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『ヒトラー思想』とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/347.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 10:04:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 世紀の捏造? ”ガス室はなかった” は本当か? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 09:31:50)


『ヒトラー思想』とは何か

ドイツ人を変えたヒトラー奇跡の演説 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC+%E6%BC%94%E8%AA%AC
https://www.youtube.com/results?search_query=Adolf+Hitler


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アウシュビッツ裁判 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=RcMf2W_5wF4


ニュルンベルク裁判=ナチスの戦争犯罪を裁く - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oHvlif112rg


ヒトラーと6人の側近たち 第1回 「ヨーゼフ・ゲッベルス」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1zZ2RctGP2s
https://www.youtube.com/watch?v=PNZ_jaQxZ4w
https://www.youtube.com/watch?v=_R4QvU3y2zE


ヒトラーと6人の側近たちU 第3回 「マルティン・ボルマン」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dQxQaCQTL2M
https://www.youtube.com/watch?v=ZLAOmmrq3do
https://www.youtube.com/watch?v=EV_0tmN1F5E


ヒトラーと6人の側近たち 第3回 「ルドルフ・ヘス」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=04MW0fwLMVE
https://www.youtube.com/watch?v=xk05qbC9brg
https://www.youtube.com/watch?v=zRuECyuTohM


ヒトラーと6人の側近たち 第2回 「ヘルマン・ゲーリング」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s69UVGkUohM
https://www.youtube.com/watch?v=wraaO0iuzVo
https://www.youtube.com/watch?v=eWXLXasUA_g


ヒトラーと6人の側近たち 第5回 「カール・デーニッツ」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nPMYejrhLFQ
https://www.youtube.com/watch?v=Y8dt1Rbfw00
https://www.youtube.com/watch?v=zs_nRkjOoCQ


ヒトラーと6人の側近たち 第6回 「アルベルト・シュペーア」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MyNm8amqY5E
https://www.youtube.com/watch?v=af4QmPD_SlU
https://www.youtube.com/watch?v=udA_4PhqLaY


ヒトラーと6人の側近たちU 第1回 「アドルフ・アイヒマン」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NywuaqlyTwM
https://www.youtube.com/watch?v=LDg3iTLeVJU
https://www.youtube.com/watch?v=_5OxGVOlWFk


ヒトラーと6人の側近たち 第4回 「ハインリヒ・ヒムラー」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PDdJSgUOlZM
https://www.youtube.com/watch?v=b20mQhYvtrk
https://www.youtube.com/watch?v=8yPk1HiKGIc


ヒトラーと6人の側近たちU 第2回 「ヨーゼフ・メンゲレ」- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Cpvlu5x61zg
https://www.youtube.com/watch?v=sL0qQAgzlKQ
https://www.youtube.com/watch?v=VJ0MY-Zh7_Q


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『ヒトラー思想』とは何か ーまとめ 2017/7/31 ニッチな世界史


『ヒトラー思想』が降りてきた……

2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入し、わずか1時間程度の間に45人の入所者を殺傷する事件が起きました。犠牲者は全員体や脳に重い障害を負っていました。犯人は自ら出頭し、その場で逮捕されました。その男の名は植松聖(26歳)。彼が精神病院へ措置(=強制)入院中に医師に話したとされる言葉……それが冒頭の『ヒトラー思想』です。


数々のメディアが、ナチスドイツの障害者絶滅※政策「T4作戦」に注目し、各所で歴史の見直しと考察がなされましたが、どれもこれも表層をなぞるのみに終始し、根本的な理解が得られたようには思えません。ヒトラーがなぜ「T4作戦」を許可したのか、そしてなぜ途中で中止命令を出したのか、中止命令が出されたのにひっそり続けられたのは何故なのか、そもそもT4作戦がいかなる規模でどのような官僚制度のもとで現実に実行されたのか、あなたは答えられますか?

※よく「安楽死」と表現されるんですが、現実にはディーゼルエンジンの排気ガスで窒息死させたり(死ぬのに1時間以上かかりました)、穴を掘らせてその淵で銃殺するなどの方法がとられ、「安楽死」などと呼べるものではなく、「安楽死」という表現はナチスのプロパガンダです

「T4」は『ヒトラー思想』の副産物のひとつにすぎない、と思います。
ナチスが政治的人種的にスケープゴートに定めたのは、多岐にわたります。反政府活動家、社会主義者、民主主義者、同性愛者、エホバの証人、労働忌避者(ニート)、精神障害者、、、、、様々ですが、最も大きなカテゴリーに属し、人種の最も憎むべき宿敵と規定されたのがユダヤ人です。

あるナチス親衛隊員は「西には職務が、東には国会社会主義の使命がある」と言いました。
『国家社会主義の使命』は、もちろんユダヤ人の絶滅を意味する言葉です。当時、ヨーロッパユダヤ人のほとんどは東ヨーロッパに点在し、それぞれで巨大なコミュニティを築いていたのです。

『ヒトラーの思想』はシンプルでしたが、既存のレジームを都合よく解釈しながらも極めて独創的であり、狂気と言えるぐらいに首尾一貫としていました。ヒトラーはそんなユニークなポリシーを頑として曲げることなく冷徹に実行しようとしましたし、その戦略は高度な計算に基づいていました。

冷酷な独裁者と言われ、高度な文明国ドイツで突如、ナチ党を率いて政権の座に就いた男……彼が何を考えていたのか、本当に理解している人は少ないでしょう。ヒトラーに関するあらゆることは、正確さに欠けていたり、偏見や決めつけで凝り固まっていたり、半ば伝説化している場合さえあります。『慶應義塾大学出版界』発行の『ブラックアース』や、ヒトラーの著作『わが闘争』、彼の発言集『ヒトラーのテーブルトーク』などを探りながら、『ヒトラー思想』の源流と基礎をまとめます。
http://3rdkz.net/?p=535


引用・参考文献


ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告 – 2016/7/16
ティモシー・スナイダー (著), Timothy Snyder (著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/gp/product/476642350X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=476642350X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=e2ae00fd1ae5f816dc6aa799a558b924
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E2%80%95-%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E8%AD%A6%E5%91%8A-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC/dp/4766423518/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4766423518&pd_rd_r=d29c5dfe-5dd9-11e9-a230-71060148e53d&pd_rd_w=JvWvO&pd_rd_wg=eMk6B&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D&psc=1&refRID=6FV19F1N0G1MN8V1AY3D

わが闘争―民族主義的世界観(角川文庫) – 1973/10/1
アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/404322401X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=404322401X&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=4ace054e38906a46877a22f7c451c983
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%8B-%E2%80%95%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%81%8B%E5%8B%95-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4043224028/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4043224028&pd_rd_r=fd06d31b-5dd9-11e9-ab87-0d49d2c4ad6d&pd_rd_w=fCukH&pd_rd_wg=B4kLt&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=N68XH7NKJFH94YKT618V&psc=1&refRID=N68XH7NKJFH94YKT618V


ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944 – 1994/12/1
アドルフ・ヒトラー (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4879191221/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4879191221&linkCode=as2&tag=hissyo-22&linkId=53690086f993f297dc5b8a1861c91fc5
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF1941%E2%80%901944%E3%80%88%E4%B8%8B%E3%80%89-%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/487919123X/ref=pd_bxgy_14_2/357-1870605-3709858?_encoding=UTF8&pd_rd_i=487919123X&pd_rd_r=288bb98b-5dda-11e9-b5a3-69c22e5fd3ff&pd_rd_w=iXm6b&pd_rd_wg=WM9QJ&pf_rd_p=2d39d87c-5ff4-47a9-a2d0-79fb936a2d97&pf_rd_r=G1G005QDT64Z89T6B3YE&psc=1&refRID=G1G005QDT64Z89T6B3YE

イェール大学教授ティモシー・スナイダー教授著『ブラックアース』序章に「ヒトラーの世界」と題す短いチャプターがあります。訳文自体は硬くて読みにくいですが、ここに『ヒトラー思想』がシンプルにまとめられていますのでオススメしたいと思います。以下は、大部分が『ブラックアース』からの引用です。

ヒトラー思想@ 人生は土地を求める闘い

ヒトラーの世界観の中では、ドイツ人はわずかな土地から必死で食糧を掘りだそうとする存在ではなかった。土地は食糧の供給を意味したが、その土地からより多くの恵みを得ようという、農業のイノベーションをヒトラーは拒絶した。しかるに、食べ物をより多く得るために、自然の中で動物に過ぎない人間が行うことはただ一つであった。それは敵の土地を征服することであり、新たな土地を獲得することだった。それはドイツ人種の生存と豊かな生活を約束したのだった。

比較的に新しい陸軍国たるドイツは、英仏をはじめとする海洋国家に対して植民地獲得競争に乗り遅れていた。新たな領土として野心の対象となったのは、ロシアやそれに従属する東ヨーロッパ諸国の領土である。彼らから土地を没収するのを正当化するための、スラヴ人を奴隷と捉える人種イデオロギーが必要とされたのだ。

ヒトラーの思想は、ユダヤ人を反「自然」反「人種」として捉え殲滅することを正当化するイデオロギーと、スラヴ人から土地を奪取し、彼らを奴隷化することを正当化するイデオロギーの、大きく二つに分かれた。ヒトラーは、当時自然科学として人々の間で隆盛を誇った「優生学」「ダーウィニズム」「ニヒリズム」「マルクシズム」「心理学」「一元論」「唯物論」などなどを曲解・歪曲することで思想的根拠とした。また、ヒトラーは、聖書や神の言葉など、人々に根付いた伝統的な宗教観や道徳観を刺激し、独自解釈することで理論を補強した。その思想は、ゲッベルスをはじめとした天才的なプロパガンディストたちによって繰り返し大衆へ伝えられたのだ。

ヒトラーだけでなく、当時のドイツ人の多くは第一次大戦中の英海軍による海上封鎖によって、数十万人のドイツ人が餓死するという苦い心的外傷を記憶していた。この時優先的に食糧を配給されたのは兵士など戦争に役立つ人間であり、多くの障害者や病人は冷遇され、食糧を剥奪されて餓死した。戦争に役立たない人間から食糧を奪う、ということは当時から行われていたのだ。ヒトラーはこの苦い記憶から、食糧を確保することが何よりも生存と支配の原理を維持するのに大切であると学んだ。ヒトラーの観ずるところ、食糧を与えたり奪取したりする権力を単独で保有するイギリスこそ、世界経済を支配する黒幕なのである。ヒトラーは英国人以外の誰もが食糧保証が欠如している現状を「平時の経済戦争」と呼んだのである。食糧を確保することは、権力の一形態であるばかりか、それを恒久的に保証さえしたのである。

とはいえ、ヒトラーはイギリスを打倒すべき敵とは見ていなかった。イギリスは人種的に血縁であり、世界中に大帝国を築いたので敬意を払うべき存在であった。見習うべき偉大な海洋国家と見ていたのだ。大英帝国とのハルマゲドンを避けつつ、新興の陸軍国であるドイツを世界的強国にし、しかるのちにイギリスと同盟を組むことが彼の夢であった。西へ行っても英海軍にはとても叶わないから、英国を脅かすことのない東方へ野心が向かったと思われるのだ。

ヒトラー思想A 人間は動物

ヒトラーは人間を動物だと思っていた。そこに妥協や甘えは一切なく、強い種が弱い種から奪い、餓えさせるのは当然にして唯一の理だった。弱者に対する情や憐みは造物主に対する罪だった。

ヒトラーは人種の違いを、動物の種の違いと同じものだと考えていた。優良人種は能うかぎり劣等人種から奪い続けるべきであったし、捕食して生き残り凱歌を上げるべきであった。優良人種は劣等人種とは異なり、進化を続けているし、よって異人種間の交配はあり得ることだが大変罪深いのだ。動物がそうであるように、種は同じ種と交配するべきであったし、異種はあらゆる手段を動員して絶滅させるべきだった。ヒトラーにとってはこれこそが法であった。重力の法則と同じぐらい確かな人種闘争の法であったのだ。この闘争は果てることなく続くかも知れなかったし、勝利して凱歌を上げることもあれば、敗北し、餓えて消滅することもまたあり得るのだ。ヒトラーはそのような思想で世界を見ていたのである。

ヒトラー思想B 弱者の保護は反「自然」

ヒトラーにとって「自然」は非凡で獣的で圧倒的な真実だったし、他の考え方をしようとする歴史は丸ごと幻想だった。ヒトラーの世界ではジャングルの法が唯一の法であった。人々は慈悲の念を持とうなど欠片も思ってはならない。ナチス法理論家のカール・シュミットは「政治は我々が抱く敵意から生じるのだ」と説明した。「我々の人種的な敵は生まれつき選ばれているのであり、我々の仕事は闘い、殺しあうことだ」と。弱者は強者に支配されるべきだった。闘争はヒトラーにとってアナロジーやメタファーなどではなく、まごうことなき真実そのものであった。

ヒトラーの闘争では、つかめるものをつかまないのは人種に対する罪であり、異種の生存を赦すのも人種に対する罪だった。慈悲の念は、弱者が繁殖するのを赦すので事物の秩序を冒すとみなされた。ヒトラーの言では、十戒を拒むのこそまずやらねばならぬことだった。万人の万人に対する闘争はこの宇宙の唯一の理だった。「自然」は人類にとっての資源だったが、それはすべての人間を意味せず、勝利した人種のためのものであった。

勝利し凱歌を上げた人種は交わらなければならない。ヒトラーの理論では、殺人の後に人類が為すべきことはセックスであり、繁殖することだった。ヒトラーにとってみれば、我々の不幸な弱点は、我々が考えることができ、異人種も同じことができると納得してしまい、そのことで異人種を同胞と認めてしまえることにあった。ヒトラーの天国は絶え間ない闘争とその結果だった。人類がエデンを追われたのは、性交によってではなく、善悪をわきまえたからであった。

弱者を率先して絶滅させ、強い者だけが糧を得る…これこそがヒトラー思想の根幹である。ヒトラーの代理執行人ヒムラーに言わせれば、大量殺戮へ参加することは良き振る舞いであった。というのも、大量殺戮は「自然」を取り戻すことを意味したし、人種内部に、共通の敵を倒しその罪悪感を共有するという、美しい調和をもたらしたからだ。

ヒトラー思想C この惑星の「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人

ヒトラー思想は単純に、人間を動物とみなして弱者からの収奪を正当化することであったが、その「自然」な状態を歪ませたのはユダヤ人であった。
http://3rdkz.net/?p=535&page=2


ヒトラーにとって、第一次大戦の敗北はこの惑星の秩序が破壊され、この世界の全ての枠組みに歪みが生じている良い証明だった。ヒトラーはユダヤ人が「自然」の秩序を支配してしまったことの証しと捉えたのだ。このヒトラーの理解は、当時の同胞ドイツ人の土地をめぐる怨嗟やナショナリズムとは一線を画していた。
「国内に巣食うユダヤ人を戦争の最初にガス殺さえしておけば、ドイツは勝利していただろう」と、ヒトラーは主張した。

ヒトラーによれば、この惑星の「自然」の秩序を、人々に善悪の知識をもたらすことによって破壊したのはまごうことなくユダヤ人であった。人類に向かって、人類は動物よりも高位の存在であり自ら未来を決定する能力を持っていると最初に告げたのはユダヤ人だった。ヒトラーは自らが思い描く血塗られたエデンを取り戻すことが自分に課せられた運命であると悟った。ホモ・サピエンスは誰にも抑制されることなく人種間の殺戮を続けることによって繁栄するはずであった。ユダヤ人が言うように、人々が善悪をわきまえ、異種を同胞とみなし、衝動を抑制して理性的に振る舞えば、種は終焉を迎えてしまうのだ。

仮にユダヤ人が勝利すれば、彼は続ける。
「さすれば勝利の王冠は人類にとっての葬儀の花輪になるだろう」

ヒトラーは徹底した人種論者だったが、ユダヤ人が人種であることは否定した。彼に言わせれば、ユダヤ人は優等人種とか劣等人種とかいうものではなく、人種に非ざるもの、「反人種」であった。人種たるものは本能の赴くままに食べ物と土地を求めて闘うのだが、ユダヤ人はそのような「自然」とは相反する論理に従っていた。ユダヤ人は異種の土地を征服して満足するのを否定し、「自然」に抗しようとしていたし、他の人種にもそれを勧めた。地球が人類に提供するのは血と大地以外なかったが、ユダヤ人は薄気味の悪いやり方でこの世界を歪めていた。政治的な互恵性の発達や、人間が他の人間をやはり人間であると認める習慣は、ユダヤ人から発したのだ。

人間は動物であり、倫理的な熟考を重ねることなどそれ自体がユダヤ的腐敗の徴なのだ。普遍的な理想を掲げそれへ向けて精一杯努力することそのものが、まさに忌むべきことなのだ。数千の死の穴で朽ち果てた何十万もの屍を眺めるのに精神的疲労を起こすのは、陳腐なユダヤ的道徳が優越している証しなのだ。殺害への心労は、人種の将来への価値ある犠牲に過ぎないのである。

ヒトラー思想D 人種への忠誠が全てを正当化する

ヒトラーの考えでは、いかなる反人種的態度もユダヤ的であったし、いかなる普遍的考えもユダヤ支配のからくりであった。資本主義も共産主義もユダヤ的であった。それらが見かけ上闘争を容認したとしても、単にユダヤの世界支配の隠れ蓑に過ぎない。国家や法という抽象概念もユダヤ的である。
「国家自体が目標である国家など存在しないのだ」と彼は言う。
「人間の最高の目標は何処か特定の国家なり政府なりを維持することではなく、その種を維持することである」
かりそめの国境線など、人種闘争によって自然に洗い流されてしまうだろう。

法も同じように捉えられた。法も人種に尽くすために存在するべきなのであった。ヒトラーの個人的弁護士であり、占領ポーランド総督のハンス・フランクによれば、人種を外れたいかなるものにそった伝統も「血の通わぬ抽象」なのである。法はフューラーの直覚を成文化する以上の価値を持たない。
カール・シュミットによれば、法は人種に奉仕し、国家は人種に奉仕したので、人種が唯一的を得た概念だった。外的な法的基準や国家の概念など、強者を抑圧するために目論まれたまがい物に過ぎないのだ。

ヒトラー思想E ユダヤ人を取り除くことで、この惑星は「自然」の秩序へ復する

ヒトラーにとっては、人類の歴史など存在しないも同然だった。「世界の歴史で起きたことなど、善かれ悪しかれ人種の自己保存本能のあらわれだ」と彼は喝破した。記憶に留めるべきは、ユダヤ人が自然界の構造を歪ませようとする絶え間ない試みだけだった。この試みは、ユダヤ人が地球に存在する限り続くだろう。
ヒトラーは言う。「秩序を常に破壊するのはユダヤ人どもだ」

強者は弱者を飢えさせるべきだが、ユダヤ人は強者が飢えるように事を運ぶことができた。これは「存在の論理」を侵害しているのだ。ユダヤ思想によって歪まされている宇宙においては、闘争は思いもよらぬ結果を招くことがあり得た。適者生存どころか適者の飢えと消滅である。

この論理では、ドイツ人はユダヤ人が存在している限り常に犠牲者となろう。最優良人種として、ドイツ人種は最大のものを受けるに値するはずなのに、失うもののほうが大きいのだ。ユダヤ人の反「自然」はドイツ人種の未来を殺すのである。ユダヤ人がドイツ人を飢えさせている限り、世界は不均衡の最中にあるのだ。

1918年の敗北から、ヒトラーは将来の戦争について結論を引き出した。ユダヤ人がいなければドイツ人は常に勝利するだろう。しかし、ユダヤ人がこの惑星の全てを支配しているし、その思想をドイツ人にさえも浸透させている。

ドイツ人種の闘争は否応なく二種の目的を持つことになった。劣等人種を飢えさせその土地を奪うことに加え、健全な人種闘争を台無しにしてしまうグローバルな普遍主義を掲げるユダヤ人を打倒する必要があったのだ。出会う人種を支配するのと同時に、彼らをユダヤ支配から解放する責務をおっていた。領土を求めて劣等人種と闘争するのは地球の表面をめぐる争いに過ぎないが、ユダヤ人に対する闘争はそれと異なり生態学的だった。それは特定の敵人種や領土を巡る戦いではなく、地球上の生命の条件に関わるものだったからだ。ユダヤ人は「黒死病よりも悪い疫病、精神的な疫病」なのである。
http://3rdkz.net/?p=535&page=3


ユダヤ人は思想を持って戦うので、彼らの力はどこに行っても見られたし、誰もが自覚のあるなしにかかわらず工作員になり得た。

そうした疫病を取り除く唯一の方法は絶滅だった。仮にユダヤ人家族が一家族でもヨーロッパに残っていたなら、ヨーロッパ全体にその思想を感染させることができたのだから。ヒトラーは言った。ユダヤに毒された惑星は癒すことができると。
「ユダヤ人を取り除いた民族は、自ずと自然の秩序に復する」
「自然」はヒトラーによれば、二種類しかあり得なかった。まず、優良人種が劣等人種を虐殺する天国。もう一つは超自然的な存在であるユダヤ人が、優良人種に当然得るべき恩恵を与えず、可能な場合には飢え死にさせてしまう堕落させた世界であった。

ヒトラー思想F 国家や政府、法の支配が失われた場所でのみ、ユダヤ人を打倒できる

ヒトラーの観ずるところ、世界の問題はユダヤ人が誠実さのかけらもなく科学と政治とを分離し、進歩と人類愛について偽りの約束をばら撒いたことだった。ヒトラーが提案した解決方法は、ユダヤ人をして、自然と社会は一にして二ならぬものだという残忍な真実に触れさせることだった。ユダヤ人は他の者達から分離し、どこか侘しい荒れ果てた土地に住まわせるべきなのだ。ユダヤ人は彼らの反「自然」が他の人間達をユダヤ人に惹きつけるという点で力を持っていた。けれど、ユダヤ人は、残忍な現実に直面できないという点で弱かった。どこか野蛮な土地に再定住させれば、ユダヤ人も超自然的な観念で他の者達を操ることはできなくなるし、ジャングルの法に屈するようになるだろう。ヒトラーの当初の強迫観念は自然環境の最たるもの、「ある島における無政府状態」であった。後にヒトラーの考えはシベリアの荒れ野に向けられた。ユダヤ人がどこに送られようが「関心事ではない」とヒトラーは述べた。

ヒトラーがそう述べてからほぼ一ヶ月後の1941年8月に、ヒトラーの親衛隊やドイツ警察・国防軍は、ヨーロッパのど真ん中、政府を解体し国家を破壊した無政府状態のウクライナで、一時で万という単位のユダヤ人を銃殺し始めたのだ。

※※※※※※※※

終わりに

いかがですか?『ヒトラー思想』の一端がうかがえたでしょうか?『ヒトラー思想』は端的に言って弱肉強食を正当化する思想ですが、一口では語れない複雑な人種観を孕んでもいます。

強者は弱者から奪うべき。それこそが正義である…このような思想は魅力的です(特に男性にとっては)。この「秩序」に、何ら罪悪感に苛まれる必要もなく従えば良い、それこそが種を強化する、望ましい。正義である……これこそが『ヒトラー思想』の根幹です。彼に言わせれば、障害者や病人を慈しむことでさえ、強者を飢えさせようとするユダヤ的陰謀なのです。

しかるに、相模原で事件を起こした植松に、ヒトラーの如き深遠な人種観があったでしょうか?彼は単なる無学なアジア人です。深い考えがあったはずありません。彼は単にT4作戦の歴史を見て、特に思想も主義もなく自分の日ごろの鬱屈を弱者にぶつけただけです。それを『ヒトラー思想』だとこじつけてもっともらしくパフォーマンスしただけであり、それは明らかな間違えであり、見当違いです。

強者を崇拝する価値観は今もなお男子たる我々を惹きつけてやまないのは確かなのですが(それは弱者の否定とほとんど同じことです)、それを声高に訴えた国が、たったの12年で自滅に近い形で崩壊した歴史を、我々は忘れるべきではないでしょう。
http://3rdkz.net/?p=535&page=4


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アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった


ワーグナーの手紙、イスラエルで競売へ ユダヤ人の「腐食的影響」に言及
2018年4月23日 12:13 発信地:エルサレム/中東・アフリカ


反ユダヤ的な内容が記されたドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの手紙。エルサレムで
(2018年4月16日撮影)。(c)AFP PHOTO / MENAHEM KAHANA


【4月23日 AFP】ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がユダヤ人による文化への悪影響を危惧した内容の手紙が24日、イスラエルで競売に掛けられる。反ユダヤ主義者だったワーグナーの作品はイスラエルでは公の場での演奏が実質的に禁じられているが、これを機に国内で議論が再燃しそうだ。

 ワーグナーが19世紀に作曲した壮大で国粋主義的な作品は、反ユダヤ主義やミソジニー(女性への嫌悪や蔑視)、民族純化思想に満ちている。

民族純化は後にナチス・ドイツ(Nazi)が大々的に掲げ、その指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった。

 出品される1869年4月25日付の手紙は、ワーグナーがフランス人の哲学者エドゥアール・シュレー(Edouard Schure)に宛てたもの。その中では、ユダヤ人がフランス社会に同化すれば「ユダヤ精神による近代社会への腐食的影響」を観察できなくなるとし、フランス人はユダヤ人について「ほとんど何も」知らないなどとも記している。

 イスラエルにはワーグナー作品の演奏を禁止した法律はないが、過去に演奏が試みられた際に国民から強い反発が起き、騒ぎになった経緯があることから、オーケストラや会場が演奏や上演を自粛している。

 ワーグナーは1850年、偽名で「音楽におけるユダヤ性」と題した論文を発表し、激烈な反ユダヤ批判を展開。1869年にはこの論文を実名で出している。(c)AFP


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ニーチェとナチス〜レニの意志の勝利〜


■ワーグナーの信奉者

神は死んだ ・・・ ニーチェは自著「ツァラトゥストラはかく語りき」でかく語った。

この不用意な一言が、キリスト教徒の心情を逆なでにし、反キリストの烙印を押されたことは想像に難くない。大哲学者ニーチェも、熱心なキリスト教徒からみれば、ただの背信者なのだ。つまり、20億人が敵!?

