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隠された本当の歴史 (2003年)
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投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 17 日 01:22:21: ulZUCBWYQe7Lk
 

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* * *

岐阜県の高山市近く(宮村など)に、
飛騨一ノ宮・水無(みなし)神社がある。
御祭神は「みくまりの神様他十四柱」としか教えてくれないし、
そういうのを聞くと
「マスコミの方ですか?」と聞かれたりするのだけど・・・この他十四柱というのは、確か以前聞いた所では、天照大御神、
神武天皇はじめそうそうたる神様であったはずで、この水無神社の主神というのは、
「神武天皇に位を授けた神様」とされていたはずである。けれども、神社本庁の方針なのか、一切語らなくなってしまった。

これは、隠された本当の歴史に関わる事だから、政治的にまずいという事なのである。

この飛騨一帯の神様というのは、スクナないし両面スクナと言われる神様で、しかし一方では、桓武天皇の時代には暴れ者の鬼として抹殺された神である。
この桓武天皇、それに、その先祖である天智天皇の系譜と、藤原不比等の系譜、さらに天武天皇や藤原以前の貴族たちとの対立の図式は後に解説するとして・・・。

桓武天皇の代、漢の霊帝の子孫と称する漢氏の子孫である坂上田村麻呂将軍が東国に
派遣され、「鬼」とされた土着の王族を破り、秋田辺りにいたツングース諸族などを追い、以降、アイヌもツングース諸族も混血して「蝦夷」と一緒くたに呼ばれるようになってしまったようである。

(けれども学問的には、近年では「蝦夷系アイヌ」は本来のアイヌとは別系統であるという事を理解している人も出てきた。外見からして、二重まぶたで毛深く獅子鼻、だんご鼻の南方民族アイヌと、北方ツングースとでは随分違うのだから、気づかない方がおかしい。)

ともかく・・・桓武天皇の代に、
坂上田村麻呂が先住民族を服属させ、
それでそれまで神だったものが鬼とされた
という例は、飛騨高山の両面スクナ様、
信州安曇野のギシキ八面大王など、
いくらか例があるのである。

それまで、大和朝廷は「東国」と対等の
親戚国家のような付き合いをしていて、
何かある度に「東国」に使いを出していた。

ところが、藤原不比等などが作っていった
大宝律令などでは、「東国」飛騨高山王朝を
弾圧していくようになるのである。

前に書いたように、飛騨高山の神、
両面スクナ様というのは、
「神武天皇に位を授ける神」である。
これを弾圧しようという藤原氏のやり方が
騎馬民族の侵略手法なのである。

歴史は改ざんされた。
神は鬼とされた。
この逆転現象が分かっていれば
「ニッポンは犯罪者を中心とした悪魔の国」にされてしまった事もよく理解できるというもの。
といって、べつに藤原氏がいつもこんな事をしてると主張してるわけじゃなくて・・・

そもそも藤原氏が中臣氏(鎌足の家系)をも失脚させていった、という事情を考えると、「藤原氏」なるもの自体が単一氏族ではない事は十分想像がつくし、まぁ、この辺の事については、最近出た「日本史のタブーに挑んだ男」という本でも目を通してもらえれば、興味のある人には納得してもらえるかも知れない。
ちなみに、うち自体が藤原氏菊池家の子孫かも知れない事は前に書いたよね?
で、AB型という父とAO型の俺はしばしば大きく対立するわけだけど・・・。

細かい解説は後にして、ざっと話をしておきたい。

神武東征の神話は誰でも知ってると思うけど、
どうして近畿地方なんかで止まったのか、
不思議に思わない?日本列島の中心に政府を作るなら、中部の方が向いてるはずだもんね。でも、神武東征が近畿で止まったのにはそれなりのわけがある。それは「東国」が存在していたからで、並立の道をたどったから、なんだ。

この辺りの事情は知っているけど、科学的に証明するのは難しい・・・けれど。
神武天皇が畿内に入った時、先に
ニギハヤヒの一団が来ていた事、そして
ともに天つ神の印を見せ合った事が
古事記・日本書紀に書かれている。
となると、「東国」飛騨高山朝も
同じ天つ神の系統だったろうか、とも想像されるし。血液型から見ても、
岐阜は九州から近畿にかけてと同じくらいA型の
割合が多いわけで、全く矛盾はない。

それと・・・方言の研究をした人によると
西の方言と東の方言の境界線というのが
岐阜辺りに線として存在するわけではなくて
岐阜辺りは面として広がっている中間地帯、なわけだ。だから、近畿から見ると「東国」だけど天つ神の氏族、という地域があった事に、状況証拠はあるわけ。

そして・・・天智・桓武系統に対抗する継体天皇だとか天武天皇というのは、この「東国」方面を拠点として興ってくる。
この事は次回また。

* * *

天智天皇と藤原不比等、そして桓武天皇。
前回は特に桓武天皇と坂上田村麻呂、
そして大宝律令による侵略について書いたよね。

で・・・桓武天皇は、自分より前の代の天皇は天武系だから駄目だ、みたいな事を言っている。

桓武天皇までの天皇の系譜というのは、
天武系には違いないけれど、皇后の持統天皇は天智天皇の娘なのだから、天智系でもある。桓武天皇も天智系なんだから、何に対してそんな事を言っているのかって思わない?

