような能力があっても青木さんのようにずっと謙虚な姿勢を保つというのは
霊能者自身にとっても難しいでしょうから、様々な人にできるだけ救いの手を差し伸べると言う事と共に、人間的にバランスを保つというのは、この世に学びにきている大きなテーマかもしれません。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/020/


アイヌ最後のシャーマン_青木愛子フチは「ウエインカラ」ができたそうです。

それは何かというと「千里眼」ですね。

「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;)

まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。


たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。

この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。

あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。

それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。

それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。

だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。

そして書いてあります。


『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。

明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。

何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。


ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。

現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』


ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。
http://blogs.yahoo.co.jp/fy3on3/6770078.html


ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う

1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。 

その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。

 ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。

 アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。

はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。

どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。

これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。

アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。

 表紙の言葉をそのまま紹介すると

「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。

本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」

と書かれていた。

 研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。

「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。

初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。

参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、

「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。

私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。

「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。

連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。


 この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。

質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。

 祈り終わるとババはすぐに

「ババのこと信じるか。」

とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、

「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」

と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も

「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」

と言った。

その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。

この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。

 再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。

生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。


■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬〜夏〜秋〜春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。

 研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。

また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。


しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。

 ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ〜。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。

「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。

「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。

「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。

「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。


ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。

 また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。

「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。

ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。 

皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、

「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」

と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。


こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。

 愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。

 これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。

助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。

つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。


■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。

 私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。

 そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。

唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。

そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。


■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。

「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。

アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。

こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。

 癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。

自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。
http://www2.comco.ne.jp/~micabox/grugru/aiko1.html


青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。

…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。

例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。

ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。


というわけで、愛子さんも小さいころから能力があってということではなく、途中からよくわかるようになって来た方のようですね、さらに、女系の方は代々そのような能力をお持ちの方のようです。

では実際にはどのような感じでわかったかというと、

距離と時間を越えて見える

ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。

これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。

…病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。

牧場主が1〜2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。
商売の運勢を見てもらいに人が来る。その商売で動くお金の様子が見える。ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。

…例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。

死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。

四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。


またオーラはこのように見えていたようで、大変興味深いですねー。


一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。

暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。

明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。


と、なるほど、私も光の量が違うということは良くわかるようで、くすみが内ない人ほど良い人ですよね、しかし、もともと心が温かい人でも、さまざまなストレスがたまっているとその周りにくすみがたまっていってしまって、そのストレスを発散できていない状態が長い間続くと、もともと明るい朗らかな方もふさぎ込むようになってしまったり、ガンコになってお酒に走ったりというわけで、オーラの明るさというのはまず非常に重要かつわかり易いその方の性格、状況の指標になったりしますよねー(^-^)。

ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。

「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな〜い!レインボーブリッジも封鎖できませ〜ん!」

とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。
http://www.uranaiblog.net/user/fy3on3/fy3on3/62550.html


歴代継承者について 本書より引用


この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのままにした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭がよりはっきりしてくるかと思う。


初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。

この初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である

ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている

天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。


天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明のままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。

薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後にアシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。


初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)のシャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回した。


初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して他界した。

この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな
かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には血縁関係のないことを、念を押しておきたい。


この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。

初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであった。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目するカムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。

三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝えられている。シャモであったようだ。

四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリクン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。


五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。

アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。

真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを
行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。


二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。

しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Books/Upashikuma.html


青木愛子さんについては

アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
本多 勝一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022613572

でも詳細に紹介されています。  


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アイヌの信仰 T〔アイヌ人〕


ルナ「アイヌの意味は?」。山崎「アイヌ語で人間を意味するそうだ」。


ルナ「そもそもアイヌ人とは?」。山崎「東アジアの古種族で、歴史的には、北海道を中心に、樺太南部、千島列島、本州の東北部を生活圏にしていた人たちだ」。


山崎『現在では、日本とロシアという2つの国に分断されて生活する少数民族で、日本では北海道を中心に、東京他の都市部でも生活しているというよ。その数3万人を超えるとも、北海道内には2万3千人がいるともいうが実際のところ正確な数はよく分かっていないようだ。


これはアイヌと名乗ることができない人がいるからだというよね。またこれらの人たちのほとんどが、日本人との混血によって人種的な特質は薄れているらしい。


なお、アイヌは、他のモンゴロイドに比べて、彫りが深かったり、体毛が濃かったりといった身体的特徴から、コーカソイドに近いという説が広かった時期があったそうだ。のちに、アイヌ=縄文人近似説が主流となっている』。


ルナ「縄文人近似説?」


山崎『この説によると、≪縄文時代、日本列島を含む東アジア一帯には、南方系の人々が住んでいた。およそ5千年前、シベリアの北方系の人々が東アジアに拡大をはじめた。2300年前には、九州北部から日本列島に侵入してきた。彼らが弥生人である。本土の大部分は弥生人によって占められ、わずかに北海道に残った縄文人がアイヌの人々になった。現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7〜8割、南方縄文系2〜3割の比率で混血している≫ということらしい。


〔縄文時代… 今から約1万6500年前(前145世紀)〜約3千年前(前10世紀)。弥生時代… 前10世紀中頃(異論もある)〜3世紀中頃〕


室町中期から江戸後期にかけては、和人(アイヌの立場から日本人を指す語)の抑圧に対して、しばしばアイヌの武装蜂起が起きている。秀吉、家康から松前氏が蝦夷の支配権を認められた後にも、大規模な蜂起が起き、これを収拾することで、松前氏は実質的な支配権を確立したそうだ。


アイヌ人は、食糧や生活に必要な素材のほとんどを狩猟〔エゾシカ・ヒグマ・アザラシ・トド・オットセイなど〕、漁労〔サケ、マス、ニシン、シシャモなど〕、植物採集により得ていたんだ』。


【 シシャモという言葉はアイヌ語のスサム(柳の葉の意)に由来する。神の国の柳の葉が人間の世界に落ちて魚になったとされる。サケは、カムイ・チップ(神の魚)と呼ばれ、サケの回帰性を神が与えてくれたものとみなした。】


ルナ「木の皮の繊維で織った和服に似たアイヌの民族衣装をアツシ(アットゥシ)というわよね」。山崎「アツシには、オヒョウあるいはシナノキの内皮を使うそうだ」。


山崎『しかし明治政府が成立し、多くの和人が移住してくると、森林は伐採され、原野は耕作地となり、狩猟や漁労の権利も奪われてしまったという。これにより彼らは、採集民としての生活が維持できなくなったという。


明治政府は、アイヌの農民化とともに、皇国臣民化を図ったというよ。以来、政策によって日本文化への同化を強いられ、固有の文化を失っていったそうだ。とくにアイヌ語は、日常の会話で全く使われなくなったそうだ。


近年までアイヌに対する根強い差別や偏見があったが、現在では、物質的、精神的ともに、日本人と全く同じ生活を営んでいて、民族としてのアイヌはすでになく、せいぜいアイヌ系日本人となっているともいう人もいるよね』。


ルナ「北海道や東北を、蝦夷地(えぞち)と言うでしょ」。山崎「蝦夷とは、大和朝廷によって異族視されていた北方に住む土着民に対する呼称で、蝦夷地は、時代によりその地域は変化しているよね」。


山崎『アイヌも、近世には、蝦夷(えぞ)と呼ばれたそうだ。アイヌという言葉が一般化したのは明治以降だという。蝦夷は、古代には「えみし」と読み「毛人」とも書かれたらしい。また「えみし」の転訛から「えびす」とも読まれたそうだ。えぞと読むようになったのは平安中期以降だというよ。


えみし、えぞの語源については様々な説があるが、一説によると、アイヌ語の雅語(日常語に対して文章語をいう)の「エンチュ」(人間の意)に由来するという。他には、本来の意味は「田舎(辺境)の勇者」であったという説などがあるようだ』。


N、アイヌの信仰 U〔カムイ〕


ルナ「アイヌの信仰ってどのようなものなの?」。


山崎『まず、ユーカラという神話的叙事詩がある。ユーカラは吟唱するもので、「カムイ・ユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄叙事詩)の2つに大別される。また、鳥獣、植物、火、風などの神々が自らの身の上を語るカムイ・ユーカラ(神謡)、人間の祖先神が自らの功績を語るオイナ(聖伝)、人間の英雄(主にポンヤウンペという少年)の戦闘や愛などの体験記であるユーカラ(英雄詞曲)、主人公が女性のマト・ユーカラ(婦女詞曲)の4つに分けられたりする。


カムイ・ユーカラやオイナによれば、アイヌ神話の国造りの神は、コタン・コル・カムイ〔コタンは村や里や集落。カムイは神や神霊の意〕で、この神は巨人神で鯨を串刺しにしてあぶったりする。妹神とともに、大海に陸地をつくり、山や川、人間、動物、植物などを創造し、天上界に帰ったとあるそうだ。


天上界は神々の生活の場〔カムイ・モシリ〕で、ここの支配者は、カント・コル・カムイ〔雷神カンナカムイと同一とする説もある〕で、この神の指示によって、地上世界の創造されたという。


アイヌの世界観には、神々の世界(カムイ・モシリ)、人間の世界(アイヌ・モシリ)、死後に行く(ポクナ・モシリ)があり、死後に行く世界は、地上と同じ様相をしていると考えられていて、主神的な存在は見られないそうだ。


天上界から人間界〔アイヌ・モシリ〕に、生活の知恵や文化を授けた神は、アイヌラックル(人間的な神の意)という始祖神(アイヌ人の祖)で、オキクルミ、アエオイナカムイ、オイナカムイ、オキキリムイの別名を持つ。


この神は、脛(すね)の中に、稗(ひえ)の種を隠して、地上に降り、人間に穀物を授け、狩猟、漁労、耕作、薬草につていの知識、家や舟の作り方、彫り物、機織り、刺繍、神の祀り方や祈りの詞(ことば)などの信仰の儀礼、争いごとの解決法など生活の全てを教えたという。また地上の悪神を退治している』。


ルナ「日本語の神とカムイ〔神威や神居と当て字する〕は関係あるの?」。山崎「共通の祖先語から生まれたという説もあるようだよ」。


山崎「そのカムイ(神霊)が、動植物や自然現象、さらには人工物など、あらゆるものに宿っているというのがアイヌの世界観だね」。ルナ「アニミズムね」。


ルナ「他はどのような神がいるの?」。


山崎『太陽(チュプカムイ)、雨乞い(ホイヌサバカムイ)、雷(カンナカムイ)、狩猟(ハシナウックカムイ)、幣柵(ヌサコルカムイ)、月、風、雪、山、川、湖、草木、鳥獣、魚、虫、火、舟、疱瘡などの神々が祀られるという。


カムイ・ユーカラでは、これらの神々が、自分の来歴や体験などを語り、人間に対する位置づけや祀られるゆえんなどを明らかにしているそうだ。


水の神(ワッカ・ワシ・カムイ)や、魚(チェプコルカムイ)を与えてくれる川の神(ペトルンカムイ)はとくに重要で、また多くの祭儀では、火の神(アぺ・カムイ)がとくに尊ばれるというよ。火の神は人間の言葉を神の言葉に変えて、諸神に伝えてくれるため、どんなカムイに祈りを捧げる場合でも、原則としてアペ・カムイへの礼拝がともなうそうだ。


舟や家をつくる材料となるシランパ・カムイ〔樹木の神霊。樹木の集合である山をも意味した〕には、材料となる良い樹木には良いカムイが、ならない樹木には悪いカムイがいるとみなしたそうだ。


家にも、家の守護霊(チセコロカムイ・家の東北角に存在)、囲炉裏の霊〔アペ・フチ・カムイ。アペは火、フチは老婆の意味で、老婆の姿をした神〕、夫婦の霊(エチリリクマッ・家に入って入口すぐ右の柱に存在)などがいるとされたという。


また、陸、海、空のそれぞれに、最も重要な動物神がいる。陸ではキムン・カムイ(山にいる神)であるヒグマ、海ではレプン・カムイ(沖にいる神)であるシャチ、空ではコタン・コル・カムイ(集落を護る神)であるシマフクロウだ。他には、鹿の霊(ユッコルカムイ)、狐の霊(キムンシラッキ)なども信仰されたようだ。


さらに、人間に幸をもたらすピリカ・カムイ(善きカムイ)と、人間に災をもたらすウェン・カムイ(悪しきカムイ)がいる。流行病や天災は、悪しきカムイとされる。疱瘡(天然痘)や流行病を司る神は、パヨカカムイまたはパイカイカムイといい、この神の射た矢の音を聞いた者が疱瘡になるそうだ』。


O、アイヌの信仰 V〔イオマンテ〕


ルナ「イオマンテ(熊神送りの祭儀)ってよく聞くけど…」。


山崎『イは「それ(神霊)を」、オマンテは「行かしめる」の意味で、飼育した子熊(ヒグマ)を殺し、その霊魂であるカムイを神々の世界(カムイ・モシリ)に送り届ける祭儀だというよ。なお、親熊を狩りで殺した場合、その場で解体し、霊を送るけど、これはカムイ・ポプニレ(カムイを発動させる意)というそうだ。


カムイ・ポプニレは、祭壇を設えてヒグマの頭部を祀る。これは、殺された直後の獣(熊以外の動物も)のカムイ(霊魂)は、両耳の間に留まっているので、これを神々の世界に送り返すからだというよ。


但し、人間を傷つけたり殺したりした熊は、細かく刻んで大地にまいたり、ゴミと一緒に燃やしてしまい、ポプニレを行わないため、こうした熊の霊魂は神の世界に帰れないそうだ。


春先、まだ冬眠から目覚めない熊を狩ると、冬ごもりの間に生まれた子熊がいる場合がある。この子熊を集落に連れ帰って飼育する。はじめは、人間の子供と同じように家の中で育てるそうだ。1、2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な祭儀(イオマンテ)を行う。


花矢(木を装飾的に削ってつくった矢)を射かけ、最後に本物の矢を心臓に打ち込み、さらに丸太の間に首を挟んで屠殺するそうだ。遺骸は一定の様式に従い、頭だけを残して解体される。頭部はポプニレ同様、イナウ(木幣)や酒を供え、祈りを捧げて、霊魂を神々の世界に送り返す。肉は人々にふるまわれるそうだ。


アイヌの人たちは、イオマンテを行うことにより、再び熊神が、自然の恵み(毛皮や肉)をもって、人間の世界に訪れてくれると考えたらしい。


なお、熊神の他、主要な動物神〔シマフクロウ・キツネ・タヌキ・カラスなど〕を送る場合もイオマンテと呼ばれ、クジラやシャチを対象とするイオマンテもあるそうだ。一部の地域では、シマフクロウ〔北海道には130羽しかいない。日本では1971年に国の天然記念物。93年に希少野生動植物種に指定〕のイオマンテが重視されるという』。


翔「イオマンテは、生贄(いけにえ)を神に捧げて守護を願うというものや、人間の罪を動物に着せてあながわせるといった贖罪信仰とも違うみたいだね」。


山崎『アイヌの信仰は、アニミズム的な側面が強い。自然物、人工物、人間に関わるものであれば全てに神霊(カムイ)が存在すると信じられていた。神と霊との関係は、樹を切るときには、その霊を森の神に送り返すといったもので、同様に、使わなくなった食器は、捨てずに特定の場所にもっていき、器や皿の霊を神の世界へ送り返す。葬式では、死者の霊とともに副葬品の霊が他界へ行くように、副葬品を壊したり破ったりするそうだ。イオマンテもこうしたところからきていることが分るよね。


カムイは、カムイ・モシリという神々の世界からやってくる。このカムイ・モシリは、天上界にあると考える場合と、山の獣であれは山の奥に、鳥であれば天界にあるといったように生活の場から想定される場合とがあるようだ。


カムイ・シモリでは、カムイは、人間と同じ姿で、人間と同じように、料理をしたり、彫り物をしたり暮らしているが、人間には見ることができないという。カムイが人間界になにかの理由(シマフクロウなら村を護るため)でやってくる場合、人間に見える衣装を身に付ける。火のカムイなら赤い衣装を、クマなら黒い衣装を身に付ける。これが人間には炎に見えたり、毛皮に見えたりするそうだ。


クマは毛皮と肉という土産をもって、気に入った人間の家を訪れる。狩猟はこれを迎える行為だというよ。本人が心が美しいと熊が好意をもって訪問してくる。猟運とはこれをいうそうだ。


なお、熊やキツネを先祖とする家も多いそうだけど、これをトーテムの残存とするかどうかについては考えが分かれているらしい』。


P、アイヌの信仰 W


翔「偶像は作られたの?」。


山崎『アイヌの信仰は、神殿やら神の像やらは作らない。祭儀では、イナウを用いる。例えばイオマンテでは、熊神の祭壇を中心に、森の神、水の神、狩猟の神、氏神、農業神、祖霊などの祭壇が設けられるそうだけど、祭壇とは、イナウを立てる並べる柵だというよ。

また祭壇は、家の脇にも設けられていて、祭儀ごとに酒を供え、祈りを捧げるそうだ。


【 イナウ… 木幣(もくへい)。通常は、ヤナギを使用。ミズキや、キハダ(ミカン科)で作られたものは上等とされ、肌が白いミズキのイナウは天界で銀に、黄色いキハダのイナウは金に変るとされる。捧げる神によって種々の形がある。

一例をあげると、直径が3センチほどのヤナギやミズキの枝を採集し、70センチほどの長さに切り、皮を剥ぎ、乾燥させる。乾燥したら、表面を削り、先端部あたりにふさふさと飾りたらす。イナウ作りはアイヌの男性の大切な仕事とされ、イオマンテなど重要な祭儀には、泊りがけで集い、イナウを作成したという。】


また、アイヌには神官のような人は存在せず、成人男性であれば誰でもカムイへの儀礼ができなければならないという。一方、女性はふつう火の神以外には祈りを捧げられないそうだ。参加できない祭儀も多いようだ』。


Q、アイヌの信仰 X〔コロボックルと日本人の起源〕


翔『「コロボックル」ってアイヌの説話に登場する小人だよね』。


山崎『地面を50センチくらい掘って屋根をかけた竪穴住居に住むというよね。また、コロボックルとはフキの葉の下に住む人の意味で、フキの葉の下に2〜3人(10人とも)入れる大きさだそうだ。


漁が得意で、笹の葉を合わせて作った舟で漁に出て、多くの舟が力を合わせてニシンなどを捕り、クジラも捕るそうだ。北海道の原住民で、アイヌの家にやってきて物品を交換したりするという。


人類学者の 坪井正五郎〔1863〜1913・東大理学部教授。日本人類学会の創設者〕が、1887年(明治20)に「コロボックルは日本列島の先住民で、アイヌに追われた」と主張し、「日本人の先住民はアイヌである」(当時の主流の説)と主張した 小金井良精〔よしきよ。1858〜1944・東大解剖学部教授。日本解剖学会の創設者〕と激しい論争を展開したそうだ。


これを「コロボックル論争」「アイヌ・コロボックル論争」という。この論争によって、日本人の起源の研究が飛躍的に進歩したというよ。


小金井は、人骨の実証的研究から坪井の間違えを証明し、彼の「アイヌ先住民説」は、修正をなされながらも現在に至っている。つまり、アイヌは縄文人の血を最も直接的に引き継いでいるとみられている。沖縄の人たちも、縄文人の血を濃く受け継ぐ民族だといわれている。


しかし小金井は、縄文時代の先住民のアイヌは、弥生人(日本人)が海外から渡来したことによって、北へと追いやられたと考えたが、これはその後の研究によって、弥生人も基本的には縄文人に由来することが分り、間違えのようだ。


縄文人は、本州では、大陸から農耕文化が入ることによる生活の変化や、西からの遺伝的影響によって体質を大きく変えて弥生人となったが、北日本では、北からの遺伝的影響を受けながらも、漁猟採集を中心とした生活が続き、本州ほど体質を変化することなくアイヌとなったというのが現在の見方のようだね。


なお、縄文人は、2〜3万年前(後期旧石器時代)に、アジア大陸から陸橋を渡ってやってきたモンゴロイド系の集団が、海面が上昇したことで、日本列島に長期に亘って閉じ込められ、その結果、特殊化したものだというよ』。
http://shinri809.com/sono13.html


179. 中川隆[-12547] koaQ7Jey 2018年5月24日 14:58:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

江戸時代の武家・町人文化


西欧の画家に衝撃を与えた浮世絵


 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。
http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html

ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」
http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html


33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。
http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。
http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html


春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html

日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著

『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)
https://www.amazon.co.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%A5%B3%E3%81%AE%E8%89%B2%E3%81%A8%E6%81%8B%E2%80%95%E8%8B%A5%E8%A1%86%E5%A5%BD%E3%81%BF-%E5%AD%A6%E7%A0%94%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%84%AA%E5%AD%90/dp/4054018440


などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


乱交制だった戦前の日本では何をすると不義密通とされたのか?


◆◇◆◇◆おかみさん文化◆◇◆◇◆◇

江戸期、日本の町屋社会(商家社会)には「おかみさん文化」と言うものが在った。

江戸期に入る前は、商工氏族は武士兼業だった。

日本列島に渡来した氏族は、夫々の得意分野で農業、工業(鋳造業)、商業、神主(宮司)、僧侶などを兼業していた。

代表的な例は平安末期の武門貴族・平清盛(たいらのきよもり)の宗貿易で、つまり清盛は大貿易商人でもあり、ついでに彼は僧侶にも成った。

その流れで渡来氏族の一部が武士に成ると、江戸期に商人が純粋に業種として独り立ちする前は、商人の大半は武士と兼業か武士が副業で商いをやっていた。

天皇の京都御所を守る「北面の武士」を出自とする松波峯丸(斉藤道三/さいとうどうさん)が山崎屋庄五郎として油屋を営んで居たのは有名な話である。

そして、もう少し時代が下がる室町時代〜戦国時代には武士兼業の豪商が力を持ち、財力を使って大名と協力関係を結んだり、一部の豪商は茶人として名声をはくす者も出た。


「おかみさん文化」は、武士兼業の商工氏族が多かった上方(関西地区)で始まったものだが、「商家特有の文化」として江戸期には日本全国に広まった。

昔の商家には一生を独身で済ませ、お店(たな)大事を貫く番頭の存在が落語や講談、読み本などで紹介されているがあれには裏がある。

実はその番頭は、おかみさんの肉体で満足していた。 けして不義密通ではない。
それが商家に嫁いだおかみさんの現実的な役目だった。


大店(おおだな)を内側から守るのがおかみさんの役目で、それには信用できる使用人の育成は欠かせない。

肉体的繋がりほど強いものは無いので、丁稚(でっち)はともかく、目端が利きそうな手代(てだい)辺りから、おかみさんが性欲の面倒を見て手懐ける習慣が、町屋社会(商家社会)では公然の秘密だった。

この関係、小使いは少なくても我慢させて忠誠を尽くすだけでなく、悪い遊びを覚えてお店(たな)の金に手を付けたり悪い病気を拾って来るのを防ぐ役割もあって、当然お店(たな)の旦那公認の「面倒見の行為」だった。

旦那公認で、使用人の性欲の面倒見の行為が、平然と行われていた。


すると不義密通話は何なのか?

あれは、情が通って駆け落ちなどをする場合いで、唯の性欲の面倒を見て使用人を手懐けるのとは訳が違うのである。
正に肉体的繋がりの信頼関係を、昔の町屋社会(商家社会)のおかみさんが勤めていた事になる。

「情が通わない肉体のみの性行為と言う点では昔の方が現実的な考え方で、今の上辺だけの考え方を「さも真実だ」とする主張の方が空虚なのである。

勿論、使用人に所帯を持たせて「のれんわけ}をする事も有るが、考えて見れば商売敵の同業者を増やす事になるのだから、理想はお店(たな)に縛り付けるに越した事は無いのである。

それにしても、大店(おおだな)の「おかみさん」も、「それを覚悟の嫁入り」と言う事になる。
当たり前ながら当時はそれが常識で、今の物差しで見るから読み間違う。何しろ、大店(おおだな)の旦那には妾の二〜三人は居て、その妾にもおかみさんの方が「旦那が世話になる」と盆暮れに付け届けの挨拶をする文化だった。

自分も手代(てだい)や番頭の性欲の面倒を見てから、それで互いのバランスを取って居た訳である。
つまり、繁盛している商家程使用人の数が多く、おかみさんの身体は、信用が置ける使用人の育成に忙しかった事になる。

そんなので旦那とおかみさんは、「上手く行っていたのか?」と言うのは当時の事情を知らず、現代の倫理観に当て嵌めようとするからである。

その辺はお店(たな)の旦那は商いの為と割り切っていたし、おかみさんもそう言うものだと割り切っていた。

商家の奥座敷は奥が深かったらしいが、それにしてもそう言う事であれば、内々において公然の秘密でなければ、おかみさんもとてもそんな事は秘密に出来ないであろうから皆それと承知していた事になる。

情が通わない性的な奉仕は、「単なる手段」と割り切った所が、現在の世の中の常識より余程現実的な事は私にも理解できる。

つまりは、わが国成立初期の昔から存在した「お家大事主義」の、肉体を使うお役目、閨閥構成社会(誓約・うけい)の正当性を、完全に認めるような話である。

この「おかみさん文化」の習慣は実に良く出来ている。

元々上方(当時の皇居所在地である京都近在の関西地区)で発生した商家の形態は、武家の感性を踏襲して「お店(たな)大事」が何よりも優先していた。
氏姓制度の名残を残す豪商の発想が、手本だったのである。

商売は商(あきない)と言うくらい永く続くのが信条で、後継ぎは絶やせない。
都合の良い事に、「使用人の性欲の面倒を見る」と言う、このおかみさん文化の習慣は、旦那が「種無し(子種が無く)」でも使用人が密かにカバーする。

嫁が「生まず女」なら妾がカバーする。

言わば商家存続の安全弁の役割も担っていて、「実は若旦那の実父は独身の大番頭だった。」などと言う人情話に、当時を伝えているのである。

まぁこの「若旦那の実父は独身の大番頭」を現代風の解釈で個人的な「おかみさんと番頭や手代の色恋沙汰」と解釈するか、その時代の「町屋商家の習俗」と捉えるかで随分当時のおかみさん文化の理解が違うものになる。

この物語ではもう毎度の事に成ってしまったが、この「おかみさん文化」を現代の倫理観や価値観の意識そのままに当て嵌(は)めては、到底信じられない事かも知れない。

現代風に考えれば、それこそ性に対する倫理観も女性個人の尊厳もあった物ではない。
良識派を自認する学者達には「無かった事にしたい過去」だろう。

しかしこの時代は、武家も豪商も、通常「お家の繁栄」が全てに優先する価値観であり、一般的に男も女もその「お家の為」にする犠牲行為は、不謹慎なものではなく「美徳」だった。

人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)がある。
つまり、現代の物差しとは違う価値観が昔存在した理由は、当時の女性は「お家大事を基本にした考え方が正しい」と考えていた意識の違いである。

従って、現在の意識を基にした「一貫性行動理論」の物差しを現代に当て嵌めて、「そんな事は有り得ない」と過去を判断するのは危険な判断方法である。


江戸期に於ける「おかみさん」のついでに、「商家の娘さん」についても少し書く。

「商家の娘さん」についても、修験道師絡みの、江戸期独特の風俗習慣が存在する。江戸時代から明治中期まで町屋(商家)を中心に流行した「狐つき祓い」が、まさしくこれである。

この時代、まだまだお店(たな)の娘としては自由恋愛とは行かず、親の都合の縁談が当たり前で、お店(たな)の示(しめ)しとしても、親に逆らってもらっては困るのだ。

この辺りの厳しさが商家の習慣にあるから、心中事件などと言う手段もあった訳である。

実はこの「狐つき」、商家の娘が、都合の悪い恋愛や恋わずらいをした時に、便宜上付ける厄病で、修験者を呼んで「狐(恋愛感情)」を落としてもらう為の方便だった。

修験者の「お祓い」と称するものの実体が集中的輪姦で、娘を犯し倒す性感の波状攻撃により、娘の人生観さえも変えてしまう。

簡単に言えば、既成事実を作って諦めさせるのが目的だが、修験者の「お祓い」ならば神事で、世間も納得する。

つまり、娘から「狐着き」が落ちて、親の薦める縁談がまとまり、経験を積んで性的に成熟しているから、嫁に行っても、婿を貰っても相手を飽きさせない。

これは、「性交による矯正」と言う事であり、昔からそう言う手段はあった訳である。

御祈祷の奇跡についてはこんな事例がある。

若い夫婦に中々子宝が授からなかった。

現代のように夫に子種が無いなどと言う科学的な思考の無い時代は、子宝が授からないのは何かの「呪い・因縁の類では無いか」と恐れを抱く。

それで評判高い陰陽修験の修行を修めた行者様に若妻を預け、加持祈祷をして頂く。

神前祭祀(しんぜんさいし)に於ける邪気払いの大麻(おおぬさ)は、修験道の「祈願・焚(た)き行」でも使われていた。

大麻草(マリファナ)は、真言密教の遠祖・チベット仏教(ラマ教)の地であるヒマラヤ高地一帯で自然に自生していた薬草である。

当然ながら密教・修験道師(山伏)は、大麻草(マリファナ)を焼(く)べればその煙を吸引した人が陶酔作用を引き起こす事をしばしば信者獲得に利用した。

大麻草(マリファナ)で陶酔すれば幻覚も見、それを素直で真面目な人物ほど「信仰の奇跡」と捉えるのは自明の理である。

つまり密室での「焚(た)き行」の陶酔の中で、願主と修験道師(山伏)が如何なる加持祈祷儀式を為して居たかは当事者しか知らない。

加持祈祷を済ませた若妻は家に帰り、そのご利益が薄くなる前に早速夫と同衾する。
陰陽修験の行者の祈祷は霊験あらたかで、「アァら不思議」と若妻に子宝が授かってメデタしメデタしとなる。

ただしこの御祈祷は秘伝中の秘伝であり、御祈祷中の行者様の気を乱してはいけないので、どんな御祈祷が為されるのかは行者様と若妻以外誰も知らない。

後はこれを読む方の御想像に任せるが、とにかく奇跡は起こるのである。

そんな馬鹿な事はない。

「真面目に祈祷をしている行者も居る筈だ。」

とお叱りを受けるかも知れないが、あなたは祈祷のご利益が本当に信じられるのか?

この現代科学で考えれば、突然子宝が授かるには合理的な理由がある筈である。

こう言う裏話をすると、直ぐに理想論者の反論が湧き起こるが、現実に密教的修験の「お祓い」の常套手段が立ち入り禁止の非公開(呪術が効かなくなると言う理由)であり、酷い話になると、「覗けば目が潰れる」などの予防線が張られていたりする。

現実に、十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の側室・お美代の方(専行院)の父親、日啓が引き起こした大奥女中の醜聞、智泉院事件においては、「お祓い・祈祷」が名目だった。

そう言う部分は、現代の建前感覚より当時の現実感覚の方が、返って正直なのかも知れない。


これは余談に近いが、江戸期に入って盛んになった雛(ひな)祭り、子供は夢を託して無邪気な喜びの日である。

しかし、良く考えて見ると段飾り雛は、世界でも珍しい「身分制度を表したもの」で、上に上るほど高位の雛の居場所である。

これを平等の現代社会では「おかしい存在」とは誰も思わない所を見ると、およそ氏姓制度が「日本人の中に染み付いている」と言う事だろう。

一応「祭り」と言うからには信仰行事で、子供の健やかな成長を祈りながら、ついでに身分制度も学習させる寸法だったのではないか?

まぁ、目くじらを立てる程のものではないが、逆説的に言うと、存在するものは深く考えないで容認するのが日本人気質かも知れない。


誓約(うけい)の国・日本では、明治維新の文明開化まで日本人は性行為を「猥褻(わいせつ)」とする考え方は薄かった。

日本人は、人間としての性規範に対してはナチュラル(自然体)な考え方を持っていた。

性行為を「猥褻(わいせつ)」と強く感じる様に成ったのは、明治維新政府の急速な欧米化政策に伴う学校教育方針で、欧米キリスト教性規範を植え付けられたからである。

いずれにしても我輩は、「美しい国・日本」の答えが「地球を救う共生主義と言うイデオロギーに変換する事に在る」と考えている。


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◆◇◆◇◆お召し上げ・お下げ渡し◆◇◆◇◆◇

こうして書くと庶民だけが性に開放的だったように受け取られかねないが、勿論の事、この事ばかりは氏族も庶民もさして違いはない。

この辺りが、見事に「武士道の精神」の建前の形骸化が証明されるのだが、氏族(武士)社会にはそれなりの別のいささか残酷で都合の良い制度が確立していた。

血筋がものを言う氏族(武士)社会では、血筋を残す事が最優先の了解事項だから言い分として妾は正当な存在で、正婦人は言うに及ばず妾に到るまで勢力維持・拡大の具として「閨閥(けいばつ)」の対象に成る。

領主同士の婚姻関係は軍事同盟を意味し、出世を望む部下は我娘を領主の妾に送り込み、領主は見込みのある部下に妹や娘を下し置いて頼りとする。

氏族(武士)社会の主従関係には特殊な家臣(部下)を試す制度が存在し、家臣(部下)に娘が居るなら「召し上げ」て妾にし、忠誠心を試す。

意味合いとしては「稚児小姓文化」と同じで、誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は大事な者の身を任す事である。

独身男性の場合は「お下げ渡し」と称してお上(殿)の手の付いたその女性を娶る事を求められ、その家臣(部下)の忠誠心が試される。

試すべき家臣(部下)が結婚していて妻がいるなら、「お召し上げ」と称してその妻を差し出させ、暫らく寝屋を伴にしてから「宿下がり」と称して夫に返し、夫が自分のお手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。

敵対危惧関係や敵対関係と目される相手との場合はまた別で、「人質」と言う事になる。

これらは全て古代に在った誓約(うけい)の進化系で、 家臣(部下)の忠誠度や敵対及び危惧関係相手との信頼関係を試す手っ取り早く具体的な手段だった。

「お召し上げ」の例は枚挙に暇が無いだろうが、代表的な「お下げ渡し」の例は、斉藤道三の妻・小見の方(織田信長の妻・帰蝶(濃姫)の母)である。

斉藤道三がまだ西村勘九朗を名乗っていた頃、主君・土岐頼芸から美濃一番の美女と謳われた側室・小見の方を弓の手慰めの賭けで勝拝領している。

もうひとつお下げ渡しの代表格にあげられるのは、あくまでも俗説だが、第五代将軍・徳川綱吉と大老格側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と吉保側室・染子の関係である。

側室の染子は、かつて綱吉の愛妾であり綱吉から吉保にお下げ渡しされた「拝領妻である」とも、懐妊した側室・染子を護る為に、柳沢吉保が「母子の身柄を預かった」とも言われている。

事の真相は定かではないが、柳沢家が異例の松平の姓を綱吉から許され、柳沢家を「連枝(将軍家血筋)の待遇」とした為に、柳沢家の家督を譲った長男の柳沢吉里(やなぎさわよしさと)は「綱吉の隠し子である」とも言われ、染子が吉保の側室になってからも息子・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)の顔を見に柳沢私邸を訪れる将軍・綱吉は、側室・染子を「綱吉の寝所に召される事が多かった」とされている。

綱吉の柳沢保明(やなぎさわやすあき)の寵愛振りから、綱吉と吉保(よしやす)が男色(衆道)関係であれば、一人の女性(にょしょう)を共有しても然したる抵抗は無いかも知れない。

そして戦乱期、こう言う女性の閨閥(けいばつ)的価値観の扱われ方や近習(稚児小姓)は、何の疑いもなく信じられた氏族(武士)の男女として、家名のお役に立つ為の当然の役目だったのである。


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◆◇◆◇◆閨房術(けいぼうじゅつ性行為の技)◆◇◆◇◆◇

日本民族には、欧米のキリスト教文化と違い昔から「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」と言う姫方・女房方が積極的に殿方を喜ばせる性技があった。

殿方を喜ばせる性技「閨房術(けいぼうじゅつ)」は、姫方・女房方にとって大事な積極的に習得すべき心得だったほど、性に対しておおらかで積極的な考え方を日本民族は持っていた。

と言うのも、実は殿方が姫方・女房方の性技に喜ばされて操られる事は珍しくない為、「閨房術(けいぼうじゅつ)」に平和な武器としての価値が認められていた。

当然ながら勢力を競う氏族(貴族や武士)の子女は、誓約(うけい)の概念の元に所謂(いわゆる)「閨閥(けいばつ/婚姻による家同士の連携)」創りの役割を果たす為に世に生まれて来た様なものだった。

日本古来の「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」の発祥は不明だが、考えられる推測としては他の武術同様にその発祥を諜報活動を担っていた陰陽修験に見られる可能性が強い。

以後、修験組織が関わって成立した「白拍子(しらびょうし)遊技制度」の「床技」などで発展、戦国時代の武家の間で戦略的に子女を持って利用されて「術」として確立された。

この「閨房術(けいぼうじゅつ)」、「術」と言う範疇(はんちゅう)に入るからには、修練を積んでその「術」を自在に操れる様になる事が要求される。
つまり大げさに言えば、「閨房術(けいぼうじゅつ)」と言う性技が、氏族の女性に課せられたひとつの習得すべき積極的な技(わざ)だった。

殿方が武勇を競って領地を広げるなら、女性(にょしよう)の戦場(いくさば)は寝所(寝屋)だった。

寝所(寝屋)での事に、正妻と妾妻の分け隔ては無く「如何に殿方を喜ばせるか」の性技勝負の場に成る。

大胆かつ濃厚な性技で殿方を極楽浄土に導き、子種を授かるのが女性(によしょう)の勤めで「手柄」である。

時代により女性の性に対する価値観も違って当り前で、血統を唯一の特権の証明として受け継いできた氏族の女性にとって、この理屈に疑いなどある訳がない。

まず、当時の社会では性技は花嫁の必須条件で、十五歳と言えば嫁入りの時に性技の心得は充分に教わる。

何人もの妾妻を持つ事が普通の世界だったから、「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせ、殿方に気に入られる事から寝所(寝屋)での戦は始まる。

どちらかと言うと正妻は政略結婚で、妾妻は殿方に気に入られての事であるから、実は正妻ほど「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせないと、この勝負は気に入られている妾妻に負けてしまうから切実なのである。

そして当時の氏族社会は極端な「血統主義社会」であるから、殿方の種を受け入れ世継ぎを懐妊・出産する事が女性(にょしよう)の勝利だった。

現在の解釈など通用しないのが、歴史である。

氏族の娘にとって「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」は勝つか負けるかで、殿方の武芸武術に相当する手段だった。

当時の氏族社会は「妾妻」を持つのが当たり前で、実質一夫多妻だったから閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)は現在のように「愛を確かめるもの」と言う拠りも殿方を愉しませ「愛を獲得する為のもの」だった。

原点がその通りだから女性はむしろ性交には積極的で、凡そ人間に考えられる閨房行為に女性には禁じ手など無く、口淫性交や陰間(肛門)を使う事など技の内である。

例えば氏族(武士や貴族)の間では男色習(衆道(しゅうどう/男色)が当たり前で、ほとんどが両刀使いだったから、女性相手でも陰間(肛門)も使っての行為は現在よりも一般的で、武家の娘はその位の事は心得ていた。

恋愛は精神的もので、当時の肉体的接触は、かならずしも恋愛とは一致しない手段である事が常識で、その事を現代の女性に「昔の女性の扱いは悪かった」と同情される謂われも無い。

現代では、女性の肉体を目的達成の手段にするなど、理解され難い事だろう。
しかし親子兄弟でも領主の座を争い、たとえ叔父甥の間柄でも、隙あらば領土拡張の的にする氏族の価値観である。

「殺し合いをしても領土を手に入れる」と言う究極の価値観に生きる者達には、女性の肉体は「領土拡張の道具」と考えられても不思議な事ではない。
つまり、殺し合いも女性の色香も目的達成の手段で、当時は異常な考え方ではなかったのである。

そこの価値観の違いを分けて懸からない事には当時の女性の心情は理解出来ないし、奇妙な現代風の恋愛時代劇が成立してしまう。

しかし良い加減なもので、恋愛時代劇が成立してその物語を楽しみ、女性の敵かのごとくに拘(こだわ)る筈の妾妻と主人公の殿方との恋愛を美しく描いて楽しむ矛盾もロマンチックに受け入れてしまう。

「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」も含めて男女の仲は添ってから育むもので、精神愛まで達した仲が本当のゴールである。

本来一致させるのが難しい精神愛と性愛を、現代女性の願望を満足させる為に金儲けでロマンチックに歴史が歪められるのはいかがなものか?
http://www.geocities.jp/jiyoudan3_55/yobai.html


今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html

現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html

春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html

江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html

江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html

江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html


門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html


江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html


キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html


上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html

Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html


江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html


春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。
http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


浮世絵 春画 枕絵 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5+%E6%98%A5%E7%94%BB+%E6%9E%95%E7%B5%B5


Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro
http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka


180. 中川隆[-12546] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:05:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

縄文時代から昭和まで残っていた日本の僻地の文化


秘祭

540 :本当にあった怖い名無し :2012/06/18(月) 18:24:33.55 ID:bdzkjPNW0

私が育った集落は、小さな田舎町だけどそれなりの歴史があって、古くから続いている数年に一度のお祭りがある。仏教や神道とは違う感じだから、おそらく民間信仰の一種なのかな。

別に、特別オカルトな事がある訳でもなく、神聖な場所と言われる所に、お婆さんがお供え物と依代の木を持って行って、毎年選ばれる”神様の子”の役目の子供達が数人で歌を歌うだけなんだ。


ただ、その儀式の行われる日は、その場所に集落以外の人間は入っちゃいけないと言われてて、それは、祀られている神様が依代に移る時に落ち着かないからだと教わってきた。

実際、夏休みや年末の帰省時期とは全然ずれてるから、なんの観光もない田舎に部外者が来る事はないんだけど、どこからか、こういう民間の秘祭(?)に興味を持ってやってくる人がいるんだよね。

それで、わざわざその祭りの日に、東京から来たっていうオッサンがビデオカメラを持って入ろうとしてきて、大人達が止めに行ったんだけど、大声でわめき散らして大騒ぎになった。


「なんで見せられないんだー!ヤバイ事でもやってるんだろー!!」


とか大声で叫んでケンカみたいになってて、最終的には駐在さんに連れて行かれた。パトカーに乗せられる時に、その男が血管が浮き上がるくらい真っ赤な顔して


「ここで巫女を村中の男がレイプしてるって本当だったんだな!
だから見せられないんだろ!!」


って叫んでた光景がものすごく異様で怖かった。

祭りがゴタゴタになった事とは関係ないと思うけど、その年に集落に繋がる場所の道路工事で崖崩れが起きて亡くなった方が出たり、高校生が1人、心筋梗塞で亡くなったりしたので、もっぱら「あの騒ぎのせい」っていう噂も多くて、ますます私の中で東京=怖いイメージが固まってしまった^^;

実際、上京してみたら親切でまともな人が多くて、なーんだ普通だと思ったけど、上京するまでは怖くて仕方がなかったな・・・f^^;

http://gnosis.blog64.fc2blog.net/blog-entry-7617.htmlhttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1338006880/l50


_____

新城島(パナリ)
http://www.youtube.com/watch?v=-0p9BHXUbmA
http://www.youtube.com/watch?v=lVAmBAq_Wz4
http://www.youtube.com/watch?v=1Ehez1XIhIg
http://www.youtube.com/watch?v=aL5Fj-Iv63o
http://www.youtube.com/watch?v=Nt_0KxEgZBM


新城島 豊年祭
http://www.youtube.com/watch?v=B9eVG7kOPP4


秘祭 (新潮文庫) 石原慎太郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E7%A5%AD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%8E%9F-%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101119082


人口わずか十七人の南西諸島の孤島をリゾート化しようと、観光会社の青年、敏夫が島に赴任する。前任者が事故死した為だ。

島の和やかな雰囲気や、島唯一のいい女、タカ子に魅了され島に惚れ込む。タカ子も敏夫が気にいったようで、二人は即、獣のように愛を交わすようになる。社命で赴任したとはいえ、仕事らしい仕事はせず、タカ子とセックスばかりしている敏夫だが、島で生活していく内に、段々と島のタブーが見えてきた。

まずおかしいのは、檻に入れられている男、ミノルの存在。
言葉は発っせず、原始人のような風貌で獣のようにウーウー吠えているだけ。島の人は

「ミノルは頭が弱くて乱暴することがあるのでね」

とあっさり言うが、明らかに異常な光景だ。

さらにある晩、漁に出た敏夫が見たのはタカ子が他の男と交わっている姿。
タカ子に問い質すと、「嫌なら私を島から出して」と懇願する。
どうやらタカ子は島の男全員と寝ているらしい。このことから、段々とこの島の異常性が露わになっていく。

乱婚、近親相姦、暴力、拷問、殺人…。

近親による性交の歴史により、この島は狂人パラダイスと化していたのだった!
前述した、檻の中の男は島の秘密を漏らさないよう、舌を切られていたのだ。

敏夫の前任者もこの秘密を知って殺されたらしい。そして、知りすぎてしまった敏夫は、タカ子を連れて島を出るため島の老人たちに、「訴えることもできるんだぜ」と脅す。老人たちは

「わしらが島を出ます。だからあんたもこのことは黙っておいてくれんかね」

と、屈伏したように見せかけるが、結局、敏夫は別れの酒と称した杯に毒を盛られて眠らされ、ボコボコに拷問された揚句殺されてしまう。

時は流れ、何も知らない敏夫の後任の青年がまた島に赴任して来た。木の下に不自然に土が盛り上がった土饅頭が二つある。「あれは何ですか」と、島の人に聞いてみると、

「ああ、あれは昔から人魚の墓と言われておってな…」

…それが敏夫とその前の前任者の墓であり、

いずれ自分もそこに葬られることになるとは思いもしないであろう…。
http://hojomatsugoro.blog41.fc2.com/blog-entry-982.html


123 : 天之御名無主 : 05/01/18 16:20:48

石原慎太郎の「秘祭」は、アラグスクの豊年祭ですよね。
アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/


2013-02-14
ある学術雑誌の紹介本に「乱交」の研究書があって、その中に石原慎太郎著「秘祭」の名前があったので興味を持ち、そちらを読み始めた。

研究所にあるように石垣島の先、八重山諸島のある島には、祭りの時に何代にもわたり、近親相姦もある乱交の習慣があり、それはある意味必要不可欠のものだと言う学説であった。

「秘祭」は昭和59年新潮社刊行

石原の内容は、その島には17人しか住んで無く、その島を買収し観光地として売り出すために、東京から派遣された社員が事故死したため、次の社員が派遣されると言う処から始まる。

どのように親しくしても、その島の人間になると言う事は全く受け入れず、全てを知った事で殺害されてしまうのだった。それを口外した事で舌を切られ、動物のように鎖に繋がれてしまった島の人間も居る。

石原は八重山に想を得たが、島と人物には係りないとしている。

研究書では、その秘祭は事実に書かれている。

安易に言ってはならないが、八重山に限らず、日本の祭り(盆踊り等含め)の原点はそのようなものかと思われる。
http://higashinum.exblog.jp/19994498/


▲△▽▼


奇祭アカマタ・クロマタ 美女が洞の中で男衆と妖しい儀式

 アカマタ・クロマタは、八重山列島の新城島、西表島の古見集落、小浜島、石垣島の宮良集落で行われている。場所ごとに開催日はずれているが、それぞれの期間は3日間。開催日時は島民と関係者以外には知らされない。

 アカマタ・クロマタに関する文献や写真は極端に少ない。中でも新城島に関しては、さらに厳しいかん口令が敷かれて、外部にはまず漏れない。

 漏れ伝わる話によると、新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われるという。
「ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという」

 あくまで噂の域を出ないが、島の人たちが観光客などの行動を異常に警戒しているのは秘議にまつわるタブーを暴かれることを恐れているのかもしれない。
   2011.8.5 東京スポーツより
http://sky.ap.teacup.com/f45362/1674.html


その祭りは通称「種子取り祭」と呼ばれ、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭らしい。運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事があるとか。

表向きは豊年祭と呼ばれる神を讃える祭りだが、裏では「種子取り祭り」と呼ばれてるらしい。毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女がこの祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うんだとか。

もし島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しの目に遭い五体満足の体では本島には帰って来れないんだそうな。


・高校生くらいの男女が選ばれてセクロスするんだ。それも初めてで

・お前達に警告しておく これ以上この島に関わるな
http://sexynews24.blog50.fc2.com/blog-entry-6597.html


日本の祭りでは乱交するのが普通だったので、新城島だけそこまで秘密にする理由は無いのですね。 それにこれでは人魚神社に葬っている遺体との繋がりも無いですね。

昔、実際に行われていた儀式に近いのはこれでしょうか:


612 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 02:16:21 ID:hyL3kHcH0

今テレビのニュースでやってる島根の殺人事件ってさ、山口と島根の県境にあるN倉集落の秘祭に似すぎてないか?

あの祭って、今は稲藁で作った娘神を解体してるみたいだけど、100年前までは、「ヨツタ」って呼ばれてた10〜20代の女でやってたって話だよな?

ヨツタは風紀紊乱を起こした女が選ばれ、左乳房に「キ」の刺青を彫られた後、祭で体をバラバラにされる。

それはヨツタの汚れた魂と汚れた肉体を部分に分解し、山の神のもとに返し、再生を待つ魂にして村を守ってもらうっていうそういう伝説のもとにやられたはず。


667 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/12(水) 21:09:08 ID:7fUxuA0K
>>612
あそこの集落の人らって基本的に獣肉食べなかったんだよねー

あれだけ山深い所で、食料になる動物も多いのに解体を嫌うらしい

なのにキ(忌)の入れ墨の女に対してだとちょっと異常なくらいにそういう抵抗感なくなる不思議


6 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 01:39:26 ID:V9n20/EE0 [1/1回(PC)]

あれはネットで作り上げられた都市伝説
http://darknarice.jugem.jp/?eid=1264


#59 2013/05/01 10:32
此の島では少女は13歳になると、貝殻で出来たブラと腰ミノを着け、大人の仲間入りをします。


#62 2013/05/01 13:52
少女は13歳になると体中に蜜を塗られ、野外に放り出されます。
虫が体中に集りますが、それに耐えることがまず大人への第一歩となります。


#63 2013/05/01 14:05
>>62
蜜は自生しているハイビスカスから作るのですねw


#64 2013/05/01 14:43
>>62
虫が集まる前に男共が舐めまくるので、心配無用です。


#65 2013/05/01 18:46
虫に耐えた少女たちは、自分の身長ほどの穴を掘ってその中に入り、首から上だけを外に出して土に埋まります。
食事は与えられますが、彼女たちは5日間穴に埋まって過ごします。


#68 2013/05/08 18:45
>>65
そして別の穴に飢えた腐れナイチャーが表れ墓穴を掘ってしまい、食事は与えられますが、鉄格子と言う名の穴に閉じ込められて過ごしてしまうのです。


#81 2013/05/14 00:08
>>65
穴の中で5日間過ごした少女たちは、ザーシンカと呼ばれる霊的な力を帯びた男性の左臀部に口付けをすることでこの修行が終了となり、一人前の女性とみなされます。
http://bakusai.com/thr_res/acode=11/ctgid=104/bid=6/tid=2262413/


奇形児を食べていた日本の集落… おぞましい奇習とは?=山陰地方


 先日、大手メディアがアフリカ・タンザニアで古くから行われているという、アルビノ狩りについて報じていた。だが、実はこうしたある種の遺伝子異常や、奇形にまつわる儀式・奇習というのは海の向こうの出来事ではなく、我が国にも存在していた時期がある。


「そりゃあもうね、当時は大層珍重したものですよ。なにせ、見た目がああいう感じでしょう? それこそどんな奇形でも、有難がったものですよ」


 我々の取材に対してそう語りはじめたのは、かつて山陰地方のある海沿いの集落で暮らしていたという山鹿義美さん(仮名・78)。

山鹿さんの話によると、今を遡ること約70年前までは、当地に奇形を珍重する何とも不可思議な習慣が存在していたという。


「奇形がね、村に生まれると、まず、殺すんです。そう、赤ん坊のうちにね。

要はそれをね、みんなで食べるんですよ。薬になるもんだから。

知恵遅れも、手足の奇形も、真っ白なのも全部そう。
そういう子がね、生まれると、村は大騒ぎでしたよ」


 たしかに、古今東西、その見た目が奇異な印象を与える遺伝子異常や奇形の類というのは、珍重されてきた歴史がある。とりわけ、動植物については、その物珍しさから、不老長寿の秘薬とされたり、どんな病にも効く特効薬として認識されるなどしてきた。

効能は不確かであるものの、それを自らの体内に取り入れることで、何らかの効果を期待するという向きがあったのは事実だ。しかし、それがこと人間を対象としたものであるとなると、途端にオカルト的な臭いを放ち始める。


「生まれて奇形だってわかると、すぐにムシロをかけましてね、その上から石臼を乗せてね、大人が体重をかけて殺すんです。

それで死んでしまったら、そのままむしろごと藁縄で縛りましてね、井戸の中に吊るす。

でも、水には漬けちゃいけない。宙ぶらりんで吊るすんです。

それで7日間ばかし吊るしたあとで、今度は天日に干すんです。

 そこから2週間くらいですかね、生渇きになったら、鉈や何かでバラして、家格ごとに切り分けていくっていう。

この作業はね、村はずれの川っぺりに住んでて、四つ足の屠殺なんかをやっていた人らがね、金をもらって村人の代わりにやっていましたよ」


 山鹿さんの話によると、アルビノはもとより、手足の本数が異なる奇形、さらには今で言うところのダウン症まで、この地域で生まれた者は、すべて秘密裏に殺害され、“秘薬”として村人たちに振舞われていたという。


「とにかくね、なんにでも効く薬だっていう話でしたよ。

嫁さんが産気づくと精がつくからって煎じて飲ませたりね。年寄りが具合悪くなったら重湯に混ぜて飲ますとか。

本当に効果があるのかはね、わからないけれども、当時はみんなそうしたものです」


 無論、当時に比べ、格段に医学や生物学に関する知識が豊富となった今では、こうした奇形嗜食はなんら科学的な根拠を持たぬ迷信の類に過ぎない、なんともおぞましい行為として考えられることだろう。しかし、ミイラ薬や胎盤食など、非科学的な類似行為が全世界に存在しているのもまた事実だ。その奇異な外見が抱かせる神秘的な特徴に魅せられる人々は、洋の東西を問わず、いつの時代も存在しているのである。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/04/post_9153_entry.html


138 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:07:45

沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭が、先週の木〜金にかけて行われたそうです。

この祭りは島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、
カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、
秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。

ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、
女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。


僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。


実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、 見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。

31 :本当にあった怖い名無し 2008/04/20(日) 18:33:30 ID:mWNN8fQx0

田舎の性に関する話は怖いときがあるね。

国内の某島に旅行に行ったとき、赤ちゃんを抱いた10代前半くらいの女の子をやたら見かけた。

歳の離れたきょうだいが多いんですね、とガイドの人に言ったら
風習で女の子は初潮が来たら即嫁入りさせてて、今でもそれが続いているんだとか。

若い事実婚夫婦が自立するまで集落で面倒みるんだって。
今は法的に問題あるから大きな声じゃ言えないんだけどね、と含み笑いされてちょっとゾッとした。

どこだろうこの島

39 :本当にあった怖い名無し 2008/04/24(木) 06:01:33 ID:wqfKSEIoO

スレ読んでて『ウィッカーマン』ていう名の映画を思い出しました。去年リメイク版でニコラス・ケイジが出たのをやっていたけど。
まさにこのスレの内容の様なお話で、島のタブーにゾッとする。

41 :本当にあった怖い名無し 2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO
>>31
聞いたことがありませんがとても興味深いですね…

昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。

そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。

島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://yakimashi.doorblog.jp/archives/6350112.html

沖縄県の池間島という島では、50歳以上の老人が死ぬとその肉を親族で食べたそうです。
しかもつい最近(一説によると50年前まで)肉を親族が食べ、骨だけにすることで、魂を肉体から解放する。

沖縄 食人の習慣? 2007-01-10


与那国の歴史 池間 栄三 より

池間 栄三 与那国の歴史 (1972年)
P38 
与那国の葬儀に獣肉料理を喰べる風習は、上代に死人の肉を食べていた風習の名残だといわれている


南島古代の葬儀(民族第二巻第五号) より

昔は死人があると親類縁者が集まってその肉を食った。

後世になってこの風習を改めて人肉の替わりに豚肉を食うようになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マシシウヤクワ)というのはこの風習から来ている。

何と石垣島では近年まで、親類に死人の出たことを老人に告げると


「アンスカ・ムム・ファリンサカメ」

↑それではまた皆で食べられるね


といわれたのだという。宮古島には今もなお


「葬儀に行こう」


という代わりに


「骨を齧りに行こう」


という言葉が残っているという。


*1959年の話である。大昔のことではない
http://ameblo.jp/horror/entry-10023187967.html

私の知っている限りでは、沖縄が 他の国の歴史に登場したのは西暦610年、隋の役人が探検に来て帰国後に報告したのが最初です。

「流求人は勇敢であり、戦いに負けると和を乞い、戦死した仲間は収容して生き残ったものでその肉を食べる。」

と言うような内容でした。

その事を、遣隋使が聞いて大和朝廷に報告したのが日本に伝わった最初の沖縄に関する情報です。

そんなわけで最初に朝廷に届いた内容は、「流求は食人国」であると言うようなものでした。

ここで言われている流求という国名が現在の沖縄を指すものか、それ以外の地域を指すものかにも諸説があり、確定的ではありません。どちらにしても誤解しないでほしいのは、

死んだ者を食べると、その人は食べた人の中で永遠に行きつづけると言う信仰は世界各地で見られ、古代中国、台湾でも有った習慣です。

ですから、単純に食人が野蛮な行為だったと言う事ではないので、念のために誤解の無き様。
http://www.okinawainfo.net/rekisi/yuusiizenn.htm


アイヌ民族と縄文文化、そして鬼退治 2010年04月18日


縄文からアイヌへ―感覚的叡知の系譜縄文からアイヌへ―感覚的叡知の系譜
著者:町田 宗鳳 せりか書房

まあこれですね。
縄文文化とそれを受け継いだと考えられるアイヌ文化の話が中々面白かったです。

贈り物を贈ることがアイヌ文化の根底にあるという話や、アイヌ民族は狩猟採集民族ではありますが、交易を広く行っており、それも生活を支える大切な要因の一つであったことなどのことについて知ることができました。

一番気になったのは、イオマンテから始まる食人文化への話。

イオマンテというものは、アイヌ民族のお祭りです。まあせいぜい

「熊を殺して神の世界(カムイモシリ)へ送り返す」

ということしか知らなかったんですが、この本によると、丸太で熊の首を挟んで殺した後、熊の体を解体し、その部位を食べるそうです。

しかし血を飲んだり、脳みそまで食べるとは知りませんでした。しかも生食。きっとまだ生暖かいんだよな……スプラッターですね。

おそらく食べることによって熊の力と一体になるという意味もあるのでしょうが、なかなか壮絶なお祭りです。

しかしながら、この本の筆者も書いている通り、そういう文化を野蛮だとか判断し下に見ることは間違っています。(ちなみにイオマンテは最近まで野蛮な行為だとして禁止されていた)

日本人のイルカ漁だって海外から見るときっとこういうふうに見えているのかもしれません。

現代人からみれば、凄惨なように感じても、その根底にはカムイから得た恵みを再びカムイの世界に返すというしっかりとした理由が存在するのです。

このイオマンテですが、この本ではこの祭りを縄文文化の名残なのではないかという観点から考えています。


その縄文文化を考える上で、例示として出てくるのが沖縄県の池間島という島につたわる食人文化の話です。

この島では、50歳以上の老人が死ぬとその肉を親族で食べたそうです。

しかもつい最近(一説によると50年前までという話もある。本当か?)肉を親族が食べ、骨だけにすることで、魂を肉体から解放する。

アマゾンのとある部族は死んだ仲間を食べるのですが、その理由が

「冷たい土に眠るよりは、暖かい仲間の中にいた方が良いだろう」

という理由だそうな。

同様の風習は沖縄県に多く点在しているそうで、よく考えると洗骨葬なども肉体から魂を解放するという考え方では共通しています。

かつて、貝塚から見つかった人骨にいくつかの人為的な傷がついていたために、モースは日本にはアイヌとは別の食人文化をもつ民族が住んでいたと考えたそうですが(プレ・アイヌ説というらしいです)、どうやら縄文人はこの風習のように食人を行っていたらしい。

普通生物は同族を食べたりはしません。まあ腹が減ったなら話は別ですが、種の反映のためには仲間を大切にする。

しかしチンパンジーが敵対するグループの子をさらって食べてしまうのは有名な話です。このように敵対するものを倒して食べるということは人間が猿の時代から行われていたようです。

食人文化を持つ部族の中にはこのように「憎しみによる食人」を行っているグループもありますが、沖縄の食人文化はそれとは違い言うなれば「愛情による食人」まあある意味人間らしいっていえば人間らしい。

この本では、アイヌ民族の伝承に

「かつてアイヌの先祖はお互いに食いあいをするなどしていたが、カムイが道具を与え食人を禁止した」

という伝説に注目し、南方からやってきた食人文化を持つ縄文人達の生き残りがアイヌではないのかと考えています。

そして、イオマンテと沖縄の食人文化は根底は同じではないのかとも推測しているのです。

おそらくイオマンテの祭りに近いものは縄文時代には多く行われていたのではないかと考えられます。しかし渡来人がやってきて弥生文化を作り、やがてヤマト政権によって大陸の文化が入ってくる。

すると今までの文化を続けていた人々は「野蛮」と言われ迫害の対象になります。しかし、ヤマト朝廷の勢力が届きにくかった辺境でその風習はほそぼそと残った。それが食人文化であり、イオマンテであると言うのです。

なるほど、と納得してしまいました。

ちなみにこの本を読んだ後、ネットで縄文文化について調べていたら、

「鬼=縄文人説」

というものを発見しました。鬼の顔は隆起が激しく、眉毛は太い。髪の毛は縮れていて体は毛深い。たしかにこうしてみると、縄文人の特徴を抑えていることに気がつきます。

ひょっとしたら鬼というものは朝廷に従わなかった縄文系の人々ではなかったのだろうか。

大陸系の支配者に追いやられ次第に北へ、山奥へと追いやられる。蝦夷と呼ばれた人々はおそらく縄文系だったと考えられます。

もし彼らがイオマンテに近い文化を持っていたらとしたら、おそらく獲物を殺し、皮をはぎ、血を回し飲みし、脳を生食する猛々しい祭りを持つ彼らは、鬼にしか見えなかったことでしょう。

そして鬼は人を食います。ひょっとしたら食人文化に近いものを持っていたのかもしれません。

少なくとも漂着した外人よりはありそうな話です。だいたい鬼って平安時代にはすでにあんな感じだったし。

古い風習をまもり続ける彼らは朝廷にとっては憎い敵でした。そのため自分たちとは違う「野蛮」な「怪物」としての鬼伝説が生まれたのではないかとも考えられます。昔話では鬼退治が語られますが、アレは実は民族紛争ではなかったのか。

頭の角も気になります。鬼が虎のパンツに牛の角なのは、鬼門の考え方から来ているそうですが、ひょっとしたら蝦夷の中にはシャーマンのような角をつける人々がいたのではないでしょうか。

北海道のフゴッペ洞窟の壁画には角をもつ異形の人々が描かれています。おそらくシャーマンではないかと考えられているそうですが、フゴッペ洞窟を描いた人々の風習が当時の日本に残っていたのかもしれません。(もっとも角をつける祭りを僕は知らないのでこの考えも随分怪しいものですけれども)

とまあこのように想像は膨らむのですが、こう言った説ってやっぱり食人というショッキングな内容からかあまり聞きません。

モースの食人説も、当時は反発を受けたそうですし(我々の祖先が食人なんてやっていたワケがない!ということもあるんでしょうけど)やはり現在ではタブーとされていることは受け入れがたいものがあるでしょう。

しかし、この本の冒頭で断られているように、「文化を野蛮とみなし拒絶する」ことは愚かなことであるといえるのです。(まあかといって僕はカニバリズムしようとは思わないけれどね!)

作者は冒頭でこうも断っています。

「アイヌの文化を考えるにあたって、近年見られるような自然と調和して生きるというようなステレオタイプな見方は捨てるべきだ」と。

あるところでは猛々しく、血生臭い風習があったとしてもそこを無視して話を進めることはできないのです。それも含めて文化なのですから。

彼らがもしかつて鬼と呼ばれた人々の末裔だとしても(こんなこと書くと怒られそうだけど、決して鬼が悪いわけじゃない)、その部分を拒絶するようじゃ、イルカ漁を責める外人と一緒になってしまいますよ。と考えてみたり。
http://blog.livedoor.jp/takaike_sora/archives/1457911.html


 
琉球の「食人」風聞の歴史的構造  弘末 雅士:天理大学国際文化学部


 東南アジア島嶼部の歴史を専門とする筆者は,北スマトラやニコバル・アンダマン諸島,ニアス島,ケダー,カリマンタン,モルッカ諸島など,交易上貴重な産品を産出したりあるいは東西交易路の要衝であった地に,しばしば古くから「食人」の風聞が存在したことに注目している。

「食人」風聞は,自文化と異文化とを分化する際の重要なメルクマールとなるばかりでなく,誰がその風聞を流布させたのかを考察することで,そこでの交易活動のあり方に,貴重なデータを提供してくれる。この意味で,琉球の「食人」風聞も興味深い事例を提示してくれているように思われる。


 琉球の「食人」風聞は,7世紀の『隋書流求伝』に登場して以降,13 世紀までしばしば中国側,日本側の文献に登場した。この「流求」が今日の沖縄かあるいは台湾であるかをめぐり論議されたことがあるが,日本側には9〜14 世紀始めにおいて南島に「人喰い」が居住するという一般的イメージが存在していた。

筆者は,「食人」が実際に慣行として存在したのかどうかには,直接的関心を払わない。
多くが風聞で実証が困難であるし,「人喰い」風聞が存在したという事実の方が,より重要であると考えるからである。そして14 世紀後半になり,琉球の王国が明朝に朝貢し始め,自らが海洋王国を自認し東南アジアや東アジアとを介在する役割を果たし始めると,「食人」風聞は消滅する。

 7〜13 世紀の間の沖縄は,日本や中国からは異域とみなされていたが,日本や中国との交渉がほとんどなかったことを意味するわけではない。むしろ日本と中国,あるいは東南アジアと東アジアとを介在する地としての役割が生じ始めた時期である。『日本書紀』『続日本紀』によれば,7・8世紀頃に琉球の一部を含む九州以南の島々の住民がヤマト国家に挨拶にやって来ている。また遣唐使もしばしば九州以南の島々に漂着した。12 世紀以降南宋の時代になると,東シナ海の海洋交易活動は一層活発となるとともに,中国人商人が南シナ海やインド洋にも赴くようになり,琉球に立ち寄った商人数は増加したことが容易に推測される。沖縄は11〜13 世紀には,グスク時代とよばれる水田耕作が普及し始め,交易も活発となり,権力者が出現する時代を迎えている。


 12〜13 世紀に東アジア海域世界において中継地として重要な役割を果たし始めていた琉球に対し,むしろ日本人は「人喰い」島のイメージをいだき続けていたといえる。沖縄は食糧を供給でき,また造船用建材となる木材を産し,金,銀,銅そして硫黄を豊富に産する日本と近接し,かつ東アジアと東南アジアとを介在しうる位置にあった。日宋間,日元間のあるいは東アジアと東南アジアとの間の貿易を支配的に司っていた中国人を主とする私貿易商人にとり,重要な中継地となりつつあった琉球は,日本人や他の外国人商人を介在させたくない地であった。「食人」風聞はこのコンテクストにおいて,重要な役割を果たす。

1243 年に五島から船出して宋をめざした船が,琉球国に漂着して,食人されるかもしれぬ恐怖を記した『漂到流球国記』や,商人が訪れないとされた黄金の島チパング諸島で食人が一般的に行われていることを記したマルコ・ポーロの『東方見聞録』を読むとき,こうしたイメージ作りがきわめて効果的になされていたことがわかる。

 「食人」風聞は,決して交易活動が無秩序で行えない状態を示したものではない。むしろ,現地人と一部の人々との独占的関係が形成されていることを示す場合が多い。琉球の「食人」風聞もこの点で,きわめて興味深い事例を提示してくれているように思われるのである。
http://www.okinawa.oiu.ac.jp/okinawa-cgi/cgi-bin/pdf/5122.pdf


▲△▽▼


古からの秘祭・土着信仰が残る島

1 :本当にあった怖い名無し:2008/04/08(火) 04:24:03 ID:keQmaNWf0

沖縄の八重山諸島の1つに新城島と言う島があります。その島には古くから人魚伝説があり、人魚神社や御獄(ウタキ)大御獄(オオウタキ)と言う場所には

「この道は『神の道』につき一般の人の通行を禁止する。」

と書かれた看板が数多くあります。

そして、謎の秘祭(豊年祭)には『アカマタ・クロマタ』と呼ばれる二体の奇妙な神が豊年を祈り踊ります。しかしこの祭りは撮影禁止で、以前、隠し撮りした人への暴行事件も起きました。

他にも、鹿児島の甑島には『クロ』と呼ばれる土俗信仰集団があり、人喰いや強力な呪術を使うなどの噂があります。


御獄
http://www.youtube.com/watch?v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=zkS_jmB0-NY
http://www.ajkj.jp/ajkj/okinawa/chinen/kanko/sefautaki/sefautaki.html
http://gurukun.jugem.jp/?eid=1339


10 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 12:37:02 ID:GBiBAvZIO

ガチで沖縄出身のボクですよ。大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。

ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですが、いつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です。

儀式には幻覚作用のある薬物を(ガンジャやある植物の根を絞り発酵させた酒など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うのが儀式のやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますが、それも現在日本の法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末のタブーなどが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

しかし、1番の原因は話題に上がっている島の多くは売春が島の収入源となっている様な事も多く、最近では、本土から借金を抱えて出稼ぎに来ている女性も少なくありません。そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。


後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが、「神の〜」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし、他にも・・・血が濃すぎるためのタブー

タブーを神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。


興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない振りして知らない振りしておくのが一番です。そうすれば島の住民は友達で居てくれます。純朴で優しい人達ですよ。


12 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 22:36:33 ID:dghEXJ+6O

>>10
さらに詳しい話を聞きたいけどやっぱり島の人にしかわからないことがあるでしょうしね

13 :10:2008/04/10(木) 01:50:14 ID:R9PnKYsJ0
>>12
そうですね、やはり話の核心に迫るのは難しかったです。僕は運良く地元の人間と言う事もあり、かなり深い所まで行けたと思いますが・・・。

インターネットがこれだけ普及した世の中になっても表沙汰にならない所を考えると
地元の人間にとってどれだけ重要な神事なのかは想像できます。今、改めて当時のレポートを読み返していますが、以前からどうも解せない所があって又沸々と探究心が湧いてしまっています。

>>1に記載されているクロに関しては結局何も分からず仕舞いですし・・・

確かにクロと呼ばれる集落は存在していたのですが、近隣の住人もクロの話になると固く口を閉ざし怪訝な顔をします。しかし伝承通りにクロの集落中に高い壁が立てられ異様な雰囲気を醸し出していたのは事実です。

アカマタクロマタの秘祭についても石原慎太郎の小説のイメージが強烈で歪んだイメージが強すぎるのだと思います。実際は荘厳で美しい祭りでした。島が抱える悲しい事情による悪いイメージも強いのだと思います。

41 :本当にあった怖い名無し:2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO

昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。

島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://unkar.org/r/occult/1207596243

不思議ナックルズにアカマタ、クロマタの秘密が載っていたよ!

その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でSEXさせられてアカマタ、クロマタが生まれるらしい

アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで
それで生まれた子供を人魚の肉として食ってるだって。

麻薬をやりながら、女を監禁して輪姦って・・・

メスのおサルさんみたいに発情してあそこがまっかっかな若い女がアカマタを、
男性と交わりすぎてあそこが真っ黒な10代から40代くらいの淫乱な女がクロマタを
演じる、というのが慣わしです!


何でここまで秘密にするかというと

女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食ってるのでばれるとまずいからです
http://unkar.org/r/tropical/1163308866


728:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。

多分そんな神秘の祭りなんだろう。

737:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、処女が選ばれる。だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。


アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。 そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきでよそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。 驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。
その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。

65:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく
これ以上この島に関わるな
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


627:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0

祭の内容見ると、やっぱ

献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな↓

海で監視をしている西泊さんと目が合う。そろそろ上がらないといけない時間だった。すると

「佐野さん?あなたのシンカはどこ?」

と尋ねられた。これは嬉しい島言葉だった。冒頭に書いた、この島で島民と旧島民だけで行われる秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。

そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。

「シンカ」、そうかここではきっと家族っていう意味なんだろう。瞬時にそう判断して「あそこにいます。呼んできますね」と返事をしていた。 海から上がり、シャワーを浴びて着替えたあとは、約束どおり人魚神社(アーリィウガン)を案内してくれるという。その時には他のツアーのお客さんも加わり、我々はまだ見たこのない人魚神社だけ見て、そこで別れ船を待つことになった。

人魚とはザンと呼ばれたジュゴンのことである。ジュゴンの肉は不老不死の霊薬とされ、琉球王府の王様に献上されるのだが、パナリは毎年、そのことが義務付けられ、必死に捕獲していたらしい。そして捕獲したジュゴンの頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社にはジュゴンの頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。

鬱蒼とした緑の奥にたたずむ鳥居は神秘的で、とても勝手に入れるような雰囲気はなかったが、西泊さんが、我々も含めたツアー客に

「この神社は、昔、王様に献上したジュゴンを祭った場所です。ジュゴンの肉というのは美味しいものだったそうです」

と語ったとたん、2人の女子高生風の化粧バッチリの女の子2人が間髪いれず「入っていーの?」と質問した。西泊さんが

「ここはダメです。私たち島の人間も勝手に入れません」

というと「どーして?」。このやり取りが続いて噴出しそうだった。なんだか屈託がなくて微笑ましい。

鬱蒼とした緑に覆われた立入禁止のアーリィウガン

我々はそこで案内から外れ、珊瑚の塀で覆われた美しい村の集落を抜け、港で船を待つ。目の前には大きな西表島、遠くには高い山をいだいた石垣島、その中間になだらかな小山を持つ小浜島が見える。翡翠の海に幾重にも重なる島影。この美しさは八重山ならではだ。


パナリ集落

一週間前にはここでその豊年祭が行われていた。400人以上の人が訪れ、3日かけて儀式が執り行われるという。

一昨年、案内してもらったナハウガンと呼ばれる神社の奥にあった赤い太陽と月のマークを描かれた真っ白なアーチ上のワーと呼ばれる門から、稲を島にもたらした神であるアカマタとクロマタの2神が現れる。

アカマタは男の神で、旗には太陽が描かれその先に剣がついている。
クロマタは女の神で、旗には月が描かれ先には二股の槍。その体は野ぶどうの葉で覆われ手や足は見えず、それぞれ赤と黒に塗られた怪異な仮面をつけ、頭には大きな葉をいただき、大きさは2m半を超えるという。

目は夜光貝なので暗闇でも光り、その圧倒的な存在感はまさに神、村人は声を限りに神に出会えた喜びの唄を歌い、神は家を一軒一軒訪ね歩いて踊る。明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟

(シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)
へ帰っていくのだが、アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。

この祭りは、以前、村人の招待があれば見られた時期から、撮影、録音からメモを取ることまで禁止され、禁を破った者はシンカから何をされるか分からない厳しい掟がある。このパナリのアカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。

このアカマタ・クロマタはパナリだけでなく、最初に始まったという西表の古見、西表島の向かいにあるここパナリと小浜島、そして小浜島の住民が移り住んだ石垣島の宮良の4ヶ所の部落のみで行われているが、どこでもいつ行われるかも公表していない秘祭であることは変わりがない。勝手に見ようとするとシンカに阻止され排除される。

昔出版されたある雑誌に、西表島の豊年祭の写真が掲載されていたが、ここではアカマタ、クロマタ、シロマタの3体の神が現れるのだが、パナリのそれとはまったく違う姿をしていた。小浜と宮良は似た姿だそうだが、パナリのものはこれも違う姿かたちだという。

そしてパナリだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。

子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われているため、みな必死で逃げるのだそうだ。

このようにそれぞれの島で違う形で伝え続けられてきた。  私はこの祭りを見ることが、ギアナ高地に降り立つことと並ぶ一生の夢であり、見られないだけにここ何年、国会図書館まで行って僅かに記述された文献を調べている。知識はあっても一度も見ていないのだから、ただの頭でっかちである。いつかその「許し」は出るのだろうか...。
http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html


沖縄県のA島では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭」と呼ばれ、若い男女の営みを参加者に公開する、セックス祭りである。

沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。

ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭が行われている。それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。

運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。

一体なぜなのか? それには驚愕の真実が隠れているからである。この祭り、実は裏では「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然セックス鑑賞会なのだ。

毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。

首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。

ちなみにもし、島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


354:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0

こういうのはよその種を入れて血が濃くならないようにするのが主目的なんじゃないのか?
夜伽とかと同じで。

361:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う
祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為
多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない
天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい

40:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:13:20 ID:DiGDdkMF0

国内で人口の少ない島はそれこそ1世帯〜数世帯レベル
成り立つかどうかが疑問

それに凄まじい近親婚になるので、障害児出生リスクも高い
他の地域の人と縁を持ち、島を維持してきたと考えるのが妥当

753:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 08:12:56 ID:7YIgrshr0

地元にも無人島があるんだけど、
昔住人が50人ぐらいいたけど、みんな血が濃くなりすぎて、そのせいでほとんど女子しか生まれず、その女子が本土へ嫁ぐに行ってしまい無人島になった。


434:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:14:32 ID:HuT7wwke0

昔はどこも人の出入りが少なくて部落単位だから小さな集落はみんな親戚になってだんだん血が濃くなってくる

ときどき少し遠く血を入れないとまずいので暗黙の了解として祭りの時に利用したってよく言われている

おそらくこれも同じで 全くの部外者の血を入れるのはいやだけど今では遠くにいる同じ島の出身者くらいの血は入れたいってことだと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001

136:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:58:13 ID:dwr85dTX0

子孫繁栄のためならば、血が濃くなって奇形児が生まれることを防ぐために
部外者の参加大歓迎になるはず。 モンゴルあたりの遊牧民は、お客を自分の奥さんとか娘でもてなすらしいぞ。

64:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910

大正時代まで全国的にあったらしいぞ。
秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。

107:名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0

江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。

111:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:43:31 ID:B57FBblw0
>>64
万葉集の時代から、祭りの夜はフリーセックスだったしな
人妻とやりあったというのが残ってるw

かつて柳田を師と仰いだ宮本常一氏もまた、村の古老たちの夜這い談義を忠実に
再現した名作「名倉談義」(『忘れられた日本人』の内)を遺しています。

いきなり「夜這い」を持ち出さずとも、日本の村祭は密接に「性」と結びついています。 古来、祭の夜はフリーセックスが公認されており、それが若き村の男女の秘めやかにして最大の娯しみでありました。


160:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0

祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。

191:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:27:38 ID:Kyus9N6V0

天皇家の跡継ぎ問題じゃないけど、
一夫一婦制の妊娠ってのは結構難しいんだよ。

昔は貞操うんぬんよりも子供を産まない事こそ絶対悪。
だから妊娠チャンスとしての夜這いや乱交が当然の事としてあったんだよ。

貞操を叫んで、少子化で滅ぶ方が馬鹿な社会だと俺は思うがね。


450:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:38:03 ID:WYcf1F3L0

乳幼児死亡率が今と違ってものすごく高かったんよ。
生まれた子供の半分以上は、5才の誕生日を迎えず死んでいくような状態。
その前に死産もあったから、受精卵から成人まで育つのは、3割程度かね。

だから、とにかく産むのよ。
成人まで成長するのが数少ないから、産んで産んで産みまくって…
とやっていかないと、途切れちゃう可能性があるんよ。


441:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:24:04 ID:tDXPC+zJ0

昔は過疎化という言葉は無かったかも知れないが、貧困と乳幼児の高死亡率で
どんどん子供を産まなきゃならんかった。ガンガン産まなきゃ貧困と過疎高齢化に
対応できない。

それは本土の農民も同じ。沖縄なんて国そのもののレベルが東北以下だったんだから
なりふり構わずやりまくって産まなきゃならない。昔、子供は地域の宝っていう概念があったけど、それは地域で育てて地域を守るって表の意味と、乱交状態で誰の子供か分からないって裏の事情もあったわけ。だから村の子供は村で育てるわけ。

貞操とか秩序とか道徳っていういわゆる日本人的な美徳があったのは貴族や武家だけ。


220:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:42:46 ID:XryklFOc0

夜這い・乱交は百姓の話。 百姓は多いほうが良いから黙認していた。
百姓には氏素性は不要だからな。

支配者階級では許されるはずも無く、養子縁組で家を保った。


663:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 00:28:03 ID:he1UONG30

祭りの日の夜、家柄のいい地主だか商人だかは、自分の娘を蔵に閉じ込めて鍵をかけた。 男衆が女を目を血走らせてあさりに来るからだ。

女は蔵の中でガクガクプルプル震えて祭りが終わるのを待つ。

女を閉じ込めた親父は、時には若い男衆にボコボコにされても娘を守らなければならない。


245:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:54:15 ID:ek3jx5xm0

ムラの盆踊りに一人で行かせてもらえなかったって80歳のうちのばっちゃがいってた。 みんなセックスしてるからと。昔はどこのムラ祭りでもそうだった。

結婚はとなりムラの農閑期の慰安会の手伝いにいかされて、婿候補のじっちゃにこっそり見せられて後に結婚。今の俺があります41歳独身。昔はいいですな

178:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:20:19 ID:yAysof1uP

岡本太郎が墓暴きをやったせいで久高島では風葬が廃止され
貴重な秘祭であるイザイホーの伝統も絶たれてしまった

>>1が事実であろうとなかろうと、その土地の人が大切に守ってきた文化を
よそ者が踏みにじる行為は絶対に許せないと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001

77 : 天之御名無主 : 04/07/15 05:25

風葬は1970年代までは確認されている。

1979年の久高島でのイザイホーのとき、芸術が爆発するバカが風葬場所を撮影するという冒涜を行って大問題になった。

つまり、当時はまだそこに人骨がおかれていたのだそうだ。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/


194:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:28:05 ID:8JgCPlKC0

先島の方の神事って、本島の進行役のユタと少し違って「系譜」があるそうで
その人を検挙されると祭事ができないので秘密の神事にしたところもあるそうですね。

戦後に、男性・女性のシンボルを模った面や神事に用いたものを米軍が押収していった
そうです。 アンガマのウシュマイ・ウミーも現在のモノとは随分と違うって本土復帰前の琉大の調査に証言してた高齢者もいたそうです。


174:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:18:00 ID:hqxwwBTu0

沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭は島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。

ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。
まあ、都市伝説みたいなものなんでしょうけど、そこまで隠すからそういう噂が出るんでしょうね。

僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。

実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。

215:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0

大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です

儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。


293:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:38:04 ID:DYrKD13LP

新城島のアカマタクロマタは部外者に対して禁忌というより琉球の古代から続く秘祭は多くが文字通りの秘祭だった

だが、今でも部外者秘を守ってるのはこの新城島のアカマタクロマタ

宮古島のパーントゥプナハくらいのもんだろ。

ちゅらさんで有名になった小浜島でもアカマタクロマタは部外者秘というが、今でもそうなのかどうか


アカマタクロマタは八重山一帯で広く信仰されてる、王国の支配が及ぶ以前からの
土着の信仰だ。ただし琉球王国のニライカナイ信仰同様、異界から現世に来る来訪神だから、ニライカナイ信仰に含められてるけどな


724:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:08:19 ID:kAp5lM6HP

アカマタ・クロマタ(地域によってはシロマタというものもある)は八重山一帯に琉球王国の支配が及ぶ以前あるとされる古代祭祀、信仰なんだが、秘祭として執り行っている地域が現在もまだあるというところが重要

アカマタという神が性交に関わる神だというのは広く知られている上に特に新城島のものは島外人秘で極めて排他的で実態が全くわからない
定期船もろくに無い離れ小島で古代の性的儀式を行っている疑惑があるからここまで話題になる
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001


154 : 天之御名無主 : 2007/03/22(木) 09:34:22

宮良出身です。

・アカマタクロマタは夫婦。
アカマタは農作業で日焼けして赤い。クロマタは炊事の時の煤で黒いらしい

・アカマタクロマタは、もともと宮良にあるものではなく、明和の大津波の後、新城(?)から強制移住させられた人達が持ち込んだ風習らしい。 その大元の発祥については詳しく知らないけど、海賊避けのハッタリって話しも聞いた事ある

・あのお面は、ある家系が代々保管してる。
体の部分は神聖な意味を持つ、特定の種類の蔦を編んで作成。


214 : 天之御名無主 : 2010/04/23(金) 00:07:10

17年前に2回ほど石垣島宮良に見に行ったことがありますが、規制などは思ったよりは、緩いのですが、アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます
私は知り合いの家が在り、見れたのですが、一般の人が見るのは難しと思います。

祭り自体は、怖くはないのですが、アカマタ、クロマタは、草か葉っぱで覆われていて、意味のわからない言葉でその家々に言葉を残していきます、

アカマタクロマタに入っているのは、地元の青年団で、意味のわからない言葉も古くから伝わる言葉らしく、絶対教える事はできないらしく、地元の人もこの事自体あまり話したがりません、特に地元青年団など、深く関わった人は一切話すことはタブーらしです、

祭りに対してのもともとの由来など、地元の人でもあまり解っていないと思いますが、厳しい掟などは守られているのは罰が当たったりとか、そうゆうことを恐れてではないかと思います。

県民性から言うと、お盆とか、しぃーみぃー(清明祭)などを大事にしているのと一緒だと思います。 私も6年石垣に居ましたが、沖縄の人から(個人的には)見ると、石垣の人は変わっています。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/


ナビン洞の中ではどんな儀式が行われていたのか?


