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大衆人からかけはなれた美しい人
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/177.html
投稿者 中川隆 日時 2013 年 10 月 16 日 17:42:27: 3bF/xW6Ehzs4I
 


外国人の目で明治の日本を様々に描写した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は,明治二十七年に出版した『知られぬ日本の面影』に収められた『おばあさんの話』の中に,そんな「大衆人からかけはなれた美しい人」の佇まいを描写している。

『今ではもう,いかなる民族も,私がこれから語るような人物を生み出すことは出来ないだろう。その女(ひと)は,私ども西洋世界の人間には想像もできないほど厳格な躾によって育まれた。

その理想とは,他人のためだけに働き,他人のためだけを思い,他人のためだけに生きる女,限りない愛情と限りなく無私の心を持ち,犠牲を厭わず,返礼を求めない,そんな女だ。しかし,何世代にもわたり幼い頃からあらゆる面で厳しく教え込むことにより,ついにそのあり得べからざる理想が現実のものとなった。

(略)女性というものが教育によってどれほど変わりうるかを見事に証(あかし)していた。こうした女性は声高に褒められることもなく,静かに愛され,見習われた。女性の鑑といっても人さまざまである。私はその中でも最も素朴な人,私の一番良く知る人のことを語りたい。

それは,やせた小柄な女性で,いつも黒い着物を着て,梅干しのように皺だらけの顔をしている。もう六十八歳になるが,髪はまだ烏の濡れ羽色──つまり日本人に典型的な濃い藍色をしている。歯は至って丈夫で,若い娘のように白くて美しい。そして,まるで子供のように明るく住んだ鋭い瞳をしている。その上,足腰も達者で,一里や二里なら平気で歩いて,神社やお寺の祭礼にでかけてゆき,孫達の喜びそうなおみやげを買ってくる。(略)

今も昔もおばあさんは一日中,絶えず人の世話を焼いている。冬でも夏でも朝一番に日の出とともに目を覚ます。奉公人を起こし,子供達に着物を着せ,朝食の支度を指図し,ご先祖様へのお供え物を按配する。(略)

肉親以外の者が家を訪ねてきても,おばあさんの姿を見かけることは,まずない。たとえそれが血筋の者でもおばあさんは腰を下ろして話し込んだりしない。そんなふにうに仕事を怠けていてはお天道様に申し訳ないと思っているのだ。だからおばあさんと話したかったら,子供の世話,衣服や蚕や菜園の手入れ,食事の支度などをしている最中を選ばなくてはならない。来客のもてなしはすべておばあさんが取り仕切っているのに,その存在は伝説のように人伝てにしか知ることができない。(略)

小さい頃からおばあさんをよく知る老人達は,おばあさんが人を悪く言うのを聞いた事がないと断言する。でもおばあさんはとても辛い目にあってきた──たくさんの武家が金貸しに騙されて潰されていった時代にはおばあさんも随分ひどい仕打ちを受けた。

その上,多くの愛する者たちと死に別れた。しかしその苦しみも悲しみも,おばあさんは決して人に漏らさない。怒りを露わにすることは一度もない。世の悪行についておばあさんはお釈迦様と同じように考える──それは迷いであり無知であり愚かなのだから,怒るよりも憐れんでやらなくてはいけないと。おばあさんの心には憎しみのつけいる隙もない。

(略)私はおばあさんがこれから先,少なくとも五万年くらいの間は生まれ変わってこない様な気がする。この人を作りあげた社会の条件はとうの昔に消え去っている。そして次に来る新しい世の中では,どのみち,この様な人は生きていけないだろうから。』
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/10/15/fujii-59/  

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01. 2013年10月16日 22:04:40 : W18zBTaIM6

「優しさ」の重要性が分かるのは、自分がどんな状態の時か? 2013-10-05


TrueMove H : Giving
_http://www.youtube.com/watch?v=7s22HX18wDY


最近、日本では踏切で倒れていた高齢者を助けようとして、父親の目の前で電車に跳ねられて亡くなった心優しい女性がいた。高齢者は助かったが、彼女は助からなかった。

日本人は冷たくなった、日本人は他人に構わなくなったとは言っても、やはりこういった優しい女性はまだいる。不運だったが、その天性の優しさは心に染み入るものがある。

こういった女性の優しさは、性格から来る。ときどき、本当に優しい女性がいる。

これは、仏教国だとかキリスト教国だとか関係なく、相手がどんな人間であっても、親切や優しさで迎え入れ、自分の得にもならないのに、困っている人を助けて上げる人がいる。

私たちは、そうなりたいと思っても、利害や我が身可愛さに生きているので、なかなかそうはできない。

しかし、普通の人々が逡巡しているのを尻目に、優しさを持って動く女性が世の中には存在する。日本にも、こういった優しい女性がいるということは、大きな救いだ。

「優しさ」が心に染み入ってくるのはどんなときか?