桓武天皇は百済王家の子孫だよね。
で、一方では天智天皇の血を引いている。

天智天皇と百済王家の子孫である桓武天皇が、
天智天皇と天武天皇の子孫である自分の前の天皇では駄目だと言う。
いかにも奇妙な事に見える。

実は、桓武天皇はその即位からして、正当後継者が廃太子たために百済系ながら王位を継げた、という事情がある。


実は・・・天武天皇は天智天皇の弟とされているけれど、生年から逆算してみると・・・天智天皇より年上である!
・・・実際には兄弟ではないのである。
(小林恵子「白虎と青龍」参照)

和歌より漢詩を好み、中国式の律令制度や
城郭都市を作ろうとする藤原氏が推す天皇というのは、だいたい、正当後継者が亡くなったりしたため即位できている、という例が多い。そして、対抗する貴族たちは、藤原氏など百済系貴族が天つ神の系譜に編入されている事を批判している!!
つまり藤原氏は天つ神ではないのである。
もちろん国つ神でもない。

これを、百済仏教が伝来する頃まで遡って、年表にしてみよう。ちなみに、百済仏教が伝来する前から、新羅仏教が日本にはあった。というか・・・説明し易いように結論から先に書くと、日本史は百済系(B型、アルタイ系騎馬民族)と新羅系(A型、アーリア系天つ神)の対立の歴史と言ってもよい。

507年 新羅系応神天皇の5世の孫・継体天皇を大伴金村(天つ神系貴族)が越前から迎える。

538年 百済より中国南朝系の仏教伝来

531〜539年 継体天皇の2人の皇子が次々に亡くなり欽明天皇即位、大伴金村は左遷される。尚、皇子の没年など古事記、日本紀の記述にくい違いがある。奇怪極まりない。

600年 倭王アメのタリシヒコ、隋に遣使
(推古女帝に疑問。石舞台古墳は聖徳大志の墓で、「蘇我氏」が御陵と呼んだのは事実だったのでは?)

646年 大化の改新の詔(要するに中大兄皇子によるクーデターでは?)
*「蘇我氏」が集めていた古文書は全て焼き捨てられた。

660年 百済滅ぶ。王族は日本へ。

672年 壬申の乱(むしろ天武天皇による壬申維新では?天つ神系貴族は「大王は神にしませば」と讃えている。)

686年 持統天皇即位。同じ天智系の大津皇子が謀殺される。(実はアルタイ系騎馬民族はしばしば実の息子を殺したり幽閉したりもしている民族である。)

701年 大陸風で飛騨高山などを弾圧する大宝律令成立。また、被差別部落の分布は、坂上田村麻呂の東北遠征の捕虜流配置の分布と一致している。明らかに先住民弾圧と思われる。

758年 天武系でかつ天智系(持統系)でなく、母親も藤原氏の娘ではない、淳仁天皇即位。これに焦ったのか、764年、藤原仲麻呂の乱。天つ神系貴族の吉備真備がこれを鎮圧。藤原南家は没落。

770年 藤原式家の百川が、称徳天皇の遺言として天智系でかつ天武系でない光仁天皇を擁立。天武系の智怒王(この字は絶対におかしい)を推した吉備真備は失脚。
翌々年は他戸皇太子が廃される。

781年 百済系・天智系の桓武天皇即位。
宮廷は漢詩一色に。これは藤原氏が外来文化を取り入れたためと言うよりは、はっきり言えば渡来人だったからである。
百済系だったため、百済と関連の深い中国南朝系の音(呉音という)で漢字を表記している。

*ちなみに「ニッポン」という読みは百済語(呉音)であり、最近マスコミが日本を「にほん」と読まず徹底して「ニッポン」と読むのを非常にいぶかしく思う。その内に、にほん国憲法がニッポン帝国憲法に摩り替えられそうな勢いだ。

また、新羅は韓国ではシルラと読むし、日本ではシンラと読むのが筋だろう。源氏にはシンラ三郎なんて武将もいる。
ではシラギという読みは何なのかと言えば、百済語で「新羅の奴ら」という意味らしい・・・。

815年「新撰氏姓録」なる系譜偽造書が作られ、百済系貴族が天つ神の系譜に編入された。

820年頃 天つ神系貴族、太安万侶の子孫の多人長が「日本書紀私記」の序文に、
「新撰氏姓録」への批判を加える。
また、初めて古事記の存在が明らかにされたのはこれ以降の事である。

このようにして、藤原氏は政治の実権を握り、古くからの天つ神系貴族を和歌を詠むだけの名誉職のような立場に追いやっていた。

この百済・天智系=藤原氏の支配を揺るがしたのは、宇多天皇と菅原道真だった。

それも偶然による。
清和天皇の皇子・陽成天皇は9歳で即位したけれど、18歳になると、摂政・藤原基経と対立するようになり、逆に圧力をかけられて退位するはめになった。悪逆の天皇という事になっているけれど、それは藤原氏による誹謗中傷に過ぎない可能性も高い。

その後、野心のない老齢の光孝天皇が立てられたのだが、後継者を決めない内に亡くなってしまわれた。そこで・・・一度は臣籍に下されていた宇多天皇が皇籍に戻って即位。しかし、藤原氏にとって厄介な事には、母親が藤原氏の娘ではなかったのである。

こういういきさつで即位した宇多天皇は、菅原道真を登用し、菅原道真は遣唐使を廃止。ここで初めて「国風文化」なるものが復活するのだった。

しかし、宇多天皇の皇后は藤原氏であり、
息子の醍醐天皇はついに菅原道真を左遷してしまう事になる。しかし、ともあれ、これが後醍醐天皇へと続く南朝の系譜である。

ちなみに北朝は足利義満の系譜とも言われる。

そして・・・菅原氏、大江氏という、学問の2大家は、ともに天つ神系と思われる土師氏の出だけれども、この菅原氏と並ぶ大江氏が南朝の鍵を握っていく事になるのである。

* * *

ニュースによると、石原都知事が日韓併合について、「そもそも彼らの先祖が悪い」という事を言ったらしいけれど、それは大間違いで・・・高句麗・百済から侵略して来た奴らの子孫は「日本にいる」連中である。戦中に強制連行された人たちじゃなくて、高句麗・百済の時代の話ね。石原都知事みたいな顔と性格をした奴が高句麗・百済人なわけよ。
そんな簡単な事に気づかないのも、自己中心主義者の傲慢さのせいだね。

