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『ヒトラー思想』とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 10:04:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 世紀の捏造? ”ガス室はなかった” は本当か? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 09:31:50)


『ヒトラー思想』とは何か

ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC+%E6%BC%94%E8%AA%AC
https://www.youtube.com/results?search_query=Adolf+Hitler


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アウシュビッツ裁判 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=RcMf2W_5wF4


ニュルンベルク裁判=ナチスの戦争犯罪を裁く - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oHvlif112rg


ヒトラーと6人の側近たち 第1回 「ヨーゼフ・ゲッベルス」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1zZ2RctGP2s
https://www.youtube.com/watch?v=PNZ_jaQxZ4w
https://www.youtube.com/watch?v=_R4QvU3y2zE


ヒトラーと6人の側近たちU 第3回 「マルティン・ボルマン」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dQxQaCQTL2M
https://www.youtube.com/watch?v=ZLAOmmrq3do
https://www.youtube.com/watch?v=EV_0tmN1F5E


ヒトラーと6人の側近たち 第3回 「ルドルフ・ヘス」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=04MW0fwLMVE
https://www.youtube.com/watch?v=xk05qbC9brg
https://www.youtube.com/watch?v=zRuECyuTohM


ヒトラーと6人の側近たち 第2回 「ヘルマン・ゲーリング」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s69UVGkUohM
https://www.youtube.com/watch?v=wraaO0iuzVo
https://www.youtube.com/watch?v=eWXLXasUA_g


ヒトラーと6人の側近たち 第5回 「カール・デーニッツ」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nPMYejrhLFQ
https://www.youtube.com/watch?v=Y8dt1Rbfw00
https://www.youtube.com/watch?v=zs_nRkjOoCQ


ヒトラーと6人の側近たち 第6回 「アルベルト・シュペーア」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MyNm8amqY5E
https://www.youtube.com/watch?v=af4QmPD_SlU
https://www.youtube.com/watch?v=udA_4PhqLaY


ヒトラーと6人の側近たちU 第1回 「アドルフ・アイヒマン」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NywuaqlyTwM
https://www.youtube.com/watch?v=LDg3iTLeVJU
https://www.youtube.com/watch?v=_5OxGVOlWFk


ヒトラーと6人の側近たち 第4回 「ハインリヒ・ヒムラー」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDdJSgUOlZM
https://www.youtube.com/watch?v=b20mQhYvtrk
https://www.youtube.com/watch?v=8yPk1HiKGIc


ヒトラーと6人の側近たちU 第2回 「ヨーゼフ・メンゲレ」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Cpvlu5x61zg
https://www.youtube.com/watch?v=sL0qQAgzlKQ
https://www.youtube.com/watch?v=VJ0MY-Zh7_Q


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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史


『ヒトラー思想』が降りてきた……

2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。


数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?

※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです

「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。

あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。

『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。

冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535


引用・参考文献


ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D

わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V


ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE

イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。

ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い

ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。

比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。

ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。

ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。

とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。

ヒトラー思想A 人間は動物

ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。

ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。

ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」

ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。

ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。

勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。

弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。

ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人

ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2


ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。

ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。

仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」

ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。

人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。

ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する

ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。

法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。

ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する

ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」

強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。

この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。

1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。

ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3


ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。

そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。

ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる

ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。

ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。

※※※※※※※※

終わりに

いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。

強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。

しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。

強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4


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アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった


ワーグナーの手紙、イスラエルで競売へ ユダヤ人の「腐食的影響」に言及
2018年4月23日 12:13 発信地:エルサレム/中東・アフリカ


反ユダヤ的な内容が記されたドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの手紙。エルサレムで
(2018年4月16日撮影)。(c)AFP PHOTO / MENAHEM KAHANA


【4月23日 AFP】ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がユダヤ人による文化への悪影響を危惧した内容の手紙が24日、イスラエルで競売に掛けられる。反ユダヤ主義者だったワーグナーの作品はイスラエルでは公の場での演奏が実質的に禁じられているが、これを機に国内で議論が再燃しそうだ。

 ワーグナーが19世紀に作曲した壮大で国粋主義的な作品は、反ユダヤ主義やミソジニー(女性への嫌悪や蔑視)、民族純化思想に満ちている。

民族純化は後にナチス・ドイツ(Nazi)が大々的に掲げ、その指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった。

 出品される1869年4月25日付の手紙は、ワーグナーがフランス人の哲学者エドゥアール・シュレー(Edouard Schure)に宛てたもの。その中では、ユダヤ人がフランス社会に同化すれば「ユダヤ精神による近代社会への腐食的影響」を観察できなくなるとし、フランス人はユダヤ人について「ほとんど何も」知らないなどとも記している。

 イスラエルにはワーグナー作品の演奏を禁止した法律はないが、過去に演奏が試みられた際に国民から強い反発が起き、騒ぎになった経緯があることから、オーケストラや会場が演奏や上演を自粛している。

 ワーグナーは1850年、偽名で「音楽におけるユダヤ性」と題した論文を発表し、激烈な反ユダヤ批判を展開。1869年にはこの論文を実名で出している。(c)AFP


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ニーチェとナチス〜レニの意志の勝利〜


■ワーグナーの信奉者

神は死んだ ・・・ ニーチェは自著「ツァラトゥストラはかく語りき」でかく語った。

この不用意な一言が、キリスト教徒の心情を逆なでにし、反キリストの烙印を押されたことは想像に難くない。大哲学者ニーチェも、熱心なキリスト教徒からみれば、ただの背信者なのだ。つまり、20億人が敵!?

さらに ・・・

ニーチェは「ナチスのシンパ(賛同者)」の嫌疑もかかっている。もし、それが本当なら、全人類が敵!?

歴史的名声をえているニーチェ像も、じつは薄氷の上にあり、いつ水没してもおかしくないわけだ。

では、本当のところはどうなのだろう?

第一の疑惑はワーグナーがからんでいる。

ワーグナーは、言わずと知れたドイツの大音楽家である。19世紀ロマン派歌劇の王様で、「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」など、荘厳かつ芝居がかった楽曲で名声をえている。

そのワーグナーの熱烈な信奉者がニーチェだったのである。ニーチェは、学生時代にワーグナーの楽曲に感銘をうけ、個人的な交流が始まった。その後、ワーグナーを讃える書を書いて、インテリからひんしゅくを買った。

そして ・・・

ヒトラーも熱心なワーグナー信奉者だった。ヒトラーは、17歳のとき、シュタイアー実科中学校を放校処分になり、ウィーンに旅行したが、そのとき、友人のアウグスト・クビツェクに絵葉書を送っている。そこにはこう書かれていた。

「僕は今、ワーグナーに夢中だ。明日は『トリスタン』を、明後日には『さまよえるオランダ人』を観るつもりだ」

ヒトラーは、その後、ドイツの総統にまで上りつめるが、ワーグナー熱が冷めることはなかった。定期的に劇場に出かけ、ワーグナーの荘厳な歌劇に酔いしれたのである。

ということで、ニーチェはワーグナーをハブに、ヒトラー(ナチス)のお仲間とみられたわけだ。とはいえ、音楽の趣味が同じだからといって、ナチスシンパ呼ばわりされてはたまらない。

ところが ・・・

ワーグナーは偉大な音楽家にみえるが、うさん臭いところもあった。天上天下唯我独尊で傲慢不遜、しかも、金遣いがあらく、年中金欠だったが、問題はそこではない。

彼の代表作「ニーベルングの指環」は、天界と人間界をまたぐ、壮大な戦争叙事詩だが、モチーフは北欧神話。つまり、神々と北欧ゲルマン人を讃える物語なのだ。

北欧ゲルマン?

じつは、ワーグナーは、北欧ゲルマン人至上を信じる偏屈な反ユダヤ主義者だった。しかも、彼の2度目の妻コージマも反ユダヤ主義者で、夫婦そろって人種差別主義者だったのである。

ゲルマン人最高&ユダヤ人最低?

ナチスの教義そのままではないか。

じゃあ、ワーグナー夫婦はナチス信奉者だった?

ノー!

この二人がナチス信奉者であるはずがない。ナチスが創設される前に死んでいるから。

それに、17歳のヒトラーがワーグナーに魅せられたのは音楽であって、偏屈な人種差別ではない。この頃、ヒトラーのユダヤ人に対する差別意識は、ヨーロッパ人としては平均的なものだった。驚くべきことに、21歳の時、ヒトラーには、ヨーゼフ ノイマンというハンガリー系ユダヤ人の親友がいた。彼に自分の描いた絵を売ってもらっていたのである。

ニーチェもしかり。はじめに、ワーグナーの楽曲に感動し、個人的なつき合いが始まり、彼の知性に魅了されたのである。

そもそも、ニーチェは人種差別主義者ではなかった。彼は「ユダヤ教」を嫌っていたが(厳密には一神教)、「ユダヤ人」を差別していたわけではない。

というわけで、ワーグナーをからめて、ニーチェを「ナチスシンパ」呼ばわりするのは正しくない。

ところが ・・・

やっかいなことに、そう思われてもしかたがない事実があるのだ。ニーチェは著書の中でこう書いている。

「ちっぽけな美徳やつまらぬ分別(道徳)、惨めな安らぎ(宗教)を求めることなかれ、強固な意志と不屈の精神で成し遂げるのだ」

つまり、「道徳」と「宗教」を否定し、内なる声に従い、雄々しく生きよと鼓舞したのである。

これがニーチェ哲学の根幹をなす概念「力への意志」である。そして、この勇ましい思想が、ナチスに利用されたのである。

■ナチスの映画

1934年、ナチスは党のプロパガンダ映画「意志の勝利」を制作した。1934年9月4〜5日に開催されたナチスの全国党大会の記録映画である。

タイトルといい、内容といい、ニーチェの「力への意志」を彷彿させる。

ところが、この映画は、現在、ドイツで上映が禁止されている。ドイツでは、映画であれ、TVであれ、Tシャツであれ、「ナチス」の露出は禁じられているのだ。

禁じられると、よけいに観たくなる!

心配無用。日本ではDVDがふつうに手に入る(amazonで3,730円)。

それにしても日本はいい国だ。言論・思想の自由とかで、言いたい放題、見せたい放題、何をしても許されるのだから(皮肉です)。そこで、DVD版「意志の勝利」(※1)を購入してみると ・・・ 暴力シーンやエロいシーンはゼンゼンない。むしろ、荘厳で美しく、芸術的(そして眠くなる)。

ということで、発禁の理由は、ひとえに「題材=ナチス」。

では、映画の内容はどうなのか?

「ナチス」がムンムン伝わってくる。

冒頭、いきなり、鷲と鉤十字をかたどった像の下に、「Triumph des Willens(意志の勝利)」が映し出される。

そして、重々しい文言 ・・・ 1934年9月5日、世界大戦勃発から20年後、ドイツの受難から16年が経過、ドイツの復興が始まって19ヶ月、アドルフ・ヒトラーは閲兵のため、ニュルンベルクを再訪した ・・・

シーンは変わって、飛行機のコックピット。眼前にみごとな大雲海が広がっている。重厚なサウンドと相まって、気分が高揚する。飛行機は徐々に高度を下げ、雲の割れ目から古都ニュルンベルクが見える。大聖堂をはじめ、荘厳な石造りの建物が整然と並ぶ。中世を思わせる美しい街だ。

飛行機がニュルンベルクの飛行場に着陸する。大勢の民衆が出迎え、歓声をあげている。ヒトラーが飛行機から降り立つと、「ハイル、ハイル、ハイル」の大合唱だ。

オープンカーで、ドイッチャー・ホーフ・ホテルに向かうヒトラー。その途中、道の両側の建物から鉤十字のナチス旗が垂れ下がり、人々が熱狂的に手を振っている。

ホテルに到着すると、母と娘がヒトラーに花束をわたし、笑顔でこたえるヒトラー。絵に描いたような演出だ。ヒトラーがホテルに入ると、

「われらの指導者、姿をみせて!」

の大歓声がわきおこる。ヒトラーが窓から姿をあらわし、それに笑顔でこたえる。強固な意志と不退転の決意を秘めながら、民衆には心を開く、我らが指導者というわけだ。

映像はモノクロだが、美しく、荘厳で、力強い。演出もカメラワークも、時代を考慮すれば新鮮だ。映画全体に一大叙事詩のような風格がある。こんな映画を撮れる監督はそういない。現代なら、スタンリー・キューブリック(故人)かリドリー・スコットか?

■レニ リーフェンシュタール

ところが ・・・

「意志の勝利」を撮ったのは、キューブリックやリドリースコットのような映画界の重鎮ではなかった。レニ リーフェンシュタール、当時まだ32歳の美しい女性だった。

この映画の2年前、1932年3月、レニ リーフェンシュタル監督兼主演の映画「青の光」が公開された。ヒトラーはこの映画をみて感動したのである。その後、レニはヒトラーの大のお気に入りになり、1938年のベルリンオリンピック「民族の祭典(オリンピア)」の監督も任されている。

「意志の勝利」は高い芸術性が評価され、数々の賞を受賞し、レニも栄光と名誉を手に入れた。ところが、戦後、評価は一変する。ナチスが全否定されたのだ。結果、「意志の勝利」は上映が禁じられ、レニ自身も、ナチスに協力した罪で訴えられた。最終的に無罪になったものの、誹謗中傷はその後もつづいた。

この不遇に対し、レニはこう反論した。

「わたしはナチスに加担したわけではない。美を追求しただけだ」

たしかに、レニの映像は「美」をねらっている。しかし、その「美」は穏やかな自然の美ではない。超越した力の美である。そして、脚本は明確に「ナチス礼賛」。これでは、「ナチスの協力者」と言われてもしかたがないだろう。もっとも、そうしないと、映画は完成しなかったのだが。実際、ナチス宣伝相ゲッベルスがあまりに口うるさいので、レニはヒトラーに苦情を訴えている。

ということで、レニはヒトラーから依頼されてこの映画を撮ったのだが、結果として、ナチスを利用して自己実現することになった。フォン ブラウンが、ナチスの超兵器V2ケットを利用して、ロケットの夢を叶えたのと同じように。

論より証拠、映画の内容を精査してみよう。

脚本と演出から、この映画のテーマは3つ確認できる。
1.ヒトラーは偉大な指導者
2.ドイツの若者は健全でパワフル
3.ナチスドイツは階級のない社会

では、この3つが映像でどう表現されているかみていこう。

【ヒトラーは偉大な指導者】

飛行場に到着したヒトラーを出迎える熱狂的な民衆。オープンカーで移動中、道すがらナチス式敬礼でヒトラーを讃える民衆。母娘から花束を渡され、笑顔でこたえるヒトラー ・・・ ヒトラーは国民から崇拝されると同時に、愛される指導者でもある。

さらに ・・・

ヒトラーの演説は分かりやすく、力強い。要点をしぼって、カンタンな言葉で何度も繰り返す ・・・ ヒトラーは頭がよくて、頼りがいがある。ドイツを再び繁栄に導いてくれるに違いない。

というわけで、ヒトラーの演出は「偉大な指導者」にフォーカスされている。

【ドイツの若者は健全でパワフル】

ニュルンベルク郊外に設営された無数のテント。ヒトラーユーゲント(青少年団)の野営地だ。ここで、多くの若者が共同生活をおくっている。

朝起きて、ヒゲをそり、顔を洗う、こんな日常でさえ、限りなく健全で明るい。水掛けをしてふざけあうカットも、民族の一体感を感じさせる。そして、みたこともない大鍋でスープをつくって、大量のソーセージを煮込んで、みんなでモリモリ食べる。調理と食事という日常の風景なのに、物量が多いだけで、力強さを感じさせる。

食事が終わると、相撲とボクシングをあわせたような格闘技や騎馬戦に興じる ・・・ じつは、スポーツは疑似暴力(アグロ)。

というわけで ・・・

ドイツの若者は、共同生活を楽しみ、スポーツを愛する。だから、健康的で、明るく、パワフル。心の病気などどこ吹く風だ。

そして ・・・

こんな若者にささえられたドイツの未来は明るい!

とはいえ、これが当時のドイツ青少年のスタンダードと言うわけではない。この映画が撮られた1934年、ドイツの若者がすべてヒトラーユーゲントとは限らなかったから。ところが、1936年、「ヒトラーユーゲント法」が成立し、すべての青少年の入団が義務づけられた。つまり、「ドイツの青少年=ヒトラーユーゲント」。

以前、265代ローマ教皇ベネディクト16世が、ヒトラーユーゲントの団員だったことが取り沙汰された。もちろん、的外れ。この時すでに、ヒトラーユーゲント法が成立していたから。

【ナチスドイツは階級のない社会】

民族衣装に身を包み、収穫の行進をする農民たち。ナチスは農業・農民を重視します!が映像からヒシヒシ伝わってくる。そもそも、ヒトラーが東方生存圏の拡大をもくろんだ理由は、ドイツの食料不足にあったのだから。

ヒトラーがドイツ労働者戦線指導者ロベルトライをともない、労働戦線の隊員たちを観閲する。続いて、ナチス幹部の労働者を讃える熱い演説。

この2つの映像は、ナチスドイツが農民と労働者を重視する、つまり、「階級のない社会」であることを示唆している。また、先の「ヒトラーユーゲントの野営地」の映像は、ナチスドイツが個人が全体に従属する「全体主義」であることを暗示している。

つまり、ヒトラーの狙いは、「階級のない社会=共産主義」と「個人より国家=全体主義」にあったのである。

そして ・・・

後者の「全体主義」は、おそらく、ヒトラーの戦争体験によっている。

1918年10月13日、第一次世界大戦中、イープルの前方の南部戦線で、イギリス軍は毒ガス「マスタードガス(ドイツ軍は黄十字ガスとよんだ)」を使用した。ヒトラーはその毒ガスをもろにあびたのである。

その時の苦悩と覚醒が、ヒトラーの著書「わが闘争」に記されている ・・・

ガスに倒れ、両眼をおかされ、永久に盲目になりはしないかという恐怖で、一瞬、絶望しそうになったときも、良心の声がわたしを怒鳴りつけたのだ。あわれむべき男よ、なんじは、幾千の者がなんじより幾百倍も悪い状態に陥っているのに、それでも泣こうとするのかと ・・・ わたしは、祖国の不幸にくらべれば、個人的な苦悩というものが、すべてなんと小さいものかということを知ったのだ(※2)。

まさに、全体主義 ・・・

でも、「共産主義+全体主義」なら、まんまボリシェビズム(レーニン式共産主義)では?

たしかにやってることは変わらない、では身もフタもないので、ムリクリ両者の違いを捻出すると ・・・ 憎む相手。

ボリシェビズムの敵は、資本家、つまり「階級」。一方、ナチスの敵は、ユダヤ人とスラヴ人、つまり「人種」。

ヒトラーは「ヨーロッパの新秩序」を掲げ、人種ヒエラルキー社会をもくろんでいたのである。それが、イデオロギーとよべるかどうかはさておき、上から順番に ・・・
第1位:ゲルマン人(ドイツ・オーストリア)
第2位:ラテン人(南ヨーロッパ)
第3位:スラヴ人(東ヨーロッパおよびロシア)
第4位:ユダヤ人

ヒトラーは、ドイツの資源不足(特に食糧)を憂慮していた。そこで、新たな生存圏を獲得するため、上記リストの下位の土地をねらったのである。ところが、第4位のユダヤ人は広い領土をもたない。一方、第3位のスラヴ人が住むロシアは広大で、天然資源は無尽蔵(特に鉱物資源は世界トップ)。そこで、ヒトラーはロシアを征服しようとしたのである。

ヒトラーは、「優れたドイツ人が狭い土地に住み、劣ったスラヴ人が広い土地に住むのはがまんならない」と側近にもらしていたという。その意識が、第二次世界大戦を招いたのである。

ただし、第二次世界大戦の直接原因はヒトラーにあるのではない。イギリス首相チェンバレンの愚策にある(イギリス議会の総意でもあったが)。ヒトラーはフランスはもちろん、ポーランドも侵攻するつもりはなかったのだから。

ということで、ナチズムもボリシェビズムも「敵を憎んでやっつけろ」が基本で、異民族や価値観の違いを認めて、折り合う気がさらさらない。だから、隣国にとってはハタ迷惑なのだ。

日本のお隣にも、お仲間がいるって?

否定はしませんけどね。

話をレニにもどそう。ゲッベルスにちゃちゃを入れられたか、身の危険を感じたか分からないが、結果として、映画は「ナチス礼賛」になってしまった。

その真骨頂が、ナチスの副総統ルドルフ・ヘスの演説だろう。映像を観ていると、歯が浮いてくる ・・・

わが総統 ・・・ 人々は理解することになるでしょう。我々生きるこの時代の偉大さを、我が国にとって、総統がいかに重要な存在であるかを。

あなたはドイツです。

あなたの指導のもと、ドイツは真の祖国となる目的を達成するでしょう。世界中すべてのドイツ民族のために。あなたは我々に勝利を約束なさった。そして、今、我々に平和を与えてくださる。ハイル・ヒトラー!ジークハイル!

それにつづく、「ジークハイル!」の大合唱。

ところが ・・・

このヘスの演説の合間に、2秒ほど、ナチスナンバー2のゲーリングの表情が映るのだが ・・・ その白けた顔。そこにはこう書いてある。

「よう言うわ」

これはカットですよ、レニ監督。

■ニーチェとナチス

というわけで、ニーチェの思想とナチスの教義は似ているが、共通するのはイケイケぐらい。そもそも、ニーチェの「力への意志」の核心は個人主義にあるが、ナチスは頭のテッペンからつま先まで全体主義。だから、根本が真逆なのだ。つまり、ナチスは、都合のよいところだけ、ニーチェ・ブランドを利用したのである。宗教的道徳を捨て、力を信じて、お国のために死んでくれ!と。

ところが、ヒトラーがニーチェを愛読していたという証拠はない。ヒトラーは大変な読書家だったが、ジャンルは歴史と地理と戦争物に限られていた。ただし、第一次世界大戦中、戦場でショーペンハウアーを読んでいたという記録がある。

ショーペンハウアーといえば、19世紀を代表する大哲学者だが、大学入試(大阪大学)の現国の問題にもなっているので、特別難解というわけではない。とはいえ、個人的には難解だし、そもそも陰気臭い。でも、ひとつだけ感動した言葉がある。

「人間、40才までが本文、それを過ぎたら注釈の人生」

偉人の名言の中でも、ひときわ目立っている。あまりのインパクトに卒倒しそうになった。

それはさておき、ショーペンハウアーは「意志」にからんで、ニーチェに影響を与えているので、ヒトラーの心をとらえた可能性はある。

一方、イタリアのファシスト党首ムッソリーニは、ニーチェを愛読していた。彼は自著「力の哲学」の中で、

「ニーチェは19世紀最後の4半世紀で、最も意気投合できる心の持ち主だ」

と持ち上げている。

ムッソリーニの「覇道の人生」を正当化しているのだから、無理からぬ話だ。とはいえ、ムッソリーニは、世間に流布されたような無教養で粗野な人物ではなかった。大変な読書家で、数カ国語をあやつるインテリだったのである。

というわけで、ヒトラーがニーチェの信奉者だった証拠はないが、お仲間のムッソリーニはそうだった。だから、ニーチェはファシズムを産んだわけではないが、加担したことは否定できない。

しかし、ニーチェの一番の問題はそこではない。

彼の理想と現実の埋めようのないギャップ。

■ニーチェの末路

ニーチェは読者にむかって ・・・

「己の内なる声に耳を傾けよ。その声に従って、生きよ。道徳やルールに惑わされてはならない」

と、危険な生き方を強要しておきながら、自分は35歳でニートになってしまった。体調不良で、大学の教授をやめたのである。その後、気候の良い土地を転々としながら執筆に専念した。早い話が在野の学者。

ところが、ニーチェの転落はここでとどまらなかった。45歳で、生きながらにして、アリ地獄に落ち込んだのである。

1889年1月3日、トリノの街を散歩中に、老馬が御者に鞭打たれるのをみて、突然、馬の首にしがみつき、泣き崩れてしまった。気が触れたのである。その後、実家のナウムブルクから近いイェーナの精神病院に入院した。

病室では、たいてい口をきかず、ふさぎ込んでいた。かとおもうと、突然、大声でわめきだし、自分を皇帝とか公爵とよんで、窓を叩き壊すこともあった。そして、頭痛がはじまると、看護人をビスマルクだと言って、ののしるのだった。

「私は愚かだから死んでいる。私は死んでいるから愚かだ」

と、芝居のセリフのような呪文を繰り返した。

これはうつ病レベルではない。重度の精神障害「統合失調症」である。

やがて、病院は回復の見込みがないことを認め、1890年5月、ニーチェは退院した。その後、ナウムブルクの実家にもどり、一度も回復することなく、55歳でこの世を去った。

じつは、ニーチェの狂気は、鞭打たれる老馬をみて、突然、発現したわけではない。子供の頃、すでに、予兆があったのだ。ニーチェはこう書いている。

「僕が恐ろしいと思うのは、僕の椅子の後ろの、ぞっとする姿ではなく、その声である。どんな言葉だって、その姿が発する声ほど、身の毛もよだつ、言葉にならない非人間的なものはない。人間がしゃべるように話してくれさえすればいいのだが」(※3)

幻聴や幻覚は統合失調症の典型的な症状である。誰もが子供のとき経験する夢想世界とは別ものだ。結局、ニーチェの幼少時の予兆は現実になったのである。

■クラーク博士の末路

ニーチェの理想と現実の人生をみると、

「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」

を残したクラーク博士を思いだす。

ウィリアム・クラークは、アメリカ合衆国の教育者で、札幌農学校(現北海道大学)の立ち上げに尽力した。先の名言は、これから巣立つ若者へのはなむけの言葉として有名である。

ところが、そのクラーク博士 ・・・

帰国後、大学の学長になり、順風満帆だったのに、自分の名言を実践することにした。学長を辞めて、新しい大学の創設、会社の創業に挑戦したのである。

「Old boys,be ambitious(中年よ、大志を抱け)」

ところが ・・・

結果はすべて失敗。最後は破産に追い込まれた。その後、心臓病をわずらい、寝たり起きたりで、59歳でこの世を去ったという。

大志を抱き、現実で失敗し、悲惨な末路をたどり、名声だけが残る ・・・ 詳細はさておき、大枠、ニーチェと同じではないか。

というわけで ・・・

挑戦する人生は素晴らしいが、身の丈を超えると、後が良くない。欲をかかず、つつましく生きるのも良き人生かな ・・・

■ゲーテの末路

ニーチェは、寄宿学校時代、文学サークル「ゲルマニア」をつくり、シェークスピアやゲーテをよみあさった。

そのゲーテだが、詩人、劇作家、小説家、科学者、弁護士にして政治家と、ニーチェの「力への意志」を地で行くような「攻め」の人生だ。

ところが ・・・

その「攻め」のゲーテが、晩年、こんな言葉を残している。

気持ち良い人生を送ろうと思ったら ・・・

済んだことをクヨクヨしないこと、
むやみに腹を立てないこと、
現実を楽しむこと、
人を憎まないこと、
そして、未来を神にまかせること。

人生は複雑である。

参考文献:

(※1)意志の勝利[DVD] 販売元:是空

(※2)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫) アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)

(※3)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳) 白水社
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-249/


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ニーチェとルサンチマン〜道徳の正体〜
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-250/


■ニーチェかサルトルか

昭和51年、日本の高度経済成長のまっただ中、こんなTV CMが流行した ・・・ 「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか〜、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか〜、みーんな悩んで大きくなった〜」 作家の野坂昭如が歌ったウィスキーのCMである。哲学者をまとめてコケにしたようなバチ当たりなCMだが、悪意は感じられない。彼の不思議なキャラのおかげだろう。野坂昭如は、言動はハチャメチャだが、どこか憎めない。何をしても許されそうな ・・・

そういえば、大島渚監督の結婚30周年パーティで、主役をグーで殴って大騒動になった。犯行映像も残っており、証拠は万全なのだが、訴えられたという話は聞かない。 とはいえ、彼のすべてが不真面目というわけではない。直木賞を受賞した「火垂るの墓」は何度もみても泣ける(ただしアニメ版)。

ところで ・・・ 冒頭のCMは、哲学者の有名どころはソクラテス、プラトン、ニーチェ、サルトルと言っているようなもの。つまり、ニーチェは日本でもポピュラーな哲学者なわけだ。 では、ニーチェと聞いて、何を思い浮かべるか? ツァラトゥストラはかく語りき 神は死んだ 超人思想 ・・・・ ニーチェの象徴、3大キーワードである。

ところが、この3つはすべて、ニーチェ哲学の重要な概念「力への意志」にからんでいる。 ニーチェは著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、「神は死んだ」と宣言し、人間のあるべき姿「超人思想」を提唱したから。 しかし ・・・ ニーチェが本当に言いたかったのは、「神は死んだ」ではなく「神は妄想である」だったのだ。

そこで、100年後、生物学者リチャード ドーキンスはニーチェを代弁した。彼は著書「利己的な遺伝子」で、生物は遺伝子の乗り物にすぎないと暴露し、さらに、著書「神は妄想である」で、人間を創造したのは進化の法則で、神ではないと言い切った。つまり、神と宗教を否定したのである。 ということで、ニーチェは哲学、ドーキンスは生物学、それぞれ異なったアプローチで同じ結論に到達したのである ・・・ 神は妄想ナリ。ところが、ロジックの鋭さと辛辣さでは、ニーチェが一枚上手。

■ルサンチマン

ニーチェ版「神は妄想」は用意周到である。まず、彼が最初に持ち出したのが「ルサンチマン」だった。 ルサンチマン? 響きはいいが、非常に危険な言葉である。フランス語で「恨み」とか「嫉妬」という意味だが、哲学用語としての意味は最悪 ・・・ 絶対にかなわない強者に対し、ねたむ、ひがむ、陰口をたたく ・・・ ここまでは想定内だが、ルサンチマンは陰湿でしつこい。相手を悪者に仕立てあげ、自分を正当化する。そして、ここが肝心なのだが ・・・ すべて想像の中で、行動は一切ナシ。

なんで?

立ち向かえば瞬殺されるから。 なんと惨めな。 「あんた立派だね。頑張れば ・・・」 ぐらいの皮肉の一つも言って、あきらめればいいのに。 ところが、ルサンチマンは、それでは腹の虫がおさまらない。卑屈というか、偏屈というか、いびつというか ・・・ 具体例をしめそう。 マイクロソフトは、OS(Windows)とOffice(Word、Excel)で成功し、ソフトウェア業界の王族として君臨している。革命でも起こらない限り、王座は安泰だろう。なぜなら、OSとOfficeは初めにやったもん勝ちだから。

たとえば、何か面白いアプリを思い付いて、開発するとしよう。どのOSを選ぶ? もちろん、Windows、次に余裕があれば、Macかな。もっとも、昨今は、タブレットやスマホが急伸しているので、AndroidかiOSかもしれない。つまり、普及しているOSほど、アプリが多いわけだ。だから、一旦、劣勢になったOSが挽回するのは不可能。

さらに、ビジネス現場ではWord、Excelがデファクトスタンダードになっている。外部とのデータのやりとりはPDFが多いが、Word、Excelのファイルを使うことも多い。だから、カネを惜しんで中国製のOffice互換ソフトを買ったところでさほど意味はない。 つまり、マイクロソフトの目を見張る成功は、実力ではなく、既得権益によっている。だから、どんなに優れた商品を開発し、どれほど広告を打とうが、勝ち目はないわけだ。これが、王族と言われるゆえんである。

さて、ここで、ルサンチマンの登場である ・・・ オデは知ってるぞ。マイクロソフトが成功したのはタナボタ、実力があったわけじゃない。1980年、IBMがパソコンに参入したとき、マイクロソフトのMS-DOSが採用され、「パソコンOS=マイクロソフト」が既成事実になったことがすべて。運というか、成り行きというか ・・・ 実際、あのとき、最有力はデジタルリサーチのCP/Mだったんだからな。

だから、マイクロソフトが市場を征服しようが、神様よりお金持ちになろうが、絶対に認めん。 じゃあ、WindowsとOfficeは使っていないの? あ、いや、使っているけど ・・・ 好きで使ってるわけじゃないぞ。みんなが使っているから、使っているだけだ。 では、WindowsとMacどっちがいい?

そりゃもう、Mac!

Appleと比べれば、マイクロソフトなんてゴミみたいなもんだ。いいか、よく聞け、オデはAppleには一目置いているけど、マイクロソフトなんか絶対に認めないぞ(Macを実際に使ったことあるのかな)。 それに ・・・ マイクロソフトはあんなに稼いでいるのに、WindowsXPのサポート打ち切りとか、ふざけたこと言いやがって。売るだけ売っておいて、無責任な話だ。たしかに、金持ちかもしれんが、性根はサイテーだ!

もう一声 ・・・ 創業者のビルゲーツも二代目CEOのスティーブンバルマーもユダヤ人っていうじゃないか。「ベニスの商人」の金貸しシャイロックだな。オデは、こんなエゲツナイ商売する連中とやり合うつもりはない。そこで、焼鳥屋をやることにした。あいつらと違って、オレは品があるからな。 これが、ルサンチマン。 では、ルサンチマンの逆は? たとえば、Google。 ボクたち、マイクロソフトがソフトウェア業界の王族だってことは認めるよ。大したもんだよ、ここまで来るのは。もちろん、ボクたちもイケてるけど、まともにやっては勝ち目はない。だけど、逃げたりはしない。土俵を変えて勝負するんだ。マイクロソフトはデスクトップのキングなら、僕たちはウェブのキング。そして、いつかウェブがデスクトップを超える日が来る。そのとき、マイクロソフトを打ち倒すんだ! その「いつか」だが、遠い未来ではなさそうだ。

ということで、ヘソ曲がりをのぞけば、100人中100人がGoogleを絶賛し、ルサンチマンを軽蔑するだろう。 とはいえ、ラッキーなマイクロソフトや、ルサンチマンなソフト会社や、今をときめくGoogleでたとえても、いまいちピンとこない。ところが、ニーチェが説く「ルサンチマン」は強烈だ。

■一神教と多神教

ニーチェは著書「道徳の系譜」の中でこう書いている ・・・ 「高貴な道徳」は、どれも誇らしげにみずからを肯定するところから発展するものだが、「奴隷道徳」は最初から外部のもの、異なっているもの、自分以外のものを否定する、この否定こそが、この道徳の創造的な行為なのだ。 まわりくどいので、カンタンにまとめると、 ・高貴な道徳 =社会の道徳 ・奴隷道徳  =宗教の道徳 そして、「奴隷道徳=宗教道徳」の本質は、自分以外を否定することにあると言っているのだ。ちなみに、ここでいう宗教とは「旧約聖書=ユダヤ教&キリスト教」に限定される。

では、なぜ、仏教やヒンズー教ではなく、「ユダヤ教&キリスト教」なのか? 一神教だから。 一神教は、他の神を一切認めない排他的な宗教である。たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 ・・・ じつは、この三大宗教には「唯一神」以外にも共通点がある。 旧約聖書をバイブルにしていること、「普遍的な道徳」をもつことである。ここで、「普遍的道徳」とは、国や民族を超えて有効な道徳をいう。たとえば、ユダヤ教の「十戒」。読んで字のごとく、10の戒めがあるのだが、両親を敬えとか、人を殺してはいけないとか、嘘をつくなとか ・・・ 誰でも理解・納得できるルールだ。

一方、一神教の反対言葉「多神教」は ・・・ 文字どおり、複数の神を包含する。さらに、多神教の神は、地域に根付いており、普遍性がない。たとえば、古代都市テオティワカンでは「ジャガー神」があがめられたが、ジャガーがいない地域では、宗教そのものが成立しない。 さらに、多神教は、普遍的道徳をもたない。それどころか、生贄(いけにえ)を要求する性悪の神までいた(決めたのは人間だが)。2012年人類滅亡説で話題になったマヤ文明はその最たるものだろう。生贄を制度化していたのだから。

また、古代では、地球上のいたる所でシャーマニズムが存在した(一部の地域では今も存在する)。霊と交信するシャーマンが、占いや儀式を取り行い、為政者を補佐するのだが、王を兼ねることもあった。邪馬台国の卑弥呼もその一人だろう。 というわけで、多神教やシャーマニズムは、太陽や星々、森や動物の霊など、自然をモチーフにしている。つまり、自然と結びついた「自然神」なのだ。ところが、一神教は抽象的な唯一神をつくりあげ、それを崇めるよう強要する。さらに、文明化の名のもとに、森林を伐採し、神々などいないことを証明する。つまり、多神教が「自然神」なら、一神教は「人工神」なのだ。

一方、日本は世界に類を見ない無神論の国である。もっとも、戦国時代までは、日本は熱心な仏教国だった。ところが、織田信長がそれを一変させた。信長は、宗教が政治に口出しすることを極端に嫌い、宗教勢力を根絶やしにしたのである。一向宗「本願寺」との熾烈な総力戦の果てに。 その結果、日本の宗教勢力は弱体化し、無神論の国となった。盆は仏壇の前でチーン(仏教)、クリスマスイヴはケーキをほおばり(キリスト教)、正月には神社(神道)でパンパン。はた目で見ると、花見と変わらない。

ところで、一神教で道徳が重視されるのはなぜか? 治安と秩序をたもつため。 じゃあ、一神教は性悪説!? イエス! そもそも、キリスト教の教えによれば、人間には七つの大罪があるという。ところが、人間は神が創造したというではないか。全知全能の神が罪を作った!?矛盾してません? それとも、神はあえて不出来な人間を造り、大罪で苦しむの眺めて楽しんでいる? やっぱり、この世界は神の見世物小屋かもですね。

話をもどそう。 宗教が治安と秩序に一役買っているとしたら、無神論の日本はどうなるのだ?日本の治安と秩序は世界最高なのに。 1946年、アメリカで、この謎を解く書が出版された。タイトルは「菊と刀」、著者は文化人類学者のルース フルトン ベネディクトである。若き日のエリザベステーラーを彷彿させる美人だが、文体は陰気くさく読みづらい。その中で、彼女はこう説明している。 西洋人は「罪の文化」で、神罪を恐れて悪いことをしない。一方、日本人は「恥の文化」で、「世間体」を気にして悪いことをしない。 たしかに、江戸時代のハラキリ、太平洋戦争中の玉砕をみるまでもなく、日本人は世間体を気にする。つまり、「恥の文化」は宗教同様、治安と秩序に貢献しているわけだ。もっとも、最近は「恥知らず」な犯罪が増えているので、新しい「××の文化」をつくる必要がありそうだ。

■奴隷道徳

「ルサンチマン」に話をもどそう。 ニーチェによれば ・・・ 宗教も神も、ルサンチマンというひねくれ者が作りだした「妄想」にすぎない。戦っても勝ち目はないので、想像上の復讐で埋め合わせしているだけ(身もふたもない)。 そして、ルサンチマンの源流はユダヤ教と言い切ったのである。 これは興味深い。さっそく、ユダヤ教の歴史をみてみよう。 ユダヤ人が最初に王国を築いたのは紀元前1021年のイスラエル王国である。その後、強国エジプト王国と共存しながら、ダビデとその子ソロモンの治世で全盛期をむかえた。ところが、ソロモン王が死ぬと、内部抗争がおこり、王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。

そして、ここからユダヤ人の苦難が始まる。 まず、紀元前597年、南方のユダ王国が新興の新バビロニアに滅ぼされた。さらに、ユダヤ民族の支配階級が新バビロニアに連行されたのである。歴史上有名な「バビロン捕囚」である。 ところが、バビロン捕囚には副産物があった。ユダヤ人が新バビロニアの優れた文化に接することができたのである。中でも、重要と思われるのがギルガメシュ叙事詩(古バビロニア版 or ニネヴェ版)である。 というのも ・・・ 後に、ユダヤ人が編纂する「旧約聖書」に、ギルガメッシュ叙事詩とソックリの部分があるのだ。 時間軸にそって説明しよう。 バビロン捕囚から60年後、ユダヤ人に転機が訪れる。紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロンに侵攻し、新バビロニアを滅ぼしたのである。ペルシアは異民族に寛大な帝国だった。王キュロス2世の命により、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたのである。その後、ユダヤ人は旧約聖書とユダヤ教を成立させた。 その旧約聖書の中に、「ノアの方舟」というエピソードがある。

じつは、それがギルガメシュ叙事詩の「ウトナピシュティムの洪水伝説」ソックリなのだ。というわけで、バビロン捕囚がユダヤ教成立に一役買ったの間違いない。 しかし、重要なのはそこではない。 イスラエル王国が滅亡し、現実世界で強者から弱者に転落したタイミングで、ユダヤ教が成立したこと。しかも、その教義というのが ・・・ 「ユダヤ民族は選ばれた民である。絶対神ヤハウェを信仰せよ、そうすれば、神が敵対する民族をすべて滅ぼしてくれる」 ところが、その後の歴史をみれば明らかだが、神はユダヤ民族を救ってはくれなかった。それどころが、第二次世界大戦まで、ユダヤ人の迫害が続いたのである。

そのユダヤ教の流れをくむのがキリスト教だが、初めから苦難の連続だった。創始者イエス キリストの受難から始まり、その後も、ローマ帝国で迫害されたのである。しかも、その迫害は常軌を逸していた。女子供を含む多数の信者が、コロッセウムに引きずり出され、ライオンに噛み殺されたのである。ところが、いくら祈っても、神はライオンを退治してくれなかった。 つまり、キリスト教は、創設当初から、強者に立ち向かう術を持たなかった。そのぶん、教義はパッシブであり、それはイエスの最期の言葉からもうかがえる。 イエスは、ゴルゴダの丘で手と足にクギを打ちつけられたときこう言ったという。

「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」

自分を殺そうとする敵をかばうのだから、慈悲深くみえる。しかし、見方を変えれば、勝ち目のない敵を蔑むことで、自分を上に置く、欺瞞(ぎまん)ともとれる。このように、現実では勝つことのできない弱者(キリスト教徒)が、精神世界での復讐のために創り出した価値観を、ニーチェは「僧侶的・道徳的価値観」とよんだ。そして、このような卑屈な負け惜しみをルサンチマンと呼んだのである。 つまり ・・・ 勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」、その手段が「奴隷道徳」なのである。そして、「奴隷道徳」こそが人間を堕落させたのだと。 なんという危険な思想だろう。 ニーチェは背神者であり、偶像破壊者であり、反逆者なのだ。

ところが、二ーチェは宗教と神を否定するだけのクレーマーではなかった。神が死んだ後、人間がどう生きるべきかを示したのである。 神を捨てて、オーヴァーマン(超人)たれ! これがニーチェの十八番「超人思想」である。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-250/


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ニーチェと超人思想〜超人と末人〜
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-251/


■末人

末人 ・・・ 不吉な響きをもつ言葉だが、何の目的もなく、人生を放浪し、生をむさぼるだけの人間。哲学者ニーチェはそれを末人とよんだ。さらに、ニーチェは、このような末人が「神が死んだ」終末に出現し、ノミのように地球にはびこると予言した。

なんとも暗い未来だが、根拠はあるのだろうか?