さらに ・・・

ニーチェは「ナチスのシンパ(賛同者)」の嫌疑もかかっている。もし、それが本当なら、全人類が敵!?

歴史的名声をえているニーチェ像も、じつは薄氷の上にあり、いつ水没してもおかしくないわけだ。

では、本当のところはどうなのだろう?

第一の疑惑はワーグナーがからんでいる。

ワーグナーは、言わずと知れたドイツの大音楽家である。19世紀ロマン派歌劇の王様で、「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」など、荘厳かつ芝居がかった楽曲で名声をえている。

そのワーグナーの熱烈な信奉者がニーチェだったのである。ニーチェは、学生時代にワーグナーの楽曲に感銘をうけ、個人的な交流が始まった。その後、ワーグナーを讃える書を書いて、インテリからひんしゅくを買った。

そして ・・・

ヒトラーも熱心なワーグナー信奉者だった。ヒトラーは、17歳のとき、シュタイアー実科中学校を放校処分になり、ウィーンに旅行したが、そのとき、友人のアウグスト・クビツェクに絵葉書を送っている。そこにはこう書かれていた。

「僕は今、ワーグナーに夢中だ。明日は『トリスタン』を、明後日には『さまよえるオランダ人』を観るつもりだ」

ヒトラーは、その後、ドイツの総統にまで上りつめるが、ワーグナー熱が冷めることはなかった。定期的に劇場に出かけ、ワーグナーの荘厳な歌劇に酔いしれたのである。

ということで、ニーチェはワーグナーをハブに、ヒトラー(ナチス)のお仲間とみられたわけだ。とはいえ、音楽の趣味が同じだからといって、ナチスシンパ呼ばわりされてはたまらない。

ところが ・・・

ワーグナーは偉大な音楽家にみえるが、うさん臭いところもあった。天上天下唯我独尊で傲慢不遜、しかも、金遣いがあらく、年中金欠だったが、問題はそこではない。

彼の代表作「ニーベルングの指環」は、天界と人間界をまたぐ、壮大な戦争叙事詩だが、モチーフは北欧神話。つまり、神々と北欧ゲルマン人を讃える物語なのだ。

北欧ゲルマン?

じつは、ワーグナーは、北欧ゲルマン人至上を信じる偏屈な反ユダヤ主義者だった。しかも、彼の2度目の妻コージマも反ユダヤ主義者で、夫婦そろって人種差別主義者だったのである。

ゲルマン人最高&ユダヤ人最低?

ナチスの教義そのままではないか。

じゃあ、ワーグナー夫婦はナチス信奉者だった?

ノー!

この二人がナチス信奉者であるはずがない。ナチスが創設される前に死んでいるから。

それに、17歳のヒトラーがワーグナーに魅せられたのは音楽であって、偏屈な人種差別ではない。この頃、ヒトラーのユダヤ人に対する差別意識は、ヨーロッパ人としては平均的なものだった。驚くべきことに、21歳の時、ヒトラーには、ヨーゼフ ノイマンというハンガリー系ユダヤ人の親友がいた。彼に自分の描いた絵を売ってもらっていたのである。

ニーチェもしかり。はじめに、ワーグナーの楽曲に感動し、個人的なつき合いが始まり、彼の知性に魅了されたのである。

そもそも、ニーチェは人種差別主義者ではなかった。彼は「ユダヤ教」を嫌っていたが(厳密には一神教)、「ユダヤ人」を差別していたわけではない。

というわけで、ワーグナーをからめて、ニーチェを「ナチスシンパ」呼ばわりするのは正しくない。

ところが ・・・

やっかいなことに、そう思われてもしかたがない事実があるのだ。ニーチェは著書の中でこう書いている。

「ちっぽけな美徳やつまらぬ分別(道徳)、惨めな安らぎ(宗教)を求めることなかれ、強固な意志と不屈の精神で成し遂げるのだ」

つまり、「道徳」と「宗教」を否定し、内なる声に従い、雄々しく生きよと鼓舞したのである。

これがニーチェ哲学の根幹をなす概念「力への意志」である。そして、この勇ましい思想が、ナチスに利用されたのである。

■ナチスの映画

1934年、ナチスは党のプロパガンダ映画「意志の勝利」を制作した。1934年9月4〜5日に開催されたナチスの全国党大会の記録映画である。

タイトルといい、内容といい、ニーチェの「力への意志」を彷彿させる。

ところが、この映画は、現在、ドイツで上映が禁止されている。ドイツでは、映画であれ、TVであれ、Tシャツであれ、「ナチス」の露出は禁じられているのだ。

禁じられると、よけいに観たくなる!

心配無用。日本ではDVDがふつうに手に入る(amazonで3,730円)。

それにしても日本はいい国だ。言論・思想の自由とかで、言いたい放題、見せたい放題、何をしても許されるのだから(皮肉です)。そこで、DVD版「意志の勝利」(※1)を購入してみると ・・・ 暴力シーンやエロいシーンはゼンゼンない。むしろ、荘厳で美しく、芸術的(そして眠くなる)。

ということで、発禁の理由は、ひとえに「題材=ナチス」。

では、映画の内容はどうなのか?

「ナチス」がムンムン伝わってくる。

冒頭、いきなり、鷲と鉤十字をかたどった像の下に、「Triumph des Willens(意志の勝利)」が映し出される。

そして、重々しい文言 ・・・ 1934年9月5日、世界大戦勃発から20年後、ドイツの受難から16年が経過、ドイツの復興が始まって19ヶ月、アドルフ・ヒトラーは閲兵のため、ニュルンベルクを再訪した ・・・

シーンは変わって、飛行機のコックピット。眼前にみごとな大雲海が広がっている。重厚なサウンドと相まって、気分が高揚する。飛行機は徐々に高度を下げ、雲の割れ目から古都ニュルンベルクが見える。大聖堂をはじめ、荘厳な石造りの建物が整然と並ぶ。中世を思わせる美しい街だ。

飛行機がニュルンベルクの飛行場に着陸する。大勢の民衆が出迎え、歓声をあげている。ヒトラーが飛行機から降り立つと、「ハイル、ハイル、ハイル」の大合唱だ。

オープンカーで、ドイッチャー・ホーフ・ホテルに向かうヒトラー。その途中、道の両側の建物から鉤十字のナチス旗が垂れ下がり、人々が熱狂的に手を振っている。

ホテルに到着すると、母と娘がヒトラーに花束をわたし、笑顔でこたえるヒトラー。絵に描いたような演出だ。ヒトラーがホテルに入ると、

「われらの指導者、姿をみせて!」

の大歓声がわきおこる。ヒトラーが窓から姿をあらわし、それに笑顔でこたえる。強固な意志と不退転の決意を秘めながら、民衆には心を開く、我らが指導者というわけだ。

映像はモノクロだが、美しく、荘厳で、力強い。演出もカメラワークも、時代を考慮すれば新鮮だ。映画全体に一大叙事詩のような風格がある。こんな映画を撮れる監督はそういない。現代なら、スタンリー・キューブリック(故人)かリドリー・スコットか?

■レニ リーフェンシュタール

ところが ・・・

「意志の勝利」を撮ったのは、キューブリックやリドリースコットのような映画界の重鎮ではなかった。レニ リーフェンシュタール、当時まだ32歳の美しい女性だった。

この映画の2年前、1932年3月、レニ リーフェンシュタル監督兼主演の映画「青の光」が公開された。ヒトラーはこの映画をみて感動したのである。その後、レニはヒトラーの大のお気に入りになり、1938年のベルリンオリンピック「民族の祭典(オリンピア)」の監督も任されている。

「意志の勝利」は高い芸術性が評価され、数々の賞を受賞し、レニも栄光と名誉を手に入れた。ところが、戦後、評価は一変する。ナチスが全否定されたのだ。結果、「意志の勝利」は上映が禁じられ、レニ自身も、ナチスに協力した罪で訴えられた。最終的に無罪になったものの、誹謗中傷はその後もつづいた。

この不遇に対し、レニはこう反論した。

「わたしはナチスに加担したわけではない。美を追求しただけだ」

たしかに、レニの映像は「美」をねらっている。しかし、その「美」は穏やかな自然の美ではない。超越した力の美である。そして、脚本は明確に「ナチス礼賛」。これでは、「ナチスの協力者」と言われてもしかたがないだろう。もっとも、そうしないと、映画は完成しなかったのだが。実際、ナチス宣伝相ゲッベルスがあまりに口うるさいので、レニはヒトラーに苦情を訴えている。

ということで、レニはヒトラーから依頼されてこの映画を撮ったのだが、結果として、ナチスを利用して自己実現することになった。フォン ブラウンが、ナチスの超兵器V2ケットを利用して、ロケットの夢を叶えたのと同じように。

論より証拠、映画の内容を精査してみよう。

脚本と演出から、この映画のテーマは3つ確認できる。
1.ヒトラーは偉大な指導者
2.ドイツの若者は健全でパワフル
3.ナチスドイツは階級のない社会

では、この3つが映像でどう表現されているかみていこう。

【ヒトラーは偉大な指導者】

飛行場に到着したヒトラーを出迎える熱狂的な民衆。オープンカーで移動中、道すがらナチス式敬礼でヒトラーを讃える民衆。母娘から花束を渡され、笑顔でこたえるヒトラー ・・・ ヒトラーは国民から崇拝されると同時に、愛される指導者でもある。

さらに ・・・

ヒトラーの演説は分かりやすく、力強い。要点をしぼって、カンタンな言葉で何度も繰り返す ・・・ ヒトラーは頭がよくて、頼りがいがある。ドイツを再び繁栄に導いてくれるに違いない。

というわけで、ヒトラーの演出は「偉大な指導者」にフォーカスされている。

【ドイツの若者は健全でパワフル】

ニュルンベルク郊外に設営された無数のテント。ヒトラーユーゲント(青少年団)の野営地だ。ここで、多くの若者が共同生活をおくっている。

朝起きて、ヒゲをそり、顔を洗う、こんな日常でさえ、限りなく健全で明るい。水掛けをしてふざけあうカットも、民族の一体感を感じさせる。そして、みたこともない大鍋でスープをつくって、大量のソーセージを煮込んで、みんなでモリモリ食べる。調理と食事という日常の風景なのに、物量が多いだけで、力強さを感じさせる。

食事が終わると、相撲とボクシングをあわせたような格闘技や騎馬戦に興じる ・・・ じつは、スポーツは疑似暴力(アグロ)。

というわけで ・・・

ドイツの若者は、共同生活を楽しみ、スポーツを愛する。だから、健康的で、明るく、パワフル。心の病気などどこ吹く風だ。

そして ・・・

こんな若者にささえられたドイツの未来は明るい!

とはいえ、これが当時のドイツ青少年のスタンダードと言うわけではない。この映画が撮られた1934年、ドイツの若者がすべてヒトラーユーゲントとは限らなかったから。ところが、1936年、「ヒトラーユーゲント法」が成立し、すべての青少年の入団が義務づけられた。つまり、「ドイツの青少年=ヒトラーユーゲント」。

以前、265代ローマ教皇ベネディクト16世が、ヒトラーユーゲントの団員だったことが取り沙汰された。もちろん、的外れ。この時すでに、ヒトラーユーゲント法が成立していたから。

【ナチスドイツは階級のない社会】

民族衣装に身を包み、収穫の行進をする農民たち。ナチスは農業・農民を重視します!が映像からヒシヒシ伝わってくる。そもそも、ヒトラーが東方生存圏の拡大をもくろんだ理由は、ドイツの食料不足にあったのだから。

ヒトラーがドイツ労働者戦線指導者ロベルトライをともない、労働戦線の隊員たちを観閲する。続いて、ナチス幹部の労働者を讃える熱い演説。

この2つの映像は、ナチスドイツが農民と労働者を重視する、つまり、「階級のない社会」であることを示唆している。また、先の「ヒトラーユーゲントの野営地」の映像は、ナチスドイツが個人が全体に従属する「全体主義」であることを暗示している。

つまり、ヒトラーの狙いは、「階級のない社会=共産主義」と「個人より国家=全体主義」にあったのである。

そして ・・・

後者の「全体主義」は、おそらく、ヒトラーの戦争体験によっている。

1918年10月13日、第一次世界大戦中、イープルの前方の南部戦線で、イギリス軍は毒ガス「マスタードガス(ドイツ軍は黄十字ガスとよんだ)」を使用した。ヒトラーはその毒ガスをもろにあびたのである。

その時の苦悩と覚醒が、ヒトラーの著書「わが闘争」に記されている ・・・

ガスに倒れ、両眼をおかされ、永久に盲目になりはしないかという恐怖で、一瞬、絶望しそうになったときも、良心の声がわたしを怒鳴りつけたのだ。あわれむべき男よ、なんじは、幾千の者がなんじより幾百倍も悪い状態に陥っているのに、それでも泣こうとするのかと ・・・ わたしは、祖国の不幸にくらべれば、個人的な苦悩というものが、すべてなんと小さいものかということを知ったのだ(※2)。

まさに、全体主義 ・・・

でも、「共産主義+全体主義」なら、まんまボリシェビズム(レーニン式共産主義)では?

たしかにやってることは変わらない、では身もフタもないので、ムリクリ両者の違いを捻出すると ・・・ 憎む相手。

ボリシェビズムの敵は、資本家、つまり「階級」。一方、ナチスの敵は、ユダヤ人とスラヴ人、つまり「人種」。

ヒトラーは「ヨーロッパの新秩序」を掲げ、人種ヒエラルキー社会をもくろんでいたのである。それが、イデオロギーとよべるかどうかはさておき、上から順番に ・・・
第1位:ゲルマン人(ドイツ・オーストリア)
第2位:ラテン人(南ヨーロッパ)
第3位:スラヴ人(東ヨーロッパおよびロシア)
第4位:ユダヤ人

ヒトラーは、ドイツの資源不足(特に食糧)を憂慮していた。そこで、新たな生存圏を獲得するため、上記リストの下位の土地をねらったのである。ところが、第4位のユダヤ人は広い領土をもたない。一方、第3位のスラヴ人が住むロシアは広大で、天然資源は無尽蔵(特に鉱物資源は世界トップ)。そこで、ヒトラーはロシアを征服しようとしたのである。

ヒトラーは、「優れたドイツ人が狭い土地に住み、劣ったスラヴ人が広い土地に住むのはがまんならない」と側近にもらしていたという。その意識が、第二次世界大戦を招いたのである。

ただし、第二次世界大戦の直接原因はヒトラーにあるのではない。イギリス首相チェンバレンの愚策にある(イギリス議会の総意でもあったが)。ヒトラーはフランスはもちろん、ポーランドも侵攻するつもりはなかったのだから。

ということで、ナチズムもボリシェビズムも「敵を憎んでやっつけろ」が基本で、異民族や価値観の違いを認めて、折り合う気がさらさらない。だから、隣国にとってはハタ迷惑なのだ。

日本のお隣にも、お仲間がいるって?

否定はしませんけどね。

話をレニにもどそう。ゲッベルスにちゃちゃを入れられたか、身の危険を感じたか分からないが、結果として、映画は「ナチス礼賛」になってしまった。

その真骨頂が、ナチスの副総統ルドルフ・ヘスの演説だろう。映像を観ていると、歯が浮いてくる ・・・

わが総統 ・・・ 人々は理解することになるでしょう。我々生きるこの時代の偉大さを、我が国にとって、総統がいかに重要な存在であるかを。

あなたはドイツです。

あなたの指導のもと、ドイツは真の祖国となる目的を達成するでしょう。世界中すべてのドイツ民族のために。あなたは我々に勝利を約束なさった。そして、今、我々に平和を与えてくださる。ハイル・ヒトラー!ジークハイル!

それにつづく、「ジークハイル!」の大合唱。

ところが ・・・

このヘスの演説の合間に、2秒ほど、ナチスナンバー2のゲーリングの表情が映るのだが ・・・ その白けた顔。そこにはこう書いてある。

「よう言うわ」

これはカットですよ、レニ監督。

■ニーチェとナチス

というわけで、ニーチェの思想とナチスの教義は似ているが、共通するのはイケイケぐらい。そもそも、ニーチェの「力への意志」の核心は個人主義にあるが、ナチスは頭のテッペンからつま先まで全体主義。だから、根本が真逆なのだ。つまり、ナチスは、都合のよいところだけ、ニーチェ・ブランドを利用したのである。宗教的道徳を捨て、力を信じて、お国のために死んでくれ!と。

ところが、ヒトラーがニーチェを愛読していたという証拠はない。ヒトラーは大変な読書家だったが、ジャンルは歴史と地理と戦争物に限られていた。ただし、第一次世界大戦中、戦場でショーペンハウアーを読んでいたという記録がある。

ショーペンハウアーといえば、19世紀を代表する大哲学者だが、大学入試(大阪大学)の現国の問題にもなっているので、特別難解というわけではない。とはいえ、個人的には難解だし、そもそも陰気臭い。でも、ひとつだけ感動した言葉がある。

「人間、40才までが本文、それを過ぎたら注釈の人生」

偉人の名言の中でも、ひときわ目立っている。あまりのインパクトに卒倒しそうになった。

それはさておき、ショーペンハウアーは「意志」にからんで、ニーチェに影響を与えているので、ヒトラーの心をとらえた可能性はある。

一方、イタリアのファシスト党首ムッソリーニは、ニーチェを愛読していた。彼は自著「力の哲学」の中で、

「ニーチェは19世紀最後の4半世紀で、最も意気投合できる心の持ち主だ」

と持ち上げている。

ムッソリーニの「覇道の人生」を正当化しているのだから、無理からぬ話だ。とはいえ、ムッソリーニは、世間に流布されたような無教養で粗野な人物ではなかった。大変な読書家で、数カ国語をあやつるインテリだったのである。

というわけで、ヒトラーがニーチェの信奉者だった証拠はないが、お仲間のムッソリーニはそうだった。だから、ニーチェはファシズムを産んだわけではないが、加担したことは否定できない。

しかし、ニーチェの一番の問題はそこではない。

彼の理想と現実の埋めようのないギャップ。

■ニーチェの末路

ニーチェは読者にむかって ・・・

「己の内なる声に耳を傾けよ。その声に従って、生きよ。道徳やルールに惑わされてはならない」

と、危険な生き方を強要しておきながら、自分は35歳でニートになってしまった。体調不良で、大学の教授をやめたのである。その後、気候の良い土地を転々としながら執筆に専念した。早い話が在野の学者。

ところが、ニーチェの転落はここでとどまらなかった。45歳で、生きながらにして、アリ地獄に落ち込んだのである。

1889年1月3日、トリノの街を散歩中に、老馬が御者に鞭打たれるのをみて、突然、馬の首にしがみつき、泣き崩れてしまった。気が触れたのである。その後、実家のナウムブルクから近いイェーナの精神病院に入院した。

病室では、たいてい口をきかず、ふさぎ込んでいた。かとおもうと、突然、大声でわめきだし、自分を皇帝とか公爵とよんで、窓を叩き壊すこともあった。そして、頭痛がはじまると、看護人をビスマルクだと言って、ののしるのだった。

「私は愚かだから死んでいる。私は死んでいるから愚かだ」

と、芝居のセリフのような呪文を繰り返した。

これはうつ病レベルではない。重度の精神障害「統合失調症」である。

やがて、病院は回復の見込みがないことを認め、1890年5月、ニーチェは退院した。その後、ナウムブルクの実家にもどり、一度も回復することなく、55歳でこの世を去った。

じつは、ニーチェの狂気は、鞭打たれる老馬をみて、突然、発現したわけではない。子供の頃、すでに、予兆があったのだ。ニーチェはこう書いている。

「僕が恐ろしいと思うのは、僕の椅子の後ろの、ぞっとする姿ではなく、その声である。どんな言葉だって、その姿が発する声ほど、身の毛もよだつ、言葉にならない非人間的なものはない。人間がしゃべるように話してくれさえすればいいのだが」(※3)

幻聴や幻覚は統合失調症の典型的な症状である。誰もが子供のとき経験する夢想世界とは別ものだ。結局、ニーチェの幼少時の予兆は現実になったのである。

■クラーク博士の末路

ニーチェの理想と現実の人生をみると、

「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」

を残したクラーク博士を思いだす。

ウィリアム・クラークは、アメリカ合衆国の教育者で、札幌農学校(現北海道大学)の立ち上げに尽力した。先の名言は、これから巣立つ若者へのはなむけの言葉として有名である。

ところが、そのクラーク博士 ・・・

帰国後、大学の学長になり、順風満帆だったのに、自分の名言を実践することにした。学長を辞めて、新しい大学の創設、会社の創業に挑戦したのである。

「Old boys,be ambitious(中年よ、大志を抱け)」

ところが ・・・

結果はすべて失敗。最後は破産に追い込まれた。その後、心臓病をわずらい、寝たり起きたりで、59歳でこの世を去ったという。

大志を抱き、現実で失敗し、悲惨な末路をたどり、名声だけが残る ・・・ 詳細はさておき、大枠、ニーチェと同じではないか。

というわけで ・・・

挑戦する人生は素晴らしいが、身の丈を超えると、後が良くない。欲をかかず、つつましく生きるのも良き人生かな ・・・

■ゲーテの末路

ニーチェは、寄宿学校時代、文学サークル「ゲルマニア」をつくり、シェークスピアやゲーテをよみあさった。

そのゲーテだが、詩人、劇作家、小説家、科学者、弁護士にして政治家と、ニーチェの「力への意志」を地で行くような「攻め」の人生だ。

ところが ・・・

その「攻め」のゲーテが、晩年、こんな言葉を残している。

気持ち良い人生を送ろうと思ったら ・・・

済んだことをクヨクヨしないこと、
むやみに腹を立てないこと、
現実を楽しむこと、
人を憎まないこと、
そして、未来を神にまかせること。

人生は複雑である。

参考文献:

(※1)意志の勝利[DVD] 販売元:是空

(※2)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫) アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳)

(※3)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳) 白水社
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-249/


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ニーチェとルサンチマン〜道徳の正体〜
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-250/


■ニーチェかサルトルか

昭和51年、日本の高度経済成長のまっただ中、こんなTV CMが流行した ・・・ 「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか〜、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか〜、みーんな悩んで大きくなった〜」 作家の野坂昭如が歌ったウィスキーのCMである。哲学者をまとめてコケにしたようなバチ当たりなCMだが、悪意は感じられない。彼の不思議なキャラのおかげだろう。野坂昭如は、言動はハチャメチャだが、どこか憎めない。何をしても許されそうな ・・・

そういえば、大島渚監督の結婚30周年パーティで、主役をグーで殴って大騒動になった。犯行映像も残っており、証拠は万全なのだが、訴えられたという話は聞かない。 とはいえ、彼のすべてが不真面目というわけではない。直木賞を受賞した「火垂るの墓」は何度もみても泣ける(ただしアニメ版)。

ところで ・・・ 冒頭のCMは、哲学者の有名どころはソクラテス、プラトン、ニーチェ、サルトルと言っているようなもの。つまり、ニーチェは日本でもポピュラーな哲学者なわけだ。 では、ニーチェと聞いて、何を思い浮かべるか? ツァラトゥストラはかく語りき 神は死んだ 超人思想 ・・・・ ニーチェの象徴、3大キーワードである。

ところが、この3つはすべて、ニーチェ哲学の重要な概念「力への意志」にからんでいる。 ニーチェは著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、「神は死んだ」と宣言し、人間のあるべき姿「超人思想」を提唱したから。 しかし ・・・ ニーチェが本当に言いたかったのは、「神は死んだ」ではなく「神は妄想である」だったのだ。

そこで、100年後、生物学者リチャード ドーキンスはニーチェを代弁した。彼は著書「利己的な遺伝子」で、生物は遺伝子の乗り物にすぎないと暴露し、さらに、著書「神は妄想である」で、人間を創造したのは進化の法則で、神ではないと言い切った。つまり、神と宗教を否定したのである。 ということで、ニーチェは哲学、ドーキンスは生物学、それぞれ異なったアプローチで同じ結論に到達したのである ・・・ 神は妄想ナリ。ところが、ロジックの鋭さと辛辣さでは、ニーチェが一枚上手。

■ルサンチマン

ニーチェ版「神は妄想」は用意周到である。まず、彼が最初に持ち出したのが「ルサンチマン」だった。 ルサンチマン? 響きはいいが、非常に危険な言葉である。フランス語で「恨み」とか「嫉妬」という意味だが、哲学用語としての意味は最悪 ・・・ 絶対にかなわない強者に対し、ねたむ、ひがむ、陰口をたたく ・・・ ここまでは想定内だが、ルサンチマンは陰湿でしつこい。相手を悪者に仕立てあげ、自分を正当化する。そして、ここが肝心なのだが ・・・ すべて想像の中で、行動は一切ナシ。

なんで?