さて・・・前回は、百済仏教の渡来辺りから天智天皇、藤原不比等、桓武天皇の暴虐を経て、菅原道真の改革までを書いたわけだけど・・・今回は、神武東征までさかのぼってみたい。

日本書紀が捏造歴史書だという事はだいたい想像がつくと思うけど、古事記と比べたり、中国・朝鮮に残っている資料と比べて修正したりする事もできる。ただ、中国・朝鮮に残っていた資料を、戦中に没収したりもしてるらしいんだよね。ニッポン帝国軍が。
高句麗・百済から侵略して来た連中にしてみれば、日本先住のアイヌ民族などに知られたら困るわけだ。国粋主義とか朝鮮差別によって不満をそらしたり、政府に服従させたりできなくなるし。

こういう事情は中国にもあるようで、漢字の元となった甲骨文字などがシュメール文字の変形だという事を認めたがらないようだ。そもそも中国人はどんな混血民族かというと、先住民と、アルタイ系騎馬民族と、アレクサンダー大王の遠征軍やグレコ=バクトリア人との混血らしい。

7世紀初頭のギリシャのビザンティン学者テォフィラクッス・シモカッタは、『歴史』の中で「タウガス(中国)は東国では非常に有名で、元来トルコ民族の一植民地であったが、今や勢力といい人口といい、全世界に殆ど並ぶものなき国家を形成した。その首都はインドから1500哩である。(・・・)タウガスの地は大河(渭水)によって二分され、タウガスの都はアレクサンダーがバクトリア人とソグド人を捕虜とし、12万人の原地人を焼き殺してから建設した。(・・・)アレクサンダーは23哩離れた所に第2の都市を建設したと伝えられ、原地人はこれをクブダン(クムダンはシリア語で長安のこと)と呼んでいる。」 としている。また、林語堂は『我国土我国民』の中で「周と唐は東北の甘粛からおこった。トルコ人の類いである」としている。

こういう歴史的経過を知った上で、川口哲夫氏のカオロジィ(顔学という意味の造語)の本(リンクにHPもあるよ)を読んでみると、なるほど川口氏の分析が正しかった、という事が分かるんだよね。(残念ながら、川口氏が監修したものではないらしく、HPは本とはちょっと違った事を書いているけど。)中国人っていうと日本人はだいたい清朝のツングース民族を想像したりするんだけど、漢民族っていうのはつりあがった細目のツングース民族とは違って、二重まぶたか「すじ二重」で、川口氏によると「西洋人の血はひいてないはずなのに西洋人のような顔立ち」なんだって。ところが西洋人の血を引いているわけだ。

当たり前だと思うけど、中国や朝鮮から「日本人」なるものは入ってくる。南方系(アイヌや沖縄)でないものはほとんど朝鮮経由だと言ってよい。ごく少数はフェニキアのタルシシ船団で来てるみたいだけど。あまりに奇想天外に聞こえるかも知れないけど、そもそも教え込まれた歴史が真っ赤な嘘なわけよ。それは分かっているよね?

バリー・フェル教授を中心としたハーバード学派は、アメリカにオガム文字が残っているのを発見したというか、ただの線だと思われていたものをケルト民族のオガム文字だと識別した他、エジプト文字なども見つけてるんだけど、これもタルシシ船団が運んだもので、スペインから来たケルト人たちはフェニキアのバアル神を太陽神として崇拝していたらしい。多分、ケルト人が人身御供を始めたのは、フェニキア人の影響じゃないのかな?

そして・・・オガム文字は日本にもあるわけ。これもやっぱりタルシシ船団が運んだものだと思う。というのは、東表国(大分の国東半島辺り)の製鉄技法は、赤土を使ったもので、聖書にあるソロモン王の頃の製鉄技法と同じものだからだ。

それから・・・騎馬民族を通して、大陸から伝わったものにシュメール系文字がある。▽と△を合わせたようなのが五の元で、剣みたいなのが十の元、みたいな。そして、十と五の組み合わせが天草とかで見つかってるけど、十五が意味するのは金星女神。十には、○っていう書き方もあって、五○だと天地の子・風神エンリルを意味する。◎だと20で、日神ウツ、別名をバ・バル(輝く神)。そしてフェニキアのバアル神は、このバ・バルがなまったものらしい。

どうしてシュメール文字が大陸経由って言えるのかと言うと、もちろん大陸各地にも痕跡が残ってるからだよ。
シュメール文字の変形にバビロニアの楔形文字があるけど、シュメール文字と、バビロニア楔形文字が南シベリアの岩に刻まれてたり、その変形が山東省の陶片に刻まれてたりする。

それから、アッダ(父)・アン(天神アン)・ウム(母)・ク(地神キ)という言葉が訛って、原モンゴル語ではアッヂャン・ム・ツで同じ意味だったり、中国黒竜江(アムール川)省の地名にヂャアムスっていうのがあったり、韓国ではチャンスンになって、日本ではチャウスになったりしてる。チャンスンっていうのは、杭の先に男の顔を彫って「天将軍」とか何とか書いたり、女の顔を彫って「地女将軍」とか何とか書いたり、その夫婦一組の傍らに鳥形の杭があったりするものらしいんだけど、天父神、地母神、鳥(風神エンリル)という組み合わせはシュメールからずっと変化しながらも伝わってきてる同一文化らしいんだよね。