今から3000年前、古代ギリシャでオリュンピア祭が始まった。4年に一度の競技大会で、現代オリンピックの起源である。ただし、競技種目は今よりずっと少なかった。水泳競技はなく、トラック競技、やり投げ、レスリング、ボクシング ・・・ 早い話が「バトル(戦闘)」。つまり、スポーツの原点は疑似暴力(アグロ)だったのである。

ところで、オリュンピア祭で讃えられたのは?

もちろん、敗者ではなく、勝者。

つまり、この時代は、

・強者=価値が高い → 善
・弱者=価値が低い → 悪

だったのである。

じつは、「強者=善、弱者=悪」には科学的な根拠がある。そもそも、現実世界は「弱肉強食」。そして、われわれ人間が今あるのも弱肉強食のおかげ。弱肉強食セット「突然変異と自然淘汰」で、原始細胞から人間に進化したのだから。

ところが、この自然の摂理にかなった価値観をユダヤ教とキリスト教が逆転させたとニーチェはいう。

つまり、

・強者=価値が低い → 悪
・弱者=価値が高い → 善

なんのこっちゃ?だが、気を取り直して、ユダヤ教とキリスト教のバイブル「旧約聖書」をチェックしてみよう。

じつは、「旧約聖書」は一人で一気に書きあげたものではない。複数の予言者のメッセージを編集したものである。内容は、壮大で一大叙事詩の感があるが、中にはユダヤ教徒への教訓もある。

たとえば ・・・

ユダヤ民族は神に選ばれた民である。だから、唯一神ヤハウェを信仰せよ。そうすれば、神はユダヤ民族の敵をことごとく滅ぼしてくれる。

ところが、敵は滅びるどころか、増える一方だった。そして、1932年から1945年にかけて、歴史に残る「ユダヤ人の迫害」が起こる。ナチスドイツの強制収容所で、600万人のユダヤ人が殺害されたのである。震撼すべき犠牲者の数だが、「殺戮」視点でみれば、最悪でない。

というのも ・・・

米国の図書館員マシュー ホワイトの著書「ランキング・残虐な大量殺戮上位100位」によれば、歴史上、ナチスを超える大量殺戮は3つ存在する。

・チンギスハーン(約4000万人)
・中国の毛沢東(約4000万人)
・ソ連のスターリン(約2000万人)
(※1)

もうすぐ1億 ・・・ ここまでくると、残酷な殺戮も「数字」にしかみえない。

じつは、ユダヤ人を迫害したのはナチスだけではなかった。程度の差こそあれ、ヨーロッパ全土に蔓延していたのである(デンマークは例外)。

1894年、フランス、ユダヤ人将校の冤罪に端を発する「ドレフュス事件」。さらに、1940年、ナチスに占領されたフランス・ヴィシー政府は、過酷なユダヤ人政策を強行した。様々なユダヤ人法を成立させ、次々とユダヤ人を強制収容所に送り込んだのである。

特に、1942年7月に実施されたユダヤ人狩り「春風計画」は凄まじかった。フランス側官憲4500人がユダヤ人の住居を襲い、1万2884名を捕え、アウシュヴィッツ収容所に送り込んだのである。その徹底ぶりは本家ナチスを凌駕する。意外に思えるかもしれないが、フランスの反ユダヤ主義は歴史的にみて根が深いのである。

また、東ヨーロッパでもユダヤ人の迫害が横行した。たとえば、1930年代、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、リトアニア、ポーランドで大規模な暴力沙汰が起きている。ユダヤ人が路上で襲撃されたり、住居が放火されたり、店舗が破壊されたのである。

とくに、バルト海諸国やウクライナでは反ユダヤ感情が強かった。そのため、第二次世界大戦中、多くの住民がドイツ軍に協力した。たとえば、1941年6月28日、リトアニアで起きた「死の砦事件」。コヴノの第9要塞でユダヤ人8万人が虐殺されたのである。

さらに、キリスト教もユダヤ人を差別した。

1936年、ポーランドで、それを象徴するような事件が起きている。

まず、キリスト教イエズス会の機関誌にこんな記事がのった。

「われらの子弟が、ユダヤの低劣な倫理観に汚染されないよう、ユダヤ人学校を別にもうける必要がある」(※3)

さらに、ポーランドのカトリック教会のフロンド枢機卿は、

「ユダヤ人たちが詐欺行為を働き、高利貸しを仕事とし、白人売春婦の売買をもっぱらにしているのは事実である」(※3)

それが事実かどうかはさておき、神がユダヤ人を助けてくれなかったことは事実だ。

そこで ・・・

ユダヤ教の教えは変質した。力で勝ち目がないなら、道徳をでっちあげて、そこで優位に立とう。そして、このような価値観を集大成したのがキリスト教である ・・・ ニーチェはそう考えたのである。

ゴルゴダの丘で磔刑に課せられたとき、イエスはこうつぶやいた。

「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」

殺される弱者・イエスは、殺す強者・ローマ兵に哀れみをかけることで、「弱」から「善」に大変身したのである(命と引き替えに)。

つまり ・・・

相手が力づくできたら、負けてあげましょう。力で負けても、本当に負けたわけではないから。そもそも、力づくで思いを遂げようなんてサイテー。神の前では、力をふるう方が「悪」で、犠牲者は「善」なんだからね。

こうして、ユダヤ教とキリスト教の出現によって、「強善弱悪 → 強悪弱善」のコペルニクス的転回が起こったと、ニーチェは考えたのである。

ところで、よく考えると ・・・

「弱者=善」というのもヘンな話。

「強弱」は物理学、「善悪」は概念。属性が違うものをいっしょにしてどうするのだ?

■超人

ここで、ニーチェの哲理を一度整理しよう。

ユダヤ教とキリスト教は、現実世界で負けた恨みを晴らすために、精神世界で勝利しようとした。その仕掛けが「道徳」である。

つまり ・・・

弱者は協調的で優しいので「善」。一方、強者は自己中で強引なので「悪」。こうして、強者は表彰台から降り、かわりに、弱者が上ったのである。つまり、弱者が勝者にすりかわったわけだ。

それにしても ・・・

負けを素直に認めればいいものを、卑屈な話ではないか。そこで、ニーチェはこのような道徳を「奴隷道徳」とよんだ。奴隷道徳は、道徳の名を冠しているが、弱者を救済するための方便にすぎない。詭弁を弄して、正当化しようが、根源はひがみとねたみ。そこで、ニーチェはこのような価値観を「ルサンチマン(フランス語で「ひがみ・ねたみ」)」とよんで、忌み嫌った。

そして ・・・

ニーチェの鋭い批判は祖国ドイツにも向けられた。ドイツ人もルサンチマン化しているというのだ。実際、ニーチェは著書「偶像の黄昏」の中でこう書いている。

「かつて思索の民とよばれたドイツ人は、今日そもそも、思索というものをまだしているだろうか。近頃では、ドイツ人の精神にうんざりしている ・・・ ドイツ、世界に冠たるドイツ、これはドイツ哲学の終焉ではあるまいか、とわたしは恐れている。ほかのどこにも、ヨーロッパの『二大麻薬』、つまり、アルコールとキリスト教、これほど悪徳として乱用されているところはない」(※2)

アルコールとキリスト教は「二大麻薬」!?

やっぱり、ニーチェはナチスのお仲間?

というのも、1937年9月12日、ニュルンベルクで開催された第9回ナチス全国党大会で、ヒトラーはこんな演説しているのだ。

「ボリシェヴィキ(ロシア共産主義)は、人類がかつて経験したことのない最大の危機であり、キリスト教出現以来最大の危機である」

ボリシェヴィキとキリスト教は「二大麻薬」!?

つまり ・・・

ニーチェとナチスは、キリスト教(道徳)の天敵、そして、力の賛美者。だから、ニーチェとナチスはお仲間というわけだ。もちろん、ナチスは全体主義、ニーチェは個人主義という根本的な違いがあるのだが、ナチスの磁力があまりに強力なので、わずかな一致で、お仲間にされたのである。

ではなぜ、ニーチェはルサンチマンと道徳を否定したのだろう?

このような卑屈な考えは、人間本来の欲望を押し殺すと考えたから。

人間本来の欲望って?

今ハマっているアクションRPG「ディアブロ3」の世界なら、

・筋力:9999(最大値)
・敏捷性:9999(最大値)
・知力:9999(最大値)
・生命力:9999(最大値)

現実の世界なら、権力、金力、名誉!

ニーチェは、このような純粋で健全な欲望を「力への意志」とよんだ。そして、この意志を持ち続ける人間を「超人(ウーヴァーメンシュ)」とよんで、人間かくあるべしと鼓舞したのである。

ただし、ここでいう「超人」は、まれな資質を有し、困難な目標を成し遂げるスーパーマンではない。資質がイマイチで、成功の見込みがうすくても、自分の欲望から目をそらさず、挑戦する人間をいう。つまり、結果ではなく、意志。だからこそ、ニーチェは「力への意志」とよんだのである。

さらに、ニーチェは超人とルサンチマンがせめぎ合う未来を予言した。

ルサンチマンは、信仰によって骨抜きにされ、自分の欲望を直視することができない。さらに、自分というものがなく、「群れ」でしか生きられない。だから、本当は弱虫。ところが、それを認めず、道徳をでっちあげて、自分は上等だと言い張る。こんな独りよがりの妄想が、長続きするわけがないと。

その結果 ・・・

誰も神を信じなくなる。信じてもらえない神は、神ではない。ゆえに、神は死んだのだと。

その瞬間、道徳も崩壊する。なぜなら、道徳は神なくしてありえないから。

一神教の信者が道徳を守るのは、神罰を恐れるからである(少なくとも、そう教えられる)。ところが、神がいなくなれば、神罰もなくなる。つまり、「神が死んだ」瞬間、道徳も崩壊するのだ。

こうして、遠くない未来に、二大宗教的価値観「信仰と道徳」が崩壊する。そのとき、ルサンチマンはよりどころを失い、ただ生きながらえるだけの生き物になる。それが「末人」というわけだ。

一方、「超人」は、時代や環境に左右されることはない。自分で価値観をつくることができるから。だから、神が死のうが、既存の価値観が崩壊しようが、迷わず、まっすぐ生きていける。つまり、超人とは、何事にも束縛されない「自由」と、自己実現の「意志」を持った人間なのである。

これが、ニーチェの「超人思想」。

力強く、斬新で、カッコイイ。でも、暴力的で危険である。根っこにあるのは「背神」と「反道徳」、つまり、反宗教だから。

ところが、ニーチェは、初めは熱心なキリスト教徒だった。少年時代に、こんなことを書いている ・・・

「神はすべてにおいて、あやまちを犯さないよう、わたしを導いてくださった。だから、わたしは一生を神への奉仕に捧げようと決心した」

一体、何がニーチェを変えたのか?

おそらく、「狂気」。

ドーパミン過剰の激しい性質は、中庸と安定を好まず、左右のどちらかに振り切れる。その結果、既存の価値のことごとく破壊する。それで、新しい価値を生めばよし、破壊でおわれば、その先に待っているのは ・・・ 狂気の世界。

つまり、勇ましいニーチェの超人思想も、結末は超人か狂人か?

それを自ら体現してみせたのが、ニーチェ自身だったのである。

参考文献:

(※1)殺戮の世界史〜人類が犯した100の大罪 マシュー ホワイト著、住友進 訳 早川書房

(※2)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」 ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)

(※3)ヒトラー全記録 20645日の軌跡 阿部良男 (著) 出版社: 柏書房
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-251/


▲△▽▼


ヒトラーが愛したワーグナーの名曲  

ワーグナー《ワルキューレ》「告別と魔の炎の音楽」クナ指揮 - ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19583361


ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』第3幕より
「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」

 ヴォータン:ジョージ・ロンドン
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

 録音時期:1958年 (P) 1958
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 プロデューサー:ジョン・カルショー
 エンジニア:ジェイムズ・ブラウン、ゴードン・パリー
 

▲△▽▼


ワーグナー《ワルキューレ》第1幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nm1FanHg2Nw
 ジークリンデ:キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
 ジークムント:セット・スヴァンホルム(テノール)
 フンディング:アルノルト・ファン・ミル(バス)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

 録音時期:1957年10月28〜30日
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 プロデューサー:ジョン・カルショー
 エンジニア:ジェイムズ・ブラウン
 (P) 1959

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Wagner Götterdämmerung -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Varnay -- Grümmer 1958 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qGu_LQxfcfM


Siegfried: Wolfgang Windgassen
Gunther: Otto Wiener
Alberich: Frans Andersson
Hagen: Josef Greindl
Brünnhilde: Astrid Varnay
Gutrune: Elisabeth Grümmer
Waltraute: Jean Madeira
First Norn: Jean Madeira
Second Norn: Ursula Böse
Third Norn: Rita Gorr
Woglinde: Dorothea Siebert
Wellgunde: Claudia Hellmann
Floßhilde: Ursula Böse

Richard Wagner "Götterdämmerung"
Opera in three acts --
part four in a cycle of four operas titled
"Der Ring des Nibelungen"
Libretto by the composer
Chor der Bayreuther Festspiele
Orchester der Bayreuther Festspiele
Conductor: Hans Knappertsbusch


▲△▽▼


トリスタンとイゾルデ全曲

Tristan und Isolde Braun Treptow Klose Knappertsbusch Munich 1950 LIVE - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RZkpNxLMNto


Hans Knappertsbusch Bayerische Staatsoper

Tristan - Günther Treptow
Isolde - Helena Braun
Brangaene - Margarete Klose
Marke - Ferdinand Frantz
Kurwenal - Paul Schöffler
Melot - Albrecht Peter
Hirt - Paul Kuen
Steuerman - Fritz Richard Bender
Stimme eines jungen Seemanns - Fritz Richard Bender
Wagner


▲△▽▼


1943. Die Meistersinger von Nürnberg - Prohaska, Lorenz, Müller (Wilhelm Furtwängler, Bayreuth) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MAokG9BrvPo


Jaro Prohaska -- Hans Sachs, Schuster
Max Lorenz -- Walther von Stolzing
Maria Müller -- Eva, Pogners Tochter
Eugen Fuchs -- Sixtus Beckmesser, Stadtschreiber
Josef Greindl -- Veit Pogner, Goldschmied
Erich Zimmermann -- David, Sachsens Lehrbube

Wilhelm Furtwängler
Chor & Orchester der Bayreuther Festspiele
1 Aug 1943

▲△▽▼


Wagner - Parsifal Opera (recording of the Century Hans Knappertsbusch 1962) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dzeNnoMmsjM


Amfortas : George London
Titurel : Martti Talvela
Gurnemanz : Hans Hotter
Parsifal : Jess Thomas
Klingsor : Gustav Neidlinger
Kundry : Irene Dalis

Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
Chorus and Orchestra of the Bayreuth Festival

Chorus Master / Choreinstudierung : Wilhelm Pitz
Dirigent / Conductor : Hans Knappertsbusch
Live recording at the Bayreuth Festival in 1962

Furtwangler Siegfried's Funeral March from Gotterdammerung - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCE_aYJNfQo

Richard Wagner, composer
Vienna Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, March 2, 1954


▲△▽▼


Flagstad, Furtwangler Brunnhilde's Immolation (1-3) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zP6b4F1cG_k


Excerpt from Richard Wagner's Gotterdammerung
Kirsten Flagstad, soprano
Philharmonia Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, 1952


 

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コメント
1. 中川隆[-10774] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:16:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1273] 報告

人間にとって猿とは何か。 哄笑の種、または苦痛にみちた恥辱である。

人間は超越せらるべき或物なり。 汝等は人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。

一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。

然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴は人間にとりて何物ぞ。哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

曾て汝等は猿猴なりき。今も尚人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。


我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。

最も侮蔑すべきは末人なり。

嗚呼。人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。

嗚呼。遂に自ら卑むることはざる、最も卑むべき人間の時來らむ。


見よ。我は汝等に末人を示す。

「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 -- 末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。

彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。
http://web.archive.org/web/20040506045015/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html

2. 中川隆[-10773] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1274] 報告

ヒトラーが愛読したツァラトゥストラ


ツァラトゥストラ歳三十の時、其郷里と郷里の湖とを去りて山に入れり。 其處《そのところ》に彼は、自らの精神と自らの孤獨を樂めり。十年を經て勞るることなかりき。 されど遂に彼の心機は一轉せり、 -- 或る日の朝、黎明と共に起き出でて、日輪の前に歩み寄り、 斯く彼は日輪に語りき。

『汝大なる星よ。汝が照らすところのものなきとき、何の幸福なることか汝にあらむ。十年の間、 汝は此我が洞に來りき。我と、我が鷲と、また我が蛇とのあるに非ずば、汝は其光と其道とに倦じたりしなるべし。

されど我等は朝毎に汝を待ち、汝の氾濫を受けて汝を祝せり。

見よ。我わが智慧に勞れたること、餘りに多くの蜜を集めたる蜜蜂のごとし。 我はこれを獲むとて差伸べらるる手を要《もと》む。

我は賢き人々が今一?d《たび》その愚なるを悦び、貧しき人々が今一?d《たび》その富めるを悦ぶに至るまで、 自ら有てるものを分ち與へむことを希ふ。

されば汝が夕々《ゆふべ》に、海のあなたへ降り行き、光を幽界に齎す時の如く、 我も亦深きところに降り行かざる可からず。汝、豐饒なる星よ。

我は汝の如く沒落せざるべからじ。我が降り行かむとする人々、 これに名けて沒落と云ふ。

されば汝、過大の幸福をも嫉まざる靜平の眼《まなこ》、我を祝せよ。

將に溢れむとする觴《さかづき》を祝せよ、金色なる水の此《これ》より流れ、 普く汝が悦樂の反照を及ぼさむが爲めに觴を祝せよ。

見よ、此觴は再び空しからむとす。而して、ツァラトゥストラは今一?d《たび》人間とならむとすなり。』 -- 斯くしてツァラトゥストラの沒落は始りき。


ツァラトゥストラはただ一人山を下りしが、途《みち》に相會ふものなかりき。 されど彼が森に來りし時、忽ち一人の老翁ありて其前に立ちぬ。食ふべき根を森林に求めむとて、 隱遁の庵を出でたりしなり。さてツァラトゥストラに語りて言ふ。
『此漂泊者は我が未だ知らざるの人に非ず,多くの年の前、彼は此處を過ぎぬ。ツァラトゥストラと呼べりき。 されど彼は變りたり。

かの時汝は、汝の灰を山に運びき。今汝は、汝の火を谷に運ばむとするか。汝は放火者の刑を恐れざるか。

然り、我はツァラトゥストラを認めたり。其眼は清く、其口の邊《あたり》には、何等の厭ふべき影もなし。 彼は舞踏者の如くして行くに非ずや。

ツァラトゥストラは變りぬ。ツァラトゥストラは小兒となりぬ。ツァラトゥストラは目覺めたり。 汝そも眠れるものの間に何をか爲さむとす。

汝海に住む如く孤獨に住みき。而して海は汝を運びき。嗚呼、汝いま陸に上らむとするか。 嗚呼、汝再び自らの身體を曵き行かむとするか。』

ツァラトゥストラ答へき、『我は人間を愛す』と。

聖徒は言へり、『如何なれば我は、森に行き、野に行きしか。人間を愛すること餘りに甚しかりしが故に非ずや。

今は我、神を愛して、人間を愛せず。人間は我に取りて、餘りに不完全なる事物なり。 人間に對する愛は、我を殺すべし。』

ツァラトゥストラ答へき、『我愛に就きて何を言ひしや。我は人間に施すべき物を齎せり。』

聖徒は言へり、『彼等には何物をも與ふるなかれ。寧ろ彼等より或物を取り、 彼等と共にこれを負へ。そが、汝にはただ悦ばしきのみなる時、彼等には最も悦ばしきならむ。

而して汝若し、彼等に與へむことを慾《ねが》はば、施物の外何物をも與へざれ。施物も亦、 彼等をして之を乞はしめよ。』

ツァラトゥストラ答へき、『否。我は施物を與へず。我は未だ施物をするほどに貧しからざるなり。』

聖徒はツァラトゥストラを笑ひて斯く言へり、『然らば、彼等をして汝の寳を受けしめむことに意を用ひよ。 彼等は隱遁者を猜疑するの心あり、我等の與へむとて來れることを信ぜざるなり。

我等の跫音《あしおと》は餘りに寂しく彼等の街に響く。乃ち夜彼等の床にありて、日出に長き前、 或る一人《いちにん》の行けるを聞かば、彼等自ら問うて言はむとす、 「かの盜人《ぬすびと》は何處《いづく》に行くや」と。

人間に行かずして、森林に留まれ。寧ろ禽獸に行け。汝如何なれば我の如く、 -- 熊の中なる熊、鳥の中なる鳥としてあるを慾はざるか。』

『さて聖徒は、森林にありて何をか爲す。』 -- ツァラトゥストラは問ひき。

聖徒は答へき、『我は歌を作りて、之を歌ふ。歌を作るとき、或は笑ひ、或は泣き、 或は低唱す。かくして神を讚ずるなり。

歌を歌ひて、泣きて、笑ひて、低唱して我が神なるかの神を讚ずるなり。されど汝は如何なる施物を我等に齎すや。』

ツァラトゥストラ此等の言葉を聞き、稽首して聖徒に言ふ、『我は汝に與ぶべき何物をか有たむ。 されど我も亦汝より何物をも受けざらむ爲め、我をして速かに去らしめよ。』 -- 斯くて老いたると若きとは、二人の童子の笑ふが如く笑ひて相別れき。

さあれ、ツァラトゥストラただ一人になりしとき、彼は斯く其心に言へり、『誰かよくその有り得べきを思ふものぞ。 此老いたる聖徒は森林にありて、未だ全く、神の死せるを聞かざるなり。』 --


ツァラトゥストラは森林に續く最寄りの市《まち》に來りし時、彼は多くの人々の市塲に集まれるを見き。 踏索者《つなわたり》の技を觀むとて集れるなりき。乃ちツァラトゥストラかく人に言へりき。
『我汝等に超人を教ふ。人間は超越せらるべき或物なり。 汝等は人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。

一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、 人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴は人間にとりて何物ぞ。哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。人間も超人にとりては同樣なるべし。 哄笑のみ。或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

汝等は蟲より人間に進みき。汝等の中なる多くは尚蟲なり。曾て汝等は猿猴なりき。 今も尚人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。汝等の中最も賢き者も、草木と幽靈との雜種に過ぎず。 されど我は汝等に、幽靈もしくは草木たらむことを命ずるものならむや。

聽け、我は汝等に超人を教ふ。

超人は地の意義なり。汝等の意志をして言はしめよ、超人が地の意義なるべきことを。

切に願ふ、我が兄弟よ、地の忠なれ。 而して汝等に天上の希望を説くところのものを信ぜざれ。彼等は、自ら知れると知らざるとを問はず茶毒者なり。

彼等は生命の侮蔑者なり。自ら頽敗し行くもの、自ら茶毒せられしもの、地は此等の人々に勞れたり。 されば彼等をして去らしめよ。

曾ては神を涜《けが》すこと、最大の褻涜なりき。されど神死したれば、此褻涜者も共に死したり。 今は最も恐るべきもの、地を涜すにあり、不可思議の内臟を地の意義の上に置くにあり。

曾て、靈魂は肉體を侮蔑しき。其時此侮蔑は最高のものたりしなり。 -- 靈魂は肉體の乏しきを、 忌はしきを、飢ゑたるを慾ひき。斯くして肉體と地とを脱れむことを思ひき。

あはれ、其靈魂こそは乏しく、忌はしく、飢ゑたりけれ。殘酷は其靈魂の耽樂なりき。

然《され》ど我が兄弟よ、汝等も亦我に語れ。汝等の肉體は汝等の靈魂に就きて何をか告ぐる。 汝等の靈魂は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに非ざるか。

實に人間は濁流なり。人自ら濁ることなくして濁流を容るるを得むが爲めには、須くまさに海となるべし。

見よ、我汝等に超人を教ふ。超人はかの海なり。汝等の大なる侮蔑はよく其中に陷沒す。

汝等がよく經驗するところの最も大なるものは何ぞや。大なる侮蔑の時是なり。 ただに汝等の幸福のみならず、汝等の理性と汝等の徳操とまたひとしく、汝等の嘔吐を促すの時是なり。

其時汝等は言ふ、「我が幸福に何の價値ありや。ただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とのあるのみなり。 されど我が幸福は其れ自ら這の存在の理由を提供せざるべからざりき」と。

其時汝等は言ふ、「我が理性に何の價値ありや。その智識を追ふこと獅子の其食を追ふが如きものありや。 そはただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに過ぎざるなり」と。

其時汝等は言ふ、「我が徳操に何の價値ありや。そは未だ我を狂暴に驅りしことなし。 我如何に我が善と我が惡とに疲れたるかな。其一切は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸となり」と。

其時汝等は言ふ、「我が正義に何の價値ありや。我は我が炎熱たり、炭塊たるを見ず。 されど正しき者は炎熱なり、炭塊なり」と。

其時汝等は言ふ、「我が憐憫に何の價値ありや。憐憫は人間を愛する者の磔けらるる十字架に非ずや。 されど我が憐憫は決して磔刑に非ず」と。

汝等已に此の如く語りしか。汝等已に此の如く[口|斗]びしか。嗚呼我、汝等のかく[口|斗]ぶを聞き得たりしならむには。

呪詛すべきは汝等の罪惡に非ずして、汝等の中庸なり。また汝等の罪惡に於ける汝等の吝嗇其物なり。

その舌をもて汝等を舐むるところの電光は何處にありや。それをもて汝等の接樹せらるべきかの亂心は何處にありや。

見よ、我は汝等に超人を教ふ。超人は其電光なり。超人は其亂心なり。』 --

ツァラトゥストラ斯く語りし時、群集の一人は[口|斗]びぬ。『我等踏索者に就きて聞きしこと足れり。 今我等をして彼を見せしめよ』と。人々皆ツァラトゥストラを笑ひき。されど、 踏索者と呼ばれしを自らの事なりと思へる踏索者は、頓《やが》て其業にとりかかりき。


されどツァラトゥストラは人々を視て驚きぬ。さて彼は斯く語りき。
『人間は禽獸と超人との間を繋ぐ一の索《なは》なり、 -- 深潭に懸れる一の索なり。

越ゆるも危し、越え了らざるも危し、顧るも危し、戰慄停留するも亦危し。

人間の大なるは、そが橋梁にして標的に非ざるところにあり。人間の愛すべきは、 そが一の過渡たり、沒落たるによる。

我はかの沒落の外に生くべき道を知らざる者を愛す。そは超越せむとする者なればなり。

我は大なる侮蔑者を愛す。そは大なる崇拜者なればなり、彼岸に對する憧憬の箭なればなり。

我はかの、沒落して犧牲となるべき理由を、星辰の彼方に求むることをせず、 寧ろ地が他日超人の手に歸せむ爲め、地に自らを獻ぐる者を愛す。

我はかの、認識せむが爲めに生き、他日超人の生きむが爲めに認識せむとする者を愛す。 斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、超人の爲めに家を建て、超人の爲めに地と、禽獸と、草木とを備へむとて勞作考案するものを愛す。 斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、自らの徳を愛するものを愛す。徳は沒落を慾ふの心、憧憬の箭なればなり。

我はかの、一滴の精神をも自らの爲めに保有することなく、寧ろ全く其徳の精神たらむことを意《おも》ふものを愛す。 斯く彼は、精神として橋梁を越ゆるなり。

我はかの、自らの徳を自らの性癖並びに自らの運命となすものを愛す。 斯くして彼は、自らの徳の爲めに生き、自らの徳の爲めに死す。

我はかの、餘りに多くの徳を追はざるものを愛す。一の徳は二の徳よりも更に徳なり。 そはより多く、その運命の繋るべき結節となるものなればなり。

我はかの、其靈魂の浪費せらるるもの、感謝を慾はず、報復を爲さざるものを愛す。 そは常に與へて、自ら貯へむことを慾はざればなり。

我はかの、僥倖なる骰子の投ぜらるる時耻づるものを愛す。その時彼は問うて言ふ、 「我は正の博奕者にあらずや」と。 -- 彼は沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、其行爲に先ちて金言を放ち、又其誓約よりも多くを踐《ふ》むものを愛す。 そは自らの沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、將來を辯護し、また過去を救濟するものを愛す。そは現實に依りて沒落せむことを慾ふものなればなり。

我はかの、其神を愛するのよりて、其神を懲戒するものを愛す。そは其神の怒の故に沒落すべければなり。

我はかの、負傷の際にも其魂の深きもの、一些事の爲めに能く沒落するものを愛す。 そは喜びて橋梁を越ゆべければなり。

我はかの、其魂の横溢せるによりて、自ら忘るるもの、一切の事物の其中に在るものを愛す。 斯く一切の事物は其沒落の因となる。

我はかの、自由なる精神と、自由なる心情とを有するものを愛す。斯く彼の頭腦は彼の心情の内臟たるのみ。 されど其心情は彼を沒落に驅る。

我はかの、人間を覆へる暗雲より、ひとつ〜落ち來る、重き滴《しづく》の如きもの一切を愛す。 彼等は電光の來るを告示し、告示者として沒落す。

見よ、我は電光の告示者なり、雲より落ち來る重き一滴なり。其電光に名けて超人と云ふ。』


此等の言葉を語りしとき、ツァラトゥストラ再び人々を視て默しき。彼は其心に語りき、 『彼等は立てり。彼等は笑へり。彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。
彼等が其眼をもて聞くことを學ぶに先ち、其耳を粉碎するの要あるか。 鑵鼓並びに齊日の説教者の如く怒罵するの要あるか。或は彼等ただ吃々として言ふ能はざるものをのみ信ずるか。

彼等は其誇とするところの物を有つ。其誇とするところの物に名けて何とか云ふ。 之に名けて教育と云ふ。彼等と牧羊者とを區別するもの是なり。

故に彼等は、自らの上に用ひられたる「侮蔑」てふ言葉を聞くことを悦ばず。 乃ち、我は彼等の誇とするところを藉《か》りて語らむとす。

乃ち我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。最も侮蔑すべきは末人なり。』

偖てツァラトゥストラかく人々に語りき。

『今は人自ら其目標を立つるの時なり。今は人自ら其最高希望の種子を植うるの時なり。

彼の土壤は、尚肥沃にして之をなすに足る。されど此土壤は早晩疲弊し去りて、喬木の生ずるものなきに至るべし。

嗚呼。人間が人間の彼方へ、其憧憬の箭を發《はな》つこと能はざるの時來らむ。 其?|弦《ゆみづる》の鳴るを忘るるの時來らむ。

我汝等に言ふ、人は舞ふところの星を産むことを得む爲めに、自ら混沌たるものなかるべからず。 我汝等に言ふ、汝等は尚自ら混沌たるものあるなり。

嗚呼。人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。嗚呼。遂に自ら卑むることはざる、 最も卑むべき人間の時來らむ。

見よ。我は汝等に末人を示す。

「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 -- 末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。 彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。

彼等はその生くるに難かりし地方を去りぬ。温熱を要すればなり。 人々尚隣人を愛して、之と相摩擦す。温熱を要すればなり。

病患と猜疑と、彼等にありては罪惡なり。人々細心に道を行く。然るに尚、岩石に躓き、人間に躓くものは愚なるかな。

聊かの毒藥は、時に快き夢を誘《いざな》ふ。而して多量の毒藥は、終に快き死滅に導く。

人々は尚勞作せり。勞作は娯樂なればなり。されど彼等は、這《こ》の娯樂によりて自らを害はざらむことを心に用ふ。

人々今や富裕となることなく、貧困となることなし。二者何れも煩はしきなり。 何人か尚統御せむとするものぞ。何人か尚服從せむとするものぞ。二者何れも煩はしきなり。

實に一人の牧者もなき畜群よ。各一樣に慾《ねが》ひ、各全く同等なり。 思ふところを殊にするものは、自ら進むで癲狂院に入る。

「曾ては世界を擧げて狂人なりき」。 -- 斯く言ひて最も智慧あるものは瞬《またた》きす。

人々聰明にして、凡べての出來事を知るにより、彼等の嘲笑は極ることなし。 彼等相爭ふと雖、直にまた相和す。 -- しかせざれば胃の腑を滅すべし。

彼等は日中に小歡をなし、夜間にまた小歡をなす。されど彼等は健康を尊重す。

「我等幸福を案出せり」 -- と言ひて、末人は瞬きす。』

斯くてツァラトゥストラが第一の演説、即ち『緒言』は此處に終りき。 此時群集の喧噪[口|喜;#1-15-18]戲彼を妨げければなり。『我等に其末人を與へよ、ツァラトゥストラよ』。 -- 斯く彼等は[口|斗]びき -- 『我等を其末人となせ。我等悦びて超人を棄てむ』。 かくて人々皆歡呼して其舌を鼓しぬ。されどツァラトゥストラは悲しくなりて、其心に言へけり。

『彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。

恐くは、我が山に住むこと長きに過ぎしならむ、我が細流と樹木とに聽くこと多きに過ぎしならむ。 今我が彼等に説くは、牧羊者に説くと異らず。

我が靈魂は不動にして、午前の山の如く朗なり。然るに彼等は我を目して冷酷なるもの、 恐しき諧謔を弄する嘲笑者となす。

偖て今彼等は、我を視て笑ふ。彼等の笑ふ時、彼等はまた我を憎む。彼等の笑には氷あり。』


されど頓て、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる事起りき。 即ち此時已に踏索者は其?ニ《わざ》を始めたりしなり。彼は小き戸を出でて、二の塔の間に、 市塲と人々との上に張り渡したる索《なは》を歩めり。彼恰も其中程にありし時、かの小さき戸は再び開き、 華かなる色の衣裳をつけし、道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》跳り出でて、足早に追行きぬ。 『進めよ、蹇《あしなへ》』と、其恐しき聲は[口|斗]びぬ、『進めよ、怠惰なる者、密賣者、白面者よ。 我我が踵をもて、汝を擽《くすぐ》ることのなからむ爲め進めよ、 汝何の用ありてか這《こ》の塔の間を行く。汝の處は塔にあり。汝は監禁の中にあるべかりき。 汝は汝に優れる者の、自由なる進路を阻む。』 -- 斯く言ひながら道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》は益々近きぬ。 されどそのお相去ること一歩の處に到るや、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる恐しき事起りぬ。 -- 其?ソ《をとこ》は魔の如き[口|斗]を發して、先《さきだ》てる踏索者を跳越えぬ。 競敵の勝利を見て、踏索者は其頭と索を失へり。彼は其竿を投げ、其竿よりも速かに、 手足の旋風の如く射下りぬ。市塲と群集とは荒立てる海の如くなり、人皆右徃左徃に逃げまどひぬ。 取り分け踏索者の落ち來るべきところは甚しかりき。
ツァラトゥストラは獨り其ところに留りたりしが、恰も彼の傍に踏索者は落ち來れり。 淺間しく姿變り、傷《きづつ》きたりしかど、尚ほ死せざりき。稍ありて息吹き返し、ツァラトゥストラのその傍に跪けるを見き。 『汝何をか爲せる』と、遂にツァラトゥストラに問ふ、『我は夙《つと》に、惡魔の我を飜弄すべきことを知れりき。 今彼は我を地獄に曵く。汝之を防がむとするか。』

『我が名譽によりて誓ふ、友よ。』 -- ツァラトゥストラは答へき。『汝が語るところの物は總て在ることなし、 惡魔もなし、地獄もなし。汝の靈魂は汝の肉體よりも速かに死せむ。是より後亦再び恐るること勿れ。』

踏索者は狐疑の眼をもて見上げしか、やがて言ふ、『汝若し眞《まこと》を語らば、 我は我が命を失ふとも何物をも失はざるなり。我はかの、毆打と食餌とによりて舞踏を教へらるる禽獸と、 多く異るところなきなり。』

ツァラトゥストラは言へり、『否、然らず。汝は危險を汝の職業となしぬ。何の卑むべきことかあらむ。 今汝は其職業の故に死す。されば我、我が手を以て汝を葬るべし。』

ツァラトゥストラは斯く言ひし時、臨終の人は答を爲さで、僅に其手を動しぬ。 そは宛《あたか》も、ツァラトゥストラに謝せむとて、其手を求むるものの如く見えき。


さる程に夕《ゆふべ》は來り、市塲は闇に包まれぬ。人々は散り行きぬ。好竒の心と恐怖の念とまた倦怠しければなり。 然れどツァラトゥストラは死者の傍に、地上に坐し、思ひ沈みて時を忘れぬ。遂に夜となりて、 冷き風は寂しき者の上を吹き渡りぬ。乃ち、ツァラトゥストラ起ちて其心に言へり 『實《げ》に今日のツァラトゥストラが漁《すなどり》は宜しかりしかな。彼は人間を捕へずして、死體を捕へたり。
人生は凄慘にして、しかも無意義なり。道化者《ちやり》は能く其運命となることを得む。

我は人間に其存在の意義を教へむとす。即ちそは超人なり、人間の黒き雲より來る電光なり。

然《され》ど尚ほ我は人間を遠ざかれり。我が心は彼等の心に語らず。我は尚ほ人間に取りて、愚人と死體との中間なり。

夜は暗し、ツァラトゥストラの道は暗し。いざ汝、冷き硬直の伴侶よ。 我は我が手をもて汝を葬るべきところに汝を運ばむ。』


ツァラトゥストラは斯く其心に言ひし時、死體を負ひて其途に出で立ちぬ。未だ百歩を行かざるに、人あり、 濳に追躡し來りて耳語す。 -- 而して見よ、 -- 語りしはかの塔の道化者《ちやり》なりき。 『ツァラトゥストラよ、此?s《まち》を去れ』と彼は言ふ、『此處には餘りに多くの人々汝を憎む。 善き人、正しき人は汝を憎み、汝を其仇敵と呼び、侮蔑者と呼ぶ。正しき信仰に忠なる人は汝を憎み、 汝を多數者の爲めに危險なるものと呼ぶ。笑はるるは汝の僥倖なり。而して眞《まこと》に汝は道化者《ちやり》の如く語る。 死したる犬と交はりしは汝の僥倖なり。斯く自らを卑うすることによりて、汝は今日自らを救へり。 されど此市を去れ、 -- 去らずは、明朝我汝を越えて跳ばむ、生きたるもの、死せるものを越えて跳ばむ。』 斯く言ひて道化者《ちやり》の姿は消えぬ。ツァラトゥストラはなほも暗き小路を辿りぬ。
市《まち》の門にて彼は塋穴掘《あなほり》と出で會ひぬ。彼等は炬火《たいまつ》をもて彼の面《おもて》を照し、 そのツァラトゥストラなるを認めて、太《いた》く嘲りぬ。『ツァラトゥストラは死したる犬を運び去る。 彼自ら塋穴掘《あなほり》となるこそよけれ。彼等の手は此燔肉に對して餘りに清ければなり。 思ふにツァラトゥストラは、惡魔の餌食を盜まむとするものか。亦可なり。 その晩餐の羔なかれかし。但だ恐る、かの惡魔がツァラトゥストラにも優れる盜人なることを、 -- 惡魔は、二者何れをも盜み、何れをも食ふ。』かく言ひて彼等は、笑み交はしながら頭を寄せぬ。

ツァラトゥストラは之に答へずして、其道を行けり。森林沼澤の間を行くこと二時《ふたとき》餘りにして、 餓ゑたる狼の頻りに咆ゆるを聞き、彼自らも餓を覺えぬ。乃ち彼は或る寂しき家に足を止《とど》めぬ。 家の中には燈《ともしび》燃えたりき。

ツァラトゥストラは言へり、『空腹は盜賊の如く我を襲ひぬ。森林沼澤の間に、夜深うして我が空腹は我を襲ひぬ。

我が空腹に竒異なる習癖あり。屡々食事の後始めて我に來る。而して此日は終日來ることなかりき。 何處《いづこ》に在りしや。』

かく言ひて、ツァラトゥストラは其家の戸を叩きぬ。間もなく一人の翁現はれぬ。 燈《ともしび》を携へ來りて問ふ、『我と我が惡しき眠とに來るものは誰ぞや』。

ツァラトゥストラは言へり、『生きたるものと、死したるものと。食ふべき物、飮むべき物を我に與へよ。 我は之を晝の間に忘れたり。飢ゑたる者に食はしむるは、自らの靈《たましひ》を養ふなり。 斯く智慧は言ふ。』

翁は一旦《ひとたび》去りて、復《また》歸り、麺包《パン》と葡萄酒とをツァラトゥストラに與へぬ。 而して言ふ、『飢ゑたる人々にとりては惡しき處なり。此故に我は留まるなり。禽獸と人間と、 隱遁者なる我に來る。されど汝の伴侶にも飮み且つ食はしめよ。彼は汝よりも勞れたり』。 ツァラトゥストラは答へぬ。『我が伴侶は死したり。彼をして飮み且つ食はしめむこと難し』。 『何の關《かゝは》るところぞ』と、不興氣に翁は言ふ、『我が家を訪るる者は、我が與ふる物を受けざるべからず。 之を食ひて行け。』

是《こゝ》に於てツァラトゥストラ更に行くこと二時間、道路と星辰の光とに信頼せり。 彼は夜行することに慣れければなり、眠れる者の面を見ることを好みければなり。されど夜の明けしとき、 ツァラトゥストラは深き森林の中に在り、已に行くべき道なかりき。乃ち空洞《うつろ》なる樹の内に、 己《おの》が頭に近く、死したる者を横へ、 -- 死したる者の狼に襲はれざらむ爲め、 -- さて自らも土と苔との上に横はりぬ。間もなく彼は、勞れたる體をもて、泰然たる魂をもて眠に就きぬ。


ツァラトゥストラは長く眠りぬ。ただに黎明のみならず、午前もまた其面上を過ぎ行きぬ。 されど遂に其眼は開きぬ。ツァラトゥストラは森林と靜寂を見て驚き、自らを省みて愕けり。 其時彼はかの、忽ち陸を見る水夫の如く、蹶起して歡呼しぬ。 彼は新しき眞理を見たればなり。され彼は斯く其心に語りき。
『我は一道の光明に接したり。我は伴侶を要す、我が行かむと慾するところに携ふる、 -- 死したる伴侶と死體とに非ざる、 -- 生きたる伴侶を我は要す。

我は我に從ひ行く、生きたる伴侶を要す。彼等は自ら、我が行かむと慾する處に從ひ行かむと慾すればなり。

我は一道の光明に接したり。ツァラトゥストラは民衆に説くべからず。寧ろ伴侶に説くべきなり。 ツァラトゥストラは群畜の牧人となり犬となること能はず。

群畜より多くのものを誘惑し去ること、 -- その爲めに我は來れり。民衆と群畜とは我を怒るべし。 ツァラトゥストラは牧人によりて盜賊と呼ばるるならむ。

我は彼等自らは善き人?`《たゞ》しき人と呼ぶ。我は彼等を牧人と呼べど、 彼等自らは正しき信仰に忠なる人と呼ぶ。

善き人義しき人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、 破壞者、犯罪者是なり。されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

總ての信仰に忠なる人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、 破壞者、犯罪者是なり。されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

創造者は伴侶を求めて、死體を求めず、また郡畜並びに信仰ある人をも求めず。 創造者と共に創造するもの、新しき卓子の上に新しき價値を創造するものを求む。

創造者は伴侶を求め、彼と共に收穫すべきものを求む。彼にありては一切の物成熟して收穫せらるるを待てばなり。 されど彼に百挺の刈鎌缺げたり。乃ち彼は穀物の穗を毟《むし》りて怒る。

創造者は伴侶を求め、その刈鎌を研《と》ぐことを知れるものを求む。 彼等は斷滅者と呼ばれ、善惡の侮蔑者と呼ばるべし。されど彼等は收穫者にしてまた祝賀者なり。

ツァラトゥストラは彼と共に創造するものを求む。ツァラトゥストラは彼と共に祝賀するものを求む。 郡畜と牧人と死體とによりて、彼はた何うぃか爲さむ。

さて汝、我が第一の伴侶よ、いざさらば。我は汝が空洞《うつろ》なる樹の内に、好く汝を葬りぬ。 我は狼を防ぎて、好く汝を隱したり。

然《され》ど我汝に別を告ぐ。時已に到れり。黎明と黎明との間に、新しき眞理は我に現はれぬ。 我は牧人たるべからず、塋穴掘《あなほり》たるべからず。我はまた再び民衆と語らざるべし。 之れ我が死したる者に語りし最終なり。

我は創造するもの、收穫するもの、祝賀するものと相交らむ。我は彼等に虹を示し、 超人のあらゆる階級を彼等に示さむ。

我は隱遁者に我が歌を歌はむ。而して未聞の事物に耳あるものの胸を、我は我が幸福をもて重くせむ。

我が標木に我は志す。我自らの道を我は行く。我は遷延遲滯するものを超えて躍進す。 かく我が進行をして彼等の沒落たらしめよ。』


ツァラトゥストラ斯く其心に言ひし時、日は正に午なりき。彼は怪みて天《そら》を見上げぬ。 鋭き鳥の[口|斗]を聞きければなり。而して見よ。鷲あり、大圓を書きて空中に翔べり。 纒《まつ》はるところの蛇は、餌食の如くならずして朋友の如し。其體を鷲の頸に卷きたればなり。
『彼等こそ我が動物《いきもの》なれ』と言ひて、ツァラトゥストラは心より悦びぬ。

『日の下にありて最も尊大なるもの、日の下にありて最も聰明なるもの、 -- 彼等は偵察の爲めに出でたるなり。

彼等は、ツァラトゥストラの尚ほ生きたるや否やを知らむことを慾《ねが》ふ。 實《げ》に、我は尚ほ生きたるか。

我が人間にあるは、動物の中にあるよりも危かりき。危き道をツァラトゥストラは行く。 我が動物よ、我を導け。』

ツァラトゥストラは斯く言ひし時、森林に見し聖徒の言葉を思出《おもひい》で、嘆息して其心に言ふ。

『更に聰明ならましかば。嗚呼若し、根本より、我が蛇の如く聰明ならましかば。

されど我は不可能の事を願ふなり。我は我が自負の、常に我が智慧と並行せむことを願ふなり。

乃ち、若し我が智慧の我を去ることあらば、 -- 動もすれば我を棄てて去らむとす、 -- 希くは、我が自負も亦、我が愚昧と共に我を棄てて去らむことを。』

斯く、ツァラトゥストラの沒落は始まりき。
http://web.archive.org/web/20040506045015/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html

3. 中川隆[-10772] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:42:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1275] 報告

『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』著者:適菜収 なぜ日本人は騙され続けるのか? 【第3回】
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32408

『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』
著者:適菜 収
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062727560/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&tag=mo04-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062727560

ニーチェは一八四四年にプロイセン(今のドイツ)で生まれました。

 幼少期から才覚を示したニーチェは名門のプフォルタ学院に進み、ボン大学で古典文献学の権威フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(一八〇六〜一八七六年)に師事します。その後、リッチュルの推薦により、二五歳の若さでスイスのバーゼル大学の古典文献学教授になりました。当時のニーチェは博士号も教員資格も取得しておらず、異例中の異例の抜擢でした。つまりニーチェは、世の中から天才として扱われていた。その後、体調を壊したこともあり、大学の教員を辞め、スイスやイタリアを周遊しながら執筆活動を進めていきます。

 一八八九年に発狂。一九〇〇年八月に肺炎で亡くなります。

 『ツァラトゥストラ』は、この周遊生活の中で書きあげられました。

 「ツァラトゥストラ」は、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前一一世紀〜紀元前一〇世紀頃)のドイツ語読みです。英語で読むと「ゾロアスター」になります。

 しかし、ゾロアスターの思想とニーチェの哲学は関係ありません。

 ゾロアスターと『ツァラトゥストラ』の主人公であるツァラトゥストラは別人です。


では、ツァラトゥストラとはなにか?