立ち向かえば瞬殺されるから。 なんと惨めな。 「あんた立派だね。頑張れば ・・・」 ぐらいの皮肉の一つも言って、あきらめればいいのに。 ところが、ルサンチマンは、それでは腹の虫がおさまらない。卑屈というか、偏屈というか、いびつというか ・・・ 具体例をしめそう。 マイクロソフトは、OS(Windows)とOffice(Word、Excel)で成功し、ソフトウェア業界の王族として君臨している。革命でも起こらない限り、王座は安泰だろう。なぜなら、OSとOfficeは初めにやったもん勝ちだから。

たとえば、何か面白いアプリを思い付いて、開発するとしよう。どのOSを選ぶ? もちろん、Windows、次に余裕があれば、Macかな。もっとも、昨今は、タブレットやスマホが急伸しているので、AndroidかiOSかもしれない。つまり、普及しているOSほど、アプリが多いわけだ。だから、一旦、劣勢になったOSが挽回するのは不可能。

さらに、ビジネス現場ではWord、Excelがデファクトスタンダードになっている。外部とのデータのやりとりはPDFが多いが、Word、Excelのファイルを使うことも多い。だから、カネを惜しんで中国製のOffice互換ソフトを買ったところでさほど意味はない。 つまり、マイクロソフトの目を見張る成功は、実力ではなく、既得権益によっている。だから、どんなに優れた商品を開発し、どれほど広告を打とうが、勝ち目はないわけだ。これが、王族と言われるゆえんである。

さて、ここで、ルサンチマンの登場である ・・・ オデは知ってるぞ。マイクロソフトが成功したのはタナボタ、実力があったわけじゃない。1980年、IBMがパソコンに参入したとき、マイクロソフトのMS-DOSが採用され、「パソコンOS=マイクロソフト」が既成事実になったことがすべて。運というか、成り行きというか ・・・ 実際、あのとき、最有力はデジタルリサーチのCP/Mだったんだからな。

だから、マイクロソフトが市場を征服しようが、神様よりお金持ちになろうが、絶対に認めん。 じゃあ、WindowsとOfficeは使っていないの? あ、いや、使っているけど ・・・ 好きで使ってるわけじゃないぞ。みんなが使っているから、使っているだけだ。 では、WindowsとMacどっちがいい?

そりゃもう、Mac!

Appleと比べれば、マイクロソフトなんてゴミみたいなもんだ。いいか、よく聞け、オデはAppleには一目置いているけど、マイクロソフトなんか絶対に認めないぞ(Macを実際に使ったことあるのかな)。 それに ・・・ マイクロソフトはあんなに稼いでいるのに、WindowsXPのサポート打ち切りとか、ふざけたこと言いやがって。売るだけ売っておいて、無責任な話だ。たしかに、金持ちかもしれんが、性根はサイテーだ!

もう一声 ・・・ 創業者のビルゲーツも二代目CEOのスティーブンバルマーもユダヤ人っていうじゃないか。「ベニスの商人」の金貸しシャイロックだな。オデは、こんなエゲツナイ商売する連中とやり合うつもりはない。そこで、焼鳥屋をやることにした。あいつらと違って、オレは品があるからな。 これが、ルサンチマン。 では、ルサンチマンの逆は? たとえば、Google。 ボクたち、マイクロソフトがソフトウェア業界の王族だってことは認めるよ。大したもんだよ、ここまで来るのは。もちろん、ボクたちもイケてるけど、まともにやっては勝ち目はない。だけど、逃げたりはしない。土俵を変えて勝負するんだ。マイクロソフトはデスクトップのキングなら、僕たちはウェブのキング。そして、いつかウェブがデスクトップを超える日が来る。そのとき、マイクロソフトを打ち倒すんだ! その「いつか」だが、遠い未来ではなさそうだ。

ということで、ヘソ曲がりをのぞけば、100人中100人がGoogleを絶賛し、ルサンチマンを軽蔑するだろう。 とはいえ、ラッキーなマイクロソフトや、ルサンチマンなソフト会社や、今をときめくGoogleでたとえても、いまいちピンとこない。ところが、ニーチェが説く「ルサンチマン」は強烈だ。

■一神教と多神教

ニーチェは著書「道徳の系譜」の中でこう書いている ・・・ 「高貴な道徳」は、どれも誇らしげにみずからを肯定するところから発展するものだが、「奴隷道徳」は最初から外部のもの、異なっているもの、自分以外のものを否定する、この否定こそが、この道徳の創造的な行為なのだ。 まわりくどいので、カンタンにまとめると、 ・高貴な道徳 =社会の道徳 ・奴隷道徳  =宗教の道徳 そして、「奴隷道徳=宗教道徳」の本質は、自分以外を否定することにあると言っているのだ。ちなみに、ここでいう宗教とは「旧約聖書=ユダヤ教&キリスト教」に限定される。

では、なぜ、仏教やヒンズー教ではなく、「ユダヤ教&キリスト教」なのか? 一神教だから。 一神教は、他の神を一切認めない排他的な宗教である。たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 ・・・ じつは、この三大宗教には「唯一神」以外にも共通点がある。 旧約聖書をバイブルにしていること、「普遍的な道徳」をもつことである。ここで、「普遍的道徳」とは、国や民族を超えて有効な道徳をいう。たとえば、ユダヤ教の「十戒」。読んで字のごとく、10の戒めがあるのだが、両親を敬えとか、人を殺してはいけないとか、嘘をつくなとか ・・・ 誰でも理解・納得できるルールだ。

一方、一神教の反対言葉「多神教」は ・・・ 文字どおり、複数の神を包含する。さらに、多神教の神は、地域に根付いており、普遍性がない。たとえば、古代都市テオティワカンでは「ジャガー神」があがめられたが、ジャガーがいない地域では、宗教そのものが成立しない。 さらに、多神教は、普遍的道徳をもたない。それどころか、生贄(いけにえ)を要求する性悪の神までいた(決めたのは人間だが)。2012年人類滅亡説で話題になったマヤ文明はその最たるものだろう。生贄を制度化していたのだから。

また、古代では、地球上のいたる所でシャーマニズムが存在した(一部の地域では今も存在する)。霊と交信するシャーマンが、占いや儀式を取り行い、為政者を補佐するのだが、王を兼ねることもあった。邪馬台国の卑弥呼もその一人だろう。 というわけで、多神教やシャーマニズムは、太陽や星々、森や動物の霊など、自然をモチーフにしている。つまり、自然と結びついた「自然神」なのだ。ところが、一神教は抽象的な唯一神をつくりあげ、それを崇めるよう強要する。さらに、文明化の名のもとに、森林を伐採し、神々などいないことを証明する。つまり、多神教が「自然神」なら、一神教は「人工神」なのだ。

一方、日本は世界に類を見ない無神論の国である。もっとも、戦国時代までは、日本は熱心な仏教国だった。ところが、織田信長がそれを一変させた。信長は、宗教が政治に口出しすることを極端に嫌い、宗教勢力を根絶やしにしたのである。一向宗「本願寺」との熾烈な総力戦の果てに。 その結果、日本の宗教勢力は弱体化し、無神論の国となった。盆は仏壇の前でチーン(仏教)、クリスマスイヴはケーキをほおばり(キリスト教)、正月には神社(神道)でパンパン。はた目で見ると、花見と変わらない。

ところで、一神教で道徳が重視されるのはなぜか? 治安と秩序をたもつため。 じゃあ、一神教は性悪説!? イエス! そもそも、キリスト教の教えによれば、人間には七つの大罪があるという。ところが、人間は神が創造したというではないか。全知全能の神が罪を作った!?矛盾してません? それとも、神はあえて不出来な人間を造り、大罪で苦しむの眺めて楽しんでいる? やっぱり、この世界は神の見世物小屋かもですね。

話をもどそう。 宗教が治安と秩序に一役買っているとしたら、無神論の日本はどうなるのだ?日本の治安と秩序は世界最高なのに。 1946年、アメリカで、この謎を解く書が出版された。タイトルは「菊と刀」、著者は文化人類学者のルース フルトン ベネディクトである。若き日のエリザベステーラーを彷彿させる美人だが、文体は陰気くさく読みづらい。その中で、彼女はこう説明している。 西洋人は「罪の文化」で、神罪を恐れて悪いことをしない。一方、日本人は「恥の文化」で、「世間体」を気にして悪いことをしない。 たしかに、江戸時代のハラキリ、太平洋戦争中の玉砕をみるまでもなく、日本人は世間体を気にする。つまり、「恥の文化」は宗教同様、治安と秩序に貢献しているわけだ。もっとも、最近は「恥知らず」な犯罪が増えているので、新しい「××の文化」をつくる必要がありそうだ。

■奴隷道徳

「ルサンチマン」に話をもどそう。 ニーチェによれば ・・・ 宗教も神も、ルサンチマンというひねくれ者が作りだした「妄想」にすぎない。戦っても勝ち目はないので、想像上の復讐で埋め合わせしているだけ(身もふたもない)。 そして、ルサンチマンの源流はユダヤ教と言い切ったのである。 これは興味深い。さっそく、ユダヤ教の歴史をみてみよう。 ユダヤ人が最初に王国を築いたのは紀元前1021年のイスラエル王国である。その後、強国エジプト王国と共存しながら、ダビデとその子ソロモンの治世で全盛期をむかえた。ところが、ソロモン王が死ぬと、内部抗争がおこり、王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。

そして、ここからユダヤ人の苦難が始まる。 まず、紀元前597年、南方のユダ王国が新興の新バビロニアに滅ぼされた。さらに、ユダヤ民族の支配階級が新バビロニアに連行されたのである。歴史上有名な「バビロン捕囚」である。 ところが、バビロン捕囚には副産物があった。ユダヤ人が新バビロニアの優れた文化に接することができたのである。中でも、重要と思われるのがギルガメシュ叙事詩(古バビロニア版 or ニネヴェ版)である。 というのも ・・・ 後に、ユダヤ人が編纂する「旧約聖書」に、ギルガメッシュ叙事詩とソックリの部分があるのだ。 時間軸にそって説明しよう。 バビロン捕囚から60年後、ユダヤ人に転機が訪れる。紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロンに侵攻し、新バビロニアを滅ぼしたのである。ペルシアは異民族に寛大な帝国だった。王キュロス2世の命により、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたのである。その後、ユダヤ人は旧約聖書とユダヤ教を成立させた。 その旧約聖書の中に、「ノアの方舟」というエピソードがある。

じつは、それがギルガメシュ叙事詩の「ウトナピシュティムの洪水伝説」ソックリなのだ。というわけで、バビロン捕囚がユダヤ教成立に一役買ったの間違いない。 しかし、重要なのはそこではない。 イスラエル王国が滅亡し、現実世界で強者から弱者に転落したタイミングで、ユダヤ教が成立したこと。しかも、その教義というのが ・・・ 「ユダヤ民族は選ばれた民である。絶対神ヤハウェを信仰せよ、そうすれば、神が敵対する民族をすべて滅ぼしてくれる」 ところが、その後の歴史をみれば明らかだが、神はユダヤ民族を救ってはくれなかった。それどころが、第二次世界大戦まで、ユダヤ人の迫害が続いたのである。

そのユダヤ教の流れをくむのがキリスト教だが、初めから苦難の連続だった。創始者イエス キリストの受難から始まり、その後も、ローマ帝国で迫害されたのである。しかも、その迫害は常軌を逸していた。女子供を含む多数の信者が、コロッセウムに引きずり出され、ライオンに噛み殺されたのである。ところが、いくら祈っても、神はライオンを退治してくれなかった。 つまり、キリスト教は、創設当初から、強者に立ち向かう術を持たなかった。そのぶん、教義はパッシブであり、それはイエスの最期の言葉からもうかがえる。 イエスは、ゴルゴダの丘で手と足にクギを打ちつけられたときこう言ったという。

「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」

自分を殺そうとする敵をかばうのだから、慈悲深くみえる。しかし、見方を変えれば、勝ち目のない敵を蔑むことで、自分を上に置く、欺瞞(ぎまん)ともとれる。このように、現実では勝つことのできない弱者(キリスト教徒)が、精神世界での復讐のために創り出した価値観を、ニーチェは「僧侶的・道徳的価値観」とよんだ。そして、このような卑屈な負け惜しみをルサンチマンと呼んだのである。 つまり ・・・ 勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」、その手段が「奴隷道徳」なのである。そして、「奴隷道徳」こそが人間を堕落させたのだと。 なんという危険な思想だろう。 ニーチェは背神者であり、偶像破壊者であり、反逆者なのだ。

ところが、二ーチェは宗教と神を否定するだけのクレーマーではなかった。神が死んだ後、人間がどう生きるべきかを示したのである。 神を捨てて、オーヴァーマン(超人)たれ! これがニーチェの十八番「超人思想」である。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-250/


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ニーチェと超人思想〜超人と末人〜
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-251/


■末人

末人 ・・・ 不吉な響きをもつ言葉だが、何の目的もなく、人生を放浪し、生をむさぼるだけの人間。哲学者ニーチェはそれを末人とよんだ。さらに、ニーチェは、このような末人が「神が死んだ」終末に出現し、ノミのように地球にはびこると予言した。

なんとも暗い未来だが、根拠はあるのだろうか?

今から3000年前、古代ギリシャでオリュンピア祭が始まった。4年に一度の競技大会で、現代オリンピックの起源である。ただし、競技種目は今よりずっと少なかった。水泳競技はなく、トラック競技、やり投げ、レスリング、ボクシング ・・・ 早い話が「バトル(戦闘)」。つまり、スポーツの原点は疑似暴力(アグロ)だったのである。

ところで、オリュンピア祭で讃えられたのは?

もちろん、敗者ではなく、勝者。

つまり、この時代は、

・強者=価値が高い → 善
・弱者=価値が低い → 悪

だったのである。

じつは、「強者=善、弱者=悪」には科学的な根拠がある。そもそも、現実世界は「弱肉強食」。そして、われわれ人間が今あるのも弱肉強食のおかげ。弱肉強食セット「突然変異と自然淘汰」で、原始細胞から人間に進化したのだから。

ところが、この自然の摂理にかなった価値観をユダヤ教とキリスト教が逆転させたとニーチェはいう。

つまり、

・強者=価値が低い → 悪
・弱者=価値が高い → 善

なんのこっちゃ?だが、気を取り直して、ユダヤ教とキリスト教のバイブル「旧約聖書」をチェックしてみよう。

じつは、「旧約聖書」は一人で一気に書きあげたものではない。複数の予言者のメッセージを編集したものである。内容は、壮大で一大叙事詩の感があるが、中にはユダヤ教徒への教訓もある。

たとえば ・・・

ユダヤ民族は神に選ばれた民である。だから、唯一神ヤハウェを信仰せよ。そうすれば、神はユダヤ民族の敵をことごとく滅ぼしてくれる。

ところが、敵は滅びるどころか、増える一方だった。そして、1932年から1945年にかけて、歴史に残る「ユダヤ人の迫害」が起こる。ナチスドイツの強制収容所で、600万人のユダヤ人が殺害されたのである。震撼すべき犠牲者の数だが、「殺戮」視点でみれば、最悪でない。

というのも ・・・

米国の図書館員マシュー ホワイトの著書「ランキング・残虐な大量殺戮上位100位」によれば、歴史上、ナチスを超える大量殺戮は3つ存在する。

・チンギスハーン(約4000万人)
・中国の毛沢東(約4000万人)
・ソ連のスターリン(約2000万人)
(※1)

もうすぐ1億 ・・・ ここまでくると、残酷な殺戮も「数字」にしかみえない。

じつは、ユダヤ人を迫害したのはナチスだけではなかった。程度の差こそあれ、ヨーロッパ全土に蔓延していたのである(デンマークは例外)。

1894年、フランス、ユダヤ人将校の冤罪に端を発する「ドレフュス事件」。さらに、1940年、ナチスに占領されたフランス・ヴィシー政府は、過酷なユダヤ人政策を強行した。様々なユダヤ人法を成立させ、次々とユダヤ人を強制収容所に送り込んだのである。

特に、1942年7月に実施されたユダヤ人狩り「春風計画」は凄まじかった。フランス側官憲4500人がユダヤ人の住居を襲い、1万2884名を捕え、アウシュヴィッツ収容所に送り込んだのである。その徹底ぶりは本家ナチスを凌駕する。意外に思えるかもしれないが、フランスの反ユダヤ主義は歴史的にみて根が深いのである。

また、東ヨーロッパでもユダヤ人の迫害が横行した。たとえば、1930年代、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、リトアニア、ポーランドで大規模な暴力沙汰が起きている。ユダヤ人が路上で襲撃されたり、住居が放火されたり、店舗が破壊されたのである。

とくに、バルト海諸国やウクライナでは反ユダヤ感情が強かった。そのため、第二次世界大戦中、多くの住民がドイツ軍に協力した。たとえば、1941年6月28日、リトアニアで起きた「死の砦事件」。コヴノの第9要塞でユダヤ人8万人が虐殺されたのである。

さらに、キリスト教もユダヤ人を差別した。

1936年、ポーランドで、それを象徴するような事件が起きている。

まず、キリスト教イエズス会の機関誌にこんな記事がのった。

「われらの子弟が、ユダヤの低劣な倫理観に汚染されないよう、ユダヤ人学校を別にもうける必要がある」(※3)

さらに、ポーランドのカトリック教会のフロンド枢機卿は、

「ユダヤ人たちが詐欺行為を働き、高利貸しを仕事とし、白人売春婦の売買をもっぱらにしているのは事実である」(※3)

それが事実かどうかはさておき、神がユダヤ人を助けてくれなかったことは事実だ。

そこで ・・・

ユダヤ教の教えは変質した。力で勝ち目がないなら、道徳をでっちあげて、そこで優位に立とう。そして、このような価値観を集大成したのがキリスト教である ・・・ ニーチェはそう考えたのである。

ゴルゴダの丘で磔刑に課せられたとき、イエスはこうつぶやいた。

「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」

殺される弱者・イエスは、殺す強者・ローマ兵に哀れみをかけることで、「弱」から「善」に大変身したのである(命と引き替えに)。

つまり ・・・

相手が力づくできたら、負けてあげましょう。力で負けても、本当に負けたわけではないから。そもそも、力づくで思いを遂げようなんてサイテー。神の前では、力をふるう方が「悪」で、犠牲者は「善」なんだからね。

こうして、ユダヤ教とキリスト教の出現によって、「強善弱悪 → 強悪弱善」のコペルニクス的転回が起こったと、ニーチェは考えたのである。

ところで、よく考えると ・・・

「弱者=善」というのもヘンな話。

「強弱」は物理学、「善悪」は概念。属性が違うものをいっしょにしてどうするのだ?

■超人

ここで、ニーチェの哲理を一度整理しよう。

ユダヤ教とキリスト教は、現実世界で負けた恨みを晴らすために、精神世界で勝利しようとした。その仕掛けが「道徳」である。

つまり ・・・

弱者は協調的で優しいので「善」。一方、強者は自己中で強引なので「悪」。こうして、強者は表彰台から降り、かわりに、弱者が上ったのである。つまり、弱者が勝者にすりかわったわけだ。

それにしても ・・・

負けを素直に認めればいいものを、卑屈な話ではないか。そこで、ニーチェはこのような道徳を「奴隷道徳」とよんだ。奴隷道徳は、道徳の名を冠しているが、弱者を救済するための方便にすぎない。詭弁を弄して、正当化しようが、根源はひがみとねたみ。そこで、ニーチェはこのような価値観を「ルサンチマン(フランス語で「ひがみ・ねたみ」)」とよんで、忌み嫌った。

そして ・・・

ニーチェの鋭い批判は祖国ドイツにも向けられた。ドイツ人もルサンチマン化しているというのだ。実際、ニーチェは著書「偶像の黄昏」の中でこう書いている。

「かつて思索の民とよばれたドイツ人は、今日そもそも、思索というものをまだしているだろうか。近頃では、ドイツ人の精神にうんざりしている ・・・ ドイツ、世界に冠たるドイツ、これはドイツ哲学の終焉ではあるまいか、とわたしは恐れている。ほかのどこにも、ヨーロッパの『二大麻薬』、つまり、アルコールとキリスト教、これほど悪徳として乱用されているところはない」(※2)

アルコールとキリスト教は「二大麻薬」!?

やっぱり、ニーチェはナチスのお仲間?

というのも、1937年9月12日、ニュルンベルクで開催された第9回ナチス全国党大会で、ヒトラーはこんな演説しているのだ。

「ボリシェヴィキ(ロシア共産主義)は、人類がかつて経験したことのない最大の危機であり、キリスト教出現以来最大の危機である」

ボリシェヴィキとキリスト教は「二大麻薬」!?

つまり ・・・

ニーチェとナチスは、キリスト教(道徳)の天敵、そして、力の賛美者。だから、ニーチェとナチスはお仲間というわけだ。もちろん、ナチスは全体主義、ニーチェは個人主義という根本的な違いがあるのだが、ナチスの磁力があまりに強力なので、わずかな一致で、お仲間にされたのである。

ではなぜ、ニーチェはルサンチマンと道徳を否定したのだろう?

このような卑屈な考えは、人間本来の欲望を押し殺すと考えたから。

人間本来の欲望って?

今ハマっているアクションRPG「ディアブロ3」の世界なら、

・筋力:9999(最大値)
・敏捷性:9999(最大値)
・知力:9999(最大値)
・生命力:9999(最大値)

現実の世界なら、権力、金力、名誉!

ニーチェは、このような純粋で健全な欲望を「力への意志」とよんだ。そして、この意志を持ち続ける人間を「超人(ウーヴァーメンシュ)」とよんで、人間かくあるべしと鼓舞したのである。

ただし、ここでいう「超人」は、まれな資質を有し、困難な目標を成し遂げるスーパーマンではない。資質がイマイチで、成功の見込みがうすくても、自分の欲望から目をそらさず、挑戦する人間をいう。つまり、結果ではなく、意志。だからこそ、ニーチェは「力への意志」とよんだのである。

さらに、ニーチェは超人とルサンチマンがせめぎ合う未来を予言した。

ルサンチマンは、信仰によって骨抜きにされ、自分の欲望を直視することができない。さらに、自分というものがなく、「群れ」でしか生きられない。だから、本当は弱虫。ところが、それを認めず、道徳をでっちあげて、自分は上等だと言い張る。こんな独りよがりの妄想が、長続きするわけがないと。

その結果 ・・・

誰も神を信じなくなる。信じてもらえない神は、神ではない。ゆえに、神は死んだのだと。

その瞬間、道徳も崩壊する。なぜなら、道徳は神なくしてありえないから。

一神教の信者が道徳を守るのは、神罰を恐れるからである(少なくとも、そう教えられる)。ところが、神がいなくなれば、神罰もなくなる。つまり、「神が死んだ」瞬間、道徳も崩壊するのだ。

こうして、遠くない未来に、二大宗教的価値観「信仰と道徳」が崩壊する。そのとき、ルサンチマンはよりどころを失い、ただ生きながらえるだけの生き物になる。それが「末人」というわけだ。

一方、「超人」は、時代や環境に左右されることはない。自分で価値観をつくることができるから。だから、神が死のうが、既存の価値観が崩壊しようが、迷わず、まっすぐ生きていける。つまり、超人とは、何事にも束縛されない「自由」と、自己実現の「意志」を持った人間なのである。

これが、ニーチェの「超人思想」。

力強く、斬新で、カッコイイ。でも、暴力的で危険である。根っこにあるのは「背神」と「反道徳」、つまり、反宗教だから。

ところが、ニーチェは、初めは熱心なキリスト教徒だった。少年時代に、こんなことを書いている ・・・

「神はすべてにおいて、あやまちを犯さないよう、わたしを導いてくださった。だから、わたしは一生を神への奉仕に捧げようと決心した」

一体、何がニーチェを変えたのか?

おそらく、「狂気」。

ドーパミン過剰の激しい性質は、中庸と安定を好まず、左右のどちらかに振り切れる。その結果、既存の価値のことごとく破壊する。それで、新しい価値を生めばよし、破壊でおわれば、その先に待っているのは ・・・ 狂気の世界。

つまり、勇ましいニーチェの超人思想も、結末は超人か狂人か?