チャウスには、日本では茶臼って字を当ててるけど、もちろん茶を挽く臼なんかじゃありません。あくまで当て字さ。だいたい古墳がある所に茶臼とか茶臼山っていう地名があるんだよね。当然。

同じシュメール系文化でも、北方の騎馬民族ルートを通らずに、南から来るのもあるんだ。天神アンと地母神キに由来する地名が中国の安徽省だとか、日本の安芸、安岐など。御神名が速秋津彦、速秋津姫。そしてその御子神とされるシナつ彦こそが、風神エンリルを意味するもので、隠された主神らしい。駱、越、斉、魯といった国々に「倭人」がいたらしくて。

「倭人」は水田稲作民族だよね。もしくは稲作漁労民だっけ。何回かに分けて渡来してたと思うけど、始めは縄文時代に焼畑農耕を伝えて、弥生時代に水田稲作とか高床式倉庫だったっけな。古事記とかは、焼畑農業が前提になってるんだよ。阿蘇では最近まで焼畑をやってたし。

「倭人」系と思われるのが、天照大御神から始まり、天のオシホミミの命、天のホアカリの命、ホのニニギの命、ホスセリの命、ホヲリの命ホホデミの命と連なる「ホ(当て字は穂、火)」がつく系譜。また、大伴氏は代々といっていいくらい名前に「日」が入る。これが天つ神系貴族だね。
元々、トモないしタマは、官職の名前らしいんだけど。卑弥呼と書いて当時はヒミカと読んだ事もわかって来てるんだけど、ヒミカ(女王)とかヒミクク(男王)っていう官職もあったみたいだよ。それと、邪馬台はヤマトと読むって事も分かってきた。当時の中国の音(魏音っていうんだっけ?)の研究からね。

一方で、崇神天皇の系譜は全く違う。
ミマキイリヒコ五十ニエ天皇、イクメイリヒコ五十サチ天皇、ヒコ五十サチ命、五十日鶴ヒコ命、五十ニシキイリヒコ命というふうに、イリとか五十(イソ、オシ)がつく。

これは氏族が違うんだな。同じ時代に存在した別々の王朝の系譜を、縦につないでしまうという手法は、シュメールからずっと使われてきている。それで、2つの王朝をつなぐと過去が2倍になるみたいな事があって、「欠史八代(神武天皇と崇神天皇の間の、記述の少なく実在はしなかったと考えられる世代)」みたいなのが生まれてくるわけだ。これは、歴史を実際より古く見せて中国・朝鮮と張り合おうとしたのじゃなくて、別々の氏族の系譜をつないで、「侵略者が土着の王族の系譜に編入される」手法ってわけだ。

それでは、崇神王朝はどこから来たかというと、北方から騎馬民族ルートで来ていて、しばらく対馬辺りにいた。というのは、対馬辺りにそういう地名とか岩刻絵文字が残ってるんだ。日本書紀か古事記の仲哀天皇8年の記述にも、筑紫のイトの県主の祖・五十トデっていうのが出てくる。対馬の辺りの県主は、あいかわらず五十のつく名前だった・・・もしくは、神武東征の頃の話を、新羅出征の話にすり替えた感じかな。対馬辺りの岩刻絵文字は、牛頭の風神アネモス(アン・ネ・メスつまりアンの子。風神エンリル)を表してるらしいんだけど、牛頭は本来、天父神アンのシンボル。風神エンリルに牛頭をつけるのは、騎馬民族ルートを伝ってくるものなんだ。

ちなみに、地母神キのシンボルは蛇。

というわけで・・・百済仏教伝来より前から、騎馬民族の侵略は始まっていたわけだ。ここで絶対おさえておくべきポイントは、天つ神と騎馬民族は別系統だという事。「渡来人」と一緒くたにするから分からなくなる。新羅系と百済系の対立の構図は、この時点で原因がある。

それと、興味深いのは、元々、円墳と方墳は別々に分布しているという事。それが近畿に入ってはじめて前方後円墳という形でつながるんだ。二つの王朝が和合した可能性も考えないといけない。

それから・・・神武天皇も崇神天皇もハツクニシラススメラミコトっていう事も、気をつけないといけないね。それに、神武東征は、実際には一世代では終わってない事も遺跡とかを調べればわかるはずだけど。
複数の人物を1人の英雄として合成して神話にする事もよくあるわけだし、俺の結論を言えば、神武東征は、卑弥呼の弟の大日命、崇神天皇、神武天皇の3代に渡っている。崇神天皇が先。

何故かというと・・・卑弥呼のヤマト国は北九州の騎馬民族王朝と戦っていたけれど、結果として、騎馬民族の崇神天皇が東征する事になった。ただし近畿には既に高山王朝が来ていた(白山神社の分布は高山王朝の西征ルートを示す)ので、簡単には上陸できず、紀伊半島を迂回して伊勢から上陸した。畿内に入るにあたっては、高山の神スクナが神武天皇に位を授ける形になった。という順番で、その後、高句麗・百済と呼応する少数の騎馬民族と、多数派の天つ神のせめぎあいがある、っていう歴史だと思うんだよね。詳しくはまたね。

* * *

前回までに書いたのは、神武東征が
ヤマト国、騎馬民族、飛騨高山朝の3王朝で
成り立っている事をさわりだけ、それから
騎馬民族がバビロニアから来てる事もちょこっと書いて、その騎馬民族系の天智天皇、藤原不比等、桓武天皇の暴虐、対する菅原道真の改革についてだったね。

それで、今回は南北朝辺りを書くのが順当だろうけど、今日は文化の日。
もともとは、明治天皇の誕生日だよね。
というわけで、今回は明治維新の頃の話。

明治維新には、言われてみれば奇妙な点がいくつもある。それは・・・足利義満以来、天皇家と言えば北朝なわけだけれども、北朝を継いでいるはずの明治天皇が、南朝正統論者である、という事。