 ニーチェは著書『バイロイトにおけるヴァーグナー』について次のように述べます。

 「読者はあの本にヴァーグナーという語が出て来たら、それをかまわず私の名前か、あるいは『ツァラトゥストラ』という語かに読みかえてしまってよろしい」(『この人を見よ』)

 つまり、ニーチェはツァラトゥストラに自らの哲学を語らせたのです。

 『ツァラトゥストラ』の冒頭は物語になっています。後半になるにつれ、物語の要素は薄くなり、ツァラトゥストラが一方的に自分の哲学を語るようになります。

 この冒頭の物語は、近代大衆社会およびB層の問題を考えるうえで非常に重要です。

 そこでは《終末の人間》が描かれているからです。

 《終末の人間》は典型的なB層です。

 私なりの抄訳ですが、しばらく『ツァラトゥストラ』の世界にお付き合いください。

〈 ツァラトゥストラは三〇歳になると、故郷を捨てて山に入った。

 そして自分の精神と孤独に向き合った。それが一〇年間も続く。

 しかし、ついに、彼の心は変わった。

 ある日の朝、彼は夜明けの太陽に向かってこう語りかけた。

「太陽よ。もし、あなたが照らすものを持っていなかったら、あなたは幸福と言えるのか?」

 太陽は一〇年間、ツァラトゥストラの住居を照らし続けてきた。しかし、もしそこに誰もいなかったら、太陽だって退屈だろうというわけだ。

「わたしもまた自分の知恵に飽きてしまった。まるで蜜を集めすぎたミツバチのように。この能力を人間に贈り与えなければならない」

 というわけで、ツァラトゥストラは山を下りることにした。

「わたしは人間たちのところへ、下界へ下りていく」

 山を下りる途中で森に入ると、突然、老人の聖者が現れ話しかけてきた。

「いまさら山から下りて、眠っている者どもに対してなにをしようというのか?」

 ツァラトゥストラは答えた。

「わたしは人間を愛しています」

 老人の聖者が反論する。

「わしは神を愛している。人間を愛することはない。なぜなら、人間は不完全なものだからだ」

 ツァラトゥストラは一人になってから、つぶやいた。

「あの聖者は森の中に長年暮らしていたから、《神が死んだ》ことを知らないんだな」 〉

大衆はサル以下である

 ツァラトゥストラは久しぶりに会った町の人々に悪態をつきます。

〈 ツァラトゥストラは森からもっとも近い町に到着した。

 広場には大勢の人がいた。これから綱渡り師の公演が始まるようだ。

 ツァラトゥストラは、さっそく人々に語りかけた。

「あなたたちに《超人》について教えましょう。《超人》から見れば、人間なんてサル以下の存在なんですよ。昔、あなたたちはサルでしたが、今ではサル以下です」

 ツァラトゥストラはさらに語る。

「《超人》は大地そのものです。大地から離れた希望を信じてはいけません。そして、大地から離れた人の言うことを信じてはいけません。そこには毒があります。大地から離れた人間は、さっさと死ねばいいんです」

「あなたたちも似たようなものです。だから、わたしはあなたたちに《超人》について教える。それにより、あなたたちは《幸福》《理性》《徳》《正義》《同情》といったものを徹底的に軽蔑するようになるのです」


すると、群集の中の一人が叫んだ。

「そんな綱渡りみたいな話、もう聞き飽きたよ!」

 群集は、ツァラトゥストラのことをあざ笑いました。

 それを聞いていた綱渡り師は、自分のことを言われたのかと勘違いし曲芸にとりかかった。 〉

 ツァラトゥストラは、人間を一本の綱に喩えます。

 人間は動物と《超人》の間に張られた危険な綱を渡るべき存在であると。

 《超人》とは自らの高貴な感情と意志により行動する人間、健康で力強い人間です。

 ツァラトゥストラが愛するのは、今の世の中から離れていく者=没落していく者です。

 くだらないものを、くだらないと拒絶する者です。

 人間はもっと高いところを目指さなければならない。

 ツァラトゥストラは《綱を渡るべき人間》について具体的に挙げていきます。

〈 今の世の中が肌に合わない人。

 今の世の中を軽蔑している人。

 空想の世界より大地に身をささげる人。

 大地が《超人》のものになるように認識する人。

 《超人》のために家を建てる人。

 自分の徳を愛する人。

 自分から徳の精神になりきろうとする人。

 自分の徳を宿命とする人。

 あまりに多くの徳をもとうとしない人。

 気前がいい人。

博打で儲けたときに恥じる人。

 自分に約束したことを、それ以上に果たす人。

 未来の人たちを認め、過去の人たちを救う人。

 自分の神を愛するがゆえに、自分の神を責める人。

 ささやかな体験によって滅びることのできる人。

 魂が豊かな人。

 自由な精神をもつ人。

 雷を告げる人。

「見なさい。わたしは雷、そして《超人》を告げ知らすものです」 〉

 ツァラトゥストラが《高みを目指すべき人間》についてたくさん並べてみたものの、群集にはなんのことやらさっぱりわからない。まあ、当然のような気もしますが・・・。

 そこでツァラトゥストラは、今度は反吐が出そうな《終末の人間》を例に挙げてみることにしました。

〈 民衆はものごとを理解しない。

 彼らに聞く耳をもたせるにはどうしたらいいのだろうか?

 太鼓をたたいたり、懺悔を迫る説教師みたいに、がなり立てればいいのか?

 それとも、もっともらしくドモリながら話せばいいのか?

 いや、違う。

 彼らは自分たちの《教養》を誇りにしている。

 それなら、彼らの誇りに向けて話しかけよう。

彼らは軽蔑されることを嫌がっている。

 それなら、もっとも軽蔑されるべき《終末の人間》について話そう。 〉

 こうしてツァラトゥストラは、民衆に向かって再び語り始めます。

民衆が選んだもの

〈 皆さん、まず自分の目標を定めてください。まだ間に合います。

 しかし、いつの日か人間は可能性を失ってしまう。

 そして、軽蔑すべき《終末の人間》の時代がやってきます。

「愛とはなにか。創造とはなにか。あこがれとはなにか」などと生ぬるいことを言いだす。

 そのとき、大地は小さくなります。

 《終末の人間》は虫けら同然です。


 《終末の人間》は、ぬくぬくとした場所に逃げ込み、隣人を愛し、からだをこすりつけて生活している。

 やたらと用心深くなり、適度に働き、貧しくも豊かにもならない。

 支配も服従も望まない。そういうのは、わずらわしいと思っている。

 みんなが平等だと信じている。誰もが同じものをほしがり、周囲の人間の感覚と異なると思えば、自分から進んで精神病院に入ろうとする。

 ケンカもするけど、すぐに仲直りする。そうしなければ、胃が痛くなるからだ。

 一日中、健康に注意しながら、ささやかな快楽で満足する。

 これが《終末の人間》です。

 ツァラトゥストラがここまで話すと、民衆がニヤニヤしながら叫んだ。

 舌打ちをする者もいた。

「オレたちは、そういう《終末の人間》になりたい。オレたちを、そういう《終末の人間》にさせておくれよ! 《超人》はあんたに任せるからさ」

 ツァラトゥストラは悲しくなった。

 民衆はわたしをバカにして笑っている。笑いながら、わたしを憎んでいる。彼らの笑いの中には氷がある。

 わたしは、山の中であまりにも長く暮らしすぎたのだ。

 だから、彼らにはわたしの言葉が届かない。 


 ツァラトゥストラの意図に反して、民衆は《終末の人間》を選んでしまったのです。

 ニーチェは自分の言葉が民衆に届かないということを、物語で描いているわけですね。

 『ツァラトゥストラ』は一八八三〜八五年に刊行されましたが、そこで描かれた人々はB層そのものです。

 民主主義や平等が大好きで、グローバリズムと隣人愛を唱え、健康に注意しながらささやかな快楽で満足する。

 自分たちが《合理的》《理性的》《客観的》であることに深く満足している。

 こうした軽蔑すべき《終末の人間》の時代を、われわれは生きているのです。

ひとりで生きる人たちのために

〈 ツァラトゥストラは考え込みます。

「わたしはまだ、民衆の心に語りかけることができない・・・」

 ツァラトゥストラは星の光を頼りにして夜道を歩き始めます。

 空が白みかけたころ、ツァラトゥストラは深い森の中にいることを知った。

 もはや道は見つからなかった。

 ツァラトゥストラは森の中で眠り込む。

 ツァラトゥストラは長い時間眠った。

 朝が過ぎ、そして昼になった。

 彼はようやく目を覚まし、立ち上がった。

 そして喜びの声をあげた。

 一つの新しい真理を発見したからだ。

 わたしは悟った。

 わたしには道連れが必要なのだ。

 自分自身に忠実になった結果、わたしに従うようになる人。

 そして、わたしの目的に向かって一緒に進む道連れが必要なんだ。

 だから、民衆に話しかけても仕方がない。

わたしは、道連れに向かって語るべきなのだ!

 わたしは、畜群の牧人や番犬となるべきではない!

 それよりも、わたしは民衆や畜群から盗賊と呼ばれたい。

 奴らは自分たちを善人だと思っている。自分たちを正しい信仰の持ち主と呼ぶ。

 そして、奴らは、奴らの諸価値を破壊する者を憎むのだ。

 しかし、それこそが《新しい価値を創造する者》なのである。

 彼は道連れを求める。

 畜群も信者も求めない。

 共に創造し、新しい価値をつくりあげる人を求める。

 共に創造し、共に収穫し、共に祝う人をツァラトゥストラは求める。

 それ以外は、いらない。

 わたしは二度と民衆とは話すまい。

 そして仲間に対して語りかけよう。

 ひとりで生きる人たちのために、語りかけよう。

 これまで聞いたことのないことに対して聞く耳をもつ人たちのために。

 わたしは彼らに《超人》への階段のすべてを示す。 〉

バカを論破するのは不可能

 要するにバカになにを言っても無駄なのです。

 「非学者論に負けず」ということわざがあるように、バカは論破できません。

 貝に権利を認め、誠実に語りかけても意味がない。なぜなら、彼らは自分の殻に閉じこもっているからです。

 ニーチェもツァラトゥストラと同様、民衆に語りかけることを諦めます。

 「私は多年人々と交際してきて、私が心にかけている事柄についてはけっして語らないというほどにまで、諦めるにいたり、慇懃となった。いや、私はそういう仕方でかろうじて人々とともに生きてきたのだ」(『生成の無垢』)

 そしてニーチェは、自分の言葉が届くところに向けて語りかけようとします。

 しかし、聞く耳をもった人間はごく少数です。

ニーチェもそれを知っています。

 「今日誰もが私の説くことに耳をかさず、誰も私から教えを受けるすべを知らないということは、無理もないというだけでなく、むしろ至極当然のことだと私自身にも思える。(中略)私の著書を読んでもかいもくわからない純なる愚者となると、これは多すぎる!」(『この人を見よ』)

 「ああ! 私のツァラトゥストラはまだまだ長い間、読者を捜さねばならないことであろう!」(『この人を見よ』)

 今の世の中が肌に合わない人。

 今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。

 今の世の中を深く軽蔑している人。

 そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32408

4. 中川隆[-10771] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:49:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1276] 報告

ヒトラーが愛読したニーチェ『道徳の系譜』


ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫) – 1993/8/1
https://www.amazon.co.jp/dp/4480080813/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li3&tag=beyondthesky-22&linkId=69210c63691be6bbe991350f0c4e78d2&language=ja_JP


▲△▽▼


ニーチェ『道徳の系譜』を解読する
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/

「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」
「この生」「この世界」をどう肯定できるか?

『道徳の系譜』(1887年)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年〜1900年)による著作だ。時代的には中期から後期の作品に分類される。

本書は『善悪の彼岸』が自分の思ったように受け取られず、ニーチェが自分の思想を解説する必要にせまられて発表したものだとされている。ここでニーチェは十八番のアフォリズムを封印し、論文形式で議論を展開している。なので読むのに多少の手間は掛かるが、言いたいポイントは分かりやすくなっている。

本書のテーマは道徳だ。冒頭でニーチェは次のように述べている。

(解読)
私は本書で、人びとがそもそも善悪の価値判断を考えだした理由は何か、そしてこの価値判断それ自体にどんな価値があるかを明らかにするつもりだ。

そのために私は、道徳の価値がなぜ、そしていかにして生まれ、発展してきたかについて見ていくことで、道徳的な価値それ自体がもつ価値を批判的に考察しようと思う。

(引用)
われわれは道徳的諸価値の批判を必要とする、これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ、—そのためには、これら諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきたもろもろの条件と事情についての知識が必要である(結果としての、徴候としての、仮面としての、偽善としての、病気としての、誤解としての道徳。が一方また原因としての、薬剤としての、興奮剤としての、抑制剤としての、毒物としての道徳など)。

かくしてニーチェは道徳が発展してきた過程をさかのぼり、それが成立するために必要だった条件を見て取ろうとする。本書が『道徳の系譜』と名付けられているゆえんだ。


気をつけておくべきは、ニーチェは史実にもとづいて道徳の起源を取り出そうとしているわけではなく、ひとつの仮説を置こうとしているにすぎないということだ。何らかの起源を想定すること自体、ニーチェの思想の構えに反する。「ニーチェの主張する事実は歴史上存在したことがない」と反論することは、ニーチェの議論に正面から答えることにならない。

本書は3つの論文から構成されている。それぞれのタイトルは次の通りだ。

•第1論文:「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」
•第2論文:〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども
•第3論文:禁欲主義的理想は何を意味するか?

まずは第1論文について見ていく。



第1論文 … 自己肯定の道徳とルサンチマンの道徳

ニーチェの道徳論のひとつの重心は、私たちは何が道徳であるかをしばしば「ルサンチマン」によって規定してしまう、という点に置かれている。

ルサンチマンは一般に「怨恨」という訳語が当てられているが、これでは意味がよく分からない。

なので言い換えてみると、ルサンチマンとは「ちぇっ!なんだよあいつ…」と舌打ちするときの心の感じを思い浮かべると分かりやすいかもしれない。アイツばかりモテやがって…とか、アイツばかり昇進しやがって…などの「ちぇっ!」が、ニーチェのいうルサンチマンの内実だ。


ルサンチマンが私たちの道徳の根本にあると言われると、私たちはドキリとする。「これこれすることはいいことだ」という確信が、自分より優れているヤツに対する「ちぇっ!」によって支えられているならば、私たちの道徳は実はまったくの偽善であることになってしまうからだ。

ニーチェいわく、「よい」という判断のおこりは、「よい人」たち自身が彼らより劣った人たちと比べて自分の行為を「よい」と評価したことにある。つまり「よい」の判断は自己肯定の表現として現れたのだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「よい」とは語源学的にいって、もともとどのような意味をもっていたのだろうか?

私が見るに、どの言語においても、身分的な意味での「貴族」とか「高貴」が基本概念であり、そこから派生して、貴族的とか卓越性としての「よい」が発展してきた。

しかしそれと並行してもうひとつの発展があった。つまり野暮とか低級といった概念が「わるい」schlechtの意味を持つようになってしまった。初めそれは単に素朴さ(schlechtwegsは「率直に」という意味をもつ)を指していたにすぎない。しかし次第にそれは現在の意味、つまり善と対置される「悪」das Böseへと意味を変化させていった。

(引用)
どの言語にあっても、身分上の意味での〈高貴〉・〈貴族的〉というのが基本概念であって、そこから精神的に〈高貴〉・〈貴族的〉とか、また〈精神的に高潔の資性をもつ〉・〈精神的に特権を有する〉とかいう意味での〈よい〉(優良)の概念が必然的に発展してくる。この発展とつねに平行してすすむ例のもう一つの発展があって、これは〈野卑〉とか〈賤民的〉とか〈低級〉とかいうのをついには〈わるい〉(劣悪)という概念に変えてしまう。

(解読)
身分的な意味でしか使われていなかった「よい」と「わるい」が次第にその意味を変化させる際には、「僧侶階級」が大きな役割を果たした。彼らは最初は政治的に最も高位にある階級にすぎなかった。しかし次第に精神的な面でも、最も優越していると考えられるようになった。

僧侶階級と対照的なのが「戦士階級」だ。僧侶階級が沈鬱的であり行動忌避的なのに対して、戦士階級は健康、力強さ、自由で快活であることを前提としている。

僧侶的民族であるユダヤ人は、敵対者である戦士階級に対して仕返しをするために、一切の価値の価値転換、すなわちルサンチマンによる価値創造を行った。ただし彼らは、これを現実の行為としてではなく、想像上の復讐として行ったのだ。

(引用)
道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。

「よい」のが悪い、「悪い」のがよい

ニーチェによれば、この過程で生み出されたのがルサンチマンの道徳だ。ニーチェはこれを奴隷道徳と呼び、それに対して、戦士階級の道徳、自己肯定の表現としての道徳を貴族道徳と呼ぶ。

(解読)
いっさいの貴族道徳は肯定から生まれてくる。これに対して奴隷道徳は否定から生まれてくる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンをもつ人間にとっては、否定そのものが価値を生む行為だからだ。自己肯定ではなく他者否定こそが、奴隷道徳の本質的な条件なのだ。

(引用)
すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれでるのに反し、奴隷道徳は初めからして〈外のもの〉・〈他のもの〉・〈自己ならぬもの〉にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定める眼差しのこの逆転—自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向—こそが、まさにルサンチマン特有のものである。

(解読)
ルサンチマンの人間は「悪人」を思い描き、それと対比して弱い自分を「善人」と見なす。それゆえ「善人」とはルサンチマンをもとに生み出された反動形成にすぎない。 ではルサンチマン道徳の「悪人」とは一体誰だろうか?これこそまさに貴族道徳での「よい者」、すなわち高貴な者、力強い者だ。

(引用)
ルサンチマンの人間が思い描くような〈敵〉を想像してみるがよい、—そこにこそは彼の行為があり、彼の創造がある。彼はまず〈悪い敵〉、つまり〈悪人〉を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこからしてさらにそれの模像かつ対照像として〈善人〉なるものを考えだす、—これこそが彼自身というわけだ!・・・

そもそもルサンチマン道徳の意味で〈悪い〉とされるのは一体誰であるか、ということが問われねばならない。これにたいし、いとも峻厳な答えをするなら、こうだ、—ほかならぬあの貴族道徳での〈よい者〉、つまり高貴な者・強力な者・支配者が、ルサンチマンの毒々しい眼差しによって変色され、意味を変えられ、逆な見方をされたにすぎないものこそが、まさにそれなのだ。

かつて「よい」は自然な自己肯定の表現だった。しかしルサンチマンは、「よい」のが悪く、「悪い」のが実はよいのだというように、価値基準をいつのまにか逆転させ、反動的に「善人」のイメージを思い描く。

「善人」は「悪人」の鏡として思い描かれたものだ。それは自然な自己肯定の現われではなく、「よい」人たちの価値基準を前提とすることで初めて成立するにすぎない。そうニーチェは言う。

ルサンチマンの人間は自分固有の価値基準をもっていない

ニーチェのいう貴族的人間とルサンチマンの人間の大きな違いは、ルサンチマンの人間が価値の基準をみずからの外部に求めるのに対して、貴族的人間はみずからのうちからそれを創りだすという点にある。

ルサンチマンの人間は、何がよく何が悪いかを判断するために、まず自分の外側へと向かっていく。その一方で貴族的人間は、自分の内面に価値尺度を備えている。彼は何がよいかを自分のうちで了解しており、他者の価値基準にビクつくことがない。こうした貴族的人間を、ニーチェは自由な人間と呼んでいる。

以上が第1論文だ。



第2論文 … 約束のできる人間に「良心」は宿る

次に第2論文について見ていく。

ニーチェによれば、「自由な人間」が登場した背景には「習俗の論理」の存在がある。習俗の論理は人間を一様に数え上げられるようにするが、最終的には、習俗の論理から再び解き放たれた個人、つまり「主権者的な個体」が現れるにいたるという。

「主権者的な個体」と言われると、王様や偉人のような人たちを思い描くかもしれないが、ニーチェのいう主権者とは、自分の意志をもち、約束をきちんと守り、相手も自分も裏切らないようなひとのことを指している。

(解読)
「主権者的な個体」は自律的で自己固有の意志をもつ人間だ。彼は自由の意識、自己と運命を支配する権力の意識に満ちあふれている。

そして大事なのは、彼は約束できる人間であることだ。 彼は責任についての強い自覚をもち、自分がしっかりと約束を守ることのできる能力があることを知っている。こうした能力がいわゆる**良心**のことだ。

(引用)
責任という格外の特権についての誇らかな自覚、この稀有な自由の意識、自己と命運とを支配するこの権力の意識は、彼の心の至深の奥底まで降り沈んでしまって、本能とまで、支配的な本能とまでなっているのだ。—もし彼にしてこれを、この支配的な本能を、一つの言葉で名づける必要に迫られるとすれば、これを彼は何と呼ぶであろうか?疑いの余地もなく、この主権者的な人間はこれを自己の良心と呼ぶ・・・

たとえば、友達と「明日10時にここで」と約束して、やっぱり面倒だなーと行きたくなくなったとき、「本当にそれでいいのか?」と引き止める感じが自分のうちからふつふつとわいてくることがあるだろう。

約束をした相手を裏切らず、しっかりと約束を守ろうとする自己確信、それがニーチェのいう良心の中身だ。この言い方は確かに納得感を与えてくれる。


ニーチェがいう権力感情とは、他人を制圧するための権力を求める欲求ではなく、むしろ相手を裏切らないだけの責任をもてるだけの自己コントロール(支配)能力のことを指している。権力感情と聞くと何だかアヤシク思えるが、その内実は「自分は責任をもってきちんと・・・ができる!」という「自負心」だと考えるとわかりやすい。

「負い目」に由来する疚しい良心

一方、ニーチェによれば、約束する能力に由来するのではない良心もある。それが疚しい(やましい)良心だ。


自負心による良心ではなく、後ろめたさや「罪障感」に支えられている良心、これがニーチェのいう疚しい良心だ。

では疚しい良心はどのようにして現れてくるのだろうか?ここで重要な役割を果たすのが「負い目」だ。なぜなら負い目をみずからの内面へと向け変えることによって疚しい良心が現れてくるからだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「負い目」(Schuld)は物質的な意味での負債(Schulden)に由来して現れてきた。

(引用)
これら在来の道徳系譜学者らは、たとえば〈負い目〉(Schuld)というあの道徳上の主要概念が、はなはだもって物質的な概念である〈負債〉(Schulden)から由来したものだということを、おぼろげなりと夢想したことがあるだろうか?

(解読)
その一方で、刑罰が報復に由来して現れてきた。

これまでしばしば、刑罰は負い目の感情や良心のやましさ、良心の呵責を呼び起こすための道具だと見なされてきた。しかしそれはまったくの誤りだ。むしろ事実としては、刑罰によって負い目の感情が発達しないように抑制されてきたのだ。

刑罰の本来の効果は次のところにある。つまり刑罰は自己批判を改善させる効果をもつ。それは恐怖と用心深さを増し、欲望を制御させることで、ひとを馴致させる。

ここで私はひとつの仮説を提示したい。それは、ひとは社会と平和によって束縛されていることを悟ったときに良心の疚しさにとらえられたという仮説だ。疚しい良心は、社会や国家がひとびとの自由の意識、つまり自律的に約束する能力から防御するために用意した刑罰によって、私たち人間の本能が内向したこと(人間の内面化)で生まれたのだ、と。

以上が第2論文だ。



第3論文 … 禁欲主義的理想で生を肯定する

最後に、第3論文について見ていく。

ここでニーチェは、禁欲主義的理想が生まれてきた背景について論じている。

ニーチェいわく、これまでの哲学者は概して官能を拒否し、禁欲主義的理想に対して愛着を見せてきた。禁欲主義的理想は哲学者が存在するための前提であり、哲学それ自体が存続するための条件でもあったとさえいう。

(引用)
哲学者らに特有の世界否定的な、生敵視的な、官能不信の、官能棄却的な厭離的態度は、つい最近にいたるまで固持されてきたものであり、かくてこれがほとんど哲学者の態度そのものと見なされるほどになっているが、—しかし、こうした態度は何よりもまず、哲学が一般に成立し存続するための不可欠な諸条件から生じた結果なのである。つまり、禁欲主義的な外被と被服がなく、禁欲主義的な自己誤解がなかったら、いとも長きにわたって哲学がこの地上に存在することなど到底できなかったであろう。

(解読)
禁欲主義者は、この生を「あの世」までの仮の生と見なす。彼はそれを否定されるべきもの、誤り、もしくは反駁されるべきものと見なす。これは人類の歴史上どこでも見られる事実のひとつだ。

しかし、ニーチェによれば、禁欲主義的な生はそれ自体が矛盾している。そこでは生の条件を抑圧しようとするルサンチマンが支配的であり、生きんとする力を押さえ込もうとするからだ、と。

(引用)
そもそも禁欲主義的な生というのは、一つの自己矛盾である。そこには比類のないルサンチマンが支配しているが、これは生のある部分をではなく生そのものを、生の最深かつ最強のもっとも基底的な諸条件を制圧しようとする飽くなき本能と権力意志とルサンチマンである。ここでは、力の源泉を閉塞するために力を利用するという読みがなされるのである。ここでは、生理的な発達そのものにたいし、とくにその表現や美や悦びにたいして嫉妬ぶかい陰険な眼差しがそそがれる。

「禁欲主義的僧侶」が弱者の味方となる

ここでニーチェは、いわゆる「禁欲主義的僧侶」がルサンチマンの方向転換を施し、疚しい良心を生み出したという説を立てる。

禁欲主義的僧侶?

禁欲主義的僧侶と聞くと、実際にそういう人たちがいたようなイメージをもつかもしれない。しかしこれは初期キリスト教の指導者、という程度に捉えるべきだ。誰か具体的に特定の人物を指しているわけではない。

(引用)
われわれは、禁欲主義的僧侶がいかに規則的に、いかに普遍的に、いかにほとんどあらゆる時代に出現するものかを、とくと考えてみるとしよう。禁欲主義的僧侶なるものは、個々の種族のいずれにも属するものではない。彼はいたるところに生えしげり、あらゆる階級から生えでる。

いずれにしても、ここでニーチェは、キリスト教は弱者のルサンチマンに呼応して現れ、これを助長することで、内面の価値尺度で良し悪しを判断する道徳のあり方を組織的に否定しようとしている、と言おうとしているのだ。

禁欲主義的僧侶は生を肯定する

(解読)
弱者たちは自分の苦痛の原因を外部に求めようとする。「私が苦しいのは誰かのせいだ」など。しかし僧侶は弱者たちに次のように告げる。「確かにそうだ。しかしそれはお前自身だ。お前自身が自分の苦痛の原因なのだ」、と。

(引用)
もしわれわれが僧侶的実存の価値をもっとも簡単な一句に言い表わそうとするなら、端的にこう言ってよかろう、僧侶とはルサンチマンの方向転換者である、と。

「私は苦しい、これは誰かのせいにちがいないのだ」—こうすべての病める羊は考える。ところが彼の牧者である禁欲主義的僧侶は、彼にむかって言う、「そのとおりだ、私の羊よ!それは誰かのせいにちがいないのだ。が、この誰かというのは、じつはお前自身なのだ。それはただお前だけのせいなのだ、—お前がこうなっているのに責めがあるのはお前自身だけだ!」

(解読)
このように見ると、禁欲主義的僧侶は生を否定しているかのように思えるかもしれない。

外見的にはそうだ。しかし実は禁欲主義的僧侶は、生を肯定する勢力のひとつだ。なぜなら禁欲主義的僧侶は「こうではなく別にありたい」とする願望、つまり禁欲主義的理想を思い描くことで、倦怠感や「死への願望」と闘う力を得ているからだ。

(引用)
事実を簡潔に述べれば、次のごとくである、—禁欲主義的理想は頽廃しつつある生の防御本能と救治本能とから生ずる、と。かかる生は、あらゆる手段をもって自己を保持しようと努め、自己の生存のために闘う。

じつは生は、この理想において、この理想を通じて、死と格闘し、死に抗して闘っているのである。禁欲主義的理想は、生の保持をはかる一つの策略なのである。

ただし、禁欲主義的僧侶は、苦悩を治癒しても、苦悩を生み出す原因については治癒することがない。禁欲主義は慰めでこそあれ、不快のもとを取り除くことはない。ニーチェいわく、ここに宗教の本質がある。それはつまり、生理的な抑圧感、沈鬱や不快を、ただ心理的・道徳的にのみ取り除くことにあったのだ、と。

(引用)
流行病とまでなるにいたった一種の疲労と重苦しさとに打ち克つことが、すべての大宗教にとっての主要問題だったからである。地上の特定の場所で時折りほとんど必然的にある生理的抑圧感が広範囲の大衆を支配するようになるにちがいないということは、はじめからありそうなこととして推定されうるところである。しかし、この抑圧感は、生理上の知識を欠いていることからして、そうしたものとしては意識されることがなく、したがってその〈原因〉も、それの治療も、ただ心理的・道徳的にだけ求められ試みられるにすぎない(—これこそがすなわち、通例〈宗教〉と呼ばれるものにたいする私のもっとも一般的な定式なのだ)。

(解読)
ここで宗教が取る方法は、機械的な活動に従事させること、隣人愛という「小さな喜び」を処方することだ。

機械的な活動によって苦悩を打ち消すことを、ひとは「勤労の祝福」と呼んでいる。たえず同じ行為を繰り返すので、苦悩に対する余地がほとんどなくなってしまうのだ。

隣人愛は、慈善や施しを通じて、共同体、畜群生活への意志を育む。それは弱者同士の相互扶助を促進する。禁欲主義的僧侶は弱者のそうした本能を見抜き、さらにこれを助長するのだ。

そこで禁欲主義的僧侶は負い目の感情を利用した。彼は悩める人間に対して、苦悩の原因を次のように説いた。

(引用)
「おまえは、その苦悩の原因を、おまえ自身のうちに、負い目のうちに、過去の一事情のうちに求めるがよい、おまえの苦悩そのものを一つの刑罰状態と心得るがよい」、と。

(解読)
こうして彼は、罪障感に支えられた疚しい良心を抱くようになるのだ。

「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」

では、なぜ人びとは禁欲主義的理想を受け入れ、禁欲主義的僧侶に従うのだろうか?なぜ彼を拒否しなかったのだろうか?

これについて、ニーチェは次のように言う。

(解読)
それは、これまで唯一禁欲主義的理想のみが人間に生の意味を与えることができたからだ。

彼が禁欲主義的理想を抱くようになった理由、それは人間が本質的にいって生の意味を求める存在だからだ。彼にとっては苦悩それ自体が問題なのではない。むしろ苦悩に意味が欠けていること、これこそが問題なのだ。

禁欲主義的理想は、人びとに苦悩の意味、目的を与えた。それによって人びとは何かを意欲することができるようになったのだ。

(引用)
人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない。いな、苦悩の意味、苦悩の目的(Dazu)が示されたとなれば、人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする。これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった。—しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ!それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。

人間は一つの意味をもつにいたった。それ以来人間はもはや風にもてあそばれる一枚の木の葉のごときものではなくなった、もはや無意味の、〈没意味〉の手まりではなくなった。いまや人間は何かを意欲することができるようになった、—何処へむかって、何のために、何をもって意欲したかは、さしあたりどうでもよいことだ。要するに、意志そのものが救われたのである。

(解読)
しかし禁欲主義的理想は、人間に苦悩の意味を与えると同時に、新たな苦悩をもたらした。「虚無への意志」がそれだ。動物的なものに対する憎悪、官能に対する、また理性に対する嫌悪、美に対する恐怖—そうしたものすべてが禁欲主義的理想によって生み出されたのだ。

(引用)
さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、—人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する・・・。



「この生」「この世界」をどう肯定できるか?

本書の流れを大まかにおさらいすると、次のような感じだ。


道徳、とりわけキリスト教的道徳が生まれた背景には人びとのルサンチマンがある。ルサンチマンが「よい」と「わるい」の価値秩序を逆転させてしまった。そうした人びとを導いているのが禁欲主義的僧侶だ。彼が人びとを内面化させ、疚しい良心(罪障感の良心)を生みだした。ところで人びとが禁欲主義的僧侶に従ったのは、人びとが生の意味を求めていたからだ。そこで人びとは禁欲主義的理想を手に入れ、みずからの苦悩には確かに意味があることを理解した。しかし同時に彼は「虚無への意志」に見舞われた。

ニーチェはこのように直観し、以後、生と世界を肯定するための価値を創造しようと自ら課題へとみずから取り組んでいく。しかしそれは完全な形では示されず、今日『権力への意志』として知られている草稿群のうちに断片的なアイディアとして残されるにとどまった。

道徳を「鍛え上げる」

部分部分を細かく見ると、確かに、ニーチェの議論には怪しいところもある。たとえばニーチェは国家、社会、文化を否定的に捉えすぎている向きがある。「それらは人間の自由の本能を抑制し、人びとを馴致する」という観点を前面に押し出しすぎているのは否めない。

それでもなお、ニーチェの議論は多くの納得感を与えてくれる。

私たちは油断するとついルサンチマンにやられてしまったり、ルサンチマンの力で生と世界を否定的に解釈してしまったりする。「自分の人生こんなはずじゃなかった…」とか「この世界はこうあるべきではない…」というように。

そこで反動的に「みな道徳的であるべきだ」とか「正しい生があるはずで、そこから外れた者はケシカラン」という感覚をもってしまうことがある。正しいのは自分で、間違っているのは世界の側だ、と。ニーチェを読むと、それがルサンチマンに発するねじ曲がった正義だということをズバリ指摘されたような感じを受ける。

素朴な正義はしばしば「この世界は間違っている!正しい世界を実現させるべきだ!」と主張する。しかしその理想はしっかりと確かめ直されてこそ、本当の意味で正義にかなうと言える。「その理想はルサンチマンに発していないだろうか?もしくは罪障感に支えられていたりしないだろうか?」、と吟味することによって、正義をより深く生かすことができる。ニーチェの議論はそのことを私たちに教えてくれる。
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/

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『道徳の系譜』(どうとくのけいふ、Zur Genealogie der Moral)——副題:「一つの論駁書」("Eine Streitschrift")——は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作であり、先に公にされた『善悪の彼岸』の中で略述されたいくつかの新しい見解について詳論するという意図のもとに、1887年に執筆され、公刊された。

ニーチェの著作の中では、最も直接的な叙述がなされており、形式や文体の面でアフォリズム的な要素が最も少ないことから、ニーチェ研究者からは、確固たる明敏さと力強さをそなえた作品であり、ニーチェの代表作であるとみなされている。[1]

序言と三つの論文(Abhandlung)から成り、これら一連の論述を通して、道徳的諸概念の発展に関わる挿話を追っていくことによって、「道徳上の先入見」——とりわけキリスト教の道徳——を転覆することを目指す。

ニーチェの三つの論文の主題をなすのは、「道徳上の先入見の由来」についての彼独自の思想である。この思想は、彼が長期間にわたって作り上げてきたものであり、すでに『人間的な、あまりに人間的な』において簡潔に不完全な形で表現されている。ニーチェが自らの「仮説」を公刊しようと思ったきっかけとなったのは、友人パウル・レーの小著『道徳的感情の起源』(1877年)を読み、その中で「系譜論的仮説」が不十分な仕方で展開されているのを見出したことである。

かくして、ニーチェは、「道徳的諸価値の批判」こそが理に適っており、「これらの諸価値の価値こそそれ自身まずもって問題とされるべきである」と考えるに至る。この目的を果たすためには、レーのような(ニーチェが言うところの)「イギリス流心理学者」式の仮説的な説明よりも、実際の道徳史を提示することこそが必要不可欠である。

第一論文 「善と悪」・「よいとわるい」

この論文では、ニーチェが『人間的な、あまりに人間的な』以来ほのめかしてきた君主道徳と奴隷道徳の間の区別が説明される。これら二つの相異なる道徳様式は、それぞれ一対の対立概念に対応している。

ニーチェによると、特権階級は、自分たち自身の行為を「よい」("gut")と定義した。この場合の「よい」とは、「高貴な」、「貴族の」、「強力な」、「幸福な」等々という意味である。その一方で、彼ら君主たちは、他の卑しい人々の行為を「わるい」("schlecht")とみなした。ただし、この場合の「わるい」とは、「素朴な」("schlicht")、「平凡な」、「貴族でない」という意味であって、ことさらそれらの人々に対する非難のニュアンスが込められているわけではない。

特権階級に従属する卑しく、貧しくて不健康な人々、つまり「奴隷」によって価値の序列が逆転される。彼らの感情は、ルサンチマンに基づいており、彼らはまずもって他者を「悪人」、すなわち「悪しき敵」とみなす。そして、その後ではじめて、彼らはまさしく悪人に対立する者として、自分たち自身を「善人」と定義する。換言すると、彼らは「悪」("böse")でないがゆえに、「善」("gut")である。つまり、貴族にとっての「よい」という概念が能動的であるのに対して、奴隷の「善」概念は反動的なのである。

ニーチェは、二番目の価値様式をユダヤ教とキリスト教の内に見出し、第一の価値様式をローマ帝国、ならびにルネサンスやナポレオンに割り当てる。もっとも、これら二つの道徳様式の対立は、内的葛藤を抱えた一人一人の人間の中でも依然として闘争を繰り広げることになるとされる。今日でも、比較的高邁な精神の持ち主においては、両方の価値評価様式がともに存在し、相争っている。しかしながら、全体としては奴隷道徳のほうが勝利をおさめることとなった。ニーチェ自身は——無条件に、見境なしにというわけではないが——はっきりと「貴族的」な世界観のほうに強い共感を表明しており、自らの哲学によって「賤民的」な道徳に対する闘争が再開されうることを期しているように思われる。


第二論文 「負い目」・「良心のやましさ」・その他

ここで探求の対象となるのは、人間は何かに対して「責任」を負うことができるという考え方の由来、ならびに、人間に特有で動物界ではほとんど見られない記憶力一般である。ニーチェは、「負い目」という道徳的概念は債権者に対する「負債」という物質的な概念に基づいていると考える。彼は、刑罰がさまざまな文化の歴史の中で担ってきた多岐にわたる表向きの目的と真の目的を示唆する。刑罰は、あらゆる事態がそうであるように、支配体制が新しくなる度に、新たな解釈を与えられてきた。ニーチェによると、良心のやましさは、人間の文明化に起源をもつ。人間は、組織的な社会で生きるという重圧の下で、自らの攻撃的な衝動を内向させ、自分自身に向けるようになるのである。