それを自ら体現してみせたのが、ニーチェ自身だったのである。

参考文献:

(※1)殺戮の世界史〜人類が犯した100の大罪 マシュー ホワイト著、住友進 訳 早川書房

(※2)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」 ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)

(※3)ヒトラー全記録 20645日の軌跡 阿部良男 (著) 出版社: 柏書房
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-251/


▲△▽▼


ヒトラーが愛したワーグナーの名曲  

ワーグナー《ワルキューレ》「告別と魔の炎の音楽」クナ指揮 - ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19583361


ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』第3幕より
「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」

 ヴォータン:ジョージ・ロンドン
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

 録音時期:1958年 (P) 1958
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 プロデューサー:ジョン・カルショー
 エンジニア:ジェイムズ・ブラウン、ゴードン・パリー
 

▲△▽▼


ワーグナー《ワルキューレ》第1幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nm1FanHg2Nw
 ジークリンデ:キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
 ジークムント:セット・スヴァンホルム(テノール)
 フンディング:アルノルト・ファン・ミル(バス)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

 録音時期:1957年10月28〜30日
 録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
 録音方式:ステレオ(セッション)
 プロデューサー:ジョン・カルショー
 エンジニア:ジェイムズ・ブラウン
 (P) 1959

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Wagner Götterdämmerung -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Varnay -- Grümmer 1958 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qGu_LQxfcfM


Siegfried: Wolfgang Windgassen
Gunther: Otto Wiener
Alberich: Frans Andersson
Hagen: Josef Greindl
Brünnhilde: Astrid Varnay
Gutrune: Elisabeth Grümmer
Waltraute: Jean Madeira
First Norn: Jean Madeira
Second Norn: Ursula Böse
Third Norn: Rita Gorr
Woglinde: Dorothea Siebert
Wellgunde: Claudia Hellmann
Floßhilde: Ursula Böse

Richard Wagner "Götterdämmerung"
Opera in three acts --
part four in a cycle of four operas titled
"Der Ring des Nibelungen"
Libretto by the composer
Chor der Bayreuther Festspiele
Orchester der Bayreuther Festspiele
Conductor: Hans Knappertsbusch


▲△▽▼


トリスタンとイゾルデ全曲

Tristan und Isolde Braun Treptow Klose Knappertsbusch Munich 1950 LIVE - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RZkpNxLMNto


Hans Knappertsbusch Bayerische Staatsoper

Tristan - Günther Treptow
Isolde - Helena Braun
Brangaene - Margarete Klose
Marke - Ferdinand Frantz
Kurwenal - Paul Schöffler
Melot - Albrecht Peter
Hirt - Paul Kuen
Steuerman - Fritz Richard Bender
Stimme eines jungen Seemanns - Fritz Richard Bender
Wagner


▲△▽▼


1943. Die Meistersinger von Nürnberg - Prohaska, Lorenz, Müller (Wilhelm Furtwängler, Bayreuth) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MAokG9BrvPo


Jaro Prohaska -- Hans Sachs, Schuster
Max Lorenz -- Walther von Stolzing
Maria Müller -- Eva, Pogners Tochter
Eugen Fuchs -- Sixtus Beckmesser, Stadtschreiber
Josef Greindl -- Veit Pogner, Goldschmied
Erich Zimmermann -- David, Sachsens Lehrbube

Wilhelm Furtwängler
Chor & Orchester der Bayreuther Festspiele
1 Aug 1943

▲△▽▼


Wagner - Parsifal Opera (recording of the Century Hans Knappertsbusch 1962) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dzeNnoMmsjM


Amfortas : George London
Titurel : Martti Talvela
Gurnemanz : Hans Hotter
Parsifal : Jess Thomas
Klingsor : Gustav Neidlinger
Kundry : Irene Dalis

Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
Chorus and Orchestra of the Bayreuth Festival

Chorus Master / Choreinstudierung : Wilhelm Pitz
Dirigent / Conductor : Hans Knappertsbusch
Live recording at the Bayreuth Festival in 1962

Furtwangler Siegfried's Funeral March from Gotterdammerung - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCE_aYJNfQo

Richard Wagner, composer
Vienna Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, March 2, 1954


▲△▽▼


Flagstad, Furtwangler Brunnhilde's Immolation (1-3) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=zP6b4F1cG_k


Excerpt from Richard Wagner's Gotterdammerung
Kirsten Flagstad, soprano
Philharmonia Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, 1952


 

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コメント
1. 中川隆[-10774] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:16:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1273] 報告

人間にとって猿とは何か。 哄笑の種、または苦痛にみちた恥辱である。

人間は超越せらるべき或物なり。 汝等は人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。

一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。

然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴は人間にとりて何物ぞ。哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

曾て汝等は猿猴なりき。今も尚人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。


我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。

最も侮蔑すべきは末人なり。

嗚呼。人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。

嗚呼。遂に自ら卑むることはざる、最も卑むべき人間の時來らむ。


見よ。我は汝等に末人を示す。

「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 -- 末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。

彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。
http://web.archive.org/web/20040506045015/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html

2. 中川隆[-10773] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1274] 報告

ヒトラーが愛読したツァラトゥストラ


ツァラトゥストラ歳三十の時、其郷里と郷里の湖とを去りて山に入れり。 其處《そのところ》に彼は、自らの精神と自らの孤獨を樂めり。十年を經て勞るることなかりき。 されど遂に彼の心機は一轉せり、 -- 或る日の朝、黎明と共に起き出でて、日輪の前に歩み寄り、 斯く彼は日輪に語りき。

『汝大なる星よ。汝が照らすところのものなきとき、何の幸福なることか汝にあらむ。十年の間、 汝は此我が洞に來りき。我と、我が鷲と、また我が蛇とのあるに非ずば、汝は其光と其道とに倦じたりしなるべし。

されど我等は朝毎に汝を待ち、汝の氾濫を受けて汝を祝せり。

見よ。我わが智慧に勞れたること、餘りに多くの蜜を集めたる蜜蜂のごとし。 我はこれを獲むとて差伸べらるる手を要《もと》む。

我は賢き人々が今一?d《たび》その愚なるを悦び、貧しき人々が今一?d《たび》その富めるを悦ぶに至るまで、 自ら有てるものを分ち與へむことを希ふ。

されば汝が夕々《ゆふべ》に、海のあなたへ降り行き、光を幽界に齎す時の如く、 我も亦深きところに降り行かざる可からず。汝、豐饒なる星よ。

我は汝の如く沒落せざるべからじ。我が降り行かむとする人々、 これに名けて沒落と云ふ。

されば汝、過大の幸福をも嫉まざる靜平の眼《まなこ》、我を祝せよ。

將に溢れむとする觴《さかづき》を祝せよ、金色なる水の此《これ》より流れ、 普く汝が悦樂の反照を及ぼさむが爲めに觴を祝せよ。

見よ、此觴は再び空しからむとす。而して、ツァラトゥストラは今一?d《たび》人間とならむとすなり。』 -- 斯くしてツァラトゥストラの沒落は始りき。


ツァラトゥストラはただ一人山を下りしが、途《みち》に相會ふものなかりき。 されど彼が森に來りし時、忽ち一人の老翁ありて其前に立ちぬ。食ふべき根を森林に求めむとて、 隱遁の庵を出でたりしなり。さてツァラトゥストラに語りて言ふ。
『此漂泊者は我が未だ知らざるの人に非ず,多くの年の前、彼は此處を過ぎぬ。ツァラトゥストラと呼べりき。 されど彼は變りたり。

かの時汝は、汝の灰を山に運びき。今汝は、汝の火を谷に運ばむとするか。汝は放火者の刑を恐れざるか。

然り、我はツァラトゥストラを認めたり。其眼は清く、其口の邊《あたり》には、何等の厭ふべき影もなし。 彼は舞踏者の如くして行くに非ずや。

ツァラトゥストラは變りぬ。ツァラトゥストラは小兒となりぬ。ツァラトゥストラは目覺めたり。 汝そも眠れるものの間に何をか爲さむとす。

汝海に住む如く孤獨に住みき。而して海は汝を運びき。嗚呼、汝いま陸に上らむとするか。 嗚呼、汝再び自らの身體を曵き行かむとするか。』

ツァラトゥストラ答へき、『我は人間を愛す』と。

聖徒は言へり、『如何なれば我は、森に行き、野に行きしか。人間を愛すること餘りに甚しかりしが故に非ずや。

今は我、神を愛して、人間を愛せず。人間は我に取りて、餘りに不完全なる事物なり。 人間に對する愛は、我を殺すべし。』

ツァラトゥストラ答へき、『我愛に就きて何を言ひしや。我は人間に施すべき物を齎せり。』

聖徒は言へり、『彼等には何物をも與ふるなかれ。寧ろ彼等より或物を取り、 彼等と共にこれを負へ。そが、汝にはただ悦ばしきのみなる時、彼等には最も悦ばしきならむ。

而して汝若し、彼等に與へむことを慾《ねが》はば、施物の外何物をも與へざれ。施物も亦、 彼等をして之を乞はしめよ。』

ツァラトゥストラ答へき、『否。我は施物を與へず。我は未だ施物をするほどに貧しからざるなり。』

聖徒はツァラトゥストラを笑ひて斯く言へり、『然らば、彼等をして汝の寳を受けしめむことに意を用ひよ。 彼等は隱遁者を猜疑するの心あり、我等の與へむとて來れることを信ぜざるなり。

我等の跫音《あしおと》は餘りに寂しく彼等の街に響く。乃ち夜彼等の床にありて、日出に長き前、 或る一人《いちにん》の行けるを聞かば、彼等自ら問うて言はむとす、 「かの盜人《ぬすびと》は何處《いづく》に行くや」と。

人間に行かずして、森林に留まれ。寧ろ禽獸に行け。汝如何なれば我の如く、 -- 熊の中なる熊、鳥の中なる鳥としてあるを慾はざるか。』

『さて聖徒は、森林にありて何をか爲す。』 -- ツァラトゥストラは問ひき。

聖徒は答へき、『我は歌を作りて、之を歌ふ。歌を作るとき、或は笑ひ、或は泣き、 或は低唱す。かくして神を讚ずるなり。

歌を歌ひて、泣きて、笑ひて、低唱して我が神なるかの神を讚ずるなり。されど汝は如何なる施物を我等に齎すや。』

ツァラトゥストラ此等の言葉を聞き、稽首して聖徒に言ふ、『我は汝に與ぶべき何物をか有たむ。 されど我も亦汝より何物をも受けざらむ爲め、我をして速かに去らしめよ。』 -- 斯くて老いたると若きとは、二人の童子の笑ふが如く笑ひて相別れき。

さあれ、ツァラトゥストラただ一人になりしとき、彼は斯く其心に言へり、『誰かよくその有り得べきを思ふものぞ。 此老いたる聖徒は森林にありて、未だ全く、神の死せるを聞かざるなり。』 --


ツァラトゥストラは森林に續く最寄りの市《まち》に來りし時、彼は多くの人々の市塲に集まれるを見き。 踏索者《つなわたり》の技を觀むとて集れるなりき。乃ちツァラトゥストラかく人に言へりき。
『我汝等に超人を教ふ。人間は超越せらるべき或物なり。 汝等は人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。

一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、 人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴は人間にとりて何物ぞ。哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。人間も超人にとりては同樣なるべし。 哄笑のみ。或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

汝等は蟲より人間に進みき。汝等の中なる多くは尚蟲なり。曾て汝等は猿猴なりき。 今も尚人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。汝等の中最も賢き者も、草木と幽靈との雜種に過ぎず。 されど我は汝等に、幽靈もしくは草木たらむことを命ずるものならむや。

聽け、我は汝等に超人を教ふ。

超人は地の意義なり。汝等の意志をして言はしめよ、超人が地の意義なるべきことを。

切に願ふ、我が兄弟よ、地の忠なれ。 而して汝等に天上の希望を説くところのものを信ぜざれ。彼等は、自ら知れると知らざるとを問はず茶毒者なり。

彼等は生命の侮蔑者なり。自ら頽敗し行くもの、自ら茶毒せられしもの、地は此等の人々に勞れたり。 されば彼等をして去らしめよ。

曾ては神を涜《けが》すこと、最大の褻涜なりき。されど神死したれば、此褻涜者も共に死したり。 今は最も恐るべきもの、地を涜すにあり、不可思議の内臟を地の意義の上に置くにあり。

曾て、靈魂は肉體を侮蔑しき。其時此侮蔑は最高のものたりしなり。 -- 靈魂は肉體の乏しきを、 忌はしきを、飢ゑたるを慾ひき。斯くして肉體と地とを脱れむことを思ひき。

あはれ、其靈魂こそは乏しく、忌はしく、飢ゑたりけれ。殘酷は其靈魂の耽樂なりき。

然《され》ど我が兄弟よ、汝等も亦我に語れ。汝等の肉體は汝等の靈魂に就きて何をか告ぐる。 汝等の靈魂は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに非ざるか。

實に人間は濁流なり。人自ら濁ることなくして濁流を容るるを得むが爲めには、須くまさに海となるべし。

見よ、我汝等に超人を教ふ。超人はかの海なり。汝等の大なる侮蔑はよく其中に陷沒す。

汝等がよく經驗するところの最も大なるものは何ぞや。大なる侮蔑の時是なり。 ただに汝等の幸福のみならず、汝等の理性と汝等の徳操とまたひとしく、汝等の嘔吐を促すの時是なり。

其時汝等は言ふ、「我が幸福に何の價値ありや。ただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とのあるのみなり。 されど我が幸福は其れ自ら這の存在の理由を提供せざるべからざりき」と。

其時汝等は言ふ、「我が理性に何の價値ありや。その智識を追ふこと獅子の其食を追ふが如きものありや。 そはただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに過ぎざるなり」と。

其時汝等は言ふ、「我が徳操に何の價値ありや。そは未だ我を狂暴に驅りしことなし。 我如何に我が善と我が惡とに疲れたるかな。其一切は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸となり」と。

其時汝等は言ふ、「我が正義に何の價値ありや。我は我が炎熱たり、炭塊たるを見ず。 されど正しき者は炎熱なり、炭塊なり」と。

其時汝等は言ふ、「我が憐憫に何の價値ありや。憐憫は人間を愛する者の磔けらるる十字架に非ずや。 されど我が憐憫は決して磔刑に非ず」と。

汝等已に此の如く語りしか。汝等已に此の如く[口|斗]びしか。嗚呼我、汝等のかく[口|斗]ぶを聞き得たりしならむには。

呪詛すべきは汝等の罪惡に非ずして、汝等の中庸なり。また汝等の罪惡に於ける汝等の吝嗇其物なり。

その舌をもて汝等を舐むるところの電光は何處にありや。それをもて汝等の接樹せらるべきかの亂心は何處にありや。

見よ、我は汝等に超人を教ふ。超人は其電光なり。超人は其亂心なり。』 --

ツァラトゥストラ斯く語りし時、群集の一人は[口|斗]びぬ。『我等踏索者に就きて聞きしこと足れり。 今我等をして彼を見せしめよ』と。人々皆ツァラトゥストラを笑ひき。されど、 踏索者と呼ばれしを自らの事なりと思へる踏索者は、頓《やが》て其業にとりかかりき。


されどツァラトゥストラは人々を視て驚きぬ。さて彼は斯く語りき。
『人間は禽獸と超人との間を繋ぐ一の索《なは》なり、 -- 深潭に懸れる一の索なり。

越ゆるも危し、越え了らざるも危し、顧るも危し、戰慄停留するも亦危し。

人間の大なるは、そが橋梁にして標的に非ざるところにあり。人間の愛すべきは、 そが一の過渡たり、沒落たるによる。

我はかの沒落の外に生くべき道を知らざる者を愛す。そは超越せむとする者なればなり。

我は大なる侮蔑者を愛す。そは大なる崇拜者なればなり、彼岸に對する憧憬の箭なればなり。

我はかの、沒落して犧牲となるべき理由を、星辰の彼方に求むることをせず、 寧ろ地が他日超人の手に歸せむ爲め、地に自らを獻ぐる者を愛す。

我はかの、認識せむが爲めに生き、他日超人の生きむが爲めに認識せむとする者を愛す。 斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、超人の爲めに家を建て、超人の爲めに地と、禽獸と、草木とを備へむとて勞作考案するものを愛す。 斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、自らの徳を愛するものを愛す。徳は沒落を慾ふの心、憧憬の箭なればなり。

我はかの、一滴の精神をも自らの爲めに保有することなく、寧ろ全く其徳の精神たらむことを意《おも》ふものを愛す。 斯く彼は、精神として橋梁を越ゆるなり。

我はかの、自らの徳を自らの性癖並びに自らの運命となすものを愛す。 斯くして彼は、自らの徳の爲めに生き、自らの徳の爲めに死す。

我はかの、餘りに多くの徳を追はざるものを愛す。一の徳は二の徳よりも更に徳なり。 そはより多く、その運命の繋るべき結節となるものなればなり。

我はかの、其靈魂の浪費せらるるもの、感謝を慾はず、報復を爲さざるものを愛す。 そは常に與へて、自ら貯へむことを慾はざればなり。

我はかの、僥倖なる骰子の投ぜらるる時耻づるものを愛す。その時彼は問うて言ふ、 「我は正の博奕者にあらずや」と。 -- 彼は沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、其行爲に先ちて金言を放ち、又其誓約よりも多くを踐《ふ》むものを愛す。 そは自らの沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、將來を辯護し、また過去を救濟するものを愛す。そは現實に依りて沒落せむことを慾ふものなればなり。

我はかの、其神を愛するのよりて、其神を懲戒するものを愛す。そは其神の怒の故に沒落すべければなり。

我はかの、負傷の際にも其魂の深きもの、一些事の爲めに能く沒落するものを愛す。 そは喜びて橋梁を越ゆべければなり。

我はかの、其魂の横溢せるによりて、自ら忘るるもの、一切の事物の其中に在るものを愛す。 斯く一切の事物は其沒落の因となる。

我はかの、自由なる精神と、自由なる心情とを有するものを愛す。斯く彼の頭腦は彼の心情の内臟たるのみ。 されど其心情は彼を沒落に驅る。

我はかの、人間を覆へる暗雲より、ひとつ〜落ち來る、重き滴《しづく》の如きもの一切を愛す。 彼等は電光の來るを告示し、告示者として沒落す。

見よ、我は電光の告示者なり、雲より落ち來る重き一滴なり。其電光に名けて超人と云ふ。』


此等の言葉を語りしとき、ツァラトゥストラ再び人々を視て默しき。彼は其心に語りき、 『彼等は立てり。彼等は笑へり。彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。
彼等が其眼をもて聞くことを學ぶに先ち、其耳を粉碎するの要あるか。 鑵鼓並びに齊日の説教者の如く怒罵するの要あるか。或は彼等ただ吃々として言ふ能はざるものをのみ信ずるか。

彼等は其誇とするところの物を有つ。其誇とするところの物に名けて何とか云ふ。 之に名けて教育と云ふ。彼等と牧羊者とを區別するもの是なり。

故に彼等は、自らの上に用ひられたる「侮蔑」てふ言葉を聞くことを悦ばず。 乃ち、我は彼等の誇とするところを藉《か》りて語らむとす。

乃ち我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。最も侮蔑すべきは末人なり。』

偖てツァラトゥストラかく人々に語りき。

『今は人自ら其目標を立つるの時なり。今は人自ら其最高希望の種子を植うるの時なり。

彼の土壤は、尚肥沃にして之をなすに足る。されど此土壤は早晩疲弊し去りて、喬木の生ずるものなきに至るべし。

嗚呼。人間が人間の彼方へ、其憧憬の箭を發《はな》つこと能はざるの時來らむ。 其?|弦《ゆみづる》の鳴るを忘るるの時來らむ。

我汝等に言ふ、人は舞ふところの星を産むことを得む爲めに、自ら混沌たるものなかるべからず。 我汝等に言ふ、汝等は尚自ら混沌たるものあるなり。

嗚呼。人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。嗚呼。遂に自ら卑むることはざる、 最も卑むべき人間の時來らむ。

見よ。我は汝等に末人を示す。

「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 -- 末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。 彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。

彼等はその生くるに難かりし地方を去りぬ。温熱を要すればなり。 人々尚隣人を愛して、之と相摩擦す。温熱を要すればなり。

病患と猜疑と、彼等にありては罪惡なり。人々細心に道を行く。然るに尚、岩石に躓き、人間に躓くものは愚なるかな。

聊かの毒藥は、時に快き夢を誘《いざな》ふ。而して多量の毒藥は、終に快き死滅に導く。

人々は尚勞作せり。勞作は娯樂なればなり。されど彼等は、這《こ》の娯樂によりて自らを害はざらむことを心に用ふ。

人々今や富裕となることなく、貧困となることなし。二者何れも煩はしきなり。 何人か尚統御せむとするものぞ。何人か尚服從せむとするものぞ。二者何れも煩はしきなり。

實に一人の牧者もなき畜群よ。各一樣に慾《ねが》ひ、各全く同等なり。 思ふところを殊にするものは、自ら進むで癲狂院に入る。

「曾ては世界を擧げて狂人なりき」。 -- 斯く言ひて最も智慧あるものは瞬《またた》きす。

人々聰明にして、凡べての出來事を知るにより、彼等の嘲笑は極ることなし。 彼等相爭ふと雖、直にまた相和す。 -- しかせざれば胃の腑を滅すべし。

彼等は日中に小歡をなし、夜間にまた小歡をなす。されど彼等は健康を尊重す。

「我等幸福を案出せり」 -- と言ひて、末人は瞬きす。』

斯くてツァラトゥストラが第一の演説、即ち『緒言』は此處に終りき。 此時群集の喧噪[口|喜;#1-15-18]戲彼を妨げければなり。『我等に其末人を與へよ、ツァラトゥストラよ』。 -- 斯く彼等は[口|斗]びき -- 『我等を其末人となせ。我等悦びて超人を棄てむ』。 かくて人々皆歡呼して其舌を鼓しぬ。されどツァラトゥストラは悲しくなりて、其心に言へけり。

『彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。

恐くは、我が山に住むこと長きに過ぎしならむ、我が細流と樹木とに聽くこと多きに過ぎしならむ。 今我が彼等に説くは、牧羊者に説くと異らず。

我が靈魂は不動にして、午前の山の如く朗なり。然るに彼等は我を目して冷酷なるもの、 恐しき諧謔を弄する嘲笑者となす。

偖て今彼等は、我を視て笑ふ。彼等の笑ふ時、彼等はまた我を憎む。彼等の笑には氷あり。』


されど頓て、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる事起りき。 即ち此時已に踏索者は其?ニ《わざ》を始めたりしなり。彼は小き戸を出でて、二の塔の間に、 市塲と人々との上に張り渡したる索《なは》を歩めり。彼恰も其中程にありし時、かの小さき戸は再び開き、 華かなる色の衣裳をつけし、道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》跳り出でて、足早に追行きぬ。 『進めよ、蹇《あしなへ》』と、其恐しき聲は[口|斗]びぬ、『進めよ、怠惰なる者、密賣者、白面者よ。 我我が踵をもて、汝を擽《くすぐ》ることのなからむ爲め進めよ、 汝何の用ありてか這《こ》の塔の間を行く。汝の處は塔にあり。汝は監禁の中にあるべかりき。 汝は汝に優れる者の、自由なる進路を阻む。』 -- 斯く言ひながら道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》は益々近きぬ。 されどそのお相去ること一歩の處に到るや、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる恐しき事起りぬ。 -- 其?ソ《をとこ》は魔の如き[口|斗]を發して、先《さきだ》てる踏索者を跳越えぬ。 競敵の勝利を見て、踏索者は其頭と索を失へり。彼は其竿を投げ、其竿よりも速かに、 手足の旋風の如く射下りぬ。市塲と群集とは荒立てる海の如くなり、人皆右徃左徃に逃げまどひぬ。 取り分け踏索者の落ち來るべきところは甚しかりき。
ツァラトゥストラは獨り其ところに留りたりしが、恰も彼の傍に踏索者は落ち來れり。 淺間しく姿變り、傷《きづつ》きたりしかど、尚ほ死せざりき。稍ありて息吹き返し、ツァラトゥストラのその傍に跪けるを見き。 『汝何をか爲せる』と、遂にツァラトゥストラに問ふ、『我は夙《つと》に、惡魔の我を飜弄すべきことを知れりき。 今彼は我を地獄に曵く。汝之を防がむとするか。』

『我が名譽によりて誓ふ、友よ。』 -- ツァラトゥストラは答へき。『汝が語るところの物は總て在ることなし、 惡魔もなし、地獄もなし。汝の靈魂は汝の肉體よりも速かに死せむ。是より後亦再び恐るること勿れ。』

踏索者は狐疑の眼をもて見上げしか、やがて言ふ、『汝若し眞《まこと》を語らば、 我は我が命を失ふとも何物をも失はざるなり。我はかの、毆打と食餌とによりて舞踏を教へらるる禽獸と、 多く異るところなきなり。』

ツァラトゥストラは言へり、『否、然らず。汝は危險を汝の職業となしぬ。何の卑むべきことかあらむ。 今汝は其職業の故に死す。されば我、我が手を以て汝を葬るべし。』

ツァラトゥストラは斯く言ひし時、臨終の人は答を爲さで、僅に其手を動しぬ。 そは宛《あたか》も、ツァラトゥストラに謝せむとて、其手を求むるものの如く見えき。


さる程に夕《ゆふべ》は來り、市塲は闇に包まれぬ。人々は散り行きぬ。好竒の心と恐怖の念とまた倦怠しければなり。 然れどツァラトゥストラは死者の傍に、地上に坐し、思ひ沈みて時を忘れぬ。遂に夜となりて、 冷き風は寂しき者の上を吹き渡りぬ。乃ち、ツァラトゥストラ起ちて其心に言へり 『實《げ》に今日のツァラトゥストラが漁《すなどり》は宜しかりしかな。彼は人間を捕へずして、死體を捕へたり。
人生は凄慘にして、しかも無意義なり。道化者《ちやり》は能く其運命となることを得む。

我は人間に其存在の意義を教へむとす。即ちそは超人なり、人間の黒き雲より來る電光なり。

然《され》ど尚ほ我は人間を遠ざかれり。我が心は彼等の心に語らず。我は尚ほ人間に取りて、愚人と死體との中間なり。

夜は暗し、ツァラトゥストラの道は暗し。いざ汝、冷き硬直の伴侶よ。 我は我が手をもて汝を葬るべきところに汝を運ばむ。』


ツァラトゥストラは斯く其心に言ひし時、死體を負ひて其途に出で立ちぬ。未だ百歩を行かざるに、人あり、 濳に追躡し來りて耳語す。 -- 而して見よ、 -- 語りしはかの塔の道化者《ちやり》なりき。 『ツァラトゥストラよ、此?s《まち》を去れ』と彼は言ふ、『此處には餘りに多くの人々汝を憎む。 善き人、正しき人は汝を憎み、汝を其仇敵と呼び、侮蔑者と呼ぶ。正しき信仰に忠なる人は汝を憎み、 汝を多數者の爲めに危險なるものと呼ぶ。笑はるるは汝の僥倖なり。而して眞《まこと》に汝は道化者《ちやり》の如く語る。 死したる犬と交はりしは汝の僥倖なり。斯く自らを卑うすることによりて、汝は今日自らを救へり。 されど此市を去れ、 -- 去らずは、明朝我汝を越えて跳ばむ、生きたるもの、死せるものを越えて跳ばむ。』 斯く言ひて道化者《ちやり》の姿は消えぬ。ツァラトゥストラはなほも暗き小路を辿りぬ。
市《まち》の門にて彼は塋穴掘《あなほり》と出で會ひぬ。彼等は炬火《たいまつ》をもて彼の面《おもて》を照し、 そのツァラトゥストラなるを認めて、太《いた》く嘲りぬ。『ツァラトゥストラは死したる犬を運び去る。 彼自ら塋穴掘《あなほり》となるこそよけれ。彼等の手は此燔肉に對して餘りに清ければなり。 思ふにツァラトゥストラは、惡魔の餌食を盜まむとするものか。亦可なり。 その晩餐の羔なかれかし。但だ恐る、かの惡魔がツァラトゥストラにも優れる盜人なることを、 -- 惡魔は、二者何れをも盜み、何れをも食ふ。』かく言ひて彼等は、笑み交はしながら頭を寄せぬ。