アカマタ・クロマタの儀式に関する噂を纏めておきます。

昔は本当にこういう事をやっていたというのではなく、以下の内容を象徴化・抽象化した、同じ心理的効果を持つ儀式を考案したというだけでしょう。 くれぐれも事実だとは思わないで下さい:


・新城島ではなんとも奇怪な祭りが行われている。 毎年、島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。 島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。


・ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという


・豊年祭も2回あって、小さい豊年祭と呼ばれていてアカマタ・クロマタの子供が現れます。


・新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われる。


・アカマタ、クロマタは、明け寅の刻にヘビが皮を、蟹がからを脱ぐように生まれる。 ザーシンカは仮面に「すで水」を注ぐことによって、秘儀的に来訪神を再生させる。つまり、八重山の来訪神儀礼は、死と再生によって特徴付けられている。


・その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でアカマタ、クロマタを生む


・秘密の祭りは近親相姦で柱にくくりつけて…


・アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…


・新城島では近親婚の為に、生まれる子供は女子ばかりだった


・近親相姦で生まれた畸形の子供や集落でトラブルを起こした女性が神への捧げ物とされた。


・儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。


・ナビンドウと呼ばれる洞窟でアカマタ・クロマタが生まれるが、シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われ、その間、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もる


・アカマタ、クロマタは地下あるいは土中から出現すると考えられている。 そして儀礼的には、ナビンドゥ(鏡のような凹状の洞穴の意味)から出現する、という形式を取っている。


・アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます


・新城島の豊年祭でだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われている。


・外部の人間はアカマタが出てきてから踊る所だけしか見られない。 洞窟で何が行われてるか調べようとした研究者は石で眼球を潰された。 石垣警察署に問い合わせると、あまり深入りしないようにと意味深な注意を受ける


・何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民が平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。


・人魚神社の秘密は島最大のタブー


・アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで それで生まれた子供を人魚の肉として食べている。


・何でここまで秘密にするかというと、女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食べているのでばれるとまずいからだ


・昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。


・人魚は、漁師達にあなたたちの島に連れていって下さいと頼みました。人魚に夢中になっている島の人達は津波が押し寄せて来るのに、気づきませんでした。ようやく気がつくと人々は慌てて島の一番高い所に先を争って逃げました。人魚だけはうれしそうな顔で、おいでおいでと津波を手招きして、沖の方に向かって泳いでいき、やがてその姿は津波に飲まれて姿が消えました。津波が襲ったのは、人魚が歩き回った所ばかりだったそうです。


・人魚とはザンと呼ばれた〇〇のことである。〇〇の頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社には〇〇の頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。


・「神の〜」等が書かれた看板が立入禁止になっている場所は埋葬場


・祭の内容見ると、献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな


___________


4) 神食いの儀式 _ 麻薬を吸い 人肉を食べ 乱交する狂宴


アステカの聖体拝領

神人合一のイメージを、信者をして強化せしめる方法として聖体拝領があるが、キリスト教のミサによるそれと、16世紀のアステカで行なわれていたそれが類似した儀式であったことを見ると、アステカの宗教は、観想を主力とするどちらかというとクンダリーニ・ヨーガ型の宗教であったように思う。ミサの聖体拝領は観想を補完するセレモニーと考えられる。


キリスト教のミサは、次のように執り行われる。


1.パン(ホスチア)の奉納
2.カリス(ワイン・聖杯)の準備
3.カリスを挙げる

4.奉納物の聖別(十字切り)と祭壇の献香
5.エピクレーシス(聖霊の降下を求める祈り)
6.聖別(パンとワインが主の肉体と血に転換する)

7.大奉挙(聖別されたパンとワインを会衆に向け高く掲げる。)
8.聖別後の祈り(聖別されたパンとワインを奉献する祈り)
9.奉献文の結び

10.挿入祈祷とフラクチオ(ホスチアがカリスの上で二つに割られる)
11.コンシグナチオ(ワインに対して、ホスチアのかけらで十字を切る)
12.混和(ホスチアとワインのカクテル)


最後は霊肉の一致のシンボル化ですね。

これに対してスペイン人修道士サアグンが1529年メキシコで目撃したアステカの儀式は、モクテズマ王や大祭司の前で行なわれた。


1.芥子粒の練粉でもって、ウイツィロポチトリ神の像を造る。

2.ケツァルコトアル役の祭司が、ウイツィロポチトリ神の像の心臓を火打石の槍で突き刺す。

3.死んだウイツィロポチトリ神の練り粉の肉体を細切れにする。心臓はモクテズマ王のものとなり、他の骨のようになっているバラバラの円筒状のパーツは列席する者に分配された。


この儀式は毎年行なわれ、神を食べることは「神食い」と呼ばれ、神を食べた者は「神の番人」と呼ばれる。
(参考:心理学と宗教/C.G.ユング/人文書院)


この儀式が隆盛なままキリスト教の布教を続けても、キリスト教のミサの方がアステカの儀式のパクリだと言われかねないので、サアグンは焦ったに相違ない。

どちらの儀式も、もともと個人と神が別である意識があることを大前提にスタートしているので、儀式の本質も神人一如を強調する形となっている。むしろアステカ民衆の意識が、西洋人に近い意識であったこと、つまり東洋的な意識(もともと神と人に隔たりはないという先入観)ではなかったことがひとつの驚きだと思う。

似た意識の大衆に対して、適切な宗教を移植すれば、非常によく似た儀式が出来上がる訳である。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/1a0c53a42e22a8266206417a54646457


ユングの観点から宗教改革の意味を考える場合、重要な焦点になるのがこのサクラメント、ミサ(聖餐)の問題です。

ミサの中心観念は、パンとぶどう酒の「聖変化」にあります。

これは、イエスが最後の晩餐の席で弟子たちにパンを裂いて与え、また杯を与えて、これを自分の身体と血であると語った伝承に由来します。パウロが語る次の言葉は、聖餐におけるこの「聖変化」を極めてリアルに伝えています。

「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである」
(?コリント11:27)。

 ミサにおいては、祭司がイエスの聖別の言葉を唱えることによって、パンとぶどう酒はキリストの身体と血に変化するものとみなされるのです。これを聖変化とか化体(実体変化)transsubstantiatioといいます。パンとぶどう酒の実体substantiaつまり「本質」が、霊的なキリストの身体と血に変化するという意味です。

 中世キリスト教には、この解釈をめぐって、二つの考え方がありました。一つは9世紀のラドベルトウス以来の考え方で、化体説の源泉となった考え方です。

彼は、聖別されたパンとぶどう酒は、天上にあるキリストの霊的な身体および血と〈同一〉であると言ったのです。

これに対して11世紀のベレンガリウスに代表される考え方は、パンとぶどう酒はキリストの血肉の〈象徴〉figuraであるとしたのです。
http://akitanarayama.blog10.fc2.com/?mode=m&no=309

 キリスト教会に魔女たちが告発されたのはこの人肉嗜食の罪に問われたのが、いちばん多かった。しかし、キリスト教信仰のまさにその中核こそ聖餐なのである。救いも、罪のあがないも、永遠の生も、何もかもこの聖餐にすべてがかかっているのである。

聖餐というものは、「象徴的な」人肉嗜食ではなく、神学上の原理説明によると、まったく現実に嗜食することなのである。

 神を食するということは、文明が始まって以来、全世界的に見られる風習であった。しかし、文明の初期は、人肉を実際に嗜食する祝祭がつねに行われていたのである。

「生贄になる者は」神の化身として「殺されるばかりでなく、自分を祀る者たちにその肉を食べられ、血を飲まれる。そうすることによって彼の生命は、彼らの生命に乗り移り、両者は結ばれて共生するのである」。

 神の化身である生贄を食べる目的は、そうすることによって神の肉体の肉になって、神の聖なる肉体が再生するときに自分も同じく再生できるようにするためであった。初期キリスト教時代の秘教というものは、すべて、カニバリズムまがいの聖餐を行えば、祀る者は祀られる者(神)と一体となれるという信念をその中心に持っていたのである。

「宗教の初期の段階には、聖餐という形で神を食べることによって、自分も神の一部になれるという固い信念があった。これは疑いないことである。

例えばトラーキアのディオニューソスの秘儀においては、そうした食事にあずかった人々は神の聖なる生命を自分たちも分かち持つことができるとされ、そのためにその神の名で自分たちも呼ばれることになるのである」

 キリスト教の聖餐は、他の秘儀のと同じく、こうした考えを下敷きとしている。エルサレムのシリルは、

「キリストの肉と血を食するのは、そうすることによってキリストと一体となり、血のつながりを得られるようになるからである。キリストの肉と血がわれわれの手足に入って、われわれは『キリスト担体』になる」

と語った。聖メトディオスは、

「信者はすべて、キリストの血肉にあずかることによって、キリストのような人間に生まれ変わる……キリストが人間として姿を現したのは、われわれ人間が神になるようにするためであったのだ」

と教えた。しかし、同じ聖餐でも、他の宗教のものとなると、それは悪魔の儀式とされた。

「悪霊は供物を食べて力をつける、だからあなたがたが供物を捧げると、あなたがた自身の手で悪霊を体内に引きいれることになる。悪霊は長い間ひそんでいて、そしてあなたがたの霊魂と一体となる」。

 真のカニバリズムは、7世紀まではなお、明らかにチベットの供犠と関連があった。しかし、その後は、それに代わって聖なる秘儀が演じられるようになり、そのためにカニバリズムはシンボリックなものになった。

練り粉で生贄を作って、それを引きちぎり、「内臓」を皆に配って食べた。
ときには、死刑囚の死体の肉をその練り粉で作った像の中に入れた。

贖罪の祭典のときには、「宗教の聖なる王」と呼ばれる雄ウシの仮面をかぶった聖職者が、その生贄の像を突き刺して、手足をばらばらに切り離し、胸を切り開いて人工の肺や心臓や腸を引き出した。残った遺体は動物の仮面をかぶった踊り手たちによってばらまかれた。

それは、古代、ウシル〔オシーリス〕やその他の救世主-神たちの遺体が地上にばらまかれたのと同じであった。

 そうした踊り手たちというと、『エゼキエル』の第24章に出てくるサバの住民たちのことが思い出される。彼らは「血を流す女たち」と呼ばれ、死者の喪に服するために黄金の冠と腕輪をつけ、「人肉のパンを食べた」という。

同じような送葬の踊り手として、エジプトには、女神メウト〔ムート〕、あるいはネヘベト〔ネフベト〕(死者を食べる女神)を擬人化するために、ハゲワシvultureの羽根を身につけたムーmuu(=母親たち)という人々がいた。

 最近まで、フランスの一部で、最後に刈り入れた小麦の束から取った小麦粉で人形を作って、それで人間の生贄を表す習慣があった。その人形は村長marie(昔は一族の母親の添え名)によって引きちぎられ、人々に与えられて、食べられた。

メキシコでも同様に、人間の生贄が廃止されてから、練り粉の人形の胸に火打ち石の先がついた槍が射こまれた。

こうした行事は、「神の肉体を食べるために神を殺す」行事だと言われた。「神を食べる」torqualoという儀式では、神の像が粉々にされて、人々に配られたという。

 これは、明らかに、アステカ人の宗教思想の遺物であった。生贄になる人は神の擬人であって、崇拝され、病気を癒し、人々に祝福を与え、つねに、そのそばには彼の世話をする弟子たちがいた。それから彼は殺され、彼に与えられていた特別な家(calpulliと呼ばれていた)でばらばらに解体された。育児中の母親たちは、その血を子どもに含ませるために、乳首にその血を塗りつけた。

 ギリシア人の言う「生食」wjmofagivaというのは、本来、人肉を食べる狂宴orgiaであって、そのときは料理も何もしないで食べた。生贄となる者は、その狂宴に参加した人々の歯や手で引き裂かれ、生のまま食べられた。ギリシアの古典作家たちは、つとめて「生食」を忘れようとした。

彼らは、野蛮人は乱交をし、家族の者を食べると言って軽蔑した。

「バーベキュー」というのは、本来、人肉を食べる饗宴であった。barbecueの語源はbarbricotで、カリブ・インディアンが人肉を焼くために用いた葉のついた枝で作った焼き網のことである。古い本を見ると、古代の人々には人肉を食べる習慣があったことがわかる。

古北欧の神々、あるいは巨人たちのことをヨツンjotunnと言ったが、「食べる人」という意味のインド・ヨーロッパ語を語源とする。血を飲んで、その骨でパンを作ったという英国のジャックの巨人と同じように、彼らも人間を食べたと信じられていた。

 聖王や救世主を食べることと、家族の者を食べることとの間には、どういう関係があったのだろうか。この答えは、人食い人種自身がしてくれた。つまり、

人が死ぬと、女性がその肉を食べ、そして、新しい子どもとしてその死者を再生させるのである。

原始時代の人々は、再生するためには女性の肉体の中に入らなければならないと考えた。そうするためには、女性に食べてもらうことがいちばん手っ取り早い方法であった。これが再生輪廻という、文字どおり肉体を再び身にまとうという、世界中に見られる教義の根源であったのである。

 どうやって懐妊するのかがまだよくわからなかったころ、死に瀕している人は、同じ種族の母親たちの誰かから自分がまた生まれてくるものと思っていた。自分の肉や血をその母親が新しい赤ん坊に移し替えてくれると思っていたからである。マッサゲタイ人は部族の母親たちに食べられることが唯一名誉ある死だと考えた。母親の肉体の肉となって、再生できると信じていた。大地と同じように、何度も何度も子どもを生む女性こそ、神秘の呪術によって自分を再生させてくれるものと思っていた。

 オーストラリア原住民の女性は、乳児が死ぬとそれを食べ、骨は赤く塗って自分の身体にぶら下げたという。こうしたまぎれもない呪術というものは、死んだ子を子宮にもどして、そして子を生む母親の血をその子の骨にまたまぶしてやることを目的としたものであった。

ビビンガ族の女性は、自分たちは死者を食べて、それで彼らを再生させてやるんだと、淡々と語った。ニューギニアでは、子どもが生まれるとその子に、殺されて母親にその肉を食べられた人の霊魂-名前を与えたという。

 1852年、ハブシュ博士はニアム・ニアム族というアフリカの部族のことで、次のように報告した。

「部族の誰かが死ぬとすぐに、縁者たちは、その死者を埋めないで、死体を切り刻んで賞味するのである。そのため、この地には墓地というものはない」

バガンダ原住民の話によると、女性たちはときに非常に空腹を覚え、乳児の耳を食いちぎることがあったという。おそらくこれは、子どもを食い殺してもまたその子を産めると信じて、全部食べてしまったということを、婉曲に表現したものであろう。

 妊娠するのは人肉を食べたためであるという考えは、未開人の間に広くある考えである。食べ尽くすことを表す語と、みごもることを表す語とは、同じであることが多い。古代バビロニアの諺に、

「誰しもみごもって初めて腹がふくらむ。誰しも食べて初めて腹一杯になる」

というのがある。フロイトは性的ドラマこそ本当の原風景であると仮定したが、ホラティウスによると、

「残忍な魔女がその腹から胎児を引きずり出して再生させる」

場面こそ、原風景であった。聖書では生誕を表すのに「身(bowels=腸)から出る」としている(『創世記』第15章4)。それというのも、子どもたちと同じように、古代の人々は、生殖と消化の区別がまったくつかなかったからであった。

サンヒドリン〔71人からなるユダヤの最高議会。紀元前5世紀から西暦70年まであった〕は、死体を洗った水を飲んだり浴びたりすると、女性はみごもるとした。これは、明らかに、死者の霊魂が新たに母親の胎内に入るという原始時代の考えの遺物である。

 殷の時代の中国は、生誕と再生は同じであると考えた。「霊魂」と「再生」を意味する鬼の絵文字は胎児であった。

 ヤノマモ族の言うところによると、彼らは、昔、母神マモコリヨマが死んだ親や子どもを食べてもよいと言ったからと言って、人肉嗜食をしたという。しかし、その後、彼らはその母神を崇拝しなくなり、人肉嗜食は罪だとして、死者を火葬にすることにした。それでも、今なお、彼らは死者の灰を食べ物に混ぜて食べている。祖先の灰を皆でいっしょに食べることは、縁者のきずなを強めると思われる聖なる儀式なのである。

 アフリカの南東部では、もし女性が別の縁者のグループのところに嫁いでいくときには、死んだ祖先の頭蓋骨に穀粒を盛ってそれを食べなければならない。

彼女が子どもを産むと、長老たちは死者とその子の間によく似た点があるかどうか見る。穀粒はウシル〔オシーリス〕のミイラの上でも、またベツレヘムBthlehem(=パンの家)で生まれたアドーニスの身体の上でも、同じように、栽培された。そしてその穀粒はウシル〔オシーリス〕やアドーニスを崇拝する人々が、厳粛な霊的交感のうちに、食べた。

そうすることによって自分が神と同じような者になり、神同様、自分も再生できると思ったからであった。

ハワイの原住民もウシル〔オシーリス〕によく似た神を持っていた。その神は身体を切り刻まれて、方々の大地-子宮に埋められた。彼の身体のいろいろの部位から食べ物が実った。

 ほとんどすべての宗教にはカニバリズムが見え隠れしている。神を食べる聖餐はキリスト教にも異教にもあったが、それとは別に、初期キリスト教教会は、本当に人肉嗜食をしたと言われた。

ローマ人の言うところによると、キリスト教徒は子どもを殺して食べ、その血の中に供犠を司る人を漬けたという。正当派キリスト教会側の人々(パウロ使徒団)はこうした非難に対して否定はしなかった。しかしそうした非難に値することをしたのは、ただ、グノーシス派の人々だけであると主張した。

殉教者聖ユスティヌスは、マルキオン派の信徒たちは実際に近親相姦や人肉嗜食をしたと言った。カイサリアのエウセビオス(263?-340。神学者、歴史家)は、カルポクラテス派の人々もやったと言った。エピファニウスは、モンタノス主義者や拝蛇教徒たちもやったと言った。アレクサンドリアのクレメンス、イレナエウス、5世紀の初期キリスト教会の長老サルビアンといった人々はすべて、異端者が食人種の行うような儀式をやって教会の名誉を汚したと言って非難した。

 厳しいタブーであったにもかかわらず、ヨーロッパでは中世になっても人肉嗜食が行われていた。飢えに瀕し、疫病が流行すると、ヨーロッパの町々では、多くの者が行き倒れになったが、ときにはある人の姿が突然消えてしまうことがあった。1435年、ガロウェイのソウニィ・ビーン家の人々は、何代にもわたって人肉を嗜食してきたといって告訴された。彼らはエディンバラの法廷で拷問にかけられて死んだ。しかしその死に方を考えれば、彼らが自白したとしても、その内容は疑わしいものである。

1661年、スコットランドで4人の魔女が拷問にかけられて、フォーファーの教会墓地から、洗礼を受けなかった子どもの死体を掘り起こして、それを食べたと自白した。しかし、そんなことはありえないのである。洗礼を受けない子どもが教会墓地に埋められることなどなかったからであった。

魔女に次いで、人肉を嗜食したといって頻繁に告訴されたのはユダヤ人であった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/cannibalism.html#1


▲△▽▼


215 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0

大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。

あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。

ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です

儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。

祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。

そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。

僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。

後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが

>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。

鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし

他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。

集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり

まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。

興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。

でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。

僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。


812 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:49:12 ID:4TJCDtnS0

秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。

そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。

かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。

アカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で
見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。

威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。


627 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0

祭の内容見ると、やっぱ献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた
赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな

http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html

明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟(シンカ以外の島民はその
場所も知らない。

丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)へ帰っていくのだが、

アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、

見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。


734 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:38:46 ID:15i/Z9a20

昭和時代の大衆雑誌には、半ばお約束のように
こういう話がいっぱい載っているよ。


805 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:02:11 ID:he1UONG30

日本の少子化対策に種付けの儀式を新設してはどうか?

祭りの時に、まず20代の未婚女性を子孫繁栄の為に、たとえ彼氏が居ても強制徴用。

神社の賽銭箱とか置いてある高台に全裸で観衆にあそこを向けて縛り上げて、両足を縛って上に伸ばして並べて吊るす。

そもそもこういう風習は一部のイケメンとかに女の人気が集中して男があふれるからある訳だから、童貞の未婚男性(年齢制限無し)を集めて、さらに人数が多すぎたら、女と付き合ったことがないやつ、より醜男、より臭い奴が選ばれる。

石段の下の広場で選りすぐりの童貞醜男が集まり、お清め前の一斉放尿による奉納をした後に、荒縄で両手を後ろでに縛られた全裸の女たちは V字バランス状態にされてわかめ酒を振る舞い男たちが列をなす。

そしてクライマックスでは石段の下の広場をしめ縄になんかお祓いの棒についてるような白い紙の束ついたもので囲んで観衆が囲み、その中で選りすぐりの童貞醜男が全裸で待ち構える。

女たちは両腕は縄で拘束されたままそこへ突き落とされて逃げ惑うがブ男たちがもみくちゃになって襲いかかる。

例え縄の外に逃げても観衆から突き戻される。

この儀式の見物は女人禁制。女が観衆に混じっていたら例えそれが金髪外人であろうとも全裸にされて広場へ放り出される。

こういうの良くない?


806 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:16:26 ID:uAsAObrM0

何この中1の妄想w


810 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:37:00 ID:kAp5lM6H
>>806
妄想でもない

ポリネシア系の習俗が八重山には渡ってきている
それは南方系土器の伝播などで傍証できる
それに性交を祭祀とする古代信仰は別段珍しいものでもない
アカマタ、クロマタは琉球王府の統治以前の信仰だ

238 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:52:55 ID:oVr1su960

そういや以前、この島へシーカヤックで遊びに行った30代の母親と10代の娘が行方不明になったな・・・
一緒に行ったガイドも行方不明 そのまま捜査も打ち切られた・・・


256 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:05:04 ID:leNq0J4g0
>>238
なんで行方不明になったのだろうな? もしかして現地警察もグルなんだろうか。


263 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:12:35 ID:oVr1su960
>>256
http://www.y-mainichi.co.jp/news/689/

手がかりが無かったから1週間くらいで打ち切ったんだって
1人乗りカヤックだけ見つかったと

消えたカヤックは2隻、消えたのはガイド1人と母娘2人
2人乗りカヤックは見つからなかった


253 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:01:14 ID:leNq0J4g0

これマジでやばい島なんじゃないか?

http://2chnull.info/r/tropical/1163308866/1-1001
パナリ島(新城島)ってどうYO


:名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/23(木) 12:08:25 ID:Mtq5BB6G

私の親友は五年前の祭の際、興味本位で島に向かい島民に拉致され翌日の朝まで監禁されました。
その時、誓約書へのサインまで強要されました。以上、紛れも無い事実です。島の実行者は拉致、監禁、強要、脅迫の罪に
問われると思います。一発懲役確定ですな。


530:名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/11(土) 13:13:26 ID:pEqYa0Wq

1970年以降、複数の部外者が豊年祭を見学後にパナリ内で行方不明となっているみたいですが、その点はどう説明されるのですか?


596:名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/20(日) 15:33:06 ID:aXvII+ce

2004年だか2005年だかの夏に行方不明になっている客はどうなったんですか? 確かカヌーかなんかに乗って行方不明ってことになってましたよね


258 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:08:20 ID:oVr1su960

生きてたら、娘は今15歳くらい
種付け時ではあるな・・・


257 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:07:22 ID:1xCrZcVM0

>平成17年:上地島5人 下地島2人
>平成18年:上地島6人 下地島2人
>平成19年:上地島9人 下地島2人
>平成20年:上地島8人 下地島2人
>平成21年:上地島10人 下地島3人

平均年齢考えたら40歳まで若い男女なんだろ。


277 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:19:41 ID:oVr1su960
>>257
平成17年、2005年というとさっき言った母娘が行方不明になった年だな・・・


605 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 22:21:06 ID:apzodXA30

母娘行方不明以降、何故か島の人口が殖えているね


280 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:58 ID:leNq0J4g0>>277

あっホントだ あんたすごいな 
つか、それって監禁されて・・・・ということになるのか?
警察が踏み込めよ・・・・。


261 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:09:59 ID:0otTP23y0

今時ある訳ねえじゃんwww


634 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:35:30 ID:azUfGyGt0

民俗学の研究じゃよく聞くよ
島外から駐在所に家族連れで赴任した警官の記録とか
すべて立件することも可能だけどそれだと島民全員が云々って。


728 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30

そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、

島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、 高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。

逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。

そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。

放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。


多分そんな神秘の祭りなんだろう。


737 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30

アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、
処女が選ばれる。

だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。

そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。

アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。

そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきで よそ者を冷たくあしらい続ける。

一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。

と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、

隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。

そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。

驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。

少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。

その内一人がこっちを見つけ

「静かに!君たちを助けてあげるから!」

といっても

「うおああああぁぁぁ!!!」

と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。


764 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 09:25:57 ID:wbNvqeLZ0

村ぐるみで小学6年生の姉妹を数年間常習的に集団性暴行
http://www.chosunonline.com/article/20040919000028
未成年精神障害者の10代姉妹 村の老人グループに数年間強姦され続ける

これ思い出したな


64 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910

大正時代まで全国的にあったらしいぞ。


秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。


107 :名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0

江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。


324 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:13:58 ID:B57FBblw0

日本の田舎には江戸時代まで普通にあった慣習だよ

327 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:16:15 ID:pV1XbKvz0

離島レベルの隔離具合だとこういうのも残ってるのか。面白いね。


160 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0

祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。


279 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:43 ID:IxTP7PTe0

キリスト教が入ってくる以前の欧州でもそういう祭りがあったんだよね。
後にサバトととして悪魔的行為として位置づけられた。


354 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0

こういうのはよその種を入れて血が濃くならないように
するのが主目的なんじゃないのか?夜伽とかと同じで。


361 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う

祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為

多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない

天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい


383 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:45:09 ID:r37G5ytM0

明治時代始まったのが150年前くらい、江戸幕府が400年前だぞ
昔は外国だった上に僻地の離島なんだから妙な風習の名残くらい残ってるんしょ
今も続いてたとしても爺さん婆さんが当時の真似事やってるくらいだと思うよ


65 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0

お前達に警告しておく

これ以上この島に関わるな
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1284771591/

▲△▽▼


111:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 22:15:22.40 ID:1AwEnXOY0

そういや沖縄の土葬ってこっちの土葬と違って
産めてから3年後にもう一度掘り出すんだってね


112:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 23:07:15.88 ID:lOYeC1G90
>>111
石垣島だろ。
この島では、埋葬後3年目に遺体を掘り出して洗骨する風習があった。

洗骨しないと次の死者が埋葬できないしきたりだったので、次の死者が出ると、埋めて数か月の生々しい遺体でも掘り起こし、包丁や鎌で腐乱した肉をそぎ落として、薄めた酒で骨を洗ったそうだ。

これらは、すべて島の女たちの役目。

女には、呪術的で神聖な力が宿っていると信じられていたんだね。

昭和の初め、この光景を目撃したことのある島の老翁が学者の聞きとり調査に応え、

「その残忍さと死臭は目をおおわんばかりに凄惨を極めた」

と語っている。


が、遺体を分断する風習は琉球に限らず、古くは日本各地にあったようだ。

目的は、主に悪霊祓い。

地方名を出すのは控えるが、

妊婦が分娩中に死亡すると、村の老婆が死亡した妊婦の腹を鎌で裂いて胎児を取り出し、妊婦と胎児をバラバラに裁断して葬る(地域によっては野山に撒く)ところもあった。

古代の日本では、物を斬り裂くことも、人間を葬ることも、同じく「ハフリ」と呼ばれた。

悪霊封じのために遺体を分断して埋めることは、 一種の宗教的儀式、あるいは呪術として広く行われていたらしい。


115:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 13:01:07.48 ID:h87uH8+M0
>>111
本島北部ですが、戦後数年はあったとのこと。

私が聞いた話では、三回忌や七回忌の年が重なる故人を、まとめて数名洗骨したそうです。あと、墓の骨壷密度からも、頻繁にはしなかったようです。三十三回忌が済んだお骨を、一つの壺にまとめるか何かして、洗骨、墓に納骨の流れだったような。

洗骨(風葬)を止める時には、三回忌じゃなくても洗って納骨したんですかね?


113:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 00:17:47.02 ID:V4OBIq7S0
かまいたちの風ハフリ波ハフリ(漢字失念)神社思い出した。


114:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 01:50:22.49 ID:8JWI3E9O0
>>113
神社の漢字は知らないが、「祟神記」に出てくる漢字は「波布理」。
その他、古文書には「屠り」「葬り」「散り」「祓り」などの文字が見られる。
これは、斬ること=葬ること(場合によっては撒き散らす)=悪霊を祓うこと、
という概念の表れなのかもしれない。


125:本当にあった怖い名無し:2012/08/28(火) 00:16:04.08 ID:XNF6Y/d70
>>114
「風はふり」は「風祝」じゃないかな。諏訪大社に存在した神職名。


116:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 17:41:11.68 ID:JV2PMZFe0

洗骨は今もやってる島があるよ。
島民の子に聞いたら、火葬の方が可哀そうなんだって。

与論島 洗骨 NHK でググれ。


118:本当にあった怖い名無し:2012/08/23(木) 19:39:55.01 ID:RmDA6Q7U0
>>116
そんじゃうちの会社の人って与論島の人だったのかな

実家で骨掘り起こさないといけないからっつって有給とって実家(沖縄)に1週間ばっかり戻ってたから

掘り起こすってどんな土葬だよとビビッたw

ちなみにうちの地方も普通の土葬やってる地域だわ

自分は新興住宅地の引っ越し組だから
最初地元の人にその話を聞いたときはにわかには信じられんかった

つか法律違反じゃね?と思った

ちなみに死体を埋葬する場所は内緒だから各地区の人しかしらんので
夜とか迂闊に知らない道を通ると急に卒塔婆ばっかりの場所に行き当たって怖い目に遭うw

卒塔婆行列も各地域でいろいろあるけど 一番びっくりした風習は

「その親族で一番若い(幼い)女の子が行列の先頭を裸足で歩く」って奴かな
http://inazumanews2.com/archives/19959433.html

沖縄の八重山諸島のA島は、K島とS島の二つの島からなる離島で、住民は両島を合わせてわずかに十数人に過ぎない過疎の島である。

この島は、古来より人魚を祀る島という伝説が残っており、人魚を守る神社や、神が通るとされる道が今でも信仰として生きている。

八重山諸島に伝わる御嶽信仰は神に仕える女性を中心に行われるもので、かってに神を拝むことも戒められている。


住民でも女性以外は、信仰のすべてを知ることができないという、極めて特殊な土俗信仰が生きるこの島でもっとも謎めいているのが、旧暦の6月に行われる「アカタマクロタマ」と呼ばれる奇祭である。

この祭りの期間、普段は過疎の島は村の出身者などが帰島してきて、滞在者は数百名あまりに膨れあがる。

同時に、島に血縁のある者以外はすべて上陸を禁止されるのだ。


この神を下ろす儀式の実態はまったく不明だが、おそらくは御嶽で神下ろしの儀式が行われ、かぶり物をした巫女が、神の依り代として村の中をめぐるようだ。
http://gekiyabaaa.blog.fc2.com/blog-entry-38.html


という事で、新城島の「秘祭」では

遺体を掘り出して解体・洗骨・再埋葬するのではなく

儀式で殺したばかりの女性や奇形の赤ちゃんを解体・再埋葬する

という事でしょうか。

人魚神社に祭られているのは儀式で殺した女性や奇形の赤ちゃんなのでしょう:

263 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/09(火) 17:50:18.81 ID:uZN5nJC2.net

新城島(パナリ)の豊年祭「アカマタ・クロマタを生む儀式」


美しい女がナビン洞(洞窟)連れられて来る。

そこでザーシンカと呼ばれる男たちとアカマタ・クロマタを生むための儀式をする。

女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。

そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。

さらに儀式では人魚の肉と称して、子供の肉を食べる。

島では近親相姦や近親婚で血が濃いため女児が多く産まれ、畸形の子やトラブルを起こした女が神への捧げ物にされた。

食べられた子供の頭蓋骨は人魚神社に奉納され、幾つもの頭蓋骨があるが立ち入り禁止になっている。

儀式の後、輪姦された女は全裸で縛られ神殿の鳥居に吊るされ、その下で島民が平然と飲み食いする。

洞窟で何が行われてるか調べた研究者は、島民に石で眼球を潰された。

これは新聞報道され、八重山警察署も事実と答えた。

豊年祭の儀式は、強制集団レイプ・近親相姦・人肉食・薬物乱用・暴行等、隠された秘祭である。


265 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/15(月) 17:45:22.23 ID:krstyRX5.net

だいたい合ってる
そんなもんだよ


270 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/10/01(木) 12:07:25.93 ID:Df8LvUm0.net
>>263
それでだいたい当たってる。
御嶽の先に行けないのは、多くの人骨が捨ててあるからだよ。
警察に通報すれば一発でアウトなんだけれど誰もやらないというwww
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/tropical/1292412995/

>女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。
>そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。


>儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャ(マリファナ)や植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
>祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。


大麻を吸うとこうなる! [大麻講座その1・入門編]
https://www.youtube.com/watch?v=7AEzwat-LgM

女性には危険なトランス状態


白痴の同義語{大乗仏狂の坊主ども}と、門外漢の西洋心理学者=精神科医どもはサマタ(禅定)やヴィパッサナー(観法)で到達するのは、トランス状態=忘我状態とかヌカしとる。

トランス状態=忘我状態
http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-nttr_docomo-jp&guid=on&output=xhtml1_0&wsc=tc&wsi=d33c27b90ebf19df&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25A4%2589%25E6%2580%25A7%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E7%258A%25B6%25E6%2585%258B&ei=JcjUTNn3J47q7APav6zYCA&ct=pg1&whp=30


チャラリ〜 鼻から牛乳〜

精神科医どもは知りもせんことに首を突っ込む前に、一人でも精神疾患の患者さんを救ってみせろ。

日本の精神科医どもが、患者の治療に成功したことなんか、無いやんけ。
(;-_-)=3

西洋心理学者=精神科医どもの無能ぶりを暴く“サイクバスター”さん
http://blog.m.livedoor.jp/psyichbuster/?guid=ON&sso=e24514c42780de681f3b69635b018463c2b86b46

サマタで到達するんは、《サマーディ》の境地。
ヴィパッサナーで大事なんは《サティ》やけど、ヴィパッサナーは本来、色界を脱し〈無色界〉(悟りまでイーシャンテ)にまで上がった者しか修道したらアカン行法。

両方共、トランス状態とは全く別の境地に到達する行法や。

某府綾部市の阿呆や、未熟なスリランカ坊主どものように、サマタを廃してヴィパッサナーだけ修道するとかワケの解らんことするから、誰一人として上の境地に到達出来ひんのや。


トランス状態=忘我状態とは、変性意識状態のことで、{ウリは全知全能ニダ!}とか{ウリは全宇宙と一体になった聖者ニダ!}とかカンチガイし、理性も判断力も無くなった状態。ケモノ・モード。

別名、おバカ・モード。

薄暗い場所や暗い場所で音楽を演奏したり、シンキング・ボウル(印金)を演奏しながら瞑想(邪定)に耽ったり、リズミカルにマントラ(梵呪)やお題目(ご宝号)を唱えると、素人でも簡単にトランス状態に入れる。

或いはケミカルドラッグ(痲薬)をキメれば、トランス状態に入るんは簡単。(別名、ラリパッパ状態)

ライブ・ハウスやクラブに行くか、嗜好大麻解放団体のアジトに行けば、トランス状態に入った人間だらけや。

トランス状態そのものが悪いわけやないが、前述のようにトランス状態になると、理性も判断力も無くなる。
男は性獣化(チ○ポ猿化)するし、女性はこの状態で強姦されたり、輪姦されたりする。

ライブ・ハウスやクラブの便所で輪姦なんざ、日常茶飯事過ぎてニュースにもならんくらいや。


ホンで、華厳宗、(南山)律宗、臨済宗、曹洞宗の四宗派を除く大乗仏狂の宗派は、トランス状態に入る邪行を重視して実践する。

大乗仏狂の坊主どもの隠語で輪姦のことを{念仏講}て言うように、屍那畜でも腸賤半唐でも、また日本でも大乗仏狂の坊主どもは日常的に輪姦を繰り返しとった。

このように、女性にとってトランス状態とはとても危険なモノ。

当然、テーラ・ワーダ佛教(真正佛教)でも、トランス状態に入るミッチャー・サマタ(邪定)は厳禁や。


禁止されてへんのは、在家(一般人)がトランス音楽を演奏ないし聞くことだけや。
http://blog.livedoor.jp/vijaya-ghanja/tag/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8A%B6%E6%85%8B


大麻は麻の花首や葉を乾燥させて作る。麻という植物は、人類と深いかかわりがあった。麻の衣類は絹や獣の毛よりも古くから衣類に使用されてきた。また、強靭な繊維を持っているため、綱やロープなどにも使われてきた。横綱の真っ白な綱も麻である。


今、産業用に使われる麻は品種改良によって、陶酔成分が出ないような品種になっている。形状も大きく違う。

しかし、昔の麻の茎は、葉や花ほどではないが、陶酔成分が含まれていた。山伏は神社やお寺の前で護摩を炊いたが、この中にしめ縄を投げ入れた。縄は麻でできている。山伏はこの煙を吸ってトランス状態になったようだ。また巫女なども麻の煙を吸って陶酔状態になり、託宣を下したりしたようだ。


そういう意味では大麻は、人々の生活に深く結びついていたといえよう。
http://59s-hibikor.doorblog.jp/archives/20995762.html


マリファナ:最終セックスドラッグ

性的なマリファナ使用の起源は、初期の農業に伴う豊穣儀式に密接に結びついていた。

その肥沃を促すために、農民は空-神と地球女神の受精を儀式として再現した。それはセックスを通して行われた。後に儀式化され、王と配偶者の間で、または聖職者と尼僧の間で洗練されていった。大規模なお祭り騒ぎ(乱交パーティ?)。

大麻は通常、最も早く栽培されたうちの1つであると考えられ、強力な催淫効果(性欲促進)があり、これらの飲めや歌えのお祭り騒ぎの慣習が大麻を育て、使用した人の中で始まったことは本当らしい。したがって、古代人の最初の宗教行為の1つはpot fieldsでfuckingしていた。

古代の「大麻カルト」の起源は近東に由来し、小アジアの母権制社会でハシシの大規模使用が行われてきた。Semetic女神アシェラーの崇拝者たちは神聖な香として大麻を燃やし、大麻の聖油(モーゼと古代ユダヤ人の予言者と王によって使われた)を使用した。

聖書のSex&Loveでは、アシェラー(エホバの昔の妻)はセクシュアリティと豊かさを象徴する自然神であると言及されている。旧約聖書の一節にも、木の柱(カルト的な献身のオブジェクト)としてのアシェラーへの言及があり、これは明らかに、シヴァ神の寺院のヒンズー・リンガに似た男根のシンボル。

世界構築の描写としての古代の神と女神の一組のように、信者たちは一種の模倣の魔術として性的に結合し、彼らの種をフィールドにこぼした。酔わせるもの(麻酔剤)と「不-判別式」性行動の乱交パーティ?はこれらのカルトで重要な役割を果たした。

カルトのエキゾチックな特徴は、はるか古代の神秘的なルーツと非常に官能的な楽しみと共に魅力的なタイプの宗教的な経験をするために組み合わされた。近代社会のどんな寺院も、多くの信者を引きつける際の困難さに遭遇しないだろう。

ソロモン王が作ったといわれる古典的な聖書のエロチカ(雅歌4:8-14))にも大麻が出てくる。もっと露骨な性描写(雅歌5:4-6)では、アシェラーの娘と対応するアシュタルテの崇拝者も儀式セックスと大麻使用にしばしば関係した。そしてシュメールの女神の一組「イナンナ/イシュタル」への豊かさ賛歌も同様のもの。そのうえユダヤ人のq'aneh bosm(大麻)にも更に関係がある。

ソロモンの雅歌とイシュタルへの賛歌は、インドでまだ行われている性的な大麻儀式との類似を現している。プレヴェーダの「二輪戦車のフェスティバル」はプーリのJaganathカルトによってまだ実行されている。

英語の"juggernaut"「巨人」「絶対的な力」「圧倒的破壊力」は「Jaganath」から来ていて、その意味は式典で使われる二輪戦車の巨大なサイズに由来する。Jagannath(ジャガナート?)フェスティバルは部外者は立入禁止だけれども、ベールで覆われた一つが巨大なリンガ(ペニス)であると考えられている。大きな二輪戦車と取り巻きは、ソロモンのベッドとイシュタルの車両の行列に類似している。

Jagganathへのフェスティバル中に、寺院売春婦は「神-王の妻」の役割を果たし、季節の雨をもたらすために王(あるいは聖職者)とセックスをした。同様の役割は雅歌中の「シュラムの女」、およびシュメールの儀式ドラマの中で「イシュタル」を実行する尼僧によって引き受けられた。他の類似性はあらゆる点ですべての3本の儀式ドラマの服装倒錯の役割や、大麻使用のように起こる。


http://cocorofeel.exblog.jp/iv/detail/?s=9916936&i=200811%2F22%2F62%2Fb0086362_2271364.jpg


マリファナ使用は、シヴァ神とカーリーのヒンズータントラ崇拝の一部を作る。インドの儀式と大麻のエロチックな用法は、明らかにカナンで、そして地中海中で実行された。シヴァ神と大麻の強い関係は、神聖な作物をまき収穫する場合、信者がまだ払う厳密な遵守の中でプラントに関する彼の古代の神話の中でも明白に実証される。

カーリーとシヴァ神のタントラ崇拝者は、クンダリニーとして知られる中枢神経系エネルギーを刺激するために、彼らは千年紀の間そうやって、マリファナを吸う。そしてそれは性衝動に強い関連がある。

タントリックの実行は先史時代までさかのぼることができ、現代のタントリックに用いられるシンボルのいくつかは、西ヨーロッパから中国までの旧石器時代の洞穴(20.000年前)で見つかったものと類似している。カルトの必須要素が世界の主な宗教のどれよりも多分古いと思われるタントラ教の原始の特色である。

初期の豊穣信仰の信者はソロモンの時代により洗練されて、グノーシス派とタントラ信者の間で更に育った。人間がより哲学的になり、豊穣神崇拝儀式の神聖な結婚は二元的思考が廃止され、対象と物の結婚になり、信者は生命自体の初期の創造的な源と接触した。

グノーシス主義とタントラ教のケースでの大麻を使ったセックスとドラッグ儀式は、脳から背骨のつけ根に及ぶ中枢神経系の蛇行するエネルギーを上げることに集中した。この強力な性的なエネルギーは脊柱の上へ脳に上げることができ、逆さにされることができるということだった。松果体はこのエネルギーの主要なターゲットだった。

松果体は本能の席と考えられ、このパワーを呼び出すためにとてもよく作用する大麻の使用と同様、グノーシス主義とタントラ教の範囲内で、飲めや歌えの崇拝の多くを説明する性衝動の本能的な力の強い関係である。

As the turn of the century mystic Gnostic pot-head Aleister Crowley noted, "When you proved that God is merely a name for the sex instinct, it appears to me not far to the perception that the sex instinct is God."


http://cocorofeel.exblog.jp/iv/detail/?s=9916936&i=200811%2F22%2F62%2Fb0086362_2274086.jpg


Cannabis (drug)
http://www.reference.com/browse/wiki/Cannabis_%28drug%29


マリファナの歴史

大麻吸引の証拠は、現在ルーマニアの古代埋葬地での儀式の火桶で発見された炭になった大麻種に示されるように、新石器時代まで遡って紀元前10.000年ごろに始まったと考えられる。大麻の最も有名なユーザーは、インドとネパールの古代のヒンズー教徒で、ハーブはサンスクリット語のganjikaと呼ばれた。(現代のインド言語の大麻)ヴェーダで神聖な酔わせる幻覚剤として知られる古代の薬剤ソーマは時々、大麻と関係した。

大麻は古代アッシリア人にも知られて、アッシリア人はアーリア人を通してその精神状態を変える特性を発見した。若干の宗教的な式典でそれを使った。彼らは「qunubu」(「煙」を生じる方法を意味する)と呼んだ。現代の語『大麻』のつながりそうな起源。

大麻はアーリア人によって、スキタイ人とトラキア人/ダキア人にもたらされもした、シャーマン(煙/雲を歩く人)は、催眠(恍惚)状態を誘導するために大麻の花を焼いた。

ディオニュソス(トラキア(ブルガリア、ギリシャとトルコ)から始まったと思われる)のカルトのメンバーは、大麻の煙を吸入したとも考えられる。2003年に中国の北西部新疆維吾爾自治区で、大麻の葉の断片と種子でいっぱいの革製バスケットが、次に2500〜2.800才のミイラのシャーマンが発見された。

大麻は儀式使用の古代史を持ち、世界中の薬学カルトで見つかる。パジリク古墳群で発見された麻の種は、5〜2世紀BCEに起きたスキタイ人によって食べられた早い儀式習慣を示唆する。

何人かの歴史家と語原学者が、ヘブライ語qannabbos(大麻)とヘブライの句qenéの間の類似点により、大麻が宗教の聖礼として古代ユダヤ人および初期のキリスト教徒により使われたと主張する。それはまたたとえば、カランダルによるマムルーク朝人期間の早い時期に様々なスーフィー教の指示でイスラム教徒により使われた。


KANEH BOSM
http://www.cannabisculture.com/backissues/mayjune96/kanehbosm.html

モーゼとマリファナ、雲の中の神、神はハーブが欲しい、天使を食べること、変装したシャーマン、聖書の禁止令、ヘビを壊すこと、大麻とキリスト?・・・面白そうなタイトルがいっぱいあって余裕があるときに訳してみます。
http://cocorofeel.exblog.jp/9916936


大麻でトランス状態になり神託をしていた


伊勢神宮の「大麻(たいま・おおぬさ)」と呼ぶお神札(ふだ)や暦(こよみ)を奉製する年初めの祭典「大麻暦奉製始祭(たいまれきほうせいはじめさい)」が1月8日、神宮司庁頒布部(伊勢市中村町)内の斎場で行われた。


毎年伊勢神宮の「御用始め」となるこの日に行われる同祭は、大麻第1号に最初の奉製作業となる印を押す祭典で、1年間の奉製作業の安全と頒布が滞りなく行われるように祈願するもの。この日は、鷹司尚武大宮司を始め神職や職員と奉製員ら計約120人が参列し祭典を 見守った。

http://uramiharasu11.blog.fc2.com/img/1420775105_b.jpg/


「大麻(神宮大麻)」とは神棚などに祭る伊勢神宮の神札のこと。大麻には大きく分けて、神宮で直接授与する「授与大麻」と全国の神社に頒布される「頒布大麻」の2種類があり、頒布大麻の神号名には「天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)」と書かれ、「皇大神宮御璽(ぎょじ)」の印が押されている。

「神宮暦」とは、「神宮大暦(たいれき)」と「神宮暦(小暦)」の2種類があり、科学的データに基づき天体・気象の詳細な情報、全国各地の神社の例祭日などを記載した暦・カレンダーのこと。

もともと大麻や暦は御師(おんし・おし)が全国に頒布していたものを、御師制度が廃止された1872年から神宮が同部での奉製・頒布を行い、 神社本庁を通じて全国各地の氏神を祭る神社に頒布され、そこから各家庭に届けられている。


http://uramiharasu11.blog.fc2.com/img/1420774966_b.jpg/

近年、さまざまな要因(住宅事情、格家族化など)が重なり、神棚を祭らない家庭が増えているため、頒布大麻の頒布数は微減を続けている。 一方、遷宮効果などの要因もあり伊勢神宮への参拝者数の増加とともに授与大麻も増加。さらに昨年は、神棚を受ける人が急増し追加奉製 したという(同部担当者)。

同部では1年間に、大麻954万体(大麻=900万体、中大麻=50万体、大大麻=4万体)、神宮暦7万7000部(小暦=7万部、大暦=7000部)を奉製し、9月17日に行われる「大麻暦頒布始祭」の後、全国に頒布する。奉製員らは作業開始のたびごとに潔斎(身を清める)し作業に臨む。

http://iseshima.keizai.biz/headline/2223/


福井県の鳥浜遺跡という1万年前の縄文時代の遺跡からは、大麻の種が発見されている。

食料や燃料に利用されたようだ。

まだ縄文土器の模様も麻縄でつけられたものらしく先史時代から日本人と麻は赤い関係にあった。

奈良時代は税金を大麻の布で支払うこともできた。
麻の布はそれほど貴重品と見られていたわけだ。

奈良県の当麻寺(たいまでら)は7世紀後半に創建された豪族・ 当麻(たいま)氏の氏寺であるが、 この当麻氏は大麻栽培に関わる豪族だったという。

昔から日本では神主が振る大幣には大麻の繊維が使用され、 秋の収穫祭で担ぐ神輿の上にも大麻の繊維が垂らされていたりと、 大麻には「悪を祓う力」があるとされてきた。

では「悪を祓う力」とは何か?

大麻を吸引する事による鎮痛、滋養強壮、疲労緩和作用だろう。

田舎の神社では御札には大麻が巻き込んであって、 疲れたときや腹痛に襲われたときには、火をつけてその「煙を吸って」いた。

現在でも浅草の浅草寺や川崎大師などでは本堂の前にもうもうと香を炊いており、その煙を頭や体にこすりつけては、 病気が治るというまじないを行っている信者たちの姿が見られる。

あれは昔は実際に境内で大麻を燃やし、その煙で信者を酔わせていた名残だという。

というのも、昔から日本では宗教と大麻は深い関係にあるからだ。

宗教と幻覚剤が結びつくのは世界的に見れば何ら珍しい事ではなく、 太古からシャーマンや僧侶、踊り子たちが 幻覚作用のある植物や茸を使ってトリップしていた。

そうして見た幻覚を「神のお告げ」として託宣していた。

アメリカ先住民のシャーマンはアヤワスカという飲料やサボテンのペヨーテから取った幻覚剤を使い、メキシコではマジックマッシュルームを宗教儀式や治療に用い、アマゾンのシャーマンはアヤワスカから作った幻覚剤を用い、アフリカでは幻覚成分を含むイボガを宗教儀式に用いた。


古代インドではシロシビンを含むキノコから作ったソーマという飲み物を飲んで霊感を得ていたという。

古代ギリシャでは毎年秋に、リゼルグ酸を含む麦角菌からくる幻覚作用によるエレウシスの秘儀が行われ、この狂騒状態の祭は1000年以上も続いていた。

インドの様々な煩悩を齎す根源である「マーラー」という悪霊の概念を輸入した際、 翻訳の上で中国で「鬼」(悪霊の事)という文字に「麻」をつくっつけた「魔」という文字を新たに作ったのも、 大麻を吸引する事で快楽が得られる事が知られていたためだろう。

日本でも『今昔物語集』の中でキノコを食べた途端多倖感に包まれ、 笑いが止まらなくなって踊りだすというエピソードがあり、
以後この茸はマイタケと呼ばれるようになったとあるが、 これは今日のマイタケではなく幻覚作用のあるワライタケと思われる。


山伏の修行にとっても大麻は欠かせない。

なぜなら彼らが祈りながら焚く「護摩」はもともとは大麻で、その煙を吸って意識変容をもたらし、宇宙の神秘を悟っていのだという。

これは密教僧たちにとっても同様であったろう。

いわば人類の歴史は幻覚剤とともに歩んできたもので、 それが後世作られたタブーで隠されているだけであるのだ。
http://uramiharasu11.blog.fc2.com/blog-entry-57.html

NO.2909153 2013/10/27 07:00
新城島の儀式ってなに?
詳細を知っている人は教えて下さい


#26 2013/11/07 16:10

キチ害によるキチGUYの為のキチガイ染みた宗教的な儀式w

キチガイ島民が多いからこんなキチガイ伝統行事が今だに残ってるんだなw
こんな島が近場にあるエーマンチュは恥ずかしいよw


#22 2013/10/31 02:48

乱交パーティーだろ。


#1 2013/10/28 07:20

誰にも言うな

生け贄だよ…


#2 2013/10/28 09:19

雄山羊の頭を被るやつ?


#3 2013/10/28 09:44

全裸の女を縛り付けて、鶏の血をぶっかけるの?


#4 2013/10/28 10:34

誰にも言わない事を約束して下さい。
絶対に誰にもです 誰にも・・・・・・

先ず、ヤモリの黒焼きと山羊の睾丸、水牛の角、 豚の脳ミソと米、塩、酒を神に捧げます。
そして、初潮を迎えた娘を全裸にして柱に縛り付け、神に仕える者が神降ろしをします。
処女の娘が米を噛んで吐き出したのを発酵させて作った米噛み酒を回し飲みし、トランス状態になりながら祭りは三日三晩続けられます。
種の保存の名の下、乱交が繰り広げられ、産まれた子は島の宝として大切に育てられ、将来は島の長として島を治めます。


といった事実は有りません。チャンチャン!(笑)


#13 2013/10/29 00:12

丑三つ時の月夜の晩にヤモリとバラを蝋燭で焼いて潰して粉にしてスプーン一杯舐めるのさぁ

そして呪文を唱えれば
世にも不思議な……になるよ〜


#16 2013/10/29 09:21
>>13
ホロレチュチュパレロチュチュ何でも願いが叶っちゃうホロレチュチュパレロチュチュ大人の知らない不思議な言葉


ウフッ
http://bakusai.com/thr_res/acode=11/ctgid=104/bid=6/tid=2909153/

276名無しさん@天国に一番近い島2016/08/13(土) 05:15:11.36ID:Ic6FmCqs

英語文献で見ると結構詳しく書いてあるのね。

https://books.google.co.jp/books?id=-Rhy_9p9BZQC&pg=PA389&lpg=PA389&dq=akamata-kuromata&source=bl&ots=7XKDkKnwAC&sig=yjZrpegyCXL-C52NJfRlGbFWo4Y&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=akamata-kuromata&f=false

まあ、要は男どもを年齢別に分けて、薬やって乱交するって事だろう。
流石に薬や乱交の事は文献には書いてないがwww

でも、秘密結社とやらの年齢別構成も書いてあるし、
英語ならばれないから研究者もガンガン英語で書いてんだなwww
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/tropical/1292412995/


181. 中川隆[-12545] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:08:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

2011年02月01日
縄文探求シリーズ【縄文時代のまつり】 その充足パワーで超集団=社会を統合
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html

大湯環状列石
 
・「祭り」ということばには、踊ったり騒いだりすることのほかに、神・精霊を祀る、マツリゴトをする、さらには男女が交わるという意味もあります。縄文時代の祭りとは、それらを包摂したまつりの起源ともいうべきものです。縄文人は何のために、どんなまつりをしていたのでしょうか?
 
・単一集団で暮らしていた当初段階と、人口が増加し集団が拡大・分化していく中期以降では、まつりの意味も様相も大きく変わっていきます。その様子を追っていきます。
 


 
●単一集団内の日常的なまつり


http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:祭祀に使われたと思われる道具の数々(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)

  
・人類は、縄文時代の前期あたりまでは30人程度の集団で生活し、それが世界のすべてでした。

・そこでのまつりは、歩行訓練の延長上に生まれた踊り→トランス状態、そして性(男女の和合)。その過程で強化した精霊への祈りでした。そのような解脱充足と可能性収束先があったからこそ、人類は飢えの圧力に晒されながらも生き延びることができたのです。
  
 
●豊かになり、死を対象化しはじめた土偶祭祀


http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:縄文時代を通じて祭祀に使われた土偶たち(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
 
・精霊信仰→観念進化によって、生存力を強化し、日本列島において定住・狩猟採集をはじめたのが初期の縄文人です。飢えの圧力が緩和されると、次なる不全として死(の悲しみ)が登場します。その不全を克服すべく、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が行われました。
 
  
●単位集団を超えて男・女が交わるまつりへ
 

図:大湯環状列石(秋田県) BBっといー東北についてより
 
・縄文の中期ごろになると温暖化とともに人口増加→集団規模を拡大させ→分化していきます。
 
・縄張り確保や生産の協働、出産可能な女性を維持するための移籍など、部族の維持存続のため、単位集団間の結束力(求心力)を高めることが必要でした。

 
・そこで用いたのが、集団間の婚姻制(交叉婚)です。
定期的に男たちが他集団を訪れて、女たちと交わり合います。
性という根底的な充足と婚姻規範によって集団の結束力を維持しようとしたのです。

 
・これは集団の存亡が懸かった重要な行為であり、厳格に運用する必要があります。その資格や相手を明らかにするしるしとして登場したのが抜歯だと思われます。そこには肉体的苦痛を伴う強力な共認形成を図る意味もあったでしょう。


図:抜歯の風習 街角散歩さんより
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html

 
・一方で、その解脱充足性をより高めるためにさまざまな儀式や行動様式、場のしつらえなどが工夫されていきました。
 
・その痕跡を今に伝えるのが環状集落や環状列石です。
 
・まずは集落の中心に広場や墓域がつくられます。さらに集団が拡大・分化すると、集落から離れた領域に集いのための領域=環状列石がつくられます。そこでは、精霊や祖霊に祈りをささげる儀式や踊り、クライマックスは男たち・女たちの交わりあいが行われたと考えられます。
 
・環状列石や送りの場と言われる場に付随して置かれるのが掘立柱建物です。これは居住に用いたものではありません。そこでの儀式に必要だったのです。そこで行われたのが、男女の和合だったのではないでしょうか。和合に没頭できる安全域を形成したのです。

 
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:三内丸山の掘立柱建物(復元) zhangshiさんのフォトライフさんより

 
・そのような非日常的なまつり場の代表的なものが下の3つの遺跡。
左から大湯遺跡(秋田)、大野遺跡(長野)、西田遺跡(岩手)
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html


縄文時代における墓の変遷と祭り・親族・地域より
 
・まつり場と性の関係を指摘する研究者は多い。その代表が梅原猛氏。
 


あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。


ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。
 
大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。
 
分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。
 
人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。
 
死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
 
そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。

東北の遺跡ストーンサークルさんより
  
・ストーンサークルには踊りを踊ったと思われる痕跡も見出せるのです。
 
 
●充足を基盤に大集団を統合した縄文人
  
・縄文のまつりは、日常的な性や踊り、精霊への祈りといった行為を基盤として、単一集団の日常的な営みにから、単位集団を超えた非日常的な営みへと発展していきました。集団の拡大は共認充足の低下を伴います。これは現代社会にも通じる肥大社会の宿命でもあります。
 
・縄文人は、ともすれば薄れていく集団関係を性・踊りや精霊・祖霊にまつわる充足感・仲間意識を紐帯として、拡大していく“社会”を結束させていきます。
  
・遠方からの遺跡(婚姻)の形跡などからもその結束力は日常行動圏を超えた相当広範囲に至っていたことがうかがえます。
   
   
●現代社会も充足を基盤にした社会統合が求められている
   
・翻って、現代。私権と個人主義が集団性を悉く解体され、バラバラで孤独な個人ばかりが存在している。現代社会は、ひとびとの充足力→結束力が衰弱し、新たな紐帯としてのまつり場が求められています。
  
・そのためには、家族や企業という単位集団を超えた“社会”の次元での充足の場が必要。そのような場がいまネットに形成されようとしています。
  
・ただ、それだけでは成立しません。基盤となる単位集団(の再生)→日常的(対面上・肉体的)な充足基盤も同時に必要です。
  
・その維持・発展という目的意識が「社会」への参加を促進するのではないでしょうか。つまり、身近な単位集団の再生と社会のまつり場の再生は相乗的に再生されていくのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html


182. 中川隆[-12544] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:24:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

日本人が朝鮮人に嫌われた理由

日本は戦争中に従軍慰安婦に何をやったのか
『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020


子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

____


日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm


朝鮮人「慰安婦」の証言


12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした


 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。


(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101200.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101202.html

12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。


 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101204.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。


(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101201.html

チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。


○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html

ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。
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キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。
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朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2

李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。


十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。


 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/

郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。


 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。


 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/

金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。


 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


183. 中川隆[-12543] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:29:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

日本人が中国人に嫌われた理由


860 :名無しさん :02/07/04 01:33 ID:03UDq1eg

死んだ人の事を悪く言いたくなかったけど言わせてもらう。
漏れの近所の銭湯で番台やってた爺さん(もう亡くなった)。

漏れが小さい頃よく戦争当時の話を銭湯の番台で自慢げに語ってたバカ。

『チャンコロ(中国人)の妊婦を木に縄で縛って銃剣で刺したら「ボムッ」って鈍い音出して破裂してよー。

ホント面白かったぞー。だから毎日チャンコロの妊婦探して見つけては、それやって遊んでたんだ。あの頃がなつかしいなあ(ニヤニヤ』


上の話が嘘だと思うなら,まずこれを否定してね:


小平義雄連続殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm

小平義雄は戦地より帰って以来、性的に突如放縦になった。

放縦なだけでは留まらず海軍被服廠の軍属であった戦争最後の年に、同じ職場の女子工員を強姦した上殺害している。以後、終戦直後の混乱の中で女性を食料をエサに誘いだし、次々と6人も、犯しては殺していった。

小平が女性を犯して殺す、その味を覚えたのは、中国の前線だった。

予審調書の中で小平は言っている。

「大怙では強姦のちょつとすごいのをやりました。…父親を縛り上げて戸棚の中入れ…
クーニャン(娘)を出せと言って出させました。

…強盗強姦は日本軍隊には付き物ですよ。
銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。 私も5,6人はやっています」


取り調べと裁判の段階で明らかになったことがあるんですね。それは、彼の戦争体験のことだったんです。

「済南事件」:南京大虐殺の先駆けですね。住民の殺戮です。その時にもの凄く多くの中国人の女性が日本兵によって強姦されて殺された。この小平という人物は、その時の兵隊だったんです。

「連続強姦殺人魔」と言われた人の犯罪を重ねる下地が「戦時強姦」で培われていた、っていうことです。そのことが日本が戦争で負けた後に一気に吹き出してきた事件なんですね。
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南京で暴虐の限りを尽くした田所耕造。
http://anarchist.seesaa.net/article/78079481.html


陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。

『週刊アサヒ芸能』(71年)の取材に答えた当時、彼は53歳。
彼が語った残虐の限り。しかもこれが「命令」なんだから驚くしかない。

女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった。
下関から木炭トラックを部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊に分ける。

女1人に兵隊15人から20人くらい受け持たせてね。倉庫のまわりなど、
日当たりのいいところを選んで、木っ葉などをぶらさげて場所をつくる。
赤ケンといって、中隊長のはんこがある紙を持った兵隊たちが、ふんどしを
はずして順番を待つんだ。

いつか女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと、女たちはどんどん
逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。
支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なんだろうけど、
なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないんだから
、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よくなめ殺すといったもんです。


その凶暴兵は、柳川平助兵団(第10軍)第114師団所属。南京作戦での「働きぶり」によって上等兵に昇進。

そして、血に飢えた「ならずもの部隊」は徐州(シュイチョウ)へ進撃したのだった……。


南京に2ヶ月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、
股裂きをやったのは。ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、
両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると
股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。それを部隊
みんなでみている。中隊長もみてみぬふりだった。将校だろうと下士官
だろうと、文句をつけても『ウシロダマ(後ろ弾)だぞ』とおどしちゃう

田所耕造はこの気分が悪くなるような話を得意げに話している。上官を
無視しても、「戦闘」では頼りになった兵士による略奪・強姦・虐殺は
セットで日本軍は容認していたということだ。


川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、
陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山(クンシャン)まで道端に延々と
そういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられて
いて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコが
丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。『チンポコ3万本』と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな。遠くからロングに引いてみると、残虐というより壮観だった。

読売のカメラマンで発狂したのもいたな。やったってしようがないのだが、
飛び出してやめさせようとするものもいた。普通の百姓だからといってね。
しかし兵隊はそんなのにかまわずぶっ殺していった。俺か? 俺は残虐な
写真ばかり撮っていたので病膏肓に入っていた。そういう残虐な写真を
撮るのも喜ぶものもいたし、やめとけというのもいた。参謀本部では証拠に
ちゃんと写真を撮っていたな。

以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。

当然のことながら、柳川平助兵団による強姦・虐殺は南京攻略以降の
徐州・漢口作戦でも繰り返されることとなる。

徐州作戦では捕獲したチェコの機関銃がよく使われた。10人、20人と固まって
死んでるのが3キロも4キロもつづく。殺し方もいろんな方法をとった。
3人ぐらいいっしょに木にぶら下げられていたり、首をはねたり。子どもの
首をはねるのだけど、うまいもんだね、皮一枚ちゃんと残るように斬るんだよ。
その瞬間の写真を撮ったけど……

自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている


股裂きなんぞ、東映のモンド映画『徳川いれずみ師 責め地獄』にて鬼才石井監督が撮っていたけど、その遥か以前に日本軍では娯楽の殿堂として「日常風景」だったとは驚きだ。
日本軍って、頭の中が「石井輝男」と同じだったんだな。

「股裂き」の田所耕造が所属していた柳川平助兵団が如何に凄まじい「ならずもの部隊」であったか、従軍カメラマンとして共に行動した河野公輝さんが証言しているな。
これも酷すぎて卒倒するぜ。


蘇州(スーチョウ)の略奪もすさまじかった。中国人の金持ちは日本とはケタがちがうからね。あのころでも何万円とするミンクのコートなどが倉の中にぎっしりつまっているのがあった。寒かったから、俺も一枚チョーダイしたよ。(中略)東京の部隊では赤羽工兵隊というのが一番悪かった。
蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。兵隊は手当たりしだい強姦していた。犯ったあと必ず殺していたな。


以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。


以上の証言は河出文庫『証言・南京事件と三光作戦』より引用した。

この本のAmazonでのレビューにこんなのがあったが……

洗脳、と言う言葉がある。
この言葉は元々は中国語だ。日本語ではない。
朝鮮戦争時の捕虜米兵に対して共産主義を信じることをせまった行為を
中国共産党が洗脳と呼んでいたのが語源だ。
この捕虜米兵と同じように洗脳された人たちがいる。

日中戦争時に捕虜となった日本兵捕虜である。
生きて日本に帰ることのできたこの日本兵捕虜は「中帰連」(中国帰還者連絡会)と呼ばれ、帰国してから「証言」したものが、南京虐殺やら三光事件やらの
「旧日本軍が大陸でいかに悪いことをやったか」を描いた数多くのプロパガンダ本の基となった。本多勝一の『天皇の軍隊』も彼らの「証言」を基にした著作だという。


さて本書であるが、タイトルの、証言とはいっても上記の中帰連(笑)の生き残りの人たちがメインである。この時点でこの本の客観性や実証性はゼロといっていいプロパガンダ本といっていい。「南京大虐殺」「三光作戦」がウソ、でっちあげの産物であると言うことはネットや書籍を通じてようやく近年常識として広まりつつある。
これも一つの戦後レジームからの脱却と言っていいだろう。


『週刊アサヒ芸能』のインタビューに答えた人間が中共の捕虜だと決め付け、事実を歪曲しているところなんぞ、まさに中共と同じやり口だな。藁


自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている。インタビューを受けた当時でも、自分が行ったことは間違っていないと自慢していた神社の神主であった。三島が自決した日に息子に「お父ちゃんもあんなふうに死ぬのか」と聞かれた彼は、「お父ちゃんが死ぬときは共産党と社会党のやつらを皆殺しにしてからだ」と答えている。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/182.html


中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の
一室で、4〜5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に
出会った。4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、
Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければ
ならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。

その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の
河南戦争前後で見たことだ。中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を
馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、
女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。Kさんが駐在していた山西省
旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)
という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。
http://www.magazine9.jp/kaigai/dai027/index.html


仏典の地獄を偏執的狂人の妄想から生まれた怪奇残酷趣味のフィクションにすぎないと考えるのなら、これはどう思われるか。…

「村民を銃剣で追い立てて並ばせ、機銃掃射で薙ぎ倒す。

泣き叫ぶ乳幼児や子供たちを銃剣で突き殺し、

妊婦の腹を切り裂いて胎児を放り出す。

死体の山に石油をかけて焼き尽くす。

木に縛り付けて鞭打っては冷水をかけ、凍死させる。殴り殺す。蹴り殺す。死体を野犬に食わせる。

背中に石を結わえて水中に投げ込む。

輪姦し、その女の赤ん坊を銃剣に刺して肩に担ぎ、軍歌を歌って歩き回る。

赤ん坊を投げ殺す。踏み殺す。巨大な石を担がせて圧死させる。

鞭で殴って焼けた棒を押しつけ、冷水をかけて極寒の場に捨てて凍死させる。

婦女子を狩り集めて輪姦し、腹を裂いて内蔵をえぐりだす。

生き埋めにする。眼をえぐる。耳を切る。鼻を削ぐ。首を切り、その数を競う。生きながら解剖する。銃剣で突き刺し、崖から落とす。等々」

 これはフィクションではない。「正義」を掲げた日本軍が中国でやったことである。といっても、ここでは戦争の是非を論じようというわけではない。地獄は決してフィクションなどではなく、スーパーリアリズムの世界だと言いたかったのである。我々の心の内側にある畑が荒れ果てたとき、地獄はどこにでも出現する。地獄の発生は倫理や道徳では抑えられない。かつて倫理や道徳が声高に叫ばれていた時期に、戦争が絶えたことはなかった。いや、むしろ、戦争は倫理や道徳の意図的操作によって遂行されたと言ってもよい。これは歴史の教えるところである。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa7.html


南京にいた日本兵たちの人間墜落と性的異常行為は限界がありませんでした。ちょうど退屈凌ぎに殺人コンテストが考案された様に、兵士たちはセックスの十分な供給に飽きると様々な気晴らしの強姦ゲームを創造しました。

おそらく日本兵が気晴らしにした最も残忍な作法の中に、女性の膣の突き刺し刑があります。

南京の通りには足を広げ、開口部に木の棒や小枝や雑草を突き刺されて倒れている女性の死体がありました。南京女性の拷問に使用され、耐え難い苦痛を与えたこの方法は考えただけでも精神が麻痺してしまうぐらい痛ましいものがあります。若い女性を強姦した日本兵は彼女にビールボトルを突き刺して射殺し、別の所ではゴルフクラブを突き刺された強姦犠牲者が発見されました。

また12月22日にTongjmenの門近郊で強姦された理髪店の妻は膣にかんしゃく玉を突っ込まれて、爆破して殺害されました。

そして犠牲者は女性だけに限られた訳ではありませんでした。中国人男性はよく男色の相手にされたり、笑う日本兵たちの前で恥ずかしい性芝居を演じるように強制されました。ある男性は雪上に転がる女性死体との性行為を強いられ、それに拒絶して殺害されました。また日本兵は禁欲主義を誓っていた男性に性交際を強制して喜ぶこともしました。男性に変装して南京の門を通過しようとした中国人女性が股の間を掴みながら一人一人チェックしている日本近衛兵に真実の性を暴かれてしまい、集団暴行を受けている時に、たまたま現場近くにいた仏教僧は危険を冒して止めに入り、不幸にさらされました。日本兵たちは彼に強姦したばかりのその女性との性交際を強制し、それを拒んだ僧侶はその場で去勢されて出血多量のために死に陥れられました。

さらに最も卑劣な性的拷問手段の中には家族に対する退廃があります。

日本兵は中国人男性に対して、父親は娘を、兄弟は姉妹を、息子は母親を強姦させる近親相姦を強制して、加虐的な喜びを味わいました。

中国軍大隊の司令官だったGuo Qiは、街が陥落して息詰まっていた3カ月の間に、少なくとも4、5回は日本兵が母親を犯すように息子へ強制して、拒んだ者はその場で殺されているのを見たり、聞いたりしました。

この報告書は、ある中国人男性が母親を強姦することを拒んでサーベルで突き殺され、直後にその母親も自殺したことについて報告したドイツ人外交官の証言で実証されています。

家族の中には、この様な行為を強いられるぐらいなら率直に死に応じる者もいました。ある一家は揚子江を横断しようとしたところで二人の日本兵に止められ、点検を求められました。ボード上で若い女性や少女たちを見つけた日本兵たちは両親や夫の目の前で女性の強姦を始め、これでも十分にひどい行為にかかわらず、兵士たちが次に要求したことは一家をさらに困惑させました。彼らはこの一家の年老いた男性にも同様に女性たちを強姦させようとしました。一家は従うよりも川へ身を投げて溺れ死ぬことを決意しました。


日本兵に捕らえられた女性たちは強姦された直後に殺され、生きる望みはほとんどありませんでした。

女性たちは様々な方法を用いて強姦から逃れようとしました。中には、すすを顔に擦り付けて老いて見せたり、病気にかかっているように見せたり、頭髪を剃って男性を偽ったりして変装する女性たちもいました。(ある利口な若い女性は金陵大学の安全地帯までの道のりを老婆に変装し、杖を持って足をひきずりながら、背中に借りた6才の子供を負ぶって歩いてきました。)また4日前に死んだ子供を生んだと日本兵に告げて病気を装ったり、中国人捕虜の助言を受けて指を喉に突っ込んで何回か嘔吐して見せた女性もいました。(彼女を捕らえた日本兵は慌てて建物から追い出しました。)中には人混みの中を屈んで進み、壁を敏捷によじ登って日本兵からの追撃を逃れた女性や、三階の日本兵を妨害して、庭の中国人男性が支える竹棒を滑り落ちて、辛うじて暴行から逃れた少女もいました。

しかし、あがいた女性は一度、捕らえられると、日本兵に抵抗しようとした見せしめのために拷問にかけられました。日本兵に挑んだ者たちは、よく目玉をえぐり抜かれていたり、鼻や耳や胸を削がれている状態で後に発見されました。


金子安次
「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」

 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。

子供は、慣例のごとく両親の目の前で殺された。


子供の前で母親を犯す。赤ん坊を火にくべる。または子供の前で親を焼き殺す。

生きたまま生体実験を行う。 慰安と称して女性の膣にガソリンを含んだ布を押し込み、火をつける。


日本兵が南京の居住民に与えた数々の拷問は人間の理解できる範囲を越えています。下記の例はそのほんの一部分です。

(生き埋め殺人)日本兵は機能的に埋葬活動を実施することで大量虐殺の効率化を図りました。中国人捕虜たちはそれぞれグループに分けられ、まず第一グループが自分自身の墓穴を掘らせられ、第二グループが第一グループを埋め、続いて第三グループが第二グループを埋めて行くという具合に強いられました。犠牲者たちの中には胸や首から下部分を埋められて、刀で徐々に切り刻まれたり、馬や戦車で下敷きにされたりして、さらに大きな苦しみを受けた者たちもいました。

(切断)日本兵は犠牲者たちのはらわたを抜き出したり、斬首したり、手足を切断しただけでなく、さらにひどい種類の残酷な拷問を行ないました。

街の至る所で捕虜たちが板に釘付けにされて戦車にひき殺されたり、木や電柱にくくりつけられて肉体を切り刻まれたり、銃剣の練習台にされて虐殺される光景があり、明らかな事実の中には、100人以上の男性が銃殺される前に目玉をえぐり出されたり、耳や鼻を削ぎ落とされたということがありました。また200名を越える中国兵や市民の集団が裸で柱や学校の戸に縛られ、zhuiziという特別の針で口や喉や目を含む何百カ所という肉体部分を突き刺されることもありました。

(火による殺害)日本兵は犠牲者たちを集めて一気に焼き殺しました。江口の日本兵は中国人捕虜を10人単位でまとめて縛り、ガソリンをかけて火が点けられている窪地へ落とし込みました。太平路でも大量な数に上る店員が火刑を宣告され、ロープでまとめて縛られて炎の中へ投げ込まれました。さらに中国人暴徒たちを建物の最上階や屋根上に集めて、階段を破壊し、炎を下に灯すという余興の火刑ゲームも考案されました。多数の者が窓や屋根上から飛び降りて自殺を図りました。


また犠牲者たちを燃料でずぶぬれにして射撃し、炎上するのを観望するという娯楽も実施されました。ひどい事件の中には日本兵が何百人に上る男性や女性や子供たちをガソリンでびしょ塗れな広場の中に入れ、マシンガンで火を点火することもありました。

(氷による殺害)南京大虐殺中、 何千人に上る人々が故意に凍死させられました。何百人に上る中国人捕虜たちが凍結している池の辺まで行かされ、裸になって氷を壊し、水の中へ魚を捕まえに飛び込む様に命令され、水の中に入ると彼らの肉体は日本兵の銃弾に穴を空けられる浮いた的と化しました。また避難民集団を縛って浅瀬の池へ投げ入れ、そして手榴弾で爆破して「血と肉体の爆発雨」を引き起こすこともありました。

(狂犬による殺害)残虐非道な拷問方法の中には、犠牲者たちの腰部分まで土の中に埋めてジャーマンシェパード犬にかみ殺されるところを観望するというものもあります。日本兵が犠牲者を裸にして、肉体の敏感な部分をジャーマンシェパード犬に噛みつかせる指図をしているところを見物人が見ていました。犬たちは腹を噛み開き、腸を離れた場所へ引きずり出していたそうです。

これらの出来事は日本兵が犠牲者たちの拷問に用いたほんの一部です。日本兵は犠牲者をACID(麻薬)浸けにしたり、赤ん坊を銃剣で突き殺したり、人々の舌をフックに掛けて吊るすといった残虐な行為を公然と行ないました。

日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。幼女からろうぱまで、はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。

数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを「きん獣の群れ」といったのである。

”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、内臓がとび出している。少し開き加減の足。左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz306.html


人前で中国人の首を斬殺さしたり、妊婦を銃剣でお腹を裂き見世物にしたとか、娘らを強姦したら殺す!(死人にくちなし、と言う事だそうです)

乳飲み子を母親から取り上げ谷へ投げ捨てた。

子供に”みの”をかぶせ火の中に投げ入れ、熱い熱いとみのがゆれるさまを喜んで”みの踊り”と言ったそうです

日本兵は「幼い娘は熟していない」といって、下腹部を切り開き輪姦を始めるのであった。妊婦でさえも容赦はなかった。

妊娠9ヶ月の17歳の少女を2人の日本兵が強姦する。この結果流産してしまい、彼女は発狂してしまった。HongWu門外では日本兵が農家の妊婦を強姦し、女性の腹部を切り開き、胎児を取り出した。また別のところでは、日本兵が妊婦を強姦しようとしたがお母さんが立ちふさがる。

そこで日本兵の超残虐な行為が始まる。日本兵は老婦を蹴飛ばし、妊婦の腹部をナイフで切った。数ヶ月たったばかりの胎児が中から飛び出した。

このようにして2人の尊い命が一瞬のうちに消えてしまった。多くの女性が強姦の後殺害されている。ある日本の上官は部下にこう言った。「後で厄介になるから、用を済ました後は分からぬように殺しておくようにしろ」多くの女性はこの時の経験を話せない。

しかしそのような地獄から生還した女性もいる。彼女はJianYin通り6丁目に住んでいた。彼女は他の女性といっしょに日本軍に連れ去られた。日中は洗濯をさせられ、夜になると輪姦の道具となる。年増の女は一晩で10回から20回。若くてかわいい女はもっと多かった、と証言する。

正月元旦の日、二人の日本兵が彼女を連れ誰もいない学校にやってきた。そして彼女を10回銃剣で突き刺した。首の後ろに4回。腕に1回。顔に1回。背中に4回刺された。日本兵は彼女が死んだと思い、去っていった。あとで通行人に助けられ病院に担ぎ込まれ命を取り留めた。強姦の後幸運にも殺されなかったが性病に罹り、一生苦しんだ人たちもいることを忘れてはならない。


" 外国人の見た日本兵の蛮行 # という本の中に著者の TianBoLie 氏は南京の虐殺の事実を記録に残している。そのほとんどが強姦であった。それから少し例を拾ってみるだけでも日本軍の罪の重さがわかる。12月14日正午、日本兵は JianYing 通りの民家を襲った。4人の少女を誘拐し2時間かけて強姦した。12月14日夜、日本兵が民家を襲って女性を強姦し、連れ去った。12月15日夜、大勢の日本兵が Jinling 大学の講堂に押し入った。そこで30人の女性を強姦した。ある者は6人の日本兵から次々と輪姦された。 12月15日夜、大勢の日本兵が ShanTiao通りの民家に押し入り、多くの女性を強姦した。12月16日、日本兵は保育大学から7名の少女を誘拐した。年齢は16歳から21歳までの娘であった。そのうち5名が後に釈放された。18日におこなわれた事情聴取によると彼女らは一日に6回強姦されたといっている。

12月18日の夕暮れ時、4,5百人の女性がわれわれの事務所に保護を求めてやってきた。 この多くは日本兵に強姦されていた。 ここに記載した事件は南京陥落後のほんの数日間に起こった氷山の一角に過ぎない。 実際、 " 強姦は南京陥落後6週間に渡って大規模に行われた」のである。これらの犯罪は下級兵士の行動にとどまらず、指導者層にまで及んでいる。

南京虐殺の主犯格である日本軍第六師団長谷寿夫の証言によると、彼は ZhongHua 橋の近くで Din Lan という女性と他に二人を強姦している。また、SaiHongQiaoで Liu YuQingさんと他三名を強姦した。他のところで10名以上の強姦も認めている。日本軍の侵略者たちは強姦で動物本能を満たすだけでは終わらなかった。

彼らは集団で輪姦し、その後、殺して死体を切断するのであった。多くの女性は10人くらいの日本兵に輪姦された。そして女性は死んでいく。この種の経験をした女性の死体は数限りなくあった。虐殺の期間中、強姦の犠牲者には教授婦人、尼僧、労働者、教師、学生などがいた。


2月の終わりごろ、14人の難民の家族が日本軍により惨殺された。一番下の娘はほんの14歳。彼女は二つの正方形のテーブルの上に乗せられて死んでいた。上半身は服を着たままであるが、下半身はすべて剥ぎ取られテーブルは血の海であった。そして彼女の下腹部には銃剣で刺した後が二つあった。

お姉さんは妹と同様の格好でベッドの上に倒れていた。母親はテーブルのところで1歳の赤ん坊を抱きかかえ倒れていた。赤ん坊は腹部をナイフで切られ、内臓が飛び出していた。正視できない地獄絵巻である。国際委員会の委員は調査に乗り出した。
写真を撮り、それをアメリカの市民のもとに送った。日本大使館にも送った。


日本軍の地獄の苦しみを味わったのは主に女性であった。彼女らは強姦されてそれで終わりではなかった。日本軍から胸を切り落とされ骨が見えている女性。
下腹部を銃剣で刺され苦痛で泣き叫ぶ女性。また、下腹部に木材、竹、人参などを差し込まれ、かき回されて死んでいく女性。

これを端で見ている日本兵は拍手を送り高らかに笑っていた。日本軍に囚われコックとして働かされた中国人が脱走後次の話をしてくれた。12月16日、通りに出てみるとまだ火も残って煙が立ち込めていた。我が同胞の死体の山、山、山。特に女性の死体が目立つ。それらの中で10体のうち8体は腹部を切断され中から内臓が出ている。

血まみれの胎児を手にした母親の死体もある。女性の乳房は切り取られるか銃剣で刺され、血と肉の固まりと化している。南京市内外の虐殺の期間中、多くの女性の死体はこのような様子であった。XinZhong門の城壁近くの家で60歳代のおばあさんの死体が見つかった。おばあさんの下腹部は大きく膨らんでいた。

YangPi通りの北に少女の死体が見つかった。おなかは切り開かれ内臓は引き出され、2つの目は大きく見開き、口からは血が流れていた。 GuYiDian通りでは12歳の少女が死んでいる。下着は破られ、目は閉じたまま口は開いていた。この死体を見てわかることは、これらの女性が単に日本兵の刃に倒れただけでなく、辱めを受けているということだ。

日本兵の犯した強姦の罪は重い。その残虐さは彼らの殺戮に劣らなかった。日本軍の上官はこれらの残虐行為の手をゆるめることはなかった。むしろ兵士の動物本能を満足させるためにこれを奨励した。その結果、日本兵はどこに行っても強姦をやった。上海、SuZhu,WuXi, HangZhou でも日本兵は同じことをやった。

南京の女性の運命は特に悲惨なものであった。南京陥落後、日本兵は女性を求めて南京のいたるところを探し回った。そして見つけると集団暴行を行う。
http://www.geocities.com/Pipeline/Halfpipe/3791/katari2-2.html

日本兵の婦女暴行・強姦の実態

1.妊娠している婦人を全裸にして刀で刃傷、木の間に女の両手両足をゆわえて子宮に手オ留弾をさして爆発。興味本位で、得意気に。(元軍曹T)

2.死体処理の少年の証言、女性の死体は特にひどい。ある女性は両手両足をひろげてベッドに縛られ、局部にサイダーの壜を深く刺されて被殺。

3.多くの少女はベッドに縛りつけられ誰でもがすぐに犯せるようにしている。少女があまり泣きじゃくったり、性病に罹ったりしたら、すぐに殺されてしまう。路地や公園には女性の死体でいっぱいだ。 彼女らは死んだ後でも切断されたり、局部に物を差し込まれたりして辱めを受けている。

4.一月一日、呉昌生が光華門外の自宅に帰った時、七人の日本兵がひとりの中国人のおばあさんを連れてやってきた。彼らにおばあさんを犯せと命じた。日本兵はこの光景を見て笑っていた。

5.二月五日、三牌楼に住む六十歳を超える陳さんのところに三人の日本兵がやってきた。 一人が見張りで、他の二人は交代で強姦した。日本兵の一人はおばあさんにペニスをなめてきれいにしろと言った。

6.1944年の春頃、鈴木氏が分隊長として、討伐作戦に参加した際のある村の話であった。 彼の分隊が休憩していたある農家に、一人の憲兵が現れ、惨劇が始まった。村の女性に食事を作ることを強い、お湯を沸かせていた時のことだった。

突然、その憲兵は梅毒にまみれた自らの陰茎をとりだし、食事の準備中の、一人の女性に、これを舐めろと要求した。ところが毅然と拒絶したその女性に、憲兵は激怒し、服をちぎって沸騰したお湯を浴びせ、遂に殺害した。


7. 12月15日、またもや押し入ってきた日本軍の兵士が、数え年8歳の蔡さんを強姦した。蔡さんはその様子を次のように語る。「日本兵は、私の陰部に手をねじ込み、その時まだ幼かったので、非常に硬かったのを無理やり押し込んでこじ開けた。


8.「冬には、至るところで暖をとります。兵隊は、赤ん坊をひっ捉まえ、火の中に投げ込んだものです。」と、古参兵の一人が報告する。別の帝国陸軍の兵隊が語る。

彼の部隊は打ち棄てられた村で女をみつけ、裸にし、「膣に布切れを押し込み、ガソリンを染み込ませて、火をつけました。皆それを見ていました。隊長もです。 部隊の慰安の一種だったんです。」


「暗い部屋に産褥の婦人ありて傍らにいとけなく眠る嬰児。銃剣で布団を跳ねのける。女は両手を合わせて拝んでいる。(略)彼女は衣服乱れて乳房一突き息絶えていた。」「先に高粱で隠された長持の中の娘もどうやら、輪姦の上刺殺した模様であった」(一一○頁)。

「掃討にあって残虐は付きもので、女をあさる。

輪姦、強姦と、又素裸にして乳房を刺突或は陰部にローソクを垂らし悶えるを見て悦び、恥毛に煙草の火をのせて焦げゆく興味。

タマゴを局部に挿入二個、三個と、更にトウモロコシを挿入或はピストン運動、トウガラシを詰め込み歓声を上げる。

銃剣の先で膣をつつく。こうして時間をもて遊んでいる。呻き苦しみ悶絶、出血滴る女と、掃討の修羅である」(一一二頁)。

「捕らえた女を丸裸にして寝かせて、両足を一ぱいに広げ杭に結びつけ尻したに枕して腰を浮かせて膣に、ナンパ大根と挿入できるようなもの等、刺激物のトーガラシとかをもって、いろいろなことをして、悶える表情に歓声を挙げていた。

更にローソクの垂汁をポトポトと膣に落し上手、下手を争って楽しんでいた。

乳房、腹上、局部にムカゼ・サソリ等を捕らえて這わせての興味を持っての蛮行が、いずこの部隊でも隠された所で行われることが、討伐作戦の楽しみであった。」

「捕虜の男と女を牢から出して来て裸体にして女に男の性器をくわえ吸わせ舐めさせ、性器が勃起するの見物と、性交させることの成り行きと、女の膣ネブリ、乳房と、ああしろ、こうしろと、注文をつけて、その表情を楽しんでいた。」(一一七頁)

 強い攻撃性は、攻撃の対象により強く大きな苦痛と恥辱を与えることで、自らの勝利感、征服感を満足させた。その対象が女性であるときは、性器への攻撃となって現われた(二六)。
http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.4.html


まず、釣り針が連続して付いている釣り糸と竿を用意します。

そして、女の股をひらかせます。

女の膣に釣り糸を挿入。

釣り針も全て挿入し、挿入が終わったらウィンチで思い切り引っ張る。


これは第二次世界大戦時、日本軍が中国で行ったお遊びです。

男性に対しては行われず、女性のみを対象とした完全な性器刑。
失血死した人もいたそうです。
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184. 中川隆[-12542] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:33:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

日本のビジネスマンが中国人に嫌われた理由

1  ボボタン  2006/04/03(Mon) 15:09


安徽省の中国人から、9歳の少女を養うという約束で5万円で引き取りました。
学校行かせてますが1年間の学費が2000元。。。

夜は、一緒に寝て性教育をしています。

中国北部には、2万人以上が女の子の養育に困っています。

少女を養育してやると言えば、数万円で手放す親がいくらでもいますよ!

どうですか? 一人ぐらい飼ってみるのは。。。。


______


中国の南部では少女買春が盛んです。

これは、「処女とセックスすると長生きできる」という迷信ゆえ、宗教思想によってもともとそうしたマーケットがあったようです。

それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々です。

1980年代末、児童売買シンジゲートは香港で暗躍し、一部の山岳民族などが
貧困のため、小学校入学前の子供を売りに出したのである。

その少女を買うために、世界から中国・タイなどに集まっています。

いまだに、少女売春が出来るのも発展途上国の少女達のおかけです。


香港でも、同じようなことをやっているよっ!

年齢からすると、まだ10歳にもならないだろう少女が親に手を引かれ外国人(主にアメリカ人と日本人)相手に、

「私の娘を買ってくれ。私の娘はこの辺では一番安い。」

などとまとわりついてくるよっ!


貧しい国は、風俗もすごい! 

未成年はもちろん、まだハイハイしてるような女の子(赤ちゃんだね)もいる。

香港での幼女の値段は確か5万円くらいのはずだ!

大卒のサラリーマンの月給が5000円程度だから、向こうではかなりの高額だといえるのかもしれない。


「金があればなんでも出来る。」と中国人が言っていたのは、嘘では無いようだ。


俺が勤めている会社の社長は、

「もうやりたいことは全てやってしまった。
だから今度はもっとすごい事がやってみたい。」


って言ってますよ!!


貧しい国ではなんでもあり。 幼女を買ったり売ったりなんて、日常茶飯事です。

僕は中国しか知らないので、両国とも日本円で2万あれば一日中OKですよ。

15位になるとこれよりも安くなりますよ。

僕は5〜10位の娘が目的なもので、5歳の娘に口内発射した時は最高でしたよ。

飲む姿よりゲボゲボする姿が最高に興奮するのです。

5歳の娘のフェラなら20〜30で楽しめますよ!