こういった人の情けや優しさは、自分がどん底に転がり堕ちたときに、いかにありがたいかが分かる。

自分が順調満帆なときは「他人の優しさ」などまったく意に介さないのが人間だ。しかし、誰でも順調ではないし、人生を長く生きていると、いろいろなことが起きる。

挫折することもあるだろう。失恋することもあるだろう。夢が破れることもあれば、仕事を失ったり、事業に失敗することもある。裏切られることもあれば、騙されることもある。

最も信頼している人に裏切られたり、最も大切にしている人が去って行ったりすることもある。

あるいは、そのすべてを乗り切っても、自分が病気になってしまったり、歳を取ってかつてのように力を出し切れなくなってしまうこともある。人生は、そのすべてが起こる。

これを読んでいるあなたも、挫折の経験がまったくないと言い切ることはできないはずだ。

いろんなものを乗り越えて、今後も大丈夫だと自信を持っていたとしても、何が起きるのか分からないのが世の中だ。私たちは、間違いなくどん底に堕ちてしまうのである。

「優しさ」が心に染み入ってくるのは、そんなときだ。

順調なときには何ら気にもしなかったもの、むしろ馬鹿馬鹿しいと一笑に付していたもの、取るに足らないと見向きもしなかったもの……。

自分が弱って、自分が困り果て、自分がどん底でもがいているとき、優しさを持って助けてくれる人が出て、やっと優しさの意味が分かる。

優しさとは、自分を救済するものであったことを……。

村田奈津恵さん。踏切で横たわる高齢者を助けて、自分は亡くなった。普段から優しい性格の女性だったという。



02. 2013年10月16日 22:05:54 : W18zBTaIM6

フィリピン女性の優しさは日本女性にも匹敵する


水谷竹秀氏の「日本を捨てた男たち」という著書がある。

男たちの勝手な都合で、フィリピンで経済的に困窮して、物乞い寸前にまで困窮した日本人男性の現状をルポした非常に興味深い書籍で、大きな話題にもなった。

これを読み進めると、最初はフィリピンで困窮した男たちの姿に呆気にとられていくのだが、私の場合は途中で視点が入れ替わって、フィリピン女性の「優しさ」がひとつひとつ身に染みていった。

このだらしがなく、情けない男たちが、身勝手な理由でどんどん困窮していったとき、底辺に堕ちた彼らを助けたのは、貧しい女性たちだったのである。

貧しい女性が、貧しい日本人を助ける。得体の知れない日本人を、自分には何の得にもならないのに、食事を与えたり、仕事を与えたり、金を上げたり、住まわせて上げたり、自分の力の範囲で助けるのである。

フィリピンでは貧しい者が、互いに助け合う文化があるとよく言われているが、それはこの書籍を読むと、本当のことなのだとしみじみと伝わって来る。

だから、私はこの書籍を困窮した日本人の話として読んでいたのではなく、困窮した日本人を助ける貧困層のフィリピン女性の物語として途中から読むようになった。

この書籍には、さらにフィリピンに移住した日本女性も出てくるのだが、彼女もまた経済的に困窮した日本人に、お金を用立てたりする優しい人なのである。

フィリピン女性がいかに優しいか、私はよく知っている。もちろん、かなりずる賢い、あからさまにワルの女性もいて、全員が全員とも優しいわけでもないのは事実だ。

だから、あからさまにフィリピン女性を美化するつもりはないのだが、優しいフィリピン女性の気質は日本人女性にも匹敵する。

水谷竹秀著「日本を捨てた男たち」。フィリピンで困窮していく男たちの姿を描いているが、同時にフィリピン女性の優しさも身に染みる。


____


TrueMove H Giving
http://www.youtube.com/watch?v=7s22HX18wDY


日本人はこの動画を見ると、素直に心に染み入るはず

最近、タイで人々の涙を誘い、ユーチューブにアップされると世界中で1200万人が視聴して感涙したという動画がある。

タイの携帯電話業者である TRUE が制作した映画なのだが、功徳を積めば必ず良いことが返ってくるという仏教の「因果応報」をよく取り入れた動画だった。

1200万人を感動させたこの動画を、あなたはもう見ただろうか? まだ見ていなければ、以下から見て欲しい。

簡単な英語の字幕があるのと、言葉よりも映像で見せる配慮をしているので、日本語の字幕がなくても分かると思う。

30年前、母親が病気で、母親のために栄養剤を万引きをして捕まった少年が、近くの食堂の店主に助けてもらうところから話が始まる。

30年後、その店主が倒れて病院に運ばれるのだが、治療費がない。娘は泣きながら店を売り、何とかお金を工面しようとするが、それでも足りない……。そんなショートムービーである。

私たち日本人はこの動画を見ると、素直に心に染み入るはずだ。因果応報を知っているから「分かる」のである。優しさを与えれば、優しさが返ることを知っている。

そして、それがとても重要なことであることも理解できる。そして、実際にそんな優しさを与えてくれる人が、世の中に存在することも知っている。踏切で救助死した女性はまさにそんな女性だった。

優しい女性は、それだけで私にとっては尊敬すべき人だ。
_http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131005T0547120900.html?a=l0ll