ツァラトゥストラは之に答へずして、其道を行けり。森林沼澤の間を行くこと二時《ふたとき》餘りにして、 餓ゑたる狼の頻りに咆ゆるを聞き、彼自らも餓を覺えぬ。乃ち彼は或る寂しき家に足を止《とど》めぬ。 家の中には燈《ともしび》燃えたりき。

ツァラトゥストラは言へり、『空腹は盜賊の如く我を襲ひぬ。森林沼澤の間に、夜深うして我が空腹は我を襲ひぬ。

我が空腹に竒異なる習癖あり。屡々食事の後始めて我に來る。而して此日は終日來ることなかりき。 何處《いづこ》に在りしや。』

かく言ひて、ツァラトゥストラは其家の戸を叩きぬ。間もなく一人の翁現はれぬ。 燈《ともしび》を携へ來りて問ふ、『我と我が惡しき眠とに來るものは誰ぞや』。

ツァラトゥストラは言へり、『生きたるものと、死したるものと。食ふべき物、飮むべき物を我に與へよ。 我は之を晝の間に忘れたり。飢ゑたる者に食はしむるは、自らの靈《たましひ》を養ふなり。 斯く智慧は言ふ。』

翁は一旦《ひとたび》去りて、復《また》歸り、麺包《パン》と葡萄酒とをツァラトゥストラに與へぬ。 而して言ふ、『飢ゑたる人々にとりては惡しき處なり。此故に我は留まるなり。禽獸と人間と、 隱遁者なる我に來る。されど汝の伴侶にも飮み且つ食はしめよ。彼は汝よりも勞れたり』。 ツァラトゥストラは答へぬ。『我が伴侶は死したり。彼をして飮み且つ食はしめむこと難し』。 『何の關《かゝは》るところぞ』と、不興氣に翁は言ふ、『我が家を訪るる者は、我が與ふる物を受けざるべからず。 之を食ひて行け。』

是《こゝ》に於てツァラトゥストラ更に行くこと二時間、道路と星辰の光とに信頼せり。 彼は夜行することに慣れければなり、眠れる者の面を見ることを好みければなり。されど夜の明けしとき、 ツァラトゥストラは深き森林の中に在り、已に行くべき道なかりき。乃ち空洞《うつろ》なる樹の内に、 己《おの》が頭に近く、死したる者を横へ、 -- 死したる者の狼に襲はれざらむ爲め、 -- さて自らも土と苔との上に横はりぬ。間もなく彼は、勞れたる體をもて、泰然たる魂をもて眠に就きぬ。


ツァラトゥストラは長く眠りぬ。ただに黎明のみならず、午前もまた其面上を過ぎ行きぬ。 されど遂に其眼は開きぬ。ツァラトゥストラは森林と靜寂を見て驚き、自らを省みて愕けり。 其時彼はかの、忽ち陸を見る水夫の如く、蹶起して歡呼しぬ。 彼は新しき眞理を見たればなり。され彼は斯く其心に語りき。
『我は一道の光明に接したり。我は伴侶を要す、我が行かむと慾するところに携ふる、 -- 死したる伴侶と死體とに非ざる、 -- 生きたる伴侶を我は要す。

我は我に從ひ行く、生きたる伴侶を要す。彼等は自ら、我が行かむと慾する處に從ひ行かむと慾すればなり。

我は一道の光明に接したり。ツァラトゥストラは民衆に説くべからず。寧ろ伴侶に説くべきなり。 ツァラトゥストラは群畜の牧人となり犬となること能はず。

群畜より多くのものを誘惑し去ること、 -- その爲めに我は來れり。民衆と群畜とは我を怒るべし。 ツァラトゥストラは牧人によりて盜賊と呼ばるるならむ。

我は彼等自らは善き人?`《たゞ》しき人と呼ぶ。我は彼等を牧人と呼べど、 彼等自らは正しき信仰に忠なる人と呼ぶ。

善き人義しき人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、 破壞者、犯罪者是なり。されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

總ての信仰に忠なる人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、 破壞者、犯罪者是なり。されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

創造者は伴侶を求めて、死體を求めず、また郡畜並びに信仰ある人をも求めず。 創造者と共に創造するもの、新しき卓子の上に新しき價値を創造するものを求む。

創造者は伴侶を求め、彼と共に收穫すべきものを求む。彼にありては一切の物成熟して收穫せらるるを待てばなり。 されど彼に百挺の刈鎌缺げたり。乃ち彼は穀物の穗を毟《むし》りて怒る。

創造者は伴侶を求め、その刈鎌を研《と》ぐことを知れるものを求む。 彼等は斷滅者と呼ばれ、善惡の侮蔑者と呼ばるべし。されど彼等は收穫者にしてまた祝賀者なり。

ツァラトゥストラは彼と共に創造するものを求む。ツァラトゥストラは彼と共に祝賀するものを求む。 郡畜と牧人と死體とによりて、彼はた何うぃか爲さむ。

さて汝、我が第一の伴侶よ、いざさらば。我は汝が空洞《うつろ》なる樹の内に、好く汝を葬りぬ。 我は狼を防ぎて、好く汝を隱したり。

然《され》ど我汝に別を告ぐ。時已に到れり。黎明と黎明との間に、新しき眞理は我に現はれぬ。 我は牧人たるべからず、塋穴掘《あなほり》たるべからず。我はまた再び民衆と語らざるべし。 之れ我が死したる者に語りし最終なり。

我は創造するもの、收穫するもの、祝賀するものと相交らむ。我は彼等に虹を示し、 超人のあらゆる階級を彼等に示さむ。

我は隱遁者に我が歌を歌はむ。而して未聞の事物に耳あるものの胸を、我は我が幸福をもて重くせむ。

我が標木に我は志す。我自らの道を我は行く。我は遷延遲滯するものを超えて躍進す。 かく我が進行をして彼等の沒落たらしめよ。』


ツァラトゥストラ斯く其心に言ひし時、日は正に午なりき。彼は怪みて天《そら》を見上げぬ。 鋭き鳥の[口|斗]を聞きければなり。而して見よ。鷲あり、大圓を書きて空中に翔べり。 纒《まつ》はるところの蛇は、餌食の如くならずして朋友の如し。其體を鷲の頸に卷きたればなり。
『彼等こそ我が動物《いきもの》なれ』と言ひて、ツァラトゥストラは心より悦びぬ。

『日の下にありて最も尊大なるもの、日の下にありて最も聰明なるもの、 -- 彼等は偵察の爲めに出でたるなり。

彼等は、ツァラトゥストラの尚ほ生きたるや否やを知らむことを慾《ねが》ふ。 實《げ》に、我は尚ほ生きたるか。

我が人間にあるは、動物の中にあるよりも危かりき。危き道をツァラトゥストラは行く。 我が動物よ、我を導け。』

ツァラトゥストラは斯く言ひし時、森林に見し聖徒の言葉を思出《おもひい》で、嘆息して其心に言ふ。

『更に聰明ならましかば。嗚呼若し、根本より、我が蛇の如く聰明ならましかば。

されど我は不可能の事を願ふなり。我は我が自負の、常に我が智慧と並行せむことを願ふなり。

乃ち、若し我が智慧の我を去ることあらば、 -- 動もすれば我を棄てて去らむとす、 -- 希くは、我が自負も亦、我が愚昧と共に我を棄てて去らむことを。』

斯く、ツァラトゥストラの沒落は始まりき。
http://web.archive.org/web/20040506045015/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/zarathustra/zarathustra-0.html

3. 中川隆[-10772] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:42:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1275] 報告

『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』著者:適菜収 なぜ日本人は騙され続けるのか? 【第3回】
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32408

『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』
著者:適菜 収
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062727560/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&tag=mo04-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062727560

ニーチェは一八四四年にプロイセン(今のドイツ)で生まれました。

 幼少期から才覚を示したニーチェは名門のプフォルタ学院に進み、ボン大学で古典文献学の権威フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(一八〇六〜一八七六年)に師事します。その後、リッチュルの推薦により、二五歳の若さでスイスのバーゼル大学の古典文献学教授になりました。当時のニーチェは博士号も教員資格も取得しておらず、異例中の異例の抜擢でした。つまりニーチェは、世の中から天才として扱われていた。その後、体調を壊したこともあり、大学の教員を辞め、スイスやイタリアを周遊しながら執筆活動を進めていきます。

 一八八九年に発狂。一九〇〇年八月に肺炎で亡くなります。

 『ツァラトゥストラ』は、この周遊生活の中で書きあげられました。

 「ツァラトゥストラ」は、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前一一世紀〜紀元前一〇世紀頃)のドイツ語読みです。英語で読むと「ゾロアスター」になります。

 しかし、ゾロアスターの思想とニーチェの哲学は関係ありません。

 ゾロアスターと『ツァラトゥストラ』の主人公であるツァラトゥストラは別人です。


では、ツァラトゥストラとはなにか?

 ニーチェは著書『バイロイトにおけるヴァーグナー』について次のように述べます。

 「読者はあの本にヴァーグナーという語が出て来たら、それをかまわず私の名前か、あるいは『ツァラトゥストラ』という語かに読みかえてしまってよろしい」(『この人を見よ』)

 つまり、ニーチェはツァラトゥストラに自らの哲学を語らせたのです。

 『ツァラトゥストラ』の冒頭は物語になっています。後半になるにつれ、物語の要素は薄くなり、ツァラトゥストラが一方的に自分の哲学を語るようになります。

 この冒頭の物語は、近代大衆社会およびB層の問題を考えるうえで非常に重要です。

 そこでは《終末の人間》が描かれているからです。

 《終末の人間》は典型的なB層です。

 私なりの抄訳ですが、しばらく『ツァラトゥストラ』の世界にお付き合いください。

〈 ツァラトゥストラは三〇歳になると、故郷を捨てて山に入った。

 そして自分の精神と孤独に向き合った。それが一〇年間も続く。

 しかし、ついに、彼の心は変わった。

 ある日の朝、彼は夜明けの太陽に向かってこう語りかけた。

「太陽よ。もし、あなたが照らすものを持っていなかったら、あなたは幸福と言えるのか?」

 太陽は一〇年間、ツァラトゥストラの住居を照らし続けてきた。しかし、もしそこに誰もいなかったら、太陽だって退屈だろうというわけだ。

「わたしもまた自分の知恵に飽きてしまった。まるで蜜を集めすぎたミツバチのように。この能力を人間に贈り与えなければならない」

 というわけで、ツァラトゥストラは山を下りることにした。

「わたしは人間たちのところへ、下界へ下りていく」

 山を下りる途中で森に入ると、突然、老人の聖者が現れ話しかけてきた。

「いまさら山から下りて、眠っている者どもに対してなにをしようというのか?」

 ツァラトゥストラは答えた。

「わたしは人間を愛しています」

 老人の聖者が反論する。

「わしは神を愛している。人間を愛することはない。なぜなら、人間は不完全なものだからだ」

 ツァラトゥストラは一人になってから、つぶやいた。

「あの聖者は森の中に長年暮らしていたから、《神が死んだ》ことを知らないんだな」 〉

大衆はサル以下である

 ツァラトゥストラは久しぶりに会った町の人々に悪態をつきます。

〈 ツァラトゥストラは森からもっとも近い町に到着した。

 広場には大勢の人がいた。これから綱渡り師の公演が始まるようだ。

 ツァラトゥストラは、さっそく人々に語りかけた。

「あなたたちに《超人》について教えましょう。《超人》から見れば、人間なんてサル以下の存在なんですよ。昔、あなたたちはサルでしたが、今ではサル以下です」

 ツァラトゥストラはさらに語る。

「《超人》は大地そのものです。大地から離れた希望を信じてはいけません。そして、大地から離れた人の言うことを信じてはいけません。そこには毒があります。大地から離れた人間は、さっさと死ねばいいんです」

「あなたたちも似たようなものです。だから、わたしはあなたたちに《超人》について教える。それにより、あなたたちは《幸福》《理性》《徳》《正義》《同情》といったものを徹底的に軽蔑するようになるのです」


すると、群集の中の一人が叫んだ。

「そんな綱渡りみたいな話、もう聞き飽きたよ!」

 群集は、ツァラトゥストラのことをあざ笑いました。

 それを聞いていた綱渡り師は、自分のことを言われたのかと勘違いし曲芸にとりかかった。 〉

 ツァラトゥストラは、人間を一本の綱に喩えます。

 人間は動物と《超人》の間に張られた危険な綱を渡るべき存在であると。

 《超人》とは自らの高貴な感情と意志により行動する人間、健康で力強い人間です。

 ツァラトゥストラが愛するのは、今の世の中から離れていく者=没落していく者です。

 くだらないものを、くだらないと拒絶する者です。

 人間はもっと高いところを目指さなければならない。

 ツァラトゥストラは《綱を渡るべき人間》について具体的に挙げていきます。

〈 今の世の中が肌に合わない人。

 今の世の中を軽蔑している人。

 空想の世界より大地に身をささげる人。

 大地が《超人》のものになるように認識する人。

 《超人》のために家を建てる人。

 自分の徳を愛する人。

 自分から徳の精神になりきろうとする人。

 自分の徳を宿命とする人。

 あまりに多くの徳をもとうとしない人。

 気前がいい人。

博打で儲けたときに恥じる人。

 自分に約束したことを、それ以上に果たす人。

 未来の人たちを認め、過去の人たちを救う人。

 自分の神を愛するがゆえに、自分の神を責める人。

 ささやかな体験によって滅びることのできる人。

 魂が豊かな人。

 自由な精神をもつ人。

 雷を告げる人。

「見なさい。わたしは雷、そして《超人》を告げ知らすものです」 〉

 ツァラトゥストラが《高みを目指すべき人間》についてたくさん並べてみたものの、群集にはなんのことやらさっぱりわからない。まあ、当然のような気もしますが・・・。

 そこでツァラトゥストラは、今度は反吐が出そうな《終末の人間》を例に挙げてみることにしました。

〈 民衆はものごとを理解しない。

 彼らに聞く耳をもたせるにはどうしたらいいのだろうか?

 太鼓をたたいたり、懺悔を迫る説教師みたいに、がなり立てればいいのか?

 それとも、もっともらしくドモリながら話せばいいのか?

 いや、違う。

 彼らは自分たちの《教養》を誇りにしている。

 それなら、彼らの誇りに向けて話しかけよう。

彼らは軽蔑されることを嫌がっている。

 それなら、もっとも軽蔑されるべき《終末の人間》について話そう。 〉

 こうしてツァラトゥストラは、民衆に向かって再び語り始めます。

民衆が選んだもの

〈 皆さん、まず自分の目標を定めてください。まだ間に合います。

 しかし、いつの日か人間は可能性を失ってしまう。

 そして、軽蔑すべき《終末の人間》の時代がやってきます。

「愛とはなにか。創造とはなにか。あこがれとはなにか」などと生ぬるいことを言いだす。

 そのとき、大地は小さくなります。

 《終末の人間》は虫けら同然です。


 《終末の人間》は、ぬくぬくとした場所に逃げ込み、隣人を愛し、からだをこすりつけて生活している。

 やたらと用心深くなり、適度に働き、貧しくも豊かにもならない。

 支配も服従も望まない。そういうのは、わずらわしいと思っている。

 みんなが平等だと信じている。誰もが同じものをほしがり、周囲の人間の感覚と異なると思えば、自分から進んで精神病院に入ろうとする。

 ケンカもするけど、すぐに仲直りする。そうしなければ、胃が痛くなるからだ。

 一日中、健康に注意しながら、ささやかな快楽で満足する。

 これが《終末の人間》です。

 ツァラトゥストラがここまで話すと、民衆がニヤニヤしながら叫んだ。

 舌打ちをする者もいた。

「オレたちは、そういう《終末の人間》になりたい。オレたちを、そういう《終末の人間》にさせておくれよ! 《超人》はあんたに任せるからさ」

 ツァラトゥストラは悲しくなった。

 民衆はわたしをバカにして笑っている。笑いながら、わたしを憎んでいる。彼らの笑いの中には氷がある。

 わたしは、山の中であまりにも長く暮らしすぎたのだ。

 だから、彼らにはわたしの言葉が届かない。 


 ツァラトゥストラの意図に反して、民衆は《終末の人間》を選んでしまったのです。

 ニーチェは自分の言葉が民衆に届かないということを、物語で描いているわけですね。

 『ツァラトゥストラ』は一八八三〜八五年に刊行されましたが、そこで描かれた人々はB層そのものです。

 民主主義や平等が大好きで、グローバリズムと隣人愛を唱え、健康に注意しながらささやかな快楽で満足する。

 自分たちが《合理的》《理性的》《客観的》であることに深く満足している。

 こうした軽蔑すべき《終末の人間》の時代を、われわれは生きているのです。

ひとりで生きる人たちのために

〈 ツァラトゥストラは考え込みます。

「わたしはまだ、民衆の心に語りかけることができない・・・」

 ツァラトゥストラは星の光を頼りにして夜道を歩き始めます。

 空が白みかけたころ、ツァラトゥストラは深い森の中にいることを知った。

 もはや道は見つからなかった。

 ツァラトゥストラは森の中で眠り込む。

 ツァラトゥストラは長い時間眠った。

 朝が過ぎ、そして昼になった。

 彼はようやく目を覚まし、立ち上がった。

 そして喜びの声をあげた。

 一つの新しい真理を発見したからだ。

 わたしは悟った。

 わたしには道連れが必要なのだ。

 自分自身に忠実になった結果、わたしに従うようになる人。

 そして、わたしの目的に向かって一緒に進む道連れが必要なんだ。

 だから、民衆に話しかけても仕方がない。

わたしは、道連れに向かって語るべきなのだ!

 わたしは、畜群の牧人や番犬となるべきではない!

 それよりも、わたしは民衆や畜群から盗賊と呼ばれたい。

 奴らは自分たちを善人だと思っている。自分たちを正しい信仰の持ち主と呼ぶ。

 そして、奴らは、奴らの諸価値を破壊する者を憎むのだ。

 しかし、それこそが《新しい価値を創造する者》なのである。

 彼は道連れを求める。

 畜群も信者も求めない。

 共に創造し、新しい価値をつくりあげる人を求める。

 共に創造し、共に収穫し、共に祝う人をツァラトゥストラは求める。

 それ以外は、いらない。

 わたしは二度と民衆とは話すまい。

 そして仲間に対して語りかけよう。

 ひとりで生きる人たちのために、語りかけよう。

 これまで聞いたことのないことに対して聞く耳をもつ人たちのために。

 わたしは彼らに《超人》への階段のすべてを示す。 〉

バカを論破するのは不可能

 要するにバカになにを言っても無駄なのです。

 「非学者論に負けず」ということわざがあるように、バカは論破できません。

 貝に権利を認め、誠実に語りかけても意味がない。なぜなら、彼らは自分の殻に閉じこもっているからです。

 ニーチェもツァラトゥストラと同様、民衆に語りかけることを諦めます。

 「私は多年人々と交際してきて、私が心にかけている事柄についてはけっして語らないというほどにまで、諦めるにいたり、慇懃となった。いや、私はそういう仕方でかろうじて人々とともに生きてきたのだ」(『生成の無垢』)

 そしてニーチェは、自分の言葉が届くところに向けて語りかけようとします。

 しかし、聞く耳をもった人間はごく少数です。

ニーチェもそれを知っています。

 「今日誰もが私の説くことに耳をかさず、誰も私から教えを受けるすべを知らないということは、無理もないというだけでなく、むしろ至極当然のことだと私自身にも思える。(中略)私の著書を読んでもかいもくわからない純なる愚者となると、これは多すぎる!」(『この人を見よ』)

 「ああ! 私のツァラトゥストラはまだまだ長い間、読者を捜さねばならないことであろう!」(『この人を見よ』)

 今の世の中が肌に合わない人。

 今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。

 今の世の中を深く軽蔑している人。

 そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/32408

4. 中川隆[-10771] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:49:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1276] 報告

ヒトラーが愛読したニーチェ『道徳の系譜』


ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫) – 1993/8/1
https://www.amazon.co.jp/dp/4480080813/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li3&tag=beyondthesky-22&linkId=69210c63691be6bbe991350f0c4e78d2&language=ja_JP


▲△▽▼


ニーチェ『道徳の系譜』を解読する
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/

「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」
「この生」「この世界」をどう肯定できるか?

『道徳の系譜』(1887年)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年〜1900年)による著作だ。時代的には中期から後期の作品に分類される。

本書は『善悪の彼岸』が自分の思ったように受け取られず、ニーチェが自分の思想を解説する必要にせまられて発表したものだとされている。ここでニーチェは十八番のアフォリズムを封印し、論文形式で議論を展開している。なので読むのに多少の手間は掛かるが、言いたいポイントは分かりやすくなっている。

本書のテーマは道徳だ。冒頭でニーチェは次のように述べている。

(解読)
私は本書で、人びとがそもそも善悪の価値判断を考えだした理由は何か、そしてこの価値判断それ自体にどんな価値があるかを明らかにするつもりだ。

そのために私は、道徳の価値がなぜ、そしていかにして生まれ、発展してきたかについて見ていくことで、道徳的な価値それ自体がもつ価値を批判的に考察しようと思う。

(引用)
われわれは道徳的諸価値の批判を必要とする、これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ、—そのためには、これら諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきたもろもろの条件と事情についての知識が必要である(結果としての、徴候としての、仮面としての、偽善としての、病気としての、誤解としての道徳。が一方また原因としての、薬剤としての、興奮剤としての、抑制剤としての、毒物としての道徳など)。

かくしてニーチェは道徳が発展してきた過程をさかのぼり、それが成立するために必要だった条件を見て取ろうとする。本書が『道徳の系譜』と名付けられているゆえんだ。


気をつけておくべきは、ニーチェは史実にもとづいて道徳の起源を取り出そうとしているわけではなく、ひとつの仮説を置こうとしているにすぎないということだ。何らかの起源を想定すること自体、ニーチェの思想の構えに反する。「ニーチェの主張する事実は歴史上存在したことがない」と反論することは、ニーチェの議論に正面から答えることにならない。

本書は3つの論文から構成されている。それぞれのタイトルは次の通りだ。

•第1論文:「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」
•第2論文:〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども
•第3論文:禁欲主義的理想は何を意味するか?

まずは第1論文について見ていく。



第1論文 … 自己肯定の道徳とルサンチマンの道徳

ニーチェの道徳論のひとつの重心は、私たちは何が道徳であるかをしばしば「ルサンチマン」によって規定してしまう、という点に置かれている。

ルサンチマンは一般に「怨恨」という訳語が当てられているが、これでは意味がよく分からない。

なので言い換えてみると、ルサンチマンとは「ちぇっ!なんだよあいつ…」と舌打ちするときの心の感じを思い浮かべると分かりやすいかもしれない。アイツばかりモテやがって…とか、アイツばかり昇進しやがって…などの「ちぇっ!」が、ニーチェのいうルサンチマンの内実だ。


ルサンチマンが私たちの道徳の根本にあると言われると、私たちはドキリとする。「これこれすることはいいことだ」という確信が、自分より優れているヤツに対する「ちぇっ!」によって支えられているならば、私たちの道徳は実はまったくの偽善であることになってしまうからだ。

ニーチェいわく、「よい」という判断のおこりは、「よい人」たち自身が彼らより劣った人たちと比べて自分の行為を「よい」と評価したことにある。つまり「よい」の判断は自己肯定の表現として現れたのだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「よい」とは語源学的にいって、もともとどのような意味をもっていたのだろうか?