月に一度は、18時間かけて国境近くまで遊びに行ってます。

場所は、詳しく言えないけど此処はまだ5〜10位の娘と遊べます。


俺が買ったのは恐らく7歳(言葉通じないんだよ)で、内容は日本円5万で2日間貸切!

その間は傷つけたり、殺さなければ何でもOKでした。

まぁ、俺の場合最初の24時間は舐めさせ続け

二日目は、挿入プレイ(もち、中出し・顔射もあり)

使いこまれてはいないが痛がる気配無し

ほのかに感じた顔が余計に性欲を掻き立てる

日本円で+5万出せば本物の幼女処女も手に入る

しかし、泣き喚いてウザイので俺は2回しか買った事がない

あ、あとオプションのドラッグ入れてのセックスやったけどあれはダメだ! 

日本に帰りたくなくなる

              |ノ ヽ         .|::::| |
       {     !|::::| |  _,, -ェェュ、 |::::|__|
ィ彡三ミヽ  `ヽ   |::::| |ハミミミミミミミミミ| ..|_
彡'⌒ヾミヽ   `ー |::::|__|ハilミilミliliミliliミ| ..|
     ヾ、       |二二二二二二二| ..|
  _    `ー―' | ..|.:.\\_::::::::::::::|_||
彡三ミミヽ       | ..|ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|    日本人・・・・・
彡' /| ヾ、    _ノ|_|: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,|
  / ./|.  `ー '    {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"|    ぜったい許さない
 ,ィ| |::|ニミヽ   __.ノ ヽヘ`" 彡' 〈     |
彡'| .:|:::|   ` ̄       `\   ー-=ェっ |    
  | .|:::|   _  __ ノ  {ミ;ヽ、   ⌒   |
.  | |:::|,ィ彡'   ̄        ヾミミミミト-- '  |  
三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
.   | |:::|  ィニニ=- '     / i   `ー-(二つ 
   | |::|彡'          { ミi      (二⊃
   /| |::|        /  l ミii       ト、二)
 彡 | |::|    __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
.    | |::| /          | ミ{     :.:.:..:|
    | |::|       ノ / ヾ\i、   :.:.:.:.:|
.    | |::| .ィニ=-- '"  /  ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|  
     | |:::|     ./  `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|   
   ノ .| |:::|  _/   /   /  |:. :.:.:.:.:.:.:|

中国の小学生だったら充分できるよ。


さすがに初めは処女だっていうのもあって大変だったけど、濡れヅライ部分はローションでカバーしてる。

やっぱり中国の小5でも体格は、日本の2・3年ぐらい体格です。

中学にもなると体も少し発達してるし、年頃で色気づいてるからそういう所をくすぐれば結構簡単にできるかも。

俺が遊んでいる子は、小5だけど生理もないし、体格も3年生ぐらいです。

恥じらいも無いので、人差指と中指でちょっと大きくなってるクリトリスを皮ごと挟んでしごくように愛撫した。

たまに中指を薬指に変えて、クリトリスの皮を剥いて自由になった中指でちょん、ちょん、と触ってやるだけで濡れます。

時々体がビクンってなって、乳首も堅くなります。

それからは中指でクリトリスを回すようにしてみたり、親指と人差指で摘むようにしてみたりして、クリトリスをコリコリしてやると驚く程肥大してくる。

いつもより一段と堅くてデカくなってるペニスをおまんこにあてがってゆっくり入れていこうとしてもかなり締まっててなかなか入っていかない。

だからほんの少し入れてそこでユックリと出し入れをしてやってる。

入ってく時はムリュって感じで押し入る感じが最高です。

そうしてると結構濡れてきて、亀頭くらいは入るようになるけど、それでもかなり窮屈。。。

ちょうど半分くらい入っていった時に、一度目の射精をしてやると体を震わせてしがみ付いてくる。

それからも少し時間をかけてゆっくり奥まで入れてやり、ヌルヌル度が増して入れ易くなってくるから、時間をかけて根元まで挿入してやる。

後は出し入れするのを速めたり遅くしたりして、充分キツキツの小学生のおまんこを味わっています。

「小学生の」「小学生の」って思うとすぐにイきそうになっちゃったから実はできるだけそう思わないようにしてたんだけどね。


小学生とやると理性崩壊して中に出してしまいますよ。

かなり興奮しているから絶え間なくドクドクと出てきて自分でも驚くくらいの量の精子がでますね。

後は、しゃぶらせているけど、セックスのおぼえがいいみたいでかなりうまくなってきています。

俺も小学生相手にやりすぎかもしれないけど最高のペットですね!

4歳にもなると、朝おむつを替えてやると恥ずかしそうにして可愛いですよ!

でも、オマンコにチンポを入れても痛がらずに腰を振りますからね。

遊ぶには最高です。 おむつっ子は8枚〜10枚ってとこが相場です!


俺が、いまハマッテるのが失神セックス。。。

首の頚動脈を軽く押さえて失神させるやつ! 

絞め技と同じように少女をおとすのよ。

ただでさえ狭い少女の膣が、失神する前に断末魔の締りをするんだよ。

これが、数分続くから最高だね!

この辺の相場は、赤7枚ってとこだね。


____


アナルベイビーという言葉を知っているかな?


アナルベイビーとは男女問わずアナルを犯されるために取引されている赤ちゃんのことです

もちろん買う人や赤ちゃんの性別によってアナルだけではすまないことも多々ありますが…

男女に共通しておかされるアナルからとってアナルベイビーという名がついたようです
買う人間はたいていが香港大富豪の変態のようです

でも、2〜3万元と言うから買えない金額じゃないと思うけど、買っても育てるのが大変だから…


中国って売ってない物は無いって感じだね!!

ちっちゃいおんなの子のアナルって良いよね!

5歳位までのちっちゃい子のアナルに萌える人集いましょう!

蛇口で買った、少女の後ろから勃起したペニスを肛門に入れてアナルセックスを楽しみました。

アナルセックスは初めてらしく、最初は痛がって逃げようとしてましたよ!

グッボッォとチンポが入ると「ぎぃぃぁぁぁぁぁ…」と叫び声をあげて失神。

腰を少しづつ突き上げてゆっくりとチンポを入れてやった。

後ろから抱きしめながら少女を引き付け腰を沈めこんでやると気が付いたらしく。

チンポを出そうと力んで肛門が閉める。
 
これが最高に気持ちが良く少女は泣きながら腰を突き出しくるから、腰を一旦引くと勢いをつけて押し出して中に出してやった。


最高のアナルセックスが楽しめたよ!

これで、6枚なら安い買い物だと思うよ。

____

先月、買った女の子とアナルで遊びましたよ!


アナルを使って射精して! 射精して萎えないのでとっても嬉しい!

二発目が終わってチンポを抜くと不気味に膨れ上がったアナル。

次の瞬間、拡張されまくったアナルから、極太の一本糞。。。。。

俺のチンポの数倍の太さがあって凹みました。

あの齢で、あれだけの太さの一本糞をするのだから、フィストも出来そうですよ!

やっぱり、女の子のアナルは最高ですよ。

少女とアナルセックスをしている人って多いんですね!

年令によっては、アナルの方が入れやすいよ!

詳しくは、ヤバくて書けないが経験者ならわかる事です。

パカッと開かす事も可能です。

それに決してキツくは無いので入りますよ

南京で3歳と7歳のアナルに入れたことがあるよ!

結構きつかったけど気持ちよかった。

征服感が凄くて興奮したよ!


ハァハァ・・・た、たまらないよねぇ・・・

幼女の子宮にピュッピュッって射精

征服感と満足感が最高だねぇ・・・

いやがる幼女のアナルに無理矢理入れて犯すのがやめられないねぇ・・・

可愛いマンコがこれ以上無いくらいに汚くなる瞬間が最高だよ!!


深夜の1時から始めて終わったのが明け方6時を回っていたのよ!

これで5時間くらいやりっぱなしで、それで挿入したまま爆睡。。。

気づいた時は、夕方の4時を回っていたよ。

そのときは、2才児だったから挿入されたままオネショしていたね!

私は、起きて直ぐに幼女を連れてお風呂に連れて行きアナルにしてやったよ!

勿論、挿入したままは出来ないから、抜いてポッカリ開いたアナルにめがけてしやった。

結構感じたらしくオシッコを漏らしながら痙攣してイッタみたいだった。


アナルは、初めてでもすんなり入る子が多いからねっ。

今付き合ってる床屋の12才は初めてでもあまり痛がらなかった。

むしろマムコの方が入らない・・・

だから仕方なくアナルに挿入してる。。。

何度もアナルセックスを繰り返しているうちに挿入のコツを掴んだので小柄だった小6の子を置屋で買った時、あっさりと挿入する事ができました。

本当に「すんなり」っていう感じでした。

肛門の伸縮は凄いですよね。

もちろん4歳児だった3人目もあっさりと入れる事が出来ました。

先月の初めに、蛇口で買った8歳のアナルバージンは腰枕の体勢で正常位(ブス顔を見ながら)と冒険しました。

でも、締まりは最高でしたね!


____

中国では一人っ子政策で女の子が生まれると捨てられます。

男の子と女の子なら当然男のこの方がたよりになるからです。

そして、そういう子はマフィアや拾い主によって売春になります、

だいたい8歳ごろからはじまります。

15歳ごろまでは女の子は顔が日本人とあまり変わらないので多分それぐらいまでやらされることでしょう。

ぶっちゃけすごくかわいいですよ。まあ、ロリですけど・・


ヤミで売買される幼女1人の価格は『健康』な6歳以下の幼女ならば5万リンギ(約160万円)以上が相場。

美少女中学生にはその半額から7倍程度が支払われていたと見られている。

7    2003/11/05(Wed) 18:10

これ知ってる、と言うか買わないかと言われた、

この人たちからじゃないけど農村に行ったときに、断ったんだけどね

31  名無しさん   2006/04/02(Sun) 23:25

中国の赤ちゃん事情は、幼姦のための売買ですね!

1歳〜3歳の処女で、3000元〜5000元ですよっ!

中国の平均月収の2ヶ月分ですから、凄い高価な遊びです。

4歳〜6歳の処女で、2000元〜3000元で、

7歳〜の処女が1500元ぐらいです。


俺が、買った幼稚は3歳の処女! 2700元の掘り出し物でした。


1晩で、次の昼過ぎには自分でチンポにオマンコを擦り付けて来るほどの淫乱になっていました。
 
最高でしたよ!!

いろんなタイプの女と いろんな体位で とことんやりこんできた。

そして あらゆる経験をすることで ようやくわかってきた。

この世の究極の快楽はロリだということが。

全身 身震いするほどの絶頂感!

もう普通の女は臭くて抱けん。

ロリと一度も経験しないで死んでいくなんてそんなつまらない人生を送っていいのだろうか。


中国人の幼女が最高の絶品名器でございまする。


中国幼女 >カンボジア、ベトナム幼女 >タイ、日本女児


ただし中国で幼女貫通がチクラレルと、麻薬系犯罪と同じように死刑にもなりかねませんので、こころしてヤッテくださいネ。


6歳ならすんなり入るが、3歳女児はやっぱりすっごく大変。

てかうまくいってないんだけど。


上記のコピペ元は

深セン夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shinsen/index.html

上海夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shang/index.html


上の掲示板はつい最近まではこういう記事で賑わっていたのです。

日本人は南京大虐殺の時から何も変わっていないんですね。

中国人が反日になるのも当然です。


185. 中川隆[-12541] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:38:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

という事で、日本人は今もアジア人に憎まれています。
日本にアジア人移民なんか入れたら大変な事になりますね:

日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口

 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、

鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、

あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html

日中戦争証言 劉寨子 王さん(64歳)さんの話


 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。

私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。

政府は何回も説得して、

「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」

と教えられた。

しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。

私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。
http://www.jade.dti.ne.jp/kaworu/syogen/ryujya.html#ou78

中国『開放雑誌』2004年意識調査。

25歳以下の青少年の82? %が、捕虜や婦女子の銃殺に「賛成」。

「日本人婦女は強姦して殺すべき」

「日本人の男は腸を開いて皮を剥ぎ、女は輪姦して殺すべき」

「日本人は嬰児から老人まで殺しつくすべき」

という回答が多数。


中国の反日教育の実態

Anti-Japanese Education in China
http://jp.youtube.com/watch?v=8Db4vorG0ug
(英語ナレーション・日本語字幕)


日本人の絶滅の為に尽力するのが中国人の「愛国心」


日本では大量の中国野菜が安価で輸入されていますが、野菜類の47.5%から猛毒で発がん性もある有機リン系殺虫剤メタミドホスなどの高濃度の残留農薬が発見されるなどして2001年から輸入禁止が相次ぎ、大手のスーパーではあまり見かけなくなりました。しかしそういう野菜や畜産品はなくなった訳ではありません。生のままではなく、「加工」「業務用冷凍」されて日本に輸入されているのです。

これらの加工品の一部からは高濃度の水銀やダイオキシン、チクロやDDT、TBTO、BHC、クロラムフェニコール、クロルテトラサイクリン、マラカイド・グリーンといった毒性抗生物質などの使用の痕跡や高濃度の残留が認められています。もちろん中国産の食品の全てが危険な訳ではありませんが、これが一方の厳然とした現実でもあります。最近では中国産ビールの95%に発がん性物質ホルムアルデヒドが含まれているなどの衝撃的なニュースや、食品そのもの以外に、例えば中国製の食品包装袋の50%に発ガン性物質のベンゼンが残留しているとの報道もありました。

中国の食品を信頼するのは危険です。ましてや日本や日本人を「敵である」と明確にしている国なのですから、日本向けの食料品がまともである保障などあるはずがありません。かつて安価な白ゴマを高価な黒ゴマに見せかけるために、有害なタールで着色したタール黒ゴマ事件がありましたが、何らの教訓も得ず国が率先して「着色政策」を推進しているのは残念です。魚や肉、松茸に鉛を入れて重量をごまかした事件もありました。国は違いますが、同じ反日の国、韓国で生ゴミを素材にした餃子が問題となった際は、摘発された業者は「生ゴミを使った餃子は日本などに向けた輸出品だけなので、国内の消費者は安全である」と開き直ったほどです。

http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html


現在中共が生産する野菜類の47.3%に危険な残留農薬が残存しているというデータがあるが、中共はとりわけこの危険性の高いものを主に日本へ向けて輸出している。

さらに中共ではそのほぼ全ての河や湖が工場から流された鉛や水銀入りの排水で汚染されており、中共産の野菜は全てこの水で育てられてもいる。

EUなどは残留農薬や有害物質が検出されると即座に全面禁輸措置を取るが、日本は中共に遠慮してなかなか禁輸に踏み切らないのだ。

この残留農薬には、きわめて発ガン性が高く20年以上前に国際的に使用禁止されたエンドリンやディルドリン、そしてシロアリ駆除薬なども検出されており中共産の野菜を食べることはまさに自殺行為なのだが、中共に媚びたい一心の日本政府が全面禁輸に踏み切れないことを良いことに、中共は今も大量の汚染野菜や汚染食品を日本に輸出している。

中共では工業化による環境汚染と健康被害の関連性を調査することさえも許可されておらず、英インデペンデント紙は中共でガン発生率が異常に上昇していることを指摘して、「(日本に対して)有毒排水で育てた野菜が大量に輸出されており、日本人のガン発生率も上昇していくであろう」と報じているものだ。

 また野菜のみならず寿司ネタとして中共から輸出されている養殖魚介類には、合成抗菌剤や抗生物質が大量に使用されており、中共の養殖ウナギからは水銀まで検出されている。

中共が工業廃液を垂れ流す沿岸でとれた天然魚介類もダイオキシンだらけで、中共からの輸入が急増して以降、日本人のダイオキシン総摂取量の過半は魚介類からの摂取となっている。

さらに中共産のハムやソーセージなんかは防腐剤代わりに安い殺虫剤が使用されており、病死した蓄肉も平気で使われている。

食品の漂白には化学肥料用の漂白剤が主に使われており、これらの大半が日本向けに輸出されていると言うことだ。

そして中共政府もまたそれを規制しようとすることはない。何故規制しないのか、その答えは明らかであり、つまり中共では日本人に毒まみれの食品を食べさせることもまた「愛国心」の発露なのだ。

そして自国民の健康など考慮しない拝金主義の日本企業が中共産の食品を多く輸入し、スーパーマーケットでもレストランでも安い価格で売られているが、命が惜しければ中共産の食品は決して口にしてはいけない
http://konn.seesaa.net/article/3821017.html


186. 中川隆[-12540] koaQ7Jey 2018年5月24日 15:40:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

日本は近い将来、中国小日本省になる


50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976

中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html


「外国人参政権」 を認めると沖縄が中国に編入される


なぜ「外国人参政権」を認めると、沖縄が中国に編入されるのか 2017.10.07 
by 北野幸伯『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/p/news/287616


かねてから外交政策の観点から安倍政権支持を明言している無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係研究者・北野幸伯さんですが、希望の党の政策についても一部評価しているようです。

今回は、小池氏が「外国人参政権に反対でなければ希望の党には入党できない」と表明したことについて絶賛するとともに、その理由をわかりやすく解説しています。


小池さん、「外国人参政権反対」を踏み絵に

選挙戦盛り上がっています。私は、「外交が素晴らしい」ということで、安倍続投を願っています。しかし、安倍さんの政策をすべて支持しているわけではありません。

たとえば「消費税引き上げ」に反対しています。小池さんは、「消費税引き上げ凍結」を宣言している。この方面では、是非がんばっていただきたい。もう一つ、小池さん、こんなことを宣言しています。

毎日新聞10月3日から。


◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ


希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。

希望の党に入りたければ、「外国人参政権に反対でなければならない」そうです。毎日新聞は、この決定を批判しているわけですが、私は、「素晴らしいじゃないか!」と思います。皆さんはどうですか?


ある国に住む他民族は、独立を目指す

•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ

このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)

「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」

です。例を一つ一つ見てみましょう。

・コソボ

コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。

・南オセチア

南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。

・アブハジア

アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。

・クリミア

クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。

・クルド(イラク)

イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。

・カタルーニャ

スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。


外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される

というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?

たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。

すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。

このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。

「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」

これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。

私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。私はモスクワに27年間住んでいますが、もちろん参政権はありません。私は「外国人」なので、参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。

そういった意味で、「外国人参政権反対」を踏み絵にする小池さんの決定は素晴らしいと思います。
http://www.mag2.com/p/news/287616  

日本人は謀略工作や心理戦に弱い。

我々社会が堅気の人間で構成されているせいか、各人の良心を信じる性善説が強いからだろう。

しかし、日本から一歩外へ踏み出せば、腹黒い奴らばかりで、朝鮮半島は根性がひん曲がった下郎でいっぱいだし、支那大陸は普通の人間でも匪賊、盗賊、殺人鬼、詐欺師、ゴロツキ、といった「人でなし」に直ぐ変身できる。

ましてや、生まれつきの悪人だと子供の頃から一端(いっぱし)のギャングだ。

落合信彦など「支那人の子供は目の輝きが違う」などと雑誌『サピオ』に書いて失笑を買ったが、国際ジャーナリストを自称する法螺吹きだから仕方ない。

しかし、有名大学の長老教授や新聞論説員に騙されて支那人を厚遇し、「人さま」扱いしていた日本人は哀れだ。

隣人を信頼できて、他人も気配りをしてくれる国など、地球上で日本以外にはあり得ない。ユーラシア大陸は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する闇黒地帯で、お人好しの日本人が生活できる世界ではなく、下手をすれば身ぐるみ剝がされて虐殺されてもおかしくはないのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68677889.html


中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる


国会で話題になっていた「外国人参政権の問題点」は、対象者のほぼすべてが「在日韓国・朝鮮人」であることです。

この法案を積極的に推し進めている政党(賛成派)を知っておいたほうが良いでしょう。


「外国人参政権法案」の国会提出回数


公明党   27回(賛成)
民進党   15回(賛成)
共産党   11回(賛成)
自民党   0回(反対)
国民新党 0回(反対)
みんな   0回(反対)


※外国人参政権にもっとも積極的に賛成なのが公明党(創価学会)

※民主党(現在:民進党)は韓国民潭からの要請を受けて提出
※社民党・共産党も賛成 →共産党は被選挙権(立候補する権利)まで要求
※「自民党、国民新党、みんなの党、維新の会」は”反対”


(最後に/移民・難民問題)


日本国内で失踪する外国人(中国人)が増加
失踪目的で、技能研修を受けるものもいる

在日の犯罪の件数は多いのか、多い地域、どこにある?川崎市


その一方で日本には、イスラム圏からも多くの外国人が難民申請をしています(現在は多くが却下されている)
今後どのようになるかは分かりません。
http://www.geocities.jp/tokua33/


187. 中川隆[-12539] koaQ7Jey 2018年5月24日 16:37:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]


外国人観光客が増えると日本人はどんどん貧しくなっていく


2017年12月28日
外国人観光客3,000万人へ バブルの行き着く先

膨大な経常黒字を観光収支の黒字がさらに拡大させている。
こんな事をすれば将来の超円高を招く
引用:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/recomme_jp/20170824/20170824170841.png


外国人が増えると嬉しいか?

2017年は訪日外国人数が2,800万人に達したと推測され、年間で4兆円のインパウンド消費が見込まれている。

政府はさらに外国人観光客を倍増させるつもりで、2018年は3,200人の訪日、5兆円近い消費を予想しています。

ところで外国人が日本に来て消費するのは経済的に、日本から外国に輸出するのと同じ経常黒字になります。


物を輸出するのと、外国人が日本で消費するのは、お金の流れとしては同じ「外国から日本へ」です。

その経常収支は10月に過去最大2.1兆円の黒字を記録し、通年でも過去最高に近い数字が出ると予想されます。

経常黒字が大きくなると、「やった!日本が儲かった」と喜ぶ人が居ますが、これは「儲かる、損をする」とは関係ない数字です。


経常収支が黒字なのはお金が日本に流れた一方で、日本の労働力が外国の為に消費されたのを意味します。

トヨタが300万円の自動車をアメリカに輸出すると、日本はお金を受け取り、アメリカは日本の労働力を自動車1台分受け取ります。

受け取った300万円分のドルを有効に使えれば良いが、日本の労働者を300万円で買ったアメリカ人の方が、得をしているかも知れません。


90年代から2000年代に日本は空前の経常黒字を積み重ねたが、貧しくなるばかりで経済は縮小を続けました。

これを振り返っただけで「経常黒字(貿易黒字)=日本の儲け」は完全に間違っているのがわかります。

「輸出=儲かる」「経常黒字(貿易黒字)=日本の儲け」という間違った考えのせいで、日本は自国の労働力を外国のために使ってしまいました。

外国人観光客が増えるのも同じであり、日本人の労働力を中国人や韓国人のために使い、日本はお金という紙くずを受け取っています。


円高の戦犯は小泉元首相

要するに日本人が中国に出稼ぎメイドをしているのと同じであり、日本が儲かっているとかでは有りません。

中国人相手に接待している労働力を、日本のために使ったほうがずっと良いのだが、政府の上の人はそう思っていません。

外国人が増えたといって喜んでいると、80年代に自動車や家電輸出で儲けたときと同じく、最後は悲惨なバブル崩壊で終わります。


なぜなら国の経常黒字が増えると、変動相場制によってその国の通貨を上昇させる圧力が生じ、耐え切れなくなった時に超円高になるからです。

最近では2007年から2011年にかけて円高が進み、1ドル70円台になったが、その原因は2007年までの輸出攻勢にありました。

小泉首相は日本経済を再生するため円安に誘導し、その時は輸出が拡大して経常黒字が増えて、日本はかなり儲けました。


当然の結果としてこのような経常黒字は円高圧力を生じさせ、2007年の1ドル124円を天井として、2011年に80円を割るまで下がり続けました。

2011年の超円高を引き起こしたのは、2000年代前半に円安誘導した小泉首相や竹中財務大臣、福井日銀総裁らでした。

そして現在、小泉時代と同じように安倍首相と黒田日銀総裁は円安に誘導し経常黒字を増やし、「日本は勝った!日本は儲けた」と言っています。


彼らのせいで再び超円高になるのは、2020年代以降と予想されるので、小泉元首相と同じように責任を認めないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/74237738.html


2018年1月22日【三橋貴明】外国人に媚びない観光サービス

現在の日本における観光サービスは、
何というか「外国人に媚びまくる」形で
発展していっています。

いつの間にか、鉄道の電光掲示板に
簡体字やらハングルやらの文字が。

英語なら百歩譲って分かりますが、
なぜ特定のアジアの方々に向けた
掲示板のせいで、日本国民が
迷惑をこうむらなければならないのでしょう。

一事が万事、この調子。

そもそも、世界で最も外国人観光客が
訪れるフランスのパリには、
英語の表記すらありません。

パリのホテルで、

「英語のマップをくれ」

とフロントマンに言ったところ、
冷たく「ない」と言われました。

フランスの観光サービスは、
外国人に対して全く媚びていない。

それにも関わらず、
世界一なのでございますよ。

日本が本格的に「観光大国」を
目指すならば、あの煩わしい
簡体字とハングルを外すべきでしょう。

日本国民が、日本中の観光地を訪れ、
結果、日本の観光サービスが隆盛を極め、
質が高いサービスを目指して
外国人が「苦労しながら」やってくる。

これならば、分かります。

とはいえ、現実の日本の観光サービスは、
外国人観光客「様」に媚びるのが基本です。

良質のサービスを「安く」供給することで
リピーターを増やすという、まさしく
デフレ国の国民に相応しい落ちぶれた
スタイルで「観光立国」を目指しています。

挙句の果てに、民泊を拡大。

兵庫県養父市の特区では、白タクを解禁。

東北新幹線を走る「E5系」などの車両で、
今年の夏から順次、乗客がWi─Fi(無線LAN)の
サービスを利用できるようにすると発表。

理由は「中国人観光客様」の
利用需要が高まっているためです。

外国人「様」にひたすら媚び、
観光サービス業が外国人に懸命に
頭を下げ続けたところで、年間の
訪日外国人の旅行消費額は4・4兆円。

高々、4.4兆円。

それに対し、日本の個人消費
(民間最終消費支出)は
300兆円規模になります。

国民が一年間にわずか2%、
消費を増やすだけで、訪日客の
消費以上の経済効果になるのです。

それにも関わらず、政府は
緊縮財政で国民の消費を押さえつけ、
観光関連の規制を次々に緩和していく。

結果、日本国民は東南アジアで
トゥクトゥクを漕ぐがごとく、その日の
生計を立てるまでに落ちぶれるわけです。

大本の緊縮財政路線、財政均衡主義を
打ち破らない限り、我が国は観光サービスを
先頭に発展途上国化していくと思います。
https://38news.jp/economy/11544


緊縮財政と観光サービス 2018-01-17


 さて、いつの間にか「安いサービスを、外国人様に買って頂く」という、まるで発展途上国のごときスタイルの観光立国化の道を突き進んでいる我が国ですが、外国人観光客の2017年の旅行消費額が4兆円を超えました。


 とはいえ、たかが4兆円です。


『訪日客の29年旅行消費額は4・4兆円 5年連続で過去最高額 初の4兆円超え
http://www.sankei.com/economy/news/180116/ecn1801160029-n1.html
 観光庁が16日発表した訪日外国人消費動向調査によると、平成29年の訪日外国人旅行者による買い物などの旅行消費額(速報値)は前年比17・8%増の4兆4161億円と5年連続で過去最高額を更新した。初の4兆円台に乗せた一方、32年に8兆円の政府目標までは“五合目”に届いた程度で、目標達成には一層のてこ入れが求められる。(後略)』


 なぜ「たかが」と表現するのかといえば、訪日客の「消費」と日本国民の「消費」では、桁が二つ違うためです。


 日本の個人消費(民間最終消費支出)は300兆円規模になります。国民が一年間にわずか2%、消費を増やすだけで、訪日客の消費以上の経済効果になるのです。


 日本の民間最終消費支出は、消費税増税により名目金額が強制的に膨らんだので、今回は「実質値」でグラフを作ってみました。


【図 日本の民間最終消費支出の推移(単位:十億円)】

http://mtdata.jp/data_58.html#Jsyohi


 日本の個人消費の実質値は、2013年度には301.5兆円だったのが、2014年度に294兆円と大きく落ち込みました。


 その後は一応、増えてはいますが、未だに2013年度の値を回復していません。


 消費税増税は、こと「消費」という点においては、訪日観光客の1.5倍のネガティブな衝撃をもたらしたことになります。


 怖いのは、2019年に再び消費税を増税し、またもや個人消費が大きく落ち込み、
「やっぱり、外国人観光客に頼るしかない・・・」
 と、なってしまい、民泊やら白タクやらの「規制緩和」が進むのが、あまりにも明らかなことです。


 昨年の5月に、例により規制改革推進会議が民泊の規制緩和を答申。
●客室の最低数の規制については、撤廃する。
●寝具の種類の規制については、撤廃する。
●客室の境の種類の規制については、撤廃する。
 などの提言を受け、政府は着々と民泊の規制緩和に動いています。


 リクルートの不動産情報サイトSUMOは、民泊の世界最大手米Airbnbと業務提携。民泊事業に参入する方針を固めたと報じられました。


 国民の生活を「犠牲」にし、外国人観光客を増やし、民泊ビジネスに新規参入して儲ける。緊縮財政で個人消費を増やせない日本国民は、文句を言えない。というわけでございますね。


 日本各地の観光地も、何しろ「貧困化」した国民が訪れないわけですから、民泊だろうが何だろうが、外国人観光客様に来て頂くしかないわけです。


 兵庫県養父市(国家戦略特区)では、今年の5月から、自家用車(白ナンバー車)を使い、ヒト(主に外国人観光客)を有償で運べる事業を開始するとのことです。


 要するに、白タクです。


 我々日本国民は、東南アジアのトゥクトゥクの運転手のごとく、外国人観光客様にサービスを提供して生きていくわけでございますね。


 緊縮財政⇒国民貧困化⇒国内の規制緩和・自由貿易という流れで、我が国の外国人観光客向けサービスが「新規ビジネス」と化していっているのがお分かり頂けると思います。


 全ての根っこである緊縮財政路線を転換しない限り、我が国の観光業が「外国人様に頼らなければならない」状況は終わらないでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12345134084.html

外国人観光客は日本経済に貢献しない


2016年07月04日
訪日外国人2000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない
外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/a/5/a5a20193.png


外国人観光客は2016年も増え続けていて、この調子なら2000万人達成も可能だと言っています。

だが外国人がいくら増えても日本の景気は良くならず、むしろマイナス成長になっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が1000万人を超えたとして、次は2000万人、あるいは3000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、増え続けた訪日客は特に安部政権が始まった2013年から、目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。

だが不思議なのは外国人が2倍に成っても日本のGDPがマイナス成長な事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると200万円のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済
f0189122_15113970
引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg


日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

観光客がドサドサやってきてお金を使うのも同じ事で、彼らの買い物のせいで円高になり、余計輸出企業が苦しむだけです。


固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。

2016年に入って中国ショックやイギリスショックで円高になり、一時99円に達してまた戻っています。

評論家はイギリスのEU離脱の影響と言っていますが、何も無くたって輸出と観光客のせいで円高になるのです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出が増えたら必ず円高になります。

輸出とはドルを円に交換するで、観光客もドルや人民元を円に交換し、際限なく円高になります。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。


輸出や観光客でお金を集めようとして必死に働いているのだが、こんな事をいくら頑張ってもゼロ成長のままです。

観光と輸出にはもう一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。


輸出や観光で経済成長はしない

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

大抵は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。


あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。

外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロ成長でしょう。

ではどうすれば経済が成長するかと言うと、今まで書いた逆、つまり輸入を増やして貿易や観光を赤字にすれば、その分円安で輸出し易くなります。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカ企業の方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://thutmose.blog.jp/archives/62830797.html

2017年10月20日
輸出神話の間違い 輸出や外国人観光客は日本を貧しくしている
「貿易黒字が回復」「貿易赤字が悪化」のように言うのは間違い
引用:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024001223_comm.jpg


「輸出は良いこと」と言う間違い

日本には「輸出は良いこと」で「輸入は悪いことだ」という考え方が、徳川300年の因習のように染み付いています。

しかもこう信じている総本山が自民党幹部だったり、経産省や財務官僚、東大教授、経団連トップだったりします。

無学な人間ががどう喚いても総本山は自分が正しいと思っていて、改める気配すらありません。


安倍首相のアベノミクスも良く言われるように大企業偏重で、もっと言えば輸出企業偏重でした。

それを象徴するように大新聞やテレビは日本の貿易黒字が増えると「稼ぐ力が戻った」と大喜びしました。

財務省や経産省や自民党も「貿易黒字が”回復した”」とガンが直ったように喜んでいました。


アベノミクスでは貿易黒字を増やすために観光客誘致に力を入れ、2016年に2000万人を達成し、2017年は2500万人以上が確実になっています。

外国人が金を使うのは自動車を輸出するのと同じで、日本が儲かる=良い事だと皆思っています。

政府は輸出や観光客を増やすために円安に誘導し、現在は1ドル112円程度で推移しています。


ところが為替レートは日米の物価上昇率によって、同じ数字でも実効為替レートはどんどん変動しています。

たとえば日本の物価上昇率が20年間ゼロ、同じ期間アメリカは2%だったとすると、同じ為替レートでも実質的に、毎年2%円安になっています。

現在の1ドル112円は1995年時点の、130円か140円に相当する「超円安」になっています。


仮に今後1ドル80円になっても、1995年時点の1ドル100円以上でしかない筈で、円安の恩恵を受けて貿易黒字になったのが良く分かります。


輸出と観光偏重が日本を貧しくする

では貿易黒字で儲かったからこのまま続ければ良いのではないか、とも思えるがそうは行きません。

日本の貿易黒字で喜ぶのは日本人だけで、貿易相手はみんな不愉快になり怒り出します。

中国の貿易黒字が増えたとき、日米では中国人への反感が高まりましたが、80年代には欧米で「ジャパンバッシング」がありました。


日本がこのまま輸出を増やして貿易黒字を増やすと、間違いなくジャパンバッシングは復活するでしょう。

さらに貿易黒字だけが拡大し続けると、儲かった外貨の一部は日本円に交換されるので、円高圧力がどんどん高まります。

80年代に貿易黒字を溜め込んだ日本は、1995年の超円高で全て吐き出す破目になりました。


超円高や阪神大震災の傷も癒えて、小泉政権で再び貿易黒字を溜め込んだが、2011年の超円高でまた吐き出しました。

言っては悪いが「大食い選手権」で食えるだけ食って、トイレで吐いている大食い芸人と同じです。

これらで分かるのは輸出で儲けてから吐き出すには10年以上の時間差が有った事で、恐らく安部首相も引退する2030年までに次の超円高が起きます。


もっと前にも「高度成長期」に溜め込んだ貿易黒字を1985年プラザ合意の超円高で吐き出しています。

1971年にはニクソンショックによって1ドル360円の固定レートが廃止され、変動相場制に移行しています。

これら全ては、日本が貿易黒字で儲けすぎたのに欧米諸国が反発し、為替レートを上げる事で調整した結果でした。


10年か20年ごとに同じ事を繰り返しているわけで、偉い人達もいい加減に学習して欲しいです。


輸出するには同額の輸入が必要

ではどうすれば良いのかというと、実は非常に簡単な話で、輸出と同じ金額の輸入をすれば良いだけです。

自動車を100万台輸出しようが1000万台輸出しようが、同額の輸入をすれば為替相場は円高に動きません。

”偉い人達”は輸出を喜んで輸入を毛嫌いしていますが、その原因になっているのは恐らく、財務省の勘違いです。


財務省はGDPの計算方法で「輸出はプラス」「輸入はマイナス」にしていて、間違いではないが非常に誤解を与えています。

「輸出はプラス」に異論はないが「輸入はマイナス」の部分は、まるで輸入するほど日本のGDPが下がっているような印象を与えています。

毎回同じ例を挙げるが、例えばアメリカから100グラム50円で牛肉を輸入したとします。


スーパーで売るときには100gあたり150円とか300円になり、3倍から5倍もの値段で販売されています。

さらに牛肉は牛丼になったり、しゃぶしゃぶ、ステーキなどになり国内で付加価値がついて販売されています。

日本が輸入する大半は原料なので、輸入した価格の何倍もの価値が国内でつけられ「輸入によってGDPが増えている」のです。


アイフォンのような完成品でさえ、輸入したものを販売しサービスし課金されることで、やはり何倍もの付加価値が国内で生まれます。

輸出がGDPに貢献しているのと同様に、輸入もGDPに貢献していて、国内で付加価値が生まれているので分かり難いのです。

日本政府が輸出を増やしたいのなら、同額の輸入を増やすべきだが「輸出だけ増やせ」と言うから必ず失敗するのです。


今回の「安倍景気」も輸出だけに偏重するのなら、小泉景気と同じく、10年後に無残な失敗に終わるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/73197193.html


188. 中川隆[-12538] koaQ7Jey 2018年5月24日 16:43:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14287]

どんなに困っていても中国人客だけは拒絶しよう


中国人観光客お風呂場にウンチ 名無し(匿名) 16/01/06 12:51


ホテルで働いている方で、中国人観光客による迷惑行為にあった人いませんか?

私が一番嫌なのがお風呂場掃除とトイレ掃除です。とにかく汚いったらない!

浴槽にウンコするのはやめてぇ〜泣きたくなる
お風呂場は排便する場所じゃない!トイレでしろ!

韓国人観光客も似たり寄ったり、部屋はキムチとニンニクの匂いが酷くてカーテンから絨毯からベットに使うカバーにシーツから全て交換して消臭剤撒かないと部屋が使い物にならない。お陰で売上どころか、部屋の清掃費、盗まれた備品の補充費

もう中国人、韓国人観光客は日本に来るな!
http://mikle.jp/threadres/1902945/


中国の日常風景 階段でウンコ

中国では幼児に股が割れているズボンをはかせて、 便意を催したら、どこでも用を足させる光景をしばしば見かけます。

もちろん日本に来ても彼らは変わりません。

団地のごみ出しルールを守らず、ベランダから子供のオムツを放り投げたり、火のついたタバコをポイポイ捨てたり、エレベーターでオシッコをしたり、踊り場や階段でウンコをしたりするのだそうです。

大小便するな、上からものを落とすな、と団地内に張り紙

埼玉県川口市の芝園団地。全2400世帯のうち、3分の1を中国人世帯が占める。文化・習慣の違いから、当然ながら、さまざまな場面で軋轢が生まれている。外国人との共生というが、きれいごとでは済まない現実がここにある。現場からのレポートである。

「ホラ、あのベランダごらんなさい。洗濯物干しがロープでしょう。中国人の住んでいる部屋だってすぐわかる。もうすぐ春になるとおじさんが上半身裸で、部屋の中やベランダをウロウロするのが見えるよ」

 広場のベンチに座った70代の男性住人は、団地を見渡しながら言う。

「痰や唾を吐くのは中国の空気が乾燥しているからかな、と思っていたら、習慣なんだな。この団地でもよく吐いているよ」

「まず中国人はゴミ出しができませんね」

 というのは、芝園団地自治会の瀬川剛一会長(80)である。

「日本のマナーに同化しようという中国人は少ない。中国も都市化が進んでいるので、ある程度の社会教育を受けていると思うし、ここの中国人はホワイトカラーが多いのに、マナーを守れないのはどういうことなのでしょうか」

彼らの多くは、分別などお構いなしに、ゴミを捨てる。

「生ゴミでも缶でもビンでも一つにまとめて燃えるゴミとして出してしまう。それを毎日、掃除のおばさん達が袋を開けて仕分けしているんですよ」

こう言うのは、団地に住んで25年の男性住人だ。

「踊り場に置いてあるゴミ箱に生ゴミを捨てちゃうのもいる。“生ゴミを捨てないで”という張り紙があっても捨てる。ゴミ袋の中には中国文字のインスタントラーメンの袋とか、中国食材店で売っている食料品の包み紙とかがあるので彼らが捨てたとわかる。夏場など、ウッとなるほど臭い。勘弁して欲しい」

問題はゴミ分別や置き場所だけではない。

「もっと嫌なのは、自分の部屋の玄関先から廊下のゴミを掃きだすこと。紙屑やホコリに混じって髪の毛なんかが廊下に掃きだしてあると気持ちが悪い」

とは団地内の掃除を担当する女性だが、粗大ゴミでもルールを守らないという。

「使わなくなったソファや椅子、古自転車、冷蔵庫などを粗大ゴミとして市に引き取ってもらう、というルールを守ろうとしません。市に払う310円のシール代金は他の自治体寄りも安いのですが、お金を払ったり、電話をかけて引き取りに来てもらうのが面倒なんでしょう。粗大ゴミを玄関ホールや各階のフリースペース、非常階段の踊り場などに置き去りにしていきます。私達がそれを回収して川口市に引き取ってもらっていますが、その代金は居住者たちから集めている管理費から出ているのです。日本人居住者が可哀相になってしまいます」


だが、ゴミ問題はそれだけでは終わらない。何と、この団地では空からゴミが降ってくるのだ。

「彼らはベランダからゴミを投げ捨てるんですよ。人参の切れ端など生ゴミは当たり前。中には子供のオムツを放り投げた奴もいました。下の階で干していた布団に汚物がついたことがありました。もっと酷いのは火のついているタバコを投げ捨てるんです。この前も洗濯物が焦げて問題になりましたよ」(同)

傍若無人な振る舞いだと日本人なら誰もが思うが、彼らにとっては当たり前のことなのだという。

「中国には“白害”という言葉があります。列車の窓から弁当の包み紙や紙コップ、食べ残しなどをポイ捨てして、ゴミが線路沿いにずっと続く状態を表現しています。現在中国では立派なマンションが次々に建てられていますが、居住する彼らは窓からゴミをポイポイ捨てるので、建物の周辺にはビルの形に沿って、四角いゴミの山ができているほどです」(中国問題専門家)

日本人には何とも理解し難い行為だが、さらに信じられないことがある。

「辺り構わず痰や唾などをペッペッと吐くなんてまだ序の口、エレベーターの中や踊り場でオシッコをするんですよ。催すと、家に戻らず、そこらでしちゃうんでしょうね。よくエレベーターの床に水たまりができています」(団地の関係者)

団地内の公園には噴水があったが、しばしば彼らが立ち小便するからと撤去されてしまったという。日本人も、だいぶ少なくなったとはいえ、今でも立ち小便をしないわけではない。しかし、日本人は団地の踊り場や階段で大便をしたりはしない。ところが、この団地では日常的に大便が発見されているのである。

「毎朝のように水で流して掃除をしていますよ。ホームレスが犯人だという人もいますが、誰が13階や14階まであがってやりますか」

とは先の掃除担当者だが、30代の男性住人は言う。

「ある時、日本人のおばさんが、中国人女性が階段で用を足している所を見つけた。注意すると、こう言われたそうです。“トイレで流す水がもったいない”」

聞いた人は人は二の句が継げなかったというが、

「日本に来ている中国人でキチンと礼儀を知っているのは少数派。多くの中国人は痰や唾を吐き捨てることを悪いとは思っていません。誰も見ていなければ、植え込みにだってウンチをするでしょう。それが中国式なのですから。そんな連中に注意しても無駄ですよ。うるさいと思えば“日本語がわからない”と開き直ってしまいます。とくに集団になると仲間意識が働いて、ますます中国式にこだわるようになります」

というのは、07年、中国から日本に帰化した石平氏。

ここの中国人には、郷に入っては郷に従えという考えはないようである。実際、彼らは団地の自治会にも入ろうとしない。

「中国人で年間3,000円の自治会費を払っているのは、800世帯のうち1世帯だけですよ。この人はIT関連会社のお偉いさんです。ああいう中国人ばかりだといいのですが、他の中国人は、“3,000円払って何のメリットがあるのか”と平気で断ります」(瀬川会長)

勝手といえば、騒音問題も深刻である。
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33528245.html

日本には年間140万人もの中国人が訪れており、トラブルも急増している。

列への割り込みや、路上で痰を吐く行為などは当たり前。冒頭の大便事件ならぬ大事件に似た例が銀座のデパートでも起きていたのだ!!

偶然、居合わせた従業員がいう。

「店内に、お客様が休めるスペースがあって、そこに鉢植えが置いてあるんですが、中国のお客様が鉢植えに向かって立ち小便を始めて……。同じフロアにトイレもありますから、勇気を出して、中国語のわかる同僚と注意しました」

しかし、返ってきたのは「肥料になるだろ」のひと言。バカモン!

中国事情に詳しい評論家の宮ア正弘氏によれば、「中国人は他人の視線をあまり気にしませんから、どこで用を足しても不思議ではありません」とのこと。

今年のゴールデンウイークに、東北地方から観光で上京したある夫婦は、東京の人混みもさることながら、中国人のマナーの悪さに驚かされたという。

「都心の観光地をいくつか回って、途中、おみやげ屋さんにも寄ったんだよ。そしたら、中国人が試食に群がっていてね。お店の商品にまで手を伸ばしたのには、ビックリしたよ」

また、宿泊先のホテルでのトラブルも多い。

試食の例でわかるように"無料"に目がないらしく、「バスローブ、タオル、灰皿などの備品を持ち帰るのは当たり前。枕がなかったことさえあります」(某有名ホテルの客室係)

それ以上にこのホテルマンが困ってしまったのが、部屋の使い方だ。

「中国人のお客様がご使用になったあとは、とにかく汚いことが多い。灰皿が落ちて、タバコの灰が床にバラまかれていたり、尻を拭いたトイレットペーパーを便器に流さないで、備え付けのゴミ箱に捨ててあるなんてことは日常茶飯事ですよ!!」

中国のトイレは紙が詰まりやすいため、ゴミ箱に捨てるのが常識なのだというが、始末させられるほうはたまらない。
http://taishu.jp/detail/2238/


関西の温泉街にある某大型ホテルは、上階に大浴場と露天風呂がある。

「その風呂に中国人の親子が入ってきた。父親はデジカメを風呂に持ち込んで、子供が浴槽に飛び込む様子を撮っとるんや。"風呂で泳ぐな"と怒る客がおっても、一向にやめようとせん」(日本人旅行客)

ようやく、"撮影会"が終わったかと思うと、今度は湯船に浸かりながら歯磨きを始め、「2人とも、浴槽のお湯で口をゆすいで、そのまま湯船に出したんやで。アホか思うて注意したら、"温泉も濁っているのに"みたいな感じでな。ホンマに調子狂うわ」

北海道の旅館を家族旅行で訪れたNさん一家は、中国人のマナーの悪さを食事処で痛感したという。

その中国人団体客たちは時間とともに大声で話すわ、歌うわ、踊るわ。自分たちが食べたゴミも平気で周囲にまき散らし、Nさん一家のテーブルには複数の海老の頭が飛んできた。
しまいには、自分たちの酒がなくなったからと、Nさんが飲んでいたビール瓶を持っていってしまったという。

前出の宮ア氏は次のように解説する。

「中国料理は基本的に円卓で、いろいろなものを食い散らかしていくでしょ。日本のように、一つ一つきれいに平らげるということがない。円卓のテーブルクロスは、もともとグチャグチャになった食べ物を、全部ゴミとしてまとめるためにあるんです」

文化の違いといってしまえばそれまでだが、中国のような食べ方をする国は世界でも少数派。結果、「下品」に見えてしまうという。

新宿・歌舞伎町で中国人を相手に観光の案内をする李小牧氏は、こう話す。

「中国には、そもそも"マナー"という言葉がありません。いまの中国は経済発展の途中で、とにかく稼ぐことが重要。"カネさえ払えば何をやってもいい"と考えてしまうんですよ」
http://taishu.jp/detail/2237/


中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威 2014.10.07

中国国慶節(建国記念日)の大型連休(1〜7日)真っ直中。円安・人民元高も加わり、日本を訪れる中国人観光客はいつになく多い。ここ数年、消費の起爆剤として期待されるようになった彼らだが、負の側面も顕在化。風俗業界では沈静化したはずの性病が再流行し、その原因として隣国からの“お得意さん”の影響がささやかれている。日本の風俗業界が直面する感染症の現実と中国人客、そして中国国内でのずさんな衛生実態をジャーナリストの奥窪優木氏が5回にわたってリポートする。

 70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱は、17都道府県あわせて154人(4日現在)が発症する事態となった。西アフリカではエボラ出血熱の感染拡大が世界的な危惧となり、日本でも検疫所による水際対策が強化されるなど「対岸の火事」ではなくなってきた。

 新旧感染症への不安が高まるなか、日本国内の“ある場所”で猛威を振るっている別の感染症がある。

 都内デリバリーヘルスの男性店長、A氏(29)によると、店で働く女の子たちの間で、性感染症にかかるリスクが高まっているのだ。

 同店では、風俗嬢として働く女性に、月に1回の性病検査を義務付けているが、2年ほど前から陽性の結果が出る頻度が高まっているという。在籍する20人ほどの女の子のうち、最近はほぼ誰かが感染している状態で、クラミジアや淋菌のほか、梅毒が喉から検出されることが多いという。

 以前は、半年に1人に陽性が出るか出ないかの程度だったというから、アウトブレーク(感染爆発)状態にあると言えるかもしれない。

同店では、コンドームなしでのフェラチオや素股といった粘膜接触を通常サービスとして提供しており、さらに別の客へと感染が広がる可能性も高い。「あの店で性病をうつされた」という噂がネットで広がれば店にとって死活問題であるため、各店の店長らは対応に苦慮している。

 こうした異常事態の原因について、A氏が心当たりとして挙げるのが、外国人客の増加だ。

 日本の性風俗店のほとんどは、もともと外国人客お断りが原則だった。ところが長引く不況で客足が低迷するなか、方針転換を図った店も多い。

 A氏の店もその1つで、2年ほど前から外国人への門戸も開いた。ここ数カ月では売り上げの約1割がアジア系の外国人で、「おそらくほとんどが中国人」とA氏は話す。

 「日本語が分かる通訳か、ガイドが電話してきて、彼らが宿泊しているホテルに出張することが多く、中国系の団体旅行者の場合、4〜5人の客からまとめて注文が入ることもある」(A氏)。店にとっては上客なのである。

 外国人客を受け付けるかどうかは女の子に委ねられているが、「性病検査で陽性が出る割合は、外国人客OKの女の子が圧倒的に多い」というから感染経路は推して知るべしだ。

 昨年、日本を訪れた外国人旅行者は1000万人の大台を初めて突破。あらゆる業界が彼らの財布をターゲットにしているが、風俗業界も例外ではない。しかしそこには、負の側面も潜んでいるのだ。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20141007/frn1410071545004-n1.htm

2017-08-07? 性病地獄に堕ちていく日本の風俗と助からない風俗嬢たち

梅毒の猛威が止まっていない。2012年までは1000人以下で推移していた梅毒患者は2013年から突如として27%も増えて、さらに2014年も、前年の26%、2015年も前年比20%の伸びとなり、気が付けば3年で約2.4倍に患者が増えている。

しかも、増え続ける感染者は「若い女性」が圧倒的多数で、中には女子高生もいる。

「なぜ若い女性の梅毒患者がこんなに増えているのか分からない」とマスコミはとぼけてみせる。若い女性で性病が増えているというのであれば、セックス産業で増えているということである。

2013年から中国人観光客が増えて日本で爆買いのついでに風俗で日本女性を買い漁っているのだが、その中国は梅毒大国でもある。

梅毒に感染した中国人の男たちが、故意なのか無自覚なのか知らないが、どんどん日本の風俗嬢に梅毒を感染させているのである。

感染地区は、主に東京と大阪。都市部で梅毒は完全にアウトブレイクの状況と化した。つまり、一定期間に予想以上の頻度で梅毒が広がってしまったということだ。

この流れは止まらない。なぜなら2020年にオリンピックを控え、さらに多くの外国人がなだれ込む形になるからだ。凄まじい性病の蔓延で地獄になり、日本の風俗嬢は助からない。助からないのは日本独自の理由がある。それは何か。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170807T0331350900.html


2017-11-01
あまり表側には出てきていないのですが、アンダーグラウンドの女性と話していたりすると、現在の日本の風俗が凄まじく危ないことになっているのが分かります。

何が危ないのか。性病です。梅毒が私たちの想像をはるかに超えたレベルで蔓延するようになっており、吉原から雄琴から福原から、片っ端から女性が感染している事実があるのです。

これを放置していると日本のアンダーグラウンドは性病多発地帯と化す可能性がありますが、風俗店は放置状態なので問題は悪化していくばかりになると思います。不吉です。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171101T0103560900.html


風俗嬢が危険にさらされているのに、日本人は冷淡過ぎる

日本の性の現場は、私に言わせると異常であるとしか言いようがない。なぜ日本人はこんな異常を黙って受け入れているのか分からない。

まず、日本の性風俗は「本番行為が禁止」という建前があるので、デリヘルのようなところでは女性が口でサービスして射精させるような行為が一般化している。

コンドームは使わない。生の精液をそのまま口で受ける。

ソープランドはどうか。ソープランドだけは本番行為が黙認されているのだが、ここではコンドームなしの性行為が蔓延していて、それが「売り」になっている店もある。

店は女性に膣内射精を受け入れるように教育しており、女性はそれをやっている。

デリヘルでは口内射精が一般化し、ソープランドでは膣内射精が一般化しているのだから、風俗嬢がいかに危険な状況にあるのか誰もが分かるはずだ。

ところが、日本はこんなものが一般化しているし、誰も何も言わないのである。風俗嬢が危険な状況にあると危機感を持つ人間もどこにもいない。

日本人は、風俗嬢に冷淡すぎるのではないか。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180207T0250450900.html

日本に1円も落とさない中国人観光客が急増する理由
http://diamond.jp/articles/-/161522
2018.2.28 ダイヤモンド・オンライン編集部?


中国のネット上では、日本での“白タク”行為の予約が堂々と行われているが、これは「同胞食い」のほんの入り口に過ぎない


いわゆる「爆買い」は一息ついた観があるが、中国人観光客は相変わらず増加の一途をたどっている。そうした日本に慣れていない中国人観光客を、在日中国人がターゲットにし、しゃぶり尽くす「同胞食い」が水面下で拡大しているという。DOL特集「地下経済の深淵」第9回は、その実態を余すところなくお伝えする。(ライター 根本直樹)

在日中国人が中国人観光客を狙う
「同胞食い」が急増中

 膨大な“有象無象”を抱える中国では、仮にどんなに親しい間柄であっても、血族以外の人間を心から信用していないところがある。他人は敵であり、カモに過ぎない。

 これは筆者の偏見などではなく、以前取材した、ある中国人ジャーナリストが語っていたことだ。彼はこうも言っていた。「他人は常に自分の財布を狙っているもの。中国人にとってそれが当たり前の感覚です」。

 そして、こう続けた。

「その典型は“同胞喰い”です」と。

 一時の「爆買い」現象は下火になったとはいえ、中国人観光客が減っているかといえばそんなことはない。その人数は増加の一途で、昨年は国別で第1位、735万6000人にも上った。今も相当な経済効果があるのは事実だが、昨今は喜んでばかりもいられない。ある傾向が水面下で進んでいるからだ。

 東京・池袋で旅行代理店を営むU氏(上海出身・55歳)は「“日本初心者”の同胞が大量に押し寄せてくるんだから、日本を熟知したわれわれ在日中国人にとってはまさに千載一遇のチャンス。当然だけど、われわれは中国語ができるから、旅行者にとっては安心感がある。そこに付け込む。大陸からの観光客を騙すのは、日本人を騙すより簡単だよ」と語る。

 中国人が中国人を食い物にする。これこそが “同胞喰い”ということらしい。

 では、その実態を見ていくことにしよう。

成田や関空で横行する「白タク」
予約は出発前の中国国内から

 成田国際空港や、関西国際空港周辺の道路を注意深く観察していれば、ピカピカに磨かれたワンボックスカーに、スマホ片手にうろうろしていた中国人観光客たちが、次々と吸い込まれていく光景を目にすることができるだろう。その大半が違法な、いわゆる「白タク」である。

 成田空港で客待ちをしていた日本人のタクシー運転手は、苦々しげにこう言っていた。

「最初の頃は、客を奪いやがってと頭にきていたが、だんだんどうも様子がおかしいと気がついた。白タクの運転手たちは、空港前で客引きをしているわけじゃない。最初から乗せる客が決まっているんだ。それじゃ、しょうがねえなって、最近は諦めてるよ」

 実際その通りなのだ。

 空港で白タクを利用する中国人観光客の大半は、中国国内ですでに予約も支払いも済ませている。前出の旅行代理店社長は言う。

「中国の大都市圏では、配車アプリによる“ライドシェア”が当たり前。そうしたアプリは、海外の車も予約もできるようになっていて、日本に来る個人ツアー客の間でも広く利用されているんだ」

 それも当然だろう。例えば、成田空港から新宿まで、正規のタクシーに乗れば料金は3万円を超えるが、白タクなら1万5000円前後とほぼ半額。これを聞いたら、日本人でも乗りたいと思う人がけっこういるかもしれないが、残念ながら「日本人禁止」の車がほとんどだ。

 さらに、中国人旅行者の大半は、違法であることを知らずに白タクを利用している。ライドシェアといえば聞こえはいいが、その実態は“裏タクシー会社”とでもいうべき元締めグループがいくつかあり、組織的な闇ビジネスといっていい。

「最近は、在日中国人だけでは人手が足りず、日本在住経験のある人間が大陸から短期ビザで来日し、運転手をやっているケースもある。免許?もちろんあるよ。偽造免許証だけどね(笑)」(旅行代理店社長)

キックバック文化が
同胞食いを加速させている

 白タクの運転手は、“同胞喰い”のキーマンでもある。

 都内で飲食店を営む張曙光氏(ハルビン出身・50歳)は言う。

「白タクの運転手の多くは、日当8000〜1万5000円程度のギャラで組織から雇われいるが、それで満足する中国人なんていない。知り合いの飲食店や、免税店に自ら営業をかけ、キックバック契約を結ぶのが当たり前になっているんです。うちの店もそうだけど、白タクの運転手が客を連れて来たら、売り上げの15パーセントをバックしてます」

 張氏によれば、白タクの運転手は“日本初心者”の観光客を、車中で“洗脳”するのだという。

「食事なら『日本人の食通の間でも有名な店』とか『酒井法子がお気に入りの店』なんて適当なことを言って、知り合いの在日中国人が経営する、いかにも日本風な居酒屋に案内し、こっそりキックバックを得るんです」

 そして「数年前の、まだ団体客がほとんどだった時代も、中国人のバス運転手が『ヤマダ電機やビックカメラはぼったくりだから絶対に入るな』と演説して、自分が契約している中国系量販店に無理やり連れて行くって手口がありました。どっちにしても、中国系の店とは絶対に言わない。こうして“洗脳”されたツアー客たちは日本の店だと思い込んでいるんです」と明かす。


在日中国人が経営するデリヘルが使うレンタルルーム Photo by Naoki Nemoto

 笑えないのは、一部の個人旅行客が熱望する“夜のツアー”でも、同様な展開が待っていることだ。張氏は続ける。

「日本の女性に、性的な憧れを持つ中国人男性はたくさんいる。日本のアダルトビデオの影響ですよ。だから最近は、白タク運転手が企画する夜の“オプショナルツアー”に参加するスケベな客もけっこういます。都内なら歌舞伎町か、池袋がメイン。女性のいるパブで飲んで、希望者はデリヘルで“一発”という流れです」

 しかし、ここでも彼らは「してやられる」のだ。

「パブはパブでもチャイニーズパブ。日本語のできる中国人ホステスがつくんだけど、さすがに『お前、中国人だろ!』と怒り出す客もいる。そんなときは『私、日本で生まれたハーフよ』とか適当なことを言って、ごまかすわけです。もっと悲惨なのはデリヘル。中国人が経営するレンタルルームに連れて来られ、ドキドキして待っていると、中国のオバチャンが現れるなんてこともあります(笑)」

食事、買い物、夜のお遊びに加え
泊まる宿まで闇民泊でしゃぶられる

 食事も済んだ。買い物もした。夜のお遊びも終了。後は宿に戻って寝るだけだ。だがその宿も、中国人が運営する“闇民泊”というケースが増えている。

 前出の旅行代理店社長は言う。

「池袋は多いですよ。民泊が騒がれる数年前から、目端の利く在日中国人でカネのある連中は、こぞって築20年以上の古い賃貸物件を借りまくり、中国人の内装業者を使ってそれっぽく改装し、違法な民泊を始めていた。池袋だけで、数百室はあると言われてるね」

 これも白タクと同様、中国国内の「民泊アプリ」から予約することが可能だ。

「アプリの会社にとって、日本で違法だろうが、そんなこと関係ないからね」(社長)。

 せっかく日本に来たのに、日本人が経営する店には一度も行かず、中国人の作る食事を食べ、中国人女性と遊んで、中国人の部屋に泊まって帰国する。こんな哀しき中国人旅行者たちが急増中なのだ。

 しかも困ったことに、日本人の懐には1円も入らず、潤うのは在日中国人の懐ばかり。こんな笑えない喜劇のような光景が、日々繰り広げられているのが、“観光大国”を目指すニッポンの現実なのである。
http://diamond.jp/articles/-/161522

支那人に征服される呑気な日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html

支那人に狙われた北海道

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(左: 鼻糞をほじる支那人女性 / 右: 食事を楽しむ支那人)

  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真 / 日本に押し寄せる支那人観光客)


  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。


チャイナタウンが出現するアメリカ

  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017)

  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。


  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を?いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)


支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。


  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。


  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。


  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685103.html

中国は歴史捏造の常習犯

宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8


これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義

宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+


2017/12/14 に公開
あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。

多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。


【宮脇淳子】中国は何故かくもずうずうしいのか?[桜H24/5/21]
http://www.youtube.com/watch?v=MZoWnKT6jTA

【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0

2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。

______


中国語は秦の始皇帝の時代で進歩を止めてしまったので、感情表現も抽象的思考も全くできない原始言語のままなんですね。

漢文は難し過ぎるので中国人は文章を読み書きする能力が小学生レベルでストップしています。

中国人が損得勘定と実務的な事だけしか考えない、空気が読めない、他の人の気持ちが全然わからないのは使っている言語による制約なのですね。


189. 中川隆[-12533] koaQ7Jey 2018年5月25日 07:36:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

星野リゾートは大阪の遊郭・飛田新地のすぐ近くの新今宮にホテルを開業し、中国人客を誘致しようとしている


>>144
>星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 
>新今宮のホテルは「OMO」 2017年10月12日14時22分

>新今宮駅前のホテルについて説明する星野リゾートの星野佳路代表=大阪市北区

>星野リゾートは、JR大阪環状線新今宮駅前で2022年に開業を計画しているホテルを、ビジネスホテルと対抗できる価格帯にする方針だ。温泉施設などを置かない「OMO(おも)」という新ブランドを使うという。

に追記

2016.9.9
遊郭・飛田新地で中国人が嫌われるワケ…「しつこい、自分本位」“性の爆買い”に女の子ら敬遠
https://www.sankei.com/west/news/160909/wst1609090002-n1.html


子供神輿が練り歩く飛田新地の夏祭り。他地域からの“見学者”も増えているようだ



 “現代の遊郭”飛田新地(大阪・西成区)に中国人をはじめ訪日外国人観光客が大挙押し寄せている実態をちょうど1年前にリポートしたが、その勢いはさらに加速しているようだ。日が暮れると、街のあちこちで見かける中国人らしき若者のグループ。店の玄関口に座った女の子を見ながら通りを行き来し、気に入った子がいれば店に入っていく。ここでも爆買いは健在だが、街の関係者に言わすと彼らの評判は散々。「マナーがひどい。お金は落としてくれるかもしれないが、もう来ていらん」。そんな声も聞かれるのだ。

聞こえてくる中国語

 「おにいちゃん、寄っていって、ホラ、こんなかわいい子…」

 「料亭」が立ち並ぶ街の中心部。店の玄関口に座った客引きのおばさんが通りに向かって声をかけ、隣の女の子がほほ笑む。そんな、おなじみの光景の中で聞こえてくるのは中国語での会話だ。

 ミナミあたりのホテルに宿泊しているのか。Tシャツやポロシャツに半パンというラフな格好でやってきて、気に入った女の子を見つければ、店の入り口で時間や料金を確認し中へ入っていく。

 利用時間はほぼ他の客と同じで、20分前後が多いようだ(使用金額は1万5000円から2万円程度か)。

 ある店では3人連れが玄関口でおばさんと話していた。うち1人がその場で金を払い、靴を脱いでそそくさと2階に。残った2人は笑顔で見送り、別の店を物色するためか、また通りを歩いていった。

 お金は通常、部屋に入ってから女の子に渡すものだが、言葉が通じにくく、習慣の違う外国人客の場合は例外もあるようだ。「中国人? 多いね。(応対は)片言で少しは慣れたけど」。店のおばさんはそう話した。

「自分本位で強引」

 今や客の何割かは中国や韓国などアジアから来た観光客が占めるが、そんな中で評判がよくないのが中国人客だ。飛田新地をよく知る地元関係者はこう明かす。

 「店に聞くと、(中国人客は)とにかく遊び方がえげつないという。払った金と時間分だけ、もとをとろうとする。サービスも女の子のやり方に任せず、自分本位で強引。そして、しつこく迫る。だから店とのトラブルも多い。他の外国人客はそうでもないが、中国人客だけは抵抗があるという子は多い」

 ある店の従業員も「人にもよるんだけどね」と顔をしかめ、中国人客の対応に苦労していることを認めた。

 中国人客に対しては、これまでも店側から「女性をモノのように扱う」「営業終了時間を過ぎても、とどまろうとする」などの苦情が聞かれたが、マナーの悪さは相変わらずのようだ。

昼はUSJ、夜は飛田へ

 飛田新地を訪れる外国人客は、大阪への訪日観光客の増加と比例するように増えている。口コミに加え、中国などでは“大阪観光”のガイドブックにも載っているといい、今や若い男性客にとって「トビタ」は有名タウンで、買い物をするような気軽な気分で訪れるようだ。

 代金先払い方式なのも、外国人客には分かりやすいという。「海外ではバーでも先に払って飲み物をもらうなど、先払いが多い。だから、ここのシステムは分かりやすく、ボッタクリもないので遊びやすいのではないか」(飛田新地料理組合の関係者)

 ほかにも、女の子が“顔見せ”している▽ファッションヘルスなど他の風俗店と違いサービス内容がストレートである▽時間が短くリーズナブルである−ことが人気の理由とされ、外国人だけでなく、他県などからきた日本人の若者の姿も目立つ。先の地元関係者はこう指摘する。

 「USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行って、新世界で串カツ食って、中国人ならミナミで爆買いし、そして夜の遊びは飛田で…という流れができている」

千客万来も…

 まさに大阪観光の“黄金ルート”。にぎわい、繁栄という面ではいいのかもしれないが、ただ、それは“寂しい形”でもあるという。

「こういうところ(遊郭)は昔は気に入った子がいたら、1時間延長しようか、3万、5万円でも出してゆっくりしよか、という遊び方があった。客はきちんとした服装できて、近くから仕出しをとって店の女性と一緒に食べたりしてね。もう少し粋(いき)で情緒があったが、今はそんな面影もない。いつまでもこんな遊び方で、こんな街のあり方でいいのかとは思う」

近づく開業100周年

 大正7(1918)年に開業した飛田新地は、2年後の平成30(2018)年に100周年を迎える。組合ではこの節目に“原点回帰”として、街の一角にある昔の女性たちをまつった慰霊碑に参るなど、100年祭の行事を考えている。

 一方で、ゆっくり遊べるようにと、料金・時間を含めたサービス内容などの改革も検討したが、こちらは店の協力が得にくく難しいという。

 大阪圏外からの客が増え、訪日外国人客が増え…と、この10年だけでも様変わりした飛田新地。ネットで紹介されたり、「飛田」に関する本が相次いで出版されたりして街が知られるようになり、興味本位で訪れる人も多い。

毎年7月に行われる夏祭りでは、昼間の街を子供神輿(みこし)について歩くことができるため、近年はカメラを携えた“見学者”も増えている。タブー色が薄れた“異端の色町”は誕生100年を迎え、今後どんな顔を見せるのだろうか。


190. 中川隆[-12532] koaQ7Jey 2018年5月25日 07:50:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]
星野リゾートは大阪の遊郭・飛田新地のすぐ近くの新今宮にホテルを開業し、中国人客を誘致しようとしている _ 2

>>144
>星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 
>新今宮のホテルは「OMO」 2017年10月12日14時22分

2017年12月04日
関西“色街”の風俗嬢が涙の訴え、中国人観光客が「ありえない」理由
「梅毒」の流行も中国人観光客から 森原ドンタコス
https://nikkan-spa.jp/1433610


「もうホンマに無理やって! 言葉が通じひんっていうより、わからんフリしてるだけ! ウチらに何やってもいい思うとんのが腹立つ!」

 こう一気に捲し立てるのは、関西エリアの有名な“色街”で働く美也子さん(21歳・仮名)。普段はこの道のプロとして、客のグチを漏らすことはほとんどないという美也子さんの怒りは、店にやってくる「中国人観光客の男性」に向けられていた。

「チップや金払いはエエけど、こっそり隠し撮りしたり、部屋の中を物色したり……。これだけならまだエエほうで、足の指を血が出るまで噛まれたり、性器に足を突っ込まれそうになった子もおる。ありえないマナー違反に『ヤメてください』言うても、ニヤニヤするばかり。でも外人のお客さんやからと思うてやっとったけどもうガマンの限界!」

 旅の恥はかき捨て……とはよく言ったものだ。バブル時代の日本人男性観光客も海外での“買春ツアー”など、大いに現地の性風俗を楽しんだが、現在は中国や韓国、台湾の男たちが日本人の女性を抱こうと、意気揚々と来日している。

中国人民元

色街に足を運ぶ外国人観光客の弊害…風俗嬢の怒りの声

 多少のトラブルはあるだろう……なんて思うのだが、別の関係者に聞いても、現場では中国人だけが、なぜか異常に印象が悪いという。

「隠し撮りが中国のアダルトサイトに載っていたり、カメラを回しながら集団で色街を物色する男性グループがいるんです。注意してもヘラヘラするだけで、何度もやってくる。彼らは『女性を買いに来ただけ』といいますが、ここはそういう文化ではない。日本人ならわかってくれますが、外国人、特に中国人はわかってくれないんです」

 色街の関係者はこう肩を落とし、関西エリアだけではなく、九州の風俗業界でも、中国人観光客によるこうしたトラブルが頻発しているという。さらに、関西地方から爆発的に広がったといわれる「梅毒」の流行も「中国人観光客によってもたらされたものではないか?」と推測する。

「日本の風俗店は、基本的に“外国人お断り”のところが多かったんです。ただ、中国人や韓国人を中心にあまりにも問い合わせが多いということで、大阪の格安店が外国人でも応対可能な風俗店を始めました。そして売り上げを大きく伸ばしたことで、ほかにも外国人に対応できる店が増えていきました。しかしながら……得体の知れない外国人客が増加すれば、リスクも相応に高まる。はじめは淋病、そして梅毒が出たというのも、そこの店とのウワサなんです」

 いま日本国内では梅毒の感染者が爆発的に増えている。10月31日に出された国立感染症研究所の発表によると、東京や大阪などの大都市はもちろん、地方都市にも猛スピードで感染が広がっているそうだ。昨年に比べて、熊本、岡山は3倍以上。青森、広島、香川、山口で2倍以上となった。

女性 その原因のひとつとして風俗の“爆買い”があるのではないか――。前出の美也子さんも色街ではそれほど多くなかった淋病や梅毒などの性病に罹患した女性が増えていると訴える。

「病気はホンマありえへん……。病気になったら生活できへんちゅーねん」

 とはいえ、嫌な外国人観光客ばかりではない。

「でも……それでもなかにはいいお客さんもやっぱりおって、台湾のお客さんなんかはいっつもお土産にパイナップルケーキを買うてきてくれたり……。日本人でもせえへんような気配りができるお客さんもいます。もちろん中国人にだってね」

 郷に入れば郷に従え……。

 日本式の感覚が外国人に通じないのは当たり前かもしれないが、日本がこっそり守ってきた色街文化に土足で上がり込まれ、さらに小馬鹿にされている現状。おおっぴらに言える立場ではない人たちは、それでも踏ん張って、色街で生きてゆくのだ。


191. 中川隆[-12531] koaQ7Jey 2018年5月25日 08:00:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]
星野リゾートは大阪の遊郭・飛田新地のすぐ近くの新今宮にホテルを開業し、中国人客を誘致しようとしている _ 3


>>144
>星野リゾートが新今宮にホテル開業へ! 
>新今宮のホテルは「OMO」 2017年10月12日14時22分

裏で囁かれていること。風俗の主力客は日本人でなくなる


高級、中級、格安問わず、すべての風俗で外国人の男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている。

外国人と言えばアメリカ人やイギリス人を思い浮かべるのは遅れている。

欧米の人々もくるが、日本で最も多い外国人は、日本政府観光局の出している2017年のデータによると、中国人・韓国人・台湾人・香港人・タイ人の順番となっている。

しかも、中国・韓国人の訪日客数は他を圧倒的に引き離しており、アメリカ人と比べるとその差は5.2倍近くもある。

だから、分かりやすく言おう。「男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている」と言えば、中国人と韓国人が日本の風俗嬢を買い漁っているということだ。

実際、大手の風俗サイトは中国人と韓国人の需要を見込んでいて、サイトをこれらの国の言葉でも作って客を募っている。

この動きは、風俗に関心がない表社会の人々にはまったく知られていない事実なのだが、ここ数年前から起きている大きな潮流である。

先日、超激安の地雷専門デリヘル店の女性にも話を聞いたのだが、私は気になって「この店にも外国人の客は来るのか?」と尋ねてみた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180218T0446160900.html

風邪をこじらせて朦朧としながら、夜の世界の賃金を考える


こんな時にも、ふと夜に生きている女たちのことを思う。

昼職と夜職の大きな違いは、昼職は「月給」が基本であり夜職は「日給」が基本であることだ。また昼職は有休なども整備されていて一定時間働けば賃金が保障される「固定給」なのだが、夜職の多くは「歩合給」である。

業種によって、固定給と歩合給を組み合わせたものや、本人が月給か日給かを選択できる形態のものがあるのだが、基本的に夜職は「日給、歩合制」が普通である。


その仕事を長く続けないことを前提とした支払い?

ところで、一般の勤め人にはあまり馴染みのないものに「年俸制」という賃金の支払い方もある。外資系の会社の役員や経営者やエリート社員、あるいはスポーツ選手などは「年俸制」のことが多い。

年俸制、月給、日給……。

一般的に言えば、社会的な立場が強い側であればあるほど年俸制に近づき、社会的な立場が弱い側であればあるほど日給に近づく。

会社から見ると、個人の能力や才能を最大限に発揮して長く会社に留まって欲しい人を年俸制として雇う。

逆に、いくらでも代替がきく仕事に就いている場合や、長く働いてもらえない環境にある場合や、期間が限定されている季節労働などの場合は日給で雇う。

日給というのは、会社も本人も「その仕事を長く続けない」ことを前提として組み立てられた給与体系なのである。

さらに、夜の世界は雇用も企業の存続も浮き草のように不安定である。会社は「いつ飛ばれるか分からない」という疑いを個人に持ち、個人も「いつ会社が潰れるか分からない」という不安を持っている。

だから、「働いた分だけしか払わない」という会社と「働いた分だけもらう」という個人の利害が一致し、それが「完全歩合制」という給与形態になる。

いつ働いている人が飛ぶか分からない仕事、いつ給料が払えなくなるのか分からない会社であればあるほど完全歩合制の日給で払いたがる。

逆に、自分がいつ辞めるか分からない仕事、いつ潰れるか分からない会社で働く場合は、完全歩合制の日給が最も合理的な働き方だ。

社会の底辺になればなるほど、そして浮沈の激しすぎる真夜中の世界であればあるほど完全歩合制の日給になっていくのは、そのような理由がある。


人は頑強な機械のように常に一定の能力で働けない

ところで、完全歩合制の日給は真夜中の世界で働く人間に最適化されたシステムであるのは間違いないのだが、この完全歩合制の日給には、働く側にとって大きなデメリットがある。

それは「働かないと1円も稼げない」ということだ。

年俸制や固定給の月給で働いている人たちは、たとえ風邪や事故で一週間くらい働けなくても、固定賃金の部分で収入の激減をカバーすることができる。

年俸制の場合は、年間の給料が保証されているのでブランクがあっても何の問題もない。月給の場合も3日や4日の休みくらいは、ほぼ賃金に影響がないようになっている。

しかし完全歩合制の日給は、そうではない。

その日働けなければ入ってくる金はゼロだ。3日休めば3日分ゼロだ。一週間も休めば収入は激減する上に、会社からも「もう来なくていい」と見捨てられる可能性もある。

夜の人間たちの収入が月によって増減し、日によって増減するのは、まさに「働いていない分はゼロ」というシビアな現実がそこにあるからである。

では、人は頑強な機械のように常に一定の能力で働くことは可能なのだろうか。常識的に考えると、それは不可能だ。

人の体調は日によって変化するし、時には病気もするし怪我もする。精神的に不調になったりすることも珍しくない。

その振幅は人によってまったく違うが、どんな頑強で強い精神力を持った人であっても、病気もすれば怪我もすれば精神的に落ち込む日が必ずある。

さらに、自分がいかに体調管理に気を付けていたとしても、仕事自体が景気や天候に左右されることも多い。

「大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい」というが、雨が降ったら大工仕事は中止になり、完全歩合制の日給で働いている大工は1円も稼げない。

風俗なども意外に天候に左右される職種で、雨が降ったら客が来なくて風俗嬢はまったく客が付かないことも多い。客が付かなければ、収入はゼロである。

雨が降って喜ぶのは日給で雇われているタクシーの運転手だが、それでも都合良く雨が降るわけではなく、タクシーの運転手もまた仕事を転々とする。


休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮する

人は誰でも重い風邪にかかる。どんなに体調管理をしていてもそれは避けられないことであり、それが軽く済むか重症化するかも運によるところが大きい。

風邪を抑える薬はあるが、風邪を治す薬はない。だから、風邪をひいたら症状が去るまで大人しく寝ているしかない。そこで無理すると症状はより悪化して自滅する。

しかし、仮にもし貯金が充分でなければどうなるのか。休むのが一番だと分かっていても、生活のために休むことができない状況に追い込まれる。

休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮してしまう。

真夜中の世界では、そのギリギリのところで働いている人たちも多く、だから夜の女たちは生き急いで自滅するドッグ・イヤーのパターンになる。

最近、日本の風俗業界では梅毒が爆発的に流行しており、日本各地の風俗街のすべてで梅毒感染の風俗嬢が報告されている。

風俗が外国人を受け入れるようになっているので、危険度は凄まじく増している。しかし、風俗業界はまったく変わろうとしないので、梅毒の感染は絶対に止まらない。

そのため、これまでの感染数拡大は始まりに過ぎず、これから風俗嬢の感染は倍々ゲームで増えていくのは確実だ。

梅毒はきちんと治療したら治る病気だ。だから、表社会ではエイズと違ってあまり深刻に受け止められていないように見える。しかし、現場の風俗嬢の恐怖は相当なものがある。

もし梅毒にかかったら、風俗嬢は完治するまで仕事を休まなければならないのだが、治療は1ヶ月から2ヶ月かかることも多い。

治療が遅れた女性の場合だと、半年も働けなかったりする。それは、半年も収入がゼロになることを意味している。

固定給で働いている昼職の人間でも、半年も仕事を休んだら甚大な影響がある。

そう考えると、日給で完全歩合制なのにしばしば仕事ができない状況に追いやられる夜の女性たちの深刻さは、相当なものがあると分かるはずだ。

今は順調でも、一瞬で生活が崩壊してしまう可能性があるのが夜の世界なのである。風邪をこじらせて朦朧としながら、私はずっと夜の女たちのことを考えている。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171111T0048410900.html


東南アジアで多剤耐性を持つ淋菌に感染、抗生剤2種効かず 英男性症例
2018.03.29 Thu posted at 16:32 JST抗生剤への耐性を持つ淋菌に英国の男性が感染した


(CNN) 英イングランドの公衆衛生当局は29日までに、英国人男性が多剤耐性を持つ淋菌に感染したと報告した。

男性は今年、性サービスを受けて淋菌に感染した。一時治療としてアジスロマイシンとセフトリアキソンの2種類の抗生剤が投与されたが、いずれも効かなかった。両抗生剤への高度耐性を持つ淋菌の感染報告は世界で初めてだという。

男性は東南アジアで淋病に感染。その1カ月後に症状が出始めた。現在は抗生剤エルタペネムの静脈投与を受けており、今のところ効いている模様だという。4月に再び検査を受ける見通し。

イングランド公衆衛生当局の性感染症部門トップ、グウェンダ・ヒューズ氏は「他の選択肢で効果的に治療が行われ、伝染リスクが最小化されたことを確認するため、引き続きこの症例を観察している」と説明。安全な性行為を実践して感染を避けることの重要性を強調した。

薬剤耐性を示す症例の増加に伴い、国際衛生機関では淋病に対する懸念が高まっている。

世界保健機関(WHO)の専門家テオドラ・ウィー氏は昨年、「淋病を引き起こす細菌は特に賢い。われわれが新しい抗生剤を治療に投入するたびに進化して耐性を獲得する」と指摘していた。

WHOは淋病の年間感染者数を7800万人と推定。米疾病対策センター(CDC)によれば、米国での年間の新規感染者は推定82万人に上るという。


192. 中川隆[-12530] koaQ7Jey 2018年5月25日 08:19:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

抗生物質が効かない「スーパー淋病」が拡大している  2018/01/23

世界に広がるスーパー淋病

『世界保健機関(WHO)が、薬で治らない病気が世界に拡大しているとして警戒する病気がある。

それは「淋病」である。たかが性病と侮ってはいけない、現在大流行している新種の淋病は、薬が効かないのだ。

一度かかってしまえば一生治らない可能性もある。

淋病は一昔だとペニシリンを投与すれば、完治していたのに最近ではペニシリンに耐性をもつ淋菌が現れて抗生物質が効かなくなりつつある。

新しい薬を開発し耐性菌が現れ、また新しい薬を開発し、また耐性菌が現れ、淋病に関してはこのイタチごっこが特に続いています。


「スーパー淋病」とは

通常の淋病よりも強力になった淋病のことをいます。

菌の中で、突然変異によってある薬に耐性を持つ新種の菌となったのが薬剤耐性菌だ。治せないのでどんどん広がっていく。
その過程でさらに別の薬への耐性もつき、あらゆる治療薬が効かなくなったのが「スーパー淋菌」だ

しかも、新たな「スーパー淋病」が初めて見つかったのは日本だという

現在、多剤耐性菌「スーパー淋病」という抗生物質が効かない病気が日本と韓国の風俗店で発見されたという報告があります。

「京都市内のファッションヘルスに勤める女性(当時31歳)の定期検診で、咽が淋菌に感染していることがわかり、“最後の切り札”ともいえるセフトリアキソンを投与したところ、菌が消えなかったのだ。

採取した淋菌を解析したところ、セフトリアキソンに対する非常に強い耐性をもっていることが判明したのだ。「スーパー淋病」発見の瞬間である。

日本で確認されている「スーパー淋病」の事例は、今のところ京都の1件のみだが、海外ではヨーロッパとオーストラリアで発見され増加しつつある

WHOはホームページで「ペニシリンなどはもちろん、どの抗生物質を使っても治らないスーパー淋病にかかっている患者が数百万人いる」とし、オーストラリア、フランス、日本、ノルウェー、スウェーデンと英国で、抗生物質が効かない淋菌が報告されている」と警告した。
WHOによると、性感染症である淋病に毎年約8000万人が感染していおり、抗生物質が効かない淋菌がふえていてこのままでは淋病が制御不能になりと警告をしている。
http://soukai213.com/super-rinkin


中国人客を誘致した為に日本の風俗産業ももうすぐお終いですね。

少なくても日本人はもう行かなくなるでしょう。



193. 中川隆[-12526] koaQ7Jey 2018年5月25日 10:31:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

星野リゾート 星野佳路 の背後にある精神 / 「儲かればいいんだ !」が優先される

2018年05月25日
日大悪質タックルの背後にある精神 / 「勝てばいいんだ !」が優先される
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718258.html


football players of Univ of Georgia 1909football team of 1905
(写真 / 第19世紀と第20世紀初頭におけるフットボール部のアメリカ人学生)

  日本のマスコミは本当に脳天気である。米国と北鮮の裏取引やアジア地域の軍事情勢をほったらかしで、日本大学アメフト部の悪質タックルを問題にし、毎日厖大な時間を費やしているからだ。こんな大学間のいざこざより、占領憲法の廃棄と国防軍の創設を優先すべきなんじゃないか。誰が考えてみても、日本の軍事力を増強する方が遙かに重要だろう。だいたい、アメリカ人が10日ほどで拵えた憲法なら、我々が1日でポイ捨てしたっていいじゃないか。困るのは反日裁判官と、赤い憲法学者くらいで、一般国民は至って平気だ。スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが言ったように、政府や制度が無くなっても、人々が暮らす社会は残る。江戸幕府が消滅しても、江戸の庶民は全滅しなかったし、明治政府が誕生しても、江戸っ子の日常生活は一年前とほとんど変わりが無かった。だから、マッカーサー憲法が廃止されても、世間はそれほど動揺せず、駅の食堂で蕎麦をすすっているサラリーマンは、緊急特番を観ながら、「へぇ〜、新しい憲法が出来るんだぁ」と思うくらい。たとえ、東大の憲法学者が「けしから〜ん」と叫ぼうが、電車に乗って帰宅途中の中年男性は、夕刊紙のスポーツ欄やエロ情報の方に夢中なんだから。

  日大の話に戻ると、各テレビ局は悪質なタックルを行った宮川泰介と、それを示唆した内田正人監督を激しく責めていた。当初、筆者はこの事件に無関心であったが、奥山真司の「アメリカ通信」を聞いて興味が湧き、どんなものかとインターネットに上がっている動画を目にしてビックリ。過失のタックルじゃなくて、意図的な反則だ、と直ぐ判った。巷の素人も「あっ、わざとやっている !」と即座に感じたはずだ。案の定、内田監督と宮川選手、並びに井上コーチらが週刊誌に叩かれ、宮川選手は記者会見を開いて謝罪し、内田氏は監督を辞任。最初から素直に謝っておけばいいのに、自己保身を優先してグズグスしているうちに、問題がデカくなってしまった。どうせ、マスコミの内部取材でバレるんだから、隠し通せるものじゃないし、むしろ傷口が拡大するだけだ。

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(左: 宮川泰介 / 右: 内田正人 )

  ワイドショーの制作者と一般視聴者は、前代未聞の悪質行為に仰天し、宮川選手と内田監督を槍玉に上げて楽しんでいたが、問題の本質は内田監督の学内権力とか選手との主従関係ではなく、日本人が持っていた共通規範の喪失にある。「相手のクウォーター・バックを潰せ !」という命令を聞けば、誰だって「そんな反則を意図的にしていいのか?」と躊躇(ためら)うだろう。しかし、宮川選手はレギュラー陣に入りたかったから、自ら進んで暴力タックルを行い、内田監督はそれを黙認して、彼を叱責することはなかった。というより、内田氏は「当然だ」と言わんばかりに、悪質行為を追認する姿勢を取っていたそうだ。後で、選手と監督との間に「解釈や認識の乖離」があったと弁明していたが、そんなの日大アメフト部の選手が聞いたら白けてしまうだろう。

  言葉には表の響きと、裏の意味がある。独裁的な監督が“言外”に示唆した事を選手がくみ取り、暗黙の諒解で選手が実行するのは当り前じゃないか。例えば、関西暴力団の花菱会を率いる親分が、庭を眺めながら山王会傘下の組長について言及し、手下の黒木に向かって、「クロキよぉ、邪魔な雑草は早いとこ摘んでおかなきゃなぁ、あ?!」と呟けば、鉄砲玉の乾分(こぶん)は「へいっ、分かりやした !」と答えるだろう。そして、親分が「おい、道具は若頭にもらっておけ」と言えば、別室にいる若頭のところに行き、「オヤジから命じられたんで、一丁拝借します」と頭を下げるはずだ。この会話を聞いて、「何だぁ、庭掃除でもするのか」とか、「道具って、鎌とか芝刈り機のことかなぁ」と思う日本人は、ロープ無しのバンジー・ジャンプを経験してみろ。目が覚めるはずだ。ただし、別の世界でだけど。