なお、この論文の第12節は、「力への意志」に関する教説を比較的詳しく取り上げているという点で、鋭い示唆を含んでいる。

第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか

この論文は、すでにニーチェが序文で自ら指摘した形式的な特徴をよく表している。というのも、結論となる見解を最初の段落で簡潔なアフォリズムの形式で呈示しておいて——仮構の読者からの抗議に従って——論文本体において、そのアフォリズムを正確に敷延して完全な形で表現しているからである。

ニーチェは、禁欲主義的理想が、歴史の中や今日の社会の中で現れる際にまとってきたさまざまな形態、並びにその多様な目的を検討する(その中には、誤認された目的も実際の目的も含まれる)。ニーチェは、さまざまな人々——芸術家(リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』を例に)、哲学者(とりわけ、ショーペンハウアーの意志否定)、聖職者、ニーチェ自身が評価するところの「善人や義人」、聖人、そして現代において反-理想主義者と見誤られている人々、無神論者、科学者、批判的かつ反形而上学的な哲学者——における禁欲主義的理想の追求を解釈し評価する。そして、彼らの絶対的な「真理への意志」こそが、禁欲主義的理想の最後の純粋な形態であるとされる。そして、現代および将来のヨーロッパにおけるニヒリズムに関する考察に依拠して、ニーチェは、禁欲主義的理想がほとんど唯一の理想として尊崇されてきた究極の理由を示す。それは、つまるところ、より優れた理想がなかったからである。人間は「何も欲しない」ことができない。その結果、今日までの人間はむしろニヒリズムと禁欲において「無を欲し」てきたのである。


影響

「道徳の系譜」に影響を受けた人は、オスヴァルト・シュペングラー、ジャン=ポール・サルトル、ジークムント・フロイト、フランツ・カフカなどである。

また、ミシェル・フーコーは、この作品に影響を受け、狂気・性・懲罰について研究していた。

河出書房新社からは、この作品の標題を冠した叢書として「シリーズ・道徳の系譜」(1997年-)が刊行されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C

5. 中川隆[-10770] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:52:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1277] 報告

ニーチェの思想 2006-07-10
https://blog.goo.ne.jp/journal008/e/c774a8819e1f564fac5d9c5324a64aaf


ソクラテス以前も含むギリシア哲学やスピノザやショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。近代の終焉を告げる思想家ともされる。

神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。

そのなかには、有名な永劫回帰(永遠回帰)説がある。古代ギリシアの回帰的時間概念を借用して、世界は何か目標に向かって動くことはなく、現在と同じ世界を何度も繰り返すという世界観をさす。これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。

「神は死んだ」と宣し、西洋文明が始まって以来、哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。

それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、恨みという負の感情ルサンチマンによって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩や矮小化の原因であり、それを超越した超人をめざすことによって解決されるべきとした。

その思想は、ナチスのイデオロギーに利用されたが、多くのニーチェ主義者が喝破していたように、それはニーチェ哲学の曲解、通俗化でしかなかった。そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いて叱責している。

お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対してもだ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic Correspondence Sheets』(引用者注:ニーチェの思想を歪曲して利用した反ユダヤ主義文書らしい)は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけのこの党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。

また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛てのおよそ気が確かだと思われる最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」で結んである。主著『善悪の彼岸』では「ドイツ的なもの」とその喧伝者への批判に一章を割き、死後に刊行された草稿ではドイツ人のいう「偉大な伝統」なるものを揶揄して「ユダヤ人こそがヨーロッパで最も長い伝統をもつ、最も高貴な民族である」と、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いており、ヒトラーはおろかナチス高官の誰一人としてニーチェをまともに読んですらいなかったことは自明である。

にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。しかし、たとえこれほどの悪意的な操作がなかったとしても、〈善悪の彼岸〉〈超人〉〈力への意志〉など、文字面だけを見れば強権に迎合するものとも見えかねないキーワードをニーチェ自身が多用していたことも問題を紛糾させた一因である。

ニーチェの思想がナチズムや反ユダヤ主義と相容れないものであるという主張は、第二次世界大戦前からすでになされており、比較的早いものとしてはジョルジュ・バタイユをはじめピエール・クロソウスキー、アンドレ・マッソン、ロジェ・カイヨワらによる同人誌『無頭人(アセファル)』(1936年 - 1939年)などが有名である。
https://blog.goo.ne.jp/journal008/e/c774a8819e1f564fac5d9c5324a64aaf

6. 中川隆[-10605] koaQ7Jey 2019年4月25日 11:37:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1467] 報告

ウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していて、若きアドルフ・ヒトラーが戦慄を覚えた
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68763179.html


現代でも、ボスニアやセルビアで民族対立が勃発し、銃撃戦どころか「民族浄化」が行われていた。復讐に燃える兵卒たちは、敵の女を見つけると集団で襲いかかり、自分たちの精子をネジ込んで喜んでいたのだ。これは殺人よりも忌まわしいことかも知れない。なぜなら、輪姦された女性はケダモノに等しい異人の子を宿し、誰が父親なのかも判らぬ子供を育てる破目になるからだ。もし、息子が生まれると別の意味で悲惨である。我が子が成長するに従い、段々と強姦魔に似てくるから、忘れたい過去がフラッシュバックのように蘇ってしまうのだ。彼女の祖父母だって、心から孫を愛することができない。孫の顔に一族の敵が浮かび上がってくるんだから、拷問のような仕打ちである。

  ボスニア紛争以前にも、我々はオーストリア・ハンガリー帝國の悲劇を知っているはずだ。この多民族国家はハプスブルク家によって統合されているだけで、その臣民の間には国民的紐帯は無かった。国家の要(かなめ)である軍隊でも、民族ごとに分かれており、号令だって複数の言語でなされていたのだ。帝國内ではドイツ語を始めとして、ポーランド語、チェコ語、マジャール(ハンガリー)語、ウクライナ語、クロアチア語、ルーマニア語、そしてユダヤ人のイディッシュ語など、多数の言葉が飛び交っていたから不思議じゃない。

とりわけ、コスモポリタンの大都市でもあるウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していたから、若きアドルフ・ヒトラーが戦慄を覚えたのも当然である。将来のドイツ第三帝國総統はこう述べていた。

   この国の首都が示している人種集団は、わたしにとって不愉快であり、チェコ人、ポーランド人、ハンガリー人、ルテニア人、セルビア人やクロアチア人等の諸民族の混淆は、いとわしいものだった。しかしそれよりも人類の永遠のバクテリアはなお不愉快だった。------ ユダヤ人、そしてもう一度ユダヤ人だ。

  わたしにはこの巨大都市が、近親相姦の権化のように思えた。(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 上巻、平野一郎・将積茂 訳、角川書店、 昭和48年、 p. 184)


Hitler 2( 左 / ヒトラー総統)


  ウィーンに群がるユダヤ人を毛嫌いしたヒトラーは、当時のオーストリアを「古いモザイク」に譬えていたが、第20世紀初頭のオーストリアなんか、現在のオーストリアーと比べれば白人天国である。特に、現在のドイツを目にしたら、ヒトラーはもちろんのことゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングも卒倒したことだろう。「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の英雄ロンメル元帥やヒトラー暗殺を企てたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus von Staufenberg)伯爵、リートヴィッヒ・ベック(Ludwig A. T. Beck)上級大将だって、眉を吊り上げ絶叫するに違いない。(逆説的だが、ネオ・ナチを存続させるのは人種混淆を称讃する平等主義者で、ドイツがアーリア人だらけになったら、ネオ・ナチの存在は半減するだろう。) 今では、さほど抵抗が無くなったけど、当時のドイツ社会でアフリカ人や褐色のアラブ人、くすんだ肌のトルコ人などがゲルマン人女性と結婚するなんて論外というか、犯罪に近い行為であった。アシュケナージ系ユダヤ人との結婚だって大反対されたのに、有色人種となんて勘当ものである。


チャーチルが嫌った茶色いイングランド

Winston Churchill 1( 左 / チャーチル首相)
  現在の欧米諸国ではナチスの人種衛生学や優生思想が糾弾されているが、ヒトラーを倒したウィンストン・チャーチルならナチズムの復活を望んでしまうだろう。何しろ、チャーチル自身が人種差別主義者であったから、アジア人やアフリカ人との混血は御法度が当たり前。同盟相手の日本人だって嫌いなんだから、植民地の茶色のインド人やパキスタン人、ビルマ人、黒いケニア人などは論外。マルバラ公爵の御曹司は彼らを原始的な「野蛮人」と思っていたのだ。ただし、チャーチルはユダヤ人の富豪からお金をもらっていたので、英国内のユダヤ人に寛容であった。当時のイギリス人貴族が、自宅にユダヤ人を招き、一緒にディナーを楽しむなんてあり得なかったのに、チャーチル家だけは例外で、商人や富豪、シオニストらと交流を持っていたのである。今は墓場で眠っているチャーチルだが、現在の英国を目にしたら、びっくり仰天して飛び起きるんじゃないか。青ざめたチャーチルは、「ヒトラーと手を組んでいれば良かった」と後悔するはずだ。実際、ヒトラーはアングロ・サクソン国家との同盟を望んでいたから、好戦的なのはチャーチルの方であった。

  チャーチルはユダヤ人を救いたかったのに、「イングランドをドイツの魔の手から救え !」という大義名分で第二次世界大戦を起こしたものの、その結果は無残なものだった。ご自慢の大英帝國は崩壊するし、属していた保守党は野党に転落。チャーチル自身も落選となった。栄光に輝くイングランドは激戦で優秀な人材を失い、植民地も手放したのに、国内には不愉快なユダヤ難民が流入し、チャーチルが嫌ったインド人やジャマイカ人までもが入ってきて民族のモザイク状態。世界各地に植民地を持っていたイングランドには、現地人が逆流してきて、今や王国各地に「ネオ・デリー(新ニューデリー?)」とか「リトル・カブール」、「ニュー・バクダッド」といった入植地が出来ている。とりわけ、ロンドンは著しく、もはやイギリス人の首都ではない。シティーの東に位置するタワー・ハムレッツ(Tower Hamlets)には白人よりも有色人種の方が多く、イスラム教徒やアジア人の方が主流になっている。また、人口統計に記される「白人」といっても、その正体はポーランド人やブルガリア人、スロヴァキア人、ロシア人、東欧系ユダヤ人であったりするから、「白いブリテン人」がどんな連中なのか、よく確かめてからじゃないと、政府の統計は信用できない。

Muslims in Britain 2Muslims in Bradford 1
( 写真 / イングランドに住むイスラム教徒)

  明らかに、第21世紀のイングランド王国は別の国家に成り果てている。例えば、ウェスト・ヨークシャーの都市、ブラッドフォード(Bradford)はイギリス人の街ではない。街角には、パキスタン人やアラブ系のイスラム教徒が溢れており、チャドルを着た女性が堂々と歩いている。アジアからの移民が増えれば街並みが変わるのも当然で、道沿いにはハラル料理を出すパキスタン人の食堂とか、不気味な雰囲気を醸し出す骨董屋、エスニック料理の食材を扱う小売店、奇妙な民族衣装を取り揃える雑貨店などが目立っている。こうしたエスニック商店街には、まともなアングロ・サクソン人は立ち寄らないから、薄暗い貧民窟とか犯罪者がたむろする租界になりやすい。東京上野にあるアメ横にも、トルコ人の屋台があって、中東アジア人がシシカバブ(肉の串焼き)を食っている。いずれ、「アメリカ横町」じゃなくて「ムスリム通り」になるんじゃないか。新大久保は既に「リトル・ソウル」だから、アジア・タウンは全国各地に広がるだろう。フィリピン人やクルド人が群がる埼玉県の蕨市は、別名「ワラビスタン」と呼ばれているから、首都圏に「リトル・サイゴン」とか「ニュー・バンコック」が誕生するのは時間の問題だ。支那人が訪れる東京湾も、やがて「トンキン湾」と呼ばれるかも知れない。在日米軍のアメリカ兵も「トキヨー・ベイ」よりも「トンキン・ガルフ」の方に馴染みがある。

  以前、英国の移民問題に関しては度々述べてきたので、詳しくは過去のブログを参照してもらいたい。(参照記事A、 記事B、記事C 記事D ) それでも、英国の現状は悲惨である。つい最近、英国南東部、ケント州のウァルダースラッドで交通事故が起きたのだが、その状況を記録した映像を見ると、マシェト(Machete / 長めの鉈)を持った黒人が逃走する姿が映っていた。これを見たイギリス人は驚愕したそうだ。以前はアングル人やザクセン人が主流の地域だったのに、今じゃソマリアのモガディシューみたいになっている。「イングランドの庭園」と呼ばれるケント州には、有名なカンタベリー大聖堂とロチェスター大聖堂があって、中世の美しさを残しているのに、黒人が浸透すると、モザンビークやジンバブエに様変わり。麻薬の密売や組織売春、強盗、引ったくり、強姦・輪姦が横行した上に、刃物を持ったアフリカ人が歩いているんだから、温厚なイギリス人でも「責任者出てこい !」と怒鳴ってしまうだろう。人気コメディーの「モンティー・パイソン」で有名なジョン・クリーズ(John Cleese)は、数年前、「ロンドンはもはやイングランドの都市ではない」と嘆いていたが、他の地域でも非英国化は進んでいたのだ。

Blacks in Britain 1John Cleese 1
(左 : 刃物を持って疾走する黒人 / 中央 : 自動車事故 / 右 : ジョン・クリーズ)

  同じ立憲君主国でも日本と違い、英国には貴族が存在する。しかし、その顔ぶれを眺めると、全くイギリス人とは思えない貴族が存在するのだ。正直な日本人だと思わず「これがイギリス貴族なの?」と呟いてしまうが、左翼教育に染まったイギリス人は、不満を抱きつつも、無言のまま堪えるしかない。祖国を愛するイギリス人なら、BNP(ブリテン国民党)やEDL(イングランド防衛同盟)に入りたくなる。(ただ、悲しいことに両組織とも凋落し、メンバーは激減しているそうだ。) 日本では英国の惨状は報道されないので、筆者が代わりにパキスタン系貴族を何名か紹介してみる。例えば、ウィンブルドン男爵となった保守党のタリク・アフメド(Tariq Ahmed)、上院議員のザヒダ・マンズール(Zahida Manzoor)、サイーダ・ワルシ(Sayeeda Hussain Warsi)男爵夫人、労働党上院議員のナジール・アフメド(Nazir Ahmed)男爵、モハメッド・A・カーン(Mohammed Afzal Khan)、自由民衆党のキシュワー・フォークナー(Kishwer Falkner)男爵、ロンドン市長のサディク・カーン(Sadiq Khan)、メイ内閣で内務大臣となったサジド・ジャヴィッド(Sajid Javid)などである。

Tariq AhmedZahida Manzoor 2Sayeeda Warsi 1Nazir Ahmed
(左 : タリク・アフメド /ザヒダ・マンズール / サイーダ・ワルシ / 右 : ナジール・アフメド )

  他人の国だから、どうこう言いたくはないが、こんな異邦人を目にしてもアングロ・ブリテン人は、本当に「貴族」として彼らを尊敬するのか? 戦前の日本で、もし朝鮮人の伯爵や子爵が出現したら、日系庶民は小馬鹿にして相手にしないぞ。子供だって「ギャハハ、ヨボの華族だって !」と笑ってしまうだろう。(「ヨボ」とは庶民が朝鮮人につけた呼称。) 貴族というからには、立派な血統や輝く権威が条件で、国会議員を務めたくらいじゃ「貴族」に相応しくない。やはり、封建領主じゃないとねぇ〜。ウェリントン将軍のように武勲を誇る軍人なら「公爵」でいいけど、百貨店や金融業で出世したユダヤ人が「男爵」なんてチャンチャラ可笑しい。日本でも同じだ。コ川御三家や御三卿、あるいは島津家とか前田家、毛利家のお殿様や家老ならいいけど、朝鮮の両班なんかロクでなしの穀潰しだから、とても仰ぎ見る存在ではない。貴族は血統と人種が重要となる。たとえ、一橋家出身の公爵が誕生してもタイ人との混血児じゃ嫌だし、田安家から出た伯爵でも、ベトナム人の養子じゃ日本人は尊敬しないだろう。

何のために死んだか判らないイングランドの英霊

  異民族の増殖は誠に恐ろしいもので、家系を大切にする旧家や血統を自慢する堅気の家庭にとり脅威だ。良識と伝統に基づいた教育で成長した親は、祖先の肉体を守ろうとするが、左翼教育で大きくなった娘や、コスモポリタン思想にかぶれた馬鹿息子は、「現在」だけを生きている。こうした子供は義務の観念に欠けるから、子孫への配慮など微塵も無い。惚れた相手なら誰でもいいという了簡(りょうけん)だ。リベラル思想が猛威をふるう現代では、実家に住む両親は「もしかしたら・・・」と不安に駆られ、居ても経っても居られなくなる。ある日、年頃になった娘が電話を掛けてきて、恋人に会って欲しいと頼んできたら、「最悪の事態」を覚悟せねばならない。指定されたレストランに赴くと、そこには有色人種の男がいて、娘と談笑していたりするから、親は心臓が止まるくらいショックだ。たとえ黒人じゃなくても、白人に見えない混血青年だったりするから、目眩がしてくる。一応、父親は冷静に振る舞うが、心の底では「何で、こんな奴と付き合うんだ !」と怒りを隠せない。母親も、「他に良い男性がいっぱい居るのに、どうしてこんな人を選んだの !」と不満爆発だ。確かに、溢れんばかりの愛情を注いで育ててやったのに、非西歐世界の有色人種じゃ泣けてくる。これでもし結婚となったら卒倒してしまうだろう。初孫がインド人やアフリカ人との混血児なんて、あまりにも残酷すぎる。生まれたての赤ん坊を抱いたときの涙は、嬉し涙じゃないぞ。

  多民族主義を毛嫌いする保守派のイギリス人にとって、異人種間結婚(miscegenation)は身近に感じられる恐怖だ。とりわけ、藝能界で活躍する娘がいると、その親は心配でたまらなくなる。例えば、ラザ・ジェフリー(Raza Jaffrey)とミランダ・レイゾン(Miranda Raison)の結婚は、現代の恐怖を象徴するニュースだった。ラザは英国の人気TVドラマ『スプークス(Spooks)』にレギュラー出演したインド系男優で、嘗てアメリカのTVドラマ『ホームランド』に出演し、現在は『内なる敵(The Enemy Within)』に出演している。彼は『スプークス』に出演していた時、共演者のミランダと交際し、2007年に結婚した。しかし、2009年に別れている。幸い、二人の間に子供はいなかった。だが、彼は又もや異人種の女優に手を出した。同番組の出演女優ララ・パルヴァー(Lara Pulver)と親密になり、2012に結婚する。だが、それも長くは続かず、2017年に離婚したという。


Raza Jaffrey 2Miranda Raison 6Lara Pulver 3
(左 : ラザ・ジェフリー / 中央 : ミランダ・レイゾン / 右 : ララ・パルヴァー )

  ミランダ・レイゾンの両親がどう思ったかは知らないが、普通のイギリス人ならゾっとするような結婚である。というのも、異民族が大量に流入する英国では無防備な子供が有色人種と毎日接触するからだ。年頃の子供を親は、「もし、自分の子があんな婚約者を連れてきたらどうしよう」と心配になる。一方、ララ・パルヴァーの親なら結構平気だろう。なぜなら、彼女の父親はユダヤ人で、イギリス人の母親は夫に従いユダヤ教へと改宗しているし、二人はララが七歳の時に離婚しているからだ。こんな母親なら、娘の結婚に反対できるはずがない。それに、第21世紀の英国だと、親の世代もリベラルで、多少の抵抗はあっても、概ね異人種間結婚を許してしまうのだ。イングランドの地と血を守るために亡くなった将兵は、墓の底でどう思っているのか? 中流階級以上の陸軍士官とか、パブリック・スクール卒の海軍士官は、まさか、自分の子孫にパキスタン人やアラブ人の遺伝子が混ざるとは考えていなかったはずだ。あの世のチャーチルも絶句するんじゃないか。隣のヒトラーが笑っているぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68763179.html

7. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月03日 18:53:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1729] 報告

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼

【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405

筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

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ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。

しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。

抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

8. 中川隆[-10631] koaQ7Jey 2019年11月01日 18:26:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2250] 報告
ナチスの亡霊で苦しむ西歐人 / 「血と土」の哲学
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html

自分の人種を自慢してよい権利

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央 : ドイツ人の家族 / 右 : ユダヤ人の男性 )

  敗戦後、ドイツ人はナチスの「戦争犯罪」を糾弾され、ユダヤ人を虐殺した“極悪人”との烙印を額に押されてしまい、その罪科を贖うために、歐洲で一番の「人権国家」になろうとした。英米から去勢された、このゲルマン人国家は、どんなに厭な種族であれ、一旦“移民”として受け容れてしまえば、貴重な「ドイツ国民」の身分を与え、至れり尽くせりの“おもてなし”をしようとする。こうした手厚い福祉を聞きつけた別のアフリカ人やアジア人は、「ドイツこそ夢に見た黄金のエルドラドなんだ!」と思い込み、「難民」を装って雪崩れ込んだ。リベラル思想に洗脳されたゲルマン人は、当初、「外人労働者なんて所詮“臨時労務者”だろう」と高を括っていたが、それは致命的な誤りだった。トルコ人やアラブ人、アフリカ人は図々しいから遠慮なくドイツ各地に押し寄せてくるし、福祉にタカるどころか、故郷から家族や親戚まで呼び寄せる始末。最初は渺(びょう)とした小川でも、黒や褐色の盲流が合流すれば、それは徐々に大きな濁流となり、最終的には手が付けられない程の津波となる。この水害に飲み込まれるのは“お人好し”のドイツ人で、生き残るのは人権を利用する移民や難民だ。ドイツ人って、まるでノアの箱船に乗り損ねたネズミのようだ。

  10月下旬、ドイツでは地方選挙があって、ヨーロッパではちょっと話題になった。何と、チューリンゲン州の選挙では、“極右”と呼ばれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が大躍進。日本でも「右派勢力」と呼ばれるAfDだが、実際はドイツ国民を第一に考える保守派政党だ。その証拠に、投票箱の蓋を開けてみると、23.8%の得票率であったという。これは第二位の得票率になるそうで、アンゲラ・メルケル率いる「キリスト教民衆党(CDU)」は顔面蒼白。というのも、CDUの得票率はAfDよりも低く、22.5%であったからだ。しかし、もっと悲惨なのは「社会民衆党(SPD)」で、こちらの得票率はたったの8パーセント。社民党の凋落は日本だけじゃなかった。で、気になる第一位は? これまたドイツらしく、極左政党の「リンケ党(Die Linke)」ときている。人権教育で頭がおかしくなった国民は救いようがない。

Bjorn Hocke 5Alexander Gauland 1Jerome Boateng 2


(左 : ビョルン・ホッケ / 中央 : アレグザンダー・ガウランド / 右 : ジェローム・ボアテング )

  メルケル首相のプライドをズタズタにしたAfDだが、今回の地方選挙で特筆すべき候補者は、なんと言ってもビョルン・ホッケ(Björn Höcke)である。真っ赤な頭の人物が「良心的」とされるドイツでは、ゲルマン系ドイツ人の生活を一番に考え、ドイツ国家の利益と文化を優先する政治家なんか、レイシストの「極右」である。AfDの幹部もマスコミから吊し上げを喰らっていた。党首のアレグザンダー・ガウランド(Alexander Gauland)は、かつて黒人系サッカー選手のジェローム・ボアテング(Jérôme Boateng)について失言をしたことで責められた。曰わく、「みんな彼のことを好きだが、隣人にしたいとは思わない」、と。(彼の母親はドイツ人だが、父親はガーナ人であるという。) そりゃそうだろう。黒い「ドイツ人」なんて本当のドイツ人じゃない。また、離党した元代表のフラウケ・ペトリー(Frauke Petry)は、国境警備の強化と移民規制を訴え、フェミニストにも反対したから、相当なバッシングを受けたらしい。(現在、彼女は創設した「青の党」の党首になっている。) アリス・ワイダル(Alice Weidel)も「PC(政治的に正しい言葉使い)」に嫌気が差し、「あんなのは歴史のゴミ箱に葬るべき」と発言したから、マスコミの標的にされてしまった。ベアトリックス・フォン・ストーチ(Beatrix von Storch)も、BBCの番組に出演したとき、キャスターから吊し上げを食っていた。

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( 左 : フラウケ・ペトリー / 中央 : アリス・ワイダル /右 : ベアトリックス・フォン・ストーチ )

  他の党員と同じく、ホッケもマスコミの「タブー・コード(禁忌規則)」に叛旗を翻し、ドイツ人が心の底で思っている事を口にした。左翼ジャーナリストは彼をコテンパンに叩いていたが、ホッケはゲルマン人の男らしいコを備えており、リベラル派やユダヤ人の批判に屈しなかった。例えば、彼はドイツに建設されたホロコースト記念館を「恥ずべき遺物」と評していた。(Justin Huggler, "germany's new Hitler poised to lead AfD to regional elections gain", The Daily Telegraph, 27 October 2019.) ドイツや歐米のメディアは非難囂々だったけど、ホッケの見解は正しい。少なくとも、ユダヤ人の脅しに屈服するCDUの政治家と比べれば、遙かに立派じゃないか。ユダヤ人のシナゴーグ(礼拝の会堂)があるだけでも不愉快なのに、迫害されたことを大々的に宣伝する記念館なんて目障りだ。街の景観を損ねるばかりか、子供達の生育にも有害である。だいたい、なんでユダヤ人は“他国”に自分たちの記念物を設置しようとするのか。

Edouard Drumont 1(左 / エドワルド・デュルモン)
  そもそも、「ユダヤ人迫害」の原因はユダヤ人側にあって、異教徒のユダヤ人が昆虫みたいにドイツへ寄生したことが元兇だ。もし、ユダヤ人がロシアのポグロムを恐れて、外国に逃亡したいなら、逃避先はドイツやオーストリアじゃなく、イェルサレムがあるパレスチナに向かうべきだった。それなのに、ガリシア地方の賤民ときたら、“より良き生活”を求めて、西歐世界へと雪崩れ込んだ。これなら西歐各地で、根強い反ユダヤ主義が沸き起こったのも当然である。フランス人などは戦後、「ナチスに抵抗した善人」のフリをしていたが、彼らは昔からユダヤ人が大嫌いで、エドワルド・デュルモン(Édouard Drumont)が書いた『ユダヤ人ノフランス(Le France juive)』はベストセラーだったじゃないか。フランスの庶民はドイツ軍が忌々しいユダヤ人を排除してくれたら万々歳だった。「協力者(コラボ)」が多かったのも不思議じゃない。とにかく、ユダヤ人はヨーロッパから立ち去って、懐かしい中東アジアに戻り、アラブ人と“共生”しながら、適当に殺し合っていればいい。ユダヤ人は同類と喧嘩しながら暮らすのが自然である。

  今回の選挙で「台風の目」となったホッケは、演説集会に現れる度に、リベラル思想に抑圧されたドイツ国民を励まし、民族意識を鼓舞することで勝利を得た。選挙中、彼は聴衆に向かい「我々は我々なんだ ! (つまり、ゲルマン系ドイツ人という意味 / Wir sind Wir !)」とか、「我々は同じ民族なんだぞ ! (Wir sind das Volk !)、「私は自らが属する民族を愛する ! (Ich liebe mein Volk !)」と述べていた。こうしたキャッチフレーズを聞けば、集まったドイツ人が熱狂したのも納得が行く。ドイツは先祖代々「祖父の土地」に住むゲルマン民族の国家であり、人格と容姿が卑しいユダヤ人やアラブ人、何のゆかりも無いアフリカ黒人の国じゃない。一つの国家、一つの民族、一つの運命がドイツ人のモットーで、異人種との雑居と混淆、イスラム教やユダヤ教徒の共存なんて真っ平御免だ。ドイツ人にはドイツ人だけで楽しく暮らす権利がある。「永遠の放浪者」であるユダヤ人は、ドイツ人のナショナリズムに不満なら、さっさと荷物をまとめて故郷のイスラエルに“帰還”すればいい。イスラエル政府は世界各地に離散した「同胞」の帰りを待っているんだから。

民族の血と国家の大地

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(左 : ナチスが称讃したゲルマン系女性 / 右 : ナチスが増やそうとしたアーリア人の赤ん坊)

  鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクは、1888年2月6日の帝国議会で演説を行い、「我々ドイツ人は、天主以外の何者をも懼れない (Wir Deutsche fürchten Gott, aber sonst nichts in der Welt) 」と豪語た。しかし、現在のドイツ人はどうか? 懼れないのは天主の裁きだけで、自己批判を繰り返す左翼陣営や、歐米諸国の主要メディア、レイシズムを糾弾する人権屋からの抗議に遭えば、膝から崩れ落ちて土下座する。もっと情けないのは、隠然たる勢力を誇るユダヤ人から「仕置き」された時で、皇帝ハインリッヒ4世よりも卑屈な態度になってしまう。もし、民族派のドイツ人が「我々ははユダヤ人よりも遙かに美しく、何千倍も気高く、勇敢である !」なんて口にしたら、たちどころにユダヤ人から袋叩きだ。まるで、針の筵(むしろ)というより、釘で串刺しになる「鋼鉄の処女(中世の拷問器具 / Eiserne Jungfrau)」の中に閉じ込められたような状態になってしまうだろう。実際に殺されなくても、社会的地位(職業)と名声を一瞬で失うから、ドイツ人はどんなに愛国者でも決して本音を吐かないよう注意している。言論の自由があるのは日本だけだ。

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(左 : 陽気なユダヤ人青年 / 中央 : ユダヤ人の美女 / 右 : 敬虔なユダヤ人 )

  ドイツのみならず、ブリテン、フランス、デンマーク、ネーデルラント、スウェーデンでも保守的な国民の間でナショナリズムが芽生えているが、西歐人が滅多に口にできないのは、国家と結びついた人種についてである。基本的に西歐人は各地をうろつく遊牧民ではない。農業を基盤とする定住民族だ。交通機関が発達する前なら、結婚相手は近場の異性で、同じ種族の者同士で子孫を残すのが普通だった。今とは異なり、ユトランド半島の片田舎に住むデイン人の娘が、パキスタン出身のイスラム教徒や北アフリカ出身のアラブ人、あるいは西インド諸島からやって来たジャマイカ人と結婚するなんて想像できなかった。もしあったら一大事。両親はおろか、祖父母や親戚、友人、隣人がびっくりするし、親兄弟の誰もが「やめてくれ !」と号泣するに違いない。こうした「国際結婚」は衝撃的だから、「何があったのか?」と地元の新聞に載ってしまう程だ。

Winston Churchill 1(左 / ユダヤ人好きのウィンストン・チャーチル)
  昔のヨーロッパ人なら家系を重んじ、自分と同じような容姿の子孫を残そうとしたし、それが当たり前の「常識」だった。とりわけ、王侯貴族にとって血統は最重要課題で、黒人やアジア人との婚姻なんて御法度。たとえ、白人系のユダヤ人だって忌み嫌われていたんだから。一緒にディナーを取ることだって穢らわしく、ワインを片手に談笑というのも滅多に無かった。となれば、息子や娘の婚約相手なんか論外だ。しかし、イングランドの名門貴族、マールバラ公爵のチャーチル家は別だった。ランドルフとウィンストンはユダの金貨が大好き。失業中だったウィンストンはユダヤ人のパトロンから養われていたから、首相になった時、昔の恩返しをすべく、ヒトラーの和平交渉を一蹴り。ドイツのユダヤ人を救うためなら、同胞のイギリス兵を何十万も犠牲にしようが平気だった。(チャーチルの正体を説明すると長くなるので省略する。) この裏を知らないイギリス人は今でもチャーチル首相を「英雄」と思っている。どこの国にも馬鹿はいるものだ。

  ちなみに、ユダヤ人はアーリア人と結婚するのが大好きで、白人の女をモノにするのは一種のステータスになっている。例えば、不動産屋の倅(せがれ)であるジャレッド・クシュナー(jared Kushner)は、トランプ大統領の娘であるイヴァンカと結婚した。ベンジャミン・ネタニヤフ首相の息子であるヤイル・ネタニヤフ(Yair Netanyahu)も白人娘が大好き。2014年にはキリスト教徒の家庭で育ったノルウェー人女性のサンドラ・レイカンガー(Sandra Leikanger)と付き合ったし、翌年にはユダヤ系デンマーク人モデルのリー・レヴィー(Lee Levi)と交際していた。ユダヤ人は社会的に成功したり、裕福な家庭に生まれると、無性にヨーロッパ系白人女性と接近したがる。イスラエルの保守的ユダヤ教徒は口々に、「どうしてビビ(ベンジャミン)の倅は非ユダヤ人と付き合うんだ?」と不満を漏らしていたけど、ユダヤ人青年にとったらブロンドの「上等な女」を恋人にしただけだ。ハリウッドのユダヤ系女優を見渡せば分かるけど、人気藝人となるのは矢鱈と「歐洲系」が多い。ユダヤ人の男はユダヤ的容姿の女性に興味が無いらしい。

Yair Netanyahu 2Lee Levi 1Yair Netanyahu & Sandra Leikanger


(左 : ヤイル・ネタニヤフ / 中央 : リー・レヴィー / 右 : ネタニヤフとサンドラ・レイカンガー )

  敗戦後、ドイツ人はユダヤ人から悪魔の如く糾弾されたが、それは単に虐殺の対象にされたからではない。ユダヤ人が心の底からドイツ人を憎むのは、このゲルマン民族がセム種族の“肉体”を槍玉に挙げたからだ。優生学や人種衛生学を重視するナチスの理論家たちは、優秀なアーリア人が持つ遺伝子プールに、穢らわしい遺伝子が混入する事を恐れた。ドイツ人にとって、金髪碧眼の北方種族が「理想的な人間」である。だから、この容姿を醜くする、ユダヤ人の精子や卵子が赦せなかったのだ。ナチスを批判するフランス人だって、発言とは別に本音があって、白いケルト人の遺伝子を守りたいと思っているし、イギリス人も腹の中ではアングロ・サクソン人の容姿を保存したいと願っている。

  現在のヨーロッパ人やアメリカ人、および彼らの主張を鵜呑みにする日本人は、無意識のレイシストになっている。リヘラル派はアフリカ人やアラブ人、あるいはインド人やベンガル人などに同情しているが、これらの非ヨーロッパ人が持つ独自の美意識を決して認めようとしないのだ。彼らは無意識的に有色人種の容姿は醜いと思っている。例えば、ウガンダ人が大きな尻や太い腰を持つ女性を「綺麗」と思うことに違和感を感じているが、現地の黒人にしたら、艶のある黒い肌と脂肪が詰まった頑丈なボディーは魅力的なのだ。ホッテントットの女性は自分の性器を自慢して、他人に見せびらかしていた。一方、インド人女性はイギリス人のような白い肌に憧れ、高価な「美白クリーム」を買っているが、歐米の左翼がこれに触れないのは欺瞞だ。イスラエルの東歐系ユダヤ人は、「俺達は洗練された白人なんだ !」と自慢し、パレスチナ系ユダヤ人を褐色の田舎者と馬鹿にしていたけど、何故か、これは大きなニュースにならなかった。

  ヨーロッパのリベラル派や人権派というのは、「良心」を売り物にしているが、実際は、偽善的な差別主義者である。地球上には様々な種族が存在しているから、「絶対的な美」というものはない。あるのは、「相対的な美」くらいで、「別嬪」や「男前」というのは十人十色。ヨーロッパ人の基準や評価で他国の美意識を否定するのは間違っている。したがって、ドイツ人が自らの肉体を自慢しようが、そんなのは「手前味噌」にすぎず、目くじらを立てる程のものではない。品川や新橋で飲んでいるオヤジが「俺の娘は江戸一番の美女」と自慢したって、そんなのは親馬鹿の戯言(たわごと)だ。もし、こんな自慢を本気にして、「何だとぉぉ〜、それは外見差別になるぞ !」と噛みつくのは野暮天しかいないだろう。まともな大人は、「そうかい。良かったねぇ〜。確かに、娘さんはアンタと似ていないや!」と笑ってお終いである。これが解らないのは、大学でクルクルパーにされた優等生だけ。

ドイツ人にとっては素晴らしかった理論

Walther Darre 1( 左 / ヴァルター・ダレ)
  歐米諸国でも似たり寄ったりかも知れないが、日本の書店ではナチス時代のドイツを暗く描いた翻訳書や歴史書ばかり。北方種族のアーリア人を増やすべく、「生命の泉(Lebensborn)」計画を実行したハインリッヒ・ヒムラーや、「血と土」を強調したヴァルター・ダレ(Walther Darré)は評判が悪く、非人道的な政策を行った極悪人にされている。しかし、どうしてゲルマン系ドイツ人を増やすことが悪いのか? 日本政府は少子化を懸念し、若い女性に「もっと子供を産んで下さい !」と呼びかけ、出産手当とか育児手当、保育所の増設に教育の無償化などを実行している。しかし、誰もこれをネオ・ナチ政策とは言わないだろう。また、日本人が日本の国土を愛し、日本人の子孫を残しても異論は無いはずだ。日本に住み着く支那人や朝鮮人は「排外主義だ !」と激怒するが、そもそも日本は日本人の国で、アジア人が幸せになる為の国ではない。もし、優秀な支那人や朝鮮人がいるのであれば、彼らこそ真っ先に祖国へ戻り、国家の発展に寄与すべきだ。我々は下品な支那人とかヤクザの在日鮮人なんて要らないぞ。

Heinrich Himmler 1Heinrich Himmler 2Alfred Rosenberg 1

(左 : ハインリッヒ・ヒムラー / 中央 : ドイツ人少女とヒムラー  / 右 : アルフレート・ローゼンベルク)

  現在、大学やマスコミでは「多文化主義」や「多民族共生思想」が真っ盛りだが、ドイツの文化はドイツ人が維持・継承すべきで、移民労働者として居着いたトルコ人や、紛争を逃れて潜り込んだシリア人が担うものじゃない。ドイツ人を糾弾するイギリス人やオランダ人でも、自国の文化は先祖代々の子孫が受け継ぐべし、と考えているはずだ。ところが、中流階級はおろか、上流階級のドイツ人でも、左翼やユダヤ人の前では腰砕けとなり、ドイツ人の遺伝子プールを守るのは駄目、街から異邦人を追放することも厳禁、非西歐人との混血なら称讃、と悉く非ドイツ化政策が取られている。良識的な公民さえ、ドイツらしいドイツを存続させようとしないのだ。ところが、ユダヤ人は同胞の為なら何でもする。彼らはドイツに寄生するため、あるいは外国からやって来る仲間のため、民族主義に基づいて多文化主義とか人種的多様性を大宣伝。しかし、彼ら自身はアラブ人やアフリカ人と混血したがらないし、イスラエルはユダヤ人とユダヤ教のために建てられた民族国家であると断言してはばからない。テレビ局、新聞社、教育界、藝能界に陣取るユダヤ人は、示し合わせたかのように協力し合っているから、ある意味、立派というか狡猾である。

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(左 : ドイツ人の軍人 / 中央 : 軍服を着たドイツ人少女 / 右 : ナチス時代のドイツ人女性 )

  それなら、ドイツ人が自国をアーリア種族だけの国、つまり北方種族だけが幸せに暮らせる楽園にしたい、と考えてもいいんじゃないか。元々、ドイツ人が主体のゲルマン国家なんだから。サウジ・アラビアなんてサウド家の所有物だし、イランはシーア派のイスラム教で疑問を持たない。日本の歴史家は馬鹿の一つ覚えみたいにナチスを糾弾するが、もし、モザンビークやコンゴが黒人だらけの国家になったら、彼らはアフリカに渡って抗議デモを起こすのか? 日本の学者は日本国内に留まって、反抗する日本人を批判するだけだ。譬えて言えば、弱い後輩だけに威張り散らす不良と同じである。彼らは朝鮮高校の兇暴な不良の前だと、借りてきた仔猫のように「おとなしく」なり、因縁を付けられても「ニャンとも言えない」とばかりに無抵抗主義を貫く。情けないけど、これが和製知識人の実態である。

  日本の保守派は西歐人にペコペコしているが、白人のほとんどは「ハッタリ」が得意なだけの弱虫だ。だいたい、どうして西歐人は正直に「白人だらけの国がいい」と言えないのか? 自分の国なら、嫌いなユダヤ人やジプシーを叩き出してもいいはずだ。例えば、日本人の高校生が自分の部屋にアイドル歌手のポスターを貼ろうが、デス・メタルの音楽を聴こうが、ワンピースのフィギュア人形を飾ろうが、隣人は一向に構わない。なぜなら、自分の邸宅や敷地にある部屋じゃないからだ。ドイツ人はドイツ国内で、イギリス人はイングランド国内で、同胞だけと一緒に暮らす権利がある。そして、今を生きるドイツ人やイギリス人には、先祖から継承する血統を損なわず、きちんと子孫へ手渡す義務があるんじゃないか。祖父母と容姿が違う子孫なんて悲しすぎる。

Franz Boas 1Ashley Montagu 1(左 : フランツ・ボアズ / 右 : アシュリー・モンタギュー )
  西歐人は愛国心を尊び、国防を担う軍人は命に代えても祖国を護ると言い張る。が、丸腰の移民が来ると腑抜けになってしまうから、「見かけ倒しじゃないか」と軽蔑したくなる。民族の血筋や文化、国土を守ってこそ、真の国防だ。異人種との混血を許し、伝統文化の劣化を奨励し、さらに国境までも開放するなんて馬鹿げている。リベラル教育で洗脳されてしまったからしょうがないが、愛国者であれば日本の戦国武将のように鋼鉄の意志を持つべきだ。フランツ・ボアズ(Franz Boas)やアシュリー・モンタギュー(Ashley Montagu)のような文化人類学者は、「人種なんて社会的に構築されたもの」と宣伝するが、現実的には「人間の種類」は存在する。(ボアズとモンタギューは共にユダヤ人。

ちなみに、「モンタギュー」は偽名で、本名は「イスラエル・エレンバーグ」である。) 日本人ならせせら笑ってしまうが、ユダヤ人にはオーストラリアの「アボリジニ(原住民)」とアングロ・サクソン系の白人が“似たり寄ったり”の人種に見えるのか? 左翼学者は熱心に平等思想を宣伝するが、一般人は同族の者と一緒に暮らしたいと考えている。何よりも、祖国で気持ちよく生活できるなら「非科学的」でも「人工的」でもいいじゃないか。

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(左 : ドイツ人女優のヒルデガルト・クネフ / ナチスが理想としたアーリア系女性 / ユダヤ人フェミニストのベティー・フリーダン / 右 : イスラエルに住むユダヤ人女性 )

Arthur Gutt 01 (左 /アルトゥール・グート )

今では、ヴァルター・ダレやアルフレート・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)の主張は全面的に否定され、悪魔の思想となっているが、国家運営や国民の統合には非合理的な神話(宗教)や科学では解明できない国民の絆が必要なのだ。例えば、SS少将のアルトゥール・グート(Arthur Gütt)は、人種文化および遺伝担当の大臣アドヴァイザーを務めていて、ドイツ人の人種的遺伝が如何に神聖であるかを述べていた。

  ゲルマン貴族は自らの遺産を神聖な祖先の種から得ている。その血(生殖用の物質)は最も純粋な形で子孫に継承されねばならない。(Arthur Gütt, "Die Bedeutung von Blut und Boden für das deutsche Volk", Schriftenreihe des Reichsausschusses für Volksgesundheitsdienst, Vol. 4, Berlin : Reichsdruckerei, p.4.)