それに、即位前と即位後では全く性格が違う。禁門の変の時、13歳の睦仁親王は砲声と女官たちの悲鳴を聞いて失神したとされており、ひ弱だったそうだ。これに対し即位後の明治天皇は約90kgの巨漢で、相撲をとっては投げ飛ばしていた。

また、明治天皇の顔は、全く北朝の顔ではない。夏目漱石とか野口英世みたいな顔をしていて、全く「公家顔」ではないのである。これは藤原氏の血が薄い証拠だ。現在の天皇家は藤原氏九条家の血をひいてるけどね・・・。また公家顔になってるけど。

さらに、睦仁親王は右利きだったのに、明治天皇は左利きだった。

さらにさらに。大正天皇は、睦仁親王の皇后を、昭憲皇太后としたけれども、「皇太后」というのは、普通、天皇の「母親」を意味するもので、后なら「皇后」なのである。さらに、明治天皇と昭憲皇太后の間には子はなく、大正天皇は側室の子である。
もともと睦仁親王と明治天皇は別人だから、昭憲皇太后は妻でなく「先の天皇の后」として接しておられた可能性が高いのである。

そこで・・・というか、真実を知る側から情報が漏らされてるのだけど、明治維新は北朝の天皇を殺害しての南朝の復活である、という説があるわけ。暴露された内容を見れば、その説の方が正しいと言わざるを得ない。

そもそも・・・菅原氏と同じく土師氏の出であり、菅原氏と並んで学問の家柄だった大江氏は、源頼朝によばれて鎌倉へ行き、以来。武士となっていった。源氏は新羅三郎という武将がいるくらいだから、新羅系すなわち天つ神系貴族である可能性が高い。その辺りの事はまた書くけど、同じく天つ神系と思われる大江氏は、南北朝の際には南朝についていた。

そして、大江氏から分かれていった氏族に毛利家があり、小京都・萩に南朝の正統をかくまって来たのだという。
薩摩の西郷隆盛が長州と結んだのは、西郷家が南朝の忠臣・菊池家の末裔だったからだ、という話だ。長州が南朝の天皇家をかくまっていると聞いて、薩長同盟が成立したのだそうだ。西郷隆盛はB型だったらしいから、確かに藤原氏菊池家の血を引いているのだろう。顔は藤原氏というより日本先住民だけどね。

睦仁親王の父、孝明天皇は佐幕派で、
公武合体、攘夷を推し進めていた。
これが明治天皇になると、倒幕派で、開国を進めて行く事になる。
元々北朝は足利義満が立てた傀儡に過ぎず、義満の子孫とさえ言われる。それが大きく方向転換したのが明治維新である。

王政復古の大号令が最初になされた場所は
明治天皇・・・それまで長州にかくまわれていた大室寅之祐・・・の生家のすぐそばの高松八幡宮だった。

明治天皇は「奇兵隊の天皇」とも言われるが、奇兵隊の中にある力士隊は、被差別部落と密接に関係していて、あるいは被差別部落そのものであった。(松重楊江「日本史のタブーに挑んだ男」)この力士隊の屯所は、明治天皇が維新の前年まで過ごした麻郷近くの岩城山にあった。ここで思い起こして欲しい。被差別部落というのは元々、坂上田村麻呂の東北遠征の捕虜流配地であったという事を。

伊藤博文はこの力士隊の隊長だったという事だが、東北の顔というよりは藤原氏の顔に近い。被差別部落を支配していたのは秦氏ー>藤原氏ー>弾氏と姓を変えた氏族らしいから、支配層「藤原氏」の血を引いている可能性は残る。あるいは単に、捕虜がアイヌでなくてツングースだったという事か。

孝明天皇を暗殺したのは、その伊藤博文だったという証言がある。孝明天皇は、疱瘡の病が回復して来た所で急死した、という事になっているが、暗殺されていたらしく、徳川慶喜の命を受けて犯人を捜していた渡辺平左衛門章綱は、「伊藤博文が堀川邸の中二階の厠に忍び込み、手洗いに立った孝明天皇を床下から刀で刺した」という事をつきとめ、そのために長州の刺客に襲われて重症を負った。手引きをしたのは岩倉具視。

この事は、初め藤原氏の広橋興光という人が、鹿島昇という歴史家(?)に教えた話だった。それで鹿島氏がこれを調べていったのだそうだ。けれども、どうにも鹿島という人は、暴露側の人間のような気もするのだけど・・・。歴史家としては、いまいち科学的な考察に欠けるのだけれど、このような漏れないはずの証言を暴露してくださったのだから、大変ありがたい事である。

睦仁親王の場合、薬師が毒殺した後、侍女が仏像と称して、睦仁親王と同じ大きさの「仏像」を運び出した後、埋葬したという話だったと思う。

今、気になるのは、元々11月3日というのは北朝の睦仁親王の誕生日だったという事で、明治天皇の誕生日として祝われて来たこの日は、いったい、明治天皇の誕生日でもあったのだろうか、ということかな。

明治維新は極めて無血革命に近い。けれども、やはりこのような事があったのは、維新に携わった人々は、忘れてはならないだろう。必ずや、心の中ではお詫び申し上げなければ済まないと思うのである。

今日が、11月3日

* * *

昨11月13日はSMAPの木村拓哉とか、由紀さおりのさん誕生日だったみたい。それと・・・岸信介という政治家の誕生日でもある。

「隠された本当の歴史4」で、明治維新の舞台裏を少し書いたけれど、この維新には他にも、現代まで響いてくる汚点があった。それは・・・軍産複合体の支援によって成立した傀儡政府的な側面がある、という事だった。長崎のグラバー邸とかも、そういう場所ってわけ。トルコ系騎馬民族財閥の支援を受けてたわけね。明治維新の頃からの裏事情を知られている世襲政治家どもは、ロスチャイルド財閥やロックフェラー財閥には頭が上がらないし、ブッシュ大統領は両方の財閥と関わりが深いのだから尚更だろう。