  また、実行犯の黒木を逮捕した刑事が、組長宅を訪れ、「黒木にハジかせたのは、アンタだろう !? ネタは挙がってんだ !!」と詰め寄っても、組長は「刑事さんよぉ、オレは世間話をしただけなんだよ。黒木がオレの話を勘違いしんたんじゃねえか?」と“とぼける”だろう。確かに、組長は「雑草を引き抜いてこい」とは告げたが、「撃ち殺してこい」とは命じていない。仮に、警察が極秘裏に組長の会話を録音していたとしても、例え話ばかりで決定的な証拠にはならないはずだ。また、警察がいくら黒木を締め上げたところで、この「使いっ走り」から自白以外のネタは取れない。したがって、組長による「明確な指示」は無かった事になる。でも、これを「よその組員」が信じるとは思えない。週刊誌の記者がこっそり馴染みのヤクザ達に訊けば、彼らは口々に「花菱の組長がタマ(頭)取ってこい、って言ったに決まってんだろう !」と叱りつけるはずだ。アメフト部の会話をヤクザの隠語と比較するのは失礼だが、本質的部分は重なるところが多い。内田監督の記者会見をテレビで聞いた一般国民は、「まぁ、あんな風に弁解するしかないよなぁ」と思ったことだろう。まさか、公の席で「俺が相手のQB(クウォーター・バック)を再起不能にしてこい ! と命じたんだ」とは言えまい。

  毎度の事だからしょうがないけど、正義の味方を気取ったマスコミは、「有罪」が明らかな内田氏を叩いて悦に浸っている。みんなが「黒」と判断する前監督だから、安心して批判できるのだ。しかし、この指導者を非難する各テレビ局だって、本当に叱責するだけの資格があるのか? 例えば、テレ朝はセクハラ騒動で槍玉に上がった財務省の福田事務次官を追求し、録音データを以て彼を吊し上げたが、いかがわしい取材と編集音源が批判の的になるや、早々に財務省と「和解」し、注目された進優子と松原文枝は雲隠れ。そして、他局もテレ朝に配慮したのか、まるで事件が「無かった」かのように特集を諦め、さっさと幕引きにしてしまった。こんな顛末を観れば、下っ端のテレビ局員だって、「おかしいよなぁ。ジャーナリストがジャーナリストの取材を取り止めるなんて」とボヤくけど、上層部が「もう手打ちにしたんだから、ゴチャゴチャ言うな!」と叱り飛ばせば、黙ってうなづくしかない。森友・加計問題にしたって、「下らない特番だよなぁ」と思っても、下っ端のADはチーフ・ディレクターに従うしかなく、冤罪と思いながらも「徹底的に追求します!」と口にする。慰安婦の捏造報道だって、局の方針なら「歴史的事実」にするのがサラリーマンの宿命だ。昇進と給料を考えれば、「白」を「黒」と報道するし、「正義」を騙(かた)って世論を誘導するのがテレビ局員だ。もし、「正義感」に駆られて“おぞましい”内情を世間にバラしたら、即クビになるから、みんな黙っている。誰だって、年収2千万円が消えたら嫌だよねぇ。

  マスコミの件は脇に置いといて、話を日大の事件に戻すと、事情に詳しくない庶民でも、選手や監督の間に倫理・道徳といった共通規範が無いことに気付くだろう。ただ、悲しいことではあるが、彼らの間には「勝つ」ためなら“どんな”「手段」でも正当化され、「悪い」ことでも「必要悪」として処理される「共通の諒解」だけはあった。今は反省している宮川選手も、試合中は自らの将来を考え、無我夢中で相手にタックルしたはずだ。そこには、「仕方ない」といった“割り切り”がある。内田監督も「チームの優勝が掛かっているんだから、そんな些細な事にイチイチ構ってられるか!」といた意識が常にあったはずだ。だから、悪質タックルが予想外に大スキャンダルになると、急に焦り出し、慎重なマスコミ対策を準備するために多少の時間が必要だったのだろう。

  マスコミ各社は内田監督に狙いを定めて総攻撃を展開しているが、一般国民の不満は日大の体質に限られたものではない。日本人は根本的に「汚いこと」が嫌いなのだ。たとえ禁止ルールに抵触していなくとも、卑劣なプレーをする選手に不快感を催す。例えば、審判にバレなければ、ドサクサ紛れに相手選手の足を踏みつけたり、膝蹴りを食らわせたりすれば、観客は「汚い奴」と判断し、反射的にそっぽを向く。格闘技の試合だと、ファンは八百長判定に敏感となる。特に、外国人選手と日本人選手が対決したとき、KO決着で終わらず、判定に持ち込まれると、日本人側に有利な判定が下されることが“たまに”ある。今年5月に行われたRizinの大会で「朝倉海vsマネル・ケイプ」戦があり、判定で朝倉氏が勝った。しかし、何となく納得できない、疑惑の判定という印象が残った。もしかしたら、日本人選手の人気者を作ろうとして、審判とプロモーターが仕組んだという可能性もある。人気商売だから仕方ないけど、予め日本人選手が勝つような対戦カードを組んで、もし判定になったら甘い評価で勝たせる、という筋書きもあるのだ。

  しかし、こうした「仕込み試合」を見せられると、真剣試合を望む格闘技ファンは白けてしまう。もちろん、秋山成勲みたいに、脚にローションを塗って出場するなんて論外。彼は卑劣な朝鮮人の見本である。秋山が日本で嫌われるのは、単に反則行為を犯したからではなく、その根底に「卑劣さ」染み渡っていたからだ。秋山は違反が発覚しても心からの反省が無く、どことなく「ふてぶてしい」ところがあった。彼はブーイングを行う日本人の観客に対し、“民族的”な憎しみを抱き、それが周りに漂っていた。一方、日本人も彼の内面から臭ってくる怨念を肌で感じていたから、益々嫌いになったのかも知れない。

  日本人は何よりも「汚い」試合を嫌うので、たとえ日本人が負けても、正々堂々とした試合を行えば外人選手を讃える。2006年にTBSが亀田興毅とファン・ランダエタ戦を放送したが、あまりにも怪しい判定決着があったので、勝者の亀田選手と審判団に非難が集中したことがある。プロモーターとTBSは亀田フィーバーを持続させるために、無理矢理にでも勝たせたかったのであろうが、それが裏目に出てしまった。八百長とは言わないが、判定の際、ジャッジに何らかの“さじ加減”があったんじゃないか。そうでなければ、あんなに大勢の人が不満を漏らす訳がないだろう。テレビの視聴者だって疑問に思ったくらいだから、お金を払って会場に赴いた観客なら尚更だ。ボクシングに詳しくない素人の視聴者でも、「なんだぁ、ヤラセかよぉ。ひでえなぁ〜」と愚痴をこぼしていた。

米国の球界に広がる薬物汚染

  今回の騒動を以て、各マスコミは稀に見る悪質反則を糾弾したが、似たような不正は他のスポーツ界にもある。海外のスポーツ選手による不正なんか、ちっとも珍しくもない。「名声」と「俸給」が絡めば、大半の者が悪魔に魂を売ってしまうのだ。例えば、アメリカのプロ野球界に蔓延する薬物問題は深刻で、有名なメジャーリーグ選手だって例外じゃない。ロヂャー・マリス(Roger Maris)の記録を破った人気選手のマーク・マグワイアー(Mark McGwire)は、怪しげな“サプリメント”の「アンドロステンジオン(Androstenedione)」、すなわち禁止されている筋肉増強剤を使用し、目覚ましい成績を残した人物である。しかし、この薬物使用が発覚し、本人も認めたので、その名声は地に堕ちてしまった。「栄誉の殿堂(Hall of Fame)」に入るはずが、「恥辱の殿堂(Hall of Shame)」入りになるんだから、人生に於いて一寸先は闇である。

Roger Maris 2Mark McGwire 1Sammy Sosa 2Barry Bonds 1


(左: ロヂャー・マリス / マーク・マグワイアー / サミー・ソーサ / 右: バリー・ボンズ )

  こうした不正薬物の使用は、まさしく球界全体に浸透しており、日本でも有名なバリー・ボンズBarry L. Bonds)やサミー・ソーサ(Sammy Sosa)もドーピング疑惑をかけられ、本人たちは否定していたが、周囲の選手やファンは限りなく「クロ」と思っている。米国の野球解説者だって、堂々と二人の「無罪」を口に出来ず、「容疑」という推測にしてお茶を濁していた。ボンズやソーサの筋肉が見る見るうちに変化し、それと比例するかのように打率を上げて行く姿を目にすれば、誰だってステロイド使用を勘ぐるじゃないか。90年代末から「ステロイドを使っているんじゃないか?」と疑われたボンズは、白々しく「筋肉トレーニングとサプリメントを加えた食事療法のお陰だ」、と反論。サミー・ソーサもステロイド疑惑を持たれたが、決定的な証拠が挙がらず、未だに真相は闇の中である。でも、同僚選手やジャーナリスト、野球解説者の間では、ほぼ黒に近い「グレー(灰色)」と思われており、疑惑は晴れない。しかし、米国では一つ一つ容疑を潰してゆけば「無罪」になる。たとえ、検査で陽性反応が出ても、一流の弁護士が理屈を捏ねて「白」にするんだから安心。でも、アメリカの社会的腐敗を指摘するデービット・カラハン(David Callahan)が、著書の中で述べている内情は本当だろう。

  プロスポーツ界は極端な世界だ。成功すれば文化的偶像にして億万長者になれるが、失敗すれば傷つき、破産し、選手生命をほとんど絶たれかねない。こうした状況では、人は極端にふるまう。九十五年に一流選手百九十八人を対象に実施された調査では、すべての競技会に優勝するためなら五年間薬物を使うと、半数以上が回答。たとえ、五年後には副作用で死ぬとわかっていてもだ。(デービット・キャラハン『「うそつき病」がはびこるアメリカ』 小林由香利・訳、 日本放送出版会、2004年、p.98)

Lance Armstrong 1(左 / ランス・アームストロング)
  実力主義で人気選手に多額の報酬を与えるアメリカでは、その栄光と現金に魅せられ、「薬物で寿命が縮むかもしれない」とか、「倫理的に悪い」と判っていても不正を行う選手が絶えない。自転車競技界でも薬物汚染が“常識”になっており、有名なランス・アームストロング(Lance E. Armstrong)選手の薬物スキャンダルはヨーロッパのみならず、アメリカでも大々的に取り上げられていた。アメリカ人スーパースターのランスは、毎回ツール・ド・フランスに出場し、強豪揃いのフランス人選手達を見事に追い抜いていた。普段から気に食わない、傲慢なヨーロッパ人選手を完敗させるアームストロングだから、アメリカのファンは溜飲が下がる思いだ。ところが、凱旋の英雄は、尊敬に値する偉人どころか、禁止薬物まみれのダーティー・ヒーロー。当時、ヨーロッパのジャーナリスト達はランスを忌々しく思い、彼が捨てたゴミを漁って、何かないかと探しまくり、彼の過去も掘り返して、薬物使用の証拠を見つけ出そうと躍起であった。フランス当局も二年間に亙り、アームストロング選手と彼のチームメイトを召喚して薬物検査と尋問を行ったそうだ。これだけ執拗な調査をされれば、アームストロングが尻尾を摑まれてもおかしくはない。

  1998年、「フェスティナ(Festina)」というトップ・チームに属するウィリー・ヴォエ(Willy Voet)が、薬物を詰め込んだクーラー・ボックスを数個持っていたところ、フランスの税関に捕まり、大きなスキャンダルとなった。ヴォエによれば、一流の自転車競技選手のほぼ全員が何らかの薬物を使用しているという。薬物を使用していない選手は、「最後尾」をノロノロと走るのがオチであるらしい。記録を伸ばしたいと切望する選手達の間では、エリトポロチエン(EPO)は人気の商品。このEPOは人工ホルモンで、血液が運ぶ酸素の量を増やしてくれる特効薬だ。そして、選手にこうした薬物の「需要」があるなら、製薬会社に「供給」があると考えるのが普通だ。案の定、ジョンソン&ジョンソンをはじめとする、EPO製造を許された製薬会社が“こっそり”と選手達に流していた。EPOは便利な薬で、一年中使う必要はなく、数週間の使用で充分。そのため、選手が不正をはたらいている場合、数週間経ってもその効果は続いているのに、その不正を見つけるとなれば容易ではない。EPOは生理食塩水で薄めると、使用中でも血液検査に引っ掛からないので大変重宝。したがって、専門医を雇う一流選手なら、薬物検査で発覚するようなヘマは犯さないはずだ。

詐欺師まがいの證券アナリスト

  欲望渦巻くアメリカでは、各界で不正や腐敗は当り前。「正直は美徳」という格言は、ベンジャミン・フランクリンが生きていた時代の神話に過ぎない。拝金主義と個人主義が絡まり、不義を行っても成功すれば輝かしい「勝ち組」で、ズルを憎んで地道に働く奴は、何時までたっても貧乏なまま、所謂「負け組」だ。例えば、親のコネやお金で名門大学に入ったお坊ちゃんは、真面目に講義を聴いて勉強せず、有料サイトから模範文をダウンロードして、期末レポートや卒論と称して提出するらしい。凄い奴は大学のコンピューターに侵入し、自分の成績を改竄してご卒業。こうして「ご立派な学歴」をつけた学士様は、一流企業に入って高額所得者に。とは言っても、あくどいカネ儲けと、敏腕税理士を用いた節税(脱税)のお陰だったりする。さらに、ストック・オプションやゴールデン・パラシュートで、早期退職後もリッチな生活が待っているから羨ましい。

  成功したビジネスマンには、ツラの皮が分厚い奴がいて、筆者が覚えている例を紹介すれば、人気證券アナリストだったヘンリー・ブロジェット(Henry Blodget)を挙げることができる。彼はイェール大学卒業後、大手證券会社のプルデンシャルに勤め、1998年にAmazon.comの株高を予測し、それを皮切りに予言者と讃えられるようになった。それから間もなく、彼は300万ドルの契約金でメルリリンチに転職。インターネット株で儲けようとする投資家に大好評で、株式アドヴァイザーや経済評論家としても有名になり、CNBCの番組やCNNの「マネーライン」に出演し、“引っ張りだこ”のアナリストになった。しかし、そんなブロジェットが非難された切っ掛けは、インターネット関連株の「インフォスペース」社を「買いだ」と言い続けたことにある。この「嘘つき」アナリストは、インフォスペース社の株が急落していたのに、それを無視して顧客や視聴者に勧めていたのだ。下落市場(Bear Market)を上昇市場(Bull Market)と語っていたんだから悪質だ。

  日本では「馬」を指して「鹿」と呼べば「バカ」と笑われるが、米国だと「熊」を「牛」と呼んでも馬鹿ではない。「鷺(サギ)」のように賢い奴、と称されるのだ。ただし、ブロジェットの言葉を信じて損をした小児科医のデバセス・カンジラルは激怒した。彼はメリルリンチを相手取って民事訴訟を起こし、結果的に勝利した。当時のニューヨーク州司法当局に属していたエリオット・スピッツァーは、この事件を担当し、衝撃的な実態を暴いたことで世間の注目を浴びることになる。(後に、買春事件で自分が州知事を辞任する破目になるなんて、この頃は想像もしていなかった。) この調査でブロジェットが書いたメモが発見され、その内容があまりに酷いので、アメリカ国民は唖然とし、多くの者が驚いたという。ブロジェットは自分が勧めるインフォスペース株を「ゴミ」と呼び、「カス」と呼んでいた株もあったそうだ。捜査に当たったスピッツァーから見れば、この投資アドヴァイスは、会社側とプロシェットの組織的な證券詐欺にしか思えなかった。結局、メリルリンチ社は1億ドルの和解金を払って事態を収めたそうだ。

Henry Blodget 4Eliot Spitzer 3


(左: ヘンリー・ブロジェット / 右: エリオット・スピッツァー)

  ところが、事件の中心人物であるブロジェットは、所有していたメリルリンチ社の株を約500万ドルで手放し、「シリコン・アレー・インサイダー(Silicon Alley Insider)」を設立し、同社のCEO(最高経営者)兼編集長になった。そして2017年になると、有名な経済情報メディアの「ビジネス・インサイダー(Business Insider)」に転職し、これまたCEO兼編集長に納まったのである。それにしても、SEC(米国證券取引委員会)から目を附けられた前科者が、ビジネス誌の編集長だなんて、オーナーは一体どんな頭をしているんだ? しかし、日本も似たようなものである。生まれた時からデフレ経済で苦しむ若者からすれば、バブル景気真っ只中の日本は夢のよう。ところが、当時の日本には悪魔がいた。今では忘れ去られているけど、単なる「総量規制」の通達で、バブル経済を一瞬にして破壊せしめた大蔵省官僚、土田正顕(つちだ・まさあき)の罪は消えることがない。誰かが語り継ぐので、「未来永劫に」だ。この銀行局長は日本国民を奈落の底に陥れたのに、土下座して切腹もせず、あろうことか国民金融公庫の副総裁に天下りし、2000年には東京証券取引所の理事長になった。さらに、この不逞役人は東証を株式会社化すると、その功績で初代社長に就任。いやはや、「すごい」の一言に尽きる。

  でも、バブルが弾けたせで、自分の会社を失った経営者は、この“栄転”と“渡り”を知って、どんな感想を持っていたのか? 「この野郎 !」と拳を握りしめた人も多いだろう。自社が破綻して自宅まで手放した元社長とか、勤め先がいきなり倒産して失業者になったサラリーマン、地価が暴落して人生まで地獄と化したビジネスマンなど、いったい何人が土田を恨んだことか。世間のオっちゃんやオバちゃんは何も知らないから、東大卒のエリート官僚を「すごいわねぇ〜」とベタ褒めするが、役人が犯した秕政と失態を味わえば、こんな称讃は直ぐに吹っ飛んでしまうだろう。現在の官僚は一代限りの「エリート」なので、現役中に最大限の利権と財産を貯め込み、退官後も「渡り」を繰り返して蓄財に励む。役人生活でどんな迷惑を国民に掛けようが、「俺の知ったことではない。政治家が決めた事を行ったまでだ」と開き直るんだから、彼らの辞書には「破廉恥」という項目が無い。

  江戸時代の武士と違って、現代のお役人様は転属したり退官すれば「お咎め無し」で、満額の退職金を手にして笑顔でバイバイ。息子が世間の非難を浴びることも無い。「親と子は別」なので、「末代までの恥」なんか最初から無いのだ。公務員の採用試験にだって、人格テストは無いから、頭が赤くてもいいし、反日思想の持ち主とか、天皇陛下を侮蔑するような人物でもいい。土田のようなキャリア官僚にとって一番大切なのは、国家国民の利益じゃなく、大蔵省(財務省)全体の権益を守ること。一般国民なんて、下界の召使い程度。不正を犯しても、所属官庁と同僚に迷惑を掛けなければいい。国民がどれだけ苦しもうが、同期の仲間が助けてくれるし、辞任しても天下り先が確保されているので安心だ。霞ヶ関のお役人様というのは影の実力者なので、大臣なんかアイドル歌手と同じ。「アイドル一年、大臣二年で使い捨て」が常識だ。国民はお上に奉仕する人足以下の存在。だから、日本の「民主主義」は、民衆が主体の代議政体じゃなく、役人が「民衆の主人」となる官僚制衆愚政治の別称である。実際、「民主党」政権を思い出せば分かるじゃないか。

  日大の悪質タックル問題とだいぶ逸れてしまったが、要するに、現代の日本人は共通の倫理規範を捨ててしまったということだ。あのような暴力的タックルをすれば、被害者が半身不随になる危険性もあったはずで、宮川選手や内田監督は充分理解していたはずである。しかし、自分が指導するチームが優勝すれば、内田氏は名監督と称讃され、栄光の人生を送ることができる。宮川選手も明るい将来を期待でき、高額報酬を手にできたかも知れない。たとえ、被害者が激痛に苦しもうとも、そんなのは「負け犬」の歎きで、マスコミも負傷者より優勝者を取り上げる。テレビ局にとって、高視聴率こそが一番。「フェア・ブレー」なんてお金にならないから、反則すれすれでも大興奮をもたらす激戦の方がいい。スポーツ界ではトップ選手が持て囃され、凡庸な選手に比べて数十倍ないし数百倍の契約金を得る。だから、選手は「違法」ぎりぎりの不正を行うし、ルールの抜け穴を見つけてズルをしようとするのだろう。(ドーピング検査で「陽性反応」がでなければ、どんな薬を使おうが「大丈夫」という訳だ。)

  昔、山本書店を経営していた山本七平・元陸軍少尉が述べていたけど、親子で共通の規範が無いと、子供の不祥事を叱ることが出来ないという。例えば、少女売春をした娘に対し、父親がその罪を咎めた場合、娘が「野球の長嶋茂雄は肉体を使ってお金を稼いだんだから、私も体を使って稼いだだけよ !」と言い返せば、何も言えまい。「性交を用いて稼ぐことは罪である」という共通認識が無ければ、なぜ売春が悪いのか解らないし、叱責された娘は、世間体のために叱られているとしか思わないだろう。現在の日本人は理屈をつけて道徳を教えているが、本来、そんな屁理屈は必要なく、「駄目なものはダメ」と断言し、たとえ他人が見てなとも、「お天道様はちゃんと見ているんだぞ!」と教えねばならない。アメリカ合衆国を建てたイギリス人も、キリスト教に基づく倫理・道徳を重んじ、それ無くしては共和国の存続は難しい、と考えていた。だから、左翼どもが宣伝する「政教分離」など暴論で、建国者が意図したのは「国教会を樹立しない」ことであり、信仰を排除することではなかったのである。

  日本の教育界は左翼分子が独占しているので、学校では我が国の伝統や庶民の常識が疎かにされている。かつての武士が持っていた倫理に基づく美徳や、国家の名誉、独立不羈の精神、不正を憎み正義を貫く気概、悖徳への嫌悪、生き恥を避ける人生観、卑劣な行為を斥ける道徳心などが、いつの間にか抜かれているのだ。というのも、立派な少年は左翼分子にならないから、学生運動上がりの教師は、出来るだけ愚劣な青年を育成しようとする。彼らは将来の仲間を増やすべく、祖先の叡智を躊躇無く踏みにじって恥じない。学校に我が子を預ける親は、試しに歴史教科書を開いてみるべきだ。そこに書かれている内容や、執筆者の思考様式を知れば、背中に戦慄が走り、「うわぁぁ、どうしょう」と困惑するだろう。日大のタックル問題より、日教組へのタックルを考えた方がいいぞ。(両脚タックルが無理なら、片脚タックルという手もある。ちょっとオタク的意見だけど。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718258.html


194. 中川隆[-12525] koaQ7Jey 2018年5月25日 10:53:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

星野リゾート 星野佳路の精神は中国人の拝金主義そのままですね

中国の社会が間違いなく崩壊してしまうただ1つの理由とは

部下を昇進させる見返りに、莫大な賄賂を要求していた軍の制服組、役人に賄賂を払って環境汚染を見逃してもらっている企業経営者。

村の土地を勝手に売り飛ばして賄賂を受け取っていた村長、犯罪者から大金をもらって犯罪を見逃す警察官、手術の前に金を持っているかどうか確認する医者、手術中に手術代を釣り上げる医者。

そして、権力をかさに着て私腹を肥やし、パナマ経由で莫大な資産を隠し持つ習近平とその一族。自分たちの汚職は無視し、敵対する派閥の汚職だけを摘発するご都合主義。

これらは、すべて中国で起きている「拝金」事件だ。

上から下まで、中国の社会は汚職が蔓延して腐っている。中国では、すべての人間が「拝金主義」に陥っているのだ。

社会は、個人ひとりひとりの意識の総意で成り立っていることろがある。だから、おかしな人間が増えれば増えるほど、社会は成り立たなくなっていく。

凄まじく暴走していく資本主義の中で、社会に最も悪い影響を与えるのは「拝金主義」であることは、中国の現状を見れば誰でも気付くことだ。


人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る

中国では人が道ばたで倒れていても誰も助けようとしない。

中国人が冷淡だというよりも、被害者が「助けてくれた人を訴えてでもカネをせしめる」という拝金主義が蔓延したからこのようになったのだ。

下手に助けると、助けた本人が訴えられる。善意を見せれば馬鹿を見る。そんなことが続いたら、恐ろしくて誰も人を助けたくなくなる。

そのため、子供が車に轢かれても誰も助けないし、関わろうとしない。殺人事件が路上で起きていても、通行人は知らん顔をして通り過ぎる。

中国の問題の多くは、「カネのためなら何でもする」「自分が儲かるなら何でもする」という薄っぺらい拝金主義から生まれてきたものだった。

中国の社会システムが非常に脆弱なのも、公務員や警官までが率先して汚職や賄賂に染まり、自分だけが儲かればいいという拝金主義が蔓延しているからだ。

中国だけでなく、途上国の権力はそのほとんどが汚職で染まっているのだが、だからこそ社会は停滞し、「金こそすべて」と化して他人を踏みにじるようになるのだ。

拝金主義が蔓延すると、社会の秩序は保てなくなる。誰もが自分のことしか考えなくなるので、「公共」が保てなくなるからだ。社会の規律も保てなくなる。規律よりも、自分の利益が最優先されるからだ。

そのうち中国が、何らかのきっかけで崩壊するのが確実だと言われているのは、こうした「拝金主義」の体質が社会の隅々にまで行き渡っていて、もはや自滅が避けられないからだ。

個人が腐り、組織が腐り、政治が腐り、社会が腐り、すべてが腐りきって全体が崩壊する。そんなことは当の中国人も分かっている。

だから、中国人はカネのある人間から率先して国外に国籍を取って逃げていく。


拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒なのだ

考えなければならないのは、組織は人が動かすものであり、人が腐れば組織も自ずと腐るということだ。人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る。

中国では今も「孫子の兵法」みたいな相手を貶める詐欺マニュアルが聖書のように人々に読み継がれている。

「孫子の兵法」は他人を騙すためのテクニックが満載であり、こんなものが読み継がれてまともな社会になると考える方がどうかしている。

私利私欲のために、「孫子の兵法」で他人を騙すのが中国人なのである。言うまでもないが、私利私欲というのは拝金主義そのものだ。私利私欲に堕ちた人間は、自分の利益のためなら何でもするのだ。

組織の中にこうした拝金主義が蔓延すると、いずれその組織は腐敗し、機能しなくなり、強欲な人間に食い尽くされ、やがて組織は生存が不可能なまでに壊れていく。

拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒だ。中国にはその毒がたっぷりと回って、もう治療不可となっている。今さら中国に誠実さを求めても不可能だ。

人間でも組織でも、きちんと生きるためには「頭脳・実行力・誠実」の3点が必要になる。ところが、拝金主義がはびこると、この3点から「誠実」が消されてしまう。

誠実ではない人間に、頭脳と実行力があれば、結果は悲惨なものになる。

これは中国政府に頭脳と実行力があれば、より社会が悪くなるということを意味している。

政府自らが誠実さを失い、とてつもない拝金主義に陥っているので、いくら社会を潔癖にしようとしても、誰も政府を信じない。そのため、改善の一歩も踏み出せない。

中国を覆い尽くす拝金主義は、資本主義が生み出す癌だ。癌が広がって行くと、それはいずれ社会の中核を崩壊させていく。そして、あとは自壊を待つだけとなる。


常識を超えたカネへの執着は、社会悪を生み出す

しかし、これほどの毒薬なのに、ほとんどの中国人は拝金主義を改めようとしない。なぜか。

誰もが心の中で「自分も甘い汁を吸いたい」という黒い欲望が、ふつふつと燃えたぎっているからだ。他人が甘い汁を吸っているのに、自分だけ行儀良く生きて損したくないと思うのだ。

自分が拝金主義に堕ちていると、拝金主義の危険性など、見えるはずもない。見えても止まらない。

警官が拝金主義に走ると、治安はカネ次第になって規律は崩壊する。公務員が拝金主義に走ると、行政はカネ次第になって社会は崩壊する。

企業が拝金主義になると、消費者を騙すようにカネを稼ぐようになるので、信頼が崩壊する。政治家が拝金主義になると、個人の利益のために国を売り飛ばすので、国が崩壊する。

拝金主義が先鋭化している社会や国家ほど、崩壊しやすい環境にある。最も拝金主義が蔓延している中国が、最も崩壊に近い国なのだ。「カネこそすべて」が徹底した中国は、もう助かることはない。

そう考えると、私たち日本人が「カネこそすべて」だと中国人と一緒になって思うのはいかに馬鹿げているのかが分かる。

カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って「カネがすべて」ではないのも事実だ。

常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。

拝金主義が蔓延しないためには、自分が拝金主義にならないという決意を持つしかない。「カネこそすべて」ではないことを真剣に考えなければならないということだ。

あなたはどうだろうか。自分の心の中に、もしかしたら拝金主義の芽を育ててはいないだろうか。

中国のようにボロボロになりたくなければ、度を超した拝金主義など捨てなければならない。それが最終的には社会のためになる。


カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って、「カネがすべて」ではないのも事実だ。常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160802T1749230900


拝金主義を捨てることができない中国は自滅しても自業自得

2016年5月10日に公表されたパナマ文書で世界が注目したのは、共産党の幹部の多くがタックスヘイブンを利用して資産を隠している姑息な現状だった。

中国は自国の経済失速と混乱と汚職蔓延に何もできない状況になっているのだが、習近平政権は、お抱えの報道機関に「政権は金融バブルや汚職と戦っている」と書かせている。

しかし、いくらそんなポーズを書かせても、今さら中国の指導者を信用する人間など世界中どこにもいない。

習近平も親族を経由して莫大な資産をせっせとタックスヘイブンに隠しているのだから洒落にならない。そして、自国内ではパナマ文書については情報封鎖を行って人民に何も知らさないようにしているのである。

中国が壮絶な拝金主義の国であることは誰でも知っている。

拝金主義というのは、「他人がどうなろうと自分が儲かればいい」という思想を指すのだが、習近平や党幹部からしてそれなのだから、この拝金主義こそが中国を崩壊させる元凶になっても不思議でも何でもない。

中国の問題は、すべてこの拝金主義に集約されると言っても過言ではない。何もかも金に換算されて、その結果、世の中がどんどん殺伐としていくのである。


拝金主義が、環境汚染を生み出している

中国では2016年もネズミ肉、キツネ肉、偽クラゲ、偽装ミルクと食品汚染、偽造食品が絶えない。これらの「毒食品」が蔓延する原因は何か。

これも拝金主義である。

ホンモノの材料を使ったらコストがかかるからニセモノの材料を使ってホンモノと同じ値段を取る。

ニセモノの材料は発癌物質が含まれるものであったり、汚染されたものであったりする。しかし、「他人がどうなろうと自分が儲かればいい」ので、それが蔓延し、とうとう中国の食品は中国人ですら食べない「毒食品」となってしまった。

他人がそれで健康を害しても、自分が儲かればいいのだから、事態は深刻化していくばかりだ。

大気汚染も同様だ。環境対策・公害対策などコストがかかって儲けにならないので、そんなことはしない。

大気が汚れて多くの人々の健康を害することになっても、「他人がどうなろうと自分が儲かればいい」ので経営者は気にもしない。

その結果、北京では「もはや人類が住む場所ではない」と専門家が嘆くような高濃度汚染地帯となって、未だ改善される気配もない。拝金主義が、環境汚染を生み出しているのだ。

森林の伐採による砂漠化も、汚水の垂れ流しによる汚染も、「自分が儲かればいい」という拝金主義が生み出した地獄だ。

中国では老人が道で倒れていても誰も助けない。あるいは、交通事故に遭った人を助けない。助けると、助けた人がとばっちりを受けて訴えられるからだ。

とりあえず、誰からでも金を毟り取るという拝金主義が、人助けを不可能にしてしまっている。

この拝金主義は、医療の現場にも蔓延している。

2014年2月17日、高校三年生の患者が医者を殴り殺すという事件があったのだが、この事件の裏には拝金主義に走る中国人医者の驚くべき姿がある。

中国では医者ですらも拝金主義であり、患者は金をふんだくる対象でしかない。

治療するかどうかは、どれだけ医療費や賄賂を払ったかで決める。手術の最中に「もっと金を出せ」と交渉する医者もいれば、急患なのに金を持っていない患者は見殺しにする医者も山ほどいる。


病気になっても、医者に行くのは最後の手段

患者には、やたらめったらと薬を売りつけ、しなくてもいい検査を過剰にして医療費をせしめ、謝料(リベート)を払わない患者は放置する。

そもそも中国では医療費は前払いである。命に関わるような状況の中で前払いができないと、患者は追い返される。

それだけでなく、中国では診察の順番を示す番号だけ書かれた紙ですらも売買の対象になっている。診察をしてもらいたいのなら、その番号を高額で買うしかないのである。そうしないと、いつまで経っても後回しされて診てもらえない。

加えて、中国の医療費は高い。

患者が治るかどうかは、医者にはどうでもいいことなのだ。自分が儲かればいい。医療は日本では治療行為だが、中国では単なる商売のひとつに過ぎない。

当然、貧しい患者が一番、いい加減な医療の犠牲になる。だから、医者が恨まれて、あげくの果てに殴り殺されている。

医療費は高騰しており、急患で運ばれようものなら、最初に数十万円が飛んで行く。つまり、普通の中国人は急患で運ばれたら、その時点で破産する可能性もある。

生まれた赤ん坊に重篤な障害があったりすると、貧困層の親は為す術がない。そのために、こういった障害を持った赤ん坊が、病院の前に捨てられることも珍しくない。

医療の現場も拝金主義で動いているので、中国人は、病気にもなれない。病気になっても、医者に行くのは最後の手段である。

現在の中国人が上げる大きな社会問題は、失業でも汚職でも環境汚染でもない。医療問題である。病気や事故になったら、破産してしまうというのが、一番の社会問題なのである。

ここまで拝金主義が進んだ社会は今まで誰も見たことも聞いたこともない。

しかし、中国人が拝金主義を捨てるとは思えないので、この状況は今後もずっと続いていくことになるはずだ。


国が破滅しそうになっているのに止まらない

ただし、モノには限度というものがある。こういった拝金主義にまみれた中国の現行制度は、永遠に続くわけではない。必ず、どこかで自壊する。

自壊を避けるには、拝金主義を捨てなければならない。しかし、中国人から拝金主義を取ったら何も残らないのではないかというほどこの思想は中国人に染みついている。

パナマ文書を見ても分かる通り、中国共産党の指導部からして汚職と賄賂にまみれており、拝金主義を一掃する立場にない。上から下まで金に対する激しい渇望があって、他人を踏みにじっても儲けようとしている。

中国は国を挙げて拝金主義であり、それによって国が破滅しそうになっているのに止まらない。

中国では暴動が多発しており、その規模も年々大規模なものになっている。暴動については中国政府が情報隠蔽しているが、年10万件から20万件が起きていると言われている。

体制不満が渦巻いているのだから、暴動と同時にこれからは政府を狙った「テロ」も続出していくことになるだろう。

いくら中国共産党が一党独裁で、強大な権力を持っているとしても、大気汚染、食品汚染、水質汚染、砂漠化、格差、汚職、医療機器、情報封鎖、暴動、テロ……と、際限なく続く問題に耐えられるはずがない。

もはや社会体制そのものが限界に達しているのを、必死になって取り繕っている状態であり、こんな国が長く維持できるはずがないのは子供でも分かる。

2012年、当時、国家副主席だった習近平はこのように言ったことがある。

「3年内に国民の支持を取り戻すことができなければ10年以内に共産党も滅び、国家も滅びるだろう」

習近平政権はまったく国民の支持を取り戻せていない。それならば、自分が言った通りに10年以内に中国は滅びるということだ。拝金主義で勝手に自滅していく。

拝金主義を捨てることができない中国は、自滅しても自業自得でしかない。


習近平はまったく国民の支持を取り戻せていないのだから、自分が言った通り、10年以内に中国は滅びるということだ。拝金主義で滅びていく。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160518T1602150900


2014年2月20日木曜日
中国が来年も絶望的な状況なのであれば、10年以内に滅びる
中国が壮絶な拝金主義の国であることは誰でも知っている。

拝金主義というのは、「他人がどうなろうと自分が儲かればいい」という思想を指すのだが、この拝金主義こそが中国を崩壊させる元凶になる。

中国の問題は、すべてこの拝金主義に集約されると言っても過言ではない。何もかも金に換算されて、その結果、世の中がどんどん殺伐としていくのである。

中国を震撼させている食品汚染、偽造食品の根幹となっているのは何か。これも拝金主義である。ホンモノの材料を使ったらコストがかかるからニセモノの材料を使ってホンモノと同じ値段を取る。

ニセモノの材料は発癌物質が含まれるものであったり、汚染されたものであったりする。

しかし、「他人がどうなろうと自分が儲かればいい」ので、それが蔓延し、とうとう中国の食品は中国人ですら食べない「毒食」となってしまった。他人がそれで健康を害しても、自分が儲かればいいのだから、事態は深刻化していくばかりだ。


拝金主義が、環境汚染を生み出している

大気汚染も同様だ。環境対策・公害対策などコストがかかって儲けにならないので、そんなことはしない。

大気が汚れて多くの人々の健康を害することになっても、「他人がどうなろうと自分が儲かればいい」ので経営者は気にもしない。

その結果、北京では「もはや人類が住む場所ではない」と専門家が嘆くような高濃度汚染地帯となって、未だ改善される気配もない。拝金主義が、環境汚染を生み出しているのだ。

森林の伐採による砂漠化も、汚水の垂れ流しによる汚染も、「自分が儲かればいい」という拝金主義が生み出した地獄だ。

中国では老人が道で倒れていても誰も助けない。あるいは、交通事故に遭った人を助けない。助けると、助けた人がとばっちりを受けて訴えられるからだ。

とりあえず、誰からでも金を毟り取るという拝金主義が、人助けを不可能にしてしまっている。

この拝金主義は、医療の現場にも蔓延している。

2014年2月17日、高校三年生の患者が医者を殴り殺すという事件があったのだが、この事件の裏には拝金主義に走る中国人医者の驚くべき姿がある。

中国では医者ですらも拝金主義であり、患者は金をふんだくる対象でしかない。

治療するかどうかは、どれだけ医療費や賄賂を払ったかで決める。手術の最中に「もっと金を出せ」と交渉する医者もいれば、急患なのに金を持っていない患者は見殺しにする医者も山ほどいる。


病気になっても、医者に行くのは最後の手段

患者には、やたらめったらと薬を売りつけ、しなくてもいい検査を過剰にして医療費をせしめ、謝料(リベート)を払わない患者は放置する。

そもそも中国では医療費は前払いである。命に関わるような状況の中で前払いができないと、患者は追い返される。加えて、中国の医療費は高い。

患者が治るかどうかは、医者にはどうでもいいことなのだ。自分が儲かればいい。医療は日本では治療行為だが、中国では単なる商売のひとつに過ぎない。

当然、貧しい患者が一番、いい加減な医療の犠牲になる。だから、医者が恨まれて、あげくの果てに殴り殺されている。

医療費は高騰しており、急患で運ばれようものなら、最初に数十万円が飛んで行く。つまり、普通の中国人は急患で運ばれたら、その時点で破産する可能性もある。

生まれた赤ん坊に重篤な障害があったりすると、貧困層の親は為す術がない。そのために、こういった障害を持った赤ん坊が、病院の前に捨てられることも珍しくない。

医療の現場も拝金主義で動いているので、中国人は、病気にもなれない。病気になっても、医者に行くのは最後の手段である。

中国人が上げる大きな社会問題は、失業でも汚職でも環境汚染でもない。この医療問題である。病気や事故になったら、破産してしまうというのが、一番の社会問題なのである。

ここまで拝金主義が進んだ社会は今まで誰も見たことも聞いたこともない。

しかし、中国人が拝金主義を捨てるとは思えないので、この状況は今後もずっと続いていくことになるはずだ。


国が破滅しそうになっているのに止まらない

ただし、モノには限度というものがある。こういった拝金主義にまみれた中国の現行制度は、永遠に続くわけではない。必ず、どこかで自壊する。

自壊を避けるには、拝金主義を捨てなければならない。しかし、中国人から拝金主義を取ったら何も残らないのではないかというほどこの思想は中国人に染みついている。

そもそも、中国共産党の指導部からして汚職と賄賂にまみれており、拝金主義を一掃する立場にない。上から下まで金に対する激しい渇望があって、他人を踏みにじっても儲けようとしているのである。

つまり、中国は国を挙げて拝金主義であり、それによって国が破滅しそうになっているのに止まらない。

中国では暴動が多発しており、その規模も年々大規模なものになっている。暴動については中国政府が情報隠蔽しているが、年10万件から20万件が起きていると言われている。

2013年には、ウイグル自治区の独立派によるテロも起き、続いて中国山西省太原市の省共産党委員会の建物前で爆破事件が起きている。

体制不満が渦巻いているのだから、暴動と同時にこれからは政府を狙った「テロ」も続出していくことになるだろう。

いくら中国共産党が一党独裁で、強大な権力を持っているとしても、大気汚染、食品汚染、水質汚染、砂漠化、格差、汚職、医療機器、情報封鎖、暴動、テロ……と、際限なく続く問題に耐えられるはずがない。

もはや社会体制そのものが限界に達しているのを、必死になって取り繕っている状態であり、こんな国が長く維持できるはずがないのは子供でも分かる。

2012年、当時、国家副主席だった習近平はこのように言った。

「3年内に国民の支持を取り戻すことができなければ10年以内に共産党も滅び、国家も滅びるだろう」

今のところ、習近平はまったく国民の支持を取り戻せていない。来年も同じ状況なのであれば、10年以内に中国は滅びるということだ。拝金主義で滅びていく。


中国が危機的な状況であることは習近平も知っている。
http://www.bllackz.com/2014/02/10.html

子供が叩きのめされていても素知らぬ顔で通り過ぎる中国人 2015-05-12


中国が「人を助けない国」であることはよく知られている。下手に助けると、助けた人が訴えられて損害賠償を払わなければならなくなるからだと言われている。

確かにそのような側面もあるのかもしれない。道で倒れた老婆を起こしたら訴えられて裁判に負けて金を支払わなくなった青年の話もあった。

中国は今や拝金主義が蔓延している。「金こそすべて」の異常社会になっているのだ。だから、他人を騙してでも何でも金が取れればそれでいい。

その姿勢は「事実と違っても助けてくれた人を訴えて金を取れればいい」という人を生み出すようになった。助けてくれた人を訴えるとは尋常ではないが、金が欲しいあまり、本当にそんなことをする人が続出しているのが中国だという。

その結果、道で気分が悪くなってうずくまっても、目の前で人が転んでも、交通事故を見かけても、子供が倒れていても、素知らぬ顔で通り過ぎるという国になっていった。


苦しんでいる人がいても、まわりを囲んで見るだけ

さらにひどいのは、警察だ。この警察の仕事もいい加減で、交通事故の現場で倒れている人を介抱している人がいたら、その人を問題を起こした犯人と断定して逮捕してしまうこともあるという。

人の話など聞かない。警察は誰でもいいから逮捕して事件が解決すればいいのであって、事実関係は二の次だ。そんな国だから、おちおち人を助けるようなことはできない。

実際、中国は車の運転が乱暴で交通事故は頻繁に起きて、さらに事故を起こした人間も逃げ切れると考えるのか、それとも轢かれた人間が悪いと思うのか、多くが現場から逃げるという。

日本でも中国人が運転する車が子供を生んだばかりの母親を跳ね飛ばして逃げるという事件が起きているが、中国で轢き逃げは当たり前にあるという。

轢かれて倒れている人は中国ではしばしば見かけるが、助けたら自分が加害者にされるか警察に逮捕されて面倒なことになるわけで、誰も介抱しない。

「正直者が馬鹿を見る」という空気になり、道で苦しんでいる人がいてもまわりを囲んで見ているだけで誰も介抱しようとしない。そんな狂気の社会になってしまっているのだ。

衝撃的な事件もあった。2011年9月13日に、中国広東省内の路上で車にはねられた2歳の女児がいた。

この子を轢いた車は子供を轢いたと自覚しながらも、後輪で2度轢きし、しかもそのまま逃げていった。

そして、この子は道ばたで瀕死の状態にあるのだが、その倒れた子供を何人もの通行人がまるでゴミでも見るかのように、まったく何の反応も見せずに何人も通り過ぎていったのである。

そのときの映像が残っており、中国のあまりの社会道徳の欠如に対して激しい内省が中国で湧き上がった。


動画
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150512T0300320900.html


何人もの女性が倒れている幼児を見て「介抱しない」

もっとも、中国人が内省したと言っても、その場かぎりの話であったのは、その後も交通事故に遭った人を放置する事件が続出しているのを見ても分かる。

轢かれた子供を見ても、ゴミのように通り過ぎる中国人の態度は「拝金主義がもたらした」のは事実だ。

しかし、あまりにもそれが続くので、今や「中国人は本当は元から他人をゴミと思っているのではないか?」という人格欠陥説まで生まれてくる始末だ。

たとえば、最近、精神異常者がやはり2歳の子供を叩きのめすという信じがたい事件があった。この一部始終は監視カメラに映っていたのだが、それは凄まじい暴力だった。

道ばたで、ホウキとチリトリを持ってお掃除している子供をいきなり蹴り倒す。そして、倒れた子供の頭を思いきり蹴りつけるのだ。何度も、何度も、執拗に蹴り落とす。

加減を考えて蹴るとか、そんなことは一切ない。まるで頭を踏みつぶして割るつもりで、思いきり蹴り落としていた。

いったい、2歳の子供にここまでひどい暴力を加えることができる人間がいるのかと思うほど、意図的にそれは行われる。

この気の狂った男は、さらにチリトリやホウキで幼児を叩きのめすのだが、ここに通行人が通る。しかし、この通行人はまったく何の反応を見せずに、ただ通り過ぎていく。

目の前で幼児虐待が行われているというのに、何の反応も見せないのである。

そして、もっと異常なのはこの虐待に気付いて建物から大勢の人たちが出てきてからだ。何人もの女性が倒れている幼児を見て、「介抱しない」のだ。

そんな異常国家の姿を、よく見て欲しい。


動画
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150512T0300320900.html

子供たちが苦しもうと、そんなことはどうでもいい?

中国の拝金主義は、「自分さえよければ他はどうでもいい」という部分から生まれている。

中国の大気汚染・水質汚染は、工場経営者が「儲かれば、環境が破壊されようが何だろうが関係ない」という姿勢がもたらした災厄であることはよく知られている。

大気汚染を防止するためのフィルターや整備づくりは、金ばかりかかって儲けにつながらない。だから、そんなものはすべて無視して、調査に入った役人に「ワイロ」を渡して問題がないフリをする。

役人もワイロをもらえば、公害になろうが何だろうが関係ないので放置する。それが、中国全土で起きていて、いまや大気汚染で年間で数十万人が死ぬような恐るべき公害国家と化していったのである。

子供たちが喘息で苦しもうと死のうと、彼らにはそんなことはどうでもいいのだ。

食品汚染の地溝油も腐肉販売も食品偽造も、客がそれを食べてどうなろうが儲かればいいという拝金主義が生み出している。

「お客様に喜んでもらう」とか「共に発展する」とか「社会を良くする」とか、そんな姿勢はほとんどない。子供たちが飲む粉ミルクでさえもメラミンのような建築素材が混ぜられて売られている。

子供たちが健康被害で苦しもうと死のうと、彼らにはそんなことはどうでもいいのだ。

このような中国の異常な状況が分かっているのであれば、良心のある人は関わろうと思わないはずだ。金が儲かるからと中国に関わる人もいるかもしれない。考え直した方がいい。


「稼ぐが勝ち」「稼げれば他人がどうなってもいい」という拝金主義が蔓延した結果、中国は異様な社会となった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150512T0300320900.html


2015-06-09
中国が「超限戦」という卑劣な犯罪行為を仕掛けてきている


まだ日本と中国は物理的に衝突していないので、戦争ではないとは言える。

しかし、銃弾が飛び交うものだけが戦争ではない。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」そのものも戦争である。そう考えると、すでに日本と中国の戦争は「起きている」と言うこともできる。

中国は昔から謀略と策略を相手に仕掛ける民族であり、それは孫子や韓非子のようなものを読めばすぐに分かる。

これらの書は「兵法」であると言われているが、よくよく読むと兵法に名を借りた「相手を騙す方法」の列挙であることが分かる。

どのようにして相手に罠をかけるのか、どのように相手を騙すのか、どのように相手の足をすくうのか、そんな騙しと詐欺の方法ばかりが書かれているのが中国の兵法だ。

中国人は「相手を陥穽に落とすための書」をバイブルのように読んで、しかもそれを実践している。中国が信頼できないというのは、ここから来ている。


自分さえ儲かれば他人がどうなっても構わない

現代の中国社会は「自分さえ儲かれば他人がどうなっても構わない」という利己主義と拝金主義で覆われている。その結果、中国は売っているもの、食べるもの、飲む水、吸う空気ですら、安心できない究極の汚染大国と化した。

現在、日本でも見られる中国人の爆買いは、自国の商品がまったく信頼できないことから起きている。

(よく考えて欲しい。なぜ中国人が海外で爆買いをするのか?)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150410T0209500900.html


「自国のものが何も信用できない」「外国の安心できる商品が欲しい」という欲求が、外国旅行による爆買いにつながっている。自国の商品がまともだったら、誰も外国に行って重い荷物になるものを買いまくらない。

中国人は爆買いした日本製の商品を中国で転売する。これも、自国の商品がまるっきり信頼できないから成り立っている小遣い稼ぎである。

自国の商品が信頼できないものになっている根本的な原因は、やはり孫子の兵法のような「他人を騙す思想」の影響下にあるからだ。

全員が「他人をいかに騙すのか」に終始した書物を読んで、実際に他人を騙しながら不良品を売りつけるような商売をするので、人にも商品にも信頼が成り立つはずがない。

中国人は基本的に、今でも家族以外の他人はほとんど信用しない。他人は騙してくる存在だからだ。中国では「騙された人間が悪い」のだから、家族で固まり、その他の人間は絶対に信用しないことで防御するしかない。

中国社会の隅々まで「いかに相手を騙すか」という詐欺思想が蔓延している。だから、「相手を騙す」というのが中国という国の体質となってしまった。


中国ではこれを「超限戦」と名付けて悦に入っている

そんな国が大国と化して外交をしているのだから、それが信頼と絆に基づいたものになると考える方がどうかしている。

孫子のような「詐欺書」をバイブルのように崇める中国が行う外交というのは、やはり「相手を罠に落とす」ものでしかない。孫子の兵法がそのまま外交になる。

「馬鹿を屋上に上げて、ハシゴを外す」とか「自分が弱いときは提携を呼びかけ、自分が強くなれば反故にする」とか、信頼の欠片もないようなことを解説しているのが孫子の兵法だ。

中国共産党は、こんな詐欺行為の書かれた書を信奉し、これをそのまま外交で実践している。最近では、このような孫子の兵法が現代の社会情勢に当てはめられ、さらに悪質化している。

中国では現代に合わせて進化させた兵法を「超限戦」と名付けて悦に入っている。

超限戦も、「国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦」で、相手をワナにかけてめちゃくちゃにする方法を説いている。

この超限戦をするにあたっての心得としては、「倫理基準を超え、タブーを脱し、手段選択の自由を得なければならない」のだという。

分かりやすく言おう。要するに超限戦とは「法を無視して、相手をあらゆる分野でワナにかけろ」というものである。

今の中国がやっているのはこの「超限戦」なのだ。日本はこの超限戦を仕掛けられて、中国に翻弄されている。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」が、日本に張り巡らされている。

だから政治家も知事もマスコミもジャーナリストも少なからずが中国に取り込まれ、「これからは中国の時代」とか言い出して日本を売り飛ばそうとしている。

日本はもうとっくの前から「超限戦」を仕掛けられ、中国の手先となった人間がうようよしているのである。


よりによって、謀略のターゲットは日本である

よく経営に孫子の兵法を取り入れるべきだとか、孫子を研究していると公言する経営者がいる。

中国のそれぞれの兵法というのは、そのほとんどが「他人を騙す方法」を解説したものなのだから、そんなものを研究する経営者というのは、「他人を騙す方法を研究している」と言っているのも同然だ。

それを実践しているのであれば、そんな経営者は詐欺師も同然なのである。

私たち日本人が知っておかなければならないのは、こうした他人を騙す方法を事細かく解説した薄気味悪い思想を中国政府がバイブルのように信奉して、実際に実践で使っており、よりによってそのターゲットが日本であるということだ。

とても危険なことに、中国軍はこの「超限戦」をシステムの中に組み込んでいる。そして、実際にハッキングする部隊や、外国企業の情報を盗む部隊が存在する。

日本の各企業の機密情報が、どんどんハッキングによって盗まれているのだが、その裏には「超限戦」による問答無法の犯罪行為が国家規模で行われている。

日本人の政治家・知事・マスコミ関係者・教育者を、金と女でワナにかけて、弱みを握って売国させるのも「超限戦」のひとつの方法である。ハニートラップの噂になる政治家は多い。

今後、私たちは政治関係者やジャーナリストを見たら、その人が日本人の名前を名乗っていても、その人物が信頼できるのかは、次の5点をしっかり確認しなければならない。

「日本に対して忠実か」
「外国に妙な影響は受けていないか」
「人格に問題はないか」
「法律は守れるか」
「不正はないか」

日本企業も他人を雇うときも、上記がとても重要だ。また、目の前の人物が「反日国家の人間ではないか」「反日国家に影響を受けていないか」を判断するために、しっかりと確認しなければならない時期になっている。


銃弾が飛び交うものだけが戦争ではない。戦わずして相手を屈服させる「仕掛け」そのものも戦争である。そう考えると、すでに日本と中国の戦争は「起きている」と言うこともできる。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20150609T1632350900

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2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html

技術のない国家の覇権挑戦

革命意識で始めた技術窃取


好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。


だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。


ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。


ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。


@ 科学的発展は、第一の生産力である。

A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。

B 社会主義の中国は誰も動かせない。

C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。


以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。


5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。


このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。


技術のない国家の覇権挑戦

『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。


この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。


その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。


『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。


@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。

1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。

2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。

3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」


上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。


(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」


中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。


(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。

@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。

A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。

B 中国が対象技術製品を輸入する。

C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。

D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。

E インターネットやその他の手段で盗み取る」


中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。

中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。


現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。


(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」


ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。


中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。


革命意識で始めた技術窃取

(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」


中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。


中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。


(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」


中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。


(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」


中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。


(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」


冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。


世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html


195. 中川隆[-12519] koaQ7Jey 2018年5月25日 17:06:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

宮崎真空管アンプ愛好会 オーディオ見聞録 オーディオ道場

熊本県阿蘇郡西原村桑鶴 TOMOKO森のアトリエ・オーディオ道場
http://miyazaki-vtc.sakura.ne.jp/kenbun1.html


オーディオ道場に上る道は雨でぬかるんでいて車はスリップして登れませんでした。

熊本地震の直撃を受けて屋根にはブルーシートがかかったままです。

元々、整理整頓された部屋ではありませんでしたが(失礼)
地震で痛んだところも多く、オーナーの片山さんが
少しづつ修復されている真っ最中でした。


すこしづつ、音が出るようにしているとの事です。

ヴァイタボックスCN-191の高音部ホーンをグレードUPしたもの

アナログプレーヤー  EMT927

JBL2395 大型ホーン(音響レンズ) 下はオリンパスかな?

オーディオリサーチのプリアンプSP3 豪快なアメリカンサウンドです。



JBLハーツフィールドは休止中



300Bシングルアンプ

WE15Aホーンをフルレンジで使用。

ドライバーはWE555

フルレンジでもかなり下の方まで再生されます。

WE15Aホーンが設置してある2階からの俯瞰。



往年の名機がゴロゴロ

ここにも。

ここにも。

JBL HL88ハチの巣 音響レンズ

075 375-500 

トーレンス  THORENS ReferenceでMilesDavisをかけて貰いました。



クレデンザで再生する三橋美智也の『古城』

最後は三橋美智也『古城』をSP(クレデンザ)とCDとで聴き比べ。
SPの音の良さは音が出るまでのプロセスが単純なことにあるのでしょう。
これはCDとLPとの音の比較でも同じことで、CDはデジタルだから音が悪いのではなくて
音が出るまでのプロセス(録音時を含めて)が複雑なことが音の悪さに繋がって
いるのかもしれません。


2016年4月16日の地震(本震)が西原村を直撃して
大きな被害がでました。
オーディオ道場を訪問する前は電話もつながらずに
心配していましたが、
思っていたよりも被害は少なかったようで安心しました。
因みに、電話は故障中とのことでした。

一日でも早い完全復活をお祈りします。
http://miyazaki-vtc.sakura.ne.jp/kenbun1.html


196. 中川隆[-12515] koaQ7Jey 2018年5月26日 06:43:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

タヒチに行くなら星野リゾートに泊まってグローバリズム体験しよう


星野リゾート Kia Ora ランギロア (タヒチ・ランギロア島) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%98%9F%E9%87%8E%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88+Kia+Ora+%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%80%80%EF%BC%88%E3%82%BF%E3%83%92%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%AD%E3%82%A2%E5%B3%B6%EF%BC%89%23

タヒチ Kia Ora ランギロア|星野リゾート【公式】
https://www.hoshinoresorts.com/resortsandhotels/uniquehotels/rangiroa.html
https://rangiroalagoon.com/

星野リゾート Kia Ora ランギロア

ランギロアへようこそ

色鮮やかなブルーラグーンに囲まれた、ダイナミックな大自然。
椰子の木々が立ち並ぶ入口を抜けると、ポリネシア伝統建築を活かした一棟建ての客室群、
その向こうには息をのむような澄みきった色のラグーンが南国の太陽に照らされてキラキラと輝いて見えます。

その色鮮やかさと透明度の高さから、”ランギロアブルー”とも形容されるランギロアのラグーン。
世界中の人々を魅了してきたその青い海を思う存分満喫してください。

ランギロア島は、タヒチの首都パペーテがあるタヒチ島から北東に340km、タヒチの中でも圧倒的な海の透明度で知られるツアモツ諸島に位置する島。

この島は、240以上の小さなモトゥ(小島)がリング状に連なって形成された環礁の島で、上からその姿を眺めると、まるでネックレスのような形をしています。環礁とは輪状に広がる珊瑚礁のことで、中央部の火山島が海底に沈降して形成されたその独特の地形は、島というよりも輪、珊瑚(サンゴ)の輪のよう。

xxhsy657 横浜市, 神奈川県
これが星野リゾートなのか? The worst resort ever!

星野リゾート Kia Ora ランギロアの口コミJJ:2016年8月21日


タヒチ旅行を計画をしたときに、ボラボラ島のホテルは老朽化が進んでいるという情報を得て、海が綺麗そうだったこともあり、星野リゾートが経営するこのホテルを選びました。

海や部屋からの眺望はきれいでしたが、ホテルの質がとても悪いことに驚き、呆れました。

星野リゾートというブランドを信じた自分が愚かでした。

外国の方が書いた口コミまで丁寧に読んでから決めればよかったと大変後悔しています。

部屋(ビーチスイートバンガロー18)では

●WiFiはつながらない

●コテージのすき間が多く、虫がたくさんいる

●クローゼットの中、部屋の至る所にクモの巣がある

●屋根がすき間だらけで、大量のウッドチップが火山灰のように1日中降ってくる(喘息発作を起こすのではないかと不安になった)

●備品がほこりだらけ、天井のファンを回すとほこりやゴミが落ちてくる

●便器に前泊者の汚物が付着

●バンガローの前を頻繁に他人が行き来して、プライバシーがない

●バンガロー周辺を放し飼いの犬がうろつき、糞や尿があちこちに散乱、一晩中吠えるのでうるさくて眠れない

●制御の効かないジャグジーのモーター音が一日中うるさい

●近所のウクレレの音が深夜までうるさい

●お湯が出なかったり、出てもすぐ出なくなる、排水溝が詰まって流れない

●エアコンの故障を放置(ごまかすために温度調節窓に付せんが貼られていた)

サービス面では

●ハウスキーピングの時間がまちまちで、日中部屋を十分に利用できない

●言わないと床の掃除をしない、水場は軽く流すだけで汚れていても無視

●大量のウッドチップが枕カバーやシーツ・布団に堆積していても無視、どんなに汚れていても申し出なければリネン類は交換してくれない

●タオル類がいつも宿泊人数より少ない、全くないことも(3回位催促しないとそろわない)

●部屋のコーヒーカップ類がひどく汚れている(ハウスキーピングがバンガロー入口の足を洗う蛇口で軽くすすいで戻しているのを目撃)

●レストランやバーでしばしば注文と違う料理、飲み物が出てくる(オーダーが間違っていなかったことは伝票で確認済)

●レストランでキープしたボトルワインをスタッフが紛失、何度も説明を求めたが「忙しい」と1時間以上無視され、食事が終わってから「ない」と一言だけ言われた

●フロントはしばしば”OK"と返事したリクエストを無視する(忘れてしまう?)

●夕方シャワーのお湯が出なくなった際も修理に時間がかかり、他室のシャワーを案内すると言いながら迎えには来ず、プールで濡れた体が冷えて家族で風邪をひきそうになった

●フロントとレストラン位は英語が通じるが、ハウスキーピングなどコテージ周りのことをやっているスタッフはフランス語のみで英語が全くわからない人が多い
まだまだ細かいことは色々ありますが、きりがありません。


毎日散々な目に遭ってホテルのスタッフを信用できなくなり、チェックアウト前夜に請求書と伝票の事前確認をさせてほしいとお願いしました。1回は断られましたがしつこく言ったところ1時間後に出してくれました。

明細はフランス語で書かれており分かりにくかったのですが、税金が二重に請求されていました。

がく然としました。当日出発前の忙しいチェックアウト時だったら気づかなかったかもしれません。思い出すのもおぞましい最悪のリゾートでした。

帰国してからトリップアドバイザーのレビューを英語やフランス語も含めてじっくり読み返してみたところ、似たような経験をされた方が複数いることを知り、調査不足だったことを反省しました。次の旅行の糧にしたいと思います。

タヒチはもう行きません。他の星野リゾートを利用することもないでしょう。


Hoshino Resorts Hotel Kia Ora is the worst resort we've ever stayed at.
Room was so dirty.

Wood chips fell like snow from the ceiling.

There were spider webs everywhere.

We couldn't connect to the WiFi from our room.

We had to call reception everyday "The air conditioner doesn't work", "There's no hot water in the bathroom", "Housekeeping hasn't come yet", etc.

Many staff were unreliable.

Reception staff sometimes ignored our request even if they said "OKay".

At restaurant & bar, they served different food and drinks what we ordered several times.

Please check your bill carefully. We were charged taxes twice.

The quality here is at best 2 stars. Overpriced!

https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1154800-d324971-r408324294-Hotel_Kia_Ora_Resort_Spa-Avatoru_Rangiroa_Tuamotu_Archipelago.html


197. 中川隆[-12514] koaQ7Jey 2018年5月26日 06:51:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

グローバリストの楽園タヒチ


植民地を世界各国に持っていた欧米の男たちは自国で稼いで旧植民地で安く過ごし、現地の女性を片っ端から抱くというスタイルで生きる闇の男たちが存在する。

今に始まったことではない。「経済格差を利用したフレッシュ・トレード(flesh trade=肉体取引)」をしている男たちは200年以上も前から存在していたのだ。

合理的に、効率的に、そして貪欲に、女たちの肉体を食い尽くす。まるでハイエナのように食い漁る。
https://blackasia.net/?p=703


ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか?


『楽園への道』

  「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。

「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。二人は、祖母と孫の間柄でした。

41歳で亡くなったフローラの短い人生を象徴するのは、彼女を絶えず襲う膀胱と子宮の痛み、そして心臓の近くに食い込んだ銃弾でした。原因は、夫であった版画家のアンドレ・シャザル。ペルー人の父親の死後、貧困な生活の中で母親から無理強いされた結婚。「夫と暮らしたあのぞっとする4年間に、一度として愛の営みをしたことがなかった。毎晩、交尾した。いや、交尾させられたのだ」。この下腹部の痛みは、結婚以来続いています。胸の銃弾は、フローラが裕福な叔父のいるペルー(夫からの逃亡先)からフランスに戻り、自らの半生を書いた自伝で成功を収めたときシャザルに撃たれ、手術後心臓近くに残ったものです。

 アリーヌは、シャザルとの間のフローラの3番目の子供。アリーヌは、シャザルに3度誘拐され、強姦されます。フローラはシャザルを告訴し、その争いの中で、シャザルに撃たれたのです。不幸な娘アリーヌは、ジャーナリストのクロヴィス・ゴーギャンと結婚し、ポールを生みます。1848年の革命後、クロヴィスは家族を伴って、新天地を求めてペルーに向かいます。しかし旅の途中で病死し、アリーヌは二人の子供とともにペルーへ。ペルーでは、裕福な祖父の弟に歓迎され、アリーヌも子供たちも、生まれて初めて幸福な日々を送ります。ポール・ゴーギャンが、南の地に「楽園」をイメージするのは、このときの体験によるものです。

 ポール・ゴーギャンは1891年6月、タヒチに到着します。43歳のときです。93年に一度フランスへ帰りますが、95年再びタヒチへと戻ります。1901年9月にタヒチから更に「未開」の地マルキーズ諸島に移り、03年に55歳で亡くなるまでその地に住み続けました。

 タヒチでの最初の妻テハッアマナをモデルに描いたのが『マナオ・トゥパパウ(死霊がみている)』。裸でうつ伏せになったハッアマナがトゥパパウ(死霊)に怯えている。ヨーロッパがなくしてしまった幻想的な経験に、ゴーギャンは興奮に震えます。

 『パペ・モエ(神秘の水)』。樵の少年と彫刻の素材を探しに、山に入っていきます。冷たい水の中に入り、少年が身体を寄せてきます。「青碧色の空間、鳥のさえずりもなく、聞こえるのは岩に当たるせせらぎの音だけで、静寂と安らかさ、解放感が、ここはまさしく地上の楽園にちがいないとポールに思わせた。またもやペニスが硬くなって、かつてないほどの欲望に気が遠くなりそうだった」。ゴーギャンは、マフー(両性具有者)に、偉大な異教文明ならではの自然さを感じます。著者バルガス・リョサのホモ・セクシャルなシーンは、ここでも美しい。

ゴーギャンは主張します。「美術は、肌の白い均整の取れた男女というギリシャ人によって作り出された西洋の美の原型から、不均衡で非対称、原始民族の大胆な美意識の価値観に取って代わられるべきで、ヨーロッパに比べると原始民族たちの美の原型は、より独創的で多様性に富んでいて猥雑である。・・・

原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾ること、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している」と。


 盲目の老婆のエピソードは、ゴーギャンの立ち居場所を示唆して、興味深い。ゴーギャン自身も、極度に視力を衰えさせています。ボロを身にまとった老婆が、どこからともなく現われます。杖で左右をせわしく叩きながら、ゴーギャンのもとにきました。

「ポールが口を開く前に老婆は彼の気配を感じて手を上げ、ポールの裸の胸にさわった。老婆はゆっくりと両腕、両肩、臍へと手でさぐっていった。それからポールのパレオを開いて、腹をなで、睾丸とペニスをつかんだ。検査をしているかのように、彼女はつかんだまま考えていた。

それから表情を曇らせると、彼女は胸糞が悪そうに叫んだ。「ポパアか」・・・
マオリの人々はヨーロッパ人の男をそう呼ぶのだった。」

ポリネシアに「楽園」を夢見てきたゴーギャンの、挫折の場面です。セックスによって原始にアプローチし、そしてセックスによって原始から挫折するゴーギャン。1903年、ひどい悪臭を漂わせながら、死んでいきました。

そして、最も忌み嫌い反抗し続けたカトリック司教の決めた場所に埋葬されました。 墓碑銘としての司教の手紙には、次のように書かれていました。

「この島において最近、記すに足ることはひとつ、ポール・ゴーギャンという男の突然の死だが、彼は評判高い芸術家であったが神の敵であり、そしてこの地における品位あるものことごとくの敵であった」
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/01/post_937b.html


ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

.

1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html


 ▼ゴーギャンは何故タヒチへ向かったのか?/金丸好良(自由文筆家)▼

「僕は、ゴーギャンで初めてタヒチを知ったんです。そこで、ゴーギャンが、いかにイカレた芸術家だったのかを話したいと思います。はっきり言ってこの人ヤバイ!フランスからタヒチまでなんて、むちゃくちゃ遠いんです。当時で10週間。70日ですよ。こんなに遠いのに何故行ったのか? じつは、出生に関係があるんです。

ゴーギャンは、1才から7才までペルーに住むことになり、黒人の召使いがいるボンボン生活。友達は、中国人の女の子。これもカギを説く1つです。子供の頃の経験は、のちの人間形成に影響すると言いますから。彼のタヒチ体験の基礎は南米のペルーにあるのです。ここがポイント!

フランスに戻ると協調性のない放浪癖のあるちょっと変わった子供で、馴染めなかった。義務教育が終わると、ゴーギャンは見習い水夫に。海への憧れが強かったんですね。彼は何を求めていたのか?『楽園(パラダイス)』です。彼にとって、幼少時代のペルーの生活がまさに楽園だったんです。ゴーギャンは、一生この『楽園』を探し続けるのです…」
http://www.peaceboat.org/cruise/report/32nd/apr/0420/index.shtml

わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。

ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。

〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891)

〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01521.html

『ゴーギャン オヴィリ』
一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。

ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。

もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。

ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)

これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。

中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)

ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。
http://www.msz.co.jp/news/topics/01521.html


ピトケアン島の出来事

 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。

 副航海長フレッチャー・クリスチャンに指揮された反乱水夫たちは艦長のブライを拘束、ブライは艦長派と目された乗組員とともに小型のボートに乗せられて茫洋たる太平洋に放り出された。反乱者たちは、ブライたちは死んだだろうと思っただろうが、艦長たちは奇跡的に小型ボートではるか3700マイル離れたオランダ領のインドネシアまで航海することに成功した。遠く離れた南太平洋上のこととはいえ、イギリス海軍が反乱者たちをそのままにしておくわけがない。追手が差し向けられ、クリスチャン一味の捜索が行われた。追跡部隊はバウンティ号の航海の目的地であったタヒチ島に残っていた乗組員たちを拘束することには成功したが(うち、3名が絞首刑となった)、バウンティ号とともに太平洋に消えた残りの者たちの行方は杳として知れなかった。

 バウンティ号と反乱者の一党の行方がわかったのは、それから約20年後の事である。アメリカの捕鯨船が、名前は付いているが上陸されたことのない島、ピトケアン島に立ち寄ったところ、バウンティ号の乗組員とその子孫たちを発見したのである。クリスチャンたちは、タヒチの女性と男性を連れて発見されにくいピトケアン島に逃げ込んでいた。

 しかし、反乱者たちは、女性と酒が原因で同士討ちを演じ、アメリカの捕鯨船に発見された時に反乱のメンバーで生き残っていたのは水兵のジョン・アダムス一人だけであった。ジョン・アダムスは敬虔なキリスト教徒となっており、ピトケアン島は白人とタヒチ女性の混血からなる一種のキリスト教の桃源郷となっていた。

 この軍艦バウンティ号の反乱は日本ではそれほど知られていないが、西洋ではかなりメジャーな事件で、海洋の事件としてはタイタニック号の遭難に匹敵するほどの知名度を誇るといい、欧米では多数の研究や小説があり、戦前から何度か映画化もされている。また、バウンティ号の復元船も作られているという。

 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。これは牧歌的で、敬虔なキリスト教徒たちの住む島である、というピトケアン島のイメージを著しく損なうものであり、刑事事件にも発展した。その経緯は、インターネットのフリー百科事典の「ウィキペディア」にも詳しく記述されている。

「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(英語)
「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(日本語)

 ピトケアン島の男性たちの擁護として、ピトケアン島に移り住んだ反乱者たちはタヒチの女性を妻としており、反乱当時のタヒチの習慣はかなり性的に自由なものであったから、それを現代の基準で裁くのは酷ではないか、というものがある。
 たしかに、タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。

男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」
 
 また、有名なイギリス人のキャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。

 と、ここまでは割合に知られたタヒチの性習慣である。では、もう一方の当事者、18世紀末のイギリスはどうだったのだろう。

 18世紀のイギリスは、当時としては珍しく、晩婚の世界であったことが知られている。男子の場合は二十代後半、女子の場合でも二十五歳以上で結婚、というのが普通であったらしい。ほとんど現代と変わらないくらいの結婚年齢である。ただ、晩婚である事情は現代とはずいぶん違う。長期の奉公人制度や、結婚生活を維持するための経済力をつけることが難しいために、やむを得ず結婚が遅れていたというのが実情らしい。貴族やジェントルマンに生まれても、長男でないと同じような境遇であった。

 結果、血気盛んな若者たちが思春期から10年以上独身生活を余儀なくさせられることになる。近代のイギリスの勢力の拡大は、これらリビドーを持て余した青年たちのエネルギーによってもたらされたとする見解があるほどだ。

 平均的な結婚年齢はともかくとして、実際にはどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」

 つまり、タヒチだけでなくイギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。

 当時の水兵というのは社会的な身分が低く、監獄に行くよりは船に乗る、という手合いまでいたという。彼らは、たとえイギリスに戻ったとしても結婚をすることは容易ではなく、仮にできたとしても極貧のなかで生活しなくてはならないことは目に見えていた。

 それが、タヒチに来て見ると、本来は結婚相手にしたい十代の女性がいて、生活も安楽である。このままここに残りたい、と思っても不思議はない。実際、タヒチへの航海では、水兵の脱走というのはよくあった。これで水兵たちに同情的な幹部がいたら、反乱になるのはある意味では必然であった。

 艦長のブライは反乱の原因について、

「わたしはただ、反乱者どもがタヒチ人のところでイギリスよりもいい暮らしができるだろうと確信し、それが女性たちとの関係にむすびついて、全体の行動の基本的な動機となったにちがいないと推測するのみである。

(I can only conjecture that the mutineers had assured themselves of a more happy life among the Otaheiteans , than they could possibly have in England; which, joined to some female connections, have most probably been the principle cause of the whole transaction.)(William Bligh & Edward Christian The Bounty Mutiny(2001)11.)」と書いている。

 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。
(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」


 
 キャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


究極のSEX ポリネシアン セックス

ポリネシアン セックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスの奥義を指す。

ポリネシア/ギリシャ語「多くの島々」と言う意味のポリネシアはハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ1辺が約8000キロの三角の内側の島々、イースター島をさす。ミクロネシアは太平洋中西部の諸島群で、カロリン諸島、マーシャル諸島などがある


「エロスと精気」

これは男性上位の力を誇示するようなアクロバットな性技ではなく、ゆっくりとした時間の中でお互いの命の声を聞きながら行う静かな愛の形です。

実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。性交するときは、前戯と愛撫を少なくとも1時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。挿入したのちは、男女は最低30分は身動きせず抱き合って、それから前後運動を始める。

オルガスムがあったのちも、長時間性器を結合させたまま抱き合っている。35分ほどこの抱擁を続けていると、全身においてオルガスムの快感の波が次々と押し寄てくるのを感じ初めることだろう。あなたが男性であれば、射精をしないまま相手と一体になって全身が突然さざ波のように震えるだろう。そうなれば、体を離さずに震え没入し、震えそのものになるべきだ。その時、2人の体のエネルギーが完全に融合している実感をもつであろう。

男性に勃起力がなくなるような感じになった時、女性に性感がなくなるとき、そのときだけ動きが必要になる。その場合でも、興奮の波は非常に高い所にだけ置いておき、ただし、頂点まで昇らせてオルガスムとして爆発させるのではなく、心をおだやかにしてエネルギーのなかに身をまかせるのである。つまり、挿入後に萎えてしまいそうになった時、それを防ぐ為のみ、うごかしてもいいということだ。しかし、そのまま動きに没頭するのではなく、射精に達する前に再び動きを止めて、抱擁を続る。

男女はベットにそれぞれ楽な感じに寝る。2人の上半身は離しておき、骨盤の部分はくっつけ合う。女性は仰向けになり、男性は体の右側をベットにつけて身を起こす。足はお互の体にからませる。男性は左足は女性の足の間に割って入り、女性の左足は男性の腰の左に乗せる。互いに相手の負担をかけることなく、くつろげる姿勢であるとこが重要だと言う。そうして、身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。
http://rena-i.jp/porisex.htm

「ゴーギャン」
南太平洋、フランス領ポリネシア。 タヒチ。

とあるホテルの5つの簡単な決まり事。

1つ、ゆっくり動きなさい。
2つ、気持ちをリラックスさせなさい。
3つ、家に置いてきたペットのことは忘れなさい。
4つ、お堅い話も忘れなさい。
5つ、バターの値段を考えるなんてもってのほか。

この島では、日が昇ったら起き、
お腹がすいたら食べ、
眠くなったら眠るのです。

何もしないで、ただボーッと海を眺めて過ごす。
それが、一番の贅沢。

今日の一枚は、そんなタヒチで描かれました。
といっても、今あるのはアメリカですが・・・。

場所は雪のニューヨーク州、
オルブライド・ノックス・アートギャラリー。

二人の慈善家によって集められた名画の数々・・・。
でも、お目当てはこの先。急いではいけません、ゆっくりと。
そう、この絵が「今日の一枚」です。

「マナオ・トゥパパウ」

ポール・ゴーギャンの作品。

そのポール・ゴーギャンは、
タヒチといえば名前があがる後期印象派の巨匠。

セザンヌを学び、ジャポニズムに走った元日曜画家。

ゴッホとの共同生活でも、自我の強さから喧嘩別れ。
傲慢とわがままを芸術の糧としたポール・ゴーギャン。
パリに失望し、やってきたのがタヒチ。
求めたものは汚れのない原始。

そして、タヒチの女性をモチーフとする
数多くの絵を生んだのです。
強烈な色彩と大胆な構図。
ゴーギャンのタヒチ。

そんな作品のなかで、異彩を放っているのが、
この「マナオ・トゥパパウ」です。

大きく見開かれた少女の目。
凍り付いた視線。
背後にうずくまる不気味な影は?

ゴーギャンが南海の楽園で見つけた原始とは、いったい何だったのか。

南緯17度、西経149度。
1年間の平均気温は25度前後。
タヒチは今でもよく、南海の楽園と呼ばれています。

パペーテはタヒチを訪れた人が必ず立ち寄るフランス領ポリネシア唯一の都会。

ゴーギャンが植民地のタヒチを訪れたのは1891年、43才のとき。
フランスの港を出てから実に2ヶ月の船旅でした。
当時、パペーテの人口はおよそ3000人。
その一割にも満たないフランス人が、タヒチの政治、経済を仕切っていました。
その頂点に君臨するのが、フランス本国から任命された総督です。
当時はカリブ海出身のラカスカードという男。

総督

「タヒチについたゴーギャンが私に会いに来た。
私は快く彼を迎えた。

ようこそゴーギャン君、総督のラカスカードだ。座りたまえ。
このパペーテには教会から病院、カフェーまで揃っておる。
私の自慢の町だ。
パリから来た君でも困ることはないよ。
そうそう、芸術特使の君にぜひ、肖像画を描いてもらいたいというものがおるそうだ。
まずはいい絵を描いてくれたまえ。

おや、何か不満でもあるのかね?」

ゴーギャンは、話の途中で席を立ってしまった。 いったい、何が気にくわないというのだ。

パペーテの街角で、ゴーギャンが見たもの。
それはパリと同じ喧騒、そして香水の匂い。
自分が求めた原始の楽園は、そこにはなかったのです。
失望、そしてこみ上げる怒りに似た感情。

そもそもの発端は2年前。
パリではエッフェル塔が完成。
万国博覧会が開かれました。 鉄が支配する新しい文明の幕開け。
しかし、ゴーギャンが惹かれたのは、同時に開設されていた植民地パビリオンでした。
東洋の神秘、ポリネシアの原始的な荒々しい文化。
パリの文明社会で暮らすゴーギャン。
彼の目に、それは地上の楽園に見えました。

そこでゴーギャンは考えました。
「なんとしてもタヒチへ行こう」と。
あらゆるコネを利用し、海をわたろうとします。
金がかからず、絵が自由に描ける地位・・・
それが芸術特使というフランス本国からもらった肩書き。


ゴーギャンがパリで思い描いた地上の楽園、タヒチ。

そこでは昔からの人々は原始の神々を崇め、ともに暮らしていました。
すべての物、すべての現象に神が宿る、そう考えられていたのです。
神話と伝説の国、ポリネシア・・・。
しかし、ゴーギャンが訪れた時はもはや過去の話。
文明によって古い信仰は捨てられ、神を祀る祭壇もすでに廃墟と化していたのです。

ポリネシア・ダンス。
体で表現する原始の言葉。
かろうじて人々の心に受け継がれてきたタヒチの神秘。

これは、豊かな実りを願い、神に祈るダンス。
戦いの前に踊り、神への誓いをたてるダンス。
分明に支配されたタヒチ、そこに残された原始の息吹。

総督
「きのう、ゴーギャンが挨拶にきたよ。 ひどく打ちのめされているようだったが、パペーテを出るというんだ。 ヨーロッパから遠ざかりたいとか、原始的で汚れのない原住民と一緒に暮らすんだとかいってた。 ほんとうに、パペーテを出て芸術活動ができると考えているのか? まあいい。じきに帰ってくるさ。」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao1.htm

<原始のイヴ>

パペーテを逃れ、ゴーギャンが落ち着いた先はマタイエア。
島の反対側、南へ40キロほど行った海辺の村。

そこで彼が見たものは・・・

素朴で原始的な暮らし。
骨太で力強い人々。
奔放に生きる女たち。

ヨーロッパ的美の基準には当てはまらないものたち。
しかし、ゴーギャンはそこに原始の美を発見したのです。
パペーテでは決して見られなかった、手つかずの美しさ。

イア・オラナ・マリア。

タヒチの聖母子像。

着ているものは民族衣装のパレオ。
がっしりしたタヒチの聖母マリア。
そして褐色のイエス・キリスト。

聖母子像の横に描かれたのは仏教徒のポーズをしたタヒチの女と、 青と黄色の翼を持った天使。

イア・オラナ・・・それはタヒチの出会いの挨拶。

副館長
「ゴーギャンの色使いはとても鮮やかで、ほとんど原色をつかった美しい色彩 で描かれています。
そして、タヒチの光をふんだんに取り入れました。
その光はポリネシアの人々に対する愛情と、尊敬の気持ちから描かれたんです。」

原始の楽園、マタイエア。

人々は神を畏れ、自然とともに生きる。
何もしなくていい、何も考えなくていい、ゴーギャン、至福のひと時。

マタイエアの人々にふれ、ゴーギャンが感じたのは、自分が求めつづけてきた原始のタヒチ。

創作意欲をかき立てられるゴーギャン、目指したのはシンプルな芸術。

細かい技法を捨て、自分が感じたことだけをおおらかに描く。

そのためには、原住民とだけ付き合い、原始の心で見ること。
それが真の芸術へたどり着く道、そう考えてきました。

しかし、その絵はほとんど売れません。


総督
「赤い水やら黄色い砂。ひどい色使いだ あれじゃ売れなくて当然だ。 しかし、この絵はどこか違うな・・・。」

原始の村マタイエアでも、文明から逃れることはできませんでした。
好みの食料品や絵の具があるのはパペーテだけ。
金・・・文明人のゴーギャンに必要なのは経済的な裏づけだったのです。
絵を買ってくれる人もいないタヒチ・・・
待っていたのは貧困。

そこで、ゴーギャンは総督のもとへ。
もっと小さな島の役人にしてもらおう。
そうすれば、金と新しい絵のモチーフ、両方が手に入ると考えたのです。

総督
「そんなわがままを話、通用するわけがない。

フン、金が欲しい? 島の役人に採用しろだと?
冗談じゃない、矛盾だらけじゃないか
ゴーギャンの求めているのは、原始の生活ではなかったのか!
なんて傲慢で、身勝手なやつだ!」

総督に冷たくされたゴーギャンは、自分の身勝手を棚に上げ、子供じみた反抗にでます。

やったことは、風刺画。
総督を猿に見立て、痛烈にからかったのです。

それは原始に翻弄される文明人の哀れでもありました。

貧困のため、絵を描く意欲も失せたゴーギャンは、気分転換をかねて、探検旅行に出かけます。

行く先は島の東側、文明から最も遠い土地。
やがてゴーギャンの行く先に現れたのは、山あいの小さな村でした。
その一軒で声をかけられます。

白人は神の使い、そう信じる村人は自分の娘を妻にと勧めるのです。
そして、運命の出会い。

「マナオ・トゥパパウ」に描かれた少女。

少女の名はテハアマナ。愛称テフラ、13歳。
タヒチでであった原始のイヴ。

テフラに一目で惚れたゴーギャン。


彼はその場でテフラと結婚し、一緒に暮らし始めます。
日の光を浴びて、黄金色に輝くテフラの肌。
ついに出会った原始のイヴ、テフラとの生活がゴーギャンの見方を変えました。

文明に毒されたタヒチは今、探し求めた原始の楽園に生まれ変わったのです。

ゴーギャンによって残された原始のイヴの肖像・・・

ゴーギャンの夢、

画家が愛してやまなかった少女・・・。


総督
「原始のイヴだって?なにを大げさな。
ただの島の娘じゃないか。
それにしても、あの絵の娘は何かに怯えているのかね?
しかも、後ろにうずくまっているあの不気味なものは何だ。
アッ、これは!」

青い海と珊瑚礁。
そして険しくそびえる山々。
さまざまな顔をもつタヒチ。

一歩奥へ入ると、そこはすでに伝説と神話の世界です。

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao2.htm

<タブー>
タヒチにはタブーがある。
死者を葬った場所は避けるように。
うつろな木の陰に横たわらないように。
もしタブーを破ることがあれば、やつが現れるだろう。

やつは寝ているものに飛びついて、首を絞め、時には髪を引き抜き、死に至らしめることがある。その名を決して口にしてはならない。

いまもタヒチに伝わるという、タブーの正体とは何か。


女1
「そうだねえ、この土地のタブーといったら幽霊のことだよ。」

女2
「子供のころに見たことがあるわ。
しろ〜くて、お化けみたいな姿をしているのよ。
本当に恐かったわ。」


「トゥパパウって幽霊さ、こんな感じのやつ・・・
ひとに取り付くと目が大きくなって、下がこんなに長くなるんだ。」

マナオとは「思う」「考える」という意味のタヒチ語。
マナオ・トゥパパウというタイトルには、トゥパパウ、つまり死霊が見ている、という意味がこめられていたのです。


総督
「トゥパパウについては、私も調査員を派遣した。
報告によると、トゥパパウの都は森の闇に包まれた山奥の奥にあるそうなんだ。
そこでトゥパパウは数を増やし、死んだ人間の魂を食らうという。

フン、もうすぐ20世紀だというのに、タヒチにはまだ下らん迷信が残っているのか。」


学芸員
「確かにトゥパパウの伝説は残っているようです。
トゥパパウとは死んだ人の霊のことで、夜の闇をさまよい歩くと考えられていました。
そのため、タヒチの人たちは闇を怖がって、寝ているときも明かりを絶やしません。
もし部屋の明かりを消してしまうと、トゥパパウが家の中に入ってきて、
寝ている間に悪さをすると信じられていたからです。」


ある日、ゴーギャンは帰り道を急いでいました。
切れかかった灯油を町へ買出しに行った帰りです。
夜中の1時、あたりは完全な闇。

夜空の月も雲に隠れていきます。

テフラの待つ小屋は闇に包まれていました。
いやな予感がしたゴーギャンは急いで部屋の中へ。
すると・・・そこは原始の闇。

思わずマッチをすったゴーギャン。
そして彼の目に映ったものは・・・
ベッドに横たわり凍り付いたようなテフラ。
うつろに見開かれたテフラの目。

タヒチの人にとって、闇はトゥパパウのすみか。
テフラには夜の闇は恐怖そのものでした。
そして、恐怖に射抜かれたように身を固くするテフラの背後に、ゴーギャンははっきり見たのです。

『私が見るものは、ただ恐怖だけでした。
それは絶え間ない恐怖である。
私のトゥパパウを発見して、私は完全に心ひかれ、 それを絵のモチーフにした』

ゴーギャンはテフラを通して、はじめて本当の原始を理解したのです。

テフラ、原始に住むイヴ。

タヒチにきて三度目の夏・・・。


総督
「ああ。おめでとう、ゴーギャン君。
君にも私にもいい知らせだ。
本国から君を送り返すように言ってきたんだ。

ここを見たまえ、資産状態が配慮に値する困窮の画家を送還すること。フランスの船で。
ただし、一番安い船に、乗せるようにと書いてある。
ともあれ、これで我らが芸術特使さまの任務も完了というわけだ。
ごきげんよう、ゴーギャン君。」

1893年7月。
ゴーギャンは本国フランスへの帰路につきます。
テフラと出会った後も、ゴーギャンの生活は決して理想のものではありませんでした。
極度の貧困、そして重なる疲労。
逃れられない文明の影。
結局、彼は逃げ出すようにタヒチを後にするしかなかったのです。

パリに帰ったゴーギャンは、このマナオ・トゥパパウに他の絵の倍以上の値段をつけたといいます。

タヒチにきたらゆっくりと動くこと。
日々の暮らしは忘れ、リラックスしましょう。

でも、夜は明かりを絶やさないように。
もし暗くしたら、闇の中からあなたをみつめる死霊と出会うことになるかもしれませんから・・・

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao4.htm


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    .!         |::     :..゚..::       i:        ゙゙''i
     |       l::        ゙゙"       |:          |
   @゙!         |::              !::        ノ


Teha'amana (マナを与える者の意)


ゴーギャンがタヒチで見出したものは何であったのか?