03. 2013年10月16日 22:07:23 : W18zBTaIM6

インドネシアの人懐っこい人たちや、豊かな自然を思い出す 2013-10-11


インドネシアは、多くの島々が寄り集まってできた国だ。

ジャワ島を中心にして、その東西に多くの島々が連なり、西はアチェのあるアジア大陸の東南から東はオーストラリア大陸の北東まで、その広大な国のスケールは類を見ない。

島々には独特の文化と言語がある。

ジャカルタは東京と変わらないような大都会なのに、僻地の島に行くと裸族のような暮らしをしている人たちもいる。

これらの島々を取り囲むものが海であり、インドネシアは「海」を想い起こさせる国だ。

夜、インドネシアのことを思うと、潮騒の単調な音と、海のにおいを思い出す。インドネシアの海は郷愁を感じさせ、旅情を燃え上がらせる。

夜のインドネシアはとてもロマンチックだ。何よりも、空にはたくさんの星がきらめいており、遠くに見える島影や、船のシルエットはとても美しい。

"Dari mana?"(どこから来たの?)と問う人たちのこと

私が旅してきたインドネシアはジャカルタを中心としたジャワ島のものではなくて、シンガポールを南下したリアウ諸島のものである。

リアウ諸島はインドネシアから見ると僻地であるが、私の心の中では常に郷愁の中心地だ。

もちろん、ジャワ島やスマトラ島、それにカリマンタン島にも訪れており、それぞれの地域の違った特色を感じ取れた。

インドネシアの田舎は、どこか日本の田舎に似ていると思う瞬間がある。素朴さ、優しさ、信仰の厚さ、そしてもてなしてくれる人々の絶えない笑み。

何もすることがなくなった日中に島の郊外を散策すると、子供の頃に日本の田舎で見たのと同じようなあぜ道が続いている。

暑いので、大人はみんな建物の奥に引っ込んでおり、表で遊んでいるのは子供たちばかりだ。大きな目をくりくりとさせて、好奇心いっぱいに私を見つめ、寄って来る。子供たちが訊くのはみんな同じだ。

"Dari mana?"(どこから来たの?)
"Jepang"(日本だよ)

子供たちは歓声を上げてついてくるが、もちろん日本がどこにあるのかは知っている子供はひとりもいないだろう。しかし、遠くから知らない人が来たというのが嬉しいのだ。

赤ん坊を抱えてこちらを見ている若い母親もいる。若い父親も興味津々でこちらを見つめ、そして声を掛けてくる。

"Dari mana?"(どこから来たの?)

暑いので、大人はみんな建物の奥に引っ込んでおり、表で遊んでいるのは子供たちばかりだ。


インドネシアの人懐っこい人たちのこと

インドネシアの人々は、みんな人懐っこく親切だ。

知らない旅人がさまよっていると、必ず呼び止めて、お茶でも飲んで行けと自分の小さな家に誘ってくれる。

それは、きちんとしたカンポン(集落)のテラスのある家屋のときもあれば、掘っ立て小屋のような建物のときもある。

誘われるがまま家に入ると、必ず幼児や赤ん坊がいて、お母さんがいて、お茶のみ仲間のような、近所の女性たちがいる。人々の自然な付き合いがそこにある。

テレビがある家庭に、近所の人たちは暇つぶしに集まってくるようだ。

私がお邪魔すると、飲み物が出されて、言葉の分からない不自由な会話をするが、子供は必ず見知らぬ私に関心を示してよちよちと寄ってくる。

一緒に遊んでいると、近所から入れ替わり立ち替わり、いろんな人がやって来て、私を見に来る。外国人がひとりでふらふらと僻地を歩いていることなど滅多にないので、近所の人たちにはいい暇つぶしなのだ。

そして、彼らは私を見ながらインドネシア語で議論しているのだが、その会話の中には、"Jepang"(日本)という単語がたくさん入っているのだけは分かる。

敵意を持っている人は誰もいない。誰もが私に関心を持ち、いろんなものを食べろ、食べろと持って来てくれる。どこの国でも旅行者には親切だが、インドネシア人の素朴さは、とても忘れがたいものがある。