明治維新の功労者・・・西郷隆盛公、勝海舟公、坂本龍馬公、吉田松陰公といった人々は早々と亡くなられ、小物ばかり残った明治政府のお粗末さについては、勝海舟公の「氷川清話」などで知る事ができるよ。
日本の歴史では、大きな転換点で超人的な偉人が大勢を決めてくれた後、小人物に引き継がせるような場面がある。それは戦国時代と、明治維新の時。

小者ばかりの新政府は、薩長閥と華族で占められ、その体制は戦中まで続いていたし、現在もその残骸なんだ。学校ではそういう風には教えないけどね。

「隠された本当の歴史4」では、その中で長州の忍者(暗殺者)伊藤博文と、華族の陰謀者・岩倉具視の犯した事を書いたわけだけど・・・このような習慣は、無論、渡来人が持ち込んだものだね。

明治天皇にしても、西郷隆盛公にしても、先住民的な顔立ちをしているものの、やはり藤原氏の血を引いている事は否定できない。もちろん南朝系だけど。例えば、西郷隆盛公は南朝の忠臣・菊池藤原氏の末裔だし、明治から戦中までの元老・西園寺公望翁は後醍醐天皇の母后や后妃の一族・西園寺藤原家の血筋だし、大正天皇の后妃は鎌倉幕府(南朝の大江氏を招いた)と近かった九条藤原氏の子孫といった具合なんだ。

表からは退いたけど細川護煕氏は近衛藤原氏と細川源氏の血を引いている。まぁ、西園寺藤原氏と近衛藤原氏については、特に言う事はない。むしろ彼らを「君側の奸」と断じた軍人・右翼のやり口こそ侵略者・騎馬民族的だ。
いや、民主党の羽田議員(秦氏直系だとか)の方が「秦氏ー>藤原氏ー>弾氏」と変遷した一族に近いのかも知れない。


世襲というのは、「藤原氏」だけではない。伊藤博文ら「力士隊」の出身地である山口県熊毛郡田布施村(現、田布施町)・・・ここが岸信介の出身地である。
顔は秦氏系の顔立ちに奥二重まぶた。佐藤榮作の兄だが岸家の養子となった。そして安倍晋太郎の養父である。さらに、節操のない外交政策で昭和天皇に叱責された松岡洋右の甥である。で、安倍晋三は結局B型。その顔は、韓国の慶尚南道安東郡河回に伝わる仮面とそっくり・・・世界で一番邪悪な民族の末裔である事を示している。(参照写真:「現代朝鮮の歴史」明石書店)

1936年満洲国実業部総務司長として渡満、
数年後総務庁次長となり、翼賛体制の東條英機などと共に満洲の実権を握る「満州三角同盟」「二キ三スケ」のうちに数えられる。終戦後、A級戦犯に指定されたが、起訴されずに釈放された。

1957年、首相に就任。岸内閣の前半はは勤務評定実施・警察官職務執行法改定(社会党などの反対で廃案)などが 大きな問題となり、後半は新日米安全保障条約調印・批准に力を注いだ。結果として新安保条約に関連した一連の混乱の責任をとって、1960年6月23日に総辞職。
退陣後は憲法改悪運動などを行う。
1978年には議員を引退するが、自民党内での影響力は衰えを見せず、元老的な役割をする。「岸と金」などのテーマはたびたび取り沙汰されたが、結局実相解明には至らず、また満洲国における異常な権勢、そして政界において娘婿の安倍晋太郎を自民党総裁にするための蠢動などはいかにも不気味な印象を拭いきれず、読売新聞から「昭和の妖怪」との異名を奉られた。

岸、佐藤首相を受け継いだのが福田官房長官の父・福田赳夫首相。「核兵器、細菌兵器も自衛のためなら合憲」と国会答弁し、公立学校で君が代を国歌として歌わせるよう文部省に指示、また8月15日に靖国神社に参拝して内閣総理大臣と記帳している。小泉首相はこの影響を受けているらしい。

小泉首相の父・小泉純也は同じく岸派の防衛庁長官で、義兄・豊島格は資源エネルギー庁長官、原子力発電所(核兵器)推進、アジア石油社長、コスモ石油副社長、日本貿易新興会理事長。(官と民などと言ってるが、この辺は全部「政府の身内」に過ぎない。何をもって民と言うのか・・・。)
岸、佐藤、福田、小泉、安倍というのは要するに、戦中は侵略派、戦後は米軍派、いつでも「富国強兵・植民地の民や国民なんかどうでもいい」派だった、と言えるかも知れない。

その一族が、自民党の小泉首相と安倍幹事長、それに福田官房長官なのだから、どこまで期待していいのか、あるいはもっと国粋主義的に見える誰よりも危険なのか。俺は安倍は嫌いだね。小泉首相も間違った方向の法律・・・父親が狙ってきたような・・・ばかり作っているし。

こういった世襲の歴史については、特に魅力的な人物というわけでもなく、内輪でしか大きな意味は持たない。世間の人は特に知ろうとはしない。ただ研究者が突き詰めていったりするんだね。

* * *

昨日、「世界ふしぎ発見」で、沖縄・台湾の海底遺跡を紹介してたよね。

それぞれの遺跡は地上にある城(グスク)などと似ているわけだけど、これが1万年前から同じような文化があったらしい、ってことになるわけ。
だって、その場所が海底に沈んだのは1万年〜3万年前の事だと思われるわけだからね。