『ノアノア』連作版画


タヒチからフランスへ帰郷したゴーギャンは、母国のタヒチへの理解の乏しさに、絶望します。そんな母国フランスへ、タヒチの生活のすばらしさを伝えるために制作したファンタジー小説、『ノアノア』の挿し絵に使用されていた作品のいくつかを、紹介したいと思います。

ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)

教科書などでも有名な作品、『かぐわしき大地』を左右反転させた作品です。版画になり、白黒はっきりさせたものになったことで、主人公であるエヴァの表情の濃淡が、よりくっきりとしていることが印象的です。。

また、エヴァをそそのかすトカゲが、顔よりも大きく、この版画の中心に描かれていることも、気になりますね。


テ・アトゥア(神々)
マオリ族(ニュージーランドのポリネシア系先住民)の古代神話より。


中央に鎮座するのは、主神タアアロア。右側には再生の力を持つ月の女神ヒナ。左側には、大地の男神であり死の象徴であるテファトゥとヒナの対話の場面が描かれています。

これらの神々は、ゴーギャンの作品の中ではたくさん登場する、重要な役割を果たしているものです。

再生の神と、死の神が、ふたり同時に何を話しているのか、(しかも、僕が見る限りふたりは、とても官能的に話をしているように感じます。。)気になるところですね。。

マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

テ・ポ(夜)


このふたつの作品のは、「死霊に怯える女性」という同一の主題を描き出しています。


『マナオ・トゥパパウ』の女性の姿勢は、ペルーのミイラの体勢を源泉に持っています。つまり、人間の死んだ後の存在であるミイラと、同じ体勢を取っている、ということです。

しかし、死の象徴とも思えるこの作品は、見ようによっては胎児のようにも見えます。

相反するふたつのもの、つまり、生と死を一体化したふたつの境界線が揺らぐ、タヒチの夜の神秘を描き出しているようです。ふたつの相反するものを、ひとつのものの中に融合させる、ということは、人類の大きなテーマであると感じました。

また、『テ・ポ』の方は、ゴーギャンがタヒチでできた愛人、テハアマナが、夜、明かりの消えた部屋で、死霊に怯えている姿を描いた作品です。

タヒチの人々にとって夜は、霊魂が活動する、死と隣り合わせの世界にほかなりませんでした。真ん中に横たわる女性の後ろには、様々な死霊たちがこちらに目を向けています。。

このことから考えると、ゴーギャンの描く夕方の世界は、現代の我々が考えるような、単なる美しい夕焼けではなく、これから迎える夜=死霊の世界を思わせるような、ある種、最も境界線の薄れた世界を題材にしている作品であることが分かります。。

http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=83


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』後、自殺未遂を経てゴーギャンが描いた作品のうち、気になった作品をいくつか。。

テ・ハペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)
1898年 油彩・キャンパス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin128.html


『我々は〜』の関連作品です。
 

時刻は夕方、死霊が闊歩する夜が、すぐそばまで迫ってきています。

手前の4人の女性の表情は、逆光ではっきりとわかりません。微笑を浮かべているようにも感じるし、背後から迫りくる夜に、怯えているようにも感じます。。

川を挟んだ奥には、子供と手をつないだ(? 暗いので、はっきりそうとは言い切れませんが・・・)頭巾を被り、服を着た女性と、再生の女神ヒナが描かれています。その足もとには、ゴーギャンノ化身である黒い犬らしき影が、闇に紛れるようにひっそりといます。

川を境に、生と死が対照的に描かれているようです。一度死を決意し、なお生き長らえた画家の心境は、どういったものだったのでしょうか・・・?

ゴーギャンの作品にはめずらしく、奥行きがあり、見ているとからだが、絵画の中に引きずり込まれそうになる作品です。
http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=89


我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

複製画
http://www.meiga-koubou.com/item/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%80%8E%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85/


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」との哲学的思惟を迫る、しかも139×375cmという壁画のような大作を目の前にしますと、しばらくめまいのような感覚に襲われます。全裸と腰布だけの女たちが、地面の上に坐って、こちらを見ています。
画面右側には、岩の上に赤ん坊が寝ており、逆の左端には、煤のように黒ずんだ老婆が、やはりこちらを凝視しています。画面中央では男が果物をもいでおり、その足下で、少女が果物を食べています。人びとの近くには、犬と猫と山羊と鳥とが、人間たちと同様に、無表情に地面に伏せています。画面後方には、まず両手を広げた女神像があり、そして体全体を覆うような長衣を着た女たちが、右側に向かって歩いています。背景では、幻想的な樹木が、奇怪な枝を広げています。

 この絵から、アダムとイヴの禁断の実と楽園追放の旧約聖書の物語を連想することは、さほど難しいことではありません。しかし、あの禁断の果実を採ったのは、イヴではなかったか。ゴーギャンのイヴは、どうみても女ではない。マリオ・バルガス・リョサは、『楽園の道』で、果物を採る人物の腰布のふくらみを「立派な睾丸と固くなったペニス」のようだとすら表現しています。楽園追放を暗示する赤い長衣を着たふたりは、アダムとイヴのように男・女ではなく女・女であり、またキリスト教絵画にある悲嘆にくれるふたりではなく、何やら真剣に語り合っています。キリスト教の世界から題材を借りながらも、内容は別の世界を表現しています。

 左端の老婆は、観者を凝視しながら、何を訴えているのでしょうか。ゴーギャンは、フランスの博物館で見たペルーのミイラから、この人物像を創作したということです。ペルーは、ゴーギャンが幼少期を過ごしたところ。死にいく老婆は最早、生きることをあきらめ、大地に返っていくことを、我々に告げているのかもしれません。

 美術館滞在中の大半を、この大作の前にたたずんで過ごしたのですが、時間が経つにつれてこの死にいく老婆の視線が、気になって仕方がありませんでした。「我々はどこへ行くのか?」。老婆の沈黙は、この答えのない問い掛けなのかもしれません。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2009/07/post.html


“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか” はイエスが語った言葉


ヨハネ傳福音書 第8章


8:1イエス、オリブ山にゆき給ふ。

8:2夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

8:3ここに學者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、眞中に立ててイエスに言ふ、

8:4『師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。

8:5モーセは律法に、斯かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言ふか』

8:6かく云へるは、イエスを試みて、訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書き給ふ。

8:7かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』と言ひ、

8:8また身を屈めて地に物書きたまふ。

8:9彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。

8:10イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言ひ給ふ『をんなよ、汝を訴へたる者どもは何處にをるぞ、汝を罪する者なきか』

8:11女いふ『主よ、誰もなし』イエス言ひ給ふ『われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』]

8:12かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』

8:13パリサイ人ら言ふ『なんぢは己につきて證す、なんぢの證は眞ならず』

8:14イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、


我は何處より來り何處に往くを知る故なり。

汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、


8:15なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/john.xml

ゴーギャンが取り上げた “我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず”というのは罪の女の話の総括としてイエスが語った言葉なのです。即ち、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の砂漠の遊牧・牧畜民の文化では女性や恋愛・性行動を敵視し、

女児がオナニーした → オナニーできない様に女児の陰核を切除する

少女が強姦された → 男を無意識に誘惑しない様に少女を石打の刑にする

妻が夫に売春を強制された → 夫に同じ過ちを繰り返させない様に妻を石打の刑にする

女性が恋愛・不倫した → 男を惑わせない様に女性を石打の刑や火炙りにする


によって対処する伝統だったのです。 イエスが否定しようとしたのはこういうユダヤ教の伝統だったのですが、キリスト教ではイエスの教えを完全に無視し、ユダヤ教の悪しき伝統をそっくりそのまま教義として残したのですね。

まあ、パレスチナの様な砂漠地帯では人口が増えると みんな食べていけなくなるので仕方無いのですが。

_____________

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は


「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。


ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するようになるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm

ダニエル・ド・モンフレエ宛て(1898年2月,タヒチ)

「…あなたに言っておかなければならないが,私は12月に死ぬつもりだった。それで,死ぬ前に,常に頭にあった大作を描こうと思った。1か月の間ずっと昼夜通して途方もない情熱で描き続けた。…これは,高さ1.7メートル,横4.5メートルの絵だ。…

右下に,眠っている赤ん坊と,うずくまる3人の女性。紫色の服を着た2人の人間がお互いの考えを打ち明けている。

わざと大きくして遠近法を無視して描いた人物は,うずくまり,腕を上にあげ,自分たちの運命を考えている2人を眺めて驚いている。

中央の人物は,果物を摘んでいる。一人の子どもの傍には,2匹の猫がいる。そして白い牡ヤギ。

偶像は,神秘的に律動的に両腕をあげ,彼岸を指し示すかのようだ。うずくまった人物は,偶像に耳を傾けているように見える。
最後に,死に近い老婆は,自らの運命を甘受しあきらめているかのようだ。…その足元に,足でとかげをつかむ1羽の白い未知の鳥がいるが,空疎な言葉の無用さを物語っている。…」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf

ゴーギャン自身が友人モンフレエ宛ての手紙43)の中で記しているように,面右端と左端には人間の生と死を表すかのように赤ん坊と老婆が描かれている。画面中央には,果実をもぎ取ろうとする青年の姿があり,傍らには地面に座り込んで果実を食べる子供がいる。その他タヒチ女性が配置され,ヤギや犬,鳥といった動物,そして古代の神とされる偶像が描かれている。ゴーギャン当人は,大作であり日頃から温めてきた題材としながらも,作品の意図や描かれた個々の対象の意味について十分な説明をしていない。

先行研究では,まず作品タイトル《我々は…》の出典元の確認が試みられている。

ルークメーカーは,ゴーギャンのブルターニュ時代の肖像画に見出されるトマス・カーライル著の『衣装哲学』に,
O Whence─ OhHeaven, Whither?(仏語訳ではMaisd’oùvenouns nous? O Dieu,oùallonsnous?)という題名と対応する一文が見られると指摘している。また,フィールドもカトリックの秘儀を研究した書物に,作品タイトルと一致する文面があるとしている。作品内におけるモティーフと典拠元の関係においては,タヒチ時代の自身の作品からの転用だけでなく,ブルターニュ時代の作品にその始まりを見出せるものがある。

左の右手をついて横座りする女性のポーズは,1889年の《海藻を集める者たち》の女性のポーズを反転させたものである。また,左端の顔を手で押さえてうずくまる老婆の姿も,ブルターニュ時代からゴーギャンが作品に使用していたポーズであり,ペルーのミイラ像にその根拠を見出せる。タヒチ時代の作品から引用された女性像においても,ジャワ島のボロブドゥール寺院のレリーフやエジプトの壁画にその原型がある。

以上から考えられることは,タイトルから想起されるキリスト教的視点と,実際のモティーフから現れる西洋,非西洋を越えた広い視点との間に距離が生じるということである。ここで作品を改めて考察すると,《我々は…》には,我々が希求し模索しながらも到達し得ない人間存在が描かれていると言えないだろうか。ブルターニュ,タヒチ,あるいはジャワ島やエジプトといった特定の場所や人々ではなく,人間そのものへの強い憧憬がここには存在する。それぞれのモティーフは,断片的表象にも関わらず作品全体において調和をなしている。そして,そうしたモティーフの背景に存在するキリスト教やタヒチにおける信仰などの民俗信仰は,人間の祈りというレベルにおいて等価のものとみなされる。

作品タイトル《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》は,人間にとっての至上命題である。つ
まりこの絵画には,ゴーギャンがブルターニュにおいて感じたnostalgia故の人間存在そのものへの希求が見られるのである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf


後期印象派の代表する巨匠にして総合主義の創始者ポール・ゴーギャンの画業における集大成的な傑作『我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか』。

1895年9月から1903年5月まで滞在した、所謂、第2次タヒチ滞在期に制作された作品の中で最高傑作のひとつとして広く認められる本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。完成後、1898年7月にパリへと送られ、金銭的な成功(高値で売却)には至らなかったものの、当時の象徴主義者や批評家らから高い評価を受けた本作の解釈については諸説唱えられているが、

画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物(旧約聖書に記される最初の女性エヴァが禁断の果実を取る姿を模したとも考えられている)が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には(人間の生から死)の経過を表現したとする説が採用されている。

また老婆の先に描かれる白い鳥の解釈についても、言葉では理解されない(又は言葉を超えた、言葉の虚しさ)を意味する(神秘の象徴)とする説など批評家や研究者たちから様々な説が唱えられている。

画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。

さらに本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。本作に示される、強烈な原色的色彩と単純化・平面化した人体表現、光と闇が交錯する独特の世界観はゴーギャンの絵画世界そのものであり、その哲学的な様相と共に、画家の抱く思想や心理的精神性を観る者へ強く訴え、問いかけるようである。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html


「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。

死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2009/07/post-8a2a.html


この絵でゴーギャンは人の一生を一画面に表現しようとしています。「生まれて、生きて、死ぬ」生き物なら当たり前なことを描いているのです。 そしてこの絵には海が上の方に少し描かれています。

右上には朝の海が描かれ、地球の誕生を意味し、左の海には夜の海が描かれ、地球の終わりを意味しているのでしょうか。

この絵に描かれている人物はほとんどが女性です。犬や猫、鳥なども描かれています。それぞれに意味づけをしていますがどうなんでしょうか?

右の子どもは誕生でしょうし、中央のリンゴを取ろうとしている女性はイブ(エバ)を意味し快楽と苦痛を表現し、左の頭を抱えている女性は死を意味しています。

画面全体は暗いのですが、右側の女性には光が当たっていて、左側は暗い。

背景は右も左も暗く描かれ、ゴーギャンにとっては「この世は真っ暗闇だ」まではいかず、「暗闇」だくらいなのでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/60035012.html

19世紀以降、ポリネシア人はキリスト教に改宗していますが、ブルターニュ地方のキリスト教の場合と全く同じで、外観はキリスト教の衣装を纏っていても、その中身は古来のアニミズムそのものだったのですね。

ゴーギャンが描くアダムとイブやマリアも聖書から題材を選んでいますが、その意味する事はキリスト教の教えとは全く異なる物なのです。

“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか”で知恵の木の実を採るのは男ですし、

エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つのです。:


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。
あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。
おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、

「排尿をガマンできない人間」、

「性器を持たない人間」、

「よろよろして立ち上がることができない人間」


など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967


198. 中川隆[-12513] koaQ7Jey 2018年5月26日 07:18:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』予告篇【2018年1月27日(土)公開】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=UCLika1u4Mc


『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』Gauguin Voyage de Tahiti - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=_1Sfhn6fwJk
https://www.youtube.com/results?search_query=Gauguin+Voyage+de+Tahiti+full+movie


原題 Gauguin - Voyage de Tahiti

製作年 2017年
製作国 フランス
配給 プレシディオ

監督 エドゥアルド・デルック

キャスト
バンサン・カッセル : ポール・ゴーギャン
ツイー・アダムス
マリック・ジディ
プア・タウ・ヒクティニ
http://gauguin-film.com/about.php


199. 中川隆[-12512] koaQ7Jey 2018年5月26日 07:29:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか? _ 2


ピガールよりは歌舞伎町の方が遥かにディープ


ピガール界隈

ピガールはパリ随一の歓楽街です。

通りを歩くとsexialなお店が軒を連ねていて、日中にもかかわらず、私たちみたいな中年カップルにさえ呼び込みが声をかけてきます。

いったい、何のお店だったんでしょう?
夜になると着飾った女性(男性の場合もあり)が通りに立ち並び、がらりと雰囲気が変わるそうです。夜のピガールも見てみたかったのですが、主人に却下されてしまいました…

フレンチカンカンで有名な"ムーラン・ルージュ"

昼間明るいうちに見るとちょっと冴えないですね・・・
ちょうど、モンマルトルをぐるりと廻る"プチトラン"が止まっていました。

夜の世界の人たちを描き続けたトゥルーズ ロートレックはムーランルージュの踊り子や客をモチーフにした作品をたくさん描いています。

学生時代、ロートレック様に心酔していて、自分の部屋にたくさんポスターを貼っていた時代がありました…(-_-;

"ムーラン・ルージュのラ・グリュ" ( "ラ・グリュ"と言うのは踊り子の名前です )

”ジャンヌ・アヴリル” これも踊り子の名前

↓ 下からのライトに照らされた右端の女性、インパクトありますね。
後ろ向きに座っている女性は、映画「ムーラン・ルージュ」でニコール・キッドマンのモデルになったそうですよ。ニコール自身がわざわざシカゴ博物館までこの絵を見に行ったとか…

手前の横向きシルクハットの男性がロートレック自身です。
キャバレーですから昼間はあいていませんが、入口を覗くとセクスィーな写真がいっぱい!

キャッ、ハズカシ〜!            
ボンゾも思わずフレンチカンカン♪

ムーランルージュの裏手にある"カフェ・ドゥ・ムーラン"は″アメリ″が働いていたレストランとしてロケに使われた場所です。

このレストランは映画でも本名で登場しています。
お店の中にアメリの写真がしっかり飾ってありました。

サクレクールの裏通りからピガールまで歩いて来ましたが、モンマルトル界隈はディープなパリって雰囲気で面白かった〜!
http://bonzoblog.exblog.jp/11198620/


ピガール周辺

これは、ピガールからクリシーに向けて歩いた時に見える昼間の景色。見てのとおり、S●Xの文字だらけ。この通りのこういった店は、映画をよーく注意して見てると時々ちらほらと出てます。

「アメリ」ではメパラス・ビデオモという店が登場していたし、「ファム・ファタル」ではこのすぐ近くのエロショップ2階の部屋を外側から映すというショットで登場していた。「結婚7年目」にもこのへんのエロショップが舞台になっていた。
 
 大通りの中央がバリケードで囲まれているのは、そこが緑あふれる遊歩道として改造されつつあるからなのです。もうクリシー付近は工事が終わり、まるで都会のオアシスのようにきれいになってます。(ピガール周辺は目下工事中で、騒音激しい時期です。)


エロ・ショップ

これがこのあたりで典型的な店。中が一体どうなっているのかは‥‥映画で見るとおりなんだと思う。CABINEと書いてあるのはエロ・ビデオを見る小部屋のことかなって思うんだけど。そうそう、「La Pianiste」というものすごくヘンなフランス映画があったけど(ほぼ同時期に公開された le pianist と混同しないように)、あの映画の中で女ピアノ教師がエロ・ビデオを観ていたなぁ。
 
 テキトーにパチリと撮った写真だけど、若い男の子たちがちょっと楽しそうにウインドーを見てる姿がなかなかかわいい一枚。(笑)


ピガール、クリシー
メトロの駅ピガールとクリシーのちょうど中間にあたる場所に、ムーラン・ルージュがある。その斜め向かいがこのMONOPRIX(モノプリ)という大手スーパー。こんな超健全な店も、エロ・ショップに囲まれて平然としている。モノプリっていい商品を売ってる店なので、決してチープな店ではないのに。ある意味すごいね。


正式にはエロチック・ミュージアムという名前ですが、省略してエロ美術館にしておきます。ここでは全世界から集められたエロスを題材にした美術作品が陳列されているらしい。この写真では見えないけれど、中央の大きなウインドウにその作品のいくつかが展示してあり、あまりにエロ・グロなので写すのは控えました。  
 日本からは多分、江戸時代の春画なんかが展示されてるんじゃないかな?って感じです。  
以前友達に「秘宝館って知ってる?」と聞かれたことがあったけど、ここもある意味メ秘宝館モなんだろうなぁと思う。
http://karufu.net/room/france/syufu/zare003.html


西洋人はすぐにロリとかアナルとかゲイの方向に行ってしまうので全然エロくないんですよね。 モデルは欧米人の方が日本人よりずっと綺麗なんだけど、エロさは日本女性の方が数等上。

ポルノで一番ディープなのも日本製

日本製AV が欧米のAVより遥かに人気が有る理由が良くわかります。

▲△▽▼


西洋文化がディープでない理由


1) タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ


tarkovsky Andrey Rublev
http://www.youtube.com/watch?v=EjEkUPXdceI&feature=results_video&playnext=1&list=PL2354BE862810ED06


アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。


そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。

小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。

アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。

小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。


異教の女マルファとの会話

マルファ
なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ
裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ
何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?


ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ
あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。  
http://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351


▲△▽▼


性を敵視するキリスト教


日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


 1966年、イニス・ベアグ島のアイルランド系の島民に関する人類学的研究によって、島民の性生活において、19世紀のキリスト教の父権的パターンをもつ小型の文化が続いていることが明らかとなった。

女性はオルガスムを経験しなかった。女性はセックスを享受するよりも耐えるように訓練されていた。男性はいつも数秒で果てた。節度というものが抗しがたく両性の心を占めていた。

夫も妻も相手の裸体を見たことはない。前戯は寝巻の上から乱暴になでまわすだけであった。正常位Venus Observa以外の体位はとらなかった。

婚前交渉は事実上行なわれなかった。というのは若いカップルが2人だけになることはなかったから。旧式のデート方法である「散歩」さえも許されなかった。若者は性に関する知識はいっさい与えられなかった。結婚してから「成行きにまかせればいい」と島民は悪びれずに語った。

 男たちはしばしば小船に乗って海に出るが、泳ぐために人前で服を脱ぐのがいやで泳ぎを学ばなかった。「海水浴」というのは、服を着たまま海中を歩くことを意味した。海水浴をする男女は厳しく分けられた。男性は病気になったり負傷しても、本土の病院に行くよりも死を選んだのであった、というのは病院に行けば看護婦の目に自分たちの身体をさらすことになると考えたからである。

 イニス・ベアグ島ではイヌでさえも、陰部をなめたり、他の「卑猥な」振舞いをすると答で打たれた。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sex.html

「キリスト教中世」は、「性的快楽は全て、男女を問わず、悪だ」と考えた。


「肉には善きことは何もない。神を恐れる者は、禁欲せねばならぬ」(聖クレメンス)。

「生殖を目的としないセックスは全て悪魔の仕業だ」(聖アウグスティヌス)。


これが、数百年にわたってキリスト教の「結婚道徳」の礎(いしずえ)となった。
十九世紀には、「女性の性」への敵意は、一種の歴史的集団ヒステリーにまで高まっていた。

「女性にオルガスムスがあるなどと考えるだけでも精神病者の妄想である。そんなものはありえない」(当時の精神科医の話)

「女性に性的な感覚があるなどという主張は、汚らわしい中傷だ」(当時のイギリスの権威、ウィリアム・アクトン)。
http://www.porsonale.co.jp/semi_i194.htm#1


キリスト教会が、女性は性的快感を覚えてはならず、子を産むためにのみ性交をすべきであると教えたために、成長期にある男子も女子も、できるかぎり女性の性的能力については知らされないようにされた。

医者でさえも、貞節な女性には陰核がないと信ずるようになった。

 中世以来、貞節な女性はその裸身を男性に、そして夫にさえもめったに見せることはなかった。

そのため、暗闇でごそごそと女体をまさぐっていた男性が、女体がどういう構造になっているかまったく知らなかったとしても、それは驚くにあたらないことであった。

信心の深い夫婦は頭巾のついたシュミーズを着ていた。それは前面に小さな穴の開いているたっぷりとしたナイトガウンで、肉体の接触は最小限で妊娠させることができるものであった。

 1593年の魔女裁判で、審問官(既婚者)は初めて陰核を見つけ、それを悪魔の乳首と思い、魔女の有罪を確証するものだとした。

陰核は「小さなこぶで、いわば、乳首のように突き出ていて、長さは半インチ」であった。

審問官は

「初めて陰核というものを見たが、それが見るのもいやらしい秘所に隣接しているために、誰にも見せないつもりであった。しかし結局、そのようなまことに珍しいものを隠しておくことができなくなって」、

彼はまわりにいる人々にそれを見せた。人々もそのようなものは見たことがなかった。魔女は有罪と宣告された。


 西欧社会は、たしかに、男根については熟知していて、男根崇拝はキリスト教時代になってもなくならなかった。Phallus Worship. しかし、陰核のことは忘れられていた。

 「人生のそもそもの始まりから、私たちはみな、主要な男性生殖器は男根であり、女性性器で主要なのは膣であると教わる。そしてそれらによって男であるか女であるかがはっきりわかるし、男女の違いが現れるものと考えられている……これは嘘である……女性の性的快感を考える場合、こうした定義があてはまらない場合が多い。

もし女性性器の目的が女性に快感を与えることであると思うならば、女性が性欲をはっきり自覚するのは別の器官によるし、それに集中する。幼児のころから、主要な男性性器は男根で、女性のは陰核であると、すべての者が教わるとよい」。


 19世紀の医学の権威者たちは、女性の性的能力を女性たちに気づかせまいと心を配ったようであった。男の子と同様に、自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女の子は、医学的に問題のある子だけだとみなされた。

そういう女の子は、しばしば、陰核を切り取られたり焼灼されたりして「治療」され、「矯正」され、

あるいはまた、

「小さな貞操帯をはめられて、陰唇を縫い合わせて陰核に手がいかないようにされ、卵巣を外科手術で切除されて去勢されたりもした。

しかし医学的文献を見ても、自慰をやめさせるために男根を切断したり、睾丸を外科手術で切り取ったりしたということは、どこにも書いてない」 。

 アメリカで、自慰行為をやめさせるために陰核摘出をした記録の最後のものは、1948年のものであった。5歳の女の子であった 。

 カトリック教会は、1976年、自慰行為を「重大な道徳的退廃」だとしたが、それは、女性が自慰行為によってオルガスムに達することができることを恐れたこともあったのかもしれない。男性と同様に、自慰行為によって女性がオルガスムに達することは、今ではよく知られていることである 。ヴィクトリア朝時代、聖職者や医者たちは、「女性の性的能力を全面的に抑圧することが、女性を飼いならすのに決定的なことである」と思っていた。

アイザック・ブラウン・ベイカー博士のような指導的な権威者たちも陰核摘出を数多く行って、女性の神経衰弱、ヒステリー、強硬症、狂気、女性痴呆症、その他性的欲求不満の徴候を示す数々のふれこみ文句で言われている症例を治療しようとした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/clitoris.html


マッサージ機の歴史


テーマ:芸能・エンターテイメント 「松島・町山の未公開映画」というマイナー番組。オセロの松島さんと、アメリカ評論家(?)の町山さんがアメリカ社会の事実をお届けするという番組。

今日はとても面白かった、町山氏の解説がね(笑)

そもそもヨーロッパでは、キリスト教の教えにより、女性にとって陰核刺激をすることは低俗なことであり、挿入快楽によって主人と同時絶頂が理想とされた。その考えは今も根強いとも言われる。

18世紀後半ビクトリア朝のイギリスでは、女性は束縛された。女性はきれいな言葉を使い、働いたらだめだし、さまざまな権利も保障されない。女性たちは当然、ストレスがたまり、欲求不満でイライラするようになる。

これは、当然の結果だ。にもかかわらず、当時イギリスでは、これを女性がかかる「ヒステリー」という病気だと断定した。

実際、束縛された女性たちはイライラがつのり、医師のところにどんどん行くようになる。

医師は、これに対してどういう治療をしたかというと、陰核刺激だった(爆笑)
女性たちは、医師による陰核刺激で絶頂に達し、すっきりして家に帰るわけである(爆笑)

夫たちも、別にその陰核刺激は、ヨーロッパでは性行為ではないという概念であるし、治療行為なので気にしないし、何せ妻がすっきりしてイライラがおさまるのだから、悪くはない。

さらに、女性たちは病院に通った(爆笑)

すると、今度は医師たちの指が疲れるわけである(笑)

そこで、バイブレーターというものが発明され医師たちに愛用された。その後、バイブレーターを肩などに当てても気持ちがいいということで、電動マッサージ機として発売されることになった。 つまり、電マで陰核刺激することは、バイブレーターに転用したということではなく、本来の使い方だったというわけである。

番組の本題は、アメリカで女性用バイアグラを政府が認可するか、しないかという話の前半であった。

アメリカでは女性が挿入絶頂しないのはなんと病気(FSD)だと今、半ば定義づけられており、政府がお墨付きで病気だと断定するか、しないかという段階だという恐ろしい話なのである。

病気じゃないものを病気だといわれると、昔のイギリスのような無知なアメリカの主婦たちが、その女性用バイアグラを買っていき、製薬会社はボロ儲けという構図なのである。

アメリカは性教育が発達していると思われる人が多いかもしれないが、実際は逆。 これはアメリカの最重要問題の人工中絶の是非の問題にもからんでくる。

アメリカの少し内陸部になると、ものすごく保守的で古いキリスト教義が根強く、人工中絶は禁止だし、性教育で生徒には、いまだに婚前交渉はだめであり、結婚後も避妊はだめだと教える。そういう土壌の中、保守的な女性たちにFSDは病気だと製薬会社が政府とつるんで教え込み、儲けようとしているのである。


加筆・・・・

翌週。結局、ホルモンを使った薬は今回は認可を阻止することができた。しかし時間の問題だという。そして一足先に、EUで認可されたそうである。 これについて、町山氏が松島さんに言う。2週にわたって、見てきたが、一回も「愛情」という言葉が使われなかったよね、と。

アメリカは、女性が絶頂に達しないのは病気であるとし、薬で絶頂に達せようとしたり、手術までしようとしたり異常としか言えない。

仮に、薬を飲んだり、貼ったり、したら快楽が増し絶頂に達するというのであれば、好きでもない男でもどんな男に対しても絶頂に達するということになる。それはおかしいことだ。女性はまず愛情があるからこそである。手を触られただけでも、大好きな人であれば、ドキっとするものであり、それは、科学だとか薬だとかの話ではない。

一切、そういう愛情というものを度外視して、ただ絶頂しないのは病気であり薬で解決させようとするのは、機械的であり、まったく、日本では理解できないものだ。 本当に、「愛」という言葉が1度も聞かれず、ただ絶頂に達することについてだけ議論しているという完全に異常、異様なVTRだった。
http://ameblo.jp/winterorange/entry-10691576426.html

かってヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女がマスターベーションを行う習慣をやめさせようとする時代がありました。19世紀には、特に女性のクリトリスは性的快感を与える以外には何の役にも立たず生殖出産には全く不要であるとして、クリの切除が合法化され、奨励されていました。

当時の高名なある医者は、オナニー(マスターベーション)の習慣をもつ多数の少女のクリトリスを、焼きごてで焼きつぶして、オナニーと言う病気、を治療したと明言しています。
http://mas.fromc.com/life-partner/danjyo~tame/kuritorisupenisu.htm


中世ヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女のマスターベーション、オナニーは禁止されていました。

今でもクリスチャンにはオナニーを悪魔の誘惑に負けることだといって、慎む人たちがいます。その中でも女性のクリトリスは性的快感を得ること以外に役には立たないという認識があり、こんなものは子供を作る際にも不要だ!ということで、クリトリスの切除が、奨励されていました。

「イタイ!!」

慢性的にオナニーの習慣を持つ少女に関しては、病気だと診断し、クリトリスを焼きつぶしたりしてオナニー癖を治したりしたそうです。

魔女裁判とも密接な関係があり貞淑な女性には性欲の象徴であるクリトリスがないものだという考えが浸透し、クリトリスがあると魔女扱いされたりしました。当時はオンナは、オトコの欲望、好奇心の対象物でしかなく、自らセックスの楽しむを得ることは許されてなかったのです。
http://htsx.blog.so-net.ne.jp/index/4

クリトリス切除はマスターベーションを防ぐ方法の一つだと考えられていたが、アメリカではコーンフレーク王のJ.H.ケロッグがまた別の治療法を考えだした。女の子が自分で楽しむのをやめようとしなければ、「純粋な石炭酸」をクリトリスに塗ればいいと提唱したのである。
http://diary.mrmt.net/2745


X線の最初に知られていた治療上の機能は女性のクリトリスを照射し、焼灼・破壊することだった。

1860年代からは clitoridectomyのための方法によって、取って代わられた。
http://www.brandbihar.com/japanese/women/history_female_sexuality.html

949. 名無し調教中。 [sage] 2006/12/07(木) 01:03:00 ID:m7yYpyRH

ヨーロッパじゃ一時期 オナニーに対して過剰な措置を取っていた時期があるよ。
ペニスにつけるアンチマスターベーションデバイスが売られたり、就寝時に子供の手を縛って性器に触れなくするとか。

953. 名無し調教中。 2006/12/07(木) 10:32:14 ID:XN5tKFeY

まあ、マスターベーションは精神病、特にヒステリーの原因と考えられた時代があってな。そのころは、クリトリス切除をマジで推進する医者が欧州にもいたんだと。精神に変調をきたした女から子宮摘出とかやってた時代だ。

954. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 03:10:57 ID:gQmoBRBp

マスターベーション禁忌は聖書にも記載されているから、敬虔なキリスト教徒なら嫌うだろう。 逆に近代に入ってからの性感帯信仰が異常とも言える。

女子割礼反対の根拠ともされるが、クリトリスが女性の体にとって本当に欠かせないものかどうか怪しいな。

一つだけはっきりしていることは、どの社会でも女の性器に自由はあまり無いということ。男根のように放置されることはまず無い。 生理や出産など常にケアと点検が欠かせないからね。

955. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 10:15:03 ID:NURGfebo

うんにゃ、聖書にオナニーしちゃいかんって記述はない。オナンが罰せられたのは姦淫の罪でだな。妊娠を目的にしないセックスをしちゃいかんというタブーならあった。

マスターベーションがタブーになったのはキリスト教とストア派が融合した結果、「肉なるものはずべて悪」って思想ができた時代だと思う。

意外に思うかもしれないが、イスラム世界のハレムでは女たちの同性愛と自慰が性的コンディションを高めるために容認というより奨励されていた。もっとも、子種を植える畑を耕しておくという意味においてだけど。
http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/


「陰核切除」 

女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。


「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。

従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。

一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。
http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html

要するに、パリのピガールの様な解放的(?)性文化はキリスト教禁欲主義に対する反動として出てきたものなので、西洋人にとってはキリスト教文化を否定するのと同じ意味を持っていたのです。

一方、日本やポリネシアでは最初から性に対するタブーが全く無いので、歌舞伎町文化自体が極フツーの伝統的習俗なんですね。男色、幼児姦、近親相姦、義父や義兄との乱交も日本古来の伝統ですし。しかも罪悪感は完全にゼロだしwwwwwww


200. 中川隆[-12517] koaQ7Jey 2018年5月26日 07:39:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか? _ 3


西洋の自由の起源


「自由を得たいなら闘え! 闘いぬけ! さもなくば諸君は奴隷になるのだ!」


尼僧ヨアンナ(1961)

監督: イェジー・カヴァレロヴィチ
出演: ルチーナ・ウィンニッカ ミエチスワフ・ウォイト アンナ・チェピェレフスカ


Mother Joan of the Angels 1961 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Mother+Joan+of+the+Angels+1961+


 ポーランドを代表する作家イワシキェウィッチが、17世紀フランスの史実に基づいて書いた短編小説の映画化で、舞台はポーランド北方に置き換えられている。

辺境の尼僧院に赴任しようという司祭スリンは、そこを目前にして近くの宿屋に泊まる。客や従業員たちの間では、院の話題で持ち切りだ。尼僧たちは、院長ヨアンナを始めとして、みな悪魔にとりつかれ、情欲のままにふるまっている。スリンはその悪魔払いのため来たのだが、先任者は完全にヨアンナの魔性に狂って火刑に処されたのだ。彼は悪魔と対峙する前にすでに震えおののく。そして会ったヨアンナは、平常時は美しく淑やかだが、ひとたび、その魂が悪魔を呼べば獣のように肉の交わりを求めて這いずり回るのだ。

自分を、そしてヨアンナにも、鞭打ってその誘惑を振り払わせる苦行を強いるスリンだが(白い聖衣が干している選択部屋の隅と隅に分かれてのシンメトリックな構図)、次第に彼女らの内奥にある魂の真実の叫びが彼にも届き始める。そしてヨアンナの中の悪魔を自ら引き受ける事でしか、彼女を解放する術はないと信じたスリンは、彼女を抱いて悪魔と一体になり、罪のない従者と宿屋の下男を殺す。その血によって彼の内に封印された悪魔は、やがて彼に下される火あぶりの断罪に彼と共に昇天するであろう、そんな余韻の中に映画は終わる。

果たして、悪魔とは字義通りのそればかりでなく、たとえば、カソリック教義自体が内包する神や悪魔を弄ぶ矛盾、ナチの残虐行為からスターリン圧政に連なるポーランドの問題を意味する言葉でもあろう。東欧映画に共通する理詰めの放縦とでも呼びたいカメラの運動にも圧倒される、鬼才カワレロウィッチによる真の恐怖映画。主人公が自分とそっくりの顔をしたラビ(ユダヤの僧侶)に教えを請うシーンが印象的。


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カメラに頭を向けて腹ばいで床に倒れている男という奇妙な構図のショットから始まる本作は、全編にわたって空間の深さを意識した構図を用いており、カメラの動きもそれに追従している。また、文芸作品らしいリアリズムで、SFX一切無し(逆廻しも無し)なのだが、ここまで得体の知れない存在を感じさせるのは流石である。観客を惑わす編集や、フレーム・イン、妙なタイミングが満載で、楽しめる。

苦悩に満ちながらも、どこか笑っているように見えるヨアンナの演技が怖い。村人たちの方も病的に見えるが、彼らは単純に欲や愚かさ(俗世界)を示しているのだろう。モノクロの、時に非現実的な色彩が、ポーランド映画のもつシンプルな画面によってより象徴的に、そして無機的に働いて、極度に精神的な中世ヨーロッパの雰囲気を上手く表現していた。何と言うか、ベルイマンの簡潔な世界観を物語的にしたような作品だった。


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童貞僧スリンに出会って恋に落ち、生理が始まってしまったヨアンナが、その経血を壁に塗り、悪魔に取り憑かれた笑みをたたえる有名なシーンが忘れられない。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16926


修道院に悪魔祓いのために派遣されるスーリン神父は,その途中の宿屋で,怪しい噂を耳にする。修道女たちに悪魔が憑き,みな裸で踊り回るなど狂乱状態だ。とくに尼僧長のヨアンナには,いくつもの悪魔が住み着き,どんな悪魔祓いの儀式も功を奏さない。神父の前任者も,このヨアンナの妖気に惑わされ,狂い死んだのだという。

不安でいっぱいの神父が,修道院で実際に出会ったヨアンナは,普段は魅力的な瞳を持った淑やかな女性。しかし,いちど悪魔が乗り移ると,野獣のように唸り,呪いの言葉を吐き,ほかの修道女とともに荒れ狂うのだ。

はじめは,教理に則って,公開の悪魔祓いの儀式をおこなうスーリン神父だったが,全く効き目がないことを悟ると,密室でのヨアンナとの一対一の対決を試みる。そして次第にヨアンナの苦しみ,真実の声を知るにしたがい,自らがその悪魔の犠牲になるほかに,ヨアンナを救う道はないと知る。

ついにそのときは訪れ,ヨアンナと抱き合った神父は,体の中に悪魔たちが乗り移るのをはっきりと感じる。その後,すっかり普通に戻ったヨアンナに対し,悪魔を受け入れた神父は,内なる悪魔との戦いの中で疲れ果て狂乱。ヨアンナの肉体に戻ろうとする悪魔を自らの内に永遠に閉じこめるため,悪魔にすべてを売り渡す。悪魔は神父に従者ら二人の少年を殺害させ,ふたたびヨアンナも狂うが,しばらくののち元に戻り,その後は長く修道院長をつとめる....。

http://www.tomita.net/review/y980318.htm


この作品はケン・ラッセル監督が1971年に撮った「肉体の悪魔」のルーダン憑依事件の後日談と位置付けられる作品。

この作品自体は1960年に作られた作品なのでケン・ラッセルの作品とは全く関係ない。しかし、ルーダン事件で尼僧院長ジャンヌ(ポーランド語でヨアンヌ)がグランディエ(この作品ではガルニェツ)の魅力に惑わされ、尼僧院全体がいわゆる集団ヒステリー状態に陥る。グランディエが尼僧に悪魔を憑かせた張本人として火刑に処せられる。

この作品ではガルニェツ(グランディエ)の火刑の後の話として展開する。

ヨアンナは依然として悪魔に憑かれた状態で神父スーリンが悪魔祓いに向かう。尼僧院で神父たちが繰り広げる悪魔祓いの演出は最高。教会の石畳に十字架のように横たわる尼僧たちを上から見つめるように撮るシーンは幻想的というよりはサイケな感覚の方が合っていると思う。

そして、ヨアンナの尋問でヨアンナがブリッジの格好になり悪魔の声で応じるシーンはウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」の階段をブリッジで降りるシーンとして完全に活用されている。

悪魔憑きが女性の男性に対する愛情や情欲であることはストーリーが進む中で明らかにされていくが、スーリン神父自体もヨアンナに魅了されていき悪魔に憑かれるという展開は、何とも「性(サガ)」を表しているようで物悲しさもある。

ヨアンナを演じたルチーナ・ヴィニエッカは同監督の「夜行列車」に引き続き妖しい魅力を出しており最高だった。さすがイェジー・カバレロビッチ監督ストーリー展開も映像の表現力素晴らしく一気に観てしまう傑作だ。


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17世紀のフランスで起こった“ルーダンの悪魔憑き事件”。これを題材にした有名な映画が2作あります。本作「尼僧ヨアンナ」と「肉体の悪魔」です。

この2作の間には、大きな違いがあるのですが、まず時系列で考えた時、「ヨアンナ」は「肉体の悪魔」の後日譚と捉えることができる、という点があります。 といっても、安易に〔続編〕と呼ぶことはできません。

「尼僧ヨアンナ」の原作は“ルーダンの悪魔憑き事件”をポーランドの作家イヴァシュキェヴィッチが独自の解釈を交えて書いた小説です。例えていうと、「赤穂浪士事件」に対する「忠臣蔵」のようなもの。一方「肉体の悪魔」の原作は、オルダス・ハクスリーが綿密な取材をもとに執筆したノンフィクション。舞台や世界観、登場人物の名前も違います。例えば;


  『肉体の悪魔』        『尼僧ヨアンナ』

  地方都市ルーダン   →  ルーディン(映画ではポーランドの無名の寒村)

  修道院長ジャンヌ   →  ヨアンナ(ジャンヌのポーランド語読みですね)

  グランディエ司祭   →  ガルニェツ神父

  イエズス会士・スラン →  スーリン神父

 (スランは原作のみ登場)


「肉体の悪魔」は、グランディエ(ガルニェツ)が火刑にされたところで終わります。一方「尼僧ヨアンナ」は、ガルニェツの死後、新たな悪魔祓い士としてスーリン神父が来るところから物語が始まります。
「肉体の悪魔」はフランスの地方都市(しかもかなりアヴァンギャルドなセットデザイン)が舞台で、映画のタッチは極彩色のエログロ絵巻。


「尼僧ヨアンナ」は東欧的な世界観の荒涼とした風景の中、モノクロの美しい画面であくまで静謐に、狂気が描かれます。この両作品の世界観・イメージはあまりにもかけ離れすぎているので、即・続編と捉えるにはかなりの抵抗が感じられます。しかし、これは多元宇宙的な世界観の中で展開する“ルーダンの悪魔憑き事件”を様々な視点から視ている、と考えれば、これほど面白い比較鑑賞法はなく、この事件を元ネタにしたと言われる「エクソシスト」も“ルーダン事件”の時空を超えた一面(憑かれた少女がとるリアクションの数々や、退魔士の神父の交代劇、といった展開は“ルーダン”事件そっくり)と解釈すると、メチャクチャ面白い映画の楽しみ方ができる、と言えないでしょうか?

本作「尼僧ヨアンナ」の魅力は、イェジー・カワレロウィッチ監督の手腕による、まさにアート映画と呼ぶにふさわしい、ゾクリとする程美しい映像の数々だと思います。


荒野の真ん中にポツリと建つ、白い修道院の幻想的な風景。


楚々と登場した瞬間から、その静かな貌に宿した狂気のまなざし。

ヨアンナ演じるルチーナ・ヴィニエツカのこの演技力!


「肉体の悪魔」でせむしのジャンヌ僧長を演じたヴァネッサ・レッドグレーヴの怪演も鬼気迫るものがありましたが、ヨアンナの貌に突然悪魔が現出するシーンの表情など、本当にコワイです。名女優相譲らず、の感・無量です。


悪魔が“女の血をかきたてて”白亜の壁につける「血の手形」。

礼拝堂の床に、腕を広げてバタバタと倒れる尼僧たち・・・真っ白い十字架が累々と横たわっているようです。

悲しみと嘲りがめまぐるしく交錯する、美しきヨアンナの大写しの貌。

そして、映画のラストで、ヨアンナを救うためにスーリン神父がとった行動とは・・・。


この映画は「悪魔憑き」という設定を通して神や悪魔の存在、そして愛とは何なのか・・・といった哲学的なテーマを問いただしているように思えます。 「肉体の悪魔」では、悪魔の存在そのものの問いかけよりも、「悪魔憑き」を政治的な陰謀に利用する人間たち、またその権謀術数により運命が狂わされていく人々のドラマを描いた作品だった、といえそうです。 同じ題材を扱っても、作品というものはここまで変わるものなのですね。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0036SKPYY/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B00005FW0M&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=0HJ33FGV1K0PYW9M5K1E

  かねてその評判は高いが、日本ではこれまで部分的引用でしか知られていなかった歴史人類学の大著、ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの憑依』(みすず書房 6500円+税)がはじめて全訳された。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%86%91%E4%BE%9D-%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC/dp/4622073978


「ルーダンの憑依」は、十七世紀フランスの田舎町の女子修道院で起きた、歴史上もっとも有名な集団的悪魔憑き事件である。

十七人の修道女からなるウルスラ会修道院に、数週間前に亡くなった告解師の亡霊があらわれた。霊はしばらく修道女のベッドの脇で泣いた。別の亡霊が次の日真っ黒な球のかたちで修道院の食堂にあらわれ、二人の修道女を乱暴に地面に押し倒し、その肩に乗った。やがて修道女たちの肉体と精神に奇妙な変調があらわれ、次々に判断力を失い、全身がすさまじい痙攣に襲われた。

 教会の上層部は動転し、調査をした結果、この事件の犯人は悪魔だと判断した。「悪魔祓い」が専門僧の手で行われた。 悪魔に名を名乗るように命じると、「神の敵だ」という。悪魔にとりわけ狂った院長の体から出るように命じると、院長は暴れ回り、吼え、歯をきしらせ、奥歯が二本欠けた。 悪魔と何度か問答を重ねた末、悪魔を彼女の体内に入れたのは、ユルバン・グランディエという別の教会の司祭であると判明した。


「彼女たちは叫び、(略)グランディエを探そうとして、修道院の屋根に駆け上がり、また肌着だけで木の上に、それも枝の先の方までよじ登ったのです。そこで恐ろしい叫び声を上げながら、風や雨に耐え、何も食べずに四、五日も留まっていた」という。


 この悪魔憑き事件は、たちまちヨーロッパ中に知れ渡り、ルーダンの街に何千もの野次馬が押しかけた(修道女が教会の尖塔に上り宙を飛ぶなどのウワサが広まった)。野次馬は何日も泊りがけで狂える修道女を見物した。野次馬に見られながら、修道女は吼え叫び、土の上でころげまわり、足や手を組み合わせ、足の裏をくっつき合わせたりした。卑猥なようすで舌を出し、つばを吐き、冒涜的な言葉を吐きちらかした。ミサの最中に、足と頭のてっぺんだけで背面位の体を支え、その体勢で階段をかけ上がり祭壇の上で司祭の服を引きミサを妨害した。

 やがて、修道女たちには、一人に何人もの悪魔が乗り移って(多い人には九人も)いるとわかる(悪魔がそう告白する)。修道女たちとグランディエとの対決が行われ、グランディエがどう否認しても、彼が悪魔に使われている証拠が次々に出てきた。六人の悪魔とグランディエが署名した「契約書」すら出てきた(「神を否認して悪魔に仕え、できる限りの悪を尽くし、なろうことなら人間でなくなり悪魔になることを願う」)。グランディエは、ルイ十三世直々の指名による特別法廷で魔法使いとして裁かれた。一カ月余の審理を経て(書類の読み上げだけで十八日間を要し、喚問した証人は百人をこえた)、膨大な証拠(悪魔との契約書など)によって、火刑による死刑が宣告された。刑は一万人以上の見物客の前で執行された。


 裁判中に、修道院長と修道女の一人が、無実のグランディエを告発して罪におとし入れたと告白したが、その告白も、魔法使いの魔力を証明するものとされ何の影響力も及ぼさなかった。

 この異常な事件は、欧米では繰り返し検証の対象となり数々の論文や小説が書かれた。映画も(カヴァレロヴィチ「尼僧ヨアンナ」、ケン・ラッセル「肉体の悪魔」)作られ、オペラも(ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」)作られている。 本書は、驚くほど浩瀚な資料によって、この事件の背景を深く深く掘りさげている。なるほど名著といわれるだけのことはある。

 この事件をもっと大きな構図で知るためには、ポール・ケーラス『悪魔の歴史』(青土社 2718円+税)をあわせ読むとよい。悪魔という観念が、どれほど人類の頭を狂わせてきたかがよくわかる。特に、宗教改革と反宗教改革の時代は最も、悪魔観念にとらわれていた時代で、カトリックもプロテスタントも互いに他を悪魔とみなしていた。ルーダンは実は宗教戦争の最前線で、ついこの間まで、両教徒が殺し合いを続けていた場所だった。

 今世界で一番悪魔の存在を信じている人が多いのはアメリカで、半数以上の人がそれを信じている(ハリウッドは悪魔映画でいっぱい)。かつてアメリカ人にとって悪魔はソ連であり共産主義だった。いまは何なのか。テロリストであり悪の枢軸国家だ。イスラム原理主義者もアメリカは悪魔の国と信じている。だから殺し合いがつづく。

http://blog.livedoor.jp/phoyipsnoons/archives/64959390.html


『肉体の悪魔』の原作はオルダス・ハクスレーの『ルーダンの悪魔』という歴史研究書。 『ルーダンの悪魔』はルイ14世時代のフランスの修道院で実際に起きた悪魔憑き事件を、20世紀の視点で冷静に分析した本。

 田舎町ルーダンにやって来たセクシーな司祭(オリバー・リード)は町中の女たちを熱狂させた。その熱狂は男子禁制の修道院内にも感染し、なかでも修道院長(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は一度も会ったことのない司祭に恋焦がれ、彼に犯される淫夢を見るほどだった。

 ところが司祭は極秘にある女性と結婚してしまった。司祭のファンたちは嫉妬に狂い、精神の均衡を失う。 中央政府は、それが女性たちの性的欲求不満による集団ヒステリーだと知っていたが、権力を持ちすぎた司祭を葬るために政治的に利用する。 司祭が悪魔に魂を売って、修道女たちに悪魔を取り付かせたのだと。そして、政治ショーとしての悪魔祓いと魔女狩り裁判が始まる。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090321

われわれ人類と悪魔との契約を記す文書で、今日まで遺されているものは数少ない。冒頭に掲げたユルバン・グランディエによる一書は、そのなかで最も明確に形を留めたものとされている。

このユルバン・グランディエなる人物は、十七世紀フランスを揺るがしたかの有名な「ルーダンの悪魔憑き」事件の被告であり、一六三四年に同市で火刑に処された札付きの放蕩司祭としてよく知られている。

 彼がサン=ピエール・デュ・マルシェの教区司祭に任命されたのは一六一七年、二十七歳のときであった。栄誉ある就任は彼の自尊心をしばし満たしたが、だからと云い、ひきかえにその美しい面貌を自然に朽ち果てるまで聴聞室の翳がりに埋れさせるつもりはまったくなかった。


 「いや聴罪司祭とは、その気になりさえすればあまたの女と一戦交えるのにこれほど都合のよい地位もあったものだ。まさしく俺にふさわしい、神が与えてくださった恩寵に違いない」


 という次第であり、以来、彼は自ら定めた勤行に忠実にはげむこととなった。のちの裁判が決めつけたような悪魔との取引こそなかったものの、それとは別に、彼は神のことなど識りはしなかったのである。

 この新任の司祭は、手始めとばかり、悔悛に訪れる娘たち次々とものにしていった。とりわけ王室顧問官の娘マドレーヌ・ド・ブルについては、その愛人関係を公けにして憚らなかったという。


 このようにしてグランディエは就任後の数年を思いのままに過ごしたのだが、やがて普通の女では飽き足らなくなってきたちょうどその折、一六ニ六年、同市にウルスラ会修道院が新設された。純潔の砦に集いし十七人の乙女たち――とりわけ「天使のジャンヌ」の誉れ高き院長ジャンヌ・デ・ザンジュのみずみずしい横顔は――さしもの女に食傷気味であったドン・ファンの裔にとっても、新たな意欲を掻き立てるに足るものであったらしい。それが司祭にあるまじき涜神行為になることなど、彼にとってはどうでもよいことであった。


 それにしても彼は、一体どのようにして院長のみか他の修道女たちをも芋蔓のごとく籠絡せしめたのだろうか。いかに名うてのプレイボーイといえど、たしかに悪魔に縋ったような話ではある。それゆえ彼がうまくやってのけた際には、いかなる手管を用いたのかは大いに人の怪しむところとなった。

 この一件はそれだけでは済まされなかった。さすがに聖ウルスラの美名を汚し、その験力をも侮ったとなれば、因果も来たりて誅槌を下すというもの。当初はグランディエに心底惚れ込み、修道院長の地位を譲り渡そうとさえしていたジャンヌであったが、グランディエを御するなどとうてい適わぬこと。頭を冷やして考えるならば、自分といい後輩たちといい、とんだ不始末をしでかしたものだ。このままでは世間の恥さらし、かくなるうえは すべてはグランディエと悪魔の謀りごとに帰してしまうのが上策であろう――というわけで彼女たちは、「悪魔憑き」のシナリオを描いた謀殺者らと利害の一致を見た。

 だが、グランディエの禍根はそれだけではない。誘惑者として中傷と非難を集めるかたわら、彼は政治家として、また著述家としても敵をつくることに余念がなかった。

 政治家としての彼は、聴聞を通じて地方要人の妻たちとのコネクションをつくりあげ、間接的に影響力を行使した。これは、ルーダンにもともといたカプチン会やカルメル派にとっては、あの学者面をした色男に女性告解者をことごとく奪われ、著しく影響を減退させられたかたちとなる。また当地のカルメル派の収入源であったノートル・ダム・ド・ルクヴランス(健康回復の祈祷を受ける聖母)というマリア像も、グランディエの嘲笑の餌食となり験力を失った。

 グランディエは執筆活動も精力的に行った。自由主義的な論文や風刺詩といったものに本領を発揮し、もう一つ機縁があったなら、同じイエズス会士であったルネ・デカルトやあるいは諧謔の思想家フォントネルのようなリベルタンとして名が挙がったかも知れないのだが、あくまでローカルな諷刺家に留まった彼は、当然の帰結として地元政治家や聖職者たちに疎まれる結果となった。

 総じて、彼は誘惑や挑発には長けていたが、保身のすべをまったく知らず、その子供のような無防備さゆえに、自ら火刑場の薪を積み上げていったのである。

 それでも、彼の著作のなかにはマドレーヌ・ド・ブルのために書かれたという『聖職者の妻帯権を求める訴状』といったものまで含まれているのを見るならば、この放蕩者にもそれなりのポリシー、内的な一貫性があったことを認めなければならない。

 「若い男性に禁欲を強いるということは、羊に向かって空を飛べと云っているようなものではないか? 羊を崖に追い立てたところ墜落して死んでしまったとしたら、その責任は羊ではなく牧者にあるのではないか? そのような馬鹿げた不可能事は信仰とは何の関係もない。

 読者諸賢よ、性欲、食欲、名誉欲といった欲望は、それが美辞麗句や欺瞞によって隠蔽されている時にこそ毀めるべきなのであって、それ自体は罪でないばかりか恥ずべきことですらない」

 してみれば、愛人との関係をとりたてて隠さなかったのも、彼なりの誠実さだったのかも知れない。とはいえ、彼の時代そして地位において、そんなことが理解されるはずもなかった。グランディエに対する共同体からの排除は、「魔女裁判」という最も陰惨なかたちで今しも始まらんとしていた。天使たちもまた沈黙のうちに彼の謀殺を許した。グランディエは、手遅れにならぬうちに自制を知る機会を、遂に得ることができなかった。

 ウルスラ会修道院の聴罪司祭であったミニョン神父が、最初の告発者となった。彼もまたグランディエと土地を争い、嘲笑を浴び、従姉妹を誘惑された、つまりはグランディエがつくった敵の一人であった。ルーダンで起こった悪魔憑きのすべては彼が仕組んだ芝居であったが、のちに同類の訴訟が積み上げられ、それは退け難いものとなった。枢機卿リシュリューは彼の風刺文に恨みを抱いていたし、検察官は娘を孕まされた復讐をする絶好の機会であった。そのうえフランチェスコ会、カプチン会、そしてグランディエ自身の属するイエズス会の神父までもが告発者のリストに名を連ね、グランディエの甘言を信じたために悪魔に憑依され翻弄されたという、かつて彼に捨てられた女たちが次々と証言台に立ったのである。
http://www.geocities.jp/mezusinnou/kaie05.html


尼僧ヨアンナ / イエジー・カワレロウィッチ監督の最高に美しい白黒映画


1960年ポーランド映画。何度も見ているが、これほどの美しい白黒映画を知らない。見る度に新鮮な感動を覚える。全編、考えぬかれた構図がぴたっと決まっていて、そんなところからもこの映画美に引きずり込まれる。

中世のポーランド、辺境の寒村の旅籠にスリン神父(ミエチスワフ・ウォイト)が着くところから映画は始まる。村の尼僧院の僧院長のヨアンナ尼に悪魔が乗り移っている。スリン神父は彼女の悪魔払いのためにはるばるやって来た。スリン神父は僧院で生まれ育った女を知らない敬虔なキリスト教徒であることをみこまれたらしい。前の教区司祭が夜な夜な美しいヨアンナ尼の寝室に忍び込んだために、彼女の肉体に悪魔が乗り移ったと村人は噂している。


旅籠から見ると小高い丘の上にその僧院はあり、中間あたりに、前の教区司祭が火あぶりの刑に処せられた刑場が今も残っている。その横を通って、僧院についたスリン神父はヨアンナ尼と対面する。対話が進むにつれて、ついに悪魔が本性を表して、神父に挑発する言葉と石壁に血の手形を残してヨアンナ尼が立ち去っていく。この時の映像が様々に媒体に使われているので、目に焼き付いている。

二人は誰も入れない広い屋根裏部屋で、苦行を続けるうちに、通いあう心が芽生える。ついに、口づけをきっかけに悪魔はヨアンナ尼からスリン神父の肉体に乗り移る。神父はヨアンナ尼への愛ゆえに、悪魔を自分の肉体に留め置こうと決意する。ヨアンナ尼を救う道はそれしかないことを悟って、悪魔と取引をする。取引の条件は殺人の罪を犯すことだ。スリン神父は二人の村人を斧で殺害して、ヨアンナ尼を悪魔から救う。

途中、悪魔払いに自信を失って、ユダヤ教の司祭を訪れて助言を求める。 ここでユダヤ人司祭はキリスト教徒のユダヤ人迫害を持ち出して、話しは決裂する。このシーンもあって、この映画はキリスト教徒の自己分析の映画ではないかと思った。根底にはナチスドイツのホロコーストがあるのかも知れないが、作者は普遍的なレベルを問題としているように思えてしかたがない。というのも、今見ても鮮度を失っていないと感じるから。

http://page.sgy3.com/index.php?ID=1162

中世末期。ポーランドの小村にあるウルシュラ修道院の尼僧長「天使の」ヨアンナの身体には6体の悪魔が憑いていた。悪魔はときとしてヨアンナの意識をのっとり、彼女に悲鳴を上げさせ身体を操った。彼女のほかの尼僧たちにも悪魔は憑き、修道院内は悪魔憑きの病的な空気に深く包まれていた。事態を収拾するため教会から派遣されたスーリン神父はヨアンナに憑いた悪魔を祓う祓魔式に臨むことになる。

スーリンが修道院に向う途中で聞くヨアンナの噂は不穏だったが、実際に彼女と面会してみればそこには憔悴した一人の尼僧がいるだけだった。しかし面会が終わり、神父が十字を切ったとき彼女は豹変する。表情は一変して恐ろしい形相となり、魂の奥底まで覗き込むような凄まじい目つきで神父を睨みつける。彼女に憑いた悪魔が目覚めたのだ。悪魔は彼女の口を借りていうだろう、「そう簡単に俺をこのかわいい体から追い出せると思うなよ」と。

ヨアンナの祓魔式は公開される。興味本位で集まる野次馬たち。ヨアンナをはじめほかの尼僧たちに憑いた悪魔たちまでもが暴れだし、修道院内は狂気のるつぼと化して儀式は失敗に終わる。スーリンは公開をやめ、屋根裏の密室での祓魔式に切り替える。時間をかけ相手の話に耳を傾け、精神を落ち着かせる。これは現在でいうカウンセリング式の精神療法によく似ている。面会を重ね、ヨアンナの人となりを知るにつれ神父に募っていく彼女への思慕の念。何としてでもヨアンナを癒し、彼女を聖女にしたい。その思いが嵩じたために、予想外のおそろしい事態を招いてしまう。

この小説は実際にあった悪魔憑きの事件を著者がアレンジして小説としたもので悪魔に直面した神父が自らの信仰を自問し、女への愛情を自覚する内面探求の物語となっている。これは著者の文学の特徴であって訳者は巻末の解説で著者についてこう述べている:

イヴァシュキェヴィッチの小説は、ポーランド近代文学が自らの宿命とみなしてきた政治性、愛国憂国亡国の問題、祖国の蜂起や戦争をめぐる主題などをそれ自体として全面に押し出すことがほとんどない。時局に対応して、作者自ら政治的寓意を含ませるということもほとんどなかった。焦点をあてられるのは、常に、愛や死、歴史の無常、あるいは美の衝撃に直面した個人の内面劇であった。

きわめてショッキングな内容を扱ってはいるものの、この小説においてもっとも注目されるのは結局はスーリン神父の内面の問題であり、悪魔憑きの事件は彼にとっての契機としてあるに過ぎない。

悪魔とは何であるか。それは誰のなかにも棲んでおり、われわれを日々罪へと誘惑する囁きのことではないのか。ヨアンナは敬虔な尼僧だが、彼女も人間であって傲慢さと無縁ではない。その弱点を意識しすぎるあまりの狂気の発作、それこそが悪魔の正体ではなかったか。

かつてスーリンの前に祓魔式に臨んだ美男の神父は、尼僧たちの関心を惹きすぎたために断罪された。女だけの閉鎖的な空間で厳しい戒律に縛られて続く禁欲的な日々。それが若い女たちの自然な欲求を歪め、集団ヒステリーを引き起こしたとしても異常とは思えない、むしろ自然な反応だと管理人には思える。最初の祓魔式の恐ろしいような狂気のカオスも集団ヒステリーの場面と捉えられなくはない。

修道院をときどき抜け出しては村の庶民たちと他愛ない噂話に興じて憂さ晴らしをしていたある尼僧だけは、悪魔憑きと無縁な健康体でいるという設定に注目すれば、管理人と同じ見解を著者もこの事件に関してもっているように思える。それにしても最後に勝利したのは悪魔だったのか、人間だったのか。

http://epi-w.at.webry.info/201104/article_1.html


フロイト的抑圧の光景 / 「尼僧ヨアンナ」 イェジー・カヴァレロヴィチ


フロイトそのまんまに、まずは書いていこう。もともと人間の「性」は抑圧されている。

そうしないと、秩序はうまく保たれないからだ。宗教や法や政治というのは、そのような「性」を封じ込めて、それで社会全体がうまく機能するようにするためのものといってよい。

そういう抑圧のシステムの中では、男性の側から一方的にみると、この映画の冒頭の下卑た宿屋の主人のセリフにあるとおり、女性というのは聖女であると同時に淫らな存在である。社会的な禁忌を破るものはすなわち「悪」であるとするならば、そのような性的な存在である人というものは、映画の中でカトリックの僧侶の主人公と問答をするユダヤ教の僧侶の認識とおり、もともと悪を秘めているし、そもそもそれが前提となって世界は出来あがっているということになる。


さらに、性的な抑圧は、時にそれがうまく機能しないと、人間の精神に破綻をきたすこともある。フロイトは単刀直入に、精神病の病理を性に結びつけて考えた。

この映画は、カトリックの修道院が悪魔に獲りつかれているため、その修道院に派遣されてきた僧侶の破滅の物語。
悪魔につかれた尼僧ヨアンナに、悪魔払いの様々な努力をするが、そのうちに僧侶自体がその悪魔に取り付かれていくという筋書きなのだが、映画のテーマは、性的存在である人間の悲劇といったところかと思う。

映画の観方は様々でよいと思うが、共産主義体制の抑圧の風刺うんぬんはちょっとピントがずれていると思う。この映画の取り扱っているのは、もう少し人間の禁忌の起源に触れるようなものであろう。

単純といえば、単純。

宗教と性・・・そのまんまフロイトのテーマである。


荒涼としたポーランドの風景に、精神の破綻を来たした女性の悪魔劇が延々と続いていく。そして、性的なものから隔絶した存在であるべき僧侶が、尼僧との対峙を通じて、人間の暗い性の世界に落ち込んでいく様を、完璧なカメラワークと清みかえったモノトーンの画面の中でゆっくりとゆっくりと描写していく。

悪魔に憑かれる、すなわち精神に破綻を来たした尼僧たちが、躍動する女性としてむしろ魅力的にみえるのは自分だけではないはず。それはこの映画の監督の狙いだったと思う。

http://masterlow.blog74.fc2.com/blog-entry-165.html


「悪魔憑き」の現象という戦略 ―― 封印され得ない欲望系との折り合い


  1) 閉鎖系の空間状況下での修道女たちのストレスと、ガス抜きされねばならないという構造性


 この映画を今回観直していて、私の脳裏を過ぎったのは、ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」(イギリス・アイルランド合作映画・2002年製作)の幾つかのシークエンスである。

 それは、アイルランド各地から「非行少女」を強制隔離して、「堕落したあなた方も、信仰を取り戻すでしょう」と言い放つ、シスター・ブリジッドの訓示によって開かれた「マグダレン修道院」の苛酷な物語であった。 「未来の修道女」を目指すことを強いられる「非行少女」たちの実話であるから、観ていて余計総毛だったものだ。 とりわけ、修道院のルールに背いた「未来の修道女」に対するシスターたちの「教育」は、彼女たちの若い自我を壊しかねないほどの陰惨さに満ちたものだった。


 洗濯場で全裸にされた娘たちを一列に並ばせて、シスターが吐き出す言葉の暴力は殆んどサディズムと言っていい。

 「オッパイが大きすぎる子がいるわね。

フランシスは意外ね。こんな貧弱なオッパイは見たことはないわ。乳首もないわ。
見た?普通じゃないわ。ハハハハ。

一番のぺチャパイはフランシスね。一番のデカパイは?・・・」


 シスターによって、「陰毛賞」という低俗なるネーミングによるヘイトスピーチが吐き出され、その対象となった「未来の修道女」は泣き出すばかりだった。


 このエピソードで瞭然とするように、「マグダレン修道院」では、シスターを頂点とする「権力関係」が形成されていて、ここに寄生する修道女たちの日頃の不満やストレスをガス抜きする手段として、「未来の修道女」に対する陰湿な虐めや暴力が日常化しているという現実があった。 いや寧ろ、「権力関係」を保持する「潤滑油」として、この類の暴力が常態化していたと言ってもいい。

 ここで重要なのは、修道女たちのストレスが、このような方法論によってガス抜きされねばならないという、その構造性そのものである。 そこでは、厳然たる「権力関係」が存在し、閉鎖系の空間状況を現出させていた。 そして「権力関係」を補完的に強化するシステムが殆んど万全であり、何よりも、「不道徳なる娘たち」を矯正するという大義名分があった。 そして、このような施設の存在を認知する社会的背景があり、そこに送り込まれた娘たちの親族の、堅固な協力体制が厳然と存在していたのである。

 以上の言及は、1996年に閉鎖されたアイルランドの修道院の実話についてのもの。 ここからは、本作の修道院のケースを見ていきたい。

 2)「悪魔憑き」の現象という戦略 ―― 封印され得ない欲望系との折り合い


 本作の時代背景は17世紀半ば。 場所は、ポーランドの寒村の尼僧院。

 映画を観る限り、この尼僧院には、「マグダレン修道院」のような堅固な「権力関係」が存在したとは思えないし、まして「未来の修道女」に対する陰湿な虐めや暴力が常態化していた訳ではない。 いや、それ故にこそと言うべきか、尼僧院内部の閉鎖的環境下で生活する尼僧たちにとって、色彩感の乏しい日々の累積の中でストックした、様々なストレスを解消する手立ては相当に限定的であっただろう。 しかし、その限定性は相対的なものだった。 そこが、「牢獄」の如き「マグダレン修道院」の閉塞性と分れていたのである。

 個々人の欲望系が、抑性的に処理される技術のみが求められる生活の日常性は、そこに特段の破綻を来たす事態が招来しなければ殆ど問題ないが、閉鎖的環境下で許容された自由の濃度が相対的に深かったならば、却って、個々人の欲望系の出し入れが恣意的になりやすく、抑性的に処理される技術のコントロールも困難になるであろう。


 「聖」の象徴としての尼僧院が建つ丘の下に、まるで対極の構図のように構える、「俗」の象徴としての木賃宿。 そこに通う僧院の門番の話によると、尼僧院では、夜間でも門を閉めないから出入り自由であり、肉食も自由であると言う。 即ち、尼僧院の尼僧の個々人の欲望系は、「絶対禁欲主義」の縛りから相対的に解放されていたのである。 まして、美しい女性の尼僧院長であるヨアンナの下で、先の「マグダレン修道院」のような堅固な「権力関係」が形成されていた訳ではなかった。 尼僧たちは、適度なガス抜きを愉悦していたのである。

 現に、「聖」の象徴としての尼僧院に暮らす一人の尼僧は、折に触れ、「俗」の象徴としての木賃宿に通っていて、世俗の話題を存分に共有していた。 そればかりか、木賃宿の色好みの亭主に酒を飲まされ、軽快なテンポで歌まで歌うのだ。

 
 「惚れる男がいなければ、私は一生尼暮らし」


 こんな歌を平気で歌う尼僧が、スリン神父に見つかり、退散するシーンは印象深いものだった。 なぜなら、後に男との駆け落ちに失敗ししたこの尼僧は、男に捨てられて嘆いていたが、ここまで徹底的なガス抜きを愉悦していたならば、もう本質的に、彼女は「俗」の住人であるとしか言えないからだ。 そして重要なことは、この尼僧が「悪魔憑き」に捕縛されていなかったという厳然たる事実である。


 「俗」の住人には、「悪魔憑き」という現象が無縁であったこと。 それこそが、本作の根柢にある主題に関わる由々しき現実なのだ。

 ともあれ、そんな環境下にあったからこそ、美男で若いガルニエツ神父が、尼僧院の門戸を開けて、夜毎に美しいヨアンナの寝室に忍び込むことが可能だったのだろう。

 「尼僧たちは、神父の訪問を享楽していた。悪魔に取り憑かれた尼たちは、人目も憚(はばか)らず、大声で喚き立てていたのです。会堂で例拝の間にも、淫らな行為をしていました」

 これは、スリン神父が土地の者から聞いた話。
 
 そのスリン神父が、ヨアンナとの関係形成の中で、本人から直接聞いた話がある。 既に、「悪魔憑き」によって隔離を余儀なくされていたヨアンナは、スリン神父に語っていた。


 「神よ、このあさましい私は何ものですか?私はただの尼です。父は公爵でしたが落ちぶれて、スモレンスク(注)にいるとのことですが、不明です。八つの悪魔に取り憑かれたのは、私の落ち度でしょうか」


(注)17世紀初頭のロシア・ポーランド戦争の「スモレンスク包囲戦」によって、ポーランド=リトアニア共和国に割譲された都市。現在は、ロシア連邦に帰属。


 スリン神父に語った、このヨアンナの言葉をみても分るように、彼女は恐らく、他の多くの修道女がそうであったように、「聖女」を目指す強い「宗教的使命感」によって尼僧になった訳ではない。

 普通の欲望と感情傾向を持った美しい女性の、その閉鎖的な日常性の中にあって、存分なまでに世俗に塗れた世界との比較において、己が欲望系を封印されることを余儀なくされたとき、「聖」の世界に殉じる者の非日常の時間の広がりに同化していくに足る、「最適適応戦略」の要請が内側から強迫的に突き上げて来た心的プロセスが仮定できるだろう。

 しかし、その強迫的な時間の空洞を埋めるような事態が出来する。 これが、美男で若いガルニエツ神父の振舞いであった。 夜毎にヨアンナの寝室に忍び込む時間の形成の本質は、例えそこに「禁断」の印が張り付いていたにしても、その行為自身が「男女の恋愛」か、それとも、「男女の性的関係」の愉悦以外の何ものでもなかったことは否定できないだろう。 「禁断」の閉鎖空間で男女の関係が作り出されたとき、何かが大きく変わっていく。

 変わっていったものは、ヨアンナが日常的に封印していた生々しい欲望系の情感世界である。 その中枢の感情が、性欲であると言っても間違いないだろう。 しかし、「禁断」の閉鎖空間での睦みが世間に知られるに至って、生々しい欲望系の情感世界の延長は人為的に遮断され、その反徳行為は最も厳しいペナルティを招来した。 ガルニエツ神父の火刑である。

 「ガルニエツ神父の火刑の前夜、尼さんたちは裸で庭を走り回って、神父の名を叫んでいたということだ」

 これは、「俗」の象徴としての木賃宿で拾われた言葉。 「悪魔憑き」の現象である。 この「悪魔憑き」の現象が尼僧院で本格的に出来したのは、それ以降である。 これが、尼僧ヨアンナを中心とした尼僧たちの、その欲望系の情感世界が人為的に遮断された結果、そこに出来した最悪の現象の真実の様態だった。

 
 欲望系の情感世界が封印された中枢の空間で、禁断の印を存分に解いてしまった尼僧たちの自我にとって、なお封印され得ない欲望系と折り合いをつけるには、「悪魔憑き」の現象という戦略以外になかったのである。 「事件」が発覚し、ガルニエツ神父の火刑によって、そこで展開されていた人間の欲望の自然な発動のラインが破壊された代償は、「最適適応戦略」を容易に手に入れられないアポリアの中で、既に限定的であったということだろう。

 3) 我が身を鞭打つ肉塊の炸裂にまで上り詰めて


 「これからお前と闘わねばならない。お前の縄張りだろうと、私は神の使いだ。私は善で、お前は悪だ」


 これは、「悪魔」に対するスリン神父の戦闘宣言。


 「悪魔が女の血を掻き立てて、壁に付けるのです」


 これは、スリン神父の参戦に対するヨアンナの、「悪魔憑き」の現象という戦略による意思表明。 かくて、二人の「実存」を賭けた心理戦争が開かれた。


 「神を敬えと言われても、私にはできないことです。地上のどんな力でも、私を束縛できない。私はいつも自由です。束縛など嫌です」


 このヨアンナの言葉には嘘はない。 「悪魔憑き」の現象という戦略によって、彼女は閉鎖空間で、なお自分の思いを繋ごうとするのだ。 そんな彼女の振舞いを目の当たりにした司教たちによって、「悪魔払い」の儀式を経て、彼女は束縛されるに至る。 ヨアンナの叫びが、白一色の人工空間の中で刻まれた。 隔離されたヨアンナの苦悩を引き受けようと、スリン神父の苦行が開かれた。


 「愛は悪を追い払います」


 スリン神父は、ヨアンナに語った。


 「汚辱に満ちた誇りを捨てなさい。あなたの苦しみを全て吐き出すのです」


 スリン神父の熱意が、ヨアンナに連射されていく。


 「八つの悪魔に取り憑かれたのは、私の落ち度でしょうか」とヨアンナ。

 「子供のように純真になればいいのです。神はきっと愛して下さる」とスリン神父。

 「もし悪魔が、あなたに乗り移ったら?」とヨアンナ。


 際どい会話が、二人の心理戦争の濃密な時間の内に捨てられていく。 濃密な時間の内に捨てられた二人の心理戦争は、まもなく、屋根裏部屋に籠って我が身を鞭打つ肉塊の炸裂にまで上り詰めていくのだ。 スリン神父の手を取るヨアンナが、そこにいた。 思わず、その手を突き放した神父は、

「あなたが悪魔だ」


と洩らしてしまった。 泣き崩れるヨアンナが、そこに置き去りにされた。


 4)「神学論争」を超えるドストエフスキー的な教理問答 ―― 迫るラビと、立ち竦む神父


 悪魔払いに自信を失ったスリン神父が、ユダヤ教のラビを訪れた。 そこで展開された、ドストエフスキー的な教理問答は、以下の通り。


 「あなたは、何を指して悪魔というのですか?
それは何処から来て、誰が作り出したものですか?」

とユダヤ教のラビ。

 「それは神です」とスリン神父。


 「悪魔が世界を創ったとしたら・・・

神がこの世界を創造されたとするならば、死や病気や戦争が起こるのは何故ですか?

何故、私たちユダヤ人が迫害を受け、何代にもわたって侵略と虐殺の恐怖に苦しむのか」


 「それは原罪です」


 「原罪だと言うのか。アダムとイヴの堕落です。人間は何度も堕落し、立ち直りもする。人の犯す全ての悪業は、決して悪魔のせいではないのだ。

最初の人間の堕落と、最初の天使の堕落です。

なぜ天使は、人間の女に巨人を生ませたのか。答えて下さい、神父」


 「天使は不可解な存在です」

 「ヨアンナを天使の尼僧と呼ぶが、ただの女に過ぎない。では、天使とは何ですか?」

 「神の使いです」

 「悪魔もそうだ。神の意志で人間の心に取り憑く」

 「それはどんな時に?」

 「悪魔を強く愛した時です」

 「悪魔を愛するとは?」

 「愛はこの世で起こる、あらゆる物事の基です」


 この会話には、少し説明が必要だ。

 本来、ユダヤ教では、「悪魔」とは「神の敵対者」というよりも、「サタン」の語源がヘブライ語で、間違いを犯した人間に罰を与える「天使」を指していて、寧ろ「神の僕(しもべ)」という役割を持っていた。 

ところが、「神は慈悲深い愛」と説くキリスト教の成立過程において、現実社会で出来する理不尽な死や、災厄や戦争、繰り返される人間による迫害や悪業の根源について的確な解答を提示せねばならなくなったとき、そこで作り出された観念の産物が「神に対する絶対敵対者」としての「悪魔」という概念だった。 このユダヤ教のラビは、キリスト教の敬虔な神父に対して、その辺りの本質的な疑問を投げかけたのである。


 元来、ユダヤ教では性衝動や性行為を自然なものと考えているから、「セックス」を不浄視していない。 従って、「性欲」に懊悩するヨアンナを、「ただの女」、即ち、普通の人間であると言い切ったのだ。 

詰まる所、「悪魔」とは、人間の心が作り出したものであると断じているのである。 このユダヤ教のラビの究極の発問への答えに窮するスリン神父が、そこに立ち竦んでいた。 本作の根源に迫る最も重要なシークエンスは、こうして閉じていった。


 5) 確信的な破戒僧の「覚悟の愛」を受容する尼僧 ―― その裸形の人格像の逢着点


 教理問答を経て、スリン神父の中で何かが変っていく。

 「あなたを助けます」

 彼はヨアンナに会いに行き、自分の思いを告げる。 鉄格子の内側に閉じ込められているヨアンナは、今やもう、自分の中で騒ぐ情感の揺動を隠そうとしない。 彼女は「悪魔」への愛を語るのだ。


 「私は悪魔が大好きで、悪魔に抱かれているとき、私はどんな運命でも甘受します。悪魔は最高の存在です」


 ヨアンナは、スリン神父にそう言い切ったのだ。 ヨアンナへの思いが変わらないスリン神父は、自然の成り行きで彼女に近づいて、口づけした。 自ら犯した行為に驚愕し、神父は走り去って行った。 それは、「悪魔」を自分の体内に取り憑くことを受容する行為でもあった。

 「何でもするから、私に取り憑いていろ」

 スリン神父の覚悟を括った言葉が捨てられた。 彼は「悪魔」に語ったのだ。 その後のスリン神父の行為の異常性は、紛れもなく確信犯の範疇にある者の選択的行動だった。 ヨアンナから「悪魔」を憑依させたスリン神父は、「悪魔」の命によって、斧を使って二人の村人を殺害したのだ。 「悪魔」との取引である。

 ヨアンナへの愛の、彼なりの答えであるが、神父の犯した行動は、それ以外に考えられない最も象徴的な行為だったと言える。 二人の男を殺害することは、彼にとって、「悪魔」を内側に憑依させることだからだ。 破戒僧となったスリン神父は、自分の思いを、一人の女を通してヨアンナに伝えた。

 「全て愛が、そうさせたのだ」

 これが、スリン神父のヨアンナへの伝言。 伝言を任せられた女こそ、駆け落ちをして男に捨てられた尼僧である。 「俗」の象徴としての木賃宿との往還という適度なガス抜きをすることで、彼女は「悪魔憑き」から解放されていたが、「聖」の象徴としての尼僧院の生活を完全否定する駆け落ちへの流れ方は、「悪魔」への屈服であるから、男に捨てられる運命を余儀なくされるという「象徴性」を被されていたと読むことも可能だろう。 「覚悟なき愛」の逃避行は自壊するということか。

 ともあれ、その尼僧を介して、スリン神父の「覚悟の愛」を受容するヨアンナの表情からは、映像を通して初めて開く裸形の人格像が露呈された。 彼女は嗚咽したのである。 確信的な破戒僧の、確信的な行為を受容した瞬間である。 「聖」なるものの「象徴性」が一切剥ぎ取られたとき、そこに胚胎した未知の「前線」は、欲望系の情感世界を封印せずに済む地平に辿り着いたと言える何かなのか。 少なくともそれは、ヘビーなモノクロの映像が訴えるものの根源に触れる何かであったに違いない。

 そのヘビーなモノクロの映像を貫流する基本的構図が、今更のように想起される。 緑なき小高い丘に聳(そび)える、「聖」なるものの象徴としての尼僧院と、それを俯瞰する、「俗」なるものの象徴としての木賃宿との対極の構図である。 そして、この構図の中間スポットに、ガルニエツ神父が火刑にされた処刑場の残滓が剥き出しになっているのだ。 同様に破戒僧であったガルニエツ神父は、「聖」と「俗」を自在に往還し、「聖」なるものの中枢に「欲望前線」を全開させてしまったのである。 この「前線」には、尼僧院長のヨアンナばかりか、他の尼僧たちも求めてアクセスしたに違いない。 「淫靡(いんび)なる忍びの行為」を突き抜けて、無秩序に稜線を広げた「欲望前線」での振舞いへのペナルティは、ガス抜きの範疇を逸脱した反徳行為として裁かれるに至った。 ガルニエツ神父には、「悪魔」、「悪魔憑き」、「悪魔祓い」などという観念のゲームの発想は、恐らく初めから存在していないのである。

 ところが、スリン神父の行為は、


「悪魔憑き」→「悪魔祓い」→「悪魔の憑依」

という流れの中で、殆ど確信的に遂行されたものだ。 「聖」なるものの「禁断」の閉鎖空間に閉じ込められて、懊悩を極めるヨアンナの裸形の自我に触れ合うことができるのは、その方法しかないと考えたのだろう。

 実話にはない、殺人まで犯した神父の振舞いを描き切った作り手の意図は、普通の欲望と感情傾向を持った女性が「欲望前線」に踏み入れたとき、最も厳しいペナルティによって人為的に遮断される運命から免れないシステムを相対化するには、「覚悟の愛」を身体化する表現なしに具現できないと考えたのかも知れない。

 人間としてあまりに自然な「男女の睦み=『性』」を、「悪魔」の仕業と読み替えることの「愚」の問題も含意させた、この厳しくも真摯な構築的映像は、人間の「欲望前線」の尖りを極端に嫌う全体主義へのシステムへの批判とも受け取れるが、映像を観る限り、精神医学の臨床治療の格好の素材にもなり得る、人間の根源的問題を巡る省察と問題提起という文脈で把握する方が、寧ろ自然であるように思える。 人間の普遍的問題をも網羅した、このような構築的映像こそ、私の最も好む表現世界である。

http://zilge.blogspot.com/2010/08/61.html

イタリア産尼僧映画の系譜


世の中には尼僧映画と呼ばれるジャンルがある。英語ではNunsploitationと呼ばれ、その人気はいまだに世界中で根強い。欧米では専門の研究書まで出版されているほどだ。 尼僧映画がブームとなったのは主に70年代。そのルーツはイエジー・カワレロウィッチ監督のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』(60)とされているが、もちろんそれ以前から尼僧を題材にした映画はヨーロッパ各国で作られてきた。しかし、現在認知されている尼僧映画の定義と照らし合わせると、やはり『尼僧ヨアンナ』がこのジャンルの原点であると言って差し支えないだろう。

 その定義を一言で述べるならば“抑圧”。性的抑圧、社会的抑圧、精神的抑圧など、男性主導の父性社会で女性が受けてきた様々な抑圧を集約したものが尼僧映画なのである。『尼僧ヨアンナ』では教会から“悪魔憑き”と見なされた尼僧たちの集団ヒステリーを題材に、女子修道院という狭い世界へ閉じ込められた女性たちの苦悩と哀しみを描きながら、このような非人道的な抑圧を強いる権力や社会の偽善を痛烈に批判した。それはすなわち、社会主義国だった当時のポーランドにおける理不尽な圧政へ対する批判だったと言えよう。

 この『尼僧ヨアンナ』によって撒かれた種が、その後の世界的な左翼運動の高まりによって“尼僧映画”という1つのジャンルを生み出すに至ったとも考えられる。各国で物議を醸して話題となったケン・ラッセル監督の問題作『肉体の悪魔』(71)も、このジャンルの盛り上がりに多大な影響を与えた。

 ただ、必然的に登場人物の殆んどが女性で占められ、多分にセクシュアルな題材を取り扱っていることから、やがて低予算のポルノ映画として応用されるようになっていく。そのきっかけとなったのは、やはりポーランド出身のワレリアン・ボロズウィック監督による『修道女の悶え』(77)である。抑圧された生活を送る尼僧たちの赤裸々な性欲を描いたこの作品は、芸術的なアート映画であると同時に大胆な性描写を含むポルノ映画的な要素も併せ持っていた。結局、そのポルノ映画的な部分が世間の人々の関心を集め、この作品は欧米で大変な話題となり、柳の下のドジョウを狙う尼僧ポルノが続出することとなったのだ。
http://angeleyes.dee.cc/nunsploitation/nunsploitation.html


201. 中川隆[-12516] koaQ7Jey 2018年5月26日 07:50:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか? _ 4


なぜフランス人とドイツ人は性的タブーを破り捨てたいのか?