私が見るに、どの言語においても、身分的な意味での「貴族」とか「高貴」が基本概念であり、そこから派生して、貴族的とか卓越性としての「よい」が発展してきた。

しかしそれと並行してもうひとつの発展があった。つまり野暮とか低級といった概念が「わるい」schlechtの意味を持つようになってしまった。初めそれは単に素朴さ(schlechtwegsは「率直に」という意味をもつ)を指していたにすぎない。しかし次第にそれは現在の意味、つまり善と対置される「悪」das Böseへと意味を変化させていった。

(引用)
どの言語にあっても、身分上の意味での〈高貴〉・〈貴族的〉というのが基本概念であって、そこから精神的に〈高貴〉・〈貴族的〉とか、また〈精神的に高潔の資性をもつ〉・〈精神的に特権を有する〉とかいう意味での〈よい〉(優良)の概念が必然的に発展してくる。この発展とつねに平行してすすむ例のもう一つの発展があって、これは〈野卑〉とか〈賤民的〉とか〈低級〉とかいうのをついには〈わるい〉(劣悪)という概念に変えてしまう。

(解読)
身分的な意味でしか使われていなかった「よい」と「わるい」が次第にその意味を変化させる際には、「僧侶階級」が大きな役割を果たした。彼らは最初は政治的に最も高位にある階級にすぎなかった。しかし次第に精神的な面でも、最も優越していると考えられるようになった。

僧侶階級と対照的なのが「戦士階級」だ。僧侶階級が沈鬱的であり行動忌避的なのに対して、戦士階級は健康、力強さ、自由で快活であることを前提としている。

僧侶的民族であるユダヤ人は、敵対者である戦士階級に対して仕返しをするために、一切の価値の価値転換、すなわちルサンチマンによる価値創造を行った。ただし彼らは、これを現実の行為としてではなく、想像上の復讐として行ったのだ。

(引用)
道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。

「よい」のが悪い、「悪い」のがよい

ニーチェによれば、この過程で生み出されたのがルサンチマンの道徳だ。ニーチェはこれを奴隷道徳と呼び、それに対して、戦士階級の道徳、自己肯定の表現としての道徳を貴族道徳と呼ぶ。

(解読)
いっさいの貴族道徳は肯定から生まれてくる。これに対して奴隷道徳は否定から生まれてくる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンをもつ人間にとっては、否定そのものが価値を生む行為だからだ。自己肯定ではなく他者否定こそが、奴隷道徳の本質的な条件なのだ。

(引用)
すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれでるのに反し、奴隷道徳は初めからして〈外のもの〉・〈他のもの〉・〈自己ならぬもの〉にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定める眼差しのこの逆転—自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向—こそが、まさにルサンチマン特有のものである。

(解読)
ルサンチマンの人間は「悪人」を思い描き、それと対比して弱い自分を「善人」と見なす。それゆえ「善人」とはルサンチマンをもとに生み出された反動形成にすぎない。 ではルサンチマン道徳の「悪人」とは一体誰だろうか?これこそまさに貴族道徳での「よい者」、すなわち高貴な者、力強い者だ。

(引用)
ルサンチマンの人間が思い描くような〈敵〉を想像してみるがよい、—そこにこそは彼の行為があり、彼の創造がある。彼はまず〈悪い敵〉、つまり〈悪人〉を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこからしてさらにそれの模像かつ対照像として〈善人〉なるものを考えだす、—これこそが彼自身というわけだ!・・・

そもそもルサンチマン道徳の意味で〈悪い〉とされるのは一体誰であるか、ということが問われねばならない。これにたいし、いとも峻厳な答えをするなら、こうだ、—ほかならぬあの貴族道徳での〈よい者〉、つまり高貴な者・強力な者・支配者が、ルサンチマンの毒々しい眼差しによって変色され、意味を変えられ、逆な見方をされたにすぎないものこそが、まさにそれなのだ。

かつて「よい」は自然な自己肯定の表現だった。しかしルサンチマンは、「よい」のが悪く、「悪い」のが実はよいのだというように、価値基準をいつのまにか逆転させ、反動的に「善人」のイメージを思い描く。

「善人」は「悪人」の鏡として思い描かれたものだ。それは自然な自己肯定の現われではなく、「よい」人たちの価値基準を前提とすることで初めて成立するにすぎない。そうニーチェは言う。

ルサンチマンの人間は自分固有の価値基準をもっていない

ニーチェのいう貴族的人間とルサンチマンの人間の大きな違いは、ルサンチマンの人間が価値の基準をみずからの外部に求めるのに対して、貴族的人間はみずからのうちからそれを創りだすという点にある。

ルサンチマンの人間は、何がよく何が悪いかを判断するために、まず自分の外側へと向かっていく。その一方で貴族的人間は、自分の内面に価値尺度を備えている。彼は何がよいかを自分のうちで了解しており、他者の価値基準にビクつくことがない。こうした貴族的人間を、ニーチェは自由な人間と呼んでいる。

以上が第1論文だ。



第2論文 … 約束のできる人間に「良心」は宿る

次に第2論文について見ていく。

ニーチェによれば、「自由な人間」が登場した背景には「習俗の論理」の存在がある。習俗の論理は人間を一様に数え上げられるようにするが、最終的には、習俗の論理から再び解き放たれた個人、つまり「主権者的な個体」が現れるにいたるという。

「主権者的な個体」と言われると、王様や偉人のような人たちを思い描くかもしれないが、ニーチェのいう主権者とは、自分の意志をもち、約束をきちんと守り、相手も自分も裏切らないようなひとのことを指している。

(解読)
「主権者的な個体」は自律的で自己固有の意志をもつ人間だ。彼は自由の意識、自己と運命を支配する権力の意識に満ちあふれている。

そして大事なのは、彼は約束できる人間であることだ。 彼は責任についての強い自覚をもち、自分がしっかりと約束を守ることのできる能力があることを知っている。こうした能力がいわゆる**良心**のことだ。

(引用)
責任という格外の特権についての誇らかな自覚、この稀有な自由の意識、自己と命運とを支配するこの権力の意識は、彼の心の至深の奥底まで降り沈んでしまって、本能とまで、支配的な本能とまでなっているのだ。—もし彼にしてこれを、この支配的な本能を、一つの言葉で名づける必要に迫られるとすれば、これを彼は何と呼ぶであろうか?疑いの余地もなく、この主権者的な人間はこれを自己の良心と呼ぶ・・・

たとえば、友達と「明日10時にここで」と約束して、やっぱり面倒だなーと行きたくなくなったとき、「本当にそれでいいのか?」と引き止める感じが自分のうちからふつふつとわいてくることがあるだろう。

約束をした相手を裏切らず、しっかりと約束を守ろうとする自己確信、それがニーチェのいう良心の中身だ。この言い方は確かに納得感を与えてくれる。


ニーチェがいう権力感情とは、他人を制圧するための権力を求める欲求ではなく、むしろ相手を裏切らないだけの責任をもてるだけの自己コントロール(支配)能力のことを指している。権力感情と聞くと何だかアヤシク思えるが、その内実は「自分は責任をもってきちんと・・・ができる!」という「自負心」だと考えるとわかりやすい。

「負い目」に由来する疚しい良心

一方、ニーチェによれば、約束する能力に由来するのではない良心もある。それが疚しい(やましい)良心だ。


自負心による良心ではなく、後ろめたさや「罪障感」に支えられている良心、これがニーチェのいう疚しい良心だ。

では疚しい良心はどのようにして現れてくるのだろうか?ここで重要な役割を果たすのが「負い目」だ。なぜなら負い目をみずからの内面へと向け変えることによって疚しい良心が現れてくるからだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「負い目」(Schuld)は物質的な意味での負債(Schulden)に由来して現れてきた。

(引用)
これら在来の道徳系譜学者らは、たとえば〈負い目〉(Schuld)というあの道徳上の主要概念が、はなはだもって物質的な概念である〈負債〉(Schulden)から由来したものだということを、おぼろげなりと夢想したことがあるだろうか?

(解読)
その一方で、刑罰が報復に由来して現れてきた。

これまでしばしば、刑罰は負い目の感情や良心のやましさ、良心の呵責を呼び起こすための道具だと見なされてきた。しかしそれはまったくの誤りだ。むしろ事実としては、刑罰によって負い目の感情が発達しないように抑制されてきたのだ。

刑罰の本来の効果は次のところにある。つまり刑罰は自己批判を改善させる効果をもつ。それは恐怖と用心深さを増し、欲望を制御させることで、ひとを馴致させる。

ここで私はひとつの仮説を提示したい。それは、ひとは社会と平和によって束縛されていることを悟ったときに良心の疚しさにとらえられたという仮説だ。疚しい良心は、社会や国家がひとびとの自由の意識、つまり自律的に約束する能力から防御するために用意した刑罰によって、私たち人間の本能が内向したこと(人間の内面化)で生まれたのだ、と。

以上が第2論文だ。



第3論文 … 禁欲主義的理想で生を肯定する

最後に、第3論文について見ていく。

ここでニーチェは、禁欲主義的理想が生まれてきた背景について論じている。

ニーチェいわく、これまでの哲学者は概して官能を拒否し、禁欲主義的理想に対して愛着を見せてきた。禁欲主義的理想は哲学者が存在するための前提であり、哲学それ自体が存続するための条件でもあったとさえいう。

(引用)
哲学者らに特有の世界否定的な、生敵視的な、官能不信の、官能棄却的な厭離的態度は、つい最近にいたるまで固持されてきたものであり、かくてこれがほとんど哲学者の態度そのものと見なされるほどになっているが、—しかし、こうした態度は何よりもまず、哲学が一般に成立し存続するための不可欠な諸条件から生じた結果なのである。つまり、禁欲主義的な外被と被服がなく、禁欲主義的な自己誤解がなかったら、いとも長きにわたって哲学がこの地上に存在することなど到底できなかったであろう。

(解読)
禁欲主義者は、この生を「あの世」までの仮の生と見なす。彼はそれを否定されるべきもの、誤り、もしくは反駁されるべきものと見なす。これは人類の歴史上どこでも見られる事実のひとつだ。

しかし、ニーチェによれば、禁欲主義的な生はそれ自体が矛盾している。そこでは生の条件を抑圧しようとするルサンチマンが支配的であり、生きんとする力を押さえ込もうとするからだ、と。

(引用)
そもそも禁欲主義的な生というのは、一つの自己矛盾である。そこには比類のないルサンチマンが支配しているが、これは生のある部分をではなく生そのものを、生の最深かつ最強のもっとも基底的な諸条件を制圧しようとする飽くなき本能と権力意志とルサンチマンである。ここでは、力の源泉を閉塞するために力を利用するという読みがなされるのである。ここでは、生理的な発達そのものにたいし、とくにその表現や美や悦びにたいして嫉妬ぶかい陰険な眼差しがそそがれる。

「禁欲主義的僧侶」が弱者の味方となる

ここでニーチェは、いわゆる「禁欲主義的僧侶」がルサンチマンの方向転換を施し、疚しい良心を生み出したという説を立てる。

禁欲主義的僧侶?

禁欲主義的僧侶と聞くと、実際にそういう人たちがいたようなイメージをもつかもしれない。しかしこれは初期キリスト教の指導者、という程度に捉えるべきだ。誰か具体的に特定の人物を指しているわけではない。

(引用)
われわれは、禁欲主義的僧侶がいかに規則的に、いかに普遍的に、いかにほとんどあらゆる時代に出現するものかを、とくと考えてみるとしよう。禁欲主義的僧侶なるものは、個々の種族のいずれにも属するものではない。彼はいたるところに生えしげり、あらゆる階級から生えでる。

いずれにしても、ここでニーチェは、キリスト教は弱者のルサンチマンに呼応して現れ、これを助長することで、内面の価値尺度で良し悪しを判断する道徳のあり方を組織的に否定しようとしている、と言おうとしているのだ。

禁欲主義的僧侶は生を肯定する

(解読)
弱者たちは自分の苦痛の原因を外部に求めようとする。「私が苦しいのは誰かのせいだ」など。しかし僧侶は弱者たちに次のように告げる。「確かにそうだ。しかしそれはお前自身だ。お前自身が自分の苦痛の原因なのだ」、と。

(引用)
もしわれわれが僧侶的実存の価値をもっとも簡単な一句に言い表わそうとするなら、端的にこう言ってよかろう、僧侶とはルサンチマンの方向転換者である、と。

「私は苦しい、これは誰かのせいにちがいないのだ」—こうすべての病める羊は考える。ところが彼の牧者である禁欲主義的僧侶は、彼にむかって言う、「そのとおりだ、私の羊よ!それは誰かのせいにちがいないのだ。が、この誰かというのは、じつはお前自身なのだ。それはただお前だけのせいなのだ、—お前がこうなっているのに責めがあるのはお前自身だけだ!」

(解読)
このように見ると、禁欲主義的僧侶は生を否定しているかのように思えるかもしれない。

外見的にはそうだ。しかし実は禁欲主義的僧侶は、生を肯定する勢力のひとつだ。なぜなら禁欲主義的僧侶は「こうではなく別にありたい」とする願望、つまり禁欲主義的理想を思い描くことで、倦怠感や「死への願望」と闘う力を得ているからだ。

(引用)
事実を簡潔に述べれば、次のごとくである、—禁欲主義的理想は頽廃しつつある生の防御本能と救治本能とから生ずる、と。かかる生は、あらゆる手段をもって自己を保持しようと努め、自己の生存のために闘う。

じつは生は、この理想において、この理想を通じて、死と格闘し、死に抗して闘っているのである。禁欲主義的理想は、生の保持をはかる一つの策略なのである。

ただし、禁欲主義的僧侶は、苦悩を治癒しても、苦悩を生み出す原因については治癒することがない。禁欲主義は慰めでこそあれ、不快のもとを取り除くことはない。ニーチェいわく、ここに宗教の本質がある。それはつまり、生理的な抑圧感、沈鬱や不快を、ただ心理的・道徳的にのみ取り除くことにあったのだ、と。

(引用)
流行病とまでなるにいたった一種の疲労と重苦しさとに打ち克つことが、すべての大宗教にとっての主要問題だったからである。地上の特定の場所で時折りほとんど必然的にある生理的抑圧感が広範囲の大衆を支配するようになるにちがいないということは、はじめからありそうなこととして推定されうるところである。しかし、この抑圧感は、生理上の知識を欠いていることからして、そうしたものとしては意識されることがなく、したがってその〈原因〉も、それの治療も、ただ心理的・道徳的にだけ求められ試みられるにすぎない(—これこそがすなわち、通例〈宗教〉と呼ばれるものにたいする私のもっとも一般的な定式なのだ)。

(解読)
ここで宗教が取る方法は、機械的な活動に従事させること、隣人愛という「小さな喜び」を処方することだ。

機械的な活動によって苦悩を打ち消すことを、ひとは「勤労の祝福」と呼んでいる。たえず同じ行為を繰り返すので、苦悩に対する余地がほとんどなくなってしまうのだ。

隣人愛は、慈善や施しを通じて、共同体、畜群生活への意志を育む。それは弱者同士の相互扶助を促進する。禁欲主義的僧侶は弱者のそうした本能を見抜き、さらにこれを助長するのだ。

そこで禁欲主義的僧侶は負い目の感情を利用した。彼は悩める人間に対して、苦悩の原因を次のように説いた。

(引用)
「おまえは、その苦悩の原因を、おまえ自身のうちに、負い目のうちに、過去の一事情のうちに求めるがよい、おまえの苦悩そのものを一つの刑罰状態と心得るがよい」、と。

(解読)
こうして彼は、罪障感に支えられた疚しい良心を抱くようになるのだ。

「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」

では、なぜ人びとは禁欲主義的理想を受け入れ、禁欲主義的僧侶に従うのだろうか?なぜ彼を拒否しなかったのだろうか?

これについて、ニーチェは次のように言う。

(解読)
それは、これまで唯一禁欲主義的理想のみが人間に生の意味を与えることができたからだ。

彼が禁欲主義的理想を抱くようになった理由、それは人間が本質的にいって生の意味を求める存在だからだ。彼にとっては苦悩それ自体が問題なのではない。むしろ苦悩に意味が欠けていること、これこそが問題なのだ。

禁欲主義的理想は、人びとに苦悩の意味、目的を与えた。それによって人びとは何かを意欲することができるようになったのだ。

(引用)
人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない。いな、苦悩の意味、苦悩の目的(Dazu)が示されたとなれば、人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする。これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった。—しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ!それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。

人間は一つの意味をもつにいたった。それ以来人間はもはや風にもてあそばれる一枚の木の葉のごときものではなくなった、もはや無意味の、〈没意味〉の手まりではなくなった。いまや人間は何かを意欲することができるようになった、—何処へむかって、何のために、何をもって意欲したかは、さしあたりどうでもよいことだ。要するに、意志そのものが救われたのである。

(解読)
しかし禁欲主義的理想は、人間に苦悩の意味を与えると同時に、新たな苦悩をもたらした。「虚無への意志」がそれだ。動物的なものに対する憎悪、官能に対する、また理性に対する嫌悪、美に対する恐怖—そうしたものすべてが禁欲主義的理想によって生み出されたのだ。

(引用)
さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、—人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する・・・。



「この生」「この世界」をどう肯定できるか?

本書の流れを大まかにおさらいすると、次のような感じだ。


道徳、とりわけキリスト教的道徳が生まれた背景には人びとのルサンチマンがある。ルサンチマンが「よい」と「わるい」の価値秩序を逆転させてしまった。そうした人びとを導いているのが禁欲主義的僧侶だ。彼が人びとを内面化させ、疚しい良心(罪障感の良心)を生みだした。ところで人びとが禁欲主義的僧侶に従ったのは、人びとが生の意味を求めていたからだ。そこで人びとは禁欲主義的理想を手に入れ、みずからの苦悩には確かに意味があることを理解した。しかし同時に彼は「虚無への意志」に見舞われた。

ニーチェはこのように直観し、以後、生と世界を肯定するための価値を創造しようと自ら課題へとみずから取り組んでいく。しかしそれは完全な形では示されず、今日『権力への意志』として知られている草稿群のうちに断片的なアイディアとして残されるにとどまった。

道徳を「鍛え上げる」

部分部分を細かく見ると、確かに、ニーチェの議論には怪しいところもある。たとえばニーチェは国家、社会、文化を否定的に捉えすぎている向きがある。「それらは人間の自由の本能を抑制し、人びとを馴致する」という観点を前面に押し出しすぎているのは否めない。

それでもなお、ニーチェの議論は多くの納得感を与えてくれる。

私たちは油断するとついルサンチマンにやられてしまったり、ルサンチマンの力で生と世界を否定的に解釈してしまったりする。「自分の人生こんなはずじゃなかった…」とか「この世界はこうあるべきではない…」というように。

そこで反動的に「みな道徳的であるべきだ」とか「正しい生があるはずで、そこから外れた者はケシカラン」という感覚をもってしまうことがある。正しいのは自分で、間違っているのは世界の側だ、と。ニーチェを読むと、それがルサンチマンに発するねじ曲がった正義だということをズバリ指摘されたような感じを受ける。

素朴な正義はしばしば「この世界は間違っている!正しい世界を実現させるべきだ!」と主張する。しかしその理想はしっかりと確かめ直されてこそ、本当の意味で正義にかなうと言える。「その理想はルサンチマンに発していないだろうか?もしくは罪障感に支えられていたりしないだろうか?」、と吟味することによって、正義をより深く生かすことができる。ニーチェの議論はそのことを私たちに教えてくれる。
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/

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『道徳の系譜』(どうとくのけいふ、Zur Genealogie der Moral)——副題:「一つの論駁書」("Eine Streitschrift")——は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作であり、先に公にされた『善悪の彼岸』の中で略述されたいくつかの新しい見解について詳論するという意図のもとに、1887年に執筆され、公刊された。

ニーチェの著作の中では、最も直接的な叙述がなされており、形式や文体の面でアフォリズム的な要素が最も少ないことから、ニーチェ研究者からは、確固たる明敏さと力強さをそなえた作品であり、ニーチェの代表作であるとみなされている。[1]

序言と三つの論文(Abhandlung)から成り、これら一連の論述を通して、道徳的諸概念の発展に関わる挿話を追っていくことによって、「道徳上の先入見」——とりわけキリスト教の道徳——を転覆することを目指す。

ニーチェの三つの論文の主題をなすのは、「道徳上の先入見の由来」についての彼独自の思想である。この思想は、彼が長期間にわたって作り上げてきたものであり、すでに『人間的な、あまりに人間的な』において簡潔に不完全な形で表現されている。ニーチェが自らの「仮説」を公刊しようと思ったきっかけとなったのは、友人パウル・レーの小著『道徳的感情の起源』(1877年)を読み、その中で「系譜論的仮説」が不十分な仕方で展開されているのを見出したことである。

かくして、ニーチェは、「道徳的諸価値の批判」こそが理に適っており、「これらの諸価値の価値こそそれ自身まずもって問題とされるべきである」と考えるに至る。この目的を果たすためには、レーのような(ニーチェが言うところの)「イギリス流心理学者」式の仮説的な説明よりも、実際の道徳史を提示することこそが必要不可欠である。

第一論文 「善と悪」・「よいとわるい」

この論文では、ニーチェが『人間的な、あまりに人間的な』以来ほのめかしてきた君主道徳と奴隷道徳の間の区別が説明される。これら二つの相異なる道徳様式は、それぞれ一対の対立概念に対応している。

ニーチェによると、特権階級は、自分たち自身の行為を「よい」("gut")と定義した。この場合の「よい」とは、「高貴な」、「貴族の」、「強力な」、「幸福な」等々という意味である。その一方で、彼ら君主たちは、他の卑しい人々の行為を「わるい」("schlecht")とみなした。ただし、この場合の「わるい」とは、「素朴な」("schlicht")、「平凡な」、「貴族でない」という意味であって、ことさらそれらの人々に対する非難のニュアンスが込められているわけではない。

特権階級に従属する卑しく、貧しくて不健康な人々、つまり「奴隷」によって価値の序列が逆転される。彼らの感情は、ルサンチマンに基づいており、彼らはまずもって他者を「悪人」、すなわち「悪しき敵」とみなす。そして、その後ではじめて、彼らはまさしく悪人に対立する者として、自分たち自身を「善人」と定義する。換言すると、彼らは「悪」("böse")でないがゆえに、「善」("gut")である。つまり、貴族にとっての「よい」という概念が能動的であるのに対して、奴隷の「善」概念は反動的なのである。

ニーチェは、二番目の価値様式をユダヤ教とキリスト教の内に見出し、第一の価値様式をローマ帝国、ならびにルネサンスやナポレオンに割り当てる。もっとも、これら二つの道徳様式の対立は、内的葛藤を抱えた一人一人の人間の中でも依然として闘争を繰り広げることになるとされる。今日でも、比較的高邁な精神の持ち主においては、両方の価値評価様式がともに存在し、相争っている。しかしながら、全体としては奴隷道徳のほうが勝利をおさめることとなった。ニーチェ自身は——無条件に、見境なしにというわけではないが——はっきりと「貴族的」な世界観のほうに強い共感を表明しており、自らの哲学によって「賤民的」な道徳に対する闘争が再開されうることを期しているように思われる。


第二論文 「負い目」・「良心のやましさ」・その他

ここで探求の対象となるのは、人間は何かに対して「責任」を負うことができるという考え方の由来、ならびに、人間に特有で動物界ではほとんど見られない記憶力一般である。ニーチェは、「負い目」という道徳的概念は債権者に対する「負債」という物質的な概念に基づいていると考える。彼は、刑罰がさまざまな文化の歴史の中で担ってきた多岐にわたる表向きの目的と真の目的を示唆する。刑罰は、あらゆる事態がそうであるように、支配体制が新しくなる度に、新たな解釈を与えられてきた。ニーチェによると、良心のやましさは、人間の文明化に起源をもつ。人間は、組織的な社会で生きるという重圧の下で、自らの攻撃的な衝動を内向させ、自分自身に向けるようになるのである。

なお、この論文の第12節は、「力への意志」に関する教説を比較的詳しく取り上げているという点で、鋭い示唆を含んでいる。

第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか

この論文は、すでにニーチェが序文で自ら指摘した形式的な特徴をよく表している。というのも、結論となる見解を最初の段落で簡潔なアフォリズムの形式で呈示しておいて——仮構の読者からの抗議に従って——論文本体において、そのアフォリズムを正確に敷延して完全な形で表現しているからである。

ニーチェは、禁欲主義的理想が、歴史の中や今日の社会の中で現れる際にまとってきたさまざまな形態、並びにその多様な目的を検討する(その中には、誤認された目的も実際の目的も含まれる)。ニーチェは、さまざまな人々——芸術家(リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』を例に)、哲学者(とりわけ、ショーペンハウアーの意志否定)、聖職者、ニーチェ自身が評価するところの「善人や義人」、聖人、そして現代において反-理想主義者と見誤られている人々、無神論者、科学者、批判的かつ反形而上学的な哲学者——における禁欲主義的理想の追求を解釈し評価する。そして、彼らの絶対的な「真理への意志」こそが、禁欲主義的理想の最後の純粋な形態であるとされる。そして、現代および将来のヨーロッパにおけるニヒリズムに関する考察に依拠して、ニーチェは、禁欲主義的理想がほとんど唯一の理想として尊崇されてきた究極の理由を示す。それは、つまるところ、より優れた理想がなかったからである。人間は「何も欲しない」ことができない。その結果、今日までの人間はむしろニヒリズムと禁欲において「無を欲し」てきたのである。


影響

「道徳の系譜」に影響を受けた人は、オスヴァルト・シュペングラー、ジャン=ポール・サルトル、ジークムント・フロイト、フランツ・カフカなどである。

また、ミシェル・フーコーは、この作品に影響を受け、狂気・性・懲罰について研究していた。

河出書房新社からは、この作品の標題を冠した叢書として「シリーズ・道徳の系譜」(1997年-)が刊行されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C

5. 中川隆[-10770] koaQ7Jey 2019年4月14日 10:52:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1277] 報告

ニーチェの思想 2006-07-10
https://blog.goo.ne.jp/journal008/e/c774a8819e1f564fac5d9c5324a64aaf


ソクラテス以前も含むギリシア哲学やスピノザやショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。近代の終焉を告げる思想家ともされる。

神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。

そのなかには、有名な永劫回帰(永遠回帰)説がある。古代ギリシアの回帰的時間概念を借用して、世界は何か目標に向かって動くことはなく、現在と同じ世界を何度も繰り返すという世界観をさす。これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうクリスチャニズムの悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。

「神は死んだ」と宣し、西洋文明が始まって以来、哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。

それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、恨みという負の感情ルサンチマンによって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩や矮小化の原因であり、それを超越した超人をめざすことによって解決されるべきとした。

その思想は、ナチスのイデオロギーに利用されたが、多くのニーチェ主義者が喝破していたように、それはニーチェ哲学の曲解、通俗化でしかなかった。そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いて叱責している。

お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対してもだ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic Correspondence Sheets』(引用者注:ニーチェの思想を歪曲して利用した反ユダヤ主義文書らしい)は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけのこの党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。

また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛てのおよそ気が確かだと思われる最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」で結んである。主著『善悪の彼岸』では「ドイツ的なもの」とその喧伝者への批判に一章を割き、死後に刊行された草稿ではドイツ人のいう「偉大な伝統」なるものを揶揄して「ユダヤ人こそがヨーロッパで最も長い伝統をもつ、最も高貴な民族である」と、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いており、ヒトラーはおろかナチス高官の誰一人としてニーチェをまともに読んですらいなかったことは自明である。

にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。しかし、たとえこれほどの悪意的な操作がなかったとしても、〈善悪の彼岸〉〈超人〉〈力への意志〉など、文字面だけを見れば強権に迎合するものとも見えかねないキーワードをニーチェ自身が多用していたことも問題を紛糾させた一因である。

ニーチェの思想がナチズムや反ユダヤ主義と相容れないものであるという主張は、第二次世界大戦前からすでになされており、比較的早いものとしてはジョルジュ・バタイユをはじめピエール・クロソウスキー、アンドレ・マッソン、ロジェ・カイヨワらによる同人誌『無頭人(アセファル)』(1936年 - 1939年)などが有名である。
https://blog.goo.ne.jp/journal008/e/c774a8819e1f564fac5d9c5324a64aaf