という事は、エジプト文明などよりも5千年もさかのぼるわけで・・・歴史を書き換える・・・と言いたい所だけど、これは実はあまり知られてないだけで、東南アジアには30万年前の新石器時代の遺跡などがあるし、アフリカとなると、200万年前の遺跡なんてのがざらにあったりする。

人類の歴史は一般に知らされてるよりもずっと遡る事ができるんだよ。一般的には世界史はシュメールか四大河文明までしかさかのぼらないし、日本史は飛鳥時代を古代と呼び、飛鳥の朝鮮文化を日本の伝統と呼んだりしている。これは「隠された本当の歴史」と関係があるんだけどね・・・。

侵略民族は、人類が兄弟だと知らせたくないんだよね。分裂させないと、多数に少数の支配層が脅かされる事になりかねないからね。だって、いくら核兵器を持っていても、やっぱり彼らヤクザ階級は「寄生虫」に過ぎないから、母体が絶滅したら寄生できなくなって困るわけだ。

「騎馬民族・貿易民族」は常に、先住民への税金だとか、物資の略奪、それと貿易の差額で生きてきたわけで・・・。

それから、軍事技術の革新で有利に立ち・・・っていうか、他の民族は戦争なんて考えもしなかっただろうけど・・・土着の王族に娘を嫁がせ、結局とってかわるわけ。「藤原氏」みたいに。代々母親が藤原氏なんだから、土着王族の血よりも藤原氏の血が圧倒的に濃いわけで・・・。そして、自分たちの文化を「伝統」と呼ぶ・・・そのために、日本では飛鳥以前の事はなかなか知れないし、朝鮮古来の文化を研究されると困るから、「古代朝鮮を知ってはいけない」ってなるわけ。そして、縄文時代となるとなかなか分からない。

ところが、青森の三内丸山遺跡の発見などによって、先住民族の文化の方が優れていた事が分かって来た。戦争技術がなかっただけでね・・・。縄文人と弥生人の骨を比較しても、縄文人の食生活の方が豊かだった事が分かっている。北海道も地震とかたくさんあったから、遺跡とか出てこないかな〜、って期待するんだけど。。。

日本の先住民族というのは、ウラル=アルタイ系騎馬民族ではなくて、ポリネシア系の海洋民族なんだよね。現代人は外国人横綱で言えば朝昇龍の方が日本的だと思っているだろうけど、あれは侵略者の顔であって、実は曙や武蔵丸などの方が日本先住民に近いわけ。
よく、二重まぶたと言えば欧米人、日本の伝統は一重、みたいに思ってる人もいるけど、世界の大半は二重で、一重はウラル=アルタイ系の侵略者だけなんだよ。これって、氷河に閉じ込められてた時に、まぶたに脂肪をたくわえるという環境適応をしていった結果なんだよね。そして、環境適応で身に着けた特性は遺伝しやすいから、B型が22%しかいないのにも関わらず、一重の割合はもっと多いわけ。あ、AO型だけどイヌイット(エスキモー)とかもかな。ずっと寒い地域にいるから。

とにかく、ポリネシアの人々が国つ神(O型)、天つ神(A型)なのであって、そして人類は皆兄弟なわけ。
ところが侵略民族が自分たちの文化を、やれヴァイキングだサムライだと言って、各民族の伝統であるかのように主張する。そして「民族浄化」して、自分たちの血を引いた人々を増やし、そういう人々を支配階級が誉めそやす事によって、人類を邪悪にして来た。似たような民族を互いに戦争させたり。

AO型の多いポリネシアと、B型の多いメラネシアを比べると、同じような神話におどろくべき違いがあるのが分かる。メラネシアのは残酷で、しかも残酷な儀式をともなっている。これはB型民族が、民俗宗教を破壊し、神話を改竄して来た事を示している。

おとといは世界のびっくり法律とか何とかいう番組で、ポリネシアのサモアの気風を紹介してたけど、あのおおらかさや、助け合いの精神が、先住民族の特徴だよ。植民地征服や税金搾取、「国益」だの「経済」だのしか考えてない侵略民族とは大分違うね。

* * *


 

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コメント
 
01. 2014年1月24日 14:25:49 : GMNqFLVG1g
五月様、あなたも、八切先生・鹿島先生・佐治先生と同じく
脳筋で残念なお人ですね。自分では世界革命のために戦っている積もりでも
「同じ街」に住んでいる、現場の臨床医の経験があって
それを法則化発見して普遍化した存在に気付くことができないのですね。

歴史学の大学院の学長大家でも、医学を専門でやっていない分野は、
少年兵見習いに負けてしまっている自覚がないのがホント残念です。
五月様の凡ミスのパターンは、gataro先生盲従分子の弟子達とか
ダイナモ先生盲従分子の弟子達とは違いますが。

「宇宙一いい加減な博士」様とか「気まぐれな風」様のように
患者を善導する目的で「知っているのに知らんふり」は出来ないお方と
お見受け致しました。これも人間臭いで片付けて良いのかな。
正直なお方で五月様があることがまだ救いではありますが。


02. 五月晴郎 2014年1月24日 16:24:54 : ulZUCBWYQe7Lk : zR8XMRTwDk
なんだかよく分かりませんが謝ります。すいません。