  また、『第20世紀の神話』で有名なローゼンベルクも、ゲルマン民族の血統に関して持論を述べていた。

  こんにち、新たな信仰、すなわち血の神話が勃興した。これは血を通して人間の神聖なる本質を守る信念である。(Alfred Rosenberg, Der Mythus des 20. Jahrhunderts, Munich, Hoheneichen Verlag, 1935,p.114.)

  親衛隊上級大佐のカール・モッツ(Karl Motz)も、「血と土」を強調する文章を書いていた。 

如何なる民族主義があろうとも、その基盤となるのは、我々の祖国にある聖なる地と血の関係である。(Karl Motz, Blut und Boden : die Grundlagen der deuschen Zukunft, Berlin, Zeitgeschichte Verlag, 1934, p.7.)

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(写真 / ドイツ人少女の歓迎を受けるヒトラー)

  これらの理論家よりも、さらに激しく糾弾されるのがドイツ総統のアドルフ・ヒトラーである。もちろん、この独裁者は戦争末期、自らの地位に固執し、多くのドイツ兵を無駄死にさせたから、徹底的に批判されねばならない。しかし、ナチスが行った人種政策はドイツ国民にとって、本当にマイナスであったのか? ヒトラーはゲルマン人らしいドイツ人を保存したいと望み、国家が必要とする健全な青少年を育成しようとした。また、ドイツ社会を破壊する共産主義を執拗に攻撃したが、これは本当に「悪い事」なのか? ヨーロッパ人は認めたくないだろうが、優生学はドイツ人のみならず、ブリテン、フランス、ネーデルラント、スウェーデンなどでも盛んで、当時としては国家のプラスになったはずだ。ヒトラーの『我が闘争』を読んでみると、意外にも「まっとうなこと」が書かれており、戦前のヨーロッパ人が持っていた本音を語っている。例えば、次のような箇所はイギリス人やアメリカ人でも賛同する人が多いはずだ。
  
  自然は雑種を好まない。特に、第三、第四、第五世代あたりの雑交の初期に生まれてくるものは、はなはだしく苦しまねばならない。かれらは本来最高の成分のもっている価値を、雑交によって失ってしまうのみならず、血の統一を欠いているために、生存一般のための意志力や決断力の統一をも欠いているのである。(アドルフ・ヒトラー 『わが闘争』 (下) 平野一郎・将積茂 訳 角川文庫 p.49)

 また、ヒトラーは優越人種が劣等種族と交わった場合の危険性についても述べていた。

  ・・・・その結果はまず、水準自体が低下するだろうが、さらに子孫が人種的に混血していない周囲のものに比して虚弱化するだろう。最もすぐれた人種の側からの血がそれ以上混入することを完全にさまたげられるならば、お互いに雑種同士の雑交をつづけることによって、雑種は自然によって抵抗力が低下させられるために死滅するか、あるいは幾千年かの間には種々雑多な雑交によって、本来の単一的な要素が完全に混合し、したがってその単一な要素がもはや認められないような新混血物が形成されるであろう。(上掲書 p.50)

  ・・・・最も神聖な人権はただ一つあるだけである。そして、この権利は同時に最も神聖な義務である。すなわち、それは最もすぐれた人類を保持することによって、人類のより尊い可能性を与えるために、血を純粋に保つよう配慮することである。それとともに民族主義国家は、人間と猿との間の生まれぞこないではなく、神の似姿を生むことを任務としている結婚に神聖さを与えるために、まず第一に、結婚を絶え間ない人種汚染の水準から高めてやらねばならない。(上掲書 pp.52-53.)

  戦前から1960年代まで、アメリカ社会において白人が黒人と結婚することは忌み嫌われていた。特に、南部だと一層顕著で、現在とは違い、民衆党の大物が熱烈な人種差別主義者であったことは周知の事実。例えば、リベラル派の長老だったロバート・バード(Robert Byrd)上院議員は、若い頃、KKKのウェスト・ヴァージニア支局に属していたし、ジョージア州の知事を務めたクリフォード・ウォーカー(Clifford Walker)とユージン・タルマッジ(Eugene Talmadge)は、黒人が大嫌いで、黒人の政治参加に猛烈な反対を示していた。アラバマ州にも沢山の白人至上主義者がいて、デイヴッド・グレイヴス(David Bibb Graves)知事や連邦最高裁のヒューゴ・ブラック(Hugo Black)判事は有名だ。彼らは共にKKKを支持。もちろん、こうした「レイシスト」はユダヤ人も大嫌い。アイヴィー・リーグの大学は、なるべくユダヤ人の学生を排除しようと様々な対策を講じていたものだ。

Claude Lanzmann 1(左 / クロード・ランズマン )
  ところが、日本の歴史学者は悉くユダヤ人や黒人の味方で、ドイツ史について論文を書けば、決まって追放されたユダヤ人に同情を寄せてしまう。蛸壺型の思考しかないから仕方がないが、別の角度、すなわち「ドイツ人の視点」でドイツ史を見ることができないのだ。要するに、彼らはユダヤ人学者の言説を繰り返しているだけ。そもそも、「ホロコースト」なる用語が、どのように定義されているのかよく解らない。日本の歴史学者は検死報告書や物的証拠も示さずに、都市伝説でしかない「ガス室殺人」を頭から信じている。フランスのユダヤ人で映画監督のクロード・ランズマン(Claude Lanzmann)が、様々なホロコースト生存者を集め、その証言を映像に収めて『ショアー(Shoah)』というドキュメンタリー・フィルムを制作したが、これらの証言はどれも「証拠」とはならない。なぜなら、法廷での宣誓証言でもなければ、反対尋問を受けた証言でもないからだ。偽証罪に問われず、気楽に話せる噂話を「真実」と称しているんだから、日本の学者は脳天気である。こんなヨタ話が信用されるなら、『週刊実話』の記事だって、みんな「真相」になってしまうじゃないか。

  まぁ、迫害や虐殺に遭ったユダヤ人は気の毒だが、久々にユダヤ人が消え去ったヨーロッパというのは結構気持ちがいい。ユダヤ人やクルクル左翼が記す歴史本には、「可哀想なユダヤ人」という“お涙頂戴”話が満ちあふれているけど、当時のドイツ人からすれば、「あの穢らわしい賤民が居なくなってせいせいした」という気分であった。それに、当時のドイツ人労働者はヒトラーの経済政策により、惨めだった生活水準が向上したし、ゲルマン人だけが暮らす住宅地も建設されて大喜び。イギリス人だって羨むほどだ。現在、戦勝国になったはずのブリテンには、ユダヤ人が政財界にウジャウジャいて、アングル系やケルト系の国民は密かに嘆いたり、憤慨したりと気分が優れない。したがって、「こんな風になるなら、ナチ・ドイツに占領された方がマシだ」と言いたくなるイギリス人の“ぼやき”も分かる。

Michael Levy 2Jack Straw 3Ed Miliband 1David Miliband


(左 : マイケル・レヴィー / ジャック・ストロー / エド・ミリバンド / 右 : デイヴィッド・ミリバンド )

ブリテンの政界はユダヤ・マネーに汚染され、誰も彼もが親イスラエル派だ。多民族共存が実現したブリテン島には、「イギリス人」の振りをするユダヤ人議員が普通にいて、中には「愛国者」を演じることで国民を騙そうとする奴がいる。保守党を見てもユダヤ人が多いし、労働党を見回してもユダヤ人が目につく。例えば、トニー・ブレアのパトロンはマケイル・レヴィー(Michael Levy)だし、外務大臣のジャック・ストロー(Jack Straw)は移民賛成派で、バーバラ・ロッシュ(Barbara Roche)に至っては確信犯的移民推進派であった。労働党の代表になったエドワード・ミリバンドと兄のデイヴィッドは親譲りのマルキスト極左ときている。一方、保守党にはマイケル・ハワード(Michael Howard)やマイケル・リフキンド(Michael Rifkind)のようなユダヤ人が多い。でも、一番腹立たしいのは、下院議長席に腐敗の帝王、ジョン・バーコウ(John Bercow)が坐っていることだ。 焼肉屋じゃあるまいし、あっちでジュージュー、こっちでジュウジュウの状態なんだから、イギリス人だと目眩がしてくる。

Barbara Roche 11John Bercow 1Michael Howard 2Michael Rifkind 1

(左 : バーバラ・ロッシュ / ジョン・バーコウ / マイケル・ハワード / 右 : マイケル・リフキンド )

  ドイツ内外にヒトラーのユダヤ人迫害を非難するドイツ人がいるのは分かるが、彼らは北方種族のゲルマン人を増やした廉でヒトラーを譴責するのか? 現在、ブリテンやフランス、ネーデルラント、スウェーデンでは、移民や難民の有色人種が雪崩れ込んでしまい、深刻な「多民族社会」となっている。そこで、もしも、イングランドやデンマークからアジア人やアフリカ人が一掃され、白人だらけの国家となったら、どのような現象が起きるのか? まさか、リベラル派の白人が大量に逃げ出し、各地で不動産価格が下落するとは考えにくいし、一般国民が嘔吐を催すとも思えない。むしろ、人気の移住先となるんじゃないか。例えば、アメリカやカナダからこぞって白人が流入し、国籍取得を希望するかも知れないぞ。西歐人は決して口にしないが、ユダヤ人はお金の臭いに敏感だから、イスラエルからも不動産業者が参入し、猛烈な「土地転がし」が発生する可能性だってある。白人用の高級住宅地となれば結構な儲けになるし、建築業者や開発業者になればもっと儲かるから、このチャンスを見逃す手はない。巨額の資金を調達できるユダヤ人だと、ライバルを蹴落とすことが出来るから、かなり有利だ。

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(左 : ナチス時代のドイツ人少年 / 中央 : ナチス時代のドイツ人少女 / 右 : 現代のゲルマン系西歐人女性)

  とにかく、ドイツを破滅に陥れたヒトラーを批判するのは構わない。しかし、ヒトラーがしたことを全て否定することは間違いだ。例えば、もしヒトラーがキリスト教を保護したり、「ヨーロッパの文化だから大切にせよ」と発言したら、アメリカ人はキリスト教を邪教と考え、「ネオ・ナチ好みの宗教だ」と毛嫌いするのか? また、もしも、ナチ党が軍人魂を称讃し、「祖国のために命を懸けることは崇高な行為だ !」と宣伝したら、ヨーロッパ人は尚武の精神をゴミ箱に捨てるのか? キリスト教や勇敢な行為はナチスがなんと言おうとも尊い。「善いもの」は誰が口にしても「善いもの」だし、悪事はイギリス人やアメリカ人が行っても正当化されるものではない。

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(左 : ドイツ人少女と面会するヒトラー / 右 : 健全なドイツ人少女たち)

  自国の生活環境を良くするためなら、タカリ賤民のユダヤ人や、不愉快な移民・難民を追放しても非難されるべきことではないだろう。第一、ユダヤ人には同胞が暮らすイスラエルがあるじゃないか。アフリカ難民は元々「避難民」なんだから、永住せずにさっさとアフリカへ戻り、どこかの国で農作業でもすればいい。あれだけ広大な地域なら、ブッシュマンみたいに暮らせるはずだ。もし、それが厭なら、パプア・ニューギニアとかフィリピンに移住する選択肢もあるじゃないか。ヨーロッパの左翼は自国の保守派ばかり責めているが、「上等な先進国」を意図的に目指す移民や難民を批判しないのはおかしい。アフリカ難民は他のアフリカ諸国が受け容れるべきだし、シリア難民とかイラク難民は、イスラム教国のサウジ・アラビアとかヨルダン、イランなどが率先して保護すべきである。異邦人を排斥したい保守派は、もっと強靱な精神を持つべきだ。先祖から受け継いだ国家と将来を担う子孫を考えれば、左翼からの苦情・罵声など「ウサギの糞」程度じゃないか。左翼分子は敵の弱点を突くのが上手い。真の愛国者は「ネオナチ」とか「極右」といったレッテルを恐れず、自分の血統をなるべく純粋に保ち、生まれ育った郷土を「自分たちの国」とすべきである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html

9. 中川隆[-13248] koaQ7Jey 2020年4月10日 20:05:21 : sfbpU46eAE : ZG5QWVdwY0dyRG8=[-10] 報告

『山本太郎から見える日本』から - 内田樹の研究室 2020-04-10
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

山本太郎の起こしているムーヴメントは、たとえばスペインのポデモスや、アメリカのバーニー・サンダース、オカシオ゠コルテスなどが巻き起こしているオルタナティヴな運動とリンクしていると考えていいでしょうか?

内田 リンクしていると思います。ただそれは、よそでこういう実践があったから、それを模倣しようということではないと思います。世界同時多発的に起きるんです、こういうものは。

いま世界のどこも反民主主義的で、強権的な政治家が成功しています。アメリカのトランプも、ロシアのプーチンも、中国の習近平も、トルコのエルドアンも、フィリピンのドゥテルテも。非民主的な政体と市場経済が結びついた「政治的資本主義」が成功している。

 中国がその典型ですけれど、独裁的な政府が、どのプロジェクトにどんなリソースを集中すべきか一元的に決定できる。民間企業も軍部も大学も、党中央の命令には服さなければいけない。巨視的なプランを手際よく実行するためには、こちらの方が圧倒的に効率がよい。

民主国家では、民間企業や大学に対して、政府のプロジェクトに全面的に協力しろというようなことは要求できませんから。非民主的な国なら、政府のアジェンダに反対する人たちは強権的に黙らせられるし、人権も制約できるし、言論の自由も抑え込める。だから、短期的な成功を目指すなら「中国モデル」は魅力的です。日本の安倍政権も、無自覚ですけれど、中国やシンガポールのような強権政治にあこがれている。だから、国内的にはそれに対するアンチが出て来る。日本の場合は、それが山本太郎だったということなんじゃないですか。

10. 中川隆[-13010] koaQ7Jey 2020年4月22日 20:13:41 : 13OAtnQgho : d2VxeFFzSXBVMTI=[29] 報告
コロナ後の世界、「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点- 内田樹の研究室 2020-04-22
http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html


―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。

内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。

 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制に成功しました。逆に、アメリカはトランプ大統領が秋の大統領選での再選という自己都合を優先させて、感染当初は「まったく問題ない」と言い張って初動に大きく後れを取り、感染が広がり出してからは有権者受けを狙った政策を連発しました。科学的で巨視的な対策を採れなかった。

 この差は、コロナ禍が終息した後の「アメリカの相対的な国威の低下」と「中国の相対的な国威の向上」として帰結すると予測されます。パンデミックを契機に、国際社会における米中のプレゼンスが逆転する。

 中国は新型コロナウイルスの発生源になり、初期段階では情報隠蔽や責任回避など、非民主的体制の脆さを露呈しましたが、党中央が仕切るようになってからは、強権的な手法で一気に感染拡大を抑え込んだ。それだけではなくて、中国は他国の支援に乗り出した。中国はマスクや検査キットや人工呼吸器や防護服などの医療資源の生産拠点です。どの国も喉から手が出るほど欲しがっているものを国内で潤沢に生産できる。このアドバンテージを利用して、習近平は医療支援する側に回った。

 イタリアは3月初旬に医療崩壊の危機に瀕しました。支援を要請しましたがEUの他のメンバーは反応してくれなかった。中国だけが支援を申し出た。人工呼吸器、マスク、防護服を送りました。これでイタリア国民の対中国評価は一気に上がった。知り合いのイタリア人も「いま頼りになるのは中国だけだ」と言っていました。

 もちろん中国も国益優先です。でも、トランプは秋の大統領選までのことしか考えていないけれど、習近平はこれから5年先10年先の地政学的地位を見越して行動している。短期的には「持ち出し」でも、長期的にはこの出費は回収できると見越して支援に動いた。この視野の広さの差がはっきりした。コロナ禍への対応を通じて、中国は国際社会を支える能力も意志もあることを明示し、アメリカは国際社会のリーダーシップを事実上放棄した。コロナ禍との戦いはこれから後も場合によっては1年以上続くかも知れませんが、アメリカがどこかで軌道修正をしないと、これ以後の国際協力体制は中国が指導することになりかねない。

―― 今回、中国の成功と米国の失敗が明らかになった。それが「コロナ以後」の政治体制にもつながってくるわけですね。

内田 そうです。今後、コロナ禍が終息して、危機を総括する段階になったところで、「米中の明暗を分けたのは政治システムの違いではないか」という議論が出て来るはずです。

 米中の政治システムを比較してみると、まず中国は一党独裁で、血みどろの権力闘争に勝ち残った人間がトップになる。実力主義の競争ですから、無能な人間がトップになることはまずない。それに対してアメリカの有権者は必ずしも有能な統治者を求めていない。アレクシス・ド・トクヴィルが洞察した通り、アメリカの有権者は自分たちと知性・徳性において同程度の人間に親近感を覚える。だからトランプのような愚鈍で徳性に欠けた人間が大統領に選ばれるリスクがある。トクヴィルの訪米の時のアメリカ大統領はアンドリュー・ジャクソンでインディアンの虐殺以外に見るべき功績のない凡庸な軍人でしたが、アメリカの有権者は彼を二度大統領に選びました。さいわいなことに、これが中国だったら致命的なことになりますが、アメリカは連邦制と三権分立がしっかり機能しているので、どれほど愚鈍な大統領でも、統治機構に致命的な傷を与えることはできない。

 少なくとも現時点では、アメリカン・デモクラシーよりも、中国的独裁制の方が成功しているように見える。欧州や日本でも、コロナに懲りて、「民主制を制限すべきだ」と言い出す人が必ず出てきます。

 中国はすでに顔認証システムなど網羅的な国民監視システムを開発して、これをアフリカやシンガポールや中南米の独裁国家に輸出しています。国民を監視・管理するシステムにおいて、中国はすでに世界一です。そういう抑圧的な統治機構に親近感を感じる人は自民党にもいますから、彼らは遠からず「中国に学べ」と言い始めるでしょう。


■なぜ安倍政権には危機管理能力がなかったのか

―― そのような大勢のなかで日本の状況はどう見るべきですか。

内田 日本はパンデミックの対応にははっきり失敗したと言ってよいと思います。それがどれくらいの規模の失敗であるかは、最終的な感染者・死者数が確定するまでは言えませんが、やり方を間違えていなければ、死者数ははるかに少なく済んだということになるはずです。

 東アジアでは、ほぼ同時に、中国、台湾、韓国、日本の4か国がコロナ問題に取り組みました。中国はほぼ感染を抑え込みました。台湾と韓国は初動の動きが鮮やかで、すでにピークアウトしました。その中で、日本だけが、感染が広まる前の段階で中国韓国やヨーロッパの情報が入っているというアドバンテージがありながら、検査体制も治療体制も整備しないで、無為のうちに二カ月を空費した。準備の時間的余裕がありながら、それをまったく活用しないまま感染拡大を迎えてしまった。

―― なぜ日本は失敗したのですか。

内田 為政者が無能だったということに尽きます。それは総理会見を見れば一目瞭然です。これだけ危機的状況にあるなかで、安倍首相は官僚の書いた作文を読み上げることしかできない。自分の言葉で、現状を説明し、方針を語り、国民に協力を求めるということができない。

 ドイツのメルケル首相やイギリスのボリス・ジョンソン首相やニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事はまことに説得力のあるメッセージを発信しました。それには比すべくもない。

 安倍首相は国会質疑でも、記者会見でも、問いに誠実に回答するということをこれまでしないで来ました。平気で嘘をつき、話をごまかし、平気で食言してきた。一言をこれほど軽んじた政治家を私はこれまで見たことがありません。国難的な状況では決して舵取りを委ねてはならない政治家に私たちは舵取りを委ねてしまった。それがどれほど日本に大きなダメージを与えることになっても、それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。

 感染症対策として、やるべきことは一つしかありません。他国の成功例を模倣し、失敗例を回避する、これだけです。日本は感染拡大までタイムラグがありましたから、中国や台湾、韓国の前例に学ぶ時間的余裕はあったんです。しかし、政府はそれをしなかった。

 一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。最悪の事態に備えてしまうと最悪の事態を招待するかも知れないから、何もしないことによって最悪の事態の到来を防ごうとしたのです。これは日本人に固有な民族誌的奇習です。気持ちはわからないでもありませんが、そういう呪術的な思考をする人間が近代国家の危機管理に当るべきではない。

 先行する成功事例を学ばなかったもう一つの理由は安倍政権が「イデオロギー政権」だからです。政策の適否よりもイデオロギーへの忠誠心の方を優先させた。だから、たとえ有効であることがわかっていても、中国や韓国や台湾の成功例は模倣したくない。野党も次々と対案を出していますが、それも採用しない。それは成功事例や対案の「内容」とは関係がないのです。「誰」が出した案であるかが問題なのです。ふだん敵視し、見下しているものたちのやることは絶対に模倣しない。国民の生命よりも自分のイデオロギーの無謬性方が優先するのです。こんな馬鹿げた理由で感染拡大を座視した国は世界のどこにもありません。

 安倍政権においては、主観的願望が客観的情勢判断を代行する。「そうであって欲しい」という祈願が自動的に「そうである」という事実として物質化する。安倍首相個人においては、それは日常的な現実なんだと思います。森友・加計・桜を見る会と、どの事案でも、首相が「そんなものはない」と宣告した公文書はいつのまにか消滅するし、首相が「知らない」と誓言したことについては関係者全員が記憶を失う。たぶんその全能感に慣れ切ってしまったのでしょう、「感染は拡大しない。すぐに終息する」と自分が言いさえすれば、それがそのまま現実になると半ば信じてしまった。

 リスクヘッジというのは「丁と半の両方の目に張る」ということです。両方に張るわけですから、片方は外れる。リスクヘッジでは、「準備したけれど、使わなかった資源」が必ず無駄になります。「準備したが使用しなかった資源」のことを経済学では「スラック(余裕、遊び)」と呼びます。スラックのあるシステムは危機耐性が強い。スラックのないシステムは弱い。

 東京五輪については「予定通りに開催される準備」と「五輪が中止されるほどのパンデミックに備えた防疫対策策の準備」の二つを同時並行的に行うというのが常識的なリスクヘッジです。五輪準備と防疫体制のいずれかが「スラック」になる。でも、どちらに転んでも対応できた。

 しかし、安倍政権は「五輪開催」の一点張りに賭けた。それを誰も止めなかった。それは今の日本の政治家や官僚の中にリスクヘッジというアイディアを理解している人間がほとんどいないということです。久しく費用対効果だとか「ジャストインタイム」だとか「在庫ゼロ」だとかいうことばかり言ってきたせいで、「危機に備えるためには、スラックが要る」ということの意味がもう理解できなくなった。

 感染症の場合、専門的な医療器具や病床は、パンデミックが起きないときにはほとんど使い道がありません。だから、「医療資源の効率的な活用」とか「病床稼働率の向上」とかいうことを医療の最優先課題だと思っている政治家や役人は感染症用の医療準備を無駄だと思って、カットします。そして、何年かに一度パンデミックが起きて、ばたばた人が死ぬのを見て、「どうして備えがないんだ?」とびっくりする。


■コロナ危機で中産階級が没落する

―― 日本が失敗したからこそ、独裁化の流れが生まれてくる。どういうことですか。

内田 日本はコロナ対応に失敗しましたが、これはもう起きてしまったことなので、取り返しがつかない。われわれに出来るのは、これからその失敗をどう総括し、どこを補正するかということです。本来なら「愚かな為政者を選んだせいで失敗した。これからはもっと賢い為政者を選びましょう」という簡単な話です。でも、そうはゆかない。

 コロナ終息後、自民党は「憲法のせいで必要な施策が実行できなかった」と総括すると思います。必ずそうします。「コロナ対応に失敗したのは、国民の基本的人権に配慮し過ぎたせいだ」と言って、自分たちの失敗の責任を憲法の瑕疵に転嫁しようとする。右派論壇からは、改憲して非常事態条項を新設せよとか、教育制度を変えて滅私奉公の愛国精神を涵養せよとか言い出す連中が湧いて出て来るでしょう。

 コロナ後には「すべて憲法のせい」「民主制は非効率だ」という言説が必ず湧き出てきます。これとどう立ち向かうか、それがコロナ後の最優先課題だと思います。心あるメディアは今こそ民主主義を守り、言論の自由を守るための論陣を張るべきだと思います。そうしないと、『月刊日本』なんかすぐに発禁ですよ。

―― 安倍政権はコロナ対策だけでなく、国民生活を守る経済政策にも失敗しています。

内田 コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。民主主義の土台になるのは「分厚い中産階級」です。しかし、新自由主義的な経済政策によって、世界的に階級の二極化が進み、中産階級がどんどん痩せ細って、貧困化している。

 コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。ささやかながら自立した資本家であった市民たちが、労働以外に売るものを持たない無産階級に没落する。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです。食い止めようと思うならば、政策的に中産階級を保護するしかありません。

 野党はどこも「厚みのある中産階級を形成して、民主主義を守る」という政治課題については共通しているはずです。ですから、次の選挙では、「中産階級の再興と民主主義」をめざすのか「階層の二極化と独裁」をめざすのか、その選択の選挙だということを可視化する必要があると思います。

―― 中産階級が没落して民主主義が形骸化してしまったら、日本の政治はどういうものになるのですか。

内田 階層の二極化が進行すれば、さらに後進国化すると思います。ネポティズム(縁故主義)がはびこり、わずかな国富を少数の支配階層が排他的に独占するという、これまで開発独裁国や、後進国でしか見られなかったような政体になるだろうと思います。森友問題、加計問題、桜を見る会などの露骨なネポティズム事例を見ると、これは安倍政権の本質だと思います。独裁者とその一族が権力と国富を独占し、そのおこぼれに与ろうとする人々がそのまわりに群がる。そういう近代以前への退行が日本ではすでに始まっている。


■民主主義を遂行する「大人」であれ!

―― 今後、日本でも強権的な国家への誘惑が強まるかもしれませんが、それは亡国への道だという事実を肝に銘じなければならない。

内田 確かに短期的なスパンで見れば、中国のような独裁国家のほうが効率的に運営されているように見えます。民主主義は合意形成に時間がかかるし、作業効率が悪い。でも、長期的には民主的な国家のほうがよいものなんです。

 それは、民主主義は、市民の相当数が「成熟した市民」、つまり「大人」でなければ機能しないシステムだからです。少なくとも市民の7%くらいが「大人」でないと、民主主義的システムは回らない。一定数の「大人」がいないと動かないという民主主義の脆弱性が裏から見ると民主主義の遂行的な強みなんです。民主主義は市民たちに成熟を促します。王政や貴族政はそうではありません。少数の為政者が賢ければ、残りの国民はどれほど愚鈍でも未熟でも構わない。国民が全員「子ども」でも、独裁者ひとりが賢者であれば、国は適切に統治できる。むしろ独裁制では集団成員が「子ども」である方がうまく機能する。だから、独裁制は成員たちの市民的成熟を求めない。「何も考えないでいい」と甘やかす。その結果、自分でものを考える力のない、使い物にならない国民ばかりになって、国力が衰微、国運が尽きる。その点、民主主義は国民に対して「注文が多い」システムなんです。でも、そのおかげで復元力の強い、創造的な政体ができる。

 民主主義が生き延びるために、やることは簡単と言えば簡単なんです。システムとしてはもう出来上がっているんですから。後は「大人」の頭数を増やすことだけです。やることはそれだけです。

―― カミュは有名な小説『ペスト』のなかで、最終的に「ペストを他人に移さない紳士」の存在に希望を見出しています。ここに、いま私たちが何をなすべきかのヒントがあると思います。

内田 『ペスト』では、猛威を振るうペストに対して、市民たち有志が保健隊を組織します。これはナチズムに抵抗したレジスタンスの比喩とされています。いま私たちは新型コロナウイルスという「ペスト」に対抗しながら、同時に独裁化という「ペスト」にも対抗しなければならない。その意味で、『ペスト』は現在日本の危機的状況を寓話的に描いたものとして読むこともできます。

 『ペスト』の中で最も印象的な登場人物の一人は、下級役人のグランです。昼間は役所で働いて、夜は趣味で小説を書いている人物ですが、保健隊を結成したときにまっさきに志願する。役所仕事と執筆活動の合間に献身的に保健隊の活動を引き受け、ペストが終息すると、またなにごともなかったように元の平凡な生活に戻る。おそらくグランは、カミュが実際のレジスタンス活動のなかで出会った勇敢な人々の記憶を素材に造形された人物だと思います。特に英雄的なことをしようと思ったわけではなく、市民の当然の義務として、ひとつ間違えば命を落とすかもしれない危険な仕事に就いた。まるで、電車で老人に席を譲るようなカジュアルさで、レジスタンスの活動に参加した。それがカミュにとっての理想的な市民としての「紳士」だったんだろうと思います。

「紳士」にヒロイズムは要りません。過剰に意気込んだり、使命感に緊張したりすると、気長に戦い続けることができませんから。日常生活を穏やかに過ごしながらでなければ、持続した戦いを続けることはできない。

「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。私はそう思います。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html

11. 2020年7月09日 06:05:46 : Mu0g15Rjmc : aWloQXY0NTNQc0U=[6] 報告
 日本のT4作戦
2018年09月28日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-492.html

 T4作戦とは、第二次大戦中にナチスドイツで行われた、国益の足を引っ張る障害者を社会から排除するというスローガンの下、少なく見積もって20〜40万人の障害者(ダウン症など知的障害者・精神障害者・身体障害者)が、ガス室で殺戮された事実である。

ナチスのポスター「この遺伝的欠陥を持つ人間の一生に6万ライヒマルクもかかる。それは他ならぬ君の金だ。考えろ」

 t42.jpg

 https://ameblo.jp/manabist-column/entry-12185614065.html

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb700.html

https://mainichi.jp/articles/20170131/k00/00e/030/250000c

 http://archive.fo/4sbXO

 灰色のバスが、知的障害児童を施設から連れ出し、ハルトハイム城に向かった。
 ガス室に連れ込まれる順番を待つ子供たち

T41.jpg


 一昨年、2月、津久井やまゆり園を襲って、一人で19名を殺害した、植松聖は、手紙や主張などで、「自分にナチスが降りてきた」と語り、日本において、自分が国益のためT4作戦を実行してみせたと考えていることが明らかになった。

  https://matome.naver.jp/odai/2146958950639897101

 麻生太郎は、以前から、「ナチスの手口を学べ」と講演会で公言し、ブルガリアでは、老人たちは国に負担をかけずに早く死ぬべきだと発言し、老人を敬愛する習慣のある現地の人々を驚愕させてみせた。

 https://www.youtube.com/watch?v=vFN7eTucz-U

 それでは、麻生太郎や植松聖、以前に、日本に、そうしたT4作戦の「国に負担をかける障害者や高齢者を抹殺する」という思想がなかったのか?
 といえば、あった!
 それが、昨年から激しく問題にされている、障害者に対する強制不妊手術問題である。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180928-00000047-asahi-soci

 https://www.mag2.com/p/news/348601

 https://mainichi.jp/articles/20180222/k00/00m/040/115000c

 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4122/

 これは、妊婦への強制堕胎も含んでいるので、まさにT4作戦と同じ「殺人行為」といってもよい。不妊手術の対象になったのは、分かっている限り、上のリンクにある通り9歳の少女に対して強制された。

 この思想もまた、国家によって、「国に役立たない障害者を抹殺する」というT4作戦と本質的にまったく同じものである。
 戦後民主主義が導入されててから行われた、この強制不妊手術の犠牲者は、少なくとも3000名以上であり、まさに「日本のT4作戦」というべきである。

 戦後、この政策は「優生保護法」という法律によって行われたのだが、これを推進したのは、ゴリゴリの国家主義者ばかりでなく、むしろ、人権の重さを訴えたはずの左派系の、社会党議員なども含まれている。
 戦争当時の、「日本一番」の競争主義が、どれほど人々を残酷に洗脳していたかを思い知らされるのである。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E4%BD%93%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-78.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-317.html

 戦後の優生保護法においては、戦後の治安組織の喪失・混乱や復員による過剰人口問題、強姦による望まぬ妊娠の問題を背景にし、革新系の女性議員にとっては、妊娠中絶の完全な合法化させるための手段である側面があった。1946年(昭和21年)4月10日に行われた戦後初の選挙である第22回衆議院議員総選挙で当選した革新系の女性議員らは、第1回国会において国民優生法案を提出した。日本社会党の福田昌子、加藤シヅエといった革新系の政治家は母胎保護の観点から多産による女性への負担や母胎の死の危険もある流産の恐れがあると判断された時点での堕胎の選択肢の合法化を求めた。

彼女らは死ぬ危険のある出産は女性の負担だとして人工中絶の必要性と合法化を主張していた。加藤などは外国の貧民街を見て帰国直後の1922年には社会運動に理解のあった夫と日本で産児調節運動を開始していた。石本静枝として産児制限運動を推進するなど母胎保護には望まぬ出産への中絶の権利や母胎への危険のある出産を阻止する方法が女性に必要だと訴えていた
 (ウィキ引用)

 しかし、優性保護=母体保護法を根拠として日本政府が行ったのは、望まぬ出産を強いられる妊婦の保護ではなく、日本政府の足を引っ張る障害者、非健全者を生まれる前から排除するための不妊手術の強要であった。

 この発想の根底には、戦前の「天皇を頂点とする国家のために日本国民が存在する」という国体論の民衆への強要があり、それは、今でも形を変えて続いていて、そもそも天皇制や死刑制度は、まさに「日本国天皇と国民は一体の国体」という国家主義のために存在するのである。

 日本国家などという、そもそも存在理由のない、空虚な妄想を、あたかも万古からの実体であるかのように国民を洗脳するために、天皇万世一系論や、国家に反逆した国民を殺戮するという死刑制度が強固に守られている現実に気づくべきである。
 国家が必要なくなれば、天皇も死刑も必要ないのである。
 
 「優性保護」=日本国の未来のために優秀な種だけ残して、障害者を抹殺するという思想は、まさしく、この国家主義の必然的延長であることを知らなければならない。
 逆にいえば、天皇制や死刑制度ある限り、T4作戦は生き続けるのである。

 私は、かつてタクシー運転手時代に、ダウン症の親子を施設に送る送迎を多くこなしたが、たくさんの障害家庭を見て、不幸な印象を持つような家庭がまったくないことに気づいた。
 むしろ、みんな本当に幸福そうな家庭ばかりで、親も実に思慮深い、穏やかな人相であり、彼らが障害児童によって人生を困難にされているどころか、実際には、その逆で、障害者を育てることによって、人間として大きな幸福を得ているのだと感じたのである。

 この世が、優性保護主義者の求める通り「優秀な人間」ばかりであったなら、社会は、どのようになったか、考えるべきである。
 おそらく、何もかも、競争や優秀という観念に束縛されて、心の安まる暇のない、地獄のような自殺社会が生まれていたに違いない。

 私が若いころ関わった「ヤマギシズム」の創始者である山岸巳代蔵もまた、優性保護思想の悪影響を受けていて、「優れた若者を育てる」という発想から自由ではなかった。
 このことが、ヤマギシ社会の現在に暗い影を落としている。

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 人生には山あり谷あり、この地球の上には、まったく同じ平等な人間が住んでいるのであって、特別に優秀である必要もなければ、一番になる必要もない。
 せいぜい許されるのは、「より良い」程度の価値観であろう。
 もしも、絶対的な優劣を求めるなら、それはT4作戦に向かうしかなく、優性保護に向かうしかなく、障害者を殺戮し、少女たちを不妊化させるしかないのである。

 問題は、「優秀でありたい」 優越感の座布団にくるまっていい気分でいたいというは発想なのである。
 これが、どこから生まれるかといえば、幼い頃からの競争の強要であり、子供たちに優秀病のトラウマ=強烈なコンプレックスを植え付けた洗脳からなのだ。
 子供たちには、人を蹴落として自分が一番になる発想ではなく、みんなで手を取り合い、認め合い、人間には誰でも、地位や蓄財とは無関係に、長所と短所を同量持っている事実を理解させることなのである。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-492.html

12. 2020年7月21日 10:07:08 : NKWW1U9Yak : NU9jdXVOR0hvSFE=[3] 報告
T4作戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6

T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)は、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策である。

1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は継続された。「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地[# 1]」(現在同地にはベルリン・フィルハーモニーがある)を短縮したもので[1]、第二次世界大戦後に付けられた組織の名称である[2]。

一次資料にはE-Aktion(エー・アクツィオーン)〔E作戦〕、もしくはEu-Aktion(オイ・アクツィオン) の名称が残されている。この作戦の期間中の犠牲者は、公式な資料に残されているだけでも7万273人に達し[3]、その後も継続された安楽死政策により、後述の「野生化した安楽死」や14f13作戦によるものも含めると15万人から20万人以上が犠牲になったと見積もられている[4]。

社会ダーウィニズムに基づく優生学思想は、ドイツでは第一次世界大戦以前からすでに広く認知されており、1910年代には「劣等分子」の断種や、治癒不能の病人を要請に応じて殺すという「安楽死」の概念が生まれていた[5]。1920年には、法学博士で元ライプチヒ大学学長のカール・ビンディング(ドイツ語版)と医学博士・フライブルク大学教授で精神科医のアルフレート・ホッヘ(ドイツ語版)により、重度精神障害者などの安楽死を提唱した「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」が出版されている。1930年代になると優生学に基づく断種が議論されるようになり、1932年7月30日にはプロイセン州で「劣等分子」の断種にかかわる法律が提出されている[6]。

ナチ党の権力掌握後、「民族の血を純粋に保つ」というナチズム思想に基づいて、遺伝病や精神病者などの「民族の血を劣化させる」「劣等分子」を排除するべきであるというプロパガンダが開始された。このプロパガンダでは遺伝病患者などにかかる国庫・地方自治体の負担が強調され、これを通じてナチス政権は「断種」や「安楽死」の正当性を強調していった[3]。1933年7月14日には「遺伝病根絶法(ドイツ語版)[# 2]」が制定され、断種が法制化された[7]。

1938年から1939年にかけて、重度の身体障害と知的障害を持つクナウアーという少年の父親が、少年の「慈悲殺」を総統アドルフ・ヒトラーに訴えた。この訴えを審議したナチ党指導者官房長のフィリップ・ボウラーと親衛隊軍医のカール・ブラントは、その後の安楽死政策の中心人物となった[8]。この訴えは後に「私は告発する(ドイツ語版)」という安楽死政策の正当化を訴えるプロパガンダ映画のもととなった[8]。


カール・ビンディング

アルフレート・ホッヘ

フィリップ・ボウラー


カール・ブラント

「T4」による安楽死政策

1939年に明文化されたT4作戦の命令書。“党指導者ボウラー氏と医師ブラント博士に、病気の状態が深刻で治癒できない患者を安楽死させる権限を与える。―アドルフ・ヒトラー”
1939年9月1日、ヒトラーは日付の記されていない秘密命令書を発令し、指定の医師が「不治の患者」に対して「慈悲死[# 3]」を下す権限を委任する責任をもつ、「計画の全権委任者[# 4]」としての地位をボウラーとブラントに与えた[9][8]。ヒトラーは10月末日にこの命令書に署名している[10]。この措置は明文化された法律によるものではなく、根拠法をもたなかった[11]。法務省は1939年8月11日には死の幇助と「生きるに値しない命の根絶」を関連づけた法律を準備し、総統官房も法律案を準備していたが[12]、いずれもヒトラーによって拒否された[13]。

こうして安楽死政策は立法化も正式な発表も行われないまま、病院や安楽死施設で実行され始めた。立法を司る法務省もこの事態を認識しておらず、1940年7月9日に匿名の政府高官からの投書があって初めて知ることとなった[# 5]。ブランデンブルクの区裁判所の後見裁判所裁判官ロタール・クライシヒ(ドイツ語版)も法律に基づかない殺害が行われていることを把握し、法務省に事態の調査を求めていた[14]。法務大臣フランツ・ギュルトナーは調査を命じたが、やがて殺害がヒトラーの意志であることを知ることになった[14]。ギュルトナーは総統官房長ハンス・ハインリヒ・ラマースと会談し、安楽死作戦を中止するか、法制化を行うかという要求を行った[14]。ラマースはヒトラーの意志が法制化に否定的であることを伝えたため、結局法務省は何の措置もとることができなかった[15]。クライシヒはあきらめずに調査を行い、安楽死施設に殺害の中止を命令した。クライシヒは法制化を目指す民族法廷の裁判長ローラント・フライスラーの支持を受けたことで勇気づけられ、ボウラーを殺人容疑で検察当局に告発した[15]。しかしギュルトナーはヒトラーの意志を優先させるべきであると考え、クライシヒの行動はすべて無効とされ、彼は裁判官を罷免された[15]。結局最後まで安楽死制度は法制化されなかった[7]。

T4組織はいくつかの組織に分かれており、財政部門、移送部門(秘匿名「公益患者輸送会社」、ドイツ語略称ゲクラート)、そして実施部門の三つに分かれていた[1]。中枢組織は「労働共同体」というカムフラージュ名称を持っており[16]、他の組織や人名にもあらゆるカムフラージュが行われた[2]。

処分されるべきと考えられた対象には、精神病者や遺伝病者のほか、労働能力の欠如、夜尿症、脱走や反抗、不潔、同性愛者なども含まれていた[17]。T4組織の鑑定人、精神科医のヴェルナー・ハイデ(ドイツ語版)とパウル・ニッチェ(ドイツ語版)らは、各地の精神医療施設等から提供されたリストに基づいて「処分者」を決定した[18][1]。「処分者」は、郵政省から譲られた灰色に再塗装されたバスに乗せられ、「処分場」と呼ばれる施設に運搬された。

専門の安楽死施設は、ハルトハイム安楽死施設(ドイツ語版)、ブランデンブルク安楽死施設(ドイツ語版)、ベレンブルク安楽死施設(ドイツ語版) 、ピルナ=ゾンネンシュタイン安楽死施設(ドイツ語版) 、ハダマー安楽死施設(ドイツ語版)の6つがあった。このうちハルトハイムの施設は1944年末まで稼動し、最大の犠牲者を出した[7]。ハダマーの施設は街中にあり、住民はそこで何が行われているかをうすうす知っていた[16]。


安楽死施設のあったハルトハイム城

ハダマー安楽死施設の「シャワー室」(ガス室)

バスで移送される障害者

移送された者はガス室に入れられて処分された。建物外に固定された自動車の排気ガスをホースで引き、その一酸化炭素中毒効果が利用された。障害者たちを運ぶ「灰色のバス」の車内は快適かつ穏やかな雰囲気が心がけられており、温かいコーヒーやサンドイッチがふるまわれた。ただし、これは殺害方法の一部であり、フェノバルビタール注射による殺害[# 6]、飢餓による殺害も含まれている[17]。また、作戦の「中止」後はガスよりも毒物や飢餓が殺害方法の中心となった。