暑い国なので、男たちはみんな目付きが悪いのだが、見た目とは裏腹に、優しい性格の人が多い。そして、女性はなぜか、男の凶暴な外見とまったく違って美しい。

インドネシア人の女性の特長は、とても大きな目に尽きる。まるで作り物のような大きな目なのである。

東南アジアの女性の中で、インドネシア女性の瞳は最も美しいのではないかとも思う。

ふらふら歩いていると、必ず家に招待されて、近所の子供たちも珍しがってやって来る。


日本の原風景を思わせる懐かしい風景のこと

インドネシア・リアウ諸島のいくつかの島を巡っていると、港町を外れるとすぐに林道になって、自然に囲まれる。

その自然はとても豊かで、緑も強い。しかし、日本の田舎町のような雰囲気があって、初めてなのに懐かしい。

ひらひらと原色の蝶々が飛んでいたりする。鬱蒼とした雑木林の向こうから聞こえてくるのはセミの鳴き声……。

知り合った子供たちに連れられて雑木林に入っていくと、もう虫の鳴き声以外に何も聞こえなくなる。

インドネシアには季節はない。夏が唯一絶対の支配者だ。

だから、日本で季語になるところの、春の蝶々と、夏の蝉と、秋の虫が交互に現れるのではなくて、同時に共存して存在を競い合っている。

ありとあらゆる虫の鳴き声が、耳をつんざくように共鳴しながら、しんしんと鼓膜に降り注ぐ。

あぜのわきには水路があって、トンボが群れをなして飛んでいた。インドネシアではトンボもよく見かける昆虫だ。トンボは水が美しいところに棲息する。

トンボが群れをなして、竜巻の黒い渦のようになって飛んでいるのは、インドネシアに来て初めて見た。

そういった違いはあるけれども、全体的に見れば、どうにも日本の田舎町のように見えて仕方がなくなる。

ふと立ちどまって、外国にいることを忘れてしまう。遠い日の童心を思い出して心が熱くなる。空を見上げれば、夏の入道雲が見える。

強烈な太陽は、夕方になると真っ赤な熱を放射しながら落ちていく。そして、どこからともなく不規則に飛ぶコウモリがやって来て、森の上空を徘徊しはじめる。

インドネシアの島々を巡りながら、ここに原日本の故郷を見てしまう私は、灼熱の太陽に錯乱してしまったのだろうか。

いや、そうではないと思う。

インドネシアの島々にこそ、日本人が経済大国への道をひた走る過程で捨て去った郷愁と安らぎが残っていた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131011T0541400900.html?a=l0ll


04. 2013年10月16日 23:09:47 : W18zBTaIM6

タイ山岳民族は日本の弥生人と同系の民族

タイ山岳民族

http://wee.kir.jp/thailand/tai_people.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/4525/introduction.html

三輪隆文集・「黄金の三角地帯から」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1850/essays.html

タイの山岳民族(三輪隆)
http://column.chaocnx.com/?eid=22870

タイのアカ族と日本との不思議な共通点


遠い昔にどこかで見たような懐かしい風景が広がっています。

アカ族はこの国の先住民族ではなく、リス族同様に中国やビルマからこの国に移住してきた民族です。この国に入植した歴史は新しく、まだ100年ほどしか経過していないそうです。

この民族は他の民族同様に、中国の雲南省、ビルマ、ラオス、及びタイ北部にまたがって広く分布している。

現在、北部タイの山岳地帯には300余のアカ族の村があり、約5万人が暮らしている。

焼畑農業によって主食の米を作っているのは他の山岳民族と同じです。

伝統的にすべてものに精霊が宿り、精霊が人を幸せにも不幸にもするとしたアニミズムの信仰を続けているが、近年、キリスト教の布教活動によって改宗した者も多い。


パトォー・ピー(精霊の門)

山頂に築かれたアカ族の村。


アカ族の村の入口には、パトォー・ピー(精霊の門)と呼ばれる日本各地の神社にある鳥居にそっくりの門が建っています。

この門は必ず村の入口2ヵ所以上に築かれ、悪霊が村に侵入しないように結界の役目を果たしています。

峻険なドイ・メーサロンの山中は山岳民族の宝庫なのですが、もっとも多くこの地に居住しているのはアカ族です。

アカ族の中では、もっとも早く北部タイの地に移住してきたのは、ウロ・アカ族だと言われている。

この国では、ウロ・アカ族とロミ・アカ族がもっとも多く、他にはパミ・アカ族という支族がわずかにビルマとの国境周辺に集落を築いて住みついている。

右側の女性は、杵でもち米をついてもちを作っていました。

アカ族は、精霊と共に生きる民族と言われるぐらい、精霊との関わりの強い民族である。

アニミズムの信仰を続けているアカ族の村の入口には、上の写真のように必ずパトォー・ピー(精霊の門)が設置されています。

いまでは迷信扱いされ、村人からも忘れ去られようとしている存在のこの門ですが、昔は村を訪れたすべての人がこの門を潜って村に入らなければいけないとされていた。

その人について来た悪霊が村に侵入して悪さをするのを防ぐためである。
アカ族の伝統的な宗教の根幹とも言えるパトォー・ピーには、木製の鳥が数羽止まっていたり、支柱に幾何学模様が刻まれていたり、竹で作った風車のようなものが取り付けられたりしています。

そして門の脇には、悪霊に対する強力な武器として、鉈や弓矢が置かれていることもあります。


アカ族の村のモー・ピー(祈祷師)。

モー・ピーは山岳のどの村にもいて、さまざまな行事を執り行なったり、病人を治癒したりします。

病人が重い病気の時には、よりパワーの強い祈祷師を他の村から呼び寄せたりするのですが、基本的にその村のモー・ピーが祈祷によって村人の治療にあたります。

病人のいる家の床下で祈祷を行なうのが、より効果的だと言われています。

この時には、犬とアヒルが生贄とされていました。

器の中には、精霊の大好きな酒が満たされています。


アカ族は自由恋愛の民族と言われていて、どの村にも若い男女が集まって愛を交わす場所というものがあるそうです。

アカ族はリス族のように社交的ではなく、どちらかと言えば閉鎖的な民族だが、一度仲間と認めるとどんなことがあっても相手を裏切らない、実に律儀な民族です。
http://maesai.main.jp/page068.html