6. 中川隆[-10605] koaQ7Jey 2019年4月25日 11:37:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1467] 報告

ウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していて、若きアドルフ・ヒトラーが戦慄を覚えた
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68763179.html


現代でも、ボスニアやセルビアで民族対立が勃発し、銃撃戦どころか「民族浄化」が行われていた。復讐に燃える兵卒たちは、敵の女を見つけると集団で襲いかかり、自分たちの精子をネジ込んで喜んでいたのだ。これは殺人よりも忌まわしいことかも知れない。なぜなら、輪姦された女性はケダモノに等しい異人の子を宿し、誰が父親なのかも判らぬ子供を育てる破目になるからだ。もし、息子が生まれると別の意味で悲惨である。我が子が成長するに従い、段々と強姦魔に似てくるから、忘れたい過去がフラッシュバックのように蘇ってしまうのだ。彼女の祖父母だって、心から孫を愛することができない。孫の顔に一族の敵が浮かび上がってくるんだから、拷問のような仕打ちである。

  ボスニア紛争以前にも、我々はオーストリア・ハンガリー帝國の悲劇を知っているはずだ。この多民族国家はハプスブルク家によって統合されているだけで、その臣民の間には国民的紐帯は無かった。国家の要(かなめ)である軍隊でも、民族ごとに分かれており、号令だって複数の言語でなされていたのだ。帝國内ではドイツ語を始めとして、ポーランド語、チェコ語、マジャール(ハンガリー)語、ウクライナ語、クロアチア語、ルーマニア語、そしてユダヤ人のイディッシュ語など、多数の言葉が飛び交っていたから不思議じゃない。

とりわけ、コスモポリタンの大都市でもあるウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していたから、若きアドルフ・ヒトラーが戦慄を覚えたのも当然である。将来のドイツ第三帝國総統はこう述べていた。

   この国の首都が示している人種集団は、わたしにとって不愉快であり、チェコ人、ポーランド人、ハンガリー人、ルテニア人、セルビア人やクロアチア人等の諸民族の混淆は、いとわしいものだった。しかしそれよりも人類の永遠のバクテリアはなお不愉快だった。------ ユダヤ人、そしてもう一度ユダヤ人だ。

  わたしにはこの巨大都市が、近親相姦の権化のように思えた。(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 上巻、平野一郎・将積茂 訳、角川書店、 昭和48年、 p. 184)


Hitler 2( 左 / ヒトラー総統)


  ウィーンに群がるユダヤ人を毛嫌いしたヒトラーは、当時のオーストリアを「古いモザイク」に譬えていたが、第20世紀初頭のオーストリアなんか、現在のオーストリアーと比べれば白人天国である。特に、現在のドイツを目にしたら、ヒトラーはもちろんのことゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングも卒倒したことだろう。「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の英雄ロンメル元帥やヒトラー暗殺を企てたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus von Staufenberg)伯爵、リートヴィッヒ・ベック(Ludwig A. T. Beck)上級大将だって、眉を吊り上げ絶叫するに違いない。(逆説的だが、ネオ・ナチを存続させるのは人種混淆を称讃する平等主義者で、ドイツがアーリア人だらけになったら、ネオ・ナチの存在は半減するだろう。) 今では、さほど抵抗が無くなったけど、当時のドイツ社会でアフリカ人や褐色のアラブ人、くすんだ肌のトルコ人などがゲルマン人女性と結婚するなんて論外というか、犯罪に近い行為であった。アシュケナージ系ユダヤ人との結婚だって大反対されたのに、有色人種となんて勘当ものである。


チャーチルが嫌った茶色いイングランド

Winston Churchill 1( 左 / チャーチル首相)
  現在の欧米諸国ではナチスの人種衛生学や優生思想が糾弾されているが、ヒトラーを倒したウィンストン・チャーチルならナチズムの復活を望んでしまうだろう。何しろ、チャーチル自身が人種差別主義者であったから、アジア人やアフリカ人との混血は御法度が当たり前。同盟相手の日本人だって嫌いなんだから、植民地の茶色のインド人やパキスタン人、ビルマ人、黒いケニア人などは論外。マルバラ公爵の御曹司は彼らを原始的な「野蛮人」と思っていたのだ。ただし、チャーチルはユダヤ人の富豪からお金をもらっていたので、英国内のユダヤ人に寛容であった。当時のイギリス人貴族が、自宅にユダヤ人を招き、一緒にディナーを楽しむなんてあり得なかったのに、チャーチル家だけは例外で、商人や富豪、シオニストらと交流を持っていたのである。今は墓場で眠っているチャーチルだが、現在の英国を目にしたら、びっくり仰天して飛び起きるんじゃないか。青ざめたチャーチルは、「ヒトラーと手を組んでいれば良かった」と後悔するはずだ。実際、ヒトラーはアングロ・サクソン国家との同盟を望んでいたから、好戦的なのはチャーチルの方であった。

  チャーチルはユダヤ人を救いたかったのに、「イングランドをドイツの魔の手から救え !」という大義名分で第二次世界大戦を起こしたものの、その結果は無残なものだった。ご自慢の大英帝國は崩壊するし、属していた保守党は野党に転落。チャーチル自身も落選となった。栄光に輝くイングランドは激戦で優秀な人材を失い、植民地も手放したのに、国内には不愉快なユダヤ難民が流入し、チャーチルが嫌ったインド人やジャマイカ人までもが入ってきて民族のモザイク状態。世界各地に植民地を持っていたイングランドには、現地人が逆流してきて、今や王国各地に「ネオ・デリー(新ニューデリー?)」とか「リトル・カブール」、「ニュー・バクダッド」といった入植地が出来ている。とりわけ、ロンドンは著しく、もはやイギリス人の首都ではない。シティーの東に位置するタワー・ハムレッツ(Tower Hamlets)には白人よりも有色人種の方が多く、イスラム教徒やアジア人の方が主流になっている。また、人口統計に記される「白人」といっても、その正体はポーランド人やブルガリア人、スロヴァキア人、ロシア人、東欧系ユダヤ人であったりするから、「白いブリテン人」がどんな連中なのか、よく確かめてからじゃないと、政府の統計は信用できない。

Muslims in Britain 2Muslims in Bradford 1
( 写真 / イングランドに住むイスラム教徒)

  明らかに、第21世紀のイングランド王国は別の国家に成り果てている。例えば、ウェスト・ヨークシャーの都市、ブラッドフォード(Bradford)はイギリス人の街ではない。街角には、パキスタン人やアラブ系のイスラム教徒が溢れており、チャドルを着た女性が堂々と歩いている。アジアからの移民が増えれば街並みが変わるのも当然で、道沿いにはハラル料理を出すパキスタン人の食堂とか、不気味な雰囲気を醸し出す骨董屋、エスニック料理の食材を扱う小売店、奇妙な民族衣装を取り揃える雑貨店などが目立っている。こうしたエスニック商店街には、まともなアングロ・サクソン人は立ち寄らないから、薄暗い貧民窟とか犯罪者がたむろする租界になりやすい。東京上野にあるアメ横にも、トルコ人の屋台があって、中東アジア人がシシカバブ(肉の串焼き)を食っている。いずれ、「アメリカ横町」じゃなくて「ムスリム通り」になるんじゃないか。新大久保は既に「リトル・ソウル」だから、アジア・タウンは全国各地に広がるだろう。フィリピン人やクルド人が群がる埼玉県の蕨市は、別名「ワラビスタン」と呼ばれているから、首都圏に「リトル・サイゴン」とか「ニュー・バンコック」が誕生するのは時間の問題だ。支那人が訪れる東京湾も、やがて「トンキン湾」と呼ばれるかも知れない。在日米軍のアメリカ兵も「トキヨー・ベイ」よりも「トンキン・ガルフ」の方に馴染みがある。

  以前、英国の移民問題に関しては度々述べてきたので、詳しくは過去のブログを参照してもらいたい。(参照記事A、 記事B、記事C 記事D ) それでも、英国の現状は悲惨である。つい最近、英国南東部、ケント州のウァルダースラッドで交通事故が起きたのだが、その状況を記録した映像を見ると、マシェト(Machete / 長めの鉈)を持った黒人が逃走する姿が映っていた。これを見たイギリス人は驚愕したそうだ。以前はアングル人やザクセン人が主流の地域だったのに、今じゃソマリアのモガディシューみたいになっている。「イングランドの庭園」と呼ばれるケント州には、有名なカンタベリー大聖堂とロチェスター大聖堂があって、中世の美しさを残しているのに、黒人が浸透すると、モザンビークやジンバブエに様変わり。麻薬の密売や組織売春、強盗、引ったくり、強姦・輪姦が横行した上に、刃物を持ったアフリカ人が歩いているんだから、温厚なイギリス人でも「責任者出てこい !」と怒鳴ってしまうだろう。人気コメディーの「モンティー・パイソン」で有名なジョン・クリーズ(John Cleese)は、数年前、「ロンドンはもはやイングランドの都市ではない」と嘆いていたが、他の地域でも非英国化は進んでいたのだ。

Blacks in Britain 1John Cleese 1
(左 : 刃物を持って疾走する黒人 / 中央 : 自動車事故 / 右 : ジョン・クリーズ)

  同じ立憲君主国でも日本と違い、英国には貴族が存在する。しかし、その顔ぶれを眺めると、全くイギリス人とは思えない貴族が存在するのだ。正直な日本人だと思わず「これがイギリス貴族なの?」と呟いてしまうが、左翼教育に染まったイギリス人は、不満を抱きつつも、無言のまま堪えるしかない。祖国を愛するイギリス人なら、BNP(ブリテン国民党)やEDL(イングランド防衛同盟)に入りたくなる。(ただ、悲しいことに両組織とも凋落し、メンバーは激減しているそうだ。) 日本では英国の惨状は報道されないので、筆者が代わりにパキスタン系貴族を何名か紹介してみる。例えば、ウィンブルドン男爵となった保守党のタリク・アフメド(Tariq Ahmed)、上院議員のザヒダ・マンズール(Zahida Manzoor)、サイーダ・ワルシ(Sayeeda Hussain Warsi)男爵夫人、労働党上院議員のナジール・アフメド(Nazir Ahmed)男爵、モハメッド・A・カーン(Mohammed Afzal Khan)、自由民衆党のキシュワー・フォークナー(Kishwer Falkner)男爵、ロンドン市長のサディク・カーン(Sadiq Khan)、メイ内閣で内務大臣となったサジド・ジャヴィッド(Sajid Javid)などである。

Tariq AhmedZahida Manzoor 2Sayeeda Warsi 1Nazir Ahmed
(左 : タリク・アフメド /ザヒダ・マンズール / サイーダ・ワルシ / 右 : ナジール・アフメド )

  他人の国だから、どうこう言いたくはないが、こんな異邦人を目にしてもアングロ・ブリテン人は、本当に「貴族」として彼らを尊敬するのか? 戦前の日本で、もし朝鮮人の伯爵や子爵が出現したら、日系庶民は小馬鹿にして相手にしないぞ。子供だって「ギャハハ、ヨボの華族だって !」と笑ってしまうだろう。(「ヨボ」とは庶民が朝鮮人につけた呼称。) 貴族というからには、立派な血統や輝く権威が条件で、国会議員を務めたくらいじゃ「貴族」に相応しくない。やはり、封建領主じゃないとねぇ〜。ウェリントン将軍のように武勲を誇る軍人なら「公爵」でいいけど、百貨店や金融業で出世したユダヤ人が「男爵」なんてチャンチャラ可笑しい。日本でも同じだ。コ川御三家や御三卿、あるいは島津家とか前田家、毛利家のお殿様や家老ならいいけど、朝鮮の両班なんかロクでなしの穀潰しだから、とても仰ぎ見る存在ではない。貴族は血統と人種が重要となる。たとえ、一橋家出身の公爵が誕生してもタイ人との混血児じゃ嫌だし、田安家から出た伯爵でも、ベトナム人の養子じゃ日本人は尊敬しないだろう。

何のために死んだか判らないイングランドの英霊

  異民族の増殖は誠に恐ろしいもので、家系を大切にする旧家や血統を自慢する堅気の家庭にとり脅威だ。良識と伝統に基づいた教育で成長した親は、祖先の肉体を守ろうとするが、左翼教育で大きくなった娘や、コスモポリタン思想にかぶれた馬鹿息子は、「現在」だけを生きている。こうした子供は義務の観念に欠けるから、子孫への配慮など微塵も無い。惚れた相手なら誰でもいいという了簡(りょうけん)だ。リベラル思想が猛威をふるう現代では、実家に住む両親は「もしかしたら・・・」と不安に駆られ、居ても経っても居られなくなる。ある日、年頃になった娘が電話を掛けてきて、恋人に会って欲しいと頼んできたら、「最悪の事態」を覚悟せねばならない。指定されたレストランに赴くと、そこには有色人種の男がいて、娘と談笑していたりするから、親は心臓が止まるくらいショックだ。たとえ黒人じゃなくても、白人に見えない混血青年だったりするから、目眩がしてくる。一応、父親は冷静に振る舞うが、心の底では「何で、こんな奴と付き合うんだ !」と怒りを隠せない。母親も、「他に良い男性がいっぱい居るのに、どうしてこんな人を選んだの !」と不満爆発だ。確かに、溢れんばかりの愛情を注いで育ててやったのに、非西歐世界の有色人種じゃ泣けてくる。これでもし結婚となったら卒倒してしまうだろう。初孫がインド人やアフリカ人との混血児なんて、あまりにも残酷すぎる。生まれたての赤ん坊を抱いたときの涙は、嬉し涙じゃないぞ。

  多民族主義を毛嫌いする保守派のイギリス人にとって、異人種間結婚(miscegenation)は身近に感じられる恐怖だ。とりわけ、藝能界で活躍する娘がいると、その親は心配でたまらなくなる。例えば、ラザ・ジェフリー(Raza Jaffrey)とミランダ・レイゾン(Miranda Raison)の結婚は、現代の恐怖を象徴するニュースだった。ラザは英国の人気TVドラマ『スプークス(Spooks)』にレギュラー出演したインド系男優で、嘗てアメリカのTVドラマ『ホームランド』に出演し、現在は『内なる敵(The Enemy Within)』に出演している。彼は『スプークス』に出演していた時、共演者のミランダと交際し、2007年に結婚した。しかし、2009年に別れている。幸い、二人の間に子供はいなかった。だが、彼は又もや異人種の女優に手を出した。同番組の出演女優ララ・パルヴァー(Lara Pulver)と親密になり、2012に結婚する。だが、それも長くは続かず、2017年に離婚したという。


Raza Jaffrey 2Miranda Raison 6Lara Pulver 3
(左 : ラザ・ジェフリー / 中央 : ミランダ・レイゾン / 右 : ララ・パルヴァー )

  ミランダ・レイゾンの両親がどう思ったかは知らないが、普通のイギリス人ならゾっとするような結婚である。というのも、異民族が大量に流入する英国では無防備な子供が有色人種と毎日接触するからだ。年頃の子供を親は、「もし、自分の子があんな婚約者を連れてきたらどうしよう」と心配になる。一方、ララ・パルヴァーの親なら結構平気だろう。なぜなら、彼女の父親はユダヤ人で、イギリス人の母親は夫に従いユダヤ教へと改宗しているし、二人はララが七歳の時に離婚しているからだ。こんな母親なら、娘の結婚に反対できるはずがない。それに、第21世紀の英国だと、親の世代もリベラルで、多少の抵抗はあっても、概ね異人種間結婚を許してしまうのだ。イングランドの地と血を守るために亡くなった将兵は、墓の底でどう思っているのか? 中流階級以上の陸軍士官とか、パブリック・スクール卒の海軍士官は、まさか、自分の子孫にパキスタン人やアラブ人の遺伝子が混ざるとは考えていなかったはずだ。あの世のチャーチルも絶句するんじゃないか。隣のヒトラーが笑っているぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68763179.html

7. 中川隆[-10361] koaQ7Jey 2019年5月03日 18:53:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1729] 報告

ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


▲△▽▼

【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405

筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops

1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。


独ソ開戦ー犠牲者?

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ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。

しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

holocaust2

ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。

抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。


おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

8. 中川隆[-10631] koaQ7Jey 2019年11月01日 18:26:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2250] 報告
ナチスの亡霊で苦しむ西歐人 / 「血と土」の哲学
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html

自分の人種を自慢してよい権利

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央 : ドイツ人の家族 / 右 : ユダヤ人の男性 )

  敗戦後、ドイツ人はナチスの「戦争犯罪」を糾弾され、ユダヤ人を虐殺した“極悪人”との烙印を額に押されてしまい、その罪科を贖うために、歐洲で一番の「人権国家」になろうとした。英米から去勢された、このゲルマン人国家は、どんなに厭な種族であれ、一旦“移民”として受け容れてしまえば、貴重な「ドイツ国民」の身分を与え、至れり尽くせりの“おもてなし”をしようとする。こうした手厚い福祉を聞きつけた別のアフリカ人やアジア人は、「ドイツこそ夢に見た黄金のエルドラドなんだ!」と思い込み、「難民」を装って雪崩れ込んだ。リベラル思想に洗脳されたゲルマン人は、当初、「外人労働者なんて所詮“臨時労務者”だろう」と高を括っていたが、それは致命的な誤りだった。トルコ人やアラブ人、アフリカ人は図々しいから遠慮なくドイツ各地に押し寄せてくるし、福祉にタカるどころか、故郷から家族や親戚まで呼び寄せる始末。最初は渺(びょう)とした小川でも、黒や褐色の盲流が合流すれば、それは徐々に大きな濁流となり、最終的には手が付けられない程の津波となる。この水害に飲み込まれるのは“お人好し”のドイツ人で、生き残るのは人権を利用する移民や難民だ。ドイツ人って、まるでノアの箱船に乗り損ねたネズミのようだ。

  10月下旬、ドイツでは地方選挙があって、ヨーロッパではちょっと話題になった。何と、チューリンゲン州の選挙では、“極右”と呼ばれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が大躍進。日本でも「右派勢力」と呼ばれるAfDだが、実際はドイツ国民を第一に考える保守派政党だ。その証拠に、投票箱の蓋を開けてみると、23.8%の得票率であったという。これは第二位の得票率になるそうで、アンゲラ・メルケル率いる「キリスト教民衆党(CDU)」は顔面蒼白。というのも、CDUの得票率はAfDよりも低く、22.5%であったからだ。しかし、もっと悲惨なのは「社会民衆党(SPD)」で、こちらの得票率はたったの8パーセント。社民党の凋落は日本だけじゃなかった。で、気になる第一位は? これまたドイツらしく、極左政党の「リンケ党(Die Linke)」ときている。人権教育で頭がおかしくなった国民は救いようがない。

Bjorn Hocke 5Alexander Gauland 1Jerome Boateng 2


(左 : ビョルン・ホッケ / 中央 : アレグザンダー・ガウランド / 右 : ジェローム・ボアテング )

  メルケル首相のプライドをズタズタにしたAfDだが、今回の地方選挙で特筆すべき候補者は、なんと言ってもビョルン・ホッケ(Björn Höcke)である。真っ赤な頭の人物が「良心的」とされるドイツでは、ゲルマン系ドイツ人の生活を一番に考え、ドイツ国家の利益と文化を優先する政治家なんか、レイシストの「極右」である。AfDの幹部もマスコミから吊し上げを喰らっていた。党首のアレグザンダー・ガウランド(Alexander Gauland)は、かつて黒人系サッカー選手のジェローム・ボアテング(Jérôme Boateng)について失言をしたことで責められた。曰わく、「みんな彼のことを好きだが、隣人にしたいとは思わない」、と。(彼の母親はドイツ人だが、父親はガーナ人であるという。) そりゃそうだろう。黒い「ドイツ人」なんて本当のドイツ人じゃない。また、離党した元代表のフラウケ・ペトリー(Frauke Petry)は、国境警備の強化と移民規制を訴え、フェミニストにも反対したから、相当なバッシングを受けたらしい。(現在、彼女は創設した「青の党」の党首になっている。) アリス・ワイダル(Alice Weidel)も「PC(政治的に正しい言葉使い)」に嫌気が差し、「あんなのは歴史のゴミ箱に葬るべき」と発言したから、マスコミの標的にされてしまった。ベアトリックス・フォン・ストーチ(Beatrix von Storch)も、BBCの番組に出演したとき、キャスターから吊し上げを食っていた。

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( 左 : フラウケ・ペトリー / 中央 : アリス・ワイダル /右 : ベアトリックス・フォン・ストーチ )

  他の党員と同じく、ホッケもマスコミの「タブー・コード(禁忌規則)」に叛旗を翻し、ドイツ人が心の底で思っている事を口にした。左翼ジャーナリストは彼をコテンパンに叩いていたが、ホッケはゲルマン人の男らしいコを備えており、リベラル派やユダヤ人の批判に屈しなかった。例えば、彼はドイツに建設されたホロコースト記念館を「恥ずべき遺物」と評していた。(Justin Huggler, "germany's new Hitler poised to lead AfD to regional elections gain", The Daily Telegraph, 27 October 2019.) ドイツや歐米のメディアは非難囂々だったけど、ホッケの見解は正しい。少なくとも、ユダヤ人の脅しに屈服するCDUの政治家と比べれば、遙かに立派じゃないか。ユダヤ人のシナゴーグ(礼拝の会堂)があるだけでも不愉快なのに、迫害されたことを大々的に宣伝する記念館なんて目障りだ。街の景観を損ねるばかりか、子供達の生育にも有害である。だいたい、なんでユダヤ人は“他国”に自分たちの記念物を設置しようとするのか。

Edouard Drumont 1(左 / エドワルド・デュルモン)
  そもそも、「ユダヤ人迫害」の原因はユダヤ人側にあって、異教徒のユダヤ人が昆虫みたいにドイツへ寄生したことが元兇だ。もし、ユダヤ人がロシアのポグロムを恐れて、外国に逃亡したいなら、逃避先はドイツやオーストリアじゃなく、イェルサレムがあるパレスチナに向かうべきだった。それなのに、ガリシア地方の賤民ときたら、“より良き生活”を求めて、西歐世界へと雪崩れ込んだ。これなら西歐各地で、根強い反ユダヤ主義が沸き起こったのも当然である。フランス人などは戦後、「ナチスに抵抗した善人」のフリをしていたが、彼らは昔からユダヤ人が大嫌いで、エドワルド・デュルモン(Édouard Drumont)が書いた『ユダヤ人ノフランス(Le France juive)』はベストセラーだったじゃないか。フランスの庶民はドイツ軍が忌々しいユダヤ人を排除してくれたら万々歳だった。「協力者(コラボ)」が多かったのも不思議じゃない。とにかく、ユダヤ人はヨーロッパから立ち去って、懐かしい中東アジアに戻り、アラブ人と“共生”しながら、適当に殺し合っていればいい。ユダヤ人は同類と喧嘩しながら暮らすのが自然である。

  今回の選挙で「台風の目」となったホッケは、演説集会に現れる度に、リベラル思想に抑圧されたドイツ国民を励まし、民族意識を鼓舞することで勝利を得た。選挙中、彼は聴衆に向かい「我々は我々なんだ ! (つまり、ゲルマン系ドイツ人という意味 / Wir sind Wir !)」とか、「我々は同じ民族なんだぞ ! (Wir sind das Volk !)、「私は自らが属する民族を愛する ! (Ich liebe mein Volk !)」と述べていた。こうしたキャッチフレーズを聞けば、集まったドイツ人が熱狂したのも納得が行く。ドイツは先祖代々「祖父の土地」に住むゲルマン民族の国家であり、人格と容姿が卑しいユダヤ人やアラブ人、何のゆかりも無いアフリカ黒人の国じゃない。一つの国家、一つの民族、一つの運命がドイツ人のモットーで、異人種との雑居と混淆、イスラム教やユダヤ教徒の共存なんて真っ平御免だ。ドイツ人にはドイツ人だけで楽しく暮らす権利がある。「永遠の放浪者」であるユダヤ人は、ドイツ人のナショナリズムに不満なら、さっさと荷物をまとめて故郷のイスラエルに“帰還”すればいい。イスラエル政府は世界各地に離散した「同胞」の帰りを待っているんだから。

民族の血と国家の大地

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(左 : ナチスが称讃したゲルマン系女性 / 右 : ナチスが増やそうとしたアーリア人の赤ん坊)

  鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクは、1888年2月6日の帝国議会で演説を行い、「我々ドイツ人は、天主以外の何者をも懼れない (Wir Deutsche fürchten Gott, aber sonst nichts in der Welt) 」と豪語た。しかし、現在のドイツ人はどうか? 懼れないのは天主の裁きだけで、自己批判を繰り返す左翼陣営や、歐米諸国の主要メディア、レイシズムを糾弾する人権屋からの抗議に遭えば、膝から崩れ落ちて土下座する。もっと情けないのは、隠然たる勢力を誇るユダヤ人から「仕置き」された時で、皇帝ハインリッヒ4世よりも卑屈な態度になってしまう。もし、民族派のドイツ人が「我々ははユダヤ人よりも遙かに美しく、何千倍も気高く、勇敢である !」なんて口にしたら、たちどころにユダヤ人から袋叩きだ。まるで、針の筵(むしろ)というより、釘で串刺しになる「鋼鉄の処女(中世の拷問器具 / Eiserne Jungfrau)」の中に閉じ込められたような状態になってしまうだろう。実際に殺されなくても、社会的地位(職業)と名声を一瞬で失うから、ドイツ人はどんなに愛国者でも決して本音を吐かないよう注意している。言論の自由があるのは日本だけだ。

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(左 : 陽気なユダヤ人青年 / 中央 : ユダヤ人の美女 / 右 : 敬虔なユダヤ人 )