安楽死政策への反発

フォン・ガーレン司教
この計画についてはキリスト教会の一部、特にローマ教皇庁から強い反対があった[19]。またミュンスターの司教クレメンス・アウグスト・グラーフ・フォン・ガーレンは1941年8月3日の説教で安楽死政策を公然と批判し[20]、連合国にも知られることとなった。ガーレン司教は刑法190条による告発も行っている[21]。一部のナチ党幹部はガーレンを死刑にするよう求めたが、ミュンスター市民への影響を考慮したヨーゼフ・ゲッベルスは慎重論を主張し、ヒトラーもそれに応じた[22]。しかし連合国軍が宣伝ビラでガーレンの説教文をばらいたことで一般にも広く知られるようになり、世論も動揺した。ローマ教会の最高司教会総会は安楽死政策が認められないという決定を行い、教皇ピウス12世がその決定を広く公布するよう命じた[23]。ピウス12世はこの後もたびたび安楽死を批判する発言を行った。

野生化した安楽死──「中止」後の安楽死政策
T4作戦への批判が高まったことから、1941年8月24日[24]にヒトラーはボウラーに対して安楽死の中止を口頭で命令した[23]。この中止命令により、安楽死政策そのものは公式的に中止されたと公には受け取られたものの[24]、実際にはハダマー安楽死施設のガス殺が中止されたのみに過ぎなかった。それ以外の精神病患者の収容施設では医師・看護師による患者の安楽死が国家の統制を比較的受けない形で続行されるばかりか増加し、「野生化した安楽死」と呼ばれた[25]。また「作戦中止」後にT4作戦の職員はいわゆる絶滅収容所に配置され、かれらの伝えたガス殺・死体焼却・施設のカモフラージュに関する技術がホロコーストに利用された[26]。

1941年10月23日、内務大臣ヴィルヘルム・フリックは医療・養護施設の受託者として保険局参事官のヘルベルト・リンデン(ドイツ語版)を任命し、安楽死組織が国家機関として位置づけられ始めた。リンデンの組織は各施設の収容者を登録し、T4の医師で構成された鑑定人を医療施設に巡回させた。1943年6月末からは傷病兵や空襲負傷者のための医療需要が増大し、そのための口減らしとして「治療しても仕方がない精神病患者」を殺害するブラント作戦(ドイツ語版)が始まり、医療施設から患者が大規模に移送された[27][28]。

また、「反社会的分子」の「安楽死」も活発となり、労働を嫌悪する労働忌避者、ジプシー(シンティ・ロマ人)、精神病質者などがその対象となった[29]。1942年9月18日にはオットー・ゲオルク・ティーラック法相がヒムラーと合意し、受刑中の「反社会的分子」は、「労働による毀滅」のため、親衛隊に引き渡されることが合意された。これにより、8年以上の刑を受けたドイツ人やチェコ人、予防拘禁者、3年以上の刑を受けた劣等人種とされた人々(ジプシー、ロシア人、ウクライナ人、ポーランド人)は法務省の判断で強制収容所に送られた。ティーラックは1943年4月に、「犯罪を犯した精神病患者」も強制収容所に送るよう命令した。この対象には登校拒否児童、てんかん患者、脱走兵、労働忌避者が含まれている[30]。これらの囚人は労働に耐えられると判断されたうちは労務を強いられていたが、働けなくなった場合には安楽死が実行された。法務省への報告によると、1942年11月に強制収容所に送られた1万3000人の反社会的分子は、1943年4月の段階でほぼ半数がすでに死亡していた[30]。

これらの政策の犠牲者数は1942年には一時的に減少したものの、1943年、1944年は1940年とほとんど同水準であった[31]。1943年5月には労働力配置総監フリッツ・ザウケルが、病気で働けなくなった東方労働者の帰郷を禁じ、国家保安本部の特別収容所に移送するよう命令した。これらの移送者は、病気回復が見込めない、または収容ベッドの余裕がない場合には「安楽死」処分が行われた[32]。

乳幼児の安楽死
詳細は「ナチス・ドイツにおける乳幼児の安楽死(ドイツ語版)」を参照
障害のある子どもたちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。子どもを対象とする安楽死は1943年4月から本格化した[33]。その規模は次第に拡大し、やがては青少年も安楽死の対象となった[2]。

14f13作戦
詳細は「14f13作戦(ドイツ語版)」を参照

強制収容所においては、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーがボウラーと協議し、強制収容所の「無用の長物[# 7]」を排除する「14f13作戦(ドイツ語版)」が行われた。1941年から一年間を中心として行われたこの計画は、T4組織の拡大を示すものであった[34]。作戦の名称は親衛隊の文書規則にちなんでおり、14は強制収容所総監、fは死亡事案、13はT4計画の設備による殺害を意味する。「無用の長物」に該当したのは「治癒不能な病人、身体障害者(極度の近視を含む)」、「労働能力の欠如」、「反社会的分子」などが挙げられ、特に反社会的な「精神病質」をもつとされた「反社会的分子」が中心であった[34]。1944年以降には、囚人の増大によってふたたびT4組織による措置が望まれるようになり、ソ連領から徴用された「東方労働者」、ソ連軍捕虜、ハンガリーユダヤ人、エホバの証人の信者などが対象となった。14f13作戦による死者は1万人とも2万人とも言われる[35]。

犠牲者数
これらの政策により、精神病患者などがおよそ8万から10万人、ユダヤ人が1000人、乳幼児が5000人から8000人、労働不能になったロシア系などを含む強制収容者の1万人から2万人が犠牲となった。ただし、現存する資料に基づくこの数字は、実態よりかなり少ないと見られており、犠牲者の実数はこの二倍に上るのではないかとも見られている[36]。占領地にあった精神病院でも患者の殺害が行われたが、彼らの殺害にはT4組織は直接関与はしておらず、殺害方法も射殺や餓死などの手段が主にとられた[37]。

戦後
終戦後、関係者はニュルンベルク継続裁判の医者裁判などの法廷にかけられた。主要な関係者のうち、ブラントとニッチェは医者裁判によって有罪が確定し、処刑された。リンデンは1945年4月、ボウラーは5月に自殺した。ハイデは逃亡したものの1959年に自首し、自らの裁判が始まる1963年に自殺した。

2010年、ドイツの精神医学会は、障害者の殺害に加担した事を正式に認め、謝罪した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6

13. 中川隆[-10277] koaQ7Jey 2020年11月02日 13:19:14 : 5KIfhlnuJY : UFhPRDFELnhqNkU=[20] 報告
Caste (Oprah's Book Club): The Origins of Our Discontents (英語) 2020/8/4
Isabel Wilkerson (著)
https://www.amazon.co.jp/Caste-Origins-Discontents-Isabel-Wilkerson/dp/0593230256/ref=sr_1_3?dchild=1&keywords=Caste&qid=1604195528&sr=8-3

2020年11月2日
米国で400年続くカースト制度、トランプ人気の追い風に
森川聡一
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21236


 黒人を奴隷にしていた時代に始まったカースト制度が、現代のアメリカでもまだ続いている。黒人(アフリカ系アメリカ人)を最下層に置くカースト制度によって、白人たちは身分を保証されてきた。ところが、2009年に黒人初の大統領が就任したのをみて、白人は自分たちの地位が脅かされると危機感を抱き始めた。警察が無防備な黒人たちを射殺する事件が相次ぐのは、カースト制度にすがる白人たちが、黒人による下克上を恐れているからだ。こうした白人たちの不安心理が、白人至上主義を体現するトランプ大統領の登場につながった。自身も黒人である女性ジャーナリストの手になる本書は、アメリカにおけるカースト制度を告発する。

 本書はニューヨーク・タイムズ紙の11月1日付のベストセラー・リスト(単行本ノンフィクション部門)で、売れ行きトップ1につけた。大統領選を間近に控えて、トランプ暴露本などでアメリカ出版界がにぎわうなか、深刻な内容ながらランキング入り11週目にして快挙を達成した。その翌週11月8日付ランキングでも3位につけている。

 カースト制度と聞くと、ふつうはインドの身分制度を思い浮かべる。本書は人類の歴史のなかでも特筆すべき3大カースト制度として、インドに加えてナチス・ドイツとアメリカのカースト制度をあげる。特に、ナチスによるユダヤ人の虐殺につながったカースト制度と、アメリカの黒人差別を支えるカースト制度を同列にとらえる。

 ドイツでは戦犯たちの責任追及を進め、ホロコーストの犠牲者たちを悼み反省する取り組みをしているのに、アメリカでは20世紀の半ば過ぎまで黒人たちは公衆の面前で火あぶりなどリンチされ殺されていた。アメリカ社会ではそうした歴史を振り返って反省することもなく、いまだに黒人は差別されカースト制度が残る。

 アメリカはナチス・ドイツよりもひどいと言いたいわけだ。本書の終わり近くで紹介される天才物理学者アルバート・アインシュタインのエピソードが興味深い。ユダヤ人のアインシュタインは1932年12月に、ナチスの魔の手から逃れるため、アメリカにたどり着いた。アインシュタインはアメリカで、黒人が差別されているのを目の当たりにして、ドイツと似た状況に驚く。アインシュタインは知人に「自分がユダヤ人だからこそ、差別されている黒人たちの気持ちが痛いほど分かる」と語ったという。本書はアインシュタインの講演から次の一節を引用している。

 “We must make every effort [to ensure] that the past injustice, violence and economic discrimination will be made known to the people,” Einstein said in an address to the National Urban League. “The taboo, the 'let's-not-talk-about-it' must be broken. It must be pointed out time and again that the exclusion of a large part of the colored population from active civil rights by the common practices is a slap in the face of the Constitution of the nation."

 「アインシュタインは全米都市同盟での講演でこう言っている。『これまでの不当な扱いや暴力、経済面での差別を、国民に知らしめるために、あらゆる努力をしなければならない。というタブーを無くさなければいけない。繰り返し次のことを訴え続けるべきだ。さも当たり前のこととして、黒人の大部分から基本的な人権を奪うのは、アメリカ合衆国憲法への裏切りである』」

 このアインシュタインの言葉に、本書の思いが凝縮している。かつてアメリカで黒人に対して行われた残虐な行為の数々を本書は紹介する。19世紀の南北戦争を経て奴隷制度が廃止された後、20世紀に入ってもアメリカ南部では、罪もない黒人を火あぶりにして殺した。子どもも含め何千人もの見物客が黒人の公開処刑に集まった。リンチの様子を描く絵はがきも人気だったという。さらに、ちょうど100年前に、大統領選をめぐり白人たちが黒人を虐殺した次の史実は、いまのアメリカの不穏な空気を暗示するようだ。

 A white mob massacred some sixty black people in Ocoee, Florida, on Election Day in 1920, burning black homes and businesses to the ground, lynching and castrating black men, and driving the remaining black population out of town, after a black man tried to vote. The historian Paul Ortiz has called the Ocoee riot the “single bloodiest election day in modern American history.”

 「白人の群衆が約60人の黒人をフロリダ州オコイーで虐殺したのは1920年の大統領選挙の日だ。黒人たちの家や店を焼き払い、黒人男性たちに暴行を加えて殺したり局部を切り取ったりしたうえ、町からすべての黒人を追い出した。原因は黒人が大統領選で投票しようとしたからだった。歴史家のポール・オーティスは、このオコイーの暴動について、『アメリカ現代史のなかで、最も残虐な大統領選挙の日だ』と言っている」

 本書によれば、ヒットラーをはじめナチス・ドイツは当時、アメリカにおけるカースト制度を研究し参考にしていたという。特に、アメリカでは原住民をほぼ抹殺し、黒人たちをリンチして殺しても、白人たちの正当性が保たれる仕組みに、ヒットラーたちは勇気づけられユダヤ人の虐殺に進んだ。

 アメリカのカースト制度と、ナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺を同列にとらえているだけに、アメリカとドイツの歴史への向き合い方の違いをより際立たせる。ドイツはホロコーストを生き抜いたユダヤ人だちに賠償を続けている。ベルリンの街中には、ホロコーストの負の歴史を忘れさせないためのモニュメントや掲示がある。ドイツでは、ナチスのシンボルである「かぎ十字」を掲げると最大で懲役3年の実刑を受ける。

 半面、アメリカでは奴隷制を続けるために南北戦争を戦った南部の軍司令官が今でも英雄として多くのモニュメントが残る。奴隷制度を残そうとした南軍の軍旗は今でも自家用車に貼るステッカーとして広く愛用され、公共団体のシンボルとしても使われている。南北戦争で負けた南軍の幹部たちは、奴隷を虐待してきた罪は問われず悠々自適の老後を送り、解放されたはずの黒人たちは20世紀半ばまで差別されリンチで殺され続けた。アメリカは本当に自由民主主義の国なのだろうかと疑問がわく。


奴隷を売り買いし始めたから黒人が生まれた
 本書が紹介するナイジェリア出身の女性劇作家との会話も印象に残った。そもそも、黒人という人種は存在しない。ヨーロッパ人たちが世界的に奴隷を売り買いし始めたから黒人が生まれたという。

 “You know that there are no black people in Africa,” she said. Most Americans, weaned on the myth of drawable lines between human beings, have to sit with that statement. It sounds nonsensical to our ears. Of course there are black people in Africa. There is a whole continent of black people in Africa. How could anyone not see that? “Africans are not black,” she said. “They are Igbo and Yoruba, Ewe, Akan, Ndebele. They are not black. They are just themselves. They are humans on the land. That is how they see themselves, and that is who they are.”

 「彼女は『アフリカには黒人がいない、ということ分かりますよね』と切り出した。人間を人種で線引きして分類できるという考えに取りつかれている多くのアメリカ人は、この言葉を肝に銘ずるべきだ。意味不明に聞こえるかもしれない。アフリカには間違いなく黒人がいるのだから。アフリカ全土に黒人がいる。黒人がいないなんておかしくないか?『アフリカの人たちは黒人じゃない。イボ人であったり、ヨルバ人やエウェ人、アカン人あるいはンデべレ人なんです。黒人ではない。みな単に自分自身でしかない。大地に生きる人間だ。アフリカの人たちは自分たちのことをそう思っているし、それ以上でも以下もでもない』と、彼女は言った」

 そして、次の一言がとどめをさす。

“They don't become black until they go to America or come to the U.K.,” she said. “It is then that they become black.”

 「『アフリカの人たちはアメリカやイギリスに来て初めて黒人になる。そこで初めて黒人が生まれる』と彼女は言った」

 黒人差別は、黒人という人種を、白人たちが作り出し、カースト制度によって最下層の身分に固定したことに起因する。カースト制度は白人たちの潜在意識に働きかけ、現代のアメリカにも残っている。本書の筆者は黒人で女性だ。黒人として差別された自身の体験も披露している。若いころニューヨーク・タイムズ紙の記者として、アポイントを取って取材先を訪れたものの、黒人の記者がいるはずがないと思い込んだ白人の取材対象に追い返されたことがあるという。飛行機のファーストクラスでも、キャビンアテンダントから不当な扱いを受けたり、空港で麻薬捜査官に付きまとわれたりしたという。黒人は犯罪者が多いという偏見がはびこっている現状も指摘する。近所に出かけるのにも、犯罪者と疑われないよう服装に気をつかう黒人男性の例などをあげる。

 The caste system in America is four hundred years old and will not be dismantled by a single law or any one person, no matter how powerful. We have seen in the years since the civil rights era that laws, like the Voting Rights Act of 1965, can be weakened if there is not the collective will to maintain them.

 「アメリカにおけるカースト制度は400年前から続き、なにかひとつの法律やひとりの人間の力でなくせるものではない。その法律や人物に、どんなに力があってもだ。わたしたちは公民権運動の時代から長年にわたり、選挙権での人種差別を禁じた1965年の投票権法など多くの法律が、骨抜きにされかねないことをみてきた。こうした法律をみなが一致団結して守ろうとしなければだめだ」

 さらに、本書は社会が大きく分断されているアメリカにおいては、単に人種差別をやめるだけでは十分でないと警告する。黒人やその他のマイノリティーの権利を、もっと積極的に守る姿勢が必要だと訴えている。

 本書を読んで初めて、経済的に恵まれない白人の労働者たちが、なぜあれほどまで熱狂的にトランプを支持するのかが分かった。一番下の階級に属するはずの黒人たちに、社会的な地位において追い抜かれてしまうのではないかという恐怖心が根底にある。そうした不安を忘れさせてくれる、頼れる白人のヒーローがトランプだったのだ。

 黒人差別は、長年にわたりアメリカの社会や文化にすりこまれたきたカースト制度がもとになっている点も見逃せない。2020年の大統領選の勝者がだれになろうとも、簡単にはアメリカ社会の分断は解消しそうにない。

14. 中川隆[-7664] koaQ7Jey 2021年2月06日 13:36:26 : G6I5aLKuSU : OUx2U2EwZGdJajI=[26] 報告
【ゆっくり解説】ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜
2021/02/06




ヒトラーの戦争はドイツを滅ぼしたが、経済政策はドイツを復興させた。
そう説明されることも最近、増えましたが本当でしょうか??
解説します。
15. 中川隆[-7009] koaQ7Jey 2021年2月28日 17:36:30 : 1vS4Oaq6as : UVJJTWxKQ3EwUUU=[23] 報告
1922年には「アメリカ優生学協会」が設立されている。そうした優生学の運動には富豪が資金を出していたが、その中にはロックフェラー財団、カーネギー研究所、ハリマン家などが含まれていた。

 イギリスやアメリカの支配者の間で信奉された優生学的な考え方はナチスに伝わり、第2次世界大戦後も消えてはいない。

2021.02.28
ロックダウンで世界の都市は改善されたとする書き込みをWEFが削除
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102280002/


 WEF(世界経済フォーラム)がツィッターにロックダウンが世界の都市を改善していると書き込んだことは​本ブログでも紹介​したが、反発が予想以上に強かったようで、削除された。地球に悪い影響を与えてた人間の活動を麻痺させ、そうした影響を緩和させたとロックダウンを評価していた。


 ロックダウンとは社会の収容所化だが、そうした状態を続ければ人間社会は死に至り、多くの人間が死んでいくことになる。勿論、彼らはそうした人間の中に自身を含めていない。自分たちは神に選ばれ、巨万の富を手にすることができたと考えている富豪もいる。その背景には優生学的な考え方があるのだろう。

 1864年にイギリスではトーマス・ハクスリーを中心として「Xクラブ」が作られた。そのメンバーには支配階級の優越性を主張する社会ダーウィン主義を提唱したハーバート・スペンサー、チャールズ・ダーウィンの親友だったジョセフ・フッカー、このダーウィンのいとこであるジョン・ラボックも含まれていた。

 このグループはトーマス・マルサスが主張した人口論の影響を受けていたようだ。マルサスによると、人口の増加は等比級数的であり、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になるという。すでにこの理論は事実が否定しているが、信奉者はまだ少なくない。

 長い間イギリスの植民地だったインドでは1975年にインディラ・ガンジー政権が非常事態を宣言、77年まで続いた。その間に強制的な断種キャンペーンが展開されている。当然、このキャンペーンに対する反発は強かったが、人口論者にとっては有効な実験だったのかもしれない。

 こうした人口論とセットになっているのが優生学。1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だという。

 このローズは1890年代からビクトリア女王の助言者になる。その仲間にはネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレットもいた。

 こうした考え方はアメリカの支配階級へ19世紀の終わりには広がっていて、1922年には「アメリカ優生学協会」が設立されている。そうした優生学の運動には富豪が資金を出していたが、その中にはロックフェラー財団、カーネギー研究所、ハリマン家などが含まれていた。

 イギリスやアメリカの支配者の間で信奉された優生学的な考え方はナチスに伝わり、第2次世界大戦後も消えてはいない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202102280002/

16. 2021年3月01日 12:43:41 : 9ah5GoqAQI : Q2hDSm1RZmd6VXM=[4] 報告
ヒトラーの予言
https://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html#10 


『1999年以後 ─ ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』
(祥伝社/五島勉著/1988年10月出版)
https://www.amazon.co.jp/1999%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E5%BE%8C%E2%80%95%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9F%E6%81%90%E6%80%96%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E5%9B%B3-%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E4%BA%94%E5%B3%B6-%E5%8B%89/dp/4396102879

に書かれている「ヒトラーの予言」の紹介

 
第1章
ヒトラーは遥か未来を透視していた!?
〜2039年の未来図について〜
第2章
「ニーベルンゲン復讐騎士団」の秘密
第3章
ヒトラーの予知能力の謎
第4章
南ドイツの保養地で語られた
「ヒトラーの山荘予言」
第5章
両極端に分かれていく未来社会
〜「東方が巨大な実験の場になる」〜
第6章
首都ベルリンの地下官邸で語られた
「ヒトラーの指名予言」
第7章
ドイツ国民にあてた
「ヒトラー最後のメッセージ」
第8章
ヒトラーが「超人」
(超人類)について語った言葉
第9章
「ヒトラーの究極予言」の秘話
〜ヒトラーが予知した「神人」とは?〜
第10章
「1989年」に亡くなった昭和天皇
〜新たな元号「平成」時代の始まり〜
↑読みたい「章」をクリックすればスライド移動します

 

 

■■第1章:ヒトラーは遥か未来を透視していた!?


■三島由紀夫がヒトラーについて語った言葉


「ところでヒトラーね。彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど、彼がほんとは何者だったのか誰も知っちゃいない。ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュヴィッツの虐殺者、悪魔……。これがいままでのヒトラー観だけど、ほんとはそれどころじゃない。

彼のほんとの恐ろしさは別のところにある。

それは彼が、ある途方もない秘密を知っていたってことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を見通す目を持っていて、それを通じて、その途方もない未来の秘密に到達しちゃった」

「だから五島君。もしきみが10年後でも20年後でも、ヒトラーのことをやる機会があったら、そこんところをよく掘り下げてみることだ。もしきみにいくらかでも追求能力があれば、とんでもないことが見つかるぜ。ほんとの人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来……。

なにしろ『我が闘争』の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことを、ずばり見通して書いてるくらいだから。まだ30代かそこらで、やつは、それほど鋭い洞察力を持ってたってことになるよな」

 


(左)三島由紀夫 (右)彼がヒトラーを
描いた作品『わが友ヒットラー』(新潮社)

 

※ 約1時間のインタビューの間に、三島由紀夫は、これ以外にも
五島氏に強烈なインパクトを与えた“ヒント”を2つ授けたという。

1つは太古の日本民族と古代インドを結ぶ妖しい関係で、
また、そこから発展してくる人類の超古代文明全体への、
目くるめくような壮大なヒントだったという。そして
もう1つが、「人間の死後と転生」についての
画期的なものだったという。

 

■ヒトラーの予言 ─ 2039年の未来図について


●以下は、ヒトラーが語った言葉(予言)である。

『1999年以後』(祥伝社)から抜粋↓


「…“2つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ。1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。

若いころ私は、『我が闘争』に、いずれ人間が大自然から復讐されると書いた。それが1989年以後の状態だ。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下すのだ。そしてそれが人類を、想像を絶する究極の状態にみちびいていく。私が生まれてから150年後、21世紀に来る究極に。私自身もそれを霊感ではっきりと見てさえ、信じられないような究極に。」


「…(20世紀末は)たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも、実質はナチズムが支配していよう。デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれていよう。それは天変地異の期間でもある。人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃(かんばつ)が代わる代わる地球を襲うだろう。」


「だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。

つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。」


「しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているのだ。」


「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。

2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまい(人心の荒廃も含めて)アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。」


「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。」


「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」

 


「人類の二極化」現象について語っていたアドルフ・ヒトラー

 

■ナチスは敗れる。第二次世界大戦で敗れる。しかし……


「ナチスは敗れる。第二次世界大戦で敗れる。しかしそれは、単に私の作戦が間に合わなかったというだけだ。我々が敗れようと敗れまいと、新しい人類の歩みは進む。

超人へ。脳と肉体の進化へ。自己と世界を完全にコントロールできる新しい種族。……それが現われる。ハーケンクロイツの日に現われる。

そのときナチスはよみがえる。全てに勝ち、すべては変わる。その日こそ、人類はもう一度、我々の前にひざまずくのだ!」

 

 

 

■■第2章:「ニーベルンゲン復讐騎士団」の秘密


●上で紹介した2039年に関する予言は、
ヒトラー予言の中でも「究極予言」と呼ばれる部類のものだという。
そして、SS(ナチス親衛隊)の中でも、さらに超エリート集団に属する
「ニーベルンゲン復讐騎士団」のメンバーにのみ語られた
「最高秘密の予言」だそうだ。

この「ニーベルンゲン復讐騎士団」についてだが、
『1999年以後』の中では次のように紹介されている。

長くなるが、参考までに抜粋しておきたい↓


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「ニーベルンゲン」とは、古代ゲルマンの恐ろしい伝説の名だ。それを生んだ南ドイツのシュバルツバルト(黒い森)、そこを支配していた神話的な一族の名前でもあった。彼らは族長ニーベルング、不死身の若い英雄ジークフリートを中心に、人類の未来を救う力を持つという正体不明の「宝」を守って、深い森の中で暮らしていた。

ところが、あるとき、人類から未来を奪うため、ブルゴンドという魔族が森に侵入してきた。

彼らは裏切者をそそのかし、魔族の毒矢でジークフリートの背中の1点を射させた。そこだけが、不死身の英雄ジークフリートの、たった1つのウィークポイントだった。不死の泉で産湯をつかったとき、そこにだけ、小さな木の葉が落ちてくっついたからだ(一説では、退治した竜の不死の返り血を全身に浴びたとき、背中の1点だけ残った)。

そこを射ぬかれた彼は、苦しんで死ぬ。

 


ドイツの英雄叙事詩
『ニーベルンゲンの歌』の
主人公であるジークフリート

 

魔族は森の奥の館を襲って「宝」を奪い、ニーベルンゲン一族の大半も魔族の猛毒で悶死する。

だが、かろうじて生き残った彼の17歳の若妻クリームヒルトは、やはり少数だけ残った「ニーベルンゲン騎士団」の若者たちと、たがいの胸を剣で傷つけ、血をすすり合って復讐を誓う。そのため彼女は、「日の昇る東方のアジア王」の前に美しい裸身を投げ出し、ひきかえに協力の密約をとりつけ、アジア軍と騎士団の戦力をあわせて魔族に挑む。

そして何度かの死闘のあと、存亡を賭けた最後の決戦。「ニーベルンゲン騎士団」は猛毒に苦しみながらも、火の剣で魔族を1人ずつ殺す。クリームヒルトも、敵の首領の「魔王」と深く刺し違え、血と炎に悶えつつ息たえる。

かくて双方、全員が滅び、森も炎と毒で枯れ果てる。

同時に空から燃える星が落ち、大地震と大落雷、赤ん坊の頭ほどの雹も降る。あとは焼け崩れ凍りついた死の静寂。何かわからない未来の人類の「宝」だけが、ニーベルンゲンの廃嘘のどこかに、誰にも知られずに埋もれて残るのである。

 


アドルフ・ヒトラー

ヒトラーは1889年4月20日、
オーストリアのブラウナウで生まれた。
1933年に43歳の若さでドイツ首相に選ばれ、
翌年に大統領と首相を統合した「総統」職に就任した。

 

何か人類の運命そのもののような、残酷で予言的なこの伝説。これをヒトラーはことのほか気に入っていた。

「おお、これがゲルマンだ。未来の真実だ。私が見ている未来と同じだ。古代ゲルマンの伝説の中に、来たるべき天変地異と復讐の大戦が暗示されているのだ……」

総統大本営や山荘のパーティで、たまたまこの伝説(ニーベルンゲン伝説)の話が出ると、ヒトラーはこううめいて拳を震わせ、側近たちが恐れるほど興奮することがあった。

 


リヒャルト・ワーグナー
(1813〜1883年)

ドイツの作曲家・楽劇の創始者。
新しい音楽のスタイルである「楽劇」を
創設し、その素材を「ゲルマン神話」に求めた。

四部作『ニーベルングの指環』『トリスタンとイゾルデ』
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『パルジファル』など
 の楽劇を完成させて「ドイツ・ロマン派オペラ」の頂点を築いた。

 

オペラではもっと興奮した。ヒトラーが好きだったワーグナーのオペラに、この伝説から取った『ニーベルングの指環』という四部作があるが、彼はこれを当時のドイツ楽壇のスターたちに命じて何度も上演させ、全てが滅びる幕切れが来ると必ず叫んだ。

「そうだ、ブラボー、みんな死ね! そして復讐に甦れ! ナチは不死鳥、私も不死鳥だ! 民族の血の怨みに選ばれた者だけが不死鳥になれるのだ……」

 


ヒトラーが愛したワーグナー作
『ニーベルングの指環』

 

「ニーベルンゲン復讐騎士団」が生まれたのもこれがきっかけである。

彼はその日、とりわけ興奮して、このオペラの「ジークフリート」の幕を見ていたが、美しいクリームヒルトが血をすすって復讐を誓うシーンになったとたん、そばのSS(ナチス親衛隊)の幹部たちに狂おしく言った。

「わかるか、あれがきみらだ。きみらの使命と未来があの中にある。だから、あの名をきみらの中の選ばれた者たちに授けよう。そうだ……。『ニーベルンゲン復讐騎士団』だ!

これからのナチスと新しい人類を築く聖なる土台の将校団だ。それにふさわしい者だけを選んですぐ報告せよ。最終人選は私がじきじきに決める」

こうして、その特殊グループが生まれたのだった。ほかにも「ニルベの騎士団」や「ラインの騎士団」……いろんな名前の将校グループがナチスにはあったが、そういう同期会と「ニーベルンゲン復讐騎士団」は、はっきり違う性質のものだった。

人数はたったの120人。家柄も財産も年功序列もいっさい無関係。たとえ20歳の少尉でも、予知力や霊感や指導力──ヒトラーが認める何か特別な能力──があれば選ばれた。

並外れた体力、天才的な戦闘力、そして何よりも人に抜きんでた高知能、米ソやユダヤや既成の世界への激しい怨念を持っていること、これらも選抜の基準になった。それを表すプラチナの小さなドクロのバッジ。それを胸につけた純黒の制服と黒い鹿皮のブーツ。ベルトには特製の45口径13連の凶銃ユーベル・ルガー。

腕にはもちろん、血の色の中に染め抜かれた黒のカギ十字マーク。

 


SS隊員は褐色シャツに黒ネクタイ、黒上衣、黒ズボン、
黒長靴……というように、全身を黒で染め上げていた

 

「ニーベルンゲン復讐騎士団」は、ダンディだが不気味な集団だった。

だがその1人1人をヒトラーは、「マイン・ゾーン(私の息子)」と呼んで異常にかわいがった。公式の政策会議には参加させない。しかし内輪の集まりには、よく招いて意見を聞いた。狙った国にクーデターやパニックを起こさせるといった重大な影の任務もよく命じた。

「きみらならわかる」と言って、側近のゲッベルスにさえ話さない秘密の見通しや未来の世界を、熱っぽく話すこともあった。2039年の人類についての「ヒトラーの究極予言」も、そうした奇怪な積み重ねの上で、この騎士団だけに話されたものだった。

いつ話されたかは、ヨアヒム・フェスト(ドイツのヒトラー研究の第一人者)によって記録されている。それは1939年1月25日の夜だった。話された場所は、ミュンヘンのナチス本部という説もあるが、ヒトラーは「オーバーザルツベルクの山荘」を霊感の場としていたので、雪に閉ざされた山荘で話された、という説を私(五島)は採りたい。

 


ヨアヒム・フェスト

 

ところで、「ヒトラーの究極予言」を聞いたとき、冷酷と高知能を誇る「ニーベルンゲン復讐騎士団」の将校たちも、さすがにショックでざわめいたという。

騎士団の1人ヨハンネス・シュミット少佐=のちに西ドイツの実業家=が、あとでそう打ち明けたのを、米国籍の予言研究家スタッカート氏が研究者仲間の会合で知り、私に教えてくれた。

この件だけでなく、氏からはヒトラー予言について多くの情報をもらった。


(以上、『1999年以後』より)

 

 

 

■■第3章:ヒトラーの予知能力の謎 ─「私は“あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ…」


●ヒトラーの予言の力の源泉に関しては、いろいろと議論の分かれるところだと思うが、
ヒトラー自身が予言の秘密について告白している。“あいつ”のおかげだ、と。

ヒトラーのIQは150近くあったことで知られているが、霊感(霊的感受性)も
すごく高かったようである。時々、何かに憑依されていたことを
ヒトラー自身、実感していたみたいである。
ただし、この“あいつ”が何者だったのかは不明であるが……。


●参考までに……

1914年に始まった第一次世界大戦に、ヒトラーは志願して参戦している。
この第一次世界大戦で、彼は4年間に40回以上の戦闘に参加。
伍長としては異例の「一級鉄十字章」を受章するなど、6回もの表彰を受けた。
(具体的には「一級鉄十字章」「二級鉄十字章」「連隊賞状」「黒色戦傷章」
「剣付き功三級鉄十字章」=2回受章)。これは彼が勇敢な兵士であり、
しかも非常に幸運に恵まれていたことを意味する。

実際、記録に残っているだけでも、彼が危ういところで命拾いしたのは、
4度や5度ではきかない。彼は前線で一番危険な任務である伝令兵を、
いつも自ら買って出ていたのであるが、彼は前線で何度も奇跡的に
命拾いをしたために、同僚の兵士たちから「不死身の男」と
評されていたのである。


※ 以下、『1999年以後』の中で、
ヒトラーが“あいつ”について触れている部分を抜粋↓


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アメリカのピューリッツァー賞作家ジョン・トーランドは、精密なドキュメント『アドルフ・ヒトラー』の中で、ヒトラー自身が、のちにイギリスの通信社特派員ウォード・プライスに語った言葉として次のものを紹介している。

「私はあのとき、戦友たちと夕食を摂っていた。すると突然、ある声が私に、『立って向こうへ行け』と命じた。その声が、あまりに明瞭に同じことを繰り返したので、私は上官の命令を聞くように機械的に従い、20ヤードほど移動した。とたんに、いままでいた場所から衝撃と轟きが押し寄せた。そのときまで私も属していたグループの上に、流れ弾が炸裂して1人残らず死んでしまったのだ」

つまりこれは、ヒトラー自身の判断ではなかった。彼の内部深くから噴き上げた何かの声、または外界か異界のどこからか来た、彼以外の誰にも感知できない妖異な命令だったのだ。

「そうだ、それは“あいつ”の命令だった。あのときから、私には“あいつ”が憑(つ)くようになった。恐ろしいことだ。私は“あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ」
彼はあとで、側近たちにこうも語っている。

それだけでなく、語っている最中、ふいに立ち上がって目を剥き、「“あいつ”だ、“あいつ”が来た。また私に未来を教えに来たのだ。そこにいる、そこだ!」 あらぬ方を指さして絶叫することもあった。

 


(左)ヒトラーの友人が描いた青年時代のヒトラーの肖像画
(右)第一次世界大戦の時のヒトラー(中央の人物)

 

第一次世界大戦の戦場での、生死ぎりぎりの衝撃が、ヒトラーの深層意識に火をつけたのだろうか。とある沼地のほとりでハッと気付いたとき、ヒトラーは自分がそれまでとまるで違う人間に変わってしまったのを感じたという。

彼は思い出話として、第一側近のゲッベルスにこう語っていた。

「異常変化だった。それから起こることが全部わかるように感じた。実際わかった。人類の未来が、全て私の前にありありと見えだした。『そうだ、その通りになる。おまえにはわかる。おまえはその力を持った』と、“あいつ”も耳もとでささやいてくれた」

しかも第一次世界大戦が終わっても、“あいつ”はヒトラーから離れなかった。

「ついには、私の体の中にほとんど棲みつくように」なった。

そして様々な未来をささやき、単なる予知以上のことまで告げ始めたという。

「アドルフ、おまえは選ばれた。試練にも耐えた。おまえはドイツ民族を率いてヨーロッパを制覇する。新しい世界を打ち立てる。それがおまえの使命だ……。

おまえがそれをやらなければ、今世紀後半も21世紀も、ユダヤが地球を支配することになる。金も食糧も兵器もユダヤが支配する。世界はユダヤとその代理人どものものになる。だからユダヤを倒せ。打ち倒せ……。

そのためにも、まず政権を握れ。片足の不自由な変な小男が見つかる。その男は天才で、おまえの最大の協力者になる。その男を充分に活用すれぱ、おまえが45歳になるまでに政権が手に入る。50歳で世界征服の戦争が始められる……。

それを忘れるな。おまえは25歳で選ばれて能力を得た。そして生まれてから50年目、おまえは世界征服の大戦を起こすのだ。

さらに生まれてから100年目、150年目──つまり1989年、2039年──もうおまえはいないにしても、そのとき人類は、新しい次の段階を迎える。それが何かも、いずれおまえだけに教えよう……」


(以上、『1999年以後』より)


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※ 補足説明:

●ここで語られている「片足の不自由な変な小男」とは、いわずと知れたプロパガンダの天才ヨーゼフ・ゲッベルス(のちのナチス宣伝相)のことである。彼は少年時代に骨髄炎にかかり、左足は右足よりも8センチ短かった。

ヒトラーとゲッベルスが最初に対面したとき、ヒトラーは既にナチ党の党首であり、ゲッベルスのほうは組織の末端にいる専従職員でしかなかった。それなのに、ヒトラーはゲッベルスをまるで旧友のように厚遇したという。

この当時のゲッベルスの日記を見ると面白い。例えば1925年10月14日には、「この人(ヒトラー)は何者なのか。人か? 神か? キリストか? ヨハネか?」と書いている。結局、彼はヒトラーの最期までヒトラーの忠実な片腕であり続けた。ヒムラーやゲーリングのように、決して裏切るようなことはしなかった。

※「輪廻転生」を信じていたゲッベルスは、のちに、「ヒトラーがこれまで生まれ変わるごとに、自分も一緒に再生していた」と述べている。

 


(左)第三帝国を演出したプロパガンダの天才
ヨーゼフ・ゲッベルス(文学博士)(右)妻のマグダ

1945年4月30日、ゲッベルスは
ヒトラーの遺言によって首相に任命されたが、
5月1日、マグダ夫人は5人の娘と1人の息子に
自ら毒を飲ませて殺害。その直後に夫と共に
拳銃自殺し、夫婦でナチ党に殉じた。

 

 

 

■■第4章:南ドイツの保養地で語られた「ヒトラーの山荘予言」


●ヒトラーの予言は、第1章で紹介した2039年に関する「究極予言」の他に、少なくとも、南ドイツのオーバーザルツベルクの保養地で語られた「ヒトラーの山荘予言」、首都ベルリンの地下官邸で語られた「ヒトラーの指名予言」、そして大戦末期にラジオで語られた(ドイツ国民にあてた)「ヒトラー最後のメッセージ」の3種類があるという。


  【1】南ドイツの保養地で語られた「ヒトラーの山荘予言」

  【2】首都ベルリンの地下官邸で語られた「ヒトラーの指名予言」

  【3】ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」


●これらの「予言」に該当する部分を『1999年以後』から抜粋して、順番に紹介したいと思う。

まずは「ヒトラーの山荘予言」である↓

 


(左)アドルフ・ヒトラー (右)ベルヒテスガーデンのヒトラーの山荘


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「もっと霊感の湧く場所が必要だ。私の望む場所はあそこだ」

ヒトラーはそう言って、南ドイツの名勝の地ベルヒテスガーデンに、不思議な山荘を作るよう命じた。

それが「オーバーザルツベルクの山荘」である。彼の奇怪な予感から生まれたミステリーゾーンだ。今はほとんど破壊され、観光用の防空壕ぐらいしか残っていないが、そこは本来、賢い悪魔が見通したような21世紀型の地下都市だった。

「そういう地下都市に、やがて人間は住むようになる。いや、そういう場所にしか住めなくなるだろう。

それほどの毒物や毒光がいずれ人類に、少なくとも人類の一部に降りかかる。各文明国はそれを避けて、地下に商店や会社や住居をつくる。ここはそのためのプロトタイプなのだ」

ヒトラーはこんな不気味なことをつぶやいて、1932年春、権力を握りだすとともに、前からあったログハウスの別荘に加えて、不可解な洞窟式の巨大山荘を作らせはじめたのだ。そこには、完成時には「いずれ将来、見えない毒気が侵入するから」という彼の指示で、空中のどんな有毒物も通さないナチス技術の粋のような浄化装置がつけられた。

「食物も将来は汚染されるから」という指示で、ドイツ科学が生みだした、100年も保つカンヅメ類がたくわえられた。また、そこから伸びる地下通路とインターフォンが、現在と同じ性能の短機関銃を持つ護衛兵に守られて、他のナチス幹部の山荘と何重にも連結された。

「このように、最高の頭脳がシステム化して結合する。それが未来の支配の形だ。ひとつの意志がここから全国民を動かすのだ。それが人間の頭脳であろうと、頭脳のような機械であろうと、やることは同じだ……」

 

 

まるで現在のコンピュータ中枢を見ているように、ヒトラーは妖しい目付きで言った。

そして希望通りの山荘が少しずつ出来上がってくると、一層インスピレーションをかき立てられたらしく、作業現場を見回りながら、とうとうと未来についてしゃべった。それらをひっくるめて「ヒトラーの山荘予言」と呼ぶ。

一部しか伝わっていないが、その中には、こんなものすごいものがある。

 

■ロケットかミサイルの出現を見通した予言


「近い将来、男の性器そっくりの兵器ができるだろう。私(ヒトラー)の勃起した男根を、何百倍にも大型化して小さな翼をつけたようなものだ。

それが将来の戦争と世界を支配する。さしあたっては、それが飛んで行ってイギリスを焼き尽くす。いずれはペルシャ湾にもインド洋でも飛ぶだろう。愉快なことだ。私の勃起した男根が地球を燃やすことになるのだからな」


これはもちろん、ロケットかミサイルの出現を見通した予言と受け取っていい。またそうとしか考えられない。

その証拠に、ヒトラーはそれを予言しただけでなく、側近の前でその簡単なスケッチを描いてみせた。美術学校には落第したが、彼はもともとイラストレーター志望で、絵はお手のものだった。そしてこのスケッチにもとづいて、「ぺーネミュンデ研究所」(ナチスの秘密兵器研究所)の科学者たちが作り上げたのが、有名なV1号やV2号ロケットだった。

そういう「男根型兵器」が、将来、ペルシャ湾ばかりかインド洋でも使われる、と見通されているのが不気味である。あとで触れるが、この予言は、現在の私たちに突きつけられたヒトラーの痛烈な皮肉でもある。

 


ナチス・ドイツが開発したV2ロケット(別名「A4」)

敗戦までに約6000発が生産され、3000発以上が実戦で発射された


 

■コンピュータやロボットの出現の予言


「私はまた、機械全体の未来もわかる。男根兵器がひとつの例だが、未来の機械はすべて生物か生物の部分と酷似してくるのだ。人間も含めた生物の部分の機能を、機械が代わって果たすようになる。単純な労働はそういう機械がやるようになる。

人間の脳そっくりの機能を持つ機械も現われて、人間のほうがその機械にものを訊ねるようになるだろう」


明らかにコンピュータやロボットの出現の予言。やはりヒトラーのヒントで「ぺーネミュンデ研究所」が開発にはげみ、第二次世界大戦の末期、ナチスは初期のコンピュータとロボット兵器のテストにも成功していたようだ。

こんなふうに、ただ未来を見通して予言するだけでなく、そのひな型を命令で実際に作らせてみる。つまり強大な権力によって未来の一部を実現してしまう。ここに魔性の予言者+独裁者としての、他に類のないヒトラーの特徴があった。

 


「ZUSE Z3」(右の画像)は1941年にドイツでコンラート・ツーゼ
によって開発された計算機である。自由にプログラム可能で完全に自動化
された機械であり、コンピュータの定義に適合する属性を備えていた。
(これは世界初の「プログラム制御式コンピュータ」であった)。

「ヘンシェル航空機会社」から理解を得たツーゼは、自分の
会社を設立し、「Z3」の改良型である「Z4」をはじめ、
航空機の設計専用計算機を開発。戦後は世界初の本格的な
プログラム言語「プランカルキュール」を開発した。

 

■「国民車(フォルクスワーゲン)」と「アウトバーン」出現の予言


「そしてカブト虫。やがて赤や青や黒や白の、輝くカブト虫が動脈の上を走るようになる。

世界中が、我々のカブト虫と白い動脈でいっぱいになる日が来る」


1933年に自動車設計のベテラン、ポルシェ博士に語られた、狂ったような言葉だが、「機械が生物と酷似するようになる」という先の予言を知っていれば、これは容易に解ける。

つまりヒトラーはこのとき、どんな形にするか未定だった「国民車(フォルクスワーゲン)」と、まだ設計の段階だった「アウトバーン」(制限時速のない世界最初の高速道路)のことを見通していたのだった。

「アウトバーン」はまもなく作られはじめ、たしかに“白い動脈”の名にふさわしい威容をそなえた。反面、「フォルクスワーゲン」の開発は、まもなく第二次世界大戦が激しくなったため、中断してしまった。だが戦後、すぐに再開され、“敗戦国・西ドイツの奇跡”と驚かれながら、その優れた性能と先進的な大量生産の技術で、世界市場に長いあいだ君臨した。

そして、そのボディ・デザインは、ヒトラーが見通した通りのカブト虫(ビートル)型だった。

 


(中上)「アウトバーン」開通式(ベンツによるテープカットの瞬間=1935年)
(左)大量生産のためのフォルクスワーゲン工場の起工式の様子(1938年)
(右下)開通したばかりの「アウトバーン」を試走するフォルクスワーゲン
(右上)戦後世界中で販売され驚異的な人気を誇ったVWビートル

 

■宇宙旅行・月探検を予言


「そのあと、月から戻って来る者もいる。しかし戻って来ても、その者は、ここがそれ以前のドイツかどうか気づかない」


これは、西ドイツの有名なヒトラー研究家ヨアヒム・フェストが記録している言葉である。

ご覧のように、宇宙旅行か月探検を予言した言葉と見ていい。「しかし戻って来ても、その者は、ここがそれ以前のドイツかどうか気づかない」。これは不気味な予知である。

月面か宇宙船の中で何かが起こり、パイロットがそれまでの記憶を失ってしまうのか、それとも、そのとき地上に何かの破局が起こって、ドイツ一帯が焼け野原か砂漠みたいになっているのか。もし後者なら、これはこれまでの米国の月ロケットの予言ではない。

もっと将来の、おそらくヨーロッパ諸国が打ち上げる宇宙船=アリアン?などのことを言ったのだと思われる。

 

■同盟国日本の参戦に関する予言


「もっと差し迫った現実の見通しも言おう。我々ナチスはまもなく第二次世界大戦に突入する。世界を相手に戦う。しかし我々に味方する国も現われる。それは日本だ。

日本の戦力は諸君が思っているよりずっと強い。日本は太平洋とアジアから、アメリカとイギリスの勢力を追い払う。見ていたまえ。『カリフォルニア』も『ネバダ』も『ウエールズの王子』も、日本の火薬で地獄へ吹っ飛ぶぞ!」


これは予言というより、ヒトラーの作戦計画の一部だったと受け取ってもいい。彼は1937年ごろから、当時の日本の才気にあふれる外交官・松岡外相や大島大使と、第二次世界大戦の日独共同作戦を何度も打ち合わせていたからだ。

そのため、上の言葉を聞いたヒトラーの側近たちは、勇気づけられはしたが、既定のプランと考えて別に驚きもしなかった。「カリフォルニアもネバダもウエールズの王子も、日本の火薬で地獄へ吹っ飛ぶぞ」。

これもアメリカ西海岸の地名やイギリスの王族の称号を引用して、ヒトラーが米英を罵ったのだと受け取った。

 


 

ところが、実際に第二次世界大戦が始まって、日本が加わったとき、日本軍はまずハワイの真珠湾を襲い、戦艦「カリフォルニア」と「ネバダ」以下、多くのアメリカ軍艦を沈めた。

またマレー半島の沖で、当時、イギリスが世界最強を誇っていた巨大戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」(ウエールズの王子)も、僚艦「レパルス」とともに日本軍の飛行機に沈められたのだった。

※ つまり、ヒトラーが予言の中で口にした名前は「戦艦の名前」だったのだ!