アカ族はタイ、ラオス、ミャンマー、中国雲南省にかけて住む少数民族です。

タイへは20世紀初め頃から、雲南省より南下し、現在海抜800m以上の山岳地帯に住んでいます。

焼畑を中心とした農耕生活を営み、質素な暮らしをしています。

信仰はアニミズムであらゆる物や自然現象に霊が宿ると考えます。

自然崇拝に加えて祖霊崇拝を重要視しており、驚く事に、系譜をたどり初祖にいたるまで60以上もの先祖の名前を暗唱できます。

アカ族の社会が父系制で、名付け方法が「父子連結名」のため、これを可能にしています。

「父子連結名」とは子供に父親の名前の一部を付けることです。

「我が父、家康。家康の父、秀吉。秀吉の父、信長。信長の父・・・」と続けるととても覚えきれませんが、

「我が父、家康。家康の父、吉家。吉家の父、秀吉。秀吉の父、長秀。長秀の父、信長・・・」

となれば多少覚えやすくなります。

名前と同じようにしてアカ族は自分の祖先がどこからやってきて、どこに住んでいたかを暗記しており、彼らの移住経路をたどることができます。

特別な儀式や葬式などでこれらは朗唱されます。

またアカ族のある2人がお互いの関係を知りたいと思ったら、彼らは自分の系譜を唱えます。

祖父の代から始め、曾祖父、曾々祖父・・・と繰り返し、お互いの共通の先祖が現れるまで続けられます。

アカ族は文字を持たない民族ですが、文字の代わりに語り継ぐことによって民族の歴史、伝説を記憶に保存しているのです。


アカ族の風習には日本と不思議な共通点があります。

アカ族では、稲の種まきの始まる毎年4月に、村の出入り口に木造の「門」を作ります。

この「門」は日本人なら誰でも知っている見慣れた「門」です。

垂直に立てられた2本の木。その上に水平に乗せた木は垂直の2本の木の間隔よりもやや長く、両端が少し反っています。

これらの門には縄が張られています。

そう、神社で必ず見かける「鳥居」と「しめ縄」にそっくりなのです。

この「門」には、木製の鳥が数羽載せられています。

日本の「鳥居」は「鳥の居る場所」と書きます。

現在の日本の鳥居には鳥はみかけませんが、「鳥居」の文字で分かるように、そのルーツには鳥が関係していることがわかります。

大阪和泉市の弥生時代の遺構から、アカ族の村の門に置く鳥とまったく同じ形の木彫りの鳥が見つかっています。

古代日本の鳥居には恐らく、鳥が据えられていたのでしょう。

アカ族のこの鳥居に似た「門」は神聖なもので、村人以外の人間は触れてはなりません。

村人たちは門が完成すると儀礼を執り行ない、その後この門をくぐり、村の中に入ります。

天の神が鳥に乗って降りてきて、邪霊や悪鬼を祓い、村人たちを守ってくれると信じられています。

なぜ幾千キロも離れた日本とアカ族に共通点があるのか?
誰しも疑問に思うはずです。

この謎を調べて行くと興味深い事実と歴史が浮かび上がってきます。
それは日本人のルーツにもつながっていきます。
http://www.cromagnon.net/blog/2004/07/post_85.php


倭族と鳥居

神社にある鳥居の起源って?これは昔から不思議に思っていたのだけれど、どうも東南アジアから東アジアに広がる“倭族”に共通した信仰・風習を起源としているようです。

「鳥居論---ニッポン人の鳥信仰とその出自」

鳥越憲三郎氏は「倭族」という概念で、中国南部や東南アジア、それから朝鮮南部および日本に共通して残る習俗を括る。

その氏によって、雲南省やそこに隣接する東南アジア北部の山岳地帯に棲むタイ系諸族(アカ・ハニ族など)に「鳥居」が見出されている。

それは左右二本の柱の上に笠木(横に渡す木)を載せたものだ。

ただし、これは「社(やしろ)の門」ではなく「村の門」(「ロコーン」と言う)だ。

「鳥居」の起源は、共同体(村)へ侵入する悪霊を防ぐ結界門だったのである
(「締め縄」とはそういう意味だ)。

 そして、果たしてその門の笠木には木製の鳥が止まっていた。

実は、吉野ヶ里遺跡を始め、わが国の弥生時代の遺跡からは木製の鳥が頻出している。
だが「鳥居」は残っておらず、どこにどう止まっていたのかは分からない。

「村の門」には左右の自然木に「締め縄」が渡されただけのものもある。
それらにはしばしば「鬼の目」がぶら下がっている。

鬼の目とは竹で編まれた悪霊を追い払う呪具(「籠目」もその一つ)で、現代の日本の締め縄にも吊されている。(中略)