イタリア人やスペイン人は、全般的に女性好きにも関わらず、あまり幼児性愛には関心がないように見受けられる。彼らは幼女ではなく、「女性」にぞっこんだ。陽気であけっぴろげだ。

しかし、北欧あたりの男たちが幼児性愛に関心があるようで、フランス・ドイツあたりの男がどうも他と違う。

特にフランス人が性的に不思議な感覚を持っているように見える。ディープキスは昔はフレンチ・キスと言われた。フランス人が好んでいたキスだったからだ。

フェラチオはフランス人がする変態行為だと言われていた。他の民族でそれは一般的ではなかった。フランスの性的な放縦さは突出していた。

また、ドイツも奇妙な性の探求で有名な民族だ。どうも、フランス人やドイツ人は性的に何か深いものを隠し持っている。

性に関して何かタブーを破ろうとする負のエネルギー

フランスと言えば、子供が怖がるほどに精巧に作られた「フランス人形」が伝統にある。

実はフランス人形を量産化させたのがドイツ人形で、やはりとても精巧で薄気味悪い感じがする。人形なのにリアルすぎるのである。

あれを見ても何か子供のためではないような、退廃的なものを感じてしまう人は多く、実際にロリコン気質のある男たちがそれをコレクションしていることで有名だった。

フランス人やドイツ人はロリコン気質があるのだろうか。実はあるかもしれない。アジアやアフリカで、ロリコン狂いをしているのはフランス人やドイツ人が多い。

彼らがその旧植民地をさまよってやっていることを見ていると、どうもロリコンだけでなく、セックス全体のタブーをあえて冒したいという意識すらも感じる。

どうもフランス人(と、ドイツ人)は性に関して何かタブーを破ろうとする負のエネルギーがあるように思えて仕方がない。

アジアの闇の中で、誰がどこにいたのかを後々よく考えてみれば、どうもそういう疑念が浮かんでしまう。

そこでふと思ったのが、「サディスト」の元祖マルキ・ド・サドのことだ。

サドは今でもその名を知らない者はない。未亡人を暴行したり、娼婦を虐待したりして刑務所と精神病院に放りこまれたが、そこで壮大な暴力小説を書いて、それが歴史に残った。

『ソドム百二十日』『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』『悪徳の栄え』などを読むと分かるが、そこには暴力と反体制にまみれた描写が執拗に続き、そのあらゆる不品行と堕落には陶酔さえ感じる。

サドはフランス人だった。


人形なのに、どこか精巧すぎて気味が悪いフランス・ドイツ人形。


堅苦しい社会をぶち壊したいという自由への欲求

また1970年にエマニエル夫人という映画が公開されて、そこから女性たちの性的概念の「パラダイムシフト」が起きた。

原作者は「タイ・バンコク生まれ」の女性エマニュエル・アルサンだった。

ジュスト・ジャカン監督シルビア・クリステルの映画は大ヒットして1970年代は、その亜流で映画が埋め尽くされた(この亜流のひとつである「ブラック・エマニエル」の主演女優はインドネシア人だった)。

私がエマニエル夫人を見たのはずっとあとの話だが、あの映画を見てもエマニエルの「哲学」がよく分からず、しかたがないから原作を買って読んでやっと何が言いたいのか理解した。

フランス文学はどれもそうだが、自己客観視と哲学に溢れている。この小説もまたそうだった。

もうこの小説を顧みる人もいないが、その根底を貫く哲学が「反処女(アンチ・バージン)」の概念だったのだ。

これはもちろん、キリスト教の強烈なアンチテーゼである。

私は今でもこのアンチテーゼを持ち出したエマニュエル・アルサンという女性に惚れている(シルビア・クリステルに惚れているわけではない)。

このエマニュエル・アルサンもまたフランス人だった。

フランス人であるサドもエマニュエル・アルサンも、その強烈な性的反逆を提示したのだが、この両者に共通するのが「反キリスト」の概念だ。

反キリストとは何か。表面を見ると、キリストや聖書に反対する立場のことを指す。

しかし、堅苦しい社会をぶち壊したいという「自由への欲求」でもあったのである。

宗教の堅苦しい枠から抜け出して、規定された常識に縛られず、自分の感覚のままに生きていきたいという欲求だ。

貞操や、常識や、文化に縛られたくない。自由に人を好きになり、自由にセックスを楽しみ、自由に振る舞いたい。

それは宗教に反しているのであれば、自分は自由のために「反キリスト」になりたい。そういう感覚が、「タブーを破りたい」というエネルギーにつながっていく。


映画「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル。この映画が全世界の女性を性道徳から解放した。


ロリータも原作がドイツで、出版がフランスだった


1962年の映画「ロリータ」より。ドイツの原本にロシア系アメリカ人が着想を得てフランスの出版社が世に出して、これが映画化された。


そう考えると、フランス人やドイツ人が秘かに惹かれている幼児性愛(ペドフィリア)もまた、タブーを破る反キリスト的な行為であることが見えてくる。

ところで、幼児性愛のことをロリータ・コンプレックスと言うこともある。このロリータは小説「ロリータ」から取られた言葉だ。

この小説を書いたのはロシア系アメリカ人ウラジーミル・ナボコフなのだが、あちこちの出版社に断られて、最終的に出版の許可を出したのはフランスの出版社だった(ここにも「反キリスト」的なフランスが登場する)。

そして、このロリータには後日談があるのだが、この小説の原作がまた存在していて、こちらを書いたのがドイツ人ハインツ・フォン・リヒベルクだったという話だ(今度はドイツ人が出てくる)。

反キリストのニーチェもドイツ、サドの対極にあるマゾ(マゾッホ)はオーストリア(ドイツ圏)。ロリータも原作がドイツで、出版がフランス。

厳格なキリスト教がこの地域に根づいた反動なのだろうが、性的に逸脱したすべての概念もまたこの地域から生まれている。

彼らの中の反キリスト感情と、後進国で彼らが秘かに行なっているロリコン犯罪……。

ずっと心に引っかかっているのがフランス人・ドイツ人の、陰湿な性の探求だ。

彼らの中にある反キリスト、反道徳。もう彼らにはキリストは負担になっているのだろう。だから、そこに性のタブーを覆したいという欲求が見える。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120912T0004430900.html


シルビア・クリステル死去。エマニエル夫人で一世風靡した女優 2012-10-18


シルビア・クリステルが死んだ。2012年10月18日、60歳だった。癌を患い、2012年7月には脳卒中を起こして寝たきりになっていた。それから3ヶ月で亡くなっているので、最期は意識もなかったのかもしれない。全世界の女性の性意識を転換させた女性の静かな死だった。

シルビア・クリステルという女優は、多くの映画で人々に感銘を与えた女優ではなかった。50本近くの映画に出ていたが、ただひとつ「エマニエル夫人」の3部作のみで人々の記憶に残った。最初から最後までエマニエルの呪縛から逃れることができなかったという言い方もできる。しかし、いろいろなインタビューを読むと、彼女はむしろそれを誇りにしていたようだ。

「エマニエル夫人」が、彼女の人生の使命だったのだ。


女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ

「エマニエル夫人」は特異な映画だ。原作も駄作、映画自体もそれほどよくできた映画でもない。映画史から見ると、「エマニエル夫人」はキワモノであり、賞を与えるほどの名作でもなく、大金をかけた大作でもない。

しかし、シルビア・クリステルが映画の中で見せた瑞々しい肉体は、そのすべてを吹き飛ばし、全世界の女性にアピールした。時代が求めているものを、彼女は表現していたのだ。

1970年代はヒッピー・ムーブメントの時代であり、これは時代を縛っていた様々な既成概念を壊す動きだった。この打ち壊すべく既成概念のひとつに「女性の貞操観念」があった。

「女性はもっと権利を主張すべきだ」
「女性は自らを解放すべきだ」
「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」


ウーマンリブの概念が生まれたのもこの頃だし、女性の社会進出が求められたのもこの頃だし、フェミニズムという思想が生まれたのもこの1970年代だった。この中で、「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」という部分の起爆剤になったのが、シルビア・クリステルの「エマニエル夫人」だったのである。

1970年代の女性たちはこの映画で、シルビア・クリステルに導かれるように「性を謳歌する」道を歩み始めた。だから、この映画は「映画」として重要なのではない。「社会史」として重要なものだったのだ。


最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか

エマニエル夫人は、ただの映画でも、ただのポルノでもなかった。時代が求めているものを表現したものだった。巧みな宣伝と、シルビア・クリステルの美しさと、映画全編に流れる美しい音楽すべてが相乗効果を発揮していたとも言える。

彼女のあとにも様々な女性がエマニエルを演じたし、エマニエルの亜流もまたたくさん作られた。しかし、そのどれもが興行的に失敗しているし、歴史の風雪を乗り越えることもできなかった。 実は、エマニエル夫人も「エマニエル夫人」「続エマニエル夫人」「さよならエマニエル夫人」と立て続けに作られたが、強い影響力を持って覚えられたのは、最初の「エマニエル夫人」だけだった。

なぜなのか。

実は、原作をなぞって作られた最初の映画には、美しさの裏に大きな「毒」が仕掛けられていたからだ。その「毒」は、原作を読んだ人間だけが知っているものだ。その「毒」を表現していたのが、まさに最初の一本だったのである。「続エマニエル夫人」と「さよならエマニエル夫人」は、ただヒットに釣られて作られた映画であり、原作の持つ「毒」はそこに表現されていない。


いったい、この最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか。それは、実はブラックアジアで答えを書いた。ブラックアジアの会員の方は、その「毒」をもう一度確認してみて欲しい。


伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?

エマニエル夫人。汚れて「いない」と感じるのは恐ろしいわ


本当のエマニエル夫人の裏にあるものを知らなければ、何があったのか、何も分かっていないのと同じだ。答えはこの図が示しているものだ。


女性の肉体は世の中を変える力がある

多くの人たちは映画「エマニエル夫人」の奇妙な物語の裏側に何が隠されているのか、その意図を知ることもないし、見ることもない。ただ、シルビア・クリステル演じるエマニエル夫人が、性的に解放されていくという部分のみに目を奪われてしまっている。

しかし、エマニエル夫人を取り巻く男たちの言動はとても奇妙で、異様な哲学を持っている。その哲学は、現代になってもまだ実現していない先進性を持ったものである。そして、その一見、奇妙に見える哲学の裏側にあるのが、「毒」だったのだ。

「伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?」で示したフランス版の奇妙なイラストは、ひとつのサブリミナルになっていた。

しかし、そういった毒を毒と感じさせなかったのが、シルビア・クリステルという美しい女性の肉体だった。

毒のあるリンゴであっても、とても美しければ食べてみたくなる。時代は毒リンゴを求めていて、だからエマニエル夫人はその象徴となった。

女性の肉体は世の中を変える力がある。

これは、常にブラックアジアのひとつのテーマでもある。今、インドで「女性の肉体が世の中を変える」動きが加速していることも書いた。


エジプトでも起きている。(アリア・マフディ。あっさりと裸をさらしてイスラムに反抗 )

1970年代に、シルビア・クリステルが示したのがまさに、これだった。

「女性の肉体は世の中を変える力がある」
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121019T0049500900.html

まあ、エロさでは日本に全然敵わないとしても、フランス人は日本人とはセンスの良さが全然違いますね:


白い恋人たち/フランシス・レイ 13 Jours en France/Francis Lai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UIfOtRGS030


Francis Lai & Sylvia Kristel 映画「続エマニエル夫人」 Emmanuelle II L'Anti Vierge - YouTube
http://www.xvideos.com/video20154645/emanuela_1974
https://www.youtube.com/watch?v=b9DkGFFSBko


パリのめぐり逢い/フランシス・レイ Vivre pour vivre/Francis Lai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bMydc0C9Ifw


「ある愛の詩 Love Story」フランシス・レイ Francis Lai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zu5Qv886i10


Francis Lai A Man And A Woman all 3 movie versions - stereo - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Jg-NDSLEkKI


雨の訪問者のワルツ/フランシス・レイ La Valse Du Mariage/Francis Lai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mRvJhQU1d5s


さらば夏の日/フランシス・レイ Du Soleil Plein Les Yeux/Francis Lai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=36nlorMCLcw


La Lecon Particuliere(個人教授)−Francis Lai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QFDYOHsXvdU

クロード・ルルーシュ 『男と女』
1966 Escena Film Un Homme et Une Femme - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cfHUoyZ-isA
https://www.youtube.com/watch?v=rvh9KLxv_qo


Un homme et une femme (1966) - Dailymotion動画
http://www.dailymotion.com/video/x24vcce
http://www.dailymotion.com/video/x24vef8



202. 中川隆[-12515] koaQ7Jey 2018年5月26日 07:55:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

尼僧ヨアンナ(1961)
監督: イェジー・カヴァレロヴィチ
出演: ルチーナ・ウィンニッカ ミエチスワフ・ウォイト アンナ・チェピェレフスカ
https://fmovies.is/film/mother-joan-of-the-angels.kwylr/0o0qq3
https://www.cda.pl/video/138878713

203. 中川隆[-12514] koaQ7Jey 2018年5月26日 07:58:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14293]

ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか? _ 5


我々はどこから来たのか, 我々は何者か, 我々はどこへ行くのか


エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つ


神が存在するなら、人間は奴隷だ。人間は自由でありえるし、またそうでなければならない。結論として、神は存在していない。 - ミハイル・バクーニン

"Wenn Gott existiert, ist der Mensch ein Sklave; der Mensch kann und soll aber frei sein: folglich existiert Gott nicht." - Michail Bakunin


神がもし存在するなら、神を廃止しなければならない。- ミハイル・バクーニン

"If God would have existed, it would be necessary to abolish Him" --Mikhail Bakunin (On God and the State)
https://ja.wikiquote.org/wiki/%E7%A5%9E


世界の名著42 プルードン/バクーニン/クロポトキン
バクーニン「神と国家」(勝田吉太郎訳)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%90%8D%E8%91%97-53-%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4124006632/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1499303321&sr=1-1


でバクーニンが展開している聖書解釈というものは非常にユニークなものであって、

アダムとイブはサタンのお陰で神の専制支配から逃れることが出来た。

神は『知恵の木の実を食うべからず』と命じただけなのであるが、自由とは分割不可能なものなのであるゆえ、これは恐るべき専制政治の始まりに他ならない。もしもアダムとイブの両人がこの神の命令に従うのみであったならば、人類は最も屈辱的な奴隷状態に陥っていたことであろう。

しかしサタンの知恵によって勇気を振り絞ったアダムの行動によって、われわれは自由を得たのである。――バクーニンはこのように述べている。

彼は神の存在を認めているが、それでもサタンの知恵にくみしているが故に、無神論なのである。神を信じるものは、霊魂の不死を信じるが故に、反社会的であって、他者の存在を認める必要もなければしなければ、愛情を注ぐ必要もない。それ自身で完成された存在に、他者という不純な要素はいらないであろう。そうであるから、少なくとも、霊魂が不死ではないことは確かだという。

バクーニンは、無神論ではあるが、マルクスやエンゲルスとは異なって、自身では「霊魂の存在も自由意志も信じない唯物論者ないし現実主義者」などと語ってはいるが、実際にはプルードンのような観念論の立場であったといえる。彼は「神学は不条理」というが、逆にバクーニンの解説によって、サタンがなぜ天使でなければならなかったのかということがおぼろげながらに理解できて、この1872年の春に5日ばかりの間の暇の間に走り書きされたという手紙のような草稿を見ながら、古来数千年の昔に神学の体系を作り上げたヘブライの神官に賛歌を贈ることが出来た。

まあ、バクーニンのこの書物に関して言えば、興味を引かれるのは聖書解釈のほうで、残りの部分についてはあまり共感は持たなかった。ソクラテスとかプラトン、それともピタゴラスと言った人であれば、人間には宇宙との共鳴による「光の道」のような生き方が最高なのだと説くであろうが、そういった野のはこの種の本には載っていないのが残念だ。それはバクーニン自身も言っている。

「無知な大衆だけでなく、特権的な上流階級においても同様に、圧倒的な数の人間は、彼らの回りのすべての人が望み、考えることしか、望み、考えようとはしないのだ」。

「諸個人のこうした盲従、旧套墨守、いつ果てるとも知れない陳腐さ、反逆的な意思力の欠如、自発的な思考の欠如、これら一切合財が、人類史の発展に見られる嘆かわしい緩慢さを生み出す主要な原因なのだ」。

――と、そういうことであるから、宇宙との共鳴により、人は個人であるときにこそ他者と一体になれるなどとこのような場で説いても、誰にも通用しなかったのであろう。それとも時代のサイクルの問題で、この19世紀後半という時期は、宇宙との共鳴を感じ取ることの出来る人間が極端に少なかったのであろうか。

上のバクーニンの言葉は、ずっと昔、禅宗か何かの坊さんが引用していたものを読んで以来、ずっと頭に引っかかっていたが、原点はこんなところにあった。孤独を求める宗教人の必然的な隠遁生活というのは、バクーニンがいうような単純な動機から起こるものではないとか何とか、そういう内容であったように思う。

魂が不死なものである故に、宗教人は必然的に社会とは遠ざかるというバクーニンの論拠は、もちろん誤りである。しかし、現代では自発的な人間というのは、バクーニンの時代に比べてはるかに少ないであろう等ともいっていたように記憶している。

こういった大衆の無気力な態度を批判する人物は、何もヒトラーに限ったことではなく、古今ずいぶん多くの学者に指摘され続けてきた。しかし、バクーニンも、こんなにはっきりいうから落選したのではないかとも考えられる。しかし、これについては、獄中で

「そんなに大衆をあしざまに語っても選挙に悪影響は出ないのですか?」

と聞いた筆記者に、

「いや、あいつらは能無しだから問題はない」

とヒトラーが語ったもので、事実問題はなかった。

残念ながら、大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいるようだ。

その方が決定的に楽だからのようである。
勘違いでもなんでもなく、本当に楽なのであるから、そちらを選ぶ。
将来どうなるかなどということは、たいてい考慮しない。

それで朝三暮四といったことが人間にもおこるということが観察される。

なるほど、一日のことであれば、人はサルを軽蔑することが出来るが、一年後のことになると、サルと同じだというのである。

利息ということを考えると、先にたくさんもらったほうが、確かに得ではあるが、社会全体の活力が落ちるほうを選ぶというのは、懸命だとはいえない行為だ。


バクーニンは、プルーストとは異なり、大変な行動派であったが、いつも行動はドン・キホーテ型であって、たいていは失敗に終わったらしい。

第一インターナショナルでも、19世紀の労働運動における一方の代表的指導者として、散々マルクスと対抗したが、ついに敗退した。民主主義的暴政について散々に説き、「いかなる独裁も、自己の永続化以外になんらの目的も持ちえない」といったが、ついに無駄であった。

アナーキストというものは、元来が個人主義で自由を重んじる人間であるからして、グループを作ったところで、結束力というものは、マルクス側にかなうはずもない。

どういう考えを持とうと自由であると主張するものにとって、他人の考えを否定することは非常に難しく、せいぜい批判段階で終わってしまったものと思う。
http://s.webry.info/sp/30932531.at.webry.info/201012/article_7.html


 バクーニンは、こう述べています。
そこへ登場したのはサタン、あの永遠の反逆者であり、最初の自由思想家であり、世界の解放者である、あのサタンである。

彼は、人間に対して、その無知であること、獣のように従順であることの恥ずかしさを教えた。

彼は、人間に従順を捨てさせ、知恵の木の実を取って食べさせた。

そうすることによって、サタンは人間を解放し、その額に自由と人間性という刻印を押したのである。


___


上条さんは、今日も静かに本を読んでいた。僕は、本を読んでいる彼女に話しかけた。

智樹「上条さん。こんにちは。」

一葉「・・・・・・こんにちは。」

 彼女は本から目を離し、僕を見た。

智樹「上条さん。この前、サクヤ姫とイワナガ姫の話をしたじゃないですか。そのことについて、社会思想を専門としている教授と話をしてみたんですよ。」

とも樹「教授・・・。誰でしょうか?」

一葉「知ってるでしょうか? 三宮教授って人なんですけど・・・。」

智樹「三宮教授・・・。それで、どのような話をされたのですか?」

 彼女が三宮教授を知っているかは分からなかったが、僕が教授と話した内容には興味を示してもらえたみたいだ。僕は、彼女の隣に座る。

智樹「サクヤ姫とイワナガ姫の話は、バナナ型神話と呼ばれているのはご存じですか?」

一葉「はい。知っています。」

 そう言って、彼女はにっこりと笑った。なんだ、知っていたのか。ちぇっ。

智樹「それで、バナナ型神話つながりで、『旧約聖書』の話とかもしたんですよ。」

一葉「エデンの園の話でしょうか?」

 僕は、かなり驚いた。

智樹「すごいですね。正解です。」

一葉「正解ですか。生命の樹と知恵の樹の話ですよね?」

智樹「・・・そうです。」

 僕は彼女の知性を侮っているつまりはなかったのだけれど、改めて感心した。彼女の知識の範囲は、かなり幅広いのかもしれない。
 ここは、彼女に三宮教授の意見を紹介してみることにしよう。

智樹「三宮教授と話して、面白いことを教えてもらったんですよ。」

一葉「アダムとイブの話ですか?」

智樹「そうです。アダムとイブは、ヘビにそそのかされて禁断の果実に手をつけるじゃないですか? でも、実はヘビは、嘘を吐いているわけではないんですよ。」

 彼女は、僕の目を見つめて黙ってしまった。僕は、彼女の反応をうかがった。しばらく反応がないので、続きを話すことにした。

智樹「えっと、神様は、知恵の樹の果実について、食べると死んでしまうとアダムとイブに言っているわけです。それに対してヘビは、食べても死なないこと、それに、食べると神のように善悪を知るようになることをイブに語るんです。それでイブは、その果実がおいしそうに思えてきて、アダムと一緒に食べてしまうんです。」

 彼女は静かに僕を見た。

一葉「つまり、嘘を吐いているのは神様で、ヘビは真実を述べているだけだと。」

 彼女は、この話の本質をずばりと言い当てた。

智樹「・・・そうです。なかなかに、面白いでしょう。」

一葉「はい。そうですね。」

 彼女は、うなずいた。

智樹「ヘビは、何を考えていたんでしょうね?」

 この質問を、僕は彼女にたずねてみたかったのだ。

一葉「ヘビは、実はサタンだったという解釈がありますね。」

智樹「サタン・・・。悪魔の王様でしたっけ?」

一葉「そうです。キリスト教では、神の敵対者です。」

 そう言うと、彼女は分厚い革製の手帳を取り出した。以前も、彼女は手帳に書かれている言葉を使って話していた。色々とメモっているんだっけか。彼女は、手帳をパラパラとめくって言った。

一葉「佳山くんは、アナーキストのバクーニンを知っていますか?」

智樹「・・・知りません…。アナーキスト…。上条さんは…。」

 僕が質問するより速く、彼女は答えた。

一葉「私自身は、アナーキズムはあまり好きではありません。」

 そう言って、にっこりと笑った。僕は、少しゾクっとした。彼女の笑顔の裏に、何かしらの強い意志が感じられた。

智樹「では、なぜ突然、バクーニン?」

 何か、変な返しになってしまった。

一葉「バクーニンの思想はあまり好きではないのですが、『神と国家』という著作に面白い意見があるのですよ。」

智樹「どのような意見でしょうか?」

 彼女は、手帳に眼を落とした。

一葉「バクーニンは、こう述べています。〈そこへ登場したのはサタン、あの永遠の反逆者であり、最初の自由思想家であり、世界の解放者である、あのサタンである。彼は、人間に対して、その無知であること、獣のように従順であることの恥ずかしさを教えた。彼は、人間に従順を捨てさせ、知恵の木の実を取って食べさせた。そうすることによって、サタンは人間を解放し、その額に自由と人間性という刻印を押したのである〉と。」

 僕は、彼女が何を言いたいのか分かった気がした。

智樹「なるほど。つまり、神様の言いつけを守っている間は、人間は神様の奴隷だったと。その奴隷の地位から人間を解放したのが、ヘビ。つまり、サタンだった、と。」

一葉「たいへん良くできました。」

 彼女は薄く微笑んだ。僕は嬉しくなる。

智樹「上条さんは、ヘビの役割をそう解釈しているのですね?」

一葉「物語を聴く者の思考によって、物語は異なった姿を見せます。神の加護を失ったと見るか、神の呪縛から解き放たれたと見るか。どちらも魅力的な考え方ですが、私は後者の方に、より共感を覚えます。」

 そう言う彼女は、僕には不思議な魅力をもって映る。
 話が一段落したと思って別れを告げようとしたとき、彼女の方から話題を振ってくれた。

一葉「ところで、生命の樹と知恵の樹の話をバナナ型神話と見なすのは、私には違和感があるのです。」

智樹「どういうことですか?」

一葉「聞きたいですか?」

智樹「是非。」

 彼女は薄く微笑んで、嬉しそうに語り出した。

一葉「アダムとイブの話をバナナ型神話として見たとき、生命の樹による永遠の命と、知恵の樹による善悪の知識の選択が問題となります。人間が、生命の樹の果実ではなく、知恵の樹の果実を選んだことにより、永遠の命を失い、その代わりに善悪の知識を得た・・・。」

智樹「そういう話ではないんですか?」

一葉「私は、違うことを考えています。」

智樹「どういうことでしょうか?」

一葉「神は最初、知恵の樹の果実を取ることを禁止しており、生命の樹の果実の方は、明確に禁止していなかったのです。ですから、生命の樹と知恵の樹の二者択一ではなかった可能性があるのです。」
 
 僕は驚いた。僕は、彼女と話をするため、その部分を読んで来たんだ。彼女は、当然ながら、突然振られた話のはずだ。それなのに、僕よりも深く話すことができている。僕は、彼女と僕の間にある隔たりの大きさをあらためて思い知った。

 彼女は、彼女の説を続ける。

一葉「原文の通りに読むなら、神は最初、知恵の樹の果実を取ることを禁止しており、生命の樹の果実を取ることは禁止していませんでした。そして、神は、アダムとイブが知恵の樹の果実を食べ、善悪を知る者となった後に、生命の樹の果実を食べることを恐れたのです。」

 僕は、彼女の言うことがまだ分からない。彼女は、何かを意図している。それが、まだ分からない。でも、彼女は何か重要なことを言おうとしていることは分かった。

 彼女は、静かに語り続ける。

一葉「最初、生命の樹の果実を食べることは、禁止されていませんでした。ということは、アダムとイブは、実は、生命の樹の果実を食べていたのではないでしょうか? 神は、善悪を知る前のアダムとイブを必要としていたのです。そのために、アダムとイブは生命の樹の果実を食べ、神のために永遠に生きるようになっていたのです。」

 僕は、彼女が恐ろしく感じられた。彼女は、僕の恐怖を知ってか知らずか、僕を見つめたまま話を続ける。

一葉「神は、知恵を付ける前のアダムとイブを愛していたのです。知恵をつけない限りで、神はアダムとイブを愛していたのです。しかし、アダムとイブが知恵をつけてしまったら、神はアダムとイブを今まで通りに愛することはできなくなってしまう。神は、知恵をつけたアダムとイブが、生命の樹の果実を食べ続けて、永遠の命で居続けることを許さなかったのです。

神は、アダムとイブをエデンの園から追い出しました。アダムとイブは、すなわち人間は、エデンの園を追放されて、必ず死ぬようになったのです。」

 僕は、おそるおそる話した。

智樹「でも、それはおかしいじゃないですか。それなら、神は、生命の樹は作っても、知恵の樹は作らなければよかったんじゃないですか?」

 彼女は、薄く微笑んだ。

一葉「神は、アダムとイブを愛していました。目の前に知恵を得る方法があるのに、それに手を出さずいる二人を。」

 彼女の声は、透き通っていた。

智樹「それなら、ヘビは・・・。」

一葉「ヘビがサタンであるかどうかは、私には分かりません。でも、もし私がヘビなら、同じ言葉を吐いたことでしょう。」

智樹「上条さんが、ヘビだったら・・・。」

一葉「神は、人間が善悪の知識と永遠の命を得ることを許しません。なぜなら、それは、人間が神になることだからです。神は、人間が愚かであることを楽しみ、神と同じ知性を持つことを憎むのです。生命の樹と知恵の樹が、互いに相反する性質を持つのなら、それは神の意図に由来します。」

智樹「それは・・・。」

一葉「自分と同じ知性を嫌う神、これは、人間性の顕著な特徴の一つです。」

 そう言って、彼女は微笑むのだ。
 僕は、ふと思ったことを口にした。

智樹「そういえば、ヘビ自身は、知恵の樹の実を食べていたのでしょうか?」

 そういった僕を、彼女は不思議そうに見詰めた。

一葉「それは、・・・・・・面白い視点ですね。」

 そう言って、彼女は静かに微笑んだ。
http://asread.info/archives/3101/6

何故、大部分のアナキストは無神論者なのか?

大部分のアナキストが無神論者、これは事実である。
アナキストは神という考えを拒絶し、あらゆる形態の宗教、特に組織宗教に敵対する。

今日、非宗教化された西欧諸国では、宗教は、社会の中でそれ以前に持っていた支配的立場を失っている。このために、多くの場合、アナキズムの戦闘的無神論は奇妙なものに思われてしまっている。しかし、宗教が持つネガティブな役割を理解すれば、リバータリアン無神論の重要性はハッキリとする。

アナキストが宗教という考えに異議を唱え、宗教反対論を宣伝することに時間を費やしているのは、宗教と宗教諸機関が持つ役割のためなのだ。

 何故、それ程までに多くのアナキストは無神論を受け入れているのだろうか?
最も単純な答えは次のようなものだ。

無神論はアナキズム思想の論理を拡大したものであるが故に、大部分のアナキストは無神論者なのである。

アナキズムが不当な権威の拒絶だとすれば、それはいわゆる最高権威・神の拒絶だということになる。

アナキズムが根差しているのは、理性・論理・科学的思考であって、宗教的思考ではない。

アナキストは、信奉者ではなく、懐疑者になることが多い。

大部分のアナキストは、教会は偽善まみれであり、聖書は矛盾・不合理・恐怖が充満した作り話だ、と見なしている。

聖書が女性の品位を貶めていることは周知の事実であり、その性差別主義は悪名高い。
しかし、男性にしてもほんの少しましに扱われているに過ぎない。

聖書の何処にも、人間が生・自由・幸福・尊厳・公平・自治の権利を生まれながらに持っていることを認めた箇所などない。

聖書では、人間は罪人・虫けら・奴隷である(比喩的にも文字通りにも、奴隷制を認めている)。神が全ての権利を持ち、人間は無価値なのだ。


 宗教の性質を考えれば、これは驚くべきことではない。
バクーニンは次のように上手く述べている。


 神という観念は、人間理性と正義の放棄を意味する。
それは、人間的自由を最も決定的に否定し、最終的に、理論的にも実践的にも人間の奴隷化を必ずやもたらすことになる。

 そこで、人間の奴隷化と堕落とを望まないのであれば、我々は、神学の神や形而上学の神のいずれにも、ほんの僅かな譲歩もできないし、すべきでもない。

この神秘的文字体系では、Aで始める者は、必ずやZで終わる。神を崇拝しようとする者は、その内容ついて子供じみた幻想を抱くことなく、自分の自由と人間性を大胆にも放棄しなければならないのである。


 神が存在するならば、人間は奴隷である。
さて、人間は自由になり得るし、ならねばならない。従って、神は存在しない。[God and the State, p. 25]


 大部分のアナキストにとって無神論が必要なのは、宗教の性質のためである。

バクーニンは次のように論じている。

『人間性が持つ雄大で、公正で、高潔で、美しいもの全てを神的だと公言することは、人間性それ自体ではそれを生み出すことができない−−つまり、人間に委ねられているから、人間の性質は悲惨で不正で低劣で醜悪なのだ−−とそれとなく認めることである。

このようにして、我々は、あらゆる宗教の本質−−言い換えれば、神性の偉大なる栄光のために人間性を非難すること−−に立ち戻るのである。』


従って、人間性と人間が持つ潜在的可能性のために正義を行うべく、アナキストは、神という有害な神話や神に付随する全てのことなどなくても物事を行うことができ、そして『人間の自由・尊厳・繁栄』のために、『強奪された能力を天国から救いだし、地上に戻すことこそ我々の義務だと信じているのだ。』[前掲書, p. 37 and p. 36]


 宗教は、人間性と人間の自由を理論的に堕落させるだけでなく、アナキストの観点からすればもっと実際的な諸問題を持っている。

まず第一に、宗教は不平等と抑圧の源泉であった。

例えば、キリスト信仰(イスラム教同様に)は、政治的・社会的支配力を持っているときには、常に抑圧勢力であった(神への直接的繋がりを自分が持っていると信じることこそ、権威主義社会を創造する確実な道なのである)。

教会は、ほぼ二千年にわたり、社会的抑圧を行い、大量殺戮をし、あらゆる圧制者を正当化する勢力であった。機会が与えられれば、教会は君主や独裁者と同じぐらい残酷に支配したのである。このことは驚くべきことではない。


神が全てであれば、現実世界と人間とは無である。

神が真実・正義・善・美・力・生であれば、人間は虚偽・不正・悪・醜・無能・死なのだ。

神が主人ならば、人間は奴隷である。

人間は、自分の努力で正義・真実・永遠の命を見つけることができず、神の黙示を通じてのみそれらを獲得できる。だが、黙示を述べる者は皆、告知者であろうと救世主であろうと予言者であろうと司祭であろうと立法者であろうと、神自身によって霊感を与えられたと言うのだ。

こうした人々は、人間性の聖なる指導者として救済の道を示すべく神自身に選ばれたということで、必ずや絶対的権力を行使する。万人はそうした人々に無制限の受動的服従をする義務を負う。なぜなら、聖なる理性に対抗する人間理性などなく、神の正義に対して地上の正義など適用されないからだ。[Bakunin, 前掲書, p. 24]

 キリスト教が寛容ある平和愛好のものに変わるのは、それが権力を持たないときのみであった。しかし、そうしたときであっても、権力者を擁護する役割を続けていた。アナキストが教会に敵対する第二の理由がこれである。

抑圧の源泉になっていないときも、教会は抑圧を正当化し、その継続を確かなものにしていたのだ。地上の権威が支配することを是認し、労働者にこの権威と闘うことは間違っていると教えることで、労働者階級を数世代に渡り奴隷にし続けていたのだ。

政治的(支配者たちは神の意志によって権力の座にいると主張する)にであれ、経済的(金持ちは神に褒美を与えられたのだ)にであれ、地上の支配者たちは天上の神から正統なものと見なされた。

聖書は服従を賞賛し、最大の美徳だと持ち上げている。
プロテスタント労働倫理のような最近の発明も、労働者の従属に寄与しているのだ。

 宗教が権力者の利権を助長するために利用されているということ、これは、歴史の大部分ですぐに見ることができる。

宗教は、抑圧される側を従順にし、天国でのご褒美を待つように説得することで、人生における自分の立場を謙虚に受け入れるように条件付ける。

エマ=ゴールドマンは次のように主張していた。

キリスト教(宗教一般もそうであるが)は『権威と富の体制にとって何ら危険なものを含んでいない。

自己否定と自己犠牲、懺悔と後悔を支持し、人類に押しつけられたあらゆる侮辱・あらゆる暴挙の面前では絶対的に何も行わないのだ。』[Red Emma Speaks, p. 234]


 第三に、宗教は常に社会の中の保守勢力だ、ということである。

これは驚くに値しない。宗教は現実世界の調査と分析にではなく、上から手渡された真実・幾つかの聖なる書物に含まれている真実を繰り返すことにその根拠を置いているからだ。

有神論は『思弁理論』であり、無神論は『実証科学』である。

『一方は理解を超えたものという極めて抽象的な雲に垂れ下がり、他方は大地にしっかりと根を下ろしている。人間が真に救済されようと望むのなら、人間が救わねばならないのは地上であって、天上ではない。』

従って、無神論は『人間精神の拡充と成長を表現しており』、一方有神論は『静的で固定している。』

『無神論が全力を尽くして闘っているのは、有神論の絶対主義・人間に対するその有害な影響・思想と行動を混乱させるその効果なのだ。』[Emma Goldman, 前掲書, p. 243, p. 245 and pp. 246-7]


 聖書は次のように述べている。

『その果によりて彼等を知るべし。』

私たちアナキストもこれに同意するが、教会とは異なり、この真実を宗教にも適用する。だからこそ、アナキストは概して無神論者なのだ。私たちは教会が果たしている破壊的役割を認識し、組織的一神教、特にキリスト教が人々に及ぼす有害な効果について認識している。エマ=ゴールドマンは次のように要約している。

宗教は『理性に対する無知の謀議、光に対する影の謀議、自立と自由に対する服従と隷属の謀議、強さと美しさを否定する謀議、生の享受と栄光を肯定することに対する謀議である。』(前掲書、240ページ)


 さて、教会の果実について考えたとき、アナキストは次のように論じる。

それを根絶し、新しい樹木を植えよう、理性と自由の樹木を植えよう、と。


 とは言うものの、アナキストは、宗教が重要な倫理思想や真実を含んでいることを否定しない。それどころか、宗教は、強力で愛情に満ちたコミュニティやグループの基盤になり得る。日常生活の疎外と抑圧から逃れる場所を提供し、万物が売り物になっている世界の中で行動を起こす指針を提供できる。

例えば、イエスやブッダの人生や教えの多くの側面は、私たちを鼓舞し、従うに値するものである。このことが真でなければ、宗教が単なる権力者の道具だったとすれば、宗教はとうの昔に拒絶されていたであろう。むしろ、宗教は二重の性質を持っているのであり、豊かな生活をおくるために必要な思想と権力護教論の双方を含んでいるのである。二重の性質を持っていない場合、抑圧された側は宗教を信奉せず、権力を持つ側は危険な異端だとしてその宗教を弾圧するであろう。

 実際、弾圧は、急進的メッセージを伝導していたあらゆるグループの運命であった。中世時代、数多くの革命的キリスト教運動と教派が、主流派の教会の確固たる支援を受けた地上の当局によって破壊された。

スペイン市民戦争中、カトリック教会はフランコのファシストを支持し、共和国支持者がフランコ賛同牧師を殺害したと非難していたが、その一方では、民主的に選ばれた政府を支持したバスクの牧師をフランコ軍が殺害したことには沈黙を保っていた(法王ヨハネ=パウロ二世は、死亡したフランコ賛同牧師を聖者に祭り上げようとしたが、共和国賛同の牧師については口を閉ざし続けていた)。

エル=サルバドルの大司教、オスカル=アルヌルフォ=ロメロは当初保守的だったが、政治的・経済的権力が民衆を搾取しているやり方を目にして、歯に衣着せぬ民衆擁護者になった。このために、彼は、1980年に右翼民兵組織によって暗殺された。これは、解放神学(社会主義思想とキリスト教的社会見解を融和させようとして福音書を急進的に解釈した)の支持者の多くに襲いかかった運命であった。

 また、アナキストが宗教に反対だからといって、宗教人が社会を改良すべく社会闘争に参画しないということを意味しているわけではない。全く違う。

宗教人は、教会ヒエラルキーのメンバーを含めて、1960年代の米国市民権運動で重要な役割を演じた。メキシコ革命中のサパティスタ農民軍内部には宗教的信念があったが、だからといって、アナキストが参加しないわけではなかった(事実、農民軍はアナキスト闘士リカルド=フロレス=マゴンの思想に強く影響されていたのだった)。

宗教の二重性質こそが、多くの民衆運動と民衆蜂起(特に農民の)とが宗教のレトリックを使っていた理由を説明してくれる。自分達の信念の良い側面を守り続けようとすることが、地上の不公正と闘うことを決意させたのである。

アナキストにとって大切なことは、不公正と闘おうとしているかどうかであって、人が神を信じているかどうかではない。私たちは、ただ、宗教の社会的役割は叛乱を挫くことであって、勇気づけることではない、と考えているだけなのである。

主流の司祭たちや右翼の司祭たちに比べて、急進的司祭はほんの一握りしかいない。このことが私たちの分析の妥当性を示しているのである。


 アナキストは、教会と従来の宗教が持つ考えに対し徹底的に敵意を抱く一方、民衆が、自分だけで、もしくはグループで、宗教的信念を実践することに異議を唱えはしない。ただし、その実践は他者の自由を侵害しない限りにおいてである。

例えば、人間を生け贄にしたり奴隷にしたりしなければならないカルト宗教は、アナキズム思想とは正反対のものであり、アナキストはそれに反対する。

しかし、平和的な信念システムは、アナキスト社会内部でも調和して存在することができる。

アナキズムの観点は、宗教は何にもまして私的な事柄だ、というものである−−

人々が何かを信じているとすれば、それはその人の事柄であり、他者にその考えを押しつけない限り、他人には関係ない。

私たちにできることは、その考えを議論し、その誤りを説得しようとすることだけである。


 終わりに記しておかねばならないが、私たちは、アナキストであるためには無神論でなければならない、などと述べているのではない。全く逆だ。

A.3.7 宗教的アナキストはいるのか?
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa3.html#seca37

で論じたように、神や何らかの宗教をしっかりと信奉しているアナキストもいる。

例えば、トルストイはリバータリアン思想を献身的なキリスト教信念と組み合わせていた。彼の思想は、プルードンの思想と共に、アナキストのドロシー=デイとピーター=モーリンが1933年に設立し、現在も活動しているカトリック労働者組織に影響を与えた。現代の反グローバリゼーション運動で活発に活動しているスターホークは、アナキスト活動家であると同時に主導的ペーガン(多神教徒)であるが、何の問題もない。

しかし、エマ=ゴールドマンが次のように述べているように、大部分のアナキストにとって、アナキズム思想は論理的に無神論を導く。

『神を否定することは、同時に人間を最も強く肯定することである。
人間を通じて、生・意図・美に永遠の賛同をするのである。』[Red Emma Speaks, p. 248]
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqa25.html


「なぜ、神様は人間を創造したの?」

シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。


「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。


いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。

あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。

             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。

おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、
「排尿をガマンできない人間」、
「性器を持たない人間」、
「よろよろして立ち上がることができない人間」

など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967


『アルコーンの本質』 『ナグ・ハマディ文書』より


■3.「不滅性」の自己啓示とアダムの創造


 「不滅性」は下なる領域を眺め降ろした。両性具有のアルコーンたちは、水面に映ったその像を見て欲情するが、弱さのゆえにそれをつかむことができない。アルコーンたちは協議して、土の塵から人間を造り、「不滅性」がそれに近づいてくるようにと策略を立てる。彼らは、彼らの身体に似せて、また、水の中に現れた神の像に従って、一人の人間を造った。

サマエールは人間に息を吹き込み、それによって人間は心魂的なものとなるが、彼はいまだ立ち上がることができない。アルコーンたちは上なる神を欺こうとしてこれらのことを行ったが、これらすべてのことは実は、「万物の父」の意志によって生じたものであった。父からの「霊」が「アダマンティネーの地」(堅固な地、の意)から到来し、それによって人間は生ける者となり、アダムと名づけられた。
アルコーンたちは地のあらゆる獣と天の鳥を集め、アダムに名前をつけさせた。


■4.アダムの楽園への拘禁とエバの創造、「霊的な女」の到来


 アルコーンたちはアダムを拘束して楽園に閉じこめ、

「善と悪の知識の樹から食べてはならない。食べる日に必ず死ぬだろうから」

と告げた。次にアルコーンたちは、アダムの上に忘却をもたらし、アダムの脇腹を開いて、その肋骨を生ける女に変えた。そしてアダムの脇腹に、代わりの肉を詰めた。これによってアダムは心魂的なものとなってしまい、起き上がることができないが、「霊的な女」が到来し、アダムを立ち上がらせる。アダムは彼女を賛美した。


■6.「霊的な女」が蛇になって行なう啓示と楽園追放


 霊的な女は、蛇の、とはすなわち教示者の姿で、アダムとエバのところにやってきた。そして、知識の木から取って食べても

「決して死ぬことはない。なぜなら、彼がそうお前たちに命じたのも、妬んでいるからなのだ。むしろお前たちの目が開くことになるであろう。そして、お前たちは善と悪とを知る神々のようになるだろう」

と啓示する。これを聞いて二人は、知識の木の実を取って食べ、自分たちが「霊的なもの」を剥がれて裸であることに気づいた。アルコーンたちは二人が知識の木の実を食べたのを知り、蛇を呪って、アダムとエバを楽園から追放した。それは、彼らが生活の労苦に追われて、聖霊に心を配る時間の余裕がないようにするためであった。
http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth005.html


人類最初の女性 リリス( Lilith )


旧約聖書では、神によってアダムが土から生まれ、その次にイヴがアダムの肋骨から生まれたとされていますが、実はアダムと同様にリリスという土から生まれた女性がいて、アダムと結婚していました。

リリスは、アダムと同様に土から生まれたので、アダムとは対等な存在であるため、アダムとの性行為において、正常位によるアダムの支配的地位を拒否し、彼女は空を飛び、エデンの園を去り、紅海沿岸に住みつきます。


神はリリスを説得しますが、彼女は聞く耳を持たなかったので、罰としてリリスは下半身を蛇に変えられ、毎日おびただしい数の子供(リリン)を産み、そのうち100人を殺される運命を負うことになります。

彼女はこれに大変ショックを受け、海に身を投げて死んでしまいました。 


旧約聖書で、アダムとイヴが禁断の果実を食べるシーンがありますが、この2人をそそのかした蛇こそがリリスの化身なのであります。 これは、パリのノートルダム大聖堂にある彫刻にも、リリスが蛇として描かれていることからも分かるでしょう。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1033.html


人間は大地母神によって泥から造られて、神々のために「これ(エデンの園)を耕させ、これを守らせ」るようにエデンに置かれた(『創世記』第2章 15節)。


なぜならば神々はたいそう怠惰で農耕をしようとせず、植え、穫り入れ、自分たちに捧げ物をする奴隷が欲しかったからである 。神々は奴隷たちが自分たちより偉くなって働こうとしなくなるのを恐れて、神々の持つ不死の秘密を決して彼らに知らせてはならないことを申し合わせた。エデンの神は、同僚の神々に向かって言った。


「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知る者となった」。

したがって彼は「命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」ので、ただちにエデンの園から追い出さなければならない
(『創世記』第3章 22節)。


蛇の教えは、人間を、生を征服し神のような存在にしたであろうに、これは神々elohimの意志に反することであった。

 『支配者たちの本質』Hypostasis of the Archonsは、蛇は女神のトーテムとしての姿であることを示している。蛇は明らかに、女神の創造した死ぬ運命を持った生物を憐れんで、永遠の生命に到達する方法を教示しようとした。

「女性の霊的原理が『教示者―蛇』の中に入り、蛇は彼らに教示して言う。


『あなたがたは死ぬことはないであろう。神がそう告げたのは、あなたがたを嫉妬したからである。それどころか、あなたの眼を大きく開きなさい。そうすれば、あなたは善悪を識別して神のようになるであろう』」。


そこで「傲岸な支配者(神)」は、蛇と女性を呪ったのである 。

 聖書の物語の現在の型は、太女神と蛇の本来の話を明らかに大幅に改定したものである。バビロニアの図像は、蛇にかしずかれ、人間に不死の食物を捧げている女神の姿を描いている。ピラミッド・テキストは、永遠なる生命の食物を提供したのは蛇であると述べている
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/serpent.html


 ユダヤ・キリスト教において、「この世の天国」とまで謳われたはずのエデンの園は、グノーシスにおいては造物主の牢獄として扱われる。そしてこの《善悪を知る木》の実を食すことを禁じたヤハウェは、先述したように造物主に割り当てられ、人間を無知のままにとどめおく、知識による救済の可能性を閉ざす存在となる。

逆にそれを食すことをそそのかした蛇は、ユダヤ・キリスト教においては人間に原罪を負わせたものとして、忌むべき存在とされていたが、グノーシスではそうではなく、至高神からの人間へ知識を授け、救済への道を開示する啓示的役割を担った聖なる存在へと変貌するのだ。

 忌むべき悪魔のような役割から、救済者として、あるいは啓示的存在としての役割へと一変した《蛇》は、人間が救済への道を切り開くための秘密の鍵を握る存在として、グノーシス主義において神聖視された。尻尾を銜えた円環状の蛇《ウロボロス》は、《完全なるもの》としての意味を含んでいる。

この救世主としての《蛇》は原初においてはソフィアとされた。
http://homepage3.nifty.com/kiraboshi2/Abraxas/Gnosis_intro4.html


204. 中川隆[-12666] koaQ7Jey 2018年5月29日 07:01:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14542]
>>144,>>156, >>189, >>190, >>191 に追記

星野リゾートは大阪の遊郭・飛田新地のすぐ近くの新今宮にホテルを開業し、中国人客を誘致しようとしている _ 4

坂口杏里さん、飛田新地で目撃される 15分1万円
http://blog.livedoor.jp/nicovip2ch/archives/2049424.html


1: 2018/03/23(金) 12:07:14.22 ID:m3KH5sMR0

「実は、大阪の飛田新地で坂口の目撃談が上がっているのです。
飛田新地といえば、いわゆる“ちょんの間”と呼ばれる歓楽街。
料亭の女性従業員との“自由恋愛”とされているが、本番ありで15分1万〜1万5000円というのが相場です」

こう続ける。

「年末年始に、飛田新地の料亭に座っていたとされています。この時期、大阪の高級デリヘルに移ったという情報もあったほど。
坂口がツイッターを更新しなくなった時期とも一致しているのです。


交際していたホストのつながりから、借金を返すために追い込まれたともいわれています。AV復帰もやはり坂口の懐事情があるようです」


https://www.zakzak.co.jp/ent/news/180323/ent1803236017-n2.html

1万貰っても無理やろ


3: 2018/03/23(金) 12:08:27.22 ID:S1G1BDwGa

飛田ならもっとええマンコいるやろ


4: 2018/03/23(金) 12:08:30.56 ID:NWOa/P650

小説書いた方が儲かるやろ


5: 2018/03/23(金) 12:08:56.45 ID:N1bSovZTp

さすがに妖怪通りやろ


6: 2018/03/23(金) 12:09:01.38 ID:LGOK6ZKWa

こいつのレベルなら1万円で80分やろ


7: 2018/03/23(金) 12:09:22.72 ID:w2iMSrBs0

あんな鶏ガラで1万とかないわ


8: 2018/03/23(金) 12:09:39.78 ID:JPtfPJzia

お尻が汚い人だっけ?
※閲覧注意

http://livedoor.blogimg.jp/nicovip2ch/imgs/e/3/e3e44e76-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/nicovip2ch/imgs/8/5/85bb85ab-s.jpg


9: 2018/03/23(金) 12:09:43.27 ID:BVLZQktP0

どんな借金背負えばあそこで働くことになんねん


16: 2018/03/23(金) 12:13:19.30 ID:1jJuGszx0

>>9
普通に関西の女子大生がバイトしてるぞ


10: 2018/03/23(金) 12:09:52.26 ID:twFo2B4gM

高すぎ
せいぜい108円


11: 2018/03/23(金) 12:10:07.01 ID:nQn5GC2Ga

西村いってそう


12: 2018/03/23(金) 12:10:47.55 ID:6uRFSWCDp

ウシジマくんの話に出てきそう


13: 2018/03/23(金) 12:11:03.54 ID:2F29d5rI0

小峠とやってほしい


14: 2018/03/23(金) 12:11:52.73 ID:hd+JeOQdM

なんて店だ!


15: 2018/03/23(金) 12:12:43.71 ID:H+Y3Yn2x0

15分1万円って15分で何ができんの


21: 2018/03/23(金) 12:15:15.22 ID:kXVP/G0u0

>>15
フェラと挿入


17: 2018/03/23(金) 12:13:35.47 ID:E/g79XoB0

妖怪通りやろな


18: 2018/03/23(金) 12:14:13.23 ID:TRRcHzgha

けつきたないよね


19: 2018/03/23(金) 12:14:28.18 ID:s1fHQGEaM

ハズレじゃん


20: 2018/03/23(金) 12:14:32.71 ID:C6SGkfmhr

なんて飛騨!!


22: 2018/03/23(金) 12:15:49.74 ID:JaiK+mRma

なんで飛田!?


23: 2018/03/23(金) 12:16:04.50 ID:i6jHDIPPa

ネタになるやん


24: 2018/03/23(金) 12:17:02.69 ID:hxmZy94u0

マッマのファンだったおっさんとか行かんのかな
Unknown-2


26: 2018/03/23(金) 12:17:49.16 ID:d1qpo0mUa

改造じゃなければ生オナホとして優秀なんやけどなあ


27: 2018/03/23(金) 12:18:02.21 ID:ZsUL55EId

すっげー可愛い子しかおらんと勝手に思ってたけど外人があげてた画像とか見たら想像程ではなかったなー��


25: 2018/03/23(金) 12:17:17.14 ID:o73Eeascp

整形しまくって魅力がなくなり
そして若さも金もなくなり、最後はどうなるの?
http://blog.livedoor.jp/nicovip2ch/archives/2049424.html


205. 中川隆[-12665] koaQ7Jey 2018年5月29日 07:06:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14542]

飛田新地の風俗嬢に堕ちた!? ANRIこと坂口杏里の行方を追う
2018年03月28日
http://rno.jp/archives/1723

過激TwitterやAV転向で話題に

大物女優・坂口良子(享年57)の娘に生まれながら、成人した後はお笑い芸人との交際や過激なTwitter投稿、アダルトビデオ(AV)出演などで話題となり、さらに昨年には知人のホスト男性から3万円を騙しとろうとした恐喝未遂の容疑で逮捕(釈放)されたお騒がせタレントの坂口杏里(AV名=ANRI、27歳)。彼女はAV出演以前に風俗店勤務していたとも世間を騒がせたが、そんな坂口が大坂の人気風俗街・飛田新地で働いていたと報じられ、またまた話題になっている。


「坂口は母が名女優、継父にプロゴルファーの尾崎健夫を持ちながら、ホスト遊びなどがたたって借金がかさんでAV出演、ヘアヌード写真集も出しました。一説によると5000万円とも言われる借金を重ねていて、おまけに整形マニア≠ニも言われていることから、とにかく現金が必要です。飛田新地にいるという情報も、素直に頷ける話なのです」(芸能記者)


AV出演前、借金を支払うためにキャバクラ勤務などをしていたようだが、それでは追いつかず、ハダカ≠フ道へと進まざるを得なくなった坂口杏里。彼女はAVに出演する一方で、滋賀県大津市の有名ソープ街・雄琴で働いていた時期があったという。

「坂口は雄琴の高級ソープランドで、週に何回か東京から通っとったね。プレー代は1回20万円って聞いとるよ。でも、接客や勤務態度がめっちゃ悪く、さらにお客からの評判も良くなかったらしい。それでリピーターも来なかったんで、かなりクレームが入っとったっちゅう話やな」(大阪の風俗業者A氏)

その雄琴のソープを追われた後、都内と関西を行き来する彼女を拾ったのが、大阪の高級デリヘルだったと言う。

「彼女を沈める(業界用語で『売る』という意味)のは、全て関東の人間なんや。普通、関西の芸能人なんかの風俗情報は、全て僕らの耳に入って来よる。せやから、彼女の場合はあくまでも噂やが、8万円の高級デリヘルで働いとったようや」(前出・A氏)

しかし、そこも接客態度が悪く、すぐに追い出される形で店を出たという話だ。

「その後、飛田の店に向かったはずや。知ってると思うが、あそこは本当に特殊な場所≠ナ、広告すら出さずに全て口コミでお客が訪れる。飛田の組合の力が強くて、そこが女の子も含めて色々守ってるんや」(A氏)

「芸能人なんかは、常連だけに知らされる」

「飛田新地」とは、表向きは料亭でありながら、実際には15分15000円ほどで最後≠ワで出来る一発風俗である。行ったり聞いたことのある読者も多いだろうが、店の入り口に在籍している女の子が1人で座り、通りがかる客を呼び込むという独特の顔見せスタイルで知られている。ここでは女の子の取り分は半分ほどであるため、たとえば10人客がつけばそれなりの金額を得ることが出来る。そのため、過去には売れないモデルや芸能人も、飛田には多く在籍していたと言われている。

「ただし、名前を聞いたら知っている芸能人なんかは、表には絶対に座らせることはない。常連だけに知らされるんやろうな」(A氏)

インターネットでは、坂口が在籍していた店は特定されているものの、その真偽は明らかになっていないし、今も働き続けているのか確認が取れていない。気になる読者諸氏は、ご自分の目で確かめに行くしか方法はないようである。

その後、大手映像配信会社のライブチャットに出演したりしている坂口。次はどの街に現れるのだろうか。


206. 中川隆[-12663] koaQ7Jey 2018年5月29日 07:24:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14542]

2018.05.02
坂口杏里、ストリップ転身の裏にあった“金欠”状態……「頼れる人も、ほとんどいない」


浅草ロック座

浅草にあるストリップ劇場です。
1947年8月15日創立。現存するストリップ劇場では最大手にして最古参であります。
浅草からお届けする最高のエンターテイメント。皆様のご来場お待ちしております。


浅草ロック座‏ @asakusa693 · 5月21日
芸能人ANRI、デビュー公演!!
6/16~6/30  乞うご期待!
https://twitter.com/asakusa693

ANRI あんり

誕生日:1991年3月3日

スリーサイズ:T168cm B80cm W59cm H88cm

出身地:東京都

2018年6月16日 浅草ロック座にてデビュー
http://asakusa-rockza.com/actress/237?lang=ja#


「浅草ロック座」のTwitter(@asakusa693)より

 元バラエティータレントでAV女優の坂口杏里が、6月からストリッパーとして活動することが明らかになった。日本で元祖といわれるストリップ劇場「浅草ロック座」が、ホームページと公式 Twitter で発表した。

 坂口といえば2016年、ホストクラブ通いによるトラブルなどから自ら所属事務所を退社。六本木の高級クラブで働きながら芸名をANRIに改名。その年の10月1日に『芸能人ANRI What a day!!』でAVデビュー、ハードプレー作品にも体当たりで挑み、合計8本に出演。17年4月には友人のホストから3万円を脅し取ろうとした恐喝未遂容疑で逮捕されるトラブルも巻き起こし、同年9月に「普通の女の子に戻りたい」とAV女優と芸能界を引退していた。

 今回、ストリッパーに転身したワケについて芸能関係者は「金銭的に苦しかったようですね。AVで稼いだお金は、ホスト通いでつくった借金返済にほとんど充てられました。AV女優引退後は大衆的なキャバクラ店で働いていましたが、長続きせず、いくつもの店を転々としていたようです。今年の年明け頃には、大阪市内の風俗エリア『飛田新地』で働いていたとの目撃情報もありました。収入を得るために、いろいろなツテを頼っていたようです。今回も、生活していくために、ひと肌脱ぐことを決心したみたいですね」と声をひそめる。

 ここ最近では、Twitterでハイテンションな投稿をしたかと思えば、急にネガティブな内容のつぶやきをしたりしていたため、ファンからは心配の声が上がっていた。

「13年に母の坂口良子を亡くしてから、頼れる人もほとんどいません。もともと、何不自由なく暮らしていたお嬢様育ちなので、社会で生きていくすべをあまり知らないようです。杏里さんを利用するような人につかまる前に、面倒を見てくれる彼氏に出会えればいいのですが。精神的に弱い部分があるので、誰かに頼らないと、このまま職を次々と替える不安定な生活を続けてしまうことになりそうです」(同)

 ストリップ出演という彼女の選択は、いったいどんな結果をもたらすだろうか……。
http://www.cyzo.com/2018/05/post_160435_entry.html


207. 中川隆[-12669] koaQ7Jey 2018年5月29日 21:24:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14560]

2018.05.28 月
売春宿が立ち並ぶ飛田新地“摘発”で注目される「2人の女性タレント」の行方


 大阪市西成区の歓楽街・飛田新地で売春をあっせんした容疑で、暴力団・山口組直系「極心連合会」の幹部らが逮捕された。同所は売春防止法違反にあたる売春をさせる業を営んで(12条)いる特殊な地帯として知られており、基本は警察も黙認してきたものだが、2020年東京五輪・パラリンピックに向けた暴力団排除活動の一環として捜査が入ったようだ。

 ただ、同所に詳しい実話誌のライターは、ここで売春を続けると見られる2人の「女性タレント」の動向に注目しているという。

「昨年、ホストにハマって大きな借金をつくった2人の女性タレントがヌード仕事の末、半グレに身を委ねるハメになって飛田新地で働くようになっています。ここで働く女性の多くは“ワケアリ”です。本来ならソープランドやデリバリーヘルスなど、風営法で認可された風俗店で働けばいいところ、わざわざグレーゾーンに行くのですから、なんらかの理由があるんです」

 飛田新地は百数十店の売春宿が立ち並ぶ遊郭で、店はすべて料亭の名で経営され、1階で酒を飲み、2階で20分1万6,000円などの価格で管理売春が行われている。かつて大阪市長だった橋下徹がここの業者組合の弁護士だったことが伝えられたこともあるが、「守秘義務」を理由に多くを語らないところも、何やら“ワケアリ”を感じさせる。

「あそこは赤線だったころから鬼頭組などの暴力団が堂々と仕切っていた場所ですからね。今はすっかりヤクザの姿は消えていますが、それは表向き。ヤクザに関係した連中が一定の縄張りをつくっていて、中には半グレと呼ばれる準暴力団の不良連中も仲間に一部の店を運営させています」(同)

 現地に行くと大半の店は、通りから丸見えの1階に受付(客引き)の中年女性と売春女性が並んで座っているが、女性タレント2人は通行人から見えるところにはめったに姿を見せないのだという。

 タレントのひとりは金銭感覚がデタラメな上、ホスト狂いで借金漬けとなってAVデビューしたが「よく売れたのはデビュー作だけで、後続作品は大きなセールスにならず、最近は関西のデリヘルに勤務していました」とライター。

 彼女の“マネジメント”を仕切っていたのは通称「カミソリ」と呼ばれる不良のリーダー格だという話で、最近は業界人の間でも「飛田新地にいる」という話がささやかれていた。

「どれぐらい現地の店で働いているのかは定かではないですが、すでに彼女の熱狂的ファンが本人を“買う”ことに成功したと言っていました」(同)

 もうひとりのタレントは、アイドルグループを問題行動でクビになったことがある女性。こちらは泥酔して路上で寝ていたのを目撃されるなど、とても元アイドルとは思えない愚行動が相次いだ。

「少し前に繁華街で半裸になってホスト風の男性と激しく言い争っていたそうですが、今年3月ごろに飛田新地デビューしています。彼女は今回、摘発されたヤクザ系の店舗に勤務していたウワサもあったので、もしかするとこのまま姿を消すことになるかも」(同)

 今回摘発された店のひとつは、暴力団幹部の内縁の妻が「料亭 銀河」の名で運営し、月400万円ほどの利益があったという。ライターによると「店はメイン通りのひとつ北、青春通りの中央にある店。周辺の相場どおりの値段で、特に変わった点はなかったようですが、いまはすべての店が警戒を強めている」という。

 警察の手入れでワケアリタレントが姿を消したとしたら、彼女らは次に、どこへ行くのだろうか。
(文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)
http://www.cyzo.com/2018/05/post_163721_entry.html

「口調も仕草も完全に一致」…飛田新地に『SKE48』元メンバーが在籍していた!2017 01 18 09

「関西ロケの合間に、ヌキに行った飛田新地で、まさかの知り合いを店前で見かけたんです」――。

そう語るのは、某キー局のバラエティー番組でフリーの敏腕ディレクターとして活躍する大原貴志氏(仮名・36)。

飛田新地といえば、本番ができる“ちょんの間”が立ち並ぶ遊郭街。その中で見かけたのが、数年前に何度か番組で仕事をしたこともある『SKE48』元メンバーの秦佐和子(28・右画像)だというのだ。

秦といえば、2009年にSKE48のオーディションに合格し、総選挙でアンダーガールズ入りしたこともある。ファンサービスに定評があり、メンバーにも幕われていた。現在は卒業したものの、今もタレント活動を継続中だ。

「勿論、最初は『他人の空似だろう』と思いましたよ。でも、近付いて話をしてみると、口調も仕草も完全に一緒。『間違いなく本人だ』と確信しました」。

秦のほうは大原氏のことを覚えていなかったようだが、大原氏はそのまま 30分・2万1000円のコースで“買った”という。

「フェラはゴムフェラ。キスも断られました。でも、キュッと形の良いおっぱいとスレンダーなボディーは、流石は現役タレントという感じでした。ゴム本番でしたが、アソコの締まりも中々のものでした」。

秦の経歴を見ると、確かに飛田新地のある大阪と、過去も現在も馴染みの深いことがわかる。アイドルグループと雖も、卒業した途端に落ちぶれていくメンバーは数知れず。秦も、人気の凋落と共に、お金に困ってこの飛田新地に飛び込んだのだろうか。 (取材・文/本誌編集部)
http://tskeightkun.blog.fc2.com/blog-entry-1196.html


208. 中川隆[-13456] koaQ7Jey 2018年7月03日 10:43:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16315]

日本には「山谷・寿町・あいりん地区」という三大ドヤ街がある。

・東京・山谷
・神奈川・寿町
・大阪・あいりん地区(釜ヶ崎)

どのドヤ街も、私は折に触れて訪れているのだが、あいりん地区はドヤ街特有の雰囲気が色濃く残っているので私はこの街が嫌いではない。

(ブラックアジア:鈴木傾城、あいりん地区で1泊1000円のタコ部屋に沈む)
https://blackasia.net/?p=1146


大阪のドヤ街である「あいりん地区」に行けば、社会の底辺にまで転がり落ちた人たちが路上で寝ている姿を今も見ることができる。

彼らの中には家庭環境が悪かったり、事業に失敗したり、病気になったり、老いて失業したり、様々な不運に巻き込まれてどうしようもなくなった人も多い。

人生は浮き沈みがあって思うようにならないもので、不運に不運が重なると、こうしたドヤ街に落ちてしまう人がいたとしても不思議ではない。

ここに落ちてしまった人たちは、なかなか収入が得られないので、支出は極限まで減らさなければならない。

あいりん地区の労働者たちの拠点のひとつに「あいりん労働公共職業安定所」があるが、その二階にはドヤ(安宿)にさえ泊まれない人たちが寝ていたりする。

ところが、この街を歩くと異様なことに気付く。

金のない人間たちが集まるこの街で最も多い店は何か。それは「居酒屋」なのである。他にパチンコ屋も目に付く。ゲームセンターもあれば麻雀屋もある。

朝から開いている居酒屋もあるのだが、そこにはすでに酔って顔を真っ赤にしている労働者の姿も多い。

結局のところ、このドヤ街は吹けば飛ぶようなわずかな金しか持っていない労働者から、さらにアルコールやギャンブルで散財させる街だったのである。「支出を減らす」どころか、むしろ支出の方が多くなっていたのだ。

最近は重点的な摘発で消えたのだが、大阪で覚醒剤が白昼堂々と売られていたのもこの「あいりん地区」だ。

あいりん地区の貧困にあえぐ人たちは、「継続的に収入を得る」ということに失敗した上に、「支出を減らす」ということにも失敗してしまう環境にある。

つまり、「収入を得ながら、支出を減らす」の対極にあるのがあいりん地区の光景だったのだ。


あいりん地区にて。ドヤ街は吹けば飛ぶようなわずかな金しか持っていない労働者から、さらにアルコールやギャンブルで散財させる街だったのである。「支出を減らす」どころか、むしろ支出の方が多くなっていたのだ。資本主義の地獄を、この男は抜け出すことができるだろうか?

あいりん地区に、アルコールとギャンブルを扱う店が多いというのは、逆に言えばそういう店ばかりが求められている環境になっているということの裏返しでもある。

さらにドヤ街の近くには往々にして、風俗街も存在している。

山谷の隣には吉原があり、寿町の隣にはちょんの間「黄金町」があった。
あいりん地区の隣には飛田新地がある。

作家、黒岩重吾はあいりん地区や飛田新地に関する小説をいくつか書いているのだが、『飛田残月』という小説(絶版)では、あいりん地区にはドヤ街に居着いていた娼婦もいたことが小説の中で記されていた。

今はドヤ街の住民が高齢化したので「セックス」の匂いが消えてしまったのだが、ドヤ街というのは「飲む・打つ・買う=アルコール・ギャンブル・セックス」の三大悪徳がみんなそこにあったということだ。

ここの住民たちは、ドヤ街に堕ちてアルコールとギャンブルとセックスに溺れるようになったというよりも、最初からアルコールとギャンブルとセックスに溺れている人だったと考える人もいる。

これらはすべて「依存ビジネス」だ。

社会から転落して自暴自棄になってしまった労働者がそれを求めているから、そういう依存ビジネスがドヤ街に定着し、すべてが根深く生き残っているのである。

これらの店がドヤ街の住民たちをより悪癖に依存させて「支出を減らす」をできなくする。そうであるならば、ドヤ街は更生を努力する人にはかなり環境が悪いということに気付くはずだ。

あまりにも悪癖が身近にありすぎて、堕ちた環境から抜け出したくない人には快適なところだが、抜け出したい人にはなかなか難しいところだったのである。
https://blackasia.net/?p=8108

◆今里新地。今里という町の光景と雰囲気と新地の行く末のこと2018.06.27



大阪というのは本当に面白いところで、関東ではほぼ全滅した「ちょんの間」が、今もごろごろと残っている。

ちょんの間とは15分、30分、60分程度で小料理屋の二階でセックスを行う売春施設なのだが、「お上」の黙認の上に1950年代からひっそりと日本の裏側にある裏風俗である。

私は東京の郊外にある町田の「たんぼ」と呼ばれるラブホテル街の一角にあった「ちょんの間」に何度もうろうろしていたこともあった。

その理由はそこがタイ女性たちが密集している場所だったからである。

関東は他にも新大久保、横浜の黄金町にもタイ人女性が集まっていたが完全に終焉した。アメリカに「日本は人身売買国家だ」と名指しで指摘されて政府当局は威信をかけて外国人女性が働いている「ちょんの間」を叩き潰したからだ。

しかし、関西の「ちょんの間」はすべて生き残っている。なぜか。関西は働いている女性のすべてが日本人か日本人に見える女性ばかりだったからである。

警察当局の摘発はあくまでも「外国人女性を働かせている店」であって日本人女性は対象外だったのだ。かくして関東の裏風俗は壊滅して、関西はほとんどが無傷で生き残った。
https://blackasia.net/?p=7952





209. 中川隆[-13455] koaQ7Jey 2018年7月03日 10:46:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16315]

2018年4月29日【三橋貴明】観光サービスの市場


【近況】
草津温泉にいます。

草津は泉質も素晴らしく、
温泉街も賑わいでおり、
素晴らしい「観光地」なのですが、
そもそも「観光地」の多くが、
「過去の日本国民の努力の結果、存在している」
という事実を、我々は忘れるべきではないと思います。

「観光立国」などとお題目を叫び、
外国人「様」にお越し頂き、
おカネを落として頂こうと、
まるで発展途上国のごとき国家戦略を掲げている日本政府は、

「現在の日本の観光資源が、なぜ存在するのか?」

について、
常に自問自答を続ける必要があるはずです。

現在の観光資源は、
過去の日本国民が「生業」を維持し、
そこに魅力を感じた「他の地域の日本国民」が
訪れることで発展してきました。

特に、日本の場合は、
江戸時代の幕藩体制により、
各地域に様々な独自文化が発展。

互いに「魅力ある観光地」となりました。

日本の観光地は、
あくまで「違う地域の同じ国民」を
標的市場とすることで発展したのです。

そして、日本国民がなぜ「同じ国の違う地域」に
観光に行けたのかといえば、
もちろんそれなりに裕福で、
所得を他の地域への訪問に費やす余裕があったためです。

現在の日本政府の「観光立国」は、
メインターゲットたる日本国民の貧困化は放置し、
外国人「様」に媚びを売ることで「おカネを稼ごう」という、
まことに情けないコンセプトになっています。

主要顧客を外国人「様」に設定した場合、
日本の観光サービスは
ひたすら衰退していく一方であると断言致しましょう。

ちなみに、2017年の
日本人国内旅行消費額は21兆円で、
外国人の旅行消費額は4.4兆円でした。
https://38news.jp/economy/11878


日本国民が国内観光に行ける国を望む 2018-06-27

 安倍政権の経済政策には違和感(と怒り)しかないわけですが、中でも違和感が大きいのは、
「インバウンド(外国人観光客)依存」
 の成長戦略です。


 地方創生について自民党の某政治家(まともな方)と話した際に、
「地方経済を再生するには、インバウンドしかないよ」
 と言われた際には、まさに「? ? ?」という感じでした。冗談抜きで「コイツナニイッテルンダ 」と思いました。


 もちろん、外国人が日本に観光に来るのは構いません。地方経済を「観光」で盛り上げようとするのもいいでしょう。


 とはいえ、まずは「日本人」の所得を引き上げ、「日本人が日本の各地に観光に行ける」環境を構築するのがどう考えても先でしょう? と、思ったわけです。


 また、本気で地方経済を「観光」で盛り上げたいならば、観光客が訪れやすいように交通インフラを整備するべきです。


 日本人の所得を引き上げる財政拡大はしない。地方の交通インフラの整備もしない。それでも、何らかの「成長戦略」を打ち出す必要があるため、とりあえず「インバウンド」と言っているわけです。


 改めて、地方の観光資源(街並み、伝統等)は、過去の日本人の投資の蓄積によりこの世に存在しています。


 インバウンド、インバウンド言っている連中(総理含む)は、今、カネを使うのが嫌なので、過去の日本人の投資に依存し、外国に売り飛ばすことで「成長戦略」と言い張っているようにしか思えません。


 観光で成長戦略を立てるのは構いませんが、標的顧客は「日本人」であるべきでしょう? 日本人が観光に行けず、外国人「様」に依存し、日本人の「おもてなし」とやらで媚び売って金稼げ、と。


 ついでに、民泊やら白タクやらの規制を緩和し、我々に対し「外国人様向けにトゥクトゥクを運転し、小銭を稼げ」というわけです。


 発展途上国ですか、我が国は・・・・。


『広がる不安、相次ぐキャンセル…訪日客への情報発信、課題に
https://www.sankei.com/west/news/180625/wst1806250120-n1.html

 大阪北部地震の発生から25日で1週間。関西では順調に伸びていた訪日外国人客(インバウンド)の一部に旅行を敬遠する動きが広がり、予約のキャンセルが相次いだ。余震の警戒が続く中、観光PRを積極的に展開することは難しく、影響は今後も尾を引く懸念がある。

 リーガロイヤルホテル(大阪市北区)では地震が発生した18日以降に約400室がキャンセルされた。3割程度が外国人とみられるという。ホテルニューオータニ大阪(同市中央区)では東アジアからの団体客を含め数十件がキャンセル。帝国ホテル大阪(同市北区)でも地震直後に約50室がキャンセルされ、半数は外国人だった。同ホテルの客室稼働率は一時、前年から10ポイントほど下落したという。(後略)』


 そもそも、世界屈指の自然災害大国で、インバウンドを「安定的に増やそう」と考えている時点で無理があります。


 わたくしにしても、
「いつ、どこで大地震が起きるか分からないけど、観光行く?」
 と聞かれれば、尻込みします。少なくとも、家族を連れて行きたくはありません。


 所詮、インバウンドとやらは「水物」なのです。外国人という顧客は、震災に代表される自然災害があれば、普通に散逸します。


 とはいえ、日本国民は逃げません。というか、逃げられません。


 震災があった際には、国民が力を合わせ、復旧、復興に努める。復興がなったならば、国民が顧客として旧被災地の経済を支える。


 そのためには、デフレから脱却し、日本国民の所得を増やし、日本国民が経済力(モノ、サービスを生産する力)を蓄積していく国に戻さなければなりません。


 インバウンド、大いに結構です。とはいえ、
「外国人様に依存する」
 国よりも、
「日本国民が国内観光に行ける」
 国をわたくしは望みます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12386683998.html


続 日本国民が国内観光に行ける国を望む 2018-06-29
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12387074486.html


 山梨県本栖湖でキャンプし、コールマンのタフスクリーン2ルームハウス+(しつこい?)で快適な一夜を過ごし、翌日は富士パノラマラインをドライブし、鳴沢の

「富士眺望の湯 ゆらり 」
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E7%9C%BA%E6%9C%9B%E3%81%AE%E6%B9%AF%E3%82%86%E3%82%89%E3%82%8A
https://onsen.nifty.com/fujigoko-onsen/onsen002066/
https://www.fuji-yurari.jp/


に立ち寄り、ゆったりと温泉に入り、あまりにも巨大な富士山に恐れおののき、東京に戻る。


「ゆらり」から見た富士山は本当に目の前で、でかいです。「ゆらり」を訪れたのは二回目なのですが、相変わらず富士山がでかすぎて、むしろ怖い! この巨大な富士山を見ながら、温泉を堪能する。


 それはともかく、↑のスケジュールで観光を楽しむことは、贅沢なのでしょうか。さすがに、平日に↑をやるのは贅沢といえるのかも知れませんが、普通の日本国民が、普通に本栖湖でキャンプし、ゆらりに立ち寄ることができる「国家」をわたくしは望みます。


 ちなみに、わたくし共が温泉を満喫し、車に戻ろうとしたとき、「外国人観光客」を乗せたバスが到着し、中国人とおぼしき人々40名位が「ゆらり」の階段を昇ってきておりました。


 しつこく強調しますが、別に外国人(中国人であっても)が日本の観光地に来るのは構わないのです。(マナーを守るならば)


 とはいえ、それを「成長戦略」などと称し、推進するのはおかしいでしょ。その前に、まずは日本国民が「本栖湖」や「ゆらり」を訪れることができる国を作るのが先決でしょ。


 と、言いたいだけです。


『観光庁がインバウンド対応に最大100万円の補助 訪日観光客6,000万人を目指す
https://www.digima-news.com/20180628_36385

 2020年に訪日外国人旅行者数4,000万人、2030年に6,000万人の実現を目指す観光庁は、地域の宿泊事業者が実施するインバウンド対応事業の支援を行う。

 これは複数の宿泊業者が共同して受入能力及び生産性を向上することにより、宿泊施設の稼働率及び訪日外国人の宿泊者数向上を図る取組みを支援するため、それに要する経費の一部を補助するというもの。今回は5回目の募集となる。

  館内共用部のWi-Fiの整備、館内共用部のトイレの洋式化、ホームページの多言語化などのソフト面からの受入環境を整え、訪日外国人旅行者の訪問時・滞在時の利便性向上を図ることを目的としている。(後略)』


 「ゆらり」で温泉を堪能したのち、わたくしは偶々、くつろぎながら

中野剛志先生の「日本の没落」
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B2%A1%E8%90%BD-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E5%89%9B%E5%BF%97/dp/4344985028/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&qid=1530191041&sr=8-1&keywords=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B2%A1%E8%90%BD&linkCode=sl1&tag=mitsuhashitak-22&linkId=d14e3bc21c55313db4ccddd2eeaa80fe


を読んでいたわけです。


 同書において、中野先生はシュペングラーからの引用で、

『人口の減少したアテナイは、外人の観光により、また富裕な外国人の喜捨によって生きていた。

そのアテナイでは、急に成金となったローマの旅行賤民どもが、ちょうど今日のアメリカ人がシスチーナ会堂を訪れて、わけもわからずにミケランジェロの作品を眺めているように、ペリクレス時代の芸術品を、何の理解もなく、ぽかんとして眺めた。』

 と、書いていました。


 その後、わたくし共が「ゆらり」の階段を降りている最中に、中国人の集団と出くわしたわけです。


 しつこいですが、外国人が日本に観光に来るのはいいのです。


 とはいえ、それはあくまで、

「日本国民が、日本国民のために観光サービスの品質を向上させた結果、外国にも売れた」

 という結果でなければなりません。そもそも、外国人観光客「様」向けのインバウンド・サービスとやらを研ぎ澄ませて、外国人に受けると思いますか?


 訪日外国人が2千万人だろうが、4千万人だろうが、6千万人だろうが、「日本語」で苦労をさせればいいのです。そもそも、海外旅行とはそういうものです。


 ところが、我が国は「インバウンド様」「外国人様」のために、電子掲示板で英語はともかく、支那語、韓国語の案内まで流し、日本国民に迷惑をかける。


 何たる、情けなき愚民国家。


 ちなみに、訪れる外国人観光客が世界一のフランスは、パリのホテルですら「英語の地図」を用意していません。全て、フランス語です。


 外国に来た以上、苦労するのは当たり前だろ。嫌ならパリに来るなよ。


 という、フランスの「真っ当な良識」が良く理解できます(実際に日本人がパリに行くと、苦労しますけど)。


 しつこく繰り返し、強調しますが、わたくしは別に外国人が日本に観光に来るのはいいと思います。とはいえ、政策を打ち出すならば、

「まずは日本国民が国内観光に行ける所得を稼げるようにするべき」

 であり、外国人対応の優先順位は日本人よりも低い(あたりまでしょ)と主張しているに過ぎません。


 日本国という世界最高(主観ですが)の国家に住みながら、プライドを失った国民と政治家。そして政府。


 インバウンドさま〜、外国人さま〜、とやっている限り、我が国の観光業が真の意味で興隆する可能性はゼロであると断言しておきます。


 日本国民が国内観光に行ける国を望む。

_____


2018年7月2日
【三橋貴明】日本国民が国内観光に行ける国を望む


二十世紀後半、日本の工業製品が
世界を席巻しました。

日本発の高品質の製品が
世界中に輸出され、
メイドインジャパンが
「高品質製品」の代名詞
にすらなったのです。

なぜ、当時の日本製品が
世界に受け入れられたのか。

グローバル市場を意識した
製品開発をしたから、
ではありません。

品質に煩い消費者が何千万人と
存在する国内市場でもまれ、
選別され、競争し、排除され、
生き残ってきたからです。

日本製品が世界的な競争力を持ったのは、
国内市場で品質が磨かれ、
洗練されたためなのです。

「日本でしか生産できない製品」

だからこそ、メイドインジャパンが
ブランド化したわけでございます。

その後、二十一世紀に入ると、
いわゆる「グローバルスタンダード」
が世界市場を席巻し始めました。

グローバルスタンダードとは、
「仕様」を守りさえすれば、
どこの国で生産しても
「同じ品質」の製品になりますよ、
という話です。

特に、ITやNC工作機械の発展が、
「どこの国で生産しても同じ」
を実現しました。

となると、当然ながら
「より人件費が安い国」に、
生産拠点は移っていきます。

愚かなことに、日本企業も
グローバルスタンダードの波に
乗りました。

結果的に、日本国内の
賃金水準は低下を続け、

「別に日本製品でなくても、
他の国で作った日本企業の製品
であれば同じ品質、かつ安い」

という、自分の首を自分で締める
愚かな路線を進み続けたわけです。

結果、日本国民は貧困化しました。

しかも、国内で技術投資や設備投資、
公共投資におカネを振り向ける
こともなくなったため、
我が国は猛烈な勢いで
「衰退途上国」と化しつつあります。

衰退途上国が「次なる成長戦略」
として飛びつくのが、
「観光」であることは、
歴史が証明してくれています。

もちろん、国民の所得が増大し、
国内観光に行く人が増えた、
ならば話は別です。

とはいえ、衰退途上国の
観光サービスは、十中八九
「外国人様に観光に来てもらおう」
というパターンになるのです。

ギリシャも、ローマも、
イギリスですらそうでした。

まさに、そのままの道を
我が国は進んでいません?

腹立たしいのは、我が国が未だに
世界最大の対外純資産国で、
衰退途上国から「繁栄国」に
舵を切りなおすことは、
政治力さえあれば余裕で可能
という現実です。

緊縮財政路線におさらばし、
日本国民の所得を増やす
政策に転進さえすれば、
日本国は再び「覇権国」
への道を歩み始めます。

結果的に国民の所得が増え、
国内の観光業も
潤うことになるでしょう。

それにも関わらず、政府は
緊縮財政路線を堅持し、
国民の所得を増やす政策には
目もむけず、外国人「様」に
観光に来て頂くインバウンド
とやらで成長すると。

できるはずがないでしょ。

人口1億人を超える国が、
外国人「様」の財布にすがり、
経済成長すること
など不可能なのです。

インバウンド、インバウンドと
繰り返す政治家、官僚、
そして日本政府は、
まさに「衰退途上国」の象徴である
と理解するべきなのです
https://38news.jp/economy/12121


210. 中川隆[-13465] koaQ7Jey 2018年7月14日 15:43:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16570]

2018年07月14日
ブルー・オーシャンとオワコン 起業するならどっち


そこがブルーオーシャンである事が知れれば、数年で埋め立て地になります


未開の海と残存者利益

10年位前にブルー・オーシャン戦略が持てはやされ、市場を独占するという考えが流行りました。

「インターネット」のようにそれまで存在しなかった分野では、競争がなく市場を独占できるという考え方です。

だがインターネットの世界も競争が激しくなって、一握りの勝者企業が利益を独占する寡占状態になっています。



誰もいない海だったブルーオーシャンは、あっという間に埋め立てられて、狭い土地を奪い合う世界になりました。

ブルーオーシャンとは反対の概念の「オワコン」という考え方も流行り、オワコンだから駄目だという言い方をしました。

だがオワコンとされる旧態依然とした業界でも、儲けている企業や人は存在しています。


例えば自分の近所で10年以上続いている店や会社をみると、ほとんどは「オワコン」ではないでしょうか?

床屋に食堂、新聞屋に会計事務所、石材店や建設会社、目新しいのはコンビニくらいだと思います。

これらの現実から言えるのは「オワコンは長続きし、最新流行のビジネスほど続かない」という事です。


一時期持てはやされた最新の起業やビジネスは、どれも10年続かないことが多い。

カタカナやローマ字のIT関連は持って数年、社会の状況が変わると「用済み」になりがちです。

ITエンジニアとか今は良いけど10年後にそれで飯を食えるのか、不安な人も居るでしょう。

最後に生き残るのはオワコン

一方で床屋や食堂が不要になる社会は来ないので、その店が流行るか、他の店が流行るかの違いだけです。

例えば今、個人経営の喫茶店が激減していますが、一方でチェーン店の喫茶店はすごい勢いで増加しています。

個人でも質の高い喫茶店には人気があり、常連客で賑わっています。


人々が喫茶店に要求するレベルが上がり、埃っぽい店内で普通のコーヒーを出す喫茶店は通用しなくなったのです。

日本では大都市以外人口減少していますが、人口が減っていく地域で残っているのは必ずオワコンビジネスです。

チェーン店の喫茶店がなくても喫茶店や食堂があり、IT企業がなくても石材店や木工所は存在します。


最後の最後にはこうした生活に必要な実需だけが残り、無くてもいいIT企業とかは真っ先に撤退します。

集落の最後の一人になるのは必ず農業や林業で、逆に言えば最後まで持ちこたえます。

オワコンとされたビジネスには決して大企業は参入しないので、個人が起業する「すき間」も生まれやすい。


数年前に持てはやされたネット事業の多くは、その後大企業の進出で個人が参加できなくなりました。

すぐに飽和してしまうブルーオーシャンより、オワコンで残存者利益を狙うほうが、個人には向いているでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/76867860.html


211. 中川隆[-13899] koaQ7Jey 2018年7月25日 15:06:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17314]

悪い冗談?日本が「観光立国」を目指すのは間違っている深い理由 by 冷泉彰彦 2018.07.25
https://www.mag2.com/p/news/365943

2020年の訪日観光客数4000万人、2030年には6000万人を目指すなど、「観光立国」の実現に向け遮二無二進んでいる観のある日本ですが、「観光業が国を立てる存在として期待されるのは経済敗北主義」とするのは、アメリカ在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の中でその理由を記すとともに、我が国は金融やソフトウェアと言った21世紀の最先端の産業を立て直すべきと提言しています。

大疑問、観光立国とアベノミクスの相性は大丈夫か?