資料として転載しただけなんですがね。


03. Misaki-1167 2014年7月31日 19:55:42 : 4grJ7dTbm6xrs : SvLY3Ze83o
山本健造氏の「飛騨の口碑」の考察です。
簡単に述べます。
日本が最初に海底から頭を出したのは「飛騨」。→飛騨乗鞍岳のふもとに日本原人が発生した。→乗鞍は太古には「あわやま」といい大淡上方様が飛騨民族(日本人)
の本家として出た。→大淡上方様の分家が山下住水分命と山ノフモト住命、直系命の3つである。→大淡上方様はこれら分家の一族を新潟、伊勢、琵琶湖、若狭、富山、鶴来、瀬戸内海大三島、伊豆などに派遣し連絡網を整備した。→同じ頃、出雲は大陸からの文化を入れて強大な国だったので政略結婚により和睦を図った。出雲は元々は、飛騨の山下住水分命の子孫が開拓した国で「意宇国」といった。古事記にいう葦原の中つ国のことだ。大三島の大山祇神社の祭神、大山祇命の子孫が開拓した。直系命から淡上方様が15代として出てその子孫の伊邪那岐は出雲の伊邪那美を妻に入れ、天照大神と素戔嗚命の二人が生まれた。素戔嗚命は出雲へ婿入りした。子供が大国主。飛騨皇統(スメラミコト=日本皇統)35代ヒルメムチ=天照大神は、高御産巣日神命(木命)と夫の神産巣日神命(思兼命)らと共に高天原の天の安川原で全飛騨国の民を集め会議を持った。この頃、九州筑紫では球磨族(火遠族)、火照族(隼人)、塩土族の3外国勢力が渡来し三つ巴の戦いと侵略を繰り返し、地元日本人を恐れおののかせていた。会議では、@日本を一つにまとめるA早く筑紫を平定するB飛騨は寒冷化で大雪が降り始め、政権維持に支障が出だしたので、奈良大和に遷都することの三つが決定された。天照大神の娘多紀理姫が出雲に嫁いでいたが、大国主が腹違いの妹の須勢理姫といい仲になり、多理姫との子阿遅志貴高日子根命を後とりにもしなかったので、多紀理姫が飛騨に逃げ戻ったのと、婿に行った熊野久須毘命が変死するなど飛騨と出雲の仲が険悪となる中、飛騨から天穂日命らを談判に遣わすも11年も大国主は出雲におらず、新羅に行っていた。新羅に行き、新羅の「ソ氏」という一般家庭の娘に子を孕ませていた。それ以外にも181人もの新羅の子を産ませていた。色々な娘との間に・・・。そして、この後、大国主は出雲国を元の開拓した持ち主の飛騨政権に返還し、飛騨の匠が建てた巨大な幽閉所に幽閉された。事代主(大国主が側室に産ませた子)も幽閉された。これで出雲の件が一段落したので、ヒルメムチ=天照大神の孫の饒速日命は大挙して奈良橿原の大和建設の為、開拓に向かわれた。畿内、大阪、滋賀辺りは既に山ノフモト住命の子孫らが定住していたので会議に加わり奈良橿原に遷都することが決まった。橿原大和が飛騨政権の本家である。一方、このあと、弟の邇邇芸命命が飛騨の大軍勢を率い、九州苅田の浜に上陸後、再度船で日向に向かい、韓国岳を経て、鹿児島笠沙岬の塩土族の本拠地まで行かれる。邇邇芸命と木花咲耶姫との子鵜萱葺不合命は先ず、塩土族の娘玉依姫を嫁とし塩土族と親戚関係を作り、邇邇芸命は次に火照命と火遠命を兄弟盃させ、更に自分と親子盃をして和睦することで九州を平定した。鵜萱葺不合の末っ子のサヌ命=神武天皇がこのあと、饒速日命が開拓して待っておられる奈良橿原大和へ帰還の旅に美々津の浜から向かわれた。この一連の経緯が、天孫降臨と神武東帰還の流れである。飛騨から岐阜の長良川を下り、海岸線を伊勢鈴鹿まで行き、陸路を大阪まで行き、その後は再び海岸伝いに瀬戸内海を行き、筑紫の苅田の浜へ上陸後、宗像神社に寄ったりして、再度船で日向まで行かれたのです。案内は山下住命の18代目の猿田彦命が勤めました。
先程出雲の大国主幽閉の事は書きましたが、後に新羅からソ氏の娘に産ませた子である少彦名(イソタケル・五十猛)が出雲に来て、幽閉された父を見て、飛騨大和政権へ仕返し、報復に出たのです。
日本で生まれた大国主の子達は飛騨から統治者として派遣されていた天穂日命にしたがっていましたが、少彦名ら新羅から来た子供達が穂日命を惨殺し出雲をのっとったのです。飛騨にも隠していたことですから「飛騨の口碑」にも全くこのことは出て来ません。しかし、釜茹での神事に事実として残っていました。穂日を釜茹でにし、肉を喰らいどぶ池に投げ捨てたのです。これが出雲地方の水葬の始まりと思われます。そして徹底的にこのことを橿原大和に隠し続けたのです。そして出雲新羅神で全国の神社を従えさせ、出雲神を祭祀させ橿原一の宮の神主にソ氏の子孫大田タネコがつき、三輪山を乗っ取りました。饒速日命の住まわれた御諸山の一の宮を乗っ取り饒速日命をなきものにしてしまったのです。勾玉と剣を天皇から盗み、更に皇位の御霊代の「八咫鏡」をもうばいとろうとしたのです。
よって崇神天皇が皇女に預けた八咫鏡は3皇女に引き継がれ、伊勢の飛騨天孫の勢力下の地まで逃げたのです。椿大社は飛騨天孫の血を引かれる神主さんは、山本氏といわれ、現在も受け継がれる山ノフモト住命の子孫でいらっしゃいます。
この後、用明天皇の頃は「ソ氏」の子孫の蘇我氏が天皇・皇后・大臣を占め、聖徳太子も新羅の血を引く蘇我氏の孫ということになってしまいます。
その後蘇我氏は滅びますが、日本の皇統や側近はまだまだ分からないことが多いとおもいます。

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