再び中国大陸に戻ろう。

南部に住む苗(ミャオ)族の村の中心には芦笙(ろしょう)柱というものが立ててある。
苗族の神樹・楓香樹で出来ている。

てっぺんに木製の鳥が止まるのだが、その柱には竜が巻き付いている。
しかも柱の上部には牛の角が左右ににょきと突き出している。

ここに正月(苗年)祭りのときには、一対の神聖な銅鼓(どうこ)が下がられていたはずだ(というのも今ではもうほとんどの銅鼓が失われている)。

 実は朝鮮のソッテでも一本柱の場合、鳥杆に竜に見立てた綱が巻かれる。

芦笙柱、そしてソッテとはもう明らかだろう。神話的世界の中心にそびえる「世界樹」である。

文字通り、木である場合も、山である場合もある。

そして、それは聖林となり、社となった。

天に向かいそびえるもの、すなわち、神を呼ぶもの、依り代が世界樹の本質である(注)。

そして、鳥は神を運ぶ神使であり、依り代でもある。

http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=191832

112 :出土地不明:2009/06/18(木) 23:22:16 ID:H5jIqf+0

中国少数民族には、太陽は鳥が引っ張ってくると言ういい伝えがある。

だから、太陽を引っ張ってもらう鳥に止まってもらうために鳥居がある。
鳥が太陽を引っぱってくれないと朝があけない。

実際に、鳥の模型を止まらせた鳥居もある。
少数民族の鳥居には、鳥の模型を止まらせたものもある。


113 :出土地不明:2009/06/19(金) 01:43:48 ID:9/5gRbpN
太陽の船には鳥がとまってるよ

タイの山岳少数部族「アカ族」について


 「アカ族」はタイ北部の山岳地帯に暮らす少数民族で、日本と同じ稲作文化、精霊信仰を持ち草木染めなどカラフルな色の民族衣装を着て生活しています。

 顔などは日本人そっくりで、村の入口には鳥居を思わせる門があり、お歯黒の習慣を持っているなど日本と共通のルーツを思わせます。

一方で、婚姻制度は父系制で、代々父親の名の一部をとって子供に命名していく「父子連名法」により、各自が50代以上にわたる祖先の系譜を暗記しているなど、母系制度が色濃く残っていた日本の農村とは異なる文化も見られます。 


■アカ族の村 

 人口約50,000人。メーサイを中心としたチェンラーイ県にほぼ集中して約120の村がある。

標高1,000m以上の高地の山頂近くの斜面にへばりつくようにして集落を形成する。

高床式の家に住み、男女の部屋が別々なのが特徴。

 女性の民族衣装は、銀貨や銀細工、ビーズ等をあしらったカブトの様な重い帽子を被り、黒いミニスカートに脚絆という出で立ちで、帽子は作業中もおろか就寝時もこのままだ。

帽子を脱ぐと悪霊が頭から入ってしまうそうだ。

アカ族の女性は温和で素朴、優しくてサービス精神に富み、働き者で知られる。
   
 アカ族は最も奇妙な習慣をもつ山の民で、あらゆる物に精霊が宿ると信じている典型的なアミニズムである。

村の霊、山の霊、光や風にも霊が宿るという。

水の霊を恐れるために水浴をも嫌う。
   
 村の入口には、日本の鳥居と同様の門が築かれ、木製の男根と女性器の偶像が村の神様として祀られている。

これは悪霊や疫病から村人を守り、子孫の繁栄や穀物の豊作を祈願するものである。

奇祭として知られる村の大ブランコ乗りの儀礼は、豊作を祈って稲穂が風に揺れるブランコにイメージさせる 「親感呪術」 という説と、身体を振ることで体内に住む悪霊を振り払う説と、昔アカ族の村に女の子が生まれなかった頃、森の中でブランコに乗った妖精を見つけて村に連れてきたことをお祝いするという説があり、祈祷とお清めの場でブタを殺して4日間儀礼を行う。
   
 アカ族はいわゆるフリーセックスで、自由恋愛の民族で、どの村にも男が娘を抱く広場、ハントする場所がある。

若い男女は毎日ここに集まり、黄昏の刻から親交を深め、目出度く成立したカップルは闇に包まれた森の茂みの中に消えて行く。

ただし、双生児が生まれた場合は悲惨で、その赤ん坊は不吉なものとして殺さねばならない。生んだカップルも村を追い出され、出産した家は焼き払われる。


■アカ族の家族 

 アカ族は普通、男性で十七歳から二十歳、女性は十四歳から十七歳ぐらいまでの間に結婚する。

集落の中には若者が集まる広場があり、竹や木で作ったベンチがしつらえられ、夜になると若い男女が集まってきて自由に語り合う。

特に農閑期や祭礼時には、夜更けまで騒いだり、愛を語り合ったりして、それが結婚相手をみつける絶好の機会となる。

アカ族の恋愛は比較的自由で、結婚前に複数の異性と婚前交渉を重ねることもまれではなく、恋を語る少女たちも実にオープンで、屈託がない。

結婚に際しても、特に親の同意を必要とせず、本人同士の合意によって決定される。


  父系制のアカ族とって、男子が生まれることは必要不可欠である。
生まれてきた子供が女児ばかりの場合、家系がとだえることになり、恥ずべきこととされる。

私の知り合いのアカ族のおじさんは六人の子供がいるが、みな女の子ばかりなので、世間の視線は冷たく、内心肩身の狭い思いをしている。

アカ族では、男児に恵まれない場合、妻に原因があるとされ、亭主は第二夫人を娶る権利があるとされる。

そうでなくてもアカ族では、財力のある男性は第一夫人の同意が得られた場合に限り、複数の妻をもつことができる。

しかし、アカ族の社会でも、第一夫人以下のヒエラルキーは厳然としてあり、夫の愛情の質量とは無関係に、母屋に居住を許されるのは第一夫人だけである。

第二夫人以下は仮小屋などを建てて別居することになる。

第一夫人のみが正式な妻として社会的に認知され、その妻の同意がない限り、離婚も容易ではない。
第一夫人の権利と威厳はこうして保たれる。

結婚前の恋愛は自由だが、家庭をもち、一人前の成人として認められるようになれば、共同体の社会的秩序と体面を維持しなければならないのである。これを犯したものは、それなりの制裁が待っている。