最初に申し上げておきますが、私は日本の観光業が発展することはいいことだと思います。その意味で、現在は年間3000万人ペースで推移している訪日外国人を、4000万から6000万に拡大する計画についても異論はありません。

また、観光業界などが「観光立国」を宣言したり、2014年に日本観光振興協会が「観光立国推進協議会」という会合を発足させたりしている動きにも反対はしません。それぞれの業界が、自分たちが国を背負うという気持ちで、産業の拡大に努力することは正しいからです。また、個々の都道府県レベルで、知事や各市町村長などが観光業の拡大、旅行者受け入れの拡大に努力するというのも当然のことと思います。

ですが、その観光立国協議会に経団連や日本商工会議所といった、全国レベルの財界が強く関与したり、政府の高官が「日本は観光立国を目指す」とか、あるいは「観光先進国を目指す」という発言をするのは間違っていると思います。

観光業というのはまず「余暇産業」です。可処分所得が大きく、労働時間の短い、従って一人当たりGDPの高い先進国は、この観光業の消費側(カスタマー)になります。日本の場合も、高度成長の結果として好景気を謳歌していた70年代から90年代というのは、海外旅行というのは大ブームになっていました。

一方で、観光業というのは「労働集約型のサービス産業」でもあります。供給側から見ればそういうことです。その場合に、全産業の平均では旅館にしても、交通機関にしても固定的な設備投資が相当に必要ですから資本収益率は決して良い商売ではありません。また多くの現場要員を必要としますから、全平均の賃金水準も産業として、高くはありませんし、厳しい長時間労働が伴います。

ですから、他に主要産業があって健全なGDPを形成していて、そこに乗っかる形で、「プラスアルファ」の経済として、観光業が存在するのであれば、正しいのですが、観光業が「それで国を立てる」存在として期待されるというのは、これは経済敗北主義であり簡単に見過ごせるものではありません。


更に言えば、この「観光立国」というのは、アベノミクス全体のストーリーが「マズい方向に」行っているということも示しています。

アベノミクスについては、まず「通貨政策による円安誘導」で株高が現出しました。それは良いのです。2000年代までのように「円安になると輸出産業が潤う」ということよりも、「円安だと海外で稼いだ利益や、海外市場で形成された株価が膨張して見える」ということの方が大きかったわけですが、それも別に悪いことではありません。

ですが、当初の計画では、「そのように国内で株高を実現しておいて」その間に、「第三の矢」である構造改革を行って、国内の生産性を高め、産業構造を先進国型に戻していくということが(言葉は多少違いますが)想定されていたのだと思います。

ですが、この「第三の矢」つまり構造改革は、ほとんど手がついていません。その結果として、産業界では「先端部分をドンドン外に出す」ということが加速しています。トヨタがAIの研究をシリコンバレーでやっているとか、日産のデザイン部門はカリフォルニアというように、市場に合わせた生産機能ではなく、基幹の最先端部分をドンドン空洞化させているのです。

市場ということでも、収縮する国内は見捨てて海外比率が高まっています。その結果として、収益は海外で発生し、それを連結で(合算して)決算すると「史上空前の利益」になるが、その利益は国内還流しないという構造でグルグル回っているのげ日本経済の現状です。

貧困の問題も、地方衰退の問題も、非正規の問題も、全てはそこに原因があります。正しい構造改革を行って、先端産業を呼び返さなくては、日本経済は先進国経済にはならないのです。

それでも、ホワイトカラー労働は残っています。それこそ「本社機能」だけは日本に残している会社は数多くあります。ですが、そこには「生産性の低い日本語による事務仕事」が残っているだけで、こんなことをやっていては、やがて、その「日本語で事務をする本社」というのは淘汰されて行ってしまうでしょう。

その結果、日本国内のGDPを支える主要産業としては、観光ぐらいしか残らないということになります。それは、21世紀の世界で最も重要な産業である、金融とソフトウェアが壊滅的であるということと見事に裏返しになっています。

その意味で、「アベノミクス+観光立国」というのは、亡国の政策としか言いようがないのですが、それでも多くの野党が「これ以上の経済成長はいらない」などという引退世代の身勝手な寝言につき合っている中では、安倍政権以外のチョイスはないという現実もあります。これは悲劇を通り越して、喜劇としか言いようがありません。


しかも、これに加えて「人手不足だから移民を入れる」というのですから、大変です。観光業に関して言えば、現在は宿泊が中心ですが、飲食業界も移民導入の対象にする話が進んでいます。

どうしていけないのかというと、「やがて日本語の事務仕事が淘汰された」時には、猛烈な人余り現象が起きてしまうからです。国内に観光や福祉の仕事しか残っていない状況で、そうした仕事は生計費をスリム化できる外国人が抑えていたとして、日本人の雇用はどうなるのかという問題があります。

とにかく、金融とソフトウェア、あるいはバイオ、製薬など21世紀の最先端の産業を立て直して、高い教育を受けた人口がそれに見合う生産性を上げるように構造改革を進めるべきです。その上で、観光業が「おまけのGDP」として乗っかるのであれば大いに結構ですが、その改革から逃げて「観光立国」というのは、これはダメだと思います。「観光先進国」というのは悪い冗談にしか思えません


212. 中川隆[-13826] koaQ7Jey 2018年7月29日 06:51:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17374]

Re: 坐忘林行ってまいりました。 - あびたろう
2018/05/28 (Mon) 21:47:06

昔、あるサイトで、あるお方から、「本物のお宿というものは、宿自体が文化そのものなんですよね」 というコメントを頂戴いたしました。

10年以上前のことですが、そのコメントに感銘を受け、そういう目でお宿を見つめてまいりました。

当時、日本文化を具現しているお宿は、「蓬莱旅館」・「あさば」、そして「俵屋旅館」だと思っていました。

現在、「蓬莱旅館」はなくなり、「あさば」は方向を変え(数年来訪れていないので、現在の姿はわかりませんが)、「俵屋旅館」だけになってしまいました。
その「俵屋旅館」も、佐藤年女将が引退され、代替わりしました。

「あさば」の二の舞にならないか、とても不安なのですが、これからも見つめていきたいと思っています。
http://abita2000.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=11142076


213. 中川隆[-13773] koaQ7Jey 2018年8月01日 18:03:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17440]

2018年08月01日
貿易赤字は損 黒字は得なのか?

アメリカは赤字が増えるほど経済が拡大している


画像引用:経済社会を知りたい - Jugemhttp://img-cdn.jg.jugem.jp/c01/265151/20130210_291142.png

貿易赤字は打撃を与えていない

米トランプ大統領はアメリカの対外貿易赤字を問題視していて、減らすべきだと言っています。

ニクソン大統領あたりからずっと言っていて、ニクソンショックも貿易赤字(経常赤字)を解消するために実施しました。

貿易以外のサービスや投資など全て合計したのが経常収支ですが、ここでは分かりやすく貿易赤字とします。

ニクソンは為替相場を変動させて、円高ドル安にすれば赤字を解消できると考え。変動為替制度にしました。

この時から日本はずっと円高に苦しめられ。円高のたびに大不況に陥りました。

ところがアメリカの貿易赤字そのものは、変動為替制でも拡大し続け、相手国が中国やドイツに変わっただけでした。


それにアメリカは貿易赤字が年々拡大したのに、反比例するように経済は絶好調です。

確かにニクソンやカーターの時代は貿易赤字で苦しんでいたが、90年代以降は苦しんでいません。

貿易赤字がアメリカ経済に打撃を与えるなら、1990年から現在まで、リーマンショックを除くとずっと経済成長してきた説明はつきません。


日本は黒字で儲けていない

もしニクソンやトランプの言う通り「貿易赤字で被害を受けた」なら米経済はマイナス成長のはずです。

リーマンショックはアメリカ自身がバブル経済を破綻させたからで、貿易赤字とは関係なかった。

最大の矛盾は「貿易赤字は米経済に打撃を与えていない」という点です。


アメリカは貿易赤字で被害を受けなかったのだが、これを逆に言うと「日本は貿易黒字で儲けていない」ことになります。

その証明はバブル崩壊の1991年以降経常黒字が急増したのに、経済成長率はマイナスに転じたので証明できます。

もし経常黒字で儲けたなら、マイナス成長はありえないし、誰も説明できないでしょう。


日本企業は上から下まで輸出で利益を出していますが、彼らがどれだけ輸出しても、日本の経済成長率はマイナスでした。

輸出によって日本が代金を受け取るという、個人商店のような考え方では、輸出するほど儲かっていなくてはなりません。

現在では「輸出で儲かる」「輸入で損をする」という理論は経済学では否定されていて、両方が利益を得ることになっています。


「輸出で儲ける」はもはや幻想

輸出は競争相手がなければ確かに利益が出るが、世界に強力な輸出国がひしめいていたら、売れば売るほど損をすることもあり得ます。

最近はまさにそんな状況で、どんな輸出商品でも買いたたかれて、日本の工場労働者は低賃金長時間労働を強いられています。

競争相手の中国や韓国やベトナムに勝つには、日本の労働者の賃金を10分の1にするか、10倍働かなくてはならないのです。


これが輸出しても国が儲からなくなった原因で、逆に輸入国にとっては、外国の労働者を低賃金で雇っていることになります。

中国の労働者が時給1ドルでスマホを作ってアメリカが輸入したら、アメリカ人は時給1ドルで中国人を雇っているのと同じです。

時給1ドルで作ったスマホはアメリカで数年間使用され、活用されて国内の経済成長に貢献します。


日本は原材料を輸入して加工して高値で輸出する商売から抜け出せず、「輸入したら損をする」と考えている人が多い。

そうではなく時給100円の労働者が作ったスマホを国内で活用し、経済成長すると日本が得をするのです。

現代ではむしろ輸出国(黒字国)よりも輸入国(赤字国)のほうが貿易で利益を得ていると考えられます。


中国は輸出で大儲けして成長したという神話があるが、実際は輸出で得た外貨を元手に、国内投資して成長しました。

成長分のほとんどは国内の公共事業や不動産投資で、輸出による経済成長はわずかでした。
http://www.thutmosev.com/archives/77076603.html


214. 中川隆[-13581] koaQ7Jey 2018年9月23日 05:42:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18784] 報告

最後のひとり。斜陽の世界では最後まで生き残った存在が力を持つ2018.09.23
https://blackasia.net/?p=9477


ワシントンポストは、かつてはアメリカを代表する強大な新聞社だった。

しかし、インターネット時代になって新聞が読まれなくなったことで売上も利益も極度に減少していき、かつての所有者だったグラハム一族は事業をアマゾン創始者のジェフ・ベゾスに売った。2013年のことだった。

アメリカのニュース雑誌で1923年から広く親しまれてきたタイム誌も、2018年9月16日にセールスフォース・ドットコムの創始者であるマーク・ベニオフに売った。

タイム誌を抱えていた親会社は雑誌「フォーチュン」なども買い手を探している。

すでに新聞・雑誌等の出版業界は凄まじいまでの衰退を余儀なくされている。インターネットの登場で、「紙」は売れないのである。遅かれ早かれ「紙の出版物」というのは稀有なものになっていく。

今どきレコードやカセットテープで音楽を聞く人は「極小」になっているが、それと同じことが出版業界でも起きていて、媒体としても出版物は「極小」と化す。業界は斜陽化して壊滅する。それが現在進行系で起きている。

しかし、面白いことが起きる。市場は壊滅し消費者も消え去ってしまうのだが、それは決して「ゼロ」にはならないのである。斜陽だろうが市場が極小になろうが、小さな世界で生き残る存在もある。(鈴木傾城)


もがいてもあがいても浮かび上がれない苦しい局面

市場がいったん斜陽と化すると、市場は一気に崩落する。パイが小さくなり、見捨てられ、話題にもならなくなり、もがいてもあがいても浮かび上がれないような苦しい局面になる。

競争相手はもちろん消える。しかし、市場も一緒に消えているので、まったく楽になることはない。

市場が拡大し、注目されている業界では、どんなにマズい手を打っても、どんなに能力のない人間がトップに立っても企業は存続できる。

時流に乗った業界というのは勢いがあるので、多少の失敗や無策を飲み込んで成長していくのである。景気が良いというのはそういうことだ。

ところが、斜陽産業では様相が一変する。

有能で知的で実力がある経営者であっても、苦心惨憺の事業運営を強いられる。市場が消え、注目も消え、社会から見捨てられているので、今まで売れていたものがどうやっても売れないのである。

三井財閥は日本を代表する財閥の1つだが、この財閥は呉服屋の成功から名を上げた。しかし、今どき三井と呉服を結びつける人はいない。

呉服屋として始まったかもしれないが、今はとっくに多角化して呉服屋としてのイメージは影も形もない。この財閥がずっと「呉服」にこだわっていたら、存続していなかった。

今どき呉服(着物、和服)を着て日常を過ごす女性は存在しなくなった。市場は消えたのだ。つまり、呉服は昭和に入ってから急激に衰退して、市場は「ほとんど」残っていない。

斜陽の中でも突き詰めると、どうなるのか?

しかし、世の中は面白いもので、競争相手が消え、見捨てられ、まったく顧みられなくなった業界であっても、そこで生き残っている存在がある。

衰退産業でいったん生き残れると、競争相手はおおかた消え去っているので、大儲けにはならないのだが、一定の需要があってつぶれることもなくなる。

アメリカでは石油の時代に入って、山のようにあった石炭の企業が「ほとんど」消え去った。今は上位10社だけで70%から80%に近いシェアを持っている。

生き残った企業が、市場を独占するのである。

それは、もはや全盛期とは比べものにならないほど縮小した市場なのだが、生き残りの企業はその市場規模に合わせてダウンサイジングされているので問題ない。

本当にその業界を愛していて、最後の最後まで生き残った人間には、その最後の段階で安定が手に入る。

この現象は示唆に富んでいる。

斜陽業界、斜陽産業であっても、「そこしか作っていない」ようなところにまで市場が縮小したら、「そこ」が存続できるのはほぼ確定的になる。

生き残れないはずだったのに、「ずっと生き残る」という逆転現象が起きていく。

時代遅れだと思われて、世の中の大部分から無視されるような小さな市場だが、その市場で生き残れれば、深く、濃く、継続した生き方ができるようになるのである。

これは、ある意味、人間の生き方にも当てはまる。

時代遅れだろうが、何だろうが、あまりにもその対象を愛して離れられない人間は、最後のひとりになれば、逆に「大切な人間」になっている。

人間国宝と呼ばれる重要人物は、そのほとんどが斜陽の業界の中にあって、「もうこの人が死んだらその業界は終わり」という瀬戸際にある。

別に人間国宝にならなくてもいいが、斜陽の中でも突き詰めると、最後にはそれくらいの「超重要人物」と化す。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

最後の生き残りに入った瞬間に、すべてが変わる

「それ」が時流に乗っていようがいまいが、そこから離れない人が確かにいる。

もし、そうであれば、最後の最後までしぶとく食い下がるというのも1つの生きる道だ。楽ではないが、離れられないのであれば、それが生き残りの方法でもある。

世間が「それ」に無関心になっているのだから、口で言うほど生やさしいものではないのも確かだ。

しぶとく食い下がれなければならない。踏みつぶされても立ち直れなければならない。何度でも這い上がれなければならない。そして、したたかにならなければならない。

毎日の逆境に淡々と立ち向かい、あれこれ動転しないで対象に集中しなければならない。それほど集中して戦っても、報われない時期の方が長い。

しかし、最後の生き残りに入った瞬間に、必要な存在、重要な存在と化す。

他人がどうであれ、自分が「それ」から離れたくないのであれば、逆にのめり込みを加速させて、最後のひとりの生き残りになるのも、サバイバルのひとつである。

合理的な人間はみんな去る。生半可な人間はみんな消える。そして、世の中の動きや合理性を無視し、狂気を感じさせるまで執着できる人間だけが最後に残る。

その業界に残ること自体が、筋金入りになる。

斜陽の中で生き残るというのは、長く苦しい戦いの中で、最後のひとりになるまで生き残るということでもある。そこに至る道は厳しいのだが、最後の段階で成功と安定がもたらされる。

この皮肉な逆転現象は、ひとつのサバイバルとして、もっと注目されてもいいかもしれない。(written by 鈴木傾城)

ワシントンポストを読む少女。記事は人類が月面着陸に成功したことを伝えるものである。新聞は人類の歴史を刻んできたが、その新聞社が斜陽になるとは誰が想像しただろうか。時代は変わる。新聞はことごとく消え去る。しかし、ゼロにはならない。
https://blackasia.net/?p=9477

215. 中川隆[-13644] koaQ7Jey 2018年11月23日 06:39:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21016] 報告


2018.04.21
もう日本人の出る幕なし?外国人だらけのニセコに見る日本の未来
このままでは「観光大国」は遠い夢…
高橋 克英
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55346

いまや「日本で最も国際的なリゾート」といわれる北海道ニセコ。
街は外国人で溢れ、看板や物価も完全に富裕層向けにシフトしている。

高級ホテルの建設ラッシュに沸く同地区は、地価の上昇でも3年連続国内トップを記録した。ところが、当然ウハウハだと思われた地元経済の実態は……? 

毎年同地をスキーで訪れている金融コンサルタント、マリブジャパン代表の高橋克英さんが、最新事情から「インバウンド」という言葉にすがる日本の未来を読み解く。

日本人客にも「まずは英語で話しかける」ニセコ事情

パウダースノーで世界的に有名な北海道のニセコリゾート。オーストラリア人やフランス人に華僑を中心に、今年も世界中から多くのスキーヤー、スノーボーダ―が同地を訪れ、温泉とともにスノーシーズンを満喫した。

地元の倶知安町が、スイスのサンモリッツと姉妹都市の提携を結んでから54年、いまやニセコは「東洋のサンモリッツ」から「世界のニセコ」として、その名を世界のスキーヤーや富裕層に知られる存在となっている。


私事ながらスキーが趣味で、ここ数年、毎年ニセコを訪れているが、その変貌には目を見張るばかりだ。例えば、ニセコ地区にある4つのスキー場の一つ、東山エリアの中核ホテルである「ヒルトンニセコビレッジ」の館内表記は、日本語よりも英語が先にあり、ホテル従業員も基本、外国人。当然「公用語」は英語である。

館内の寿司屋では板前が、私のように、どこから見ても日本人にしか見えない相手に対してでも、まずは英語で話かけてくる。宿泊客や利用客の大半が外国人なのだから、見かけは日本人でも、ひょっとしたら外国人かもしれないと考えて接するのは合理的だろう。

こうしたサービスは、なにも外資系のホテルだから行われているというわけではない。

ニセコで最も栄えている「ひらふ」エリアは、まるでスイスやイタリアの高級スキーリゾートのようだ。ショップの看板や広告も英語表記オンリーで、日本語が一切ない店も珍しくない。ショップの客も従業員も外国人。ひらふ十字路を中心に、スキー場のリフトに乗る地点までのひらふ坂の両側には、欧風デザインのホテルや近代的なコンドミニアムが並んでおり、そのほとんどが外国資本による外国人相手のものだ。

現在も、ひらふ地区では、あちこちでクレーン車と英語表記の建設看板が立ち並び、さらなる開発が進められている。たとえば今年、私が訪れた際もシンガポールの大手デベロッパーであるSCグローバルが、外国人富裕層向け高級ホテルを建設中だった。


[写真]まるで海外のように英語表記の看板が建ち並ぶニセコの街(Photo by GettyImages)まるで海外のように英語表記の看板が建ち並ぶニセコの街(Photo by GettyImages)

日本であって、日本ではない

冬のニセコは、日本でもっとも外国人率が高い街であり、もはやここは日本であって日本ではない。

京都や金沢など、近年日本の多くの観光地には外国人観光客が訪れている。だが、それらとニセコには決定的な違いがある。それは、ビジネスの対象を外国人、それも富裕層に特化していることだ。しかも、その戦略は大成功を収めている。

欧米などのスキーリゾートを対象とした「ワールド・スキー・アワード」における、50室未満のブティックホテル部門で、ひらふ地区にある高級デザイナーズ・ホテル「ザ・ヴェール・ニセコ」が世界一に輝いている。カテゴリーが限定されているとはいえ、日本にあるホテルが世界的にこれだけ高く評価された例は過去にもほとんどないはずだ。

「ザ・ヴェール・ニセコ」の最上階に位置するペントハウスは、ニセコでも最高級とされる部屋の一つで、187uの広々とした室内には最高のプレミアム暖炉、バスルーム3つを備え、天井まで届く大きな窓からは北海道の名峰・羊蹄山の壮大な眺めを一望できる。スキーのあとは開放感あふれる57uを誇るバルコニーの露天風呂でゆっくりと星空を眺めながらリラックス。まさに至福のひとときに違いない。

このペントハウスは、トップシーズンでは1泊50万円を超えるのだが、なんと、すでに来年2019年のシーズンまで予約で満室状態だという。

ちなみに、ホテル予約検索サイト「エクスペディア」などで、今年12月から来年3月のスキーシーズンにて宿泊予約しようとしても、「ザ・ヴェール・ニセコ」はじめ、ニセコ地区の高級ブティックホテルは、軒並み既に満室や売り切れとなっている。繰り返すが、今年ではなく、まだ1年近く先の来シーズンの話だ。まるで、バブル期の東京湾岸エリアや都心のクリスマス時期のホテル予約のような狂乱ぶりではないか。

ニセコが世界的に注目されはじめたのは2000年頃からだ。最初はオーストラリア人から人気に火がつき、その後、SNSなどを通じて評判が広がると、フランスを中心に、イギリス、ドイツ、北欧など、ヨーロッパ各国からもスキーヤーが訪れるようになった。

理由はズバリ、雪質にある。ご存知の方も多いと思うが、ヨーロッパのアルプスなどの雪質は固く締まっており、初心者には荷が重いところが少なくない。それに対し、ニセコはサラサラのパウダースノーで、しかも毎日のように雪が降るから常に新雪。一度これを体験すると、その違いに病みつきになる人が続出するのも頷ける。しかも、ナイター施設なども充実しているのに加えて、温泉や北海道の食と魅力に溢れている。


物価も「世界の高級リゾート水準」

さらに、ここ数年は、香港やシンガポール、マレーシア、台湾などの華僑を中心とした富裕層や、フィリピン、ベトナム、タイなど、雪が降らない国からの観光客も急増した。大げさではなくニセコでは日本人を探すのが困難になるほど、外国人で賑わっている。

リッチな外国人客を相手にしているため、物価も世界の高級リゾート相場になっている。ゲレンデ周辺では、ランチの海鮮丼でさえ5000円というのが、ごく標準的な料金だ。すし盛り合わせになると松竹梅で、それぞれ1万円、2万円、3万円も珍しくない。価格に、5000円、1万円といったキリのいい数字がやたらと多いのは、両替や換算を意識してのことだという。

これだけお金持ちが集まれば当然、地元経済にも恩恵が大きいだろうと思われそうだが、残念ながらそうでもないようだ。

まずショップやレストランだが、いまでは客はもちろん、従業員までも外国人が目立つようになり、日本人の姿がめっきり減っている。私が毎年訪れているレストランでも、昨年までは地元の日本人女性2人が「May I help you?」と慣れない英語で接客のアルバイトをしていたが、今回は、夏場はロンドンで働き、冬はニセコでスキーを楽しみながらアルバイトしているというフランス人青年と、職を求めて中国本土からやってきた20代女性の2名にとって代わられていた。これだけ多くの国から観光客がやってくると、接客にも英語だけでなく、フランス語や広東語までが求められる。これでは、普通の日本人が出る幕はないかもしれない。

「99.9%お客さんは外国人。今日もフランス人の団体と、香港やマレーシアからのグループの予約で満席です。彼らが満足する接客は、日本人では難しいですね」と英語でアルバイトに指示を出しながら、日本人の料理長は話していた。


[写真]外国人客でごった返すニセコのスキー場の食堂(Photo by GettyImages)外国人客でごった返すニセコのスキー場の食堂(Photo by GettyImages)

ニセコ地区では、外国資本による別荘やコンドミニアムの開発も進んでおり、外国人スキーヤーや観光客だけでなく、外国人居住者も年々増加している。こうした外国人のために働く外国人従業員の増加もまた、続いている。地元の学校には外国人の子供が増え、新たにインターナショナルスクールも作られているという。


なぜか地元も国内資本も儲けられていない

流入人口が増えれば、当然地価は上昇する。3月末、国土交通省から発表された公示地価では、地元の倶知安町の住宅地の公示地価は前年比33.3%と3年連続全国トップ。しかもトップ3をニセコ地区が独占した。さらに、商業地でも35.6%と全国トップとなり、まさにニセコが日本全国を圧倒している。


そうなれば、少なくとも不動産開発の分野では、日本のデベロッパーや金融機関が荒稼ぎしているのだろうと思ったのだが、どうやら、それもないようだとわかって驚いた。

私が調べた限り、ニセコでの海外富裕層向けを中心としたコンドミニアムや別荘への不動産投資ニーズに、国内の不動産業者・銀行は、ほとんど応えられていない。海外不動産業者やプライベートバンクと海外富裕層との間には、独自のネットワークが形成され、日系企業が入り込む余地がほとんどない状態であるという。

ニセコは、まさに「外国人の、外国人による、外国人のためのリゾート」と化していると言っていいだろう。地元ニセコ町の分析でも、民間消費や観光業の生産額のほとんどが、町外に流出超過だとされている。観光客や投資の増加は、もはや地域の収入には十分つながっていないというわけだ。

もちろん、ニセコ興隆は悪いことではない。ただ、観光客やスキーヤーたちがこれほどお金を落としてくれているのに、地元や日本経済に恩恵がないというのは、もったいなさすぎる。「おもてなしの心」などという美学を奉じて、細やかな気配りを観光産業の中心にすえるのもよいが、奥ゆかしいばかりでハングリー精神に欠けては、世界を相手に、いただけるものもいただけないことになってしまう。


[写真]メニューの表示も英語のほうが目立つニセコのレストラン(Photo by GettyImages)メニューの表示も英語のほうが目立つニセコのレストラン(Photo by GettyImages)

折しも、来年のG20大阪開催にあわせ、G20観光相会議がニセコで開催されることが決まっている。それに合わせてパークハイアットやリッツ・カールトンといった外資系超高級ホテルやコンドミニアムの開業も予定されており、北海道新幹線の札幌までの延伸にあわせ、ニセコ地区にも新駅ができる予定だ。共存共栄の世界を目指して、出遅れている国内資本による投資の増加に期待したい。

そこでの成否が、「観光大国」を目指す日本の未来をうらなう試金石になる、と言っても、あながち大げさにすぎるということはないだろう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55346

216. 中川隆[-13640] koaQ7Jey 2018年11月23日 06:42:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21016] 報告

外国語学習について - 内田樹の研究室 2018-10-31


2018年6月12日に「文系教科研究会」というところで、私立の中学高校の英語の先生たちをお相手に英語教育についてお話した。その一部をここに掲載する。

ここで論じたのは英語だけれど、言語教育一般について適用できる議論だと思う。
ここ数日、「論理国語」と「文学国語」というカテゴライズをするという話がTLを飛び交っているけれど、それがほんとうだとしたら、それはたぶん言語というものについて一度も真剣に思量したことのない人間の脳裏に去来したアイディアだろうと思う。それはまさに「植民地における現地人への宗主国言語教育」とまったく同型的なものだからだ。

国語教育においても「植民地現地人」に求められる言語能力は同じである。

それは宗主国アメリカに仕え、アメリカに朝貢することで「代官」「買弁」としての地位を保全している日本の支配層たちが、同国人の知性の発達を阻害し、日本人を愚民化することで、属国日本をアメリカが支配しやすいようにするために作り出した仕掛けである。

以下がそのときの講演。途中からなので、話が見えにくいのはご容赦。


外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。

「目標言語」というのは、今の場合なら、例えば英語です。なぜ英語を学ぶのか。それは「目標文化」にアクセスするためです。英語の場合であれば、ふつうは英語圏の文化が「目標文化」と呼ばれます。

僕らの世代において英語の目標文化ははっきりしていました。それは端的にアメリカ文化でした。アメリカ文化にアクセスすること、それが英語学習の最も強い動機でした。僕たちの世代は、子どものときからアメリカ文化の洪水の中で育っているわけですから、当然です。FENでロックンロールを聴き、ハリウッド映画を観て、アメリカのテレビドラマを観て育ったわけですから、僕らの世代においては「英語を学ぶ」というのは端的にアメリカのことをもっと知りたいということに尽くされました。

僕も中学や高校で「英語好き」の人にたくさん会いましたけれど、多くはロックの歌詞や映画の台詞を聴き取りたい、アメリカの小説を原語で読みたい、そういう動機で英語を勉強していました。

僕もそうでした。英語の成績は中学生からずっとよかったのですが、僕の場合、一番役に立ったのはビートルズの歌詞の暗記でした。ビートルズのヒット曲の歌詞に含まれる単語とイディオムを片っ端から覚えたのですから、英語の点はいいはずです。

つまり、英語そのものというよりも、「英語の向こう側」にあるもの、英米の文化に対する素朴な憧れがあって、それに触れるために英語を勉強した。英米のポップ・カルチャーという「目標文化」があって、それにアクセスするための回路として英語という「目標言語」を学んだわけです。

その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

フランス語ができないとこの知的領域にアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。 

のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。

ロシア語もそうです。今、大学でロシア語を第二外国語で履修する学生はほとんどいません。でも、若い方はもうご存じないと思いますけれど、1970年に僕が大学入学したとき、理系の学生の第二外国語で一番履修者が多かったのはロシア語だったのです。

「スプートニク・ショック」として知られるように、60年代まではソ連が科学技術のいくつかの分野でアメリカより先を進んでいたからです。科学の最先端の情報にアクセスするためには英語よりもロシア語が必要だった。でも、ソ連が没落して、科学技術におけるアドバンテージが失われると、ロシア語を履修する理系の学生はぱたりといなくなりました。もちろんドストエフスキーを読みたい、チェーホフを読みたいというような動機でロシア語を履修する学生の数はいつの時代もいます。目標文化が「ロシア文学」である履修者の数はいつの時代もそれほど変化しない。けれども、目標文化が「ソ連の科学の先進性」である履修者は、その目標文化が求心力を失うと、たちまち潮が引くようにいなくなる。

僕の学生時代はフランス語履修者がたくさんおりました。でも、その後、フランス語履修者は急減しました。ある時点で中国語に抜かれて、今はもう見る影もありません。

理由の一つは、日本のフランス語教員たちが学生たちの知的好奇心を掻き立てることができなかったせいなのですけれど、それ以上に本国のフランスの文化的な発信力が低下したことがあります。フランス文化そのものに日本の若者たちを「目標」として惹きつける魅力がなくなってしまった。

フランス語やロシア語の例から知れる通り、われわれが外国語を学ぶのは目標文化に近づくためなのです。目標文化にアクセスするための手段として目標言語を学ぶ。

しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には目標文化が存在しません。英語という目標言語だけはあるけれども、その言語を経由して、いったいどこに向かおうとしているのか。向かう先はアメリカでもイギリスでもない。カナダでもオーストラリアでもない。どこでもないのです。

何年か前に、推薦入試の入試本部で学長と並んで出願書類をチェックしていたことがありました。学長は英文科の方だったのですけれど、出願書類の束を読み終えた後に嘆息をついて、「内田さん、今日の受験者150人の中に『英文科志望理由』に『英米文学を学びたいから』と書いた人が何人いると思う?」と訊いてきました。「何人でした?」と僕が問い返すと「2人だけ」というお答えでした「後は、『英語を生かした職業に就きたいから』」だそうでした。

僕の知る限りでも、英語を学んで、カタールの航空会社に入った、香港のスーパーマーケットに就職した、シンガポールの銀行に入ったという話はよく聞きます。別にカタール文化や香港文化やシンガポール文化をぜひ知りたい、その本質に触れたいと思ってそういう仕事を選んだわけではないでしょう。彼らにとって、英語はたしかに目標言語なのですけれど、めざす目標文化はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。高い年収と地位が得られるなら、どの外国でも暮らすし、どの外国でも働く、だから英語を勉強するという人の場合、これまでの外国語教育における目標文化に当たるものが存在しない。
これについては平田オリザさんが辛辣なことを言っています。彼に言わせると、日本の今の英語教育の目標は「ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育」だそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」はもちろん有用な仕事であり、しかるべき能力を要するし、それにふさわしい待遇を要求できるポストですけれど、それは一人いれば足りる。何百万単位で「シンガポール支店長」を「人形焼き」を叩き出すように作り出す必要はない。でも、現在の日本の英語教育がめざしているのはそういう定型です。

僕は大学の現場を離れて7年になりますので、今の大学生の学力を知るには情報が足りないのですけれども、それでも、文科省が「英語ができる日本人」ということを言い出してから、大学に入学してくる学生たちの英語力がどんどん低下してきたことは知っています。それも当然だと思います。英語を勉強することの目標が、同学齢集団内部での格付けのためなんですから。低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語学習に子どもたちを向けようとしている。そんなことが成功するはずがない。恐怖や不安を動機にして、知性が活性化するなんてことはありえないからです。

僕は中学校に入って初めて英語に触れました。それまではまったく英語を習ったことがなかった。1960年頃の小学生だと、学習塾に通っているのがクラスに二三人、あとは算盤塾くらいで、小学生から英語の勉強している子どもなんか全然いません。ですから、FENでロックンロールは聴いていましたけれど、DJのしゃべりも、曲の歌詞も、ぜんぶ「サウンド」に過ぎず、意味としては分節されていなかった。それが中学生になるといよいよ分かるようになる。入学式の前に教科書が配られます。英語の教科書を手にした時は、これからいよいよ英語を習うのだと思って本当にわくわくしました。これまで自分にとってまったく理解不能だった言語がこれから理解可能になってゆくんですから。自分が生まれてから一度も発したことのない音韻を発声し、日本語に存在しない単語を学んで、それが使えるようになる。その期待に胸が膨らんだ。

今はどうでしょう。中学校一年生が四月に、最初の英語の授業を受ける時に、胸がわくわくどきどきして、期待で胸をはじけそうになる・・・というようなことはまずないんじゃないでしょうか。ほかの教科とも同じでしょうけれど、英語を通じて獲得するものが「文化」ではないことは中学生にもわかるからです。

わかっているのは、英語の出来不出来で、自分たちは格付けされて、英語ができないと受験にも、就職にも不利である、就職しても出世できないということだけです。そういう世俗的で功利的な理由で英語学習を動機づけようとしている。でも、そんなもので子どもたちの学習意欲が高まるはずがない。

格付けを上げるために英語を勉強しろというのは、たしかにリアルではあります。リアルだけれども、全然わくわくしない。外国語の習得というのは、本来はおのれの母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものを習得ゆくプロセスのはずです。だからこそ、知性の高いパフォーマンスを要求する。自分の知的な枠組みを超え出てゆくわけですから、本当なら「清水の舞台から飛び降りる」ような覚悟が要る。そのためには、外国語を学ぶことへ期待とか向上心とか、明るくて、風通しのよい、胸がわくわくするような感じが絶対に必要なんですよ。恐怖や不安で、人間はおのれの知的な限界を超えて踏み出すことなんかできません。
でも、文科省の『「英語ができる日本人」の育成のための行動計画の策定について』にはこう書いてある。

「今日においては、経済、社会の様々な面でグローバル化が急速に進展し、人の流れ、物の流れのみならず、情報、資本などの国境を超えた移動が活発となり、国際的な相互依存関係が深まっています。それとともに、国際的な経済競争は激化し、メガコンペティションと呼ばれる状態が到来する中、これに対する果敢な挑戦が求められています。」

冒頭がこれです。まず「経済」の話から始まる。「経済競争」「メガコンペティション」というラットレース的な状況が設定されて、そこでの「果敢な挑戦」が求められている。英語教育についての基本政策が「金の話」と「競争の話」から始まる。始まるどころか全篇それしか書かれていない。

「このような状況の中、英語は、母語の異なる人々をつなぐ国際的共通語として最も中心的な役割を果たしており、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際的共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠です」という書いた後にこう続きます。

「現状では、日本人の多くが、英語力が十分でないために、外国人との交流において制限を受けたり、適切な評価が得られないといった事態も起きています。」
「金」と「競争」の話の次は「格付け」の話です。ここには異文化に対する好奇心も、自分たちの価値観とは異なる価値観を具えた文化に対する敬意も、何もありません。人間たちは金を求めて競争しており、その競争では英語ができることが死活的に重要で、英語学力が不足していると「制限を受けたり」「適切な評価が得られない」という脅しがなされているだけです。そんなのは日本人なら誰でもすでに知っていることです。でも、「英語ができる日本人」に求められているのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」なのです。

外国語を学ぶことの本義は、一言で言えば、「日本人なら誰でもすでに知っていること」の外部について学ぶことです。母語的な価値観の「外部」が存在するということを知ることです。自分たちの母語では記述できない、母語にはその語彙さえ存在しない思念や感情や論理が存在すると知ることです。

でも、この文科省の作文には、外国語を学ぶのは「日本人なら誰でもすでに知っていること」の檻から逃れ出るためだという発想がみじんもない。自分たちの狭隘な、ローカルな価値観の「外側」について学ぶことは「国際的な相互依存関係」のうちで適切なふるまいをするために必須であるという見識さえ見られない。僕は外国語学習の動機づけとして、かつてこれほど貧しく、知性を欠いた文章を読んだことがありません。

たしかに、子どもたちを追い込んで、不安にさせて、処罰への恐怖を動機にして何か子どもたちが「やりたくないこと」を無理強いすることは可能でしょう。軍隊における新兵の訓練というのはそういうものでしたから。処罰されることへの恐怖をばねにすれば、自分の心身の限界を超えて、爆発的な力を発動させることは可能です。スパルタ的な部活の指導者は今でもそういうやり方を好んでいます。でも、それは「やりたくないこと」を無理強いさせるために開発された政治技術です。
ということは、この文科省の作文は子どもたちは英語を学習したがっていないという前提を採用しているということです。その上で、「いやなこと」を強制するために、「経済競争」だの「メガコンペティション」だの「適切な評価」だのという言葉で脅しをかけている。

ここには学校教育とは、一人一人の子どもたちがもっている個性的で豊かな資質が開花するのを支援するプロセスであるという発想が決定的に欠落しています。子どもたちの知性的・感性的な成熟を支援するのが学校教育でしょう。自然に個性や才能が開花してゆくことを支援する作業に、どうして恐怖や不安や脅迫が必要なんです。勉強しないと「ひどい目に遭うぞ」というようなことを教師は決して口にしてはならないと僕は思います。学ぶことは子どもたちにとって「喜び」でなければならない。学校というのは、自分の知的な限界を踏み出してゆくことは「気分のいいこと」だということを発見するための場でなければならない。

この文章を読んでわかるのは、今の日本の英語教育において、目標言語は英語だけれど、目標文化は日本だということです。今よりもっと日本的になり、日本的価値観にがんじがらめになるために英語を勉強しなさい、と。ここにはそう書いてある。目標文化が日本文化であるような学習を「外国語学習」と呼ぶことに僕は同意するわけにはゆきません。

僕自身はこれまでさまざまな外国語を学んできました。最初に漢文と英語を学び、それからフランス語、ヘブライ語、韓国語といろいろな外国語に手を出しました。新しい外国語を学ぶ前の高揚感が好きだからです。日本語にはない音韻を発音すること、日本語にはない単語を知ること、日本語とは違う統辞法や論理があることを知ること、それが外国語を学ぶ「甲斐」だと僕は思っています。習った外国語を使って、「メガコンペティションに果敢に挑戦」する気なんか、さらさらありません。

外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観、美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのは、その世界に接近してゆくことです。 

フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。

外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実、母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語とは違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。

でも、今の日本の英語教育は「母語の檻」からの離脱など眼中にない。それが「目標言語は英語だが、目標文化は日本だ」ということの意味です。外国語なんか別に学ぶ必要はないのだが、英語ができないとビジネスができないから、バカにされるから、だから英語をやるんだ、と。言っている本人はそれなりにリアリズムを語っているつもりでいるんでしょう。でも、現実にその結果として、日本の子どもたちの英語力は劇的に低下してきている。そりゃそうです。「ユニクロのシンガポール支店長」が「上がり」であるような英語教育を受けていたら、そもそもそんな仕事に何の興味もない子どもたちは英語をやる理由がない。

(中略)

今は英語教育にとりわけ中等教育では教育資源が偏ってきています。他の教科はいいから、とにかく英語をやれという圧力が強まっています。別にそれは英語の教員たちが望んだことではないのだけれど、教育資源が英語に偏っている。特に、オーラル・コミュニケーション能力の開発に偏っている。何でこんなに急激にオーラルに偏ってきたかというと、やはりこれは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。

「グローバル・コミュニケーション」と言っても、オーラルだけが重視されて、読む力、特に複雑なテクストを読む能力はないがしろにされている。これは植民地の言語教育の基本です。

植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。理由は簡単です。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有するからです。100%ネイティヴが勝つ。「勝つ」というのは変な言い方ですけれども、オーラル・コミュニケーションの場では、ネイティヴにはノン・ネイティヴの話を遮断し、その発言をリジェクトする権利が与えられています。ノン・ネイティヴがどれほど真剣に、情理を尽くして話していても、ネイティヴはその話の腰を折って「その単語はそんなふうには発音しない」「われわれはそういう言い方をしない」と言って、話し相手の知的劣位性を思い知らせることができる。

逆に、植民地的言語教育では、原住民の子どもたちにはテクストを読む力はできるだけ付けさせないようにする。うっかり読む力が身に着くと、植民地の賢い子どもたちは、宗主国の植民地官僚が読まないような古典を読み、彼らが理解できないような知識や教養を身に付ける「リスク」があるからです。植民地の子どもが無教養な宗主国の大人に向かってすらすらとシェークスピアを引用したりして、宗主国民の知的優越性を脅かすということは何があっても避けなければならない。だから、読む力はつねに話す力よりも劣位に置かれる。「難しい英語の本なんか読めても仕方がない。それより日常会話だ」というようなことを平然と言い放つ人がいますけれど、これは骨の髄まで「植民地人根性」がしみこんだ人間の言い草です。

「本を読む」というのはその国の文化的な本質を理解する上では最も効率的で確実な方法です。でも、植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。

今の日本の英語教育がオーラルに偏って、英語の古典、哲学や文学や歴史の書物を読む力を全く求めなくなった理由の一つは「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。だから、アメリカ人は日本人が英語がぺらぺら話せるようになることは強く求めていますけれど、日本の子どもたちがアメリカの歴史を学んだり、アメリカの政治構造を理解したり、アメリカの文学に精通したりすること、それによってアメリカ人が何を考えているのか、何を欲望し、何を恐れているのかを知ることはまったく望んでいません。

(以下略)

「原住民には法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない」ということを英語教育について書いたら、国語教育でも同じことをしようとしているということを知らされた。

まことに情けない国に成り下がったものである。
http://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html

217. 中川隆[-13728] koaQ7Jey 2018年12月04日 04:34:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21646] 報告

星野リゾートってどうですか?
|リゾートマンション・リゾートホテル・別荘掲示板@口コミ掲示板・評判

567: 詐欺野郎! 2018/01/27 00:07:00

星野リゾートは、たくみに、お金を巻き上げます?



568: 匿名さん 2018/04/09 03:26:05

星野リゾートで検索してたどり着きました。
宿泊しようと調べてビックリしたのですが、すごい空室率ですね。ゴールデンウィーク最終の方だとほとんどの施設でまだ予約がとれます。
というか、直近で満室の日があまりありません。

低コスパなのにメディアで宣伝して次々に新しい箱を作る自転車手法が消費者に見透かされてリピートが激減しているのでしょうか、飽きられたのでしょうかね。


569: 匿名 2018/04/10 06:31:27

正直、内容に比べて料金が高い。
心配なのは経営が行き詰まり、まとめて中国資本などにならないか‥?と言う事です。
熱海のアウトレットショッピングモールで建てて頓挫していた大きな建物も中国人の所有になりましたよね・・


570: 匿名さん 2018/04/11 06:09:36
≫568さん
5月25日前後に国内旅行を計画中の者です。
目的地のホテルを探していますが、可なり満室のホテルが多く焦りました。
たまたま星野リゾート公式ホームページの空室状況を見たら、
星野リゾートのどの施設もガラガラですね。気持ち悪いぐらい空室です。
予約が取れない旅館と宣伝していますが、嘘ですね。
あれだけボッタクリ宿泊料金だと、行くのを躊躇もするし、リピートし無いと思う。
飽きられたらお終い。568匿名さんの内容通りでした。そろそろ飽きられてきたのかな?



572: 名無しさん 2018/08/25 16:02:24

ご飯は全てセントラルキッチン方式で不味い
ユダヤの手下です





575: 匿名さん 5日前

やりがい詐欺、フェイクビジネス、実に的を射ていますね。



576: 匿名さん 5日前

星野リゾートに初めて宿泊しました。出雲だけかもしれませんが、お風呂、お食事、お部屋どれをとっても平均以下。宿泊料金は4人一部屋で平日30000円でこのクオリティーにしては高すぎます。8000円くらいが妥当なのではないでしょうか?

お部屋は隣のお家と隣接しており、都会のごみごみ感から抜け出せません。ベランダのお風呂もこの場所では入れません。お部屋は普通の8畳で布団をひいたらテーブルも置けません。お布団も羽毛ではなく、ホテルらしい調度品もなく、お花もなく、ちっちゃなテレビといい普通の家か安いビジネス旅館か?といった完成度でした。

お食事はお品書きは立派ですが、お刺身もお肉も角砂糖より小さく小さく刻まれていて、よっぽど食の細い人でなければ満足できない量。メインのお肉は消しゴムを半分に切ったくらいのお肉と薄切りの小さいお肉が二切れで、50グラムもないと思われます。アメニティーも高級旅館にしては非常にクオリティーが低く、すべてにおいてコストを究極まで削減した結果、プレミア感が全くありませんでした。奮発したつもりが本当にがっかり。




577: 名無しさん 4日前

>>576 匿名さん

私は6万円しました。



578: 匿名さん 3日前
>>576さん

 じゃらんの口コミなどを読むと、皆さん大絶賛で
 食事も地産のもので素晴らしいと言ってますね。

 一人5万円や6万円出さないと満足できないよということ
 なんですかね?




579: 名無しさん 3時間前

星のや京都、紅葉シーズンに2人で17万。それも1年以上前にインターネット予約した時点で引き落とされてびっくりしました。
行ってみたら、内装設備の御粗末さにまたまたびっくり。二度と行きません。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/480-579/

218. 中川隆[-13727] koaQ7Jey 2018年12月04日 04:49:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21646] 報告

星野リゾートは決して悪くない

星野リゾートのボッタクリ価格、不味い料理や開発途上国並みのサービスは単に国際標準に従っているだけ

なぜ「日本文化はいずれ死ぬ」と断言することができるのか

私たちは自国を愛しており、自国の文化、自国の言語、自国の歴史を愛している。これは誰でも心に持っている気持ちであり、国を大切にする気持ちは決して消えることはない。

しかし、「自分の国を大切に思う」という気持ちは、これから次々と踏みにじられることになる。これは現代社会の大きな方向性として、知っておくべきだ。

「自分の国を大切に思う」というのは、グローバリズムに反するものだからだ。グローバリズムは、国を消失させる動きであることは、もう誰もが気付いている。

グローバル化は文化を破壊し、最終的に国を破壊する。

そうなる理由は簡単だ。文化がそれぞれの地域で違っていると、ローカライズするのにコストがかかるからだ。

文化が違っていると、文化に合わせなければならない。「合わせる」というのが多国籍企業にとってコストであり、不確定要素になる。

国家がなくなり、文化が均質化すれば、全世界で同じ物を売ることができて、全世界に支配権を得ることができる。


独自文化は破壊される方向性にあることを認識せよ

グローバル化にとって、独自文化は邪魔だ。理解できないし、ローカライズには手間がかかるし、無視すれば市場をとりこぼすことになるからだ。

だから、私たちは気が付かなければならない。

グローバル化がこれからも進むのだから、「独自文化は破壊される方向性にある」ことを。もっとはっきり言うと、こういうことになる。

「日本文化は必ず破壊される」
「日本人は日本のものではなくなる」

日本だけではなく、すべての国がそうなる。欧米ではすでに多文化主義が執拗に推進されている。

移民が続々と入り込み、人種が地域文化に馴染まないで混乱し、国内で大きな混乱が起きているにもかかわらず、それは粛々と推進されている。

ドイツでも、イギリスでも、フランスでも、オランダでも、ノルウェーでも、すべての国でまったくブレることなく多文化主義が推し進められている。

もちろん、こういった多文化主義に反対し、「独自文化を守れ」という動きは市民の間から大きな声となって湧き上がっているのは言うまでもない。

世界各国で、次々と保守政党が立ち上がって支持されている。

しかし、こういった移民排斥の運動は、世界中で「差別主義者」のレッテルを貼られる。そして、その政党は「極右団体」と称され、グローバル・メディアによって徹底的に糾弾されて、叩き潰されていく。
http://www.bllackz.com/2013/10/blog-post_20.html?utm_source=BP_recent


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日本も含め、全世界は最後に同じ文化になってしまうのか?


中国やインド、そして東南アジアの各諸国が台頭してきたのは、グローバル化が加速したからだ。

グローバル化が加速するとなぜこれらの諸国が台頭することになるのかというと、簡単に言えば「人的コストが安いから」である。

では、なぜ世界はグローバル化していくのかというと、企業間の競争があって、そこでは結果的にコスト削減を徹底的に行い、利益を上げたものが勝利を手にするからである。

コストを削減するには人件費を削減するのが一番早い。

あるいは、安い労働力を使うのが良い。

当然、どこの企業もこの2つに目をつけて、この2つは同時に行われた。具体的に言うと、以下のことが、同時に行われた。

(1)賃金の高い先進国の労働者の削減
(2)賃金の安い新興国の労働者の確保

賃金の安い国はどこだったのか。それは中国であり、インドであり、東南アジア諸国であった。


残った正社員は、リストラするか賃金削減するか

先進国の失業問題は、グローバル化によって必然的に起きたことだ。

日本人の労働者がそれに巻き込まれるのは、時間の問題だったのだ。

だから、小泉政権時代からそれは加速していったが、日本はもっと早く賃金削減が起きてもおかしくなかった。

本来であれば、バブルが崩壊して企業がコスト削減に走らなければならなかった1990年代に賃金削減が起きてもおかしくなかった。

そうならなかったのは日本には終身雇用という文化があったからで、企業が無理していたという言い方もできる。日本企業にも良心があったということだ。

結局、無理に無理が重なってどうにもならなくなったので、企業側はどんどん工場を新興国に移し、本社側の人員は派遣に切り替えた。

そして、残った正社員は、リストラするか賃金削減するかの二者択一になった。

2000年代に入ってから、この両方が平行して行われたのである。

・日本の賃金はまだ高いから、正社員はもっと削られる。
・賃金はもっと削減される。

サラリーマンをやっている人間は、もはや一部分の人間しか生き残れないことになる。グローバル化の本質を考えると、どうしてもそのような動きになってしまうからだ。

すべては賃金の安い国へと仕事が流れていく。

それが中国であり、インドであり、東南アジアだったのだ。


大量のコマーシャルを流して、その文化の中に浸透

この中で、中国とインドはよく特別化されることが多いが、それは理由がある。

最も大きな理由は「人口」だ。これらの国は安い労働力を使えると同時に、支払った賃金で潤うと、人口の多さがそのまま販売の市場につながっていく。

中国とインドはこの2国だけで人口は26億くらいで地球上の人口の40%ほどを占めているから、市場としての魅力は抜群である。

そのためには、この国に巣食う貧しい人達がもう一段階豊かになる必要もある。

それで労働コストが上がったのであれば、今度はバングラやアフリカが「世界の工場」になって、そこで作ったものを中国やインドに売るという流れになる。

多国籍企業は新興国に大量のコマーシャルを流して、どんどんその文化の中に浸透している。

まさにその動きこそがグローバル化の動きであって、これがアジアを強制的に変化させている原因だ。

アジアの文化に浸ってのんびりしたいと思っていたら、アジアの姿がどんどん変わって取り残されてしまう。


その背景には、多国籍企業の顔がちらつく。

古き良きアジアは、もはや幻想の中にしか存在しない。


どんな問題が起きても、どんな激しい国民の抵抗が起きても、グローバル社会に参加した国家では、それが強引に行われていくことになる。
なぜなら、グローバル化していく社会の中で、国家という枠組みが邪魔になっており、今は「国家」という枠組みを取り壊そうとする動きが加速しているからである。

「自国文化を守ろう、自国の歴史を大切にしよう」という動きは、「保守」とは呼ばれず、「極右」とメディアによってレッテル貼りをされている。

世界中のメディアは、ナショナリズムを必ず「極右」として扱い、差別主義者と断定する。それはグローバル化を後退させる動きなので、「絶対に許されない思想」と認定して、封印されていく。

グローバル化を阻止する動きは、絶対に許されない。

多国籍企業、金融市場、巨大メディアは、グローバル化する社会の中で支配権を拡大していく過程にある。

世界を動かしているのは国民ではなく、多国籍企業、金融市場、巨大メディアである。そして、これらの企業の各オーナーたちである。

全員が揃って陰謀に荷担しているという見方もあるが、実際のところは、グローバル化した方が「より儲かる」というシンプルな原則によって突き動かされていると言った方がいい。

儲かるのなら、儲かる方向に向かって人は殺到していく。それが雪崩のような現象を引き起こす。


儲かるから、グローバル化が推し進められるのだ

グローバル化したら、世界のすべてが多国籍企業にとって市場になる。そうなれば、単純に儲かる。だから、多国籍企業はぶれることなくグローバル化を推し進める。

グローバル化したら、賃金の安い国で物を製造することができるようになる。そうなれば、コスト削減できる。そして、競争力が付いて、単純に儲かる。だから、多国籍企業はぶれることなくグローバル化を推し進める。

グローバル化したら、移民が大量に入ってきて、やはり低賃金で優秀な人材が雇えるようになる。そうなれば、またもやコスト削減ができる。だから、移民政策や、多文化主義は推進されるのだ。

貿易を行うに当たって、国をまたぐたびに関税を取られたら損をする。だから、国がなくなればいいと考えるのが多国籍企業でもある。儲けのためには、関税を取る国家という存在が邪魔なのだ。

販売を行うに当たって、各国の違いに合わせて商品をローカライズするのは無駄なコストである。言語が英語か何かで統一できれば、ローカライズする手間がなくなる。だから、国がなくなればいいと考えるのが多国籍企業である。コストのためには国家という存在が邪魔なのである。

販売を行うに当たって、文化が違っているとやはりその国に合わせなければならないが、それも無駄なコストである。だから、移民を入れて、混ぜて、独自文化を薄めさせれば、文化に合わせる手間もなくなる。

だから、文化がなくなればいいと考えるのが多国籍企業でもある。移民は、その国の「独自の文化」を消すのに最良の方法なのだ。


世の中は多極化しているのではない。逆だ。

ありとあらゆるものが、国家の消滅、国家の役割縮小、国家の無力化を目指している。上記以外にも、そんな動きは次々と動いている。

通貨が違っていれば、為替の変動というものに注意を払わなければならず、それは多国籍企業にとっては手間である。国家をブロック化するか、もしくは国家を消滅させれば為替も統一するので便利だ。だから多国籍企業は、通貨の統一を邪魔する国家という概念を消し去りたい。

巨大メディアも、言語・文化がどんどん統一されていけば、情報収集も、情報提供も、世論誘導もやりやすい。だから、グローバル化に乗るのは「得する」動きだ。そのために、言語・文化の守り手である国家を消滅させたい。

インターネットもまた、「情報」という分野で世界を統一しようとする動きである。インターネット企業は、世界がグローバル化すればするほど儲かる仕組みになっている。だから、国家間の情報遮断は許しがたいことであり、やはり国家という概念を消し去りたいと思っている。

グローバル化は、それを突き詰めると、世界が「ひとつ」になるということだ。世界が「ひとつ」というのは、要するに国家も、文化も、言語も、通貨も、すべてが「ひとつ」になるという意味である。

現在、そのような社会に向かっている。世界は多極化しているのではない。完全にその逆だ。

・グローバル化の動きは、「ひとつ」になる動きだ。
・国家のブロック化は、「ひとつ」になる動きだ。
・多文化主義の動きは、「ひとつ」になる動きだ。
・金融市場の国際化は、「ひとつ」になる動きだ。
・移民促進の動きは、「ひとつ」になる動きだ。

グローバル化によって、逆に統一化されようと動いている。多極化しているというのは、単に政治の力学の話であって、世の中全体の動きではない。

多極化していると見せかけて、世の中はグローバル化によって「ひとつ」になろうとしているのである。

絶対に移民政策が止まらないのは、世界が「ひとつ」になるためだ。本当に、単純な話だ。そうすれば多国籍企業、金融市場、巨大メディアは儲かるのだ。


国家はどんどんブロック化していく。やがて「ひとつ」になる

そういえば、つい数年前までインドでは髪や身体を洗う時には泥を使っていたが、今では安く変える石鹸やシャンプーが浸透していっている。
これらの石鹸やシャンプーは貧しい人たちでも買えるように小分けで売られている。

メーカーはユニリーバ。イギリス企業(正確にはイギリスとオランダに経営機能を持つ多国籍企業)である。


インドに浸透していく多国籍企業ユニリーバ。男は「ユニリーバ」と聞いても知らない人も多いかも知れないが、女性はみんなこの企業を知っている。


侵略されても、それが文化侵略などとは思わない

ユニリーバはインドで確固たるブランドを築いている。これらの人たちが生活レベルを上げるたびに、ユニリーバの高級商品が彼らの手に渡っていくことになる。

グローバル化は、安い労働力と巨大な市場を求めて世界中のどこにでも浸透していくから、地元産業は衰退し、残った企業は淘汰されていく。

日本では昔、よろず屋という形態の店があったが、今ではそんな店を捜しても見つからないかもしれない。なぜならすべて淘汰されてコンビニがそれに取って変わったからだ。

フィリピンに、サリサリ・ストアという「よろず屋」「雑貨屋」形態の個人ショップが多く見かけるが、もしフィリピンの経済状況が上がっていくなら、これらのサリサリ・ストアは淘汰されて消えていくことになる。

国がグローバル化に組み込まれると、このような個人店舗から吹き飛んでいくのは定石の動きだから誰でも分かる。

すでに1985年前後からグローバル化に飲み込まれたタイでも、コンビニエンス・ストアが幅を利かすようになって個人ストアを駆逐してしまった。

コンビニで売られるものは、自国の大企業のものと、海外の多国籍企業のものに二分される。

日本でも、コカコーラやエビアンなどは普通に売っているが、これらが多国籍企業であるのは言うまでもない。

スーパーもデパートもショッピングモールも、地元のものがスケールで敗退して、莫大な資本を投下できる多国籍企業がゆっくりと確実にその地に浸透していく。

テスコ、カルフール、ウォールマートという巨大ショッピングモール店はそれぞれイギリス、フランス、アメリカの資本だが、買い物をする人間がそんなことはいちいち考えていない。

趣味が良い空間で、大量のものがあって、安く買えるのであれば、どこの国の資本でも歓迎するし、それが文化侵略などとは思わないのである。


フィリピンのサリサリ・ストア。この国もグローバル化に飲まれると、やがてこういった個人商店の店は、大資本によるコンビニやショッピングモールに駆逐されて消えていくことになる。


すべてが画一化されたようなモノクロの世界

外国資本のショッピング・モールに入っているテナントは、マクドナルドだったり、ケンタッキー・フライド・チキンだったり、あるいはスターバックスだったりする。

しかし、それらに目くじらを立てる人間もいない。これらは新興国にとって、先進国の香りがする「素晴らしい企業」であり、文化侵略どころか「憧れ」だ。

かくして、これらの多国籍企業はゆっくり、着実に、アジアに浸透していき、やがてどこの国に行っても代わり映えのしない多国籍企業の看板に埋め尽くされる。

グローバル化はアジアを激変させている。そして、文化を画一化させていく。

多様化を失っていく文化は、人間の増加によって次々と野生動物が絶滅していく姿にだぶる。

グローバル化に対応できない国は絶滅していく。グローバル化に対応した国は均質化・画一化していく。グローバル化がとことん浸透すると、賃金もやがては画一化していく。

多国籍企業は経済的な論理で激しいグローバル化を追い求めているが、その結果についてはほとんど無視されているように思える。

グローバル化の行き着く先は、すべてが画一化されたようなモノクロの世界だ。世界中、どこに行っても同じ光景、同じ商品、同じ価値観で固定化される。

多国籍企業は、その商品が全世界を覆い尽くすまで止まらないのは間違いない。この動きに歯止めはかからない。資本主義が終わるまで続く。

すでに私たちは、日本にいても、タイにいても、シンガポールにいても、コカコーラを飲み、マクドナルドを食べ、スターバックスでくつろぐことができる。

幸せだろうか?


これがどこの国か分かるだろうか。タイだ
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131110T2225020900.html




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輸出や外国人観光客の誘致をいくら頑張ってやっても日本が豊かにならない理由

経済コラムマガジン 2016/10/24(913号)落日の構造改革派

構造改革派の中にも、段々と問題は供給サイドだけでなく、需要サイドにもあるのではないかと考える者が現れるようになった(日本の供給サイドは特に大きな問題がないと筆者は見ている)。明らかに構造改革派は落日を迎えている。しかしいきなり財政支出による需要創出というわけには行かない。筆者の記憶では、最初に需要サイドに着目した構造改革派は「霞ヶ関埋蔵金」を問題にした人々である(埋蔵金を使っての需要創出をしろと主張)。


その次は外国人観光客の誘致を唱える人々である。
これは外国人観光客の買い物による需要増を狙っている。

そして最近ではTPP締結が注目されている。ところでアベノミクスの第三の矢である「成長戦略」の柱は規制緩和などによる構造改革だったはずである。ところが奇妙なことに最近になって「成長戦略」の第一はTPPという話が出るようになっている。これは TPP による輸出増が狙いである。

このように外国人観光客の誘致やTPPの目的は需要増といっても外需の増加ということになる。

たしかに構造改革よる供給サイドの強化といった現実離れした考えからは、これらはいくらか進歩していると言える。しかしこれに対して筆者達は、これ以上外需依存を高めるのではなく(外需依存はいずれ円高で苦しむことになる)、財政政策(ヘリコプター・マネーなどによる)による内需拡大政策を主張しているのである
http://www.adpweb.com/eco/eco913.html


2016年07月04日
訪日外国人2000万人も経済はマイナス 外国人観光は経済に貢献しない

外国人が何千万人来ても、それで経済成長することは絶対に無い。


http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/a/5/a5a20193.png


外国人観光客は2016年も増え続けていて、この調子なら2000万人達成も可能だと言っています。

だが外国人がいくら増えても日本の景気は良くならず、むしろマイナス成長になっているのは何故でしょうか。


無策のツケを誰が払う?

政府は訪日外国人が1000万人を超えたとして、次は2000万人、あるいは3000万人だと言っています。

2011年の原発事故の後、増え続けた訪日客は特に安部政権が始まった2013年から、目だって増加しました。

安倍首相は「訪日外国人が増えたのは自分の手柄だ」と言っていて、それは別に構わない。


だが不思議なのは外国人が2倍に成っても日本のGDPがマイナス成長な事で、むしろ外国人が増えるほど経済が悪化している。

訪日外国人が増える事と、日本の経済成長に関係があるのかないのか、議論されませんでした。

皆当たり前のように「訪日客が増えれば経済効果がある」と言っているが、わたしはそう思いません。


訪日外国人がお金を使うのは、お金の流れを見ると輸出と同じで、例えば自動車1台輸出すると200万円のドルが得られます。

実際は原材料費などを輸入しているので1台100万円として、外国人が5人くらい訪日すると、交通費込みでそのくらい使います。

外国人がお金を使うのだから日本は儲かっている、と輸出論者は言うのだが、それは戦前から1980年頃までの話です。


その頃までは通貨は事実上固定相場制で、日本が何台自動車を輸出しても、1ドルは360円や200円で固定されていました。

ところが日本の輸出で大損をしたアメリカはぶち切れてしまい、ある日日本の大蔵大臣をNYに呼んで「今日から変動相場制にするから」と通告しました。

これが1985年のプラザ合意で、以来30年間日本はずっと円高不況で苦しんでいます。


同じ場所でクルクル回るだけのハムスター経済
引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201209/15/22/f0189122_15113970.jpg


日本はハムスター経済?

変動相場制では輸出すればするほど円高になるので、輸出で儲ける自体不可能で、むしろ輸出するほど損をします。

アメリカのような輸入超過国のほうが儲かるように出来ていて、その為にアメリカはルールを変更したのでした。

観光客がドサドサやってきてお金を使うのも同じ事で、彼らの買い物のせいで円高になり、余計輸出企業が苦しむだけです。


固定相場制では「輸出するほど儲かった」が、変動相場制では「輸出するほど罰を受ける」のです。

2016年に入って中国ショックやイギリスショックで円高になり、一時99円に達してまた戻っています。

評論家はイギリスのEU離脱の影響と言っていますが、何も無くたって輸出と観光客のせいで円高になるのです。


安倍首相の経済政策をみると、円安に誘導して輸出や観光客を増やしているが、輸出が増えたら必ず円高になります。

輸出とはドルを円に交換するで、観光客もドルや人民元を円に交換し、際限なく円高になります。

なんだかハムスターが車輪を回しているが、同じ場所で自分が走っているだけ、というのを連想してしまいます。


輸出や観光客でお金を集めようとして必死に働いているのだが、こんな事をいくら頑張ってもゼロ成長のままです。

観光と輸出にはもう一つ大きな問題があり、日本人が働いた成果が国外に流出し、蓄積されない事です。

日本で自動車を生産しアメリカに輸出したら、日本には何もなくなり、アメリカには自動車が1台増えます。


輸出や観光で経済成長はしない

お金という紙切れを受け取る代わりに、高度な工業製品である自動車を渡すのは、あまり有利な取り引きではありません。

アメリカは受け取った自動車を何年か有効に使いますが、日本の自動車メーカーが受け取ったお金は有効に使われているでしょうか。

大抵は中国や海外に別な工場を建てたりして、日本人には何の恩恵ももたらしはしません。


あるいは企業の内部留保になったり、株価や地価を吊り上げたり、ロクな事に使われないのが現実です。

輸出や観光で日本が受け取った外貨は、一般国民のために使われる事は、まずありません。

外国人旅行者より国内旅行者を増やした方が経済効果が大きいのに、外国人を泊めるために日本人をホテルから追い出しているのです。


この政策を続ける限り、来年も再来年も、日本はゼロ成長でしょう。

ではどうすれば経済が成長するかと言うと、今まで書いた逆、つまり輸入を増やして貿易や観光を赤字にすれば、その分円安で輸出し易くなります。

貿易黒字の日本より貿易赤字のアメリカ企業の方が、成長力があり儲かっているのはこの為です。
http://thutmose.blog.jp/archives/62830797.html


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小泉景気は2001年から73カ月も続いたが、内容は円安で輸出を増やすものだったので、円高であっけなく終了しました。

むしろ強引な円安誘導で国際収支の黒字を積み重ねた結果、儲けたドルが一斉に円に換金され、空前の超円高を作り出した。


貿易や海外投資で儲ければ、儲けたドルは後で円に交換されるので円高を引き起こし、結局は儲けた金を全て吐き出す破目になります。

貿易黒字はまったく無意味とまでは言わないものの、日本が儲けるという観点からは「ほとんど無意味」なのは事実です。

同様に安倍首相が力を入れ年間2500万人に達した外国人観光客も、国際収支の黒字を増やすだけで「ほとんど無意味」です。


国際収支が積み上げられた結果、「将来円に交換される外貨」が増えていき、最も円高になって欲しくない時に、一斉に円に交換し超円高になります。

ここでも悪事を働いているのは財務省で、貿易黒字や国際収支黒字を「日本の稼ぐ力」と呼び「貿易黒字が回復した」と良い事のように言っています。

財務省は「財政」つまり国の貯金がいくらあるかを数える役所なのだが、経済については分かっておらず、無知なのに口を出します。


国際収支の黒字は将来の超円高を作り出す「悪い事」なのに、「黒字になった、勝った勝った」と喜んでいるのです。

日本のようにGDPの7割近くも個人消費が占めている国では、景気が回復したら輸入が増えて貿易黒字になるので、巨額貿易黒字は「不況」のサインでしかありません。
http://www.thutmosev.com/archives/72361513.html


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日本に来る外人観光客が増えたのは日本の物価が先進国で一番安いからだった

「東京」が初のトップに!英国人にとってお得な長距離旅行先―英メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年9月21日(木) 15時50分


英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

英ロイヤルメール社はある調査報告で、東京がイギリス人にとってもっともリーズナブルな長距離旅行先で、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが最も高いことが明らかになった。新華社が伝えた。

この「長距離旅行報告」という名の年度調査はコーヒー1杯、ドリンク1本、コーラ1缶、ワイン1杯、カクテル1杯、板チョコレート1枚、ミネラルウォーター1本、日焼け止めクリーム、虫よけスプレー及びペアのコース料理の10項目のコストにより調査を行っている。

英「デイリーテレグラフ」による調査結果の報道では、東京は10項目の合計が48.9英ポンド(1英ポンドは約151円)で、旅行先30都市のうちトップだった。同調査が開始されてから10年目になるが、東京は初のトップで10項目の費用は去年より23%安くなっており、2012年と比べると60%安くなっている。

トップ10は東京に続き、南アフリカのケープタウン、ケニアのモンバサ、スリランカのコロンボ、ベトナムのハノイ、インドネシアのバリ島、コスタリカのタマリンド、米国のオーランド、マレーシアのペナン島、ドミニカのプンタカナの順となっている。

一方で最も高い旅行先はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで10項目合計160英ポンドという結果になった。ペアのコース料理が1食につき107.85英ポンドかかり、ドリンクは1本は平均で4.07英ポンドとなっている。(提供/人民網日本語版・編集TK)

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世界各国のビックマック価格

購買力平価という考え方がある。

世界各国の物価水準は摩擦が無く貿易されれば同じ物なら同じ価格になるように為替水準は調整されるはず、という理論だ。

そして世界中で売られているマクドナルドのビックマックを基準に購買力平価を計算したものが「ビックマック指数」だ。

以下の一覧は2015年1月時点で円換算した際の価格だ(1ドル117.77円 56か国)。

1位 スイス      888円 2.4倍
2位 ノルウェー    742円 2.01倍
6位 アメリカ     564円 1.52倍
15位 オーストラリア 509円 1.38倍
18位 ドイツ      501円 1.35倍
38位 日本       370円 

※ルクセンブルクは調査対象外
(世界のビッグマック価格ランキング 世界経済のネタ帳)
http://blogos.com/article/110634/


500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。

私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。

私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。

しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
http://blogos.com/article/187248/


食事も旅の楽しみの1つですが、スイスでは持ち帰り用のデリでも2,000〜3,000円かかります。

レストランでの食事は、場所にもよりますが、ファミレスのような場所で約2,500円、

雰囲気のよい店舗では最低6,000円は見積もらないといけないでしょう。

さらに良いサービスを受けたときは、10%ほどのチップを支払うのがマナーですので、それも勘定にプラスしなければなりません。

スイスのビックマックセットは12スイスフラン(1,440円)。

ポテトチップスは1袋700円以上します。


物価の高い理由、それはずばり人件費が高いからです。

スイスではファーストフード店でアルバイトした場合でも、時給は2,500円ももらえます。人件費がかかる分、商品の価格が高くなってしまうのです。
http://www.spintheearth.net/travel_switzerland_price/


スイスのチューリッヒは、世界の中でも物価の高い都市として知られる。

駅でミネラルウォーターを買えば4フラン、トイレの使用料に2フラン、つまり水を飲んで用を足すだけで6フラン(約600円)もかかる計算になる。

一説には、高技能職の移民以外は受け入れないために、あえて物価を高くしているとの説もあるほどだ。

一方、スイスの最低賃金は、毎月3500フラン(約35万円)にも上る。

これほどの高賃金だから物価が高くても生活できるわけだが、一般的な経済原則に反して、高賃金にも関わらず失業率も低い。
http://media.yucasee.jp/offshore-news/posts/index/646


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マカオ転職で給料4倍! このままでは日本の賃金が危ない! 2018年10月23日
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/23/news046.html#utm_source=yahoo_v3&utm_medium=feed&utm_campaign=20181112-013&utm_term=zdn_mkt-bus_all&utm_content=rel1-1


 日本で働いていた料理人がマカオのレストランに転職が決まり、年収が4倍になったという話がネットで話題となっている。

 中国の都市圏における経済発展は日本の想像をはるかに超えており、日本はアジアの中でも賃金が安い国となりつつある。日本人が仕送りなどを目的にアジアに出稼ぎに行くようになる日はそう遠くないのかもしれない。

アジアと日本の賃金の差が浮き彫りに。写真はマカオの繁華街(写真提供:ゲッティイメージズ)
アジアと日本の賃金の差が浮き彫りに。写真はマカオの繁華街(写真提供:ゲッティイメージズ)

アジアの賃金は想像以上に上がっている

 Twitterで情報発信している和食の料理人が、マカオのレストランへの転職が決まったとつぶやいたところ、日本とのあまりの待遇差にネット上でちょっとした話題となった。年収が4倍になり、医療費(歯科通院含む)も会社が100%負担してくれるという。

 現地レストランでのポストは副料理長ということなので、能力が高い人物の話ではあるが、同じスキルの人物でここまで年収に差が付くというのは少々驚きである。

 2017年における日本の1人あたりGDP(国内総生産)は3万8000ドル(430万円)だったが、マカオは7万7000ドル(約870万円)と日本の2倍以上もある。1人あたりのGDPは、その国の平均賃金と考えて差し支えないので、マカオでは平均的なビジネスマンが800万円以上の年収を稼ぐことは特に不思議なことではない。

 マカオは大規模なカジノが軒を連ねており、世界でも有数の豊かな地域として知られている。一方、日本ではサービス業に従事する人の賃金が異様に低いという事情もある。今回のケースはやや特殊な部類に入るかもしれないが、アジア全域で人件費が高騰しているのは事実である。

 マカオのお隣、香港の1人当たりGDPは4万6000ドル、シンガポールの1人あたりGDPは5万7000ドルといずれも日本より多い。中国は国土が広く、内陸部には貧しい地域もあるので全体の平均値は低いが、上海や深センなど沿岸都市部におけるホワイトカラー層の収入は、マカオや香港、シンガポールに近づきつつある。

 こうした地域でちょっとしたお店で夕食を食べると、料金が1万円近くになるのはごく普通のことなので、日本が相対的に貧しくなっているのは間違いない。


日本で携帯電話の料金が高く感じるのは経済力低下が原因

 こうした傾向は大卒の初任給にも如実に表われている。17年、中国の通信機器メーカー・華為技術(ファーウェイ)の日本法人が大卒初任給として40万円以上を提示したことが大きな話題となった。同社が就職情報誌で提示した新卒の初任給は、学部卒が約40万円、修士修了で約43万円。日本企業の大卒初任給は20万円程度、比較的給料が高い企業でも25万円程度なので、ファーウェイが圧倒的に高給であることは明らかだ。

大卒の初任給が高いと話題になったファーウェイだが……


 しかしファーウェイは日本人向けに特に高い年収を提示しているわけではない。

 近年はグローバル化の進展で、企業活動の標準化が全世界レベルで進んでおり、一定水準以上の企業の場合、社員の待遇についても、地域間での格差が縮小している。欧米企業における技術系社員の初任給は50万円台というところが多いので、ファーウェイ日本法人の初任給が特別高いというわけではない。

 日本では携帯電話の料金引き下げが政治問題となっている。携帯料金が高すぎるという政府の見解は半分間違っているが、半分は当たっている。

 携帯電話は典型的な設備産業であり、どの企業も同じような設備投資を行っている。規制料金が設定されていない限り、地域によって極端に通信料金に差が出ることはなく、総務省の比較調査でも日本だけが突出して料金が高いという結果にはなっていない。

 だが日本人の所得が相対的に下がっている現状では、同じ通信料金でも生活に与えるインパクトは違ってくる。通信料金が月1万円だったとして、大卒初任給が40万円の国と20万円の国では、料金に対する印象が異なるのは当然の結果といってよいだろう。

「中抜き」のビジネス慣習を見直すだけでも効果あり

 こうした事態を根本的に打開するためには、日本がもっと経済成長するしか方法はないのだが、ビジネスの慣習を見直すだけでもそれなりの効果がある。

 日本は現在、深刻な人手不足に陥っているが、その理由は人口減少だけではない。企業が過剰に人員を抱え込んでおり、本来は1人でできる仕事を1.5人あるいは2人で行っているというケースが多いのだ。業務をスリム化すれば、人手不足の一部は解消できる。

 例えば、日本で住宅設備の取り付けや修理といった各種作業を依頼した場合、顧客が支払った料金に対して、実際に作業をしている労働者が受け取る賃金はかなり少ない。仕事を仲介する事務的な作業に過剰なホワイトカラーが従事しており、これが全体の生産性を著しく下げている。

 欧米に行くと、それほど単価が高くない仕事をしている労働者が、大きなマイホームを購入していて驚かされることがある。こうした生活が実現できているのは、日本のような「中抜き」が少なく、労働者に代金の多くが渡っているからである。

 肥大化した事務部門が中間搾取する事業構造を見直さないと、賃金は上昇しないし、人手不足はますます深刻になるばかりだ。高いスキルを持った人ほど、海外で就労するチャンスを見出す結果となってしまうだろう。日本人がアジアに出稼ぎに行く時代の到来を懸念する前に、やるべきことはたくさんあるはずだ。


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2018年08月01日
貿易赤字は損 黒字は得なのか?
アメリカは赤字が増えるほど経済が拡大している

画像引用:経済社会を知りたい - Jugemhttp://img-cdn.jg.jugem.jp/c01/265151/20130210_291142.png


貿易赤字は打撃を与えていない

米トランプ大統領はアメリカの対外貿易赤字を問題視していて、減らすべきだと言っています。

ニクソン大統領あたりからずっと言っていて、ニクソンショックも貿易赤字(経常赤字)を解消するために実施しました。

貿易以外のサービスや投資など全て合計したのが経常収支ですが、ここでは分かりやすく貿易赤字とします。


ニクソンは為替相場を変動させて、円高ドル安にすれば赤字を解消できると考え。変動為替制度にしました。

この時から日本はずっと円高に苦しめられ。円高のたびに大不況に陥りました。

ところがアメリカの貿易赤字そのものは、変動為替制でも拡大し続け、相手国が中国やドイツに変わっただけでした。


それにアメリカは貿易赤字が年々拡大したのに、反比例するように経済は絶好調です。

確かにニクソンやカーターの時代は貿易赤字で苦しんでいたが、90年代以降は苦しんでいません。

貿易赤字がアメリカ経済に打撃を与えるなら、1990年から現在まで、リーマンショックを除くとずっと経済成長してきた説明はつきません。


日本は黒字で儲けていない

もしニクソンやトランプの言う通り「貿易赤字で被害を受けた」なら米経済はマイナス成長のはずです。

リーマンショックはアメリカ自身がバブル経済を破綻させたからで、貿易赤字とは関係なかった。

最大の矛盾は「貿易赤字は米経済に打撃を与えていない」という点です。


アメリカは貿易赤字で被害を受けなかったのだが、これを逆に言うと「日本は貿易黒字で儲けていない」ことになります。

その証明はバブル崩壊の1991年以降経常黒字が急増したのに、経済成長率はマイナスに転じたので証明できます。

もし経常黒字で儲けたなら、マイナス成長はありえないし、誰も説明できないでしょう。


日本企業は上から下まで輸出で利益を出していますが、彼らがどれだけ輸出しても、日本の経済成長率はマイナスでした。

輸出によって日本が代金を受け取るという、個人商店のような考え方では、輸出するほど儲かっていなくてはなりません。

現在では「輸出で儲かる」「輸入で損をする」という理論は経済学では否定されていて、両方が利益を得ることになっています。


「輸出で儲ける」はもはや幻想

輸出は競争相手がなければ確かに利益が出るが、世界に強力な輸出国がひしめいていたら、売れば売るほど損をすることもあり得ます。

最近はまさにそんな状況で、どんな輸出商品でも買いたたかれて、日本の工場労働者は低賃金長時間労働を強いられています。

競争相手の中国や韓国やベトナムに勝つには、日本の労働者の賃金を10分の1にするか、10倍働かなくてはならないのです。


これが輸出しても国が儲からなくなった原因で、逆に輸入国にとっては、外国の労働者を低賃金で雇っていることになります。

中国の労働者が時給1ドルでスマホを作ってアメリカが輸入したら、アメリカ人は時給1ドルで中国人を雇っているのと同じです。

時給1ドルで作ったスマホはアメリカで数年間使用され、活用されて国内の経済成長に貢献します。


日本は原材料を輸入して加工して高値で輸出する商売から抜け出せず、「輸入したら損をする」と考えている人が多い。

そうではなく時給100円の労働者が作ったスマホを国内で活用し、経済成長すると日本が得をするのです。

現代ではむしろ輸出国(黒字国)よりも輸入国(赤字国)のほうが貿易で利益を得ていると考えられます。


中国は輸出で大儲けして成長したという神話があるが、実際は輸出で得た外貨を元手に、国内投資して成長しました。

成長分のほとんどは国内の公共事業や不動産投資で、輸出による経済成長はわずかでした。
http://www.thutmosev.com/archives/77076603.html


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2018年02月09日
10年ぶりの大幅経常黒字が日本を亡ぼす

経常収支(国際収支)と円高円安は原因と結果、黒字が大きいほど超円高を招く
引用:http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/preliminary/bpgaiyoupg2017cy.gif


国滅んで黒字あり

2月8日に財務省が発表した国際収支状況で、経常収支は7972億円の黒字となりました。

42ヶ月連続の経常黒字で、2017年は21兆8742億円もの大幅な黒字となり、リーマンショック以前の2007年と同水準だった。

内訳は輸出が5389億円の黒字だったが黒字額は約33%減少しました。


貿易以外の所得収支は6148億円の黒字で10%減少、サービス収支は2045億円の赤字だった。

2800万人に達した外国人観光客の旅行収支は1兆7626億円の黒字で、政府が掲げる観光大国に近づいた。

こうして日本は貿易でも投資でも観光でも、黒字を積み重ねているのだが、それが良い事かは別問題です。


財務省が言っているように2007年以来10年ぶりの巨額経常黒字だが、10年前の2007年に何が起きたか日本人はすっかり忘れてしまった。

2007年の春頃にチャイナショック、続いてサブプライムローン破綻が発生し、2007年のお盆にはリーマンショックが始まっていました。

2007年7月には1ドル124円の円安だったのが、年末には110円を割り、翌2008年には100円も割り込みました。


黒字が大きいほど貧しくなる

2009年には1ドル90円を割り、2010年には一時80円割れ、そして2011年には80円も割り込み70円台に突入しました。

現在とは関係ないように見えますが、2007年までに溜め込んだ「経常黒字」とその後の円高が、原因と結果だとしたらどうでしょうか。

経常黒字あるいは貿易赤字は日本からアメリカなどに何かを渡し、代わりにアメリカから日本にお金を渡します。


20兆円の経常黒字なら20兆円分のドルが円に交換され、20兆円分円高ドル安になります。

通常企業はアメリカで儲けた金をアメリカで再投資するので、すぐには円高にならず、なるべく日本への送金を先送りにします。

だが世界経済危機が発生すると本社にお金を集める必要が生じて、あらゆる輸出企業が一斉にドルから円に交換します。


2008年や2011年の円高はこうしたパニック的な動きが一役買ったと見られ、溜め込んだ膨大な経常黒字がこのときドルから円に交換されました。

それではアベノミクスで2013年から溜め込んでいる、膨大な経常黒字は最後にどうなるか、やはりいつかはドルから円に交換されます。

円安の間は輸出などで大儲けできても、経常黒字や貿易黒字そのものが超円高を引き起こします。


これでは現在の日本の好景気も、2007年までと同じく幻想だと指摘せざるを得ません。
http://www.thutmosev.com/archives/74850367.html

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2018年02月12日
輸出や外人観光客を増やして外貨を稼いでも日本人は豊かにならない

輸出企業の収益はついにバブル越え、だが賃金はマイナス
引用: (NIKKEI STYLE) - Yahoo!ニュースhttps://amd.c.yimg.jp/amd/20180130-00010000-nikkeisty-002-1-view.jpg


儲けても給料払わない輸出企業

輸出企業の業績拡大が続き、2017年は過去最高、2018年3月決算も過去最高が続出する見通しになっています。

一方で実質賃金は2017年を通してマイナスと、企業は儲けた金を労働者に渡していないのが明らかになった。

物価上昇率も年間0.5%前後と政府目標の2%には遠く及ばず、企業と株主だけが儲かった。


ビットコインなどマネーゲームに興じる人達も恩恵を受け、株価が値上がりして発生した余剰資金が還流している。

労働者は去年より貧しくなったのに、遊んで暮らしている連中がどんどん豊かになる異常社会になっている。

上場企業の2018年3月期純利益は27%増の27兆円、2年連続で過去最高、売上合計は561兆円でこちらも過去最高だった。


設備投資や鉱工業生産も高い伸び率を記録し、企業がITやAIなど新たな設備を導入しているのが見て取れる。

「IoT」やロボットなど先端分野への投資が世界で増え、高品質な日本製品の需要が高まったのも一因になっている。

企業はこれだけ儲かったが、労働者の賃金は逆に減少しました。


輸出偏重の経済政策を見直すべき

厚生労働省の毎月勤労統計調査(速報値)では、2017年の実質賃金は0.2%減少に沈んだ。

現金給与総額(名目賃金)は0.4%伸びたが、物価上昇率が賃金上昇を上回ったためマイナスになった。

賃金調査は常用労働者を5人以上雇用する事業所で、1ヶ月以上雇用の非正規労働者も含まれている。


先ほどの企業収益は上場企業のみであり、雇用している人数としては1割程度に過ぎません。

日本の大企業労働者は1,433万人を占めているが、この中には非正規も含まれるので正社員は実質的には1000万人程度でしょう。

中小企業労働者は従業者数で3,361万人、この中にも非正規が含まれるので、日本の労働者の正社員とは3000万人か4000万人に過ぎません。


安倍首相が毎年賃金を上げるよう要請しているのは、一部上場企業の1000万人だけで、それすら去年はマイナスだった。

日本人の3分の2は無職か自営業、非正規、扶養家族なのでこの人達の収入が増えない限り、物価も実質賃金も上昇しない。

日本政府は輸出と観光客を増やして外貨を稼ぐ政策をやってきたが、この考えは1950年代のもので、半世紀以上時代遅れです。


日本はフィリピンや韓国ではないので、国内で需要を喚起して国内で消費する事でしか、経済成長や賃金上昇は起こりません。

新興国なら輸出で儲ければ経済成長して賃金が上がるが、今の日本で輸出を増やしても、円高を招いて不況になるだけです。

政府に強い影響力を持つ経団連もおかしな組織で、大半を輸出企業が占めているが、現在の日本で輸出が経済に占める割合は10%以下でしかない。


GDPの9割を占めている国内産業にはほとんど政治への影響力がなく、経団連での発言力もない。
http://www.thutmosev.com/archives/74888354.html


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悪い冗談?日本が「観光立国」を目指すのは間違っている深い理由 by 冷泉彰彦 2018.07.25
https://www.mag2.com/p/news/365943

2020年の訪日観光客数4000万人、2030年には6000万人を目指すなど、「観光立国」の実現に向け遮二無二進んでいる観のある日本ですが、「観光業が国を立てる存在として期待されるのは経済敗北主義」とするのは、アメリカ在住の作家・冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の中でその理由を記すとともに、我が国は金融やソフトウェアと言った21世紀の最先端の産業を立て直すべきと提言しています。


大疑問、観光立国とアベノミクスの相性は大丈夫か?