 


1941年12月10日、イギリス海軍の誇る最新鋭の
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が、
日本軍の陸攻隊の攻撃を受けて沈没した。「マレー沖海戦」と呼ばれる
この戦いは、航行中の戦艦を飛行機だけで沈めたという、世界初の出来事
であった。「航空機優位」の時代が到来したことを日本は緒戦で世界に
示したのである。これにより「イギリス東洋艦隊」は壊滅した。

 

■原子爆弾に関する予言


「しかしその報復として、米英を背後で操るユダヤが、日本を絶滅させる恐れがある。ユダヤの天才的な科学者たちが、炎の絶滅兵器を開発するからだ。

彼らはそれをアメリカ軍に与え、日本に対して使わせる。日本の都市3つがこれで火星のような廃嘘になる。そうさせる最初の契機に、イギリスが深いかかわりを持つ。

また決定段階ではユダヤの『真実の男』が、より深いかかわりを持つようになるだろう」


読んで字の通り「原爆」の予言だと思われる。

原爆は1938年ごろ、イギリスにいたユダヤの原子物理学者レオ・シラードが思いつき、先輩のアインシュタインに知らせた。アインシュタインは当時のユダヤ系のアメリカ大統領ルーズベルトに知らせ、ルーズベルトはオッペンハイマー博士などユダヤ系の天才科学者たちを動員して、1944年に最初の数発を完成させた。

しかも、それを実際に命令して広島・長崎に投下させたのは、ルーズベルトの後任者で、やはりユダヤ系のアメリカ大統領トルーマン(→Truman)だった。

「真実の男(→true man)」というつづりと、eひとつしか違わない。

と見てくると、上の予言のうち、外れたのは「日本の3つの都市がその兵器で廃嘘になる」というところだけ。しかし、これもアメリカ軍の作戦では、広島・長崎の次に東京か仙台か松本、さらには京都などが目標に挙げられていたという説もあり、本当は「3つ」になるところだったのかもしれない。

魔性的な予知能力者による予言と実際との関係──それを避けることはできないが、いくらか方向を変えたり、選択の幅をひろげることは受け手の意思でできる。このことが、これでも少し裏づけられるだろう。

 


日本に原爆を投下した
トルーマン大統領

 

それにしても、これほど明確にヒトラーが原爆を予知していたのなら、彼は、それを同盟国日本に知らせてくれたのか? ──知らせてくれた。3年ほど前にNHKが放映した衝撃的なドキュメント『ベラスコの証言』が、間接的にだが、それを語っている。

第二次世界大戦中、日独側に立って働いたベラスコという有能なスペイン人のスパイが、当時ナチスから受けた情報として、また自分でも調べて、『巨大な絶滅兵器をアメリカ軍が日本に落とそうとしている』と暗号無線で日本に知らせた。

が、精神主義と官僚主義でコリ固まっていた日本の政・軍の上層部はそれを無視し、広島・長崎の破滅が起こってしまったというのだ。

 


親日家であり、またヒトラーから
厚い信頼を得ていたベラスコ

 

これも含めて、この原爆予言はバラバラの資料を集めて構成したもので、まとまった形では残っていない。しかし、ヒトラーは驚くべきことに、以上の予告篇ともいえる鋭い予知を、若い頃の『我が闘争』下巻の中に(角川文庫374ページ)、既にはっきり書いている。

「ユダヤは日本に対して絶滅戦を準備するだろう、英国がそれにかかわるだろう」と。

さすがに、それを命ずるのが「真実の男だ」とまでは、その時点では記していないが……。

 


(左)広島に投下されたウラン型原爆「リトル・ボーイ」
(右)長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファット・マン」

 

■ソ連とゴルバチョン書記長に関する予言


「それでも、我々ナチスは日本と協力して、ソ連とも戦う。それが第二次世界大戦の最大の山の1つになり、我々はおそらく勝てるはずだ。だが、もしソ連とアメリカが──相反するはずの民主主義と共産主義が手を組んだら、我々が敗れる恐れもある。そのときはソ連とアメリカが、激しく競り合いながら、その後の世界の覇権を分け合うことになろう。

そうなれば、それにふさわしい強力な指導者をソ連は持つようになる。それは、レーニンより強く、スターリンより賢明な指導者だ。彼は共産主義と民主主義を結合し、マルスの座から世界を支配するだろう。彼は額に『赤いしるし』を持つ男だ」


すくみ上がるような予言である。しかし当時のヒトラー側近たちは、これを対ソ戦への戒め以上のものとは思わなかった。最後の行の「赤いしるし」も、「共産主義のシンボルということだな」ぐらいにしか理解できなかった。

だが、ご存じのとおり、現在(1988年)のソ連のゴルバチョフ書記長のおでこには、まさにこの予言通りの「赤いしるし」がちゃんとついているのだ。ヒトラーがそれを見通していたのなら、「その男が共産主義と民主主義を結合して世界を支配する」も、強い意味で迫ってくる。

 


ソ連の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフ書記長

※ 彼のおでこには赤いアザがある

 

■その他の「ヒトラーの山荘予言」


ほかにも、いくつかの「ヒトラーの山荘予言」がある。第二次世界大戦の勝利と敗北を、的確に見通したものが多い。

「わがナチスは、一兵たりとも損わずにマジノ線を突破し、パリを占領する」

マジノ線は、フランスの誇った強大な要塞線だったが、ナチス軍はヒトラーの霊感命令で、とても渡れないはずの湿地帯を迂回してパリに突入した。


これとは別に、当面の戦争を離れて、その後の人類の運命というか、人間の行く末を見通した恐ろしい言葉が、ときどき不意にヒトラーの口から洩れた。

「たとえ戦争も災害もなくても、人間は21世紀、空気と水と食物の汚染だけで衰えていく。いや、その前に、肉食とアルコールとタバコでも衰える。だから私は肉も食べないし、酒もタバコもやらない(これは事実そうだった)。こうすれば、汚染で破滅する者よりは保つのだ」

「また人間はそのうち、外科手術で内臓をスゲ換えて、他人の心臓やブタの腎臓やサルの肝臓をつけてまでも生き延びるようになる。最後は特別な光線の手術機械を使って、脳ミソまで他人のと入れ換える。つまり、すっかり別人になってしまうのだ……」


(以上、『1999年以後』より)

 

 

 

■■第5章:両極端に分かれていく未来社会 〜「東方が巨大な実験の場になる」〜


●さらにヒトラーの予言は不気味さを増していく。

ここで出てくる「東方」とは、「日本」のことを意味しているのだろうか?

以下、抜粋↓


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「未来の社会はどんな様相を見せるだろうか。同志諸君、申し上げよう。

まず闘争によって選りぬかれた貴族階級が現われる。新しい中産階級、無知な大衆、新しい奴隷、仕えるものの集団、『永遠の未成年者集団』があろう。そしてこれらすべての上に、さらに新しい貴族がある。特別の指導的人物である。

このように、支配をめぐる闘争によって、国の内外に新しい身分が成立する。しかも東方が巨大な実験の場になる……そこに新しいヨーロッパの社会秩序が生まれるのだ」(ラウシュニングに語った言葉)


この正確な意味はラウシュニングにはわからなかった。彼とともに聞いていた他のナチ幹部たちも、貴族とか、新しい奴隷とか、東方とか未成年者とか……わかったようで、本当の意味はつかめなかった。

 


(左)ヘルマン・ラウシュニング(元ナチ党員)
(右)彼の著書『ニヒリズム革命』(学芸書林)

彼は1934年末まで自由都市ダンツィヒの
最高の行政担当者として、ヒトラーの東方政策に
関わった。その後「反ヒトラー」に転じ、国外に亡命。
1938年に、ナチズム批判の古典といわれる
『ニヒリズム革命』を出版した。

 

で、数日後、やはり総統ブレーンの1人だったハンス・フランクが、ヒトラーみずから上の予言を解説してくれるように、おそるおそる頼んでみた。

このハンス・フランクというのは、ヒトラーの若いころからの弁護士で、信任が篤く、東ヨーロッパの占領地域の管理を任されたほどの腕ききのナチス幹部である。そのせいか、ヒトラーはうるさがらず、機嫌よく求めに応じて答えた。だんだん明らかになっていく彼の魔性の予知の、何合目かまでの真実を。

 


ポーランド総督ハンス・フランク

 

「よろしい、では解説してやろうハンス。私が言った未来に現われる『永遠の未成年者集団』というのは、もちろん、死ぬまで大人になりきれない人間たち、ということだ。

そんなことは、厳しい正常な社会ではありえない。だからそうなる背景には、甘やかされた異常な社会が当然ある。その中で、同じように大人になりきれない親に、愛玩動物のように育てられるため、子どもも成人しても真の大人になれないのだ」


「しかしハンス、じつはそれだけじゃない。私が本当に言いたかったのは、そのことではない。

未来社会には、そういう『永遠の未成年者集団』が現われる一方で、幼いときから大人の思考と感情を持った人間たちも現われるのだ。信じられないだろうが、彼らは胎児のときからさえ、そのように教育される。5つか6つで一人前の理屈と判断力を備え、13、4歳にもなれば、並の大人を指揮するほどの力を持つようになる。

つまり両極端ということだ。肉体が大人で感情が幼児のようなグループと、肉体はまだ青春期にまでいかないのに、思考と感情が大人を超えるグループ……」


「しかもハンス、それは人間の発育状況だけじゃないのだ。人類と社会のあらゆることが、未来には、そのように両極端に分かれてしまうのだ。

たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。貴族とか新しい中産階級とか言ったのはその意味だ。

だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。

それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。

限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』、『新しい奴隷』も増えていくのだ」


「人間だけではない。国もそうだ。恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる。

気候もそうだ。とほうもない旱魃(かんばつ)や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とに分かれる。

愛もそうだ。特定の男女にだけ、愛と肉体の快楽が集中する。一方、一生に一度の真の愛も快楽も得られない男女も増える。要するに、土地や金や支配力を得る者は、ますますそれを得、支配される者はますます支配されるだけになる。そうだハンス、それが未来なのだ。私の見た未来だ。未来はそうなるのだ……」


「それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。そうだハンス、その完成とさらに新しいアプライゼ(スタート)の時期が1989年4月に来るのだ」

 

■「連合軍法務最高機密A」に指定されたハンス・フランクの証言


このヒトラーの呪わしい予言は、まとまった形ではどこにも残っていない。ハンス・フランク以外にも、数人のナチス高官がこの予言を聞いてメモを取ったといわれるが、残念ながらそれも伝わっていない。

ただ、それから約10年後、つまりナチスが第二次世界大戦に敗れ、ヒトラーも愛人と自殺してしまったあと、ハンス・フランクはヒトラーと親しかった大物の戦犯として、ニュルンベルクの国際軍事法廷(米・ソ・英・仏がナチスを裁いた裁判)へ引き出された。

そして、「親友のおまえならヒトラー最大の秘密を知ってるだろう」と、検察側に激しく追及され、ついにしゃべってしまったのだ。独裁者ヒトラーが、じつは魔性の大予言者だったこと。また彼が見通した大戦の的確な経過、あと21世紀半ばからその先にまで至る恐るべき予知の数々を。

 


連合軍による「ニュルンベルク裁判」の様子(1945年11月)

この国際軍事裁判はナチスの党大会の開催地だったニュルンベルクで開かれた。
史上初の「戦争犯罪」に対する裁判で、12名のナチス高官に死刑判決が下された。

 

「ほんとうか、確かか。いや、原爆もノルマンディーもマジノ線も、確かに当たっている。とすればこれからも当たる確率が大きい。危険な証言だな。外へはとても出せない」

裁判長はじめ数人の軍人判事はそう判断し、非公開法廷だったのを幸いに、その場にいた全員にきびしく口止めした。同時にハンス・フランク証言の全体を、「連合軍法務最高機密A」に指定した(その後、ハンス・フランクは処刑された)。

だからそれは、いまぺンタゴンやクレムリンの「大戦資料室金庫」の奥深くに保存されているはずなのだ(ということは、その後、現在までの米・ソ・英・仏・イスラエル各国首脳が、おそらくそれを読んでヒトラー予言の究極を知っていることを意味する。それを知って参考にしてきたか、無視してきたか、決定的な指針にしているかは知らないが、どっちにしろ、この事実は、日本が未来の重大なキーの1つを持っていない、という恐ろしいことをも意味するだろう)。

だが幸いというべきか、そのごく一部はその後洩れた。厳しく禁じられれば、逆に洩らしたくなるのが人情で、もと法廷タイピストや法廷通訳といった人たちが、ハンス・フランク証言の一部を思い出して友人などにささやいたのだ。それを欧米のヒトラー研究家たちが聞き出し、著書の注などに小さく書いたり、ラジオでしゃべったりした。

その内容が長い間かかって、私(五島)のような異国の予言研究者のところへも少しずつ流れてきた。そうした断片をつなぎ合わせ、すでに発表されている他のヒトラー資料で裏を取り、なんとか再現してみたのが上の重大予言というわけなのだ。だから中身は不完全だし、話の順序も違っているだろう。また実際には、ヒトラーもハンス・フランクも、もっと重大なことを色々しゃべったに違いない。

しかし上の予言だけでも、それはいままでになかった次元の、魔界の男が見たにふさわしい未来である。

そこにはいままでの大予言ふうの、戦争や地震や恐慌がいつ起こるかといった、単なる“現象”の見通しはもうないのだ。代わりに、それを一次元または数次元超えて、人間存在そのものの行く末にまで踏み込む、妖しくも深い予知がある。

「人間はこれからどんな人間になるのか」、「人類自体はこれからどう変貌していくか」。

この根源的な見通しが──まだ究極は明かされていないものの──はっきり打ち出されてきているのである。


(以上、『1999年以後』より)

 

 

 

■■第6章:首都ベルリンの地下官邸で語られた「ヒトラーの指名予言」


●次は、南ドイツのオーバーザルツベルクの山荘を離れて、
首都ベルリンの地下官邸で語られた「ヒトラーの指名予言」である。

以下、抜粋↓

 


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ヒトラーはしばらく予言を口にしなくなる。
そんな悠長な状態ではなくなったからだという。


ハンス・フランクと対話した1年後の1939年8月31日、雨の降り続く冷夏の深夜、ヒトラーは突然飛び起きて

「今だ! 私は命じられた! 進め! ポーランドヘ!」

と甲高い声で叫び、全軍にポーランドへの侵攻を指令した。

 


ドイツ軍によるポーランド侵攻(1939年)

 

これで第二次世界大戦の幕が切って落とされた。

あとは北欧やオランダヘの急侵攻、宿敵フランスとの短期決戦、英国へのV1号V2号攻撃、米ソ両大国の参戦、さらに日本の真珠湾攻撃と、わずか1年ほどのあいだに、世界は血と硝煙の中で、ただ目まぐるしく動いた。しかもそれは、マジノ線突破から真珠湾奇襲、ノルマンディー上陸まで、ヒトラーが山荘で予言したのとほとんど違わない展開をみせ、あらためて側近たちを震え上がらせた。

だが当人は、それを自慢している暇もなかった。強力な独裁者であることが裏目に出て、いっさいの指揮の責任が一身に集まり、彼は毎日、声を枯らして部下たちに作戦を命令し続けねばならなかった。

「今日はV2号を50基出せ!」、「ノルマンディーに戦車200台だ!」、「米軍のど真ん中にカール砲をぶっ放せ!」、「ロンメル(北アフリカ戦線のドイツ軍の名将)にプラチナ十字章をやっておけ、しかし奴から目を離すな」……。

これでは遠い未来を瞑想するなど思いもよらない。しかもインスピレーションの源泉ももう絶たれていた。ヒトラーは開戦と同時にオーバーザルツベルクの山荘を離れ、総指揮のため、ベルリンの総統大本営に移ってきていたからだ。

 


ベルリンの総統大本営として使用された「総統官邸」

この総統官邸の「地下壕」は大規模な設備を有していた
防空施設で、ベルリンで一番安全な場所であると言っても
過言ではなかった。長期戦に備えて食料貯蔵庫や
電話交換室、配電室、毒ガス攻撃に対応する
ための空調室も兼ね備えていた。

 

そこには、彼の心深く何かをふき込んだ、雪に輝くドイツアルプスの姿はなかった。洞窟の奥の未来都市もなかった。形ばかり大げさに飾りつけた広い会議室と、ごっつい将軍たちの顔があるだけだった。開戦後、勝利が続いているうちはそれでもよかったが、米ソが参戦し、ナチスが東西から押されぎみになってくると、ヒトラーは歯を剥き出して将軍たちに当たった。

「ハゲタカが泣いたみたいな顔しやがって、出て失せろ!」

彼はしばしばどなった。

「こんな陰気な宮殿の中できさまらの顔ばかり見てると、霊感もしぼむ。きさまらと会議するたびに、私は退化して猿に戻っていくような気がする。私がもし猿並みの人間になったら、それはきさまらのせいだぞ!」

しかし、まもなく奇妙な変化が起こった。

きっかけは皮肉にも、ナチスの旗色がいっそう悪くなり、米軍機の爆撃が激化したことからだった。ベルリンの街は、家々の外側のコンクリートだけ残して、墓場の廃嘘のようになった。かろうじて生き残った市民は、防空壕や地下鉄の構内でただおびえていた。ヒトラーの総統大本営も、地上の部分はガレキの山になり、地下深くもぐらねばならなくなった。これが不思議なことに、ヒトラーの予知力にふたたび火をつけたのだった。

「私は負けたモグラじゃないぞ」、そう怒りながら、いやいや地下の私室に入った彼は、翌日、目をギラギラさせて側近たちの前へ出てきた。

「ここは山荘の洞窟に似とる。おかげでひらめきが戻った」

彼は地の底からひびくような声で言った。

「しばらく会えなかった“あいつ”ともまた会えた。“あいつ”が未来を見させてくれた。前よりもいっそう鮮明にだ。聞け諸君、これは私の未来というより諸君の未来だ!」


そして彼は、毎日の作戦会議の前後、時には途中でも立ち上がって私室に側近たちを呼びつけ、新しい霊感に照らされた未来を、しわがれた声でしゃべった。それは先の山荘予言とは、はっきり異質のもので、側近たちを名指しで呼んでは予言する薄気味悪いものだった。だからこれを、「地下官邸でのヒトラーの指名予言」と呼ぶ研究者もいる。

といっても、ナチスの敗色が濃くなってきた混乱期に語られたため、資料は山荘予言よりさらに少ない。側近たちが聞いて、あとで友人や戦犯裁判の検事に話したり、手記に書いたり……それを欧米の研究者が1、2行ずつまとめたものしか残っていない。それでも、それらをつないで並べると、こんな怨念のこもったような「指名予言」の数々があぶり出されてくる。

 

※ ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍は1939年9月1日午前5時、ポーランドに侵入して第二次世界大戦を起こしたが、実は、その前夜に、ヒトラーは側近にこう語っていたという。

「明日は輝ける魔の日だ。自分だけに許された“定めの日”だ。将来、この日、この時刻にまた大戦を起こそうとする者が東アジアに現れるだろうが、自分以外の誰もこの日を所有できない……」

 

 

■ゲーリングとヒムラーへ……きみらは私を裏切るぞ


「やあヘルマン、やあハインリッヒ。ここの地下生活はどうかね。私は不愉快を通り越して快適だ。頭が前より冴えてきた。きみらのことも、前よりよくわかるようになった。きみらとゲッベルス博士(宣伝の天才は文学博士でもあった)は、わがナチスの最高幹部だ。私の忠実な友人だ。

しかしきみら2人は、私にははっきり見えているが、私の最後の日の7日前に、共謀して私を裏切るぞ──。きみらはアメリカ人と気が合うからな!」


これは1944年12月ごろ、地下本営の昼食会で、ヒトラーがヘルマン・ゲーリングとハインリヒ・ヒムラーに突然語った言葉だ。

ゲーリングはナチスの空軍大臣で、ヒトラー側近のナンバー2。ヒムラーは親衛隊と秘密警察の総司令で、側近ナンバー3。ともに第二次世界大戦の実質上の推進者であり、ヒトラーの献身的な部下だった。

にもかかわらず、2人は1945年4月23日、ヒトラーが自殺する敗戦の7日前、自分たちだけでも助かろうとして、ヒトラー抜きでアメリカに極秘の和平交渉を申し入れた。「我々を逃がしてくれるなら、総統を捕えて米軍に引き渡す」という条件つきで。

これをヒトラーはその半年前に見抜き、上のような言葉で警告したのだった。しかし、そのときはゲーリングもヒムラーも、まだナチスの勝利を確信しており、ヒトラーを裏切るようになるとは全く意識していなかった。

逆に言えば、まだ形になっていない半年後の深層無意識を言い当てられたことになる。それだけに2人は真っ青になり、虐殺者ヒムラーも食物をのどに詰まらせ、豪快なゲーリングの2メートル近い巨体も、15分ほど震え続けたという。

 


(左)ヘルマン・ゲーリング (右)ハインリヒ・ヒムラー

 

■侍医のモレル博士へ……ここには「長い壁」ができる


「モレル、きみは軍人じゃないから、なんでも話せる。軍人に話せば気力を失くすようなことでもね。……なあモレル、私の予知では、ナチスはまもなく負けるよ。負けて何もかもなくなって、ここらへんは美しい芝生になる。

しかし誰も遊びにも見物にも来ない。この近くには『長い壁』ができて、ドイツを真っ二つに裂く。そこへは今世紀の終わりまで、世界中から見物人が来るが、ここへは来ない。芝生の隅には小さな看板が立って……そう、『ここにナチスの本拠があった』と書かれるようになるだろうよ」


1944年12月ごろ、米軍機の爆撃の合い間に地上へ出たとき、ヒトラーがモレル博士に言った言葉。

モレルは天才的な医者で、ヒトラーが激しいストレスや胃腸障害や不眠症で苦しんだ敗戦直前の時期、独特の治療でぎりぎりの健康を支えた。それでヒトラーのあつい信頼を得、こうした話も聞かされたのだと思う。モレル博士自身、あとで手記にそう書いている。

そして戦後、総統大本営の跡は、まさにその通りになってしまった。近くには、ソ連が作った東西ドイツを分断する「ベルリンの壁」。

そこからやや東ドイツ寄りの場所に、この“予言の芝生”があるが、訪れる人はほとんどいない。「ここにナチスの本拠があった」と刻まれた小さな石碑が、隅に立っているだけ。だから、この予言で当たらなかったのは、ここに“看板”が立つとヒトラーは言ったが、実際には“石碑”が立てられた、ということだけだった。

 


1961年に東ドイツが建設した「ベルリンの壁」

ヒトラーが生まれてからちょうど100年目の1989年、
東西両ドイツの国民の手によって打ち壊され、世界を驚かせた。
ヒトラーの予言通り1989年を境にして、戦後史は劇的に
転換し、歴史は新たな歯車を回し始めた。

 

■愛人エヴァとレニへ……子どもを生まない民族は滅びる


「レニ、こんな時期にこんな所へよく来てくれた。でも、きみはここを去って、二度と戻っては来ないよ。そして、それでいい。きみは長生きして名声を得るだろう。また、死ぬまで映像の美とともにあるだろう。

将来の……今世紀末から来世紀はじめの文明国では、きみのように結婚もせず、子どもも生まず、一生、男以上の働きをする女性が増えるよ。しかし、それは当然、女性の見かけの地位の向上とともに、その民族の衰亡──ひいては人類の破滅につながるワナなんだけどね。

そしてエヴァ、きみもここを去って二度と戻って来ないほうがいい。しかし、きみは戻って来る。それは、きみがエヴァだからだ。それがきみの運命で、私の運命でもある。きみは私との運命の秘儀のために戻って来るのだ」


お気に入りの美女たちを集めた地下の新春パーティでの予言。

この1945年1月の新年会が、ヒトラーとナチスにとって、最後の華やかな宴になった。モレル博士らの記憶では、10人ほどの美女が集まり、当時32歳のエヴァ・ブラウンがヒトラーと並んで座った。

エヴァはヒトラーの正式の愛人で、美しいが寂しそうな表情の女性で、このパーティのあと、空襲を避けてオーバーザルツベルク(一説ではミュンヘン)へ疎開した。だが、ヒトラーとベルリンに最後が迫ったとき、予言通り、ためらわずべルリンへ戻って来た。そしてヒトラーと結婚式を挙げたあと、2人で謎の自殺を遂げた。

レニ・リーフェンシュタールは、エヴァ以上にヒトラーに強い影響を与えたとされ、彼の精神的な愛人ともいわれた多才な美女だった。

バレリーナで女優でモデルでシナリオ作家で、34歳のときには、永遠の傑作と謳われたベルリン・オリンピックの記録映画、『美の祭典』の監督もした。その前、ナチスの発展期に民衆の前へ出るときは、いつも純白の長いドレス、背中まで垂れた栗色の髪。神秘的な冷たい笑みをたたえ、大衆をナチスへ惹きつける巫女のような存在でもあった。

戦後は戦犯として裁かれるところを、不可解な強運と米ソへの何らかの取り引きで切り抜け、ヒトラー予言通り映像の仕事を続け、75歳でアフリカの奥地へ入って、秘境に住むヌバ族の写真集を出したりしている。

ある意味で、ヒトラー以上にすごい妖異の女王だった。

 


(左)レニ・リーフェンシュタール
(右)エヴァ・ブラウン

 

■再びハンス・フランクへ……世界の二極化は進む


「やあハンス、私だ、ヒトラーだ。久しぶりだな。どうだ元気かね? ソ連軍はどこまで来ている? ほう、もうそんなにか。……いや大丈夫だ、まだまだ保つ。救援の戦車とロケット部隊をすぐ出すよ。きみもがんばってくれ。

ところでハンス、いつだったか山荘できみに、『私が生まれた100年後の1989年、人間が2種類に分かれる』と言ったことがあったな。金持ちや土地持ちと新しい貧民、恵まれすぎる国や恵まれすぎる人と、恵まれなさすぎる国や人、地獄の災害地と不気味なほどの楽園、間違いなく何もかも2つの極に分かれる、と。そのあとのことを、あのときは言わなかった。漠然とわかってはいたが、まだ確信がなかったのだ」

「だが、今になって、それがはっきり見えるようになった。

あとでみんなにも話すつもりだが、あのとき、きみに話した続きだから、まず、きみに話そう。それは『激化』ということだ。“2つの極”はますます進む。

1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ……わかるかハンス? 私が死んだらきみがこれを伝えろ。新しい真のナチスの世界に伝えろ。きみはわからないだろうが、それはもう始まりかけているぞ。ではハンス、ごきげんよう……」


1945年2月末ごろ、ソ連軍に追われて東ヨーロッパから後退中のハンス・フンク(当時ポーランドのナチ長官だった)へ、ヒトラーが話した予言である。

本来は、とても話せるような状況ではなかったが、偶然、地下本営と無線電話が通じ、ハンス・フランクが戦況を報告した。しかしヒトラーはほとんど聞かず、上のような不気味な予言を、一方的にしゃべって切った。ハンス・フランクにとっては、これがヒトラーの肉声を聞いた最後になった。


(以上、『1999年以後』より)

 

 

 

■■第7章:ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」


●次は、ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」である。

以下、抜粋↓

 

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「地下官邸からの指名予言」の重要部分は、これだけである。

ただ、これらとは別に、不特定のドイツ国民にあてた、ヒトラー最後のメッセージ、つまり最後のラジオ放送の一部が残っている。それは1945年3月20日に放送されたといわれ、3月30日ともいわれ、4月2日ともいわれている。この3日間全部に放送されたという説もある。

いずれにしろ、そのころ西からは、40万人を超える米軍がライン河を渡っていた。東からは、100万のソ連軍がベルリンに迫っていた。爆撃だけでなく、ソ連の戦車砲の砲弾さえ、頻々とベルリン郊外に落ち始めていた時期だった。

いつヒトラーの最終放送があったかの正確な記録など、そんな末期的状況の中で残っているわけがない。放送そのものの内容も、録音盤はのちにソ連軍に持ち去られ、いま残っているのは、側近たちが別に録音しておいたディスクの断片だけだという。そこから起こした欧米の研究家たちの記述をつなぎ合わせると、ヒトラーはほぼ次のように言ったようだ。

3、40分間の放送だったらしいが、残っているのは、次の切れ切れの7、8分間分だけしかない。


「国民諸君、同志諸君、最後まで戦い続ける諸君に敬意を表する。すでに戦況は……私はベルリンと運命をともに……しかしナチスは不滅である……たとえ米ソがいったんは勝つように見えようとも……。

そうなのだ、それは砂の上の勝利だ。彼らは世界の真の支配者ではないからだ。彼らの背後で操る者……ユダヤ……イスラエル……世界的なユダヤ国際資本……。

米ソは……おそらく1990年代ごろまで、対立と妥協を繰り返しつつ、世界を運営しようとする。しかししょせん……ヨーロッパと日本、東アジア、イスラム諸国、インド……いずれ世界は米ソの手に負えなくなる。そのときユダヤはみずから……に乗り出す。

あわれなアラブ4ヶ国……最終戦争。東西が激突するだろう。ユダヤはそれに勝って全世界……なぜならそれが彼らの『旧約聖書』の約束だからだ。黙っておけば必ずそうなる。しかし、私がそうはさせない。そのための手を、私は死ぬ前に打っておく。それが最後の秘儀である。それによって人類はわれわれを受け継ぐことになる。

しかも見よ、そのあと、わがナチスの栄光、ラストバタリオン……。それが真のハーケンクロイツの日だ。カギ十字の日だ。そのときラストバタリオンが現われる。ユダヤを倒す。世界を支配する。永遠に……そしてナチスは甦る。真のヒトラーの時代が来る。必ずだ。

甦ったナチスの軍団とその強力な同盟がそのとき来る。宇宙からの復讐のカタストロフィとともに来るぞ。それからが真の究極だ。真の終わりで真の始まり、真の淘汰、天国の地獄、21世紀のその年に、人類の驚くべき究極の姿……ではそれを明かそう。諸君、それは人類……」


ここで空襲警報のサイレンがけたたましく入った。そのためヒトラー最後の放送も、ここでプツンと途絶えてしまった。

その日が1945年の4月2日だったなら、彼はこのあとなお、4週間ほど生きる。しかしともかく、彼の国民への最後の呼びかけは、こういう重大で狂おしい、しかし不完全な形で終わってしまったのだ。

 


(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗
 ※ ユダヤ人の国イスラエルは、戦後1948年5月に中東に誕生した

 

第二次世界大戦末期のこのとき、ユダヤ民族は世界中に散らばっていた。ヨーロッパにいたユダヤ人たちはナチスに迫害されていた。そして1948年にユダヤ民族が建てることになるイスラエル国家は、まだ世界のどこにもなかった。

だのにヒトラーは、ラジオ放送の中で、「イスラエル」という国名をちゃんと挙げている。

つまりヒトラーは、ナチスによるユダヤ民族抹殺が成功せず、かえって彼らが建国して世界に隠然たる力を持つようになるのを見抜いていたのだ。しかも建国の場所がどこになるかも読んでいたものと思われる。ということは、イスラエルと、イスラエルに割り込まれる周囲のアラブ・イスラム諸国の間に、血で血を洗う運命が当然待っているだろうことも。


(以上、『1999年以後』より)

 

 

 

■■第8章:ヒトラーが「超人」(超人類)について語った言葉


●ところで、ヒトラーは「超人思想」の持ち主だったことで知られているが、
この件に関しては、当館作成のファイル「ヒトラーの超人思想の謎」に
詳しくまとめてあるので、興味のある方はご覧下さい。


●『1999年以後』の本には、ヒトラーが「超人」(超人類)
について語った言葉として、次のような言葉が書いてある。

参考までに紹介しておきたい↓


------------------------------------------------------------


ヒトラーは近未来の大戦や宇宙カタストロフィ以上の衝撃として、「ユーベルメンシュ(超人)」が出現することを、親しい人々に繰り返し予言していた。ヒトラーの目には、人類が二極分化していく姿がはっきり見えていたらしい。

「1989年、人間が2種類に分かれ」たあとは、その必然の結果として、「超人類が現われる」と確信していたようだ。

そのことを彼は、山荘でも地下本営でも、側近たちに、次のように熱っぽく語っていた。

 

 

「私は若者たちを育てる。特別な若者たちを選んでユンカー学校へ入れる。彼らは、そこで新しくつくり変えられ、“支配する術”と“どんな敵にも勝つ術”、“死を克服する術”、また“人の心や未来を読む術”を学ぶ。

そうすれば、彼らと彼女たち全員ではないが、その中から新しい世界を支配できる超人が現われてくる。そう……今世紀末にはその結果が見られるはずだ」(山荘でラウシュニングヘ)


「それは本当は、私が育てるようなものではない。放っておいても、人間はいずれそうなる。大多数の者は支配される感情の中に沈むが、一部の者は超人に変わっていくのだ。私はそれに手を貸して実現を早めるだけだ。そうでないと、他の民族の中からもそれが現われないとも限らないからな」(ミュンヘンのナチス本部で、ハンス・フランクヘ)

 


アドルフ・ヒトラー(中央)と
純血アーリア人の特徴を持つ少年たち

 

「前に、“永遠の未成年者の実験場は東方だ”と言ったが、超人類を生むことについても、東方が実験場になるかもしれない。近未来、天変地異が襲うヨーロッパ各国にも、大戦の舞台になる中東にも、米ソやインドにも同じことが起こるかもしれない。

しかし、なんといってもアーリアだ、われわれゲルマンだ。それが頭ひとつ抜いて超人類を創出する。それが創造されさえすれば、もはや我々に勝てる者はない。

考えてもみたまえ。世界中の猿が連合して人類に立ち向かってきたとしても、近代兵器を持ったほんの数人の人間に勝てまい。同じことが、これまでの人類と今度現われる超人類の間にも起こるのだ」(ミュンヘンで、ラウシュニングとフランクヘ)


「その証拠を明かそう。じつは私は、すでにその人間を見たことがあるのだ。恐れを知らぬ、目を合わせていられないような、苛烈で新しい人間をね」(山荘で、ゲッベルスとラウシュニングヘ)


「天地創造は終わっていない、特に人間については、終わっていない。人類は今、次の階段を昇り、新しい戸口に立っている。新しい種族が輪郭を示しはじめている。それが超人の種族だ。

彼らと彼女たちは出来上がりつつある。完全に自然科学的な突然変異によってだ」(ゲッベルス、フランク、ヒムラー、ラウシュニングヘ、山荘で)


「そして大破局が起こる。近未来に起こる。しかし救いのイエス・キリストなんか来ない。別の救世主が来る。

そのとき人類を救うのは人類を超えるもの……彼らと彼女たちが、新しい世界、新しい宗教を創る」(アルプス山麓のデートで、レニ・リーフェンシュタールヘ)


(以上、『1999年以後』より)

 

ヒトラーの超人思想によれば、「天地創造は終わっていない、特に人間については
終わっていない」という。そして「完全に自然科学的な突然変異」によって、
21世紀中に「新しい人間」(超人と神人)が出現するという…。

 

 

 

■■第9章:「ヒトラーの究極予言」の秘話 〜ヒトラーが予知した「神人」とは?〜


●第1章でヒトラーの「最高秘密の予言」である「究極予言」を紹介したが、
『1999年以後』にはこの「ヒトラーの究極予言」と「神人」について、
もう少し詳しい説明(秘話なども含む)が載っている。

興味深い内容なので、少し長くなるが簡単に抜粋しておきたい↓


------------------------------------------------------------


■人類は50年、100年ごとに大変革を迎える


「ニーベルンゲン復讐騎士団」は1939年1月25日の前夜までに、山荘へ約150キロのザルツブルグ空港に集められていた。そこから総統差し回しの「グロッサー・メルセデス」と「ベンツ540K」50台に分乗、ベルヒテスガーデンまで行った。あとは雪道を歩いて山荘へ昇った。

すると山荘の広い地下室に、巨大なかがり火とアルプスの青い氷が輝やいていた。「世界は炎と氷で滅び、その中から新世界が甦る」──このゲルマン神話のテーマを表した演出だった。

ヒトラーの生誕50年を祝い、また「人類は50年、100年ごとに大変革を迎える」という黒魔術の思想を受けて、50本のカギ十字の旗も飾られていた。

ヒトラーはその中央に立った。

「ハイル・ハイル・ヒトラー!」

右手を高く上げ、ブーツのかかとを打ちつける騎士団の歓呼を浴びた。
それから彼は、おもむろに低い声で「究極予言」について話し始めたのである。

 

 

「諸君、よく来られた。今日は最も信頼する諸君に、私の予感している人類のこれからの運命を告げる。また、わがナチスの真の使命も告げよう。

その第一は、まもなく始まる第二次世界大戦である。これは予感でも計画でもなく、諸君が知ってのとおり、私がいつ出動命令を下すかという段階にまで来ている。それを私は、私が生まれてから50年目の今年(1939年)、遅くても9月までには下す。同時にわが軍は東ヨーロッパに殺到し、次いで北欧とフランスを倒し、2年半で全ヨーロッパを征服するだろう」

「そしてその2年半後、1945年の私の誕生日(4月20日)までに、大戦は表面だけは一応の終結を見るはずだ(これも的中。1945年4月30日に、ヒトラーは敗れて自殺した。つまり10日だけズレた)。

その日までに、ナチスの目的が果たされることを私は望む。

しかし、もし果たされないときには、きみらナチスの息子たちが私を受け継ぎ、必ず我々の栄光の世界を実現するようにせよ」

 


ヒトラーは、自分の生誕50年目に当たる
1939年に、第二次世界大戦を起こした

 

■2039年の未来社会


他にも、とほうもない未来予知がいくつか語られたらしい。が、なにしろ整理された資料などない。やっと探し出した資料も、それ以前の資料と重複していたりして、とてもヒトラー「究極予言」の完全版はお目にかけられそうもない。

ただ重大な核心の一部だけは、ヨアヒム・フェスト著『ヒトラー』(河出書房)にかろうじて見ることができる。そのほか、カリック編の『ヒトラーは語る』(中央公論社)、ポーウェル&ベルジェの『魔術師の夜明け』(サイマル出版会)、サスターの『黒魔術師ヒトラー』(徳間書店)……などのわずかな部分。さらに予言研究の雑誌の編集者とか、ナチス史にくわしい古い研究者たちに当たった私(五島)のいくらかの取材などがある。