 精霊信仰、おおらかな性意識という農耕民族的な暮らしぶりと、父系制という遊牧民族的な風習が融合したアカ族の文化は彼らの出自にその秘密がありそうです。
 
 アカ族がタイにやってきたのはそれほど昔のことではなく、20世紀初めころとされています。

中国雲南省から、ビルマ、シャン州を経由して、タイ北方の山岳部へやって来たらしい。

彼らの起源は中国で羌(チャン族)と呼ばれた遊牧民族というのが有力です。

長く漢族、チベット族という二大部族の支配下にあり、一時期「西夏国」という国を建てたりしましたが1227年に滅亡、二大民族に同化していったようです。
その後一部の集団は同化を逃れ、南下していった末裔がアカ族なのではないでしょうか。

当初は遊牧部族的な風習を持っていた彼らが、次第に農耕へと生活手段を変化させてゆく中で、精霊信仰を獲得していったが、父系制だけは残存させたという推察ができます。

 父系制が残った理由として、(これは私の想像ですが)南下逃亡して来たチャン族の生き残りは男ばかりの集団で、周辺部族からの略奪婚によって集団を維持してきた時期があったからではないでしょうか。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/05/000593.html

照葉樹林文化


ヒマラヤ山麓から日本列島にかけて、カシやシイなどの常緑広葉樹が繁茂する、照葉樹樹林が拡がっています。

照葉樹林の下での人の暮らしには共通の要素があり、照葉樹林文化と呼ばれています。

照葉樹林文化は中国雲南省辺りで興り、各地に拡がって、やがて日本列島まで伝わり、日本人の生活の基層をなしています。

みそ、酒、納豆、麹などの食べ物、そして、歌垣や十五夜の行事なども、照葉樹林に住む人々に共通する文化です。

 
タイ北部は亜熱帯モンスーン気候で、平地には雨緑林が拡がっています。

しかし、標高が1000mを越えると、カシやシイの照葉樹が少しづつ現れてきます。

中国奥地からタイへ移動してきたメオ族やアカ族などの少数民族も、最南端の照葉樹林になるタイ山岳地帯に住んで、照葉樹林文化の原型を濃く保ちながら暮らしている人々です。

チェンマイの南西約80キロの、ドイ・インタノン国立公園に向かいます。
車は、乾期ですっかり落葉した山麓から、インタノン山を目指して急な坂を登っていきます。

チェンマイを出て3時間半、標高2565m、タイ最高峰のインタノン山の頂を踏むことができました。

見渡す限り新緑が始まった照葉樹林が拡がっていました。

はるばるとやってきたタイの照葉樹林。

この辺りから始まり、はるか彼方の日本列島まで続いています。私にとっては感激の風景でした。
http://www.asahi-net.or.jp/~aj6h-ab/261.htm


映画『山の郵便配達』が歩いた道は、照葉樹林の道ではなかっただろうか。
あのこんもりした森に懐かしさを覚えたのは、故郷の森を映画に見たからだと思う。


山の郵便配達 トン族の村
http://www.youtube.com/watch?v=KbF9-Y4aWF0


 照葉樹林というのは、シイ・クス・カシ・ツバキ等の常緑広葉樹を主とする樹林のことです。

葉は冬でも深緑色のままで、葉の表面がてらてらと日に照らされています。
葉に光沢があるから照葉樹林と呼びます。

暖地性の木が多いので、西日本から三遠南信、関東地方の海岸付近にかけて分布しています。

 遠州の森は鎮守の森にしろ、里山にしろ、もこもこと生い茂っています。

子供の頃、遊んだ森は空を隠してうっそうとしていました。これが照葉樹林の特色です。

遠州地方の台地の縁に立つと、丸い森がいくつも見られます。

森の中で椎を拾う子供たちの声が今でも聞こえてくるようです。


 1957年、京都大学の中尾佐助教授がブータンの森を歩いていたとき、日本の森とえらく似ているなあと思いました。

照葉樹林帯の発見です。それはヒマラヤのふもとから中国の雲南を通って、長江流域、さらに西南日本まで帯となって延びています。

アジアの温暖多雨地域と一致します。


 照葉樹林地帯は驚くほど共通の文化を持っています。

茶・ソバ・納豆・なれ鮨・豆腐・コンニャク・酒・味噌・山菜。故郷の味と言われるほとんどの食べ物が、照葉樹林に源を発しているのです。

三遠南信で木の実やソバの食文化が発達していることに思いが行きます。


 食べ物だけでなく、羽衣・サルカニ合戦・花咲爺などの昔話、さらに鵜飼いがそうです。

絹織物・草木染め・紙漉き・漆等の伝統工芸も照葉樹林から生まれました。

日本の文化の古層に、照葉樹林文化が深く刻み込まれていたのです。


 照葉樹林文化は稲作文化の伝わる前からありました。その最たる特色は焼畑です。
緑濃い森林を、焼畑によって切り開いて、アワ・ヒエ・ソバ等の雑穀、里芋や山芋等の芋類を生産しました。