最初に申し上げておきますが、私は日本の観光業が発展することはいいことだと思います。その意味で、現在は年間3000万人ペースで推移している訪日外国人を、4000万から6000万に拡大する計画についても異論はありません。

また、観光業界などが「観光立国」を宣言したり、2014年に日本観光振興協会が「観光立国推進協議会」という会合を発足させたりしている動きにも反対はしません。それぞれの業界が、自分たちが国を背負うという気持ちで、産業の拡大に努力することは正しいからです。また、個々の都道府県レベルで、知事や各市町村長などが観光業の拡大、旅行者受け入れの拡大に努力するというのも当然のことと思います。

ですが、その観光立国協議会に経団連や日本商工会議所といった、全国レベルの財界が強く関与したり、政府の高官が「日本は観光立国を目指す」とか、あるいは「観光先進国を目指す」という発言をするのは間違っていると思います。

観光業というのはまず「余暇産業」です。可処分所得が大きく、労働時間の短い、従って一人当たりGDPの高い先進国は、この観光業の消費側(カスタマー)になります。日本の場合も、高度成長の結果として好景気を謳歌していた70年代から90年代というのは、海外旅行というのは大ブームになっていました。

一方で、観光業というのは「労働集約型のサービス産業」でもあります。供給側から見ればそういうことです。その場合に、全産業の平均では旅館にしても、交通機関にしても固定的な設備投資が相当に必要ですから資本収益率は決して良い商売ではありません。また多くの現場要員を必要としますから、全平均の賃金水準も産業として、高くはありませんし、厳しい長時間労働が伴います。


ですから、他に主要産業があって健全なGDPを形成していて、そこに乗っかる形で、「プラスアルファ」の経済として、観光業が存在するのであれば、正しいのですが、観光業が「それで国を立てる」存在として期待されるというのは、これは経済敗北主義であり簡単に見過ごせるものではありません。


更に言えば、この「観光立国」というのは、アベノミクス全体のストーリーが「マズい方向に」行っているということも示しています。


アベノミクスについては、まず「通貨政策による円安誘導」で株高が現出しました。それは良いのです。2000年代までのように「円安になると輸出産業が潤う」ということよりも、「円安だと海外で稼いだ利益や、海外市場で形成された株価が膨張して見える」ということの方が大きかったわけですが、それも別に悪いことではありません。

ですが、当初の計画では、「そのように国内で株高を実現しておいて」その間に、「第三の矢」である構造改革を行って、国内の生産性を高め、産業構造を先進国型に戻していくということが(言葉は多少違いますが)想定されていたのだと思います。

ですが、この「第三の矢」つまり構造改革は、ほとんど手がついていません。その結果として、産業界では「先端部分をドンドン外に出す」ということが加速しています。トヨタがAIの研究をシリコンバレーでやっているとか、日産のデザイン部門はカリフォルニアというように、市場に合わせた生産機能ではなく、基幹の最先端部分をドンドン空洞化させているのです。

市場ということでも、収縮する国内は見捨てて海外比率が高まっています。その結果として、収益は海外で発生し、それを連結で(合算して)決算すると「史上空前の利益」になるが、その利益は国内還流しないという構造でグルグル回っているのげ日本経済の現状です。

貧困の問題も、地方衰退の問題も、非正規の問題も、全てはそこに原因があります。正しい構造改革を行って、先端産業を呼び返さなくては、日本経済は先進国経済にはならないのです。


それでも、ホワイトカラー労働は残っています。それこそ「本社機能」だけは日本に残している会社は数多くあります。ですが、そこには「生産性の低い日本語による事務仕事」が残っているだけで、こんなことをやっていては、やがて、その「日本語で事務をする本社」というのは淘汰されて行ってしまうでしょう。

その結果、日本国内のGDPを支える主要産業としては、観光ぐらいしか残らないということになります。それは、21世紀の世界で最も重要な産業である、金融とソフトウェアが壊滅的であるということと見事に裏返しになっています。

その意味で、「アベノミクス+観光立国」というのは、亡国の政策としか言いようがないのですが、それでも多くの野党が「これ以上の経済成長はいらない」などという引退世代の身勝手な寝言につき合っている中では、安倍政権以外のチョイスはないという現実もあります。これは悲劇を通り越して、喜劇としか言いようがありません。


しかも、これに加えて「人手不足だから移民を入れる」というのですから、大変です。観光業に関して言えば、現在は宿泊が中心ですが、飲食業界も移民導入の対象にする話が進んでいます。


どうしていけないのかというと、「やがて日本語の事務仕事が淘汰された」時には、猛烈な人余り現象が起きてしまうからです。国内に観光や福祉の仕事しか残っていない状況で、そうした仕事は生計費をスリム化できる外国人が抑えていたとして、日本人の雇用はどうなるのかという問題があります。

とにかく、金融とソフトウェア、あるいはバイオ、製薬など21世紀の最先端の産業を立て直して、高い教育を受けた人口がそれに見合う生産性を上げるように構造改革を進めるべきです。その上で、観光業が「おまけのGDP」として乗っかるのであれば大いに結構ですが、その改革から逃げて「観光立国」というのは、これはダメだと思います。「観光先進国」というのは悪い冗談にしか思えません



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 外国人観光客が、なぜ日本に殺到するのか。
それは、良い品質やサービスが異様に安いからです。
はっきり言いますが、一部のサービスについて、日本はすでに東南アジアよりも安いのです(しかも、品質は良い)。


 日本国は、デフレにより貧国化しました。ところが、確かに「日本人の優秀性」というものは存在し、低価格の製品やサービスであっても、相対的に品質は高いのです。それはまあ、外国人観光客が、 「安く良いものが手に入る」と、日本国に殺到するわけです。


我が国は97年の橋本緊縮財政により経済がデフレ化し、「ヒトが買い叩かれる時代」が始まりました。


 経営者は設備投資をせず、資本装備率はだだ下がり。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「ヒトの根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至ります。


 とはいえ、少子高齢化、生産年齢人口比率の低下を受け、すでに「優秀で真面目な日本人を安く買い叩ける」時代は終了しました。


 ところが、経営者は未だにデフレマインドのままで、「ヒトを安く買い叩く」ことのみを求め、資本主義に必須の「リスクを伴う生産性向上のための投資」に乗り出そうとしません。


 とはいえ、生産年齢人口の縮小という「巨大な圧力」は、企業経営者に否応なしに「生産性向上のための投資」を迫ります。つまりは、政府が人手不足の問題を「放置」しておけば、企業は生産性向上のための投資に乗り出さざるを得なかったはずなのです(実際には、始まっていますが)。


 それにも関わらず、安倍政権はどう動いたか。
「人手不足ならば、移民(外国人労働者)を入れよう」
 と、日本人の生産性向上ではなく、移民受入で人手不足を埋めようと図る。


 これ以上、最悪の選択は、思いつきません。


 こんな国は、普通に亡びます。むしろ、亡ばない理由を教えて欲しいです。


 何しろ、少子化で日本人が少なくなっていく反対側で、出生率が高い移民受入を拡大しようとしているわけです。半世紀後には、日本列島に住む日本人は少数派になっていることでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12410850852.html


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日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入
2018年04月30日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html


なんだか頭にくるので本日2つ目の投稿!ムキー


日本人には不快で我慢ばかりさせる安倍首相肝いりの政策、それが「観光立国」!


日本人はとにかく「外人」に弱いので、気おくれしたり、大目に見たりと間違えた接し方をして馬鹿にされています。

文化の違う相手にマナーは通用しませんから、外国人には強力な規制、罰則が必要です。


マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。


公道カートなんて、

日本人が馬鹿にされているんですよ。

わかりますか?はこ怒る

貧困国がお金下さいとせがむから来てやった外国人様が我が物顔で迷惑行為をしていて、それを私たちが我慢させられているのです。途上国の貧困現地人並みの扱いなのです。困


対価をもらい公道を閉鎖してレースをするのではなく、私たちの生活はそのままで彼らを割り込ませて遊ばせているのです。(業者はタダで公道を商売に使っていることになります。)


公道カートの安全強化 2年後シートベルト義務化 国交省が基準改正(産経)2018/04/28

やっと規制するかと思ったら、外国人様が怪我をしないようにという改正です。

私は彼らがどうなろうと構いませんが、邪魔なので禁止にしてほしいのです。


外国人観光客 医療費未払いで入国拒否も 自民提言(毎日 2018/04/27)


未払いのまま出国した外国人の情報を医療機関から収集し、再び来日した場合には入国管理法に基づき入国を拒否することを求めた。


一方、外国人観光客が安心して医療を受けられるよう、外国語で診療を受けられる医療機関の充実や、薬局での多言語対応を進めるほか、習慣の違いに配慮した診療のための研修を行うよう要求。


外人による医療費踏み倒しも公立なら結局は税金で補填でしょう?

ビザなしで誰でも呼ぶからこういうことが起きるのです。母国では病院に行かない人も多いのです。善意は悪用されるのが常識です。外国人観光客は前払いでいいのではないでしょうか?


それと、医療機関に「習慣の違いに配慮した診療を要求」、こんなもの不要です。

金持ちがそれなりの対価を払って配慮してもらうならいいですが、私たちと同等のお金を払って特別待遇は許されることではないのです。外国人に配慮しすぎです。はこ怒る


それよりも海外旅行傷害保険加入を入国条件にする方がまともです。

(日本の健康保険は海外でも後から補填してくれます。これと同様の制度がない国から来た人は旅行医療保険を義務付けるべきです)

こちらの記事では海旅加入を入国時の条件にしている国があることを紹介しています。


日本と同等の医療を途上国で受けるには高額な費用を払います。

例えば、私は通訳もいる上等な病院へ行くと、診察代だけで60〜100ドル払います。

もし日本で3割負担なら診察だけで2千円〜3千円以上を窓口で払うことになります。

でもそんなに払いませんよね。生活保護受給者や子供ならタダですか?

日本の医療が高い水準なのに安く掛かれるのは日本人だからです。公衆衛生、予防接種、国民の生活向上のための政策でこうなっています。


これを、関係ない外国人に当てはめるのは不公平であり、まして配慮までして私たちと同額なら、日本人の税金が回ることになり、その分私たちへの待遇は確実に下がります。

外人用に設備やシステム、人員を確保させて、そのうち観光客が減れば、医療業界は「もっと外人下さい」ということになるでしょう?これで移民賛成業界がまた増えるわけです。


外国人に来てもらいたい「観光立国」のために、公道カートという迷惑行為が許され、犯罪の巣窟となるであろうアジト“民泊”を奨励に留まらず、嫌がる自治体を国が脅して無理やり全国展開、観光地は日本人を締め出し荒廃させ、民度の低い国から大量の単純労働者を入れ、それらの奏でるオーケストラ、相乗効果で不衛生や野蛮と相性の良い外国人や、私たちの税金を食い潰し私たちのサービスを低下させる外国人が常時日本に居座る国へと変貌していきます。

今政府はバラ色みたいなことしか言いませんが、経済面で移民の弊害が顕著化するのは少し後、ボディーブローのように効いてきますし回復しません。


これを短期間でやったのは安倍首相で、確かに安倍ちゃん以外に誰がいる?というくらいの破壊ぶりです。応援している人は日本が嫌いなんでしょうね、そう思うことにしました。ムキー


外人頼みしかない!という発想が一見正しく見えるのは、安倍首相が日本人を貧しくさせて、日本人が世界中から食い物にされるように仕向けたからです。はこ怒る


「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ 2020年の適切な最低賃金は1313円
(東洋経済 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 2018/03/02)
以前アトキンソン氏の観光についての記事が酷すぎるとブログに書いたことがありますが、今回の記事は納得しました。


この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。

日本人を徹底的に貧困化させて、穴埋めに外国人を呼び込んでいるのが安倍首相です。

安倍首相が人為的に操作しているのです。

日本人医師があんなに安い診察料であれだけ高度のサービスを提供することを考えても、労働賃金が安すぎですし、安全でおいしい食事が安すぎます。

グローバル化を進めれば、平民の日本人は間違いなく劣化したサービスや食料にしかありつけなくなります。


貧困化させた日本人の穴埋めに呼び込む観光客ですが、日本政府は弊害を隠しています。

観光客の害は先進地域でよく問題になっています。CNNがこんな記事を出しているほどです。

押し寄せる観光客、住民と切り離し ベネチアが新規制導入(CNN 2018/04/27)


私の持論au 着フル度を超えた観光を止めることこそ、環境保護、温暖化防止にも役立つはずです。

パリ協定がどうしたこうしたというより、観光縮小、多産禁止にした方がよほどエコです。

世界的に、先進国だったところが移民を受け入れる方向に行くことは自然ではなくて人為的に仕組まれています。

「生意気になってきた中産階級を没落させる仕組み」でもあることを、よく理解した方がいいと思います。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12372382304.html


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世界でバカにされる日本人 - 今すぐ知っておきたい本当のこと - (ワニブックスPLUS新書)
谷本 真由美 ワニブックス 2018-08-22
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GDB23F7?tag=cakespoc-22


海外でなめられまくっている日本 2018年9月11日
https://cakes.mu/posts/21698


日本では「日本スゲー」というTV番組が人気ですが、海外経験豊富な元国連専門機関職員の@May_Roma(めいろま)さんは、8月24日発売の『世界でバカにされている日本人』では世界における日本の心の姿を紹介しています。


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。そのような変化がよく分かるのが、世界各国のネットでの反応です。

特に若い人や子供の間では今やネットで得る情報は動画が中心なので、ネット動画の世界で日本がどのように扱われているかをみることで、日本のイメージを知ることが可能です。

ネット動画の世界には、日本人 を舐めきっている外国人が存在します。その代表の一つは、2018年の初頭に話題になったユーチューバーのローガンポール氏による青木ヶ原樹海の遺体動画の事件でしょう。

相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」

ローガン・ポール氏はアメリカで有名なユーチューバーで様々ないたずら動画を投稿して莫大な再生回数を稼いでいます。

子供達の間で大人気なのですが、そのいたずらがあまりにも過激で下品なので、子供が真似してしまうと困り果てている親も少なくありません。

ローガン・ポール氏にとって日本は格好のターゲットです。日本に来て撮影した動画では、ナイロンできた女物のペラペラの着物を来て都内で犯罪スレスレのイタズラを繰り返します。

生のタコや生魚を都内の走行中の車に投げつけたり、渋谷の交通量の多い道路で寝転がったり、カフェで食事中の人達の窓に向かって生魚を投げつけたり、魚を触った手で店の商品を触りまくり、築地市場に行って仕事中のフォークリフトに乗ったり、売り物を指差して大騒ぎです。市場の人にあまり図に乗るんじゃないと小言を言われるシーンもあります。

さらに、青木ケ原樹海に探検に行き、亡くなったばかりの自殺者の遺体を動画に撮って、「怖い怖い」と茶化してレポートしたのです。削除前に彼のファンである多くの子供達がその動画を見てしまったことで大炎上してしまいます。

彼の日本で撮影した動画をみると、あまり教育レベルが高くない外国人が日本に対してどんな感情を抱いているのかということがよくわかります。

ローガン・ポール氏はオハイオ出身の田舎出身で教育レベルが決して高いとは言えないごくごく一般的なアメリカ人です。そういった人たちにとって日本人だけではなく東洋人全般というのは体が小さく文句を言わないちょっと奇妙な人々です。

これはアメリカにいる東洋系の人達も同じで、東洋系でアメリカ人とはいっても、体も小さいですし、白人に比べると闘争心がありませんし、親や祖父母のしつけがあるので暴力に訴えることはしませんから、おとなしい人が多いのです。

東洋人の典型的なイメージは、運動が苦手なガリ勉です。体育会系リア充がスクールカーストの頂点というアメリカでは、ガリ勉やオタクは日本や東アジアに比べて人権などないのに等しい存在です。

そのカテゴリに入ってしまう東洋人というのは常にからかいの対象で、スクールカーストの最底辺です。

また黒人やヒスパニックと比べると数が少ないので、組織化された圧力団体も多くはありません。政治力がありませんので、差別的なことを言われたりジョークに見せかけた差別をされることも少ないことではないのです。

東洋人はそういったイメージを持たれていますから、あまり教育程度が高くないアメリカのマジョリティにとってはからかいの対象です。

ですからローガン・ポール氏達はアメリカやヨーロッパであったら絶対にしないような悪戯を日本でしまくり、亡くなった人の遺体をビデオに撮影するようなことができたのです。

日本人をからかいの対象と見ていて、さらに同じ人間とは感じていないからです。

言葉も異なり、顔つきも違う、そしてアメリカの内陸部では食べない人の多い得体の知れない海産物をたくさん食べる日本人は、とても奇妙な人々なのです。

魚というのは彼らにとって生臭く、「魚の臭がする」というのは「女性器の臭いがする」という意味です。ですから、悪戯として魚を人に投げつけるのには、侮辱の意味があるわけです。

そんなものをありがたく食べている日本人は、教室の隅で勉強ばかりしていて、わけの分からない数学やプログラミングの話をしている東洋系ガリ勉と同じ変な奴らだ、というイメージです。

もし亡くなった方の遺体がアメリカの白人であったりヨーロッパの白人であったら彼らは同じように撮影することはできなかったでしょう。

しかし大騒ぎをしても、日本はおとなしい人が多く、外国人に対して寛容ですから、お店の人や通行人が訴訟を起こすことはありませんし、胸ぐらをつかんで殴りつけることもありません。

アメリカだったら同じことをしたら銃撃されている可能性もありますし、ヨーロッパであったらその場で押さえつけられてボコボコにされる可能性が高いです。

そもそも他の先進国では治安が悪いところも多く他所者が足を踏み入れた途端に注意されることだってあるからです。

こういう反応が当たり前ですから、日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまうわけです。

日本にはそんな所はありませんし一般の人たちも大変おとなしく心が優しいですから、彼らはそれを知っていて好き放題やるわけです。

日本人のこういった人の良さや大人しさは、ネットの動画を通じて世界中に広がります。それを素晴らしい、美徳だと賞賛してくれる人達がいる一方で、日本人はマヌケな奴らだと悪用しようとする人達もいるということは知っておいたほうが良いでしょう。

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地下鉄落書き、樹海の遺体…相次ぐ外国人の“非常識”動画 「日本はなめられている」2018.1.30
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html


落書きが見つかった東京メトロ日比谷線の車両(ツイッターから)


 東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に塗料で落書きされる事件が相次いでいる。外国人グループの関与も疑われるというが、動画サイトには日本を訪れた人物が電車などに落書きをする様子も数多く投稿されている。なぜ日本が狙われるのか。(夕刊フジ)


 地下鉄車両の落書きは13日以降、東京メトロ千代田線や日比谷線であったほか、18日には東西線の車両でも見つかった。

 「自己承認欲求、特に仲間内で自慢したいという心理があるようだ」とみるのは、都市部の落書きに詳しい東京都市大建築学科の小林茂雄教授。

 「外国人が観光ビザ等を取得し、1週間や10日間程度滞在して落書きをして帰国するというケースが多いようだが、電車の落書きの場合、車両の保管場所や監視カメラの位置、逃走経路などを綿密に調査している。国内にも協力者がおり、情報をこまめにやりとりしているのではないか」

 壁などにメッセージ性のある絵や文字を描く「グラフィティ」は近年は芸術としての認知も高くなり、日本国内でも町おこしに生かす事例もあるが、所有者や管理者に無許可で描けば器物損壊罪と建造物損壊罪に問われてもおかしくない。

 2008年には6都府県の地下鉄の車両などに落書きを繰り返したスロバキア人とハンガリー人が大阪府警に逮捕された例もある。

 日本を狙った落書きについて小林氏は「注目を浴びるような街や都市がターゲットとなるが、ニューヨークやロンドンなどはテロ対策もあってセキュリティーが厳しい。東京は凶悪犯罪が少なくセキュリティーが甘いと考えられているのではないか」と分析する。

 ユーチューブには、外国人とみられる人物が、日本の鉄道の駅や車両基地に夜中に忍び込み、スプレーで落書き、逃走する様子を撮影した動画も数多く投稿されている。

 ITジャーナリストの三上洋氏は「『やってやったんだ』『簡単だぞ』という意味で、描く過程をネットにアップして自慢するのもグラフィティの目的の一つだ。中には自分たちのグッズを販売しているグループもあり、金もうけとみることもできる」と語る。

 昨年末には米国人ユーチューバーが、富士山麓の青木ケ原樹海で自殺したとみられる遺体の動画を投稿。「不快になった」などネット上で批判された一方で約600万回も再生された。

 前出の三上氏は「日本はきれいな国で人がやさしいというイメージだから、それをおちょくっており、多少なめられている。他の動画でも日本人をバカにしていて、差別感情ともとれるものもあった」と話す。

 日本の安全性に甘えた身勝手な行為。そんなに目立ちたいのなら、もっとヤバい独裁国家で挑戦してみてはどうか。
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/180130/afr1801300018-s1.html

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自分を知らない、言いなり=おもてなし、搾取されてもバカにされても気づかない日本人…(+_+) 2018年09月15日
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html


以前「日本の見世物小屋化の別称「観光立国」=外国人仕様を増やす=「外国人で儲ける」業界づくり→移民受入」という記事で、『マリカーは生活に必要な日本人のインフラである公道を、一部の人間がレジャーに使っているのです。でも外国人が喜ぶからと批判も出ませんが、その姿が卑屈なことに日本人自身が全く気付いていません。』ということを書きましたが、それとも通じる記事を見ました。左下矢印


海外でなめられまくっている日本(May_Romaさま)


かつてはあこがれの対象だった日本は、いまでは落ちぶれた可哀想な国という印象です。

こういう書き出しで始まるこの記事、「日本スゲー」派の人に読んでいただきたいと思います。


ところで、こんなニュースがひっそりとありました。


9月9日午後1時55分ごろ、走行中の東京発博多行き山陽新幹線のぞみ19号(16両編成)で、果物ナイフのような刃物を持った外国人の男性観光客がいるのが見つかり、北九州市の小倉駅に停車した。通報を受け駆け付けた福岡県警小倉北署員が降車させ、任意同行した。乗客にけがはなかった。


 小倉北署によると「旅先で使うために持っていた。ナイフが汚れていたので洗いたかった」と説明している。県警は同行の女性と一緒に事情を聴き、銃刀法や軽犯罪法の違反には当たらないと判断した。
 下り2本が最大11分遅れ、計約500人に影響した。

ここでもおバカ対応で舐められる事例を作ってしまいました。ばかぁ

以前新幹線で殺傷事件が起きた後、『国交省は省令の鉄道運輸規程の改正に着手し、適切に梱包されていない刃物の列車内への持ち込み禁止を明文化する方針。利便性への影響などを考慮し、現時点で手荷物検査の導入は見送った。』という内容の報道が出ました。


欧州でイスラムテロがナイフを使っていること、鉄道でも何件も起きていることを何度も紹介していますが、日本の鉄道がナイフの持ち込みをOKしているようでは、そのうち狙われるようになります。前出のMay_Romaさまの記事内でも次のような文章があります。


日本人の謙遜や旅人への寛容さは「何かされることを受け入れている」「反撃する気力がない弱い奴ら」と思われてしまう〜

今回たいしたことが無かったとしても、厳しく対処することでナイフを持ち歩く習性の外国人を震え上がらせなくてはいけなかったのです。アジア人だから、東洋人だから馬鹿にされるというのはいつもそうとは言えず、その国の対応で決まります。

今や、日本だから馬鹿にされるという状態です。rabbit*ハァ*


インバウンドで浮かれる業界ではこんな記事がありました。


【台風21号】大阪ホステルに聞いた 災害時の外国人対応「欧米人は『台風珍しい!動画撮りたい!』と外に出たがり静止するのが大変だった…」


ヨーロッパからの訪日外国人は、台風を知らない方が多いです。


日本人は、このような大きな災害があると自粛ムードに流されがちですが、訪日外国人はそんなことはありません。

とありますが、私達がサイクロンやハリケーンを知っているのに、欧州人は知らないというのでしょうか?

日本人は同胞が大変な目に遭っているという心配の気持ちがありますが、外国人には所詮他人事、日本人が死と直面するような大災害も「愉快なエンターテイメント」なんでしょう。


<「関空」大混乱に巻き込まれた中国人留学生の手記>という記事もありました。

この方は日本語ができるので自力で何とかしたようですが、こう書いてあります。


 現在、日本は国を挙げて観光立国を目指しています。しかし台風に限らず、地震をはじめ日本は世界的にも災害の多い国です。外国人旅行者の災害への不安が広がれば、観光へのダメージは大きくなっていくでしょう。

 私のように日本語が話せるわけではない外国人旅行者は、今回のような災害が起きたら、帰国の目途を立てられず、避難すら大変だと思います。災害の多い日本だからこそ、外国人旅行者へのケアを充実させる必要性があるのではないかと、今回の体験を通して強く感じました。


仰る通り日本は自然災害大国です。人口密度も高く、気候変動もあってか、どこでも被災地、誰もが被災者のようになってきています。

このような中、遊びに来た外国人のために日本人の税金から便宜を図るために何かしろというのは無理なんです。

だから「インバウンド」とやらで儲けているらしい業界が自力でやればいいのです。


それに海外にいる日本人は皆さんその国の行政に頼り切って対処しているんでしょうか?

大使館や領事館が緊急時にメールなどで情報もくれますし、居住者ならば関係している現地の人たちが情報をくれたり助けてくれたりします。旅行者なら旅行代理店などが連絡にあたります。

中国では災害時に日本語で親切丁寧な対応をしてくれるんですか?


南国のようなのんびりしたリゾート地でもなく、年がら年中あちらこちらで自然災害が発生し、物価も安くなく、底の浅い知識で来るような外国人観光客を相手にする日本政府の「観光立国」は実は移民受け入れ政策の一環で、日本人に外人慣れを促し、外国人用の生活インフラを整備させるのが目的だと私は考えています。


外国人用インフラについてついでに言うと、あちらこちらの看板などで注意事項や禁止事項が日本語だけというのがまだ多いです。注意や禁止事項こそ全部に英訳が必要(多言語は不要です。かえって見にくくなります。母国語⇔英語の辞書は必ずありますから。)でイラストも効果的です。トラブル防止にも役立ち外国人の為にもなりますし、日本人が英語で注意するときにも役立ちます。


日本が少子化でも「ダントツ」で豊かになる道(東洋経済)という記事のなかに、コマツの坂根相談役がこう発言しています。


よく「この国の労働力は逼迫している」といわれていますが、欧米に比べて国全体として、ムダな事業や仕事に雇用をたくさん抱えています。その部分を整理することができれば、新たな労働力を生み出すことができます。

そして「日本人手不足は2020年代半ばには解消される可能性が高いからです。日本人が移民と共生する覚悟が十分にないのであれば、拙速な移民の促進はやめたほうが賢明なのではないでしょうか。」という問いかけに対して坂根氏は次のように答えています。


私も同じような心配をしています。おそらく業界内で競争力のない企業ほど外国人を安い賃金で雇いたいという願望が強いでしょう。ということは、同一労働していても外国人を日本人より安く使うといったことになり、結果的には、外国人労働者から見てこの国の魅力はなくなり、優秀な外国人労働者までもが日本に来ようとは思わなくなっていくでしょう。

むしろ本当の労働力といった意味では、国を挙げての少子化対策と高齢者や女性の労働力を活かすことをまず第一に考えるべきです。簡単に移民の受け入れに逃げてはいけないと思っています。無駄な雇用に手をつけないで移民に頼っていては、日本にせっかく変われるチャンスがきているのに、そのチャンスを逸してしまうことになります。


外国人雇用の拡充は「無能な経営者」の甘えだ 〜生産性向上のチャンスを逃す「愚策」を許すな(デービッド・アトキンソン)という記事を以前紹介しましたが、この中で彼は、日本政府は日本人労働者をバカにしていると書いています。


その日本政府は世界中で馬鹿にされているようにみえます。

日本人が馬鹿にされているのと同じ理由からです。


海外ニュース翻訳情報局さまからの次の記事はお薦めです。

元米軍海兵隊士官提言・必読】東京からの視点? 控えめな反応


プーチンからもシージンピンからもトランプからも鼻であしらわれているのに、さも世界中から重要人物扱いされているかのように安倍首相を持ち上げ、世界で起きている重要な変動を見ないふりしている日本は、ますます困ったことになっていくのではないかと思います。


国力が劣っているので我慢を強いられることもあるでしょうが、そんななか、自尊心もなくし外国人さまに媚び諂うことをおもてなしと言い、外からも内からも骨抜きにされているような感じがしてなりません。


EUでサマータイムが住民の意向で廃止されようかという時に、<「非常に良い解決策」、 IOCが東京五輪でのサマータイム導入を支持>というのも、日本人の外人崇拝を知っている森さんかJOCがIOCに言ってもらったんだろうなと思います。

それに、迷惑を被る日本人の反対を、迷惑を被らないその時だけの外国人が、それも運動会のために抑え込もうとしていること自体日本人が馬鹿にされているということなんです。


だからといって野党を応援しているわけではありません。

「第3子出産で1000万円」国民民主党・玉木代表「コドモノミクス」に注目集まる 「電子マネーで配布」「外国人は対象外」

このなかで、玉木氏は「国民の税金なので外国人にも行う政策ではない」と言っていますが、実際にそういう法律を政府が作れば外国人差別は出来ないのです。外国人も税金を払っているというでしょう?生活保護は憲法上国民が対象なのに実際は外国人がもらっています。

工作機関の朝鮮学校が「金出せ!」と裁判していますよね?

内外人平等が法整備された日本で、こんなことしか言わないような野党にも明日はありません。それとも裁判で負けて「仕方なく」外国人にも払うことが織り込み済みなんでしょうか。怒る


ダライ・ラマ氏があのスウェーデン・マルメでまともなことを言ってくれました。

「欧州は欧州人のもの」ダライ・ラマが法話で移民問題に言及

自国の再建に尽くさないで他人の財布で生きることを望むような外国人、又は受け入れてくれた国を自分好みに変えようと活動する人には耳が痛いでしょう。


移民が移民を呼び込み、受け入れてくれた国を自分の好きなように変えて、その国民にさらなる負担を強いる活動(いじめ問題と難民問題を同一視するサヘル・ローズさんなど)は、私たちの社会を軽んじているからこそできるのでしょう。


日本人は、日本人からも「いいカモ」として絞られています。

携帯の料金体系がカルテルみたいで異常な契約形態であるのは、そこに無駄に人が群がっているからで、NHKが不要なチャンネルを増やし1人で出来る番組に(芸の無い)芸人の生活救済のため多数を出演させギャラを払い、そのために国民から不必要に高額なお金を巻き上げているのもそこに無駄に人が群がっているからです。

そして、それを政治家が黙認して是正しないのは国民がその無駄を異常と思わず当然視しているからです。


余計な斡旋で5次6次受けみたいな業界を作り、労せずして丸投げで儲ける人たちもいます。

人手不足はこういう無駄な仕事を無くし、大量の余剰人員をまともな正業にシフトすることで解消できる部分もあると思います。

それをやるのが政治です。

それをしないで外国人移民を入れても上手く回らないだろうことは素人でも想像できますし、カルテルや、手数料を高額にして取れるところから最大限搾り取るようなビジネスモデル、仲介料を何段階も通って高額になるような仕組みがまかり通る日本には健全な社会が育たないと思います。このボッタクリから逃れるための「研究」サイトもありますが、そういうことに時間をかけることもまた日本全体を疲弊させますし、諦めた人は無駄な出費を強いられます。はこ怒る


日本の政治家にろくでも無い者しかいないのは、他力本願で、搾取されている自覚がなく、バカにされている自覚もない多くの日本人の代表だからではないかと思います。

外国からも同じ日本人からも騙され搾取されている、これを自覚しなければいけないのです。

日本人 大丈夫?

日本人である自分の将来が本当に心配です。
https://ameblo.jp/evening--primrose/entry-12404933569.html


219. 中川隆[-13735] koaQ7Jey 2018年12月06日 07:58:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21748] 報告

馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ人=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA
=マクロン、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚・皇族


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


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馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


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馬渕睦夫『グローバリストが恐れる日本の底力』
◉講演「新嘗のこころ」第2部(グローバリズムとは共産主義である) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YoH3GG3WiAc&index=2&list=PL7MaEu9i584cGqauRwWXCapXVTxom8dDT


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「古事記に学ぶ日本のこころ」 馬渕睦夫 〜天と地を結ぶ日本人の力〜 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=xcQ1sp6fV2g

220. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月10日 07:24:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21889] 報告

ノンフィクション作家・河添恵子#4-1
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」前編・グローバリスト&共産主義勢力 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z7syO3BhDdQ

ノンフィクション作家・河添恵子#4-2
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」後編・北朝鮮問題の行方 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z4Ot9KiWPV8


収録日:2018年4月25日


今回はゲストに馬渕睦夫氏(元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使)をお招きし、2018年の世界情勢を語っていただきました。馬渕氏曰く「今、世界は100年に1度の地殻変動」が起こっています。

アメリカ、中国、北朝鮮問題を中心に、マスメディアでは得られることがない、最先端の世界の見方がここにあります。この100年、世界はいかに作られてきたのか、どうぞしっかり掴んでください!


ゲスト馬渕睦夫氏の後半!北朝鮮問題の行方を中心に、朝鮮戦争の真実・そして終焉、グローバル勢力の影響下にあるNHK、世界の反ロシア・反プーチンの動き、マレーシア・マハティール首相の反中国、金融や企業スキャンダルに潜む外資企業の動き、テロに無自覚な日本、求められる日本国民の自衛・・・等、初対談となった今回、両先生も手応えをつかんだご様子。


<ゲスト>
馬渕睦夫(まぶち むつお)1946年1月21日生まれ
吉備国際大学客員教授 元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使 
1946年京都府生まれ 世界情勢を視る眼差しは超一級品


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ノンフィクション作家、河添恵子さんの番組が林原チャンネルで配信中!中国問題の専門家として知られる河添さんの、実はそれだけじゃ無い!本当の姿をお届けします。
「中国のことは好きでも嫌いでもなく、私はただ、ありのままの中国を見ているだけ・・・」
決してブレることなく燃え上がる、ノンフィクション作家としての河添恵子魂をどうぞキャッチしてください!

221. 中川隆[-13117] koaQ7Jey 2019年1月10日 08:12:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22222] 報告
もはや先進国ではない。なぜ、日本経済はスカスカになったのか?
https://www.mag2.com/p/news/382054
2019.01.09 冷泉彰彦『冷泉彰彦のプリンストン通信』 まぐまぐニュース


一部報道などでは日本経済の好調さが伝えられていますが、実感として受け止められないというのが正直なところではないでしょうか。なぜこのような事態に陥っているのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんはメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその理由を「日本の産業構造がおかしくなったため」とし、この「負のトレンド」を反転させなければ国の繁栄と個人の成功はありえないと結んでいます。

スカスカになった日本経済、どうしてこうなったのか?

経済新聞や安倍政権の周囲では、日本経済は絶好調だとか、多くの企業が史上空前の利益を上げているという声があります。ですが、そんな好況感は、日本全国を見渡すと全く感じられません。

国全体の「購買力」は弱り切ったままです。観光ブームということもありますが、結局はインバウンド、つまり訪日外国人が支えています。例えば、星野リゾートの場合は、価格帯によってブランドを分けていますが、フラッグシップブランドの「星のや」の場合は、一泊二食で4万とか5万という強気の価格設定ですが、お客の多くはインバウンドです。

同じく北海道のリゾート産業の雄である「鶴雅グループ」は、支笏湖に「碧の座(あおのざ)」という超高級旅館を建設中ですが、同じく価格帯は4万から6万でこれもインバウンドがメインでしょう。

JR九州が「ななつ星」という予約制の豪華寝台列車を走らせて話題になりましたが、もっと豪華なJR西日本の「瑞風」などは、シンガポールからビジネスクラスで往復するパッケージツアーなども組んでいます。

とにかく景気がいい話は、インバウンド向けぐらいで、国内の需要向けについては、相変わらず、オールバイキング形式で一泊二食7,800円とかが主流です。コンビニなどの弁当や牛丼の価格はワンコイン以下の安いままであり、それはそのまま多くの人の「昼食代の予算」を反映しています。

花火大会やパレードなど、「無料のイベント」が行われると、空前の人出になるので、結局は警備費がかさんで大会が中止になったりしますが、では有料化すればどうかというと、いきなりパタンと客足は途絶えるわけです。

購買力の衰えということでは、例えば「若者のお金離れ」などという言い方があって、世代間格差が原因だという声もあります。また「非正規差別」が原因であり、派遣労働の規制緩和をしたのが悪いという論調も相変わらず多いわけです。

多くの専門職が「それだけでは生活できなくなっている」と言われています。例えば、タクシーのドライバーは、ウーバーやリフトがまだ上陸したわけでもないのに、需要低迷と供給過剰のために苦しんでいます。また、バスの運転手の給与も低くなっています。電車の運転手に至っては、自動運転(実際は遠隔操作に近いので心配は要らないのですが)を本格化させる話も出ています。

例えば、安倍総理は毎年春になると財界に対して「もっと給与を上げてくれ」という要求をしていますが、財界サイドは総理に頼まれてもなかなか賃上げに応じようとはしません。

報道では「史上最高の決算」とか「アベノミクス株高」などと言っているのに、どうして各企業は国内での賃上げを渋るのでしょうか?どうして昔はちゃんと生活できていた職が、非正規になったり、給与が極端に安くなっているのでしょうか?

一部にはグローバルな労働市場が発達したからだという意見がありますが、海で囲まれた日本の場合に、モノは出入りしますが、サービス業に関しては、世界の安い賃金に影響されて日本も賃金が下がるというのは、説明として納得感はありません。

何が問題なのでしょうか?

各企業が20世紀や昭和の時代と比べて、著しく強欲になっていて、一部の管理職や重役だけが巨額の報酬を独り占めしていて、給与を切り下げているからなのでしょうか?

そうではない、ということをしっかり理解することがまず必要です。

問題は日本の産業構造が「おかしく」なっているということです。もっといえば「スカスカ」になっているのです。

現在の日本には、昔のように「世界の市場で大きなシェアを持っているエレクトロニクス製品」とか「集中豪雨的輸出だとして怒られるぐらい世界で売れている自動車」などの製造業はほとんど残っていません。

では、何が残っているのかというと具体的には日本の主要産業は3つ、

・部品産業
・日本語による非効率な事務仕事
・観光がらみのサービス産業

があるだけです。勿論「だけ」というのはやや言い過ぎで、日本国内向けの医療や福祉、サービス業はあるし、自動車の場合は一部は完成車も作っています。ですが、主要な産業といえば、この3つになっているのです。

例えばスマホというビジネスがあります。世界の主要なシェアは、アップル、サムソン、LGそして元ノキアのマイクロソフト、元モトローラのグーグルなどがあります。

そして日本は部品産業に転落しています。液晶、半導体、アンテナ周りの複雑でミクロの部品など、日本の製造業がなくては世界のスマホは成立しません。

ですが、どんなに技術力を誇っても、部品産業はしょせん部品産業なのです。最終メーカーが価格も発注量も握っており、部品産業はベンダーとして受け身のビジネス、薄利かつリスクのあるビジネスになってしまいます。

その昔、ソニーがウォークマンで世界の若者文化を席巻したように、パナソニックが「性能の良すぎる」テレビやビデオ機器で世界から怒られたりしながら、物凄い収益を上げていたように、最終製品を作るということはしていないのです。

例外としては、B2Bつまり法人や政府向けがありますし、パナソニックの場合もこちらに逃げていますが、消費者向けの最終製品ということでは、日本のエレクトロニクスの場合は見る影もありません。東芝の場合は、何と言っても半導体やハードディスクですが、それすらも売ってしまいました。

事務ということでは、とにかく「原本」「ハンコ」「ファックス」「稟議書」「ファイリング」などといった昭和の化石のような日本語文書の管理ということが、今でも官庁でも、民間でも行われています。そこで職を得ている人は猛烈な数になり、そのコストも膨大ですが、どういうわけか日本の企業や政府はこれが止められないわけです。

ですが、ここ数年、銀行業務がフィンテック化して、人も紙も支店も不要になって来ています。同じような革命が全業種と行政に波及しなくては、この非効率な作業が日本経済を滅ぼすと思います。

観光業ですが、すでにGDPへの貢献ということでは自動車産業を超えたと言われています。それ自体は結構なことで、プラスアルファの経済として成立するのであれば、それはそれで良いことです。訪日外国人年間3,000万が実現し、政府目標の4,000万が視野に入ったというのも良いことです。

ですが、問題は観光業というのは労働集約型であるし、低付加価値かつ固定費が高いビジネスだということです。それが主要産業だというのは、その国の経済としては決して立派ではありません。

つまり、産業構造として日本は先進国から滑り落ちそうになっているのです。

何がいけなかったのでしょう。理由は次のようなことです。

・自動車の次として宇宙航空に本格進出できなかった
・コンピュータ時代に合わせてOSやアプリなどソフトの分野で負けた、どころかコンピュータ関連の人材をバカにして育成もしなかった
・バイオや製薬で世界のトップを走るだけの人材育成や投資をしなかった
・金融のグローバル化に全く対応しなかった
・英語での事務仕事ができず、香港やシンガポールにアジアのビジネスセンターの座を完全に奪われ、そのことを恥じてすらいない

ということです。つまり全体の戦略が全く違っていたということです。

勿論、企業単位では例えばトヨタやホンダ、ソニー、コマツなど、多国籍企業として優良な企業はたくさんあります。ですが、その多くは、製造販売だけでなく、研究開発や設計も海外でやっているのです。そうした数字は日本のGDPにはなりません。

史上空前の利益というのも、その多くは海外の収益であり、連結決算では円安のおかげで膨張して見えるかもしれませんが、カネ自体は海外で再投資されています。

いやいや、日本企業は好業績で、配当もしているという反論もあるかもしれませんが、そもそも優良な多国籍企業の場合は、外国の株主が多いわけで、配当も海外でグルグル回るだけです。

今でも、経済新聞には「海外の企業を買収」とか「日本製品が某国の交通システムで採用」とか、「某社の車がアメリカで人気ナンバーワン」といった記事が出ると、何となく嬉しいニュースということになります。

ですが、これはマジックであり、日本国内のGDPにも税収にも、そしてトリクルダウンという形での好影響も「全くない」のです。

私は、トランプ流の「経済ナショナリズム」は大嫌いですし、経済というのは国際分業によるグローバリズムが「最適解」になるし、それをねじ曲げると、最終的には経済はダメになると思っています。

ですからこの日本流の空洞化について、税制や規制でなんとかしようとは思いません。ですが、これは明らかに敗北であり、敗北ゆえに貧しくなっているというのは厳然たる事実です。そのことから目を背けるというのは、やはり政治としても財界としても、あるいは世論としても間違っていると思います。

部品製造と、日本語文書による事務文書と、そして観光業が産業の柱などというスカスカな経済はもはや「先進国クオリティ」ではありません。そのこと自体が失敗であり、敗北であり、歯を食いしばって、その負のトレンドを反転させることにしか、国の繁栄と個人の成功はないのではないでしょうか?

222. 中川隆[-13100] koaQ7Jey 2019年1月10日 19:41:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22222] 報告
星野リゾートってどうですか?|リゾートホテル@口コミ掲示板・評判


578 匿名さん 2018/11/30 21:03:57

 じゃらんの口コミなどを読むと、皆さん大絶賛で
 食事も地産のもので素晴らしいと言ってますね。

 一人5万円や6万円出さないと満足できないよということ
 なんですかね?



580 マンション比較中さん 4時間前

何年か前まで働いてたけど、東京の営業担当がじゃらんに口コミ投稿してたぞ。
https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/

223. 中川隆[-13006] koaQ7Jey 2019年1月14日 11:05:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

579 名無しさん 2018/12/04 01:19:22

星のや京都、紅葉シーズンに2人で17万。それも1年以上前にインターネット予約した時点で引き落とされてびっくりしました。
行ってみたら、内装設備の御粗末さにまたまたびっくり。二度と行きません。



581 匿名さん 6時間前

>>579 : 名無しさん
地元なので星のや京都に泊まったことも、泊まりたいと思ったこともなく、二人で17万は考えられない。

前身の嵐峡館は二食付き1万8000円からと安く行きやすかった。
10倍の価値、見た目ありません。

余り悪評が多いので、ネット検索した一部を抜粋した。

マスコミ誌や旅行情報誌のラグジュアリー感や、おもてなしの妙とは裏腹に、口コミサイト等インターネット上や、ツイッターに今溢れ返るのは、星野リゾートに対する凄まじい悪評や罵声雑言だ。

各星野のホテル、旅館名名指しで悪評が書かれている。急速な運営施設の拡大に採用や教育、育成が追い付かず、ハードワークに耐えかねて離職者が増加し、接客等サービスの質の低下。インターネット上で拡散し続ける悪評の数々はやがて来る総崩れを暗示しているかもしれないと書かれていたが、同感です。

224. 中川隆[-12773] koaQ7Jey 2019年1月23日 21:54:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告
続き

582 匿名さん 5時間前

投稿コメントの中に星のや京都宿泊予約を、インターネット予約した時点で引き落とされびつくりしたと、書かれていたのを見て驚いた。

前払いが有る事を初めて知った。全国のホテル、旅館の宿泊代金の支払いは何時払うのか、大変興味深く調べてみた。

殆どの施設は現地で当日チエックイン時か、チエックアウト時に精算だった。

[そこで星のや京都口コミを見てみた。]

星のや京都の紅葉が見たくて、家族10名で半年前にインターネットの総合予約窓口で予約すると、全額先入金して下さいと言われ、 100万円以上を先入金した。驚いたのはその後予約確認をしたら、予約が入って無いといわれた。

100万円以上を先入金したのに、最低限の仕事ができない。細部も出来ていないと書かれていた。

又別の方は、50万以上を半年前に先入金したが、レストランで大変冷たい扱いをされ、行って見てガッカリした。

50万以上の価値が無かったと書かれているのを見て、世間一般の宿泊代金の支払いは現地が殆どでしたから矢張り現地で現金か、カードで支払うホテル、旅館の方が良心的で安心できるのではないのかな?

225. 中川隆[-9898] koaQ7Jey 2020年11月17日 05:29:05 : 5htgNXVXzs : emptNUhCTi9ZcGs=[2] 報告
583 名無しさん 2019/01/24 01:31:54
[情報交換を阻害するため、削除しました。管理担当]


584 通りがかりさん 2019/01/27 06:17:55

星野リゾートの内情相当詳しいようですが、星野リゾートの関係者さんですか。
マスコミ使い、客を騙すための?全て作り話し、作り事。自作自演好きだね。
それもだんだんと世間は分かってきた。
客を料金に見合う良心的なもてなし商売をしないと、高額ボッタクリ商売では
客もいつまでも馬鹿でないから、見向きもされなくなった時が終了の時。
総崩れの時は近いかも。


585 評判気になるさん 2019/02/03 05:22:03

これからますます、客離れが増え続け、
従業員の 離職者も増え続けると、
中国資本に転売かも。
日本の国土を安易に外国資本に転売
するなよ。
自分の金儲けしか考えない星野。


586 匿名さん 2019/02/22 10:26:55
星野はマスコミ操作が上手い。
でも、リピーターはあまり多くないので、その内経営危機に落ちるかもしれない。


587 eマンションさん 2019/03/06 10:04:27

対応が悪い。
予約を取ろうとしたら、今月の週末はいっぱいだと、では、平日のこの日にと日にちを変えたら、いっぱいですと。
いつ空いてるのと訪ねると今日明日しかあいてないと言ってきた。
最初から言えよって感じ。
アパホテルの方が対応いいよ

589 匿名さん 2019/03/23 09:39:32
星野は社長が本当に好かれてないですね・・


590 マンション検討中さん 2019/03/27 15:44:11
ついこないだ社員の休みを105日から増やすと人事からメールが来たけれども全然増えるような気配はありません。


591 匿名さん 2019/04/14 08:28:13

売り上げと固定負債がほぼ600億と同じで評価はAーですがBには出来ないAという気がしますね。仮に事業形態は違うけど同じ程度の負債を持つアパは資産価値が田舎リゾートと
違い半端じゃない。担保能力は比べ物にならないと思いますね。


592 販売関係者さん 2019/07/29 23:35:32

数年前に星野エリアと軽井沢の往復バスが渋滞を理由になくなって不便になっていた。それでも去年までは中軽井沢からはトンボの湯、ハルニレまではバスが出ていた、それが今年はそれもなくなって、タクシーか徒歩で来いという方針。だんだんサービスが悪くなっているような気がするのは自分だけか。これからの時代、どんどんふえる高齢者は免許返上の気運が強くなるので、別荘にも行きにくくなると知り合いが言っていた。駅から遠い星野エリアはだんだんさびれていくのではないだろうかとも言っていた、

593 評判気になるさん 2019/07/30 21:46:43

雲海テラスで雲海を見るために、夏休み星野リゾートトマムに泊まろうかと考えています。HPをみたら1人18000円くらいで「まあ雲海テラスから近くて朝食も美味しくてプールや花火があるならこれくらいの値段でいっか」と思ってました。ところがここのサイトに辿り着き、もうかれこれ20分以上皆さんのレス読んでます。

やっぱり星野に泊まるのやめて、近くの安い宿(1泊7000円くらい)に泊まって、早朝に車でゴンドラ乗り場まで行くべきですか...?


594 匿名さん 2019/08/07 17:17:20
既に経営が変わっているので。

595 匿名さん 2019/08/11 17:40:21

夏休みの家族旅行の古い思い出ですが、30年程前 北海道のトマムの高層ホテルに泊まったことが有ります。
そのトマムを星野が買い取り、数年前約183億で中国人に売り飛ばしボロ儲け、今運営を星野リゾートが任されて居る。
トマムの思い出は広い原っぱの様な所に高層ホテルが二棟。温泉も無く。食堂が遠く、部屋の空調の効きが悪く、窓が開けれ無く最悪だった。
そのホテルが今 雲海テラスで雲海を見る企画。考える物ですね。

星のや京都 は、築100年の趣の建築物とかで 毎年8年連続ミシュランガイド最高ランク5レッドパビリオン取得。高額宿泊料金一人10万円以上
になった。
しかし昭和26年7月6日梅雨末期の集中豪雨で全て跡形も無く、以前の旅館は一級河川保津川(大堰川)に飲み込まれ、犠牲者4名出た。
地元紙京都新聞にはこの日京都府京都市で、死者約140名だったと掲載されている。
築100年の建造物で無いのに、詐欺星野だと思う。全国の国立図書館等でこの記事閲覧出来ます。平気で詐欺する会社です。

597 通りがかりさん 2019/08/16 06:36:32
箱根界に泊まりましたが、設備は良いものの、
料理普通、従業員はサービスの意味を理解出来てないですね…アパと同レベルでしょう…
設備を楽しむホテル、旅館だと思います。


598 口コミ 2019/09/26 18:11:07
トマム最悪。料理もボッタクリだし、スタッフの質など他も同じか?と思う。二度と行かない。


600 匿名さん 2019/11/20 22:48:16
[No.596〜本レスまでは、情報交換を阻害、および、削除されたレスへの返信のため、いくつかの投稿を削除しました。管理担当]


601 二度と行かないでしょう 2019/12/28 16:57:28
その通りでした。こちらの掲示板を早く見ればよかったです。従業員は学生アルバイトのレベルでした。設備も値段からすると今一歩です。


602 匿名さん 2019/12/30 12:18:36

595 匿名さん で8月投稿した者です。
今年も後1日となり掲示板を見返していて自分の投稿に誤りを見つけました。
昭和26年7月6日梅雨末期集中豪雨災害で嵐峡舘が跡形も無く保津川に押し流され犠牲者4名と書きましたが、
正しくは、[昭和26年7月11日]でした。午前9時10分頃、中腹の山崩れで旅館建物は跡形も無く全て保津川に流された。
京都府亀岡平和池が欠壊し、保津川も欠壊。府と市合わせて犠牲者が約104名でした。
訂正してお詫びします。


603 匿名さん 2019/12/30 12:35:52

『星のや京都』の前身旅館、嵐山温泉嵐峡舘が昭和26年7月11日、
旅館建物全て土砂災害で流れ犠牲者4名でた。
築100年と星のや京都が違法開発後宣伝しているが嘘です。
ハザードマツプ危険区域内での違法開発の星のや京都の、違法を放置の腐りきった京都市。

604 マンション検討中さん 2020/01/11 06:20:18
>>128 匿名さん
確かに自然環境を破壊しまくりの星野リゾートですね!全国の素晴らしい自然を破壊し、バブリーなホテルを造り汚染しまくる粗悪な会社です。ある、旅館で聞いたけど組合にも入らず誰もが大事にしていた土地を荒らしホテルを建設するやり口。北海道なんか中国人の為に開発してホテルを建設しております。既に永住する中国人も居ますし、土地もかなり購入しております。星野は日本国土を荒らす害虫です。まぁ、在日朝鮮人だから仕方ないです。兎に角、星野リゾートは悪なのです。ちなみに嫁は日産の重役。


605 匿名さん 2020/01/20 00:48:31

ネットで、星のや京都1 嵐山 旅館 [公式]を見て驚いた。
星のや京都建物前の川を大堰川と紹介しているが保津川。亀岡から星のや京都迄は保津川、渡月橋迄は大堰川、渡月橋から下流は桂川。
星のや京都旅館敷地は、大悲閣千光寺に晩年暮らした角倉了以の別邸では無い。嵐山の歴史も名称も知らない者が勝手に嵐山の歴史や名称変えるな。
星のや京都の前身は、老舗旅館嵐山温泉嵐峡舘でしたが、嵐峡舘社長が自殺後約半年で星野社長名義になった。
マスコミには長く休業中を買収と嘘報道。
嵐峡舘を手に入れて間もなく、星のや京都隣の嵐峡舘親族の鉱泉水水源地山林10万坪以上を寸志で騙し取ろうとしたが失敗。
今度は嵐峡舘が100年前から水源地山林を使っていた『地役権時効取得登記登録せよ』捏造裁判で水源地山林を乗っ取ろうとしたが、
嘘 捏造が曝露露呈した。星野社長から裁判を引き継いだ星野リゾート・リート投信法人は大阪高裁で嘘 捏造が発覚し惨敗した。
違法開発の悪人が京都では、京都観光振興推進計画策定委員です。どれだけ汚い金ばら撒けば違法開発が好きに出来るのか。

※これだけでは無い。星野社長は水源地山林の山主にに成りすまし、風致地区の他人の水源地山林に新設違法工事申請を出していた。
腐りきった京都市風致保全課は風致地区の他人の水源地山林に山主も、現地も確かめず新設違法工事許可を既に出していた。
こんな京都馬鹿市長が又市長選に出馬した。日本も京都も行き先真っ黒だ。だれか愛国心の有る日本人日本を救ってくれ。

606 口コミ知りたいさん 2020/04/20 12:37:24

星野リゾートは熱海のリゾナーレに行きました。
松本の界も伊豆の界も箱根もいきましま。

みな、元超高級旅館なので施設は良いのですが、何せ何処もご飯がお粗末です。不味いとまでは言いませんが、旅の楽しみの美味しい刺身やお肉はありませんし、腕の良い板さんか調理するような料理はあまりお目にかかりませんね。
若いスタッフが多いのですが、にわか仕込みが多いようです。何処ももう一度行きたいところは有りません。元、施設が良い旅館なので非常に残念です。でも、料金は高級旅館より高い!
納得が行かないですよねー。私は同じ評価の他のホテルや旅館が有れば、最近はそちらにいきます。


607 匿名さん 2020/06/20 19:50:02

星のや東京に1泊しました。1泊10万円以上の部屋に泊まったのに、備え付けのガウンに長い髪がついていたり(わたしはショートです)、洗面台は詰まっていて流れが悪いし、直そうとしたら部品がとれてしまいました。また従業員は若くてサービスというものを根本的に分からない。知らないようでした。マニュアル通りでぎこちない従業員もいて素人レベル。ビジネスホテルの従業員の方がまだまし。和食のレストランは、10分遅らせてほしいと連絡を受けました。お詫びにとサービスで注文したドリンクは品切れで勝手に代わりに持ってきた飲み物は甘くて料理と合わず、お水ばっかり飲んでました。連れは、冷蔵庫に入ってたビールがミニサイズでたったの4本のみでケチくさいと言ってました。朝食に無料でもらえるおにぎりは予約制なのか?お願いしたら売り切れました。と。丁重に謝ってましたが、こちらとしては、調理場に確認します。の一言がほしかったです。有名なホテルだけに残念です。もう2度と行きません。


608 匿名さん 2020/06/20 20:11:27

星のや東京に1泊しました。1泊10万円以上の部屋に泊まったのに、備え付けのガウンに長い髪がついていたり(わたしはショートです)、洗面台は詰まっていて流れが悪いし、直そうとしたら部品がとれてしまいました。また従業員は若くてサービスというものを根本的に分からない。知らないようでした。マニュアル通りでぎこちない従業員もいて素人レベル。ビジネスホテルの従業員の方がまだまし。和食のレストランは、10分遅らせてほしいと連絡を受けました。お詫びにとサービスで注文したドリンクは品切れで勝手に変わりに持ってきた飲み物は甘くて料理と合わず、お水ばっかり飲んでました。連れは、冷蔵庫に入ってたビールがミニサイズでたったの4本のみでケチくさいと言ってました。朝食に無料でもらえるおにぎりは予約制なのか?お願いしたら売り切れました。と。もう2度と行きません。

609 販売関係者さん 2020/08/05 21:47:16
一度は星野リゾートに泊まりたいと松本に宿泊しました。従業員はマニュアル通りで、食事の時間の変更はNG。気さくな会話することなく、毎回利用したいすホテルだと思いませんでした。


610 名無しさん 2020/08/19 08:48:57
二度と行きません。


611 京都に泊まった 2020/09/16 19:24:09

もう少しグレードが高いと期待していましたが、残念な結果でした。メゾネットの部屋に泊まりました。窓を開けたら、カナブンやセミの死骸がレイアウトされていた。最低1週間は掃除をしていないのが分かる。CDプレイヤーも使い方が分からない。(説明書が無い、日本語も英語も)しかもBluetooth対応じゃない。ダサすぎる。サービススタッフも急ごしらえにしか見えない。せめてフロントにはもっと重みのある方を置いた方が良いです。(男でも女でも)
建物も含めたハードも安普請でした。(私の仕事柄、よく分かります)『ここは、ハードや料理を期待してはダメですよ。都会の喧騒から離れた静けさだけが売りです』と明確に訴えた方が良いと思う。日本人でここまで残念なのだから、海外の本当のセレブはレベルの低さにビックリすると思います。


613 てとりす 2020/10/16 03:24:37

テレビがよく持ち上げてますが、騙されて利用しないようにしましょう。中身は中国企業です。


614 匿名さん 2020/10/20 12:22:45

界遠州に行ってきました。
期待が大きかったせいかもしれませんが、がっかりしました。
今回はgo-to-で伺ったので、安く利用できたので良かったのですが、定価でしたら損した気分になるでしょう。
食事が美味しくありません。何故でしょう。
スタッフの方々は一生懸命仕事していらしたのですが、親しみを感じませんでした。
旅館も古いのをリノベーションしたものなので、なんだかなあという感じです。
とにかくもう他も利用しません。


615 シュタイフ 2020/10/31 09:37:15

星のや富士を利用しました。食事の要望があり電話しましたが、電話受け付け20時までとなっているのに17時?18時にかけて何度かけてもつながりません。ちなみに総合受け付けしかないので、宿に直接連絡する手段がありません。日にちを変えて昼頃電話するとようやく繋がりましたが、料理の個別対応はしかねます、とのこと。今まで利用した宿でそんなことを言われたことは初めてだったので驚きました。
当日のチェックイン後食事の案内の際、朝食は部屋のテラスでとりたいと思っていましたが、予約優先で既に予約で埋まっているということで泣く泣く諦めました。予約した後の返信メールを隅から隅までよく読んでいればわかったことかもしれませんが、人気のサービスであればもうちょっとわかりやすく案内してもらいたかったです。ぱっと見はまともそうな部屋の設えは安っぽく、高級感はありません。
星のや系列は2度と泊まりません。


616 匿名さん 6日前

最悪!特に食事。食材にお金がかかってないしまずい。メインが無い。楽しみにしていたのに詐欺にあったみたい。二度と星野グループには行かない。

https://www.e-mansion.co.jp/bbs/thread/290317/res/567-616/

226. 2021年10月11日 13:46:29 : A5sZu4rx0I : YlFmL2IwWFlFYjI=[20] 報告
完璧ではない - あさばの口コミ
べりーさん べりーさん 女性/20代

3.0カップル・夫婦ご当地感:4.0/味:4.0/価格:2.0/サービス:3.0/雰囲気:5.0

気になった点
湯上がりどころのお水のペットボトルに小虫がたくさんついていた
部屋食にて、何故か係の方が食事を運んでくるたびに部屋に小虫がたくさん入り、ゆっくり味わえず大変辛かった。食事を楽しみにしていただけに本当に残念でならない。
以前はサロンのドリンクにジュースもあったようだがコーヒーのみだった
食事のサーブが遅め、ドリンクも遅め
1人10万円以上の価値はない気がします。

行った時期:2021年2月22日
混雑具合:空いていた
滞在時間:3時間以上
投稿日:2021年2月24日

https://www.jalan.net/gourmet/grm_alikejpB000107462/kuchikomi/0005248101/?screenId=OUW2203

227. 中川隆[-15643] koaQ7Jey 2021年11月02日 10:33:45 : Pr6dz97TYY : VVQ0VERMZ3pEOW8=[7] 報告
「星野リゾート」参入で町並み一変
リニューアルに揺れる長門湯本温泉街【上】
2021/10/31
https://nordot.app/826300887118102528

 老舗の観光温泉街が、「星野リゾート」の参入で劇的な変化を迎えている。昭和の面影を残す旅館などが立ち並ぶ山口県長門市の長門湯本(ながとゆもと)温泉。2016年に再開発が始まって以降、業績は回復基調に乗っている。復活を象徴するシンボルとも言えるのが、約600年の歴史を持つ“温泉街の顔”、公衆浴場「恩湯(おんとう)」だ。市が誘致した星野リゾートと官民共同で進めた街づくりの一環で建物を一新、昨春にリニューアルオープンした。新型コロナウイルス禍でもじわりと観光客を集めるが、一部の地元住民からは「洗練されすぎて使いにくい」との声もある。変わりゆく温泉地で何が起きているのか。2回に分けてリポートする。(共同通信=佐藤萌)


 
 ▽生活感かモダンか

 温泉街を縫って流れる音信川(おとずれがわ)沿いにある、唐破風(からはふ)造りの昭和スタイルの2階建てだった公衆浴場の恩湯は2020年3月、ガラス張りのモダンな平屋建てにがらりと様変わりした。温泉街が一新することを告げ知らせるようなインパクトある出来事だった。

 スタイリッシュな黒を基調とした6畳ほどの浴槽に源泉が流れ込み、ほのかな硫黄のにおいが漂う。7月上旬、高齢者や若い観光客数人に交じり、恩湯に入った。若者や観光客に受けそうな建物は清潔で居心地が良いが、これまでの歴史や生活感などが一掃されてしまったようにも感じる。地元の人はどんな思いを抱いているのか。


 30年以上恩湯に通う地元の幸田隆宏さん(57)は日課の入浴を終え、洗面用具を入れたカゴを小脇に「新しくなってから、常連さんで見なくなった人は多いよ」とこぼす。「一番のショックは値上がり。週末の800円は高い。おしゃれとかいいから、(地元の人のための)福祉的な施設であってほしかった」。建物の目の前にあった駐車場が高台に移って有料になり、アクセスが悪くなったとも言う。「特に足腰が弱くて車で来ていた人なんかはもう来られないよね」と渋い表情だ。


 一方で、雑誌を見て福岡県苅田町から訪れた会社員池田大豊さん(27)は満足したような様子で、「デザインが神秘的でよかった。川沿いの散策コースも気持ちよく、歩きやすくて景観もいいと思う。また来たい」と話してくれた。

 ▽星野リゾート頼りの改造計画

 長門湯本温泉は、山口市中心部から北西へ約50キロの山あいにある。市営管理時代の旧恩湯は瓦屋根に「湯本温泉」とでかでかと赤いネオンを掲げていた。入浴は1回200円。地元客に根強い人気を誇っていたが、近年、利用者は減少の一途をたどっていた。経営赤字は年間約3千万円。温泉街の宿泊客数も年間40万人近くだった1980年代がピークで、2003年ごろから減少傾向に。14年には18万人と半減した(湯本温泉旅館協同組合)。この年、象徴的な出来事が起こった。屈指の老舗旅館が倒産したのだ。当時を知る人は「街にさびれた雰囲気が漂った」と口をそろえる。同組合も「バブル期に流行した集団旅行の衰退が大きい。観光客の価値観は変化している」と危機感を募らせていた。


 長門市は16年、宿泊観光業の先陣を行く星野リゾートを誘致し、街の改造をスタートさせた。星野リゾートは長野県軽井沢町の星野温泉旅館から始まり、質の高いサービスや宿泊空間の提供を徹底し、今や高級リゾート「星のや」などの複数ブランドで国内外に多数の宿泊施設を運営するトップブランドだ。旅館の再生事業を数多く手がける、観光地再興の鍵を握る存在にもなっている。

 同社は地元の旅館関係者らと意見交換会を重ねるなどし、マスタープランを策定した。地元と一緒に盛り上げることを前提に、「全国温泉街ランキングトップ10入り」を目標に掲げ、「川辺を中心にそぞろ歩きを楽しむ街に」などと具体的なコンセプトを定めた。恩湯の駐車場をわざと遠ざけ、来訪者に歩いてもらうアイデアもここから始まっている。


 長門湯本温泉は、山口県内ではよく知られているが、草津(群馬)や別府(大分)、熱海(静岡)、有馬(兵庫)など全国に名が知れ渡る温泉街と比べれば、小規模で認知度はそれほど高くない。そんな温泉街に突如、現れた星野リゾートという黒船。再建計画の注目度は高かった。

「長門湯本温泉マスタープラン」の完成報告会後に記者会見する星野リゾートの星野佳路社長=2016年6月23日午後、山口県長門市
 2020年3月、老舗旅館跡地に星野リゾートの高級温泉旅館「界 長門」が開館し、恩湯のリニューアルを含む街並みの再整備を終えた。開業にあたり、星野代表は「日本の観光産業が大変な時期にしっかり開業できてうれしい。温泉街の再生に貢献したい」と抱負を語った。


 ▽公衆浴場建て替えは地元の意地

 「今はやりのもので解決しようとした市の判断は安直で、当初は怒りもあったが、街全体が変わる大きな契機だった」と話すのは創業140年の老舗旅館「大谷山荘」の社長大谷和弘さん(42)だ。大谷山荘は2016年12月に安倍晋三首相(当時)が、ロシアのプーチン大統領を首脳会談で招いた場所としても知られる。星野リゾート主導で進む再開発だったが、古くから温泉街を引っ張ってきた老舗旅館として、ただ指をくわえて見ているわけにはいかなかった。「地元が担わないと一生後悔することになる」。大谷さんは、長門市や星野リゾート、旅館組合などでつくる協議会で、旅館組合の仲間らと恩湯再建と経営の事業者に名乗りを上げた。


日ロ首脳会談が開かれた「大谷山荘」
 大谷さんが新しい恩湯で掲げるのは「本物の温泉体験」だ。今までにない新しさを求めたのかと思いきや、よりどころとしたのは原点回帰の姿勢だ。自然湧出量に合わせて浴槽は従来の半分の広さにした。平屋にしたのも「神授の湯」とされる縁起を重んじて神社らしさを出すためだ。実は旧恩湯では、女湯はタンクにためた湯を再加熱しており源泉掛け流しではなかった。また、泉源の場所も定かでなくなっていたが、今回の建て替えで解体した際、岩の割れ目からこんこんと湧き出す湯を初めて目の当たりにし、跳び上がったという。「地中深く掘削する場合も多いが、まさか自然湧出なんて。残す価値があると確信した」と大谷さんは目を輝かせる。新しい恩湯では、お湯が沸き出る岩を浴槽の向かいに見えるよう設計した。「温泉を見て、香って、流れる音を聞いて楽しんでほしい」と話す。


 今でも「狭い上に値段が高い。昔の恩湯を返してほしい」と、旧恩湯を愛好してきた地元の利用客から叱られることもある。しかし、民営化によって値上がりは不可避なことや、恩湯の泉質と歴史にこだわったことなど説明を尽くすようにしている。理解を少しずつ広げ、「利便性とは異なる価値を地域の誇りにしていきたい」と熱い思いを込めている。


 ▽公設から民設「声上げにくい」

 恩湯の隣に住む大田浩巳さん(88)は、再開発のための街づくりの住民説明会で、恩湯再建に意見してきた一人だ。大田さんから見て、この5年間の変化は劇的だった。「以前は人通りもなくて、さびれかけていた。きれいでにぎやかになったよ」と街を見つめるが、心中は複雑だ。脱衣所や洗い場が狭いなど地元客として使い勝手が悪くなり言いたいことはあるが、恩湯が公設から民設に変わったこともあり、声は上げにくくなったと感じている。


 「せめて『湯』と大きく掲げてほしかったなぁ」と、慣れ親しんだ旧来のネオン文字を懐かしむ大田さん。「『街づくり』って誰が何をやっているのか。よう分からん。でも、孫みたいな世代の人たちがはりきってやっていることだから、少しでもええようにしてもらいたい。(今の方向性を)応援するしかない」と前を向いている。「昔の面影も欲しいけれど時代の流れは仕方ないね。泉質だけは前よりもよくなったかもしれない。自慢だね」。自宅に風呂はなく、変わらず毎日午後9時の湯あみを続ける。

【下】地域の宝の再建から考えた「持続可能性」に続く

https://nordot.app/826300887118102528

地域の宝の再建から考えた「持続可能性」 リニューアルに揺れる長門湯本温泉街【下】
2021/11/01
https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E5%AE%9D%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%BB%BA%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%9F-%E6%8C%81%E7%B6%9A%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7-%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%AB%E6%8F%BA%E3%82%8C%E3%82%8B%E9%95%B7%E9%96%80%E6%B9%AF%E6%9C%AC%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97-%E4%B8%8B/ar-AAQavaN


 全国の温泉街は、レジャー多様化や観光スタイルの変化、過疎化や少子高齢化のあおりも受け、利用者減や旅館の廃業に頭を悩ませる。新型コロナウイルスの感染拡大で受ける打撃も大きい。そんな中、山口県の長門湯本(ながとゆもと)温泉は、星野リゾートを迎え入れることで景観や資源重視をコンセプトに様変わりしようとしている。一方、地元住民や従来の客層から「利用しづらくなった」と失望の声も聞こえる(「リニューアルに揺れる老舗温泉街【上】」。生き残りをかけ変化を遂げる温泉街が目指す「持続可能性」とは何か。模索が続く。(共同通信=佐藤萌)


 ▽「次の世代に何を残すか」試行錯誤

 温泉街再開発の仕掛け人とも言える人物がいる。経済産業省官僚として長門市に出向中に計画に携わったのが木村隼斗さん(37)だ。市の経済観光部理事として、星野リゾートが打ち出した街づくりのマスタープラン実現に向け、官民の役割分担や民間事業者の募集に奔走してきた。

 木村さんは「『計画ありきだ』と批判を受けることもあったが、地元の人を交えた『社会実験』を繰り返し、設計図は皆で書き換えてきた」と振り返る。温泉街のそぞろ歩きを実現するため、リニューアルの核心となった公衆浴場「恩湯(おんとう)」の川向かいの道路は当初は一方通行にする予定だった。しかし沿線住民らの反対で断念。そこから対話を重ね、最終的にベンチなどを置いて車の速度を落とさせる方法で折り合った。

再開発前の2016年2月当時の山口県長門市の長門湯本温泉街(左奥が旧恩湯)© 全国新聞ネット 再開発前の2016年2月当時の山口県長門市の長門湯本温泉街(左奥が旧恩湯)
 「駐車場の有料化や車の流入制限で不満が出るのも分かる。ただ目先の利便性や安さだけでなく、街の持続可能性を探り、次の世代に何を残せるかとの視点で試行錯誤してきたつもり」と説明する。木村さんは任期を終え2018年に本省に戻ったが、恩湯の経営に名乗りをあげた老舗旅館「大谷山荘」の若き経営者、大谷和弘さん(42)ら同世代が地域再建に奮闘する姿が忘れられず、官僚を辞め20年には長門市に戻った。今はこの街の広報活動に携わる会社でエリアマネジャーを務め、イベントなどを企画する。「もともと、がんばっている人を支える仕事をしたくて公務員になった。自然な流れです」と笑う木村さん。今後も長門湯本で同志らと新たな挑戦を重ねるつもりだ。

 ▽再開発の波に乗らなければ…

 温泉街を流れる音信川(おとずれがわ)沿いの道路に面した食料品店「荒川食品」。店主の荒川武美さん(65)は7年前に福岡からUターンし、父親の店を継いだ。「私はよそから帰ってきたからこそ、この地域の魅力を改めて感じている」と語る。「湯本まちづくり協議会」会長として、地元と市などの橋渡し役をしてきた。再開発の波にうまく乗り、自身の店も一部を改修して道行く観光客がコーヒーや軽食をテークアウトできるようにした。

 一番のお気に入りは道路に新たに設置したベンチでビールを飲むこと。「せせらぎを聞きながら外で一杯なんて最高のぜいたくでしょう?車を減らしたのはいいコンセプトだった」と笑顔だ。自治会や近隣住民で協力し、月に一度の川辺の清掃も続けている。

 だが変化について行けず葛藤する人も。恩湯の対岸近くに位置する「湯本ハイランドホテルふじ」代表の藤井和夫さん(59)は「暗に、足の悪い人や年配者はいらないと言っているようなもの。観光地として新しい工夫が必要なのは分かるが、一方的すぎる」と不信感が拭えない。「街づくりのコンセプトがうちと合わない」と語る。

 藤井さんが経営するホテルは客室33室、素泊まり8千円代で中堅の規模だ。従来、老人会などの団体客を中心に集客してきた。ベンチや植木を置いたことで道路が狭くなり、ホテル前に大型バスを止めづらくなったことが不満だ。ただ旅行のトレンドが団体客から個別客に移る中で「大型バスの旅行が数えるほどしかなくなり、今後やっていけるかというと…」と不安も隠せない。実際に街を訪れる客層が若返り、多くが散策を楽しむ様子を見てきた。「すごいと思う。若い人のやることには未来もある」とたたえざるをえない部分もあり、思いは複雑だ。

 ▽倒産が「エピソード0」

 一方、街の変化を特別な思いで見守ってきた人物がいる。温泉旅館「白木屋グランドホテル」は「毛利藩の殿様湯」と呼ばれて約150年続き、2014年に倒産した。建物は長門市が公費で解体し、跡地に星野リゾートが誘致された。いわば再開発のきっかけとなった存在だ。専務だった白木浩一郎さん(49)は「(温泉街再開発の)種をまいた身として何か言える立場でない」と再開発には関わってこなかった。ただ「街づくりの『エピソード0』として、廃業に至った経緯ならお話しできますよ」と取材を快く受けてくれた。

 白木屋は1865年に小さな温泉旅館として創業。1960〜70年代にかけて移転や増改築を繰り返し、客室数118室と宴会場17部屋を抱える巨大な「グランドホテル」となった。白木さんは「当時は巨大な洋館というだけで目新しさがあったよね」と懐かしむ。企業の慰安旅行などを中心に団体客が次々と入り、連日の宴会で大いににぎわった。

 白木さんは2000年に商社を辞めて地元に戻り、親のホテル業を継いだ。しかしバブル景気も終わり、経営はすでに傾いていた。その年の経常損益は6千万円の赤字。「築30年の巨大旅館はまるで大きな恐竜のよう。拡大当時はブレーキをかける判断ができなかったし、気がついた時はもう身動きが取れず、新しい時代に適応できなかった。自分のかじ取り力が不足していた」と苦い思い出を振り返った。

「engawa YUMOTO」の前に立つ白木浩一郎さん© 全国新聞ネット 「engawa YUMOTO」の前に立つ白木浩一郎さん
 「倒産した男」としてもうこの街に住めないと思ったが、地元の人は温かかった。「出て行かないでよ」と声を掛けられ、新たな職を見つけ家族と地域に残った。そして今春、川沿いの自宅1階を改修し、カフェを併設したレンタルスペースをオープンした。新しい町並みの一角を彩る存在だ。白木さんは「多くの従業員を抱え、金融機関から多額を借り入れるやり方に今は抵抗がある。身の丈に合った商売を無理なく続けたい。久しぶりの接客業も楽しい」と穏やかな表情で語る。

 ▽栄枯盛衰見つめてきた住職

 変わりゆく温泉街を見渡す山の麓に、曹洞宗の大寧寺(たいねいじ)がある。恩湯の泉源を所有する。住職岩田啓靖さん(83)に歴史を尋ねてみた。恩湯には、1427年に住吉大明神が地域の土地を持つ大寧寺に温泉を授けたとの縁起がある。以来、恩湯は寺の管理下にあった。明治政府による地租改正で、全国で多くの泉源が官有化されたが、恩湯の所有権は奇跡的に寺に残った。ただ寺は広大な土地を失って財源は入湯税だけとなり、入浴施設の管理運営も自治体に委託してきた。

 住職は「市営で赤字が続き、『お荷物』だった恩湯をどうにか打開する必要があったが、方策は分からなかった。恩湯がなくなったら寺もなくなり、ひいては地域の歴史も途絶える。焦りもあった」と打ち明ける。

「鯉は自分1人で生きているつもりかしらんが、池も川も温泉も全部つながっているからね。環境はみんなで守らないかん」と話す岩田啓靖住職=2021年10月© 全国新聞ネット 「鯉は自分1人で生きているつもりかしらんが、池も川も温泉も全部つながっているからね。環境はみんなで守らないかん」と話す岩田啓靖住職=2021年10月

 今回の恩湯のリニューアルや再開発の方向性は歓迎しているという。「温泉は川や森と同じように自然の一部。泉源は地中深くでつながり、地域全体の宝といえる。利益を求めて多くの旅館が建ち、規模を拡大し、廃れゆく様も見たが、限りある大切な資源を、街全体が連帯して息長く活用して、歴史をつないで行けたらいい」と話した。

 【取材後記】

 取材が深まるほどリニューアルへの見方は変わっていった。常連客から「情緒がなくなり、狭くなった」と不満の声が上がっていた恩湯は、持続可能性を念頭に自然の湯量に合わせてあえて浴槽を縮小していた。駐車場を高台に移したことで苦情もあったが、川沿いの散策を楽しむ人が増え、温泉街の元からの風情を取り戻したとも言える。

 バブル期には右肩上がりの景気に押され、旅館や浴場の規模も拡大していった。一方で自然の恵みを頂いている感覚は薄れていたのではないか。今はまさに原点に立ち返って危機を乗り越え、温泉街の価値を未来へつなぐための過渡期だと感じている。

 ただ、一部住民の「長く続けてきた生活様式を否定されたようだ」との訴えも切実だ。街に求めるものは立場によってさまざま。大きな変化には、常に対話が求められると言えるだろう。

 「温かい湯があればつい入りたくなる」という人間の性。湯を巡って人が集まり、商いが始まる。当然、時代の変化にももまれる。長門湯本温泉は10年、20年先どんな姿を見せてくれるだろう。どこまでも道半ば≠ナあってほしいと思った。
https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E5%AE%9D%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%BB%BA%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%9F-%E6%8C%81%E7%B6%9A%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7-%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%AB%E6%8F%BA%E3%82%8C%E3%82%8B%E9%95%B7%E9%96%80%E6%B9%AF%E6%9C%AC%E6%B8%A9%E6%B3%89%E8%A1%97-%E4%B8%8B/ar-AAQavaN

228. 中川隆[-15642] koaQ7Jey 2021年11月02日 10:40:21 : Pr6dz97TYY : VVQ0VERMZ3pEOW8=[8] 報告
600年の歴史と大寧寺
https://onto.jp/efforts/

長門湯本温泉は、約600年前、大寧寺の定庵禅師が住吉大明神からのおつげによって発見した”神授の湯”と伝えられる、山口県で最も古い歴史を持つ名湯です。
江戸時代には藩主も度々、湯治に訪れていたとされる由緒ある温泉は、浴室内に住吉大明神の石像を拝し、その「恩湯(おんとう)」の呼称からも、人々の中に尊敬と感謝の心が受け継がれてきた事が伺えます。


温泉は、かつては西の高野といわれるほどの隆盛を誇った曹洞宗の名刹大寧寺に由来


室町の時代から脈々と続き、大正、昭和、平成の節目ごとに恩湯の建築も変わってきた

その「恩湯」も施設の老朽化や利用客の減少により、2017年5月に公設公営での営業を終了し、今後は民間事業者の手に委ねられることとなりました。
そこで私たちは、600年に渡り受け継がれてきた地域の文化資本である大寧寺抱えの「恩湯」を、自分たちの手で守り次世代に受け継ぐために、その再建を担う事を決意し「長門湯守(ながとゆもり)」を結成いたしました。

まちづくりと恩湯
長門湯本温泉では、現在、魅力的な温泉街を再生するために、6つの要素「風呂(外湯)」「食べ歩き」「文化体験」「そぞろ歩き(回遊性)」「絵になる場所」「休む・佇む空間」 に沿って、官民が連携してまちづくりを進めています。

私たち長門湯守のビジョンは「長門湯本のパブリック空間活用で生まれる新しい暮らしの集積から、固有の生活文化の創造へ」。
休憩スペースを併設した外湯や飲食棟、ゆっくりと佇める川床テラスの運営を通じ、生活者と観光客が共に行き交う温泉街の中心となる予定です。

おとずれリバーフェスタ2018では市内外からたくさんの人たちが訪れ、連日賑わった

2017年から二度にわたって行われた大掛かりな社会実験や様々なイベントでは、川辺や橋、道路などのパブリックスペースを活かし、沢山の方々に未来の街の姿を楽しんでもらいました。

こだわりレシピのフードやドリンクを提供するおしゃれな屋台、子供達が駆け回る飛び石や雁木広場、せせらぎでくつろげる川床や足湯。

連日おとずれた沢山の若者や家族連れの姿に、「こんなに沢山の人を見るのは何年振り!」と嬉しそうだった地元の方の笑顔が忘れられません。

長門湯守がまもるもの
里山の原風景を感じさせる深い森に囲まれ、穏やかな音信川に沿って広がる長門湯本温泉。1960年代以前には、川沿いに小宿が肩を並べ、八百屋、お肉屋、土産物屋などと共に街の賑わいを形作っていました。

旅館が内湯を備えていなかったその時代、旅人は必ず恩湯(外湯)に入り、通りには常に湯下駄の小気味よい音が“カランコロン”と響いていたと言います。温泉に恵まれた地ゆえ、お風呂を持たない家も多く、街の住民も恩湯を日常的に使っていたそうです。


昭和30年代の長門湯本温泉(写真提供:まちかど資料館)

2017年9月〜10月 河川空間の活用、夜間警官の演出、交通機能再編による空間活用を検証するためにの社会実験と、未来の温泉街をイメージして体感する試み「おとずれリバーフェスタ」を開催。
古来より長門湯本の生活の礎となってきた温泉と音信川

恩湯に近い川沿いには、長門湯本ならではの「公衆洗濯場」があり、川へ流れる温泉水を使って住民が談笑しながら洗濯に励む。そんなほのぼのとしたコミュニティも、この場所にありました。

住民も旅館で働く料理人も、夕朝食の食材を街の商店に買いに行く。街を訪れた人々と、恩湯や川沿いで自然に触れ合う。

そこには恩湯を中心とした日々の営みが存在し、高度経済成長期を経て、失われつつある「歩いて楽しむ温泉街」の姿が、確かにありました。

長門湯守は、人々が集い続けたこの場所の魅力を改めて見つめ直し、長門湯本の自然資本である温泉、音信川の環境を尊重し、生活者の暮らしの喜びに即した固有のまちづくりを目指します。

人口減少や地方の過疎化が指摘されるなか、温泉再建の道は平坦ではありませんが、様々な専門家や地域の方々の助けを経て、私たちの計画は一歩一歩前に進んでいます。


穏やかな音信川は昔も今も、かけがえの無い長門湯本の自然資本

長門湯守とは
長門湯守は、恩湯民営化の機会にあたり、その存続を自らの責務として、地元の旅館若手、飲食店、デザイナーの4人のメンバーにより設立されました。

湯本固有の生活文化を築いていくことが、人々を惹きつける魅力になると信じて、恩湯の再建だけでなく、長門湯本温泉のまちづくり計画でも中心的な役割を果たしています。

https://onto.jp/efforts/

229. 中川隆[-15641] koaQ7Jey 2021年11月02日 10:58:56 : Pr6dz97TYY : VVQ0VERMZ3pEOW8=[9] 報告
湯本温泉 恩湯 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B9%AF%E6%9C%AC%E6%B8%A9%E6%B3%89+%E6%81%A9%E6%B9%AF



山口県長門市 湯本温泉 礼湯 (れいとう) 2015/07/04
2015/07/12




山口県長門市の湯本温泉の礼湯(れいとう)のようすです。湯本温泉には恩湯(おんとう)と礼湯(れいとう)2つの公衆浴場があります。礼湯は施設が新しく綺麗です。





古い町並 長門湯本温泉 長門市 山口県
2020/04/15




山口県を代表する古くからの温泉で、江戸期には藩主も度々湯治に訪れていた。共同浴場は礼湯と恩湯の2ッあり、江戸期には礼湯は武士や僧侶、恩湯は一般の人が利用できた。
礼湯は2019.3月に閉館となり、恩湯は訪ねた時には建て替え中だったが2020.3月にリニューアルオープンしている。




【時を超える廃墟探索】山口県湯本温泉 道祖神の里
2020/08/19




廃墟探索のため7年前にタイムスリップしました
こんなことでもバタフライエフェクトが発生するので
現在になるべく影響が出ないよう探索することに気をつけました






長門湯本温泉:礼湯の営業が終了しました。2019.03
2019/04/03




2019年3月31日(日)、地元に長年親しまれてきた市営公衆浴場 礼湯(れいとう)がいよいよ最終日を迎えました。「礼湯」は温泉湧出の原点である「恩湯(2020年春に再建予定)」から少し坂を上がったところにあり、休憩所が完備されたバリアフリーの共同浴場として、広く地域の人々に愛されてきました。
長年に渡る長門湯本の市営公衆浴場の歴史は一旦幕を閉じたものの、今後は地元有志が結成した長門湯守株式会社による「恩湯(おんとう)」の再建に注目が集まっています。新しく生まれ変わっていく長門湯本のまちづくりに、期待が高まります。

【長門湯本温泉の観光まちづくり】
山口県でもっとも古い約600年の歴史をもつ長門湯本温泉では、地域の魅力を見つめ直し、古き良き伝統を受け継ぎつつ、未来に向かってまちづくりが進んでいます。
2020年3月には、歴史ある入浴施設「恩湯(おんとう)」が地域の若手達によって再建されるほか、星野リゾートが温泉旅館ブランド「界」がオープン予定。観光まちづくりを進めるために、専門家による検討会議、住民とのワークショップや意見交換会、民間事業の促進や地域イベントの開催など、公民が連携して、新しい長門湯本の温泉街を作り出す試みが着々と進行中です。

詳しくは下記リンクよりご覧下さい。
https://www.yumoto-mirai.jp





長門湯本温泉 恩湯 アクセス
2013/08/17




長門湯本駅から共同湯の恩湯までのアクセス




恩湯 岩盤自然湧出
2021/03/11




長門湯本温泉の元湯である恩湯(おんとう)は、岩盤の割れ目から温泉が自噴する様を観ながら入浴できる全国でも珍しい温泉施設。太古の昔より脈々と湧き続ける新鮮なお湯の神秘的な姿をご覧下さい。【注意:恩湯内は原則撮影禁止です。特別な許可を得て撮影しています。】




ななびでお 湯本温泉 恩湯 2011/11/22




長門市深川湯本の湯本温泉・恩湯のご紹介です。




600年の名湯 新生「長門湯本温泉」の挑戦
2020/10/18




山口県北西部に位置し、約600年の歴史を持つ長門湯本温泉。観光客の低迷に苦しむ温泉街が活性化を図り、今年春に再整備を終えた。

 昭和58年に約40万人だった宿泊者数は、平成26年には半分以下に落ち込んだ。さらに同年、老舗旅館が倒産し地元旅館関係者らの危機感が強まった。長門市は旅館跡地に高級旅館などを手掛ける「星野リゾート」を誘致。観光客に何度も訪れてもらえるような場所を目指し、官民共同で約4年かけて街ごとリニューアルした。

 車道を歩道に変えてベンチを多く設置し、浴衣姿でそぞろ歩きができる街の中心部。住民や観光客に親しまれてきた公衆浴場「恩湯」は建て替えて一新した。

 だが伝統ある温泉街の改革は容易ではなかった。車道が減ることで、地元の高齢者から不満が出た。「整備中に観光イベントを開き、今まで来たことがない若者でにぎわったことで、地元の意識も変わったのではないか」と同温泉旅館協同組合の伊藤就一理事長は振り返る。

 廃屋だった古民家は土産物店として再生した。地元で生まれ育った赤川孝昭店長は「公衆浴場が公営から民営になったことで、料金が上がり不満を漏らす住民もいますが、お互いが歩み寄ることが大切では」と話す。

 コロナ禍に襲われ、厳しい環境での再スタートとなった。多くの旅館でキャンセルが相次ぎ、休業せざるを得なくなったが、現在は「Go To トラベル」で客足が戻りつつある。温泉街の闘いは始まったばかりだ。(写真報道局 宮崎瑞穂)



230. 中川隆[-15640] koaQ7Jey 2021年11月02日 11:13:00 : Pr6dz97TYY : VVQ0VERMZ3pEOW8=[10] 報告
昔の湯本温泉の公衆浴場の口コミ


湯本温泉市営公衆浴場 礼湯
りゅう さん 男性 投稿日2016/05/20

湯本温泉のこじんまりとしたバリアフリーの共同浴場。
予算200円

湯本温泉の公衆浴場です。昔、湯本温泉に観光で行った際に立ち寄りました。ここには公衆浴場としては「恩湯」とこの「礼湯」の2つがありますが、レトロ感漂う恩湯に対して、礼湯は平成14年にリニューアルされて外観、浴場ともに綺麗に整備されました。バリアフリーにも対応していて湯の温度は若干高めです。内湯のみですがこじんまりとしていて落ち着ける温泉ですし、何より入浴料金が安いのが魅力ですね。(大人200円、小人100円)
https://www.ekiten.jp/shop_2393205#kuchikomi_2118694

昔の長門湯本温泉「恩湯(おんとう)」の口コミ

LOTTYさんグルメツウ LOTTYさん 男性/50代カップル・夫婦
【注意】2018年は新築工事中で入れません

湯本温泉に宿泊後、訪れましたが、現在新築工事中で、平成31年夏にオープンだそう。ここを目指して来られる方は要注意です。大きな看板が地面に保管されていました。なお札湯は開いています。
行った時期:2018年1月
混雑具合:空いていた
滞在時間:1時間未満
投稿日:2018年1月16日

うえださん山口ツウ うえださん 男性/30代一人
200円で入浴できます
200円で入浴できる公営浴場です。 お風呂は広くありませんが、 泉質がよく、 昔の懐かしい銭湯というかんじです。
行った時期:2017年1月
混雑具合:空いていた
投稿日:2017年2月7日

落武者さん山口ツウ 落武者さん 男性/30代家族
とっても気持ちいです。
昔からよくここを利用します。 泉質がいいのはもちろん、 温泉に200円で入れるのはとてもうれしいです。
行った時期:2016年8月
混雑具合:空いていた
投稿日:2016年8月20日
https://www.jalan.net/kankou/spt_35211cc3362030791/


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