  ドイツのみならず、ブリテン、フランス、デンマーク、ネーデルラント、スウェーデンでも保守的な国民の間でナショナリズムが芽生えているが、西歐人が滅多に口にできないのは、国家と結びついた人種についてである。基本的に西歐人は各地をうろつく遊牧民ではない。農業を基盤とする定住民族だ。交通機関が発達する前なら、結婚相手は近場の異性で、同じ種族の者同士で子孫を残すのが普通だった。今とは異なり、ユトランド半島の片田舎に住むデイン人の娘が、パキスタン出身のイスラム教徒や北アフリカ出身のアラブ人、あるいは西インド諸島からやって来たジャマイカ人と結婚するなんて想像できなかった。もしあったら一大事。両親はおろか、祖父母や親戚、友人、隣人がびっくりするし、親兄弟の誰もが「やめてくれ !」と号泣するに違いない。こうした「国際結婚」は衝撃的だから、「何があったのか?」と地元の新聞に載ってしまう程だ。

Winston Churchill 1(左 / ユダヤ人好きのウィンストン・チャーチル)
  昔のヨーロッパ人なら家系を重んじ、自分と同じような容姿の子孫を残そうとしたし、それが当たり前の「常識」だった。とりわけ、王侯貴族にとって血統は最重要課題で、黒人やアジア人との婚姻なんて御法度。たとえ、白人系のユダヤ人だって忌み嫌われていたんだから。一緒にディナーを取ることだって穢らわしく、ワインを片手に談笑というのも滅多に無かった。となれば、息子や娘の婚約相手なんか論外だ。しかし、イングランドの名門貴族、マールバラ公爵のチャーチル家は別だった。ランドルフとウィンストンはユダの金貨が大好き。失業中だったウィンストンはユダヤ人のパトロンから養われていたから、首相になった時、昔の恩返しをすべく、ヒトラーの和平交渉を一蹴り。ドイツのユダヤ人を救うためなら、同胞のイギリス兵を何十万も犠牲にしようが平気だった。(チャーチルの正体を説明すると長くなるので省略する。) この裏を知らないイギリス人は今でもチャーチル首相を「英雄」と思っている。どこの国にも馬鹿はいるものだ。

  ちなみに、ユダヤ人はアーリア人と結婚するのが大好きで、白人の女をモノにするのは一種のステータスになっている。例えば、不動産屋の倅(せがれ)であるジャレッド・クシュナー(jared Kushner)は、トランプ大統領の娘であるイヴァンカと結婚した。ベンジャミン・ネタニヤフ首相の息子であるヤイル・ネタニヤフ(Yair Netanyahu)も白人娘が大好き。2014年にはキリスト教徒の家庭で育ったノルウェー人女性のサンドラ・レイカンガー(Sandra Leikanger)と付き合ったし、翌年にはユダヤ系デンマーク人モデルのリー・レヴィー(Lee Levi)と交際していた。ユダヤ人は社会的に成功したり、裕福な家庭に生まれると、無性にヨーロッパ系白人女性と接近したがる。イスラエルの保守的ユダヤ教徒は口々に、「どうしてビビ(ベンジャミン)の倅は非ユダヤ人と付き合うんだ?」と不満を漏らしていたけど、ユダヤ人青年にとったらブロンドの「上等な女」を恋人にしただけだ。ハリウッドのユダヤ系女優を見渡せば分かるけど、人気藝人となるのは矢鱈と「歐洲系」が多い。ユダヤ人の男はユダヤ的容姿の女性に興味が無いらしい。

Yair Netanyahu 2Lee Levi 1Yair Netanyahu & Sandra Leikanger


(左 : ヤイル・ネタニヤフ / 中央 : リー・レヴィー / 右 : ネタニヤフとサンドラ・レイカンガー )

  敗戦後、ドイツ人はユダヤ人から悪魔の如く糾弾されたが、それは単に虐殺の対象にされたからではない。ユダヤ人が心の底からドイツ人を憎むのは、このゲルマン民族がセム種族の“肉体”を槍玉に挙げたからだ。優生学や人種衛生学を重視するナチスの理論家たちは、優秀なアーリア人が持つ遺伝子プールに、穢らわしい遺伝子が混入する事を恐れた。ドイツ人にとって、金髪碧眼の北方種族が「理想的な人間」である。だから、この容姿を醜くする、ユダヤ人の精子や卵子が赦せなかったのだ。ナチスを批判するフランス人だって、発言とは別に本音があって、白いケルト人の遺伝子を守りたいと思っているし、イギリス人も腹の中ではアングロ・サクソン人の容姿を保存したいと願っている。

  現在のヨーロッパ人やアメリカ人、および彼らの主張を鵜呑みにする日本人は、無意識のレイシストになっている。リヘラル派はアフリカ人やアラブ人、あるいはインド人やベンガル人などに同情しているが、これらの非ヨーロッパ人が持つ独自の美意識を決して認めようとしないのだ。彼らは無意識的に有色人種の容姿は醜いと思っている。例えば、ウガンダ人が大きな尻や太い腰を持つ女性を「綺麗」と思うことに違和感を感じているが、現地の黒人にしたら、艶のある黒い肌と脂肪が詰まった頑丈なボディーは魅力的なのだ。ホッテントットの女性は自分の性器を自慢して、他人に見せびらかしていた。一方、インド人女性はイギリス人のような白い肌に憧れ、高価な「美白クリーム」を買っているが、歐米の左翼がこれに触れないのは欺瞞だ。イスラエルの東歐系ユダヤ人は、「俺達は洗練された白人なんだ !」と自慢し、パレスチナ系ユダヤ人を褐色の田舎者と馬鹿にしていたけど、何故か、これは大きなニュースにならなかった。

  ヨーロッパのリベラル派や人権派というのは、「良心」を売り物にしているが、実際は、偽善的な差別主義者である。地球上には様々な種族が存在しているから、「絶対的な美」というものはない。あるのは、「相対的な美」くらいで、「別嬪」や「男前」というのは十人十色。ヨーロッパ人の基準や評価で他国の美意識を否定するのは間違っている。したがって、ドイツ人が自らの肉体を自慢しようが、そんなのは「手前味噌」にすぎず、目くじらを立てる程のものではない。品川や新橋で飲んでいるオヤジが「俺の娘は江戸一番の美女」と自慢したって、そんなのは親馬鹿の戯言(たわごと)だ。もし、こんな自慢を本気にして、「何だとぉぉ〜、それは外見差別になるぞ !」と噛みつくのは野暮天しかいないだろう。まともな大人は、「そうかい。良かったねぇ〜。確かに、娘さんはアンタと似ていないや!」と笑ってお終いである。これが解らないのは、大学でクルクルパーにされた優等生だけ。

ドイツ人にとっては素晴らしかった理論

Walther Darre 1( 左 / ヴァルター・ダレ)
  歐米諸国でも似たり寄ったりかも知れないが、日本の書店ではナチス時代のドイツを暗く描いた翻訳書や歴史書ばかり。北方種族のアーリア人を増やすべく、「生命の泉(Lebensborn)」計画を実行したハインリッヒ・ヒムラーや、「血と土」を強調したヴァルター・ダレ(Walther Darré)は評判が悪く、非人道的な政策を行った極悪人にされている。しかし、どうしてゲルマン系ドイツ人を増やすことが悪いのか? 日本政府は少子化を懸念し、若い女性に「もっと子供を産んで下さい !」と呼びかけ、出産手当とか育児手当、保育所の増設に教育の無償化などを実行している。しかし、誰もこれをネオ・ナチ政策とは言わないだろう。また、日本人が日本の国土を愛し、日本人の子孫を残しても異論は無いはずだ。日本に住み着く支那人や朝鮮人は「排外主義だ !」と激怒するが、そもそも日本は日本人の国で、アジア人が幸せになる為の国ではない。もし、優秀な支那人や朝鮮人がいるのであれば、彼らこそ真っ先に祖国へ戻り、国家の発展に寄与すべきだ。我々は下品な支那人とかヤクザの在日鮮人なんて要らないぞ。

Heinrich Himmler 1Heinrich Himmler 2Alfred Rosenberg 1

(左 : ハインリッヒ・ヒムラー / 中央 : ドイツ人少女とヒムラー  / 右 : アルフレート・ローゼンベルク)

  現在、大学やマスコミでは「多文化主義」や「多民族共生思想」が真っ盛りだが、ドイツの文化はドイツ人が維持・継承すべきで、移民労働者として居着いたトルコ人や、紛争を逃れて潜り込んだシリア人が担うものじゃない。ドイツ人を糾弾するイギリス人やオランダ人でも、自国の文化は先祖代々の子孫が受け継ぐべし、と考えているはずだ。ところが、中流階級はおろか、上流階級のドイツ人でも、左翼やユダヤ人の前では腰砕けとなり、ドイツ人の遺伝子プールを守るのは駄目、街から異邦人を追放することも厳禁、非西歐人との混血なら称讃、と悉く非ドイツ化政策が取られている。良識的な公民さえ、ドイツらしいドイツを存続させようとしないのだ。ところが、ユダヤ人は同胞の為なら何でもする。彼らはドイツに寄生するため、あるいは外国からやって来る仲間のため、民族主義に基づいて多文化主義とか人種的多様性を大宣伝。しかし、彼ら自身はアラブ人やアフリカ人と混血したがらないし、イスラエルはユダヤ人とユダヤ教のために建てられた民族国家であると断言してはばからない。テレビ局、新聞社、教育界、藝能界に陣取るユダヤ人は、示し合わせたかのように協力し合っているから、ある意味、立派というか狡猾である。

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(左 : ドイツ人の軍人 / 中央 : 軍服を着たドイツ人少女 / 右 : ナチス時代のドイツ人女性 )

  それなら、ドイツ人が自国をアーリア種族だけの国、つまり北方種族だけが幸せに暮らせる楽園にしたい、と考えてもいいんじゃないか。元々、ドイツ人が主体のゲルマン国家なんだから。サウジ・アラビアなんてサウド家の所有物だし、イランはシーア派のイスラム教で疑問を持たない。日本の歴史家は馬鹿の一つ覚えみたいにナチスを糾弾するが、もし、モザンビークやコンゴが黒人だらけの国家になったら、彼らはアフリカに渡って抗議デモを起こすのか? 日本の学者は日本国内に留まって、反抗する日本人を批判するだけだ。譬えて言えば、弱い後輩だけに威張り散らす不良と同じである。彼らは朝鮮高校の兇暴な不良の前だと、借りてきた仔猫のように「おとなしく」なり、因縁を付けられても「ニャンとも言えない」とばかりに無抵抗主義を貫く。情けないけど、これが和製知識人の実態である。

  日本の保守派は西歐人にペコペコしているが、白人のほとんどは「ハッタリ」が得意なだけの弱虫だ。だいたい、どうして西歐人は正直に「白人だらけの国がいい」と言えないのか? 自分の国なら、嫌いなユダヤ人やジプシーを叩き出してもいいはずだ。例えば、日本人の高校生が自分の部屋にアイドル歌手のポスターを貼ろうが、デス・メタルの音楽を聴こうが、ワンピースのフィギュア人形を飾ろうが、隣人は一向に構わない。なぜなら、自分の邸宅や敷地にある部屋じゃないからだ。ドイツ人はドイツ国内で、イギリス人はイングランド国内で、同胞だけと一緒に暮らす権利がある。そして、今を生きるドイツ人やイギリス人には、先祖から継承する血統を損なわず、きちんと子孫へ手渡す義務があるんじゃないか。祖父母と容姿が違う子孫なんて悲しすぎる。

Franz Boas 1Ashley Montagu 1(左 : フランツ・ボアズ / 右 : アシュリー・モンタギュー )
  西歐人は愛国心を尊び、国防を担う軍人は命に代えても祖国を護ると言い張る。が、丸腰の移民が来ると腑抜けになってしまうから、「見かけ倒しじゃないか」と軽蔑したくなる。民族の血筋や文化、国土を守ってこそ、真の国防だ。異人種との混血を許し、伝統文化の劣化を奨励し、さらに国境までも開放するなんて馬鹿げている。リベラル教育で洗脳されてしまったからしょうがないが、愛国者であれば日本の戦国武将のように鋼鉄の意志を持つべきだ。フランツ・ボアズ(Franz Boas)やアシュリー・モンタギュー(Ashley Montagu)のような文化人類学者は、「人種なんて社会的に構築されたもの」と宣伝するが、現実的には「人間の種類」は存在する。(ボアズとモンタギューは共にユダヤ人。

ちなみに、「モンタギュー」は偽名で、本名は「イスラエル・エレンバーグ」である。) 日本人ならせせら笑ってしまうが、ユダヤ人にはオーストラリアの「アボリジニ(原住民)」とアングロ・サクソン系の白人が“似たり寄ったり”の人種に見えるのか? 左翼学者は熱心に平等思想を宣伝するが、一般人は同族の者と一緒に暮らしたいと考えている。何よりも、祖国で気持ちよく生活できるなら「非科学的」でも「人工的」でもいいじゃないか。

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(左 : ドイツ人女優のヒルデガルト・クネフ / ナチスが理想としたアーリア系女性 / ユダヤ人フェミニストのベティー・フリーダン / 右 : イスラエルに住むユダヤ人女性 )

Arthur Gutt 01 (左 /アルトゥール・グート )

今では、ヴァルター・ダレやアルフレート・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)の主張は全面的に否定され、悪魔の思想となっているが、国家運営や国民の統合には非合理的な神話(宗教)や科学では解明できない国民の絆が必要なのだ。例えば、SS少将のアルトゥール・グート(Arthur Gütt)は、人種文化および遺伝担当の大臣アドヴァイザーを務めていて、ドイツ人の人種的遺伝が如何に神聖であるかを述べていた。

  ゲルマン貴族は自らの遺産を神聖な祖先の種から得ている。その血(生殖用の物質)は最も純粋な形で子孫に継承されねばならない。(Arthur Gütt, "Die Bedeutung von Blut und Boden für das deutsche Volk", Schriftenreihe des Reichsausschusses für Volksgesundheitsdienst, Vol. 4, Berlin : Reichsdruckerei, p.4.)

  また、『第20世紀の神話』で有名なローゼンベルクも、ゲルマン民族の血統に関して持論を述べていた。

  こんにち、新たな信仰、すなわち血の神話が勃興した。これは血を通して人間の神聖なる本質を守る信念である。(Alfred Rosenberg, Der Mythus des 20. Jahrhunderts, Munich, Hoheneichen Verlag, 1935,p.114.)

  親衛隊上級大佐のカール・モッツ(Karl Motz)も、「血と土」を強調する文章を書いていた。 

如何なる民族主義があろうとも、その基盤となるのは、我々の祖国にある聖なる地と血の関係である。(Karl Motz, Blut und Boden : die Grundlagen der deuschen Zukunft, Berlin, Zeitgeschichte Verlag, 1934, p.7.)

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(写真 / ドイツ人少女の歓迎を受けるヒトラー)

  これらの理論家よりも、さらに激しく糾弾されるのがドイツ総統のアドルフ・ヒトラーである。もちろん、この独裁者は戦争末期、自らの地位に固執し、多くのドイツ兵を無駄死にさせたから、徹底的に批判されねばならない。しかし、ナチスが行った人種政策はドイツ国民にとって、本当にマイナスであったのか? ヒトラーはゲルマン人らしいドイツ人を保存したいと望み、国家が必要とする健全な青少年を育成しようとした。また、ドイツ社会を破壊する共産主義を執拗に攻撃したが、これは本当に「悪い事」なのか? ヨーロッパ人は認めたくないだろうが、優生学はドイツ人のみならず、ブリテン、フランス、ネーデルラント、スウェーデンなどでも盛んで、当時としては国家のプラスになったはずだ。ヒトラーの『我が闘争』を読んでみると、意外にも「まっとうなこと」が書かれており、戦前のヨーロッパ人が持っていた本音を語っている。例えば、次のような箇所はイギリス人やアメリカ人でも賛同する人が多いはずだ。
  
  自然は雑種を好まない。特に、第三、第四、第五世代あたりの雑交の初期に生まれてくるものは、はなはだしく苦しまねばならない。かれらは本来最高の成分のもっている価値を、雑交によって失ってしまうのみならず、血の統一を欠いているために、生存一般のための意志力や決断力の統一をも欠いているのである。(アドルフ・ヒトラー 『わが闘争』 (下) 平野一郎・将積茂 訳 角川文庫 p.49)

 また、ヒトラーは優越人種が劣等種族と交わった場合の危険性についても述べていた。

  ・・・・その結果はまず、水準自体が低下するだろうが、さらに子孫が人種的に混血していない周囲のものに比して虚弱化するだろう。最もすぐれた人種の側からの血がそれ以上混入することを完全にさまたげられるならば、お互いに雑種同士の雑交をつづけることによって、雑種は自然によって抵抗力が低下させられるために死滅するか、あるいは幾千年かの間には種々雑多な雑交によって、本来の単一的な要素が完全に混合し、したがってその単一な要素がもはや認められないような新混血物が形成されるであろう。(上掲書 p.50)

  ・・・・最も神聖な人権はただ一つあるだけである。そして、この権利は同時に最も神聖な義務である。すなわち、それは最もすぐれた人類を保持することによって、人類のより尊い可能性を与えるために、血を純粋に保つよう配慮することである。それとともに民族主義国家は、人間と猿との間の生まれぞこないではなく、神の似姿を生むことを任務としている結婚に神聖さを与えるために、まず第一に、結婚を絶え間ない人種汚染の水準から高めてやらねばならない。(上掲書 pp.52-53.)

  戦前から1960年代まで、アメリカ社会において白人が黒人と結婚することは忌み嫌われていた。特に、南部だと一層顕著で、現在とは違い、民衆党の大物が熱烈な人種差別主義者であったことは周知の事実。例えば、リベラル派の長老だったロバート・バード(Robert Byrd)上院議員は、若い頃、KKKのウェスト・ヴァージニア支局に属していたし、ジョージア州の知事を務めたクリフォード・ウォーカー(Clifford Walker)とユージン・タルマッジ(Eugene Talmadge)は、黒人が大嫌いで、黒人の政治参加に猛烈な反対を示していた。アラバマ州にも沢山の白人至上主義者がいて、デイヴッド・グレイヴス(David Bibb Graves)知事や連邦最高裁のヒューゴ・ブラック(Hugo Black)判事は有名だ。彼らは共にKKKを支持。もちろん、こうした「レイシスト」はユダヤ人も大嫌い。アイヴィー・リーグの大学は、なるべくユダヤ人の学生を排除しようと様々な対策を講じていたものだ。

Claude Lanzmann 1(左 / クロード・ランズマン )
  ところが、日本の歴史学者は悉くユダヤ人や黒人の味方で、ドイツ史について論文を書けば、決まって追放されたユダヤ人に同情を寄せてしまう。蛸壺型の思考しかないから仕方がないが、別の角度、すなわち「ドイツ人の視点」でドイツ史を見ることができないのだ。要するに、彼らはユダヤ人学者の言説を繰り返しているだけ。そもそも、「ホロコースト」なる用語が、どのように定義されているのかよく解らない。日本の歴史学者は検死報告書や物的証拠も示さずに、都市伝説でしかない「ガス室殺人」を頭から信じている。フランスのユダヤ人で映画監督のクロード・ランズマン(Claude Lanzmann)が、様々なホロコースト生存者を集め、その証言を映像に収めて『ショアー(Shoah)』というドキュメンタリー・フィルムを制作したが、これらの証言はどれも「証拠」とはならない。なぜなら、法廷での宣誓証言でもなければ、反対尋問を受けた証言でもないからだ。偽証罪に問われず、気楽に話せる噂話を「真実」と称しているんだから、日本の学者は脳天気である。こんなヨタ話が信用されるなら、『週刊実話』の記事だって、みんな「真相」になってしまうじゃないか。

  まぁ、迫害や虐殺に遭ったユダヤ人は気の毒だが、久々にユダヤ人が消え去ったヨーロッパというのは結構気持ちがいい。ユダヤ人やクルクル左翼が記す歴史本には、「可哀想なユダヤ人」という“お涙頂戴”話が満ちあふれているけど、当時のドイツ人からすれば、「あの穢らわしい賤民が居なくなってせいせいした」という気分であった。それに、当時のドイツ人労働者はヒトラーの経済政策により、惨めだった生活水準が向上したし、ゲルマン人だけが暮らす住宅地も建設されて大喜び。イギリス人だって羨むほどだ。現在、戦勝国になったはずのブリテンには、ユダヤ人が政財界にウジャウジャいて、アングル系やケルト系の国民は密かに嘆いたり、憤慨したりと気分が優れない。したがって、「こんな風になるなら、ナチ・ドイツに占領された方がマシだ」と言いたくなるイギリス人の“ぼやき”も分かる。

Michael Levy 2Jack Straw 3Ed Miliband 1David Miliband


(左 : マイケル・レヴィー / ジャック・ストロー / エド・ミリバンド / 右 : デイヴィッド・ミリバンド )

ブリテンの政界はユダヤ・マネーに汚染され、誰も彼もが親イスラエル派だ。多民族共存が実現したブリテン島には、「イギリス人」の振りをするユダヤ人議員が普通にいて、中には「愛国者」を演じることで国民を騙そうとする奴がいる。保守党を見てもユダヤ人が多いし、労働党を見回してもユダヤ人が目につく。例えば、トニー・ブレアのパトロンはマケイル・レヴィー(Michael Levy)だし、外務大臣のジャック・ストロー(Jack Straw)は移民賛成派で、バーバラ・ロッシュ(Barbara Roche)に至っては確信犯的移民推進派であった。労働党の代表になったエドワード・ミリバンドと兄のデイヴィッドは親譲りのマルキスト極左ときている。一方、保守党にはマイケル・ハワード(Michael Howard)やマイケル・リフキンド(Michael Rifkind)のようなユダヤ人が多い。でも、一番腹立たしいのは、下院議長席に腐敗の帝王、ジョン・バーコウ(John Bercow)が坐っていることだ。 焼肉屋じゃあるまいし、あっちでジュージュー、こっちでジュウジュウの状態なんだから、イギリス人だと目眩がしてくる。

Barbara Roche 11John Bercow 1Michael Howard 2Michael Rifkind 1

(左 : バーバラ・ロッシュ / ジョン・バーコウ / マイケル・ハワード / 右 : マイケル・リフキンド )

  ドイツ内外にヒトラーのユダヤ人迫害を非難するドイツ人がいるのは分かるが、彼らは北方種族のゲルマン人を増やした廉でヒトラーを譴責するのか? 現在、ブリテンやフランス、ネーデルラント、スウェーデンでは、移民や難民の有色人種が雪崩れ込んでしまい、深刻な「多民族社会」となっている。そこで、もしも、イングランドやデンマークからアジア人やアフリカ人が一掃され、白人だらけの国家となったら、どのような現象が起きるのか? まさか、リベラル派の白人が大量に逃げ出し、各地で不動産価格が下落するとは考えにくいし、一般国民が嘔吐を催すとも思えない。むしろ、人気の移住先となるんじゃないか。例えば、アメリカやカナダからこぞって白人が流入し、国籍取得を希望するかも知れないぞ。西歐人は決して口にしないが、ユダヤ人はお金の臭いに敏感だから、イスラエルからも不動産業者が参入し、猛烈な「土地転がし」が発生する可能性だってある。白人用の高級住宅地となれば結構な儲けになるし、建築業者や開発業者になればもっと儲かるから、このチャンスを見逃す手はない。巨額の資金を調達できるユダヤ人だと、ライバルを蹴落とすことが出来るから、かなり有利だ。

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(左 : ナチス時代のドイツ人少年 / 中央 : ナチス時代のドイツ人少女 / 右 : 現代のゲルマン系西歐人女性)

  とにかく、ドイツを破滅に陥れたヒトラーを批判するのは構わない。しかし、ヒトラーがしたことを全て否定することは間違いだ。例えば、もしヒトラーがキリスト教を保護したり、「ヨーロッパの文化だから大切にせよ」と発言したら、アメリカ人はキリスト教を邪教と考え、「ネオ・ナチ好みの宗教だ」と毛嫌いするのか? また、もしも、ナチ党が軍人魂を称讃し、「祖国のために命を懸けることは崇高な行為だ !」と宣伝したら、ヨーロッパ人は尚武の精神をゴミ箱に捨てるのか? キリスト教や勇敢な行為はナチスがなんと言おうとも尊い。「善いもの」は誰が口にしても「善いもの」だし、悪事はイギリス人やアメリカ人が行っても正当化されるものではない。

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(左 : ドイツ人少女と面会するヒトラー / 右 : 健全なドイツ人少女たち)

  自国の生活環境を良くするためなら、タカリ賤民のユダヤ人や、不愉快な移民・難民を追放しても非難されるべきことではないだろう。第一、ユダヤ人には同胞が暮らすイスラエルがあるじゃないか。アフリカ難民は元々「避難民」なんだから、永住せずにさっさとアフリカへ戻り、どこかの国で農作業でもすればいい。あれだけ広大な地域なら、ブッシュマンみたいに暮らせるはずだ。もし、それが厭なら、パプア・ニューギニアとかフィリピンに移住する選択肢もあるじゃないか。ヨーロッパの左翼は自国の保守派ばかり責めているが、「上等な先進国」を意図的に目指す移民や難民を批判しないのはおかしい。アフリカ難民は他のアフリカ諸国が受け容れるべきだし、シリア難民とかイラク難民は、イスラム教国のサウジ・アラビアとかヨルダン、イランなどが率先して保護すべきである。異邦人を排斥したい保守派は、もっと強靱な精神を持つべきだ。先祖から受け継いだ国家と将来を担う子孫を考えれば、左翼からの苦情・罵声など「ウサギの糞」程度じゃないか。左翼分子は敵の弱点を突くのが上手い。真の愛国者は「ネオナチ」とか「極右」といったレッテルを恐れず、自分の血統をなるべく純粋に保ち、生まれ育った郷土を「自分たちの国」とすべきである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html

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