「今の文明は砂漠しか残さない。文明の砂漠だ!」という恐ろしい叫びは、ヒトラーが騎士団以外の側近たちにわめいた言葉だったと、ラウシュニングが書いている。

「将来、人類(の少なくとも一部)はロボットになる」──この不気味な予言も、ヒトラーまたはゲッベルスが若いころすでに言っていたと、ジョン・トーランドの本に出ている。

そういう重複や混乱がいくつもある。だが、そんな欠点があっても、それでもヒトラーが予知していた究極の人類像、2039年(とそれ以後)の未来図が、かなり浮かび上がってきたのではないかと思う。

「それにしても、これじゃ救われない。ほんとにこんな世界になったらたまらない。まるでオーウェルの『1984年』だ……」

そう思って身震いした方もおられるだろう。たしかにそうで、私もヒトラーの予言資料の断片をひっくり返しながら、まず『1984年』のことを思った。もう題名の年が過ぎてしまったので注目されないが、それは英国の作家ジョージ・オーウェルが1944年に書いた、悪夢のような未来SFだ。

 

 

そこでは、世界はアメリカ中心、ソ連中心、日本中心の3つの超国家に分かれ、少数の超エリートが超テレビを使って支配している。民衆は、自分のほうからは支配者の本拠を知ることすらできないまま、トイレの中の姿まで超テレビで監視され、働かされ、戦争をやらされ、税金を払わされている。

しかし、なぜそうしなければならないかは、教育される段階で「ものを考える力」を奪われてしまっているため、民衆には何もわからない。話す言葉も、政府が決めた言葉しか使えない。政府が決めたものしか食べられない。政府が決めたことしか考えてはいけない。死ぬときも政府が決めた通りに死ななければならない。

つまり、超独裁の超管理社会をオーウェルは描いたのだった。

そしてヒトラーの予知した「神人とロボット人間たち」の社会も、たしかにこれと似ているところがある。

だが、よく読み返すと、だいぶ違うところもあると気づかれるはずである。

第一、オーウェルが描いた支配階級は、政治的な超絶対権力を握っているだけ。彼らの脳の中身が、支配される民衆の脳以上のものになっているというのではない。

ヒトラーが予知した「神人」とここが違う。

 

 

「神人」たちも祖先は人間だったが、彼ら自身はもう人間ではない。人間より数段進化した、人間以上の別の「種」が「神人」だ。いまの私たちが、生物学でいう「ヒト科ヒト」ならば、「神人」はもう「カミ科カミヒト」になっているのだ。

彼らに支配される「ロボット人間」たちも、たしかに完全管理されてやりきれないが、別に超テレビで監視されるのではない。「神人」はテレビなど使わなくても全部わかる。だからオーウェルの描いた悲惨な民衆よりはずっと気楽で、何かわからない「神人」たちのプログラムの範囲内では、自由に生きていかれる。

しかも、「ロボット人間」自身、もう人間ではないから、今の人間と違う感覚を持っている。「ロボット人間」なりの新しい楽しみや満足度も追求できるのかもしれない。ここから私は、ヒトラーの予知した人類究極の姿は、オーウェルよりもむしろ、もう一つのSFの傑作、『地球幼年期の終わり』に、とても近いと感じる。

『地球幼年期の終わり』は、『2001年宇宙の旅』の鬼才作家アーサー・C・クラークが書いた、SFファンなら誰でも知っている、世界SFのベストテンに文句なく入る傑作だ。

 

■ケネディ暗殺事件と『2039年の真実』


落合信彦氏の作品には、『2039年の真実』という本がある。内容は、アメリカのケネディ大統領が、誰に、なぜ殺されたのか──を追及した迫真のドキュメントである。

落合氏はその真犯人を、はっきり名指ししてはいない。しかし当時、新しいハト派として世界平和の維持に苦心したケネディを、タカ派の軍部指導者や強硬政治家たちは激しく憎んでいた、そこに最大のカギがあることを、氏は鋭く浮かび上がらせている。

つまり、ヒトラーとはなんの関係もない本だ。「2039年」とタイトルにはあるが、私が追求してきた「ヒトラーの2039年予言」とは、まるでかかわりがない。にもかかわらず、氏がこれに『2039年の真実』と題したのは、ケネディ暗殺を徹底的に調べた米政府と下院調査委員会が、その恐るべき真相を含む極秘資料全部を、(ケネディを継いだジョンソン大統領の強い命令で)、2039年に公表すると決めたからだ、という。

 


(左)『2039年の真実』落合信彦著(小学館)
(中)第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ
(右)ケネディ暗殺の瞬間(1963年11月22日)

 

しかし、なぜそれが2039年でなければならないのか、いくら調べてもわからなかった、と落合氏は書いている。おそらく、2039年にそれを公表しても、関係者はみんなすでに死んでいるだろうし、他の人ももう関心を持たなくなっているからだろう、と。

私はここを読んで、落合氏もまた、ヒトラーの2039年予言について何かを知っている可能性がある、と感じた。そしてそれ以上に、アメリカの権力中枢は、ヒトラーの「究極予言」を全て知った上で、こうした重要政策を決めているに違いない、その一端を戦慄とともに覗いたような気がした。

 

 

繰り返すがヒトラー予言では、2039年、大戦と汚染から生き残った世界は、表面はどうであれ実質上、突然変異で超知能を持った「神人」たちに握られている。

大部分の民衆は「ロボット人間」のようになり、「神人」たちのプログラム通りに動き、権力が勝手に何をやろうと、将来何を計画しようと、もうなんの関心も疑問も持たない。そういう、気楽だが超管理化された社会、しかも、そのことを「ロボット人間」たち自身は全く気づかない社会になっている。

アメリカの権力中枢は、そうなることをすでに知っている。つまりヒトラーの「究極予言」をよく知って、それがなぜか的中することも知っている。だからこそ、それに合わせて、一見なんの根拠もない、ヒトラー予言にしか結びつかない、「2039年公表」の線を出してきたに違いないのだ。

他のアメリカの重大政治事件は、たとえばウォーターゲートやイランへの武器供与事件でさえ、調査がはじまって半年後には結果が公表された。ケネディ暗殺の真実だけが、なぜか「2039年」の未来へ押しやられた。

ケネディ事件には、それほどとほうもない秘密が隠されている。同時に、それが公表されてもなんの関心も持たない社会が「2039年」に出来上がっているのを、ジョンソン命令は雄弁に物語っているとしか考えられないのである。

それは、あくまでアメリカのことだ。しかし、アメリカがそういう「陰の超頭脳集団」に支配されるようになるなら、(日本だけ放っておかれるはずはないから)、日本も直接にしろ間接にしろ、そのとき「神人」たちの支配下におかれているだろう。

 

■別のものの出現は“日の国”とかかわりがある


ここで思い出されるのが、ノストラダムスの“別のもの”である。これは彼の『諸世紀』1巻48に出てくる不思議な予言の一節で、いろんな解き方をされている。しかし最大公約数的な解釈は、「大きな破滅の年までに“別のもの”が現れるときにだけ、人類は救われ、滅亡は起こらない」。

このノストラダムスの“別のもの”の詩には、「別のものの出現は“日の国”とかかわりがある」と示されている。

“別のもの”が「神人」と同じような意味なら、日本には日本独自の「神人」が、そのときまでに突然変異で現われているに違いない。〈中略〉

 

 

……ここで、もう一度簡単にまとめれば、これから世界は天変地異と「人間の二極化」に巻き込まれ、宇宙カタストロフィと新たな世界大戦が襲って来る。聖書の預言では、ここでヤハウェかイエスが降りて来て「罪深い者たち」を裁き、永遠の“神の王国”を築く。

しかし、より冷厳でリアルなヒトラーの予知力による見通しでは、そんなことは万に一つも起こらない。

代わりに、超人部隊(ラストバタリオン)が現われて、背後から大戦をコントロールし、決定的な被害が出ないうちにやめさせる。だが、そうなっても汚染や異変はやまず、世界的な大混迷と荒廃が地球を支配する。

 

 

しかし、その中から、いつとはなく「神人」たちが現われ、一切の危機の解消と「新世界創造」をリードする。残りも、いつとはなく「ロボット人間」になっている。

その意味では、今の人類はそのとき滅び、今のような人類はほとんどいなくなる。しかし、系統種としては、「元・人類」の形でなお続く。

つまり、あなたと私たちの未来には、襲ってくる多くの危機にもまして、「人間以上の、または人間以外のものへの進化」という不気味な道が、核と汚染と天変地異の中から、ついにはっきり見えはじめてきたのだ。


(以上、『1999年以後』より)

 

 

 

── 以上で、「ヒトラーの予言」の紹介は終了です ──

 

 

■■第10章:「1989年」に亡くなった昭和天皇 〜新たな元号「平成」時代の始まり〜


●さて、いちおう念のために書いておきたいが、

この本『1999年以後』(祥伝社)は、冷戦が終結する前の1988年(昭和63年)10月に出版された本である。

 


『1999年以後 ─ ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』
五島勉著(祥伝社/1988年10月出版)

 

●この本が出版された次の年に「ベルリンの壁崩壊」(1989年)が起こり、その後に「東西ドイツの統合」(1990年)、「ソ連崩壊」(1991年)が起こった。

だから、これらの「歴史的大事件」については、この本には一切書かれていない。

上(第6章)に掲載してある「ベルリンの壁崩壊」の画像(下にも掲載)は、当館が独自にキャプションを付けて追加したものであり、この五島氏の本には載っていない画像である。

※ 興味のある方は、直接、本を手にして確かめてほしい。正真正銘、1988年(昭和63年)に出版された本である。


●1988年(昭和63年)の時点で、これだけの内容が書けるのは、正直、すごいと思う。

ソ連崩壊や、その後の世界情勢を言い当てているように感じる。

果たしてヒトラーは本当に「予言者」だったのか? 彼が語る「新しい人間(超人類)」は誕生するのか? 2039年の予言は的中してしまうのか?

非常に興味がある。

 


アドルフ・ヒトラー
(1889〜1945年)

 

●ところで、ヒトラーは自分が生まれてから50年目、100年目、150年目に、人類は次の新しい段階(ステージ)を迎えると考えていた。

ヒトラーは自分の生誕50年目に当たる「1939年」に、第二次世界大戦を起こした。

そして、その100年後、すなわち自分の生誕150年目に当たる「2039年」に、人類は想像を絶する「究極の状態」に導かれると語っていた。

そして、この「2039年」が訪れる前に、「1989年」(生誕100年目)が歴史の大きなターニングポイントになると語っていた。

 


1961年に東ドイツが建設した「ベルリンの壁」

ヒトラーが生まれてからちょうど100年目の1989年、
東西両ドイツの国民の手によって打ち壊され、世界を驚かせた。
ヒトラーの予言通り1989年を境にして、戦後史は劇的に
転換し、歴史は新たな歯車を回し始めた。

 

●「1989年」といえば、日本では昭和天皇が亡くなり、新たな元号「平成」時代がスタートした年である。

ヒトラーは、「永遠の未成年者の実験場は東方だ」と語っていたが、この不気味な言葉は、バブルが崩壊して新しい時代(平成時代)を迎えた「日本社会」を暗示しているように感じられる……。

 


この本が出版された次の年、
1989年に亡くなった昭和天皇

この年に「平成時代」がスタートした

 

●さて、最後になるが、作家の菊池秀行氏はこの本について次のように述べている。

参考までに紹介しておきたい。

「『1999年以後』は、大胆な仮説に富んだ力作である。アドルフ・ヒトラーという実に奇怪な人物を、単なる殺戮鬼、狂った独裁者として分析するのではなく、未来を遥かに透視する卓越した予知能力者として捉え直している。『ノストラダムスの大予言』以来、歴史の秘めた謎に挑んできた五島氏は、独自な『五島史観』を形成しようとしている。それを愉しむも、戦慄するも、読者の自由である。我々の未来に待つものを、執拗に探求しようとする氏の情熱が、今、この一冊の中に展開させる物語を、じっくりと読んでみてもらいたい。我々独自の『史観』を語るのは、その後だ」(1988年)

https://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html#10

17. 2021年3月01日 12:47:17 : 9ah5GoqAQI : Q2hDSm1RZmd6VXM=[5] 報告
2021.03.01
2039年 トランスヒューマンになるか? 一線を越える人達
https://golden-tamatama.com/blog-entry-2039-trans-human.html


さて、トカナさんが2039年ヒトラーの予言の話を書いてますたね。


トカナ/TOCANA 知的好奇心の扉【公式】
@DailyTocana
ヒトラー「2039年予言」のあまりにも恐ろしい内容とは!? 〇〇の進化で完全的中コース、現代社会と不気味すぎるリンク!


これによると、今、ナノマシンが急速に発達して来てる。
ナノマシンを使えば脳と外部機器を直つなぎができる。

「2030年代にナノマシンは、脳内に直接挿入することができ、脳細胞と相互作用することができる。

その結果、真のバーチャルリアリティを外部機器に頼らず生成できるようになる」

「記憶用脳ナノボット、またはリアルタイム情報脳伝送を使用することで他人の感覚を“リモート体験”できるようになる。

ナノマシンは脳の認知、メモリ・感覚機能を拡張し、人の知性、記憶や人格の基礎を変え、人々は自分の脳内の神経接続を自由に変更できる」

で、これが進めばあのヒットラーの2039年予言のようになる。
そう書いてますた。

「人類は二分される。ある者は支配者である神人に進化し、またある者は被支配者であるロボット人間とに退化するのだ」

・ ロボット人間たちは、神人に従って生きるだけ。
・ 戦争も気候も経済も、神人たちに制御されてしまう。
・ ロボット人間たちは神人たちの認める範囲内で、ものを与えられる。
・ ロボット人間たちは、食物・住居・職業・娯楽・恋愛・教育・思想も与えられる。
・ 全てを見通す神人たちが、管理工場の家畜のようにロボット人間を育て、飼育することになる。
・ 「完全な神々」と「完全な機械的生物」だけの世界ができる。

はい。
ワタスも絶対そっちの方向に向かってると思ってます。

マシンと人間の融合したロボット人間。
いわゆるトランスヒューマンですよね。

実際、色々みるともう技術的には猿では成功してる。

あのイーロンマスクさんの会社ニューラルリンク社。
ミシンのように極細の導線を脳神経に編み込む技術を作ってます。


確かに猿では実験に成功してるようですた。


多分、10年後の2031年頃。
スマホはいらなくなってきてるでしょう。

スマホなしで脳のプラグから直接ネット接続。

思考するだけでなんでも検索できる。
リモートで相手の思ってることも音や感覚、感情も全部伝わる。

SNSどこじゃなくなる。

で、ヒャッハー!

喜んで皆バーチャル空間に移動。
人体の制約から解き放たれる。

まぁ、どっちを選択するかですよね。

ロボット人間か、生身の人間か。

遺伝子組み換えワクチンもそうですが、
ある時期、一線を越えるかどうかの選択の時期が来る。

あなたは脳みそにプラグ埋め込みますか?埋め込みませんか?

結局、

いつも誰かと比較して生きてる人。
競争して生きる人達。

最新技術、早くて便利。
ロボット人間の方を選択するんじゃないでしょうかね。

誰それより成績が良い。
あいつより収入もあって資産もある。
あの人よりフォロワーが多い。
アタイは最新のiphoneを持ってるよ。
あの子より容姿端麗よ。
あの会社よりうちは従業員も多いし、売り上げがある。

等々。

まぁ、前から言ってますが、
本当は、そういう競争意識。

全部、学校時代に植え付けられた単なる洗脳。
競争意識=奴隷管理用ソフトウェア。

奴隷同士、競わせて消耗させ、本当の支配者に目を向けさせない仕組み。
競争してくれてる限り自分達は安泰。

だからソフトウェアのインストールに6.3.3の12年間かかるのです。

で、その洗脳をずっと引きずって
〇〇に勝つんだ〜
などと大人になってもやってるのです。

隣の家がちょっとでも幸せそうだと気になってしょうがない。

畜生〜
なんであいつだけが〜

もっと家族との時間。
ペットとの時間。
自然とのふれあい。

そっちを大事にしたらどうでしょう。

人と比較してる限り永遠に幸福感を感じられない。

これは、ずっと前、載せたアナスタシアからです。


「死をもたらす大罪」(ページ212)より

理解しないといけない、ウラジミール。

人間の世界に起こる悪いことはすべて、人間自身が、
霊的存在としてのあるべきルールに違反して、
自然とのつながりを失ったときに自ら引きおこしている。

闇の勢力は、分刻みに動いていく技術優先社会の魅力で
人間の意識を奪い、聖書にすでに示されているシンプルな真実と
戒めから離れさせて、それについて考えないようにしむける。

彼らはそのもくろみに絶えず成功している。

人間に死をもたらす大罪はプライドという自尊心。

ほとんどの人はこの罪に支配されている。

・・

光の勢力の対極にある闇の勢力は、人間がこのプライドという
罪を手放なさないよう秒刻みで働いていて、お金はその主要な道具。

お金を考え出したのは彼ら闇の勢力。

・・

彼らはお金を発明したから、自分たちは光の勢力よりも
強いとさえ思っている。

そして彼らはそのお金を、人間に人としての本来の目的を
忘れさせるために用いる。

・・

だけど、私はどうしても、この死にいたる危険、
精神の腐敗をあなたから取り除いてあげたかった。

それで、この闇の勢力のメカニズムが弱まり、
破壊され、あるいは逆に、罪の根絶に向かって作用するような、
あなた専用の仕組みを考えた。

だから彼らはすさまじく怒っていた。

プライドという自尊心。お金の仕組み。
あなたは脳に深く深くインストールされてしまった。

だからロボット人間になってしまう。

本当は、外界との情報をシャットアウトする。

家族や友人との時間を大事にし、ペットと楽しく暮らす。

他人なんてどうでも良い。
私は私。

四畳半でも幸せは作れる。
それが自分軸。

結局のところ、プライド、自尊心、お金、競争意識。
そっちに行くと精神腐敗の方向に行く。

あらぁ?
気づいた時には自然から完全に切り離されてる。

工場のプラグにつながれた培養人間になる。

つぁぁあ。
このままじゃヤバい。
そう気づけるかどうか。

今ギリギリのところにきてると思ってます。

本当にありがとうございますた。

まさにギリギリ。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-2039-trans-human.html

18. 中川隆[-5156] koaQ7Jey 2021年7月03日 16:26:06 : 6y6TJKPkns : RGlaQzljL1o5YVk=[16] 報告
2021年07月03日
Ulrich Herbert『第三帝国 ある独裁の歴史』
https://sicambre.at.webry.info/202107/article_3.html

https://www.amazon.co.jp/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E3%81%82%E3%82%8B%E7%8B%AC%E8%A3%81%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4040823400


 ウルリヒ・ヘルベルト(Ulrich Herbert)著、小野寺拓也訳で、角川新書の一冊として、KADOKAWAから2021年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はナチス政権期ドイツが侵攻して支配下に置いたヨーロッパ東部をどのように扱ったのか、検証します。本書は、ナチス政権期ドイツのヨーロッパ東部支配が、ヨーロッパ北部および西部の軍事支配とは異なり、ヨーロッパ勢力によるアフリカなど非ヨーロッパ地域の植民地支配と通ずる過酷なものだった、と指摘します。ドイツにとって、人々の外見も文化も、ヨーロッパ東部は非ヨーロッパ地域よりも類似していましたが、その支配(短期間でしたが)様式は本質的に変わらなかったのではないか、というわけです。

 ナチス政権期ドイツのヨーロッパ東部支配とヨーロッパ列強の非ヨーロッパ地域の植民地支配との類似性から、ナチスの世界観が浮き彫りになります。それは人種主義と「民族共同体」で、スラブ人はアーリア人よりも劣る人種と位置づけられました。ユダヤ人は最下層の人種に位置づけられ、過酷な迫害を受けます。「民族共同体」に含まれるのはアーリア人で健康な業績のあるドイツ人で、それに含まれないユダヤ人や障害者や反体制派は容赦なく迫害されました。なお、第二次世界大戦においてドイツはユダヤ人を多数殺害しましたが、その大半はドイツ国内ではなくドイツ支配下のヨーロッパ東部の住民でした。

 本書はドイツにおけるナチス政権成立の前提を、第二帝政までさかのぼって検証します。本書が重視するのは、ドイツにおける近代化進展の速さと、それに伴う社会的軋轢の結果としての、ナショナリズムへの傾倒です。この過程で、後のナチズムの基盤となるような反ユダヤ主義が浸透していきます。第一次世界大戦で戦況が膠着状態に陥ると、ドイツでは反ユダヤ主義的言説が声高に語れるようになります。まず、前線からのユダヤ人の逃亡という噂が広まります。ドイツ政府の調査結果ではこの噂は否定されましたが、反ユダヤ主義的勢力に都合が悪かったので、公表されませんでした。

 第一次世界大戦での敗北により、ドイツではナショナリズムが昂揚しますが、これはドイツだけではなく、オーストリアやトルコやブルガリアやロシアなど第一次世界大戦の敗戦国でも見られ、そうした国々では反民主主義的な体制が成立した、と本書は指摘します。ドイツでは敗戦後すぐに民主主義勢力が議会で多数派を形成したこともありましたが、すぐに左右急進派の武力闘争により治安が悪化し、ヴァイマル体制は不安定化します。ヴェルサイユ条約の過酷な条件は、ドイツにおいてナショナリズムの昂揚と西欧的自由主義やロシアの共産主義への反感と反ユダヤ主義を強めます。ナチスの結党はこうした文脈で解されますが、失敗に終わった1923年の放棄により知名度を高めたとはいえ、インフレが収束していき、相対的に安定していた時期には、ナチスは泡沫政党の一つにすぎませんでした。

 この状況を大きく変えたのが1929年に始まった世界大恐慌で、ドイツでも自由主義経済や民主主義への拒絶傾向が強く見られるようになります。ナチスは議会選挙で躍進し、再選挙による社会民主党の躍進を恐れる保守指導層は、ナチスと組む方がましと考えて、ヒトラーを首班に迎えます。しかし、ヒトラーを飼い慣らせるとの保守指導層の思惑通りにはいかず、ナチスは確たる主導権を確立し、1933年夏までにナチスを除く全政党が解散させられます。労働組合は解体され、大小の圧力団体は禁止されるかナチスによる支配を受けるようになり、「強制的画一化」が進みます。この過程で喧伝された「民族の一体性の回復」は右派と中道派の人々に受け入れられていきます。

 しかし、この過程で民主主義における紛争を調整するための制度が廃止され、ナチス政権期のドイツの行政組織では、どの役所もしくは党組織が自らの意志を押し押せるのかが、その時々の偶発的な権力状況により決まることになります。この争いは、ある程度はヒトラーの傑出した地理により調整できました。ナチス政権期のドイツでは、ヒトラーとの距離が政治・社会的地位や政策実現に決定的な意味を有するようになります。ヒトラーは1934年6月に強大な勢力を有するようになった突撃隊(および敵対的な政治指導者)の粛清により、ナチス体制を確立します。

 ヒトラーとの距離が地位と政策実現を決めるナチス政権期のドイツでは、反ユダヤ主義政策も、当初は明確な方針に基づいていたわけではなく、ヒトラーの歓心を買うべく諸組織・勢力が急進さを互いに競う意合うことになり、ユダヤ人迫害が加速していき、これにはユダヤ人の財産没収や高い社会的地位からの追放も含まれます。それにより、少なからぬドイツ人が利益を得ました。ユダヤ人迫害の過程で、1935年9月にニュルンベルク法が制定されますが、ユダヤ人と認定する基準は曖昧でした。もちろん、ナチス政権期のドイツで迫害されたのはユダヤ人だけではなく、上述のように、「民族共同体」の範疇に入れられなかった非ユダヤ人も対象となりました。

 ナチス政権期のドイツでは急速に失業者が減少し、これがナチス政権への国民の支持を確たるものにしましたが、その功績のかなりの部分はヴァイマル共和国政府にあった、と本書は指摘します。また本書は、この急速な景気回復が大規模な軍備拡張にあったことも指摘します。ナチス政権期はその財源として、国民からの支持喪失を恐れて、戦争に勝利することによる賠償や略奪に依拠しようとしました。「民族共同体」の範疇から外されなかった労働者への社会政策(家族支援や結婚貸付金や安価な旅行の提供など)も、ナチス政権への広範な支持につながりました。

 第二次世界大戦勃発後、当初ドイツは勝ち続け、フランス降伏の頃に国民のヒトラーへの支持は最高に達します。一方、軍事優先で生活物資は多くが配給制となり、貯蓄率が高まったので、これが軍事費に充てられました。ドイツは第二次世界初期にポーランド西部を支配し、人種主義に基づいた植民地支配が始まります。ポーランド人はドイツに強制連行され、開戦による労働力不足を補うべく、まずおもに農業に従事させられます。また、開戦後に注目を集めにくくなるとの判断から、ドイツ国内で精神疾患など病人の殺害が進められましたが、強い抗議のために中断されました。本書は、これが後のユダヤ人の大虐殺につながったものの、第二次世界大戦前の迫害とは質的断絶があった、と指摘します。

 1941年6月に始まった独ソ戦は絶滅戦争となり、ドイツは軍の補給維持のためソ連の都市住民が餓死すること前提条件としました。こうした方針は当然ソ連兵捕虜にも適用され、多くが死に追いやられました。しかし、ドイツが軍事的に劣勢になると、ドイツの軍人も民間人もソ連の報復を受けることになります。ただ、このドイツ敗退の過程でドイツ人が一方的に被害者になったわけではなく、ユダヤ人も含めて強制収容所の囚人の多くが死に追いやられました。またドイツ人でも、多少なりともナチス体制や継戦の意思に欠けるとみなされた者は、ナチス体制の諸組織により容赦なく殺害されていきました。ナチス体制に関しては、国民の福祉に配慮するなど、一見すると「肯定的に」評価できる側面があったことは否定できない、といった主張も根強いかもしれませんが、結局のところ、それは「民族共同体」の敵とされた人々を迫害すること(殺害や拘禁や財産没収や社会的地位の剥奪など)と表裏一体だったわけで、その点を踏まえると、とても肯定的に評価できるものではない、と思います。

https://sicambre.at.webry.info/202107/article_3.html

19. 中川隆[-5110] koaQ7Jey 2021年7月05日 15:28:28 : 4si1NsPNPQ : Sm5qUy4uazAucVU=[8] 報告
女たちはなぜナチスに加担したのか _ 監視、殴り、むち打つ…残虐行為に駆り立てたもの
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1682.html
20. 中川隆[-5047] koaQ7Jey 2021年7月12日 08:29:16 : k1iBuJ4ez6 : SmpFNG12cHBpMkk=[3] 報告
【ゆっくり解説】命に優劣をつけた悪魔の学問−優生学−
2021/07/11


21. 中川隆[-16375] koaQ7Jey 2021年9月14日 07:26:37 : meoR52NmVY : RnhYRDEzN2NDbjI=[8] 報告
反ユダヤ主義新聞を発行、強烈な反ユダヤ報道を行ないドイツ人全員を反ユダヤにしたユリウス・シュトライヒャー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1061.html
22. 中川隆[-13306] koaQ7Jey 2022年4月14日 03:23:23 : AYYizAdVIY : Qm9wcDQueGs1Y3c=[10] 報告
【ユダヤから紐解くロシア・ウクライナの歴史D】ナチズムとは何か|茂木誠
2022/04/12

23. 2023年7月31日 16:31:05 : oSzJwcsrU6 : MkFubm1jL2daNUU=[5] 報告
<■74行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023.07.31XML
優生学と関係が深い人口削減政策は19世紀のイギリスから始まる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307310000/

 アメリカやイギリスの富豪たちは人口を削減するべきだと主張してきた。そうした富豪の中にはマイクロソフトを創設したビル・ゲイツやCNNのテッド・ターナーも含まれる。

 その​ビル・ゲイツが音頭を取り、2009年5月、マンハッタンで富豪たちが密かに会合を開いている​。集まった場所はロックフェラー大学学長ポール・ナースの自宅だった。参加者にはデビッド・ロックフェラー・ジュニア、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルームバーグ、テッド・ターナー、オプラ・ウィンフリーも含まれている。その参加者は「過剰な人口」が優先課題であることに同意した。

 ​テッド・ターナーは会合の前年、2008年の4月にチャーリー・ローズの番組に出演し、そこで人口が問題だと主張している​。人が多すぎるから温暖化も起こるのだというのだ。ターナーは1996年に「理想的」な人口を2億2500万人から3億人だと主張したが、2008年にはテンプル大学で20億人に修正している。

 ゲイツも人口を削減するべきだとも発言している。​2010年2月に行われたTEDでの講演では、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10〜15%減らせると語っている​。「COVID-19ワクチン」で人口は減っているようだが、これは古典的な意味でのワクチンではなく、遺伝子操作薬だ。

 そうした思想はトーマス・マルサスの人口論から少なからぬ影響を受けているが、実際の人口は等比級数的に増えるどころか減少に転じる兆候が出ている。​2019年に出版されたダレル・ブリッカーとジョン・イビツォンの『Empty Planet(日本語版:2050年 世界人口大減少)』​はその問題をテーマにした著作で、注目された。基本的に同じ結論の論文を​ランセット誌が2020年7月14日に掲載​している。

 人口論の背景には優生学が存在している。イギリスでは19世紀にハーバート・スペンサーが適者生存を主張した。彼らによると、競争で強者が生き残ってその才能が開発され、その一方で弱者は駆逐される。弱者に無慈悲であればあるほど社会にとっては「優しい」のだという。イギリスの人類学者、フランシス・ゴルトンは「遺伝的価値の高い者を増やし、遺伝的価値の低い者を減らす」ことで社会を改善できると主張していた。

 こうした思想はセシル・ローズなどイギリスの支配者グループに影響を与え、そうした思想に基づく運動はアメリカの支配層、例えばカーネギー研究所、ロックフェラー財団、ハリマン家のマリー・ハリマンから支援を受けた。そうした運動に感銘を受け、自国で実践したのがアドルフ・ヒトラーにほかならない。

 「自然選択(自然淘汰)説」で有名なチャールズ・ダーウィンはゴルトンの従兄弟。そのダーウィンはマルサスの人口論やレッセ・フェールの影響を受けていたとも言われている。なお、最近の研究によると「自然選択」は進化を引き起こす原因のひとつにすぎないようだが、今でもダーウィンの仮説を信奉している富豪はいる。富豪たちは人間も「選択」されなければならないと考えているのだろうが、新自由主義下でそうした政策が進められた結果、優秀な人間は排除され、強欲な人間が残ることになった。。

 かつてイギリスではエンクロージャーによって共有地などが私有化され、土地を追われた農民は浮浪者や賃金労働者になった。労働者の置かれた劣悪な状況はフリードリヒ・エンゲルスの報告『イギリスにおける労働者階級の状態』やチャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』などでもわかる。

 ロンドンのイースト・エンドで労働者の集会に参加したセシル・ローズは「パンを!パンを!」という声を聞く。その状態を放置すれば内乱になると懸念、植民地を建設して移住させなければならないと考えたようだ。つまり、社会問題を解決する最善の方法は帝国主義だというわけである。(レーニン著、宇高基輔訳『帝国主義』岩波書店、1956年)

 帝国主義は侵略によって富を奪うだけでなく、不必要になった人間を処分する手段でもあったのだろう。

 現在、世界の構造を変えようとしている富豪の代理人的な役割を果たしている人物はWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブ。その顧問を務める​ユバル・ノア・ハラリはAI(人工知能)によって不必要な人間が生み出されるとしている​。特に専門化された仕事で人間はAIに勝てず、不必要な人間が街にあふれるというわけだ。そうした人びとを富豪たちが処分しようとしても不思議ではない。

 ​シュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組マイクロチップ化されたデジタルIDについて話している​。最終的にはコンピュータ・システムと人間を連結、つまり人間をコンピュータの端末にするというのだが、不必要になった人間は処分されるのだろう。「トランスヒューマニズム」の世界を築こうとしているとも言える。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307310000/

24. 中川隆[-12396] koaQ7Jey 2023年8月06日 07:16:43 : Uj7exv5Jj7 : V2kwb3paQWV3M2s=[3] 報告
<■166行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
雑記帳
2023年08月05日
小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
https://sicambre.seesaa.net/article/202308article_5.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E8%A8%BC-%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%89%AF%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-1080-%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%AF%BA/dp/4002710807


 岩波ブックレットの一冊として、岩波書店より2023年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、インターネットの日本語環境(詳しく調べていませんが、本書冒頭で取り上げられている事例から推測すると、多分多くの他の言語環境でも)では珍しくない、ナチスは「良いこと」もした、というさまざまな主張を具体的に検証します。この問題について詳しく調べているわけではないので断定できませんが、インターネットにせよ映像・音声媒体にせよ紙媒体にせよ、日本語環境で主張されている、ナチスは「良いこと」もした、という主張はほぼ網羅されているのではないか、と思います。その意味で、本書の意義はたいへん大きいでしょう。

 本書冒頭では、善悪を持ち込まず、どのような時代にも適用できる無色透明な尺度によって、あたかも「神」の視点から超越的に叙述することは歴史学使命ではなく、そもそも不可能であり、人間には「色があること」を認めたうえで、相互検証により誤りや偏りを正していかねばならない、と指摘されており、これはひじょうに重要な視点だと思います。歴史認識をめぐる問題において、「事実」と「解釈」と「意見」の三層構造で検討する必要性を提示していることも、重要になってくるでしょう。

 まず本書はナチズムについて基本的な事項を解説し、その後で、ナチスは「良いこと」もした、というさまざまな主張を具体的に検証していきます。ナチズムの日本語訳は、「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」が妥当だと指摘されており、その理由はまず、「国家社会主義」が「国家主導の社会主義体制」というナチズムとは別の意味になるからです。次の理由として、ナチズムは国家ではなく国民と民族を優先する思想だったことが挙げられています。1990年代以降の研究では、ヒトラーや支配層だけではなく、「普通の」国民による同意や協力や支持や黙認が注目されるようになったそうです。

 ナチズムの理解で重要な概念となる「民族共同体」では、ユダヤ人やロマや同性愛者や障害者が排除されており(社会的地位や資産などの収奪も伴います)、ヒトラー政権での、一見「良いこと」と思えるさまざまな社会福祉政策にしても、「民族共同体」のみが対象だったわけです。本書は、この包摂と排除こそがナチ体制の本質だった、と指摘します。これと関連して、ナチズムは「社会主義」を掲げているものの、民族や人種に究極的な価値を置いており、マルクス主義の階級闘争や国際主義といった概念には反対していた、と本書は指摘します。本書は、スターリン体制とナチ体制を同一視する「全体主義論」に限界があることを指摘します。もちろん、ソ連や中国など現実の社会主義政権はマルクス主義を忠実に実行したわけではなく、その民族主義的傾向はナチ体制と通ずると言えなくないかもしれませんが、安易に同一視すれば、ナチ体制にしてもソ連や中国など現実の社会主義政権にしても、重要な側面を見落としてしまう危険性があるとは思います。

 ヒトラーの権力掌握過程については、「民主的に選ばれた」とか「選挙で勝った」とかいった評価がかなり単純化されたもので、ヒトラーの首相就任時点でナチ党と保守政党との連立でも国会議席数で過半数を超えることはなく、保守勢力と提携して大統領により首相指名を受けたことが指摘されています。本書は、ヒトラーの首相就任前年となる1932年7月の国会選挙で、ナチ党は確かに得票率37.4%で第一党になったものの、共産党も得票率14.6%で、反議会勢力が過半数を占めることになり、国会は麻痺状態に陥っていた、と指摘します。当時、大統領大権に基づいて首相が指名され、議会に拘束されない政権が続いていましたが、ヒトラーの首相就任前の各内閣が短期間で政権運営に行き詰まり、ヒトラーを首班とする右派連立政権だけが、ほぼ唯一の選択肢になっていた、と本書は指摘します。首相就任後、ヒトラーは暴力や「全権委任法」などにより政権を強固なものとしていき、ヒトラーの権力掌握は民主主義の自己破壊を本質としていた、と本書は評価します。ただ、ヒトラーの権力掌握が一定以上の民意を背景にしていたとは言えるかもしれないとしても、ドイツ国民の大多数がナチ党による一党独裁を望んでいたわけではなく、ヴァイマール憲法の制度上の脆弱性を突き、暴力の使用により政権を強固なものとしていったことから、「ヒトラーは民主的に選ばれた」という主張が、ヒトラーの暴力性を覆い隠すものになることも、本書は指摘します。

 ヒトラー政権下の景気回復は、ナチスの「良いこと」としてよく挙げられ、じっさいに失業者が急減したことは確かですが、ヒトラー政権以前にドイツ経済が景気の底を脱していたことや、労働奉仕制により若年労働力の供給を減らしたことや、結婚奨励策で女性の離職を促したことや、世界恐慌以降に賃金が低く抑えられていたことなどが要因として挙げられています。ヒトラー政権下の「景気回復」は、青少年や女性や労働者の犠牲の上に成り立っていた、というわけです。また本書は、アウトバーン建設や雇用創出政策が景気回復において果たした役割は副次的で、軍備拡張こそ決定的だった、と指摘します。ヒトラー政権の経済政策は短期的には優れているように見えたものの、過剰な財政支出に基づく軍需経済に大きく依存しており、戦勝による領土もしくは勢力圏拡大がなければ破綻していただろう、というわけです。労働者の福利厚生措置もナチスの「良いこと」としてよく挙げられますが、統制強化に対する労働者の不満を埋め合わせるので、「民族共同体」の一員と認められた労働者のみが対象だったことを本書は指摘します。また本書は、ヒトラー政権下における労働者の生活改善策は、約束倒れか部分的実現に留まり、消費生活水準の向上にも社会的格差の解消にもほとんど寄与せず、それは軍需生産が優先されたからだ、と評価しています。

 経済政策や福利厚生措置ほどではないとしても、ナチスの「良いこと」として挙げられることが多いのは環境保護や動物保護ですが、本書は、ナチスの環境保護が「民族共同体」の保護と一体ものもので、動物保護政策の中核である屠殺の規制は露骨な反ユダヤ主義だった、と指摘します。また本書は、ヒトラー政権下での環境保護は戦争準備が加速する中で蔑ろにされがちであり、1936〜1945年にかけてドイツでは保護林が14%減少し、大学での動物実験も事実上容認された、と指摘します。さらに本書は、戦争こそ「究極の自然破壊」であり、第二次世界大戦を引き起こして環境面でも多大な損害を与えたナチ体制の環境政策から一部を抽出し、「良いこと」と評価するのにどれだけの意味があるのか、と疑問を呈します。

 禁酒や禁煙や癌撲滅運動もナチスの「良いこと」として挙げられますが、これは、ドイツ国民は「民族共同体」の一員であるべきで、そこから外れる人々は排除の対象になることと表裏一体で、「アルコール中毒患者」と診断された人々は「断種」され、癌の研究では強制収容所の囚人が人体実験の対象とされ、死亡した囚人もいました。さらに本書は、ヒトラー政権初期にアルコール消費量は減少したものの、これは世界恐慌による景気低迷のためで、経済が回復すると消費量は増加に転じ、煙草の消費量はヒトラー政権の前の1930年から増加し、物資が不足した1942年まで上昇し続けた、と指摘します。ヒトラー政権でも禁酒と禁煙が徹底されなかったのは、酒と煙草が重要な収入源だったからだ、と本書は指摘します。


 以上、本書をざっと見てきました。ナチス関連本を多少読んできたので、本書の見解は全体的に意外ではなかったものの、通俗的に言われるナチスの「良いこと」が網羅的に取り上げられ、その歴史的背景と意図と結果が解説されており、たいへん有益でした。正直なところ本書が、ナチスは「良いこと」もした、と主張する人々にどこまで届くのか分かりませんが、一定以上の好影響があるのではないか、と楽観したいものです。ナチスに限らずさまざまな分野で、本書のように通俗的な見解の問題を指摘する入手しやすい一般向け書籍は必要なのでしょうが、個人的な理想論で言えば、これは研究者が直接的に取り組むのではなく、報道機関も含めて大衆媒体が直接的にやるべきではないか、と以前から考えています。

 本書を読んで改めて思ったのは、ナチ体制は「民族共同体」の「発展」を至上目的としたものの、第一次世界大戦で生活水準の低下からの国民の不満により最終的に敗戦に追い込まれたことから、軍拡に特化せず経済および国民の生活水準の維持・発展にも注力することになり、それは事実上、戦勝での領土もしくは勢力圏の拡大でしか達成することのできない、「民族共同体」以外の人々にとって本質的に侵略的・略奪的なものであり、持続可能性はきわめて低かった、ということです。これは、「民族共同体」に含まれない人々には残酷な処置を厭わないことと表裏一体で、しかも、第2章で取り上げられているように、祖母がユダヤ人でも場合によっては政権獲得後のヒトラーとの「交流」が許されていたことから窺えるように、「民族共同体」の構成員の認定にもかなり恣意的なところがあったのではないか、と思います。こうした有力者の都合により認定が決まる「民族共同体」の「発展」と「利益」を至上命題とした体制の一部の政策を、「良いこと」と評価するのが妥当なのか、はなはだ疑問が残ります。確かに、「民族共同体」の一定以上の割合の構成員にとって、ナチ体制は「利益」をもたらしたとは言えるでしょうが、それは長期持続性のないものであり、何よりも収奪から殺害に至るまで「悪いこと」を前提とした場合もはなはだ多かったように思います。

 一方で、長期持続性との観点では、現代社会、さらにさかのぼって産業革命以降、あるいはもっとさかのぼって農耕牧畜開始以降の社会も、結局のところ長期持続的とは言えないだろう、との疑問もあるかもしれません。また、人間社会にはゼロサムゲーム的な側面が多分にあり、個人から会社や国家に至る組織まで、豊かな人々や組織の繁栄が貧しい人々や組織からの収奪に依拠している側面は否定できないように思います。その意味で、現代社会にナチ体制的な側面を認めて断罪することも、一つの見識かもしれません。ただ、それはやはり極論と言うべきで、人間社会において程度問題はきわめて重要であり、ナチ体制とさまざまな社会・体制がどの程度似ているのか、あるいは異なるのか検証し、必要ならば断罪しつつ改善していくしかないのでしょう。もちろん、その判断は時代の制約を受けるので、現代の判断が百年後どころか十年後には糾弾されている可能性も低くはありませんが、人間社会はそうしたものと受け止めて、極論に偏らず地道に生きていくことが重要なのだと思います。
https://sicambre.seesaa.net/article/202308article_5.html

25. 中川隆[-12371] koaQ7Jey 2023年8月21日 04:16:52 : rjC2qFrDi2 : VTZxczJodUJEQ1k=[3] 報告
Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142315
26. 中川隆[-12369] koaQ7Jey 2023年8月21日 04:58:33 : rjC2qFrDi2 : VTZxczJodUJEQ1k=[6] 報告
<△27行くらい>
Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142318

Microsoft創業者ビル・ゲイツの思想と生い立ち|茂木誠
2023/08/19
https://www.youtube.com/watch?v=JZkf3tQrZ5Y


ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html

ナチスの「人間牧場」 選別した男女に性交渉させ、アーリア人を産ませる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14027543

ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047960

氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008921

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007474

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