山と森の生活に深く結びついた焼畑文化は、温かい西南日本に広がっていきました。


三遠南信地域でも昭和30年代まで焼畑が行われていました。

夕焼けの山の斜面に白煙が立ちのぼり、赤い炎がチラチラと見えたといいます。
山に火入れをするときは、山火事がこわい。秋葉信仰は焼畑の火防と結びついていきました。

昔から火は畏れ多い存在であったのです。そう言えば、神に供える榊も、仏様に供えるシキミも照葉樹です。

 焼畑地域ではヤマノカミを奉ります。水窪の山住神社もそのひとつ。

11月17日のお祭のとき、里芋の串やトチ餅が境内の茶店に並びます。
トチ、ドングリの灰汁抜きも焼畑文化です。ワラビ、ゼンマイ等も灰汁を抜きます。

 やがて雑穀、芋から稲作へと移るようになっていきます。

古くから稲作を行っていた雲南では、今でも赤米の栽培をしています。

照葉樹林帯の民族は、日本のうるち米のようにねばり気がある米が好きです。

餅・おこわ・団子・チマキ・五平餅。それらはハレの日に食べるのです。

遠州の月見団子は、ヘソ団子と言って、平たい団子の真ん中をへこませます。
雲南、ネパールのお月見はどうでしょうか。

正月やお節句に餅つきが行われるのは、照葉樹林帯の共通した伝統です。

 やがて米を麹で発酵して酒を造る技術が生れます。

納豆・味噌・ナレ鮨・漬物と発酵食品が多く見られるのも特色です。
遠州の浜納豆もそのひとつです。

 茶・蜜柑・養蚕の源流も雲南です。漆も轆轤(ろくろ)を使う技術とともに伝わってきました。

こうして見ると、遠州は照葉樹林文化の特色をどこの地域よりも受け継いでいることがわかります。

 春と秋の月のきれいな夜に、若い男女が集まってきて歌の掛け合いをします。

愛情を交換するするこの習俗は、万葉の時代に歌垣と呼ばれていました。
照葉樹林帯では今も見られるところがあります。

 映画『山の郵便配達』で、二人が踊りながら目を合わせるシーンは、歌垣を彷彿させました。

 浜松の加茂光廣さんは、草笛のルーツを探しに照葉樹林帯を旅してきました。

入り母屋作りの茅葺き屋根、青田の中を行く農夫に菅笠が乗かっている。

草笛を吹きながら村を回っているうちに、昔の日本の田舎を歩いていると錯覚したそうです。

 雲南・タイ山岳地帯・ネパールの旅先で、果たせるかな、草笛を吹く人と出会うことになります。

草笛は恋する者たちを結び付けるという。

加茂さんは、古代の歌垣が今に残っていることを照葉樹林の村で発見したのです。

 
 思えば、雲南を中心にして、ヒマラヤのふもとから、延々と6000キロもの距離を照葉樹林文化は旅してきたのです。

ネパール・ブータン・雲南の少数民族の人たちが語ってくれた生活のひとこまひとこまに、遠州の昔が甦ります。
http://www.kumo-t.jp/tenryu/cat2457790/index.html

我々のように、雲南やタイ北部に足しげく通うものにとっての最大の関心は、彼らの「人間のあたりのやわらかさ」といったものが、いったいどのように形成されたのだろうか、ということだろう。

このことと照葉樹林文化説とは関係があるのだろうか、ないのだろうか。

それが根源にあるかどうは別として、やはり照葉樹林文化の特徴となっている「歌垣」に注目すべきであろう。

歌垣のある社会には、家父長制はうまく浸透しえないように思う。
男女が家族(父母)の干渉抜きで結びつくような社会では、漢族のような宗族は成立が難しい。

結局、社会の単位となるのは、宗族のような家父長制的な大家族ではなく、プリミティブ(原始的)であるとはいえ--部族的もしくは地域的な--我々に馴染みのある「共同体」だということになろう。

男女が比較的自由に語らい、相手を選ぶことができるということは、ある結果をもたらす。

若い女性の笑顔が多くなる。

漢族、雲南漢族、雲南の少数民族を比較した場合、若い女性が知らない男性に笑顔を振り向ける可能性は、後者の順に大きくなる。

相手を自由に選べる社会では、若い女性の立場からみれば、自分がいかに自分の魅力を自分に近づいてきた男性に強く印象づけるかどうかが、ポイントになると思われる。

「歌垣」においては、魅力の中心は歌や踊りであるかもしれないが、ハレの日に対しケの日を考えれば、彼女達の武器は「笑顔」「微笑み」であろう。

逆に、自由に選べない社会において、少女達の「笑顔」や「微笑み」は意味をもたない無駄な投資である。
それどころか時には禍のもとである。
http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_11.html

________________

弥生人と大和朝廷の起源
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html

大和朝廷のルーツ _ 古代朝鮮からの侵略部族が日本を支配してきた
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/849.html

日本を支配する漢民族は収奪と悪徳の限りを尽くした
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/850.html


05. 2013年10月17日 09:07:25 : 4hd3UM7xwc
アメリカ、イギリスが突付いて、まるで遺伝子を組み替えるように、世界中の美しく儚い宝を破壊してしまってるのですか

06. 2013年12月27日 20:49:41 : 2D6PkBxKqI

タイのCM(日本語字幕)โฆษณาไทย(บรรยายภาษาญี่ปุ่น)

タイ生命保険「パーフェクトな人生」http://www.youtube.com/watch?v=BVudAu8M_rA

タイCM 泣ける 生きるとは人生とは 【日本語字幕】http://www.youtube.com/watch?v=QvIq_q7xL3s


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